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16. 帶5個聖水 一個花束 還有墜子回來貧民街(346,263)找長老 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 lighthalzen,346,263 [長老] 唔 你都把東西帶來了呢 那麼 讓我集中精神 [長老] 哦呣哈嘛咕哈嘛?利加利...... ... ...... ......... specialeffect2 EF_BENEDICTIO; [長老] 哈---! specialeffect2 EF_ASPERSIO; [長老] 成功了 墜子的詛咒已經解除了 唔 已經感覺不到任何氣息了 [長老] 雖已經解開詛咒 但這墜子充滿怨念 可能是它的主人發生什麼事 留下強烈的感情 [長老] 讓這個墜子回到它該到的地方吧 到現在為此 花多少力氣都打不開的墜子 竟輕鬆的打開了 入面是兩位 像是兄妹的相片 感覺到照片裡 跨坐在及腰的舊椅子上的那少女 很面熟..... 關閉 lhz_curse → 19 任務更新 2092 → 2093 刪去道具 5個聖水 刪去道具 花束 詛咒的靈魂_17 再對話: [長老] 看來容易受騙的旅客 最容易被饑渴的人盯上 要小心點了 年輕人 呵呵呵 有關里希塔樂鎮 有關貧民街 ???? [長老]里希塔樂鎮看來是一個很燦爛的城市但仔細的看 你會發現在這個鎮上存在著兩個世界[長老]你有見過里希塔樂鎮的鐵路路軌嗎?[長老]裕的世界 和 貧窮的世界這兩個世界的人被這條路軌分開[長老]現在甚至有警衛來阻止窮人前來富裕區看來兩個世界永遠都不能共存......[長老]然我曾聽過富裕區的公司 - 雷根貝勒會提供一些工作讓住在貧民街上的人[長老]但提供的都只是重勞動的工作對乞丐般的我們來說 是沒有選擇有工作就已經是非常感思的事來了.......[關閉] [長老]貧窮、生病、歧視、鄙視.....[長老]經歷過長時間我們已經成為那些東西的一部份了v[長老]貧民街上的人們這麼極端也是沒法的事[長老]就算是多理性的人類一個人在森林中的話都會露出他們的本性這就是這裡的世界了但這都不是我們所希望而生在這裡.....[長老]我們的努力 而只是為了在這裡生存至少 請你尊重這一點[關閉] [長老]如果你需要幫助或是有事想找人商量的話什麼時候來找我都行我覺得我們會再見呢......呵呵呵[關閉]
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http //schiphol.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1258114343/904 [ 大規模OFF ] 11/14(土) 売国法案反対!デモ in 東京 904 名前:エージェント・774 []: 2009/11/15(日) 02 29 00 ID 9g919gHD 賛成派の人も色々思うところがあるはずなのに、表向きには 「税金を払っているのだから、地方政治に参加させるべき」 「国際化に向けて、在日外国人の地位を向上させる必要がある」 という、とても一般人に受け入れられやすい(耳あたりのいい)主張に 終始している。素直に、賢いと思うよ。 それに対して「これは外国人による日本侵略です」とか言ったところで、 どちらのほうが一般人の支持を得られるか、って話なわけで。 理性的で、思想に影響されないような理論で組み立てていかないと、 政治に関心が薄い人の理解は得られにくい。 自分が話題に出すときには、「在日外国人は、例えば日本の財政が 破綻しても帰る場所(母国)がある」「日本と運命を共にしない人が 政治に参加するのは筋が通らない」って感じで、極力感情論にならない ように注意してる。 参政権反対派=右翼団体、という社会認識が出来上がるのが一番怖い。 http //schiphol.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1258114343/911 [ 大規模OFF ] 11/14(土) 売国法案反対!デモ in 東京 911 名前:エージェント・774 []: 2009/11/15(日) 03 06 26 ID MTnv4HBC (4) 908 俺いつもデモには参加せず回りの人間観察してるけど、少なくとも今回のは成功だと思うよ 演説の時とか一般の人がどんどん増えて行ってチラシに見入ってたしね 反応はなかなか良かったと思うんだけどな マダムたちの心を掴むといいのかもな
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書物という異界9:異界を旅した航海者の末路 ジョナサン・スウィフト 『ガリヴァー旅行記』(平井正穂訳,岩波文庫) 誰もが知っている『ガリヴァー旅行記』(Gulliver s Travels,1726)は,イギリス人航海者のレミュエル・ガリヴァーが小人国(リリパット国),巨人国(ブロブディンナグ国),飛行島(ラピュータ),馬の国(フウイヌム国)など,奇想天外な国々を巡るという点で,典型的な異界についての物語である。それもそのはず,作者のジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift,1667-1745)は,ヨーロッパ文学に綿々と伝わる「メニッポス的諷刺」の伝統を汲んでこの傑作を書き上げたのだが,有名なバフチーンの分析によれば,「夢や未知の国への旅」がメニッポス的諷刺と呼ばれる諸文学の主要な構成要素となっているのである。 では,そのガリヴァーにとって異界とは何だったのか,少し考えてみることにしたい。 ガリヴァーと言えば,リリパット(小人国)に流れ着いたガリバーが目を覚ますと,雁字搦めに縛られて大勢の小人に囲まれているという場面を思い出す人が多いかもしれない。しかしガリヴァーはリリパットから無事故国に帰った後も,さらに様々な国を航海し,様々な経験をする。むしろ物語の真髄は,旅を重ねるうちにガリヴァーの考えがどのように変容を遂げていくのかというところにあるのだと思う。 小人国航海の次に出た旅でガリヴァーが辿り着いた先は,巨人国だった。小人国では<巨人>として扱われ,その大きさと力の強さ故に得意になることも多かったガリヴァーだが,ここでは巨人たちに囲まれ,<小人>として自らの非力を思い知る。 …こんな風に心が動転しているさなかに,どうしたわけか私はふとあのリリパットのことを思い出していた。そうだ,私はあそこの住民たちからは,この世界では空前絶後の奇怪な巨人だと見做されていた。片手で全艦隊を引っぱることもできたし,…その他さまざまな偉業もなしとげたものであった。それが今,この巨人族の間に紛れ込んで,全くとるに足らない虫けらのように見做されるとすれば,それこそ何たる屈辱であろうか…。しかし,なおよく考えてみると,そんな屈辱など大したことではないように思われた。なぜなら,人間という奴はその図体が大きければ大きいほど野蛮で残酷だといわれているので,この途方もなく巨大な野蛮人のうちの誰かにもし捉ったら最後,そいつに一口で食われてしまうにきまっているからだ。それも要するに比較の問題にすぎない,と哲学者たちは言うが,誠に至言という他はない… 「第二篇・ブロブディンナグ渡航記」より ここでは,<人間>観念が相対化されている。偉大であったり,矮小であったり,「それも要するに比較の問題にすぎない」のである。 さらに追い討ちをかけるように,メニッポス的諷刺,そしてスウィフトならではの冷徹な眼差しが<巨人>に注がれる。それは人間の美醜に対する相対化の視線であり,人間の汚さを注視することである。 …私は有体に告白するが,何がぞっとするほど嫌らしいといっても,彼女[赤ん坊に授乳する巨人の乳母のこと]の巨大な乳房に匹敵するものを私は知らない。物好きな読者にその大きさ,恰好,色合いが大体どんなものであったかを伝えたいのだが,残念ながら何にたとえたらよいのか,私には未だに見当もつかないのだ。…その際,私はふとわがイギリスの女性たちの白い肌のことを考えた。つまり,彼女たちがわれわれにひどく美しく見えるのは,要するにわれわれと体の大きさが同じであるからにすぎず,拡大鏡を通してでなければ,その欠点は見られない,ということなのだ。拡大鏡を用いて実験すれば分ることだが,彼女たちのどんなにすべすべした白い肌でも実はでこぼこで粗く,不気味な色をしているのである。 「第二篇・ブロブディンナグ渡航記」より ガリヴァーは小人国と巨人国を訪れて,<人間>を相対化する視点を手に入れた。鏡の前に立っているがごとく,彼は小人と巨人のうちに自己を見出したのである。二つの異界で彼が出会ったのは,紛れもなく自分自身,<人間>であった。 旅の過程で<異界>に出会うなか,そこで問い直されるのは<自己>である。旅にはアイデンティティの動揺が伴う。 <異界>を巡る他の様々な物語と同様,『ガリヴァー旅行記』は,<自己>,あるいは<人間>そのものを巡る物語なのである。 そうした観点から言えば,その掉尾を飾る「フウイヌム航海記」が決定的な重要性を持っている。ガリヴァーが最後に訪れたフウイヌム国,そこは完璧な理性を持った馬と,人間そっくりな外見を持つ野蛮な獣ヤフーとが住む国だった。 「フウイヌム航海記」において,理性的なフウイヌムと野獣ヤフーは二つの極を構成している(この二つの極は,単なる善‐悪の対立ではなく,それぞれが両面価値性を持った相補的な二極となっているのだが,それについては後に掲げた文献を参考していただきたい)。人間ガリヴァーは,この二つの狭間,どちらともつかぬところに位置している。 しかしユートピア的なフウイヌムのあり方や忌むべきヤフーの振舞いを観察し,そしてフウイヌムの主人との会話において人間やその社会・国家の様子を報告するうちに,理性的人間としての<人間>が強く問われ(これまでまず何よりも理性を持った存在として定義されていた<人間>が,はるかに優れた理性を持つ馬の出現によって問われる),その結果人間や人間社会の堕落と病弊が明らかとなり,さらに人間とヤフーの類似を否応もなく思い知らされることになる。 そして哀れガリヴァーは,人間を相対化する視点を喪失し,フウイヌムを理想と仰ぎ,人間をヤフーと同一化して激しく嫌悪するに至る。 だが,この際有体に白状するが,人間の腐敗と余りにも違う,この優秀な「四足獣」の美徳の数々を見て,私の目は豁然として開け,理解も急に深く広くなり,そのため,人間の行動や感情を今までとは一変した角度から眺め始め,自分と同類の者たちの名誉なんか考慮する必要はない,と私は思い始めた。…この国に来てから一年もたたないうちに,私はここの住民に対する愛情と尊敬を心の底から覚えるにいたった。その結果,もう二度と人間の世界には帰るまい,そして,およそ悪というもののない…この素晴らしいフウイヌムの世界に留まり,ひたすらあらゆる美徳について思索し,かつそれを実践しつつ余生を送ろうと,固く決心するにいたった。 「第四篇・フウイヌム航海記」より フウイヌム国を追放され,いやいやながらも帰国したガリヴァーは,再会した妻の抱擁と接吻に耐えられず卒倒してしまう。帰国して五年経ってもなお人間への生理的嫌悪を消し去ることができず,二頭の馬を大事に飼って,毎日話し合うのを楽しみにしている。これが物語のエンディングである。 (作成中) ●参考文献 『ガリヴァー旅行記』の持つ作品の豊かさは,これで汲み尽くされるものではない。四方田犬彦『空想旅行の修辞学』(七月堂,1996)は,『ガリヴァー旅行記』をメニッポス的諷刺の系譜上に位置づけ,作品テクストの構造を精緻に分析している。ずいぶん前に読んだので,中身をちゃんと覚えていないが,お薦めの一冊。
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信条・人間について【小】 説明 キャラクターの人間観、或いは人付き合いする上で 念頭に置いている信念。 補足 上位カテゴリ 性格【大】 基本性格【中】 属性 信頼:全般 不信:女性 不信:全般 不信:男性 不信:特定集団 不信:余所者 妄信:個人 信頼:全般 たとえ見ず知らずの人間でも、自分から信用する。 通常、自分が相手を信用すれば相手も自分が信用してくれるだろうと 考えている。 不信:女性 女性に強い不信感を抱いている。 不信:全般 根本的な人間不信。 不信:男性 男性に強い不信感を抱いている。 不信:特定集団 特定の集団(国民・民族・種族・組織など)に強い不信感を抱いている。 不信:余所者 見知らぬ者や自分と同じ組織に属していない人間は信用しない。 妄信:個人 特定の個人を崇拝し、その言動に全く疑いを持たない。 ↓これは属性を投稿するためのフォームではありません。 新たに属性を投稿される方は上部の「このページを編集する」から 編集ページに入ってください。 名前 コメント
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2010/2/28 亀山ゼミ テキスト輪読 亀山純生『人間と価値』青木書店,1989 担当:小松美由紀 第三部 欲求と疎外 ―― 生に“埋めこまれた”批判的価値意識への視角 ―― 第2章 欲求的行為の二重性 (p181~p194) ■価値意識の契機と根底に欲求をみること(第1章)によって、以下の疑問が生じる。 ①価値を欲求から基礎づけることは、価値の主観主義的理解に陥るのでは? → 「欲求を原理とする価値意識は事物の価値を構成する要素にすぎず、さらに価値をになう事物ともども客観的な歴史的社会的諸関係に規定されるとみるべき」(→第二部) ②価値意識の根底に欲求をみるのは、価値を情緒的なものに還元するのにつながるのでは? → 価値意識の3契機(要素)は相対的に独自なものであり、3契機の内、利害関心と規範 意識は、価値の理性的評価の原理である。(それを強調した上で、両者の根底に欲求(第1の契機)の一部である自己保存欲求、共同性欲求をみようとした) ■「欲求の範囲の無際限の拡張では?」「生理的欲求など“本来の”欲求との関係は?」「欲求にもとづく諸個人の行為は受動的なのでは?」「欲求は利己的性格をもつのでは?」等々 ⇒ 欲求の基本的性格の検討が求められる 一 欲求は三つの側面を持つ(p182~) ■欲求の3つの側面(要素、契機) (cf. 相良守次編『人間の欲望・感情』) (1) 欠乏 :欲求は何らかの欠乏状態にもとづいて生じる (2) 推進力 :欲求は行動の内的推進力であり心理的エネルギーである (3) 対象志向 :欲求は特定の行動へと方向付けをする。欲求には対象の認知が不可欠である ■上記の説明・補足 (1):体内における水分のバランスが失われる(欠乏する)→水が飲みたい (2):「欠乏状態(の意識)が強まるにつれ、行動への潜在エネルギーの蓄積はいちじるしく なり欲求は強まる。」欠乏(の意識)が度を超すと、逆に行動エネルギーは減退する。 (3):欲求の対象は〔意識された欠乏〕を充足すると期待される事象(=誘因)である。 「渇き」(動因:欠乏の知覚とそれを充足しようとする心理的エネルギー)と飲み物(誘因) 二 欲求は能動的原理か、それとも受動的原理なのか(p184~) ■一般に、生命体の運動は刺激に対する反応(≒環境に対する適応) → しかし、人間は意識をもつことにより、環境に対して主体として振る舞える。 ←自らの行為とその結果を予測し、合目的的に行為しうる点が、ポイント(理由)の1つ ■「欲求は、欠乏の意識を側面とすることによって物質代謝を軸とする主体と環境の関係・バランスの変化の知覚であり、推進力・エネルギーとしての側面と対象志向の側面によって反応ないし変化した環境との関係への適応の原理である。」 → ただし、〔主体と環境の関係の変化〕への適応という性格は、連関しあう諸欲求の総体として保持することになる。 ←欲求は意識であり、環境は社会的・文化的でもあるため、欲求の種類は分化・複雑化。 ■以上のことから確認できること (1)人間は(社会的・文化的、自然的)環境に対し、システマティックな総体的・価値的態度を介して適応する → 意識的・合目的的であることで、環境を改変する(=能動的) (2)価値的態度が反省的である度合いに応じて、人間は能動的・変革的でありうる (3)個々の欲求は身体性・感覚を直接的基礎として、それ自身感性的である → 欲求にもとづく人間の行為が意識的・反省的でない場合、合目的的行為と比較して、環境・対象に対して受動的となる。 ■「だが、欲求は能動的にふるまう社会的人間の一部であり、意識の他の契機との相互連関やその内容の社会的・文化的質を前提としているのである。」 → 人間の欲求の能動性 ①3契機の能動性(環境との関係を否定→関係を変革する行為を導く→否定性の止揚) ②欲求は人間の創造性の主観的源泉(基礎)である(←非存在をも対象にする) ③人間的欲求(←欲求の内容・質と能動性) 三 欲求の人間的性格、または人間的欲求(p187~) ■人間的欲求、欲求の人間的性格は、次の2点から見ることができる。 ①人間の欲求の媒介的性格 :充足の対象そのものの現実化(ないし創造)が必然的媒介、人間関係・社会を媒介とする → 人間の欲求は自己抑制を必然的契機として含む ②人間の欲求の内容の社会的・文化的媒介性 (フォイエルバッハの言う「人間的感性」「普遍的感性」) → 「全体的存在」としての人間の感性も普遍的な事物を対象とする ■「人間的欲求は歴史的・文化的・社会的な産物であるとともに、そのようなものとして歴史・文化・社会を創造発展させる人間の主体的行為の内的源泉なのである。対象・環境にたいして欲求は主体における能動的受動の原理である。」 → 「人間的欲求が主体の能動性・環境変革性の原理である側面は、欲求が環境・対象の客観的・総体的認識に媒介されることによって発揮される。」 四 共同性欲求ははたして派生的といえるか(p190~) ■精神的欲求と身体的欲求、社会的(後天的)欲求と生得的(先天的)欲求との関係 → 心理学では、後者を基本的(一次的)欲求、前者を派生的(二次的欲求)とする理解が 一般的。(cf. マズローの欲求の階層性) → しかし、多種多様な欲求(あるいは生理的(本能的)欲求)は、歴史と文化の現段階で、それと相対的に区別される諸欲求との相関で抽出されたものである。(cf. ハーローの実験) ■人間にとって道徳的欲求(共同性欲求)は、種と生命の維持への欲求とともに根源的欲求の不可欠の契機である。 ← 意識と労働の成立により、人間は本質的(必然的)に社会的存在である。 → 人間は社会と文化の形成発展の中で、「原初的状態において未分化であった自己保存と共同性の契機を、その他の契機とともに、相対的に独自な欲求として分化させてきたのである。」 ■共同性欲求と自己保存欲求は本来、相補的共存の関係にある。 → 「われわれはそれぞれ自己の生産において自己自身と他者とを二重に肯定したことになるだろう。(以下略)」(マルクス) → しかし現実においては、自己保存欲求と共同性欲求は対立 ⇒ 「人間の本質と現実の乖離を理解する手がかりが『疎外』の概念である。」
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13 感性と理性 人間がモノや対象に対してもつ感情やイメージのことを感性という。 感性→非言語 理性→言語・数値 不調和 ブレーキ 不登校・ひきこもり アクセル キレル・イジメ 感性と理性が調和することが重要。 コメント欄 カント曰く…感性→直感悟性→理解する力、常識理性→より高次の、悟性の判断を総合的に関係づける推理の能力-- ひらかわ (2007-02-12 21 31 17) 感性をどのように測るか主観評価→△(人間の主観はまだ未完成)生理値→○(完成されている)従って、主観評価と生理値の2つには差がでてくる。 -- ひらかわ (2007-02-12 21 33 41) 名前 コメント
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注:出来れば上から順に読んでやってください。 今ここに無い物にこそ価値を感じる。在るものには様々な要旨のついた存在感が含まれるから、そこにどれほどの情感を抱いても、五感が正常なら否が応にも別の感想を持ってしまう。プラスの感想ならともかくそれは近くにある限り常に纏われる外装だ。悪いものまで目を向けなければならないしずっと聞き続けていかなければならない。いつかは欠陥に気付いてしまう。完璧なものなどこの世に少ない。幻想だって触れられないからなんぼのように、初めから手元に存在し無ければそれがすなわち数億の価値にも値する宝物となるのだ。 「いやー。平和な一日だと平和で実にいいねぇ」 何言ってんだと言われればつまりそういうことである。重複ホント便利ね。 仲の良くないウドの大木がいない店内は実に広々として風通しもいいし日当たりもバツグン。コンビの方を最初「イクスガン」と読んでしまったのは僕だけだろうか。そんな呑気な気分になれるほど今この本屋はそんなムワムワとした、薄緑の植物が点々と自生している壁にピンクの綿毛が張り巡らされているような空間、に似た空気に包まれている。乾燥してない訳じゃないよ。今なら本達の声も聞こえそうだ、早く売ってよー、そんなこと言う奴は食べちゃうぞー、文学少年と昼下がりの呆け(シエスタ)。あー駄目だ、あそこまで髪長くなかったや残念。 手に持つ物へと視線を戻す前にもう一度店内を見回しておく。今日は10日とか25日みたいにどっと新刊本がくる日でもないし、それが起因にならない範囲でお客さんも現在は自宅待機か他の有意義な活動に当てているのだろう。さっきまでは珍しくいたんだけどね一人。 パウワウワウー(僕の耳って、ひょっとして、耳たぶ小さいからピアス開けられないかもしれない、と思った時だった)。 『いらっしゃいませー』 『漫画コーナーはどこですか』 『あちらになりますが』 『あー、いーや直接聞いちゃえ、探しているんですけど』 『何をですか』 『「GANTZ」全巻』 『ああ……今切れちゃってますね』 『マジか……いいですじゃあ』 『飛び飛びでいいなら余っていない事も』 『いいですいいです。本当に知りたい人生ならちゃんと順を追っていかないとそれは見た事にならないでしょ。それに……予算が』 パウワウ(ここで略すとあしかになると気付いた)ー。 などという展開が先ほどまで繰り広げられていたんだけどね、すぐにすぐに丸まってしまったのは驚きだ。愕然とまではいかない。 学部近くで見たことがある気がする女子だった気がするけど、話したことある相手かもしれないけど、誰だっけ。今は良いか。この重複はなんかそして不自然だ。 ノルウェイの森やフリーター、家を買う。が売れているようにちょうどGANTZもピーク時期らしい。どうだろうでも一巻からなかなか際どいからなアレ、耐性ある人でなければきついかも。でもマンガだしあくまで絵だと考えれば問題ないのか。いや、むしろそうやって歪めているところが間違いか。娯楽のつもりで性の領域には触れてはいけないのだ。誰の憤慨なんだこれは。 まあ一巻で投げ出した僕なんかが言えることは少ないけど、見る人は覚悟しといてね、警告しとくよ。誰だよ僕って。 さて、それじゃあ続きを読もう。と、途中で閉じてしまったから開いてもう一回さっきまでのページ数を探している時だった。 「君はいつも何か読んでいるな」 などと仕事合間の暇潰しに興じようとしたところ、高い所から声が落ちてくる。その姿を確認するや否や僕は表情を変えた。それは雰囲気がガラリと、スパッと切り裂かれたように変わったためでもある。 「また来てくれましたね」 すぐさま営業スマイルで相手を迎える。だって贔屓のお客さんだから。こんな店によくも悪くもよく来るものだ。 「君との話もなかなか面白いからな」声は降ってくるけれど、表情をしばらくこの形に瞬間凍結しておいて、再びお客さんの周りに視線を泳がせる。細身でカジュアルな服装に身を包むお兄さんならいくらでもいるだろうけど、この人を語るにおいてプラスしなければならない事象、というか生き物がいる。 そこから決して引くことのできない、彼らは常にツーマンセル。 「いらっしゃいませ」 と、ようやっとその人物をあの人物だと確信できたので挨拶とお辞儀の連結行動をしておく。多分言うべきは目の前の人物なのに声を足下に向けてしまうのは一種の挑戦だ、黒いもふもふのネコ目イヌ科さん(名前は知っているけど心では言わない、なんとなく)はでもそんなもの聞く気もないようで一緒に来た人物を引っ張りこちらへ尻尾を向けている。彼女だけには帰宅の意がある。久賀さんがいなければ帰られていたところだ。 久賀さんは店内に入る時必ずこの犬さんと歩みを共にする。その事に関して僕も久賀さんも互いに何も言わないから問題に発展していない。気の持ちようだこれも、問題視する意味も分からない。 「いつもではないんですけどね。量の少ない仕事だっていうのは否定しませんが」 「運動量は関係ないさ。自分が見越した結果と見合っているかどうかが問題だから。それで何を読んでいるんだ」 「アニメ映画のノベライズ」 「ああこれか、そんなのがあったんだな」 「あんまないんですけどね。小説にしてみたっていうインパクトは強かったんで印象的ですよね」 今はちょうど電気鼠と全力男ご一行がモモ太郎的な名前の愛玩鼠の声に似た声(当時のCMを思い出して)の黒ギツネと会ったシーン、つまりまだ読み始めたところだ。 「面白いのか」 「まだ序盤ですよ」 そんな会話は成り立つものの僕らの距離感は広まるばかり。僕と、優雅な恒温動物さんの。 外に出ないだけましとはいえ、僕から死角となるところでちょうど歩みを止めている。見たくはない、けれどいなければならない。彼女も苦労しているな、誰のせいだかまったくもう。 「そんなにこの年のものが面白かったのか」 久賀さんも互いを意識しながらか、適当な距離にいるがやはり犬さん側に立つのは仕方のないこと。とりあえず話を続けながら久賀さんは本に手を伸ばしているけど、どうして粋ズィーに触れたんだ。 「いえ見ていないんでなんとも言えません、ただ」 ぼん、とそこで僕はわざとのような音を立てて本を閉じていた。 「一番はジラーチですねゆるぎません」 久賀さんは中を見ず粋ズィーを戻し僕へと視線を向ける。探していたものと違ったか、いきなり音を立てたからか。どっちでもいいか今は。 口を開くと、身振り手振りまでつけてしまっていた。 「何て言うんですか。感動所を押さえているというか。どうしようもない別れをあれは変に歪めることなく描いているんですよ。しかも誰も絶望していない、これがあったから少年達は大人に成長した、っていう教訓が嫌みなく使えるし、あそこから毛色というか経路というか変わってしまいましたね。勿論背景見とか子ども向けとかそういう要素を考えたら他のシリーズも良作だらけですよ。いえテーマ性だったら最初の奴なんかには敵わないかもしれませんが僕は――」 はっと思ったが、こういう時に限って千景さんは僕の話をよく聞いていた。犬さんは相変わらずこちらに目を向けない。 「……なんて言ってもガキくさいって一蹴ですけどねー」 顔が赤くなったりはしないけど、なんとなく恥ずかしい。僕は広げていた腕を折りたたみ、手に持つ小説を読みやすいように位置を固定する。久賀さんは僕を見たままで「そういうものか」とつぶやく。声から感情を読み取れない、サイコさん設定は無いものね。 「そうですね。周りに同意見がいないってだけかもしれませんが」 題材も題材だしね。それなりに盛り上がるだろうけど、自分の中で意見がはっきりしていないから、未見の人への説明も、マニアの人との同調も出来ない。中途半端はだめだよな。などと考えていたら「いや」と遠くからよく響く声があるではないか。 「周りも何も、同意見なんて無いだろう」 と、千景さんのトーンに変調は無い。ただ、少しだけこちらに見える位置、犬さんが千景さんを見える姿勢で、犬さんが落ち着いた眼差しを千景さんに送っていた。 「人に理解されたい思いもあるだろうがそれは無理な話だ。感想に同じものなんてないさ、作品なんて特に露骨らしいぞ。例えば文字が読めるか読めないかでどこまで理解できるか決まる」 「最低限の話ですね。でもそれを味としているとかで無い限りは難しい漢字をただ使うだけの文章は嫌悪されますよね。僕は好きなんですが」 「そうだ好き嫌いで二択。そこで半数が落とされるんだ。第一、全くの同一も嫌悪感を伴うらしいぞ。昔教育テレビで見た話であるけど。シャネルだか裕一だかのモノマネ料理人と緑帽子に灰色肌の駅員との掛け合いだった。駅員の方が料理人の真似をしているんだ。選択肢は必ず合わせる、髪をかきあげるといった細かい動きもだ。それが愛情表現の一種かもしれないと料理人は後になって気付くんだが、気付く前はとにかく煙たがっていたうろ覚えでタイトルさえ出てこないな。世代が違うかもしれないのに」 「いえ遊びダマなしのどストライクですよそれ」 などと返しながら僕は本の表面をなぜる。そして思い出す。前、中学時代か、感想を言っても分かってもらえず、自分も言う気が無くなったあの頃。 分かる分かると、行ってほしいのか僕は。 ここがいい、ここが悪い、他はこうなのに、全部僕と同じ、僕の感想だ。 それで僕は、相手に何を思うだろう。 「無理に合わせてもらいたくないだろうし、そんな合わせる必要は無いんだ」 真似されること。中途半端にやられればそれもありだろう。けれど、元に近付けば近付くほど、掌を返したように人は気分を害する。 自分がオリジナルと思いたいから、独占欲に守られる、横取りすればそれは頭にくる。 取られたくない、とるな、それは僕のものだ。 「持っている内はその意見を大切にしておいて損は無い。君の持つ意見も感想も印象も自分のものだ。否定的な思想もまとめてな。いいじゃないか、守りに徹しているってことだろう」 なぜだろう、ここであの、今頃弟の世話でもしている派手髪巨人を思い出す。今日はまだ来ていないのに、来なくて嬉しい。なぜならそれは来た時の苦労をすでに経験しているから。経験によって生み出されてしまった、捨てたいのにないと困る、拒絶反応。 無くて嬉しいも、自分の意見。 そうやって僕は守っている僕自身を。 嫌いを作っておくことで、嫌いとの付き合い方を知る事が出来る。 「そうでしたね」 なるほどね。もろ手をあげたい気分だった。そもそも勝ち負けではないし判定の仕方は犬さん次第だし、消去法、よってやはり僕の完全敗北だ、悔しくないよ、ホント。 共感など無いと言われたばかりだけれど、この人と自分は割と似通っている部分もあるのかもしれない。 以前人と話すのが趣味と言っていた、その人物の意見が知りたいから。可能性を信じている。人間に内包されているものへの興味を捨てきれない。 この人はただ踏み込もうとしない。全てを自分の中で収めて、影響を与えないように突き放すような思考までしてしまう、だからかき乱しはしない。ワンセンテンスぐらいだ。じわじわとセコイ手で押し迫り、ぐっちゃぐっちゃにしたがる僕とは大違い。 それに、彼の隣にいつもいてくれる存在、確かな存在感を持った存在は僕に無い。昔いたとかいっても、それは違う話だろう。 まあそれもあくまで僕一人が抱く考えなんだけれど。全然似てねぇよ! とキレる人がいてもいいのだ。キレる犬がいてもいいのだ。嫌われることでもね、こうして心の声なら聞かれないんだよやったね。 「すまない」 と、今度見てみたら千景さんに、ばつの悪い仕草が追加されていた。そして犬さんにはそんな千景さんに対する感傷的な表情が付加されていた。 「何がですか」 「話しこんでしまった事だ。他人の意見を聞くことが趣味というか日課だからどうにも会話を重んじて時間をかけてしまう。仕事中の相手までにするとは俺も失礼だな」 何を言うんですか千景、あなたに非など見当たらないではないですか、言うならこの男が悪いではないですか、見て下さいよ今だって全然反省した素振りなんて見せていないのですよ。 「いや、それは話に乗ったこっちの責任ですよ普通」 うんうんそうです何も千景はわるいことありませんよ、頷きながらそんな感情を犬さんは示しているのかもしれない。 「お詫びではないが買わせていただこう、元々本を買いに来たんだ」 「それは何より。本屋に出来る事って、本を売るぐらいなんですよ」 などとしばらく見て回る。そういうからには何を買うか決まっていると思っていたんだがそうでもないらしい。 結局千景さんはある一冊の本を買っていった。絶対本来の目的では無い。何故なら。 「たまにはいいものさ、童心に帰って読書をするのも」 「そうですね、ちなみにどれが一番好きでした?」 「原作派なんだ」 「ならミュウツーは鉄板ですから見ても損は無いですよ」 千景さんは振り返ってくれた。ただ思いのほか自動ドアが開いて(パウ省略)歩道に出ていくまでの時間は短かった。先導するもふもふ族さんが早く帰りたいんだとさ。ちょっともこっちを見やしなかった。次来る時にもう少し仲良くできたらな。 あまり言うと自分の趣味がおかしな方向にいきそうだ。ここらで軌道修正しておくか。 久賀千景。我が大学の伝説の人。噂の絶えない生きた不可思議。 あの人こそ、仕事をした方がいいのではないだろうか。 あるいは、あの人達はひょっとして。 僕は本を開く、この先彼らに待ち受ける運命は果たして! 僕はそれを見て何を抱くだろう。あの人は同じシーンをどう取るんだろう。分かりはしない、ただせっかく金まで出してもらったんだ、少しでも楽しんでほしい気がする、でもどうだろうなぁ。 集中できないためすぐに閉じた。今度はあまり音を立てなかったけれど、どの道聞き手はいないか。まだ仕事は残っているが蔵書整理くらいだ、時間はまだある。次のお客さんか、物喋る大木が来るまで僕は、あの人達の人生を想像してみる。 思信の予想……「ポケモンブリーダーのクガチカゲが現れた。 いけ、『ヤチヨサン』! ヤチヨサンはどうする? 技……おんがえし みやぶる かぎわける シンプルビーム クガチカゲはしかし『みがわり』を発動した! ヤチヨサンは(急ぐことなく)にげだした。 うまくにげきれた! あいてのポケモントレーナーは、『ピッピにんぎょう』を手に入れた」 あとがき ぶっちゃけ当初のネタが被りそうだったので急きょ別案を持ち込んだ模様です。こんな変化球もたまにはありかと。 そうですね、早いうちにむずかしめの辞書でも買おうかと思います……。
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生命倫理 第一部 生命倫理総論Ⅰ 生命倫理とは何か Ⅱ 生命倫理にとっての人間 Ⅲ 生命倫理の概要 生命倫理にとっての倫理 第二部 「殺すなかれ」Ⅰ 殺人と身体切除 Ⅱ 自殺 Ⅲ 正当防衛 Ⅳ 死刑 第三部 医学の挑戦Ⅰ 人間 健康と病の間 Ⅱ 移植 Ⅲ 死の受容 Ⅳ 遺伝工学 第四部 生命の始まりⅠ 受精の生理学と胚形成 Ⅱ 胚とは誰か Ⅲ 出産前の命への介入 Ⅳ 堕胎 Ⅴ 補助妊娠 第五部 生命の終わりⅠ 末期の病 苦しみと放棄の間 Ⅱ 安楽死 第一部 生命倫理総論 Ⅰ 生命倫理とは何か 1. 生命倫理学前史 2. 生命倫理学の誕生 3. 認識論的見地 4. 類似の学問との関係 5. 生命倫理の研究機関と生命倫理委員会 古代から現代にいたる医療倫理の成立・発展。二十世紀後半になり、社会が大きく変動。生体臨床医学の発展、ナチスの悲劇後の人権問題の確認、科学の中立性の危機、環境問題、を前に生命倫理学が誕生。1973年以降、一つの学問と呼ばれるようになる(D.Callahan)。 人間生命倫理、動物生命倫理、環境生命倫理があり、主流は前一者。倫理学の一セクションとされ、あらゆる応用・実践倫理学と問題を共有する。一方、哲学、生物学、医学、法学、社会学、遺伝学、環境学、動物学、神学、心理学にかかわる総合学問でもあり、方法論は多様。要は経験論的データをいかに倫理的反省に乗せるか。 Ⅱ 生命倫理にとっての人間 1. カトリック生命倫理の特徴 2. 世俗の人間論モデル 3. キリスト教の人間論モデル 4. 人格主義的提言 結論 カトリック生命倫理学の人間モデルは、神学的反省の内に啓示された人間論に呼応。世俗の人間論モデルの特徴として個人主義、還元主義、効率主義を吟味した上で、キリスト教の人間論モデルを語る。 神との関係において在る人間:人は被造物でありそれゆえ尊い。人はその言動ゆえにではなく、その存在ゆえに価値がある。 あらゆる側面をもちその全体として見られる人間:その要は霊的魂。したがって、身体への働きかけはその人の全体にかかわる。また、身体の生物学的機能は倫理と無関係ではない。 神の象りとしての人間:それゆえ人は自らと他の被造物とを司る立場にあるが、そこに与えられるのは支配権ではなく、責任。人為か自然かという問いにおいて留意すべきはこの点。 キリストの内の人間:創造と贖いの業におけるキリストの役割。身体の尊厳もここにある。肉体蔑視はキリスト教信仰にもとるもの。 Ⅲ 生命倫理の概要 生命倫理にとっての倫理 1. 非認知論的方向 2. 臨床学的-決議論的方向 3. 原理主義的方向 4. 功利主義的方向 5. 社会契約論的方向 6. 人間論的方向 7. 伝統的倫理原理 8. 生命倫理学は新しい倫理学か 結論 ヒュームのアポリア(事実判断から規範判断は出てこない)は、当時の決定論的な現実理解に結びついたものであり、克服できないものではない。これをめぐって、認知主義 vs 非認知主義。後者は真理なき倫理。価値の認識ではなく主体による価値の創造にもとづくあいまいな倫理。 決議論的態度は、一般原則を求めることなくケースごとに対処しようとする。一方、原理主義は、実践的拠りどころとするべく行動の一般原則を求める。善行の原則、悪を行わない原則、自律の原則、正義の原則。そこから、義務論的基礎および神学的基礎にもとづいて具体的な倫理規範をはじきだす。これに対して、単に形式的なものとなる、原理の形成に重点がおかれて倫理理論への言及は二次的なものとなる、原理のパラダイムを適用することで実存的現実を義に導くことは不可能である、等々の批判があるが、一方、まさにその形式性ゆえに原理主義モデルは状況に合わせて柔軟につくることが可能であるととの評価もある。 功利主義においては、価値に関心をもちうるあらゆる主体が倫理主体となる。社会契約論においては、道徳的人間とは契約主体をさす。後者において人とは政治的、社会的存在であり(cf. ロールズ)、したがって胚や胎児、植物状態にある患者は、厳密な意味では人ではなくなる。R.M.Veatchは、契約論的地平に原理パラダイムをとりこみ、非結果主義的原則と結果主義的原則を区別した。 “人間論的方向”の重要な二傾向は、徳の生命倫理と人格主義的生命倫理。徳の生命倫理は、原理に基礎をおく倫理に対し、行為者やその意志に最大限の重要性をおく。人格主義的生命倫理において、人は己の尊厳を認識し、自由で創造的な行いを保証される。善は人の善、すなわち神が被造物に望む善に呼応する。 倫理原理:二重効果の原理:一つの行為から良い結果と悪い結果が生じるときの倫理判断。J.-P.Gury(1801-1886)は、以下のような場合、その行為は容認しうるとした。1. 行為それ自体は善い、もしくは中立的なものであり、2.行為者は善い結果のみを意志しており、3.悪い結果が善い結果の手段となっておらず、4.善い結果と悪い結果の釣り合いがとれている場合。これピウス十二世により公式に認められたが、限界のある原理であるとして、これを補完する「全体性の原理」が同時に推奨される。たとえば身体全体の健康維持のために健康な一部器官を摘出することの正当性が、この原則により説明しうるようになる。これを社会全体に当てはめる動きもあるが、何を部分とし何を全体と定義するかは慎重な考察が必要。最後に、正当な協力の原則、もしくは悪に協力しない原則。意図的な協力(formalis)と、悪い結果を共有するが内面的には悪意を分かち合わない形の協力(materialis)、後者はさらに直接的な協力と間接的な協力に分けられる。 第二部 「殺すなかれ」 Ⅰ 殺人と身体切除 1. 主人感覚 2. 自殺 3. 身体切除 4. 避妊手術 5. 去勢 結論 Ⅱ 自殺 1. 自殺という現象の諸データ 2. 自殺願望の芽生え 3. 自殺の道徳的危機 4. 上位価値の名の元の死 結論 Ⅲ 正当防衛 1. 暴力的防衛 人の賢明と福音の法の間 2. 正当防衛についての伝統理論 3. 正当防衛の正当化 4. 模索中の理論 Ⅳ 死刑 1. 聖書にみる死刑 2. 伝統にみる死刑 3. 刑罰の理論的正当化 4. 死刑の理論的正当化 5. カトリック教会の基本原理における死刑 6. 死刑を越えて 結論 第三部 医学の挑戦 Ⅰ 人間 健康と病の間 1. 健康と病 2. 医学と病の関係 3. 自主性の尊重 4. 真実の告知 5. 秘密保護 6. 看護の権利 結論 Ⅱ 移植 1. 移植の医学 2. 生体からの採取と献身 3. 倫理的実行可能性の基準 4. 遺体からの採取と倫理問題 5. 特定器官の移植 6. 異種臓器移植の道徳性 結論 Ⅲ 死の受容 1. 死の定義 2. 身体の死 3. 身体の死と脳機能 4. 死亡確認の基準 5. 脳死をめぐる議論 6. 脳死と蘇生 結論 Ⅳ 遺伝工学 1. 基本生体臨床医学のデータ 2. 人以外の命への介入:倫理的問題 3. 人-自然関係の文脈における生命工学 4. 生命工学と人の命:倫理的問題 5. 人間存在の再形成 結論 第四部 生命の始まり Ⅰ 受精の生理学と胚形成 1. 配偶子の形成 2. 排卵から受精へ 3. 受精 4. 受胎から着床へ 5. 胚と胎児の成長 6. 子宮の内の命 Ⅱ 胚とは誰か 1. 人の胚の地位:問題の所在 2. 存在論的地位 3. 胚の人格 4. 神学的反省 結論 人の胚について、存在論的地位、倫理的地位、法的地位の三側面が問われ、存在論的地位において、1. 胚は人の生の形である、2. 個としての人の生である、3. 人格的なものである、の三段階を論じながら「胚とは誰/何か」が考察される。第二の点については、胚の形成と胚の個としての地位の発生がパラレルに論じられるが、その始まりを受精の瞬間に見る見解と着床後に見る見解がある。この議論において一卵性双生児の発生の考察が鍵となるが、ともあれ教皇庁は最初期から個として認める方向にある。 第三の段階、胚の人格の考察において、生物学的意味での「人」から存在論的意味での「人」へ議論がうつる。 感覚論的定義。 非自然的定義:生物学的自然とは別の地平で人を考える。ex. 胚は象徴的にコミュニケーション関係に入ったときに人となる。 機能主義・行動主義的定義:ex.自覚、自律、理性、道徳感覚の保持から「人」を定義。人が行為に還元される、暴力の論理となりうると批判される。 存在論的・本質主義的定義:「人」の本質を求める。現存する“個”性と理性的性質が基本二要素。心-身をわけず全体としてみる。生物学的地平を存在論的考察で補完する存在論的生物学は、典型的なカトリック生命倫理の提言であり、世俗の生命倫理からの批判も大きい。重要なのは、発生学のデータから不適切に人格主体の存在を推論しているとの批判。それに対する存在論的人格主義からの応え。 アリストテレスからの定義:可能的人格としての胚。ただし、可能態カテゴリのあいまいさや、アリストテレスのシステム内でしか通用しないという限界がある。 神学においては、発生の問題はしばしば堕胎の問題とからむ。教父の時代から人と魂の始まりが問われてきた。新生児の魂は身体的種子を通して両親のそれに由来するとする見解、創造の時から存在しそれ故身体に先立つとする見解、神と両親が協働するという見解(ヴァリエーション多数)。スコラ学の時代、アルベルトゥス・マグヌスは、受精の時点で存在する唯一の魂は初めは可能的に理性的であり、徐々に植物的、感覚的、霊的になっていくとする。トマスは前二者と後一者を区別し、理性的魂は直接神により創造されるとする。したがって、トマスによれば理性的魂は受精の時点ではなくその40日後(男)と60日後(女)にそそがれるとする。17世紀以降、胚の研究の進展と共に、理性的魂の発生はもっと前に見られるようになる。ex. 前成説。また、決議論的道徳学の領域で、堕胎問題との関係において考察される。18世紀半ば、新しい発生学、種々の見解。 Ⅲ 出産前の命への介入 1. 胚の倫理的・法的状態 2. 介入の種類 3. 立法化 Ⅳ 堕胎 1. 定義と区分 2. 妊娠の中断の手順 3. 倫理評価 4. 限界例 5. 教会による懲戒 6. 立法化 体外受精の問題などと共に、堕胎の定義も刷新。回勅 Evangelium vitae は「受精から出生までの、存在の始まりの段階にある人間の、意図的で直接的な殺害」と規定。発生段階に応じた妊娠中断の方法あれこれ:30日以内、三カ月以内、三ヶ月後、16週後。堕胎目的のピル服用の問題。 堕胎は、伝統的に広く行われてきたが、医療倫理はつねにこれに抗してきた。ヒポクラテスの誓い「私はいかなる女性にも堕胎薬を与えません」。聖書は堕胎について語らない、ただ、胎内にいるときからの神との関係、それゆえの人間存在の尊さを語る。ディダケー、テルトゥリアヌス、「人為的堕胎についての宣言」(1974年)、Evangelium vitae。 個人の責任、共同体の責任。 (つづく) Ⅴ 補助妊娠 1. 人為的妊娠の歴史 2. 生体臨床医学のデータ 3. 人の出産の意味 4. 人為的介入の倫理 5. 自然への扶助 adiuvatio naturae の基準 6. 出産の真理への敬意 7. 生まれつつある命への敬意 8. 子の権利 結論 第五部 生命の終わり Ⅰ 末期の病 苦しみと放棄の間 1. 西洋社会における死 2. 末期の病 3. 苦しみの治療 4. 生命への執着と治療の放棄 5. 末期の病と医療費用 Ⅱ 安楽死 1. 定義と歴史 2. 区分 3. 安楽死のメンタリティ 4. 死への欲求の心理的起源 5. 倫理評価 結論 第二学年>人間論道徳学へ
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■理性寺 妖怪ネットワーク『理性寺』の活動拠点。 ネットワークマスター九坊 平翁が住職を務める。 ■立地 東京都杉並区成宗 ■外観 ■間取り等 居間 九坊 平翁書斎 襖側を除いた三方の壁に本棚がしつらえてあり、 棚とその周りに雑然と書物が陳列してある。 その上庭に面した窓の雨戸を閉ざした状態にしているため、 日の入りは悪く、更に大開の襖を半分覆うように本棚が張り出しているため、かなりの閉塞感がある。 書物の日焼けを防ぐ意味があるのだが、 湿気が籠もりがちになってしまうところが難点。 その為、廊下側の壁の上部をかなり大胆に切り取って、 吹き抜けにしてある。 ただ、水場から離れた場所に位置しており、 ため、 湿気は籠もらない。 削夜 青海の部屋 辻 隼人の部屋 ■縁起 未設定 名前 コメント
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大間観光土産センター 大間観光土産センターは、本州最北端・青森県大間崎にあります。 大間を訪れた旅人は必ず立ち寄る観光土産センター。 当店でしか手に入らない、オリジナルグッズが一杯です。 地元の物産ばかりでなく、最北端到着証明書をつくったり、観光情報を調べたり。スタッフ一同、お待ちしています。 〈大間観光土産センター公式サイトより引用〉 有限会社 大間観光土産センター 〒039−4601 青森県下北郡大間町大間平17−728 TEL:0175−37−3744 FAX:0175−37−2074 ホームページ http //www.oma.co.jp/ パンフレット ※画像をクリックするとパンフレットが開きます。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 〈ブログ〉 大間観光土産センターブログ http //omacojp.seesaa.net/ 大間のマグロといか塩辛 http //blogs.yahoo.co.jp/lavender9782/19461372.html 本州最北端に行ってきたのだ http //blogs.yahoo.co.jp/liuyingchun320/40550317.html 携帯サイト 最新のチラシ imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 《周辺情報》 〈ブログ2〉 #blogsearch /