約 1,661 件
https://w.atwiki.jp/persona2batsu/pages/17.html
序盤 共通ルート オープニング|七姉妹学園|蝸牛山裏道|森本病院|空の科学館|GOLD|ゾディアック|青葉公園(1回目)| 中盤 南条ルート 下水処理施設|理学研究所| エリールート 珠閒瑠テレビ| 共通ルート スマイル平坂|青葉公園(2回目)|廃工場|日輪丸|海底遺跡|岩戸山| 終盤 共通ルート 地下鉄工事現場|アメノトリフネ|珠閒瑠城|モナドマンダラ フリーダンジョン ギガ・マッチョ|ムー大陸|春日山高校|防空壕(第一区画|第二区画|第三区画|第四区画|第五区画|第六区画|第七区画|第八区画) ルート分岐~岩戸山まで青葉区:葛葉探偵事務所サブイベント 青葉区:パラベラム 鳴海区:ペントハウスサブイベント 南条ルートサブイベント 鳴海区:下水処理施設 鳴海区:理学研究所 エリールートサブイベント 青葉区:珠閒瑠テレビ 共通ルートサブイベント 平坂区:スマイル平坂サブイベント 青葉区:青葉公園(2回目) 鳴海区:パオフゥのアジトサブイベント 港南区:廃工場サブイベント 鳴海区:ヨットハーバー 日輪丸 海底遺跡 鳴海区:ヨットハーバー 蓮華台:アラヤ神社サブイベント 蓮華台:岩戸山サブイベント ルート分岐~岩戸山まで 青葉区:葛葉探偵事務所 イベント拡散する噂の人物を男か女で南条ルートとエリールートに分かれます1週目で追加シナリオを全部やりたい場合は南条ルートへ サブイベント 青葉区:パラベラム・ロサカンディータの品揃えが変わる トクさん・ダブルスラッシュに新しい噂以後4000円で拡散する噂はランダムでGOODとBADの2種類の結果(拡散前にセーブを)GOODだと「商品追加」もしくは「価格が下がる」等 BADだと「変化なし」もしくは「商品価格が上がる」等 青葉区:パラベラム イベント選択肢「自分で―」で舞耶と克哉のコンタクト変化 鳴海区:ペントハウス イベント サブイベント 鳴海区:エボニー「噂屋 バーテン」サラームから地図の作成請負可能に トクさん・マスター・ネコマタに新しい噂 ラーメンしらいしに人捜しリスト追加キムラヤヨイ:パパラチャ ハンフリー:パラベラム上記ハンフリーから「パラベラム」の噂入手可 青葉区:キスメット出版編集長と会話選択肢「いいえ」を選ぶと終盤に特別なペルソナ入手可能 南条ルート サブイベント ラーメンしらいしでパオフゥとの会話。コンタクト「野球狂の唄」に必須 港南区:サラームから「理学研究所の地図」の請負可能(報酬:・タロットカード9種類x30枚、フリータロットx50枚、マジックカードx1) 鳴海区:モブから「ツチノコ」に関する噂 鳴海区:下水処理施設 制限時間は各エリア10分 Bルートの方が短いアイテムはBルートの方が多いので、基本的にBルートを進めば問題ない。 悪魔から「B2F/B3Fの構造」に関する噂 鳴海区:理学研究所 イベント後強制戦闘 1F:ベルベット・トリッシュ部屋あり悪魔からラスプーチンの情報を入手した後、ラスプーチンに「配電盤の鍵」を貰うとエレベーター使用可能に 地図作成を請け負っている場合、上記必須 B1F:集合独房でイベント B1F:モブからカードキーLv1入手 (上記とは別)B1F:モブからカードキーLv2入手 3F:研究所ボス戦火炎弱点 イベント後自動移動 共通ルートへ エリールート サブイベント 港南区:サラームから「珠閒瑠テレビの地図」の請負可能(報酬:タロットカード9種類x30枚、フリータロットx50枚) ルナパレス港南でエリーとの会話。コンタクト「情熱のフラメンコスペシャル」に必須 青葉区:珠閒瑠テレビ ロビーにいる警備員から「カシマレイコ」に関する噂 2F:楽屋でイベント 3F:ベルベット・トリッシュ部屋あり 2F:第一スタジオ→第二スタジオでイベント 3F:楽屋でイベント 4F:第五スタジオでイベント 3F:第三スタジオボス戦(1回目) 5F:第七スタジオボス戦(2回目) 2F:第二スタジオでイベント 5F:第六スタジオボス戦(3回目) 3F:第四スタジオでイベント 6F:第八スタジオボス戦魔法反射 物理弱点 2F:第一スタジオボス戦物理弱点 取り巻きは1体ずつ属性が違うので反射に注意 イベント後自動移動 共通ルートへ 共通ルート 南条ルートのみベルベットルームでアディショナルシナリオ「孤影 2」がプレイ可能に 終盤のネタバレ要素満載なので、今回初めてペルソナ2をプレイする方はこの時点ではオススメしません サブイベント 春日山高校:防空壕第三区画侵入可能 ラーメンしらいしに人捜しリスト追加シミズショウイチとタナカシズエ:トニーの店 ナガセタイチ:富永カイロプラクティック ヨコヤマケイコ:サトミタダシ夢崎支店 ギガマッチョに新しいCD 珠閒瑠テレビで南条との会話。コンタクト「野球狂の唄」に必須 サラームから「スマイル平坂の地図」の請負可能(報酬:タロットカード5種類x50枚、マジックカード5種類x2枚+1枚) パパラチャ:キムラヤヨイから「かおりの休業」に関する噂 平坂区:スマイル平坂 3Fから敵が強くなるので油断しない事 3F:トリッシュあり 4F:講演会場→女子トイレ講演会場に行くまでうらら・エリー(or南条)と3人になる 講演会場ボス戦地変吸収 取り巻きは剣撃と神聖弱点 克哉離脱 サブイベント ラーメンしらいしに人捜しリスト追加クドウサオリ:珠閒瑠テレビ・受付 夢崎区:ギガマッチョで「100キロババァ」に関する噂 トニーの店・パラベラム・ロサカンディータの品揃えが変わる 青葉区:青葉公園(2回目) 野外音楽堂 単一敵「ナタ」出現(1回目に比べて高確率。1回目で倒しているなら出現しない)ボス戦 克哉復帰 鳴海区:パオフゥのアジト イベント パオフゥ離脱 サブイベント 東亜ディフェンスの品揃えが変わる ラーメンしらいしに人捜しリスト追加イイダサトミ:サトミタダシ港南支店上記イイダサトミから「エテーリア」に関する噂 キノシタジュンジ:春日山高校地下室 ムー大陸:警備員から「ムッシー」に関する噂制限時間10分。3Fにいるトリッシュと会話後、トリッシュの泉で戦闘 サラームから「廃工場の地図」の請負可能(報酬:フリータロットx150枚、マジックカード7種類x2枚+1枚) 港南区:廃工場 1F:トリッシュあり B2F:「パスワードの書かれた回覧板」と「噂の珠閒瑠・創刊号」がある噂の珠閒瑠をアイテムとして使うことにより「ギガマッチョの隠しCD2」の噂拡散可能に B1F:パスワードのかかった扉「19750326」地図作成を依頼されている場合は最低4回落とし穴に落ちる必要あり 1F:第二工場ボス戦電撃弱点海底遺跡までのボス(エリールートなら日輪丸)は電撃属性が弱点となるので、なるべくサンダーブラスト(電撃→電撃)を使えるようにしておきたい パオフゥ復帰 サブイベント パラベラム・ロサカンディータの品揃えが変わる 蓮華台:アラヤ神社の裏に「物知り大ちゃん」出現上記会話後しらいしの人捜しリストにアサノタクミ追加 用心棒のおっちゃんにヒントを貰い、噂拡散後アラヤ神社に出現 貰ったアイテムをパパラチャに持っていくと「伝説の武器」作成可能に 春日山高校:防空壕第四区画侵入可能第五区画の岩はサキュロスから情報を聞いた後、ショゴスにどかして貰う 鳴海区:モブから「赤マント」or「青マント」の噂 サラームから「日輪丸の地図」の請負可能(報酬:タロットカード6種類x80枚、マジックカード6種類x2枚+2枚) 鳴海区:ヨットハーバー イベント 日輪丸 2F:ベルベット・トリッシュ部屋あり 2F:ヘリポートボス戦電撃弱点 潜水艇ドックで脱出 海底遺跡 B3F:ベルベット・トリッシュ部屋あり B3F:マップ北宝物庫関連アエーシュマ(B2F/B3Fに若干低確率で出現、強いて言うとB2Fの方が出やすい)と契約し「宝物庫」の情報を入手ペルソナのアールマティを降魔しているとアエーシュマが情報を教えてくれないので注意 一度では教えてくれないこともあるので根気良く 再度アエーシュマとコンタクトし「リヴァイアサン」の情報を聞く リヴァイアサン(1F/B1Fのみ出現)に宝物庫の扉を破壊してもらう 遠回りしつつB2F北東にある封印の間へ 封印の間封印の間直前の階段の先にアイテムブリーダーがあるので忘れずに取っておこう。 ボス戦南条ルート:攻撃全般効き難い、取り巻きは電撃属性弱点刻の車輪、不滅の黒、刹那五月雨撃と全体攻撃で削ってくるので、なるべく全体回復を使えるようにしておきたい エリールート:物理有効分身は全ての攻撃を跳ね返すため、分身が出現している間は全体攻撃を避けるようにしよう ボス本体を攻撃すれば分身は消滅する 鳴海区:ヨットハーバー イベント 蓮華台:アラヤ神社 イベント サブイベント クレールドリュンヌの品揃えが変わる 春日山高校:防空壕第五区画侵入可能 ラーメンしらいしに人捜しリスト追加(ネコマタに会っていない場合) ギガマッチョに新しいCD ギガマッチョで「200キロジジイ」に関する噂 ムー大陸モブから「呪いのタク帽」に関する噂4Fにいる警備員からビデオゲームルームのパスワードのヒントを聞く(答え:1371) サラームから「岩戸山の地図」の請負可能(報酬:タロットカー7種類x100枚、FOOLカード1枚、マジックカード2枚+2枚) 蓮華台:岩戸山 隠し部屋にパーティの専用ペルソナ召喚に必要なマテリアルカードがあるので忘れずに 上記に気をつけて道なりに進むボス戦がないため終点がわからないので、地図作成依頼を受けている場合は気を付けよう 南条orエリー離脱 達哉加入 サブイベント スマルプリズンで達哉との会話。コンタクト「情熱のフラメンコスペシャル」に必須 東亜ディフェンス・トニーの店・パラベラム・ロサカンディータの品揃えが変わる カジノの景品リストも更新 ラーメンしらいしに人捜しリスト追加ニシタニセツ:アラヤ神社 ナカタニケンイチ:クレールドリュンヌ サイトウジュン:柊サイコセラピー マスターに新しい噂 サラームから「アメノトリフネの地図」の請負可能(報酬:タロットカード21種x100枚、FOOLカード2枚、マジックカード3枚) 上へ|終盤へ
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/95.html
でいだらぼっち (野庭) bgsound(deidarabochi.wma) 現在は、団地や家が建ちならび、昔のおもかげはありませんが、天谷大橋のふきんは、四、五十年前までは、田んぼや畑でした。 ふつう田んぼは、川を中心にして、一面に続くのですが、野庭の田んぼは、ところどころに、ポツンポツンとあったので、めずらしい「飛び田」と呼ばれていました。どうして、こんな飛び田ができたのかというと。 むかし、むかし、まだ、でいだらぼっちという人のいたころのこと。 ある時、このでいだらぼっちが野庭へ遊びに来たんだと。 でいだらぼっちは、力持ちの大きな男なんだが、とても気持ちのやさしい男でのー。村の家々をふまないようにと、つま先で立って歩いていたんだと。 馬洗川の近くまで来た時のことだ。川で水を飲んでいた馬が、でいだらぼっちに驚いてとつぜんあばれだしたものだから、静かに静かに歩いていたでいだらぼっちも驚いた。 思わずつま先立ちの指に力がはいって、土の中に指がめり込んだんだと。そのくぼんだ所に、水がたまつてできたのが「飛び田」なんだと。 まだまだ話のつづきがあるんだ。でいだらぼっちに驚いた馬というのは、北条政子という信心深い人が、鎌倉から、弘明寺観音へ、馬に乗っておまいりに通われたそうだが、その時の馬でのー。ちょうど天谷あたりの川原で馬に水を飲ませるために、一休みなさっていたんだと。 この人はエライ人でのー、「尼将軍」と呼ばれた人だけれどね。 でいだらぼっちは驚いて飛び田を作ってしまったけど、たまげた馬は、かわいそうに、川におっこって、ついでに顔を洗ったのでこの川は、「馬洗川」と呼ばれるようになってね、「馬洗橋」の前の山を“糞山”というんだ。 それで、後の人たちが、いつとはなく、田んぼに出て仕事をしながら、こんな唄をうたうようになったんだと。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/104.html
馬を洗った尼将軍 (上永谷) bgsound(http //www19.atwiki.jp/konanrekishi/pub/amashogun.wma) 上永谷と野庭の境のあたりで、「鎌倉下の道」と交差して、ひとつの川が流れています。 上流には滝があって、滝つぼは手頃な洗い場となっていて、旅人たちはここで馬を洗い、身じたくを整えて、鎌倉へ向かったことから、いつしか誰言うとはなく、この川を馬洗川とよぶようになリました。 あるとき、尼将軍北条政子が、源氏の祈願所である弘明寺などに参拝するため、ここを通りかかりました。 すると、そこで二人のりりしい若武者が、馬を洗っていました。 政子は、お供のものに声をかけました。「少しの休息を・・・」 そこにいる若武者たちを見て、亡き息子の頼家や実朝の姿を、重ね合わせに見たからです。 「むごい政治の争いから、あの時、子や孫たちを救う道はなかったものか」 と政子は思い悩んでいました。 政子は二人の若武者に、「気をつけて鎌倉へ参られよ」 と、やさしくことばをかけてそこを立ち去りました。 市女笠を深くかぶり、母親のつらさ、悲しさを、政子はすっぽりそこにおおっていました。 その後も尼将軍は、弘明寺参拝を幾年続けたことでしょう。 頼家、実朝の供養になればと、そのつど土地の人にいろいろな物をほどこしました。 男まさりと言われた尼将軍政子も、「鎌倉下の道」を通るときは、ひとりの母親の姿でしかなかつたのです。 いつしか、土地の人たちは、政子に厚い信頼をよせるようになっていました。 こうして、“馬洗川で馬を洗った”との話が、のちのちまでも伝えられるようになったのです。 橋については、あったのかなかったのか、いまだに“なぞ”です。 今も、馬洗橋の近くでは、北条政子の伝説や「鎌倉下の道」のおもかげが感じられます。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/150.html
年代 昭和31年4月撮影の写真です。 昔、大久保2丁目には「久保池」がありました。 昭和36年頃、池が埋められ、宅地化しました。 現在は、住宅が立ち並んでいます。 上大岡から南高校行きの京急バスの路線に「大久保池跡」停留所があり、面影が残されています。(丁度、久保坂の下の窪地に「久保池」がありました。) 久保池畔の写真です。桜並木がありました。 正面が、現在の南高校への上り坂の道路です。 この写真の両脇の姉妹は当時小学3年生と1年生でした。 現在も、お元気です。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/41.html
丸山台・日限山地域 丸山台・日限山地域の歴史については永野郷土誌にも詳しく掲載されています。 永野郷土誌 丸山台については丸山台自治会のHPに詳しく記載されています。 丸山台のふるさと 丸山台の宅地造成から現在に至る過程については下記の亀野さんのブログをご参照願います。 まちをつくる、まちができる 日限地蔵尊については下記のHPにも、詳しく記載されています。 「横浜の高野山」と呼ばれた日限地蔵尊 日限地蔵尊 日限地蔵尊 こうなん 道ばたの風土記より 日限地蔵尊と笹山城跡 こうなんの昔ばなし より 「丸山台」をタグに含むページは1つもありません。 日限地蔵 (下永谷) <タグに 丸山台 または 日限山 >を入力したページを新規に作成すると、ここに自動的にリストアップされます。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/124.html
日野小学校古写真 日野小学校に残されている写真です。 昭和4年に建設された木造建て校舎で、昭和46年に現在の鉄筋コンクリ-ト建ての校舎が出来るまで使われました。 この写真の撮影時には、手前にプ-ルが出来ていました。 日野小学校00041に角度を変えて写真を掲載します。 この校舎を壊す際の写真は0007に掲載します。 航空写真を0005に掲載します。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/250.html
年代 昭和4年 当時の日下小学校写真です。 藁葺き屋根で平屋建てです。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/89.html
永谷に住んだ宅間の殿様 (上永谷) bgsound(http //www19.atwiki.jp/konanrekishi/pub/takumano.wma) 鎌倉幕府がほろびて,京都に室町幕府が新しくできましたが,鎌倉には鎌倉府という,東国十か国を支配するための役所が置かれました。 そして,そこの最高責任者を鎌倉公方といい,将軍である足利氏の血筋にあたる人が代々その地位につきました。 しかし,実際には,鎌倉公方の重臣である上杉氏が,関東管領という職について東国を支配する実権を握っていました。 室町時代も進むにしたがって,この上杉氏も四つの家に分かれて,互いに権力争いをするよ,つになりました。 その四つとは,それぞれ鎌倉にあった自分の根拠地の名前を取って,山内,犬懸,扇谷,宅間のそれぞれ異なる上杉氏をいいます。 この中で,宅間上杉氏はいつのころからか,永谷に根拠地をおくようになったらしく,江戸時代の末に書かれた書物には,宅間氏の子孫である上杉乗国が,永谷の地にお城を築いたと記されています。 宅間上杉氏の築いた城が,どこであったかは,正確には分かりません。 しかし,永野小学絞のあたりに伊予殿根という地名が残っているのは,乗国の子の憲方という人が,伊予とよばれていたので,伊予の殿様の屋敷が館のあった所という意味ではないかと言われています。 また,永谷天満宮や貞昌院という寺のあたりには,環濠の跡があリ,その背後の小高い丘陵には,城跡特有の人工的に削って平らにしたと思われる土地もありました。 そのため,この付近一帯は,宅間上杉氏に関わる武将が築いた城跡ではないかと考えられています。 その後,戦国時代には宅間上林氏は,小田原北条氏に仕えるようになりましたが,もともとは格式の高い家柄なので,後北条氏はふつうの家臣とは別あつかいで,宅間殿と尊称をつけて呼んでいました。 小田原北条氏が没落した後は,宅間上杉規富は徳川家康の旗本として関ケ原の戦いに出陣した後,保土ケ谷に移るようになりました。 現在は,平和な上永谷のあたりも,むかしは武者がたむろして,大声でどなる声が響きわたる物騒な里であったのかもしれません。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/133.html
年代 昭和8年 当時の日下小学校写真です。 藁葺き屋根で平屋建てです。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/178.html
永野郷土誌は亀野源量元永野小学校長、貞昌院28代目住職をはじめ地域で収集し、引き継がれた資料を 20数年間掛けて、亀野寛量元永野小学校長、貞昌院29代目住職がを中心になってまとめ、1972(昭和47)年に永野郷土誌編纂委員会が編集し、永野連合町内会が発行致しました。 永野郷土誌