約 4,647,338 件
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/3376.html
日本電気硝子 本店:大津市晴嵐二丁目7番1号 【商号履歴】 日本電気硝子株式会社(1944年10月31日~) 【株式上場履歴】 <東証1部>1983年9月1日~ <大証1部>1983年9月1日~ <東証2部>1973年4月23日~1983年8月31日(1部に指定替え) <大証2部>1973年4月23日~1983年8月31日(1部に指定替え) 【沿革】 当社は、昭和19年10月31日、住友通信工業株式会社等により、資本金300万円をもって設立され、滋賀県大津市(現 本社・大津事業場)において真空管用ガラス部品を生産し、住友通信工業株式会社株式会社へ供給していましたが、昭和20年、終戦とともに当社の工場設備一切を同社へ貸与し、同社硝子課の名称のもとに運営されました。昭和22年1月に会社の解散を決議し、清算事務に入りましたが、その後、会社を再興することとし、昭和24年11月30日に会社の継続を決議し、同年12月1日に業務を再開しました。当社はこの日をもって実質上の会社創立日としています。 昭和26年1月 管ガラスの自動管引に成功。 昭和34年4月 藤沢工場(現 藤沢事業場)を開設。 昭和35年3月 米国オーエンズ・イリノイInc.からガラス管及び棒の製造に関し技術導入。 昭和37年4月 超耐熱結晶化ガラス「ネオセラム」の生産開始。 昭和38年1月 オーエンズ・イリノイInc.からテレビブラウン管用ガラスの製造に関し技術導入。 昭和39年12月 滋賀高月工場(現 滋賀高月事業場)を開設。 昭和40年10月 テレビブラウン管用ガラスの生産開始。 昭和46年12月 能登川工場(現 能登川事業場)を開設。 昭和48年4月 東京、大阪両証券取引所(市場第二部)に株式を上場。 昭和51年10月 ガラスファイバ(強化プラスチック用)の生産開始。 昭和58年9月 東京、大阪両証券取引所市場第一部銘柄に指定される。 昭和62年10月 TFT液晶ディスプレイ用基板ガラスの生産開始。 平成3年4月 マレーシアに子会社「ニッポン・エレクトリック・グラス・マレーシアSdn.Bhd.」を設立。 平成3年11月 若狭上中事業場を開設。 平成5年7月 溶解炉に酸素燃焼方式を導入。 平成5年10月 米国における合弁会社「オーアイ・エヌイージー・ティービー・プロダクツInc.」の全株式を買い取り、子会社(その後、「テクネグラスInc.」に社名変更。)とする。 平成7年1月 英国に子会社「ニッポン・エレクトリック・グラス・UK Limited」を設立。 平成7年7月 プラズマディスプレイ用基板ガラスの生産開始。 平成8年3月 インドネシアに合弁会社「P.T.ニッポン・エレクトリック・グラス・インドネシア」を設立。 平成9年8月 中国に合弁会社「石家荘宝石電気硝子有限公司」を設立。 平成9年10月 米国に子会社「ニッポン・エレクトリック・グラス・オハイオInc.」を設立。(平成10年4月、合弁会社となる。) 平成9年11月 メキシコにニッポン・エレクトリック・グラス・オハイオInc.の生産子会社「ニッポン・エレクトリック・グラス・メキシコS.A. de C.V.」を設立。 平成11年8月 当社全事業場一括で国際環境管理規格ISO14001の認証を取得。 平成12年5月 中国に合弁会社「福州電気硝子有限公司」を設立。 平成14年8月 中国に子会社「福建電気硝子有限公司」を設立。(平成15年4月、合弁会社となる。) 平成14年11月 韓国に子会社「日本電気硝子(韓国)株式会社」を設立。 平成15年11月 台湾に子会社「台湾電気硝子股份有限公司」を設立。 平成16年8月 テクネグラスInc.がブラウン管用ガラスの生産を停止。 平成16年9月 テクネグラスInc.、ニッポン・エレクトリック・グラス・アメリカInc.及びニッポン・エレクトリック・グラス・オハイオInc.が米国連邦破産法上の更生手続きを申請。(平成18年6月までに、それぞれ裁判所より同手続きを完了させる最終決定が出される。) 平成17年1月 韓国に子会社「坡州電気硝子株式会社」を設立。(同年3月、合弁会社となる。) 平成17年12月 ニッポン・エレクトリック・グラス・UK Limitedが生産を停止。(平成19年3月末現在清算中) 平成18年3月 ブラウン管用ガラスの国内生産を停止。石家荘宝石電気硝子有限公司の当社持分権を全て譲渡し、合弁を解消。 平成18年8月 中国に合弁会社「電気硝子(上海)広電有限公司」を設立。
https://w.atwiki.jp/joujojo/pages/19.html
芦夜 恋月(あしや こづき) 幼なじみである蓮見美女丸に誘われ、月影楼にやってきた少女。月影楼での役職はウェイトレス。月影楼的に正しいウェイトレス。 復興に異常な執念を燃やす没落華族“芦夜家”がその出自。それに幾分のプライドはあるらしく、自分を紹介するときは名前よりも姓で名乗る方が多い。 また、その家で“弱者のために狗として生きろ”と育てられた為、自分自身を軽視し、能力者でない一般人の命を至上としているきらいがある。 なお、彼女の言う「ご先祖様」が本当に蘆屋道満なのかは謎に包まれたまま。それを裏付ける証拠はどこにもない。 バス停と可愛いものを愛でる、ネタ人間。ジョジョネタとバキネタが最近のトレンド。 弁当屋【樹雨の虹】の女将と言う役職に就き、少々丸くなった感もある。 シリアス&お嬢様キャラと言う黒歴史が存在する。
https://w.atwiki.jp/cielenica/pages/41.html
通名「ネシア・リゼスター」 本名「シェルネシアハ・ロー・カンパネラ」 星雫絵画(アンカルジア)におけるイレギュラー。予期されなかったオリジン・アリエスの代行者であり、「セオドア・ヴァーヴズ」に対する自滅因子。彼、および彼らが深層意識で抱いてきたささやかでも確かな自己嫌悪・憎悪が凝り固まり、偶発的に切り離されたことで生まれた者。もう一人のアリエスであることは確かだが、同時にセオドアに対してのカウンターも兼ねている。そういう意味ではエクリプタス本来の役割に忠実とも云える(製造理由は多種あるが、その一つにいずれ自我が希薄となり、至極冷徹な神(デウスエクスマキナ)となるだろう未来を危惧して創造した自爆装置の用途がある)。 先代のルシたちが紡いだ「サイクルティマ」の副産物。本来はクリスタルに依って魂のみで存在していたパルテネイアスの怨念を浄化するための、突貫で紡がれた代物だったのだが、それゆえに様々な反動が起きていた。そのもっともたる現象こそが自滅因子の発生及び、クリスタルを経由した大元の自滅衝動の切り離し――ある赤子の誕生に合わせて顕現した「アルターエゴ」であった。 あくまでも使命を与えられたわけでもなく、本能にも目覚めてなかったためいたって普通の少年として生きていくことになるが、アンカルジア√のとある場面で己の正体を悟ることになる。 ヒュムノスが使えず、契絆想界詩は問題なく使えるのは、ネシアがセオドアの同位体という側面をどちらかというと強く持っているため。外見こそアリエスの男体化バージョンだが中身はセオドアという、ミラノ曰く妙な形に収まっているらしい。
https://w.atwiki.jp/nicoap16tsubasa/pages/609.html
その他の選手-オランダWY(WY編) パラメータ説明 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT オフェンス シュート ドリブル パス ディフェンス ブロック タックル パスカット POW SPD TEC STA CAT PUN 次LV 総合 パワー スピード テクニック スタミナ キャッチ パンチング 次LVに必要な経験値 総合力 ※LV部分等に 色がついてる場合は未確認データです。 アドレ[オランダWY] 異名 - 台詞 よろしくな! グレード ポジション LV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN 次Lv ブロンズ MF LV1 25 28 29 26 29 22 25 21 20 26 25 26 24 7 7 10 LV10 31 31 31 30 33 30 32 30 28 35 34 35 30 12 11 80 LV20 39 38 38 36 40 38 39 40 35 42 44 43 37 17 17 180 LV30 47 45 45 45 47 46 47 47 44 50 51 51 45 24 24 425 LV40 54 53 53 52 55 53 54 55 51 58 59 59 52 28 28 - ポルル[オランダWY] 異名 - 台詞 よろしくな! グレード ポジション LV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN 次Lv ブロンズ MF LV1 24 23 24 23 24 24 28 21 25 26 20 22 27 7 5 20 LV10 31 31 33 29 33 31 34 28 31 32 28 31 32 11 11 150 LV20 39 40 41 37 43 38 41 35 38 39 36 41 39 19 15 100 LV30 47 48 48 45 51 46 49 43 46 47 44 50 47 23 21 450 LV40 55 56 56 53 59 54 57 51 54 55 52 58 55 28 28 - ラドカー[オランダWY] 異名 - 台詞 よろしくな! グレード ポジション LV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN 次Lv ブロンズ DF LV1 25 25 27 24 24 27 27 29 26 27 23 23 27 4 4 10 LV10 32 30 27 31 33 34 31 37 35 36 31 31 35 11 9 80 LV20 40 37 33 39 40 42 39 44 44 45 38 39 43 20 14 180 LV30 48 45 41 47 47 49 46 51 51 53 47 47 50 25 23 425 LV40 55 52 48 54 55 57 54 59 59 61 54 54 58 31 30 - カスリ[オランダWY] 異名 - 台詞 よろしくな! グレード ポジション LV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN 次Lv ブロンズ DF LV1 24 24 22 28 22 25 26 23 28 20 26 26 26 5 5 20 LV10 31 29 27 31 31 33 35 32 32 29 35 32 35 12 12 150 LV20 39 37 35 39 38 41 41 42 40 39 42 40 43 19 18 100 LV30 47 44 42 46 46 49 49 52 47 48 50 47 50 23 25 450 LV40 55 52 50 54 54 57 57 60 55 56 58 55 58 30 30 - ラントモ[オランダWY] 異名 - 台詞 よろしくな! グレード ポジション LV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN 次Lv ブロンズ DF LV1 24 23 24 22 25 28 24 31 29 20 24 26 22 5 5 20 LV10 31 30 26 30 34 35 33 39 34 29 33 29 31 11 12 150 LV20 39 37 33 37 41 42 41 47 40 39 41 36 41 18 19 100 LV30 47 44 41 44 48 49 48 54 47 49 49 42 49 25 25 450 LV40 54 51 48 52 55 57 56 61 55 58 56 50 57 30 30 - コメント 誤りの指摘、追加情報など、このページの内容に関するコメントのみお願いします。※未確認データをwiki編集する際はLV部分や該当項目に BGCOLOR(thistle) で色を付けて判別できるようにお願いします。 ↓能力を書きこむ際には下記テンプレの利用をお願いします。wikiに反映してくれる方の負担が減ります。 |?|LV1|||||||||||||||||| |ポジション|Lv|総合|OFE|SHO|DRI|PAS|DEF|BLO|TAC|CUT|POW|SPD|TEC|STA|CAT|PUN|次Lv|次Lv(+)| |FW|LV1|40|41|46|41|37|39|38|42|38|43|40|37|42|5|5|20||(記入例/通常) |FW|LV1|40|41|46|41|37|39|38|42|38|43|40|37|42|5|5||10|(記入例/プラス) アドレ MF 異名 - 台詞 よろしくな! ポルル MF 異名 - 台詞 よろしくな! ラドカー DF 異名 - 台詞 よろしくな! カスリ DF 異名 - 台詞 よろしくな! ラントモ DF 異名 - 台詞 よろしくな! -- (名無しさん) 2013-06-11 23 03 53 アドレ ttp //static.ntsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_1354.png ttp //static.ytsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_1354.png ポルル ttp //static.ntsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_1355.png ttp //static.ytsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_1355.png ラドカー ttp //static.ntsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_1356.png ttp //static.ytsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_1356.png カスリ ttp //static.ntsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_1357.png ttp //static.ytsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_1357.png ラントモ ttp //static.ntsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_1358.png ttp //static.ytsubasa.klabgames.net/images/site/common/players/player_1358.png -- (名無しさん) 2013-09-16 22 54 44 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/kuroyutori/pages/131.html
第一次魔導大戦 第一次魔導大戦(だいいちじまどうたいせん)は、黒歴史『魔導大戦ストライクウィッチーズ』シリーズ作品の舞台となった架空の戦争の名称。 作中の勢力であるGAC連盟軍が先進国主導の地球統一国家建国政策に反発し、2211年9月13日に全世界へ向けて宣戦布告したことに始まり、約15ヶ月後の2212年12月25日にGACが世界連合との停戦条約に調印したことによって終結した。 アニメ『魔導大戦ストライクウィッチーズ』は、この戦争のアフリカ戦線で行われた一連の戦闘を描く作品である。その後に製作されたOVA外伝作品『少女たちの鎮魂歌』及び、小説『魔導大戦ストライクウィッチーズ外伝/Lost Children』、『魔導大戦ストライクウィッチーズ外伝/Reach the Crown』によって補足がなされ、現在に至っている。 1 背景 2 年表 3 経過3-1 緒戦期3-1-1 サハラ砂漠会戦3-1-1-1 アフリカ征伐 3-1-1-2 夜襲 3-1-1-3 日の出会議 3-1-2 アジア大侵攻3-1-2-1 マラッカ沖会戦 3-1-2-2 インドシナ半島における主な戦闘 3-1-2-3 フィリピン無血攻略 3-1-2-4 中国における主な戦闘 3-1-3 和平派反乱3-1-3-1 和平派の一斉蜂起 3-1-3-2 GACにおける内乱 3-1-3-3 西オーストラリアにおける内乱 3-1-4 第一次スエズ攻防戦3-1-4-1 連合軍のスエズ防衛作戦 3-1-4-2 開戦 3-1-4-3 最古の凄まじき七人(エルダー・セブンス) 3-1-4-4 ハルバード隊の本陣奇襲 3-1-4-5 GAC軍の撤退 3-1-5 西豪大粛清3-1-5-1 和平派弾圧 3-1-5-2 魔豪主義と三階級体制 3-1-6 日本列島攻防戦3-1-6-1 マレブランケ 3-1-6-2 熊本城要塞での攻防 3-1-6-3 安土城跡要塞攻防戦 3-1-7 第一次タルタロス攻防戦3-1-7-1 魔導要塞タルタロス 3-1-7-2 ユリア・ダスクオーンの陣中指揮と連合軍の誤算 3-1-8 第二次スエズ攻防戦3-1-8-1 GAC電撃侵攻 3-1-8-2 緒戦の経過 3-1-8-3 夜の魔女、再び 3-1-8-4 「ユニヴァース」 3-1-8-5 愚策の代価 1 背景 地球の勢力図は20世紀には安定し、23世紀まで300年近く大きな変化を見せていなかった。 22世紀初頭には新たな発見がほぼ完全に途絶え、閉塞感、倦怠感が世界を覆い、人類は文化、科学の両面で目覚しい進展を果たせずにいた。 そんな中、西暦2211年9月9日、国際連合会議にてアメリカ・フランス・イギリスの三国が提案した世界統一国家の建国決議案が可決する。 先進国主導のもと、世界的な人口のコントロール、重要な資源産出地域の共同管理などの政策が決定されたが、これらは実質的に希少資源の輸出に依存する発展途上国に対する先進国の強引な併合計画であった。 これに猛反発する国々の中から、アフリカ大陸共同体(Great African Community)、インドネシア共和国、西オーストラリア共和国の三国が秘密裏に軍事同盟を結成。 彼らは世界で未だその存在が明るみに出ていない、発展途上国で突然変異的に出生する超能力者「魔法使い」を世界中から集め、連合に属する国々へ軍事行動を起こす準備を進めていた。 2 年表 2211年9月9日 国際連合会議にてアメリカ・フランス・イギリスの三国が提案した世界統一国家の建国決議案が可決。 GAC(アフリカ大陸共同体)、インドネシア共和国では急進派が権力を掌握し、GACを中心に西オーストラリアを加えた三国連盟(GAC連盟)を秘密裏に結成。 2211年11月28日 GAC連盟が全世界に向けて宣戦布告。インドネシア共和国、西オーストラリア共和国も参戦の意思を表明し、GAC連盟の存在が明るみに出る。 2211年12月20日 日米英の共同による連合軍のアフリカ侵攻が開始。 2211年12月24日 連合軍、サハラ砂漠北部を進軍中にGACの魔法使い部隊による夜襲を受けて全滅。サハラ砂漠会戦。 2212年1月1日 日の出会議。世界各国から集められた学者による討論が行われる。 その中で相沢祐一の提案した「ストライカーユニット開発計画」が承認される。 2212年1月3日 インドネシアによるアジア大侵攻が開始。魔法使いの圧倒的な戦闘力を前に、連合軍は一方的な被害を被る。 2212年2月3日 西オーストラリア共和国・GAC国内にて穏健派勢力による和平派反乱が発生。 2212年2月5日 インドネシア軍、マレー半島を制圧。 2212年2月17日 インドネシア軍、カンボジア半島を制圧。 2212年2月21日 インドネシア軍、フィリピンを制圧。 2212年3月3日 連合軍、プロトタイプ・ストライカーユニットを完成。 世界初の公認適合者、相沢ポルカが特務少尉に任官。 連合各国で魔法研究機関の設立。 2212年3月4日 二号適合者、相沢トモカが特務少尉に任官。 世界的に民間から適合者を採用する試験を実施する動きが広まる。 2212年5月3日 インドネシア軍、中国を制圧。 2212年5月5日 連合軍内でアフリカ・オーストラリアを中心にストライカーユニット及び適合者の実戦配備が進み、各前線で適合者部隊の創設。 アジア戦線では日本を最終防衛ラインとし、日本列島を防衛基地とする計画が発動。極東対魔迎撃魔女師団「マレブランケ」創設。 2212年5月14日 GAC、国内の軍事クーデターを鎮圧。 強硬派の筆頭ルフィード・サルシール大将が権力を掌握し、国内の全権を統括するGAC臨時大総統に就任。 2212年6月初旬 GAC、インドネシア軍の支援及びアラブ諸国への進出を目的としてスエズへの侵攻を画策。 この動きを察知した連合軍はヘルムート・ボーデンシャッツ中将を司令官とした大部隊を編成し、スエズの防備を固める。 2212年6月19日 第一次スエズ攻防戦。GAC軍、スエズ基地への攻撃を開始。 局地戦としては史上初となる両軍500人以上の魔法使いを投入した戦闘が繰り広げられる。 2212年6月21日 連合軍の皇フィオナ率いる適合者部隊による本陣奇襲を受け、GAC軍司令官ファキレ・アードン中将が死亡。 GAC軍、スエズより撤退。 2212年6月27日 西オーストラリア共和国が国内の反乱を鎮圧。 新たに西オーストラリア指導者の任に就いた魔法使い、ユリア・ダスクオーンによる西豪大粛清が始まる。 2212年7月2日 日本列島攻防戦。インドネシア軍、日本攻略作戦を開始。 2212年7月9日 西オーストラリア軍、エアーズロック周辺に魔導要塞「タルタロスの門」を構築。 2212年7月18日 第一次タルタロス攻防戦。連合軍、「タルタロスの門」への攻撃を開始。 2212年7月20日 第二次スエズ攻防戦。GAC軍、スエズへ電撃侵攻。 連合軍、スエズ基地を放棄。 2212年8月3日 アラブ挟撃戦。GAC・インドネシア軍によるアラブ侵攻。 2212年8月12日 連合軍、アラブ全域の放棄を決定。 2212年10月27日 連合軍、戦力の再編を完了。大魔元帥号の創設。カレトヴルッフ作戦開始。 2212年10月29日 アラブ包囲戦。連合軍、アラブ地域を奪還。 2212年11月5日 第三次スエズ攻防戦。連合軍、スエズ基地を奪還。 2212年11月12日 第二次タルタロス攻防戦。連合軍、「タルタロスの門」への攻撃を開始。 2212年11月14日 連合軍、「タルタロスの門」の破壊に成功。エアーズロック周辺を制圧。 2212年11月16日 パース侵攻。連合軍、西オーストラリア共和国首都パースへの攻撃を開始。 20時11分、西オーストラリア指導者ユリア・ダスクオーンが戦死。 20時40分、西オーストラリア軍降伏。パース市での戦闘中止。 23時00分、連合軍元帥覇道宗義、西オーストラリア臨時首相と会談。連合と西オーストラリア共和国の間で和平成立。 2212年10月21日 関ヶ原の戦い。連合軍、西日本を奪還。 2212年11月10日 アジア反乱。連合軍のアジア侵攻に合わせ、インドネシア領アジア全域で反乱が発生。 2212年11月25日 ニューデリー和平会談。連合とインドネシア共和国の間で和平成立。 2212年12月20日 魔女の釜総力戦。中央アフリカを舞台に連合軍とGAC軍の総力戦が開始。 2212年12月24日 ユニヴァース「リザレクション」の最終発動により世界から魔法の存在が消滅。 GAC軍降伏。 2212年12月26日 バンギ会談。連合とGACの間で和平成立。第一次魔導大戦終結。 3 経過 3-1 緒戦期 3-1-1 サハラ砂漠会戦 サハラ砂漠会戦は、GAC連盟の宣戦布告を受けて結成された先進各国の連合軍によるアフリカ征伐作戦における初戦であり、世界に魔法の存在が認知される機会となった一戦である。第一次魔導大戦の開幕戦とも位置づけられている。[要出展] 3-1-1-1 アフリカ征伐 地球統一国家建国政策に反対する国々による武力行使を予測していた先進国連合は、GAC連盟の宣戦布告に対して日米英の合同によるアフリカ征伐作戦を開始する。 第一目標を北アフリカ諸国に定め、2211年12月22日、征伐軍の第一陣としてアルフレッド・ランゴ大佐を司令官とする陸戦部隊がスエズ基地を進発した。 3-1-1-2 夜襲 2211年12月24日、GAC軍はサハラ砂漠北部を行軍する連合軍陸戦部隊に対し、「混沌の魔王」タチアナ・アカ・マナフ率いる精鋭13名にて夜襲を決行する。これを受け、魔法の力を初めて目の当たりにする連合軍は大混乱に陥った。 混戦の中で連合軍の指揮を執っていたアルフレッド・ランゴ大佐が戦死し、指揮を引き継いだエゼロア・レーニス中佐が一時撤退を試みるも、混乱の収拾がつかぬまま、総勢僅か53名の魔法使いによって兵員5000名以上を数えた連合軍部隊は全滅した。 3-1-1-3 日の出会議 勝利を確信していた連合軍はこの事態を受けてアフリカ征伐の一時中断を決定し、残された情報から敵兵器の解析を図るべく、各国の軍事学者を招集して討論会を開かせた。 しかし、集まった学者達による討論は明確な答えが出ないまま時間だけを消費する結果となり、6日が経過すると一般的にオカルトと揶揄される分野からも専門家までもが招かれる事態となった。 この中から、魔法研究家の相沢祐一博士が魔法の存在を提唱し、「ストライカーユニット開発計画」を提案する。半信半疑ながらも議長はこれを承認、計画は実行に移される事となる。 3-1-2 アジア大侵攻 アジア大侵攻(あじあだいしんこう)は、インドネシア共和国によるアジア攻略作戦及び、同国と連合軍の間でアジア地域を戦場にして行われた、一連の戦闘の総称。 2212年1月3日にインドネシア軍がマレー半島南端部の都市を攻撃したことに始まり、2212年5月3日に同軍が中国の制圧を完了したことで終結した。 3-1-2-1 マラッカ沖会戦 2212年1月7日、インドネシアより総勢438名の魔法使いがマラッカ海峡を横断し、マレー半島各部に飛来した。連合軍は既にパール・F・ミラー元帥の指揮する空母18隻、駆逐艦42隻から成る大艦隊をマラッカ海峡に配置しており、これを迎え撃った。 2212年1月7日10時15分、インドネシア軍を捕捉した連合軍は航空機を展開するとともにありったけの対空ミサイルを一斉に発射し、合計300発以上のミサイルがインドネシア軍の魔法使いを直撃した。命中の報とともに大歓声が連合艦隊を包んだが、しかし、その喜びも長くは続かなかったのである。 「赤子の指をひねるように」とはまさにこの時のために使われるべき言葉であった、と死神の見えざる手を逃れた幸運な者は語る。エーテル磁場によって一切の攻撃を無効化したインドネシア軍の魔法使い達は航空戦力を20分と経たぬうちに撃滅し、連合軍艦隊へと襲いかかった。空母「クイーンエリザベス」が船体を縦に斬り割られて轟沈したのを皮切りに、「ジョージワシントン」「アドミラルクズネツォフ」「シャルルドゴール」の3隻が突如炎上、船内からの大爆発によって撃沈。「インヴィンシブル」は雷に打たれ炎上しつつ3分間の航海ののち撃沈。「エンタープライズ」「クイーンエリザベス」は船体に無数の被弾を受けて蜂の巣となり、5分間の航行ののち撃沈。「サンパウロ」は海上に出現した渦の中に消えて粉々となった。もはや戦場は一方的な虐殺の展開される地獄と化し、連合の誇る60隻の大艦隊はわずか35分で完全に敗滅した。インドネシア軍の戦死者数は0、連合軍空母18隻が大破撃沈、駆逐艦42隻大破撃沈。戦死者数7894名。 マラッカ沖における会戦はインドネシア軍の完全勝利に終わり、航空戦力の常識を超えた機動に加え、エーテル磁場による現行兵器に対する完全防御を持つ魔法使いの反則的な戦闘力を、連合軍は再認識させられる事になったのである。 3-1-2-2 インドシナ半島における主な戦闘 3-1-2-3 フィリピン無血攻略 マレー半島、インドシナ半島における戦闘の情報はフィリピンに駐在する連合軍にも伝わっており、一方的な虐殺を恐れたフィリピン守備隊では将兵の逃亡が相次いだ。 そのような状況の中でフィリピン防衛にあたっていた連合軍司令官、ハイティ・サオロ大佐は徹底抗戦の意を示したが、降伏を主張する下士官との間で意見が衝突し、ついには降伏派の反乱を招く。 連合軍同士で戦火が交えられた結果、降伏派が司令部を占拠し、フィリピンに駐在する連合軍は2212年2月21日にインドネシア軍に対して降伏の申し入れを行い、インドネシア軍襲来を待たずしてフィリピンは陥落した。 3-1-2-4 中国における主な戦闘 3-1-3 和平派反乱 和平派反乱(わへいは・はんらん)は、GAC及び西オーストラリア国内で2212年2月3日に蜂起した和平派によるクーデター、またはそれを引き金として発生した西オーストラリアの大規模な内乱の呼称。 2212年6月27日にユリア・ダスクオーンが西オーストラリア共和国の再統一を宣言したことによって終結した。 3-1-3-1 和平派の一斉蜂起 GAC連盟に参加した三国では軍部の急進派が支持を得て権力を掌握していたが、その内情は非常に不安定であった。 特にGAC・西オーストラリアでは穏健派の軍人や閣僚も多く、魔法使いの中にすら急進派が強引に行った宣戦布告に批判的な者が少なくはなかった。 インドネシア共和国が連合に対する本格的な侵攻を開始すると、これら穏健派勢力に属するGAC・西オーストラリアの軍人や閣僚が密かにクーデターを画策し、国内の権力を掌握して連合との和解を図ろうとする動きが広がっていく。 3-1-3-2 GACにおける内乱 インドネシア共和国のアジア侵攻に合わせてスエズへの攻撃を決定した急進派の機先を制し、2212年2月3日にGAC国内各地で和平派軍人によるクーデターが発生。 クーデターには幾人かの有力な魔法使いも参加していたが、穏健派勢力の中に内通者が存在していたこともあって首都での蜂起は失敗に終わる。 その後も約3ヶ月間に渡って各地で穏健派によるゲリラ的な活動が続けられたが、反乱に直接・間接的に参加した者の多くが拘禁、処刑され2212年5月14日にはGAC国内の反乱が完全に鎮圧された。 この反乱によってGACに目立った損害は出なかったが、GAC軍のスエズ侵攻を3ヶ月近く遅らせる結果となったことは歴史的に大きな意味を持っていると言える。 3-1-3-3 西オーストラリアにおける内乱 2212年2月3日のGAC和平派蜂起に合わせ、同日に西オーストラリア内の穏健派勢力が蜂起した。 GACやインドネシア共和国とは異なり、部族国家的な体制を取っていた西オーストラリアでは勢力が真っ二つに分かれ、特定部族同士での確執なども表面化する、さながら中世的戦国時代のような様相を呈する内乱へと発展した。 この機に乗じて連合軍内部では西オーストラリアへの侵攻、もしくは和平派との協力を唱える声が出たが、インドネシア軍のアジア侵攻に続いてGACのスエズ攻撃など、各所の対応に追われる連合に介入の余裕は無く、これらの案が実行に移される事はなかった。 西オーストラリアの内乱はデザン族の魔法使い、ユリア・ダスクオーンが西オーストラリア再統一を果たす2212年6月27日まで続き、国内の大きな弱体化を招いた。 3-1-4 第一次スエズ攻防戦 第一次スエズ攻防戦(だいいちじすえずこうぼうせん)は、GACがアラブ進出を目的とし、2212年6月19日に連合軍の前線防衛基地であるスエズ基地を攻撃したことによって始まった戦闘の呼称。 2212年6月21日にGAC軍がスエズ周辺より撤退したことで終結した。 3-1-4-1 連合軍のスエズ防衛作戦 2212年6月、国内の和平派反乱を鎮圧したGACはアラブ諸国への進出を目的としてスエズへの侵攻を画策する。 この動きを察知した連合軍はヘルムート・ボーデンシャッツ中将を総司令官とした総勢503名から成る適合者部隊を編成し、スエズの防備を固めた。 この中にはのちに三大魔元帥となる皇フィオナ、妃・アムリタ・アネッサ、覇道誡藍の3名や、菱月ウィルル、篝アルバトロス、燈儀カノーシスらの他、終戦の英雄、相沢姉妹の姿もあった。 3-1-4-2 開戦 2212年6月19日19時55分、「紫電」ファキレ・アードン中将率いるGAC軍がスエズ基地より約40kmの地点まで接近し、連合軍の適合者458名が迎撃のために出撃する。 同日21時13分に連合軍の一隊とGAC軍が戦闘を開始したことを機に、互いに援軍部隊を交戦地点へ投入する形となり、両軍入り乱れての乱戦となった。 3-1-4-3 最古の凄まじき七人(エルダー・セブンス) 第一次スエズ攻防戦に参加していたGAC軍914名の魔法使いの中に、最古の凄まじき七人(エルダー・セブンス)の姿もあり、ストライカーユニットを使用した実戦に不慣れな連合軍適合者を相手に縦横無尽の活躍を示した。 中でもトーニャ・エルネスト・チェルノボーグが最も多くのスコアを記録し、連合軍内では「夜の魔女」と恐れられた。 3-1-4-4 ハルバード隊の本陣奇襲 2212年6月19日23時26分、野戦での不利を悟った連合軍はスエズ基地へと後退し、その防備を固める。 これに対してGAC軍は基地の包囲を開始。この動きを阻止するために出撃した連合軍部隊との小競り合いが多発したが、2212年6月20日中にはGACのスエズ基地に対する包囲がほぼ完成し、基地の陥落は時間の問題かと思われた。 そのような状況の中で、連合軍の皇フィオナ准将がGAC本陣に対する奇襲作戦を提案し、防衛司令官ヘルムート・ボーデンシャッツ中将がこれを承認。この作戦は一部を除いて味方にも知らされず、秘密裏に実行に移される。 2212年6月20日23時15分、皇フィオナ准将率いる「ハルバード隊」、妃・アムリタ・アネッサ中佐率いる「バルムンク隊」から成る少数部隊がスエズ基地より密かに出撃した。 静寂のストライカーユニット「雪風」によりGAC軍の索敵網を突破した連合軍の奇襲部隊は2212年6月21日0時22分にスエズ基地より約30km地点でGAC軍の部隊と遭遇し、戦闘を開始。この部隊こそがGAC司令官ファキレ・アードンが所属する本陣を守る部隊であった。 ファキレ・アードンは本陣奇襲を受けて包囲部隊を戻すように指示するが、連合軍の妃・アムリタ・アネッサがその能力であらゆる通信を遮断していたため、GACの包囲部隊は司令官の危機に気付かぬまま、両軍多数の遊軍を出す決戦となった。最古の凄まじき七人(エルダー・セブンス)もそれぞれ包囲部隊を率いてスエズ基地周辺に布陣していたため、この戦闘に参加することはなかった。 2212年6月21日0時33分、混戦の中で皇フィオナがファキレ・アードンとの戦闘に突入。将同士による魔法戦の末に皇フィオナが勝利し、ファキレ・アードンが戦死。目的を達した連合軍の奇襲部隊は基地へと引き揚げた。 3-1-4-5 GAC軍の撤退 当初、GAC軍の指揮を引き継いだエルクリー・ナレド准将は司令官の戦死を隠匿しようとしていたが、戦闘に直接参加した兵士らから情報が流れ、夜が明ける頃にはGAC軍全将兵の知る所となった。 司令官が戦死したとはいえ未だ戦況はGAC軍が優位な立場にあり、エルダー・セブンスの面々をはじめとする多くの将兵が作戦の続行を主張したが、司令官代理となったエルクリー・ナレド准将は戦意を失っており、結局GAC軍はスエズからの撤退を決定する。 2212年6月21日中にGAC軍が戦域からの撤退を完了し、これをもって第一次スエズ攻防戦は終結した。 3-1-5 西豪大粛清 西豪大粛清(せいごうだいしゅくせい)は、西オーストラリアの指導者ユリア・ダスクオーンが敵対勢力の排除及び国内の改革を目的として2212年に行った大規模な政治弾圧の呼称。ユリア・ダスクオーンがこの政策によって直接的または間接的に出した死者数は40万人に上った。 3-1-5-1 和平派弾圧 2212年6月27日、西オーストラリアの内乱を制して独裁者となったユリア・ダスクオーンは、連合との徹底抗戦を掲げ、文官武官問わず自らに非協力的な姿勢を示す者の排除を目的として政治家や軍人を逮捕拘禁し、非合法的な手法を取って行われた暗殺を含め約600名を中央から排除・追放した。 権力の座を固めたユリア・ダスクオーンの弾圧は民衆へも及び、「反乱を企てている、もしくは企てる可能性のある者」15万人以上が密告や治安維持局の判断に基づいて証拠もなく不当に逮捕され、その家族など90万人以上があらゆる権利を剥奪されて奴隷階級へと落とされた。 3-1-5-2 魔豪主義と三階級体制 ユリア・ダスクオーンは改革の中で、「より強き者が弱者を全面的に支配する権利を有する」という自らの思想に基づき、臣民を魔法使い/一般市民/奴隷の三階級に格付け、最高階級である魔法使いに様々な特権を与えるとともに、奴隷の烙印を押された人々に対しては非人道的な弾圧を行った。 この三階級社会体制はのちに「ユリアのピラミッド」と呼ばれ、20世紀代前半期における最悪の政策のひとつに数えられる事となる。 ユリア・ダスクオーンの敷いた三階級社会体制は2212年10月16日に連合との講和が成立するまで続いた。 3-1-6 日本列島攻防戦 日本列島攻防戦(にほんれっとうこうぼうせん)は、2212年7月2日にインドネシア軍が連合領である日本列島への上陸侵攻を開始したことによって始まった同地を巡る一連の戦闘の呼称。 2212年2212年10月21日に関ヶ原の戦いで連合軍が勝利したことによって終結したが、表記上、本項では2212年2212年7月19日に終結した安土城跡要塞攻防戦までを取り扱う物とする。 3-1-6-1 マレブランケ インドネシアのアジア大侵攻により、アジアに所有する領土の9割までを失っていた連合軍は日本列島を最終防衛ラインとして各地の要塞化を進め、それらを防衛する部隊として極東対魔迎撃魔女師団「マレブランケ」を創設。 日本列島はインドネシアのアメリカ進出を防ぐ最後の砦であるにも関わらず、戦力の乏しい連合軍は激化するアフリカ戦線を支えることで手一杯となっており、マレブランケは適合者96名とその他の兵員38万人で編成された、対魔迎撃魔女師団とは名ばかりの間に合わせ部隊であった。 3-1-6-2 熊本城要塞での攻防 2212年7月2日、東シナ海より九州南部へと上陸したインドネシア軍による日本侵攻が始まる。 これに対し連合軍は当初より予定されていた防衛プランに則り、九州南部を放棄、熊本城要塞を防衛拠点として防備を固めた。 マレブランケの司令官である獅童令以下、実質的な戦力である96名の適合者全員がこの戦闘に参加したが、500人以上の魔法使いを投入したインドネシア軍の攻勢に成す術もなく、同日中には連合軍の熊本城要塞放棄が決定された。 3-1-6-3 安土城跡要塞攻防戦 連合軍は戦力の温存を是として本州近畿地方まで後退し、安土城跡要塞に全戦力を結集する。 マレブランケはインドネシア軍の攻勢を受けて連合軍の上層部に日本列島の危急を伝えるとともに援軍を要請したが、派遣されたのは竜崎聖中佐以下、僅か21名の適合者のみであった。 連合軍内では野戦か篭城戦かに意見が別れ、期待していた援軍が得られなかったことで自暴自棄となっていた獅童令は冷静な判断力を失っており、ただでさえ敵に劣る戦力を篭城と野戦隊に二分するという愚を犯す。 結果、2212年7月17日に京都市街で行われたインドネシア軍迎撃戦にてマレブランケに所属する適合者59名と一般兵20万人以上がインドネシア軍の包囲殲滅作戦によって戦死し、戦力を半減させた連合軍は安土城跡要塞を維持できず、2212年7月19日には要塞を放棄して関東へと逃れた。 この戦いによって半死状態となった連合軍のマレブランケに対してインドネシア軍はほとんど被害を出していなかったが、、2212年7月20日にGAC軍がスエズを陥落させたことでアラブ地域の共同挟撃作戦が提案され、日本に侵攻したインドネシア軍の戦力は反攻に対処するための防衛部隊を残して引き揚げた。 3-1-7 第一次タルタロス攻防戦 第一次タルタロス攻防戦(だいいちじたるたろすこうぼうせん)は、西オーストラリア軍基地であるタルタロス要塞に対し、2212年7月18日に連合軍が要塞の占拠またはその破壊を目的として攻撃を開始したことによって始まった戦闘の呼称。2212年7月19日に連合軍がエアーズロック周辺より撤退したことで終結した。 3-1-7-1 魔導要塞タルタロス 魔導要塞タルタロスは、西オーストラリア軍が築いた対連合軍前線防衛基地である。 オーストラリア中央部に位置するエアーズロックを囲うようにして建設され、基地面積は47k㎡に達する。 24の区画に分けられた要塞全体がエアーズロックを触媒とする巨大な魔導器の役割を果たしており、起動すれば48k㎡周囲の大気中に存在するエーテル粒子濃度を11倍に引き上げることが可能となっている。 これにより防衛側の迎撃火力を著しく増強することができるが、触媒であるエアーズロックにかかる負荷が過大であるため崩壊の危険が高く、劇中では未完成の機能であるとされていた。 3-1-7-2 ユリア・ダスクオーンの陣中指揮と連合軍の誤算 タルタロス要塞攻略戦の指揮官には第一次スエズ防衛戦での活躍から魔法戦指揮の適性を認められたヘルムート・ボーデンシャッツ大将(中将から昇進)が任命され、適合者784名から成る攻略部隊が編成された。 「戦力過小である」としてヘルムートは適合者戦力の増強を要求したが、「内乱を経て統一された西オーストラリアは未だ烏合の衆であり、最高指導者となったユリア・ダスクオーンの悪政もあってその志気は低く、きっかけがあれば容易に瓦解する」という見解が連合軍上層部で占められていたため却下された。 上層部の不見識に憤慨したヘルムートは格好だけ付けて見せ、出来る限りの生還者をもって撤退するという作戦方針を固める。 2212年7月18日15時18分に連合軍はタルタロス要塞より東南の15kmの地点まで侵攻し、遠巻きに要塞を見るようにしてタルタロス第6・第7区画の半包囲体勢へと移行。日が陰る頃になっても連合軍が攻撃を開始しなかったため、要塞に駐屯する西オーストラリア軍は夜陰に乗じて奇襲を加える方針を固めて夜を待った。 2212年7月18日23時13分に連合軍右翼部隊と西オーストラリア軍の魔法使い190名から成る奇襲部隊が接触。これをもって第一次タルタロス攻防戦の幕開けとなった。 横に大きく伸びきった陣形になっていた連合軍が各個撃破の対象になるかに見えたが、奇襲を予測していたヘルムートは右翼を後退させつつ左翼部隊を迎撃部隊の後背へと急進させ、西オーストラリア軍の奇襲部隊に対する半包囲を完成する。ヘルムートのとった鶴翼陣形は要塞に対してではなく、誘い出した迎撃部隊を包囲するための陣形であった。 思わぬ逆撃を受けた西オーストラリア軍奇襲部隊は混乱状態に陥り、要塞防衛の指揮を執っていたユリア・ダスクオーンが救出のために魔法使い349名を率いて出撃。奇襲部隊の背後へ回っていた連合軍左翼の更に後背へと肉薄する。 この時点まで最高指導者たるユリア・ダスクオーンは首都に残留している物と考えられており、ヘルムート・ボーデンシャッツすらもこの一騎当千の魔法使いと戦火を交える事態になるとまでは予測していなかった。 連合軍は本隊与力を投入し、ユリア率いる救援部隊の側面へと回り込もうとしたが、それより早くに左翼が崩されてしまう。奇襲部隊と合流を果たした西オーストラリア軍は勢いを落とさずにそのまま前進を続け、一直線に串刺しにするような格好で連合軍の包囲円陣を完全に突破する。 連合軍がこれと対峙して退路を断つためにはタルタロス要塞を背後に回す以外に無く、自軍を挟み撃ちの危険に晒す愚を悟ったヘルムートは野戦の続行を断念し、合流した敵が反撃の態勢を整える前に素早く後退を完了させた。 連合軍はタルタロス要塞より30km地点まで後退した地点に再度陣を敷いたが、野戦での戦力低下を理由に再攻撃を行うことなく、2212年7月19日中に要塞周辺から撤退し、第一次タルタロス攻防戦は終結した。 両軍戦死者数はオーストラリア軍魔法使い146名、連合軍適合者71名。 初手の夜襲を逆手に取られ、包囲陣突破後の挟撃の機会を逃したユリア・ダスクオーンは、ヘルムートの手腕を高く評価して「是非とも幕下に招きたい」と発言したという。 3-1-8 第二次スエズ攻防戦 第二次スエズ攻防戦(だいにじすえずこうぼうせん)は、2212年7月20日にGAC軍が連合軍スエズ基地を攻撃したことによって始まった戦闘の呼称。GAC軍にとっては同基地に対する二度目の攻略戦となる。 3-1-8-1 GAC電撃侵攻 スエズ基地再攻の機会を伺っていたGAC軍は、連合軍のタルタロス要塞攻略作戦に伴うスエズ基地の戦力低下、及び基地司令であるヘルムート・ボーデンシャッツ大将の不在を察知、ただちに最大戦力をもってスエズへの侵攻を開始した。 2212年7月15日、トリポリよりGAC軍第一、第三、第四、第八、大九魔法大隊、総勢1204名からなる本隊が進発。翌7月16日、ジブラルタル海峡の防衛に就いていた第二、第六魔法大隊、総勢385名がチュニスより地中海上空迂回ルートを設定、スエズ後背を突くための本命として密かに進発した。一軍によって総勢1000名を超える魔法使いが実戦で運用される例はこれが史上初めてであった。 ヘルムート司令不在の間はのちの大魔元帥である皇フィオナ准将が代行を務めていたものの、兵員の不足による索敵網の緩みは如何ともし難く、サハラ砂漠を横断するルートより侵攻したGAC軍本隊を早い段階で捉えることには成功したが、沿岸の対空網を縫うように地中海上空を迂回した別働隊を最後まで察知することが出来ず、これが結果的に連合軍敗北の要因となってしまう。 3-1-8-2 緒戦の経過 2212年7月20日14時55分、サハラを横断したGAC軍の本隊がスエズ基地より30kmの地点まで接近、斜線陣を敷いて攻撃態勢を整えた。連合軍のスエズ基地防衛の任にあたっていた適合者は第一次スエズ攻防戦の頃に比べ、一時は1048名と大きく増強されていたが、同時期に行われたタルタロス攻略作戦に戦力を引き抜かれた影響で、ここでは581名まで減少しており、第一次スエズ攻防戦とほぼ同等の戦力で約2倍に増強された敵軍と戦うを強いられたのである。 基地の支援火力を最大限に利用すべく、エーテルコーティング外縁装甲に沿うようにして横一線に展開した連合軍の総指揮を執るのは基地司令代行、皇フィオナ准将。左翼指揮は菱月ウィルル大佐、右翼指揮はエルヴィン・焔・クローネンバーグ大佐が執り、後詰め、遊撃部隊を兼ねる基地防衛部隊を指揮する任には燈儀カノーシス中佐があたった。編成は中央本隊156名、右翼144名、左翼96名、基地防衛部隊185名。 2212年7月20日15時30分、「混沌の魔王」タチアナ・アカ・マナフ率いるGAC左翼部隊が急進、勢いに任せて連合右翼に突撃し、これをもって第二次スエズ攻防戦の幕開けとなった。 150名に満たぬ連合右翼に対してGAC軍の左翼は438名。熱狂的な勢いで押しまくるGAC軍によって戦闘開始より10分も経過せぬうちに連合右翼は壊乱し、突破されたかのように傍目には見えた。が、これこそが「守護者」エルヴィン・焔・クローネンバーグ大佐必勝の策であった。 あえて左右に部隊を割って基地の外壁に取り付かせたGAC軍の背後に素早く展開した連合軍は基地防衛部隊と連携し、最小限の動きによって前後からの挟撃を実現したのである。 これによりGAC軍は数の圧倒的有利から来る中級指揮官たちの油断と、高すぎる士気によって極端に視野が狭くなっていた事が災いし、GAC軍最強を謳われる戦術指揮能力を誇るタチアナ・アカ・マナフですら収拾のつかぬ混乱に陥った。 思わぬ挟撃を受けて混乱する左翼を救うべくGAC軍は本隊より「悪疫」ドゥルジ・エッダ、「暴君」トーラス・タルウィ、「大海嘯」サーイヴァル・ザリチュ率いる358名の魔法使いを戦線に投入したが、この判断は連合に一歩遅れ、既に右翼のカバーに入っていた皇フィオナ准将率いる本隊によって阻まれる結果となる。 時を同じくしてGAC右翼と連合左翼による戦闘も開始しており、390名から成るGAC右翼部隊に対して僅か96名の連合左翼は驚くべきことに、敵と同数以上の大軍にて包囲を目的とするとされる鶴翼陣形にてこれを迎え撃った。正攻法に則って紡錘陣にてGAC軍が接近、中央突破を図るべく連合の鶴翼に収まりかけるやいなや、連合軍は鶴の翼の左右を切り離して、戦闘域より離脱してしまうほど大きく、不恰好に両翼をL字型に伸ばす格好を取り、もはやそれは鶴翼陣形と呼べる物ですらなくなっていた。戦術の常識を逸脱した動きを見せる連合左翼にGAC右翼を率いる「夜の魔女」トーニャ・エルネスト・チェルノボーグはおおいに戸惑ったが、何らかの意図をもって切り離された両翼も所詮は小勢、前面に展開したままの敵もやはり小勢であるからには、苦し紛れの単なる陽動に過ぎぬと判断し、前進攻撃を続行するように命じる。その直後、菱月ウィルル大佐のストライカーユニット「スペシャルウィーク」によってGAC軍と連合軍の間に横たわる不毛の砂漠に天高く生い茂る樹林が出現。妃・アムリタ・アネッサの「雪風」による広域ジャミングを作動させつつ、連合軍は素早く樹林の奥へと潜んだ。 これを切り拓くには時間を要し過ぎ、上空を通過すれば森に潜んだ連合の狙撃を受ける……GAC軍がとった選択は至極単純、ごく常識的な「敵ごと樹林を焼き払う」という物であったが、この選択こそ連合軍が最も望んだ行動であり、大きな落とし穴が用意されていた。 「グラディウス隊」のティアナ・ボーデンシャッツ少佐の能力によって、戦場をごく微弱に吹いていた北東の風が、突然、南西への強風へと変化し、樹林を焼く大火からもくもくと上がり続ける黒煙と悪臭はGAC軍の左翼から本隊へと横たわった。この上、ティアナ・ボーデンシャッツはその黒煙が敵陣を周回するように「風の檻」を完成させたのである。「たかが煙」ではあるが、風によって通過せずに循環し続け、なおかつ次々と新たに芽吹いては一瞬で成長する樹木に飛び火して勢いを増す黒煙はたちまちにGAC軍を灰色の世界へと閉じ込めた。もはや陣形を維持するどころではなくなったGAC軍の魔法使いたちは各々の判断によって散開し、それぞれに黒煙の外へと逃れたが、既に彼らは緻密に計算された半包囲のもとに置かれており、連合軍の敷いた不恰好に広すぎる鶴翼陣の意味を知ることとなった。 周知の通り、第二次スエズ攻防戦は連合軍の大敗という結果に終わるものであるが、緒戦における連合軍の奮戦において特筆すべき点として第一次スエズ攻防戦より頻発していた小競り合いによって経験を積んだ当時無名の中級指揮官を中心とする適合者達の活躍が挙げられるであろう。 3-1-8-3 夜の魔女、再び 2212年7月21日0時40分頃より両軍が後退、戦局は一時的な膠着を見る。数の上では未だGAC優勢であるものの、局地的勝利を重ねた連合軍の意気は上がり、各部隊長を召集しての会議にて「援軍到着まで現状を維持」の方針を堅くした直後、事態は急変する。 2212年7月21日4時15分、「夜の魔女」トーニャ・エルネスト・チェルノボーグが単身にて基地西南部C-14ブロックに侵入、これを迎撃する「フランベルジュ隊」が壊滅。右翼の総指揮を執る「守護者」エルヴィン・焔・クローネンバーグ大佐以下、適合者37名が戦死。2212年7月21日4時30分、誰も予測し得なかった事態に混乱する連合軍を次なる一手が襲う。スエズ基地後背、味方の勢力圏方面より地中海ルートを迂回した「咎人」ティルテュティナ・タローマティ率いる別働隊が急襲、これに呼応して基地正面に布陣するGAC軍が全面攻勢を開始する。 これら状況の推移から完全敗北を悟った皇フィオナ司令代行はスエズ基地の即時放棄を決定。妃・アムリタ・アネッサ大佐の「バルムンク隊」、篝アルバトロス中佐率いる「グラディウス隊」、自身を含む「ハルバード隊」を殿軍とし、菱月ウィルル大佐率いる「クレイモア隊」を先鋒に撤退作戦を開始した。 四方を数倍の敵に囲まれ殲滅の危機に瀕する中、2212年7月21日5時55分、ようやくGAC軍の一角を崩した連合軍は散り散りとなって連合勢力圏を目指す。 3-1-8-4 「ユニヴァース」 大勢決したのち、狩人の立場となったGAC軍の追撃は熾烈を極めた。敵どころか味方の位置も把握できぬまま敗走する連合軍部隊は次々と各個撃破の餌食となっていく。この状況下で皇フィオナ准将の下した決断は、殿軍、即ち自らが率いる部隊を撤退する全軍から切り離し、足を止めての攻防を敵に強いる事で前方を進む友軍の生還率を少しでも上昇させるという物であった。 接地して敵からの肉眼での視認を避け、狙撃や急襲によって上空を通り過ぎようとする追撃部隊を背後より攻撃するという暗殺者めいた戦法は一定の成果を挙げたが、逃亡を放棄した以上、徐々に敵の包囲網はその網目を狭くしていく。殿軍全体の8割近くを失い、絶対絶命の危機を迎えた彼女たちを救ったのは、妃・アムリタ・アネッサ大佐のストライカーユニット「雪風」が放った光。 「ユニヴァース」、その存在が史上初めて戦場で確認された瞬間であった。全ての魔法はその効果範囲内において効力を消失し、次々と落下していくGAC軍の魔法使いが砂漠に大量の赤い花を咲かせる。魔法の力を失ったGAC軍に戦闘手段は残されておらず、ごく局地的にではあるが、この場は連合屈指の白兵戦巧者であり、刀剣型のストライカーユニット「シルクジャスティス」を操る皇フィオナ准将の独壇場となった。 3-1-8-5 愚策の代価 2212年7月27日3時50分、皇フィオナ准将以下26名がUAEドバイ基地に生還。これをもってスエズ撤退作戦、ならびに第二次スエズ攻防戦は終結した。 第二次スエズ攻防戦に参加した連合軍適合者581名のうち実に7割以上が戦死・行方不明となり、中でも連合軍トップクラスのエリート部隊である「フランベルジュ隊」の全滅、「バルムンク隊」「ハルバード隊」の壊滅は連合軍にとって大きな損失となった。 この時期に重要な前線基地であるスエズ基地の戦力を引き抜いて行われたタルタロス攻略作戦の失敗、続くスエズ基地の陥落という大失態を演じた軍に対して連合の首脳部は遺憾の意を示すとともに、連合軍においては大規模な人員整理を行う事を発表。 新たに設立が決定したオーストラリア方面軍司令に「現場派」の筆頭格である覇道宗義大将を昇格、元帥とした上で抜擢、第三方面軍司令にはヘルムート・ボーデンシャッツ大将を呼び戻し、それぞれの方面軍司令に全面的な指揮監督権を与えて現場ごとに指揮系統を完全に独立。連合軍の現トップであるジェルア・セイニレート大元帥は降格処分として更迭、「ジェルア派」と呼ばれた前時代からの重鎮達を一掃するとともに、新時代の戦場を知らぬ老人の寄り合いと化していた円卓元帥制(大本営の十二元帥による合議制)を無期限の停止とした。 タルタロス攻略戦、スエズ撤退戦の直接指揮を執ったヘルムート・ボーデンシャッツ大将、皇フィオナ准将両名においては一切の責任を問わない物とし、周知の通り、これらの処置は後の世まで連合の勝利に結びつく英断として語り継がれる事になる。 なお、この軍上層部の人事異動をのちに記述する「カレトヴルッフ作戦」の開始点であるとする意見もあることを明記しておく。[要出展] ※ 3-1-9 アラブ挟撃戦以降についてはサイズオーバーのため第一次魔導大戦・二を参照。
https://w.atwiki.jp/bagamo/pages/106.html
順次更新 多分 目次 目次 厨聖心 赤キャベツ うぇぶ かなめ ちゃづけまる 厨聖心 界隈の中でもかなりの古参であり、入った当時から下ネタを言い続ける人ですね 最近は若干大人しめにはなったが全盛期では彼女が目の前にいるというのにセクハラ発言や浮気してたりしていた。 それでも一番は彼女である青猫であり、その彼女本人もこんな光景を見てきても厨聖心のことが好きであるという相思相愛両思いです。 本人曰くエロきゃ何でも良いらしく ntrやryonaとかでも良かったりと守備範囲がすごく広いです。 赤キャベツ 書き込んでいることの殆どが怪文書のひとですね。 どうしようもないケモナーでゼラルカが大好きでサンダースを嫁宣言してます。 最近はノリモナーに目覚めたらしいです。 ケモナーなのにe621は知らなかったり ポケモン以外のケモで抜いてることを殆ど言ってないためこいつはどちらかと言うとポケモナーに含まれますね。 あとおまけ程度にショタコンです うぇぶ 下ネタとかずっと言い続けてますが根はいいヤツです 普通に喋るときとかも//とかをつけて話します。 誰ががお風呂発言すれば覗こうとしてきたりちょっとしたことをすぐあっち方面に広げたりして、すぐ犯そうとしてきます。 かなめ 百合大好き系お絵かき女子ですね。 かなーり癖を歪ませており、すぐ興奮してしまいます。 絵は上手いのですがかなり特徴というか趣味が出すぎてすぐかなめが書いたことがわかると思います。 うぇぶと意気投合したりしています。 ちゃづけまる どうしようもない変態です。 赤キャベツと同じケモナーでギルガルドが大好きです。基本何でも抜いてみようとしており、おいしい水とかで抜くこともあります。本人曰くおいしい水は後輩属性が良いらしいです。 また、ケモナーを布教してるらしく彼の周りにいる人は大体ケモに目覚めてます。 最近はメカバレとぼあに目覚めたらしい 俺ここに加えるほどの変態か? -- ちゃづけさん (2024-01-07 14 16 25) うん知らんけど -- 医学部 (2024-01-07 17 42 27) 俺変態って言う奴いるけどここに入ってないからセーフやな -- ぶどう (2024-01-08 15 25 36) ↑お前は殿堂入りや -- バギル (2024-01-08 16 03 06) は?この記事作ったんじゃないのに言うなよ -- ぶどう (2024-01-08 17 05 28) だったら無名で載らないんじゃね -- バギル (2024-01-08 19 23 44) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/1742.html
阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第Ⅱ部 日本国憲法の基礎理論 第1章 日本国憲法における立憲主義 本文 p.111以下 <目次> [74] (1) 立憲主義の意義 [75] (2) 日本国憲法の特異さ [75続き] (3) 日本国憲法と法の支配 ■用語集、関連ページ ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 [74] (1) 立憲主義の意義 立憲主義は、大きく、「近代立憲主義」と「現代立憲主義」に区別することが出来る。 前者の近代立憲主義は、また大きく、「立憲君主制」と「立憲民主制」とに分けることが出来る(但し、私自身は、「立憲民主制」というタームは避けることにしている。なぜなら、既に [22] でふれたように、近代立憲主義の狙いは、民主制の実現にはなかったからである。立憲民主制なる用語は、「君主制でも、貴族制でもなく、僭主制でも寡頭制でもない立憲主義」を表そうとして選択されたのだろう。が、それは、立憲主義の本来のニュアンスである《憲法によって統治権を制限すること》を表し切れていない、と私は確信している)。 体系書または教科書は、上のような幾つかの立憲主義を念頭に置いたうえで、「近代立憲主義から現代立憲主義へ」の展開に言及することが多い(⇒[24]~[25])。 このふたつの違いと展開は、通常、こう説明される。 近代立憲主義とは、 自由権(国家からの自由)の保障を第一義とするために「制限された権力をもっての統治」を目指す憲法体制のことをいう。これに対して 現代立憲主義とは、 「社会国家の樹立を目指すために権力を積極的に行使する統治」を容認する憲法体制をいう。現代立憲主義は、近代立憲主義のもたらした負の遺産、すなわち、貧富の差、経済恐慌、失業等に有効に対処するために20世紀当初以降立ち現れたのだ(⇒[24])。 ところが、不思議なことに、「社会国家」の真の意味は明確にされたことがない。 私の推察するところ、それは、「ブルジョア(市民)/労働者または弱者(社会)」という亀裂を念頭に置いて(⇒[8])、“社会権(社会保障)を充実させることが国家の任務だ”という国家観をいう(「社会」の意味は、「市民法秩序/社会法秩序」といわれるとき、最も明確に浮かび上がる。この点については [25] をみよ)。 社会国家の原型は、ヴァイマルそして今のドイツにあり、思想的論拠は「社会民主主義」にあり、その最大の特徴は所得再分配政策である。 ドイツ理論の影響を受けて、我が国の憲法学者の相当数が、“日本国憲法は、社会国家原理を採用してきた”と論じてきた。 が、私は、この理解に大いに批判的である(社会権や社会保障については、『憲法2 基本権クラシック』において、私は既に私見を披瀝した)。《日本国憲法は、想像以上に、古典的な種類の立憲主義憲法に属している》と私は診断しているからである。 日本国憲法が採用している、法の支配、権力分立、議会制、議員の地位、条約締結、普通選挙制、自由権保障等々は、近代立憲主義に忠実である。 また、議会(国会)について二院制を採用していること、各院に強い自律権を保障していること、執政府について内閣制を採用していること、司法府について自律権を保障しアメリカ型司法審査権まで付与していること(司法審査制はアメリカ建国時に既に気づかれていた)、硬性憲法としていること等も、日本国憲法が近代立憲主義、なかでも古典的な種類のそれに属していることの反映だといえる。 社会権はこの例外だ、と考えたほうがいいだろう([80]もみよ)。 [75] (2) 日本国憲法の特異さ もっとも、日本国憲法における統治構造には、主要立憲主義国の現行憲法には見出し難い、独自の特徴が見出される(基本権保障については、ここではふれない)。 第一は、 かつての君主であった天皇につき、世界でも稀な象徴天皇制(*注1)としている点である。天皇が元首かどうか論議があるとはいえ、憲法の全体構造のなかで天皇制を考えれば、日本国憲法が立憲君主制によっていないことは明らかである(この点については、後の [84] 参照)。象徴天皇制は、社会国家とか現代立憲主義とかに特徴づけられる日本国憲法にあって、いかにも古色蒼然とした色合いをみせている。これは、現代立憲主義から大きくズレており、内閣(宮内庁)の天皇に対する処遇は、明治憲法の臭いすら感じさせるところがある。 第二は、 日本国憲法には、自衛戦争まで放棄する決意まで読みとれる、徹底した「平和主義」が謳われている点である(9条は天皇制の存続と引き替えとしてGHQから提案されたと指摘する論者もいる。この視点からすればこの第二点も第一点と絡んでいる)。9条の解釈論争については後の [95] でふれるとしても、その文理を一読したとき、主要立憲主義国家の憲法を「抜け出ている」との印象は免れない([89]もみよ)。この特異さを“現代立憲主義の一要素だ”と考えてよいか、それとも、“普通の立憲国家からの逸脱だ”と考えてよいか、この評価の違いが9条の解釈に反映されるだろう。 我が国の憲法学界は、明治憲法に否定的な評価を与え、他方で、日本国憲法を“民主的に”解釈すればするほど正しい姿勢である、といてきたところがある。 確かに、現実の統治過程には、明治憲法におけるプラクティスまたは習律が、時々顔を覗かせており、私にとっても気になるところがある。 上にふれた天皇の処遇以外について、少しばかり例を挙げると、 (1) 予算を法律の形式で審議議決しないこと、 (2) 閣議に全員一致を要するとしてきたこと、 (3) 院の自律権よりも、国会の議決(法律)を優位としてきたこと、 (4) 地方公共団体を国家の下位機関であるかのように扱ってきたこと、 (5) 法の支配を法治主義と同じものであるかのように意味づけてきたこと 等である。 なかでも(5)は、統治の要であるはずの法の支配が我が国に根付かないことの原因となっている。 (*注1)象徴天皇制についてアメリカのある論者は、“象徴天皇制は談合オリエンタリズムだ”と、それが日米の妥協の産物だったことを絶妙な表現で象徴天皇制の由来を指摘した。いわゆる国旗・国歌法の制定(平成11年)にあたって小渕総理大臣は「君が代の『』は日本国および日本国民統合の象徴であり、その地位が日本国民の総意に基づき、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことを指しており・・・・・・」との解釈を示した(平成11年6月29日衆院本会議)。この芒洋とした一文は、天皇制と国民主権との不整合さを浮かび上がらせている。 [75続き] (3) 日本国憲法と法の支配 以下では、近代立憲主義が法の支配とセットとなって歩んできたことの重要な意味に留意しながら、日本国憲法の統治構造を概観していこう。 その基本的な構造を理解するには、第Ⅰ部でみた基礎理論を応用すればいい。 そのままのかたちで応用できない箇所があれば、その理由を考えればいいのだ。 もっとも、「基礎理論を応用する」といっても、その応用の仕方には、論者それぞれの選好が反映される。 先にふれたように、我が国の多くの憲法学者であれば、“民主的に”応用することを好むだろう。 それに対して、私のように、“自由主義的に”応用することを好む研究者もいるだろう(民主主義、自由主義の意義については、既に [26]~[29] でふれた)。 この本の筆者として正直にいえば、基礎理論の部分を私は既に“自由主義的”に語ってきた。 この第Ⅱ部では、自由主義的に構成された基礎理論をさらに自由主義的に日本国憲法へ刻み込もうと私は努めるだろう。 ※以上で、この章の本文終了。 ※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。 ■用語集、関連ページ 阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第四章 立憲主義と法の支配 第五章 立憲主義の展開 ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/389.html
阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第Ⅱ部 日本国憲法の基礎理論 第1章 日本国憲法における立憲主義 本文 p.111以下 <目次> [74] (1) 立憲主義の意義 [75] (2) 日本国憲法の特異さ [75続き] (3) 日本国憲法と法の支配 ■用語集、関連ページ ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 [74] (1) 立憲主義の意義 立憲主義は、大きく、「近代立憲主義」と「現代立憲主義」に区別することが出来る。 前者の近代立憲主義は、また大きく、「立憲君主制」と「立憲民主制」とに分けることが出来る(但し、私自身は、「立憲民主制」というタームは避けることにしている。なぜなら、既に [22] でふれたように、近代立憲主義の狙いは、民主制の実現にはなかったからである。立憲民主制なる用語は、「君主制でも、貴族制でもなく、僭主制でも寡頭制でもない立憲主義」を表そうとして選択されたのだろう。が、それは、立憲主義の本来のニュアンスである《憲法によって統治権を制限すること》を表し切れていない、と私は確信している)。 体系書または教科書は、上のような幾つかの立憲主義を念頭に置いたうえで、「近代立憲主義から現代立憲主義へ」の展開に言及することが多い(⇒[24]~[25])。 このふたつの違いと展開は、通常、こう説明される。 近代立憲主義とは、 自由権(国家からの自由)の保障を第一義とするために「制限された権力をもっての統治」を目指す憲法体制のことをいう。これに対して 現代立憲主義とは、 「社会国家の樹立を目指すために権力を積極的に行使する統治」を容認する憲法体制をいう。現代立憲主義は、近代立憲主義のもたらした負の遺産、すなわち、貧富の差、経済恐慌、失業等に有効に対処するために20世紀当初以降立ち現れたのだ(⇒[24])。 ところが、不思議なことに、「社会国家」の真の意味は明確にされたことがない。 私の推察するところ、それは、「ブルジョア(市民)/労働者または弱者(社会)」という亀裂を念頭に置いて(⇒[8])、“社会権(社会保障)を充実させることが国家の任務だ”という国家観をいう(「社会」の意味は、「市民法秩序/社会法秩序」といわれるとき、最も明確に浮かび上がる。この点については [25] をみよ)。 社会国家の原型は、ヴァイマルそして今のドイツにあり、思想的論拠は「社会民主主義」にあり、その最大の特徴は所得再分配政策である。 ドイツ理論の影響を受けて、我が国の憲法学者の相当数が、“日本国憲法は、社会国家原理を採用してきた”と論じてきた。 が、私は、この理解に大いに批判的である(社会権や社会保障については、『憲法2 基本権クラシック』において、私は既に私見を披瀝した)。《日本国憲法は、想像以上に、古典的な種類の立憲主義憲法に属している》と私は診断しているからである。 日本国憲法が採用している、法の支配、権力分立、議会制、議員の地位、条約締結、普通選挙制、自由権保障等々は、近代立憲主義に忠実である。 また、議会(国会)について二院制を採用していること、各院に強い自律権を保障していること、執政府について内閣制を採用していること、司法府について自律権を保障しアメリカ型司法審査権まで付与していること(司法審査制はアメリカ建国時に既に気づかれていた)、硬性憲法としていること等も、日本国憲法が近代立憲主義、なかでも古典的な種類のそれに属していることの反映だといえる。 社会権はこの例外だ、と考えたほうがいいだろう([80]もみよ)。 [75] (2) 日本国憲法の特異さ もっとも、日本国憲法における統治構造には、主要立憲主義国の現行憲法には見出し難い、独自の特徴が見出される(基本権保障については、ここではふれない)。 第一は、 かつての君主であった天皇につき、世界でも稀な象徴天皇制(*注1)としている点である。天皇が元首かどうか論議があるとはいえ、憲法の全体構造のなかで天皇制を考えれば、日本国憲法が立憲君主制によっていないことは明らかである(この点については、後の [84] 参照)。象徴天皇制は、社会国家とか現代立憲主義とかに特徴づけられる日本国憲法にあって、いかにも古色蒼然とした色合いをみせている。これは、現代立憲主義から大きくズレており、内閣(宮内庁)の天皇に対する処遇は、明治憲法の臭いすら感じさせるところがある。 第二は、 日本国憲法には、自衛戦争まで放棄する決意まで読みとれる、徹底した「平和主義」が謳われている点である(9条は天皇制の存続と引き替えとしてGHQから提案されたと指摘する論者もいる。この視点からすればこの第二点も第一点と絡んでいる)。9条の解釈論争については後の [95] でふれるとしても、その文理を一読したとき、主要立憲主義国家の憲法を「抜け出ている」との印象は免れない([89]もみよ)。この特異さを“現代立憲主義の一要素だ”と考えてよいか、それとも、“普通の立憲国家からの逸脱だ”と考えてよいか、この評価の違いが9条の解釈に反映されるだろう。 我が国の憲法学界は、明治憲法に否定的な評価を与え、他方で、日本国憲法を“民主的に”解釈すればするほど正しい姿勢である、といてきたところがある。 確かに、現実の統治過程には、明治憲法におけるプラクティスまたは習律が、時々顔を覗かせており、私にとっても気になるところがある。 上にふれた天皇の処遇以外について、少しばかり例を挙げると、 (1) 予算を法律の形式で審議議決しないこと、 (2) 閣議に全員一致を要するとしてきたこと、 (3) 院の自律権よりも、国会の議決(法律)を優位としてきたこと、 (4) 地方公共団体を国家の下位機関であるかのように扱ってきたこと、 (5) 法の支配を法治主義と同じものであるかのように意味づけてきたこと 等である。 なかでも(5)は、統治の要であるはずの法の支配が我が国に根付かないことの原因となっている。 (*注1)象徴天皇制についてアメリカのある論者は、“象徴天皇制は談合オリエンタリズムだ”と、それが日米の妥協の産物だったことを絶妙な表現で象徴天皇制の由来を指摘した。いわゆる国旗・国歌法の制定(平成11年)にあたって小渕総理大臣は「君が代の『』は日本国および日本国民統合の象徴であり、その地位が日本国民の総意に基づき、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことを指しており・・・・・・」との解釈を示した(平成11年6月29日衆院本会議)。この芒洋とした一文は、天皇制と国民主権との不整合さを浮かび上がらせている。 [75続き] (3) 日本国憲法と法の支配 以下では、近代立憲主義が法の支配とセットとなって歩んできたことの重要な意味に留意しながら、日本国憲法の統治構造を概観していこう。 その基本的な構造を理解するには、第Ⅰ部でみた基礎理論を応用すればいい。 そのままのかたちで応用できない箇所があれば、その理由を考えればいいのだ。 もっとも、「基礎理論を応用する」といっても、その応用の仕方には、論者それぞれの選好が反映される。 先にふれたように、我が国の多くの憲法学者であれば、“民主的に”応用することを好むだろう。 それに対して、私のように、“自由主義的に”応用することを好む研究者もいるだろう(民主主義、自由主義の意義については、既に [26]~[29] でふれた)。 この本の筆者として正直にいえば、基礎理論の部分を私は既に“自由主義的”に語ってきた。 この第Ⅱ部では、自由主義的に構成された基礎理論をさらに自由主義的に日本国憲法へ刻み込もうと私は努めるだろう。 ※以上で、この章の本文終了。 ※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。 ■用語集、関連ページ 阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第四章 立憲主義と法の支配 第五章 立憲主義の展開 ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/airport2000/pages/199.html
アブダビ国際空港(IATA:AUH - ICAO:OMAA) 民間、民、海抜27㍍、滑走路1(4100/45) 24.432778,54.651111 台湾 台北 ――――チャイナエアラインズ インドネシア ジャカルタ ――――ガルーダインドネシア ――――エティハド航空 マレーシア クアラルンプール ――――エティハド航空 フィリピン マニラ ――――エティハド航空 シンガポール シンガポール ――――シンガポール航空 ――――エティハド航空 タイ バンコク・スワンナプーム ――――エティハド航空 インド デリー ――――エアインディア ――――エティハド航空 ムンバイ ――――エティハド航空 カリカット ――――エアインディア・エクスプレス コーチ ――――エアインディア・エクスプレス チェンナイ ――――エアインディア ティルバナンタプラム ――――エアインディア・エクスプレス バンガロール ――――エアインディア・エクスプレス パキスタン イスラマバード ――――パキスタン国際航空 ――――アエロアジアインターナショナル ――――エティハド航空 ――――シャヒーン国際航空 カラチ ――――パキスタン国際航空 ――――アエロアジアインターナショナル ――――エティハド航空 ――――シャヒーン国際航空 ラホール ――――パキスタン国際航空 ――――アエロアジアインターナショナル ――――エティハド航空 ――――シャヒーン国際航空 ペシャワル ――――パキスタン国際航空 ――――アエロアジアインターナショナル ――――エティハド航空 ――――シャヒーン国際航空 バングラデシュ ダッカ ――――ビーマンバングラデシュ航空 ――――GMG航空(2007/11~) ――――エティハド航空 チッタゴン ――――ビーマンバングラデシュ航空 スリランカ コロンボ ――――スリランカ航空 イラン テヘラン・エマームホメイニー ――――エティハド航空 ラー ――――イランアセマン航空 クウェート クウェート ――――クウェート航空 ――――エティハド航空 バーレーン バーレーン ――――ガルフエア ――――エティハド航空 ――――スリランカ航空 ――――KLMオランダ航空 カタール ドーハ ――――カタール航空 ――――エティハド航空 ――――スリランカ航空 オマーン マスカット ――――ガルフエア ――――エティハド航空 ――――エアインディア ――――エアインディア・エクスプレス ――――クウェート航空 ――――ブリティッシュエアウェイズ イエメン サヌア ――――イエメニア航空 リヤン ――――イエメニア航空 サウジアラビア リヤド ――――サウジアラビア航空 ――――エティハド航空 ジェッダ ――――サウジアラビア航空 ――――エティハド航空 ――――シンガポール航空 メディナ ――――サウジアラビア航空 ダンマーム ――――エティハド航空 ヨルダン アンマン ――――ロイヤルヨルダン航空 ――――エティハド航空 シリア ダマスカス ――――シリアアラブ航空 ――――エティハド航空 アレッポ ――――シリアアラブ航空 レバノン ベイルート ――――ミドルイースト航空 ――――エティハド航空 イギリス ロンドン・ヒースロー ――――ブリティッシュエアウェイズ ――――エティハド航空 マンチェスター ――――エティハド航空 アイルランド ダブリン ――――エティハド航空 フランス パリ・シャルルドゴール ――――エティハド航空 ドイツ フランクフルト ――――ルフトハンザドイツ航空 ――――エティハド航空 ミュンヘン ――――エティハド航空 オーストリア ウィーン ――――チャイナエアラインズ ベルギー ブリュッセル ――――エティハド航空 イタリア ミラノ・マルペンサ ――――エティハド航空 スイス ジュネーブ ――――エティハド航空 オランダ アムステルダム ――――KLMオランダ航空 ――――マーチンエア トルコ イスタンブール・アタチュルク ――――トルコ航空 ルーマニア ブカレスト・オトペニ ――――TAROMルーマニア航空 ロシア モスクワ・ドモジェドボ ――――トランスアエロ トルクメニスタン アシガバート ――――トルクメニスタン航空 カナダ トロント・ピアソン ――――エティハド航空 米国 ニューヨーク・JFK ――――エティハド航空 オーストラリア シドニー ――――エティハド航空 ブリスベン ――――エティハド航空 エジプト カイロ ――――エジプト航空 ――――エティハド航空 アルジェリア アルジェ ――――エティハド航空(2008~) モロッコ カサブランカ ――――エティハド航空 スーダン ハルツーム ――――スーダン航空 ――――エティハド航空 エチオピア アジスアベバ ――――エチオピア航空 南アフリカ ヨハネスブルク ――――エティハド航空 【アエロアジアインターナショナル】 【エアインディア】 【エアインディア・エクスプレス】 【ビーマンバングラデシュ航空】 【ブリティッシュエアウェイズ】 【チャイナエアラインズ】 【エジプト航空】 【エティハド航空】 【エチオピア航空】 【ガルーダインドネシア】 【GMG航空】 【ガルフエア】 【イランアセマン航空】 【KLMオランダ航空】 【クウェート航空】 【ルフトハンザドイツ航空】 【マーチンエア】 【ミドルイースト航空】 【パキスタン国際航空】 【ロイヤルヨルダン航空】 【カタール航空】 【サウジアラビア航空】 【シャヒーン国際航空】 【シンガポール航空】 【スリランカ航空】 【スーダン航空】 【シリアアラブ航空】 【TAROMルーマニア航空】 【トランスアエロ】 【トルコ航空】 【トルクメニスタン航空】 【イエメニア航空】
https://w.atwiki.jp/saigaisabetu/pages/153.html
[特権]関東・東北「被曝女子」の懐妊不全[喪失] http //toro.2ch.net/test/read.cgi/gender/1322988880/ 抽出 ID kObOk8A/ (5回) 245 名前:10/3投稿[] 投稿日:2012/10/03(水) 01 01 08.48 ID kObOk8A/ [1/5] ○○の皆さんごきげんよう、gender_atomicでございます。今回も内閣府男女共同参画局に対し 「異性に対する暴力(ジェンダーバイオレンス)をなくす運動」を推進すべく意見投稿してまいります。 さて今回面白い論説を見つけました。 【論説】田嶋陽子氏 「9条は宝」「男が作った軍隊システムに女入れぬ」…葛城奈海氏「日本人は成人時に隊員訓練受け国民意識を」 http //sankei.jp.msn.com/politics/news/120928/plc12092807380005-n1.htm 古くは「防人」などがわが国の徴兵制の原点といえるでしょうが、兵役に就く「武士」が世襲制であるため 明治維新後、兵役法という法律が制定され、旧憲法でも国民に兵役が義務づけられました。 現憲法に規定されている義務とは、「教育を受ける義務」「勤労の義務」「納税の義務」ですが、 近い過去、国民の男性には「兵役の義務」が課せられていたのです! 兵役という苦役が男性だけに課せられている以上、政治面や経済面などで男性がリーダーとなるのは至極当然のことでした。 もしも兵役が女性にも課せられていたならば、明治時代の貴族院議員や衆議院議員に女性議員がいてもおかしくはないと私は考えます。 さて、今になって兵役が議論されているのは何故でしょうか?竹島や尖閣諸島や北方領土を巡る対立が深まっている国際情勢が主因でしょうが 私は災害面においてもその副因が潜んでいるのではないかと考えます。 兵役をジェンダーという観点から見たものと、東日本大震災における災害と男女共同参画は、ほとんど同じ構図なのです! 兵役は男性ばかりです。社会のリーダーとして舵を取るのも男性です。 原子力災害に派遣されるのは男性ばかりです。ところが貴女方は避難所運営に女性リーダーを登用しろと主張する。 上で「もしも」の話をしましたが、現実に女性が参政権を得たのは兵役制度そのものが無くなったことが大きく影響しています。 ところが原子力災害はいまだ収束していません。貴女方女性は兵役(=原子力災害への従事)もせずに女性リーダーを要求するのですか? 246 名前:10/3投稿[] 投稿日:2012/10/03(水) 01 02 05.36 ID kObOk8A/ [2/5] 田嶋氏は「9条は宝」「男が作った軍隊システムに女入れぬ」などと言います。 フッ、兵役は確かに男性が作ったものでしょうが、日本国憲法も男性が作ったんですがねぇ。 というか、世の中には男性が作ったもので溢れかえっているではありませんか! 主婦を家事の苦労から解放するために開発された電気洗濯機と電気釜にテレビを加えた「三種の神器」はじめ、 自動車・飛行機・ロケット・船・鉄道・オートバイ・コンピュータ・複写機・ カメラ・ラジオ・映写機・冷蔵庫・洗濯機・レントゲン・無線機・ 電話機・顕微鏡・望遠鏡・印刷機・拡声器・レコード・CD・DVD・時計・ 発電システム・送電システム・信号システム・通信システム・複式簿記・ 三権分立・免疫療法・ワクチン療法・インターネット・スマートフォン ・・・・・・・・ 一方、女性が発明したものといえば、男性が建てた建物の一部を占拠した「女子更衣室」 http //www1.axfc.net/uploader/Img/so/149964.jpg 同じく男性を締め出し占拠した「洗濯物干場」 http //www1.axfc.net/uploader/Img/so/149965.jpg かつての白人専用スペースのような男性を排斥する「女性専用スペース」 http //www1.axfc.net/uploader/Img/so/149966.jpg DV被害者を匿うシェルターの建物も、男性が手掛けたものなんですがねぇ。 http //www.gender.go.jp/pdf/saigai_13.pdf 247 名前:10/3投稿[] 投稿日:2012/10/03(水) 01 03 02.52 ID kObOk8A/ [3/5] このように、男性が発明するものは万人が快適に利用出来るよう考慮したものであるのに対し、 女性が発明するものは男性を排斥し女性だけが快適に利用出来るようにしか考慮されていないことがおわかりでしょう。 この詳細は先週、先々週の投稿でも指摘した通りです。 9/12の投稿でも述べましたが、釈迦が「女性には、九つの悪い属性がある」と説いている通り、 現に女性は、男性の発明のうち「快適なもの」だけを横取りし、苦痛な「兵役」は男性だけに押し付けているでしょう。 性別による役割分担を否定しながら女性が前線で死ねば子どもを産む人がいなくなるという。女性の徴兵制に反対する一方で、民間役務は男女ともに要求する。 「(男性が作った)9条は宝」と言う一方で「男が作った軍隊システムに女入れぬ」などと、いかに女性が 1.汚らわしくて臭く、2.悪口をたたき、3.浮気で、4.嫉妬深く、5.欲深く、6.遊び好きで、7.怒りっぽく、 8.おしゃべりで、9.軽口であるということを雄弁に物語っていますよね! 10/3現在徴兵制を施行している国は、デンマーク、オーストリア、フィンランド、ノルウェー、スイス、ロシア、韓国、北朝鮮、イスラエル、トルコ、 台湾、エジプト、シンガポール、カンボジア、ベトナム、タイ、コロンビア、マレーシア、中国、アルジェリア、キューバ、ギリシャの22ヶ国です。 この内イスラエルとマレーシアは女性も徴兵の対象としていますが、マレーシアの徴兵制は軍へ兵士として入隊するのではなく、 「国防省の管理下で半年間の共同生活」をするに過ぎません。 248 名前:10/3投稿[] 投稿日:2012/10/03(水) 01 03 49.12 ID kObOk8A/ [4/5] 【赤旗】「慰安婦、お金をもらっていたら被害者ではないのか。『強制』させられることだけが被害なのか」 市民団体がシンポジウム http //www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-09-30/2012093014_04_1.html 志願してなろうと、強制されてなろうと、慰安婦には給与が支払われておりました。 志願兵だろうと、赤紙で徴兵されようと、軍人にも給与が支払われておりました。 慰安婦が戦争と女性への暴力なら、男性であることを理由に銃弾砲弾の飛び交う戦場へ送り込まれることは、男性に対する立派な暴力です! わが国では徴兵制はなくなりましたが、男性であることを理由に放射線下で復旧作業を強いられる現実がそこにあります! 今こそ「異性に対する暴力(ジェンダーバイオレンス)をなくす運動」を旗揚げし、兵役やそれに類する暴力を撤廃していただきたい!! 追伸 今ふと女性が発明したものをひとつ思い出しました。マリー・キュリーが発明した「放射能」です。 「男が作った軍隊システムに女入れぬ」というならば、女性が作った原子力システムに男性を入れるのは大間違いなのではありませんか? 女性が作った放射能に被曝し、男性ばかりが100ミリシーベルト超も被曝し、胃がんや食道がんや結腸がんなどを発症し 白血病や多発性骨髄腫や悪性リンパ腫で苦しむなど、許されることではありません。 【社会】労災目安、被ばく100ミリシーベルト超…原発作業員の胃がんなど http //www.jiji.com/jc/c?g=soc_30 k=2012092801070 249 名前:10/3投稿[] 投稿日:2012/10/03(水) 01 04 24.97 ID kObOk8A/ [5/5] 前線で女性が死亡したら子どもを産む人がいなくなると言いますが、同様に 男性が被曝したら生まれてくる子どもは奇形児となってしまいます。これは湾岸戦争帰還兵の前例の通りです。 前線で男性が被曝した結果、子どもが出来なかったり奇形児となってしまうわけです。 男性と女性、父親と母親の観点ではなく、生まれてくる子どもの身にもなってみましょう。 貴方が奇形児として生まれ、一生不自由な生活を強いられることを望みますか? もしこの質問に対する回答が「ノォー」なら、子どもはもうけるべきではありません。 もはや男性も女性も関係ありません。性別だけで原子力災害への参画を考えるなら、 それを発明した女性が参画するべきだという結論に至るのです! 女性の皆さん!原子力というものを作った女性の連帯責任です!福島第一原発へ行って男性作業員と交代してください!!