約 3,336 件
https://w.atwiki.jp/basebr/pages/165.html
田中 雅彦(たなか まさひこ) 参加ロワ マリーンズ 選手データ 背番号39 捕手 22歳 1年目 175cm 75kg 右投げ右打ち 近大卒 奈良県出身 1982/01/09生 A型 千葉ロッテマリーンズ バトルロワイヤルデータ 殺害:なし 所持品:銃剣(金澤岳に奪われる) 死因:金澤岳による銃殺 物語内略歴 出発直後に、青野毅と神田義英の戦闘を目撃。思わずあげた叫び声が結果的に青野を助ける。 道中に崖から転落、負傷。なんとか歩ける程度まで回復し灯台を目指すも、たどりついたところで力尽き、そのまま気を失う。 目覚めると金澤岳の姿がある。「皆を信用しているか」との問いにYesと言ったことが金澤の逆鱗に触れ、銃殺される。 見所 金澤岳を中心とした捕手陣の物語の犠牲者。 出番自体は少ないが、彼の存在も金澤の物語に少なからず影響を与えている。多分。 登場章 第35章 危機回避 第64章 灯のある場所へ 第122章 Ignited 読者からのコメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nippondaihyo/pages/68.html
ASINが有効ではありません。 伊野波雅彦 生年月日 1985年8月28日 出身地 宮崎県 身長 179cm 体重 73kg 血液型 B型 在籍チーム 鹿島アントラーズ ポジション DF 背番号 19 利き足 右足 ザックJAPAN #blogsearch2
https://w.atwiki.jp/marowiki001/pages/2944.html
目次 【時事】ニュース太田雅彦 RSS太田雅彦 口コミ太田雅彦 【参考】ブックマーク 関連項目 タグ 最終更新日時 【時事】 ニュース 太田雅彦 青少年読書感想文全国コン 最優秀10点、中央審査へ /香川 - 毎日新聞 【第68回徳島駅伝】吉野川市選手団決まる|スポーツ|徳島ニュース|徳島新聞電子版 - 徳島新聞 ホンヨモ!:青少年読書感想文コン 県入賞145点決まる /岩手 - 毎日新聞 JCX琵琶湖で織田聖がUCI2連勝、女子は福田咲絵がUCI/JCX初優勝 - 関西シクロクロス2021 UCI資生堂琵琶湖グランプリ - cyclowired(シクロワイアード) “浮世絵美術館”の「これまで」と「これから」――太田記念美術館の日野原健司・主席学芸員に聞く(その1) - 読売新聞社 『バトオペ2』特別番組“3周年大感謝祭! 生配信”が7/26実施 - 電撃オンライン 佐賀・大和バイパス沿いに「麺屋でんでん」 「一楽堂」店舗を継承、新メニューも - 佐賀経済新聞 秋アニメ『私、能力は平均値でって言ったよね!』太田雅彦監督×シリーズ構成・あおしまたかし氏対談│アニメならではの魅力で彩られる新たな『のうきん』の世界。パロディーの理解度にアフレコ現場ではジェネレーションギャップが!? - アニメイトタイムズ 「普通の幸せ」を求めて大奮闘! 『のうきん』ビジュアルとPVを公開! - 徳間書店 私、能力は平均値でって言ったよね!:主人公の声優に和氣あず未 太田雅彦が監督 なろう系ラノベが原作のテレビアニメ - MANTANWEB(まんたんウェブ) 「うちのメイドがウザすぎる!」がTVアニメ化決定! - アキバ総研 グータラJK日常アニメ「干物妹!うまるちゃん」、スタッフを発表! 監督は「ゆるゆり」「みなみけ」の太田雅彦 - アキバ総研 干物妹!うまるちゃん:アニメ監督に「ゆるゆり」の太田雅彦 動画工房が制作 - MANTANWEB(まんたんウェブ) 「つるぺた」と言えばスクール水着だ「琴浦さん」太田雅彦監督に聞く 2 - エキサイト ニュース RSS 太田雅彦 青少年読書感想文全国コン 最優秀10点、中央審査へ /香川 - 毎日新聞 【第68回徳島駅伝】吉野川市選手団決まる|スポーツ|徳島ニュース|徳島新聞電子版 - 徳島新聞 ホンヨモ!:青少年読書感想文コン 県入賞145点決まる /岩手 - 毎日新聞 JCX琵琶湖で織田聖がUCI2連勝、女子は福田咲絵がUCI/JCX初優勝 - 関西シクロクロス2021 UCI資生堂琵琶湖グランプリ - cyclowired(シクロワイアード) “浮世絵美術館”の「これまで」と「これから」――太田記念美術館の日野原健司・主席学芸員に聞く(その1) - 読売新聞社 『バトオペ2』特別番組“3周年大感謝祭! 生配信”が7/26実施 - 電撃オンライン 佐賀・大和バイパス沿いに「麺屋でんでん」 「一楽堂」店舗を継承、新メニューも - 佐賀経済新聞 秋アニメ『私、能力は平均値でって言ったよね!』太田雅彦監督×シリーズ構成・あおしまたかし氏対談│アニメならではの魅力で彩られる新たな『のうきん』の世界。パロディーの理解度にアフレコ現場ではジェネレーションギャップが!? - アニメイトタイムズ 「普通の幸せ」を求めて大奮闘! 『のうきん』ビジュアルとPVを公開! - 徳間書店 私、能力は平均値でって言ったよね!:主人公の声優に和氣あず未 太田雅彦が監督 なろう系ラノベが原作のテレビアニメ - MANTANWEB(まんたんウェブ) 「うちのメイドがウザすぎる!」がTVアニメ化決定! - アキバ総研 グータラJK日常アニメ「干物妹!うまるちゃん」、スタッフを発表! 監督は「ゆるゆり」「みなみけ」の太田雅彦 - アキバ総研 干物妹!うまるちゃん:アニメ監督に「ゆるゆり」の太田雅彦 動画工房が制作 - MANTANWEB(まんたんウェブ) 「つるぺた」と言えばスクール水着だ「琴浦さん」太田雅彦監督に聞く 2 - エキサイト ニュース 口コミ 太田雅彦 #bf 【参考】 ブックマーク サイト名 関連度 備考 Wikipedia ★★ 関連項目 項目名 関連度 備考 参考/みなみけ ★★★ 監督、絵コンテ、演出 無印 参考/みつどもえ ★★★ 脚本-増量中 参考/ゆるゆり ★★★ 参考/恋愛ラボ ★★★ 参考/琴浦さん ★★★ 監督、絵コンテ 参考/X-エックス- ★★ 演出 原画 参考/ぴたテン ★★ 参考/ギャラクシーエンジェル ★★ 絵コンテ A 参考/ちょびっツ ★★ 参考/ローゼンメイデン ★★ 絵コンテ-トロイメント 参考/ペンギンの問題 ★★ 絵コンテ 参考/To LOVEる -とらぶる- ★★ 参考/MASTERキートン ★★ 作画監督 原画 参考/陽だまりの樹 ★★ 参考/タッチ ★★ 作監協力、原画 TVSP 参考/天地無用! ★★ 劇場版 参考/3丁目のタマ うちのタマ知りませんか? ★★ 原画 参考/はれときどきぶた ★★ 参考/機動天使エンジェリックレイヤー ★★ 参考/ラーゼフォン ★★ タグ 人物 最終更新日時 2013-10-01 冒頭へ
https://w.atwiki.jp/new-yakusen/pages/55.html
田中雅彦(たなか まさひこ) 背番号28 1982年1月9日生まれ 大阪府富田林市出身 右投右打 PL学園高時代は元星の田中一徳と同期。1年秋からベンチ入りし頭角を現していた。 近大に進学後は1年春からレギュラーの座をつかみ、チームに貢献。2003年ドラフト4位で千葉ロッテに指名され入団。 プロに入ってすぐ二塁手、三塁手にも挑戦。当時千葉ロッテには里崎智也と橋本将という二枚看板がいたため捕手登録でありながら出場機会は内野手のほうが多かったらしい。 一軍デビューは2007年。しかしながら初スタメン出場となった試合は三塁手として出場していた。 2008年は開幕一軍入りを果たし、3番手捕手としてチームに貢献。翌2009年は5月に昇格以降は一度も降格せずシーズンに過ごし、プロ初ホームランも記録する。 2010年は橋本の移籍により捕手メインでの出場が多くなる。2011年は里崎の故障から一軍でマスクをかぶる機会が増えた。 2012年は自己最多50試合に出場。 2013年の開幕直前にコアラとの交換トレードで東京ヤクルトに移籍。 正捕手だったあいかーさんの故障からスタメンマスクを託され、出場試合では打撃、守備両方でチームを勝利に導く活躍を見せる。 しかし5月12日の対阪神戦でマートンに殺人タックルを受けて途中交代。左鎖骨を骨折し、登録抹消の憂き目にあう。
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/846.html
『青い海』1971.9 沖縄戦からの発想 沖縄県民は戦争に献身的に協カした。そのことを正視してこそ強靭な批判精神が、平和共存への発想が生まれるのだ。 作家 星雅彦 今日では、核兵器の出現いらい次第に戦争へのイメージが、変質してきたと言われています。 核兵器は人類を絶滅させるものとして恐れられ、戦争への恐怖感も、広島・長崎を思い出すことによっていっそう強く大きくなってきたわけですが、そして一方では、それが安全弁の役目をしていると言えそうです。というのは、人類の絶滅という地球上の最悪の事態に対して、人間の最後の知恵が、その使用を思いとどませるという人間への最低の信頼が支えとなっているわけです。 しかしながら核兵器の存在は、戦争への恐怖感を完全に越えきせ、安心感をもたらすものではありません。現に、第二次世界大戦以後も、地球上のどこかではずっと戦争がつづいているからです。いうまでもなく、その戦争は、兵隊だけでなく一般住民もおびただしく死に追いやっているわけです。 だから尊巌なる人間の生命ということを考えるとき、戦争へのイメージが変ってきたとしても、ベトナムのゲリラ戦からも推測できるように、戦争の罪悪性は、不変であり、どのようにも許されるものではありません。また、どのようにも正当化できるものでもありません。 とはいうものの、現実に、戦争は実在し、また歴史を遡ってみても、戦争が絶えたためしがないのは、なんとも皮肉な現象です。そしてそれは、社会的なできごとの中でも、非常に矛盾した現実の間題です。国民の代表者である政治家の中には、戦争をみとめているかのような発言をする入がいます。そのようなときにたびたび使われる「祖国防衛」という言葉は、戦争の存在意義をとなえていることを意味します。なぜ、そうなってしまうのか? 一概に解答はできません。ただ一つには、その国の政治体制(政党)と経済状態とがからみあって、密接な関係をもっているといえるでしょう。…国の繁栄と衰退は、しばしば戦争に左右されるからです。だからそれは、どうしようもない政治的なリアリズムの問題です。 そこからラジカルな反戦平和の運動も起ってきたわけですが、なぜ戦争が起るのか、戦争は必要悪なのか、避けられないのか、といった問題は、政治問題でもあり、最終的には、発展して行くはずの人間の知恵に期待を抱くほかはありません。 そこで私は、戦後思想の原点だといわれるところめ沖縄戦に眼を向けて、考えてみたいと思います。 私は沖縄県史の九巻(戦争記録編)の執筆担当者の一人でした。その戦記は、これまで出版された戦記とはまったく違っていて、非戦闘員である一般往民の生まの体験記録です。それは何百人の戦争体験者から一人びとり聞き書きしたもので、米軍が上陸した頃から、戦火に追われてさまぎまな悲惨な目にあいそして捕虜になった頃までの、体験を綴ったものです。 この聞き書きの仕事を、私は約一年半やって、多くの追体験をしたのでした。そして沖縄戦について、さまざまなことを考えさせられたわけです。沖縄戦で、二〇万と推定される沖縄県民の死を思うとき、まず念頭に浮かぷのは、子供をつれて逃げさまよった母親たちの名状しがたい苦難の道でした。ジャーナリスティックには、ひめゆり部隊や鉄血勤皇隊の死がクローズアップされて話題になりましたが、沖縄戦でもっとも多大にして痛々しい苦労を重ねたのは、母親たちだったのです。つまり非戦闘員であるところの一般避難民でした。 この一般避難民は、まったくの無力で、ひたすら砲火から逃れて南部へ南部へとさまよい歩き、肉親をつぎつぎと失って行ったのでした。そして沖縄本島の南端のギーザバンタや摩文仁や喜屋武の海岸に辿りつくまでに、さまぎまな死を目撃しています。たとえば、壕の中で赤ちゃんがどうしても泣き止まないので、兵隊から泣く子は殺してしまえと怒鴫られ、子供が泣くと砲弾がとんできて皆を犠牲にするから出て行けと叱られ、思いあまって母親が赤ちやんを窒息死させる。もしくは子供をかかえて壕から飛び出て行って砲弾にあたって死ぬ。また、女子供だけでギーザバンタの崖の上までやっと逃げてきて、あとはその崖をおりて海岸の岩の下に隠れるほかはなくなったとき、お年寄りはどうしてもつれて行けないので、捨てて行く。また、ある母親は、お婆さんを一人崖の上に置いて行くのがしのびなくて、娘にお婆さんの面倒を見るように言いつけて、お婆さんと娘を置いて、海岸におりて行きました。そして海岸の岩の下に穴を掘って、カニのような生活をしているとき、米兵に「デテコイ、デテコイ」と一言われ、もう飢え死にするよりは出た方がよいと諦め、捕虜になって、米兵につれられて再び崖の上にのばったときに、お婆さんと娘が火焔放射器で黒くこげ死んでいるのを見るのです。このような悲惨な話は、数限りなくあるのです。米軍がギーザバンタのことをSuiside Cliff(シューサイド・クリフ=自殺崖)と呼んでいた意味が、当時の惰況を物語っているようです。 肉親との離別のぽかに、捕虜になってから、国頭に送りこまれたとき、寒村の国頭の人たちからカンダバー一(甘藷の葉)も与えられない冷遇を受けたり、マラリヤや栄養失調で死んで行った死者たちを、穴を掘って幾人も重ねてただ埋めて片付けたこと等々、ことごく他人に語りたくない出来事ばかりです。 したがって、ほんとうの戦争体験者は、そのあまりの深刻さに、語りたがらないわけで、二六年間、ぼとんど沈黙を守っていたと言っても過言ではありません。 それらの重い□をひらいて語られた多くの言葉中には、友軍という名の第三二軍のいわば敗残の日本兵の、残虐性や、あらぬスパイ容疑で殺された事件や、自決をせざるを得なかった経緯が出てきます。が、紙幅の都合もあって、一つ一つ取り上げて論ずる余裕はありませんので、私はそれらさまざまな問題を総括して一つの結論を出しておきたいと思います。 それは何かというと、戦争というものは、国民全体がそれに参加せざるを得なくなったとき、より多大な犠牲と傷痕を残すということです。国民全体を動かすということは、そこへ引き摺りこむイデオロギーがあるということであり、日本の場合は特に旧天皇制ということが問題になるわけです。 日本の戦争は、大東亜共栄圏という大義名分をもっていました。それは、資源の少ない島国の中に一億の人□がひしめきあい、近代国家としての発展があやしまれたばかりか自給自足の行き詰まりもあって、いきおい南方の土地と資源をわがものにして繁栄しようという野心のたまものでした。つまりアジア諸国を侵略することでした。それをとなえた政府と軍部は、そこで国民の心を団結させるために、天皇制を最大限に生かしたわけでした。 八紘一宇の理念を拡大させるところの、天皇制が絶対的に悪であるとは、言い切れませんが、少なくとも戦前の旧天皇制は、じゅうぶんに批判されるにあたいします。天皇制を論ずることは、日本の思想の根底を見当することになるだろうと思います。 天皇制が軍部と結合した場合、つまり打って一丸、すべてを統一する思想と軍隊の行動が重なったとき、どんなに危険な情況をつくるか、そのことを、太平洋戦争は証明したのでした。端的に言って、沖縄戦の犠牲は、旧天皇制という軍国主義思想の犠牲にほかなりません。 沖縄の新聞紙上では、昨年の三月、渡嘉敷島でかって友軍の隊長をしていた赤松氏の一群が、慰霊祭に参加するため来島してから、戦争責任の問題が起こりました。これからもこの問題は論じられるでしょうし、追及されるでしよう。がしかし、たとえば集団自決に追いこんだといわれているところの赤松隊長を、追及してもどうにもならない壁にぶっつかってしまいます。なぜなら、個人的な追及では、解決できない問題であり、赤松隊長も加害者であると同時に被害者でもあるからです。 御国のために身も心も捧げるという思想が、自決をもたらしたと言えるわけですから、誰が自決命令を出したか、ということは実は間題ではないのです。 そのことは、私が慶良間諸島に再三渡って聞き書きした結論でもあり、軍部の教育の恐ろしさもさることながら、命令もされないのに自決した人たちも含めて、非戦闘員も実は潜在的には戦闘員であったと言えるのです。なぜをら、沖縄県民は、精神的に、また実際上も、献身的に戦争に協力していたのでした。 このことを正視することによって、どのようにも戦争に協力しない強靭な批判精神をもつこと、そこから平和共存への発想が生まれるだろうと、願望的に考える次第です。
https://w.atwiki.jp/japan_dorama/pages/1862.html
#津川雅彦 amazonで探す @楽天で #津川雅彦 を探す! wikipedia 公式 ブログ 81歳 youtube検索 dailymotion検索 放送日 年 タイトル 曜時局 視聴率 hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2018.03 78 大女優 殺人事件~鏡は横にひび割れて~ テレ朝 Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2014.04 74 銀二貫 木20NHK 6.8% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2013.02 73 最も遠い銀河 テレ朝 Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2012.01 72 ストロベリーナイト 火21フジ 15.3% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2011.04 71 熱中時代(2011) 日テレ 9.4% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2011.01 71 Dr.伊良部一郎 日23テレ朝 7.0% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao ゲスト 4話 2010.12 71 ニセ医者と呼ばれて 日テレ 8.2% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2010.10 71 死刑台のエレベーター 映画 Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2010.01 70 Wの悲劇 TBS 13.3% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2010.01 70 最後の約束 フジ 19.4% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2009.12 70 椿山課長の七日間 テレ朝 12.5% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2009.08 70 結党!老人党! WOW Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2009.07 70 任侠ヘルパー 木22フジ 14.9% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao ゲスト 2話 2009.04 70 BOSS 木22フジ 17.0% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao ゲスト 10話 2009.03 69 黒部の太陽 フジ 17.7% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2008.12 69 長生き競争! フジ 10.1% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2008.05 69 相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン 映画 Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2007.09 68 天国と地獄 【テレビドラマ】 テレ朝 20.3% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2006.12 67 波の塔 TBS Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2006.12 67 長い散歩 映画 Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2006.01 66 THE有頂天ホテル 映画 Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2004.10 65 黒革の手帖 木21テレ朝 15.4% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2004.09 65 世にも奇妙な物語 2004秋の特別編 フジ Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 主演3 2004.04 65 離婚弁護士 木22フジ 13.7% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2004.01 64 サラリーマン金太郎4(TBS) 木21TBS Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2003.01 63 刑事☆イチロー 水22TBS 5.2% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2002.01 62 サラリーマン金太郎3(TBS) 日21TBS Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2001.12 62 忠臣蔵1/47 フジ Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2001.01 61 白い影 日21TBS 20.2% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2000.07 61 合い言葉は勇気 木22フジ 11.2% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2000.04 60 サラリーマン金太郎2(TBS) 日21TBS Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 2000.01 60 葵徳川三代 日20NHK 18.4% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 主演徳川家康 1999.05 60 古畑任三郎 3rd 火21フジ 25.1% Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao ゲスト 1994.04 54 刑事の恋 テレ朝 Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao 1985.04 45 澪つくし 帯08NHK Hulu NETFLIX PrimeVideo dTV U-NEXT TVer Paravi Gyao
https://w.atwiki.jp/gamemusicbest100/pages/3773.html
きむら まさひこ コナミに所属していたゲーム音楽作曲家。得意楽器はピアノ。 1993年にコナミに入社。大学時代にコナミ矩形波倶楽部のCDを聞いたことがきっかけだったという。 主にがんばれゴエモンシリーズ、悪魔城ドラキュラシリーズ、幻想水滸伝シリーズなどを担当。 後にゴエモンシリーズのサウンドディレクターも務めており、『幻想水滸伝IV』ではサウンドチームのチーフとして活躍した。 2006年頃に独立しコナミを離れるが、その後もパワプロクンポケットシリーズなどコナミのゲームに楽曲を提供している。 現在は木村ベンジャミン雅彦の名前で、ピアノ・キーボードの演奏者として活動中。 作曲作品の一例 がんばれゴエモンシリーズがんばれゴエモン きらきら道中 僕がダンサーになった理由 冒険時代活劇ゴエモン (サウンドディレクター) ゴエモン 新世代襲名! (サウンドディレクター) 悪魔城ドラキュラシリーズ悪魔城ドラキュラXX 悪魔城ドラキュラ黙示録 悪魔城ドラキュラ黙示録外伝 LEGEND OF CORNELL 悪魔城ドラキュラ 蒼月の十字架 幻想水滸伝シリーズ幻想水滸伝III 幻想水滸伝IV パワプロクンポケットシリーズパワプロクンポケット9 パワプロクンポケット10 パワプロクンポケット11 パワプロクンポケット12 実況パワフルプロ野球シリーズ実況パワフルプロ野球3 実況パワフルプロ野球13 実況パワフルプロ野球14 実況パワフルプロ野球2010 The Adventures of Batman Robin 実況おしゃべりパロディウス (PS/SS版編曲) らくがきっず Dance Dance Revolution ディズニーダンシングミュージアム 武器屋物語じゃが?! 代表的な曲 罰の紋章 (幻想水滸伝IV) 漆黒の進攻 (悪魔城ドラキュラ 蒼月の十字架) 闇夜の激突 (悪魔城ドラキュラ 蒼月の十字架)
https://w.atwiki.jp/roster/pages/739.html
ロッテ 田中雅彦をお気に入りに追加 プロフィール 凡例 捕手 39 1982/1/9 175/75 右右 奈良 田中雅彦@ウィキペディア 田中雅彦 田中雅彦とは 田中雅彦の66%はツンデレで出来ています。田中雅彦の27%は厳しさで出来ています。田中雅彦の4%は苦労で出来ています。田中雅彦の1%は歌で出来ています。田中雅彦の1%は大人の都合で出来ています。田中雅彦の1%は株で出来ています。 ロッテとは ロッテの39%は根性で出来ています。ロッテの30%は汗と涙(化合物)で出来ています。ロッテの12%は嘘で出来ています。ロッテの7%は回路で出来ています。ロッテの6%は血で出来ています。ロッテの5%は度胸で出来ています。ロッテの1%は赤い何かで出来ています。 田中雅彦の掲示板 名前(HN) カキコミ すべてのコメントを見る 田中雅彦のリンク #blogsearch2 ページ先頭へ ロッテ 田中雅彦 このページについて このページはロッテ 田中雅彦のインターネット上の情報を時系列に網羅したリンク集のようなものです。ブックマークしておけば、日々更新されるロッテ 田中雅彦に関連する最新情報にアクセスすることができます。 情報収集はプログラムで行っているため、名前が同じであるが異なるカテゴリーの情報が掲載される場合があります。ご了承ください。 リンク先の内容を保証するものではありません。ご自身の責任でクリックしてください。
https://w.atwiki.jp/sundai_ocha/pages/59.html
中村雅彦 中村雅彦は駿台予備学校化学科講師である。 高卒クラスでは東工大コースや京大コース、現役では高3スーパーα化学を担当するなど化学科を牽引する講師の一人である。 演習コースの化学科主任講師であり、演習テストの作成を手がける。 人物 三重県出身。 名古屋大学理学部化学科卒。同大学大学院理学研究科化学専攻修士課程修了。 左利き(個人的な質問で、受講者のノートに書き込みをする時は右手を使うこともある)。 温厚な性格である。 面倒見もよく、特に授業後が昼休みだったりすると教室に残って一人一人の質問に丁寧に答える。時には昼休みギリギリまで残っていることもあり、次の授業が大丈夫なのか逆に心配になる程である。 東大と東工大の入試化学の研究にそれぞれ携わっている。 全国模試(ハイレベル)、東工大入試実戦模試、東大入試実戦模試等の作問にも携わる。師の作った問題は難しいと評判(但しきちんと現象を理解できていさえすれば、さほど難しくはない)。 駿台文庫出版の青本でも、東京大学と東京工業大学の化学の執筆を担当している。 演習コースで実施される本番実戦テストや演習テストなども、基本的に師の作成であり、難易度が高い。 大学教養をかじる講師(とくに物理科など)を余り快く思ってはいない様子。 学生、院生時代は化学の中でも原子核に関する研究をしていたことがあり、その経験等から原子力発電に反対している。授業で触れるようなことはないが駿台教育フォーラム等では明確にその考えを示しており、自宅周辺での住民運動等にも参加しているらしい。 授業 理念は、高校化学の範囲を越えないこと。 にもかかわらず、そちらの方が理解しやすいのでやむを得ないことではあるが有機では電子を用いて説明しており、やや自己矛盾している。 「高校化学の範囲を越えない」とは、「問題を解くにあたっては高校範囲を逸脱する内容は基本的に問題文の説明があり、その説明に則っていれば簡単に解けるような内容になっている」「難しい参考書などを読んで高校範囲を越えた知識をつけても、出題側はそれ越えることを出題するため、大きなメリットにはならない」「特に難関大では”教科書程度の基本的知識を活用する力”が求められている」という師の経験に基づく信念である。 それよりも、受験生が本来きちんと学習しているはずの範囲の中で、受験生の理解が足りていない、ないしは実践の場で十分に実力を生かせていない項目を指摘し、重点的に講義する。しばしば模試(多くは師が作問を担当している東大実戦)における作問の経験、答案に対する見解などについて述べ、実戦的な授業を展開する。 またこれ以外にも、「本来不適当な内容だが何故か受験ではこう教えている」という点についての指摘・及び批判が特に有機の範囲で多い。実際、そのツッコミは大学間でも批判のある内容が殆ど。 ただしそれを真に受けすぎると、大学によっては(特に一部私大)問うている題意に所謂受験問題としての暗黙の了解的な意味が含まれており、それを逸脱すると×とされるかもしれないので、教養程度に聞くのが無難と思われる。師も板書まではせず、「参考程度でいい」と仰る。 季節講習では、「東大化学」・「東工大化学」・「化学特講シリーズ(Ⅰ~Ⅲ)」・「【短期集中】有機化学演習」等と主に中上級レベルの講座を担当している。 授業の初めに「板書は自分の体の高さの位置となる」ことを予告する。師によると、持病(ヘルニア)で上を向くことができないとのこと。 講義は、やや眠くなると評判。内容は高校範囲をやや逸脱した説明も入るが、基本的には基礎に力点をおいている。 有機は眠くないと評判。元来、眠くさえなければ実力がある講師なので、特に夏の化学特講Ⅲなどは評判がいい。ちなみに師は有機化学を野依良治に師事したらしく、教え方も野依氏のそれに似てしまう、と授業内で言っていた。真意は不明なので誰か名大に行った人は確かめると良いかも 東大実践では、有機に関して野依氏が発見したことに関する出題をしたことがあるとのこと。 演習テストの解説でも、やや眠さが軽減される。 板書もするが、口頭での説明も時々入るので、適宜メモをとることを勧める。特に、高校範囲を逸脱した説明は口頭でなされる場合が多い。
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/646.html
被告準備書面(4)要旨2006年8月28日 http //www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/syomen4.html 被告準備書面(4)要旨2006年8月28日第1 渡嘉敷島における赤松隊長による自決命令について1 渡嘉敷島における集団自決命令の概要 2 「赤松命令説」が虚偽であるとの評価が定着したとはいえないこと 3 富山証言が信用できるものであること(1)原告はさらに、前記富山氏の証言について、後日同氏が捏造したもの (2)また、原告は、「ある神話の背景」の著者曽野綾子氏が、 第2 座間味島における原告梅澤による自決命令について1 宮村盛永氏の自叙伝 2 梅澤隊長による自決命令は援護法適用のための方便ではない 第3 百人斬り訴訟事件判決の本件への適合性1 遺族の敬愛追慕の情を侵害する不法行為の成立要件について 2 本件は歴史的事実が対象となっていること 3 百人斬り訴訟判決の基準は書籍が生前に出版された事案にも妥当する(1)原告は、本件書籍二、三が、赤松隊長の生前に出版されたものであり、 (2)本件においては、本件書籍二、三は、赤松隊長の生前に出版されている 被告準備書面(4)要旨 2006年8月28日 (原告準備書面(3)に対する反論) 第1 渡嘉敷島における赤松隊長による自決命令について 1 渡嘉敷島における集団自決命令の概要 被告準備書面(3)第2、2(12~14頁)で述べたとおり、渡嘉敷島においては、米軍が上陸する直前の1945年(昭和20年)3月20日、赤松隊から伝令が来て、当時兵事主任であった富山(新城)真順氏に対し渡嘉敷部落の住民を役場に集めるように命令し、富山氏が軍の指示に従って17歳未満の少年と役場職員を役場の前庭に集めると、兵器軍曹と呼ばれていた下士官が部下に手榴弾を2箱持ってこさせ、集まった20数名の者に手榴弾を2個ずつ配り、 「米軍の上陸と渡嘉敷島の玉砕は必至である。敵に遭遇したら1発は敵に投げ、捕虜になるおそれのあるときは、残りの1発で自決せよ」 と訓示したことは、富山氏が証言している(乙12、乙13-197頁)とおりである。 渡嘉敷島の軍を統率する最高責任者である赤松隊長の意思とは無関係に、軍の厳重な管理の下に置かれていたはずの手榴弾が住民に配布され、兵器軍曹が自決命令を発するなどということはあり得ない。この時点で、あらかじめ軍命令、すなわち赤松隊長による自決命令があったのである。 そして、米軍が渡嘉敷島に上陸した3月27日、赤松隊長から兵事主任に対し、 「住民を軍の西山陣地近くに集結させよ」 という命令が伝えられ、安里喜順巡査らにより、集結命令が住民に伝えられた(乙12、乙13-197頁)。さらに、同27日夜、住民が同命令に従って、各々の避難場所を出て軍の西山陣地近くに集まり、翌3月28日、村の指導者を通じて住民に軍の自決命令が出たと伝えられ、軍の正規兵である防衛隊員が手榴弾を持ち込んで住民に配り、集団自決がおこなわれたのである(乙11-279頁~287頁:金城重明氏の証言、乙9-768頁~769頁:古波蔵(米田)惟好氏の証言)。 以上の事実経過は、「慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要」(乙10)にあるとおり、「赤松隊長から防衛隊員を通じて自決命令が下された」ものに他ならない。 2 「赤松命令説」が虚偽であるとの評価が定着したとはいえないこと 原告はまず、渡嘉敷島における赤松隊長による自決命令は、伝聞や風説に基づく「鉄の暴風」により創作されたものであることが、曽野綾子著「ある神話の背景」(甲B18)によって明らかになり、赤松命令説が虚偽であるとの評価が定着したと主張する(原告準備書面(3)6頁)。 しかし、「鉄の暴風」は、太田良博著「『鉄の暴風』周辺」(乙23)に記載されているとおり、沖縄タイムス社が、集団自決の直接体験者を集めて、実際に集団自決の現場において集団自決を直接体験した人々から取材して、その証言を記録したものであり(223頁)、伝聞や風説に基づくものではない。 そして、「ある神話の背景」(甲B18)は、被告準備書面(3)第2、2(5)(17頁)で述べたとおり、集団自決の直接体験者から取材を行い執筆した「鉄の暴風」(乙2)を直接体験者からの取材に基づくものではないとしているほか、安仁屋政昭沖縄国際大学教授が具体的に指摘しているとおり、著者である曽野綾子氏が、兵事主任であった富山(新城)真順氏に取材を行っていることが明らかであるのに(乙11-14頁)、富山氏に会ったことはないなどと証言している(乙24-219頁、90項)こと等からも、一方的な見方によるもので信用性のないものである。 したがって、赤松隊長による集団自決命令が、「ある神話の背景」によって虚偽であるとの評価が定着したなどということはない。 3 富山証言が信用できるものであること (1)原告はさらに、前記富山氏の証言について、後日同氏が捏造したもの と推測するほかはないなどとも主張している(原告準備書面(3)9頁)。 しかし、そもそも、富山氏が証言を捏造する理由も必要性も全くない。 原告は、富山氏の証言について、昭和63年6月16日付朝日新聞(乙12)に掲載される以前の公になっている資料の中に同様の証言がないことから、富山氏の証言は後日捏造したものと推測するようである。 しかし、富山氏の証言は、前記のように詳細であるうえ、上記朝日新聞記事において 「この位置に並んだ少年たちに兵器軍曹が自決命令を下した」 と、実際に手榴弾を交付されて自決命令を受けた場所を差し示すなど、非常に具体的である(乙12写真説明)。そして証言をした理由を問われた富山氏が、 「いや、玉砕場のことなどは何度も話してきた。しかし、あの玉砕が、軍の命令でも強制でもなかったなどと、今になって言われようとは夢にも思わなかった。当時の役場職員で生きているのは、もうわたし一人。知れきったことのつもりだったが、改めて証言しておこうと思った」 としているとおり、富山氏は、軍(赤松隊長)による自決命令があったことについての渡嘉敷村における住民の認識を、改めて明らかにしたものにすぎない。同証言が富山氏により捏造されたものではないことは明らかである。 原告が赤松隊長命令がなかったことの根拠としている星雅彦著「集団自決を追って」(甲B17)においても、 「防衛隊の過半数は、何週間も前に日本軍から一人あて二個の手榴弾を手渡されていた。いざとなったら、それで戦うか自決するかせよということであった」 とされ(甲B17、210頁上段)、その防衛隊によって村民に「玉砕する」話がひろめられた(同210頁下段)とされており、富山氏の証言と矛盾しない記述がなされている。 (2)また、原告は、「ある神話の背景」の著者曽野綾子氏が、 同書執筆のための取材過程において、富山氏に会ったことはなく、富山氏が証言した事実について、当時誰からもそのような話はきいていないと証言している(乙24-218頁)ことから、富山証言のような事実は存在しなかったと主張するようである。 しかし、曽野氏が富山証言のような事実を耳にしなかったから、事実が存在しないという原告の主張は暴論である。 曽野氏が富山氏に会って取材したことは、安仁屋政昭沖縄国際大学教授により具体的に明らかにされている(乙11-14頁)。したがって、曽野氏が富山証言を聞いていないということ自体疑わしいうえに、前記星雅彦氏でさえ、 「防衛隊の過半数は、何週間も前に日本軍から一人あて二個の手榴弾を手渡されていた。いざとなったら、それで戦うか自決するかせよということであった」 という事実を取材していたのであり(その防衛隊員から住民は手榴弾を渡されている)、このような事実を取材していない曽野氏が、富山証言のような事実を耳にしなかったから、事実が存在しないなどということには全くならない。 以上のことから、富山氏の証言が捏造などというものではないことは明らかであり、真実を証言したものであって、信用できるものである。 第2 座間味島における原告梅澤による自決命令について 1 宮村盛永氏の自叙伝 座間味島において、座間味村の忠魂碑前の広場に住民を集め、玉砕を命じるという、原告梅澤による自決命令がなされたことは、「鉄の暴風」(乙2)、「座間味戦記」(乙3)、「沖縄県史第8巻」(乙8)、「沖縄県史第10巻」(乙9)等の資料、直接体験者の証言などから明らかである。 原告は、昭和63年11月18日付座間味村の回答に、 「真相を執筆し宮村盛永らが原告梅澤による自決命令があった旨をはっきり証言している」 とあるが、その証言内容が沖縄県史等に記録されておらず、宮村盛永氏の「自叙伝」に軍命令や軍命令の存在をうかがわせるような記述も一切ないとし、同回答中において宮村盛永が作成したとされる陳情書が援護法の適用を受けるための方便であり、そのための政治的文書であったと主張する(原告準備書面(3)3頁)。 しかし、宮村盛永氏の「自叙伝」(乙28)には、原告が本田靖春著「第一戦隊長の証言」(甲B26)から引用した部分のあとに、 「その時、今晩忠魂碑前で皆玉砕せよとの命令があるから着物を着換へて集合しなさいとの事であった」 との記載があり(乙28-71頁)、宮村盛永氏の「自叙伝」にも原告梅澤による自決命令があったことを示す記述が存在する。 また、同「自叙伝」には、 「3月26日座間味島に米軍が上陸以後の詳細については、沖縄市町村長會編地方自治七周年記念誌に登載されてあるので省畧する」(乙28-67頁) とあるが、その「地方自治七周年記念誌」(乙29)には、昭和20年3月25日の座間味島において、 「夕刻に至つて部隊長よりの命によつて住民は男女を問わず若い者は全員軍の戦闘に参加して最後まで戦い、また老人子供は全員村の忠魂碑の前において玉砕する様にとの事であった」(同451頁) と記述されており、原告梅澤による自決命令があったと明記した記述が存在する。 さらに、沖縄タイムス社の問い合わせに対して、座間味村が、公式に、宮村盛永氏(当時の産業組合長、元村長)、有力村会議員中村盛久が、部隊命令があったことをはっきり証言しており、他の多くの証言者も部隊命令又は軍命令があったと述べていると回答している(乙21の1)。 したがって、座間味村の回答中において宮村盛永氏が作成したとされる陳情書は、援護法の適用を受けるための方便ではなく、原告梅澤による自決命令があったという真実を記載したものである。 2 梅澤隊長による自決命令は援護法適用のための方便ではない 被告準備書面(3)第1、1(2)ウ(2頁)で述べたとおり、集団自決の被害者に対して「戦闘参加者」として援護法が適用されることとなったのは昭和28年7月のことであるが、それ以前に、すでに「鉄の暴風」(乙2)には、原告梅澤が守備隊長であった座間味島において、部隊による自決命令があったことが記載されている。 したがって、「隊長による『自決命令』が援護法適用のための方便である」との原告の主張が失当であることは明らかであり、座間味村の回答中の宮村盛永氏による陳情書が、援護法適用のための方便ではなく、政治的な文書でないことも明らかである。 第3 百人斬り訴訟事件判決の本件への適合性 1 遺族の敬愛追慕の情を侵害する不法行為の成立要件について 死者の名誉が毀損された場合に、死者に対する敬愛追慕の情といった主観的感情を害したからといって、それだけで違法性を有し不法行為を構成するとはいえず、死者に対する遺族の敬愛追慕の情を害する程度が極めて顕著で、遺族の人権を違法に侵害すると評価すべき特別な場合に限り、不法行為が成立するというべきである。 すなわち、死者の名誉を毀損するものであり、摘示した事実が虚偽であって、かつ、その事実が極めて重大で、遺族の死者に対する敬愛追慕の情を受忍し難い程度に害したといえる場合に限り、違法となり、不法行為が成立するものと解すべきである(東京高裁昭和54年3月14日判決(判時918号21頁))。 また、死者に関する事実は、時の経過ともに歴史的事実となり、人々の論議の対象となり、時代によって様々な評価を与えられることになるものであり、死者の社会的評価を低下させる事柄であっても、歴史的事実探求の自由やこれについての表現の自由が重視されるべきであるから、歴史的事実に関するものである場合は、上記の虚偽性の要件については、当該歴史的事実に関する表現行為において摘示された事実がその重要な部分において「一見明白に虚偽」ないし「全く虚偽」であることを要するというべきである(前同判決、東京地裁平成17年8月23日判決(乙1)、東京高裁平成18年5月24日判決(乙27))。 したがって、歴史的事実にかかわる本件各書籍について、原告らが敬愛追慕の情の侵害の不法行為を主張するには、少なくとも、原告らにおいて、摘示された事実が「一見明白に虚偽」ないし「全く虚偽」であるにもかかわらず、あえてこれを摘示した場合であって、かつ、その内容が重大で、時間的経過にもかかわらず、また、歴史的事実に関する表現の自由の重要性を考慮してもなお、敬愛追慕の情を受忍し難い程度に害したことを立証しなければならないというべきである。 2 本件は歴史的事実が対象となっていること 原告は、大阪地裁平成元年12月27日判決(判時1341号53頁)、大阪地裁堺支部昭和58年3月23日判決(判時1071号33頁)、東京地裁昭和58年5月26日判決(判時1094号78頁)を挙げ、これらの裁判例が、死者の名誉毀損による遺族の敬愛追慕の情の侵害に関するものであるからといって、生者に対する名誉毀損の場合と比べて、虚偽性の面で、立証責任を転換したり、特段に要件を厳格化するという判断はなされていない、と主張する(原告準備書面(3)17頁)。 しかし、上記大阪地裁平成元年12月27日判決は、後天性免疫不全症候群に罹患して死亡した人物のプライバシー侵害に相当する事実及び名誉を毀損する事実を、その死からわずか10日後に報道した事案に関する判決であり、本件と全く事案を異にする。この事件の場合、歴史的事実探求の自由あるいはこれについての表現の自由への慎重な配慮は全く必要ないため、同判決は、生存している者に対する名誉毀損に準ずるものとして、真実性の立証責任を転換せず、要件を厳格化しない基準を採用したものと考えるべきである。したがって、このような事案に用いられた判断基準が、遺族の敬愛追慕の情侵害の不法行為の成否の判断基準であるべきであるとする原告の主張は失当である。 なお、前記東京地裁昭和58年5月26日判決は、問題となった記事の記載について、故人の「名誉を毀損する内容を有するものであると認めることはできない」と判示して、請求を棄却しており、摘示事実の真実性の立証責任について何ら言及していない。同判決は、遺族の敬愛追慕の情の侵害が問題となる事案において、真実性の立証責任を転換しないと判断したものではない。 また、大阪地裁堺支部昭和58年3月23日判決は、「被告小堺は『密告』の著作者として、本件文章により、何ら根拠のない憶測に基づき三鬼を特高のスパイであると断定し、しかも、実録小説という形式をとったことにより、読者に右虚偽の事実を真実と思い込ませ」たことにより、敬愛追慕の情を侵害したと判示しており、根拠のない憶測に基づく事実摘示、すなわち、虚偽事実の摘示を、敬愛追慕の情侵害の不法行為の要件として判断している。 したがって、大阪地裁平成元年12月27日判決、大阪地裁堺支部昭和58年3月23日判決、東京地裁昭和58年5月26日判決が、死者の名誉毀損による敬愛追慕の情の侵害に関するものであることを根拠に、虚偽性の面で立証責任を転換したり特段に要件を厳格化するという判断はなされていないとする原告の主張は誤りである。 3 百人斬り訴訟判決の基準は書籍が生前に出版された事案にも妥当する (1)原告は、本件書籍二、三が、赤松隊長の生前に出版されたものであり、 その時点で摘示された事実は「歴史的事実に移行した」ものではなく、「歴史的事実探求の自由、表現の自由への配慮が優位に立つ」という価値判断が働く余地は全くないと主張する(原告準備書面(3)17頁)。 しかし、ある事実が、歴史的事実となるか否かは、表現行為が、表現の対象者の生前になされたかどうかとは直接関係はない。事実が「歴史的事実」となるかどうかは、死亡から事実摘示までの期間ではなく、当該事実が発生してから、摘示されたときまでの時間こそが重要なのである。 前記東京高裁昭和54年3月14日判決は、「死者に関する事実も時の経過とともにいわば歴史的事実へと移行して行くものということができるので、年月を経るに従い、歴史的事実探求の自由あるいは表現の自由への配慮が優位に立つに至ると考えるべきである」とし、前記東京地裁平成17年8月23日判決も、「死者に関する事実も、時の経過とともにいわば歴史的事実へと移行していく・・・・・・相当年月の経過を経てこれを歴史的事実として取上げる場合には、歴史的事実探求の自由あるいは表現の自由への慎重な配慮が必要となる」としているとおり、死後、事実摘示がなされるまでの期間のみならず、当該事実が発生してから、摘示されるまでの期間の経過を、表現の自由への配慮の根拠としている。 (2)本件においては、本件書籍二、三は、赤松隊長の生前に出版されている (本件書籍二は1965年、本件書籍三は1968年に出版されている)が、その出版時点で、すでに自決命令(1945年)から20年以上が経過しており、提訴時には60年経過している。このような赤松隊長による自決命令は、「歴史的事実」となっているものである。 したがって、本件においても、本件書籍二、三が赤松隊長の生前に出版されていたとしても、歴史的事実探求のために表現の自由に配慮すべきという前記東京高裁昭和54年3月14日判決、さらに百人斬り訴訟判決の判断基準が妥当することは明らかである。 以上 index