約 1,362,260 件
https://w.atwiki.jp/mudadumonakikaikaku/pages/11.html
コメントプラグイン @wikiのwikiモードでは #comment() と入力することでコメントフォームを簡単に作成することができます。 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_60_ja.html たとえば、#comment() と入力すると以下のように表示されます。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/air2ch/pages/129.html
Q.AIRヴォーカル曲、歌詞の意味がよくわからない。 A.【推測】 青空 晴子に対して告げる、観鈴の別れの言葉。 Farewell Song(別れを告げる歌) AIR編の登場人物に当てはめて考えることができる。 PC版ではほぼ全てのエンドで流れていたため「僕ら」が誰かというのを考えるのは無理だったが、DC版からはDREAM編で歌詞が流れなくなった。これは、Farewell Songの歌詞がAIR編にのみ対応するということを製作者側が示唆していると受け取っていいだろう。 では「別れを告げ」て、全てを置いていくのは誰か。これは無論「さようなら」と告げた少年だ。繰り返しに囚われていた過去の自分たちに対して別れを告げ、新しい道を二人で歩いていく。彼こそ、まさにFarewell Songの主役としてふさわしい。 「新しい歌、口ずさんでる」のもラストの少年だ。 ただ、PC版ではDREAM編のエンディングテーマとしても使われていた以上、三人のヒロイン誰にでもあてはまるよう曖昧に書かれていることを考慮する必要はあるだろう。 鳥の詩 AIR編における、少年の心象風景を通して物語のテーマを歌っているようだ。 「まだ飛べない鳥」はそらのことだから、この歌詞はどうやらAIR編の流れに沿っていると推測できる。しかも、「まだ飛べない」という言葉は、「いずれは飛び立つ」ことを知っているからこそ出てくる。そらが飛べるようになるのを知っているのは少年だけだ。 「鳥」はそら、「子供たち」はラストの少年と少女。「素足」というのは、過去のしがらみや呪いから解放されていることを暗喩していると思われる。 「飛行機」は翼人(ORNITHOPTER=直訳では羽ばたき飛行機、ギリシャ語の語源では鳥の翼で「翼人」を指す、というダブルミーニングから類推)。「飛行機雲」は、翼人が残していくもの、つまり翼人の記憶。それを目指しているのは往人と観鈴だが、「僕たち」も往人と観鈴と言っていいかどうか。ここで「飛行機雲」とあるのは単なる比喩か、実際の光景に何かを重ね見ているのか、ということだ。AIR編のラストで海岸線という単なる景色に、翼人たちの「無限」の繰り返しを重ね見ていたのを思い出して欲しい。ここでは、少年たちが現実に、本物の飛行機雲を追いかけていて、そこに過去の自分たち(往人やそらだった頃の記憶)を重ね見ているのだと解釈したい。 加えて「僕」という一人称を使うのはそらと少年だけだ。往人ではない。 「指を離す」のはDREAM編、手を離さないのはAIR編。または、7月30日にいったん見捨てた往人が、7月31日に戻ってきて再び手をつないだことを指しているのかもしれない。 「風車の羽根たち」は翼人、または観鈴を含む「空にいる少女」。 「線路」は「どこまでも続く」ことから、ラストの「海岸線」のメタファー。 AIR編エンディングのFarewellsongがDREAM編7/17の「さようなら」をつぶやいた時の少年の歌で、 DREAM編オープニングの鳥の詩が実はAIR編の少年を歌っていた、という構造を見出すのも面白い。
https://w.atwiki.jp/air2ch/pages/29.html
Q.転生で記憶の継承はできる? A.【推測】翼人から人への転生では、記憶の継承が可能。というよりも、強制的に継承されてしまうというべきか。 人から人への転生では記憶の継承はできない、または、人から人への転生はできないと説明されている。 だが実際には、人から人への転生でも、記憶の継承が実現できているようだ。 そしてそれには、母君の記憶も含まれていたはずだ。 同時に、母君から受け継いだ呪いも… SUMMERで柳也が説明しているように、呪いと翼人の記憶とはワンセット、不可分のものだ。 そして、 【柳也】「しかし、神奈はいつか地上に降りてくる」 【柳也】「人として輪廻転生すれば、呪いもそこで終わるはずだ」 この「人として」「輪廻転生する」という言葉の解釈が分かれる所かもしれない。だが、まぁ、その後の裏葉とのやり取りから考えるに、 柳也が「人という器へ注ぎ終われば」と言ったのを受けて裏葉が「人という器に注ぎ終えるのは無理ですよ、 その前に器が壊れてしまうから」と答えたと考えるのが自然だろう。 つまり「神奈が人へ転生を完了してしまえば、呪いもそこで終わるはず」で、なぜなら「そこから先、人から人へは転生しないから、 または転生できたとしても記憶継承はできないから」。 輪廻転生という考え方について、涼元がどの宗教に基づいているのか不明だが… 六道を輪廻転生しているとしても、普通の人には前世の記憶などというものはないわけで、 それを根拠に前世からの記憶継承などない、と我々は考える。常識としてもそうだし、 実感としてもそうだと思える。 ただ、AIRという世界では翼人の転生にしろ、方術による強制転生にしろ、転生する前の世の記憶が影響を与えることは確実にあることだとしているようだ。 さて、呪いが継承されないということは、記憶の継承もされないということでもある。 神奈という翼人の魂が、人間に転生できれば、それ以上は呪いも記憶も継がれることはない。 翼人→(転生すると呪いと記憶を継承)→人間→(転生はするが継承はしない)→人間 いや、そもそも人間から人間へ転生することはあり得ないということなのかもしれない。 翼人→(呪いと記憶を継承)→人間 人間→(転生しない、ただ死ぬだけだから記憶も呪いも継承しない)→×人間 だが、方術によって人から人へと強制的に転生させることも可能だ。その際には、人間でも記憶の継承が可能のようだ。 往人→(方術による転生)…(記憶の継承)→そら 観鈴→(そらが転生させる)…(記憶の継承)→少女 往人→そら→少年、神奈→観鈴→少女、それぞれの転生、すべてにおいて記憶は部分的にせよ継承できている描写が見受けられる。 アイデンティティを継承するほどではないにせよ、部分的に人格に影響を与え得るほどには継承できているようだ。 こうして見ると、転生さえできれば、記憶の継承も付随して可能になる、と言った方がむしろ正確なのかもしれない。 その場合、記憶の場は魂にあるということになる。つまり、人であれ翼人であれ、魂そのものが記憶装置としての役割を担っている。 AIRにおける登場人物たちも確固たる自己同一性を持っているにも関わらず実は、前世からの影響でそのような人格になっているに過ぎない、 という描写が幾つも出てくる。 美凪もその一人。彼女は裏葉の影響を受けているとしか思えない。それは血の繋がりゆえか、魂の転生か。 輪廻転生 りんねてんしょう、と読む。古代インドからの伝統的な思想。 転生という考え方には魂のような存在(「我」。永遠不変の本質。アートマン)を前提とするが、釈迦はそのようなものは無いと教えている(「諸法無我」)。 ttp //www2.tky.3web.ne.jp/~kuuki/hp/sisei/ronkou/22.html ttp //www2.big.or.jp/~yba/QandA/98_10_21.html
https://w.atwiki.jp/air2ch/pages/51.html
Q.白穂の夫が駆り出された戦争は? 編集 A.元寇、文永の役。1273年(文永11年)10月。 軍神(いくさがみ)をまつる八幡さまさえ、敵の手にかかり、焼け落ちました。 八幡とは筥崎(はこざき)八幡宮のこと。 史実では、文永11年10月20日、元・高麗連合軍は博多湾から上陸を開始する。 日本軍は敗戦を重ねて撤退、本陣のあった筥崎方面は完全に元軍の占領下に。 その際に軍神を祀る筥崎八幡宮が焼き討ちされている。
https://w.atwiki.jp/air2ch/pages/19.html
名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/air2ch/pages/65.html
Q.SUMMER編の具体的な時期は? A.西暦994年7月~8月。 神奈が柳也に母への想いを吐露したのは満月の夜、旧暦六月十五日(現在の7月初~7月中旬)。 社を出立する命が下ったのが次の日、旧暦六月十六日。 社を脱出したのは土用の大暑(現在の7月23日頃)の前日(7月22日頃)。 神奈が空に封印されたのは旧暦七月十五日(現在の8月初~8月末)。 SEEN702.TXT 俺は思いだしていた。 蒸し暑い社殿の夜。 神奈がつぶやいた言葉。 『逢いたい…』 すべてはあの夜からはじまった。 あれからちょうど、一月が過ぎようとしていた。 霊峰高野山。 金剛峰寺のふところに、俺たちはいた。 夏の土用 7月20日頃の「土用の入り」から、「立秋」の前日までの18~19日間が「夏の土用」。二十四節気の一つ「大暑」はその土用の中にあり、「一年中で最も暑い日」を指す。現在の7月23日頃。 土用の「土」とは陰陽の五行「月火土金水」から。五行の中でも特に「土」は万物の中心、ものの帰結するところであり、始まるところでもある。木の春に始まり、火を生ずる夏、金の秋、水の冬へと至る季節の移り変わりの合間合間に置かれるのが土用。春夏秋冬それぞれに土用がある。 旧暦十五日 旧暦とは太陰暦、つまり月を中心にした暦のこと。十五日を満月とする。
https://w.atwiki.jp/air2ch/pages/104.html
Q.「無限の終わり」って、無限が終わること? 無限に終わりが続くこと? A.文脈から言ってもちろん前者。後者は意味がわからない。少なくともAIRという作品の中で理解できる言葉ではない。
https://w.atwiki.jp/air2ch/pages/112.html
Q.みんなのスリーサイズを教えて。 A.どうぞ。 名前 誕生日 星座 血液型 身長 体重 スリーサイズ 神尾観鈴 7/23 しし座 O 159cm 46kg 83-55-82 霧島佳乃 6/12 ふたご座 A 156cm 45kg 82-53-80 遠野美凪 12/22 やぎ座 A 169cm 48kg 85-58-84 神尾晴子 11/03 さそり座 B 168cm 48kg 88-57-85 霧島聖 1/03 やぎ座 AB 172cm 50kg,87-59-86 みちる ? ? ? 145cm 39kg 72-49-70
https://w.atwiki.jp/air2ch/pages/87.html
Q.「最後の夢」で太古の地球を飛んでいるのは、記憶を地球に返そうとしている神奈? A.そらが飛び立った後、回想シーンらしきものが挿入される。内容からしてどうやら観鈴が見ていた『最後の夢』のようだが、あれが誰かしら翼人であるのは間違いない。では、一体誰なのだろう? まず、翼人の視界の下を飛んでいるのは、よく見ると翼竜である。このことから、あの一枚絵は観鈴の見た『最後の夢』であることが確定できる。 【みすず】「今日の夢はね、羽根のある恐竜さん」 【みすず】「気持ちよさそうに、がおーって飛んでた」 【みすず】「そのもっと上を、わたしが飛んでるの」 【みすず】「わたし、肩からうしろを見てみた」 【みすず】「つばさがあったの」 【みすず】「真っ白なつばさで、わたし、空を飛んでた…」 さて、観鈴はこの『最後の夢』を『世界でいちばんかなしい夢』と評する。大好きな恐竜と一緒に飛んでいる夢が、なぜ悲しいのだろう。観鈴は空を飛ぶ夢を何より喜んでいたのではなかったか。 あの一枚絵は、次のような流れの最後に描かれている。 母が子へ翼人の使命を語る場面 ?が?へ別れを告げて星に還る場面 翼人が消滅する場面 翼人が一人で翼竜の上を飛ぶ場面 この内、観鈴が『最後の夢』の内容として語るのは、四番目だけだ。では直前の三つの場面はどう解釈するべきだろうか。ここはBGMや背景が二転三転するため非常に理解しにくいが、おそらくすべて観鈴の観た『最後の夢』の内容だろう。そう解釈することで、観鈴が最後の夢を『悲しい』と評した理由がわかるからだ。 (補足的な証拠としてRMB_4.PDTファイルを挙げることもできる。文字に起こしてあるので、ちょいネタの『Q.翼人親子の会話、もう一度お願い』という項を参照して欲しい。) 四つの場面を一つの流れとして考えてみる。 最初の翼人の母親が子に翼人の使命を語り、やがて母は子に別れを告げ、星に還る。 その後、母と別れた子がたった一人、空を飛んでいる。 これはまさに、往人が体験したことであり、観鈴がこれから体験することだ。母と別れ、たった一人で、空に飛び立つ。しかも、たった一人きりで。翼竜以外、同じ空には誰もいない世界へ。それは、とても悲しいことではないだろうか。なぜなら、そこには大好きだった母もいない。他に翼人の仲間もいない。自分一人しかいないのだから。 ※ただしこの場面、翼人の子と翼竜はおそらく、観鈴とそらを暗喩している。だからまんざら悲しい場面というわけでもないが、この時の観鈴にはわからないことだ。 ※翼人の髪が青いため、これは観鈴の夢ではなく神奈の記憶なのかもしれない。観鈴は神奈の夢を自分のこととして観ているため、もしこれが観鈴の夢ならば、翼人の髪は次の絵のようなブロンドのはずだからだ(30日朝の夢、神奈が観鈴に入れ替わっていたのを思い出して欲しい)。 http //key.visualarts.gr.jp/product/air/image/air_normal.gif よってこの「そらが飛び立った後」というタイミングで挿入された四つの場面は、そらが神奈の記憶に触れた場面、神奈に出会えた場面だと解釈する方が適当かもしれない。
https://w.atwiki.jp/air2ch/pages/119.html
Q.往人はマザコン? A.往人は出会うキャラクターにことごとく母の姿を見ている。 記憶の片隅に消えることなく残っている母親の笑顔に似た遠野の瞳が、目の前にあった。 往人が「空の少女を笑わせてみたい」という目的で旅をしているのは本人が語っている通りだが、それは元はといえば「母親の笑顔」を求めてのことだった。 俺はただ一生懸命に、人形を動かし続けた。 母が笑う顔をもっと見たい、その一心で。 始まりは、母を探す旅。 もう一度母の笑顔を見たかった。それだけだった。 国崎往人はかなり重度のマザーコンプレックスであることがわかる。だから美凪に母親の面影を見るし、観鈴とも母子の関係を無意識のうちに形作ったりする。 SEEN230.TXT 【観鈴】「なんだか遊びにでかける子供みたいでかわいい。にはは」 DREAM観鈴シナリオ7/24 観鈴の影が長い。 髪が風に揺られ、きらきらと光る。 ずっと前にも、こんな情景を見ていたような気がする。 子供の頃、母親と旅をしていた時だろうか。