約 250,050 件
https://w.atwiki.jp/mirrnagi/pages/76.html
イスラム世界 イスラム "イスラム"の意味は、「神への絶対帰依」。 イスラム教徒のことをムスリムという。 聖典はコーランである。 起源 622年、メッカを追われたムハンマドが、多数の信者をつれてメディナへ移住。 メディナでは部族を超えた共同体ウンマが作られ、独自の律法であるシャリーアが作られるなどした。 こうしてイスラム教が興っていった イスラム教 イスラム教の信仰と戒律は次のようなものがある。 天国と地獄 六信五行 イスラム文化 ギリシャ、ローマ、ペルシャ、インドなどの西アジア周辺文化を融合合併した文化を形成する イスラム都市(軍営都市ミスル)では礼拝と集会の場であるモスク・バザール=市場が設けられた。 学問 固有の学問 イスラム法、コーラン解釈、歴史学 外来の学問 アリストテレスのギリシャ哲学 プトレマイオスの科学 をアラビア語に翻訳解釈 ギリシャの幾何学をインドのヴェーダ数学(ゼロの概念)、十進法に結びつけた 錬金術の研究により化学を発展させた 文学 千夜一夜物語 ⇒アラビアンナイト アラジンと魔法のランプ ありばばと40人の盗賊 地理学 イブン・バトゥータの「三大陸周遊記」 (マルコ・ポーロの東方見聞録に匹敵) 美術 幾何学模様のアラベクス 細密画のミニアチュール 関連項目 ムハンマド
https://w.atwiki.jp/sims2mio/pages/91.html
魅力スキル 魅力スキルは他のシムとのコミュニケーションを取る際に、魅力スキルが高い方が友好度を上げやすくなり、会話もうまくいきやすくなります。当然ながら、社交的なシムの方が魅力スキルの習得には有利です。名声願望やロマンス願望は是非とも魅力スキルを高くしておきましょう。 子供時代にはスキルアップの手段が正攻法では不可能ですので、できれば幼児時代にウェブリーワビットの頭で遊ばせて魅力スキルを上げておくことをおすすめします。 スキルアップの方法 鏡でスピーチやロマンスを練習する 幼児の場合はウサギのおもちゃで遊ぶ ビジネスキャリアのエグゼクパターでパターゴルフをする(子供も利用可能)=スポーツ 政治キャリアか法律キャリアの演説台でスピーチを練習する(子供も使えるが、子供は殆どの場合遊ぶ) 知識の本棚の本で魅力を勉強する(要:シーズンズ)=映画と文学 幼児が童謡を教わる(要:フリータイム)=音楽とダンス このスキルが必要となるキャリア 政治 ビジネス 軍隊 スポーツ 自由稼業 ショウビジネス 芸術 超能力 ミュージシャン 冒険家 ジャーナリスト 教育者 ダンサー このスキルが重要視される専攻 心理学 *演劇学 芸術学 哲学 *経済学 文学 歴史学 *政治学 このスキルに関連するバッジ セールス このスキルに関連する趣味 映画と文学
https://w.atwiki.jp/yanagita_dokusyo/
柳田國男読書会 読書報告 サイトについて 金沢大学柳田國男読書会での 発表・議論内容を報告します。 また、読書会の報告だけではなく、 柳田國男、民俗学その他に関するあらゆる項目について 自由に記述解説を行うことを目的とします。 読書会の報告に関連する項目については、 基本的に、報告者が最初に項目の作成を行います。 記事に関しての補足・意見は、 読書会メンバー他どなたでもできます。 使い方 項目を作成する 左メニューの「記事を投稿するには」をご覧ください。 項目についてコメントする 各項目の下部にフォームがあります。 補足や疑問点等書き込みください。 ルール 当サイトの目的は、 日々の研究や読書会報告を通して得られた 知識、見解をまとめるとともに、 項目についての理解を深めてゆくことです。 投稿・編集の際には、 偏見の無い、中立的観点であること 著作権を侵害していないこと 他の参加者に対して敬意を払うこと 以上三点に留意し、記述をお願いします。 柳田國男読書会とは 「柳田國男読書会」は金沢大学の 学生大学院生有志がつくる勉強会です。 民俗学の草分け柳田國男の論考を読むことを始点として、 柳田から現在までに至る民俗学研究への理解を深め、 民俗学の周辺にある諸学(歴史学・宗教学・文化人類学・考古学など)との関わりを考えていくことを目的としています。 現在、民俗学をはじめとし日本思想史、日本文学、文化人類学、 日本史学、考古学、東洋史学など 幅広い分野の学生が参加し、それぞれの立場から 活発な議論を交わしています。 柳田國男読書会 ヘルプ @wikiの詳しい使い方はヘルプ・FAQ・初心者講座@wikiをごらんください。メールでのお問い合わせも受け付けております。
https://w.atwiki.jp/novels_ukyo/pages/38.html
食わず嫌い 「ねえ、『歴史学U』出てる人?」 学食でいつも通り昼食を摂っていた彼は、顔を上げた。 午後1時。午後の授業が始まって間もないこの時間の学食は、空いていて気に入っていた。 「そう、だけど……」 食べながらは失礼だと思いつつ、彼は箸を止めずに答えた。 「やっぱり! 割と早い時間から来てるのに寝てるよね」 にこにこと、彼女は言う。 誰だっけ、と食べることに一生懸命な脳に動いてもらって記憶を総動員する。 肩くらいまでの茶髪にピアス、適度なメイク。標準よりは美人な方と言える。そんな知り合いがいただろうか。 ……わからない。 それは決してこの日替わりランチの炊き込みご飯がおいしいから、じゃない。 「…………ごめん、誰だっけ」 「あはは、そんな一生懸命思い出してくれてたんだー? でも思い出せないでしょ? 全然気にしなくていいよ、だってあたしと話すの初めてだもん」 それはつまり、彼女も話すのは初めてということだ。 初対面なのにタメ口でしかもこの軽い感じ、はとりあえず置いといて、次に訊きたいのは。 「で、何用ですか」 「あたし、同じ歴史学取ってる矢代霞。経済2年。ものは相談なんだけど、ノート貸してもらえないかな?」 「……俺、寝てるって知ってるっしょ? 無謀だって気が付かないもん?」 「だってほとんど1年生だから声かけづらくて」 学年は学籍番号でわかる。2年には全員無条件で進級しているから、自分の学籍番号から2年だとわかったのだろう。 「むしろ俺が貸して欲しいくらいなんだけど」 「歴史得意なんじゃないの?」 「専攻してて、学部の授業でも取ってるから寝てられんの」 「あ、なるほどー。…………って、じゃああたしのノートは!?」 「俺に言われても」 「ですよねー。ああどうしよ……」 がっくりとうなだれる霞を見ていたら、何となく貸しを作ってやろうという気になった。 「今までもらったプリント持ってる?」 「うん。一応順番にとってあるけど」 「貸してくれたら、来週のあの時間までに、ノート作ってくるけど」 「ええっ!?」 あまりにも霞がすっとんきょうな声をあげるから、学食にいた少ない人も思わず振り返った。 霞は慌てて口をふさぐ。 「そんな大声出さんでも……」 「ご、ごめん……。だってもう10回は授業あったよ? 今から全部作る気?」 「復習になってちょうどいいし。俺今期授業少ないから、昼間は割とヒマだし」 「ホントにいいの?」 「ああ」 「じゃ、じゃあ……お願いします」 よほど歴史学を落とせないらしく、霞は頭を下げた。 かと思うと、次の瞬間勢いよく顔を上げて言った。 「その代わりなんかお礼させて! 何でもするよ」 「なんでも?」 「うん!」 「正門の前にある洋食屋、行ったことある?」 「ううん」 「そこのオムライスおごってもらえたらそれでいい」 「そんなおいしいの?」 「俺はあそこのよりうまいヤツ食ったことない」 「そんなにー? 嘘だー」 「嘘だと思うなら来週見てろ。ノートと共に」 ちょうどそんなふうに軽く宣戦布告すると、ランチを食べ終えた。 「そーだった。よろしくお願いします、菅野耕太くん」 「あれ、名前……」 「だから授業同じなんだってば」 「ああ、そっか」 耕太は霞が差し出したプリントの束を受け取って、立ち上がった。 「来週、休まないで来いよな」 「はいはい」 食器を戻して、耕太は学食から出て行く。 残された霞は、彼の背中に呟いた。 「なーんで、あたしがたまに休んでたこと知ってるわけ?」 もちろん、答えはわからない。 (ま、人嫌いってわけじゃなさそうだし、よかったかな――) 一週間なんて、やることがあったら案外早く過ぎる。 耕太はどうにか作ったノートを持って、歴史学の教室に行った。 見渡してみたが、霞はまだ来ていない。 いつも座っているあたりに座って、今日は寝ないで待つ。 授業が始まって10分後、誰かが近づいてきた、と思ったら白いラビットファーのついたコートが視界に入った。 「ごめん、遅くなって」 小声で言って、霞は耕太の前に座った。 「全くだ」 「だからごめんって。……もう出席表まわしちゃった?」 「いや、まだ」 「よかったー。もし間に合わなかったら書いといてもらおうと思ったんだけど、よく考えたらあたし耕太くんの連絡先知らないのよね」 「そういやそうだな」 「ま、それは後で。それより……」 「はいこれ」 霞の言葉を遮って、ノートを出す。 「わーすごーい。ホントにできてる」 ぱらぱらとノートをめくりながら、霞が感心する。 「大変だったでしょ?」 「暇だからいーんだって。それよりオムライス忘れんなよ」 「オッケー。今日授業は?」 「これで終わり」 「ナイス。あたしも」 「決まりだな」 霞は頷いて、前に向き直った。 話したせいか、眠くなくなってしまったので10回ぶりに真面目に講義を聞いた。 授業が終わって、二人で店に入った。 「初めて来たけど、家庭的でいい感じ」 「だろ?」 夫婦らしい二人で切り盛りしている店で、席数はあまり多くない。 つい長居してしまうのは、霞の言うように家庭的な雰囲気だからだろうか。 オムライスとサラダを2つずつ注文すると、霞が訊いた。 「よく来るの?」 「バイト代に余裕あるときは割と」 「ふーん。何のバイトしてるの?」 「いろいろ。今んとこ続いてんのは居酒屋とスーパーのレジだけど、他にも単発でやってるから」 「じゃすごい稼いでるんじゃないの?」 「それがそうでもないんだな」 「どーして?」 「俺ちょっと、卒業したらやりたいことあって。そのために金貯めてんだ」 「やりたいこと? 仕事じゃなくて?」 「うん、仕事とは別」 そこまで答えると、サラダとオムライスができて二人の前に並べられた。 「おいしそーう。いただきまーす」 霞は急に目を輝かせ、スプーンを握る。 耕太も食べ始めた。 「おいしいッ!」 「だろー?」 「ホントに耕太くんの言ってたことそのまんまだね! あたしこんなおいしいオムライス食べたことない!」 感激して、霞はあっという間に食べてしまった。 ところが、サラダにはなかなか手をつけようとしない。 「食わないのか?」 サラダを指して訊くと、霞はちょっと気まずそうな顔をした。 「……笑わない?」 「は?」 「あたし、トマトが食べられないの」 なるほど、サラダには彩りのためかトマトが一番上に飾りつけてある。 「じゃ、無理にとは言わないけど」 「でもサラダ食べたいし……そうだっ、耕太くん食べて?」 「俺が?」 「うん。トマト嫌い?」 「別に」 「じゃあ食べて!」 はい、と差し出される。 耕太はまた強引な、とため息をついて言った。 「食ったことある?」 「ない」 「食ってみたら意外とうまいかもしんないじゃん」 「そのセリフ、そっくりそのまま耕太くんに返す」 「え?」 「いっつも、ひとりでいるじゃない? 授業のときもご飯食べるときも駅で電車待ってるときも。人付き合い苦手なのかなって思ったけど、話してみたら全然そんなことないし。どうしてひとりでいるの?」 「なんでそんな知ってんだよ」 「そんなことどうだっていいでしょ。授業で見かけてから何となく目に付くようになっちゃったんだもん。ねえ、どうして?」 耕太は思い切って答えた。 「面倒なんだよ、いつも誰かといるのって」 「それだけ?」 「そうだよ。友達多くなったらその分トラブったりするだろ? そういうのに巻き込まれんの嫌だし、ひとりの方が楽だろ」 「じゃあ、本気で他人と向き合ったことあるの?」 「ない」 「そんなのあたしの食わず嫌いと一緒じゃない。本気でつきあってみたら、そんなに嫌なことばっかりじゃないかもしれないでしょ?」 「それ試すほどの気力、悪いけどない。俺は卒業したら世界中の遺跡飽きるまで見て生活したいんだよ、だから大学来てんだよ」 霞はそれを聞いて、少し諦めたようにため息をついた。 食後のコーヒーが運ばれてきて、二人は言葉を交わさないでそれを飲んだ。 店を出ると、北風が吹きつける。 しばらく黙ったまま歩いていると、霞がふいに口を開いた。 「ねえ」 「ん?」 「もう一個、交換条件出さない?」 「は?」 「お互い、食わず嫌い直すの。あたしはトマト食べれるようになるから、耕太くんは本気で他人と向き合って」 「スケール違いすぎるだろそれ」 「そうかなあ」 「だいたい、そんな相手だってすぐ見つけられるもんじゃないし」 「あたしがいるじゃない」 (こいつ、意味わかって言ってんのか?) 耕太は眉をひそめた。 なんとなく、そう言うだろうなとも思っていたけれど。 「だって初対面のあたしにノート作ってくれたり、いろいろ話してくれたじゃない。本当は、他人と関わりたいんじゃないの?」 肯定しかけた自分を、どうにか留めた。 違う。 霞にそんなことをしたのは。 「ただの気まぐれだって」 「なにそれー」 霞が不満そうに頬を膨らます。 そんな霞を更にからかいながら、冬の道を歩く。 気まぐれだと、自分に言い訳している自分に気づきながら。 fin.
https://w.atwiki.jp/wellt/pages/129.html
常に真冬で雪の耐える事のない常雪の大陸にあるため、雪の中で生活するための文化が発達している。 アイオーン王国と友好協定を結んでおり、学術提携なども行われているため同じ水準の学識レベルのある国。 世界で最も信者の多い宗教、神樹聖教の総本山のある国だけあって神学や歴史学などの文学が特に盛ん。 建物や街並みなどは中世から近世にかけてのロシアのそれに近いものがあり美しく幻想的な建物が多い。 食文化なども非常に発達しており、特にスープ類などの温かい料理はこの国の物が一番だと呼び声も高い。 神官になる者が多く、国民のほとんどが神樹聖教信者なので信仰心の高い国家としても有名。 また、極寒の地にある国だけあって防寒具などを作る技術も高く毛皮などの生産地としても名高い。 セラフィータ王国のメイン職業一覧 騎士 セラフィータ王国の女性の憧れであり、戦う女性たちの花形の職業でもある。 アイオーン王国と同じく、国内の騎士学校を卒業して後に就職する事が出来る。 セラフィータ王国の騎士は、武官のような性質を持っており軍事と同時に政治補佐なども兼用する。 ある一定の幹部から上の職は女性でないと就く事が出来ないため、セラフィータの女性は非常に逞しい人が多い。
https://w.atwiki.jp/opedmiroor/pages/1664.html
歴史学の教授で父であるレミが余命宣告であり、それを知った息子のセバスチャンは友人や家族を集め共にレミと一緒に残された時間を楽しみ、余命が近づく中で海で仕事してるシルヴェーヌとテレビ電話を通じてレミは最後のメッセージを伝えた後、息子のセバスチャンを筆頭に友人や家族に囲まれて安楽死で息を引き取った。 変わってナタリーは薬を飲む中、ルイーズがやってきて抱き着き慰める。 次にナタリーはセバスチャンと共にレミの自宅へ行く。 セバスチャン「母はここに住まないし、売却する気もない。君が住んでいいよ」 ナタリー「分かったわ」 ナタリーがそういうと書斎の部屋でコートを脱いだ後、本棚を見てレミが愛読したと思われる表紙が表に出てる本「プリモ・レーヴィ著 アウシュヴィッツは終わらない」「E・M・シオラン著 歴史とユートピア」「ソルジェニツィン著 収容所列島」「サミュエル・ピープス著 日記」(*1)を見た後、セバスチャンの元へ行った後、キスをし、セバスチャンはレミの家を出て車に乗る。 変わって空港。 セバスチャンとガエルはロンドン行きの便で帰ろうとしていた。 スチュワーデス「どうぞ」 ガエル「ありがとう」 ガエルがそれを行った後、頭をセバスチャンの肩に置く。 ガエル「愛してるわ」 セバスチャンがガエルにキスをした後、別荘周辺の湖が映り、次に2人が乗ったロンドン行きの飛行機が飛び立ったところで終わる。 (終)
https://w.atwiki.jp/wotbksn_asia/pages/32.html
Aresaro[アレサロ] 一、概要 九州に生息する似非戦車兵。戦車兵なのに提督(艦これ)、パイロット(War Thunder)と陸海空三軍に籍をおく謎の男。 ほんとはチキン南蛮をこよなく愛する宮崎男児である。また大学で歴史学を専攻しているため、歴史関係だとよく喋る。 そしてよく叫ぶ。まぁこんな感じだけど、みんなで気軽に小隊組んで楽しもうや。 二、メイン国家:ソ連・アメリカ 各国ともそれぞれ開発しているがソ連とアメリカが突出して使用頻度が高い。理由はそのプレイスタイル。 ただし日本ツリー実装の暁には全車両揃えるつもりである。そのために陸軍は重課金も辞さないかまえである。 三、プレイスタイル:前線番長 たとえ豆腐に乗っていても、とにかく前線にでて殴りあうスタイル。つまり艦これの戦艦霧島姉貴である。 そのため敵を見つければところ構わず攻撃し、敵にバレて速攻溶けることも 逆に置き偵をメインとする軽戦車は苦手。重装甲の軽戦車って無いのかな・・・ おや?何やら英仏から視線を感じる・・・ 四、メイン車種:重戦車と駆逐戦車 プレイスタイルが前線で殴りあうタイプなので、装甲と火力がある車両を選びがち。 やっぱ理想の戦車は圧倒的な火力と砲弾をガンガン弾く重装甲だと思うんだ。そうだろ諸君? Q 足は重視しないの? A だって敵のほうから来てくれるから。
https://w.atwiki.jp/welhistorica/pages/31.html
このページはウィキペディア日本語版の東方問題 2006年9月22日 (金) 22 50 版を元にKanbunが改訂しています。 東方問題(三) ナポレオン3世とビスマルクの会談の様子(普仏戦争におけるセダンの戦いの後) 普仏戦争によってナポレオン3世が没落し、ヨーロッパ政治は大きく転回した。以後ビスマルクの主導する形で列強の外交秩序が形成される時代となる 「東方問題(三)」では、クリミア戦争後の東方問題を対象とする。それ以前は「東方問題(一)」「東方問題(二)」を参照。 東方問題(とうほうもんだい)とは、オスマン帝国?およびその支配地域をめぐるヨーロッパ諸国の外交問題。広義にはオスマン帝国成立以来、キリスト教?ヨーロッパ世界がイスラム?教国であるオスマン帝国の圧迫を受け、それに関わるヨーロッパ諸国間の外交問題。狭義においては18世紀以降のオスマン帝国の解体過程に伴って生じ、19世紀に顕著となったオスマン帝国領内での紛争に関連するヨーロッパ諸国間の国際問題を意味し、今日一般的にはこの用法で使われる。 歴史的展開ヘルツェゴビナの反乱 ドイツとオスマン帝国 ボスニア危機 「東方問題」における歴史学「東方問題」成立の契機 「東方問題」のバイオリズム 「東方問題」史観 出典 使用条件など 歴史的展開 「東方問題(二)」から続く ヘルツェゴビナの反乱 ボスニア・ヘルツェゴビナ ベルリン会議でオーストリアの管理下に置かれ、青年トルコ人革命が起きると混乱に乗じてオーストリアに併合された。このことが第一次世界大戦の要因となる 1875年にヘルツェゴビナ?で、ボスニア?とブルガリア?の暴動に呼応してオスマン帝国に対する反乱が起こった。この反乱が流血にまみれた悲惨な戦争をバルカン半島にもたらさないよう、列強は介入する必要があると考えた。当時三帝同盟を結んでいたドイツ?、オーストリア・ハンガリー?、ロシア?の三国は共通の姿勢を取ることを決め、アンドラーシ・ノートという形で方針がまとめられた。この文書は、南東ヨーロッパで大規模な紛争が起きないよう火種をなくすために、キリスト教徒の宗教上の差別をなくすなどさまざまな改革をオスマン皇帝に求めるものであった。また適切な改革を保証するために、イスラム教徒とキリスト教徒の合同委員会を設けることも求めていた。イギリスとフランスの承認を経て、この文書はオスマン皇帝に提出され、1876年1月31日には皇帝の承認を得た。しかしながらヘルツェゴビナの側(反乱者たち)の指導者は以前もオスマン皇帝は改革の約束をしたが、改革は一向におこなわれていないという理由からこれを拒絶した。 三帝同盟の各国代表は、ベルリンで再び会合し、ベルリン覚え書きを合意した。覚え書きでは、オスマン皇帝が改革の約束を守るとヘルツェゴビナの指導者に納得させるために、国際的な代表団が反乱した地域での改革の実施状況を監督することが認められることを求めていた。しかしオスマン帝国政府が覚え書きを受け入れる前に、オスマン帝国内部で権力抗争がおこり、オスマン皇帝アブデュルアズィズ?はクーデターにより廃位された。つづくムラト5世?も精神錯乱がなおらずに3ヶ月で退位し、混乱の末アブデュルハミト2世?が登極した。国庫は空っぽで、ボスニア・ヘルツェゴビナだけでなくセルビア?とモンテネグロ?も反乱し、オスマン帝国の困窮は極まった。しかし1876年の8月にはなんとか反乱は終息に向かったが、汎スラヴ主義?を掲げるロシアの介入を招き、ロシアは南東ヨーロッパのオスマン帝国領の割譲を画策した。 反乱がほとんど鎮圧された頃、オスマン帝国による住民虐殺の噂がヨーロッパに衝撃を与えた。ロシアはこの状況を利用してオスマン帝国領を割譲させるために介入しようとしていた。列強はイタリアを加えて平和を維持するためにコンスタンティノープルで協議したが、オスマン皇帝はボスニア・ヘルツェゴビナに改革を監督する国際代表団を受け入れることが独立をおびやかすことになるのを懸念して、列強の要求を拒絶した。1877年になってから列強はもう一度オスマン帝国と交渉を試みたものの、強い拒絶にあった。 1877年4月24日、ロシアはオスマン帝国に宣戦布告した。オーストリア・ハンガリーは戦争によりロシアがベッサラビア?を、オーストリア・ハンガリーがボスニア・ヘルツェゴビナを獲得することを約束したライヒシュタット協定?に基づき中立を保持した。イギリス?は南アジア方面でのロシアの脅威を危惧していたが、戦争に介入することはしなかった。オスマン帝国は孤立し、1878年2月、ロシアは圧倒的な勝利を得た。サン・ステファノ条約?が結ばれ、「1.ルーマニア、セルビア、モンテネグロの独立、2.ブルガリアを独立、3.ボスニア・ヘルツェゴビナでの改革、4.アルメニアやドブルジアのロシアへの割譲」を認めさせ、多額の賠償金を得た。ロシアは新たな独立国に対しても保護権を確保し、南東ヨーロッパでの影響力を増大させた。しかしこのようなロシアの勢力拡大を警戒したイギリスをはじめとする列強は反発し、ベルリン会議?を開いて勢力を調整した。 ベルリン会議 この会議の結果、ドイツとロシアの間に禍根が生じ、両国の関係は一時的に冷却した。ビスマルクは巧みな外交でロシアとの関係の維持・回復に努めたが、徐々にロシアはフランスへと接近していった。また紛争に直接関わらなかった二国、英仏も「分け前」を得た。すなわちイギリスはキプロスを獲得し、フランスはチュニジア進出に対する列強の暗黙の了解を得た ベルリン会議によってサン・ステファノ条約は調整された。ルーマニア、セルビア、モンテネグロの独立はそのまま承認されたが、境界は狭められた。ブルガリアはロシアの影響力を警戒されて大きく二つ(ブルガリアと東ルメリア?)に分割された。ボスニア・ヘルツェゴビナはオーストリアの管理下におかれた。 ドイツとオスマン帝国 19世紀後半にオスマン帝国をめぐる列強の位置は変化した。ロシア皇帝はベルリン会議でのサン・ステファノ条約の調整を不服として三帝同盟?を脱退した。ドイツはオーストリア・ハンガリーに接近し、1879年に2国間に同盟が結ばれた。またドイツはオスマン帝国に友好的であり、オスマン帝国はドイツの親密な同盟国となった。ドイツはオスマン帝国の軍事と財政の制度改革に協力し、そのかわりにバグダッド鉄道?の敷設権と商業上の特権を認められた。このことによりドイツは帝国内の重要な経済市場に参入した。一方で以前のオスマン帝国にとって重要な同盟国であったイギリスとオスマン帝国領内のさまざまな利権を巡って対立するようになった。イギリスは1904年にフランスとの間に英仏協商?を結び、両者の対立が和解され、協調関係に入った。さらに1907年にはロシアとの間に英露協商?を結び、三国協商?を形成した。 ボスニア危機 サライェヴォ事件 ボスニア・ヘルツェゴビナ併合の際のセルビア側の不満がテロリズムとなって第一次世界大戦の引き金を引くことになった 1908年に「統一と進歩委員会?」が中心となって専制的なオスマン皇帝アブデュルハミト2世に対する青年トルコ人革命?がおこった。1909年には皇帝は廃位され、メフメト5世?が即位したが、彼はほとんど実権のない傀儡君主であった。さまざまな改革がおこなわれたが、国内における社会不安や混乱が続いた。 この情勢を利用して、オーストリア・ハンガリーはベルリン会議以来同国の管理下にあったボスニア・ヘルツェゴビナを併合した。青年トルコ党?員による憲法改正で、地方の州に大幅な自治が認められることになっていたが、このことがボスニア・ヘルツェゴビナにおけるオーストリアの権益を脅かし、オーストリアは同地域を保護すべきこと、およびオーストリアの保護が同地域に経済的な安定を及ぼすとの主張に基づいて行動した。オーストリアはロシア軍艦のダーダネルス海峡通航権が認められるのを支持するという約束をしてロシアの支持を取り付けた。オーストリア・ハンガリーはオスマン帝国の平和のために多額の援助をすることを約束し、ボスニア・ヘルツェゴビナはオーストリアに併合された。しかしオーストリアの約束はロシアに何の益ももたらさなかった。ロシアは軍艦のダーダネルス海峡通航権をオスマン帝国に請求したが、イギリスとフランスの反対にあって頓挫した。 オーストリア・ハンガリーはしかし、セルビアの頑強な抵抗に遭い、セルビアはロシアに支援を求めた。だがロシアは日露戦争で敗北を重ねて疲弊していたので、これに応ずることができなかった。ドイツはこの情勢を見てオーストリア・ハンガリーを支持し、イギリスとフランスはこの件に無関心であった。孤立したセルビアはやむをえずボスニア・ヘルツェゴビナの併合反対を取り下げた。 「東方問題」における歴史学 「東方問題」成立の契機 第二次ウィーン包囲 この遠征の失敗以後、オスマン帝国は縮小・解体に向かい、それに伴って「東方問題」が発生するようになる。この遠征の結果であるカルロヴィッツ条約によって、オスマン帝国は初めてヨーロッパ諸国と条約関係をもった 「東方問題」の形成過程については3つの主要な契機がある。 1699年 カルロヴィッツ条約?により、オスマン帝国がヨーロッパ諸国と条約を結ぶ、またこれ以降オスマン帝国は縮小・解体の時期を迎える 1736年 露土戦争?により、ヨーロッパの勢力均衡を維持するために、紛争の当事者以外が「東方」の問題に介入するという「東方問題」特有の形式が出現 1774年 キュチュク・カイナルジ?条約により、ロシアがオスマン帝国内の正教徒の保護権を得る。ロシアがオスマン帝国に内政干渉して両国の紛争につながり、列強がそれに介入するという「東方問題」固有の構造が明確となる 「東方問題」のバイオリズム ビスマルク 卓越した外交センスでヨーロッパに複雑で、それゆえに安定した外交秩序を構築した。彼はオーストリアとロシアの間で「東方問題」に関する紛争が起こるのを嫌い、「公正な仲裁人」と称してベルリン会議を開いた。彼はこの会議で列強の利害を巧みに調整した また、ヨーロッパ内の政治状況によって「東方問題」が安定化あるいはその重要性が相対的に低下する時期がある。 1807年~1815年 ナポレオンの時代 1840年~1853年 1848年の諸革命前後のヨーロッパ政治の動揺期 1856年~1871年 クリミア戦争後の安定期 1878年~1890年 ベルリン会議後、ビスマルク体制の終焉までの安定期 「東方問題」史観 オスマン帝国を15・16世紀の軍事的成功を伴う拡大期と19世紀の解体期に焦点を当てて記述し、とくに解体期を「東方問題」としてヨーロッパ外交秩序、列強の世界分割や勢力均衡の観点からのみ捉える見方は、いまなお支配的である。一種のオリエンタリズムに基づくこのような歴史観に対し、オスマン帝国を専門とする史家の多くがオスマン帝国の600年にわたる統治をより主体的に、いきいきと描き、アジアとヨーロッパの接点に位置し、両世界の交流の中に輝いた「世界帝国」として記述すべきと主張している。ただしそのような場合、「東方問題」は古い歴史学の遺跡のように言われることがある。たしかにオスマン帝国史がヨーロッパ側からのみ記述されてきたことは問題とされてよいし、オスマン帝国を含む「帝国」と呼ばれる広域国家の「世界性」を解明することは歴史学の大きな主題の一つといってよい。しかし同時に「東方問題」がヨーロッパ近代外交において主要因でありつづけたという事実が一方にある。したがって「東方問題」的な見方がすでに古い、あるいはもはや用をなさないとするのは早計であろう。近代のヨーロッパの政治構造、なかんずくその条約体制が世界を覆い尽くしていく過程を捉える場合、「東方問題」は貴重な財源として多くの事例を提供するものであり、そこには無限の主題がある。 出典 尾形勇ほか編 『歴史学事典』弘文堂、1999年 鈴木董著 『オスマン帝国の解体』ちくま新書、2000年 森安達也著 『スラブ民族と東欧ロシア』山川出版社、1986年 山内昌之著 『オスマン帝国とエジプト』東京大学出版会、1984年 木戸蓊著 『東欧現代史』有斐閣選書、1987年 樺山紘一ほか編 『岩波講座世界歴史16 主権国家と啓蒙』岩波書店、1999年 S・J・ウルフ著、鈴木邦夫訳 『イタリア史 1700-1860』法政大学出版局、2001年 Duggan, Stephen P. (1902). The Eastern Question A Study in Diplomacy. London P.S. King & Son.[1] Taylor, Alan John Percivale. (1980). Struggle for Mastery in Europe 1848 1918. Oxford Oxford University Press.[1] [1]ウィキペディア英語版の参考文献。 使用条件など この記事はGFDL文書です。このページに掲載されている画像はウィキコモンズに公開されているものを使用しています。 -
https://w.atwiki.jp/miuchitrpg/pages/135.html
http //charasheet.vampire-blood.net/328676 男/22歳/182cm/85kg/作家/12月4日生 不動産会社を経営する家庭に生まれ、不自由をせずに育つ。 もともとインターネット上の様々な媒体で小説を発表して少し有名だった。大学一年の時に新人賞に入り、デビュー作がヒット。以来人気ライトノベル作家として、文筆活動を大学生活と並行している。 専攻は歴史学。心理学も履修している。オカルト的な要素を含む作品の執筆のため、オカルトな知識もすこし聞きかじっている。知識は豊富だが、インドア派で運動はとても苦手。 4年だが就活は消極的。 ■参加シナリオ 「毒入りスープ」生還 散々ですよ!(歴史ファンブルで人肉鍋をぶちまけSANチェックし一時的発狂をするなど)入院しましたよ! 「毒入りスープ改変」生還 散々ですよ全く!!!!!!!(目の前で知り合いが刺殺され自分は迫りくる像から必死に逃げるなど) 「蛍火の下で」生還 グッドエンドですよ!!!!!! 「無垢なる混沌」生還 上記3シナリオより2年後の出来事。作家業に専念することに。 生き残ったのはゴリラの力ですよ!!!!!!!!!!!!! 不定の狂気を発症し、毎晩悪夢にうなされるようになる。 精神がだんだんと衰弱し、入院及び長期の入院は避けられないだろう。 ■関係のあるPC 笠松 舞花(姉。) 鷹田 真人(研修医。入院時顔を合わせているだろう) 森山 遙貴(教授。授業を受けたことがある) ■絵とか
https://w.atwiki.jp/beginners_kingdom/pages/127.html
>トップページ 概要 ●特徴 行政,政治を担うエリート養成とともに,文化面での成熟を目指して多彩な学科が設立されている。 最も伝統の長い学部として,初心記念大学の中心的な位置づけにある。 ●シンボル 初心師範学校から継承した若葉マーク。そのため人文学部と学章は同じシンボルを用いている。 学科・カリキュラム 文化学科/政治学科/経済学科 【共通】 人文・社会科学系 自然科学系 外国語/外銀河語(選択) #基本的に専門は3年以降 (3・4年) □文化学科 専門 【哲学】 哲学講義 古代哲学史講義 中世哲学史講義 近世哲学史講義 哲学演習 【宗教学】 宗教学講読 宗教学講義 宗教学演習 キリスト教学(特別講義) 【美学美術史学】 美学講義 美術史学講義 比較芸術史学講義 講読 演習 【歴史学】 講義 #取り扱う範囲はわんわん帝國の成立から現在に至るまで (主な講義の一例) 帝國の成立当時の文化の諸様相 中期帝國史における兵制 諸藩国の成立過程とその社会構造 家事使用人制度の発展とバトルメードの成立過程 講読 演習 【考古学】 講義 先史学 歴史考古学 人類学 古代窯業技術 考古科学 講読 演習 【社会学】 講義 政治学 農村社会学 都市社会学 メディア文化論 人種論 講読 演習 【地理学】 講義 人口地理学 地理学史 藩国船都市論 GIS(地理情報システム)の基礎理論 講読 演習 【心理学】 講義 臨床心理学 認知科学 障害児心理学 心理学統計 講読 演習 【言語学】 講義 言語学 音声学 言葉と認知のメカニズム 比較言語学 講読 演習 【現代文化学】 講義 科学哲学 科学史 近代史学 情報学 講読 演習 □政治学科 【専門】 政治学 政治学 行政学 社会保障学 公共政策論 司法制度論 王国政治史 国際関係 国際政治学 国際政治史 政治外交史 比較政治学 国際法 法政策分析 □経済学科 【専門】 近代経済学 マクロ経済学 計量経済学 統計学 数理経済学 社会経済学 社会経済学理論 社会経済学古典研究 諸藩国比較経済論 現代資本主義分析 国際数量経済分析 経済政策学 財政学 雇用・労働システム論 国際経済政策 国際農業分析 地域産業分析 財政政策論 現代王国産業論 経済史学 王国経済史 帝國経済史 共和国経済史 社会経済思想史 社会思想史 貿易論 経済哲学 経営・会計学 財務会計論 経営組織論 マーケティング論 共生経営論 情報処理論 グローバルビジネス 特別講師(予定) 藩国逗留ACEのポー教授とその助手のミズキさん。 →講師紹介 →講師紹介 タルク(カリキュラム編成),yuzuki(絵),S×H(絵*過去の提出作品より)