約 4,647,309 件
https://w.atwiki.jp/gundamfamily/pages/2365.html
183 名前:通常の名無しさんの3倍 :2009/05/26(火) 23 58 49 ID ??? そういえばここのラッセはどんなキャラだっけ 新シャアだとだいたいガチホモだけど 一つだけここのラクスみたいにまともに独身貴族ないい男なラッセがいるスレはあったけど 185 名前:通常の名無しさんの3倍 :2009/05/27(水) 01 32 12 ID ??? 183 ロックオン1号「…という疑問が出ているので、ちょっと実験してみようと思う。ここに4枚の写真がある。 これをラッセの机に何気なく置いておいて反応を見てみよう」 1枚目 ラッセ、写真を一目見るが興味は起きなかったようで、そのままゴミ箱へ 2枚目 ラッセ、写真を興味深そうに見て、ボディービル雑誌のスクラップ帳にしまいこむ 3枚 ラッセ、2枚目と同じくボディービル雑誌のスクラップ帳にしまいこむ ロックオン1号「1枚目は貧弱優等生のサイ・アーガイル君だ。ラッセは興味はないらしいな。 2枚目はデラーズ・ブートキャンプを指導するデラーズ氏、年に似合わない筋肉だ。 3枚目は腕相撲をする女刑事のカレン・ジョシュワさんとレット隊のキャンサーさん。どちらもなかなかの筋肉だ。 さて4枚目は…あ」 ラッセ「おい、この写真お前が撮ったやつだろ。置き忘れてたぞ。スメラギさんとかに渡すかアルバムに入れるかしろよ」 ロックオン1号「ここにあったのかー済まん(棒読み)。…この4枚目はこの前プールで撮ったミス・スメラギとクリスとフェルトの大胆水着の写真だ。 ミス・スメラギとクリスはともかく、フェルトの水着を見て思わずおにーさん、「かあさん、フェルトが不良になってしまったよ」とつぶやいてしまいましたよ。 誰だよ「かあさん」って。…この結果から見ると、男女どうこうとかいうより筋肉に興味があるのかなあ」 刹那「俺はガンダムだ」 ラッセ「俺はマッスルだ」 刹那「アムロ兄さんは真のガンダムだ」 ラッセ「全盛期のデギン・ザ・グレートは真のマッスルだ」 刹那「俺はガンダムにはなれない…」 ラッセ「俺はマッスルにはなれない…」 刹那「お前はガンダムじゃない」 ラッセ「お前は貧弱な坊やだ」 186 名前:通常の名無しさんの3倍 :2009/05/27(水) 01 48 36 ID ??? オッスオッス! この2人と合体! しなきゃならない彼は大変だなw 187 名前:通常の名無しさんの3倍 :2009/05/27(水) 02 34 57 ID ??? 186 沙慈(√キュピーンッ)「う゛っ!」 サイ「おい、どうしたんだ?」 沙慈「アハハ、なんでもないよ」(妙なプレッシャーを感じたんだけど・・・) シーブック「体調が悪いなら、帰った方がいいぞ」 ルイス「じゃ、あたしが一緒に送ってあげる♪」 ファ「あんたはサボりたいだけでしょ(苦笑)」 沙慈「ルイス、本当に大丈夫だから・・・」 セシリー「クロスロード君、先生に早退するって言った方が・・・」 カミーユ「おい、生徒会長がこっち見てるぞ!」 ドワイト・カムリ「ホームルームの時間だぞ、話をちゃんと聞け!!」 188 名前:通常の名無しさんの3倍 :2009/05/27(水) 07 40 20 ID ??? 沙慈「あなたと、合体したい」 ルイス「え…?ちょ、ちょっと待ってよいきなり…こんなとこで…///」 沙慈「…ってこの前刹那とラッセさんに突然言われたんだ。びっくりしたよ」 ルイス「………はぁ?」 刹那「最近ルイス・ハレヴィの目が怖い」 ラッセ「刹那もか。俺もだ…何かえらく警戒されているようだが、何でだ?」 刹那「いや、全く思い当たる節がない」 189 名前:通常の名無しさんの3倍 :2009/05/27(水) 07 41 14 ID ??? 刹那「真のガンダムに問う!マッスルを鍛えればビームが出るというのは本当か!」 アムロ「あれはレビル将軍の特権」 死神「懐かしいわねぇあの二人」
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/3285.html
昨日 - 今日 - トップページ 橋下徹大阪市長の慰安婦妄言 ―― 「意に反して」ということでも必要ではあったということでしょうか? いい気はしないけれども、状況からして必要であったということですか? いや、意に反した、意に即したかということは別で、慰安婦制度っていうのは必要だったということですよ。意に反するかどうかに関わらず。軍を維持するとか軍の規律を維持するためには、そういうことが、その当時は必要だったんでしょうね。 5/13ぶら下がり取材夕方 ゴチャゴチャいってますが、これだけでアウト!っていうか没収試合でしょう。 橋下徹大阪市長の慰安婦妄言twitter 報道 根拠? 抗議声明 「世界中の軍隊が従軍慰安婦やってた」という橋下論の前提になる事実については、 新聞もだれも批判してないようですが、これっていかがなもんでしたっけ。 産経新聞の古森義久さんは、あまりそういうことはいわなかったかと。 twitter 橋下徹のtwilog 5/14 リンク 保存mht 橋下徹のtwilog 5/15 リンク 保存mht 未明まで 橋下徹のtwitter(現在) https //twitter.com/t_ishin 報道 時事通信「橋下氏の発言要旨=従軍慰安婦問題」 SYNODOS 橋下徹大阪市長「米軍の風俗業活用を」はいかなる文脈で発言されたのか(2013年5月13日)大阪市長・橋下徹氏ぶらさがり取材全文文字起こし 1 SYNODOS 橋下徹大阪市長「米軍の風俗業活用を」はいかなる文脈で発言されたのか(2013年5月13日)大阪市長・橋下徹氏ぶらさがり取材全文文字起こし 2 朝日新聞portal page 「橋下徹氏」 SYNODOS 橋下徹大阪市長「性風俗業と従軍慰安婦問題」についての発言(2013年5月16日)1 SYNODOS 橋下徹大阪市長「性風俗業と従軍慰安婦問題」についての発言(2013年5月16日)2 根拠? レイプ事例にしか見えないけど。 産経新聞記者・阿比留瑠比 世界各国にもあった慰安婦・慰安所 2007/03/09 抗議声明 沖縄の女性達による抗議声明 PDF1枚 橋下氏発言を非難する米政府当局者のコメント(全文) トップページ
https://w.atwiki.jp/sumatora/pages/11.html
https://w.atwiki.jp/wikionepiece/pages/96.html
ワンピースにおける月 エネルがマクシムに乗り、月に到着。月には宇宙海賊がいて古代都市の発掘を行っていた。 エネルのスペース大作戦からわかること 月には”ビルカ”と呼ばれる都市が存在した 月、ビルカにはツキミ博士が作ったスペーシー中尉に似たロボットが存在する。 壁画から月の住民には羽が生えていたと考えられる。 月の住民は資源不足により青色の星へ降りた(地球へ降りた) エネルは宇宙服などを着なくても月で活動できる(現実の衛星である月という解釈ではなく、あくまで空島の一つと捉える説も)。 地球のビルカ ビルカは地球にもあり、ビルカはエネルの生まれ育った空島であり、8年前に影も形もなく消え去ったとされる(巻三十) 羽の生えた人 月の住民、空島の住民に羽が生えていることから、空島の住民は月の住民の末裔と考えられる。 月の住民の謎 資源を求め地球に降りたが、青海(地上)ではなく空島に住んでいる 大地(ヴァース)を求めて争い、エネルは月を限りない大地(フェアリーヴァース)と呼び月へ向かったが、エネルや空島の住民はなぜ青海(地上)の大地を目指さないのか。地上を目指した月の住民の末裔が空島の住民であれば、地上を目指す方が理にかなっているのではないか ”D”は半月を意味する?
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/525.html
「慰安婦」問題 調査報告・1999 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る 浅野豊美 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p061_088.pdf 5-1 ミチナ (中国名「蜜支那」)-1 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る5-1 ミチナ (中国名「蜜支那」)-1 注《浅野論文》 写真G カール・ヨネダの訊問を受けるキム。1944年8月3日 写真H ミチナ陥落後に慰安婦となった女性達。正確に20名存在していること、一番右端の手前に写っている女性が、よく見ると年配の日本女性と考えられる。腹に帯を巻いていることに注目。1944年8月14日 ミチナへの侵攻が、5月17日から始まったときの全般的な戦局については、冒頭に述べたが、6月に入って以後ミチナは完全に孤立した。7月31日の夜、ついにミチナ守備隊は脱出を開始し、8月3日の夜までそれは続いた18)。第56師団から派遣されていた水上少将には、個人としてミチナを死守すべしとする命令が与えられていたため、水上少将は、全軍に撤退を命じ、命令書にサインをした後、イラワジ川の中洲ノンタロウ島の東岸で、8月1日に自決した。また、実質的な指揮権を掌握していた、元第18師団の丸山大佐は、8月3日の夜に対岸に脱出している19)。ミチナ守備隊が最後に撤退した8月3日の夕刻、午後3時45分に連合軍はミチナを完全に手中にしたことを部隊内の兵士に発表した。兵士は祝賀の発砲をしながら大拍手でこれを迎えたという20)。 しかし、3日の夜にも、日本軍の第2大隊、第3大隊は渡河を続けていた。最後に残されたこれらの大隊の兵士の大部分は、渡る船がないため置き去りにされた。守備兵力、1,200名の中で、無事対岸に脱出したのは、800名に過ぎず、187名が連合軍の捕虜になった21)。 以上のような状況において、捕虜となった日本軍の中に、大量の朝鮮人慰安婦がいたことはよく知られており、政府発表資料はじめ、様々な資料の中にその写真が引用されている。しかし、諸資料を比較対照させて検討するうちに、重大な誤りが存在することが判明した。8月3日に捕虜になった朝鮮人の女性で、米軍兵士のインタビューを受けている姿が写真に撮影されたキムという名の朝鮮人の女性は、実は慰安婦ではなかったのである。その後に捕虜となった20名の朝鮮人慰安婦と共に以下に改めてその写真を掲げ、ミチナ陥落の8月3日から訊問記録が作成される9月までの1ヶ月間を中心に、写真に写った人物たちの歴史的背景をも交えつつ論証を進める。 この写真G22)が、今まで長い間、朝鮮人慰安婦の写真とされてきたのは、当事者達の記録故である。しかし、実は当事者であっても機密保持ゆえに必要な情報が知らされていなかったため、当時のいいかげんな風評に基いた記録が、当事者の記録であるが故に事実として誤解されてしまったと考える。まず、その証言を行った人物2人の記録を相互に突き合わせながら、他の公文書及び、尋問記録と対照させてみよう。 まず最初に重大な記録を残しているのは、この写真の中で鉄兜をかぶって一番手前に写っている、OWIのカール・ヨネダ23)である。ヨネダは、1933年からアメリカ共産党員として日本語機関紙『労働新聞』の主筆をしていた人物である。『労働新聞』は、片山潜が、1914年にアメリカに亡命して以後、アメリカ共産党設立に加わった時から、片山を初代主筆として発行されていた。ヨネダは、真珠湾攻撃後一旦は日系アメリカ人の収容所に入れられたものの、「ファシスト撲滅こそ唯一の救いの道であるとの考えにやがて到達し、ついにアメリカに忠誠を誓い、日系の将来のために米軍に志願するという運動」24)を始めた。それが認められて、OWIの要員となったが、OWIは、Office ofWar Information(戦時情報局)の略語で、心理作戦のための宣伝ラジオ放送や、ビラの作成を任務としていた。そのヨネダの指導と指揮を行ったのが、ジョン・エマーソンであった。エマーソンは、1944年に延安を訪れ、「日本兵俘虜の再教育、日本人民解放連盟、八路軍その他の視察、宣伝文書の交換」などを行い、日本共産党の野坂参三とも会見している。エマーソンのもたらした野坂の情報は、戦後日本の占領軍による共産党政策に大きな影響を与えた。 また、延安の日本兵の中には、八路軍への参加声明書を発表し、「斯うして正義に目覚め、真の敵を知った我々は今日茲に、大いなる歓喜と希望にあふれつつ八路軍に正式参加を発表する」と唱えたものさえあった25)。ヨネダは、こうしたエマーソンの延安での活動を模範としながら、レド米軍基地拘留所に収容されている30余名の日本兵の中から、「神経戦工作に好意をもち、提案その他の助力をなし得る五名の将兵を選ん」で、彼らの反応を確かめつつ、宣伝ビラの作成を行っていた。ミチナを脱出した丸山大佐に対して、慰安婦を置き去りにして逃げたのとの痛烈な批判をビラの上から浴びせたのも、ヨネダである。 ヨネダの8月の日記から、写真のインタビューが行われた付近の記録を引用しよう26)。 8月1-2日 「掃蕩戦だからミチナの完全占領は時間の問題だ」と一戦友が語る。それでも日本兵は強情に反撃してくる。敵の本部の塹壕に到達したとき、入り口で数名の病傷兵と、驚くなかれ二〇余名の朝鮮系慰安婦が中米兵士に取り囲まれている。「どうしたのか」と問うと、「俘虜を後送するためにMPと衛生兵を待っている。第一一四連隊長丸山房安大佐は、昨夜こっそりと壮健な部下をつれて逃げ出し、彼らや彼女らを置きっぱなしにした。日本の将校は臆病者だ」という。全くその通りだ。"General whoreaps glory while his 10,000 die."(一将功成りて万骨枯る)だ。 この中で、大切なポイントとなるのは、丸山大佐が逃げ出した翌日に、「二〇余名」の慰安婦が、日本軍本部の塹壕付近で中国と米国の兵士に取り囲まれていたと、ヨネダが証言していること、しかもそれが、8月1日、もしくは2日とされていることである。そもそも、丸山大佐が脱出したのは、3日の夜である。するとその翌日は、4日のはずである。確かに、日本軍の脱出は、7月31日の夜から始まっており、水上少将も1日に脱出したとされているから、当時の米軍情報では、丸山大佐の脱出を31日か、1日に誤解していたと解釈する他はない。しかし、いずれにしてもこの日時と場所は、慰安婦の尋問記録にある、10日に対岸でというものとは全く一致しなくなってしまう。 この個所に続くすぐ次の頁の同じ1日と2日の記録の中に、もう1ヶ所、慰安婦に関する以下の記述があり、それから判断するとヨネダの記録が20名の方に関しては、不確かなものであることは明らかである27)。まずは、最初の1名に関する記述を中心に、引用を続ける。 本部に帰って、臨時拘留所に出かけると、多くの米軍兵隊が"涎を流す"ような顔をして鉄条網によりかかっている。衛生兵が慰安婦の足や手にできている水虫に薬の手当てをしているのを見ていたのだ。MPの許可を得て中に入るや、一人のGIが私に、「何の特権があるのか」と詰問調に問う。「私は訊問官だ。君が日本語を話すことができれば入れるよ」と答えると、彼は無言で退却。どの女も、宣伝放送は塹壕の中にいたので聞いたことはないという。病傷兵の中で、聴いたが足が動かないためどうすることもできなかったという者あり。手榴弾を与えられたが使わなかったとのこと。大した反応はなく、レド基地に送ったあと、ゆっくり訊問することにする。八月三日木曜日朝雨・午後晴天 朝起きて「ミチナは陥落したか」と戦友に聞くと、「まだだ。今掃蕩戦中だ」と答える。 ここでのポイントは、8月3日起床する前日、つまり2日に、朝鮮人の女性に対して尋問を行ったと証言している点と、衛生兵が慰安婦の「足や手にできている水虫に薬の手当て」をしていたという点である。ヨネダは、5日朝、飛行機でレドに飛び、OWI本部に帰還した28)。その後レドで綴られたはずの、「八月六-三一日(OWIレド本部)」という日付の日記を残しているが、そこでは「八月三日、ミチナで捕まった朝鮮系慰安婦二一名に関すること」29)と記しており、自分自身が、最初に1日もしくは2日と記した記録とさえ、以後の記録は一致していないこととなる。最初の1人に関する記述も曖昧であるということができよう。 しかし、とりあえず、ヨネダが21名の慰安婦が同時に8月3日に捕虜となったと認識している前提で、次を参照することとしよう。 彼女たちは直ちにレド基地拘留所に空送され、皮膚病などの治療を受けた。そして訊問役は依地軍曹。彼は二週間にわたって彼女たちを一人づつ詳細に調べ、膨大な報告書を作って本部に提出し、「極秘」のスタンプがおされた。ところが、本部文官はおろか、基地司令部の将校まで「ちょっと読ませてくれ」と大評判になった。もしも印刷して発売したらベストセラーになり、依地は大金持ちになれるぞ、と冷やかす声があがった 「極秘」のスタンプが押されたことだけは、この証言からも、また実際の公文書からも確認される。恐らくヨネダ自身は、この尋問記録を読むことが出来ない立場にいたのではなかったろうか。だからこそ、「ベストセラー」云々の話を持ち出し悔しい気持ちを代弁すると同時に、自分がたった1人の朝鮮人女性をごく軽く尋問したに過ぎないのにもかかわらず、偶然写真が撮られていたことを幸いとして、さも自分がその中の重要な1人であったかのように記述を作り上げたとはいえないであろうか。 この不一致と謎に満ちたヨネダの証言を検証すべく、次にスティルウェルの情報担当将校として勤務していたチャン・ウォンロイ(Chan Won-Loy)という中国系アメリカ人の証言にあたってみよう。チャンは、写真Hの中で、左側の一列に4人並んだ、米軍兵士の一番手前に写っている人物である。チャンは戦後も長くアメリカ陸軍に勤務し、退役後に当時の関係者や公文書の記録を元に、『ビルマ- 語られざる物語』(日本語の書名は著者による直訳、原文は、"Bruma The UntoldStory")30)という本を執筆している。 初めに、簡単なチャンの紹介をしよう。チャンの父は広東近くのSam Shui から19世紀末期にアメリカにわたった。1906年まで、サンフランシスコに住み、大地震をきっかけにそこを離れ、ノースベンドに引っ越し、結婚して雑貨店を開業した。チャン・ウォンロイは、そこで1914年に誕生している。4男2女の中で、少なくとも長男ではない。アメリカの小学校に行くが、父から広東語を家の中で話すようにいわれ、文化遺産としての千字文を強制され唱えながら店を手伝った。サンフランシスコの中学に行きつつ、夜間には中国語学校にも通った。その後再び故郷の、ノースベンドに帰り、高校を1931年に卒業して、1936年にスタンフォード大学に入学。クラスの中でただ1人の中国系アメリカ人だったという。経済学を学ぶ傍ら、予備役訓練課程をとり、1936年に陸軍野戦砲兵予備役となる。1937年の秋にスタンフォードの法律学校に入学。しかし兄が亡くなり、父の家業を手伝う。日中戦争が勃発、祖国中国救出のために貢献したいと考える。中国医療援助のためのアメリカビューローに志願。真珠湾攻撃後、第4軍の情報学校に入学し、1942年の初頭から日本情報専門家となるべく訓練を受ける。その頃から、チャーリーと呼ばれる。同年5月に組織が変わり、情報学校は軍事情報局語学学校(MillitaryIntelligence Service Language School MISLS)になる。そこを同年11月に卒業。読み書きのみならず、一般的な情報科目についても学ぶ。以上の訓練の上に、捕虜の尋問や拘留を担当する職務を、スティルウェル総司令官の下で担当することとなった。 チャンは、慰安婦が捕虜となった状況について以下のように記述している31)。 キャロル・ライト少佐と私は、我々が向かっていることを参謀長に伝え、全部隊に対して、捕虜の収容は飛行場において行うべしとする通告を発する旨を伝えた。(中略)8月3日に捕らえられた捕虜の中で、最も関心と好奇心をかきたてたのは、キムと名乗った1人の若い朝鮮の女性であった。カチン族からなるモーリス部隊によって、彼女は1人の日本軍兵士と壕の中にいる所を捕らえられた。 キムは、「慰安婦」であったが、たった1枚の膝上までの衣服しか身につけていないことでいかにもその役割をしていたように見えた32)。我々は、憲兵を配置して周りを固めさせたが、OWIのカール・ヨネダ准尉は、私に対し、簡単な質問をしてもいいか許可を求めてきた。我々は、正式の捕虜達への質問に忙殺されていたため許可を与えたが、カールが彼女に何と質問をし、彼女が何と答えたのかはついぞ一度も耳にしなかった。後になって、私は彼女にちょっとした定式通りの質問をしたが、彼女が価値ある情報を持っていないことはすぐに明らかとなった。次の日、我々はレドへと向かう飛行機に彼女を乗せ、捕虜と民間人の収容に責任を持つ英国当局に引き渡した。 この証言の中で、大切なのは、8月3日にキムという朝鮮人の女性が1人だけ捕らえられたこと、彼女を慰安婦であるとチャンが認定した根拠は、膝上までの衣服だけしか身につけていなかったことにすぎないことである。これをヨネダの証言と突き合わせて見ると、ヨネダが、「MPの許可を得て中に入るや」、「どの女も、宣伝放送は塹壕の中にいたので聞いたことはない」と、あたかも大勢の女がいたかのように書いているのは、明らかな記憶違いか、捏造であったことがわかる。公文書の記録を見ても、キムが捕虜となったのは、8月3日で、他の20名の朝鮮人慰安婦が捕虜となったのは、実は10日なのである。 ミチナには、63名の慰安婦がいたとされるが、20名の証言によると、7月31日に全員が対岸に脱出しており33)、この3日の時点で、キムと一緒に他の大勢の慰安婦もいたとは考えられない。また、キムが脱出しそこねた慰安婦である可能性も、脱出したとされる63名が、慰安婦だけから構成されていたと記載する尋問記録34)と、家族や従業員を含むとしている記録35)が2つ存在することから、数の点だけから判断するとありえないことではない。しかし、ヨネダが言うように8月3日の時点で他に多くの女性がいたというのは誤りである。8月3日に捕虜となった朝鮮人の女性は、キムという1人にしかすぎなかったのである。たった一人だけというこの事実が、公文書としての尋問記録と対比させると、大きな意味をもって我々に迫ってくるのである。 このキムという女性が、本当に取り残されて脱出し損ねた慰安婦であったのかどうかを吟味するにあたって、決定的に重要なのは、8月3日にミチナで捕虜となった、「宮本キクエ」という日本名を名乗る朝鮮人女性看護婦の尋問記録が存在することである36)。この記録には、宮本が「ミチナ陥落時に『朝鮮人慰安婦』と共に捕虜となる」(原文 "in the company of "the KoreanComfort Girls" when Myitkyina fell")と記されているが、そもそも捕虜となった日付は、「8月3日付近」と記され、尋問が行われたのは、8月8日と記されている。8月3日に捕虜となった朝鮮人女性は、たった1人だけであり、宮本が捕虜となった日付が、8月3日であることから、この写真Gに写っている、「慰安婦」とされてきた女性は、実は宮本という日本名をもった朝鮮人看護婦であったことが判明する。尋問の内容は、それを更にはっきりと示してくれるものとなっているため、少し後に全文を紹介したい。 なぜ今までこのような基本的な事実に関して大きな誤解があったのであろうか。ヨネダやチャンが、日本軍の中に慰安婦が存在しているという情報を聞いており、そために、最初に捕虜となったこの朝鮮人女性を慰安婦であると即断したこと、実際に捕虜を尋問した人物は別でしかも機密とされたためにその情報が伝わらなかったこと、この2つが要因であろう。実際ヨネダは当然としても、チャンもこの尋問記録を見ていないという証拠が著書から判明する。チャンは、ミチナ全体で何人の慰安婦がいたのかは不明であるが、少なくとも後で捕虜になった20人と最初の1人と合わせて21人はいたと書いているからである37)。ここから、慰安婦達が語った尋問記録にある63名という数をチャンが知らないのは明らかであり、尋問記録は少なくともチャンの著書執筆の時点では参照されていない。いずれにせよ、機密とされた公文書に確認することなく当事者の回想が執筆されたため、それは当事者の記憶故に重みを持ち、それが今に至るまで、資料の価値を歪めてきてしまったのである。 この結論に立って、改めて写真Gの写真資料を吟味してみよう。そもそものキャプションには、「日本語通訳であるサンフランシスコのカール・ヨネダ准尉が、空港にある憲兵の営倉において、日本人の『慰安婦』に質問をする。傍らにマサチューセッツ・フランクリン出身のエドワード・セイントジョンⅡ世が、背後で警備にあたる。キムはミチナにおける看護補助として勤務した」38)と述べられていた。確かにここでも「慰安婦」という言葉は使われているが、その一方で「看護補助」(原文は、nurses aid)という言葉が使われており、素直にそれを解釈すればキムは、看護婦なのであり、恐らくそれはキム自身が、ヨネダに対して最初に回答した言葉を元にしているのであろう。ヨネダやチャンは、慰安婦が時には看護業務もこなすと知っていたがために、それをそのまま信用せずに、朝鮮人の女性であることから、「慰安婦」であると即断したのだと考えられる。実際写真を見ると、キムの着ている衣服は、看護婦の制服ではないだろうか。ワンピースで、丈が膝の上というのもうなずける。また、ヨネダが最初にキムを見つけたとき、足と手に水虫が出来ており、それを看護兵が治療していたと証言していることも、キムが看護業務に長期間従事してきた傍証となる。看護婦だからこそ、水虫になるのであり、慰安婦が水虫になるというのも奇妙ではなかろうか。 また、ヨネダとキムとの間に、写っている日本人の兵士の存在が今まで無視されてきたが、これはヨネダの通訳ではない。そもそも、ヨネダの日本語能力は、戦争前に広島に留学していたことから見てほぼ完璧である。兵士の着ている衣服を見れば、それが明らかに日本軍兵士のものであることが分かる。もしも、ヨネダと共に、先に捕虜となっていた日本人元兵士が同行したとしても、ヨネダと同じ方向に座ったであろうし、制服も米軍のものに着替えていたに違いない。男性の兵士と並んで写っているということは、この営倉が非常用のものに過ぎず、写真に写っていない営倉内の空間に一緒に収容されていたのは、男性兵士であったであろうことが分かる。キムは、次の日に収容施設の整ったレドに送られていることから、恐らくこの8月3日を最後に、男性兵士と話をする機会は与えられなかったに違いない。もしかするとこの男性は、カチン族兵士に捕らえられたときに一緒にいた、兵士かもしれないし、さらにそれは、次に掲げる宮本(改めキム)の尋問記録の中に出てくる、「Tushida」という名の兵士とも同一人物であった可能性があるが、この点に関しては、明確な証拠は何もない。ともかく、宮本、改めキムの尋問記録の紹介を次に行うこととしよう。キムがみせかけだけの看護婦で、実は慰安婦であったのか、それとも本当の看護婦であったのかが以下の尋問記録によって更にはっきりする。 尋問記録の冒頭に付けられた基礎データによると、宮本キクエ(キム)は捕虜になった当時の年齢が28歳、満州国にて出生し、6年間小学校に通った後、朝鮮の平壌で1年間看護学校に通い、1942年8月第2野戦病院に所属してビルマに到着、1944年の8月3日に捕虜になった。平壌には母親と姉妹が居り、結婚はしていない。尋問は、8月8日「戦闘司令部」で、「アクネ・ケンジロウ」によって行われた。以下、尋問記録のほぼ全文を訳出するが、括弧の付されているところは、原文でも宮本自身の言葉を示す引用符がつけられている。 捕獲時の状況(下線部原文):ミチナ陥落時に、「朝鮮人慰安婦」と共に捕虜となる。 評価:捕虜から得られた最も貴重な情報は、日本人による朝鮮人差別についてのものである。彼女は、連合軍の捕虜になったことを幸いと考えている。というのも、日本人の彼女に対する取り扱いよりも、ここでのそれのほうが良いと分かったからだ。彼女は病院勤務開始以来、軍事に関する興味深い情報を何度か聞いているため、大抵の兵士が知らないような情報も数多く提供してくれた。例えば、大東亜決戦機として知られている新型の戦闘機についてである。この飛行機は現在日本が有する最高の性能をもったものとして知られている。 情報と宣伝 ニュース:「新聞を読む時間も見つけてはいましたが、睡眠をとることも何とかしなくてはなりませんでした。」 リーフレット(ビラ):「私は、『出てきなさい。もう大勢のお仲間達が我々の所にいて、よい待遇を受けていますから』というビラを読んだことがあります。フーコン峡谷においては、55・56師団の壊滅を伝えるビラを読みました。菊兵団(18師団)の多くの兵士達が、ビラがとてもよく書けていて、それからすると、敵の捕虜になった我軍の兵士が書いているんだろうな、と口々に話しているのを聞いたことがあります。でも、そんなことにはあまり関心がありませんでした。誰が朝鮮を掌握しようと問題じゃないから。今まで朝鮮人はひどすぎる扱いを受けてきたので、どこか他所の国が朝鮮を掌握することになったとしたって、今より悪いなんてことにはならないと思います。朝鮮ではたくさんの反日運動が存在していて、私もその中の一グループといっしょにどこかに隠れてしまおうと思ったこともありました。しかし、母がその計画を知って、私が殺されたり刑務所に入れられるんじゃないかと、とても心配したので、この反日団体と行動を共にすることができませんでした。この団体は朝鮮の周りのどこかに潜んでいると私は信じています。」 戦闘状況 医療看護:軍医達は彼女を犬のように扱い、牛馬の如く酷使したと、この捕虜は主張する。「一緒にいた日本人の看護婦達は、安全のため後方に送られたというのに、軍医達は私に最後までここに踏み留まって兵士と一緒に死ねと命令しました。またそれまでにも、私がマラリアにかかってベッドに横たわっていたとき、他の女の子が軍医に薬と注射をお願いすると、軍医は私が仮病を使って仕事をなまけようとしていると言って、水を浴びせて私をたたき起こしました。私は悪寒と高熱にもかかわらず働かざるを得ませんでした。他の看護婦達が普通の看護婦の仕事をしているのに、私の方は汚れた衣服やガーゼを洗う汚い仕事をしなければなりませんでしたし、給与にも差別がありました。日本人の看護婦が150円貰っているのに、私は100円足らずでした。他の看護婦達が全部後方に送られたというのに私はもっとひどく働かなければならなかったのです。軍医でさえ眠る時間は確保されているというのに、私は仕事に追われて3日も働きどおしでした。もし、ちょっとでも休もうものなら、すぐ軍医にたたき起こされたでしょう。ある時私は気が変になりかけて、ここを抜け出して敵の捕虜になってやると言ったことがありました。軍医は勝手にしろと言うなり、もし敵がおまえを捕まえれば、敵はおまえを強姦して殺すだけだと言ったんです。捕まったとき私が怖がったのはそれも1つの理由でした。しかし実際は何も起きなかったどころか、非常によい待遇を受けてます。他の日本人は皆1年2度のボーナスが支給されましたけれど、しばらくの間、私にはそれがありませんでした。私が朝鮮人であるというだけの理由で差別したんです。」 「兵士達は私が朝鮮人であるからといって、よく私をからかいました。また、看護をしている最中に戦争の話を聞こうとすると、兵士達はとても怒ったものです。それは女が考えるようなものではないといって、私を追い払いました。聞いたことがないようなニュースがあると、私はよくそれが何なのか聞かせてくれとせがみましたが、いつもひどく叱られました。」 航空支援:(省略) 一般的考え 日本と朝鮮:「日本は持たざる国なので、もし敵のほうから最初に攻めてきたら、日本は手ひどい損害を被ったでしょう。だから日本は最初に満州に攻め入って、戦争を始めるのに必要な資源を押え、次に中国と戦って準備して、いよいよ準備が整うと、アメリカに攻撃を仕掛けたんだと思います。もし日本の方から戦いを欲しなかったら、戦争は避けられたと思います。もし日本が勝ったら、朝鮮や他の国はますますひどいこととなるでしょうね。日本人はそんな人間達ですから。もし日本が勝てば、日本人はそれを見せびらかすようにして、ますます思いあがると思います。私は日本なんか徹底的に負けてしまえばいいんだと思っていますわ。さっきもお話したように朝鮮を解放しようと、隙をうかがって偉大な人たちがどこかに隠れているんですから。今になってみて、私も一緒に仲間に入るんだったなって思っています。朝鮮人の警官は日本人の警官よりももっと始末に負えません。日本人と同じになったといって鼻に掛けるし、ひどいのになると日本への忠誠心を見せつけようとする方さえいる始末。人を大事に扱ったらいいのに、することはその逆です。日本人のためにしばらく働くと、人は皆な、同じような人間か、もっとひどいやからになってしまうみたいです。私は日本が負けるって分かっています。ミチナでだって最初は勝つといったのに、どんなことになったか見ればわかります。でも、戦争が長引けば長引くほど朝鮮人はもっときつい仕事をしなければならなくなりますね。朝鮮人は食料がちょっとしかもらえなくて、着るものもあんまりないし、食料作りにみんな駆り出されているんです。私の母もよく半狂乱になってしまう程、ひどい扱いに抗議したものです。でも、もしそれが他所の人にばれたら、おそらく刑務所送りだったと思います。先日、ここの捕虜収容所にいるTushidaママ(筆者注:Tuchidaの誤りか)中尉が、私に向かって、他の兵は全員ミチナから無事に脱出したのかって聞いてきたので、私は、もう皆な捕まってしまって、すぐここにやってきますよと答えてやったんです。彼は私が言ってやったことにとてもとても驚いていましたね。」 ドイツ:「日本はドイツの支援無しには、この戦争に勝てる見込みはないでしょう。もうドイツは、ヨーロッパ戦線で負ける一方ですから、こっちの方で日本が勝つ見込みはないと思います。」 米国・英国・中国:「アメリカ人は100%日本人よりもマシです。もしアメリカ人が捕虜になったら日本からこんなによい待遇は得られやしない。でも実を言うと、日本軍の捕虜になったアメリカ人やイギリス人の待遇の方が、中国人よりもマシになってます。中国兵が捕虜になったら殺されてしまいます。この目で見たことはありませんが、何度もそんな風にしてやるんだっていう話を耳にしたことがありました。この前、白人が病院に連れられてこられた時、軍医は出来る限り最高の待遇を与えていました。私も中国人は好きじゃない。非人間的で、遠慮がなくって、無作法だから。朝鮮人にとっては、そんな感じが普通だと思います。満州にいたときから、私は中国人が好きじゃなかった。」 待遇:「ここで受けている待遇は、今までのどんな待遇よりも上等です。とても自分が捕虜だなんて思えない。確かに捕虜だけれど、日本の奴等と一緒の時よりは、はるかにマシだと思います。」 日本への帰国: 「日本に帰ることは関心がありません。その代わりここで結婚して、ここに住み着きたいと思っています。でももし命令なら仕方なく帰るけれど、そうでないならいやです。」 (つづきへ) 注《浅野論文》 雲南・ビルマ最前線における慰安婦達index
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/9365.html
ロシアゲート / ドナルド・トランプ (※mono....報道サイトから削除されると読めなくなるので、ココで保存する。但し、数日後には鍵をかけるか削除する。) ★☆ バー米司法長官が提出した捜査報告書の概要全文 「日本経済新聞(2019/3/25 7 16)」より / 親愛なるグラハム委員長、ナドラー委員長、フェインスタイン議員、コリンズ議員 3月22日金曜日に提出された報告書の補足として、モラー特別検察官の報告に対する私の最初のレビューを伝える。 ▼特別検察官の報告書 金曜日に特別検察官は私に「起訴または不起訴の判断についての機密報告書」を提出した。報告書のタイトルは「2016年大統領選におけるロシアの介入に関する調査報告書」だ。私はレビューを続けているが、報告書について説明し調査結果の概要を示すことは公衆の関心事だと考える。 報告書によると、特別検察官と調査担当者は、トランプ大統領の選挙に関わったメンバーがロシア政府と共謀して16年の大統領選を妨害した、また連邦政府の捜査を妨害したという申し立てについて徹底的に調査した。特別検察官は19人の弁護士を雇い、捜査に協力する米連邦捜査局(FBI)捜査官、情報分析官、諜報アナリスト、会計士ら約40人のチームが補佐した。特別検察官は2800件を超える召喚状と約500件の捜査令状を発行し、230件を超える通信記録と約50件の筆記録を入手した。外国政府に対して証拠集めのための13件の請求を行い、約500人の証人にインタビューをした。 捜査に関連した個人および団体に対する多数の起訴と有罪判決はすべて公開されている。特別検察官は捜査過程でいくつかの問題について追加措置を取るよう他の事務所に引き渡した。報告書はそれ以上の起訴を勧告せず、特別検察官は公開されていない起訴状を取ることはなかった。以下に、報告書で述べられた主な結論を概説する。 ▼2016年大統領選へのロシアの介入 特別検察官の報告書は2つの部分に分かれている。第1に、2016年米大統領選でのロシアの介入についての特別検察官の捜査結果を記述している。報告書は選挙に影響を与えるためのロシアの試みを概説し、これらの試みに関連してロシア政府に関連する人物らによる犯罪を立証している。報告書はさらに、特別検察官の捜査のための主要な考慮事項は、選挙に影響を与えるためのロシアの陰謀に米国人が加わったか―トランプ氏の選挙活動に関わった個人を含む―であり、これは連邦犯罪になるだろうと説明している。特別検察官の捜査は、トランプ氏の選挙活動やそれに関わった人物らが16年の米大統領選に影響を与えるための試みについて、ロシアと共謀、調整したと判定しなかった。報告書はこう述べている。「捜査ではトランプ氏の選挙陣営が選挙への介入活動でロシア政府と共謀したり調整したりしたことは立証していない」(注) 特別検察官の捜査は、ロシアによる16年の選挙介入で2つの主な試みがあったと決定付けた。1つ目はロシアの組織インターネット・リサーチ・エージェンシー(IRA)による最終的には選挙を妨害することを目的とした米国での偽情報の流布と、社会的不和を生み出すためのソーシャルメディア活動の試みだ。上に記したように、特別検察官は複数のロシア人や団体を米選挙への介入容疑で起訴したが、米国人やトランプ氏の選挙陣営、その協力者らがIRAと共謀したり故意に調整したりしたとは判定しなかった。 2つ目の要素は、選挙に影響を与えるための情報を収集し広めることを目的とした、ロシア政府によるコンピューターハッキングの活動を含んでいる。特別検察官は、ロシア政府関係者がコンピューターにハッキングし、クリントン氏の選挙陣営と民主党の組織に所属する人々からEメールを入手し、ウィキリークスを含むさまざまな仲介者を通じて一般に広めたことを明らかにした。これらの活動に基づいて、特別検察官は選挙に影響を与える目的で米国内のコンピューターに侵入することを企てたとして、多数のロシア軍関係者に対して刑事訴訟を起こした。しかし上述したように、トランプ氏の選挙活動を支援するというロシア関係者からの複数の申し出にもかかわらず、特別検察官はトランプ氏の選挙陣営やそれに関連する誰かがロシア政府と共謀、調整したとは判断しなかった。 ▼司法妨害 この報告書の第2部では、特別検察官が司法妨害の恐れがあるとして捜査した大統領による多数の行動―その行動の多くは報道されている―を取り上げている。 これらの問題について「徹底的な事実調査」を実施した後、特別検察官は訴追か不起訴を決定する部門の基準に基づいて大統領の行為を評価するかどうか検討したが、最終的に伝統的な検察による判決を下さないことを決めた。 したがって特別検察官は調査した行為が妨害を構成していたかどうかについて、何らかの形の結論を出さなかった。その代わり、報告書は調査された関連の行動について両側の見方を提示し、特別検察官が法の「困難な問題」として考え、大統領の行動と意図を妨害とみなすことができるかについて検討していたものを未解決のまま置いておくことにする。 特別検察官は「この報告書は大統領が罪を犯したと結論づけるものではないが、彼の無実を証明したものでもない」と述べている。法的な結論に達せず、妨害に関する捜査の事実を説明するという特別検察官の決定は、報告書に記載された行為が犯罪であるかどうかを判断することを司法長官に任せるものだ。 調査の過程で特別検察官のチームは司法妨害の捜査で問題となっている多くの法律上、事実上の問題に関して、特定の省の職員と話し合った。 これらの問題に対する特別検察官による最終報告書をレビューし、司法省の法律顧問局を含む省職員とも相談した後、起訴不起訴を決める連邦検察の原則を適用した結果、私とロッド・ローゼンスタイン司法副長官は特別検察官の捜査の間に見つかっていった証拠は大統領が司法妨害の罪を犯したと確証を持つには十分ではないという結論に到達した。 私たちの決定は、現職の大統領に対する起訴と刑事訴追を取り巻く憲法上の配慮を考えに入れずに下したものだ。 この決定を下すにあたり、私たちは特別検察官が「証拠は大統領がロシアの選挙干渉に関する潜在的な犯罪に関与したことを示していない」と認識していること、また決定的ではないが、そのような証拠が存在しないことは司法妨害に関する大統領の意図に関係することに留意した。 一般的に言って、司法妨害の有罪判決を得て、その判断を持続させるためには、政府は不正な意図を持って行動している人が、継続中または予定されている訴訟に十分な関連性を持って妨害的な行為をしたことを合理的な疑いを超えて証明する必要がある。 多くが世間の目にさらされた状態で起きた大統領の行動を整理していく中で、報告書は私たちの判断では、妨害行為を形成するいかなる行動も係争中にまたは企図されている手続きと関連性がある行為を特定していない。不正行為者に対する訴訟は実行されなかったが、そのいずれもが不当な疑義を超えて司法妨害違反を立証するために証明される必要がある。 ▼司法省による報告書レビューの状況 関連規則は特別検察官の報告書が、公に公開されないことが前提の「機密報告書」であると考えている。しかし、すでに述べたように、今回の事案が公益に資すると認識している。私がめざしているのは、適用できる法律、規制、そして司法省の指針と一致する範囲で特別検察官の報告書を公開することだ。 特別検察官との議論や私の最初のレビューでは、報告書は連邦刑事訴訟規則に抵触、または抵触しうる内容を含んでいるのは明らかだ。連邦規則は犯罪調査や起訴手続きにかかわる起訴陪審の情報の公開を制限している。連邦規則によると、厳しい制限を超えて公開することは、特定の状況下において犯罪となる。 こうした制限は起訴陪審手続きの公正さを担保したり、非常に優れた起訴陪審の調査権限が、意図された刑事司法機能のために使われることを保証したりするためだ。 今後の手続きは司法省がどれだけ迅速に公にできない情報を識別できるかにかかっている。情報の精査で特別検察官に支援を要請した。これとは別に進行中の事案に影響しうる情報も見分けなければならない。こうした作業をなるべく早く終えた上で、何が公表できるのか法律や規則、司法省の指針に照らし合わせて、すみやかに決めたいと考えている。 (注)潜在的な共謀の容疑を査定する際に、特別検察官はトランプ氏の選挙陣営がロシアの選挙妨害活動と「調整(coordinate)」したかどうかも検討した。特別検察官は「調整」を「トランプ氏の選挙陣営とロシア政府の間の、選挙介入に関する(暗黙的または明示的な)合意」と定義した。 司法長官 ウィリアム・P・バー ...
https://w.atwiki.jp/wikinki/pages/139.html
このページでは近畿視点からミリスンタウンを批判しつつ、"タウンにおける人間性"について解説したいと思う。 ウィキンキというウィキには反ミリスン的な記事が多い。 しかし、我ら近畿がミリスンがいかに人間性の冷たいタウンであるかをミリスンや他のタウンの住民に強く訴えたいからである。 確かにミリスンからの立場を考えると、非常に失礼でかってな行為だと思う。でも、近畿はミリスンの傍若無人な態度を許せないのだ。 いつか、ミリスンと近畿が和平を結ぶ日が来ると信じている。その日が来ることを祈って、この記事を記すつもりよ。 ①人間性の悪循環 必要なもの:厳しいルール(普通は自由に行うはずのクイズ大会にまでルールを設けたり、名前に☆彡などを付けることを禁止するなど) 管理人が厳しいルールを制定する ↓ そのルールに基づき住民は行動するため、日々の言動に注意を払うことになる ↓ ルールに違反しないようにするため、礼儀正しく行動するようになる ↓ 礼儀を重んじているためので、馴れ馴れしくしたりネタ的な発言をすることを控える住民が増える ↓ その結果、あいさつ 又は 過激な行動を批判する発言だけで埋まることになる ↓ そして、親しみの感じられないチャットとなる。そのため、主に常連たちだけでのチャットとなる ↓ 常連たちだけのチャットにプレッシャーを感じて、新入りなどの初心者はチャットに仲間入りできなくなる
https://w.atwiki.jp/twitter21/pages/105.html
▽下へ/口トップへ feedreader プラグインエラー 正常に取得できませんでした。 ▽下へ/口トップへ feedreader プラグインエラー RSSを入力してください。 ▽下へ/口トップへ #bf ▽下へ/口トップへ
https://w.atwiki.jp/6war/pages/1170.html
概要 メネシア砦とは、アルファ、ロンドーナ大陸東部に存在した砦である。 蜉蝣戦記の舞台となった。 歴史 500年頃 ルディック帝国の区でありながら、独立国の様に振舞っていたゲーリー国が、ルディックとの国境付近に砦を築く。 684年 ゲーリー国領土として蜉蝣時代の幕開けを迎える。 684年6月時の勢力図(クリックで拡大) 687年 3月、メネシア砦の戦いの舞台となり、偽帝討伐連合軍の攻撃を受け陥落、ロー・レアルス国領土となる。 703年 ヴェリアの大遠征により、ロードレア国領土となる。 705年 9月、メファイザスの逆遠征によりロー・レアルス国領土となる。 711年 ルディックの陣によって、ロー・レアルス国が瓦解、ベルザフィリス国領土となる。 735年頃 大寒波による民族大移動により破棄される。 関連項目 蜉蝣戦記群雄割拠図 蜉蝣戦記 都市一覧
https://w.atwiki.jp/kknns/pages/33.html
タリバンウォー タリバンウォー再販開始! みんなが待ち焦がれていた、あのタリバンウォーがついに再販されることになったぞ! 今までのカードの再販と同時に、新しいエキスパッション「タリバンウォー 〜震撼の第二次世界大戦〜」が満を期して登場だ!! 真珠湾攻撃からポツダム宣言までの事件を再現した、超強力カードが満載!! 米軍司令官カード、「マッカーサー大元帥」や、大日本帝国軍兵器カード「ゼロ戦」など、目白押し!! 新しく、ミヤシコのイギリス・フランス陣営にドイツ・イタリアの参戦! サクサクのイラク・タリバン陣営に、超強力最強無比軍団、インドネシア軍が参戦だ!! それでは新しいカードを紹介しよう。 「タリバンウォー 〜震撼の第二次世界大戦〜」 アメリカ軍 作戦 コスト・9 「核兵器:原爆」 (侵略ステップ):すべての敵軍カードを破壊し、敵軍国力を0にする。 作戦 コスト・9 「ポツダム宣言」 (帰投ステップ):敵軍国力が0の場合、自軍プレーヤーは勝利する。 司令官 コスト・5 「マッカーサー大元帥」 (自動A):このカードはどこに移動しても、必ず自軍配備エリアに戻ってくる。 (常時)1:敵軍「作戦」カード一枚を無効にし、廃棄する。 日本軍 兵器 コスト・2 「ゼロ戦」 (自動B):このカードと交戦中となった、コストが5以下の敵軍「兵器」は敵軍配備エリアにロール状態で移動する。 5/0/5 作戦 コスト・1 「真珠湾攻撃」 (侵略ステップ):すべての敵軍「兵器」「兵士」カードを破壊する。さらに敵軍プレーヤーは、2ターンの間、カードをプレイできない。 作戦 コスト・9 「降伏宣言」 (常時):自軍プレーヤーの敗北にカットインしてこのカードをプレイし、効果の解決がされた場合、このゲームは引き分けとなる。 ドイツ軍 作戦 コスト・2 「ジェノサイド」 (侵略ステップ):日本軍、ドイツ軍、イタリア軍以外の「兵器」「兵士」「司令官」カードすべてを墓場ヤードへ移動させる。 作戦 コスト・2 「ドイツの技術力は世界イチィィィィィッィィィ!!」 (配備フェイズ):自軍国力は5増える。 戦略 コスト・9 「V2ロケット」 (配備フェイズ)0:このカードを廃棄する。その場合、敵軍本国は1枚となる。 インドネシア軍 兵士 コスト・1 「インドネシア軍兵士」 0/0/1 兵士 コスト・2 「部族の英雄」 (戦争フェイズ):雄叫びをあげる。(特に何も起こらない) 0/0/1 司令官 コスト・1 「インドネシア軍司令官」 (常時)1:このカードが二枚ある場合、両方を廃棄する。その場合、カードを1枚引く。 作戦 コスト・1 「撤退」 (常時)0:すべての自軍手札と自軍カードを、本国の上に移す。 作戦 コスト・1 「ボロ負け」 (戦争フェイズ):すべての自軍カードをロールする。 戦略 コスト・1 「無能な指揮官」 (常時)5:自軍カード1枚をロールする。 戦略 コスト・1 「バナナ生産」 (常時)1:自軍本国を1回復する。 強力な火力のアメリカ軍。 戦前の攻撃的なカードをようやく手に入れた日本軍。 素早い展開と押さえが期待できるドイツ軍。 低いコストが魅力的なインドネシア軍。 さぁ、キミはどの軍を使うかな!?