約 3,691,857 件
https://w.atwiki.jp/flaita/pages/521.html
FLASHダービー 概要 2004年3月~6月にかけて行なわれたオンラインイベント。 投票によって優秀作品を決める方式。また優勝者にはFlash★Bomb'04(以下FB)への出展枠が用意された。 公式サイト 主催・運営:モナ倉 協賛:FLASH50 投票システム:TeamFlashSozai 開催経緯 当時「FBは有名職人や、FB主催とコネがある職人しか出られない」と、一部の職人から愚痴ともなく言われていたことにモナ倉が同調。モナ倉自身が出ない替わりに、本イベント出展作品で最も投票数が多いものに、その枠を譲るという企画がなされた。 FBは場所を借りてのオフラインイベントであるため、時間制限=出展数の決定がシビアである。 モナ倉自身、FLASH板からの引退を決めていた。 後に「一度見た作品と全く同じものをFBで見てもつまらないのでは?」という意見により、優勝した職人はFBに新作または続きで参加するという条件が付加された。 優勝者 無精髭が作品「無題」で優勝し、その年のFB'04に参加した。 功罪 その意図はともかく、本イベントを巡ってFLASH板は大いに荒れた。なおイベント自体は最後まで行なわれ、当時無名とも言える無精髭氏が優勝して無事FBにも参加。イベント本来の目的は果たした。 開催時期・手法を巡っての問題 開催が直前まで秘匿され、板住人・職人にとって「寝耳に水」だった。 開催時期が他のイベントにかぶっていたため、他イベントの主催者・参加者などが猛反発した。 スレなどで自然発生したものではなく、個人アイデアによっていた。 途中でルール変更があるなど、少なからずの混乱があった。 ダービー=競馬にこだわりすぎ、また公式サイトのセンスが悪かった。 職人間の上下を決めるものだと反発があった。 →この点については「ボカシをかけた投票状況グラフ」や「1位以外の投票数未公開」という形で運営に反映された。 反対者の動き 対抗イベント「糞フラダービー」が開催された。 便乗した個人叩きも散見された。 FB運営メンバーとの関係 協賛または公認としてFLASH50の名前が出てくるのは、優勝職人のFB出展という「特典提供」を、FLASH50が企画段階でモナ倉に約束したためであり、本イベントの運営自体にFB運営メンバーは関わっていない。また、モナ倉自身もFB運営メンバーではない。しかしFB対反FBの着火点となったことからも分かるように、FB運営メンバーが関わっているという誤認は多い。 評価 新しい職人を生み出すという目的は達成しているものの、FLASH板住民が分裂する1つのポイントとなったのは事実であり、その功罪が問われている。
https://w.atwiki.jp/flaita/pages/194.html
紅白FLASH合戦 概要 毎年年末にFLA板で行われるイベント。 紅組と白組に別れ投票による対戦が行われる。 第1回は主催者により参加者が決められていたが、第2回からは自由参加となり参加者が爆発的に増え、年末は毎年恒例の一大オフラインイベントデーとなった。 第一回から現在まで、黒作品での参加は認められていない。 第三回においては、黒作品でエントリーし不戦敗となった職人も存在した。(作品は投下されず運営で差し止め。) 主催者・イベント名の変遷 2002年の第一回はまろやかさ?氏が主催を務めていたが、2003年第二回・2004年第三回は運営として知られていたFLASH50氏へ引き継がれた。 2005年には同スタッフ(MUZO)によるオフラインイベントFLASH★BOMBと統合し、slashupとなる。 しかしのまネコ問題以降、MUZOは板外扱いされるようになったため、これとは別に板独自の年末イベント(紅白闇鍋祭等)が頻発。 一年飛んで2007年、再度年末イベントを統合しようという動きができ、紅白闇鍋祭とnanameうpのスタッフを中心に、「紅白FLASH合戦2007」が企画され、nanameうp・闇鍋は紅白の一部門として共催される形となった。 slashupは並行して開催され続けている。 紅白07 前述の通り、闇鍋・nanameが統合し再スタート。 紅白・闇鍋・nanameの三部門から成る。 紅白FLASH合戦 いままでの紅白を踏襲した、紅白二軍に分かれた対戦形式で行われる。 闇鍋祭 いわゆる「飛び入り枠」。 エントリーを必要とせず、未完成作品や雑談中にできた即興作品も扱われる。 運営による委託投下もあり。 NANAME エントリー・飛び入りにおいて「媒体に限らず」投下が可能。 動画(Flash)だけでなく、AA・イラスト・コピペ・ゲームのようなプログラム等等、およそ「作品」と呼べる物ならどのような形でも投下でき、新たな媒体を開発する事も可能。 リンク 関連項目 slashup 紅白闇鍋祭 nanameうp 糞紅白 FLASH★BOMB MUZO 外部リンク |||紅白FLASH合戦本部|||(2002-2003) ■□■第2回紅白FLASH合戦本部■□■(2003-2004) ■□第3回紅白FLASH合戦■□(2004-2005 閉鎖) 紅白FLASH合戦2007 【年末準備】統合議論【公式スレ】 紅白FLASH合戦2007 公式スレ
https://w.atwiki.jp/hitkik/pages/34.html
玄箱などの超小型Linux ベアボーン 玄箱 いまや8000円台で購入可能。欲しいが・・・ 価格サイト メーカーページ 玄人志向 玄箱 素箱 RAMは128MBつんでいて、HDDはIDEでBigDrive対応で2台つめる。OSはDebian. Wikipedia 玄箱うぉううぉう ITNAVI.com 玄箱を Debian 化しよう 玄箱うぉううぉうを使った解説。 玄箱で遊ぼう!! データシートにはチップセットなどのハード情報満載。ソフトウエアにはDebian化キットあり。 山下康成さんの、LinkStation/玄箱をハックしよう LinkStation/玄箱 ハックキットなど。BBSもある。 山下康成の きばらないブログ 山下康成さんのBBS ヨッパのサーバー構築 bnote 玄箱 Debian/GLanTank 玄箱/LANDISKを使い倒す 玄箱インストールmemo いろいろなソースをコンパイルインストール smbmount http //www16.atwiki.jp/hitkik/editx/34.html 探す: apt-cache search smbmount 入れる: apt-get install smbfs 使う smbmount //玄箱のIPアドレス /mnt/kurosamba -o username=ユーザーID,password=パスワード, codepage=cp932,iocharset=utf8,uid=500,gid=500 玄箱日本語化 http //blog.yukke.sub.jp/?eid=19291#sequel http //kazz7.air-nifty.com/tekito/2004/12/debian_2.html LinkStation 玄箱のコンデンサ変更 玄箱 CFブート mfdisk -c→mkfs→mount /dev/hda→イメージを展開→再起動 。完全ファンレス、無音の玄箱が起動。能力的にはHDDよりもやや早く起動し、完全な無音状態。 玄箱を静かに HDDアクセスアプリをとめることで静かにする。なるほど。 noflushdをインストール /etc/init.d/sysklogdファイルでSYSLOGD="-m 0" クロ箱とゆかいなぺんぎんたち 削除パッケージ nano exim*10 telnetd ppp pppconfig pppoe pppoeconf proftpd proftpd-common ファンの制御は以下のコマンドで行う。なので、これとhddtempの結果を利用して、シェルスクリプトを作り、cronで仕込んでおく。 ファンの高速回転 # echo -n ']]]]' /dev/AVR00 ファンの低速回転 # echo -n '\\\\' /dev/AVR00 クロ箱をEMモードで起動 EM化 モード切替 玄箱内部のフラッシュROM内にあるLinux2.14で起動した状態を、筆者が勝手に「EMモード」と呼んでいる。 EMモードでは、telnet接続とFTPが使えるようになっている。 EMモード玄箱のIPは、付属のCDにあるファームウェア書き換えソフトで調べられる。 IPが解れば、FTPにてID:root パス:kuroadmin または kuro でアクセスできるようになっている。 玄箱を2.6化した場合にEM化コマンドを使う為には不揮発RAMに特定の値を登録しておく必要があり。 (詳細は:玄箱Debianでのkernelのカーネルの再構築方法 の項目の中) ソフト的なEMモード化 Debianモード>EMモード ※debian2.4化の場合では echo -n "NGNG" /dev/fl3 reboot ※2.6化パッチのカーネルでは echo -n "NGNG" /dev/mtdblock2 reboot ハード的なEMモード移行方法その1 玄箱の背面にあるリセットボタンの動作設定(ボタン長押しでEM化の動作を行うようにする設定) エディタで書き換え vi /etc/kuroevtd/resetpress 以下は2.6化を行った際の設定。変更前のデフォルトでは2.4化対応のはず。 #! /bin/sh /usr/sbin/write_ng /dev/mtdblock2 shutdown -h now ハード的なEMモード移行方法その2 玄箱のカーネル差し替えをミスって、起動しなくなっちゃった時等!? リセットボタンを押しながら電源を入れると、フロントLEDがすべて点滅してビビルが、実はこの点滅のまま使用すると・・・EMモードで動作している。 これでもダメな場合はHDDを取り出して、windowsでフォーマットして再度取り付けて、起動するとEMモードで起動する。 EMモード化された玄箱へのログイン時の注意 EMモード化すると内臓LINUXで起動するため ネットワーク内にDHCPサーバがあればIPは自動割当てされる 。(EMモードの時にLAN内にDHCP鯖が無い場合は、192.168.11.150とか192.168.1.100で立ち上がった気がする) IPが解らない場合は、玄人志向のファームウェア書き換えツールを起動してIP確認。 ログインに必要なIDとパスは HG ID root pass kuroadmin <デフォルトではこんな感じだったかな? ノーマル ID root pass kuro <デフォルトではこんな感じだったかな? EMモードからの復帰 EMモード>Debianモード ※2.4化パッチのカーネルでは echo -n "OKOK" /dev/fl3 reboot ※2.6化パッチのカーネルでは(/dev/fl3は不要かもしれませんが、用心のために) echo -n "OKOK" /dev/mtdblock2 echo -n "OKOK" /dev/fl3 reboot クロ箱で温度測定とファンコン 玄箱でNetBSDを動かす
https://w.atwiki.jp/ogurako/pages/13.html
玄箱に Debian 5.0 (lenny) をインストールする 玄箱のカーネルを2.6に 玄箱 を Debian 化する kuro montavista tmpimage.tgz - Google 検索 玄箱HGのDebianが起動しなくなった (Weblog on mebius.tokaichiba.jp) 玄箱に Debian 5.0 (lenny) をインストールする - Revulo #39;s Laboratory 玄箱のカーネルを2.6に 玄箱 を Debian 化する - bnote 玄箱 - カーネル2.6にしてみる おもにパソコンのこと すみっこのメモ - 玄箱の設定メモ 玄箱HGのOS入れ替え(Debian Sarge) kuro kernel - Google 検索 玄箱用のカーネルをクロス・コンパイルする Index of /pub/linux/kernel/v2.6 玄箱/Debian/カーネル2.6 - Revulo #39;s Laboratory Index of / Man page of USERADD わすれないうちにメモしよう 玄箱のパスワード/ EMモード Setting up TAP HOWTO LS GL lenny - Google 検索 ポケカな親子の日常生活 Linkstation LS-GL Foonas でやり直し すずめのおどりあし LS-GL squeeze化 LinkStation/TeraStation/玄箱/ARM/Debian - PukiWiki 作り直したハックキットの再確認(4)LS-GL (LinkStation/玄箱をハックしよう) 玄箱Proセットアップその3 « 突然消失するかもしれないブログ LS-GLのDebian lenny化リトライ - Killing Time すずめのおどりあし LS-GL Linux化 Buffalo NAS-Central Forums • View topic - (Towards) an armel root-fs image for Freelink いろいろおぼえがき LS-GLにDebian lennyをインストール その3(/5) NAS-Central Forums - Google 検索 Index of /ALL_ARM9/ARMel Lenny
https://w.atwiki.jp/flaita/pages/402.html
FLASH50 概要 もともとは*50スレのサイト管理人である。因みにhydeの身長は156cmである。 俗に「FLA板衰退のA級戦犯の一人」と言われがちだが、そう思っている人間の多くは 「A級戦犯」とはどういった人たちなのかを、殆ど理解していないと思われる。 小林よしのり著の「いわゆるA級戦犯」を熟読しておくことをオススメしておこう。 2007年1月19日に育児休暇中となってから急激にFLA板が衰退したことから見ても、彼女の影響力の強さがよくわかる。 ポッケムキ!
https://w.atwiki.jp/flaita/pages/432.html
Flash黄金時代 概要 FLA板が終わった事を認識し、1999-2007年ごろの、Flashが素人制作のウェブコンテンツとして有名だった頃を懐かしむ言葉。 ニコニコ動画で昔のFlashアニメがアップロードされる際、付けられたタグからこの言葉が生まれた。 黄金時代終焉の時期については、「のまネコ問題まで」や「ニコニコ動画開設まで」など諸説ある。 詳細はFLA板終わったなを参照。 2007年10月、ニコニコ動画にswfファイルをほぼそのままアップロードできるようになった。 これを受けて、カギ氏はFlashムービー制作者の時代が再び訪れるであろう事を予言しているが、それはFLASH製作者各自がどうにかしなければならない問題である事には違いない。他力本願などもってのほかだ。ポッケムキ!
https://w.atwiki.jp/flaita/pages/391.html
FLASH学園祭 概要 学生の職人のみで行われたオフラインイベント。 2006年11月12日に開催された。 外部リンク FLASH 学園祭
https://w.atwiki.jp/flaita/pages/336.html
Flash Battle 概要 Flash Battleとは、一対一の形式で、職人同士がお題に沿った作品を制作し競うバトルである。 月に2度の第1日曜日・第3日曜日の0:00からバトル開始。投票によって勝敗を決める。 第5日曜日のある月は、多人数で作品を競う「激闘祭」も開催される。 参加方法 swfファイルを書き出せるソフトを持つ職人なら、誰でも参加可能。 参加希望者は公式サイトの参加フォームに参加表明をする。 注意 お題の発表から2週間以内で制作し、運営に提出しなければならない。 締切に間に合わなければ不戦敗となる。 現行スレッド 【満員御礼】Flash Battle Round5【新生】 Flash Battle 避難用掲示板(避難所) 公式サイト Flash Battle
https://w.atwiki.jp/flaita/pages/283.html
FLASH EXPO(閃光動画万国博覧会) 概要 micromedia主催で毎年1月~2月頃に大阪で開催されていたオフラインイベント。 イベント終了後には「オンラインフラハク」が開催される。 オープニングムービーは毎回Wslipが担当、'06では執拗に登場する「解除」の文字が話題になりDE JA VUでもネタにされた。 2007年1月20日には同スタッフにより「うらはく」が開催され、この時先行販売されたカードゲームが現在アンチ統一スレッド?等で物議を醸している。 2回目はハッスルやWWEを模したプロレスのような演出になっていたものの、中途半端な出来で評価も微妙だった。みのぷうも、WWEのビンス・マクマホンのように、チョークスラムやベディグリーを食うなどの辛酸を舐める覚悟があったのならば、多少マシなイベントになっていたであろう。そういう意味では惜しいイベントであったともいえる。 みのぷう達にその覚悟があったのなら、の話だけど。
https://w.atwiki.jp/flaita/pages/482.html
FLASH板のタブー 概要 タブー(Taboo)とは、もともとは未開社会や古代の社会で観察された、何をしてはならない、何をすべきであるという形で、個人や共同体における行動のありようを規制する広義の文化的規範である。ポリネシア語tabuが語源。18世紀末にジェームズ・クックが旅行記において、ポリネシアの習俗を紹介する際に用いたことから西洋社会に伝わり、その後世界各地に同様の文化があることから広まった。禁忌という訳語も用いられる。 (以上出展wikipedia) 例としては、マスコミにおける菊(皇室)鶴(創価学会)桜(警察)タブーや電通・東京電力タブー、wikipediaにおける「hydeの身長は157cmタブー」、2ちゃんねるにおける「プロ固定タブー」等である。 本項目に関しては、FLASH板(最悪板アンチ統一すれっどを含む)で見られたタブーについて解説する。 FLASH★BOMB、FLASH50らに関するタブー アンチ統一すれっどに関するタブー 制作者に関するタブー制作者の貴賎に対するタブー 制作者の世代に関するタブー 制作者の学歴に対するタブー 結果的にタブーがもたらしたもの FLASH★BOMB、FLASH50らに関するタブー 2003年から2005年までの1時期、特定のオフラインイベントや、その主催者を完全に聖域化にするタブーが存在した。 詳しくはFLASH★BOMBアンチ統一すれっどを参照されたい。 因みに、他のオフラインイベント関しても、同様の紛争が多少なりとも存在したようだが、FLASH EXPOについてはイベントそのものがごく一部のグループ・地域に限定するものだった為かそれほど大きく広がる事はなく、映夜祭に至っては、完全公募制の自由参加であったため、逆に「オフラインイベントのブランド性」に拘る者などらから、「選考基準を厳格にすべし」等といった叩きがあった程度で収まっている。 ただし、FLASH★BOMBに関して言えば、そのタブーが厳格だったのは2003年に限定され、2004年は選考基準の不透明性と「FLASHダービー」に関する批判が集中。2005年に至っては、イベントのマンネリ化や、更にはのまねこ問題が発生。それに追い討ちをかけるかのように、wosa氏の「FLASH★BOMB終了宣言」のよって、今まで溜め込まれていた板住人の不満が爆発。結果的に、これがFLASH板崩壊のきっかけとなったと言っても過言ではなかった。 アンチ統一すれっどに関するタブー 一見タブーはないと思われがちなアンチスレであるが、巧妙な形で、タブーのようなものは存在していた。 板が発足した当初より、2004年のFLASH★BOMBまでの期間までは、FLASH板は任意ID制であり、いわば人を騙す能力に長けてる人間ならば、いくらでも自作自演が可能だった環境といって差し支えない状態だった。 その為、アンチ統一すれっどが立ち上がった当初は、「昼組、夜組」へと分類し、「昼組→低脳の厨房、夜組→高レベルなアンチ」というイメージ作りに奔走。その当時の「夜組」のメンバー達が、紅白FLASH合戦の運営者、そして後々に遺恨を残すことになる、FLASH★BOMBの立ち上げ人たちである事は、想像に難しくないであろう。 因みに、彼らのメンバーの中には、後にFLASH★BOMBやFLASH50らに対し、決別宣言を行った者も少なくない。 強制ID化後は、そういった巧妙な自作自演はなりを潜めたものの、未だに同様の印象操作を試みようとするものは、後を絶たないようではある。そのような行為に意味があるのかは未知数であるが。 制作者に関するタブー 制作者の貴賎に対するタブー 2ちゃんねるの他の板においても、学歴や地域、企業等において、手前勝手な格付けが繰り返されているのと同様に、FLASH板においても、飽きもせず制作者の格付けが繰り返されていた時期があった。板発足からFLASH★BOMB終了までが、その時期に該当する。 主にその格付けを決定するのは、FLASH板においては、技術力とFLASH★BOMB等の権威のあるオフラインイベントに参加した実績が査定される場合が多い。因みに塚原重義?氏のように、板外で多数の受賞実績のある人物もいるようである。 特にFLASH★BOMB参加実績に関しては聖域化されており、板内でもVIP待遇の扱いを受けていたようである。(例外もある) 逆に、技術力の足りない職人などは冷遇されるケースが多かったようだが、砂糖水氏や高村四郎氏のように、技術力が低いままであっても、ある程度実績を積み重ねていった結果、板の内外において徐々に評価されだすケースもあるので、この限りではない。 制作者の世代に関するタブー 詳しくはゆとり世代を参照 FLASH板は、2002年に発足であるため、板に常駐していた職人の殆どは(2009年現在の)氷河期世代が多くを占めていたと思われる。後に1985年生まれ以降の「ゆとり世代」と呼ばれる者たちが流入してくるようになり、恐らく現在では、その勢力は逆転しているのではないかと思われる。 現在では、ゆとり世代が圧倒的多数となってしまったようで、ゆとり世代に関する批判・ネガティブイメージは、全てタブー化させようとする動きもあるようであるが、ゆとり教育が全て失敗だったことは、文部科学省の役人達も認めていることなので、今となっては無駄な抵抗と言えるだろう。 制作者の学歴に対するタブー これは、必ずしも学歴差別に結びつくわけではない。 元々、FLASH文化の最大の魅力とは、「素人なのに、面白いアニメを見せてくれる、その意外性」だったようである。 確かに、ドラワサビ等が流行った、FLASHブームの初期においてはそのような傾向は見れたようであるが、FLASH板において公開されるFLASH作品の傾向が、「素人が作る面白い作品」ではなく「プロが作ったとしか思えないような、技術力の高い作品」へと変化していくようになる。また、FLASH板の住民が望む作品も、むしろいえば「FLASH板における作品の主流が」、「素人の作った面白い作品」から「技術力の高い作品」へと移っていったわけである。 その背景には、FLASH★BOMBというイベントの問題もあるだろうが、最も大きい原因として、アニメやデザイン系の専門学校に通ってるものや、通っていた者、または美大生やプロ等が、自らを売り込むためにFLASH板を利用していたという背景があったようである。(それはニコニコ動画も同様であるが) 結果的にタブーがもたらしたもの 現在となっては、FLASH板は風前のともし火である。 あの隆盛を誇っていた時期からここまで転落するに至って、こういったタブーがどう影響したかは、もはや知る由もない。 ただしいえることは、こういったタブーを作り出した者たちに共通することは、観客の目を一切無視していること、観客を喜ばそうとう意思を一切感じないこと、更には自分達さえよければそれでいいという、自己中心的さばかりが透けて見えるのは気のせいだろうか。 今後、FLASH文化がどうなるかに関しては、制作者自身の頑張り次第とう事になっている。 以上のタブーが、彼らの頑張りの阻害にならないであろうことを、願って止まないものである。