約 1,226 件
https://w.atwiki.jp/sengokuhime3-wiki/pages/10.html
武将 兵種 国 能力値 スキル 列伝 Lv 1 2 3 4 0381 小山田 信有 騎 甲斐 統智政 533 644 755 866 (1519-1552)武田家臣。越中守信有の子。出羽守を称した。志賀城攻略、上田原合戦などで活躍。戸石城攻略戦で重傷を負い、死去した。葬儀には1万人が参列したという。 0382 小山田 信茂 弓 甲斐 統智政 641 752 863 974 (1545-1582)武田家臣。出羽守信有の子。投石を得意とする部隊を率いて各地の合戦で活躍。織田信長の甲斐侵攻軍に降るが、主君・勝頼の死後、裏切り者として斬られた。 0383 武田 信玄 騎 甲斐 統智政 9910 101011 111112 121213 (77)騎兵号令(84)槍兵弱体(05)馬帝号令 (1521-1573)甲斐守護。信虎の嫡男。父の苛烈な政策に反対して父を追放、当主となる。精強な騎馬軍団を率い、臨機応変の知略で織田信長を苦しめた。通称「甲斐の虎」。 0384 武田 信廉 騎 甲斐 統智政 8109 91110 101210 111311 (77)騎兵号令(84)槍兵弱体(38)真の主我 (1528-1582)信虎の三男。次兄・信繁の死後、親族衆の筆頭として長兄・信玄を補佐。容貌が信玄に似ていたため、影武者も務めた。画才があり、人物画などの作品を残す。 0385 仁科 盛信 弓 甲斐 統智政 861 871 982 1093 (1557-1582)武田信玄の五男。信濃の豪族・仁科家の名跡を継ぐ。兄・勝頼の命により信濃高遠城を守る。織田信長軍に対し、頑強に抵抗したが衆寡敵せず敗北、自害した。 0386 山本 勘助 弓 甲斐 統智政 6126 7137 8148 9159 (82)陽動作戦(86)大規模陽動(87)虚報伝達 (1493-1561)武田家臣。文武百般に通じ、主君・信玄の軍師を務めた。第四次川中島の合戦で「きつつきの戦法」を上杉謙信に見破られた責を負い、乱軍に突入し戦死した。 0387 原 虎胤 弓 甲斐 統智政 844 945 956 957 (1497-1564)武田家臣。甲陽五名臣の1人。下総千葉家臣・原家の一族。生涯で38度の合戦に参加。城攻めに長じ、また情けに厚い豪傑で「夜叉美濃」の異名をとった。 0388 飫富 虎昌 槍 甲斐 統智政 862 963 1074 1075 (1504-1565)武田家臣。軍装を赤で統一した部隊を率いて活躍、「甲山の猛虎」の異名をとった。信玄の長男・義信の傅役を務めたが義信の謀叛未遂事件の責任をとり自害。 0389 山県 昌景 騎 甲斐 統智政 986 1097 11108 11119 (76)騎兵突撃(84)槍兵弱体(77)騎兵号令 (1530-1575)武田家臣。武田四名臣の1人。兄・飯富虎昌と同様、軍装を赤で統一。内政・軍事・外交全般で主君・信玄を補佐した。長篠合戦で全身に銃弾を浴び戦死した。 0390 馬場 信春 騎 甲斐 統智政 1052 1262 1273 1384 (76)騎兵突撃(92)強襲突撃(66)馬場蹄号令 (1515-1575)武田家臣。武田四名臣の1人。多くの合戦に参加し1度も負傷せず「不死身の鬼美濃」と呼ばれた。長篠合戦の際に殿軍として主君・勝頼の逃亡を助け、戦死。 0391 内藤 昌秀 騎 甲斐 統智政 6107 7118 8128 9139 (88)誠心誠意(87)虚報伝達(115)友軍先鋒 (1522-1575)武田家臣。武田四名臣の1人。武田信繁の死後、主君・信玄の副将格となる。武略に優れ、箕輪城主として西上野方面の治政を担当した。長篠合戦で戦死した。 0392 浅利 信種 騎 甲斐 統智政 631 741 852 963 0393 秋山 虎繁 弓 甲斐 統智政 426 537 648 759 (1527-1575)武田家臣。伊那衆を統率する。徳川家康に「武田軍の猛牛」と評されたほどの猛将。岩村城に籠城して織田信長軍と戦うが、敗れて捕虜となり、磔刑にされた。 0395 虎綱 春日 騎 甲斐 統智政 699 7108 7109 81110 (94)無気力(98)士気回復(06)素早き鎮圧 (1527-1578)武田家臣。武田四名臣の1人。主君・信玄の小姓から侍大将となる。武略・用兵は家中随一といわれ「逃げ弾正」と呼ばれた。「甲陽軍鑑」の原著者という。 0397 土屋 昌次 騎 甲斐 統智政 742 853 964 1075 (1545~1575)武田家臣。三方ヶ原の戦いにおいて敵将鳥居信之を一騎討ちで討ち取り、武名を上げた。長篠の合戦に従軍し、滝川一益率いる鉄砲隊の銃撃を浴び、戦死。 0398 大久保 長安 弓 甲斐 統智政 1212 1313 1413 2513 (1545-1613)徳川家臣。主家の天領の統括、新技術を利用した金銀の採鉱、一里塚・伝馬宿の設立など幕府の民政、財政面に大きく貢献し「天下の総代官」の異名をとった。 0399 小山田 昌辰 槍 甲斐 統智政 622 733 844 955 0400 小山田 昌行 騎 甲斐 統智政 522 633 744 855 0401 曽根 昌世 弓 甲斐 統智政 257 368 479 5810 0402 小幡 虎盛 槍 甲斐 統智政 542 653 764 875 (1505-1561)武田家臣。甲陽五名臣の1人。「鬼虎」の異名をとり、生涯で36枚の感状を受けた。晩年は高坂昌信の副将を務めた。「よくみのほどをしれ」の遺言が有名。 0403 小幡 昌盛 騎 甲斐 統智政 652 763 874 985 (1534-1582)武田家臣。虎盛の子。豊後守と称した。はじめ海津城の城番を務めるが、父の死後、城番を辞して旗本足軽大将衆となり騎馬3騎、足軽10人を率いた。 0404 跡部 勝資 弓 甲斐 統智政 434 545 656 767 (1547-1582)武田家臣。跡部家は信濃佐久郡の出身で甲斐守護代をも務めた名家。原昌胤とともに主君・勝頼の近侍を務めた。武田家滅亡時に諏訪で戦死。佞臣と評された。 0405 長坂 長閑斎 槍 甲斐 統智政 321 432 543 654 (1548-1582)武田家臣。勝頼の寵臣で、長篠合戦では跡部勝資とともに進撃を主張し、武田家の大敗を招いた。主家滅亡時に、織田信長に殺されたという。佞臣と評された。 0406 甘利 昌忠 騎 甲斐 統智政 644 777 888 999 (1534~????)武田家臣。甘利虎泰の子。 0407 横田 綱松 弓 甲斐 統智政 641 745 756 767 (1525~1575)武田家臣。原虎胤の長男。 0408 横田 尹松 槍 甲斐 統智政 541 651 762 873 (1554~1635)武田家臣。横田康景(綱松)の長男。 0409 穴山 信友 騎 甲斐 統智政 332 443 554 665 (1506~1561)武田家臣。穴山信君(梅雪)の父。 0410 穴山 信君 弓 甲斐 統智政 227 338 449 5510 (1541-1582)武田家臣。一門衆の筆頭格。合戦ではおもに本陣を守った。武田家滅亡後は、徳川家康に降る。本能寺の変を知り、堺から本国へ帰る途中で何者かに討たれた。 0411 高梨 政頼 槍 北信濃 統智政 442 553 664 775 (1508-1559)信濃の豪族。信濃中野小館に拠る。高梨家は清和源氏で、高井郡高梨に住んだ井上盛満を始祖とする。武田信玄の北信濃侵攻軍に敗れ越後の長尾景虎を頼った。 0412 須田 満親 騎 北信濃 統智政 533 644 755 866 (1526-1598)信濃の豪族。信濃の一向一揆衆を指導した。のち上杉景勝に仕え、北陸の一向一揆対策の責任者となる。信濃海津城主を務め、徳川家康の信濃侵攻軍と戦った。 0413 須田 満統 弓 北信濃 統智政 332 443 554 665 0414 村上 義清 槍 北信濃 統智政 1163 1274 1375 1486 (69)士気高揚(73)槍兵号令(26)武神長槍 (1503-1573)信濃の豪族。葛尾城主。武田信玄軍の攻撃を2度も退け、近隣に勇名を轟かす。しかし、真田幸隆の計略に敗れて居城を失い、越後の長尾景虎の庇護を受けた。 0415 屋代 政国 弓 北信濃 統智政 321 432 543 654 (1525-1587)信濃の豪族。屋代城主。はじめ村上義清に属すが、武田信玄の信濃侵攻軍に降り家臣となる。武田家の滅亡後は、海津城主となった織田家臣・森長可に従った。 0416 屋代 秀正 槍 北信濃 統智政 222 333 444 555 0417 井上 清政 騎 北信濃 統智政 532 643 754 865 0418 真田 幸村 槍 北信濃 統智政 1054 1165 1266 1277 (92)強襲突撃(83)騎兵弱体(07)烈火突撃 (1567-1615)昌幸の次男。蟄居先の紀伊九度山から大坂城に入り、大坂の陣で寡兵ながらも徳川の大軍を相手に奮戦した。その戦いぶりは「真田日本一の兵」と称賛された。 0419 楽巌寺 雅方 弓 北信濃 統智政 432 543 654 765 (1509-1558)村上家臣。楽巌寺城主。もとは楽巌寺の僧であったという。1548年頃、武田信玄に居城を奪われ、戸石城に逃れる。主家の滅亡後は武田信玄に臣従した。 0420 小笠原 長時 槍 南信濃 統智政 862 873 984 1095 (1519-1583)信濃守護。長棟の長男。武田信玄に信濃を追われ、越後・摂津・会津など諸国を流浪。旧領を回復した子・貞慶の帰国要請に応じる準備中に、近臣に殺された。 0421 小笠原 貞慶 騎 南信濃 統智政 335 446 557 668 (1546-1595)徳川家臣。長時の嫡男。各地を流浪後、徳川家康の後援を得て旧領を回復し、以後は徳川家に仕える。家康の孫娘を子・秀政に迎えるなど、関係強化に努めた。 0422 溝口 長勝 弓 南信濃 統智政 342 453 564 675 (1515-1554)小笠原家臣。武田信玄に居城を追われた主君・長時を援助し、弓などを下賜される。のちに長時を居城に迎えるが、信玄に敗れ、長時に従い三好長慶を頼った。 0423 沢渡 盛方 槍 南信濃 統智政 112 223 334 445 (????~1570)小笠原家臣。 0424 諏訪 頼忠 騎 南信濃 統智政 233 344 455 566 (1536-1606)武田家臣。満隣の子。主家の統治下で諏訪大社大祝となった。主家滅亡後は諏訪を平定して自立。一時北条家に属すが、のち徳川家に仕え、本領を安堵された。 0425 保科 正俊 弓 南信濃 統智政 841 951 1062 1173 (1509-1593)武田家臣。高遠城主。信濃先方衆として各地の.合戦に従軍し、活躍した。「槍弾正」の異名をとり「甲陽軍鑑」に戦国三弾正の1人として名を挙げられている。 0426 保科 正直 槍 南信濃 統智政 633 744 855 966 (1542-1601)武田家臣。正俊の子。主家の滅亡後は一時北条家に属すが、敵対する小笠原貞慶らが豊臣家に属したため、徳川家に仕える。第一次上田合戦などに従軍した。 0427 木曽 義在 弓 南信濃 統智政 231 342 453 564 (1493-1558)信濃木曾谷の豪族。温和な人柄で、父・義元の頃から対立状態にあった飛騨の三木家との関係修復に尽力、領内の治政安定に努めた。「風流太守」と呼ばれた。 0428 木曽 義康 槍 南信濃 統智政 312 423 534 645 (1514-1579)信濃木曾谷の豪族。義在の嫡男。村上義清・小笠原長時・諏訪頼重とともに「信濃の四大将」と呼ばれた。武田信玄の攻撃に頑強に抵抗したが敗れ、降伏した。 0429 蘆田 信守 弓 南信濃 統智政 433 544 655 766 (1526-1575)武田家臣。三岳城主。下野守と称した。三方ヶ原合戦後、二俣城主となる。長篠合戦で主家が大敗したあと、徳川家康の軍に居城を囲まれ、防戦中に病死した。 0430 蘆田 信蕃 槍 南信濃 統智政 355 466 577 688 (1548-1583)武田家臣。信守の子。二俣城主を務め、父とともに徳川軍と戦った。主家滅亡後は徳川家に仕え、信濃攻略に参加するが岩尾城攻撃戦で銃弾を浴び、戦死した。 0431 依田 康国 騎 南信濃 統智政 952 1063 1174 1285 0432 小笠原 信貴 弓 南信濃 統智政 352 463 574 685 (????~????)信濃国松尾城主。信濃攻略を目論む武田家に降った。以後は武田家と縁を結び、信州先方衆となる。武田家滅亡後は徳川家に仕えた。 0433 小笠原 信嶺 槍 南信濃 統智政 262 373 484 595 (1547~1598)小笠原信貴の子。深志小笠原家と対立したため、武田家に服属した。甲州に侵攻してきた織田家に寝返り、先導役を務めた。本能寺の変後は、徳川家に仕えた。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/akasi/pages/151.html
西明石駅は、JR西日本山陽本線・山陽新幹線の駅であり、神姫バスのバス停である。 駅周辺 元々は、川崎重工の玄関駅と造られ、現在の松の内・望海中学校南停留所のあたりにあった。現在は新幹線停車駅であり、明石の長距離交通のターミナルとなっている。 駅・バス停構造 JR西日本 番線 種別 方面 次の停車駅 1 新快速・快速(一部) 神戸方面 明石 2 新快速 姫路方面 加古川 普通(一部) 大久保 3 快速・普通 明石・垂水・須磨方面 明石 4 普通 明石 5 普通 明石・垂水・須磨方面 明石 6 普通 土山方面 大久保 11 ひかり・こだま 相生方面 姫路 12 のぞみ・ひかり・こだま 静岡方面 新神戸 西口バスターミナル(西明石駅停留所) バス停番号 方面 系統名 行先 次の停留所 1 西神ニュータウン方面 22 王塚台1丁目→明石駅 国道西明石 90 王塚台1丁目→出合中野住宅 西明石北口 91 王塚台1丁目→平野八幡神社前 92 王塚台1丁目・平野八幡神社前→西神中央駅 2 金ケ崎方面 1(神姫) 森田・金ケ崎→福里・土山駅 中谷山 4 森田・金ケ崎・福里→加古川駅 高丘方面 2(神姫) 森田・高丘→天郷 7 森田・高丘→山手台 83 森田→中央体育会館 84 森田→石が谷墓園 5・6 沢野→高丘・天郷 上ヶ池公園前 9 沢野→高丘・山手台 1(Taco) 沢野方面 中尾 3 西新町方面 1~84 国道西新町→明石駅 国道西明石 2(Taco) 藤江方面 望海中学校南 2(Taco) 卸売市場方面 甲池公園 東口バスターミナル(西明石駅東口停留所) 方面 系統名 次の停留所 降車専用 1~84 西明石駅 歴史 1944年(昭和19年) 開業。当時は、川崎航空機(現:川崎重工)社員専用であった。 1946年(昭和21年) 一般旅客用の駅となる。 1961年(昭和36年) 現在地に移転。 1972年(昭和47年) 山陽新幹線の開通により、新幹線と在来線の乗換駅となる。 1987年(昭和62年) 国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる。 バス路線の方は、神姫バスの他に、明石市バス(現:神姫バス2・7・83・84系統)が乗り入れていた。現:西明石駅停留所は、神姫バスの「西明石駅」停留所と明石市バスの「西明石駅南口」停留所であり、西明石駅東口停留所は、明石市バスの「西明石駅」停留所であった。また、神姫バス1・4系統と明石市バスの金ケ崎・高丘方面行は、西明石駅を経由していなかった。 2001年(平成13年) 明石市バスの、明石駅~西明石駅~沢野~高丘の系統(現:神姫バス5・6系統)が開通。 2005年(平成17年) 神姫バス11系統(西明石駅~沢野~高丘、現5系統)が開通。 2006年(平成18年) 明石市バス高丘・山手台・石が谷線を、神姫バスに移管。西明石駅西口と、西明石駅停留所を統合。 2007年(平成19年) 西明石駅バスターミナルが完成し、1~84系統の金ケ崎方面も西明石駅経由となる。また、西明石駅東口停留所が開業。さらに、Tacoバスの1・2系統も開業する。 2009年(平成21年) Tacoバスの2系統のルートを変更。 旧(日中):西明石駅→・・・→西明石南町→甲池公園→・・・→卸売市場南→西明石駅 新(日中):西明石駅→・・・→西明石南町→西明石駅→甲池公園→・・・→卸売市場南→西明石南町→西明石駅 旧(朝夜):西明石駅→・・・→藤江神社前→・・・→西明石南町→甲池公園→・・・→西明石駅 新(朝夜):西明石駅→・・・→藤江神社前→・・・→西明石駅→甲池公園→・・・→西明石駅 他の駅への鉄道所要時間 神戸・大阪方面 普通 快速 新快速 こだま ひかり のぞみ 明石 3 3 3 朝霧 6 舞子 8 7 垂水 11 10 塩屋 14 須磨 18 15 兵庫 26 20 神戸 27 23 15 三ノ宮・新神戸 32 18 10 ┐ 芦屋 27 尼崎 34 大阪 40 新大阪 46 ┌ 23 43 高槻 57 京都 71 49 39 59 近江今津 121 大津 81 彦根 118 米原 123 70 名古屋 77 96 浜松 109 静岡 136 新横浜 186 179 姫路方面 ひかり ひかり 新快速 普通 普通 大久保 3 魚住 6 土山 9 東加古川 12 加古川 10 ┐ 16 宝殿 16 25 曽根 19 28 ひめじ別所 22 31 御着 24 33 姫路 11 ┐ 20 相生 24 岡山 41
https://w.atwiki.jp/katemato000/pages/44.html
大鉄本線 大鉄本線(だいてつほんせん)は、大崎府大崎市阿部野宮区の山本町駅から総京府総京市中区の城東駅までを結ぶ大東鉄道(大鉄)の鉄道路線。 基本情報 所在 大崎府、豊花県、世田川県、総京府、花月都 起点 山本町駅 終点 城東駅 駅数 73駅 路線記号 A 開業 1918年4月25日 全通 193X年XX月XX日 所有・運営社 大東鉄道 車両基地 富田検車区、同区大和車庫、本町検車区、同区津堂車庫 路線情報 路線距離 216.1km 軌間 1435mm(標準軌) 線路数 複線(山本町ー本町)複々線(本町ー城東) 電化方式 直流1500V 架空電車線方式 最大勾配 35.8‰(伊吹峠付近) 保安装置 大鉄型ATS(ATS-P類似) 最高速度 160km/h ※所在地の花月都は新花影高速鉄道との接続路線の一部 路線概要 時喜海地方西部の都市大崎府(山本町)から総京府(城東)までを結ぶ特急列車が走る大鉄の基幹路線の一つ。 山本町ー城東間の都市間輸送の他、大崎府南部や豊花県(守口)から大崎市内への通勤・通学路線としての機能を持つ。 大鉄の路線としては最長の営業キロ数を誇る。 また2013年4月1日から 新花影高速鉄道花影本線 と城東・花影駅を介して最長山本町駅ー酔都駅間で相互直通運転を開始した。その際、城東・花影両駅は共同使用駅となっており駅には両社の駅番号が割り振られている。 乗務員交代に関しては、上下線共に花影駅で行われている。 ※本記事では管理駅である城東駅のみを記載し花影駅は除外する。 使用車両 大東鉄道車両形式一覧 を参照 駅一覧 R3 11/26 更新作業中 駅番号 駅名 キロ数 接続路線施設等 所在地 A01 山本町 0.0 大鉄百貨店前 時喜海旅客鉄道(JR)、大崎市営地下鉄臨海急行電鉄 臨急本線 大崎府 A02 酒造 A03 御田 A04 松国台 A05 野田新橋 A06 野城 A07 西大宮 A08 大宮 時喜海旅客鉄道(JR) A09 東大宮 A10 大崎澤倉 A11 三野 A12 大和 富田検車区大和車庫 A13 文ノ里 A14 和泉 A15 杉ノ宮 A16 山口町 A17 東山口 A18 八代 A19 赤城野 A20 東村谷 A21 富田 大東鉄道 H松ヶ谷線 富田検車区富田工場 A22 高岩台 A23 加古川 豊花県 A24 新浜 A25 高津 A26 上尾 A27 熊坂 A28 久江 A29 蔵守 A30 大社西口 A31 守口 守口大社 大東鉄道 E守口線 A32 十三 A33 紀陽平橋 A34 二上西口 A35 二上 A36 藤塚 A37 大鉄中島 世田川県 A38 紀陽松原 A39 三本松 101.2 城山電気軌道 城山線 A40 東三本松 (ここから伊吹峠 連続急勾配が続く) A41 平田橋 A42 永和 A43 伊吹 天野伊吹山登山道前 A44 椿街道 A45 滝谷 A46 薄坂 A47 室山口 A48 美畑 (伊吹峠ここまで) A49 津堂 本町検車区津堂車庫 A50 玉串 A51 大鉄中川 大東鉄道 B山西線 C海浜線 中川検車区中川車庫(山西・海浜線系統) A52 東中川 A53 二ノ宮 A54 小渕川 総京府 A55 前浜 大鉄百貨店前 A56 東前浜 A57 川西町 A58 御逵高倉 A59 朝霧 A60 零華市 A61 秋月学園前 秋月学院高校前 A62 彩瀬 A63 本町 大東鉄道 G桜線 本町検車区本町車庫 A64 御逵国府 A65 鳥越市 A66 白上神社前 A67 御逵松谷 A68 法翔 A69 照和町 A70 茅野 A71 三谷口 A72 東城東 A73 城東 216.1 大鉄百貨店前 新花影高速鉄道 K花影本線(一部直通運転) 時喜海旅客鉄道(JR)、総京市営地下鉄、花影市営地下鉄総京急行鉄道 宇治本線、海浜急行電気鉄道 世田川元町線 歴史 制作中 年 月日 概要 1918年(大正7年) 4月25日 大鉄前身の大崎鉄道が山本町駅ー富田駅間を開業(600V電化) 2013年(平成25年) 4月1日 城東駅ー花影駅との連絡線が開業。新花影高速鉄道花影本線との相互直通運転を開始。 小ネタ 大鉄本線では三本松を境に各駅に止まる電車の呼称が異なっている。 三本松以西の山本町方面では「各駅停車」、三本松以東城東方面では「普通電車」と呼称される。その為タブレット端末を使用した自動放送でも三本松を境に放送が変わっている。 これは過去に三本松以東は西総京鉄道(西鉄)が経営しており、統合前に「普通電車」と呼称していた事を大鉄合併後もそのままの案内を継続した為である。 元ネタ 近鉄大阪・名古屋線
https://w.atwiki.jp/2shiki/pages/222.html
音の転化(母音+い→ええ) (おんのてんか ぼいんのあとにいがくるものがええというおとになるもの) [関連語] 音の転化 すげぇ ちげぇ 「あい」という母音連続が、「ええ」という二重母音になる現象に代表される音の転化。東京方言か。ここでは、類似の転化を含め『音の転化(母音+い→ええ)』とした。 【現象】(例の後の数字はgoogleヒット件数(2007.9.6)) ①形容詞の語幹末が [a] である場合、言い切りの形で [ai] が [ee] に変る。口語的であるが、これに準ずる書き言葉にも見られる。 例: 「高え」28,400 「高けえ」869 「高けぇ」50,500 「若え」893 「若けえ」1,920 「若けぇ」923 表記法はこの他に、全部ひらがな・調音符「ー」を用いるなども考えられる。漢字変換で出現しない上記表記でそこそこ多い件数が出たといえよう。 ②[ai] が [ee] になる現象といえば、江戸下町方言が知られる。しかしながら現代の若者言葉における現象とは別物であると考えられる。その根拠としては「形容詞言い切り形の末尾以外での転化が、古臭い印象を与える」という点が上げられる。 語末以外に現われる例で: 大変→てぇへん 入る→へぇる 語末だが形容詞でない例で: ケータイ→×けーてぇ 問題→?もんでぇ など、自然には出現しないことを考えると、基本的にこの現象は「形容詞(的語彙)の末尾にのみ起こる現象」であると考えられる。ただし起源的には大いに関連性があろう。 ③[oi] も [ee] になりやすい。 例: 「遅ぇ」63,300 「遅せぇ」12,500 「細ぇ」2,990 「細せぇ」83 ただし、 注1)「良い」→「ええ」は老人語または関西語であるような印象を受ける。東京の若者言葉としては使用しにくい。 注2)特殊な例として「カッコいい」→「かっけぇ」がある。語幹は[kakkoi]で、 [o] ではないのだが、一般に認められる。 注3)その他認められにくいものとして「黒い」→「黒ぇ」712(「暗い」→「暗ぇ」との混同の可能性があるためか?)、「エロい」→「エレェ?」(同、「偉い」との混同のため検索せず)、「キモい」→「キメぇ」3,080(新語であるためか?筆者には不適格と見られたが検索では割と検出)、「グロい」→「グレぇ」(同、新語であるためか。検索ゴミ多数。後述「ぐらい」→「ぐれぇ」との混同も考えられる)、「青い」→「あえぇ」など多数見受けられる。 ④若干の[ui]→[ii] もここに含める。 標記とは異なるが、形容詞の語末の現象として一緒くたにした。 例: 「悪ぃ」206,000 「悪りぃ」49,600 「薄ぃ(うしぃ)」 「薄しぃ」7 ⑤平行して、形容詞末の[ii][ei]が長母音として発音される。 ⑥転化の際、[w] [y]といった子音は脱落しやすい(現代語で[we][ye]などの音節が認められないためだろう。というか一般的な活用でもそうか)。 例: 「怖い」→「こえぇ」 「速い」→「はえぇ」 ⑦基本的には転化は言い切りの形(終止・連体)で見られるものだが、転化したものから末尾の[e]を取ったものが語幹として用いられることもある。 例: 「今のやつカッケくねぇ?」 「すげぇ高けかった」 ※この語幹は、相手に訴えかける場合に使用される傾向はあるまいか。 ⑧形容詞的な活用をする助動詞も同様の現象が起こる。特に「~たい」→「~てぇ」。「~ぽい」→「~ぺぇ」も使用される。 ⑨形容詞的(状態性の語)で「い」で終わる名詞などの一部で、同様の現象が見られる。 「違い」→「ちげぇ」 「嫌い」→「きれぇ」(やや古?) 「~みたい」→「~みてぇ」 「~ぐらい」→「~ぐれぇ」 「違い」「~みたい」に関しては、そのほか形容詞的な活用がされることも知られている。 ⑩男性語的な印象。 追記欄
https://w.atwiki.jp/shiotaono/pages/446.html
塩田鉄道バス南巨摩営業所(みなみこまえいぎょうしょ)は、山梨県南アルプス市十日市場にある営業所である。 南アルプス市を中心に山梨県の路線を担当している。 営業所 現行路線甲府駅発着路線 竜王駅発着路線 東花輪駅発着路線 市川大門駅発着路線 鰍沢口・甲斐岩間駅発着路線 車両 営業所 本部 山梨県南アルプス市十日市場 鰍沢支所 山梨県南巨摩郡富士川町鰍沢 厳密に言えば南アルプス市は旧中巨摩郡であるが、もともと本部は鰍沢にあったため、移転した現在でも南巨摩営業所という名称が使用されている。 現行路線 甲府駅発着路線 甲23 甲府駅-県民文化ホール-貢川-竜王新町-野牛島-御勅使-駒場-芦安 甲24 甲府駅-県民文化ホール-貢川-竜王新町-野牛島-御勅使-駒場-芦安-深沢-広河原 甲25 甲府駅-県民文化ホール-貢川-竜王新町-野牛島-御勅使-駒場-芦安-深沢-広河原-北沢峠-戸台-戸台口-非持-高遠駅-美篤-古町-伊那市駅-伊那バスターミナル 甲36 甲府駅-県民文化ホール-貢川交番前-甲府昭和インター-農林高校前-上今諏訪-下今諏訪-吉田-小笠原橋-南アルプス市役所-峡西病院 甲36-1 甲府駅-県民文化ホール-貢川交番前-甲府昭和インター-農林高校前-上今諏訪-下今諏訪-吉田-小笠原橋-十日市場(営業所) 甲36-2 甲府駅-県民文化ホール-貢川交番前-甲府昭和インター-農林高校前-上今諏訪-下今諏訪-吉田-巨摩高校-小笠原橋-小笠原-峡西病院 甲36-3 甲府駅-県民文化ホール-貢川交番前-甲府昭和インター-農林高校前-上今諏訪-下今諏訪-吉田-小笠原橋-柿平下-山際団地-峡西病院 朝36(急行) 峡西病院→南アルプス市役所→小笠原橋→巨摩高校→吉田→下今諏訪→上今諏訪→農林高校前→甲府昭和インター入口→貢川交番前→県民文化ホール→甲府駅(甲府昭和インター入口~甲府駅間は降車のみ) 夜36(急行) 甲府駅→県民文化ホール→貢川交番前→甲府昭和インター→農林高校前→上今諏訪→下今諏訪→吉田→小笠原橋→小笠原→峡西病院 甲37 甲府駅-県民文化ホール-貢川交番前-甲府昭和インター-農林高校前-上今諏訪-下今諏訪-吉田-小笠原橋-南アルプス市役所-峡西病院-上市之瀬-県民の森 甲38 甲府駅-県民文化ホール-貢川交番前-甲府昭和インター-農林高校前-上今諏訪-白根徳洲会病院-白根支所前-白根住宅 朝38(急行) 白根住宅→白根支所前→白根徳洲会病院→上今諏訪→農林高校前→甲府昭和インター入口→貢川交番前→県民文化ホール→甲府駅(甲府昭和インター入口~甲府駅間は降車のみ) 夜38(急行) 甲府駅→県民文化ホール→貢川交番前→甲府昭和インター→農林高校前→上今諏訪→白根徳洲会病院→白根支所前→白根住宅 終386(急行) 甲府駅→甲府昭和インター入口→農林高校前→上今諏訪→白根徳洲会病院→白根支所前→白根住宅→白根支所前→巨摩共立病院→巨摩高校→小笠原橋→柿平下→山際団地→峡西病院→小笠原→十日市場(営業所) 甲36~38路線図 甲36・37・38系統は甲府営業所と共同運行。(路線は南巨摩営業所管理のため南巨摩営業所担当便のほうが多い。) 南巨摩営業所の基幹路線である。旧櫛形町方面へと向かう甲36と、旧白根町方面へ向かう甲38は非常に運行本数が多い。 中でも甲38は、塩鉄不動産が宅地造成した「水の郷しらね」内にある白根住宅停留所まで向かうためラッシュ時は臨時便が出るほどの混雑となる。 また、朝・夕ラッシュ時は甲36(36・36-2)・甲38の代わりとして、それぞれ急行バスが運行される。朝は始発バス停基準で6時30分~8時30分、夕方は甲府駅基準で17時30分~22時00分に急行運転を行う。(なお夕方は甲36-2系統に限り同時に運行される) どちらも、甲府駅~甲府昭和インター間で急行運転となる。停車停留所は、県会議事堂・甲府市役所・甲府地方裁判所・県民文化ホール・貢川交番前・甲府昭和インターである。朝系統は該当区間は降車のみ可能だが、夜系統は該当区間の相互利用が可能。 終386系統は、立川昭和営業所の終電バスの成功を受け2014年4月に新設された系統。甲府駅24時53分発の一本のみ設定されており、特急かいじ123号の接続が考慮されている。 ルートとしては、甲38・竜22・・甲36-3・甲36-2・甲36-1系統を合わせたようなものとなっている。 また、上記朝・夕系統と同区間で急行運転を行うが、この系統は該当区間無停車となっている。運賃に関しても、本家終電バスを踏襲しており、上限は1000円となっている。 甲23-25系統は竜王を経由し、旧八田村、旧白根町北部を経由し旧芦安村に至る系統である。 芦安村中心地までの路線である甲23、そこから先の広河原まで向かう路線である甲24、さらに北沢峠を越え、高遠・伊那市へ至る甲25系統が存在する。 甲23系統は1~2本/h、甲24系統は土・休日のみ、甲25系統は毎日一往復のみの運行である。 芦安までの生活路線であるとともに南アルプス方面の観光路線でもあるため、土休日には本数が増える。 甲25系統は路線バスの距離としては非常に長く、総走行距離は96kmにもなる。また、冬季に北沢峠を経由する唯一の路線であるため峠越え路線としての需要もある。 竜王駅発着路線 竜21 竜王駅-竜王新町-野牛島-百々-住宅北-白根住宅 竜22 竜王駅-竜王新町-野牛島-百々-住宅北-白根住宅-白根支所前-巨摩共立病院-巨摩高校-小笠原橋-小笠原-峡西病院 竜王駅から富士川街道を経由し白根住宅、峡西病院へと至る系統。 甲府駅発着ほどの本数はないが、竜王駅での列車の接続が考慮されたダイヤとなっている。 東花輪駅発着路線 花10 東花輪駅-花輪-浅原-加賀美-十日市場(営業所)-小笠原橋-南アルプス市役所-峡西病院 花11 東花輪駅-花輪-浅原-加賀美-十日市場(営業所)-小笠原橋-巨摩高校-巨摩共立病院-白根支所前-白根住宅 市川大門駅発着路線 市01 市川大門駅-町立病院-富士川町役場-増穂小学校-大久保 市02 市川大門駅-町立病院-富士川町役場-増穂小学校-町民体育館入口-小林公民館-増穂小林 市03 市川大門駅-市川高校西-三郡橋南-三郡橋北-やまなみの湯-正福院-天神団地 市04 市川大門駅-町立病院-増穂中学校-法泉寺-荊沢-古市場-峡西病院 市05 市川大門駅-市川高校西-三郡橋南-三郡橋北-甲西工業団地 市06 市川大門駅-市川高校西-三郡橋南-三郡橋北-甲西工業団地-体育センター-荊沢団地 市07 市川大門駅-市川高校西-三郡橋南-三郡橋北-甲西工業団地-体育センター-法泉寺-荊沢-古市場-小笠原-小笠原橋-巨摩高校-巨摩共立病院-白根支所前-白根住宅 市08 市川大門駅-市川高校西-三郡橋南-三郡橋北-甲西工業団地-体育センター-法泉寺-荊沢-古市場-峡西病院-櫛形西小学校-あやめが丘住宅 市09 市川大門駅-市川高校西-三郡橋南-三郡橋北-甲西工業団地-体育センター-法泉寺-荊沢-古市場-甲西支所前-正福院-浅原-花輪-東花輪駅 南34 市川大門駅-町役場南-芦川橋-甲斐上野駅入口-豊積橋-食品工業団地-甲府南駅 甲府営業所と共同運行。 鰍沢口・甲斐岩間駅発着路線 鰍12 鰍沢口駅-鰍沢本町-青柳-町立病院-市川大門駅 鰍13 鰍沢口駅-鰍沢本町-青柳-富士川町役場-増穂小学校-大久保 鰍14 鰍沢口駅-市川南小学校-落居駅入口-六郷支所-甲斐岩間駅 鰍15 鰍沢口駅-鰍沢本町-裁判所前-大法師公園 鰍16 鰍沢口駅-中部小学校入口-箱原-月見橋-なかとみ和紙の里-岩間下町-甲斐岩間駅 鰍17 鰍沢口駅-市川南保育所入口-消防署前-町立病院-市川大門駅 鰍18 鰍沢口駅-鰍沢本町-裁判所前-スポーツ公園-殿原団地 鰍19 鰍沢口駅-鰍沢本町-青柳-増穂中学校-荊沢団地 岩20 甲斐岩間駅-岩間下町-なかとみ和紙の里-西島下-手打沢-榎田団地 車両 国内主要メーカーの車両はすべて在籍している。 この営業所の車両は、高出力仕様の車両が伝統的に採用されている。 最近は標準出力の車両が投入されるようになったが、一部を除きワンステップバスが採用されている。
https://w.atwiki.jp/city_blues/pages/274.html
「面白い見世物じゃった」 高田馬場・百人町に向かって舟の船首を向け、三人の娘を伴い、地獄の釜の底の様な争乱の 最中にある新国立競技場を後にする際、妖姫が口にした言葉がこれであった。 妖姫はメフィスト病院を後にして、せつらを求め<新宿>を当て所なく彷徨っていた、ジャバウォックに対する殺意は些かも揺らいでおらぬが、態々探し求めて殺すまでも無い。 次に出会えば必ず滅ぼすが、出会わなければそれまでだと割り切っている。 元より放埓気儘に生きてきた妖姫が、今更何かに捉われる事など有り得ない─────唯一つの例外を除いて。 そうしていたところで突如生じた巨大な神気を感知。 古の時代を思い起こすその気配に誘われて、競技場へ赴いた先で見たものは、太古の地母神“アシェラト”に変貌した人間と、ソレを討ち滅ぼした銀髪のアーチャーだった。 妖姫にも、これは驚嘆に値する出来事だった。“人が人以外の存在に変わる事など妖姫には別段驚くにも値しない。 例えば─────面を被ることによって、その面が模す存在、猿なら猿、虎なら虎の力を得る。 果ては他者の姿形どころか技能や精神までをも、面が表すもののそれに変え、秋せつらの面をつまらぬ男に被せ、せつらを二人にしてのけた面作りがいた。 例えば─────自身で作成した薬を飲み、己が内の獣性を解き放ち、姿形をそれに相応しい姿に変えた碩学がいた。 例えば─────人間に異なる生物の要素を植え付け、半獣半人の怪物へと変える技術が存在した。 例えば─────人に“神”を降ろす事により。或いは“神”を喰らうことによりその血肉を取り込み、文字通りの“現人神”と化した人間が居た。 例えば─────妖姫に血を吸われた者がそうだった。 それらを知る妖姫ですら、あのアシェラト女神は驚愕に値するする存在だった。 半獣人に作り変えるのとは訳が違う。凡百の悪魔に変えたわけでは無い。 あれ程の高位の古の女神を、如何なる術を用いたのか現世に蘇らせてのけた術者は賞賛に値した。 そして、その女神を、本来の力を到底発揮しておらぬとはいえ圧倒し、滅ぼしてみせたアーチャーに対する評価も改めた。 そして妖姫は、アシェラトとなっていた人間と愁嘆場を繰り広げている、アーチャーのマスター、一ノ瀬志希の顔を改めて覚えた。 それまでの妖姫にとっての一ノ瀬志希とは、路上の蟻と同じ、永琳が居なければ存在を気に留めるどころか、認識すらしないだろう。 永琳に対する評価が上昇した事で、一ノ瀬志希もまた、覚えておくべき顔の持ち主となったのだった。 そして妖姫は、その場から立ち去る二人を見逃した。 陽の下で戦うには永琳は手強い相手であり、魔獣から受けた傷も癒えてはいない。 血を啜るなり、紅湯に浸かるなりして傷を癒す必要が有った。 そうして妖姫は、激しい闘争の気配を感じ、飛翔して新国立競技場の外壁の上へと降り立ち、フィールドを睥睨した。 そして見た。広い競技場を所狭しと疾駆し、争覇する三人の剣士を。 縦横に武器を戦い方を縦横に変える紅い魔剣士を。 空間を跳び、神速の嫌疑を振るい、次元を斬り裂く蒼い魔剣士を。 そして─────その二人に囲い責めにされながら、僅かも譲らず戦い抜き、深淵を穿った黄金の英雄を。 凡そ人がその生涯に口にする米粒を遥かに上回る人間を見、殺し、血を啜ってきた妖姫ですら、過去に於いて見てきた者たちの中でも最上位に入る男達。 淀んでいた血が賦活する。萎えていた邪悪な意志が喚び醒まされる。 例えせつらが腑抜けていたとしても、この男達を捩じ伏せ、膝下に膝まずかせる事で、充分に釣り合う事だろう。 「ルシファーも存外気の利かぬ奴、この様な男達の存在を告げぬとは、私を踊らせたいのなら、此奴らの事を告げれば、意のままに踊ってやっても良かったのに」 あの“明けの明星”が何を考えて私を此の地に呼びつけたか知らぬが、どうでも良い。 最初に出会ったアーチャーといい、此の地には過去にも殆ど見た事がない輩共が数多いる。 それこそ、四千年の間に下僕とした二人、劉貴と秀蘭にも劣らぬ者達が。 従僕にしたい、そう思える存在が、まさか三人も一時に現れるとは。 過去に滅ぼしてきた国などよりも、あの男達の一人の方が遥かに価値がある。 あの様な者達がいるのならば、この街を過去滅ぼした国の様に変えてやることもやっても良い。 「しかし誰もが従いそうにないというのがな。ベイの如き輩を増やしても仕方がない」 血を啜って下僕にしても従うとは到底思えぬ。妖眼で縛るにしても縛れるとは到底思えぬ。 彼奴等を従僕とするのは不可能だろう。 「まあ部下とにするなら丁度良いサーヴァントが居る。彼奴なら秀蘭の代わりは充分に勤まるだろう」 とは言えその代わりを用意するのも一手間凝らさねばならないが。 その為の策を練る為に甲板に舞い降りた妖姫の眼に、新国立競技場から転けつまろびつ出てきた三人の娘が映った。 今日1日で散々地獄の底を這いずり回った、アナスタシア・鷺沢文香・橘ありすの三人だった。 常ならば認識すらしない。地を這う蟻を気にする人間がいない様に。 だが、今はあの魔獣に受けた傷が癒えていない。傷を癒す為に血を飲む必要があった。 男の血は熱く濃い。女の血は甘く薄い。この先最上の熱い血を持つ三人の男をその牙にかけるのだから、先ずは逆の味の血を持つこの女達で喉を潤そう。 精神的にも疲弊の極みにあった三人は突如現れた妖姫の美貌に全てを忘却した。美しいという言語すらが、仮初に用いられるほどの、人の理解や認識の範疇を超えた美。 気力体力充溢した状態でも忘我の態となるなら、疲弊しきった状態でなら己が生きていることをすら忘れ果てるだろう。 白痴のように立ち尽くした今の三人は意思を喪失し、妖眼の命じる儘に行動する木偶でしかなかった。 もし此処で妖姫が三人の格好に気付かなければ、三人の命運は此処で尽きていただろう。 妖姫にとっては、“アシェラト”に変貌していた者が誰か、などという事は心底どうでも良い事柄だった。 唯その“アシェラト”に変貌していた者が、メフィスト病院内で一戦交えたアーチャーのマスターと愁嘆場を演じていたからこそ、記憶に残っていたに過ぎない。 「お前達のその装束に見覚えがある」 嘗て<新宿>の吸血鬼達の長である“長老”孫である夜香、三万人のトルコ兵を串刺しにした吸血魔王カズィクル・ベイを縛った妖姫の妖眼が、この<新宿>に赤く輝いた。 その双眸を見た刹那。三人は思考はおろか人間性すらをも喪失した。 「お前達の様に、命に溢れた者が数多く居る場所を教えよ」 競技場で魔天をすら揺るがす妖戦を戦う三人の丈夫(ますらお)といい、あの神箭手といい、せつらといい。誰もが傷ついた身でその前に立つわけにはいかぬ相手だった。 特にせつらの前に立つ為には、傷を快癒させる必要がある。 この三人は使えぬ以上代わりを求める。その数が多ければ紅湯とし、少なければ飲み干す。 その思考の元に放たれた問いに、三人競い合う様に一つの答えを出した。 【四ツ谷、信濃町方面(新国立競技場周辺/1日目 午後2:30】 【ライダー(美姫)@魔界都市ブルース夜叉姫伝】 [状態]左脇腹の損傷(大。時間経過で回復)、実体化、せつらのマスターに対する激しい怒り、 [装備]全裸 [道具] [所持金]不要 [思考・状況] 基本行動方針:せつらのマスター(アイギス)を殺す 1.アイギスを殺す、ふがいない様ならせつらも殺す 2.ついでに見かけ次第ジャバウォックを葬る 3.セイバー(ダンテ)、アーチャー(バージル)バーサーカー(クリストファー・ヴァルぜライド)に強い関心。彼らを力づくで捩じ伏せたいと思っています 4.血を飲むなり紅湯に浸かるなりして傷を癒したい [備考] • 宝具である船に乗り、 新宿 の何処かに消えました • 一ノ瀬志希&アーチャー(八意永琳)、不律&ランサー(ファウスト)の存在を認識しました • セイバー(ダンテ)、アーチャー(バージル)バーサーカー(クリストファー・ヴァルぜライド)を認識しました • 人間を悪魔化させる者がいる事を知りました • 高田馬場・百人町方面に向かって移動中です • アナスタシア・鷺沢文香・橘ありすの三人を妖眼で支配しました • 部下としてあるサーヴァントに目を付けました 時系列順 Back 明日晴れるかな Next おじいちゃんといっしょ 投下順 Back 流星 影を切り裂いて Next おじいちゃんといっしょ ←Back Character name Next→ 46 It`s your dream or my dream or somebody`s dream 蒼のライダー(美姫) 58 For Ruin
https://w.atwiki.jp/sengokuhime2-wiki/pages/21.html
(13)伊豆 武将 4名 (14)駿河 武将 15名 (15)遠江 武将 16名 (16)三河 武将 31名 域計 66名 累計 287名 削減 太原 雪斎 (駿河) 武将 兵種 国 能力値 スキル 列伝 Lv 1 2 3 4 0222 多目 元忠 槍 伊豆 統智政 446 557 668 779 0223 狩野 泰光 騎 伊豆 統智政 114 125 236 347 0224 板部岡江雪斎 弓 伊豆 統智政 136 247 358 469 (1537-1609)北条家臣。右筆・評定衆を務めた。徳川家康との講和交渉や、豊臣秀吉との折衝など、対外交渉に手腕を発揮した。主家滅亡後は、秀吉に御咄衆として仕えた。 0225 清水 康英 槍 伊豆 統智政 244 355 466 577 (1532-1591)北条家臣。伊豆衆の筆頭。北条氏康の側近として各地で功を立てた。豊臣秀吉の小田原征伐では下田城に籠城し、豊臣水軍を相手に善戦するが敗れ、降伏した。 0226 葛山 氏元 騎 駿河 統智政 233 344 455 566 (1524-1574)今川家臣。葛山城主。家臣屋敷分の年貢減免や領内社寺の保護など、自領内に独自の政策を施した。主家滅亡後は没落し武田信玄の六男・氏貞が跡を継いだ。 0227 葛山 信貞 弓 駿河 統智政 332 443 554 665 0228 御宿 正友 槍 駿河 統智政 421 531 642 753 (1567-1615)北条家臣。通称は勘兵衛。今川・武田家に仕えたあと結城秀康に仕官。しかし、秀康の子・忠直の代に出奔して大坂城に入城、大坂夏の陣において戦死した。 0229 由比 正純 騎 駿河 統智政 321 432 543 654 0230 今川 義元 騎 駿河 統智政 101115 91014 8913 7812 (89)カリスマ(88)魅力(77)騎兵号令 (1519-1560)今川家9代当主。異母兄・玄広恵探を倒して家督を継ぐ。甲相駿三国同盟を結んで後顧の憂いを断ち、上洛の途につくが桶狭間で織田信長の奇襲を受け、絶命。 0231 今川 氏真 騎 駿河 統智政 358 469 6710 9811 (76)騎兵突撃(71)士気号令(31)武家の誇り (1538-1614)今川家10代当主。義元の嫡男。父の死後、家督を継ぐ。しかし、蹴鞠や和歌に傾倒し、無為の日々を送る。その結果、徳川家康と武田信玄に領国を追われた。 0232 大原 資良 騎 駿河 統智政 124 235 346 457 0233 安倍 元真 弓 駿河 統智政 643 754 865 976 (1513-1587)今川家臣。主家の居城・駿府城を岡部正綱とともに守るが、武田信玄の駿河侵攻軍に敗れ、本貫地・安倍に退く。以後は徳川家に属し、各地で武田軍と戦った。 0234 朝比奈 信置 弓 駿河 統智政 213 324 435 546 (1528-1582)今川家臣。小豆坂合戦などで戦功を立てる。主家滅亡後は武田信玄に仕え、駿河先方衆となった。武田家滅亡の際に、居城・庵原館を攻められ敗北、自害した。 0235 庵原 将監 槍 駿河 統智政 322 433 544 655 0236 三浦 義就 騎 駿河 統智政 421 532 643 754 0237 岡部 正綱 弓 駿河 統智政 332 443 554 665 (1542-1583)今川家臣。主家滅亡後は武田家に仕え、清水城主となる。駿河先方衆として三方ヶ原合戦などに従軍した。武田家滅亡後は徳川家に仕え、甲斐平定に貢献した。 0238 岡部 元信 騎 駿河 統智政 754 865 976 1087 (1527-1581)今川家臣。桶狭間合戦では主君・義元の首級を駿河に持ち帰った。主家滅亡後は武田家に仕え、高天神城主となるが、徳川家康の攻撃を受けて落城、戦死した。 0239 青木 一重 弓 駿河 統智政 852 963 1074 1185 0240 関口 氏広 槍 駿河 統智政 112 123 234 345 (1523-1562)今川家臣。瀬名氏俊の子。用宗城主を務めた。今川義元の妹を娶った。娘・瀬名(築山殿)は徳川家康に嫁ぐ。のちに主君・氏真の命により自害させられた。 0241 朝比奈 泰能 騎 遠江 統智政 654 765 876 987 (1507-1557)今川家臣。掛川城主を務める。1548年の小豆坂合戦において、太原雪斎を補佐して織田信秀の軍を破るなど、今川家の西方侵攻軍の先鋒として活躍した。 0242 朝比奈 泰朝 弓 遠江 統智政 433 544 655 766 (1530-1582)今川家臣。泰能の子。駿河を追われた主君・氏真を居城・掛川城に迎え入れ、徳川軍と戦う。5ヶ月の籠城戦の末に開城し、氏真とともに相模に落ち延びた。 0243 瀬名 氏俊 槍 遠江 統智政 512 623 734 845 (1497-1538)今川家臣。瀬名家は南北朝時代に九州探題を務めた名将・今川貞世(了俊)の末裔。玄広恵探と梅岳承芳(今川義元)が争った花倉の乱では承芳方に属した。 0244 小笠原 春義 騎 遠江 統智政 212 323 434 545 0245 小笠原 長忠 弓 遠江 統智政 661 772 883 994 0246 渡辺 金大夫 槍 遠江 統智政 971 1081 1191 12102 (1532-1582) 元織田家臣。名は照。高天神衆。姉川合戦で功があり、信長から日本一の槍との感状を受けた剛の者。天正二年、武田家の高天神城攻めにより、武田家に降る。 0247 飯尾 乗連 騎 遠江 統智政 223 334 445 556 (1501-1560)今川家臣。賢連の子。豊前守と称す。羽柴秀吉の最初の主君として知られる松下加兵衛らを寄騎として抱えていたといわれる。桶狭間合戦に従軍し、戦死した。 0248 飯尾 連龍 弓 遠江 統智政 431 541 651 762 (1526-1565)今川家臣。引馬城主。桶狭間合戦後、徳川家に寝返ったため、主君・氏真の攻撃を受けて敗北、和睦した。のちに氏真に駿府城に呼ばれ、同地で謀殺された。 0249 松井 宗信 槍 遠江 統智政 221 332 443 554 0250 中根 正照 騎 遠江 統智政 111 221 332 443 0251 天野 景泰 弓 遠江 統智政 321 432 543 654 0252 天野 藤秀 槍 遠江 統智政 233 344 455 566 0253 天野 景貫 騎 遠江 統智政 642 753 864 975 (1532-1595)今川家臣。犬居城主。田原本宿の合戦で功を立てた。主家滅亡後は武田家に仕え徳川家と戦う。武田家滅亡後は北条家に属し、佐竹家との戦いで功を立てた。 0254 井伊 直政 弓 遠江 統智政 1162 1273 1384 1495 (1561-1602)徳川家臣。徳川四天王の1人。軍装を赤で統一した軍兵は「赤鬼」と恐れられ、常に先鋒を争った。関ヶ原合戦では島津軍を追撃し、島津豊久を討ち取った。 0255 天方 通綱 槍 遠江 統智政 322 433 544 655 0256 塙 直之 騎 遠江 統智政 841 952 1063 1174 (1567-1615)加藤家臣。鉄砲大将を務めたが、関ヶ原合戦の際に主君・嘉明と対立して出奔、浪人となる。のちに大坂城に入城、大坂夏の陣で浅野長晟軍と戦い、戦死した。 0257 菅沼 定継 弓 三河 統智政 222 333 444 555 0258 菅沼 定忠 槍 三河 統智政 531 642 753 864 0259 菅沼 定直 騎 三河 統智政 222 333 444 555 0260 奥平 貞勝 弓 三河 統智政 322 433 544 655 0261 奥平 貞能 槍 三河 統智政 344 455 566 677 (1537-1598)今川家臣。桶狭間合戦後、徳川家に仕える。掛川城攻めや姉川合戦に従軍した。一時武田信玄に属すが、信玄の死後は徳川家に帰参し、長篠合戦で活躍した。 0262 菅沼 貞景 弓 三河 統智政 122 233 344 455 0263 菅沼 定村 騎 三河 統智政 411 522 633 744 0264 菅沼 定盈 弓 三河 統智政 422 533 644 755 (1543-1604)今川家臣。野田城主。桶狭間合戦後、徳川家に仕える。武田信玄の三河侵攻では一族の多くが信玄に寝返る中、一貫して徳川家に属し、居城を攻め落とされた。 0265 牧野 康成 槍 三河 統智政 322 433 544 655 (1555-1609)徳川家臣。牛久保城主。関ヶ原合戦では徳川秀忠軍に属す。上田城攻めで奮戦するが、軍令違反があり、蟄居する。のちに許されるが、健康を害して隠居した。 0266 戸田 宜光 騎 三河 統智政 222 333 444 555 0267 戸田 一西 弓 三河 統智政 652 763 874 985 0268 鵜殿 長持 槍 三河 統智政 113 224 335 446 (1513-1557)今川家臣。上ノ郷城主。今川義元の妹を娶った。鵜殿家は藤原実方の末孫で、鎌倉時代に紀伊新宮の別当の子が取り立てられて西ノ郡(蒲郡)を領したという。 0269 徳川 家康 騎 三河 統智政 777 987 10912 131415 (70)統率号令(89)カリスマ(32)暁の号令 (1542-1616)江戸幕府の創始者。広忠の子。桶狭間の合戦後に自立。織田家との同盟、豊臣家への従属を経て勢力を拡大する。関ヶ原合戦で勝利を収め征夷大将軍となった。 0270 服部 半蔵 槍 三河 統智政 683 794 8105 9116 (85)弓兵弱体(84)槍兵弱体(34)服部流忍術 (1542-1596)徳川家臣。半三保長の子。父の跡を継ぎ隠密頭を務める。主君・家康の伊賀越えの際には、警護を担当し、無事に帰国させた。「鬼の半蔵」の異名をとった。 0271 酒井 正親 槍 三河 統智政 631 742 853 963 0272 酒井 忠次 騎 三河 統智政 545 656 767 878 (1544-1603)北条家臣。東金城主。敏房の子。豊臣秀吉の小田原征伐の際は居城に籠城した。主家滅亡後は居城を退去し、隠退した。子孫は徳川家に旗本として仕えた。 0273 大久保 忠世 弓 三河 統智政 742 853 964 1075 (1532-1594)徳川家臣。忠員の長男。三方ヶ原合戦、長篠合戦など多くの合戦に従軍し、その豪胆な性格で抜群の功を立て、織田信長や豊臣秀吉にも器量を高く評価された。 0274 大久保 忠佐 槍 三河 統智政 961 1072 1183 1294 (1537-1613)徳川家臣。忠員の次男。兄・忠世とともに各地で戦功を立てる。その剛勇ぶりは織田信長をも賞嘆させるほどであった。関ヶ原合戦後、駿河沼津2万石を領す。 0275 本多 正信 弓 三河 統智政 1810 1911 21012 31113 (1538-1616)徳川家臣。三河一向一揆に身を投じて主家を離反、諸国を放浪したのちに帰参。行政と謀略に優れた手腕を発揮した。主君・家康には「友」と呼ばれたという。 0276 本多 正重 騎 三河 統智政 643 754 865 976 0277 鳥居 元忠 弓 三河 統智政 524 635 746 857 (1539-1600)徳川家臣。関ヶ原合戦の際に主君・家康の命で伏見城に籠城する。13日間の攻防戦の末、城兵とともに玉砕した。その忠節は「三河武士の鑑」と称賛された。 0278 榊原 康政 騎 三河 統智政 1152 1263 1374 1485 (1548-1606)徳川四天王の1人。「無」の旗を掲げて戦場を疾駆し、各地で抜群の戦功を立てた。晩年、老中に推されるが「老臣権を争うは亡国の兆し」とこれを辞退した。 0279 本多 忠勝 槍 三河 統智政 1341 1452 1563 1674 (72)一番槍(92)強襲突撃(33)戦国無双 (1548-1610)徳川家臣。徳川四天王の1人。「家康に過ぎたるもの」と評された家中随一の猛将。名槍・蜻蛉切を手に57度の合戦に参陣し、傷一つ負わなかったという。 0280 本多 康重 弓 三河 統智政 631 741 852 963 0281 安藤 直次 槍 三河 統智政 753 864 975 1086 0282 板倉 勝重 騎 三河 統智政 119 1210 1311 2412 (1545-1624)徳川家臣。はじめ僧侶であったが、父と弟の死により還俗、家督を継ぐ。駿府や江戸の町奉行を務めたあと、京都所司代となり、西国諸大名らの監視を行った。 0283 石川 広成 槍 三河 統智政 432 543 654 765 0284 石川 数正 騎 三河 統智政 643 754 865 976 (1533-1592)徳川家臣。家老を務め、西三河衆を率いて活躍した。小牧長久手合戦の後、豊臣家へ出奔。そのため、徳川家は三河以来の軍制を武田流に改めることになった。 0285 石川 家成 弓 三河 統智政 323 434 545 656 (1534-1609)徳川家臣。数正の叔父。三河一向一揆の平定戦で功を立てた。今川家滅亡後、掛川城主となる。晩年は美濃大垣5万石を領した。家康への忠誠無二と評された。 0286 水野 信元 槍 尾張 統智政 324 435 546 657 0287 水野 忠重 騎 三河 統智政 214 325 436 547 0288 伊奈 忠次 弓 三河 統智政 1513 1614 1714 2815 (1550-1610)徳川家臣。主君・家康の近習として民政に参画。関東全土で検地や治水を行い、江戸幕府の経済基盤確立に貢献した。その地方仕法は「伊奈流」と呼ばれた。 wiki作者コメント 今川家 氏真のユニーク化なんですが、義元のグラが代わったのが印象的すぎて他は目に入んねって感じで注目が薄いかな・・・。 でも義元格好良くなったねぇ、しかも強いしねぇ、まあイベントで死んじゃうけどね・・・。 徳川家 家康伸び代でかすぎ、レベル4では信長越えて戦国屈指の能力値になってるよ。 織田の配下に最初からいるので織田シナリオの難易度は下がったなぁ~。フッ( -ω-)y─━ =3 名前
https://w.atwiki.jp/sengokuhime3-wiki/pages/8.html
武将 兵種 国 能力値 スキル 列伝 Lv 1 2 3 4 0223 多目 元忠 槍 伊豆 統智政 446 557 668 779 0224 狩野 泰光 騎 伊豆 統智政 114 125 236 347 0225 板部岡江雪斎 弓 伊豆 統智政 136 247 358 469 (1537-1609)北条家臣。右筆・評定衆を務めた。徳川家康との講和交渉や、豊臣秀吉との折衝など、対外交渉に手腕を発揮した。主家滅亡後は、秀吉に御咄衆として仕えた。 0226 清水 康英 槍 伊豆 統智政 244 355 466 577 (1532-1591)北条家臣。伊豆衆の筆頭。北条氏康の側近として各地で功を立てた。豊臣秀吉の小田原征伐では下田城に籠城し、豊臣水軍を相手に善戦するが敗れ、降伏した。 0227 葛山 氏元 騎 駿河 統智政 233 344 455 566 (1524-1574)今川家臣。葛山城主。家臣屋敷分の年貢減免や領内社寺の保護など、自領内に独自の政策を施した。主家滅亡後は没落し武田信玄の六男・氏貞が跡を継いだ。 0228 葛山 信貞 弓 駿河 統智政 332 443 554 665 0229 御宿 正友 槍 駿河 統智政 421 531 642 753 (1567-1615)北条家臣。通称は勘兵衛。今川・武田家に仕えたあと結城秀康に仕官。しかし、秀康の子・忠直の代に出奔して大坂城に入城、大坂夏の陣において戦死した。 0230 由比 正純 騎 駿河 統智政 321 432 543 654 0231 今川 義元 騎 駿河 統智政 101115 91015 81015 71015 (89)将の資質(88)誠心誠意(77)騎兵号令 (1519-1560)今川家9代当主。異母兄・玄広恵探を倒して家督を継ぐ。甲相駿三国同盟を結んで後顧の憂いを断ち、上洛の途につくが桶狭間で織田信長の奇襲を受け、絶命。 0232 今川 氏真 騎 駿河 統智政 458 569 7710 9811 (76)騎兵突撃(71)士気号令(31)武家の誇り (1538-1614)今川家10代当主。義元の嫡男。父の死後、家督を継ぐ。しかし、蹴鞠や和歌に傾倒し、無為の日々を送る。その結果、徳川家康と武田信玄に領国を追われた。 0233 太原 雪斎 騎 駿河 統智政 798 7108 8119 91210 (77)騎兵号令(69)士気高揚(86)大規模陽動 (1496-1555)今川家臣。執権を務めた。小豆坂の合戦で織田軍を破り、甲相駿三国同盟を成立させるなど、主家の政治、文化、経済、軍事、外交すべてに大きく貢献した。 0234 大原 資良 騎 駿河 統智政 124 235 346 457 0235 安倍 元真 弓 駿河 統智政 643 754 865 976 (1513-1587)今川家臣。主家の居城・駿府城を岡部正綱とともに守るが、武田信玄の駿河侵攻軍に敗れ、本貫地・安倍に退く。以後は徳川家に属し、各地で武田軍と戦った。 0236 朝比奈 信置 弓 駿河 統智政 213 324 435 546 (1528-1582)今川家臣。小豆坂合戦などで戦功を立てる。主家滅亡後は武田信玄に仕え、駿河先方衆となった。武田家滅亡の際に、居城・庵原館を攻められ敗北、自害した。 0237 庵原 将監 槍 駿河 統智政 322 433 544 655 0238 三浦 義就 騎 駿河 統智政 421 532 643 754 0239 岡部 正綱 弓 駿河 統智政 332 443 554 665 (1542-1583)今川家臣。主家滅亡後は武田家に仕え、清水城主となる。駿河先方衆として三方ヶ原合戦などに従軍した。武田家滅亡後は徳川家に仕え、甲斐平定に貢献した。 0240 岡部 元信 騎 駿河 統智政 754 865 976 1087 (1527-1581)今川家臣。桶狭間合戦では主君・義元の首級を駿河に持ち帰った。主家滅亡後は武田家に仕え、高天神城主となるが、徳川家康の攻撃を受けて落城、戦死した。 0241 青木 一重 弓 駿河 統智政 852 963 1074 1185 0242 関口 氏広 槍 駿河 統智政 112 123 234 345 (1523-1562)今川家臣。瀬名氏俊の子。用宗城主を務めた。今川義元の妹を娶った。娘・瀬名(築山殿)は徳川家康に嫁ぐ。のちに主君・氏真の命により自害させられた。 0243 朝比奈 泰能 騎 遠江 統智政 654 765 876 987 (1507-1557)今川家臣。掛川城主を務める。1548年の小豆坂合戦において、太原雪斎を補佐して織田信秀の軍を破るなど、今川家の西方侵攻軍の先鋒として活躍した。 0244 朝比奈 泰朝 弓 遠江 統智政 776 877 988 1099 (82)陽動作戦(114)智謀下降(80)銃弱体無効 (1530-1582)今川家臣。泰能の子。駿河を追われた主君・氏真を居城・掛川城に迎え入れ、徳川軍と戦う。5ヶ月の籠城戦の末に開城し、氏真とともに相模に落ち延びた。 0245 瀬名 氏俊 槍 遠江 統智政 512 623 734 845 (1497-1538)今川家臣。瀬名家は南北朝時代に九州探題を務めた名将・今川貞世(了俊)の末裔。玄広恵探と梅岳承芳(今川義元)が争った花倉の乱では承芳方に属した。 0246 小笠原 春義 騎 遠江 統智政 212 323 434 545 0247 小笠原 長忠 弓 遠江 統智政 661 772 883 994 0248 渡辺 金大夫 槍 遠江 統智政 971 1081 1191 12102 (1532-1582) 元織田家臣。名は照。高天神衆。姉川合戦で功があり、信長から日本一の槍との感状を受けた剛の者。天正二年、武田家の高天神城攻めにより、武田家に降る。 0249 飯尾 乗連 騎 遠江 統智政 223 334 445 556 (1501-1560)今川家臣。賢連の子。豊前守と称す。羽柴秀吉の最初の主君として知られる松下加兵衛らを寄騎として抱えていたといわれる。桶狭間合戦に従軍し、戦死した。 0250 飯尾 連龍 弓 遠江 統智政 431 541 651 762 (1526-1565)今川家臣。引馬城主。桶狭間合戦後、徳川家に寝返ったため、主君・氏真の攻撃を受けて敗北、和睦した。のちに氏真に駿府城に呼ばれ、同地で謀殺された。 0251 松井 宗信 槍 遠江 統智政 221 332 443 554 0252 中根 正照 騎 遠江 統智政 111 221 332 443 0253 天野 景泰 弓 遠江 統智政 321 432 543 654 0254 天野 藤秀 槍 遠江 統智政 233 344 455 566 0255 天野 景貫 騎 遠江 統智政 642 753 864 975 (1532-1595)今川家臣。犬居城主。田原本宿の合戦で功を立てた。主家滅亡後は武田家に仕え徳川家と戦う。武田家滅亡後は北条家に属し、佐竹家との戦いで功を立てた。 0256 天方 通綱 槍 遠江 統智政 322 433 544 655 0257 塙 直之 騎 遠江 統智政 841 952 1063 1174 (1567-1615)加藤家臣。鉄砲大将を務めたが、関ヶ原合戦の際に主君・嘉明と対立して出奔、浪人となる。のちに大坂城に入城、大坂夏の陣で浅野長晟軍と戦い、戦死した。 0258 菅沼 定継 弓 三河 統智政 222 333 444 555 0259 菅沼 定忠 槍 三河 統智政 531 642 753 864 0260 菅沼 定直 騎 三河 統智政 222 333 444 555 0261 奥平 貞勝 弓 三河 統智政 322 433 544 655 0262 奥平 貞能 槍 三河 統智政 344 455 566 677 (1537-1598)今川家臣。桶狭間合戦後、徳川家に仕える。掛川城攻めや姉川合戦に従軍した。一時武田信玄に属すが、信玄の死後は徳川家に帰参し、長篠合戦で活躍した。 0263 菅沼 貞景 弓 三河 統智政 122 233 344 455 0264 菅沼 定村 騎 三河 統智政 411 522 633 744 0265 菅沼 定盈 弓 三河 統智政 422 533 644 755 (1543-1604)今川家臣。野田城主。桶狭間合戦後、徳川家に仕える。武田信玄の三河侵攻では一族の多くが信玄に寝返る中、一貫して徳川家に属し、居城を攻め落とされた。 0266 牧野 康成 槍 三河 統智政 322 433 544 655 (1555-1609)徳川家臣。牛久保城主。関ヶ原合戦では徳川秀忠軍に属す。上田城攻めで奮戦するが、軍令違反があり、蟄居する。のちに許されるが、健康を害して隠居した。 0267 戸田 宜光 騎 三河 統智政 222 333 444 555 0268 戸田 一西 弓 三河 統智政 652 763 874 985 0269 鵜殿 長持 槍 三河 統智政 113 224 335 446 (1513-1557)今川家臣。上ノ郷城主。今川義元の妹を娶った。鵜殿家は藤原実方の末孫で、鎌倉時代に紀伊新宮の別当の子が取り立てられて西ノ郡(蒲郡)を領したという。 0270 徳川 家康 騎 三河 統智政 7710 8811 9812 10912 (70)統率号令(89)将の資質(32)暁の号令 (1542-1616)江戸幕府の創始者。広忠の子。桶狭間の合戦後に自立。織田家との同盟、豊臣家への従属を経て勢力を拡大する。関ヶ原合戦で勝利を収め征夷大将軍となった。 0271 井伊 直政 槍 遠江 統智政 862 1073 1284 1295 (72)一番槍(109)猫の加護(115)友軍先鋒 (1561-1602)徳川家臣。徳川四天王の1人。軍装を赤で統一した軍兵は「赤鬼」と恐れられ、常に先鋒を争った。関ヶ原合戦では島津軍を追撃し、島津豊久を討ち取った。 0272 酒井 正親 槍 三河 統智政 631 741 852 963 0273 酒井 忠次 騎 三河 統智政 545 656 767 878 (1527-1596)徳川家臣。徳川四天王の筆頭。主君・家康の養育係を務めた。家康の成人後は東三河衆を率いて各地を転戦し活躍する。その器量は豊臣秀吉にも称賛された。 0274 大久保 忠世 弓 三河 統智政 742 853 964 1075 (1532-1594)徳川家臣。忠員の長男。三方ヶ原合戦、長篠合戦など多くの合戦に従軍し、その豪胆な性格で抜群の功を立て、織田信長や豊臣秀吉にも器量を高く評価された。 0275 大久保 忠佐 槍 三河 統智政 961 1072 1183 1294 (1537-1613)徳川家臣。忠員の次男。兄・忠世とともに各地で戦功を立てる。その剛勇ぶりは織田信長をも賞嘆させるほどであった。関ヶ原合戦後、駿河沼津2万石を領す。 0276 本多 正信 弓 三河 統智政 1810 1911 21012 31113 (1538-1616)徳川家臣。三河一向一揆に身を投じて主家を離反、諸国を放浪したのちに帰参。行政と謀略に優れた手腕を発揮した。主君・家康には「友」と呼ばれたという。 0277 本多 正重 騎 三河 統智政 643 754 865 976 0278 鳥居 元忠 弓 三河 統智政 524 635 746 857 (1539-1600)徳川家臣。関ヶ原合戦の際に主君・家康の命で伏見城に籠城する。13日間の攻防戦の末、城兵とともに玉砕した。その忠節は「三河武士の鑑」と称賛された。 0279 榊原 康政 騎 三河 統智政 952 963 1074 1085 (1548-1606)徳川四天王の1人。「無」の旗を掲げて戦場を疾駆し、各地で抜群の戦功を立てた。晩年、老中に推されるが「老臣権を争うは亡国の兆し」とこれを辞退した。 0280 本多 忠勝 槍 三河 統智政 1021 1222 1433 1644 (72)一番槍(92)強襲突撃(33)天下無双 (1548-1610)徳川家臣。徳川四天王の1人。「家康に過ぎたるもの」と評された家中随一の猛将。名槍・蜻蛉切を手に57度の合戦に参陣し、傷一つ負わなかったという。 0281 本多 康重 弓 三河 統智政 631 741 852 963 0282 安藤 直次 槍 三河 統智政 753 864 975 1086 0283 板倉 勝重 騎 三河 統智政 119 1210 1311 2412 (1545-1624)徳川家臣。はじめ僧侶であったが、父と弟の死により還俗、家督を継ぐ。駿府や江戸の町奉行を務めたあと、京都所司代となり、西国諸大名らの監視を行った。 0284 石川 広成 槍 三河 統智政 432 543 654 765 0285 石川 数正 騎 三河 統智政 646 747 858 959 (91)包囲上手(93)完全包囲(34)家康への愛 (1533-1592)徳川家臣。家老を務め、西三河衆を率いて活躍した。小牧長久手合戦の後、豊臣家へ出奔。そのため、徳川家は三河以来の軍制を武田流に改めることになった。 0286 石川 家成 弓 三河 統智政 323 434 545 656 (1534-1609)徳川家臣。数正の叔父。三河一向一揆の平定戦で功を立てた。今川家滅亡後、掛川城主となる。晩年は美濃大垣5万石を領した。家康への忠誠無二と評された。 0287 水野 信元 槍 尾張 統智政 324 435 546 657 0288 水野 忠重 騎 三河 統智政 214 325 436 547 0289 伊奈 忠次 弓 三河 統智政 1513 1614 1714 2815 (1550-1610)徳川家臣。主君・家康の近習として民政に参画。関東全土で検地や治水を行い、江戸幕府の経済基盤確立に貢献した。その地方仕法は「伊奈流」と呼ばれた。 0273の酒井忠次は徳川四天王の一人の酒井忠次では?その説明だと上総に登場する上総酒井氏の一族になってしまう -- 名無しさん (2011-07-06 02 51 12) 間違えてたので直しました。指摘感謝です。orz 忠次 -- wiki作者 (2011-07-06 21 44 48) 街道一の弓取り(でも騎兵(笑))のスキル名が前作のままになってる -- 名無しさん (2011-07-07 19 09 38) 義元のスキル名直しておきました。 -- wiki作者 (2011-07-07 19 52 52) 井伊 直政のスキル抜けてたんで埋めました -- wiki作者 (2011-07-19 01 27 48) 弓取りとは、武士の事。弓兵は指してない。恥ずかしいから言わせんなよ。 -- 名無しさん (2011-08-01 16 26 56) 榊原 康政は 槍兵です。 -- 全彦謙 (2014-09-20 19 12 31) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/prayfromgamer/pages/21.html
募金については主催者判断ですが、主催の皆さんは募金するしない等で会場が荒れないような配慮をくれぐれもよろしくお願いします。 検討中含め、チャリティー大会の実施日程・要項等 5/03 東京 :新宿ラスベガス 5/03 岡山 :ファンタジスタ 5/15 岡山 :ファンタジスタ 開催日時の近い順 開催地 東京都 開催日 5月3日 種目 KOF2002UM 店舗 新宿ラスベガス 周辺情報 主に JR新宿駅周辺の交通網より新宿歌舞伎町方面へ徒歩平均5分程度新宿歌舞伎町中心部の元コマ劇場前1Fはカーニバルというゲームセンターになっておりそこの2Fです 大会要項 レシオマッチ・無差別級 参加費 200円(100円+寄付100円) 受付 レシオマッチ:13時45分まで無差別級:17時15分まで 大会開始 レシオマッチ:14時より予定無差別級:17時30より予定 主催・運営 NYOさん 状況 開催決定 備考 ただし寄付は強制では無いので大会に100円で参加する事も可能店舗内で寄付箱を置いたり集めるのが不可らしいので自分に普通に100円渡してもらう形になるか店舗外で集めます(手間かかってすいません)日本赤十字に寄付予定 開催地 岡山県 開催日 5月3日(火) 種目 KOF98UM&KOF98無印&KOF02無印 店舗 ファンタジスタ岡山県倉敷市新倉敷駅前5-194086-523-6555 周辺情報 最寄駅:新倉敷駅から徒歩10分程度 大会要項 シングル戦 参加費 100円 受付 15時まで 大会開始 受付終了後 主催・運営 ALF 状況 開催決定 備考 筐体を募金箱仕様にして店内中央両替機を後ろに向いた場所に常時設置してあります。1~500円の硬貨を入れる事が出来ます。任意で募金して下さい それぞれの大会予定についてはファンタジスタの情報ブログを参照して下さい(ブログ⇒詳細はこちら) 開催地 岡山県 開催日 5月15日(日) 種目 スパ4AE 2on2大会 店舗 ファンタジスタ岡山県倉敷市新倉敷駅前5-194086-523-6555 周辺情報 最寄駅:新倉敷駅から徒歩10分程度 大会要項 2on2 闘劇ルール/チーム内同キャラ不可、先鋒試合前申告制、早稲田式。(勝ち抜きではなく、先鋒vs先鋒、大将vs大将を行い、1勝1敗の場合は勝ったプレイヤー同士で決定戦を行います) 参加費 200円(100円+寄付100円) 受付 14時45分まで 大会開始 15時より予定 主催・運営 ALF 状況 開催決定 備考 筐体を募金箱仕様にして店内中央両替機を後ろに向いた場所に常時設置してあります。1~500円の硬貨を入れる事が出来ます。任意で募金して下さい それぞれの大会予定についてはファンタジスタの情報ブログを参照して下さい(ブログ⇒詳細はこちら) 大会結果報告 大会終了時には、出来るだけ多数の目で総額を確認しておくのもよいかもしれません。 そうすることで後日報告された額の確認にもなると思います。 非ログインの場合ファイルのアップロードができません。 受領証等について、twitterアカウントをお持ちの場合は連携サイト(twitpic等)にアップ後、リンクを張っていただく形もありかと思います。 難しい場合は、prayfromgamer[あっとまーく]gmail.comまで送信していただければなんとかします。 開催日 2011/4/19 2011/5/3 開催店舗 新宿ラスベガス(東京都) 大会概要 KOF98UM FE KOF2002UM 募金総額 9,350円 募金先 日本赤十字社(郵便局経由) 募金責任者 NYOさん 受領証など http //twitpic.com/4uxpt7 備考 98UM FEレシオ20人 無差別23人/02UM レシオ33人 無差別32人
https://w.atwiki.jp/trivia-mike/pages/906.html
とぅないぇき しまうちえき 2013.06.06.00 00にウィキペディアよりも先に知った! 松本市島内にある松糸線の駅ですが、2013年に新駅舎っぽいのが作られて、旧駅舎は取り壊された。下にある画像は新駅舎だ。どっちかというと待合室だったりするが、どーでもいいや! 構造 穂高・信濃大町方面(一部松本行なんか通る) 松本方面(通過列車も通る) ホームがカーブしてるので車掌が常に「列車とホームの間が広く空いてる(スキマがある)場所がございます。お降りのお客様は足元にご注意下さい。」と案内してくれる。 また、2011年ダイヤ改正頃に今まで通過列車か稀にしか停車しなかった2番線に列車が停車するようになったが、駅舎に近いところに止まらず、離れたとこに停車する。 そのため、なれてない客は待ってると電車は来た、でも止まっちゃった。渋々歩く。こんなことが毎日行われたおかげで乗車客もさなれて停車位置を把握し始めているんだあああああという。新駅舎新造で、旧駅舎と共にトイレは破壊されただろうと。これからもトイレはありません。 周辺 住宅街にあるんだが、タクシー乗場あり、ラーラ松本や私立松本大学、新村へ行く路線バスがある。日曜祝日運休。年末年始も運休だったりする。なんでかな? ウィキペディアでの島内駅 ウィキペディアでは車内アナウンスについて書いただけなのにつまらない理由で書き換えてしまったバカがいる。以下の発言文は転載 車内に流れるアナウンスについて、これを一字一句たがわずに表現することは、百科事典の役割とはいい難いと思います。「ホームがカーブしている」あるいは「そのため列車との間に隙間が開く」、場合によっては「それに対して注意を促す放送が入る」という部分までは島内駅の解説に当たって有用であると思いますが、それを、車掌の口調もそのままに「『・・・おりますので、足元にお気をつけください』と案内している」と表現することに、何のメリットがあるのでしょうか。--Kouchiumi 2007年2月7日 (水) 00 51 (UTC) こいつは何を言ってるんだ?「百科事典の役割」とは関係なのだろう。しかも、こいつの間違いなく主観である。 ウィキペディアでのもん。 ウィキペディアにある同名記事では、2007年2月7日 (水)に、ツーマン運転の場合よ、車掌ん、この駅に着くたび、『まもなく、島内です、降り口は左側です、列車とホームとの間が空いておりますので、足元にお気をつけください』という記述を記載したところ すんげぇくだらねぇ論議始めやがり今の記述になった。 2007年2月7日 (水) 00 51よりゃ論議の初出走はKouchiumi発端であるが『車内に流れるアナウンスについて、これを一字一句たがわずに表現することは、 百科事典の役割とはいい難いと思います。「ホームがカーブしている」あるいは「そのため列車との間に隙間が開く」、 場合によっては「それに対して注意を促す放送が入る」という部分までは島内駅の解説に当たって有用であると思いますが、 それを、車掌の口調もそのままに「『・・・おりますので、足元にお気をつけください』と案内している」と表現することに、 何のメリットがあるのでしょうか。』などと凄んゴく、くだらねぇ持論を提唱しており、 なぜたかだ1記事にそんなに無駄ぉ真剣になってるのか理解できぬん。 実際、どの車掌も同じようなアナウンスんだからいいだろう! やっぱウィキペディアンはキチガイの性だわ! 隣駅 中松本 - 当駅 - 島高松