約 1,357,210 件
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/52362.html
登録日:2022/10/17 Mon 19 30 56 更新日:2024/08/28 Wed 02 37 06 所要時間:約 40 分で読めます ▽タグ一覧 CS KONAMI KONAMI日本シリーズ NPB SMBC SMBC日本シリーズ クライマックスシリーズ コナミ ネタも多い プロ野球 ポストシーズン 三井住友銀行 下剋上 名勝負 所要時間30分以上の項目 日本シリーズ 日本一 短期決戦 秋の風物詩 迷勝負 野球 頂上決戦 予測不能、日本最高峰の決戦 ボクも、戦う。 プロ野球日本シリーズとは、毎年秋に開催されるプロ野球の日本一決定戦である。 正式名称は「プロ野球日本選手権シリーズ」(1953年までは「日本ワールドシリーズ」)。「にほんシリーズ」と呼ばれることも多い。 本項ではリーグ優勝後に実施されるクライマックスシリーズおよびパ・リーグのプレーオフ、二軍の日本シリーズに相当する「ファーム日本選手権」についても記述する。 ●目次 概要 日本シリーズまでの道のりクライマックスシリーズ(CS) プレーオフ(PO)前期優勝と後期優勝チーム対決(1973年~1982年) 勝率1位~3位対決(2004年~2006年) ルール表彰 放送・配信 各年の結果 記録リーグ別記録 球場記録 日本シリーズの対戦カード ファーム日本選手権 概要 2リーグ制に分裂した1950年以降、セントラル・リーグとパシフィック・リーグの優勝チームが日本一の座をかけて争う。 かつてはレギュラーシーズン優勝チーム同士の対決だったが、クライマックスシリーズ(CS)が導入された2007年以降は2位や3位のチームが優勝チームを倒して下剋上する番狂わせが起きる年もしばしばあり、必ずしも優勝チームが出場するとは限らなくなっている。 戦後に始まったこともあり、現在に至るまで中止になった年はない。 2005年~2013年の間は、勝者がさらに「アジアシリーズ」(2009年・2010年のみ「日韓クラブチャンピオンシップ」)に日本代表として参加していた。 各球団の略称は以下の通り。本項では前身球団も同一カウントするが、松竹と近鉄は傍系という観点から基本的に個別のチームとして取り扱う。 ※巨=巨人、神=阪神、中=中日、松=松竹、横=横浜、De=DeNA、ヤ=ヤクルト、広=広島、オ=オ、南=南海、ダ=ダイエー、ソ=福岡ソフトバンク、西=西鉄→西武、映=東映、日=日本ハム、毎=毎日・大毎、ロ=ロッテ、楽=楽天、洋=大洋、急=阪急、近=近鉄 日本シリーズまでの道のり クライマックスシリーズ 日本シリーズ(7戦4勝制) ファーストステージ(3戦2勝制) ファイナルステージ(6戦4勝制、1位は1勝のアドバンテージ) JERA クライマックスシリーズ セ SMBC日本シリーズ ビジター セ・リーグ3位チーム → ファーストステージ勝利チーム → セ・リーグCS優勝チーム ホーム セ・リーグ2位チーム セ・リーグ優勝チーム パーソル クライマックスシリーズ パ vs ビジター パ・リーグ3位チーム → ファーストステージ勝利チーム → パ・リーグCS優勝チーム ホーム パ・リーグ2位チーム パ・リーグ優勝チーム クライマックスシリーズ(CS) 2007年以降はシーズン終了後に両リーグでCSが行われる。 ファーストステージでは2位と3位のチームが対決し、3試合で2勝した方がシーズン優勝チームの待つファイナルステージに進出。ここでは優勝チームに1勝のアドバンテージが与えられ(*1)、これも含めて先に4勝した方が日本シリーズ出場権を得るという仕組みである。 いずれも開催球場は上位チームの本拠地で、引き分けが生じて対戦成績がタイになった場合は上位チームの進出になる。また、ファーストステージの第2戦以降・ファイナルステージの第3戦以降の「引き分け以上で上位チームのステージ勝利が確定する試合」では、最終回の表終了または裏の途中で同点になった時点でコールド扱いになるルールがある。両ステージともに決着がついた時点で終了する。 2020年は新型コロナウイルスの感染拡大に伴う関係で開幕が遅れ、セ・リーグは屋外球場を本拠地とするチームが多いことから雨天中止に備えた予備日を多く確保しておく必要性があったため、2007年の導入以来初の中止が決定。優勝した巨人がそのまま日本シリーズに進出していた。 パ・リーグもファイナルステージ相当の試合のみを4戦3勝制の特別ルールで開催した。 かつては優勝決定後、いわゆる消化試合になって個人記録の達成程度しか見どころがなくなっていたが、CSが導入されたことでAクラスに入れば日本シリーズに出場できたり、後年の開幕戦のホーム開催権を得られたりする可能性が出たため、リーグ優勝決定後もCSの出場をかけたAクラス争いが繰り広げられることも多く、興業面での恩恵も大きい。 実務上は優勝チームがそのまま進出することが大半で、下位チームの出場例は少ない。2位から出場したのは2007年の中日・2014年の阪神・2018年と2019年のソフトバンクの4例、3位からの出場は2017年のDeNAと2010年のロッテの2例のみで(太字は日本一)、下位チーム同士で対決した例は一度もない。 これは1勝分やホーム開催といったアドバンテージはもとより、下位チームはファーストステージを戦うことからある程度疲弊した状態でファイナルステージを迎えざるを得ない一方、優勝チームはいわばシードであることから初戦からエース投手を投入するなど万全の状態で挑むことができる点が大きい。 ただし、CSに限ればファーストステージを3位が勝ち上がった例は多く、特にセ・リーグでは開催がなかった2020年を挟み、2016年から2022年まで8年7回連続で2位チームがファーストステージ敗退になっていた。 また、シーズン勝率5割未満のいわゆる「借金」チームが進出した例もない。ただし交流戦の関係上、理論上は優勝チーム同士でも一方が「借金」になる可能性はある。 プレーオフ時代とは違って年間順位はシーズン内で決定し、CSの成績は反映されない。従って仮に優勝チームがCSで敗れたとしても優勝の権利まで奪われることはなく、逆もまたしかりである。 そのため、リーグ優勝した上で日本一になることを「完全優勝」と呼ぶこともある。 プレーオフ(PO) 2006年までは主にパ・リーグでプレーオフ(PO)が実施された年がある。CSとは違って優勝決定戦の意味合いも持っており、当時は年間勝率に関係なくPOに勝利したチームがそのままリーグ優勝であった。 ただし、POの個人成績はレギュラーシーズンに加算されず、公式記録としてもカウントされない。これはCSや日本シリーズも含めたポストシーズン全体の共通事項である。 前期優勝と後期優勝チーム対決(1973年~1982年) 当時は130試合制で、パ・リーグのみシーズンを65試合ずつの前期(4~6月)と後期(7~9月)に分け、それぞれで順位を決定。優勝チームが異なる場合は5戦3勝制のPOを実施した(前後期とも同一チームが年間優勝の場合は実施なし)。前期と後期、そしてPOと1年で3度の優勝争いを設けて観客動員の確保を期待したいとの考えである。 第1・2戦は前期1位チーム、第3~5戦は後期1位チームをホームとして行われた。なお、理論上は年間4位でも優勝する可能性があるが実例はなく、年間1位でありながら前後期とも優勝できずにPO進出すら逃したチームもない。 年間順位は1位がPOの勝者で、2位以下はPOの結果に関係なく年間勝率順になるため、前後期のどちらかで優勝してもPOで敗れたことで年間勝率の関係で3位になった例もあった(1977年と1981年のロッテが該当)。 CSと同様に年間勝率2位以下からPOに勝利して日本シリーズに出場した例があり、1975年の阪急・1979年の近鉄・1982年の西武が年間2位、1973年の南海が年間3位からそれぞれ出場している(太字は日本一)。 年間勝率2位以下のチームが優勝した場合、年間1位チームが2位に、2位チームが3位にそれぞれ繰り下がることになる。そのため、1973年のロッテは年間勝率2位ながらPOで年間3位の南海が優勝したことで年間順位は3位になっている。 上記のような優勝チームより2位・3位の方が勝率で上回るケースではゲーム差がマイナスになっている。 導入当初は好評を博したが、後期終了後に前期の未消化試合をこなすといった日程面での課題もあった。 一応初年度の1973年のみ、雨天中止による予備日確保の名目で前期と後期の間に約2週間のインターバルを設けていたが、日程があまりに空きすぎるとして1974年以降は前期終了と同時に後期開幕という日程に変更されている。 また、従来の半分の試合数で優勝が決まってしまうことから結果的に消化試合が増加するという問題点もあった。 1980年代に入ると極端に観客動員が減少してしまい、2シーズン制を行う意義が薄れたとして1982年をもって終了した。 いずれも「前期優勝 - 後期優勝」の順。 ・1973年(南海 - 阪急) 前期優勝の南海と後期優勝の阪急が対戦し、南海が3勝2敗で阪急を下して7年ぶり12度目のリーグ優勝を達成。しかし、巨人との日本シリーズでは1勝4敗で敗れ、「V9」を許した。 南海は年間3位であり、史上初めて勝率2位以下のチームが日本シリーズに出場した。前後期制下の10年間で3位チームが出場したのはこの年が唯一である。なお、南海としてはこの年が最後の日本シリーズ出場になった。 一方で、前述の通り阪急は年間勝率1位ながら日本シリーズ出場を逃した史上初のチームになってしまった。 MVPは佐藤道郎。 前期成績 後期成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 南海 38 26 1 .594 優勝 1位 阪急 43 19 3 .694 優勝 2位 ロッテ 35 27 3 .565 2.0 2位 ロッテ 35 22 8 .614 5.5 3位 阪急 34 29 2 .540 3.5 3位 南海 30 32 3 .484 13.0 4位 太平洋 25 30 3 .516 5.0 日拓 5位 日拓 22 37 3 .403 12.0 5位 太平洋 27 34 4 .443 15.5 6位 近鉄 23 38 4 .377 13.5 6位 近鉄 19 25 1 .297 25.0 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 南海 68 58 4 .540 優勝 2位 阪急 77 48 5 .616 -9.5 3位 ロッテ 70 49 11 .588 -5.5 4位 太平洋 59 64 7 .480 7.5 5位 日拓 55 69 6 .444 12.0 6位 近鉄 42 83 5 .336 25.5 ・1974年(阪急 - ロッテ) 前期優勝の阪急と後期優勝のロッテが対戦し、ロッテが3勝ストレート勝ちで4年ぶり4度目のリーグ優勝を達成。日本シリーズでは巨人の「V10」を阻止した中日と対戦し、4勝2敗で24年ぶり2度目の日本一も勝ち取った。 MVPは村田兆治。 なお、ロッテが当時暫定的に使用していた宮城球場では収容人数が3万人に満たなかったため、日本シリーズでは後楽園球場を本拠地として行われた。 また、ロッテは下記の通り2005年は年間勝率2位からPOを制してのリーグ優勝、2010年もリーグ3位からCSと日本シリーズを勝ち上がってそれぞれ日本一になっているため、この年が最後の年間勝率1位になっている(*2)。 前期成績 後期成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 阪急 36 23 6 .610 優勝 1位 ロッテ 38 23 4 .623 優勝 2位 ロッテ 31 27 7 .534 4.5 2位 南海 32 27 6 .542 5.0 3位 太平洋 30 30 5 .500 6.5 3位 阪急 33 28 4 .541 5.0 4位 南海 27 28 10 .491 7.0 4位 太平洋 29 34 2 .460 10.0 5位 近鉄 27 32 6 .458 9.0 4位 近鉄 6位 日本ハム 25 36 4 .410 12.0 6位 日本ハム 24 39 2 .381 15.0 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 ロッテ 69 50 11 .580 優勝 2位 阪急 69 51 10 .575 0.5 3位 南海 59 55 16 .518 7.5 4位 太平洋 59 64 7 .480 12.0 5位 近鉄 56 66 8 .459 14.5 6位 日本ハム 49 75 6 .395 22.5 ・1975年(阪急 - 近鉄) 前期優勝の阪急と後期優勝の近鉄が対戦し、阪急が3勝1敗で近鉄を制して3年ぶり6度目のリーグ優勝を達成。日本シリーズでは初のリーグ優勝を決めた広島と対戦し、4勝2分の負けなしで球団史上初の日本一にも輝いた。 この年からパ・リーグでは指名打者制が導入されることになるが、日本シリーズでは1985年まで使用できなかった。 MVPは長池徳二。 なお、近鉄の本拠地として使用された藤井寺球場は当時ナイター設備も収容人数3万人も満たしていなかったが問題なく開催されており、仮に近鉄が日本シリーズに出場していた場合も同様だった。 前期成績 後期成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 阪急 38 25 2 .603 優勝 1位 近鉄 40 20 5 .667 優勝 2位 太平洋 30 29 6 .5085 6.0 2位 ロッテ 32 31 2 .508 9.5 3位 近鉄 31 30 4 .5082 3位 南海 30 33 2 .476 11.5 4位 日本ハム 27 30 8 .474 8.0 4位 日本ハム 28 33 4 .459 12.5 5位 南海 27 32 6 .458 9.0 5位 太平洋 6位 ロッテ 27 34 4 .443 10.0 6位 阪急 26 34 5 .433 14.0 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 阪急 64 59 7 .520 優勝 2位 近鉄 71 50 9 .587 -8.0 3位 太平洋 58 62 10 .483 4.5 4位 ロッテ 59 65 6 .476 5.5 5位 南海 57 65 8 .467 6.5 6位 日本ハム 55 63 12 .466 ・1976年(阪急が年間優勝) 阪急が前後期とも優勝してリーグ連覇となる7度目の優勝を決めたことからPOはなし。日本シリーズでは4年ぶりに巨人と対戦し、第7戦までもつれた末に日本一連覇も達成。 ・1977年(阪急 - ロッテ) 前期優勝の阪急と後期優勝のロッテが対戦し、4年ぶりに第5戦までもつれた末に阪急が3勝2敗でロッテを下して3連覇となる8度目のリーグ優勝を達成。日本シリーズでは再び巨人との対戦になり、4勝1敗と圧倒して3連覇を果たした。 なお、阪急としてはこの年が最後の日本一になった。 MVPは山田久志。 前期成績 後期成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 阪急 35 25 5 .583 優勝 1位 ロッテ 33 24 8 .579 優勝 2位 南海 33 26 6 559. 1.5 2位 阪急 34 26 5 .567 0.5 3位 近鉄 31 26 8 .544 2.5 3位 南海 30 29 6 .508 1.0 4位 日本ハム 31 29 5 .517 4.0 4位 日本ハム 27 32 6 .458 7.0 5位 ロッテ 27 33 5 .450 8.0 5位 クラウン 29 35 1 .453 7.5 6位 クラウン 20 38 7 .345 14.0 6位 近鉄 28 35 2 .444 8.0 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 阪急 69 51 10 .575 優勝 2位 南海 63 55 12 .534 5.0 3位 ロッテ 60 57 13 .513 7.5 4位 近鉄 59 61 10 .492 10.0 5位 日本ハム 58 61 11 .487 10.5 6位 クラウン 49 73 8 .402 21.0 ・1978年(阪急が年間優勝) 阪急が前後期とも優勝してリーグ4連覇となる9度目の優勝を決めたことからPOはなし。しかし、球団史上初のリーグ優勝を決めたヤクルトとの日本シリーズでは3勝4敗で惜敗し、4連覇はならなかった。 ・1979年(近鉄 - 阪急) 前期優勝の阪急と後期優勝の近鉄が対戦し、近鉄が3戦スイープで球団史上初のリーグ優勝を達成。しかし、広島との日本シリーズでは3勝4敗で敗れた。 MVPは山口哲治。 なお、1975年とは違って近鉄の本拠地は日本シリーズも含めて大阪球場で開催された。 前期成績 後期成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 近鉄 39 19 7 .672 優勝 1位 阪急 36 23 6 .610 優勝 2位 阪急 39 21 5 .650 1.0 2位 近鉄 35 26 4 .574 2.0 3位 日本ハム 34 26 5 .567 6.0 3位 ロッテ 29 29 7 .500 6.5 4位 ロッテ 26 34 5 .433 14.0 4位 日本ハム 29 34 2 .460 9.0 5位 南海 23 39 3 .371 18.0 5位 西武 27 33 5 .450 9.5 6位 西武 18 40 7 .310 21.0 6位 南海 23 34 8 .404 12.0 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 近鉄 74 45 11 .622 優勝 2位 阪急 75 44 11 .630 -1.0 3位 日本ハム 63 60 7 .512 13.0 4位 ロッテ 55 63 12 .466 18.5 5位 南海 46 73 11 .387 28.0 6位 西武 45 73 12 .381 28.5 ・1980年(ロッテ - 近鉄) 前期優勝のロッテと後期優勝の近鉄が対戦し、この年も近鉄が3連勝でリーグ連覇を達成。しかし、2年連続で広島との顔合わせになった日本シリーズではまたしても3勝4敗で敗れ、悲願の日本一まであと一歩及ばなかった。 前年に引き続き、日本シリーズも含めて近鉄の本拠地は大阪球場で開催された。 MVPは平野光泰。 前期成績 後期成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 ロッテ 33 25 7 .569 優勝 1位 近鉄 35 26 4 .574 優勝 2位 近鉄 33 28 4 .541 1.5 2位 日本ハム 33 25 7 .569 0.5 3位 日本ハム 3位 ロッテ 31 26 8 .544 2.0 4位 阪急 29 34 2 .460 6.5 4位 西武 35 30 0 .538 2.0 5位 南海 28 34 3 .452 7.0 5位 阪急 29 33 3 .468 6.5 6位 西武 27 34 4 .443 7.5 6位 南海 30 43 2 .411 11.0 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 近鉄 68 54 8 .5574 優勝 2位 ロッテ 64 51 15 .5565 0.5 3位 日本ハム 66 53 11 .555 0.5 4位 西武 62 64 4 .492 8.0 5位 阪急 58 67 5 .464 11.5 6位 南海 48 77 5 .384 21.5 ・1981年(ロッテ - 日本ハム) 前期優勝のロッテと後期優勝の日本ハムが対戦し、日本ハムが3勝1敗1分で東映時代の1962年以来19年ぶり2度目、日本ハムとしては初のリーグ優勝を達成。しかし、巨人との日本シリーズでは2勝4敗で敗れた。 前後期制下の10年間で引き分けが発生したのはこの年が唯一である。 MVPは柏原純一。 前期成績 後期成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 ロッテ 35 26 4 .574 優勝 1位 日本ハム 37 23 5 .617 優勝 2位 西武 33 28 4 .541 2.0 2位 阪急 36 28 1 .563 3.0 3位 阪急 32 30 3 .516 3.5 3位 ロッテ 28 31 6 .475 8.5 4位 日本ハム 31 31 3 .500 4.5 4位 近鉄 29 34 2 .460 9.5 5位 南海 29 32 4 .475 6.0 5位 西武 28 33 4 .459 9.5 6位 近鉄 25 38 2 .397 11.0 6位 南海 24 33 8 .421 11.5 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 日本ハム 68 54 8 .557 優勝 2位 阪急 68 58 4 .540 2.0 3位 ロッテ 63 57 10 .525 4.0 4位 西武 61 61 8 .500 7.0 5位 南海 53 65 12 .449 13.0 6位 近鉄 54 72 4 .429 16.0 ・1982年(西武 - 日本ハム) 前期優勝の西武と後期優勝の日本ハムが対戦し、西武が3勝1敗で日本ハムを破って西鉄時代の1963年以来19年ぶり6度目、西武としておよび所沢移転後初のリーグ優勝を達成。日本シリーズでは中日を4勝2敗で下し、こちらも西鉄時代の1958年以来24年ぶり4度目の日本一にも輝いた。 MVPは大田卓司。 この年をもってパ・リーグの前後期制は終了し、翌年からは1シーズン制に戻った。POも1985年までは上位2チームによる対戦に移行したが、結局一度も開催されないまま2004年からのAクラス対決まで待つことになる。 前期成績 後期成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 西武 36 27 2 .571 優勝 1位 日本ハム 35 23 7 .603 優勝 2位 阪急 33 28 4 .541 2.0 2位 近鉄 33 30 2 .524 4.5 3位 近鉄 30 27 8 .526 3.0 3位 西武 32 31 2 .508 5.5 4位 日本ハム 32 29 4 .525 4位 ロッテ 31 33 1 .484 7.0 5位 南海 27 34 4 .443 8.0 5位 阪急 29 32 4 .475 7.5 6位 ロッテ 23 36 6 .390 11.0 6位 南海 26 37 2 .413 11.5 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 西武 68 58 4 .540 優勝 2位 日本ハム 67 52 11 .563 -2.5 3位 近鉄 63 57 10 .525 2.0 4位 阪急 62 60 8 .508 4.0 5位 ロッテ 54 69 7 .439 12.5 6位 南海 53 71 6 .427 14.0 ・一覧表 太字は日本一。「-」は引き分け。 年 優勝チーム【年間順位】(優勝期)※特筆なき場合は年間1位 勝敗 星取表 対戦相手(優勝期) 最高優秀選手 敢闘選手 勝 分 負 1 2 3 4 5 1973年 南海【3位】(前期) 3 2 南 急 南 急 南 阪急(後期) 佐藤道郎 住友平 1974年 ロッテ(後期) 3 0 ロ ロ ロ 阪急(前期) 村田兆治 長池徳二 1975年 阪急【2位】(前期) 3 1 近 急 急 急 近鉄(後期) 長池徳二 有田修三 1976年 前後期とも阪急が優勝 1977年 阪急(前期) 3 2 急 ロ ロ 急 急 ロッテ(後期) 山田久志 三井雅晴 1978年 前後期とも阪急が優勝 1979年 近鉄【2位】(前期) 3 0 近 近 近 阪急(後期) 山口哲治 稲葉光雄 1980年 近鉄(後期) 3 0 近 近 近 ロッテ(前期) 平野光泰 有藤道世 1981年 日本ハム(後期) 3 1 1 日 - 日 ロ 日 ロッテ(前期) 柏原純一 村田兆治 1982年 西武【2位】(前期) 3 1 西 西 日 西 日本ハム(後期) 大田卓司 工藤幹夫 勝率1位~3位対決(2004年~2006年) この3年間のパ・リーグはAクラスの3チームによるPOが開催され、第1ステージで2位と3位のチームが対決し、勝った方が1位チームの待つ第2ステージに進出。勝利チームがその年のリーグ優勝に輝いた。 いずれもシーズン上位チームの本拠地で戦い、第1ステージは3戦2勝制・第2ステージは5戦3勝制、成績がタイの場合は上位チームの勝利扱いになるなど基本的なルールはCSとほぼ同様だが、当時はMVPの表彰はなかった。 前後期時代と同じく年間順位は1位がPOの勝者で、2位以下はPOの成績に関係なく勝率順になるため、優勝しない限り順位は変動しない。従ってシーズン3位チームが第2ステージに進んでもそこで敗退すれば年間順位は3位のままであり、逆もまたしかりである。 一方で下位チームの下剋上が達成された場合、シーズン1位チームが年間2位に、2位チームが年間3位にそれぞれ繰り下がることになる。 シーズン成績が同率順位のチームが発生した場合は以下の通り。 シーズン1位のチームが並んだ場合、前年のシーズン上位チームをホームとして第2ステージのみ行う。第5戦が終わって成績がタイの場合は翌日に延長無制限の第6戦を行う。第1ステージは中止されるため、3位チームはシーズン終了となる。 シーズン2位のチームが並んだ場合、前年のシーズン上位チームをホームとして第1ステージを行う。第3戦が終わって成績がタイの場合は「当該チーム間の対戦成績」→「勝率1位チームとの対戦成績」→「交流戦を除いたリーグ戦成績」の順番に勝者を決定する。 シーズン3位のチームが並んだ場合、前年のシーズン上位チームをホームとして3位決定戦を延長無制限で行い、第1ステージ進出チームを決める。 しかしながら、これらのルールに基づけば「故意に敗れることによってPO進出が確定する」という八百長になりかねない制度上の不備があった。実際に、2005年のパ・リーグは1位をソフトバンクとロッテで争っていたが、すでに3位が確定していた西武が9月25日のソフトバンク戦で敗れたことによってソフトバンクの単独1位が確定し、西武のPO進出も決定した。 仮に西武が勝利していた場合、その後の成績次第ではソフトバンクとロッテが同率1位になってしまい、上記のように西武のPO進出が潰えた可能性もあった。 また、CSとは違って1位チームのアドバンテージに条件があり、第1ステージの勝者に5ゲーム差以上つけていた場合に与えられることになっていた。 特に2004年・2005年を2年連続シーズン1位で終えたダイエー→ソフトバンクは2年とも2位と4.5ゲーム差とあと0.5届かなかったことが災いし、第2ステージは2年とも2勝3敗で敗退してしまった。 2年連続勝率1位ながらV逸するという不公平性が議論された結果、ソフトバンクの提案で2006年は無条件でアドバンテージが与えられることになり、第2ステージは4戦制に削減された。さらに第3・4戦は下位チームがホームになるようになったほか、同率順位が発生した場合は「当該チーム間の対戦成績」→「前年の順位」の順に順位を決定する規定になったため、上記の順位決定戦は廃止された。 なお、前後期制とは違ってシーズンMVPはPOの結果に関係なく勝率1位のチームから選出されており(*3)、この風潮はCSに移行しても続いている。 いずれも「上位チーム - 下位チーム」の順。 ・2004年(西武 - 日本ハム→ダイエー - 西武) 1982年以来22年ぶりの開催になったPO。第1ステージではシーズン2位の西武と3位の日本ハムが対戦し、2勝1敗で勝利した西武が第2ステージに進出。シーズン1位のダイエーも3勝2敗で下し、2年ぶり20度目のリーグ優勝を達成。 日本シリーズでは中日と対戦し、4勝3敗で22年ぶり12度目の日本一にも輝いた。 なお、この年はプロ野球再編問題によるストライキで2試合が中止され、133試合制で行われた。 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 西武 74 58 1 .561 優勝 2位 ダイエー 77 52 4 .597 -4.5 3位 日本ハム 66 65 2 .504 7.5 4位 ロッテ 65 65 3 .500 8.0 5位 近鉄 61 70 2 .466 12.5 6位 オリックス 49 82 2 .374 24.5 ・2005年(ロッテ - 西武→ソフトバンク - ロッテ) 第1ステージではシーズン2位のロッテと3位の西武が対戦し、連勝で勝利したロッテが第2ステージに進出。シーズン1位のソフトバンクも3勝2敗で下し、31年ぶり5度目にして千葉移転後初のリーグ優勝を達成。 阪神との日本シリーズでは4戦ストレート勝ちで圧倒し、こちらも31年ぶり3度目にして千葉移転後初の日本一も手にした。 詳細は当該項目を参照。 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 ロッテ 84 49 3 .632 優勝 2位 ソフトバンク 89 45 2 .664 -4.5 3位 西武 67 69 0 .493 18.5 4位 オリックス 62 70 4 .470 21.5 5位 日本ハム 62 71 3 .466 22.0 6位 楽天 38 97 1 .281 47.0 ・2006年(西武 - ソフトバンク→日本ハム - ソフトバンク) 上記の通りこの年は無条件で1位にアドバンテージが与えられ、第2ステージは4戦制になった。第1ステージではシーズン2位の西武と3位のソフトバンクが対戦し、ソフトバンクが2勝1敗で勝利。第2ステージではシーズン1位の日本ハムがアドバンテージを含めた3連勝でソフトバンクを下し、25年ぶり3度目にして北海道移転後初のリーグ優勝を達成。下剋上なく1位チームがそのまま優勝したのは3年間でこの年が唯一である。 中日との日本シリーズでは4勝1敗と優位に試合を進め、東映時代の1962年以来44年ぶり2度目、日本ハムとしておよび北海道移転後初の日本一にも輝いた。 POとしてはこれが最後の年になり、翌年からはCSが導入されたことで優勝決定戦の側面はなくなり、あくまで日本シリーズ出場チームを決める方式になった。 一方のソフトバンクは初めて3位から第2ステージに進出したチームになったが、この年の日本ハムとは4.5ゲーム差であり、従来のルールではアドバンテージがなかったため、皮肉にも自ら提案したルールで自分の首を絞めるという最悪の結果を招き、3年連続第2ステージ敗退という憂き目を見た。上記の通りこの年の第3戦以降は下位チームの本拠地(ヤフードーム)で行われる予定だったが、これも幻と消えた。 完投しながらもサヨナラ打を浴びて敗れた斉藤和巳がマウンド上で崩れ落ちる姿は現在でもプロ野球史に残る名シーンの一つに数えられている。 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 日本ハム 82 54 0 .603 優勝 2位 西武 80 54 2 .597 1.0 3位 ソフトバンク 75 56 5 .573 4.5 4位 ロッテ 65 70 1 .481 16.5 5位 オリックス 52 81 3 .391 28.5 6位 楽天 47 85 4 .356 33.0 ・一覧表 太字は日本一。「ア」はアドバンテージ。 年 ステージ 勝利チーム(順位) 勝敗 星取表 対戦相手(順位) 名称 試合数 勝 負 ア 1 2 3 4 5 2004年 第1 3 西武(2位) 2 1 西 日 西 日本ハム(3位) 第2 5 3 2 ダ 西 西 ダ 西 ダイエー(1位) 2005年 第1 3 ロッテ(2位) 2 0 ロ ロ 西武(3位) 第2 5 3 2 ロ ロ ソ ソ ロ ソフトバンク(1位) 2006年 第1 3 ソフトバンク(3位) 2 1 西 ソ ソ 西武(2位) 第2 4 日本ハム(1位) 3 0 (日) 日 日 ソフトバンク(3位) その他、1983年~1985年のパ・リーグでは「勝率1位と2位対決」、2001年~2006年のセ・リーグでは「勝率1位と勝利数1位対決」によるPO開催の可能性があったものの、結局一度も行われなかった。 また、パ・リーグでは1952年・1963年・1966年・1968年、セ・リーグでは1991年・1992年・1994年・1996年にも同率1位のチームが並ぶ可能性があったことからPOの開催が検討されたものの、こちらも一度も実現しなかった。 ルール SMBC日本シリーズ 第1戦 第2戦 移動日 第3戦 第4戦 第5戦 移動日 第6戦 第7戦 (第8戦) (移動日) (第9戦) (第10戦) (第11戦) (第12戦) (第13戦) (第14戦) 偶数年 セ球場 パ球場 セ球場 (パ球場) 第10戦以降は実例がないので不明。 奇数年 パ球場 セ球場 パ球場 (セ球場) こうしてPO→CSが決着した後、主に10月下旬に行われる。ただし、諸事情から10月上旬に前倒しされたり、あるいは11月にずれ込んだりした例もある。 基本的に7試合が実施され、先に4勝したチームがその年の日本一となる。CSと同じく決着がついた場合は残りの試合は行われない。 引き分けやコールドが生じて第7戦までに決着がつかない場合、翌日にその球場で第8戦を行う。それでも4勝にならない場合は移動日を挟み、もう一方の球場で第9戦を行うことになっている。 第8戦以降は延長無制限で行われることから何らかの理由でコールドにならない限りは基本的に必ず勝負がつくため、理論上は最長第14戦まで発生し得る(*4)。 実際に第8戦が行われたのは1986年が唯一であり、第10戦以降は実例がないので具体的なルールは決められていない。 このことは2010年に中日をリーグ優勝・日本シリーズ進出に導いた落合博満監督からも指摘された。 使用球場は1954年以降、西暦が偶数の年はセ・リーグ、奇数の年はパ・リーグのチームがそれぞれ第1・2・6・7戦をホームで行い、第3戦~第5戦はビジターになる(上記の表を参照)。 開催地を移動する第2・3戦目および第5・6戦目、引き分けなどが絡んだ場合の第8・9戦目の間には移動日が設けられている。これは当該本拠地同士がどれだけ近距離であっても同様である。 出場2チームの本拠地が離れていて当日移動が難しいと判断された場合は移動日を設ける場合があるが、実現した例はない。 雨天などで試合中止になった場合は2006年までは移動日を含めた全日程が順延していたが、2007年以降は第5戦までの試合が中止になった場合は第5・6戦目の移動日がなくなるようになっている(*5)。 オールスターゲームと同様に規定上は収容人数3万人以上の球場での開催が条件になっているため、設備や他のイベントとの関係で本拠地以外の球場で開催されることもしばしばある。 レギュラーシーズンやCSと異なり、主催はNPBが担当。 2011年以降は冠スポンサーが付くようになり、2011年~2013年は『パワプロ』でおなじみのコナミ、2014年以降はNPBパートナーである三井住友銀行(SMBC)がスポンサーを担当している。 かつては各チームの本拠地が全て屋外球場であり、季節的に寒くなり出すこともあって1993年までは平日を含めた全試合がデーゲームで実施されていた(1964年のみ全試合ナイター)。 当時のプロ野球は国民的人気だったこともあり、学校の授業中に先生までもグルになってこっそり見た人も多いと思われる。 しかし、平日のデーゲームでは会社や学校を休まなければ観戦もままならず、視聴率や収益面の兼ね合いもあってか1994年は平日開催試合のみ試験的にナイターを実施し、1995年以降は曜日を問わず全試合ナイターに移行した。 もっとも、近年はテレビ視聴率の低下や現地観戦者への配慮から、土休日だけでもデーゲームに戻してほしいとの声も上がっている。 出場可能な選手はレギュラーシーズンの延長線上にあるCSとは違い、第1戦の2日前までに提出した最大40人の「出場有資格者選手」の中から試合ごとにベンチ入りメンバーを26人選出する。一度公示されると変更することはできない。 通常の出場選手登録とは別の扱いのため、「引退選手特例」で抹消された引退選手の登録も可能。 予告先発は両監督の間で合意がなされた場合のみ行われる。 2018年以降、第7戦までは延長12回、引き分けなどが絡んだ場合に起こる第8戦以降は無制限で行われる。 かつては最長で延長18回までの上限があり、1986年までは時間制限もあって過ぎた場合はそのイニングで終了した。 ダブルヘッダーやサスペンデッドゲームの適用はない。 時間制限の変遷 ~1966年 - 日没(1964年のみ22時30分) 1967年~1981年 - 17時30分 1982年~1986年 - 試合開始から4時間30分 1987年~1993年 - 第7戦までは延長18回、第8戦以降は無制限 1994年~2017年 - 第7戦までは延長15回(1994年はデーゲームのみ延長18回) 2018年~ - 第7戦までは延長12回 指名打者制は1985年に初めて採用され、阪神の弘田澄男がセ・リーグ初の指名打者として出場。当初は1年ごとに採用と不採用を繰り返す規定だったが、1987年以降は年に関係なく交流戦と同様にパ・リーグ球場で採用されている。ただし、2020年はコロナ禍の影響を考慮し、1985年以来となるセ・リーグ球場も含めた全試合で採用された。 審判は外審も含めた6人制で行われる。 シーズン中は出番の少なかった選手が意外な活躍を見せる「シリーズ男」の登場もある一方、リーグ優勝に貢献しながらシリーズではブレーキになってしまう「逆シリーズ男」が生まれてしまうこともあり、短期決戦特有の難しさがあるとも言われる。 なお、日本シリーズに出場したチームは第2次戦力外通告の期限が4日間延長される。 表彰 CSと同じく表彰制度が設けられている。勝利チームからMVPが選出されるのは同様だが、日本シリーズではこれに加えて1953年以降は敗戦チームからも敢闘(選手)賞が授与される。 その他、スポンサーを迎えた2011年以降はコナミやSMBCからの特別賞が授与されることもある。 最高殊勲選手賞(MVP) 賞品はトロフィーと賞金700万円。1954年~2006年は乗用車が贈呈され、基本的にトヨタ自動車製だが広島が勝利した1979年・1980年・1984年はスポンサーの関係でマツダから贈呈された。 原則としてチームの日本一に最も貢献した1人が選出されるが、1962年のみ土橋正幸・種茂雅之のバッテリーがダブル受賞した。 最多の表彰者は4回受賞した長嶋茂雄(1963年・1965年・1969年・1970年)。最年少受賞者は1958年の稲尾和久(21歳)、最年長は2011年の小久保裕紀(40歳)である。 その他の記録 複数回の受賞者は上述の長嶋に加え、別所毅彦(1952年、1955年)・堀内恒夫(1972年・1973年)・工藤公康(1986年・1987年)・秋山幸二(1991年、1999年)・古田敦也(1997年、2001年)・今江敏晃(2005年、2010年)の6人が2回ずつ。 2年連続の受賞者は長嶋・堀内・工藤の3人。秋山は2チームで受賞した唯一の選手(1991年は西武、1999年はダイエー)。 外国人選手の受賞者は宮本敏雄(1961年)、ジョー・スタンカ(1964年)、ジム・ライトル(1980年)、ランディ・バース(1985年)、オレステス・デストラーデ(1990年)、トーマス・オマリー(1995年)、トロイ・ニール(1996年)、李大浩(2015年)、ブランドン・レアード(2016年)、デニス・サファテ(2017年)、ジュリスベル・グラシアル(2019年)の11人。 キューバ出身のデストラーデとグラシアル、韓国出身の李大浩以外はアメリカ出身。 シーズンMVPとの同時受賞者は別当薫(1950年)、別所毅彦(1952年)、杉下茂(1954年)、稲尾和久(1958年)、杉浦忠(1959年)、長嶋茂雄(1963年)、ジョー・スタンカ(1964年)、堀内恒夫(1972年)、山田久志(1977年)、ランディ・バース(1985年)、石井丈裕(1992年)、トーマス・オマリー(1995年)、古田敦也(1997年)、松井秀喜(2000年)、デニス・サファテ(2017年)の15人。 なお、シーズンMVPとCSMVPの同時受賞者はダルビッシュ有(2007年第2)、アレックス・ラミレス(2008年)、和田一浩(2010年)、内川聖一(2011年)、田中将大(2013年)の5人がいるが、いずれも日本シリーズでは敗退ないしチームメイトがMVPを受賞しているため、シーズン・CS・日本シリーズのMVP三冠王は例がない。 敢闘(選手)賞 賞品はトロフィーと賞金100万円。1953年から制定され、敗戦チームで最も活躍した1人が選出される。4勝3敗など接戦で決着した際は仮に優勝していた場合のMVPという側面もある。 これは4戦ストレート負けであっても例外ではなく、「該当者なし」は一度も例がない。 唯一の例外として1956年の巨人は2勝4敗ながら選出されず、勝利した西鉄の稲尾和久が受賞した。 最多の表彰者は3回獲得した足立光宏(1967年・1972年・1978年)。最年少受賞者は1956年の稲尾和久(19歳)、最年長は2012年の稲葉篤紀(40歳)である。 その他の記録 複数回の受賞者は上述の足立に加え、稲尾和久(1956年、1963年)・長池徳二(1968年・1969年)・清原和博(1993年・1994年)川上憲伸(1999年、2006年)の4人が2回ずつ。 2年連続の受賞者は長池と清原の2人。1956年の稲尾は前述の通り優勝チームからの選出。 外国人選手の受賞者は宮本敏雄(1957年)、ジョー・スタンカ(1961年)、タフィ・ローズ(2001年)、アレックス・カブレラ(2002年)、アレックス・ラミレス(2008年)、ランディ・メッセンジャー(2014年)、ブラッド・エルドレッド(2016年)、ホセ・オスナ(2022年)の8人。 ベネズエラ出身のカブレラ・ラミレス・オスナ以外はアメリカ出身。 MVPと敢闘選手賞の両方を受賞したことがあるのは大下弘(1954年に敢闘選手賞、1957年にMVP)、稲尾和久(1956年・1963年に敢闘選手賞、1958年にMVP)、宮本敏雄(1957年に敢闘選手賞、1961年にMVP)、ジョー・スタンカ(1961年に敢闘選手賞、1964年にMVP)、柴田勲(1966年にMVP、1976年に敢闘選手賞)、山田久志(1971年に敢闘選手賞、1977年にMVP)、西本聖(1981年にMVP、1983年に敢闘選手賞)、石毛宏典(1985年に敢闘選手賞、1988年にMVP)、稲葉篤紀(2006年にMVP、2012年に敢闘選手賞)の9人。 シーズンMVPとの同時受賞者は大下弘(1954年)、藤田元司(1958年)、足立光宏(1967年)、長池徳二(1969年)、野村克也(1973年)、山本浩二(1975年)、タフィ・ローズ(2001年)、アレックス・カブレラ(2002年)、ダルビッシュ有(2007年)、アレックス・ラミレス(2008年)、和田一浩(2010年)、山田哲人(2015年)、山本由伸(2021年)の13人。 CSMVPとの同時受賞者はダルビッシュ有(2007年)、アレックス・ラミレス(2008年)、和田一浩(2010年)、吉見一起(2011年)、ホセ・オスナ(2022年)の5人。 従って、ダルビッシュ・ラミレス・和田の3人はシーズンMVP・CSMVP・敢闘選手賞のトリプル受賞を果たしている。 優秀選手賞 賞品はトロフィーと賞金100万円。一定の成績を残した3人の選手に授与される。 配分は試合展開によって異なり、基本的に4勝3敗決着であれば勝利チーム2人と敗戦チーム1人、ストレート決着であれば勝利チームからのみ3人選出されるが、4勝2敗・4勝1敗決着の場合は各試合の展開によって配分が変わる。 1979年までは「打撃賞」「最優秀投手賞」「技能賞」など部門ごとに分かれていた。 放送・配信 地上波では全試合が民放の全国ネットで試合終了まで放送される。当初はNPB側が推奨したテレビ局に直接放送を交渉するという方式を取っていた。 しかし、2010年には第1・2・5戦の3試合で地上波全国放送が見送られる事態が起こった。 これは、当時すでにプロ野球中継の大半がローカル放送または衛星放送に移管したことで関東地区での視聴率が望めなかったことや、テレビ局側が他番組を編成していたので動かせなかったのが理由とされる。 視聴者側にも「後番組がいつ始まるか不明なので迷惑」というイメージが定着していたことに加え、局側からすると「ゴールデンタイムに視聴率が見込めず、終了時間もわからない特番を編成する」ことになるので(*6)、日本シリーズを放送すること自体がかなりハイリスクになっていたと言ってもいいだろう。 そのためNPBは2011年以降、広告代理店経由で放送を交渉する方式に変更。前述の冠スポンサーを設け、そのCMを多数流すことで何とか放映枠を確保して現在に至っている。 もっとも、上記の不満が解消されたわけではないことに加えて、視聴率も2桁に達するのは後半以降という傾向があるため、現行の方式も今後どうなるか正直厳しい状況でもある。 テレビ局の編成都合で試合開始時間が変更された例もあり、2011年の第1戦はフジテレビがゴールデンタイムに「ワールドカップバレー2011」を中継するため、17年ぶりのデーゲームでの開催になった。 2016年の第5戦も試合開始時刻が30分早い18時からの開始になったが、これは中継するテレビ朝日が後番組に『ドクターX 〜外科医・大門未知子〜』を放送するため、延長時の時間確保が目的とされる。 なお、NHKでの放送は1990年代までは地上波総合テレビで実施した例もあったが、民放の全国ネットワークが一通り完成したこともあり、現在はBSのみで放送されている。 一方、ネット配信の対応については消極的で、初めて実施されたのが2016年とかなり遅い。 ネット配信はTVer含めた民放系のみでの実施で、公式戦を配信しているDAZNやパ・リーグTVでの配信もない。 そのためメジャーリーグ(MLB)やJリーグと異なり、放映権が一括管理されていないゆえの弊害と見る向きもある(*7)。 中継では通常の野球解説者に加え、出場しないチームの選手や監督(その年で引退・退任した人も含む)がゲスト解説として登場することも多い。 各年の結果 ここでは、各年の見どころを10年ごとに分けて紹介していく。 1975年・2005年・2007年・2010年・2013年・2014年・2016年・2023年は別記事ができているのでそちらも参照。 いずれも「セ・リーグ - パ・リーグ」の順に表記し、太字は優勝チーム。 球団名・球場名・選手名などは開催当時のもの。 ・1950年代(第1回~第10回) NPBが2リーグに分裂したことで導入された、日本シリーズ黎明期の年代。 1950年:松竹 - 毎日(毎日4勝2敗、初優勝) 記念すべき第1回シリーズ。この年創設されたばかりの毎日が松竹を破り、初代日本一に輝いた。 当時はまだフランチャイズ制度が導入されておらず、第1戦から順番に神宮→後楽園球場→甲子園→阪急西宮球場→中日球場→大阪球場と毎回異なる球場を舞台に、松竹から交互にホームとして開催された(*8)。 第1回にしてサヨナラ勝ちでの日本一決定で、失策によるものでは現在でもシリーズ史上唯一である。 MVPは別当薫。 ちなみに、第1回にして11月22日~28日開催という現在でも最も遅い時期に行われたシリーズで、裏では4チームが所定の140試合を消化しきれていなかったが、すでに順位が確定したこともあって11月20日までにシーズンを打ち切った。 1951年:巨人 - 南海(巨人4勝1敗、初優勝) 1952年:巨人 - 南海(巨人4勝2敗、2年連続2度目) 1953年:巨人 - 南海(巨人4勝2敗1分、3年連続3度目) 2リーグ制後初の優勝から3連覇を達成した巨人と南海が3年連続で対決した第2回~第4回シリーズ。 日米野球の影響を大きく受けたシリーズでもあり、1951年は当初の予定から日程が繰り上がり、1953年は全日程移動日なしという強行軍で行われて史上初の第7戦および引き分けが発生(*9)。この年から敢闘賞も設けられるようになった。 いずれも巨人が南海を破り、セ・リーグ初代日本一を含めた3連覇を達成した。ちなみに、1952年の第5戦の試合時間は1時間35分でシリーズ史上最短である。 MVPは1951年から順番に南村不可止・別所毅彦・川上哲治。 1954年:中日 - 西鉄(中日4勝3敗、初優勝) リーグ初優勝を決めた中日と西鉄による第5回シリーズ。5回目にして初めて九州が舞台になり、関東や関西で一度も開催されなかった。 この年も両チームともに初出場であり、第7戦までもつれた末に中日が球団史上初の日本一に輝いた。 MVPは杉下茂。 1955年:巨人 - 南海(巨人4勝3敗、2年ぶり4度目) 2年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人と南海の再対決になった第6回シリーズ。 リベンジを誓った南海は3勝1敗と優位に試合を進め、山本一人監督は「再び昭和30年の轍は踏むまい」と意識したものの、第5戦からまさかの3連敗を喫してしまった。 MVPは別所毅彦。 1956年:巨人 - 西鉄(西鉄4勝2敗、初優勝) 1957年:巨人 - 西鉄(西鉄4勝1分、2年連続2度目) 1958年:巨人 - 西鉄(西鉄4勝3敗、3年連続3度目) 3年連続で巨人と西鉄の同一カード対決になった第7回~第9回シリーズ。 三原脩・水原茂両監督は香川県の同郷で、中等学校から長年のライバル関係だったことから「巌流島の決闘」と称された。結果はいずれも西鉄が巨人を下し、球団史上初の日本一を含めた3連覇を達成。 1956年はシリーズ史上唯一、優勝チームから敢闘賞(稲尾和久)が選出された。 1957年は1分を挟み、シリーズ史上初の無敗で日本一になった。 MVPは1956年から順番に豊田泰光・大下弘・稲尾和久。中でも1958年の稲尾は現在でも史上最年少での受賞であり、彼は数々のシリーズ記録を打ち立てて「神様、仏様、稲尾様」と讃えられることに。 1959年:巨人 - 南海(南海4勝0敗、初優勝) 4年ぶり通算5回目の対戦になった第10回シリーズ。 これまで巨人に4連敗を喫した南海だったが、鶴岡一人監督が「この年だけは負ける気がしなかった」と自著で振り返っていた通り、シリーズ史上初の4戦スイープで球団史上初の日本一を達成。初の快挙に大阪市民は熱狂し、決着2日後の10月31日に行われた優勝パレードには沿道に20万人が集まったという。 これにより、対戦成績が両リーグともに5勝ずつのタイになったが、以降は巨人の「V9」もあって長年に渡ってセ・リーグリードの時代が続くようになる。 MVPは杉浦忠。 ・1960年代(第11回~第20回) テレビ中継の普及とともに巨人が爆発的な人気を獲得し、「V9」と称される空前の全盛期を迎えた年代。 1960年:大洋 - 大毎(大洋4勝0敗、初優勝) 6年連続最下位からのリーグ優勝を達成した大洋が初出場した第11回シリーズ。史上初の「関東対決」でもある。 全試合が1点差という珍記録を持つ大接戦のシリーズで、大毎が誇る「ミサイル打線」を大洋投手陣が封じ込めてこの年もストレートで決着。大洋は史上初となる前年最下位からの日本一(大洋としては最初で最後)の栄冠を勝ち取った。 また、川崎球場で行われた唯一のシリーズでもある。 MVPは近藤昭仁。新人選手初の受賞である。 1961年:巨人 - 南海(巨人4勝2敗、6年ぶり5度目) 2年ぶり通算6回目の対戦になった第12回シリーズ。巨人が4勝2敗で6年ぶり5度目の日本一を決め、川上哲治監督は就任1年目で頂点に立った。 当時は20勝がエースの基準とされていたが、南海は杉浦忠がシーズン終盤に離脱し、巨人もチーム最多勝が中村稔の17勝が最高だったことから、マスコミは「エース不在のシリーズ」「エースなき日本シリーズ」などと評した。 4度も雨天中止になった異色のシリーズで、予定では第7戦が行われるはずの10月29日にようやく第4戦が行われるという遅延っぷり。 そしてこの年以降、「パ・リーグは丑年には王手すらかけられない」というジンクスが生まれることになってしまう。 MVPは宮本敏雄。 1962年:阪神 - 東映(東映4勝2敗1分、初優勝) 東映が球団史上初の日本一を達成した第13回シリーズ。阪神も含めた両チームが(2リーグ制後)初優勝だったため、これまた初出場チーム同士の対決でもあった。 当時の東映は神宮を本拠地としていたが、第5戦に関しては学生野球との兼ね合いで使用できなかったため、代わりに後楽園球場で開催された。 阪神が連勝でスタートしたものの、そこから引き分けを挟んで東映が4連勝。東映としては最後で最後の日本一であった。 シリーズ史上唯一、2人の選手(土橋正幸・種茂雅之)がMVPを受賞した。 1963年:巨人 - 西鉄(巨人4勝3敗、2年ぶり6度目) 2年ぶりにリーグ優勝を決めた巨人と、NPB史上最大となる14.5ゲーム差からの大逆転で5年ぶりのリーグ制覇を決めた西鉄が対戦した第14回シリーズ。 通算4回目にして初めて巨人が初めて西鉄を破り、第7戦で達成した「1試合18得点」「14点差勝利」「1イニング9得点」は現在でもシリーズ最高記録である。 なお、西鉄は福岡時代および西鉄としてはこの年が最後のリーグ優勝兼日本シリーズ出場になり、合わせて平和台球場での開催も最後になった(*10)。 MVPは長嶋茂雄。 1964年:阪神 - 南海(南海4勝3敗、5年ぶり2度目) 2年ぶりにセ・リーグを制した阪神と4年ぶりのリーグ優勝を決めた南海という、史上初の「関西対決」になった第15回シリーズ。「御堂筋シリーズ」とも呼ばれた。 東京五輪の開催に伴い、開会式までに決着させる目的から初めて全カードナイターで行われたが、雨天順延の関係でよりによって第7戦は開会式と思いっきりかぶってしまい、観客動員もイマイチだったという。 なお、南海としてはこの年が最後の日本一になった。 MVPはジョー・スタンカ。外国人選手初の受賞であり、彼以外にも両チームともに助っ人の活躍が目立ったことから「外国人シリーズ」とも称された。 1965年:巨人 - 南海(巨人4勝1敗、2年ぶり7度目) 1966年:巨人 - 南海(巨人4勝2敗、2年連続8度目) 1967年:巨人 - 阪急(巨人4勝2敗、3年連続9度目) 1968年:巨人 - 阪急(巨人4勝2敗、4年連続10度目) 1969年:巨人 - 阪急(巨人4勝2敗、5年連続11度目) (1970年代の項に続く) ・1970年代(第21回~第30回) 高度経済成長とともに巨人の「V9」が終焉を迎えるという一時代の終わりを迎え、シリーズ初出場となったチームが多いのも特徴。 (1960年代の項の続き) 1970年:巨人 - ロッテ(巨人4勝1敗、6年連続12度目) 1971年:巨人 - 阪急(巨人4勝1敗、7年連続13度目) 1972年:巨人 - 阪急(巨人4勝1敗、8年連続14度目) 1973年:巨人 - 南海(巨人4勝1敗、9年連続15度目) 1965年から1973年までの第16回~第24回シリーズは、巨人が日本一9連覇を達成するという前人未到の黄金時代「V9」であった。 1965年の第5戦では土井正三がサヨナラ適時打を放ち、1950年以来2度目となるサヨナラ日本一で幕を開ける。 1968年のパ・リーグはシーズン最終戦まで阪急と南海が熾烈な優勝争いを繰り広げており、阪急の連覇が決まったのはシリーズ開幕前日の10月11日で、西宮で優勝を決めたナイターの翌日に後楽園でデーゲームの第1戦という休む間もない日程だった(*11)。 1969年はクロスプレイの判定をめぐって阪急の岡村浩二が球審に手を出すという、シリーズ史上初の退場事件が発生。 1970年は巨人とロッテの初顔合わせで、「GOシリーズ」とも呼ばれた。 さらに後楽園球場と東京スタジアムという史上初の同一都道府県(東京都)のみが舞台になったシリーズでもあり、「東京シリーズ」とも呼ばれた。特に両翼90mと非常に狭い東京スタジアムでは長嶋茂雄の4本を筆頭に3試合で両チーム合計9本の本塁打(第4戦だけで5本)が飛び出すという花火大会。 ロッテの宿舎は大田区の池上本門寺が使用され、東京スタジアムまで車で約2時間かかったことも日本一を逃す遠因に。 1973年からはパ・リーグが前後期制になり、年間3位(前期優勝)ながらPOで年間1位(後期優勝)の阪急に勝利した南海が出場。初めて勝率2位以下のチームが日本シリーズに出場した。 上記のようにいずれの年も第7戦までもつれて王手をかけられることはなかったが、逆に無敗のストレート勝ちも引き分けもなかった。 また、日拓・太平洋・近鉄とも戦っていない。 MVPは1965年から順番に長嶋茂雄・柴田勲・森昌彦・高田繁・長嶋茂雄・長嶋茂雄・末次民夫・堀内恒夫・堀内恒夫。 1974年:中日 - ロッテ(ロッテ4勝2敗、24年ぶり2度目) 巨人の「V10」を阻止して20年ぶりにセ・リーグの頂点に立った中日と、4年ぶりのリーグ優勝を決めたロッテによる第25回シリーズ。 当時のロッテは宮城球場を暫定本拠地としていたが、規定上の収容人数が3万人に満たなかった(2万8000人)ことから後楽園球場で開催された。 第1・2・4戦が逆転、第6戦が延長戦と混戦で、6試合で両チーム合計17失策と守備のミスも目立ったシリーズだったが、1勝2敗からロッテが3連勝で24年ぶり2度目の日本一に輝いた。 また、第1戦・第3戦を中日が勝利した時点でセ・リーグの勝利試合数の勝ち越しが24になっており、これは現在でもシリーズ史上最多の貯金である。 MVPは弘田澄男。 1975年:広島 - 阪急(阪急4勝0敗2分、初優勝) 1962年以来となる「どちらが勝っても初の日本一」対決になった第26回シリーズ。1964年以来となる関東が舞台にならない「西日本シリーズ」でもあり、複数回の引き分けが発生した唯一の年でもある。 阪急は年間2位(前期優勝)ながらPOで年間1位(後期優勝)の近鉄に勝利しており、球団史上初の日本一が年間勝率2位以下なのは阪急が唯一である。 詳細は当該項目を参照。 1976年:巨人 - 阪急(阪急4勝3敗、2年連続2度目) 1977年:巨人 - 阪急(阪急4勝1敗、3年連続3度目) 「V9」で一度も巨人に勝てなかった阪急がリベンジを果たし、3連覇に輝いた第27回・第28回シリーズ。 1976年の巨人は球団史上初の最下位から3年ぶりのリーグ優勝を果たしたが、3連敗の後3連勝というジェットコースターの末に敗退。3連勝の後に3連敗したチームが優勝した唯一の年でもある。「V9」でリーグ最多の5敗を喫した借りを返し、6度目にして西本幸雄監督時代からの悲願だった「打倒巨人」が実現した。 1977年は第4戦の9回表、巨人が2勝2敗のタイに持ち込むかという2-1の状況で2死からチャンスを作り、代打・高井保弘の浅い安打から本塁へ突入した二塁走者が捕手のタッチをかいくぐって左手でホームベースに触れるという好走塁を見せて追いつくと、さらに追加点を挙げて試合をひっくり返す大逆転が生まれた。この勢いに乗った阪急がそのまま第5戦を下して3連覇を決めたため、シリーズの分岐点になった攻防と評される。 なお、阪急としてはこの年が最後の日本一になった。 MVPは1976年が福本豊、1977年が山田久志。 1978年:ヤクルト - 阪急(ヤクルト4勝3敗、初優勝) ヤクルトと阪急の初顔合わせになり、ヤクルトが阪急の4連覇を阻止して球団史上初の日本一を達成した第29回シリーズ。 東京六大学野球との兼ね合いから神宮が使用できず、ヤクルトの本拠地は後楽園球場で開催された。 第7戦ではヤクルトの本塁打を巡り、阪急の上田利治監督がファウルではないかという抗議で史上最長となる1時間19分も中断。阪急はこれが敗因になったとも言われる。 このカードの対決は近鉄も含めて以降も4度行われており、下記のように2021年まではヤクルトが全勝している。 MVPは大杉勝男。 1979年:広島 - 近鉄(広島4勝3敗、初優勝) (1980年代の項に続く) ・1980年代(第31回~第40回) 昭和の終わりと平成の幕開け、ドーム球場の登場といった時代の転換期になった年代。 (1970年代の項の続き) 1980年:広島 - 近鉄(広島4勝3敗、2年連続2度目) リーグ連覇を果たした広島と近鉄による2年連続の顔合わせで、広島が球団史上初の日本一を含めた連覇を決めた第30回・第31回シリーズ。これまた「どちらが勝っても初の日本一」シリーズでもある。 POと同様に日本生命球場や藤井寺球場は収容人数(2万500人)やナイター設備の関係で2年とも使用できず(*12)、近鉄の本拠地は大阪球場で開催された。結果的に同球場で行われた最後のシリーズになった。 1979年の近鉄は年間2位(前期優勝)ながらPOで年間1位(後期優勝)の阪急を破って出場。第7戦の攻防はプロ野球史に残る名勝負と呼ばれ、これを題材とした山際淳司のノンフィクション作品『江夏の21球』でも知られる。 ちなみに、優勝チームの総得点が敗退チームよりも下回ったことはシリーズ全体で9回あるが、この年の6点差(広島17点・近鉄23点)は史上最高である。 MVPは1979年が高橋慶彦、1980年がジム・ライトル。 1981年:巨人 - 日本ハム(巨人4勝2敗、8年ぶり16度目) 4年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人と、東映時代以来19年ぶりにパ・リーグを制覇した日本ハムの初顔合わせになった第32回シリーズ。 1970年に続いて東京都のみの開催で、さらには両チームともに後楽園球場を本拠地とすることから開催地移動が行われなかった異色のシリーズであり、「後楽園シリーズ」とも呼ばれる(*13)。 巨人の4勝は全て完投勝利であり、比較的中継ぎ投手という概念が浸透してきた時代にあってリリーフの出番がほとんどなかった。 なお、後楽園球場が廃止された1988年以降は両チームとも新造された東京ドームを本拠地としていたが、その間は日本シリーズで対決することはなく、さらに日本ハムは2004年から札幌ドームに移転したため、現在は複数のチームが本拠地を共用することはなくなっている(*14)。 MVPは西本聖。 1982年:中日 - 西武(西武4勝2敗、24年ぶり4度目) 西武が西鉄時代以来24年ぶり4度目、西武としておよび所沢移転後初の日本一に輝いた第33回シリーズ。この年は年間2位(前期優勝)だったが、POで年間1位(後期優勝)の日本ハムに勝利して日本シリーズに進出し、8年ぶりにセ・リーグを制覇した中日と対戦した。 両チームとも2勝2敗で迎えた第5戦、2死二塁という場面で中日の平野謙が放った打球は一塁塁審の足に当たり、捕球した二塁手が三塁に投げて走者をタッチアウトする珍事が発生。 これにより中日は先制のチャンスを逃して敗退したことから、シリーズの流れを変えた「石ころ事件」とも言われた。 MVPは東尾修。 1983年:巨人 - 西武(西武4勝3敗、2年連続5度目) 所沢移転当初から巨人とはさまざまな因縁があったゆえ、球界の盟主の座を賭けるという意味で試合前から大いに盛り上がった第34回シリーズ。 3度のサヨナラ勝ちに加えて逆転に次ぐ逆転と大きく盛り上がり、シリーズ有数の名勝負と呼ばれることに。 結果西武は巨人を下して連覇を果たし、黄金時代の幕開けになる。 MVPは大田卓司。 1984年:広島 - 阪急(広島4勝3敗、4年ぶり3度目) 4年ぶりのリーグ優勝を果たした広島が1975年の借りを返し、4年ぶり3度目の日本一を決めた第35回シリーズ。 通算6度目となった「西日本シリーズ」で、阪急としての出場も阪急西宮球場での開催もこの年が最後になった。 MVPは長嶋清幸。 1985年:阪神 - 西武(阪神4勝2敗、初優勝) 中埜肇球団社長が亡くなった「日本航空123便墜落事故」を乗り越え、阪神が球団創立50年目にして初の日本一を達成した第36回シリーズ。初めて指名打者制が導入されたシリーズでもある。 NPB最強外国人として名高いランディ・バースを筆頭に、真弓明信・掛布雅之・岡田彰布ら「ニューダイナマイト打線」の活躍で21年ぶりのリーグ優勝を決めた阪神と、廣岡達朗監督の元で「管理野球」を標榜し、工藤公康・東尾修・松沼博久・高橋直樹・渡辺久信ら強力な投手陣を擁して2年ぶりにパ・リーグを制覇した西武が対決した。 セ・リーグとしては昭和最後の日本一になり、関西ではリーグ優勝からの阪神フィーバーが最高潮に達し、バースに見立てたカーネル・サンダース像を道頓堀川に投げ落としたことで2年後からの暗黒時代の幕開けになってしまった。 MVPはランディ・バース。 1986年:西武 - 広島(西武4勝3敗1分、3年ぶり6度目) 1987年:西武 - 巨人(西武4勝2敗、2年連続7度目) 1988年:西武 - 中日(西武4勝1敗、3年連続8度目) リーグ4連覇の西武が日本一3連覇を達成した第37回~第39回シリーズ。 1986年は上述の通り、唯一第8戦まで行われたシリーズである。森祇晶・阿南準郎両監督という史上初の「新人監督対決」で、広島が第1戦の引き分けの後3連勝して王手をかけたものの、そこから西武が怒涛の4連勝で日本一というジェットコースター(*15)。この年は指名打者制なしで行われた。 1987年から毎年パ・リーグ球場で指名打者制が採用されるようになり、第8試合以降の延長戦が無制限に。この年は4年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人が出場し、後楽園球場で開催された最後のシリーズにして清原和博・桑田真澄というPL学園高校同期の「KK対決」が話題に。第6戦の西武は巨人の守備の隙をついて走者を一気に生還させ、9回2死では一塁手の清原が涙を流したりする場面もあった(*16)。 1988年は昭和最後のシリーズになり、近鉄を下して優勝を決めた勢いそのままに6年ぶりのセ・リーグ王者になった中日を圧倒し、最後は1965年以来3度目となるサヨナラ日本一を収めた。 MVPは1986年から順番に工藤公康(*17)・工藤公康・石毛宏典。 1989年:巨人 - 近鉄(巨人4勝3敗、8年ぶり17度目) 平成初、並びに初めてドーム球場(東京ドーム)で開催された第40回シリーズ。巨人は近鉄とは初対戦で、当時のパ・リーグ6球団全てと戦ったことになった。 近鉄の本拠地はナイター整備が行われた藤井寺球場で初めて開催。3連勝で王手をかけたものの某投手の発言のせいで流れが変わってしまい、まさかの4連敗を喫してしまった(*18)。 MVPは駒田徳広。 ・1990年代(第41回~第50回) 西武の黄金期が終わり、ヤクルトの快進撃が目立った年代。 1990年:西武 - 巨人(西武4勝0敗) 1991年:西武 - 広島(西武4勝3敗) 1992年:西武 - ヤクルト(西武4勝3敗、以上2年ぶり9度目~3年連続11度目) リーグ3連覇の西武がまたしても日本一3連覇を決めた第41回~第43回シリーズ。 1990年はNPB史上最速となる9月8日にリーグ連覇を決めた巨人だったが、シリーズまで1か月半もブランクがあったことから前年とは打って変わって1勝もできずにあえなく敗退(*19)。「野球観が変わった」(岡崎郁)・「思い出すのもおぞましい」(川相昌弘)など、当時の巨人ナインにトラウマともいえるほどの大きな傷を残したという。 1991年は5年ぶりにセ・リーグを制覇した広島が出場。この年が広島市民球場で開催された最後のシリーズになり、西武は2勝3敗からの逆転で接戦を制した。 1992年は14年ぶりのリーグ優勝を決めたヤクルトが参戦し、本拠地として初めて神宮で開催された(*20)。 森・野村克也両監督ともに捕手出身で野球論を展開することも多かったことから、「狐と狸の化かし合い」と呼ばれて大いに盛り上がった。 7試合中4試合が延長戦という拮抗ぶりで、1983年と並んでシリーズ屈指の名勝負と呼ばれることも多い。 西武が日本一を決めた当日は貴花田と宮沢りえ氏の婚約会見とバッティングし、翌日のスポーツ新聞一面もかっさらわれたという珍事なオチもついている。 MVPは1990年から順番にオレステス・デストラーデ、秋山幸二・石井丈弘。 1993年:ヤクルト - 西武(ヤクルト4勝3敗、15年ぶり2度目) 最後の平日デーゲーム開催になった第44回シリーズ。 前年に引き続き両リーグを制覇したヤクルトと西武の顔合わせになり、ヤクルトが西武の4連覇を阻止して15年ぶりの日本一に輝いた。 2年連続同一カードで勝敗が入れ替わった初のシリーズで、これまで無敗だった森監督が初黒星を喫したことは歴史的な話題になった。 第4戦でヤクルトの中堅手・飯田哲也が安打の打球を処理し、二塁走者を本塁タッチアウトにした返球はシリーズ史に残るスーパープレーとして語り草に。 野村監督は現役時代パ・リーグ一筋ながらセ・リーグ球団を日本一に導くという唯一の記録を残した。 MVPは川崎憲次郎。 1994年:巨人 - 西武(巨人4勝2敗、5年ぶり18度目) 「10.8決戦」を制して5年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人がパ・リーグ5連覇の西武を破り、5年ぶり18度目の日本一に輝いた第45回シリーズ。 長嶋茂雄監督の「予言」はさることながら(*21)、試験的に平日のみ30年ぶりのナイター開催、西武の黄金時代を築いた森監督の勇退報道が第6戦の朝に出るなど(*22)、さまざまな面で時代のひと区切りになったシリーズでもあった。 ちなみに、海を超えたアメリカではワールドシリーズが232日間に及ぶ長期ストライキで中止されたため、海外でも中継されるという異例なものになった。 MVPは槙原寛己。 1995年:ヤクルト - オリックス(ヤクルト4勝1敗、2年ぶり3度目) 2年ぶりのリーグ優勝を決めたヤクルトと、この年に発生した阪神・淡路大震災で未だ傷心の兵庫県を盛り上げるために奮起して阪急時代以来11年ぶりのリーグ優勝を達成したオリックスによる第46回シリーズ。 野村・仰木彬両監督による「野村ID野球 vs 仰木マジック」の対決が注目され、ヤクルトが2年ぶり3度目の日本一を収めた。 この年から全カードナイターとなり、第2~4戦は3試合連続で延長戦にもつれ込む大接戦が繰り広げられた。中でも第4戦の11回裏に行われた攻防は「小林の14球」と呼ばれ、瞬間視聴率55.9%を記録するなど「江夏の21球」以来となる名勝負とされた。 MVPはトーマス・オマリー。 1996年:巨人 - オリックス(オリックス4勝1敗、19年ぶり4度目) 最大11ゲーム差を逆転する「メークドラマ」を達成して2年ぶりのリーグ優勝を大逆転で飾った巨人と、リーグ連覇を果たしたオリックスによる第47回シリーズ。 勝利チームの星取りが前年と全く同じで、オリックスは4勝1敗で阪急時代以来19年ぶり4度目、オリックスとしては初の日本一を達成。近畿地方のパ・リーグ球団が巨人との日本シリーズを初めて本拠地で制した。 ちなみに、この年の巨人は守備率1.000を記録しており、シリーズ失策0は現在でも唯一である。 MVPはトロイ・ニール。 1997年:ヤクルト - 西武(ヤクルト4勝1敗、2年ぶり4度目) 2年ぶりにヤクルトをリーグ優勝に導いた古田敦也と、3年ぶりにパ・リーグ覇者になった西武の伊東勤両正捕手の頭脳が注目された第48回シリーズ。 開放型の西武球場としては最後のシリーズになり、翌年からは屋根が設置されて西武ドームになったため、西武の選手がホームランを放ったり試合に勝利した場合に打ち上げられたりする花火も見納めになった(*23)。 MVPは古田敦也。 1998年:横浜 - 西武(横浜4勝2敗、38年ぶり2度目) 「マシンガン打線」と呼ばれる強力打線を擁した横浜が、38年ぶりのリーグ優勝の勢いそのままに日本一に輝いた第49回シリーズ。史上初となる東京都以外の「関東シリーズ」でもある。 全試合で先制点を挙げた方がそのまま逃げ切るという異色のシリーズで、試合途中の逆転もなく淡白な試合が多かったとも言える。 上記の通りこの時点での西武ドームはフィールド部分が屋根で覆われていなかったため、第3戦が雨天中止になった。 MVPは鈴木尚典。 1999年:中日 - ダイエー(ダイエー4勝1敗、35年ぶり3度目) 1900年代最後となった第50回シリーズ。 11年ぶりにセ・リーグを制覇した中日と、史上最長となる20年連続Bクラスの暗黒時代を脱出して26年ぶりのリーグ優勝を決めたダイエーが対戦。全試合がドーム球場(ナゴヤドーム・福岡ドーム)で開催された初めてのシリーズでもある。 ダイエーが4勝1敗で35年ぶり3度目、ダイエーとしておよび福岡移転後初の日本一になった。 MVPは秋山幸二。上記の通り西武時代の1991年にも受賞しているため、史上初の複数球団での受賞になった。 ・2000年代(第51回~第60回) 2000年代の始まりと世紀の境目、近鉄の消滅と楽天の登場、そしてCSの導入などさまざまな面で時代の変革を迎えた年代。 2000年:巨人 - ダイエー(巨人4勝2敗、6年ぶり19度目) 2000年代初、そして20世紀最後となった第51回シリーズ。 6年ぶりに巨人をリーグ優勝に導いた長嶋茂雄監督と、ダイエーのリーグ連覇を果たした王貞治監督という、巨人の「V9」時代を支えた盟友同士の対決だったことから「ON対決」「ONシリーズ」と呼ばれて大いに盛り上がった。 MVPは松井秀喜。 特筆すべき点として、この年の日程は「東京ドーム・東京ドーム→福岡ドーム→休み・休み→福岡ドーム・福岡ドーム→東京ドーム・東京ドーム」という、通常の移動日がなく3連戦から2日空けて4連戦という特殊な日程になっていたが、これは日本脳神経外科学会の会合(2000年10月24日~27日)のために福岡ドーム側が球団の許可なく勝手に球場を貸し出してしまったため。 これは、ドーム側は日程を依頼された1997年の時点でチームが20年連続Bクラスと低迷し、どうせ出られないだろうと勝手に判断してしまったことが原因である。 しかし、1998年は一転して福岡移転後初のAクラス入りを果たしたことで問題が発覚したものの、この会合は世界各国から約2万人が集結する大規模な学会だったことから日程の変更などすでに手遅れであり、仮にできたところでダイエーが出場できなければ元も子もなく、球場や日本シリーズそのものの日程変更も叶わなかった。 最終的には学会側が27日の会合を中止し、26日を午前中で打ち切るなどの厚意を示したことで事なきを得たが、選手にとっては移動日なしでの連戦に加えての2日間の休みも球場が使用できないなど負担も大きく、結果的に日本一を逃してしまう原因になった。 一見すると無許可で勝手に日程を取り決めたドーム側の責任にも見えるが、依頼のあった1997年から1998年秋まで1年以上も球団の発見が遅れたことをNPBに問題視され、間接的にリーグ優勝を目指していない球団の体質を批判されて3000万円の制裁金を受けている。これは個人・球団への罰金として最高額である。 2001年:ヤクルト - 近鉄(ヤクルト4勝1敗、4年ぶり5度目) 21世紀初となった第52回シリーズ。4年ぶりのリーグ優勝を支えたヤクルトの扇の要・古田敦也の頭脳と、北川博敏の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打など「いてまえ打線」と呼ばれる強力打線でパ・リーグ初の前年最下位から12年ぶりのリーグ優勝を決めた近鉄の勝負が最大の注目になり、若松勉・梨田昌孝両監督による生え抜き監督対決でもあった。 ヤクルトは第2戦を除いて「いてまえ打線」を2点以下に封じ切り、4年ぶり5度目にして若松監督は球団生え抜き初の日本一を達成。 一方で近鉄はチーム総失点・防御率リーグ最下位(*24)の投手陣が史上初となる第3戦まで3試合連続6失点以上を喫し、自慢の「いてまえ打線」も上述の通り第2戦以外はシーズン中に見せた本領を発揮できず、この年が最後の日本シリーズ出場になってしまい、結局一度も日本一になれないまま2004年にオリックスと合併して55年の歴史に幕を閉じることになる。 MVPは古田敦也。 2002年:巨人 - 西武(巨人4勝0敗、2年ぶり20度目) 原辰徳・伊原春樹両監督という2度目の「新人監督対決」になった第53回シリーズ。 2年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人が勢いそのままに「V9」にもなかった球団史上初のストレート勝ちを収め、1990年の借りを返して原監督は就任1年目で日本一を達成。 巨人の投手陣は8人全員が1試合のみの登板であり、複数試合に登板した投手が1人もいないという珍しい記録を残した。 また、この年時点でセ32勝・パ21勝とセ・リーグの勝ち越しが11となり、1973年(17勝7敗)・1981年(21勝11敗)・1985年(23勝13敗)の勝ち越し10を上回って史上最多に。 MVPは二岡智宏。 2003年:阪神 - ダイエー(ダイエー4勝3敗、4年ぶり4度目) 暗黒時代を脱出して18年ぶりのリーグ優勝を決めた阪神と、3年ぶりのリーグ優勝を果たしたダイエーが激突した第54回シリーズ。 両チームが本拠地のみで勝つという「内弁慶シリーズ」はさることながら、「ダイエーのシリーズ最多得点零封試合(13-0)」「阪神の2試合連続サヨナラ勝利」「勝利投手が全員左投手」といった新記録(珍記録)の多さも話題に。 また、本拠地が山陽新幹線沿線であることからJR西日本は「山陽新幹線シリーズ」と命名し、両球団のペットマークを付けた特別列車を走らせた。 10年ぶりに第7戦までもつれたシリーズになり、ダイエーは連勝→3連敗→連勝と激戦を制して4年ぶり4度目の日本一を手にした。 MVPは杉内俊哉。 2004年:中日 - 西武(西武4勝3敗、12年ぶり12度目) こちらも落合博満・伊東勤両監督による「新人監督対決」になった第55回シリーズ。 12年前と同じく、西武はシーズン2位ながらこの年から導入されたPOを勝ち抜いて進出し、奇しくも再び中日を下して12度目の日本一を達成した。 第5戦の10月23日に新潟県中越地震が発生したが特に黙祷などは行われず、勝利した西武は予定通りビールかけを実施した。一応、中日の選手会は寄付金100万円を被災地に送っている。 MVPは史上初めてレギュラーシーズンを上回る勝利数(2勝)を挙げた石井貴。彼はこの活躍でオフのトレード説が流れ、2007年に引退するまで生涯西武を貫き通したが、そのトレード予定先は皮肉にも対戦相手の中日だったそうな。 2005年:阪神 - ロッテ(ロッテ4勝0敗、31年ぶり3度目) ある理由により、特にネタ人気で名高い第56回シリーズ。全試合が屋外球場で開催された最後のシリーズでもある。 いわゆるJFKで逃げ勝つ野球で2年ぶりのリーグ優勝を決めた阪神と、2位からPOを勝ち上がったロッテの対決になったが、いざ蓋を開けてみれば笑撃的衝撃的な結末に。 詳細は当該項目を参照。 2006年:中日 - 日本ハム(日本ハム4勝1敗、44年ぶり2度目) 第1回WBCを制して日本中が歓喜に沸いたこの年、2年ぶりのリーグ優勝を決めた中日と25年ぶりにパ・リーグを制覇した日本ハムによる第57回シリーズ。 札幌ドームはホームチームが三塁側ベンチを使用している事情から、全試合とも中日が一塁側・日本ハムが三塁側のベンチを使用した珍しいシリーズになっている(2012年と2016年も同様)。 日本ハムがパ・リーグ最長ブランクとなる44年ぶり2度目、日本ハムとしておよび北海道移転後初の日本一に輝いた。 MVPは稲葉篤紀。また、同年限りで引退するSHINJO(新庄剛志)は最後まで中堅手として活躍しチームの日本一に貢献。ウイニングボールを掴んだ森本稀哲はマウンドではなく真っ先に新庄に駆け寄り、胴上げもトレイ・ヒルマン監督や大社義規前オーナー、リーグMVPの小笠原道大らを差し置いて1番最初に行われたという。 2007年:中日 - 日本ハム(中日4勝1敗、53年ぶり2度目) CSが導入されて初めての開催になり、2年連続の顔合わせになった第58回シリーズ。 巨人を撃破して2位から出場した中日が前年と全く同じ星取りで雪辱を果たし、第5戦では参考記録ながらMLBにも例がない継投での完全試合を決めて12球団最長ブランクとなる53年ぶりの日本一に輝いた。前述の通りPOでは勝利チームがそのままシーズン優勝の扱いだったため、優勝チーム以外が日本一になるのも初である。 詳細は当該項目を参照。 2008年:巨人 - 西武(西武4勝3敗、4年ぶり13度目) 西武が4年ぶり13度目の日本一に輝いた第59回シリーズ。 最大13ゲーム差をひっくり返す「メークレジェンド」を達成して6年ぶりのリーグ優勝を大逆転で飾った巨人と、首位に立ってから一度も陥落することなく4年ぶりのリーグ優勝を決めた西武が激突した。 岸孝之はカーブを武器に三振の山を築き、日本シリーズ初登板で初完封を達成してMVPに輝いた。 2009年:巨人 - 日本ハム(巨人4勝2敗、7年ぶり21度目) WBC連覇で列島が歓喜に沸いたこの年、「後楽園シリーズ」以来28年ぶりの対決になった第60回シリーズ。 7年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人と、2年ぶりにパ・リーグを制した日本ハムが対戦した。上記の通り日本ハムは1988年~2003年は東京ドームを本拠地としていたが、その間は一度も日本シリーズに出場していなかったため、ビジターとしてではあるが初めて東京ドームで日本シリーズに出場することになった。 また、新型インフルエンザへの感染に対する特例処置として出場資格者の人数制限がなくなった唯一のシリーズでもある。 世界の頂点に立った原監督は巨人も日本一に導いた。 MVPは阿部慎之助。 ・2010年代(第61回~第70回) 平成から令和に変わる年代。CSでの下剋上も含めてセ・リーグ全球団が出場を果たしたが、ソフトバンクをはじめとするパ・リーグの快進撃が目立った時期でもあった。 2010年:中日 - ロッテ(ロッテ4勝2敗1分、5年ぶり4度目) 4年ぶりのリーグ優勝を果たした中日と、CSでソフトバンクを倒して3位からの下剋上で勝ち上がったロッテによる第61回シリーズ。 前述の通り、一部試合のテレビ全国中継が行われなかったが、その状況とは裏腹にロッテは5年ぶり4度目にして史上初の3位からの日本一という史上最大の下克上を達成したことで大きく盛り上がった。 また、ボールカウントが「SBO」の順で実施された最後の年でもある。 詳細は当該項目を参照。 2011年:中日 - ソフトバンク(ソフトバンク4勝3敗、8年ぶり5度目) リーグ連覇を達成した中日とソフトバンクの2度目の対戦になった第62回シリーズ。この年からコナミをスポンサーに迎えて「KONAMI日本シリーズ」として開催されるようになる。 東日本大震災の影響でシーズン開幕自体が遅れたこともあり、シリーズ全体でも4番目に遅い開催(11月12日~20日)になっている。上記の通り、第1戦は17年ぶりのデーゲームで行われた。 第6戦までは全てビジターチームが勝利したことから「外弁慶シリーズ」とも呼ばれ、第7戦までもつれながら両チームともにホームで本塁打が1本も出なかった珍しいシリーズでもある。 ソフトバンクがダイエー時代以来8年ぶり5度目、ソフトバンクとしては初の日本一に輝き、リーグ優勝・交流戦優勝・CS優勝・11球団勝ち越し・日本一という「完全制覇」を達成した。 MVPは小久保裕紀。40歳での受賞は史上最年長である。 2012年:巨人 - 日本ハム(巨人4勝2敗、3年ぶり22度目) それぞれ3年ぶりのリーグ優勝で通算3度目の対決になった両チームによる第63回シリーズ。 1998年のように全試合で逆転勝利がなく、第4戦の日本ハムのサヨナラ勝利を含めて先制点を挙げたチームがそのまま勝つという逆転のないシリーズでもあり、この年も4勝2敗で巨人が日本ハムを下して3年ぶり22度目の頂点に立った。 なお、セ・リーグとしては平成最後の日本一であり、2010年代のシリーズでは唯一セ・リーグが勝利した年でもある。 MVPは内海哲也。 2013年:巨人 - 楽天(楽天4勝3敗、初優勝) 東日本大震災で未だ傷心の東北を盛り上げるために奮起した楽天が、球団史上初のリーグ優勝を決めた勢いそのままに日本一まで上り詰めた第64回シリーズ。 巨人は1934年、楽天は2004年創立という新旧チームによるシリーズで、両チームとも王手をかけて第7戦までもつれるという大激戦が繰り広げられた。 詳細は当該項目を参照。 2014年:阪神 - ソフトバンク(ソフトバンク4勝1敗、3年ぶり6度目) CSで巨人を倒して2位から勝ち上がった阪神と、オリックスとの最終戦をサヨナラ勝ちで制して3年ぶりのリーグ優勝を決めたソフトバンクによる第65回シリーズ。 この年からSMBCをスポンサーに迎えて「SMBC日本シリーズ」として開催されるようになる。 詳細は当該項目を参照。 2015年:ヤクルト - ソフトバンク(ソフトバンク4勝1敗、2年連続7度目) セ・リーグでは1976年の巨人以来となる前年最下位から14年ぶりのリーグ優勝を決めたヤクルトと、リーグ連覇を果たしたソフトバンクによる第66回シリーズ。これまた真中満・工藤公康両監督による「新人監督対決」でもある。 チーム名が鳥の名前同士であるのも初で、山田哲人・柳田悠岐という65年ぶりの「トリプルスリー対決」でもあった。 ソフトバンクは5戦全てでヤクルトの先発を5回までにKOし、21世紀初にして球団史上初、そして史上唯一となる2人の監督で日本一連覇を果たした(前年は秋山幸二監督)。 MVPは李大浩。韓国人選手初の受賞である。 2016年:広島 - 日本ハム(日本ハム4勝2敗、10年ぶり3度目) 25年ぶりのリーグ優勝を果たした広島と、大谷翔平の二刀流の活躍で4年ぶりのリーグ優勝を決めた日本ハムが激突した第67回シリーズ。 セ・リーグ最西端の広島、パ・リーグ最北端の日本ハムと最も地理的に離れた2チームであることから「史上最長距離シリーズ」とも呼ばれた。 また、札幌ドームで開催された最後のシリーズでもある。 詳細は当該項目を参照。 2017年:DeNA - ソフトバンク(ソフトバンク4勝2敗、2年ぶり8度目) CSで広島を撃破して3位からの下剋上で勝ち上がったDeNAと、2年ぶりのリーグ優勝を決めたソフトバンクが対戦した第68回シリーズ。 ソフトバンクは3連勝から連敗の末、最後は平成初のサヨナラ日本一を達成。3イニングまたぐ執念で勝利を呼び寄せたデニス・サファテがMVPに輝いた。 延長15回制限はこの年が最後になった。 2018年:広島 - ソフトバンク(4勝1敗1分、2年連続9度目) 平成最後となった第69回シリーズ。巨人以来2球団目となるセ・リーグ3連覇を達成した広島と、2位からCSで西武を撃破して勝ち上がったソフトバンクが対戦した。 「西日本シリーズ」としては初の中国・九州対決で、日本標準時子午線(東経135度線)以東が舞台にならなかったシリーズでもある。 第2戦以外は全て3点差以内での決着という接戦続きであり、1敗1分から4連勝でソフトバンクが連覇を達成。史上初めてリーグ連覇なく日本一を連覇した。 甲斐拓也はシリーズ新記録となる6連続盗塁阻止を決めてピンチの芽を摘み、育成出身選手初のMVPに輝いた。 2019年:巨人 - ソフトバンク(ソフトバンク4勝0敗、3年連続10度目) (2020年代の項に続く) ・2020年代(第71回~) コロナ禍に見舞われた年代でもあり、毎年異なるチームが日本一に輝いているのも特徴。 (2019年代の項の続き) 2020年:巨人 - ソフトバンク(ソフトバンク4勝0敗、4年連続11度目) 巨人とソフトバンクの顔合わせになった令和初の第70回・第71回シリーズで、ソフトバンクがMLBでも前例のない「2年連続同一カード4連勝」を決めてパ・リーグ初の日本一4連覇を達成した(2019年は2位からの出場)。 巨人は打線が壊滅的に振るわず、中でも2020年は上記の通り全試合指名打者制の特別ルールだったにも関わらず2005年の阪神すら下回るほどの不名誉な記録の数々を打ち立ててしまい(*25)、「26-4」「オールブラックス」などと揶揄されてしまっている。 これにより2013年の第7戦から9連敗となり、同一監督としては史上ワーストに。原監督個人としても史上初となる同一監督によるシリーズ4連勝・4連敗経験、球団史上2人目となる選手・監督両方でのシリーズ4連敗の記録を打ち立てている。 一方で、上記の通りソフトバンクはセ・リーグ全球団と日本シリーズで戦い、その全てに勝利するという快挙を達成。2018年の第3戦以降は負けなしの12連勝で、本拠地(2011年の第7戦以降)およびポストシーズン(2019年CSファーストステージ第2戦以降)全体でも16連勝を達成した。 さらに2019年には1959年以来50年ぶりに対戦成績をタイに戻すと、続く2020年はパ・リーグが36勝35敗となり、第1回を除いて初めてセ・リーグをリードした。 MVPは2019年がジュリスベル・グラシアル、2020年が栗原陵矢。 前述の通り、2020年はコロナ禍の影響で6月開幕の縮小シーズンになっており、さらにセ・リーグはCSが全面中止、パ・リーグもファイナルステージのみをアドバンテージも含めた4戦3勝制で開催された(*26)。 また、東京ドームは都市対抗野球開催の兼ね合いで使用できず、巨人の本拠地は京セラドームで開催された。本拠地以外の会場で開催されたのは1980年の近鉄以来40年ぶり、セ・リーグでは1978年のヤクルト以来42年ぶりで、パ・リーグの本拠地を使用したのは初である。 観客収容率の上限が定員の50%以下に制限されこともあり、観客数は前売券なしで平日昼の開催だった1986年の第8戦以来34年ぶりに1万人台を記録した。 2021年:ヤクルト - オリックス(ヤクルト4勝2敗、20年ぶり6度目) 2022年:ヤクルト - オリックス(オリックス4勝2敗1分、26年ぶり5度目) 史上初の「2年連続最下位からリーグ連覇を達成した下剋上対決」になった第72回・第73回シリーズ。 2022年の第3戦を除いた13試合中12試合が3点差以内の決着で、さらに2点差以内が10試合・1点差が6試合とシリーズ史上でも屈指の大接戦続きになった。 2021年はヤクルトが阪神・巨人との三つ巴の末に6年ぶり、オリックスはロッテにマジック点灯を許しながらも逆転で25年ぶりにそれぞれリーグ優勝を決め、日本シリーズでは4勝2敗でヤクルトが20年ぶり6度目の日本一を達成。パ・リーグ9連覇を阻止し、令和初のセ・リーグ日本一に輝いた。 前年に引き続き観客収容率の上限が定員の50%以下に制限された中の開催だった。 MVPは中村悠平。 2022年は史上最速で優勝マジック53を点灯させたヤクルトと、2014年のお返しとばかりにシーズン最終日の大逆転(*27)でマジック点灯なく連覇を決めたオリックスという対照的な優勝形態が話題に。 この年は2敗1分から怒涛の4連勝を果たしたオリックスが26年ぶり5度目の日本一に輝き、大阪府を本拠地とするチームでは1964年の南海以来58年ぶり、さらに「バファローズ」を名乗るチームでは史上初の日本一になっている。同時に2020年以来2年ぶりにパ・リーグが37勝36敗で勝ち越した。 引き続きマスク着用義務・声出し不可の制限があったものの、この年は入場制限が撤廃されて3年ぶりに収容率100%で開催された。 MVPは杉本裕太郎。 なお、2021年のNPBは東京五輪の関係で7月15日~8月12日の1か月に渡ってシーズンが中断しており、その関係から日本シリーズも11月20日~27日とかなり遅い時期に行われた(*28)。加えて神宮は学生野球、京セラドームは第6・7戦がAAAのコンサートとの兼ね合いで使用できず、ヤクルトの本拠地は東京ドーム、オリックス主催の第6戦は25年ぶりとなるほっと神戸で行われた。11月27日の決着は第1回の28日、さらにこの年は9回打ち切りルールだったことから初の延長戦に突入し、12回の死闘の末に決着したため、試合終了時刻23時05分は2010年の23時07分に次いでそれぞれ2番目の遅さであり、最終的に気温は7度台にまで落ち込むという極寒の中での試合であった。 3球場以上で開催されたのは1962年以来59年ぶり、3都府県以上で行われたのは1953年以来68年ぶりで、両チームが球場を変更したのは史上初。 両年ともに出場したヤクルトの守護神スコット・マクガフは2021年の胴上げ投手になった一方で、シーズンのような安定感はなく、2021年の第1戦と両年の第5戦で敗戦投手になるという、救援登板のみでシリーズ通算3敗という史上ワーストの記録を残した。 また、オリックスの吉田正尚はそのマクガフから2年連続でサヨナラ打を放っており、シリーズ2度のサヨナラ打はケント・ハドリ以来2人目。2年連続としては史上初の記録になった。 ちなみに、高津臣吾・中嶋聡両監督は現役時代の1995年にそれぞれ選手として出場しており、第3戦の延長10回では直接対戦している(結果は四球)。 2023年:阪神 - オリックス(阪神4勝3敗、38年ぶり2度目) 2009年以来のWBC優勝で列島が狂喜乱舞したこの年、18年ぶりにセ・リーグを制した阪神と21世紀初のパ・リーグ3連覇を達成したオリックスによる、1964年以来59年ぶりの「関西対決」になった第74回シリーズ。 阪神が第7戦までもつれ込む激戦を制し、38年ぶり2度目となる「アレのアレ(日本一)」を達成した。 詳細は当該項目を参照。 ・一覧表 セ・リーグ球団 パ・リーグ球団 「-」は引き分け。特筆なき場合はシーズン優勝チーム。 回数 年 優勝チーム【年間順位】(監督) 優勝回数 勝敗 星取表 対戦相手【年間順位】(監督) 最高殊勲選手(MVP)※数字は回目 敢闘選手※数字は回目 セパ勝敗 勝 分 負 1 2 3 4 5 6 7 8 日本ワールドシリーズ 第1回 1950年 毎日(湯浅禎夫) 初優勝 4 2 毎 毎 松 松 毎 毎 松竹(小西得郎) 別当薫 - セ0勝 パ1勝 第2回 1951年 巨人(水原茂) 初優勝 4 1 巨 巨 巨 南 巨 南海(山本一人) 南村不可止 - セ1勝 パ1勝 第3回 1952年 2年連続 2度目 4 2 巨 巨 南 巨 南 巨 別所毅彦 - セ2勝 パ1勝 第4回 1953年 3年連続 3度目 4 1 2 南 巨 - 巨 巨 南 巨 川上哲治 簑原宏 セ3勝 パ1勝 日本シリーズ 第5回 1954年 中日(天知俊一) 初優勝 4 3 中 中 西 西 中 西 中 西鉄(三原脩) 杉下茂 大下弘 セ4勝 パ1勝 第6回 1955年 巨人(水原円裕) 2年ぶり 4度目 4 3 巨 南 南 南 巨 巨 巨 南海(山本一人) 別所毅彦2 戸川一郎 セ5勝 パ1勝 第7回 1956年 西鉄(三原脩) 初優勝 4 2 巨 西 西 西 巨 西 巨人(水原円裕) 豊田泰光 稲尾和久(西鉄) セ5勝 パ2勝 第8回 1957年 2年連続 2度目 4 1 0 西 西 西 - 西 大下弘 宮本敏雄 セ5勝 パ3勝 第9回 1958年 3年連続 3度目 4 3 巨 巨 巨 西 西 西 西 稲尾和久 藤田元司 セ5勝 パ4勝 第10回 1959年 南海(鶴岡一人) 初優勝 4 0 南 南 南 南 杉浦忠 土屋正孝 セ5勝 パ5勝 第11回 1960年 大洋(三原脩) 初優勝 4 0 洋 洋 洋 洋 大毎(西本幸雄) 近藤昭仁 田宮謙次郎 セ6勝 パ5勝 第12回 1961年 巨人(川上哲治) 6年ぶり 5度目 4 2 南 巨 巨 巨 南 巨 南海(藤本定義) 宮本敏雄 ジョー・スタンカ セ7勝 パ5勝 第13回 1962年 東映(水原茂) 初優勝 4 1 2 神 神 - 映 映 映 映 阪神(藤本定義) 土橋正幸種茂雅之 吉田義男 セ7勝 パ6勝 第14回 1963年 巨人(川上哲治) 2年ぶり 6度目 4 3 西 巨 巨 西 巨 西 巨 西鉄(中西太) 長嶋茂雄 稲尾和久2 セ8勝 パ6勝 第15回 1964年 南海(鶴岡一人) 5年ぶり 2度目 4 3 南 神 神 南 神 南 南 阪神(藤本定義) ジョー・スタンカ 山内一弘 セ8勝 パ7勝 第16回 1965年 巨人(川上哲治) 2年ぶり 7度目 4 1 巨 巨 巨 南 巨 南海(鶴岡一人) 長嶋茂雄2 森下整鎮 セ9勝 パ7勝 第17回 1966年 2年連続 8度目 4 2 巨 南 巨 巨 南 巨 柴田勲 渡辺泰輔 セ10勝 パ7勝 第18回 1967年 3年連続 9度目 4 2 巨 巨 巨 急 急 巨 阪急(西本幸雄) 森昌彦 足立光宏 セ11勝 パ7勝 第19回 1968年 4年連続 10度目 4 2 急 巨 巨 巨 急 巨 高田繁 長池徳二2 セ12勝 パ勝 第20回 1969年 5年連続 11度目 4 2 巨 急 巨 巨 急 巨 長嶋茂雄3,4 セ13勝 パ7勝 第21回 1970年 6年連続 12度目 4 1 巨 巨 巨 ロ 巨 ロッテ(濃人渉) 井石礼司 セ14勝 パ7勝 第22回 1971年 7年連続 13度目 4 1 巨 急 巨 巨 巨 阪急(西本幸雄) 末次民夫 山田久志 セ15勝 パ7勝 第23回 1972年 8年連続 14度目 4 1 巨 巨 急 巨 巨 堀内恒夫 足立光宏2 セ16勝 パ7勝 パ・リーグ前後期制開始 第24回 1973年 巨人(川上哲治) 9年連続 15度目 4 1 南 巨 巨 巨 巨 南海【3位】(野村克也) 堀内恒夫2 野村克也 セ17勝 パ7勝 第25回 1974年 ロッテ(金田正一) 24年ぶり 2度目 4 2 中 ロ 中 ロ ロ ロ 中日(与那嶺要) 弘田澄男 高木守道 セ17勝 パ8勝 第26回 1975年 阪急【2位】(上田利治) 初優勝 4 2 0 - 急 急 - 急 急 広島(古葉竹識) 山口高志 山本浩二 セ17勝 パ9勝 第27回 1976年 阪急(上田利治) 2年連続 2度目 4 3 急 急 急 巨 巨 巨 急 巨人(長嶋茂雄) 福本豊 柴田勲 セ17勝 パ10勝 第28回 1977年 3年連続 3度目 4 1 急 急 巨 急 急 山田久志 河埜和正 セ17勝 パ11勝 第29回 1978年 ヤクルト(廣岡達朗) 初優勝 4 3 急 ヤ 急 ヤ ヤ 急 ヤ 阪急(上田利治) 大杉勝男 足立光宏3 セ18勝 パ11勝 第30回 1979年 広島(古葉竹識) 初優勝 4 3 近 近 広 広 広 近 広 近鉄【2位】(西本幸雄) 高橋慶彦 井本隆 セ19勝 パ11勝 第31回 1980年 2年連続 2度目 4 3 近 近 広 広 近 広 広 近鉄(西本幸雄) ジム・ライトル 小川亨 セ20勝 パ11勝 第32回 1981年 巨人(藤田元司) 8年ぶり 16度目 4 2 日 巨 日 巨 巨 巨 日本ハム(大沢啓二) 西本聖 井上弘昭 セ21勝 パ11勝 パ・リーグ前後期制終了 第33回 1982年 西武【2位】(廣岡達朗) 24年ぶり 4度目 4 2 西 西 中 中 西 西 中日(近藤貞雄) 東尾修 上川誠二 セ21勝 パ12勝 第34回 1983年 西武(廣岡達朗) 2年連続 5度目 4 3 西 巨 巨 西 巨 西 西 巨人(藤田元司) 大田卓司 西本聖 セ21勝 パ13勝 第35回 1984年 広島(古葉竹識) 4年ぶり 3度目 4 3 広 急 広 広 急 急 広 阪急(上田利治) 長嶋清幸 山沖之彦 セ22勝 パ13勝 第36回 1985年 阪神(吉田義男) 初優勝 4 2 神 神 西 西 神 神 西武(廣岡達朗) ランディ・バース 石毛宏典 セ23勝 パ13勝 第37回 1986年 西武(森祇晶) 3年ぶり 6度目 4 1 3 - 広 広 広 西 西 西 西 広島(阿南準郎) 工藤公康2 達川光男 セ23勝 パ14勝 第38回 1987年 2年連続 7度目 4 2 巨 西 西 巨 西 西 巨人(王貞治) 篠塚利夫 セ23勝 パ15勝 第39回 1988年 3年連続 8度目 4 1 西 中 西 西 西 中日(星野仙一) 石毛宏典 宇野勝 セ23勝 パ16勝 第40回 1989年 巨人(藤田元司) 8年ぶり 17度目 4 3 近 近 近 巨 巨 巨 巨 近鉄(仰木彬) 駒田徳広 新井宏昌 セ23勝 パ16勝 第41回 1990年 西武(森祇晶) 2年ぶり 9度目 4 0 西 西 西 西 巨人(藤田元司) オレステス・デストラーデ 岡崎郁 セ24勝 パ17勝 第42回 1991年 2年連続 10度目 4 3 西 広 西 広 広 西 西 広島(山本浩二) 秋山幸二 川口和久 セ24勝 パ18勝 第43回 1992年 3年連続 11度目 4 3 ヤ 西 西 西 ヤ ヤ 西 ヤクルト(野村克也) 石井丈裕 岡林洋一 セ24勝 パ19勝 第44回 1993年 ヤクルト(野村克也) 15年ぶり 2度目 4 3 ヤ ヤ 西 ヤ 西 西 ヤ 西武(森祇晶) 川崎憲次郎 清原和博2 セ25勝 パ19勝 第45回 1994年 巨人(長嶋茂雄) 5年ぶり 18度目 4 2 西 巨 巨 西 巨 巨 槙原寛己 セ26勝 パ19勝 第46回 1995年 ヤクルト(野村克也) 2年ぶり 3度目 4 1 ヤ ヤ ヤ オ ヤ オリックス(仰木彬) トーマス・オマリー 小林宏 セ27勝 パ19勝 第47回 1996年 オリックス(仰木彬) 19年ぶり 4度目 4 1 オ オ オ 巨 オ 巨人(長嶋茂雄) トロイ・ニール 仁志敏久 セ27勝 パ20勝 第48回 1997年 ヤクルト(野村克也) 2年ぶり 4度目 4 1 ヤ 西 ヤ ヤ ヤ 西武(東尾修) 古田敦也 松井稼頭央 セ28勝 パ20勝 第49回 1998年 横浜(権藤博) 38年ぶり 2度目 4 2 横 横 西 西 横 横 鈴木尚典 大塚光二 セ29勝 パ20勝 第50回 1999年 ダイエー(王貞治) 35年ぶり 3度目 4 1 ダ 中 ダ ダ ダ 中日(星野仙一) 秋山幸二2 川上憲伸 セ29勝 パ21勝 第51回 2000年 巨人(長嶋茂雄) 6年ぶり 19度目 4 2 ダ ダ 巨 巨 巨 巨 ダイエー(王貞治) 松井秀喜 城島健司 セ30勝 パ21勝 第52回 2001年 ヤクルト(若松勉) 4年ぶり 5度目 4 1 ヤ 近 ヤ ヤ ヤ 近鉄(梨田昌孝) 古田敦也2 タフィ・ローズ セ31勝 パ21勝 第53回 2002年 巨人(原辰徳) 2年ぶり 20度目 4 0 巨 巨 巨 巨 西武(伊原春樹) 二岡智宏 アレックス・カブレラ セ32勝 パ21勝 第54回 2003年 ダイエー(王貞治) 4年ぶり 4度目 4 3 ダ ダ 神 神 神 ダ ダ 阪神(星野仙一) 杉内俊哉 金本知憲 セ32勝 パ22勝 パ・リーグプレーオフ開始 第55回 2004年 西武【2位】(伊東勤) 12年ぶり 12度目 4 3 西 中 西 中 中 西 西 中日(落合博満) 石井貴 井上一樹 セ32勝 パ23勝 第56回 2005年 ロッテ【2位】(ボビー・バレンタイン) 31年ぶり 3度目 4 0 ロ ロ ロ ロ 阪神(岡田彰布) 今江敏晃 矢野輝弘 セ32勝 パ24勝 第57回 2006年 日本ハム(トレイ・ヒルマン) 44年ぶり 2度目 4 1 中 日 日 日 日 中日(落合博満) 稲葉篤紀 川上憲伸2 セ32勝 パ25勝 クライマックスシリーズ開始 第58回 2007年 中日【2位】(落合博満) 53年ぶり 2度目 4 1 日 中 中 中 中 日本ハム(トレイ・ヒルマン) 中村紀洋 ダルビッシュ有 セ33勝 パ25勝 第59回 2008年 西武(渡辺久信) 4年ぶり 13度目 4 3 西 巨 巨 西 巨 西 西 巨人(原辰徳) 岸孝之 アレックス・ラミレス セ33勝 パ26勝 第60回 2009年 巨人(原辰徳) 7年ぶり 21度目 4 2 巨 日 巨 日 巨 巨 日本ハム(梨田昌孝) 阿部慎之助 髙橋信二 セ34勝 パ26勝 第61回 2010年 ロッテ【3位】(西村徳文) 5年ぶり 4度目 4 1 2 ロ 中 ロ 中 ロ - ロ 中日(落合博満) 今江敏晃2 和田一浩 セ34勝 パ27勝 コナミ日本シリーズ 第62回 2011年 ソフトバンク(秋山幸二) 8年ぶり 5度目 4 3 中 中 ソ ソ ソ 中 ソ 中日(落合博満) 小久保裕紀 吉見一起 セ34勝 パ28勝 第63回 2012年 巨人(原辰徳) 3年ぶり 22度目 4 2 巨 巨 日 日 巨 巨 日本ハム(栗山英樹) 内海哲也 稲葉篤紀 セ35勝 パ28勝 第64回 2013年 楽天(星野仙一) 初優勝 4 3 巨 楽 楽 巨 楽 巨 楽 巨人(原辰徳) 美馬学 長野久義 セ35勝 パ29勝 SMBC日本シリーズ 第65回 2014年 ソフトバンク(秋山幸二) 3年ぶり 6度目 4 1 神 ソ ソ ソ ソ 阪神【2位】(和田豊) 内川聖一 ランディ・メッセンジャー セ35勝 パ30勝 第66回 2015年 ソフトバンク(工藤公康) 2年連続 7度目 4 1 ソ ソ ソ ヤ ソ ヤクルト(真中満) 李大浩 山田哲人 セ35勝 パ31勝 第67回 2016年 日本ハム(栗山英樹) 10年ぶり 3度目 4 2 広 広 日 日 日 日 広島(緒方孝市) ブランドン・レアード ブラッド・エルドレッド セ35勝 パ32勝 第68回 2017年 ソフトバンク(工藤公康) 2年ぶり 8度目 4 2 ソ ソ ソ De De ソ DeNA【3位】(アレックス・ラミレス) デニス・サファテ 宮﨑敏郎 セ35勝 パ33勝 第69回 2018年 ソフトバンク【2位】(工藤公康) 2年連続 9度目 4 1 1 - 広 ソ ソ ソ ソ 広島(緒方孝市) 甲斐拓也 鈴木誠也 セ35勝 パ34勝 第70回 2019年 3年連続 10度目 4 0 ソ ソ ソ ソ 巨人(原辰徳) ジュリスベル・グラシアル 亀井義行 セ35勝 パ35勝 第71回 2020年 ソフトバンク(工藤公康) 4年連続 11度目 4 0 ソ ソ ソ ソ 栗原陵矢 戸郷翔征 セ35勝 パ36勝 第72回 2021年 ヤクルト(高津臣吾) 20年ぶり 6度目 4 2 オ ヤ ヤ ヤ オ ヤ オリックス(中嶋聡) 中村悠平 山本由伸 セ36勝 パ36勝 第73回 2022年 オリックス(中嶋聡) 26年ぶり 5度目 4 1 2 ヤ - ヤ オ オ オ オ ヤクルト(髙津臣吾) 杉本裕太郎 ホセ・オスナ セ36勝 パ37勝 第74回 2023年 阪神(岡田彰布) 38年ぶり 2度目 4 3 神 オ オ 神 神 オ 神 オリックス(中嶋聡) 近本光司 紅林弘太郎 セ37勝 パ37勝 記録 前身球団も含む。黒字はリーグ記録。赤字は12球団記録。青字は最少・最古の記録。 灰色は過去のチーム。 チーム別記録(日本一回数順) リーグ チーム リーグ優勝回数(2リーグ制後) 出場回数 日本一回数 敗退回数 直近のリーグ優勝 直近の出場(対戦相手) 直近の日本一(対戦相手) 備考 セ 巨人 38回 36回 22回 14回 2020年 2020年(ソフトバンク) 2012年(日本ハム) ・リーグ優勝、出場回数、日本一、敗退いずれも12球団最多・2007年と2014年はCS敗退 パ 西武(西鉄) 23回 21回 13回 8回 2019年 2008年(巨人) 2008年(巨人) ・リーグ優勝、出場回数、日本一いずれもパ・リーグ最多・2018年と2019年はCS敗退・出場は12球団最古 パ ソフトバンク(南海・ダイエー) 19回 20回 11回 9回 2020年 2020年(巨人) ・2018年と2019年は2位から日本一・2010年はCS敗退 セ ヤクルト 9回 6回 3回 2022年 2022年(オリックス) 2021年(オリックス) パ オリックス(阪急) 15回 5回 10回 2023年 2023年(阪神) 2022年(ヤクルト) 敗退はパ・リーグ最多 パ ロッテ(毎日・大毎) 5回 6回 4回 2回 2005年(年間勝率1位 1974年)※POなしだと1970年 2010年(中日) ・2010年は3位から日本一・年間勝率1位やポストシーズンを介さないリーグ優勝、完全優勝は12球団最古(1950年) セ 広島 9回 8回 3回 5回 2018年 2018年(ソフトバンク) 1984年(阪急) ・2017年はCS敗退・日本一は12球団最古 パ 日本ハム(東映) 7回 3回 4回 2016年 2016年(広島) セ 中日 9回 10回 2回 8回 2011年 2011年(ソフトバンク) 2007年(日本ハム) ・2007年は2位から日本一・完全優勝はセ・リーグ最古(1954年) セ 阪神 6回 7回 2回 5回 2023年 2023年(オリックス) 2014年は2位からの出場 セ DeNA(大洋・横浜) 2回 3回 2回 1回 1998年 2017年(ソフトバンク) 1998年(西武) ・2017年は3位からの出場・リーグ優勝は12球団最古 パ 楽天 1回 0回 2013年 2013年(巨人) 出場回数・日本一・敗退いずれも12球団最少 パ 近鉄 4回 0回 4回 2001年 2001年(ヤクルト) 日本一経験なく消滅 セ 松竹 1回 0回 1回 1950年 1950年(毎日) セ 西日本 リーグ優勝経験なく消滅 パ 大映 パ 高橋 CSの導入後はリーグ優勝しなくとも日本シリーズに進出できる可能性があるため、優勝回数と出場回数が一致しないチームがある。 最多の優勝チームは巨人の22回。次いで西武の13回・ソフトバンクの11回と続き、出場回数の面でもこの3チームがダントツのトップ3である。 逆に少ないのは2013年の1回のみの楽天で、次いで中日・阪神・DeNAが2回ずつ、広島・日本ハムが3回ずつと続く。セ・リーグは巨人以外の5球団を合わせても15回と遠く及ばず、パ・リーグもソフトバンク以外の4球団を合計しても西武の13回と同数であるため、どれだけ上位3チームが突出しているかが分かるだろう。 2022年にオリックスが勝利したことにより、21世紀になってからパ・リーグ全球団が日本一を達成。逆にセ・リーグは広島とDeNAが未達成で、最後の優勝がそれぞれ1984年・1998年と最も古く、後者に至っては12球団で唯一21世紀のリーグ優勝も未達成である。 また、西武は最後の出場が2008年と12球団で最も古く、従ってパ・リーグに限っても最古の日本一である。さらに、楽天は日本一になった2013年が唯一の出場であるため、12球団で唯一敗退がない。 それでも、消滅した近鉄に代わって結成された楽天が2013年に頂点に立ったことにより、現存12球団は全て日本一を経験しており、これはMLBにもない記録である(*29)。さらにパ・リーグは史上初めて同一年号中(平成)に全球団が日本一を経験しており、2023年に阪神が2度目の日本一に輝いたことにより、最も歴史の浅い楽天以外の11球団が日本一を複数回経験したことになった。 過去には松竹が一度・近鉄が4度日本シリーズに出場したが、結局一度も日本一になれないまま大洋・オリックスとの合併により球団消滅。特に後者は合併以降もリーグ優勝すら遠ざかっており、上記のように18年経った2022年に初めて「バファローズ」が日本シリーズを制した。 また、西日本・大映・高橋に至ってはリーグ優勝すら果たせないままロッテ・西鉄と合併する形で球団消滅となっているため、当然ながら日本シリーズへの出場経験はない。 ちなみに、連覇の最長は巨人の9年連続(1965年~1973年)。パ・リーグではソフトバンクの4年連続(2017年~2020年)が最長記録だが、こちらは2年連続2位を含むことから完全優勝という点では阪急(1975年~1977年)・西武(1982年~1984年、1990年~1992年)の3年連続が最長である。 逆に日本一のブランクが最も長いのは中日の53年(1954年~2007年)。パ・リーグでは日本ハムの44年(1962年~2006年)が最長である。 リーグ別記録 リーグ 出場回数 日本一回数 敗退回数 直近のリーグ優勝(2リーグ制後) 直近の出場(対戦相手) 直近の日本一(対戦相手) セ・リーグ 74回 37回 阪神(18年ぶり6度目) 2023年の阪神(オリックス) パ・リーグ オリックス(3年連続15度目) 2023年のオリックス(阪神) 2022年のオリックス(ヤクルト) 2023年現在のリーグ別成績は37勝37敗のタイである。第1回の1950年をパ・リーグが制し、1959年に2度目のタイになって以降は長い間セ・リーグが勝ち越しており、巨人が「V9」を達成した1973年には17勝7敗で初の貯金10に到達。その後も2003年まで5回記録しており、2002年は史上最多となる11もの貯金(32勝21敗)があった。 だが、この年を最後にセ・リーグでの日本一連覇がなくなり(*30)、代わってパ・リーグが大きく躍進。2013年からは楽天・ソフトバンク・日本ハムによる「V8」を達成し、2020年の時点で36勝35敗と初めてセ・リーグをリードした。 2021年にヤクルトが日本一に輝いたことで9連覇は阻止されたものの、2022年にオリックスが頂点に立ったことで再度貯金を作り、21世紀にパ・リーグ全球団が日本一を達成した。 球場記録 ネーミングライツなどによって球場名が異なる場合は個別に記載。ただし、開催実績のない球場や名称は基本的に除く。 黒字は現存球場の記録。赤字は最高記録。青字は最少・最古の記録。 球場欄色付きおよび太字は現行の球場および名称。灰色は過去の球場および本拠地(現存か否かは問わない)。 球場 開催回数 決着回数 直近の開催(戦目)(対戦カード、太字は主催) 直近の決着(優勝チーム) 後楽園球場 29回 16回 1987年3,4,5(巨人 - 西武) 1981年(巨人) 大阪スタヂアム(大阪球場) 13回 5回 1980年3,4,5(広島 - 近鉄) 1979年(広島) 西武ライオンズ球場 12回 7回 1997年1,2(ヤクルト - 西武) 1993年(ヤクルト) 東京ドーム 12回 5回 2021年3,4,5(ヤクルト - オリックス) 2019年(ソフトバンク) 阪急西宮球場 11回 4回 1984年3,4,5(広島 - 阪急) 1975年(阪急) 福岡ドーム 10回(福岡ドーム 3回)(ヤフオク!ドーム 5回)(他1回ずつ) 5回(ヤフオク!ドーム 2回)(他1回ずつ) 2003年1,2,6,7(阪神 - ダイエー) 2003年(ダイエー) 福岡 Yahoo! JAPANドーム 2011年1,2,6,7(中日 - ソフトバンク) 2011年(ソフトバンク) 福岡 ヤフオク!ドーム 2019年1,2(巨人 - ソフトバンク) 2017年(ソフトバンク) 福岡 PayPayドーム 2020年3,4(巨人 - ソフトバンク) 2020年(ソフトバンク) 明治神宮野球場 9回 6回 2022年1,2,6,7(ヤクルト - オリックス) 2022年(オリックス) 阪神甲子園球場(甲子園球場) 9回 3回 2023年3,4,5(阪神 - オリックス) 2005年(ロッテ) ナゴヤドーム 6回 4回 2011年3,4,5(中日 - ソフトバンク) 2010年(ロッテ) 中日スタヂアム(中日球場) 5回(中日スタヂアム 3回)(ナゴヤ球場 2回) 2回 1974年1,2,6(中日 - ロッテ) 1974年(ロッテ) ナゴヤ球場 1988年1,2(中日 - 西武) 1982年(西武) 平和台球場 5回 1回 1963年1,2,6,7(巨人 - 西鉄) 1963年(巨人) 広島市民球場 5回 3回 1986年1,2,6,7,8(広島 - 西武) 1986年(西武) 大阪ドーム 5回(大阪ドーム 1回)(京セラドーム 4回) 1回(京セラドーム) 2001年1,2(ヤクルト - 近鉄) 2023年(京セラドームで阪神) 京セラドーム大阪 2023年1,2,6,7(阪神 - オリックス) 札幌ドーム 5回 2回 2016年3,4,5(広島 - 日本ハム) 2009年(巨人) 西武ドーム 4回 1回 2008年3,4,5(巨人 - 西武) 2002年(巨人) MAZDA Zoom Zoom スタジアム広島 3回 2回 2018年1,2,6(広島 - ソフトバンク) 2018年(ソフトバンク) グリーンスタジアム神戸 3回(グリーンスタジアム 2回)(ほっと神戸 1回) 1回 1996年3,4,5(巨人 - オリックス) 1996年(オリックス) ほっともっとフィールド神戸 1回 2021年6(ヤクルト - オリックス) 2021年(ヤクルト) 千葉マリンスタジアム 2回 0回 2010年3,4,5(中日 - ロッテ) - 横浜スタジアム 2回 1回 2017年3,4,5(DeNA - ソフトバンク) 1998年(横浜) 東京スタジアム 1回 1970年3,4,5(巨人 - ロッテ) 1970年(巨人) 藤井寺球場 1回 1989年1,2,6,7(巨人 - 近鉄) 1989年(巨人) 川崎球場 1回 1960年1,2(大洋 - 大毎) - クリネックススタジアム宮城 1回 2013年1,2,6,7(巨人 - 楽天) 2013年(楽天) エスコンフィールドHOKKAIDO 開催例なし 最多の開催球場は後楽園球場の29回。巨人以外のチームも本拠地として開催していることからダントツのNo.1であり、決着して胴上げが行われた回数も16回と群を抜いている。次いで大阪球場の13回・西武球場の12回と続く。 現行の球場では東京ドーム12回・福岡ドーム10回が多く、決着回数は神宮の6回が最多である。 2023年に京セラドームで開場以来初めて日本一が決定したことにより、一度だけの開催だった川崎球場や同年開業したエスコンフィールドを除いた12球団の現行本拠地では唯一セ・リーグ球団も含めてZOZOマリンスタジアムでの日本一決定がない(*31)。同様に阪神も2度の日本一がいずれもビジター(1985年は西武球場、2023年は京セラドーム)であるため、こちらもセ・リーグでは唯一本拠地で日本一を決められていない。 上記の通りロッテは最後の年間勝率1位が12球団で最も古い1974年であるため、千葉移転後のリーグ優勝およびPO→CSファイナルステージ開催も行われていない。 上記の通り過去は全球団の本拠地が屋外球場だったが、東京ドームを皮切りに次々と建設されたことで現在は巨人・中日・西武・ソフトバンク・オリックス・日本ハムの6球団がドーム球場になり、屋外球場はヤクルト・広島・DeNA・阪神・ロッテ・楽天の6球団になったことから、対戦カードの関係で全試合が屋外球場で開催されたのは2005年が最後になっている。 上記のように出場チームにはあらかじめ使用する球場の日程確保が義務付けられており、怠ると罰金が課される。 なお、諸事情で他の球場を使用する場合でも他球団の本拠地で開催される場合が多く、収容人数やナイター設備の条件面も含めて純然たる地方球場で行われたことはない。 日本シリーズの対戦カード 前身球団も含む。いずれも「セ・リーグ - パ・リーグ」の順に表記。 「×」は対戦例なし。灰色は過去のチーム。 球団 パ・リーグ 西武 ソフトバンク オリックス ロッテ 日本ハム 楽天 近鉄 セ・リーグ 巨人 巨3 - 7西 巨9 - 3ソ 巨5 - 3オ 巨1 - 0ロ 巨3 - 0日 巨0 - 1楽 巨1 - 0近 ヤクルト ヤ2 - 1西 ヤ0 - 1ソ ヤ3 - 1オ × × × ヤ1 - 0近 広島 広1 - 1西 広0 - 1ソ 広1 - 1オ × 広0 - 1日 × 広2 - 0近 中日 中1 - 3西 中0 - 2ソ × 中0 - 2ロ 中1 - 1日 × × 阪神 神1 - 0西 神0 - 3ソ 神1 - 0オ 神0 - 1ロ 神0 - 1日 × × DeNA De1 - 0西 De0 - 1ソ × De1 - 0ロ × × × 松竹 × × × 松0 - 1ロ × × × 楽天以外はどの球団も必ず1チームには通算成績で負け越しており、全球団に勝ち越しているチームはない。 対戦カード別では巨人とソフトバンクの顔合わせが最も多く、2020年までに12回対戦している。対戦成績は巨人が9勝3敗と圧勝だが、ソフトバンクが勝利した3回は全て4勝無敗のスイープである(1959年・2019年・2020年)。 西武とソフトバンクは現行のセ・リーグ6球団全てと対戦経験があり、中でもソフトバンクは上記の通り2010年代だけで全チームを撃破し、史上初の日本シリーズ6球団勝利を達成(*32)。中でもロッテは唯一松竹と対戦経験があるため、ヤクルトと広島と対戦すればパ・リーグ唯一の7球団対戦を達成できることになる。 セ・リーグでは唯一巨人が近鉄も含めたパ・リーグ7球団と対戦。逆に現行6球団での対戦例はないが、同様に近鉄と対戦経験があるヤクルトと広島は7球団対戦を達成できる可能性は残されている。 一方で、前身球団も含めて一度も対戦していない組み合わせが現行12球団だけでもまだ11例残されている。 ファーム日本選手権 二軍にも日本シリーズが設定されており、「ファーム日本選手権」と呼ばれる。1987年に「ジュニア日本選手権」としてスタートし、当初は9月に行われていたが、1997年から大会名を「ファーム日本選手権」と改めたのを機に、以降は10月のフェニックス・リーグ前に行われている。 二軍リーグは一軍とは違い、東日本の7チームで構成されるイースタン・リーグ(セ・リーグが運営)、西日本の5チームで構成されるウエスタン・リーグ(パ・リーグが運営)に分かれており、地域別に設定されている。 かつては一軍と同じく両リーグ6チームずつだったが、近鉄の解散と楽天の結成が行われた2005年以降はイ・リーグ7チーム、ウ・リーグ5チームと数が分かれて奇数になり、両リーグとも効率的な試合開催ができなくなっていた。 2024年からは二軍のみのチームとしてイ・リーグにオイシックス新潟アルビレックスBC、ウ・リーグにくふうハヤテベンチャーズ静岡が加入し、チーム数が偶数になって前述の問題が改善されている。 一軍の日本シリーズとの主な違いは以下の通り。 一軍とは違って一試合勝負で、各リーグの優勝チームがそのまま出場する。 延長戦の制限はなし。2020年と2021年はコロナ禍の関係で「ファーム日本選手権特例2020」として、延長10回終了時に同点の場合、11回以降は決着がつくまで毎回継続打順で無死一、二塁から始めるタイブレークを採用した。 西暦が偶数の年はウ・リーグ、奇数の年はイ・リーグのチームがホーム扱い。使用する球場もお互いの本拠地ではない地方球場の場合が多く、2013年以降は毎年ひなたサンマリンスタジアム宮崎で開催されている。 出場チームは試合の数日前に出場資格者名簿をコミッショナーに提出する。参考までに、2023年での出場資格は「支配下もしくは育成で当年度に登録された新人選手」「当年度に一度も出場登録されなかった選手」「当年度のファーム公式戦の規定打席もしくは規定投球回のいずれかの3割を満たした選手」の中からいずれかに該当する選手。 指名打者制は一軍がパ・リーグに所属するチームがホームの時で、2009年以降はセ・リーグ所属のイ・リーグのチーム(巨人・ヤクルト・DeNA)がホームの場合でも採用可能。 一軍と同じくMVPの表彰があり、受賞者の中には後にチームや球界を代表する選手に成長した人もしばしばいる。 2023年時点でイ・リーグ17勝、ウ・リーグ19勝とウ・リーグが優勢である。 追記・修正は贔屓チームの日本一を見届けてからお願いいたします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 3位同士の日本シリーズなんて見てみたいが、実現したらCS不要論加速しそう -- 名無しさん (2022-10-17 20 35 53) 「33-4」「な阪関無」「白い霧事件」←これを見に来た -- 名無しさん (2022-10-17 21 50 59) 個人的に92年西武vsヤクルトが1番面白かった。確か最近その年に焦点を当てた本も出てたはず -- 名無しさん (2022-10-17 23 29 58) ↑3なんやかんやで3位が日本シリーズ進出したケースって過去16回で確か2010年、2017年の2回だけ(日本一は2010のロッテだけ)で滅多にないから、CSの制度って割とよくできてるんよね。それでも贔屓がリーグ優勝したのにCS敗退したらマジで要らねぇだろってなっちゃうけど -- 名無しさん (2022-10-17 23 57 22) ノーコンすぎてヤバいとパ・リーグファンから言われるあの杉山ですら巨人打線がてんてこ舞いにされた2020は改めて酷いと思った -- 名無しさん (2022-10-18 10 07 47) 阪神と広島は平成で日本一にならなかったな -- 名無しさん (2022-10-18 11 38 55) ↑現12球団だと日本一から最も遠いのがその2チームなのか(シーズン勝率1位&日本一の縛りだとロッテと中日が半世紀以上も前だが) -- 名無しさん (2022-10-18 16 58 28) な阪関無は厳密には2010年日本シリーズのほうでは… -- 名無しさん (2022-10-18 19 56 48) ロッテはリーグ優勝してなくても日本シリーズに出てくると異様な力を出すイメージがある。 -- 名無しさん (2022-10-19 00 51 17) 92年は記事にならないかな -- 名無しさん (2022-10-19 10 24 40) 2005年のロッテは優勝したから(血眼) -- 名無しさん (2022-10-19 16 36 27) ↑8そもそも2位以下同士ってのがいままで一度もないなんだかんだ片方は1位のチーム -- 名無しさん (2022-10-19 21 00 15) ぶっちゃけ20年巨人はぶっちぎりペナント快走の中盤までと比較して終盤はアレな試合が多くて阪神や中日の方が強かったよ。逆にホークスは終盤に怒涛の連勝しての優勝してチーム状態が素晴らしかった。 -- 名無しさん (2022-10-20 22 45 53) 2023年11月5日(日)にフジテレビで放送された日本シリーズ阪神VSオリックス最終決戦の視聴率は何%でしたか? -- 名無しさん (2023-11-13 17 56 23) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/yamamura2/pages/2018.html
【TOP】【←prev】【FAMILY COMPUTER】【next→】 燃えろ !! ジュニアバスケット TWO ON TWO タイトル 燃えろ !! ジュニアバスケット TWO ON TWO 機種 ファミリーコンピュータ 型番 JF-20 ジャンル スポーツ(バスケットボール) 発売元 ジャレコ 発売日 1988-11-22 価格 5500円 燃えろジュニアバスケット 関連 Console Game FC 燃えろ !! ジュニアバスケット Handheld Game GBA 燃えろ !! ジャレココレクション 駿河屋で購入 ファミコン (箱説あり)
https://w.atwiki.jp/retrogamewiki/pages/7065.html
今日 - 合計 - 東尾修監修・プロ野球スタジアム'91の攻略ページ 目次 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 名前 コメント 選択肢 投票 役に立った (0) 2012年10月09日 (火) 16時28分40秒 [部分編集] ページごとのメニューの編集はこちらの部分編集から行ってください [部分編集] 編集に関して
https://w.atwiki.jp/gcmatome/pages/3374.html
実況パワフルプロ野球6 【じっきょうぱわふるぷろやきゅうしっくす】 ジャンル スポーツゲーム(野球) 対応機種 ニンテンドウ64 メディア 128MbitROMカートリッジ 発売元 コナミ 開発元 コナミコンピュータエンタテイメント大阪(ダイヤモンドヘッド) 発売日 1999年3月25日 定価 7,800円 判定 良作 ポイント サクセスはバリエーション豊富な6つの大学編ドラマティックペナント登場横浜ベイスターズ優勝年のデータN64サードパーティで最も売れたソフト 実況パワフルプロ野球シリーズ 概要 評価点 進化した野球部分 特殊能力の新規追加 ドラマティックペナント バリエーション豊富なサクセス 賛否両論点 問題点 総評 余談 概要 言わずと知れた人気野球ゲームのメイン6作目。N64パワプロとしては3作目。 西川直樹、藤岡賢治などこれまで主要だったスタッフが前作『5』を最後に『パワポケ』シリーズの制作で離脱(*1)したため、本作は実質的に新しいスタッフで開発した作品となる。 本作は大学野球編。実力主義・試合オンリーなどのバリエーションが登場。 本作のペナントは従来の試合進行型に対し、ドラマティックペナントモードを追加。 同年のPS1版パワプロ 99と並んで横浜ベイスターズ黄金期と言える一作。本作のシナリオは対横浜のシチュエーションが多い(*2)。 初代『パワプロクンポケット』とはパスワードの他GBパックで連動して選手のやり取りが出来る。 調子による影響のブレが大きくなった。 評価点 進化した野球部分 体感球速が上がり、ストレートが使いやすくなった。 但し、ホームランになりづらくなったともいえる。 難易度「ふつう」以前のcpuがストレートを投げる事が多くなり、バットに当てやすくなった。 cpuの予測打ちがなくなり、三振を取りやすくなった。 特殊能力の新規追加 「代打○」「満塁男」や投手版の「威圧感」などが新規追加された。これによりまた選手の個性が事細かくなった。 ミートカーソルの伸び縮みが激しい「初球○」「三振男」が追加。またピッチャー用に、それに近い位置付けの「四球男」も追加。 前作まであった「一発病」の逆バージョンとして「逃げ球」も追加された。 それまで「しりあがり」がトータルではプラスだが1.2回はマイナスだったので一概にプラスと言い切れないものだったが、本作から基本からスタートして上がるのみとなった。 併せて、それまでのマイナス部分のみを取り上げたマイナス能力「スロースターター」が追加。「しりあがり」の代名詞だったオリックスの星野などは「しりあがり」と「スロースターター」を両方とも持っており前作の特徴を引き継いだ形になっている。 その一方で選手個人名の特殊能力が「桑田」のみになり、新庄式キャッチは誰でもできるようになった(守備練習で阪神を使っていると最初の説明で教えてくれる)。 ドラマティックペナント これまでは普通の日程を消化するだけの試合モードだったペナントモードに追加された新モード。 説明役のコーチさんは大きな口が付いている異色の人物。 キャンプを行う事でペナント中でも選手の能力値を上げることが出来るようになった。 2月のキャンプ投手・捕手・内野手・外野手の4ポジションの練習メニューを決め、第6クールまで練習を繰り返す。 上手く行けば全員絶好調や能力値を上げた上でペナントレースに挑めるが、失敗すれば怪我をしたり不調だったりしてしまう事もある。 ピッチャーは球速、コントーロール、スタミナがガッツリ落ちた状態からスタートとなるので、最低限それを取り戻す(基本に戻す)ことを迫られる。 後述の通りベテランは伸びが弱いので、まずこれを取り戻すことができずに終わる。 本作のドラマティックペナントのキャンプは練習内容が非常に凝っているのだが、それ故にキャンプで時間が非常にかかるという欠点を抱えるようになってしまったため後のシリーズではドラマティックペナントは廃止され、キャンプは簡略化された。 しかしペナントでの育成要素という要素は後のシリーズにも残り、今ではパワプロでは何よりペナントを楽しみにしているファンを獲得する事へ繋がった。 これに付随して「ベテラン」「普通」「外国人」「若手」「新人」の選手区分が新登場した(前作時点では新人かそうでないかのみ)。 「普通」を基本とし、「ベテラン」はキャンプでの伸びが弱く、「若手」「新人」は伸びしろに大小が発生し、「外国人」はそれを更に極端にしたものとなる。 「若手」「新人」はキャンプでの伸び幅が同じ。ペナントで新人王の大将となるかそうでないかの違いのみ。 実在選手で外国人はそのままの外国人だがロバート・ローズ(横浜)と宣銅烈(中日)のみ特例的に「ベテラン外国人」(「ベテラン」と同等)の扱いになっている。 後述のサクセスで作成した選手も、この区分を選択できるが「若手」のみ選択できない。 バリエーション豊富なサクセス 前作『5』では、3種類の高校があったがマネージャー以外の登場人物が完全に使い回しであり、あまりバリエーションがあるとは言えなかった。 しかし本作は6大学で矢部以外のチームメイト(その矢部もするめ大学では仲間にならない)が大きく変わり、ストーリー的にも育成しやすい選手にも特徴が出た。 熱血大学とするめ大学を除き、後輩選手はピッチャーの江崎、セカンドの豆山、キャッチャーの熊谷で固定。 大学編(4年制)だが本作も3年で行われるため2年生の4月から始まる。するめ大学はのっけから4年。 金銭の概念があり、上手くやりくりする事も重要になってくる。 前作までノック、トスバッティング、PNFといった一人でできない練習はチームメイト評価が著しく低いと拒否されてしまっていたが(代わりに素振りやストレッチをする)、それがなくなった。 最初に選べるパワフル大学は、癖のないオーソドックスな大学。良くも悪くも初心者向けだが強い選手を作るには物足りないという「パワフル系」の特徴は本作から。前作『5』のパワフル高校はむしろ強い選手を作りやすかった。 あえて言うなら仕送りが少ない一人暮らし。 どう頑張っても終盤は家賃・部費等の生活費が仕送りを上回り、アルバイトをせざるをえなくなってしまう。ある意味現実の大学生に一番近い学校である。 また、ランダムイベントで発生しやすい「部屋の掃除」をするとゴキブリにばかり出くわすためヤル気が下がりやすい。 常識人故に影が薄い猿橋先輩と、無茶な練習メニューで主人公たちを振り回す椿本先輩が登場。マネージャーは正統派な春菜ちゃん。 条件を整えた状態で椿本先輩に相談すると守備位置コンバートを勧められサブポジの体得が可能。逆に守備能力が高いとノック系練習が最高レベルになるなどのメリットもある。 あまり特徴のない大学だがピッチャーに関しては変化球にマイナス補正がかかってしまうことや、反対に野手では打撃練習を特定回行うことで「流し打ち」が体得できるなどどちらかと言えば野手向き。 設定上ではあかつき大に次いで強いという設定であり、他大学でぶつかる時は固定選手は居ないものの特に守備のロジックは優秀なので中々の強敵として立ちふさがる。 熱血大学は山間部にある大学。最初は主人公と矢部しか部員が居ないため必然的に最初からキャプテンになる。 他の部から部員を勧誘し、奢りや差し入れでやる気を出させて乗り切る。 このためパワフル大学以上に金銭面でのやりくりが厳しくなっている。 各部のキャプテンまで引き抜ける。彼らが本大学における固定キャラで、それぞれ高い能力を持つ。またランダムながら彼らに依存したイベントも発生する。 3年時以降でチームメイト評価が低いと一定確率で矢部にキャプテンを奪われるイベントが発生するが、狙って起こそうとしない限りまず起きないので、さほど気にする必要はないだろう。また一度降格してしまうと二度と復帰できない。 キャプテン降格後は「チームメイト評価」だけでなく「キャプテン評価」が出てくるがこれがどんなに低かろうと野球ができるだけのメンバーさえいればレギュラーとして試合に出ることができる(*3)。 しかし2年生の秋までに部員を集めて1勝でもしないと廃部になってしまう。 『初代パワポケ』『パワポケ4』『パワポタ3(竹ノ子高校)』『パワプロ2016(草野球編)』に通じるノリである。 育成以前にクリア自体が運ゲーであり、腕があっても運が悪ければゲームオーバー一直線の大学であることが批判の対象となる(後述)。 問題点だらけだが、開始直後からキャプテンである(当然試合にも必ず出られる)という大きな利点はある。運に負けなければチームメイトをじっくり育成できる上に他部キャプテンという優れた人材もいるので最終的なチーム力は圧倒的であり、終盤の試合を勝ち抜けられるようになる確率自体は高い。部員と金銭の管理で失う時間を試合で稼げる経験点でカバーすることになるのだが、そこまで到達するには茨の道を覚悟したほうがいいだろう。 また、裏口(後述)も熊谷もいないため変化球はダメな球種に限られることから6大学の中で最もピッチャーの育成に向いていない。 各部主将スカウトによりチームのカスタマイズ自由度が高い反面、上記通り江崎ら3人の後輩は登場しない。マネージャーはパワフル・あかつきと同じく春菜ちゃん。 対戦相手として登場するときはピッチャーとキャッチャーに二人の「黒木」バッテリーが登場。両者とも剛球・豪腕を持つパワータイプ。(*4) 官僚大学は学力重視の大学。勉強して学力を保たなければ退部にさせられるリスクがある。 その代わり親からの仕送りが多く、パワフル・熱血に比べて資金繰りの苦労が少ないのが特徴。他の大学と比べて資金繰りに費やす時間を勉強に費やす形になる。 しかしながら勉強中に新たな練習方法を思い付く上、成績が良ければ練習器具も貰えるため勉強で潰れた分のリカバリーは充分可能である。そして学力の低下もかなり緩やかなためデメリットとしては薄い。 筋力面では他大学より効力の弱い腕立てで経験値が少ないためパワーヒッター及び速球投手は作りにくい反面、変化球や守備の経験点が多く、技巧派の選手を作りやすい。 資金面での苦労が少なく野球部に野球をやる気のない部員が多い事も手伝って(*5)レギュラー獲得が非常に楽。早い話が定期的に勉強さえしていれば余裕のある生活を送れる上に練習効率もそこそこ上がるため、クリアするだけなら最も簡単な大学でもある。 但し全大学中仕送りが多い反面、支出も最も多いため後述のリストライベントが発生すると裏目に出て膨大な支出だけが残るためバイト地獄に陥る。 ランダム要素は強く期間も短いが、キャプテンの大倉先輩のイベントをこなすと「守備偉人伝」を貰い受け、レアな特殊能力や変化球を体得可能(*6)。 また特殊変化球の体得は裏口マネージャーに相談することで早期に体得が可能という強みがある(他の大学では4年時に加入する熊谷に相談するしかない)。 前作の白鳥学園と同じくマネージャーが男。ただ白鳥学園ではそのことで不満ブーブーだったのに対し、この大学の部員たちはあまり気にしていない様子。実際相談して圧倒的にマイナスだった白鳥学園の冬野に対し、この大学の裏口マネージャーは若干リスクはあれども特にピッチャー育成では特殊変化球を早期に使えるようになるなど相談して有用なのでプレイヤーとしても好感度は高い。野手の場合でもサブポジションを獲得できるイベントが発生する(*7)。 仏契(ブッチギリ)大学は軍国主義のような雰囲気が特徴の大学。 練習も危険なものが揃っておりパワー型の選手を育成しやすい。野手限定ながら これまで高嶺の花だった「威圧感」を体得できる のが特に魅力。また「広角打法」も他の大学よりもがぜん習得しやすい。反面守備が穴だらけなので投手プレイにはお薦めできない。 「リフレッシュ系練習」はストレッチ系統ではなく体力と技術が少し上がり、タフ度とスタミナが少し下がる「練習をサボる」というものになっているためタフ度の維持が少々難しい。因みにコレの場合、名実ともに堂々とサボッているはずなのに「ポジションシンキング(妄想)」や「サボリぐせ」と違って各人の評価が下がることはない。「気付かれずサボるのも技術のうち」ということか? また、合宿ではそれができずハードトレーニングのいずれかをせざるを得なくなるので常に豪華な合宿所を選ぶのは勿論、合宿前の体力にも気を付ける必要がある。 『魁!!男塾』のパロディが盛り込まれており、校舎外見が男塾に酷似している事に始まり、練習内容の油風呂、声出し、剣山腕立等も全て男塾名物から来ている。そして監督の「大豪月」様は男塾塾長江田島平八や三号生筆頭大豪院邪鬼を思わせる。 とどめは序盤で行われる魔心込式なる儀式について「古く中国に伝わる人を思い通りに動かすための儀式。昔、この技に操られた9万の人がシルクロードを歩いた」という一見もっともらしい説明文が書かれ、果てには「人民書刊『人間あるかなきゃ』より」という限りなくどこかで見たことのある出版社のパロディまで登場しているのも特筆すべき点であろう。 官僚大学同様資金面では余裕があるが、その中身は逆で仕送りはそれほど多くないが支出が少ないので貯金しやすく、後述の通りリストライベントが起きてもそれまでの貯蓄で乗り切れやすい。 大豪月様のご機嫌を取るのが最も重要な大学であり、雑用の他、他校への妨害工作も重要になってくる。妨害工作をしないとあかつき大・するめ大以外の大学でもミット移動が見えない。反対に対象の妨害工作をが成功すればあかつき大相手でもミット移動が見える(*8)(するめ大には妨害工作ができない)。 大豪月様は4年生時に投手として出撃なされる。またアマチュア最強の黒獅子重工の「社長」とは強敵(とも)としてライバル関係である。 あかつき大学は猪狩守も所属している仏契大学以上の努力主義。 最初は三軍から始まるが、年に数回の入れ替え試験に合格していけば二軍、一軍と上がって行ける。一軍は練習器具が充実しているため一軍をキープすればオールAの強い選手も作れる。オールAは入れ替え試験の難易度的に野手が狙い目である。 試験による「実力主義」サクセスは以後のパワプロでも良く登場する(「11」の帝王大学など)。しかし本作のあかつき大は入れ替え試験の難度が高い。猪狩も打ちにくいが、それ以上に「そこのお前」が強いという意見もある。というのも基本的な能力では猪狩の方が高いが変化球はスーライダー、カーブ、フォークと割と打ちやすい変化球しか投げないのに対して「そこのお前」(三軍時を除く)は変化量こそ小さいものの全通りの変化球が使えるので的を絞りにくいのだ。 また投手の投球試験は打者に輪をかけて厳しい。3軍はまだしも2軍以上になると何処に何を投げても打たれる為、相手がどれだけ打ち損じてくれるかを祈るだけの運ゲーと化している。更に3軍では変化球練習をさせてもらえないため、一歩間違えると勝負の決め球さえ用意できないまま2軍と3軍を行き来するだけの大学生活になることも決して珍しくない。 変化球に関しては1軍在籍で行うと見た目こそ同じではあるものの他大学で行うよりも、その経験値が4割高で入る(2軍なら他大学と同じ)という特徴がある。HスライダーやSFFなどの特殊な変化球こそ4年時までおあずけとはいえ2年時の6月から最後まで1軍をキープすれば基本の球種なら変化球レベル合算20程度は余裕でできる(*9)。 野手におけるこの大学特有イベントとして3・4年の夏合宿前に監督に守備適正をチェックされてコンバートされるというものがある。 これは椿本キャプテンの守備チェックと似ているが「最低限の妥協レベルに達しているか?」のみに絞られた形でチェックされ、それに満たないと強制的にポジションを変えられてしまい、その上元のポジションがザブポジションとして残らず完全に忘れる形になってしまう(*10)という、まったくトクのないもの。 大体目安として、それぞれ対象である走力、肩力、守備力がC(10)ほどあれば回避できる(*11)。 最終的には最もダメポジションなファーストまで落とされてしまう。既に底辺であるファーストの場合は、このイベント自体が発生しない。 先輩2名とマネージャーはパワフルと同一。イベント内容もほぼ同じだが、猪狩がいる分少し変化がある(*12)。 敵として登場した時はミット移動を見せない強豪およびこの大学を選んだ時は影山スカウトと強制的に出会う大学としてそれぞれ登場する。 するめ大学は「試合進行オンリー」サクセス。言うなればリアル努力主義。キャラ立ち絵はなくテキストのみで進行し、ひたすら試合を勝ちあがる。負ければゲームオーバー。 この大学のみ、能力100・10・10・10で「ケガしやすい」or「センス○」のレア天才パターンが出ることはなく、育成タイプは「おまかせ」固定。 投手で育成すれば投手能力の他、野手能力も非常に上がり強打も兼ね備えた二刀流選手が育成しやすい(ただしリメイクの「サクセス・レジェンズ」では二刀流のような成長はしない。)。 とはいえ打撃力こそピッチャーにしては破格の高さに成長するものの変化球は特殊なものが習得できず基本のダメな球種に限られてしまう痛手はいかんともしがたく投球技能面だけを見ればそれほど高いものは期待できない。また進行(勝利)と同時にスタミナも強制的にグングン急上昇していくのでリリーフピッチャーの育成は不可能。 漫画「アストロ球団」のアストロナインを元ネタにした「サダメナイン」の一員として勝ち上がっていく。 なおサダメナインのメンバーには前作に登場した鮫島(但し台詞やイベントはない)の他、老人キャプテン「田中まさる(85歳)」が居る。田中は一塁、鮫島は三塁だが、プレイヤーのポジションと被った場合、二塁手になる。 鮫島と田中を除き名前ランダムのモブ選手だが、次作『99』の冥球島以降、選手全員によくわからない固定名が付く。 + 以下、老人キャプテン・田中まさるの正体と結末 ラスボス黒獅子重工に勝利すると、田中まさるがどこかへ居なくなる。 しかしその場に古いバットだけが残っており、主人公はそれを見て不思議な気持ちになってその古いバットを持ちかえる。 恐らく田中まさるは幽霊(パワポケで言う所の「具現化」)ではないかと思われ、未練を果たした事で成仏したのかもしれない。 彼女候補もお嬢様白川、ガングロ大学生鬼塚、学園のマドンナ雨宮などバリエーションがあるが、本作では条件を満たせば看護婦の加藤京子を彼女に出来る。 また保険の勧誘員をしている矢部徳子も登場。矢部の姉であるが外見は全然違う。育成しやすい有能な彼女候補。 地方戦のBGMがアップテンポな曲に変化。スタッフいわく『侍ジャイアンツ』を意識したものらしい。 実況パワフルプロ野球 99では冥球島でのBGMとして使用されている。 全国大会の対戦相手として、シリーズお馴染みのナックルボーラーの阿畑やすし率いる「近代学院大学」や『パワポケ1』に登場した荒井三兄弟にそっくりな六つ子・金村が入れ替わりというイカサマを堂々と行ってくる「むつご大学(*13)」、やっつけな学校名やモブ選手の弱さ等意図的にかませとして作られたとしか思えない「カレッジ大学(*14)」等、個性的なチームが揃う。 ボスとして、『パワプロ5』から実質続投となる山口(*15)率いる「帝王大学」、4年目ラスボスのアマチュア王座決定戦では最強の社会人チーム「黒獅子重工」が立ち塞がる。 賛否両論点 上記の通りランダムイベント「部屋掃除」はパワフル大ではゴキブリに出くわすこと(ヤル気が下がる)が多いデメリットがあり、官僚大・あかつき大は豪華な住宅に住んでいるためゴキブリが出ないので(お金を見つけたり、キレイになってヤル気が上がるに限られる)。 設定上では熱血大・仏契大でも同等クラスの居住環境のためゴキブリが出やすいのだが部屋の掃除をするランダムイベント自体が設定ミスで発生しないため実質その分のマイナスがないのでパワフル大のハンデを大きくしている。 まあパワフル大は最初から選べる基本形で「クリアしやすい」以外メリットがないも同然だから仕方ない一面もあるし、強い選手を育成したいならピッチャーでも野手でも向いていないのであまり気にならないのが不幸中の幸い。反対に仏契大はパワー系野手に向いているので、より効率を高めているのはありがたい。 問題点 一貫して育成的にもシナリオ的にもキモとなるイベントが尽く運任せ。いくら腕があっても運の無さに泣かされる展開が多々ある。 何よりも辛いのがするめ大学を除きキャプテンになっても地方大会では選手の全員操作が出来ないという仕様だろう。全員操作が出来ない以上はプレイヤー(主人公)がいくら頑張っても負けてしまう事も多く、いきなり2連敗してあっさり優勝を逃すことも日常茶飯事。実質全国大会への出場は運任せになっておりシナリオ上のラスボスである黒獅子重工との決戦も行えるかは完全に運次第。 実力主義のあかつき大学ですら当然この仕様で、猪狩が物凄い勢いで炎上して負ける事も決して珍しくない。 この為序盤から1勝を要求される熱血大学はあかつき大学よりもクリアが難しいという意見さえある。(ただし勝ちやすくする方法はある。仕様を知った上で対策を取れば、熱血は試合では比較的勝ちやすい方である) リメイク版のサクセス・レジェンズではキャプテンであれば全試合7回表から操作可能なため、この点は改善されている。これによりクリアが安定する一方、熱血大学では仕様上ゲームのテンポが大きく悪化するなど一長一短だが。 また、各大学にもそれぞれ個性が付いたものの、良くも悪くも片や無個性のパワフル大学と、片や完全実力主義のあかつき大学及びするめ大学はいいにしても、熱血大学、官僚大学、仏契大学のイベントは殆どが運。 仏契大学の場合、大豪月様の特別練習が売りなのだが、イベントの発生は完全ランダム。当然卒業まで1度も練習が発生しないことも珍しくない。 また、妨害工作マニュアルについても、最初に貰える1巻は成功に運が絡むものばかりなので、必ず成功する2巻及び3巻を早く貰いたいところだが、新しいマニュアルを貰うイベントの発生条件が「監督評価を一定以上にしたあとランダムで発生」というものなので、監督評価を上げたらあとは運任せで待ち続けるしかない。当然卒業までマニュアル1巻のみで妨害工作を続ける羽目になることもざら。尚、後述の「人のウワサも75日作戦」も2巻に収録されている。 一方合宿中に特別練習が立て続けに発生した場合は極めて悲惨。この特訓は体力が無くなるまで練習をやらされるのだが、序盤でぶっ倒れようものなら病院送りにされた挙句、能力と評価を大幅に下げられる。いくら体力が満タンでイベントが発生しても立て続けに特訓をやらされれば入院を回避する方法はない。 官僚大学は大倉キャプテンの入学経緯の秘密と、内角監督の悪巧みがあるのだが、このイベントの発生もかなり運が絡む。 大倉に相談することでフラグが立つので仏契大学よりは発生確率を上げられるもののやはり運任せであることは否めない。またこのイベントを発生させないと、官僚大学において3年生以後に野球部が存続している理由に矛盾が生じてしまう(一応フォローらしきイベントは入っているが)。 + 大倉章キャプテンと内角監督の悪巧みの真相 実は大倉は内角の手によって官僚大学へ裏口入学をしている。内角が大倉を裏口入学させたのは、大倉の父が議員をしており、議員の力を使えば官僚大学の学長になれると見込んだためである。この弱味を握られたがために、大倉は野球への熱意を失い「勝者が敗者を管理して人生は成り立つ」というあまりに夢のない姿勢になってしまった。 更に内角は「自分の評価が下がるから」と成績の悪い野球部を疎んでおり野球部を潰そうと企んでいる。現にこのイベントの最中「野球部解散をチームメイトに告げないと裏口入学をバラし、企業への内定を取り消させる」と大倉を脅す場面まである。 最終的に主人公の叱咤を受けた大倉が野球への熱意を取り戻したことで、野球部解散は白紙となった。当然ながら大蔵は監督と決別、企業への内定も断る形になってしまった。 ちなみにこの内角監督、野球部の成績がよくなった途端、これまで何の指導もせず試合メンバーも大倉に任せきりだったくせに「私の指導が間違っていなかったことが証明された」「試合を見ていた学長が喜んだ」「これからも私の出世のために頑張ってください」と急に掌を返す典型的な小物である。 この一連のイベントを通らない限り、本来官僚大学野球部は内角の息のかかった大倉によって解散が発表されていた可能性が高いのだが、イベントを通らなかった場合でも廃部通達は一切なく、ドラフト(4年生秋)までプレイ可能だったりする。 一応前述の「野球部の野球部の成績がよくなったので私の指導が間違っていなかったことが証明された」という内角の発言から、方針転換があったという解釈も出来る。 また、このイベントとは関係ないが、「学力試験時及びその後の追試の際に入院していると留年となりゲームオーバー」という仕様があるため、テスト直前に交通事故に遭うと問答無用でゲームオーバーになるという面もあるが、こちらは発生確率の低さからあまり問題視されていない。この時期に交通事故に遭ったら泣いていいレベル。 最も運に泣かされるのは熱血大学。官僚大学及び仏契大学は育成・シナリオ面での運要素こそあれ、育成は兎も角クリアするだけなら運には泣かされないが、熱血大学はクリア自体に運が絡む。 熱血大学は極端な人員不足であり、入学した地点での部員はキャプテン兼監督の勝、主人公、矢部の3名のみ。主人公がキャプテンとなった2年生の春から部員勧誘をしてメンバーを集めるのだが、この勧誘の成否は完全ランダム。(とはいえ、やり方を誤らなければ9人は簡単に集まる) 更に人員が集まったとしても2年目の秋までに1勝しないと野球部が廃部になってしまうのだが、前述の通りキャプテンでも地方大会は全員操作出来ないという本作の仕様上、主人公がいくら頑張っても試合で勝てるかは運任せ。つまりは2年生の秋までは完全な運ゲーになってしまっている。早い話が前作の赤とんぼ高校で多発した「主人公がいくら頑張っても試合で勝てず廃部になり2年生でゲームオーバー」という悲劇を本作でも繰り返してしまった。 これに選手育成まで視野に入れるとなると更に悲惨。せっかくキャプテンを引き抜けたのに試合に負け続けてあっさり廃部へ追い込まれたり、逆に試合に勝てていっても有力なチームメイトを勧誘出来ずその後の育成がままならなくなるなど何もかもが運任せ。楽しめない人には全く楽しめないシナリオとなっている。 また順調に勧誘し勝利して廃部を回避できても初年度で3年の部員(主人公の1つ上)は2年目(主人公3年時)秋の大会が終わると抜けてしまう。そのため初期メンバーに3年ばかり集まると後々一気に弱体化してしまうためモブ部員集めにもかなり運が絡む。特にピッチャー、キャッチャー、ショート、セカンドといった重要なポジションに彼らが収まっているとこの後の1年では後釜を勧誘してもまず取り返せない。 一応、2年のうちからキャプテン部員をピッチャー(テニス部斉藤or陸上部黒木)を含め3人以上引き抜ければ、元々彼らは能力が高く、最終的なチーム力は文句なしに最強クラスになり運に恵まれればその固有イベント発生で主人公自身の強化にもなるなど利点があるには違いないが、強打者系野手の育成ならより仏契大学の方が有利な上に、その象徴的な特殊能力「威圧感」まで体得できるのであまり魅力はなく全大学が使えるようになるとパワフル大学とともに利用価値は皆無同然になる。 監督が起用されておらず、一応たった1人の部員であり「キャプテン」である勝がいるのに、これとは別に野球部部長(といっても廃部勧告をするだけで何もしない(*16))なる人物がいるなど、熱血大学の設定はかなりツッコミどころが多い。 この他にも神社に現れる横森くるみとの交際と末路、矢部徳子のアイドルデビュー、浪速に借金をしてフェードアウトする鬼塚、大豪月様の秘密など見るのが困難なイベントが多数存在する。 横森のイベント群は、非効率かつ発生自体がランダムなイベントを、非現実的な回数分こなさなければならない。しかもイベント完結後に交通事故に遭いそうになると発生する追加イベントまで完備。無事見られた人は果たして存在するのだろうか?なお今作の交通事故発生率はかなり低い。 彼女候補のうち、野球超人伝をくれる雨宮冬実と加藤京子は付き合うのが極めて困難。加藤と知り合う条件は、ダイジョーブ博士の能力アップ手術に失敗すること。 この二人にも1年目の誕生日プレゼントが一応設定されているが、まっとうなプレイで貰うことは不可能に近い。 試合で活躍するとドラフト1位指名されなくなってしまう。 1位指名されるには「逆指名する」以外なく、その条件は影山スカウトと知り合わないままスカウト評価を一定数(最高に近い)上げることなのだが、影山スカウトと会うイベントの発生条件が「試合で活躍する」という条件のため「クリアの為スカウト評価をあげようと試合で活躍した結果、1位指名されなくなる」というミスマッチな事象が発生してしまう。そもそも試合外でスカウト評価を上げること自体が難しいのだが。 更にこの条件を満たすと希望球団を伝えられないため逆指名なのにプレイヤーからすれば意図しない球団に行くことになる可能性が圧倒的に高い。 また、あかつき大学では強制的に影山と出会うため主人公はドラフト1位指名されることはない。 手っ取り早く1位指名を狙いたいのなら、仏契大学でプレイした上で「人のウワサも75日作戦」をやりまくればよい。ただし人間的には褒められた行為ではないし、こんな方法で1位指名されても嬉しくはないのだが。 もっとも1位も3位も結果的に差はない(6位の場合のみ背番号が選べない)ので致命的なものではないが、やっぱり1位指名された方が嬉しいので残念な感は否めない。 サクセスの試合で、プレイヤー側の大学では、野手のスタメンは同じポジション同士だと打撃パワーの最も高い選手が選ばれ、他のパラメータは参照されない。 毎試合オーダーを組み直すのが地味に面倒。 バグがある。 故障率が練習前の体力で計算される(*17)、ミートカーソルを8に上げると直後に7に戻されてしまうといったものなど。 パワフル大学の監督「加山」は、相談すると稀にイベントが発生し、最終的に特殊能力を得ることができるはずなのだが、バグによりイベントが途中で終わってしまう。 本物の神龍石を持っていて彼女と別れてしまうと「サヨナラ男」が得られるはずなのだが、持っていると彼女の好感度が下がらなくなるのでその恩恵を受けられない。 家賃が上がるイベントがランダムに発生し出費が多くなる事が多い。 母親に相談すれば仕送りを増やしてもらえるが、家賃を5000円上げたのに対し母親の仕送りは3000円しか増えないなど完全に出費が抑えられるわけではなく、周1回分のコマンドパスになるので結果的にバッドイベントとなる。 尚、仕送りに関する相談はイベント発生直後でなければ発生しないので相談し忘れるとそのサクセス中はずっと出費が増えたままで過ごす事となる。 極稀に起こる父親のリストライベント 父親が会社をリストラされてしまったために仕送りが送られてこなくなるというかなりヤバいイベントである。 このイベントは仕送りの多い官僚やあかつきでは致命的で、月一で新薬のテストのバイト(ダイジョーブ博士のパワーアップ手術の報酬をお金に置き換えたような代物)をしないと生活すら困難になるレベルで選手育成の危機に陥る。 反対に仏契大学は元々の支出が少ないため、ある程度の貯蓄があれば解除(下記)まで乗り切れることが多い。 このイベント発生後は、この状態解除にあたる「父親が再就職」が確率で発生するようになるのだが初期状態の金額に戻るだけで母親に相談して増額してもらった分は加味されないため上記の方法などで乗り切っても、やっぱり元よりは苦しくなる。 特殊能力に関する問題 マイナス特殊能力の「三振男」を試合で一度でも三振すると試合後に25%の確率で取得してしまう。後の作品では1度三振した程度で取得することはなく、あまりにも厳しい条件といえる。 「寸前×」も官僚大学限定ながら「マネージャーに相談して特定のイベントで特定の結果になる」という簡単なことであっさり取得してしまう(ピッチャーの場合、特殊変化球を覚えるために相談するのが有効なのでその流れで取得してしまいがち)。 にもかかわらず、どちらも除去手段が非常に限定されていて育成に組み込みづらいのが痛い。 中継ぎ・抑え投手に、ペナントを進めるにあたって重要な特殊能力の「回復〇」がどの大学でも取得出来ない。一方で「回復×」は初期能力として持っている場合が多く、こちらも除去手段がかなり限られている。 サクセス中限定ながら「サボリぐせ」も熱血大学の場合、彼女系のレアイベントでしか除去できず詰みに近い状態になる(*18)。 一応他大学と違い初期能力でつくことはなく、「遊ぶ」→「夜遊び」ぐらいでしかつかない上に、その遊びに頼らなくてもヤル気は上がりやすいからあまり「遊び」を選ぶ必要がないのが救いと言えば救い。 同じくサクセス中限定として初期能力からある「センス×」も前作ではランダムイベントながら比較的高頻度で発生する「誰もいない部室で休む」で除去できることがあったが本作ではダイジョーブ博士の能力強化手術等、かなりレアなイベントでないと除去できないため、最初このパターンだったらまずリセット一択。 前作では固有キャラの中で2つ上の先輩、谷田キャプテンを除いていずれも特殊能力を持っていたが本作ではそんな固定キャラのチームメイトの大多数が何も持っていない。 つまり運よく?モブキャラが成長すると大した意味を成さないキャラになっている。 ドラマティックペナントでは「投捕内」「内外」連携で練習をするより、それが可能になる「学習」の方が効率が良い。 そのため、せっかく可能になった実践の連携守備練習そのものがあまり役に立たない。 実際コナミ自身が発行する攻略本でも守備力アップには練習そのものをせず、この学習を繰り返す方法を推奨している。 また学習は見ての通り机に向かって座学をやっているだけなのに何故かやりすぎるとタフさや体調次第でケガしてしまうというナゾ現象が起きる。 選手区分で一部おかしいのがある。 その典型例がヤクルトスワローズの池山隆寛で、彼は1965年生(高卒)でプロ当時既に16年目ということもあって文句なしにベテランなのに何故か「普通」。 一応当時は同じヤクルトに辻発彦(1956年生社会人卒・プロ16年目)、小早川毅彦(1961年生大卒・プロ16年目)がいたとはいえ充分ベテランとして存在感を持っていた上に池山より年下でプロのキャリアでも池山より短い中村武志(中日)、金本知憲(広島)、西崎幸広(西武)、吉永幸一郎(ダイエー)があたりはちゃんとベテランとして扱われているのは不自然。 ヤクルトのピッチャーのマーク・エーカーが「外国人」ではなく「普通」になっている。 サクセスで作った選手は実在選手の音声があてられないと実況アナに何故か湯上谷(*19)と呼ばれる。 ヒット性の当りでランナーが止まった後(ピッチング画面に戻ろうとするタイミング)実況の安部憲幸アナの音声に「次のバッターは…○○!」というのがあるのだが、次の打者がサクセスで作ったオリジナル選手のウグイスコールを自作した場合や宛がわなかった場合「次のバッターは…ゆがみだに~!」と言われる。 確かに安部アナの実況まで作るのは難しいところではあるのだが、それならばその実況そのものを行わないほうがまだ自然。 総評 サクセスのボリュームが大幅に増え、複数の高校・大学でバリエーションを出すというのは以後のパワプロでもおなじみの要素となった。 反面サクセスはまだまだ運任せな要素や粗削りな点も多く、本格的に改善されていくのは次回作からと言える。 ドラマティックペナントでの成長要素も以後に繋がる要素である。ニンテンドウ64パワプロの到達点であり、パワプロシリーズから見ても重要な一作の一つと言えるだろう。 余談 矢部のオタクキャラが定着したのは今作から。 矢部のお気に入りアニメで、パワポケシリーズでも都度登場する「ガンダーロボ」は今作から。とあるイベントでは主題歌を熱唱する矢部の様子も見られる。 『5』のOPで既に「漫研に入ろうとしたが主人公に無理やり誘われた」という要素はあった。 元々スタッフ間では「大学編は安易でつまらない」という意見があったが、「放浪編」「宇宙編」などのアイディアでも微妙という事で大学編となった。この他にも「父親から逃げ回る」「音ゲー的なミニゲームを入れる」等の案もあったが「野球ゲームを作っているから」というあまりに真っ当かつ見方によってはつまらない理由で没案となった。 なお関係性があるかは不明だが、『パワポケ1』には音ゲーのミニゲームがあり、『パワポケ9』は事実上「放浪編」「宇宙編」である。 主人公がドラフト1位になれない場合は当然1位は猪狩なのだが(一応例外はある)、猪狩はあかつき大学プレイ時に大炎上を繰り返えそうが、試合に負け続けようが、シナリオ上問答無用で1位が確定している。また主人公に試験で滅多打ちにされようが、野球部をサボって短期間とはいえ失踪しようが1軍から外れることはない一方、主人公はろくな練習もさせていないのに強制コンバートさせる、主人公をグランドにグラブを置きっぱなしにするなと叱るくせに自分のではないと嘘を吐いた途端「よく手入れされている」と掌を返す、「1軍でも無い選手の相談には乗る価値がない」と言っておきながら1軍になったところでろくな相談にも乗らないなど「梅田監督は猪狩贔屓兼主人公逆贔屓」とネタにされた。 またこのネタがゲーム雑誌で取り上げられたこともあり、その際スタッフは「猪狩のご両親から何か貰ってるんでしょう(笑)」と回答していた。おいおい…。 後の作品では猪狩側の内面も描写されるようになり「試合に負けた責任を感じて自暴自棄になった猪狩を主人公とチームメイトが励ます」「猪狩が2軍落ちした主人公を励ましたり練習に付き合う」「決め玉の取得や先輩に勝つための特訓に付き合う」等のイベントが追加され、少々嫌味ながらも純粋に良きライバルという地位を確立させるようになる。 反面梅田監督についてはこれといったフォローはないばかりか、「9」で同系列ながらもそれなりの実績を残す上に選手の贔屓もしない千石忠監督が登場したことにより「厳しい割には実績も指導能力も人間性も2流」とますますネタキャラになってしまった。 あかつき大学の梅田監督の強制コンバートのイベントは実は「メインのポジションのみを強制的に変えられる」というだけなので、サブポジションは一切関与されない。 例えば椿本キャプテンの相談イベントでファーストから外野にコンバートされた後(メイン「外」ザブ「一」の状態)に走力をケガなどで落として、梅田監督のチェックに引っ掛かる基準でファーストに強制コンバートされるとメインが「一」でザブにも「一」があるという珍妙な選手ができる。 PSPのリメイク版『サクセス・レジェンズ』はシステム面は基本的に改善されているものの、初期能力が低いなどで育成効率が悪く評判は芳しくない。 またガラケーアプリとしてもリメイク移植された。 ハードの制約上多くの要素が削除・簡略化されており、SEの大半はカット、ミートカーソルはロックオンのみ、試合は打撃結果のみが表示されるあかつき大学の入れ替え試験と同じ形式になっている。その仕様上仏契大学の妨害工作の大半は意味をなさないものとなっている。 初期から特殊なフォーム 野手の場合「王」、投手の場合「野茂」と名前を入力し、顔を標準の色にすると50%の確率で一本足打法、トルネード投法を使う選手が登場する。 現役時代の王貞治氏は左投げ左打ち一塁手だが、右打ちや別のポジションでも問題なく可能。『99』以降は特殊フォームも普通に選べるようになった。 前作ではまるでバーゲンセールのように「威圧感」を持った選手がゴロゴロいたが本作では、それもかなり限られたものになっている。 その中で「アベレージヒッター」「パワーヒッター」「チャンス〇」等が一切なく「体当たり」ぐらいしかない鈴木健(西武ライオンズ)は「威圧感」が保持されている。 上記のサクセスで出てくる「逆指名」とは大卒ルーキー、社会人卒ルーキーのみ適用された制度(1993年から導入)で「選手が希望する球団を指名できる(2名まで)」というもの。つまり大卒ルーキーは相対的にプロでのキャリアが短くなるハンデに対しての特典のような措置で「思い入れのある球団に行きたい」を目的として高卒でドラフト指名されていながらそれを拒否して大卒でのプロ入りを選ぶ者もいた。これを適用して入団した場合、必然的にその2名がドラフト1位・2位に収まることになる(逆指名者がいる場合最高が3位指名となるのである意味ゲーム通りといえる)(*20)。 ただゲームでは「スカウトに会わないまま評価が最高クラスまで上がる」が条件で、4年秋の大会が終わって影山スカウトが「ウチのチームを逆指名してくれ」と頼みに来るので上記の通り自分の意図しない球団に入れられることが多く「逆指名なのに自分の望むチームを指名できないのはおかしい」と思うかもしれない。 とはいえ実際は球団側が選手に予め自チームを指名してもらえるよう莫大な金をチラつかせて自チームへの逆指名を約束させるマネーゲームの一面が濃かったのでまんざら間違ってもいない。 なお、そのようなことが泥沼化していったこともあって様々な問題も発生し「自由獲得枠」(かつての「逆指名」)は2006年から廃止された。これによりプロ志願者が高卒での指名を蹴って大卒ルーキーとしてプロ入りを選ぶ意味が皆無になった。
https://w.atwiki.jp/purosupi2011wiki/pages/22.html
プロ野球スピリッツ2004 発売日:2004年3月25日 機種:プレイステーション2 プロ野球スピリッツ2004クライマックス 発売日:2004年9月16日 機種:プレイステーション2
https://w.atwiki.jp/purosupi2012wiki/pages/27.html
プロ野球スピリッツ2004 発売日:2004年3月25日 機種:プレイステーション2 プロ野球スピリッツ2004クライマックス 発売日:2004年9月16日 機種:プレイステーション2
https://w.atwiki.jp/wiki10_prospi3/pages/4.html
コナミから発売されているプロ野球スピリッツシリーズに関するスレです。 ●鉄の掟 一、煽りは放置。熱(生)との抗争は言語道断 一、話がループしないように過去ログはちゃんと読む 一、新スレは 950が立てる。立てたくない、立てられないなら踏まない PS2版プロ野球スピリッツ3 公式サイト http //www.konami.jp/gs/game/prospi/ps2/index.html XBOX360版 プロ野球スピリッツ3 公式サイト http //www.konami.jp/gs/game/prospi/360/index.html プロスピ総合 http //www.konami.jp/gs/game/prospi/ まとめサイト(wiki) http //www.nurs.or.jp/~ukkari/pro-spi/index.php まとめサイト(3 wiki) http //www10.atwiki.jp/prospi3/ ぶれーびーさんのプロスピ3プレイ記 http //www.h4.dion.ne.jp/~aonami45/bravie/prospi3/index.html ●前スレ プロ野球スピリッツ3&総合 64打席目 http //game10.2ch.net/test/read.cgi/gamespo/1143199298/ ●関連スレ プロ野球スピリッツ2 攻略スレpart4 http //game10.2ch.net/test/read.cgi/gamespo/1117806311/l50 プロ野球スピリッツ2 スピリッツモード専用スレ http //game10.2ch.net/test/read.cgi/gamespo/1117014359/l50 プロ野球スピリッツ2 秋季号 2発目 http //game10.2ch.net/test/read.cgi/gamespo/1126513273/l50 プロ野球スピリッツ選手査定スレ4本目 http //game10.2ch.net/test/read.cgi/gamespo/1136527887/ プロ野球スピリッツ2のトレード総合スレ http //game10.2ch.net/test/read.cgi/gameover/1115089859/l50 【Xbox360】プロ野球スピリッツ3【ハード論争禁止】 http //game10.2ch.net/test/read.cgi/gamespo/1141183249/ ●発売日 4月6日(木) メーカー希望小売価格 7,140円(6,800円) 全年齢対象 打者解説田尾 安志 氏 達川 光男 氏 投手解説宮本 和知 氏 西崎 幸広 氏 ●新モードを徹底チェック! http //www.famitsu.com/game/coming/2006/03/09/104,1141907955,49775,0,0.html Q.PS2と360版で違いは? A.当たり前ですがグラフィックに違いが有ります。 そしてPS2版はパワプロ12シリーズからの選手移動、 360版はオンライン対戦とそれぞれのハードの特性を生かした 違いが有ります。 その他モードに違いは有りません。 Q.アジアシリーズの他国チームは実名? A.残念ですが偽名です。 Q.高津いる? A.います。 Q.○○選手がいません! A.スピリッツモードで自作してください。 Q.アレンジはあるの? A.今回は、ウイイレの様にチームのベース自体をアレンジするシステムのようです。 マジペナ、MVP、名将には反映されません。 その他の質問はこちらで http //www.konami.co.jp/toiawase/ ●歴代シリーズ 2001年 秋 プロ野球JAPAN2001 2002年 春 THE BASEBALL2002バトルボールパーク宣言 秋(予定) 同 パーフェクトプレープロ野球(発売中止) 2003年 春 THE BASEBALL2003バトルボールパーク宣言 パーフェクトプレープロ野球 秋 同 秋季号 2004年 春 プロ野球スピリッツ2004 秋 同 クライマックス 2005年 春 プロ野球スピリッツ2 2006年 春 プロ野球スピリッツ3(PS2・XBOX360) Q&A 1 Q.ロードが長い、処理落ちがある。 A.本体の方に責任がある可能性があります。 Q.真剣ペナントで選手プレイできないの? A.レギュラーペナントでできます。真剣はどっちかというと監督プレイモードです。 Q.ロッテ、オリックス、横浜、阪神復刻等の新ユニフォームは? A.開発時期の都合上収録されていません。 Q.日本ハムに稲葉がいない。 A.スピリッツMで自作してください。 Q.おいおい、悪送球でボールがスタンドに行ったらやり直しになったぞ A.散々既出のボールデッドバグです。 HR後ハイタッチまで以下のボタン押し続ける事で 誰にでもパフォーマンスさせる事が可。 R1+L2:ラミレスの固有ポーズ(ゲッツ) R2+L1:ラミレスの固有ポーズ2 (ラミちゃんペ・アイーン・ゲッツ) R2+L2:清原・ローズ・阿部の固有ポーズ (ハッスルハッスル) R1+L1:ガッツポーズ 真剣ペナで覚醒に必要なミッションクリアポインツ 6段階覚醒 3MCP 5 〃 10MCP 4 〃 30MCP 3 〃 60MCP 2 〃 100MCP 1 〃 150MCP S 〃 230MCP+監督支持率70%以上 ≪フックスライディング≫ ホームに向かってるランナーにのみ指示できます。 「方向キー右を押したまま、□ボタンを押す」 入力するタイミングは、三本間でホームに向かっていればいつでもよいです。 ≪ストレートスライディング≫ ホームに向かってるランナーにのみ指示できます。 「方向キー右下を押したまま、□ボタンを押す」 これも入力するタイミングは、三本間でホームに向かっていればいつでもよいです。 どちらも3本間の中間あたりで入力して□ボタンを連打してれば出しやすいです。 ≪特殊なホームイン≫ 「R1ボタンとR2ボタンとL1ボタンとL2ボタンと方向キー右下を押したまま、□ボタンを押す」 ヘッドスライディングでホームインし、セーフになればちょっとしたアクションをします。 ぜひ試してみてください。 @wikiへ
https://w.atwiki.jp/hasetaroffice/pages/18.html
これからどんどん更新します!
https://w.atwiki.jp/wiki8_template/pages/50.html
◆週ベ◆ 野球雑誌情報交換署 ◆野球ai◆ http //ex13.2ch.net/test/read.cgi/base/1137420927/ 雑誌の内容の情報交換したりしようぜい♪ 野球雑誌のスレなかったので立てました あといい雑誌あれば紹介シテネ (η’∀’)ηハッスルイェ~イ♪ η(’∀’η)ファンキーイェ~イ♪ □週刊ベースボール http //www.bbm-japan.com/wb/ □野球小僧 http //www.byakuya-shobo.co.jp/kozo/ □プロ野球ai http //www.nikkansports.com/shuppan/baseball-ai.html □女子向け雑誌「ベースボールポロロ」 http //www.excite.co.jp/News/bit/00051080881629.html ■基本はsage進行で。{メール欄に「sage」と打ち込めばOK。(例:E-mail (省略可) [sage])}
https://w.atwiki.jp/giantsyusuke/pages/15.html
スポーツナビ スポーツ報知 デイリースポーツ スポーツニッポン サンケイスポーツ 日刊スポーツ MAJOR JP|MLB日本語公式ライセンシーサイト