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imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 葉巻とも呼ばれる胴体と、長大な航続距離を得るために採用したインテグラルタンクのため、燃料に引火しやすいのが欠点です。真偽の程は定かではありませんが、揶揄的に「ワンショット・ライター」、「ジッポー」、「フライング・シガー」と呼ばれたと言われています。 マレー沖海戦において、史上初めて作戦行動中の戦艦を撃沈したことにより、航空機の威力を世界中に知らしめました。 機体の脆さについては軍も認識しており、後期型では防御力が改善されました。 後継機の開発に失敗したこともあり、大戦全期間を通じて使用(悲しいことに大戦末期には、桜花発射母機としても使用された。)されました。 最後は、徹底抗戦を叫ぶ日本軍残党の迎撃が懸念される中、機体全面を白く塗装し、日の丸の代わりに緑十字を付けた機体が、降伏文書調印のために日本代表団を運ぶという重要な役目を果たしました。 太平洋戦争の緒戦からその締めくくりまで活躍した戦史に残る重要な爆撃機です。 連合軍コードネームは「ベティー(Betty)」 AcesHighにおけるG4M Ver.2.22 で追加された機種です。 AcesHighでは、一式陸上攻撃機一一型が使用可能です。 共通アイコンは「G4M」 G4M1 Betty 一式陸上攻撃機一一型 戦闘行動中の戦艦を撃沈するという、戦史に名を残す大活躍をした機体ですが、それも大戦初期の話、大火力の大戦末期欧州機が跋扈するLWAでは極めて脆弱で、爆弾搭載量の少なさなどからあまり活躍の機会がない機体です。 初期型なので、翼が被弾すると燃えやすいです。 がんばれ一式陸攻 後部銃座に20mmの機関砲を搭載。真後ろから敵機が来れば強いぞ! でも、ちょっと下方に潜られると全然見えんぞ・・・ 酷いぞ一式陸攻 脆い・鈍い・積めないの三拍子! ワンショットライターとか言うレベルじゃないほど燃えるぞ! 一式陸攻戦史―海軍陸上攻撃機の誕生から終焉まで 太平洋戦争の三菱一式陸上攻撃機部隊と戦歴 (オスプレイ軍用機シリーズ) 銀河/一式陸攻 (ハンディ判図解・軍用機シリーズ) 1式陸上攻撃機 (世界の傑作機 NO. 59) 帝国海軍一式陸攻―双発機の概念を凌駕した中型陸上攻撃機の真実 (〈歴史群像〉太平洋戦史シリーズ (42)) コメント まったく見かけませんな… -- 名無しさん (2014-03-09 11 19 44) 名前 コメント
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登録日:2014/10/13 Mon 22 47 10 更新日:2023/01/15 Sun 11 06 05NEW! 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 ライター 一式陸上攻撃機 三菱 化け物 太平洋戦争 攻撃機 日本 海軍 爆撃機 一式陸上攻撃機は、大日本帝国が運用した攻撃機であり、驚異的な双発機である。 連合艦隊司令長官である山本五十六が撃墜された際に乗っていた機体としても有名である。 性能諸元 開発史 技術的特徴 戦歴 その後 性能諸元 全幅 24.88m 全長 19.63m 全高 6.000m 主翼面積 78.125m2 自重 8,050kg 総重量 15,451kg 発動機 火星二一型(離昇1,850馬力) 最大速度 437.1km/h(高度4,600m)※防弾ゴム未装着時は468.6km/h(高度5,000m) 実用上昇限度 8,950m 航続距離 2,500km(爆撃)/6,060km(偵察)※防弾ゴム装着後は5,613kmまで低下 爆弾 60kg爆弾12発、250kg爆弾4発、500kg又は800kg爆弾1発 魚雷 800kg魚雷1発 固定兵装 7.7mm旋回機銃3挺(前方・側方)20mm旋回機銃2挺(上方・尾部) 乗員 7名(主/副操縦手、主/副偵察手、主/副通信手、搭乗整備員) 開発史 大日本帝国では、保有できる艦艇を制限されておりその分を航空機で補うという方法を見いだした。 それが陸上攻撃機「陸攻」の始まりである。 その経緯で生まれたのが特殊偵察機を元にした九六式陸上攻撃機であった。 が、細長い胴体により兵器搭載量や航続力が劣っており更なる高性能機が要求された。海軍上層部は次の要求をした。 九六式陸攻の後継機は、発動機を強化し航続距離を4800km以上に延伸させよ という無茶ぶりもいいところな要求だった。 なぜかと言えば、当時の機体は4000km台だと四発機に匹敵するものであり、あのB-17でさえ爆弾を搭載しても3500kmが精一杯であった。 その中で双発機でこれだけの航続距離を誇れと言うのだからあまりにも非現実的な要求だったのだ。 三菱は海軍に対して四発機にしたらどうかと頼んだが、その会合で議長を務めていた和田操(海軍航空技術廠長)の怒りを買っただけで却下されてしまうのである。 このため当時としてはオーソドックスな双発機として開発される事になり、三菱はこれを達成するために様々な努力をした。 海軍は既に九六式陸攻が日中戦争の渡洋爆撃で中国軍の保有するI-15やカーチスホークといった複葉機に撃墜されていることからより高性能な機体を求めたのである。 ちなみに上記の経緯からか、仮想戦記ではしばしば一式陸攻を四発化した様な大型陸上攻撃機が登場するが、実はこんな後日談があったという。 本庄 ところがね、この4発ということについては、皮肉というか、結果的には4発案が通らなかったのは、私にはありがたいことになったんです。 というのは、もし4発にして、そのかわり装備は完全にしろということになっていたらね、これはこまったろうと思います。 というのが、こういう装備をしたり、大きな搭載量をカバーすることのできるような部品なんかが十分でなかったんです。 大きなプロペラとか、防弾に使うダハード鋼の生産量が足りないこととか、それに穴をあける技術がないこととか、ゴムの生産量とかね。 だから、もし4発案が通っていたら、ずいぶん大変だったと思うし、できなかったでしょうね。 えらい責任をとらされるところだった。 ――今では、4発でなくてよかったと思っていらっしゃいますか。 本庄 そうですねえ、なにしろ、私の専門外のところでひっかかっちゃうということでね。 出典:『保存版 銀河/一式陸攻 軍用機メカ・シリーズ13』(私は“過酷な要求”にこう応えた),雑誌「丸」編集部,光人社,1994年,P136 DC-4Eの国産化着手(13試陸攻の深山)、渡洋爆撃機(TB)の構想、中島の手で18試陸攻の連山を実用化寸前までこぎ着けるなど大型機を軽視していた訳ではないが、 当時の日本にとって四発陸上機の量産・配備は過ぎた代物で、大型飛行艇(九七大艇や二式大艇)の整備が限界だったのである。 技術的特徴 まず、胴体は空気抵抗を減らすために太い葉巻型にした。これが本機のトレードマークとなった。同じ機体はアメリカのB-26にも見られるが別に参考にしたわけではない。 続いて燃料タンクであるが、その太い胴体なら燃料をいっぱい積めるのではと思われるが胴体の真下は爆弾層になっており、上部は乗員の居住区画になる。しかも、発動機は九六式陸攻の「金星」よりも強化された「火星」を使う都合でどうしても大量の燃料が必要になる。でなければ長く飛べない。結局のところ、その燃料は翼に入れなければならなかったのだ(ここ注目)。 更に九六式陸攻より旋回性能を上げるためあえて小さい尾翼を用いた。見かけに判じて抵抗が少なく当時の操舵方式である人力でも容易に機体を動かせたのである。 なにより、九六式陸攻になく本機より搭乗員が喜ぶであろう部分と言えば人力で収納していた車輪を電動式に変えたことである。それだけでなく、九六式では半分出ていた車輪を一式では完全に収容し空気抵抗の低減に貢献したのである。 戦歴 完成した一式陸上攻撃機は、早速日中戦争に投入されたのだが目立った損害はなかった。 これは、既にデビューした零戦が制空権を掌握していたために中国空軍が活動をほぼ封殺されていたからである。 その後、日米開戦に向けて一路主戦場を中国大陸から太平洋に切り替えることになる。 本機は日米開戦と同時にフィリピン諸島のアメリカ陸軍の基地を爆撃したのを始め、太平洋の諸島で連合軍相手に善戦した。 なかでも、いちばんの成績がマレー沖海戦である。イギリスはマレー半島に上陸した日本軍を迎え撃つため戦艦2隻を中心とした部隊を派遣した。 が、長大な航続距離を誇る陸攻隊総計57機が包囲し周囲から雷爆撃を敢行。遂にこの2隻を撃沈し世界中を驚愕させた。対して日本側の損害は数機だけである。 しかし、翼に燃料を満載した本機は敵戦闘機の迎撃には脆弱である事が開戦後に露呈した。日本軍の制空権が揺らぎ始めた1942年8月以降は被害が急激に増大、慌てて自動消火装備や防弾装備などの増設を行った。 当時の日本の技術と工業力の問題から本機の防弾装備や自動防漏装置は高性能化する敵戦闘機の攻撃に対し十分な性能を持つとは言いがたかったものの、消火装置は質、数共に充実したものが搭載されていた。 実際、この時期に発生したギルバート諸島における戦闘では、護衛戦闘機がいないという絶望的な状況ながら米軍制空圏の強行突破に成功、出撃部隊の大半を失いながらも空母「インディペンデンス」に魚雷を命中させた。 後のマーシャルの戦いでも野中五郎中佐率いる1式陸攻9機が空母「ヨークタウン」を雷撃し全機帰還するなど、一定の成果を上げている。 米軍の側からも一式陸攻の防御力は高く評価されており、先述のギルバート諸島における戦闘で陸攻隊を迎撃した駆逐艦の艦長は、多数の戦闘機に一方的な銃撃を受けながら火災も爆発も起こすこと無く進撃を続け、ついには雷撃を成功させた挙句逃げ切ってみせた一式陸攻の防御力を賞賛した。 もっとも支那事変から参加しているベテラン中攻乗りの評価は厳しく、防弾装備と自動消火装置を備えた22型でも「これとても比較的効果は薄かった」と批評している。 陸上爆撃時は、侵入高度が8,000m~8,500mの場合だと対空砲火による被撃墜機は比較的少数で済んだが、6,000m~7,000mでは多大な被害が生じたという。 本機のパイロットとして有名な人に、高橋淳曹長があげられる。 ガダルカナル島の戦いにて、海面スレスレを飛ぶ一式陸攻の有名な写真があるが、それのパイロットである。 なお死亡フラグというものを嫌う人であり、部下が遺書を書くことを禁止して「どんなことをしてもお前らを連れて帰ってくるから」と言ってたそうな。 ちなみにこの方、90歳を超えても現役のパイロットを続けていて、2014年には世界最年長としてギネスに登録されている。 高橋氏は令和3年12月7日逝去された。満九九歳、享年百歳。 その後 後継機であるはずの16試陸攻(泰山)の開発中止、雷撃も可能な15試陸爆の銀河が誉エンジンの不調、生産が遅れたことにより、1943年以降も戦力として使われた。 しかしながら制空権を完全に掌握された状況では、本機は『死に行くようなものだ』と忌み嫌われた。 より高性能である銀河でさえ容易に撃墜される状況では、本機の活躍の場は無かったのだ。 ちなみに銀河飛行隊を率いた鈴木瞭五郎大尉によれば、対艦・対地爆撃で25乃至50%、雷撃時は50乃至75%が撃墜されるという大損害を被ったそうである。 その窮状に、日本軍は人間爆弾・有人ミサイルとの悪名高い特攻機『桜花』の母機として転用するに至る(G4M2E、24型丁)。 しかし鈍重になってしまい、当初の第一次桜花特攻では野中五郎少佐の率いる18機が全滅、アメリカ側から再び七面鳥狩りと評される結果を招いてしまった。 最終型である34型(G4M3)では防弾性能の強化と引き換えに航続性能は低下した。 防弾ゴムを内張にした影響で、燃料搭載量が22型の6,490リットルから4,398リットルと3割以上減少したせいである。 タンクはカネビアン式と呼ばれる仕様にしており(天然ゴムよりも燃えにくい人工ゴム)被弾しても燃えにくい構造となっていたが、設計者の本庄季郎によれば「不完全なもので、全然無防備のものより、発火までに敵弾の発射数が多少多くなる程度のもの」で十分とは言えなかった。 当時は既に制空権を握られていたので、陸攻が昼間に飛んで敵に近づけるのは奇跡に属しているとされ、攻撃機として使われた例は少ない。(特攻の主体も次世代機であったので) なお、戦後に残った機体は白に塗装し緑色の十字架を書いて高官輸送機として使われた。 追記・修正は陸攻を拝んでからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] とくに嫌いじゃないけど好きでもない飛行機だな。 -- 名無しさん (2014-10-13 22 54 12) 二式大艇の印象が強すぎて、こっちのイメージが今いちわかない。 -- 名無しさん (2014-10-13 22 55 16) せやな -- 名無しさん (2014-10-15 13 11 46) あったなぁ -- 名無しさん (2014-10-15 13 55 46) あまり格好よくないね -- 名無しさん (2014-10-15 14 32 58) 受け継がれた機体ってなんだ -- 名無しさん (2014-10-15 14 54 14) せやな -- 名無しさん (2014-10-15 19 34 09) 一式は日本海軍航空機を知る際に零戦の次くらいには見ると思うなー。所感 -- 名無しさん (2014-10-15 23 35 06) 四発機のくだりは仮に認められたとしても当時は設計できませんでしたというオチがあるんだけど何故かスルーされがちなんだよな。本庄氏自身の証言だから嘘じゃないのに -- 名無しさん (2014-10-16 00 24 11) ↑だせえ話だぜ -- 名無しさん (2014-10-16 15 50 54) 長い胴体部分と後方旋回機銃が良い味出してる -- 名無しさん (2014-10-16 23 13 21) 一式が「ライター」なんて呼ばれるようになったのは戦後からで、末期でも対空砲火で撃墜された機体のが多いんだそうな -- 名無しさん (2014-10-16 23 30 00) ん、間違えた。末期じゃなくて戦時中かな -- 名無しさん (2014-10-16 23 31 02) 日本海軍における攻撃機の内、単発は艦上攻撃機、双発は中型陸上攻撃機(中攻)ないし中型飛行艇、三~四発は大型陸上攻撃機(大攻)ないし大型飛行艇(大艇)という分類になってるから新型中攻開発で四発にしてくれという要求が通る筈ないんだよね -- 名無しさん (2014-10-18 17 06 28) 映像作品では音速雷撃隊が有名だな -- 名無しさん (2015-03-08 07 49 15) この機体と零戦の影響で日本軍機といえば紙装甲のイメージが強い -- 名無しさん (2015-07-20 12 17 22) 米軍も防御力を高く評価したってそりゃ単に戦闘機の射撃がヘタクソで弾が当たってないだけだろ。後期にいたっても消火装置と薄っぺらいゴム被覆しかないのに防御力もクソもあるかよ -- 名無しさん (2021-01-22 21 41 00) 名前 コメント
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一式陸上攻撃機 性能(LV時) 名前 HP/EP 回避(空/陸/空) 高度/移動 スキル リーダースキル 一式陸上攻撃機 - /- 0 /0 /0 空 / 空(並) なし /なし なし 深山 強型 (火力) - /- 0 /0 /0 空 / 空(並) なし /なし なし 深山 駆型 (速度) - /- 20 /20 /20 空 / 空(並) なし /なし なし 連山 剛型 (火力) - /- 0 /0 /0 空 / 空(並) カウンター /なし なし 連山 成型 (バランス) - /- 5 /5 /5 空 / 空(並) カウンター /なし なし 連山 翔型 (速度) - /- 30 /30 /30 空 / 空(速) カウンター /なし なし
https://w.atwiki.jp/kokomadeyonda/pages/48.html
帝國海軍の双発陸上攻撃機。略称「一式陸攻」。 転移後は雷撃の必要性が無くなった為、専ら長距離爆撃に使用されている。 実用上昇限度約9000m、往復飛行距離2000キロ圏内の爆撃任務をこなす。この高度と飛行距離はグラナダ戦役時のワイバーン・ロード?にはとても手が出せない物で悠々と飛んでいく一式陸攻を2000mほど(この時の一式陸攻の高度は8000m)下から見上げるしかなかったのである。 第一次レムリア空襲ではレムリア王国王都郊外の森林地帯に爆撃する為、120機が参加した。 第二次レムリア空襲ではレムリア各地の主要都市の上空に姿を現し、レムリア国民を恐怖に震えさせた。
https://w.atwiki.jp/1942_fhsw/pages/542.html
名称 一式陸上攻撃機 略称 一式陸攻 武装 + 一一型 60kg爆弾搭載型 プライマリ セカンダリ 1番席 爆撃照準 60kg爆弾×12発 2番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(尾部銃座1門) 3番席 九二式 7.7mm機銃(上部銃座1門) 4番席 九二式 7.7mm機銃(右側方銃座1門) 5番席 九二式 7.7mm機銃(左側方銃座1門) 6番席 九二式 7.7mm機銃(機首銃座1門) 250kg爆弾搭載型 プライマリ セカンダリ 1番席 爆撃照準 250kg爆弾×4発 2番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(尾部銃座1門) 3番席 九二式 7.7mm機銃(上部銃座1門) 4番席 九二式 7.7mm機銃(右側方銃座1門) 5番席 九二式 7.7mm機銃(左側方銃座1門) 6番席 九二式 7.7mm機銃(機首銃座1門) 800kg爆弾搭載型 プライマリ セカンダリ 1番席 爆撃照準 800kg爆弾×1発 2番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(尾部銃座1門) 3番席 九二式 7.7mm機銃(上部銃座1門) 4番席 九二式 7.7mm機銃(右側方銃座1門) 5番席 九二式 7.7mm機銃(左側方銃座1門) 6番席 九二式 7.7mm機銃(機首銃座1門) 魚雷搭載型 プライマリ セカンダリ 1番席 九一式 45cm魚雷×1発 2番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(尾部銃座1門) 3番席 九二式 7.7mm機銃(上部銃座1門) 4番席 九二式 7.7mm機銃(右側方銃座1門) 5番席 九二式 7.7mm機銃(左側方銃座1門) 6番席 九二式 7.7mm機銃(機首銃座1門) + 二二型 60kg爆弾搭載型 プライマリ セカンダリ 1番席 爆撃照準 60kg爆弾×12発 2番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(尾部銃座1門) 3番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(上部銃座1門) 4番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(右側方銃座1門) 5番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(左側方銃座1門) 6番席 九二式 7.7mm機銃(機首銃座1門) 250kg爆弾搭載型 プライマリ セカンダリ 1番席 爆撃照準 250kg爆弾×4発 2番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(尾部銃座1門) 3番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(上部銃座1門) 4番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(右側方銃座1門) 5番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(左側方銃座1門) 6番席 九二式 7.7mm機銃(機首銃座1門) 800kg爆弾搭載型 プライマリ セカンダリ 1番席 爆撃照準 800kg爆弾×1発 2番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(尾部銃座1門) 3番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(上部銃座1門) 4番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(右側方銃座1門) 5番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(左側方銃座1門) 6番席 九二式 7.7mm機銃(機首銃座1門) 魚雷搭載型 プライマリ セカンダリ 1番席 九一式 45cm魚雷×1発 2番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(尾部銃座1門) 3番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(上部銃座1門) 4番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(右側方銃座1門) 5番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(左側方銃座1門) 6番席 九二式 7.7mm機銃(機首銃座1門) + 二四丁型 プライマリ セカンダリ 1番席 二式 13mm機銃(機首1門) +Shiftキーで機銃の照準を移動 2番席 九九式二号三型 20mm機関砲(尾部銃座1門) 3番席 九九式二号三型 20mm機関砲(上部銃座1門) 4番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(右側方銃座1門) 5番席 九九式一号一一型 20mm機関砲(左側方銃座1門) 6番席 桜花搭乗 概要 日本海軍の攻撃機。大戦初期から後期まで長い間登場する。 防御機銃は一一型こそ軽武装だが、二二型以降は防御機銃が大幅に強化される。 機動性は双発機としては中程度。耐久性はあまり高くないが、複数人が搭乗している場合は修理効果で結構なタフさを見せることも。 なお、マレー沖海戦マップに登場するものは一人乗りのため銃座が全部廃止されている。 コメント 魚雷を搭載してる奴ももちろんいる -- 名無しさん (2014-02-08 11 47 22) むしろ初期は九六式陸攻未実装のせいでこれが登場し、戦力が上がっている場合もある。 -- 名無しさん (2014-02-08 13 53 50) なぜか防御機銃がやたら強い20㎜でハリネズミと化している。爆装はやや少なめ。機動性は悪くないが防御は並 -- Shokaku (2021-04-01 21 33 19) 名前 コメント
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九六式陸上攻撃機(96しきりくじょうこうげきき) 帝國海軍の双発陸上爆撃・雷撃機。略称「九六式陸攻」「中攻」。 三菱内燃機株式会社名古屋航空機製作所で設計され、設計主務者は一式陸攻と同じ本庄季郎技師。 九六式艦上戦闘機?と並んで日本の航空技術が欧米と同等のレベルまで進んだことを示した最初の機体。当時としては驚異的な航続性能を有し、日中戦争から太平洋戦争(大東亜戦争)の初期まで第一線で活躍した。なお海軍の命名法によって急降下爆撃ができない本機は爆撃機ではなく攻撃機とされた。 転移後、一式陸上攻撃機の登場とともに第一線から退いたが、その長大な航続距離を買われ、その半数が二式陸上輸送機として活躍――残り半数は保管――している。 ……というよりも、長距離輸送機を多数必要――何しろ帝國本国と大陸との間は遠い――としたため、やむをえず九六式陸攻を戦列から外したというのが実情だろう。 一一型 航続距離:4550キロ(最大) 最高速度:時速350キロ 巡航速度:時速250キロ 武装:7.7ミリ機銃3門 爆装:通常、最大800キロまで 九六式21型 全幅 25.0m 全長 16.5m 総重量 8000kg エンジン 三菱金星45型 1000馬力2基 最大速度 373km/時 航続距離 4380km 乗員 7名 武装 20mm機関砲×1、7.7mm機銃×4 魚雷または爆弾800kg 初飛行 1935年 1939年に毎日新聞社の主催で世界一周飛行を行った『ニッポン号』は、本機の民間型である -
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攻撃機 大日本帝國軍 兵器名 価格 編成 耐久 最大索敵 最大防御 移動力通常/高速 燃料 武器名称 弾数 火力 射程 回数 G1M1九三式陸上攻撃機 1900 1 5 低5 地38 8 / 9 120 7.7mm旋回銃7.7mm旋回銃500kg爆弾250kg爆弾91式航空魚雷 4,4,43,3,30,0,10,2,01,0,0 11545 11111 33101010 G3M2a九六式陸上攻撃機 一一型 4600 1 7 地5 地41 8 / 10 220 7.7mm旋回銃7.7mm旋回銃800kg爆弾250kg爆弾91式航空魚雷 4,43,30,11,11,0 11645 11111 33101010 G3M3九六式陸上攻撃機 二三型 8100 1 7 地5 地41 9 / 12 290 20mm旋回砲7.7mm旋回銃800kg爆弾250kg爆弾91式航空魚雷 1,18,80,11,11,0 31645 11111 33101010 G4M1一式陸上攻撃機 一一型 5400 1 6 低5 地42 10 / 12 210 20mm旋回砲7.7mm旋回銃800kg爆弾500kg爆弾91式航空魚雷 1,1,18,8,80,1,00,0,11,0,0 31655 11111 33101010 G4M2一式陸上攻撃機 二二型 6500 1 6 地5 地43 10 / 12 280 20mm旋回砲7.7mm旋回銃800kg爆弾500kg爆弾91式航空魚雷 2,2,26,6,60,1,00,0,11,0,0 31655 11111 33101010 G4M3e一式陸上攻撃機 三六丁型 3200 1 6 地5 地40 7 / 8 210 20mm旋回砲7.7mm旋回銃800kg爆弾500kg爆弾桜花 4,4,43,3,30,1,00,0,11,0,0 31658 11114 33101010 G5N113試陸上攻撃機 深山 9400 1 8 地5 地43 9 / 10 280 20mm旋回砲7.7mm旋回銃2000kg爆弾94式航空魚雷91式航空魚雷 2,2,28,8,80,0,10,2,02,0,0 311185 11111 33101010 G8N118試陸上攻撃機 連山 24000 1 10 地5 地44 12 / 14 370 20mm旋回砲13mm旋回銃2000kg爆弾94式航空魚雷91式航空魚雷 6,6,65,5,50,0,10,2,02,0,0 321185 11111 33101010 米国軍 兵器名 価格 編成 耐久 最大索敵 最大防御 移動力通常/高速 燃料 武器名称 弾数 火力 射程 回数 B-25Hミッチェル 7900 1 12 地5 地42 10 / 12 110 75mm機関砲12.7mm機銃12.7mm旋廻銃454kg爆弾航空魚雷 1,15,58,00,21,0 72245 11111 3331010 AD-3Nスカイレーダー 7900 10 4 地5 地46 10 / 12 100 30mm機関砲907kg爆弾454kg爆弾航空魚雷5inchロケット 2,2,20,1,00,1,03,0,00,0,6 37454 11111 21111 AC-47Dスプーキー 2400 1 8 地5 地41 9 / 10 130 7.62mm機銃 6 1 1 2
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一式陸上攻撃機の略称。
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日本海軍からの試作指示、十試艦上攻撃機に基づいて中島飛行機の中村勝治技師が開発したのが九七式一号艦上攻撃機(二号は三菱が開発)です。 一号の初飛行は1937年(昭和12年)1月18日で、同年11月16日に制式採用されました。 日本軍機初となる引き込み脚、フラップ付主翼及びセミインテグラルタンクが採用されています。この引き込み脚の開発に当たっては、空技廠が入手したたった1枚のヴォートV143原型機の写真を参考にしたと言われています。 翼型は糸川英夫技師が設計したNN-5です。 日本海軍における艦上攻撃機の主任務は、水平爆撃と雷撃でした。 連合軍コードネームはKate Aces Highにおける九七式艦上攻撃機九七式三号艦上攻撃機兵装 性能諸元 コメント Aces Highにおける九七式艦上攻撃機 一号のエンジン「光」を公称出力970hpの「栄」一一型に換装したのが九七式三号艦上攻撃機(制式採用は1939年12月)で、AHでは九七式三号艦上攻撃機が使用可能です。 真珠湾攻撃における大戦果の立役者ともいえる機体です。 共通アイコンは「B5N」 長らく放置されてきた3Dモデルがバージョン3.02パッチ9で最新モデルに更新されました。 九七式三号艦上攻撃機 AHではB5N2が使用可能である。 連合軍の艦上機が優秀なため、Melee Arenaにおいて対艦・対地攻撃に利用することはほとんど無いでしょう(イベント専用といっても良い機体だと思われます。)。 同じ艦攻であるTBM-3と比べ爆弾搭載量・防弾・速度では劣りますが、低空低速での運動性能は勝っており、戦車へ正確な緩降下爆撃が可能です。 搭載できる魚雷は、日本海軍の誇る九一式航空魚雷で、連合軍の魚雷と比較すると射程距離が短い代わりに高速なのが特徴となっています。 爆弾種類には、汎用爆弾(GP)と徹甲爆弾(AP)があります。 固有アイコンは「B5N」 兵装 Center Points Armament 6 x 60 kg GP Bombs 1 x 7.7mm Type 92 791 rpg 1 x 800 kg AP Bomb 2 x 250 kg GP Bombs 1 x Type 91 Torpedo 性能諸元 No. 爆弾 数 爆弾 数 合計 1 250kg 3 750kg 2 800kg 1 800kg 3 800kg魚雷 1 800kg魚雷 97式艦上攻撃機 (世界の傑作機 NO. 32) 世界の傑作機 特集 中島九七式艦上攻撃機 [古書] 丸メカニック NO.18 特集 九七式艦上攻撃機 (世界軍用機解剖シリーズ) コメント 九七艦攻大好き! -- Me262#3 (2012-12-25 01 25 27) 名前 コメント
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帝國海軍艦上攻撃機。略称「九七艦攻」。 昭和10年(1935年)に帝國海軍が、中島飛行機、三菱重工業に十試艦上攻撃機としての競合試作を命じ、中島案を昭和12年(1937年)九七式一号艦上攻撃機として、三菱案を九七式二号艦上攻撃機として採用した。競合試作なのにどちらも採用されたのは、どちらの試作された機体もたいして性能差がなかったからである。 日本海軍として初の全金属製の低翼単葉機であり、一号機は国産単発機初の引込脚を採用。それまでの九六式艦上攻撃機?に比べて約100キロも上回るスピードが出た。乗員は3人である。日本では「九七式艦攻」または、「九七艦攻」と省略して表記されることもあり、アメリカ側のコードネーム"KATE"(ケイト)。 九七式一号艦上攻撃機 中島飛行機で開発された本機(後に九七式艦上攻撃機一一型と改称)は、同時期に開発中であった十試艦上偵察機(後の九七式艦上偵察機)に採用していた可変ピッチプロペラや蝶型フラップ、密閉式風防などを採用している。のちにこの一号機の発動機を「栄」11型に変更したものを九七式三号艦上攻撃機(後に九七式艦上攻撃機一二型と改称)として採用し、以後生産の中心は三号機に移る。一、三号機合わせて1200機強が生産されている。 九七式二号艦上攻撃機 三菱重工業で開発された本機(後に九七式艦上攻撃機六一型と改称)はオーソドックスな固定脚であり、中島機に比べ振動が少なかったため、二号機のほうを好む搭乗員もいたという。しかし油圧系統や主翼折りたたみ機構などに問題があったともいわれる。しかし先に述べた三号機が採用されてからは、生産の中心は中島機になってしまい、当機は昭和15年に生産終了となった。合計で150機ほどが生産されている。 スペック(三号) 全長10.3m、全幅15.52m、全高3.7m 自重2.2t、全備重量3.8t 発動機 中島「栄」11型 出力970馬力(公称) 最高速度378km/h、上昇時間3000mまで7分、 航続距離1993km(過荷) 武装7.7mm機銃×1、800kgまたは250kg爆弾1発 および800kg魚雷1本 -