約 1,006,983 件
https://w.atwiki.jp/ik-ben-wakei/pages/113.html
さて、日本国憲法は、すべての国民に対して「能力に応じて等しく教育を受ける権利」を与えている。しかし、通常の意味としては「能力に応じて」とは、「能力の高い者は、それにふさわしく高いものが与えられ、能力の低い者には、その能力に応じた低いものが与えられる」ということであろう。それに対して、「ひとしく」というのは、「能力の高低に関係なく、同じものが与えられる」という意味と理解できる。従って、常識的には、「能力に応じて、ひとしく」という内容は、論理矛盾なのである。 このことは、憲法草案を議論する段階で既に強く指摘されていた。 世界人権宣言は多少表現が異なる。「能力に応じて」という原則は同じであるが、高等教育に限定した意味で、「等しく開かれている」ことを求めているだけである。つまり、教育を受けることが等しいのではなく、「開かれている」点で等しいことが求められているに過ぎない。 世界人権宣言の文言は、かなり「等しく」の意味が限定されていると言えよう。実は、日本国憲法の解釈が問題になったときに、政府のとった解釈に比較的近いと言えるのである。その政府の基本的な解釈は宮沢説であったと言える。 宮沢説 古典的な理解は、「機会均等」の原則であり、入学試験などで能力を調べ、それに応じた教育を与えることを意味するというものである。その代表的な論者は、憲法学の嘗ての大家宮沢俊義である。『憲法2(新版)』(有斐閣)において、大略次のように、教育を受ける権利について説明している。 ア.普通教育は義務教育であり、かつ無償と定められており、「権利」をいう実益がないから、ここでの「教育を受ける権利」とは、高等教育に関して意味を有する。 イ.高等教育は少なからぬ経済的負担を伴うから、能力がある場合には貧乏人でも高等教育を保障する旨であり、奨学の方法を講ずる義務があるという意味である。 ウ.「能力に応じて」というのは、入学試験などを課すことは構わないが、経済的・家庭的事情などで入学を拒否することは認められない、という意味である。14)宮沢俊義『憲法2(新版)』有斐閣 p435-436 牧説 宮沢説は、ずっと「政府解釈」でありつづけたが、しかし、それを批判する見解も多数主張されてきた。特に、障害者教育の立場からの批判は強いものがあった。障害者は義務教育の制度からも、ずっと排除されてきた歴史があるからである。 牧は、「能力に応じて」という概念が、差別を合理化する危険を内包していることを指摘しつつ、しかし、他方で、「能力に応じない画一的な教育」などありえないことも自明とする。そして、この解釈として次のように述べている。 人間は、一人ひとり個性的な、独自の存在であり、それぞれの一回限りの人生を生きる。自らの必要が、わたくしたちを内面からつきうごかし、それぞれの進路・生活を送る。だから、一人ひとりの人間の側からみれば、「能力に応じて」ということは、「その人間の必要・要求に応じて」ということを意味するといえる。もう少し一般化して言えば、個性的存在である人間(子ども)の発達の必要の要請に則して教育を受けることが権利の保障である、といえるだろう。15)牧柾名『国民の教育権--人権としての教育』青木書店1977.5.1 p46-47 牧はこの著書では触れていないが、入学試験による機会の制限は可とするのだろうか。また、義務教育だけではなく、発達の必要に応じた教育機会を与える義務が国家にあるとすれば、それはどの段階の教育までなのだろうか。因みに牧のこの考え方は、障害者教育の分野から出てきたものである。 さて、義務教育が教育権の具体化であると考えても、日本では「就学義務免除」という制度があり、その点では永山のような事例は、かつては少なくなかったのである。当初は義務免除の項目は経済的困難と障害というふたつの理由があったが、経済的貧困を理由とする免除は比較的早くから廃止された。しかし、障害による免除規程は現在でも残っているのである。 Q 「能力に応じて」と「ひとしく」というふたつの命題はどう関係するのか、それぞれ考えをまとめてみよう。
https://w.atwiki.jp/shomen-study7/pages/113.html
学校教育法(School Education law) 教育課程の基本である学校教育の制度を定めた日本の法律である。 学校教育法は、連合国軍の占領下において、大日本帝国憲法に基づいた最後の議会・第90回帝国議会によって制定され、同時に日本国憲法や教育基本法などが制定された。 その後1947年3月31日に公布、4月1日に施行された。 学校教育法は、現在の小学校6年、中学校?3年、高等学校3年、大学4年、幼稚園、高等専門学校5年、中等教育学校?、特別支援学校のほか、専修学校?や各種学校などについても定められている。 学校教育法は、第2次世界大戦後、日本国憲法、教育基本法の制定を受けて、それまで一貫した学校体系が整備されてこなかった日本に、学校体系を具体的に定める法律として制定された。 そして戦後の学校制度である6-3-3-4制を基本とする単線型学校に改められた。 また、公の制度である学校を1つの法律で規定・統一し、これまであった学校制度が乱立しないよう、戦前の各種の学校令は廃止された。 ゆき
https://w.atwiki.jp/koheijapan_sikaku/pages/86.html
教育一般 社会教育法/第9条の3第2項 昭和24年6月10日法律第207号
https://w.atwiki.jp/shomen-study7/pages/1466.html
社会教育法
https://w.atwiki.jp/shomen-study7/pages/161.html
義務教育法
https://w.atwiki.jp/shomen-study7/pages/1757.html
初等教育法
https://w.atwiki.jp/ik-ben-wakei/pages/110.html
教育が、伝統的な「行為」による親、師匠、親方等による伝授ではなく、文字を媒介とした「学校教育」が主流となり、国民すべてが「義務」として学ぶ国民教育制度が成立すると、個別分散的に存在してきた教育や学校が、政策の対象となり、「法」が規定するものとなった。特に、国民教育制度である「近代公教育」は法によって実施されている。そして、このことが、社会現象として分析する必要があるだけではなく、それが教育の本質や目的に照らして、いかなる意味をもつのかも、合わせて考察する必要が出てきた。 現在の教育制度は、基礎として「義務教育」制度をもっている。そしてその前後に義務的ではない学校類型が配置されている。そして、それらは全て「法」によって規定されている。しかし、「法」が様々な法源によって構成されているように、国民教育制度もまた、様々なレベルで様々な法が複雑に機能していると考えられる。しかも、その機能は単純ではなく、ある面においては相互に矛盾する形で機能している場合もある。 法とは一般的に国家権力を前提として、その社会に効力をもっているルールの総称であると言える。民主主義社会では選挙制度を前提とした法制定機関が存在しているが、単にその機関の制定したルールだけではなく、様々な機関のルールが法を形成しており、また、社会の習慣なども習慣法という法の一種と考えられる場合がある。 日本でいえば、国会-法律、内閣-政令、省庁-省令、地方議会-条例などが主な法であるが、裁判所の出す判決も法を形成すると考えられている。また、外国と国家間で締結する条約も国内法規を制約するから、広い意味での法を形成すると考えるべきであろう。 さて、民主主義国家においては、最も重要な法は国民に選挙で選ばれた議員が定めた法律がもっとも重要な地位を占めており、また、いくつかの重要な事柄は法律で定めなければならないことになっている。課税、刑罰などはその代表的なものである。 「教育小六法」という「教育法」を集積した書物には、たくさんの教育関連法規が並んでいる。では、もそもそ「教育法」とは何を指すのだろうか。教育に関連する法規はすべて教育法なのだろうか。あるいは、教育に関連しない法にも、教育法と言われるものがあるのだろうか。 もちろん、法律自体の中に、この「法律は教育法」であるという規定があるわけではない。教育法の概念規定そのものが、ある意味では論争的課題であるとも言える。 日本の教育法学の礎を築き、発展させる上で最も功績のあった兼子仁教授は、教育法を「教育に関連する法規」という立場はとらなかった。教育法にとって最も重要な概念として、「条理」をあげ、条理に適う法体系を教育法と構想したといえる。条理は、「慣習法」にすら存在しないとき、「正しいあり方」としての「法源」を意味するが、この場合、「教育の正しいあり方に適った法規体系」を「教育法」と考えたのである。つまり、「教育」という行為には、他とは異なるあり方が存在し、それを論理化する必要を主張したのである。もちろん、現実に存在する法律群が、教育のあり方に適っているとは限らない。それは教育法ではないということではない。「教育法」という分野が成立するための条件を兼子説は主張している。つまり、逆にいうと、教育法を解釈する場合、常に、「教育にとってどのようなあり方が適切なのか」という観点を離れてはいけないということになるだろう。 しかし、実は「教育」に対する原則、あるいは目的については、社会的に常に一致するわけではない。「教育学概論」で説明したように、教育については、個人の側から規定する考えと、社会の側から規定する考えとが、基本的に異なるものとして対立している。すると、教育法を考える上でも、このふたつの異なる立場、考え方は、教育法の創造や解釈において、対立的に現れるざるをえない。事実、日本で国民教育制度が成立して以来、教育法をめぐって社会的な対立が、全く存在しなかったことはなかったと言ってよいだろう。 ところで教育に関する法については、戦前と戦後で大きな原則の変更があった。戦前は主要な教育に関する法は、勅令(議会を通さず、枢密院などの天皇が任命する人たちが決めた天皇の命令)という形式をとっていた。これを「勅令主義」という。そして、議会の予算措置が必要な内容については、議会で決める法律の形をとっていた。(義務教育費国庫負担法など) そして、戦後は主要な教育関係の法は、国会で法律として決められるようになり、これは勅令主義から法律主義への転換と呼ばれている。 しかし、事態は決してそのように単純に割り切れるわけではない。例えば学校教育に関する最も基本的な法律である学校教育法に関しては、政令として定められている「学校教育法施行令」と文部科学省が定めた「学校教育法施行規則」が付随している。つまり、あとの二つは国会の議決を経ていないわけである。そして、ほとんどの教育関係法について、政令乃至省令が補足の法として付随しており、政令や省令に重要な内容が盛り込まれている場合も少なくない。もちろんすべての細目まで国会での論議によることがかえって不都合である場合もあるだろうが、あまりに省令や政令に重点が移っているとしたら、法律主義は事実上形骸化していると言わざるをえない。どの程度そうなっているかは、各自の判断に任せたい。 勅令主義と法律主義の対照は、教育に関する基本的法において最も顕著に現れている。戦前は教育の基本的な精神を表現したものとして「教育勅語」があった。教育勅語は重要な儀式において、校長によって重々しい雰囲気で読まれ、天皇の写真(御真影と言われた。)と一緒に学校の最も重要な部屋に恭しく飾られていた。 もちろん、教育勅語は議会での議論などは一切なく、天皇の意思として公表されたものである。勅令主義の象徴ともいうべき教育勅語については、史料として学んでおく必要があると思われる。 勅語 朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ 我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス 爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホ(ぼ)シ學ヲ修メ 業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德噐ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン 斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳拳服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ 明治二十三年十月三十日 御名御璽3)教育勅語の口語文訳 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。 国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分 戦後になって、憲法を作成するときに、教育条項をどの程度盛り込むか議論になり、結局憲法には26条だけが盛り込まれ、基本的な原則をまとめた「教育基本法」が制定された。この際、教育勅語の扱いをめぐって論議なったが、結局衆参両院で廃止決議がなされ、現在では失効している。 法源論 法律・条約・政令・省令・条例・判例・慣習法・条理法 上位法と下位法 一般法と特別法
https://w.atwiki.jp/shomen-study7/pages/415.html
学校教育法第3条 第三条 学校を設置しようとする者は、学校の種類に応じ、文部科学大臣の定める設備、編制その他に関する設置基準に従い、これを設置しなければならない。 一条校が特別な意味をもっているのは、設置運営する場合に、学校の「教育条件」が法に従って決められ、その基準を守っていなければならないことがあります。幼稚園から大学まで、「設置基準」が決められています。義務教育学校については、更に詳細な教員や学校設備についての「標準」が決められています。設置基準というのはなかなか興味深いものなので、一度読んでみてください。
https://w.atwiki.jp/shomen-study7/pages/884.html
学校教育法施行令
https://w.atwiki.jp/shomen-study7/pages/418.html
学校教育法第7条 第七条 学校には、校長及び相当数の教員を置かなければならない。 学校には校長と教員が必要である。あまりにも当たり前のことかも知れません。ただ、校長になる資格や教師になる資格は国によっても、また日本の歴史でも変化しています。欧米では、校長の資格は教師の資格と異なっていて、最初から校長になる人が多いのですが、日本では教師を数年間勤めることが校長になる条件どなっているのが、特徴です。しかし、近年法令の改正によって、民間企業からいきなり校長になる人がでて、成功したり、失敗したり、いろいろと話題となっています。 校長は何をするのか。法令は次のように規定しています。 学校教育法28条 ○3 校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。 より詳細には施行規則で決まっているのですが、それは別のところで説明します。 では校長になるには、どのような資格が日本では必要なのでしょうか。 以下は学校教育法施行規則の規定です。 第二節 校長及び教頭の資格 第八条 校長(学長及び高等専門学校の校長を除く。)の資格は、次の各号のいずれかに該当するものとする。 一 教育職員免許法 (昭和二十四年法律第百四十七号)による教諭の専修免許状又は一種免許状(高等学校及び中等教育学校の校長にあつては、専修免許状)を有し、かつ、次に掲げる職(以下「教育に関する職」という。)に五年以上あつたこと イ 学校教育法第一条 に規定する学校及び同法第八十二条の二 に規定する専修学校の校長の職 ロ 学校教育法第一条 に規定する学校の教授、助教授、教頭、教諭、助教諭、養護教諭、養護助教諭、栄養教諭、講師(常時勤務の者に限る。)及び同法第八十二条の二 に規定する専修学校の教員(以下本条中「教員」という。)の職 ハ 学校教育法第一条 に規定する学校の事務職員(単純な労務に雇用される者を除く。本条中以下同じ。)、実習助手、寄宿舎指導員及び学校栄養職員(学校給食法 (昭和二十九年法律第百六十号)第五条の三 に規定する職員のうち栄養教諭以外の者をいい、同法第五条の二 に規定する施設の当該職員を含む。)の職 ニ 学校教育法第九十四条 の規定により廃止された従前の法令の規定による学校及び旧教員養成諸学校官制(昭和二十一年勅令第二百八号)第一条 の規定による教員養成諸学校の長の職 ホ ニに掲げる学校及び教員養成諸学校における教員及び事務職員に相当する者の職 ヘ 海外に在留する邦人の子女のための在外教育施設(以下「在外教育施設」という。)で、文部科学大臣が小学校、中学校又は高等学校の課程と同等の課程を有するものとして認定したものにおけるイからハまでに掲げる者に準ずるものの職 ト ヘに規定する職のほか、外国の学校におけるイからハまでに掲げる者に準ずるものの職 チ 少年院法 (昭和二十三年法律第百六十九号)による少年院又は児童福祉法 (昭和二十二年法律第百六十四号)による児童自立支援施設(児童福祉法 等の一部を改正する法律(平成九年法律第七十四号)附則第七条第一項 の規定により証明書を発行することができるもので、同条第二項 の規定によりその例によることとされた同法 による改正前の児童福祉法第四十八条第四項 ただし書の規定による指定を受けたものを除く。)において教育を担当する者の職 リ イからチまでに掲げるもののほか、国又は地方公共団体において教育事務又は教育を担当する国家公務員又は地方公務員(単純な労務に雇用される者を除く。)の職 ヌ 外国の官公庁におけるリに準ずる者の職 二 教育に関する職に十年以上あつたこと 第九条 私立学校の設置者は、前条の規定により難い特別の事情のあるときは、五年以上教育に関する職又は教育、学術に関する業務に従事し、かつ、教育に関し高い識見を有する者を校長として採用することができる。 第九条の二 国立若しくは公立の学校の校長の任命権者又は私立学校の設置者は、学校の運営上特に必要がある場合には、前二条に規定するもののほか、第八条各号に掲げる資格を有する者と同等の資質を有すると認める者を校長として任命し又は採用することができる。 第十条 前三条の規定は、教頭の資格について準用する。 つまり、いろいろな教育施設に数年間以上勤めたことが条件となっているのですが、9条の二項が追加されたことで、「同等の資質」を有すると認める場合には、8条の資格要件が欠けていてもいいということにしたのです。 日本の校長については様々な議論があります。端的にいうと、りっぱな校長もたくさんいるのですが、まったく頼りにならない、ことなかれ主義の校長もたくさんいます。どうしてそうなってしまうのか、ひとつは制度的理由もありますが、その制度をつくった政府もうまくいかないと思っているのは、「例外」を定めてしまったことによって明確にわかります。 その点について、自分で考えてみましょう。