約 424,041 件
https://w.atwiki.jp/autowiki/pages/13.html
アニメ作品 黒執事 シエル・ファントムハイブ(CV.坂本真綾) #05にて殺人現場の遺体を見て。 吐瀉物・吐瀉音はなし。 コードギアス反逆のルルーシュ ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア(CV.福山潤) #03にて兄殺害のフラッシュバックを起こして。 吐瀉物・吐瀉音はなし。 マクロスF 早乙女アルト(CV.中村悠一) 君と僕。 浅羽祐希(CV.木村良平) 香水やメイク用品の香りに酔ってしまい嘔吐。 となりの怪物くん 2話で食べ過ぎによる嘔吐。音声のみ。(CV. ) Free! 竜ヶ崎怜(CV.平川大輔) #05 合宿に向かう途中の船で船酔い。音声は「うぷ」程度。
https://w.atwiki.jp/gazounoup/
このサイトは、こーべしりついぶきだいちゅーがっこーさんねんせーの誰かが作ったアニメの歴史をまとめたサイトである。とゆーか、Wikipediaをこぴぺした。 1960年代 1960年 『新しい動画 3つのはなし』(NHK) アニメを主目的としてものとしては、恐らく日本初の国産アニメ番組(30分、放送回数1回)。実際は、3つの童話を基にした短編アニメ作品を、中村メイコのジョッキーや実写パートによってつなぐ構成。 1961年 『インスタントヒストリー』(CX、おとぎプロ制作、1961年5月8日~翌62年2月24日) 日本初の国産短編(1分間)連続TVアニメ。ただ、新聞のテレビ欄には読売が毎回載せ、朝日が数回載せた他は、毎日、日経は掲載しなかった。 手塚治虫が、練馬区富士見台に手塚治虫プロダクション動画部設立。 1962年 手塚治虫プロダクション動画部が、虫プロダクションとして正式に設立(1962年6月)。 タツノコプロダクション設立。 1963年 1月1日『鉄腕アトム』(鉄腕アトム (アニメ第1作))- 世界初の毎週放送の本格的テレビアニメ。テレビアニメの基本形態を作り、日本におけるテレビアニメシリーズの嚆矢とされている。1966年12月31日まで放送。全193話。一部カラー制作されたが、放送はモノクロ。 4月7日、『銀河少年隊』(虫プロダクション) NHKとしては、初の国産TVアニメシリーズ。ただし竹田人形座繰演の人形劇との組み合わせであった。 9月4日、『仙人部落』 フジテレビで放送された世界初の深夜アニメ。 10月20日、『鉄人28号』 世界初の巨大ロボットアニメ。 11月8日、『エイトマン』 テレビ局とスポンサー主体でタイアップ製作された最初のアニメ作品 11月25日、『狼少年ケン』 原作漫画を持たない、日本初のアニメオリジナルストーリーのアニメ。東映動画初のテレビアニメーションでもある。 1964年 東京ムービー設立(8月)。10月、杉並区東田町に移転。 1965年 『ドルフィン王子』(4月から全3話)、『ジャングル大帝』(10月から全53話)。 日本初のカラーテレビアニメシリーズ。ジャングル大帝は毎週放送の本格的フルカラーテレビアニメシリーズとしては世界初。放送開始時期はドルフィン王子が先行するが、全3話放送だった為、ジャングル大帝が日本でのカラーテレビアニメシリーズの創始とされる。 『宇宙人ピピ』 NHKで放送された日本初の実写合成TVアニメシリーズ。 『オバケのQ太郎』 当時のSFヒーローもの全盛の中で、社会現象と言われるほど成功したギャグアニメ。 1966年 『魔法使いサリー』 世界初の魔女っ子アニメ。少女物として初めての作品でもある。 『おそ松くん』放送開始。 1967年 『リボンの騎士』放映開始。 『パーマン』放映開始 1968年 『巨人の星』 「スポ根」という分野を確立したテレビシリーズ作品。放映は3年間にわたる。 東映動画から『太陽の王子ホルスの大冒険』公開。 『ゲゲゲの鬼太郎』放映。後にリメイクを繰り返し、21世紀まで続く。 1969年 『サザエさん』 日曜日の夕暮れの代名詞ともなった長寿作品。 『アタックNo.1』 女子向けスポ根アニメの草分け。 『ムーミン』 「世界名作シリーズ」の皮切りとなった作品。ただ企画段階で原作とはかなり雰囲気の違う作品になったため、作者のトーベ・ヤンソンが日本以外では放送しないと言う条件でアニメ化を認めた経緯がある。 1970年代 1970年 『あしたのジョー』放映開始(虫プロダクション) 1971年 『ルパン三世』テレビ放送開始(東京ムービー) 手塚賞(集英社)創設 『天才バカボン』テレビ放送開始(東京ムービー) 1972年 『科学忍者隊ガッチャマン』 タツノコプロを代表するヒーローアニメの一つ。 10月4日、『アストロガンガー』放送開始。巨大ロボットの中に人が入って戦うという作品の元祖。 12月3日、『マジンガーZ』放映開始。巨大ロボットアニメシリーズの始まり。 『ど根性ガエル』放送開始 有限会社サンライズスタジオ(現サンライズ)設立。 日本漫画家協会賞創設 1973年 『ドラえもん』 長寿作品となった第2作より前のアニメ化。だが、現在ほどの人気は得られず26話で打ち切られた。制作は日本テレビ動画。 1974年 カルピス劇場として『アルプスの少女ハイジ』放映開始。 『宇宙戦艦ヤマト』 テレビシリーズ放送。後にテレビシリーズを編集した劇場版が公開され一大流行を巻き起こす。 赤塚賞創設(集英社。1974年、手塚賞からギャグ漫画部門として独立) 1975年 1月5日、世界名作劇場シリーズが放送開始。第一作は『フランダースの犬』。 1月7日、『まんが日本昔ばなし』が放送開始。以後、1994年8月27日まで約20年に渡って放送された。 10月4日、『タイムボカン』が放送開始。タイムボカンシリーズの始まり。 1976年 『キャンディ・キャンディ』 少女向けアニメとして空前の大ヒット。 1977年 12月、月1話1時間という特異な形式のアニメ『野球狂の詩』が放送される。 『ジェッターマルス』 - 『鉄腕アトム』のリメイク版として企画されるも、手塚の状態などから断念。本作の要素を取り入れて作られロボットアニメ。アトムを死なすなとのファンの声が強かったため。設定や登場人物などは本作と瓜二つである。 講談社漫画賞創設 1978年 『さらば宇宙戦艦ヤマト-愛の戦士たち-』が公開、興行収入43億円、配給収入21億円という日本映画史上記録的な大成功を収める。 『アニメージュ』(徳間書店)創刊 1979年 毎年5月第1週の「マンガ番組」数、この年が(2005年時点で)史上最高の125本(再放送含む、ビデオリサーチ『視聴率年報』より)。 1978年に放映された『銀河鉄道999』が映画化され、配給収入16億円とアニメ作品としては初めて1979年度の邦画年間配給収入第一位を記録する。 『ドラえもん』テレビ朝日系列で新たに放送開始。現在も高い人気を誇る。 『ルパン三世 カリオストロの城』 宮崎駿のアニメ映画監督としての第一作。 『機動戦士ガンダム』 ガンダムシリーズの第一作。初回放送の視聴率は振るわなかったが、再放送を重ねるうちに人気は上がり、映画版が作られたことでその人気は爆発。以降、20年以上にわたってシリーズ化される。 1980年代 1980年 3月15日、劇場アニメ『ドラえもん のび太の恐竜』が公開される。 『鉄腕アトム』のカラー版が制作され、日本テレビ系で放送。 1981年 『Dr.スランプ アラレちゃん』が好調なスタートを切る。最高視聴率は36.9%と、社会現象を巻き起こした。香港では、最高視聴率80%を記録したTemplate 要出典。 『うる星やつら』 同人誌に於いていわゆるエロパロ本が大量に発行された恐らく最初の作品。 『六神合体ゴッドマーズ』 やおい本がそれまでの隠れた存在から、即売会等で一気に一般化する足がかりとなった作品。 1982年 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(第一期)が放送。「魔法少女もの」の様式を確立。 1983年 『ダロス』 日本初のOVA。制作:スタジオぴえろ。 『幻魔大戦』(角川アニメーション映画) 平井和正と石ノ森章太郎の原作がアニメ化。監督はりんたろう。なお、のち頭角を現す大友克洋もキャラクターデザインを担当している。 1984年 『北斗の拳』 「お前はもう死んでいる」など、数々のセリフが流行語になる。 宮崎駿監督の劇場作品『風の谷のナウシカ』が公開される。 『くりいむレモン』などに代表される、成人を対象したOVAアダルトアニメが発売され始める。 1985年 第一回広島国際アニメーションフェスティバル開催。 長谷川町子美術館東京世田谷区にオープン。 『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』 トランスフォーマーシリーズの第一作。 1986年 スタジオジブリの第一作となる劇場作品『天空の城ラピュタ』が封切られる。監督は宮崎駿。 大人気『Dr.スランプ』を自ら打ち切った鳥山明原作の待望アニメ『ドラゴンボール』がフジテレビで開始。 車田正美原作『聖闘士星矢』がテレビ朝日で放送開始。 装着もの というジャンルを築き、その後影響を受けた作品が登場する。 美内すずえ原作『ガラスの仮面』がテレビアニメ化され、日本テレビ系で放送開始。 『アトムキャット』 - 『鉄腕アトム』のリメイクを、との手塚の意気込みで作られたギャク漫画。アニメ化はされなかった。他に、その後のアトムを描いた続編の「新・鉄腕アトム」も雑誌に連載されたが、やはりアニメ化はされなかった。 1987年 5月 アニメ『うる星やつら』全話を収録したLD50枚組のソフトがキティレコードより発売。LD-BOXと呼ばれる商品形態の第1号。 香港で『天空の城ラピュタ』が公開され、その年に公開された外国映画の中では、興行成績2位にランクインした。また、香港の新聞では、「宮崎アニメは、ディズニーを超えた」と絶賛された。 少年愛漫画の金字塔、竹宮恵子原作の風と木の詩が、安彦良和監督の下でアニメ化 (VHS) された。原作は490万部売れたものの(文庫版など含めているかは不明)、興行的には余り振るわなかった。 1988年 『となりのトトロ』『火垂るの墓』 二本立てで上映される。興行的には不振だったが、ビデオ販売が好調で、国民的映画となる。 『それいけ!アンパンマン』 未就学児童に圧倒的な人気を博し、現在まで続く長寿番組に。 『ビデオ絵本』 当時としては異例の、1本980円の低価格ビデオソフトとして話題になり、年内に累計100万本を売り上げた。 大友克洋監督の劇場作品『AKIRA』公開。製作費に当時としては異例の10億円を投じた大作で、日本のみならずアメリカでも成功し、その後の日本アニメの海外進出の足がかりを作った。 OVAシリーズとして『機動警察パトレイバー』が始まり、多くの視聴者を獲得する。この作品の成功により、アニメをビデオのみで売るというOVAの手法が商売として成りたつことが証明されるとともに、それまでまちまちだったOVAの製作・販売形態も1本30分弱・価格は5,000円前後という形に収斂されていくこととなる。 1989年 宮崎駿監督の『魔女の宅急便』公開。配給収入22億円と『さらば宇宙戦艦ヤマト』の記録を抜いてアニメーション映画の歴代一位を記録する。 『ドラゴンボール』が『ドラゴンボールZ』として新スタート(原作は引き続きZは付かない) 浦沢直樹の『YAWARA!』放送開始。柔道ブームを巻き起こす。 1990年代 1990年 この年、「マンガ番組」の年間平均視聴率が1978年以後で史上最高の9.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。この記録は2009年現在まで破られていない。 『ちびまる子ちゃん』 アニメ本編とともに、B.B.クイーンズが歌うエンディングテーマ『おどるポンポコリン』も人気を博し、NHK紅白歌合戦でも歌われた。 『勇者エクスカイザー』 長期に渡る「勇者シリーズ」の始まり。 1991年 ケーブルテレビ局向けにアニメを中心とした子供向け番組の配信を行う「キッズステーション」が運営開始。 5月21日 アニメ版炎の転校生が世界初のオリジナルLDアニメーション (OLA) として発売される。 1992年 『美少女戦士セーラームーン』 美少女戦隊アニメが話題に。 宮崎駿監督の『紅の豚』公開。配給収入27億円と二作続けてアニメーション映画の歴代記録を更新する。 『クレヨンしんちゃん』 下品な内容が好ましくないとされ、子供に見せたくないアニメとして親世代からはたびたび槍玉に挙がるが、子供達からの人気は高く現在も続く長寿アニメとなる。 1993年 『忍たま乱太郎』放送開始。現在まで続く長寿アニメ。 1994年 ディズニー映画『ライオン・キング』(アメリカ)が大人気を博する。全世界で7億ドル、全米で3億ドルを越える興行収入を記録し、この時点で、全米興行成績ランキングで、『スター・ウォーズ エピソード4』、『E.T.』『ジュラシック・パーク』、『フォレスト・ガンプ』に次ぐ歴代5位となる(全世界では『ジュラシック・パーク』、『スターウォーズ』に次ぐ歴代3位)。 CNNの報道が火付け役になり、手塚治虫の『ジャングル大帝』からの盗作疑惑が世界的に取り沙汰されることになった。 手塚治虫記念館兵庫県宝塚市にオープン。 吉備川上ふれあい漫画美術館オープン 日本最大のアニメ関連企業の集積地、東京練馬区にアニメミュージアムの建設を目指し、NPO法人「アニメミュージアムの会」が設立される。 1995年 『新世紀エヴァンゲリオン』 哲学・学術用語の飛び交う難解なストーリーに、多くの若者が熱中し社会現象となる。 『トイ・ストーリー』(アメリカ) 劇場公開作品としての世界初のフルCG作品。興行的にも成功し、この年の最大の人気作となった。 押井守監督の映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』が公開される。日本での興行収入は振るわなかったが、後に海外では高い評価を受け、『マトリックス』などの作品に影響を与えた。 増田まんが美術館秋田県横手市にオープン 1996年 名探偵コナンが始まる。序盤はなかなか人気を得られなかったが、数年で高視聴率を記録。現在も放送中である。 ドラゴンボールGTが原作ドラゴンボール終了によりZ編が終了しアニメオリジナルとして始まる。 10月3日、『エルフを狩るモノたち』(テレビ東京) 日本初のオタク向け深夜アニメ。本放送以降、他局も深夜アニメを放送し始める。 デジタルCS放送「パーフェクTV!」(現 スカイパーフェクTV!)開始。 やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム高知県香北町にオープン。 『ビーストウォーズ 超生命体トランスフォーマー』(カナダ)シリーズでは初めて全編が3DCGで作られた作品。 1997年 この年から新作テレビアニメの本数が増加傾向を示す。それにほぼ呼応する形で萌えアニメが大量に製作され始めるようになる。 3月23日、世界名作劇場シリーズが放送終了。最終作は『家なき子レミ』。 4月1日、『ポケットモンスター』 コンピューターゲーム『ポケットモンスター』のアニメ化。 4月7日、当時すでにドラマ化で人気を得ていた『金田一少年の事件簿』 がスタート。高視聴率を記録する。 10月、東京メトロポリタンテレビジョンが史上初のUHFアニメとなる『わんころべえ』を制作。 12月16日、『ポケットモンスター』第38話「でんのうせんしポリゴン」の放送中に激しい点滅によるてんかん事件が発生し、視聴していた多数の児童が病院へ運ばれる。この事件以降、放送局や作品によってはアニメ作品のOP前やAパートの冒頭などに「テレビを観る時は部屋を明るくして離れて観て下さい」という注意書きが表示されるようになる。翌年4月まで同作は放送を休止。 『ゲゲゲの鬼太郎 4作目』の途中から、東映アニメーションは、富士写真フイルムがセル画の生産を停止したのを期に、本作品以後彩色などの作業を従来の手作業からコンピュータを用いたデジタルアニメ制作へ移行した。初めてデジタル制作をしたアニメ作品でもあり、以後、多くのプロダクションがデジタルへの移行を開始する。 宮崎駿監督の『もののけ姫』が配給収入113億円、興行収入193億円となり、1983年公開の『南極物語』を抜いて邦画収入記録を更新、日本映画歴代第一位となる。 アメリカ発のアニメ専門チャンネル「カートゥーンネットワーク」が日本のケーブルテレビ・CSで開局。日本初のアニメ専門チャンネルとなる。 テレビ東京が運営を行うアニメ専門チャンネル「アニメシアターX」がCS放送のディレクTVジャパンで開局。オタクに向けた独特の番組編成や高額な視聴料金で他局との差別化を図る。 朝日新聞が手塚治虫文化賞を創設。 文化庁メディア芸術祭(アニメーション部門など4部門)が東京都写真美術館でスタート。 広島市立まんが図書館オープン。 1998年 UHFアニメ、WOWOWアニメノンスクランブル枠と、新しいアニメ放送枠が本格的に開拓された。 日本のアニメ専門チャンネル「アニマックス」がケーブルテレビ・CSで開局。出資には大手スタジオが関わる。 4月24日、『ロストユニバース』第4話「ヤシガニ屠る」放送。低質な作画が問題になる。 『同級生2』がTV放映。アダルトゲーム原作ものとしては初。 長井勝一漫画美術館宮城県塩竈市にオープン。 1999年 3月20日、『ガンドレス』が劇場用アニメとして未完成のまま公開されてしまう。 4月1日、『ベターマン』がビスタサイズで放送開始。本作以降、アニメや『仮面ライダークウガ』などの特撮でビスタサイズが採用されるようになる。 10月18日、『ワイルドアームズ トワイライトヴェノム』が放送される。次回予告の際、次回分のスタッフ名が表示される稀有なアニメ。 東京武蔵野市が吉祥寺アニメワンダーランドの開催を始める。 KYOTO手塚治虫ワールドがJR京都駅(京都市下京区)にオープン。 現代マンガ資料館 大阪市にオープン。 ちびまる子ちゃんワールド 静岡市にオープン。 2000年代 2000年 『鋼鉄天使くるみ』が世界初の8cm DVDシングルアニメとして発売される。 4月26日、『NieA_7』がWOWOWノンスクランブル枠で放送される。放送後はその回が公式サイトで無料配信されるという、日本初のインターネット再放送を行った。 妖怪神社/むじゃら(水木しげる)鳥取県境港市にオープン。 倉敷いがらしゆみこ美術館岡山県倉敷市にオープン。 石ノ森章太郎ふるさと記念館宮城県中田町(現在の登米市)にオープン。 『はじめの一歩』 深夜アニメとしては異例の視聴率4.5%(平均)を獲得する。 2001年 10月6日、『Sci-Fi HARRY』が日韓同時放映される。 『I-wish you were here-』がネット専用ストーリーアニメとして日本で初めてストリーミング方式で放送される。 宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が興行収入300億円を記録し、歴代邦画収入記録を二作続けて更新。 『フィギュア17 つばさ ヒカル』の放映開始。1977年の『野球狂の詩』以来久しくなかった月1回1時間枠となる。 石ノ森萬画館宮城県石巻市にオープン。 三鷹の森ジブリ美術館(正式名称は三鷹市立アニメーション美術館)オープン。美術館の管理運営は財団法人『徳間記念アニメーション文化財団』 三鷹の森アニメフェスタ第一回開催。 東京杉並区で、アニメーションフェスティバルin杉並第一回開催。 練馬アニメーションフェスティバルin大泉第一回開催。 2002年 10月、『キディ・グレイド』が放送される。アイキャッチを何人かの著名な漫画家や絵描きが担当するという手法が取られる。 この手法は『うた∽かた』、『月詠』、『ぱにぽにだっしゅ!』などに受け継がれた。 2001年度からアカデミー賞に長編アニメーション部門が新設される。最初の受賞作となったのは、『シュレック』(アメリカ)。 第一回目の東京国際アニメフェアを東京ビッグサイトで開催。 日本動画協会設立。経済産業省の呼び掛けによるもので、アニメ制作会社36社が正会員、18社が準会員。 横山隆一記念まんが館高知市にオープン。 デジタルへの移行は以前から進んでいたが、まだ大半のアニメでセル画を使用していた。しかし、この年は転機となり、おじゃる丸、忍たま乱太郎(NHK教育テレビ)、名探偵コナン(よみうりテレビ)・ドラえもん、クレヨンしんちゃん(テレビ朝日)・ポケットモンスター(テレビ東京)など多くのアニメが一気にセル画からデジタル制作へ移行。翌年2003年以降に制作される多くのアニメがはじめからデジタル制作になっていった。 新海誠の個人製作アニメ『ほしのこえ』が話題になる。 2003年 アメリカで2002年に劇場公開された宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」がアカデミー賞・長編アニメーション部門賞を受賞。 『ファインディング・ニモ』(アメリカ)が世界的に大成功。全米興行収入は3億ドル、世界興行収入は8億ドルを越え、アメリカ、全世界とも、従来アニメ映画で第一位だった『ライオン・キング』(アメリカ)を抜き、総合としても、この時点で興行成績ランキングのいずれも歴代上位10位に入る。アカデミー賞・長編アニメーション部門を受賞。 『アストロボーイ・鉄腕アトム』フジテレビ系にて、リメイク放送。 東映アニメーションギャラリーが大泉スタジオ内(練馬区東大泉)にオープン。主に東映作品を展示・紹介。 水木しげる記念館鳥取県境港市にオープン(妖怪楽園隣接)。 青梅赤塚不二夫会館東京青梅市にオープン。 2004年 ドリームワークスの劇場作品『シュレック2』(アメリカ)が、前年公開の『ファインディング・ニモ』(アメリカ)を越え、アニメ映画歴代第一位となる興行成績を挙げる(この時点で世界歴代7位、全米歴代3位)。しかし、アカデミー賞は『Mr.インクレディブル』に奪われ、シリーズ2作連続での受賞はならず。 日本では、押井守(『イノセンス』)、大友克洋(『スチームボーイ』)、宮崎駿(『ハウルの動く城』)といった、アニメ界の巨匠が相次いで劇場作品を発表したが、『ハウルの動く城』以外は興行的に振るわず、成功を収めた『ハウルの動く城』にしても最終的な興行成績は同監督の前作『千と千尋の神隠し』には届かず、やや肩透かしとなった格好。また、『APPLESEED』は公開前から続篇製作の決定がなされるなど話題が多い年であったが、『アップルシード』シリーズの続篇製作は当時の発表より大幅に遅れている。 練馬アニメーション協議会(前身「アニメミュージアムの会」)が、虫プロや東映アニメーションなど、練馬区内の約50の事業所で設立され、練馬区のアニメ振興を計っている。 『月詠 -MOON PHASE-』における独特な演出が話題に。同作品の監督・新房昭之がインターネット上で注目され始める。 2005年 フジテレビのノイタミナ枠が開始される。一般女性向け深夜アニメという新たな分野が開拓された。 アニメ『ドラえもん』のレギュラー声優陣が交代。ドラえもん役は大山のぶ代から水田わさびに。 「カオスアニメの金字塔」とも称される、新房昭之監督作品『ぱにぽにだっしゅ』放映。奇抜な色彩や、『月詠―』以上に独特な作画や演出が話題に。 東京杉並区にアニメーションミュージアム竣工。 吉祥寺アニメワンダーランドの目玉企画の一つ、吉祥寺アニメ映画祭第一回開催。 秋葉原UDXの東京アニメセンターなどで、東京国際映画祭との共催企画として、アニメを上映したり、声優のイベントなどを行う『秋葉原エンタまつり』がスタート。 2006年 『ゲド戦記』公開。 『ブレイブ ストーリー』公開。 秋葉原UDXに、日本のアニメを内外に発信する情報拠点、東京アニメーションセンター開設。 練馬アニメーション協議会がフランスのアニメ企業との交流事業で渡仏。 広島アニメーションセンター事業本部、期間限定開催(新同センター建設構想あり)。 京都国際マンガミュージアム京都市にオープン。 『時をかける少女』公開、最初東京都内一館のみでの放映だったが、ネット、口コミでの話題を集め、全国でのロングラン興行となった。 『涼宮ハルヒの憂鬱』がネットを利用した独特の宣伝スタイル、放映順をばらした話、エンディングアニメでのキャラクターのリアルなダンスなどで話題となり、ヒット。 『NANA』(矢沢あい原作の漫画)が日テレ系でアニメ化。海外からも多くのオファーが入る。 『四谷怪談』(原作鶴屋南北)、『天守閣物語』(原作泉鏡花)などが、従来のアニメ制作者の枠を超え、「怪 ~ayakashi~ 製作委員会」という、ドラマやバラエティのプロデューサーらとのコラボチームで制作されフジテレビ系にて深夜に放送される。 2007年 日本アカデミー賞にアニメーション作品賞が新設される。『時をかける少女』が最優秀アニメーション作品賞を受賞。 『ゲゲゲの鬼太郎』が日本の最多リメイク記録を更新(5回目のアニメ化)。 世界名作劇場シリーズがBSフジで復活。復帰作は『レ・ミゼラブル 少女コゼット』。 2007年3月、フランスのアニメ関係者が練馬区を訪問するなどの交流事業がきっかけとなり、2007年6月11日からフランスのアヌシーで毎年開催されている世界で最も歴史が長いアヌシー国際アニメーション映画祭と同時に開かれているアヌシー国際アニメーション見本市に、練馬区のアニメ企業10社が出展した。アニメの販売や共同制作など具体的な事業交流を進めていくこととなった。 『らき☆すた』の独特なオープニング曲が話題となる。また、同作の舞台となった埼玉県の鷲宮町や幸手市でファン向けのイベントやグッズ販売などが行われ、「萌えアニメ」が町おこしに積極的に活用された珍しい事例となった。 京田辺警察官殺害事件をきっかけに『ひぐらしのなく頃に解』『School days』放映自粛騒動が発生。また、同時期に札幌での教頭児童買春事件をきっかけに『こどものじかん』を放映予定だった一部ネット局が急遽放映休止を決定する事態も発生した。 東京国際映画祭が、アニメ、漫画などの紹介や商談会、シンポジウムなどを催す国際コンテンツ・カーニバルに改称して、10月に開催予定。 『ゲゲゲの妖怪楽園』鳥取県境港市にオープン。 『アンパンマン子供ミュージアム』横浜市にオープン。 2008年 『ゲゲゲの鬼太郎』シリーズ放映40周年を記念し、『墓場鬼太郎』放映開始。 『河童のクゥと夏休み』が、アニメ作品では『千と千尋の神隠し』以来6年ぶり、ジブリ作品以外では初となるキネマ旬報ベスト・テンに選出。 『パッタポッタモン太』(東京キッズ制作、練馬区)。アメリカの映画制作会社の力添えもあり、世界のテレビ局への売り込みが成功し、2008年2月にベルギーでの放送が決まった他、スペイン、イタリア、ブラジルで話が進んでいる。 3月16日『ねりたんアニメプロジェクトin大泉』(旧練馬アニメーションフェスティバルin大泉)開催。松本零士が大泉学園駅の1日駅長就任。銀河鉄道999のキャラクタ車掌像を同駅に設置。 3月27日『東京国際アニメフェア2008』東京ビッグサイトで開催。特別企画として、宝塚市立手塚治虫記念館や三鷹の森ジブリ美術館など、全国43の漫画・アニメミュージアムの原画や絵コンテなどを展示。カナダ大使館、韓国文化コンテンツ振興院、米国企業、UAEからも参加。手塚治虫生誕80年、石ノ森章太郎生誕70年記念特別展示も。 4月24日 『なまくら刀』(幸内純一)の復元・上映。東京国立近代美術館フィルムセンターは、日本で劇場公開されたアニメ映画としては現存するものでは最古とされる『なまくら刀』のフィルムをデジタル技術で復元。同時に発見された「浦島太郎」などとともに『発掘された映画たち2008』で一般公開。 6月 加藤久仁生監督の「つみきのいえ」がアニメ界最高の権威、アヌシー国際アニメ映画祭で、クリスタル賞(グランプリ)、短編部門若手審査員賞を併せて受賞。その他同作品は2008年中に、第12回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞や、イタリアのミラノ映画祭2008のフォーカス・オン・アニメーション・アワードなど、国内外12の映画祭で19の賞を獲得したその他2008年に受賞した主な映画賞・第8回飛騨国際メルヘンアニメ映像祭(第7回メルヘンアニメコンテスト)2008.11.30-12.13最優秀作品賞受賞,子どもメルヘン賞受賞[1] 『崖の上のポニョ』、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』公開。 2009年 加藤久仁生監督の「つみきのいえ」が、第81回米アカデミー賞(現地時間2月22日、日本時間同23日)の短編アニメ賞を受賞した。
https://w.atwiki.jp/smoksan/pages/826.html
残像 使用者:霧隠、初鳥? 分類:ドリブル技 初登場:16話 残像を出現させる 残像で相手を惑わし、その間に突破 「フッ、それは残像だ!」 伊賀島流忍法の一つ。 初鳥も同じような技を使っていたがテロップが出ていなかった。 これも影山のせい。 【関連】 伊賀島流忍法
https://w.atwiki.jp/disciple50/pages/201.html
【概要】 残像(ざんぞう)とは、気の運用を利用した技の一つ。「気当たりによるフェイント」とも呼ばれる。 気の爆発と実際の動きをずらす事で、相手に自分の位置を誤認させる、特A級の達人級の特色とも言える高等技術。 この技が昇華されると分身となる。 分身との違いは、生み出される残像が一つであることと、残像が一切動かない点にある。 基本的に、残像を狙った敵を後ろから急襲するという戦法に使われる。 だが、シルクァッド・ジュナザードは若い頃にはよく使ったと、この技を若輩の技として見下しており、実力の極まった達人にとっては、もはや不要な技術である事が示唆されている。 登場話 26巻、39巻、47巻、50巻 武術 気の運用 使用者 櫛灘 美雲、本郷 晶、その他多数 コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/animekininaru/pages/24.html
好きなアニメを投票してください。 リストに無ければ追加をお願いします。 順位 選択肢 得票数 得票率 投票 1 花咲くいろは 2 (15%) 2 Aチャンネル 1 (8%) 3 STEINS;GATE 1 (8%) 4 まりあ†ほりっく あらいぶ 1 (8%) 5 アスタロッテのおもちゃ! 1 (8%) 6 境界線上のホライゾン 1 (8%) 7 妹さえいればいい。 1 (8%) 8 日常 1 (8%) 9 神のみぞ知るセカイ 第2シーズン 1 (8%) 10 聖痕のクェイサーII 1 (8%) 11 逆境無頼カイジ 破戒録篇 1 (8%) 12 青の祓魔師(エクソシスト) 1 (8%) その他 投票総数 13
https://w.atwiki.jp/anipicbook/pages/2352.html
アニメグッズ アニメ四季別一覧 アニメDVD Blu-ray一覧 アニメ・ゲーム音楽一覧 ゲーム一覧 書籍一覧 フィギュア・ねんどろいど一覧 その他一覧 アニメ四季別一覧 2013年 夏アニメ タイトル一覧 2013年 春アニメ タイトル一覧 2013年 冬アニメ タイトル一覧 2012年 秋アニメ タイトル一覧 2012年 夏アニメ タイトル一覧 2012年 春アニメ タイトル一覧 2012年 冬アニメ タイトル一覧
https://w.atwiki.jp/aniken/pages/277.html
この年表は管理人のただの趣味によって編纂されています。 細かい所はほとんどWikipediaソースなうえ、かなり偏ってるので信用しすぎないように。 機材の開発とアニメ・映画黎明史 余談1~世界最古のアニメ 三社による日本最初のアニメ制作競争 ディズニーのアニメ制作 余談2~実際の当時のアニメ セルアニメと近代日本アニメの始まり 余談3~大塚康生の話 アニメという語 手塚プロの倒産 おたくの発生とおたくによるアニメ制作~ガイナックス設立から「新世紀エヴァンゲリオン」まで あとデジタルアニメとか 余談4~ロボットアニメの歴史 スーパーロボットとリアルロボット 余談5~90年代後半から2000年代以降 機材の開発とアニメ・映画黎明史 年 概要 功罪・解説など 200年以前 幻灯機ファンタスコープ(fantascope)が発明される。当時はガラスに描いた絵を投影するもの。中国の文献が最古と言われる。 1824年 ロンドン大学での生理学者ピーター・マーク・ロジェ(Peter Mark Roget)が「動体に関する残像(Persistence of Vision with Regard to Moving Objects)」を出版 残像の発見 1825年 イギリス人医師ジョン・A・パリス(John A. Paris)が「ソーマトロープ(thaumatrope)」を発明、回転する紙の表裏に描いた絵を、残像によって合成することに成功 二枚の絵の合成 1832年 ベルギーの学者ジョゼフ・プラトー(Joseph Plateau)が光学玩具の元祖フェナキスティスコープ(phenakistiscope)を販売。円盤に切れ目が入っており、鏡を使って見る。 「動く絵」が完成 1834年 イギリス人のウィリアム・ホーナー(William Horner)がゾートロープ(zoetrope)発明。切れ目の入った筒の内側に絵が描いてあるもの。 オールインワンのアニメーション映写機 1852年 これらの玩具に写真が用いられ始める 実写映画の可能性発現 1862年 アメリカの発明家コールマン・セラーズ(Coleman Sellers)がキネマトスコープ(kinematoscope)を発明 鏡(スクリーン)に映し出すアニメーション 1868年9月 ジョン・バーンズ・リネット(John Barnes Linnet)により「フリップブック」(パラパラマンガを印刷したもの)販売 パラパラマンガの発明? 1877年 フランスのチャールズ・エミール・レノー(Charles-Émile Reynaud)がプラキシノスコープ(Praxinoscope)の特許取得。 ゾートロープの改良型。回転軸が鏡で覆われ、像が明るく歪みが小さい。 この辺からカオスで何が真実かわからない。どうやらコマ撮りを発明したとする主張も山ほどあるらしい 1888年頃 テアトル・オプティーク(Théâtre Optique)発明。10月同氏監督「一杯のビール(Un bon bock)」試写。89年1月14日特許取得。92年10月28日上映 長編映像制作が可能に 世界初の手描きアニメ映画 1891年 エジソンがキネトグラフ(Kinetograph,撮影機)とキネトスコープ(Kinetoscope,映写機)、を発明 カメラとそれを見る機械。覗き込んで見る 1892年2月12日 フランスの発明家レオン・ボウリー(Leon Bowrey)がシネマトグラフ(cinématographe)を発明。翌年リュミエール兄弟(オーギュストAuguste Marie Louis とルイLouis Jean )が特許買収。(ただし概念化し特許を出したのはリュミエールだとする説もある) カメラ+映写機 同年 チェールズ・エミル・レナウド監督(Charles Emile Renaud)「Pauvre Pierrot」公開。 世界最古の絵で作られたアニメ映画 1895年 ルイ・リュミエール監督「工場の出口(La Sortie des usines Lumière)」公開 世界初のスクリーン映画 1902年 メリエスの「月世界旅行」において、ストップモーションが使用される 1906年 ジェームズ・スチュアート・ブラックトン(James Stuart Blackton)「愉快な百面相(Humorous Phases of Funny Faces」撮影 黒板とチョークを使ったコマ撮り実写映画 1907年 同監督「幽霊ホテル(The Haunted Hotel)」撮影 幽霊屋敷の怪奇現象をトリックにより再現 実写 1908年 エミール・コール監督「ファンタスマゴリー(Fantasmagorie)」公開。白い紙に黒インクで描かれ、ネガフィルムのまま黒地に白い線のアニメ 世界初の手描きアニメ映画と言われている 1911年4月8日 ウィンザー・マッケイ(Winsor McCay)監督「動くのを見て(watch me move)」に同氏のマンガキャラ出演(身内のみの上映) カラーのマンガ原作アニメ 1914年 アール・ハードがセル画によるアニメーション技術が特許申請される セルアニメの発明 1910年代前後 この時点では背景を印刷した紙にペン描きのアニメが主流。アルゼンチンやドイツなどで人形アニメが盛んに作られる 余談1~世界最古のアニメ イランで発見された世界最古のアニメ - GIGAZINE CHTHO's Cultural Blunder and Documentary Production on World’s Oldest Animation 1970年代にイタリアの考古学者によって発見されたおよそ5200年前のボールの記事。 実際に動かして見る事はできないけど、動きを断続的に描いた物としては最古らしい。 三社による日本最初のアニメ制作競争 1915年 映画会社の日活向島撮影所が洋画家の北山清太郎を迎え入れ、アニメ映画の研究を開始 日本アニメの始まり 1916年 天然色活動写真株式会社(天活)が漫画家の下川凹夫を迎え入れ研究を開始 競争の開始 1916年 日本最初のアニメ制作を目指していた映画監督の小林喜三郎(小林商会)が画家の幸内純一を東京パック社から引き抜き、映画製作会社の小林商会に入社。アニメ制作を依頼 1917年1月 洋画家の北山清太郎、漫画家の幸内純一らによる「芋川椋三玄関番之巻」公開 日本初のアニメ映画 同年5月 日活の『猿蟹合戦』公開 日本で二番目のアニメ映画 同年 幸内純一らによる「なまくら刀」完成、6月30日に『塙凹内名刀之巻』と改題されて公開 日本で三番目のアニメ映画 ディズニーのアニメ制作 1920年 ウォルト・ディズニー、19歳で初のアニメ作品「ニューマン劇場のお笑い漫画」を手がける ディズニー初作品 同時期 漫画の国のアリスシリーズ(The Alice Comedies)、オズワルドシリーズといった人気アニメを手がける。後に権利関係でモメたため、'23年に自前の製作会社ウォルト・ディズニー・プロダクション(後のウォルト・ディズニー・カンパニー)を設立 ディズニー発足 1923年 漫画の国のアリスシリーズを元にハリウッドでビジネスを開始 童話のアニメ化開始 1928年頃 フィリックス・ザ・キャットを模したキャラを用いて実写合成の短編を制作するが抗議を受け、別作品の企画を余儀なくされる。「フィリックスのノンストップ飛行」のパロディ、「プレーン・クレイジー(飛行機狂)」(どちらもサイレント作品)を制作する。このキャラクターが後のミッキーマウスとなる ミッキーの誕生 同年11月18日 ミッキー登場第三作「蒸気船ウィリー」(トーキー作品、サウンドトラック方式を採用した世界初作品)がヒット。 後に手塚治などに影響を与える。 余談2~実際の当時のアニメ www.new-akiba.com/archives/2007/03/youtube_96.html この当時のアニメ作品がYouTubeで紹介されているとの記事 ※記事中には戦前と書かれているが、実際には戦中 セルアニメと近代日本アニメの始まり 1930年前後 セルアニメが使われ始める。それまでは切り絵アニメが主流。 セルアニメの始まり 1948年 日本動画株式会社設立。52年に日動映画株式会社と商号変更 1950年代 ディズニー作品のヒットを受け、東映が日動映画株式会社を社員ごと買収し、映動画株式会社を設立。 後の東映アニメーション 1953年8月28日 テレビ放送開始。 以降 時期は不明だが、アニメーションを含んだCMなどがたびたび放映された。 後のエイケンのTCJや漫画家の横山隆一の「おとぎプロ」が制作に携わっている。 1957年 東映大泉撮影所内へのスタジオ移転を機に、長編アニメーション制作の体制が整う。 1958年10月以前 東映、香港映画のプロデューサー(葉国盛?)と協同出資で、日本とアジア全体に通用するようなフルカラー劇場用長編アニメーション映画を企画するも、後に消滅 1958年10月22日 大川博らが「白蛇伝」を制作、公開。主要スタッフは赤川次郎の実父である教育映画部の赤川孝一、キャラクター原案と美術を担当する岡部一彦、NHK技研出身で美術担当の橋本潔、演出担当の藪下泰司など。 東映初作品、大塚康生によると世代交代の基点となった作品 同時期 各方面からスタッフを増やし、旧日動映画スタッフ指導の下、手慣らしとして『こねこのらくがき』など短編作品を制作。東映動画第一期生の中には大塚康生、楠部大吉郎ら。 以降 長編作品を制作しつつ、体制を整える。宮崎駿なども参加している 1959年 「ポパイ」放映開始 海外制作だが、日本で放映されたアニメ番組としては初? 1960年1月15日 NHK「3つのお話」を放映(一回のみ) 中村メイコのトークや実写を交えた童話のアニメ化。国産アニメ番組としてはおそらく日本初。 1961年4月3日 「みんなのうた」放映開始 アートアニメ系の作品ではあるが、毎週5分放映という形態は日本初。 1961年5月8日 おとぎプロ制作「インスタント・ヒストリー」放映開始 毎週3分(OPEDなどを計算すると実質1分)という形態だった。短編だが、ストーリーのある連続アニメとしては日本初。 1961年6月 手塚治が手塚プロダクション(手塚治虫プロダクション動画部)設立 手塚治によるアニメ制作会社 同年11月 手塚プロ第1作である短編アニメーション映画「ある街角の物語」及び「鉄腕アトム」第1話を公開。 1962年10月19日 漫画家の吉田竜夫がマネージャーであり弟でもある吉田健二らと竜の子プロダクションを設立。当時は氏の作品の漫画の版権やアシスタントの管理をするための会社だった 後に「タツノコプロ」として70年代を代表するアニメ制作会社となる 1963年1月 連続テレビアニメシリーズ「鉄腕アトム」放映開始。 毎週30分・漫画原作という形態では日本初。アートアニメ系作品の「みんなのうた」シリーズもそれと同時期に放映を開始している。また、CMなどではアニメ技法がたびたび使用されていた。作品の質は(時代を考慮しても)酷いものだったし、アニメーターの給料の問題を先延ばしにして定着させてしまった罪等もあるものの、現在まで続くこの放送形態を確立し、アニメ業界の可能性を一気に広げた事は評価に値する。なお、この作品にの制作には後に「ガンダム」の監督として有名になる富野由悠季が携わったりもしている。 1964年 タツノコプロへ東映動画からテレビアニメ制作の企画が持ち込まれる。アシスタントの原征太郎と吉田兄弟の友人の漫画家笹川ひろしが東映動画で3ヶ月のアニメーター養成研修を受けるが、著作権問題で制作開始直前に中止。 1965年5月8日 タツノコプロ、「宇宙エース」放映開始 タツノコ初作品 同年10月6日 手塚プロ、「ジャングル大帝」放映開始 毎週30分のカラー作品としては日本発 この頃 時折「アニメは漫画家やそのアシスタントが作っている」などと思っている人が居るが、この頃は漫画家が企画から編集まで深く関わっている事が珍しくなかった。(そもそも本数が少ないため、多いとも居えないが)現在ではアニメ専門の業界が確立し、そのような事は無くなったが、当時の漫画家がアニメ制作会社の重役になっているケースもある。 余談3~大塚康生の話 以下からの抜粋。 www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/ohtuka/ohtsuka-kouen1.html 当時の東映動画は東映映画からの影響が強く、大塚氏が鉄腕アトムを見た際、あっさり敵を倒してしまう演出が理解できなかったらしい。(東映的演出では、なんらかの苦難を乗り越えてようやく敵を倒す) タップは存在せず、紙の左下を基準に紙を揃えていた。(角合わせと呼ばれる) 東映京都撮影所に編集スタッフの宮本信太郎という人が居て、シナリオ~ラッシュ時にカットの是非を決定するなどの活躍をしていた。スタッフからは「御大」と呼ばれていた。 藪下泰司がディズニーでから「アニメーテッド・フイルム」という冊子を購入し、大塚氏が翻訳して教科書としてスタッフらに配布した。ひどく「ディズニー的」な内容だったが、アメリカ的でもあり、どんな人種でも分かるように懇切丁寧な解説だったらしい。 アニメという語 明治末期 海外から輸入された短編アニメが「凸坊新画帖」と訳される 恐らく最初の「animation」の訳語 時期不明 アニメが「漫画」「漫画映画」などと呼ばれはじめる。 時期不明 「線画」「繰画」という語が使われる 時期不明 アニメーターの政岡憲三がアニメの訳語として「動画」を提唱 アニメ業界に浸透。後にパソコン上の映像を表す語としても使われる 時期不明 テレビアニメが多く放映されるに従い、「テレビまんが」という語が使われるようになる。 1965年7月 映像制作者向けの専門雑誌『小型映画』7月号にて、「アニメ」という語が用いられる。6月号までは「アニメーション」と書かれていた 「アニメーション」「アニメ」という語が日本で使われた、最初期の例。 1968年 偕成社の絵本のシリーズ『名作アニメート絵話』発刊開始 一般に向けの本に「アニメ」の語が出現。ただし動詞形の「animate」 1969年 アニメーション映画『千夜一夜』公開。アニメとドラマの合成語「アニメラマ」という語が使われる。(本編に出たのではなく宣伝文句か?) 1975年 ポプラ社の絵本シリーズ『テレビ名作アニメ劇場』発刊 アニメという語が単体で書籍名となった、おそらく最初の例 同年6月3日 アニメ制作会社「日本アニメーション」設立 企業名に「アニメーション」 1978年5月26日 アニメ雑誌三強の一つ「アニメージュ」創刊 以降、「アニメ」と付くアニメ雑誌が相次いで発刊され、一般に「アニメ」という語が浸透する。1980年頃以降は「テレビまんが」「動画」はほとんど使われなくなった 1970年代 海外で日本アニメを表す「Japanimation」という語が使われ始める 1990年代 海外で「Anime」という語が使われるようになる。 日本アニメを表す語としても用いられる。「Japanimation」は「Jap(日本の蔑称)のAnimation」とも読めるため、日本好きのオタクは気を使って「Japanimation」を使わなくなってきている。 手塚プロの倒産 1970年代 人材難により人件費が高騰。テレビアニメ制作会社の乱立で競争激化。手塚プロ、経営悪化と労働争議・劇場用作品の失敗などから資金繰りが短期間に極端に悪化 1971年 手塚プロ、手塚原作作品の減少もあって、手塚が社長を退任。ただし、手形の保証などを手塚個人名義で行っていたため、手塚はその後残務処理にてんてこ舞い。 1973年8月22日 手塚プロ関連会社の虫プロ商事が倒産。この頃には相当経営状態が悪化していた。8月時点で9月以降の作品制作のめど立たず。 同年11月5日 手塚プロ、3億5千万円の負債を抱えて倒産。多くのスタッフは他のスタジオへ移籍。 おたくの発生とおたくによるアニメ制作~ガイナックス設立から「新世紀エヴァンゲリオン」まで あとデジタルアニメとか 慶応大学の学生も同時期に活躍したらしいけど、現在調査中 1950~60年代 黒澤明初監督作品が連続ヒット、映画監督としての名声を確立する 骨太のヒューマニズム・秀逸なストーリーテリングと革新的な視覚効果で、後の演出家に多大な影響を与えた。アクションシーンにおけるスローモーションや望遠ショットなどは黒澤が初出らしい。現在でもフォロワーを自称したり、オマージュに挑むアニメ・映画・ドラマ演出家が居る。 1954年 「ゴジラ」上映開始 特撮の黎明期。当時特撮は決して子供向けに限られたものではなく、合成技術の実験と商売形態の模索の繰り返しだったという。特撮のマニア・コレクターは後述のSF・アニメマニアらと、衝突を繰り返しつつもなんとなく一緒くたに扱われている。 1966年1月2日 「ウルトラQ」放映開始 ウルトラマンで有名な円谷プロのウルトラシリーズ(空想特撮シリーズ)の第一作。この頃には特撮は子供向けという意識が確立されていた。子供と同じ目線を意識したローアングル(エロ目的ではない)の多用や、一瞬何か分からない映像から徐々に主題へ変化する「実相寺カット」は現在でもよくオマージュされる。 1971年4月3日 「仮面ライダー」放映開始 1974年10月6日 「宇宙戦艦ヤマト」放映開始 日本でのSFブームの火付け役 1975年4月5日 「秘密戦隊ゴレンジャー」放映開始 1975年12月21日 第一回コミックマーケット開催 当時は「同人誌」という言葉は一般的でなく、「ファンジン(ファン+マガジン)」と呼ばれたんだとか。考察・批評本も多かったらしい。 1978年4月4日 「未来少年コナン」放映開始 宮崎駿監督作品 NHKのSFアニメ 1978年7月1日 「スターウォーズ」上映開始(米では'77年5月25日から、先行公開は6月24日) 海外でのSFブーム 1979年4月7日 「機動戦士ガンダム」放映。 「ヤマト」のマニア向け関連事業がヒットした事を受け、当初から中高生をターゲットに制作された。低視聴率を理由に放送枠を短縮され43話で打ち切られたが、打ち切り直後にガンプラなどのマニア向け商品で人気に火がつき、再放送の繰り返しで社会現象にまで発展した。この世代のオタクを「第一世代」と呼ぶとか呼ばないとか。また、後に「超時空要塞マクロス」で有名になる板野一郎が今作で動画・原画デビューを果たしている。 1979年12月15日 「劇場版ルパン三世 カリオストロの城」上映開始 宮崎駿監督作品 1980年5月8日 「伝説巨神イデオン」放映開始 「ガンダム」と同じ監督の作品。今でこそマイナーだが、当時はガンダム以上に熱狂的なファンがいた。板野一郎のこだわりにより、キャラクターが死ぬシーンでは徹底的な人間破壊描写が行われ、後述のおたく出身アニメーターにある種多大な影響とトラウマを与えている。 「おたく」という言葉は83年頃から蔑称として使われはじめた。 マニア達が自虐的に使い出す事によって差別的意味合いがほとんど失われたのは、インターネットが普及した2000年代に入ってからである。 今もこの時代を知る人達は「おたく」という言葉を「道徳を欠いたマニア」と解釈しているようで、現在も蔑称として使われる事が少なからずあるため、使いどころには気をつけたい。 1981年 第20回日本SF大会(愛称「DAICON3)開催。SFグッズ専門店「ゼネラルプロダクツ(ゼネプロ、アニメイトのようなグッズ専門店の前身)」の店長だった岡田斗司夫発案により、同店で働いていた大阪芸術大学の学生ら(DAICON FILM)がオープニングムービーを制作・公開。 オタクによる商業アニメ制作の可能性。「新世紀エヴァンゲリオン」監督・主要制作陣らも参加している。この時代の学生である事を考えるとクォリティはかなり高い。余談ながら、ゼネプロはフィギュア界のコミケ「ワンダーフェスティバル」の元主催でもある。 1982年 同メンバーにより第22回日本SF大会(愛称TOKON8)において、「愛國戰隊大日本」「帰ってきたウルトラマン」(DAICON版)「快傑のーてんき」をDAICON4の宣伝用プロモーション作品として公開。 アマチュア作品としてはかなり凝ったもので、SF作品だが、アニメ誌に記事が載り、後にパロディ元公認になり、パロディが作られ、この時代のオタク出身の演出家などに影響を与えるなどしている。 1983年頃 DAICON FILMメンバー、上京。「超時空要塞マクロス」や「風の谷のナウシカ」制作に研修を兼ねて参加。 同人からプロへ。そしてこの作品自体もSF・アニメファンを増やす要因となった。ちなみに、ナウシカは宮崎駿監督作品だが、ジブリはナウシカのスタッフが集まってできたものなので、正確に言えばナウシカはジブリ作品ではなく、テレコム制作である。ただし、版権は現在ジブリが持っている。DVDコメンタリによれば、ナウシカ参加はDAICON4後。 1983年 同メンバーによる第23回日本SF大会(愛称DAICON4)オープニングムービー制作・公開。後に様々なパロディに使用される。電車男のオープニングなどもこれ。 前回からかなりクォリティアップ。これは今のプロが見ても舌を巻く。 1984年秋 岡田斗司夫「リイクニの翼」企画、12月24日、制作にあたりDAICON FILM解散、同時にガイナックス設立 独立。ただし、当時はあくまでこの作品のための再集結であり、公開と同時に解散する予定「だった」。 1987年 ガイナックス、「リイクニの翼」改め「オネアミスの翼 〜王立宇宙軍」公開。 しかし商業的失敗により経営を続けざるを得なくなる。後にOVA作品「トップをねらえ!」を制作するも、制作費のかけすぎで借金増大。90年代からのパソコンゲーム進出でようやく借金解消するが、会社が成長しすぎて解散できなくなっていた(する気もなくなってたろうけど) 1992年夏 ゼネプロが海洋堂へワンフェスの権利を委譲した後、ガイナックスと合併 ゼネプロとの合流 同年 ガイナックス創設メンバー数人が退社と同時にゴンゾ設立。とはいえガイナと仲が悪い訳ではなさそう。 早くから3DCGを取り入れていたスタジオ。管理人の経験では、ネットでアンチをよく見るがオフラインではファンが多かったり、2008年度の決算では借金だらけだったのにパンツアニメで持ち直したり、CGを取り入れるのが早かった割にHD制作を取り入れるのが遅かったり、よく分からない会社である。 90年代中期 全国で仕上・撮影工程が徐々にパソコンで行われるようになる。 過去にも実験的にCGは取り入れられていたが、仕上以降をデジタル化する手法が急速に普及。2000年代にはほぼ完全にデジタルに移行。 1995年 ガイナックスとタツノコプロ、「新世紀エヴァンゲリオン」公開。ガンダム以来の社会現象を起こす。 子供向けでなく、この世代のおたくを「第三世代」と呼ぶとか呼ばないとか(第一はSF、第二はガンダム世代) また、この作品は複数社をスポンサーにつけ利益分配する「製作委員会」方式をTVシリーズ作品で普及させるきっかけとなっている(初ではない)。製作委員会方式には一長一短あり、短所をクローズアップした記事がネット上で話題になったこともあったが、長くなるので詳細は各々調べてください。また「プリキュア」が初めて製作委員会方式を採用したとする記事もあったけど、これも嘘。 余談4~ロボットアニメの歴史 スーパーロボットとリアルロボット 現在推敲不足により、後から読んで恥ずかしい以前に長すぎます! 商業アニメは商売をするのが絶対の目的である。 ロボットアニメの商売の基本と言えば、超合金フィギュアの販売であろう。 スポンサーに玩具会社をつけ、フィギュアの宣伝番組としてアニメを放送するのである。 玩具を売るためにありとあらゆるロボットがデザインされた。 合体し、変形し、新たな武器を手に入れ、必殺技を繰り出す・・・ 「トランスフォーマー」シリーズはその最たるものだろう。最近なら、「創聖のアクエリオン」「天元突破グレンラガン」等が合体を念頭に意識した作品である。 過去のあらゆるロボットは変形合体した。かのエヴァンゲリオンでさえ、「○○型装備」と称してパーツを組み替える予定だった。途中で零号機のカラーリングが変わったり、第拾話に登場する「D型装備」がその明確な名残である。なお、ゲーム版・フィギュアシリーズにおいては「F型装備」という重走行装備が重要な意味を持つらしい。 しかし、凶悪な敵とそれに対抗する正義の味方が存在しなければ、ストーリーが成り立たない。 その正義の味方こそが「スーパーロボット」。 スーパーロボットに現実性は特に求められない。20メートル以上の巨体を持ち、無駄に叫びながら必殺技を繰り出し、その内容はビーム兵器やバリアといった超科学的なものが多い。 また、スーパーロボットは特に子供向けの志向が強い。子供でも描ける様、デザインは簡略化され、曲線が多い。 マジンガーZや鉄人28号系の絵柄と言えば、アニメオタクでなくとも理解できよう。 そして、ロボットに異常なこだわりをもったオタク出身の制作者が、スーパーロボットに対抗する形で作ったのが「リアルロボット」。 「リアルロボット」とは、「機動戦士ガンダム」のように、ロボットを一つの兵器・道具として描いたものを言い、命名は「装甲騎兵ボトムズ」の監督とされる。 具体的な要素を出すなら、 自重で崩壊しない、20メートル以下の全高 ロボットは「道具」であり、それ自身がドラマの中心である必要は必ずしも無い 人型たる理由をはじめとする、通常兵器に対する戦略的優位性などの緻密な軍事・科学考証(「ご都合主義」の排除) 消耗部品の交換といった精密機器類の整備の描写 近未来、或いは現実のパラレルワールド的舞台 等等、とりわけ実在感のある演出を追求するものである。 ロボットなるものは、あくまで「システム」として描かれなければならない。 とりわけ、軍事警察任務等の特殊用途に用いられるロボットは、その設計思想を明確に設定し、開発、試作、量産、運用、保守、改良もすべての段階に渡る技術的問題を考慮しつつ、その集約的表現として描かれる必要がある。 現に戒めるべきは、思考停止的操縦者を英雄的に描くが如き、没技術論的演出であった -「ミニパト」より。 余談5~90年代後半から2000年代以降 実は管理人、親の意向で高校に入るまでほとんどテレビ番組を見ずに育ってしまったため、これ以前の時代から現在に至るまでのアニメの歴史をあまり詳しく知らない。 そのかしネット関係はかなり詳しいつもりなので、2ちゃんねる~ようつべ ~ニコニコに絡めて書いたら面白そうかなぁと。 良かったら誰か教えてくださいっ!
https://w.atwiki.jp/anison-rap/pages/381.html
【曲名】 デタラメな残像 【アーティスト】 GRANRODEO 【歌詞】 http //www.kasi-time.com/item-33025.html 【作詞】 谷山紀章 【作曲】 飯塚昌明 【編曲】 飯塚昌明 【作品】 ブラスレイター 【メディア】 TVアニメ 【テーマ】 OP主題歌 【初出】 2008年 【備考】
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/43455.html
登録日:2019/12/13 (金) 18 36 14 更新日:2024/07/01 Mon 05 46 42 所要時間:約 4 分で読めます ▽タグ一覧 あるある うたたねひろゆき おっぱい おっぱいテールランプ おっぱいブルンティア ぱいぱい アダルト エロ エロのある項目 シチュエーション シンクロニシティ スケベ ブルルルルルルルン! ブルルン! 乳輪 乳首 乳首残像 乳首残像拳 変 変(漫画) 変態項目 大友克洋 奥浩哉 巨乳 愛のある項目 残像 爆乳 胸 表現技法 乳首残像(ちくびざんぞう)とは、乳房が揺れることによって乳首に残像ができる現象を指す。 概要 「乳首残像拳」や「おっぱいテールランプ」などといった名称で呼ばれる事がある。 18禁漫画(エロ漫画)などの媒体では、非常にメジャーな表現技法として親しまれている。 乳首描写を解禁している一般漫画でも確認される事がある。というか、乳首残像のルーツは一般漫画にもある(後述)。 女性の胸を動かされる事で連動して動く乳首の軌道を残像させることで、「激しく揺れるおっぱい」を分かりやすく示せる。 動きがない漫画でも躍動感を出しやすいので、漫画内での女性による服の脱衣描写やセックス描写では頻繁に使われる。 現実では基本的に再現困難な現象であるため、一部の層には「架空世界特有のギャグ表現」として見る向きもある。 巨乳の女性ならそれっぽい見え方はできるが、AV監督の二村ヒトシ氏曰く「普通のセックスでやったら当たり前だが、巨乳の女性は傷付くのでやらないほうがいい」とのこと。 起源 実はエロ表現としては、明確な発祥が確認されている珍しい例。 乳首残像の創始者は、 奥浩哉 と うたたねひろゆき とされている(というか前者は本人が自負している)。 何故創始者が二人も両立しているのかと言うと、実は初披露された時期がほぼ同時期だったためである。 両者共に表現の発想に至った経緯は異なり、互いに交流はなかったので本当に偶然のタイミングだった。 ちなみに、後に両者ともに同じ雑誌で乳首残像についてのインタビューを受けている。 奥氏はデビュー作である『変』にて、うたたね氏は同人誌にてこの表現を漫画の世界に誕生させた。 そのため、正確に言えば「一般向けでの乳首残像の創始者」は奥氏で、「18禁での乳首残像の創始者」はうたたね氏と分類できる。 1980年代の時点で、漫画界では乳首作画が残像を作り出していたと考えると結構凄い話と言えるかもしれない。 奥氏やうたたね氏以前にも乳首残像を表現した漫画家がいる可能性は残されており、「彼らがデビューする以前の漫画作品で似た表現を見た」とする異論もある。 だが、現状は漫画家で「創始者は奥やうたたねではなく自分だ」として誰も手を挙げることはなく、表現した作品も明確に確認されていない。 まあ仮に他に創始者が確認されたとしても、表現として明確に確立されて普及したのは奥氏の手柄なのは確かである。 奥氏の乳首残像に関しては厳密には大友克洋の作品である『AKIRA』を起源とする説があり(後述)、これに関しては奥氏は肯定している。 ◇奥浩哉の発想 乳首残像の発想に至ったのは、奥氏が「漫画の中で胸が揺れている表現を見たことがない」と考え始めたのが切っ掛け。 氏は「どうやったら胸が重そうに動いてみるのか?」と考え、当初は胸が揺れる部分に一般的な同線を描く事も考えた。 しかし、それでは今までの漫画の表現でもあり得そうなパターンでしかなかった。 そこで「乳首のトーン部分を軌跡として動かす」という手法が、その場のノリで発明された。 描くに至ったのはその場のノリだが、以前から残像がライトのように残るというイメージ自体は脳内にあったが故の発明だった。 2019年にTwitterにて、『AKIRA』の残像表現を応用したとする大友氏のファンによる説を奥氏が「間違いない」と認めるやり取りがあった。 奥氏は大友氏の大ファンであるため、脳内にあったイメージはそのファン心理から残されていたのだろう。 奥氏の初の乳首残像の執筆は、締め切り間近だったことで突貫工事での作業となった。 それでも作画全体が突貫工事での作業となっている中でも、乳首残像だけは拘っていたと振り返っている。流石。 乳首残像が使われている創作物 エロ漫画ではかなり氾濫していて挙げるとキリがないので、ここでは一般向けの作品のみ記載する。 マンガ編 変 乳首残像のパイオニアとされる作品。 実は初めて乳首残像が描かれたコマでは、乳首だけではなく目のハイライトも残像を起こしている。 奥氏は後に『変』での乳首残像について「漫画家との間で本作について語られたのは乳首残像についてだけ」「とにかくこの作品を描いた後は乳が乳がと言われて少し心外な感じだった」とコメントしている。 GIGANT ビッグコミックスペリオール連載。 ヒロインは巨大化能力を持つのだが、巨女と化したヒロインが全裸で乳首残像を起こしながら戦う混沌とした光景が見られる。 乳首残像誕生以来、トップクラスに大きい乳首残像だとかなんとか。 乳首残像のパイオニアによる乳首残像の表現技法は日々進化し続けている。 To LOVEる -とらぶる- ダークネス 『To LOVEる -とらぶる-』のスピンオフだが、スピンオフ元よりも過激さが増したので乳首描写も増えている。 それに伴ってか、各ヒロインが乳首残像を起こす描写が結構多い。 古手川唯やルンなどは激しい乳首残像を披露している。確認してみよう。 i・ショウジョ 一部のキャラが乳首残像を起こしている場面が確認できる。 追記・修正は高速で乳首残像を起こしてからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\プルッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] なんて項目だ… -- 名無しさん (2019-12-13 18 42 28) 別名・乳首残像拳 -- 名無しさん (2019-12-13 19 55 30) ずいぶん充実した内容だな。まるで乳首博士だ… -- 名無しさん (2019-12-13 20 15 16) 項目名のインパクトが強すぎるw -- 名無しさん (2019-12-13 20 25 28) ↑3 Pixivだとそういうタグがあるからまた笑える -- 名無しさん (2019-12-13 20 53 49) 貧乳キャラの乳首残像はあるの? -- 名無しさん (2019-12-13 21 01 07) しまった、ゲーム編書き忘れた。 -- 名無しさん (2019-12-13 21 19 47) この投票ボタンは押さざるを得ない -- 名無しさん (2019-12-14 00 03 04) 大友克洋の光の表現から思い付いてたとは…… -- 名無しさん (2019-12-14 00 14 38) 乳首残像拳創始者というボーボボに出てきそうなパワーワードすき -- 名無しさん (2019-12-14 14 25 10) 項目名から内容がまったく理解できなかった...なんて項目だ -- 名無しさん (2019-12-14 16 13 17) 項目名の吸引力よ… -- 名無しさん (2019-12-14 17 47 14) やはりAKIRAは偉大 -- 名無しさん (2019-12-14 20 56 51) 今からでも遅くないのでゲーム編を見たい 一般向けゲームにはさすがにないよね? -- 名無しさん (2019-12-15 09 05 30) 魔法陣グルグル2で乳首に触るとレベル下がるのに残像が出る速さで手に乳首を近づけるキャラがいたな -- 名無しさん (2020-04-12 12 45 54) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kmk2/pages/81.html
項目 概要見た目 解説 レベル上昇による変化 概要 見た目 解説 被弾時に、低確率でダメージを無効化するスキル。 ……しかし、一つの取得につき"5%"というのはあまりにも心もとない。 そもそも後半は即死レベルのダメージが跋扈するゲームである。レアリティの違いはあるものの、 被弾リスクの軽減としては空中受け流しの方が圧倒的である。あまり優先度が高いスキルではないだろう。 レベル上昇による変化 ここでいうレベルはスキル「残像」のレベルのこと。 無効化確率 = [100 ^(0.95 x レベル)] 100x0.95の残像レベル乗の確率で回避が失敗する。 100%から純粋に5%引いている訳では無く、前のレベルから見て5%カットしているという計算方式。