約 27,586 件
https://w.atwiki.jp/shinsyu/pages/47.html
同朋N メールニュース 4月23日版より転載 ■被災地レポート 4月20~22日に東京教区17名は岩手:陸前高田、宮城:亘理町を訪問した。 21日はお寺のあとかたずけ、子どもたちとの遊び、保育所に物資搬入。夕方には避難所のお寺で100人前のおでん・やきとり・おしるこの炊き出しを実施した。 翌22日は亘理ボランティアセンターにて300人前の中華丼・バナナ春巻き等の炊き出しを行なう。被災地は寒く、温かく野菜たっぷりの食事を大変喜んでいただいた。 行動はささやかだが、行動を通して多くの人に出会い、多くの声を聞き、多くのことを感じた。当たり前のことだが、人が生きている・・・。この厳しい現実の中を、あつい思いを懐いて、人が懸命に生きている。そんなことを痛感した3日間だった。コーディネートをして下さった復興センターの方々に心からの深謝。 亘理町ボラセンに写真が掲載されています。 http //msv3151.c-bosai.jp/index.php?module=blog blk_id=10929 page=2 ☆「微力がたくさん」東京教区A・Tさん(23日) ニュースやネットでどんな状況か知っているつもりでしたが、それは間違っていると思いました。車窓から一面の荒野が広がっていたのを見たのです。「無力感」と表現した人の言葉通りに感じました。だけど、無力だと感じても、絶望とは何か違いました。ボランティアセンターにいる大勢の方々に中華丼をお届して、「こんなに多くの方がここにいるのだ」と力強さを感じました。たった2食の炊き出しなど愕然とするほどの微力であることは解っています。ただ、微力がたくさん集まっているのを感じました。 ☆「こつこつと長い支援を」東京教区H・Rさん(23日) たいへんショックを受けました。支援の継続を考えた場合、今回の活動の最大のネックが東京からの距離だと思いました。被災地が千葉県から北海道までの沿岸におよびます。東京からの人的支援を考えた場合、一日かけて岩手宮城に行く支援がどれだけ継続できるのか疑問に思いました。千葉・茨城・福島あたりまででしたら、移動に時間も労力もあまり取られず頻繁に通えるのではないでしょうか。 東北地方への人的支援は、門徒さんを含めたボランティア登録や、長期滞在できるバックアップ体制が大切と思います。わたし個人の力は微々たるものですが、こつこつと長い支援が続けられればと思います。 ☆「今、私たちが欲しいのは元気です」奥羽教区S・Tさん(21日) 岩手県山田町へ向かう。途中集落で一人の女性に声をかける、「必要な物資はありませんか?」カイロや食品、下着などを届ける。なかでも喜ばれたのがビール!!奥さんが「ほんとにいいの?しばらく飲んでないから・・・」嬉しそうだ。隣の夫もニコニコしている。 山田町の避難所へいく。一人の女性が「物資は皆さんのおかげで届くようになりました。ここは小さな避難所なので、タレントさんが来ることはないんです。今、私たちが欲しいのは元気です」。 釜石の「ボランティアセンター」で炊き出しの申し込みをする。以下はその情報。 1. 大規模避難所への申し込みが多く、小規模避難所は少ない。 2. 昼食が多く、夕食が少ない。 3. 贅沢は言ってられないが、メニューがほぼ同じ。 小規模避難所希望・夕食可・バーベキューという我が奥羽チームにぴったり。22日午後、避難所でバーベキューを行うこととした。 ☆そしてバーベキューはどうなったのか…奥羽教区S・Tさん(23日) 午後2時、会場となる「浪板交流促進センター」着。天気は小雨。午後3時30分いよいよ子供たちから開始。さすがに育ち盛り、始めは遠慮がちであったが、次から次へと肉や野菜、焼きそばがなくなる。「肉たりね~、焼きそばまだか、器はどこだー」。子供たちもスタッフも笑顔でいっぱいだ。4・5人の大人が暖をとりながらやはり笑顔で見ている。我慢できなくなったのか、一人の男性が箸を手に忍び寄る。「こら~、○○さん、まだ子供の時間だ~、ハッハッハッ」。やがて、そう言った大人たちも「ハイ、そろそろ子供の時間は終わりだよ、あと10分」。この間にもクーラーボックスのビールがどんどん減ってゆく。 午後4時20分、大人の時間。雨のため座るところもままならないが、皆ビールを片手にうまそうに食べてくれる。「あぁ、まとまった量の肉や野菜を食べるのは地震以来だ、勿論ビールも」。髭面の男性が住宅関係の社長さんだったことがわかる。「ぜ~んぶいっちゃった」返す言葉がない。呆然としていると手をにぎられ「ありがとう、これからどうなるかわかんねけど、生きていくよ」と一言いいながら、焼酎をうまそうに飲み干した。 午後5時過ぎ。仕事から戻った方も、食べたりなかった子供たちも入り混じってワイワイガヤガヤ。一方で支援物資の積み下ろし。 スタッフ 「不要な物があればもって帰ります。」 女性 「不要な物などありませ~ん。」 午後5時30分過ぎ。避難所の方々が後片付けを始めてくれた。最後の一人まで温かいお肉をと思っていたが、私たちのことを考えてくださり6時頃には全て終了。今度は晴れた日にやりたい。この地区の仮設住宅入居開始予定は7月中旬だそうだ。 気づいたこと 1. 子供たちは別として、避難所の方々とそこに入っていない方々との間には、何かしらの壁ができてしまったようだ。 2. 支援物資は全体では行き届いているように思えるが、個々にはまだまだ。というより、お話していくと足りないものがいっぱいでてくる。この日はなんと清掃用に持っていったバケツが人気だった。 3. 僕、個人でこの場所に来るのは4回目。ようやく名前を覚えてもらったし「真宗大谷派奥羽教区」ということも今回覚えていただいたと思う。少しずつ、ゆっくりだけど長く寄り添うことが、被災者も僕たちも共に生きていくことなんだな、日本は一つなどと無理やり一つにするのではなく・・・。 同朋N メールニュース 4月20日版より転載 ■被災地での活動日誌 ☆仙台仏青メンバーからの声 「僕たちが思っているよりも、ずっと多くの支えられていることを感じます。即座に探して送って下さった方、投光器、ドラム、発電機を車に乗せて長距離をとどけに来て下さった方たち、本当に有難うございます。 現在、「物資は十分にある」といわれることも多いと思いますが、実際は十分ではありません。必要としている人がいます。そして、おそらく長期に渡るでしょう。要望は本当に多岐に渡ってたくさんあります。それは贅沢なんじゃなくて、願っているのは「普段の生活」だからだと思います。決して物資が要らなくなったわけではないはずです。そのための聞きとりやお届けの手伝いをしてくれる人も求めています。 活動費について。現在たくさんの支援をいただいている仏青活動費ですが、女性、乳児、お子さんたちを中心に、可能な範囲でお渡ししようと考えています。直接関われる僕らが、活動できる範囲だけど、届けたい。届けようと思います。 BOP(お風呂企画)について。今週末23日(土)、24日(日)を予定しています。場所は未定。お手伝いいただける方はご連絡ください。この日以外にも来て下される日があればどんどん連絡をお願いします。来てくれる人たち、常に大歓迎です。現地復興支援センターにお問い合わせください。直接仙台仏青でも大丈夫です。」(以上) 現地復興支援センター 〒983-0803 宮城県仙台市宮城野区小田原1丁目2番16号 [仙台教務所内] TEL:090-7345-5049 FAX:022-297-2827[仙台教務所] E-mail:otaniha-f.s.center@watch.ocn.ne.jp ☆「現地復興支援センター」の動きより 「今日は午前中に本願寺から2トントラック一台分の物資が届き、その積みおろしをしました。毎日のように物資が届けられます。今回は、米とカップ麺がかなりあり、念珠も届けられていました。スタッフの皆さんは、昨日に引き続き、仙台仏青とともに炊き出しとBOPに出ています。この寺院は避難所にもなっているようです。 少しずつですが、炊き出しが動きだしました。昨日のように、喜んでいただける姿に私自身も元気をいただきました。本願寺HPからの呼び掛けに、リアクションがあってほしいなと思います。私も寺の人間として、寺だからこそできる支援を模索できたらと思います。」(以上) ■避難所より ☆福島原発から避難中の大谷派僧侶K・Hさんより 「避難所ごとに二次避難が始まっていますが、これから一次避難をしようという市町村もあります。一昨日、飯館村の自宅へ帰った人達が避難所に戻ってきました。聞けば、二~三ヶ月をかけての全村避難との説明があったそうです。そんな悠長な話しでいいのか!?その間の水や食料は確保できるのか!?避難する場所は!?。震災直後、飯館村の人達にはとてもお世話になっているだけに気がかりでなりません。」(避難所通信12より) ■被災地訪問記 ☆奥羽教区のYさんより 「奥羽からは6名で加勢に行って来ました。京都からも3名、お風呂持参で本当に頭の下がる思いでした。現地石巻市到着後お風呂と炊き出しの豚汁の準備を手分けして行いました。今回は京都の方が電動のポンプを持って来てくれたので、かなり楽にできました。が、やっぱりかなり疲れます。何に参ったかといえば、ホコリで目をやられたのと、風で仮設テントが飛ばされそうになったり・・・。チラシ配りの効果もあり、午後5時頃から急に皆さんドカっと来はじめ、約20名ほどの方が入浴されて行きました。皆さんが来るまでの待ち時間も長く、スタッフも疲労感が漂っていたので、皆さんが来た時はとても報われた気分でした。 今週は、奥羽単独での行動をする予定で計画しています。20日に先発隊が行き、岩手県山田町・大槌町で現地と打ち合わせをした後、22日に本隊が行き、炊き出しまたは後片付けのボランティアをする予定です。 同朋N メールニュース 4月17日版より転載 ■被災地訪問記 ☆陸前高田市を訪問した東京教区:S・Hさん(埼玉組) 自分の目の前に広がっている光景が現実であるということがすぐには実感できませんでした。想像することすらできないほどに全てが津波に流されてしまっていました。実際に行った作業は、寺院の仏具等の捜索活動となりました。どこを探していいのかも分からず、手探り状態でした。なんともいえない無力感を感じました。写真や手紙など見つけるうちに、被災された方々がここで生きていた証になる品々を探しだそうという気持ちが湧き起こってきました。 今自分にできることは、現地で感じた思いを多くの人に伝え、この震災を風化させないことではないかと感じています。自分の地域にいながらできることを考えたり、長いスパンで関われるような体制を作っていくことが必要ではないかと考えています。 仙台教区の方々を中心に大谷派のボランティアネットワークが作られはじめています。自分の中から「とにかく動けー!」という声が込みあげ、何かせずにはいられません。 ■ご遺体の火葬に立ち会って 東京教区:I・Kさん(東京一組) 先日、都立瑞江火葬場にて震災犠牲者のご遺体500体の火葬が行われました。簡易祭壇が設けられ、宗教者による読経が可能となっていました。教区若手の12名で読経をしてきました。 現地の祭壇の場所は、火葬場敷地内に入ってすぐのところ。火葬している建物には近づけず、ご遺体が火葬されている様子や、お骨が搬送されている様子はまったく見ることができませんでした。読経は時間制限のゆえ正信偈同朋奉讃を勤めました。外には、震災犠牲者の遺族と見られる方が20名ほど集まっていました。残されたご遺族の方はどんな気持ちなのでしょうか。被災地へは行くことは難しくとも、自らの場所で何ができるのか考えさせられるきっかけをいただきました。 今後、千葉県佐倉市や山梨の方の火葬場でも、震災犠牲者のご遺体が火葬されるそうです。様々な形で、被災地・被災者支援の活動が広がっていくことを願っております。 同朋N メールニュース 4月12日版より転載 ■被災地訪問記 ☆陸前高田にて活動した東京教区:○○さんより (4月12日) 午後5時本日の作業終了しました。全員で取り組みましたが、なかなか思うような成果は上がりません。能登、三条、高岡、金沢、各教区のメンバーと合流しました。本日もお風呂有り。帰ってミーティングです。 (4月13日) 本日12時活動終了しました。なかなか成果も上がらず折れそうな気持ちの時間がありました。仙台教区の方から「こうして被災地のことを思い来てくれたことでうれしいんです」と声をかけてもらい、泣きそうになりました。そんな時、○○寺裏に位置する高田小プール作業中、燭台のカメを発見!思わず歓声が上がりました。俄然士気も上がり、その他ツルも発見。他、仏具も少々見つかりました。また、別チームでは御本尊掛軸(一貫代)を発見。別の場所から燭台のツルを見つけてくれました。今回、残念ながら御本尊を見つけることは出来ませんでしたが、とにかく現地に立てたこと、皆さんに会えたこと、一緒に活動出来たことに感謝したいと思います。まだまだ先の見えない不安が広く広がる被災地ですが、長く長く繋がり合って取り組んで行きたいと思います。最後になりましたが、長○寺さんには 何から何まで本当に心遣いを頂き大変お世話になりま した。ありがとうございます。 (4月15日) 被災地に入り、テレビや新聞で見ていた所、聞いていた所を目の当たりにし・・・言葉を失う。今回の作業も何処から手を付けて良いのか混乱。作業中も、ふとした時あらためて思うことしばしば。そのような状況でした。実際、目に見える、また感じ取れる、ボランティアの達成感はありません。過ぎてゆく時間と成果的なものを出し得ない状況に焦燥感がありました。それでも粛々と作業に取り組むメンバーに気持ちも支えられ進めるばかりでした。 ただ、現地に立てたこと、皆さんに会えたこと、一緒に活動出来たことを大事にしたいと思います。まだまだ先の見えない不安が広く広がる被災地ですが、長く長く繋がり合って取り組んで行きたいと思います。 あと、仙台仏青活動の熱い思いに答える施策、共同作業が必要に思う。というのは、宗門がそれに素早く応える場所になっていないように思います。 ☆ランドセルも、家も、妹も流されちゃった 「避難所で避難生活を送る、小学4年生のYくんと話をしました。Yくんは、「この前、お母さんと妹2人の火葬を済ませました」とゆっくりした口調で語りはじめました。 お母さんはヤクルトの販売員で、販売所にいた時津波に飲み込まれました。お母さんが最初に瓦礫の中から発見され、その後4歳の妹が発見され31日に火葬。次に今年4月小学校に入学する予定だった妹が発見され4月1日に火葬しました。「地震の前に、家にランドセルが届いたんだ。デパートから文房具も届くって妹は楽しみにしてたんだよ」少し時間をおいて「でもランドセルも、家も、妹も流されちゃった」 Yくんは「僕より小さな子どもたちが亡くなったんです」と目を伏せながら話をしてくれました。 お母さんと2人の妹も火葬をしたものの、お通夜やお葬式はしておらず火葬場で手を合わせただけだったそうです。「たくさんの人が火葬を待っていたので、僕たちだけ火葬場にずっといるわけにもいかないから」 しばらくは避難所から、震災前と同様に高田小学校に通うそうです。「友達も家ごと流されて見つかってないから、前よりも生徒は少なくなると思います」避難所の敷地では中学生が、幼稚園児や小学生と遊ぶ姿が見られます。子どもたち同士で悲しみを乗り越えようと、お兄さん、お姉さんもがんばっています。」(シャンティ国際ボランティア会ニュースリリースNO,21より) 同朋N メールニュース 4月12日版より転載 ■被災地訪問記 ☆陸前高田を訪問中の東京教区:不二門さんより 「午後4時前に陸前高田の高田小に到着。現地の様子を視察、約1時間程の活動で、華ひん・香炉・仏具の一部を発見。明日の作業への望みを繋ぐ。道路は所々段差のある程度。思ったより問題なく進めました。陸前高田市に入り矢作地区に入ると、ある境で景色が急変します。それはテレビや新聞で何度も見たものでした。 長安寺へ移動し仙台教区仏青の4名の方と顔合わせ。温泉にも入り大変お世話になってます。明日は粛々と作業に取り組みます。それしかないなぁ、というのが今の気持ちです。取り急ぎご連絡まで。」(以上) ☆同じく陸前高田を訪問中の東京教区:脇山さんより 「本日の作業は終了しました。あまりの光景に言葉がありません。震災から一ヶ月を迎えた友人は、地元のお寺の子で、「心が苦しい」との言葉。全く被害を受けていない所と、被害のある所が、隣あっていて。余震も続き、地震は未だ終わっていないと感じました。 明日は○○寺さん・避難所に物資を届けにいきます。次の隊につながるようにしたいと考えています。」(以上) ☆同じく陸前高田で一緒に作業した仙台仏青メンバーより 「本日、陸前高田市のお寺近辺にて活動させていただきました。東京教区の方や仙台教区の方など、総勢15名ほどで付近を捜索。当初片付けも想定しておりましたが、やはりそれは無理な状況です。ご本尊や仏具などを探すと言うほうが適切と思われます。すでに重機は一度入っており、現在はよけた瓦礫をさらに別の場所にどんどん撤去しているような状況です。そんな中、今日は一度よけられた瓦礫や泥の中から何か手がかりはないかを皆で手分けして探すという作業に終始しました。 日暮れ間近になって鶴亀や金香炉などが集中的に見つかる場所があり、明日はその近辺の瓦礫や土砂をチームを組んでよけながら捜索する作業になりそうです。思っていたよりもあまりにも広大な範囲にモノが拡散されていること、よけられた瓦礫の山が高過ぎることなど、人力では限界を感じることが多々ありますが、少ない手がかりをもとに明日・明後日と作業していきたいと思います。お寺の近辺は瓦礫の撤去作業が建設業の方々によってどんどん進んでいる状況です。来週にはお寺の周りも更地になっているかもしれません。 時間はないのですが、とにかくやるしかないという感じです。釘がむき出しの柱やガラスの破片多数・プロパンガスのボンベがそのまま落ちていたり、そこいら中危険物だらけです。しっかりとした装備での現地入りが必要です。もっと人をかけて捜索できたら……という思いもあります。そのぐらい状況は厳しいと思ってもらって結構です。明日もがんばります!」(以上) ☆シャンティ国際ボランティア会のメールより 「今日で東日本大震災が起きてから1カ月が経ちました。SVAが拠点を置いている宮城県気仙沼市では、大きな余震が毎日のようにあります。特に4月7日の深夜に起こった地震は人々を心身ともに疲弊させました。「この生活がいつまで続 くのか と考えると、希望が持てない」と気仙沼市の方が口々に言っています。3月11日から1カ月が経ったというよりも、1カ月間震災が続いている状態です。」(以上) 同朋N メールニュース 4月10日版より転載 ■被災地訪問記 ☆東京教区茨城一組:○○○○さんより 「名取市役所(宮城県)の掲示板に下記の掲載がありました。 最愛の妻と生れたばかりの一人息子を大津波で失いました。 いつまでも二人にとって、誇れる夫、 父親であり続けられるよう精一杯生きます。 被災されたみなさん、苦しいけど、負けないで! (名取市 職員) 人の悲しみにどう向き合っていくのか?今、問われています。 親鸞聖人だったら何て言われるでしょか?毎日考えています。」(以上) ☆全国青少年教化協議会:○○○○さんより 「遅ればせながら、4日(月曜)から福島、宮城、岩手の避難所などを巡っています。今は福島にいます。一昨日は仙台で余震に遭いました。早速翌日の朝から一時は落ち着いていたガソリンスタンドに、車の行列ができ、なかには売り切れの店も出ました。3・11の不安が多くの人をスタンドに向かわせたようです。 余震によって石巻、福島などでは避難先の建物が被害を受け、避難所を移動しなければならない方々も多数いらっしゃいます。現在でも、小さな余震が続いています。私が見た限り、現在、避難所では、最低限の生活物資がほぼ揃ってきています。廃棄されつつある食べ物が出始めている中で、相変わらず温かい食べ物を口にする機会が極めて制限されています。一人一畳ほどの生活空間で、ほとんどの人が辛抱強く耐えている姿には頭が下がります。とはいえ、将来に対する大きな不安を抱えていらっしゃいます。中には、夜フラッシュバックによってうなされている方もいます。PTSD化が懸念されるところです。 今後直近に被災地に入る方に求められていること(※ただし同朋ネットとしては未確認です) ① 温かい食を提供する炊き出し。 ② 厚手のゴム手袋、長靴、防塵マスクなど、作業用の用品の差し入れ。 ③ お風呂に入れる機会の提供。 ④ 自然な形でのメンタルケア。 ⑤ 子どもたちとじっくり遊ぶ。 繋がりのある現地の寺院、団体、ボランティアセンター、災害対策本部などと密に連絡を取りながら被災地入りをお願いします。ご承知のように日々刻々と被災地のニーズは変わっています。さまざまな形での、活きた支援をお願いします。 合掌」(以上) 同朋N メールニュース 4月8日版より転載 ■被災地訪問記 ※下記の報告は、①③などで東京教区が訪問する場所です。 じっくりとお読みください。(同朋ネット) ☆仙台教務所:○○○○さんより 先日、陸前高田の寺院の撤去作業(言葉が不適切かもしれませんが)に四人で行ってきました。 寺院周辺は津波で何もありません。コンクリートや鉄筋の建物が少々残っていますが、その屋上にも瓦礫があります。車を停めた学校もかなり高台ですが、校舎の一階まで津波の形跡がありました。正直想像を越えています。 お寺へ向かいましたが周りに何もないので少し迷いました。基礎とお寺の手すりを発見し、ここに庫裏や本堂が建立されていたことが分かりました。 梵鐘とお地蔵さんだけが現場に残っておりますが、ほとんどは五十メートル東側に流されており、作業は広域に渡ります。自分の身長ほどの瓦礫を一つひとつ退けると勤行本や片衣、御厨子などが少し出てきましたが、本尊は中々見つからず、時間だけが過ぎていきました。 途中、副住職と息子さん、親戚の方が見えられたのでお話を伺うと、「全てなくなっちゃったよ」との苦笑いされた姿に、何も言葉を返せませんでした。自分の無力さが歯痒かったです。 作業はかなり広範囲です(大きくエリアを分けると2箇所になります)人力のみですと、やれないことはないと思いますが限界があります。チェーンソーやゴーグル、丈夫な安全靴が必要です。 体力・精神共にかなり辛いです。(作業が嫌という意味ではなく) はじめて見た息子さんの後ろ姿を見て、優しかったお母さんの分まで生きてほしいと願い、岐路に着きました。 11日から加勢に来てくださる皆様、どうかよろしくお願いします。副住職と息子さんも手伝ってくれるそうです。皆様と今できることを一緒にしたいです。助けにならないかもしれませんが、考えるよりも動きたいのです。 風呂に入り、ビールを飲みながら、落ちていたアルバムのことを思い出していました。できる限りアルバムを拾って届けましたが、思い出さえも流されてしまった方々のことを考えていたら、二度目の地震に遭遇しました。貯水タンクと自証高級プラズマテレビがヤラれました。また断水生活です。 本日、お西の震災応援ネットの方が来られて、「人員・物資・郵送手段・宿泊場所(食事含)、全てそろえてあります。この際、宗派を超えて一緒に活動していきたいです」とのお話をいただきました。 同朋N メールニュース 4月6日版より転載 ■被災地からの生の声 ☆仙台教区浜組明賢寺坊守:藤内明子さんより 「いわき市の被害は甚大で、沿岸部では津波による家屋流失、火災などで多くの人命が奪われました。行方不明者の数もいまだ定かになっておりません。 さらに拍車をかけるような原発事故。今、現在、いわき市内の避難所におられる方は3300人。原発近隣からの避難者も数多くいらっしゃいます。住職は、そんな避難所をあちこち訪ねては、被災された方の話相手になったり、日用品などの差し入れをしています。先日は、仙台教務所から支援物資が届いたので、それを持っていきました。 いわき市はいわゆる30キロ圏外です。しかし、原発の状況が日々悪化するにつれ、市外へ避難する市民も増え、同時に市内への物流が全く途絶えてしまいました。一時は極端な物資不足に陥り、危機的状況でした。しかし、現在は、徐々に復旧し、落ち着きを取り戻しつつあるようです。 いわき市は広範で、復旧に差があります。他県のように一般のボランティアに期待するには、原発事故による不安感から、すんなりといかないのが実情です。それでも、承知の上で物資を運んでくださる方、炊き出しなどしてくださる方が本当に有難く、頭が下がります。 4月。学校も始まるようです。そのために、避難していた子どもたちも戻ってくるでしょう。青い空のもと、思いきり深呼吸させてやりたい。そんなささやかな行為すら私たちから奪ってしまった原発事故は、もはや人災としか思えないのです。 自坊のある浜組は、原発事故の退避指示地域の中に3か寺、さらには別院も含まれています。組内寺院の全てが何らかのかたちで、被害を被っているのです。何より、寺や土地を追われ、帰る見込みの全く立っていない方々の無念さは、察するにあまりあるものがあります。 あの日、浜組では、まさに原発近くの町にあるご寺院で、組門徒研修会が開かれていました。私も住職、自坊の門徒さんとともに参加していました。その後の地震でした。ご一緒していた各ご寺院の方々、ご門徒の方々のお顔が目に浮かびます。今頃どうしていらっしゃることでしょう。 苦渋の内に、ご門徒ともども故郷を離れざるを得なかった、これら原発被災寺院に対しても、どうか宗門が速やかにその所在を確認し(もちろんすでに確認済みかもしれませんが)、一刻も早い救済の手を差しのべて下さるよう、同組内寺院の一員として、切にお願い致します。 あらゆる面で原発被災は続いております。復興は立ち遅れ、風評に泣き、風向きに怯え、今なお安定しない原発に危険を感じながら、人々は生活を見切り発車させています。 多くの同朋の皆さまに、この窮状を知って頂きたく、失礼と思いながらメール差し上げました。お読みいただけましたら幸いに存じます。」(要旨) ☆南相馬市から避難中の大谷派僧侶:木ノ下秀俊さんより 「今日から小学生は、二次避難が始まるまでの一月ほどですが避難所近隣の学校へ登校です。中学生は明日からになります。南相馬市原町区に残る170人の子供達は、かろうじて30キロ圏外の南相馬市鹿島区にある中学校の校庭に建てた仮設校舎で新学期が始まるようです。 深刻なのは高校生です。学校再開のめどはたっておらず、福島県内に避難している場合は編入試験を受けて転校も可能なようですが、他県に避難している場合はそうもいきませんし、県内に居ても二次避難によってどこに移動になるか分からない状況です。避難者の中には子供の高校就学のために避難所を出て自費でアパートを借りる人もいますが、それも経済的に可能な人だけです。そのあたりの配慮をする余裕が県の対策本部にもないようです。」(避難所通信NO. 009より 4月5日) 「南相馬市への一次帰宅を計画中です。南相馬にはいまだ18000人(人口の4分の1)が生活しており、放射線レベルも安定しているのでリスクは少ないと判断しました。第一原発で除染作業経験者も一次帰宅するというのでアドバイスしてもらったころ、空間放射線は問題ないが体内被爆には要注意ということで選んでくれたのが写真(白の防護服)の装備です。(写真は割愛)しかし、本当に人が住んでいて大丈夫なんだろうか!?という姿です。追記、ニュースを見てしばらく様子をみることにしました。」(避難所通信NO.010より 4月6日) ■被災地訪問記 ☆大谷保育協会東京支部:五島満さんより 「4月4日(月)、見舞金、物資を持参し仙台地域の加盟幼稚園、保育園を訪ねました。名取では今だ安否捜索が行われ、立ち入り禁止地区も多くあります。とにかく名取近辺の被害は甚大で、家を流された保育士さん家族はアパート暮らしをしています。二本松には毎日遺体が15体程集まり、地元の住職が一人で読経を「こなす」状態だそうです。また原発事故から避難してきた子ども(家族)の預かりを保育園幼稚園で行っておりましたが、今ではそういう子ども達の数も減少してきているそうです。」 ☆奥羽教区:鷲嶺駐在さんより 「奥羽有志の方々と岩手県宮古市、山田町、大槌町、釜石市へボランティア&物資輸送に行って来ました。 宮古市では、ご門徒さんのお宅数件で片付けの手伝いをしました。お内仏を運んだり、海水を大量に吸収した畳を運んだり、新品ですが海水にどっぷり浸かって使えない大型液晶テレビなどを運び出す作業をしてきました。 その後各避難所を周りながら物資を渡し、日帰りを断念、花巻市内のホテルに一泊して、昨日岩手県内陸部の寺院に立ち寄り、残った物資を託して帰ってきました。 所感としては、すでにボランティアの人手が必要になりはじめたということ。仮設住宅が出来始め、順次移動が始まるため、ニーズが食器やポット、鍋、フライパンなどに変わりつつあるということ。あとは下着類が必要だという声がたくさんあったのですが、おそらく、2~3日で解消されると思われます。 大槌町では、残った方々の心に相当な喪失感があり、仮設住宅に入って現実を直視した時に、かなり危険だという雰囲気をひしひしと感じました。 岩手県北部方面を中心に奥羽のボランティア隊を投入することになりそうです。といいながら、シフト体制を組めるぐらいのボランティア隊をこれから教区内に呼び掛け、組織するので、間に合うかな?と、ちょっと不安です。以上、近況報告です。本日奥羽仏青の会議です。」 同朋N メールニュース 4月5日版より転載 ☆仙台仏青の活動報告より 「2011年4月2日土曜日 今回は、以前ドラム缶風呂の活動をした、気仙沼市本吉町、大谷地区にある別の避難所、仙翁寺が目的地。 仙翁寺は、270人程が避難しており、そのほとんどが津波により家を無くして帰れない長期避難者である。 今日私が出会った子供たちは、みんなとびっきりの笑顔だった。みんな被害がなかったわけじゃない。おこずかいを貯めて買った服をなくし、大切にしてたギターをなくし、三回しか遊んでないWiiをなくし、思い出のユニフォームをなくし、好きだった子は震災で転校し、親は職を失い、友達との想い出が、生まれてからずっと住んできた家が流された。勿論、次の住みかも決まってない。それだけの現実を背負ってなお、本当に明るく、笑顔で生きている。 慕ってくれて片付けまで手伝ってくれた思春期全開の少年たち、無邪気に遊ぶ小学生たち、トゲのある言葉で大人を傷つける女子たち、その全てが、可愛くて可愛くて、愛しくて愛しくて堪らなかった。 私自身、避難生活をしており自覚はないけれど、被災者になるのだろう。 それでも、支援活動のつもりで物資を届け、お風呂を作ってきた。 だけど、なんのことはない、支援されていたのは、私でした。 震災に直面し、目を覆いたくなるような現実にうつむいていた私に、前を向かせてくれたのは、彼らの笑顔なんだと今は確信しています。 本当に、本当に元気と希望をもらいました。 そして、本当に楽しい時間でした。 きっとまた会いに行きます。」(抜粋) ☆原発から避難中の大谷派僧侶:木下さんより 「震災から三週間が過ぎましたが、原発近隣市町村民にとって災害はいまだ進行形です。先日、山形市・仙台市と出かけてきましたが普通の街並とそこを行く人たちがとても眩しく見えました。 31日には福島県職員から「避難者は、二次避難として山形県内の旅館・ホテルへ移動の後、七月以降は順次仮設住宅への入居」という説明がありました。しかし、各県の避難所には、該当しない人も多数いますし、逆に20~30キロの南相馬市の避難者の中には、帰宅する人が増えているという奇妙な状態になってきました。 帰宅する人達は、曖昧な国の指示の中で、先の見えない避難生活に疲れ、みんなが帰るからと言って帰っていきます。」(抜粋) ■被災地からのレポート ☆大谷派僧侶:中下さんより 「宮城県の石巻市役所で、げっそりとした表情のおばあちゃんがいらっしゃいました。気になって声をかけると、家族の○○が亡くなったと。おばあちゃんは、立って職員の方と話をできる状態でなく、私が代わりに話を聞き、それをご本人に伝え、また職員の方へ伝えるという方法で支援を行いました。手続きが終わるとおばあちゃんは、故人への想いを私たちに延々と語ってくれました。 困難な手続きなどに同行する中で、互いに思いを語り合うことも出来そうです。「心のケア」についてですが、ある程度の事前の信頼関係、もしくは各種手続きの同行申請などの関係性があってはじめて成立するのかなと感じました。 岩手県大船渡市では、真宗大谷派のお寺が地域の遺体安置所となっていました。また別の寺では地域の避難所も兼ねており、朝昼のお勤め時には、避難所暮らしをされている方も手を合わせていました。それは、間違いなく何らかのケアになっているように感じました。 それぞれの地域や実情に沿った後方支援体制を整えることが前提かと感じています。」(要旨) 同朋N メールニュース 4月2日版より転載 ☆東京教区:梁河さんより(4月2日) 「30~31日、石巻市をめざして6名で現地へ出発。物資(水・体ふき・オムツなど)を避難所・石巻中学へ直接運搬をした。実際にどういう状況で何が必要なのか。できる限り、一つでも多くの避難所を回り状況を把握、何ができるか方向性を見出すため足を運んだ。 夜は車中で仮眠をし、次の日朝早く三陸沖海岸・名取などの被災地を回ったが、とうてい言葉では表現できない・・・。実際、被災者の声だが「温かい物がたべたい」「炊き出しを是非やってほしい」。不安に満ちた目、ほそぼそと した 声、確かに受け取り、茨城へもどってさっそく炊き出しの段取りをする。最後に子供のお菓子類が避難所に無かったので、チョコレートを山ほど集め、持っていきたい。」(以上) ☆奥羽教区:須田さんより(4月1日) 「3月31日奥羽教区2名が壊滅状態の宮古市田老地区を訪問。この地区の避難所が10数キロ北の「グリーンピア」に統合されるという。手伝うことはないかと職員に申し出たところ、今は特にないとのこと。しかし、「この先かなりの人手が必要となるので、その時お願いします」。情報を逃さないようにしたい。 市内の寺院に寄り坊守さんと一緒に被災地区をまわる。現在は、家の片付け作業が行われている。坊守さん「被災地区を歩いてみることから始めては」「必ず手助けが必要な方がいます」というアドバイスを頂く。ただし、必ず身元がわかるようにしなければ、かえって不審に思われる、とも。被災者から声がかかるのを待っていては何もはじまらない。こちらから動かなければ、被災者の生活に配慮しながら。 次に大槌町の浪板地区にて。一軒の家の庭先から立ち上る煙を発見。声をかけたところ窓から男性が。「何か足りない物はないですか」「下着、下着」「ありますよ」「いま降りていく」。民宿を経営していたとのこと。息子さんは消防士で住民を避難させている途中で津波にのまれ・・・。食事は足りていますかと聞くと「まぁ、避難所にいけばおにぎり2個もらえるから」。この地区の避難所へ支援物資を届けた。なんと避難所なのに電気は昨日復旧したとのこと。 避難所によってニーズが違う。先の坊守いわく「今は食品より生活用品、これから暮らしていくのに必要なのは茶碗やお箸、ポットや座布団などです。」次回は4日に行きます。」(以上 要旨) 同朋N メールニュース 4月1日版より転載 【被災地からの声】 ☆仙台仏青の活動日誌より(3月30日) 「今回は、石巻の住吉小学校にて(お風呂を)設置するのですが、そこはライフラインが未だに全滅、夜はロウソクで暮らしているような状況。150人程の方が避難生活を送っています。お風呂は、「大人も入れないか?」という声をたくさん頂いたので、子供に限らず受け入れることにしました。思春期の女の子二人組から、おじいちゃんまで、幅広く利用して頂けました。 私にとって、利用者の方がお風呂を待っている時間は、お話を聞かせてもらえるのでとても大切です。今日も、色々な話を聞かせて下さいました。ずっと描き続けてきた絵を全て失った話、町が海に沈んだので家族が船に乗って助けに来る迄、三日間1人で部屋に閉じ込められていた話、身内を目の前で亡くした話、ついさっきお兄ちゃんに意地悪された話、他愛ない話から、深刻な話まで、皆さん本当によくお話してくれます。 何より、泥だらけの中を片付ける毎日なのに風呂も洗濯も無理、というストレスがあるので、皆さんとっても喜んで下さる。ですが、最後の女性を笑顔で見送った時には心地よく感じていたハズの疲労感は、気が抜けた途端に、半端ない疲れとなって肩にのしかかるのでした。」(以上) 【被災地で感じたこと】 ☆高岡教区○○○○さん(3月31日) 仙台仏青並びに仙台教務所員が被災者支援に奔走していました。頭が下がる思いでした。石巻市の災害現場をみると、絶望感と喪失感しかありませんでした。でも、住民の皆さんは、迷いながらも力強く生きておられました。山形、宮城県では、まだガソリンの供給がすくなく、ガソリンを求めて何キロにもわたる長蛇の列。また物資の配給も必要でした。 避難者の受け入れが山形、新潟、北陸、関東などで行われています。各教区が避難者への支援へと動き出しています。自己完結型の支援が必要かと思われます。自分たちで責任をもち、情報を収集し、行動する。そのようなことが、中期支援活動では、一番配慮しなければいけないことかもしれません。 被災地では、まだまだ支援が必要なところ、ボランティアが行き届かない場所があります。私たち僧侶は、この被災地の現実を一人ひとりが自分の目で、しっかりと見ないといけないと思いました。この「絶望感」「喪失感」を感じることが同じ時代に生きている私たちの責任だと思います。
https://w.atwiki.jp/shinsyu/pages/37.html
ここでは仙台仏青の動きをミラーとして時々まとめて記載しています。 公式HPをご覧下さい。 4月5日 福島県いわき市に帰る imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 法務の為に久しぶりに福島県のいわきに戻ったので、避難所や、沿岸部の被害を見て回ることに。 以前に比べ、車の数、活動してる人の数は目に見えて増えている。 飲食店も少しずつだが、再開しているみたい。ガソリンはまだ多少並ぶよう。 途中、立ち寄った本屋では3月11日以降の本、雑誌は一切置いてなかった。 沿岸部では、依然として遺体の収集作業が続けられていた。他の津波被害の場所に比べて内陸部までは、被害が及ばなかったように見える。 それでも、見知った道が、景色が消えたのを見るのは堪える。 立ち寄った避難所では、お風呂に入れてないようだが、物資は十分あるとのことで一安心。 一番、気になっていた原発の影響を感じるため、少し足を伸ばして、30km圏内へと向かう。 先ほどの避難所から、五分もしないで圏内へ。通行規制も何もなく、ただぱったりと人影が消える。 道路沿いの家屋には、人の気配もなく避難しているように見える。 そのまま少し走り続けると、電工掲示板には「半径20km圏内立ち入り禁止危険」の文字が踊る。 道路が封鎖され、パトカーには防護服を着た警官。 少し話を聞こうと近づくと、緊急車両の登録をしていた為、思いがけず中へ通されてしまう。 さすがに、マスクだけで中の状況を見に行くわけにもいかず、少し進んでUターンする。完全防護した自衛隊が作業している姿が見える。 自衛隊が、完全防護しなければならない場所から10分もしない場所に、200人以上が避難している。 ただちに健康に影響を与える値ではない、と言われても規制圏内の異常さを見てしまうと、そこからほとんど変わらない距離に避難している、普通に生活していることに違和感を覚えざるを得ない。 水素爆発が起きた時、マスクや帽子で防備して、自主避難していた人達が、少しずつ街に帰ってくる。 街が再生していくのは嬉しいが、事態が終息したから、状況が好転したから、帰ってきた訳ではない。 避難生活に疲れ、放射能という言葉に慣れ、麻痺して、うやむやのまま現状を受け入れた結果なのではないかと思う。 放射能は、見えないからよくわからないし怖いと言うが、見えないことの本当の恐ろしさは、何事もないかのように生活が送れることだと思う。 大人たちはまだいい、でも子供たちには見えないリスクを負って欲しくないと、切に思う。 生まれた土地が、深呼吸するのもためらわれる、そんな場所になっていることが、とてもとても悲しい。 4月5日 救援物資届く imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 三陽教区(岡山)から救援物資が届いた。 水用のポリタンクにゴム手袋にガスボンベ。 嬉しいです。感謝。感謝。 直接お会いすることが出来なっかた。・・・教務職員が教えてくれた。「皆疲れ切った顔でした。」「きっと余り休まずに遠い仙台まで、急いで運んでくれたのでしょう。」 改めて繋がりの中で生きていると実感。 大切に有効に使わせていただきます。 これで、BOPの動きもだいぶ楽になるだろう。 次回にむけて本日は準備中。 ここで終わりではありません。 仏青メンバーはメインでBOP活動ですが、あいてる時間は救援物資を運んでいます。昨日あたりから被災地から生活物資が足りないと連絡が入るようになってきた。 トイレのにおい消し、お部屋のにおい消し、子供のおやつ、日持ちする野菜、おかずになる缶詰などets. 細かいリクエストです。 少しであるが、「生活」を取り戻せてる感じです。 でも、所変われば「需要」は変わる。難しい現実。 小さな情報をキャッチしてメンバーは動いています。 まだまだ終わりの見えない活動。でもがんばります。 4月4日 宮城県亘理町で子供達とあそぶ imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 今日は、宮城県南の亘理町に仲間が避難しているので、会いに行きがてら、亘理町の避難所を回り、情報収集をしてきました! 情報収集だけのつもりでしたが、避難所には小さいお子さんが結構いたので、せっかくなので一緒に遊ぶことにっ! 同行していた仲間の折り紙が絶大な威力を発揮して、みんなで折り紙と念珠作りをして過ごしました。子供たちも大興奮で、喜んだみたいで良かった。 帰り道には、知り合いのお寺で物資を積み込み仙台へ。 行政だけには任せられないと、自分で考え、様々な形で動いている人達が沢山います。 現地に行かなくても、それぞれの活躍の場で被災地へと想いを致してくれる仲間が沢山います。 現地では、そんな想いをひしひしと感じます。 4月2日 宮城県気仙沼にて新たな出会い imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 朝、五時過ぎに起床。 こんな早起きの日は、BOPなのです。 今回は、事前に電話でやりとりすることが出来たので、前日に欲しい物資を聞き取り、大量に準備して現地へ向かうことに。 今回は、以前ドラム缶風呂の活動した、気仙沼市本吉町、大谷地区にある別の避難所、 仙翁寺が目的地。 けせ 途中、事前交渉済みの給水所で大量に給水するため気仙沼市街地へ。 すぐ近くが被害の酷い地域だったので、少し見て回ることに。 中洲のようになっている地域が、全て瓦礫の山になっていた。 瓦礫の中を歩いているおばあちゃんに声をかけると、震災後はじめて自宅を見に行くという。話を伺いながら、自宅のあった場所へとご一緒させてもらう。景色のあまりの変化に、「ここには、信号機があった。友達の家はあの辺りだ。」混乱してる様子で、次々と言葉が続く。そして自分の家があったハズの場所へ。ここだ、と確信が持てない。30年以上住み続けた家が、跡形も無く、見覚えのない車や鉄骨の山になっていた。「写真だけでも見つけたい」そう言って瓦礫に踏み入るおばあちゃんに別れを告げ、再び目的地へ向かった。 仙翁寺は、270人程が避難しており、そのほとんどが津波により家を無くして帰れない長期避難者である。 今回は、規模の大きな避難所ということで、 初の試みである「BOP初号機」「BOP二号機」を両方稼働させることに挑戦。 想定外の強風に苦慮し続けたものの、なんとか成立させることが出来た。 規模の大きな避難所ということもあってか、北海道おしゃまんべの商工会の皆さんが炊き出しに同時刻来られていた。その中の一人が私に「どこかの仏教会の方ですか?」と聞いてきたので、「真宗大谷派の仏教青年会です」と答えると、なんとその方も、大谷派の僧侶でした。北海道教区第一組の三浦さん、設営のお手伝いのみならず、美味しい焼きそばに蟹汁、私達までご馳走になり、ありがとうございました! というわけで、今回はドラム缶風呂には子供たち、完全密閉式のバスタブ風呂には、主に大人、という形で沢山の人に利用して頂きました! クタクタになるまで走り回り、肩車して、チャンバラでお尻をしこたま叩かれ、好きな娘の話を聞き、山に向かって一緒に叫び、携帯番号も交換した。 その一部始終、みんなずっと笑顔のままだった。震災で沢山の悲しみが生まれ、今も尚、深い悲しみの中におられる方が沢山存在する。 ただ、今日私が出会った子供たちは、みんなとびっきりの笑顔だった。みんな被害がなかったわけじゃない。おこずかいを貯めて買った服をなくし、大切にしてたギターをなくし、三回しか遊んでないWiiをなくし、思い出のユニフォームをなくし、好きだった子は震災で転校し、親は職を失い、友達との想い出が、生まれてからずっと住んできた家が流された。勿論、次の住みかも決まってない。それだけの現実を背負ってなお、本当に明るく、笑顔で生きている。 (たぶん)慕ってくれて片付けまで手伝ってくれた思春期全開の少年たち、無邪気に遊ぶ小学生たち、トゲのある言葉で大人を傷つける女子たち、その全てが、可愛くて可愛くて、愛しくて愛しくて堪らなかった。 私自身、避難生活をしており自覚はないけれど、被災者になるのだろう。 それでも、支援活動のつもりで物資を届け、お風呂を作ってきた。 だけど、なんのことはない、支援されていたのは、私でした。 震災に直面し、目を覆いたくなるような現実にうつむいていた私に、前を向かせてくれたのは、彼らの笑顔なんだと今は確信しています。 本当に、本当に元気と希望をもらいました。 そして、本当に楽しい時間でした。 きっとまた会いに行きます 4月2日 女性スタッフも入り、活動行動広まる。 今回は、東北道一関ICから現地に向かいます。途中、給水場に寄って、宮城県気仙沼市地域に入り活動する予定です。 本日のメンバー。仙台3名、千葉と三条の2名、山形からトラック持ち込み(感謝)と1名の計5名 水500リットルタンク一つと、20リットルタンク10個、それとお風呂(二号機)、持っていきます。 仙台教区岩手県チームも7名(2名女性)参戦。 ドラム缶風呂や物資を持って現地へ。 大所帯です。 今回から女性スタッフも参加。(頼もしいです) 女の子やおばちゃんの時にも湯加減を調節できそう。 徐々にであるが、活動内容が広がってきました。 他県からの有志は本当に助かります。 詳細は後日報告します。 尚、ボランティアに参加しているメンバーは災害保険に加入しております。 何分、まだ危険な場所がたくさんありますから 、参加される方は仙台教務所までご相談ください。 4月1日 活動範囲広まる imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 次のBOP開催場所のリサーチを進め、無事に決定。 200人規模で、子供に限らず大人も入りたいとの要望に応える為に、ドラム缶だけでなく二号機も合わせて稼働させたいところ。 ところが、ここで問題が一つ。バスタブに水も運ぶとなると、輸送手段が現時点で無い。 急遽近県の仲間たちに相談。 農家の皆さんも、忙しく軽トラが借りにくいこの時期に、しかも急な話でかなり無理なお願いだと、自覚していたのですが、仲間の1人が色々と奔走してくれ、無事に軽トラを確保。 自分の予定にも都合をつけてくれ、今晩山形の有志が軽トラでBOPを手伝いに来てくれることに! 「大して無理してない」とおっしゃられていたが、きっと色々と無理されたんだと思う。本当に助かります、感謝感謝。 空いた時間には、子供御遠忌で持っていくバッジ作成もしてます。私のデザインしたのもあるから、皆さんも是非どうぞっ! というわけで、明日は、気仙沼にBOPってきます! 3月30日 新型お風呂石巻に行く imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 今回は、石巻にある住吉小学校にて設置するのですが、そこはライフラインが未だに全滅、夜はロウソクで暮らしているような状況なので、水はこちらから用意して持っていくことに。 住吉小学校は、津波の被害を直接受けており、一階部分は泥にまみれて、廊下も教室もぐちゃぐちゃです。校庭には、横断歩道の書いてある道路が横たわり、プールには自動車が沐浴している。そんな場所で、150人程の方が避難生活を送っています。 昼間は子供も含め、みんなでそれぞれの自宅の泥かきや片付けに追われ、夜はロウソクの灯りで教室に横たわる。そんな場所でした。 前回は、子供限定のドラム缶風呂という形で提供したので、それを踏襲して今回も子供限定という形で呼び掛けることに。 着々と準備を進め、用意が出来た頃に男の子三人組が来てくれる。 幸先の良いスタートに安堵したのも束の間、つ、次の子がこない。 このままでは、BOPの輝かしい歴史に傷がついてしまうと、避難所の代表の方に伺うと、昼間子供たちは片付けの手伝いなどで、あまり居ないという事実を告げられることに。 それでも、少ない子供を求め彷徨う男たち。 やっと見つけた親子連れに、お菓子もあるし、お風呂に入りにおいで!と言うと、子供は行きたいというのに、親は怪訝な顔で愛想笑いをして一昨日入ったでしょ?と、とてもわかりやすくオブラートに包んで拒否されました。 私の見た目が怪しいのか! 風呂に入れてない奴が、風呂を勧めていることで、説得力がないのか! アレ?臭いのか!? そんな風に軽く傷つきましたが、そんなことでは挫けません。 こんなこともあろうかと、今回は初号機ではなく、改良型二号機を搭載してきてるのです。 二号機は、通常のバスタブを備え、しかも花王のバブに対応しているのでフレグランスなバスタイムを提供することが可能な、まさに大人の優雅な午後を演出するに最適な一品なのです。 蛇足が過ぎました。 大人も入れないか?という声をたくさん頂いたので、子供に限らず受け入れることにしました。 そして今回は、女性にも利用して頂こうと、徹底してプライバシーには配慮したので、男女比で女性の利用者の方が多い結果に。 思春期の中学生の女の子二人組から、妙齢の女性、おじいちゃんまで、年齢層も幅広く、利用して頂けました。 私にとって、利用者の方がお風呂を待っている時間は、お話を聞かせてもらえるのでとても大切です。 今日も、色々な話を聞かせて下さいました。 ずっと描き続けてきた絵を全て失った話、町が海に沈んだので家族が船に乗って助けに来る迄、三日間1人で部屋に閉じ込められていた話、身内を目の前で亡くした話、ついさっきお兄ちゃんに意地悪された話、他愛ない話から、深刻な話まで、皆さん本当によくお話してくれます。 何より、泥だらけの中を片付ける毎日なのに風呂も洗濯も無理、というストレスがあるので、皆さんとっても喜んで下さる。 ですが、最後の女性を笑顔で見送った時には心地よく感じていたハズの疲労感は、気が抜けた途端に、半端ない疲れとなって肩にのしかかるのでした。 今日は、偶然TBSのクルーに取材されました。 3月29日 他教区の有志と仙台仏青と初会合 29日現在 東北三県について情報交換。 岩手県 津波の被害が大きい地域は大槌町 物資の面ではだいぶ支援されており飽和状態のところもある、特に食べ物類 しかし小規模の避難所や自宅生活の人たちには物資支援が届いてない可能性も高いが中々支援しにくいのが現状 食べ物はあるがシャンプーやリンスやボディソープや歯ブラシなど生活用品が不足しているところもある 海岸線の地域は暖をとれる場所の改善。プライバシー問題など問題山積。 宮城県 東松島はボランティア登録なしで活動可能 松島町は家屋の水に浸かる被害はあり、後片付け難航 若林区から亘理町にかけての海岸沿いの情報が手薄。同じく家屋の後片付け難航 被災者はボランティアの存在も把握出来ない。情報を得る手段が全て流されてない。 避難所は今も需要と供給のバランスがとれない コンビニ市内2時間限定開店。スーパーは会社によって通常営業開始 牛乳・食パンを手に入れるのは奇跡。 福島県 南相馬市から相馬市の避難者が多い 相馬市から宮城県内に避難が難しいので山形や新潟への避難者が増えている すでに新潟へは一万にほどの避難者がいるとのこと 避難所での差別も少し出始めてるとのこと 福島県民が他県へ避難した際に被爆の風評被害で受け入れを断られたりする また他には南相馬市の人が相馬市に避難した際にその避難所で物資が配られる時に地元の相馬市の人が優先され余所から来た避難者に物資が回りづらくなってるとの報告あり お金を所持しているか、所持してないかいかでは大きな違いがある。これは重要で早急の対策望む。 他教区との連携について 仙台教区が活動発信、他教区の有志が後方支援をする。 真宗大谷派災害V活動のブログにも情報を発信して貰う。 ボランティア活動の問題点 物資を運ぶ際に乗用車では限界があるので大きめのトラックがあればもっと効率よく運送できる(トラックの準備だけど宮城県内のレンタルは需要が高く不可とのこと) 教務所に届いてる物資に何があるか教区で共有すると物資を運んだり購入する際に効率がいいのではないか。出入りが激しいので詳細の個数は難しいかもしれないが種類や大雑把物資を仙台教区に輸送する場合にリレー方式にしてはどうか。遠方からの輸送になるとその教区に負担をかけるので分担して運んではどうか。その際の中継地点は三条教区や東京教区など、場合により山形教区にお願いしてはどうか お金の出し入れは各自の財布から出して後から精算。現状まとまったお金がない早急の対策望む 所感。 刻一刻と状況変化。各自、臨機応変に対処していかなくてはいけない。 なにが正しくて、なにが悪いのか、わからない状況。 恐れずただ進むべし。 2011年3月27日日曜日 宮城県七ヶ浜町に行く 今朝も、震度5弱の地震で目が覚めました。復興は始まってますが、決して地震は終わっていません。 実は、七ケ浜に従姉妹が住んでいます。宮城県仙台港近くの沿岸部ですが、地震当初から、かなりの被害が出ているとの報道が為されていました。 別の場所に住んでいる従姉妹の母は、娘は死んでしまった、孫にも二度と会えないと、酷く取り乱していました。ですが、人づてに家族みなの生存が確認され、現在避難している避難所が判明したので、昨日は従姉妹に会いに七ケ浜へ行ってきました。 七ケ浜へと向かう道は、他の沿岸部同様、酷い有様。都市部に近いからか、側道に連なる廃車の数もかなりのもの。 恐らく田んぼだっただろう場所は水が引きにくいためか、湖のようになっていました。 避難所には、300名程が避難されていました。名簿から従姉妹を確認して、無事に再会。 ご主人も帰ってきて、色々な話を聞かせてもらうことに。 地震のあと津波が来るからと、高台へ避難 津波が来て、目の前で近所の人、自宅が飲み込まれていくのを見たと。 打ち寄せられる瓦礫には、人の残骸が幾重にも絡まり、直視できるものではなかった。 第一波が来た後、水が引いていき、もともと海が見えていたところにも水が無くなり、海が消えた。 周りにいる人たちは、死を覚悟し、みんなで手を握りあい、世界が終わるんだと信じて疑わなかったそうです。 幸運にも、高台のギリギリで第二波は止まり、助かったよう。それでも、周りは水没し孤島と化していた 真っ暗闇の中、食糧も水もなく一晩過ごし、夜が明けて水量が減った箇所を探し、瓦礫と遺体の山を乗り越えて避難所へとたどり着いたとのこと。 自宅の一階部分は、全て無くなり、ご主人の仕事である養殖は全て駄目になった。船も車も全てなくした。 チリ沖地震でも、養殖に被害を受け、私財を投じて、やっと形になったところを全てやられた。 そう語るご主人の目は、涙で赤くなっていた。 何か言葉をかけたいと思うし、力になりたい。身内だもの、その気持ちは尚更で。それでも、言葉が見つからなくて、ただ頷き、聞くことしかできない。 子供の学校もあるし、土地を離れたくないと言われたら、何もしてあげられなく、とても無力で。 話を聞いてあげるだけでも違う、そうは思うけど。 本当に沢山のモノを失った人を目の前にして、萎縮して、悔しくて、同情して、それなのに、自分は無事だということに安堵さえ感じていて。 支援ということの、難しさを改めて感じました。 地元いわきの友達にこんなことが。旦那さんが、警察官なのですが、乳幼児がいるので、原発が爆発したのを見て、娘と妻を会津若松の実家に車で送り避難させた。 いわきに戻ると、職場放棄でクビだと言われ、職を失うことに。 あんな状況の中、家族の安全を優先したら、クビにされる。 公務員の事情やら、わからないことだらけだけど、こんな状況で職を失い不安だらけな友達を思うと、心がかき乱されます。 話は一転しますが、BOPに新たな動きがっ! 初号機は、薪式五右衛門風呂ドラム缶Verでしたが、二号機は、薪式追い焚き機能付きバスタブVer という劇的な進化を遂げました! 2011年3月25日金曜日 ドラム缶風呂、気仙沼にて まず報道通りの惨状の南三陸町に入り沿岸部を北上することに。 目的地は、気仙沼近辺で、子供がいて、且つライフラインが整わず、且つ多過ぎない避難所である。 というのも、そうあの有名な、(せーのっ)BOP「仏青お風呂プロジェクト」をもう実行に移すことに。 構想の段階では、足湯も併設、足が伸ばせて、お年寄りも安全に入れて、女性も気にせずに入れるようにプライバシーにも考慮する。シャワー、洗い場完備。 湯上がりには、新品の下着に、牛乳。 なんて、夢のようなバスタイムを提供するつもりでいたのですが、早くお風呂に入りたいという心の叫びに1日も早く答えたいと、当初のサービスから大幅にクオリティを下げ、子供限定五右衛門風呂、洗い場お菓子付き、という結果に。 しかし起草から二日目で、しかも物の手に入らない被災地で準備しなければならないことを鑑みると、最初はこの位で妥協せねば。 今回の課題や反省、場所やニーズに合わせて今後は、他の方から頂いたアドバイスも参考にクオリティを上げられたらいいのになぁと次の予定も未確定のまま、思っています。 結果としては、どこでやるかということが一番のネックに。ライフラインが整わない場所ということは、避難所に知り合いでもいないことには、電話連絡が限りなく不可能に近いのです。 現地に直接出向き、役場を巡り、様子を伺い、私達の求めるBOP(ベストお風呂ポイント)を発見! 私達の申し出を快く受けてくださった避難所の皆さんに感謝です。 また、この避難所の方々が気持ちの良い人ばかりだこと! 子供の為のお風呂と聞いたら、自分たちの生活用水の為に貯めていた湧水のほとんどを使ってくれと。子供達に、からだ洗ってお風呂入ってサッパリして欲しいと、全面的に協力して下さいました。 地元の消防団が土地を提供してくれ、自分の家を無くした人達が、あぁだこぅだ言いながら、踏み台がいるだろうから作ってやる、水は集めてきてやる、薪が足りないだろうと薪割りを始めるおじいちゃん、こちらが提供しようと思っていたのに、結果的には一緒に作り上げることに。 初めて入る五右衛門風呂に、子供達は大興奮。 久しぶりの洗髪にお風呂で、子供も親も喜んでくれたよう。お風呂の順番を待つ間には、鬼ごっこをしたりして。お菓子を持たせて帰らせて。久しぶりに楽しかったなあ。避難所の皆さんもとても暖かく迎えてくださり、帰りぎわには半ば強制的に手土産まで。支援にきて、物資を渡されて帰ることに。 同行者が次の予定があるので、晩御飯を辞退して帰ったのが心残り もっとぺーじぃちゃんのマグロ漁で世界をまわった話聞きたかった 家を無くしたばあちゃんが今後どうすればいいかって話をじっくり相談乗ってあげたかった かまどを囲んでじいちゃん達の昔話の続き聞きたかった 地震が来る前に知り合ってれば、いくらと新巻鮭をたくさん贈ったのに、という言葉の真偽を聞きたかった 何より子供達ともっと一緒に遊びたかった 子供御遠忌やりたいなぁ 1日を振り返ると、今日は沢山泣きました。 仲間と語り合って泣き 南三陸町に足を踏み入れて泣き そこで、家を無くした人の話を聞きながら泣き 子供の為に風呂を、と張り切る避難中のおじいちゃんの背中で泣き 子供の笑顔に泣き 帰りの車で久しぶりに音楽に耳を傾けて泣き 大阪に避難している姉からのメールを見て泣き 今、改めてカウントしてびっくりしました。か弱い乙女になったようです。 今後は、そのように扱って下さい。 どれが嬉し涙で、悲し涙で、悔し涙で、または他の涙かは、わかりませんが、とりあえず今日は久しぶりに明るい写メが送れそうで嬉しいです。 3月23日 牡鹿半島にある老人ホームが電気、水、ガスが無くて、周りから孤立していて食料も足りないという情報が入り、届けに行きました。 孤立しているというだけあって、そこに至る道はひどいものでした。 道路は陥没し、橋は落ち、船が道を塞ぐ。通行止めの道をいくつか強行突破してたどり着いた半島にある集落は、ほぼ全滅していました。まだ、遺体の収拾作業の最中で瓦礫の中を捜索している横を抜け、老人ホームへ。 物資を届け、帰り道にまた無惨に破壊された集落にさしかかる。 津波の被害を既に嫌という程見てきたのに、ついさっき見たはずの景色でさえ、再び目にすると、胸が詰まる。 何度見ても、慣れない 天気が良く、暖かくて気持ち良い日に、世界はこんなにも美しくて、それなのに現実はとてもとても厳しくて、それでもみんな必死に生きていて。 失われた街を見るたびに、言葉では表せない喪失感のようなものを感じます。 それでも、物資を届けた時の喜んだ顔、様々なものを失って尚、生きようとする姿に、前を向かせられているように思います。 世界は、とっても美しいです。瓦礫だらけで、泥だらけの避難所で炊き出しをしている人達、それを食べている人達の姿は、生きていく人の姿は、とても美しかったです。 全国から今被災地では、何が欲しいの?送るよ!という声が届きます。ですが、被災地のニーズは刻一刻と変化していて、本当に早い。必要な物を聞いて、それから会議して、京都に要請して、次に本山から送るトラックに載せる。 これでは遅くて情報も、錯綜してる。 ある人は、物が足りなく危険だと、違う人があそこは十分物があると、どちらも嘘ではなく、数日前の話か昨日の話かで。物が足りないと聞いたんだけど、という情報には、何時の時点での情報かをはっきりさせなきゃいけなくて。 避難所の方から、これが一番欲しいんですけど、と言われても、在庫が無くて届けられないもどかしさを何度も感じてる。 情報が入ったら、すぐに調達して、判断を仰がずに向かえたらなぁと。でも今は足がなく、本山が用意した車、物資を使わせてもらわねば何も出来なくて、そうなると一存では動けず。 でも、その中で少しでも効果的に動くコツがわかってきた気がします。 話は、変わりますが BOP(仏青お風呂プロジェクト)を発足しようかと考えてます。 避難所にお風呂を作って入ってもらうという非常にシンプルなプロジェクトです。 実現可能な方法や、運搬方法など、アイディアがもしあれば下さいまし。 現時点では、ドラム缶風呂が有力です - 救援物資 福島県相馬市 2011年3月22日火曜日 相馬にある避難所の環境が劣悪との情報が入り、物資を積んで届けに行ってきました。 廃校になった校舎の床は冷たく、段ボールを敷いてその上に毛布を敷いて寝ておられます。やはり高齢者が多く、決して衛生的ではない場所に500人程がおられました。 体が動く人達には比較的、笑顔が見られ、「地震の前は寝て起きては、酒を飲んでたけど、今は飲んでられないし、まいった」と、みんなで力を合わせて物資の搬入をしながら言うおっちゃんの顔は、どこか嬉しそうにも見えました。 帰り道、津波の被害を受けた地区を少し見回ることに。 何度も通って知っている町が、景色が無くなってた。 言葉にならない 何も無くなった景色を茫然と見ているおじさんに、話を聞くと、「あそこに自宅があった、家はまた建てればいいけど、孫の身長を刻んでた柱が無くなってしまった」と言って、瓦礫の中を探していました。 あの津波は命だけじゃなく、いろんな思い出もまとめて流してしまったんだなぁと。
https://w.atwiki.jp/gundamfamily/pages/7004.html
295 名前:通常の名無しさんの3倍 :2013/01/29(火) 03 26 47.29 ID ??? ウルフ「ははははは!!アセム、お前は出来の悪い奴だ!なんでMSを白く塗らねぇ!!」 デマー「白がいいんだよぉぉぉぉ!!!」 アセム「はぁっ!はぁっ!!」 キオ「アセム兄さん、こっち!!」 アセム「キオ!!」 ウルフ「くそっ!どこへいきやがったアセム!!」 アセム「……ウルフさんまでアホ毛に取り込まれてしまった……」 キオ「アホ毛に寄生された人は精神のバランスを崩してしまう……本当なんだね……」 アセム「デマーさんは寄生されてないけどな」 キオ「兄さん!ウェンディが……アホ毛に!!」 アセム「キオ!大丈夫だ、俺がずっと側にいてやる」 キオ「兄さん……今はとにかく、みんなと合流しないと」 アセム「ああ、そうだな……」 キオ「もうアホ毛の人はいない?」 アセム「ちょっと待ってろ。見てみる……」 キオ「ふふ……」 ニョキッ… キオ「兄さん……ずっと一緒だよ……」 シロー「アセム!キオから離れるんだ!!」 アセム「シロー兄さん!?」 シロー「キオはすでにアホ毛に取り込まれている!!」 キオ「兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん!!」 アセム「そんなっ!」 シロー「アセム!このジェル鉄砲でキオのアホ毛を撃つんだ!」 アセム「できないっ!俺にはキオを撃つことなんて!!」 シロー「くそっ!髪の毛がバリパリになるまでジェルを撃ち尽くしてやるっ!!」 キオ「うわぁあぁ!!」 アセム「キオォォォーーー!!」 シロー「アセムッ!こっちだ!!ジェルを洗い流されたらまた復活してしまう!」 カテジナ「クロノクル!どこに隠れていようと必ずみつけてやる! そしてこの二人で着るとハートマークができるセーターと、一本のマフラーを一緒に巻いて カップル専用パフェを食べに行くんだ!食べさせっこだよ!店員さんにも写真を撮って貰う!!」 クロノクル「くっ……今のカテジナはアホ毛に汚染されている」 ルー「ただの本心なんじゃない?」 グラハム「そこ、私語は慎め。静かに、連中に気取られないように避難するのだ!」 ソシエ「警視正がマトモに仕事しているなんて……」 ルー「ホントのホントに世界の終わりかも」 ハリソン「全てのコーディネーターから二次成長を奪う。それが私のディステニープランだ!!」 アリー「おらおらガキ共!俺の靴下の臭いを嗅ぎやがれ!!」 アサギ「出番をよこせぇぇぇぇぇぇ!!!」 ドロシー「私はアホ毛に星を滅ぼされたカニ眉毛の生き残りです。 貴方達人類に、アホ毛と戦うために手段を送ります。どうか私達の無念を、悲劇を繰り返えさないよう――…」 ガロード「この新型のポマード爆弾をネオジオン社の工場に届けないと!」 デュオ「なぁ、ガロード!俺達親友だよな!なのになんで戦ってんだよ!!」 ガロード「バカヤロウ!アホ毛なんかに操られやがって!!」 シュウト「兄ちゃん!ボクが囮になるよ!」 ガロード「そういうのは兄貴の務めだろ!!」 シュウト「でもアホ毛はボクの前髪に惹きつけられている……これを利用しない手はないんだ……大丈夫、ボク帰ったらセーラちゃんのケーキ食べるんだ!」 ガロード「シュウトォォォ!!」 ~ AHOGE HAZARD ~ <人類最後の三日間> 近日上映。君は生き残ることができるか 296 名前:通常の名無しさんの3倍 :2013/01/29(火) 04 22 05.24 ID ??? アル「ねぇ…もし世界がアホ毛で満たされても――僕達は兄弟だよね」 アムロ「当たり前じゃないか」 【It's time now ... See me now】 【やっと出逢えたんだね】 カミーユ「俺はもう……貴方を亀頭ヘッドなんて呼びませんよ、エマさん」 エマ「私にはわかるわ……アホ毛は人類の命を吸う力がある」 【初めからそうだった 僕らは誰かと比べられ生きてきて】 東方不敗「みよ、ドモン……儂の頭皮は一片たりとも…一片たりともアホ毛には犯されていない!!」 【笑おうとした】 ハマーン「初恋だった……今でも遅くはない……遅くはないんだ、シャア。私と共に……」 シャア「ハマーン、私はお前と違ってアホ毛に従っているだけではいけないのだ」 ナナイ「社長、貴方は何故……通常の三倍のアホ毛に侵食されながら、自我を保っていられるのです」 ララァ『シャアは純粋よ……』 【そんな世界で二人は お互いの幸せを願えるんだね】 ヒイロ「普段から感情のままに生きる……そうすればアホ毛に犯されても自分を見失うことはない」 メイリン「そんなのおかしいよ!だってお姉ちゃんは全然素直になれてないのに……ッ!」 ハロ長官「ルナマリア君のアホ毛が、鍵になるかも知れない……」 【僕のあくびが君に移った 君の明日が全てに変わった】 ソシエ「そんなアホ毛がなくたって!人は自分の力で素直になれます!!」 【億千の巡り逢いの中で 最後までこの出逢いを 僕は欲しがるだろう】 曹操「父親らしい事を一つもしてやれなかったな。最後の時ぐらいは供にあるか、息子よ」 ラクス「私は……歌います!」 セレーネ「最後の瞬間に独りでいるのが寂しかっただけ……」 シーブック「セシリィィィィィィィィィィ!!」 【綺麗に著飾るための言葉 そんな物に意味は無い 必要ない 捨てろよ】 ジャック「マーク!どうして私の言うことに従わないんだ、マァァァァァク!!」 【心臟にもない 腦にもない】 ジャミル「アホ毛による侵略……我々は試されているのかも知れない」 【何処にも見あたらないココロ】 アムロ「アホ毛に!人の心をみせてやらなきゃならないんだろ!!」 【君と居る時は 確かに感じれる 優しく全てを包み込んでいく】 アホ毛「さよなら、ルナマリア……」 【It's time now See me now】 ルナマリア「うん」ニコッ 【やっと出逢えたんだね】 <NOW ON MOVE..>. 297 名前:通常の名無しさんの3倍 :2013/01/29(火) 05 07 24.84 ID ??? イオリア「毛と異星人との対話、両方とも手に入れる機会!」 E・A・レイ「友達を作る機会は?」 イオリア「しょぼーん」 306 名前:通常の名無しさんの3倍 :2013/01/29(火) 17 34 07.41 ID ??? ジュリ「パターン赤、アホ毛です!」 ハロ長官「馬鹿な……なぜアクシズにアホ毛が」 <アホ毛の侵略から2年……> チボデー「オーマイガッ!アホ毛はもう去ったんじゃなかったのかよ!」 フラン「世界各国に通信が!」 イオリア『我々はケガスタルビーイング』 イオリア『アホ毛との対話によって死滅した毛根を取り戻そうとする私設組織です』 <アホ毛と人間、人間と人間との戦いが始まる――…> ジュドー「アホ毛に体を乗っ取られてまで、毛が欲しいのかよ!」 五飛「貴様らは正しいのか!正しいのかと聞いている!!」 デラーズ「ゆけ、カクリコン!アホ毛シズはそこにあるのだ!」 ガロード「ふざけるな!誰だってみんな悲しいことや苦しいことを抱えて生きてるんだ!」 ミレース「アクシズ、大気圏内に突入! まずいわ……ここで撃ち落してもアクシズの中のアホ毛が空中で拡散してしまう……」 ロザミア「いやぁぁぁ!アホ毛が落ちてくるのはいやぁ!!」 ロラン「人の英知が生み出したものなら、人を救ってみせろ!」 <逆襲のアホ毛> ディアナ「ガンダムにアホ毛がありますか?ありません!」 <かみんぐすーん> 312 名前:通常の名無しさんの3倍 :2013/01/29(火) 21 36 35.44 ID ??? ルナマリア「もうここまで行くと私と全く関係なくない? 帰って良いよね」 アホ毛 「あ、お疲れ様でした。自分も日付変わるまでには帰宅するんで」 シン 「何処から突っ込めばいいんだ…」 320 名前:通常の名無しさんの3倍 :2013/01/29(火) 23 44 21.38 ID ??? 全員スキンヘッドになればアホ毛の入る余地無くなるんじゃないかな? シン「という訳で」eバリカン レイ「ものは試しに」eはさみ タリア「やってみましょうか」e剃刀 キラ「ちょっと待ってー!」簀巻き ムゥ「まずは自分たちで試すべきじゃないかな!?」椅子拘束 マリュー「ちょっとあなた達軽く目が石川賢!」磔拘束
https://w.atwiki.jp/srdkanagawa/pages/150.html
2018年2月 建物捜索訓練(東京都町田市) 本年最初の、『東京映像美術株式会社』本社社屋を使用した定例建物捜索訓練会を実施させていただきました。 会場:東京都町田市 協力:東京映像美術株式会社/東京Mix株式会社 実施日時:2018年2月10日(土) 9 00~16 00 参加頭数:7名/救助犬5頭 ↑↑1才を過ぎた訓練生。捜索作業への理解が進んだことが自信につながってきました。 ↑↑練習の時の隠れ役を「ヘルパー」と呼びます。ただじっと隠れていればいいのではなく、ただの「ごほうび係」でもない。 IPO防衛作業の「ヘルパー」と同じで、この作業を犬によりよく学習させるにはヘルパーの練度が大きく関わってきます。 IPO防衛のヘルパーには公認試験もあり、日本ではよく「ヘルパー先生」と呼ばれますが、救助犬を育てる上でのヘルパーは同じくらい重要な存在です。 ↑↑隠れ場所は犬の課題や練度によってハンドラーがオーダーする場合もありますが、あえて「ブラインド」(ハンドラーがヘルパーの位置を知らない状態)で「犬を見る」「判断する」という課題を設けることも。 ていねいに匂いを確認する様子を見ていると・・・ ↑↑やがて、はじけるように告知を開始しました。この表現であれば間違いなくここにいるだろうとハンドラーにもわかります。 ↑↑捜索だけではなく、告知の様子にも犬の心情がよく表れます。生き生きと捜索し自信満々で告知できる犬を育てるために、それぞれの犬たちその時に必要なものごとを与えようと、ヘルパーたちは心を砕きます。 犬はしっかりと臭気を吸い込んでいたか、確認してから吠え始めるまでの様子はどうだったか、ヘルパーに対しての態度やごほうびの受け取り方、ハンドラーのもとに戻るまでの様子を最も近くで観察することも、ヘルパーの大きな役割。ハンドラーはヘルパーからの報告で犬たちの現在の状態を正確に把握し、次のセットにフィードバックさせます。 本当によいヘルパーになるためには、この作業に求められることを正確に理解しているだけではなく、精緻な観察から犬の心情を感じ取れるようにならなくてはなりません。 何年ものあいだ専任のヘルパーとして学び続け力を尽くしてくれるメンバーたちの存在は、チームの財産です。 ↑↑廊下側のすべてのドアはぴったりと閉じられていますが、犬たちはドアと壁の間の細いすじに鼻を押し当て、臭気を強く吸い込んで、ヘルパーの存在を確かめます。犬たちは、身体だけでなく脳もフル回転させなくてはなりません。大きな労力を伴う作業です。 ↑↑しっかり鼻と脳を使い「ここにいる!」と判断した時の犬の表現は自信満々。「絶対ここにいるだろ!早く出てこい!」という吹き出しを付けてやりたい感じです。 ↑↑チームで最も身体の小さいトイ・プードルも、「早くぼくの順番こーい!」という態度で待機中。捜索作業は「作業」ですが、犬にとっては「遊び」なるよう作り上げます。といっても、気楽な「お遊び」ではなく、高い要求度の、ルールのある遊びとして与えてやることで、犬たちはこの作業の中で大きな達成感や歓びを勝ち取ってゆくのです。 久しぶりの室内練習となったペアが多かった今回。大きな労力を伴う室内捜索ならではのさまざまな課題があらわれ、よい練習会となりました。 会場と機会をご提供下さいました東京映像美術株式会社ならびに今回も細やかなご配慮をいただきました施設管理スタッフの皆様に感謝申し上げます。 ▶株式会社東京映像美術HP→こちら 災害救助犬神奈川 .
https://w.atwiki.jp/vip_saigai/pages/9.html
関連ブログ @wikiのwikiモードでは #bf(興味のある単語) と入力することで、あるキーワードに関連するブログ一覧を表示することができます 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_161_ja.html たとえば、#bf(ゲーム)と入力すると以下のように表示されます。 #bf
https://w.atwiki.jp/vip_saigai/pages/10.html
コメントプラグイン @wikiのwikiモードでは #comment() と入力することでコメントフォームを簡単に作成することができます。 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_60_ja.html たとえば、#comment() と入力すると以下のように表示されます。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/vip_saigai/pages/3.html
更新履歴 取得中です。 ここを編集
https://w.atwiki.jp/saigaisabetu/pages/72.html
【毛布】 なんで災害時に女性優先? 3 【食料】 http //kamome.2ch.net/test/read.cgi/gender/1303082872/60 60 名前:名無しさん ~君の性差~[] 投稿日:2011/04/19(火) 23 56 06.41 ID bRz7HC23 自衛官懲戒免職について、防衛省に抗議しました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 男性自衛官が原発に向かうことを強要されて それによるパニックによって民間人の車を使って逃げてしまったために 懲戒免職にしたとの報道に接しました。 この処分について強く抗議します。 「男性・女性共に働き易い職場を」と書き男女共同参画などと記載しているのに、 命にかかわるような危険で辛いことは全て男性自衛官のみに押し付け、 それに適応できずに精神疾患を起こしてパニックとなった自衛官を、 保護するどころか即懲戒免職にするなど人道上も決して許されることではなく、 男性差別、突発性の精神疾患者に対する差別、 人道上の著しい非道行為について強く抗議します。 女性自衛官を採用したなら、平等に女性自衛官にも危険なことをさせるべきです。 楽な仕事しかさせないなら男性差別であり税金の無駄なので採用しないでください。 そして実際の現場では極度の緊張や不安、恐怖から男性だって 様々な精神疾患を引き起こすことも当然にあることであり、 防衛をつかさどる自衛官だからといって、 どんなものに対しても耐性があるわけでは決してありません。 女性に対する扱い同様の、平等な配慮、人間扱いを 男性にもきちんとするべきです。 今回の男性自衛官に対する残虐行為に対し、一男性として 強い恐怖と憤りを覚え、許しがたい思いです。 防衛省・自衛隊 http //www.mod.go.jp/
https://w.atwiki.jp/pboxdro/pages/38.html
今回の問題に関係のありそうな資料と役に立ちそうな資料のまとめ すいません。全然まとまってません 大震災原発まとめ http //www47.atwiki.jp/matowiki/pages/28.html 2ch臨時地震板 メルトダウンスレのまとめサイト http //www45.atwiki.jp/stop_meltdown/pages/13.html 平成23年東北地方太平洋沖地震による被害状況即報 福島県災害対策本部 http //www.pref.fukushima.jp/j/index.htm 福島第一原子力発電所事故に関する情報 宮城県 http //www.pref.miyagi.jp/gentai/Press/PressH230315.html 岩上安身氏のUstreamスケジュール http //iwakamiyasumi.com/ustream-schedule 武田邦彦氏のHP http //takedanet.com/ ドイツ気象庁 (DWD)による粒子分布シミュレーションの日本語訳 http //www.witheyesclosed.net/post/4169481471/dwd0329 全国の食品の放射能 http //atmc.jp/food/ 全国の雨の放射能濃度 http //atmc.jp/ame/ 文部科学省/上水(蛇口水)、定時降下物のモニタリング http //www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1303956.htm 東北地方太平洋沖地震 各地放射線量モニタリング情報 http //wiki.livedoor.jp/ok2222/d/ 神奈川県の水源 http //www47.atwiki.jp/pboxdro?cmd=upload act=open pageid=38 file=suigen.pdf 都市ごみ処理における焼却処理と埋立処分のインターフェイス(それぞれの役割)を考える http //jsmcwm.or.jp/shoukyaku/pdf/200310.pdf ICRP勧告(1990年)による個人の線量限度の考え (09-04-01-08) http //www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-04-01-08 IRSNの資料 よくある質問 2011 年 3 月 http //www.irsn.fr/EN/news/Documents/irsn-QA-jp.pdf 2011 年3 月12 日より福島第一原子炉から放出された放射能雲大気中拡散シミュレーション http //www47.atwiki.jp/pboxdro?cmd=upload act=open pageid=38 file=irsn-simulation-dispersion-jp.pdf 日本から流れる放射能雲の移動:IRSN は環境の監視を強化 ― 予想される空気中セシウム137 は微量 http //www47.atwiki.jp/pboxdro?cmd=upload act=open pageid=38 file=irsn-monitoring-radioactivity-level-jp.pdf 原子力施設等の防災対策について http //www.nsc.go.jp/shinsashishin/pdf/history/59-15.pdf 低レベル放射性固体廃棄物の陸地処分の安全規制に関する基準値について http //www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19920618001/t19920618001.html 特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律 http //law.e-gov.go.jp/htmldata/H12/H12HO117.html 政令等による埋設濃度上限値と処分申請値の例 http //www.rwmc.or.jp/library/pocket/low-level/waste/2-a3.html 廃棄物安全小委員会報告書 http //www.meti.go.jp/report/downloadfiles/g30708dj.pdf 諸外国における放射性廃棄物処分に係る基準値について http //www.nsc.go.jp/senmon/shidai/haishi/haishi027/ssiryo6.pdf 低レベル放射性固体廃棄物の埋設処分に係る放射能濃度上限値について http //www.nsc.go.jp/shinsashishin/pdf/3/ho3005.pdf 原子力発電所から発生する非放射性廃棄物(放射性廃棄物に該当しない廃棄物)の判別方法に関するガイドライン http //www.nisa.meti.go.jp/oshirase/2005/files/170812.pdf 核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律第61条の2第4項に規定する製錬事業者等における工場等において用いた資材その他の物に含まれる放射性物質の放射能濃度についての確認等に関する規則(平成17年11月22日経済産業省令第112号) http //www.lawdata.org/law/htmldata/H17/H17F15001000112.html 原子力施設におけるクリアランス制度の設備について 平成17年10月28日 経済産業省原子力安全・保安委員 http //www.jnes.go.jp/event/symposium05fin/img/4-1.pdf 環境省 ロンドン条約及びロンドン条約96年議定書の概要 http //www.env.go.jp/info/iken/h151201a/a-2-s1.pdf 中央環境審議会 地球環境部会議事録 第1回海洋環境専門委員会 http //www.env.go.jp/council/06earth/y063-01.html 外務省「1972年の廃棄物その他の物の投棄による海洋汚染の防止に関する条約の1996年の議定書」について 平成19年3月 http //www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty166_5_gai.html http //www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/treaty166_5_gai.pdf 太平洋における表層海流(1000m以浅) http //www.scc.u-tokai.ac.jp/ocean/og/kougi/ikkaigaku/Pac_circul.pdf よくわかる原子力 原子力教育を考える会 http //www.nuketext.org/index.html 被曝による放射線症について http //blog.goo.ne.jp/adoi/e/211ee8c32328626d096fdb506599e848 (1)だるさが残り、身体がふらつくような感じがする (2)常に吐き気を感じる (3)側頭部全体に内側から膨張するようなズキズキした痛みがある (4)皮膚に腫れ物や痣(あざ)のようなものができた (5)むやみに鼻血がでる、鼻をかむと血が混じっている (6)顔が膨れて見える (7)肌の色が抜け赤い小さな発疹が現れる (8)指先が冷え、目が疲れる (9)手の甲、指先に小さなホクロが現れる 原発関係の機関 +... 独立行政法人原子力安全基盤機構 http //www.jnes.go.jp/ 独立行政法人日本原子力研究開発機構 http //www.jaea.go.jp/ 独立行政法人原子力環境整備促進資金管理センター http //www.rwmc.or.jp/organization/ 財団法人原子力安全研究協会 http //www.nsra.or.jp/ 財団法人原子力安全技術センター http //www.nustec.or.jp/ 財団法人原子力国際技術センター http //www.jaif-icc.com/index.html 財団法人日本原子文化振興財団 http //www.jaero.or.jp/ 原子力委員会(JAEC)(内閣府) http //www.aec.go.jp/ 原子力安全委員会(NSC)(内閣府) http //www.nsc.go.jp/ 原子力安全 保安院(NISA)(経済産業省) http //www.nisa.meti.go.jp/ 原子力発電環境整備機構(NUMO) http //www.numo.or.jp/ (社)日本原子力産業協会(JAIF) http //www.jaif.or.jp/ (社)日本原子力学会(AESJ) http //www.aesj.or.jp/ (独)原子力安全基盤機構(JNES) http //www.jnes.go.jp/ (社)日本原子力技術協会(JANTI) http //www.gengikyo.jp/ (財)原子力安全研究協会(NSRA) http //www.nsra.or.jp/ (独)日本原子力研究開発機構(JAEA) http //www.jaea.go.jp/ (財)原子力研究バックエンド推進センター(RANDEC) http //www.randec.or.jp/ (財)日本原子力文化振興財団(JAERO) http //www.jaero.or.jp/ (社)火力原子力発電技術協会(TENPES) http //www.tenpes.or.jp/ (財)原子力国際協力センター(JICC) http //www.jaif-icc.com/ (社)原子燃料政策研究会(CNFC) http //www.cnfc.or.jp/ (財)原子力環境整備促進・資金管理センター(RWMC) http //www.rwmc.or.jp/
https://w.atwiki.jp/srdkanagawa/pages/151.html
2018年3月 建物捜索訓練(東京都町田市) 『東京映像美術株式会社』本社社屋を使用した定例建物捜索訓練会を実施させていただきました。 会場:東京都町田市 協力:東京映像美術株式会社/東京Mix株式会社 実施日時:2018年3月31日(土) 9 00~16 00 2018年4月1日(日) 9 00~11 00 参加頭数:7名/救助犬5頭 訓練会での具体的な練習内容はそれぞれのハンドラーが組み立てますが、事前にメンバー同士でよく相談し、目的と設定が現在の犬の様子に対して大きな齟齬が生じないよう注意を払います。 待機場所となっているスタート地点で見られるのは、こんな光景です。 ↑↑階段を上った先に、捜索エリアがあり、この若いコイケル・ホンディエは捜索エリアに強くアテンションしています。ハンドラーは首輪を軽く抑えていますが、これは「犬を押し止める」のではなく、犬の意欲を鬱積させ、手を放した瞬間に力強く作業開始できるよう、犬の気持ちを整えてやることが目的です。 ↑↑4歳齢のG・シェパードの待機の様子。停座の姿勢をとり落ち着いた振る舞いですが、捜索エリアに対してのしっかりとしたアテンションがあることがわかります。 捜索対象者が惹きつけたり煽ったりすることなく、犬自身の作業への理解から生まれる自信がこのアテンションを作るよう、練習を組み立てて行くのです。 ↑↑解き放たれた矢のように捜索エリアへと向かうトイ・プードル。小さな身体にとって楽な階段ではありませんが、まったく頓着しません。 この場所が犬にとって既知であり、ここで何が行われるかを犬がよく理解しているからこその表現と見えますが、救助犬の捜索作業では、たとえ初めての場所であっても同じように捜索に向かえる「汎化」が不可欠です。 ↑↑これは、よい作業をしたG・シェパードが達成感をみなぎらせて階段を下りてきたところです。練習では、作業完遂後に犬がこのような表現でいられることを目指し、ハンドラーもヘルパーも心を砕きます。 ↑↑この夏12歳になるシニア犬ですが、体力気力に応じた練習をさせてやります。「もっとできるから、もっとやらせろ!」な気分の残る、よい設定で捜索させてやることができました。 この犬は若い犬と同様の実働はさせられませんが、ポイントで投入することができるレベルの力を維持しています。 ↑↑捜索エリアでは、こんな様子が見られます。これは、犬が建具の隙間にしっかりと鼻をつけ、廊下の外からでも聞こえるほどの鼻息をたてて空気を吸い込んで匂いを引きつけようとしているところ。この嗅覚作業が自身に満ちた告知につながります。 前回2月の訓練会では、犬たちそれぞれにはっきりした課題が見られました。そこで今回は、各自の課題に徹底して取り組み、犬たちの理解度を検証できるよう、2日間連続しての訓練会を設定させていただくこととなりました。 次回の訓練会では、この2日間での学習内容をさらにブラッシュアップできるよう組み立てて行きます。 会場と機会をご提供下さいました東京映像美術株式会社ならびに今回も細やかなご配慮をいただきました施設管理スタッフの皆様に感謝申し上げます。 ▶株式会社東京映像美術HP→こちら 災害救助犬神奈川 .