約 21,298 件
https://w.atwiki.jp/tartaros-kousatu/pages/40.html
◎プロローグ◎ カバーシャードはデリオ領主のために戦う武士たちの道場だ。 諜報、潜入、暗殺・・・カバーシャードの武士はデリオ領主のために数多くの秘密任務を遂行してきた。 しかし4年前、デリオ領主がエリアデン王によって交代させられる事件が起き、カバーシャードは大きな混乱に陥った。 前領主に従う者と、現領主に従う者の間で紛争が起きたのだ。 苦難の末、堂主は前領主のために戦うことを決めた。 しかし予想外の問題にぶつかり、カバーシャードの外に出られなくなってしまった。 もともとカバーシャードの森は護符によって人の出入りをコントロールすることができるのだが、コントロールを司る護符を誰かが破壊し、誰も出ることが出来なくなってしまったのだ。 驚いた武士たちは急いで護符のあるところへ向かい修理をしたが、どうしたことか修理して1日もたたず護符が破壊されてしまうのだ。 修理をしたかと思えば破壊される・・・それは今でも続いている。 いったい誰が護符を・・・誰がどんな目的で武士たちを閉じ込め、派兵を邪魔しているのだろうか・・・。 ◎登場人物◎ ●リアン CVささきのぞみ カバーシャードの第17代堂場主。 見た目では想像もできないが、武術が極めて強力だと言われている。 ●ロックフェラー CV井口祐一 自称精鋭武士の男。リアンの警護を受け持っている。 性格も極めて明るいのだが・・バカ丸出しである。敵に単身突っ込んだりしてボコボコにされ、プレイヤーを笑わせてくれる。 ●トンテグマン CV清水秀光 自称「サロマン族の賢者」。ドンジャンの兄。 ●ミミ CV中島沙樹 人の言葉をしゃべる変な猫。その素顔はごく限られた者にしか見せない。 ●カバーシャードの長老 カバーシャードに長らく居た人間。 今回の事件に大きく関わっている。王国騎士団と内通しており、我欲のためにカバーシャードを見限って裏切り、リアンやルコのデリオ遠征意見に反対して妨害していた。 ロックフェラーを信頼しきっており、何の補償もなしに「自分たちは安全」だと考え、最後は王国騎士団によって真っ先に討たれてしまった。 しかし、片方だけは瀕死になりながらもルコに「今まですまなかった」と謝罪し、ロックフェラーの正体を明かして死亡する。 ◎考察◎ ・アエルロトはここで初めてジャガーの人間姿を見た。昔は本来の姿だったようだ。 ・「変態豚野郎」の発言数・・・ルコ8回、クロモド1回
https://w.atwiki.jp/harukaze_lab/pages/172.html
平八郎聞書 山本周五郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)水野監物忠善《みずのけんもつただよし》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#8字下げ] ------------------------------------------------------- [#8字下げ]一[#「一」は中見出し] 水野監物忠善《みずのけんもつただよし》が三河ノ国岡崎の領主であった頃、その家老に戸田新兵衛《とだしんべえ》という者がいた。 新兵衛は水野家に数代仕える足軽の子で、十五六歳の頃までは、いるかいないか分らない平凡な少年であったが、それから四五年経つうちに、いつともなく、だんだんとその存在が人の眼につきはじめた。……べつにぬきんでた男振りでもなし、口数も寡《すくな》く、とくにこれという才能があるとも見えないのに、いつかしら、寄合いの席などでは彼の意見が欠くことのできぬものになってきたし、なにかむずかしいもめごとでも起ると、よほど年長の者までが新兵衛に調停をたのむというふうになった。 彼は二十二歳のとき足軽組頭になり、それから三年してその総支配に抜かれた。――当時、岡崎藩の足軽総支配という役は番頭格で、二百石以上の武士がこれに当っていた。したがって、平足軽から出てその役に抜かれるということは、ほとんど不可能に近いことであって、まったく破格の出世だったのであるが、新兵衛の人柄は少しも『破格』だという感じを与えなかった。 ――なるほど戸田なら申分あるまい。 同輩の人々がそう思ったし、上司のあいだでも受けがよく、 ――あの男ならなにかやりそうだ。 という評判が一致していた。 総支配には二年在職した。とりたてて記すべき功績もなかったが、彼が在職している期間には、常になにかともめごとのある上士と足軽とのあいだに、いちども諍いごとが起らずに済んだ。それについてとくに取締りをしたとか、心配したとかいう訳ではない、なにも仔細はないのだが、とにかく彼の在職中は珍しく無事だった。 新兵衛は二十七歳の春、正式に士分に取立てられ、百五十石の書院番になった。そこでも彼は好評をもって迎えられた、そしてその年の夏、物頭を勤める神尾角左衛門《かみおかくざえもん》から望まれてその娘の萩江《はぎえ》と婚約をむすんだ。 そこまではごく順調であった。数年のあいだに、平足軽から百五十石の書院番になり、物頭の娘と婚約ができたということは、すでに泰平となったその時代には異数の立身である、しかも秀抜な手柄があったわけではなく、いつとなく自然と伸びあがったのだから、その人柄がありふれたものでなかったことは確実であろう。……けれどそれから間もなく、その順調な運命を覆して思いがけぬことが起った。 寛文五年九月はじめ、新兵衛は主君忠善の命で、彦根藩の井伊家へ使者に立った。……虎次郎《とらじろう》という家僕を供に、岡崎を出て、その日は鳴海で泊り、翌日岐阜、三日めの暮れがたに不破の関跡へかかった。 「これから先は山越しになりますが、どこへお宿を取りましょうか」 「ちょうど宿間になったな」 新兵衛ははじめからそのつもりだったとみえて、かまわず歩きながら云った。 「しようがない、今夜は月がいいようだから山越しをしてしまおう」 「……大丈夫でございますか」 「御用を急ぐから」 伊吹を越える峠路にかかるとまったく日が暮れた。幸い月は中天にあったが、つづら折りの道だし樹立に遮られるので、足もとは決して安全とは云えなかった。 夜の九時頃であった。峠のもっとも迂廻路へかかったとき左手の杉林の中からわらわらと五人ばかりの人々が出て来て、月光の明るい道に立ちふさがった。異様な風態をして、素槍だの刀だの、みんなそれぞれ武器を手にしている。 「旦那さま、賊です」 家僕が悲鳴のように叫びながら逃げだそうとした。けれども、そのときうしろへも同じほどの人数がとびだして来たので、彼は新兵衛の背後へ小さくなって身を隠した。 「なんだ、貴公たちはなんだ」 新兵衛は前後を見廻しながら云った。 「貴公の見るとおりだ」 一人の図抜けた巨漢が答えた。 「しかし山賊でも野盗でもないぞ、みんな志操高潔な武士だ、志操高きがゆえに主取りを好まず、俗塵を避けて山野に武を鍛錬しているのだ。ここはわれらの関所だ」 「ここを夜に入って通る者は」 と別の一人が大地に槍を突立てながら叫んだ。 「たとえ大名、将軍たりとも、われらに貢《みつぎ》しなければならぬ。拒むものは即座に斬って捨てる掟だ。話が分ったら、所持の金子は云うまでもない、衣服大小をここへ脱いで行け」 「それともひと戦やるか」 喚きたてながら、十余人の賊どもは、武器をひらめかせて前後から詰め寄った。 [#8字下げ]二[#「二」は中見出し] 「しばらく、しばらく待ってくれ」 新兵衛は手をあげて制した。 「貴公らの申分はよく分ったが、拙者は主君の御用で彦根までまいる途中だ。ここで裸になっては御用を果すことができぬ」 「人にはそれぞれ用があるものだ。ここはそんな斟酌をする関ではないぞ」 「だから相談をしたい」 新兵衛はふところから金嚢《かねぶくろ》を取り出し、巨漢の手へ渡しながら云った。 「これに二十金ほど入っている。これを渡すから、衣服大小を見逃してもらいたい。もし見逃すことができないなら、せめて御用を果すまで拙者に貸しておいてくれ」 「貸しておく……それはどういうことだ」 「御用を果せばすぐこの道を帰って来る。そのときは衣服大小を渡すと約束しよう」 賊たちは無遠慮に笑いだした。 「ばかなことを云うやつだ」 槍を持った男が嘲笑して叫んだ。 「そんな痴言《たわごと》をああそうかと云って、ここで貴様の戻って来るのを便々と待っていられるか、われわれはそんな甘口に乗るほど呆けてはおらん」 「甘口かどうか知らぬ、しかし約束は約束だ」 新兵衛は力を籠めて云った。 「帰りにはかならず衣服大小を渡す、武士に二言はない」 「やかましい、文句を云わずに身ぐるみ脱いで行け」 「それとも斬って取ろうか」 またしても賊どもが武器を取り直したとき、頭目と思われる例の巨漢が、 「待て待て、みんなちょっと待て」 と制止しながら前へ出た。 「こんな話は初めてだが、武士に二言はないと云った言葉が面白い。ひとつそれに嘘がないかどうか試してみよう」 「では帰るまで待ってくれるか」 「待とう。しかし念のため断っておくが、約束を破って妙な真似でもすると。この話を天下に触れて笑いものにするぞ」 新兵衛は静かに笑って頷いた。 峠を越えて、人家の見える処へ来るまで、家僕はものも云えなかった。新兵衛は黙って歩いていた。そして東から空が白みはじめ、道に人影が動きだすと、家僕はようやく元気を取り戻したように、山賊たちの愚かなことや、その賊どもをうまうまいっぱいくわせた主人の奇智を褒めだした。 「やまだちどもが、あの山中で、今日か明日かと待っている姿を思うと、可笑しくて腹の皮がよじれます。あんな間の抜けたやつらがおりましょうか」 「そんなことをむやみに饒舌《しゃべ》ってはいけない。人に聞かれたら笑い草になる」 新兵衛はそうたしなめただけだった。 彦根へ着いて、用を果したのはその翌々日のことであった……彼は用事が済むとその足で帰途についた。むろん道を変えるか、そうでなければ役人に訴えて、警護の人数を同伴するものと思っていた家僕は、訴えた様子もなく、しかも同じ道を帰るのはどうする気かと、主人の心が分らないで大いに疑い惑った。……当の新兵衛はそんなことに頓着せず、ずんずん道を早めて、夜になるのを計ったように、元の峠へとさしかかった。 十時を過ぎた時分だった。雲に見え隠れする月光を踏んで一昨夜の場所までやって来ると、新兵衛は左手で大剣の鍔元《つばもと》を掴みながら、立停ってしばらくあたりを見廻したのち、 「おーい、おーい」 と声をはりあげて呼んだ。 「やまだちどのはおらぬか。一昨夜ことを通った者だ。やまだちどのはおらぬか」 「……旦那さま、そんな乱暴なことを」 家僕が、仰天して止めようとしたとき、右手の杉林の奥から「おう」と、答える声がして、松の火が、ちらちらと道のほうへ下りて来た。……例の巨漢を先に十人あまり、こんども用心ぶかく主従の前後を取り巻いた。 「よう、これはこれは先夜のごじん」 「約束を果しに来た。御用も終ったから、衣類大小を渡して行く、受け取ってくれ」 「なるほど二言のない仕方だ、もらおう」 巨漢はなかば呆れ、なかば感に入った様子で、しかし油断なく新兵衛の動作を見戍《みまも》った。こちらは無造作に大小を脱って渡し、くるくると衣類もぬぎ捨てた。「ひとつ頼みがある。供の者だけは勘弁してやってくれぬか」 「ならん。だいいち主人が裸になったのに、下郎が着物を着て歩くというのは義理に欠ける、一緒に裸になれ」 家僕も裸になった。二人とも、下帯ひとつのまったくの裸である。巨漢はそれを見ると、 「気の毒という気持は捨てたわれらだが、約束を守った褒美に肌着だけ返そう。持って行け」 そう云って、肌着二枚投げてよこした。……主従がそれを着て、夜の道を立去って行くと、巨漢はしばらくそのうしろ姿を、見送っていたが、やがて溜息をつくように呟いた。 「世の中は広い。妙な人間がいるものだ」 [#8字下げ]三[#「三」は中見出し] 他言はならぬと、固く口止めをしておいたが、いつか家僕がもらしたとみえて、その時は間もなく、岡崎家中に弘まった。そして、それまでの好評がいっぺんに逆転した。 ――武士たるものが、なんということだ。 ――ひと太刀も合わせず命乞いをしたそうではないか。 ――やはり素性が素性だからな。 かつていちども人の口に出たことのない彼の素性が、そのときはじめて、前方へ押し出されてきた。 ――足軽はやはり足軽だよ。 ――かっこうだけは出世しても、魂までは武士になりきれなかった。 ――いいみせしめだ。 新兵衛は黙っていた。弁明もしないし、べつに恥ずる様子もなかった。……するとある日、神尾角左衛門が訪ねて来た。 用件は噂のことだった。 「世評があまりやかましいので訊《き》きに来た。いったい、噂は事実なのか、おそらく嘘であろうと思うが」 「いやほとんど事実です」 新兵衛が、さすがに少し困惑したように答えるのを聞いて、角左衛門は額のあたりを赤くした。 「そうか。当人の口から事実だと云うなら間違いはあるまい、しかし、どうしてそんなばかな真似をした。所存のほどを訊こう」 「べつに仔細はありません。お上の御用を仰せ付かった体ゆえ争いを避けただけです」 新兵衛は静かに云った。 「御用を果すまでは、わたくしの体でわたくしの自由にはなりません。しかし争いを避けるには帰りに衣服大小を渡すと約束せざるを得なかったのです」 「それで約束を果したというのか、相手もあろうにやまだちどもに!」 「たとえ相手が山賊野盗でも、いったん約束したことは反古《ほご》にはできません。わたくしは武士の義理を守っただけです」 「臭い[#「臭い」に傍点]……」 角左衛門は眉をしかめて云った。 「いかにも武士臭い言葉だ。そういう臭みなことを口にするようでは、真の武道はとても分らぬだろう。改めて云うが、娘との婚約は一応ないものにしてもらうぞ」 「お望みなれば……致しかたがありません」 新兵衛は予期していたように静かに頭を下げて承知した。 世評はさらに悪くなった。人々には彼の態度が、いかにも武士を衒《てら》っているように見えてきた。『武士の義理を守った』という言葉は理にかなっているが、またあまりに理にかない過ぎていた。角左衛門が云ったように『臭み』がある。それが評判をますます悪くすることになった。 その年の霜月、高代権太夫《たかしろごんだゆう》と名乗る武芸者が来て、岡崎家中の士に試合を挑んだ。 藩主忠善は自ら小野派一刀流の極意を極めたほどの人で、平常武道をもっとも重んじていたから快く城中に招いて試合を許した。ところが高代権太夫は意外に強く、三日にわたって八人と立合いことごとくこれを打負かしてしまった。試合が済んでから数日、彼は城下の宿に滞在してなにかを待っていた。恐らく召抱えの使者があるのを待っていたのであろう。しかし城からはなんの挨拶もなかったので、彼は大手の高札場へ左のような意味の文字を書き遺したうえ、東国へ向って出立した。 [#ここから2字下げ] 申し遺すこと 当藩主、監物侯は、高名なる武人と聞き及んだが、士を鑑《み》るの眼なく、したがって家中に人物なし、嗤《わら》うべき哉。 寬文五年霜月[#地から2字上げ]高代権太夫 [#ここで字下げ終わり] その貼紙はすぐ藩主の手許へ差出された。怒るだろうと思った忠善は、それを見ると案の定と云いたげな顔で、 「この程度の人間であろうと思っていた、詰らぬやつだ、捨てておけ」 そう云って紙片を裂き捨てたきりだった。 高代権太夫は、忠善がその貼紙を見ればきっと怒ると思った。怒って討手を向けると思っていた、そうしたら一人残らず斬って立退こうと考えていたのである。しかし討手の来るようすがないので、少し拍子抜けのした気持で道を進めて行った。すると日暮れ少しまえ、御油《ごゆ》の宿へかかろうとするところで、 「もしもし高代どの」 と右手のほうで呼びかける者があった。立停って見ると、一人の若い武士が、並木の松の蔭に馬を繋いで待っていた。 「なんだ、岡崎家の者か」 「そうです」 「討手だな」 権太夫はぐっと刀を掴んだ、相手は静かに道へ出て来た。戸田新兵衛であった。 「いや討手ではない」 新兵衛は微笑しながら云った。 「城中の試合に出られなかったので、後学のため一本お教えを受けに来た。お願いできようか」 [#8字下げ]四[#「四」は中見出し] 「殊勝な心懸けだ、いかにも立合ってやろう」 権太夫は相手の心を見透したように。 「だが得物は真剣だがよいか」 「望むところだ。この松の向うに、ちょうどよい場所をみつけておいた。そこで願おう」 「どこであろうと拙者に文句はない」 新兵衛はくるっと踵を返して、すたすたと並木の蔭へ入っていく。なるほど四五間さきに広い草原があった。……権太夫ははじめから討手だと信じていたし、かならず助勢の人数が来ているものと考えたので、新兵衛が草原へかかるあいだに距離を縮め、 「さあここだ」 と相手が振返る。真向へ、絶叫しながら強襲の不意打ちを入れた。 即妙必殺の一刀だった。けれど新兵衛もまた、はじめ彼に背を向けて歩きだしたときから、その一刀のくることは期していた。だから、絶叫とともに打ちこんだ権太夫の太刀は、紙一重の差で空を截り、新兵衛は右へ跳躍しながら大剣を抜いていた。 権太夫はすぐ立直って中段に構えた。両者の間十五六尺、新兵衛は青眼にとって、呼吸をしずめながら相手の眼を見た。 そのまま両方とも動かなくなった。ずいぶん長いことそのままだった。むろん、そのあいだにも精神と精神とは火花を散らして闘っていた。どんなに微細な気息のやぶれも敗因となる。五感は絞れるだけ引き絞った弓弦のように緊張し、吐く息は熱火のようだった。 そういう状態がいつまでも続くものではない。ついに張切ったものの裂ける時がきた。どちらが仕掛けたのか分らない。まったく同音に、えいという叫びが起り、両方の体が相手のほうへと神速な跳躍をした。 二本の白刃がきらりと電光を飛ばした。そして新兵衛が二三間あまり走って向直ったとき、権太夫は、体をへし折られたようなかたちで、草の中に顛倒していた。 「あっぱれ、でかしたぞ」 不意にうしろで叫ぶ声がしたので、新兵衛は反射的に刀を構えて振返ったが、とたんに持った大剣を投げだして草の上に両手を下ろした。……近寄って来たのは、意外にも監物忠善その人であった。 「みごとな勝負だった。よくした」 忠善は並ならぬ機嫌で云った。 「じつは余が討止めるつもりで、家中へは密々に追って来たのだが、ひと足の差でそのほうに取られた。それにしても、あの不意打ちをよく躱したものだな」 「未熟な技で御目を汚し、まことに恐れ入りまする」 「だが新兵衛」 忠善はじっと新兵衛の面をながめて、 「これほどの腕を持ち、しかも今日まだ誰にも知らせぬだけのゆかしい心得がありながら、角左にはなぜあのようなことを申した」 「……はっ」 「武士が武道を表看板にするのは、茶人がいかにも茶人めかすと同様に、はたの眼には笑止なものだそうではないか……角左に申した言葉は道理に違いない。だがそれを口にする武道臭さは抜けぬといかんぞ」 「まことに心至らぬ致しかたでございました。神尾どのに心底を問い詰められ、外聞にもれるとは存ぜず、浅慮の恥を曝《さら》して申訳がござりませぬ。……なれど」 新兵衛は静かに面をあげて 「一言申し上げたいことがございます」 「聞こう、申してみい」 「世間の評にも聞き、唯今お上よりもお言葉でございましたが、わたくしは今後もできるだけ武士臭い武人になろうと心得ております」 「……どういう訳だ」 「味噌の味噌臭きと、武士の武士臭きと、ふたつながら古くより人の嫌うものとされております。わたくしもそう存じておりました。臭みのない武士になろうと心懸けたこともございます。なれど……数年前ある書き物を手に入れまして、にわかに眼が明きました」 「その書き物とはなんだ」 「それにはかような一節がございました」 新兵衛は眼をなかば閉じて、力のある、低い声で誦うように云った。 「……昔よりの説に、武士の武士臭きと、味噌の味噌臭きといけぬものなりと、下劣の諺にもいうなれど、まずは、脇よりみてのことにてやあらん。定めて公家か町人の評判なるべし。武士はなるほど武士臭く、味噌はなるほど味噌臭くあれかしとぞ思う。武士はなに臭くてよからんや。公家臭からんか出家臭からんか、職人臭からんか、むしろ百姓臭くてよからんか。味噌もなまぐさくも、こえ臭くも、血臭くても、腐り臭くても何かよからん。ただ味噌臭きがよかるべし。右の武士は武士臭くてよからぬという説……」 「待て、新兵衛待て」忠善は急に遮って云った。 「その文章、なに人の書いた物だ」 「はっ、本多平八郎《ほんだへいはちろう》どのの聞書にて、東照神君《とうしょうしんくん》のお言葉を、そのまま筆録されたものだとございます」 「そうか――神君のお言葉か」 忠善は非常な衝動を受けたもののように、ややしばらくじっと空をみつめていた。……その胸中にどんな想いが去来したことであろう。やがて深く嘆息をもらすと、 「よく聞かせてくれた。余も眼が明いたぞ」 としみ入るように云った。 「武士はなるほど武士臭く、百姓はなるほど百姓臭くあるべきだ。臭みを無くせば元も失う。臭みなど恐れては真の道に入ることはできぬ。……新兵衛、まだそのあとを覚えておるか」 「たどたどしゅうはございますが、覚えております」 「続けてくれ、聞こう」 忠善は草の上に正坐した。新兵衛は身を正し、低い力の籠った声で暗誦を続けた。 「……右の武士は武士臭くてよからぬという説は、武士きらうのものがふと云い出したる言なるべし。さようの者はふんどしを除きてさようおくれたし。これ平生畳の上の習いにて肝心の大切の時は、そのようなる心にて強きことは中々ならぬものなり」 すでに日はとっぷりと暮れた。六尺ほど隔てて相対した主従の顔も夕闇のなかで朧にかすんできた。しかし、忠善は時の移ることも忘れて、一言も聴きのがすまじと聴いていたし、新兵衛の声もますます熱を帯びてゆくばかりだった。 「……天地を尽くしても、武士の有らんかぎりはこの道理すたることなし。常の心懸けということ、これを措いて多からず。たとえて手近の証拠をあげていえば……」 平八郎聞書はなお続く、空には美しく星が輝きはじめていた。 底本:「強豪小説集」実業之日本社 1978(昭和53)年3月25日 初版発行 1979(昭和54)年8月15日 四刷発行 底本の親本:「島原伝来記」 1942(昭和17)年刊 初出:「島原伝来記」 1942(昭和17)年刊 ※表題は底本では、「平八郎聞書《へいはちろうききがき》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
https://w.atwiki.jp/ltltgtgt/pages/127.html
《侍》 一般的に「武士」と呼ばれる者。 ただ「侍」の語源は「主人に侍(さぶら)う者」からであり、実は「武士=侍」とは一概に言えないらしい。 武士の起源は平安時代末期まで遡ることができる。地方に赴任し土着した貴族達が、その地で郎党を組み武装化し、土地の支配者と戦闘職人集団の要素を兼ね備えるようになったものが最初といわれる。 また、その起源をたどれば大体が清和源氏と桓武平家に行き着くといわれる。 AC15に導入された新しい上級職のひとつ。忍者と弓使いをマスターすると取得できる。 特殊能力は、時折オジャマに抱き合わせでHELLを発動させる「一閃」。 はっきり言ってHELLの存在意義をまるっきり潰しているジョブである。 ここまで行けば完全にやりすぎであり、幻術師共々コンマイクオリティを最大限に発揮してしまったことを象徴するかのようなジョブである。 因みにマスターはオジャミックス。
https://w.atwiki.jp/plasp/pages/28.html
かつお武士 由来…かつお節+武士 評価:あつっ! 西郷並盛 由来…西郷隆盛+並盛 評価:ぬるっ! 高垣彩陽の「全国ぬるキャラ甲子園」
https://w.atwiki.jp/alicesoftcapture/pages/37.html
▼目次 概要 特徴 対策初期支配国 スタート時の兵種構成 武将パラメータメインキャラ 汎用キャラ 参入条件 イベントコメント 概要 国主は足利超神。足利の瓢箪所持国。支配地域は京、まむし油田。 侵攻可能時期は、賠償を求められてから。賠償を断れば、即時開戦。賠償に応じても織田ターンで宣戦布告可能。 天志教と開戦しても強制開戦(猿殺し以外は30ターン前後)。 特徴 足利超神の治める国。バランス型。 ランダム汎用が財テク(商売人も?)を所持している割合が高い。 対策 最初に侵攻でもしない限りは、苦戦することはないだろうと思われる。 山本五十六出現直後にランスが出撃すると、イベントで自動敗退。次の戦闘からは普通に戦える。 ランスを一切出さずに滅ぼしてもよい。但し、300人Hを目指す場合、最終城でランスを出せないのは不利。 足利壊滅前に山本五十六を仲間にしたい場合、後列攻撃可能な部隊で精鋭を揃え、確実に倒す。 足利家を滅ぼすと自動的に捕虜→勧誘可能なので、無理に戦闘で捕獲しなくても問題ない。 なんらかの理由で、足利家と交戦状態維持したいときは、戦闘捕獲。但し、少々手順が必要。下の参入条件。 武士の新田義貞が結構強い。標準~★1では問題ないが、★2以上ではかなりの強敵に。 降伏勧告をすると、山本五十六が仲間にならない。 交戦維持の場合、30ターンで2つめの瓢箪が割れていないため藤吉郎が武田の瓢箪を割ってしまう?のに留意。 本来は、織田瓢箪→足利瓢箪となるところが、織田瓢箪→武田瓢箪となる。 瓢箪を割らずに関西に行くなら京、関東に行くならまむし油田を制圧する。 初期支配国 名称 国力 地域数 迷宮 備考 京 3 3 カチカチ洞窟 まむし油田 4 3 石油穴 石油穴は蘭ルート参照。 スタート時の兵種構成 兵種 ユニ 半汎 汎用 計 足軽 2 5 7 武士 3 6 9 忍者 3 3 弓兵 1 1 2 4 陰陽 2 2 巫女 1 3 4 軍師 1 1 武将パラメータ メインキャラ 名前 体力 LV 兵種 職種 行 攻 防 知 速 探 交 建 コ 技能(合戦/迷宮) 備考 足利超神 60 5/6 巫女 一般 3 0 0 1 1 0 0 0 4 巫女の舞、落ち武者狩り/ 一休 100 10/15 軍師 軍師 4 6 4 4 6 4 6 4 2 とんちで大逆転→合戦戦術(丙) 状態解除(丙) とんちは現在の戦果ゲージを逆転させる 山本五十六 190 27/37 弓兵 弓士 4 5 5 6 5 3 2 3 1 -/ 足利ターンイベント後、参入 各武将のイベント詳細 足利 足利超神 巫女。全能力が非常に貧弱。コストが無駄に高い。 阿樹姫の屏風イベントをすすめる為には、足利超神が必要。 仲間にしていると、各シナリオ後半(謙信ルート以外?)に、やや強力なアイテム「帝リング」を取得可能。 ずっと捕虜→後半に登用→取得後、即解雇 でも問題なし。 一休 軍師。合戦能力は平凡。技能がチート級。回数制限があるので、ここぞという場面で。内政やや優秀。 「とんちで大逆転」戦果ゲージを反転(要準備・行動全消費)。 数回使うと『これが最後の大とんち』と言って、普通の合戦戦術に変化(3回?) 徳川家を従属→いじめぬいて滅亡させるイベントを最後までみるためには、一休が必要(クリア履歴もあり) 山本五十六 弓兵。合戦能力は平凡。好感度MAXで取得可能な技能2つが優秀。行動数4。 「山本式弓掃射」(弓攻撃を変更) 0.9倍貫通 画面横方向に2部隊を同時攻撃 十分に育成後の性能はかなり優秀。育成不十分では火力不足で微妙。 「疾風点破」 暗殺(行動消費2) 複数回暗殺。あまり育成しない場合はこちらがメイン。育成途中で使用するのも良。 ヒロイン化で五十六ルート突入可能(2周目以降) 足利滅亡後のイベントで満足度+5 育成するかどうかで強さの変動が激しいので、初期から「ランスの愛」装備もオススメ。 汎用キャラ 名前 体力 LV 兵種 職種 行 攻 防 知 速 探 交 建 コ 技能(合戦/迷宮) 備考 井上成美 180 25/33 弓兵 弓士 4 4 5 5 5 2 6 2 1 -/- 仕官人数150固定 イベント仕官。クリア登録あり 山口多聞 180 25/30 弓兵 弓士 5 5 4 5 7 6 2 2 1 -/- 仕官人数150固定 イベント仕官。クリア登録あり 公家強子 117 10/20 武士 武士 4 5 4 5 5 7 3 5 3 ガード崩し、手加減攻撃/ 人材発掘。クリア登録あり 公家京子 117 10/20 足軽 武士 6 4 5 6 4 4 6 1 2 味方ガード、財テク/ 人材発掘。クリア登録あり 頑固一鉄 160 22/30 軍師 軍師 3 5 8 5 5 2 2 2 2 合戦戦術(単)、状態解除(丙) 人材発掘 たくわん様 354 38/40 武士 武士 4 4 5 4 7 2 5 2 3 大声突撃 人材発掘 安藤きゅうり 134 28/40 陰陽 陰陽 4 5 4 4 4 2 2 3 3 防御式神、式神、鬼を召喚、速さ運 人材発掘 足利義輝 45/45 武士 武士 レベル以外ランダム。クリア登録あり 新田義貞 武士 武士 -/- 攻防知速が5-9 捕獲不可 楠正成 足軽 武士 味方ガード/- 攻防知速が5-9 捕獲不可 新衛門さん 足軽 武士 能力値ランダム 久保田法眼 武士 武士 能力値ランダム 平沼元 弓兵 弓士 能力値ランダム ※ 空欄のレベルやステータス、追加技能の有無はランダム。限界は現Lvの+5。イベント仕官、人材発掘は固定 公家強子 武士。合戦能力は平凡。技能がレア。鍛えないと少し使いづらい。探索優秀。 「ガード崩し」0.8倍単体攻撃。反撃率激減。ガード無視。 足軽をガンガン食える貴重な技能。但し、足軽以外には微妙。 「手加減攻撃」0.2倍単体攻撃(行動2消費)。捕獲率アップ(大) 攻撃力は皆無。捕獲率アップは、かなり効果あり(パッチを当てていないと効果微妙)。反撃は普通にうける。 公家京子 足軽。加入時の兵数が多めで、序盤の即戦力となる。 財テク持ちなのも地味に便利。 基本的な評価としては上記二点だが、槍衾2を覚えさせた上で攻撃力を補強できれば3倍攻撃を2回撃てる最強クラスのアタッカーとなるポテンシャルがある。但し育成に手間が掛かる。 安藤きゅうり 陰陽。合戦能力は平凡。この時点では陰陽自体が貴重。速さ運も○。 頑固一鉄・たくわん様と一緒に登用することが、強力な満足度ボーナスキャラ「油娘道三ちゃん」参入の条件。 油娘道三 参入条件 キャラ名 参入形式 参入条件 足利超神 自動捕虜 足利家制圧で捕獲 一休 捕虜 戦闘で捕獲、その後説得 山本五十六 1.自動捕虜2.捕虜 1.足利家制圧で自動的に捕虜に2.戦闘で勝利→五十六敗走→超神の叱責→3Gの冒頭イベント以降に捕獲可能 井上成美 イベント 山本五十六の二回目の???イベントで仕官する武将枠に6以上の空きが必要 コストに余裕(7以上)が必要? 山口多聞 イベント 山本五十六の二回目の???イベントで仕官する武将枠に6以上の空きが必要 コストに余裕(7以上)が必要? 公家強子 交渉15 京制圧後 公家京子 交渉15 京制圧後 頑固一鉄 交渉 3 まむし油田制圧 たくわん様 交渉 3 まむし油田制圧 安藤きゅうり 交渉 3 まむし油田制圧 イベント ジャンル イベント名 発生条件 詳細 ??? 美濃三人衆の噂 制圧後 人材発掘の条件 ??? 足軽訓練場の建造(常時国力を5使用) まむし油田占領後、国力に5の余裕 「足軽訓練場の見学」の発生条件 交渉 3 人材発掘 頑固一鉄(軍師) 「美濃三人衆の噂」 頑固一鉄が武将に 交渉 3 人材発掘 安藤きゅうり(陰陽) 「美濃三人衆の噂」 安藤きゅうりが武将に 交渉 3 人材発掘 たくわん様(武士) 「美濃三人衆の噂」 たくわん様が武将に 探索 25 秘宝 ムラサメを探す 制圧後 アイテム 謎のムラサメが手に入る まむし油田の臨時徴収 制圧後 ターンごとに+100(最高5000) 京で臨時徴収 制圧後 ターンごとに+100(最高5000) 足軽訓練場の見学 足軽訓練場の建造を選択している 全足軽部隊に5名増員される 種子島家から鉄砲部隊の販売が来た 種子島家活動開始数ターン後、非交戦状態なら京にて 金1000で汎用の鉄砲部隊(250人固定)が武将に 憧れのあの人…☆ミ 足利超神と独眼流政宗が仲間にいる。 ??? 新撰組の様子を調べる ハニーの上洛を放置する 「京の有名料亭で食事」が出現する。実行後時間がかかることもある ??? 京の有名料亭で食事 新撰組の様子を調べた後 沖田のぞみを士官可能に コメント 賠償は金足りないとその分しか要求されないけど、見事に0なら要求すらない。忍者と弓の最初はフル雇用で0になるから、人望を狙うときに毎回かったるい場合は便利っぽい 違ったらすまん - 名無しさん (2008年03月21日 16時36分41秒) 公家姉妹の登場条件、おだんご姫を終らせてることも追加。 - 名無しさん (2008年05月07日 21時50分39秒) ↑ 三人衆も同じだった 香姫やらないと登用全般でない? - 名無しさん (2008年06月20日 23時38分24秒) 井上さんと山口さん加入条件がよく分からないんだけど、足利制圧すると仲間にならないのかな?ターン60武将数22でコスト40近く余裕あるんだけど全然こないんだ・・・五十六の高感度もランスの愛で上げまくってるから足りないことはないと思う。 - 名無しさん (2008年07月20日 18時37分05秒) ↑弟の死がわかる→五十六の見合いをランスがぶちこわす(公家の方じゃないやつ)の時点でコストと武将枠の条件を満たしていたら、仲間になる。 - 名無しさん (2008年07月20日 19時37分28秒) ↑なるほど、そのイベントの時点で条件を満たせばよかったのか。ありがとう。 - 名無しさん (2008年07月20日 22時07分01秒) 足利義輝の記述を修正。コスト2で固定という記載だったが、コスト1の場合もあった(ver1.04)ので。 - 名無しさん (2008年11月10日 16時54分05秒) ☆5で35ターン超えてるのにいまだに賠償が起こる。 - 名無しさん (2008年11月22日 01時41分09秒) 井上と山口、国力とコスト差が7以上で仲間になるみたい。5、6で試したが仲間にならなかった。 - 名無しさん (2009年06月03日 11時57分00秒) 五十六捕獲しても、足利滅ぼしたあとに勧誘したら仲間にならない? - 名無しさん (2009年06月20日 22時34分12秒) ↑仲間にした後なら大丈夫 - 名無しさん (2009年07月22日 17時37分17秒) あ、↑は降伏の時の話ね - 名無しさん (2009年07月22日 17時39分27秒) 五十六を捕獲するのに3Gの織田冒頭イベントは必要ないようです。 - 名無しさん (2013年02月05日 01時36分29秒) 稲葉一徹はわかるとして、きゅうりとたくわんはなんでこんな名前になったんや。。w - 名無しさん (2016年11月03日 06時53分40秒) ↑ぼくぜん→たくわん もりなり→きゅうり ってことかな - 名無しさん (2017年01月25日 17時31分57秒) コメント 表示される親コメントには限りがあるので、返信の際は返信したいコメント横のチェックを付けて返信するようご協力お願いします。
https://w.atwiki.jp/dotpict-bushi/pages/26.html
あ - 武士猫 (2023-09-24 08 14 12) そ - 武士猫 (2023-09-24 08 14 26)
https://w.atwiki.jp/kaifuusha/pages/18.html
人ごとに、我が身にうとき事のみぞ好める。法師は兵(つわもの)の道を立て、夷は弓をひく術知らず。仏法知りたる気色し、連歌し、管弦を嗜みあへり。されど、おろかなるおのれが道よりは、なほ人に侮られぬべし。法師のみにあらず、上達部・殿上人・上ざままでおしなべて、武を好む人多かり。百度戦ひて百度勝つとも、いまだ武勇の名を定めがたし。その故は、運に乗じて敵(あた)を砕く時、勇者にあらずといふ人なし。兵(つわもの)尽き、矢窮りて、つひに敵に降らず、死をやすくして後、始めて名をあらはすべき道なり。生けられんほどは、武に誇るべからず。人倫に遠く、禽獣に近きふるまひ、その家あらずは、好みて益なきことなり。 口語訳 誰もかれもが、自分に縁遠いことばかりを愛好している。法師は武士の道を専らにし、荒武者は弓を射る方法を知らないで、仏法を知っているふりをし、連歌をしたり、管弦などの音楽をたしなみあったりしている。けれども、いい加減な自分の専門よりは、畑違いなことをしていっそう人に軽蔑されてしまうに相違ない。 法師だけでもなく、上達部・殿上人などのような上層の人たちまで一般に、武術を好む人が多い。百度戦って百度勝っても、まだ勇者の名を決定的なものにするわけにはゆかない。そのわけは、好運にのって敵を討ちやぶるときには、誰でも勇士でないような人はない。武器が尽き、矢がいよいよなくなっても、最後まで敵に降伏せず、平然として死んで後、はじめて、真の勇者たる名をあらわすことができる道理である。だから、生きている間は、武勇を誇ってはならない。武道というものは人間の道にはずれ、鳥や獣に近い行為で、武士の家柄でなくして、好んでも無益なことである。 ここの八十段も前章で触れた百二十二段も期せずして南北朝時代のそれまでのすべての価値観が逆転した狂乱の世相をとらえて批判している。したがって似たような論調になってしまうが、南北朝の乱れ振りについて引き続き語って見ることとする。先ず南北朝の幕開けであるが、倒幕に失敗して捕らわれ、元弘二年(1332年)または正慶元年は後醍醐天皇が幕府より退位を迫られるが頑なに拒み続けて天皇のまま三月に隠岐に遷幸するとあるが流され、替わって幕府より支持されて持明院統の光厳天皇が即位したのが始まりである。隠岐の後醍醐天皇と京の光厳天皇の二統が並立の形で存在する変則の時代が推移していく。鎌倉は光厳天皇が唯一の天皇と認識しているであろうが、曖昧にして完全に政治的な止めを刺さない限り変則の政治形態は残るのである。果たして翌年の元弘三年二月に後醍醐天皇は隠岐より出雲に脱出して、伯耆の土豪名和長年の助けにより船上山にこもる。これを契機に全国にマグマのようにどろどろと漲っていたアンチ北条勢力のエネルギーが一気に爆発し、打倒北条政権を目指して行動を開始したのである。魔法使いのようにあれほど強権を誇っていた幕府が京都に鎌倉に攻め込まれてあっけなく瓦解してしまったのである。営々と権力を一手に集中させ過ぎた北条一族はいつしか孤立し誰からも支持されなくなって滅亡したのである。 後醍醐天皇は得意の絶頂であったであろう。元弘三年(1333)五月に船上山より京への凱旋の道のりは一瞬の輝きであった。名和長年はじめ一族に天皇一行は前後左右を警護されて京にのぼった。年来の宿望を果たし、行く先々の沿道では熱狂的な民衆に迎えられて、これまでの幕府の目を恐れて罪人のような逃避行の苦難から解き放たれて堂々の還御に、駕篭の中でこの劇的な変転振りをしみじみ感じとっていたことであろう。しかし、京に着いて建武の新政が樹立されてからは、権力に対してはまるっきり稚児に等しい振る舞いであった。性急であれも欲しい、これもしたいで政治的な配慮・影響に関しては全く無関心であった。「朕が新儀は未来の先例たるべし」という天皇自身の言に象徴されるように綸旨万能主義の発想では、超絶独裁政権の政治を支える有能な官僚が揃わず、忽ち行き詰まり立ち往生することは目に見えていた。北条政権で抑圧されていた地方の武士や地権者が、権利回復の絶好の機会とばかりに文書の入った細葛(ほそつづら)を背負って京へ殺到して己の土地の所有を認めさせようと口々に主張し、永年鎌倉幕府任せで惰眠に慣れていた朝廷の機能は麻痺して大混乱に陥ってしまった。事務処理は遅く、その上極めて不公平で、政令が綸旨よる一遍の通達で朝令暮改式にくるくる変わり、武士や民衆の期待と熱気は一気に冷めてしまった。建武の新政の正体を見たりであった。それに引き替え尊氏は六波羅が陥落すると、すぐその跡に私設奉行所を作って、京畿の治安・秩序の維持に当たり、地方から京に上ってくる武士たちの到着状を記録したり、鎮西探題滅亡の際しては敵方の処置について彼の裁量で御教書を出して処置をしたりした。少なくても朝廷よりは尊氏のほうが安定感もあり民意の掌握にははるかに長けていた。北条幕府から足利幕府の鞍替えを目指して、尊氏は自信と先見性を持って全国の武士の統制、指揮権を確立しようとした。実質の幕府将軍のような振る舞いである。 いかに護良親王・大塔宮が尊氏の野心振りを見抜いて切歯扼腕しても、彼の強大な武力ならびに武士達の信頼の前には後醍醐天皇ともども手も足も出ずにどうにもならない現実があったのである。尊氏は阿野廉子と組んで謀反人に仕立て上げた大塔宮を捕えて、天皇の意に反して鎌倉に送り幽閉して後に殺しているが、その際、大塔宮の側近勢力、南部・工藤等の武士五十名を斬り、日野資朝の弟・律師浄俊なども殺している。正中の変、元弘の変で比較的寛大な処置をとった北条幕府とは対照的に根こそぎ切り取って潰したという印象である。あたかも頼朝が義経を鎌倉幕府運営には邪魔だとして平家滅亡後は執拗に追い回して滅ぼしたごとく、時代の創始者としての彼の冷徹な一面が窺える。王政復古を目論んだ後醍醐天皇の永年の努力も時代の受け入れるところではなく、儚く消え去る運命にあったのである。 建武の新政府が(1334年)発足して間もない八月、後醍醐天皇の政庁にほど近い二条河原に掲げられた落書がある。世にいう有名な「二条河原落書」である。当時の新政府の施策や世相など、社会の混乱振りを皮肉交えて鋭く喝破した落書である。今となっては当時を知る上で貴重な資料となっている。珍重するべき二条河原落書をここに披露して、その混乱振りを検証して見ることとする。 此比(このごろ)都ニハヤル物/夜討・強盗・謀(にせ)綸旨召人(めしゅうど)・早馬・虚(そら)騒動/生頸(なまくび)・還俗(げんぞく)・自由出家俄(にわか)大名・迷者(まよいもの)/安堵・恩賞・虚軍(そらいくさ)本領ハナルヽ訴訟人/文書入タル細葛(ほそつづら)追従・讒人(ざんにん)・禅律僧/下克上する成出者(なりでもの)器用の堪否(かんぷ)沙汰もなく/モ(洩)ルヽ人ナキ決断所キ(着)ツケヌ冠・上ノキヌ(衣)/持(もち)モナラヌ笏(しゃく)持テ内裏マジ(交)ハリ珍シヤ/賢者ガホ(顔)ナル伝奏ハ我モ我モトミユレドモ/巧(たくみ)ナリケル詐(いつわり)ハヲロ(愚)カナルニヤヲト(劣)ルラム/為中美物(いなかびぶつ)ニア(飽)キミ(満)チテマナ板烏帽子(えぼし)ユガメツヽ/気色メキタル京侍タソガレ時ニ成ヌレバ/ウ(浮)カレテアリ(歩)ク好色(いろごのみ)イクゾバクゾヤ数不知(かずしれず)/内裏ヲガ(拝)ミト名付タル人ノ妻鞆(めども)のウカレメ(女)ハ/ヨソノミル目モ心地ア(悪)シ尾羽ヲ(折)レユガムエセ(似非)小鷹/手ゴトニ誰モス(据)エタレド鳥トル事ハ更ニナシ /鉛作ノオホカタナ(大刀)大刀ヨリオホ(大)キニコシラエテ/前サガリニゾ指(さし)ホラスバサラ扇の五(いつつ)骨/ヒロコシ(広輿)・ヤセ馬・薄小袖日銭ノ質ノ古具足/関東武士ノカコ(籠)出仕下衆(げす)・上臈ノキハ(際)モナク/大口ニキ(着)ル美精好(びせいごう)鎧・直垂(ひたたれ)猶不捨(なおすてず)/弓モ引エヌ犬追物(いぬおうもの)落馬矢数ニマサリタル/誰ヲ師匠トナケレドモ遍(あまねく)ハヤル小笠懸(こかさかげ)/事新キ風情也京・鎌倉ヲコキマゼテ/一座ソロハヌエセ連歌譜第・非成ノ差別ナク/自由狼藉ノ世界也犬・田楽ハ関東ノ/ホロブル物ト云ナガラ田楽ハナヲ(猶)ハヤルナリ/茶香十炷(じっしゅ)ノ寄合モ鎌倉釣(づれ)ニ有鹿(ありしか)ド/都ハイトヾ倍増ス町ゴトニ立篝屋(かがりや)ハ/荒涼五間板三枚幕引マハス役所鞆(ども)/其数シラズ満々(みちみて)リ諸人ノ敷地不定(さだまらず)/半作ノ家是(これ)多シ去年火災ノ空地共/クワ(禍)福ニコソナリニケレ適々(たまたま)ノコ(残)ル家々ハ/点定(てんじょう)セラレテ置去(い)ヌ非職ノ兵仗ハヤリツヽ/路地ノ礼儀辻々ハナシ花山桃林サヒシクテ(淋しくて)/牛馬華洛ニ遍満ス四夷ヲシツメシ(鎮めし)鎌倉ノ/右大将家ノ掟ヨリ只品有(ひんあり)シ武士モミナ/ナメンタラニゾ今ハナル朝(あした)ニ牛馬ヲ飼ナガラ/夕(ゆうべ)ニ賞アル功臣ハ左右(そう)ニヲヨ(及)バヌ事ゾカシ/サセル忠功ナケレドモ過分ノ昇進スルモアリ/定(さだめ)テ損ゾアルラント仰テ信ヲトルバカリ/天下一統メヅラシヤ御代ニ生マレテサマザマノ/事ヲミキクゾ不思議ナル京童(みやこわらわ)ノ口ズサミ/十分ノ一ヲモラス(漏らす)ナリ (建武年間記) この落書が張り出される十ヶ月前に大塔宮(護良親王)が捕らえられ、鎌倉に送られている。落書の始めの部分は大塔宮と密接に関わりを持った内容であると言われている。先ず出だしを「このごろ都にはやるもの」と梁塵秘抄のフレーズを借りて関心を引きつけて、落書の夜討・強盗とは新政府内の人間(大塔宮)に連なる人間の従者が六波羅陥落の際に金融業者(土倉)の蔵から財宝を持ち出して狼藉を働き、のちに尊氏が略奪行為を働いた下手人二十数名を捕えて処刑したことを指している。必ずしも都が闇討ち・強盗が日夜横行するかのような治安情況の不穏状態を指しているのではない。謀綸旨(にせりんじ)も天皇の綸旨万能主義が制度障害を起こして行き詰まっていることの批判である。綸旨は本来格式があって身分の低い者には出されないものであったが、すべて綸旨によるとなると不慣れからその真贋の見極めができずに、忽ち事務の停滞が発生し現場を混乱させた。土地の領有権に関する紛争から始めとして、様々な人々の多くの要求に対して到底応えられるものではなく、天皇のあずかり知らぬところで綸旨万能の弊害が噴出していたのである。召人・早馬・虚騒動も、逮捕者が出たとか、急を知らせる早馬が発進したとか噂が飛び交い、また、大塔宮が尊氏追討のため急襲するかも知れないという物騒なデマも飛び交う不安定な政情を指している。「生頸・還俗・自由出家」は、出家して剃髪したばかりの青白い頭、それもすぐに還俗して、もとに戻ってしまうご都合主義の輩を指す。仏の教えとは無関係の連中である。落書は、さらに次のように続いていく、「俄大名・迷者、安堵・恩賞・虚軍(そらいくさ)、本領ハナ(離)ルヽ訴訟人、文書入タル細葛(ほそつづら)、追従・讒人(ざんにん)・禅律僧、下克上スル成出者…」一夜明けると大名になる者、主君を失って浮浪人になる者、所領の確認を求めたり、新しく恩賞を得ようとしたりして、ありしもない合戦をデッチ上げたり、手柄を主張する不心得者が現れたりする。続けて、戦後の混乱の中で先祖伝来の領地が他人の手に移ってしまった者が、代々の領有を証明する証拠書類を細葛に携帯して、訴訟のためにはるばる上洛しなければならなかったことを指す。「追従・讒人・禅律僧…」とは、新政府にオベンチャラをいったり、ライバルを中傷したりして権力に食い込んだり、後醍醐天皇の信任をいいことに権勢を欲しいままにした文観・円観のような僧侶たちを暗に指し、あたかも下克上をして急速に成功者にのし上がったようなおかしな情況を皮肉っている。以下、落書を抜粋して当時の世相を浮き彫りにして見ることにする。「器用堪否沙汰もなく…」は、能力の適否をろくに調べもせずに、雑多な人材を掻き集めた俄の雑訴決断所(裁判所)の人的構成を揶揄している。加えて彼らの立ち振る舞いが板につかずに、「キツケヌ冠・上ノキヌ/持モナラハヌ笏持テ/内裏マシハリ珍シヤ」と場違いな存在として笑いものの対象にされてしまう。これに関しては、後醍醐天皇が隠岐から脱出して無警護の裸同然で伯耆に着いたとき、天皇をお守りして船上山に導いた功により覚えのめでたかった親衛隊長然たる名和長年が、一介の地方武士からいきなり従四位下・伯耆守に抜擢され、新政府では雑訴決断所・恩賞方・記録所などの職員になって不慣れな勤めをしている。あまつさえ東市正(ひがしのいちのかみ)にも任ぜられ、京都の商業を管理するポストまで登りつめた。お陰で京童の目に晒されて、その見慣れぬ烏帽子のかぶり様と共に横柄な態度も含めて田舎丸出しの彼を「伯耆様」と諸人から賞玩されて話題の種を提供していた。正に落書に書かれたような下克上スル成出者としてのモデルを務めていた。更に批判の目は京都への新参者の風俗にも及び、たそがれ時にもなれば、派手な為中美物(いなかびぶつ)の色好みの京侍が満ち溢れて数知らず、女漁りに耽る様は傍目にも気色悪いと批判している。また、鉛作の太刀より大きい大刀を前下がりに差し込んで虚勢を張る。質屋から日銭で古具足を借りて、籠で出仕したりして、下衆上臈の区別もない関東武士の滑稽さ。更に、京文化に対する半可通な東国武士の技芸に対しても、「尾羽ヲ(折)レユカムエセ小鷹/手コトニスエ(据え)テレド/鳥トル事ハ更ニナシ」「弓モ引エヌ犬追物/落馬矢数ニマサリタリ」と鷹狩も犬追物も武芸の訓練の体をなさず地に落ちた状態を冷笑する。徒然草の八十段に「夷(えびす)は弓ひく術知らず、仏法知りたる気色し、連歌し、管絃を嗜みあへり」とある文と妙に符合する。他にも符合する文章は見られるが、兼好が落書の書き手の一員ではないかと擬せられる所以でもある。「京鎌倉ヲコキマセテ/一座ソロハヌエセ(似非)連歌」「在々所々ノ歌連歌/点者ニナラヌ人ソナキ」「譜第非成ノ差別ナク/自由狼藉ノ世界也」、貴族のかちっとした作法に慣れ親しんだ連歌とはかけ離れたルールで、歌会の審判員も碌な人物しか揃わなくて、民衆も参加して所々で興行された自由気ままな歌会を指す。さしずめバサラ大名の異名をとる茶会・連歌好きの佐々木道誉あたりが格好のモデルとなっているか。 闘犬・田楽踊りは関東の滅ぶもの言いながら、京では田楽はなお流行っている。茶香の寄合も旧に倍して盛んになっている。裏に賭け事の盛行がある。洛中の有様は、「諸人ノ敷地不定/半作ノ家是多シ、去年火災ノ空地共/クワ(禍)福ニコソナリニケリ」と前年の戦いの余燼が燻っており、「適(たまたま)ノコル家々ハ/点定セラレテ置去ヌ」と、洛中に残った家々は武士たちに陣取りされて、戦乱の再発を予感させている。今や京都は公家社会の外側からやってきた武士たちの軍事拠点の場とされて、時代の変革を大きく実感したに相違ない。何故なら、それまでなら公家と武家は洛中と京都東郊の幕府の出先機関である六波羅の置かれている河東地域とで暗黙の内に棲み分けをしていて、洛中における武士の活動は厳しく制限されていたからである。それが解消され始め、武士が洛中に堂々と進出して傍若無人の振る舞いをしている。さぞかし京童は隔世の感を味わったことであろう。「非職ノ兵仗ハヤリツヽ/路次ノ礼儀辻々ハナシ」私的な軍隊で満ち溢れ、街中の規律は乱れ、武士たちの牛馬が洛中に満ち溢れる。と、嘆かれる始末。「朝ニ牛馬ヲ飼ナガラ/夕ニ賞アル功臣ハ、左右ニオヨハヌ事ソカシ/サセル中功ナケレドモ、過分ノ昇進スルモアリ/定テ損ゾアルラント」さしたる功労がなくとも破格な昇進をするちぐはぐさを指している。これらの人材登用は武士階級にとどまらず、後醍醐天皇が貴族の伝統的な家格まで無視して登用するために、天皇の措置は正気の沙汰ではないと貴族間で噂される始末であった。 当時の政治の様子から下克上する成出者たる新参者への不快感、都中の世相の有様まで「建武の新政」なるものの何かを多岐にわたっていろいろと批判しているが、批判者はこれでも知っていることの十分の一しか漏らしていないと皮肉ぽっく締め括っている。落書は七五調か八五調で調子よく語られ、字が読めない者でも読んで聞かせてもらえば耳から自然に入るように工夫されている。落書の哄笑は、恐らく忽ちの内に京一円には広まったことであろう。書き手は匿名のため、新政府のお膝元でありながら批判者を罪人として捕えられることはなかった。新政府に協力する者がいなかったということであろう。 落書に書かれるまでもなく、後醍醐天皇の親政政治は多難であった。わが子の大塔宮(護良親王)を犠牲にしてまで足利尊氏を懐柔してきたが、武家政権を目指す尊氏とは相容れず、所詮水と油の関係であった。建武二年(1335年)七月、北条高時の遺児、北条時行が信濃で挙兵して、武蔵にはいり、鎌倉に迫った。いわゆる中先代の乱である。鎌倉にいた足利直義は時行に敗れて鎌倉を退く。その際に、牢に幽閉していた大塔宮を部下に命じて殺させる。この機に尊氏も天皇の許しなくとも、勝手に征東将軍(征夷大将軍ではない)を名乗って鎌倉に行き、時行を破って鎌倉を取り戻す。あたかも野に放たれた虎になると評された尊氏は、最早天皇の帰洛の命にも服さず、しばらくは鎌倉から動かなかった。それどころか従ってきた諸将への恩賞を行い、将軍としての振る舞いをして来るべき幕府設立の地歩を固めて、後醍醐天皇の新政権との決別を鮮明にする。戦の実際の担い手は地方の武士たちであった。彼等の心理を掌握するか否かで、政権の帰趨が決定されることを尊氏はきちんと理解しており、天皇は権威の雲の上に立って理解どころか考慮にも入れてなかったのだ。地方武士達の土地が安堵され、より公平な恩賞にあずかることが出来るのは、天皇か尊氏かどちらか本能的に嗅ぎ分けていたのである。尊氏が中先代の乱を鎮めるべく京を出発したときは、手兵僅かに五百騎に過ぎなかったのが、東下するにつれて次第に不満武士などが合流してふくれ上がり、ゆくゆくは三万騎にも及ぶ大勢力になったという。尊氏は魔法使いでなければ奇術師でもなく、冷徹な現実主義者で現状がどう云う情況であったのかを理解していたに過ぎない。三万騎の中には旧北条方の武士も交じっていたとのことである。これにより天皇と尊氏の決裂は決定的になり、以後おどろおどろとした南北朝の戦乱が始まるのである。天皇方の武将は楠木正成を始め、新田義貞、あの名和長年、千種忠顕など尊氏との戦いであらかたが死んでしまう。天皇は屈せず吉野に逃れて南朝を建てるが、吉野の奥地での劣勢は免れない。天皇は三年後の延元四年(1339)に京に戻ることもなく崩御する。しかし、天皇の死でも戦乱は収まらない。いわば時代の変換点に差しかかっていたからである。分裂した南北朝はおよそ七十年後に南朝が北朝に吸収されて終焉を迎える。別の言い方をすれば、公家対武家の争いで後者が前者を圧倒して終ったということである。歴史は、頼朝の鎌倉時代から武士の世が始まるとされているが、真の意味での武士の世は尊氏の室町時代から始まると考えたほうが妥当なのではないか。武士が公家を駆逐して権力の頂点に立ったのである。為に、将軍は絶えず権力争奪の攻撃目標にさらされ、力が弱まればたちまち倒される運命を背負っていた。将軍は単に武力の棟梁に過ぎなかったために、逆に室町時代は未熟な軍事政権の統治であるが故に政治的に不安定であったともいえる。 兼好は、正にこの混乱の過度期を生きた知識人である。武士が弓矢より仏法に興味を示し、連歌をし、管絃を嗜む。逆に、法師・上達部など武士と対極にあるものが武士の道の鍛錬に現(うつつ)を抜かしている異常で狂乱の有様を捉えて記している。それまで支えてきた厳然たる身分の区分けが崩れて、伝統としての文化の権威が相対的に低下して、正統と異質が混じりあって混沌且つ変容していく時代を肌で感じたのであろう。期せずして二条河原落書とは別の視点で公家の没落、武士の跳梁など京都社会の変貌ぶりを、強いて云えば南北朝期の世相を証言し、慨嘆的に批判している。正に「土崩瓦解」(「誡太子書」・花園上皇)の危機への突入であった。 参考文献 日本古典文学大系 太平記 岩波書店刊 太平記の群像 森 茂暁 角川書店刊 後醍醐天皇 森 茂暁 中央公論新社刊 南北朝と室町政権 小和田 哲男 監修 世界文化社刊 「いかにしてなぐさむ物ぞ世の中をそむかで過ぐす人に問はばや(最終回) 」に続く。
https://w.atwiki.jp/nouryoku/pages/126.html
異世界チキュウから飛ばされてきた武士。 最初はクリムゾンの用心棒だったが後にEVEと行動を共にし、そして、EVEと共に雷の国を襲撃する。 卑怯を嫌い、武士道精神を貫く。 戦闘力は現在未知数。
https://w.atwiki.jp/jap0/pages/77.html
■江戸幕府の成立 年表 1600 関ケ原の戦い 1603 家康、征夷大将軍となる。 1604 家康、江戸幕府を開く。 1615 大阪夏の陣で、豊臣家が滅亡した。 ↓ ポイント:関ケ原の戦いで、家康が勝利した後に、家康中心の時代になった。 →①征夷大将軍の意味が変わること(家系図を使った説明が妥当)。 ②各身分の人々をどのように支配していったのか。 豊臣政権、農民、武士、商人、宗教勢力、朝廷など。 ①関ケ原の戦い 1598年に秀吉が死んだあと、徳川家康と石田三成(ともに部下)が戦いを起こした戦いのこと。 →戦争の結果、徳川家康が勝利した。 ②征夷大将軍 従来の意味は 「蝦夷(東北にいる、朝廷に従わない連中)を征伐するリーダー」 「武士をまとめるリーダー的存在(鎌倉以降)」 征夷大将軍になるための条件 1)源氏の血を引き継いでいること 2)天皇が将軍を任命すること →天皇に認められなければ、将軍になれないということ。 そのため、朝廷と良好になる必要があった。 ちなみに、武士が将軍の言うことを聞いているのは、天皇が任命した(将軍だと認めた)からである。 幕末に起きた公武合体が起きた理由は、朝廷との関係を改善するためである。 では、天皇と将軍、どちらが政治を行うべきなのか? →これには、2通りの解釈が存在する。 1)将軍を任命した天皇が主君(水戸藩、『大日本史』) 天皇―将軍―武士 2)天皇が偉いのは認めるが、政治を行うことを将軍に任せた(統治委任論) 天皇→将軍―武士 (「→」は「政治を任せる」 →幕府は2)で解釈し、支配の正当性を強めた。 いっそう強めた思想が朱子学! 徳川家の将軍の特徴とは何か 徳川家康は、息子の秀忠に将軍職を継承した。この歴史的意義は、将軍とは、徳川家にしかなれないことを意味している(徳川家ではないものを将軍に任命すると、徳川家中心の時代が終わる、ということをアピール)。反対の言い方をすれば、徳川家ではないものが将軍にはなれないことを表している。その危険性が起こる理由は、基本的に、徳川家に子供がいないことである。 →ここまで説明しておくと、明治以降、天皇中心の時代が訪れることも理解できる。理由説明にもつながる。皇帝=天皇とみなして明治時代は天皇中心の国家体制が確立した(近代国家という概念は皇帝(王様、統治者)がいないと、成立しないから)。 ③大阪夏の陣 大阪夏の陣によって、豊臣家が滅亡した。 これ以降、江戸時代は平和の時代が誕生したということである。(パクス・トクガワーナ) その後戦わなくなった武士はどうなったのか? →学問を勉強したり、肉体の強さを活かして土木工事をしたりした。 収入は百姓から取った年貢で生活していました。 江戸幕府の支配体制 幕府が、①武士 ②農民(えた・ひにん含む) ③町人 ④仏教勢力をどのように支配していったのかを確認しよう。 ①武士の支配 →(A)石高制と(B)法支配!(基本的には豊臣家の政策を引き継ぐ) (A)石高制 支配者、権力者の立場に立てば理解しやすい! 流れ:全国統一(全国の土地が一旦幕府のものに) →それを各地域の有力な武士=大名に分配 & その大名がもつ土地を「藩」とする ※藩の例:薩摩藩、長州藩、肥前藩、土佐藩、水戸藩など ※大名は「藩主」「領主」とも言う →では、誰にどのぐらい分配しようかなあ… →そのときの基準となったのが「石高制」 石高制とは、ポイント制! →1万石以上の石高があれば大名になれる ※石高=面積×収穫高。 ※「大名」という言い方の起源は平安時代の「大名田堵(たと)」にさかのぼる →大名田堵=名(10世紀~太閤検地までの土地の単位)を多く持った有力農民。 →つまり「大名」とはもともと「土地を多く持った」という意味 石高はみんな平等というわけではなかった →徳川家と徳川家に信頼されている藩は石高の数が大きく、そうでない藩は石高の量が少なかった →信頼度順に、親藩、譜代、外様大名に分かれた 種類意味 主な配置先 親藩徳川家一門の大名 紀伊・水戸・尾張 譜代関ケ原以前から徳川家の家臣近い~普通 外様〃 以後 〃 遠い →定期テストでは、①親藩の具体例、②主な配置先の特徴が記述問題で頻出 石高制は、都合のいい人を優遇し、都合の悪い人を排除するものである。 1)言うことを聞かない大名に関しては、土地を没収してクビにした。(家康~家光まで) (※) (没収すれば、面積=0になるので、石高も0になる) →しかし、土地を没収された後の武士は「浪人」となり、浪人が団結して反乱を起こすこともあった →そのため、幕府は、土地の没収ではなく、儒教(=偉い人には逆らうな!)を浸透させて支配していこうとした →これが綱吉の文治政治につながる (※)例:広島藩の藩主・福島正則は、幕府の許可なく無断で広島城を立て直した。 →武家諸法度に違反していたので、処罰され、土地を没収された 2)収穫高の少ない地域には、交易で賄わせる 例:松前藩(面積は広いが、もともと米がそんなに取れなかった) 3)能力のない大名の石高は減らし、能力のある大名に分配する(足高の制by徳川吉宗) 大名とは、①領地を支配し、②年貢をもらうことができる →もらった年貢は、配下の武士たちに「俸禄」(給料)として分配 →大名も、幕府の役人に「俸禄」を支給される(米や領地) →もらった俸禄(米など)は、札差(金融業)に換金してもらう →もらえるお金は、米の供給量によって変化する →飢饉などに米があまりとれないと、米が少ないので価値・価格は高くなる。(米が少ないので結局儲からない) 一方、豊作で米が多く取れるときは、米の価値・価格は低くなる。(当然、儲からない) →武士は基本的に貧乏である →だからこそ、その後さまざまな改革が行われる (B)法支配 →武家諸法度を制定した(将軍ごとに更新される。3代目のときに参勤交代が追加される) →目的は、 ①武士のあり方を意識してもらう ②武士の勢力削減(武士が儲けすぎると、軍事力を強めて、幕府に反発する可能性があり、それを防ぐ) ※鎖国の目的も②と一緒。 →第一目的はキリスト教の禁止だが、大名の勢力削減という目的もあった。 (貿易を幕府が主導で行うことで、大名が貿易によって儲けることを阻止することが可能) ②農民支配 基本的には、年貢を払わせることで支配した 前提:農民の家族構成は、基本的に主&妻&子ども →なぜ子どもを産むのか →主が死んだ後、子ども(長男)に後を継がせるため ※後継ぎがいないと、その土地は農民の共有地(幕領)となり、土地をめぐった争いが起こってしまう ※長男が早死にするリスクを防ぐため、子どもは2人以上産むんでいた ※女子が産まれた場合→武士の家庭に嫁がせることが多い 石高の公式上の問題 1石高の公式は、面積×収穫高である。 つまり、税額は、面積or収穫高が少ないならば、その分税額も少なくなるということを意味している。 2主が死ぬと、何人かの子供に遺産相続させる(土地の細分化)。その結果、主が持っていた面積よりも子供の面積の方が少なくなるのである(ケーキを何人かに分けると、ケーキの分量が少なくなる感じ)。 →時代を経れば、経るほど、農民一人当たりの面積が少なくなる。 ⇨幕府の収入も農民の収穫高も少なくなる(収穫高の多寡は面積の大きさに左右する)。 ここでの問題点は、幕府の税収入が減ってしまうことと、農民の生活苦に陥ることである。 さらに、収穫高に依存しているため、悪天候に見舞われると、収穫高が激減するケースもあるため、リスクは大きい。 ③問題点の解決策 1商品作物を作成する(農民)(17C) 米の栽培が少なくなる場合、米以外の作物を都市に売ることで、お金を稼いでいた。そのような作物を商品作物という。主な具体例として、干鰯、金肥、たばこ、みかんなどが具体例である。しかし、幕府としては農民には、米作りに専念してもらいたい。そのため、商品作物の栽培を法律で禁止していた(※)。 2面積を増やす(土地の細分化をなくす)(17C後半~18C) そもそも面積が少なくないから、年貢量が少なくなるわけである。ならば、何らかの手段で面積を増やせば問題はない。増やした方法は以下のとおりである。 稲作が出来るような土地(新田)の開発 新田開発にも、お金がかかるわけです。そこで、幕府はそのお金をお金持ちである町人や武士に出資させたのである。ちなみに、一部の地域では、農民自らが新田開発をすることもあった。 土地の細分化をなくすこと そもそも土地の細分化をしてしまうことが問題である。そこで幕府は、ある土地の面積以下になったら、土地の細分化を禁止する法律を制定した(※)。 3少ない土地でも効率よくたくさん栽培できる工夫をした。 農具の改良や商品作物を用いた肥料を使った(『コンプリート』参照)。 4土地を地主に売る(農民側のアクション)+都市の出稼ぎにでる(18世紀)。 1や2を行っても、土地が少ないため、農民の生活が困窮するケースがあった。農民は生活費を稼ぐために、土地をお金持ちの農民に売った(※)。 土地を売った農民の人は職を失う。その結果、豪農の下で働くようになった。その働いている様子は、一方的にコキ使って安い給料で働かしていたのである(明治時代の寄生地主制と同じである)。その豪農の名称は、明治時代になると、寄生地主という名前である。 それで農民は、都市に出稼ぎに行っていたのである。 その結果、年貢を払わない人が続出した(武士の収入が減った)。土地を売ったら、耕す人が減ってしまうためである。それに対して幕府は、農村に帰れ!と命じた。 明治時代になると、地租改正によって、より多くの小作人を生み出して、寄生地主が大金持ちとなって、間接的に軍国主義を助長させたのは、地租改正を参照してください、。 ■改革期 徳川綱吉 1 勉強熱心で学問奨励 2 貿易を通じて国内の金・銀が少なくなったこと、元禄文化発展による経済活動の活発化により貨幣の需要が高まったことなどにより、 貨幣を増やそうとしたが、金の量に限りがあるので、貨幣の質を落として金を増やした →下げた分の金は幕府の収入とし、保管する。そうすると幕府の権力=国力(国の信用度)を高めることができる。 →民衆の手持ちの貨幣が増える分、物価は高騰。 新井白石 →学者。理想主義。 →貨幣価値をもとに戻した。(金の比率を高くした。残った部分には何を入れたか?→食塩、硝酸カリウムなど) 田沼のイメージ 年貢だけに頼りたくない →株仲間 蝦夷地調査(ビジネスチャンス!海産物とれる!) ↓ ・海産物を輸出するため、 長崎貿易奨励→(国内に不足していた)金銀をもらって補う! ・金銀が少なくなったので、銅を輸出 ※もちろん、年貢に頼ることもする。印旛沼の開拓など ※印旛沼の開拓理由は、水野の場合と違う。 水野は、アヘン戦争による列強(イギリスなど)の脅威に対抗するために、印旛沼からすぐに太平洋に出れるようにという意味で開拓した。 松平のイメージ ①米 ②思想統制 理由:国内で幕府への反発があり、改めて支配のために思想を統制する必要が生じたから (当時も中国とは貿易をしていたので、そのなかで陽明学など他の思想が流入してきた。そのため、儒学への反発が高まりそうになったのを防ごうとしたから) 外国からの脅威(ロシア船がやってくるなど)→民衆の混乱→秩序のしきり直しが必要だった 田沼で政治が乱れたから ■米商人 → 集めた年貢をそのまま売っている 年貢は大阪の蔵屋敷などに集まる ■貨幣経済の広まり 貨幣経済自体は奈良時代からやっていた それが江戸時代のこの時期になって一気に発展 (朝廷がつくった和同開珎が貴族たちに広まったが、だんだんみんな朝廷に従わなくなり、使わなくなった。そして室町ぐらいからまた徐々に貨幣が発展、江戸時代でもっと発展した。)
https://w.atwiki.jp/hirosen/pages/495.html
ヒーロー図鑑 N/N+ R/R+(炎 水 風 光 闇) SR/SR+(炎 水 風 光 闇) UR/UR+(炎 水 風 光 闇) 妖麗 << 武者妖精 << 怨武者妖精 >> 妖精女王 >> 千夜一夜隊 №213101976 怨武者妖精 炎之進改 SR+ №213201977 怨武者妖精 水之進改 SR+ №213301978 怨武者妖精 風之進改 SR+ №213401979 怨武者妖精 光之進改 SR+ №213501980 怨武者妖精 闇之進改 SR+ №213101976 怨武者妖精 炎之進改 SR+ #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 画像 レアリティ 属性 売却価格 #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 スーパーレア+ #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 30,000モニ ステータス 攻撃力 防御力 初期 7000 6440 最大 10000 9200 ☆1 10200 9384 ☆2 10400 9568 ☆3 10600 9752 ☆4 10800 9936 ☆5 11000 10120 進化 消費エナジー トレード 不可 16 不可 アビリティ 炎の盾+炎属性の防御力が結構アップ。戦闘に参加しているときターン開始時に発動。 必殺技名 武心烈刃心の目で敵の弱点を見抜き一刀両断にする必殺技。 解説 その昔、鬼を討った武士の魂が集まり、妖精となった姿。武士の心を持っているものに不思議な道を開くという。 備考 百鬼夜行イベント!妖怪ルモンワ軍団の大行進!!(公式サイト)アップデート/2013-08-29進化前:武者妖精 炎之進 SR+ №213201977 怨武者妖精 水之進改 SR+ #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 画像 レアリティ 属性 売却価格 #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 スーパーレア+ #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 30,000モニ ステータス 攻撃力 防御力 初期 7000 6440 最大 10000 9200 ☆1 10200 9384 ☆2 10400 9568 ☆3 10600 9752 ☆4 10800 9936 ☆5 11000 10120 進化 消費エナジー トレード 不可 16 不可 アビリティ 氷の盾+水属性の防御力が結構アップ。戦闘に参加しているときターン開始時に発動。 必殺技名 武心烈刃心の目で敵の弱点を見抜き一刀両断にする必殺技。 解説 その昔、鬼を討った武士の魂が集まり、妖精となった姿。武士の心を持っているものに不思議な道を開くという。 備考 百鬼夜行イベント!妖怪ルモンワ軍団の大行進!!(公式サイト)アップデート/2013-08-29進化前:武者妖精 水之進 SR+ №213301978 怨武者妖精 風之進改 SR+ #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 画像 レアリティ 属性 売却価格 #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 スーパーレア+ #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 30,000モニ ステータス 攻撃力 防御力 初期 7000 6440 最大 10000 9200 ☆1 10200 9384 ☆2 10400 9568 ☆3 10600 9752 ☆4 10800 9936 ☆5 11000 10120 進化 消費エナジー トレード 不可 16 不可 アビリティ 嵐の盾+風属性の防御力が結構アップ。戦闘に参加しているときターン開始時に発動。 必殺技名 武心烈刃心の目で敵の弱点を見抜き一刀両断にする必殺技。 解説 その昔、鬼を討った武士の魂が集まり、妖精となった姿。武士の心を持っているものに不思議な道を開くという。 備考 百鬼夜行イベント!妖怪ルモンワ軍団の大行進!!(公式サイト)アップデート/2013-08-29進化前:武者妖精 風之進 SR+ №213401979 怨武者妖精 光之進改 SR+ #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 画像 レアリティ 属性 売却価格 #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 スーパーレア+ #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 30,000モニ ステータス 攻撃力 防御力 初期 7000 6440 最大 10000 9200 ☆1 10200 9384 ☆2 10400 9568 ☆3 10600 9752 ☆4 10800 9936 ☆5 11000 10120 進化 消費エナジー トレード 不可 16 不可 アビリティ 陽の盾+光属性の防御力が結構アップ。戦闘に参加しているときターン開始時に発動。 必殺技名 武心烈刃心の目で敵の弱点を見抜き一刀両断にする必殺技。 解説 その昔、鬼を討った武士の魂が集まり、妖精となった姿。武士の心を持っているものに不思議な道を開くという。 備考 百鬼夜行イベント!妖怪ルモンワ軍団の大行進!!(公式サイト)アップデート/2013-08-29進化前:武者妖精 光之進 SR+ №213501980 怨武者妖精 闇之進改 SR+ #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 画像 レアリティ 属性 売却価格 #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 スーパーレア+ #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 30,000モニ ステータス 攻撃力 防御力 初期 7000 6440 最大 10000 9200 ☆1 10200 9384 ☆2 10400 9568 ☆3 10600 9752 ☆4 10800 9936 ☆5 11000 10120 進化 消費エナジー トレード 不可 16 不可 アビリティ 闇の盾+闇属性の防御力が結構アップ。戦闘に参加しているときターン開始時に発動。 必殺技名 武心烈刃心の目で敵の弱点を見抜き一刀両断にする必殺技。 解説 その昔、鬼を討った武士の魂が集まり、妖精となった姿。武士の心を持っているものに不思議な道を開くという。 備考 百鬼夜行イベント!妖怪ルモンワ軍団の大行進!!(公式サイト)アップデート/2013-08-29進化前:武者妖精 闇之進 SR+ コメント