約 272,490 件
https://w.atwiki.jp/shinsyu/pages/29.html
同朋N メールニュース 3月31日版より転載 【被災地レポート】 同朋ネットH委員より ☆被災地状況(南三陸町、名取市) この度の災害は地震そのものより、津波による被害が大きい。海より1km内陸から不法投棄のように瓦礫の山が続き、大破した車が折り重なり、船が横転している。沿岸部にかろうじて立っている建物の鉄骨は折れ曲がり、3階建ての建物の上には車が乗っている。 津波による被害は新聞やテレビなどで報道されている通り悲惨な状況であることは分っていたが、実際に被災地に立ってみると、想像以上の被害の大きさと津波の脅威を感じ、言葉をなくす。付近を歩けば鍋が、靴の片方だけが、ぬいぐるみが、思い出の写真アルバムが…あらゆるものが無残に転がっている。 被災者は何千人、何万人という数字で報道されることが多いが、訪れた被災地には子ども、大人、お年寄り、それぞれ一人ひとりの生活がそこにあったことを感じずにはおれない。一人の人の死が、何万通りあるということを見失ってはならない。自衛隊や地域の消防団が遺体捜索を続けている。途方もなく広い荒れ地で・・・・・。 ☆ボランティアセンターの様子 仙台の南にある名取市ボランティアセンターを訪問した。18日にボランティアセンターが立ち上がり、29日現在、県内ボランティア約250人が登録をしている。主な作業は家の片付けである。名取市ではそのボランティアの需要と供給のバランスが取れているため、ボランティアの募集を県内に限っている 宮城県は、ボランティアの募集を県外からというところもあるが、県内や市内に限っているところも多い。(ガソリン不足や自宅が近くであるとか、県人同士の親しみやすさなど) ボランティアセンターの情報(作業内容、ボランティア募集など)は日々変わるので、最新の情報を確認したほうがよいだろう。 ☆避難所の様子(名取市) 震災直後NPO、NGOが鍋などの調理器具などをもって入ったという。29日現在、避難所ごとに生活のルールができつつあり、被災者同士が生活の仕事分担をしている。それらの仕事を担っていることが生きがいになっている人もいるという。現段階では外部の人間が入って炊き出しをすることは、それまでの避難所のルールを壊してしまう可能性もあるので難しいと思う。 しかし、指定避難所以外の小さな避難所もあるため、そのような場所では炊き出しのニーズがあるのだという。避難所によってそのニーズは刻一刻と変化しているようだ。 ☆救援物資について 1次物資(毛布、水、米など)は、ほとんどの避難所に行き届いている。(名取市情報)「毛布が不足」という情報が流れると全国各地からいつまでも毛布が届くという。有りがたいがその種分けに人出がとられ、物資置き場がふさがるのだそうだ。不足情報はいつの情報なのかをよく確認することが大切だ。 現在は2次物資(爪切りとか歯ブラシなど日常生活に戻るために必要な日用品・食品や服など)の要望が増えている。これらの要望は被災者によって異なり、また時間の経過と共に日々変化するので多岐にわたる物資の提供が必要であろう。 同朋N メールニュース 3月27日版より転載 【私の主張】 ☆仙台教区北上市住職 ○○○○さん(東京:宗務出張所本部員・3月26日) ※○○さんは東京教区の元駐在で、同朋ネットの生みの親です。 「私は宗務役員でもありますので、責任や分を超えた発言になるかもしれませんが、今回の災害支援が、被災地の方、支援したい方の思いが、出来るだけ一つになっていけることを願ってメッセージを届けたいと思います。 震災3日目から数日にわたって岩手県沿岸部の寺院に行ってきました。先ず、今回の震災被害は、報道をご覧いただいてのとおり「津波被害」が特徴的です。もちろん内陸部でも本堂の柱にヒビが入るなど建物被害があり、それはそれで大きな被害ですが、津波の被害は想像を超えるものです。概要は、仙台教区内の2ヵ寺が直接津波によって全壊。人命も失われたと聞いています。その他、津波によって浸水の被害もありましたが、仙台教区沿岸部の多くの寺院は高台に建てられており、間際で被害を免れた寺院が多いようです。福島県沿岸部寺院では大きな損壊があったと聞いておりますが、原発被害の影響は、私には表現しきれません。また、ご門徒の被害(門徒だけが心配という意味ではありません)は、現時点でも把握しきれていないのが現状かと思います。 仙台教区の地理的なことなどの状況は、先の同朋ネットメールニュースで報告のとおりです。現在、仙台教務所(本山の本部)では、刻々と変わる被災状況の把握と、本山を通して全国から寄せられた支援物資を、本山職員、仙台教務所員が手分けをして、災害現地寺院を通じて、各避難所に届ける仕事を日夜問わずにしていただいているようです。教務所から遠い宮古市までは約280キロもあり、高速道路が通れるようになったとはいえ、ガソリン不足、アイスバーン路面の中、物資を届けるのも大変な状況だと思います。 仙台教区の寺院の方々は、今、自分の出来ることを、個々の責任において動いていると、何人かの方から連絡をいただいています。特に被災地の寺院の方は、門徒に限らず地域の避難所や、避難所に入られてない方の家を訪問して不足物資の調達などをされているようです。勿論、その行為は被災された方の話し相手となるということも含まれています。 さて、全国の皆さんの「支援したい」の声が仙台教区へたくさん届けられている状況下、長期的な視野に立てば仙台教区(教務所 も含む)が受け入れの体制を構築していくことが必要かと 思います。現在、教区役職者の方に相談しつつ、仙台仏青のメンバーを中心に、その可能性が模索されていますが(東京の同朋ネットも関わって)、今、すぐに実働という状況にないのが実情かと思われます。願わくは、一日も早く教区内のボランティアネットワークができればと思います。 そこで、今すぐ、ボランティアいただける方にお願いしたいのは、現時点では行政やNGO団体が取りまとめる窓口にて行動いただきたいということ(まだまだ多くのニーズがあります)。そういう意味では、真宗寺院とか門徒という枠ではなく動いくことが今の状況だと思います。 もうひとつは、いずれ宗派有志による何らかの方向性が示された時の為に、各自がウォーミングアップをしていただきたいということです。もちろん、宿泊所や食事、ガソリンのことも自己責任・自己完結で。 甚だ分限を超えた発言ですが、私見も含めメッセージを届けさせていただきます。」(以上) 同朋N メールニュース 3月26日版より転載 【被災地からの声】 ☆南相馬市から避難している大谷派Kさん(仙台教区) 連日の原発事故関連の報道、 避難所内が陰鬱な雰囲気になってきました。 ☆仙台教区の住職より、御遠忌に対する「ご門徒の声」。 「80歳の方 「震災を乗り越えて、明日あるか分からない命だからこそ、 一生に一度でいいから本山に行きたい」 「50年に一度のことだから、もう次はないし、是非お参りしたかったな」 原文そのまま。中止した場合、具体的に再参加の方法も検討してください。 早めに出してもらえばもらうほど、お年寄りは喜びます。新たな目標になります。」(以上 3月26日) ☆大垣教区からの現地レポート ※既報のため省略しました。V委員。 ☆秋田の○○○○さん(奥羽教区)の現地レポート(3月25日) 「宮古市の市街地はスーパーやコンビニも営業しており、一見すると何もなかったようにみえます。でも、店の中はやはり品不足です。さらに、市役所がある沿岸部は被害が甚大です。役所は今も電気は復旧されていません(隣の山田町もそうですが)。とにかく寒い中で職員が懸命に復旧作業をしていました。瓦礫の中に道があるという感じです。宮古市街地から北に約10キロ、田老地区は集落の80%以上が津波にのまれ全壊していました。わずかに残った山間の住宅も、そこに辿り付くまでの道の両側は瓦礫の山、自衛隊員の誘導でようやく通れる、という状況です。避難所の状況は、大きな避難所にはそこそこ物資は届いているようです。ですが、やはり燃料系がかなり不足しています。日中でも建物の中にいても「寒い」ので、コート類は脱げません。 宮古市から海岸線を南下してたどり着いたのが山田町。宮古と山田の境にある「被災ペット一時預かり所」に寄って支援物資を届け、どうすることもできない飼い主のお話を伺いました。 山田町役場も電気もガスも水も不通。寒いです。この町も山間部は何事もなかったのように佇んでいます。でも、そこを抜けると・・・。僅かに車が通れるくらいの隙間を作っているような感じです。そこにあったであろう道路だけは確保(必要最小限の)されているだけで、あとは廃棄処理場のような光景が続きます。この町の避難所の一つ「青少年の家」はかなり高台にあり被害から免れた建物です。ですが、やはりライフラインは駄目でランプの明かりをたよりに夜を過ごしております、コートを着て。持参した僅かな支援物資を届けた時、町の職員さんが嬉しそうに「助かります」と・・・。全国から多くの支援物資が送られているのですが、肝心の現場(被災地)にまではまだ届いていないことも多いそうです。やはり燃料が不足しております。 岩手県全体で燃料をはじめとする物資不足が現在深刻です。コンビニの半分はお休みであり、オープンしていても食品はほとんどありませんでした。ガソリンは、いつ入荷するのか未定のところが多かったです。なかには、10時間並んでも入れてもらえなかった方もいるそうです。ただ、日本海側から徐々に入荷しているようですので、あと数日中には平常になるのでは。 次は31日にもう一度、宮古市・山田町の被災地区を訪問する予定です。なんにせよ、なるべくはやく支援拠点(仙台を本部として各地に)を設けることが望まれます。岩手県内では、遠野市あたりが、宮古・陸前高田、つまり南へも北へも動きやすい場所のような気がします。」(以上) 同朋N メールニュース 3月24日版より転載 【被災地からの声】 ☆福島から米沢市に避難中のK氏(大谷派僧侶)のメール(3月23日) 「避難所になっている米沢市体育館,は、およそ五百人が避難していました(内8割が南相馬から)米沢市はすでにボランティア本部が立ち上がっており、衣食共に不足はないようです。ただボランティア受け入れについては市町村単位なので避難所によってはいないところもあります。各避難所の状況の確認と避難所間のネットワーク構築が必要だと感じています。」(以上) ☆仙台市若林区のK氏(大谷派僧侶)のメール(3月23日) 「(23日15時現在)仙台駅近くの若林区ですが、水あり。電気あり。ガスなし。灯油なし。」(以上) ☆仙台教区花巻組○○氏のメール(3月23日・要旨) 花巻ではガソリンと灯油は全く手に入らなかったが、昨日よりスタンドが開店。(まだまだ長蛇の列で買えず・・・)2日間、個人的にお金や物資や灯油を持って大槌町・釜石・大船渡北部へ支援に行った。しかし、もう個人的な支援は厳しい。宅配便も再開され、現地のニーズもある程度落ち着いてきたので、仏青中心に情報発信していきたい。 昨日(22日)の段階での被災地のニーズ(岩手)。一番はお風呂、2番はガソリン、3番は灯油。「いまはお金はいらない。何も買えないから。お金を物にかえてもってきてほしい」との声。そろそろボランティアの受け入れが行政によって始まる。仙台仏青がボランティア受け入れの窓口になっていけるよう、現在検討中だそうだ。ボランティアの方が寝泊まりできる場所を確認していきたいとも。 僧侶がボランティアで7日参りや49日などの約束を被災地の方々とすることで、先の予定ができ自殺防止になるかもしれない。真宗大谷派としてどのような支援をしていくのか「真宗門徒もそうでない人も、どんな人でも困っている人のことをできるだけなんとか応援しなさ~い」と号令を出してほしい。(要旨) ☆被災地からの高山教区有志のメール(3月24日) 「地元のNPOなどの集めた救援物資を高山教区の3人で届けにきました。今は南三陸町と気仙沼市をウロウロしてます。3市町5ヶ所避難所を見ましたがひどいです。物資はどこも足りてる感じです。しかし、小さい単位の避難所はもっとあるに違いない。近くには大谷派の寺院はなく他宗派ばかり。避難所になってる寺もありました。」(以上) 同朋N メールニュース 3月23日版より転載 【被災地からの声】 ☆南相馬市から米沢市郊外に避難中のkさん(3月22日) 「原発から50キロの相馬市では、 水道水の利用を控えるようにという指示がでているにもかかわらす、 仮設住宅の受付が始まっています。 避難所の環境はかなり劣悪なようですが、 自宅からより近い仮設に入りたいという人達もいるようです。 相馬の避難所には仙台教務所から現況把握と 支援物資の搬送のために向かっています。 相馬への物資の輸送については、被爆を恐れて トラックのドライバーが不足しており、 市役所職員がその任にあたっているそうです。」(以上) 同朋N メールニュース 3月22日版より転載 【被災地からの声】 ☆大谷派原町別院(福島県)の○○○○○さんから(3月22日) ※福島県南相馬町(原発から30キロ圏内)から山形県米沢市に避難中 「立ち上がった自治会の最初の仕事は○○寺(山形教区・○○○住職)から届いた衣類の配布になりました。支援していただいたのは、他に高橋さん、村上さん、橘さんです。衣類の他にも洗濯機や洗剤、石鹸シャンプー、味噌醤油などの調味料等、必要なものを届けていただきました。行政からはやっと歯ブラシと歯磨き粉がf^_^; 行政ルートの支援物質が届いていない今、本当に助かりました!何より避難所の雰囲気が和らぎました!!」 ☆東京教区茨城2組○○寺(水戸市)・○○○さんから(3月21日) 「21日午後、那珂湊は建物の1階部分はガラスも割れ、泥水が入り、漁船が道路に乗り上げています。水戸の南側は通行止めが多く液状化のような様子も見えました。また民家が45度傾き、ビルが崩壊し、付近は立ち入り規制。 自坊近くの消防本署は建物が傾き、立ち入り禁止になっています。通行止めや段差が多いものの、ガソリン不足のため車は普段の2割程度です。 人々の生活は給油のため8時間も並ぶ反面、必要なものだけを買い、落ち着き始めた印象です。農家の御門徒さんは、放射性物質が見つかった野菜のことで、風評被害などへの不安が広がっているとのことでした。 水戸周辺の人びとですら、疲れた、という声をよく耳にします。部屋の片付けや余震が多いため、寝不足のようです。」 ☆仙台教区仙台組・○○○○さんより(3月22日) 「東北人のイメージは、「口が重い」。その通りです。自らあまり主張しない。「オショスイ」。方言ですが、気恥ずかしい感じの言葉です。こちらから声をかけないと、思っていることをなかなか言葉にしません。より以上に積極的に声をかけて下さい。 テレビでは報道されませんが、都市部では、何をするにも並ばなくてはいけない状態です。それとともに「一人暮らしのお年寄り、老夫婦」は、都市部に多いです。地味かもしれませんが、買い物代行、病院の付き添いなど必要性を感じます。現状、贅沢と言われればしょうがないと思いますが、頭の片隅においてて下さい。」 同朋N メールニュース 3月20日版より転載 【被災地からの声】 ☆仙台市中心部の大谷派僧侶から(3月20日) 仙台市中心部の避難所は当初は一か所に1000人を超えていましたが、 今は一つの避難所に40~100人くらいの人が残っている感じです。 集団避難所へは、毛布や乳幼児用品など集まっていますが、 各家庭では水も含め不足している人が多いようです。 市内の自動販売機はほぼ売り切れ。ほとんど物が入っていません。 どの店も物は少ないけれど長蛇の列です。 塩釜では曹洞宗や臨済宗の僧侶がボランティアで、 亡くなった人たちのおとむらいをしているそうです。 松島の北部では市民課から22日以降に土葬にする旨が回っています。 どうしても火葬を希望する人は自分で火葬場を探すように、とのことです。 ☆原発から30キロ以内の南相馬市在住の大谷派僧侶から(3月20日) 南相馬市から山形県米沢市近郊に避難してきました。 現地、山形教区の方々に素早い支援をいただきました。 他にも近隣教区の支援体制を聞くにつけ大変勇気付けられています。
https://w.atwiki.jp/gundamwar/pages/6734.html
被災地からの脱出 [部分編集] 戦いという名の対話 COMMAND C-168 青 1-3-1 U (常時):ユニット以外の自軍カード1枚の破壊を無効にする。その場合、カード1枚を引く。 補強 再生 キャントリップつきの破壊無効コマンド。 ユニット以外が対象なので使い勝手はかなり悪い。
https://w.atwiki.jp/shinsyu/pages/47.html
同朋N メールニュース 4月23日版より転載 ■被災地レポート 4月20~22日に東京教区17名は岩手:陸前高田、宮城:亘理町を訪問した。 21日はお寺のあとかたずけ、子どもたちとの遊び、保育所に物資搬入。夕方には避難所のお寺で100人前のおでん・やきとり・おしるこの炊き出しを実施した。 翌22日は亘理ボランティアセンターにて300人前の中華丼・バナナ春巻き等の炊き出しを行なう。被災地は寒く、温かく野菜たっぷりの食事を大変喜んでいただいた。 行動はささやかだが、行動を通して多くの人に出会い、多くの声を聞き、多くのことを感じた。当たり前のことだが、人が生きている・・・。この厳しい現実の中を、あつい思いを懐いて、人が懸命に生きている。そんなことを痛感した3日間だった。コーディネートをして下さった復興センターの方々に心からの深謝。 亘理町ボラセンに写真が掲載されています。 http //msv3151.c-bosai.jp/index.php?module=blog blk_id=10929 page=2 ☆「微力がたくさん」東京教区A・Tさん(23日) ニュースやネットでどんな状況か知っているつもりでしたが、それは間違っていると思いました。車窓から一面の荒野が広がっていたのを見たのです。「無力感」と表現した人の言葉通りに感じました。だけど、無力だと感じても、絶望とは何か違いました。ボランティアセンターにいる大勢の方々に中華丼をお届して、「こんなに多くの方がここにいるのだ」と力強さを感じました。たった2食の炊き出しなど愕然とするほどの微力であることは解っています。ただ、微力がたくさん集まっているのを感じました。 ☆「こつこつと長い支援を」東京教区H・Rさん(23日) たいへんショックを受けました。支援の継続を考えた場合、今回の活動の最大のネックが東京からの距離だと思いました。被災地が千葉県から北海道までの沿岸におよびます。東京からの人的支援を考えた場合、一日かけて岩手宮城に行く支援がどれだけ継続できるのか疑問に思いました。千葉・茨城・福島あたりまででしたら、移動に時間も労力もあまり取られず頻繁に通えるのではないでしょうか。 東北地方への人的支援は、門徒さんを含めたボランティア登録や、長期滞在できるバックアップ体制が大切と思います。わたし個人の力は微々たるものですが、こつこつと長い支援が続けられればと思います。 ☆「今、私たちが欲しいのは元気です」奥羽教区S・Tさん(21日) 岩手県山田町へ向かう。途中集落で一人の女性に声をかける、「必要な物資はありませんか?」カイロや食品、下着などを届ける。なかでも喜ばれたのがビール!!奥さんが「ほんとにいいの?しばらく飲んでないから・・・」嬉しそうだ。隣の夫もニコニコしている。 山田町の避難所へいく。一人の女性が「物資は皆さんのおかげで届くようになりました。ここは小さな避難所なので、タレントさんが来ることはないんです。今、私たちが欲しいのは元気です」。 釜石の「ボランティアセンター」で炊き出しの申し込みをする。以下はその情報。 1. 大規模避難所への申し込みが多く、小規模避難所は少ない。 2. 昼食が多く、夕食が少ない。 3. 贅沢は言ってられないが、メニューがほぼ同じ。 小規模避難所希望・夕食可・バーベキューという我が奥羽チームにぴったり。22日午後、避難所でバーベキューを行うこととした。 ☆そしてバーベキューはどうなったのか…奥羽教区S・Tさん(23日) 午後2時、会場となる「浪板交流促進センター」着。天気は小雨。午後3時30分いよいよ子供たちから開始。さすがに育ち盛り、始めは遠慮がちであったが、次から次へと肉や野菜、焼きそばがなくなる。「肉たりね~、焼きそばまだか、器はどこだー」。子供たちもスタッフも笑顔でいっぱいだ。4・5人の大人が暖をとりながらやはり笑顔で見ている。我慢できなくなったのか、一人の男性が箸を手に忍び寄る。「こら~、○○さん、まだ子供の時間だ~、ハッハッハッ」。やがて、そう言った大人たちも「ハイ、そろそろ子供の時間は終わりだよ、あと10分」。この間にもクーラーボックスのビールがどんどん減ってゆく。 午後4時20分、大人の時間。雨のため座るところもままならないが、皆ビールを片手にうまそうに食べてくれる。「あぁ、まとまった量の肉や野菜を食べるのは地震以来だ、勿論ビールも」。髭面の男性が住宅関係の社長さんだったことがわかる。「ぜ~んぶいっちゃった」返す言葉がない。呆然としていると手をにぎられ「ありがとう、これからどうなるかわかんねけど、生きていくよ」と一言いいながら、焼酎をうまそうに飲み干した。 午後5時過ぎ。仕事から戻った方も、食べたりなかった子供たちも入り混じってワイワイガヤガヤ。一方で支援物資の積み下ろし。 スタッフ 「不要な物があればもって帰ります。」 女性 「不要な物などありませ~ん。」 午後5時30分過ぎ。避難所の方々が後片付けを始めてくれた。最後の一人まで温かいお肉をと思っていたが、私たちのことを考えてくださり6時頃には全て終了。今度は晴れた日にやりたい。この地区の仮設住宅入居開始予定は7月中旬だそうだ。 気づいたこと 1. 子供たちは別として、避難所の方々とそこに入っていない方々との間には、何かしらの壁ができてしまったようだ。 2. 支援物資は全体では行き届いているように思えるが、個々にはまだまだ。というより、お話していくと足りないものがいっぱいでてくる。この日はなんと清掃用に持っていったバケツが人気だった。 3. 僕、個人でこの場所に来るのは4回目。ようやく名前を覚えてもらったし「真宗大谷派奥羽教区」ということも今回覚えていただいたと思う。少しずつ、ゆっくりだけど長く寄り添うことが、被災者も僕たちも共に生きていくことなんだな、日本は一つなどと無理やり一つにするのではなく・・・。 同朋N メールニュース 4月20日版より転載 ■被災地での活動日誌 ☆仙台仏青メンバーからの声 「僕たちが思っているよりも、ずっと多くの支えられていることを感じます。即座に探して送って下さった方、投光器、ドラム、発電機を車に乗せて長距離をとどけに来て下さった方たち、本当に有難うございます。 現在、「物資は十分にある」といわれることも多いと思いますが、実際は十分ではありません。必要としている人がいます。そして、おそらく長期に渡るでしょう。要望は本当に多岐に渡ってたくさんあります。それは贅沢なんじゃなくて、願っているのは「普段の生活」だからだと思います。決して物資が要らなくなったわけではないはずです。そのための聞きとりやお届けの手伝いをしてくれる人も求めています。 活動費について。現在たくさんの支援をいただいている仏青活動費ですが、女性、乳児、お子さんたちを中心に、可能な範囲でお渡ししようと考えています。直接関われる僕らが、活動できる範囲だけど、届けたい。届けようと思います。 BOP(お風呂企画)について。今週末23日(土)、24日(日)を予定しています。場所は未定。お手伝いいただける方はご連絡ください。この日以外にも来て下される日があればどんどん連絡をお願いします。来てくれる人たち、常に大歓迎です。現地復興支援センターにお問い合わせください。直接仙台仏青でも大丈夫です。」(以上) 現地復興支援センター 〒983-0803 宮城県仙台市宮城野区小田原1丁目2番16号 [仙台教務所内] TEL:090-7345-5049 FAX:022-297-2827[仙台教務所] E-mail:otaniha-f.s.center@watch.ocn.ne.jp ☆「現地復興支援センター」の動きより 「今日は午前中に本願寺から2トントラック一台分の物資が届き、その積みおろしをしました。毎日のように物資が届けられます。今回は、米とカップ麺がかなりあり、念珠も届けられていました。スタッフの皆さんは、昨日に引き続き、仙台仏青とともに炊き出しとBOPに出ています。この寺院は避難所にもなっているようです。 少しずつですが、炊き出しが動きだしました。昨日のように、喜んでいただける姿に私自身も元気をいただきました。本願寺HPからの呼び掛けに、リアクションがあってほしいなと思います。私も寺の人間として、寺だからこそできる支援を模索できたらと思います。」(以上) ■避難所より ☆福島原発から避難中の大谷派僧侶K・Hさんより 「避難所ごとに二次避難が始まっていますが、これから一次避難をしようという市町村もあります。一昨日、飯館村の自宅へ帰った人達が避難所に戻ってきました。聞けば、二~三ヶ月をかけての全村避難との説明があったそうです。そんな悠長な話しでいいのか!?その間の水や食料は確保できるのか!?避難する場所は!?。震災直後、飯館村の人達にはとてもお世話になっているだけに気がかりでなりません。」(避難所通信12より) ■被災地訪問記 ☆奥羽教区のYさんより 「奥羽からは6名で加勢に行って来ました。京都からも3名、お風呂持参で本当に頭の下がる思いでした。現地石巻市到着後お風呂と炊き出しの豚汁の準備を手分けして行いました。今回は京都の方が電動のポンプを持って来てくれたので、かなり楽にできました。が、やっぱりかなり疲れます。何に参ったかといえば、ホコリで目をやられたのと、風で仮設テントが飛ばされそうになったり・・・。チラシ配りの効果もあり、午後5時頃から急に皆さんドカっと来はじめ、約20名ほどの方が入浴されて行きました。皆さんが来るまでの待ち時間も長く、スタッフも疲労感が漂っていたので、皆さんが来た時はとても報われた気分でした。 今週は、奥羽単独での行動をする予定で計画しています。20日に先発隊が行き、岩手県山田町・大槌町で現地と打ち合わせをした後、22日に本隊が行き、炊き出しまたは後片付けのボランティアをする予定です。 同朋N メールニュース 4月17日版より転載 ■被災地訪問記 ☆陸前高田市を訪問した東京教区:S・Hさん(埼玉組) 自分の目の前に広がっている光景が現実であるということがすぐには実感できませんでした。想像することすらできないほどに全てが津波に流されてしまっていました。実際に行った作業は、寺院の仏具等の捜索活動となりました。どこを探していいのかも分からず、手探り状態でした。なんともいえない無力感を感じました。写真や手紙など見つけるうちに、被災された方々がここで生きていた証になる品々を探しだそうという気持ちが湧き起こってきました。 今自分にできることは、現地で感じた思いを多くの人に伝え、この震災を風化させないことではないかと感じています。自分の地域にいながらできることを考えたり、長いスパンで関われるような体制を作っていくことが必要ではないかと考えています。 仙台教区の方々を中心に大谷派のボランティアネットワークが作られはじめています。自分の中から「とにかく動けー!」という声が込みあげ、何かせずにはいられません。 ■ご遺体の火葬に立ち会って 東京教区:I・Kさん(東京一組) 先日、都立瑞江火葬場にて震災犠牲者のご遺体500体の火葬が行われました。簡易祭壇が設けられ、宗教者による読経が可能となっていました。教区若手の12名で読経をしてきました。 現地の祭壇の場所は、火葬場敷地内に入ってすぐのところ。火葬している建物には近づけず、ご遺体が火葬されている様子や、お骨が搬送されている様子はまったく見ることができませんでした。読経は時間制限のゆえ正信偈同朋奉讃を勤めました。外には、震災犠牲者の遺族と見られる方が20名ほど集まっていました。残されたご遺族の方はどんな気持ちなのでしょうか。被災地へは行くことは難しくとも、自らの場所で何ができるのか考えさせられるきっかけをいただきました。 今後、千葉県佐倉市や山梨の方の火葬場でも、震災犠牲者のご遺体が火葬されるそうです。様々な形で、被災地・被災者支援の活動が広がっていくことを願っております。 同朋N メールニュース 4月12日版より転載 ■被災地訪問記 ☆陸前高田にて活動した東京教区:○○さんより (4月12日) 午後5時本日の作業終了しました。全員で取り組みましたが、なかなか思うような成果は上がりません。能登、三条、高岡、金沢、各教区のメンバーと合流しました。本日もお風呂有り。帰ってミーティングです。 (4月13日) 本日12時活動終了しました。なかなか成果も上がらず折れそうな気持ちの時間がありました。仙台教区の方から「こうして被災地のことを思い来てくれたことでうれしいんです」と声をかけてもらい、泣きそうになりました。そんな時、○○寺裏に位置する高田小プール作業中、燭台のカメを発見!思わず歓声が上がりました。俄然士気も上がり、その他ツルも発見。他、仏具も少々見つかりました。また、別チームでは御本尊掛軸(一貫代)を発見。別の場所から燭台のツルを見つけてくれました。今回、残念ながら御本尊を見つけることは出来ませんでしたが、とにかく現地に立てたこと、皆さんに会えたこと、一緒に活動出来たことに感謝したいと思います。まだまだ先の見えない不安が広く広がる被災地ですが、長く長く繋がり合って取り組んで行きたいと思います。最後になりましたが、長○寺さんには 何から何まで本当に心遣いを頂き大変お世話になりま した。ありがとうございます。 (4月15日) 被災地に入り、テレビや新聞で見ていた所、聞いていた所を目の当たりにし・・・言葉を失う。今回の作業も何処から手を付けて良いのか混乱。作業中も、ふとした時あらためて思うことしばしば。そのような状況でした。実際、目に見える、また感じ取れる、ボランティアの達成感はありません。過ぎてゆく時間と成果的なものを出し得ない状況に焦燥感がありました。それでも粛々と作業に取り組むメンバーに気持ちも支えられ進めるばかりでした。 ただ、現地に立てたこと、皆さんに会えたこと、一緒に活動出来たことを大事にしたいと思います。まだまだ先の見えない不安が広く広がる被災地ですが、長く長く繋がり合って取り組んで行きたいと思います。 あと、仙台仏青活動の熱い思いに答える施策、共同作業が必要に思う。というのは、宗門がそれに素早く応える場所になっていないように思います。 ☆ランドセルも、家も、妹も流されちゃった 「避難所で避難生活を送る、小学4年生のYくんと話をしました。Yくんは、「この前、お母さんと妹2人の火葬を済ませました」とゆっくりした口調で語りはじめました。 お母さんはヤクルトの販売員で、販売所にいた時津波に飲み込まれました。お母さんが最初に瓦礫の中から発見され、その後4歳の妹が発見され31日に火葬。次に今年4月小学校に入学する予定だった妹が発見され4月1日に火葬しました。「地震の前に、家にランドセルが届いたんだ。デパートから文房具も届くって妹は楽しみにしてたんだよ」少し時間をおいて「でもランドセルも、家も、妹も流されちゃった」 Yくんは「僕より小さな子どもたちが亡くなったんです」と目を伏せながら話をしてくれました。 お母さんと2人の妹も火葬をしたものの、お通夜やお葬式はしておらず火葬場で手を合わせただけだったそうです。「たくさんの人が火葬を待っていたので、僕たちだけ火葬場にずっといるわけにもいかないから」 しばらくは避難所から、震災前と同様に高田小学校に通うそうです。「友達も家ごと流されて見つかってないから、前よりも生徒は少なくなると思います」避難所の敷地では中学生が、幼稚園児や小学生と遊ぶ姿が見られます。子どもたち同士で悲しみを乗り越えようと、お兄さん、お姉さんもがんばっています。」(シャンティ国際ボランティア会ニュースリリースNO,21より) 同朋N メールニュース 4月12日版より転載 ■被災地訪問記 ☆陸前高田を訪問中の東京教区:不二門さんより 「午後4時前に陸前高田の高田小に到着。現地の様子を視察、約1時間程の活動で、華ひん・香炉・仏具の一部を発見。明日の作業への望みを繋ぐ。道路は所々段差のある程度。思ったより問題なく進めました。陸前高田市に入り矢作地区に入ると、ある境で景色が急変します。それはテレビや新聞で何度も見たものでした。 長安寺へ移動し仙台教区仏青の4名の方と顔合わせ。温泉にも入り大変お世話になってます。明日は粛々と作業に取り組みます。それしかないなぁ、というのが今の気持ちです。取り急ぎご連絡まで。」(以上) ☆同じく陸前高田を訪問中の東京教区:脇山さんより 「本日の作業は終了しました。あまりの光景に言葉がありません。震災から一ヶ月を迎えた友人は、地元のお寺の子で、「心が苦しい」との言葉。全く被害を受けていない所と、被害のある所が、隣あっていて。余震も続き、地震は未だ終わっていないと感じました。 明日は○○寺さん・避難所に物資を届けにいきます。次の隊につながるようにしたいと考えています。」(以上) ☆同じく陸前高田で一緒に作業した仙台仏青メンバーより 「本日、陸前高田市のお寺近辺にて活動させていただきました。東京教区の方や仙台教区の方など、総勢15名ほどで付近を捜索。当初片付けも想定しておりましたが、やはりそれは無理な状況です。ご本尊や仏具などを探すと言うほうが適切と思われます。すでに重機は一度入っており、現在はよけた瓦礫をさらに別の場所にどんどん撤去しているような状況です。そんな中、今日は一度よけられた瓦礫や泥の中から何か手がかりはないかを皆で手分けして探すという作業に終始しました。 日暮れ間近になって鶴亀や金香炉などが集中的に見つかる場所があり、明日はその近辺の瓦礫や土砂をチームを組んでよけながら捜索する作業になりそうです。思っていたよりもあまりにも広大な範囲にモノが拡散されていること、よけられた瓦礫の山が高過ぎることなど、人力では限界を感じることが多々ありますが、少ない手がかりをもとに明日・明後日と作業していきたいと思います。お寺の近辺は瓦礫の撤去作業が建設業の方々によってどんどん進んでいる状況です。来週にはお寺の周りも更地になっているかもしれません。 時間はないのですが、とにかくやるしかないという感じです。釘がむき出しの柱やガラスの破片多数・プロパンガスのボンベがそのまま落ちていたり、そこいら中危険物だらけです。しっかりとした装備での現地入りが必要です。もっと人をかけて捜索できたら……という思いもあります。そのぐらい状況は厳しいと思ってもらって結構です。明日もがんばります!」(以上) ☆シャンティ国際ボランティア会のメールより 「今日で東日本大震災が起きてから1カ月が経ちました。SVAが拠点を置いている宮城県気仙沼市では、大きな余震が毎日のようにあります。特に4月7日の深夜に起こった地震は人々を心身ともに疲弊させました。「この生活がいつまで続 くのか と考えると、希望が持てない」と気仙沼市の方が口々に言っています。3月11日から1カ月が経ったというよりも、1カ月間震災が続いている状態です。」(以上) 同朋N メールニュース 4月10日版より転載 ■被災地訪問記 ☆東京教区茨城一組:○○○○さんより 「名取市役所(宮城県)の掲示板に下記の掲載がありました。 最愛の妻と生れたばかりの一人息子を大津波で失いました。 いつまでも二人にとって、誇れる夫、 父親であり続けられるよう精一杯生きます。 被災されたみなさん、苦しいけど、負けないで! (名取市 職員) 人の悲しみにどう向き合っていくのか?今、問われています。 親鸞聖人だったら何て言われるでしょか?毎日考えています。」(以上) ☆全国青少年教化協議会:○○○○さんより 「遅ればせながら、4日(月曜)から福島、宮城、岩手の避難所などを巡っています。今は福島にいます。一昨日は仙台で余震に遭いました。早速翌日の朝から一時は落ち着いていたガソリンスタンドに、車の行列ができ、なかには売り切れの店も出ました。3・11の不安が多くの人をスタンドに向かわせたようです。 余震によって石巻、福島などでは避難先の建物が被害を受け、避難所を移動しなければならない方々も多数いらっしゃいます。現在でも、小さな余震が続いています。私が見た限り、現在、避難所では、最低限の生活物資がほぼ揃ってきています。廃棄されつつある食べ物が出始めている中で、相変わらず温かい食べ物を口にする機会が極めて制限されています。一人一畳ほどの生活空間で、ほとんどの人が辛抱強く耐えている姿には頭が下がります。とはいえ、将来に対する大きな不安を抱えていらっしゃいます。中には、夜フラッシュバックによってうなされている方もいます。PTSD化が懸念されるところです。 今後直近に被災地に入る方に求められていること(※ただし同朋ネットとしては未確認です) ① 温かい食を提供する炊き出し。 ② 厚手のゴム手袋、長靴、防塵マスクなど、作業用の用品の差し入れ。 ③ お風呂に入れる機会の提供。 ④ 自然な形でのメンタルケア。 ⑤ 子どもたちとじっくり遊ぶ。 繋がりのある現地の寺院、団体、ボランティアセンター、災害対策本部などと密に連絡を取りながら被災地入りをお願いします。ご承知のように日々刻々と被災地のニーズは変わっています。さまざまな形での、活きた支援をお願いします。 合掌」(以上) 同朋N メールニュース 4月8日版より転載 ■被災地訪問記 ※下記の報告は、①③などで東京教区が訪問する場所です。 じっくりとお読みください。(同朋ネット) ☆仙台教務所:○○○○さんより 先日、陸前高田の寺院の撤去作業(言葉が不適切かもしれませんが)に四人で行ってきました。 寺院周辺は津波で何もありません。コンクリートや鉄筋の建物が少々残っていますが、その屋上にも瓦礫があります。車を停めた学校もかなり高台ですが、校舎の一階まで津波の形跡がありました。正直想像を越えています。 お寺へ向かいましたが周りに何もないので少し迷いました。基礎とお寺の手すりを発見し、ここに庫裏や本堂が建立されていたことが分かりました。 梵鐘とお地蔵さんだけが現場に残っておりますが、ほとんどは五十メートル東側に流されており、作業は広域に渡ります。自分の身長ほどの瓦礫を一つひとつ退けると勤行本や片衣、御厨子などが少し出てきましたが、本尊は中々見つからず、時間だけが過ぎていきました。 途中、副住職と息子さん、親戚の方が見えられたのでお話を伺うと、「全てなくなっちゃったよ」との苦笑いされた姿に、何も言葉を返せませんでした。自分の無力さが歯痒かったです。 作業はかなり広範囲です(大きくエリアを分けると2箇所になります)人力のみですと、やれないことはないと思いますが限界があります。チェーンソーやゴーグル、丈夫な安全靴が必要です。 体力・精神共にかなり辛いです。(作業が嫌という意味ではなく) はじめて見た息子さんの後ろ姿を見て、優しかったお母さんの分まで生きてほしいと願い、岐路に着きました。 11日から加勢に来てくださる皆様、どうかよろしくお願いします。副住職と息子さんも手伝ってくれるそうです。皆様と今できることを一緒にしたいです。助けにならないかもしれませんが、考えるよりも動きたいのです。 風呂に入り、ビールを飲みながら、落ちていたアルバムのことを思い出していました。できる限りアルバムを拾って届けましたが、思い出さえも流されてしまった方々のことを考えていたら、二度目の地震に遭遇しました。貯水タンクと自証高級プラズマテレビがヤラれました。また断水生活です。 本日、お西の震災応援ネットの方が来られて、「人員・物資・郵送手段・宿泊場所(食事含)、全てそろえてあります。この際、宗派を超えて一緒に活動していきたいです」とのお話をいただきました。 同朋N メールニュース 4月6日版より転載 ■被災地からの生の声 ☆仙台教区浜組明賢寺坊守:藤内明子さんより 「いわき市の被害は甚大で、沿岸部では津波による家屋流失、火災などで多くの人命が奪われました。行方不明者の数もいまだ定かになっておりません。 さらに拍車をかけるような原発事故。今、現在、いわき市内の避難所におられる方は3300人。原発近隣からの避難者も数多くいらっしゃいます。住職は、そんな避難所をあちこち訪ねては、被災された方の話相手になったり、日用品などの差し入れをしています。先日は、仙台教務所から支援物資が届いたので、それを持っていきました。 いわき市はいわゆる30キロ圏外です。しかし、原発の状況が日々悪化するにつれ、市外へ避難する市民も増え、同時に市内への物流が全く途絶えてしまいました。一時は極端な物資不足に陥り、危機的状況でした。しかし、現在は、徐々に復旧し、落ち着きを取り戻しつつあるようです。 いわき市は広範で、復旧に差があります。他県のように一般のボランティアに期待するには、原発事故による不安感から、すんなりといかないのが実情です。それでも、承知の上で物資を運んでくださる方、炊き出しなどしてくださる方が本当に有難く、頭が下がります。 4月。学校も始まるようです。そのために、避難していた子どもたちも戻ってくるでしょう。青い空のもと、思いきり深呼吸させてやりたい。そんなささやかな行為すら私たちから奪ってしまった原発事故は、もはや人災としか思えないのです。 自坊のある浜組は、原発事故の退避指示地域の中に3か寺、さらには別院も含まれています。組内寺院の全てが何らかのかたちで、被害を被っているのです。何より、寺や土地を追われ、帰る見込みの全く立っていない方々の無念さは、察するにあまりあるものがあります。 あの日、浜組では、まさに原発近くの町にあるご寺院で、組門徒研修会が開かれていました。私も住職、自坊の門徒さんとともに参加していました。その後の地震でした。ご一緒していた各ご寺院の方々、ご門徒の方々のお顔が目に浮かびます。今頃どうしていらっしゃることでしょう。 苦渋の内に、ご門徒ともども故郷を離れざるを得なかった、これら原発被災寺院に対しても、どうか宗門が速やかにその所在を確認し(もちろんすでに確認済みかもしれませんが)、一刻も早い救済の手を差しのべて下さるよう、同組内寺院の一員として、切にお願い致します。 あらゆる面で原発被災は続いております。復興は立ち遅れ、風評に泣き、風向きに怯え、今なお安定しない原発に危険を感じながら、人々は生活を見切り発車させています。 多くの同朋の皆さまに、この窮状を知って頂きたく、失礼と思いながらメール差し上げました。お読みいただけましたら幸いに存じます。」(要旨) ☆南相馬市から避難中の大谷派僧侶:木ノ下秀俊さんより 「今日から小学生は、二次避難が始まるまでの一月ほどですが避難所近隣の学校へ登校です。中学生は明日からになります。南相馬市原町区に残る170人の子供達は、かろうじて30キロ圏外の南相馬市鹿島区にある中学校の校庭に建てた仮設校舎で新学期が始まるようです。 深刻なのは高校生です。学校再開のめどはたっておらず、福島県内に避難している場合は編入試験を受けて転校も可能なようですが、他県に避難している場合はそうもいきませんし、県内に居ても二次避難によってどこに移動になるか分からない状況です。避難者の中には子供の高校就学のために避難所を出て自費でアパートを借りる人もいますが、それも経済的に可能な人だけです。そのあたりの配慮をする余裕が県の対策本部にもないようです。」(避難所通信NO. 009より 4月5日) 「南相馬市への一次帰宅を計画中です。南相馬にはいまだ18000人(人口の4分の1)が生活しており、放射線レベルも安定しているのでリスクは少ないと判断しました。第一原発で除染作業経験者も一次帰宅するというのでアドバイスしてもらったころ、空間放射線は問題ないが体内被爆には要注意ということで選んでくれたのが写真(白の防護服)の装備です。(写真は割愛)しかし、本当に人が住んでいて大丈夫なんだろうか!?という姿です。追記、ニュースを見てしばらく様子をみることにしました。」(避難所通信NO.010より 4月6日) ■被災地訪問記 ☆大谷保育協会東京支部:五島満さんより 「4月4日(月)、見舞金、物資を持参し仙台地域の加盟幼稚園、保育園を訪ねました。名取では今だ安否捜索が行われ、立ち入り禁止地区も多くあります。とにかく名取近辺の被害は甚大で、家を流された保育士さん家族はアパート暮らしをしています。二本松には毎日遺体が15体程集まり、地元の住職が一人で読経を「こなす」状態だそうです。また原発事故から避難してきた子ども(家族)の預かりを保育園幼稚園で行っておりましたが、今ではそういう子ども達の数も減少してきているそうです。」 ☆奥羽教区:鷲嶺駐在さんより 「奥羽有志の方々と岩手県宮古市、山田町、大槌町、釜石市へボランティア&物資輸送に行って来ました。 宮古市では、ご門徒さんのお宅数件で片付けの手伝いをしました。お内仏を運んだり、海水を大量に吸収した畳を運んだり、新品ですが海水にどっぷり浸かって使えない大型液晶テレビなどを運び出す作業をしてきました。 その後各避難所を周りながら物資を渡し、日帰りを断念、花巻市内のホテルに一泊して、昨日岩手県内陸部の寺院に立ち寄り、残った物資を託して帰ってきました。 所感としては、すでにボランティアの人手が必要になりはじめたということ。仮設住宅が出来始め、順次移動が始まるため、ニーズが食器やポット、鍋、フライパンなどに変わりつつあるということ。あとは下着類が必要だという声がたくさんあったのですが、おそらく、2~3日で解消されると思われます。 大槌町では、残った方々の心に相当な喪失感があり、仮設住宅に入って現実を直視した時に、かなり危険だという雰囲気をひしひしと感じました。 岩手県北部方面を中心に奥羽のボランティア隊を投入することになりそうです。といいながら、シフト体制を組めるぐらいのボランティア隊をこれから教区内に呼び掛け、組織するので、間に合うかな?と、ちょっと不安です。以上、近況報告です。本日奥羽仏青の会議です。」 同朋N メールニュース 4月5日版より転載 ☆仙台仏青の活動報告より 「2011年4月2日土曜日 今回は、以前ドラム缶風呂の活動をした、気仙沼市本吉町、大谷地区にある別の避難所、仙翁寺が目的地。 仙翁寺は、270人程が避難しており、そのほとんどが津波により家を無くして帰れない長期避難者である。 今日私が出会った子供たちは、みんなとびっきりの笑顔だった。みんな被害がなかったわけじゃない。おこずかいを貯めて買った服をなくし、大切にしてたギターをなくし、三回しか遊んでないWiiをなくし、思い出のユニフォームをなくし、好きだった子は震災で転校し、親は職を失い、友達との想い出が、生まれてからずっと住んできた家が流された。勿論、次の住みかも決まってない。それだけの現実を背負ってなお、本当に明るく、笑顔で生きている。 慕ってくれて片付けまで手伝ってくれた思春期全開の少年たち、無邪気に遊ぶ小学生たち、トゲのある言葉で大人を傷つける女子たち、その全てが、可愛くて可愛くて、愛しくて愛しくて堪らなかった。 私自身、避難生活をしており自覚はないけれど、被災者になるのだろう。 それでも、支援活動のつもりで物資を届け、お風呂を作ってきた。 だけど、なんのことはない、支援されていたのは、私でした。 震災に直面し、目を覆いたくなるような現実にうつむいていた私に、前を向かせてくれたのは、彼らの笑顔なんだと今は確信しています。 本当に、本当に元気と希望をもらいました。 そして、本当に楽しい時間でした。 きっとまた会いに行きます。」(抜粋) ☆原発から避難中の大谷派僧侶:木下さんより 「震災から三週間が過ぎましたが、原発近隣市町村民にとって災害はいまだ進行形です。先日、山形市・仙台市と出かけてきましたが普通の街並とそこを行く人たちがとても眩しく見えました。 31日には福島県職員から「避難者は、二次避難として山形県内の旅館・ホテルへ移動の後、七月以降は順次仮設住宅への入居」という説明がありました。しかし、各県の避難所には、該当しない人も多数いますし、逆に20~30キロの南相馬市の避難者の中には、帰宅する人が増えているという奇妙な状態になってきました。 帰宅する人達は、曖昧な国の指示の中で、先の見えない避難生活に疲れ、みんなが帰るからと言って帰っていきます。」(抜粋) ■被災地からのレポート ☆大谷派僧侶:中下さんより 「宮城県の石巻市役所で、げっそりとした表情のおばあちゃんがいらっしゃいました。気になって声をかけると、家族の○○が亡くなったと。おばあちゃんは、立って職員の方と話をできる状態でなく、私が代わりに話を聞き、それをご本人に伝え、また職員の方へ伝えるという方法で支援を行いました。手続きが終わるとおばあちゃんは、故人への想いを私たちに延々と語ってくれました。 困難な手続きなどに同行する中で、互いに思いを語り合うことも出来そうです。「心のケア」についてですが、ある程度の事前の信頼関係、もしくは各種手続きの同行申請などの関係性があってはじめて成立するのかなと感じました。 岩手県大船渡市では、真宗大谷派のお寺が地域の遺体安置所となっていました。また別の寺では地域の避難所も兼ねており、朝昼のお勤め時には、避難所暮らしをされている方も手を合わせていました。それは、間違いなく何らかのケアになっているように感じました。 それぞれの地域や実情に沿った後方支援体制を整えることが前提かと感じています。」(要旨) 同朋N メールニュース 4月2日版より転載 ☆東京教区:梁河さんより(4月2日) 「30~31日、石巻市をめざして6名で現地へ出発。物資(水・体ふき・オムツなど)を避難所・石巻中学へ直接運搬をした。実際にどういう状況で何が必要なのか。できる限り、一つでも多くの避難所を回り状況を把握、何ができるか方向性を見出すため足を運んだ。 夜は車中で仮眠をし、次の日朝早く三陸沖海岸・名取などの被災地を回ったが、とうてい言葉では表現できない・・・。実際、被災者の声だが「温かい物がたべたい」「炊き出しを是非やってほしい」。不安に満ちた目、ほそぼそと した 声、確かに受け取り、茨城へもどってさっそく炊き出しの段取りをする。最後に子供のお菓子類が避難所に無かったので、チョコレートを山ほど集め、持っていきたい。」(以上) ☆奥羽教区:須田さんより(4月1日) 「3月31日奥羽教区2名が壊滅状態の宮古市田老地区を訪問。この地区の避難所が10数キロ北の「グリーンピア」に統合されるという。手伝うことはないかと職員に申し出たところ、今は特にないとのこと。しかし、「この先かなりの人手が必要となるので、その時お願いします」。情報を逃さないようにしたい。 市内の寺院に寄り坊守さんと一緒に被災地区をまわる。現在は、家の片付け作業が行われている。坊守さん「被災地区を歩いてみることから始めては」「必ず手助けが必要な方がいます」というアドバイスを頂く。ただし、必ず身元がわかるようにしなければ、かえって不審に思われる、とも。被災者から声がかかるのを待っていては何もはじまらない。こちらから動かなければ、被災者の生活に配慮しながら。 次に大槌町の浪板地区にて。一軒の家の庭先から立ち上る煙を発見。声をかけたところ窓から男性が。「何か足りない物はないですか」「下着、下着」「ありますよ」「いま降りていく」。民宿を経営していたとのこと。息子さんは消防士で住民を避難させている途中で津波にのまれ・・・。食事は足りていますかと聞くと「まぁ、避難所にいけばおにぎり2個もらえるから」。この地区の避難所へ支援物資を届けた。なんと避難所なのに電気は昨日復旧したとのこと。 避難所によってニーズが違う。先の坊守いわく「今は食品より生活用品、これから暮らしていくのに必要なのは茶碗やお箸、ポットや座布団などです。」次回は4日に行きます。」(以上 要旨) 同朋N メールニュース 4月1日版より転載 【被災地からの声】 ☆仙台仏青の活動日誌より(3月30日) 「今回は、石巻の住吉小学校にて(お風呂を)設置するのですが、そこはライフラインが未だに全滅、夜はロウソクで暮らしているような状況。150人程の方が避難生活を送っています。お風呂は、「大人も入れないか?」という声をたくさん頂いたので、子供に限らず受け入れることにしました。思春期の女の子二人組から、おじいちゃんまで、幅広く利用して頂けました。 私にとって、利用者の方がお風呂を待っている時間は、お話を聞かせてもらえるのでとても大切です。今日も、色々な話を聞かせて下さいました。ずっと描き続けてきた絵を全て失った話、町が海に沈んだので家族が船に乗って助けに来る迄、三日間1人で部屋に閉じ込められていた話、身内を目の前で亡くした話、ついさっきお兄ちゃんに意地悪された話、他愛ない話から、深刻な話まで、皆さん本当によくお話してくれます。 何より、泥だらけの中を片付ける毎日なのに風呂も洗濯も無理、というストレスがあるので、皆さんとっても喜んで下さる。ですが、最後の女性を笑顔で見送った時には心地よく感じていたハズの疲労感は、気が抜けた途端に、半端ない疲れとなって肩にのしかかるのでした。」(以上) 【被災地で感じたこと】 ☆高岡教区○○○○さん(3月31日) 仙台仏青並びに仙台教務所員が被災者支援に奔走していました。頭が下がる思いでした。石巻市の災害現場をみると、絶望感と喪失感しかありませんでした。でも、住民の皆さんは、迷いながらも力強く生きておられました。山形、宮城県では、まだガソリンの供給がすくなく、ガソリンを求めて何キロにもわたる長蛇の列。また物資の配給も必要でした。 避難者の受け入れが山形、新潟、北陸、関東などで行われています。各教区が避難者への支援へと動き出しています。自己完結型の支援が必要かと思われます。自分たちで責任をもち、情報を収集し、行動する。そのようなことが、中期支援活動では、一番配慮しなければいけないことかもしれません。 被災地では、まだまだ支援が必要なところ、ボランティアが行き届かない場所があります。私たち僧侶は、この被災地の現実を一人ひとりが自分の目で、しっかりと見ないといけないと思いました。この「絶望感」「喪失感」を感じることが同じ時代に生きている私たちの責任だと思います。
https://w.atwiki.jp/hamaosenmatome/pages/121.html
被災地のがれきを知事が視察(NHK 横浜放送局:神奈川動画ニュース) http //www.nhk.or.jp/yokohama-news/20120107134228_01.html 東日本大震災の被災地で出たがれきを受け入れる方針を示している神奈川県の黒岩知事が7日、岩手県と宮城県を訪れ、現地で行っているがれきの処理の状況を視察しました。 神奈川県の黒岩知事は震災の被災地で出たがれきを受け入れる方針を先月、明らかにしましたが、住民から放射性物質の影響を懸念する声も出ていることなどから具体的な方法を検討するため7日、被災地を訪れました。このうち、岩手県宮古市のがれきの仮置き場では黒岩知事は東京都に運ばれるがれきについて担当者から説明を受けながら複数回行う放射線量の測定の様子やがれきが種類ごとに分別されてトラックに積み込まれる工程などを視察しました。また、宮城県南三陸町では、佐藤仁町長からがれきの処理がなかなか進まず困っている実情について話を聞きました。視察を終えた黒岩知事は「きょうの視察を踏まえて実際にどういう形でがれきを受け入れるのか検討し住民の皆さんから理解を得られるように頑張りたい」と話しました。神奈川県は、ことし3月までをめどに横浜市などの関連する自治体と受け入れに向けた環境を整備するとともに今月中に横浜市と横須賀市で説明会を開いて県民に理解を求めていくことにしています。
https://w.atwiki.jp/kumasai_net/pages/36.html
被災地NGO恊働センター(神戸市兵庫区) 被災地NGO恊働センターは、11日夜にスタッフ4名を派遣し、状況調査にあたっています。また、続いて第二陣が13日夜に出発する予定です。 また一方で、被災地NGO恊働センターは1月26日に起きた宮崎県・新燃岳噴火災害に対する支援を現在も続けており、当センターのスタッフ1名が、「震災がつなぐ全国ネットワーク」の他スタッフとともに活動中です。 噴火で被害を受けた宮崎県産の野菜を買い付け、東北の被災者の方への炊き出しに使おうと考えています。下記の通り、炊き出しに使う野菜買い付けの資金として、1口3000円の「野菜サポーター」を募集します。ご支援よろしくお願い致します。 ★郵便振替:01180-6-68556 加入者名:被災地NGO恊働センター ★銀行からの場合・・・ゆうちょ銀行 支店番号 一一九(イチイチキユウ)店/店番 119/当座 0068556 ※通信欄に「野菜サポーター」と明記して下さい。 ネットバンキング等で通信欄が無い場合は、 「依頼人名」等の後に(1)「トウホク」または(2)「ヤサイ」、 「依頼人番号」欄等に(1)「1049」または(2)「831」とご記入下さい。 詳しい活動状況はコチラ
https://w.atwiki.jp/savelibrary/pages/44.html
被災地のみなさまに役立つ情報です。 被災地のみなさまに役立つ情報です。東北地方太平洋沖地震への対応|首相官邸ホームページ 被災地の図書館が発信している、地元の情報提供サービスです。 保険会社連絡先 法律相談(無料) 避難受け入れ・物資に関する情報震災ホームステイ がんばれ!!日本 がんばれ!!東北 被災地での活動に役立つ情報です。医療情報一般の方向け被災者向け医療情報まとめサイト Newton Press エムティアイ 福島県立医科大学小児科 震災特別ページ 医療従事者向け 日本(データベース等無料公開)JDreamIIの無料提供 今日の診療 WEB版の無料提供 医中誌Webの無料提供 iyakuSearchの無料提供 日本(論文等無料公開)医学書院 国立精神・神経医療研究センター メディカ出版 羊土社 レジデントノート増刊「救急初期診療パーフェクト」 トーハン Pier Online 日本(文献情報)医中誌Web 文献情報 科学技術振興機構(JST)文献情報 科学技術総合リンクセンター(J-GLOBAL)文献情報 日本(その他)東京大学附属図書館 被災された大学の研究者・医療従事者への電子ジャーナル等の提供について 京都大学附属図書館 東北地方太平洋沖地震で被災された大学の研究者・医療従事者への電子ジャーナル等の提供について 日本予防医学リスクマネージメント学会 海外Cochrane Collaboration Cochrane Collaboration Evidence Aid Project EBSCO Elsevier Gale LWW Ovid National Library of Medicine NLM Emergency Access Initiative The New England Journal of Medicine Thomson Reuters UpToDate 心のケア情報東北関東大震災 特設 先生のためのメール相談 東北地方太平洋沖地震で被災されたママたちへ向けたメッセージ 復旧・復興関連資料災害からの復旧・復興関連資料|学芸出版社 東北関東大震災:外国人向け情報18カ国語の地震情報(NHK) 被災者向け多言語音声情報(FMわいわい) 定住外国人施策ポータルサイト(内閣府) 多言語情報(多文化共生マネージャー全国協議会) 被災者の安否確認(Google Crisis Response) 地震発生時緊急マニュアル Japan earthquake how to protect yourself 東北地方太平洋沖地震への対応|首相官邸ホームページ 被災地の図書館が発信している、地元の情報提供サービスです。 東北関東大震災関連情報|岩手県立図書館 震災情報リンク集|福島県立図書館 保険会社連絡先 今回の地震に伴って、保険会社が特例措置をとっています。 生命保険会社 損害保険会社 (@yuki_oさん提供) 法律相談(無料) 今回の地震に伴い、弁護士会が無料電話相談を行っています。 法テラス 日本弁護士連合会 (@rtakahasさん提供) 避難受け入れ・物資に関する情報 震災ホームステイ 全国の空き家・空き部屋の無償提供とその希望者をつなぐサイト (図問研ML11654情報提供 nakayamam) がんばれ!!日本 がんばれ!!東北 TwitterIDだけで支援者と支援が必要な人々を マッチングするサービス。具体的な支援物資の登録ができる。東北じゃなくてもきっとOKだと思う。 (twitterから nakayamam) 被災地での活動に役立つ情報です。 医療情報 一般の方向け 被災者向け医療情報まとめサイト Newton Press 『Newton』2008年10月号に掲載された「放射線」の全文を無料公開 ※震災前に書かれた記事であることにご留意ください。 エムティアイ iPhone向け電子書籍「家庭の医学」を無料化 福島県立医科大学小児科 震災特別ページ 震災および原子力発電事故に際し、子どもたちのケアに役立つ情報や「私たち」の行動についてお知らせ (図問研ML11649情報提供 nakayamam) 医療従事者向け 日本(データベース等無料公開) JDreamIIの無料提供 科学技術文献データベースを無料提供。 メールでの申し込みが必要。2011/06/30まで。 今日の診療 WEB版の無料提供 「今日の診療」「治療薬マニュアル」等を収録するデータベースを無料開放。 2011/4/30まで。 医中誌Webの無料提供 被災地で、医療・救助活動に従事されている医療従事者に対して提供。 メールでの申し込みが必要。2011/04/30まで。 iyakuSearchの無料提供 医薬品添付文書情報、文献学会情報等のデータベースを無料公開。 2011/04/30まで。 『薬剤識別コード一覧』の提供、『錠剤鑑別』の電話受付などの情報もあり。 日本(論文等無料公開) 医学書院 「JIM」「病院」「公衆衛生」「精神医学」等の震災関連記事を無料公開 国立精神・神経医療研究センター メンタルヘルス情報を公開。「災害時地域精神保健医療活動のガイドライン」「災害精神保健医療マニュアル:東北関東大震災対応版」等。 メディカ出版 メディカ出版から出版されている書籍の中から、救援活動に必要な情報を厳選して無料公開中。 羊土社 レジデントノート増刊「救急初期診療パーフェクト」 トーハン 出版社との協力により、「Medical e-hon」を通じて「医学のあゆみ」「Nursing Today」「看護」「ICUとCCU」等の震災関連記事を無料公開 Pier Online 「最新医学」「癌と化学療法」「メディカ出版各誌」「医学のあゆみ」等の雑誌に掲載された災害関連の論文を公開している。利用には、ID/パスワードが必要。こちらのフォーム より申し込み。 当面は2011年4月30日まで 日本(文献情報) 医中誌Web 文献情報 災害医療・放射線医学に関連する医学文献情報 科学技術振興機構(JST)文献情報 科学技術文献データベース 「JDreamII」に登載されている地震関連の文献情報を無料公開 科学技術総合リンクセンター(J-GLOBAL)文献情報 震災復興支援のための科学技術情報提供 日本(その他) 東京大学附属図書館 被災された大学の研究者・医療従事者への電子ジャーナル等の提供について 東京大学附属図書館と情報基盤センターは、東北地方太平洋沖地震に被災された大学に所属する研究者・医療従事者の方に対し、本学が契約する電子ジャーナル等のアクセスを東京大学SSL-VPN Gatewayサービスを通じて提供いたします。 京都大学附属図書館 東北地方太平洋沖地震で被災された大学の研究者・医療従事者への電子ジャーナル等の提供について 京都大学附属図書館は、東北地方太平洋沖地震で被災された大学に所属する研究者・医療従事者の方で、所属大学から電子ジャーナル・データベースのサービスを受けられなくなった大学の方に対し、本学が契約する電子ジャーナル等のアクセスをリモートアクセスサービスを通じて提供いたします。 日本予防医学リスクマネージメント学会 海外 Cochrane Collaboration Evidence Aid Resources for Japanese earthquake and tsunami コクラン共同計画(The Cochrane Collaboration)は、Wiley-Blackwellとの協力により、日本からアクセスする全利用者に対して、コクラン・ライブラリー(The Cochrane Library)を当面の間、無料公開することを決めました。 Cochrane Collaboration Evidence Aid Project 震災による負傷や洪水後の水汚染への対処に関する医療情報 EBSCO DynaMed(医師向け)、Nursing Reference Center(看護師向け)、Patient Education Reference Center(患者教育支援)を無料公開。 当面は2011年4月30日まで Elsevier MD Consult(臨床医療の統合情報プラットフォーム )を無料公開 Gale 電子ジャーナルデータベースの一定期間無料公開 LWW Ovid Wolters Kluwer緊急医療情報源ポータル LWWの電子ジャーナル、電子ブック等を無料公開 National Library of Medicine NLM Emergency Access Initiative 出版社の協力により無料で電子ジャーナル,eBook,二次情報データベースにアクセスできる。図書館の蔵書を利用できない場合、または災害に関わる救急医療、公衆衛生、医療の提供に関わる用途の場合にアクセス可能。 2011年4月8日まで Japan Earthquake, Tsunami, and Radiation Event - March 2011 The New England Journal of Medicine NEJM.orgへの日本からのアクセスを無料開放(1989年以前の論文は除く) 2011年5月1日(日)まで Thomson Reuters 東京大学附属図書館、京都大学附属図書館等を通じて、Web of Scienceの無償公開 東京大学附属図書館と情報基盤センター 京都大学附属図書館 放射能中毒情報、救急医療処置に関するデータを無料開放 UpToDate 災害医療のための緊急アクセス トップページに放射線傷害関連の以下のトピックスがまとめられている。 Treatment of radiation injury in the adult 成人における放射線被爆に対する治療 Biology and clinical features of radiation injury in adults 成人における放射線被ばくの生物学および臨床的特徴 Management of radiation exposure in children following a nuclear disaster 小児における原子力災害後の被曝管理 Clinical features of radiation exposure in children 小児における放射線被爆の臨床学的特徴 以上のページはボランティアによる日本語訳作業が進められている 心のケア情報 東北関東大震災 特設 先生のためのメール相談 対象:子どものこころのケアを行う学校の先生 支援内容:今回の災害で心理的にケアを必要とする子どもに 関わっている先生からの相談を無料で受け付ける。 期限:2011年4月30日まで 代表者:小林正幸(東京学芸大学 教職大学院教授) メンバー:子どものこころのケアの専門家(臨床心理士、学校心理士、教職大学院教員) その他:1)子どものこころのケアについてのリーフレット(3種類)がダウンロード可能 3種類の内容は ・被災地でできる子どものこころのケア ・全国の子どものこころのケア ・幼いお子さんの様子に応じた関わり 2)リンク集:支援者と保護者の子どもの支援に関わる情報提供 避難所の遊びマニュアル、障害者向けの支援方法など多数 東北地方太平洋沖地震で被災されたママたちへ向けたメッセージ 主催:多世代交流館になニーナ(新潟大震災の経験から心の復興を目的とし交流している組織) 中越地震を体験したママたちの視点からうまれた冊子「あんしんの種」からの抜粋(PDFデータで閲覧可能) 携帯電話等で上記閲覧不可の場合は になニーナブログへ http //ameblo.jp/ninani-na 災害時に備え準備しておくもの (ブログ版 前編/後編) 理想の避難所 被災時のごはん (ブログ版 母乳は最強の非常食/備えるならやっぱりごはん) 心がけたい、心のケア (ブログで見る) 子どもの不安をやわらげる (ブログで見る) ママのセルフケアアドバイス (ブログで見る) 相談 対応事例 (twitterより 2011.3.27up nakayamam) ---- 復旧・復興関連資料 災害からの復旧・復興関連資料|学芸出版社 東北関東大震災:外国人向け情報 18カ国語の地震情報(NHK) http //www3.nhk.or.jp/nhkworld/english/radio/program/16lang.html アラビア・ベンガル・ビルマ・中・仏・ヒンディー・インドネシア・韓・ペル・ポル・ロシア・スペ・スワヒリ・タイ・ウルドゥ・ベト・英・日 被災者向け多言語音声情報(FMわいわい) http //www.tcc117.org/fmyy/index.php 日本語、英語、ポルトガル語、韓国語、中文、 スペイン語、ベトナム語 定住外国人施策ポータルサイト(内閣府) http //www8.cao.go.jp/teiju-portal/jpn/index.html (日) http //www8.cao.go.jp/teiju-portal/eng/index.html (英) http //www8.cao.go.jp/teiju-portal/port/index.html (ポル) http //www8.cao.go.jp/teiju-portal/espa/index.html (スペ) 多言語情報(多文化共生マネージャー全国協議会) http //tabumane.jimdo.com/%E7%81%BD%E5%AE%B3%E6%83%85%E5%A0%B1/ ポルトガル語・タイ・ベトナム語・中国語・スペイン語・タガログ・インドネシア・英 被災者の安否確認(Google Crisis Response) http //www.google.co.jp/intl/en/crisisresponse/japanquake2011.html 日・英・中(簡体字・繁体字)・韓国語・ポルトガル語・スペイン語 地震発生時緊急マニュアル Japan earthquake how to protect yourself http //nip0.wordpress.com/about/ 地震発生時緊急マニュアル、災害用伝言ダイヤル等。 英・オランダ・仏・スペイン・伊・ポルトガル・トルコ・アラビア・中・インドネシア・韓・ベトナム・タガログ他
https://w.atwiki.jp/savelibrary/pages/63.html
全国の図書館が被災された皆様にできること 全国の図書館が被災された皆様にできること.pdf 図書館海援隊 提供。 全国の図書館が被災された皆様にできること(被災地に留まる方向け).pdf 図書館海援隊、公共図書館員のタマシイ塾 提供。 説明は以下の通り。※一部編集 by 岡本真 図書館海援隊は、平成22年1月、貧困・困窮者に必要な支援・情報を提供することを目的として有志の公立図書館により結成されました。 現在では、ビジネス、医療・健康、福祉、法務等の分野を加え、更なる支援・情報の提供に努めています。 この度の東北地方太平洋沖地震に関しても、全国の図書館が被災された皆様に何ができるのかをいち早く検討し、 その結果をサービスモデル図「全国の図書館が被災された皆様にできること」にまとめsavelibraryで公開しました。 このチャート図は「プロジェクトまちごと」(Educational Future Center)が想定しているような、 震災後、被災された皆様が他自治体に一時移動して生活し、その後帰郷し復興にあたるケースにあわせて作成しています。 続けて“公共図書館員のタマシイ塾”有志の方々と共に「全国の図書館が被災された皆様にできること」(被災地に留まる方向け)も作成しました。 北海道地区 札幌市立図書館 東北地方太平洋沖地震により札幌市へ避難されている皆様へ 「今回の地震で札幌市に避難されている方々には、簡単な手続きで図書貸出券を発行いたしますので、お気軽にご利用ください。」 関東地区 栃木県立図書館 http //www.lib.pref.tochigi.jp/ 「県内に避難されている被災者の方は、簡単な手続きで資料の貸出など県民の方と同様のサービスを提供いたします。」(2011-03-24から) 山梨県立図書館 被災地支援のためのメールでの調査相談受付の拡大について 「次の県にお住まいの方からは「山梨」に関係するものを含む全分野に関する調査依頼をお受けします。 該当地域は青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、千葉県です。それ以外の県の方からは通常通り山梨県関係のみ受け付けます。」 横浜市立図書館 横浜市立図書館所蔵 地震・震災関係図書リスト(港北図書館友の会) 「このリストに掲載された書籍は、すべて横浜市中央図書館または横浜市内各区の図書館から借りられます(2011年3月現在)。」 北陸地区 新潟県立図書館 地震の被災者に対する貸出特例について 「県外在住の被災者にも、県内在住・在勤者と同様に利用カードを発行します。」 燕市立図書館 第6回被災者支援対策本部会議(燕市役所ホームページ) 「避難されている方々から、精神的・肉体的にリフレッシュしていただくため、3月21日から施設等の入館料、使用料の無料パスを発行します。」 長岡市全域公共図書館 長岡市全域公共図書館で被災者の方に本を貸し出し(東日本大震災ボランティアセンター) 「長岡市全域の公共図書館で被災者への本の貸し出しを開始しました。平時は長岡市民登録が必要なのですが、市民登録がなくても被災者の方に本の貸し出しをします。」 東海地区 愛知県図書館 東北地方太平洋沖地震による被災者・被災図書館へのサービスについて 「今回の被害で愛知県内に避難されている皆さまにも、本などの貸出しを行っています。」 名古屋市図書館 東北地方太平洋沖地震により愛知県内へ避難されている皆様へ 「今回、地震により愛知県内に避難されている方には、市立図書館共通の貸出券を発行します。」 名古屋市図書館に関連コーナーを作りました 近畿地区 京都市図書館 震災で被災され京都市内に身を寄せられた皆様へ 京都市図書館19館で利用できる「図書館カード」を発行いたします 京田辺市中央図書館 「特別貸出」の実施について 「京田辺市立中央図書館では、今回の地震により被災された方や、一時避難されている方にも、本市の図書館をご利用いただけるよう、貸出券の発行を行っています。」 豊中市立図書館 東北地方太平洋沖地震避難者に関する貸出について 豊中市立図書館パスファインダー検索なび 特別編 「東北地方太平洋沖地震関連情報について」
https://w.atwiki.jp/kubo-zemi/pages/1966.html
トップページ 新聞論評 新聞論評 2010 新聞論評 20100523 this Page {2010年5月23日 締 切 新聞論評 学籍番号 200814080 氏名 柏成昭} 1.新聞情報 見出し 被災地で建設求人急増 新聞名 日本経済新聞 朝刊 発行日 2011年5月20日 24面 2.要約 東日本大震災の被災地で、建設関連の求人が急増している。仮設住宅の建設開始に伴い、建設現場に常駐する管理者が必要とされ始めた。派遣料金も上昇する可能性が高い。現場作業のアルバイトへの募集広告件数は震災前の3倍以上に膨らんでいる。(113文字) 3.論評 被災地では建設求人が急増している。被災地では地震や津波のために家や多くの建物が消失され、仮設住宅などがあちこちに建てられている。このようなことがあって、建設の求人が震災前よりも急増しているのだ。ゼネコンや夢真ホールディングスやインキュべクスなどの建設会社は被災地の復興のために被災地に技術者の確保を急いだり採用人数を増やしたり被災地の中心・最大都市の仙台に派遣業務の拠点や営業所を開設したりと被災地復興に積極的に取り組んでいる。建設関連の求人のほか、被災地に物資を届けるトラック運転手を求める人も多い。特に復興が本格化する秋以降は建設業に人材を求める動きが活発になりそうである。しかし、復興業務の中心となるのは計作業に従事する人や都市計画などの建設に専門的な技能を持つ人材である。建設業はこれまで新規求人数が減らしすぎていた。そのため、昨年8月以降、前年実績を上回っている。しかし、全体から見ると過剰感が強く、内部の人材で対応可能もある。また、地元における雇用の圧縮の可能性もある。(441文字) 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/kittybell/pages/15.html
フランスでは小規模事業の起業家で大きな成果を挙げた人を表彰しているそうが、初めて日本人が受章することになったそうです。 この方は震災後にジャム作り事業を始めた宮城県気仙沼市の男性で、子を持つ母親らの働く場を広げてきたことが評価されたそうです。 現在、9人を雇用しており、市外の施設を借りて、子育て中の女性らに週2~3回、働いてもらっているとのことです。 被災地では様々な状況の中でも働こうと、沢山の人が頑張っていることと思います。 とても励みになるニュースです。
https://w.atwiki.jp/jishinhigashinihon/pages/22.html
※編集中、一部はのレスは抜粋 26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(東海)[] 投稿日:2011/03/12(土) 08 03 22.87 ID W/XExP/XO [4/4] いいレスを見かけたから貼っておく 落ち着こう 【物資&ボランティアは 今日明日は動かないで我慢してください】 現場混乱してるから受け入れする余裕ない それと余震や津波の第2、3波の危険性があるから 来ても巻き込まれる可能性もあるのと 巻き込まれて余計な要救助者をだして 本来行く筈の人にレスキュー行かなくなって迷惑になる 【物資支援は窓口で相談確認してください】 各自治体、都道府県の対策本部に問い合わせをして 何が必要かを聞いてから送ってね 必要なものでも数が多すぎると迷惑になってまうし 不必要なものを送ったら手間が増えて 現場を混乱させてしまう とりあえずボランティアとして支援を考えている奴は、この土日は待機して情報収集に専念しろ。 未経験者はインターネットで災害ボランティアのノウハウを頭に叩き込め。 (どんな仕事をするか、何が必要か、具体的な心構えは、など) そしてボランティアに必要な物を買い揃えておけ。 それと家族にもしっかりボランティアに行く旨をきちんと報告して、理解を得ておくこと。 数日すればボランティア募集窓口が開設していくはず。 各自治体や都道府県の対策本部に問い合わせてもいい。 何も分からんがとりあえず行く、だとただの足手まとい。 しかも震災発生直後の今は、一般人には危険が大きすぎる。 ボランティアとして人を救いに行ったつもりが新たな被害者に、じゃあシャレにならん。 339 名前:鰐 ◆WANIvSPbAo [] 投稿日:2011/03/12(土) 01 12 28.99 ID Lb+IdXBL0 [12/12] 【援助について】 本当に支援を考えるのであればお金が一番良いようです ボランティアに来てもボランティアの人の分の食事や毛布、居場所も必要になります 救援物資を送っても仕分けに時間や労力がかかるし、かえって迷惑になる事もあります お金があれば行政が正しく使ってくれます 詳しくは http //d.hatena.ne.jp/k_ma_calon/20110311/1299837162 現状では募金あるのみ 346 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2011/03/12(土) 01 22 53.41 ID 75qNxM2T0 [1/3] 今はプロの救助活動の邪魔をしないように見守るのが一番。 物資や金を送るなら機関を通して行うこと。 手に職も無いくせに、どうしても現地に行きたい偽善者は 自分用に毛布と食料とかを必ず持って、歩いていけ。 522 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(長屋)[] 投稿日:2011/03/12(土) 10 12 10.51 ID 6hoTX+Hw0 毛布、水、食料等は市役所等で受付てくれるみたい。 取り敢えず少ないがそれらを送る事にする。 wiki等が出来たらそれにも何らかの形で支援させていきま。 何かVIPらしくないがこんな時ぐらいいいよな… 527 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(長屋)[] 投稿日:2011/03/12(土) 10 19 21.24 ID uqxffgk70 献血行こうとする人へ注意 献血ができるのは8週間ないし12週間に1回だけだ。 対して、採取された血液の保存期間は3週間。 現地の負傷者たちが今血を欲しているのは分かるが、欲するのは今だけではない。 ある程度日を置いてから、行くこともオススメする。