約 764,568 件
https://w.atwiki.jp/nicohistory/pages/41.html
foxsan 旧日本軍、自衛隊系のMAD作者 ジャンル MAD 関連タグ 政歴M@D 自衛隊 日本軍 マイリスト 【ニコニコ動画】作成動画リスト 最新作 代表作
https://w.atwiki.jp/arktos/pages/49.html
暮里藍実 L:暮里藍実 = { t:名称 = 暮里藍実(ACE) t:要点 = ソバージュ,美形,耽美,青年 t:周辺環境 = 学校 t:評価 = 全能力21 t:特殊 = { *暮里藍実のACEカテゴリ = 個人ACE,逗留ACEとして扱う。 *暮里藍実のみなし職業 = 大剣士,竜騎兵,愛の戦士,ウォードレスダンサーとしてみなす。 *暮里藍実は誰からも好かれないその間、全ての白兵での攻撃判定に成功する。 *暮里藍実は好いた女と結ばれることはない。この効果は生活ゲーム中、常に発動する。 } t:→次のアイドレス = 二刀流(技術),死ぬまで戦え(強制イベント),運命の闘い(強制イベント), 愛翼号 (乗り物) } 西国人+パイロット+名パイロット+ホープ よりHQ継承:第2世代目 全能力+1 大剣士特殊 *大剣士は白兵戦行為ができ、この時、白兵戦の攻撃判定は評価+2され、燃料は必ず-1万tされる。 *大剣士は防御判定では評価+2され、燃料は必ず-1万tされる。 *大剣士は根源力による死の効果を受けない。 竜騎兵特殊 *不明 愛の戦士 *不明 *ただし、 こちらの質疑 によりRBへの搭乗は可能。 ウォードレスダンサー *ウォードレスダンサーはウォードレスを扱える。 愛翼号 L:愛翼号 = { t:名称 = 愛翼号(乗り物) t:評価 = 体格20,筋力20,耐久力20,外見24,敏捷20,器用10,感覚10,知識9,幸運20,対空戦闘20 t:特殊 = { *愛翼号の乗り物カテゴリ = RBとして扱う。 *愛翼号は全距離戦闘行為ができる。 *愛翼号は全領域戦闘行為ができる。 *愛翼号は量産不可能であり、常時一機しか存在しない。 *愛翼号は白兵戦闘行為ができ、この時、白兵戦闘の攻撃、防御判定は必ず成功する。 *愛翼号はパイロット1人(能力評価は2倍)を必要とする。 *愛翼号の人機数 = 20人機として扱う。 *愛翼号のアタックランク = ARは10として扱う。 } t:→次のアイドレス = 知恵者の改設計(イベント) } 西国人+パイロット+名パイロット+ホープ よりHQ継承:第3世代目 敏捷+1
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/890.html
渡嘉敷島の惨劇は果して神話か―曽野綾子氏に反論する―5 太田良博 昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで 琉球新報朝刊に連載 『太田良博著作集3』p184-188 目次 5 【引用者註】欺瞞的な「抗戦」と「降伏」の苦しい弁護 防衛庁防衛研修所戦史室による『沖縄方面陸軍作戦』中の「海上挺進第三戦隊(渡嘉敷島の)戦闘」に、左の記述がある。 「八月十六日米軍から終戦の放送があったので、戦隊長は十七日木村明中尉以下四名を米軍に派遣して確認させた。 翌十八日戦隊長は米軍指揮官と会見し、終戦処理について協議し、まず停戦を協定し、八月二十四日、一〇〇〇部隊全員武装解除を受けた」と。 右は赤松元戦隊長提供の資料に基づくものである。 赤松戦隊長は、部下本隊(八月二十四日降伏)より約一週間早く、米軍の保護下にはいっていることになる。終戦の翌日、米軍の放送を聞き、さらにその翌日、直ちに敵である米軍の下に部下を派遣して終戦を「確認」させたというが、早手回しのこの行為からみて、すでに戦意を失い、戦争の終わる機会をうかがっていたとしか思えない。 赤松隊が、日本軍側の情報で終戦を「確認」したのは八月二十一日(『ある神話の背景』に記載)だから、それを待たずに赤松は降伏しているが、抗戦中の軍隊の指揮官のとる態度としてはうなずけない。あの当時、敵軍の終戦情報だけで、あつさり降伏にふみ切るような感情や思考の百八十度の転回が簡単にできたのは「見事」といわざるをえない。天皇 184 の詔勅も、赤松隊が、いつ、どんな方法で確認したのか不明だ。前述の戦闘記録の中で、「停戦を協定し……」うんぬんと白々しいことを書いてあるが、「降伏手続きに関する取り決め」をやったあと、敗残兵の苦境から脱したということである。「停戦協定」とは「事後戦力保持者」のとりうる手段である。 当時、渡嘉敷国民学校長だった宇久真成氏から聞いた話では、五月中旬ごろ、山中で、のんびりと、銃をかついで、一人で歩いている十八歳位の米兵をみたそうである。そのころは、米軍の少年兵が山中を一人歩きのできるほど、渡嘉敷島は、米軍にとって危険な場所ではなかったわけである。 『ある神話の背景』の中で、赤松隊員は、「自分たちが渡嘉敷島で持久戦をやれば、それだけ敵をひきつけ、軍全体の作戦に寄与できた」などといっているが、渡嘉敷島にひそむ日本兵など、米軍は、かゆみとおぼえないほど無視していた。米軍の記録『日米最後の戦闘』には、「慶良間確保は日本軍の損失以上に米軍にとって大きな収穫であった。いまやアメリカの手中に帰したこの投錨地は、周囲を島で防備された小型海軍基地となった。ここから海軍機は飛び、艦船は燃料弾薬を補給し、傷ついた船は修繕された」と記している。 当時、米軍の一個分隊は、日本軍一個中隊以上の火力を持っていた。『沖縄方面陸軍作戦』で、赤松隊が米軍の二個大隊を阻止したとか、一個中隊を撃退したとか、いろいろ書 185 いてあるがマユツバである(戦果や損害にっいては明記してない)。 米軍の記録は、座問味島や阿嘉島では、日本軍の手ごわい反撃にあったと書いてあるが、渡嘉敷島の戦闘についてはとくにふれていない。渡嘉敷島住民も、戦闘らしい戦闘はなかったといっている。 『沖縄方面陸軍作戦』の記録で座間味、阿嘉、慶良問各島の損害を比較すると左の通りである。 (カッコ内は戦死) 【座間味】 戦隊一〇四名(六九名) 基地隊二五〇名(約一〇〇名) 船舶工員約五〇名(三二名) 水上勤務約四〇名(一五名) 【阿嘉島】 戦隊一〇四名(二二名) 基地隊二三四名(六五名) 水上勤務二一名(一〇名) 186 【渡嘉敷】 戦隊一〇四名(二一名) 基地隊二一六名(三八名) 水上勤務一三名(不詳) つまり、渡嘉敷の赤松戦隊の犠牲が最もすくなかった。逆に住民の犠牲は渡嘉敷島がいちばん多かったのである。 赤松隊は、防召兵や住民に対して実に厳格な態度でのぞんでいた。その点、彼らの軍人としての行動も厳格に批判されてよいはずである。米軍の記録によれば、米軍が渡嘉敷島に最初に上陸した、三月二十七日と同二十八日は野砲で五百回以上も砲撃し、ほかに艦砲射撃や空襲、陸上砲撃で山形改まるまで弾丸をうちこんでいる。 日本軍の抵抗はほとんど無視できるほどのもので、米軍は日本軍の応戦より、島の地形に悩まされたといっている。あれだけの砲撃で、「陣地らしい陣地もなかった」と赤松隊員が証言している小島で、隊員の犠牲は意外にすくない。その後、日本軍は抵抗らしい抵抗をやった様子がない。そのはずで、もし頑強に抵抗していたら本格攻撃をうけて全滅しただろう(上陸三日目の三月二十九日、米軍は全島を偵察している)。 六月中旬、沖縄戦が終わって以後、慶良間各島の日本軍に米軍はたえず降伏勧告をして 187 いる。米軍の記録によると、日本軍捕虜や二世などを通じて渡嘉敷島の指揮官と交渉(この点、伊江島住民処刑の理由がなりたたない)したら、降伏は拒んだが、米軍が日本軍陣地に接近しなければ、こちらから攻撃を加えることはしない、米人が渡嘉敷ビーチで水泳しても何もしないと告げたと書かれている。これこそ重大な通敵行為である。『ある神話の背景』で作者はこれを「遊泳許可事件」として、赤松隊長のために、つじつまのあわない苦しい弁護をしており、その中で作者は「遊泳許可事件」の汚名を阿嘉島の指揮官に転嫁しようとさえしている。米軍記録にははっきり「渡嘉敷島の指揮官」「トカシキ・ビーチ」としてある。 赤松隊員がそれを否定しても、米軍の記録を信用するほかない。 188 次へ
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/147.html
日ソ基本条約(にっそきほんじょうやく)は、1925年に日本とソビエト連邦(ソ連)の間で結ばれた二国間条約。1922年のソ連の建国後、日本との間で初めて結ばれた条約で、1917年のロシア革命以来ロシアを統治するソビエト政権と日本との間で断絶していた日露国交正常化の基本原則を定めた。1月20日締結、2月25日に批准。 締結に至る経緯 1917年のロシア革命で共産主義を掲げるボリシェヴィキのソビエト政権がロシアの中央政権を奪取すると、共産主義の極東への波及を恐れた日本は、同じくソビエトを敵視するイギリス・フランス・イタリアなどの諸国と歩調をあわせてロシア内戦への干渉を決定、1918年初頭にイギリスと共同で居留民保護を名目とした艦隊をウラジオストクに派遣、同年夏にはシベリアで孤立するチェコ軍団の救出を名目としてシベリア出兵を開始。ソビエト政権と日本との間の関係は決定的な対立に陥っていた。1922年、日本軍は撤兵を声明し、9月に日ソの間でもたれた長春会議は決裂するものの、10月までに日本軍は最終的な撤兵を完了する。しかし、依然として北樺太には尼港事件をきっかけとして追加出兵した日本軍が居座っていた。 長春会議決裂と日本軍撤兵にともなって、ソ連は極東地区における緩衝国として維持していた極東共和国を廃止して併合し、1923年より日ソ国交正常化のための直接交渉に入る。中国の北京で行われた交渉は、同年の予備交渉を経て1924年5月から日本側代表芳沢謙吉とソ連側代表レフ・カラハンの間での正式交渉に入り、1925年1月20日に至って北京で日ソ基本条約が締結された。 日ソ基本条約および議定書の内容 外交・領事関係の確立 内政の相互不干渉 日露講和条約の有効性再確認 漁業資源に関する条約の維持確認および改訂 ソ連側天然資源の日本への利権供与 議定書 日本軍の北樺太撤退期限 日本側の北樺太石油利権に関する規定 条約調印に至る日本側の背景 もともと日本政府の首脳は共産主義への敵視が強かったため、シベリアからの撤兵後も国交正常化の動きには冷淡であった。しかし、ソビエト連邦の安定化とともに、冷却した日ソ関係が日本経済に大きな不利益を発生させていた。例えば、敦賀港・舞鶴港を通して沿海州と貿易を行っていた関西財界は輸送網を遮断されてしまい、オホーツク海で漁業を行っていた漁師らは、ソ連の沿岸住民らの妨害にさらされた。このようにして、世論にはソ連との修好回復を望む声があらわれたので、日本も国交正常化に前向きとならざるを得なかった。 また、ソ連は極東では混乱の渦中にあった中国との連携を図っており、まず1919年のカラハン宣言では、中国との対等関係の樹立、中東鉄道(東清鉄道が改称)の還付を約束し、さらに広東の孫文政権に協力した。日本は満州を根拠とする軍閥張作霖を篭絡していたものの、反復常なき張を扱いかねていた。こうした中にあって、中国での権益を守るためにも国交回復すべきことを真剣に唱えたのが、初代満鉄総裁で外務大臣の経験もある後藤新平であった。彼はイデオロギーの問題を軽視し、日本が極東で利権を確保するためにはソ連と友好関係を結ぶことが必要であり、またワシントン条約で日本が列国に閉塞させられた状況を打開するには、国際秩序にソ連を再び引きずり込む必要があると考えた。こうして後藤は右翼勢力の反発がありながらも交渉に取り組む。 ポーツマス条約で日本が得た沿海州沿岸の漁業権と並んで、日ソの交渉の中で問題となったのは、日本軍が駐留を続ける北樺太に眠ると見られていた石油・石炭資源の利権を巡る問題であった。交渉の末、ソ連側は駐留日本軍の撤退と引き換えに譲歩し、北樺太の天然資源の利権を日本側に与えることで決着した。こうして日本側は出兵の代償をわずかに確保して面子を立て、日ソ基本条約に調印した。 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月13日 (木) 21 45。
https://w.atwiki.jp/sakabamasuta/pages/193.html
アールシェピース ahlspiess 歴史:14世紀~19世紀 地域:西ヨーロッパ 全長:1.25m~1.5m 重量:1.5kg~2.0kg 全長の半分ほどもある四角錐状の穂先を持ち、大きな円形の鍔を備えた特徴的な槍。 柄は短く木製で、なめし革が螺旋を描くように巻きつけられている。 名の由来はドイツ語で錐を意味する「ahle」と、槍を意味する「spiess」が 組み合わさったもので、多くの文献で「突き錐槍」などと和訳される。 原型となった武器は、同様の意味を持つ「オウル・パイク」。 短い柄や大きな鍔は至近距離での白兵戦を想定したもので、登場した当初は 「見せ掛けだけで役に立たない」と小馬鹿にされていたという。 だが、実際には相手を完全に貫き通す事の出来る殺傷力、手元を守る大きな鍔、 短い柄による乱戦での取り回しの良さなど非常に実用的かつ強力な武器であり、 神聖ローマ帝国の陸軍工廠では50年以上も生産が続けられた他、当時の騎士達の多くは 白兵戦用の武器を尋ねられると、その代表格としてこの槍の名を挙げていた。 特にボヘミア地方の兵士達が、この槍を愛用した事で知られる。
https://w.atwiki.jp/momo_takekino/pages/209.html
設定イラスト 名称:・A74 ケント/I=D 評価:・体格5.06(評価4)・筋力25.63(評価8)・耐久力7.59(評価5)・外見2.25(評価2)・敏捷25.63(評価8)・器用0.67(評価−1)・感覚5.06(評価4)・知識0.67(評価−1)・幸運1.00(評価0) 特殊: ケントはI=D、航空機として扱う。 このユニットは宇宙で戦うことが出来る。 ケントは白兵戦行為ができ、この時、白兵戦の攻撃判定は×2.25(評価2)される。燃料を1万t消費する。 ケントは中距離戦闘行為が出来る。この時、中距離戦闘の攻撃判定は×2.25(評価2)される。燃料を1万t消費する。 ケントは遠距離戦闘行為ができる。この時、遠距離戦闘の攻撃判定は×1.50(評価1)される。燃料を1万t消費する。 戦闘時に1機につき燃料3万tを使用する。 戦闘時に1機につき資源2万tを使用する。 パイロットの他、コパイロット2名を必要とする。 兵員5人分として数える。 アタックランク18として数える →次のアイドレス:ベルクール(I=D)、アートポスト(I=D)
https://w.atwiki.jp/offlinedaikoukai/pages/59.html
鼠はネズミの大量発生を、病は疫病の発生を、叛乱は反乱の発生を、嵐はしけとの遭遇をそれぞれ防ぐ働きがある。上記の効果に加えて、海戦時に効果があるものもある。 船首像は旗艦装着時のみレベルに応じた効果が出る。言い換えると旗艦以外の船首像は効果が発揮されない。艦隊を組んでも船首像は旗艦に1つでよい。船首像の効果は1つしか得られないので嵐と病を同時に防ぐことはできない。 なので旗艦に装着する船首像は、特別なことがないかぎり対嵐の船首像一択になる。海戦時に効果があるものもあるが、しけ対策より優先されることはない。対嵐のレベル3の船首像の入手はどうしても後半になる(中国とイースター島)。対嵐レベル2の船首像の一角獣と飛竜は知識があれば早い段階で入手は可能。 アクシデントの回避率はレベル1で10%、レベル2で40%、レベル3で70%に達する。レベル1は付ける手間が無駄だが、レベル2以上なら効果が期待できるだろう ただし、レベル0の船首像ではアクシデントを回避できない レベル 船首像 属性 入手場所 備考 1 隼 鼠 たいていの造船所 妖精 病 たいていの造船所 提督 叛 イベリアの造船所 白鳥 嵐 北欧の造船所 馬 鼠 北欧の造船所 豹 病 地中海の造船所 亀 叛 バレンシアの造船所 攻略本にはバレンシアの造船所でのみ入手可能と記載されているが、実際はバグのため入手不可 狼 嵐 ケーニヒスベルグの造船所 梟 鼠 インディアン イルカ 病 ニューギニア人 鹿 叛 イヌイット 鮫 嵐 人喰い鮫 蛇神 鼠 アンコールワット 象 病 アユタヤの仏頭 2 偉人 叛 ローマの市場 飛竜 嵐 グランド・キャニヨン 火蜥蜴 鼠 泥のモスク 精霊 病 黄山 獅子 叛 ボロブドゥール 一角獣 嵐 ユニコーン 天使 鼠 オーロラ 鷹 病 ジンバブウェ神殿 鯨 叛 白鯨 人馬 嵐 アボリジニ 鷲 鼠 ナスカの地上絵 海獣 病 シーサーペント 3 女神 叛 アブ=シンベル大神殿 敵砲撃による被害を80%に抑える 海神 嵐 モアイ 敵射撃による被害を50%に抑える 水竜 鼠 モーケレ=ムベンペ 白兵戦時による被害を30%に抑える 炎神 病 プエブロ=ボニト 自艦隊による砲撃の威力が1.2倍になる 天龍 叛 万里の長城 自艦隊による射撃の威力が1.5倍になる 白虎 嵐 雲崗の石仏 白兵戦時の攻撃力が2倍になる 不死鳥 鼠 コンガマトー 毎ターン船の耐久力が5増加する 天馬 病 エアーズロック 戦闘時に自艦隊の移動力が1増える 0 死神 叛 幽霊船 自艦隊による砲撃の威力が2倍になる。後で天使の船首像にしか付け替えできなくなる。 魔王 嵐 ムー帝国 砲撃、射撃、白兵戦の攻撃力が1.5倍になる。後で女神の船首像にしか付け替えできなくなる。
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/44.html
援蒋ルート(えんしょうるーと)は、日中戦争において大日本帝国の侵略に対し対決姿勢を強めていた中国(国民政府)を主にアメリカ、イギリス、ソ連が軍事援助するための輸送路である。名前の由来は蒋介石を援助するためのルート。国民政府は、米英ソなどの援助を受けることで劣勢ながらも徹底抗戦を続けたため、日本は、長期間にわたり100万以上の兵力を中国に貼り付けて置かねばならず、国力は疲弊した。太平洋戦争の開戦は、国民政府の原動力である援助物資の輸送路である援蒋ルートの遮断もその目的の一つであったと見られている。 日本では単に援蒋ルートと言った場合後述のビルマルートを想定していることが多い。 経路 援蒋ルートの経路は、日中戦争の開戦から太平洋戦争の終戦まで途中、日本軍によって遮断されたり独ソ戦の開戦によって援助が滞ったものも数えて、4つある。 香港からのルートは、当時イギリスが租借していた香港に陸揚げされた物資を鉄道や珠江の水運を利用して、中国内陸部に運ぶ輸送路だが、1938年10月に広州を日本軍に占領されると遮断された。 仏印ルートは、当時フランスの植民地であったベトナム(フランス領インドシナの西部)のハイフォンに陸揚げされた物資を昆明まで鉄道で輸送するものだったが、1940年の北部仏印進駐時に日本軍によって遮断された。 ソ連からのルートは、他のルートと同じく重要なものであったが、1941年に独ソ戦が開始されると物資の供給が途絶えてしまった。 ビルマルートは、新旧2つの陸路と1つの空路があり、当時イギリス領であったビルマ(現在のミャンマー)のラングーン(現在のヤンゴン)に陸揚げした物資をラシオ(シャン州北部の町)まで鉄道で運び、そこからトラックで雲南省昆明まで運ぶ輸送路(ビルマ公路:en Burma Road)が最初の陸路で、日本軍が全ビルマを平定した1942年に遮断された後、イギリスとアメリカはインド東部からヒマラヤ山脈を越えての空路(ハンプ:en The Hump)に切り替え支援を続けた。 /br しかし、空輸には限りがあるため、アメリカが中心となって新しいビルマルートの建設を急ぎ、イギリス領インドのアッサム州レドから昆明まで至る新自動車道路(レド公路:en Ledo Road)が北ビルマの日本軍の駆逐後の1945年1月に開通する。 関連項目 南機関 ビルマの戦い インパール作戦 ジョセフ・スティルウェル クレア・リー・シェンノート フライング・タイガース 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年3月31日 (月) 09 40。
https://w.atwiki.jp/takekino/pages/263.html
T13 たけきの藩王個人騎士団 26:たけきの藩王個人騎士団 ■共通根拠URL 着用アイドレス表URL:http //www009.upp.so-net.ne.jp/take_kinoko/nation/format_idress13.html 文殊個人修正一覧URL:http //maki.wanwan-empire.net/characters/bonus_list?nation_id=26 藩国イグドラシルURL:http //www009.upp.so-net.ne.jp/take_kinoko/yggdrasill/index.html 文殊藩国保有兵器URL:http //maki.wanwan-empire.net/owner_accounts/27/weapons -なし 藩国保有アイテムURL:http //maki.wanwan-empire.net/nations/items_by_nation/26 -なし ■部隊書式 <たけきの藩王個人騎士団> ○初期AR:10 ○歩兵 26-xxxxx-01:たけきのこ(ACE)+HQ:- -連なりの指輪(マジックアイテム):個人所有:(刻まれた誓いの内容を守ろうとする場合)全判定、評価+1。(着用型/手先) -ゾンビスレイヤー(マジックアイテム):個人所有:(アンデッドに対する白兵距離での)攻撃、自動成功。(着用型/その他) -大健康の腕輪(マジックアイテム):個人所有:耐久力+3(着用型/腕) -クローバーのしおり(アイテム):個人所有:幸運+1 -聖水(マジックアイテム):個人所有:アンデットや邪悪な魔法を寄せ付けない。この効果は評価30として扱う。効果は10分続く -ヘビイチゴのタルト(マジックアイテム):個人所有:このタルトを使うと蛇を呼び出すことが出来る。 -目をつぶれば思い描く(絶技):個人所有:相手のことを鮮やかに思い浮かべることが出来る。 -居場所感知(絶技):個人所有:対象の居場所を100mの誤差で察知する。この能力は1時間に一度使える。対象のことをよく知ってないといけない。 -個人取得HQ根拠URL:http //farem.s101.xrea.com/idresswiki/index.php?00496-01%A1%A7%C3%DD%BE%E5%CC%DA%C7%B5 ○人数制限特殊 たけきのこ:王/王は一人の剣と契約を結べる。 対象者:たけきのこ たけきのこ:王/王は契約した剣と一緒に行動する間、(距離10m内の)契約した剣の行うあらゆる判定を評価+3する 対象者:たけきのこ たけきのこ:王/王はその魂の故郷の特産品に由来する力を契約した剣に与えることができ、それに応じた評価+2の修正を判定に与えられる 対象者:たけきのこ #魂の故郷の福岡の特産品、いなさ包丁として修正対象を白兵とします。 ■部隊評価 #連なりの指輪非適用 ○部隊評価値 20:20:23:20:20:20:20:20:21 ○部隊可能行為評価値 装甲:白兵:白兵(対アンデット) 25:26:自動成功 #連なりの指輪非適用・ヤガミ(たけきの)帯同 ○部隊評価値 23:23:26:23:23:23:23:23:24 ○部隊可能行為評価値 装甲:白兵:白兵(対アンデット) 28:29:自動成功 #連なりの指輪適用 ○部隊評価値 21:21:24:21:21:21:21:21:22 ○部隊可能行為評価値 装甲:白兵:白兵(対アンデット) 26:27:自動成功 #連なりの指輪適用・ヤガミ(たけきの)帯同 ○部隊評価値 24:24:27:24:24:24:24:24:25 ○部隊可能行為評価値 装甲:白兵:白兵(対アンデット) 29:30:自動成功 ○評価値に反映されるアイテム -ゾンビスレイヤー/(アンデッドに対する白兵距離での)攻撃、自動成功 -連なりの指輪/(刻まれた誓いの内容を守ろうとする場合)全判定、評価+1 ○評価値に反映される特殊 -王/王は一人の剣と契約を結べる。 -王/契約した剣と一緒に行動する間、(距離10m内の)契約した剣の行うあらゆる判定を評価+3 -王/その魂の故郷の特産品に由来する力を契約した剣に与えることができ、それに応じた評価+2 -剣/白兵戦行為ができ、この時、白兵戦の攻撃判定は評価+2 -剣/防御判定では評価+2 -大剣士/白兵戦行為ができ、この時、白兵戦の攻撃判定は評価+2 -大剣士/防御判定では評価+2 -たけきのこ/ヤガミ(たけきの)を帯同する場合、全能力評価を評価+3 ■消費資産 □出撃費用 資源:0万t 食料:0万t 燃料:0万t □編成種別 軽編成 □特殊消費 資源:0万t 食料:0万t 燃料:0万t □消費軽減 なし □合計消費 資源:0万t 食料:0万t 燃料:0万t
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1228.html
神戸新聞社説2008年3月29日 http //www.kobe-np.co.jp/shasetsu/0000895231.shtml 集団自決判決/「関与」認定の意味は重い 太平洋戦争末期の沖縄戦では多くの住民が犠牲になった。米軍に殺された人だけではない。旧日本軍に死を強いられた人もいた。慶良間諸島の座間味島や渡嘉敷島の集団自決は、特に悲惨な例で知られる。 作家の大江健三郎さんは「沖縄ノート」(岩波新書)で惨劇に触れている。その記述で名誉を傷つけられたとして、旧日本軍守備隊長らが出版差し止めなどを求めた裁判で、大阪地裁は請求を退けた。 「集団自決には軍が深くかかわり、元隊長らの関与も十分推認できる」「自決命令があったと信じる理由があり、名誉棄損は成立しない」などと述べている。 沖縄戦については、悲惨な体験をくぐり抜けてきた人が、今も多く生存する。豊富な資料や米軍の作戦資料も残る。 判決は、そうした証言や資料から丹念に情報を集め、集団自決と日本軍の関係は動かしがたいものだとした。 「沖縄ノート」は、日本人と日本の民主主義を問い直した本だ。沖縄が本土に返還される二年前に出版された。 集団自決について「住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ」という軍隊の命令があった、と記す。 両島の元守備隊長については「生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している」などと批判した。 元守備隊長らは「耐えがたい苦痛」を提訴の理由にしている。発刊から三十年以上たって法廷に持ち込まれた背景に、二〇〇三年の有事法制や、昨年の教科書検定意見での「軍の強制」排除など、右傾化の動きと結びつける指摘がある。 昨年の検定では、日本軍に強いられたという記述や軍の関与そのものも文部科学省によって削られた。大きな波紋を呼び、沖縄では抗議の県民集会に発展し、政治問題化した。その結果、日本軍による「強制」を、事実上認める表現が復活した。 検定で右往左往し、あらためて注目された問題が、判決で動かしがたい事実と認定された意味は重い。 判決後の会見で、大江さんは戦争を拒むことが戦後の民主主義が生んだ新しい精神と語った。検定で危うく歴史がゆがめられそうになったばかりである。同様の流れが検定などで再び起きないとも限らない。 道を踏み誤らないためにも、歴史と向き合う勇気を持つことが重要だ。今回の判決の重みをよくかみしめたい。 (3/29 09 27) 大阪地裁判決に対する各紙論評など