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浅田彰書誌@wiki 「はじめにメディアありき」(浅田彰)(『イコール』1983年6月号)ということで、メディア掲載順に、書誌を作成しました。 ほぼ網羅はしていると思いますが、未完成です。また、まだ、単行本未収録で、雑誌掲載のみと言う論考があると思います。ご覧になられた皆様の、お力添えを期待いたします。 @wiki ご利用ガイド @wikiの基本操作 @wikiへのお問合せフォーム
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浅田彰 あさだ あきら 題名 荒俣宏 Link 1984.07.01 『SAGE』1984年7月号(No.43) 雑誌 三共社 インタビュー インタビュー(P15)に登場。
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反原発学者リスト 無知っぽい学者・文化人 電力会社とマスコミ 166 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(茨城県)[] 投稿日:2011/07/08(金) 10 48 22.87 ID z81JeKEV0 浅田彰☓田中康夫 ぼくは一方で放射能の危険性を煽りすぎるのはよくないと思う。 広島や長崎で生きてきた被爆者の大多数がガンになったわけじゃないし、 我々が子どもの頃には米ソをはじめとする各国が大気圏内で核実験を やりまくってて日本の放射線量は今よりずっと高かったけど、それで 大勢がガンになったわけでもない。 http //www.sotokoto.net/jp/talk/?id=42 低線量被曝の影響はともかく 核実験との比較なんて4月くらいにとっくに決着してると思ったけど それこそネット限りで なかなか広まらない 170 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(神奈川県)[sage] 投稿日:2011/07/08(金) 11 32 01.24 ID fXc+koC70 166 あうー残念。なんかこういうこと言う気がしていた。 情報収集能力の低下だけではなく、俺たちの世代のほうが~ みたいな意識が背景にあるような気がするのがなんとも。 171 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(catv?)[sage] 投稿日:2011/07/08(金) 11 44 00.86 ID sGP9I9JV0 [2/2] 若干26歳でスキゾキッズとして颯爽と登場したものの、それから30年以上 京都という世界から隔絶された田舎町に引きこもって、ろくな論文もその後書けないで時事放談していただけだから この古めかしい型にはまった伝統芸のような論は、彼らしいね 浅田氏 235 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(dion軍)[] 投稿日:2011/07/08(金) 22 07 42.80 ID 0Ak4S0D50 [1/2] 166 浅田先生ですら、こんなこと言ってるのか。こういうのを見ると 本当に御用学者やその間違いをきちんと指摘しない専門家や 準専門家の罪は重いね。 核実験との比較はリストの諸葛先生の欄に書いてあるけど、 あれじゃあ不十分なのかな。きちんと、一次情報も添付して おいた方がいいんだろうか。 まあ、浅田先生のコメントは原文全部読まないと大意がつかめないので リスト入りは慎重にした方がいいかもね。 238 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(岡山県)[sage] 投稿日:2011/07/08(金) 22 16 52.07 ID nrI6oWxG0 [8/11] 235 広島や長崎で生きてきた被爆者の大多数がガンになったわけじゃないし これよく使われる表現なんだけど ガン等の大きな影響を受けた人は既に亡くなっているわけで 今まで「生きてきた」人の話を持ち出すのはおかしいわけで しかも現在進行中のフクイチとは核分裂生成物の量が違いすぎる 我々が子どもの頃には米ソをはじめとする各国が大気圏内で核実験を やりまくってて日本の放射線量は今よりずっと高かったけど、それで大勢がガンになったわけでもない。 現在の日本は結構ガンの発生率が高いと個人的に思ってるんだけれど それに対して「大気圏核実験がなかった場合」のコントロールと比較しないで 「大勢がガンになったわけでもない」と断定するのは科学的じゃない 243 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(dion軍)[] 投稿日:2011/07/08(金) 22 26 00.60 ID 0Ak4S0D50 [2/2] 166 235 ん?勘違いしたかな?浅田先生が言ってるのは、事故前の平常値 と比べて核実験時代が高かったと言う意味ならわかる。 ただ、 238の言ってる意味はわかるけどね。 ちょっと誤解を招く書き方だね、あれは。 まあ、いずれにせよ、今回の事故で振った放射性物質の量は 核実験時代よりは全然高いはず。 694 名前:地震雷火事名無し(茨城県)[sage] 投稿日:2011/09/08(木) 10 52 41.76 ID Dh1aig+d0 そういう意味で、経済的合理性や技術的合理性からいって原発はつくるべきじゃない。 ぼくは、まずはその線で押すのが現実的だと思うんで、「原子力は人間が手を触れちゃ いけない領域だ、軍事利用のみならず平和利用も人間が傲慢ゆえに犯した過ちで、 とくに原爆の悲劇を体験した日本人が原発を受け入れたのは誤りだった」っていうような 擬似宗教的な議論を前に出すのは避けたほうがいいと思うな(浅田彰) http //www.sotokoto.net/jp/talk/index.php?id=44 page=2 ▼ 695 名前:地震雷火事名無し(静岡県)[sage] 投稿日:2011/09/08(木) 12 56 15.24 ID AFAvsKqA0 694 こういう合理性を前面に押し出せ論は宮台や飯田哲也も言っているが、そんなことは 原発反対派だってさんざんやってきたよ 経産省内部からも合理性を危惧された六ヶ所だって、その省内六ヶ所ストップ派は 惨敗しちゃったじゃないか。「合理性」で追い詰められるほどあの連中は甘いもんじゃないよ http //www.asahi-net.or.jp/~pv8m-smz/archieve/080114hashizume_last.html ▼ 696 名前:地震雷火事名無し(東京都)[sage] 投稿日:2011/09/08(木) 13 14 09.22 ID 7RnTdkBK0 695 飯田哲也は、推進派vs反対派という二項対立の構図になり頓挫した80年代の反対運動を否定する立場。 新エネルギーを推進することによって原発依存から脱却するという方法を実践していて、 これはヨーロッパでの脱原発の実績に学んだ方法。 ▼ 790 名前:地震雷火事名無し(大阪府)[sage] 投稿日:2011/09/08(木) 23 08 18.99 ID ee7JkJxn0 695 再掲だけど、過去スレで以下が印象深かった。要点は「要らない」と意思表示をすること。 でも、 696 の手法のほうが上手なやり方ではあるね。 ”脱原発”という言葉で、アンチって、アンチ対象に存在依存していて、アンチ対象がなくなると 存在できなくなるのね。だから"エネルギーシフト"という言葉の方がより肯定的で、 "要らない"より"要る"、"No"から始まるより"Yes"から始まった方がうまくいくものらしい。 http //hato.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1311722471/240 + だが、中曽根は怒っていた。宿泊先を訪ねてきた三重県漁連常務の宮原九一(93) に「ここまでくると事件だ」とぶちまけた。三重県警には当時の幹部が中曽根から「国 会議員が視察するのに、なぜ排除できないんだ」と問い詰められたという逸話が残る。 三重県警は3日後に捜査本部を設置。事件当日に海保が撮影した写真から特定した 30人を公務執行妨害容疑などで逮捕した。 帰京した中曽根のもとに三重から釈放を陳情する人が続いた。県漁連の山下健作 (84)は中曽根から「原発を受け入れなさい。そうすればすぐに解き放してあげる」 と告げられた。間柄侃也(かんや=75)は取り調べの検事から「中曽根さんは罪を軽 くしてやってくれと言っているぞ」と原発容認を迫られたと証言する。 結局、25人が起訴されて有罪判決を受けたが、反対運動は立地計画の白紙撤回ま でやまなかった。 ▼ 792 名前:地震雷火事名無し(茨城県)[sage] 投稿日:2011/09/08(木) 23 12 18.13 ID 4z8uFOry0 694 核の歴史を見ると擬似宗教的な議論とは言えないね。 ▼ 796 名前:地震雷火事名無し(北海道)[sage] 投稿日:2011/09/08(木) 23 27 27.68 ID ZDEJK4fC0 694 浅田がニューアカで流行ってたころの吉本を見るような感じ。 既視感がある。
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●田中康夫と浅田彰の憂国呆談 season 2(2010.7~)、『ソトコト』木楽舎 WEB掲載版 ●田中康夫と浅田彰の憂国呆談(2008.1~2010.6)、『ソトコト』木楽舎 WEB掲載版 ●田中康夫と浅田彰の続・憂国呆談(全43回、2002.05.04~2006.03.18)、『週刊ダイヤモンド』ダイヤモンド社 WEB掲載版 ●田中康夫と浅田彰の新・憂国呆談(1999.12~2002.1)、『GQ JAPAN』コンデナスト・ジャパン ●間違いだらけのニッポン(1995.1~1999.10)、『NAVI』二玄社 ●新・憂国呆談(全10回、1992.1~1992.10)、『CREA』文芸春秋 ●憂国呆談(全12回、1989.12~1991.11)、『CREA』文芸春秋 単行本化 『憂国呆談』(田中康夫との対談)、幻冬舎、1999.8 『新・憂国呆談 神戸から長野へ』(田中康夫との対談)、小学館、2001.1 『憂国呆談リターンズ:長野が動く、日本が動く』(田中康夫との対談)、ダイヤモンド社、2002.9 『ニッポン解散 続・憂国呆談』(田中康夫との対談)、ダイヤモンド社、2005.9 2002.10-2005.8を収録 経緯 ●「浅田彰 田中康夫のスキゾ・キッズ宣言:勝手にしやがれ」(田中康夫との対談)、『文芸春秋』1984年7月号〔→『田中康夫:しなやかな革命』河出書房新社(KAWADE夢ムック)、2001.5 〕 ●「おしゃれな会話したい!だから、知っておきたいアイテム250 アイテムは知的記号か」(田中康夫との対談)、『Marie Claire』1985年5月号 →『CREA』文芸春秋(1989-1992)→『NAVI』二玄社→『GQ』コンデナスト・ジャパン→『週刊ダイヤモンド』ダイヤモンド社→『ソトコト』木楽舎
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柄谷行人書誌@wiki このwikiは柄谷行人の書誌情報、年譜情報を整理・補充することを目指しています。書誌情報は柄谷行人書誌情報 KARATANI-Bに多くを負っており、関井光男編「柄谷行人著作年譜」やCiNiiなどで補足しました。 凡例 ●単行本目次等の確認にはKARATANI-Bが見やすく丁寧ですぐれているため、当wikiでは目次情報を載せる予定はありません。 ●字面があまりに煩雑になると思われたので、頁数記載はしてません。 ●別の単行本等に再掲載されているものが多いので、適宜改行し「→○○」と見やすく表記します。ただし改題新装版や別題論文集への掲載を別として、文庫化・増補文庫化などでは改行はしません。 ●書誌情報の大半をKARATANI-Bに負っているとはいえ、追加した記事、雑誌特集名などもあるのですが、特に記していません。 ●通例「――」や空白スペースなどで表記される副題は「:」で統一してあります。 ●ぶっちゃけ、wiki設立の理由は「KARATANI-Bの著作リスト 全件がIE以外で閲覧できない、必ずしも見やすくない」にあるので閲覧しやすさやページリンク等の利便性などを重視しています。 ●各年冒頭に記されている○○は柄谷当人・近辺で起きた主要な出来事を記しています。うまく同時代性を明確にできるといいのですが。 @wikiの基本操作 @wikiの設定/管理 @wiki ご利用ガイド よくある質問 @wiki更新情報 @wikiへのお問合せフォーム
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更新日:2012-06-27 作者名: 浅田 彰 読 み: あさだ あきら 作 品: 「天使が通る」「逃走論―スキゾ・キッズの冒険」 レ ス: 801文学部 http //www2.bbspink.com/801/kako/1001/10017/1001744242.html 54 名前: 風と木の名無しさん スキゾキッズと天使が通る、難解なのに文庫持ってる。 眼鏡受け萌え?いや、年下攻め(精神的にしろ)萌え? 初恋話読んで状況は違うけど何だか乙女な某CMが浮かんだり。 「僕は汚れている、いっしょにいると君まで汚してしまう」←女だっけ?脳内変換…。 「嘘だ、君の心はこの川の流れのように澄みきっているんだ」 あれ演劇部というよりヤオイ少女ぽいけど、元ネタってあるんでしょうか? 長野まゆ○さんとかか?←読んでないがイメージ。スマソ ▲PAGETOP 今日: - 昨日: - 合計: -
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浅田彰書誌 プロフィール 著書 編著・監修・編集委員 翻訳 映像 二次文献:特集雑誌 編集雑誌 目次 GS たのしい知識 vol.1-3 GS たのしい知識 vol.4-7 日経イメージ気象観測 季刊思潮 季刊都市 批評空間 第1期 批評空間 第2期1号-10号 批評空間 第2期11号-25号 批評空間 第3期1-4号 批評空間 邦訳出典 InterCommunication 執筆記事・参加座談会(紙面未掲載含む) 掲載記事1981年 掲載記事1982年 掲載記事1983年 掲載記事1984年 掲載記事1985年 掲載記事1986年 掲載記事1987年 掲載記事1988年 掲載記事1989年 掲載記事1990年 掲載記事1991年 掲載記事1992年 掲載記事1993年 掲載記事1994年 掲載記事1995年 掲載記事1996年 掲載記事1997年 掲載記事1998年 掲載記事1999年 掲載記事2000年 掲載記事2001年 掲載記事2002年 掲載記事2003年 掲載記事2004年 掲載記事2005年 掲載記事2006年 掲載記事2007年 掲載記事2008年 掲載記事2009年 i-mode critique 目次, 2000.5-2004.1.20 i-mode critique リンク 連載対談 憂国呆談(浅田彰・田中康夫) 言及対象・論点 フェルメール J・S・バッハ グレン・グールド ジャン=リュック・ゴダール ジャン・ジュネ スラヴォイ・ジジェク ジャック・デリダ ドゥルーズ=ガタリ こどもの資本主義と日本のポストモダニズム 関連:80-90年代の英仏日の雑誌動向 Traverses ZONE FRAME aabiblio雑談室 リンク @wiki @wikiご利用ガイド ここを編集
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京都大学人文科学研究所編『蒙古研究文献目録1900ー1950』 原山煌編(1978)『モンゴル研究文献目録1900ー1972』(合本)、京都大学文学部内陸アジア研究所 ユネスコ東アジア文化研究センター編『日本における中央アジア関係研究文献目録 1879ー1987』(正誤・索引別巻) Judith Nordby "Mongolia" (World Bibliography series Vol.156) Oxford 1993 石井米雄編(2008)『世界のことば・辞書の辞典 アジア編』、三省堂 モンゴル国で2008年に出た"Монгол хэлний дэлгэрэнгүй тайлбар толь 1-5"以外のモンゴル語の辞典の情報が載っています。 モンゴルのブックリスト
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柄谷行人書誌 プロフィール 著書 編著・監修・編集委員 翻訳 二次文献 執筆記事・談話・講演・対談・座談会など 1960s 掲載記事1966年 掲載記事1967年 掲載記事1968年 掲載記事1969年 1970s 掲載記事1970年 掲載記事1971年 掲載記事1972年 掲載記事1973年 掲載記事1974年 掲載記事1975年 掲載記事1976年 掲載記事1977年 掲載記事1978年 掲載記事1979年 1980s 掲載記事1980年 掲載記事1981年 掲載記事1982年 掲載記事1983年 掲載記事1984年 掲載記事1985年 掲載記事1986年 掲載記事1987年 掲載記事1988年 掲載記事1989年 1990s 掲載記事1990年 掲載記事1991年 掲載記事1992年 掲載記事1993年 掲載記事1994年 掲載記事1995年 掲載記事1996年 掲載記事1997年 掲載記事1998年 掲載記事1999年 2000s 掲載記事2000年 掲載記事2001年 掲載記事2002年 掲載記事2003年 掲載記事2004年 掲載記事2005年 掲載記事2006年 掲載記事2007年 掲載記事2008年 掲載記事2009年 言及対象・論点 【マルクス主義】 【60-70年代の思潮】(下記戦後文学欄に関連) 柄谷自身の60年代の交遊・回想言及 【哲学・思想】 【日本思想 江戸思想】 【日本文学 明治/大正/戦前】 夏目漱石 森鴎外 【日本文学 戦後文学】 小林秀雄 坂口安吾 森敦 武田泰淳 三島由紀夫 中上健次 【英米哲学 分析哲学 アメリカ】 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン ソール・クリプキ リチャード・ローティ ジョン・ロールズ 【アメリカ経験 イェール大学】 ポール・ド・マン エドウィン・マクレラン ジャック・デリダ 【英語圏日本学・日本文学研究】 ポール・アンドラ ハリー・ハルトゥーニアン 酒井直樹 リンク aabiblio- 浅田彰書誌 @wiki @wikiご利用ガイド ここを編集