約 1,661 件
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/214.html
昭和38年4月12日に先代の新しい「駅ビル」完成し、京急百貨店の1階が京急上大岡駅でした。その入り口です。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/64.html
北条実時とうなぎの井戸 (上永谷) 鎌倉時代に、称名寺や、金沢文庫を建てた、有名な武将、北条実時にまつわるお話です。 その実時が、建治二年(1276)の5月に重い病にかかりました。海に近い暖かい金沢の地で、懸命に療養を続けていましたが、病いは少しも良くならず、重くなるばかりでした。 実時は、なかなか良くならない病いをなおすため、日頃信仰している、紀伊の国(和歌山県)の那智山の如意輪観音に、願をかけることとし、家来に命じました。 家来が、那智山にこもり懸命にお祈りをしていると、その願が明ける7日に、実時の夢の中に観音さまが、お姿を現わし、 「今度の病いはお前の運命なのです。だから、どんなによい薬を飲んでも、良くはならない。だが、日頃のお前の信仰に報いるために、よい薬を与えよう。ここから西北の方向、2里(約8キロメートル)ほど離れた所に、古井戸がある。その井戸の水を飲めば、たちまち良くなる。また、井戸には頭に模様のある、うなぎがいる」 といって、お姿は消えました。 夢からさめた実時は、急いで観音さまの言われた井戸を見つけて、水を持ってくるように家来に命じました。 家来は、お告げのあった場所を探しましたが、あたり一面、草や木が生い茂り、人に聞こうにも家もなく、ほとほと困っていると、年老いた村人が現われ、井戸のある場所を、教えてくれました。 草むらを押し分けてみると、古井戸があり確かに、頭に斑点のあるうなぎが泳いでいます。急いで水を汲み、老人に礼を言おうとすると、その姿は、煙のように消えていました。 その後、不思議な古井戸は、「うなぎの井戸」と呼ばれ、病いになやむ人たちを助けましたが、実時の死後、いつの間にか、うなぎの姿は消えてしまったと、伝えられています。 いまもその井戸は、古くから人々に「かねさわ道」と呼ばれている、関のバス停近くに、ひっそりと残されています。 その井戸は、実時と共に時代の移りかわりを、じっと見まもっていることでしょう。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/19.html
横浜市立永野小学校に保存されている古写真を中心として展示しています。 永野小学校0100(昭和60年頃の環状2号線) 永野小学校0090(昭和51年、永野小学校の全景・航空写真) 永野小学校0080(昭和44年、永野小学校下の県道を横断する子供達) 永野小学校0070(昭和41年、水田付近の県道を横断する子供達) 永野小学校0051(昭和38年頃2階建て鉄筋校舎増築) 永野小学校0050(昭和36年頃2階建て木造校舎増築) 永野小学校0044(昭和36年頃の県道の景観) 永野小学校0043(昭和30年頃マラソンを駆ける子供達) 永野小学校0042(昭和30年頃の永野小学校全景・航空写真) 永野小学校0041(昭和30年頃の運動会、未就学児童のかけっこ) 永野小学校0040(昭和30年頃の永野小学校の全景写真) 永野小学校0031(昭和25年の富士登山の記念写真) 永野小学校0030(昭和20年頃の記念写真) 永野小学校0025(昭和16年の永野国民学校入学式の際の記念写真) 永野小学校0024(昭和12年修学旅行の際の記念写真) 永野小学校0023(昭和11年の運動会の際の写真) 永野小学校0022(昭和11年入学式の記念写真) 永野小学校0021(昭和7年高等科卒業式の記念写真) 永野小学校0020(昭和7年健康優良児童表彰式の際の記念写真) 永野小学校0012(大正12年尋常高等小学校の卒業式の記念写真) 永野小学校0011(大正14年皇室へ献上する繭を前にして) 永野小学校0010(大正12年鎌倉郡永野尋常小学校の写真) 永野小学校00011(明治44年日露戦争勝利を祝う会の写真) 永野小学校0001(明治44年卒業式の写真) 永野小学校0000-2(永谷学校のスケッチ) 永野小学校0000-1(明治10年野庭学校のスケッチ) 永野小学校0000(明治25年頃の永野村役場の写真) <タグに 永野小学校 >を入力したページを新規に作成すると、ここに自動的にリストアップされます。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/198.html
昭和17年に現在地(大久保町)に木造の2階建て校舎が完成し、移転してきました。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/247.html
一般のバスタ-ミナルです。 (現在のオフィスタワ-の場所です) 1974年(昭和49年)頃の写真です。 ターミナルが池だった頃が、個人的に懐かしいです。 -- しんさん (2016-01-19 00 38 27) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/245.html
年代 昭和38年 2階建て鉄筋校舎を増築しました。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/77.html
火の上を歩く人たち (日野) bgsound 村に見なれぬ白い衣装を身にまとった人たちがおとずれました。真っ黒に日焼けした、いかめしいその姿を、子どもたちが、親のかげからのぞいています。 「てんぐさまみたいだ・・・・・・」 「あの人たち、だれ?あそこで何してるの」 子どもたちが、ふしぎに思っているうちに、村の小高いところにある山王社の前に、土がこんもりと盛られた場所が作られたのです。 「今からここに、『ごま』という火をたきます」 てんぐさまのようなその人たちは、そう言うと、獣の遠ぼえのような、ほら貝を吹き鳴らし始めます。そして、太鼓をたたき、太い声で呪文を唱えながら、火をおこしました。 何が起こるのだろうと、と、子どもたちはみじろぎもせずに見つめています。 「あーっ」 「おとうちゃん、火の上を歩いているよっ」 とりまいて見ていた村人たちは、おどろく子どもたちに教えます。 「この村のいやなことを、みんなおっぱらう、おまじないなんだと」 「火はな、悪いことを焼きつくし、清らかにしてくれる、と言っとられる」 そう言いながら、大人たちだって、もちろんびっくりしていたのです。なにしろ、一心に呪文を唱えながら、熱そうな顔もせずに、火の上をはだしで歩くのですから。 そしてさらに、こう言われました。 「これを火渡りの行(ぎょう)といいます。さあ、みなさんもどうぞ。この村にも、あなた方一人ひとりにも、悪いことが起こりませんように」 親たちはどうするだろうと、子どもたちは息をのんで見守るのでした。 -むかしむかし、仏教が伝えられるのに、大事な役目をした道があります。道ぞいのお寺には、立派な仏像も作られました。その一つが、日野の光明寺にも納められています。光明寺が管理していた山王社でも、このような出来事があったのです。てんぐさまのように見えた人たちとは、その古い道を使って、あちこち修行をして歩いていたやまぶしでした。 山には山の、家には家の、火には火の神がいると信じていた村人たちは、おそるおそる、その火の上を渡り、村の安全と幸福を願ったに違いありません。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/210.html
昭和45年頃の 上大岡駅前 鎌倉街道です。 駅前より、関の下方向を望んだ写真です。 今は懐かしい「東光ストア」の看板が見えます。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/runner7novel/pages/215.html
≪昨年の夏、甲子園で4番として活躍した鵡川良平君。今年はキャプテンも務めます。しかし4番でキャプテンとなった鵡川君に、苦悩が訪れます。 昨年の秋の県大会は、決勝で理大付属で僅差で敗れました。地区大会出場しても初戦敗退。決勝、地区初戦でどちらも無安打で終わりました。 また春の県大会も無安打で終わり、一時は4番降格と思われましたが、監督の宮路さんは鵡川君を4番で使い続けました≫ へぇ~良ちんって、キャプテンになってからは不調だったんだ。知らなかった。 ≪人間にだって、不調は必ずある。上手な人ならなおさらだ。だからこそ、良平ならきっといつか打ってくれる。今でも私はそう思ってます≫ 画面にグラウンドで撮影されたであろう宮路監督の姿と、後ろで練習する選手達。 白髪頭にしわだらけの顔。しかしその顔から感じられる覇気。 …こいつ、只者じゃない。 ≪4番として使い続けてくれる監督や、自分を信じてくれるチームメイトの為に、今年の夏は必ず4番として活躍します≫ 良ちんの声と日焼けした顔。 その目から感じられる並々ならぬ闘志は、野球を知らない奴でも気圧されるだろう。 ≪そう力強く答えた鵡川君。今日の試合では活躍したのでしょうか!≫ アナウンサーの声と共に映像は試合へと映る。 斎京学館対多摩野港南…。注目の一戦だ。 ≪先手を取ったのは港南。初回に1番村島君のフォアボールで出塁後、2番類沢君の送りバントで、一死二塁。その後3番の飯塚君がファーストフライで終わった後の4番中島君!≫ 打席に入る中島信吾。一応メル友である。 テレビの音声から鳴り響く快音と共に、画面の向こうの打球は空高く上がっていく。 ≪この打球が、右中間を破る先制タイムリーとなります!!≫ 中岡さんの力強い声。…この人実況とかに向いてるんじゃないか? ≪対する斎京学館も反撃したい所ですが、港南先発の阿部君の前に、ヒットを打つも得点につながりません≫ ランナー二三塁や、三塁の場面で、次々と打ち損じていく斎京学館打線。 やはり斎京学館は、チャンスでの得点圏打率が低いな。 ≪鵡川君も、チャンスの場面で打席に入るも、打てません…≫ 中岡さんの残念そう声。臨場感があるよな。 画面の向こうで見送り三振になり、悔しそうな顔をして、ベンチへと戻っていく良ちん。 ≪迎えた9回、斎京学館はツーアウトながら、ランナー二塁のチャンスで、バッターは4番の鵡川君。さぁ打てるか?≫ ランナーを映してから、打席へと入る良ちんが映される。 …やっぱり良ちんには、こういう場面で打席に入れる星の下に生まれてるんだな。 ≪阿部君の投じた初球でした≫ カキィィィィィィン!!!! …耳にその音が反響したとき、俺は呆気に取られた。 続いて試合中の男の実況の声が聞こえた。 ≪ぐんぐん伸びてー! 伸びてー!! 入ったぁ!!! 入りました!!! 逆転のツーラン! 逆転のツーランホームラン!! 4番鵡川の一振りで逆転!! ダイヤモンドを回りながら鵡川、ガッツポーズを浮かべた!!!≫ 実況の嬉しそうな声を耳にしながら、俺はさっきの良ちんのスイングを思い出す。 …なんだあのスイング? プロでも中々お目にかかれないような、美しさがあったぞ。 大振りにならず、コンパクトに打ち抜かれた打球は、ライナーのままレフトスタンドまで運びやがった。 やっぱり、良ちんは化け物だな。 「ハハッ…」 思わず笑っていた。そうだ…夏のときと同じだ。 こいつの今のスイングで、三振に取れるのは俺だけだと感じたあの夏。 まったく今でも変わってない。今でも三振に取れる自信はある。 ≪試合はその後、斎京学館が、さらにもう1点追加点を入れゲームセット。3対1で斎京学館、2回戦に突破しました≫ 中岡さんの声を聞きながら、胸に感じる戦いたいと言う欲求を抑える。 …今の鵡川良平なら、絶対に決勝に来るはずだ。 「負けねぇ…」 誰に宣言した訳でもなく、一人そんな事を呟いた。 俺達の初戦は4日後の丘山スタジアムだ。 ≪前 HOME 次≫
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/221.html
日野小学校古写真 日野小学校に残されている写真です。 日野8丁目の丘の上より(0011より東の方向)を望んだ写真です。 名前 コメント