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武将名 つちばしもりしげ 魔王打倒の覚悟 SR土橋守重 紀伊の豪族。雑賀衆の一人。石山合戦では4人の子とともに本願寺に籠城して戦い、信長軍を苦しめた。石山本願寺降伏後、雑賀衆のあいだで信長恭順派の雑賀孫市と敵対派の守重は対立。孫市に謀殺された。「悪いな、孫市。 俺は意地を貫くぜ……!」 出身地 紀伊国(和歌山県) コスト 2.5 兵種 鉄砲隊 能力 武力8 統率7 特技 伏兵 狙撃 計略 一射一殺 範囲内の最も近い敵に射撃によるダメージを与え、移動速度を下げる。ダメージはお互いの武力で上下する。 必要士気5 Illustration オンダカツキ 宴武将として追加された2枚目の土橋守重。 本願寺には珍しい高コスト伏兵持ちでスペックもまずまず、というか雑賀基準ではかなりの高スペック。 計略は敵一体対象の武力依存ダメージ計略で、さらに移動速度を低下させる。 範囲は自身から前方に延びる長方形。縦はカード3枚分強、横はカード1.2枚分ほど。 威力は素の武力で確殺は武力2。武力8には約4割強のダメージ。 速度低下時間は同統率に3.8c。統率依存は0.4c。(Ver.2.12A) 計算式:3.8c±0.4c×(統率差の平方根の絶対値) 速度低下値は不明。(毘天の化身中の上杉謙信が突撃不可なので0.3倍程度?) その速度低下効果は凄まじく速度上昇家宝や計略では毘天の化身であろうと放生月毛だろうと射撃の回避が困難になる。 移動速度低下により射撃をフルヒットし易くなるので、計略で与えるダメージ以上のダメージを見込める。 雑賀の鉄砲隊は狙撃を持っているので、一射一殺使用から複数部隊による赤ロック射撃は絶大な威力を誇る。 鉄砲隊が苦手とする騎馬の対策、キーカード撃破に使っていこう。
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2011.03.19 現在 情報源 真宗大谷派公式HP→東本願寺からのお知らせ 情報元のページでは受け入れ可能施設が随時更新されるようです、詳しくは上記リンクをご覧下さい。 受け入れ可能な別院・寺院・教会・諸施設一覧(2011.3.19 9:00現在) 下記情報は3月19日現在の情報です。受け入れ可能施設は随時更新されていますので詳しくは 東本願寺HP でご確認下さい。 別院名 住所 TEL 東本願寺研修道場 京都府京都市下京区烏丸通七条上る常葉町 754075-371-9185 東本願寺真宗会館 東京都練馬区谷原1丁目3番7号 03-5393-0810 札幌別院 北海道札幌市中央区南七条西8丁目290番地 011-511-0502 函館別院 北海道函館市元町16番15号 0138-22-0134 函館別院千歳支院 北海道函館市千歳町7番2号 0138-22-0345 函館別院本町支院 北海道函館市本町30番32号 0138-52-0237 函館別院海岸支院 北海道函館市海岸町7番2号 0138-23-2241 函館別院東山支院 北海道函館市東山1丁目1番7号 0138-31-5010 旭川別院 北海道旭川市宮下通2丁目1463番地 0166-22-2409 根室別院 北海道根室市平内町4丁目13番地 0153-22-2115 横浜別院 神奈川県横浜市港南区日野1丁目10番8号 045-841-3434 三条別院 新潟県三条市本町2丁目1番57号 0256-33-0007 金沢別院 石川県金沢市安江町15番52号 076-261-6432※本山HP記載ミス訂正by管理人 鶴来別院 石川県白山市鶴来清沢町ヨ12番地 076-272-0144※本山記載ミス訂正by管理人 福井別院 福井県福井市花月1丁目2番36号 0776-21-4100 吉崎別院 福井県あわら市吉崎1丁目301番地 0776-75-1904 高山別院 岐阜県高山市鉄砲町6番地 0577-32-0688 三河別院 愛知県岡崎市中町字野添25番地 0564-21-0625 豊橋別院 愛知県豊橋市花園町8番地 0532-52-5083 赤羽別院 愛知県幡豆郡一色町大字赤羽字上郷中14番地 0563-72-2308 静岡別院 静岡県静岡市葵区屋形町10番地 054-253-1737 名古屋別院 愛知県名古屋市中区橘2丁目8番55号 052-321-9201 桑名別院 三重県桑名市北寺町47番地 0594-22-0652 五村別院 滋賀県長浜市五村150番地 0749-73-3133 山科別院 京都府京都市山科区竹鼻サイカシ町13番地の17 075-581-3410 岡崎別院 京都府京都市左京区岡崎天王町26番地 075-771-2921 難波別院 大阪府大阪市中央区久太郎町4丁目1番11号 06-6251-5820 八尾別院 大阪府八尾市本町4丁目2番48号 0729-22-2724 天満別院 大阪府大阪市北区東天満1丁目8番26号 06-6351-3535 姫路船場別院 兵庫県姫路市地内町1番地 079-292-0580 土佐別院 高知県高知市鳥越字長谷口40番地23 088-843-4686 四日市別院 大分県宇佐市四日市1425番地の1 0978-32-0050 鹿児島別院 鹿児島県鹿児島市新町2番13号 099-226-0110 岡崎教区教区会館 愛知県岡崎市梅園町1丁目1番地2号 0564-22-2136 大垣教区第5組速入寺 岐阜県大垣市今福町228番地 0584-89-2203 大谷済美幼稚園 石川県七尾市藤橋町テ9番地1 0767-53-0058
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ストーリー攻略/織田信長編/第8章 浅井と朝倉 軍団編成あり(知行18) 目標 京の町の支配 5城以上支配 金ヶ崎城の支配 相手国 朝倉家 浅井家 本願寺 三好家 ヒント 金ヶ崎城を取ると浅井の裏切り、京に三好三人衆が出現するのでそこにコマを待機させない。 上記のイベント以降、切札の使用が可能。 ランクSを取るには浅井・朝倉を滅亡させないと無理? クリア報酬 戦乱モード コメント 三好家を撃破し{京の町の支配}と{5城以上支配}を満たした状態で 金ヶ崎城を取れば《京の町》に三好三人衆は出現せずに勝利となる。 この場合には切札はこの章では使用できないため特技を重視した編成にすると良い。 浅井・朝倉と戦わなくて済む分だけ難易度は下がる。 浅井以外を全て滅ぼしてSでました、三好・本願寺と滅ぼしてから朝倉を攻め金ヶ崎城を最後に落とすと楽です。 -- 名無しさん (2008-08-19 23 25 53) 名前 コメント
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上位目録一覧 侍 侍上位目録 目録名 入手可能国 ドロップNPC 兵法之書・弐 斎藤家 斎藤長龍 浅井家 宮部継潤 藤堂高虎 徳川家 伊賀者手練れ 足利家 荒木村重 山岡景隆 柳沢元政 伊賀忍 果心居士 本願寺 本願寺客将 侍之匠・九 上杉家 本庄氏揚北衆 徳川家 井伊の赤備え 浅井家 延暦寺僧 延暦寺僧兵 甲賀手練れ 日吉巫女 足利家 京本草学者 ドロップ情報募集 名前 コメント 過去の遺物 武芸書・六 川越、一乗谷、京都 〃 改 キノコハウス 福島正成 古河公方屋敷 古河公方古参 甲斐一族の屋敷 甲斐氏家臣 陣形 岡崎、松本、前橋 〃 改 越中 悪徳薬商、越中行商人 六角一族の屋敷 後藤賢豊 比叡山叢雲堂 妖土竜 武芸書六改 武田家 甲斐国人衆,秋山信友 織田家 傭兵部隊、菅屋長頼 徳川家 青山忠門,阿部正勝 上杉家 山本寺定長、大石綱元,竹俣慶綱、上杉管領衆 北条家 伊勢貞運、石巻康敬 浅井家 新庄直頼、小川祐忠、磯野員昌、藤堂高虎、磯野突撃隊、殿原衆 朝倉家 溝江長逸 斎藤家 飯沼長継、妻木広忠、野々村三十郎、斎藤利三、坂井政尚、斎藤道三 足利家 朽木元綱 雑賀衆 鈴木一族 陣形改 織田家 堀秀政 武田家 甲州流軍学者,武田槍隊 浅井家 雨森弥兵衛 斎藤家 斎藤義龍 上杉家 村上義清
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三戦板2スレ 563 名前: 557 投稿日: 02/07/20 20 33 さきほど1571年のシナリオで足利義昭幕府再興計画を推進してきましたが やっぱりだめでした。 信長包囲網というなんともいえない同盟の盟主ということもあって 周りは見方でマターリできるとのん気にやってたんですが 南方は茶器爆死マニアの兄さんに睨まれっぱなし。 東では侍大将時代の脂の乗った権六兄さんが精兵240の軍勢で我が二条城まで少しの距離だし。 とりあえず波多野さんと同盟することにしまして使者を送ったんです、ええ。 「異存がないわけではないけどまぁOKよん」ってことで なんとか西の背後は大丈夫みたいな雰囲気です。 で、盟主としてずっぷり同盟者の恩恵に浸ろうと考えた矢先 侵攻してきました織田の信長さんご一行・・。 南方の茶器ボンバー兄さんと激しい死闘を繰り広げてるじゃないっすか。 ひぇぇぇぇ!! それに引き換え我が陣営のなんと雅なこと、もう戦国の雰囲気皆無な連中です。 とりあえず一番合戦経験のありそうな和田の旦那を送って 出世稼ぎでもしてこい!ってな具合で派遣しました。三好さん側です。 茶器ボンバー兄さんは、もうなんというか権謀術数を駆使して 本丸に取り付いた軍勢を釘付けです、メロメロで大混乱です。 そこに軍事介入した我らが三好・足利連合。 なんとか美味しいところをキャッチして、しかも 足利陣営一個お城GETしちゃったりなんかして浮かれ気分で凱旋です。 ただ人材不足の我が陣営が領土経営なんか出来るわけなく 一年もしないうちに織田の信長兄貴の猛攻を受けることになりました。 足利義昭、御簾を掻い潜って出陣のときが来ました! 566 名前: 557 投稿日: 02/07/20 20 44 足利義昭兄さんの手勢は100、でも戦闘30の温厚な御仁ですが。 池田の知ちゃんを引き連れて暴れ狂う訳ですが 歴戦の名将を引き連れた織田の先鋒部隊すら突破出来ず壊乱状態です。 そこで山の頂上で見物していた細川様を投入。 応援に駆けつけてくれた信長包囲網の参加者でもある一色サン(兵100)に 命からがら助けられて、高槻城を死守しました。 二条城は難なく敵の手に陥落していたので 事実上都落ち~幕府完全失墜です・・。 嘆きながらも高槻城に帰還し、織田さんに解放された古参武将三名ほどと共に 捲土重来を誓い合ったのです。 高槻城周辺は本願寺のジジさまが堅固に守ってくれていて なんとも助かる情勢でした。 これになんとか命を繋ぎ、織田兄さんの猛攻を何処吹く風と乗り切りました。 その間、智謀と政治力だけは文句なしの征夷大将軍義昭ちゃんは 洲本のお城まで進撃している毛利さんの家臣団に目をつけます。 あらら忠誠心が低いじゃないですか・・。 この後猛烈な人心誘惑作戦が展開されたことはもう想像がつくと思います。 世間の情勢は本願寺と武田による挟撃により織田が風前の灯火までに落ちていました。 島勝猛・羽柴秀吉・その他戦闘150平均の地方で頑張ったのねちゃん達をGETしたのです。 568 名前: 557 投稿日: 02/07/20 20 49 んでまーなんとかイイ感じに国力も増大し一時の二カ国支配とまではいかないにしても 人口も5000強と、いいんじゃないの的な発展を遂げたのはいいのですが さて困った!版図の拡大が不可能。 本願寺・三好・武田に囲まれた我が領土からは、どこへも進発出来ない。 講義と披露の連綿とした構成で5年ほど経過してしまいました(笑) その間、世間は大きくうねりを見せ五つの勢力で我が足利幕府を支えてくれることになってました。 まだまだ幕府は健在です! だって何気に同盟交渉だけは多かったですもん♪ 569 名前: 557 投稿日: 02/07/20 20 54 そんなこんなで太平楽に興じて戦国のご時世ということを忘れかけていたころ やりました、もういつのまにか滅亡していた元織田家のルーキー信長さんが 近所で独立したんです。 こりゃしめたでー!と少しだけ乱暴な都言葉を駆使しつつ いつのまにか生え抜きの精鋭部隊となっていた足利軍を進発させました。 戦場につくやいなや、本願寺・武田・上杉と旧信長包囲網賛同者さん各位が勢ぞろいで なんか同窓会みたいな気分でした。 城をGETするのは、部下の秀吉くんがしっかりとこなしてくれたので安心でした。 んな訳で版図がついに拡大しました。 やったー。 のほほんと喜んだ後、再び合戦できない時代が続くのでありました。 570 名前: 557 投稿日: 02/07/20 21 02 あれよあれよと時代は進み、なんか嫁さんほしいなぁと思ってる矢先に 来たんです、縁談。 あるもんですね、望みが叶うってこと。 驚きましたよ、正直ね。 ええ。 で、さっそく結婚ですよバッチリ。 式典はやっぱ西洋風がいいかなと思ったのですが本願寺の兄さんがあまりにも素敵な笑顔で 仏前式という聞いたことの無い様式を薦めてきたので なんか怖くなってOKしましたよ、いつもお世話(武将引き抜き)になってますし。 「新婚初夜は法隆寺近くの民間の宿でした、しっぽりと。」 話がそれましたね、いやマジこんなことくらいしか話題がない時間が過ぎていってるんです。 もっと苛烈なお館様を求めてるのではないかしらと隠居も考えましたよ。 でも一門衆がいないんですもん、無理な話です。 晴れ晴れし討ち死にして世代交代ってのもあるのかもしれませんが、無いんです敵が・・ そんなわけでカミサンに希望を託して「高槻城」大名一人暮らしを開始させたわけです。 はやく姫武将ちゃんできないかなぁ。 そんなこんなで月日は流れ、城下の発展具合もとっくの昔にぶっちぎりMAX発展です。 安穏とした日々が続いている中、日本は本願寺と上杉・北条の三勢力となっていました。 東海道付近で苛烈な熱戦が毎季展開していますが高槻城では毎晩褥に狂う将軍さまがおわしましたとさ。 572 名前: 557 投稿日: 02/07/20 21 16 そうこうしているうちに、どうやら世間は本願寺の天下獲りで行くようですよ。 友好は100ですし安心はしてましたが、ほとんどの城を手中に収めた昨今 やはり来るんでしょうね、決戦が。 じゃ、この最後の項くらいは雰囲気のある文調でいきましょうか♪ 1595年、群雄割拠に今まさに幕が下ろされようとしていた。 石山本願寺を拠点とする中世日本の大教団、一向衆を引き連れて 南北渡る日ノ本に、天下第一の御旗を掲げんとせしめたる。 我が陣容は総勢700の軍勢。 室町の尊氏御世より幾多の御霊を数えること15代、足利中納言義昭は 御所より伏見平野を下ること数十里、高槻台地にそびえる山城に身をやつしていた。 麾下には将星たちが平伏し、足利幕府の再興に燃える若き獅子たちが躍動を隠せないでいた。 帝を奉る山城は室町御所よりこの地への征功を引き受けた名将後藤又兵衛は 天地から攻めよせる巨大な軍勢を感じていた。 「中納言様、本願寺より書状にて睦を解く事の由たったいま届きまして候」 「かようなことは知れておじゃったわ。弓矢にて返答致そうではないか。」 「中納言さま、御大のご出馬とあらば全軍の士気も総じて高まりまする」 「重畳。」 さっそうと軍装を整えた全軍は、本願寺勢を迎え撃つため出撃した。 573 名前: 557 投稿日: 02/07/20 21 30 いち早く大坂へ向けて進発。 群雄のひしめく時代は終わりを告げ、本願寺勢は大群を一挙に投入する近代的野戦法を習得していた。 足利側は、そのような時代の変遷を物語では知ることもあったが 之から起こる会戦は、いわば足利幕府最後の聖戦であり全軍は散りゆく美しさのみに酔っていた。 義昭の軍勢のほとんどの将兵は兜に香を炊き込め時代とともに滅び行くことに誇りと歓喜を憶えていたように見える。 よって陣容も先鋒は道案内程度でしかなく、本願寺勢のような先鋒兵力集中型とは大きく違っていた。 義昭は全軍で石山平野を占拠。 地の利を生かした神速の進軍には、さすがの後藤又兵衛も信服した。 北方からは島津、西海からは旧長曾我部を中心とした南海連合軍 東海道からは伊達・最上・北条を中心とした煙硝の途絶えて間もない地域からの参戦となっていた。 本願寺本体の参戦は確認できず、恐らく盟友に対し弓引くことを躊躇したのではないかと 後世の歴史家達は推測したがったが、実際には分散した一門衆の兵力を統合しきれなかったのではないかと 考えるのが自然ではないだろうか。 とにかく1000を数える大軍勢が旧来の権威であった征夷大将軍の御旗に 中世という時代の終焉を掲げ踊りかかったのである。 574 名前: 557 投稿日: 02/07/20 21 45 会戦は軍勢同士の遭遇によって先端を開いた。 あまりにも変哲のない合戦模様にどこか足利の侍としての自尊心が残影していたのではないか。 総力戦となれば、兵数の圧倒は必然で 寡兵をもたらしめるのであれば、奇襲はかならず実施されるはずではあったが 旧幕軍の整然とした行軍は補足した敵兵への苛烈な突撃のみによって展開した。 火力を中心とした新戦術もこの時点では当然の手段であったし 南蛮砲、フランキー砲を併用することも有効策として周知であった。 が、義昭さえもそれを手にせず 駿馬を駆使した大規模な騎馬編成による電撃戦を展開した。 膨大な種子島の銃砲の中へ突入していく騎馬武者たちは 当然の如く屍を野に晒すこととなったが 中には軍神の如く敵陣を二段三段と逼迫せしめ、敵将を刈取る勇者もあった。 義昭も他と変わらず名刀鬼切を手に敵陣まっただなかに居た。 隣陣は後藤小納言又兵衛であった。 「又兵衛、麿はもうあかんようだのう。」 「潮でござりますれば」 「しお?」 「麿は海を見たことがないのじゃ、琵琶の湖のようだと聞くえ」 「左様でございます。ただ潮がございますれば」 「満ちてはやがてひいてゆくのじゃな」 「御意に」 「名門の誉高き足利も潮になりたいものよ。」 又兵衛は目を細め、戦闘が終局していくのを全身で感じていた。 575 名前: 557 投稿日: 02/07/20 21 59 半刻もせぬ内に、義昭の軍は瓦解した。 主将中納言の討ち死であった。 合戦経歴、数度のみ。 激号の行き交う戦場で討ち果てた将軍に全軍は沈むことなく むしろ「我も続け」といわんばかりの勢いであった。 順次討ち果てていく軍勢の中に又兵衛はその凄まじき戦闘能力により生存していた。 見渡せば旗本を残すのみといった凄惨な状態であることに気づき声を発した。 「皆の衆、この辺が潮でござる。退くものは今が最後となり申した」 又兵衛は一息に続けた。 「中納言様の後光を追いかけ参る侍は我に続け!」 前面に展開していた島津の兵は後に様々な書記に記している。 「あの又兵衛こそ、日ノ本一の弓取りよ」 一条となった又兵衛の部隊(もはや数十人の集団ではあるが)は速度を増し 島津の本陣まで迫る勢いが一時あったものの、集中砲火を中心とした近代戦術の中に消えていった。 足利幕府の完全な消滅と、侍たちの武名を過去の遺産としらしめて この一方的な会戦は終了した。 高槻城は本願寺に接収され、再び地方拠点を統括するにしかない機能的な要害へと戻った。 捕縛された武将は、引く手数多で本願寺陣営に歓待され、そして武名と共に老いていった。 おわり♪ 576 名前: 557 投稿日: 02/07/20 22 03 長々とすみませんでした。 一発書きだったので、文脈に奇怪な点もあったと思いますが 何卒許してください。 又兵衛に固執したのは、最近司馬遼太郎の「城塞」を読んだ影響でした。 天翔記は短時間で楽しめる丁度良いSLGなので これからもみなさんと共に楽しんでいければなと思います。 よかったら変なとこや、ここは良かった(糧になりますので)ってところを 教えていただけましたら光栄です・・。 それでは失礼しました。 615 名前: 557 投稿日: 02/07/23 17 35 足利義輝 室町幕府繁盛記 1560年、初秋。 京の町は賑わっていた。 義輝の重商政策を発してからというもの 山城では通行税を撤廃し堺-美濃の中継都市的な色合いを明確に打ち出し 幾多の荷駄が行き交うようになった。 この年、伏見近辺で農作物の収穫量も上々で さらに都の勢いを増す結果となっていた。 近隣の大名は、以前にも増して領土的野心を露にしていた。 仇敵今川を桶狭間により撃破した織田家は版図の拡大に努め 今や美濃をも併呑し、現在さらに上洛を虎視眈々と目論んでいた。 越前では本願寺一向宗徒の暗躍がさらに激化し、 その勢力は越前から摂津まで、丁度袈裟を着たように伸びている。 西方では一時の隆盛を失ったものの未だに三好一族が精力的な軍事行動を展開している。 616 名前: 557 投稿日: 02/07/23 17 43 義輝はまず幕府の失墜した権威を取り戻さんと 大長征を計画していた。 近畿一体の守護の復権のため、流人化した旧来の守護大名を徴募していた。 そして新たに軍団を再編し、大兵力一個集中型の新戦術を発案し採用している。 土着的だった侍衆を、義輝の号令のもと指揮系統を一本化し それを義輝自信が率いるといった豪胆なものであった。 しかし永らく合戦など自力では行っていなかった将軍家では 大将はもちろんのこと、中規模部隊を指揮する侍大将にさえ枯渇する状態であった。 軍容の強化・商業の発展。 この二大政策に大きな推進力を得た足利十四代将軍家は1560年を多忙の中に暮れる。 618 名前: 557 投稿日: 02/07/23 17 55 1561年初頭、織田・三好は動いた。 三好は南紀への版図拡大を企図し本願寺家を討伐に向かい、織田は北陸を目指し進発。 足利は波多野・一色氏と軍事同盟を締結、北国への備えとした。 義輝は人材を得た。 美濃斎藤家の没落により流浪していた稲葉一鉄・竹中半兵衛両氏であった。 足利家の歓待ぶりは余りあるほどであったと伝えられている。 将軍家譜代の細川に比肩するほどの知略をもって知られる竹中半兵衛は さっそく重商政策において甚大な働きをもたらした。 また義輝が統括する軍団に稲葉一徹の武名が加わったことで 陣容は厚く強固なものにかわりつつある。 1561年、晩冬に織田家羽柴・柴田の両軍は競い合うように北国越前に到達した。 本願寺・朝倉氏は織田家の快進撃に後手後手を取り、大きくその勢力を減退させた。 三好家の畿内統一は難渋していた。 本願寺の新兵器鉄砲を中心とした火力に、名だたる将は撃破され もはや亡国の一途をたどるかのようであった。 619 名前: 557 投稿日: 02/07/23 18 04 山城の国は周知のように広大な盆地である。 その限られた平野の中で、いま商業政策が大きな花を咲かせようとしている。 潤沢な資金源を得た足利家は、その黄金を背景に大長征を展開する準備が整ったと言ってもいい。 1562年初夏、織田軍は東海道から北国への越前まで 日ノ本に翼を広げた雁の如く横たわっていた。 山城と織田家が隣接したことにより、義輝の構想は他所に 両家の抗争が自然的に開始された。 圧倒的な物量で展開する織田家、充実した家臣団。 もはや足利将軍家は風前の灯火かのように見えた。 立ち込める戦乱の気配を察したのか、室町御所は 公家衆たちはなりを潜め、町では具足・米の価格が急騰した。 620 名前: 557 投稿日: 02/07/23 18 14 その頃、摂津では三好が大敗を喫し本願寺は大きく躍進することになる。 呼応したかのように越後の龍・上杉謙信は武田一門を大騎馬軍団により殲滅、 中原への大きな足がかりを作った。 そして将軍家に上杉家からの軍使が到来する。 「足利家との不戦協定を結びたし」 上杉家の家風が軍使にも浸透しているかのような堂々とした申し次であった。 義輝は軍使を慇懃に労い、ここに足利・上杉同盟が確立した。 畿内の勢力はほぼ三等分されたと言っていい。 西に本願寺、中央は足利将軍家、そして北と東に渡り近世勃興した織田家。 義輝と謙信の交流は日々盛んになり、織田家の後背を牽制するには十分であった。 来るべき決戦の日は刻一刻と近づいていた。 623 名前: 557 投稿日: 02/07/23 18 27 山城の国、肥沃な伏見平野は物流と人物往来の要衝となっている。 義輝はこの地を来るべき大会戦の予定戦場として想定していた。 東海道の終着を伸ばし、伏見まで引き入れ街道を整備。 大軍の進退を容易にせんと試みている。 見渡す限りの京の都での防戦は不利であることは過去の歴史が教えている。 織田家は伊勢を越えて山城に進入するだろう、さればこの山の多い盆地を利用し 大軍を隘路に誘い込み疲労の極まったところを強襲し壊滅に追いやるとい構想である。 竹中半兵衛は兵法の天才と名高く、義輝は半兵衛を重んじている。 家臣団の不和が生ずる間もなく、義輝の重商政策の成功により一丸となっていた。 1565年盛夏、武田信玄討死。 上杉家は大きく関東に躍進する。 北条家は防戦一方で、天下の名城小田原城を頼みに焦土戦術を展開している。 風雲急を告げる。 それぞれの家中で、これから起こり得るかつてない規模の戦闘行為の趨勢に さまざまな憶測が飛び交い、狂喜し恐怖していた。 足利幕府は、その樹立以来の正念場と大きな盛り上がりを見せている。 畿内は灰色の戦雲に包まれやがて来るその時を静かに見守っていた。 624 名前: 557 投稿日: 02/07/23 18 43 1566年、動静は躍動の色を見せた。 上杉家は旧武田領を巡りついに織田家との戦闘状態に突入。 時を置かず義輝は本願寺に密使を派遣する。 西方の憂いを取り除き、織田家を挟撃しようとの半兵衛の献策であった。 「承知」 本願寺にとっても毛利・長宗我部・大友の一大勢力の台頭により 畿内にのみ固執してはいられない状態に陥っていたのである。 南紀鈴木家は強固たる軍団を保持し、その軍団により北方を恫喝し続けている。 義輝は大いに喜び、尊氏以来といっても過言ではない大軍略に興奮した。 稲葉・竹中・義輝の一軍は颯爽と進発した。 上杉謙信は織田家精鋭を意に介さず軍勢の速度は増す一方であった。 一時的に伸びきった勢力は次第に厚みのある軍陣を整え 近隣大名は謙信を軍神と畏敬し戦端を開こうとはしなかった。 北条家は関東の西方面を失い、いまは里見・佐竹氏との攻防に忙殺されている。 まさに時得たりと、有史以来初とも言える壮大な足利・上杉両軍による大挟撃戦が始まろうとしていた。 625 名前: 557 投稿日: 02/07/23 19 09 上杉家は既に越後南端に謙信を中心とする騎馬軍団を展開させている。 足利家との会合点は近江の観音寺城近辺となるだろう、半兵衛は目算している。 義輝は瀬田を越え、大津に軍勢を置く林・佐久間勢と対峙した。 足利総勢は19,500を数え、上杉謙信に習い騎馬を中心とした機動部隊であった。 迎える林・佐久間勢は近隣の諸侯を寄せて24,000である。 戦場での兵数把握は、戦火の前に置いては恐怖も加味し大幅に誤算する。 それに両軍は実数よりも多めの兵数を呼称し合うので 各将たちには、想像以上の大軍決戦のように感じるものだった。 琵琶湖を傍目に眺めての対陣は雅さを否応にも感じさせた。 前哨部隊は本隊より大きく進軍し、自然両軍は衝突し戦端は開かれた。 多数の斥候が両軍変わらず放たれ、次第に合戦規模が現実的な規模に形成されていった。 義輝は初戦において兵数の損害を最小限に食い止めるため 半兵衛を本陣に呼んだ。 「あれの容易は周到か」 端的な応答が繰り返された後、半兵衛は一旦後退した。 林・佐久間勢は幾多の戦乱を駆け抜けてきただけあり その戦闘指揮に関して目を見張るものがあった。 佐久間などは陣頭に立ち兵を叱咤し、その怒号は敵味方を越えて震撼させた。 足利家先鋒、稲葉一徹も美濃における激戦をかいくぐった名将だけに 織田の精鋭をもろともせず、佐久間同様に兵をたくみに操った。 野戦は先鋒によってその帰趨を分ける。 両軍は体得したその事実を秘め、狂騒し敵へ踊りかかる。 佐久間は後詰の部隊に気を大きくし 猛攻という猛攻に次いで足利家へ執拗な打撃を浴びせてくる。 それに対し稲葉一徹は後方部隊に槍衾をもってしのぎ 敵陣の伸びきった要所を一瞬にして見出し、騎馬部隊を神速で突入させ大いに奮戦した。 しばらく一進一退が続き、五分五分の槍合わせとなった。 先鋒の奮戦に義輝は床几から幾度も立ち上がり 近習に幾度となく洩らしたと言う。 「槍を持て!我が旗を進めよ!征夷大将軍の名を辱めるではないぞ」 650 名前: 557 投稿日: 02/07/24 14 53 戦闘は続いていた。 各軍の先鋒は初戦から混戦している。 均衡した兵力と指揮官の作戦遂行能力に、 膠着状態に陥ったと言っても過言ではなかった。 義輝は焦っていた。 近隣の緒城で沈黙を守る敵勢力に対して このまま消耗戦を展開すれば苦戦は必至であり さらに今次会戦が終了した後の守兵数にも影響する。 戦場は深い霧に包まれ、 あたかも各軍勢の将兵の思惑が滲み出したような要諦を成していた。 651 名前: 557 投稿日: 02/07/24 14 54 義輝の不安が晴れるにはそう時間はかからなかった。 後続の鉄砲部隊が来着したのだ。 当時本願寺・島津をはじめ各大名で鉄砲という新兵器が投入され始めていたが その高価な飛び道具をして戦術を成した部将は未だ存在しなかった。 足利義輝がその名を後世に残らしめる新戦術を展開させるのはまさにこの会戦であった。 潤沢な資金源を活かし、整備された近江-伏見-摂津・堺の商業ルートは 足利家に金銀以上の利益をもたらしていたのである。 652 名前: 557 投稿日: 02/07/24 14 55 義輝は種子島と呼ばれた新兵器を大量に揃え、鉄砲足軽という専属の部隊を展開させた。 敵地における地理的困難が彼らの来着を遅らせる結果となったが 初戦に勢いづいた敵勢力を誘引するには最良の結果となっていた。 五割の戦力となった稲葉一徹を一度後退させ、義輝直属の旗本10,000旗が最前線に突入を開始した。 地形は隘路になっており、義輝はその両側の高地に大兵力を配置した。 後詰であった和田鉄砲隊5,500と、同じく鉄砲編成の竹中4,000が隘路を塞ぐように展開した。 鶴翼に構成された足利軍の士気は、この会戦に家運が賭けられていることを 雑兵までもが体感していたため、一糸乱れず連動している。 653 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 02/07/24 14 55 将軍家の格式は高い。 京において、後世にも語り継がれて行くことになる諸作法を形式化させた足利家は 諸事において美しさを明確に打ち出そうとしている。 それは軍陣においても同様に、戦場への軍装というものは華麗極まりなかった。 古式の礼法にのっとり家中のものすべてが着飾り、中には化粧をする侍もいた。 義輝はこの戦乱の時代において、旧守護大名が追放され・淘汰された要因のひとつが これにあるのではないかと考えていた。 伝統のみを良しとし、新興のものを排除する。 それは非効率の存続であり、進化する時勢を否認することであった。 654 名前: 557 投稿日: 02/07/24 14 56 義輝は択一を迫られていた。 新たに参入してくる近代的な思想「下克上」を持った侍を眺め 物事の進退について合理性の導入について考えるようになっていたのだ。 遥か源平の御世からの名家である島津においては その風土がそうさせるのか極めて合理的であった。 貴族政治を執行する足利家にとって、滅亡は断じて起こってはならないことで 義輝は決断していたのだった。 655 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 02/07/24 14 56 新戦術の導入、荘園の縮小、寺社衆の統制、貨幣経済の奨励。 薄らかな思いつきであったにしても側近である細川・竹中の天才は その構想をいとも簡単に行政化したのであった。 その結果としての新兵器鉄砲の大量導入である。 その新生足利家の象徴が形となり、いま大軍を率いて 実際に義輝とともにその勇ましい陣容を展開させていた。 硝煙は燻る匂いをあげ、射撃を開始させた。 656 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 02/07/24 15 05 一斉射撃三連は大音声をあげ、濃霧をも払拭していった。 霧が晴れゆくにつれて、地面に臥した敵兵の姿が露になっていった。 義輝はその凄惨な状況に戦慄した。 味方の陣営の騎馬たちも、雷撃のような響きに震撼したが 戦場に長けた各隊長の指揮のもと混乱を生じることは無かった。 寸刻の後、隘路に伸びきった敵将佐久間の率いる軍勢に向け突撃を繰り返した。 佐久間自身ですら一瞬の出来事に何がおこったのかわからず、部隊は哀れにもおびえきってしまった。 退くにも退けず、両脇から襲い来る騎馬武者を支えることも出来ず混乱は広まった。 「我が部隊、惨めにも壊乱す」 敗走する佐久間が力なく発した言葉は、未だに続く鉄砲の射撃音にかき消された。 657 名前: 557 投稿日: 02/07/24 15 14 佐久間は後詰の部隊へと合流のせんと行軍(敗走)中に捕縛された。 後詰の林部隊は周辺城の部隊と共に進軍する。 前線での佐久間の全滅、未だに信じがたい表情で速度はむしろ増している。 「重畳至極」 義輝の兵への言葉は、この一つ目の勝利に絶対的な信頼を得た。 義輝の本体はさらに新戦場へと行軍を開始した。 本陣が囮とも言える作戦に、義輝の側近は苦渋の顔を未だに拭えないでいるが 義輝当人は、既に戦塵を浴び一個の大将としての風格を纏い始めた。 かつて或る剣豪に剣術を指南させ、剣豪将軍と呼ばわれた姿は さらに翼を広げ、いまやその才は一介の剣豪を飛躍し総大将として君臨している。 隘路を抜け平野に出た。 眼前には林を主将とする織田家精鋭が到着しつつあった。 659 名前: 557 投稿日: 02/07/24 15 35 両軍の本隊が終結しようとしている。 畿内の併呑を意図する足利家ほぼ全軍と、上洛を本懐とする織田家の衝突は ここに現実のものとなっている。 両軍の兵数の均衡が破れた今、林は戦闘前の驕りは無くなっていた。 織田家譜代の林は敗北による家中での立場と、そして何より信長による叱責を もっとも恐怖し、その絶対的な恐怖に牽引され突撃を開始した。 直後、一騎の母衣武者が義輝のもとに駆け込んだ。 「合戦のおり、諸事の礼式御免仕る。拙者我が君主上杉謙信の名代にて参上す。」 母衣武者は一息に続けた。 「有史稀無き会戦にて候。かねてよりの盟約により上杉謙信推参、今より挟撃を試みん。」 義輝は本営の陣幕に囲った御簾を斬鉄刀一刀のもと切り捨て 「大儀である。上杉勢の助力なくして日ノ本に和の一字なし。」 「両家の繁栄をこの一戦に託すべし。」 母衣武者と義輝は数度言葉を交わし、そして母衣武者は颯爽と帰参していった。 「何と頼もしげな弓取りよ、敵は目前ぞ。遅れを取るな、かかれ!」 凄惨な地上の光景と反し、琵琶は深蒼の水面をたゆませ涼やかな風に波立っていた。
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放置 合戦が終わるまで何もいじらず待つこと。言うまでもないが何もいじらなくてもほぼ勝てるレベルの戦力を持っていることがこれをする上での第一条件。毎回合戦にが終わるまで待つ分良兵が出るまで時間がかかるが、殆ど何もしなくても良いのが利点。 退却法 一般的にzorスペースキーで視野を広げ、目的の兵を探す。それと思われる兵がいれば続行、いなければ退却する(兵に触れればステータスも確認できる)。これをしている間はずっと戦じゃんの画面と睨めっこすることになり、さらになかなか目的の兵がでないと疲労困憊することになる。しかし目的の兵を出すのにかかる時間が短縮できる。 鉄砲 勝てるなら雑賀(Lv6)で探そう。稲富(Lv4)国友(Lv3)は砲撃の出現率こそ変わらないものの体力が全体的に低い。雑賀に勝てないなら稲富国友で砲撃を雇うなどの多少の火力強化をすれば勝てる筈だ。突撃してくる兵はいないので、すべての兵を突撃させるとよい。雑賀でおよそ10~15回に1体ほどの割合で砲撃は出現する。 なお退却法もできないことはないのだが砲撃を見極めるのは難しく放置でやるのが基本。 忍者 どこの要所も高体力忍者の割合は変わらないと思われる。藤林(lv2)が最も多くの忍者がでるため、理論上高体力兵の出現率は一番高いのだが、防御の低い忍者は耐久力に劣るという検証結果が出ており、低防御兵が多い藤林で探すべきかは?マークがつく。よって百地(lv5)服部(lv4)あたりで探すのがベターと思われる。良忍者はなかなか出ない為要所を変えて気分転換をはかるのも1つの手である。結界高技量が欲しい場合は風魔(Lv6)で探すのがベターであろう。 良い忍者を見極めることは簡単なので、退却法で探す人が多い。退却法をする場合、自陣に鉄砲、自操作兵と適当な兵数体を残し、残りの兵は最前線中央(相手の忍者に当たらない箇所)に配置し忍者以外の兵が突撃してくるのをなるべく防ごう。そうすれば良忍者の見極めも容易。兵の上に表示される体力ケージをみながら耐久のある忍者がいれば自操作で触れて体力を確認。雇用に見合う可能性のある体力であれば続行するとよい。退却法にくらべると忍者の場合かなり時間がかかるが、放置でやることも可能。それに加え、自操作を業火などにして火遁持ちを調べるのもあり 武将 通信を一切しない間は、上杉(Lv6)毛利(Lv5)で探してもよいが、待機持ち必須の通信を少しでも意識するならやはり裏戦で探そう(裏戦は待機を標準装備なのに対し、その他の要所で待機を持った武将は少ない)。裏戦攻略の頁も参照しながら裏戦に勝てる軍をつくり、探す。釣り戦法or攻防分離でやれば退却法もできる(4秒間隔で号令していればA級、5秒間隔でB級、6秒間隔でC級。連発武将は時々2回連続で号令をする)。退却法を使えば1日でA連×4にすることも可能。ただほかに良兵がいてもスルーせざるを得ない。 治癒軍師(業火) 本願寺(Lv6)で探すのが主流。中には本多(Lv4)産の治癒もみられる。基本的にどこの要所でも出現率自体は変わらないと思われる。ステ、1回当たりに出る軍師の数を吟味すると本願寺で探すのがベター。気分転換に本多などにいくのも手であろう。Lv2はステが低く、松永(Lv5)真田(Lv5)は出る軍師が少ないためお勧めしない。Lv3もLv2に比べればマシなもののステには多少難があると思われそこで探す必要はない。視野を広げ、自操作ONLYで突撃し、十字架を発動する軍師がいないか見る(業火の場合大きな炎を放っている軍師が居るか見る)。もしそれらしき兵がいれば続行。治癒は何回やっても出ない場合が殆どで半分運の要素があるだが続ければ出る可能性はないとはいえない。 なお、本願寺は突撃してくる兵はいないため全軍突撃。本多等ほかの要所は突撃してくる兵も少しいるが要所自体が弱いため普通にやれば大丈夫。 虚報 本願寺(Lv6)か裏戦で探す。その他の要所はステが低くお勧めしない。退却法なら本願寺の場合、同様に自操作ONLYで突撃し、紫の特殊攻撃を繰り出している兵がいないか見る。こちらは治癒や業火に比べれば大分出やすい。 欲しい技種が絞られる場合は別として本願寺では治癒軍師、虚報さがしは並行してやるとよいだろう。しかし治癒軍師が本気で欲しい場合は虚報と並行するとテンポが悪いので虚報はスルーすることも多い。裏戦で退却法をするにしても武将、虚報探しは並行してやるとよい。 弓兵 平地(Lv7)で探すとよい。Lv6Lv5でもいけないことはないがステの面で劣る。基本的に焙烙を見分けることはできないので放置。 足軽 弓兵と同様。槍術を見分けることは可能なので視野を広げれば退却法も可能だがその場合良焙烙がいてもサヨナラなのに加え、さほど時間短縮にはならないためあまりやる意味はない。
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_ ___ , ‐' `' 、 , ' ヽ \. / ヽ ヽ ヽ / / , l ', ヽ. / / / j l | i l l i l l l ハ,. ,' / j l i! l | | | l | l l l l l j l l ハ ハ i l; il il ハ | jl l | | ,'| . l l l廾'lナ'l ハ j lナナ十ト.l l l l | | l | i lfキ7Tミ、| |V リ ナ7オ,ヮi| l l l | | i l l ` 辷Z ヒ辷!´/! ' l リ l l l ト ,. -‐ ´i ` ‐- ._ / l / イ! l l | ヘ ! ,j / /.リ 馬鹿か、お前は。余計に悪化させてどうする。 lil | 、. r_‐、 ∠j / / / ilハ |'´ \ '' , イ .V / / うーん、武田あたりに仲介してもらおうか。 ilハ |. /¨| \_, ィ' .ト-/ // i! l| _/ /| .L/人 / //\ / // `' 、 、ィ'´. . . . . lノ / \ / ' . . . . . . . . . .` ' 、 rイ. |.!. . . . . . . . | \. . y' . . . . . . . . . . . . . . . //. > l ', ヽヽ. . . . . . .} へ三三三三三三三三三三ヨ /ヽ. , ト、\\. . . | |. . / /' | j l ハ. . \ヽヽ、| .l. ./ / .| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 【下間斗貴子(下間仲孝)】 下間仲孝 (津村斗貴子 -武装錬金-) 本願寺の坊官。頼照の子という。石山合戦で活躍した。織田信長と本願寺の和議に際しては 法主・顕如に代わって血判した。能楽に長じ「童舞抄」を著した。 統 武 知 政 信長の野望天道ステータス:72 46 77 73
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浄土真宗親鸞会 顕正新聞 索引 181号~195号 001号~015号 016号~030号 031号~045号 046号~060号 061号~075号 076号~090号 091号~105号 106号~120号 121号~135号 136号~150号 151号~165号 166号~180号 181号~195号 196号~210号 211号~225号 226号~240号 241号~255号 256号~266号 号 数 1面 2面 3面 号 数 4面 5面 6面 号 数 7面 8面 第181号 S52/06/20 (1977) 一言説法 論説 仏教の精髄 信の一念と親鸞聖人 こんなことがききたい 信前と信後とは どのように変わるのか 第181号 S52/06/20 (1977) 破邪顕正特集号 日蓮―この法謗の大罪人 慢性下痢、腸結核、糞地獄 報いは厳然 日蓮の臨終 これでもゴ利益があるのか? 破邪顕正特集号 釈尊を否定して 日蓮をもっともエライという 矛盾だらけの主張 光に向って 第11話 第181号 S52/06/20 (1977) 徳育講義スタート 人格の完成をめざし 法の輪を広げよう 東西南北 破邪顕正号 創価学会を撲滅せよ! 海外布教第二弾 浄財続々よせられる 第一回徳育講義 ――滋賀会館―― 礼儀の根本から分かりました 次期随行者 T(31) , S(27) 本部事務に Tさん 私はなぜ 専任講師になるのか 『白道燃ゆ』読んだその時 私の人生は決定した 広島県 M (27) 兵庫 姫路市ではじめての御法座 西日本に法の輪 愚かな牛 (作.K) (7コマ漫画) 教学試験成績表 (52. 4.11~52. 5.10) 白道顕正戦 その後の香川県 顕正ひと口メモ 大喝 導師合格 幸福製造機? 板マンダラの正体を暴く 板マンダラに 何のゴ利益もない 明白な現証 後記 法友通信 福島県 M 仏眼 顕正ひと口メモ 答 大導師合格 ブラジル速報 編集雑記 第182号 S52/07/20 (1977) 一言説法 論説 真の破邪顕正に 最大級の努力を こんなことがききたい 蓮如上人はことなかれ主義者か 第182号 S52/07/20 (1977) 高森先生 御講演 「願成就文」の開顕こそ 親鸞聖人の真面目 親鸞聖人降誕会(本部) 高森先生 御講演 一念でなれる 絶対の幸福 光に向って 第12話 第182号 S52/07/20 (1977) インサイド・レポート 親鸞会降誕会(本部) 親鸞会降誕会(本部) ああ親鸞会の 意気高し 親鸞聖人降誕会(本部) 高森先生御講演(1) 仏教の至極「願成就文」を 開顕された親鸞聖人 第45回弁論大会優勝 地獄の鬼の笑顔 福井県 S (20) 体験発表 福島県 M (36) 親友の ”死”にあって 第十四回弁論大会成績 顕正ひと口メモ 答 真実に生きた人々 本光坊了賢の報恩殉教 降誕会分科会「幻灯」の部で上映 顕正法話会を開催 富山県五支部 世界にのびる親鸞会 アメリカに真実の灯を! A編集局長派遣 教学試験成績表 52. 5.11~52. 6.10 顕正新聞が 私の人生を変えた 投稿 福井市 M 親鸞会のマークにそっくり 「巌上の鷲」御喜捨 導師合格 「大無量寿経」は どのようにしてできたのか 法友通信 富山県 W 大喝 真実とのめぐり遭い 広島からの求道 企業宣伝 渡辺仏壇店 顕正ひと口メモ 庄松同行 作・K (2コマ漫画) 今月の金言 編集雑記 第183号 S52/08/20 (1977) 一言説法 論説 馬鹿と大馬鹿 こんなことがききたい 釈迦の本懐 「願成就文」 と 親鸞聖人 第183号 S52/08/20 (1977) 特報 「どちらがウソか」 遂に八万部突破 十万部に挑戦 顕正全国戦 海外布教奮闘記 米国仏教の現状 ロスアンゼルスにて A 光に向って 第13話 第183号 S52/08/20 (1977) 親鸞聖人降誕会(滋賀) 体験発表 高森先生との出会い 五十年間の煩悶に終止符 岐阜県大垣市 M (65) 親鸞聖人降誕会(滋賀) 友が友を呼ぶ破竹の勢い 親鸞聖人降誕会 ―地鎮祭判決― 最高裁判決と 親鸞聖人の御教示 岐阜会館新築工事いよいよ着工 ――青空に響く杭打ちの音―― 私はなぜ 専任講師になるのか 空しさと孤独の半生 今度こそ絶対の幸福の身に 富山青年部 S 幹部研修会 破邪顕正の 先陣に立とう さあ第六期顕正戦!! 全員突入せよ ……7の日は統一顕正デー…… 新聞で真実撒こう 全国へ! 第四十六回弁論大会成績 幹部研修会に参加して 顕正戦への決意 京都府 K (35) 岐阜会館建設概要 法友の輪をガッチリ組んで 日本海地区・太平洋地区で合宿 顕正ひと口メモ 答 顕正ひと口メモ ――本願寺と親鸞会の主張―― どちらがウソか 教学試験成績表 52. 6.11~52. 7.10 法友通信 大津市 Y 一念の味(体験) 作・K (4コマ漫画) 会報 導師合格 編集雑記 号 数 1面 2面 3面 4面 第184号 特集号 S52/09/20 (1977) 一言説法 「”祖師は祖師” 本願寺は木像本尊を固執する」 これが本願寺の態度 正しい御本尊をハッキリさせよう ”本願寺の苦渋”まざまざ なぜ祖師に 還れないのか 浄土真宗”衰退の真因” ここにみる 名号本尊と親鸞聖人 浄土真宗 教義安心の根拠 なぜ親鸞聖人が 最初なのか 論破 的はずれの中傷 いずれが断章主義か はたして証文とならないのか もっと慎重な 検読が必要 重ねて 木像か、絵像か、名号か 本願寺の本尊を追究する 浄土真宗の 正しい本尊を 明らかにするために 苦渋する本願寺 T (4コマ漫画) 現実が証明する 本願寺のウソ 名号本尊「1ヵ寺もナシ」 顕正ひと口メモ 答 本願寺と親鸞会の主張 どちらがウソか 顕正ひと口メモ 正義の争い 作・K (2コマ漫画) 第184号 S52/09/20 (1977) 一言説法 第一回決起大会表白文 親鸞会結成二十周年に向かい 全力を傾倒 青年部学生部 光に向って 第14話 若者の熱と力を総結集 ―8月14日― ―本部会館― 宿善は待つにあらず求むるものなり 布施の功徳 祇園精舎は どうして建てられたか 青年部・学生部 第一回決起大会 破邪顕正の陣頭に立て! 大喝 無意味な闘争と闘え 私はなぜ 専任講師になるのか 相次ぐ肉親の死に無常を知る 信心決定に一生を決意 大阪青年部 T (31) 会長先生からの御言葉 末法の仏弟子たれ 御名号の下付を受けたい方へ インチキと暴力の創価学会 法友四人に百名で集団暴力 ―福井大学― 一人が一人を顕正し 真実の友を倍にしよう 第六期顕正戦 次期随行者(十月~十二月) H(24),N(23) 教学試験成績表 (S52. 7.11~52. 8.10) 法友通信 羽咋市 H 仏眼 大導師合格 編集雑記 号 数 1面 2面 3面 号 数 4面 5面 6面 号 数 7面 8面 第185号 S52/10/20 (1977) 一言説法 論説 物質社会の限界と 絶対の幸福 こんなことがききたい はたして”宗教は迷信の代名詞か” 親鸞聖人の御教えのみ 三世十方を貫く真理 第185号 S52/10/20 (1977) ニセの幸福 海外布教だより 海外布教奮闘記 米国仏教の現状 ロスアンゼルスにて A(29) 光に向って 第15話 第185号 S52/10/20 (1977) 顕正全国戦 ぞくぞく寄せられる 反響の渦 白道顕正戦 G号作戦 九州全土を席巻 悪らつな布教妨害 東北への第一歩まずまず ある破邪の記録 地獄は本当にあるのか? 天理教に迷った門徒総代 岐阜県 N (70) 大喝 御恩報謝 よこがお ”無言実行” 宿善求めてやまぬ毎日 高岡南支部 副支部長 Kさん(53) 本部会館事務所 新築工事スタート ―11月中旬完成― 顕正ひと口メモ 私はなぜ 専任講師になるのか 浄土真宗の末寺に生まれた私 善知識を求めての半生 愛知青年部 H (24) 入間市 M (55) 仏弟子の使命果さん顕正戦 第六期顕正戦 第六期顕正戦 各地で火花とぶ ”破邪顕正の利剣かざして” 顕正ひと口メモ 展望 福井事務所住所変更のお知らせ 会員宅訪問でフル回転 愛知 S (67) 本部事務に Kさん 親鸞聖人 報恩講 親鸞会講師部 親睦旅行の巻 9月28・29日 ――能登半島・和倉温泉―― あめ玉や扇子どころでないところ! (2コマ漫画) 教学試験成績表 (S52. 8.11~52. 9.10) ニッコリ笑って顕正にアタック 滋賀 I (35) 顕正戦の幕あけ ―顕正出陣式― 導師合格 法友通信 宮崎県 F 第186号 S52/11/20 (1977) 一言説法 論説 善知識に遇うことは 難きが中に難し こんなことがききたい 真実信心のわからぬ歎異鈔愛読者 問題提起”「歎異鈔」第九節” 喜べないままのお助けか 第186号 S52/11/20 (1977) 海外布教前線特集号 門信徒の開教使への批判 卑劣きわまる開教使の姿勢 海外布教前線特集号 破邪顕正の宣言 光に向って 第16話 第186号 S52/11/20 (1977) 海外布教だより 天理教と訣別 一度の法筵で、仏教の素晴らしさ 人生の目的を知らされる ブラジルサンパウロ S (51) 東西南北 海外布教前線特集号 真宗門徒に告ぐ 米国仏教団を斬る A 第四回青年部幹部育成合宿 破邪顕正の精鋭 敦賀に勢ぞろい (2コマ漫画) 聴聞バススタート 喜ばれる S氏の尊行 大喝 私の投書箱 聴聞バスを大いに利用しよう 高岡市 T (60才) 私はなぜ 専任講師になるのか 「無常の虎」にみる おろかな旅人は私だった 岐阜青年部 N (24) 一人が一人を顕正し 真実の友を倍にしよう 第六期顕正戦 顕正体験発表会 顕正ひと口メモ 教学試験成績表 (S52. 9.11~52.10.10) ”快適な乗り心地”聴聞バス 京都大学 O (19才) 法友通信 大阪市 M 仏眼 本部会館事務所 待たれる完成 導師合格 顕正ひと口メモ 答 編集雑記 第187号 S52/12/20 (1977) 一言説法 論説 落ちこぼれ生徒と仏教 こんなことがききたい 「霊友会」とは、どんな会なのか 第187号 S52/12/20 (1977) 仏典にみる真実 人生は苦なり ――四苦八苦―― 海外布教を終えて T ・ K 光に向って 第17話 第187号 S52/12/20 (1977) 親鸞聖人報恩講(滋賀) 優勝 第47回 弁論大会 二河の道ゆけ 福井県武生高校 K (15) 東西南北 親鸞会ブラジル支部発足 国際布教戦線の金字塔 総勢30余名、役員7名でスタート 親鸞聖人報恩講 親鸞聖人の洪恩しのぶ 無二の法恩講 大喝 あゝ我が祖師 親鸞聖人 ―滋賀青年部上演― 玉日姫との出会いから信心決定まで 第四十八回弁論大会成績 会員の皆様へ 顕正ひと口メモ 白道顕正戦H号作戦 ふきすさぶ邪教の嵐の中 10・11月 ブラジル第三次講師派遣 支部の基礎造り F講師を抜擢 本部会館 事務所完成 熊谷蓮生坊 作・K (3コマ漫画) 間髪入れず講師派遣を要請 第三次講師派遣要請書 ブラジル支部 教学試験成績表 (S52.10.11~52.11.10) 顕正ひと口メモ 答 私の投書箱 徳育講義を受けて 名古屋工業大学 K (22) 次期随行者(一月~三月) O(24) ,H(20) ブラジル支部住所 大導師合格 人事異動 真実開顕の捨て石となる 前青年部長 F 親鸞聖人の役を演じて 滋賀青年部 S 法友通信 小松市 N 親鸞聖人報恩講 盛大に行なわる 導師合格 顕正新聞 縮刷版 近日発刊!! 第四十七回弁論大会成績 編集雑記 第188号 S53/01/20 (1978) 一言説法 論説 苦悩の大衆に 清水を与えよう こんなことがききたい 近代合理主義を信ずる私は 後生の一大事を認めない 死は暗黒と消滅のみではないのか? 第188号 S53/01/20 (1978) 願わくば 本部長 F 昭和53年 謹賀新年 元旦 光に向って 第18話 第188号 S53/01/20 (1978) 海外だより A講師、アメリカより帰国 米国仏教界をゆるがす活動 東西南北 年頭所感 一にも顕正 二にも顕正 ――喬木も一粒のタネから― 会長 高森顕徹 戦いすんで………その1 顕正体験発表会を開催 その2 懇談会を催す 弥陀一仏を 仰がなん 作・ブラジル支部長 K 難関突破 新大講師 四名 新講師二十四名 一挙に誕生 法友通信 武生市 D 大阪府 T 真宗改革 変らぬ聖使命 青年部長 Y 滋賀県 O 池田市 F 福井市 H 本部事務に Yさん 京都市 I どろぼうの酒盛 K.作 (1コマ漫画) 石川支部発展して 金沢支部・加賀支部となる 岐阜会館落慶式に 参詣しよう!! 箕面市 S 顕正ひと口メモ 教学試験成績表 (S52.11.11~52.12.10) 第二次アメリカ布教 O K講師を派遣 訂正文 仏眼 導師合格 高岡南副支部長に Yさん 顕正新聞 縮刷版 近日発刊!! 顕正ひと口メモ 答 編集雑記 第189号 S53/02/20 (1978) 一言説法 論説 何が不安の根源か こんなことがききたい 「溝さらえ」の御文章 「信心も失せ候ふべし」とは? 第189号 S53/02/20 (1978) 和讃法話 ・真心徹到するひとは 金剛心なりければ 三品の懺悔するひとと ひとしと宗師はのたまへり 御文章法話 聖人一流の章 (1)蓮如上人と 本願寺の東西分裂 光に向って 第18話 第189号 S53/02/20 (1978) 私はなぜ 専任講師になるのか 燃ゆるが如き求道心の 破邪の闘士となる 福井青年部 O (24) 東西南北 火宅無常の世界 何が信じられるのか そらごとたわごとまことあることなし 青年部・学生部 交歓会に遊ぶ トピックス・コーナー 専任講師は英語熱 学生部は医学熱 なかよしクイズ アメリカ布教への浄財 たちまち二百万円寄せられる 顕正ひと口メモ 顕正ひと口メモ 答 土蔵秘事 作・K (1コマ漫画) 親鸞聖人と 恵信尼公の手紙 S53. 1.10 彦根市民会館 法然上人伝 (1) 作 A 法友通信 室蘭市 T 大喝 まことの心が あるか 教学試験成績表 (S52.12.11~53. 1.10) 米原町 S 仏眼 導師合格 編集雑記 号 数 1面 2面 3面 号 数 4面 5面 6面 号 数 7面 8面 9面 号 数 10面 第190号 S53/03/20 (1978) 一言説法 岐阜会館落慶に あたって 本部長 F こんなことがききたい 親鸞聖人は死後の浄土を 言われなかったのではないか 第190号 S53/03/20 (1978) 落慶記念高森先生御講演 親鸞会館は 最高の仏法領 フォト・ニュース 祝 岐阜会館落慶 にぎわう岐阜会館 第190号 S53/03/20 (1978) 親鸞会 第49回 弁論大会 邪を破れ 福井県 T (16) 光に向って 第19話 和讃法話 ・真心徹到するひとは 金剛心なりければ 三品の懺悔するひとと ひとしと宗師はのたまへり 第190号 S53/03/20 (1978) 東西南北 岐阜会館、完成す 盛大に落慶式典を挙行 ”目に余る本願寺の実態 使命を痛感します ” ――海外からのレポート―― 顕正ひと口メモ 総務局長のポスト新設 I副本部長が兼任 名称は「I局長」 顕正ひと口メモ 答 厳粛な落慶式典 交歓会・弁論大会で落慶を祝う 第四十九回弁論大会 海外布教 ブラジル・アメリカ 最新情報 (三月一日現在) 新専任講師 滋賀会館事務に Kさん 随行録 O 経過報告 会館建立への三年間 岐阜南支部長 E 感謝状・表彰状を受けられた人達 法然上人伝 (2) 作 A なかよしクイズ 1月号の答 教学試験成績表 (S53. 1.11~53. 2.10) 蓮如上人と一休 作・K (6コマ漫画) 法友通信 滋賀県 T 仏眼 導師合格 編集雑記 第191号 S53/04/20 (1978) 一言説法 論説 破邪に立て こんなことがききたい 本願寺,苦しまぎれの横車 木像本尊は初心者への方便 第191号 S53/04/20 (1978) 和讃法話 ・真心徹到するひとは 金剛心なりければ 三品の懺悔するひとと ひとしと宗師はのたまへり 人間の幸福は 自己の探求から始まる 光に向って 第21話 第191号 S53/04/20 (1978) 海外布教の功労者 T氏 ブラジルより帰国 東西南北 人生とは何か 浄土真宗の救いは 死後か今か? 四面楚歌の声を聞き 廃墟に立つ我が同志 -米国- K副本部長中心に 企画部再編成 大喝 耳馴れ雀はいないか! 顕正ひと口メモ 答 医学部誕生 私はなぜ 専任講師になるのか 無常の嵐に倒される前に 富山青年部 H (21) 顕正ひと口メモ 教学試験成績表 (S53. 2.11~53. 3.10) 阿呆野談義 その1 恋愛は 人間界のみの特権 法然上人伝 (3) 作 A 支部幹部 研修会を開く なかよしクイズ 2月号の答 導師合格 九州初の御法座 -福岡- 大導師合格 法友通信 京都市 H 号 数 1面 2面 3面 号 数 4面 5面 6面 号 数 7面 8面 第192号 S53/05/20 (1978) 一言説法 論説 医学を志ざす 仏法者の使命 ――医学部誕生によせて―― こんなことがききたい 広大難思の慶心は 踊り上る喜びか 親鸞会 法の尊さか 本願寺 第192号 S53/05/20 (1978) なかよしクイズ 四月号答 あと1週間の命なら あなたは どうするか! なんとも思わない したいことをする 仕事を一生懸命やり 悔いのないように努力する 真剣に仏法を求める 光に向って 第21話 第192号 S53/05/20 (1978) 破邪顕正の実践 この人達に続け 海外布教だより 新旧交代するアメリカの仏教界 布教力のない本願寺 躍進する親鸞会 余りにも不勉強で的はずれ 聞く気も起きない 本願寺の親鸞会攻撃 抱腹絶倒の非難内容 阿呆野談義 その2 恋愛必勝の秘訣 女性の神業的本能を知ること 顕正ひと口メモ 顕正ひと口メモ 答 ラジオ放送開始 新聞投書に反響 ブラジル 再び暴かれた創価学会の実態 現代五月号に克明 聖人一流の章 (2) 聖人一流の御勧化の おもむきは 信心をもって本とせられ候 目にみえる 坊主たちの狼狽ぶり 諸行無常 是消滅法 作・K (9コマ漫画) 親鸞聖人降誕会迫る! 大喝 大火を越えて聞け 教学試験成績表 (S53. 3. 2~53. 3.31) 新専任講師 仏眼 導師合格 お詫び 法友通信 福井県 K 第193号 S53/06/20 (1978) 一言説法 論説 二十周年に 信を獲れ こんなことがききたい 本当に念仏さえ称えておれば 死んだら極楽へ往けるのか ――「易往而無人」とは―― 第193号 S53/06/20 (1978) なかよしクイズ 五月号の答 蓮如上人とお初 光に向って 第22話 第193号 S53/06/20 (1978) 白道顕正戦I号作戦―A,K講師 岩手県に輝かしき戦果 妙好人 Oさんと出会う 東西南北 今度は愛知会館だ! I氏、六百坪を提供 入会後、わずか一年 岡崎市・高速道路近く 本願寺へデモ攻勢 総勢一千名を結集 京都 意気上がる青年部、学生部 次期随行者(七月~九月) Y(25) , N(21) F館長の後任 D、T講師 元気に出発 ブラジル 阿呆野談義 その3 五年後のダイヤと 今のネックレス アメリカ ブラジル で教学試験 妙好人 Oさん 獲信への記録 青年部合宿 びわ湖畔で開催 「聴聞」の姿勢を講義 大喝 なぜ、あわてないのだ 一休和尚 作・K (6コマ漫画) 法然上人伝 (4) 作 A 顕正ひと口メモ 投稿 俳句 作・和歌山市 S 教学試験成績表 法友通信 ロスアンゼルス S 仏眼 大導師合格 顕正ひと口メモ 答 編集雑記 第194号 S53/07/20 (1978) 一言説法 論説 遠きは近き道理なり 熱烈な海外の聞法心 こんなことがききたい 親鸞聖人のお聖教解釈の問題点(1) 本願成就文 至心に廻向して、か? 至心に廻向せしめたまへり、か? 第194号 S53/07/20 (1978) なかよしクイズ 六月号の答 優勝 第50回 弁論大会 優勝弁論 勇将の下に弱卒なし 岐阜県 F (20) 光に向って 第23話 第194号 S53/07/20 (1978) 死ぬまでに一度でよい ブラジル 善知識高森先生にお会いしたい 心打たれる ブラジル支部会員の求道 F 本部会館、6月17日・18日 若さあふれる親鸞聖人降誕会 ある臨終説法の記録 ボク、死んだらどこへ行くの? 死に直面した少年の問い よこがお アメリカで知った真実の道 専任講師めざして帰国 S君 (27) 顕正ひと口メモ 親鸞会を知って 早稲田大学 S 講師の旅費はわれらの手で 浄財よせ合うブラジル支部 顕正ひと口メモ 大喝 雨だれの説法と 音羽の明詮 二台目の聴聞バス やさしい家庭教育の心得 愛を育てる 子どもの躾け方 滋賀県 S 第五十回弁論大会 法然上人伝 (5) 作 A 法友通信 岩手県 S 教学試験成績表 会館前の道路舗装費と ふとん百組、財施される 名古屋市 U 導師合格 編集雑記 -号外- K号 (火車来現の絵) 人間は死んだらどうなるか? 火車来現と後生の一大事 お知らせ 第195号 S53/08/20 (1978) 一言説法 論説 肉体の葬式と魂の葬式 こんなことがききたい 親鸞聖人におけるお聖教解釈の問題点 (その二) 「帰命」とは? 「南無」とは? 第195号 S53/08/20 (1978) なかよしクイズ 七月号の答 わかりやすい仏教 人類の迷信 会長 高森顕徹 光に向って 第24話 第195号 S53/08/20 (1978) 苦戦の前半戦をのりこえて アメリカに55名の同志を結集 岐阜会館 初めての降誕会 お盆とは何をする日か? 京都支部、活動強化 京都南支部、京都北支部となる 顕正ひと口メモ 顕正ひと口メモ なぜ若者が 親鸞聖人に魅力を感ずるのか 大喝 迷信狂は誰か 古代バラモン教徒と現代人 坂田支部にH氏 おばの教訓 岐阜県 S ここまできた 本願寺の内紛 法主、書類送検 第五十一回弁論大会成績 阿弥陀仏や地獄は 実在するのか 岐阜会館に Sさんが常住 教学試験成績表 (S53. 5.25~6.25) これだけは知っていよう! 仏具の常識 死後の世界を知らされて 滋賀県 M 目で見る仏教! 法友通信 岐阜県 T 仏眼 導師合格 編集雑記 号 数 1面 2面 3面 号 数 4面 5面 6面 号 数 7面 8面 166号~180号へもどる 181号~195号 196号~210号へすすむ
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[部分編集] 凛 本多正信-黎鷲- Sレア #ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 必要兵力 19 Lv1 攻 2340 防 2710 知 2560 LvMAX 攻 4680 防 5410 知 5110 スキル [佐渡の一理【土】] Lv1/7 敵単体の攻防ダウン 武芸者計略 敵HPダウン【発動率:低】 売却価格 両 コメント 「では、うちはこれで」三河一向一揆の後、家康の元を出奔し、松永久秀に仕えたり、石山本願寺で信長と対峙した。本能寺の勃発するや家康の元へ駆けつけた。 台詞 「さて、○○。どこに行く??」 図鑑 イベント:神君イガ越え 備考 ○○にはプレイヤー名が入る神君イガ越え 完全攻略報酬 ↓進化↓ [部分編集] 凛 [朋]本多正信-黎鷲- Sレア #ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 必要兵力 19 Lv1 攻 2630 (3566) 防 3010 (4092) 知 2790 (3812) LvMAX 攻 5250 (6186) 防 6010 (7092) 知 5570 (6592) スキル [佐渡の一理【土】] Lv1/7 敵単体の攻防ダウン 武芸者計略 敵HPダウン【発動率:低】 売却価格 両 コメント 「ウザ……久秀とは性に合わないから出奔」三河一向一揆の後、家康の元を出奔し、松永久秀に仕えたり、石山本願寺で信長と対峙した。本能寺の勃発するや家康の元へ駆けつけた。 台詞 「うちのわがままに付き合わせてすまん」 図鑑 イベント:神君イガ越え 備考 ()内数値は2MAX ↓進化↓ [部分編集] 凛 [出奔]本多正信-黎鷲- Sレア #ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 必要兵力 19 Lv1 攻 2940 (4027) 防 3340 (4591) 知 3040 (4211) LvMAX 攻 5880 (6967) 防 6680 (7931) 知 6080 (7251) スキル [佐渡の一理【土】] Lv1/7 敵単体の攻防ダウン 武芸者計略 敵HPダウン【発動率:低】 売却価格 両 コメント 「信長強いから、逃げるか」三河一向一揆の後、家康の元を出奔し、松永久秀に仕えたり、石山本願寺で信長と対峙した。本能寺の勃発するや家康の元へ駆けつけた。 台詞 「逃げ道は用意してる、安心して」 図鑑 イベント:神君イガ越え 備考 ()内数値は3MAX ↓進化↓ [部分編集] 凛 [非常の器]本多正信-黎鷲- Sレア #ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 必要兵力 19 Lv1 攻 3300 (4465) 防 3710 (5045) 知 3320 (4557) LvMAX 攻 6590 (7755) 防 7420 (8755) 知 6630 (7867) スキル [佐渡の一理【土】] Lv1/7 敵単体の攻防ダウン 武芸者計略 敵HPダウン【発動率:低】 売却価格 両 コメント 「家康の危機??では、助けに行くとする」三河一向一揆の後、家康の元を出奔し、松永久秀に仕えたり、石山本願寺で信長と対峙した。本能寺の勃発するや家康の元へ駆けつけた。 台詞 「○○と家康、どっちも大事なんだ」 バレンタイン台詞 「さて、○○。これが南蛮のチョコ、食べさせてやろう」 図鑑 イベント:神君イガ越え 備考 ()内数値は4MAX6MAX 攻7984 防9008 知80828MAX 攻8014 防9040 知8110 コメント 4MAX:攻7755 防8755 知7867 -- 8MAX:攻8014 防9040 知8110 -- 6MAX 攻7984 防9008 知8082 -- Tomo 非課金に優しい4直:攻7673 防8660 知7778 -- バレンタイン台詞 「さて、○○。これが南蛮のチョコ、食べさせてやろう」 -- 正信は俺の嫁!! -- 名前
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八上城の戦い 八上城の戦い(やかみじょう)は丹波の大名波多野晴通と姉小路家との間で起こった戦いである。 姉小路家としては二度目の二面作戦でもある。 参加兵力及び戦力評価 姉小路・二条御所城兵 本隊:鉄砲隊5000:明智光秀、リグル・ナイトバグ、博麗霊夢 前衛部隊:足軽隊6692:浅井長政、富田景政、八雲藍 波多野・八上城兵総勢10852 迎撃部隊:足軽隊5500:荒木氏綱 迎撃部隊:足軽隊9000:波多野宗高(2月10日) 兵数はほぼ同数であるが、波多野側は本願寺への援軍で主力が出払っており、荒木氏綱一人では明智・浅井両将の相手をするには荷が重い。また、援軍に出ていた軍も壊滅状態であり、絶望的である。 概要 波多野晴通は本願寺と姉小路家との戦に介入して28500と主だった将を引き連れて本願寺の援軍に赴いた。 波多野軍と本願寺討伐軍との交戦の報告が早馬にて二条城にもたらされると、この方面を任されていた明智光秀と浅井長政はこの機を逃さず手薄となった八上城に攻めかかった。 留守を任されていたのは豪勇で名高い荒木氏綱であり、篭城の不利を悟ってうってでたが、兵の質と将の質が圧倒的に劣っていたためさほど時間もかからず敗走させられた。 姉小路軍は城に取り付いて攻城戦を開始、激しい攻撃によって八上城の防衛施設は徐々に破壊されていき、風前の灯となっていた。 その頃には本願寺方面に向かっていた波多野軍は敗走しており、敗残兵をまとめていた諸将よりも一歩先んじて波多野宗高が八上城に入城した。 彼は入城後すぐに迎撃隊を組織して出撃し、姉小路軍に激しく抵抗した。 しかし、いかに波多野宗高隊が奮戦しても城が落城寸前であることに変わりはなく、鉄砲隊の前に兵数が削られていくことはいかんともしがたかった。 この状況を打破するには、敵軍の大将である明智光秀を討ち取る以外の方法は残されていなかった。 宗高隊は姉小路軍の陣の薄いところを突いて決死の突撃、激戦の末多くの兵を失ったが、宗高は辛うじて明智光秀本陣にたどり着いた。 しかし本陣の守りは堅く、宗高が討ち取られ隊は全滅した(3月5日)。 赤井直正、籾井教業、波多野秀治、荒木氏綱などの諸将は未だ落城寸前の八上城を守って奮戦していたが、この時点で波多野家側の敗北は決定的であった。 博麗霊夢の交渉で姉小路側に走る者もいたが、多くの者は最後まで抵抗した。 結局同年4月30日八上城落城、当主の波多野晴通は落城のはるか以前に既に逐電していた。 波多野秀治は落城を確認後、諸将に降伏するように指示を出した上で、父を追って西国に逃れた。 残った家臣を纏めていた赤井直正が姉小路軍に降伏して、この戦いは終結した。 この戦いの結果 大名としての波多野家は滅亡し、姉小路は京へのいわば裏門であり、京洛を安定させるには不可欠な地である丹波を手に入れた。 波多野晴通と秀治は西国に逃れた。 丹波の地を治めるにあたって波多野家当主とその嫡子が妻子と共にいなくなり、宗高の子も幼少であったので、 波多野家には治める者として相応しい者がおらず、結局は赤井直正を中心とした旧波多野家家臣団が合議で治めることとなったと思われる。 逸話 宗高を討ち取った明智光秀は首実検の後、首を遺体と共に波多野家に返還した。 その際、彼がいかに勇敢に戦って散っていったかの経緯を詳細に書いた直筆の手紙を添えたという。 宗高の葬儀は波多野家本家が不在であり、その上波多野家一族に成人している者がいなかったが、他の丹波の豪族の助けもあって立派に執り行うことができた。 姉小路家からは三木顕綱が父の名代として出席している。帝の即位式で洛中警備を行った縁から朝廷の使者も参列した。 後に従三位が贈位される。墓は宗高の居城がある霧山の山頂に建てられた。 いささか不便な場所であるが、墓参りをする者は少なくない。また、遺族には霧山城及び氷上郡の一部が安堵された。 赤井直正をはじめとする家臣団は浅井長政に降伏し捕虜になったが、長政は粗略にはせず歓待した。 圧倒的不利な状況にあってなお奮戦する丹波の将士にかつての自身の状況を思い出し、敬意を表したという。 また、丹波の地は朝廷や旧幕府とつながりが深く、元幕臣や朝廷高官から波多野家家臣団の助命嘆願が多かったという。