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なりきりネタなんでもあり板@おーぷん2ちゃんねる オリキャラなりきりスレ「現代怪異世界」 【世界観】 怪異。かつて妖怪、カミと呼ばれた者達は、時代の流れと共に鳴りを潜め、怪異の世界で静かに暮らしていた。 此処はきさらぎ駅に程近い、草木生した廃墟の並ぶ、怪異達の住まう村。 ある日、怪異の世界に穴が空き始め、きさらぎ駅も何かの拍子に人間の街と繋がってしまう。 村には度々人間が迷い込むようになり、また人の街にも怪異が蠢き始める。 ある怪異は現世で人間を襲い出し、ある人間は怪異に誑かされ怪異に染まり出す。 これは怪異たちと、怪異に出逢った人間たちの奇妙な物語。 【世界概要】 現代日本の某都市に怪異が蔓延った世界 怪異は怪異の能力を持つが、人間の世界にも怪異に対抗する術が存在する 怪異を見破れる人間はそう多くなく、警察や自治体もよほどの事がないと取り合ってくれない 怪異と契約して力を与えられたり、怪異と混じり合い半妖になった人間も存在する 人を襲う怪異も、逆に人と協力する怪異もいる 【ルール】 世界観に逢わない設定や度を越したチート能力でない限り特に制限は無し。 基本殺害は禁止。イベントなどで相談の上する場合は例外。 住人によるキャラ査定 確定描写禁止、その他基本的なマナーに反する行為の禁止。 【名前】名前 【年齢】年齢 【性別】記入自由 【正体】怪異か、人間か、それとも半妖か どのような存在か 【所在】主にどこに住んでいるか 【容姿】容姿 【能力】能力 【所持品】武器でも好物でも 【備考】その他生い立ちなど
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ご町内が舞台 女の子の国[女の子向けアニメ]の舞台は現代である。宇宙や地球といった誇大妄想な概念はあまり出てこず、事件はもっぱら地域社会や学校の周辺、ご町内で起きる。(26) 男親の目から女の子向けアニメを見る。 [女の子向けアニメの主人公は]テレビの前の女児にとっては憧れと感情移入の対象である(男児はたぶんこんなテレビは見ていない)。と同時に、大人の男の中にも、じつは隠れファンがいるのだ。なぜか。女の子の国は、ファッションと恋愛(とその延長にある結婚や家庭)が絶対価値をもつ「私的な」社会である。魔法少女は、視聴者であるお嬢ちゃんよりは親御さん、とりわけ男親の目から見た「理想的なうちの娘」として描かれている。少なくともそう考えると、つじつまがあるのである。(45) 七光り娘 採用差別があるほどだから当然だが、[男の子向けアニメに登場する]地球防衛チームに入るには、親のコネが絶大な威力を発揮する。……一般に、チームのスタッフが御用学者や偉いさんの娘(孫娘)であることは、採用する側にとっては「身元に間違いのないお嬢さんであること」を意味し、博士の側からいえば「家の外でも自分の目の届く範囲に娘を置いておくこと」を意味する。そんな娘だからこそ「男の職場」へのお出入りを例外的に許されたのだともいえるし、当の娘にしてみれば「パパの威光や権力が及ぶ場所」で仕事をするわけだから、けっこう気持ちがいいだろう。(50-1)
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2012年11月16日 「シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち(3) ヨーロッパ諸国編」の一部として公開 2012年12月5日:加筆修正してページを分割 Index 現代欧米探偵小説傑作選集(オリエント書房、1947年1月) おまけ1:世界傑作探偵小説集(未来社、1946年11月) おまけ2:欧洲大陸探偵小説シリーズ(新東京社、1946年12月) おまけ3:苦楽探偵叢書(苦楽社、1947年12月) 現代欧米探偵小説傑作選集(オリエント書房、1947年1月) 1940年代初頭、イタリアの探偵作家のジョルジョ・シェルバネンコ(1911-1969)は、ボストン警察で犯罪記録の保管係をしている地味な職員のアーサー・ジェリング(Arthur Jelling)と、そのワトソン役・語り手である精神病理学者のトンマーゾ・ベッラ(Tommaso Berra)のコンビが活躍する「ホームズ型」の探偵小説を書いた(ローベール・ドゥルーズ『世界ミステリー百科』[JICC出版局、1992年]の「ジョルジョ・シェルバネンコ」の項目参照)。 このシリーズは1940年から1942年にかけて5編の長編が発表されている。どれも未訳なのだが、1947年1月に日本で《現代欧米探偵小説傑作選集》(オリエント書房)というミステリ叢書が創刊された際、その全30巻の予告ラインナップにはジョルジョ・シェルバネンコの『六日目の脅迫』(Sei giorni di preavviso)と『ルシアナ失踪』(L'antro dei filosofi)という作品が入っていた。これはそれぞれ、アーサー・ジェリング・シリーズの第1作と第4作にあたる(第4作はイタリア語原題から直訳すると『哲学者の洞窟』)。この叢書は残念ながら、カルロ・アンダーセン(デンマーク)の『遺書の誓ひ』(吉良運平訳)の1冊だけで中絶してしまっている。全30巻の予告ラインナップは、光文社文庫《江戸川乱歩全集》第29巻『探偵小説四十年(下)』の解題p.818で見ることができる(ということを実は今日[2012/12/05]知った)。 《現代欧米探偵小説傑作選集》で唯一刊行された『遺書の誓ひ』に付された文章を見ると、これは訳者の吉良運平が戦後のトルコでドイツ語の《現代欧米探偵小説集》全50巻を読破し、これをすべて持ち帰り、そのうち30巻を翻訳刊行するものだと書かれている。「吉良運平」という筆名はトルコ語の「キュランベー」(弱きをたすけ強きをくじく、町の侠客)に由来するそうだ。 江戸川乱歩の『探偵小説四十年』の昭和21年度(1946年度)の章に、「吉良運平の飜訳計画」という小見出しの節がある(光文社文庫《江戸川乱歩全集》版では第29巻[探偵小説四十年(下)]p.244)。それによると、吉良運平はヨーロッパ駐在の三井物産社員。『遺書の誓ひ』刊行の翌月には、探偵作家クラブ(現・日本推理作家協会)の発足の契機となった探偵作家の集まりである「土曜会」に出席し、「欧洲探偵小説界の近況」という講演をしている。 さて、このドイツ語の《現代欧米探偵小説集》全50巻というのが気になったので、オリエント書房の《選集》の予告ラインナップにあった作家名を適当に並べて検索してみたらところそれらしきものがすぐに見つかった。おそらく、スイスのアルバート・ミュラー出版(Albert Müller Verlag)が1940年から刊行した《AMセレクション》(AM-Auswahl)というのがそれだろう。古典ミステリを紹介するドイツのサイトの「こちらのページ」でこの《AMセレクション》のラインナップが示されている。リンク先によると、この叢書は全50巻で刊行を終えたわけではなく、1967年までに全255巻が刊行されたようである。「こちらのページ」では著者別の一覧を見ることができる。《選集》全30巻のラインナップは、基本的にこの《AMセレクション》の最初の50冊(1940年~1944年)から選ばれたものである。例外が3冊あるが、それについては後述。 《現代欧米探偵小説傑作選集》(オリエント書房、1947年)の予告ラインナップ(通し番号順)および、その原典の推定 # 国 作者 予告邦題 《AMセレクション》版タイトルと通し番号 原題 1 デンマーク カルロ・アンダーセン 遺書の誓い Das Kriegstestament (12) Krigstestamentet 2 デンマーク ニールス・メイン 海浜ホテルの殺人 Mord im Strandhotel (7) Mysteriet i Sandkroen 3 フランス アンドレ・ウェルテ とんがり帽の男 Der Mann mit dem spitzen Hut (52) L enigure du chapeau 4 デンマーク オットー・シュライヒ 死の放送 Ein Sender ruft um Mitternacht (6) Midnats samtalerne 5 アメリカ カーター・ディクスン 四人目の客 Der vierte Gast (4) Death in Five Boxes 6 イタリア アウグスト・デ・アンジェリス 宿命のC Das verhängnisvolle C (21) Il do tragico 7 アメリカ ジョン・ディクスン・カー ネット際の殺人 Mord am Netz (14) The Problem of the Wire Cage 8 デンマーク カルロ・アンダーセン 三つのジョーカー Die drei Joker (48) De tre jokere 9 イタリア エツィオ・デリコ 動物園殺人事件 Vollmondnächte im Zoo (25) Plenilunio allo Zoo 10 スイス レナート・ウエリング 死の跳躍 Der Todessprung (33) ※ドイツ語作品 11 アメリカ ジョン・ディクスン・カー 呪われたる家 Das verhexte Haus (47) The Man Who Could Not Shudder 12 イタリア アウグスト・デ・アンジェリス チネチッタ撮影所の怪事件 Das Geheimnis von Cinecitta (26) Il mistero di Cinecitta 13 イタリア エツィオ・デリコ 犯人なき殺人 Mord ohne Mörder (32) L affare Jefferson 14 イタリア エツィオ・デリコ モレル家の秘密 Familie Morel (27) La famiglia Morel 15 デンマーク ニールス・メイン 失われた急行列車 Der verschwundene Zug (16) Torget der vorsvandt 16 オランダ ボアッセバン 異なれる姉妹 Ungleiche Geschwister (外) Discrete Dood 17 アメリカ カーター・ディクスン 短剣とストリキニーネ Mit Dolch und Strychnin (45) Seeing Is Believing 18 アメリカ ヒュー・ペンティコースト 二十四番目の馬 Das 24. Pferd (46) The 24th Horse 19 フィンランド ミカ・ワルタリ 死の戯れ Gefährliches Spiel (42) Komisario Palmun erehdys 20 アメリカ ジョン・ディクスン・カー シラ城の混乱 Verwirrung auf Schloß Shira (51) The Case of the Constant Suicides 21 デンマーク カルロ・アンダーセン 荘園の秘密 Das Geheimnis des Gutshofs (18) Politiet beder os efterlyse... 22 スイス ルドルフ・ホーホグレンド 郵便私書函八四号 Postfach 84 (19) ※ドイツ語作品 23 イタリア アウグスト・デ・アンジェリス 三つの蘭花 Drei Orchideen (34) Il mistero delle tre orchidee 24 アメリカ カーター・ディクスン 死神の隠したフィルム Der Tod dreht einen Film (11) And so to Murder 25 デンマーク カルロ・アンダーセン 決定的な証拠 Der entscheidende Beweis (31) Det afgorende bevis 26 イタリア ジョルジョ・シェルバネンコ ルシアナ失踪 Luciana ist verschwunden (41) L antro die Filosofi 27 アメリカ ミニョン・エバハート 五分後 Fünf Minuten später (29) The Hangman s Whip 28 アメリカ レスリー・フォード 致命的な愚かさ Tödliche Torheit (22) Road to Folly 29 イタリア ジョルジョ・シェルバネンコ 六日目の脅迫 Der sechste Tag (28) Sei giorni di preavviso 30 アメリカ トリー・チャンスラー 恐れを知らぬルシイ Lucie schreckt vor nichts zurück (24) Our First Murder 《現代欧米探偵小説傑作選集》(オリエント書房、1947年)の予告ラインナップ(国別・作者別)および、その原典の推定 国 作者 # 予告邦題 《AMセレクション》版タイトルと通し番号 原題 アメリカ(10冊) ジョン・ディクスン・カー(3冊) 7 ネット際の殺人 Mord am Netz (14) The Problem of the Wire Cage 11 呪われたる家 Das verhexte Haus (47) The Man Who Could Not Shudder 20 シラ城の混乱 Verwirrung auf Schloß Shira (51) The Case of the Constant Suicides カーター・ディクスン(3冊) 5 四人目の客 Der vierte Gast (4) Death in Five Boxes 17 短剣とストリキニーネ Mit Dolch und Strychnin (45) Seeing Is Believing 24 死神の隠したフィルム Der Tod dreht einen Film (11) And so to Murder ミニョン・エバハート(1冊) 27 五分後 Fünf Minuten später (29) The Hangman s Whip レスリー・フォード(1冊) 28 致命的な愚かさ Tödliche Torheit (22) Road to Folly ヒュー・ペンティコースト(1冊) 18 二十四番目の馬 Das 24. Pferd (46) The 24th Horse トリー・チャンスラー(Torrey Chanslor)(1冊) 30 恐れを知らぬルシイ Lucie schreckt vor nichts zurück (24) Our First Murder フランス(1冊) アンドレ・ウェルテ(André Welte)(1冊) 3 とんがり帽の男 Der Mann mit dem spitzen Hut (52) L enigure du chapeau イタリア(8冊) アウグスト・デ・アンジェリス(Augusto De Angelis)(3冊) 6 宿命のC Das verhängnisvolle C (21) Il do tragico 12 チネチッタ撮影所の怪事件 Das Geheimnis von Cinecitta (26) Il mistero di Cinecitta 23 三つの蘭花 Drei Orchideen (34) Il mistero delle tre orchidee エツィオ・デリコ(Ezio D Errico)(3冊) 9 動物園殺人事件 Vollmondnächte im Zoo (25) Plenilunio allo Zoo 13 犯人なき殺人 Mord ohne Mörder (32) L affare Jefferson 14 モレル家の秘密 Familie Morel (27) La famiglia Morel ジョルジョ・シェルバネンコ(Giorgio Scerbanenco)(2冊) 26 ルシアナ失踪 Luciana ist verschwunden (41) L antro die Filosofi 29 六日目の脅迫 Der sechste Tag (28) Sei giorni di preavviso スイス(2冊) レナート・ウエリング(Renate Welling)(1冊) 10 死の跳躍 Der Todessprung (33) ※ドイツ語作品 ルドルフ・ホーホグレンド(Rudolf Hochglend)(1冊) 22 郵便私書函八四号 Postfach 84 (19) ※ドイツ語作品 オランダ(1冊) ボアッセバン(1冊) 16 異なれる姉妹 Ungleiche Geschwister (外) Discrete Dood デンマーク(7冊) カルロ・アンダーセン(Carlo Andersen)(4冊) 1 遺書の誓い Das Kriegstestament (12) Krigstestamentet 8 三つのジョーカー Die drei Joker (48) De tre jokere 21 荘園の秘密 Das Geheimnis des Gutshofs (18) Politiet beder os efterlyse... 25 決定的な証拠 Der entscheidende Beweis (31) Det afgørende bevis ニールス・メイン(Niels Meyn)(2冊) 2 海浜ホテルの殺人 Mord im Strandhotel (7) Mysteriet i Sandkroen 15 失われた急行列車 Der verschwundene Zug (16) Toget der forsvandt オットー・シュライヒ(Otto Schrayh)(1冊) 4 死の放送 Ein Sender ruft um Mitternacht (6) Midnats samtalerne フィンランド(1冊) ミカ・ワルタリ(Mika Waltari)(1冊) 19 死の戯れ Gefährliches Spiel (42) Komisario Palmun erehdys 《選集》全30巻のラインナップは《AMセレクション》の最初の50冊から選ばれたものだと予想していたが、実際にはそれ以外のものが3冊含まれていた。 《AMセレクション》第51巻 ジョン・ディクスン・カー『シラ城の混乱』 《AMセレクション》第52巻 アンドレ・ウェルテ『とんがり帽の男』 ボアッセバン『異なれる姉妹』 このうちオランダの作家のボアッセバンについては、「シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち(3) ヨーロッパ諸国編」の一部として記事を公開した先月の段階では何者なのか分からなかったのだが(そもそもその段階では、乱歩の『幻影城』に基づいて、ボ(・)アッセバンではなくポ(・)アッセバンという名前で探していた)、その後、ブログ「浩寧の事件簿」のホーリン(Ho-Ling)さんから、これは1940年に1作だけミステリを発表したオランダの女性作家のディユーケ・ボアッセバン(Dieuke Boissevain)のことではないかと情報をいただいた。ホーリンさんからは、ボアッセバンのミステリ小説"Discrete Dood"(目立たない死)のドイツ語版"Ungleiche Geschwister"が、《AMセレクション》の出版社であるアルバート・ミュラー出版から出ているということも教えていただいた。このドイツ語タイトルは『異なれる姉妹』という予告タイトルと確かに一致している。「ボアッセバン」というのはこのディユーケ・ボアッセバンのことで間違いなさそうである。 《現代欧米探偵小説傑作選集》は全30巻のうち20巻分が非英語圏の探偵小説だった。もしこの叢書が中絶せずにすべて刊行されていたら、その後の日本での海外ミステリの受容の仕方は大きく変わっていたかもしれない。 【2013年6月15日追記】 翻訳者の吉良運平の正体は若狭邦男『探偵作家追跡』(日本古書通信社、2007年)によれば、渡辺芳夫(1910年生まれ)。本名で『黒いセックス アフリカの生態』(講談社 ミリオン・ブックス、1964年)、『白いセックス 病めるヨーロッパ』(講談社 ミリオン・ブックス、1965年)、『赤いセックス 共産圏の生態』(東都書房、1967年)の著作がある。このうち『黒いセックス』の裏表紙に、「吉良運平の筆名で「悪魔を見た処女」などの小説の著作あり」との記述があるという。なお、エツィオ・デリコ『悪魔を見た処女』(未来社 世界傑作探偵小説集、1946年11月)の訳者は江杉寛だが、吉良運平「イタリーの三人の作家」(『ぷろふいる』戦後版2巻3号、1947年12月、p.32)で吉良運平が『悪魔を見た処女』を「拙訳」としていることから、長谷部史親『探偵小説談林』(六興出版、1988年)では「吉良運平=江杉寛」説が唱えられていた。若狭邦男氏により、「吉良運平=江杉寛=渡辺芳夫」が明らかになった。 【2013年8月12日追記】 《現代欧米探偵小説傑作選集》の未刊に終わった作品のうち、以下の作品のレビューをミステリ研究誌『ROM』135号(2010年10月31日)で読むことができる。 エツィオ・デリコ第9巻『動物園殺人事件』(Plenilunio allo Zoo)(1939) - ROM氏によるレビュー アウグスト・デ・アンジェリス(Augusto De Angelis、1888-1944)第6巻『宿命のC』(Il do tragico)(1937) - つずみ綾氏によるレビュー 第12巻『チネチッタ撮影所の怪事件』(Il mistero di Cinecittà)(1941) - ROM氏によるレビュー 第23巻『三つの蘭花』(Il mistero delle tre orchidee)(1942) - つずみ綾氏によるレビュー おまけ1:世界傑作探偵小説集(未来社、1946年11月) 近日加筆 エツィオ・デリコ(イタリア)『悪魔を見た処女』(江杉寛訳) シュニツレル(オーストリア)『愛慾の輪舞』乱歩は『探偵小説四十年』や『幻影城』巻末の「探偵小説叢書目録」でこの本を未刊行としているが、シュニッツレル『愛慾の輪舞』(末吉寛訳)として1946年に刊行されているようである。 アルトゥル・シュニッツラー(Arthur Schnitzler、1862-1931)の不倫を扱った戯曲『輪舞』(複数の出版社から邦訳多数)と同一作品か? W・シャイダー(不明)『ウィーンで再会した女』ヴィルヘルム・シャイダー(Wilhelm Scheider)の"Urlaub in Wien"(ウィーンの休日)か? ジョルジョ・シェルバネンコ(イタリア)『盲目の人形』アーサー・ジェリング・シリーズ第2作『盲目の人形』(La bambola cieca) おまけ2:欧洲大陸探偵小説シリーズ(新東京社、1946年12月) 近日加筆 S・エルヴェスタード『怪盗』(荒井詩夢訳) (オーストリア)ペルツ - レオ・ペルッツか? ワッサーマン - ドイツのヤーコプ・ヴァッサーマン(Jakob Wassermann)か? (フランス)ギラン - マルセル・ギラン(Marcel Guillain)か? (フランス)デコブラ - モーリス・デコブラか? (フランス)アブリィヌ - クロード・アヴリーヌか? おまけ3:苦楽探偵叢書(苦楽社、1947年12月) 近日加筆
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性分業は資本家の得にならない。 ごく普通に考えるなら、女性を市場から排除して労働の買い手の側[資本家]の利益はない。むしろ不利益になる。(10) 著者の立場 私が採るべきと考える立場は、(3)各々が生活できることを肯定し、これを基本的な価値とする。ゆえに、(1)格差の存在を当然のことと考えず、仕方なく必要な範囲で認める。また(2)成長は、言葉通りの意味ではよいことで、それ自体は否定しないが、そのために他が犠牲になり、それが(3)各々の存在に対して抑圧的に働く場合にはそれを否定する。(11) 格差を問題にする 私たちは、[性差でなく]格差自体を問題にし、経済のあり方を変更する必要があると主張する。(17) どうするか 生産する人に余剰があることを確認した。すると、基本的には、二つ、あるいはその組み合わせになる。一つは財を直接に分配すること、一つは労働を(労働と財とが結びついている社会においては、結果として、財を)分けることである。(17)
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第48話「現代での戦い!」 ザント軍団のアジトでは・・・ クラトス「はぁ・・・はぁ・・・」 サスケ「く・・・」 ベジータ「ち・・・チクショー!」 恋次「ぐ・・・」 リク「・・・」 セフィロス「うぅ・・・」 ザント「命だけは助けてやる。現代をつぶした後には死んでもらうがな。」 クラトス「まだだ・・・」 ザント「お前が出しておいたこのワープホール。使わせてもらうぜ」 ザントは現代世界に飛び立った サスケ「ク・・・クラトス・・・」 クラトス「な・・・なんだ・・・?」 サスケ「あいつらが・・・現代世界を救わねえと・・・俺たち・・・死ぬぞ・・・」 クラトス「・・・そうだな・・・」 ベジータ「あいつらは敵だが・・・祈るしかねえ・・・」 恋次「ザントを倒してくれ・・・」 エンプティー「チームハンターは倒されたか・・・」 アシュナード「どうしますか?」 エンプティー「構わん!ほっておけ。ザントを倒し、この異界の世界と現代世界を制圧するのは私だ」 漆黒の騎士「行きますか」 エンプティー「うむ。行くぞ」 アズラエル「・・・残されたな」 ブレード「俺たちはあんな奴の誘いには乗らねえ」 ブルー「あいつらの仲間じゃねえからな」 スパイクマン「フォルテもそのようだな・・・」 フォルテ「当たり前だ・・・俺はもうあいつらの仲間じゃない・・・」 ???「ならば・・・俺と組むか・・・?」 フォルテ「・・・貴様は・・・」 ブライ「俺と組んで、奴らをぶっ潰すぞ」 アズラエル「アンタも裏切ったんだな・・・ザントを」 ブライ「・・・あぁ」 マスハン「お前たち!大丈夫だったか!?」 クレハン「まったく戻ってこなかったから心配したんだぞ」 マリオ「悪かったな。」 クラウド「別の世界に飛ばされてて・・・」 マスハン「疲れただろ?今日は休め。」 マリオ「そうだな・・・じゃあ、休もうか」 スマッシュブラザーズの久しぶりの合宿所生活が始まった だが・・・ ザント「現代世界か・・・」 エンプティー「見つけたぞ」 ザント「貴様か・・・」 エンプティー「これからこの前の続きをしよう・・・」 ザント「フン・・・やってやるぜ」 アシュナード「エンプティー様。アズラエルたちとフォルテがいません!」 エンプティー「何!?」 漆黒の騎士「こ・・・これは・・・」 エンプティー「どうした!?・・・なんだこれは・・・?」 ザント「ん?・・・ブライ!?なんでそっちにブライがいる!?」 エンプティー「そんなの知らん!手を組んでるじゃないか」 ザント「くっ!こうなったら、手を組むぞ!奴らを倒してから勝負の続きだ!」 エンプティー「そうだな!よし!」 次回 ザント&エンプティーVSブライ&フォルテ! 最強同士の戦いが始まった!果たして、勝つのはどっちだ? 次回「最強同士の大乱闘」お楽しみに
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労働力の供給過剰 みてきたように、専業主婦という存在が可能である条件は、現金で購入する分に限れば、一人分の収入で一家が暮らせることである。これはまったく単純な条件ではあり、そして調べてみないとわからないことでもない、自明なことだ。そしてこの自明なことは、その社会が、専業主婦を労働市場から外しても、市場で作られるだけのものは作られてしまっているということを、これもまた自明なこととして、示している。……多くの「失業者」を抱えてこの社会は既に長らく存在し存続しており、だから、その同じ長い間「完全雇用」などというものが達成されたことはないし、それは必要とされたことでもなかったということである。(14)
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現代社会論 60分 名部圭一 持ち込み不可 以下の4題のうち2つを選択して答えなさい。なお、はじめに選択した番号を記すこと。 (1)自己成就的予言、自己破壊的予言とはどのような現象か。それぞれ具体例を挙げて 説明しなさい。 (2)近代社会における消費形態の変化を、「機能的消費から記号的消費へ」という観点 から論じなさい。 (3)現代的愛の形態であるコンフルエント・ラブの特徴を、ロマンチック・ラブと対比 させて述べなさい。 (4)ケータイ・メールに特徴的なコミュニケーションを、「電話使用のコンサマトリー化」 の観点から論じなさい。
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日本語の代表的な聖書とその歴史(委員会訳編) 『明治元訳聖書』『新約全書』 『旧約全書』 『大正改訳聖書』『改訳 新約聖書』 『文語訳聖書』『舊新約聖書』 『口語訳聖書』『口語訳聖書』 『聖書 原文校訂による口語訳』 『(旧・新)共同訳聖書』『(旧)共同訳『新約聖書』 『新共同訳聖書』 『新改訳聖書』 『岩波委員会訳聖書』 『聖書協会共同訳聖書』 ここでは、日本の代表する聖書翻訳を紹介します。今回は、個人による翻訳聖書ではなく、委員会による翻訳聖書に的を絞ります。 『明治元訳聖書』 『明治元訳聖書』とは、1880年(明治13年)に完成した『新約全書』と、1887年(明治20年)に完成した『旧約全書』を併せたもののことです。 『新約全書』 【翻訳】翻訳委員社中 【翻訳期間】1872~1880年(明治13年) 【影響を受けている翻訳聖書】ジェームズ王欽定訳(KJV) 『新約全書』は日本で初の委員会による翻訳聖書です。 1872年(明治5年)ヘボン、S.R.ブラウン、グリーンなど7名の宣教師が「翻訳委員社中」を結成し、新約聖書の翻訳をはじめました。 ヘボンといえば、ヘボン式ローマ字を開発した人物でも有名ですね。 「ルカ福音書」から翻訳をはじめ、1880年に新約聖書全体が完成し、出版されました。 『旧約全書』 【翻訳】聖書常置委員会 【翻訳期間】1876~1887年(明治20年) 【影響を受けている翻訳聖書】ジェームズ王欽定訳(KJV) 次にヘボンらは、旧約聖書の翻訳に着手します。その際に、翻訳委員会は何度か組み直されました。新約聖書と旧約聖書の翻訳に最後まで関わりつづけたのは、ヘボンのみとなりました。旧約聖書は1876年から翻訳を開始し、1887年に完成しました。 こうして、『新約全書』『旧約全書』ともに翻訳が完成し、これらを併せて『明治元訳聖書』と呼ばれています。 『大正改訳聖書』 『大正改訳聖書』とは、『新約全書』(1880年)を改訂し、1917年(大正6年)に完成した『改訳 新約聖書』のことです。 『改訳 新約聖書』 【翻訳】聖書常置委員会 【翻訳期間】1910~1917年(大正6年) 【影響を受けている翻訳聖書】改訂訳(RV) 『明治元訳聖書』(1887年)は英語の『欽定訳聖書』(KJV)を下地に翻訳されていました。しかし、1884年、イギリスで欽定訳の『改定訳』(RV)が完成しました。そのため、『明治元訳聖書』が完成してまだ間もなかったのにも関わらず、再び改訂しなければならなくなったのです。 『新約全書』の改訂作業は、1910年から開始され、1917年に完成しました。 一方、『旧約全書』の改訂の方は、1942年に日本聖書協会が「旧約聖書改訳中央委員会」を結成して翻訳に着手しました。しかし、完成する前に戦後となり、文語体ではなく口語体(現代語)が主流となったため、旧約聖書全体が文語体の形で刊行されることはありませんでした。 『文語訳聖書』 『舊新約聖書』 【出版】日本聖書協会 【構成】明治元訳(旧約)+大正改訳(新約) 現在、いわゆる『文語訳聖書』と言うのは、明治元訳の『旧約全書』と、大正改訳の『改訳 新約聖書』を併せたもののことを指します。 日本聖書協会(1937設立)がその版権を受け継ぎました。 『口語訳聖書』 『口語訳聖書』とは、一般に日本聖書協会から発行されている『口語訳聖書』のことを指しますが、カトリック教会のフランシスコ会聖書研究所が翻訳した聖書も『原文校訂による口語訳』という名称です。 『口語訳聖書』 【翻訳】聖書現代語訳委員会 【出版】日本聖書協会 【翻訳期間】新約聖書 1951~1954年 旧約聖書 (1942)※~1955年 注※ 旧約全書の改訂をはじめたのは1942年からですが、“現代語”に直しはじめたのは1951年からとなります。 【影響を受けている翻訳聖書】改訂標準訳(RSV) 戦後、文語体から口語体(現代語)が主流となりました。また、アメリカでも改訂訳(RV)を現代英語に改訂した改訂標準訳(RSV)が生まれていました。そのため、文語訳聖書を口語体に直す必要が生じてきました。 現代語に直す際に、新約聖書はすでに出版されている大正改訳を再利用しました。旧約聖書は、1942年から、大正改訳の旧約聖書の翻訳作業がまだ完成しておらずに続いていたので、それを現代語に直していきました。 また、単に現代語に直しただけでなく、RSVの影響を多大に受けつつ、訳文そのものの改訂もなされています。 こうして、口語体での翻訳作業は1950年の末に「聖書現代語訳委員会」が発足され、1951年に翻訳に着手しました。新約聖書は1954年、旧約聖書は1955年、と比較的短期間で完成しました。 『聖書 原文校訂による口語訳』 【翻訳】フランシスコ会聖書研究所 【出版】サンパウロ(旧中央出版社) 【翻訳期間】新約聖書 1956~1978年 旧約聖書 1956~2002年 全巻本の初版 2011年 【影響を受けている翻訳聖書】エルサレム聖書(JB) 『聖書 原文校訂による口語訳』は、フランシスコ会聖書研究所が翻訳したので、「フランシスコ会訳聖書」とも呼ばれます。 ローマ・カトリック教会用の聖書は、それまでエミール・ラゲ訳の新約聖書と、フェデリコ・バルバロ訳の聖書が存在しました。しかし、いずれも個人による翻訳であり、委員会による翻訳聖書が待ち望まれました。 カトリック教会の許可が下り、1956年からカトリック公式の委員会による聖書翻訳がはじまりました。一巻ごとに発売され、1958年、最初に創世記が発売されました。最後のエレミヤ書の翻訳が完了したのが2002年です。約半世紀を経て完成しました。2004年にようやく全巻本が発売されました。 翻訳は、カトリック教会によるエルサレム聖書の影響を受けていて、聖句の欄外に、聖書学の成果も考慮に入れた豊富な註釈が付けられているのが特徴です。カトリックの聖書ですので、旧約聖書の外典(第二正典)も含まれています。 十分に時間をかけて翻訳され、註釈も充実しているため、カトリック以外でも実用に耐え得る完成度の聖書となっています。 『(旧・新)共同訳聖書』 『共同訳聖書』は、プロテスタント教会とローマ・カトリック教会が歩み寄って、共同作業で翻訳することを試みたものです。 共同訳聖書には旧版と新版があります。旧版は1978年に刊行された『新約聖書 共同訳』のことで、新版は1987年に刊行された『聖書 新共同訳』のことを指します。 また、新共同訳の方には「旧約聖書続編つき」とそうでないものの二種類用意されています。 『(旧)共同訳『新約聖書』 【翻訳】共同訳聖書編集委員会 【出版】日本聖書協会,講談社 【翻訳期間】1972~1978年 【影響を受けている翻訳聖書】新英語聖書(NEB),現代英語聖書(TEV) はじめにフランスで、ローマ・カトリック教会とプロテスタント教会が共同して聖書を翻訳する動きを見せました。その影響から、1966年、ヴァチカンと聖書協会世界連盟は、協力して世界各国語で共同訳聖書を作る方針を立てました。こうして、まずフランスで、初の共同訳聖書(TOB)が完成しました。 日本の聖書協会もすぐに対応をはじめした。入念な準備を整えてから、実際に翻訳作業がはじまったのは、1972年からです。そして、1978年に新約聖書の共同訳が完成しました。 『共同訳 新約聖書』は日本聖書協会と講談社から出版されました。講談社が出版している方は、簡単な註釈付きの聖書となっています。 当時のイギリスやアメリカの聖書翻訳(NEB,TEV)は、読みやすい言葉に意訳したものが流行していたため、共同訳聖書も意訳の方針が取られました。また、「ナイダ理論」に基づいて固有名詞を原語に近づける試みがなされました。 しかし、過ぎた意訳や、固有名詞の原音での表記に関して、評判は良くありませんでした。 『新共同訳聖書』 【翻訳】共同訳聖書実行委員会 【出版】日本聖書協会 【翻訳期間】1978~1987年 【影響を受けている翻訳聖書】新英語聖書(NEB),現代英語聖書(TEV) 翻訳委員会は、新約聖書の共同訳が完成したので、引きつづき旧約聖書の翻訳にも着手しました。 しかし、新約聖書の共同訳の評判が良くなかったので、新約聖書も全面的に改訂することになりました。そして、1987年、旧約聖書の翻訳の完成と同時に、『聖書 新共同訳』として新たに出版されました。 カトリック教会では、旧約聖書の外典も第二正典として扱われますが、プロテスタント教会では正典から除外されます。それで、新共同訳聖書には「旧約聖書続編つき」と、そうでないものの二種類あります。 新共同訳聖書は、現在日本の中で最も普及している聖書となっています。 『新改訳聖書』 【翻訳】新改訳聖書刊行会 【発行】日本聖書刊行会 【販売】いのちのことば社 【翻訳期間】1962~1970年、一巻本の初版1973年 【影響を受けている翻訳聖書】新アメリカ標準訳(NASB)、新国際版聖書(NIV) 『新改訳聖書』は、福音主義のプロテスタント教会が中心となって翻訳された聖書です。 聖書は『誤りなき神のみことば』であるという信仰的な立場から翻訳されているため、自由主義神学の視点も考慮に入れている、聖書協会の翻訳方針と対立します。 その翻訳は、新アメリカ標準訳(NASB)や新国際版聖書(NIV)の影響を受けています。 1962年、新改訳聖書刊行会が組織され、翻訳作業がはじまりました。そして、1965年に新約聖書が、1970年に旧約聖書が完成しました。一巻本が販売されたのは、1973年です。 その後、1978年に改訂第2版、2003年に改訂第3版、2017年に改訂第4版が発売されています。 『岩波委員会訳聖書』 【翻訳】旧約聖書翻訳委員会/新約聖書翻訳委員会 【出版】岩波書店 【翻訳期間】1995~2004年 通称、岩波委員会訳聖書とは、岩波書店から出版され、聖書学者たちによる翻訳委員会によって翻訳された聖書です。 特徴として、委員会訳でありながらも、各書の翻訳者の名前を公表しているところです。また、聖句の欄外に、聖書学の観点からの註釈を多めに付けていることです。全体として、教会の既存の教義に束縛されない自由な翻訳となっています。 たとえば、一般の聖書では、今では正確な発音が不明となったヘブライ語の唯一神の名を「主」と置き換えていますが、岩波委員会訳では、その神の名を「ヤハウェ」と訳出しています。 さらに、旧約聖書の配列が、一般の聖書の配列ではなく、ヘブライ語原典の配列になっています。すなわち、「律法」「預言者」「歴史書」「諸書」の順番となっています。 『聖書協会共同訳聖書』 【出版】日本聖書協会 【翻訳期間】2010~2018、2018年12月3日初版刊行 『聖書協会共同や訳聖書』は、日本聖書協会による新しい聖書の翻訳です。 これまで日本聖書協会は、日本を代表する『口語訳聖書』や『新共同訳聖書』の翻訳を手掛けてきました。そして、次世代へ向けて新しい聖書の翻訳を行っています。2010年から翻訳に着手し、2018年に完成しました。 聖書協会共同訳聖書も、カトリックとプロテスタントの共同訳とのことです。そして、これまでの聖書学や翻訳学の成果を取り入れ、過度な意訳を避け、礼拝で用いるのに十分な格調高い日本語を目指しているとのことです。
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前項では恋愛ができないことという、仕方のなさそうな問題を取り上げた。その際にも少し触れたが、現在では恋愛が結婚や性行為の前提条件とされている。いわゆる性・愛・結婚の三位一体であるが、性と結婚との結びつきは近年ではなくなりつつあり、愛(恋愛)と結婚及び性との結びつきが残っているのである。このことが、恋愛のできない苦しみの中心を成しているのかもしれない。 そこでまずは結婚とセクシュアリティの簡単な歴史を、恋愛との関係という観点から記述したい。 まずは結婚について考えよう。そもそも恋愛は結婚と対立することはあっても、不可分のものとされることはなかった。恋愛の起源とされる宮廷恋愛では、水野に従うと、恋愛が、貴族制の産物である結婚とは基本的に対立していた(水野 2006 45)。貴族ではない一般の人々は恋愛ということさえ考えなかっただろう。日本においても明治以前の農村では共同体の中で気の合う者同士が結婚する形が多かったと推測できる。明治に入りもともとは貴族階級のものであった見合い結婚が一般化する。そうすると結婚が恋愛とは対立する事態も発生した。ところが、井上俊の考察によると、1970年代までには、恋愛と結婚とが結び付けられる傾向が強くなり、恋愛結婚が一般化した(井上 1973)。山田の言う「恋愛と結婚の結合戦略」(山田 1994 126)である。ちょうど恋愛の意味合いが「深く魂より愛する」ものから主観的な欲求へと、つまり恋愛が激烈で制御できないものから飼いならすことができるものへと移行してきたことと並行している。国立社会保障・人口問題研究所の調査によると、1960年代後半には恋愛結婚の割合が見合い結婚の割合を上回り、それ以降も恋愛結婚は増加して今日では圧倒的な割合を占めている(国立社会保障・人口問題研究所 2006)。さらに、小谷野によると、見合い結婚に含むべき結婚相談所でさえも恋愛をしていると思わせる仕組みになっているそうである(小谷野 2005)。加えて、現在結婚していても恋愛を感じなくなったら、つまり相手に欲求を引きつけられることがなくなったら、特にほかに恋愛を感じる人がいればなおさら、離婚することが正当化される傾向にある。 それでは次にセクリュアリティについて考えよう。先にあげた柳父による恋愛の定義からも窺えるように、日本においてはおよそ明治以前には、セクシュアリティについてさほど論じられていなかったように推測される。 明治以降の様子については赤川学に詳しい。彼によると、明治期には1875年に出版された『造化機論』を始めとした、開化セクソロジーが導入される。そこでは解剖学的な知識が紹介され、正規の夫婦内での生殖が持ち上げられていた(赤川 1999 104)が、恋愛とは関係なかった。その後「性欲」という用語が広まり、性欲は本能であるので何らかの方法で満たさなければならなく、どのようにして満たすのがよいかといった「性欲のエコノミー問題」が論じられるようになる(赤川 1999 179-202)。ここでもセクシュアリティ(性欲)と恋愛とは分離させられている。1970年代以降には人々の関心の中心は、この「性欲のエコノミー」から、「親密性パラダイム」へと移行することになる(赤川 1999 376)。赤川の言う「親密性パラダイム」とは、「あらゆる性行動の領域において、その当否を判断する基準として「愛」や「親密性」が大きな位置を占めるようになってきていること」(赤川 1999 382)であり、「アンソニー・ギデンズいうところの「親密な関係性」ないし「純粋な関係性」に近似する概念」(赤川 1999 382)である。赤川はまた、「親密性パラダイム」では「愛さえあれば婚姻外セックスも同性愛も婚前セックスも肯定され、同様に愛がなければ、婚姻内のセックスであろうとも否定される」(赤川 1999 383)としている。赤川は続けて、現代では「親密性パラダイム」の一人勝ちといった状態であり、それに勝てるような展望は開かれていない(赤川 1999 383-4)としながらも、誰もが愛や親密性を求めて生きなければならない「親密性パラダイム」の息苦しさを指摘している(赤川 1999 390-1)。現代ではセクシュアリティと恋愛とが密接に結びついているのである。 「愛さえあればどのような性行為をしてもよい」という「親密性パラダイム」の裏を返せば、愛が認められないような親密性に欠ける行為は非難される。「セクハラ」などは当然非難されることに加え、あらゆる倒錯的行為が市民権を得つつある現在でさえも、本人の同意が認められない小さい子どもを相手とする性的な行為は糾弾されるのである。「おたく」が、いくら宮崎勤の連続幼女誘拐事件があったとはいえ、ペドフィリアとあまりに強く結び付けられがちなのはこのためかもしれない。どちらも相手の同意を問うことができないという点で共通しているので、相手の欲求を引きつけて同意を得ようと努力している人たちから非難されると考えることができる。 ここまで、結婚とセクシュアリティの、恋愛に対する関係を見てきた。両者とも1970年代から恋愛との結びつきが目立つようになり、現代では恋愛抜きでは結婚も性行為も認められないほどにまでその結びつきが強まっている。赤川は「親密性パラダイム」という言葉をもっぱらセクシュアリティとの関連で用いていたが、結婚に関しても、「親密性パラダイム」が支配していると言えよう。本論文ではこれ以降、「親密性パラダイム」という言葉をセクシュアリティだけでなく、結婚にまで拡張して用いる。 現代では極めて強い影響力を持っている「親密性パラダイム」では「恋愛(愛)」が要請される。しかし、恋愛の内実は不確かであり、実際に愛情生活を営むためにはあまり高尚なものを求めるわけにもいかず、恋愛が「相手の同意を得ること」程度の意味しか持っていないように感じられる。そうして恋愛が、前項で紹介したような、「特定の相手と心理的、身体的コミュニケーションをとりたい欲求」ほどのものでしかなくなる。 恋愛が「深く魂より愛する」のではなく「コミュニケーションをとりたい欲求」に拠っているのなら、その相手はある特定の人でなければならないわけではなく、交換可能である。実際、雑誌やテレビで組まれている恋愛特集では不特定多数の相手が想定されている。さらにただ交換可能であるだけではなく、序列化される。コミュニケーションをとりたい欲求を多く引きつける人と、あまり引きつけない人との差が発生するのである。こうして人々に商品価値が付与され、いわば恋愛市場が成立するのである。それゆえ、エコノミストである森永卓郎の次のような記述が、ある種の描写としてそれなりの説得力をもつ。 散弾銃方式で撃ち落とすことのできた女性[女性の集団に手当たり次第に声をかけ、いわば散弾銃の雨を降らせた結果脈があった女性]を口説くときには、「こんなことを言ったら逃げてしまうのではないか」などとあれこれ考える前に、「ボクと付き合ってください」と気軽に言ってしまうことだ。そして、女性に断られたら、「失礼しました」とサッと身を引き、絶対に深追いをしてはいけない。すぐに意識を切り替えて、次の女性に向かうのである。それでもダメな場合は、また散弾を放てばいいだけの話だ。(森永 2003 178) さらに、インターネットの出会い系サイトが、実際にどれほど真剣に利用されているかはともかくとして、こういった事態を端的に示している。携帯電話やインターネットの普及が、恋愛の自由化を促進しているのである。 ここまでで論じてきたように、現代では愛情生活における自由化が進行している。「親密性パラダイム」という言葉で表現されるように、結婚やセクシュアリティに恋愛が必要不可欠とされる。そしてその恋愛は「コミュニケーションをとりたい欲求」ほどのものでしかなく、相手の人格を深く尊敬することなどよりも、相手を物と見なしていかに多くの欲求を獲得するかが重視される傾向にある。こうした一連の変化に伴っていくつかの問題が目立つようになってきている。 第一に、結婚やセクシュアリティに恋愛が必要とされることによって、恋愛ができない場合の不具合が非常に大きくなっている。このような状況で恋愛ができないということは、結婚や性行為もできないことを導くので、結婚や性行為を望む人にとって非常に大きな問題になる。 そして第二に、恋愛が相手にコミュニケーションをとりたい欲求でしかないなら、そこでの争いは避けられない。欲求と欲求がぶつかり合うと争いが生じる。例えば、AさんはBさんとコミュニケーションをとりたいと思っているが、BさんはAさんとコミュニケーションをとりたいとは思っていない場合を想像しよう。AさんはBさんに恋愛感情を抱いているが、BさんはAさんに恋愛感情を抱いてないということである。恋愛が絶対的な価値を持っており、そのほかに二人の関係を調整するような規範がないとするなら、争いが発生しがちである。AさんがBさんの上司であったりすると、Bさんは「ストーカー」や「セクハラ」で苦しむかもしれない。逆にBさんのほうがAさんより強い立場にあるなら、「ストーカー」や「セクハラ」だとして、AさんはBさんの身の回りから排除されるかもしれない。「セクハラ」や「ストーカー」といった問題は、当事者の内面を基準にしているので、原理的にはどちらが正しいかを決めることができないのである。もちろん、実際の裁判などでは、外的な行為も考慮される。現実的には「ストーカー」や「セクハラ」を甘受する事例が多く、現在のようにそれらを訴える道が開かれたことには歴史的な意義がある。しかし、「ストーカー」や「セクハラ」に対して敏感になりすぎて、少しでもその疑いがあれば相手を排除しようとするのも問題である。 外的な規範や制度ではなく、恋愛という内面が重視されるために争いが生じやすくなるのである。恋愛感情があるからといってそれを相手に押し付けるのも問題であり、恋愛感情がないからといって相手をひどく扱うことも問題である。後者の問題は本章で紹介した本田透の事例に見られる。恋愛に関してすべてが内面の欲求に還元され、外的な基準が衰退していったために、恋愛が困難になっているのである。そのことを山田は次のように表現している。「現在恋愛が難しくなっているのは、何が恋愛かという主観的構成の規則に対する合意が失われつつあるからだ」(山田 1994 120)。 第三に、恋愛が商品化されること、言い換えると、恋愛市場が現れることによって、恋愛ができる人とできない人とに二極化する傾向にあるのではないだろうか。商品化されるということは、一つの量的基準によってその人の価値が量られることである。そうすると価値の高い人と低い人との差が発生する。商品化されていないと価値を比べることができない。本田透が主張しているように、「おたく」は、この恋愛市場に反対しているのではないだろうか。その恋愛市場で不利益を被る人たち、つまり「モテない」人たちが「おたく」になりやすいということもうなづける。こうした弱者でなくても、恋愛が商品化されることに反感を覚える人たちもいるだろう。 次に恋愛の自由化によって目立つようになったこれらの問題に対する対策を考えよう。 恋愛が結婚や性行為に必須とされること自体が悪いとは主張しづらい。「親密性パラダイム」という言葉を作った赤川も、その息苦しさを指摘していた。とはいえ、必ずしも恋愛があるわけではないような、いわば友愛結婚のような形態もあってよいだろうし、恋愛と切り離して性行為そのものを楽しむのもよいかもしれない。 しかし、恋愛がコミュニケーションをとりたい欲求に還元され、それが絶対的な基準とされることには反対したい。社会生活を営む上では欲求を我慢することも必要である。したくてもしてはいけないことがあり、したくなくてもしなくてはいけないことがある。それは考えてみれば当たり前のことである。してよいこととよくないことの基準を決める際に参照される価値観はいろいろ考えられるだろう。しかしその基準を内面の欲求にすることは、結果的に強い人に加担することになるだけで、何の基準も示していない。女性の発言力を高めるという政治的意義は否定しないが、上野千鶴子の言う「したいときにしたい相手とセックスする自由」(上野 1998 29)などは否定すべきである。 恋愛の商品化に伴い弱者が生まれるという問題は深刻である。「おたく」のように、恋愛市場の外へ出ようとするのも一つの手ではある。
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純粋4コマ主義とは、現代4コマで起こった運動の一つ。いとととが最初に提唱したとされる。 概要 4コマの枠内に何も描かれていない純粋な空間だけを見せることで、視覚的な空間の演出を極限まで追求する運動。 枠内に何も描かれていない状態の4コマだけが真の4コマであり、それ以外は純粋な美しさを持たないとされる。 また、純粋4コマ主義では、4つのコマが縦に並んだオーソドックスな形式の4コマのみを4コマと認めている。 主張 縦に並んだ真っ白な4コマは、その無言の美学が輝きを放つ芸術作品として語り継がれる。 その一切を捉えない真っ白な領域は、受け手に多様な解釈や感情を呼び起こす魅力がある。 この美しい無言の4コマは、観者の内なる風景を照らし出し、思考や感情の深淵に触れる鍵となる。 4コマ内に絵や言葉が存在しないことが、4コマの力強さや繊細さを引き立て、想像力の扉を開いている。受け手は自身の感性と経験を通じて、白い4コマに独自の解釈を与え、その中に見出される美意識や哲学を噛み締める事となる。 批評 「純粋4コマ主義」解説 / 視力 【渋沢たつみのアート批評】純粋4コマ主義 概評 純粋4コマ主義 書籍 純粋4コマ主義(作者:いととと)