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このページではyoutubeの違反者とのやりとりや、 違反者の言いたい事を載せます。 くせーーーーーーーーんだよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwうんこ爺どもが老害詞ね!!!!!wwwwwwwwwwew俺は模試で偏差値55だったか ら将来有益だからなewwwwwwww 同感wwwwwwwwwwwwwwww ごーすとふぉーすうらやまーなじじい多すぎワロタwwwwwwwwwwwwwww 駄菓子屋のエアガンすらかえない貧乏人かくそじじいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 年金はらってねーからこうなんだよバーカwwwwwwwwwwwwww しねしねしねwqqqqqqqqqqqqqqqqq さっそくなかまたちと次のサバゲの予定くんでやったwwwww今度は高校生か二人増えるらしいからお前ら糞じじいどもや 警察が来ても返り討ちだなwwwwwwwwwwwweはやく身元しらべてみろやwww出来ないよな情弱うんこ爺どもにはwwwe(笑)(笑)(笑) じじいどもが俺様の覇気に圧されて逃げ出しやがったwwwwwwwwwwweeeepしょせんお前らなんて臭いだけなんだよ wwwwはやおきして損したぜwwww四日振りに学校とかいっちまったじゃねーかwwwwwwwwweeeeewwwwwwうんこ爺の葬式はいつでふなかー? 今日は早起きしてじじいどもの相手してやるぜ!!wwwwwwww 感謝しろよ!!!!!wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwewwwwwwwww さっさとかかってこいやwwwwwww 改造したデザートイーグルでお前らそそっこう葬式送りだwwww はやくチームつくっていれよぉぉ~wwwwww 大体俺らよりレベル高いとか思ってるだろーとかいってるが、 お前ら爺のほうがよっぽどレベル高いと思ってるだろ?w なにが上から目線だしww散々上から目線してきた爺共がなんだ? なにがレベル高いと思ってるだww 厨房に対して指摘ばっかりしてるし潰せないのに潰す作戦たてたりお前らなに?w それでもレベル高いとかいえんだー?へ~×20 糞にちゃんねらーは爺が大半です。 やり取りなんかワンパターンですよそんなのwwww ページを晒す→悪口をいう→変な名前をつける→通報してないのに通報したとか言う詐欺をしてびびらせる ナルシストアピールおやじどもの対話なんてそんなもんでしょうb sencyou556 (8 時間前) 連投すまんが、通報、通報うるさいよ? チャンネル停止はお前がやられろ。自分がDQNであることを他人にアピールしてんだろ? 貴様のやっていることは注意じゃない。脅迫だ。それこそ、お巡りさんが動く事態になるよ? どうせお前、在日だろ?だから、サバゲー動画とかで「くだらない趣味やめろ」とか言うんだろ? 貴様は2度とyoutubeに来るな、ニコ動でもやってろ。ks sencyou556 (9 時間前) 貴様が、yamaguti3923さんを批判してたのか? いいか。よく聞け。くだらない趣味とか考えるのは貴様の勝手だ。だからと言ってそういう、「くだらない趣味」とコメントするんじゃない。人の趣味を妨害してはいけないのは分かるか? 逆の立場で考えろよ。ゲス野郎 くだらない趣味言うなら、youtubeから消えろ、ゲス野郎。 MrMARINES1995のメッセージ まぁ自分的には両親の許可とルールとマナーさえ守っていれば 18禁を使用してもいいという考えを持っているから たぶんみんなそうだな というわけで半分脅迫まじりにやめさせようとする考えは野蛮だと思っている そういうのを相手にスンの疲れたから その無駄な努力を今後も続けてください あばよ eiyuusakuraのメッセージ 通報してください、いやしてみろよwお前のリア名知ってるし学校もわかるから俺こそ通報してやるよwあのねw君みたいな真面目君がいるとね気持ちわるいんだよねーw子供の遊びをけがしてるんですか?18歳ならサバゲーぐらい引退しろよw話変わるけど俺18禁の武器もってるよ?え、普通に店で買ったよw別に年齢とか聞かれてないしwんでさ祭りとか中国製の銃あるんだけどね、それ威力18歳以上なんだけどwでさ普通にクジであるよね?なんで?それこそ通報されないの?警察回ってたけど別になんもおこんなかったよ?おやの許可もらってれば別にいいんじゃないのかな?なんかいうことある? ?(誰だか忘れた)の自己紹介 しゅにゲーム関連などが好き一番好きなゲームはモダンとleft4deadとhaloです 好きなアニメはハイスクール オブ ザ デット とけいおんといろいろ 一番好きな銃は L85A2 とsr-25です だんだん受験ですので勉強がんばります fujisyun0110のメッセージ 招待しました~~! m92fの、分解 組み立て動画だしてくださいw ぼく、くみたてられなくてこまってるw(わがままですが、よろしくおねがいしますwあと、わかりずらいので、文字もw)ほんとに、すいませんw動画うpしてくれたら、ほんと、助かります! 08watapon25(自分で書いてます) 僕も一回サバゲーをしてしまいましたが、それ以外でやったことはありません。 一回しかしたことないんです。やったことは確かなので許してと言ってるわけではありませんが、反省しています。 これ以降は私有地以外では絶対にやりません。 あと、18禁についてですが買って家の中でのみ使用というのはダメでしょうか? 迷惑かかりませんし、威力も確かに怖いのでゴーグルも付けます。 僕が18禁を欲しい理由は、10禁に中々欲しいモデルがないからです。 別に威力は求めてません。威力ばっかり気にする奴らはksですもんw それでも18禁の所持はダメでしょうか・・・ 匿名希望(自分で書いています) 08watapon25さん。 ここは法律やら条例で縛り上げているところですので恐らく、 あなたのお住まいの地域で所持・使用が認められていない(条例に所持等などの規制)場合はどう言おうが禁止だと思います。 それと、反省していますだとか甘ったれたことを言っても 「だったらいいよ」ということにはならないと思います。 難しいようですが、お住まいの地域の条例(青少年健全育成条例の項目)を読み判断してください。 ↑の方ありがとうございます。 了解いたしました。 18禁は我慢するようにします 10禁カスタムしてたのしみますね ご返答ありがとうございました
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疑問を持たれた情報をこのページに皆で持ち寄ってください 長文になる場合・情報量が多い場合は、メニューから新規ページを作成して書き込んで下さい。編集方法が分からない方は、コメントへご投稿ください。有志の皆様、ページへのまとめをお願いします。また、証拠やこのページが削除される恐れもあります。閲覧者の皆様もログ保存にご協力下さい。 外国人による選挙活動 野村こういち候補(民主党)2010/7/4 王庭兵のブログ( 民主党候補野村こういちに一票を! ) ウェブ魚拓 (選挙権及び被選挙権を有しない者の選挙運動の禁止) 第137条の3 第252条(選挙犯罪による処刑者に対する選挙権及び被選挙権の停止)又は政治資金規正法第28条(政治資金規正法違反による処刑者に対する選挙権及び被選挙権の停止)の規定により選挙権及び被選挙権を有しない者は、選挙運動をすることができない。 * NTT労組による選挙違反 2010参議院選挙 字幕付き http //www.youtube.com/watch?v=MlA0WJkXJns 候補者を連想させるものについて 蓮舫候補(民主党)2010/6/24 やまと新聞( 蓮舫陣営 公職選挙法違反の疑い 公職選挙法第146条 )動画付き ウチワ型ビラについて 谷亮子候補(民主党)2010/6/25 アスク株式会社( 民主党・谷亮子候補、ウチワ型法定ビラ無断使用 ) ウェブ魚拓 岡部まり候補も「無断使用」しているのを目撃したという指摘もあり 土田ひろかず候補も同型使用。無断かどうかは不明。 うちわ型法定ビラを三浦氏が実用新案を取得している事実は確認できない。 街宣活動中のトラブル 有田芳生候補(民主党)2010/6/26 やまと新聞( 有田芳生「は?やまと新聞か、そんなもん新聞じゃねーよ」「おい。ちょっとこい」 )動画付き プロの歌手が歌うのは利益供与に当たるのでは? という問題 庄野真代候補(民主党) 2010/6/5 YouTube( 民主党公認候補 庄野真代 ) 2010/6/21 スポニチ( 庄野真代“路上ライブ”で熱唱&アピール ) 2010/6/24 twitpic( 思いっきり共同通信に書かれてるけど、、庄野 ) 2010/6/24 YouTube( 飛んでイスタンブール Acoustic version ) 2010/6/25 サンスポ( 民主・庄野真代氏、下北沢から飛んで国会 ) 2010/6/25 スポーツ報知( 庄野真代氏、SL広場でライブ状態の街頭演説! ) 二階堂ドットコム ( 歌っていいの?公選法違反だろうよ。 ) ∟2010/7/12TBSひるおび!「通報があったため、生歌は封印しCDを流す形に変えた」 違法ポスター 田村こうたろう候補(民主党)野中幸市氏ブログ( 参議院比例区、田村こうたろう選挙違反ポスター ) ウェブ魚拓 小西ひろゆき候補(民主党)地主に無許可でポスター設置( http //twitpic.com/1zsi2g ) ふじすえ健三候補(民主党)証紙なしとのこと( http //twitpic.com/2135yp ) 石橋みちひろ候補(党)街路樹にポスター設置の瞬間( http //twitpic.com/21x8mk ) 菅直人(民主党)これ違反らしくて通報済みだそうです( http //tweetphoto.com/31598679 ) 違法のぼり 小川敏夫候補(民主党)/たなかあさこ候補(みんなの党)2010/7/1 やまと新聞( JR駅前選挙活動の模様 新橋、中野 ) 安井じゅんいちろう候補(自民党)・保坂のぶと候補(社民党)も違反のぼりと指摘有り。ソースなし←上述の有田芳生候補(民主党)に関する記事内の画像がソース。 この記事 にあるように、選挙カーに固定されていないのぼりは違反。 →追加更新してくれた方ありがとうございます。 やまと新聞の記事は数日に渡って関連しているようなので、時間をみてこちらにまとめます。 .
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メニュー トップページ プラグイン紹介 メニュー メニュー2 序 章 近世薬師信仰史研究の視角 一 薬師信仰と研究史 日本宗教史上、薬師如来に対する信仰は歴史的にはやい。その様相を示すいくつかの事例を挙げれば、大和法隆寺の金堂薬師像は、遅くとも七世紀半ばまでの造像であることが確認されているのをはじめ 、天武天皇九年(六八〇年)には皇后不予のため薬師仏造立の発願をうけ薬師寺が建立 、また皇族の病気平癒を目的とした薬師像の造像とともに、薬師悔過法 が実施されるようになったことなどがその代表的事例である 。その後、孝謙朝には、鎮護国家思想に基づき国分寺・国分尼寺が建立されるが、五来重氏は「大部分の国分寺は薬師如来像を本尊とし、多くの国分尼寺は観世音菩薩像を本尊とした」と推定し、前者について「薬師悔過本尊とする目的があった」と指摘している 。また、平安時代には、教王護国寺(東寺)金堂や比叡山根本中堂などの本尊として薬師如来が祀られた。仁明朝には、疫病流行という社会状況に対応して、薬師悔過法や般若経の転読などが行われたという 。 しかし密教の流入を機に、これまでの薬師信仰は変容をみせる。西尾正仁氏はその理由として、①密教の世界観を示す金剛界・胎蔵界の両界曼荼羅には薬師の座すべき位置がないこと、そして②平安中期以降、病の病因として、政争に敗れた人々の死霊など、物怪の存在が意識されるようになり、不動調伏法をはじめとする加持祈祷が重要視されるようになったことを指摘している 。この頃、天台宗中興の祖である良源(九一二~九八五)により七仏薬師法が完成され、それ以降、主に安産祈願の修法として、また台密の五箇大法の一つとして展開した。また、京中の諸寺院で盛んになる修正会の修法として薬師悔過法が執り行なわれるようになったという 。このように古代薬師信仰は、変容しつつも貴族社会に影響しつづけた信仰の一つであった。この頃の民衆における薬師信仰の様相については、史料が不足しているため不明な点が多い。 中世になると、行基の造像伝承をもつ薬師仏が流布するようになる。このことが、薬師信仰の民衆化する要因ととらえられている 。第二章で検討する『峰相記』 には、ほとんど薬師霊場がみられない中で「船越山・楽々山・棚原山・弥高山・光明山・藤尾山等ハ行基菩薩建立、皆薬師本尊ノ寺門也」と明記されている。行基と薬師の関係を語る初見は、鎌倉前期頃の仏教説話集である『古今著聞集』 である。これを要約すると、行基が摂津国有馬に向う途中に同国武庫の山中で倒れていた病者を救った。その病者は生身の薬師如来であり、「温泉行者」と名乗りその姿を消した。そこで行基はその姿を像に刻み、昆陽寺(現兵庫県伊丹市)を建立したというものである。この説話は、第二部で取り上げる近世薬師説話『瑞応塵露集』 においても説かれている。 そもそも薬師信仰史研究は、他の諸信仰史研究に比して盛んではない。個別寺院史を描く際にその場に祀られる薬師仏が、主として美術史的に分析されることはあっても、薬師信仰そのものを分析対象にしたものはほとんどみられない。しかしそうした中でも、奈良仏教における仏教文化のあり方について、仏教史研究の立場から薬師信仰を問題にする根本誠二氏の研究 、また近年、古代・中世の薬師信仰の変容を文献的に考察し、主に行基伝承を共有する集団の動向と薬師信仰に着目した西尾正仁氏の研究 がみられる。両氏をはじめとする成果から古代・中世の薬師信仰の展開を概観すると、古代において薬師如来は、一方では病気平癒の現世利益の仏という側面と、他方、鎮護国家の仏という側面との二面が古代社会において重要視されたと評価されている。西尾氏は薬師信仰を単なる除病安楽の信仰だけではないという立場に立脚し、古代国家鎮護の信仰的性格を詳細に分析し、国家レベルの信仰から民衆信仰としての薬師信仰への変貌の様相を描いている。しかし、天皇の病気治しや異国調伏などの国家仏教的薬師信仰を基軸とする展開、また行基伝承との関わりにおいて薬師信仰の民衆化の過程に着目しながらも、密教世界における薬師仏の居所のあり方や諸方面に影響を与えた浄土教・阿弥陀信仰の展開を機として薬師信仰の役割が変容したという状況論に注目するあまりに、ついには薬師信仰が病気治しの現世利益信仰という側面だけが強調され、受け入れられていくという論理展開を示すことになっている印象が棄てがたい。やはり日本人の精神生活史として、今一度、病気治しの現世利益信仰としての薬師信仰評価をめぐる本質的問題は、再考の余地があるといわざるを得ない。 さて、薬師信仰と民衆との関わりについては、中世以降にはっきりしはじめるものの、民衆の薬師信仰は、古代から今日まで連綿と続いている民衆信仰の一つであると思われる。 地域住民による薬師堂の管理・維持の様子は、はやく平安初期頃の『日本霊異記』 にみえている。 (前略)子に手を控か使めて、其堂に迄り、薬師佛の像に向ひて、眼を願ひて曰く、我が命一つを惜しむに非ず、我が子の命を惜しむなり、一旦に二人の命を亡さむ、願わくは我に眼を賜へ、と、檀越見矜ミテ、戸を開きて裏に入れ、像の面に向ひて、称礼せしむ(後略) とある。もとよりこの話は、盲目の女性が京の蓼原堂の薬師に祈願して目が開いたという病気平癒譚であるが、ここで注目すべきは、その女性のために檀越が薬師堂の扉を開けているということである。これは、平安初期頃において地域住民による薬師堂の管理・維持の様子があったらしいことを示している。また『康富記』 には 仍自園城寺押寄于因幡堂、可打毀僧坊等之由風聞之間、此間侍所〈一色兵部并/小舎人雑色等〉、勢并近辺之町人等大勢、昼夜警護因幡堂云々 とみえ、京の平等寺因幡薬師の危機に対して大勢の町衆が因幡堂を守っている。さらに享保年間に成立した播磨国明石郡 の地誌『金波斜陽』 の「山田村」の項にも 薬師堂 境内東西五間南北七間 村支配 とみえており、近世においても、地域に住む村人たちによって薬師堂が管理・維持されていたことをあらわしている。 『金波斜陽』によると、明石地域内六十六ヶ所の村々には、薬師堂が確認され、薬師仏が祀られていたことがわかる。このことから近世明石郡において、地域住民の薬師仏に対する祈願と信仰が、脈々と流れていたことをうかがい知られるのである。つまり同地域にみえる薬師堂での祭祀は、近世民衆の日常生活における精神的拠り所の一つとして確立していた状況を示しているといえよう。そうするとその祭祀の内容が問題となるが、近世民衆の薬師仏への祈願内容を点検するかぎり、その特徴は、「治病」のほか、「産育」・「延命」を目的とした現世利益的なものがその中心であったということに気づくのである。 このような薬師信仰の信仰実態と本質を理解するのは、容易な作業ではない。それは全国的に莫大な数の薬師祭祀の痕跡が見出されることと、その薬師祭祀の内容が必ずしも『薬師瑠璃光如来本願功徳経』をはじめとする仏典に根拠がない宗教的行為(かわらけ投・耳石奉納など)を伴うことが多いからである。このような薬師信仰にかかる複雑な民俗現象を検証するうえにおいて、有益な分析方法は、五来重氏の提唱した宗教民俗学的方法であろう。五来重氏は、「庶民仏教というものは表層文化として受容された仏教の基層に、この国土に土着の、そしてこの民族に固有の宗教体系をもっていた」 と指摘したうえで、民衆の薬師信仰というのは、①山中他界観による祖霊信仰・山岳宗教と関係する薬師信仰(山の薬師)、そして②黄泉の国から寄り来る神の信仰という海洋宗教に帰することのできる薬師信仰(海の薬師)の存在を明らかにした 。これは、霊山霊場の多くや海岸部に薬師仏が祀られる宗教的要因として重要な指摘であり、五来重編『薬師信仰』には、「山の薬師と海の薬師」論をメルクマールとする薬師信仰研究として「地域」を多分に意識した論考が収められている。薬師信仰とは何かという問いに答えるには、こうした方法と、地域的分析によらなければ理解することが出来ないのである。 本論文では、以上のような方法論的問題を承知した上で、さらに発展的な議論を試みたいと思う。「近世薬師信仰史」を問題にする理由は、従来、研究史的に近世薬師信仰史が問題化されていないということだけではない。日本人の宗教観念と精神生活を考える上で、薬師信仰と病気治しの現世利益信仰とが歴史的にどの様に関わり、「病」と宗教の問題自体がいかに今日に連続しているのかという問題の歴史的契機を「近世」に遡り考察を試みる意図から成り立っている。 今日、人々の病気治しの問題は、その方策の多くが厚生労働省と医療機関、医師、医療関連企業、そして製薬会社などに委ねられている。ここに介在する現代的問題は、一部の産・学・官の癒着による重大な薬害問題の発生や過重労働にともなう医療ミスをはじめ、医学の進歩と相反する現象である。そもそも国家が人々の「病」の問題に介入するのはいつからなのか、また、今日の「新々宗教」に連続する問題の一つとして、薬事法が成立していない時期の「薬」と医療は、宗教とどのような関わりがあったのかなどについて、注意深く検討すべきではないだろうか。 先行研究によると、近世民衆の薬師信仰が衰微し現状に至った要因の一つとして、医薬文化の隆盛(医学の技術的進歩や民衆間での薬の流通・受容などをさす)という社会状況があげられている 。つまり、近世以降、治病という領域で、薬師如来と同様の機能を有している医薬文化・技術の発展にともない、薬師信仰は衰退したということであろう。このような指摘を受けて、医学史・薬学史などの立場による研究成果をみてみると、近世における売薬業者の数、製薬の値段、売薬の効目、製薬技術、薬種問屋の組織などの分析から、医薬文化の隆盛状況が実証され、確かに近世初期から中期頃が民衆レベルでの医薬文化の萌芽・成熟期として位置付けられている 。確かに、今日における医療の場面からでは、医薬文化の隆盛という社会状況が優越し、薬師信仰にみられる治病祈願が淘汰されてしまったかのようにみえる。しかし、薬師信仰の本質と歴史的展開を分析するうえでは、薬師仏の功徳(果)と医薬がもたらす効能(果)は共通するが、両者が密接に結びついていた時代を踏まえた宗教的構造論を抜きにして、その関係を根拠とするのは注意が必要であろう。 近世民衆の日常生活における精神的拠り所であった薬師堂の多くは、近年、地域開発にともない移転祭祀されることもなく、その姿を消し、わずかに残ったものも地域住民に顧みられることがほとんどないという状況である。このことが医療技術の発達と関わっていることは否めない。しかし、近世における売薬や加持祈祷などの事例をみるうえでは、少なくとも前近代において、人々の「病」の問題の多くは宗教的に解決されていたと考えられる。 以上の問題関心から、本論文は、次に掲げる諸問題の分析に即して「近世薬師信仰史」を明らかにしたいと思う。 一 本論の構成と問題意識 本論文では、大きく二部に分割して、地域的薬師信仰、薬師信仰の勧化本に関わる考察を中心に、近世的薬師信仰の展開について、それぞれの問題点を分析し、日本近世における薬師信仰の諸相と本質を明らかにする。もとより歴史的考察では、近世的薬師信仰の議論を踏まえた上で地域的問題へと展開するべきである。しかし本論文は、主に民衆信仰としての薬師信仰を問題にして、その内容は千篇一律ながら地域的に特徴的な信仰形態を読み直し、従来、ほとんど議論されていない近世的薬師信仰の問題へと展開することにより、薬師信仰の本質を先鋭化するという方法をとっている。 第一部の「薬師信仰の地域的展開」では、まず第一章で、高野一栄『薬師霊場記』(貞享三年)、湛澄『薬師如来利益抄』(元禄八年)を主たる分析対象として、両書の史料的性格を踏まえ、近世都市の薬師霊場の問題として、主に都市京都の七仏薬師・十二薬師霊場について、その所在を確認した上で、それらの霊場における「巡礼」に注目し、近世都市の薬師信仰を分析する。 第二章では、播磨地域の薬師信仰を取り上げる。ここでは地域的問題として法道仙人伝承と薬師信仰の関わりに特色を見出し、近世畿内地域の薬師信仰の一例として、近世民衆の薬師信仰のあり方を考察したい。 第三章では、奥羽地域の薬師信仰を問題にする。その理由は、「薬師神社」なる名称の神社が東北地方に集中的に存在することからである。「薬師神社」が近世文書に現れることは例外を除いてほとんどない。その意味でこの名称そのものの議論は、近代以降における問題である。しかし名称にみえる問題は、「ヤクシ」という仏教的名称を冠した神社が成立しえた信仰の背景を問題化し、地域的問題として取り上げなければならない。従来、「薬師神社」が積極的に取り上げられたことがない研究状況を受け、まずその事例確認を踏まえたうえで、その諸問題は修験道との関わりに注意しながら考察を加え、主に庄内地域における「薬師神社」への改称問題を中心に分析を試みる。 第二部「近世的薬師信仰と勧化本研究」では、ひろく現象面や思想的側面にも注意を払い、薬師信仰の近世的性格を明らかにする。五来重編著『薬師信仰』は、民衆宗教の本質を探ることを意図して薬師信仰を取り上げ、宗教民俗学的立場からその分析を行った研究が豊富に集められた論集である。そしてそれは、今日でも重要性を失うものではなく、本論でも五来氏の掲げたテーゼに則って諸問題を分析している。しかし、五来氏の薬師信仰分析は、その信仰における宗教的本質(基層信仰)を明らかにしたものではあるが、近世における薬師信仰の特徴やその背後関係についてはあまり明らかにされていないので、「近世的」なる躍動感が伝わってこないといわざるをえない。そこで本論文における近世的社会現象としては、出版文化の隆盛に注目する。中世までは大量生産が可能な版本は寺院版に限られていたが、近世には書肆が成立し、商業出版が開始された 。そんな中で仏教書物は生産・再生産され、勧化本の類の書物も盛んに編まれた。薬師仏の霊験を説く勧化本も例外なく成立したが、観音や地蔵などの他の諸仏に比べ数量的に微少であるが、近世的薬師信仰を考察するうえで、かかる勧化本は通俗性が備わっている点で一級史料として評価でき、ここから多角的な論点を導くことができる。本論文で重視する薬師信仰の勧化本は、『薬師如来瑞応伝』・『瑞応塵露集』である。 そこでまず第二部第一章では、享保期に成立する『薬師如来瑞応伝』・『瑞応塵露集』の書誌的分析をおこないたい。両書は、和泉国大鳥郡真言律宗神鳳寺末安楽寺住持の超海通性によって編まれた薬師信仰の勧化本である。このことを踏まえたうえで、その論法にみる主張と特徴を、そして民衆信仰における「滅罪」の論理が反映されている文言を摘出し、近世民衆の薬師信仰の実態と本質論に言及したい。 一方、第二部第二章では、『薬師如来瑞応伝』・『瑞応塵露集』が製作された背景を問題にする。なぜ享保期にこれらの薬師信仰を主題にした書物が成立するのかという問いの前提として、筆者である超海通性という人物とその周辺に関する問題が提起される。今日、超海は全く不明な人物であり、神鳳寺や近世律宗についてもよく知られていないことが多く、近世仏教史研究では大きく遅れている分野である。それゆえに両書から近世薬師信仰の様相を解明してゆくうえで、まず成立の背景や意図を詳しく分析する必要があった。そこで本章では、以上の目的から、近世真言律宗史の一側面として、特に神鳳寺の展開に注目し、超海通性の編纂環境を明らかにしたいと思う。 補論Ⅰは、近世薬師信仰を解明する手がかりとなる論考ではないが、第二部第一章、第二章でとりあげた超海通性の『薬師如来瑞応伝』・『瑞応塵露集』に記された内容に対して、批判が加えられている事実、すなわち両書における記述内容の信憑性に関わる問題を分析する一方、近世「略縁起」の意味を問うものである。超海は『薬師如来瑞応伝』・『瑞応塵露集』の中で三河国鳳来寺の薬師仏の霊験について記述しているが、その中で鳳来寺開山を「理趣仙人」と記している。この「理趣仙人」という記述に対して、鳳来寺松高院住持「善慧尋得」は、『掃塵夜話』という附録を合綴した『三河国鳳来寺略縁起』を発行した。その中で超海通性を名指しで批判し、「理趣仙人」の表記が「利修仙人」であることを主張する。この問題は、近世鳳来寺一山組織が天台系僧坊と真言系僧坊との共存状況であったことや、近世社会における縁起言説の管理の問題をはじめとする諸問題を含んでいる。その意味で、第二部で明らかにしようとする本来の目的から離れるが、超海の著作がいかに近世社会へ影響を及ぼしていたのか、という問題を傍証する論考という点で、本論文では第二部に補論として組み込んだ。 さらに、補論Ⅱとして「近世京都の民衆信仰―清水寺慈心院と随求菩薩信仰―」を加えた。この論考も近世薬師信仰の問題と直接関わらないが、超海通性の著作の一つに『随求菩薩感応伝』があり、『薬師如来瑞応伝』・『瑞応塵露集』に通底する問題意識を読み込むことを目的に補論として組み込んだ。ここでは、近世中期に復興される洛東清水寺慈心院に関係する議論、そしてそもそも勧化本や霊験記の類に記される人名や地名は実在し、霊験そのものの発生はともかく、信仰に関わった人物が実在したことの例証とする分析を加えた。超海著作の性格や成立背景を明らかにするうえで、関連する素材の一つであり、本論文に関係する議論である。 最後に第二部第三章では、近世の医薬文化と薬師信仰の関係について注目し、世俗的医薬処置と諸病平癒の現世利益信仰としての薬師信仰との関わりについて具体的に分析したい。そして近世的問題として家康が東照大権現として神格化され、その本地仏として薬師如来が設定されたことの持つ意味について、民衆信仰として土着した薬師信仰を政治的イデオロギーに転換したことはもとより、政治支配権力が民衆の「病」の問題に介入する時に、薬師信仰を内部に取り込まねばならなかった思想的構造から、当該期の薬師信仰の本質を明らかにしようとするものである。 本論文は以上の各章の問題関心から構成されている。全体を通覧すれば、薬師信仰史に通底する本質と役割を歴史的に明らかにするために、宗教民俗学的に滅罪信仰の一つとして薬師信仰の位置付けを試みる目的と、近世薬師信仰の機能と文化史的展開を、民衆信仰が多様化する時代性の中でとらえようとするのが本論の特徴である。しかし個々の議論はさらなる精密な検討を要するものが多く、その意味で本論文は、展望論としての初歩段階的論考の集合体にとどまっている。それでも現世利益信仰としてのみ評価される傾向が強い薬師信仰のもたらした諸現象が、実は日本仏教史、ひいては日本宗教史の展開過程と精神生活文化史をより鮮明にあぶり出すことにおいて有効な論点であることを示唆できるのではないかと思われる。 なお本論文では、引用する史料を含めて人権に関わる用語を多数使用し、また「難病」=「業病(過去世の業の報いによる病)」という認識を強調している箇所がある。人権問題の正しい理解の上に立ちながらも、論を進める上では史料にみえる用語をそのまま使用し、精神生活史研究の課題の一つとして論じていることを断っておきたい。また文中に部分引用する『薬師如来利益鈔』、『薬師如来瑞応伝』、『瑞応塵露集』などは、原本にはルビが施されているが、本論では省略した部分もある。影印を資料編に綴ったので適宜参照されたい。 序 章―註 伊東史朗『薬師如来像』(文化庁、東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館監修『日本の美術 七』、至文堂、一九八六年七月、二五頁)によれば、大和法隆寺金堂薬師像光背の銘文の真偽性そのものは疑問視されているものの、その像容から止利仏師の一派の手によったものであると推定されることから、遅くても七世紀半ばまでの造像であることが確認されているという。 『日本書紀』天武天皇九年(六八〇)十一月癸未条(増補新訂国史大系『日本書紀後篇』所収)に「皇后體不豫。則為皇后誓願之。初興薬師寺。」とみえている。 五来氏は、「山の薬師・海の薬師」(民衆宗教史叢書第十二巻 五来重編『薬師信仰』所収、一九八六年、雄山閣)(三十六頁)で、「悔過は、天下国家の人民や信者に代って苦行し、それらの人々の罪や穢れを滅ぼすのが目的」であると指摘している。すなわち「滅罪の代受苦が悔過」であるという。修験「悔過」行には、「観音悔過」や「十一面悔過」、また「吉祥天悔過」などがあり、「薬師悔過」もその一つであるという。 薬師悔過法の初見は『続日本紀』天平十七年(七四五)癸酉条(増補新訂国史大系『続日本紀前篇』所収)の記載で、「又令ム京師畿内ノ諸寺及ヒ諸ノ名山ノ浄処ヲシテ行ハ薬師悔過之法ヲ。」とみえている。 五来重「薬師信仰総論‐薬師如来と庶民信仰‐」(民衆宗教史叢書第十二巻 五来重編『薬師信仰』所収、一九八六年、雄山閣) 西尾正仁『薬師信仰‐護国の仏から温泉の仏へ‐』(御影史学研究会、民俗学叢書十三、二〇〇〇年、岩田書院)。 前掲、西尾論文〈註6〉。 久下隆史『村落祭祀と芸能』(一九八九年、名著出版) 前掲、伊東〈註1〉、西尾、論文〈註6〉など。 本論で検討する『峰相記』(成立は、室町初期頃)は、『兵庫県史』本を底本とする。 橘成季編『古今著聞集』巻二第三話。 『瑞應塵露集』(巻三の四)(成立は享保十五(一七三〇)年、著者は宝林山安楽寺の真言僧超海通性、大谷大学図書館蔵)については、本論第二部で詳しく検討する。 根本誠二「行基と薬師信仰」(根本誠二・宮城洋一郎編『奈良仏教の地方的展開』所収、二〇〇二年二月、岩田書院)。 前掲、西尾論文〈註6〉。 『日本霊異記』「二つ目盲ひたる女人、薬師佛の木像に帰敬して、現に眼を明くこと得る縁 第十一」(下巻十一話、日本古典文学大系本、岩波書店) (前略)使子控手 迄于其堂 向薬師佛像 願眼而曰 非惜我命一 惜我子命 一旦已(「亡」カ)二人之命也 願我賜眼 檀越見矜 開戸入裏 向像之面 以令称禮(後略) 『康富記』応永二十五(一四一八)年七月二十六日条(『増補史料大成康富記一』所収)。 現在の神戸市垂水区(一部)・西区・明石市をさす。ここ数年来、同地域は明石海峡大橋建設に伴う新道建設や宅地造成(ニュータウン計画)などの開発が盛んである。 本論で用いる『金波斜陽』は、京都大学文学部図書館蔵本を底本とする。著者、成立年ともに『金波斜陽』には明記されていない。しかし内容を検討すると、享保年間の記録が多いことからこの頃の成立と推定される。また著者については、享保年間に成立した大井毎高編『明石記』に、この『金波斜陽』と美濃郡の地誌『玉彩光分』が再録されており、明石城下の住人、長野恒臣の著であることがわかる。(日本歴史地名大系『兵庫県の地名Ⅱ』「史料解題」、一一四四頁、平凡社) 前掲、五来論文「薬師信仰総論‐薬師信仰と庶民信仰‐」〈註5〉 前掲、五来論文「山の薬師・海の薬師」〈註3〉 豊島修「都市の薬師信仰‐大阪を中心として‐」、大森惠子「因幡薬師と山陰地方の薬師信仰」(民衆宗教史叢書第十二巻 五来重編『薬師信仰』所収、一九八六年、雄山閣)では、薬師信仰の衰退に医療が関わったことを指摘している。豊島氏は、信仰衰退の時期を「近代以後」(三八〇頁)とみており近世的問題とはしていないので、近世医薬との関わりは不明であるが、大森氏は特にその時期を定めず、「医学や薬学・医療技術の発達に伴い、今日では薬師如来に病気平癒を祈願するより、医療機関で治療を受けたほうが賢明と、人々は思うようになった。その結果、因幡薬師(平等寺)や座光寺に寄せられた信仰や祈願内容は、諸病平癒から安産や種々な「福」を求める傾向に、変化していったと考えられる」としている。この解釈では、本論第二部第三章で触れるように、近世にすでに医療が民間に展開する状況、また近世においてすでに安産や富裕を祈願する事例がみられることを鑑みれば、医薬文化発展と薬師信仰の衰退が近世に端を発しているということになる。 吉岡信『近世日本薬業史研究』(一九八九年、薬事日報社) 長友千代治『江戸時代の書物と読書』(二〇〇一年、東京堂出版) リンク @wiki @wikiご利用ガイド 他のサービス 無料ホームページ作成 無料ブログ作成 無料掲示板レンタル 2ch型掲示板レンタル お絵かきレンタル ここを編集
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今日の四時間目は視聴覚室でビデオ鑑賞。別名睡眠学習の時間。 絶対、先生手抜きでしょって突っ込み入れたい。こっちはきちんと授業料払ってんだよって感じよ。 一応筆記用具くらいは持っていくか。 三年使ってるピンクのペンケースを手にして立ち上がると、前の扉がスパーンと勢いよく開いた。 あまりにも大きな音だったから、教室内にいた人は皆そっちに向いた。 そこに立ってるのは見たことのない人。 左耳に校則違反のみっつのピアスと制服以外の着用は禁止なのにヨレヨレの黒いパーカーを羽織ってる。 短すぎるスカートから見える細くて白い長い脚。 ひとりだけ違う学年色のネクタイと上履き。 黒髪のボブにそして鋭い目力。 見たことのない知らない人だけど、この人の名前はきっと・・・いや、100%。 大本彩乃だ。 なんだろ・・・めちゃくちゃ怒ってるオーラ、バリバリなんですけど。ジャックナイフみたいよ? 「ねぇ!西脇って誰?」 大本彩乃は自分の一番近くにいた子に話しかけてるけど、その声は教室の奥にいたあたしにも聞こえた。 「はい・・・。あたし、です」 だから、自己申告したけど、挙げた右手が少し震えてる。だって、怖いんだもん。ジャックナイフだし。 ズカズカと大本彩乃はあたしに近付く。 「なんでうちに来たの?」 「へ?」 「勝手なことすんなよ!!!」 目の前にきたと思ったらいきなり怒鳴られた。 本当にいきなりだったから一瞬身体が固まっちゃった。 初対面の人に怒られたのは生まれた初めての出来事。 大本彩乃の怒鳴り声で空気が凍りついた。 あたしも急に怒られたからなんだか泣きそうになってしまった。 キーンコーン、、、。 そんな空気を予鈴が溶かしてくれた。 「あ〜ちゃん・・・授業遅れるから行こう」 「・・・うん」 エリちゃんに連れられてあたしは視聴覚室に向かった。 教室から出るまで、大本彩乃はずっとあたしを睨んだままだった。 えっと・・・。 なんであの人あんなに怒ってんのよ。 だってあれは先生が強制的にあたしに頼んだことなんですけど。あたしのせいじゃないもん。 親に学校行ってないのがバレて怒ってんの? そんなん自分のせいじゃろ。ちゃんと学校来ればよかったじゃろ? 人のせいにしないでよ。そんでみんながいる前であんなに怒鳴らなくてもいいじゃろ。 あー、なんだろ。 今更だけど、すごく、すごく、すんごーく、ムカついてきた!! 怒鳴られて泣きそうになったのも恥ずかしかったしさ! ヤッバイ!最高にイライラしてきた! そんでさ、せっかく学校に来たのに授業サボったら来た意味ないじゃん。 もう別に大本彩乃なんて、どうでもいいけど! ビデオ鑑賞が終わって教室に戻ると、ひとりで席に座ってる大本彩乃の姿が見えた。 なんだ。帰ったかと思った。教室にいるなら授業受ければよかったのに。てか、会いたくないかも・・・。 「あ」 あたしに気付いた大本彩乃はまたズカズカと近寄ってきた。 また怒鳴られるのかな。反射的に身体が萎縮する。 「ごめんなさい!!」って、目の前で両手をパンっと合わせて大本彩乃は頭を下げた。 「へ?」 謝られるとは思わなかったからマヌケな声が出てしまった。 「あ・・・西脇さんが出て行った直ぐ担任と会ってさ。クラス委員長だから頼まれてやっただけって聞いたから」 「あぁ・・・」 てか、あたし委員長じゃないんだけどな。 「・・・怒鳴ってごめんね」 「ええよ。ええよ」 「許してくれる?」 「えっ!?あ・・・う、うん。もう平気じゃけぇw」 「そっか〜。よかったぁぁ」 大本彩乃は本当に安堵した感じで、さっきまですごい目力だったけど、途端にフニャっとユルユルな顔つきになった。 ここまで眉毛は下がる人は初めてみた。おもしろい。 ヤバい人って噂は本当なんだろうか? そりゃー、顔はキレイだけど、この人、別に普通じゃない? ちゃんと謝ってもられると思わなかったもん。実は良い人なんじゃない? 「えっ?帰るんですか?」 大きな仕事を終えたようなスッキリした顔で大本彩乃は身支度を始めた。 「うん。帰るw」 「午後の授業は?」 「出ないw」 「出ないと出席日数ヤバくないですか?」 「・・・さすが、いいんちょーだね。さっそくクラスの問題児の心配?」 すごくめんどくさそうに意地悪く言われてイラっとした。 さっきの良い人は撤回。 「普通、ずっと来てない子がいたら心配するんじゃないですか?それにあたし、委員長じゃないし!」 「・・・そーんなに怒んなくてもw」 なにその小ばかにした半笑い。ムっとする。 「んじゃ、センセーに早退したって言っといてね。いいんちょーw」 「はぁ!?」 「バイバイキーンw」 ニコニコ手なんて振っちゃってさ。 誰が振り返してやるもんか。 大本彩乃は良い人じゃなくて嫌な奴に訂正だよ。 大本彩乃が出て行って少しした後、いつものようにキューティクル少女が来た。 「大本彩乃・・・来てます?」 「来たけど、ちょっと前に帰っていったよ」 「来たんですか!?」 キューティクル少女の笑顔を初めて見た。黒目をキラキラさせて小動物みたいで可愛い。 「今、追いかければ捕まるんじゃない?」 「・・・それはいいです」 変なの。大本彩乃に会いたいんじゃなかったの? 「そう言えば、名前なんて言うの?あたしはね、西脇綾香。あ〜ちゃんでーすw」 いい加減キューティクル少女って呼ぶのもなんだから訊いてみた。 「あたし・・・樫野有香」 遠慮がちに自分の名前を言う樫野有香はやっぱり小動物みたいで可愛い。 「ゆかちゃんは大本さんの友達?」 馴れ馴れしくゆかちゃんって呼んじゃったけど平気だったかな? 「・・・友達、ではないかな」 平気だったみたい。 「そっか。・・・あの人、なんかちょっと嫌な感じしない?」 「先輩のこと、何も知らないのに・・・そんなこと言わないでよ!」 ヤバイ。 ゆかちゃんの地雷を踏んづけてしまったみたい。 「ご、ごめん。言い過ぎた・・・。そうだよね、知り合いを悪く言われるのってイヤだよね。ごめんね」 「・・・ううん。こっちこそ、怒鳴っちゃってごめん」 「先輩なの?」 「うん。中学ん時からの先輩なんよ」 「そっか!大本さん、留年したから、うちらよりイッコ上だもんねw」 「ゆかも同じクラスがよかったぁ、、、」 「え?」 ゆかちゃんはあたしにバイバイも言わず、自分の教室に戻っていってしまった。 後輩に好かれてるってことは、やっぱり大本彩乃は良い人なん? ま、あたしには関係ないけど。
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This information CLASS TOP SECRET/Special Compartmental Information 以下の情報は合衆国政府の定める“TS/SCI”最高機密特別区分情報に該当しますTS/SCI以下のセキュリティクリアランスでは閲覧できません。また、この資料のコピー、配布、持ち出しは禁じられています。違反者は国家安全保障の観点から厳重に処罰されます。また、本情報の管理担当者は日に4度の資料状態の確認を徹底して下さい。 Info code SC-000237819 Writer Jack Donahue この資料は国防総省主導で行われた対人調査の報告書である。調査はあくまで国家安全保障上の情報補完を目的としたものである。必ずしも被調査対象者が危険分子であることを示すものではない。 Object Name C.Bishop SS No 505-57-4516 Nationality United State Country of birth Japan Date of Birth April/24/1976 Last Class Major Pay Grade OF-3 Info Update Jan/14/2037 C■au■e-B■s■■pに関する経歴報告書 また付随情報 経歴 + ... Report No1 出生から軍務初期 + ... 1974年4月24日、日本で生を受ける。母親は日本人。 1979年 母方の実家との不仲を理由に夫が帰国。それにつれられて米国へ移り国籍を変更。祖父のもとへ預けられ、████████州で育つ。その後順当に成長し、1993年にマサチューセッツ工科大学に進学。予備役士官候補生養育課程(ROTC)を同時期に履修しており、学業と並行して軍事教育を受ける。 大学での専攻は言語学と文化史。言語に関しては主に中央アジア、中東地域の言語に興味を示していた模様。 1997年に大学を卒業。履修者は4年の軍役を課すROTCの規定に従って海兵隊へと入隊。基礎訓練校を卒業し任官すると、上官の推薦状を得て陸軍の空挺学校へ入校する。三段階の訓練を経た後に合格、空挺徽章を授与され、MOS8023を取得。 1998年に入ってすぐアフリカ派遣を経験。某国国境沿いのDMZ周辺での人道支援任務中、武装集団の襲撃を受けたことにより実戦を経験する。この際に上官と指揮下にあった一名が戦死するも、難民の護衛には成功。また自身も爆発片による負傷を負いながら戦闘を継続し、見事生還している。 同年、東欧での紛争介入の経験や増加しつつある派兵先での小規模な衝突、および治安戦の拡大を想定し、海兵隊内で新たなるプログラムが発足する事となる。帰国後、調査対象者は当プログラムに選抜されている。 ベテラン将校10名、任官3年以内の新任将校10名の計20名を候補としたこのプログラムの目的は、 1:0203(陸上情報士官)に内包されるSSTLC(前哨狙撃兵チーム指揮官コース)の訓練期間を延長し、偽装、情報収集、射撃等の技能への時間配分を増やすこと。 これにより、チームマネジメントを重視した従来のSSTLC課程を強化し、将校の任務技術水準(偽装、偵察、侵入及び撤収、射撃)の底上げを図る。 2:従来、将校は課程卒業後0203を正式に付与される前に3つの選択肢から一つを選ぶ必要があり、SSTLCはその一つであったが、0203から独立した「前哨狙撃手チーム士官」MOSを整備すること。 にある。 特に冷戦後、海兵隊の前哨狙撃手は脱落率の高さやその他要因も相まって慢性的な人材不足に置かれており、将校の数は特に払底していると言って差し支えない状況にあった。 このため、より専門的な実技知識、経験を持つ将校を獲得しようという思惑があったものと思われる。 見事過程を修了するも、全体の卒業者はわずか5名。通常4割程度の卒業が見込まれる過程だが、将校の任務を並行した上で、下士官と同様の水準で前哨狙撃兵課程を課すのはあまりにも過酷であると判断されプロジェクトは凍結される。 このためMOS0317(前哨狙撃兵)は正式には付与されていないが、経歴書には明確に前哨狙撃兵養成課程卒業が記されている。 また代替として、MOS0203(SSLTC)が付与されている。 プログラム凍結の後、調査対象者はMOS8024(戦闘潜水士官)を取得、これによって資格基準を満たしたためMOS8026(空挺/戦闘潜水士官)資格を入手している。これは明らかに遠征軍偵察隊の選抜志願を狙った動きであり、実際にMOS8026取得直後、海兵遠征軍偵察隊(Force Recon)の選抜に志願している。一年半の選抜を無事通過し、MOS0307(これは下士官におけるMOS0321に対応する将校の主要MOSである)を取得。 EGR-Officerとなったのち、再びアフリカへの派遣を経験することとなる。保有特技区分にこそ含まれていないものの、教育を受けた前哨狙撃兵は貴重であるため偵察部隊の指揮官兼射手として同行。非武装中立地帯の監視任務を始め複数の任務に参加している。 2001年、9月11日。貿易センタービルへのハイジャック旅客機特攻をはじめとする同時多発テロが発生。 この日、調査対象者は派兵から帰国し、大学時代から交際していた婚約者のクロエ・ローレンツ(以下、副次対象A)との約束のためにニューヨークを訪れていたことが確認されている。この事件に巻き込まれて貿易センタービルで勤務していた副次対象Aは死亡している。 この直後、調査対象者は特殊作戦司令部資産に先駆けアフガニスタンへの増員を開始したCIAに接触。大学時代の専攻と自身が出した論文を持ち込み、直に交渉を重ね偵察中隊将校から一時的にCIA陸上部局、特別行動部門へ分遣された工作担当官へと配置換えを受けている。 アフガニスタンでは特殊部隊より先に現地入りし、高価値目標の捜索とタグ付け、及び切迫状況における物理排除に従事。2002年のタクルガルでは米兵の救助作戦にも参加していたことが当時の資料で確認されている。 2002年末にCIAへの分遣が終了し、原隊復帰。帰国をせず現地で部隊と合流し複数の作戦に動員されている。 (*1)。 特殊部隊を中心とした多国籍軍がアフガニスタンへ大々的に展開を始めると、偵察隊偵察チームを指揮する被調査対象の活動はより活発になり、現地敵対勢力であるタリバン、アルカイダの拠点の割り出し、有効勢力である北部同盟への軍事情報の供与などに始まる。 同時に偵察隊の性質を生かした特殊作戦を実行しており、長距離からの狙撃による█████の排除、敵勢力の漸減などで戦果を挙げたようだ。2003年のイラク戦争開戦までの戦果は確認された数字で32名。 2003年にはイラク戦争が開戦、同時期に海兵隊内で行われた特殊部隊の創設計画に参加。第一分遣隊、通称DET-1の偵察狙撃チームの指揮官に任命されている。 Report No2 軍務中期 + ... 2003年に開戦したイラク戦争が、世界的なテロとの戦い、いわゆるGlobal War On Terrorism、GWOTとよばれるそれの激化に拍車をかけた。 被調査対象は2003年の開戦時からイラク戦争に関与していたことが人事記録から確認されている。被調査対象とその率いる偵察狙撃チームは高価値目標の捜索を主要任務としており、ファルージャ、アルヒッラなどの激戦区で海軍特殊部隊とともに市街地掃討戦を展開していたと思われる。 2004年後期には北部地域での残党狩りのためクルド人部隊との連携作戦に従事。基本的に狙撃を主軸とした補助作戦を遂行していたことが記録に残っている。情報担当の調査によれば、被調査対象に懸賞金がかかったのもこのころであり、北部地域で40名近い標的を射殺したことに起因する模様。懸賞額は████米ドル。 2005年からはふたたびアフガニスタンへと移動。 このころ、アフガニスタンでは一度沈静化したかに思われたタリバン・アルカイダの活動が再び活発化しており、イラク戦争とアフガニスタン紛争の2方面への展開を行っていた米軍は、特殊作戦遂行可能な部隊の不足に悩まされていたと思われる。 その穴埋めを行うために被調査対象者のチームはアフガニスタンへと送り込まれたと推察され、こちらで展開された作戦内容はイラクでのそれと大きな差がなく、高価値目標の捜索であったようだ。 射線が長く伸びる上に海抜の高いアフガニスタンでの戦闘は狙撃手にとり理想的な地形であり、2005年から2006年末までの間に、被調査対象はチーム全体で300名、被調査対象単独で70人を超える武装した敵を射殺したことが報告されている。 また、この数は記録に係数可能な状態で記された数であり、その記録から漏れた敵が過分に存在することは間違いないと思われる。また、意図的に報告されていない戦果についても考慮するべきである。 2006年末、アフガニスタン山中へ取り残された海軍特殊部隊員救助のために出撃。降下地点付近で敵の伏撃に遭遇し、乗機が被弾。この際にチームの副官がヘリから振り落とされており、その回収はその場では不能と基調が判断したためバグラム空軍基地へ一時帰還している。これに関しては通信記録が残っている。資料番号████████。 こののち部下と海軍隊員の救助に尽力するものの、同時に命令違反を犯したため(*2)、また同時期に少年兵を狙撃で排除したことが問題視され査問委員会から招集され部隊を離脱している(*3)。 なお、この査問委員会は即座に解散、命令違反と少年兵殺害に関しては不問となった。原因は不明。 Report No3 軍務後期 + ... 査問委員会の中止後、書類上は再編された海兵特殊戦司令部隷下の部隊へ戻ったことになっているが、この点に関しては特筆事項ではないため省略する。(*4) 2007年からは中央情報局(CIA)と統合参謀本部が主導するProject-57のための基幹人員として招集されている。 Project-57に関しては被調査対象に関しての多くがメディアによって流出したいまでも最高機密指定となっており、閲覧不能であるが、ある目的のために特化された特殊任務部隊の編成計画であると推察される。このProject-57によって編成された部隊は便宜上TaskForce57(第57任務部隊、以降TF57と呼称)と呼ばれ、統合参謀本部ではDユニットというあだ名が与えられてたようである(*5)。 TF57の人員はアメリか5軍の中から幅広く採用されており、その採用に関する基準は不明。NSW、ASOC、AFSOC、MARSOC問わず、各軍特殊作戦司令部隷下の人員を起用しており、事実上の混成部隊。統合参謀本部直属であったとされているが、実際のところはCIAの元で作戦を遂行していたと思われる。が、CIAのどの部署の元で活動していたのかは不明であり、またその部署が一般に存在が知られる部署ではない可能性が示唆されている。 TF57の主要任務は元隊員の証言によれば“政治的、また軍事的に高い効果が見込める”と判断された作戦に絞られ、通常の戦略・戦術偵察や重要度のさして高くない襲撃任務などはSEALのDEV-GRUやデルタフォースにゆだねていたとされる。つまりはTF57は政府やCIAが用いる最上級のカードであり、第一階層、Tier1と呼ばれる部隊よりもさらに上の階層にいたとみなすべきでであると思われる。 TF57はタリバンの幹部である███████やアルカイダ幹部████████、南米███████カルテルのボス███████の殺害に関与したとされているが、これを裏付ける資料はない。また欧州、特にフランスを中心として連続発生した爆弾や銃器を用いた連続での同時多発的なテロ、欧州連鎖テロ事件に際し、実行幹部の████████をTF57が追跡中だったとされている。 この仏独同時多発テロに関しては、車を用い銃器を無差別に乱射するテロリストグループと交戦する“現地治安機関ではない”“英語を喋る”武装したチームの存在が確認されており、彼らが多くの民間人の保護、避難に当たったことも確認されているが、現在でも正体は不明である。 また同時に、欧州連鎖テロの主軸であった化学兵器のスタジアム、劇場への散布計画が小規模の不発で終わった件に関してもTF57の関与が疑われており、これに関してはフランス対外治安総局が調査を行ったが、米政府は一切の情報を公開していない。これに関してはテロの致命的な部分が早期鎮圧されたことによって被害者数が抑えられたため、仏政府としても必要以上の詮索をすることは好ましくないと判断した面があると思われる。 テロによる被害者数は死者数だけで250名を超す惨事であったが、結果的に不発に終わった多くのテロ行為が成功していたならば、その被害者数は数倍に上っていただろうという試算が専門家によって出されている。 また、TF57の介入に関しては一般には報道されておらず、“英語を用いる武装チーム”に関してもコアなミリタリーマニア以外の間で話題に上がることはないため、特別の対処がとられた様子は確認できない。(これら仏独同時多発テロに関する詳細情報は、副次資料4を参照) このほか、TF57の関与が疑われる作戦は数多く存在しており、これに関してはいまだに調査を続けている機関もある。また、元隊員や、関係者の証言によって関与が明らかになった作戦もあるが、その中でも2013年に行われたTF57最後の作戦、オペレーションドーンはひときわ有名である。 本作戦に関する説明は別途副次資料5を参照のこと。 この作戦によって大損害を受けたTF57は解体され、またマスコミへのリークで存在が明るみに出た結果、被調査対象もまたその矢面に立たされることとなった。 軍を退役したのは作戦での負傷が理由の傷痍除隊ということになっているが、政府と軍内部から働きかけがあたことはまちがいないとみられる。 最終階級は少佐、給与等級はOF-3。 Report No4 民間時代 + ... 軍を除籍後、作戦での負傷が癒えるとすぐに民間の軍事代行企業であGren McDonnell社、通称G Mに入社。この際、TF57の司令であり上官であったイーサン・D・プライスのから経営陣への紹介があったようだ。 G Mはこの時期中東を中心に活動しており、過去の不祥事で凋落したBW社のポジションを奪う形で成長を遂げた後である。主な業務は兵站代行、拠点警備、現地勢力への教育等。2015年中ごろまではアフガニスタンでの保安業務実行部勤務になっているが、その後イラクへ異動させられている。 G Mには米政府からの依頼を受けて難度の高い業務をこなす部署があったことが確認されている。襲撃、偵察、暗殺などを実行していたと思われ、被調査対象者もこの部署の在籍者であり、異動に関してはそれが何らかのかかわりを持っていると思われる。 イラクでも何らかの特殊な業務に関与したと思われ、彼がカウンタースナイプで狙撃手を排除したことを、クルド人自治区の新聞が報じた記録がある。またアルビルの大使館の職員の護衛、何らかの重要物資運搬業務に関する資料が発見されたほか、G M勤務最後期のシンジャール包囲戦では、ISILに再度包囲されたシンジャールから難民と医療ボランティアを脱出させるために奮戦している。同時にこの戦闘の参加者の証言では、最終的に現場の指揮を執っていたとのこと。 またイラクでは現地の幼年兵とともに活動していたことが取材で明らかになっている。 こののち、記者の██████ ████████がイラクでの取材をもとにして被調査対象者を中心に書いた記事“傍らには銃 ある請負人の記録”が地方紙で発行。反響を呼び、全国紙でも掲載されることとなる。直後彼はチームもろともG Mから解雇されている。 その他資料 + ... 副次資料1 + ... 補足事項 大学在籍時代に彼は政府出資の言語研究プログラムに参加しており、中央アジア、中東の言語に関しての研究を行っていたため作戦展開前の現地状況の調査、秘密裡の現地協力者や反タリバン勢力との協力関係の構築を行う人員に適していると判断されたとみられる。実際、この時期に現地語に精通した要員が複数投入されている。 副次資料2 + ... 命令違反と救助作戦の顛末 被調査対象者の帰還後、再度海軍主軸で救助チームが編成。被調査対象者もこれへの帯同を希望するが、上官の判断により却下されたことが証言として残っている(判断の理由は不明)。が、被調査対象者がこの救助チームとともに再び現地へ向かったことは軍の公式の記録にも残っているため、命令違反を犯しての出撃だったと思われる。これに関し、海軍の救助チームの指揮官は把握していたと思われるが、あえて同行を許可した模様。指揮官への取り調べものちに行われたが、大した調査もなく終了している。第2次救助チームは降下予定地点を変更してヘリで接近するも、途中で再び対空砲火をうけた模様。このときの通信記録によれば、降下地点の2キロ手前で激しい射撃を浴び、機はやむなく低空を飛行し火線を逃れ、退避を選択した模様。この際の無理な機動により、被調査対象は機外へ脱落。以後回収ができぬまま救助チームとヘリは基地へ帰還したと報告されている。被調査対象者は機からの脱落後、単独で夜間の山脈を行軍。出撃前に得ていた情報をもとに孤立した部下と海軍隊員を捜索していたとのちに証言している。ここからは、のちに軍がとった被調査対象者の証言になるが、最終的に現地武装集団が利用するトンネルを発見。内部に侵入し、拘束されていた部下と隊員を発見し解放したのち、負傷した海軍隊員を部下とともに運び出したとのこと。バグラム空軍基地の司令部が彼らの消息をつかんだのは、被調査対象者の機外脱落から4時間後のことであり、偵察を行っていた無人機が武装集団からの追撃を受ける3人を発見したことによる。こののち即座にレンジャー連隊を主軸とした緊急対応部隊が急行、AC-130による航空支援のもと、3人を救助した。こののち、この救助における並みならぬ献身と単独で捜索を行った勇気に対しシルバースター勲章がおくられている。 副次資料3 + ... Dユニット 副次資料4 別資料として保管。 音声資料 + ... 音声資料1 + ... ラベル 査問委員会音声資料 日付:Jan/5/2007 査問委員 宣誓に感謝します。それでは、まずあなたの官級姓名をもう一度名乗っていただけますか。 被調査対象 はい、僕は██████ ██████、階級は現在大尉です。所属は合衆国海兵隊、特殊作戦司令部第1分遣隊、F偵察チーム。 査問委員:どうも丁寧にありがとう、大尉。ではあなたの2006年当時の担当していた作戦についての概要を説明してください。 被調査対象:当時僕はチームを率いて偵察と狙撃による脅威排除を行っていました。 査問委員:では同年の██月██日、あなたはアフガニスタンの████████州で作戦についていたそうですが、この時も同様でしょうか。 被調査対象:基本的に任務は一貫していましたので同様です。その時期は市街地掃討に従事する多国籍軍支援のため、主に制圧作戦開始前に都市部に侵入し、前哨陣地を確保して脅威の報告と排除に当たっていました。 査問委員:ありがとうございます。ではその脅威の報告と排除に関しての説明を願えますか。 被調査対象 はい、主に倍率つきの光学機器を用いて市街地を詳細に観察、武装した敵の位置、数、様子、また戦略・戦術的に価値があると思われる物資、人物の位置を記録し、司令部に報告するのが第1。その報告を受けた司令部からの許可があった場合、または緊急を要すると判断した場合に、狙撃銃をはじめとする火器を用いてそれを攻撃、排除するのが第2。以上2点が主要な任務でした。 査問委員:詳細な説明に感謝します、大尉。ではその日に何人の敵を殺害しましたか。 被調査対象:失礼ながら、それは答えるべき情報ですか。配布された資料に記されていると思いますが。 査問委員:あなたは今日ここで私の質問に答える義務があります。答えてください。 被調査対象:《ため息の音》6名を殺害しました。いずれも.300ウィンチェスターマグナムを使用する単発の狙撃銃によるものです。距離は最長600ヤード、最短122ヤードです。 査問委員:いずれの対象も武装していましたか? 被調査対象:はい、していなければ射撃を行えません。明確な武器の所持が交戦規定上発砲が許可される事由の中で最も重要視される要素です。 査問委員:その6名の中に十代前半の少年が入っていることに関して、あなたはご存知ですね、大尉。 被調査対象:もちろん。撃ったのは僕ですから。スコープで確認し、発砲しました。 査問委員:この少年を殺害したことが、国際法規に照らし合わせて問題のある行為である可能性があります。 被調査対象:お言葉ですが、報告書にある通り対象は武装していました。法規、交戦規定の双方から見て問題はないと思われます。 査問委員:爆発物を身に着け、また所持していたという報告は受けています。 被調査対象:ですから明確に交戦規定に合致する武装した敵意ある存在であると判断しました。また、対象は制圧した地点に停車している友軍車両に接近中であり、緊急の対処が必要であると判断したうえでの発砲です。これに関してはアラン曹長と、随伴していた海軍のロジャース伍長の報告にある通りです。 査問委員:遠方からの照準器越しで少年の手にしたものが明確に確認できましたか? 被調査対象:拡大したうえで手にしたものは対人手榴弾であると判断しました。またはだけた上着の隙間からコンポジションを体に巻き付けているのは確認しています。 査問委員:手榴弾と体に巻き付けた爆薬はどのような形状でしたか。 被調査対象:手榴弾は楕円形のものです。コンポジションは黒い包みに覆われ、コードのようなものが確認できました。いったいこれは何のための質問ですか? 査問委員:それだけで爆発物であると判断できるのでしょうか。見間違いによる誤認の可能性は? 失礼ですが大尉、あなたがそれが爆発物であると判断するのに要した時間はどれほどありましたか。また、距離や砂塵、緊張などによる誤認の可能性は。 被調査対象:断言します、ありません。明確に爆発物であると判断しています、形状からも明白ですし、その確認は僕だけで行ったものではない。お言葉ですが、質問の真意も目的もわかりますが、この査問自体が無意味だ。 査問委員:口を慎んでください、大尉。私はあなたが射殺した少年が武装していなかったという証言を受けています。 《かすかなどよめき》 被調査対象:くだらない。僕が発砲、少年を射殺した数秒後に、彼の体に巻き付けていたコンポジションが爆発したことも報告書には明記されている。明確に、彼の身体には爆薬が巻き付けられていた。 査問委員:ですがそれが彼の手にしていたものが爆発物であるという証拠にはなりませんし、また彼が彼の意思により爆発物を用いて兵士を殺傷しようとした証拠にはなりません。 被調査対象:あの爆発で政府軍兵士1人が死亡、2人が負傷した。撃たなければもっと大勢が死んでいた。その少年の意思の介在の有無にかかわらず、爆発物を身に着け、接近していたのは事実であり、これは交戦規定によって発砲の正当な根拠になる。だれが武装はなかったとぬかしたのかは知りません、ですが、僕は彼が手榴弾を手に、爆薬を身に着けていたのは間違いではないと主張します。仮に手榴弾でなかったとしても、発砲には何の問題もありません。爆発があった事実が消せない以上、僕の発砲には正当性があります。それが任務です。 査問委員 《十数秒の沈黙と資料をめくる音》ではその3日後の作戦中、また少年をひとり射殺していますね。距離は945ヤード。報告では銃器を所持していたとありますが、これに関しては。 被調査対象:友軍からの発砲報告を受け、指示された方向を索敵した結果、AK自動小銃を抱えて移動する人影を確認したため、敵味方識別ののちに射殺しました。 査問委員:遠くから小銃であると明確に識別できるものでしょうか。ましてや相手は子供ですよ。 被調査対象:では小銃であることの識別が困難であるのに、子供かどうかが見分けられるものでしょうか、お答え願えますか。 査問委員:立場が分かっていないようですが大尉、質問者はあくまでこちらで、あなたのその発言は挑発行為とみなされ…… 被調査対象:945ヤードであっても高倍率の照準器のため小銃の識別は可能です。また相手のおよその年齢も識別可能でしたが、銃器を所持し、味方の側面へ迂回する動きを見せたので発砲しました。報告書の通りです、報告書を読んでいただきたい。僕は交戦規定に合致した射撃を行っています。 査問員会:《咳払い》射殺された少年のそばには銃はなかったとのことですが。 被調査対象:少年の遺体のあった斜面の下でAKが発見された旨が報告されています。とんだ茶番だ、そんなにしてまでつるし上げたいのか。 査問委員会:大尉! この査問委員会は正規の手続きを経たものであり、悪意を持って一個人を誹謗するためのものではない! 今すぐその発言を撤回していただきたい。 《ざわめき。被調査対象者の声が入るが、かき消すように会場のドアが開く音。何人かの声で委員会の中止命令を告げる声。録音終了》 映像資料 + ... 資料に対する特記事項、付随情報添付、管理者への質問等はここへ。 名前 コメント すべてのコメントを見る 閲覧者カウンター 今日 - 昨日 - 総計 - 閲覧者数は常に計数され、機密保持のために正規アクセス数との照会を行っています
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