約 330,639 件
https://w.atwiki.jp/sxrumble/pages/44.html
エンターテイメントに触れていると。 特にフィクシヨンやノンフィクションには、とても大嫌いな演出がありまして。 それは、もはや作法といってもいいぐらいにそこらかしこで見る演出ですが、もう反吐通り越して血反吐が出るぐらいに大っ嫌いな描写でありまして。 それは、大抵の場合「正しい」として描かれている行いです。 ですがそれが、とにかく「許せない」の領域で嫌いなんですよ。 それは、漫画に限らず。 ドラマでも映画でもなんででも見ることができるシーン。 結論から言いましょうか。 大人が躾と称して子供を殴るといった教育が、滅したいほどに嫌いです。 死ぬほど嫌いを通り越しています。それほど嫌いです。マジで厭に思っています。 そういうわけで今回はそういう話。 昔、あるところに一人の少年がいました。 子供はとにかく勘のいい子供でした。 勘のよさとはつまり頭のよさです。 その子供は、世の中の納得できないことに説明をつける才能を持っていました。 問題の本質を見抜く能力がありました。 だから、ただ建前と暴力で子供を黙らせようとしていた先生が大嫌いでした。 小学校二年の時の担任と、三年の時の担任が大嫌いだったんです。 まだ、その子供は言葉を持っていませんでした。 勇気を持っていませんでした、強さを持っていませんでした。 ただ勘だけが納得の拠り所でした。 少年は大人になって、言葉を手に入れました。 悪いことをした子供がいます。 子供は悪いことをした自覚がありません。 周りの目があります。揉めるのはめんどくさいです。 さあ、あなたならどうしますか。 →殴る。 さあ、もしもいるなら体罰肯定派の方々に聞きましょう。 コレは正しいか、否か。あなたならどうしますか。 というわけでまずはズルイ導入として、体罰嫌いの言い分として有利な部分から。 ある子供が悪いことをしました。 優しくされたのにお礼を言わなかったのです。 それを見た保護者の少年は、少女の頭を殴りました。 それでも反省せず口答えをしようとした子供にもう一発。 そして静かに優しく語ります。 「誰かに良くしてもらったらお礼を言うんだ。それはみんなが守っている大切なルールなんだよ。たとえ子供でも」 そして子供は反省しました。帰り際に言いました。 「痛かったけど怖くはなかった。痛いのに怖くないなんて初めてだ。痛いと怖いは一緒ではないのだな。」 (このコラムのきっかけ。ジャンプSQ連載「紅」第九話より抜粋) さあ考えてみてください。 いい話だと思いますか。これは本当にいい話ですか。 ちょっと、考えてみてください。 たとえば上みたいな聞き分けの良い頭のいい子に、果たして暴力が必要だったと思いますか。 殴られて泣き喚かない子供、そんな出来た子供に暴力ははたして必要なのかという話。 殴られた子が泣いていたら、会話なんて成立しないんというコトを踏まえて。 人はそこまで考えて殴るのかな。泣いていたらそこからどうする気だったのかな。 違いますね、基本そこまで考えて殴る人なんていません。 殴ったのは腹が立ったからじゃないって言える人はどれぐらいいますか。 正義感が目の前の暴挙に怒りを覚えたから、だからって殴るのか?それは本当に正しい教育なんですか。そこをまず考えてみてほしいんです。 最近の親は子供を甘やかしすぎる、とほざくアホがいます。 しかし考えてみてください。 子供を甘やかすのはそんなにいけないことなのでしょうか。 子供を甘やかす親を批判し腐っている人は、 それがなぜいけないのかと本当にそこまで考えているのでしょうか。 甘ったれになって、何がいけないのでしょうか。 自分は、助けを求めるのは勇気がいると強く思います。 確かに人に助けを求める人間は甘ったれかもしれません。 しかし、自分はそれを、「勇気ある人間」だと考えます。 だって自分の弱い部分晒して人に何かを求めるんだ、それは勇気がいるよ。 少なくとも理性をもって甘やかされた甘ったれは、出来るんですよ人に頼ることが。 大切なのは、「甘やかす」以外に何をするか、だと思います。 問題なのは、何をもって甘やかしたかということ。 もし優しさ持って甘やかすのであれば、それこそは愛なんじゃねえかと。 人生で、大切にしたい言葉がありまして。 「人にやさしくできるのは、人にやさしくされたことがある人だけ」 確信するに優しさとは性格じゃないと思います。スキルなんですよ。 優しくしてくれた色んな人がいます。色んな人が優しくしてくれました。 そんな人のようになりたいと思って、精一杯偽善ぶって生きる。 そうすれば他の人ももっと優しくしてくれるんじゃないか打算もこめて。 それは間違いなく、腕が試される行為。 親に甘やかされた子供は笑顔を覚えます。 そしてきっとその子供も甘やかすでしょう。 でもそれは精一杯の優しさと言い換えることもできるのです。 それは親が子供に出来る、なによりのことではないでしょうか。 願わくばそんな親たちが、子供や家族、友達その他 身内以外の人間にも優しい人であってほしいものです。 だれかれ構わずルールを押し付ける厳しい人間なんて、それこそ外道だと思います。 なのにそれもまず暴力に訴えるだなんて、そんな人間殴ってもイイヨ。 さあ違う話がそれたのでここらで軌道修正しましょうか。 極論すれば、悪も背負わずに正義は語れるものか。 たとえ子供のやらかしたことが悪だったとして、 その悪を暴力で押さえつけて自身にある社会の正義を押し付ける。 それは戦争にも似ています。ならばもしもその正義に納得できなかったら、子供には殴り返す権利があるんじゃないでしょうか。 全ての体罰肯定派に聞きたいです。 体罰ってさ、殴られる覚悟があって殴っているんだよな。 殴り合いになってでも伝えたい気持ちがあって殴っているんだよな。 まさか大人の高さなら子供に殴られないから殴っているんじゃないよな。 違うって?!実際そうなんだって!!想像力働かせろよ!! ガキの高さで大人の脳天ドツけるわけねーって!! ほら、殴り返される覚悟も無しに人間を殴ってんじゃねぇよ。 だって殴り返せないんだよ、子供の高さじゃ!! 勝手に見下してんじゃねーよ!! 子供ってヤツが殴られた瞬間って、何考えてると思いますか? あなたなら突然殴られたらなんて考えますか!? 「ああ、自分は殴られるほど悪いことをしたんだ」とか 「うん、悪いことをしたんだから殴られるのは当然だ」とか そんな風に考えるガキがそこらかしこにいると本気で思いますか?! いねーよ!そんなヤツ。いたら怖いよ、見事に調教済みじゃねーか!! 殴られた子供が考えるのはさ、 「何で殴られたの?」とか「殴られるほどのコトしてねーじゃん」とか、 ホントそーいう思考なんだってば。 結局、言葉なんですよ、気持ちを伝えるのに必要なのは。 暴力ができるのは黙らせることだけ。 たとえその暴力の後に続いた言葉が正論で子供を導くに値するもの吐いたとしても、さ。 黙らせるために殴るなんて、糞野郎の存在証明みたいじゃねーか。 子供を殴っている人間は楽な方へ逃げている姿を子供に見せていると思うわけですよ。 殴りあうならまだいいよ。でも一方的に殴るな。 誰も彼も、あなたも、痛いのは嫌ですよ。 あなたには、子供に殴り返される覚悟が本当にありますか。 殴られて反省するのは犬猫のように躾けられたガキだけだと思います。 「悪いことをしたら殴られる」と刷り込まれてきた子供だけなんです。 それは考えて反省しているんじゃありません。 殴られたくないからと学習しているだけ。 そんなものが教育であってたまるか。オレは認めない。 それはお手と言われたらお手をするようなもんだ。習性だ。パブロフの犬だよ。 少なくとも自分は殴られたら恨みます。言葉を尽くさずに殴られるなんて屈辱です。 「言ってもわからん」扱いされた屈辱は、とても重くて痛いです。 それは反省を促す痛みとは違う気がします。憎悪を覚えるものです。 子供は大人とは違います。 子供とは、経験すべてから全力で何かを学習しようとする生き物です。 大人とは、経験すべてから全力で何かを学習すべき生き物です。自覚が必要です。 子供の前に、大人が相手を殴る姿があったらそら子供は殴りますよ、他の人を。 殴る人になりますよ。その方がストレートで楽だもん。 だから。 どうかフィクションの中でだけでも。 自分はそんな子供と真正面から向かう姿を見たいものですね。 大人が子供を殴るシーンが本当に苦手です。 駄々をこねている子供を頭ごなしに怒っている親を見るのが苦手です。 聞く耳を持たない大人に怒られている子供を見るのが苦手です。 子供が泣いている姿を見るのが苦手です、泣きたくなります。 黙っている子供を見るのが苦手です、抱きしめたくなります。 機嫌よく笑っている子供が、好きです。 誰だって好きのはずです。 やっぱり、殴ることはないよ。ね。ホント。勘弁してください。 じゃあ、「子供に殴られた時、どうすればいいのか」。 言わば現場の問題。そんな言葉があるかは知りませんが。 現実的にある大きな問題として、「子供が暴力を振るってきた時どうするか」。 コレはもはや言い訳の余地なく、ここまで意図して目をそらしていたポイントです。 個人的には、それでも暴力を子供に振るうべきではないと思います。 ただ、暴力を振るう権利は、当然あるべき権利だと思いますし、 そうして振るわれた暴力について、第三者がとやかく言うのは筋違いだとも考えます。 しかし、だからといって、その反撃で何かが解決するかといわれれば、 そうは思いません。 それは暴力の連鎖は、やっぱり暴力では止まらないんですよ。 核兵器は事実として、戦争に対する抑止効果を持っています。 圧倒的な暴力も、事実として他の暴力に対する抑止効果を持っています。 しかし、それで根本が解決されません。オレは断じてそう思います。 暴力に対して暴力をもって抑止しても、それは負け犬を生み出すか、 さらなるモンスター誕生の種を蒔くかのどちらかだと極論ながら思います。 確かにその場の解決として、体罰による解決は大きな抑止効果を持ちます。 しかし、最終的に必要になるのは、暴力ではない言葉だと願わずにはいられません。 ならば「いざという時に拳を振るえる人になるために」というテーゼはどうか。 例えば子供に予め切り札として の暴力を見せつけておくのはどうでしょうか。 自分もこの「いざという時殴れる人」はいてもいいと思います。 実際、自分も「あの時のアイツは殴っても良かった」と悔やむことが多々ありました。 それでも殴れなかったのは、「殴る」という発想が土壇場で浮かぶような 悔しくも、そして確実に嬉しいことにも、そんな人間ではなかったからです。 「誰か大切な人の為なら、迷わず法を犯せる人間でありたい」 それぐらいのテーマも込めて、自分は暴力自体は肯定しちゃったりします。 だから、「いざという時に殴れる人間」というのはアリです。 でも、です。 殴ることに対する迷いや躊躇いを払うために、「実際に有効な手段として」日頃の要所で体罰と言う形の暴力というものを子供に身を以て知らせるのであれば、 そのやり方には真っ向から反対の意を示さずにはいられません。 確かに優秀な戦士を作るのであれば、それは必要不可欠な教育です。 それに反対するのはきっと「甘ったれ」というヤツでしょう。 しかしそれでも。もう建前とか無しでシンプルにいきましょうか。 拳を振るった時に、後悔しないようにうまく人間を殴れる人間なんて、嫌です。 拳を振るうということはいつだって、後悔がつきまとうべきものだと思います。 蛇足つければ他にうまいやり方はなかったかと後悔できる人が好きです。 自分のしたことを正面から見据えられる人を尊敬します。 例えば学校。 振り返れば色んな先生がいました。すげえ良い先生の陰で、思い上がったクズな先生も沢山いました。 でも、少なくとも知っている暴力教師の中では、正しく子供の為に暴力を振るっている人なんていませんでした。そしてオレの知っている良い先生はみんな、暴力ではない、自分の言葉を持っている人たちだったんですよ。 だから、正しい形で拳を振るえる子供なんてほとんどいなくても、同様に、正しく拳を振るえる大人がごく少数だとも思うわけです。 自分が出来なかったことを子供に教えたい大人は沢山います。 自分の失敗を何とか子供たちに生かしてあげたいと考える大人は沢山います。 でも、それをうまく教えられる大人は果たしてどれほどいるのでしょうか。 たとえ暴力で立ち直った人がいたとしても。 オレは単純に立ち直った人を尊敬するべきだと思います。 褒められるべきは、絶対そっちだと思うわけです。 教えた人が偉いんじゃないんです。落ち込んだ人に向き合ったことは称賛に値するとしても、殴ったやつが偉いわけじゃない。教え方が素晴らしいわけでもない。 何事も、学び自分のものに出来た人がすばらしいとオレは思うわけです。 もちろん、子供がズルい生き物ってコトもわかってます。 自分自身が逆の意味でそうでした。 自分は絶対悪くないと確信しているのに、「早くこんなめんどくさい状態とはおさらばしたい」と思い、反省したフリをして謝って許してもらって そして中指を立てて一生引きずる勢いの今があったりします。 ですから、反省したフリをする子供がいることも存分に知っています。 だから、どうやりゃ「殴る以外にズレた子供を止めて理解ってもらえるか」って言われれば、もう論理も何もありません。出来ることは感情だけで、「それでも体罰はイヤだ」というだけです。 見苦しくても、もう本当にそれしかできません。 だからここでもう一度揺らぎかけた決意を再構築。 あえて言いましょう。俺は体罰、絶対反対。 悪は悪のままで別にいいんじゃないか、と思います。ズレててええやんと。 そういうわけで駄目っぽく言うと、 悪な子供も肯定できる、そんな甘やかしまくりの大人になりたいと思います。 そういう殴らない大人になりたいと思うわけですよ。 良いも悪いも関係なく、かっこいい子供がやっぱりかっこいいなと思うわけ。 つーわけで、精一杯子供相手にかっこつけた馬鹿な大人になりたいなあと思いますわけ。 それはつまり、子供に「カッコワルイ」を見せたくないってことです。 そして、自分の言うカッコワルイに「暴力」とか「体罰」があるわけです。 うん、それだ。『体罰をする姿を見せてはいけない』 暴力で人を黙らせる姿も。 暴力で人を矯正する姿も。 暴力で人に罰を与える姿も。 絶対に見せたくないです。 もしも体罰を肯定している人でもきっと、 子供を殴りたくてたまらないなんて人なんて、そうはいないはずです。 そういう人がいたとしても、今回のテーマにはそぐわない人なんで論外扱いします。 とにかく、きっと。考えてそれでも体罰をする人はどこかで罪悪感や後ろめたさを感じているはず。 自分はかっこ悪いんじゃないかと、きっとどこか感じているんじゃないんでしょうか。 そう思います、そう願います。そう信じます。 それは、きっと。体罰が「かっこわるい」と自覚しているからではないでしょうか。 そこなんですよ。 オレが体罰を否定する理由なんてそれで十分です。 たとえどれだけガキが馬鹿なことをやらかしてもその尻をぬぐって、また一緒に歩いてやれるぐらいの そんな甘やかしまくりの馬鹿大人になりたいです。 かっこよく黙って甘やかすヤツになりたいです。 見苦しくわめいて殴って一方的な暴力で矯正なんてしたくないです。 いつかその子が自分のそんな姿のカッコ良かった所だけを真似して、 色んな人に優しくできるような大人になってほしいな、という願いをこめて。 オレはやっぱり、体罰は反対です。 殴るぐらいなら、もう何もしません。 ただ、その子に代わってそいつのやらかして罪とかを償ってやりたいと思います。 どこまでも甘やかします。罪とか罰とかを押し付けるのではなく、優しさを押し付けます。 ってか叱るって行為すらあまり好きじゃない。 まあ色々と自分もかっこつけたこと言ってますけど、その根本にあるものに「人に怒る」ということが心底キライってことがありますわけで。 怒りの感情が芽生えるのはともかくとして、それを人に押し付けられるほど偉いのか。 てめーはナニサマなのかと。そんなことを自問自答してしまうからです。 人に対して怒って良かったなんてこともこれまでの人生でなかったですし。後悔オンリー。 たぶんオレは根本として、うまく叱れない人、なんだと思います。 論破するのも、感情で押すのも得意なんですけど、どこかで絶対エゴが入る。 公正な振りをするのは出来ても、公明正大であるなんて絶対出来ない。 ていうか、うん。やりたくない。 子供のときから、親とか先生が怒っている姿を見ても、どこかで凄い冷めていました。 「ああ、この人は今、オレの言い分なんか聞いてくれないんだろうな」って。 子供心に善悪を学んだのは、誰かの「怒り」ではなく、いつだって誰かの「哀しみ」とかが伝播してきたときだったと思います。あくまでも自分の話ですが。 人の怒っている顔を見ても、ホント反省とかしない子だったと思います。 いつだって後悔させて反省させてやり直そうと思わせてくれたのは、人の悲しむ顔でした。 ホントすげー苦手。そういう、人の痛々しいところ見るの、凄い苦手。 なんつぅんでしょうか。 親の表情って、ホントオレも凄い大事だと思います。 だからこそ。うん。 怒るとか殴るとか、そういう威圧的なコトはあんましたくないなあ、と。 うまくやれる自信、無いですもん。 この道来たら殴る、とか。この道に行かないと駄目だ。とか。 それを教えてあげるのは大切なコトだと思います。 もちろんそれはしつこかったり押し付けがましかったりしなければ、の話として。 叱るという行為はそれぐらい難易度高い。 だからこそ、そこの道に進むな。とか。あの道はイイヨ。とか。 そういうさりげなーく示せるひとがいいなって思うわけです。 誰だってそれが理想だと思うかもしれませんけど、結局後になって気づく親の偉大さってさりげないもんがほとんどですよね。 だからもしも進んでほしくない道に子供が進んじゃったら、うん。よっぽどの過ちじゃない限りは、やっぱ見守れる大人になりたいもんです。 それがかっこ悪い道だったら、指差して「お前カッコワル!」って笑い飛ばす、 それが出来る関係を築き上げたいもんです。 グレるのもきっと大きな経験だと思いますしね。 極論の勢いそのままにあえて言いましょう。 それでもあなたが体罰をするって言うのなら。 体罰したいならすればいいよ。もう否定しませんできません。 上の「体罰したいならすればいいよ」 という言葉は、あえて投やりな言葉を選んでます。投げかけてます。 たとえば自分は体罰で子供をうまく導ける人では絶対にないです。絶対無理です。 そして、体罰でうまく子供を導く人間に出会ったことも無い人生でした。 完全に正当で、一切の理不尽が無い体罰なんて、見たこと無いですマジで。 経験上、そして考えれば考えるほど、教育的体罰なんて存在しないと思っています。 ここは譲れない線です。 だからこそ、譲るわけですよ。 「体罰したいならすればいいよ」って。 ナニサマな態度で偉そうに喧嘩売るような姿勢で。 もしそれでもあなたが殴ると言うなら、子供のことを精一杯考えて、殴ると言うなら、自分には止められません。止めません。止められません。 だってホラ。 「自分がうまく出来ないからお前にも出来ないに決まってるぜ」なんて姿、 それは子供に限らず、誰にだって見せたくない姿やないですか。 だからこそ、これ以上はとめないんです。「すればいいよ」なんて酷い言葉も言うんです。 なんといいますか、人の価値観ってヤツを、無理に矢理に「オレの発言は絶対に正しい!」なんて態度で否定するに走るなんてそれは、オレが憎む体罰(あくまでも、オレが考える体罰)と同じです。 だから、それだけはしたくないんですから。 相手の言い分に理解できることがあるからこそ。二元論とかそういうのが嫌いだからこそ。 体罰は否定しても、クソみたいに理不尽な体罰をする人間は否定しても、 しっかりと考えて「それでもする」という人は否定できない。 だからこそ。これ以上は止めないんです。すればいいよって言うんです。 ですがそれでも、体罰してる所って見るのはやっぱり凄いキライです。 好きな人とか、大切な人とかがしてるの見てもきっと「それちがくね?」って思うと思う。 嫌いな人とか、どうでもいい人がしているのを見たら「お前が殴られろ」って思うと思う。 これは論理も何も無く、性格的な問題として。 だから。 あくまでもオレは体罰を否定するサイドの人間です。 やっぱり子供が殴りかえせない位置から殴るなんて卑怯だと思います。 殴るより前にまだ、できることはあるんじゃないか、って思います。 殴って子供の考えを改めさせる、なんてやり方がイヤです。 たとえば子供を「人をうまく殴れる子供」にしたかったら、格闘技でも習うように揺さぶればいいわけで。それはもちろん黒帯になったら殴れなくなるぜっていう落とし穴とセット。 でも、うん。 子供にだった性格とか個性ってヤツがあるし、 子供なりの判断基準とかあるんだから。極力それは尊重してやりたいもんですかね。 たとえ相手が子供であっても、やっぱ一方的ってのはイヤなんですね。 子供のときは大人の一方的なところって凄いイヤでしたし。 うん。そんな感じですかね。 あとは大体これまでに自分が言ってきたことの繰り返しなりますんで簡潔に。 やっぱり自分は、「極力勘弁してください」の勢いで体罰は苦手ですね。 ケースバイケースだとは思うけど、やっぱり大原則として。 それでもするというのなら、それはすればいいと思います。 それならそれで、フォローとかアフターケアとか出来る人になりたいと思うわけで。 殴るポジションは要らないけど、殴られた子供ケアするポジなら目指すひとつです。 そして最後に余談として。 自分は子供にどんどんエロくなってもらいたいなと思ってます。 まあ理由は色々とあるけど、 一番の理由は「知っていること=過ちを犯す」ってコトじゃないって考えるから。 中途半端にひん曲がったエロを突然目にしてゆがむ前にこう、 映画とかドラマとかで、そういうのを見せておきてーなあと思うわけです。 最後にもう一度、一番言いたかった部分を繰り返します。 全ての体罰肯定派に聞きたいです。 体罰ってさ、殴られる覚悟があって殴っているんだよな。 殴り合いになってでも伝えたい気持ちがあって殴っているんだよな。 まさか大人の高さなら子供に殴られないから殴っているんじゃないよな。 違うって?!実際そうなんだって!!想像力働かせろよ!! ガキの高さで大人の脳天ドツけるわけねーって!! ほら、殴り返される覚悟も無しに人間を殴ってんじゃねぇよ。 だって殴り返せないんだよ、子供の高さじゃ!! 勝手に見下してんじゃねーよ!! 子供ってヤツが殴られた瞬間って、何考えてると思いますか? あなたなら突然殴られたらなんて考えますか!? 「ああ、自分は殴られるほど悪いことをしたんだ」とか 「うん、悪いことをしたんだから殴られるのは当然だ」とか そんな風に考えるガキがそこらかしこにいると本気で思いますか?! いねーよ!そんなヤツ。いたら怖いよ、見事に調教済みじゃねーか!! 殴られた子供が考えるのはさ、 「何で殴られたの?」とか「殴られるほどのコトしてねーじゃん」とか、 ホントそーいう思考なんだってば。 結局、言葉なんですよ、気持ちを伝えるのに必要なのは。 暴力ができるのは黙らせることだけ。 たとえその暴力の後に続いた言葉が正論で子供を導くに値するもの吐いたとしても、さ。 黙らせるために殴るなんて、糞野郎の存在証明みたいじゃねーか。 子供を殴っている人間は楽な方へ逃げている姿を子供に見せていると思うわけですよ。 殴りあうならまだいいよ。でも一方的に殴るな。 誰も彼も、あなたも、痛いのは嫌ですよ。 あなたには、子供に殴り返される覚悟が本当にありますか。 その覚悟を、暴力で押し付けてはいませんか? web拍手 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/wiki6_piro/pages/6980.html
旧東京市立愛宕高等小学校 きゅうとうきょうしりつあたごこうとうしょうがっこう 東京都港区にある、昭和初期に建てられた学校建築。 所在地 東京都港区 地図 旧港工業高校 旧港工業高校 竣工:昭和3年 構造:鉄筋コンクリート造 明治41年:愛宕高等小学校創立。当初は現在区立御成門中学校が建つ場所で愛宕尋常小学校の校舎を共用していた。 大正:関東大震災被災 昭和3年:竣工 現在地に移転 戦後:東京都立港工業高校として使われる。 平成16年:港工業高校閉校。 関連項目 タグ 学校建築 昭和初期 東京都 歴史 歴史的建造物 港区
https://w.atwiki.jp/wikiwiki2/pages/436.html
パオロ・マッツァーリ 『ザ・世のなか力』 春秋社 2013.6 (言及図書) 1 地球温暖化 『地球温暖化の予測は「正しい」か?』 『”環境問題のウソ”のウソ』 山本 2 持ち家・賃貸 住宅購入学入門 長嶋 一生賃貸! エイブル あ 3 江戸 『図説 江戸の学び』 市川寛明 石山秀和 市立372イ 『日本人のしつけは衰退したか』 「教育する家族」のゆくえ 広田照明 県立 7FS379.9ヒ 市立 4 お金持ち 日本のお金持ち研究 橘木 長者番付の研究 市川 あし 5 怒る 怒る技術 中島 けあ 怒る!日本文化論 m けあし 6 博士 『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』 県立 9F 市立 大学814.9Ki46 日本語はおもしろい 柴田 けあしだ 7 葬式 お葬式をどうするか H けあ 冠婚葬祭 宮田登 けあしだ 8 時間 『遅刻の誕生』 近代日本における時間意識の形成 橋本、栗山 県立 大学 9 公務員 ×実は悲惨な公務員 山本 役人学三則 末広 岩波現代文庫 大学 10 女性 モダンガール論 斉藤 けあ 侍女の物語 アトウッド あ 11 名前 読みにくい名前はなぜ増えたか 佐藤 けし 日本の女性名 角田 け 12 野良猫 ×のらネコ、町をゆく のざわ 13 倫理学 倫理問題101問 コーエン 現代倫理学入門 加藤 大学 14 野球 マネー・ボール ルイス け ×コーチ論 織田 15 いのち 豚のPちゃんと32人の小学生 黒田 あし 世界屠畜紀行 内澤 けあだ 16 西遊記 西遊記 中野訳 岩波文庫 あだ 「西遊記」XYZ 中野 けだ 17 行動経済学 行動経済学 友の 光文社新書 大学331To62 株式会社という病 平川 け 18 落語 志ん朝の落語 ちくま文庫 あ ×創作落語論 柳家 19 文章 演劇入門 平田 あし ”劇的”とは 木下 けあしだ 20 バナナの皮 ×バナナの皮はなぜすべるのか? 黒木 21 スピーチ 世界名言大辞典 梶山 県立(館内) 22 ビル 超高層ビビル 日本編 中谷 けあ 超高層ビルの”なぜ”を科学する けあし 23 食 日本の「食」は安すぎる 山本 け スローフードな日本! しまむら けあし 24 バットマン バットマンになる! ぜーあ け 25 科学者 背信の科学者たち ブロード け 反秀才論 拓殖 けしだ 26 日本映画 日本映画、崩壊 斉藤 27 体罰 『体罰の社会史』 江森 県立 28 イノベーション ホンダ イノベーションの神髄 小林 悪徳不動産屋の独り言 坂口 29 農業 偽装農家 神門 『日本の食と農 危機の本質』 神門善久 県立 8F612.1コ 大学612.1G55 30 脳科学 脳からみた学習 小泉 脳のなかの幽霊 ラマチャンドラン 31 お尻 「痔」ひと筋80年 鮫島 32 宗教と教育 教科書の中の宗教 藤原 33 古文書 寺子屋式 古文書手習い そうだったのか江戸時代 油井 34 レジャーの誕生 コルバン 35 学校 『こんなに厳しい!世界の校則』 二宮 6FY12 市立375.2コ 世界の学校 二宮 36 老齢 痴呆老人んの歴史 新村 嫌がらせの年齢 丹波 恍惚の人 有吉 37 論理的 「論理的」思考のすすめ 石原 38 戦時下 この世界の片隅に こうの アイシテル 伊藤 39 格差 「月給百円」サラリーマン 岩瀬 江分利満氏の優雅な生活 山口 40 ハーフ ハーフが美人なんて妄想ですから!! へフェリン 41 万引きの文化史 シュタイア 42 読書 精神の生態学 ベイトソン シニカル理性批判 スローターダイク がっかり大賞 「空気」の研究 山本 エッセイにすぎない 風土 和辻哲郎 類型論 アースダイバー 中沢 本でのうんちく 偽善入門 小池龍之介 偽善観の違い
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/7237.html
ネクステージ 本店:名古屋市東区葵一丁目26番8号 【商号履歴】 株式会社ネクステージ(2004年12月~) 株式会社オートステージ(2002年8月~2004年12月) 【株式上場履歴】 <東証1部>2014年9月19日~ <名証1部>2014年12月4日~ <東証マザーズ>2013年7月30日~2014年9月18日(1部指定) 【沿革】 平成10年12月 現代表取締役広田靖治が輸入車販売を目的に、資本金300万円で有限会社オートステージヒロタ(現 当社)を設立し、愛知県尾張旭市北本地ヶ原に本店所在地を置く 平成12年12月 オートステージ1号店(現 ネクステージインポート名東プレミアム店)を名古屋市名東区にオープン 平成14年6月 現代表取締役広田靖治が、スバル車販売を目的に資本金10百万円で株式会社ネクステージを設立、愛知県尾張旭市に本店所在地を置く。株式会社ネクステージ1号店として、ネクステージ春日井Ⅰ店(現 ネクステージ春日井コンパクト専門店)を愛知県春日井市にオープン 平成14年8月 有限会社オートステージヒロタを株式会社オートステージへ組織及び商号変更 平成16年4月 東海地方の代表格店舗としてネクステージ中川店をオープン 平成16年10月 軽・コンパクトカー販売を目的に、セレクト100春日井店(現 ネクステージ春日井SUV専門店)を愛知県春日井市にオープン 平成16年11月 板金・塗装を目的とした整備工場としてBPセンターを愛知県西春日井郡(現 北名古屋市)にオープン(平成22年8月に小牧市に移転、現 PDIセンター) 平成16年12月 株式会社オートステージが株式会社ネクステージを吸収合併。株式会社オートステージを株式会社ネクステージへ商号変更。本部事務所を名古屋市名東区に移転 平成18年12月 本部事務所を愛知県日進市へ移転 平成19年12月 本店所在地を愛知県日進市へ移転 平成20年8月 関西地方初進出となるネクステージ大阪茨木店(現 ネクステージ大阪茨木ミニバン専門店)を大阪府茨木市にオープン 平成20年10月 中古車輸出事業を開始 平成21年3月 本部事務所を名古屋市東区に移転 平成21年10月 九州沖縄地方初進出となるネクステージ福岡店(現 ネクステージ福岡SUV専門店)を福岡県大野城市にオープン 平成22年7月 関東甲信越地方初進出となるオートステージ千葉店(現 ネクステージインポート柏店)を千葉県柏市にオープン 平成22年8月 商品の品質向上のためPDIセンターを愛知県小牧市に開設 平成23年7月 整備部門強化のためオートステージサービスセンター(現 ネクステージテクニカルセンター千種)を名古屋市千種区にオープン 平成23年8月 無店舗型での自動車出張買取事業を開始 平成23年9月 本店所在地を名古屋市東区に移転 平成23年11月 北海道東北地方初出店となるネクステージイオンタウン柴田店をオープン 平成23年12月 カーコーティング事業を目的に、株式会社ASAPを設立 平成24年3月 関東地方に2ブランド併設店舗としてネクステージ神戸西店をオープン 平成24年9月ネクステージクラスポ蒲郡店を愛知県蒲郡市に商業施設併設店舗としてオープン。ラビットクラスポ蒲郡店を買取専門店として初のフランチャイズ契約でオープン。ホリデー車検クラスポ蒲郡店を車検工場の初のフランチャイズ契約でオープン 平成25年1月 関東甲信越地方に2ブランド併設店舗としてネクステージ横浜町田店をオープン
https://w.atwiki.jp/e0427067/pages/13.html
2007年 春日井市春季バレーボール大会(5/27)優勝
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/2884.html
日本ハイパック 【商号履歴】 日本ハイパック株式会社(1965年9月~2005年1月1日大日本紙業株式会社に合併) 昭和段ボール株式会社(1950年12月~1965年9月) 【株式上場履歴】 <名証2部>1991年5月23日~2004年12月25日(大日本紙業株式会社に合併) 【合併履歴】 2004年12月 日 日本物流株式会社 【沿革】 昭和25年12月 岐阜県恵那郡大井町にて、昭和段ボール株式会社を設立し、段ボール及び段ボール箱の製造を開始 昭和29年8月 岐阜県恵那市長島町に恵那工場を移転するとともに、第二工場を新設し、製造を開始 昭和33年7月 愛知県名古屋市中村区に名古屋工場を新設し、製造を開始 昭和35年9月 愛知県春日井市如意申町に春日井工場を新設し、製造を開始 昭和36年2月 名古屋工場を閉鎖、春日井工場を名古屋工場に改称 昭和38年5月 本社を名古屋工場に移転 昭和38年5月 長野県松本市に昭和紙器株式会社(現・新日本ハイパック株式会社)を設立 昭和39年12月 埼玉県川越市に東京工場(現・川越工場)を新設し、製造を開始 昭和40年3月 神奈川県小田原市に小田原工場を新設し、製造を開始 昭和40年9月 日本ハイパック株式会社に商号変更 昭和41年4月 宮城紙業株式会社(現・宮城ハイパック株式会社)を買収 昭和43年2月 福島県福島市に日本ユニパック株式会社(現・東日本ハイパック株式会社)を設立 昭和48年5月 静岡県磐田郡に静岡工場を新設し、製造を開始 昭和59年3月 愛知県春日井市に山岸段ボール株式会社(現・株式会社パックスアイチ)を設立 昭和59年9月 岐阜県多治見市に多治見工場を新設し製造を開始、恵那工場を移転(恵那工場を閉鎖) 昭和59年11月 神奈川県愛甲郡に厚木工場を新設し製造を開始、小田原工場を移転(小田原工場を閉鎖) 昭和63年4月 愛知県春日井市に日本物流株式会社を設立 昭和63年4月 山形県山形市に山形ハイパック株式会社を設立 平成2年9月 東京工場にオフセット印刷による美粧ケース工場を新設し、製造を開始 平成3年5月 静岡工場にショッピングセンター賃貸用建物を新設して賃貸を開始 平成3年5月 名古屋証券取引所市場第二部に上場 平成5年11月 マレーシアにNIPPON HI-PACK(MALAYSIA)SDN.BHD.を設立 平成6年2月 池畠包装システム株式会社(現・日本包装システム株式会社)の株式取得(現・持分法適用会社) 平成6年6月 名古屋工場に研究所棟として「テクノロジーセンター」新設 平成6年7月 香港にHI-PACK(HK)LTD.を設立 平成7年7月 沼津紙器株式会社(現・沼津ハイパック株式会社)を買収 平成8年2月 タイにNIPPON HI-PACK(THAILAND)CO.,LTD.を設立 平成9年6月 栃木県河内郡に富士製函株式会社(現・富士ハイパック株式会社)を設立 平成10年6月 本社・名古屋工場・多治見工場でISO9001認証取得 平成10年10月 東京工場及び東日本ハイパック株式会社でISO9001認証取得 平成10年12月 静岡工場及び新日本ハイパック株式会社でISO9001認証取得 平成12年2月 当社(6事業所)・東日本ハイパック株式会社・新日本ハイパック株式会社でISO14001認証取得 平成13年3月 大日本紙業株式会社と業務提携および資本提携の契約を締結 平成15年3月 中国に亦普(上海)包装技術有限公司を設立 平成15年12月 大日本紙業株式会社の連結子会社である中国の蘇州太陽包装有限公司に出資(現・持分法適用会社) 平成16年2月 大日本紙業株式会社と合併することを内容とする基本合意書の締結 平成16年6月 製版部門とサン・プリプレス株式会社の事業統合 平成16年12月 日本物流株式会社を吸収合併 平成17年1月 日本ハイパック分割準備株式会社(現・日本ハイパック株式会社)を設立し、生産にかかわる営業の一切を承継
https://w.atwiki.jp/ekidash/pages/6742.html
まない 名古屋鉄道 愛知県春日井市牛山町 名鉄小牧線 牛山←→小牧口
https://w.atwiki.jp/divingshop/pages/82.html
一宮市 刈谷市 北名古屋市 名古屋市 安城市 小牧市 尾張旭市 春日井市 海部郡 犬山市 知多郡 西尾市 豊橋市 豊田市
https://w.atwiki.jp/cdx-railway/pages/178.html
橋賀台駅 (はしかだいえき・Hashikadai Station)は、千葉県成田市橋賀台3-5にある、ちばドリームエクスプレス(cdx)成田線の駅である。 駅番号は NR07 。 目次を表示 基本データ 駅構造主な設備 トイレ バリアフリー設備 のりば 駅周辺 歴史 隣の駅 基本データ 所在地 千葉県成田市橋賀台3丁目 駅構造 地下駅 ホーム 2面2線 開業年月日 1996年6月15日 所属路線 成田線あさひ線乗り入れを含む 駅番号 NR07 キロ程 14.4km(印西牧の原起点) ◀ NR06 宗吾(2.0km) - (1.2km)加良部中台 NR08 ► 備考 業務委託駅ゆめチケット 無自動改札 有 駅構造 相対式ホーム2面2線の地下駅。業務委託駅でゆめチケットは設置されていないが、自動券売機にて定期券や自由席特急券が購入可能。 主な設備 YuMeCa対応自動改札機・タッチパネル式多機能自動券売機・のりこし精算機を備える。 YuMeCaチャージ端末は改札内に設置されている。 売店などは無い。 トイレ バリアフリー対応の水洗式トイレが改札内に設置されている。 バリアフリー設備 エレベータとエスカレータが設置されている。 のりば 1 NR KS 成田線・あさひ線 成田・栗源・旭方面 2 宗吾・印旛日本医大・印西牧の原・ TH 大柏本線方面 駅周辺 当駅は成田ニュータウン(橋賀台地区)の中にあり、周辺は住宅団地に囲まれている。 橋賀台団地 カワチ薬品 成田ニュータウン店 ウニクス成田 ボンベルタ 成田市立西中学校 成田市立橋賀台小学校 成田市立加良部小学校 橋賀台保育園 橋賀台公園 歴史 1996年6月15日 - 開業。 隣の駅 NR成田線 特別快速WiNG 通過 快速 通過 区間快速・普通 宗吾駅(NR06) - 橋賀台駅 (NR07) - 加良部中台駅(NR08) NR 成田線 Narita Line KS あさひ線 Asahi Line 印西牧の原 - 本埜竜腹寺 - 印旛日本医大 - いんば瀬戸 - さくらキャンパス - 宗吾 - 橋賀台 - 加良部中台 - (◀︎成田線) 成田 (あさひ線▶︎) - 成田北口 - 米塚( 成田空港方面) - 野毛平工業団地 - 十余三 - 千葉川上 - 前林 - 西栗源 - 栗源 - 下総高萩 - 下総山田 - 府馬 - 干潟町 - 共和新町 - 旭( 長生八積・木更津方面) 最終更新:2020-08-18 千葉県 千葉総合本部 成田市 成田線 駅 駅一覧は
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/3760.html
愛知電機 本店:愛知県春日井市愛知町1番地 【商号履歴】 愛知電機株式会社(1986年4月~) 株式会社愛知電機工作所(1942年5月27日~1986年4月) 【株式上場履歴】 <名証1部>1970年10月 日~ <名証2部>1961年10月2日~1970年 月 日(1部指定) 【沿革】 昭和17年2月 川口将一の個人創業。 昭和17年5月 ㈱愛知電機工作所に組織変更を行い、資本金10万円とした。名古屋市東区水筒先町に本社及び工場をおき変圧器、電動機の販売・修理開始。 昭和22年8月 長野工場建設、本社工場にて柱上変圧器製造・販売開始。 昭和23年11月 岐阜工場建設。 昭和34年6月 現本社工場建設。 昭和35年6月 本社を春日井市松河戸町に移転。 昭和35年12月 岐阜、長野両工場はそれぞれ岐阜愛知電機㈱、長野愛知電機㈱として分離独立。 昭和36年5月 回転機工場建設、小形モータ及び応用製品の製造・販売開始。 昭和36年10月 株式を名古屋証券取引所市場第二部に上場。 昭和38年6月 販売会社 愛知電機商事㈱設立。 昭和39年3月 米国エマソン・エレクトリック・カンパニーと合弁会社アイチ-エマソン電機㈱を設立し、ハーメティックモータ部門を分離独立。 昭和43年4月 小形モ-タ等の製造会社 恵那愛知電機㈱設立。 昭和45年10月 名古屋証券取引所市場第一部に指定替。 昭和55年3月 本社所在地愛知県春日井市愛知町1番地に町名地番変更。 昭和61年1月 決算期を5月31日から3月31日に変更。 昭和61年4月 愛知電機㈱に商号変更。 平成11年2月 プリント配線板の製造・販売会社㈱エーネット設立。プリント配線板の製造・販売会社㈱愛工機器製作所を子会社化。 平成12年10月 愛知電機商事㈱と輸送部門担当会社 愛電産業㈱が合併し、愛電商事㈱へ商号変更。 平成13年10月 温水洗浄便座の製造・開発に係わる事業について、東陶機器㈱及び小糸工業㈱との共同新設分割により㈱パンウォシュレットを設立。 平成14年10月 ㈱愛工機器製作所と㈱エーネットが、㈱愛工機器製作所を存続会社として合併。 平成14年11月 アイチ-エマソン電機㈱を100%子会社化し、アイチエレック㈱へ商号変更。また、同社の子会社である白鳥アイチ-エマソン㈱は、白鳥アイチエレック㈱へ商号変更。 平成16年12月 中国江蘇省蘇州市に蘇州駐在員事務所を開設。 平成17年3月 中国江蘇省蘇州市にハーメティックモータの製造・販売会社 蘇州愛知科技有限公司を設立。 平成17年10月 恵那愛知電機㈱と同社の子会社である㈲アイゼンが、恵那愛知電機㈱を存続会社として合併。 平成19年3月 TOTOウォシュレットテクノ㈱(平成18年10月㈱パンウォシュレットが商号変更)の当社保有株式を東陶機器㈱へ売却し、合弁を解消。