約 600 件
https://w.atwiki.jp/nobu14pk/pages/98.html
配信武将 特典武将一覧表里見八犬伝の登場人物 平安時代の人物(源頼光とその四天王) S1開始時に既に死亡している武将 1551年から1615年の間に生存している人物 おまけ(生没年・血縁等) 配信武将 特典武将と異なり、シナリオによる登場拠点の変化はない。 名前 統率 武勇 知略 政治 主義 士道 要忠 拠点 戦法 初期特性 島津豊久(ドリフ) 78 97 72 30 創 名 - - 死兵 猛攻、遠当て 織田信長(ドリフ) 97 82 100 90 創 利 - - 詭計百出 策士、根気 那須与一 75 89 80 64 中 道 - - 狙撃 堅守、遠当て 平原綾香 89 72 95 86 創 才 7 河越城 神秘の歌 - 望月千代女 70 81 88 45 中 利 5 躑躅々崎館 撹乱 - 櫛橋光 73 46 80 85 中 才 3 姫路城 用心 - 世良田元信 86 94 87 89 中 家 1 岡崎城 三河魂 幸運 大祝鶴 78 82 73 36 保 義 3 湯築城 追い討ち 海戦名人 孔雀 79 94 88 12 保 義 2 雑賀城 奥義一閃 - 塚原卜伝 63 92 41 8 保 名 6 太田城 一の太刀 - 峠天士郎 61 70 79 54 中 才 2 伊賀上野城 神速 - 石川五右衛門 51 75 83 10 中 名 3 伊賀上野城 詭計百出 捕縛、忍 弥助 43 91 35 8 創 利 10 安土城 鬨の声 遠当て 取得方法一覧 平原綾香:Shine - 未来へかざす火のように- 初回CD 望月千代女・櫛橋光:PS3・PS4版は電撃PS vol.556、vol.561 付録 Win版は公式無料DLC 世良田元信・大祝鶴:週刊ファミ通 12月26日号、3月6日号 付録 孔雀・塚原卜伝・峠天士郎:戦国武将列伝 2月号 付録 石川五右衛門・弥助:公式無料DLC 島津豊久(ドリフターズ)・織田信長(ドリフターズ)・那須与一:公式タイアップ(タイアップ情報参照のこと) 上へ 特典武将一覧表 プレイ記録の達成により解禁されていく パワーアップキット版では、無印版の特典武将が一部史実武将として登場する代わりに、別の特典武将が追加になっている。 ※テーブルソートに対応しているのでソートしたい場合は、各項目の▲▼をクリックしてみて下さい 姓名 読み 統率 武勇 知略 政治 合計 主義 士道 戦法 成長型 出現条件 果心居士 かしんこじ 29 26 90 32 177 中道 道 詭計百出 忍型 犬村大角 いぬむらだいかく 53 78 62 76 269 保守 名 神速 万能型 施設建設 犬坂毛野 いぬさかけの 64 58 90 73 285 保守 名 詭計百出 竹中半兵衛型 支城築城 犬江親兵衛 いぬえしんべえ 85 80 82 72 319 保守 名 臨戦 長宗我部元親型 同盟締結 犬田小文吾 いぬたこぶんご 44 92 64 32 232 保守 名 鬨の声 猛将型 婚姻同盟締結 犬飼源八 いぬかいげんぱち 71 82 53 26 232 保守 名 咆哮 夜叉型 会戦勝利 犬山道節 いぬやまどうせつ 28 78 81 32 219 保守 名 狙い撃ち 鬼型 敵拠点制圧 犬川荘助 いぬかわそうすけ 69 80 54 57 260 保守 名 急襲 不幸型 敵大名家討伐 犬塚信乃 いぬづかしの 82 69 83 71 305 保守 名 穿ち抜け 万能統率型 国人衆援軍 里見伏 さとみふせ 80 12 94 34 220 保守 家 底力 女武将型 取込50回達成 柳生兵庫助 やぎゅうひょうごのすけ 42 84 43 45 214 創造 名 無刀取り 剣豪型 全施設建設 飯坂猫 いいざかねこ 62 44 73 82 261 創造 名 叱咤 女武将型 人口70000達成 渡辺綱 わたなべつな 90 83 80 72 325 中道 名 穿ち抜け 勇将型 獲得信用5000達成 坂田金時 さかたきんとき 56 100 48 4 208 中道 名 咆哮 猛将騎馬特化型 惣無事令を実施してクリア 卜部季武 うらべすけたけ 80 83 69 76 308 保守 名 神速 副将型 全政策実施 碓井貞光 うすいさだみつ 60 70 73 84 287 保守 名 臨戦 宰相型 全特性修得 猿飛佐助 さるとびさすけ 61 88 74 12 235 保守 義 急襲 上忍型 上杉家全大名録達成 浅井初 あざいはつ 50 24 75 94 243 保守 家 足止め 万能知略型 織田家全大名録達成 浅井江 あざいごう 61 53 70 95 279 創造 利 叱咤 女武将型 織田・豊臣家全大名録達成 斎藤福 さいとうふく 43 28 74 93 238 中道 家 気勢崩し 文官型 織田家全大名録達成 霧隠才蔵 きりがくれさいぞう 62 87 78 16 243 保守 義 詭計百出 上忍型 全家宝獲得 穴山小助 あなやまこすけ 86 73 87 34 280 保守 家 底力 勇将型 シナリオ「美濃の蝮」クリア 武田松 たけだまつ 63 34 68 74 239 中道 家 鼓舞 不幸型 武田家全大名録達成 海野六郎 うんのろくろう 80 66 90 60 296 保守 才 離間 軍師型 連合勝利 望月六郎 もちづきろくろう 72 67 74 40 253 保守 家 急襲 勇将射撃特化型 シナリオ「信長誕生」クリア 筧十蔵 かけいじゅうぞう 75 82 87 61 305 保守 名 狙い撃ち 猛将射撃特化型 下剋上クリア 根津甚八 ねづじんぱち 83 77 50 49 259 保守 才 臨戦 海戦名人型 シナリオ「九州征伐」クリア 大内義興 おおうちよしおき 88 91 81 82 342 保守 名 穿ち抜け 勇将型 毛利家全大名録達成 由利鎌之助 ゆりかまのすけ 70 89 59 46 264 保守 名 怒号 勇将槍特化型 シナリオ「関ヶ原の戦い」クリア 北条早雲 ほうじょうそううん 98 90 98 95 381 創造 志 詭計百出 梟雄型 北条家全大名録達成 三好清海 みよしせいかい 76 86 55 53 270 保守 家 鼓舞 猛将型 全設備改修 赤井輝子 あかいてるこ 82 79 76 63 300 中道 家 怒号 長宗我部元親型 北条家全大名録達成 三好伊三 みよしいぞう 70 85 45 48 248 保守 家 鬨の声 猛将型 引抜成立 土田御前 どたごぜん 50 35 63 77 225 中道 家 叱咤 文官型 シナリオ「家督相続」クリア 源義経 みなもとよしつね 100 97 94 73 364 保守 名 詭計百出 梟雄型 天下統一クリア 松平千 まつだいらせん 60 31 62 72 225 保守 家 鼓舞 女武将型 シナリオ「桶狭間の戦い」クリア 大村由己 おおむらゆうこ 47 37 79 76 239 保守 名 底力 外交僧型 シナリオ「信長包囲網」クリア 出雲阿国 いずもおくに 78 71 74 48 271 創造 道 挑発 阿国型 シナリオ「夢幻の如く」クリア 名古屋山三郎 なごやさんさぶろう 53 80 69 12 214 創造 道 鬨の声 前田慶次型 妻木煕子 つまきひろこ 57 39 73 78 247 中道 家 激励 副将 シナリオ「夢幻の如く」クリア 太田道灌 おおたどうかん 98 95 91 80 364 保守 名 急襲 最上義光型 全史実武将獲得 柳生十兵衛 やぎゅうじゅうべえ 62 87 44 15 208 創造 才 無刀取り 剣豪型 全大名録達成 源頼光 みなもとよりみつ 100 82 84 91 357 保守 名 穿ち抜け 夜叉型 全エンディング達成 上へ 里見八犬伝の登場人物 名前 統率 武勇 知略 政治 戦法 特性 士道 犬村大角 53 78 62 76 神速 策士 名 犬坂毛野 64 58 90 73 詭計百出 - 名 犬江親兵衛 85 80 82 72 臨戦 能吏 名 犬田小文吾 44 92 64 32 鬨の声 気合 名 犬飼源八 71 82 53 26 咆哮 捨て身 名 犬山道節 28 78 81 32 狙い撃ち 不運 名 犬川荘助 69 80 54 57 急襲 馬術 名 犬塚信乃 82 69 83 71 穿ち抜け 策士 名 里見伏 80 12 94 34 底力 姫武者 家 9人全員里見一門で主義は「保守」。初期拠点は久留里城。但し「群雄集結」では館山城に登場する。 上へ 平安時代の人物(源頼光とその四天王) 名前 統率 武勇 知略 政治 戦法 特性 主義 源頼光 100 82 84 91 穿ち抜け 気合 保 渡辺綱 90 83 80 72 穿ち抜け 捨て身 中 坂田金時 56 100 48 4 咆哮 馬術 中 卜部季武 80 83 69 76 神速 疾走、気合 保 碓井貞光 60 70 73 84 臨戦 能吏 保 初期配置は二条御所。士道は五人とも「名」 上へ S1開始時に既に死亡している武将 名前 統率 武勇 知略 政治 主義 士道 拠点 戦法 初期特性 北条早雲 98 90 98 95 創 才 小田原城 詭計百出 策士、根気 太田道灌(太田資長) 98 95 91 80 保 名 岩付城 急襲 治水巧者、馬術 北条氏綱 87 72 90 100 中 利 小田原城 鼓舞 敏腕 板垣信方 82 66 79 83 中 利 躑躅ヶ崎館 扇動 - 甘利虎泰 90 78 59 78 保 利 躑躅ヶ崎館 鬨の声 捨て身 長尾為景 89 98 66 49 保 名 春日山城 車懸かり 馬術 織田信秀 83 84 71 78 創 才 那古野城 離間 捨て身 松平清康 80 81 73 83 保 名 岡崎城 追い討ち - 松平広忠 72 60 63 73 保 家 岡崎城 臨戦 - 尼子経久 94 82 100 84 中 才 月山富田城 詭計百出 策士、根気 大内義興 88 91 81 82 保 名 山口館 穿ち抜け 捨て身 大友義鑑 80 70 84 88 中 家 府内城 撹乱 策士 太田道灌は「群雄集結」では川越城に登場 上へ 1551年から1615年の間に生存している人物 名前 統率 武勇 知略 政治 主義 士道 拠点 戦法 初期特性 武田信虎 82 93 42 37 保 才 躑躅ヶ崎館 神速 馬術 赤井輝子 82 79 76 63 中 家 箕輪城 怒号 姫武者 土田御前 50 35 63 77 中 家 那古野城 叱咤 能吏 千利休(千宗易) 68 74 78 93 創 才 岸和田城 鬨の声 数寄者 太田牛一 63 78 69 79 創 利 那古野城 狙い撃ち 遠当て 大村由己 47 37 79 76 保 名 那古野城 底力 外交術、信仰心 妻木煕子 57 39 73 78 中 家 岩村城 激励 疾走、気合 千坂景親 69 63 80 71 保 名 与板城 底力 策士 木下ねね 79 52 73 94 創 才 那古野城 怒号 幸運 武田松 63 34 68 74 中 家 躑躅ヶ崎館 鼓舞 不運 三浦按針 36 60 81 58 創 才 岡崎城 激励 遠当て 岡左内(岡定俊) 75 80 58 70 保 利 春日山城 臨戦 (傾奇者) 飯坂猫 62 44 73 82 創 名 米沢城 叱咤 - 名古屋山三郎 53 80 69 12 創 才 二条御所 鬨の声 (傾奇者) 出雲阿国 78 71 74 48 創 名 二条御所 挑発 余禄、姫武者、傾奇者 浅井初 50 24 75 94 保 家 小谷城 足止め 策士 浅井江 61 53 70 95 創 利 小谷城 叱咤 姫武者 斎藤福 43 28 74 93 中 家 岩村城 気勢崩し 能吏 柳生兵庫助(柳生利厳) 42 84 43 45 創 名 那古野城 無刀取り 奮迅、剣豪 柳生十兵衛(柳生三厳) 62 87 44 15 創 才 筒井城 無刀取り 奮迅、剣豪 松平千 60 31 62 72 保 家 岡崎城 鼓舞 姫武者 岡左内・名古屋山三郎の初期特性は余禄、人たらし、馬術、槍術、傾奇者 以下の武将は初期所属拠点がシナリオ毎に異なる。基本的には、最も縁深い武将の初期所属拠点がある国の本城に登場する。 木下ねね・大村由己:木下秀吉と同じ。S1那古屋城、S2・S7清洲城、S3観音寺城、S4姫路城、S5二条御所、S6大坂城。 太田牛一:織田信長と同じ、だが微妙に異なる(史実の配置?)。S1・S6那古屋城、S2・S7清洲城、S3岐阜城(S9稲葉山城)、S4・S5安土城。 織田信秀・土田御前:S1・S6那古屋城、S2・S3・S7・S9清洲城、S4・S5岐阜城。信長の一つ前の元居城か? 妻木煕子・斎藤福:明智光秀と同じ。光秀死後の「清須会議」では八上城。群雄では観音寺城。 松平清康・松平広忠・松平千・三浦按針:徳川家康と同じ。 浅井初・浅井江:浅井長政と同じ…だが、本能寺の変の後は母に付き添い、柴田勝家のいる北ノ庄城に移っている。因みに両者とも織田一門扱いではない。また、初は京極高次の、江は徳川秀忠の正室だが、彼らが開始時からいる仮想シナリオでも彼らの拠点に移りはしない。 春日局こと斎藤福は斎藤利三の娘。父ともども斎藤道三(長井規秀)の一門扱いではない。別系譜の美濃斎藤氏の一族である。彼女も乳母子の家光がいる仮想シナリオで拠点変化は無い。 なお、特典で登場する女性たちは、立花夫妻とは違って史実の夫と配偶者設定されていないので、彼らの縁組の邪魔にはならない。 上へ おまけ(生没年・血縁等) 名前 生没年 備考 源頼光 948-1021 摂津源氏の祖 卜部季武 950-1022 渡辺綱 953-1025 渡辺氏の祖 碓井貞光 954-1021 坂田金時 956-1012 足柄山の金太郎 太田資長 1432-1486 太田一門 北条早雲 1432-1519 後北条氏初代 尼子経久 1458-1541 尼子晴久の祖父 大内義興 1477-1529 大内義隆の父 北条氏綱 1487-1541 北条氏康の父 長尾為景 1489-1543 長尾景虎の父 板垣信方 1489-1548 信玄の忠臣 塚原卜伝 1489-1571 鹿島新当流開祖 武田信虎 1494-1574 武田晴信の父 甘利虎泰 1498-1548 信玄の忠臣 大友義鑑 1502-1550 大友宗鱗の父 織田信秀 1510-1551 織田信長の父 土田御前 ?-1594 織田信長の生母 松平清康 1511-1535 松平元信の祖父 赤井輝子 1514-1594 成田甲斐の祖母 千利休 1522-1591 茶聖 大祝鶴 1526?-1543? 鶴姫伝説の主人公 松平広忠 1526-1549 松平元信の父 太田牛一 1527-1613 『信長公記』著者 妻木煕子 1530-1576 明智光秀の正室 大村由己 1536-1596 秀吉の伝記の著者 千坂景親 1536-1606 謙信の重臣 望月千代女 生没年不詳 武田のくノ一 世良田元信 徳川家康の影武者?徳川一門 木下ねね 1547-1624 木下藤吉郎の正室 石川五右衛門 ?-1594 16世紀末頃の盗賊 櫛橋光 1553-1627 黒田孝高の正室 弥助 生没年不詳 モザンビーク出身の信長家臣 武田松 1561-1616 甲斐武田一門 岡左内 1561-1620 蒲生・上杉に仕えた武将 三浦按針 1564-1620 William Adams 飯坂猫 1569-1634 伊達政宗の側室 浅井初 1570-1633 浅井長政・市の次女 名古屋山三郎 1572-1603 蒲生・森に仕えた武将 出雲阿国 1572-1613 かぶき踊りの創始者 浅井江 1573-1626 浅井長政・市の三女 斎藤福 1579-1643 斎藤利三の娘 柳生兵庫助 1579-1650 柳生宗厳の孫 松平千 1597-1666 徳川秀忠・江の娘 柳生十兵衛 1607-1650 柳生宗矩の子 平原綾香 21世紀の歌手 孔雀 『孔雀王~戦国転生~』のキャラクター 塚原卜伝 『魔剣豪画劇』のキャラクター 峠天士郎 『セキガハラ』のキャラクター 上へ
https://w.atwiki.jp/bibliothek/pages/31.html
・貧乳好きなのに、彼女はEカップという矛盾を抱えた男。 非常に黒コートが似合い、その風貌だけで幼女を号泣させるような 迫力を持つが、実際、コートの下は素っ裸であったりする。 いわゆる変態コートというヤツである。 男子校6年であり、道東3大汚物のNO.2。 全くもって普通のキーワードをエロネタに転換する能力や、 エロネタを発展させる能力は他の追随を許さない。 そのエロとハードボイルドを両立させた姿は、男一同の憧れであり、 「新宿中野の種馬」と称される。 ■所有アビリティ 変態Lv.6 道東三大汚物 唯我独尊 過年度族
https://w.atwiki.jp/nobu14pk/pages/78.html
PK 無印 アップデート・シナリオ配信によって新たに追加された大名録があるが、それらはプレイ記録には登録されないので発生させなくても報酬には関係ない。 (例:織田家「播磨平定」・「三木合戦」 上杉家「手取川の戦い」) 織田家 (大名録:14 武将録:12) (大)家中統一 発生条件 シナリオ「家督相続」開始直後 達成条件 1 清洲城を支配下に置く 犬山城を支配下に置く 2 末森城を支配下に置く 失敗条件 1 織田家の大名が織田信長でない 2 今川軍と交戦する 3 織田家が末森織田家との同盟を破棄する 4 1559年12月になる 結果 「清洲城を支配下に置く」達成後、尾張の本城が清洲城になり、那古野城は支城になる(清洲城と那古野城の内政データがそっくり入れ替わる)条件1達成後、末森織田家とは自動的に同盟解消条件2達成後、織田信長が統率経験値を獲得条件2達成後、柴田勝家・林秀貞が織田家の家臣になる (大)桶狭間の戦い 発生条件 (大)「家中統一」達成、もしくはシナリオ「桶狭間の戦い」開始直後、または1560年4月になる織田家の本城数が一つのみ、太原雪斎が今川家にいない 達成条件 1 鳴海城を包囲する(包囲するだけで達成だが、落城したことにはならないので落城させたい場合はそのまま攻城を続ける必要あり) 2 織田信長が今川義元を撃破する(今川義元隊が兵2000で鳴海城へ向けて出陣してくる、織田信長隊で接触すれば達成) 失敗条件 1 織田家の大名が織田信長でない 2 1563年4月になる 3 織田家が2城以上の本城を支配する 4 達成前に今川義元と交戦する 5 今川義元が鳴海城に到達する 結果 今川義元が死亡毛利新助が家臣になる信長が「信長の野望」を習得松平元康が松平家康に改名松平家康が今川家から独立し、織田家に24カ月同盟を提案 備考 ムービー「乱世への旅立ち」あり (大)美濃攻略 発生条件 (大)「桶狭間の戦い」達成織田家の本城数が3以下 達成条件 1 稲葉山城を支配下に置く 松平家の信用を100にする 浅井家と縁戚になる(浅井家の信用を100にすれば自動的に達成) 失敗条件 1 織田家の大名が織田信長でない 2 織田家が4城以上の本城を支配する(4城目が稲葉山城の場合は達成) 3 1567年になる 4 お市が浅井長政以外と結婚する 5 徳姫が松平信康以外と結婚する 結果 織田信長が特性「能吏」を修得松平信康と徳姫が婚姻関係に(両者が未登場でも婚姻関係になる)浅井長政とお市が婚姻関係に (大)上洛 発生条件 (大)「美濃攻略」達成、もしくはシナリオ「天下布武」開始直後1568年5月以前 戦国伝開始時発生事象 明智光秀・明智秀満が織田家臣になる 達成条件 1 観音寺城を支配下に置く 2 観音寺城と二条御所を支配下に置く(河内・越前の本城を支配下に置くと失敗。本城数が8になっても失敗。8城目が二条御所の場合は達成) 失敗条件 1 織田家の大名が織田信長でない 2 戦国伝発生後5年が経過する 結果 室町幕府が再興される(二条御所に足利義昭を大名とする足利家が登場し、足利家は織田家に従属状態になる。)一色藤長、京極高吉、細川藤孝、和田惟政が足利家臣になる(達成時に織田家臣だった場合でも足利家に移る)松永久秀・松永久通が織田家臣になる家宝「九十九髪茄子」を入手(勢力保有ではなく織田信長個人保有となる) (大)信長包囲網 発生条件 (大)「上洛」達成、もしくはシナリオ「信長包囲網」開始直後 戦国伝開始時発生事象 浅井家と織田家の婚姻同盟が解消信長包囲網が形成(関係大名家同士の同盟等が成立)長島城が織田家所属の場合は本願寺家所属になる 達成条件 1 長島城を支配下に置く(戦国伝開始時に長島城を撤去済の場合は即条件達成となる) 浅井家を滅ぼす(小谷城のみ残すと(武)長政の死が発生) 朝倉家を滅ぼす 2 二条御所を包囲する(条件1達成で足利家が織田家への従属を破棄する)(包囲するだけで達成) 失敗条件 1 織田家の大名が織田信長でない 2 足利家の大名が足利義昭でない 3 二条御所が足利家所属でない 4 織田家が足利家との従属を破棄する 5 戦国伝発生後5年が経過する 結果 信長が「不屈」を習得 備考 発生条件:1566年までに「上洛」をクリアしないと、足利義昭が三好家に仕官してしまい、発生しない「(武)長政の死」を達成しないようにすれば浅井家滅亡後に長政を登用することも可能 (大)長篠の戦い 発生条件 (大)「信長包囲網」達成、もしくはシナリオ「長篠の戦い」開始直後武田信玄が死没して武田勝頼が家督を継いでいる高遠城が武田領岡崎城が徳川領 達成条件 1 政策「火器集中運用」を実施(条件1の達成が成立したら火器集中運用を取りやめてもよい) 2 織田信長が設楽原に布陣する(岡崎の徳川家康隊2000が援軍として同様に設楽原に布陣する) 3 信長が武田勝頼を撃破する(戦闘開始で条件達成) 失敗条件 1 織田家の大名が織田信長でない 2 武田家の大名が武田勝頼でない 3 武田軍の設楽原侵入を許す 4 戦国伝発生後5年が経過する 5 織田家と徳川家が同盟関係でない 結果 信長が「神弾」「堅陣」を習得 備考 ムービー「長篠の戦い」あり(条件3達成時) (大)安土城築城 発生条件 (大)「長篠の戦い」達成1578年6月以前木下秀吉が羽柴秀吉に改名済み織田家の本城数が10以上 達成条件 1 観音寺城の石高を1200以上にする 観音寺城の商業を1200以上にする 2 観音寺城を180日間守る 失敗条件 1 織田家の大名が織田信長でない 2 二条御所が織田家所属でない 3 1579年6月になる 4 観音寺城が攻撃を受ける 結果 観音寺城が安土城に変化(外観変化、耐久9000に)織田信長が特性「築城名手」を修得 備考 ムービー「欲するものは」あり(条件2達成時) (大)播磨平定 発生条件 シナリオ「手取川の戦い」開始直後 達成条件 1 黒田官兵衛が姫路城を包囲する 2 羽柴秀吉が姫路城主になる 結果 黒田官兵衛が特性「余禄」を修得 備考 ver1.0.0.4(2014/2/20更新)からの新しい戦国伝?大河ドラマ連動か (大)三木合戦 発生条件 「播磨平定」達成後 戦国伝開始時発生事象 有岡城と高槻城が毛利家所属になる荒木村重、池田勝正、池田知正、中川清秀、高山友照、高山右近が毛利へ移籍(事前に他城へ移動していてもこのメンバーが離反することを確認) 達成条件 1 有岡城と高槻城を支配下に置く別所家を滅ぼす 2 本願寺家を滅ぼす毛利家を滅ぼす 結果 織田信長が特性「謀神」を修得 備考 ver1.0.0.4(2014/2/20更新)からの新しい戦国伝?大河ドラマ連動か (大)中国征伐 発生条件 「安土城築城」達成毛利家の勢力が一定以上(要検証)織田家と毛利家が同盟していない 達成条件 1 中国地方の本城をすべて支配下に置く 失敗条件 1 織田家の大名が織田信長でない 2 羽柴秀吉が死亡する 3 1583年になる 結果 織田信長が特性「鉄甲船」「百万一心」を修得 備考 (大)甲州征伐 発生条件 シナリオ「夢幻の如く」開始直後 戦国伝開始時発生事象 木曾義昌が織田家臣になる 達成条件 1 高遠城を包囲する(迎撃部隊は出てこない・包囲するだけで落城させたことになる) 2 新府城を包囲する(迎撃部隊は出てこない・包囲するだけで落城させたことになる) 失敗条件 1 織田家の大名が織田信長でない 2 徳川家の大名が徳川家康でない 3 高遠城が織田・徳川・武田以外の所属である 4 新府城が織田・徳川・武田以外の所属である 結果 (条件1達成時)仁科盛信が死亡(条件2達成時)武田家が滅亡(条件2達成時)武田勝頼・土屋昌恒が死亡(条件2達成時)織田信長が特性「風林火山」を修得 備考 徳川家も同時に武田領へ侵攻開始するため、高遠城・新府城は徳川家が包囲すると徳川家の所属になってしまうが、その場合でも戦国伝そのものは達成扱いになる。 (大)夢幻の如く 発生条件 徳川家康が大名織田信忠、織田信雄、織田信孝、柴田勝家、羽柴秀吉、明智光秀が織田家所属一乗谷城、清州城、稲葉山城、観音寺城、二条御所、姫路城が織田家保有武田家が滅亡している・「夢幻の如く」開始の場合、「甲州征伐」達成済みで1582年12月以前・上記以外の場合、1582年中で「中国討伐」が発生中か達成済み 達成条件 1 織田信忠が二条御所にいる 織田信長が二条御所にいる 羽柴秀吉が中国地方の本城にいる 柴田勝家が一乗谷城または北庄城にいる 2 明智光秀が二条御所にいる 失敗条件 1 織田信長か織田信忠が死亡する 2 羽柴秀吉か明智光秀が織田所属でない 3 1583年になる 4 一乗谷城・清洲城・岐阜城・姫路城のいずれかを失う 結果 織田信長が死亡織田信忠・森蘭丸・村井貞勝が死亡羽柴秀吉が織田家を継ぐ勢力図が再編される 備考 プレイ大名が羽柴秀吉に変更、金銭・兵糧・軍馬・鉄砲も引き継ぐ領土と家臣が、羽柴家・明智家・柴田家・清洲織田家(織田信雄)・岐阜織田家(織田信孝)に分割ムービー「滅せぬもの」あり (大)山崎の戦い 発生条件 「夢幻の如く」達成、もしくはシナリオ「天王山」開始直後黒田官兵衛が羽柴家所属吉川元春・小早川隆景が毛利家所属 戦国伝開始時発生事象 羽柴家と毛利家が24カ月の同盟を締結 達成条件 1 羽柴秀吉が石山御坊にいる 2 明智家を滅ぼす 失敗条件 1 羽柴家の大名が羽柴秀吉でない 2 黒田官兵衛が羽柴所属でない 3 戦国伝発生後5年が経過する 結果 羽柴秀吉が特性「信長の野望」を修得(条件1達成で習得) 備考 明智光秀死亡イベントは無く、明智家滅亡後に光秀を登用することも可能ムービー「中国大返し」あり (大)賤ヶ岳の戦い 発生条件 「山崎の戦い」達成、もしくはシナリオ「清須会議」開始直後 達成条件 1 雑賀城を支配化に置く 岐阜城を支配化に置く 2 柴田家を滅ぼす(北庄城のみ残すと「(武)勝家の死」発生) 失敗条件 1 羽柴家の大名が羽柴秀吉でない 2 清須織田家の大名が織田信雄でない 3 二条御所を失う 4 戦国伝発生後5年が経過する 結果 羽柴秀吉が特性「鬼」を修得 備考 「(武)勝家の死」が発生しても達成しなければ柴田家滅亡後に勝家を登用することも可能 (大)大坂城築城 発生条件 「賤ヶ岳の戦い」達成 達成条件 1 石山御坊の商業を1500以上にする 2 石山御坊を180日間守る 失敗条件 1 羽柴家の大名が羽柴秀吉でない 2 黒田官兵衛が羽柴所属でない 3 石山御坊が攻撃を受ける 結果 羽柴秀吉が特性「築城名手」を修得石山御坊が大坂城に変化、城の耐久が9000に上昇 (大)小牧・長久手の戦い 発生条件 「大阪城築城」達成清洲織田家・徳川家が健在清洲織田家が尾張(清洲城?)を領有している 戦国伝開始時発生事象 羽柴家と清洲織田家・徳川家との同盟が解消 達成条件 1 清州織田家を滅ぼす 2 徳川家と同盟する(信用60にすれば自動的に達成) 失敗条件 1 羽柴家の大名が羽柴秀吉でない 2 徳川家の大名が徳川家康でない 結果 (条件1達成時)徳川軍が全軍撤退し、断絶→関心に変化(条件2達成時)羽柴秀吉が特性「野戦名人」・「外交術」を修得 備考 清洲織田家の領地が減りすぎていると発生しないが、伊勢方面は失っても清洲城さえ領有していれば問題ない模様1の清洲織田家の滅亡と共にイベントが発生し、こちらを攻めている徳川軍がいても全軍撤退その後、徳川は攻めてこなくなり、断絶→関心に変化ただし、こちらの配下軍団城主は勝手に徳川を攻めるので要注意関心に変化後、信用60まで稼ぐと自動的に達成 (武)利家の窮地 発生条件 家中統一達成後、木下秀吉と前田利家が織田家臣 戦国伝開始時発生事象 前田利家が浪人になる(以後2年間移動はしない模様) 達成条件 1 前田利家を2年間登用しない 結果 織田家が特性「槍術」を獲得前田利家が一回り大きくなります(各能力+1、特性「槍術」「利殖達人」を獲得) 備考 前田利家が2年間浪人します (武)墨俣一夜城 発生条件 美濃攻略発生後、木下秀吉と蜂須賀小六が織田所属 達成条件 1 墨俣に築城する 失敗条件 1 織田家の大名が織田信長でない 2 木下秀吉か蜂須賀小六が織田家臣でなくなる 3 大垣城・郡上八幡城のいずれかが織田家所属になる 4 美濃攻めが終わる(戦国伝「美濃攻略」が終わらなくても稲葉山城を落とすと失敗する) 結果 木下秀吉が特性「築城名手」を修得木下秀吉と蜂須賀小六の機嫌がよくなります(忠誠補正の「最近は良いことがあった」が発動) (武)三顧の礼 発生条件 斉藤家の大名が龍興(史実では義龍は1561年没)稲葉山城乗っ取りイベント→戦国伝『美濃攻略』達成後に発生 達成条件 1 竹中半兵衛を登用する 失敗条件 1 織田家の大名が織田信長でない 2 木下秀吉が織田所属でない 3 稲葉山城を失う 4 1569年1月になる 結果 竹中半兵衛が織田家所属になる木下秀吉が特性「人たらし」を修得 備考 登用するたびにイベントがおき、浪人に戻ってしまう。3回登用する必要あり (武)長政の死 発生条件 「信長包囲網」発生後、浅井家の支配拠点が小谷城のみとなる 達成条件 1 小谷城を強攻で落城させる(強行を開始した時点で達成) 失敗条件 1 織田家の大名が織田信長でない 2 浅井家の大名が浅井長政でない 3 浅井家が勢力を回復する(浅井家が小谷城を保持したままでそれ以外の拠点を得る) 4 浅井長政とお市の婚姻が破棄される 5 小谷城を強攻以外で落城させる 結果 浅井長政が死亡織田信長が特性「真の武士」を習得 (武)松永久秀という男 発生条件 戦国伝「信長包囲網」発生中(シナリオ「信長包囲網」で開始の場合はすぐ発生する)足利義昭・武田信玄が大名として健在松永久秀が織田家所属筒井城が織田家所属 達成条件 1 松永久秀を筒井城城主にする 2 織田信長が筒井城を包囲する(包囲した段階で達成) 失敗条件 1 織田家の大名が織田信長でない 2 松永久秀が織田所属でない 3 1575年1月になる 4 久秀独立前に信長包囲網が崩壊する 5 安土城築城が開始される 6 織田信長以外が筒井城を陥落させる 結果 条件1達成後、松永久秀が大名として独立。松永久通が松永家家臣に※その他の筒井城所属武将は信貴山城に移動している条件2達成後、筒井城と松永親子が織田家に戻る 備考 このイベントに限らないが、筒井城の兵をカラにしておいても、イベント後すぐに筒井城の兵がMAXに回復する。筒井城から他の武将で出撃させ、久秀を城主任命して鎮圧すると兵がお得。 (武)昌景の死 発生条件 戦国伝「長篠の戦い」発生後、条件2(織田信長が設楽原に布陣する)を達成 達成条件 1 織田信長が山県昌景を撃破する 失敗条件 1 織田家の大名が織田信長でない 2 武田家の大名が武田勝頼でない 3 織田信長以外が山県昌景を撃破する 4 長篠の戦いが終了する 結果 山県昌景が死亡織田信長が「赤備え」を修得 備考 長篠の戦いの付属イベントであり、山県昌景1500・内藤昌豊1500・武田勝頼3000・馬場信春1000の順に高遠城から設楽原に向かって進軍してくる。武田勝頼隊よりも先に山県昌景隊を撃破しないと失敗接触しただけでは達成にならず、実際に撃破することが必要 (武)昌豊の死 発生条件 戦国伝「長篠の戦い」発生後、条件2(織田信長が設楽原に布陣する)を達成 達成条件 1 織田信長が内藤昌豊を撃破する 失敗条件 1 織田家の大名が織田信長でない 2 武田家の大名が武田勝頼でない 3 織田信長以外が内藤昌豊を撃破する 4 長篠の戦いが終了する 結果 内藤昌豊が死亡織田信長が「副将」を修得 備考 長篠の戦いの付属イベントであり、山県昌景1500・内藤昌豊1500・武田勝頼3000・馬場信春1000の順に高遠城から設楽原に向かって進軍してくる。武田勝頼隊よりも先に内藤昌豊隊を撃破しないと失敗接触しただけでは達成にならず、実際に撃破することが必要 (武)鬼美濃死す 発生条件 戦国伝「長篠の戦い」発生後、条件2(織田信長が設楽原に布陣する)を達成 達成条件 1 織田信長が馬場信春を撃破する 失敗条件 1 織田家の大名が織田信長でない 2 武田家の大名が武田勝頼でない 3 織田信長以外が馬場信春を撃破する 4 戦国伝「長篠の戦い」を失敗か放棄する 結果 馬場信春が死亡織田信長が「鬼」を修得 備考 長篠の戦いの付属イベントであり、山県昌景1500・内藤昌豊1500・武田勝頼3000・馬場信春1000の順に高遠城から設楽原に向かって進軍してくる。長篠の戦い達成後(武田勝頼隊撃破後)に達成可能接触しただけでは達成にならず、実際に撃破することが必要 (武)松永久秀の最期 発生条件 (武)「松永久秀という男」達成(大)「安土城築城」達成上杉謙信が大名として健在明智光秀が織田家所属 達成条件 1 松永久秀を筒井城城主にする 2 織田信長が筒井城を包囲する(包囲した段階で達成) 失敗条件 1 織田家の大名が織田信長でない 2 松永久秀が織田所属でない 3 明智光秀が織田所属でない 4 久秀独立前に上杉謙信が大名武将でなくなる 5 1578年1月になる 6 織田信長以外が筒井城を陥落させる 結果 条件1達成後、松永久秀が大名として独立。久通が松永家家臣に※その他の筒井城所属武将は信貴山城に移動している条件2達成後、松永久秀が爆死し、平蜘蛛茶釜が入手不可に織田信長が「封殺」を修得 備考 安土城完成直後に発生。上杉が一定の勢力を保っている必要があるものと思われる (武)攻城名人、秀吉 発生条件 「播磨平定」達成後 達成条件 1 秀吉が三木城を包囲落城させる秀吉が鳥取城を包囲落城させる 失敗条件 1 三木城を包囲以外の手段で攻撃する 2 鳥取城を包囲以外の手段で攻撃する 結果 別所長治が死亡します吉川経家が死亡します羽柴秀吉が特性「攻城達人」を修得 備考 ver1.0.0.4(2014/2/20更新)からの新しい武将伝? (武)高松城水攻め 発生条件 「攻城名人、秀吉」達成後、もしくはシナリオ「夢幻の如く」開始直後 達成条件 1 秀吉と官兵衛が備中高松城を包囲する 2 秀吉と官兵衛が備中高松城包囲を続ける 失敗条件 1 備中高松城を包囲以外の手段で攻撃する 2 水攻め開始から30日以上経過する(達成条件2実施中) 結果 清水宗治が死亡し備中高松城が落城する羽柴秀吉が特性「真の武士」を修得 (武)勝家の死 発生条件 戦国伝「賤ヶ岳の戦い」の条件「柴田家を滅ぼす」発生中に、柴田家の支配拠点が北庄城(一乗谷城)のみとなる 達成条件 1 北庄城を強攻で落城させる(強行を開始した時点で達成) 失敗条件 1 羽柴家の大名が羽柴秀吉でない 2 柴田家の大名が柴田勝家でない 3 柴田家が勢力を回復する(柴田家が北庄城を保持したままでそれ以外の拠点を得る) 4 北庄城(一乗谷城)を強攻以外で落城させる 結果 柴田勝家が死亡お市が死亡羽柴秀吉が特性「鬼」を修得羽柴秀吉が特性「真の武士」を修得 武田家 (大名録:5 武将録:0) (大)信濃統一 発生条件 シナリオ「家督相続」開始直後 達成条件 1 葛尾城を包囲する※包囲するだけで達成 2 木曽福島城を包囲する※包囲するだけで達成 失敗条件 1 武田家の大名が武田晴信でない 2 山本勘助が武田家所属でない 3 村上家の大名が村上義清でない 4 戦国伝発生後2年が経過する 5 武田家が4城以上の本城を支配する 結果 村上家が滅亡し、葛尾城は武田家所属になる村上義清が長尾家所属になる木曽家が武田家に降伏し家臣はそのまま武田家所属になる武田晴信が特性「能吏」を修得 (大)甲相駿三国同盟 発生条件 信濃統一達成北条家と交戦中でない 達成条件 1 今川家と縁戚になる※信用を100に上げるだけでよい 2 北条家と縁戚になる※信用を100に上げるだけでよい 失敗条件 1 武田、北条、今川いずれかの大名が変わる 2 武田義信か黄梅院が既婚か、武田所属でない 3 北条氏政か蔵春院が既婚か、北条所属でない 4 今川氏真か嶺松院が既婚か、今川所属でない 5 太原雪斎が死亡かまたは、今川所属でない 結果 武田晴信が特性「外交術」を修得 備考 武田義信が元服前でも発生する失敗条件にはないが、今川家と同盟破棄したり北条家と交戦すると失敗になるムービー「善徳寺の会盟」あり※この戦国伝開始直後、今川家の外交姿勢が信頼に変化する※条件1達成後、北条家の外交姿勢が信頼に変化する (大)川中島の戦い 発生条件 シナリオ「桶狭間の戦い」で、桶狭間の戦い後1560年6月発生又は「甲相駿三国同盟」達成済みで長尾景虎が上杉政虎に改名済み武田家と北条家が縁戚高坂昌信、馬場信春、武田信繁、山本勘助が武田家所属 達成条件 1 海津城を築城する※シナリオ「桶狭間の戦い」では海津城が存在するので築城不要 2 上杉政虎が妻女山に布陣するのを待つ※海津城が完成すると上杉政虎が兵3000で出陣してくる 3 武田信玄、武田信繁、山本勘助が川中島で待ち伏せする 4 馬場信春と高坂昌信が妻女山に上る※上杉政虎がいる場所に突撃すればOK 5 馬場信春と高坂昌信が川中島へ戻る※上杉政虎隊が川中島へ瞬時に移動し戦闘開始 6 上杉政虎を撃破する 失敗条件 1 武田家の大名が武田晴信でない 2 上杉家の大名が上杉政虎でない 3 啄木鳥作戦を実行しない、またはできない 4 上杉政虎が妻女山に布陣する前に攻撃する 5 上杉政虎が妻女山布陣後、長時間が経過する 結果 (条件1達成後)馬場信春が特性「築城名手」を修得(条件4達成後)山本勘助と武田信繁が死亡します(条件6達成後)武田信玄が特性「風林火山」を修得(条件6達成後)武田信玄が特性「慧眼」を修得 備考 ムービー「川中島合戦」あり(条件4達成後) (大)駿河侵攻 発生条件 川中島の戦い後、居城に戻ると発生 達成条件 1 武田義信を追放する※追放した後、評定終了すると達成が出る 2 駿府館を制圧する 3 山県昌景で北条氏政を撃破する※条件2達成後、北条家との同盟が破棄され北条氏政が駿府まで出撃してくる。山県昌景で接触すればOK 失敗条件 1 武田家の大名が武田晴信でない 2 武田義信、飯富虎昌、昌景が武田所属でない 3 今川家、北条家との同盟を破棄する 4 北条氏康か氏政が北条所属でない 5 駿府館を失う 結果 (条件1達成後)武田義信と飯富虎昌が死亡します(条件1達成後)飯富昌景が山県昌景に改名(条件1達成後)今川家との同盟が破棄されます(条件2達成後)北条家との同盟が破棄されます(条件3達成後)飯富昌景が特性「赤備え」を修得(条件3達成後)北条氏政と黄梅院が離縁し、黄梅院は死亡(戦国伝達成後)北条家が24ヶ月同盟を打診してくる(断ることも可能) 備考 (大)西上作戦 発生条件 「駿河侵攻」達成またはシナリオ「信長包囲網」開始直後または1572年9月以降で駿府館が武田家所属清州城・稲葉山城が武田家所属でない岡崎城・浜松城が徳川家所属 達成条件 1 武田信玄が浜松に入らず三方ヶ原に入る 2 武田信玄が徳川家康を撃破する※条件1達成後、家康が兵力10000で浜松から出撃してきて自動的に達成される 3 二条御所を支配下に置く 失敗条件 1 武田家の大名が武田信玄でない 2 山県昌景と馬場信春が武田所属でない 3 徳川家康撃破前に武田軍が浜松城を攻撃する 結果 (条件2達成後)武田信玄が特性「野戦名人」を修得(条件3達成後)武田信玄が特性「封殺」を修得 備考 ムービー「三方ヶ原の戦い」あり(条件2達成後) 上杉家 (大名録:5 追加大名録:1 武将録:4) PK追加(大名録:4 追加大名録:4 武将録:0) 75 5 800 PK追加(大)越後動乱 発生条件 シナリオ「信長誕生」開始直後 達成条件 1 長尾為景が上条定憲を撃破する 2 長尾晴景に家督を譲る 失敗条件 1 長尾家の大名が長尾為景でない 2 直江景綱が長尾所属でない 3 長尾晴景が長尾所属でない 4 上条定憲の春日山城下侵入を許す 結果 柿崎景家が家臣になります宇佐美定満が家臣になります長尾為景が特性「知将」を修得 PK追加(大)宥和政策 発生条件 「越後動乱」達成 達成条件 1 上田長尾家の信用を100にする 2 越後上杉家の信用を60にする 失敗条件 1 長尾家の大名が長尾晴景でない 2 長尾為景が長尾所属でない 3 仙桃院が長尾所属でない 4 直江景綱が長尾所属でない 5 長尾政景が上田長尾所属でない 6 越後上杉家が滅亡する 7 仙桃院と長尾政景が婚姻できない 8 期限1541年12月 結果 長尾為景が特性「外交術」を修得越後上杉家と永久的な同盟関係になります上田長尾家と婚姻同盟を結びます PK追加(大)為景の死 発生条件 「宥和政策」達成 達成条件 1 栃尾城を支配下に置く 2 長尾景虎が安田城を制圧する 失敗条件 1 長尾家の大名が長尾晴景でない 2 越後上杉家の大名が上杉定実でない 3 仙桃院が長尾所属でない 4 長尾景虎が長尾所属でない 5 柿崎景家が長尾所属でない 6 直江景綱が長尾所属でない 7 宇佐美定満が長尾所属でない 8 期限1548年12月 結果 長尾景虎が特性「軍略家」を修得 PK追加(大)景虎起つ 発生条件 「為景の死」達成 達成条件 1 長尾景虎に家督を譲る 2 坂戸城を包囲する(包囲するだけで達成) 失敗条件 1 長尾景虎意外に長尾家の家督を譲る 2 越後上杉家の大名が上杉定実でない 3 越後長尾家との同盟を破棄する 4 上田長尾家との婚姻同盟を破棄する 5 柿崎景家が長尾所属でない 6 直江景綱が長尾所属でない 7 宇佐美定満が長尾所属でない 8 期限1551年3月 結果 長尾景虎が大名武将になります長尾景虎が特性「名将」を修得 (大)家中統一 発生条件 シナリオ「家督相続」開始直後 達成条件 1 坂戸城を包囲する(包囲するだけで達成) 失敗条件 1 長尾家の大名が長尾景虎でない 2 坂戸城が陥落する 3 1552年4月になる 4 長尾家が4城以上の本城を支配する 結果 坂戸城が長尾家所属になり上田長尾家の所属武将は全て長尾家臣になる(長尾政景は仙桃院を妻にしたままだが長尾一門扱いにはならない)長尾景虎が統率経験値を修得長尾景虎が武勇経験値を修得 (大)義戦 発生条件 「家中統一」達成 戦国伝開始時発生事象 葛尾城が武田家所属になり村上家が滅亡村上義清が長尾家臣になる平井城が北条家所属になり山内上杉家が滅亡上杉憲政が長尾家臣になる魚津城(椎名家)が従属から長尾直属の家臣になる 達成条件 1 平井城を支配下に置く 2 富山城を支配下に置く 失敗条件 1 長尾家の大名が長尾景虎でない 2 春日山城が長尾家所属でない 3 柿崎景家・宇佐美定満・甘粕景持のいずれかが長尾家所属でない 4 魚津城が長尾家所属でない 5 戦国伝発生後7年が経過する 結果 長尾景虎が特性「民心掌握」を修得 備考 (大)北条討伐 発生条件 「義戦」達成、もしくはシナリオ「桶狭間の戦い」開始直後佐竹家が健在北条綱成が北条家所属箕輪城が長尾家所属ではない 戦国伝開始時発生事象 唐沢山城(佐野家)が北条家従属から長尾家従属になる 達成条件 1 唐沢山城を救援する 河越城を制圧する 2 玉縄城を支配下に置く 3 小田原城を包囲する(包囲すれば達成だが、落城したことにはならないので落城させたい場合はそのまま攻城を続ける必要あり) 失敗条件 1 長尾家の大名が長尾景虎でない 2 上杉憲政・柿崎景家が長尾家所属でない 3 戦国伝発生後8年が経過する 4 唐沢山城が半年以内に落城する 結果 (唐沢山城救援達成時)長尾景虎が特性「神速」を修得・唐沢山城(佐野家)が直属の家臣になる(玉縄城攻略達成時)長尾景虎が関東管領に就任・長尾景虎が上杉政虎に改名(小田原城包囲達成時)上杉政虎が特性「遠路踏破」を修得 備考 ムービー「黒衣の軍神」あり(謙信軍が唐沢山城に接触した直後)唐沢山城救援は、発生から半年落とされなければ達成「北条討伐」発生のためには箕輪城を持っていると発生しない。大名録発生後は箕輪城をとっても問題ない。北条討伐をS2(桶狭間)以外で発生させるには義戦完了時に長野が生存してることが恐らく条件であり、S1で戦国伝の上洛まで行くのを確認済(2014/2/20追記) S1(家督相続)にて、義戦完了時に長野が滅亡していても北条討伐が発生することを確認。 (大)川中島の戦い 発生条件 「北条討伐」達成高坂昌信、馬場信春が武田家所属武田晴信が武田信玄に改名済み砥石城が武田家所属「家督相続」開始の場合、葛尾城が武田家所属「桶狭間の戦い」開始の場合、海津城が武田家所属 達成条件 1 甘粕景持と柿崎景家が妻女山に布陣する(※妻女山は海津城の左上、Xで交差してる場所) 2 上杉政虎が妻女山に布陣する 3 北信濃で武田信玄を撃破する(条件1・2達成で武田信玄隊が妻女山付近に出現する) 失敗条件 1 上杉家の大名が上杉政虎でない 2 柿崎景家か甘粕景持が上杉家所属でない 3 戦国伝発生後5年が経過する 4 武田軍に気づかれる(甘粕景持と柿崎景家が妻女山に布陣する前に上杉軍と武田軍が交戦する) 5 武田軍との戦いを避ける(条件3実行中) 結果 上杉政虎が特性「軍神」を修得(条件1達成時)柿崎景家が特性「先駆け」を修得(条件1達成時)甘粕景持が特性「殿軍」を修得 備考 川中島の戦いは北条討伐を終わらせたとき葛尾城が武田でないと発生しないようなので最初に武田に家宝あげて印象良くして同盟組めばおkムービー「川中島合戦」あり川中島の戦い達成後に上杉政虎が帰城もしくは30日経過で上杉政虎が上杉謙信に改名し、特性「信仰心」を修得 (大)上洛 発生条件 シナリオ「信長包囲網」開始直後もしくは上杉政虎が上杉謙信に改名済み 達成条件 1 七尾城を支配下に置く 尾山御坊を支配下に置く 2 二条御所を支配下に置く 失敗条件 1 上杉家の大名が上杉謙信でない 2 柿崎景家が上杉家所属でない 3 春日山城を失う 結果 上杉謙信が管領に就任上杉謙信が特性「真の武士」を修得 (大)手取川の戦い 発生条件 シナリオ「手取川の戦い」開始直後 達成条件 1 上杉謙信が柴田勝家を撃破する(交戦開始で自動的に達成) 柴田勝家の尾山御坊侵入を防ぐ 結果 上杉謙信が特性「真の武士」を修得 備考 ver1.0.0.4(2014/2/20更新)からの新しい戦国伝戦国伝開始後、柴田勝家が出撃してくる。尾山御坊に勝家が着く前に謙信軍で接触すれば条件1達成 (武)軍師、最後の御役目 発生条件 「家中統一」終了済 達成条件 1 長尾政景と宇佐美定満が坂戸城にいる 失敗条件 1 上杉家の大名が上杉政虎でない 2 長尾政景が上杉家所属でない 3 宇佐美定満が上杉家所属でない 4 長尾顕景が上杉家所属でない 5 坂戸城を失う 結果 長尾政景が死亡します宇佐美定満が死亡します長尾顕景が上杉政虎の養子になります長尾顕景が上杉景勝に改名します (武)二人の後継者 発生条件 シナリオ「天下布武」開始直後 達成条件 1 北条家と同盟を結ぶ(信用を上げるだけではなく外交で同盟を結ぶ必要あり・同盟の期限は問わない・婚姻でも可能) 失敗条件 1 上杉家の大名が上杉政虎でない 2 北条家の大名が北条氏康でない 3 春日山城を失う 4 上杉家と北条家が戦争状態になる 5 北条氏政が北条家所属でない 結果 上杉景虎が上杉家所属になります (武)御館の乱 発生条件 上杉謙信が死亡(史実では1578年)後継者に上杉景勝を指名樋口兼続と上杉景虎も上杉家所属武田家と北条家が存続している 戦国伝開始時発生事象 上杉景虎が新発田城または箕輪城で独立 達成条件 1 武田家と同盟する 2 上杉景虎を滅亡させる 失敗条件 1 上杉家の大名が上杉景勝でない 2 樋口兼続が上杉家所属でない 3 春日山城を失う 結果 上杉景虎が死亡します上杉景勝が特性「不屈」を修得 備考 (武)美しき反逆者 発生条件 上杉謙信が死亡(史実では1578年)後継者に上杉景虎を指名樋口兼続と上杉景勝も上杉家所属武田家と北条家が存続している 戦国伝開始時発生事象 上杉景勝が春日山城で独立(家臣は樋口親子・本庄繁長・斎藤朝信・甘粕景持など) 達成条件 1 北条家と同盟する 2 上杉景勝を滅亡させる 失敗条件 1 上杉家の大名が上杉景虎でない 結果 上杉景勝が死亡します上杉景虎が特性「遠路踏破」を修得 備考 毛利家 (大名録:3 武将録:3) (大)巌島の戦い 発生条件 シナリオ「家督相続」でイベント「大寧寺の変」(1551年9月)の直後、もしくはシナリオ「厳島の戦い」発生直後 戦国伝開始時発生事象 大寧寺の変が発生し、大内義隆が死亡、大内義長が大名になる毛利家と大内家の同盟が解消 達成条件 1 宮尾城を築城する 2 村上家の信用を40にする 3 陶晴賢が宮尾城を攻撃する※一度、陶晴賢に宮尾城を包囲させる必要がある 4 毛利元就が陶晴賢と交戦する毛利隆元が陶晴賢と交戦する吉川元春が陶晴賢と交戦する小早川隆景が陶晴賢と交戦する※宮尾城はすぐ陥落してしまうので、城の近くに待機させておくと良い 隆元・元春・隆景は副将でもよい 失敗条件 1 毛利家の大名が毛利元就でない 2 元就の息子のいずれかが毛利家所属でない 3 陶晴賢が大内家所属でない 4 戦国伝発生後4年が経過する 5 宮尾城が毛利家所属でない 結果 (条件2達成時)能島村上家と大内家の同盟が解消・能島村上家と毛利家が無期限の同盟を締結・小早川隆景が特性「外交術」を習得・陶晴賢が山口館から兵力4000で宮尾城へ向けて出陣(条件4達成時)陶晴賢が死亡・能島村上家が毛利家に従属・毛利元就が特性「謀神」を修得 備考 ムービー「厳島合戦」あり(条件4達成後) (大)防長経略 発生条件 「巌島の戦い」達成後 達成条件 1 山口館を支配下に置く 指月城を支配下に置く 失敗条件 1 毛利家の大名が毛利元就でない 2 元就の息子のいずれかが毛利家所属でない 3 戦国伝発生後6年が経過する 結果 毛利隆元が特性「百万一心」を修得 備考 ムービー「三矢の訓え」あり(戦国伝達成後) (大)尼子氏との戦い 発生条件 「防長経略」達成後、もしくはシナリオ「桶狭間の戦い」開始直後 戦国伝開始時発生事象 新宮党事件が発生し、尼子国久・尼子誠久が死亡 達成条件 1 山吹城を支配下に置く 2 月山富田城を支配下に置く 尼子家を滅亡させる 失敗条件 1 毛利家の大名が毛利元就でない 2 元就の息子のいずれかが毛利家所属でない 結果 吉川元春が特性「慧眼」を修得 備考 (武)「隆元の天命」によって毛利隆元が死亡しても戦国伝失敗にはならない (武)百万一心 発生条件 シナリオ「家督相続」「桶狭間の戦い」開始直後 達成条件 1 吉田郡山城の区画を4にする 失敗条件 1 毛利家の大名が毛利元就でない 2 吉田郡山城が毛利家所属でない 3 戦国伝発生から3年が経過する 結果 毛利元就が特性「百万一心」を修得 (武)隆元の天命 発生条件 「尼子氏との戦い」の条件1(山吹城攻略)達成後毛利隆元が吉田郡山城にいない 達成条件 1 毛利隆元が吉田郡山城に入る 失敗条件 1 毛利家の大名が毛利元就でない 2 吉川元春、小早川隆景が毛利家所属でない 3 尼子家が滅亡する 4 尼子家が毛利家に対して従属または同盟する 結果 毛利隆元が死亡します毛利元就が特性「利殖達人」を修得吉川元春が特性「百万一心」を修得小早川隆景が特性「百万一心」を修得 (武)尼子再興軍 発生条件 歴史イベント「七難八苦を!」発生済み吉川元春が毛利家所属1568年1月以降尼子家が滅亡しているまたは大名録「尼子氏との戦い」達成済み 戦国伝開始時発生事象 尼子勝久が新山城で独立し山中鹿之助が家臣となる 達成条件 1 新山城を支配下に置く 失敗条件 1 吉川元春が毛利家所属でない 2 尼子家が2以上の城を支配する 結果 山中鹿之助が脱走するイベントが発生 備考 「七難八苦を!」は(大)「尼子氏との戦い」発生中の1561年1月以降に尼子家の支配する城を月山富田城のみにすると発生「七難八苦を!」を発生させておけば後にこの武将録が発生する 北条家 (大名録:4 武将録:0) (大)受け継がれしもの 発生条件 シナリオ「家督相続」開始直後 達成条件 1 古河御所を支配下に置く 2 平井城を支配下に置く※平井城は包囲すれば落城したことになる 失敗条件 1 北条家の大名が北条氏康でない 2 北条綱成が北条家所属でない 3 1553年4月になる 結果 上杉(憲政)家が滅亡し、上杉憲政が長尾家臣になる北条氏康が特性「民心掌握」を修得 備考 ムービー「河越夜戦」あり(戦国伝開始時) (大)甲相駿三国同盟 発生条件 (大)「受け継がれしもの」達成 達成条件 1 武田家と縁戚になる※信用を100に上げるだけでよい 2 今川家と縁戚になる※信用を100に上げるだけでよい 失敗条件 1 武田、北条、今川いずれかの大名が変わる 2 武田義信か黄梅院が既婚か、武田所属でない 3 北条氏政か蔵春院が既婚か、北条所属でない 4 今川氏真か嶺松院が既婚か、今川所属でない 5 太原雪斎が死亡かまたは、今川所属でない 結果 北条氏康が特性「外交術」を修得 備考 ムービー「善徳寺の会盟」あり(条件2達成時)※この戦国伝開始直後、武田家の外交姿勢と信用が敵視0→信頼60に変化する※条件1達成後、今川家の外交姿勢と信用が敵視0→信頼60に変化する (大)北条包囲網 発生条件 (大)「甲相駿三国同盟」達成もしくはシナリオ「桶狭間の戦い」開始直後里見家、佐竹家が存続 戦国伝開始時発生事象 上杉政虎が兵力2000で出陣してくる 達成条件 1 韮山城を1年守る河越城を1年守る古河御所を1年守る 失敗条件 1 北条家の大名が北条氏康でない 2 北条氏政か北条綱成が北条所属でない 3 古河御所が北条所属でない 4 河越城が北条所属でない 5 韮山城が北条所属でない 結果 北条氏康が特性「堅陣」を修得北条氏康が特性「籠城達人」を修得北条綱成が特性「地黄八幡」を修得 (大)関東の覇者 発生条件 今川義元が死亡している(甲相駿三国同盟が成立すればほぼ間違いなく桶狭間の戦いが発生して義元が死亡する)。北条家と上杉家が同盟・婚姻していない 戦国伝開始時発生事象 武田家と今川家の婚姻が解消武田義信・飯富虎昌が死亡 達成条件 1 武田家と手切れする※破棄の使者を送れば達成 2 2年以内に上杉家と同盟する※信用を60に上げるだけで自動的に同盟イベント 3 関東の本城をすべて支配下に置く 失敗条件 1 北条家の大名が北条氏康でない 2 北条氏政が北条所属でない 3 同盟破棄前に武田信玄が死亡する 4 同盟締結前に上杉謙信が死亡する 結果 (条件1達成時)北条氏政と黄梅院が離縁し、黄梅院は死亡(氏政の配偶者欄は空になるため再度の縁組が可能になる)(条件1達成時)上杉家の外交姿勢が「関心」に変化(条件2達成時)いわゆる越相同盟(北条三郎氏秀の上杉家養子縁組)が発生するが、無期限同盟ではない(24カ月)ので注意(条件3達成時)北条氏康が特性「慧眼」を修得(条件3達成時)北条氏康が特性「兵站上手」を修得(条件3達成時)北条氏政が特性「余禄」を修得 備考 シナリオ「桶狭間の戦い」だと結城と同盟済なので、期間切れを待つか、破棄の必要がある
https://w.atwiki.jp/sengoku-taisen/pages/1352.html
Ver1.0大戦国◆稲葉山城攻防戦 ◆塩尻峠の戦い ◆清洲城攻略戦 ◆桶狭間の戦い・前哨戦 ◆桶狭間の戦い ◆新人主君歓迎!美濃の戦い ◆将軍地蔵山の戦い ◆第四次川中島の戦い ◆稲葉山の戦い Ver1.1大戦国◆観音寺城の戦い ◆駿河侵攻戦 ◆姉川の戦い ◆宇佐山城の戦い ◆第一次石山合戦 ◆三方ヶ原の戦い Ver1.2大戦国◆多々良浜の戦い ◆響野原の戦い ◆小田原城の戦い Ver1.0大戦国 ◆稲葉山城攻防戦 稲葉山城は、美濃斎藤氏の居城として知られる。天文年間から続く尾張織田氏による攻撃を幾度と無く跳ね返した。 斎藤義龍の死後、斎藤氏は急速に求心力を失う。重臣の西美濃三人衆の寝返りが致命傷となり、織田信長の攻勢の前に稲葉山城は落城する。 ◆塩尻峠の戦い 塩尻峠の戦いとは、小笠原長時と武田信玄(晴信)との間で行われた合戦。 小笠原長時による諏訪地方への侵攻に対し、諏訪地方の豪族が呼応。 鎮圧に赴く武田軍の進軍の緩さを見て、小笠原軍は油断。しかし、密かに急行していた武田軍に大敗する。 これを契機に、小笠原氏は勢力を弱めていくことになる。 ◆清洲城攻略戦 ◆桶狭間の戦い・前哨戦 桶狭間の本戦の前、松平元康隊や朝比奈泰朝隊が織田軍の丸根砦・鷲津砦に対し攻撃を仕掛けた戦闘のことである。 この時、砦の将兵はほぼ玉砕状態にまで壊滅したが、このおかげで織田信長は義元隊と戦闘できる環境が整ったともいえる。 ◆桶狭間の戦い 桶狭間の戦いとは、1560年に織田信長と今川義元の間で行われた戦いである。 今川義元が率いる数万規模の今川軍が尾張に侵攻したが、桶狭間で行われた合戦で劣勢の織田軍により総大将の義元が討たれる。 義元の討死により、今川家の急速な弱体化、松平元康の独立、甲相駿三国同盟の崩壊など中部以東のパワーバランスが大きく変化し、そして尾張の風雲児・織田信長が一躍注目されるに至る。 ◆新人主君歓迎!美濃の戦い 美濃の戦いと明確に呼ばれるものは存在せず、おそらくは森部の戦い・十四条の戦い・新加納の戦い・河野島の戦いのいずれかのことであると考えられる。 いずれも織田軍と斎藤軍の戦いであり、発生地域はすべて美濃国である。 森部の戦い:1561年5月、斎藤軍6000に対し、織田軍1500という兵力差を覆し織田家が勝利した。 十四条の戦い:森部の戦いの直後に発生。これも織田軍が勝利した。 新加納の戦い:1563年に発生。この時は斎藤家当主である龍興方が勝利した。 河野島の戦い:龍興の和平破棄に怒った信長が決戦をつけようとするも、大敗北を喫する。 なお、前田利家の帰参はこのうち森部の戦いの時であるとされている。 ◆将軍地蔵山の戦い 将軍地蔵山の戦いとは、六角義賢と三好長慶による戦いである。 鬼十河こと十河一存が死去した後、畠山高政の岸和田城包囲に呼応した六角義賢軍が将軍山城に立て篭もる。 その動きに対し三好長慶は三好義興・松永久秀ら1万4000を送り、攻城戦に発展した。 三好軍が挟撃にかかるものの、六角義賢軍はこれを見事に迎撃することに成功。この後三好軍は勢力を弱め、結果として六角軍上洛に至った。 ◆第四次川中島の戦い 第四次川中島の戦いとは、上杉政虎と武田信玄との間で起こされた5回ある川中島の戦いのなかでもっとも有名な戦いである。 馬場信春・山本勘助により「啄木鳥戦法」が立案され、実行されるも政虎はこれを看破し、妻女山を密かに下山、甘粕隊1000を別働隊への備えとして残し八幡原に布陣した。 翌日、政虎は柿崎景家を先鋒に車掛陣を敷き攻撃開始、武田軍8000は鶴翼陣で応戦するものの、信玄の弟の信繁や山本勘助、諸角虎定らが討死するなど、劣勢であった。 甘粕隊を撃破した別働隊が八幡原に到着後、戦況は武田軍優勢に転じ、これを見た政虎は善光寺へ兵を退く。 信玄も追撃を停止し、両軍痛みわけに終わった。 ◆稲葉山の戦い 稲葉山の戦いは、信長と斎藤龍興が稲葉山城をめぐり繰り広げた攻城戦のことである。 1566年、西美濃三人衆の内応工作・墨俣の支配を進める。西美濃三人衆が内応を約束すると信長はすぐに攻め入る。 突然の侵攻に龍興は何もできず、龍興は城を脱出して長良川を下り、伊勢の長島へと脱出する。稲葉山城は陥落し、大名としての斎藤氏はここで滅亡した。 信長は拠点を稲葉山城に移し、これを岐阜城に改める。また、この頃から天下統一への道を邁進しはじめた。 この戦では、美濃攻め・稲葉山城攻略の拠点となる墨俣に秀吉が一夜で城を築いたという伝説がある。が、江戸時代以降の創作といわれ、信憑性は低いとされている。 Ver1.1大戦国 ◆観音寺城の戦い 観音寺城の戦いとは、1568年9月に足利義昭を奉ずる織田信長と六角義賢との間で起こった戦いである。 1565年に足利義輝が三好三人衆や松永久秀に討ち取られる事件が発生、弟義昭は和田惟政らの手引きで脱出。その後3年間の流浪生活の後、信長を頼る。信長は1568年8月に上洛を開始した。 途上、観音寺城にいる六角義治に義昭の入洛を助けるように使者を送るも義治と父の六角義賢はこれを拒否、開戦を決定した。 信長は、羽柴秀吉・丹羽長秀隊らと共に箕作城を真っ先に攻撃、その日の夜に秀吉の夜襲で落城した。 それを聞いた和田山城の兵たちは稲葉隊が攻撃に来る前に一目散に城から逃げ出し、和田山城も落城する。これを聞いた六角義治は夜陰に紛れて甲賀へ落ち延びていった。 これにより六角氏の没落は決定的となり、義昭は念願であった征夷大将軍の座に着いた。 なお、六角家の家臣蒲生賢秀がこの敗北後も戦闘していたが説得に応じて信長に質子を差出して忠節を誓った。この質子が後の蒲生氏郷である。 ◆駿河侵攻戦 駿河侵攻とは、武田信玄が西進のために駿河に侵略した3度の戦いを表す。 (ここでの駿河侵攻はそのうちの1回目、1568年の戦いを記す) 信玄は第一次駿河侵攻にあたり徳川家康と今川領分割の密約を結び、大井川を境にして東部を武田氏が、西部を徳川氏がそれぞれ攻め取ることにした。こうして始まった駿河侵攻に対し今川氏真は戦わずして敗走。武田軍は12月13日に駿府に入った。 一方、西の家康も12月27日に掛川城を包囲するに至る。東の北条が氏真の援軍要請に応えるも、時すでに遅かった。 信玄は結局兵糧切れのため翌年正月に撤収。そこをすかさず家康が駿府を占領、掛川城に籠城していた氏真を無血開城させることで降伏させた。 こうして今川家は家康の手によって滅ぼされ、信玄は今川軍を圧倒しながら駿河を手に入れることができなかった。 しかし信玄はあきらめておらず、後に三方ヶ原の戦いが起こる原因にもなった。 ◆姉川の戦い 観音寺城の戦いの後、足利義昭を奉じての上洛を果たした信長は朝倉義景に上洛要請を行うも義景はこれを拒絶したため、 1570年4月に信長が越前への侵攻を開始すると、朝倉氏との縁も深かった長政は信長から離反し、織田軍の背後を襲った。(これが金ヶ崎の戦いである) 信長は、この報復戦のために軍備を整えると北近江へ出陣。浅井氏の本拠である小谷城へ迫る織田軍に対して朝倉義景は一族の朝倉景健を総大将とする兵を派遣した。 6月28日、姉川河原で織田・徳川の連合軍2万8000と、浅井・朝倉同盟軍1万8000が琵琶湖へ注ぐ姉川を挟んだ。 徳川方の酒井忠次、小笠原長忠の隊が朝倉軍に攻撃したのを皮切りに合戦が開始されたところへ、磯野員昌の十一段崩しが始まる。しかしこれを森可成が止め、横山城攻城をしていた稲葉一鉄や丹羽長秀らが駆けつけ戦線は膠着状態になる。 一方朝倉軍はというと、徳川軍の本多忠勝が単騎中央突破を開始し、そこへ榊原康政隊が横から奇襲をかけ、家康らが応戦を開始したところ、義景が出陣しようとしなかったことも相成って朝倉軍は一気に崩れ始め、敗走した。 朝倉勢を撃破した徳川軍や横山城を攻めていた氏家卜全、安藤守就らが織田軍の増援として浅井軍攻撃に駆けつけ、浅井・朝倉両軍は敗走していった。 大打撃を受けたとはいえ浅井・朝倉両家の力はまだ残っており、さらには三好三人衆が挙兵したため信長は天王寺に出陣。こうして野田城・福島城の戦いや宇佐山城の戦いが発生する。 ◆宇佐山城の戦い 宇佐山城の戦いとは、1570年9月に織田軍の森可成率いる1000と浅井・朝倉・六角・延暦寺連合3万が近江の宇佐山城をめぐり戦った戦いのことである。 連合軍は摂津で勃発した野田城・福島城の戦いに信長始め織田軍主力が投入されているのを好機として背後を突くべく坂本占拠を試みる。 しかし、可成らは坂本にて果敢に応戦、本願寺軍の要請を受けた延暦寺の僧兵までもが連合軍に駆けつける事態となった。 開戦から4日後、可成は討死したが肝心の宇佐山城は城兵の頑固な抵抗により信長到着まで4日間耐え続けた。 結局同年12月に和解が成立。後にこのことが原因で信長は比叡山焼き討ちを行うことになる。 ◆第一次石山合戦 正しくは「野田城・福島城の戦い」といい、三好三人衆の挙兵によって発生した織田軍と、本願寺・三好連合軍との戦いである。 当時織田にいた松永久秀が連合軍にやってくる大量の援軍を見て、河内にいち早く到着し侵攻に備えたのも相成って双方激戦となる。 信長がこれを聞き精鋭を引きつれ岐阜を出陣し、たった6日で河内の天王寺に着陣したものの、背後では宇佐山城で森可成が必死に防衛しているなど戦況は不利であったため、仕方なく兵を引き上げた。同年12月に和解が成立することになる。 ◆三方ヶ原の戦い 駿河侵攻の後、信長包囲網のに参加した信玄軍3万による西上作戦が始まる。徳川軍は三路同時侵攻の前にはどうすることもできず、織田も宇佐山や野田・福島などのせいでまともな援軍が派遣できなかった。 一言坂・二俣城の戦いと連続で敗北したころに信長が援軍を派遣するも、徳川軍は1万程度の兵数しか動員できなかった。にもかかわらず家康は家臣の意見を押し切って打って出る。結果、2時間で大敗北を喫した家康は浜松城へ逃げ帰り、空城計を行った。 このあと三河武士の反撃である犀ヶ崖の戦いが勃発する。 Ver1.2大戦国 ◆多々良浜の戦い 多々良浜の戦いは1336年にも発生しているため、こちらは区別のため多々良川の戦いとも呼ばれる。 1567年の秋月種実の再興の挙兵を毛利が支援したことがきっかけで大友の重臣である高橋鑑種や立花鑑載が離反。 さらに元就自ら九州に襲来する事態となった。元就は肥前の龍造寺と連携してこれを追い詰め、一度は奪われた立花山城を奪い返す。 これを見た宗麟が立花山奪還のため多々良川にて毛利と衝突することになる。小競り合い程度の戦いの中対双方陣が長引く間に、大内・尼子再興の兵が毛利を脅かす事態となり、元就は仕方なく元春・隆景らを撤収させたため、結果的に事実上大きな争いもなく立花山城は大友が制圧した。 ちなみに、この時離反した立花・高橋の名跡はそれぞれ戸次鑑連・吉弘鎮理が継承したためこの両名は「立花道雪」「高橋紹運」と改名した。 ◆響野原の戦い 1581年、島津氏の阿蘇攻略命令により相良義陽が出陣したものの、義陽は阿蘇の甲斐親直(宗運)と親しい間柄であった。 相良軍は守備に向かないはずの響野原に陣を敷き、そこを親直に奇襲され、当主の義陽は一歩も動かず討死した。 ◆小田原城の戦い 小田原城の戦いは3度発生している(今回の大戦国・信玄の小田原攻略・秀吉の小田原城の戦い)ため、こちらは区別のため大槻合戦ともいう。 河越城の戦い以降、上杉憲政が謙信を頼ったことにより北条討伐の大義名分が立った謙信が関東の救援要請をきっかけに関東へ出陣する。 しかし信玄が海津城を完成させたり越後で一向一揆が発生したり、関東での兵糧事情が最悪だったことから小田原を落とすことなく謙信は帰っていった。
https://w.atwiki.jp/musouchronicle2_3ds/pages/164.html
河越夜戦(北条軍) 出現条件 戦前・戦後イベント・ムービー 勝敗条件 武将データ ミッション アイテム配置 シナリオ攻略情報金ミッション情報 出現条件 いずれかのルートでエンディングを見る 戦前・戦後イベント・ムービー 前・後 イベント名 選択肢 友好度上下 武将 戦前 北条仕官 朝から酒? 変化なし ごめんなさい。許して下さい 夜明け前 選択肢なし ── 戦後 氏康の教え それを見つける方法の教えを請う 変化なし そんな教えは請わない 北条氏康上昇 勝敗条件 制限時間 60分 勝利条件 上杉憲政の撃破 敗北条件 北条氏康と北条綱成いずれかの敗走 武将データ 北条軍 備考 上杉連合軍 取得品 備考 北条氏康 プレイヤー、敗北条件 上杉憲政 ── 勝利条件 北条綱成 プレイヤー、敗北条件「越後より」の成功条件 長尾憲景 巻物 「美少年の工作」の撃破対象 風魔小太郎 プレイヤー 上泉信綱 ランダム 多目元忠 高田憲頼 ランダム 遠山綱景 小幡憲重 ランダム 福島弁千代 「美少年の工作」の援護対象 長尾憲長 ランダム 大道寺盛昌 長尾当長 武器 「上杉の足掻き」の阻止対象 上杉朝定 巻物 「扇谷上杉の滅亡」の撃破対象 上田朝直 ランダム 宮城政業 ランダム 簗田晴助 ランダム 上杉憲寛 ランダム 太田資正 武器 増援「巡回兵」の撃破対象 太田資顕 武器 増援「不穏な気配」の撃破対象 難波田憲重 巻物 増援 藤田康邦 武器 増援「潜伏」の撃破対象 長野業正 武器 武田信玄 武器 増援「志のために」の撃破対象 高坂昌信 巻物 綾御前 武器 増援「越後より」の阻止対象 足利晴氏 お金 金ミッションの撃破対象 ミッション No. 名称 難易度 内容 ボーナス条件 ボーナス 備考 1 美少年の工作 ★★☆☆☆ 長尾憲景を撃破し、福島弁千代を援護せよ! 1分以内に成功 お金 2 巡回兵 ★☆☆☆☆ 太田資正を撃破せよ! 30秒以内に成功 お金 3 不穏な気配 ★☆☆☆☆ 太田資顕と難波田憲重を撃破せよ! 1分以内に成功 お金 4 河越の夜襲 ★☆☆☆☆ 南西砦の守備頭を撃破し、奇襲せよ! 30秒以内に成功 お金 5 扇谷上杉の滅亡 ★☆☆☆☆ 上杉朝定を撃破せよ! 黄の体力が半分以上の状態で成功 お金 6 潜伏 ★★★☆☆ 藤田康邦と長野業正を撃破せよ! 風魔小太郎が生存した状態で成功 巻物 南東砦に進入するとミッション開始。 7 上杉の足掻き ★★★★☆ 長尾当長の山内上杉本陣到達を阻止せよ! すべての敵を緑が撃破して成功 武器 8 志のために ★☆☆☆☆ 武田信玄と高坂昌信を撃破せよ! 1分以内に成功 お金 撃破対象のどちらかを放置することで、「越後より」発生時期の調整可能。 9 越後より ★☆☆☆☆ 綾御前の北条網成接近を阻止せよ! ミッション発生後の撃破数が50人以下の状態で成功 巻物 「志のために」成功が条件。 10 逃亡劇 ★★★★★ 足利晴氏の退却地点到達を阻止せよ すべての敵を主人公が撃破して成功 武器 下記攻略情報参照。 アイテム配置 アイテム種類 場所 シナリオ攻略情報 前作でのチュートリアルステージだけあって難易度は低め。 シナリオ開始時点ではプレイヤー3人のみで、途中から北条綱成が操作できるようになる。 金ミッション情報 条件 ミッションNo.1~No.9を全て成功(制限時間は無い) プレイヤー武将3人と風魔小太郎の生存 プレイヤー武将の体力があまり減っていない。3分の1以上減っていても出現したため半分以上が条件? 詳細情報 足利晴氏は「越後より」終了後進軍開始する(綾御前撃破前に他のミッションを終わらせる必要がある) 長尾当長を「北条方発見」の台詞発生前に撃破してしまうと、ミッションが発生しない。台詞が出た後でも撃破が早すぎるとミッションが発生しないので、撃破はミッション発生したのをきっちり確認してから。 「潜伏」は南東砦に入るまで発生しないので、忘れがち。 「巡回兵」はミッション中に弁千代と綱成の会話が入るためボーナスを取るのが難しい。「神算」を持つキャラを緑枠に配置するか、「美少年の工作」より先に「巡回兵」をクリアすると楽。
https://w.atwiki.jp/okayamasiro/pages/133.html
城主 遺構 所在地 倉敷市福田町広江 より大きな地図で 岡山県の城跡 を表示 歴史 概要 交通 遠景 出典 2009年07月11日
https://w.atwiki.jp/magicman/pages/13038.html
呉越城フェローシップ C ゼロ 7 城: ■城―自分のシールドをひとつ選び、このカードを付けて要塞化する。その要塞化されたシールドがシールドゾーンから離れた時、このカードを自分の墓地に置く。(「S・トリガー」能力を使う場合は、このカードを墓地に置く前に使う) ■各プレイヤーは自身のクリーチャーをタップして次のTT能力を使ってもよい。 ■TT-相手と自分のクリーチャー一体ずつ選び、それらをバトルさせる。このとき、選んだ自分のクリーチャーのパワーが選んだ相手のクリーチャーのパワーより高ければ相手のシールドを1枚、6000以上高ければさらに1枚、12000以上高ければさらに1枚相手のシールドをブレイクする。(※) ■プレイヤーが攻撃されるとき、そのプレイヤーのバトルゾーンにクリーチャーがあるなら、その攻撃を中止する。 ■この城を付けて要塞化したシールドが他の城によって要塞化されていなければ、そのシールドが相手のクリーチャーにブレイクされる時、かわりに自分のシールドを1枚手札に加えてもよい。 ■ジョーカー(このカードをデッキに入れている場合、デュエルを始める前に相手にジョーカーを使ってもいいか聞く。ダメだった場合、自分は開始直後そのゲームに負ける) 作者:神風弐千 ルールが遊○王みたいになってしまうという城。色々とおかしいデス。 ウタさんのジョーカーを勝手に借りました、お嫌でしたら御手数ですがご連絡ください。 いろいろとパロディの塊ですがこれでも多少マイルドになってます。 (※)…効果を使ったプレイヤーが「自分」、その対戦相手が「相手」です。公式でどのように表記するかはわかりませんがこのようにしました。 フレーバーテキスト 【企画】ブラック・ボックス・オリカパック 「やめてくれ!ハンスのシールドはもうないんだ!」 評価 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kantoudouran/pages/22.html
関東動乱では登場武将毎に出来るだけ説話等に基づいたステータス設定、装備になるようにしています。 有名どころはある程度設定を終えているのですが、未設定の武将がかなり残っており、 未設定の武将について装備やステータスがイメージ出来るような説話等あったら、こちらに書き込んでください。 戦闘関係でなくても例えば歌が上手かったとか、体が大きかったとか、なんでも構いません。 また、年齢も個々に設定していますので、1545年時点での年齢が分かる場合は是非お願いします。 (はっきり分からない場合は戦歴などからの推測年齢でも構いません) 説話の信憑性については問いません。そうしないと資料が足りないと思うので。 もし分かるなら家地(家紋)も書いて頂けると助かります。 ↓以下未設定の武将リストです。武将名の下に自由に書き込んでください。 ##大名## 上杉憲政 1523 ~ 1579 http //dic.nicovideo.jp/a/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E6%86%B2%E6%94%BF 北条氏康にボロ負けした河越夜戦や武田信玄(当時は晴信)にボロ負けした 小田井原の戦いなどがよく取り上げられるため、「臆病」「弱将」という評価を されることが多い人物であるが、実際には越後の長尾家を頼った後も数度に渡って 北条家と交戦を続けるなど、一概にそうとは言い切れない部分もある。 また、関東最強のハイパーチートGこと長野業正は憲政の舅(妻の父)であり、 憲政が敗退を続け南上野の諸豪族が旗を巻き変えても自身は変わらず忠誠を誓い、 彼を筆頭とする箕輪衆(上野の諸豪族)達は憲政が上野を逃れ越後に逃れた後も 上野を死守し続けたことから、人望が全くなかったわけではない。(長野業正の義理堅さもあるだろうが) 家紋:竹に二羽飛び雀 小田政治 1492-1548 http //ameblo.jp/oharan/entry-10395435952.html 常陸小田氏の15代当主に氏治という人物がいる。 彼の父小田政治は堀越公方と呼ばれた足利政知の子であり、 名君と呼んで差し支えない功績を挙げた人物だった。 小田氏の勢力を拡大した政治だったが、河越夜戦では足利晴氏に味方して敗れ、この頃から小田氏の衰退が始まった。 家紋:洲浜 千葉昌胤 1495-1546 http //members.jcom.home.ne.jp/bamen/souke30.htm 自力で小弓城を奪還できず、北条方について奪還してもらう形になっているので 軍事・政治に関する能力は低いとも見れる? 家紋:月星 宇都宮尚綱 1513-1549 http //www.geocities.jp/shimotsuke1000goku/miyatousyu2.htm 伝承だが、はじめ宇都宮大明神の神宮寺慈心院院主であったといわれている。 本当に院主であったかは不明で、若い頃出家し、慈心院で過ごしていた可能性はある。 宇都宮興綱が天文元年(1532年)に、家臣の壬生綱房と芳賀高経、高孝らに迫られて 隠居されられた後、慈心院に住んでいたとされる俊綱は、彼らに担がれ当主となる。 家紋:右三つ巴 ##武田家武将## 板垣信方 1489-1548 ※生年は1492年説あり 家紋:花菱 武田二十四将、武田四天王の一人。 信虎の信濃国佐久郡侵攻の際に敵城十数を落とす活躍をしたという。 小田井原の戦いで関東管領軍を撃破し、敵将14、5人、兵3000を討ち取る大勝をおさめた。 武田信玄が家督を奪取して間もなく、詩会や遊興に耽るようになった信玄を諌める為、信方は病と称して暇を貰い詩歌を学んだ。詩会に出席した信方は見事な詩を五度も書いてみせた。信玄が機嫌を良くすると、信方はすかさず「父君は非道が過ぎたために追放されたのに、それから3年も経たずにこの有様では信虎様以上の悪大将であられる。腹立たしければご成敗ください。それがしは何時でも馬前で討ち死にする所存です」と諫言をした。晴信は感涙して、それ以後はよき大将になったという。 愛煙家だった? 「板垣死すとも自由は死せじ」なあの政治家のご先祖らしいです。 甘利虎泰 家紋:花菱 1498年生まれ? 武田二十四将、信虎時代の武田四天王の一人である。 晴信による信虎追放の主導的役割を果たし、最高職位「両職」を務めた譜代家臣とされる。 家中第一の武辺者と言われ数々の戦場で活躍。山本勘助も虎泰の見事な采配ぶりに感嘆している。 秋山信友(正確な名前は秋山虎繁?) 家紋:三階菱 生年:1527年(1545年時点で18歳) 武田二十四将。武勇のみでなく知略に優れており、美濃・岩村城を謀略にて無血開城させて城代となった。 三方ヶ原の戦いでは"武田の猛牛"と呼ばれて怖れられた。 エピソードと反映できそうなスキル ○20歳の時の福与城攻めで一番乗り、敵将生け捕りの功→敏捷性 ○1568年の武田と織田の同盟の際にはその利を説き、諸将を説得→仏門 ○信玄西上作戦の際には別働隊を率いて三河・東美濃へ侵攻→知性、戦略、経路探索 ○武田方に寝返った岩村城のおつやの方(信長の叔母)と結婚→魅力 小山田信有 http //www.rekishi.sagami.in/oyamada1.html 1519?~1552 数えで27歳 家紋:立ち沢瀉 武田氏の女子を母として誕生。武田家一門。知勇に優れ、特に投石(つぶて)部隊を指揮して多大な軍功を上げる。 小山田の投石の前に崩れない敵はいないとまで言われ、唯一、越後の上杉勢だけが、その攻撃に耐えたとつたえられる。 勝沼大善寺の大修復の際には、資金難の武田家の為に一考し、京から有名芸能人を呼び寄せて記念興業を行い資金を調達した。 信濃攻略では降伏の仲介を務めた。戸石城の村上義清を攻めるが攻城は難航し、10月1日には撤退するところを村上勢に追撃され敗退した。信有はこの合戦において負傷して後に死亡、家臣らも討死している。葬儀には国内外から10000人も参列したという。 春日虎綱 家紋:九曜 1527~ 数えで19歳 農家出身でありながら武田重臣にまでなった大出世人。 第4次川中島の戦いでは妻女山攻撃の別働隊として戦功を挙げ、三方ヶ原の戦いなど、武田氏の主だった戦いに参戦したという。 謙信死後に発生した上杉家における御館の乱において、武田信豊とともに上杉景勝との取次を努め、甲越同盟の締結に携わっている。江戸時代に成立した甲陽軍鑑の原本は虎綱の口述記録で、武田家の行く末を危惧した虎綱が勝頼や重臣らに対する「諫言の書」として記したものだという。 三方ヶ原で撤退を進言する等、慎重な性格。 大変な美青年だったらしく逃げ弾正というのは追ってくる女性ファンから逃げるという意味もあったとか。 信玄は彼の事を(性的な意味でも)寵愛し、「浮気してごめんね(はあと」的な手紙をもらったりしてる。衆道は文化。 高坂昌信とも。 横田高松 1487?-1550 武田の五名臣の一人。 弓の名手で各地で戦功をあげたという。 信虎が5倍の数を誇る今川の侵攻を撃退した際には、先陣を切り、決死隊にも参加するなど大活躍をした。 戦後、信虎から最高殊勲者として感状と新領地を与えられている。 信虎が国外に追放されたあとは、晴信に仕えて情報局長的な役割を勤め、元老職にあった。 http //www.weblio.jp/content/%E6%A8%AA%E7%94%B0%E9%AB%98%E6%9D%BE 敵の動きを察知し、戦術を先読みすることに優れていたという。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E7%94%B0%E9%AB%98%E6%9D%BE その死は信玄を嘆かせ、後に近習の者に「武篇の者になろうとするなら、 原美濃、横田備中のようになれ」と言い伝えたと言われる。 家紋:隅立四つ目詰 ##北条家武将## 北条幻庵宗哲 北条綱重 北条氏尭 1522~1562 1545年時23歳。1168貫。 長尾景虎の関東進出により河越城に入城し、長尾軍攻撃を死守している。 伊達氏と外交交渉を行っているなど後北条氏において重要とされる将だった。 北条氏繁 1536~1578 数え年で10歳 武勇に優れており、加島の戦いでは先鋒を務めて功を立て、今川氏を救援した際にも陣頭に立って活躍した。 上杉謙信・武田信玄の侵攻からも籠城して守り抜いている。また外交交渉にも携わっており、軍事・外交に長けた氏繁は氏康からの信任も厚く、下総国方面の軍権を任された。武人画家としても知られている。 松田盛秀 妻は北条綱成の妹 小田原城の奉行と評定衆 地位:松田盛秀・憲秀父子の次に遠山綱景・笠原綱信・清水康英・石巻家貞 遠山綱景 太田康資 北条綱成 1515~1587 いわずと知れた「地黄八幡」 北条氏綱に気に入られ、その娘を娶わせ、北条姓も与える。氏康の義弟。氏繁の父。 戦場では、常に先頭に立ち「勝った」と叫びながら突撃。川越夜戦をはじめ、第三次川中島では武田家の援軍として参戦し、謙信を撤退させる。国府台合戦では里見軍を粉砕。駿河深沢城の合戦では寡兵で武田軍を苦戦させ、信玄を嘆かせるほどの猛将。さらに結城家、足利長尾家、蘆名家との外交交渉もこなす。 上田朝直 松山城 上杉方だが、河越の敗戦で寝返り 行政手腕に優れており、北条氏康から信任を受けて独自の領国経営を許された 大石定久 家紋:銀杏の二葉 大石氏は代々関東管領上杉氏重臣として武蔵守護代を任されていたが、川越野戦で大敗し没落した為、城・家督・役職を譲り、入道して隠居し北条氏に臣従した。隠居後も快く従属したわけではなく、上杉謙信や隣接する青梅の勝沼城一帯を領する三田綱秀らと誼を通じていたという。 笠原信為 越前守。?~1557年 家紋:丸に三つ柏 文化的教養もあり、和歌・漢詩に精通して造詣が深かった。北条早雲、氏綱、氏康の3代にわたって仕えた宿老で、伊豆21家の筆頭格であり北条氏綱の時代には五家老を務め配下の小机衆を率いて、重用された。神大寺を建立した。 大道寺盛昌 1495年~1556年 家紋:揚羽蝶 北条早雲の甥(厳密には従兄弟の子)にあたり、内政手腕に長けていたことから重用されたという。鎌倉の代官[1]や河越城の城代を務めた。里見義豊に焼かれた鶴岡八幡宮の再建のための造営総奉行に任じられて笠原信為とともに再建事業にあたった。河越夜戦でも戦功を挙げた。また、北条氏綱の次男為昌の烏帽子親および後見人となり、「昌」の字を与えている。 清水康英 伊豆衆二十九人衆の筆頭 白備 石巻家貞 家紋:丸に蔦/丸に三つ蔦 早雲から氏綱・氏康・氏政の四代に仕えた宿老。 北条氏の奉行人・評定衆や相模西郡郡代などを務めた。御馬廻衆の筆頭として321貫文の知行高が記されている。 1527年から1569年までの42年間、経験豊富な実務者として活躍した戦国時代における代表的な内務官僚。 1569年に子の康保が評定衆になっているため、永禄11年6月から永禄12年の間に家督を康保に譲り隠居、または死去したと思われる。 ##関管上杉## 長尾当長(景長) 家紋:九曜巴 1527~1569 白井・惣社・足利の長尾三家の一つ足利長尾氏。足利城。関東管領家の家宰。 1545年に行われた足利藤氏の元服の功によって但馬守の受領名を受けた。 1560年上杉謙信により館林城の赤井氏没落後、館林城及び小泉領を拝領する。 由良氏から養子をもらい由良氏と提携し勢力を拡大し、越相同盟時には由良氏と共に交渉役となった。 長野業正 箕輪城 信玄から生きている限り勝てないと言われたお方 成田長泰 1495?~1574 家紋:竪三つ引両又は『関東幕注文』には、月に三つ引両 成田氏は代々山内上杉氏の被官。騎西城主小田朝興の兄。 河越合戦後に北条氏に下る。 1560年上杉謙信の関東進出に際して下るも小田原の戦い後に北条氏に鞍替えする。 この理由について鶴岡八幡宮で行われた関東管領の就任式で長泰が古礼に従い下馬をしなかったことで謙信に扇で烏帽子を打ち落とされ、罵られるという恥辱を受けたため、兵を率いて居城へ戻ったといわれている。 また小田原城の戦いの後、隣地である羽生領の帰属を巡って、謙信と衝突したためとも言われている。 関東幕注文においては「武州之衆」を率いる大名として把握されている。 1563年、謙信に忍城を攻められて降伏しするまで北条方として戦う。降伏後、隠居を命じられて嫡男の氏長に家督を譲る。 太田資正 家紋:三つ頭巴 1410?~1569? 岩槻城 松山城主でもある 北条氏と戦い続けた 沼田顕泰 家紋:三つ頭巴 1410?~1569? 1529年沼田城築城開始し2年後に完成する。 箕輪城主長野業政の娘を妻に迎え、嫡男朝憲らをもうけた。 上杉憲政が沼田城に身を寄せてきたため長尾憲景らと相談して、憲政を越後の長尾景虎のもとに逃れさせ、内紛と北条方厩橋長野氏の攻撃により越後へ亡命する。 上杉謙信の関東出兵により沼田城を奪還したが、しばらくして上杉家の城代が沼田城に置かれる。 1569年家督譲っていた正室の子嫡男朝憲を謀殺し、由良氏の上野国女淵城主をしていた末子景義に家督を譲ろうとしたが、沼田家家臣や上杉方の賛同は得られず、朝憲舅北条高広や白井長尾憲景らに攻められる。 よく防戦したものもついには大雪の中父子ともに同族の蘆名氏を頼って会津に逃亡し、まもなく没し、沼田氏は滅亡する。 この内紛については由良国繁の陰謀あるいは真田昌幸の陰謀という説もある。 斎藤憲広と共に土地横領を繰り返したと伝わり悪名高いこととなっているらしい。 由良成繁 1506~1578 家紋:丸に二つ引両 由良氏の全盛期を築いた名将かつ善政を敷いた名君。 元の性は横瀬氏。岩松氏の家臣であったが、父泰繁の代の1530年主君の岩松守純の新田金山城を攻め落とし実権を奪い下克上をなす。 1536年、御家中と百姓仕置の法度を定めている。 1541年那波宗俊・長野賢忠・桐生助綱・成田親泰らの連合軍に攻撃を受けたが、よく撃退している。 京の足利幕府とも繋がりその関係強化をもって家格を高め支配統制を強化していた。 1553年に足利義輝から御内書と鉄砲が贈られ、1559年関東に下向した関白近衛前嗣を接待し、義輝から賞詞を賜っている。 また1563年には信濃守に任ぜられ、家伝文書によれば、将軍義輝は成繁を刑部大輔に任じ、御供衆に加えるとともに毛氈の鞍覆と白傘袋を免許されたと伝えている。 これらにより家格を高めたことで1565年岩松守純を桐生に幽閉し、完全に下克上を果たす。 1564年国府台合戦で敗れた岩槻城主の太田資正を牢人分として召し抱え千貫を与えたという。 1566年箕輪城が落城すると、上杉憲政の越後亡命以前から上杉方であった成繁は謙信に叛して後北条方へ転じた。 越相同盟の成立に際しては仲介交渉役と尽力を尽くす。 1572年代替わりして先代桐生助綱と異なり暗君であった桐生親綱を攻撃し、親綱を追放し、膳城、伊勢崎城などを降し、新田領内の一円支配を拡大していった。 成繁は桐生城を隠居城とさだめ、金山城を国繁に預けると、みずからは生城に移り住んだ。そして、鳳仙寺を建立し、また町屋を城下町として整備するなど民政に意を用いた。 成繁が死去すると佐野にいた桐生親綱は桐生に潜入して旧臣らを語らって桐生城奪還を図ったが、善政により満足していたためこの企てに応ずる者はなかった。 成繁の遺言は「兄弟仲良く、神仏を敬い、領民をいたわれ」というものであった。 桐生助綱 家紋:五七の桐/三つ巴 1512~1570 桐生氏の全盛期を築いた人物。 1531年仁田山赤萩地方を回復、浪人で有能な里見上総介入道勝弘(新田氏一族、実堯の末裔とする)を仁田山赤萩城の主として取り立てた。 1544年細川内膳と膳因幡守を打ち破り、桐生氏の勢力を拡大。 1560年長尾景虎が関東管領・上杉憲政を擁して関東に出馬してきた。助綱はこの陣に参じ、古河に残った近衛前嗣、上杉憲政の警固にあたり、のちに京都に帰った前嗣から丁重な謝辞を贈られている。 養子に佐野昌綱の子を貰い受けており、そのためか景虎の陣に参じた際は佐野氏は桐生衆となっていた。 渡良瀬川北部の山岳地帯を桐生、南部の平原地帯を由良氏と分け合っているため対立していたが、由良成繁と桐生助綱双方ともが戦いになれば損失が大きいことを理解したため戦いは発生しなかった。 1566年上杉軍の臼井城の戦いでの敗戦から由良成繁の勧めもあって上杉方から北条・足利公方方に転じた。 三田秀綱 家紋:三つ巴 1491~1563 秀綱ではなく綱秀の間違い。 三田氏は経済的に豊かで所領だけで1万3千石に匹敵し、多摩川の水運を利用した鎌倉への木材(良質なヒノキや杉の産地)の収入などもあった。 また京都様式や鎌倉様式を取り入れた社寺建築や文化人への交流もなされていた。 岩槻城主太田資正に従い上杉方に属し、奥多摩から背後の秩父にかけて広大な防衛線をはり居城勝沼城を放棄し、要害辛垣城を拠点に抵抗した。 1563年辛垣城は落城し、岩槻城主太田資正に頼る途中土民の落ち武者狩りにより戦死。 金井秀景 家紋:団之内ニ松竹?(倉賀野氏家紋) 1520以前?~1590 淡路守。はじめは倉賀野行政麾下、倉賀野十六騎の一人として上杉憲政に従った。 1546年、行政が河越城の戦いで戦死すると、他の十六騎と共に病弱であった嫡男・倉賀野為広をよく助け城を守る。 1547年の小田井原の戦いでは為広の名代として西上野衆の大軍を率い先陣を務めたものも武田軍に将14、5人、兵3000を討ち取られ大敗。 1559年為広亡き後武田に鞍替えし、1570年倉賀野城主となり姓を倉賀野に改める。 武田氏滅亡後滝川一益に仕え、一益に重用され下野国・常陸国などの連絡の任に当たっていた 神流川の戦いで敗れ北条に下った後、秀景は一益との別れを惜しみ、真田昌幸等と木曾まで一益を警固している。 小田原征伐では北条方武将として小田原城に籠城し、早川口の守備についた。 長尾憲景 家紋:九曜巴 1511~1583 白井・惣社・足利の長尾三家の一つ白井長尾家氏。上野白井城主。 憲政の越後出奔した時に越後長尾氏との同盟関係及び通路であったことからも尽力を尽くした。 上杉方で常にあり続け、上杉謙信の病没後の御館の乱で上杉景虎の敗死により武田に鞍替えする。 長尾景房 家紋:九曜巴 1511以後?~? 白井・惣社・足利の長尾三家の一つ総社長尾氏。長尾憲景の弟。上野蒼海城主。 1563年、武田信玄の侵攻により総社城は落城し、上杉謙信に頼って落ち延びる。 斎藤憲広 家紋:六つ葉柏 ?~? 岩櫃城主。斎藤憲次の息子。 1558年、近隣土豪を従え、吾妻郡一郡を制圧する勢いであった。武田信玄配下の鎌原幸景は従わず、憲広は羽尾幸全らにこれを攻めさせ、鎌原城を奪ったが、1562年、武田信玄は以下の真田・甘利の軍により奪還された。 憲広は上杉謙信の助けを得て、1563年、常田俊綱の長野原城を奪ったが、三千騎の兵でも落とせなかった岩櫃城に対して真田の内応工作により岩櫃城は落城した。憲広と嫡男斎藤憲宗は越後国へ逃れた。 沼田顕泰と共に土地横領を繰り返したと伝わる。 小田朝興 家紋:洲浜?(小田氏一族なので) 1500前後?~?(成田長泰から推測) 武蔵忍城主成田親泰の子で長泰の弟、騎西城主。 はじめ古河公方に仕え、のちに一旦兄成田長泰とともに上杉謙信の傘下に属すが、兄と共に離反したため謙信に攻められ、太田資正を通じて降伏した。 ##古河足利## 簗田晴助 家紋:水葵三本立ち 1524年~1594年 古河公方家の筆頭重臣。利根川水上交通の要地関宿城の城主。 古河公方家を支え、古河公方家が滅びるまで北条氏と対立し続けた。 第一次関宿合戦にて岩付城主の太田氏資を伏兵により撃退し、氏康に内宿まで攻め入られるも上杉軍の到来まで籠城に成功。 足利藤氏が没した際の北条氏との和睦交渉で相馬氏の守谷領を奪い取る。 第三次関宿合戦にて1年近く上杉・佐竹の援軍のないまま孤軍奮闘の末兵糧・弾薬が底をついて関宿城を明け渡す。 佐野豊綱 家紋:左三つ巴 1504~1559 1558年多劫城攻めで戦死し、突如の当主の死により家中の混乱を招いた。 那須高資 家紋:一文字 1520?~1551 喜連川女月坂の戦いで300騎の那須勢を率いて宇都宮勢二千余騎を打ち破り、所領を拡大した。 武勇に優れる一方で、独立性の強い家臣団の掌握化を行おうとして上那須衆と対立していた。 そのことを利用した芳賀高定の謀略により千本資俊に暗殺される。 その時には馬好きであった高資は駿馬が手に入ったとの口実で千本城に招かれ城内で殺される。 広田直繁 家紋:片喰 1520年代?~1569? 弟木戸忠朝。初代羽生城城主。 兄弟協力して上杉方の最前線として北条氏と戦う。 1569年、戦功により館林城を領する。 木戸忠朝 家紋:片喰 1520年代?~1574? 古河公方の側近木戸氏とは別系統で上杉家家臣で間違えた。ただし、1545年頃は古河公方とも親密な関係から羽生城城主であった。 父・祖父は太田道灌客将。兄は広田式部少輔直繁。河田谷右衛門大夫。 1560年上杉謙信により北条氏から羽生城奪還皿尾城奪取され、羽生城には兄の広田直繁が入り、自身は皿尾城に入り上杉方の最前線で戦う。 1574年の羽生城破却まで上杉方であり続け、謙信に「忠信」と賞される。 大関高増 家紋:十六角の抱き柊 1527年?~1598年 大田原資清の長男で、福原資孝、大田原綱清の兄。 戦国でも屈指の謀略家。那須家中の有力一族の力を削ぎ、那須家中筆頭となり、小田原征伐にて秀吉に取り入り大名となる。 一方武将としても有能で、1585年薄葉原の戦いにて抜け駆けを戒めて川を渡って隊列を崩した宇都宮軍を打ち破る。 小田倉の戦いにて寡兵の主君を囮に使い伏兵を率いて蘆名・白河連合軍を打ち破る。 福原資孝 家紋:一文字 1535年?~1614年 大田原資清の次男。兄大関高増。弟大田原綱清。三兄弟で那須家最大の勢力を誇った。 姉婿の佐久山義隆を暗殺した後、資孝が佐久山城を攻略し佐久山氏を追い落とした。 兄高増が那須氏離反したときにも兄と行動を共にしている。 三兄弟で千本氏を謀殺した後、遺領を分割し、千本氏に三男を養子として送り込んだ。 謀略を好むが、巧みな処世で豊臣・徳川に近づき、徳川家旗本として存続した。 大田原綱清 家紋:丸に釘抜 1538年~1590年 大田原資清の3男。 喜連川五月女坂の戦いで初陣して戦功を挙げ、薄葉ヶ原の戦いにも参戦。 兄二人と協力して勢力を強めた。 蘆野資豊 家紋:一文字に右巴 1529~1595 太田道灌に軍法を学んだと伝えられる蘆野資興の孫。 1552年、結城義親の拠る白川城を攻撃して結城勢を討ち取った。その功に対して佐竹義昭から石川・川上の二ケ所を賞として与えられている。 1560年小田倉の戦い、烏山川原表の合戦、薄葉ヶ原の戦いなどで功績を挙げる。 佐竹氏と那須氏の間を行き来した勢力。 千本資俊 家紋:一文字 1519~1586 宇都宮氏の家臣・芳賀高定の謀略にかかり、主君・那須高資を千本城に誘殺した。 そのため一時、那須氏を追われたが、高資の死によって当主の座についた那須資胤に許され帰参、腹心として権勢を振るった。 1566年治部内山の戦いで佐竹・下那須衆・宇都宮連合軍を打ち破り東義堅を生け捕りにして撤退させるという功を挙げた。 また、1567年大崖山にて佐竹軍を打ち破り、武勇に優れた。 1572年に佐竹氏と那須氏の和睦を成し遂げ、両家の戦いを収束させた。 1585年大関氏によって嫡子共々謀殺された。 伊王野資宗 家紋:一文字? 1517頃~1594 下野守。那須資晴とは従兄弟に当たる。那須氏に次ぐ領地を誇り、那須氏の同盟者。 1549年喜連川五月女坂の戦いで宇都宮本陣に突入し、家臣鮎瀬弥五郎実光が宇都宮尚綱を討ち取る功を成し遂げる。 1585年薄葉ヶ原の戦いで再び宇都宮本陣に突入したとき家臣鮎瀬が宇都宮国綱討とうとした際制して止めさせた。 その理由として北条氏の防波堤である宇都宮国綱を討つのは那須氏の不利益となるため功よりも実利をとった。 1585年大関高増により大半の領地を奪われる。 佐久山義隆 家紋:一文字? 1520年代?~1563 猛将として知られ、その勇猛さを大田原資清に買われ、娘婿とされた。 のち資清が死去すると、資清の子の大関高増らに警戒されるようになり、永禄6年(1563年)5月21日、現在の栃木県矢板市にある境が峯にて、うずら狩りを装いおびき出されたところを、大関高増、福原資孝、大田原晴清の3兄弟の調略によって討ちとられ、佐久山氏は滅亡した。 壬生綱房 家紋:三つ巴 1479~1555 宇都宮家宿老でありながら宇都宮家に対して下克上を成し遂げた人物。 永正年間(1504~20)頃には小山・皆川氏と組んで鹿沼氏を降し鹿沼城に父綱重が本拠に移り、鹿沼及び壬生を支配。 日光山の神領支配の責任者である惣政所の地位にあり、二男昌膳が日光山の中心座禅院の権別当で日光山を完全支配していた。 1526年結城氏に敗れ、留守を預かっていた芳賀興綱に宇都宮城に追い出された宇都宮忠綱を鹿沼城に匿うも興綱と謀って毒殺したとされる。 その後、主家乗っ取りの罪で興綱を隠居させ、宇都宮氏の家督を興綱の嫡男尚綱に継がせた。そして、その四年後、重臣らに自殺を強要された興綱は生害して果てた。 1538年権勢強化された綱房と対立した芳賀父子を殺害し、跡目に益子勝宗の三男高定を入れた。 1549年喜連川五月女坂の戦いで宇都宮尚綱の敗死の報せを聞くと留守を守っていた綱房は城内を制圧し占拠した。 その後、尚綱を敗死させた那須氏と和議し、さきに滅んだ芳賀高経の子高照を宇都宮城に招き、共同政治体制をしいた。 さらに壬生城に嫡男の綱雄を配し、鹿沼城には二男の周長を置き、周辺を固めるとともに、領内各地の城主らには本領安堵を約して宇都宮家への下克上を成功させた。 1555年遺児守って唯一抵抗した芳賀高定に高照を謀殺され、綱房も同年に急死した。 ##結城家武将## 結城晴朝 1534-1614 小山高朝 家紋:二つ頭右巴 1508~1574(1545年時点数え年で39歳) 結城政朝の次男。 没落しかけていた小山家を立て直した。 親兄弟子供との仲が非常に良かった。 小山秀綱 家紋:二つ頭右巴 1529?~1603?(1545年時点数え年で39歳) 小山家存続のため上杉と北条への寝返りを度々繰り返した。 水谷正村(蟠龍斎) 家紋:三つ巴 1524~1598(1545年時点数え年で22歳) 「無敗」を謳われた猛将で初陣で敵将・侍大将含めて四十八の首級をあげる。 宇都宮との最前線に久下田城を築城した後自ら居城とし、攻めてきた三千騎を打ち破る。 策略にも優れ、父の法要を利用して敵方の奇襲を誘い、伏兵を置いて敵将を討ち取り城を奪う。 また太田三楽斎と益子を騙して笠間氏と田野城を奪い合わせ、消耗したところ田野城を攻め漁夫の利を得た。 その際益子方城主羽石時政を62歳で一騎打ちし、討ち取る。 戦だけでなく天下人となるであろう織田信長や徳川家康に鷹や駿馬を度々献上して親交を結んでいる。 領主としては不作の年には年貢を三分の一に減免し、足りない年貢は自らの伝家の宝刀を売り払って充当したなど話も伝わる。 人柄は死産した妻の思って出家し蟠龍斎と号し、生涯独身貫く。 敵方からは「畑に地しばり 田にひる藻 久下田に蟠竜なけりゃよい」と草取り唄に歌われ、雑草並みに厄介な敵と言われた。 水谷治持 家紋:三つ巴 ?~1579?(1545年時点数え年で46歳前後?) 結城家中きっての猛将で結城家の先陣を任された。 自立しようとした多賀谷氏を数度打ち破り、阻止した。 多賀谷政経 ?~1576(1550年家督継承と子供の生年を考えると水谷正村と同年代?1545年時点数え年で22歳) 家紋:木瓜に一文字 多賀谷氏は結城から自立し、戦国大名化を目指した。 結城氏や水谷治持によって離脱のたびに屈服される。 佐竹や北条、上杉の後ろ盾によって結城家に対抗したり、小田氏の所領を奪い徐々に力を付けていく。 多賀谷経伯(弟) 家紋:木瓜に一文字 ?~1580(討ち死にだけど4歳年下とすると1545年時点数え年で18歳) 兄政経とともに岡見頼忠の谷田部城を奪い城主となるが、北条家の支援を受けた頼忠と合戦になり、子の経明と共に自刃した。 山川政貞 家紋:三つ巴 1489~1554(1545年時点数え年で57歳) 結城一門で多賀谷氏とともに結城氏を凌いだが、粛清により政貞の代には結城氏との力関係が確定する。 結城氏を盟主とした山川・多賀谷・水谷氏らの国人一揆のようで、多賀谷とは異なり自立の動きはない。 山川直貞 家紋:三つ巴 1513~1560(1545年時点数え年で33歳) 結城家の主だった合戦に参戦し、結城軍の一翼を担っていた。 ##佐竹家武将## 大山義在 1515~1576 因幡守。通称孫次郎。佐竹義昭に起請文を提出して所領を安堵された。この頃、笠間家と争論している。 小野崎成通 家紋:左二つ巴 成通は佐竹義篤・義昭の二代に仕えたが、国人領主でもある小野崎氏の自立性はきわめて強かった。ところが成通は嗣子に恵まれなかったため、義篤の二男義昌を娘の婿としてむかえ家督を譲った。以後、小野崎氏と佐竹氏とは近い一族となり両家の一体化が強まった。しかし、それは小野崎氏の自立性を失うことでもあった。 小田野義正 おそらくかなり高齢 家紋:右丁字巴 小田野氏の惣領。佐竹義昭の側近で重臣。 1504年、佐竹宗家と争って敗れた佐竹氏義を捕らえた他、側近として使者や取次等の務めを果たした。 義昭側近の筆頭として、甲神社に百疋を奉加したことが「甲神社文書」から知られる。 小貫頼俊 家紋:左二つ巴? 1544~1603 年代的に父小貫頼俊が妥当だが、頼俊について不明なため息子を。 佐渡守。通称清三郎。 佐竹の外交交渉担当で、上杉謙信との同盟、武田家との不和解消を行っている。佐竹義宣時代には三奉行の一人。 大掾氏及び南方三十三館を滅ぼした後、その要衝である常陸南部堀之内大台城城代を任された。 佐竹南義里 1515?~ 佐竹南家始祖。天文から永禄年間に宛行状、一字状を発給。外交面で活躍があった。 東殿家の佐竹義堅や北殿家の佐竹義廉らと協力して若年の甥である佐竹義昭を補佐して国政を担当した。 那須氏の内紛に介入し、佐竹軍の総大将として出陣する。義里は義重の弟・佐竹義尚(那須資綱)を擁立しようとする大関高増を支援して那須資胤と戦ったが、烏山近郊の大川井山で大敗を喫した。後に那須氏の内紛が終結すると敗戦の責を問われ隠居した。 佐竹東義堅 佐竹氏の分家である東家の当主として同じく分家である北家の当主佐竹義廉とともに本家の当主佐竹義昭の補佐を務め、国政を担当した。主に常陸国人の統制などで活躍したという。1566年、下野国の戦国大名那須資胤と高瀬で戦って大敗し、治部内山で降伏した。このため、治部内山は降参嶺と呼ばれるようになったという。 鹿島治時 家紋:三つ巴 ?~1576年。1540年に武田かどこかと戦ってる?みたいなので1510年頃の生まれという事にしてしまうか? 鹿島治時は佐竹家に従い、鹿島城を回復、鹿島家中興の祖となった。 鹿島治時は配下の領主である烟田忠幹の危機を救ってやるべき立場でありながら、烟田忠幹に所領を失わせる結果をもたらした。これをきっかけとして烟田忠幹は鹿島家から自立する動きを見せるようになった鹿島治時は烟田忠幹の所領を二分する位置にある鉾田城を構え、三男鹿島義清を配して烟田忠幹を牽制した。 ##小田家武将## 小田氏治 菅谷勝貞 菅谷政貞 岡見頼忠 15??~1586 家紋:洲浜 筑波郡谷田部城主。隣郷の下総下妻城主多賀谷政経とは連年抗争した。1570年、多賀谷政経は、父岡見頼忠の谷田部城を攻略した。多賀谷政経は谷田部城に弟の多賀谷淡路守政伯(経伯とも)に守らせて、小田家への押さえとした。1580年、北条氏照、北条氏邦を大将として牛久城の岡見治部少輔、足高城の岡見中務少輔、岩崎城の只越尾張守、板橋城の月岡玄蕃允らの兵3,000余で谷田部城奪還に向かい、多賀谷淡路守は討ち死にし谷田部城は落城、奪還された。しかしそこに多賀谷政経の後詰が到着、淡路守の死を知った多賀谷政経らは谷田部城を急襲し、再び谷田部城は多賀谷家の手に渡った。1586年、多賀谷政経の嫡男多賀谷重経に再び攻められ岡見頼忠は討死した。 宍戸義綱 ?~? 家紋:洲浜 茨城郡宍戸城主。国人領主。1556年「山王堂の戦い」は、小田家に奪われた海老ヶ島城を結城政勝が奪還しようとしたものであったが、下野国、武蔵国、常陸国の諸小大名・国人衆が参陣するなど大規模なものとなった。小田家の麾下に属していた宍戸義綱は、この戦をきっかけに佐竹家麾下の属した。「小田城の戦い」「小川台の戦い」「沼尻の戦い」などの重要な軍事行動には佐竹勢として参陣した。1585年、江戸家と大掾家が戦ったとき、江戸家方として大掾家と戦った。1588年、大掾家に宍戸領に侵入されることもあったが、一貫して江戸家方として行動している。その後、江戸家中に「神生の乱」が起こり、宍戸家は、神生方として参陣した。1590年、羽柴秀吉の「小田原の役」では、佐竹家は小田原に参陣して羽柴秀吉に謁見した。宍戸義綱が真壁家らとともに参候し、太刀、馬、金を献上した。1591年、佐竹家、常陸国内統一を押し進め、江戸家の拠る水戸城も攻撃した。宍戸義綱は江戸勢として佐竹勢を迎え撃ち討死した。 信太重成 家紋:亀甲の内に葉菊 土浦城城主。小田氏治は負けるごとに土浦城へ走って、重成の庇護を受けたが、これは、土浦城が安全な場所であるということと、重成のことを気に入っていたためと思われる。 土岐治英 家紋:桔梗 常陸土岐氏当主。1543年、父より系図及び家宝を譲渡される。美濃を追い出された土岐頼芸から土岐氏の惣領としての立場を認められ、土岐氏再興の為に勢力を拡大する。佐竹氏との緩衝地帯を欲した小田氏と小田氏攻略を目論む佐竹氏の両方から綱引きされながら小田氏に傾く。治英は土岐領を分割して江戸崎城を中心とした地域と、龍ケ崎城を中心とした二つの行政単位を設定し、土岐領の安定的な支配を目論んだ。1560年代半ばから70年代の間に家督を譲り隠居している。 真壁久幹 ##千葉家武将## 千葉利胤 1515~1547(数えで31歳) 家紋:月星紋 父の時代に結ばれていた後北条氏との関係を深めるために、氏康の娘を正室に迎えるなどしたが、千葉氏の家中では原胤清ら重臣の発言力が強かった。また、この頃に弟の臼井胤寿と争っていることが知られている。河越夜戦では、関東諸将で唯一北条方に参加したものの、家督を継いでからわずか1年で死去したため、あまり事蹟らしい事蹟はない。 常清山 妙楽寺を創立した。 千葉胤富 1527~1579(数えで19歳) 家紋:月星紋 下総千葉氏の第27代当主。千葉昌胤の次男。外交手腕に秀でた。 室町幕府の奉公衆にならい、千葉一族や重臣などからなる森山衆を新設したといわれる。 胤富は後北条氏との関係を深めることで上杉謙信、結城氏や里見氏などの侵攻を撃退。 武田信玄、謙信、義氏、佐竹、里見等と合戦してことごとく勝利を収めた。 千葉常胤以来の千葉宗家の誇りを守った勇将と讃えられる。 原胤貞 家紋:九曜に半月 1507~1569(1545年時点数え年で39歳) 原胤清の子。 外孫の臼井久胤の後見役として臼井城を統治し、善政でもって臼井家を傘下に収める。 正木時茂によって臼井城と小弓城を奪われるが、北条方に付いた第二次国府台合戦戦後に奪還。 東金酒井とともに土気城攻めるも敗北。 上杉謙信による臼井城攻城戦で白井胤治浄三と援軍により大敗させる。 軍事能力は高くないが、政治能力は高い? 原胤清 家紋:九曜に半月 ?~1556(1539年胤貞に家督譲渡。以後は千葉執権に専念?たぶん1470~1480生まれで、1545年時点数え年で70歳ぐらい?) 千葉筆頭家老。 1503年北条早雲、1510年里見、1513年北条氏綱・氏康、に対して千葉勢の総大将として撃退している。 燃え落ちた小弓城を再建し、生実城を築城。 千葉妙見社に直接関与するほど千葉宗家をしのぎ、「千葉は百騎、原は千騎」と言われた。 高城胤吉 家紋:裾黒に井桁(『高城胤次申状下書』)、九曜(『諸家系譜』) 1484?~1565(1545年時点数え年で62歳) 原氏家老。妻は月庵桂林尼(千葉勝胤娘昌胤妹) 根木内城と大規模な小金城を築城 原氏の軍事力を酒井氏と共に担っていて「原に高城、両酒井」 高城胤辰 家紋:井桁に橘 ?~1582(第一次国府台合戦を初陣として1523年頃生まれとすると1545年時点数え年で24歳) 父は高城胤吉 船橋の大神社・船橋大神宮の調停 第二次国府台合戦では約千騎を率いて北条軍に参加し活躍 領国経営に積極的で小金牧や行徳塩田なども経営 酒井敏房 家紋:三つ巴 ?~?(1510年代に生まれていると思われる。) 土気酒井の分家で東金酒井。 第一次国府台合戦で殿を務める。 第二次国府台合戦で土気酒井と共に敗走する里見軍を救う。 酒井胤治 家紋:三つ巴 ?~1577(次男が生年1547年であるから年齢低くとも1530年前後生まれのはず。生年1530年なら1545年時点数え年で16歳) 忠義を重んじる人物。 第二次国府台合戦で参陣に手間取っていることを北条氏康に「不忠之仁」と言われたため怒り、敗走する里見軍を救う。 1574年まで北条方を撃退し続けた。 臼井景胤 家紋:月星(九曜)? 1496~1557(1545年時点数え年で50歳) 小弓公方の里見・真里谷に並ぶ最大勢力であったが、第一次国府台合戦により千葉氏に下る。 伝承も全くない。千葉氏に負けてそのまま原氏に乗っ取られただけ? 木内胤倫 家紋:月星 1500~1566(1545年時点数え年で45歳) 千葉家家老 里見義弘との二度の戦いの勝利で、感状と恩賞に国俊の刀を二度も貰い受ける。 米野井城篭城戦で敗れるも三千の軍勢の囲みを突破し、落ち延びる。 久留里城を落城させたが、反撃され討ち死に。 鏑木胤義 家紋:十曜/月星 年齢不詳(息子が1528年に寺建立と孫に1573年に家督を譲っているので、1500年前後?) 千葉親胤の後見職として軍勢を率いた。 本人のエピソードは特に無いが、息子胤定は正木氏相手に優勢に戦った。 ##里見家武将## 岡本安泰 家紋:三つ巴? 僧籍にあったが還俗して父の跡を継ぎ、房総水軍を率いた。対北条の拠点として主君里見義弘に岡本城の譲渡を要請されると進んでこれを明け渡し、里見義頼の家老を務めた。 秋元義久 家紋:横木瓜 秋元義政の子。通称は小次郎。秋元家は宇都宮家の諸家で、江戸時代に大名となった秋元長朝の同族。里見家の麾下に属した。1563年「第二次国府台の戦い」で里見家が敗れると、北条氏康の命を受けた千葉胤富らの攻撃を受けるようになる。小糸城の西にあった里見義弘の居城佐貫城が北条勢に奪われると孤立無援に陥った。1565年、秋元義久は激しく抵抗したものの小糸城は陥落して秋元義久は討死した。 安西実元 家紋:三つ板屋貝/螺貝? 伊予守。第二次国府台合戦で馬を射られた主君・義弘に自分の馬を与えて 戦場から離脱させた後、義弘の影武者となって敵陣に突入して戦死した。 堀江頼通 山本親満 村上信清 村上信濃守の息子。官途は長門守。 父は足利成氏家臣。久留里城主。足利成氏の病没後、小弓御所足利義明に仕えた。 1538年、「第一次国府台の戦い」で足利義明が討死すると里見義康の麾下に属した。1554年、北条氏康の攻撃により討死した ##宇都宮家武将## 芳賀高定 家紋:左三つ巴/陰左三つ巴 1521~1588(1545年時点数え年で25歳) 益子勝宗の三男で名跡清党を継いだ。 若い頃に水谷政村によって旗下の国人二人を討ち取られ、3千騎を派遣させたが敗北する。 宇都宮尚綱が那須氏によって敗死すると、幼い主君広綱を守り主君の仇を討ち宇都宮城を奪還して主家再興させた忠義の人物。 宇都宮当主芳賀高照を謀殺し、佐竹、那須、江戸、小田、足利、そして簒奪した壬生氏に協力していた北条をも味方に付けて孤立させ、宇都宮城を奪還。 また佐竹と主家の婚姻を成立させ、下野支配を確立させた。 芳賀高継 家紋:左三つ巴/陰左三つ巴 153?~1592?(1545年時点数え年で15歳?) 忠誠心が篤い人物で養育されたことのある益子氏を主家の反抗から攻め滅ぼす。 筆頭家老として幼君国綱を外交を駆使することで主家を守った。 宇都宮城から移転後の対北条用の大規模な山城の多気城築城を主導した人物? 笠間高広 家紋:藤巴/三つ巴 ?~?(1545年時点数え年で45歳以上?) 佐白山宝塔新築のため長福寺に如意輪観音像を寄進した。笠間氏代々は信仰心の篤かったことが知られる。 宇都宮尚綱に従って那須高資と早乙女坂に戦った。この戦いは、圧倒的な軍勢を有する宇都宮勢が有利であったが、総大将の尚綱が矢にあたって戦死したことで宇都宮軍の大敗に終わった。敗戦のなかで、笠間氏の重臣満川民部大輔が討死している。 壬生綱雄 15??~1562(1545年時点数え年で35歳?) 家紋:三つ巴 宇都宮家中で主家を凌ぐほど権力増大し、隣領の小山高朝が心苦しいとの書状を送ったほど。 宇都宮尚綱が討ち死にすると、宇都宮城及び宇都宮領大半を占領し、芳賀高照を宇都宮当主として迎え傀儡とした。 下野最大勢力を誇ったが、芳賀高定の外交手腕で孤立無援となり、屈服し、最後は暗殺される。 益子勝宗 1529?~1593 家紋 左三つ巴 兄の益子勝家を攻め滅ぼし家督を継承する。その際、勝家の子で七歳になる一郎丸も殺しており、その残忍さがうかがえる。 勝宗は高館城、七井城に旧領の益子と領地を広げた。 永禄年間から武田信玄と誼を通じている。長男の元服の折に、武田信玄から「信」の字を拝領し、信勝と名乗らせた。祝いの品として、刀や酒ももらっている。他家と通じるのが好きだったのか、先見の明があったのか、または重臣クラスのため、他家から頻繁に声がかかっていたのか、はたまた利用しやすいと思われていたのか定かではないが、田舎大名の家臣としては交流が広い。 横田綱久 家紋:三つ巴/矢車 宇都宮一門として宗家宇都宮氏に仕えた。しかし、宇都宮国綱が秀吉によって所領没収の憂き目にあうと、横田一族は佐竹氏に仕える者、武士を捨てて帰農する者とに分かれたといわれ、鎌倉初期以来、横田郷の領主として続いた横田氏も終焉のときを迎えた 皆川忠宗 家紋:左三つ巴 駿河守。成勝の従兄弟にあたる。 当主に匹敵する権力をもち、成勝・俊宗期の皆川氏は「皆川両人」と記され、当主と忠宗の権力の二重構造を有していた事が知られる。 皆川俊宗 塩谷義孝 今泉泰光 多功長朝 ##越後上杉## 長尾政景 甘粕景持 1550~1604年。近江守。 柿崎景家と並ぶ武勇を誇る。 謙信と伊勢姫の悲恋話にも登場し、政治的な理由で二人を別れさせようとする柿崎景家に対して、 二人の気持ちを尊重して逆に二人をくっつけようとしている。 本庄繁長 中条藤資 水原親憲 千坂景親 竹股朝綱 山吉豊守 本庄秀綱 ##織田家武将## 織田信忠 1557~1582 幼い頃から家督相続を約束されていた信忠は、信長から雑用を一切させないなどの待遇を受け、武将として出陣する前から信長の戦に連れられ、闘いを学んでいた。 父に忠実だったイメージが強いが、播磨三木城攻めの時には督戦に来た信長に作戦をめぐって抗弁した。また信忠は能狂言を異常なほどに好んだ。徳川家康を通じ、稀少であった世阿弥の著作を入手したりもしている。 高遠城に攻め入る際に、信長に武田氏の深追いは避けるよう託けされていたが、現地での情勢を見た信忠はこの命を破り、深く攻め入った。結果、最終的に武田氏を滅亡に追いやった。このことで信長は信忠の武才を認めたという。 北畠信意 1558~1630 当時の織田家中では、信雄の失態について「三介殿(信雄)のなさる事よ」と呆れ気味に評しており、一般には「暗愚の将」とされる。無断で始めた伊賀侵攻戦で大敗した際、信長は譴責状を送って叱責したばかりではなく、一時は親子の縁を絶とうとしたと伝えられる。小牧・長久手の戦い後の単独講和や、秀吉に反して改易(これは家康を気遣っての義理でもあるが)されるなど、時流を見る目の無さに基づく失敗が多い。 織田一門の席次は、信忠、信雄、信包、信孝の順であり、信孝の上位に配されていた。 能の名手と伝わる。 神戸信孝 1558~1583 織田家の四国攻めでは総大将を務める。本能寺の変後は「中国大返し」後の羽柴秀吉軍に合流、総大将として山崎の戦いに参戦。秀吉と対立して柴田勝家が敗れた後、自害させられたが、その切腹の際、腹をかき切って腸をつかみ出すと,床の間にかかっていた梅の掛け軸に投げつけたといわれている。 その人格は高く評価され、思慮あり、緒人に対して礼儀正しくまた大なる勇士である。智勇人に超えたり、と讃えられている。 領地とした神戸では神戸検地と呼ばれる検地を行い、城下に楽市楽座、伝馬制を敷くなど領地経営に力を注ぎ、神戸は伊勢参宮街道の宿場として大いに栄えた。 津田信澄 1555?~1582 信長の甥、謀反を起こした信勝の子。柴田勝家に養育された。 信澄は信長の側近としての役割も果たし、信長から信任されて特別扱いされていた。 織田家では信長の息子である信忠、信雄、信孝や信長の弟の信包に次いでその待遇は厚かったという。 「異常なほど残酷でいずれも彼を暴君と見なし、彼が死ぬ事を望んでいた」「一段の逸物也」など、武将としての評価が極端に分かれている。 丹羽長秀 1535~1585 家紋:直違い 長秀は信長から「長秀は友であり、兄弟である」と呼ばれるという逸話が残るほど、厚く信頼されていた。 織田四天王、織田五大将の一人であり、柴田勝家と並ぶ猛将としても知られ、その武者振りから鬼五郎左と称される。織田家中では、「木綿藤吉、米五郎左、掛かれ柴田に、退き佐久間」という風評があり、このうち米五郎左は丹羽長秀を評したもので、非常に器用でどのような任務でもこなし、米のように、上にとっても下にとっても毎日の生活上欠くことのできない存在であるというような意味である。方面軍司令の地位こそ得られなかったが安土城の普請奉行などの畿内の行政の仕事をそつなくこなし、また各方面の援軍として補給路の確保や現地の戦後処理において活躍をするなど行政と軍事両面で米五郎左の名に恥じない働きを続け、信長の信頼も変わらなかった。 細川藤孝 1534年~1610年 家紋:九曜 近世歌学を大成させた当代一流の文化人でもあった。剣術等の武芸百般、和歌・茶道・連歌・蹴鞠等の文芸を修め、さらには囲碁・料理・猿楽などの造詣にも深く、当代随一の教養人でもあった。剣術は塚原卜伝に学び、波々伯部貞弘・吉田雪荷から弓術の印可を、弓馬故実(武田流)を武田信豊から相伝されるなど武芸にも高い素質を示した。膂力も強く、京都の路上で突進してきた牛の角をつかみ投げ倒したという逸話もある。 幕臣として将軍・義輝に仕えるが、義輝が三好三人衆や松永久秀に暗殺されると、足利義昭の将軍任官に奔走した。織田信長が義昭とを連れて上洛した後は信長に従い近畿圏を転戦した。義昭が信長と袂を分かつと信長に恭順し、後、織田家臣として活躍する 池田恒興 1536~1584 家紋:揚羽蝶 信長とは乳兄弟であり同時に義理の兄弟にあたる。滝川一益は従兄弟。幼少の頃から小姓として織田家に仕え、桶狭間の戦い、美濃攻略、姉川の戦いで活躍し、比叡山焼き討ち、長島一向一揆、長篠の戦いなど信長の主だった戦に参陣、小牧長久手の戦いで戦死するまで武功を上げ続け、最終的には13万石の大垣城主となった。 蜂屋頼隆 1534?~1589 家紋:桔梗 美濃の豪族出身ではじめ土岐氏、次いで斉藤道三に仕える。織田信長の美濃攻めに前後して信長の家臣となる。 信長の元で武功を重ね、秀吉に認められて豊臣の本姓を授かる。足軽から4万石の大名となっており、かなりの出世頭。連歌に傾倒しており、和歌についても細川幽斎・古田重然らと並ぶ当時の「好士」として挙げられる腕前であったという 佐久間盛政 1554~1583 家紋:丸の内に三引両 柴田勝家の甥。身長6尺の巨漢で勇猛さから鬼玄蕃と称された。 本能寺後は柴田勝家につき、賤ヶ岳の戦いの後、秀吉は盛政の武勇を買って九州平定後に肥後一国を与えるので家臣になれと強く誘ったが断って斬首される。娘の虎姫は豊後中川家に嫁ぎ、父盛政の菩提寺と佐久間家の復興を悲願としていたが、その願いは彼女の死後、夫の中川秀成によって為された。 羽柴秀長 1540年~1591年 豊臣秀吉の異父弟。豊臣秀吉の片腕として辣腕を揮い、軍事・外交・政務あらゆる面で秀吉の偉業を助け、天下統一を成し遂げた。最終的には大和・紀伊・和泉の3ヶ国に河内の一部を加え、大和郡山110余万石の大大名になる。その領地と官位から大和大納言と尊称された。何かと暴走しがちな秀吉を抑え、秀吉の華々しい活躍の裏でそれを支え続けた豊臣政権の支柱。 ##王位要求者## 武田信虎 数えで51歳 1494~1574 武田家第十八代当主、躑躅ヶ崎館を築き城下を整備して後の武田家の基盤を作った。 今川氏など対外勢力と戦いながら国人衆らを降し、甲斐の国を平定。 今川氏で起きた家督争いによる花倉の乱で今川義元を支援。 長らく争ってきた今川氏と同盟を結ぶ事に成功する。 今川義元の元を訪れている時に強制的に隠居させられた。 『勝山記』などによれば、信虎の治世は度重なる外征の軍資金確保のために農民や国人衆に重い負担を課し、怨嗟の声は甲斐国内に渦巻いており、信虎の追放は領民からも歓迎されたという。 天文12年(1543年)6月には上洛し「京都南方」を遊覧している。晴信は今川氏、後北条氏と甲相駿三国同盟を形成すると信濃侵攻を本格化させ越後国の上杉謙信との川中島の戦いを展開しているが安定した領国支配を行っており、この頃に信虎は出家して「無人斎道有」を名乗っていることからも信虎は甲斐国主への復権を諦め隠居を受けいれていたと考えられている。 扇谷上杉憲勝 松山城主。はじめ七沢七郎を名乗って奥羽を浪人していたという。朝興の子である朝定(後者の説に従えば、憲勝の兄)が川越夜戦で戦死して扇谷上杉氏の嫡流が滅亡すると、太田資正に擁立されてその跡を継ぐ。太田資正が北条氏康から松山城を奪還すると、城主として入城する。しかし、2年後には北条・武田連合軍に包囲されて降伏した。降伏の知らせを聞いた上杉輝虎は激怒し、人質に取っていた憲勝の子を斬り殺したという。その後、氏康の家臣となり、300貫を与えられた。 上杉憲寛 ?~1551 家紋:竹に二羽飛び雀 関東管領。古河公方足利高基の次男。上杉憲房の養嗣子となる。憲房が死去した時、実子の憲政は幼少だったことから、跡を継いで関東管領となった。憲政を支持する家臣らに攻められ、管領職を奪われて追放される。以上の経緯から古河に戻ることが出来ず、義明の支配下にあった上総宮原に移住して、同地で死去した。 足利頼純 数えで14歳 1532~1601 父・義明が戦死すると、安房国の里見氏を頼って落ち延び、その庇護を受けた。幼時には石堂寺に預けられたとみられている。成人後は小田喜城に滞在したとも、後に諸国を流浪したともいわれているが詳細は不明。里見義頼と梅王丸の家督争いの際には義頼に偏諱を与えたとする見方がある一方(佐藤博信説)でそれに続く義頼と正木憲時の争いの時には後者についたとする見方があって(千野原靖方説)詳細は不明。北条氏が豊臣秀吉による小田原征伐によって下総国から撤退すると、その機に乗じて里見義康とともに父が住した小弓城を奪還した様であるが詳細は不明。娘の月桂院が秀吉の側室となったことと、足利氏の血を引くことから大名として復帰を許され、嫡男の国朝が下野国喜連川城を領した。 部垂義子 里見豊姫
https://w.atwiki.jp/ymeconomy/pages/277.html
QMA6 文系学問 ページ1 / 画像問題 ジャンル 問題文 答え 間違い選択肢 歴史 『農業論』を著し、「ラテン散文文学の祖」といわれる古代ローマの政治家は? カトー エトー サトー イトー 歴史 1402年に明の永楽帝が設置した、学才に優れたものを「大学士」として用いた政治機関といえば? 内閣 衆議 官邸 最高裁 歴史 1441年、足利義教の暗殺後「代始めの徳政」を求めて起こった一揆といえば? 嘉吉の土一揆 山城国一揆 加賀の一向一揆 伊賀の惣国一揆 歴史 1882年4月に板垣退助が遊説中に暴漢に襲われ「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだとされる都市は? 岐阜 高松 大阪 岡山 歴史 1945年に戦後初めて発売された宝くじ1枚の価格はいくらだった? 10円 1円 30円 5円 歴史 2001年1月1日は何曜日だった? 月曜 火曜 水曜 木曜 歴史 800年、カール大帝に帝冠を与えたローマ皇帝といえば誰? レオ3世 グレゴリウス7世 ヨハネス12世 ボニファティウス8世 歴史 イギリスがアメリカに植民した13州のうち、成立が1607年と最も歴史が古いのは何州? バージニア州 デラウェア州 ロードアイランド州 メリーランド州 歴史 お札の肖像。最も長生きしたのは誰? 新渡戸稲造 福沢諭吉 夏目漱石 樋口一葉 歴史 カルタゴの将軍ハンニバルが活躍したことから、別名を「ハンニバル戦争」という紀元前3世紀の戦争は? 第2次ポエニ戦争 第1次ポエニ戦争 第4次ポエニ戦争 第5次ポエニ戦争 歴史 フェアディール政策を行ったアメリカ大統領は? トルーマン セオドア・ルーズベルト ケネディ フランクリン・ルーズベルト 歴史 モンゴル帝国の分裂後に形成された「4ハン国」でチャガタイ・ハン国の首都はどこだった? アルマリク サマルカンド タブリーズ エミール 歴史 次の江戸時代の藩のうち藩校として造士館を置いたのは? 薩摩藩 水戸藩 岡山藩 長州藩 歴史 正式には「三条新地牢屋敷」という名前だった、江戸時代に罪人が集められた、京都の有名な牢獄は何? 六角獄舎 七角獄舎 九角獄舎 十角獄舎 歴史 蘇秦と張儀に代表される古代中国において弁論を駆使して立身出世を目指した思想家を何という? 縦横家 天地家 前後家 上下家 歴史 第一次世界大戦の戦後賠償案で、ドーズ案、ヤング案といえばどこの国の賠償を緩和する案? ドイツ オーストリア トルコ ハンガリー 歴史 中世のゲルマン民族でイベリア半島に建国したのは何族? 西ゴート族 東ゴート族 ブルグント族 ヴァンダル族 歴史 藤原道長の娘で一条天皇の后となったのは? 彰子 妍子 威子 嬉子 歴史 平安時代中期に、藤原純友が反乱の根拠地とした日振島があるのは愛媛県何市? 宇和島市 四国中央市 八幡浜市 今治市 歴史 有名な南米の革命家エルネスト・チェ・ゲバラが生まれた国は? アルゼンチン キューバ ボリビア ブラジル 歴史 率先して増産作業を行った炭鉱労働者の名前が付いたソ連における労働生産性向上運動は? スタハノフ運動 オスウィーゴー運動 チャーチスト運動 セマウル運動 戦国時代 「岡崎三郎」とも呼ばれた徳川家康の父は? 松平広忠 松平清康 松平容保 松平利長 戦国時代 「大津宰相」と呼ばれた京極高次が、保身のため豊臣秀吉に差し出したとされる美女の誉れ高い妹といえば? 松の丸殿 梅の丸殿 桃の丸殿 竹の丸殿 戦国時代 1523年の寧波の乱以後、勘合貿易を独占した守護大名は? 大内氏 畠山氏 大友氏 島津氏 戦国時代 1549年、日本へキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師・ザビエルが最初に上陸したのは現在の何県? 鹿児島県 宮崎県 熊本県 沖縄県 戦国時代 1550年に勃発した、豊後の国の戦国大名・大友氏のお家騒動の通称は「”何”崩れ」? 二階 三階 四階 五階 戦国時代 1582年に派遣された天正遣欧少年使節で、豊後の戦国大名・大友宗麟の名代を務めたのは 伊東マンショですが、肥前の戦国大名・大村純忠と有馬晴信の名代を務めたのは? 千々石ミゲル 原マルティノ 中浦ジュリアン 伊東マンショ 戦国時代 1587年10月1日に北野神社で行われたのは 茶会ですが、1598年3月15日に醍醐寺で行われたのは? 花見 茶会 ミスコン カラオケ大会 戦国時代 戦国武将・織田信長の父の名前は? 信秀 信時 信行 信広 戦国時代 俗に「戦国時代の三大野戦」の一つに数えられる北条氏康の軍が武蔵で繰り広げた戦いといえば? 河越城の戦い 七尾城の戦い 厳島の戦い 桶狭間の戦い 戦国時代 天下分け目の戦いと称された関が原の戦いが起こったのは西暦何年? 1600年 1598年 1615年 1603年 文学・美術 「将来に対するただぼんやりした不安」という有名な一節がある芥川龍之介の作品は? 『或る旧友へ送る手記』 『神々の微笑』 『或る阿呆の一生』 『侏儒の言葉』 文学・美術 『小倉百人一首』でいわゆる「一字決まり」の札は全部で何枚ある? 7枚 42枚 25枚 16枚 文学・美術 イギリスの作家ディケンズの小説『二都物語』の題名になっている2つの都市はロンドンとどこ? パリ モスクワ ローマ ブリュッセル 文学・美術 その題名のそばに有名な「生れて、すみません。」という言葉が書かれている太宰治の作品は? 『二十世紀旗手』 『デカダン抗議』 『老ハイデルベルヒ』 『フォスフォレッセンス』 文学・美術 フランスの作家スタンダールの墓碑銘に刻まれている文章は? 「生きた、書いた、愛した」 「走った、書いた、戦った」 「来た、見た、勝った」 「燃えた、打った、走った」 文学・美術 ルネサンス時代のイタリアで考案された14行詩のことを何という? ソネット ソケット ポケット ソバット 文学・美術 夏目漱石の小説『坊っちゃん』で坊っちゃんが4杯も食べて生徒にバカにされた食べ物は? 天そば とろろそば 素そば 月見そば 文学・美術 幸田露伴の小説『五重塔』の主人公の職業は? 大工 僧侶 漁師 刑事 文学・美術 次のうち、ドイツの社会主義者マルクスが「民衆の阿片である」と例え、批判したものは? 宗教 科学 民族主義 資本主義 文学・美術 次のうち夏の季語でないものはどれ? サザエ 雨蛙 とかげ 鮎 文学・美術 小説『舞姫』を書いた明治の作家は 森鴎外ですが、歌集『舞姫』を書いた明治・昭和期の歌人は? 与謝野晶子 森鴎外 夏目漱石 樋口一葉 文学・美術 中国・清時代の文学作品『紅楼夢』の作者は 曹雪芹ですが、『長生殿伝奇』の作者は誰? 洪昇 呉敬梓 蒲松齢 曹雪芹 文学・美術 俳句で「蜜柑」は 冬の季語ですが、「蜜柑の花」はいつの季語? 夏 新春 秋 冬 文学・美術 明治の作家・夏目漱石の小説『吾輩は猫である』の最後で猫が飲んで酔っぱらってしまうお酒は? ビール 麦茶 ワイン ウイスキー その他 「環境保護のキウンが高まる」などという時のキウンの正しい漢字は? 気運 期運 着運 来運 その他 1937年に信時潔が作曲した軍歌『海ゆかば』の歌詞は『万葉集』の誰の和歌を引用したもの? 大伴家持 柿本人麻呂 山部赤人 天武天皇 その他 1月から12月を英語で書いた時に頭文字に最も多く使われるアルファベットは何? J M A F その他 英語のアルファベットは 26文字ですが、ロシア語のアルファベットは全部で何文字? 33文字 26文字 29文字 30文字 その他 次のうち「大綱」ということばの対義語はどれ? 細目 種目 反目 面目 その他 「執」の部首はどれ? 土 乙 、 干 その他 「枕を割る」の意味は? 苦心する 心を開く 熟睡する 激怒する その他 ひらがなの音節で「ん」は 撥音ですが、「ちょ」は何音? 拗音 撥音 鼻濁音 直音 その他 次のうち、英語で「ワリカンにする」という意味の表現は? go Dutch go Danes go Chinese go American その他 次のうち「思案」ということばの類義語はどれ? 考慮 空想 思慕 想像 その他 弱い者の意見が力を持たないことを「何の千声」という? 雀 鶴 鳩 鷹 その他 数字の「7」のことを英語では セブンといいますが、フランス語では何という? セット シーヴ ズィーベン セブン その他 物事の良しあしが理解できないことを「目」を使った表現で何という? 目がない 目を光らせる 目がきく 目を盗む その他 文房具の「文房」とはもともとどういう意味? 書斎 文字 手紙 硯 江戸時代 「歌舞伎十八番」を制定したのは何世市川團十郎? 七世 三世 九世 四世 江戸時代 「奇応丸」や「神女湯」という名前の薬を売っていた作家は誰? 曲亭馬琴 式亭三馬 山東京伝 恋川春町 江戸時代 「読書丸」という名前の薬を売っていた作家は誰? 山東京伝 式亭三馬 恋川春町 為永春水 江戸時代 「浮世の月見過しにけり末二年」という辞世の句を残して1693年に亡くなった江戸時代の人物は? 井原西鶴 与謝蕪村 松尾芭蕉 小林一茶 江戸時代 1622年、長崎でキリシタン55人が処刑となった宗教弾圧事件を何という? 元和大殉教 慶長大殉教 万治大殉教 慶安大殉教 江戸時代 1699年に江戸で創業され人気となった「にんべん」はどんな商品を扱うお店? 鰹節 日本茶 昆布 海苔 江戸時代 1728年に日本に初めて輸入され当時の江戸幕府将軍・徳川吉宗に献上された象は、現在のどこの国から来たものだった? ベトナム インドネシア マレーシア インド 江戸時代 2011年に放映されるNHKの大河ドラマの主人公でもある女性・江(ごう)を母親に持つ徳川幕府の将軍は? 徳川家光 徳川家康 徳川秀忠 徳川家綱 江戸時代 寛政の改革で有名な江戸時代の老中・松平定信の祖父である江戸時代将軍は誰? 徳川吉宗 徳川家光 徳川家継 徳川秀忠 江戸時代 京都の自然の美しさを読んだ江戸時代の句「布団着て寝たる姿や東山」の作者は誰? 服部嵐雪 宝井其角 野沢凡兆 志太野坡 江戸時代 狂歌を詠む時は「酒上不埒」という名前を用いていた江戸時代の戯作者は誰? 恋川春町 十返舎一九 仮名垣魯文 式亭三馬 江戸時代 現在、花見の名所となっている隅田川の堤防に、桜の木を植えさせた将軍は? 徳川吉宗 徳川家康 徳川家慶 徳川綱吉 江戸時代 江戸時代、奥州街道と日光街道の分岐点だった宿場はどこ? 宇都宮 鉢石 下諏訪 白河 江戸時代 江戸時代、江戸では普通ご飯を炊くのは一日のうちいつ頃だった? 朝 夕 夜 昼 江戸時代 江戸時代、町奉行配下の与力や同心たちのことを、彼らが住んでいた江戸時代の地名から「どこの旦那」と呼んだ? 八丁堀 人形町 築地 門前仲町 江戸時代 江戸時代、町民たちに仕事の斡旋をしていた職業のことを何といった? 口入れ屋 手入れ屋 足入れ屋 耳入れ屋 江戸時代 江戸時代に「京都三名水」と呼ばれた名水の中で唯一現在も残っているのは? 染井 醒ヶ井 若狭井 県井 江戸時代 江戸時代に「十三里」という呼び名で親しまれた食べ物といえば? 焼き芋 カステラ 水飴 みつ豆 江戸時代 江戸時代にあった再生紙のことを、紙すき業者がいた田原町、山谷があった地名から何といった? 浅草紙 上野紙 品川紙 原宿紙 江戸時代 江戸時代に完成した日光東照宮に祀られている「東照大権現」とは誰のこと? 徳川家康 徳川綱吉 徳川家光 徳川家綱 江戸時代 江戸時代に三浦屋の遊女が代々襲名した、吉原で最も有名だった遊女の名前は? 高尾太夫 吉野太夫 夕霧太夫 三宅太夫 江戸時代 江戸時代に初鰹が人気あったことを詠んだ句「まな板に小判一枚初鰹」の作者は誰? 宝井其角 志太野坡 野沢凡兆 山口素堂 江戸時代 江戸時代に上方で「おくどさん」と呼ばれたものといえば何? 竈 屋根 箪笥 井戸 江戸時代 江戸時代に町火消しが着用した半纏を何という? 刺し子半纏 こうもり半纏 漁師半纏 ねんねこ半纏 江戸時代 江戸時代に北町奉行所があった場所は、現在どんな場所が建っている? 東京駅 東京ドーム 国会議事堂 日本武道館 江戸時代 江戸時代の1807年に落橋して1000人を超える死者を出した隅田川に架かる橋は何? 永代橋 相生橋 言問橋 両国橋 江戸時代 江戸時代の私塾、鳴滝塾を開いたのは シーボルトですが、芝蘭堂を開いたのは? 大槻玄沢 広瀬淡窓 吉田松陰 シーボルト 江戸時代 江戸時代の私塾、鳴滝塾を開いたのは シーボルトですが、咸義園を開いたのは? 広瀬淡窓 大槻玄沢 シーボルト 吉田松陰 江戸時代 江戸時代の庶民の芝居見物のことを芝居の時に食べるものの頭文字から何といった? かべす さべす あべす たべす 江戸時代 江戸時代の伝説の商人紀伊國屋文左衛門が紀州から江戸にミカンを運ぶのに使ったものは? 船 牛車 トラック 飛脚 江戸時代 江戸時代の遊郭における遊女の階級で、一般的に最も位が高かったのは? 太夫 奴 女郎 格子 江戸時代 江戸時代後期の1788年に起きた事件「尊号一件」で父に太上天皇の尊号を送ろうとして幕府ともめた天皇は誰? 光格天皇 仁孝天皇 後水尾天皇 中御門天皇 江戸時代 江戸時代初期の1613年に幕府と朝廷が対立した「紫衣事件」が起きた時の天皇は誰? 後水尾天皇 後光明天皇 後陽成天皇 後奈良天皇 江戸時代 江戸時代中期の1682年に寺の小姓と会いたいために放火未遂事件を起こして処刑された女性は誰? 八百屋お七 饅頭屋お七 両替屋お七 呉服屋お七 江戸時代 江戸幕府の14代将軍徳川家茂は、御三家・御三卿のうちの何家の出身? 紀伊徳川家 尾張徳川家 一橋徳川家 清水徳川家 江戸時代 村上庄右衛門の騙し討ちにあった菅野六朗左衛門を助太刀した「高田馬場の決闘」で有名な赤穂四十七士の一人は誰? 堀部安兵衛 武林唯七 大石瀬左衛門 寺坂吉右衛門 江戸時代 大変な猫好きだったことから「猫々道人」という号を持っていた江戸時代の作家は誰? 仮名垣魯文 十返舎一九 式亭三馬 山東京伝 江戸時代 弟子の一派を「県門」といったのは? 賀茂真淵 松尾芭蕉 本居宣長 木下順庵 江戸時代 東京日本橋の「日本橋」の橋の北側にある銘板の題字を書いた徳川将軍は誰? 徳川慶喜 徳川吉宗 徳川家康 徳川家光 江戸時代 徳川家康が江戸城に入城した日であることから、江戸時代に武家の祝日になっていたのは旧暦の何月何日? 八月一日 九月一日 六月一日 七月一日 江戸時代 別名の「シビ」が「死日」につながることから、江戸時代に武士が口にしなかったという魚は何? マグロ サバ ニシン カツオ 江戸時代 幕末に活躍した儒学者・佐久間象山の妻は誰の妹? 勝海舟 西郷隆盛 桂小五郎 高杉晋作 江戸時代 幕末に起きた生麦事件で薩摩藩士・奈良原喜左衛門に斬りつけられて亡くなったイギリス人の名前は? リチャードソン スコット クラーク マーシャル 江戸時代 幕末の1863年に武蔵国で起きた「井土ヶ谷事件」で攘夷派の浪士達に殺害されたフランス士官の名前は? カミュ サルトル モリエール モーパッサン
https://w.atwiki.jp/okayamasiro/pages/91.html
城主 遺構 所在地 総社市八代 より大きな地図で 岡山県の城跡 を表示 歴史 概要 縄張り図 交通 遠景 出典 2009年07月10日