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(分裂αパターン終了時までの設定で書いてます。) 朝、八時。 いつもならもう少し早く起きているところなのだが、何故か今日だけは寝坊した。 別に遅刻の可能性を心配するほどの遅れではない。HR前にハルヒと会話する時間が減る程度の話だ。 早い時間に登校すれば新入部員選抜についていろいろと面倒なことをぬかすだろうから、ちょうどいいと言うべきだろう。 眠気のとれない朝にきびきびと行動しろというのはとても酷だ。 トーストに目玉焼き、煮出しすぎて苦くなったコーヒーを腹に流し込み、だるい感じで家を出る。 犬がやかましいほど吠える家の横を過ぎ、大通りを歩く。 いつもより遅く家をでたからなのか、普段見る顔が少ないな・・・いや、高校生自体が少ない。 もしかすると、俺は思ったよりもヤバイ状況なのではないかという思考が頭を掠めた。 時計代わりにしているケータイを取り出そうとポケットをあさったが、無い。 ・・・寝ぼけて忘れてきたらしい。 余裕かましてたらたらと飯を食っている場合ではなかったな。 現在時刻も分からず、周りを見回しても北高の生徒が見つからない。 遅刻を覚悟するべきだろう。 ちなみに言うが、北高に通いはじめてからこれまで一度も遅刻したことなどない。 SOS団の集まりではいつも五分前どころか三十分前行動をしなければいけないくらいなんだからな。 久しぶりに、全速力で大通りを駆け抜ける。 効果音をつけたくなるほどの速さではないが、俺にしてはかなり急いでいるつもりだ。 こんなに走るのはいつ以来だろうか・・・などと考えているうちに、坂が見えてきた。 俺たち北高生を苦しめる早朝ハイキングコース。 通学路の最後の砦。最後の試練とも言うべきか。 持てるすべての力をふりしぼり(おおげさか?)坂道を駆け上がろうとしたその時。 ついさっきまで誰もいなかったはずの俺の眼前に 人が・・・急に現れたような感覚がして 止まれず・・・・衝突した。 「痛ってぇなこの野郎!!・・・って」 「痛た・・・って、あ!!」 「おまえは・・・」「あなたは・・・」 『昨日の!!』 俺がぶつかったのは、昨日文芸部室(現SOS団アジト)に来ていたあの子だった。 ハルヒの話を聞いたあと、自ら拍手を始めたただ一人の女子。 そんな無垢な少女に「この野郎!!」などと汚い言葉を吐いた自分を責める気持ちである、が。 その前にするべきは・・・早く起き上がることだった。 長門と同じくらいの背丈。体重は長門よりも軽いはず。 なのに一年生のころのハルヒと張り合えるくらいの胸を有している彼女は、 真っ直ぐ走る俺の真横から来たそいつは今、俺の上にかぶさっている。 大きすぎず、かといって物足りなさを感じるほど小さいわけではない胸が俺の体に・・・って!! そんなふしだらな考えをしている場合ではない。 通行人の視線が・・・ものすごく痛いからだ。 「頼むから、早く起き上がってくれ。周りの目が気になるから・・・」 俺の言葉で自分たちの置かれている状況に気がついたのか、急に驚いて飛び上がった。 「あ!!・・・・・ご、ごめんなさい」 「いや、こっちこそ悪かったな」 むしろ、ありがとうと言いたいくらいである。おかげで眠気が覚めたしな。 「急いでいたんだ。寝坊してな・・・ケータイ忘れてくるくらい寝ぼけてた」 俺のことを心配してくれたのか、 「そうなんですか・・・・大変だったんですね」 と気遣ってくれた。やはり、昨日来た一年生の中では一番優秀なのかもしれない。 「それで・・・今何時か分かるか? ケータイも腕時計も無くて分からないんだよ」 そう俺に言われて、左腕につけた腕時計をちらっと見た。 小さめの、かわいらしいアナログ時計だ。 「えっと・・・八時十七分です」 遅刻三分前だ。生活指導の教師が玄関で睨みを効かせてるころだろう。 この坂道だ。全速力でもどうなるか・・・・分かったものではない。 っと、不安がるばかりの俺の思考を、その女子の言葉が遮った。 「走りましょう、先輩!!」 久しぶりに「キョン」以外の名称で呼ばれたような気がするが。 「あ、あぁ」 日差しを跳ね返すアスファルト。くぼみにできた水溜り。 木々に芽生えた若葉。それにとまる虫たち。 まさしく春の風景というべき様子の坂道を駆ける。 ・・・初々しい後輩と共に。 「はぁ・・はぁ・・・」 「何とか間にあったな・・・ぎりぎりだ」 「そうですね、先輩・・・あ、先輩の名前って何でしたっけ」 「ん、名前か?」 「はい。先輩の名前って何ですか?」 ・・・ついに来た。俺の名前を出せる瞬間が!! 皆様、発表しよう。俺の、俺の本名は・・・!! 「・・・あ!! 思い出した!! たしか、「キョン」でしたっけ?」 少し遅かったようだ。 「え、いや、それはあだ名で・・本名はだな、」 「いいえ。団長さんが「キョン」って呼んでいるんですから、見習わないと」 そんなとこ見習わないでくれよ。 「じゃあ、また会いましょうね、キョンさん」 「あぁ・・・またな」 俺の名前を出せる日はいつになるのやら。 ・・・って待て。あいつの名前を俺は聞いていないじゃないか。 「おーい、後輩」 「何ですか? キョンさん」 「お前の名前、まだ聞いてなかっただろ」 「あたしですか? あたしは、[わたぁし]です」 [わたぁし]・・・以前かかってきた電話の主が名乗っていたかな。 「この前の電話はお前か」 「えぇ。 近くに住んでいる先輩に番号を聞いたんです」 誰だ。他人の電話番号を知らない奴に教えるなんて・・・。 個人情報保護法ってのがあるのによ。 「秘密です。言わないようにって言われたので」 ますます気になるが・・・。 「それよりも、ちゃんと名を名乗ってくれ。[わたぁし]じゃわけが分からん」 「あ・・・やっぱり説明しなきゃだめですか」 「説明って、どういう意味だ?」 「[わたぁし]って言うのには理由があるんですよ。えっと・・・生徒手帳どこにしまったっけ・・・あ、あった」 生徒手帳を出した後輩は、顔写真の貼ってある方を俺の目の前に出した。 そこに書いてあった文字を見る。 「渡 舞衣。普通なら[わたり まい]って読むんですけど」 「[わたし まい]って読むわけか」 それで一人称を「あたし」にしないとややこしいわけだ。 [わたぁし]と強調するのは「わたし」と区別するため、か。 お互い、変な名前なんだな・・・ホントに。 「そういうことです。それじゃ!!」 そう言って、一目散に駆け出していった。 元気があって初々しい。一年生の鑑だ。 ・・・さて、俺もそろそろ教室に向かわなくてはいけないな。 チャイムが鳴ってしまう前に。 谷口や国木田、そして我がSOS団の長。 涼宮ハルヒの居る教室に。
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涼宮ハルヒのOCG(ハルヒ×遊戯王5D`S OCG) 今回初投稿させていただく者です。よくわからないことが多くて、更新履歴をややこしくしてしまってすいません。これからもよろしくお願いします。 ・涼宮ハルヒのOCG① ・涼宮ハルヒのOCG② ・涼宮ハルヒのOCG③ ・涼宮ハルヒのOCG④
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涼宮ハルヒのVOC 第一話 「初音ミクよ!」 ハルヒは自慢げに答えた。 「そのはつねみくってのは何なんだ?」気になったので聞いてみた。 するとハルヒはしかめっ面をして 「初音ミク!! 何よ!知らないの!?」といってきた。 「ああ。まったく分からん。何をするものなんだ?」 俺の質問を無視してハルヒが、 「みんなは?」と聞いた。 朝比奈さんは少し考えて「えぇと・・・わからないです。」 長門は10秒ほど黙ってから「・・・・知らない。」 スマイルを絶やさないエスパー野郎は「不調法ながら、僕もわかりませんねぇ。」 5秒ほどの沈黙。 ハルヒは肩をすくめて 「みんな遅れてるわねぇ!だめよ!そんなんじゃ!SOS団は常に時代の先を行かなきゃいけないの!」 と紙袋から箱を取り出し机において見せた。 箱には「初音ミク」と書いてあり、緑色の髪の毛の女の子がいた。 興味津々に見入る俺たち。長門もさっきから文庫本を閉じ、こちらに顔を向けている。 「これは・・・何かのソフトですか?」と古泉。 するとハルヒが「そのとおりよ!冴えてるわね古泉君!」 「このVOCALOID・・・って何だ?」 「それはヴォーカル・アンドロイド、VOCALOIDでヴォーカロイド!こんなのもわかんないの!?」 なんか俺と古泉で対応が激しく違うんだが・・気にしないことにした。 「・・・」長門はただ見ている。 頼むからなんかしゃべってくれよ・・出番無くなっちまうぞ? 「・・・ユニーク」 「・・・それだけ?」 「それだけ」 だめだこりゃ。 「髪の毛の色は鶴屋さんみたいですね。かわいいです。」 と朝比奈さん。 いえいえ、あなたも十分にお美しいですよ。 もちろん口には出さないぞ? 痺れを切らしたハルヒが説明しだした。 「要するにこれは音と言葉を設定して歌ったり喋ったりしてくれる夢のソフトよ!」 俺はその説明書を限りなく噛み砕いて液状化させたような説明でやっと理解した。 そして聞いてみた。 「それで何をするんだ?ハルヒ。」 すると、それが当然とでも言うかのような平然とした顔で 「そんなもの考えてないわ!」 ため息をついて肩をすくめてみた。 「まず買うの!それからかんがえるの!あぁ~~!SOS団員がまた増えたわねぇ~!この子は大切に育てていくのよ!そうすれば心が通い合っていくに違いないわ!」 その後、わざわざコンピ研を隣から呼び出して 「インストールとかセットアップがめんどくさいからやれ!」 と命令し、すべての準備をコンピ研にやらせた。 最初はコンピ研も拒否していたが、「しゃ・し・ん!」ハルヒの」一声でおとなしくなってしまった。哀れ。 結局、全工程が終了したころにはもう外が暗くなり始めていた。 「早速はじめてみるわ!」とハルヒが言ったところで長門が文庫本を閉じて立ち上がった。 「・・しょうがないわねぇ・また明日って事で!じゃあ解散!」 こうして俺は帰路についた。 部室で聞いたハルヒのせりふに一抹の不安を抱きながら。 夜中の部室。 プツン! ジーー 「ア゛… ヴ・・ い゛」 プツン!
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後編 3月1日。桜並木の下で同じ学年の女子たちが泣きながら友人たちとの別れを惜しんでいた。 今日は卒業式、あたしは式の後すぐに部室棟へと向かった。朝のうちにみんなに言ってある、式が終わったら部室に集合するように、と。 あたしが扉を開けたときにはもうみんな集っていた。 みくるちゃんは一年前に卒業してたけど、今日はあたしたちの式を見に来ると言っていたので部室にも呼んでおいた。みくるちゃんは一年ぶりの懐かしいメイド服を着てみんなにお茶を配っていた。 有希は相変わらず座って本を開いていた。キョンと古泉くんは会議用の机に着いて話をしていたようだった。 あ、古泉くんのブレザーのボタンが一つ外れてる。やっぱり古泉くんだし、女子に目を付けられてたんだろうな。きっと第二ボタンを寄越せと迫られたに違いない。 キョンは、やっぱりボタンはきちんと全部付いたままだ。そりゃあ古泉くんはともかく、キョンがそこまで女にもてるはずないもんね。 それからあたしたちは学校を出て、みんなでSOS団最後の市内探索を行った。 その後はカラオケに行ったりして日が暮れるまで遊びつくした。 楽しかった。今日だけじゃなく、このSOS団のみんなと過ごした高校の3年間全てがとても楽しいものだった。 それだけに、これでお別れになってもうみんなと会えないと思うと、胸が痛くなるほどに心苦しかった。1年生の頃、夏休みが終わらなければいいなと思ったことがあった、あれを何倍にも強くしたときのような気持ちになった。 でもまた高校の3年間を繰り返したいとは思わなかった。輝かしい思い出はもうそれだけであたしの心を一杯にしてくれた。 古泉くんも、みくるちゃんも有希も、キョンもみんな掛け替えの無いあたしの友達。一緒に過ごした月日はあたしが忘れない限りいつでもあたしの中にある。だからもう一度繰り返す必要なんてない。あたしはもう満足だった。 別れ際、キョンの制服のボタンを一つ貰っておいてやった。どうせ誰にも欲しがられなかったあまり物でしょ、哀れだからあたしが貰ってあげるわと言って。キョンはぶつぶつ渋りながらも、制服のボタンをちぎってあたしに差し出した。 もうみんなと、キョンと会えないんだ。だから一生大切にするよ、キョンの第二ボタン。 それから月日は流れた。あたしはその間いろいろな事があったように思うが、実は悲しいほどにほとんど何もなかった。 卒業して大学に入ってから、あたしはすぐに大学での生活に物足りなさを覚えた。 何も面白いことなんてない。 新入生歓迎の合同コンパではたくさんの男が言い寄ってきたけど、どいつもこいつも判を押したみたいに同じ顔をしていた。男も女も、私の目には八百屋の店先に並んでるカボチャぐらいにしか映らなかった。 授業が退屈なのは高校までと一緒だけど、自由な時間が多いのがあたしにとってはかえって苦痛だった。どうせ一緒に遊ぶ友達なんていないからだ。 大学のサークルには全部仮入部してみたが、これも成果なし。どれもこれも普通すぎるくらい普通の人間が集っているだけだ。 なければ自分で作ればいい。そう思っても、その言葉を伝える相手すら今のあたしにはいなかった。こんなことなら、大学のランクを下げてでもキョンか古泉くんと同じ大学に行ってればよかったかもしれない。 そう、あたしにとって大学のネームバリューなんてどうでもいいことだった。別に将来出世してお金持ちになりたいわけでもないんだから。 あたしにとって大切なのは人生を楽しむことだったはず。それもただ娯楽に酔うだけの楽しみじゃない、もっともっと素敵な物を見つけて、この世界で誰もできないような愉快な体験をすることがあたしの目的だったはずだ。 なのになんで今あたしは一人でいるんだろう。これじゃあの頃と、高校に入ってSOS団を作るまでの一人ぼっちだった頃となにも変わらない。 高校でも結局宇宙人も未来人も超能力者も見つからなかった。 でも、あの3年間はそんなこと気にならなくなるくらいに楽しくて、毎日が輝いていた。 それはなぜ? 真っ暗だったあたしの世界に光を与えてくれたのは誰? 孤独な世界で一人立ち尽くしていたあたしに手を差し伸べてくれたのは一体誰? 気づけばあたしはまた一人ぼっちだった。 あたしは朝起きなくなった。起きたくなかったから。 大学にも行きたくなかった。ずっと一人でいたかった。 本も読まなくなってテレビも見なくなった。身の回りの全部に対して関心が持てなくなっていた。 3月、後期の授業が終わって留年の告知を受けたとき、もう大学は中退することにした。 家では部屋に閉じこもって、食事も母さんに部屋の前まで持って来させた。 なにやってんだろう。こんなの駄目だよ。はじめはそう思っていたが、やがて自分の事にすらあたしは関心を失っていた。 そこから先の数年間は毎日同じことの繰り返しだった。 起きては寝るの繰り返し。ネットの遊びを覚えてからは退屈しなくなったが、結局は同じこと、あたしは動物園のオリの中にいる動物と同じように、ただ毎日起きては部屋の中だけで動き回ってまた眠ることを繰り返していた。 ある日父さんが怒ってあたしに出て行けと怒鳴った。 あたしは言われた通りに、何も持たずに家を出た。 玄関の扉に向かって小声でごめんなさいと呟いたが当然返事は戻ってこなかった。 あてもなく街をぶらついた。 寒かった。寂しかった。辛かった。 もういっそ死のうかと思った時だった。あたしはその光景を見て最初夢を見ているんじゃないかと思った。もう頭がおかしくなって、幻覚を見てるんじゃないかと考えた。 キョンがいた。ちょっと身長が伸びてたけど、顔つきもしゃべり方もあの頃と変わらないままで、キョンがあたしに話しかけてきた。 そして、キョンはあたしと一緒に暮らしたいと言った。彼の優しさが身に染みて、あたしは思わず泣き叫びたいほどの気分になった。夢なら覚めないで欲しかった。 それからの生活はあたしにとって楽しいものになると思った。 だけど、実はそうじゃなかった。 辛かった。すごく苦しかった。 両親になら迷惑をかけるのも気にならなかった。怒鳴られて家を追い出されても構わないと思えた。 でもキョンの迷惑になることはあたしにとってこれ以上無く心苦しいことだった。 もしキョンがあたしを怒って、もうどうでもいいと放っておかれたらどうしようと考えた。それはあたしにとって最も恐ろしいことだった。そうなったらあたしはきっと生きていく気力すら無くしてしまっただろう。 何度も頑張ろうとした。何度も何度も、あたしの壊れた心に火を灯そうとした。早くキョンに迷惑をかけないで済むようにしようと思った。 だけど上手く行かなかった。部屋に引き篭もっている生活を楽しいと思ったことは一度もない。だけどそれ以上の事をする気力がどうしても湧いてこなかった。 でもキョンはそんなあたしを一度も怒ったりしなかった。あたしはキョンが眠った後、彼に向かって何度も頭を下げて感謝した。こんな優しい人、世界中探してもキョンだけだ。こんなにあたしを大切にしてくれる人なんてきっとどこにもいない。 部屋の掃除をしろと言われたときも、彼があたしのためを思って言ってくれているとわかった。だから頑張ろうと思った。頑張って、キョンを喜ばせたいと思った。 だけど、いざ片付けを始めようとしたとたんに体から力が抜けていった。信じられない、ただ床に落ちたゴミを掃除しようとしただけで、強烈な倦怠感と疲労に襲われて動けなくなってしまった。 何事に対しても気力が続かない、これがあたしの病気、以前両親に連れて行かれた病院でのカウンセリングで言われたことを思い出した。 『無気力疾患』そう呼ばれる状態だそうだ。あたしは今、心の燃料が全くゼロになって、何もすることが出来ない状態でいると医者から聞いた。その事を改めて思い知らされた。 あたしは泣いた。声を上げてわんわん泣いた。こんな、落ちてるゴミを拾ってゴミ箱に入れるという簡単な事すら満足にできないのがどうしようもなく情けなくて。 あたしが何も出来ずにいる間にもうキョンが帰宅する時間になっていた。必死の思いでなんとか部屋中の物を全て集めて見つからないように隠した。こんな子供みたいな手段で誤魔化せるわけないと知りながらもそれ以上のことがあたしには出来なかった。 もう殴られてもいいと思った。キョンにとことんまで怒られて、呆れられて、そして家を追い出されればいいやと思っていた。こんなあたしに生きてる価値なんてないと理解していたから。キョンにも見捨てられていいと思った。 そうなったらもうあたしがこの世界で生きていく理由なんてない、だからひっそり誰にも見つからないように死んでしまおうと決めていた。 だけどキョンはあたしを許してくれた。あたしに対して怒る気持ちが無いわけじゃなかったんだと思う。それでもキョンはあたしに手を上げることも、出て行けと罵ることもしなかった。 それからもキョンはあたしのために色々なことをしてくれた。あたしは彼のおかげで変われた。救われた。もう全く役に立たなくなって、捨ててしまうしかないと誰もが思うだろう壊れたあたしを、キョンは拾いあげてぴかぴかに磨いて修理してくれた。 いくら言葉を尽くしてもこの恩を伝えることはできないと思う。あたしのキョンへの思いを伝えようとしたら愛しているという言葉すら軽すぎるほどだった。 告白しようと思っていた。 こっそり仕事を探していた。それが見つかって働けるようになったら初めての給料でキョンにプレゼントを買って、好きだって、ずっと一緒にいたいって伝えようと思っていた。 そんなある日、両親が訪ねてきた。 あたしを連れ戻しに来たと言った。当然あたしはそんなのに聞く耳を持つつもりなんてさらさらなかった。 あたしは今の生活に満足している。キョンが帰れというならいざ知らず、父さんと母さんがなんと言おうと関係ない。絶対に帰らないつもりでいた。 キョンだってきっとあたしとの生活をまんざらでもないと思っているだろうとあたしは感じていた。あたしは迷惑の掛けっぱなしだが、それも最近ではだいぶキョンのために色々なことが出来るようになってきた。 だからキョンさえ「いいよ」と言ってくれるなら、あたしはいつまでもずっと一緒にいたいと思っていた。 でもキョンはあたしを両親の元に引き渡すと言った。あたしは愕然とした。世界が足元から崩れていくような感覚があった。 キョンはあたしといて楽しくなかったの? あたしはずっとキョンと一緒にいたかった。でもキョンはそう思ってなかったの? でもそれも当たり前だ。あたしがキョンにしてることなんて、生活の全てをまかせきりにしてキョンに負担と迷惑をかけることだけだった。 キョンもひょっとしてずっと我慢してたのかもしれない。別にあたしのことをどうも思ってなくて、本当にこれでようやく解放されると思っていたのかもしれない。 あたしは大人しく両親に連れられて家に帰った。久しぶりに見たあたしの部屋はきれいに片付けられていた。でも、あたしにはここが自分の家とは思えなかった。あたしの帰る場所はもうキョンの元だけだと思っていたのに。 でもそう思っていたのはあたしだけ。キョンはあたしに家に帰ったほうがいいと言った。 元の生活に戻ってからは全てが順調だった。 会社に入った時は、中途採用ということで紹介され、その日にあたしのための歓迎会まで開かれた。 大学生だった頃、朝起きて大学に行くことが苦痛でしょうがなかったのに、今あたしは普通に早起きして出勤していた。 職場の人たちもみんないい人ばかりだった。働いてお金をもらえることにはとても充実感を感じられたし誇りに思えた。 だけど、全然幸せじゃなかった。 今だからわかる。人って絶対に一人では生きていけない生き物なんだ。 野生のウサギは一匹でもたくましく生きていけるが、人に飼われてかわいがられたウサギは、ある日いきなり一匹だけで放置されると寂しくて死んでしまう。 あたしもそう。中学生のとき、一人で尖がってたときは孤独なんて全然平気だったけど、人のぬくもりを覚えてしまったから、もう一人ぼっちの孤独には耐えられないんだ。 たとえこうやって働いてお金を稼いで、色んな人からよくしてもらっても辛かった。もう一度あの頃に、無力なあたしだった頃に逆戻りしても、またキョンと一緒にいたいと思った。 そうだ。それがいいよ。全てうっちゃって、会社も辞めて、家を飛び出して、またキョンのところに戻ろう。きっと優しいキョンはまた暖かくあたしを迎えてくれる。 ねえ? いいよねキョン。あたしキョンのことが好きなの。もう一人ぼっちで生きていくのはいやなの………… 『俺はお断りだ。なんでまたお前の世話をしてやらにゃならんのだ面倒臭い。もうニートなハルヒの世話をするのは懲り懲りなんだよ』 キョンの声が聞こえた気がした。 そんなひどいことをキョンがあたしに対して言ったことは一度もない。でも内心はずっとそう思っていたのかもしれない。 キョンはあたしに言った、実家へ帰るべきだと。つまりもう一緒にいたくはない、と。 本当はすごく迷惑してたんだ、あたしが気づかなかっただけで、キョンはあんな生活ちっとも楽しくなかったんだ。 じゃなかったら引き止めてくれたよね。でもそうじゃなかった。キョンはあたしを手放した。あたしはキョンがいなくちゃ生きていけない、けどキョンにとってあたしは必要なかった。 気づいたら部屋に入ってきた母さんが金切り声のような悲鳴を上げていた。あれ? なんであたしの腕からこんなに血が出てるんだろう? どうしてあたしは右手にカッターナイフなんて握ってるんだろう? なんでもいいか。だってもう生きてたって辛いだけだもん。みんなに迷惑かけるだけだもん。 もっと早くこうしてればよかったのかな。 キョンもあたしの事なんて早く忘れて、いい女の子を見つけて幸せになってね。 あたしの意識はそこで途切れた。 俺の聞き間違いでなければ、電話口から響いたハルヒの母親の言葉は確かにこう聞こえた。『ハルヒが自殺した』と。 公衆電話から掛けているようだった。俺が落ち着いてください、何があったのか詳しく話してくださいと言うと、母親はひどく取り乱してまた泣き出してしまった。 ぶつりと電話が切れた。俺はどうしていいかわからなかった。 とりあえずハルヒの家に掛けてみたが誰も出ない。 受話器を置いてしばらくその場で立ち尽くしていると、また電話が掛かってきた。すぐに出た。電話口から聞こえてきた声はハルヒの父親のものだった。 「久しぶりだね、妻はだいぶ混乱しているようだ…………まあ私もそうだが……まさかこんなことになるなんて思ってもみなかった…………」 「ハルヒはどうしたんです!? その……自殺したと、聞いたんですが…………」 「医者の話では命に別状は無いらしい。部屋で手首を切って血を流しているハルヒを妻が見つけたんだ、すぐに病院に連れて行った、今は眠っている。妻は腕から血を流すハルヒを見たショックでだいぶ錯乱しているようだ」 ハルヒは生きている。それを聞いて俺は腹に溜まった息を吐き出した。 だがよかったとは言えないだろう、ハルヒが手首を切って自殺しようとしたという話だ。 「一体……何があったんです……?」 「…………わからない。私には何もわからない。ハルヒは会社に勤めるようになって、全てが順調だったのに……。昨日だってハルヒは朝早くに働きに出て夕方に普通に帰ってきたんだ……なのになぜ…………?」 「とにかく俺も今すぐそっちに向かいます。ハルヒがいる病院は市立病院でいいんですね?」 父親は「ああ」と言った、それだけ聞いて俺は電話を切った。そして服も着替えずに家を飛び出して駅に向かった。新幹線に乗れば今日中には向こうに到着できるだろう。 その時、俺がどうしてハルヒのいるところに行こうと思ったのかはよくわからない。ただ、俺が行かないといけない気がした。 病院に着いたときにはもう夜も遅かった、その日はもう面会時間を過ぎていたが、身内だと言って入れてもらった。 個室のベッドに横になったハルヒは腕に軽く包帯を巻かれているだけだった。傍らにはハルヒの両親もいた。ハルヒは仰向けになっているが眠ってはいないようだった。 「ほらハルヒ……、キョンくんが来てくれたわよ……」 「……………………なんの用?」 ハルヒは天井を見たまま口だけ動かして言った。 とりあえず大事ではないようでよかった。自殺未遂の原因も今はどうでもいい。ただハルヒが無事だったことが嬉しい。 「あたしの事を聞いてわざわざ向こうから来てくれたの? ご苦労なことね……」 「当たり前だろ。お前が怪我したって聞いて家でのんびりしてられるか」 そう、当たり前の事だ。電話してやれば古泉や長門も朝比奈さんもすっ飛んで来るに違いない。 「…………大きなお世話よ……」 ハルヒはぷいっと寝返りを打つようにして、俺に背中を向けた。 「ちょっとハルヒそんな言い方……!」 「キョン、あんたにとってあたしって何なわけ? 別に家族でもなんでもない、高校の同級生でただの友達ってだけでしょ?」 「そ、そりゃあ……そうだが…………」 違う。そうじゃないだろう俺。ハルヒは俺にとって特別な存在だ。決してただのお友達だとかいう関係じゃなかったはずだ。 「あんたにも色々迷惑かけたわね、もういいから、帰ってよ。あたしの事なんてほっといて…………」 俺は大人しく病室を後にした。今日はハルヒも精神的に参ってるんだろう。明日また出直そう。今日は実家の方に泊まることにするかな、最近親と妹にも会ってなかったからな。 そう思って病院を出ようとした時だった。何もないはずの場所で何かにぶつかって俺は足を止めた。 「うぷっ……」 なんだこりゃ? 病院の出口には見えない透明の柔らかい壁みたいなものがあった。 振り向いてカウンターを見ると受付の人がそこにいた、ただし眠っている。さっきまで今日の診察に関係したものと思われる書類を眺めていた受付係の人は机に突っ伏すようにして寝息を立てていた。 よく見ると、その奥には床に転がって眠っている看護師の姿もあった。どうして? 手術用の吸引麻酔がガス漏れでも起こしたのか? まさか……。いや、まさかじゃない、間違いなく原因はハルヒだ。俺は走ってさっきまでいたハルヒの部屋へと戻った。 しかし、そこにハルヒの姿はなかった。いるのは椅子に座ったまま目を閉じて眠っているハルヒの両親だけだ。 「どこに行ったんだハルヒ……」 心当たりはあった、思いつきたくも無かったが……。ハルヒは自ら命を絶とうとしている。それもきっと突発的な理由じゃあなく、本当にどうしようもなく死にたいと思っていたんだ。 だからあいつはきっとまた死のうとしている。だったら向かう先は大体見当が付く。屋上だ。 俺は廊下を思いっきり走った。病院内では走らないで下さいとの立て札が見えたが無視した。どうせみんな眠っちまって起きないんだから。 エレベーターが動いていた。それも一直線に上へ上へと進んでいる。乗っているのはハルヒで間違いないだろう。俺は階段を使って上がることにした。 1段抜かしで階段を駆け上がりながら俺は思った。なんで俺だけ眠らされていないんだ? 他の人たちはみんな寝ていた。それはハルヒが自分のすることを邪魔されたくないと思ったからだろう。 なら俺は? なんで俺だけをハルヒは無意識のうちに邪魔者の中から除外していたんだ? さっき部屋で会ったときも、あれほど邪険に扱って、さっさと帰れと文句まで言っていた俺をなぜ? そんなの決まってる。ハルヒはきっと本当は俺に帰ってほしくなんかなかったんだ。そして、本当は死にたくもないんだ。俺に止めてほしいと、助けてほしいと願っているんだ。 毎日デスクワークばかりで運動不足だった俺の体が屋上階に辿り着いたときには、ハルヒの乗ったエレベーターはとっくに屋上へと着いた後だった。 まだ手遅れじゃないはずだ。外への扉を開けたとき、ひんやりとした空気が流れ込んできた。空には月も星も見えない、その真っ黒な空の下、安全用に張られたフェンスの向こう側にハルヒの姿があった。 「ハルヒ!!」 俺が声を掛けると、ハルヒは振り向いて俺を見た。 「なによ……まだいたの?」 半分だけ開いた気力の感じられない目を向けて、小さな声でハルヒが言った。 「ハルヒ……聞いてくれ。俺はお前が好きだ、本当はずっと一緒にいたかった。だから死ぬな。また一緒に暮らそう」 「…………キョン、ありがとう。でも無理しなくていいよ。今、あたしが死にそうだから、それを止めたくて言ってるだけなんでしょ?」 ハルヒは目に涙を浮かべて、自嘲するようにして言った。 そう思うのも無理はない。だが本心から思っていたことだ。俺はハルヒが好きで、ずっと一緒にいたいと思っていた。 今のハルヒは何を言っても聞く耳を持ってくれないだろう。だから、俺は言葉じゃなくて別の方法でハルヒに俺の気持ちをわからせることを選んだ。 「……っ!? ちょっとキョン! あんた何してんの危ないわよ!!」 俺はハルヒの立っている場所から離れたところのフェンスを乗り越えて外側の縁に足をかけた。 下を見ると吸い込まれそうになった。滅茶苦茶高い。落ちたら間違いなく即死だろう。たとえすぐ目の前が病院でも関係ないくらいの大怪我をするに違いない。 そう、神様が奇跡でも起こしてくれない限り。 「ハルヒ、俺はお前を愛してる。その証拠としてここから飛び降りてやる」 「はあっ!? 馬鹿言ってんじゃないわよキョン! 昔のアホなドラマの見すぎなんじゃないの!? なんであんたが死ななきゃいけないのよ!!」 大丈夫、多分助かる。ハルヒが本当に俺に死んでほしくないと願っているなら、絶対に死なないはずなんだ。 とはいえ、本能的な恐怖は拭い去れない。足元に広がる光景はあまりに説得力を持って俺に死の予感を訴えかけてきた。勝手に足がガタガタ震えているのがわかった。 「ね、念のため聞いておくが、ハルヒも俺の事嫌いじゃないよな? 好きとまでは行かなくても、死んでほしいと思うほど嫌っちゃいないよな!?」 「な、なに言ってんのよ……!? そりゃあ、あたしだって……あたしだってあんたのこと好き! 大好きよ! 本当はずっと一緒にいたいって思ってるわよ!! でも……それじゃあんたが迷惑するだろうと思って…………!」 「そりゃあ嬉しいな。だけど、ひょっとして今俺が死にそうだから、無理して嘘ついてるんじゃないだろうな?」 「なに言ってんのよバカ! 本気よ! あたしはあんたとずっと一緒にいたいって思ってたのよ!!」 「だったらそこで見てろ! もしお前が本当にそう思ってるなら、俺は助かるはずなんだから!!」 こんなことしてなんになる? しかし滅多にありゃしないぜ、お互いがお互いを本当に想っているかを確かられることなんて。俺は覚悟を決めてロープ無しバンジージャンプを決行しようとした。 だがその時ハルヒの様子が変わった。ハルヒは俺の頭がおかしくなったことを嘆く意味か、それとも本気で俺のことを心配してか、ついに声をあげて泣き出してしまった。 「う……うええ、ひぐっ、わかったわよ。あたし信じる、キョンのこと信じるから、死なないで……お願い…………」 「は、ハルヒ……」 ハルヒは金網を掴んだまま、その場に泣き崩れた。 「す、すまないハルヒ……その、少し悪ノリが過ぎたかもしれん」 考えてみればハルヒは俺が落ちたら当然に死ぬと思っているんだ、そりゃあ泣くだろう。俺の安全がハルヒの力によって保障されている(かもしれない)ことをハルヒは知らないんだから。 「バカ……本当にバカ。死んじゃったらどうにもならないじゃない……このバカキョン……」 ハルヒ、今まで飛び降りようとしていた奴の台詞じゃないぞそれ。 俺は慎重にフェンスをよじ登って内側に戻った。ハルヒも同じ様にして戻ってきたが、こっちを見るなりいきなりダッシュで向かってきて、俺に体がくの字に曲がるほどの強烈なボディーブローをかましてくれた。 「うごっ!?」 「それはあたしを心配させて泣かせた分の罰よ! ドロップキックじゃないだけ有り難く思いなさい!」 今までのしおらしい態度は全部フェイントかよ、せめて平手打ちくらいにしておいてほしかったな。 そう思って顔を上げると、そこには涙を浮かべて真っ赤になったハルヒの顔があった。 「でも……嬉しかったわ。……だから、これはその分のご褒美よ…………」 そう言って、ハルヒは俺に顔を近づけた。 『ベタ』 「平べったい」が語源、誰もが予想できる展開やオチを指す。「ベタな話」「ベタなギャグ」など、お約束とも言われる。まあ具体的には今俺がやってることだ。 昔、ハルヒと共に迷い込んだ灰色世界での事を思い出した。しかし閉じた目を再び開いたときの俺の視界に映ったのは、夢オチを知らせる自分の部屋の天井ではなく、頬を赤らめてこっちを見るハルヒの顔だった。 それからの事を端的にまとめて話そう。 ハルヒは会社を辞めた。会社側としてはハルヒの仕事の能力を高く評価していたから、引っ越してもそこから近い支社にいてほしいと要求したとの話だった。 だがハルヒは自分の意思で退社することにした。給料は一年目にして俺よりも遥かに高額だったのに勿体無い。ハルヒがいらんならそのポストを俺によこせと思ったほどだった。 そしてハルヒはまた無職となって、俺と二人で暮らすようになった。 まあただ今のハルヒは世間的にニートと呼ばれる部類の人間ではなくなった。とあるところに永久就職することになったからだ。もちろんその職場に定年退職なんてない。死ぬまで一緒にいること、それが俺とハルヒの共通の仕事になった。 そういうわけで当初の目的とは全く違った形ではあるが、俺のニートハルヒ更正プログラムはこうして終わりを告げたのだった。 完
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第二章 cruel girl’s beauty ――age 16 俺を待っていたであろう日常は、四月の第三月曜日をもって、妙な角度から崩れ始めた。 その日は、憂鬱な日だった。 朝目覚めると、すでに予定の時刻を過ぎ、遅刻は確定していたので、わざとゆっくりと学校へ向かうことにした。週明けの倦怠感がそうさせたのかもしれない。風は吹いていないものの、強い雨の降る日だった。ビニール傘をさし、粒の大きい雨を遮った。昨晩からの雨なのか、地面はすでに薄暗いトーンを保っており、小さな水溜りからはねる水が俺のズボンの裾を濡らした。急な上り坂は水を下にある街へと流し、留まるのを拒んだ。 学校に着いたのは一時間目が終わった休憩時間だった。雨で蒸しかえる教室はクラスメイトで満たされ、久しぶりの雨音は教室を静穏で覆った。俺の席――窓際の後ろから一つ前だ――の後ろを見た。ハルヒは窓ガラスの外側を眺め、左手をぴたりとガラスにくっつけていた。進級したことで、階が一つ下がり、窓からの景色は変わった。外ではグラウンドが水浸しになり、小さな川を作っていた。 一年前のあの日。 俺がハルヒと会ってそう経っていなかった頃、ハルヒの表情は怒りで満たされていた。無矛盾な世界への怒りなのか、自分自身への怒りなのかは分からない。だが、SOS団の活動を通して、ハルヒは少しずつ感情を取り戻していった。取り戻すというのは、ハルヒが持っていたであろう――抑えていたであろう――感情を開放していったというのが正しいだろう。 俺がハルヒと会ってからずっと引っかかっていたのは、ハルヒがなぜ普通の人間を嫌うのだろう、ということだ。一般人を代表したような俺は谷口や国木田とそう変わるところはあるまい。国木田より頭は悪いし、谷口みたいにバカ丸出しでもない。健全な高校生を演じていた俺になぜあいつは目をつけたのか。確かに俺は七夕に一度会っている。だが、俺の名前は知らないし、他人の空似程度にしか思っていないだろうよ。ではなぜ? おそらくそれはハルヒにしか知りえないことであった。しかし、一つの推測を述べたい。ハルヒは普通の人間を嫌っているのではなく、人と仲良くなることを避けているように見えるということだ。 今、ハルヒは陰鬱な表情であやふやな視線を泳がせていた。 椅子に座ると、ハルヒに倣い、窓の外を眺めることにした。雨は激しさを増し、窓ガラスに伝わる水滴が水へと変わった。特別変わったことはない。世界の普通さに慣れ、そしてSOS団にも慣れた。日常と非日常を繰り返す毎日が日常になってしまった。かつて望んでいた非日常が日常へと変わってしまっていた。あまりにも奇妙なことがありすぎてそれに慣れてしまったわけだ。 そんな憂鬱な世界とハルヒ、そして俺を崩していったのは谷口の一言だった。 そうそれは、本当に妙な角度からの一撃だった。 谷口は近づいてくるなり、いつものデカイ声を倍にして唾を飛ばしながらこう言った。 「おい、長門有希が転校したってよ」 「へ?」 俺は間抜けな声を漏らした。 「本当だよ。さっき六組のやつが言ってたぞ」 谷口は語気を強めていった。 ガタンという音ともに後ろに座っていたハルヒが立ち上がった。 「谷口! 本当なのそれ? 嘘だったらただじゃおかないわよ!」 ハルヒは谷口のネクタイをもの凄い勢いで引っ張りながた怒鳴った。 「そんなに怒るなって。言ったことは本当だよ」 「ちょっと、キョン!」 なんだ。 「隣のクラスに確認に行くわよ!」 ハルヒはネクタイが引きちぎれそうな勢いで俺を連行した。 長門が転校したって? どうして? 俺にはそんな事一つも言ってなかったぞ。ハルヒもこの様子じゃ何も知らされてないみたいだな。 ハルヒは隣のクラスに入るやいなや壇上に上がり、 「有希が転校したって本当なの?」 ハルヒはクラス全員に向かって大声で尋ねた。 「本当ですよ。朝、ホームルームで先生が言ってましたし」 近くにいた大人しそうな女生徒がおずおずと言った。 「そう」 ハルヒは礼も言わず教室を飛び出した。ネクタイを引っ張られたまま俺も飛び出した。こりゃ傍から見たら犬と飼い主だろうな。かっこ悪いぞ俺。 教室から出るなり、俺と向かい合うと、 「職員室に行くわよ!」 「とりあえずネクタイから手を離してくれ。大丈夫逃げたりしないから。長門のことだしな」 ハルヒはネクタイを思い切り下に引っ張って、手を離した。そして、職員室のあるほうへ一人で走っていった。締まる簡素なネクタイに苦しめられながら、俺は必死にハルヒを追いかけた。 俺とハルヒは教室に戻り、ドカッと自席に座った。 結果は同じだった。俺が遅れて職員室に入ると、ハルヒは教師を馬鹿でかい声で問い詰めていた。教師は住宅街を歩いていたら突然犬に吠えられたような驚きと疑問を顔に浮かべながら、ハルヒをいなそうと必死だった。ハルヒハ教師が長門の転校の理由が分からないと見るや、「役に立たないわね! 無駄に年食ってるんじゃないわよ!」それを捨て台詞に職員室を出て行った。職員室の入り口から事の成り行きを見守っていた俺を無視してハルヒは階段を登っていくので、俺は仕方なくハルヒを追いかけることにした。 俺はおそらく長門がどこに行ったかなんて分からないだろうと踏んでいた。しかし朝倉の時とは違い、行き先も不明だった。確かに行き先を教えたらハルヒはそこまで会いに行くだろうからこれでいいんだろうな。俺だってカナダにいると分かれば、泳いででも行くつもりだったさ。 打つ手はない。おそらく長門のことだろうから、情報操作をしているはずだ。しかし、なぜ? 「なあ、ハルヒ。なんで長門は転校したんだと思う?」 俺が振り返り尋ねてみるとと、ハルヒはバンっと机を叩き、 「分かるわけないでしょ! なんで有希は言わないのよ!あたしたちってその程度の仲だったの?」 「そんなことはないだろ。何かしらの理由があるんだろ」「キョンもよく落ち着いてられるわね! 何かしらの理由って何よ!」 ハルヒはヒステリックな声を張り上げた。 「それは俺にも分からん。放課後、朝比奈さんや古泉にも聞いてみよう。なにか分かるかもしれない」 ハルヒは何も答えなかった。そのまま崩れるように椅子に座り込んだ。そして、聞き取れないほど小さな声で「もう失うのはいやなの」と呟いた。そしてハルヒは机に突っ伏したまま放課後まで起きることはなかった。 授業はいつにもまして、手がつかなかった。もんもんと長門のことを考え、窓の外を見ていた。上の空というのをこれほど実感したことはない。昼食を一人で済ませ、あてもなく学校をうろついた。そうでもしないと落ち着いていられなかったし、どこかに長門が隠れているかもしれなかった。無意識に歩いたのに、行き着く場所は一つだった。 部室棟、通称旧館の文芸部部室。 ドアをそっと開け、部室を眺めた。パイプ椅子に腰掛け、分厚いハードカバーをめくり、陶器のように佇む長門有希を期待したが、いるはずがなかった。パーツを失った部室は空回りをしているように見えた。これ以上見ていることはできず、教室へと逃げ帰った。 放課後、部室には長門を除く全員が揃っていた。 今日の古泉は笑ってはいなかった。沈痛な面持ちで、心ここにあらずといった様子だ。なぜこんなありきたりの表現かといえば、意識的な表情に感じられたからだ。葬式の時に笑って手を合わせてはいけないのと同じだ。ハルヒは団長椅子に浅く座り、教室の時と同じように机に突っ伏していた。朝比奈さんは健気にもメイド服に着替え、お茶の準備をしていた。しかし部室内に流れる異様な空気に気づいたのか、朝比奈さんは困惑しているようだ。 「あのぉ、キョン君。みなさんどうなされたんですかぁ?」 朝比奈さんは耐え切れずに俺に小声で尋ねてきた。 古泉は『機関』とやらから情報が流れているだろうが、朝比奈さんは上級生であり、なにも聞かされていないのは明らかだ。俺は静まりかえった部室で、朝比奈さんの質問に答えることにした。 「長門が転校したんですよ。理由もいわずにね」 「ひぇ?」 朝比奈さんは驚きとも悲鳴とも取れない声をあげた。 「な、長門さんがですか?いっ、いったいどうして?」 「それは分かりません」 俺はいい加減に答えた。もう、朝比奈さんのかわいらしさを堪能している余裕はなかった。メイド服を着た朝比奈さんでも無理なら、何がこの動揺を抑えることができるか。俺はひどく追い詰められていた。すぐにでも自分の部屋のベッドに身をうずめ、長門のことを考えたかった。 それからどれだけ時間が経ったのだろうか、突然ハルヒは立ち上がり、俺達を見つめた。 「じっとしてても何も始まらないわ。明日は学校を休んで、有希を探すわよ。まだ、何か手がかりがあるかもしれない。時間はいつもと同じ九時だから」 いつものような勢いは感じられない、淡々とした語り口だった。 「そうだな。マンションとかに行ってみるのもいいかもしれない」 ハルヒはそれだけを言うと、部室から早足で出て行ってしまった。 「古泉」 「なんでしょう」 「お前はなにも知らないんだな?」 「もちろんです。前に約束したように、長門さんには危害を加えることはありません。というより、不可能でしょう」 古泉はいつものハンサムスマイルを見せた。 「じゃあどうして長門は転校、いや長門のことだからおそらくこの世界から消えてしまっているんだろうな。理由は分かるか?」 「分かりません。ただ、長門さんの転校は上が決定したことでしょう。それに長門さんは従った、推測ですが、おそらく正しいでしょう」 「それは分かってる。あいつが命令を聞くのは情報なんとかだけだろうさ。問題はハルヒっていう観察対象がいるのになんで消えちまったかってことだ」 「すいません。分かりません」 古泉は困ったような顔をして、肩をすくめた。 やれやれ、古泉が駄目なら誰に聞けばいい。俺は、なぜ長門が消えなくてはならなかったのか、その理由を知りたかった。理由があっても納得できるかは分からないが、正当な理由以外はハルヒと結託して、この世界を変えたっていい。 「あの、キョン君」 朝比奈さんがおずおずと話しかけてきた。 「ひぇ! そんなに嫌そうな顔しないでくださいぃー」 そんな顔をしてたのか。 「すみません。ちょっと考え事をしてたもんですから」 「いえ、いいんですけど……」 「で、なんですか?」 明らかに俺は苛立っていた。 「いえ、その……」 「何も無いなら帰りますよ?」 「だから、その……」 「帰ります」 「あ、キョン君」 朝比奈さんが呼び止める。だが、俺は朝比奈さんにかまってる余裕は無かった。古泉ともこれ以上話しても無駄だろう。俺は朝比奈さんを無視して帰るという、男としてあるまじきことをした。鞄を肩にかけ、部室を後にした。 帰りには雨はやんでいた。それにかわって、蒸発した水によって街は蒸しかえっていた。 家に着くと、妹がキャンディーを口にくわえながら出迎えてくれたが、無視して階段を上がった。一刻も早くベッドに身をうずめたかった。 部屋に入ると、鞄を投げ、ベッドに飛び込んだ。そして身体を丸め、もがいた。 「どうして長門は消えちまったんだ? せめて俺に一言ぐらい前もって言ってくれたっていいじゃないか」 そう自分に問いかけても虚しくなるだけだったし、俺は長門がなぜ転校したのか、考えることは断念した。しかし何も考えないでいると、長門との思い出がフラッシュバックしてきて、それを断ち切ろうと、また頭を抱えてもがいた。まだ、長門は消えたとは決まってはいない。明日には見つかるかもしれない。ひょっこりと現れたりするかもな。 長門だって風邪を引くんだぜ。長門達と敵対する存在にまた妨害されているだけかもしれない。長門だって週明けの倦怠感がいやになることだってあるだろうさ。そう、俺だって月曜日の朝は憂鬱になるさ。長門だって落ち込んで、ブルーな日だってある。 その日、俺はそのまま、満たされない気分のまま眠りについた。 次の日。 予定より一時間も早く起きると、昨晩から部屋にひきこもりっきりで何も食べていないことを、軽くなりすぎた胃の不快感が告げていた。リビングに行くと妹がすでにソファーでテレビを見ていて、いつもこんなに早く起きているんだなと感心した。 「あ、キョン君おはよぉー。今日は早いんだねぇ」 「まあな。ちょっと用事があって」 母親がトーストと目玉焼きという朝食の定番を持ってきたところで俺は今日学校を休んで出かけることを告げた。男には一生に一度やらなければならない時が来るとどこかで聞くありふれた理由を切々と説明すると、案外素直に了承してくれた。 「ふふっ。そういうことにしておくわ」 どこか含みを持たせた笑みで俺を見る。 「それなら早くご飯食べちゃいなさい」 「ああ」 言われなくても食べるさ。俺は昨日から何も食べてないんだからな。 俺は疑惑の判定で世界チャンピオンになったボクサーよりあっけなく食事を済ませ、自室に行って手早く服を着替えた。ちょうどリビングから出てきた妹と鉢合わせになり、妹は不思議そうな顔で 「いってらっしゃーい」 と言って、俺を見送った。俺は妹の頭を撫でてから玄関を出た。ママチャリをとばし、集合場所の駅前へ向かった。予定より一時間も早かった。 駅前に到着すると、SOS団の面々は揃っていた。 ハルヒの「遅い!罰金!」の定型句はなかった。遅刻はしてないしな。というか、お前ら何時間前に来てんだ。俺はこれでも一時間も早いんだぞ。 「今日はお早いんですね」 いやみか。 「いえ、そういうわけではありませんよ。あなたのことだから長門さんのことを考えていて眠れなくなり、睡眠不足で来るだろうなと思っていただけです」 てことは、それを見越して早く来たってわけか。 「それもありますね。それはそうと涼宮さんを見てください。彼女の精神はとても不安定です」 そんなの見なくても分かるし、あいつはいつも精神不安定だろうよ。 「そして、彼女は今日一番早くこの場所に来ていました。僕が来たのが今から十分前ですから、それより前に来ていたことになりますね。僕の言いたいことがわかりますか?」 分からん。でも、俺は古泉が何を言いたいのか分かっていた。古泉は俺を非難している。 「長門さんがいなくなって悲しいのはあなただけじゃないってことです。昨日あなたは朝比奈さんを無視して帰りましたね? 彼女、あの後一人で泣いていたんですよ? 『わたしキョン君をおこらせちゃったかなぁ? ごめんなさい』って」 「……」 「涼宮さんはきっとあなたと同じで夜も眠れずにここに誰よりも早く来たのでしょう。でも、僕がここに来たとき彼女は不安な顔一つ見せずに『遅いわよ、古泉君』って笑顔で言いました。さすがの僕でも胸が苦しくなりましたね」 「……」 「僕も同じです。僕だってSOS団のメンバーと色々と時間を共有してきましたし、突然長門さんがいなくなるのは悲しいんですよ」 「……」 俺は何も言えずに、ただ呆然と古泉の顔を見つめていた。「キョン達何してんの? ほら喫茶店行くわよ! 班決めしないと」 タイミングよくハルヒが俺達の間に割り込んでくれた。「ああ、行くよ」 俺達はいつもの喫茶店に行った。俺はコーヒーを、ハルヒはアイスティーを頼んだ。 「じゃあ、班分けしちゃいましょうか」 ハルヒは爪楊枝を取り出し、俺達に差し出す。 「んー、キョンとか面白くなさそう」 班分けは俺とハルヒの組、そして古泉と朝比奈さんの組に決まった。アイスティーを飲むハルヒの顔はいつになく真剣だ。古泉が言っていた通り、ハルヒは俺達の中で一番真剣なのかもな。もちろん俺だって真剣さ。あれだけ俺を助けてくれて、信頼までしてくれていた長門を見捨てるわけにはいかないからな。 「じゃあ、行きましょ。時間もないし。それとキョン! 今日遅れたでしょ?」 ハルヒは俺をじとっと睨みつけると、 「罰金。分かってるんでしょうね?」 言わないと思ったら今頃かよ。しかも今日は遅刻してねえよ。と思いながら、呆れながら、不承不承ながらもきっちりと払う俺を褒め称えてくれるやつはおらのんか。神様が見てる? そんなの嘘っぱちだ。 一度駅前に戻り、俺達は二手に別れた。今回は範囲の指定はなかった。別れ際にハルヒは、 「真剣に探すのよ! でないと全裸で市中引き回しの刑だから!」 朝比奈さんに向かって言った。それから俺のほうを向き、 「さあ、いくわよ。キョン。絶対見つけてやるんだから!」 ハルヒはいつになく真面目な顔で言った。 「分かってるよ。今回は俺も本気だ」 俺はハルヒの真面目な様子を見て、若干気にかかることがあった。それは、長門がいなくなることをハルヒは望んでいたのかということだ。そうじゃないのに長門が消えたとなれば、神様であるハルヒはいったい? 俺達はまず、長門の住むマンションに向かうことにした。ハルヒは怒っているのか不安なのか、初めてみる表情でややうつむきながら大股で歩いた。俺も自然と早歩きになっていた。一秒でも早くマンションに着いて、何か手がかりを得たかったからな。 「ねえ、キョン?」 「なんだ、突然」 「あたしあの後、有希がどうして転校しちゃったのか考えてみたのよ」 「何か分かったのか?」 ハルヒに分かるはずはないだろうが、一応聞いてみる。 「まずね、教師も行き先を知らないような転校なんてあると思う?」 「普通に考えてないだろうな」 「そうなのよ。それに有希は転校するなんて素振りを一度も見せたことはないし」 「そうだな」 「続きは後で。有希の家に行ったら何か分かるかもしれないしね」 ハルヒ、すまんがおそらく長門のことだから何も分かんないだろうよ。まあ、俺はそれでも行ってみる価値はあると思うぞ。 長門のマンションは駅から近く、気まずくなる前に到着した。中から出てくる住民を待ち、閉じかけの自動ドアを通り抜け、長門の住む階へ向かった。もちろん、ドアは開かず、鍵がかかっており、仕方が無いので管理室へ向かった。管理人のおっちゃんによると、まだ708号室からの届出は出ておらず、未だに長門名義の家になっているとのことだった。おっちゃんとの会話を終了させ、708号室の鍵を借り、また七階へと向かった。部屋に入ると、そこは変わらずに無機質なものだったが、本やら缶詰カレーやら、その他いろいろなものが残されており、本当に長門は消えたのかと感じさせた。結局何の手がかりも見つからず、その場を後にし、マンションから出た。その間、終始ハルヒは俺に対して無言を通し、俺も同様だった。 俺達はこれ以上に行くあてもなく、意味も無く歩き続けた。ハルヒの大股歩きについていくのは堪えたが、それ以上に立ち止まっているのは苦痛だった。歩いていると長門のことを考えないで済むからな。住宅地をぐるぐると徘徊していると、 「駅前の公園に行きましょ」 ハルヒがそう言ったので、それに従うことにした。 光陽園駅前公園のことだ。延々と長門の電波話を聞かされたあの日の集合場所である。 公園に着くと、誰もいない公園でベンチに並んで座った。 俺の左側にハルヒが座った。なにか思い詰めた表情で、斜め下を見つめていた。覇気のないハルヒはあまりにも不自然だった。 「やっぱりおかしいわ」 ハルヒは話を切り出した。 「何がだ。昨日考えてたってことか?」 「それもある。でも、有希が転校したって何か辻褄が合わないのよね」 「それは、お前の中でのことだろう」 「そうだけど。キョンは有希が転校した理由は分かるの?」 「いや、さっぱりだ。長門はこういう時、探しても見つからない気がする」 「なんなのよ! あんた有希のこと大事にしてたんじゃないの?」 「急に怒鳴るな。確かに長門は大事だが、それは団員いうか一人の友達としてだ。ハルヒが思ってるほど大事に思ってねーよ」 「そう、なの? あんたもっと有希のこと好きなのかと思ってた」 「そういうことにしといてくれ。それより、お前の辻褄が合わないってやつを教えてくれないか?」 「そうね」 ハルヒは少し間を空けてから話し出す。 「まず、さっき有希の部屋に行った時なんであんなに物が残ってるのか不思議に思ったの。普通、転校っていったらも家を移動することでしょ? なのにあの部屋はまだ全てが残ったまま。それに管理人に鍵を預けているわけでもない。こう考えると有希って本当に転校したのか怪しくなってくるわよね」 「確かにそうだな」 「でね、思ったの有希は何か事件に巻き込まれたんじゃないかって」 「巻き込まれたとしても転校はできないんじゃないか?」 「うーん、そうなんだけど。有希って一人暮らしなのよ。それに親もどこにいるか分からない。誰でも偽装できると思うけど。あたしは団員のプライベートについては聞かないほうがいいと思って今まで聞いてこなかったから、有希については詳しくは知らないけど」 「長門については俺も詳しくは知らないな」 もちろん、それは嘘だ。 「事件に巻き込まれてないといいんだけど」 「そうだな」 俺は素直に頷いた。 そのまま俺達は三十分ほどそのまま座り続けた。隣に座るハルヒは甘美な匂いがした。横から眺める真っすぐとした黒髪と、整った目鼻立ちは見慣れているはずの俺を緊張させた。 誰もいない公園は、自らの存在価値を失い、泣いているようにも見えた。俺達がいることで存在の瀬戸際を保っていた。そして、俺達がいなくなることでまた価値を失うのだ。そんななんの変哲も無い哲学を考えていると、ハルヒはまた話しかけてきた。 「ねえ、キョン」 「なんだ」 「あたし、一つ謝らなくちゃいけないことがあるのよ」 「誰にだ」 「あたし自身に、それに探してくれてるSOS団のみんなにも」 「そうか。お前が謝るなんて珍しいな」 「珍しくなんかないわよ! あたしだって悪い時はあやまるわ。ただあたしはあんまり後ろを見ないだけよ。あたし過去って嫌いなの。過去っていいところだけを鮮明に覚えてるから、見てるとずっと過去に浸っていたくなるでしょ。そんなのあたしの性格に合わないわ。だって、未来にはもっと楽しいものがあるかもしれないじゃない」 そうだ。俺はこんなハルヒの未来志向が好きだった。そして、憧れていた。ハルヒは俺には無いものを持っている。が、話がずれてるだろ。話はハルヒが謝ることじゃないのか? 「で、お前の主張は分かったが謝らなければならないこととは何なんだ?」 「うん。あたしね、有希が転校したって聞いたとき、それは驚いたわ。なんで?ってね。でも、一瞬あたしは楽になった気がしたの。そして、そう感じた自分に失望した」 「なんで楽になったんだ?」 「それは言えない。あたしにも分からないの」 俺とハルヒは公園を後にして、駅前に戻った。 すでに、朝比奈さんと古泉はいて、二人でなにかを話し合っていた。 「こちらは何も収穫なしです」 古泉は残念そうに言った。 「そう。あたしとキョンは有希の家に行ってみたんだけど、 誰もいなくて、手がかりなしね。ホント、どこいっちゃったのかしら」 「残念です。それとすみませんが、バイトが入ってしまったので 午後からの捜索には参加できそうにありません」 ハルヒは少し考えた後、 「それじゃあ、仕方ないわね。 どうせもう探すところなんてないから、これで解散でいいわね?」 俺と朝比奈さんにむかって言った。 「しょうがないよな。一度帰って、各自で探す方法を考えてみるか」 「そうですね。わたしもそれがいいと思います」 朝比奈さんは頷いた。 「それじゃあ、解散ね。明日の放課後話し合いましょう」 ハルヒはそれだけ言うと、駅に向かって歩き出した。 「それでは僕はこのあとバイトがあるので」 「バイトって、閉鎖空間か?」 「そうです。この件で涼宮さんの精神状態は悪化していますからね」 「そうか」 俺は朝比奈さんが手を振って帰るのを見送ると、 「頑張れよ」と古泉に言って、帰宅した。 家に着くと、すぐにベッドに横になり、また長門のことを考えた。 なにか手がかりはないのか、必死に求めた。 今まで、長門はどんな時でもヒントを出してくれていた。 根拠は無かったが、今回もあるはずだということを確信していた。 そして、俺は今までの長門との思い出をめくった。 そして気づく。 ははっ、なんだ簡単じゃないか。 昨日は気が動転していて気づかなかった。 俺と長門をつなぐもの。 そう、あの本だ。そしてそれは栞という形をとって俺に伝える。 そう思う前に、俺は駆け出していた。 学校をサボったことを忘れ自転車で、全速力で学校に向かった。 息が切れた。 全速力といっても自転車の最高速度はせいぜい四十キロ。 速く、もっと速く。 ペダルは空転し、それ以上を拒んだ。 学校に着くやいなや、部室棟に向かった。 階段を駆け上がり、勢いよく部室のドアを開けた。 すぐに『あの本』を探した。 ――――あった。 素早くページをめくり、栞を探した。 はらりと足元に落ちた、長方形の紙。 それを慌てて拾い上げ、読んだ。 『午後七時。光陽園駅前公園にて待つ』 あの時と同じ、ワープロで印字されたような綺麗な手書きの文字が書いてあった。 俺は栞をポケットに入れると部室を後にした。 そしてそのまま、今日ハルヒと座った、あのベンチへと向かった。 長門を待たせたくなかったからだ。 公園につくと、俺はベンチに座り、辺りを見回した。 公園の時計は三時をさしていたが、それでも遅すぎる気がした。 そのあと俺はじっと長門が来るのを待った。 夜風が肌に凍みた。 こういうときの時間は永遠にすら感じるものだ。 長門はどうしてるのだろうか。 昨日の衝撃が、肉体と精神を限界へと向かわせていた。 長門にもう一度会いたい。 せめて、さよならぐらい。 そして、また会おうなって言ってやりたいんだ。 「来たか」 日が沈み、辺りが暗くなった頃、制服姿で長門は現れた。 時計を見ると、七時一分をさしていた。 無機質な表情のまま、俺の前で立ち尽くしていた。 そして一言だけ。 「こっち」 長門は無言のまま歩き出し、マンションに向かっているようだ。 足音のしない、忍者のような歩き方は変わっていない。 歩き出した長門の横を歩いた。 夜風に揺れるショートカットが鮮明に映った。 マンションに着くと、手押ししていた自転車を適当に止め、 今日三度目のガラス戸を抜け、エレベーターに乗り込んだ。 エレベーターの中で俺は長門を見つめていたが、 無表情のまま立っている以外のことを発見することできなかった。 708号室のドアを開けると、 「入って」 長門は俺をじっと見つめ、言った。 「ああ」 玄関で靴を脱ぎ、リビングへと歩いた。 年中置いてあるこたつを指差すと、 「待ってて」 「いや、お茶ならいいぞ。話を聞かせてもらおうか」 「そう」 長門がこたつの前に座ると、俺も向かい合って座った。 「それじゃあ、聞かせてもらおうか。なぜ転校することになったのかをな」 長門は俺を真っすぐに見つめた。 「情報統合思念体はわたしの処分を決定した」 「そうか。思ったとおりだ」 「ただし、今回の決定は私自身の過失に起因するものではない。 涼宮ハルヒの情報を生成する能力が収束に向かっていることが主な原因。 現在の涼宮ハルヒの能力は、 かつて弓状列島の一地域から噴出した情報爆発の十分の一にも満たない。 大規模な情報改竄は不可能になり、情報統合思念体の無時間での自律進化の可能性は失われた」 ハルヒの能力が収束? 「これからのことは最近になって明らかにされたこと。 わたしのような端末には与えられていなかった情報」 長門は一呼吸おいて続けた。 「わたしはわたしの存在理由を涼宮ハルヒを観察して、 入手した情報を情報統合思念体に送ることだと考えていた。 しかし、それだけではなかった。 そもそもそれだけでは矛盾が生じるのは明らかだった。 情報生命体である彼らは宇宙中の情報を無時間で入手することができるからだ」 長門はまた間を空けた。 「彼らは情報生命体である以上、時間という概念を持つことはない。 それゆえに、人間でいう死の概念、そして記憶というものを持たない。 わたしが十二月に異常動作を起こしたのもこれに起因する。 記憶は彼らの中に本来的に存在しないため、 情報として置き換えるのには曖昧さが残った。そのため、バグが溜まっていった。 十二月に実行された世界改変は、 インターフェースのなかでわたしが最も長い時間を生きているために発生した事故」 「それゆえに、わたしの処分は決定的なものとなった」 「で、結局なんで処分は決定されたんだ?」 「涼宮ハルヒの能力の収束に伴い、地球上で活動する、 インターフェースの絶対数を減らす必要がある。 それに加え、記憶によるバグは危険を伴う。 だから、最も時間を経たわたしから順に処分を開始する。当然の処置」 「だとして、いなくなることはないじゃないか」 「……仕方がない」 「仕方がなくなんかない!」 俺は憤慨していた。すでにこの二日で限界を迎えていた。 「長門、お前はどう思ってるんだ?」 「わたしはこの世界に残りたいと感じている」 「なら!」 「わたしには決定権がない」 「なんでお前の意思は尊重されないんだ!」 「……仕方がない」 「ハルヒに俺が『俺はジョン・スミスだ』だということを明かすと 情報なんたらやに伝えてくれ!」 「涼宮ハルヒにはもう時間を改変するほど力は残されていない」 「くそっ。どうすればお前を助けられる? 俺にできることはないのか?」 「ない」 「……仕方がない」と長門は呟いた。 「……どうすればいいんだ」 「……仕方がない」 俺は立ち上がると、長門に近づき、抱きしめてしまった。 それがいいことなのかは分からない。 ただ、強く抱きしめた。 細い身体は今にもサラサラと砂になりそうだった。 長門は抱きしめ返すことはなかった。 ただ、正座したまま動かなかった。 無機質な有機アンドロイド、長門有希。 寡黙な文学少女、長門有希。 そして俺たちはそのまま。 しばらくすると長門は俺の胸を押し、離れようとした。 「あ、すまん。つい勢いで」 俺は長門から離れ、謝った。 「帰って」 「へ?」 俺は間抜けな声を出した。 「帰って。もう時間」 長門は俺を強く見つめた。これ以上はできないぐらいに。 「帰らないと言ったら?」 「あなたのわたしに関する記憶を消すことになる」 「そうか」 俺はしぶしぶ同意し、リビングを出ることにした。 それ以外ないだろ。長門の記憶が消えてもいいのか? 去り際、長門は言った。 「あなたがわたしのことで本気になってくれたことを嬉しく思っている」 「でも、もう時間がない」 そして最後に、 「ありがとう」 長門ははっきりと言った。 俺は何も言わず、玄関を飛び出た。 エレベーターを待てず、階段で降りた。 マンションの前に放置してあった自転車に乗り、走り出した。 輝かない空を見上げ、自転車を全速力でとばした。 「くそっ。どうして俺は何もしてやれないんだ」 そして俺は逃げ出したのだ。仕方がなかったでは済まされない。 だが、自分を責めることはできず、長門を責められるわけでもなかった。 俺は圧倒的な暴力の瀬戸際に立たされていた。 忘れていたのだ、自分が何もできない普通の人間だということを。 揺らぐ意識の中で、長門のことを思った。 せめて、 長門がバグだというその記憶が、 幸せで満たされていることを、ただ、祈った。 chapter.2 おわり。 chapter.3
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事件が起きたのは、高校3年生の春だった。 SOS団に引きずりこまれて約2年が経過し、もうすっかり身体のリズムがSOS団に順応してしまった。 そして俺は、1つの決心をした。ハルヒに告白をすることを。 なあなあで来た俺達の関係を、1つの形にしようと思い立ったってわけさ。 部活終了後、俺は他の3人を先に帰らせてハルヒと二人きりになった。 「なによあたしだけ残して。言っておくけど、くだらない用事だったら死刑だからね。」 「ハルヒ……俺と付き合ってくれ。」 「……え!?」 「お前が、好きなんだ。」 「……このバカキョン!!言うのが遅いのよ!あたしだってアンタのこと好きだったんだからっ!」 と、まあこうして俺とハルヒはめでたく付き合うことになったわけだが、 翌日、部室でとんでもない事実を告げられた。 「よう。ハルヒは掃除当番で遅れるんだとさ。」 「あなたに伝えたいことがある。」 いきなりなんだ。またハルヒ絡みか? 「そう。……涼宮ハルヒの能力が、完全に消失した。」 「な、なんだって!?」 いきなりだなオイ!そんなに突然消えるもんなのか!? 「いきなりでは無い。徐々に減少傾向にあった。おそらく昨日の出来事がトリガーになったと思われる。」 ああ、昨日の……って、確かまだみんなには話して無かったと思うが? 「終わった後二人で残ったことを考えれば、想像はつきますよぉ。 ようやく、って感じでしたもん♪」 なるほどね。朝比奈さんですら予想できていたならば、長門や古泉にとっちゃ確信的なものだったんだろう。 ん?そういや、さっきから静かなヤツが一人いるな。 今までの言動を考えたら、こういう時こそ多弁になる男のはずだが。 「古泉、やけに静かだな。悪いもんでも食ったのか?」 「いえ……そういうわけではありませんよ。」 と言って古泉は笑顔を作る。だがその笑顔は、いつもより30%減って感じだ。 「よくわからんが、お前もようやく閉鎖空間から解放されたんだろ?もっと喜べばいいんじゃないか?」 「ええ……そうですね。あの……」 古泉が何かを切り出そうとしたその時 「やっほー!!遅れてごっめーん!!」 けたましくハルヒが入ってきた!相変わらずのテンションだな。 能力を失ってもハルヒはハルヒだ。俺はそんなハルヒを好きになったんだからな。 「あ、そうそう。あたしキョンと付き合うことになったから!」 まるでいつも通りイベントを持ってきた時のように軽く発表した。 おいおい、もっとムード的なものが……まあバレバレだったんだけどさ。 「おめでとうございますぅ!お似合いだと思いますよぉ!」 全力で祝福してくれる朝比奈さん。 あなたに祝福されれば嬉しさ120%というものですよ。 「……おめでとう。」 淡々とつぶやくように祝福してくれる長門。まあここまではいつものテンションだ。だが…… 「おめでとうございます。心から祝福させて頂きますよ。」 その古泉の笑顔は、やはりどこか陰りがあった。 散々俺達をくっつけようとしてたくせにどうにも元気が無い。 まさかハルヒのことが好きだったのか?……それは無いだろうな。 と、柄にも無く古泉の心配をしているうちに、部活は終了となった。 明日は土曜日。不思議探索は無い。 代わりにハルヒと二人きりで約束をしてある。つまりハルヒとの初デートの日ってことだ。 「エスコートはアンタに全部任せるわ!光栄に思いなさい! あたしを楽しませないと死刑だから!じゃあね!」 そしてハルヒと俺は別れた。まさか、これが生きたハルヒを見る最後の姿だと思いもせずに…… その夜。俺達は病院に集まっていた。 「なんで……なんでこんなことに……」 朝比奈さんは泣いている。長門もどことなく沈んだ雰囲気だし、古泉にも笑顔は無い。 そう、ハルヒは、死んでしまったのだ。 ハルヒは俺と別れた後、突然通り魔に襲われたらしい。 胸を刺されて、病院に運ばれたが既に息は無かったそうだ。 家でのんびりくつろいでた俺は、突然長門からの連絡を受け、病院までやってきたってわけだ。 「……ウソだよな。なんの冗談だよ。面白いジョークだよな。はははは……」 ほんと笑えてくるよ。くだらなすぎてな。タチの悪いドッキリだぜ。 「なあ?みんなもそう思うだろ?一緒に笑おうぜ?ははは……」 笑うヤツは、誰もいない。 「みんなも笑えよ……笑えよ!ほら!!」 「落ちついて。」 「落ちついてられるか!!こんな状況で!!ハルヒが死ぬわけないだろ!あの団長がよ!!」 「落ちついて!」 長門が珍しく声を荒げ、俺の肩をつかむ。 「……これは、事実。」 はは……マジかよ。 俺の笑いは、涙へと変わっていった。 「……お話があります。」 今まで黙っていた古泉が口を開いた。なんなんだ。今はお前なんかの話を聞く気分じゃねぇんだよ。 「彼女を殺した通り魔は恐らく機か……」 古泉が言い終わる前に、俺は古泉を殴っていた。 「キョン君!」 朝比奈さんが悲鳴をあげる。だが知ったことじゃない コイツは今何を言おうとした!?機関の人間がハルヒを殺しただと!? 俺は倒れた古泉に駆け寄り、二発目を当てようとする。 ……!!長門!離せ! 「お願い。落ちついて。」 「落ちついていられるか!ハルヒは機関に殺された!そうだろ!?」 「古泉一樹は悪くない!」 「いえ……僕が悪いんですよ、長門さん。」 古泉が起きあがった。 「通り魔は恐らく機関の人間です。知っての通り涼宮さんは閉鎖空間を作り、僕等がその処理にあたる。 僕はSOS団の団員であるということに誇りを持っていますから、彼女を恨んではいません。 しかし、そうでない人間も確実にいるのです。彼女を恨んでいる人間も…… それでも彼女には能力があり、手出しは禁じられていました。世界がどうなるかわかりませんからね。 でもその能力が消えたことで、彼女に手を出す人間が出ることは不思議じゃありません。」 古泉は長々と話す。だが弁明という感じでは無い。ひたすら自分を責めているような感じだ。 「その可能性に気付いていながらこのような結果になってしまったのは全て僕の責任です。 僕を責めるなり殴るなり好きにして貰って構いません。なんなら、殺しても……。」 「もういい。お前を責めたところでハルヒは戻っては来ないからな。」 そうだ。古泉を責めたところでしょうがないんだ。 重要なのは、俺はこれからどういう行動を起こすべきか。 「ハルヒを取り戻すには、自分で行動を起こすしかないんだ。」 「取り……戻す?」 朝比奈さんが尋ねる。だが今は、それに答えるわけにはいかない。 俺は1つの決意をした。したからにはもう、1分の時間も惜しいんだ。 「みんな、もう俺はSOS団には来ない。 あいつがいないSOS団なんて意味無いし、なによりやることが出来たんだ。 悪いけど、もう帰らせてもらう。」 そう言い残し俺は去った。そうだ、俺がやらなきゃいけないんだ……! ~~~15年後~~~ 俺はあの後ハルヒの通夜にも出ずに、ひたすら勉強を続けた。 寝る間も惜しんでの受験勉強により、赤点スレスレから校内トップクラスにまで成績を押し上げた。 そして国内でも1,2を争う大学に入学。そのまま大学院に進み、異例の若さで教授にまでなった。 俺は今コンピュータサイエンスを専門としている。あの時からこの分野だと決めていたからな。 そしてつい先日、ようやく俺は研究を完成させたのだ。 さて、そんな中街を歩いていると、懐かしい人物に出会った。 「お前……古泉じゃないか?」 「あなたは……。お久しぶりです。」 「元気でやってるか?」 「ええ、それなりにやらせて頂いてます。あなたの方は凄い活躍ですね。 コンピュータサイエンスの権威として名前を聞きますよ。」 「そうかい。……あっ、もうこんな時間じゃないか。悪いけどここで失礼するよ。」 「お急ぎなのですか?」 「ああ。」 俺は古泉に喫茶店の金を渡して、こう言った。 「ハルヒが待ってるんだ。」 「え?」 古泉が素っ頓狂な声をあげる。 「今、なんと?」 「だから、家でハルヒが待ってるんだよ。遅れるとうるさいんだ。アイツは。じゃあな。」 呆然と立ち尽くす古泉を尻目に、俺は家へと急いだ。 「ただいま!」 俺は家のドアを開ける。やべぇな。遅れちまった。 『遅い!!罰金よ罰金!!』 やれやれ、予想通りのセリフだな。意味は無いと思うが一応弁明しておくか。 「いやさっき古泉と会ってな。つい話し込んでしまって遅くなった。」 『古泉くん?懐かしいわね。あたしも会いたいわ。……でもそれとこれとは話は別よ!』 「へいへい」 相変わらずあの時と変わらないな。 そうだ、「変わらない」のさ。研究室となった部屋にある、一台の大きなパソコン。 そのディスプレイ一杯に映し出されるのは、高校の時そのままのハルヒの姿。 そして左右に設置されたスピーカーからは、高校の時そのままのハルヒの声。 そう、これが俺の十年以上の研究の成果。 コンピュータ人格プログラム『涼宮ハルヒ』だ。 続く
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一 章 まず、ハルヒを取り巻く懲りない面々の近況を伝えておこう。 SOS団サークルが大学でも大暴れすること四年間。過去に上映した映画のリバイバル、続編の撮影、この世の不思議を求めて日本各地を旅行。野球、サッカー、剣道柔道合気道、学内外のスポーツサークルに挑戦状を叩きつけ、泣きすがる部員を尻目に看板をかっさらって帰ったのはまだまだ序の口。部費捻出のためのあやしげな営業活動に渋面の教授陣もさることながら、処置なしと見た大学当局からなんのお叱りも受けずに無事卒業できたことは、長門、古泉各方面の協力(いや圧力)に感謝すべきだろう。 ハルヒはいくつか内定を取った企業のうち、もっとも給与条件のいい会社に入ったようだ。大手食品会社の商品企画なんてのをやっている。ハルヒらしいといえば、あいつらしい仕事だが。あいつが毎日スーツを着てデスクワークをしている様子は、ちょっと想像しがたい。噂では商品キャラクタの着ぐるみを着て営業に回っているとのことだ。そういえば就職してからずっと髪を伸ばしている。髪を結ぶリボンの色を毎日替える宇宙人対策を、入社式からずっとやっていたらしい。 長門は大学からそのまま大学院に進んだ。高エネルギーだか素粒子物理だかの理学博士課程にいる。俺はてっきりハルヒと同じ会社に入るものと思っていたが、聞くところによるとこれもハルヒの行動を予測してのことらしい。 古泉は、あいつは、そのまま機関で働くことになった。バイト待遇から正社員になったようだ。相変わらず閉鎖空間で神人を追いかけている。俺たちが就職してからはあまり会っていない。 俺はといえば、たいして就職活動をしていなかったにもかかわらず、内定を取って無事サラリーマンに落ち着いている。大学の専攻とはまったく関係なかったが、参考書やら学校教材を出版している会社に入った。有名塾の先生に執筆を頼み、原稿をチェックしてDTPにまわし、版下が完成したら印刷所にまわす。まわさないのは皿くらいなもんで、まあ編集のはしくれみたいなことをやっている。スケジュールさえ守れば残業もないし、休日出勤もなし。楽っちゃ楽だ。 それから半年が経ち、俺は社会のしがらみの中でどうやらこのまま歳を重ねていくことになりそうだと、一種の安堵感に浸りつつあった。ハルヒが就職してからSOS団の活動も下火になってゆき、たぶんこのまま先細って、あのときはあんなバカなこともやったよなぁなんて全員で思い出に浸れるようになるんじゃないかという夢のようなものさえ見ていた。メンバーに会うペースも二週間、三週間と少しずつ間が伸びてゆき、一ヶ月に一度というサラリーマン的キリのいい回数にまで減った。 もういいかげん、ハルヒの奇矯な行動に振り回される役柄を引退してもいい頃だ。なんて甘いことを考えていた矢先にハルヒによって全員集合をかけられたのは、通り過ぎたはずの台風の進路が逆行して戻ってきてしまったときよりも精神的ダメージが大きかった。 「いよっ、みんな元気そうね」 お前にはこれが元気に見えるのか。会社が引けてからハルヒにいつもの喫茶店に呼び出されて俺が憂鬱になっているところへ、長門と古泉が現れた。 「……」 「皆さんお久しぶりです。涼宮さんもおかわりなく」 長門とはほぼ毎日会っているが、古泉の顔を見るのは久しぶりだった。どことなく貫禄がついた気がする。 「さすがは涼宮さんですね。団長、超監督、名探偵、編集長と来て、次は社長ですか」 ハルヒのトレードマーク、赤い腕章はすでに社長になっている。 「これからはベンチャーよ。生き馬の目を抜く高速道路の現代社会を生き残るにはこれしかないわ」 最近は休日の高速道路並に渋滞している気もするけどな。 「大賛成です。涼宮さんのような逸材が企業の一歯車として働いているなんてもったいなさすぎます。ここはひとつ、新しいビジネスチャンスをつかみましょう」 「で、なにを売るんだ?まさか宇宙人、未来人、超能力者を探し出して売る会社とか言うんじゃないだろうな」 自分で言いながら笑いをこらえきれないでいると、古泉と長門の顔がピクと引きつった。ここに朝比奈さんがいたら眉を寄せたことだろう。 「それをみんなで考えるんじゃないの」 「順序が逆だろうが」 「あたしもいろいろ考えてみたわよ。パーティ向けのケイタリングとかどう」 「誰が料理を作るんだ?」 「もっちろん、あんたたちでよ。あたしは取締役社長兼営業。古泉くんは秘書兼営業部長ね」 即、廃業だ。長門が早速料理のレシピ本を読んでいる。気が早いぞおい。 「とりあえず必要なのは事務所よね。この際だからボロい雑居ビルでもいいわ」 「まあ待て。登記の仕方とかも調べなきゃならん。少し時間をくれ」 「あんたの専攻、経済学だったわね。お役所関係は面倒だからキョンに任せるわ」 「経営学部とは違うんだがな。まあまったくの専門外ってわけでもないが。まずは事業内容をはっきりさせてくれ」 「そうねえ。あんたたちも何かアイデア出しなさいよ、即採用するわ」 ハルヒは鞄から分厚い本を何冊も取り出した。タイトルを見ると、起業入門、はじめての起業、会社ひとりでできるもん?俺たちにこれを読めってのか。さっそく長門が一冊手にとってパラパラとめくりはじめた。 俺はチラと長門を見た。流行には遅ればせだがIT系でもやるかな。長門テクノロジーで。大学院とかけもちでたいへんだが、こいつだけが頼りだな。あるいは朝比奈さんに頼んで時間旅行代理店でもやるとか。古泉には……、機関に金を出させるか。あんまり機関には負担をかけたくはないんだがな。 ハルヒが持ってきた漫画で読む起業ガイドとかいう本をさらりと読んでみたが、いきなり株式会社ってのもありらしい。俺はてっきり、同好会から研究会へランクアップするみたいに、有限会社からがんばってステップアップするのかと思っていた。今は有限会社ってのはなくなって株式会社に吸収されちまったらしい。それ以外に有限責任事業組合とか、やたら長い名前の法人が増えちまってる。 今はお金がなくても株式会社を作れるようで、一円起業とかいうのも可能だと書いてある。要はアイデア次第。入る金と出る金の収支が安定したら出資者を増やしていく。さらに資金調達が必要なら株式市場に上場してもいい。 「なるほど。最終的には一部上場か……」 「一部じゃなくて全部上場しましょうよ!」 いや、そういう意味じゃなくてだな。 ともかく、会社を興すにはハンパじゃない量の書類作成が必要らしい。誰かがレクチャーしてくれるとありがたいんだが。 「古泉は税理士の知り合いはいるか」 「ええ。身内にいます」 「ちょっと知恵を借りたいんだがな。登記に必要な手順やら節税やら」 「分かりました。手配しておきます」 手配って身内に使う言葉じゃないだろ。 「さすが古泉くんね。じゃあキョン、後は頼んだわよ」 まったく、考えつくだけで面倒なことはすべて俺任せじゃないか。高校のときとまったく変わっとらん。いっそのこと閉鎖空間を発生させてストレス解消してくれたほうが助かったんだが。 ハルヒに呼び出されて起業宣言を聞いた帰り道、古泉からちょっと話せないかと電話がかかってきた。まあ暇なんでさして問題はないし、それにこいつの近況も聞いておきたい。 俺は長門を連れて、駅前のファーストフード店で古泉と待ち合わせた。 「お二人さん。改めて、ご無沙汰しております」 「よせよ、そんな社交辞令みたいなあいさつは」 「お互いにもう社会人ですからね。親しき仲にも礼儀あり、それなりの自覚を持たなければ」 などと耳の痛いことを言う。そんな固いこと言わなくても、俺たちは仮にも同窓生だろ。 「最近どうしてんだ?機関のほうは相変わらず忙しいのか」 「それも含めてお知らせしたいことが。ここ半年間、涼宮さんの能力開放が激減していまして」 それは前にもあった。高校二年の二月ごろだったか。あれは単にバレンタインデーに向けての下準備というか、安定期だったというか。それが終わるとまたいつものあいつに戻ったよな。 「閉鎖空間の発生も、神人の発生も、もう片手で数える程度になっています」 「そんなに減ってるのか」 「長門さんはご存知かもしれませんが」 古泉は長門を見た。長門は少しだけうなずいた。 「最後に閉鎖空間が発生したのは二週間前です。それも真っ昼間に」 「閉鎖空間が発生しないのはいいことじゃないか」 「ええまあ。それだけではなく、神人が発生しません」 「神人がいない閉鎖空間?アレが消えないと閉鎖空間は消えないんじゃなかったっけ」 「通常はそうです。一ヶ月くらい前でしょうか、いつものように閉鎖空間に入ってみたところ、いつまで待っても神人が現れることなく待ちぼうけを食わされました」 「それで、閉鎖空間はどうなったんだ」 「三十分くらいで消滅しました。神人を発生させるだけのエネルギーがなかったようです」 「ハルヒにしちゃ珍しい不完全燃焼だな」 「ええ。くすぶっているだけならまだしも、突然消えてしまうので我々も戸惑っています」 「そういうときのハルヒってどんな具合なんだ?」 「観測ではイライラと上機嫌のわずかな間を行ったり来たりしているというか」 古泉はそう言って人差し指をバイオリズムのように上下に振ってみせた。 「大人になって突発的な感情の起伏が減った、ってことじゃないのか」 「それだけならいいんですが、閉鎖空間というのは涼宮さんの中の常識とエキセントリックな世界を好む願望とのバランスが崩れるとき、ストレスを感じてあの空間が生まれるんです。これは僕たちに能力が与えられてから今までずっとそうです」 「だったらなおのことだ。常識が勝ってハルヒが安定してきてるのはいいことじゃないか」 古泉は俺の顔をじっと見て、少し考えてから論点を変えた。 「考えてみてください。人間が願望を持たなくなったら、どうなりますか」 「まるで俺のことを言われてるようだな」 「いえいえ、一般論としてです」 古泉は汗をかきかき手を振って否定した。 「そんなことになったら夢も希望もない、だるいだけの毎日になっちまうだろうな」 「それは涼宮さんにも当てはまることです。彼女の場合、夢も希望もないということは能力を失うということなんです」 俺はうーんと唸った。ハルヒが能力を失うようなことになったら、ただの女子高生、じゃなくてただのOLになっちまう。どう考えても大歓迎すべき事態じゃないか。それがなぜ古泉や機関にとって懸念材料になるのか分からん。 「この状況を鑑みて、機関の幹部では組織の縮小を検討しています。すでに現場の人間を残して、管理職の人間を当初の三分の一に減らしています」 「機関もリストラか」 「喜ぶべきか、悲しむべきか。そうです」 俺は暇を持て余してぼんやりとプレステをしているCIA職員を思い浮かべた。 「このままでは僕もトラバーユを考えなければいけませんね」 しかし今から就職活動をするのはきついだろう。機関じゃ待遇よさそうだし。 「まあ、食っていけるならどんな仕事でもしますよ。涼宮さんに雇ってもらえる道も開けそうですし」 お前こそ夢がないぞ。もっと志を高く持て。 「それはともかく、涼宮さんの夢と希望によって僕たちは存在を許されている。長門さんも、ここにはいない朝比奈さんもそうでしょう」 長門はどう思ってるんだろう。こいつの本来の仕事はハルヒを観察することだ。 「……涼宮ハルヒが能力を失えば、わたしは任務を終える」 「とすると、上に帰っちまうのか」 「……分からない。それについてはまだ検討段階ではない」 ということはまあ、時間的余裕はあるってことだな。俺はすぐにでも長門が帰っちまうのかと想像して少しだけ焦った。 「長門さんは涼宮さんの最近の様子についてはどう思われますか」 「……涼宮ハルヒの思念エネルギーには、大きな波と小さな波がある」 「なるほど。今はどのような位置にいるんでしょうか」 「……中長期的に見れば、今は大きな波の谷間にいるだけ」 「ということは、これからパワー増幅する可能性が高いと」 「……そう。でもこれは、わたしの憶測に過ぎない」 二人とも怖いことを言う。まさかこれからハルヒが大暴れするとかいうんじゃないだろうな。 古泉の懸念はもっともかもしれんが、そっちのほうはあいつらに任せておいて、とりあえず俺はハルヒから出された宿題をこなすことにするか。 さて、起業の手順だ。古泉の知り合いというとすぐ機関のメンバーを思い浮かべるのだが、やってきたのは思ったとおり多丸圭一氏だった。この人は実際に機関の関連会社を経営してる人らしく、いろいろと相談に乗ってもらった。 「どうも多丸さん、その節はいろいろとお世話になりました」 「久しぶりだね。元気にしてたかな」 「おかげさまで、ハルヒの有り余る元気のせいで今回も振り回されています」 多丸氏は昔と変わらず、はっはっはと笑った。 「それで、なにをする会社なのかな?」 「それがまだ決まってないんです」 俺は眉をハの字に曲げてみせた。俺がハルヒのパシリなんだってことは雰囲気的に分かってくれるだろう。 「そんなことだろうと思ったよ。まあなにをするにせよ、お役所でハンコさえもらえばどうにでもなるからね。面倒なのは最初だけだ」 機関の人だけあって、ハルヒの特性を知ってくれているのはありがたい。 会社ってのは仮にも法で定められた集団で、かつてのSOS団みたいに、勝手気ままに思いついたことをなんでもやりますみたいな申請は無理だろう。活動内容やらそれに関わる人やら、それからお金の入手先やら使い道やらを決めておかないといけない。実際にどうなるかはともあれ、書類上できちんと明記されていないと認めてくれないのがお役所の慣わしだ。 「経営者の所得は年間どれくらいを見込んでるのかな。一千万円を超えそうなら株式会社のほうが税金的に有利だけど」 「ハルヒが言うには株式会社のほうが聞こえがいいんで、そうしろと」 「はっはっは。まあ好き好きかもだね。最初は個人事業のほうが手続きが簡単でオススメではあるんだけどね」 「なんせ形から入るやつですから」 「彼女ならなにかでかいことをやりそうだし、最初から株式会社にしても差し支えはないだろうね。途中で法人の種類を変更するとそれだけ手間も発生するし。大は小を兼ねる、とも言うしね」 「はあ、そんなもんですか」 株式会社というのは、金を出す人が会社の持ち主で、社長はその株主から経営を任される。最近は社長ひとり株主ひとりという最少人数でもOKらしい。設立を届け出るのは法務局で、会社内の決まりごとを書いた定款やら設立するときの議事録やら分厚い書類を提出させられる。書類を重ねる順番まで決まっているらしい。 「書類の用意は私が手伝ってあげよう」 「はぁ、助かります。そこがいちばん厄介な部分なんで」 「まずは事業内容を決めることだね」 「そうですね。ハルヒにさっさと決めさせてきます」 翌日から、会社が引けるとハルヒとその他のメンツを呼び出すのが日課となった。どうでもいいがその腕章、外ではやめてくれ。 「で、屋号はどうすんだ。SOS団か?」 「当然じゃないの」 「じゃあエス・オー・エス団株式会社でいいのか?」 「響きが悪いわね。株式会社エス・オー・エス団、これね。前株でいいわ」 どっちも似たようなもんだが。 「あとは事業内容だが。世界を大いに盛り上げるとかそういう抽象的な内容だと申請に通らないぜ」 「分かってるわよ。あたしだってベンチャー本はひと通り読んだつもりよ」 ほう、ちゃんと予習はしてるみたいだな。 「で、目的は?」 「教えるわ。この会社の目的!それは、」 ハルヒは、あの日と同じように大きく息を吸った。ドドン。どこかで太鼓が鳴ったような気がしたが、気のせいか。 「タイムマシンを開発して時間旅行をすることよ」 な、なんだってー!!俺の脳裏にΩマークが四つほど並んだ。その場にいたハルヒ以外の全員が真っ先に朝比奈さんを思い浮かべたにちがいない。朝比奈さん、もしかしてあなたはその関係者だったんですか。 「さすがは涼宮さんですね」 古泉、お前はそれしかないんか。 「そんな前例のないもんが申請の書類に書けるわけがないだろ」 「前例がないから作るのよ。テクノロジーは日進月歩爆走中よ。昔の人は言いました、光陰矢のごとしよ」 「そんなもん簡単に作れるかよ。仮に作れたとしてもだな、それまで利益なしだろう」 「だいたいねえ、人類は月にまで人を送ったことがあるのに、なんで未だにガソリンを燃やして走ってるわけ?二十一世紀になって十年は経つってのに、いまだに化石燃料が主流なんて遺憾を覚えるわ。もう道をテクテク歩くだけの技術は無用よ。これからは時間移動の時代なの」 聞いちゃいねー、さらに言ってることがよく分からん。すまん、誰か頭痛薬をくれ。 「時間旅行で社員を養えるのか」 「ちっちっち。未来や過去に行けばいろんな珍しいものがあるわ。それを運んできて売れば大儲けよ」 やれやれ。ハルヒが金儲けに走り始めたか。 「よくいるでしょ、考古学者のくせに発掘品を売りさばいてるやつ。キリストの聖杯とか、埋蔵の宝石とか」 「そりゃ映画の話だ。しかも盗掘と変わらんじゃないか」 「それに未来から技術を持って帰れば売れるしね。時間旅行さえできれば、お金なんて後からでもついてくるわ」 職種からいってあんまりカタギじゃなさそうだな。株式会社窃盗団にでも名称変更したほうがいいんじゃないのか。 ここで少し会社登記の話をしよう。 一円起業とは言っても登記申請には税金なんかで二十四万円ほどかかる。お役所がらみはタダじゃないんだ。会社を作ったあとにかかる税金は所得税、法人税、住民税、事業税なんかがあるが、できれば税金は安いほうがいい。個人と違って会社は税金が優遇されることが多いらしい。節税のために会社を作る人までいるくらいだし。 資本金が一千万以下の場合は消費税が二年間免除される。税金を申告するときに最初の年度の赤字を七年間繰り越してもいい、みたいな甘い制度もある。 資本金を誰に頼むかはまだ決まっていないが、現物出資といって、自分の手持ちのパソコンやら車やらを持ち込んで資本金代わりにしてもいいらしい。五百万円までなら書類で申告するだけでOKだ。 株式会社だから株券を売るのかと思っていたがそうでもないらしい。株券の実物が必要なのは株の譲渡OKな『株式公開会社』を作る場合。うちは株式の譲渡が自由にはできない『株式譲渡制限会社』にする予定だから、勝手に株を売られたりはしないことになる。株主が会社を手放したいときにだけ、経営陣が承認して発行する感じか。会社を作る発起人はそれぞれ一株以上は買わないといけない。つまり俺も買わされるわけだが、別に平社員でもいいのにな。 登記書類をまとめて持っていくのは法務局だが、ほかにも公証人役場、税務署、都道府県の税事務所、市区町村の役所、労働基準監督署、社会保険事務所なんかにも行かないといけない。しばらくはあちこちを奔走することになりそうだ。そうそう、取引銀行に口座も作っとかないとな。 会社用のでかい印鑑も作らないといけないが、この辺はハルヒにやらせよう。あいつは腕章とかネームプレートとか名刺とか、アイデンテティのあるものが好きそうだからな。 「はぁ……」 ハルヒが大きく溜息をついた。いつものハルヒらしくない。また昼飯をおごれと言われてイタ飯屋に出てきた俺だった。俺は猿でも分かる起業入門を読みながら横目でハルヒを見た。 「どうしたんだ?」 ハルヒがなにか新しいことを考え付くときはたいてい、台風がやってくる前日の天気予報のように、わけの分からない期待感と開放感とそれから高揚感とがいい感じにミックスされて、今しも超新星が生まれそうなガス星雲の中にいるような気配がするもんだ。それがこの倦怠とあきらめ交じりの溜息。吐く息が文字化すれば、やれやれとでも浮かんできそうだ。やれやれは俺の専売特許のはずだが。 「なんでもないわ。ただね、なんとなく疲れたというか」 「就職して半年でそれかよ。ちょっと甘ったれてんじゃないのか」 「あんたにしちゃきついこと言うわね」 ハルヒは頬杖をついてこっちを見る。どうも、瞳にイキイキ感がない。 「そうかな。じゃあ聞くが、これから起業しようってのになんでそんな溜息ばっかりなんだ」 「学生の頃はなにをやっても楽しかったわ。映画を撮ったり、今考えればどうでもいいようなストーリーだったけど、自分がなにかをやっているって感覚があったわ。飛び入りでギターを弾いたり、みんなで野球をやったり、見つかりもしない不思議を探し回ったり」 まあ、俺もあの頃はそれなりに楽しんだ。やたら体力と財力を消費はしたが。 「それがこの頃ときたら、なにか新しいことを思いつくとそれにかかるお金とか時間とか、必要な人材とかを考えるのが先なのよね」 「ふつー、なにかをはじめるときはそうなんだけどな」 「あの頃は自分ひとりででもやってやるって意気込みがあったわ」 そうだ、ハルヒはいつも独走だった。スタートラインに並び、フライングだろうがなんだろうがひとりでぶっちぎりゴールを目指す。その後を俺たちがへいへいとついて行く。いつもがそんな図だった。 「やりたいことが変わってきたんじゃないか。より高度になったとか、質が高くなったとか」 「どうかしらね」 「思いつきがでかいから、ひとりじゃ無理ってことだろう。計画性も大事だ」 俺が計画性を言い出すようになっちまったら、世の中はミジンコ並みに計画どおりだな。 「すべてが計算づくになってしまった自分がうらめしいわ。あたし、いったいなにが変わったのかしら」 「まあ商品企画課っていうハルヒの仕事柄だろう」 「モノ作りの最前線っていうからこの仕事に就いたのに、いまいち自分が作ってるって感じがしないよのね」 「お前だけで作ってるわけじゃないだろ。ひとつの製品にいろんな人間が関わってる。それが会社ってもんだ」 あまり慰めにも励ましにもならんセリフを淡々と言う俺も、実は今の仕事には生き甲斐を感じていない。 「それは分かってんだけどね」 「けど、給料はいいんだろ?」 「まあね。ボーナスも思ったより多かったわ」 「この不景気にそれは贅沢ってもんだ」 「分かってるわよ。同僚と飲みに行ったりもするし、給料日には買い物して遊んで歌って午前様だし」 「これ以上なにが不満なんだ?」 「分かんない……。いい職場についたし、給料もいいし、好きなもの買えるし」 ハルヒはこれと決めたものには出費を惜しまない。自分の思い付きを実現するためならバニーの衣装だろうがメイドの衣装だろうが、自腹で買ってしまう。ストレスで散財するタイプだなこいつは。将来旦那が苦労するぞ。 就職したから自分でストレスを解消できるようになった、という言い方は変かもしれないが、自由に使える金があれば、特別な力がなくてもある程度の願望を実現することはできるかもしれない。食ったり飲んだり騒いだり、簡単になにかを手に入れたりすることで、本当にやりたいことがだんだん霞んでしまう。古泉が言っていた閉鎖空間発生が減った理由が、なんとなく分かってきた気がする。 ハルヒは食い残しのシーフードパスタをフォークの先でいじりながら言った。 「なんだかね、タコが自分の足を切り売りしてる気持ちっていうのかしら」 「お前にしちゃうまい例えだな」 「もう、どうでもよくなってきたわ……」 テーブルに顔を伏せてそのまま眠り込んでしまいそうな、久々に見るハルヒのメランコリーである。 2章へ
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2.レトロウイルス それはわかってたさ。倒れた状況、長門の態度、どれを取っても普通じゃない。 おおかた長門の話を聞いた古泉が、先に病院に連絡をしていたのだろう。 「だろうな。とりあえず何が緊急事態なのか教えてくれ」 長門はまっすぐに俺を見据えていった。その表情はわずかに暗い気がする。 「涼宮ハルヒの精神が、浸食されつつある」 浸食? 何かがハルヒに入り込んでいるってことか? 「そう」 それは何だ? そう聞く俺に、長門は表情を変えずに答えた。 「珪素構造生命体共生型情報生命素子」 またその長ったらしい名前か。久しぶりに聞いたよ。未だに全部覚えられないけどな。 あれだな。1年生が終わるってころに阪中が持ち込んだ事件。 阪中の、あの哲学者と同じ名前を持つ何とも愛らしい犬に憑依した存在。 あれと同じか。ウイルス、と定義してたな。 「そう」 「ハルヒも陽猫病にかかったってことか??」 俺はシャミセンの頭に宿っているはずの何かを想像しながら言った。 確か、消し去ることは許可されなかったからそんなことになったんだったな。 だったら、ハルヒもどっかに圧縮保存しておけば治るんじゃないのか? 少し希望が見えた気がした。 「今回はルソー氏と少し状況が違うようです」 笑顔の消えた古泉が口を出した。 お前には聞いてない、と言いたいところだが、長門が説明するより簡単な言葉で話してくれそうだ。 ここは大人しく聞いておくことにする。 「情報生命素子は、どんな珪素構造体にも寄生できるわけではないそうです。 どんなハードウェアにでもインストール出来るOSがないようなものですね」 わかったようなわからないような。それが何の関係がある? 「普通の情報生命素子は、宿主を選択して自分が寄生出来る構造体を選びます。 しかし、今回の情報生命素子は宿主の構造を探索して自分を変化させる能力を 有していた。そうですね、長門さん」 「そう」 長門がわずかにうなずく。 「大気圏突入により珪素構造体は自身の大部分を失った。 情報生命素子は新しい宿主が必要」 長門が後を続ける。 「情報生命素子は涼宮ハルヒの脳神経回路を始めとするネットワークを探索中」 探索? SOS団が週末に行っているあれ──なわけないな。 「涼宮さんの精神は、探索をかけられることによって過負荷がかかっている 状態です。それで他の機能──と言うべき部分に反応出来ない。 それが意識不明という結果です。本能的かどうか、生命維持の部分は 動いているようですが……。パソコンで一度にスペック以上の大量処理を させたときと同じ状態、と言えますね」 相変わらずお前の例えはよくわからん 「探索中に消去を実行した場合、涼宮ハルヒに及ぼす影響は未知数」 「そこでいきなり負荷を除いたらまずいってことか?」 「未知数。避けるべき」 「今回、お前のパトロンは消去には賛成なのか」 長門は軽くうなずいた。 「涼宮ハルヒの観察に支障を来す」 その探索とやらが終わったらハルヒは目覚めるのか? 「探索が終わると更新を開始する」 「更新?」 「涼宮ハルヒの精神が、情報生命素子に書き換えられる」 ──つまり 「目が覚めたとき、彼女は涼宮ハルヒではなくなる」 頭を殴られたような衝撃を受けた。 なんてこったい。ハルヒがハルヒでなくなる? バカな。冗談だろ? あのハルヒが別物になっちまうなんて考えられるか。 『神聖にして不可侵な象徴たる存在、それがSOS団の団長』 そう言っていただろ? ハルヒ。 「大丈夫ですか?」 気がつくと手を握りしめていた。暑くもないのに全身汗をかいている。 「そちらに座ってください。今にも倒れそうですよ」 古泉が指した椅子に素直に腰掛けた。 頭がくらくらする。異常にのどが渇いていることに気がつくと、古泉がコーヒーを差し出した。 「とりあえず飲んで落ち着いてください」 これが落ち着いていられるか? 「すみません」 古泉はあっさり引き下がった。俺も素直にコーヒーを飲むことにした。 「そう言えば朝比奈さんは?」 タクシーに同乗していたはずの彼女が見あたらない。 「涼宮さんのご両親に事情を話して貰っています。 女性からの方がいいと判断しましたので」 確かに、こんな訳のわからない状態で男が一緒だと、何か疑われかねない。 「まさか本当のことを言うわけにはいかんだろうが」 「大丈夫です。彼女は頭を打って意識不明ということにしています」 俺たち全員がその場にいたこと、学校の階段から転がり落ちたことにする、と説明を受けた。 あのときの俺と同じか。しかし何でわざわざ全員いたことにしたんだ? 「貴方と2人きりだと、何か疑われるかもしれません」 本当に抜かりがないな。だが詳細にこだわるとかえってボロがでるぞ。 コーヒーの効果はあったようだ。冷静にこんな会話が出来るほどにはな。 「すまん、古泉。ありがとう」 ここは素直に礼を言った。古泉は驚いた顔をしたが、今日始めてニヤケ面を見せた。 「貴方に素直にお礼を言われるとは」 しかし、直ぐに真顔に戻った。 「長門さん、聞きそびれていたのですが、情報生命素子を消去出来るタイミングは あるのですか」 「今は無理。探索が終了し、更新を開始する直前のみ」 「チャンスは1回ってことですか……」 「更新が開始されると涼宮ハルヒの一部となり、消去とともに涼宮ハルヒの情報も 消去される」 それは大問題だろ。 「私は涼宮ハルヒにつきそう。探索は1週間程度かかるとみられるが、 正確に判断はできない」 そうか。また長門に負担をかけちまうな。 「問題ない。SOS団の保全が私の使命」 俺は少し驚いた。以前は俺とハルヒの保全が使命だと言った。今はSOS団の保全と言い切った。 それだけ、長門にとってSOS団が大切になっているということか。 「長門、すまん、頼む」 今はただありがたい。 「僕たちは学校に戻りましょう」 古泉に促されるが、俺はハルヒについていてやりたい。 「長門さんもおられますし、もうすぐ涼宮さんのお母様も見えますから」 俺は眠っているようなハルヒを見た。精神に負荷がかかっている状態のはずだが、苦しそうには見えない。 そういう表情を表に出す余裕もないということか。 ハルヒ、必ず助けるからな。 心の中でそうつぶやくと、俺たちは病室を後にした。 「キョンくん、古泉くん!」 病院の入り口で朝比奈さんに会った。知らない人を連れているが、ハルヒに似ている。 「こ、こちら涼宮さんのお母さんです」 朝比奈さんが紹介してくれた。 「はじめまして、古泉です」 古泉が頭を下げる。俺も倣って、はじめましてと言って頭を下げた。 「涼宮さんはどうですか」 不安げな顔で朝比奈さんが聞いてきた。 「まだ意識不明です。長門さんがついています」 「そうですか……」 暗い顔でうつむいてしまった。そんな顔は似合いませんよ、と言いたいがそんな場合ではない。 「すみません、俺のせいです」 ハルヒの母親にむかって、俺は頭を下げた。 「え? でも、これは事故でしょう。頭を上げて」 朝比奈さんから嘘の説明を受けているハルヒ母は、そう言ってくれた。 しかし、俺は責任を感じずにはいられない。 今回の事件、俺は最初からハルヒ的変態パワーを疑っていた。 そうじゃなくても、何が起こるかわからない、とわかっていたはずだ。 それにもかかわらず、俺はハルヒがあの隕石に触れるのを止めなかった。 UFOとかそんな物じゃなかったということで気を抜いた。 あのとき止めていれば。せめて長門を呼んでいれば。 俺は今までの経験をまるで役に立てることができなかったじゃないか。 それが悔やまれる。 「失礼します」 俺は言って、その場を去った。 「僕はこれで失礼させて頂きますよ。バイトが入りましたので」 バイト、を強調して古泉が言った。 「閉鎖空間が? こんな状況でか?」 「こんな状況だからですよ」 古泉が深刻な顔をしていった。今日は、いつものニヤケ面をほとんどしていない。 さっきコーヒーの礼を言った一瞬だけだった。こいつに取ってもそれだけ緊急事態なんだろう。 「今回は普通では考えられない程の負荷が涼宮さんにかかっている訳ですから」 なるほど、確かにそうだ。ただ、閉鎖空間を作れるほどの余裕が、むしろないと思っていた。 「それは僕にもわかりません。が、現に今閉鎖空間は発生している。 正直に言いましょう。 既に涼宮さんが倒れてから3回、閉鎖空間が発生して います。 規模も今までにない規模です。何度神人を倒しても、また発生する。 こんな事態は初めてです」 「お前らは大丈夫なのか」 「おそらく、涼宮さんに寄生する素子が除去されるまではこの状態でしょう。 僕も学校には行けないと思います。休憩などの調整も含めて、機関で僕らの スケジュールが埋まっていますから。」 僕ら、と言ったのは、超能力者たちのことか。ご苦労なこったな。 「ええ、しかし後手に回るしかできません。 僕が一番恐れているのは、情報生命素子が涼宮さんの持つ能力に気付くことです。 おそらく情報統合思念体もそれを恐れているでしょう。もう気付いているかもしれない」 そうするとどうなるんだ? 「わかりません。情報生命素子がそれをどう考えるかは長門さんにも解らない そうです。いずれにしても、影響は『更新』が行われた後でしょう」 すべてが未知数か。確かに後手にしか回れないな。 「今は僕にできることをするまでですよ。それでは」 古泉は片手をあげて去っていった。 できることをするまで。そんなことは解っている。でもな。 俺にできることって何だ? そこまで考えて、俺は部室においた鞄に財布を入れっぱなしなことを思い出した。 くそ、学校まで歩かなきゃならんのか。 そう思ったが、見覚えのありすぎる黒塗りのタクシーが俺を迎えてくれた。 俺が自分の無力さに半ば打ちひしがれたような気分で学校に戻ると、2時間目が終わる頃だった。 そのまま部室に鞄を取りに行く。 ハルヒが持っていたはずの鍵を長門が渡してくれていたので、それで部室の鍵を開ける。 俺の鞄と、ハルヒの鞄がそのままおいてあった。ああ、これを届けなくちゃな。 俺にはそんなことしかできないのか。 「……っ」 思わず涙がこみ上げてくる。朝はあんなに元気だったのに。 隕石の落下を目撃して、UFOと決めつけてはしゃいでいた。何ともハルヒらしい。 「ハルヒ……っ」 やばい、今は泣いている場合じゃないんだ。 ──泣いてんじゃないわよ、バカ!!── ハルヒが見たらそう言われそうだ。 いっそ怒鳴りつけられたいね。元気なハルヒに会いたい。 ふと、以前の失われた3日間を思い出した。長門によって改変された世界。 あのときも必死になってハルヒを捜したな。 あのときと違って、ハルヒは病院にいる。 それは解っているのだが、長門の言葉が胸に突き刺さったままだ。 『目が覚めたとき、彼女は涼宮ハルヒではなくなる』 これじゃあの3日間よりタチが悪い。 あのとき、見つけたハルヒは変態パワーこそ失っていたが、あくまでも涼宮ハルヒだったじゃないか。 「畜生……」 授業を終えるチャイムがなり、俺は無力感を引きずったまま部室を後にした。 ふらふらと教室に入ると、谷口と国木田が話しかけてきた。 「キョン、朝は大変だったみたいだね」 「涼宮が怪我するとはな。大丈夫なのか?」 この2人なりに心配してくれているらしい。 「まだ意識は戻らんが、怪我はないらしい」 そう言っておいた。本当のことも言えるわけないし、要らん心配もかけたくない。 「そうか、お前も元気出せよ」 そう言って自分たちの席に戻っていった。俺はそんなに顔に出ていたのか。 思わず苦笑した。 3.役割へ
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三 章 そんなこんなで、とりあえず会社という体裁は整った。作る人、売る人がちゃんと働けば会社は回る。だがSOS団にひとつだけ足りないものがあった。 「あー、みくるちゃんに会いたいわ。帰ってこないもんかしらね」 このところ、これがハルヒの口癖だった。これだけタイムマシン開発を豪語しているのだから、朝比奈さんからなんらかの接触があってもよさそうなものなのに。朝比奈さんはあれから未来に帰ってしまい、それからは音沙汰がない。たまにひょっこり帰ってくることもあるのだが。ハルヒへの説明ではスイスの大学院に留学していることになっている。 「こんにちわ、株式会社SOS団はこちらでしょうか」 ドアが開いた。来客も珍しく、誰がやってきたのかと全員がそっちを見た。 「みくるです。その節はどうも~」 会いたい願望が通じたらしい。さすがハルヒである。こいつにかかれば時間を越えようが空間を越えようが、逃げ切れるものではないな。 「これはこれは朝比奈さんじゃないですか。お久しぶりですね」 「キョンくん、みなさんもお久しぶり」 「……」 「あら、みくるちゃん。帰ってたんだ」 「お元気そうでなによりです」 「もう、ずっとずっと会いたかったわよ~」 ハルヒはひとまわりグラマーな体つきになった朝比奈さんに抱きついた。朝比奈さんは困った顔をして笑った。朝比奈さんの風体は、俺が知っている朝比奈さん(大)と同じタイトスカートと白のブラウスだった。左腕に金色のブレスレットもしている。もしかしたらあのときの朝比奈さんなのだろうか。 「どう?チューリヒ大学は。いい男捕まえた?」 「やだ涼宮さん、そんなことしませんよぅ」 「赤くなってるところを見ると、いい獲物がいたようね」 「ちがいますってばぁ」 未来に帰っても朝比奈さんは朝比奈さんだ。照れて頬が染まるところとか、そのままだな。 スイスのお土産です、と小さな包みをくれた。俺が開けてもいいですかと言い終わらないうちにハルヒが早々と中身を検めている。 「キョン見て見て、金塊よ金塊。スイスゴールドよ!」 「ほんとかオイ」 「やだ、それチョコレートですよ」 なるほど、スイスといえば金塊チョコか。にしても、わざわざアリバイ作りのためにこんな高価なものまで、と苦笑めいた俺の表情を見てか、 「あら、ほんとにスイスにいるんですよ今」と俺だけに聞こえるように言った。 「えっそうなんですか」 「スイスのある研究所で働いてるの」 「へー。やっぱ時間関係ですか」 「スイスだけにね、ってちがうちがう」 手をぶんぶんと振る朝比奈さんのノリツッコミはかわいい。 「あとでちょっと話せます?」 俺は腕時計をさして尋ねた。 「ええ、時間は大丈夫です」 ハルヒたちがチョコを食ってる最中に抜け出して、俺と朝比奈さんは喫茶店に入った。 「ハルヒが今度は、タイムマシンを作ると言い出したんですよ」 「ええ。詳しくは言えないけど、わたしはそのために来たんです」 「ひょっとして、ハルヒがタイムマシンを作るのは既定事項なんですか」 「いいえ。涼宮さんは時間移動技術のはじまりに関わってる人の知り合いっていうだけで、開発に直接的には関わってないはずなんです」 「もし完成でもしたら、どうなります?」 「我々はそれを懸念しているんです。そんなことになったら時間移動技術に支えられている既定事項が崩れてしまうから」 「というと?」 「タイムマシンが完成する前にタイムマシンが完成したら、既定の歴史が混乱するの」 「ややこしいですね。あきらめさせたほうがいいですか」 「そうとも言えないの。涼宮さんの存在は時間移動技術に深く関係があるの。本人自身は関わらないけど、事が始まるための最初のポイント、と言えば分かってもらえるかしら」 「つまりハルヒがタイムマシン開発のスタート地点ということですか」 「そういうことね」 「朝比奈さんの役割は何なんです?」 「涼宮さんと、この会社の監視。時間移動の実験はいろいろと危険が伴うの。時空震もそのひとつだけど、そのための監視ね」 「ということは、しばらくこの時代にいるわけですか」 「そういうことになります。しばらくお世話になると思うけど、よろしくお願いしますね」 「もっちろんですとも」 俺は俄然やる気が出てきた。また朝比奈さんと一緒に過ごせる日々が訪れたんだ。 「いくつか質問していいですか」 「教えられることなら、どうぞ」 「ええと、あなたは高校時代の俺に会った朝比奈さんなんでしょうか。つまり、白雪姫の話をしてくれた?」 「あれはわたし。すべて終えてからここに来たの」 「それと、あなたの本当の歳は……教えてもらえないんでしょうね」 朝比奈さんは人差し指を立ててウインクした。 「禁則事項です」 相変わらず、この人の笑顔は男をときめかせる。 「忘れてました。朝比奈さん、いつだったか車に轢かれそうになった少年を助けたことがありましたよね」 「え、ええ」 「あの子とこの会社のつながりはあるんでしょうか」 「ええと、この会社自体が既定事項にないことなので本来は関係ないはずなんです」 「というと、今後つながりがある可能性も出てくるわけですか」 「なんとも言えないの。禁則事項ではなくて、わたしにはそういう未来は見えないから」 「というと?」 「歴史というのはいくつかの既定事項が重なって出来ているの。だからこの会社がどういう既定事項をたどるかで別の未来になってしまうの。別の道を進み始めた歴史はわたしには見えない」 相変わらず時間というのは難しいようですね。 「その少年の様子を見に行ってみませんか。あれから音沙汰ありませんし」 「わたしも気にはなっていましたから、行ってみましょうか」 ハルヒには営業に行くと言い残して、二人で電車に乗って祝川駅まで出かけた。ハカセくんの家はハルヒの実家の近くらしいんだが、俺はどの番地なのかまでは知らない。先を歩いていく朝比奈さんは知ってるようだ。 あのとき敵対するグループとやらに誘拐拉致までされたにもかかわらず、朝比奈さん(大)は俺たちがなにをやっているのか教えてはくれなかった。川べりからカメを投げ込んだ様子はどう考えても時間移動に関係のあることらしい。すべてが明らかになる日には、朝比奈さんの所属する時間移動の組織が生まれていて、それはずっと未来の話だろう。 俺と朝比奈さんは東中学校の校区をうろうろ歩き、番地を確かめつつ住宅街をあちこちさまよった挙句、それらしき家にたどり着いた。 「朝比奈さん、いきなり尋ねちゃっても大丈夫でしょうか。怪しまれませんか」 「それもそうですね。こっそり様子見るだけにしましょうか」 二人で隣の家の壁に隠れて人の気配をうかがった。金融公庫と銀行の三十年ローンで買えそうな、ありきたりな一戸建てだ。 「誰もいませんね。住所は確かにここですか」 「ええ、記録ではそうなっています」 その場で十五分ほど見張っていたが、誰の出入りもない。二階の窓のカーテンは閉まったままだ。一階の掃き出しの窓は生垣の向こうでよく見えない。犬は飼っていないようだし、ちょっと忍び込んでみるか、なんて法に抵触しそうなことを考えていると、「あの、どちらさまでしょうか」突然背中から呼びかけられて俺と朝比奈さんはビクと飛び上がった。 「あの、いえ、なんでもないんですっ」 空き巣に入る算段をしているところを見つけられた泥棒になった気分だ。 「あ、もしかしてウサギのお姉さんですか?」 ずっと前に見た面影のある、少年と呼ぶにはやや歳を食っているかもしれない眼鏡の少年がそこにいた。ハカセくんだった。 「ハカセくん?だいぶ前に祝川公園でカメを渡した」 名前を知らないので俺たちの通称で呼んでみたのだが、少年は特に違和感のない表情をしていた。 「そうです。僕のあだ名ご存知なんですね」 ハカセくんは笑った。昭和の某漫画じゃあるまいに、いまどきハカセくんをあだ名につける子供もいないだろう。俺と同じく親戚の叔母さんか爺さんにでもつけられたのだろうか。 「ここじゃなんですし、ちょっと上がりませんか。今学校から帰ってきたところなんです」 「その制服、北高?」 「ええ、そうです。もしかしてOBの先輩ですか?」 「まあそうだ」 俺たちの後輩にハカセくんがいたなんて知らなかった。二人はハカセくんの案内で家の中に入った。ふつーにありそうな一般的庶民の雰囲気だ。調度品やら家具は俺んちの居間に似てなくもない。当たり前だがタイムマシンもなかった。 「ということは今受験生?」朝比奈さんが訊いた。 「ええ、そうです」 「どこを志望してるの?」 「いちおう、ここから通える国立なんですが」 ハカセくんは少しはにかんで答えた。へー、それはまた奇遇だね。俺は朝比奈さんを見た。 「これは偶然ではないですよね」 「どうかしら……」 朝比奈さんは考え込んでいるようだった。 「なにが偶然なんです?」 「俺はその大学のOBなんだ」 「そうだったんですか。もしかして涼宮姉さんもですか?」 「そうそう。ハルヒもだ」 あと宇宙人と超能力者もそうだが。 「ハカセくん、どこの学部なの?」 「いちおう物理学で素粒子物理を専攻したいと考えてるんですが」 朝比奈さんの耳がピクと動いた。 「あの、ヘンなこと聞いていいかしら。もしかして宇宙論とか時間論とか時間平面……じゃなくて時空構造論とかかしら」 「詳しくは知りませんが、たぶんそっちにも繋がるんじゃないかと思います」 朝比奈さんは腕組みをしてうーんと考え込んでいた。ハカセくんがお茶かなにかを用意しにキッチンへ引っ込んだところで、耳打ちした。 「朝比奈さん、どうかしましたか」 「あの、わたしが彼と話をしていること自体問題あるのかもしれないけど、この子が時間移動技術に関わるのは間違えようのない事実なの。でもこんなに早くから関わっていたとは思わなかったわ」 「ということは時間移動技術を知っている朝比奈さんが開発に関わってしまうということですか?」 「そこが問題なの。そういう歴史は知らないし、知らされてもいないの」 しばらく考えていた二人は、納得できるひとつの妥当な答えにたどり着いた。 「これはハルヒじゃないですか」 「もう、それしか考えられないわ」 「この際だから、ハカセくんをハルヒに引き合わせてみませんか」 「え、でもそれは……」 それはどういう結果を招くのか分からない、と確かに俺も思う。 「元々ハルヒが勉強を教えていたみたいですし」 「うーん……。こんな歴史はないはずなんだけど」 未来と通信しているらしき仕草をしていたが、困った表情で唸るばかりだった。未来にいる時間移動管理のお役人とやらも前例がないことへの対応を苦慮してるんだろう。 「最近会っていないんですが涼宮姉さんは元気ですか」 ハカセくんがお茶と羊羹をお盆に載せて戻ってきた。 「ああ、元気元気。もう元気すぎて空回りしてるよ」 俺は渋いお茶をすすりながら苦笑して言った。 「いいですね。あの人にはなにかしら人を巻き込んでしまう台風みたいな不思議なエネルギーを感じます」 俺はその台風と七年も付き合わされてるんだけどね、えへへ。 俺はまだ意見を決めかねている朝比奈さんの様子を伺いながら、フライングを切った。 「そのハルヒなんだが、会社を作ったんだ。ハカセくん、よかったらうちでバイトしないか」 案の定、朝比奈さんが目を丸くして止めようとした。 「キョンくん、そんなこと言って大丈夫なの!?」 「ええ。ちょうど人手も足りなかったことですし、物理学に多少なりとも覚えのある人が欲しかったんですよ」 「いいですけど、どんな仕事なんですか」ハカセくんはちょっとだけ考えて答えた。 俺はできるだけ目を泳がせないように、ハカセくんを正視して言った。 「タイムマシン、を、作る」 ほとんど棒読みだった。その場の空気が摂氏四度くらいに急速降下して凍りついた。俺ってハルヒと付き合ってきて人との話し方を忘れてしまったんじゃないか。 「それ本気ですか?」 「本気も本気、猿並みに本気」 「いいですけど」 ボソリと呟いたハカセくんの目がキラキラしているのは気のせいだろうか。この目、誰かのに似てないか。 「どうやって作るおつもりですか」 「それもまだこれから考えるんだ」 「なるほど……」 「ハカセくんもなにかと物入りだろう。遊びに来てくれるだけでいいから時給出すよ」 「それは嬉しいお誘いですが、毎日は通えません。学校やら塾やらでいつも帰りが遅いですから」 「どうだろう、ハルヒが受験勉強の手伝いをするというのは」 「それなら助かります。たぶんうちの親も承諾するでしょう」 こういうとき、こっちの都合のいいように事を運ぶ知恵が働くのは俺の得意とするところだ。 「じゃあ、二三日中にハルヒから連絡入れさせるから」 「分かりました。よろしくお願いします」 ハカセくんがぺこりと頭を下げた。素直でいい子だよな。こういう貴重な人材は早めに確保しといたほうがいい。 俺たちはお茶のお礼を言ってハカセくんの家を後にした。 「俺思うんですけど、朝比奈さんが知らない未来ってことはまだ既定事項じゃないってことですよね」 「そう、だと思うけど」 「ということは、ここからの未来は当事者が作ってもいいんじゃないですか」 「そうね。そうかもしれないわね」 まだ合点が行かないように考え込む朝比奈さんは、たぶん歴史の保全ばかりを気にしていて、自らが作る歴史というのに不安があるんじゃないかと俺は思った。あなたは自分で自分の歴史を作るつもりはないんでしょうか、と尋ねるには俺はまだ若すぎるが。 「じゃあ、わたしはここで」 「俺は一度会社に戻ります」 「また明日ね」 朝比奈さんは右手をにぎにぎして言った。振り返るともういなかった。もしかして未来と現在を日帰りしてんのかな。 会社に戻ったときには六時を過ぎていた。ハルヒと古泉はいなかった。 「待ってたのか長門、すまんな。帰りに晩飯おごるよ」 「……乙、あり」 「ハルヒが昔家庭教師をしてやっていたやつで、今高校三年生の子がいてな。そいつに会った」 「……知っている。未来からの干渉で交通事故を装った殺人に巻き込まれそうになった」 「知ってたのか。あの子をバイトに雇おうと思うんだ」 「……そう」 長門はあらかじめ知っていたという感じで、頭を七度くらい傾けてうなずいた。 「あの子、長門のいた学部を志望してるらしいんだが。もしかして予定の行動?」 長門は何も答えず、ただ微笑らしきものを浮かべただけだった。こいつのことだ、すべて知っていたに違いない。ハルヒが会社を作るとわめき始めるのも、タイムマシンを作ると豪語するのも。 「……知っていたわけではなく、予測と誘致」 「なるほど。じゃあハルヒがタイムマシンを作ることに関しちゃそれほど懸念はないんだ?」 「……阻止するより、コントロールするほうが望ましい」 ハルヒの監視を続けて十年、長門はついに悟りを開いたようだ。 翌朝、ハルヒ社長から重大な発表があった。 「みんな、いい知らせよ。みくるちゃんが非常勤務でうちの会社を手伝ってくれることになったわ」 「それは素晴らしい。またあの頃のように五人で賑やかにやりましょう」 古泉が喜んでいた。あの頃みたいな非日常的騒動の毎日はごめんだぞ。 「さあっ、みくるちゃん。あなたのために衣装を用意したのよ。さっそく着替えて」 ハルヒはフリルの付いたドレスを取り出した。朝比奈さんのために新調したようだ。俺と古泉は、またあのコスプレを見られるのかとワクワクしていた。ところが朝比奈さんは顔を縦には振らなかった。 「それはいやです」 「えー、せっかく買ってきたのに。ちゃんとサイズも合わせてるのよ」 「だめです。わたしはもう涼宮さんの着せ替え人形ではないの」 ハルヒが唖然とした。はじめて見せる、ハルヒに対する朝比奈さんの頑とした態度だった。睨まれたハルヒはたじたじとなった。 「ねえ、お願い。あたしじゃ似合わないのよね」 「いや、です」 朝比奈さんは腕組みをして譲らなかった。 「困ったわ……」 ハルヒは用意した衣装を持ったまま、どう取り繕えばいいのか分からず俺たちに視線をさまよわせた。よくぞ言った朝比奈さん。今まで朝比奈さんを散々おもちゃにしてきたから、ハルヒにはちょうどいいクスリなのだ。俺にはちょっと残念だったけど。 「……わたしが、着る」 それまで黙ってパソコンのモニタに向かっていた長門が、ぼそりと言った。 「そ、そう?有希が着てくれるの?」 もう、この際誰でもいいという感じでハルヒは渡りの船に乗った。 「……貸して」 長門はハルヒの手から衣装を受け取り、会議室のドアを閉めた。 「有希、手伝おうか?背中ちゃんと締められる?」ハルヒがドア越しに尋ねた。 「……いい。やれる」 しばらくごそごそと衣擦れの音が聞こえていたが、やがてドアが開いた。アリス系ロリータのエプロンドレスに身を包んだ長門が現れた。それを見た四人が、ほぅ!まぁ!これは!と感嘆の声を漏らした。小柄な長門にはボリュームのあるドレスが似合う。似合いすぎている。朝比奈さんとは別の意味でいい。朝比奈さんとはサイズも体型も違うはずだが、分子情報操作とかで裁縫か。 「ピンクが栄えていますね。今までこういう衣装を着た長門さんを見られなかったのが、もったいないくらいです」 「なぜ今まで気が付かなかったのかしら。有希、すっごく似合うわ。ほら、ヘアバンドしてみて」 そう、ロリータファッションと言えばヘアバンドだ。 「……どう」 ヘアバンドを髪に巻いてあごのところで小さく結んで、俺を見た。微笑っぽいものが浮かんでいるところを見ると本人も気に入ってるようだ。俺はにっこり笑って親指を付きたてた。 「長門、似合ってるぞ」 「な、長門さん、似合ってますよ……」 気のせいかもしれんが、朝比奈さんの口数が減っている。もしかして役柄を取られて後悔してるんじゃありませんか。 「部長氏、ちょっといいものを見せたいんだけど」 俺は内線をかけて、長門の親衛隊を自称する開発部の連中を呼んだ。 「おおおお」 ドアを開けるなり部長氏以下五名の感嘆のコーラスが響いた。 「スバラシイ。とてもよくお似合いです、副社長」 もう長門の元にひれ伏して靴にキスでもしそうな勢いだ。 「……そう」 長門がちょっとだけ微笑んだ。これ、来客のときも着てくれると営業効果あるかもな。長門にはなにかこう、特殊な部類の人種を惹き付けるオーラのようなものがあって、黙っていてもそいつらが寄ってくる。俺もそのうちのひとりなわけだが。 そのようなわけで我が社のマスコット的コスプレイヤーはしばらくの間、長門ということになりそうだ。 「そういえばハルヒ、お前高校の頃家庭教師やってたろう」 「突然なによ。まあ、やってたけど」 「あのときの男の子はどうしてるんだ?」 「さあ……もう高校生くらいなんじゃないの?」 「あの子をアルバイトに雇ってもらいたいんだが」 「いいけど、バイトなんか必要なの?」 言っとくが開発部の連中はマンパワーぎりぎりで、いつでも人を欲しがってるんだぜ。 「タイムマシンに興味があるらしいんだが」 この単純な社長を動かすにはこれだけで十分だった。 「へー、そうなんだ」 「今年受験生で物理学部を受けるらしい」 「そうね、人材にも投資しないとね。昔の人はいいこと言ったわ。腐ったリンゴをつかみたくなければ、木からもぎ取ればいいのよ」 それってなにか、俺は腐ったリンゴか。 ハルヒは自宅に電話をかけ、ハカセくんの家の電話番号を聞き出しているようだった。再度かけなおし、ハカセくんを呼び出していた。 「今週中に来てくれるって」 「そりゃよかった」 「あんた、ほんとにタイムマシンなんか作れると思ってんの?」 「お前が言い出したことだろ」 「あたしは過去に行ってみたいだけよ。タイムマシンの仕組みなんか知ったこっちゃないわ」 この人はいつもこれだからな。 「まあなんとかなるんじゃないか?科学技術は日進月歩爆走してんだろ」 「あたしが今から開発をはじめて、孫の孫くらいに完成すればいいくらいに思ってるだけよ。そしたらどの時代にでも連れて行ってくれそうじゃない」 未来への投資か。自分の手でなんでもやってやるという、いつものこいつらしくないな。こいつの願望を実現する能力がなけりゃ、とても今世紀中の完成は無理だろう。 「創始者のお前がそんなこっちゃできるもんもできなくなるぞ。もっと自分を信じろ。やればできる、成せば成る。心頭滅却すれば火もまた涼し、じゃなくて、石の上にも三年、じゃなくて、我田引水じゃなくてええとなんだ」 「それを言うなら、千里の道も一歩からでしょ」 「そうそう、それだ」 いまいちぱっとしないよなあ。やっぱ古泉のいうとおり、ハルヒの活力やら突拍子思いつきエネルギーやらが薄まっちまってる。ここはひとつ、まわりが盛り上げてやる必要があるかもな。 「実は俺も時間旅行が好きなんだ」 「へー、そうだったの。初耳だわ」 朝比奈さんと目の回るような時間移動を何度も経験している俺がいうんだから、嘘じゃない。たまに吐きそうになるくらい好きだ。 「どの時代に行くんだ?」 「完成したらの話よ」 「じゃあ完成したらいつの時代に行くんだ?」 「そうね。十年前ぐらいがいいわ」 「十年前ってーと中学生くらいか。自分にでも会いに行くのか」 「自分に会ってもしょうがないでしょ。ちょっと会いたい人がいるのよ」 十年前……?死んだ爺さんか婆さんにでも会うのか。 「勝手に殺すんじゃないわよ。まだピンピンしてるわ」 「じゃあ完成したらみんなで行こうぜ。俺は自分に小遣いでもやりたいぜ。あの頃はバイトもできなくて貧乏だったからな」 「そうね。それもいいかもね」 ハルヒは頬杖をついてぼんやりと遠くを見ていた。こいつのメランコリーの原因はどうやら過去にあるようだ。 次の日ハカセくんがやってきた。学校の帰りにハルヒに捕まったらしい。 「期待の新人、ハカセくんを連れてきたわよ」 「あ、先輩こないだはどうも」 ハカセくんに先輩呼ばわりされちまってるぜ俺。 「よう、来たな。こっちが古泉、こっちが長門だ。長門はハカセくんが志望する専攻の研究室にいる」 「ほんとですか、よろしくおねがいします」 「……長門有希」 「ようこそハカセさん、なにもないところですが。今お茶を入れます」 「ありがとうございます」 丁寧に腰を四十五度に曲げてあいさつをするハカセくんだった。今日は朝比奈さんが来ていないので古泉がお茶当番だ。 「あれからいろいろと調べてみました」 「なにを?」 「タイムマシンに使えそうな技術です」 この子はピザの宅配並みに気が早いというか。 「すごいわねハカセくん。将来はノーベル科学賞ね」 「涼宮姉さん、気が早すぎますよ。まだ勉強しはじめたばかりです」 ハカセくんはてへへと照れた笑いを浮かべた。 「ハカセくん、本を買ったら領収書もらっておいてね。会社の経費で清算してあげるから」 それより図書カードを渡しといたほうがいいんじゃないか。いくら清算してやるといっても財布に限界があるだろう。あとで経費で商品券でも仕入れとくか。 「ほかになにかいるものは?」 「ええと、とくにないと思います。今のところは」 「そうだ、白衣が必要だわ」 「白衣ってまさかナースか」 「バカね、実験着の白衣よ」 ああ、科学者が着てるやつね。長門にナース服を着ろというのかと思った。それはそれで見てみたい気もするが。 「……これ、読んで」 長門が分厚い本をハカセくんに差し出した。前に見たようなシーンだな。 「量子論ですか?」 「……そう。それからこれも」 「量子力学ですか」 長門の抱えた本は古びて表紙の文字が薄く消えてしまっていた。これ見覚えがあるんだが、もしかしてかつて文芸部部室にあったやつじゃ。 「ちょっと僕にはまだ難しいです。高校の物理程度のことしか……」 パラパラとページをめくるハカセくんは苦笑いしていた。 「……大丈夫。わたしが教える」 まあ長門と庶民的高校生じゃ知識の差がありすぎるが。いい教師にはなるだろう。 ハカセくんはハルヒの尽力(もとい圧力)によって今通っている塾をやめ、大学受験のための勉強をハルヒに、さらにタイムマシン開発のための勉強を長門に教わることになった。勉強を教えてもらってしかもバイト代が出るってのもエサで釣ってるようでアレだが、まあ本人が喜んでいるのでいいとしよう。 【仮説1】その1へ
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「ちょっとキョン!!!」 「なんだ?」 「おなかがすいたわ。」 「だから何だというのだ?」 「昼ごはん食べに行きましょう!」 どうせ俺のおごりになるんだろ………… 「わかったよ。ちょうど俺も腹減ったしな」 俺とハルヒが夕飯(部活帰り)を食べに行ったところは ちょっと高級感があるレストランだった。 さて、何を頼むかな 「カルボナーラのセットを頼むわ!」 「んじゃあ俺は…ドリンクバーで。」 「あんた、まさかそれだけって言うんじゃないでしょうね!?」 「ああ…なんか急に腹が減らなくなった。」 なんでだろう…さっきまであんなに腹が減っていたのに 「…そう…それなら私もドリンクバーでいいわ」 「どうせ俺のおごりになるんだろ…カルボナーラ食べりゃいいじゃないか」 「何いってんのよ!今日は自分で払うわよ!」 おや…これは珍しい てっきり今日も俺のおごりになってしまうんだろうなぁと思っていたのに 「なんか…お前らしくないな」 「…い…いいのよ別に!!!」 …というか、普通自分で金払うのが基本だろ 何を言ってるんだ俺は… その後、俺とハルヒはコーラとカルピスを2杯ほど飲んだだけで会計をすませた。 それにしても…今日のハルヒは様子がおかしかったな… まあ…いいか… END