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このページはこちらに移転しました 頑張りたくない 作詞/321スレ286 作曲/桐嶋 いつだって甘えたい下種な男 ああ頑張りたくなんてない 「頑張るよ」「疲れたよ」 「慰めて」「また頑張れそう」 「疲れたよ」「応援して」 「また頑張れそう」「疲れたよ」 繰り返して もうなんもかもいやんなった いつだって甘えたい駄目な男 ああいつまでもゆるりとして 「頑張るよ」「疲れたよ」 「慰めて」「また頑張れそう」 「疲れたよ」「ご褒美くれ」 「また頑張れそう」「疲れた辛いよ」 死にたい気分だ もうなんもかもいやんなった また頑張れそう また頑張れそうかい また頑張れそう もう頑張れない もうなに言われても無理だよ 音源 頑張りたくない 動画 頑張りたくない(ニコニコ動画)
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蝦夷国 松前大館 1万石 (蠣崎家)蠣崎季広(利根川幸雄 奥羽 +... 北出羽 ☆檜山城 檜山安東家 3万石 安東愛季(チルノ 十狐城 浅利家(従属) 1.8万石 浅利勝頼(熱気バサラ 土崎湊 湊安東家(一門) 3万石 安東茂季(一方通行 由利12館 小豪族(従属) 1.4万石 角館城 戸沢家(従属) 1.4万石 横手城 小野寺家(従属) 3万石 小野寺ハヤテ 花輪城 2万石 南出羽 23万石 山形城 最上家 6万石 最上義守 尾浦城 大宝寺家 5万石 大宝寺望(義増) 天童城 天童家 2万石 延沢城 延沢氏 2万石 米沢城 伊達家 8万石 伊達晴宗・輝宗 陸奥国 大浦城 大浦家 (従属) 8万石 大浦レーティア(為信) 浪岡城 北畠家 4万石 北畠レオン(具運) 石川城 石川南部氏 2万石 石川涼 三戸城 南部家(一門) 6万石 南部一方(茂季) 八戸城 八戸南部(従属) 5万石 南部雪歩(信長) 九戸城 九戸南部(従属) 6万石 南部伊織(政実) 久慈城 南部氏支城 1万石 斯波家 14万石 高水寺 4万石 (斯波氏) 雫石城 2万石 (斯波氏) 花巻城 3万石 (稗貫氏) 二子城 3万石 (和賀氏) 大槌城 2万石 (大槌氏・阿蘇沼氏) *釜石 葛西家 18万石 寺池城 6万石 (葛西氏) 石巻城 5万石 (葛西氏) 江刺城 5万石 (江刺氏) 浜田城 2万石 (千葉氏) 大崎家 名生城 6万石 (大崎氏) 岩手沢城 4万石 (大崎氏) 一栗城 3万石 (一栗氏) 鶴盾城 5万石 (黒川氏) 伊達家 28万石(出羽8万石+陸奥20万石 ) 岩切城 4万石 留守顕宗・政景(晴宗の子) 白石城 5万石 白石宗利 梁川城 5万石 梁川宗清(稙宗の子) 大森城 6万石 伊達実元(稙宗の子) 相馬家18万石 中村城4万石 草野直清 小高城7万石 相馬盛胤 三春城4万石 田村降顕(田村家) 小野城3万石 田村顕頼(田村家) 岩城家(佐竹家従属)4万石 大館城4万石 岩城重降 蘆名家35万石(陸奥32万石+越後3万石) 猪苗代城5万石 猪苗代盛国 黒川城7万石 蘆名盛氏 久川城4万石 河原田盛次(河原田家) 塩松城3万石 大内義綱(石橋家) 須賀川城4万石 二階堂照行(二階堂家) 二本松城3万石 畠山義国(二本松畠山家) 白河城6万石 結城晴綱(陸奥結城家) 関東 +... 上野52万石 +... 厩橋城 6万石 北条高広(群馬郡)前橋市 箕輪城 6万石 長野業盛(群馬郡)高崎市 白井城 6万石 長尾憲景(群馬郡)渋川市 倉賀野城 5万石 倉賀野尚行(群馬郡)高崎市 松井田城 3万石 安中忠政(碓氷郡)安中市 館林城 6万石 長尾景長(邑楽郡)館林市 金山城 6万石 由良成繁(新田郡)太田市 岩櫃城 3万石 斎藤憲広(吾妻郡)東吾妻町 沼田城 3万石 沼田顕泰(利根郡)沼田市 国峰城 5万石 小幡憲重(甘楽郡)甘楽町 桐生城 3万石 桐生助綱(山田郡)桐生市 下野37万石 +... 宇都宮城 7万石 宇都宮広綱 (河内郡)栃木県宇都宮市本丸町1-15 氏家城 4万石 塩谷義孝 (塩谷郡)栃木県さくら市氏家1297 真岡城 4万石 多功房興 (芳賀郡)栃木県真岡市台町4184 壬生城 5万石 壬生綱雄(壬生家) (都賀郡)栃木県下都賀郡壬生町本丸 鹿沼城 2万石 壬生周長(鹿沼壬生家)(都賀郡)栃木県鹿沼市今宮町 小山城 4万石 小山秀綱(小山家) (都賀郡)栃木県小山市城山町1丁目*結城晴朝は弟 大田原城 2万石 大田原資清 (那須郡)栃木県大田原市城山2丁目 烏山城 5万石 那須高資 (那須郡) 栃木県那須烏山市城山 唐沢山城 4万石 佐野昌綱(佐野氏) (安蘇郡)栃木県佐野市富士町1409 常陸53万石 +... 山尾城3万石 小野寺成道(小野崎家) (多賀郡)茨城県日立市十王町友部600 大山城4万石 大山義在 (茨城郡)茨城県東茨城郡城里町阿波山 太田城7万石 佐竹義昭 (久慈郡)茨城県常陸太田市中城町151 水戸城7万石 江戸忠通(常陸江戸家) (茨城郡)茨城県水戸市三の丸 府中城5万石 大掾貞国(大掾家) (新治郡)茨城県石岡市総社1丁目2-10 鹿島城3万石 鹿島治時(鹿島家) (鹿島郡)茨城県鹿嶋市城山1丁目1 小田城6万石 佐竹義堅 (筑波郡)茨城県つくば市小田1197-20 真壁城3万石 真壁久幹(真壁家) (真壁郡)茨城県桜川市真壁町古城 下妻城4万石 多賀谷高経(多賀谷家) (真壁郡)茨城県下妻市本城町 下館城4万石 水谷正村(水谷家) (真壁郡)茨城県筑西市甲392 *結城晴朝は義弟 土浦城5万石 小田氏治(小田氏) (新治郡)茨城県土浦市大和町6?8 江戸崎城2万石 土岐治英(常陸土岐氏) (稲敷郡)茨城県稲敷市江戸崎甲3212 下総37万石 +... 結城城 5万石 結城晴朝 (結城郡)茨城県結城市結城 *兄は小山秀綱 古河城 6万石 古河藤氏 (葛飾郡)茨城県古河市中央町3丁目10 関宿城 4万石 簗田晴助(梁田家) (葛飾郡)千葉県東葛飾郡関宿町関宿 守谷城 4万石 相馬整胤(下総相馬家) (相馬郡)茨城県守谷市本町 本佐倉城 5万石 千葉胤富 (印旛郡)千葉県印旛郡酒々井町本佐倉*江戸時代に佐倉城(佐倉市)に町ごと移転 矢作城 4万石 国分胤政(国分家)(香取郡)千葉県香取市大崎字城の内 小金城 3万石 高城胤吉(高城家) (葛飾郡 但し旧江戸川以東)千葉県松戸市大谷口*妻は千葉勝胤の娘。千葉胤富の叔父。 臼井城 3万石 里見堯元 (印旛郡)千葉県佐倉市臼井田 小弓城 3万石 里見堯次 (千葉郡)千葉県千葉市中央区南生実町 上総安房は合計値(上総37.9+安房4.5万石) 上総安房 42万石 +... 上総 土気城 3万石 土気玄治(土気酒井家) (山辺郡) 千葉県千葉市緑区土気町 東金城 3万石 酒井敏房(東金酒井家) (山辺郡)千葉県東金市東金1486 椎津城 4万石 真里谷信高 (市原郡) 千葉県市原市椎津 庁南城 4万石 武田豊信(庁南武田家) (埴生郡)千葉県長生郡長南町長南 佐貫城 5万石 里見義弘 (天羽郡)千葉県富津市佐貫 久留里城 8万石 里見義堯(里見家本城) (望陀郡)千葉県君津市久留里 万喜城 3万石 土岐為頼(上総土岐家) (夷隅郡) 千葉県いすみ市万木 勝浦城 5万石 正木時忠(正木家) (夷隅郡)千葉県勝浦市浜勝浦 (寝返り実績あり 大多喜城 3万石 正木信茂(正木家) (夷隅郡) 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜 安房 岡本城 4万石 岡本安泰(随縁斎)(平群郡)千葉県南房総市富浦町豊岡*里見水軍 武蔵66万石 +... 忍城 6万石 成田長泰(埼玉郡)行田市(成田家) 岩付城 6万石 太田資正(埼玉郡)さいたま市(岩付太田家) 松山城 5万石 太田資正(埼玉郡)吉見町(岩付太田家) 羽生城 5万石 木戸忠朝(埼玉県羽生市)(木戸家) 江戸城 7万石 太田康資(豊島郡)千代田区(江戸太田家) 深谷城 6万石 上杉憲盛(榛沢郡)深谷市(深谷上杉家) 鉢形城 3万石 上田朝直(大里郡)寄居町(上田家) 葛西城 5万石 網代大炊允(葛飾郡 但し旧江戸川以西)(里見家) 御嶽城 4万石 秋元景朝(埼玉県大里郡)(深谷上杉家) 河越城 7万石 大道寺政繁(入間郡)川越市 滝山城 7万石 北条氏照(多摩郡)八王子市 小机城 5万石 北条幻庵(橘樹郡)横浜市港北区港北区 江戸時代に葛飾郡の一部が下総国から武蔵国に移動したため、(旧高旧領取調帳のデータは幕末)計算上でも武蔵国の分として扱った 相模 29万石 +... 小田原城 9万石 北条氏康(北条家)神奈川県小田原市城内6-1 玉縄城 6万石 北条綱成(北条家)神奈川県鎌倉市城廻 清泉女学院高等学校 津久井城 6万石 内藤綱秀(北条家)神奈川県相模原市緑区根小屋162 津久井湖城山公園 三崎城 4万石 北条氏規(北条家)神奈川県三浦市城山町 三浦市役所あたり 河村城 4万石 北条氏康(北条家)神奈川県足柄上郡山北町山北 河村城址歴史公園 甲信越 +... 甲斐 22万石 +... 躑躅ヶ崎館 6万石 武田信玄(武田家)山梨県甲府市古府中町 武田神社 若神子城 6万石 武田信玄(武田家)山梨県北杜市須玉町若神子 棒道と書いてあるあたり 岩殿山城 4万石 小山田信茂(小山田家)山梨県大月市賑岡町 岩殿山公園※武田家従属 下山館 6万石 穴山信君(穴山家)山梨県南巨摩郡身延町下山 本国寺※武田家従属 信濃40万石? +... 飯山城 4万石 高梨政頼(高梨家)飯山市※上杉家従属 須田城 5万石 須田満親(須田家)須坂市※上杉家従属 飯田城 3万石 保科正俊(保科家)長野県飯田市追手町※武田家従属 高遠城 3万石 小笠原信貴(松尾小笠原家)長野県伊那市高遠町東高遠2295 高遠城址公園※武田家従属 上原城 3万石 秋山虎繁(武田家)長野県茅野市塚原1丁目22 永明寺山公園 深志城 3万石 馬場信春(武田家)長野県松本市丸の内 松本城 木曾福島城 2万石 木曾義康(木曾家)長野県木曽郡木曽町福島 城山のあたり※武田家従属 小岩嶽城 3万石 小幡昌盛(武田家)長野県安曇野市穂高有明3461 海津城 5万石 春日虎綱(武田家)長野県長野市松代町松代 松代城 戸石城 4万石 真田幸綱(真田家)長野県上田市上野 砥石健城神社のあたり※武田家従属 小諸城 5万石 武田信豊(武田家)長野県小諸市懐古園311 小諸城址懐古園 越後45万石? +... 津川城 3万石 金上盛備(蒲原郡) 東蒲原郡津川町津川 本庄城 3万石 本荘繁長(岩船郡)村上市 新発田城 5万石 新発田長敦(蒲原郡)新発田市 三条城 5万石 山吉豊守(蒲原郡)三条市 鳥坂城 4万石 中条藤資(蒲原郡)胎内市 安田城 3万石 安田長秀(蒲原郡)阿賀野市 栃尾城 3万石 本庄実乃(古志郡)長岡市 与板城 3万石 直江実綱(三島郡)長岡市 琵琶島城 3万石 宇佐美定満(刈羽郡)柏崎市 坂戸城 4万石 長尾政景(魚沼郡)南魚沼市 春日山城 6万石 上杉謙信(頚城郡)上越市 根知城 3万石 村上義清(頚城郡)糸魚川市 佐渡 2万石 +... 雑太城 2万石 本間高統(本間家)佐渡市※上杉家従属 東海 +... 伊豆 7万石 +... 韮山城 4万石 北条氏規(北条家)静岡県伊豆の国市韮山韮山229 静岡県立韮山高校 下田城 3万石 清水康英(北条家)静岡県下田市三丁目19 下田公園 駿河 15万石 +... 興国寺城 3万石 今川氏真(今川家)沼津市 葛山城 3万石 葛山氏元(今川家)裾野市 駿府城 5万石 今川氏真(今川家)静岡市緑区 遠江 25万石 +... 高天神城 5万石 小笠原氏興(今川家)掛川市 掛川城 4万石 朝比奈泰朝(今川家)掛川市 久野城 3万石 久能宗能(今川家)袋井市 二俣城 3万石 松井宗恒(今川家)浜松市天竜区 犬居城 3万石 天野景貫(今川家)浜松市天竜区 曳馬城 4万石 飯尾連竜(今川家)浜松市中区 井伊谷城 3万石 井伊直盛(今川家)浜松市西区 三河 29万石 +... 東条城 3万石 吉良義昭(吉良家)西尾市吉良町駮馬城山※松平家従属 吉田城 5万石 大原資良(今川家)豊橋市 長篠城 3万石 奥平貞能(松平家)新城市 形原城 3万石 松平家広(松平家)蒲郡市 上野城 3万石 酒井忠尚(松平家)豊田市 岡崎城 5万石 松平家康(松平家)岡崎市 田原城 3万石 朝比奈元智(今川家)田原市 刈谷城 4万石 水野信元(水野家)刈谷市※織田家従属 尾張 57万石 +... 清須城 6万石 織田信長(織田家)清須市清洲古城448番地 清洲古城跡 那古野城 5万石 林秀貞(織田家)名古屋市中区本丸1-1 名古屋城 鳴海城 5万石 佐久間信盛(織田家)名古屋市緑区鳴海町字城 城跡公園 下社城 5万石 柴田勝家(織田家)名古屋市名東区陸前町 明徳寺 小木江城 4万石 織田信興(織田家)愛西市森川町下古川 冨岡神社 荒子城 3万石 前田利家(織田家)名古屋市中川区荒子4丁目 天満天神宮 岩崎城 5万石 丹羽氏勝(織田家)日進市岩崎町市場67 日進市役所 岩崎城歴史記念館 岩倉城 3万石 織田信長(織田家)岩倉市下本町城址 犬山城 5万石 織田信清(犬山織田家)犬山市犬山北古券65-2 犬山城※織田家従属 黒田城 4万石 和田新助(犬山織田家)一宮市木曽川町黒田古城26-2※織田家従属 大野城 3万石 佐治信方(佐治家)常滑市金山字城山 城山公園※織田家従属 緒川城 5万石 水野忠守(水野家)愛知県知多郡東浦町緒川字古城 蟹江城 4万石 服部友貞(本願寺)愛知県海部郡蟹江町城 美濃 54万石 +... 岐阜城 7万石 織田信長(織田家)岐阜県岐阜市金華山天主閣18 岐阜城 兼山城 4万石 森可成(織田家)岐阜県可児市兼山 金山城趾 鵜沼城 5万石 池田恒興(織田家)岐阜県各務原市鵜沼南町7丁目 (有)巴商事の隣の丘(橋の横) 鉈尾山城 3万石 佐藤秀方(織田家)岐阜県美濃市曽代 美濃市運動公園わきの古城山 十九条城 4万石 織田広良(犬山織田家)岐阜県瑞穂市十九条831-1 津島神社※織田家従属 大垣城 6万石 氏家直元(氏家家)岐阜県大垣市郭町2丁目52 大垣市役所 大垣城※織田家従属 北方城 5万石 安藤守就(安藤家)岐阜県本巣郡北方町北方216 大井神社※織田家従属 曽根城 5万石 稲葉良通(稲葉家)岐阜県大垣市曽根町1丁目772-1 華渓寺※織田家従属 菩提山城 3万石 竹中重矩(竹中家)岐阜県不破郡垂井町岩手 岩手小学校の裏の山※織田家従属 岩村城 3万石 遠山景任(遠山家)岐阜県恵那市岩村町城山 岩村城跡※織田家従属 郡上八幡城 4万石 遠藤慶隆(遠藤家)岐阜県郡上市八幡町柳町一の平? 郡上八幡城※織田家従属 駒野城 5万石 高木貞久(高木家)岐阜県海津市南濃町駒野1317-8 海津市役所 城山小学校※織田家従属 飛騨 4万石 +... 諏訪高原城 1万石 江馬時盛(江馬家)岐阜県飛騨市神岡町江馬※武田家従属 桜洞城 2万石 姉小路良頼(姉小路家)岐阜県下呂市萩原町桜洞 桜谷のあたり※上杉家従属 帰雲城 1万石 内ヶ島氏理(姉小路家)岐阜県大野郡白川村保木脇 帰雲山麓※上杉家従属 北陸・北近畿 +... 加賀 35万石 尾山御坊 9万石 七里頼周(本願寺)金沢市 松任城 4万石 鏑木頼信(本願寺)白山市 安吉城 4万石 窪田経忠(本願寺)白山市 御幸塚城 5万石 徳田重清(本願寺)小松市 舟岡城 4万石 七里頼周(本願寺)白山市 野々市城 3万石 富樫晴貞(富樫家)野々市市※本願寺従属 大聖寺城 6万石 朝倉義景(朝倉家)加賀市 能登 21万石 七尾城 8万石 畠山義綱(能登畠山家)七尾市 穴水城 4万石 長続連(能登畠山家)穴水町 天堂城 4万石 遊佐続光(能登畠山家)輪島市 末森城 5万石 土肥親真(能登畠山家)宝達志水町 越中 38万石 魚津城 7万石 椎名康胤(椎名家)富山県魚津市本町1丁目10-39 魚津城跡※上杉家従属 富山城 6万石 椎名康胤(椎名家)富山県富山市本丸1-62 富山城※上杉家従属 城生城 4万石 斎藤利基(越中斎藤家)富山県富山市八尾町城生 神通川西岸※上杉家従属 増山城 5万石 神保長職(神保家)富山県砺波市増山 城址公園 日宮城 4万石 小島職鎮(神保家)富山県射水市日宮笹山325 薬勝寺 守山城 4万石 神保氏張(本願寺)富山県高岡市東海老坂 城山あたり 勝興寺 4万石 勝興寺顕栄(本願寺)富山県高岡市伏木古国府17-1 勝興寺 瑞泉寺 4万石 瑞泉寺顕秀(本願寺)富山県南砺市井波3050 瑞泉寺 越前 50万石 一乗谷城 7万石 朝倉義景(朝倉家)福井市 金ヶ崎城 4万石 朝倉景紀(朝倉家)敦賀市 龍門寺城 5万石 富田長繁(朝倉家)越前市 鳥羽野城 4万石 魚住景固(朝倉家)鯖江市 杣山城 3万石 河合宗清(朝倉家)南越前町 北庄城 5万石 朝倉景行(朝倉家)福井市 安居城 4万石 朝倉景健(朝倉家)福井市 亥山城 4万石 朝倉景鏡(朝倉家)大野市 丸岡城 5万石 朝倉義景(朝倉家)坂井市 三国城 4万石 堀江景忠(朝倉家)あわら市 吉崎御坊 5万石 杉浦壱岐(本願寺)あわら市 若狭 9万石 後瀬山城 3万石 武田義統(若狭武田家)小浜市 石山城 3万石 武藤友益(逸見家)おおい町※朝倉従属 国吉城 3万石 粟屋勝久(若狭武田家)美浜町 丹波 26万石 八上城 5万石 波多野秀治(波多野家)※三好家従属 氷上城 3万石 波多野宗高(波多野家)※三好家従属 八木城 4万石 内藤宗勝(丹波内藤家)※三好家従属 黒井城 6万石 赤井直正(赤井家)※三好家従属 横山城 4万石 塩見信房(塩見家)※三好家従属 宇津城 4万石 宇津頼重(宇津家)※三好家従属 丹後 11万石 建部山城 6万石 一色義道(一色家)舞鶴市 弓木城 5万石 稲富祐秀(一色家)与謝町 但馬 11万石 此隅山城 4万石 山名祐豊(但馬山名家)豊岡市 豊岡城 4万石 垣屋続成(垣屋家)豊岡市※山名家従属 芦屋城 3万石 塩冶高清(塩冶家)新温泉町※山名家従属 畿内 +... 山城 22万石 室町御所 5万石 足利義輝(足利将軍家)上京区 淀城 4万石 細川氏綱(細川典厩家)伏見区※足利家従属 勝竜寺城 4万石 岩成友通(三好家)長岡京市 木津城 5万石 三好政康(三好家)木津川市 大和 45万石 多聞山城 5万石 松永久秀(三好家)奈良市 信貴山城 4万石 松永久通(三好家)平群町 岡城 3万石 岡国高(三好家)香芝町 井戸城 3万石 井戸良弘(井戸家)天理市※三好家従属 十市城 5万石 十市遠勝(十市家)天理市※三好家従属 筒井城 7万石 筒井順慶(筒井家)大和郡山市 福住城 4万石 福住順弘(筒井家)天理市 楢原城 3万石 楢原光之(筒井家)御所市 高取城 4万石 越智家広(越智家)高取町※筒井家従属 矢走城 4万石 越智家広(越智家)吉野町※筒井家従属 松山城 3万石 秋山直国(秋山家)宇陀市※伊勢北畠家従属 摂津 35万石 芥川山城 6万石 三好義興(三好家)高槻市 茨木城 3万石 茨木重親(三好家)茨木市 池田城 4万石 池田勝正(三好家)池田市 伊丹城 3万石 伊丹親興(三好家)伊丹市 越水城 3万石 篠原長房(三好家)尼崎市 三田城 4万石 有馬村秀(三好家)三田市 滝山城 3万石 三好長慶(三好家)神戸市 石山本願寺 9万石 本願寺顕如(本願寺)東成区 河内 24万石 飯盛山城 7万石 三好長慶(三好家)四條畷市 交野城 4万石 三好長慶(三好家)交野市 若江城 5万石 三好長慶(三好家)東大阪市 高屋城 4万石 三好康長(三好家)羽曳野市 烏帽子形城 4万石 畠山高政(河内畠山家)河内長野市 和泉 14万石 岸和田城 5万石 安宅冬康(三好家)岸和田市 綾井城 4万石 沼間義清(三好家)高石市 積善寺城 5万石 津田算長(根来衆)貝塚市※河内畠山家従属 近江 77万石 小谷城 7万石 浅井長政(浅井家)長浜市 佐和山城 6万石 磯野員昌(浅井家)彦根市 山本山城 4万石 阿閉貞征(浅井家)長浜市 横山城 3万石 浅井井演(浅井家)長浜市 鎌刃城 4万石 堀秀村(浅井家)米原市 観音寺城 9万石 六角義賢(六角家)近江八幡市 後藤館 4万石 後藤賢豊(六角家)東近江市 鯰江城 4万石 鯰江貞景(六角家)東近江市 日野城 5万石 蒲生賢秀(六角家)日野町 守山城 5万石 進藤賢盛(六角家)守山市 水口城 4万石 山中氏俊(六角家)甲賀市 三雲城 3万石 三雲成持(六角家)湖南市 瀬田城 4万石 山岡景隆(六角家)大津市 石部城 4万石 石部家清(六角家)湖南市 西山城 7万石 朽木元綱(朽木家)高島市※足利家従属 延暦寺 4万石 延暦寺覚恕(延暦寺)大津市 伊勢志摩はまとめて計算。 ついでにイオン党原因のバタフライ効果発生。小浜さん追放フラグ消滅。 南近畿・四国 +... 伊賀 10万石 喰代城 5万石 百地泰光(伊賀衆)伊賀市※六角従属 柏原城 5万石 滝野吉政(伊賀衆)名張市※六角従属 伊勢志摩 59万石(伊勢57万石 志摩2万石) 大河内城 6万石 北畠具教(伊勢北畠家)松阪市 田丸城 5万石 星合教賢(伊勢北畠家)玉城町 霧山城 6万石 北畠政成(伊勢北畠家)津市 小浜城 3万石 小浜景隆(伊勢北畠家)鳥羽市 家城城 4万石 家城之清(伊勢北畠家)津市 長野城 5万石 長野具藤(伊勢長野家)津市※伊勢北畠家従属 安濃津城 6万石 細野藤敦(伊勢長野家)津市※伊勢北畠家従属 神戸城 6万石 神戸具盛(神戸家)※六角家従属 亀山城 5万石 関盛信(関家)亀山市※六角家従属 千種城 4万石 千種忠基(六角家)菰野町 願証寺 5万石 願証寺証意(本願寺)桑名市 桑名城 4万石 伊藤実房(伊藤家)桑名市※本願寺家従属 紀伊 24万石 雑賀城 5万石 鈴木重意(雑賀衆)和歌山市※河内畠山家従属 岩室城 4万石 畠山政尚(河内畠山家)有田市 亀山城 5万石 湯川直春(湯川家)御坊市※河内畠山家従属 新宮城 6万石 堀内氏善(堀内家)新宮市※河内畠山家従属 高野山 4万石 高野山門徒(高野山) 播磨 36万石 置塩城 3万石 赤松義祐(赤松宗家)姫路市 龍野城 4万石 赤松政秀(龍野赤松家)たつの市※赤松家従属 上月城 3万石 赤松政元(作用赤松家)佐用町※赤松家従属 三木城 6万石 別所就治(別所家)三木市 淡河城 3万石 淡河定範(別所家)神戸市北区 魚住城 4万石 魚住頼治(別所家)明石市 御着城 4万石 小寺政職(小寺家)姫路市 姫路城 3万石 黒田職隆(小寺家)姫路市 室津城 3万石 浦上政宗(播磨浦上家)たつの市※小寺家従属 明石城 3万石 明石長行(明石家)神戸市西区※三好家従属 淡路 6万石 洲本城 3万石 安宅冬康(洲本市)兵庫県洲本市小路谷 洲本城 岩屋城 3万石 菅達長(淡路市)兵庫県淡路市岩屋936‐2の東側の山 讃岐 12万石 十河城 5万石 十河存保(三好家)高松市 香川県高松市十川東町(称念寺) 天霧城 4万石 香川元景(香川家)善通寺市※三好家従属 香川県善通寺市吉原町3064 昼寝城 3万石 寒川元政(寒川家)東さぬき市※三好家従属 香川県さぬき市前山多和神社の南側 阿波 18万石 勝瑞城 7万石 三好義賢(三好家)藍住町 徳島県板野郡藍住町勝瑞 白地城 3万石 大西覚養(三好家)三好市 徳島県三好市池田町白地 牛岐城 4万石 新開実綱(三好家)阿南市 徳島県阿南市富岡町トノ町24-3 牛岐城趾館 一宮城 4万石 小笠原成助(三好家)徳島市 徳島県徳島市一宮町一宮城跡 土佐 20万石 中村御所 5万石 一条兼定(土佐一条家)四万十市 高知県四万十市中村本町1丁目3一條神社 岡豊城 4万石 長宗我部元親(長宗我部家)南国市 高知県南国市岡豊町八幡1099-1 姫野々城 4万石 津野定勝(津野家)津野町※土佐一条家従属 高知県高岡郡津野町姫野々(葉山小学校の北東側) 安芸城 4万石 安芸国虎(安芸家)安芸市※土佐一条家従属 高知県安芸市土居953 本山城 3万石 本山茂辰(本山家)本山町 高知県長岡郡本山町本山1375の南側の山 伊予 34万石 高峠城 5万石 石川通清(伊予石川家)西条市※三好家従属 愛媛県西条市黒瀬乙 桃林荘(の松山自動車道超えた北側) 湯築城 6万石 河野通宣(河野家)松山市 愛媛県松山市道後公 大除城 4万石 大野直昌(河野家)久万高原町 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2542 能島城 3万石 村上武吉(能島村上家)今治市※毛利家従属 34.182563,133.080974 来島城 4万石 村上通康(来島村上家)今治市※河野家従属 愛媛県今治市来島 村上神社 大洲城 4万石 宇都宮豊綱(伊予宇都宮家) 大洲市 愛媛県大洲市大洲903 松葉城 4万石 西園寺実充(西園寺家)西予市 愛媛県西予市宇和町下松葉(西村建設の東の山道の端辺り) 法華津城 4万石 法華津前延(西園寺家)宇和島市 愛媛県宇和島市吉田町法花津(郵便局の南西) 中国 +... 安芸 19万石 吉田郡山城 7万石 毛利元就(毛利家)安芸高田市 日野山城 4万石 吉川元春(吉川家)北広島町※毛利家従属 桜尾城 4万石 桂元澄(毛利家)廿日市市 頭崎城 4万石 平賀広相(平賀家)東広島市※毛利家従属 備後 19万石 新高山城 5万石 小早川隆景(小早川家)三原市※毛利家従属 青影城 3万石 村上吉充(因島村上家)※毛利家従属 神辺城 4万石 杉原盛重(小早川家)※毛利家従属 比叡尾山城 4万石 三吉隆亮(三吉家)※毛利家従属 甲山城 3万石 山内隆通(山内家)※毛利家従属 周防 17万石 高嶺城 5万石 市川経好(毛利家)山口市 右田嶽城 4万石 南方就正(毛利家)防府市 蓮華山城 4万石 椙杜元秋(毛利家)岩国市 上関城 4万石 村上武満(能島村上家)上関町※毛利家従属 長門 13万石 荒滝山城 5万石 内藤隆春(内藤家)宇部市※毛利家従属 櫛崎城 4万石 勝間田盛治(内藤家)下関市※毛利家従属 指月城 4万石 吉見正頼(吉見家)萩市※毛利家従属 石見 11万石 三本松城 3万石 吉見正頼(吉見家)津和野町※毛利家従属 七尾城 3万石 益田藤兼(益田家)益田市※毛利家従属 福光城 5万石 吉川経安(吉川家)大田市※毛利家従属 出雲 18万石 月山富田城 5万石 尼子義久(尼子家)安来市 神西城 4万石 神西元通(尼子家)出雲市 満願寺城 3万石 湯原春綱(湯原家)松江市※毛利家従属 瀬戸山城 3万石 赤穴盛清(赤穴家)飯南町※毛利家従属 三沢城 3万石 三沢為清(三沢家)雲南市※毛利家従属 伯耆 11万石 羽衣石城 5万石 南条宗勝(南条家)倉吉市※毛利家従属 尾高城 6万石 行松正盛(行松家)米子市※毛利家従属 因幡 9万石 鳥取城 5万石 武田高信(因幡武田家)鳥取市※毛利家従属 布勢天神山城 4万石 山名豊数(因幡山名家)鳥取市 備中 18万石 松山城 6万石 三村家親(三村家)高梁市※毛利従属 高松城 5万石 石川久智(三村家)岡山市※毛利従属 笠岡城 4万石 村上隆重(能島村上家)笠岡市※毛利家従属 佐井田城 3万石 荘高資(荘家)真庭市※三村家従属 美作 19万石 高田城 4万石 三浦貞勝(三浦家)真庭市※尼子家従属 高山城 5万石 草苅景継(草苅家)津山市※毛利家従属 林野城 5万石 江見久盛(尼子家)美作市 小松城 5万石 沼本房家(備前浦上家)美咲町 備前 22万石 天神山城 6万石 浦上宗景(備前浦上家)和気町 沼城 6万石 宇喜多直家(宇喜多家)岡山市※備前浦上家従属 金川城 6万石 松田元賢(松田家)岡山市 常山城 4万石 上野隆徳(三村家)岡山市※毛利従属 九州 +... 豊前 23万石 門司城 4万石 仁保隆慰(毛利家)福岡県北九州市門司区門司3270-8-3 刈田松山城 4万石 天野隆重(毛利家)福岡県京都郡苅田町大字松山 馬ヶ嶽城 4万石 長野種信(豊前長野家)福岡県京都郡みやこ町犀川花熊馬ヶ岳※毛利家従属 城井谷城 6万石 城井鎮房(城井宇都宮家)福岡県築上郡築上町大字寒田 33.530931,130.977327※大友従属 妙見岳城 5万石 田原親賢(武蔵田原家)宇佐市院内町香下妙見山※大友家従属 筑前 32万石 古処山城 7万石 秋月種実(秋月家)福岡県朝倉市江川古処山※毛利従属 立花山城 6万石 立花鑑載(立花家)福岡県糟屋郡久山町山田立花山※大友家従属 高祖山城 4万石 原田隆種(原田家)福岡県福岡市西区今宿上ノ原高祖山※毛利家従属 蔦ヶ岳城 6万石 宗像氏貞(宗像家)筑紫郡那珂川町大字南面里 33.464277,130.399214※毛利家従属 山鹿城 5万石 麻生隆実(麻生家)福岡県遠賀郡芦屋町山鹿(城山公園)※毛利家従属 岩屋城 4万石 高橋鑑種(高橋家)福岡県太宰府市観世音寺(大字)704※大友家従属 筑後 26万石 柳河城 8万石 蒲池鑑盛(蒲池家)福岡県柳川市本城町82-2※大友従属 山下城 5万石 蒲池鑑広(蒲池家)福岡県八女市立花町北山 33.174234,130.546968※大友従属 鷹尾城 5万石 田尻鑑種(蒲池家)福岡県柳川市大和町鷹ノ尾416 33.129771,130.445135※大友従属 長岩城 4万石 問註所鑑豊(問註所家)うきは市 33.276655,130.822012※大友家従属 吉見岳城 4万石 丹波良寛(高良山門徒)福岡県久留米市御井町吉見岳 肥前 31万石 佐嘉城 8万石 龍造寺隆信(龍造寺家)佐賀県佐賀市城内2-18-1(本丸記念館) 勝尾城 3万石 筑紫惟門(筑紫家)佐賀県鳥栖市河内町城山※毛利家従属 三瀬城 4万石 神代勝利(神代家)神埼市 33.455864,130.283214※龍造寺家従属 平戸城 5万石 松浦隆信(松浦家)長崎県平戸市岩の上町平戸城 岸岳城 5万石 波多親(波多家)佐賀県唐津市相知町佐里 33.355194,129.976659 三城城 3万石 大村純忠(大村家)長崎県大村市三城町 32.915776,129.964326 日野江城 3万石 有馬義貞(有馬家)長崎県南島原市北有馬町 32.660459,130.252508 肥後 34万石 永野城 4万石 隈部親家(隈部家)山鹿市 33.054672,130.795024※大友家従属 隈府城 4万石 赤星親家(赤星家)熊本県菊池市隈府城山※大友家従属 隈本城 4万石 城親冬(城家)熊本県熊本市中央区古城町3-1※大友家従属 大津山城 3万石 大津山資冬(大津山家)熊本県玉名郡南関町大字関東大津山※大友家従属 宇土城 3万石 名和行憲(名和家)熊本県宇土市古城町宇土城山公園 浜の館 5万石 阿蘇惟将(阿蘇家)熊本県上益城郡山都町城平954 御船城 4万石 甲斐親直(阿蘇家)熊本県上益城郡御船町御船958 城山堂 人吉城 6万石 相良義陽(相良家)日本熊本県人吉市麓町 人吉城址 豊後 42万石 丹生島城 5万石 大友宗麟(大友家)大分県臼杵市大字臼杵臼杵城跡 岡城 5万石 志賀親守(志賀家)大分県竹田市大字竹田岡城跡※大友家従属 角牟礼城 4万石 大友宗麟(大友家)日本大分県玖珠郡玖珠町森 角埋神社 栂牟礼城 5万石 大友宗麟(大友家)大分県佐伯市弥生大字井崎 栂牟礼山 鶴崎城 4万石 吉岡長増(大友家)大分県大分市南鶴崎3丁目3-1 鎧嶽城 3万石 戸次道雪(大友家)大分県大分市高原 鎧ヶ岳 小牟礼城 3万石 一万田鑑実(大友家)大分県豊後大野市朝地町市万田 33.009694,131.477813 杵築城 4万石 木付鎮秀(大友家)大分県杵築市大字杵築杵築城 屋山城 4万石 吉弘鑑理(大友家)大分県豊後高田市長岩屋 屋山(これでいいか少しわからない) 安岐城 5万石 田原親宏(田原家)大分県国東市安岐町下原字古城※大友家従属 日向 21万石 都於郡城 8万石 伊東義祐(伊東家)宮崎県西都市大字鹿野田字高屋 都城城 4万石 北郷時久(島津家)宮崎県都城市都島町城山公園 飫肥城 5万石 島津忠親(島津家)宮崎県日南市飫肥10丁目1-2 松尾城 4万石 土持親成(土持家)宮崎県延岡市松山町 32.584161,131.631896 大隅 17万石 高山城 5万石 肝付兼続(肝付家)肝属町 富田城 4万石 禰寝重長(禰寝家)南大隅町※肝付家従属 加治木城 5万石 肝付兼盛(加治木肝付家)加治木市※島津家従属 赤尾木城 3万石 種子島時尭(種子島家)種子島市※島津家従属 殺魔 28万石 内城 6万石 島津義久(島津家)鹿児島市 一宇治城 5万石 伊集院忠朗(島津家)日置市 桜之城 4万石 島津尚久(島津家)枕崎市 出水城 5万石 島津義虎(島津薩州家)出水市※島津家従属 松尾城 4万石 祁答院良重(祁答院家)薩摩川内市※島津家従属 大口城 4万石 菱刈重猛(菱刈家)伊佐市※相良家従属 対馬 2万石 厳原城 2万石 宗義調(宗家)対馬市 隠岐 4万石 国府尾城 4万石 隠岐為清(隠岐家)隠岐の島町※毛利家従属 壱岐 3万石 亀尾城 3万石 波多政(波多家)壱岐市
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遠く離れた古典の地や風物に対しては憧れをもつが、自分の近くにある古蹟などには至って無 関心なものだ。皇居の前はよく通る。太田道灌以来、およそ六百年を経た古城であることは承知 している。自動車や電車の窓からすばやく見える二重橋、お堀端など、見あきた風景だ。そう思 いこんでいる。ところが実際は何も知らない。目をこらして見たことはない。私は桜田門の、屈 折ある一隅に立って、石崖の松や青く淀んだお堀の水を眺めてみた。自分がどんなに意味もなく 多忙で疲れているか。近代都市の誘惑はすさまじい。耳を聾する大音響のために、目の方はかす んでくるらしい。何か心がうつろだ。私は茫然と老松のすがたを求めた。 むさし野といひし世よりや栄ゆらむ千代田の宮のにはの老松 明治天皇のこういう御製が、自分の心にかすかながら一点の火をともすようだ。それは歴史の 火だ。戦災で廃墟と化した東京にとって、ここは江戸の最後の名残りであろう。また大市街のた だ中に残された自然の一大断片である。「むさし野といひし世より」のすがたを見たい。私は真 夏の一日、西丸の皇居をはじめ本丸一帯を拝観することになった。三谷侍従長の御好意によるも のである。 * 坂下門を入ると、市街の騒音は全く絶えてしまう。ここには機械の音というものはない。蝉の 声だけが、城内一杯にひびきわたっている。宮内庁の裏側から、やや登り道になったところを行 くと、そこからはもう大森林に蔽われた丘陵地帯に入った感じであった。戦災で焼けた宮殿跡を 左手にして、右側にいきなり紅葉山の深い谷がのぞまれる。数丈の巨木の密生した山峡の眺めに 似て、底には深く青みどうの水が淀んでいる。道灌堀というが、おそらく数百年間手を加えずに きたこのお堀は、化けかかった古沼のようだ。流れはない。どれほどの朽葉がここに埋れている か。一面に藻で蔽われ、薄ぐらい底には純白の蓮の花が浮んでいた。 つこうど 仕人に案内されて行く玉砂利の道は、塵ひとつない清潔さである。私はここへ来る前、二一二の 古図によって大体の模様は心にとめておいたのだが、一町も歩まぬうちに、もう方角がわからな くなった。道灌堀を過ぎると平坦な道へ出る。賢所の裏門が前方にみえたが、この辺りから西に 向って、幅数問の道が一直線にのびている。周囲一問、高さ五六丈と思われる銀杏の並木があ る。「これが昔の甲州街道です。」と仕人が説明してくれた。皇居の中へ来て、甲州街道の名を聞 くのはめずらしい。一直線の道は半蔵門につづき、それから四谷門を通り、新宿をぬけて、今の 甲州街道に接続するわけである。この西丸は家康が入城した頃は、里人の遊覧地であり、旅人の 往還の道でもあったという。甲州街道は今の皇居を貫いて、東海道や奥州街道、日光街道などに つづいていたらしい。 私は銀杏の巨木を見あげた。同じほどの高さの老松、杉、欅、樫などが密生しているが、その 間にみられる銀杏というものは何となく華やかである。あの葉は眼に柔い。旅人にとっては憩い となる木だ。私は郊外の武蔵野に住んでいながら、樹木などには平生無関心なのだが、ここへ来 て、一本一本の木が身にこたえるほど鮮かにみえてきたのだから不思議だ。人工はひとつも加え てない。自然のままだ。それでいて我々が郊外で感じるあの自然とはちがう。正確で清潔な道路 が額縁の役割を果しているようである。そこにきちんとおさまった絵である。貴人の眼によって のみ愛撫された素直さもあるらしい。茫漠として、のっそり立っているようで、それでいて実に お行儀がよい。東京のただ中に、おそらく千何百年のままで隔離された古典なのだ。今の千代田 やぐら 城には、二三の櫓(城中の高楼)を除けば何も残っていない。宮殿は廃墟である。ただ正真正銘 の古典的武蔵野だけが残っている。その中に陛下のささやかなお住居がぽつんとある。 * 秩父の山岳地帯は、東南にのびるにしたがって次第に丘陵となり、浅い谷間や小山を伴いなが ら、やがて平原につらなり、東京湾に達する。北を流れるのは入間川、東を流れるのは隅田川、 西は奥多摩、南には多摩川が流れているが、この間方二一二十里の地域を武蔵野とよぶ。武蔵野に は一望千里ともいうべき全くの平原はない。秩父山脈の連続である小さな丘陵が至るところに散 在している。その東南端、即ち東京湾に接するところが江戸の地である。今の市内にも、平均二 三十メートルの丘が多い。飛鳥山、上野、湯島、小石川、牛込、赤坂、麻布、青山、高輪白金な どいずれも高台である。千代田城はそういう台地の一つに構築された城だ。本丸と西丸を中心に 周囲一里半ほどの丘陵である。上古時代には、今の本丸下が波打際であったそうで、近年貝塚が 発見された。 家康が江戸に入ったのは、天正十八年である。彼は北条の拠った小田原城か鎌倉を所望したら しいが、秀吉の案で江戸に落着いたと伝えられる。その頃でさえ今の浅草、日本橋、京橋、芝、 麹町の大部分は入江であり、千代田村とよばれたこの地は、戸数わずか百戸の僻村であった。太 田道灌が長禄元年(室町幕府、足利義政の時)に完成したと云われる江戸城もすでに荒廃してい た。辺りはむろん広漠たる武蔵野である。道灌の歌に、「我宿は松原つ.・き海近く富士の高根を 軒端にぞ見る」「露おかぬかたもありけり夕立の空より広き武蔵野の原」の二首がある。これは 江戸城の風景を人に問われて答えた歌だ。同じ風景は徳川初期までつづいていたとみてよかろ ・つ。 上代から奈良平安朝にかけて、武蔵野の中心となった国府は、現在の府中である。その北一里 余のところに武蔵国分寺が建立された。諸国の国府と国分寺の線をつないで行けば、大体その頃 の交通路はわかる。武蔵国に隣接した国、たとえば駿河の国府と国分寺は静岡の在であり、それ から伊豆の三島を通り、相模の高座郡海老村を経て武蔵国府に至った。江戸はまだ問題になって いない。奈良朝初期、高麗と百済の帰化人を武蔵に移植させたことが続日本紀(元正天皇、霊亀 二年)にみえる。実はそれ以前からここは帰化人の植民地であった。埼玉の高麗郡が本拠の跡で こまえ さやま あり、一部は多摩郡狛江(今の深大寺附近)に住みついた。他方村山貯水池のある武蔵狭山一帯 は、同じ頃から物部一族の入りこんだところで、帰化人と物部が、上代武蔵野の政治と文化を掌 握していたわけである。現在深大寺に関東随一の白鳳仏の残るのも、これと無関係ではあるま い。 浅草は徳川期以来、江戸の一部とみなされるようになったが、実は江戸よりはるかに古く、独 立的に存在した帰化人の部落であった。国分寺は周知のとおり奈良朝廷の国家事業であるが、 それより以前、帰化人による仏教流布があり、私設の寺も当然建てられた。浅草寺はその一つで ある。本尊の観音は推古朝二十六年に発見され、安置されたという言い伝えがある。帰化人によ る一種の宗教都市であり、工芸美術の中心として栄えたわけだ。頼朝も鎌倉の社寺建立には浅草 の大工を招いたと云われる。わずかに離れた江戸は、地方豪族の一拠点にすぎなかったらしい。 その地名を名乗った江戸太郎重長の名が歴史にはじめてあらわれるのは、治承四年八月(吾妻 鏡)である。彼は秩父平氏の出であるが、頼朝挙兵後その輩下となった。江戸が東海道と奥州街 道の要路として、注目されはじめたのは鎌倉期以後であろう。 皇居を巡り、様々の巨木をみるたびに、思い出すのは古い武蔵野の全貌であった。十万三千坪 もある吹上御苑は、五代綱吉より十一代家斉にわたってつくられた大庭園である。しかし戦後は 一切手入れをしないことにしたそうだ。これは陛下の思召である。武蔵野の樹木や雑草や小鳥を 保存し、古さながらの武蔵野を再現しようとの御夢であるらしい。秋など一面すすきの原になる すま そうだ。おそらく陛下の御心にも、古い武蔵野は息づいている。現在は草繁き吹上の一隅がお住 居である。「江戸むらさき」の名で有名な武蔵野固有の「紫草」もあるということだ。大樹林を とおして遙かにしのびつつその前を通る。 * 風寒き霜夜の月に世を祈るひろまへ清く梅香るなり これは昭和二十年、即ち敗戦の年の新年御製である。当時景気のよさそうな軍歌調の多かった 中で、突然この御歌に接した私は、静寂の裡にこもる沈痛なしらべに何か愕然たるものを感じ た。寂寥極まりなき歌である。寒風の吹く霜夜の月に、ひとり目ざめて、ただ祈るより他ない悲 哀の極みを垣間見たように思った。帝王の孤独である。わずかに白く暗夜に咲く一輪の梅花に、 希望とは言いかねる希望を託しておられるごとくであった。賢所の辺りで歌われたものであろう か。 樹間の道を歩み、いつの間にか賢所の前に出たとき、私はその梅の木のことを仕人にたずねて みた。賢所は戦災を免れたが、広前の一角は焼失し、梅の木も焼けたのではなかろうかとのこと であった。賢所は、伊勢神宮のように古さびて、巨木にかこまれた奥深い暗い場所にあるかと想 像していたが、思ったより新しく、開放的な明るい感じをうけた。神殿というよりは御殿と云っ た方がふさわしい。玉砂利を敷いたかなり広い前庭に立って拝む。 賢所へ来る前に、生物学研究所の前を通ったのだが、あまりに質素な建物で、仕人から注意さ れるまで気にとめなかったほどである。研究所に隣接して、陛下の畑や田がある。陛下がどうし て生物学に深い興味をもたれたのか、それも粘菌類とかヒドロイド類とか我々には思いもよらぬ 下等動物にあんなに御熱心なのか、その理由を私は伺いたかった。後に三谷侍従長からそれとな く承ったが、貝殻には早くから興味をもたれていたそうである。はじめ貝類、それから粘菌類、 ヒドロイドと研究をすすめられた。今でも貝殻の標本をたくさん備えて、おひまさえあれば貝殻 を眺め、貝殻を研究されているという。スポーツは様々おやりになったが、どんなスポーツを試 みても決して頭のレクリエーションにはならぬ、ただ貝殻と微生物に向われるときだけ、心から 愉しげに、休まれるように拝察されるとのことであった。 御心配が多すぎるのだ。内外の事件に対して、我々の想像も及ばぬほど敏感であらせられると いう。御自身の過ぎし日を顧みて、「薄氷を踏む思ひ」と述懐された陛下にしてみれば、何か異 様な慰めがなくてはかなわぬであろう。歌は内攻する。お酒はお飲みにならぬ。わずかに貝殻の うちに、自然の音をしのばれるのであろうか。粘菌類もヒドロイド類も、標本にすると花びらの ような美しさがあるそうで、そういう自然の秘義に深く陶酔されるのであろうか。古い武蔵野の 一隅に、黙って貝殻を眺めておられるようなお姿は、歴代天皇には全くなかったことだ。歌学や 歌集を残された天皇は多いが、「相模湾産後鰓類図譜」という御本は、科学的知識の全くない私 がみていても、実に異様なものである。 大正末期、摂政となられてから今日まで三十年間、陛下は日本の代表的な政治家や軍人のすべ てにお会いになった筈だ。清廉と老獪、真実と虚偽、あらゆる人間臭を、率直な御心は見ぬかれ ていた筈だ。愁い深く堪えられたようであるが、恐るべき変転裡に眺めた様々の人間相を、こと によると陛下は標本として胸底深く蔵しておられるかもしれない。 「日本産重臣類図譜」をかかれたら面白い。 * 賢所の前を通って暫く行くと、道はわずかながら下りになっているようである。かすかに電車 の音が聞え、警視庁の塔の避雷針らしいものがみえてきた。周囲は依然として鬱蒼たる森林であ る。三宅坂から桜田門に至るお堀のこちら側あたりを私は歩いているらしい。暫く行くと、皇居 の正門(大手門)がみえてきた。やがて二重橋である。 突如として眼前に展けた風景に、私は思わず息をひそめた。日比谷から丸の内にかけて、幾層 のビルディング群が蜃気楼のように茫と浮び上ってみえる。それはいま私のいる大内山の風景と は、あまりに隔絶した夢のようなもので、徳川末期から現代まで百年を一飛びした感じであっ た。何という激しい変貌であろう。これがまさしく文明開化だ。文明開化という言葉が鮮かによ みがえってきた。平生見なれている何んでもないビルディングが、こんなにもの珍らしくみえる とは予想しなかった。 私は二重橋の欄に寄った。外部からみると、正門に通ずる大手橋と重なりあってさほど高く思 われないが、今ここに立つと、皇居前に群がる人々が眼下に小さくみえる。よほど高い橋であ る。広場の松林を通して彼方に、自動車の激しく往来するのが、何か遠い異国の出来事のように 思われた。音響は全然聞えてこないので、サイレント映画をみているようだ。ふりかえると、眼 前には伏見櫓が高くそびえている。おそらく百尺はあろうと思われる石崖、その直ぐ下は青く淀 んだお堀の水である。古城の白壁と松影が映っている。今に残るわずかな江戸城の面影。よく化 粧された端然たるすがただ。威厳があってしかも瀟洒である。 たかどの 高殿の窓てふ窓をあけさせてよもの桜のさかりをぞみる 明治天皇の「見花」と題した晩年の御製だが、高殿というのはこの櫓でもあろうかと想像し た。春の桜花の頃、ここに登って全部の窓を開け放ったならば、城内外の桜は一望のもとに眺め られるであろう。明治天皇の数多い御製の中でも、この御歌はいかにも王者の英風をしのばせる 大らかな歌である。明治の旺んな有様もしのばれる。 二重橋を渡って、宮殿の跡に立つ。今度は一面の焼野原である。白く焦げた東車寄の石段、土 台石や煉瓦の破片、中庭らしいところに残る大きな銅盤、一つの石燈籠、御座所の跡と思われる 白壁の残骸、あとは何もない。雑草が生え、わずかの畑がつくられてあるだけだ。焼失したのは 昭和二十年五月の空襲であった。直撃弾は一発もなかったが、参謀本部からの飛火があり、風速 二十ニメートルの烈風にあふられて、瞬時にして灰燼に帰したという。 この宮殿が完成したのは、明治二十一年で、附属の建物も併せると、総建坪一万二千七百坪と いう宏壮なものであった。日本風の総檜木造り、屋根には銅瓦を用いた。内部の装飾は桃山風と 独逸風を併せ、そこからくる不思議な絢爛豪華ぶりは、外国の著名な宮殿に比しても劣らず、非 常にユニークであったと伝う。正殿、豊明殿、鳳凰の間、千種の間、東西溜の間、御座所、御学 すまい 間所等、すべては焼失した。明治大正今上三代の御住居と思われる辺りも、今はただ夏草の繁る のみである。 * 徳川歴代将軍の居たのは、云うまでもなく本丸である。皇居となっている西丸は、将軍隠退後 べつしよ の別墅あるいは私宅のごときものであったらしい。太田道灌草創の城址は本丸の内にちがいない が、どこがその場所か判然としない。皇居を辞して、二の丸から本丸の方へ廻ってみた。高さ二 十メートルほどの宏大な丘陵に築かれた城郭である。現在本丸二の丸三の丸を通して残るのは、 すみやぐら 皇居前広場からもはっきり見える富士見櫓、お堀端にのぞむ二一二の隅櫓、木造の若干の城内屋敷 だけだ。富士見櫓の眺望は、現在の千代田城ではおそらく随一であろう。 あかねさす夕日のかげは入りはてて空にのこれる富士のとほ山 私はこの明治天皇の御製を、どうしても富士見櫓での御作と思わないわけにゅかない。この櫓 の生命は、この御歌に見事に表現されているようだし、この御歌を知って櫓を眺めると、櫓の男 ぶりが一層水際だってくると云った感じがある。事実、夕映えに色どられた富士見櫓の白壁の美 しさは、多くの東京人の見のがしている風景だ。垢ぬけした男性美とは、おそらく城の櫓につい て云えるところだろう。 あしびきの山のはいつる月かげに大海原の波を見るかな これはどこでの御作かわからないが、富士見櫓からならば、往時東京湾ははるかに望見出来た 筈だ。房総の山あたりから出た月影が広々とした湾の波を照らす雄天な風景が想像される。明治 天皇御集をみて、私の最も感心したのは、さきの「見花」とここにひいた二首であった。御集は 日記とも云えるほど、何らの技巧を用いられず、その日その日の喜びや憂いを率直に歌われてい る。倫理的なものが非常に多く、従来教訓として濫用されたうらみがあるが、叙景の歌の方がす ばらしい。 本丸の跡に立ってみた。雅楽の練習でもあろうか、近くの楽部から笙の音が聞えてくる。苔む した石崖と、相変らず天を蔽うような巨木の群と、その他には往時の遺蹟は何もない。家康がこ こに築城を開始したのは関ヶ原合戦の四年後、慶長九年であった。同十年には家康隠退して、秀 忠が二代将軍となったが、本丸はそれから十一年かかって、家康薨去の前年、元和元年にほぼか たちを整えたという。五層の雄大な天守閣が出来たのはこの時である。元和六年から更に増築 し、外濠を堅め、西丸も整備して、江戸城の結構がほぼ完成したのは三代将軍家光の寛永十四年 とある。前後実に三十三年を要したわけだ。それから現在まで、この城の変遷を表示すれば次の とおりである。 寛永十六年 (三代家光)本丸火災、翌年四月修築す。 明暦三年 (四代家綱)江戸大火のため本丸二の丸三の丸全焼す。 万治二年 (同)本丸造営、天守閣は再建せず. 延享四年 (九代家重)二の丸焼失す。 天保九年 (十二代家慶)西丸焼失、翌年四月再築す。 弘化元年 (同)本丸焼失、翌年四月再築す。 嘉永五年 (同)西丸焼失、同年十二月再築す。 安政二年 (十三代家定)本丸焼失、翌年十一月再築す。 文久三年 (十四代家茂)西丸焼失、同年本丸二の丸焼失、いずれも再築す。 慶応三年 (十五代慶喜)二の丸焼失す。 明治元年 江戸城明渡。西丸を皇居とす。 明治六年 西丸焼失す。赤坂離宮を仮皇居とす。 明治十七年 西丸に宮殿造賞二十一年十月竣工す。 昭和二十年 戦災にて宮殿炎上す。 大体以上のような推移で、三百年間に度々焼失している。後代になるにつれて幕府財政窮迫の ため、もとのような再建は不可能になったという。戦争による破壊は徳川期には一度もない。江 戸大火あるいは内部出火が原因であるが、それにしてもよく焼けたものだ。おそらく家康から家 光までの間の江戸城が、内部最も完備していたであろう。造営は伏見桃山城の技能者達によった と伝えられる。現在京郡に残る二条城は、家康上洛の折の居城であり、桃山の遺構を伝えるもの だが、多くの襖絵は別として、間どりなどはおおよそ似ていたと思う。秀吉にしても家康にして も、覇者の威嚇性を建築と装飾にあらわした人だ。二条城を見た折もそう思ったが、あの絢爛た る金箔と、それを照らす夜の燭台の光りは絶大の舞台効果をもたらしたであろう。三百四十六年 後の今日江戸城の一切は消滅している。ここもただ夏草の繁るばかりである。 * しゆうう 坂下門を辞する頃、激しい驟雨が来た。皇居前に集っていた人々が、あちこちに走り去るのが みえる。周囲は次第に薄暗くなってきた。やがて人影ひとつない松林と広場に、瀧鰹たる大雨が 降りそそぎ、コンクリートの道はしぶきをあげる。松林全体から遠いお堀の辺りまで、一面に 烟ってみえた。暫く待っていたが晴れそうに思われない。私は傘をななめにし、雫にぬれなが ら、お堀端の柳に沿うて歩いてみた。雨というものはふしぎに懐古の情をそそる。古城をめぐる 様々の歴史的人物が浮んでくる。 堀の周囲は往時すべて大名屋敷であった。現在日比谷角の総司令部は池田邸の跡である。それ から和田倉門に向って、山内邸、蜂須賀邸、町奉行所という順序に並び、神田橋寄りには酒井邸 と細川邸があった筈だ。参謀不部跡は明石邸と三宅邸、そこから桜田門前にかけて、井伊邸、浅 野邸がつづき、警視庁から裁判所の側には、鍋島、毛利、上杉諸侯の邸宅があった。半蔵門と田 安門一帯は旗本屋敷である。古図でうろ覚えにしていたところを思い出し、それらの屋敷が甍を きそい黒門を構えて、墨絵のように雨の中に並んでいた昔をしのんだ。眼を転じて、富士見櫓の 白壁と城内の老松に雨のふりそそぐのを眺めると、芝居の書割そっくりだ。周囲には雨の音しか 聞えないが、それが却って森閑とした感じを与える。一人でうろついているうちに、自分が何と なく丸橋忠弥のように思われてきたのは滑稽であった。 現在の千代田城は、すでに述べたとおり武蔵野と云っていい。陛下は宮殿の再建など思いもか けておられぬようである。草木を益ー繁茂させ、野鳥の声を聞き、古さながらの武蔵野に愁い深 くお住みのつもりらしい。しかしこの自然は、そのままで尊い宮殿ではなかろうか。二重橋の前 を通り、再び桜田門の辺りに来たとき、驟雨は過ぎた。雨にぬれた桜田門の白壁の美しさ。白と いう色があったことを改めて気づくほどに鮮かにみえた。
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(群馬県)沼田(水上)郵便局 郵便番号:〒379-16 集配地域:群馬県利根(とね)郡みなかみ町の旧・利根郡水上(みなかみ)町のうち旧々・利根郡阿能川村域、旧々・利根郡小日向村域、旧々・利根郡鹿野沢村域、旧々・利根郡川上村域、旧々・利根郡小仁田村域、旧々・利根郡高日向村域、旧々・利根郡谷川村域、旧々・利根郡寺間村域、旧々・利根郡湯原村域および旧々・利根郡吉本村域。 1.jpg (群馬県)水上郵便局局舎 2.jpg (群馬県)水上郵便局取集時刻掲示 達成状況[20**年*月**日現在] 普通のポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 コンビニポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 ポスト考察 ●編集中 ポスト番号考察 ●編集中 設置傾向考察 ●編集中 取集時刻考察 ●編集中 取集ルート考察 ●編集中 時刻などの掲示 ●編集中
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クラス:ランサー 属性:中立・善 真名:スズメバチ 出典:生物 性別:女 地域:地球 身長・体重:167㎝・50㎏ ステ―タス:筋力D耐久E敏捷C+魔力E幸運C宝具C クラス別スキル 対魔力(E) 魔術の耐性はほぼ無い。 保有スキル 勇猛(A+) 威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。 また、格闘ダメージを向上させる効果もある。 集団防衛(B) 集団で巣を防衛する。 味方の数が多くなる程耐久のランクが上昇していく。 防衛本能(A) 自身の縄張りに対する本能。 縄張りを防衛するときに限り筋力と耐久のランクを1ランク上昇させる。 宝具:『警報毒液(ネブラ・ウェネーヌム)』 ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:2~5 最大補足:1人 特殊な毒液を散布する。 毒液は警報フェロモンの働きをし、ランサーを興奮させる。 毒液を洗い流すまで、その者の位置を特定することが可能。 宝具:『二刺一殺(ワスプ・アナフィラキシー)』 ランク:D 種別:対人宝具 レンジ:1~3 最大補足:1人 自身が持つ槍。 二回槍による傷を受けた者はアナフィラキシーショックが起き、死亡する。 毒が効かない者、肉体に傷を付けられない者には効果がない。 名前
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クエスト名:ボスラプトスを狩れ! クエストの目的:ボスラプトスとラプトスの群れの討伐 クエスト場所(主に国・地域など):オドネイル民主共和連盟 クエスト場所の地形(平地、森林、沼地、市街地、火山、城内など):山岳地帯中腹・昼 クエスト場所の天候:晴れ 詳細状況(その場所で何が起こっているか、攻略対象は人間かモンスターか、等):山岳地帯中腹の原野から洞窟にかけて縄張りを敷いているラプトスと、群れのボスであるボスラプトスを討伐して、麓の人里の安全を確保して頂きます。なお一般人は現在山へは進入制限が掛かっています。 クエスト依頼者:麓の村の恰幅の良い村長 依頼者による説明 駄目だ、我々だけでは手に余る! 最近山で縄張りを敷いていたラプトス共が我々の村に被害を出してな、このままじゃ村へ工場を誘致出来なくなってしまう。最近の軍隊は腰が重いみたいだし……どうにか忌々しいラプトス共を片づけてくれないかね? 何でも群れのボスらしいデカいラプトスもいるらしいが……まぁクエスターなら大丈夫でしょう。
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《張り込み失敗》 通常罠 相手モンスターが攻撃に失敗した時、そいつの 元々の攻撃力の半分相手にダメージを与える。 part14-741 名前 コメント
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概要 「これを縄張りから引いた時、自分の場に<とびだす>の技を持つ虫がいなければ、これを場に出しても良い。」 蟲神器におけるカウンターの役割を担う技。これによって、相手の攻撃を食い止めることが可能である。 この技を持つ虫は、そのコスト帯に比べて一回り性能が弱く設定されている。しかし、早期に着地すればそれだけで相手を数ターン足止めすることも可能である。採用する枚数や使い方をよく検討したい。 <とびだす>を持つ虫が自分の場にいるプレイヤーは、新たに<とびだす>を縄張りから引いても場に出せない。なので、<とびだす>を持たない虫カードから破壊することによって、<とびだす>で新たな虫を展開されることを抑制することが可能である。 この技を持つ虫カード一覧 レアリティ カード名 色 コスト 体力 <とびだす>以外の技 攻撃力 R ヤブキリ 赤 4 600 かみちぎる 400 N マイマイカブリ 赤 3 400 かみつぶす 300 N ハマベハサミムシ 赤 1 200 はさむ 100 SR ゴライアスオオツノハナムグリ 青 5 800 ふみつぶす 500 N ミンミンゼミ 青 3 500 しぼりとる 200 N チッチゼミ 青 1 100 しぼりとる 200 R ゴマダラカミキリ 緑 4 700 くいちぎる 300 N イボバッタ 緑 3 400 はねる 300 N クルマバッタ 緑 4 400 とびはねる 500 N トビイロウンカ 緑 1 200 すう 100
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風が吹く。 冬が来る。 真田の城を出る一行は物々しく、担がれた輿は立派だった。 甲斐の武田の元へと向かう武者行列を、とろけ腐った果実のような夕日が包み込む。 あの中には、独眼竜がいる。 佐助はあらゆる痛みに抵抗する政宗に闇を見せた。 物理的な暗闇ではない、魂を染める、ただ深い深淵を。 あの奈落へ落ちる狼の目。 覗き込んだ瞬間に佐助は闇に捕まった。 例えばそれは鬼ごっこのようなもので、一瞬前まで人であっても、捕まった人間は鬼に変わってしまう。 別に、見た目が変わる訳じゃない。 血を見たくなるわけでもないし容貌が一変するわけでもない。 それでも何かが変わり果てる。 外側からの圧力に抗しきる人でも、内側から変わるなら、佐助はそう思っただけだった。 恐ろしいのは燻る伊達の勢力を再びまとめ上げ、反抗されることだ。 だが何かが変われば、以前の姿を仰ぎ従う者達は違和感を覚え、離散するのではないかと。 ……あるいは、自分と同じ場所に落としたかったのかもしれない。 何にせよ、独眼竜は闇に良く染まった。 何気ない、品のいい仕草の一つ一つに闇が滲む。 その指先から甘やかな毒がしたたる。 苛烈な空気に眩まされて誰も気にはしなかった潰れた目が、薄い疱瘡の跡がよく目立つようになった。 治しようもない疵のぶんだけ、肌の白さがほぅと浮かぶ。 鬼火を宿した眼差しが人を惑わす。 疵が醜ければ醜いだけ、残った部分が妖しく美しい。互いが互いを引き立てあって、おぞましい。 あれは薄暗い闇の中のほの白さだ。 上田城の虜34/深淵の目2