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部品構造 大部品 雷神の眷属 RD 1 評価値 0部品 雷を操ることができる力を有する神様 部品定義 部品 雷を操ることができる力を有する神様 微弱な電流から電気、天候でいえば雷といったようなものを操ることができる力をもった神様。学問の神の系譜でもある。 提出書式 大部品 雷神の眷属 RD 1 評価値 0 -部品 雷を操ることができる力を有する神様 部品 雷を操ることができる力を有する神様 微弱な電流から電気、天候でいえば雷といったようなものを操ることができる力をもった神様。学問の神の系譜でもある。 インポート用定義データ [ { "title" "雷神の眷属", "description" "Default Root", "type" "group", "validation" {}, "children" [ { "title" "雷を操ることができる力を有する神様", "description" "微弱な電流から電気、天候でいえば雷といったようなものを操ることができる力をもった神様。学問の神の系譜でもある。", "type" "parts" } ], "expanded" true } ]
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インスタグラムプラグイン 人気の画像共有サービス、Instagram(インスタグラム)の画像をアットウィキに貼れるプラグインです。 #ig_user(ユーザー名) と記載することで、特定ユーザーのInstagramのフィードを表示することができます。 例)@dogoftheday #ig_user #ig_tags(タグ名) と記載することで、特定タグのInstagramのフィードを表示することができます。 #dogofthedayjp タグ #ig_tag #ig_popular と記載することで、Instagramのpopularフィードを表示することができます。 詳しい使い方は以下のページを参考にしてください! =>http //www1.atwiki.jp/guide/pages/935.html
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伯牙 こんにちはー。 小笠原ゲームをお願いしに参りましたー。 芝村 記事どうぞ 伯牙 【予約者の名前】3100702:伯牙:伏見藩国 【実施予定日時】2008/3/2/16 00~18 00 【ゲームの種別】小笠原ゲーム 【イベントの種別(時間):消費マイル】 ・ミニイベント(2時間):20 【召喚ACE】(※小笠原のみ) ・神楽坂かすみ:非滞在:10 【合計消費マイル】計30マイル 【参加者:負担するマイル】 ・3100702:伯牙:伏見藩国:入学済:10 http //cwtg.jp/ogasawara/wforum.cgi?no=1667 reno=1358 oya=1358 mode=msgview 以上になります。 芝村 イベントは? 伯牙 1時間目は、で、、デートをお願いしたいのですが! 伯牙 2時間目は、1時間目が終わった後に相談させていただきたいと思っています。 芝村 いいですよ。 2分待ってね 伯牙 はーい。お願いしますー。 芝村 /*/ 伯牙 (一応、服装は私服(白のシャツ+こげ茶の軽いセーター+黒のジーパン)で、木刀入りの竹刀袋を持ってます。) 芝村 ここは、南の島だ。 温度は23度すぎ。かすみは春物を着ている かすみ: 「熱くない?」 伯牙 「ちょっとね。」(笑) 「セーター脱いで、ちょっと腕まくる。」 「っと、今日はどこいく?」 伯牙 (少し涼しい格好になって、暑苦しくなくなりました。) かすみ: 「んーと」 かすみ: 「……この島、遊ぶところないよね・・・」 伯牙 「まぁ、、だねぇ。・・海行ったらちょっとは気持ちいいかな?」 かすみ: 「今は商店も一番品揃えわるいし」 かすみ: 「そだね? いこっ」 芝村 : かすみははしりだした。 伯牙 「よーし。じゃあイコイコ。」 伯牙 並んで走って、ちょっと自然に手を取ります。 伯牙 「そう言えば、その春物。いい感じだねッ。何処で買ったの?」 かすみ: 「冬物だよ?」 芝村 : 季節感が違うのさ。 伯牙 #なるほど。(笑) 芝村 あなたがたは5分ほども走って、海に来た。 数名が遠くで泳いでいる。 伯牙 「っと、あそっか。自分はここよりも別の所が長かったからなぁ。」 「おぉー!海風がいい感じ!」 伯牙 「足、浸かりに行かない?」 かすみ: 「いいよ?」 芝村 : かすみは片足で靴と靴下をうまいこと脱ぎつつ、よろけている。 伯牙 「っと、大丈夫?」 支えます。 肩にこう手を添えて。 かすみ: 「大丈夫大丈夫・・・」 伯牙 で、こう何かマジマジと目が合って。 芝村 かすみは脱いだ。そろえて砂浜に置いた。 かすみ、気付かず。 伯牙 じゃあ、自分も裸足になって、先に浸かりに行きます。 かすみ: 「うわあ。水のほうが温かいね」 伯牙 「気持ちいい!・・て感じじゃないけど、泳いでたらいい気温かもね。」 「てい。」 ちょっとだけ、水を蹴ってみます。 かすみ: 「水けってたら、飛沫あがるよね」 伯牙 「っと、ゴメン。かかった? 何か海が近すぎて逆にあんまり行かないから、ちょっと楽しくなって。」 「泳いだら、ホント気持ちよさそうだなぁ。」 と、遠くで泳いでる人を眺めます。 かすみ: 「ううん? ホースで水まいてたら、虹、できるよね?」 伯牙 「出来る出来る。」 かすみ: 「脚で蹴って水をはねたら、虹が出来たら素敵だなあって。なんでできないんだろう?」 伯牙 「たぶん、蹴って跳ねる水の量と、ホースで水まいたときの水の量が違うからじゃない?」 「蹴って跳ねる水の量は少ないし、断続的じゃないからねー。」 伯牙 「光が曲がる為に必要な量じゃないとか。」 かすみ: 「二人で交互にすごいがんばったらどうかな?」 芝村 : かすみ、頭が悪いのか、頭がいいのかわからない子 伯牙 「あぁー。なるほど。。やったことないからなぁ。」 「まぁ、物は試し。やってみる?」 芝村 かすみはうん。えらいっといって貴方を褒めた。 がんばって交互に水を蹴りだしたよ。 段々面白くなってきた。 伯牙 「せっ、はっ。っと!」 芝村 かすみは笑ってる。 楽しいようだ。 伯牙 自分の蹴ってる番のときに、 「どう?虹!」 かすみ: 「どうかなあ」 かすみ: 「そっちからは見れない?」 伯牙 #こっちからはどうですか? 芝村 1d100 芝村 のアドイン "mihaDice" [mihaDice] 芝村 1d100 - 18 = 18 芝村 見えた? 伯牙 見えました! 「おっ。ちょっと見えるかも。」 「よーっし。もっとがんばるぞっっと。」 かすみ: 「わー!」 伯牙 と、楽しそうにドンドンペースを早くして水を蹴ります。 芝村 虹が出た。 かすみは貴方を見て顔を輝かせた。 伯牙 「うっっっっし!」 少し息切れてぜーはーしてます。(笑) 伯牙 「・・ど。。どうだった?」 芝村 かすみは凄い笑顔で、すごいすごいといって貴方に抱きついた。 そして、あれ?という表情になった。 伯牙 「へへっ。」 芝村 背中で虹が、にょろにょろ動いてる。 伯牙 「ん?どうしたの?」 芝村 かすみは振り返った。 伯牙 振り返って、抱きつれたポーズのまま。 芝村 虹はびにょーんと伸びて天に昇りだした。 伯牙 「え。。お、おぉー?!」 伯牙 虹が伸びていった方向を見ます。 芝村 かすみと二人、呆然と見た。 かすみ: 「なにあれ?」 伯牙 「うーん、なんだろう。」 虹には触れそうですか? 芝村 虹はとんでいったよ。 かすみ: 「あれ、ほんとに虹?」 伯牙 もしくは、 r:虹の正体(&飛んで行った方向)を考える 芝村 虹は天に昇った。曇り空だね。 海が光ってる。 伯牙 「確かに。・・曇ってきた?一雨来るかな。」 と、抱きつかれたまま、海から上がります。 芝村 あがれなかった。 続々と虹が周囲に現れた。 伯牙 「うおっっ。。あ、足が。」 芝村 何本も立ち始めたぞ。 かすみ: 「わー!がんばりすぎ!」 伯牙 「確かに、頑張ったけど!これは絶対に違う違う。」 周りを見渡してみて何かいるか確かめます。 かすみ: 「また怪事件!」 芝村 水中を何匹も蛇見たいのが泳いでる 伯牙 「・・蛇?」 と、足元を見ます。 「・・・もしかして、竜?」 芝村 かすみは飛んであなたに抱きついた。脚が水面につかないようにして、ぎゃーぎゃー叫んでる。 首がしまる・・・ 伯牙 お姫様抱っこして、とりあえずかすみを落ち着かせます。(笑) 「か、、かすみ。首首・・。・・っと、こうすれば、大丈夫。ほら、守るから。」 かすみ:「蛇はやだー!」 涙目。 本気で怖がってる。とりみだしてるよ 伯牙 「大丈夫。自分が居るから。ね?」 右手で器用に頭を自分の顔にくっつけます。 で、落ち着くまで大丈夫だからと。 芝村 蛇が次々と虹になっては天に昇っていく 伯牙 「多分、あれ。虹の橋じゃないかな。」 伯牙 「虹が橋になっててるんじゃないかなぁ。」 と、優しい声で話しかけます。 芝村 たぶん、きこえてない。 芝村 ぎゃあぎゃあはとまらない。そのうち不意に、静かになった。 伯牙 「・・・。・・・?どうした?」 芝村 返事はない 伯牙 「かすみ?!」 急いでかすみの顔を見ます。 芝村 気絶してるよ こりゃ重傷だ・・・ 伯牙 「うーん。。どうするか。。上がれないから、横にもできないし・・。」 雲が出てるという事は、雷神様に助力って頼めますか? 芝村 そのうち虹はどこかにいってしまった。 貴方の足は動けるようになった 伯牙 「っと。・・動ける。。」 とりあえず、日陰の場所に行ってかすみを横に。 芝村 かすみは目を回している。 このままじゃ一生かすみは海が嫌いになるかもしれない・・・ 芝村 貴方はうなった。 伯牙 「本当に蛇ダメなんだなぁ。。」 とりあえず、冷たいもので冷やして、かすみの回復を待ちます。 芝村 /*/
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部品構造 大部品 雷鼠と風鼠の加護 RD 13 評価値 6大部品 雷鼠の雷撃攻撃 RD 6 評価値 4大部品 雷鼠 RD 2 評価値 1大部品 雷神の眷属 RD 1 評価値 0部品 雷を操ることができる力を有する神様 大部品 鼠神 RD 1 評価値 0部品 とても数が多く、例外がたくさんいる 大部品 雷(雷鼠Ver) RD 3 評価値 2部品 発生範囲:白兵戦距離~中距離 部品 特性:意思伝達の手段 部品 威力:ピリッとから黒焦げまで 部品 当たり判定:要防御対策 大部品 風鼠の操風行為 RD 6 評価値 4大部品 風鼠 RD 2 評価値 1大部品 風神に連なる RD 1 評価値 0部品 風の力を操ることができる神様たち 大部品 鼠神 RD 1 評価値 0部品 とても数が多く、例外がたくさんいる 大部品 風(風鼠Ver) RD 3 評価値 2部品 威力:微風やそよ風から疾風まで 部品 使い方:秘密の相談や延声そのほかいろいろ 部品 発生範囲:風鼠の力が及ぶ範囲まで 部品 いたずら目的はNG 部品 雷鼠と話す 部品定義 部品 雷を操ることができる力を有する神様 微弱な電流から電気、天候でいえば雷といったようなものを操ることができる力をもった神様。学問の神の系譜でもある。 部品 とても数が多く、例外がたくさんいる 多産の象徴でもあり、数が非常に多いためか例外が多い神でもある。猫神と仲の良いものもいれば、人に大切に飼われ、死後善神として飼い主を守るものもいる。 部品 発生範囲:白兵戦距離~中距離 自分を中心としたときに白兵戦距離(AR距離0)から中距離(AR距離2)までの範囲で効果を発生させることができる。 部品 特性:意思伝達の手段 雷には自然現象としての側面だけではなく、雷そのものに意思を確認することができ、言葉として発生する側面もある。雷の言葉とも呼ばれる。 部品 威力:ピリッとから黒焦げまで 雷鼠の雷の威力はちょっとだけしびれるような静電気から、服が黒焦げになってしまうような威力の雷までを操ることができる。 部品 当たり判定:要防御対策 雷鼠の雷撃攻撃は事前に雷神やその眷属の加護や避雷針や絶縁体の用意といった何らかの対策をとっていなければ命中する。 部品 風の力を操ることができる神様たち 自然現象である風を自由自在に操ることができる神様であり、力の大小を問わずその力を行使できる神様のことである。 部品 とても数が多く、例外がたくさんいる 多産の象徴でもあり、数が非常に多いためか例外が多い神でもある。猫神と仲の良いものもいれば、人に大切に飼われ、死後善神として飼い主を守るものもいる。 部品 威力:微風やそよ風から疾風まで 風鼠が発生させる風は空気の動きが感じられるくらいの微風やそよ風から疾風まで細かな風量を操ることができる。 部品 使い方:秘密の相談や延声そのほかいろいろ 神様の加護を受けた風の使い方は単に空気の流れで人や物を飛ばしたりするだけではなく、小声を近くの特定の人に届けたり、遠くの人に声を届けたりすることもできる。 部品 発生範囲:風鼠の力が及ぶ範囲まで 風は空気の流れであり風鼠の神様としての力が及ぶ範囲までの空気(大気)に流れを発生させることができる。 部品 いたずら目的はNG 風を操っているのは風鼠なので、風鼠の意にそぐわないようないたずら目的で風を操ったりすることはもちろんできません! 部品 雷鼠と話す 雷鼠と話すことによって、雷が持っている意思を読み取ることができる。雷自体の意思や雷を発生させたものが何を伝えたいのかを知ることができる。 提出書式 大部品 雷鼠と風鼠の加護 RD 13 評価値 6 -大部品 雷鼠の雷撃攻撃 RD 6 評価値 4 --大部品 雷鼠 RD 2 評価値 1 ---大部品 雷神の眷属 RD 1 評価値 0 ----部品 雷を操ることができる力を有する神様 ---大部品 鼠神 RD 1 評価値 0 ----部品 とても数が多く、例外がたくさんいる --大部品 雷(雷鼠Ver) RD 3 評価値 2 ---部品 発生範囲:白兵戦距離~中距離 ---部品 特性:意思伝達の手段 ---部品 威力:ピリッとから黒焦げまで --部品 当たり判定:要防御対策 -大部品 風鼠の操風行為 RD 6 評価値 4 --大部品 風鼠 RD 2 評価値 1 ---大部品 風神に連なる RD 1 評価値 0 ----部品 風の力を操ることができる神様たち ---大部品 鼠神 RD 1 評価値 0 ----部品 とても数が多く、例外がたくさんいる --大部品 風(風鼠Ver) RD 3 評価値 2 ---部品 威力:微風やそよ風から疾風まで ---部品 使い方:秘密の相談や延声そのほかいろいろ ---部品 発生範囲:風鼠の力が及ぶ範囲まで --部品 いたずら目的はNG -部品 雷鼠と話す 部品 雷を操ることができる力を有する神様 微弱な電流から電気、天候でいえば雷といったようなものを操ることができる力をもった神様。学問の神の系譜でもある。 部品 とても数が多く、例外がたくさんいる 多産の象徴でもあり、数が非常に多いためか例外が多い神でもある。猫神と仲の良いものもいれば、人に大切に飼われ、死後善神として飼い主を守るものもいる。 部品 発生範囲:白兵戦距離~中距離 自分を中心としたときに白兵戦距離(AR距離0)から中距離(AR距離2)までの範囲で効果を発生させることができる。 部品 特性:意思伝達の手段 雷には自然現象としての側面だけではなく、雷そのものに意思を確認することができ、言葉として発生する側面もある。雷の言葉とも呼ばれる。 部品 威力:ピリッとから黒焦げまで 雷鼠の雷の威力はちょっとだけしびれるような静電気から、服が黒焦げになってしまうような威力の雷までを操ることができる。 部品 当たり判定:要防御対策 雷鼠の雷撃攻撃は事前に雷神やその眷属の加護や避雷針や絶縁体の用意といった何らかの対策をとっていなければ命中する。 部品 風の力を操ることができる神様たち 自然現象である風を自由自在に操ることができる神様であり、力の大小を問わずその力を行使できる神様のことである。 部品 とても数が多く、例外がたくさんいる 多産の象徴でもあり、数が非常に多いためか例外が多い神でもある。猫神と仲の良いものもいれば、人に大切に飼われ、死後善神として飼い主を守るものもいる。 部品 威力:微風やそよ風から疾風まで 風鼠が発生させる風は空気の動きが感じられるくらいの微風やそよ風から疾風まで細かな風量を操ることができる。 部品 使い方:秘密の相談や延声そのほかいろいろ 神様の加護を受けた風の使い方は単に空気の流れで人や物を飛ばしたりするだけではなく、小声を近くの特定の人に届けたり、遠くの人に声を届けたりすることもできる。 部品 発生範囲:風鼠の力が及ぶ範囲まで 風は空気の流れであり風鼠の神様としての力が及ぶ範囲までの空気(大気)に流れを発生させることができる。 部品 いたずら目的はNG 風を操っているのは風鼠なので、風鼠の意にそぐわないようないたずら目的で風を操ったりすることはもちろんできません! 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◎作成人 鷺坂祐介@宰相府 ◎提出名義(提出PC名) ジンパク ◎ポー教授の手伝い方 蒼梧藩国の臣に召し抱えられたとはいえ、ポー教授に対して敵愾心を持っている人がいる現状、まず第一にポー教授の命の安全の確保、第二にポー教授の仕事の手伝いを目的としてお手伝いをします。 義勇軍が立ち上げられているのでポー教授を手伝いするのが他の藩国民であることで不審がられることはほぼないと思うが、不審感がある場合は影ながら手伝うようにする。 ◎提出アイドレス 【ピンチの時の助け人】 ◎部品 ・【身に着けた護身術】 自分の身を自分で守るための手段。自分の身だけでなく不意の時に誰かが襲われた時でもとっさに対応することができる。 ・【体幹を鍛えた体つき】 護身術を身に着けるためには最低限の基礎体力が必要であり、中でも自分のバランスが崩れずにとっさに動けることを重点的に意識して鍛えている。 ・【引き際の見分け方】 自分の身を生かすことと助ける人を生かすためには相手を倒しきるだけではなく、どうやって事態から逃げるかどうかも重要になるため引き際を考える必要がある。 ・【旅慣れた服装】 どこの国でも怪しまれず旅をしている人という印象を与える服装。小奇麗にすることで相手に不快・怪しいといった印象を与えないようにする。 ・【極力争いを生まないための会話術】 人の手助けをするときには諍いが起きるような話し方をせず、また怪しまれるような話し方でもないような言葉遣いをすることが重要である。 ・【情報聴取の効率化】 どんなことで困っているのか、その困っていることはどういう状況なのかを適切に聞くために、またそれの解決をするための情報は何なのかを把握すること。 ・【情報の大まかな整理術】 話を聞いているだけでは困っている人がどういう状況なのか、また解決のための情報を聞いた上で適切に情報を使用するために必要な情報か、必要でない情報かを素早く整理する。 ・【情報分析法】 集めた情報の精度や整合性、そもそも本当に有用な情報なのかどうかといったものをできるだけ多角的に考えることが必要。 ・【柔和な顔つき】 ピンチの人を助ける時には怪しまれることはもちろん、怖がられたりすることもNGであるため、相手の信用を得られる顔つきで接する。 ・【自然な立ち振る舞い方】 困っている状況等で不審がられたり、不安がられることは相手の信用を得られないため、またこちらも困っていることがあれば話を聞いてもらえるように自然な立ち振る舞いを心掛ける。 ・【協力者の募集】 困っている人が自分一人の力では解決できない事態に陥っているときには信用できる協力者を募集する必要がある。その人が信頼を寄せている人などにリスクを説明した上で協力してもらえるように話を付ける。 ・【丈夫なメモ帳】 情報の整理やこれからの動き方など自分の中でどうやって解決に向けて動くかをまとめるためのメモ。相手に説明するときや伝言を残すといったことにも使える。 ・【書きとりやすい筆記具】 事務処理はもちろんのこと、滲んだり使いにくい筆記具であるとメモに書いたことが分からなくなったり、相手に伝えたいことが伝わらなかったりするためメモと合わせて使いやすい筆記具を使うことが大切。 ・【報連相のやり方】 困っている人との連絡の方法や相談の方法は、困っている人がどういう状況にいるのかによって随時変わるものであるので、どういう状況ではどういう風に報連相を行うのかを柔軟に決めなければならない。 ・【根回しのお手伝い】 困っている人が困っていない状況にするためには、周りへの影響を変えなければならないことが多くあるため、本人自体の根回しとともにそれを手伝うことが大切になる。 ・【市街地調査用の手書き地図】 問題の実地調査を行うためには調査を行う場所の地図が必要になる。どういった行動をどこで起こすのかはもんだ解決のための手段に必要不可欠である。 ・【いざという時の脱出経路の確認】 困っている人にも生活や仕事があるため、悪漢に襲われるなどの事態になった場合、急いで逃げ出すために脱出経路の確認を事前にしておく必要がある。 ・【非常事態時の避難誘導】 脱出の際には自分一人だけではなく、自分が助けようとしている人が必ずいるため一緒に逃げ出すためにはその人をどう逃がしてあげるかといったことを考えて行動を行う。
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Template 日本の内閣総理大臣? 原 敬(はら たかし、安政3年2月9日(1856年3月15日) -大正10年(1921年)11月4日)は、日本の政治家。幼名は健次郎。立憲政友会第3代総裁。第19代内閣総理大臣(在任1918年9月29日 - 1921年11月4日)。正二位大勲位。 概説 郵便報知新聞記者を経て外務省に入省。後に農商務省に移って陸奥宗光や井上馨からの信頼を得た。陸奥外務大臣時代には外務官僚として重用されたが、陸奥の死後退官。その後、発足時から立憲政友会に参加。政界に進出し、大正7年(1918年)に内閣総理大臣に就任。爵位の受け取りを固辞し続けたため「平民宰相」と言われている。 大正10年(1921年)11月4日、東京駅丸の内南口コンコースにて、右翼青年中岡艮一に襲撃され、即死した。満Template 没年齢?。 なお、通称名である「はら けい」が用いられるケースもある(原敬記念館、原敬日記など)。 生涯 生い立ち 原敬は、安政3年(1856年)2月9日、盛岡藩盛岡城外の本宮村(現在の盛岡市本宮)で盛岡藩士原直治の次男として生まれた。後に「平民宰相」と呼ばれる原だが、原家は祖父・直記が家老職にあったほどの上級武士の家柄で、敬は20歳のときに分家して戸主となり、平民籍に編入された。徴兵制度の戸主は兵役義務から免除される規定を受けるため分籍した。彼は家柄についての誇りが強く、いつの場合も自らを卑しくするような言動をとったことがなかったとされる。また、後年、号を「一山」あるいは「逸山」と称したが、それは原の薩長藩閥への根深い対抗心を窺わせる。戊辰戦争で「朝敵」となった東北諸藩の出身者が、「白河以北一山百文」と薩長出身者から嘲笑、侮蔑されたことへの反発に基づいているからである(白河とは福島県白河市のことで、古来より「白河関」がみちのくへの入り口であった)。 陸奥宗光の引き立て 明治3年(1870年)、原は再開された藩校「作人館」に入り、さらに翌年、上京して南部家が盛岡藩の青年のために設立した「共慣義塾」に入学したが、途中で学費が途絶えて数ヶ月で辞めてしまった。そこで、明治5年には費用のかからないカトリック神学校に入学した。翌明治6年には横浜に移って神父宅に寄寓し、ここで受洗して「ダビデ」の洗礼名を受けている。明治9年(1876年)、司法省法学校を受験したところ、受験者中2番の成績で合格したが、学業途中で寄宿舎の待遇改善行動に関係したという理由で退校処分にあっている。法学校を追放された原は、中江兆民の仏学塾に在学の後、明治12年(1879年)、郷里の先輩のつてで、郵便報知新聞社に入社した。入社当初はフランス語新聞の翻訳を担当していたが、次第に論文も執筆するようになった。しかし、明治十四年の政変をきっかけに大隈重信の一派が同社に乗り込んでくると、彼らと反りが合わず退社した。 郵便報知新聞社を辞めた原に藩閥政府の高官が目をつけ、御用政党の機関紙「大東日報」の主筆とした。しかし、経営不振のため8ヶ月目で同社を離れた。この「大東日報」が縁で藩閥に接する機会を得た原は明治15年(1882年)、外務省に採用され、入省の翌年、天津領事に任命されて同地に赴いた。次いで明治18年(1885年)には外務書記官に任ぜられてパリ駐在を命じられた。そして、およそ3年余りパリ公使館に勤務し、帰国後農商務省参事官、大臣秘書官となった。駐米公使だった陸奥宗光が明治23年(1890年)に農商務大臣になると、陸奥の引きで原の運命が拓けることになる。すなわち、第2次伊藤内閣が発足すると陸奥は外相に就任し、彼の意向で原は通商局長として再び外務省に戻った。さらに日清戦争後の明治28年(1895年)には、外務次官に抜擢された。当時、陸奥外相は病気療養中であったため、西園寺公望文部大臣が外相臨時代理を兼任したが、実務は原がとることとなった。翌・明治29年(1896年)、陸奥が病気のため外相を辞任すると、原も朝鮮駐在公使に転じた。しかし、間もなく第2次伊藤内閣が崩壊し、第2次松方内閣が成立すると、大隈が外相となって入閣したため、大隈嫌いの原は見切りをつけて帰国し、外務省も辞めた。明治30年(1897年)には大阪毎日新聞社に入社し、翌・明治31年(1898年)には社長に就任した。 政党政治家として 明治33年(1900年)に伊藤博文が立憲政友会を組織すると、原は伊藤と井上馨の勧めでこれに入党し、幹事長となった。同年12月、汚職事件で逓信大臣を辞職した星亨に代わって伊藤内閣の逓信大臣として初入閣する。原は政友会の結党前と直後の2度、貴族院議員になろうとして井上馨に推薦を要請している。一般には原は生涯爵位などを辞退し続け、その身を最期まで衆議院に置いてきたとされている。また、後年には貴族院議員を指して「錦を着た乞食」とまで酷評している。その原が貴族院議員を目指したのは、恐らく無官でいることからくる党内の影響力低下を懸念してのことだろう。結局、星亨の後任となって入閣したため、貴族院入り問題は立ち消えになってしまった。また、爵位授与に関しても実はこの時期に何度か働きかけを行っていた事実も明らかになっている(原自身が「平民政治家」を意識して行動するようになり、爵位辞退を一貫して表明するようになるのは、原が政友会幹部として自信を深めていった明治末期以後である)。現実主義者原敬の一端が垣間見える逸話である。 明治34年(1901年)6月、桂太郎が組閣し原は閣外へ去るが同月星が暗殺され、その後は、第1次桂内閣に対する方針を巡る党内分裂の危機を防ぎ、松田正久とともに政友会の党務を担った。また、地方政策では星の積極主義(鉄道敷設などの利益誘導と引換に、支持獲得を目指す集票手法)を引き継ぎ、政友会の党勢を拡大した。党内を掌握した原は、伊藤や西園寺を時には叱咤しながら、融和と対決を使い分ける路線を採って党分裂を辛うじて防いだ。 しかし、原の積極主義は「我田引鉄」と呼ばれる利益誘導政治を生み出し、現代につながる日本の政党政治と利益誘導の構造をつくりあげることとなった。明治末期には原のこうした手法を嫌う西園寺との間で確執が生じている。 明治35年(1902年)に行われた第7回衆議院総選挙で、盛岡市選挙区から立候補して衆議院議員に初当選。 日露戦争が始まった明治37年(1904年)12月、桂太郎首相は政局の安定を図るため、政友会との提携を希望して原と交渉を行った。政権授受の密約である。翌・明治38年(1905年)、桂内閣は総辞職し、明治39年(1906年)になって約束通りに西園寺公望に組閣の大命が下ると、原は内務大臣として加わった。これ以降、桂と政友会との間で政権授受が行われ、「情意投合の時代」とか「桂園時代」と呼ばれる政治的安定期を迎えることになるが、原は出来る限り山縣有朋との関係を調整することに努力する一方で、徐々に山県閥の基盤を切り崩して、政友会の勢力を拡大することも忘れなかった。 なお、原は後に第2次西園寺内閣と第1次山本内閣でも内相を務めている(原の出身は佐幕派の南部藩であり、藩閥政治は出世のさまたげになった。だから自由な選挙により議会の多数を占める政党、藩閥と関係ない近代的官僚機構をつくった。内務大臣時代、藩閥によって任命された当時の都道府県知事を集めてテストを実施し、東京帝国大学卒の学歴を持つエリートに変えていった)。大正3年(1914年)6月18日には大正政変の道義的責任を取るとして辞任した西園寺の後任として第3代立憲政友会総裁に就任した。 首相就任 Template See also? シベリア出兵に端を発した米騒動への対応を誤った寺内内閣が内閣総辞職に追い込まれると、ついに政党嫌いの山縣も原を後継首班として認めざるをえなくなった。こうして、大正7年(1918年)に成立した原内閣は、日本初の本格的政党内閣とされる。それは、原が初めて衆議院に議席を持つ政党の党首という資格で首相に任命されたことによるものであり、また閣僚も、陸軍大臣・海軍大臣・外務大臣の3相以外はすべて政友会員が充てられたためであった。 原内閣の政策は、外交における対英米協調主義と内政における積極政策、それに統治機構内部への政党の影響力拡大強化をその特徴とする。原は政権につくと、直ちにそれまでの外交政策の転換を図った。まず、対華21ヶ条要求などで悪化していた中華民国との関係改善を通じて、英米との協調をも図ろうというものである。そこで、原は寺内内閣の援段政策(中国国内の軍閥・段祺瑞を援護する政策)を組閣後早々に打ち切った。 さらに、アメリカから提起されていた日本・アメリカ・イギリス・フランス4ヶ国による新4国借款団(日本の支那への独占的進出を抑制する対中国国際借款団)への加入を、対英米協調の観点から決定した。第一次世界大戦の後始末をするパリ講和会議が開かれたのも、原内閣の時代だった。この会議では、アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンの提唱によって国際連盟の設置が決められ、日本は常任理事国となった。しかし、シベリア出兵についてはなかなか撤兵が進まず、結局撤兵を完了するのは、原没後の大正11年(1922年)、加藤友三郎内閣時代のこととなった。 内政については、かねてから政友会の掲げていた積極政策、すなわち、教育制度の改善、交通機関の整備、産業及び通商貿易の振興、国防の充実の4大政綱を推進した。とりわけ交通機関の整備、中でも地方の鉄道建設のためには公債を発行するなど極めて熱心であった。 また、教育政策では高等教育の拡張に力を入れた。大正7年(1918年)、原内閣の下で「高等諸学校創設及拡張計画」が、4450万円の莫大な追加予算を伴って帝国議会に提出され可決された。その計画では官立旧制高等学校10校、官立高等工業学校6校、官立高等農業学校4校、官立高等商業学校7校、外国語学校1校、薬学専門学校1校の新設、帝国大学4学部の設置、医科大学5校の昇格、商科大学1校の昇格であり、その後この計画はほぼ実現された。これらの官立高等教育機関の大半は、地方都市に分散設置された。 また私立大学では大正9年(1920年)に大学令の厳しい要件にも関わらず、慶應義塾大学、早稲田大学、明治大学・法政大学・中央大学・日本大学・國學院大學・同志社大学の旧制大学への昇格が認可され、その後も多くの私立大学が昇格した。 この高等教育拡張政策は第一次世界大戦の好景気を背景とした高等教育への、求人需要、志願需要の激増に応えたものである。そして高等教育拡散は皇室への危険思想につながるとしてこれを反対した山縣有朋を説得したものであった。 さらに、軍事費にも多額の予算を配分し、1921年予算は1917年度予算の2倍を超える15億8000万円にまで膨れ上がった。多額の公債発行を前提とする予算案には野党憲政会、貴族院から多くの反対意見が上がった。 また原は、地方への利益還元を図って政友会の地盤を培養する一方で、同党の支持層に見合った規模での選挙権拡張を行っている。大正8年(1919年)には衆議院議員選挙法を改正し、小選挙区制を導入すると同時に、それまで直接国税10円以上が選挙人の資格要件だったのを3円以上に引き下げた。翌年の第42帝国議会で、憲政会や立憲国民党から男子普通選挙制度導入を求める選挙法改正案が提出されると、原はこれに反対して衆議院を解散し、小選挙区制を採用した有利な条件の下で総選挙を行い、単独過半数の大勝利を収めた。 首相就任前の民衆の原への期待は大きいものだったが、就任後の積極政策とされるもののうちのほとんどが政商、財閥向けのものであった。また、度重なる疑獄事件の発生や民衆の大望である普通選挙法の施行に否定的であったことなど、就任前後の評価は少なからず差がある。普通選挙法の実現は憲政会を率いた加藤高明内閣を待つこととなる。 thumb|200px|原首相遭難現場プレート([[東京駅)]] さらに、原は政友会の政治的支配力を強化するために、官僚派の拠点であった貴族院の分断工作を進め、同院の最大会派である「研究会」を与党化させた。このほか、高級官僚の自由任用制の拡大や、官僚派の拠点であった郡制の廃止、植民地官制の改正による武官総督制の廃止などを実施し、反政党勢力の基盤を次第に切り崩していった。しかし、一方で原は反政党勢力の頂点に立つ山縣有朋との正面衝突は注意深く避け、彼らへの根回しも忘れなかった。このように、原は卓越した政治感覚と指導力を有する政治家であった。 その原は、大正10年(1921年)11月4日、国鉄大塚駅転轍手であった中岡艮一によって東京駅で刺殺されてしまった(原敬暗殺事件)。65年の生涯であった。 彼の政治力が余りに卓抜していたために、原亡き後の政党政治はバランスを失ってしまうことになる。 原敬日記 当時の政治の裏側を知るには、原の残した『原敬日記』(はらけいにっき)が格好の史料である。『原敬日記』は、一般には1875年に帰省した際の日記から、暗殺直前の1921年10月25日までに書かれた日記の総称であるが、原が暗殺を予期して認めた遺書の中で「当分世間に出すべからず」と厳命(宮中某重大事件や大正天皇の病状問題が関連していると考えられている)しており、公開されたのは1950年のことである。近年では、原が大正天皇と近かったことから、大正天皇と『原敬日記』の関係についても研究されている。 林茂、原奎一郎編 『原敬日記』全6卷 福村出版 新版2000年 一個人としての原敬の実像を知るには、原の養子である原圭一郎(本名、原貢)の回想録『ふだん着の原敬』が格好の資料である。この回想録では、養父である原とその妻原浅子と生活をともにした青少年期の思い出を中心に綴られている。以下は他と併せた参考文献。 原奎一郎 『ふだん着の原敬』毎日新聞社、1971年 原敬遺徳顕彰会 『原敬 歿後五十年その生涯』 毎日新聞社、1970年 原奎一郎 『原敬』上下、盛岡大慈会・原敬遺徳顕彰会、1998-99年、抄版2002年 原敬文書研究会編 『原敬関係文書』全10巻別巻1 日本放送出版協会 1984-89年 原奎一郎、山本四郎編 『原敬をめぐる人びと』正続、NHKブックス 日本放送出版協会 1982年 山本四郎 『評伝原敬』上下 東京創元社 1997年 玉井清 『原敬と立憲政友会』 慶應義塾大学出版会 1999年 川田稔 『原敬と山県有朋 国家構想をめぐる外交と内政』中公新書 1998年 テツオ・ナジタ、安田志郎訳 『原敬 政治技術の巨匠』読売選書・読売新聞社1974年 前田蓮山 『原敬』日本宰相列伝7・時事通信社1985年 、初版1958年 栄典 大正9年9月7日 勲一等旭日桐花大綬章 大正10年11月4日 大勲位菊花大綬章 家族 親族 先妻・貞子(旧薩摩藩士 中井弘長女) 後妻・浅(あさ、岩手県・菅野弥太郎の娘、東京新橋の芸者) 系譜 原家の始祖三田村平兵衛は浅井新左衛門(浅井長政と同族)の二男三田村左衛門太夫定元の末流と伝える三田村太郎右衛門の二男として筑後で誕生した 三田村平兵衛政澄(後に原氏に改める) - 平兵衛政舫 - 十蔵政直 - 茂平政親 - 平兵衛政芳 - 直記芳忠 - 平兵衛芳武 - 直記芳隆 - 直治政中 - 敬 … 貢 関連人物 平岡定太郎 中岡艮一 中村弥六 関連項目 Template Commonscat? 浅井氏 原内閣 士族 平民 鉄道と政治 - 原のとった積極政策は「我田引鉄」と揶揄された。 鉄道敷設法 日本の改軌論争 脚注 外部リンク 原敬肖像写真(国立国会図書館) 原敬 遺徳顕彰事業団 (財)大慈会 原敬事典 原敬記念館 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2009年2月18日 (水) 03 47。
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国務省 大臣 粒 粉 石 岩 行政の基本的な制度の管理及び運営を通じた行政の総合的かつ効率的な実施の確保、外交政策を実施することを任務とする。 下部組織 財務庁 財務庁 長官 はやぶさ 国務省の下部組織。 健全な財政の確保、適正かつ公平な課税の実現、税関業務の適正な運営、国庫の適正な管理、通貨に対する信頼の維持及び外国為替の安定の確保を図ることを任務とする。 長官になりたい。 -- 六芒星 (2010-11-04 16 53 43) 長官にならせていただきます -- はやぶさ (2010-11-17 19 21 01) 名前 コメント 外務庁 外務庁 長官 はやぶさ 国務省の下部組織。 平和で安全な国際社会の維持に寄与するとともに、主体的かつ積極的な取組を通じて、良好な国際環境の整備を図ること、並びに調和ある対外関係を維持し発展させつつ、国際社会におけるパウダー国及びパウダー国民の利益の増進を図ることを任務とする。 長官になりたいです。 -- 六芒星 (2010-11-04 16 56 00) 長官にならせていただきます -- はやぶさ (2010-11-17 19 19 41) 名前 コメント 警吏庁 警吏庁 長官 はやぶさ 国務省の下部組織。 警視制度の企画立案のほか、国の公安に係る事案についての警視運営、警視活動の基盤である教養、通信、鑑識等に関する事務、警視行政に関する調整等を行う役割を担う。 警吏庁所属機一覧 長官にならせていただきます -- はやぶさ (2010-11-17 19 15 39) イキナリですが、警視庁に名前変えてイイですか? -- はやぶさ (2010-11-17 19 22 40) 名前 コメント 消防庁 消防庁 長官 はやぶさ 国務省の下部組織。 消火、救助、救急、防災など消防活動を統括する。 消防庁所属機一覧 長官にしていただきたい。 -- 六芒星 (2010-11-04 16 56 44) 長官にならせていただきます -- はやぶさ (2010-11-17 19 13 51) 名前 コメント 名前 コメント
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社説:[国籍取得特例]「『外国人参政権』に幕下ろす時だ」(読売新聞/2001/05/14) 小沢代表「永住外国人の地方選挙権、認めるべき」(産経新聞/2008/01/22) 在日韓国人の地方参政権要請(2008/02/22) 民団、民主・公明支援へ 次期衆院選 選挙権付与めざす(朝日新聞/2008/12/11) 民主・鳩山氏「定住外国人に参政権くらい付与されるべきだ」(産経新聞/2009/04/20) 「安っぽい同情論」「民主応援できない」鳩山発言でネット騒然(産経新聞/2009/04/21) 【鳩山幹事長会見詳報】「(永住外国人の地方参政権は)愛のテーマだ。付与されてしかるべき」(産経新聞/2009/04/24) 【民主党解剖】第4部 新体制の行方(3)どうなる外国人参政権(産経新聞/2009/06/04) 社説:[国籍取得特例]「『外国人参政権』に幕下ろす時だ」(読売新聞/2001/05/14) 自民、公明、保守の与党三党は、日本国籍を取得する際、特別永住者に限って現行の許可制から届け出制とする、「特別永住者等の国籍取得の特例に関する法案」(仮称)を五月中にも国会に提出する。 国籍取得に平均一年を要する現行制度に特例を設け、届け出るだけで直ちに日本国籍を取れるようにするものだ。 定住外国人が日本国籍を取得すれば、国への帰属意識や一体感を共有し、共同の責任意識を持って国や社会の活動に参画することにつながる。 グローバル化が進む中で、定住外国人が日本国籍を取得しやすくすることは、日本をより開かれた国とする上でも、当然の流れだ。 野党も異論はあるまい。できれば超党派で、今国会中に成立させるべきだ。 特別永住者とは、朝鮮半島や台湾などの出身で、サンフランシスコ講和条約発効によって日本国籍を失った人および、その子孫である。九九年末で、五十二万人余に上る。 旧植民地の朝鮮半島や台湾などの出身者の日本定住には様々な歴史的事情がある。特別永住者への特例措置とされたのは、その「歴史的経緯」と「日本社会での定住性」への配慮からだ。 日本国籍をとる際には、姓名に「姜」「鄭」のような漢字を使うことも認められる。日本国民となっても、例えば「韓国系日本人」としてのアイデンティティーを尊重することが大事だ。 今後は、一般永住者の国籍取得の要件や手続きの緩和も検討が必要だろう。 国籍を取得すれば、当然、国政、地方を問わず、参政権を持つことになる。公明、保守両党や民主党が提出している永住外国人への地方参政権付与法案の問題もおのずと解決する。 永住外国人への地方参政権付与は、公明党の主張で、九九年秋の自自公三党の連立合意に盛り込まれた。公明党は、今国会での採決を求めている。 しかし、自民党内では「憲法上も、国のあり方という観点からも問題が多い」として、慎重論が強い。小泉首相も同様の姿勢だ。 民主党でも、有志議員グループ「外国人地方参政権を考える会」が、「地方参政権を持つには日本国籍の取得が前提」として、党の方針に反対している。 永住外国人の地方参政権付与に賛成する意見書採択の動きがあった地方議会でも、次第に慎重論が広がっている。 地方参政権付与法案は撤回または廃案とするべきだ。外国人地方参政権の論議に幕を下ろす潮時である。 (5月13日22 00) 読売新聞(2001/05/14) 小沢代表「永住外国人の地方選挙権、認めるべき」(産経新聞/2008/01/22) http //sankei.jp.msn.com/politics/situation/080122/stt0801222051005-n1.htm このニュースのトピックス:小沢一郎 民主党の小沢一郎代表は22日の記者会見で、永住外国人への地方選挙権付与について「私はずっと以前から認めるべきだと主張してきた。旧来の支持者から『おかしい』といわれたこともあるが、認めるべきだと思う」と述べた。地方選挙権付与に前向きな公明党と連携し、自民党を揺さぶる思惑が民主党にあるとの見方については、「こういう問題を政局に結びつけるのはよくない」と語った。 2008.1.22 20 50 在日韓国人の地方参政権要請(2008/02/22) 【ソウル21日時事】韓国訪問中の小沢一郎民主党代表は21日午後、ソウル市内で李明博次期大統領と約45分間、会談した。李氏は在日韓国人に地方参政権を付与するよう要請、小沢氏は「実現できるように努力したい」と応じた。 李氏は「在日本大韓民国民団(民団)からの要望」として、地方参政権付与への努力を求めた。これに対し、小沢氏は「参政権の問題は、韓国が先に(在留邦人に)認める仕組みをつくった。わが方がもたもたしているのは遺憾に思っている」と述べた。 [時事通信社] 民団、民主・公明支援へ 次期衆院選 選挙権付与めざす(朝日新聞/2008/12/11) http //www.asahi.com/politics/update/1211/TKY200812110336.html 在日本大韓民国民団(民団)が次期衆院選で、永住外国人選挙権付与に賛同する民主、公明両党候補を支援することになった。民団は衆院選を選挙権付与の「天王山」と位置づけており、選挙戦に一定の影響を与えそうだ。 民主党の小沢代表は11日、東京都内であった民団中央本部の会合に出席して連携を確認。「我々が多数を形成すれば、日韓の残された懸案を着実に処理します。ご理解いただき大変ありがたい」と謝意を伝えた。 小沢氏は2月、韓国で就任直前の李明博(イ・ミョンバク)大統領と会談し選挙権付与への積極姿勢を表明。党の諮問委員会も「付与すべきだ」とする答申を出した。民団側はこうした経緯をふまえ、鄭進団長らが9月、民主党本部に小沢氏を訪ねて支援の意向を伝えていた。 民団は在日韓国人ら約50万人で構成。民主党側は、日本国籍を取得した人を含めた有権者への呼びかけなど、「かつてない規模の支援が見込まれる」(小沢氏側近議員)と期待している; 民団の支援は賛成派候補を集中的に後押しすることで膠着(こうちゃく)状態を打破する狙いがあり、将来の「民公連携」の誘い水になる可能性もありそうだ。(松田京平) 民主・鳩山氏「定住外国人に参政権くらい付与されるべきだ」(産経新聞/2009/04/20) http //sankei.jp.msn.com/politics/situation/090420/stt0904202249007-n1.htm 民主党の鳩山由紀夫幹事長が、インターネットの動画サイト「ニコニコ動画」に出演し、永住外国人への地方参政権付与が必要だとの認識を示した上で、「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」と指摘していたことが20日、分かった。 鳩山氏は「定住外国人は税金を納め、地域に根を生やし、一生懸命頑張っている。(地方)参政権くらい、付与されるべきだ」と述べた。動画への出演は17日。 2009.4.20 22 49 「安っぽい同情論」「民主応援できない」鳩山発言でネット騒然(産経新聞/2009/04/21) http //sankei.jp.msn.com/politics/situation/090421/stt0904212234020-n1.htm 発言が、ネットで“祭り”を呼んだ鳩山由紀夫・民主党幹事長 民主党の鳩山由紀夫幹事長が、インターネットの動画サイト「ニコニコ動画」に出演し、永住外国人への地方参政権付与が必要だとの認識を示した上で、「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」と発言したことが、インターネット掲示板などで“騒動”となっている。 鳩山幹事長は17日の出演で、「日本人が自信を失っている。自信を失うことで、他の国の血が入ってくることを認めない社会になりつつある」と指摘。「定住外国人は税金を納め、地域に根を生やし、一生懸命頑張っている。その人たちに(地方政治への)参政権ぐらい当然付与されるべきだと思っている」と自説を展開した。鳩山氏「日本列島は~」発言の第1報 さらに「日本列島は日本人だけの所有物じゃない。もっと多くの方に喜んでもらえるような土壌にしなくてはだめだ」と断言した。 一連の発言に対し、ネットユーザーは敏感に反応。産経デジタルが運営するニュースサイト「イザ!」では、「根を生やして生活していることを参政権付与に結びつけるのは、安っぽい同情論」「この人が上にいる限り絶対に民主党を応援できません」「同様の権利が欲しいなら帰化すればいい」という批判のコメントが殺到している。大型掲示板「2ちゃんねる」でも、この内容を取り上げた「スレッド」が乱立した。 ニコニコ動画は動画配信サイトで、利用者が投稿したコメントが表示される「コメント機能」が特徴。政治家や芸能人が出演する「ニコニコ生放送」というコーナーもある。 2009.4.21 22 28 【鳩山幹事長会見詳報】「(永住外国人の地方参政権は)愛のテーマだ。付与されてしかるべき」(産経新聞/2009/04/24) http //sankei.jp.msn.com/politics/situation/090424/stt0904241727006-n1.htm 民主党の鳩山由紀夫幹事長は24日、党本部で記者会見し、永住外国人への地方参政権付与について、「愛のテーマだ。地方での参政権は付与されてしかるべきではないか」と述べた。会見の詳報は以下の通り。 【永住外国人への参政権付与】 --ニコニコ動画の鳩山氏の発言がネットで批判的に議論されている。「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」という発言の真意は。韓国では2月に海外にいる韓国人に対し、国政選挙を認める法律が成立したが、大統領の決裁待ちだ。日本にいる韓国人にこの参政権を認めると、二重に投票できることになる。それでも日本にいる永住外国人に参政権を与えるべきか 「私がニコニコ動画で発言したことが大変、話題になっている。国民に大いに議論してもらいたい。これは大きなテーマ、まさに愛のテーマだ。友愛と言っている原点がそこにあるからだ。地球は生きとし生けるすべての者のものだ。そのように思っている。日本列島も同じだ。すべての人間のみならず、動物や植物、そういった生物の所有物だと考えている。この中でそれぞれが自立しながら共生していく世の中を、どうやってつくっていくかということが、ある意味での日本、世界に生きる人々の最大のテーマになるのではないか。今日までに、世界は弱肉強食に行きすぎたと。その前は、日本は依存に行きすぎたと。依存でもない、弱肉強食でもない「自立と共生」をいかにうまくマッチさせるか、バランスをとるか、それが友愛の精神だと思っている。 そこに住んでいる人たちを排斥をするという発想ではなく、そこにいる人たちの権利もできるだけ認めて差し上げる。一緒に多くの税金を日本人と同じように払ってこられた方々の権利を認めて差し上げるべきではないか。そのことによって、お互いの違いを認めながら、それを乗り越えていけるのではないか。そのように私は強く感じている。 友愛精神の発露で、世の中、ヨーロッパは大きく変動してきている。日本は鎖国をしているわけではない。もっと多くの人に喜んでもらえる、そして、そのためには、私が言っているのは地方参政権ですから、地方での参政権は付与されてしかるべきではないかと思っている。国政における参政権を認めてしまうと、今、話があったような二重の選挙権みたいな話になろうかと思っているので当然、地域における選挙権の行使を、その地域で働いている方々には与えて。当然、それなりの資格も必要だと思っているが、条件のもとで認められてしかるべきではないか。世界では25の国がこのような権限を付与しているので、相互主義に基づくという発想も重要だ」 2009.4.24 17 25 【民主党解剖】第4部 新体制の行方(3)どうなる外国人参政権(産経新聞/2009/06/04) http //sankei.jp.msn.com/politics/situation/090604/stt0906041838009-n1.htm ■バラバラは力 5月30日、横浜市で開かれた民主党の次期衆院選候補者の会合。保守系から左派系まで「モザイク模様」と指摘される党内事情に関する出席者の質問に、幹事長の岡田克也は笑みを浮かべてこう答えた。 「最近は開き直った。バラバラで何が悪い。違いが一つにまとまったとき、すごく大きな力になる」 「バラバラ」の一つの典型例が、永住外国人への地方参政権付与問題だ。民主党は昨年6月、前代表の小沢一郎の諮問機関を設置し、参政権付与法案の提出に向け検討を進めた。 民主党では、代表代行の小沢、岡田をはじめ代表の鳩山由紀夫、代表代行の菅直人ら主だった幹部はみな、この法案に賛成の立場だ。ところがこれに対し、保守系を中心に51人の党所属議員が「拙速だ」と早急な意見集約に反対する要望書を幹部に突きつけ、結論が見送られた経緯がある。 「日本列島は、日本人だけの所有物じゃない」 鳩山は幹事長当時の今年4月17日、インターネットの「ニコニコ動画」に出演し、参政権付与を訴えた。さらに、友愛外交を念頭に「これはまさに愛のテーマだ」とも主張している。 その後、鳩山は「党内では、まだしばらく議論が続くのではないか」と発言のトーンを落としたが、いつ問題が蒸し返されるかは分からない。地方参政権付与は、民主党の結党時の「基本政策」との位置づけで、「結党以来の悲願」(岡田)ともいわれるからだ。 鳩山は5日訪韓し、李明博大統領と会談するが、李氏に対しては、すでに小沢と菅が在日韓国人への参政権付与に対する取り組みを約束している。次期首相候補である鳩山がそれを追認すれば、この問題は党内に亀裂を残したまま「国際公約」となりかねない。 ■事務局はアジト? 「何かこう、独特の不自然な日本語が目立つよね。やっぱり、あの党事務局が書いているからなあ…」 民主党の最新政策を網羅した「政策INDEX2008」についての、ある議員秘書の感想だ。 現在、民主党内で旧社会党系グループに属する議員は30人弱にとどまる。一方で、党職員には、平成8年の旧民主党結成時に旧社民党から大挙して移ったスタッフが今も多く残り、党の政策に影響を及ぼしている。現場をよく知る党関係者は、こう証言する。 「旧社会党出身者が事務局の要職を押さえ、牛耳っている。党本部も国会の政策調査会も、『アジト』のにおいがする」 また衆院議員、鷲尾英一郎は日本教育再生機構の座談会で、こう述べている。 「われわれの知らないところで、分からないところから意見が出て、INDEXに載ってしまう。これは非常に怖いと思う」 INDEXの1ページ目には、「戦後処理問題」の項目がある。ここで成立を目指すとされた「国立国会図書館法改正案」とは、国会図書館に「恒久平和調査局」を新設するというものだが、実は調査対象は主に戦時中の日本の加害行為だ。次の項目は「靖国問題・国立追悼施設の建立」で、「A級戦犯」が合祀される靖国神社への首相参拝を批判している。 だが、党内には「『A級戦犯』と呼ばれる人たちももはや戦争犯罪人ではない」(幹事長代理の野田佳彦)などの異論もあり、党内合意はできていない。 ■左派・リベラルの狙い 「政権交代したら、真っ先にこの法案が実現するんですよ」 平成19年3月27日の朝日新聞夕刊で、民主党の元参院副議長、本岡昭次(16年に政界引退)がこう強調していたのが「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」だ。民主党はこの法律を過去10年間、ずっと提出し続けている。 これは、元慰安婦だと名乗り出た外国人に対し、国家が謝罪と金銭の支給を行うというもの。だが、政府は平成5年の「河野談話」で、根拠があいまいなまま慰安婦募集における日本軍関与の強制性を認めたものの、慰安婦の強制連行など政府・軍の直接関与を示す資料はどこにもない。 このほか、「人権救済」名目の下での恣意的な思想・言論の統制が懸念される「人権侵害救済機関の設置」や、家族制度の根幹にかかわる「選択的夫婦別姓の早期実現」…。INDEXには、左派・リベラル系の政策がずらりと並ぶ。ベテラン秘書は慨嘆する。 「うちの党は(11年の)国旗・国歌法案に半数以上が反対したんだよ。1月の党大会でも日の丸は掲げられていなかった」 鳩山は3日、党本部で中国の駐日大使、崔天凱と会談し、自身が首相に就任しても靖国には参拝しない考えを伝えた。これに対し、崔はこう応じたという。 「民主党のこれまでの歴史認識は正しい。政権交代が実現したら、日中関係はさらに発展する」 国家観・歴史観の絡む党内の意見対立は、吹き出すきっかけを求めて水面下でたぎっている。(敬称略)
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|<総史> 伊沢修二(山住正己校注)『洋楽事始 音楽取調成績申報書』東洋文庫188(平凡社、1971年) 井上武士監修・秋山龍英編著『日本の洋楽百年史』(第一法規出版社、1966年) 歌崎和彦編著『証言―日本洋楽レコード史(戦前編)』(音楽之友社、1998年) 大森盛太郎(1986)『日本の洋楽 ペリー来航から130年の歴史ドキュメント1』、新門出版社 大森盛太郎(1987)『日本の洋楽 ペリー来航から130年の歴史ドキュメント2』、新門出版社 小宮多美江『受容史ではない 近現代日本の音楽史 1900~1960年代まで』(音楽の世界社、2001年) 園部三郎『音楽五十年』(時事通信社、改訂版1956年) 團伊玖磨『私の日本音楽史―異文化との出会い』(日本放送出版協会、1999年) 千葉優子『ドレミを選んだ日本人』音楽之友社、2007 中村洪介『西洋の音、日本の耳』春秋社、1987、(2002新版) 中村洪介『近代日本洋楽史序説』東京書籍、2003 中曽根松衛 編著『音楽界戦後50年の歩み ~ 事件史と音楽家列伝 ~』(芸術現代社、2001年) 日本音楽舞踊会議編(1976)『近代日本と音楽』あゆみ出版 日本楽壇史年表委員会編『日本楽壇史年表 一九一八-一九四五年 音楽ジャーナリズムの歴史』(日本洋楽史資料収集連絡協議会、1977年) 日本近代音楽館編(1993)『大正の光と影』、久山社 日本戦後音楽史研究会編『日本戦後音楽史 上』平凡社、2007 日本戦後音楽史研究会編『日本戦後音楽史 下』平凡社、2007 堀内敬三『音楽五十年史』上・下(講談社学術文庫、1977年) ―団体史 NHK交響楽団編『NHK交響楽団五十年史』(日本放送出版協会、1977年) 『音楽之友社25年の歩み』(音楽之友社、1966年) 小川昂『日本の交響楽団 定期公演記録1927-1971』(カワイ楽譜、1972年) 東京藝術大学百年史編集委員会編『東京藝術大学百年史 東京音楽学校編 第1巻』(音楽之友社、1987年) 東京フィルハーモニー交響楽団編『東京フィルハーモニー交響楽団八十年史』(1991年) 楢崎洋子編著『日本の管弦楽作品表 1912~1992』(日本交響楽振興財団、1994年) 日本近代音楽館編(1988)『遠山音楽図書館の二十年 1966〜1986』日本近代音楽館 ―雑誌・新聞・出版物関係 戸ノ下達也編/解題(2011)『音楽文化新聞〔戦時期文化史資料〕全3巻+別冊 』、金沢文圃閣 日本近代洋楽史研究会編『明治期 日本人と音楽 東京日日新聞音楽関係記事集成』―日本近代音楽館「新聞記事にみる日本の洋楽」プロジェクトの調査に基づく―(国立音楽大学付属図書館/大空社、1995年) 日本近代洋楽史研究会(増井敬二[ほか])編著(1995)『東京日日新聞全音楽記事内容 注解・人名索引』、大空社 日本近代洋楽史研究会(増井敬二[ほか])編著(1995)『東京日日新聞音楽関係記事集成 』、大空社 日本近代音楽館編『日本の音楽雑誌解題集1』(日本近代音楽館、1999年) 注)内容は、1890年に発刊した日本初の音楽雑誌『音楽雑誌』から現在までの代表誌25誌についての紹介と解説。日本近代音楽館(東京・麻布台)にて販売。 アルテスパブリッシング編(2010)『「日本の音楽資料」のデータベース化のための調査 報告書 平成21年度文化庁委託業務(音楽情報・資料の収集及び活用に関する調査研究)』、日本音楽学会「日本の音楽資料」調査委員会 後藤暢子「明治・大正・昭和三代の音楽雑誌を読む」〔『フィルハーモニー』54巻10-11号(NHK交響楽団、1982年)〕 同「第2次世界大戦期を中心とする洋楽関係誌の系譜」〔『フィルハーモニー』55巻4-5号(NHK交響楽団、1983年)〕 |<自伝・回想録・伝記> 青柳いづみこ『翼のはえた指 評伝 安川加壽子』(白水社、1999年) 掛下慶吉(1973)『昭和楽壇の黎明―楽壇生活四十年の回想』、音楽之友社 金田一春彦『十五夜お月さん―本居長世 人と作品』(三省堂、1982年) 清瀬保二著作集編集委員会編『清瀬保二著作集 ―われらの道―』(同時代社、1983年) 小松耕輔『音楽の花ひらく頃-わが思い出の楽壇-』(音楽之友社、1961年) 注)本人が昭和2年~終戦までの日記に加筆、まとめたもの。当時の音楽界と音楽人の状況、出席した膨大なコンサートの記録(プログラムも載っている)を記録。 中丸美繪『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』(新潮社、1996年) 渕眞吉『楽聖 山田耕筰を囲む人びと』(赤とんぼの会、1996年) 村松道弥『おんぶまんだら 音楽・舞踏・楽器ジャーナリストの回想』(芸術現代社、1979年) 山田耕筰『自伝/若き日の狂詩曲 はるかなり青春のしらべ』(かのう書房、1988年) 山口淑子・藤原作弥『李香蘭・私の半生』(新潮文庫、1990年) 山口淑子『「李香蘭」を生きて』(日本経済新聞社、2004年) ジョセフ・ローゼンストック著/中村洪介訳『音楽はわが命 ローゼンストック回想録』(日本放送出版協会、1980年) 深井史郎『恐るるものへの風刺:ある作曲家の発言』(音楽之友社、1965年) 注)作曲家・深井史郎による評論集。辛口で有名だった人物だけに、内容は痛快。コンサート評における正確さは他の追随を許さない。 柴田南雄『わが音楽 わが人生』(岩波書店、1995年) 注)高名な作曲家・音楽学者の柴田南雄の自伝。師である諸井三郎に関する記述など興味深い。 高橋巌夫『昭和激動の音楽物語』(葦書房、2002年) 注)高橋巌夫氏は音楽プロデューサーで、興行を行う側から見た戦時中の音楽の状況を垣間見ることができる。 團伊玖磨『青空の音を聞いた―團伊玖磨自伝』(日本経済新聞社、2002年) 古関裕而『古関裕而―鐘よ鳴り響け』(日本図書センター、1997年) 朝比奈隆『楽は堂に満ちて―朝比奈隆回想録』(音楽之友社、2001年) |<音楽家研究・伝記> 国立音楽大学付属図書館・現音ドキュメント作成グループ(深谷周子・杉田わか子・三宅巌)(1999)『ドキュメンタリー 新興作曲家連盟 戦前の作曲家たち 1930~1940』(国立音楽大学付属図書館) 富樫康『日本の作曲家』(音楽之友社、1956年) 日本音楽舞踊会議編『作曲家との対話』(新日本出版社 , 1982年) 日本近代音楽館編(1998)『戦後作曲家グル-プ・活動の軌跡 1945-1960』、日本近代音楽館 日本近代音楽館編(1999)『プロフィール27 作曲家群像 新興作曲家聯盟の人々』、日本近代音楽館 Ontomo mook(「音楽芸術」別冊)『日本の作曲20世紀』(音楽之友社、1999年) 秋山邦晴著/林淑姫編『昭和の作曲家たち―太平洋戦争と音楽』(みすず書房、2003年) 井田敏『まぼろしの五線譜―江文也という「日本人」』(白水社、1999年) 『朝比奈隆のすべて 指揮生活60年の軌跡』(芸術現代社、1997年) 渕眞吉『楽聖 山田耕筰を囲む人びと』(赤とんぼの会、1996年) 金田一春彦『十五夜お月さん―本居長世 人と作品』(三省堂、1982年) 上沼八郎著、日本歴史学会編『伊沢修二』(吉川弘文館、1988年) 信濃教育会編『伊沢修二選集』(信濃教育会、1958年) 木部与巴仁『伊福部昭・音楽家の誕生/タプカーラの彼方へ』(本の風景社、2004年) 木部与巴仁『伊福部昭 音楽家の誕生』(新潮社、1997年) 小林淳『伊福部昭 音楽と映像の交響(全2巻)』(ワイズ出版、上2004年、下2005年) 相良侑亮『伊福部昭の宇宙』(音楽之友社、1992年) 注)様々な方面から伊福部音楽を論じた記念碑的著作。 斎藤秀隆『古関裕而物語―昭和音楽史上に燦然と輝く作曲家』(歴史春秋出版、2000年) 注)戦時中の話等、少々美化して記述している節がある。研究ではなく伝記。 日下徳一『貴志康一 よみがえる夭折の天才』(音楽之友社、2001年) 喜多ちえ「貴志康一―大阪生まれの天才マエストロ」(梅棹忠夫監修/なにわ文化研究会編『なにわ大阪再発見 第4号』大阪21世紀協会文化部、2001年) 野瀬吉信「ベルリン・フィル指揮した夭折の天才・貴志康一」(産経新聞「日本人の足跡」取材班著『日本人の足跡 第3巻―世紀を超えた「絆」求めて』産経新聞ニュースサービス、2002年) 上田賢一『上海ブギウギ1945 服部良一の冒険』(音楽之友社、2003年) 早崎えりな『ベルリン・東京物語 音楽家クラウス・プリングスハイム』(音楽之友社、1994年) 田辺久之『考証 三浦環』近代文藝社、1995 岡野弁『メッテル先生 朝比奈隆・服部良一の楽父、亡命ウクライナ人指揮者の生涯』(リットーミュージック, 1995.7) 山本尚志『日本を愛したユダヤ人ピアニスト レオ・シロタ』(毎日新聞社、2004年) |<個別研究> ―音楽史 岩野裕一 『王道楽土の交響楽 満洲-知られざる音楽史』 (音楽之友社, 1999年) 海野弘『一九二〇年代の音楽』(音楽之友社、1995年) ―洋楽受容史 佐野仁美(2010)『ドビュッシーに魅せられた日本人 フランス印象派音楽と近代日本』、昭和堂 津金澤聰廣/近藤久美(2006)『近代日本の音楽文化とタカラヅカ』世界思想社 塚原康子『十九世紀の日本における西洋音楽の受容』(多賀出版、1993年) 中村洪介『近代日本洋楽史序説』(東京書籍、2003年) 注)近代日本洋楽史の始まりを、従来の音楽史を覆して、一八〇〇年代前後まで遡らせ、日本人の近代音楽への精神活動を、史料、辞書や日記、新聞広告などから読み解いた本。 同上『西洋の音、日本の耳―近代日本文学と西洋音楽』(春秋社、1987/2002) 注)本書執筆の意図は2つある。一つは、日本に西洋音楽が導入され、漸く近代人としての意識の中に根付き出した時期に当って、非音楽専門家達がこの異質の文化をどのように受け止めたかを、日本対西洋という比較文化的観点から見直すこと、もう一つは、音楽と文学の境界領域を開拓することである。作品原典資料を精確に読み解いた、洋楽受容にみる日本近代化論。 中村理平『洋楽導入者の軌跡―日本近代洋楽史序説』(刀水書房、1993年) 同上『キリスト教と日本の洋楽』(大空社、1996年) 宮沢縦一編著『明治は生きている 楽壇の先駆者は語る』(音楽之友社、1965年) 皆川達夫先生古希記念論文集編集委員会‖編『音楽の宇宙―皆川達夫先生古希記念論文集』(音楽之友社、1998年)より<洋楽受容> 倉田喜弘「ロンドンの日本劇《ムスメ》」 関根和江「ラファエル・ケーベルの日本における演奏活動について」 手代木俊一「ジョージ・オルチン師とL. W. メーソン――オルチン書簡をとおして」 仲万美子「日中両国での西洋音楽受容初期にみる五線譜に関わる活動について」 中村洪介「文政3年出島上演の「二人猟師 売娘」」 樋口昭「日曜日にはバンドがひびく――横浜浮世絵が描く音と音楽」 樋口隆一「ユダヤ系音楽家と日本の音楽界」 林淑姫「夢の転位――明治が見た音楽の<近代>試論」 横田庄一郎『第九「初めて」物語』(朔北社、2002年) ―社会学的 渡辺裕『宝塚歌劇の変容と日本近代』(新書館、1999年) 渡辺裕『日本文化 モダン・ラプソディ』(春秋社、2002年) ―文化政策 奥中康人『国家と音楽 伊澤修二がめざした日本近代』春秋社、2008 軍事史学会編『軍事史学 第44巻第2号 特集 戦争と音楽』錦正社、2008年 小宮多美江「皇紀二千六百年と眠っていた楽譜」(『文化評論』324号、1988年3月、p172-180) 注)紀元二千六百年奉祝楽曲として日本政府が委嘱した、ブリテンの「シンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲)」がお蔵入りになった事情を、皇紀2600年に関する洋楽関係行事についても触れながら紹介している。 杉沢盛二(2010)『戦前の歌曲認可制度に関する研究 認可記録の収集と法令の検討を通して』、むつ 杉沢盛二 戸ノ下達也「戦時体制下の音楽界―日本音楽文化協会の設立まで」(赤澤史朗・北河賢三編『文化とファシズム―戦時期日本における文化と光芒』(日本経済評論社、1993年)) 戸ノ下達也著/小宮多美江編集協力(2001年)『戦時下音楽界の再編統合 ~ 清瀬保二メモにみる ~ 楽壇新体制促進同盟から日本音楽文化協会へ』音楽の世界社(現代日本の作曲家・別冊2) 戸ノ下達也『音楽を動員せよ 統制と娯楽の十五年戦争』青弓社、2008 戸ノ下達也、長木誠司編著『総力戦と音楽文化 音と声の戦争』青弓社、2008 戸ノ下達也(2010)『「国民歌」を唱和した時代―昭和の大衆歌謡』、吉川弘文館 古川隆久「「紀元二六〇〇年奉祝」と対外文化交流」〔近代日本研究会編『年報・近代日本研究・12 近代日本と情報』(山川出版、1990年)〕 森脇佐和子『山田耕筰さん、あなたたちに戦争責任はないのですか―教科書に書かれなかった戦争Part16 大学生が戦争を追った』(梨の木社、1994年) 渡辺裕/増田聡他著『クラシック音楽の政治学』(青弓社、2005年) 注)戸ノ下達也「戦時下のオーケストラ」所収 ―伝統と変容 塚原康子(2009)『明治国家と雅楽-伝統の近代化 / 国楽の創成』、有志舎 寺内 直子(2010)『雅楽の〈近代〉と〈現代〉――継承・普及・創造の軌跡』、岩波書店 ―教育 上田誠二(2010)『音楽はいかに現代社会をデザインしたか―教育と音楽の大衆社会史』、新曜社 河口道朗監修(2005)『音楽の思想と教育(音楽教育史論叢第1巻)』、開成出版 河口道朗監修(2005)『音楽と近代教育(音楽教育史論叢第2巻)』、開成出版 前田紘二(2010)『明治の音楽教育とその背景』、竹林館 村松定孝、上笙一郎編『日本児童文学研究』(三弥井書店、1974年) 注)童謡の発展の研究に結構な紙面を割いている ―唱歌 岡部芳広(2007)『植民地台湾における公学校唱歌教育』明石書店 金田一春彦、安西愛子編『日本の唱歌』上中下巻(講談社文庫、1974年) 高婙(2010)『近代中国における音楽教育思想の成立 留日知識人と日本の唱歌』、慶應義塾大学出版会 高仁淑(2004)『近代朝鮮の唱歌教育』、九州大学出版会 山東功(2008)『唱歌と国語 明治近代化の装置』講談社 嶋田由美(2008)『唱歌教育の展開に関する実証的研究』博士学位論文 (東京学芸大学, 2008年, 博教育乙第36号) 安田寛(1999)『すると彼らは新しい歌をうたった 日韓唱歌の源流』、音楽之友社 安田寛(2008)『日本の唱歌と太平洋の讃美歌 唱歌誕生はなぜ奇跡だったのか』東山書房 劉麟玉(2005)『植民地化の台湾における学校唱歌教育の成立と展開』、雄山閣 渡辺裕(2010)『歌う国民―唱歌、校歌、うたごえ』、中央公論新社 ―歌謡曲、軽音楽 瀬川昌久、大谷能生(2008)『日本ジャズの誕生』、青土社 永嶺重敏(2010)『流行歌の誕生―「カチューシャの唄」とその時代』、吉川弘文館 ―映画、劇などを含む 秋山邦晴『日本の映画音楽史』(田畑書店、1974年) 小林淳著/井上誠編集『伊福部昭の映画音楽』(ワイズ出版、1998年) 小林淳『日本映画音楽の巨星たち〈1〉早坂文雄・佐藤勝・武満徹・古関裕而』(ワイズ出版、2001年) 小林淳『日本映画音楽の巨星たち〈2〉伊福部昭・芥川也寸志・黛敏郎』(ワイズ出版、2001年) 小林淳『日本映画音楽の巨星たち〈3〉木下忠司・團伊玖磨・林光』(ワイズ出版、2002年) 古川隆久(2003)『戦時下の日本映画―人々は国策映画を観たか』、吉川弘文館 増井敬二『日本オペラ史 ~1952』(水曜社、2003年) 注)1903年に「オルフェウス」が初上演されて100年。明治時代のオペラ移入期から1952年の二期会成立までの期間を日本オペラの誕生・生育期として捉え、その歩みを網羅する。 増井敬二『日本のオペラ―明治から大正へ』(東京音楽社、1984年) 升本匡彦『横浜ゲーテ座 明治・大正の西洋劇場』(岩崎博物館出版局、1986年) ―吹奏楽、音楽批評、その他 谷村政次郎『行進曲「軍艦」百年の軌跡』(大村書店、2000年) 阿部勘一/細川周平/塚原康子/東谷護/高澤智昌『ブラスバンドの社会史』(青弓社、2001年) 久保正敏『昭和歌謡曲の歌詞にみる旅と観光―三つの旅をめぐって』(石森秀三編「観光と音楽」東京書籍、1991年、p245-284) 吉川英史「昭和前期のある日本音楽観―兼常清佐博士の論を中心として―」(野村良雄先生還暦記念行事実行委員会編『音と思索 野村良雄先生還暦記念論文集』音楽之友社, 1969年) 後藤暢子(2003)「作曲家と批評家の対峙にむけて」(五十殿利治+水沢勉『モダニズム/ナショナリズム―1930年代日本の芸術』、せりか書房、pp.62-87) 小村公次『徹底検証・日本の軍歌―戦争の時代と音楽』学習の友社、2011年 戸ノ下達也、横山琢哉編著『日本の合唱史』青弓社、2011年 日本近代音楽館編(2002)『大田黒元雄とその仲間たち 雑誌『音楽と文学』 (1916〜1919) 回想・プロフィール・記事一覧』、日本近代音楽館 山根銀二/野村光一『批評から見た音楽20年』(音楽評論社、1948年) 注)両氏の演奏会批評の再録。発行年からわかるよう敗戦前の日本における演奏会の状況がわかる。 山根銀二(1986)『音楽批評・山根銀二の時代 山根銀二著作集』芸術現代社 日本洋楽史top トップページ 名前 コメント