約 412 件
https://w.atwiki.jp/kbek/pages/11.html
第97回研究会 ブリュッセル大会 2024年3月8日(金)14 00-17 45@ブリュッセル自由大学(ULB) 【発表】中條健志(東海大学):移民ミュージアム「MMM」の活動とその目的 【発表】吹田映子(自治医科大学):フランス・マゼレールの作品と生涯 【発表】後藤加奈子(リエージュ大学):幕末明治期の開港地横浜における外国人社会とベルギー人-「ジャパン・パンチ」に見られる「ベルギーいじり」について 第96回研究会 2023年9月23日(土)14 00-17 30@徳島大学 【発表】井内千紗(拓殖大学):オランダ語圏における文学対外普及の実態 【発表】白田由樹(大阪公立大学):アール・ヌーヴォーの変容と社会主義グループの動向をめぐる考察:1897年の万博コンゴ展示をめぐる『現代芸術』誌と『民衆』紙の記事から 【発表】中條健志(東海大学):日白交流史年表の検討 第95回研究会 2023年7月22日(土)13 30-16 45@拓殖大学(ハイブリッド開催) 【発表】阿部孝子:三島由紀夫におけるヴェルハーレン「午後の時」第11連 【話題提供】中條健志(東海大学):ベルギー王国大使館別荘特別公開に参加して 【発表】大西愛子(フランス語翻訳者):バンド・デシネとベルギー La Bombe の中のベルギー 【報告】岩本和子(神戸大学):(1)WBI 助成によるベルギーフランス語文学翻訳プロジェクト、(2)スネッフ城レジデンスの「翻訳者たち」 第94回研究会 2023年5月13日(土)14 00-17 15@西宮市大学交流センター(ハイブリッド開催) 【発表】馬場智也(京都大学大学院博士課程)「マリー・ゲヴェルス、マドレーヌ・ブールドゥクス作品にみる私的空間――「アンティミスム」の再解釈に向けて」 【訳書紹介】吹田映子(自治医科大学)「アリックス・ガラン『わたしを忘れないで』(太郎次郎社エディタス、2023年)」 【発表】永井友梨(リエージュ大学博士課程)「ジェームズ・アンソールに関する報告 ①研究テーマ:アンソールとジャポニスムについての進捗状況、②「クビーンとアンソール」展の展覧会評、③11年ぶりの開館・アントワープ王立美術館について」 第93回研究会 ブリュッセル大会 2023年3月10日(金)13 00-18 00@ブリュッセル自由大学(ULB), Campus Solbosch 503, Bâtiment R42 【発表】中條健志(東海大学)「植民地の過去とむきあうミュージアム:オランダ、フランス、ベルギーの事例から」 【発表】井内千紗(拓殖大学)「オランダ語文芸作品にみるフラーンデレン地域の言語文化的特性」 【発表】石部尚登(日本大学)「ベルギーを「通過」する人たちについて」 【発表】松井真之介(宮崎大学)「ヤズィーディー教徒のアイデンティティ意識:リエージュ、アルメニアのディアスポラ間比較」 【発表】森田美里(京都外国語大学)「ベルギーのバンドデシネ『クロコダイル』と日本の大学生」 【発表】永井友梨(リエージュ大学)「ジェームズ・アンソールに関する報告:①研究テーマ:アンソールとジャポニスムについての進捗状況、②開催中「クビンとアンソール」展の展覧会評、③ 11年ぶりの開館・アントワープ王立美術館について」 【発表】大迫知佳子(広島文化学園大学)「世紀転換期のベルギーにおける「ベルギー」音楽民謡との関係を軸に」 【発表】山内瑛生(東京大学・ブリュッセル自由大学)「BelgitudeからBelgitéへピエール・メルテンス『王の平和』とアラン・ベレンボーム『この王国における危機』をめぐって」 第92回研究会 2022年9月24日(土)14 00-18 00@南九州大学都城キャンパス・本館6階演習室 【発表】Didier Martens(Université Libre de Bruxelles)"Les faux Primitifs flamands de Joseph Van der Veken" (JSPS 1127026) コメント 浅野ひとみ(長崎純心大学)「キリシタン遺物の真贋問題」(仮) 【発表】白田由樹(大阪公立大学)「世紀末ヨーロッパ文化研究におけるベルギーの位置づけ-共著企画『装飾の夢と転生』のふり返りと今後の課題」(仮) 【発表】中條健志(東海大学)「「日白修好150周年」はどのように語られたか-メディア談話の分析をつうじて-」(仮) 【発表】井内千紗(拓殖大学)「翻訳出版にみるベルギー・オランダ語文学と日本」(仮) 【発表】石部尚登(日本大学)「公用語との関係からみたベルギーにおけるパトワ概念」 第91回研究会 2022年7月24日(日)13 30-17 00@明治大学駿河台キャンパス(事前申し込み制) 【発表】安彦良紀(大阪市立大学大学院文学研究科言語文化学専攻後期博士課程)「ベルギー、及び日本におけるヒップホップミュージックの社会性に関する考察(仮)」 【発表】小川秀樹(元千葉大・岡山大教授)「ウィリアム・アダムスとフランドル」 【発表】梅澤礼(富山大学人文学部准教授)「犯罪学者が「読み解いた」殺人犯の心理─エチエンヌ・ド・グレーフ(1898-1961)─(仮)」 第90回研究会 2022年5月28日(土)16 30-19 30@Zoomミーティング(事前申し込み制) 【発表】阿部孝子「日本近代文学におけるエミール・ヴェラーレンの受容(三島由紀夫以前)……東文彦「午後の時」を中心にして」 【発表】山内瑛生(東京大学・ブリュッセル自由大学)「ブリュッセル人作家と「大きな」文学(grande littérature)―ジャクリーヌ・アルプマン『オルランダ』をめぐって」 【話題提供】斎藤至(古典鍵盤楽器愛好家)「近代ベルギー=フランス音楽の実演動向―フランク・メモリアル、《イザイとサン=サーンス》企画公演から(仮)」 第3回「ベルギー学」シンポジウム―日本とベルギーの交流史― 2021年12月11日(土)@Zoom 詳細 https //www.jb150sympo.org/ 第89回研究会 2021年9月18日(土)16 00-19 00@Zoomミーティング(事前申し込み制) 【発表】安彦良紀(大阪市立大学 後期博士課程)「パリ、及びブリュッセルの首都圏におけるヒップホップシーン―発生と変遷、現状についての比較研究―」 【発表】白田由樹(大阪市立大学)「世紀末ベルギーにおけるアール・ヌーヴォーの支援者たちとコミュニティ(仮)」 第88回研究会 2021年7月31日(土) 16 30~19 00@Zoomミーティング(事前申し込み制) 【発表】小田英(ライデン大学)「近世ネーデルラントの80年戦争におけるフーゴー・グロティウスの政治思想(仮)」 【発表】井内千紗(拓殖大学)「フラーンデレン地域におけるジャン・レー/ジョン・フランダース作品の受容と言語(仮)」 【話題提供】斎藤至(古典鍵盤楽器愛好家)「近代ベルギー音楽史の中のC. フランク、およびそのピアノ書法」 第87回研究会 2021年5月29日(土)17 00-19 00@Zoomミーティング(事前申し込み制) 【発表】岩本和子(神戸大学)「ジャン・レー『マルペルチュイ』をめぐる都市と神話について(仮)」 【発表】武居一正(福岡大学)「Loi pandémieの制定について」 第86回研究会 2021年2月6日(土)17 00-19 00@Zoomミーティング(事前申し込み制) 【発表】宮内悠輔(立教大学大学院)「1990年代ベルギーから見た地域主義政党間の政策競合」 【発表】山内瑛生(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)「現代ベルギー作家のオートフィクションに見るブリュッセル表象―ピエール・メルテンス『王の平和』とジャン・ムノ『ブラバントの英雄の忌むべき物語』を中心に」 第85回研究会 2020年12月12日(土)17 00-19 00@Zoomミーティング(事前申し込み制) 【発表】永井友梨(リエージュ大学歴史・美術史・考古学科博士課程)「フェリシアン・ロップス美術館における展覧会の特有性」 【発表】岡本夢子(リエージュ大学・東京大学日本学術振興会特別研究員PD「「リエージュからローカル愛を込めてBons baisers ardents de Liège」 第84回研究会 2020年10月17日(土)17 00-19 00@Zoomミーティング(事前申し込み制) 【発表】佐藤孝彦(神戸大学大学院)「ベルギーにおける#Blacklivesmatterとコンゴ系コミュニティの動き」 【近況報告・話題提供】 第83回研究会 2020年7月25日(土)17 00-19 00@Zoomミーティング(事前申し込み制) 【発表】平岡直樹(南九州大学環境園芸学部)「ブリュッセルのモン・デザール公園の都市軸とヴィスタについて」 【近況報告・話題提供】 第82回研究会 ブリュッセル大会 2020年3月6日(金)13 30-18 00@神戸大学ブリュッセルオフィス 【発表】中條健志(東海大学)「フランスにおけるベルギー移民」(仮) 【発表】松井真之介(神戸大学)「フランス語圏におけるアッシリア人ディアスポラ」 【発表】佐藤孝彦(神戸大学)「Matongeとコンゴ系ディアスポラ現代の様相」(仮) 【発表】山内瑛生(東京大学)「ピエール・メルテンス『避難場所(Terre d'asile)』におけるブリュッセル表象」(仮) 【発表】小田藍生(ブリュッセル自由大学)「アール・ヌーヴォーの建築誕生の背景 ベルギーの商業の発展とヴィクトール・オルタの室内装飾」(仮) 【発表】永井友梨(リエージュ大学)「ジェームズ・アンソールのジャポニスムを複雑たらしめるもの」(仮) 第81回研究会 2019年9月21日(土)14 00-17 30@信楽伝統産業会館内 研修室 【発表】石部尚登(日本大学)「ベルギーの移民政策と言語政策」 【発表】中條健志(東海大学)「ベルギー移民史年表の検討(仮)」 第80回研究会 2019年7月27日(土)14 00-17 30@東海大学(湘南キャンパス)1号館2階「 1B-205 教室」 第1部 【発表】山口博史(都留文科大学)「『ベルギー大使の見た戦前日本』の再読:災害研究の視点から」 第2部 【発表】正木裕子(声楽家)「近年のベルギー国内における音楽公演と異文化の影響」 【発表】吹田映子(自治医科大学)「描かれた「移民 」 ウージェーヌ・ラールマンス(1864-1940)の三連画をめぐって」 第79回研究会 2019年5月12日(日)13 15-17 30@西宮市大学交流センター講義室1 第1部 【発表】山口博史(都留文科大学)・神原ゆうこ(北九州市立大学)「境界変動がもたらすインパクトを考える:ベルギーとスロヴァキアの比較から」 第2部 論文集『ベルギーの「移民」社会と文化―新たな文化的多層性に向けて―』に関して 【発表】中條健志(東海大学)「ベルギー移民史―建国から現代まで―」 【発表】ルート・ヴァンバーレン(筑波大学)「「市民化」を促す語学教育」 【発表】井内千紗(国際短期大学)「多文化都市ブリュッセルと向き合う「フラーンデレン」の舞台芸術」 【発表】岩本和子(神戸大学)「ケナン・ゴルグンKenan Görgün の表象における多層的アイデンティティと当事者性」 第78回研究会 ブリュッセル大会 2019年3月7日(木)13 00-18 00@神戸大学ブリュッセルオフィス 【発表】飯塚遼(秀明大学)「西フランデレン州におけるフード・ツーリズムの展開(仮)」 【発表】石部尚登(日本大学)「フランデレン運動とワロン運動、両運動にとっての「言語」」 【発表】中條健志(東海大学)「移民送出国としてのベルギー(仮)」 【発表】松井真之介(神戸大学)「ベルギーにおけるヤジディ(ヤズィーディー)教徒ディアスポラ」 【発表】小田藍生(ブリュッセル自由大学)「アール・ヌーヴォーの誕生 ヴィクトール・オルタと曲線」 【発表】永井友梨(リエージュ大学)「アンソールにおける日本美術からの影響(仮) 」 「ベルギー学」シンポジウム2018 交流のいま 2018年12月8日(土)@上智大学四谷キャンパス 詳細 https //www.jb150sympo.org/ 第77回研究会 2018年9月22日(土)14 00-18 00、9月23日(日)9 00-12 00@長崎大学文教地区キャンパス総合教育研究棟32講義室 講義室 9月22日(土) 【発表】白田由樹(大阪市立大学大学院文学研究科)「19世紀末のベルギーにおけるプリミティヴィズムの潮流――二十人会と『新社会』誌の周辺調査から」 【発表】山内瑛生( 東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)「パトリック・モディアノとベルギー」 【発表】佐藤龍一郎( 東京大学総合文化研究科)「ブルゴーニュ宮廷における紙製写本のパトロネージに関する一考察:ベルギー王立図書館、ms. 9095を例に」 9月23日(日) 【発表】石部尚登(日本大学)「1866年条約以前のベルギーの対日交渉計画と日本認識」 【発表】見原礼子(長崎大学多文化社会学部)「ブリュッセルにおける社会融和に向けたモスクへの期待と試み―モランベーク地区を事例に」 第76回研究会 2018年7月29日(日)13 30-17 30@明治大学駿河台キャンパス研究棟4F第三会議室 【発表】小川秀樹(千葉大学)「オランダ東インド会社VOCに対する南ネーデルラント(ベルギー)の影響について」 【発表】井内千紗(国際短期大学)「ベルギーにおける文化遺産保護の国際支援と協力」 【映画】劇場版『フランダースの犬』(1997年、日本) 第75回研究会 (日本ベルギー学会共催) 2018年6月15日(金)18 00-21 30@ベルギー大使館 【発表】正田倫顕「ボリナージュの祭壇とオーヴェールの教会」 【発表】大迫知佳子「19世紀フランス語圏におけるリズム理論と生理学の関係-ベルギーの音楽理論家達によるリズム理論を中心に-」 【発表】加来奈奈 「カール5世治下ネーデルラント女性総督マルグリットの平和外交」 【発表】佐藤龍一郎 「フランドル彩飾写本の都市図像における実景とその転用-パリ国立図書館本(ms.fr.9087)を中心に-」 第74回研究会 2018年5月26日(土)13 30-17 30@西宮大学交流センターセミナー室1 【発表】白田由樹(大阪市立学)「ヴァン・デェルの「新しき芸術」観とそ背景―『新社会』誌、フランス画壇との関係から―」 【出版物紹介】中條健志・井内千紗・石部尚登「津田由美子・松尾秀哉・正躰朝香・日野愛郎編著『現代ベルギー政治:連邦化後の20年』ミネルヴァ書房」 【出版物紹介】『オーバ・ザブルスカイ』(フェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン監督、2012年) 第73回研究会 ブリュッセル大会 2018年3月5日(月)13 00-18 00@神戸大学ブリュッセルオフィス 【発表】石部尚登(日本大学)「言語の威信―外交言語としてのオランダ語とフランス語」 【発表】上西秀明(ゲント大学)「ベルギー在住日系国際児に対する日本語継承の現状と課題」 【発表】中條健志(東海大学)連邦化以後の移民政策の展開」 【発表】大迫知佳子(広島文化学園大学)「19世紀中期の「ベルギー」音楽―La belgique musicale誌での連載「ベルギー音楽史」を中心に―」 【発表】小田藍生(ブリュッセル自由大学)「アール・ヌーヴォーのコンセプトの発展―ヴィクトール・オルタの椅子に関する詳細な分析から―」 【発表】永井友梨(リエージュ大学)「ジェームズ・アンソールにおけるジャポニスム」 第72回研究会 2017年11月12日(日)13 00-17 00@都留文科大学3号館411教室(3411) 【発表】野崎次郎(人文系寺子屋 野崎塾)「KU Leuvenのオランダ語夏期講習に参加して」 【発表】佐藤龍一郎(東京大学・日本学術振興会)「「シャルルマーニュ年代記と征服記」(ベルギー王立図書館、ms.9066)の献呈場面に関する一考察:「君主の鑑」主題の著作との関係から」 【発表】山口博史(都留文科大学)「準都市国家化するブリュッセル:経験的研究に向けた枠組みの検討」 第71回研究会 2017年7月30日(日)13 00-17 00@明治大学(駿河台キャンパス)研究棟第5会議室 【発表】上西秀明(ゲント大学)「ベルギー言語問題の政治化過程 ―フーレン地区の事例から―」 【発表】宮内悠輔(立教大学大学院法学研究科・博士後期課程)「ポピュリズムの観点から見た現代ヨーロッパ地域政党の競合―ベルギー政党政治の事例」 【発表】縣由衣子(筑波大学大学院人文社会科学研究科・博士後期課程)「ミシェル・セールのエルジェ論」 第70回研究会 2017年5月21日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センター セミナー室2 【発表】岩本和子(神戸大学)「ベルギー・フランス語幻想短篇集翻訳について+マーテルランク「夢の研究」に刻まれた謎を解く」 【発表】河内華子(ルーヴェン・カトリック大学大学院、大阪大学)「初期近代の文献における「ネーデルラント美術」の定義について」 【映画】Belgian Rhapsody (Brabançonne) (Vincent Bal 監督、2014年) 第69回研究会 ブリュッセル大会 2017年3月6日(日)13 00-18 00@神戸大学ブリュッセルオフィス 【発表】小田藍生(ブリュッセル自由大学)「アール・ヌーヴォーの誕生 −ヴィクトール・オルタが初期にデザインした椅子の分析を通して(1896-1905) 【発表】森田美里(大阪府立大学大学院・オルレアン大学大学院)「ベルギーフランス語メディアに表れる舌打ち音」 【発表】Heidi Knipprath(KU Leuven)「To Reform or Not to Reform ? The Presence and the Future of Flemish Education」 【発表】上西秀明(ヘント大学)「ベルギー・ネイションビルディングに関する民族神話について」 【発表】津田由美子(関西大学)「ベルギーの多文化政策と移民問題」 第68回研究会 2017年2月19日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センター セミナー室2 【発表】平岡洋子「15世紀末のブリュッセルを舞台にした聖人伝 ―《聖女カタリナ伝》と《ペテロ伝》について」 【発表】岩本和子「ベルギー小話 histoires belges の背景と実状 ―フランス/オランダ/ベルギーのエスニック・ジョーク―」 【報告】石部尚登:日白修好150周年記念シンポジウムの報告 第67回研究会 (金城学院大学キリスト教文化研究所共催) 2017年1月21日(日)14 00-18 00@金城学院大学サテライト 【発表】立花英裕(早稲田大学法学学術院教授)「ライシテの起源-イタリア・ルネサンスを中心に」 【発表】稲永祐介(大阪市立大学 / CNRS-GSRL 非常勤研究員)「フランスの政治文化としてのライシテ:近代の統治技法、あるいは共和国のイデオロギー?」 【発表】見原礼子(長崎大学 多文化社会学部准教授)「ベルギーのライシテと宗教多元性―公教育における二つの論争から」 【発表】丹羽卓(金城学院大学キリスト教文化研究所教授)「ケベックの『開かれたライシテ』―自由主義と共和主義の狭間で」 【発表】伊達聖伸(上智大学外国語学部准教授)「フランス、ベルギー、ケベックのライシテを比較する―成り立ちと現在の課題から」 日白修好150周年記念シンポジウム 文化・知の多層性と越境性へのまなざし ―学際的交流と「ベルギー学」の構築をめざして― 2016年12月10日(土)、2016年12月11日(日)@東京理科大学富士見校舎 詳細 https //www.jb150sympo.org/ 第66回研究会 2016年8月6日(日)13 00-18 00@明治大学(駿河台キャンパス) 研究棟4F第三会議室 【発表】山口博史(都留文科大学)「ベルギーの「ライシテ」―あるライフヒストリー・インタビューからの接近」 【発表】齋藤至(東京大学出版会)「1945-70年ベルギーの社会構造―歴史政治学的アプローチ」 【発表】佐藤龍一郎(東京大学)「ヤン・ファン・エイク作《ロランの聖母》の制作年代について―服飾史からのアプローチを中心に」 第65回研究会 2016年6月12日(日) 13 30-17 30@西宮市大学交流センター セミナー室1 【発表】白田由樹(大阪市立大学)「アール・ヌーヴォーの起源に関する考察―S.ビングとヴァン・デ・ヴェルデの対比から―」 【発表】西出佳代(神戸大学)「ルクセンブルク語における完了表現の文法化と動詞の過去形」 【発表】曽我篤嗣(京都大学大学院)「第二次大戦期ベルギーにおける抵抗意識―雑誌『スピルー』の動向を中心に―」 第64回研究会 ブリュッセル大会 2016年3月3日(木)13 30-18 00@神戸大学ブリュッセルオフィス 【発表】岡本夢子(京都大学・リエージュ大学)「世紀末リエージュ新聞Caprice Revue について」 【発表】小田藍生(ブリュッセル自由大学・早稲田大学博士課程)「ヴィクトール・オルタとアール・ヌーヴォーの誕生―彼の椅子(1893-1912)に関する初の詳細な分析的研究―」 【発表】中條健志(大阪市立大学都市文化研究センター)「ベルギーにおける移民政策の変遷」 【発表】松井真之介(神戸大学大学院国際文化学研究科国際文化学研究推進センター)「ベルギーのクルド人、クルド人にとってのベルギー」 【発表】河内華子(大阪大学)「初期近世におけるネーデルラント芸術家の離散(ディアスポラ)とネットワーク―ヘルドルプ一族の事例を中心に―」 第63回研究会 (ケベック学会西日本地区第1回研究会共催) 2016年2月13日(土)13 00-17 30@阪南大学あべのハルカスキャンパス 第1部「ケベックとベルギーの言語状況」 【発表】大石太郎(関西学院大学)「ケベックのアングロフォン―現状と今後の展望―」 【発表】石部尚登(日本大学)「ベルギーの言語としてのフランス語―ワロン運動における言語観から」 第2部「ケベックとベルギーの舞台芸術」 【発表】高橋信良(千葉大学) 「ベルギーの現代舞台芸術―教育と情報が果たす役割」 【発表】藤井慎太郎(早稲田大学)「ケベックの地域主義・文化政策・舞台芸術」 第62回研究会 2015年12月19日(土)13 00-17 00@福岡大学 文系センター11階11B会議室 【発表】武居一正(福岡大学)「第6次憲法改正について」 【発表】白石幸作(明治大学)「ギ・ゴフェットの詩集『約束された生La Vie promise』について」 【発表】内田智秀(名城大学)「「手帳」のなかの『ペレアスとメリザンド』」 【発表】三田順(北里大学)「エクトール・シェネーと〈ものの魂〉」 第61回研究会 2015年7月26日(日)13 00-@明治大学研究棟4F第三会議室 【発表】佐々木菜緒「ベルギーとケベック文学の比較研究序論―ケベック性の問題」 【発表】白石幸作「詩人ギ・ゴフェットを読む―「生」と「詩」の探求―」 【発表】三田順 「ベルギーにおける幻想の系譜とフランス・エレンス」 【発表】山口博史「留学経験者のライフヒストリーからみるベルギー社会」 【発表】井内千紗「ブリュッセルにおけるオランダ語文化振興について」 第60回研究会 2015年5月17日(日)14 00-18 00@大阪産業大学梅田サテライトキャンパス 【報告および告知】の一考察」今中舞衣子(大阪産業大学)「国際フランス語教授連合(FIPF)役員研修およびリエージュ世界大会について」 【発表】梅澤礼(立命館大学)「エチエンヌ・ド・グレーフによる「殺人犯の心理」ーヘール、犯罪学の分岐点ー」 【アトリエ】「教育実践を共有する・ふりかえる」、ファシリテーター:今中舞衣子(大阪産業大学) 第59回研究会 ブリュッセル国際大会 2015年3月4日(水)13 30-18 30神戸大学ブリュッセルオフィス 【発表】石部尚登(日本大学助教)「ベルギーにおける言語規範の輸入と輸出」 【発表】岡本夢子(京都大学・リエージュ大学博士課程)「19世紀末ベルギー、フランスの文学新聞における交流について」 【発表】中條健志(大阪市立大学都市文化研究センター研究員)「ベルギーにおける「移民問題」の歴史」 【発表】利根川由奈(日本学術振興会研究員)「ルネ・マグリット制作の王立施設の壁画・天井画に関する一考察―マグリットとベルギー教育省の協力関係を背景に」 【発表】Pierre Bonneels(ブリュッセル自由大学哲学研究所博士課程)「大森荘蔵の物と心の理解について」 【発表】松井真之介(神戸大学大学院国際文化学研究科 国際文化研究推進センター研究員)「ヒズメット運動信奉者による学校建設と運営――ベルギーにおける事例」 【発表】三田順(北里大学一般教育部講師)「La Réception du symbolisme belge à Vienne. Le cas de Stefan Zweig」 第58回研究会 2015年2月22日(日)13 30-17 30@神戸大学国際文化学研究科 E棟3階 E325 【発表】内田智秀「メーテルランク『青い鳥』に関する言説についての一考察」 【発表】三田順「ワロニーにおける象徴主義受容と〈北方〉アイデンティティーの形成」 【DVD映像鑑賞】『パトラッシュ、フランダースの犬』(2008) オランダ語(+日本語字幕) 懇親会 第57回研究会 ルクセンブルク学研究会=ベルギー研究会共同セミナー 企画運 営:木戸紗織・中條健志(大阪市立大学都市文化研究センター) 11月9日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センター講義室2 【発表】石部尚登(日本大学)「『方言』の書記化:ワロン語正書法の歴史から」 【発表】柴崎隆(金城学院大学)「いわゆる“ライン方言(Reinisch)”の言語的特徴 ―ケルン方言を中心に」 【発表】田原憲和(立命館大学)「アントワーヌ・マイヤーはルクセンブルク語をどのように見ていたか」 【発表】田村建一(愛知教育大学)「ルクセンブルク語北部方言の特徴」 懇親会 第56回研究会 10月18日(土)13 30-17 30@金城学院大学サテライト 【発表】山口博史「ベルギーの多言語地域で生きる-ブリュッセル周辺地域に住むフランス語話者への聞き取りから」 【発表】丹羽卓「ラシスムを通してフランデレンとケベックを比較する」 懇親会 第55回研究会 7月27日(日)13 30-17 30@明治大学研究棟4F第三会議室 【発表】吹田映子「ポール・ヌジェのルネ・マグリット論―視覚をめぐる主題の断絶と連続」 【発表】野坂悦子「ベルギーの絵本における”死”と“グリーフ(喪失悲嘆)”―オランダ語圏とフランス語圏の表現の違いを比較して」 【発表】井内千紗「ベルギー各共同体政府による無形文化遺産の目録作成―ユネスコ無形文化遺産保護条約批准の影響分析」 懇親会 第54回研究会+総会 2014年6月15日(日)13:30-17:30@西宮市大学交流センターセミナー室1 13 30-14 50 総会 15 00-17 30【DVD映像鑑賞】Le gamin au vélo『少年と自転車』(2011) 懇親会 第53回研究会 2014年5月11日(日)13:30-17:30@西宮市大学交流センター講義室1 【発表】岡本夢子「世紀末ベルギー文学におけるフュミスム精神の受容」 【DVD映像鑑賞】Tintin et moi『タンタンと私』(2003) 懇親会 第52回研究会 ブリュッセル国際大会 2014年3月5日(水)13 00-19 30 第一部(13 00-16 30)@神戸大学ブリュッセルオフィス 【発表】石田まりこ(ブラッセルインター校)「「我々と奴ら」の変容」 【発表】石部尚登(日本大学理工学部助教)「公的権力の存在を前提としない「事実上の正書法」の固定化」 【発表】大迫知佳子(日本学術振興会海外特別研究員・ブリュッセル自由大学)「独立後のベルギー王国におけるナショナル・アイデンティティー形成への音楽の関与―ブリュッセル王立音楽院の音楽理論教育に焦点をあてて―」 【発表】杉山美耶子(ヘント大学博士課程)「聖なる画中画―ペトルス・クリストゥス作《若い男性の肖像》に描かれた「聖顔」と贖宥―」 第二部(18 00-19 30)@シャルリエ美術館 【講演】 利根川由奈(京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程)「「ベルギー美術史」の諸相―初期フランドル派からシュルレアリスムまで―」(英語) 正木裕子(ベルギー王立ブリュッセル音楽院声楽科講師)「ブリュッセル芸術サロン<自由美学>とマーテルランクとその周縁」(フランス語) 【演奏会】ブリュッセル王立音楽院声楽科 正木研究室 Henri Duparc(1848-1933) / Charle Baudelaire(1821-1867), « L'invitation au voyage » (C.1870) Henry Février (1875-1957) / Maurice Maeterlinck(1862-1949), Extrait d'opéra « Monna Vanna » (1909) Claude Debussy (1862-1918) / Maurice Maeterlinck, Extrait d’opéra « Pelléas et Mélisande » (1902) Claude Debussy / Pierre Lous (1812-1889), Chanson de Bilitis (1897) François August Gevaert (1828-1908) / Victorien Sardou (1831-1908 ) , Extrait d'opéra « Le Capitaine Henriot »(1864) 懇親会 第51回研究会 2014年2月9日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センター講義室1 【発表】利根川由奈(京都大学博士課程)「マグリットにおけるベルギー/ベルギーにおけるマグリット」 【報告】三田順(学振特別研究員PD)「ベルギー象徴派のウィーンとスロヴェニアにおける受容」 【報告】岩本和子(神戸大学)「ベルギー/ケベックの仏語圏文学の現在」 懇親会 第51回研究会(中止) 2014年1月6日(月)14 00-17 30@一橋大学国際研究館4階大教室 【発表】利根川由奈(京都大学博士課程)「マグリットにおけるベルギー/ベルギーにおけるマグリット」 【発表】岡本夢子(京都大学博士課程)「世紀末ベルギーから見たモンマルトルのボエーム Le Chat NoirとLa Jeune Belgiqueの相互関係の可能性ー」 【発表】岩本和子(神戸大学)「ベルギー/ケベックの仏語圏文学の現在」 懇親会 第50回研究会 2013年12月8日(日)14 00-18 00@大阪駅前第3ビル19階大阪産業大学梅田サテライトキャンパスセミナールーム 【発表】松井真之介(神戸大学)「開かれたコミュノタリスムの可能性―フランスの地域語学校を中心に」 【発表】佐藤潤一(大阪産業大学)「ベルギーと国際人権」 懇親会 第49回研究会 2013年10月12日(土)9 45-@関西学院大学F号館203教室 日本ケベック学会2013年度全国大会 ワークショップ共催(13 15-15 00 ) 「ケベックとベルギー:フランス語圏の多元社会 ―言語、政治、文学―」 Atelier (En collaboration avec l’Association japonaise des études belges ) Québec et Belgique sociétés pluralistes francophones -- langue, politique et littérature -- 司会:大石太郎(関西学院大学) コーディネーター:真田桂子(阪南大学) コメンテーター:丹羽卓(金城学院大学) :岩本和子(神戸大学) (1)「マルチナショナル連邦制におけるケベックの人権(言語権)を巡る論争についての考察 ―カナダ 1982 年憲法闘争を手掛かりに― 」 <ケベック学会>荒木隆人(京都大学法学研究科研修員) (2)「フラーンデレンおよびワロニーにおけるケベックの言語政策の影響」 <ベルギー研究会> 石部尚登(日本大学) (3)「ベルギー・フランス語文学におけるアイデンティティの形成と対立 ─十九世紀末ブリュッセルとワロニーの文学シーンを巡って」 <ベルギー研究会> 三田順( 日本学術振興会特別研究員 PD ) (4)「「国民文学」から「移動文学」へ ;ケベック文学における多元化とその波及」 <ケベック学会>真田桂子(阪南大学) 第48回研究会 2013年7月28日(日)13 00-18 00@日本大学理工学部駿河台校舎5号館524室 【発表】Ruth Vanbaelen「ベルギー北部およびブリュッセルの言語事情」 【発表】本田まり「ベルギーにおける終末期医療に関する法的状況」 【発表】正木裕子「ベルギーの現代声楽作品とその作詞者の一例」 懇親会 第47回研究会 2013年6月30日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センターセミナー室1 第1部<研究発表> 狩野麻里子「ベルギー王立美術館のアートマネジメント分析~ICOMによる博物館の3機能を基準として~」 第2部 <ベルギーの外交と内政> ①「外交」 正躰朝香「ヨーロッパ統合におけるベネルクス枠組みの変容」 ②「内政」 「映像作品鑑賞会」(解説付き)『Bye Bye Belgium』(2006年)、『To be or not to.be』(2008年) 第46回研究会 2013年5月27日(月)17 00-19 00@ 神戸大学国際文化学研究科大会議室(E棟4階) 主催:神戸大学大学院国際文化学研究科・異文化研究交流センター(IReC)2013年度第1回講演会 共催:ベルギー研究会 後援:日本フランス語教育学会(SJDF)、フランダースセンター(大阪) 【講演】Prof. Jean-Marie Klinkenberg (ジャン=マリ・クランケンベルグ名誉教授) Académie royale de Belgique(ベルギー王立学士院)、Université Liège (リエージュ大学)、Président du Conseil de la langue française et de la politique linguistique(ベルギーフランス語・言語政策評議会会長) Les littératures francophones septentrionales constantes et convergences (北方フランス語圏文学の特徴と共通性) フランス語(逐次通訳あり) 第45回研究会 2013年4月21日(日)13 00-17 00@西宮市プレラホール5階会議室 【報告】ベルギー・オランダ語短編翻訳についての報告 鈴木義孝「Herman Teirlinck Het Japans masker」(作家、作品、試訳紹介) 【映画鑑賞】ローデンバック『死都ブリュージュ』 (1981年)(解説:岩本、三田) 懇親会 第44回研究会 2013年3月24日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センターセミナー室 【発表】石部尚登「「方言」の復権とICT の活用」 【報告】ベルギー・フランス語短篇翻訳に関する報告 岩本和子「Madeleine Bourdouxhe ,Les Jours de la femme Louise翻訳」 小林亜美「Michel de Ghelderod, Sortileges翻訳」 懇親会 第43回研究会 2013年2月7日(木)13 00-21 00 第一部(13 00-16 30)@神戸大学ブリュッセルオフィス 【発表】松井真之介(神戸大学大学院国際文化学研究科メディア文化研究センター)「ベルギーのアルメニア人コミュニティ」 【発表】村中由美子(東京大学大学院仏文研究室博士課程)「見出されたフランドル-ユルスナール『黒の過程』(1968) における絵画をめぐって-」 【発表】角本摩衣子(神戸大学大学院博士課程後期課程/ブリュッセル自由大学訪問研究員)「炭鉱からみる近代—マニフェスタ9 と’文化’資源としての〈炭鉱〉展を中心に」 【発表】フレーク・アドリアーンスFreek Adriaens(ヘント大学講師)「Some viewpoints on Belgian and Flemish national identity in Rolf Falter’s “Belgium, a history without a country” (België – Een geschiedenis zonder land” – Bezige Bij Antwerpen, 2012)」 第二部(18 00-19 45)@ブリュッセル音楽院 Lecture Concert « Belgian Art Songs » “Belgian Francophone Literature at the End of the 19th Century” Concert presented by the Singing Class of Hiroko Masaki Composers G. Lekeu , J. Jongen , F. de Bourguignon , J. Absil a.o. Texts A. Hardy , Norge , M. Carême , M. Maeterlinck , E. Verhaeren , G. Rodenbach a.o. Lecturer Dr. Jun Mita ( Kobe University , Japan) Pianist Laurence Verna ( Conservatoire royal de Bruxelles) 懇親会 第42回研究会 2012年12月27日(木)13 30-17 30@一橋大学国際研究館4階大教室 【発表】小田藍生「フランスにおけるヴィクトール・オルタの受容」 【発表】杉山美耶子「ヤン・ファン・エイクのブルッヘにおける人的交流及び制作環境に関する一考察--シント・ドナティアヌス聖堂を中心に-」 【発表】三田順「ワロニーにおける象徴主義絵画─ヴェルヴィエ派とアンティミスム─」 懇親会 研究会プログラム 第41回研究会 2012年11月11日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センターセミナー室1 【発表】吹田映子「ルネ・マグリットの講演「生命線」と油彩画《彼岸》―陰を経て光の下に見出す〈生〉のイメージ」 【発表】三田順「ベルギーにおけるドイツ語文学──〈境界地〉におけるアイデンティティーの探求──」 懇親会 第40回研究会 2012年9月30日(日)13 00-17 00@西宮市プレラホール5F会議室 【発表】的場寿光「19世紀の視覚空間の変容と「フェナキスティスコープ」 【発表】中筋朋「ミシェル・ド・ゲルドロードにおける存在のモデルとしてのマリオネット」 【翻訳プロジェクト】作家紹介、試訳紹介(井内、鈴木、板屋、岩本) 懇親会 第39回研究会 2012年7月29日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センターセミナー室2 【発表】石部尚登「ワロン語の標準化―方言学者と復権運動家の同床異夢」 【発表】三田順「カーレル・ヴァン・デ・ウーステイネにおける「ヴラーンデレン性」―モーリス・マーテルランクを手掛かりとして」 【発表】田母神顯二郎「断片とパサージュ―アンリ・ミショーとベルギー」 【発表】加来奈奈「16世紀前半ネーデルラントの統一と渉外活動―1529年カンブレ平和条約履行における交渉人ジャン・ド・ル・ソーの機能」 【発表】岩本和子「シャルル・ド・コステル『ウーレンシュピーゲル伝説』とH.クラウスの戯曲」 第38回研究会 2012年7月16日(月・祝)13 00-17 00@西宮市プレラホール5F会議室 【発表】利根川由奈「ベルギーの現代美術における「ベルギーの特質」の表象―社会と芸術との関連から―」 【発表】井内千紗「文化行政および「フランデレンの波」にみる文化概念の差異と統合」 【発表】狩野麻里子「ベルギーのアート・マネジメント教育―ULBの事例を基に」 【発表】三宅拓也「近代日本における商品陳列所の受容―ブリュッセル商業博物館からの学習と展開」 【発表】中條健志「OIF(フランコフォニー国際組織)とベルギー」 第37回研究会 2012年5月27日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センター講義室2 【発表】野崎次郎「ベルギーと言語戦争 La Guerre des Langues en Belgique」 ≪延期≫ 【発表】中條健志「「フランコフォニー」としてのベルギー―OIF(フランコフォニー国際機関)における活動からの考察―」 【発表】石部尚登「ベルギーのドイツ語話者とその領域」 懇親会 第36回研究会 2012年4月29日(日)13 00-17 00@西宮市プレラホール会議室 【発表】大迫知佳子「ベルギー王立図書館『F.-J.フェティスコレクション』所蔵の資料について』 【発表】今中舞子「ポール・オトレの思想とムンダネウム」 【発表】正躰朝香「ヨーロッパにおける多様性の『尊重』と『管理』」 翻訳プロジェクト 懇親会 第35回研究会 2012年3月7日(水)13 30-17 30@神戸大学ブリュッセルオフィス 【発表】三田順「カーレル・ヴァン・デ・ウーステイネとヴラーンデレン・アイデンティティ」 【発表】井内 千紗「19世紀後半ブリュッセルにおけるフランデレン文化の振興―王立フランデレン劇場設立をめぐって―」 【発表】ハネ・オステイン「現代ベルギーにおける〈tussentaal〉について」 懇親会:Le Cap@ブリュッセル blankimgプラグインエラー:ご指定のファイルがありません。アップロード済みのファイルを指定してください。 第34回研究会 2012年1月29日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センターセミナー室2 【発表】中筋朋 「メーテルランクの一幕劇にみる19世紀末の<劇>の質的変化―「日常の悲劇」と筋の内面化をめぐって―」 【発表】的場寿光「ラウール・セルヴェ『タクサンドリア』―「偽りのイメージ」から「運動=イメージ」へ」 懇親会 第33回研究会 2011年12月25日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センターセミナー室1 【発表】加来奈奈「16世紀平和条約における南ネーデルランドが担う“仲介国家“についての考察―1529年カンブレ平和条約施行における交渉人ジャン・ド・ル・ソーの機能― 【翻訳プロジェクト】Hugo Claus『ベルギーの嘆き』 懇親会 第32回研究会 関西EU多文化共生研究会との共催 2011年10月23日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センターセミナー室2 【発表】木戸紗織「多言語社会ルクセンブルクにおける言語使用 ―領域を手がかりとして」 【発表】石部尚登「ベルギーにおける言語政策と言語の領域性認識の関係」 【発表】大場茂明「ハンブルク・ザンクトパウリにおける地区再生 ―衰退地区からトレンディ・エリアへ―」 懇親会 第31回研究会 2011年9月25日(日)13 30-17 30@神戸大学国際文化学研究科 【発表】野崎次郎「Lara Fabianとベルギー的なるもの」 【ベルギー現代小説翻訳準備会】 <作家・作品紹介> -鈴木義孝:Erwin Mortier -岩本和子:Madeleine Bourdouxhe La Femme de Gilles 第30回研究会 2011年8月20日(土)~23日(火)@サロン・ド・ゆきみーる 【発表】石部尚登「地域語と学校:ベルギーのある自治体における新しい試みから」 【発表】鈴木義孝「「ベルギー」についてー辞書での表記を中心に」 【発表】野崎次郎「フランスとアメリカー新自由主義への傾斜?」 【発表】狩野麻里子「ベルギーのアートマネジメント教育と実践」 【発表】井内千紗「修辞家集団(rederijkerskamer)について」 【発表】寺尾智史「社会言語学とは何者か?ー吉田喜昭『ドングドンとことだま大王』(1976、アリス館)からの再検証」 ※第30回は島根県で合宿を行いました。 (合宿詳細は後日更新予定) 第29回研究会 2011年7月31日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センター 【報告】鈴木義孝「フランダース文学翻訳セミナー (7/14~18) について」 【ベルギー現代小説翻訳準備会】 <作家・作品紹介> -三田順 (Hugo Claus Het huis in de struikenと Xavier Deutsch Victoria Bauer) -今中舞衣子 (Amélie Nothomb Ni D'Eve Ni D'Adam) <作家紹介> -板屋嘉代子 (Anne Provoost) -的場寿光 (Francis Dannemark) 懇親会 第28回研究会 2011年6月25日(土)13 30-17 30@西宮市大学交流センターセミナー室1 【発表】伊勢晃「アポリネールとベルギー」 【発表】井内千紗「フランデレンの文化政策」 総会 懇親会 第27回研究会 2011年5月15日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センターセミナー室2 【発表】狩野麻里子「ベルギー美術とベルギー王立美術館研修の報告」 【合評会】石部尚登『ベルギーの言語政策』(大阪大学出版会、2011年) コメンテイター:寺尾智史、岩本和子 懇親会 第26回研究会 2011年4月24日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センターセミナー室1 【読書会】Jean-Philippe Toussaint紹介(岩本、他)、テキスト読解 【上映会】Salle de bain 懇親会 第25回研究会 2011年3月21日(月)13 30-17 30@神戸大学国際文化学研究科 【発表】溝口知宏「ベルギーとEU経済の課題」 【上映会】TO BE OR NOT TO.be La collection qui donne envie d'etre belge/ Een reeks die je warm maakt voor Belgie(2010年、RTBF他制作) 懇親会 第24回研究会 2011年1月30日(日)13 30-17 30@神戸大学国際文化学研究科 【発表】井内千紗・岩本和子「「フランデレンの獅子」をめぐって」 【上映会】De Leeuw van Vlaanderen (英語字幕 95分) 【読書会】ヘンドリクス・コンシャンス『フランデレンの獅子』(蘭/仏/英) 懇親会:Beer Cafe de BRUGGE@三宮 第23回研究会 2010年11月28日(日)13 00-17 00@西宮プレラホール 会議室 【発表】利根川由奈 「ベルギーのシュルレアリスムにおけるパロディ」 【読書会】ヒューホ・クラウス(Hugo Claus)『かも猟』 懇親会 第22回研究会 京都ドイツ語学研究会との共催 2010年9月25日(土)13 30-17 30@キャンパスプラザ京都6階 京都産業大学サテライト第2講習室 【発表】石部尚登「ベルギーのゲルマン語圏とその『方言』観」 【発表】黒沢宏和「古高ドイツ語『タツィアーン』における翻訳手法――dixerit 直説法未来完了形か接続法完了形か――」 【発表】檜枝陽一郎「韻文から散文へ─『ライナールト物語』韻文版および散文版の比較─」 懇親会 第21回研究会 2010年8月28日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センターセミナー室2 【発表】矢追愛弓「フェルナン・クノップフ作《愛撫》試論」 【発表】鈴木義孝・井内千紗「フランデレンにおける現代オランダ語文学」 懇親会:長寿蔵@伊丹 第20回研究会 2010年7月25日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センター講義室1 【発表】田母神顯二郎「アンリ・ミショーとベルギー」 【発表】小林亜美「スタンダールの小説と絵画」 懇親会:Beer Cafe de BRUGGE@三宮 第19回研究会 2010年5月23日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センターセミナー室2 【発表】石部尚登 「ベルギーで「言語戦争」の後にもたらされたもの」 【映画鑑賞】『Pallieter』(1975) シナリオHugo Claus、原作Felix Timmermans (1916) TimmermansとClausについての略説(岩本) 懇親会 第18回研究会 2010年4月25日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センターセミナー室2 【発表】出口馨「近代日本におけるメーテルランク及びベルギー象徴派の受容について(詩分野を中心に)」 【発表】井内千紗「ブリュッセルにおけるローカリティの生産とその変容-アフリカ地区、マトンゲを事例に-」 懇親会:Beer Cafe Barley@西宮 第17回研究会 2010年2月16日(火)13 30-17 30@西宮市大学交流センターセミナー室1 【発表】三田順「ヴラーンデレン象徴主義文学について」 【発表】星元佐知子「EUにおける自治体の活躍ーカタルーニャ州の対外政策からー」 懇親会 第16回研究会 2010年1月23日(土)14:00-@神戸大学国際文化学研究科 【発表】三宅拓也「近代日本の陳列所とベルギー:原型としてのブリュッセル商業博物館」 【映画鑑賞】Amélie Nothomb『畏れ慄いて』 今後の研究会活動について 懇親会:Beer Cafe de BRUGGE@三宮 第15回研究会 2009年12月11日(金)17 00-@神戸大学国際文化学研究科 主催:神戸大学大学院国際文化学研究科異文化研究交流センター(IReC) 協賛:ベルギーフランドル交流センター、関西ベルギー研究会 【講演】ベルナルド・カトリッセ(Bernard Catrysse) ベルギーフランドル交流センター館長 「Energizing Europe the importance of the Regions and the case of Flanders.」 使用言語:英語(要旨・通訳付) 第14回研究会 2009年11月8日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センター講義室2 【講演】Ekyalongo Bo Lawele Roudy Chiminch「コンゴ民主共和国をめぐる文化」(⇒ 案内ポスター) 【発表】苅田弥生「フランス滞在の総括、EU域内の国境を越えた自治体間協力について」 懇親会:Beer Cafe Barley@西宮 第13回研究会 2009年9月13日(日)13 30-17 30@西宮市大学交流センター講義室2 【発表】中條健志「フランスの「若者」はどのように語られたか?―「郊外」での「暴動」をめぐって」 【読書会】小川秀樹訳『シャムの独立を守ったお雇い外国人ーフランスの砲艦外交と国際法学者ロラン=ジャックマンの闘い』(ウォルター・E・J・ティップス)訳者による解説、質問と議論 懇親会:Beer Cafe de BRUGGE@三宮 第12回研究会 2009年7月20日(月・祝日)13 00-17 00@西宮市プレラホール会議室 【発表】鈴木義孝「西洋言語学史と品詞分類および文法概念について」 【発表】加来奈奈「16世紀前半平和条約におけるネーデルランド「大使」に関する考察-1529-30年ネーデルランド総財務収支勘定簿を中心に-」 懇親会:Beer Cafe Barley@西宮 第11回研究会 2009年6月21日(日)13 00@西宮市プレラホール会議室 【発表】石部尚登「果たしてベルギーは「多言語国家」か?-領域性原理と地域別一言語主義と言語的不寛容と」 【発表】寺尾智史「多言語主義に向かう南部アフリカ−−アンゴラ言語政策研究の予備的考察」 懇親会:Beer Cafe Barley@西宮 第11回研究会(中止) 2009年5月17日(日)14 00@神戸大学国際文化学研究科 【発表】石部尚登「ベルギーの言語政策の一つとしての言語調査」 【発表】寺尾智史「多言語主義に向かう南部アフリカ−−アンゴラ言語政策研究の予備的考察」 懇親会:六甲 第10回研究会 2009年4月5日(日)14 00@姫路市立美術館講堂 ベルギー美術研究会との合同企画 【講演】高瀬晴之学芸員「20世紀のベルギー美術」(フランドル表現主義と抽象、現代あたりを中心に) 姫路市立美術館所蔵品の鑑賞 懇親会:姫路市内 第9回研究会 2009年3月15日(日)14 00@神戸大学国際文化学研究科 【発表】正躰朝香「ベルギー政治の不安定化と連邦制ー『非領域性原理』の後退から考えるー」 ベルギー映画鑑賞『ティル・オイレンシュピーゲルの冒険』 ベルギー料理 La Bruxelloise@元町 第8回研究会 {2009年2月8日(日)14 00@神戸大学国際文化学研究科} 【発表】今中舞衣子「フランス語教育における<ことば>と<文化>-ベルギー、フランス、EU、そして日本の事例から」 テレビ映画「Manneken-Pis」鑑賞 懇親会:Beer Cafe de BRUGGE@三宮 第7回研究会 2008年12月13日(土)@神戸大学国際文化学研究科 【発表】岩本和子「ベルギーのフランス語文学と<フランス文学>」 懇親会:Beer Cafe de BRUGGE → ルミナリエ 第6回研究会 2008年10月18日(土)@姫路市立美術館講堂 ベルギー美術研究会との合同企画 【講演】高瀬晴之学芸員「ベルギーのシュルレアリスム」 展覧会観覧 懇親会:Beer Cafe de BRUGGE@三宮 第5回研究会 2008年8月30日(土)@神戸大学 【発表】井内千紗「ブリュッセルにおけるオランダ語メディアの所在ーFM Brusselを例に」 【映画鑑賞】DVD「ティル・オイレンシュピーゲルの冒険(Les Aventures de Till l'Espiegle)」鑑賞 【解説】岩本和子「原作(シャルル・ド・コステル『ウーレンシュピーゲル伝説』)についての解説」 ベルギー料理 La Bruxelloise@元町 別会À姫路 2008年8月3日(日)@姫路市立美術館 コレクションギャラリー「ベルギー象徴派の画家たち」 「アメデオ・モディリアーニ展」 第4回研究会 2008年7月21日(月)@神戸大学 海の日兼ベルギー・ナショナルホリデー 【発表】石部尚登「方言の視点から見たベルギーの言語政策史」 DVD「KASSABLANKA」鑑賞 懇親会:Beer Cafe de BRUGGE@三宮 第3回研究会 2008年6月29日(日)@神戸大学 Hugo Claus紹介:岩本和子 「かも猟」合評会 DVD「フランデレンの獅子(De Leeuw van Vlaanderen)」鑑賞 第2回研究会 2008年5月15日(木) ベルギー料理 La Bruxelloise@元町 別会Àブリュッセル 2007年10月10日(水) 第1回研究会 とりあえず設立の会 2007年8月4日(土) Beer Cafe de BRUGGE@三宮
https://w.atwiki.jp/asimojipro01/pages/28.html
片仮名(かたかな) 『言語学大辞典術語』 漢字の字画の一部を独立させて(阿→ア,伊→イ)作られた音節文字の体系.現今では平仮名(→仮名)と対比されるが,本来の文字である漢字(真名)に対して,「かたかたの仮名」,すなわち,漢字の偏旁のうち,一方をとった不完全な文字という意の命名らしい. 漢文訓読は上代に始まるが,9世紀に入ると,ヲコト点と片仮名とを使用して仏典のテキストに書き込まれるようになった.中国古典文で書かれたテキストの狭い行間に書き込むために字画の少ない漢字を選び,さらに,その一部をとって片仮名が形成されたと一般に説明されている.最初の段階では個人レベルで使用されていたため,基づく漢字に幅があり,また,同じ漢字に基づいても,どの部分をとるかが一定していなかったが,しだいに社会性をもつようになって淘汰され,現行の片仮名に近づいた.字体も,たとえば,「ウ」は,最初「宇」の冠をとった偏平な字体であったが,末画がしだいに左下に伸び,独立した文字として均衡のとれた字体になった. 文献によって密度は異なるが,片仮名で行間に書き込まれたのは,覚え書き程度の語句であった.それらは,テキストの訂正や注記などの漢字と容易に識別できるように,字形上の明確な特徴をもつことが必要であった. 漢字から非漢字を作るには,字画を省略するのが簡単かつ効果的な方法であった.たとえば,「天」の末画を省略しただけで非漢字になる.さらに,その第三画の始点を下げることによって,現行の「テ」が作られた.なかには,漢字の字画を省略せずに片仮名に転用したものもあるが,たとえば,「三」の全体がしだいに右下がりになって「ミ」になり,「千」の末画がしだいに左に曲がって「チ」になることによって,「三千」と「ミチ」とを視覚的に区別できるように発達している. 訓読文献では,片仮名が,いわば,漢字に寄生して使用された.「下」の右傍に「サケテ」と注記してあれば,「おろして」と読まないようにという指示であるから,[サゲテ]であることは自明である.片仮名が清濁を区別しない文字体系として成立したのは,別々の字母で書き分けなくても,漢字との関連において語句が同定できたからである. 仮名の場合には,漢字と交用しても混乱が生じないように,曲線的な字形をもつことを特徴としたが,片仮名の場合には,漢字を省略して得られた極端に少ない字画であることが識別の特徴であった.その特徴をもつことによって,訓読文献の行間などに書き入れるだけでなく,表語的な漢字と交用して文章を書くことも可能になった.それが片仮名文である. 仮名が,美的な内容の仮名文を書くための美的な文字として発達したのに対し,片仮名は,もっぱら実用の場で使用された.文学作品でも,『今昔物語集』のように優雅さを生命としない作品は,片仮名文である.片仮名文では,実質的な意味をもつ語句に漢字が多用されるので,連綿や墨継ぎなどによって語句の単位を明示する必要がなく,したがって,片仮名には続け書きが発達していない.また,美的な文章を綴る文字ではないから,巧拙が問題にされることがない.片仮名は学問的な温床で発達し,もっぱら,漢字の和訓や漢字音の表記などに使用され,正書法に拘束されずに使用されてきた.現今でも,発音に忠実に表記する場合や外来語の表記などに片仮名が使用されているのは,そういう伝統の継承である. 字書の漢字の和訓などは,確実な同定の困難な場合が少なくないために,11世紀頃から,必要に応じて仮名ごとの抑揚が声点で標示されるようになり,併せて清濁も標示されるようになった.現在の濁点の直接の起源はそこにあるが,濁音の仮名に必ず濁点を加えるようになったのは,明治期以後のことである.
https://w.atwiki.jp/cgwj/pages/604.html
本項では、古典リパライン語の文法について説明する。 目次 概要 文字と音声音声 文字 形態論 統語論 代名詞古代リパライン語の代名詞 中期リパライン語の代名詞 普通名詞の数と格 概要 古典リパライン語は、複数の言語(態)を指す言葉ではあるが、ある一定の共通の単語及び文法を持ち合わせる。本項では、その共通する文法を解説しつつ、方言や時代による変化も解説する。なお、あくまで規範主義的記述であるため、実際の古典リパライン語の表現とは異なる場合がある。 文字と音声 音声 主力的なメタ的調査結果の資料であるTanukiwikiの記事と古典リパライン語入門に共通することであるが、音声体系がどのようなものだったのか確定できないとされる(*1)(*2)。 「古典リパライン語入門」の意見では、以下のような音素があったとされる。 p b m t d n ɳ ʧ k ɡ ɸ f v θ ð s z (d)ʒ ʃ ʁ h ɹ l a i u e o y ə 文字 正書法が規範化されていなかったため、綴りと発音に乖離が存在する(*2)。 書記体系は時期によって五つの段階に分かれている。ラネーメ表意文字によって書かれていた表意文字時代、ラネーメ系表語文字である燐帝字母の制定後に一般化した燐字ロライヘル混じり書き時代、完全にロライヘル文字のみで書かれたロライヘル時代、デュテュスンリパーシェの碑文体で書かれていた碑文体時代、旧リパーシェ文字で書かれていた旧リパーシェ時代の四つである(*2)。現代に至るとデュテュスンリパーシェによって書かれることもあるが、必要な場合以外は極稀である。 詳しくは以下の文献を参照すると良い 「古典リパライン語入門」 古典リパライン語#文法##音声 ADLP機関誌Dorylka p.14-16 形態論 伝統的な辞書において、古典リパライン語の品詞は、名詞、(他/自)動詞、後置詞、接続詞、形容詞、副詞、文法動詞、相位詞、間投詞(感動詞)に分類される。拘束形態素として、接尾辞と音象徴が分類され、語の解釈に影響する。 文法動詞は、現代語における助動詞に相当する(*3)が、一部は伝統的な定義において何故それに判断されたのか分からない例がある(*4)。 統語論 平叙文の語順は古代リパライン語においてはSVO、中期リパライン語ではSOVであった。この中期リパライン語のSOV語順はそのまま現代リパライン語の文語の一般語順となっている。形容詞はAN語順であり、現代リパライン語のような形容詞の修飾方向を変える仕組みは持っていなかった。否定は古代リパライン語、中期リパライン語でも現代リパライン語と同じくnivを動詞の直前に入れる方式で表された。古代リパライン語では疑問を表すために語順をVSOにする必要があったが、中期リパライン語までにそれは廃れ、現代とほぼ同じ体系になった。ただし、疑問の文法動詞velloを使っていた期間もあった(*1)。 代名詞 古代リパライン語の代名詞 主格 与格 対格 向格 属格 一人称 mi min mis mine mino 二人称 co cv as gs hj 三人称 si sie sio an am 不定人称 dj hu sgs jfu lgu 古代リパライン語の代名詞は、格で人称代名詞が屈折した。古代リパライン語の初期の時代にはこれらに接辞-s(現代リパライン語の-ssに当たる)を付ける事で数を表していたようである。しかし、中期リパライン語に近づくにつれ代名詞は数の文法カテゴリーを持たないようになった。 中期リパライン語の代名詞 主格 与格 対格 向格 属格 一人称 mi mi'c mi'i mi'l mi'd 二人称 co co'c co'i co'l co'd 三人称女性 ci ci'c ci'i ci'l ci'd 三人称男性 si si'c si'i si'l si'd 不定人称 dj dj'c dj'i dj'l dj'd 中期リパライン語の代名詞は古代リパライン語とは変わって屈折が消滅し、普通名詞の格変化と変わらない現代リパライン語と似たような体系になった。また、三人称の女性形と男性系が分離してできた。不定人称は格語尾が付いたか、そのまま古代リパライン語の屈折を残したかは記録に残っていないため、屈折が残っていた可能性もある。また一人称属格のminoは向格のmineと混同され中期リパライン語ではどちらの語形も属格で使われていた可能性がある。 普通名詞の数と格
https://w.atwiki.jp/asimojipro01/pages/23.html
句読点(くとうてん) 英punctuation, 仏ponctuation, 独Interpunktion 『言語学大辞典術語』 [総論] 音声言語の場合,音声連続の中で,それを休止したり中絶したり,また高低や強弱によってアクセントをつけたり,また抑揚を示すことができるが,文字言語の場合は,そのような微妙なニュアンスを同時に示すことはできない.一般に,文字言語では,せいぜい分節音素(segmental phoneme)を表わすだけである.そこで,休止とか中絶,あるいは抑揚などいわゆる超分節音素(suprasegmental phoneme)を示そうとすれば,何らかの補助的記号を用いなければならない.句読点は,そのような補助記号の一つである. 句読点という言葉は,元来,漢文を読む場合の休止を示す句点(。)と,休止に至るその中間の段落を表わす読点(、)を合わせた言い方であって,漢文の白文に振って文の理解に資するものであった.漢文の本文は,ただ四角い字が羅列するだけであるから,それを読むには意味をとって段落をつけていかなければならない.その段落の印が,句点であり読点である.したがって,それは統語論的機能を担うものである. 欧米の句読点も,ほぼ同様の機能をもつ.ピリオド(period),コンマ(カンマとも,comma)などがそれである.しかし,欧米の句読点には,疑問符(interrogation mark,question mark)や感嘆符(exclamation mark)などもある.これらも,統語論的働きをもつ.そして,疑問や感嘆の抑揚を補足的に示す.日本でも,現代では,多分に欧米の句読点にならって句読点を用いているが,昔はそのようなものは使わなかった.それは,日本語という言語が,形態論的にその必要がなかったからである.というのは,日本語では,文の終わりや句の終わりに用言がくるのが統語の原則であり,しかもその用言の形態が,終止とか連体とか連用といった語の接続を顕在的に形の上で示しえたからである.用言の形態が,いわば句読点の役をするのである.中国語や欧米の諸言語には,こういうことはない.したがって,句読点を必要とするようになったのである. [日本語の句読点] 日本語の句読点も,正確で迅速な読み取りを可能にするために加えられる区切り符号といえる.上述のように漢文の訓読に早くから使用されたが,日本語の韻文や散文は,句読点を使用しない書記文体として発達した.平安時代の仮名文は,句節の関係が柔軟な書記文体であり,切れ続きは文章のリズムに依存している.文の切れ目を明示する場合には係り結び掌が臨機に使用されている.また,他の書記文体でも,文末に「也」や「候」が画かれるなど,符号によらずに切れ続きが示されている.その原理は,中国古典文(漢文)と共通である. 日本語の表記に句読点を体系的に使用したのは16世紀末に出版されたキリシタンのローマ字文献が最初である.ピリオドやコンマだけでなく,セミコロンや疑問符などが導入されている.疑問符のあとの語が小文字で書きはじめられているなど,文章の切れ続きを日本語の表現に即してとらえようとした努力のあとが認められる.ただし,日本語一般の表記に影響を与えることはなかった. 日本語の文章に句読点を付ける習慣が浸透したのは,明治期以後の学校教育の結果であるが,付け方は一定していない.文末に句点を置くことは習慣化しているが,読点については個人の判断や好みに委ねられているのが実情である.規則化の試みはあるが,日本の書記文体にその伝統がなく,また,漢字か仮名かの選択によって,「ここに,はいれない」「ここには,いれない」の場合には読点が不可欠でも,「ここには入れない」なら不要である,というたぐいの判断が随所に要求されるので,規則化するとしたら,正書法車の確立が前提になる.なお,横書きでは,ピリオドとコンマとが句点と読点とに代えて使用されることがある.
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/544.html
『ノストラダムスの予言集』(The Prophecies of Nostradamus)は、1973年に出版されたエリカ・チータムの著書。テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)、ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)、エドガー・レオニ(1961年)に続く史上4例目の英仏対訳による詩百篇集の全訳である。 【画像】初版の表紙 書誌 正式名は The Prophecies of Nostradamus. Translated, Edited and Introduced by Erika Cheetham. (エリカ・チータムによって翻訳、編集、紹介されたノストラダムスの予言集)である。 著作権表示を信じる限りでは、初版はイギリスのネヴィル・スピアマン社(Neville Spearman Ltd.)によって、1973年に出版された。 五島勉は1972年に初版が出されたと主張していた(*1)。確かに序文の日付は1972年1月となっているが、当「大事典」では今のところ出版も1972年だったとは確認できていない。五島自身、のちになしくずしに1973年出版としている。 「全米で10週連続ベストセラー第1位」(*2)という話はどこまで事実かよく分からないが、初版以来、ロンドンやニューヨークの複数の出版社によってたびたび再版されているのは事実である。 構成 ノストラダムスの簡単な伝記などを交えた序文に続いて、詩百篇集のフランス語原文と英語訳、それと解説が並ぶ。詩百篇集の難解な語句には語注がつけられている。 詩百篇集の原文は1568年ブノワ・リゴー版から採られている。そのため、収録されているのは正篇である942篇のみで、補遺篇は一切含まれていない。 また、序文(セザールへの手紙、アンリ2世への手紙)も、長い上に曖昧であるからという理由で省かれている。 コメント 原文は1568年版を使ったというが、正書法に関する配慮というレベルを超えた明らかな改変が含まれている。この点で、原文の信頼性を損ねている。 また、チータムの語注はかなり多く親切といえるが、その多くはエドガー・レオニの語注をほぼそのまま真似たものである。 解釈については、レオニの注釈を明らかに下敷きにしているほか、ジェイムズ・レイヴァーなどから借用していると思しきものもある。信奉者的な解釈ではあるが、レオニも利用しているためか、外れたと思われる予言についてもその結果を受け入れているものがある。 ただし、そうした借用の際に一知半解なまま引き写したものがあるらしく、歴史の基本事項などにも誤りが散見され、ジェイムズ・ランディ(未作成)からもその杜撰さを酷評されたことがある(*3)。 なお、上記のように他の文献からほとんど引き写したような記述が散見されるにもかかわらず、参考文献の提示が一切ないのは大いに問題だろう。 五島勉が21世紀になって、アメリカ同時多発テロ事件(2001年9月)を予言した本と主張しだしたが、まったく支持できない。詳しくは「恐怖の大王=アメリカ同時多発テロ事件」説を参照のこと。 他言語版 日本語版として山根和郎訳『ノストラダムス全予言』(二見書房、1988年)が出されている。 また、『ノストラダムスの予言集』(As Profecias de Nostradamus)という名でポルトガル語版が出されていたようである(*4)。 さらに、ペルシア語版のPishguyihayi Nostradamus vaqaʻyi kih bih haqiqat payvast va dunya ra takan dadも2001年に出ていたらしいが(*5)、詳細な中身は未確認である。 その他 1981年に改訂版が出された。 チータムはこの本の続編として『続・ノストラダムスの予言集(未作成)』を出版した。これは全訳の形をとらず、いくつかの詩をピックアップして解釈を展開するという、関連書によくある形式が採用されている。 原文を当時のままに再現し解釈も差し替えた『決定版ノストラダムスの予言集』(1989年)も出版されている。結果的には彼女の最後の作品となったその本の出現によって、チータム版の初代『ノストラダムスの予言集』は役目を終えたといえるだろう。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/890.html
この項目では、18世紀後半に出版された1568年版『予言集』の海賊版(偽年代版)について扱う。 【画像】偽年代版の扉(*1) 正式名 Les Propheties de M. Michel Nostradamus. Dont il y en a trois cens qui n'ont encores jamais été imprimées. Ajoûtées de nouveau par ledit Auteur.A Lyon. Par Benoist Rigaud. Avec Permission. 1568. ミシェル・ノストラダムス師の予言集。前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む リヨンにて、ブノワ・リゴーによる。認可済み。1568年。 このタイトルはブノワ・リゴー版を忠実に写したものだが、16世紀当時の表記に比べると現代の綴りに近くなっている(NOSTRADAMVS→NOSTRADAMUS, Adioustees→Ajoûtéesなど)。こうした変化をもとに、18世紀以降の版であろうということは、1960年代には指摘されていた(*2)。 木版画は全く異なっている。PI- TER とあるのはユピテル(JUPITER)と綴ろうとして JU を落としてしまったものだろうと推測されている。アンリ・ボードリエは JUPI-TER と綴られている版の存在を報告していたが(*3)、確認されていない。 エリザベート・ベルクールは、この木版画も含む表紙のデザインをノストラダムス自身が手がけたと主張しているが(*4)、裏付けるような資料はない。 内容 1568年版と全く同じで、第一序文(セザールへの手紙)、百詩篇第1巻から第7巻、第二序文(アンリ2世への手紙)、第8巻から第10巻の順で収録されている。第7巻などに補遺篇はなく、収録詩篇数は942である。 ただし、本来のブノワ・リゴー版に比べて顕著な違いが3つある。 1つ目は既に見た正書法の変化を反映していること、2つ目は第二序文の前に扉がなく、二部構成になっていないこと、3つ目は百詩篇第6巻2番に明らかな改竄が含まれていることである。 出版時期・出版年代 ダニエル・ルソは、同じような丸囲みの木版画でサトゥルヌスをかたどったものが使われている関連書、『ミシェル・ド・ノストラダムスの8年間の新たなる真の占筮』(Nouveaux et vrais Pronostics de Michel de Nostradamus. Pour huit ans)(1792年)の存在を指摘した。これをもとに、ルソは偽ブノワ・リゴー版も1792年頃に出版されたと推測した(*5)。 ルソはその文献の写真などを公開していなかったので、どのような文献か断言できないが、おそらくジャン=ポール・ラロッシュ(未作成)が紹介した以下の文献と似たようなデザインだったのではないかと考えられる。 【画像】『ミシェル・ノストラダムスの5年間の新たなる真の占筮』(*6) 他方、後述の理由から1772年には出版されていた可能性がある。 実際の出版地や出版社については明らかになっていないが、多少なりとも根拠のある候補を挙げるならば、アヴィニョンの出版業者、それもドメルグ家と結びつきの深かった業者(もしくはドメルグ家そのもの)ということになるだろう。 影響 異文の一致などからして、18世紀末にアヴィニョンで相次いで出された「1568年版に基づいた」と称する『予言集』の起源は、この偽年代版であったろうと推測される。その種の予言集の最初のものは、1772年のトゥーサン・ドメルグ版である。 19世紀の時点では本物と考えられていたため、アナトール・ル・ペルチエが校訂本を出版したときにも、底本のひとつとして用いられた。 既に述べたエリザベート・ベルクールのように、現代の信奉者にも本物扱いする者はいる。懐疑派でも、山本弘の著書では「1568年版」として写真が掲載されていた(*7)。 所蔵先 オセール市立図書館、ナント市立図書館、ドール市立図書館、マルセイユ市立図書館、エクス=アン=プロヴァンス市立図書館、メジャヌ図書館、ペルージャのアウグスタ公立図書館 かつて、エクトール・リゴーやダニエル・ルソも所有していた。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/fullmoon149/pages/2.html
メニュー トップページ プラグイン紹介 まとめサイト作成支援ツール メニュー メニュー2 リンク @wiki @wikiご利用ガイド 他のサービス 無料ホームページ作成 無料ブログ作成 2ch型掲示板レンタル 無料掲示板レンタル お絵かきレンタル 無料ソーシャルプロフ ここを編集 ■mail #01 突然のお手紙、失礼いたします。 夢乃奏奈という少女を探しています。 この手紙を受け取られた方は、どこかで奏奈を見ていると思います。 ぶしつけで申し訳ありませんが、 このような形で連絡をさせていただきました。 とても荒唐無稽な内容なので、 信用できないと思われたときは、このまま破棄してください。 私は、この手紙を読んでいるあなたとは、別の世界にいる者です。 通常ならば、コミュニケーションは許されないのですが、 今、起こっている非常事態を解決するため、 できるだけ世界に影響がないように手紙を送ることになりました。 従いまして、質問などにはお答えできないことになります。 手紙も一方通行となり、返事を送られても私のもとに届くことはありません。 捜索をお願いしてする奏奈という少女ですが、 意識が平行世界を渡ることができるという能力を持っています。 普通ならば時がたてば、元に戻るか次の世界へ移動するのですが、 今回はどうもかってが違うようです。 そちらには「夢乃奏奈」という存在がないため、 奏奈は姿のないモノとしているのではないかと推測しています。 そして、今の奏奈には、こちらからの語りかけも通じておりません。 次の月齢14.9までに、奏奈が自分の姿を取り戻すことができれば 奏奈はまた世界をわたることができるでしょう。 そのためのお手伝いをして欲しいのです。 こちらから一度に送ることのできる情報は、小さいものになります。 多くの人の協力をお願いできませんでしょうか。 またあ #02 らためてご連絡いたします。 再度お便りいたします。 この手紙が届いていることも、どなたが受け取っているかも、 こちらで確認するすべはありませんし、 自己満足にしかならないのかもしれませんが、 奏奈の助けになるようにできることをさせてください。 奏奈が姿をとりもどす為に必要な物を、 そちらの世界へ送ります。 やはり、送れるものは小さな欠片だけなので、 多くの場所へばらばらにしてしまっています。 こちらと、そちらではたぶん世界の在り様が違っているはずです。 違いはわずかかもしれませんが、 こちらにあるものが、そちらになかったり、 そちらにあるものが、こちらになかったり、 同じものが存在したり、同じものが違ったりしているようです。 そのなかで、多分同じであろ #03 うと思われるものを使用することにしました。 「図書館」というものは存在しているでしょうか。 そこには本が多くあると思います。 今までの多くと同様に、その機能がそちらとこちらで同じであればよいのですが。 図書のコードをお送りします。 そこに、この本を入力してください。 正しく登録されれば、お送りしたかけらが手に入るはずです。 ただし、一度でもかけらが見られた場合、 そのかけらは消えてしまいます。 http //story.toybox.me/in-a-dream/Library/index.php?page=da8ntjrzret5maph6fci #04 4585220305 複数の方に同じ情報がとどいている可能性があります。 これは、途中で情報断絶したときの保険と考えて下さい。 また、この手紙の内容など できれば奏奈から離れた場所で確認してください。 近くにもっていくと空間が、よりゆがむ恐れがあります。 できるだけ、安全な方法を取れるように重ねてお願いします。 お送りしているのは欠片です。 それだけではなんの役にもたちません。 欠片をすべてあつ ■図書登録コード 019 読書、読書法 021 著作、編集 022 写本、刊本、造本 188 各宗 210 日本史 290 地理、地誌、紀行 322 法制史 463 細胞学 467 遺伝学 469 人類学 557 航海、航海学 802 言語史・事情、言語政策 813 辞典 933 小説、物語 ■ISBN 4585220305 会津藩儒将 秋月韋軒伝 発売日: 2012/3/16 4416702434 往古日本犬写真集 発売日: 2002/06/29 416368400X 打ちのめされるようなすごい本 発売日: 2006/10 4431710647 エピジェネティクス (SPRINGER REVIEWS) 発売日: 2004/04
https://w.atwiki.jp/sendanpon/pages/25.html
コルキアの世界共通語として使われている言葉。世界各地でそれぞれ派生し、ムハヤイク語群をなしているが、ムハヤイク語としての正書法や正しい文法は今でも守り続けられている。 サラ・ドゥブラハト語族 サラ語派 ドゥブラハト語派ムハヤイク語群正則ムハヤイク語 昔はクシャー字という漢字のように単音節を表す文字を使っていました。 高中低の3トーンがある。 ローマ字の読み方 a fatherのa、wantのa。 i 日本語のイ u 口をすぼめてu e 日本語のエ、ドイツ語のaウムラウト o 日本語のオ á 高 a 中 à 低 p 英語のp b 英語のb t 英語のt d 英語のd k 英語のk g 英語のg h 英語のh s 英語のs z 英語のz f 英語のf v 英語のv sh 日本語のシャ行 j フランス語のj kh 喉の奥からハと発音、アラビア語のハ、ロシア語のх gh khの有声音 m 英語のm n 英語のn ng 鼻濁音の時のン y 英語のy r はじき音のr ムハヤイク語の文の区切り方 最初の文を例に見てみましょう。 há bait hê mă pèd. háは「私の」、baitは「愛」、hêは「~を」です。 また、măは「あなた」、pèdは「~へ」です。 ムハヤイク語がクシャー字(kshaa)で綴られていたときは単語の間が開けられず、構成文の間で空けられていました。 あいさつ こんにちはを意味するものは、たった1つしかありません。 Há bait hê / măpèd(私の愛をあなたへ) 儂愛乎汝依 (habeimpa, habaap, abempといわれることも) 年中無休で使えます。 さようならを意味するものは結構あります Dôw 'à há bait mă yal bait ră há bait.(これは私の愛、あなたは私の愛から愛される) 是也儂愛、汝請愛來儂愛。 これは二度と会えないようなときに使います。 ka yâs lỉ bem.(あなたの無事を願う) 己希尓普。 しばらく会えないときに使います。 dag kảl lhe mê côm.(未来で会おう) 導面上未事。 また会おう。 dag! 導。 バイバイ。 久しぶり。 kả 'à dlàr kả rũ păw hê lỉ bem miạw baak.(私はあなたの無事な顔が見れてうれしい) [単語] há 私の bait 愛 hê ~を mă あなた p̀ed ~へ(日本語同様~の中へ、か~の上へは区別しない) dow これ 'a ~は yal ~される(受動態) bait 愛する ră ~から ka 私 yâs 願う lỉ あなたの bem 無事、無事な dag ~しよう kal 会う lhe ~で dlàr 嬉しい(dはサイレント) rũ 見る păw できる miạw baak 顔。顔色。 単語 bes 鳥(小鳥、希望の鳥のイメージがある) maahr 羽ばたく(希望へ向かっていくイメージがある) meer 名前 je ~です、~だのような語尾に付けるあまり意味のない言葉(強調するときは「ja」や、「jhaa'」という、dar'a popjal hamnaa'a ma'a jhaa'! 私のお金を盗んだのはあなたでしょう!) pek 好き、好いている lo to不定詞のような役割、~すること nje 寝る sun 等位接続、~と raw 食べる mekl 出会い jeの例文の単語 dar 誰かわからない人称 po 過去形 pjal 盗む mnaa 金 ~'a A 'a ~するのはA 人称代名詞 ムハヤイク語では人称代名詞がとても重要です。 単数 複数 1人称 ka kapè 2人称 ma mapè 3人称 jaa jaapè 所有代名詞 単数 複数 1人称 ha hapè 2人称 li lipè 3人称 ge gepè 格接辞 ムハヤイク語は格も接辞のように表します。 ただ、格の数が非常に多いです。 ~は 'a 私は男だ! ka'a miwn ja! ~を he 人々に希望を与える ka'a neen sinlhe gaayped. ~を(否定文中) heen 彼は野菜が嫌いだ。 jaa'a bel mjaoheen. ~の so 母の歌 laa'sosown ~から ra 私は刑務所から逃げる ka'a bert paakruainra. ~へ ped 自分の家へ帰る ka'a ron bnedoped. ~で le (母方の)おばの家で踊る ka'a tlan dwansodole. ~に(変わる) hek 彼は部長に昇進した。 jaa'a ponachen klaynamhek. ~で(使う) pas 罪人を法で裁く 'a lwan paakruahe meepas ~のための(に) loo 彼は私のために尽くしてくれた jaa pomoh kaloo mee. ~以外 tugh 私以外で10人いる。 paole'a mel pi10 katugh. ~を入れて bay 私を入れて11人いる。 paole'a mel pi11 kabay. ~と共に o 私は母と一緒に店へ行った。 ka'a pogey kawpped mol'o ~と共に(古形) oz 我は全てと共にあり。 gha'ay 'ayn mong'oz. miwn 男 neen 与える sinl 希望 gaay 人々 bel 嫌う mjao 野菜 bert 逃げる paak/rua/in 刑務所(paak=罪 rua=人 in=所) ron 帰る bne 自分自身の tlan 踊る dwan おば sun ~も na/chen 昇進する、格が上がる(na=格、地位 chen=上昇する) klay/nam 部長(klay=部、支店 nam=長) lwan 裁く paakrua 罪人(paak=罪 rua=人)、古語はbagxuaw
https://w.atwiki.jp/kotozora/pages/106.html
那珂通世遺書 第二章 暦法ノ始マリ 古へ文字モ無ク暦モ無カリシ時代ニハ、年月日ト云ヘル事モ、唯大ラカナル定マリノミナリケンコトハ、本居氏ノ真暦考ニ詳カニ辨ゼラレタル如クニテ、年ノ始モ、季《トキ》ノ始モ、キハヤカニ某日《ソノヒ》ヨリトハアラズ、月次《ツキナミ》モ日次モナク、又四季ノ運リニハツカデ、天ナル月ノ盈虧ニヨレル月ハアレドモ、月々ノ名モナク、何レノ月ヲ始メ終リト云フ次第モナク、年ノ來經《キへ》トハ別事《コトゴト》ナルヲ一ツニ合ス業《ワサ》ナドモナクテ、唯天地ノアルガマヽニテゾアリケル。 應神天皇ノ時、百濟國ヨリ阿直岐王仁等ノ儒士來朝シ、皇太子莵道稚郎子ノコノ二人ヲ師トシテ、典籍ヲ習ヒ給ヒシコトアリ。是レヨリ文學漸ク興リテ、履中紀ニハ、「四年秋八月、始之於諸國置國史、記言事、達四方志」トアレドモ、暦ノ事ハ未ダ見エズ、欽明紀十四年ニ至リテ、「六月遣内臣使於百濟云々、別勅醫博士易博士暦博士等、宜依|番《ツガヒ》上下、令上件色人正當相代、年月宜付還使相代、又卜書暦本種々藥物可上送」トアリテ、同十五年ニ、暦博士固徳王保孫ト云へル人來朝シタルコト見ユ。コレ皇國ニ暦法ノ傳ハリシ始メナリ。其ノ後推古天皇十年ニ及ビテ、紀ニ「冬十月、百濟僧観勤來之、仍貢暦本及天文地理書並遁甲方術之書也、選書生三四人以俾學習於觀勤矣、|陽胡史祖玉陳《ヤコノフビトノオヤゴクチン》、習暦法、大友村主高聰、學天文遁甲、山背臣日並立、學方術、皆學以成業」ト見エ、カクテ同十二年ヨリ、其ノ暦ヲ用ヒ給ヒ、始メテ天下ニ頒チ行ハセ給ヒシナリ、其ハ政事要略ニ儒傳ヲ引キテ、「以小治田朝十二月歳次甲子正月戊戌朔、始用暦日」ト云ヒ、伊呂波字類抄ニ引キ載セタル本朝事始ニモ、シカ云ヘリ。紀ニハ、是日ニ「始賜冠位於諸臣、各有差」トノミアリテ、始用暦日ノ事見エズ。カヽル重事ヲ何故ニ記シ洩サレタルト云フニ、紀ハ人皇ノ始メヨリ日次干支マデモ委シク記シテ、古クヨリ暦日ヲ用ヒラレタル様ニ作リ爲シタレバ、此ノ朝ニ至テ、始メテ用フトハ云ヒ難クテ、殊サラニ略カレタルナラン。 サレバ皇國ニテ、暦法ヲ習ヒ知リテ、暦本ヲ作レルハ、推古ノ朝ニ始マリタレドモ、コレヨリ以前ニテモ、百濟ヨリ奉レル暦本ヲ其ノ儘ニ用ヒ給へル事ハ有リシナルべシ。又百沸朝貢以來ハ、支那三韓ノ士人帰化セン者、甚ダ多ク、概皆文書ヲ知リ、履仲朝ノ史官モ、此等ノ人ヲ用ヒ給ヒシナルベケレパ、當時ノ事跡モ、唯口々ニ相傳フルノミナラデ、諸ノ史氏ノ記録ニ入リタル者モアルベシ。但當時ノ記録ハ、年ヲ紀スルニ、天皇即位ノ年數ヲ用フルコトナク、唯歳ノ干支ノミヲ用ヒタルガ故ニ、某干支年ハ某天皇ノ若干年ニ當レルカハ、容易ニ知リ難キ者モ有リケラシ。 カクテ記紀撰修ノ時ニ當リ、修史ノ材料トナルベキ者ハ、口誦ノ傳説卜諸種ノ記録トニシテ、記ハ、專ラ傳説ニ依リタレバ、歳時月日ヲ擧ゲタル所、甚少ク、叙事モ亦簡略ナリ。紀ハ、傳説ト記録トヲ併セ探リテ、纂修セラレタレバ、叙事詳密ニシテ、記ノ稍詳ナル所、即顯宗天皇以前ノミヲ比較シテモ、既ニ四五倍ニ上レリ。然ルニ此ノ書ハ支那ノ正史實録ノ體ニ倣ハシタレパ、事ヲ叙スルニ、年月ヲ掲ゲザルヲ得ズ。引用セル記録中ニ年月ノアリシ所ハ、其儘用ヒテ、唯干支紀年ヲ歎字紀年ニ改メタルノミナレドモ、上代ニ遡ルニ従ヒ、年月ノ知レザル所、益多カルベケレバ、此等ハ、皆撰者ノ意ヲ以テ、年月ヲ造リ成シテ、史體ヲ裝飾セリト見ユ。 古代ノ干支紀年ノ事ニ付テハ、舊修史局ノ詳細ナル考證アリ。今文學博士星野恒氏ガ嘗テ摘録セル者ヲ左ニ引用ス。 「古昔年疑ナキ以前、年月ニ係ケテ事ヲ記スルニ、世人ハ、某宮馭宇天息若干年ト書キシト思フナレド、左ニアラズ。皆干支ヲ以テ年ヲ紀セシナリ。今其ノ證ヲ擧ゲンニ先ヅ金石器物ノ銘文ニハ、法隆寺ナル藥師佛造像記ノ「池邊大宮治天下天皇大御身勞賜時歳次丙午年」ハ用明天皇元年ヲ云ヒ、銅像釋迦後光銘ノ「甲寅歳三月二十六日」ハ、推古天皇二年ヲ云ヒ、觀世音菩薩造像記ノ「歳次丙寅正月生十八日」ハ、同天皇十四年ヲ云ヒ、繡帳銘ノ「歳在辛巳十二月二十一日癸酉日入」ハ、同天皇二十九年ヲ云ヒ、立像釋迦如來後背銘ノ「戊子年十二月二十五日」ハ、同天皇三十六年ヲ云ヒ、好古小録ニ載スル船氏墓誌ノ「阿須迦天皇之末歳次辛丑十二月三日庚寅」ハ、舒明天皇十三年ヲ云へル等ナリ。又典籍ニ記シタルハ、古事記ノ崇神天皇ヨリ推古天皇マデノ崩年、上宮聖徳法王帝説ノ欽明天皇ヨリ孝徳天皇マデノ記事、皆干支ヲ以テ年ニ係ケタリ、大化建元以後ニ至リテモ、年號ナキ時ノ記事ハ、皆干支ヲ以テ年ヲ紀セリ。其ノ證ハ、金石文ニハ、好古小録ニ載スル小野ノ毛ノ人ノ朝臣ノ墓誌ノ「飛鳥淨御原宮天下天皇御朝云々歳次丁丑年十二月上旬」ハ、天武天皇六年、上野國山名村碑ノ「辛巳歳集月三日」ハ同天皇十年、博物館ニ藏スル美努岡萬連墓誌ノ「飛鳥淨御原天皇御世甲申年」ハ、同天皇年十三年、又好古小録ニ載スル河内國石河郡形浦山碑ノ「飛鳥淨原大朝庭云々己丑年十二月二十五日」ハ持続天皇三年、又妙心寺鐘銘ノ「戊戌年四月十三日壬寅」ハ文武天皇二年ヲ云ヒ、其ノ書ニ見エタルハ、播磨風土配ノ「浮御原朝庭甲申年七月」ハ、天武天皇十三年ヲ云へル事ナリ。常陸風土記ノ「難波長柄豊前大朝取宇天皇之世己酉年」ハ、孝徳天皇大化五年、「難波長柄豊前大宮馭宇天皇之世契癸丑年」ハ、同天皇白雉四年ヲ云へル類ハ、年號アル時ニモ、猶古來ノマヽニ干支ヲ以テ年ヲ紀セリ。大安寺流記資財帳ニ歴代佛像封戸等ヲ納メラレシ事ヲ記セル内ニ、「前岡本宮御宇天皇以庚子年」ハ、舒明天皇十二年、「袁智天皇坐難波宮而庚戊年」ハ、孝徳天皇白雉元年、「飛鳥淨御原宮御宇天皇歳駅癸酉」ハ天武天皇二年、「飛鳥淨御原宮御宇天皇甲午年」ハ持統天皇八年ヲ云ヘルナド、皆干支ニテ記シ、「平城宮御宇天皇以養老二年歳次壬戌云云」ヨリ以後ハ、始メテ年號某年ヲ以テ記セリ。サテ又異樣ナル年號ニテ記セル者アリ。釋日本紀ニ引キタル伊豫國風土記ニ載スル湯岡碑ノ「法興六年十月歳在丙辰」ハ推古天皇四年、法隆寺ナル金堂釋迦如來造像記ノ「法興元三十一年歳次辛巳十二月」ハ、同天皇二十九年ナリ。此類猶多シ。此等ノ諸證ニ據レバ年號紀年ノ外ハ皆干支ヲ以テ年ヲ記シ、絶エテ某天皇若干年卜稱スル者ナシ。タヾ藥師寺東塔擦銘ニ、「維清原宮馭宇天皇即位八年庚辰之歳建子之月」トアルハ【(通世云、庚辰歳ハ、日本紀ニ據レバ、天武天皇九年ナルヲ、此年ノ銘ニ八年ト云ヘルハ、天皇ノ二年癸酉ノ歳ヲ以テ、元年ト立テタルナリ。天武紀ノ元年壬申ノ歳ハ、實ハ弘文天皇ノ御世ナルヲ、後ノ御世ニ至リ、弘文天皇を御代ノ數ヨリ除キテ、其ノ年ヲ天武天皇ノ元年ニ改メタル由ハ伴信友氏ノ長等ノ山風ニ、委しき考證アリ)】前ノ諸證ト異ナレドモ、狩谷棭斎ノ考ニ、コノ擦銘ハ文武天皇ノ時鑄造シタル者ナリトイヘバ、跡ヨリ追書セルモノニテ、前例ノ限ニアラズ。日本書紀ニ引ケル百濟記ニ、「壬午年、新羅不奉貴國」トアルハ、神功皇后攝政六十二年、「蓋鹵王乙卯年冬、狛大單來攻大域」ハ、雄略天皇十九年、百濟新撰ニ「己巳年、蓋鹵王立」トアルハ、允恭天皇十八年力、マタ「辛丑年蓋鹵王遣王弟現支吾君向大倭」ハ雄略天皇五年、百濟本記ニ「大歳辛亥三月、師進至安羅、營乞屯城」トアルハ、繼體天皇二十五年ニシテ、何レモ干支ヲ以テ年ヲ紀シ、某王若干年トイハズ。百濟ハ皇國ニ忠誠ヲ致シ、貢聘相繼ギ文物ヲ傳ヘシコト、舊史ニ歴見スレバ、本邦ノ、干支ヲ以テ年ヲ紀セシハ、或ハ百濟ノ例に依ラレシカ。【以上局説採要】 中根元圭ノ皇和通暦ニ「持統天皇遡至神武天皇、歳月支干、昭然可見、而推諸異邦諸暦、率多牴牾、伏稽崇神天皇時、遠荒不奉正朔遣六師討之、載有明文、則知吾邦神聖開基自有若天授民之教焉、世多憾歴古脊魑湮滅不傳也、今特因史籍支干朔望之所在、推而求之、則其法具存矣、蓋千三百餘年間、三更斗憲、神武天皇東征甲寅以至仁徳天皇十年壬午、凡九百八十九年、一法、今號曰上古暦、同十一年癸未以至皇極天皇元年壬寅、凡三百二十年、一法、今號曰中古暦、同二年癸卯、以至持統天皇五年辛卯、凡四十九年、一法、今號曰晩古暦」卜云ヘリ。此ノ元圭ト云ヘル人ハ、暦道ニ卓レテ精シキ人ト聞ユレバ、日本紀ノ支干朔望、記載ニ三様ノ差アルハ、サル事ナルベケレドモ、此レハタ上古ニ暦法アリシ證トハ爲ラズ。伴信友ノ日本紀年暦考ニモ「いはゆる上古中古晩古の三暦を神聖開基若天授民之教といへるは、そのかみの國史を熟く讀みて、世のさまを稽へわきまへざりつるが故に、暦法の異なるに惑ひ、書紀の崇神天皇の御世に遠荒不奉正朔と記されたる、此紀の例の漢文の潤飾の正朔の語に泥めるにて、かたはらいたき説なリ」ト云ヘリ。 神武天皇以來ノ支干朔望ノ記ハ、推古天皇ノ時始メテ用ヒ給ヘル百濟ノ暦法ニ基キテ、倒ニ推シ上ゲタルニテアルベケレドモ、完全ナル長暦ノ有ラザリシニ由リテ、置閏ノ法ニ小差ヲ生ジテ、仁徳天皇十年前後ニ、支干朔望ノ推算ヲ異ニシタルマデノ事ニシテ、上古暦中古暦ナド云へル言痛キ名稱ヲ附クベキニ非ズ。紀ノ撰者ガ年數ノ繰リ方ニ疎カナリシコトハ、列聖ノ崩年ト立太子ノ所ニ記シタル御年ト多クハ合ザルヲ見テモ知ラルレバ、逆推ノ晦朔ニ違算ヲ生ジタルコトハ、何ゾ怪ムニ足ラン。 皇極天皇二年ヨリ暦法ノ改マリシコトハ、伴信友モ「百濟改暦の法なりしか、又はこなたにて改めさせ給へるか、考ふベき由なし」ト云ヘルガ如ク、紀ニモ明文ナケレバ詳カナラズ。 平田篤胤氏ノ天朝無窮暦ノ説ニ至リテハ、神字日文傳ト同ジク、最モ附會ニシテ、論ズルニ足ラズ。 那珂通世遺書 第三章 辛酉革命ノ事 日本紀ニ記シタル上代ノ年月ハ、後世ノ逆推ニ出デタルコトハ前章ニ述べタルガ如シ。カクテ神武天皇ノ 即位元年ヲ、推古天皇以前一千二百餘年ノ辛西ノ歳ニ置ケルハ、元來事實ニモ言傳へニモ基キタルニ非ズ、 辛酉革命ト云へル魂緯家ノ説ニ據リタル者ナリ。革暦類ニ載セタル、昌泰三年庚申十一月二十一日文章博士 三善宿彌清行ガ預論革命議ニ「臣竊依易説而按之、明年二月、當帝王革命之期、君臣剋賊之運、凡厥四六二六 之數、七元三變之候、推之漢國、則上自黄帝、下至李唐、曾無毫釐之失、考之本朝、則向上始自神武天皇、 向下至于天智天皇、亦無分銖之違、然則明年事變、豈不用意乎云云、變革之際、必用干戈、蕩定之中、非無 誅斬、何者帝王革命、此周易革卦之變也、按革卦、離下兌上也、離爲火、兌爲金、金雖有從革之性、非得火 則不變、故金火合體、上下相害、版蕩之理巳窮、君臣之位初定、國之不祥、無甚於此」トテ、群臣ヲ勅勵シ テ、戒嚴警備セラレン事ヲ願ヒ、又昌泰四年辛酉二月二十二日同人ガ請改元應天道之状ニ「一、今年當大變 革命年事、易緯云、「辛酉爲革命、甲子爲革令」 鄭玄曰、「天道不遠、三五而反、六甲爲一元、四六二六相乗、 七元有三變、三七相乘、廿一元爲一蔀、合千三百廿年」春秋緯云「天道不遠、三五而反」宋均注曰、「三五、 王者改代之際曾也、能於是際、自新如初、則道無窮也」詩緯云、「十周参聚、氣生神明、戊午革運、辛酉革命、 甲子革政」注曰、「天道卅六歳而周也、十周、名曰王命大節、一冬一夏、凡三百六十歳、一畢無有餘節、三推終 則復始、更定綱紀、必有聖人改世統理者、如此十周、名曰大剛、則乃三基金聚、乃生神明、神明乃聖人改世 者也、周文王戊午年、決虞芮訟、辛酉年、青龍銜圖出河、甲子年赤雀銜丹書而至、武王伐紂、戊午日、軍度 孟津、辛酉日、作泰誓、甲子日入商郊」謹按、「易緯以辛酉爲蔀首、詩緯以戊午爲蔀首、今主上以戊午年爲昌 泰元年、其年又有朔旦冬至、故論者、或以爲應以戊午爲受命之年、然而本朝自神武天皇以來、皆以辛酉爲一 蔀大變之首、此事在文書未出之前、天道神事、自然符契、然則難有兩説、猶可依易緯也、又詩緯以十周三百 六十年爲大變、易緯以四六二六爲大變、二説雖異、年數亦同、今依緯説、勘合和漢舊記、神倭磐余彦天皇從 筑紫日向宮、親帥船師東征、誅滅諸賊、初營帝宅於畝火山東南地橿原宮、辛酉年春正月即位、是爲元年、四 年甲子春二月、詔曰諸虜已平、海内無事、可以郊祀、即立霊畤於鳥見山中云云、謹按日本紀、神武天皇、此 本朝人皇之首也、然則此辛酉可爲一蔀革命之首、又本朝立時下詔之初、又在同天皇四年甲子之年、宜爲革命 之證也」ト云ヒテ、和漢ノ史書ニ見エタル辛酉甲子ノ年ノ變事ヲ引キ合セ、推古天皇九年辛酉ニハ「聖徳太 子、初造宮于班鳩村、事無大小、皆決太子、是年有伐新羅救任那之事」ヲ引キ、其十二年甲子ニハ、冠位ヲ 制シ憲法ヲ定メ給ヒシヲ以テ、甲子革令ノ驗トナシ、カクテ神武天皇即位辛酉ノ年ヨリ齊明天皇六年庚申ノ 年マデ千三百廿年ヲ以テ一蔀トシ、同七年辛酉ノ年ヲ第二蔀ノ首トシテ、其ノ年天皇崩ジ給ヒテ、天智天皇位 ニ即キ給ヒ、ソレヨリ三年ヲ經テ、甲子ノ年ニ冠位ヲ換へ、諸ノ氏ノ上ニ兵器ヲ賜ヒ、民部家部ヲ定メ給ヒ、唐ノ使 郭務棕等來朝シタル事ドモヲ引キテ、革命革令ノ徴ナリト論ジ、サテ「謹按、自天智天皇即位辛酉之年、至 于去年庚申、合二百卅年、此所謂四六相乘之數已畢、今年辛酉、當於大變革命之年也云々、清行去年以來、 陳明年當革命之年、至于今年、徴驗已発、初有知天道有信聖運有期而已トテ、改元アランコトヲ奏議シタルコ ト見ユ。カクテ此奏ニ由リテ、ソノ年七月十五日延喜ト改元アリキ。天智天皇ノ即位ハ、天智紀二。「七年 (戊辰年)春正月丙戊朔戊子、皇太子即天皇位」其註ニ「或本云、六年歳次丁卯春三月即位」トアリテ、辛酉 年ヨリハ六七牟ノ後ニアレドモ、實際天下知シメシタルハ、辛酉年ヨリノ事ニシテ、ソノ年ニ白鳳ト改元ア リシコト、水鏡、如是院年代記、海東諸国記等ノ諸書ニ見エタレバ、辛酉ヲ以テコノ天皇ノ即位元年トシタ ル傳ヘモアリシナルベシ。「至于今年、徽驗已發」トハ、ソノ年正月菅原右大臣左遷ノ變アリシヲ謂ヘルナリ。 此ヨリ後辛酉甲子ニ當レル年ニハ、必改元アリ、其ノ度毎ニ、紀傳明經暦算陰陽諸道ノ博士助教ヲシテ、革 命革令ノ當否ヲ勘奏セシメ給フコトヽ爲レリ。 伴信友ノ日本紀年暦考ニ「上古の暦日のおもむきは、眞暦考にいはれたる、まことにさる事なるべきに、 日本紀に記されたるもろこし風《ブリ》の年紀暦日《トシダテヒヨミ》は、いかにして定められけむ」トテ、清行朝臣ノ請改元之状ヲ引 キ、「さるはいと信《ウケ》がたき説ながら、もろこしにて、舊くより然る説をたて丶いひさわげるものありしなり。 今其の論説につきて、さらに按ふるに、神武紀の首章に、東ノ征《コトムケ》として幸《イデ》ませる事を記して、始て年の干支を 擧て、是年也大歳甲寅と記し、これより干支を舉て年紀《トシダテ》を記されたり。さてその甲寅の干支も、もろこしに て、爾雅に十干先甲、十二支先寅曰摂提絡、淮南子に天維建元常以寅始也、三五歴記に歳起摂提、元気肇始、 有神人號天皇といへる趣の説に合《カナ》へるに似たり。又同紀戊午年に、御兄五瀬命軍中に薨給ひ、また饒速日命、 長髄彦を殺して、帰順《マツロ》ひ奉りたる由記されたる事どもは、いはゆる革運ノ年ともいはゞいふべきに似たり。故 つら〳〵考ふるに、そのかみもろこしにて作りたる干支を世に用ひられたることのあるべくもあらず、年次 月次日次の定まりすら、もはら後のごとくにはあらざるべきことわりなるに、件の甲寅戊午辛丙甲子の年に當 りて、御所爲《ミシワザ》の合へるさまにきこゆるは、もろこしの暦法を用ひらるゝ御世となりて、それより上つかたの 事どもは、暦によりたる年月日を當て書記せるものゝ、やうやくにいできたりけむを、はるかに遠き御世の古 伝説は、近くさだかなる御世よりかづ〳〵推のばせて、神武天皇の御上におしおよびては、其かみの御所爲《ミシワザ》の 次第《ツイデ》にあはせて、件の四干支を當て、もろこしの星運の説に合せて、年紀をと丶のへられつるものなるべし。 但しそは日本紀を撰ばるとて、あらたに然ものせられたるにか、 【続紀元正天皇の養老五年、一月の詔に「世諺云、歳在申年、常有事故、此如所言云々」と詔へることみえたり。此前年、日本紀奏龜ありき。そのかみはやくより、歳につけて吉凶などさだむる説のありて、世諺にもいふばかりなりし御世のさま、はたおもひ合すべし。扨かく考出たる事は、清行朝臣の、革命革令の星運の説を主張して、神武天皇の御世の趣に牽き合せられたる説によりて、己は、反りて上古の年紀を定められたりけむ趣を推考へたるなり。】 またはやくより史などの、然年紀を作りて當たる書のありしにてもあるべし。さるはは やく神功皇后の御時より、かづ〳〵漢文字を用ひ給ひ、年次月日などをば、もろこしざまの韓國の正朔を取 用ひ給ひぬるめれば、其定に書記せるものもありけむを、古事記にはその御世のころはさらなり、うけはり てもろこしざまの暦を行はせ給へる推古天皇の御世まで記さしめ給へるに、年紀月日に係てきはやかに記け る事の、ひとつも見えたることなきは、天武天皇の大御慮に、ふかくおもほす趣ありて、みながら年紀月日 をも記させ給はざりつるなるべし。古事記序に「天皇詔之、朕聞、諸家之所賚帝紀及本辭、既違正實、多加虚 僞、當今之時、不改其失、未經幾年、其旨欲滅、斯乃邦家之經緯、王化之鴻基焉」とみえたるは、既に前世の 事を年紀月次などを推量りて定め記せる書のありけるをも、「既違正實、多加虚偽」とのたまへる中のひとつ にて、よろづにおほらかに記させいふべき御心しらひなかりしかばなるべし。されどもろこし書に比べては、 あまりにはかなげにて、あかぬ事におもはるべき世のさまなれば、さらに日本紀を撰ばしめ給ひ、もろこし 書にきそひて、ことさらに年紀月日をも定め當て丶、知らる丶かぎりはくはしく訂して、よろづに委しく記 し給へるものなるべし」卜云ヘリ。誠ニ古史ノ祕密ヲ看破シタル論説ナリ。サレバ清宮秀堅ノ新撰年表ノ題 言ニモ、「或云推古以前ノ紀年ハ、修史ノヲリ逆推シテ定メタルモノナリ。ソレユヱ諡號モ、推古ト稱スト。 此ノ言理アルニ似タレドモ、日本紀ハ、當時史料數種ニヨラレ、千有餘歳用ヒ來レル正史ユヱ、一概抹殺シ ガタシ。故ニ姑ク舊ニヨリ、改メズ」ト云ヒテ、其ノ自註ニ「或書云神武天皇辛酉ノ即位ハ、易緯ニ辛酉革 命甲子革令ト云フ説ニヨラレ、其年ヨリヨキホドニクリサゲシナルベシ。後來辛酉改元甲子改元等モ、コレ ニヨラレシコトヽ見ユ」ト云へル或書ハ、伴氏ノ年暦考ヲ指セルナルベシ。 伴氏ガ爾雅淮南子三五暦紀ヲ引ケルハ、谷川士清ノ書記通證ニ引カレタルヲ又引キタルニテ、十干先甲、 十二支先寅ヲ爾雅ノ文トシタルハ、通證ヲフト讀ミ誤レルナリ、通證ニ云ヘル趣ハ、爾雅ノ釈天ニ十干ヲ記 スルニハ、甲ヲ先トシ、十二支ヲ記スルニハ、寅ヲ先トシテ「太歳在甲曰閼逢、太歳在寅曰攝提格」トアリ ト云ヘルナリ、又「天維建元、當以寅始起」ハ、淮南子天文訓ノ語ニシテ、同篇ニハ「太陰元始、建于甲寅 云々」トモアリ、史記ノ隊暦書、漢書律歴志等ノ説ニ據レバ、天地ノ成立シ終リタル天皇太帝元年ノ歳首ハ、閼 逢攝提格、即甲寅ノ冬十一月甲子ノ日、夜半朔日冬至ニ當リテ、七曜皆會シ、日月如合璧、五星如蓮珠ナリ シヲ、暦家ハ、握先紀ト號シテ、暦元卜立ツル由云ヘリ。三五暦紀ハ呉ノ徐整ノ撰ニシテ、今ハ其ノ書佚シ タレドモ、彼ノ語ハ太平御覧藝文類聚、徐堅ノ初學記等ニ引用セラレタレバ、通證ハソレラノ書ヨリ又引キ タルナラン。神代紀発端ノ一節ハ、全ク潅南子ト三五暦紀トノ語ヲ採リテ、文ヲ成シタルヲ見レバ、太祖ノ 大御業始メ給ヒシ年ヲ、「是年太歳甲寅」ト記サレタルハ伴氏ノ云ヘル如ク、淮南子三五暦紀ナドノ説ヨリ思 ヒ附キ給ヒテノ事ナルベシ。 伴氏ノ論説ニツキテ猶考フルニ、古事記ニ「神倭伊波礼毘古命、與其伊呂兄五瀬命二柱坐高千穂宮而議、云 坐何地平聞看天下之政猶思東行即自日向発幸御筑紫、故到豊國宇沙之時云云、自其處遷移而、於筑紫之岡田 宮一年坐、亦自其國上幸而於阿岐之國之多祈理宮、七年坐、亦從彼國遷上幸而、於吉備之高島宮八年坐、故從 其國上行之時經浪速之渡而泊青雲之白肩津。此時登美能那賀須泥毘古與軍待向以職云云」トアリテ、日向ヲ 出デ給ヒテヨリ、長髄彦ト戦ヒ給フマデ、少クトモ十六七年ハ歴給ヒキ。サレバ記傳【十八ノ十丁裏】ニモ「此記の趣 は、未何國と定賜へることはなくて、唯東ノ方に幸行て、行々美地を求賜ふと聞えたり。邇々藝命の國覓給 ひしと同じさまなるべし。故レ阿岐ノ國にも七年、吉備ノ國にも八年座セり。若シ始メより大倭ノ國と定メて幸行《イデマサ》むに は、半途《ミチノナカラ》にかくまで久しく留りたまふべくもあらずかし」ト云ヘリ。然ルニ日本紀ハ、日向ニテ譲り給ヒシ時ヨ リ、既ニ「東有美地、青山四周云々、余謂彼地當足以恢弘天業、光宅天下云々、何不就而都之乎」トテ、大倭ヘ ト定メテ出立《イヲ》セル趣ニ書キ改メ、サテ筑紫ニ至リマセル翌月、安藝ニ至リ給ヒ、其ノ翌年、吉備ニ徙リ給ヒ、 後三年ニシテ、長髄彦ヲ討チ給ヒシ由記サレタレバ、發駕ノ年ヨリ僅ニ五年ニ過ギズ。サルハ、甲寅戊午ノ 干支ニ合ハセンガ爲ニ、行々美地ヲ求メ給ヒシ途中ノ年數ヲ滅ゼラレタル者ナルベシ。又倭國既ニ平ギタル 上ハ、直ニ天日嗣知ロシメサンコトハ、當然ノ事ナルヲ、其ノ後三年ニ至リテ、『辛酉年春正月庚辰朔、天皇 即帝位於橿原宮、是歳爲天皇元年」ト記サレタルハ、辛酉革命ノ年ヲ元年ト立テラレンガ爲ナリト知ラル。 抑讖緯ノ學ハ、支那ノ古代ヨリ行ハレタル陰陽五行ノ説ニ胚胎シ來リ、前漢ノ末ニ至リ圖繊ノ書トテ、 天文暦數ニ附曾シテ後事ヲ豫言セル者、アマタ世ニ著レタリ、王葬、甚之ヲ尚ビケレバ、時人其ノ意ニ阿リ、 競ヒテ讖文ヲ作リ、符命(上帝ノ示現)ト號シテ之ヲ奉リテ、莽ノ逆ヲ助ケタリ、光武帝モ又其ノ説ニ惑ヒ、 人ヲ用ヒ政ヲ行フニモ、多クハ符命ヲ以テ疑ヲ決シ、遂ニ詔ヲ下シテ、讖書ヲ國内ニ宣布セシカバ、其ノ學 大ニ世ニ行ハレ、馬融鄭玄ナド云ヘル大儒マデモ、皆其ノ説ヲ採リテ諸縦ノ註釈ニ用ヒタリ。其ノ書、主要 ナル者數十部アリ、儒者ノ七經卜經緯ノ用ヲ爲ストテタ、緯書ト號シ、易緯書緯詩緯礼緯樂緯孝經緯春秋緯ノ 七類ニ分ル、其ノ外讖緯ニ属スル雜書、甚多カリキ。 支那ニテ緯書ノ最モ盛ニ行ハレタルハ、東漢ヨリ隋マデノ間ニシテ、晋武帝、秦王符堅、宋孝武帝、梁武 帝ナド、皆圖讖ノ學ヲ禁ジタルコトアレドモ、其ノ令行ハレザリシガ、隋ノ文帝、之ヲ禁ズルコト逾厳シ ク、煬帝ニ至リ、使ヲ發シテ、國内ノ書籍ノ讖緯ト關渉スル者ヲ捜リテ、皆焚カシメタリ。其ノ後唐ノ儒 臣、五經正義ヲ作ルニ及ビテ、頗ル其ノ説ヲ排斥シタリシカバ、其ノ學遂ニ衰へ、今ニ至リテハ、其ノ書皆 散逸シテ、易緯乾鏖度及乾坤鑿度ノ外ハ、一部モ全ク存スル者ナシ。皇朝ニハ、足利氏ノ世ノ頃マデ、緯書 頗ル存シタレドモ、今ハ全ク失セタリ。清行ノ引キタル春秋緯ノ語ハ、保延七年辛酉、右京大夫藤原敦光、 建仁三年癸亥、陰陽博士阿部晴光等ノ勧奏ニ、春秋合誠圖曰ト云ヒ、後漢書郎顕傳ノ章懐太子注ニ合誠圖ノ 此ノ文ヲ引キ、天道ヲ至道ニ作リ、宋均注ノ文ハ、「三三正也、五五行也、三正五行、王者改代之際会也。能 於此際自新如初、則通無窮也」トアリ。詩緯ノ語ハ、嘉吉四年甲子、暦博士貿茂在成、文亀四年甲子、参議 菅原和家等ノ勘奏ニ、詩緯推度災ニ曰クト云ヘリ、推度災ノ遺文ハ、明ノ孫轂ガ古微書及ビ玉凾山房輯佚書ニ數 十條見エタレドモ、清行ノ引キタル語ハ、已ニ佚セリ。易緯ノ語ニツキテハ、元應三年辛酉大外記中原師緒 ノ勘奏ニ「易緯十巻之中無件文、此外有他緯哉否、曾以愚管所不窺見也、粗考典籍、五經暦算引易説、有此 文、同暦紀經歟、此書等、非聖人之著作、尚貽疑殆、出於緯候之説、可謂幽玄之義、我若无本書之所見、以 何説立四六二六之乗數、可及革命當否之沙汰乎、今度宜被決群才、被垂法於將來者歟」卜云ヘリ。暦紀經ト 云へルハ、唐ノ王肇ガ著セル開元暦紀經ト云へル書ニシテ、清行ノ革命ノ議ハ、大抵其書ノ趣旨ニ本ヅキタ ルガ如ク見ユ。 漢學ノ皇國ニ入リタルハ、東晋南朝緯書流行ノ際ニ當リ、之ヲ傳ヘタル百濟人ハ、殊ニ陰陽占卜ノ説ヲ好 メリ。宋書夷蠻傳ニ、文帝嘉元二十七年、百濟王餘毘【三国史記ノ毘有王】ノ「奏求易林占式腰弩」タルコトヲ載セ、通典 邊防東夷ノ處ニ百濟ノ俗ヲ叙シテ、「俗重騎射、兼愛墳史、其秀異者、頗解屬文、又解陰陽五行、用宋元嘉暦、 以建寅月爲歳首、亦解医薬卜筮占相之術」トアリ。欽明天皇、百濟ヨリ医博士易博士暦博士ヲ招キ給ヘル時、 卜書暦本及天文地理書並遞甲方術之書ヲ貢シ、大友ノ村主高聴ハ、天文遁甲ヲ學ビ、山背臣日並立ハ、方術ヲ 學ビ、皆業ヲ成セリ。其ノ後天武天皇ハ、天文遁甲ヲ能シ給ヒ、始メテ占星臺ヲ興シ給ヒ、此ヨリ陰陽道ノ 一科超リテ、國家須要ノ一方術トナリ、遂ニ陰陽寮ナル一局ヲ設ケテ、大學寮ト並立シ、專ラ其ノ道ヲ講ズ ル事ト爲レリ。サレバ革命革令等ノ運數ノ説ヲ唱ヘタルモ清行ニ始マレルニ非ズ。養老五年辛酉二月ノ詔ニ、 「世ノ諺云、歳荘申年、常有事故、此如所言、去庚申年、咎微屡見、水旱並襲」卜云ヒ、寶亀十一年庚申正月ノ 詔ニハ「今三元初暦、萬物惟新、宜順陽和播茲凱澤」トテ、大赦ヲ行ヒ、田租ヲ免シ、サテ明年辛酉正月朔、天 應ト改元アリキ。清行ノ時ヨリ稍後ノ事ナガラ、寛仁四年庚申十一月宇佐恒例使ヲ立テサセラレタル宣命ニ ハ、「世諺仁庚申辛酉能歳者、天下不靜登從古傳來礼利」卜云へルヲ見レバ、此等ノ運數ノ説ハ、古クヨリ行ハレ タルコト著シ。 革命ノ期ト云へル事ハ、周易革卦ノ象二「革、水火想息云々、天地革、而時四成、湯武革命、順乎天而應 乎人、革之時大矣哉」、其ノ象ニ「澤中有火、革、君子以治歴明時」ト云ヘルニ本ヅキタル説ニシテ、之ヲ辛酉 ノ歳ニ當ツル理由ハ、寛仁五年辛酉、助教藤原頼隆ノ勘奏ニ、「礼記月令云、其日庚辛、注云、庚之言更也、 辛之言新也、萬物皆新變更也、尚書洪範云、金爲從革、金性能改也、按五行大義、金之正方在酉、含煞氣矣、 故以兌上離下象革卦矣」ト云ヒ、【五行大義ハ、隋ノ蕭吉ガ著セル五行書ナリ。】承暦四年庚申、東宮學士大江匡房ノ勘奏、永保四年、甲 子、參義藤原實政ノ勘奏、何レモ開元暦紀經ナル「辛酉爲金、戊午爲火、火歳革運、金歳革命、尤協革卦之 躰」ノ語ヲ引キテ、五運行ノ理ヲ述べタリ。諸道ノ博士ノ論ズル所皆此ノ如キ附會ノ説ニ過ギザレドモ、當 時ノ人ハ、之ヲ天理ノ當然卜信ジ、善相公江帥ノ如キ名儒モ更ニ之ヲ疑ハザリシナリ。 中原師緒ノ勘奏ノ続キニ緯説不可用事ヲ論ジ、「古文尚書正義云、其緯文鄙近。不出塞人、前賢共疑、有所 不取也、又云、前漢之時、有東莱之張覇、僞爲緯也、毛詩正義云、緯候之説、僞多而實少也、礼記正義云、 伏犧之後、年代参差、所説不一、緯候紛耘相乖背、且復煩而無用也、今就是等之文、按其義、緯候之説、偽 謬而實少、不出於孔子之説、又非於門徒之録、是故疑難之文、竹帛多存之、縦雖本書設文、不足爲證、矧亦 其文不詳、弥招疑殆者歟、凡術數之盛者、聖人之所賤也、吾道、一以貫之、百慮而一致也、猥不據經史之義、 可用識緯之説乎」ト云ヒテ、辛酉改元ノ事ヲ難ジ、北畠准后親房公此ノ時中納言ナリシガ、「凡聖人之治天下、 必自人道始、興衰治乱、在于徳、不在于天、聞于人、不聞于神之故也、面儒家仍述符命之事、不本徳政之道、 豈非刻鵠之者爲鶩哉、後漢書曰、人情忽於見事、貴於異聞、觀聖王之處記述、以仁義正道爲本非有奇怪虚誕 之事、今諸巧慧小材技數之人、増益圖書、矯禰讖記、可不抑遠之哉云々、就之謂之、如清行朝臣密奏者、見 幾而假事、古之王孫満之流歟、非垂將來之法哉トテ、改元スルニ及バザル旨論奏シタレドモ、採用セラレズ、 先例ニ倣ヒテ元享ト改元アリキ。 其ノ後三年、元享四年甲子二月ノ仗議ノ事ニ付、花園院御記ニ「晦日丙戌晴、傳聞今日甲子仗議云々、後 聞今年不當大變之由、多以議奏云々、又改元無沙汰云々、抑變命變運、古來所恐來也、而先度辛酉之時、緯 候非聖人之著作、頗渉于迂誕之由有沙汰、余思緯候之緕聖人所不用也、以術數推天運、不先徳也、而緯候之説、 非徧爲虚説也、仍或用之、但壽夭無貳、修身俟命、是君子之志也、是以不用天運之術數、唯修徳、緯候之書、不 可遑學之故也、然者雖當變革之年、朝議豈可煩乎、詩緯之自新如始無窮云々、是古緯候之説又如此、況他書乎、 用日新之道、不可關變革之運之條、文已分明、延喜元年雖有改元、四年無沙汰、有日新之道之故也、徳若非 日新者、緯候之説、又不可有違歟、唯在徳之有無、更非變之當否者也、時宜之趣、誠有謂歟、後代君子宜據 用、若不量己徳、謬謂不関變革、豈免天運乎、能可有量耳云々」卜記サセ給ヘリ。此ノ時モ、改元ニ及バズ ト一旦ハ定マリシガ、遂ニハ又先例ニ從フコトヽナリテ、ヤガテ正中ト改元アリキ。其ノ後、一條ノ禅閤兼良 公ハ、三革論ヲ著シテ、此等ノ事ヲ論ゼラレシガ、管々シケレバ、コヽニ引カズ。ソレヨリ後ハ永録四年ト 元和七年ト二回ノ辛酉ノ年ノミハ、故アリテ改元ノ沙汰ナカリシガ、其ノ他ハ先帝ノ元治元年甲子マデ、辛 酉甲子ゴトニ必改元アリキ。 昔ノ學者ハ、辛酉革命ノ説ヲ信ジタルコト、右ニ述ベタルガ如クナレバ、年數ノ慥ナラザル神武天皇ノ元 年ヲ後世ヨリ推定センニハ、辛酉ノ年ナラデハ、之二當ツベキ年ナカルベシ。又此ノ紀元ハ、人皇ノ世ノ始 年ニシテ、古今第一ノ大革命ノ年ナレバ、通常ノ辛酉ノ年ニハ置キ難ク、必一蔀ノ首ナル辛酉ノ年ニ置カザ ルベカラズ。清行朝臣ノ説ニテハ、神武天皇元年辛酉ヨリ、齊明天皇六年庚申マデ千三百二十年、此即鄭玄 ノ謂へル一蔀ニシテ、同七年辛酉天皇崩ジ給ヒテ、天智天皇位ヲ嗣ギ給ヘル年ハ、第二蔀ノ首ナリト云ヘリ。 此ノ説ニ就キテ考フレバ、神武紀元ヲ推定シタル人ハ、先ヅ天智天皇ノ初年ヲ第二蔀ノ首ト定メテ、ソレヨ リ、千三百二十年前ニ逆推シタル者ト思ハル。然ルニ此ノ千三百二十年ト云へル數ハ、甚疑ハシキ者ナリ。 鄭玄ハ、明カニ「六甲爲一元、七元有三變、三七相乘、二十一元爲一蔀」ト云ヘリ。即一元ハ、六十年、七元 ハ四百二十年、之ニ三ヲ乘ズレバ、千二百六十年ニシテ、千三百二十年ニ非ズ、千三百二十年ハ二十二元 ニシテ、三七相乘ノ數ニ非ザレバ、此ノ數ハ恐ラクハ千二百六十二年ノ違算ナルベシ。鄭玄ノ説ニ於テ。一 蔀ハ、果シテ二十一元ナラバ、神武紀元ハ天智天皇ノ初年ヨリ推シタルニハ非ズシテ、其ノ六十年前ナル推 古天皇九年辛酉ヨリ二十一元ノ前ニ推シタル者ナラン、推古朝ハ、皇朝政教革新ノ時ニシテ、聖徳太子、大 政ヲ執リ給ヒ、始メテ暦日ヲ用ヒ、冠位ヲ制シ、憲法ヲ定メ、專ラ作者ノ聖ヲ以テ自ラ任ジ給へル折柄ナレ バ、此朝ノ辛酉ヲ以テ第二蔀ノ首ト定メテ、神武紀元ヲ第一蔀ノ首ニ置カレタルハ、蓋此ノ皇太子ノ御所爲 ナラン。此ノ御世ノ二十八年ニ、皇太子、蘇我ノ馬子、大臣ト共ニ議リテ録シ給へル天皇記及國記臣連伴造 國造百八十部並公民等本記ト云へル史記ノ體裁ハ、極メテ支那ノ本紀世家ナド云ヘル者ニ擬セラレタル べケレバ、神武紀元ノ年ヲ何ノ年ト明記セズバ、體裁|善《ヨ》カラジトテ、緯説ニヨリテ、一蔀二十一元ノ前ノ辛 酉ト定メサセラレシナルべシ。是等ノ書ハ、蘇我氏ノ亂ニ焚ケ失セテ、僅ニ其ノ燼餘ヲ|船史惠尺《フネノフヒトエサカ》ガ疾ク取リテ 中ノ大兄皇子【天智天皇】ニ奉リシ由ナレ共、全本ハ、世ニ傳ハラザリキ。斯テ日本紀撰修ノ時ニ當リ、此ノ紀元ハ太子 撰定ノ舊ニ依リ、其レヨリ九百年許、即神功阜后マデノ事跡ニ闘シテハ、紀ノ撰者ガ、長暦ニ依リテ、其ノ年 月日ヲ作リ給ヒ、又其ノ後三百年間ノ事跡ニテモ、年月ノ知レザル者ハ、撰者ノ填補シ給ヒシ者アルべシ。 青山延于ノ皇朝史略ノ凡例ニ、「是編、推古已前未行暦怯、則概不係年月、從古事記書法、推古十二年、始 行暦法、自是已後、係以年月云」トアリ。是ノ書ハ、大日本史ヲ節略シタル者ナルニ、本書ガ日本紀ノ年月 ヲ用ヒタルニ拘ハラズ、一概ニ省略シタルハ、史家ノ作爲ニ出デシ者ト判定シタルガ故ナリ。 事實ヲ直書スべキ歴史ニ於テ右ノ如キ作爲ノ事アリテハ、縦ヒ正史ニ立テラレタリトモ、世人ノ疑訝ヲ招 クべキガ如ク思ハルレドモ、當時ノ人情ニテハ、サニアラズ。上下擧リテ漢風ヲ喜べル時ナレバ、四史ノ體 裁ノ改良セルハ、最モ世人ノ好尚ニ適シ、又國初ト云ヘバ、世界ノ太始ノ如ク考フルハ、國史ヲ讀ム人ノ通 情ナリシカバ、神代ニ続キタル人皇ノ初世ノ、支那三代ノ末ナル東周ノ世ニ當レルヲ、イカデカ上リ過ギタ リトハ思フべケン。列聖ノ長壽ノ如キハ、神代ニ近キ世ノ當然ノ事トシテ、誰モ怪ム者ハ無カルベシ。カク テ此ノ年紀ハ、一般ニ信用セラレタルナリ。
https://w.atwiki.jp/prdj/pages/2448.html
ガーディアン・スクロール Guardian Scroll この無害な様子の巻物は、非常に鋭い刃を露出して、優美に蛇行しながら飛び回る。 ガーディアン・スクロール 脅威度3 Guardian Scroll CR 3 経験点800 N/超小型サイズの人造 イニシアチブ +2; 感覚 暗視60フィート、夜目;〈知覚〉+0 防御 AC 15、接触15、立ちすくみ12(+1回避、+2サイズ、+2【敏】) hp 27(5d10) 頑健 +1、反応 +5、意志 +1 DR 5/魔法; 完全耐性 押し潰し、殴打、および人造の種別特性、落下ダメージ 弱点 [精神作用]効果に対する感受性、[火]に対する脆弱性 攻撃 移動速度 10フィート、飛行40フィート(完璧) 近接 スライス=+9(1d4+3、加えて1d2“出血”および“つかみ”) 接敵面 2・1/2フィート; 間合い 0フィート 特殊攻撃 窒息させる包み込み、締めつけ(1d4+3)、出血攻撃(1d2)、つかみ(中型) 一般データ 【筋】14、【敏】15、【耐】―、【知】4、【判】10、【魅】12 基本攻撃 +5; CMB +5(+9組みつき); CMD 18 特技 《回避》、《かすめ飛び攻撃》、《神速の反応》 技能 〈軽業〉+4、〈知覚〉+20 言語 共通語(話せない) 生態 出現環境 気候問わず/地形問わず 編成 単体、2体、または収蔵品(3~6) 宝物 なし 特殊能力 窒息させる包み込み(変則)/Smothering Wrap ガーディアン・スクロールがクリーチャーをつかむ時、その敵の頭に密着しつかみ完全に覆う。スクロールによって掴まれるクリーチャーは見ることができず、喋ることができず、音声要素を必要とする呪文を発動できず、息を止めていなければならない( Pathfinder RPG Core Rulebookの445ページの窒息を参照)。話さず頭を通して呼吸をしていないクリーチャーはこの影響を受けず、他の方法を通して見ることのできるクリーチャーは盲目状態にもならない。組みつき状態である間ガーディアン・スクロールを目標とする攻撃は半減ダメージをスクロールへ、もう半減ダメージを組みつき状態のクリーチャーへ与える。 [精神作用]効果に対する感受性(変則)/Susceptible to Mind-Affecting Effects 知性のある人造として、ガーディアン・スクロールは[精神作用]効果の対象となる。 ガーディアン・スクロールは欺く人造であり、魔法の実践者の隠れ家、図書館、神聖な文書を護るために設計され、魔法をかけられた紙やパピルスから作られる。侵入者が最初に合言葉を話すことなくさもなくば入るための許可なく、禁じられた範囲に入る、あるいは禁じられた物体に触れると、ガーディアン・スクロールは攻撃する。休んでいる時ガーディアン・スクロールは無数の種類の魔法か非魔法のスクロールと同一のものに見える。ガーディアン・スクロールが活動すると、空中に浮かび上がり、長さほぼ4フィートに広がる。目標に接近し、気軽に容易に空中を漂う。攻撃する時、先端が鋭くなり、刃のような鋭さを持つ。この巻物は目標を駆け抜けて露出した肉から自身の全長を抜き、後でひどく出血する長く深い痛みを伴う斬撃を残す。しかしこれはスクロールの唯一の攻撃手段ではない。瞬く間に、中型あるいはそれより小さいクリーチャーを包み込むことができ自身を収縮させる。その締め付けの強さは巨大な蛇ほどではないが、ガーディアン・スクロールはクリーチャーを盲目状態にし窒息させるために、目標の顔に周りに戦略的に包み込むのに十分な程知的である。 作成法 Construction ガーディアン・スクロールの体は通常生きている知的な樹木あるいは植物のクリーチャーから作成された紙でできている;抽出の複雑なプロセスは通常元となったクリーチャーを破壊する。この理由のため、ガーディアン・スクロールの作成は通常悪の行為である。大型あるいは中型のクリーチャーはガーディアン・スクロールを数十体作るのに十二分な紙を提供できる。この目的のために使われる紙は、より多くの費用がかかる通常のパルプの原料からDC25の〈製作:錬金術〉判定に成功することで作り出すこともできる。この代わりのプロセスの追加のコストと価格は下記のデータ・ブロックに括弧書きされている。 ガーディアン・スクロール Guardian Scroll 術者レベル 8; 市価 5,000gp(7,500gp) 作成要項 必要条件 《人造クリーチャー作成》、ブルズ・ストレンクス、フォールス・ライフ、フライ、レッサー・ギアス、マジック・ウェポン、メイク・ホウル;紙を漉いている間に死ぬか殺害された知性のある植物のクリーチャーから作られた紙、あるいは高価な錬金術的に処理された紙; 作成者は〈言語学〉を5ランク持っていなければならない; 技能 〈製作:能書法〉DC15; コスト 2,500gp(3,750gp)