約 11,191 件
https://w.atwiki.jp/shimin/pages/112.html
編集者は市町村の項目について空欄を埋めていく。 また表外のその他、備考欄に追記情報や条例URLのリンクを記入していく。 編集について、項目の内容についての説明は「項目内容」を参照。 市町村 条例名称 状況/記入年月 形態 投票資格 年齢 外国人 結果の決め方 結果の取扱 備考 A市 ○○条例 作成中/2010-12 個別 住民 満○○歳 含む 投票率 アンケート 自治基本条例 B町 住民投票条例 検討中/2010-12 常設型 市民 3年在住 投票数 尊重する H○○.○.○施行 C村 市民投票条例 施行(省略) ? 高知市 室戸市 安芸市 南国市 土佐市 須崎市 宿毛市 土佐清水市 四万十市 香南市 香美市 東洋町 奈半利町 田野町 安田町 北川村 馬路村 芸西村 本山町 大豊町 土佐町 大川村 いの町 仁淀川町 中土佐町 佐川町 越知町 檮原町 日高村 津野町 四万十町 大月町 三原村 黒潮町 その他、備考欄 ※注意:条例リンクはPDFのURLでは無く、PDFリンクが掲載されているページURLへのリンクとする ※注意:改行はシフト+エンター 高知市 室戸市 安芸市 南国市 土佐市 須崎市 宿毛市 土佐清水市 四万十市 香南市 香美市 東洋町 奈半利町 田野町 安田町 北川村 馬路村 芸西村 本山町 大豊町 土佐町 大川村 いの町 仁淀川町 中土佐町 佐川町 越知町 檮原町 日高村 津野町 四万十町 大月町 三原村 黒潮町
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/894.html
陸奥国 耶麻郡 塩川組 大日本地誌大系第32巻 35コマ目 この地府城の北に当り本郡の中程にて南にあり。 東は川西組に隣り、西は小荒井組に接し、南は河沼郡代田・笈川両組に界ひ日橋川を限りとす、北は小沼・熊倉両組に交わる。 東西3里1町余(東は川西組大寺村の界より、西は小荒井組貝沼村の界に至る)。 南北28町余(南は笈川組浜崎村の界日橋川より、北は小沼組上利根川村の界に至る)。 東に山連なり南を日橋川流れ、薪樵の便よく村里大抵平衍(へいえん)の地に住し田圃(たんぼ)多し。 赤枝・落合・入倉・上下西連の5ヶ村は山中にある故(ゆえ)俗に山郷と唱え、田畝少なく薪材を伐出して生計の資とす。赤枝及び・上下西連の3ヶ村は東偏にて山水の交なれども田圃相雑はり。北に高山を負い寒気やや薄くその土竹に宜し。封内大竹稀なり。その地の産他に超絶せり。 西偏の諸村は養水乏しく夏に至て動もすれば旱魃の患あり。山郷の諸村は山間の出水を養水とす。仍て前年に雪深からざれば必旱損ありという。 日橋川及び姥堂川に近き村々は水災に苦しむ。塩川村・下遠田村は魚網の利あり。また上下遠田村は多く菜圃(さいほ)を闢き紅花・地膚(ははき)藍の類を種て鬻(ひさ)ぎ出す。 この組及び小田付・小荒井・五目・慶徳・木曽・大谷・吉田組にて3月15日花祭の会とて老弱相集て飲宴す。 この組凡24ヶ村あり。みな郷名を失う。 新宮荘に属する村3(塩川村・上遠田村・下遠田村)、金川・馬場新田・落合・入倉の4ヶ村はそのかみ代田組に属せしが、寛文中(1661年~1673年)風土記撰述の時本組に隷せり。 塩川組 上 10ヶ村塩川村端村:上江 上遠田村端村:田向 下遠田村端村:新屋敷 新井田村 下利根川村 下小出村 別符村 上窪村端村:中窪 下窪村 三橋村 塩川組 下 14ヶ村金川村 馬場新田村 深沢村端村:新田 田中村端村:新田 竹屋村 南屋敷村 中屋敷村 上原新田村 松崎新田村 赤枝村端村:末那板倉、宮在家、下原新田、切立新田 落合村 入倉村 上西連村端村:町屋、石生新田 下西連村端村:中島
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/31036.html
登録日:2015/01/12 Mon 12 29 00 更新日:2024/05/16 Thu 19 37 16 所要時間:約 5 分で読めます ▽タグ一覧 ワンマン運転 下高井戸線 世田谷 世田谷区 世田谷線 各駅停車 大手私鉄 東京急行電鉄 東京都 東急 東急世田谷線 東急電鉄 玉川電気鉄道 玉川電鉄 玉電 私鉄 豪徳寺 路線シリーズ 路面電車 軌道線 道路との交差点 鉄道 馬車軌間 東急世田谷線(とうきゅうせたがやせん)とは、三軒茶屋から下高井戸までを結ぶ東急電鉄の路線である。 路線記号はSGで、ラインカラーは黄色。 宮の坂駅付近ですれ違う304F(アップルグリーン塗装)と307F(ブルーイッシュラベンダー塗装)。 (出典 日本の旅・鉄道見聞録) ●目次 概要 沿革 運賃と乗り方 運行形態 車両現在の車両 過去の車両 駅一覧廃駅 その他の施設若林踏切 車両基地 概要 東急電鉄では唯一の軌道線になっており、都電荒川線(東京さくらトラム)とともに関東では数少ない路面電車の生き残りである。ただしこちらは全区間が専用軌道である。 全10駅だが総距離は5.0㎞と短く、駅間距離も全て1.0㎞未満。場所によっては隣の駅に停車中の列車が見えることもある。 全体的にローカル色が強い路線であるが、東京都内を走るだけあって運行本数や利用者数自体は多く、朝夜は非常に混雑する。 東急の路線では最も北に位置しており、唯一JR線との接続がない路線である。 また、京王井の頭線とともに世田谷区の南北を結んでいる数少ない路線でもある。 沿革 元々は、玉川電気鉄道(玉川電鉄)が渋谷~二子玉川園(現 二子玉川)間で運行していた路面電車「玉川線」(玉電)の支線である「下高井戸線」をルーツとする。1925年1月18日の開業当初は三軒茶屋~世田谷間の運行で、その後の5月1日には残りの世田谷~下高井戸間が開業。渋谷~下高井戸間で直通運転が行われていた。1938年4月1日には玉川電鉄が現在の東急の前身である東京横浜電鉄に合併される。 同じく支線である砧線・溝ノ口線・天現寺線・中目黒線とともに砂利輸送や地域輸送を担ってきたが、1948年に天現寺線と中目黒線が東京都交通局に譲渡され、他の路線も首都高速3号渋谷線や新玉川線(現 田園都市線渋谷~二子玉川間)の建設により、これらは全て1969年までに廃止された。 しかし、下高井戸線は他の路線とは違って併用軌道がないことや並行道路の整備が進まなかったこともあり廃止を免れて「世田谷線」へと名を変え存続することとなった。 1977年に新玉川線が開業するまでは他の東急の路線と全く接続しない孤立路線でもあった。 今日でも年配の利用者からは「玉電」と呼ばれることが多く、かつて渋谷駅にあった「玉川改札」は玉電のホームが改札の目の前にあったことに由来している。 運賃と乗り方 運賃は区間を問わず160円・子供80円(ICカードも同額)の均一料金になっており、乗車時に料金を払う前払い式である。起終点と上りの上町では改札で、その他の駅では車内にある運賃箱で運賃を支払って乗車する。 このシステムは路線バスに近く、実際にSuicaやPASMOといったICカード乗車券では区分が「バス等」になっており、「バス得」制度も鉄道路線では唯一導入されていた。 料金体系も他の東急電鉄の路線とは独立しており、田園都市線から乗り換えの際も別に運賃を払うことになる。他社路線との乗継割引も採用されていないが、例外として東急の株主優待券だけは乗り継ぎ対象になる。また、障害者割引など特殊な取り扱いが必要な場合は、乗車時に乗務員に申し出た上で支払う形になっている。 2002年からは当路線専用のICカード乗車券「せたまる」が発行されていたが、2012年9月30日をもってサービスを終了した。 2017年9月19日以降は、平日7時40分~8時40分の上りホームに限り上町を除く山下~若林間の各駅にも駅員が配置され、駅で運賃を支払うことが可能になっており、その関係上、上りの上町と同様に全てのドアから乗降することができる。これは乗客が入口付近に滞留し乗車に時間がかかり、慢性的な遅延が発生していたことへの防止策である。 乗り方については、途中駅では基本的に運賃箱がある先頭車両の前部と後尾車両の後部から乗車し、連結部を挟んだ各車両の中央部2か所から下車する。改札が存在する駅については、起終点ではどのドアからも乗車できるが、上りの上町では出口のドア2か所が出入口兼用になる代わりに、駅がカーブしていてホームとの間隔が開く関係で三軒茶屋方1両目の前部ドアは開かない。 2021年1月18日からは午前6時30分までと午後21時30分以降の時間帯は、起終点以外の駅の乗降車はでは1両目の前部ドアからのみに変更された。 二重徴収を防ぐために、ICカード乗車券は一度使用してから20分は同じカードの再使用ができない。よって、20分以内に再度乗車する場合は現金や他のカードで支払うか、どうしても同じカードを使う場合は乗務員にその旨を申し出る必要がある。 運行形態 早朝・深夜には上町発着の列車が数本設定されているが、基本的に三軒茶屋~下高井戸間の全区間を通して運転されている。日中時間帯はおおむね6分間隔。 また、12月・1月の15日・16日に開催される「世田谷ボロ市」開催日には臨時列車も運転されて本数が増える。 車両 現在の車両 300系 バリアフリー化と冷房化を目的に1999年に登場。機器類の一部をデハ80形から流用している。 下高井戸方のA車と三軒茶屋方のB車からなる連接構造の2両編成で、車両間の行き来が可能である。 座席は進行方向に向かって窓側に1席ずつ配置されており、優先席にはロングシートも備えられている。座席の形状は301編成~304編成と305編成~310編成で若干異なっているほか、モケットは10編成中3パターン存在したが、2013年度から順次張り替えられ、5050系の旧デザインと同じものに統一された。 車両床面の高さは従来車よりも30cm低いものの、それでもホームに段差が生じていたため、306編成までには1段のドアステップと床下格納型の車いす昇降装置が設置されていたが、2001年2月10日の終電後一斉にホームを40cmかさ上げする工事が行われたためこれらの装置は廃止されたが、今でもその跡が残っている。 307編成以降はホームかさ上げ後に登場したため、これらの装置は当初より設置されていない。 10編成全てで車体カラーが異なっており、非常にカラフルなものになっている。車体に広告が施されていることも多い。 各編成のカラーリングは以下の通り。 編成 カラーリング 301F 玉電カラー 302F モーニングブルー 303F クラッシックブルー 304F アップルグリーン 305F チェリーレッド 306F レリーフイエロー 307F ブルーイッシュラベンダー 308F サンシャイン 309F バーントオレンジ 310F ターコイズグリーン ギャラリー 出典はいずれも『日本の旅・鉄道見聞録』より。 旧玉川線塗装の301F(撮影 三軒茶屋駅) モーニングブルー塗装の302F(撮影 三軒茶屋駅) クラシックブルー塗装の303F(撮影 下高井戸駅) アップルグリーン塗装の304F(撮影 山下駅) チェリーレッド塗装の305F(撮影 山下駅) レリーフイエロー塗装の306F(撮影 山下駅) 登場当初の307F。当時は白色のカラーリングだった(撮影 下高井戸駅)。 現在の307F。ブルーイッシュラベンダーの塗装が施されている(撮影 三軒茶屋~西太子堂間) サンシャイン塗装の308F(撮影 三軒茶屋駅) バーントオレンジ塗装の309F(撮影 三軒茶屋駅) ターコイズグリーン塗装の310F(撮影 三軒茶屋駅) また、イベントなどにより特別な塗装にデザインされたこともある。 301編成はアルプスグリーン一色のカラーリングで、「長谷川町子美術館」協力のもと天才サザエボンのラッピングが施されていた。その後、後述するデハ200形の登場50周年を記念して、2005年11月からは玉電カラーになっている。 310編成は玉電開通100周年を記念して、旧玉川線の廃止時に運行されていた「花電車」のラッピングになり、前面にヘッドマークをつけて2006年11月25日から2007年3月31日まで運行された。 305編成は2017年4月から2018年3月末までの1年間、玉電開通110周年を記念して開業当時の茶色と白を基調としたデザインにラッピングされていた。 クリックで展開・収納 出典 日本の旅・鉄道見聞録(三軒茶屋) 308編成は2017年9月25日から2018年3月末まで、同じく玉電開通110周年記念の一環として招き猫をモチーフとしたラッピングになり、内装にも招き猫型のつり革や猫の足跡が施された「玉電110周年記念 幸福の招き猫電車」として運行された。 その後、2019年4月19日には世田谷線50周年記念の一環で1年ぶりの復活が発表され、5月12日から運行を開始。復活後は車体前面に猫耳が追加されている。 クリックで展開・収納 出典 日本の旅・鉄道見聞録(宮の坂) blankimgプラグインエラー:画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 現在運行されている、猫耳が追加されたものはこちら。 出典 Wikipedia(三軒茶屋) 過去の車両 デハ80形 1949年から導入された車両。世田谷線移籍に際しては2両連結化されたが、通り抜けはできなかった。 一部の車両は江ノ電に譲渡され、このうちデハ87形は里帰りして宮の坂駅に静態保存されており、日中時間帯は車内に入ることも可能。 ただし搬入時に方向を間違えたため連結部が道路側に丸見えである。 現在は世田谷線の歴史資料館的な側面があり、歴代車両の写真が展示されている。 デハ200形 1955年に導入された車両。近代化を狙って最新技術を盛り込んだ設計が特徴で、その意匠は鉄道線に導入されていた初代5000系に近い。 しかし、近代的すぎる設計があだとなって故障が相次ぎ、玉川線廃止とともに運命をともにした。 デハ150形 1964年に導入された玉川線としては最後の新車。 同時期に鉄道線に導入されていた初代7000系にも似た角ばった外見が特徴。 駅一覧 全駅が世田谷区に所在。 途中駅は全て相対式ホーム2面2線。踏切を挟んでホームが独立しているため、反対側のホームへ移動するには踏切を渡る必要がある。 ※の駅は平日7時40分~8時40分の上りホームに駅員が配置されて運賃収受を行うほか、全てのドアから乗降できる。 SG01 三軒茶屋(さんげんぢゃや) 田園都市線乗り換え。ただし田園都市線は三軒茶屋交差点の地下にあり通路を通るため、乗り換えにはそれなりに移動を要する。 乗降ホームが分かれている2面1線の構造で、キャロットタワーの1階にある。線内では唯一の売店があるほか、降車ホーム側には改札がないので通路としても利用されており、西太子堂方には車椅子利用者のためのスロープが設置されている。 当初は三軒茶屋交差点手前(*1)にホームがあったが、キャロットタワーの開発などを含む周辺の再開発によって西太子堂方へ移転・新築されて現在の位置になった経緯があり、その関係で当駅には0キロポストがなく、0.2kmから始まっている。 ちなみに、開業当時は駅の手前に分岐器を設置して二子玉川園方面と下高井戸方面に分岐し、現在の世田谷線側には2面2線の相対式ホームが設置されたが、前者には下り線に安全地帯が設置されたのみで、上り線は最後まで直接道路上から乗降を余儀なくされていた。 SG02 西太子堂(にしたいしどう) 途中駅では上下線とも出入口が1か所しかない唯一の駅である(*2)。 当初は「西山駅」として開業し、1939年10月16日より現在の駅名に改称された。 ※SG03 若林(わかばやし) 警視庁世田谷少年センターの最寄り駅。 当初は「玉電若林駅」で、世田谷線に移行した1969年5月11日に現在の駅名になった。かつては上りホームの三軒茶屋方入口に売店があった。 ※SG04 松陰神社前(しょういんじんじゃまえ) その名の通り、幕末の思想家・吉田松陰を祀る松陰神社の最寄り駅。世田谷区役所・世田谷合同庁舎や若林公園も近くにある。 普段は無人駅だが国士舘大学世田谷キャンパス(中学校・高校も含む)の最寄り駅でもあるため、入試日には駅員が臨時配置され、運賃の受領や乗降整理などを行うことがある。 車内放送では世田谷区役所の最寄り駅としてアナウンスされている。 ※SG05 世田谷(せたがや) 開業当初の終点駅。東京都世田谷区世田谷にある世田谷線の世田谷駅と、市区町村名・町名・路線名・駅名が完全一致するという全国でもたぐいまれな駅。円光院の最寄り駅である。 こちらも普段は無人駅だが、世田谷ボロ市開催日には駅員が配置される。 世田谷1号踏切の道拡幅により、2013年3月31日からはホームが三軒茶屋方に約10m移設されている。 SG06 上町(かみまち) 世田谷代官屋敷・世田谷郷土資料館・世田谷城阯公園・東京医療保健大学世田谷キャンパスの最寄り駅。 下りホーム側に雪が谷検車区上町班が併設されており、当駅発着の列車がある。ホームの位置が若干離れており、下りは三軒茶屋方に、上りは下高井戸方にある。 ホームの長さは4両分あるが、普段は柵で仕切られており、車両交換が行われる際に開放される。 上りホームには駅事務所(2022年4月15日をもって営業終了)と世田谷線の駅では唯一のトイレ、そして途中駅では唯一の改札がある。 かつては下りホームの下高井戸方に売店が存在した。 ※SG07 宮の坂(みやのさか) 地名としては「みやさか」(宮坂)と読む。下りホーム側に世田谷区宮坂区民センターがあり、前述のデハ80形が保存展示されている。 かつては下りホームに売店があったが、昭和60年代に火災を起こして閉店した。 「招き猫」の由来とされている豪徳寺の最寄り駅でもあり、世田谷八幡宮や世田谷区宮坂区民センター、鷗友学園女子中学校・高校の最寄り駅でもある。 元々は、上町方にあった豪徳寺前駅と山下方にあった旧・宮ノ坂駅を統合する形で「宮ノ坂駅」として開業したが、1966年1月20日に現在の駅名に改称されている。 ※SG08 山下(やました) 小田急線(豪徳寺駅)乗り換え。 途中駅では唯一の接続駅でもある。かつては上りホームの下高井戸方に売店があった。 SG09 松原(まつばら) 当駅を挟む駅間距離は0.8kmと、世田谷線内では最も長い。京王井の頭線の東松原駅は同じ松原地区で、その名の通り当駅よりも東に位置しているが、少し離れているので乗り換えには適さない。 当初は「玉電松原駅」で、世田谷線に移行した1969年5月11日に現在の駅名に改称された。 SG10 下高井戸(しもたかいど) 京王線乗り換え。東急電鉄最北端の駅でもある。 日本大学文理学部・都立松原高校・下高井戸シネマの最寄り駅。 三軒茶屋と同じく乗降ホームが分かれている2面1線のホームで、松原方にも改札があるが夕方と平日朝のみ利用可能。降車専用ホームは当駅の東西を結ぶ自由通路の役割もある。 ホームは京王線と並行する形で設置されている。前述のように軌間が同じことから、かつては線路がつながっていた時期があり、第二次世界大戦中は旧玉川線の大橋工場と京王線の桜上水工場を結ぶ部品配給列車が走っていたこともある。 廃駅 ●豪徳寺前(ごうとくじまえ) 上町~旧・宮ノ坂間。1945年7月15日に旧・宮ノ坂駅と統合され、同駅との中間に新・宮ノ坂駅(現 宮の坂駅)が誕生した。 ●宮ノ坂(みやのさか) 宮の坂~山下間。1945年7月15日に豪徳寺前駅と統合される形で消滅。 現在の駅名と異なり、カタカナの「ノ」となっている。 ●六所神社前(ろくしょじんじゃまえ) 現在の山下~松原間。1949年9月1日に廃止され、当駅を移設する形で玉電松原駅(現 松原駅)が誕生したが、実態としては七軒町との統合という側面が強い。 ●七軒町(しちけんちょう) 現在の松原~下高井戸間。1949年9月1日に六所神社前と統合される形で廃止され、玉電松原駅(現 松原駅)が誕生した。 駅番号 駅名 駅間距離(km) 累計距離(km) 接続路線 SG01 三軒茶屋 - 0.0 田園都市線 SG02 西太子堂 0.3 0.3 SG03 若林 0.6 0.9 SG04 松陰神社前 0.5 1.4 SG05 世田谷 0.5 1.9 SG06 上町 0.3 2.2 SG07 宮の坂 0.5 2.7 SG08 山下 0.7 3.4 小田急線(豪徳寺駅) SG09 松原 0.8 4.2 SG10 下高井戸 0.8 5.0 京王線 その他の施設 若林踏切 三軒茶屋方に環七通りを横切る踏切で、正式名称は西太子堂5号踏切。 踏切と言っても遮断機はなく、通常の交差点と同じように「信号機」によって交通が制御されている。 電車が接近してもすぐに自動車信号が赤になるわけではなく、逆に電車の方が踏切手前で停止する。軌道回路上に設置されたゾーンに電車が進入すると環七通りの道路信号にその情報が伝達され、自動車信号が青から赤に変わる仕組みである。 元々は遮断機のある普通の踏切だったが、環七通りの交通量増大を受けて1966年から現在の形となった。立体交差の話も出たらしいが、現在も維持されている。 車両基地 上町駅に「雪が谷検車区上町班」が設置され、ここで整備や車体の全般検査を行う。台車や床下機器などの検査はトラックで輸送して長津田車両工場で実施される。 1969年の玉川線廃止・世田谷線改称とともに「上町検車区」として発足。1977年には長津田車両工場に吸収合併されて「長津田車両工場上町班」、1983年には長津田検車区に移管されて「長津田検車区上町班」になり、2000年8月6日には雪が谷検車区に移管されて現行の名称になっている。 追記・修正は上町発着の電車に乗った方がお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 結構、有名人が利用してるんだよな -- 名無しさん (2015-01-12 14 50 23) 豪徳寺に招き猫買いに行った思い出。のんびりしてていいよな。 -- 名無しさん (2015-01-12 22 19 48) 項目作成サンクス -- 名無しさん (2015-01-13 17 06 00) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/tamaexp/pages/16.html
概要 現在の相武道志本線の原形を作った会社は、甲武高速度電気鉄道、相武電気鉄道である。甲武高速度電気鉄道は、当初新甲武鉄道という名称で1908年に「九段下から新宿、高井戸、是政、橋本、道志、都留を経て甲府へ至る鉄道及び途中の道志渓谷から奥道志へ至る奥道志線」免許申請し、本線是政〜東都留間と奥道志線全線を開業させた。相武電気鉄道は、1925年に鉄道敷設免許が下布され、翌年会社を設立し、1927年には残りの計画区間も着工したが、長らく資金難に付き着工は困難を極めた。1929年に大橋電気鉄道が親会社になり、そこからの支援を受け、淵野辺〜久所を建設開始し、1931年にやっと開業に漕ぎ着けた。 相武電気鉄道は2005年に倒産した為、玉川急行電鉄に路線継承されたが、会社そのものは車両保有会社「相武鉄道車両株式会社」に改称して現存している。 年表 1908(明治41年)年 新甲武鉄道、本線九段下〜新宿〜高井戸〜是政〜橋本〜道志〜都留〜甲府間及び奥道志線道志渓谷〜奥道志間の鉄道敷設免許を出願。 1911(明治44年)年 新甲武鉄道株式会社が資本金50万円で設立。 1913(大正2年)年 新甲武鉄道、是政〜唐沢間着工。 1916(大正5年)年 新甲武鉄道是政〜唐沢間開業。 1917(大正6年)年 新甲武鉄道唐沢〜道志間を着工。 1920(大正9年)年 新甲武鉄道唐沢〜道志間開業。同時に社名を甲武高速度電気鉄道株式会社に変更。 1921(大正10年)年 甲武高速度電気鉄道 旧玉川急行電鉄に買収。同社の道志線となる。 1924(大正13年)年 道志〜道志渓谷間着工。 1925(大正14年)年 相武電気鉄道、淵野辺〜久所間の鉄道免許下布。 1926年(大正15年)年 相武電気鉄道株式会社が資本金50万円で設立。 1927(昭和2年)年 相武電気鉄道、溝口〜淵野辺間及び、久所〜愛川田代間の鉄道免許下布。 1928(昭和3年)年 大橋電鉄が相武電気鉄道を傘下に入れる。 1929(昭和4年)年 相武電気鉄道を経済支援する。同時に着工。 1931(昭和6年)年 久所駅〜淵野辺駅間が開業。 1933(昭和8年)年 溝口〜淵野辺間及び久所〜愛川田代間を着工。 1935(昭和10年)年 恵比寿〜溝口間及び愛川田代〜御岳神社間の鉄道敷設免許下布。 1936(昭和11年)年 恵比寿〜溝口間を着工。 1937(昭和12年)年 溝口〜淵野辺間及び久所〜愛川田代間開業。同時に道志線、林間都市線を譲渡。仮処置として東京横浜電鉄大井町線との直通運転を開始。 1938(昭和13年)年 愛川田代〜関宮前間着工。 1939(昭和14年)年8月 恵比寿〜溝口間開業。大井町線との直通運転廃止。 同年 11月25日 陸上交通調整法により、町田電気鉄道を買収。 1941(昭和16年)年 愛川田代〜関宮前間開業。 1942(昭和17年)年 半原相模関山麓隧道着工。 1943(昭和18年)年 陸上交通調整法により、相武電鉄が玉川急行電鉄に吸収合併。また、玉川急行電鉄自体も東急傘下に入る。 1945(昭和20年)年 太平洋戦争の戦況悪化の為、隧道の工事を中断。 1947(昭和22年)年 玉川急行電鉄が東急傘下を外れ、町田電鉄、相武電鉄が玉急から独立。 1949(昭和24年)年 隧道の着工再開。 1950(昭和25年)年 道志渓谷から奥道志・山中湖・勝山方面への延長免許下布。 1951(昭和26年)年 隧道が完成。同時に特急を運行開始。 1952(昭和27年)年 道志傾向〜奥道志間開業。道志線の御岳神社駅〜奥道志駅間が相武本線に統合。残留区間は、橋本線に解消。 1953(昭和28年)年 道志〜旭日町間とそこを通る道志平野隧道が着工。 1955(昭和30年)年 渋谷〜恵比寿間の鉄道敷設免許を下布。 1959(昭和34年)年 道志〜旭日町間が開業。 1961(昭和36年)年 旭日町〜勝山間を着工。 1964(昭和39年)年 南渋谷駅〜恵比寿駅が開業。 1965(昭和40年)年 旭日町〜勝山間開業。 同年9月 勝山〜根原〜富士宮間の延伸免許下布。 1966(昭和41年)年 勝山〜富士山麓駅間を着工。 1967(昭和42年)年 運輸省S42ATS通達を受け、全線にATSを導入。 1969(昭和43年)年 旭日町駅〜富士山麓駅間開業。 1973(昭和48年)年 富士山麓駅〜根原駅間着工。 1977(昭和52年)年 富士山麓駅〜根原駅間開業。全線開業。 1981(昭和56年)年 根原駅〜大石寺駅間着工 1986(昭和61年)年 開業延期 1989(平成元年)年 再度開業延期 1993(平成5年)年 根原駅〜大石寺駅間の着工中止。 1996(平成8年)年 富士宮駅〜大石寺駅間が着工。 1999(平成11年)年 富士宮駅〜大石寺駅間が開業。 2005(平成17年)年 相武電鉄が倒産。相武は同時に民事再生法申請。結局、親会社だった玉川急行電鉄が支援し、鉄道からの撤退。富士宮駅〜大石寺駅間を別会社に分離。それ以外の路線は玉川急行電鉄が継承。なお、同社は現在も相武鉄道車両という形で現存している。 2008(平成20年)年 一部区間でIC導入。 駅 駅名 駅間キロ 累計キロ 各停 快速 準急 区間急行 急行 恵比寿駅 0.0 0.0 ● ● ● ● ● 上目黒駅 1.2 1.2 ● ● ● ● ● 目黒中町駅 1.1 3.2 ● - - - - 碑文谷駅 1.0 4.2 ● ● ● ● ● 目黒八雲駅 1.2 5.4 ● - - - - 東深沢駅 1.1 6.5 ● - - - - 等々力中町駅 1.2 7.7 ● ● - - - 東上野毛駅 0.5 8.2 ● ● ● - - 北見方駅 1.4 9.6 ● - - - - 溝口駅 1.7 11.3 ● ● ● ● ● 梶谷駅 0.9 12.2 ● - - - - 宮崎駅 1.4 13.6 ● - - - - 宮前駅 0.8 14.4 ● - - - - 本鷺沼駅 1.2 16.6 ● ● ● ● ● 中山駅 1.1 17.7 ● ● - - - 荏田駅 1.2 18.9 ● ● ● - - 大場町駅 1.2 20.1 ● ● ● - - 中里駅 1.2 21.3 ● ● ● ● ● 王禅寺駅 1.6 22.9 ● ● - - - 柿生駅 1.2 24.1 ● ● ● ● ● 能谷駅 1.1 25.3 ● - - - - 本鶴川駅 1.4 26.7 ● ● ● ● ● 袋橋駅 1.4 28.1 ● - - - - 町田並木駅 1.2 29.3 ● - - - - 図師駅 1.3 30.6 ● ● ● - - 境川駅 1.6 32.2 ● ● - - - 淵野辺駅 1.3 35.5 ● ● ● ● ● 矢部新田駅 1.8 37.3 ● - - - - 上溝駅 1.4 38.7 ● ● ● ● ● 浅間森駅 1.0 39.7 ● ● - - - 田名石神平駅 1.5 41.2 ● ● - - - 久所駅 1.2 42.4 ● ● ● ● ● 小沢駅 0.9 43.3 ● ● - - - 愛川駅 1.4 44.7 ● ● ● ● ● 角田駅 1.2 45.9 ● ● | | | 愛川田代駅 1.2 47.1 ● ● | | | 半原駅 1.5 48.6 ● ● ● | | 北半原駅 1.6 50.2 ● ● | | | 関宮前駅 2.2 52.4 ● ● | | | 御獄神社駅 2.4 54.8 ● ● ● ● ● 青野原駅 2.0 56.8 ● ● ● | | 荒井沢駅 2.3 58.1 ● ● ● | | 唐沢駅 1.8 59.9 ● ● ● ● ● 神之川駅 2.2 62.1 ● ● ● | | 小椿駅 3.5 65.6 ● ● ● | | 大栗駅 1.2 67.8 ● ● ● | | 道志駅 1.3 68.1 ● ● ● ● ● 滝原駅 2.3 70.4 ● ● ● ● | 道志渓谷駅 2.2 72.6 ● ● ● ● ● 丸杉荘前駅 2.0 74.6 ● ● ● ● | 道志板橋駅 2.1 76.7 ● ● ● ● ● 村長駅 2.5 79.2 ● ● ● ● | 奥道志駅 1.1 80.3 ● ● ● ● ● 上平野駅 4.1 84.4 ● ● ● ● ● 中平野駅 2.9 87.3 ● ● ● ● ● 下平野駅 1.5 88.8 ● ● ● ● ● 湖岸平野駅 1.9 90.7 ● ● ● ● | 湖山荘駅 1.2 91.9 ● ● ● ● ● 旭日町駅 2.0 93.9 ● ● ● ● ● 東旭日町駅 1.2 95.1 ● ● ● ● - 山中駅 2.1 97.2 ● ● ● ● ● 山中湖インター前駅 2.1 99.3 ● ● ● ● ● ■■忍野駅 1.5 100.8 ● ● ● ● ● ■富士散策公園駅 1.5 102.3 ● ● ■上吉田駅 1.3 103.6 ● | ■新屋駅 1.2 104.8 ● ● ■上宿駅 1.1 105.9 ● ● ■新西原駅 1.2 107.2 ● | ■富士急ハイランド駅 0.9 108.1 ● ● ■河口湖駅 1.7 109.8 ● ● ■河口湖大橋駅 1.4 111.2 ● ● ■八木崎公園駅 0.9 112.1 ● ● ■東勝山駅 1.3 113.4 ● ● ■勝山駅 1.1 114.5 ● ● ■南勝山駅 1.2 115.7 ● ● ■小立駅 1.6 117.3 ● ● ■■富士河口湖町駅 1.8 119.1 ● ● ● ● ● 船津駅 2.7 121.8 ● ● ● ● ● 富士スバルランド前駅 2.5 124.3 ● ● ● ● ● 富士山麓駅 1.9 126.2 ● ● ● ● ● 駅名 駅間キロ 累計キロ 普通 富士鳴沢駅 3.6 126.9 △ 大室山本栖駅 3.8 130.7 △ 東富士ヶ嶺駅 2.6 133.3 ● 富士ヶ嶺駅 2.1 135.4 ● 根原駅 5.2 140.6 ● 使用車両 現有車両 200形 300形 500形 600形 700形 800形 過去に保有していた車両 100形
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/756.html
陸奥国 河沼郡 牛沢組 持寄(もちより)村 大日本地誌大系第33巻 147コマ目 府城の西に当り行程8里11町。 家数4軒、東西30間・南北1町。 東に山を負い西は只見川に臨む。 東11町、北1町30間、共に小野川村の界に至る。その村は東に当り22町。 西30間麻生村に界ひ只見川を限りとす。その村まで3町。 南6町5間大沼郡滝谷組檜原村の界に至る。その村まで11町余。 山川 大定里山(おほちやうりやま) 村東にあり。 高70丈。東は小野川村に属し峯を界ふ、 この山の南の半腹を越えて小野川村にゆく。 只見川 村西にあり。 檜原村の境内より来り、北に流るること5町余小野川村の界に入る。 水利 堤 村東5町にあり。 東西14間・南北26間。 神社 熊野宮 祭神 熊野宮? 相殿 稲荷神 山神 鎮座 不明 村東1町山麓にあり。 鳥居拝殿あり。出倉村舟木伊勢これを司る。 Google Map大定里山/所窪山持寄と小野川の間にある山ということで比定。テレビの中継局があります。 持寄地区 麻生の渡し広場 余談。 熊野宮はどこに?
https://w.atwiki.jp/japangov/pages/141.html
市町村一覧 市 長野市 松本市 上田市 岡谷市 飯田市 諏訪市 須坂市 小諸市 伊那市 駒ヶ根市 中野市 大町市 飯山市 茅野市 塩尻市 佐久市 千曲市 東御市 安曇野市 町村 小海町 川上村 南牧村 南相木村 北相木村 佐久穂町 軽井沢町 御代田町 立科町 青木村 長和町 下諏訪町 富士見町 原村 辰野町 箕輪町 飯島町 南箕輪村 中川村 宮田村 松川町 高森町 阿南町 阿智村 平谷村 根羽村 下條村 売木村 天龍村 泰阜村 喬木村 豊丘村 大鹿村 上松町 南木曽町 木祖村 王滝村 大桑村 木曽町 麻績村 生坂村 山形村 朝日村 筑北村 池田町 松川村 白馬村 小谷村 坂城町 小布施町 高山村 山ノ内町 木島平村 野沢温泉村 信濃町 小川村 飯綱町 栄村
https://w.atwiki.jp/wiki6_piro/pages/1760.html
和田家住宅 わだけじゅうたく 岐阜県白川村にある、江戸時代に建てられた民家。 荻町最大の合掌造り住宅。 江戸中期の建築とみられ、重要文化財。 和田家は、1573年(天正元)以来、代々弥右衛門の名を継ぎながら名主を務め、火薬の原料となる塩硝の取引も許された。 式台付きの玄関などに格式の高さがうかがえる。 所在地 岐阜県大野郡白川村荻町山越997 料金 300円 時間 9 00~17 00 休館日 不定休 関連項目 タグ 住宅建築 岐阜県 歴史 歴史的建造物 民家 江戸中期 白川村 茅葺き 重要文化財
https://w.atwiki.jp/qtrain/pages/55.html
601 (江ノ島電鉄600形) 世田谷区立宮坂区民センター(MAP) 写真提供 刑事長:撮影 2017/03/31 最新の情報提供 刑事長:情報更新年月日 2017/04/14 現在の状況 静態保存。内部公開あり 管理者 世田谷区 協力募集 補修整備のため、クラウドファンディングで寄付を受け付けていた。 備考:元東急デハ87(玉川電鉄45→東急電鉄デハ29→鋼体化改造でデハ104に改番→東急玉川線廃止で世田谷線に転籍、デハ87に→江ノ島鎌倉観光に譲渡、600形601に)ということもあり、世田谷線の宮の坂駅のそばにあるこの地に保存された。(ただし、世田谷線では僅か1年ほどの所属)塗装含め江ノ電時代のまま保存。 床下機器はほとんど撤去。なお編成を組んでいた651の先頭部は、「江ノ電もなか」の製造元、「扇屋」で保存され、作業場として利用されている。
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/3972.html
NKKスイッチズ 本店:川崎市高津区宇奈根715番地1 【商号履歴】 NKKスイッチズ株式会社(2014年4月1日~) 日本開閉器工業株式会社(1953年12月11日~2014年4月1日) 【株式上場履歴】 <東証JASDAQ>2013年7月16日~ <大証JASDAQ>2010年4月1日~2013年7月15日(東証に統合) <ジャスダック>2004年12月13日~2010年4月1日(取引所閉鎖) <店頭>1988年9月26日~2004年12月12日(店頭登録制度廃止) 【沿革】 昭和28年12月 東京都大田区山王において、現会長大橋重雄が日本開閉器工業株式会社を設立。各種スイッチの開発、販売を開始 昭和32年10月 東京都大田区南馬込に本社社屋を完成移転 昭和37年3月 生産増強のため、神奈川県川崎市高津区に玉川工場を新設 昭和42年2月 中小企業庁より合理化モデル工場の指定を受ける 昭和46年5月 関西地区の拡販及びサービスの向上のため、大阪府摂津市に大阪出張所を開設(昭和57年4月営業所に改組、大阪市淀川区に移転) 昭和47年9月 生産子会社岩崎マニファクス㈱を生産増強のため、福島県いわき市平に設立 昭和48年4月 生産子会社横浜パイオニクス㈱を生産増強のため、神奈川県横浜市戸塚区に設立 昭和48年10月 玉川工場に生産管理センターを建設(平成3年3月建替及び増築により新社屋を建設) 昭和55年10月 新接触機構による極超小形スイッチ「サーキットボーイ・シリーズ」を開発 昭和55年12月 超小形スイッチについて、日本電子部品信頼性センター(RCJ)品質認証に合格 昭和56年3月 販売子会社NKK Switches of America, Inc. を北米地区の拡販及びサービス向上のため、アメリカ・アリゾナ州に設立 昭和57年4月 中京地区の拡販及びサービスの向上のため、愛知県名古屋市西区に名古屋出張所を開設(昭和61年6月営業所に改組、名古屋市中村区に移転) 昭和58年3月 小形スイッチについて防衛庁規格(DSP)を取得 昭和60年2月 生産管理及び製品流通管理の向上、充実を図るため、玉川工場に新館を建設 昭和60年12月 わが国最小のトグルスイッチを開発 昭和63年2月 極超小形スイッチ「サーキットボーイ・シリーズ」スイッチ部門では世界で初めて国際規格IECQ認証に合格 昭和63年9月 東京店頭市場に株式を登録 平成元年3月 合理化モデル工場として通商産業大臣より表彰を受ける 平成4年11月 産業用スイッチの業界で、わが国初の国際規格(ISO9001)を取得 平成6年7月 本社業務の玉川工場への統合(平成6年3月)を機に本店所在地を東京都大田区より神奈川県川崎市に移転 平成7年12月 生産子会社横浜パイオニクス㈱が国際規格(ISO9002)を取得 平成10年6月 国際環境マネジメントシステム規格(ISO14001)を取得 平成10年8月 生産子会社岩崎マニファクス㈱が国際規格(ISO9002)を取得 平成13年7月 中国での組立加工製品の品質管理と当社への製品の販売を目的として香港に子会社として日開香港有限公司を設立 平成16年7月 香港子会社、日開香港有限公司にて中国での組立加工及び組立加工製品の品質管理を目的に中国工場設立 平成16年12月 株式会社ジャスダック証券取引所へ株式を上場
https://w.atwiki.jp/tamaexp/pages/15.html
玉急1100系電車とは、玉川急行電鉄の通勤型電車。現在は製造中。なお、製造は中川・京極鐡道車両製作所一社のみ。 概要 この車両は、京川高速鉄道中川駅付近にある中川・京極車両製作所の中川工場で製造され、甲種回送は中川・京極鐡道車両製作所中川工場を出発後、松川駅からJR/東北新交通の東北本線に入線。その後福島駅で折り返し、大宮から東北貨物線を通って田端操車場で山手貨物線に入線し、新宿で折り返して中央線に入り八王子駅まで行き構内で停泊。翌日八王子駅から横浜線に入り長津田の渡り線で田園都市線に入線、二子玉川から砧線を自走、成城線大蔵工場に入場した。3日後に、試運転を開始。2015年10月10日正式に運転を開始した。