約 213,967 件
https://w.atwiki.jp/yoshinabu/pages/43.html
debianカーネル再構築 毎回ぐぅぐるのもめんどくさくなってきたのでやりかただけまとめます。 コンパイルを行っているdebianのバージョンはetchです。 debファイルを作成する方法でカーネルの再構築を行います。 必要なパッケージのインストール su aptitude install kernel-package fakeroot 他にも必要かもしれません。 とりあえず基本のシステムが入っていればこれだけですみそうな気がします。 カーネルソースのダウンロード 説明のしようがありません。ダウンロードしましょう。 インストールしたいバージョンのカーネルソースをダウンロードしましょう。 ダウンロードしてきたら解答しましょう。たぶんtarで固めてあるので、tarコマンドを使います。 自分は以下の方法でソースをダウンロード及び回答しました。 aptitude install linux-source cd /usr/src/ tar xvjf linux-source-2.X.XX.tar.bz2 カーネル構築の前準備 解凍したソースディレクトリに移動します。 cd linux-source-2.X.XX コンフィグファイルをコピーしてきます。最初にインストールしたときのコンフィグファイルが /boot にあるので、 cp /boot/config-X.X.XX .config とコマンドを打ってコピーします。もちろん古いコンフィグファイルなんて使わないよ!俺は男だ!っていう人は、躊躇無く make config と打ってください。それはもう長いコンフィグのたびが始まります。気合が必要です。 それ以外の人は make oldconfig と打ってください。最初にインストールしたバージョンから今インストールしたいバージョンへの変更点のみが聞かれるので適当に答えてください。 前準備はこれでおしまいです。 debファイルの作成(カーネル再構築) make-kpkg clean fakeroot make-kpkg --initrd --revision=version-as-you-lile kernel_image kernel_headers fakerootについて気になったら調べるといいと思います。 これで構築は終了です。最後にインストールです。 debファイルのインストール(カーネルインストール) debファイルが一つ上のディレクトリに作られるので、一つ上のディレクトリに移動します。 cd .. そしたインストールです。 dpkg -i *.deb ブートローダにgrubを使っていて、 /etc/kernel-pkg.conf のdo_bootloaderの項目をいじっていないなら勝手にgrubが更新されます。そしたら再起動して、インストールしたカーネルを選択します。 起動しなかったら泣きながら再起動して前に使っていたカーネルを選択します。
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/17262.html
さいこうちくせかい【登録タグ GUMI Hi-kun さ 曲】 作詞:Hi-kun 作曲:Hi-kun 編曲:Hi-kun 唄:GUMI 曲紹介 「再生」をテーマに曲を描きました。(投稿者コメントより転載) 歌詞 (ピアプロより転載) 元に還す 願う瞳 これは僕が愛しましょう あの日君が流す涙 それも僕が愛しましょう もうダメだと言うの?もっと君を信じさせてよ 深い森から抜け出すように 動き始めた 全てを包む優しき光 鼓動の中で見えた景色はもう忘れない この世界の遺伝子を今解き放つ事が出来るなら ここに戻る愛の言葉 これは僕が捧げましょう 君と記す 星の調べ それも僕が捧げましょう 僕に近付いてよ もっと君を愛したいから これが始まりを告げるように 変わり始めた 1つに戻る生命の息吹 事満ちるとき 全てが優しく微笑むから 動き始めた 全てを包む愛しき世界 鼓動の中で見えた君は美しく光る この世界の遺伝子を今解き放て 君と生きるから Ah・・・ コメント 素敵な曲です! -- 美凛惡 (2011-09-03 03 10 14) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kameyama2011/pages/338.html
亀山ゼミ テキスト輪読 J.A.トーマス『近代の再構築』法政大学出版局, 2008 2012/05/21 小松美由紀 第一章 序論――自然にともなう問題 (p5~p47) ○自然とは何か 自然:人の気性、人間性全般、物質性(外の現実の世界)、環境の特質 etc (ウィリアムズの分類:「(ⅰ)あるものの本質的な性質なり性格、(ⅱ)人、世界、あるいは両方を動かす本来的な力、(ⅲ)物質的な世界それ自体で、人を含むとされることあれば、含まないとされることもある」) 「自然」にはたくさんの意味があり、定義づけることはとてもむずかしい。しかし、「恒久的で哲学的な意味ではなく、特定の歴史的瞬間の言葉としてならば、とても正確に自然を定義できる」 → 特定の場面において自然がどのような意味を持つかを理解することは、概念が社会的に構築され、時間の経過とともに変化していく様子を観察する(言語学上の再構築)よりも中身がある。 自然の概念は人間の境遇についてのはっきりした見通しやわれわれの自由の状況を裏切る → 自然は人生をめちゃくちゃにすることもあれば、人間の自由の基盤にもなり得る ○本書のアプローチ:日本政治イデオロギーにおける自然概念 自然は強力な政治的・社会的イデオロギー的概念として必然的に機能する。 → 国家のために自然を定義できる人が、根本のレベルで国家の政体を決定することで、その政体に釣り合った(もしくは不釣合いな)個人の自由が規定される → 国家にとって自然とは、集団および個人の可能性を反映している (ex. 無尽蔵の天然資源、危機に瀕した環境、恒久的な儒教ヒエラルキー、進化し続けるダーウィン的社会) 自然をこのように理解することを前提として、一九世紀初期から二〇世紀初期にかけて交わされた日本の国家イデオロギーに関する主要な論争を再検討 (当時の日本:比較的隔離された半封建社会 → 産業化した帝国) 本書の論点:この重要な時期に、日本の知識層や政治家といった指導者たちが、繰り返し、意識的に自然の概念を再構築していったこと(政治用語における自然は、日本が真の政治形態になるために研究しなければならない対象から現実になったというところに筆者の論点) ⇔多くの識者はこの時期の自然の概念を、日本の伝統の遺物、「連続的思惟」(丸山)と考えていた ⇒ 自然とはそうではなく、「変転するものであり、近代の政治的可能性が模索されるなかで 生まれようとするもの」 本書の課題:幕末から明治・大正期(1912~26)に変化したイデオロギーの度合いと性質を明確にすること(この頃の政治的可能性の基本要因は?歴史的にどのような道をたどれただろうか?日本独特の近代とのかかわりは、世界における近代の動きとどのように共鳴しあっているか?) 難点(p8~12) ○上記アプローチに対する二つの異論 ①「自然」とは「環境」を意味しなければならない(動植物や非動生物界の関係におけるエコロジーの重要性という定義こそ、自然を歴史的に研究する際の論点にすべきだ) 環境保護主義は二〇世紀後に登場した狭い特定の問題を対象にしている ⇔ 数世紀の間、自然はさまざまな専門領域で扱われ、時代に応じて農業、産業、医学、宗教、哲学、政治学、芸術の特別領域だと考えられていた 明治・大正時代の知識人:自然の科学的・生態学的な重要性よりも、社会的な重要性(人間社会の権力関係における規範)の方が大きな問題(足尾銅山の事件や神社の統合によって環境が崩壊しても、生態学的なつながりは自然の中心的な定義にならなかった) 本書のテーマ:日本の政治において、自然という用語がどのような意味を持ってきたか → 今日の自然の定義を用いるのではなく、日本人思想家の自然の用い方が必然性と自由に関する思想を形成していった方法を探りたい → 今日注目を浴びている環境問題を通じて、われわれの将来にとって今、何が必要なのかを再検討することもできる ②「自然」が歴史研究の対象となるには一貫した定義をもたなければならない(概念が揺れ動くのは概念として無効である ← 意味の不変性と概念のカテゴリーの連続性を頑ななまでに重視する姿勢) ⇔「物事の意味づけは不変ではなく、共同体の希望、望み、関心によって変化する」 → 歴史家の任務は現在と過去の共同体の橋わたしをすること。普遍の真理を見つけ出すのではなく、「特定のテーマで、ある時期の、特定の社会において得られる」(バーリン)最も正確な解釈に到達すること ○自然と日本人の関係 自然を愛することはずっと日本人の特質であり続けてきた(日本人が自然に興味を示すのは、いわゆる自然好きだからと称賛して考えられることが多く、農耕が始まる前からの特質であると論じられている) → 日本における環境破壊は「外部の異質な文化や経済の影響の産物」(この立場は①②が組み合わ さっている) ⇒「自然の概念に政治的権威があったことを証明し、日本人の自然への変わらぬ愛情と、それを作り出す歴史的過程といった、一見穏健なステレオタイプの裏側に潜む権力を明らかにする」のが筆者のつとめ 正当化(p13~p30) ○ 近代日本の政治的イデオロギーを研究する上で自然が重要である、三つの理由 ① 政治の理念を主張する文献によく自然の概念化が見受けられるため ② 当該時期の日本における政治的・イデオロギー的な緊張関係を分析するため、適切な 「領域化されていない」用語をみつける必要があるため ③ 近代化と自然との関係を理解し、世界的に近代化が広まったなかで日本(および他の 非西洋国家)を位置づけるため □文献に頻出(p13~p14) (①に関連) 国家建設に関連する江戸、明治、大正期の文献を見ると、自然への言及、そして政治秩序に とって自然が持つ意味に関連する議論であふれている(ex. 新聞、雑誌、書物における公の議論、政党を立ち上げる際の関連文書、経済と宗教に関する政府発表、文部省が編纂した教科書などはすべて自然に言及) ⇔ 当時の研究者たちはそれに気づかなかった(女性、労働、環境といった要素がかつて歴史的重要性をもたなかったように、自然の概念は装飾に過ぎず、学問の対象としてふさわしくなかった) 国家イデオロギーの中枢に関する論争での自然が中心的な役割を果たしていたという認識 :論争の参加者にとっての自然の重要性と、政治を構想する自然の影響を再認識することの 意義を問う第一歩となる。 □政治用語と歴史的叙述(p14~p17) (②に関連) ○ 明治・大正期の政治思想の研究の、3つの主要なアプローチ 「民主主義」「自由主義」:産業化や都市化、通常の経済発展に伴い政治が開放される過程に ついて、近代化の楽観主義を少々もっていることがうかがえる。西洋の進歩を後追いするような筋書きで、日本の経済成長や憲政の話になるのが普通。 → 1930年代・40年代の好戦的な軍国主義の台頭を説明できない 「革命」:継続的な階級闘争や不当な権力関係に打ち勝つという独自の筋書きをつくりだす。 明治維新は未完のブルジョワ革命であり、ブルジョワジーが権力を掌握できなかったため、 軍国主義が台頭してしまったと説明できる(マルクス主義理論) → 1925年までに憲法、政党ができ、男子普通選挙制度が施行され、中間層を中心とした民主的 産業国家として明治・大正期の日本が発展していったことは、うまく説明できない。 明治・大正期の経験を西洋の用語に訳せないという立場 → 比較研究を排除。日本は明確で、具体的で、特殊な経験を持った国。例外的な国として台頭。 (西洋の文脈で発展してきた用語には普遍主義が潜んでいるという主張と、そのような概念は日本にはそぐわないという国粋主義的な例外主義の主張があり、むずかしい問題となっている) 「自然」:イデオロギー色がなく、文化的特殊性にも敏感な言葉 → 近代化漸進主義の語りやマルクス主義の革命論、日本文化の例外主義とは一線を画した日本の歴史に関して議論できる(日本政治思想史の既存の枠組みを揺さぶることが可能) □近代を意識しない自然(p17~p30) (③に関連) ○丸山眞男の見解 丸山は、江戸初期の政治哲学では、自然と作為という二つの概念が対立関係にあったと指摘 (朱子学は「自然」、荻生徂徠らは「作為」を重用) → 自然を非難。朱子学は封建的階層性で自然を手本として人権侵害を促進したとした (階層的・道徳的・政治的秩序は、正当化するために自然に依存して硬直してしまった) → 一方の徂徠も、自然を完全に断ち切ることができなかったと丸山は考え、失望 ⇒ 丸山の自然対作為という二項対立的な対抗関係は、革命か黙従かという選択肢しかない厳格な「二者択一」式に政治を押し込めてしまった。(自然と作為は交渉し続けると認めること、個人、社会、国家は自然と作為が混じり合って発展しているという考えは忌み嫌われた) 長年、日本が自然の政治的権威に依存していることを強く非難。そのような政治体制では 自律した政治主体が確立、個人が確立されなければ国家権力に疑念を持つことはないと主張 → 日本政治は自然に言及して自らを正当化 → 自然=反近代、伝統的、反自由 ○近代=脱自然という図式 20世紀初期~中期の大部分の近代左翼・リベラル理論家は、政治思想において自然を重視することに懐疑的(ウェーバーら:伝統の脱自然化が内省的な近代合理主義を発展させる重要要素) → 19世紀型近代:自然は、特定の主体性、完全な自由、意味のある歴史のために抑制された 近代を批判する人は、この主体性の脱自然化を酷評。それが解放を意味するという主張に疑問を呈してきた。(「理性が自然を征服する一方で、人間は自然から解放され、純粋理性の世界に入っていった。しかし、その理性も皮肉なことに、結局自然と同じくらい恐るべきものになる。」) → アドルノら:自然の完全な従属と生活のあらゆる面を支配する全体主義権力を結びつけた ⇔ 彼らは近代を擁護する人々と同様に、自然を超越するものとして近代を定義 ○近代自然主義 トゥールミン、ルフェーブル:自己実現の主体は、歴史的台頭における自然にも、内部構造における自然にもかかわった(自然の概念が、近代社会や個人の構成要素にさえなっていると主張) トゥールミン曰く、合理的な近代の主体は決して反自然ではなく、普遍性と秩序を反映させるため、独特の自然形態に依存していた(合理主義者の世界の背景:疲弊したヨーロッパには何らかの秩序が必要であり、自然界を超える合理的個人だけではなく、合理的な自然界も見つけようとした。政治、科学、哲学が協力して「新たなコスモポリス」を創造しようとした) ルフェーブル:自然の「二重の限定」 → 近代の主体は自然をうまく抑圧できず、繰り返し、主体そのものの中に自然を発見することになる。自然から離れたと思っても、再度自然が近代の主体の中核に現れるのである。 ○自然の回復と近代の再構築 当初、自然化した政治は近代のアンチテーゼになるだろうと想定 → 自然の特定の形態が近代を構成すると納得すれば、もはや自然は反近代、過去、抑圧、東洋と同義語ではなくなる。反意語というよりむしろ多面な言葉。(政治的自由が制限されたのは、コスモポリスの結びつきがとても固く、政治が自由になる余地がなかったから?) 自然は、人間の共同体より前から存在し、政治的主体を分裂させて二つの意識(自然で文化的、生まれつきであると同時に創造されたもの)を生む要素である。(政治的主体は自らが、こうした二重性に苛まれるとは考えない)また、人間の共同体の外側に存在し、全国的ではなく局地的な現象と理解される。(自然の政治的価値は地域が限られる) 近代の中に自然があると納得すると、その先には近代という地球規模の体験に、日本を含めた非西洋を完全に取り込む知的枠組みがある。(近代を理解するために自然を回復させれば、従来の分析枠組みの範疇を広げるだけではなく、枠組みそのものを変えてしまう。) → 近代に到達するために自然を征服したり、克服したり、背後に押しやったりする必要がなく、一連の対立軸(「東洋」、伝統、自然vs「西洋」、近代、自由)は解消する。「西洋が」近代を構築したという限定的な考え方に立ち向かえるし、西洋思想の引き立て役、理想的な何かである「東洋」という比喩を超えることができる。 近代とは、左翼から右翼までの幅広い、いくつもの結果を出す可能性をもった特定の歴史的体験と定義されるべき → 世界中で異なる近代の形をひとつにするのは、古い「コスモポリス」の崩壊(自然と社会の根本的な関係の崩壊という共通の体験)であり、コスモポリスの意識的な再構築である → 日本の近代は「ありとあらゆる問題を抱え、真の近代であった」 近代の構築において、個人の意識を最も重視する必要はない。(ブルーメンベルクや丸山らは意識を重視)国家と人種に関する概念は、近代の創造において個人に関する概念とともに発展、両者とも近代的。(時として、このような集団性が最終的に個別性と両立し続けていたし、そう望まれていた) 日本における自然をめぐる政治史の概要(p30~p31) 日本政治史における自然の特殊な歴史はばらばらで複雑。自然は寡頭政治が自己正当化する道具にもなったし、中央集権国家を批判する論拠にもなった。 ○本書における政治史の概要 徳川時代:社会形態が外界に規定されるモデルに合ってさえいれば、自然体系の動きのない 階層的な思考様式が普遍的な社会の調和をもたらすと広く考えられていた 1870年代までに:自然はいたるところで変化し続け、社会ダーウィニズムのいう 進化した将来へと追いやられた 1930年代までに:国家主義化した自然へと完全に移行。個人の人間性を前提とした 近代が花開く可能性は閉ざされてしまった。 近代化した日本で優勢な自然の政治イメージ:場所、時間、国家としての自然 日本の自然観の歴史的な変わりやすさを検討し、その時代における支配的イデオロギー、およびそれにとってかわろうとする思想の枠組みの中で、今こそ日本が近代と対峙した特定の場面の政治を正確に描く時である。
https://w.atwiki.jp/kubo-zemi/pages/1570.html
新聞論評 新聞論評 2010 新聞論評 20100517 this Page 2010年5月17日 締 切 新聞論評 学籍番号 200914056 氏名 平岡輝長 1.新聞情報 見出し 「調達・生産「安さ」で再構築 」 新聞名 日本経済新聞 朝刊 発行日 2010年5月17日 面数 1面 2.要約 セブン&アイ・ホールディングスは「セブンイレブン」を運営する16の国・地域の経営陣を集めた会議を都内で開いた。商品開発、配送システムにおいて各国・地域の契約先は商品調達などで連携する意識が薄かった。鈴木 敏文会長はこれまでのやり方を白紙にしてほしいとうったえた。セブンイレブンと西友、トヨタ自動車と韓国の現代は共通して調達、生産体制の再構築をせまられている。(177字) 3.論評 セブンイレブンの店舗数は三万七千店と小売業では世界最多だが今期は消費不振、価格競争から12%の営業減益となった。 世界最大の小売業、西友の親会社でもある米ウォルマート・ストアーズの年間売上高は三十八兆円とセブン&アイ・ホールディングスの4倍強である。その強みは大規模な調達拠点を各地におき、量を武器に世界中のメーカーから低コストで仕入れることである。 セブンイレブンは食品会社と培ってきた商品開発力、商品を効率的に流す配送システムにより国内で急成長をしてきたが、その仕組みは日本国内でしか通用してしないといえる。 多国籍企業の多くは海外子会社をぶら下げただけの国内企業にとどまり、国境を超えた技術や知恵の共有、役割分担が進んでいない。激変している世界市場で生き残るためにはやはり調達、生産体制の再構築がかかせないだろう。(357字) コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/kotokojiwiki/
古都家 電化製品 再構築 プロジェクト 用語説明 自宅 = 親父がゴロゴロしている所 家 = 兄貴がゴロゴロしている所
https://w.atwiki.jp/go_rule/pages/15.html
ここでは日本囲碁規約から読み取れる疑問点を解決ないし明確化するために、理論の再構築を試みています。 1. 修正理論における死活型 規約では活き石・死に石の二つしか定義されていない死活型を拡張して、三つのタイプを定義してみます。そのほうが理解・説明がスムーズに行えると思うからです。 (1) 完全な活き石 ・部分的に相手方が打って取りに行くことができない石です。二眼ある石、通常のセキ、両コウ活き、両コウゼキ等がこれに該当します。 ウッテガエシ・石の下等は含まれません。何故ならそれらの石は一応、相手方が取りに行こうと思えばその石については取ることができるからです。 ・例 下図の石は×印の付いたものを除いてすべて完全な活き石です。 (2) 形式的死に石 ・部分的に相手方が打って一応取りに行くことができる石を形式的死に石とします。完全な活き石以外の石はすべて形式的死に石です。 形式的死に石のうちで、最終的には死に石として扱われるものを真性死に石、最終的には活き石として扱われるものを偽性死に石と呼びます。 (a)偽性死に石 ・相手方から自分の形式的死に石を増加させる(偽性死に石を真性死に石に変える場合を含む)ことなく取りに行くことが出来ない形式的死に石を、偽性死に石とします。 ・偽性死に石は活き石として扱われます。 (b)真性死に石 ・偽性死に石以外の形式的死に石を、真性死に石とします。 ・真性死に石は死に石として扱われます。 ・特則 イ) コウ抜きは上に言う形式的死に石を増加させる着手には該当しないものとする。 ロ) 相手方の形式的死に石を単独で完全に包囲している形式的死に石は、包囲している方を真性死に石とし、 包囲されている方を偽性死に石とする。ただし双方が偽性死に石である場合を除く。 (これは囲碁というゲームが最も外側を固めた方が勝つゲームだという性質から来るものと考えることができるでしょう。) ハ) 真性死に石同士の攻め合いの形は、打ち上げられるまでの手数が短い方を真性死に石とし、長い方を偽性死に石とする(死に勝ち)。 ニ) 真性死に石同士の攻め合いの形で、双方の石が打ち上げられるまでの手数が同数の場合はセキとする(死にゼキ)。 2.死活確認例 以下の例では、完全な活き石には○を(必要な場合)、偽性死に石には△、真性死に石には×をそれぞれ付してあります。 (1) ウッテガエシ ・以下のウッテガエシの形では、白二子は真性死に石、黒一子は偽性死に石と解されます(1)。 ・理由は以下の通りです。まず白二子を黒から取りに行くと(2)、黒石は完全な活き石しか残りません。すなわち白二子は黒から形式的死に石を一切増加させずに 取りに行ける石なのです。一方、黒一子を白から取りに行くと(3)、残った白三子は次に黒から打って取られてしまう形式的死に石です(4)。したがって、 黒一子は白から形式的死に石を増加させずに取りに行くことができない石、すなわち偽性死に石ということになります。 ・したがってこの形は白二子が死に石扱い、黒一子が活き石扱いとなりますから、白ニ子は規約10条1の「地中の死に石」としてそのまま取り上げることができると解されます。 1 2 3 4 (2) 取らず三目(セキ) ・以下の形では、白一子および黒四子はどちらも偽性死に石と解されます(1)。 ・なぜなら、白一子を黒から取りに行くと(2)、残った黒五子は次に白から取られてしまう形式的死に石ですから、白一子は偽性死に石です。 一方、黒四子を白から取りに行くと(3)、残った白二子は次に黒から取りに行くことができる形式的死に石です。したがって黒四子も偽性死に石です。 ・したがってこの形は白一子および黒四子の双方ともが活き石として扱われ、双方の間に詰められないダメのある形ですからセキと解されます。 1 2 3 (3) 特殊ゼキ(セキ) ・以下の形の隅の黒二子は偽性死に石と解されます(1)。 ・なぜなら、黒二子を白1と取りに行くと(2)、黒2のホウリコミが生じて白二子が代わりに取られてしまいます。つまり、隅の黒二子を取りにいくと白二子が 黒によって取られてしまう形式的死に石になってしまうのですから、隅の黒二子は白から形式的死に石を増加させないと取りに行けない石になっているのです。 ・白石は明らかに完全な活き石、隅の黒二子は偽性死に石で活き石として扱われますから、ダメの空いた活き石同士、すなわちセキの関係と解されます。 1 2 (4) ナカデ ・以下の形では、ナカデした黒石は偽性死に石、それを囲んでいる白石は真性死に石です(1)。 ・白は黒の中石を取りに行くことができ(2)、その一方で黒もまた外側の白を取りに行くことができる(3)ことが明らかだから、 特則 ロ)により、包囲している白石の方が真性死に石で死に石として扱われ、中石の黒石は偽性死に石で活き石として扱われます。 したがって規約10条1により、黒は白石をそのまま取り上げることができます。 1 2 3 (5) 地中の死に石 ・以下の形では、黒石は完全な活き石、白石は真性死に石です(1)。 ・なぜなら、黒から白石を取りに行くには1、3と打つことになりますが(2)、この際に打った1、3の黒石は全体の完全な活き石の一部になりますので 相手方からこれらの石を取りに行くことはできません。したがって白石は、黒から形式的死に石を増加させることなく取りに行くことができる石ですから 真性死に石だということになります。よってこの白石は規約10条1によってそのまま取り上げてよいことになります。 1 2 3 (6) 長生 ・以下の形では、黒石は真性死に石、白石は偽性死に石となります(1)。 ・まず黒から白四子を取りに行く(2)ことができるので、白石は形式的死に石です。逆に白からも五目にした後、(3)のようにナカデして黒石を取ることが可能です。 したがって双方ともに形式的死に石ですから、特則 ロ)が適用されて、外側の黒石が真性死に石、内側の白石が偽性死に石と解されます。 1 2 3 (7) 特殊ゼキ2(セキ) ・以下の形では、隅の黒三子は完全な活き石、辺の黒三子はそれぞれ偽性死に石、白石はそれぞれ偽性死に石となります(1)。 ・白から隅の黒三子を取りに行くことはできず、辺の黒三子を取りに行くとかえって自分が死んでしまいます(2)。黒からは白の一方の七子を取りに行くことはできますが、 そうするともう片方の白七子が完全に活きてしまいます(3)。これはつまり、辺の黒三子は元々偽性死に石だったのが、白の一方の七子を取りに行くことによって 真性死に石に変化したということです。したがって白の七子はいずれも、黒から自分の偽性死に石を真性死に石に変化させなければ取りに行けない石であるわけですから、 偽性死に石だということになります。 ・黒も白もすべて活き石扱いとなり、お互いにダメを詰められない形ですので、このまま終局すればセキとなります。 1 2 3 3.新たに導入された形 ・この修正理論では、従来の理論ではどう処理すればよいかが不明だった形に決着を付けるために2つの新しい概念の導入を試みています。 死に石同士の攻め合いは従来の理論では決着を付けることができません。どちらも死に石なのだからと言って両方共に取り上げるわけにもいかず、だからといって セキは活き石同士の関係として定義されているため、死に石同士の関係をセキにすることも出来ません。むろんこれは理論のための議論のようなもので、 実際の対局上はめったに問題になることはなさそうだとはいえ、理論的に空隙が残されているというのも問題ではないかと思うわけです。 修正理論では、死に石同士の攻め合いの形でどちらかが優勢な形ゆえに勝敗をつける場合(死に石なのに勝って活きる場合)と、形からみて二つの死に石が互角なため、 セキに準ずる形と解される場合との二つの形を定義しています。 (1) 死に勝ち ・下図が死に勝ちのケースです。言わずと知れた三コウの形ですが、これが(疑問点のページで触れたように)終局時まで残ってしまった場合の処理は、従来の理論では 不明でした。なぜなら、規約に従うかぎり三コウの形は黒から打っても白から打っても互いの石を取ることができる形なので、どちらも死に石なわけです。どちらも 死に石である場合は通常その部分は未解決であり、通常、対局者は対局の再開を行って何らかの着手を行い、その結果として少なくともどちらかの石が活き石となるまで 打たれることが期待されています。がしかし、下図の場合、同一局面反復による無勝負の可能性が残っているからと言って黒から白に対して手入れを要求した場合、 もし目算した結果、手入れをした場合には白が半目負けになるようなケースでは、どちらも手入れをめぐって合意が形成されず、理論的にもこの部分が何なのか 説明に困ることになるでしょう。 ・修正理論では、死に石同士であってもこの形のように攻め合いに関して対等ではない形の場合、相手の石を取り上げるのに要する手数が少ない方を勝ちとし、 活き石と見做すことにしました。上図の場合は、黒石を打ち上げるのに要する手数は1手、白石を打ち上げるのには5手を要するので、白石が有利な形ですから、 白の死に勝ちとします。この結果、白石は活き石として扱われますから、規約10条1に従ってそのまま黒石を取り上げることができます。 (2) 死にゼキ ・下図が死にゼキのケースです。双方眼なし三コウの形で、白黒双方からいつでも同一局面反復による無勝負に持ち込むことが出来る形ですが、白黒ともに自分が 勝っていると信じているようなケースでは、無勝負になることを嫌ってそのまま放置して終局してしまうこともあり得ます。 ・修正理論では、上図の形は死に石同士の対等な関係として死にゼキとします。つまりこの形が出来た場合には、負けている(と信じている)方がいつでも この部分に着手して同一局面反復による無勝負に持ち込むことが出来るわけです。そのような勝負を馬鹿馬鹿しいと思う対局者は局勢にかからわず 自分から無勝負にすればよいでしょう。 4. 死に石同士の攻め合い一般論 ・もともと規約の理論には死に石同士の攻め合いについての一般的理論があるようには見受けられません。前の節で見たように、死に石同士の攻め合いがそのまま残ってしまった場合、 そこを解決する規則はなく、そのような解決不能な状態を解消する必要があるともされていないのです。例えば下図のような形のまま終局した場合、この部分はどうすればいいのでしょう。 「そんなもの、白から対局再開を申し入れて黒が手入れして終わりじゃないか。」と一蹴されそうですが、それは手続きによる解決であって別の問題です。たとえば有名な下の活き石の 例でも、通常の対局では、この形のままで終局を迎えることはあり得ないのですから(このまま終われば黒地は5目、白から一手寄せコウを仕掛けて負けた図も5目、ということは白には 失うものが全く無い完全花見コウなわけですので、白は必ずどこかでコウを仕掛けます)。 たとえば下図における白二子とそれを囲む黒石の死活判定はどのようになされるべきなのでしょうか? 推測するに、規約はこのような図を”未解決”の状態と考え、未解決の状態で残された 部分については異議のある方が対局の再開(9条3)を経て実際に着手を行うことによって解決されるべきものと考えているように思われます。しかし前の節で見たように、双方ともが死に石の形であっても双方ともに打たないで放置する場合もあり得るのです。そういったことを考えれば、死活判定の議論は、何時どのような段階で盤上のある石について死活判定を求められても答えが出せる(あるいは答えが出せないという答えが出せる)のでなければならないはずです。 そこで前節で導入した「死に勝ち」「死にゼキ」という類型を一般化して、死に石同士あるいは未解決な石同士の死活判定一般を以下のように考えてみるとどうでしょう。 ・死に石同士の攻め合いは(そのまま終局した場合には)、打ち上げまでの手数に関して優劣が明らかな場合は、手数が有利な方の活き、不利な方の死にとし、互角の場合はセキとする。 ・死に石が相手の死に石によって包囲されている場合には内側の石が活き、外側の石が死にとする。 ・活き死にが判然としない石同士の攻め合いはセキ。 ・活き死にが判然としない石が同様の石によって包囲されている場合には外側の石が活き、内側の石が死に。
https://w.atwiki.jp/oyuqwg/
介護職員初任者研修で人生再構築 医療もそうですよね。高齢化の社会になってきていて、いろいろな面でお手伝いが必要なお年寄りが増えてきていると思うんです。 介護のお仕事ってこれからスゴく需要が伸びると思うんですよね。 今現在、介護職員初任者研修の資格を取ろうと思っているところです。 今まで介護の仕事ってちょっと縁が遠いものだったんですが、友人のおばあちゃんが痴呆症の悪化で介護が必要になったことでちょっと身近に介護という仕事が感じられてきました。 民間団体が行っているスクールや、通信講座等いろいろな方法で学習する手段はあるみたいですが、基本的に最後に筆記試験があってそれに合格しない事には資格はもらえません。 介護職員初任者研修のブログ介護職員初任者研修って?これから役に立つ介護職員初任者研修
https://w.atwiki.jp/katow30it/pages/15.html
Aptana Studio のプロジェクトを再構築 なんとなく自動的にやってくれてるような気もするが、一応メモ。 Aptanaではscript/generate などはウィンドウから実行できるが、何か調子が悪いときに他の環境にてスクリプトを実行してみたいときがある。 プラグインのダウンロードとか。 その場合、その後でIDE経由でせっかく管理していたProjectの保持する情報(.metadata内)と矛盾しておかしな動きになる(ような気がする、自動解決している気もする)。 これを強制的に解決する手段として、メニューの「Project→Rebuild Project」があるのだと。思う。
https://w.atwiki.jp/kubo-zemi/pages/2040.html
トップページ 新聞論評 新聞論評 2010 新聞論評 20100926 this Page {2010年9月26日 締 切 新聞論評 学籍番号 200814080 氏名 柏成昭} 1.新聞情報 見出し テレビ特需、店舗も再構築 新聞名 日本経済新聞 朝刊 発行日 2011年9月22日 面;15面 2.要約 家電量販店、コジマの業績が回復基調だ。2011年4~6月期の連結経常利益は26億円と前年同期の12倍以上に拡大した。もっとも7月末の地上デジタル放送以降に向けたテレビ需要の反動減が8月から鮮明になっており、復活には一段の収益向上策が求められる。(117文字) 3.論評 家電量販店・コジマは業績の回復が順調にある。テレビが地上デジタル放送に移行するため、直前の4~6月の販売が大幅に伸びた。コジマは過去、2000年に施行された法律による規制が厳しくなったことに伴い、積極的に大型店を出店するようになった。しかし、小型店が大量に出したことによる負荷により販売が減少し、2002年にヤマダ電機に販売トップの座を奪われた。最近もいくらかの不採算の小型店を閉鎖されている。しかし、小型店舗を大型店舗に入れ替わることにより経常利益率は2002年の6倍上昇したため、小型店の閉鎖をやめて店内改装を中心に力を入れるという。また、家電量販店の販売員は男性が多いが、冷蔵庫などの白物家電については女性のほうが売上高の伸びがいい傾向にある。そこで、白物家電において女性の販売員を増加させ、白物家電の売り上げを伸ばしている。しかし、家電量販店の武器は安さにある。仕入れ条件における購買力が勝負の分かれ目となる。(文字) 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/sare/pages/236.html
52 :名無しさんといつまでも一緒 [sage] :2008/02/26(火) 00 54 30 0 うちの嫁3年前に浮気発覚。 散々gdgdの後、捺印済みの離婚届を預かった上で 俺の両親同居(自営)で再構築開始。 Hは俺だけ満足すればOKで2.3ヶ月に1回程度。 普段は休みの日は一緒に出かけたり 長い休暇が取れれば旅行に行ったりもする。 会話はある。笑ったり、怒ったりも普通にある。 フラバは出た。かなり出た。 この手のスレを読んでたり、不倫系のドラマや映画見たりすると効果覿面w 手は出さないが、有責離婚確実なモラハラをしてる自覚がある。 最近フラバの頻度も減ってきたし 一緒に生活をしていく信頼感は戻ってきたような気はする。 子供もいないし何でこんなに結婚生活に執着してくるんだかわからんが 現時点では積極的に離婚しようとは思わなくなってきた。 もちろん離婚してくれと言われたら多少は迷うけどw 離婚すると思う。 こいつは裏切ることのできる人間だし 最終的には信用は出来ない女だと思ってるけど もう少し頑張ってみようと思いつつ日々過ごしている。 55 :名無しさんといつまでも一緒 [sage] :2008/02/26(火) 01 06 51 0 52 ガンガレ! もう一息ですよ。 58 :名無しさんといつまでも一緒 :2008/02/26(火) 01 21 10 0 一度浮気した女は必ずまた浮気するよ。 平気で嘘つけるんだから。 平気で不倫できるんだから。 59 :名無しさんといつまでも一緒 [sage] :2008/02/26(火) 01 24 17 0 男はどうだか知らないけど、女がシタの場合は寂しくなったらまた浮気するだろうね。 旦那からの愛情が感じられなくなった時とか。 ま、そうなったら捨てればいいだけの話だけど。 62 :52 [sage] :2008/02/26(火) 01 38 24 0 55 ありがとう。 でも 58や 59の言葉にもうなずける自分がいる。 特に 59 発覚した後の話し合いで嫁は 俺からの愛情はしっかり感じていたとぬかしやがったよw でも気の迷いで不倫しちゃったそうだwww 気の迷いで半年もW不倫するんですか、そうですか、キチガイですね 気持ち悪いんで離婚して下さいと言うしか無かったよwwwwww orz 95 :52 [sage] :2008/02/27(水) 01 04 29 0 昨夜レスした52です 案の定あの後眠れず朝になってから嫁に当ってしまった。 ここ半年で最大級のフラバだった。 おかげで3年ぶりに遅刻したよ。 "やっぱり我慢できないから離婚する! お前の事は何一つ信用できないし、信用できない自分も嫌だし、もうとにかく無理だ!" 最初は淡々と話してたつもりが、終いには結構な大声になってた。 嫁はごめんなさい、ごめんなさいと言って泣きながら ここのところあの事を言わないからいい気になってましたとか あなたに甘えすぎてましたとか謝りまくってた。 途中からあんまり覚えていない。 何やってんだろ俺 気が付いたら嫁に抱きついて俺も謝りながら泣いてた。 憎くなるときはあるし、ぶっ壊したくなるときもあるけど でもな嫁のこと好きなんだよ。 ずっと一緒にいたいんだよ。 俺親が俺のいないときにフォローは入れてるみたいだけど でもこのままじゃ、ホントに嫁が壊れるかもしれない。 俺も嫁もこの3年間でかなり普通じゃなくなってる。 さっき嫁が寝る前に話し合って、 一緒にカウンセリング行くことに決めたよ。 98 :名無しさんといつまでも一緒 [sage] :2008/02/27(水) 01 19 07 0 95 つらいね・・・あなたはこの3年間で普通じゃなくなったというがそんなことはない あなたはとっても普通だと思う 好きな嫁に裏切られて、許したいけど許せない、一緒にいたいけど信じられないってのはおかしくないよ それぐらい大変なことを嫁はしでかしたんだよね、簡単には戻れない、はっきりいえば元には戻れない 残る可能性は、リセットしてもう一回マイナスからスタートすることしかないのかもしれません カウンセリングがいい方向にあなたたちを導いてくれればいいですね 第三者に冷静に聞いてもらえば、落ち着いてきてなにかが見えてくるかもしれませんよ 99 :名無しさんといつまでも一緒 :2008/02/27(水) 01 27 00 0 95 つらいですね。でもちゃんと自分で答えを出せてるんですね。 ここに書き込むと、本当に心無い人から信じられないような書き込みがあったりしますが、 そんな書き込みは無視してくださいね。 102 :名無しさんといつまでも一緒 [sage] :2008/02/27(水) 01 44 59 0 98 99 ありがとう。 こんな大きなフラバはもう出ないと思ってたんだが・・・ 嫁の謝罪の仕方もかなり病的なものを感じたし・・・ ひょっとしてDV旦那と共依存嫁みたいな関係になっちまってんじゃないかとは ここのところ感じていたんだ。 でもな、もしそうだとしたら 俺のDV的な責めがなくなったら 共依存で結びついているかもしれない嫁は また俺から離れっちまうんじゃないかと 素人考えで悩んでいる部分があるんだ。 だからちゃんとカウンセリングを診けようと決めたんだよ。 きちんと第三者の専門家に頼った方がいいと思ったんだ。 俺も十分病んでるよなあw 103 :名無しさんといつまでも一緒 [sage] :2008/02/27(水) 01 46 18 0 102 発覚した時、相手の男にケジメはつけた? 104 :名無しさんといつまでも一緒 [sage] :2008/02/27(水) 01 46 46 0 ほんとに病んでたら、カウンセリングに行こうとは思わないと思うよ いい結果が出ればいいね 105 :名無しさんといつまでも一緒 [sage] :2008/02/27(水) 02 04 13 0 103 つけたよ。 弁護士通して請求1000万で結局400万。 相手の嫁さんからウチの嫁に200万(書士が入った)。 これは嫁の実家が全額出したよ。 俺の親と同居で再構築を始めようとしたときに その分は返そうとしたが固辞された。 嫁に、お前と俺の8年間は400万の値打ちしかないそうだよって 弁護士に払ったりして300万ちょっとになった残額を全部引き出してきて 顔に叩きつけてやったよ。 まあその後、回収して口座に入れなおしたんだけどなw まだ一銭も使ってないよ。 そういや実家から戻ってきて今の家に住み始めてから あいつ全然実家に帰ってないなあ・・・