約 13,536 件
https://w.atwiki.jp/marowiki001/pages/386.html
目次 【時事】ニュース RSS 口コミ 【参考】ブックマーク タグ 最終更新日時 【時事】 ニュース 土田晃之、『閃光のハサウェイ』発売イベントで「苦情言っていいですか?」 ネタバレ全開で笑わせる(オリコン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 聴講無料の「デザインの大学」。多摩美術大学が、誰でも参加できる50プログラムを毎日開講 - 東京アートビート 県推薦・福岡を表彰 センバツ21世紀枠で県高野連 /福岡 - 毎日新聞 松本大洋が追いかけた土田世紀 松本大洋「東京ヒゴロ」(第128回)|好書好日 - 好書好日 中日ドラ3土田龍空が初の1軍昇格「本当にうれしい」 野手では一番乗り - ニッカンスポーツ TV他で話題沸騰した、犬と人の奇跡がここに……。『マンガ 看取り犬・文福の奇跡』発売!! - PR TIMES 自由大学ができ1世紀、長野で考える 歴史に学ぶ必要性 [知る戦争] - 朝日新聞デジタル 50代から人生逆転!? 高橋ツトム「JUMBO MAX」(第125回)|好書好日 - 好書好日 イジメ教師は許さない! 栗原正尚「制裁学園」(第124回)|好書好日 - 好書好日 18世紀のパリ社交界で「現代の化粧品」が大活躍! みやのはる・堀江宏樹「ラ・マキユーズ~ヴェルサイユの化粧師~」(第121回)|好書好日 - 好書好日 「夏の魔物」が柴田ヨクサルとコラボ、土田世紀Tシャツも発売(コメントあり) - ナタリー 『夏の魔物2019』グッズで柴田ヨクサル×ハードコアチョコレート、もくもくちゃん、土田世紀とコラボレーション - http //spice.eplus.jp/ 最新のデジタル技術で鮮明に生まれ変わった土田世紀の出発点と到達点! 長らく絶版となっていた連載デビュー作と後期代表作が愛蔵版になって復活!! - PR TIMES 土田世紀「未成年」「雲出づるところ」愛蔵版に上條淳士、松本大洋、新井英樹 - マイナビニュース 土田世紀 - コミックナタリー - コミックナタリー 名馬と出会い一流ジョッキーを目指す!元騎手の田原成貴と土田世紀が描く 『競馬狂走伝 ありゃ馬こりゃ馬』eBookJapanが10月28日・29日の2日間、全17巻の無料読み放題を開催! - PR TIMES 舞台「俺節」開幕!関ジャニ∞安田、力の限り演歌で気持ち届ける - コミックナタリー 関ジャニ∞安田章大「俺節」で魂の叫び!「僕の武器はこのカンパニー」 - ステージナタリー 土田世紀「俺節」原画展、関ジャニ∞安田章大の主演舞台に合わせて開催 - ナタリー 土田世紀「俺節」原画展が赤坂サカスで開催、限定グッズも販売 - コミックナタリー 「俺節」主演の安田章大「もがき苦しんできたことはコージの人生観と近い」 - ナタリー 舞台「俺節」製作発表、演出家が関ジャニ安田とコージの共通点語る - コミックナタリー 安田章大&シャーロット・ケイト・フォックス共演、土田世紀『俺節』舞台化 - CINRA.NET(シンラドットネット) 編集王:故・土田世紀の名作マンガが早見和真「小説王」のカバーに - MANTANWEB(まんたんウェブ) 土田世紀ら秋田出身マンガ家の原画が集合「秋田大漫画展」 - ナタリー 土田世紀「夜回り先生 希望編」松本大洋らの追悼企画収録 - ナタリー 土田世紀「夜回り先生」生前に描き遺した新作を単行本化 - コミックナタリー 【訃報】マンガ『編集王』の漫画家・土田世紀先生が肝硬変で死去 / 享年43歳 - ロケットニュース24 RSS 土田晃之、『閃光のハサウェイ』発売イベントで「苦情言っていいですか?」 ネタバレ全開で笑わせる(オリコン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 聴講無料の「デザインの大学」。多摩美術大学が、誰でも参加できる50プログラムを毎日開講 - 東京アートビート 県推薦・福岡を表彰 センバツ21世紀枠で県高野連 /福岡 - 毎日新聞 松本大洋が追いかけた土田世紀 松本大洋「東京ヒゴロ」(第128回)|好書好日 - 好書好日 中日ドラ3土田龍空が初の1軍昇格「本当にうれしい」 野手では一番乗り - ニッカンスポーツ TV他で話題沸騰した、犬と人の奇跡がここに……。『マンガ 看取り犬・文福の奇跡』発売!! - PR TIMES 自由大学ができ1世紀、長野で考える 歴史に学ぶ必要性 [知る戦争] - 朝日新聞デジタル 50代から人生逆転!? 高橋ツトム「JUMBO MAX」(第125回)|好書好日 - 好書好日 イジメ教師は許さない! 栗原正尚「制裁学園」(第124回)|好書好日 - 好書好日 18世紀のパリ社交界で「現代の化粧品」が大活躍! みやのはる・堀江宏樹「ラ・マキユーズ~ヴェルサイユの化粧師~」(第121回)|好書好日 - 好書好日 「夏の魔物」が柴田ヨクサルとコラボ、土田世紀Tシャツも発売(コメントあり) - ナタリー 『夏の魔物2019』グッズで柴田ヨクサル×ハードコアチョコレート、もくもくちゃん、土田世紀とコラボレーション - http //spice.eplus.jp/ 最新のデジタル技術で鮮明に生まれ変わった土田世紀の出発点と到達点! 長らく絶版となっていた連載デビュー作と後期代表作が愛蔵版になって復活!! - PR TIMES 土田世紀「未成年」「雲出づるところ」愛蔵版に上條淳士、松本大洋、新井英樹 - マイナビニュース 土田世紀 - コミックナタリー - コミックナタリー 名馬と出会い一流ジョッキーを目指す!元騎手の田原成貴と土田世紀が描く 『競馬狂走伝 ありゃ馬こりゃ馬』eBookJapanが10月28日・29日の2日間、全17巻の無料読み放題を開催! - PR TIMES 舞台「俺節」開幕!関ジャニ∞安田、力の限り演歌で気持ち届ける - コミックナタリー 関ジャニ∞安田章大「俺節」で魂の叫び!「僕の武器はこのカンパニー」 - ステージナタリー 土田世紀「俺節」原画展、関ジャニ∞安田章大の主演舞台に合わせて開催 - ナタリー 土田世紀「俺節」原画展が赤坂サカスで開催、限定グッズも販売 - コミックナタリー 「俺節」主演の安田章大「もがき苦しんできたことはコージの人生観と近い」 - ナタリー 舞台「俺節」製作発表、演出家が関ジャニ安田とコージの共通点語る - コミックナタリー 安田章大&シャーロット・ケイト・フォックス共演、土田世紀『俺節』舞台化 - CINRA.NET(シンラドットネット) 編集王:故・土田世紀の名作マンガが早見和真「小説王」のカバーに - MANTANWEB(まんたんウェブ) 土田世紀ら秋田出身マンガ家の原画が集合「秋田大漫画展」 - ナタリー 土田世紀「夜回り先生 希望編」松本大洋らの追悼企画収録 - ナタリー 土田世紀「夜回り先生」生前に描き遺した新作を単行本化 - コミックナタリー 【訃報】マンガ『編集王』の漫画家・土田世紀先生が肝硬変で死去 / 享年43歳 - ロケットニュース24 口コミ #bf 【参考】 ブックマーク サイト名 関連度 備考 Wikipedia ★★ タグ 人物 秋田 最終更新日時 2012-08-21 冒頭へ
https://w.atwiki.jp/yamikeiba/pages/20.html
洋禿(オリビエ・ペリエ) 外来者-タンキメンキョ-の一人。 外来者の中で最も性格が凶暴なようだ。 ルメ(クリストフ・ルメール) 外来者-タンキメンキョ-の一人。通称クリストフ兄。 英語と日本語をごちゃ混ぜにした、不思議な言葉で喋る。 FIFTH PETAL-ミナサーン・アリガト-で紋章奪取を目論んだが、う●こ猿の奇襲にあい、敗れる。 デ台(ミルコ・デムーロ) 外来者-タンキメンキョ-の一人。 三人の中で一番まとものように見える。秘技-ブーン-の使い手。 墨四(クリストフ・スミヨン) 外来者-タンキメンキョ-の一人。通称クリストフ弟。 口は悪いが性格も悪い好戦的な男。実は兄弟仲が悪い。 苦手な物は量子たん。 福永アナ(福永一茂) 中二病全開、夢を愛し夢に魅せられし夢の邪気アナ。 うーん、スタートの瞬間は夢の泉っ!夢見る少年少女の先は果てしなく! 量子たん(佐野量子) 種の奥さん。 種のために量子たんドウィッチや量子たん弁当をつくっている。 一時的に邪気を増幅(使用毎に効果減・副作用有)する「邪気ドリンク」をつくることもできるとか。 男気あふれる性格が魅力の邪気デレ女神。 テルヤ(吉田照哉) 裏社会のボスにして、武器商人。強力な馬(元老院は剣と呼ぶ)を用意する代わりに、多方から様々な情報を手に入れている。 闇がマツクニと繋がっているという情報を種に流した。 神楽(藤岡康太の別人格) 藤岡康太の中に眠る、もう一つの人格。ちなみに女。 普段はおとなしい康太とは対照的に、かなりの好戦家。 元ネタはおそらく影羅(エイラ)。 影華(藤岡康太の別人格) 兄を慕うゴスロリ少女。 曰く「12人の妹の別人格がある」らしい。キモい。 井邪気呪期老(井崎脩五郎) 邪気評論家。東をテリトリーとしている。 大吊墓故悪(大坪元雄) 邪気評論家。西をテリトリーとしている。 親鮫(鮫島克也) 地方都市の伝説的な騎手。その邪気力はセントラルにも影響を及ぼす。全邪気界を支配する為にセントラルに送り込んだ息子のダメっぷりに頭を悩ませている。 名人(武邦彦) 種の父親で往年の名エクウスライダー。 未だ衰えを知らぬ邪気と性欲の持ち主。 しばしば種に邪気同期~シンクロ~で操られる。 的場(的場均) かつて名だたる邪気使い達を震え上がらせた聖者 白井最強より授かりしデシタルメガフレア 最強の召喚獣グラス最強 蒼天より降り注ぐ長距離砲ライスシャワー を自在に操り幾多の邪気使いとエクウスを浄化した狩人―ヒットマン― 種も闇も的場の前では為す術がなかったという 。 暗黒皇帝タヴァラ(田原成貴) 自分を追放した競馬界の転覆を画策する闇の皇帝。 四位や恫喝を遣い、機会を伺っていたが、SHA-Vが止められず、 8年ぶり2度目の逮捕にあう。 SHA-Vの発作~キンダンショウジョウ~が出ると 魔法少女のような気持ちの悪い口調になる。
https://w.atwiki.jp/jitsumeika/pages/19.html
全部調べるのは断念 浅井邦吉⇒浅見国一 阿藤伊佐美⇒佐藤勇 新居⇒新井仁? 安東雅富⇒安藤正敏 飯束⇒飯塚好次? 池植⇒池上昌弘? 池越⇒池添兼雄? 石阪征⇒石坂正 石根⇒石毛善彦? 岩木⇒石本? 岩栗克雄⇒石栗龍雄 上野満夫⇒上田三千夫 植原⇒? 梅中⇒梅内忍? 梅畑⇒梅田康雄?智之? 江藤敏実⇒工藤嘉見 及川一俊⇒? 大林祈⇒小林稔 大林恒⇒小林常泰? 太和田⇒大和田稔? 奥山章次⇒奥平真治 葛西勝治朗⇒境勝太郎 加藤忠良⇒加用正 嘉堂⇒? 加納周蔵⇒加藤修甫 河村義弘⇒川村禎彦 菅野⇒萱野浩二? 北園雅雄⇒西園正都 小北駈⇒小西登 久賀隆美⇒加賀武見 窪畑⇒久保田敏夫? 甲賀⇒? 古窪門松⇒大久保房松 古窪龍⇒大久保龍志? 木境⇒ 小嶋⇒小島茂之? 今郷和人⇒? 古原井⇒小原伊佐美? 古原亮⇒? 佐伯⇒? 酒田昌樹⇒坂口正行 作畑清一⇒作田誠二 佐堂泰輔⇒佐藤征助 佐堂朝⇒佐藤正雄? 三本松良雄⇒二本柳俊夫 鹿土春行⇒鹿戸幸治 柴原弘樹⇒柴田弘之? 柴原雅⇒柴田政見? 柴原三成⇒柴田光陽 嶋崎博樹⇒島崎宏 島津久臣⇒清水久雄 嶋畑育⇒嶋田功 嶋畑純⇒嶋田潤 庄田保詰⇒庄野靖志 白坂⇒黒坂洋基? 新河進⇒新川恵 須賀紘蔵⇒須貝彦三 須ヶ原⇒菅原泰夫? 鈴本克志⇒鈴木勝美 鈴本保⇒鈴木康弘 須磨⇒諏訪富三? 瀬之内強⇒瀬戸口勉 田浦泰宏⇒ 鷹康成⇒武康平 鷹田咲次朗⇒武田作十郎 高之渡誠二⇒中野渡清一 高本⇒高木登? 瀧潔人⇒谷潔 滝橋影⇒高橋英夫? 滝橋猛⇒高橋隆 滝原⇒高松邦男? 多古⇒田子冬樹? 田崎⇒田島良保? 太治寿広⇒太宰義人 種田大義⇒武田博 多原⇒田原成貴? 田丸⇒? 柄碕隆生⇒柄崎孝 坪田林蔵⇒久保田金造 手所君弘⇒田所清広 手所英⇒田所秀雄?秀孝? 戸川武雄⇒戸山為夫 利田二朗⇒吉田三郎 鳥取正義⇒服部正利 富畑七朗⇒富田六郎 友一⇒? 内堂和人⇒内藤一雄 長尾鉄次⇒中尾銑治 中沢賢治朗⇒長浜彦三郎 中嶋⇒中島敏文? 仲富康夫⇒中住芳雄 楢村⇒夏村辰男? 成嶋⇒成島英春? 成皆⇒成宮明光? 新籍勤⇒新関力 西箸智児⇒西橋豊治 仁藤正治⇒伊藤修司 仁藤裕次郎⇒伊藤雄二 萩野道雄⇒荻野光男 畠川⇒畠山重則? 畑中和人⇒田中和夫 畑中岳彦⇒田中章博 畑中智太郎⇒田中朋次郎 畑村俊⇒田村駿仁? 畑村靖⇒田村康仁? 稗畑謙⇒稗田研二 稗畑義雄⇒稗田敏男 東塚⇒西塚十勝? 平尾⇒平田修? 福嶋⇒福島信晴? 福沢⇒福永甲? 節岡⇒藤岡健一? 藤川⇒藤田正治? 古革泰家⇒古川平 古河孝治⇒古沢清次 前畑忠夫⇒前田禎 増北行雄⇒増沢末夫 増餅⇒増本豊? 松岡由二朗⇒松田由太郎 松中義直⇒松永善晴 末田淳⇒増井裕? 松畑政彦⇒松田正弘 美田智留⇒? 南畑未来夫⇒南田美知雄 嶺⇒? 武東⇒武藤善則? 元岸隆紀⇒元石孝昭 森高宏脇⇒森安弘昭 矢尾真一⇒矢野進 矢部⇒阿部新生? 山木章蔵⇒山本正司 山碕昭⇒山崎彰義? 柳川鶴雄⇒柳田次男 湯孔二朗⇒湯浅三郎 吉森升斗⇒吉永正人 詠岡⇒吉岡八郎? 詠永⇒吉永猛?忍? 渡部英一⇒渡辺栄
https://w.atwiki.jp/jitsumeika8/pages/15.html
1982~ メモ 赤城賢司 1995 美浦 木藤隆行 東幸平 2005 美浦 三浦堅治 萩和久 1997 美浦 東信二 阿部賢治 1994 美浦 杉浦宏昭 荒巻知哉 1992 美浦 徳吉一己 安藤雅則 1984 栗東 山城直人 1987 栗東 飯田明弘 五十嵐正樹 1995 栗東 石井祐次 1998 美浦 菅原隆明 石上雄三 1993 美浦 堀井雅広 出川佑一郎 1995 美浦 小迫次男 甲賀直也 1986 美浦 伊藤正徳 本田勇 1988 栗東 岩本市三 水島一之 1997 栗東 上野清章 大森登 1995 栗東 内田国男 江川伸輔 1982 美浦 輪島敦士 1999 美浦 蛯沢誠治 大井幸平 2002 美浦 今井規和 白井正雄 1998 美浦 大崎昭一 大島裕也 1989 栗東 柴田政見 大杉幸男 1990 栗東 秋山忠一 大森俊之 1983 栗東 岡島真人 1994 栗東 岡山純平 1995 栗東 東田幸男 緒方浩 1985 栗東 有賀賢一 1992 栗東 音無秀孝 小山拓哉 1990 美浦 佐川俊夫 1987 美浦 加賀武見 長瀬孝太郎 2004 美浦 加藤和宏 金谷明夫 1991 美浦 亀田幸治 1993 美浦 柏崎正次 亀山寛 2002 栗東 岡冨俊一 亀山亮司 2002 栗東 目黒正徳 吉田進 1992 栗東 加用正 河合祐一 2005 美浦 大塚栄三郎 森英樹 2002 栗東 河内洋 佐賀正樹 1987 栗東 川端義雄 菅野昭二 1988 美浦 赤羽秀男 萱野直樹 1987 栗東 木下英雄 1988 美浦 久世雅夫 1989 美浦 小西一男 松代幸男 1982 栗東 久保一秋 久保田翔 1993 美浦 伊藤栄 井上信二 1993 栗東 久保敏文 黒崎昭 1984 栗東 野村彰彦 小池祥太 1982 栗東 吉良和之 2000 栗東 小島貞博 古城政伸 1985 美浦 嶋田潤 小杉亮介 2004 栗東 土肥幸広 小牧誠治 1999 美浦 蓑田早人 河合勝之 1997 栗東 小谷内秀夫 酒井広司 1992 美浦 郷原洋行 西条俊太郎 1991 美浦 石神富士雄 埼玉英雄 1983 美浦 堺陸也 1982 美浦 横山富雄 村田昌也 2004 美浦 坂井千明 坂上涼平 1992 美浦 蛯名信広 菊川由幸 1983 栗東 佐々木晶三 瀬川佑輝 1996 栗東 猿橋重利 財津大輔 1985 栗東 鎌田光也 潮田太郎 1983 美浦 萩新太郎 1983 栗東 鹿戸明 佐賀和也 1988 栗東 柴田光陽 平野順 1987 美浦 嶋田功 河田徹平 1996 栗東 清水英次 下村修 1996 美浦 城山弘樹 2000 栗東 北村卓士 石井良純 1991 美浦 菅原泰夫 関総一朗 1989 栗東 出口隆義 高松宏 1986 美浦 菅野澄男 田代良一 1991 栗東 丸山勝秀 岸一哉 2001 栗東 田島信行 北郷洋介 1991 栗東 田島良保 谷村勇人 1990 栗東 久保田敏彦 久保村輝彦 1997 栗東 田原成貴 戸田優也 1999 美浦 田村正光 徳島遼 1995 美浦 吉沢宗一 戸田啓介 1990 美浦 松山真一 1985 美浦 中島啓之 永野克明 1984 美浦 中野渡清一 中丸良介 1991 栗東 池添兼雄 永野賢司 1987 美浦 服部晃一 1995 栗東 西浦勝一 布施勇気 1988 栗東 西橋豊治 西原正巳 1988 栗東 西堀修 1990 栗東 鍜治谷誠 古屋浩二 1996 美浦 根本康弘 野間政夫 2001 栗東 松永昌博 橋本博 1993 美浦 柴崎勇 原誠司 1989 美浦 田中清隆 原田大 1988 栗東 古川秀和 1994 栗東 樋口弘 平原良和 2001 栗東 栗田伸一 平林二郎 1982 栗東 福留誠治 1990 栗東 桜井誠二 富士野健太郎 1984 栗東 星野健司 1999 栗東 小屋敷昭 八村晋哉 2006 栗東 本田優 緒方健二 1991 栗東 増沢末夫 大豊佑輔 1991 栗東 松田幸春 松村孝行 1989 栗東 松山哲平 2008 美浦 田中剛 緑川涼太 1992 栗東 楠孝志 宮沢秀幸 1996 栗東 安藤賢一 大川豊 2003 栗東 村本善之 森下直樹 1983 美浦 玉置俊明 1982 美浦 森安重勝 八木昭二 1984 美浦 市川悠太 1993 栗東 安田隆行 斉藤翼 2001 美浦 安田富男 矢部孝輔 1983 美浦 寺島高之 1986 栗東 山内研二 柳原俊介 1982 栗東 山口満 1994 美浦 中野栄治 山田慶太 1990 美浦 梅田武彦 1985 美浦 吉永正人 和田佑輔 1986 栗東 目野哲也
https://w.atwiki.jp/jyusyou/pages/83.html
主催者 日本中央競馬会 競馬場 小倉競馬場 創設 1966年11月20日 距離 芝1200m 格付け GIII 賞金 1着賞金3800万円 出走条件 サラブレッド系3歳以上(国際)(特指) 負担重量 ハンデキャップ 北九州記念(きたきゅうしゅうきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が小倉競馬場の芝1200メートルで施行する中央競馬の重賞競走(GIII)である。 テレビ西日本が寄贈賞を提供しており、正式名称は「テレビ西日本賞 北九州記念」と表記している。 概要 1966年に創設された、4歳(現3歳)以上の競走馬による重賞競走。 創設当初は小倉競馬場の芝2000mで施行されたが、1969年から芝1800mに短縮。2006年から芝1200mに短縮され、サマースプリントシリーズに指定されるとともに、スプリンターズステークスを目指す前哨戦のひとつとしても位置づけられた。2008年の優勝馬スリープレスナイトはその後スプリンターズステークスでも優勝し、同年のJRA賞最優秀短距離馬に輝いている。 サマースプリントシリーズに指定されてからは、この競走を制したリトルゲルダ(2014年)がシリーズのチャンピオンとなった。 外国産馬は1995年から、地方競馬所属馬は1998年から出走が可能になった[2]。2009年からは国際競走となり、外国馬も出走可能になった。負担重量は1972年 - 1994年、2000年 - 2005年が別定重量で行われたほかはハンデキャップで行われている。 競走条件・賞金 競走条件 出走資格 サラ系3歳以上の競走馬 JRA所属の競走馬 地方競馬所属馬(認定馬のみ、2頭まで) 外国調教馬(9頭まで) 負担重量:ハンデキャップ 賞金 2014年の1着賞金は3800万円で、以下2着1500万円、3着950万円、4着570万円、5着380万円。 歴史 1966年 - 4歳(現3歳)以上の競走馬によるハンデキャップの重賞競走として創設、小倉競馬場の芝2000mで施行。 1969年 - 施行距離を芝1800mに変更。 1970年 - テレビ西日本より寄贈賞を受け、テレビ西日本賞 北九州記念に名称変更。 1972年 - 負担重量を別定に変更。 1984年 - グレード制施行によりGIIIに格付け。 1995年 - 混合競走に指定。負担重量をハンデキャップに戻す。 1998年 - 小倉競馬場の改修工事に伴い、阪神競馬場の芝2000mで施行。特別指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。 2000年 - 負担重量を別定に戻す。 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。 2006年 - 負担重量をハンデキャップに戻す。施行距離を現在の芝1200mに変更。サマースプリントシリーズに指定。 2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。 2009年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は9頭まで出走可能となる。重賞格付け表記をGIIIに戻す。 歴代優勝馬 回数施行日競馬場距離優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 第1回1966年11月20日小倉2000mハジメリユウ牡32 07.8小野幸治小林稔田中清 第2回1967年10月15日小倉2000mアトラス牡32 04.3武邦彦戸山為夫松岡重雄 第3回1968年9月15日小倉2000mヒロダイコク牝32 04.4武田悟夏村辰男前畑邦夫 第4回1969年12月7日小倉1800mホウウン牡31 55.1大根田裕也梅内慶蔵中井長一 第5回1970年7月26日小倉1800mオープンツバメ牝31 51.1藤岡範士田之上勲(株)オープン 第6回1971年8月8日小倉1800mオカヘレン牡41 51.2奈良忠広池田三郎岡田平一 第7回1972年8月20日小倉1800mタイバブー牡31 51.1北橋修二布施正(有)名鯛興業 第8回1973年8月5日小倉1800mナルタキエース牡51 50.3四位満教服部正利武村住造 第9回1974年7月28日小倉1800mロッコーイチ牡41 50.4武邦彦服部正利田中六助 第10回1975年8月10日小倉1800mフミノヒカリ牡41 49.6目野哲也土門健司谷二 第11回1976年8月8日小倉1800mミヤジマレンゴ牡31 49.5武田悟夏村辰男曽我薫 第12回1977年8月7日小倉1800mフジリンデン牡61 49.5今岡正佐藤勇藤井実郎 第13回1978年8月6日小倉1800mウラカワチェリー牝61 50.3安田伊佐夫栗田勝(有)谷川牧場 第14回1979年8月5日小倉1800mスリーファイヤー牝51 49.0岩元市三布施正永井永一 第15回1980年8月3日小倉1800mサルノヒーロ牡41 50.9田原成貴中村好夫駒井孝男 第16回1981年8月2日小倉1800mラフオンテース牝41 48.2岩元市三布施正小柴タマヲ 第17回1982年8月8日阪神1600mオオミシャダイ牝61 35.3岩元市三星川薫橋本弘 第18回1983年8月7日小倉1800mラブリースター牝41 49.7田原成貴領家政蔵山本信行 第19回1984年8月5日小倉1800mマンノタロ牡41 49.9河内洋武田作十郎萬野勝彦 第20回1985年8月4日小倉1800mグローバルダイナ牝51 49.3南井克巳宇田明彦(有)社台レースホース 第21回1986年8月3日小倉1800mラッキーオカメ牝41 48.8西浦勝一野元昭柳井旦雄 第22回1987年8月9日小倉1800mマヤノジョウオ牝41 48.7南井克巳大根田裕也田所祐 第23回1988年8月7日小倉1800mタガジヨオー牡61 49.0清水英次松元省一中川進克 第24回1989年8月6日小倉1800mタニノスイセイ牡61 48.7土肥幸広宮本悳(有)カントリー牧場 第25回1990年8月5日小倉1800mニシヤマショウ牝51 48.4土肥幸広島崎宏鷹野馨 第26回1991年8月4日小倉1800mムービースター牡51 46.9武豊坪憲章吉田照哉 第27回1992年8月9日小倉1800mヌエボトウショウ牝51 46.8角田晃一渡辺栄トウショウ産業(株) 第28回1993年8月8日小倉1800mシルクムーンライト牡31 47.5土肥幸広吉永猛中山信博 第29回1994年7月24日小倉1800mイブキファイブワン牡61 46.9芹沢純一橋口弘次郎(有)伊吹 第30回1995年7月23日小倉1800mイナズマタカオー牡41 47.3河内洋音無秀孝小島隆男 第31回1996年7月21日小倉1800mマジックキス牝41 48.2角田晃一渡辺栄臼田浩義 第32回1997年7月20日小倉1800mダンディコマンド牡41 46.5武豊福島信晴勝野憲明 第33回1998年7月26日阪神2000mトウショウオリオン牡52 02.0池添謙一鶴留明雄トウショウ産業(株) 第34回1999年7月25日小倉1800mエイシンビンセンス牡51 45.6野元昭嘉野元昭平井豊光 第35回2000年7月16日小倉1800mトゥナンテ牡51 46.3幸英明松元省一(有)社台レースホース 第36回2001年7月15日小倉1800mエイシンプレストン牡41 48.3福永祐一北橋修二平井豊光 第37回2002年7月14日小倉1800mトッププロテクター牡51 45.3和田竜二岩元市三宮内牧場 第38回2003年7月20日小倉1800mミレニアムバイオ牡51 49.8武豊領家政蔵バイオ(株) 第39回2004年7月18日小倉1800mダイタクバートラム牡6R1 44.1小牧太橋口弘次郎(有)太陽ファーム 第40回2005年7月17日小倉1800mメイショウカイドウ牡61 44.7武豊坂口正大松本好雄 第41回2006年8月13日小倉1200mコスモフォーチュン牝41 08.0角田晃一宮徹(有)ビッグレッドファーム 第42回2007年8月12日小倉1200mキョウワロアリング牡61 07.7角田晃一飯田明弘林順子 第43回2008年8月17日小倉1200mスリープレスナイト牝41 07.5上村洋行橋口弘次郎(有)サンデーレーシング 第44回2009年8月16日小倉1200mサンダルフォン牡61 07.5酒井学松永幹夫(有)ノースヒルズマネジメント 第45回2010年8月15日小倉1200mメリッサ牝61 07.1福永祐一佐山優岡田牧雄 第46回2011年8月14日小倉1200mトウカイミステリー牝51 07.2北村友一安田隆行内村正則 第47回2012年8月19日小倉1200mスギノエンデバー牡41 06.9北村友一浅見秀一杉山美惠 第48回2013年8月18日小倉1200mツルマルレオン牡51 06.7小牧太橋口弘次郎鶴田鈴子 第49回2014年8月24日小倉1200mリトルゲルダ牝51 07.5丸田恭介鮫島一歩栗山良子
https://w.atwiki.jp/genkaisrtr/pages/74.html
▼5文字/▼6文字/▼7文字/▼8文字以上 5文字 文字数 ひらがな 表記 意味 5 たいこもち 太鼓持ち へつらってばかりいる人。 5 たいしょう 大正 1912~1926年に使われた元号。 5 たかしまし 高島市 滋賀県の市。 5 たかはしし 高梁市 岡山県の市。 5 たくしない 多久市内 佐賀県多久市の中。 5 たじまえき 田島駅 東武鉄道・佐野線の駅。栃木県。 5 たっきゅう 卓球 テーブルで球を打ち合う球技。 5 たなかあい 田中愛 RSK山陽放送の元アナウンサー。 5 たなかえき 田中駅 しなの鉄道・しなの鉄道線の駅。長野県。 5 たなかもえ 田中萌 テレビ朝日アナウンサー。 5 たはらえき 田原駅 北条鉄道・北条線の駅。兵庫県。 5 たばるざか 田原坂 西南戦争の激戦地である、熊本県の坂。 5 たまごやき 卵焼き といた卵に味をつけて、焼いた料理。 5 たましない 多摩市内 東京都多摩市の中。 5 たまのえき 玉野駅 名鉄・尾西線の駅。愛知県。 5 たまむすび たまむすび TBSラジオのバラエティワイド番組。 5 たむらまろ たむらまろ アカペラバンド。 5 たろうまる 太郎丸 福岡県、宮城県にみられる苗字。 5 たんじゅう 胆汁 脂肪の消化を助ける、肝臓が生成する液。 5 たんしょう 短小 短くて、小さいさま。 5 たんじょう 誕生 うまれること。 ▲上へ戻る 6文字 文字数 ひらがな 表記 意味 6 たーじまはる タージマハル 大理石でつくられた、インドの建造物。 6 たいいくさい 体育祭 さまざまな競技をする、学校などの行事。 6 たいとうえき 太東駅 JR東日本・外房線の駅。千葉県。 6 たかつきえき 高槻駅 JR西日本・東海道本線の駅。大阪府。 6 たからのやま 宝の山 大きい利益が望めるもののたとえ。 6 たぐちたかし 田口昂 声優。 6 たけたしない 竹田市内 大分県竹田市の中。 6 たなかあきら 田中彰 元プロ野球選手。 6 たなかけんじ 田中賢治 プロサッカー選手。 6 たはらしない 田原市内 愛知県田原市の中。 6 たばらせいき 田原成貴 元競馬騎手。 6 たまがわえき 多摩川駅 東急電鉄の駅。東京都大田区。 6 たまのしない 玉野市内 岡山県玉野市の中。 6 たむらあつし 田村淳 お笑いタレント。ロンドンブーツ1号2号の一人。 6 たむらりょう 田村亮 お笑いタレント。ロンドンブーツ1号2号の一人。 6 たらいまわし 盥回し 仕事などを、次々に他人に回すこと。 6 たんじょうび 誕生日 生まれた日。 ▲上へ戻る 7文字 文字数 ひらがな 表記 意味 7 たーとるねっく タートルネック 筒のようになったえり。とっくりえり。 7 たいようのとう 太陽の塔 大阪万博のシンボルとして建設された造形物。 7 たかはしあきこ 高橋暁子 ITジャーナリスト。 7 たかはしみくに 髙橋未来虹 アイドル。日向坂46のメンバー。 7 たかはしれいこ 高橋怜子 写真家。 7 たがわしちょう 田川市長 福岡県田川市の首長。 7 たじみしちょう 多治見市長 岐阜県多治見市の首長。 7 たつのおとしご 竜の落とし子 ヨウジウオ科の海水魚。ウミウマ。 7 たなかあきひこ 田中明彦 国際政治学者。 7 たなかしょうこ 田中祥子 民謡歌手。 7 たぬまおきつぐ 田沼意次 江戸中期の幕臣。政治の実権を握った。 7 たはらしちょう 田原市長 愛知県田原市の首長。 7 たましやくしょ 多摩市役所 東京都多摩市の行政機関。 7 たまのしちょう 玉野市長 岡山県玉野市の首長。 7 たむらたつひろ 田村龍弘 プロ野球選手。 7 たむらまさかず 田村正和 俳優。 7 たるたるそーす タルタルソース 刻んだ野菜にマヨネーズを加えたソース。 ▲上へ戻る 8文字以上 文字数 ひらがな 表記 意味 8+ たいしょうじだい 大正時代 1912~1926年の時代。 8+ たいたにっくごう タイタニック号 海難事故を起こした、英国の豪華客船。 8+ たいとうくちょう 台東区長 東京都台東区の首長。 8+ たかはしこうせい 高橋晄正 医師。 8+ たかはしこれきよ 高橋是清 日本の20代目の首相。 8+ たかはしよしのぶ 高橋由伸 元プロ野球選手。 8+ たかはしよしひこ 高橋慶彦 元プロ野球選手。 8+ たきがわくりすてる 滝川クリステル アナウンサー。 8+ たくらまかんさばく タクラマカン砂漠 中国のタリム盆地に広がる砂漠。 8+ たすまにあでびる タスマニアデビル アナグマに似た動物。タスマニアに生息。 8+ たなかしょうぞう 田中正造 政治家。足尾銅山鉱毒問題に取り組んだ。 8+ たなからぼたもち 棚から牡丹餅 苦労せず、意外な幸運にあうたとえ。 8+ たはらしやくしょ 田原市役所 愛知県田原市の行政機関。 8+ たまがわだいがく 玉川大学 東京都町田市の私立大学。 8+ たむらしやくしょ 田村市役所 福島県田村市の行政機関。 8+ たんとうちょくにゅう 単刀直入 前置きをせず、すぐに要点に入ること。 ▲上へ戻る
https://w.atwiki.jp/jyusyou/pages/13.html
シルクロードステークス 開催国 日本 主催者 日本中央競馬会 競馬場 京都競馬場 創設 1996年4月28日 距離 芝1200m 格付け GIII 賞金 1着賞金3800万円[1] 出走条件 サラ系4歳以上(国際) 負担重量 ハンデキャップ シルクロードステークスは、日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場の芝1200mで施行する中央競馬の重賞競走(GIII)である。 概要 1996年に5歳(現4歳)以上の馬による重賞競走として創設された。創設当初は4月に施行していたが、2000年に高松宮記念(GI)の施行時期が3月に変更されたのにあわせて、前哨戦として位置づけられていた本競走も2月下旬に変更、2011年からは1月下旬に繰り上げられた。 創設時の負担重量は別定だったが、2002年よりハンデキャップに変更。 2006年から国際競走に変更され、外国馬の出走が可能になった。創設から2001年までは地方競馬所属馬も出走が可能だった。 競走条件 以下の内容は、2015年現在のもの。 出走資格:サラ系4歳以上 JRA所属馬 外国調教馬(8頭まで、優先出走) 負担重量:ハンデキャップ 賞金 2014年の1着賞金は3800万円で、以下2着1500万円、3着950万円、4着570万円、5着380万円。 歴史 1996年 - 5歳(現4歳)以上の馬による重賞競走として創設、京都競馬場の芝1200mで施行。 2001年 - 馬齢表記を国際基準へ変更したのに伴い、競走条件を「4歳以上」に変更。 2002年 指定交流競走から除外。 負担重量を別定からハンデキャップに変更。 2006年 - 国際競走に指定され、外国調教馬が4頭まで出走可能となる。 2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。 歴代優勝馬 回数施行日競馬場距離優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 第1回1996年4月28日京都1200mフラワーパーク牝41 07.6田原成貴松元省一吉田勝己 第2回1997年4月20日京都1200mエイシンバーリン牝51 06.9南井克巳坂口正則平井豊光 第3回1998年4月26日京都1200mシーキングザパール牝41 08.6武豊森秀行植中昌子 第4回1999年4月25日京都1200mマイネルラヴ牡41 08.7松永幹夫稲葉隆一(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン 第5回2000年2月6日京都1200mブロードアピール牝61 09.5武幸四郎松田国英金子真人 第6回2001年2月4日京都1200mトロットスター牡51 08.7蛯名正義中野栄治高野稔 第7回2002年2月3日京都1200mゲイリーフラッシュ牡91 08.7小林徹弥安田伊佐夫東京サラブレッドビューロー 第8回2003年2月9日京都1200mテイエムサンデー牡71 08.6秋山真一郎福島勝竹園正繼 第9回2004年2月8日京都1200mキーンランドスワン牡61 08.6A.スボリッチ森秀行平井豊光 第10回2005年2月6日京都1200mプレシャスカフェ牡51 08.1蛯名正義小島太西川光一 第11回2006年2月5日京都1200mタマモホットプレイ牡51 08.9渡辺薫彦南井克巳タマモ 第12回2007年2月4日京都1200mエムオーウイナー牡61 07.8小牧太服部利之大浅貢 第13回2008年2月10日京都1200mファイングレイン牡51 09.1幸英明長浜博之(有)社台レースホース 第14回2009年2月8日京都1200mアーバンストリート牡51 08.5福永祐一野村彰彦後藤繁樹 第15回2010年2月7日京都1200mアルティマトゥーレ牝61 08.1横山典弘奥平雅士(有)社台レースホース 第16回2011年1月29日京都1200mジョーカプチーノ牡51 08.2藤岡康太中竹和也上田けい子 第17回2012年1月28日京都1200mロードカナロア牡41 08.3福永祐一安田隆行(株)ロードホースクラブ 第18回2013年1月27日京都1200mドリームバレンチノ牡61 08.6松山弘平加用正セゾンレースホース(株) 第19回2014年2月2日京都1200mストレイトガール牝41 07.4岩田康誠藤原英昭廣崎利洋
https://w.atwiki.jp/jyusyou/pages/52.html
開催国 日本 主催者 日本中央競馬会 競馬場 阪神競馬場 創設 1957年3月17日 距離 芝2000m 格付け GII 賞金 1着賞金6200万円 出走条件 サラブレッド系4歳以上(国際)(指定) 負担重量 グレード別定 大阪杯(おおさかはい)とは、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場の芝2000mで施行する中央競馬の重賞競走(GII)である。 産経新聞社が優勝杯を提供しており、正式名称は「産経大阪杯」と表記している。 概要 本競走は1956年に施行された阪神特別を前身とし、1957年に5歳(現4歳)以上のハンデキャップの重賞競走、大阪杯として創設、第1回は現在とは違い阪神競馬場の芝1800mで施行され、天皇賞(春)及び1960年からは宝塚記念へと繋がる競走として位置付けされた。 1964年からは産経新聞社から優勝杯を提供されたのを機に、サンケイ大阪杯[注 1]に名称を変更、1972年からは現在の芝2000mに変更し、1973年からは負担重量を別定に変更した。1981年からは施行時期を現在の3月末-4月上旬に変更、天皇賞(春)の前哨戦の1競走として施行されるようになった。 1984年からはグレード制施行によりGIIに格付け、更に混合競走に指定され外国産馬の出走が可能になり、1989年からは現在の産経大阪杯に名称を変更、1995年からは指定交流競走に指定され、地方所属の競走馬も2頭まで出走可能になり、2着までに入賞した地方競走馬には天皇賞(春)の出走権が与えられるようになった。2003年からは国際競走に指定、2004年からは国際セリ名簿基準委員会(ICSC)に国際グレードのGIIに格付けされた。 同じ阪神競馬場で施行する阪神大賞典や中山競馬場で施行する日経賞と並ぶ天皇賞(春)の重要な前哨戦に位置付けられている。更には施行距離が芝2000mということもあり天皇賞(春)の芝3200mの距離に適性がなく、安田記念や宝塚記念を目指す中距離を得意とする有力馬も出走してくる。特に近年はGI馬や、もしくはのちにGIタイトルを獲得する馬が多く出走する傾向が強くなってきており、GIレース並みのメンバーがそろうことが多くなってきている。 現在の優勝レイは紫色の地に金色文字であるが、本競走のレイのデザインは産経新聞社協賛による独特のものとなっている。 出走資格はサラ系4歳(旧5歳)以上のJRA所属の競走馬、地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。 負担重量は56kg、牝馬2kg減を基本とし、更に以下の条件で斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。 施行日当日から過去1年以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増 施行日当日から過去1年以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増 施行日前日から過去1年以前のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増 歴史 1957年 - 阪神競馬場の芝1800mの5歳(現4歳)以上のハンデキャップの重賞競走、大阪杯として創設。 1960年 - 前年の9月1日から日本競馬の計時方式の変更に伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。 1964年 - 名称をサンケイ大阪杯に変更。 1965年 - 施行距離を芝1850mに変更。 1966年 - 施行距離を芝1900mに変更。 1972年 - 施行距離を芝2000mに変更。 1973年 - 負担重量を「別定重量」に変更。 1984年 - グレード制施行によりGIIに格付け。混合競走に指定。 1989年 - 名称を現在の産経大阪杯に変更。 1991年 - 阪神競馬場の改修工事により京都競馬場の芝2000mで施行。 1995年 - 指定交流競走に指定され、地方馬は2頭まで出走可能となる。阪神競馬場の阪神・淡路大震災の影響による復旧工事により京都競馬場の芝2000mで施行。 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。 2003年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。安藤勝己が騎手として史上初の3連覇。 2004年 - 国際セリ名簿基準委員会に国際GIIに指定。 2005年 - 外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。サンライズペガサスが当競走で史上初となる2度目の優勝。 2006年 - 牝馬限定重賞競走優勝馬の負担重量を軽減。 2009年 - 関西主場においての最終レースの発走時刻を16時40分に設定したことに伴い、当競走は第11競走から第10競走に変更。 2011年 - 東日本大震災による番組変更に伴い、第11競走に変更して施行。ヒルノダムールが1 57.8のコースレコードで優勝。 2012年 - 基本負担重量を57kg(牝馬は2kg減)から56kg(牝馬は2kg減)に変更。 2014年 - この年から当競走の1着馬に天皇賞(春)への優先出走権が付与される。ファンファーレが生演奏で行われた。 歴代優勝馬 回数施行日優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 第1回1957年3月17日ホマレイチ牡41 50 4/5大根田裕也日迫清工藤久子 第2回1958年3月9日カツラホマレ牝41 52 2/5大根田裕也橋本正晴牧市太郎 第3回1959年3月8日キヨスガタ牡41 57 1/5内藤繁春日迫清植中清 第4回1960年3月6日ウイルデイール牡41 50.2宇田明彦星川泉士浅野国次郎 第5回1961年3月12日コダマ牡41 50.8栗田勝武田文吾伊藤由五郎 第6回1962年3月18日スギヒメ牝41 51.0諏訪真諏訪佐市小杉咲枝 第7回1963年3月17日リユウゼツト牡41 55.4大石五十夫元石正雄田中彰治 第8回1964年3月22日テツノオー牡41 54.2大辻省二尾形藤吉永田玉枝 第9回1965年3月21日ヤングヒーロー牡41 54.1新井仁福島角一エッチ・ワイ 第10回1966年3月20日バリモスニセイ牡51 56.4諏訪真諏訪佐市小杉咲枝 第11回1967年3月26日リユウフアーロス牡41 56.1宮本悳橋本正晴三好諦三 第12回1968年4月7日ヤマピツト牝41 56.6池江泰郎浅見国一小林信夫 第13回1969年4月6日ダテホーライ牡41 57.5宇田明彦星川泉士伊達牧場 第14回1970年3月29日シュンサクオー牡41 55.8小野幸治小林稔岩佐俊策 第15回1971年5月16日ケイタカシ牡61 54.7池江泰郎浅見国一内田恵司 第16回1972年3月5日フイドール牡42 06.6武田博武田文吾小原菊枝 第17回1973年3月11日ニホンピロムーテー牡52 02.5武邦彦服部正利小林保 第18回1974年3月10日キヨノサカエ牡42 07.8福永洋一武田文吾植中清 第19回1975年3月9日スカイリーダ牡52 00.9高橋成忠佐藤勇武用安弘 第20回1976年3月7日ロングホーク牡42 02.2松田幸春松田由太郎中井長一 第21回1977年3月13日ゴールドイーグル牡72 01.4内田国夫伊藤雄二石坂達也 第22回1978年3月12日キングラナーク牡52 03.5岩元市三布施正小柴タマヲ 第23回1979年3月11日メトロジャンボ牡42 04.1目黒正徳玉谷敬治太田美津子 第24回1980年3月9日ハシクランツ牡42 04.4柴田光陽内藤繁春(株)シンザンクラブ 第25回1981年4月4日サンシードール牡42 05.5栗田伸一武田文吾小原菊枝 第26回1982年4月4日サンエイソロン牡42 03.6小島太古山良司伊藤惣一 第27回1983年4月3日ヒカリデユール牡62 03.3河内洋須貝彦三橋本善吉 第28回1984年4月1日カツラギエース牡42 00.6西浦勝一土門一美野出一三 第29回1985年3月31日ステートジャガー牡42 01.4田原成貴中村好夫(株)ホースメン 第30回1986年3月30日サクラユタカオー牡42 01.6小島太境勝太郎(株)さくらコマース 第31回1987年4月5日ニシノライデン牡62 01.0田原成貴伊藤修司西山正行 第32回1988年4月3日フレッシュボイス牡52 01.7武豊境直行円城和男 第33回1989年4月2日ヤエノムテキ牡42 01.4西浦勝一荻野光男(有)富士 第34回1990年4月1日スーパークリーク牡52 02.9武豊伊藤修司木倉誠 第35回1991年3月31日ホワイトストーン牡42 01.5田面木博公高松邦男安藤博 第36回1992年4月5日トウカイテイオー牡42 06.3岡部幸雄松元省一内村正則 第37回1993年4月4日メジロマックイーン牡62 03.3武豊池江泰郎メジロ商事(株) 第38回1994年4月3日ネーハイシーザー牡42 01.2塩村克己布施正(株)大丸企業 第39回1995年4月2日インターマイウェイ牡51 59.3松永幹夫中村均松岡留枝 第40回1996年3月31日タイキブリザード牡52 00.7岡部幸雄藤沢和雄(有)大樹ファーム 第41回1997年3月30日マーベラスサンデー牡52 02.0武豊大沢真笹原貞生 第42回1998年4月5日エアグルーヴ牝52 01.3武豊伊藤雄二(株)ラッキーフィールド 第43回1999年4月4日サイレントハンター牡61 59.9吉田豊大久保洋吉臼田浩義 第44回2000年4月2日メイショウオウドウ牡52 00.8飯田祐史飯田明弘松本好雄 第45回2001年4月1日トーホウドリーム牡41 58.4安藤勝己田島良保東豊物産(株) 第46回2002年3月31日サンライズペガサス牡41 59.1安藤勝己石坂正(株)松岡 第47回2003年4月6日タガノマイバッハ牡41 59.1安藤勝己松田博資八木良司 第48回2004年4月4日ネオユニヴァース牡41 59.6M.デムーロ瀬戸口勉(有)社台レースホース 第49回2005年4月3日サンライズペガサス牡71 59.0幸英明石坂正松岡隆雄 第50回2006年4月2日カンパニー牡52 04.5福永祐一音無秀孝近藤英子 第51回2007年4月1日メイショウサムソン牡42 01.4石橋守高橋成忠松本好雄 第52回2008年4月6日ダイワスカーレット牝41 58.7安藤勝己松田国英大城敬三 第53回2009年4月5日ドリームジャーニー牡51 59.7池添謙一池江泰寿サンデーレーシング 第54回2010年4月4日テイエムアンコール牡61 59.5浜中俊柴田政見竹園正繼 第55回2011年4月3日ヒルノダムール牡41 57.8藤田伸二昆貢蛭川正文 第56回2012年4月1日ショウナンマイティ牡42 05.5浜中俊梅田智之国本哲秀 第57回2013年3月31日オルフェーヴル牡51 59.0池添謙一池江泰寿サンデーレーシング 第58回2014年4月6日キズナ牡42 00.3武豊佐々木晶三前田晋二
https://w.atwiki.jp/jyusyou/pages/128.html
主催者 日本中央競馬会 競馬場 中山競馬場 創設 1956年12月23日 距離 芝2500m 格付け GI 賞金 1着賞金2億円 出走条件 サラ系3歳以上(国際)(指定) 負担重量 定量 有馬記念(ありまきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GI)である。 概要 1955年(昭和30年)まで、暮れの中山競馬場では中山大障害が最大の呼び物であったが、東京優駿(日本ダービー)などと比べ華やかさに欠けていたことから、当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧が中山競馬場の新スタンド竣工を機に「暮れの中山競馬場で日本ダービーに匹敵する大レースを」と提案。当時としては他に類を見ないファン投票で出走馬を選出する方式が採用され、1956年(昭和31年)に「中山グランプリ(なかやまグランプリ)」の名称で創設された。 しかし、第1回中山グランプリの興奮も冷めやらぬ1957年(昭和32年)1月9日に創設者の有馬理事長が急逝したため、有馬の功績を称えて第2回から「有馬記念」に改称。以来、中央競馬の一年を締めくくるレースとして定着した。施行場は創設時より中山競馬場で変わっておらず、施行時期も12月下旬で定着している。 地方競馬所属馬は1995年(平成7年)から出走が可能になった。外国馬は2000年(平成12年)から2006年(平成18年)まで、当該年度のジャパンカップを優勝した馬のみに出走資格が与えられていた。2007年(平成19年)からは国際競走となり、外国馬の出走枠も6頭に増やされた。 競走条件 ※2014年現在 サラ系3歳以上(出走可能頭数:最大16頭) JRA所属馬(ファン投票選出馬、及びJRA選定馬) 地方競馬所属馬(JRA選定馬のみ) 外国調教馬(最大6頭まで、優先出走) 出走馬の選定方法は以下のとおり。 特別登録を行った馬のうちファン投票上位10頭、および外国馬は優先出走できる。 上記以外のJRA所属馬・地方競馬所属馬は「通算収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI競走における収得賞金」の総計が多い順に出走できる。 枠順(馬番号)の決定方法について 2014年(平成26年)は出走馬の枠順(馬番号)決定方法についてJRA初の試みとして、「出走馬の関係者が希望する枠順を選択する方法」とされた。あわせて、BSフジにてテレビでの生中継も実施された。手順は以下のとおり。 枠順(馬番号)を選択する出走馬1頭を抽選で選定 選定された出走馬の関係者が、希望する枠順を選択 上記を繰り返して、すべての枠順(馬番号)を決定する。 従来「枠順は抽選で決める」としていた競馬施行規定および規約が改正され、2014年(平成26年)11月25日に農林水産省から認可されたことで、このような選定方法が可能になった。世界の主要な大レースでは枠順選定を公開抽選で行っているものも既にあり、たとえばフランスの旗 フランスの凱旋門賞では馬番号が書かれた紙が入ったカプセルを取り出す方式。アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国のブリーダーズカップでは馬番を書いた円形の回転盤にダーツの矢を投げ込む方式が採用されたことがあったり、アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦のドバイワールドカップでは抽選で好きな馬番を選ぶ方式が採用されたこともあった。 負担重量 定量(3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減) 負担重量の変遷 第1回:3歳54kg、4歳以上55kg(牝馬2kg減) 第2回 - 第9回、第29回 - 第45回:馬齢重量 第10回 - 第24回:3歳54kg、4歳56kg、5歳以上55kg(牝馬2kg減) 第25回 - 第28回:3歳55kg、4歳57kg、5歳以上56kg(牝馬2kg減) 賞金 2014年(平成26年)の1着賞金は2億円で、以下2着8000万円、3着5000万円、4着3000万円、5着2000万円。 中央競馬で施行される競走では、ジャパンカップの2億5000万円に次ぐ高額の1着賞金が設定されている。 褒賞金・特別出走奨励金 日本中央競馬会では、2000年(平成12年)以降に以下のような褒賞金・特別出走奨励金制度を設けた。これらはいずれも、クラス分けに用いる「収得賞金」には算入されない。 2000年(平成12年):同一年に秋季開催で行われる古馬GI(天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念)を全て優勝した馬に、1億円の特別褒賞金(後に内国産馬には2億円、外国産馬には1億円に変更)を交付する制度が始められた[11]。達成馬は2000年(平成12年)のテイエムオペラオーと2004年(平成16年)のゼンノロブロイ。 2010年(平成22年):JRA所属馬で当該年のJRA・海外のGI競走を優勝した馬が本競走に出走し、かつ3着までに入着した場合に限り、1着馬に3000万円、2着馬に2000万円、3着馬に1000万円の褒賞金を交付するようになった。 2011年(平成23年):天皇賞(秋)とジャパンカップのいずれかで3着以内に入着した馬が本競走に出走し、かつ3着までに入着した場合に最大5000万円の褒賞金が交付されるようになった。 2014年(平成26年):当該年度のGI競走で3着以内がある馬、または平地の重賞競走優勝馬がファン投票上位(1位 - 10位)で出走する場合、特別出走奨励金を交付するように変更、従来の褒賞金基準は廃止。 歴史 有馬頼寧と「有馬特例法」 1948年(昭和23年)、太平洋戦争後に日本に進駐し間接統治を行っていた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、日本国内の競馬施行体で唯一の全国組織であった日本競馬会を独占禁止法に抵触する機関として問題視し、閉鎖を指示。同年7月の(新)競馬法施行に伴い日本競馬会は解散し、以後しばらく競馬は農林省競馬部により運営されることとなった(国営競馬)。その後、1951年(昭和26年)に自由党内の競馬小委員会において「競馬民営化論」が提唱され、同年サンフランシスコ平和条約調印により日本の主権が回復されると民営化論はさらに活発化、1954年(昭和29年)には民営(農林省監督)による競馬施行体・日本中央競馬会の発足に至った。しかし国家財政への寄与という名目で控除率が高く設定されたこともあり、客足は地方競馬や競輪といった新たな公営競技に向き、民営化後第1回開催の売上は目標額に到達せず、その運営は前途多難なものだった。日本中央競馬会初代理事長には、日露戦争当時から競馬の振興に取り組み、「競馬翁」の異名があった安田伊左衛門が就任したが、翌1955年(昭和30年)4月4日には第1次近衛内閣で農相を務めた有馬頼寧が第2代理事長に就任した。 競馬が国営であった間、競馬関連の諸施設は部分的な補修、修理が行われていたものの、予算の関係上、大規模な改修は行うことができず、なかでも中山競馬場の大スタンドは老朽化が進み危険な状態にあった。しかし当時の日本中央競馬会はその改修に充てる費用を持ちあわせていなかった。そこで新理事長の有馬は、ときの農相・河野一郎ら政府関係者に働きかけ、「1960年(昭和35年)12月31日までの間、日本中央競馬会は農林大臣の許可を得て行う臨時の競馬開催により得た収益を、政府指定の建造物に限りその改築に充てて可なり、また収益の一部を国庫に納付する義務も負わない」という旨の、「日本中央競馬会の国庫納付金等の臨時特例に関する法律」、通称「有馬特例法」成立に漕ぎつけた。そして翌1956年(昭和31年)1月1日、中山競馬場の大スタンドがこの法律の適用される「政令指定工作物」の第1号となり、3月22日に特例法による臨時開催が中山で8日間行われたのち、10月13日にスタンド新築を含む第1期工事が竣工した。 中山グランプリ創設 - 「有馬記念」へ 中山改築前年の1955年(昭和30年)末、有馬は競馬会のパーティーにおいて、「ファンが決めるレースを中山でやってみたい」という腹案を明かした[16]。有馬は戦前にプロ野球・東京セネタースのオーナーを務めていたことがあり、野球のオールスターゲームから着想を得て「ファン投票による出走馬選定」という企画に至った。従来の中山では中山大障害と皐月賞が二大競走だったが、同じ関東の主要場であり、東京優駿(日本ダービー)、天皇賞(秋)、優駿牝馬(オークス)という大競走を抱える東京競馬場に比して格が落ちるという意識が中山の関係者間にもあり、この案は好意的に迎えられた。さらにこの競走には、4歳クラシック競走を走り終えた4歳馬と、古馬(5歳以上馬)の最大目標である天皇賞(秋)を終えた馬がぶつかる日本一決定戦という大きな要素も加えられることとなった。 第1回の競走名は「中山グランプリ」とされた。フランスには「パリ大賞(Grand Prix de Paris)」という名の大競走があったものの、日本において「グランプリ」という語は、黒澤明監督の映画『羅生門』が1951年(昭和26年)にヴェネツィア国際映画祭の最高賞(グランプリ)を受賞してから巷間に広まり、ために当時は映画絡みの言葉という感が強く、競馬の競走名として適当でないとの見方もあった。このため、「中山グランプリ」はあくまでも仮の名称として、第1回競走の投票用紙には競走名の案を書く欄も設けられた。競走名案には3812通が寄せられ、中山グランプリのほかに中山大賞典、中山王冠賞、中山王冠、中山栄冠賞、栄冠賞、中山大賞典記念、中山賞典、王冠、王冠賞、中山クラウン賞といったものがあった。しかし妙案がないということで競走名は「中山グランプリ」のまま据え置かれ、1956年(昭和31年)12月23日、新スタンドを備えた中山競馬場において第1回競走が行われた。出走12頭のうち、天皇賞の優勝馬が3頭、クラシック競走の優勝馬が4頭と当時の強豪が一堂に会し、中山では1万人入れば大入りといわれた時代にあって、当日の入場者は2万7801人という盛況であった。 第1回中山グランプリからわずか17日後の1957年(昭和32年)1月9日、有馬頼寧は肺炎により急逝する。理事長として1年9カ月という短い在任期間中に様々な功績を残した有馬を称え、同年11月23日に中山グランプリは「有馬記念」と改称された。その後、有馬記念は日本競馬の根幹競走のひとつとして定着。また、勝馬投票券の売上は日本一を誇る競走となり、1996年度には世界の競馬史上最高額の875億円を売り上げ、ギネス世界記録に認定登録された。有馬記念は競馬界のみならず日本の年末の風物詩として、社会的な認知を得るに至っている。 年譜 1956年 - 4歳以上の馬による重賞競走「中山グランプリ」を創設、中山競馬場の芝2600m(内回り)で施行[2]。 1957年 - 名称を「有馬記念」に変更。 1960年 - 施行コースを芝2600m(外回り)に変更。 1966年 - 施行コースを芝2500m(内回り)に変更。これ以降、この施行距離が定着。 1984年 - グレード制導入、GIに格付け。 1995年 - 指定交流競走となり、地方競馬所属馬も出走が可能に。 2001年 - 馬齢表示を国際基準へ変更したことに伴い、競走条件を「3歳以上」に変更。「敬宮愛子内親王御誕生慶祝」の副称を付けて施行。 2007年(平成19年) - 国際競走に指定され、外国調教馬が6頭まで出走可能に。 歴代優勝馬 回数施行日競馬場距離調教国・優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 第1回1956年12月23日中山芝・内2600mメイヂヒカリ牡42 43 1/5蛯名武五郎藤本冨良新田松江 第2回1957年12月22日中山芝・内2600mハクチカラ牡42 49 0/5保田隆芳尾形藤吉西博 第3回1958年12月21日中山芝・内2600mオンワードゼア牡42 49 1/5八木沢勝美二本柳俊夫樫山純三 第4回1959年12月20日中山芝・内2600mガーネツト牝42 50.9伊藤竹男稗田敏男畑江五郎 第5回1960年12月18日中山芝・外2600mスターロツチ牝32 44.5高松三太松山吉三郎藤井金次郎 第6回1961年12月24日中山芝・外2600mホマレボシ牡42 40.8高松三太稗田敏男川口文子 第7回1962年12月23日中山芝・外2600mオンスロート牡52 44.4山岡忞中村広田村喜志 第8回1963年12月22日中山芝・外2600mリユウフオーレル牡42 42.5宮本悳橋本正晴三好笑子 第9回1964年12月27日中山芝・外2600mヤマトキヨウダイ牡42 45.1梶与四松稲葉幸夫門井みち 第10回1965年12月26日中山芝・外2600mシンザン牡42 47.2松本善登武田文吾橋元幸吉 第11回1966年12月25日中山芝・内2500mコレヒデ牡42 37.0保田隆芳尾形藤吉千明康 第12回1967年12月24日中山芝・内2500mカブトシロー牡52 39.7大崎昭一久保田彦之(有)志賀 第13回1968年12月22日中山芝・内2500mリュウズキ牡42 46.2森安弘明矢倉玉男福井章哉 第14回1969年12月21日中山芝・内2500mスピードシンボリ牡62 35.1野平祐二野平省三和田共弘 第15回1970年12月20日中山芝・内2500mスピードシンボリ牡72 35.7野平祐二野平省三和田共弘 第16回1971年12月19日中山芝・内2500mトウメイ牝52 36.0清水英次坂田正行近藤克夫 第17回1972年12月17日中山芝・内2500mイシノヒカル牡32 38.5増沢末夫浅野武志石嶋清仁 第18回1973年12月16日中山芝・内2500mストロングエイト牡42 36.4中島啓之奥平真治(有)ハイランド牧場 第19回1974年12月15日中山芝・内2500mタニノチカラ牡52 35.9田島日出雄島崎宏谷水雄三 第20回1975年12月14日中山芝・内2500mイシノアラシ牡32 38.1加賀武見浅野武志石嶋清仁 第21回1976年12月19日中山芝・内2500mトウショウボーイ牡32 34.0武邦彦保田隆芳トウショウ産業(株) 第22回1977年12月18日中山芝・内2500mテンポイント牡42 35.4鹿戸明小川佐助高田久成 第23回1978年12月17日中山芝・内2500mカネミノブ牡42 33.4加賀武見阿部新生角替光二 第24回1979年12月16日中山芝・内2500mグリーングラス牡62 35.4大崎昭一中野隆良半沢吉四郎 第25回1980年12月21日中山芝・内2500mホウヨウボーイ牡52 33.7加藤和宏二本柳俊夫古川嘉治 第26回1981年12月20日中山芝・内2500mアンバーシャダイ牡42 35.5東信二二本柳俊夫吉田善哉 第27回1982年12月26日中山芝・内2500mヒカリデユール牡52 36.7河内洋須貝彦三橋本善吉 第28回1983年12月25日中山芝・内2500mリードホーユー牡32 34.0田原成貴服部正利熊本芳雄 第29回1984年12月23日中山芝・内2500mシンボリルドルフ牡32 32.8岡部幸雄野平祐二シンボリ牧場 第30回1985年12月22日中山芝・内2500mシンボリルドルフ牡42 33.1岡部幸雄野平祐二シンボリ牧場 第31回1986年12月21日中山芝・内2500mダイナガリバー牡32 34.0増沢末夫松山吉三郎(有)社台レースホース 第32回1987年12月27日中山芝・内2500mメジロデュレン牡42 33.9村本善之池江泰郎メジロ商事(株) 第33回1988年12月25日中山芝・内2500mオグリキャップ牡32 33.9岡部幸雄瀬戸口勉佐橋五十雄 第34回1989年12月24日中山芝・内2500mイナリワン牡52 31.7柴田政人鈴木清保手浜弘規 第35回1990年12月23日中山芝・内2500mオグリキャップ牡52 34.2武豊瀬戸口勉近藤俊典 第36回1991年12月22日中山芝・内2500mダイユウサク牡62 30.6熊沢重文内藤繁春橋元幸平 第37回1992年12月27日中山芝・内2500mメジロパーマー牡52 33.5山田泰誠大久保正陽(有)メジロ牧場 第38回1993年12月26日中山芝・内2500mトウカイテイオー牡52 30.9田原成貴松元省一内村正則 第39回1994年12月25日中山芝・内2500mナリタブライアン牡32 32.2南井克巳大久保正陽山路秀則 第40回1995年12月24日中山芝・内2500mマヤノトップガン牡32 33.6田原成貴坂口正大田所祐 第41回1996年12月22日中山芝・内2500mサクラローレル牡52 33.8横山典弘境勝太郎(株)さくらコマース 第42回1997年12月21日中山芝・内2500mシルクジャスティス牡32 34.8藤田伸二大久保正陽有限会社シルク 第43回1998年12月27日中山芝・内2500mグラスワンダー牡32 32.1的場均尾形充弘半沢(有) 第44回1999年12月26日中山芝・内2500mグラスワンダー牡42 37.2的場均尾形充弘半沢(有) 第45回2000年12月24日中山芝・内2500mテイエムオペラオー牡42 34.1和田竜二岩元市三竹園正繼 第46回2001年12月23日中山芝・内2500mマンハッタンカフェ牡32 33.1蛯名正義小島太西川清 第47回2002年12月22日中山芝・内2500mシンボリクリスエス牡32 32.6O.ペリエ藤沢和雄シンボリ牧場 第48回2003年12月28日中山芝・内2500mシンボリクリスエス牡42 30.5O.ペリエ藤沢和雄シンボリ牧場 第49回2004年12月26日中山芝・内2500mゼンノロブロイ牡42 29.5O.ペリエ藤沢和雄大迫忍 第50回2005年12月25日中山芝・内2500mハーツクライ牡42 31.9C.ルメール橋口弘次郎(有)社台レースホース 第51回2006年12月24日中山芝・内2500mディープインパクト牡42 31.9武豊池江泰郎金子真人ホールディングス(株) 第52回2007年12月23日中山芝・内2500mマツリダゴッホ牡42 33.6蛯名正義国枝栄高橋文枝 第53回2008年12月28日中山芝・内2500mダイワスカーレット牝42 31.5安藤勝己松田国英大城敬三 第54回2009年12月27日中山芝・内2500mドリームジャーニー牡52 30.0池添謙一池江泰寿(有)サンデーレーシング 第55回2010年12月26日中山芝・内2500mヴィクトワールピサ牡32 32.6M.デムーロ角居勝彦市川義 第56回2011年12月25日中山芝・内2500mオルフェーヴル牡32 36.0池添謙一池江泰寿(有)サンデーレーシング 第57回2012年12月23日中山芝・内2500mゴールドシップ牡32 31.9内田博幸須貝尚介小林英一 第58回2013年12月22日中山芝・内2500mオルフェーヴル牡52 32.3池添謙一池江泰寿(有)サンデーレーシング 第59回2014年12月28日中山芝・内2500mジェンティルドンナ牝52 35.3戸崎圭太石坂正(有)サンデーレーシング 有馬記念の記録 レースレコード - 2 29.5(第49回) 最多優勝騎手 - 3勝 岡部幸雄(第29回・第30回・第33回) 田原成貴(第28回・第38回・第40回) オリビエ・ペリエ(第47回 - 第49回) 池添謙一(第54回・第56回・第58回) 最多勝調教師 - 3勝 二本柳俊夫(第3回・第25回・第26回) 大久保正陽(第37回・第39回・第42回) 藤沢和雄(第47回 - 第49回) 池江泰寿(第54回・第56回・第58回) 単勝支持率歴代トップ - ハクチカラ(第2回)76.1% 歴代ファン投票1位馬 回数開催年ファン投票1位性齢得票数結果 第1回1956キタノオー牡36,1592着 第2回1957ハクチカラ牡47,3561着 第3回1958カツラシユウホウ牡318,952不出走 第4回1959ハククラマ牡311,43812着 第5回1960コダマ牡317,0826着 第6回1961シーザー牡412,7734着 第7回1962オンスロート牡515,6171着 第8回1963メイズイ牡318,3092着 第9回1964メイズイ牡418,4483着 第10回1965シンザン牡426,8531着 第11回1966ナスノコトブキ牡322,5105着 第12回1967スピードシンボリ牡422,1434着 第13回1968アサカオー牡323,0986着 第14回1969マーチス牡421,79810着 第15回1970アカネテンリュウ牡420,2952着 第16回1971アカネテンリュウ牡525,215出走取消 第17回1972イシノヒカル牡317,0221着 第18回1973ハイセイコー牡324,1433着 第19回1974ハイセイコー牡422,4002着 第20回1975キタノカチドキ牡417,0778着 第21回1976トウショウボーイ牡319,9571着 第22回1977テンポイント牡422,5411着 第23回1978プレストウコウ牡475,2572着 第24回1979サクラショウリ牡490,3016着 第25回1980カツラノハイセイコ牡4154,6402着 第26回1981ホウヨウボーイ牡6185,7472着 第27回1982モンテプリンス牡5113,66711着 第28回1983アンバーシャダイ牡6147,4843着 第29回1984ミスターシービー牡4171,9793着 第30回1985シンボリルドルフ牡4140,7531着 第31回1986ミホシンザン牡4168,2103着 第32回1987サクラスターオー牡3141,494競走中止 第33回1988タマモクロス牡4183,4732着 第34回1989オグリキャップ牡4197,6825着 第35回1990オグリキャップ牡5146,7381着 第36回1991メジロマックイーン牡4155,3532着 第37回1992トウカイテイオー牡4177,92611着 第38回1993ビワハヤヒデ牡3146,2182着 第39回1994ナリタブライアン牡3178,4711着 第40回1995ヒシアマゾン牝4173,6895着 第41回1996マヤノトップガン牡4155,1227着 第42回1997エアグルーヴ牝4142,5963着 第43回1998エアグルーヴ牝5165,3575着 第44回1999スペシャルウィーク牡4165,7342着 第45回2000テイエムオペラオー牡4109,1401着 第46回2001テイエムオペラオー牡593,2175着 第47回2002ナリタトップロード牡691,1224着 第48回2003シンボリクリスエス牡4125,1161着 第49回2004ゼンノロブロイ牡4100,0521着 第50回2005ディープインパクト牡3160,2972着 第51回2006ディープインパクト牡4119,9401着 第52回2007ウオッカ牝3105,44111着 第53回2008ウオッカ牝4136,619不出走 第54回2009ウオッカ牝5105,059不出走 第55回2010ブエナビスタ牝4111,3232着 第56回2011ブエナビスタ牝5109,2477着 第57回2012オルフェーヴル牡490,474不出走 第58回2013オルフェーヴル牡581,1981着 第59回2014ゴールドシップ牡566,7963着
https://w.atwiki.jp/jyusyou/pages/125.html
主催者 日本中央競馬会 競馬場 阪神競馬場 創設 1949年12月18日 距離 芝1600m 格付け GI 賞金 1着賞金6500万円 出走条件 サラ系2歳牝馬(国際)(指定) 負担重量 馬齢(54kg) 阪神ジュベナイルフィリーズ(はんしんジュベナイルフィリーズ、Hanshin Juvenile Fillies)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GI)である。競馬番組表での名称は、「農林水産省賞典 阪神ジュベナイルフィリーズ」と表記される。 競走名の「ジュベナイル(Juvenile)」は、英語で「少年」「少女」を意味する。また、「フィリー(Filly)」は「牝馬(特に4歳までの牝馬)」を表している。 概要 1949年に、関西所属の3歳(現2歳)馬チャンピオン決定戦として「阪神3歳ステークス(はんしんさんさいステークス)」の名称で創設。施行距離は当初芝1200mだったが、1962年より芝1600mに変更され、現在に至る。 1991年より牡馬・牝馬のチャンピオン決定戦を明確にすることを目的として、本競走は牝馬限定戦に変更。あわせて競走名も「阪神3歳牝馬ステークス(はんしんさんさいひんばステークス)」に変更され、3歳(現2歳)牝馬チャンピオン決定戦として位置づけられた。その後、2001年より馬齢表記が国際基準に改められたのに伴い、現名称となった。 外国産馬は1971年から、地方競馬所属馬は1995年から出走可能になったほか、外国馬も2010年から出走可能になった。 本競走の優勝馬が翌年の中央競馬で行われる3歳クラシックでも活躍する例がみられるなど、中央競馬の3歳クラシックに直結する競走として重要とされている。 競走条件 ※2014年現在 出走資格:サラ系2歳牝馬(出走可能頭数:最大18頭) JRA所属馬 地方競馬所属馬(5頭まで) 外国調教馬(9頭まで、優先出走) 負担重量:馬齢(54kg) 出馬投票を行った馬のうち、優先出走権を得ている馬から優先して割り当て、その他の馬は通算収得賞金が多い順に割り当てる。 地方競馬所属馬の優先出走権 地方競馬所属馬は同年に行われる以下の競走のいずれかで2着以内に入着すると、本競走に優先出走できる。 競走名格付施行競馬場施行距離 アルテミスステークスGIII日本の旗東京競馬場芝1600m ファンタジーステークスGIII日本の旗京都競馬場芝1400m 賞金 2014年の1着賞金は6500万円で、以下2着2600万円、3着1600万円、4着980万円、5着650万円。 歴史 1949年 - 3歳馬による競走「阪神3歳ステークス」の名称で創設、阪神競馬場の芝1200mで施行。 1971年 - 混合競走に指定され、外国産馬が出走可能になる。 1984年 - グレード制施行によりGIに格付け。 1991年 - 競走条件を「3歳牝馬」に変更。競走名を「阪神3歳牝馬ステークス」に変更。 1995年 - 特別指定交流競走に指定され、地方競馬所属馬が出走可能になる。 2001年 - 馬齢表記を国際基準へ変更したのに伴い、競走条件を「2歳牝馬」に変更。競走名を「阪神ジュベナイルフィリーズ」に変更。 2006年 - 「阪神競馬場芝外回りコース新設記念」の副称をつけて施行。 2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、格付表記をJpnIに変更。 2010年 - 国際競走に指定され、外国調教馬が出走可能になる。格付表記をGI(国際格付)に変更。 歴代優勝馬 回数施行日競馬場距離優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主 第1回1949年12月18日阪神1200mウイザート牡21 16 1/5浅見国一梶与三男岩本政一 第2回1950年11月23日阪神1200mミネハル牡21 14 0/5長浜彦三郎武輔彦隅田荘三 第3回1951年12月16日阪神1200mテツノハナ牡21 13 2/5吉永猛渋川久作永田忠 第4回1952年12月21日阪神1200mワカクサ牝21 13 1/5境勝太郎石門虎吉宇治田泰次郎 第5回1953年12月13日阪神1200mヤシマアポロ牡21 13 4/5土門健司清水茂次小林喜子 第6回1954年12月19日阪神1200mライデンオー牡21 12 0/5上田三千夫上田武司上田清次郎 第7回1955年12月11日阪神1200mトサモアー牝21 12 0/5大柳英雄清水茂次鮫川由五郎 第8回1956年12月23日京都1200mミスオンワード牝21 12 3/5栗田勝武田文吾樫山純三 第9回1957年12月15日阪神1200mメイジミドリ牡21 13 1/5清水久雄増本勇中野忠雄 第10回1958年12月7日阪神1200mインターナシヨナル牡21 13 1/5池之上豊田之上勲永田忠 第11回1959年12月6日阪神1200mコダマ牡21 12.0栗田勝武田文吾伊藤由五郎 第12回1960年12月18日阪神1400mリユウライト牡21 24.2宮本悳橋本正晴三好諦三 第13回1961年12月17日阪神1400mチトセハーバー牡21 27.4伊藤修司伊藤勝吉野間勘一郎 第14回1962年12月16日阪神1600mコウタロー牡21 41.5松本善登梅内慶蔵橋元幸吉 第15回1963年12月22日阪神1600mプリマドンナ牝21 39.0松本善登武田文吾園田信太 第16回1964年12月20日阪神1600mエイトクラウン牝21 37.6佐々木昭次田中康三山口昇 第17回1965年12月19日阪神1600mニホンピローエース牡21 38.2田所稔小川佐助小林保 第18回1966年12月18日阪神1600mタイギヨウ牡21 37.0田島日出雄武平三中山芳雄 第19回1967年12月17日阪神1600mマーチス牡21 37.6保田隆芳伊藤修司大久保常吉 第20回1968年12月15日阪神1600mリキエイカン牡21 39.4高橋成忠柏谷富衛水上力夫 第21回1969年12月14日阪神1600mタニノムーティエ牡21 37.4安田伊佐夫島崎宏谷水信夫 第22回1970年12月13日阪神1600mロングワン牡21 39.0田口光雄松田由太郎中井長一 第23回1971年12月12日阪神1600mヒデハヤテ牡21 35.1福永洋一伊藤修司伊藤英夫 第24回1972年12月10日阪神1600mキシュウローレル牝21 35.8梅内忍梅内慶蔵木村善一 第25回1973年12月9日阪神1600mキタノカチドキ牡21 36.2武邦彦服部正利初田豊 第26回1974年12月8日阪神1600mライジン牡21 36.1須貝四郎橋田俊三森本博 第27回1975年12月7日阪神1600mテンポイント牡21 37.1鹿戸明小川佐助高田久成 第28回1976年12月12日阪神1600mリュウキコウ牡21 37.1久保敏文久保道雄三好笑子 第29回1977年12月11日阪神1600mバンブトンコート牡21 35.1伊藤清章伊藤修司樋口正蔵 第30回1978年12月10日阪神1600mタマモアサヒ牡21 36.1田島良保吉永猛三野道夫 第31回1979年12月9日阪神1600mラフオンテース牝21 35.4岩元市三布施正小柴タマヲ 第32回1980年12月7日京都1600mサニーシプレー牡21 36.3内田国夫伊藤雄二山本慎一 第33回1981年12月6日阪神1600mリードエーティ牡21 36.4田島信行服部正利熊本芳雄 第34回1982年12月12日阪神1600mダイゼンキング牡21 35.8田原成貴武田作十郎大塚弘美 第35回1983年12月11日阪神1600mロングハヤブサ牡21 35.4河内洋小林稔中井長一 第36回1984年12月16日阪神1600mダイゴトツゲキ牡21 36.3稲葉的海吉田三郎竹村正一 第37回1985年12月15日阪神1600mカツラギハイデン牡21 36.0西浦勝一土門一美野出一三 野出長一 第38回1986年12月14日阪神1600mゴールドシチー牡21 37.1本田優清水出美(株)友駿ホースクラブ 第39回1987年12月20日阪神1600mサッカーボーイ牡21 34.5内山正博小野幸治(有)社台レースホース 第40回1988年12月18日阪神1600mラッキーゲラン牡21 35.6村本善之池江泰郎ロイヤルファーム(有) 第41回1989年12月17日阪神1600mコガネタイフウ牡21 35.7田原成貴中村好夫瀬古孝雄 第42回1990年12月9日京都1600mイブキマイカグラ牡21 34.4南井克巳中尾正(有)伊吹 第43回1991年12月1日阪神1600mニシノフラワー牝21 36.2佐藤正雄松田正弘西山正行 第44回1992年12月6日阪神1600mスエヒロジョウオー牝21 37.9田面木博公吉永猛小林乙次郎 第45回1993年12月5日阪神1600mヒシアマゾン牝21 35.9中舘英二中野隆良阿部雅一郎 第46回1994年12月4日阪神1600mヤマニンパラダイス牝21 34.7武豊浅見国一土井商事(株) 第47回1995年12月3日阪神1600mビワハイジ牝21 35.3角田晃一浜田光正(有)ビワ 第48回1996年12月1日阪神1600mメジロドーベル牝21 34.6吉田豊大久保洋吉メジロ商事(株) 第49回1997年11月30日阪神1600mアインブライド牝21 35.8古川吉洋宮徹荒木美代治 第50回1998年12月6日阪神1600mスティンガー牝21 37.0横山典弘藤沢和雄吉田照哉 第51回1999年12月5日阪神1600mヤマカツスズラン牝21 35.6M.キネーン池添兼雄山田博康 第52回2000年12月3日阪神1600mテイエムオーシャン牝21 34.6本田優西浦勝一竹園正繼 第53回2001年12月2日阪神1600mタムロチェリー牝21 35.1O.ペリエ西園正都谷口屯 第54回2002年12月1日阪神1600mピースオブワールド牝21 34.7福永祐一坂口正大飯田正 第55回2003年12月7日阪神1600mヤマニンシュクル牝21 35.9四位洋文浅見秀一土井肇 第56回2004年12月5日阪神1600mショウナンパントル牝21 35.2吉田豊大久保洋吉国本哲秀 第57回2005年12月4日阪神1600mテイエムプリキュア牝21 37.3熊沢重文五十嵐忠男竹園正繼 第58回2006年12月3日阪神1600mウオッカ牝21 33.1四位洋文角居勝彦谷水雄三 第59回2007年12月2日阪神1600mトールポピー牝21 33.8池添謙一角居勝彦(有)キャロットファーム 第60回2008年12月14日阪神1600mブエナビスタ牝21 35.2安藤勝己松田博資(有)サンデーレーシング 第61回2009年12月13日阪神1600mアパパネ牝21 34.9蛯名正義国枝栄金子真人ホールディングス(株) 第62回2010年12月12日阪神1600mレーヴディソール牝21 35.7福永祐一松田博資(有)サンデーレーシング 第63回2011年12月11日阪神1600mジョワドヴィーヴル牝21 34.9福永祐一松田博資(有)サンデーレーシング 第64回2012年12月9日阪神1600m ローブティサージュ牝21 34.2秋山真一郎須貝尚介(有)シルク 第65回2013年12月8日阪神1600mレッドリヴェール牝21 33.9戸崎圭太須貝尚介(株)東京ホースレーシング 第66回2014年12月14日阪神1600mショウナンアデラ牝21 34.4蛯名正義二ノ宮敬宇国本哲秀 記録 レースレコード - 1 33.1(第58回優勝馬ウオッカ)