約 4,003,184 件
https://w.atwiki.jp/syaru/pages/24.html
相手が装備公開していても、装備画面が開かない 一部スキルを使用すると、Unknownになる 新マップの一部MOB動作しない
https://w.atwiki.jp/yurina0106/pages/1876.html
タグ 作品名W With you みつめていたい 通常版 曲名 歌手名 作詞 作曲 ジャンル カラオケ OP みつめていたい くにたけみゆき 吉田文 吉田文 明るい ED 散歩道 ロビン 金杉肇・吉田文 吉田文
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1007.html
座間味島でも住民虐殺は起きていた 座間味島でも住民虐殺は起きていた被告準備書面(10)要旨2007年5月25日 「座間味村史」上巻 解説 366~368頁 「座間味村史」下巻 証言 48頁 「座間味村史」下巻 証言 104~106頁 「座間味村史」下巻 証言 111~112頁 「座間味村史」下巻 証言 112~5頁 工事中 被告準備書面(10)要旨2007年5月25日 http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/666.html 準備書面(10)記載内容について、日本軍の隊長の自決命令に関する部分の要旨を、以下のとおり整理して述べる。 1 沖縄戦において、日本軍第32軍司令部(球第1616部隊)は、1944年(昭和19年)11月18日に「報道宣伝防諜等に関する県民指導要綱」(乙33)を定め、日本軍は、 「軍官民共生共死の一体化」なる方針の下に、軍官民一体の総動員作戦を展開していた。 2 座間味島や渡嘉敷島など慶良間諸島に駐留を開始した日本軍も、この方針のもとに、住居の提供、陣地の構築、物資の運搬、食糧の供出・生産、炊事その他の雑役等に村民を狩り出すとともに、村民の住居に兵士を同居させ、さらには村民の一部を軍の防衛隊に編入し、軍は村の行政組織を軍の指揮下に組み込み、全権を握り、これらの軍への協力を、村長、助役、兵事主任、防衛隊長などを通じて命令していた。 3 そして、軍は、米軍が上陸した場合には村民とともに玉砕する方針を採り、秘密保持のため、村民に対しても米軍の捕虜となることを禁じ(捕虜となったとの理由で日本軍によって処刑された住民が現実に存在する-乙49「座間味村史」上巻366~368頁、乙50「座間味村史」下巻48、106、115頁、乙13「渡嘉敷村史」200~201頁、甲B18「ある神話の背景」193頁以下など)、「米軍の捕虜となった場合は女は強姦され、男は八つ裂きにされて殺される」などと脅し、いざというときは玉砕(自決)するよう、日本軍の隊長からあるいは個々の兵士を通じて言渡していた。 (以下略) さて、 捕虜となったとの理由で日本軍によって処刑された住民が現実に存在する-乙49「座間味村史」上巻366~368頁、乙50「座間味村史」下巻48、106、115頁、 とはどのような事件だったのだろうか? 裁判の書証以外のものも紹介する。 「座間味村史」上巻 解説 366~368頁 座間味村の阿嘉島では、第2戦隊の立てこもりが長引く中で、米軍との戦闘ではなくて、住民との間に食糧戦争が起こった。梅澤元少佐率いる第1戦隊がいた座間味島でも事情は同様であった。以下、"食糧戦争"とはどういうものかを知るために証言の多かった阿嘉島に関する部分も長く引用した。青色部分が座間味島で起こった事件である。 5 スパイ嫌疑と"食糧戦争" 「集団自決」とあわせて、住民同士のスパイ嫌疑もまた別の悲劇を招いたものであった。 当初、米軍の上陸によって、住民が米軍と何らかの接触をもったことが日本軍にばれた場合、スパイとして疑いがかけられ、殺されるということだったが、とくに阿嘉では、避難生活が長引いたために極度の食糧難に陥り、"食糧戦争"によるスパイ事件が発生した。 ことに悲惨であったのが、後藤(旧姓与那嶺)松雄・タキエ夫妻虐殺事件であった。この夫婦は、妻が足が悪くて遠くまで逃げられず、やはり年老いて歩けない松雄の姉・金城タマツとともに部落近くの壕に避難していたことかち事件に巻き込まれる。しかも妻の方はフィリピン帰りということもあり、日本軍から米軍との関係が疑われやすい立場にあった。 三月二六日、米軍の阿嘉島上陸によって見つかった三人は、米軍の呼びかけに夫妻は壕を出たものの、金城は米兵を恐れていたせいか一向に壕を出る様子がないため、とうとう射殺されてしまい、後藤夫妻だけが保護されることになった。いわゆる「捕虜」である。アメリカの雑誌に、沖縄戦の捕虜第一号として掲載されたといわれる。二人は空き家となった民家に保護され、食糧をたっぷり与えられて住民の投降呼びかけの手伝いをさせられていた。 四月に入り、座間味部落や慶留間の住民たちがすでに収容された後も、阿嘉の住民はスギヤマの中に立て寵もっており、食糧問題は日増しに深刻になっていくばかりであった。そんなある日、「捕虜」となって米軍に保護されていた後藤夫妻が日本兵に見つかってしまい、本部まで連行されてきたのである。この日本兵も食糧をあさるため部落まで下りていき、食糧に囲まれて何不自由ない生活をしている夫妻を見つけたようであった。夫妻は、その日は何事もなかつたかのように、スギヤマの住民たちの所へ送られたが。翌日再び本部の方へ引っ張って行かれた。住民たちは、二人が一体どうなるのか不安で待ち続けたが、とうとう帰ってくることはなかった。後日住民の目に映った二人の姿は、夫が軍刀で首を斬られて放置され、妻は刺されたうえに石で押しつぶされたかっこうに埋められた状態であった。結局、スパイ容疑で"処刑"されたのである。 このスパイ容疑による住民の処刑は阿佐部落でも起こった。上原武造(阿佐・マチガー小)が米軍に保護された後、食糧がたくさんあるからと、大勢の住民が避難していたヌンルルーガマに呼びにきたため、スパイだということになったのである。上原は米軍が住民を殺すことはないと安心して自宅にもどり、一夜を明かして収容所にもどる予定でいたものが、日本兵に後をつけられ、寝ているところを惨殺されたのである。よもや友軍に殺されることになるとは、住民のだれもが考えつかないことであった。座間味島では、いったん米軍に保護された後で再び逃げ出して住民と合流した人も何人かいたようだが、その人たちは確実に日本兵から目をつけられ、殺される寸前までいっている。それが、間一髪の状態で難を逃れたという人たちもたくさんいた。 ところで、阿嘉部落では、食糧不足が深刻化するにつれ、日本兵の横暴ぶりが目にあまるようになっていた。部落内に残っていた食糧は夜のうちに軍に取得され、さらに「阿嘉島に生えている一木一草のすべてが天皇陛下の所有物である。許可なくこれを採取したものは死刑に処す」という軍からの命令が下ったのである。この頃からは、住民にとっての敵が、アメリカ兵というより、日本兵に変わっていた。いったん親元に帰されていた炊事班の女性たちが再び徴用され、防衛隊は漁労班と農耕班に編成されて軍の食糧確保に従事させられるようになった。そして軍は、要所要所に見張り番を立て、部落民が勝手に食糧を取らぬよう、厳重な警戒体制を敷くようになったのである。桑の葉、つわぶきの葉一枚とて取ってはいけない、ということは、部落民に餓死しろというようなものであった。 それからというもの、民と軍の"食糧戦争"がはじまった。住民は暗闇をぬって自分の畑に行き、髭のついた小さな芋を掘ってきたり、部落内から少しでも食べられそうなものを見つけてくるなど、日本兵の監視の網をくぐって出かけていった。しかし、もし見つかった場合は、持っていた食糧はすべて没収され、それこそ足腰が立たなくなるまでメッタ打ちにされたのである。そんななかで、朝鮮人軍夫のポケットに二、三の米粒が入っていたといっては処刑、仲間の日本兵がおにぎりを勝手に食べたといっては直接の上司を処刑と、上官たちは実に勝手気ままな醜い部分を露呈していた。 特に朝鮮人に対する軍の仕打ちは非情としかいいようがなかった。米軍に投降する人が増えたからという理由で、縦、横五、六メートル、深さニメートルほどの穴ニカ所に朝鮮人全員が詰め込まれ、上から丸太棒の格子をして逃げられないようにしたのである。ほとんど座るスペースもないほどにぎゅう詰めにされ、食糧は一日一回、小さな缶に米粒が入っているかどうかのおかゆであった。用便以外は一切外にだしてもらえず、用便でも監視つきであった。監視の目を盗んで逃げようとした人は殺された。 「座間味村史」下巻 証言 48頁 阿佐・宮里小「小」は屋号を表す接尾語であろう M.T.さん(女性、当時30歳)の証言の1/6ほどを抜粋した。青色部分が軍による住民殺害事件である。 兵隊との"食糧戦争" (米軍上陸後:引用者)二日目の晩でしたかね。ダー、日にちもどれだけ経ったか、全くわからないですから。ウチにいた船舶兵たちが通りかかったわけです。向こうもびっくりした様子でした。聞くと、第一部隊が阿真の溜め池の上までお米を運んでくるので、それを取りに行くというんです。帰りもここを通るというので、少しでいいから分けてくれるようお願いしました。生きて帰れるなら上げようということでしたが、とうとう戻ってきませんでした。 このままの状態ではいけないので、今度は阿佐の方に行くことにしたのです。西安里小のおばあに、私たちは移動するけどおばあたちはどうするね、と聞いたのですが、返事がないわけですね。どうするか迷っているのだろうと思い、それでは家族だけで、ということで、引き潮時を見計らって、海岸沿いを阿佐ユヒナのほうに廻っていきました。しばらく歩いていると、後ろの方から西安里小のおばあが、孫をおんぶして付いてくるんですね。あまりにもかわいそうなので、待って一緒に行くことにしました。途中、このおばあの姪に会ったため、おばあと孫を預けて私たちの家族はさらにトゥールーガマ座間味島北端部にある自然壕:引用者 に行き、そこで避難している住民たちと合流したのです。 ここではお米がたくさんあって、ウチの子供たちにもおにぎりを分けてもらいましたが、聞いてみると、整備中隊の壕阿佐部落にあった の近くに、軍の米がたくさんあるというのです。いずれ、それを取りに行くことにし、その日の晩はイモを掘りに行くことにしました。というのは、この場所に避難していたメームタンチのおじさんが、自分の畑に芋がたくさんあるので、この鍬を持って掘ってきたらいいよと言うもんだから、もう、うれしくてね。暗くなるのを待って出かけました。その晩は、ほんとに真っ暗の夜でしたよ、一寸先も見えないといった感じでね。 結構人の話し声が聞こえるので、様子をうかがっていると友軍のようです。手探りでどうにか芋を掘り、鍬を置いて芋に付いている土を落としてさらに掘るというように繰り返しているうちに、突然、鍬がなくなったわけですよ。兵隊が取ったなと思って「だれだ、ウチの鍬を盗んだのは」と、どなりつけるように言うと、「お前たちだけ生きておればよいのか」と逆に兵隊の方が怒鳴りつけてきたわけです。私も売り言葉に買い言葉で、「何―、お前たち兵隊だというけど、山火事すら消すこともできないくせに、何を言うか。こっちは、私が芋を持って帰らなければ、子供たちに食べさせるのがないんだよ。こうなったのもみんな、お前たちが島を守りきれなかったせいじゃないか。こっちは、人から鍬を借りてきて掘っているんだよ」と言い返して、真っ暗闇の中でケンカになりました。相手の顔は全く見えませんから、言いたい放題ですよ。 その時なんですよ。私の声を聞いた一人の兵隊が、「もしかしたら宮里のおばさんじゃないですか」というわけです。私が「そうですけど」と応えると、「オイ、俺の下宿のおばさんだぞ」と仲間に話しているんですね。そして、「船舶兵の中原です」というもんですから、私は恥ずかしさと懐かしさで、すぐに「元気だったんですか。私のところは、一人甥が亡くなりましたが、みんな元気です。きょうは、知り合いから鍬を借りてきて芋を掘っているのに、どうして兵隊さんたちは人の鍬をとるのですか」と話しました。すると兵隊さんは申し訳ないと思ったんでしょう。自分たちが掘った芋を全部、自分にくれたんです。そして翌日には、わずかの肉と味嗜も持ってきてくれました。でも、食べた覚えはないんですけどね。 それから二、三日たってからでしたか。整傭中隊の壕にお米を取りに行くことにしたのです。道を歩いていると、米をかついでやってくる松川小のおじいさんにあったので、場所を教えてもらいました。このおじいさんの話では、米はあるにはあるが、俵にまともに入っているのはほとんどなく、川のなかにこぼれて散らかったものならあるというわけです。それでもどんなにありがたいかわかりません。 行ってみると、なるほど川を堰き止めるくらいにたくさんのお米がこぼれているのですが、まわりには大勢の兵隊さんたちが死んでいるんですよ。今まで、どうにかして死ななければと思っていたんですが、これでもう、死ぬのがバカバカしくなってね。 そうそう、この松川小のおじいさん、この日の晩ですよ、友軍にスパイ容疑で殺されたのは。あの後、アメリカーにつかまったらしくてね。おじいさんは、アメリカーは何も悪いことはしないし、食べ物もたくさんあるから、住民たちに出てくるよう呼びかけにきて、殺されたそうですけどね。 「座間味村史」下巻 証言 104~106頁 この松川小のおじいさんのことは、H.S.さん(当時37歳、女性、トゥンヌ前)が詳しく語っています。H.S.さんの証言から学ぶことは、「みくに(皇国)の為に」「逃げる」「隠れる」よりはまず、「水や食べ物を見つける」という決死の行為が先だったということです。鍬ドロボーの兵隊を怒鳴りつけたおっ母ぁ本土言葉でスイマセン は、玉砕せずに生還できました。地図を添えて聞き取り全文を引用します。 座間味村住民避難図(クリック拡大) 壕を転々と避難 (阿佐・トゥンヌ前 H.S. 当時三七歳) 座間味の人たちの避難 私の家は、友軍が駐屯してからは炊事場に割り当てられ、家の前に大きなテントが張られて、味噌樽や砂糖樽などがずらっと並べられていました。ウチは、どうせ長男が嘉手納の農林学校へ行っていて不在だし、夫は徴用されて母親と二人だけでしたから、別に都合が悪いことはなかったわけです。むしろ、二人分の食事は、兵隊さんの分から分けてもらったこともありました。 昭和二〇年三月ニ三日、渡嘉敷島「島」の付かない部落名のほうが意味が通じる の上空で「バンバンバン」と弾を落としている音が聞こえていましたが、しばらくして、飛行機がいきなり阿佐の方に旋回してきて、この部落に弾を落としたんですよ。その時にやられた家屋が、メームタンチとカーヌハタ、鰹節製造場、それに作ったばかりのタケーシ小もだったと思いますが、全部焼かれてしまいました。 ちようど、彼岸の準備をしていて、御馳走を作っていたんです。それがいきなり空襲になってしまって、その日から逃げ廻る生活が続きました。私の家族はウトゥミジに壕を掘っていたので、二三日の晩は御馳走を持ってそこに入っていたのですが、あまりにも山火事がひどく危険なので、その夜遅くにはユヒナの自然壕に逃げていきました。ユヒナについてからは、夜になってから水を汲みにいったり、ごはんを炊いたりしました。座間味部落から離れたユヒナにいたので例の「忠魂碑に集合」は知らなかったのか:引用者 ところが、二、三日して、座間味の人たちが大勢入ってきたため、そんなに大きくない壕なものですから、私たちはヌンルルーガマの方へ行ったのです。このヌンルルーガマに来て、フッと思い出したことがありました。サイパンの玉砕が伝わってきた頃から、メームタンチのおじいが、「どうせ、このイクサはここまでやって来るんだから、その時はみんなヌンルルーガマに逃げなければいけなくなるよ。今のうちに、道の草を刈ったり、アラン(あだん)の木を切り倒しておかないと、どっちみちヌンルルーガマに入ることになるんだよ」と言っていたわけです。そのときは、このおじいの話を聞いた者はカンカンに怒りましたよ。「このおじいよ、何を言うか。こんな小さな島に敵が来るはずがない。おじいは、もしかして日本の負け戦を願っているんじゃない?なんで私たちがヌンルルーガマなんかに行かないといけないか」といってね。それが、現実になってしまったもんですから、ほんとに驚きました。 メームタンチのおじいが「戦隊長」殿であったら、と思います。:引用者 このガマにはわずかの期間しかいませんでした。私の甥が、この人ごみでは、いつ一緒に殺されるかわからないから、出ようということになったんです。しかも、ヌンルルーガマには、座間味の人たちもやってきて、次第に人の数がふえたので、危険を感じたのです。私は母を連れてチシヘまわり、山越えしてウハマに出て、マチャンウフンブを通ってアチネーラ上記地図をみると島の東端、ヌンルルーガマからは直線3km に出てきました。見ると、目の前には敵の軍艦がいっぱいいるんですね。そしてとんぼが乱れ飛んでいるように、飛行機がたくさん飛んでいるんです。びっくりして、また母をひっぱるように引き返し、メーラガーにあった宮村の山羊小屋の前で一夜を明かしてユヒナの自然壕に行きました。元の壕に戻る。まさに右往左往です。:引用者 スパイ容疑のおじい ここは安心ではあったのですが、ただ、水汲みが大変でした。なかなか雨が降ってくれないので、田圃の水たまり、稲を植えるために掘ってあったものですが、そこに溜まった水で子持ちたちはおしめを洗ったり、体をあらったりするんですけど、この水でごはんを炊いて食べましたよ。だって、どうしようもなかったんですよ、飲まないと死にますからね。サラシにこして飲料用にしたんですが、こした後のサラシを見たら、もう、なんともいいようがなかったですよ。 とにかく食糧はほんとに限界にきていましたから、だから、マチガー小のおじいはみんなに食べ物を分けてあげたくて、呼びにきたんですよ。それなのに、友軍に殺されてしまって。この話は、私が直接見たというより、阿佐住民の間ではみんな知っていることなんです。はじめてスパイ容疑にかかった人だからね。 おじいのことをよく知っている人の話によれば、おじいはアメリカーに見つかって連れていかれたというんです。向こうにいったら、食べ物はたくさんあるし、アメリカーたちは優しくしてくれるので、自分だけこんないい思いをして、家族や住民たちはどうなっているかと、気にしたらしいんですね。それでいったん、住民に呼びかけるためにアメリカーの許可をもらってヌンルルーガマにも来たようです。ちょうど私たちが出ていった後なので、知りませんでしたが、この人は一晩自宅に泊まって、翌日アメリカーの元へ帰ろうとしたらしいんですね。その晩に友軍にやられたようですよ。部屋の壁には血が飛び散って、ほんとに残酷な殺され方をしたと、それを見た人たちは話していました。結局、このおじいがスパイだといって、友軍に密告した人がいたんですよ。同じ住民なのにね。 白旗を掲げ出て行く とにかく避難している人間にとって、食糧難はほんとに深刻でした。夜遅くから壕を出て、シンメー鍋を頭に乗せてユヒナのヒージャーヤーの前にごはんを炊きに行くんですが、そこに行くには、裸足で珊瑚礁の上を歩かなければならないわけです。私は母と二人分の食事の他に、座問味の大城(ウーグスク)の家族の分まで引き受けていましたので、量的には結構な量のごはんを炊いていました。 ある日、いつものようにごはんを炊き、アチコーコーのシンメー鍋を頭に乗せて歩いていた時のことです。暗がりの中からいきなり、着剣を構えた友軍が私の前に現れたわけです。あまりにもびっくりして、持っていたシンメー鍋を放り出すと同時に、切り立った岩の上で足をすべらせてしまい、足の裏を十数センチ切ってしまったのです。鍋には穴が空くし、足の裏の傷には砂が入り込んで、どうしようもありません。しまいには、大城の家族に、「母との二人分はどうにかなるが、皆さんの分まではできませんので、米を半分に分けて、所帯を分かしましょう」とお願いしたくらいです。 友軍も別にいじわるするつもりではなかったと思いますが、食糧が全くないため、住民の食糧をぬすんで食べてばかりいました。ですから、ごはんを炊きながらも、ちょっとの間も目が離せませんよ。あっというまに、鍋ごとなくなるもんですから、ごはんを炊きに行く時は、大体複数で出かけましたね。特に、戦闘が落ち着いた頃には、部落の屋敷の壕にかくしていた黒砂糖や鰹節、また畑に植えていた野菜類は、片っぱしからとられていました。私は避難生活に入る前にキャベツを植えていましが、出てきたときには、下葉ばかりで、玉の部分は全く残っていませんでしたよ。 何日くらいたってからですかね、捕虜になろうと思って白旗を持ってね、ユヒナのソーシから山越えして阿真に行きました。荷物もたくさん持っていますから、大変でしたよ。そして着いたところがウフガーラなんです。そこでアメリカーに見つかって、「カマワン、出て来い」と言うわけです。そうしたら親戚の子が「姉さん、アメリカーが立っているよ。殺されないかねー」と泣き出したんです。私もほんとは震えているんですがこの子を慰めるために、「大丈夫よ、殺さんよ」とかばうようにして出ていきました。 阿真での生活は、テント小屋に入れられて、石でわずかに囲んだカマを利用して、家族の分の食事を作って食べていました。十日くらいそうした生活をしてから、今度は阿佐にもどり、座問味の人たちとの共同生活を続けたのです。(談) 「座間味村史」下巻 証言 111~112頁 「座間味村史」下巻 証言 112~5頁
https://w.atwiki.jp/kumicit/pages/698.html
批判サイド 創造論者の主張 Claim CH320 Before sin entered the world, there were no net deteriorating effects of the second law of thermodynamics. The decay that we see today, including organisms such as fungi, predators, and parasites, is a result of Adam s sin. 世界に罪が現れる前は、熱力学第2法則の劣化効果はなかった。今日に我々が見ている菌類や捕食生物や寄生生物を含む劣化はアダムの罪によるものである。 Source Morris, Henry and Martin Clark, 1987. Why did God create carnivorous animals if there was to be no death in the world as first created? - FAQ #46. From The Bible Has the Answer, 3rd Ed. Master Books. Response 寄生生物は発達した特徴を持っており、それは寄生生物として生きていくために必要なものである。それは菌類や捕食生物やその他の「劣化した」と称する生物にもあてはまる。Institute for Creation Research (ICR)さえも、トゲや牙や毒が堕落後に進化したと認めている。かつて存在しなかったトゲや毒のような性質の進化は、それを獲得した生物の劣化ではない。 地球上の生命の記録は劣化ではなく、発展を示している。初期の記録には細菌しかいない。続いて先カンブリア紀後期には、原始的な多細胞生物が、そして固い構造を持つ動物が、そして陸上動物が存在している。そのとき生きていた生物の多くは現在も生きている。歴史的に見て、それ以上に生物多様性が大きかった時代はない。いくつか大絶滅が起きたが、それにより新たな形態の生命の進化の可能性が与えられた。 ICRが「劣化」だとした進化の大きさは、いかなる合理的な基準においても大進化とみなされるものである。堕落後の死に基づく生態系の進化は、最初の創造と同じくらい大きな変化である。 オリジナルページ これは Index to Creationist Claims, edited by Mark Isaak の和訳です。
https://w.atwiki.jp/aniceta/pages/15.html
最近ETCを利用し始めました。使うまでは別に必要ないかなぁって思っていたのですが、使ってみるとやっぱり便利ですね。 今では法人ETCカードなんていうのもあるようで、時代は皆ETCになっているのですね。
https://w.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/965.html
ある時点に広告が存在したことを記録します。結末等の追跡はしません。 主に以下のスレから転載する予定です。 毎日jpの広告が復活したらageるスレ http //society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1215833059/ テンプレ 【広告を載せた企業名】○○○○ 【確認された日付】YYYY/MM/DD 【広告が載っていたURL】 【広告の表示形式】 【広告のリンク先】 報告があったので、毎日jpではない、毎日新聞関連サイトの広告を載せます。 未病.com http //www.mibyou.com/【運営会社】 毎日新聞社 エリア毎日 http //www.areamainichi.jp/ 【運営会社】株式会社 毎日開発センター 8/9 8/3 関連ページ 8/9 【広告を載せた企業名】20世紀フォックス 【広告掲載企業のHP】http //www.foxjapan.com/ 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(左上) (映画"シャッター"のシーンを表示) 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/spe/0809shutter.html 【広告を載せた企業名】株式会社 湘南第一興商 【広告掲載企業のHP】http //www.utayu.com/ 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(左中央) 「うたゆの宿 熱海四季ホテル」 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/teikei/1153.html 【広告を載せた企業名】株式会社 東通メディア ミセスアイズ運営事務局 【広告掲載企業のHP】http //www.totsumedia.co.jp/ 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(左下) 「Mrs.Eyes ミセスアイズ」 【広告のリンク先】http //www.mrs-eyes.com/ 【広告を載せた企業名】吉本興業 株式会社 【広告掲載企業のHP】http //www.yoshimoto.co.jp/ 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(右上) 「よしもとシーオージェーピー」 【広告のリンク先】http //www.yoshimoto.co.jp/ 【広告を載せた企業名】吉本興業 株式会社 【広告掲載企業のHP】http //www.yoshimoto.co.jp/ 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(中央中) 「新宿7キャプテンシアター」 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/spe/0807capten.html 【備考】広告のリンク先にテレビ東京(http //www.tv-tokyo.co.jp/shinjuku7/)へのリンクもありますね 株式会社 テレビ東京 → http //www.tv-tokyo.co.jp/ 【広告を載せた企業名】渋谷フーチーズ 【広告掲載企業のHP】http //www.hoochies.info/index.html 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(右中央) 「村上"ポンタ"秀一「Seven」 ベース 後藤次利」 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/teikei/1009.html 【備考】通販もやってるようなのですがサイト内に"特定商取引に関する法律に基づく表示"がありませんね 【広告を載せた企業名】株式会社 明治座 【広告掲載企業のHP】http //www.meijiza.co.jp/ 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(中央上) 「座長・小林幸子を明治座の「一日営業主任」に任命」 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/spe/0810meijiza.html 【広告を載せた企業名】東海汽船 株式会社 【広告掲載企業のHP】http //www.tokaikisen.co.jp/ 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(中央上) 「東海汽船/東京湾エンターテイメント・クルージング」 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/spe/0809tokaikisen.html 【広告を載せた企業名】かもめマシーン 【広告掲載企業のHP】http //kamomemachine.futene.net 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(中央下) 「かもめマシーン/日本の言葉」 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/spe/0809kamome.html 【備考】連絡先は携帯電話とgmail…ぁゃιぃ 【広告を載せた企業名】NeXT IMPRO THEATRE 【広告掲載企業のHP】http //www.nextimpro.com/ 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(中央下) 「ネクスト・インプロ・シアター」 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/teikei/1025.html 【運営会社】株式会社インプロジャパン 【運営会社のHP】http //www.improjapan.co.jp/ 【広告を載せた企業名】FISH−ON!鹿留 【広告掲載企業のHP】http //www.sisidome.jp/ 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(中央下) 「FISH-ON! 鹿留」 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/teikei/999.html 【運営会社】東電不動産 株式会社 【運営会社のHP】http //www.tdfkk.co.jp/ 【広告を載せた企業名】福島県田村市 【広告掲載企業のHP】http //www.city.tamura.lg.jp/index.jsp 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(中央下) 「あぶくま洞」 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/teikei/1013.html 【広告を載せた企業名】シアタークリエ 【広告掲載企業のHP】http //www.tohostage.com/theatre_crea/index.html 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(中央下) 「シアタークリエ」 【広告のリンク先】http //www.tohostage.com/theatre_crea/lineup.html 【運営会社】東宝 株式会社 【運営会社のHP】http //www.toho.co.jp/ 【広告を載せた企業名】株式会社 明治座 【広告掲載企業のHP】http //www.meijiza.co.jp/ 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(中央下) 「明治座」 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/teikei/1047.html 【広告を載せた企業名】箱根園 【広告掲載企業のHP】http //www.princehotels.co.jp/amuse/hakone-en/ 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(中央下) 「箱根園水族館」 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/teikei/912.html 【運営会社】株式会社 プリンスホテル 【運営会社のHP】http //www.princehotels.co.jp/ 【広告を載せた企業名】株式会社 マザー牧場 【広告掲載企業のHP】http //www.motherfarm.co.jp 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(中央下) 「マザー牧場 サマーフェスタ08」 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/teikei/854.html 【広告を載せた企業名】吉本興業 株式会社 【広告掲載企業のHP】http //www.yoshimoto.co.jp/ 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(中央下) 「チハラトーク #2」 【広告のリンク先】http //www.randc.jp/chiharakyoudai/discography.html 【広告を載せた企業名】株式会社 俳優座劇場 【広告掲載企業のHP】http //www.haiyuzagekijou.co.jp/ 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】バナー(中央下) 「俳優座劇場」 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/teikei/1051.html 【広告を載せた企業名】ユナイテッド・シネマ 豊洲 【広告掲載企業のHP】http //www.unitedcinemas.jp/toyosu/index.html 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】ユナイテッド・シネマ 豊洲 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/teikei/985.html 【広告を載せた企業名】株式会社明治座アートクリエイト 【広告掲載企業のHP】http //www.meijiza-ac.jp/ 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】明治座アカデミー 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/teikei/943.html 【広告を載せた企業名】こどもの城 【広告掲載企業のHP】http //www.kodomono-shiro.jp/index.shtml 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】こどもの城 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/teikei/964.html 【広告を載せた企業名】株式会社銀河劇場 【広告掲載企業のHP】http //www.gingeki.jp/index.html 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/ 【広告の表示形式】天王洲 銀河劇場 【広告のリンク先】http //www.areamainichi.jp/teikei/1010.html 【広告を載せた企業名】ツインリンクもてぎ(株式会社モビリティランド) 【広告掲載企業のHP】http //www.mobilityland.co.jp/motegi/ 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/shop/913.html 【広告の表示形式】企業紹介ページ (エリア別情報から検索) 【広告を載せた企業名】株式会社ハンタ-マウンテン塩原 【広告掲載企業のHP】http //www.hunter.co.jp/yuri/ 【確認された日付】2008/8/9 【広告が載っていたURL】http //www.areamainichi.jp/shop/1163.html 【広告の表示形式】企業紹介ページ (エリア別情報から検索) 8/3 【広告を載せた企業名】養命酒製造 【確認された日付】2008/8/3 【広告が載っていたURL】http //www.mibyou.com/index.html 【広告の表示形式】サイトスポンサー 【広告のリンク先】http //www.yomeishu.co.jp/ 【広告を載せた企業名】理研ビタミン 【確認された日付】2008/8/3 【広告が載っていたURL】http //www.mibyou.com/index.html 【広告の表示形式】サイトスポンサー 【広告のリンク先】http //www.rikenvitamin.jp/ 関連ページ こどもの城 東宝 毎日jpに広告を出していた企業 理研ビタミン 養命酒
https://w.atwiki.jp/wiki7_pci/pages/9.html
現在提案している企画の紹介をします。 (一部泥子かかなりマニアックなものですのでご了承を) ポケモン系 1・ポケスペ大名鑑 2・ポケスペの仲間たちと学ぶネット講座 小説系 1・小説コンテスト 何かありましたらご連絡を(ぉ
https://w.atwiki.jp/kt108stars/pages/2176.html
165 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2007/04/19(木) 21 40 56 ID ??? ずっとプレイ中に絵を描いているプレイヤー。 周りが注意すると、「キャラの絵を描いてるから、オレはイメージするのに絵を描かないだめなんだよ」と言いながら止める様子がない。 プレイにもロクに参加せずに、戦闘も「リーダーに委任するよ」とか言って絵を描き続ける。 結局、最後まで絵を描いていた。 二度と皆はそいつを呼ばなかった、後で聞いた話ではそいつは自分の作る同人誌の表紙の元絵を描いていたらしい。 何をしに来た? スレ131
https://w.atwiki.jp/kt108stars/pages/10930.html
208 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2015/11/06(金) 20 54 31.42 ID JsLcN3hp0 逃げた先の環境で言うとうちのサークルは逃げた人に居着いてもらえるような心地いいサークルじゃなかったんだろうな ついでに報告なんだがさ イジメみたいな感じだったサークルから逃げてきたって新規参加者が入ったんだけど兎に角卑屈で こっちが同じように酷いPLであるかのような前提で語るんだ 元のサークルほど酷くはないにせよ、困行為するんでしょ?どうせ、みたいな サークル抜ける抜ける詐欺とか 引き留めて欲しい!みたいな発言繰り返したりとか そういうあれやこれやが溜まって、過去の被害者って事のみ拠り所にして改善もしないので切ったよ 「ごめんね、君にはこのサークルは合わなかったみたいだ」って最後に言ったら泣きながら発狂してさ まるで最初からこっちが騙すために近づいたような物言いするんで物理的に摘み出したよ 210 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2015/11/06(金) 21 05 52.47 ID liPMIGaq0 [2/3] 208 乙。 そんだけ人間不信になってるのなら対人ゲームやらなきゃ良いのにね。 211 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2015/11/06(金) 21 07 31.25 ID TMWaKvGF0 208 病院に行かせるべきでは… 214 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2015/11/06(金) 21 39 45.69 ID lHFqmHGt0 [2/2] 208 >兎に角卑屈 >こっちが同じように酷いPLであるかのような前提で語る それって卑屈…?w 人間不信、猜疑心の塊だな 乙 スレ427
https://w.atwiki.jp/yasuha/pages/191.html
泰葉、暴言認め謝罪文を送っていた 12月18日18時40分配信 オリコン 歌手の泰葉が18日(木)、都内の道場で今月30日に参戦する『ハッスル・マニア2008』に向けた公開練習に臨んだが、ハッスルサイドが挙げた対戦相手候補名が侮辱的だとして泰葉サイドが激怒。急遽、練習を5分程度で切り上げると衣装を着替え、週刊誌報道で明らかになった京都の呉服店からの訴訟問題について説明した。暴言を浴びせた事実を認め、謝罪文を送付したことを明かした。また、今お熱をあげているイケメン関係者を初公開するなど、ドタバタ劇に報道陣およそ150人が振り回された。 定刻より5分遅れてスタートした公開練習で気合い十分にストレッチなどを行っていた泰葉だが、そこに突如、アン・ジョー司令長官と小路二等兵が乱入。「ザ・切腹侍」「死ね死ねメールマン」などこれまでの“悪態”を蒸し返すようなネーミングが羅列されたことに泰葉自身と事務所サイドが「事前に知らされていなかった」として激怒。「こんな状況では歌唱はもちろん、対戦はさせられない」としてイラつく泰葉を退場させた。 その後、時間を置いて黒スーツ姿の泰葉が改めて登場。京都の呉服屋の社長ら3人から名誉毀損で訴えられた件について「暴言は認める。すでに謝罪文は先方に送っており、後は弁護士の方に任せます」と現在までの対応を明らかにした。また「どうしてこっちに訴状が届いてないのに、(報道陣の)皆さん知ってるの? 本当に不思議…」と首をかしげながらこれまでの状況を振り返り、終始慎重に言葉を選んでコメントした。 一方、18日発売の『女性セブン』(小学館)で離婚騒動などで窮地に追い込まれた泰葉を献身的に支えた女性マネージャーを解雇していたと報じられた件には「騒動に巻き込み、彼女は体調を崩しました。今は、(自分は)若いスタッフと共に仕事をしているが、今日もこうして来てくれている」と事実無根を強調した。 公開練習、訴訟問題、解雇報道と話題に事欠かない泰葉だが、この日はさらに今、お熱をあげている噂のカレをお披露目。現在の泰葉の高いモチベーションの一つとされるエージェント契約を結んだ事務所のプロモーターに報道陣が殺到。本人は「尊敬はしていますが(恋愛への発展は)あり得ないです」とあくまでビジネスとしてのパートナーを強調。会見後、ORICON STYLEの取材には「仕事でお返しして、命をかけて守り抜きます!」と宣言していた。 泰葉、暴言認め謝罪文を送っていた(Yahoo!ヘッドライン(オリコン)) http //headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081218-00000014-oric-ent タグ:あくまでビジネス アン・ジョー司令長官 エージェント契約 ハッスル・マニア2008 プロモーター 事実無根 京都の呉服屋の社長 公開練習 名誉毀損 命をかけて守り抜きます 噂のカレ 女性セブン 女性マネージャー 小路二等兵 暴言は認める 激怒 解雇 解雇報道 訴訟問題 退場 total view count - today s view count -