約 14,494 件
https://w.atwiki.jp/sentakushi/pages/1543.html
73 :Fate/ Y+7+M night ◆iXWQ7.soOY:2008/05/24(土) 00 31 16 ああ、いったいどうしてこうなってしまうのか。 冬木の管理人、当代遠坂の女魔術師、遠坂凛は心の中でそう嘆いた。 召喚の儀は完璧だった。下準備やコンディションといったありとあらゆる面で万全を期した。 そう完璧だったはずだ。 なのに何故こうなる。 地下室の召喚陣には何も現れず、代わりに聞こえたのは居間より響く破砕音。 ああ、ほんとどうしてこんな目に 再び心の中で嘆きながら地下室への階段を駆け上がる。“何かが”起こったであろう居間を目指して ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 先ほどの破砕音を引き起こした“何か”の影響で、 金具などが歪んで開かなくなった扉を凛は強引に蹴破って居間の中に入り込んだ。 「・・・!!」 そこで凛の視界に飛び込んで来たのは滅茶苦茶になった居間だった。 家具は悉く倒れるか壊れるかしており、壁や天井には一部穴が空いている所まである。 だがそうした居間の惨状以上に凛の意識を引きつけてやまないモノがこの部屋にはあった。 それは・・・ くぅ~~ グオ~~ うふっ あふっ ぐがぁ~~~ ぐぉ~~~~ 居間の中央で散乱した瓦礫の上で、大の字になっていびきを立てながら寝ている謎の大男の存在であった。 「・・・・・・・・」 身長は恐らく壱百八拾以上、泥や埃で汚れた薄汚い着物姿をしており、その傍らの床にはかなり大型の太刀が無造作に置かれていた。 くぅ~~ グオ~~ うふっ あふっ ぐがぁ~~~ ぐぉ~~~~ 男は目を覚ます気配すら見せず、終いには鼻提灯までふくらましている。 しかもイビキの合間に挟まる妙な喘ぎ声に合わせて、先ほどから視界の端をちらつく“モノ”がピクンピクンと動くのも気になる。 「・・・・・・・・」 うん、解っている。この混沌とした状況から一刻も早く向けだすには“アレ”と正対せざるを得ないのだということぐらい。 しかし・・・ 「・・・・・・・・」 魔術師とは言え仮にも彼女は乙女なのだ。目の前でピクピク動く“アレ”を正視できないというのももっともなことだ。 くぅ~~ グオ~~ うふっ あふっ ぐがぁ~~~ ぐぉ~~~~ “ソレ”は所謂、男の“イチモツ”というやつだ。 それがまるで抜き身の刀のようにそそり立っているのだ。 しかもかなり大きい。それに時折ピクピク動いている。 「・・・・・・・」 凛は思わず赤面しながら、頭に手をやって途方に暮れた。 何なのだろうこの状況。 滅茶苦茶になった洋室の居間のど真ん中で瓦礫の上でイビキかきながらイチモツを勃てた男が寝ている。 頭痛がしてきた・・・・と、言うかひょっとしてこの目の前で寝ている男が私のサーヴァントなんだろうか 「・・・・・・・・」 切れ者を気取るわけではないが、しかし優秀であることは間違いない自分の脳みそをフル回転させても この混沌とした状態から抜け出る一手はなかなか思いつかない。 とりあえず凛は・・・・ 選択肢: 積極的攻勢:「ダッシャァァァァァッ!!」奇声をあげながら男のイチモツにとび蹴りを喰らわせた。 戦術的撤退:何も言わずに居間から去った。 一時的静観:とりあえずもうしばらく様子を見る。 投票結果 積極的攻勢:5 戦術的撤退:1 一時的静観:1
https://w.atwiki.jp/sangokushi-taisen_ds/pages/136.html
1乙 元となったヴォイス 台詞内容 カード 発動 1乙の大攻勢 (兵法「××の大攻勢」) - 兵法 兵法スレ立て、プラス 1乙 兵法マスター、プラス外伝 - 兵法 /\ 乙 超 Good Job 彼 絶 \/ - - 計略 まずは 1乙成功 まずは奇襲成功 【魏003】SR賈詡【No.149】SR郭嘉 伏兵 スレ立てした 1には、乙を与える 服従せぬ者には、死を与える 【LE001】LE司馬懿 勝利 はい、 1乙 はい、そこまで 【No.151】UC荀彧【蜀010】R姜維 計略 我が 1に乙を 我が軍に勝利を 【No.024】甄皇后【No.041】卞皇后 計略 皆の者、 1乙を見せよ! 皆の者、力を見せよ! 【魏028】SR曹操【群雄英傑001】ST曹操 計略 我が 1乙を阻める者はおらぬようだな 我が武を阻める者はおらぬようだな 【魏033】SR張遼 勝利 スレ立て 1乙の計じゃて 十面埋伏の計じゃて 【魏035】UC程昱 伏兵 全軍 1つとなり、敵陣を乙破る! 全軍ひとつとなり、敵陣を突き破る! 【蜀003】R関羽【LE003】LE関羽 計略 1乙とはまさにそなたの為にある言葉だ 生兵法とはまさにそなたの為にある言葉だ 【LE004】LE諸葛亮 伏兵 見よ、 1乙の威力を! 見よ、天罰の威力を! 【蜀021】R徐庶 計略 1乙の底力、しかと見たか! 趙子龍の底力、しかと見たか! 【蜀023】SR趙雲 勝利 ほっほー、 1乙の時間じゃて ほっほー、おねむの時間じゃて 【蜀025】C張松 計略 全ては 1乙のために! 全てはこの時のために! 【No.89】R劉備 計略 この乙、我が 1に捧ぐ この勝利、我が民に捧ぐ 【蜀041】R劉備【群雄英傑002】ST劉備 勝利 1乙はここにあり、皆の者続け! 正義はここにあり、皆の者続け! 計略 また 1つ、乙が増えてしまったな またひとつ、傷が増えてしまったな 【呉011】R周泰 勝利 この 1乙からは逃げられぬ この炎からは逃げられぬ 【呉012】SR周瑜 計略 今だ、 1を乙れ! 今だ、火を放て! 【呉021】UC孫桓 計略 このスレは制した、 1乙の旗を高らかに掲げよ! この戦制した、孫呉の旗を高らかに掲げよ! 【呉024】R孫権【群雄英傑003】ST孫権 勝利 俺の 1乙は、俺以外には止められねぇ! 俺の戦は、俺以外には止められねぇ! 【呉028】R孫策(槍) 勝利 皆の者、 1に乙れぃ! 皆の者、我に続けぃ! 【呉040】SR呂蒙 計略 この 1乙も、全てはスレの必然か この勝利も、全ては歴史の必然か 【涼011】蔡邕 勝利 1乙の力に仰天せよ! 我が軍の力に仰天せよ! 【袁003】R袁紹 計略 我が 1のスレ立てに乙せよ! 1乙あるのみじゃ! 攻撃あるのみじゃ! 【袁017】R田豊 計略 私がやりたかったのは 1乙でございました 私がやりたかったのはこれでございました 【袁018】UC田豊 勝利 1乙ってこーい! 肉持ってこーい! 【他023】SR孟獲 復活
https://w.atwiki.jp/tipaza/pages/10.html
No. 書名 購入 No. 書名 購入 vol.01 ポーランド電撃戦 _ vol.02 西方電撃戦 _ vol.03 英独航空決戦 _ vol.04 バルバロッサ作戦 _ vol.05 北アフリカ戦線 _ vol.06 大西洋戦争 _ vol.07 クルスク機甲戦 ○ vol.08 ノルマンディー上陸作戦 _ vol.09 アルデンヌ攻勢 ○ vol.10 ベルリン攻防戦 _ vol.11 ドイツ装甲部隊全史Ⅰ _ vol.12 ドイツ装甲部隊全史Ⅱ _ vol.13 ドイツ装甲部隊全史Ⅲ _ vol.14 ソヴィエト赤軍興亡史Ⅰ _ vol.15 ソヴィエト赤軍興亡史Ⅱ _ vol.16 ソヴィエト赤軍興亡史Ⅲ _ vol.17 武装SS全史Ⅰ _ vol.18 武装SS全史Ⅱ _ vol.19 ドイツ本土防空戦 _ vol.20 ドイツ陸軍全史 _ vol.21 アメリカ陸軍全史 _ vol.22 ヨーロッパ空挺作戦 _ vol.23 _ _ vol.24 _ _ vol.25 _ _ vol.26 _ _
https://w.atwiki.jp/vivids174uc/pages/450.html
第六回は180サーバーと当たることになった。 第三回以来の同国サーバー、そして前回に引き続いての後発サーバーである。 伝説トーナメント進出経験もあり事前情報では非常に高い統率力を持っていることが事前調査でわかっていた。 174サーバーは物資戦で両面の勝利を収め乗り込む。 180サーバーは連携の取れた動き、どの状況下においても的確且つ効果的な迎撃を行い、侵透戦術を展開される前に174サーバーの動きを完全に封じた。 174サーバー最長の2時間の死闘の末、180サーバーの判定勝利に終わった。 戦況レポート ▼マッチング時 ※本項目は最高機密を含む為、検閲により削除されました。 ▼開戦直前 開戦直前に不安要素の1つであった180軍首位に人気の星スキンが確認されたこともあり174軍内部は慌ただしくなっていた。 これにより上位陣は数値上の戦力が完全に拮抗することとなった。 ▼開戦 開戦と同時に174軍は全6ルートに侵攻する、180軍もそれに呼応する形で迎撃、開始から全戦線で激しい戦闘が行われた。 180軍上位陣が前線要塞を奪取した直後に越境地帯の174軍基地へ直接攻撃する等、徹底した水際防衛を見せていた。 開始からおよそ5分程かかり北部戦線は沖縄を確保するも直後に奪取される、奪取前に174軍の一部は沖縄へ移転、広島・愛媛に侵攻するも180軍は即座に制圧した。 南方戦線は両軍上位陣が前線要塞を抑え込んだ結果、180軍は香川・愛知の2面の防御に徹する状況が作り出せていた。 180軍の沖縄奪還後に174軍は香川を制圧するも180軍は即座に奪還する。 ▼続く拮抗状態 香川奪還後から20分程度前線要塞周辺で両軍はシーソーを続けていた。 174軍が隙を縫って県庁を狙うも即座に180軍のレベル70代が隣接移転で応対、その後何度か174軍は県庁を狙うも3分の維持が行えずに阻止されていた。 1130前後に174軍は沖縄を占領し広島へ再進撃するも即座に撃退される、その後沖縄の維持もままならない状況であった174軍が再び広島へ到達することはなかった。 このまま戦線が大きく動くこともなく両軍共に前線要塞から1マスより先に到達するには非常に難しい状況となっていた。 ▼空白の1時間 この時間帯は両軍共に突出した相手を叩く事だけに集中する状況であった。 両軍共に攻勢に回るプレイヤーの損害ばかりが増えていた。 全ての戦線において戦闘が行われ、両軍共に越境地帯に監視員を置き攻撃可能になったと同時に3度焼きを行っていた。 特に180軍の戦術はかなり的確なものであった。攻撃対象を確認するとレベルの近いプレイヤーが攻撃、失敗するか連続攻撃が不可能な状況に陥った場合は攻撃者よりも上のレベルが対応、それでもダメなら攻撃者の上のレベルが対応・・・といった的確な防衛策が取られていた。 ▼迫る制限時間 残り時刻が30分を切る手前で「1時間行われていたもぐら叩き」は終わりを告げた。 180軍は領地の数の勝利を狙い攻勢に出る。これまでも散発的であるが174へ越境するも主戦力の大半は防衛に充てていた事もあり、ほぼ全てが撃退されていた。 規模としては今まで同様少ないものの174サーバーの県庁を一時的でも抑えた「インパクト」は十分で174軍を焦らせるには十分であった。 攻勢開始とほぼ同じ時刻より180軍南部では前線要塞に何でもいいのでほぼ全てのアクティブプレイヤーが絶えず兵を送り続け本命である主戦力の部隊の位置を隠し、リアルタイムで保有状態が可視化される状況を作り出した。 副次的ではあるがユニット数が多い為、要塞内部が把握できなくなった174軍は前線要塞を攻撃するには博打を打たなければならない状態であった。 ▼2時間の死闘 30分を切った辺りから勝利条件は最後の最後に前線要塞を保有する事が条件になっていた。 180鯖に残っていた174軍は最後の最後まで前線要塞を一瞬確保するたびに県庁へ攻撃を仕掛けた。 とうとう最後まで174軍は鹿児島・山口・和歌山・高知を筆頭に「前線要塞から3マス目」に到達することが叶わなかった。 そして0100、最後に前線要塞を保有していたのは180サーバーであった。 判定により180サーバーの勝利となった。 総評 180サーバーは事前情報通りに非常に高い統率力を保有していた。 第五回の175軍上位陣が徹底していた「3分」、及びに相手を見定め勝てる相手のみを攻撃。 第四回の158軍首位がごく少数の部隊を率いて174サーバーに乗り込んだ際強行突破してまで愛知に橋頭保を確保した事。 第二回で162軍に組織力が残っていた間は局地的であっても174軍を押し返していた事。 過去の越境戦でそれぞれ相手の目線に合わせると今回の越境戦のヒントと成り得る部分が隠されていた事を知る非常に貴重な経験をもたらす戦いであった。 この場をお借りして180サーバーと174サーバーの戦闘に参加された方全てに敬意を表し、これを締めの言葉とさせていただきます。 ※ここ違うよ、ここちょっと違う数だよ等あればお手数ですが加筆修正お願いします、もしわからなければこのwikiの雑談質問のところに置いていただければ確認次第加筆修正します。 ※黒猫さんの生放送のおかげでいつもより多く書くことができました、この場をお借りしてお礼申し上げます。 ※また、今回は180サーバー側の生放送も一部参考にさせていただきました、同じくこの場をお借りしてお礼申し上げます。 「0105越境戦レポート エージェントX」 ※大変申し訳ありませんが、ご意見は174サーバーLanS所属エージェントXまでお願いします。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/8538.html
563 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/03/20(月) 15 01 27 ID p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [82/218] 久しぶりに書いてみました。仮称「征独日本世界」の第2次世界大戦緒戦にかけての年表じみたものです 1936年8月 ソ連、大粛清を開始(第一次モスクワ裁判) 10月 ベルリン・ローマ枢軸を宣言。独伊の連携を開始 11月 日独防共協定締結。日本政府の対独接近が開始 12月 西安事件発生。蒋介石、銃撃戦の末に誤射され射殺 中国国民党、臨時主席に汪兆銘を任命するも孫科らとの間で政争が激化 同月 第3次海軍軍備補充計画(マル3計画)正式に決定 1937年2月 広田内閣、腹切り問答事件により総辞職。林内閣発足 6月 林内閣、軍備拡張予算を通しただけで総辞職。近衛内閣発足 7月 盧溝橋事件発生。事変不拡大方針により即座に停戦協定が成立 11月 大和型戦艦1番艦大和起工 1938年1月 新体制構想。近衛首相の一国一党体制構想に政友会はじめ反発が相次ぐ 3月 ナチスドイツ、オーストリアを併合(アンシュルス) 同月 戦艦武蔵起工 6月 ソ連秘密警察幹部リュシコフが満州に亡命 7月 張鼓峰事件(~8月)、日本軍の積極反撃により戦線膠着 8月 日本政府内部や特に軍部で日独同盟構想の推進をめぐり対立が激化 9月 ミュンヘン会談。チェコスロバキアからズデーテン地方割譲決定 11月 近衛首相による東亜新秩序構想(尾崎秀美による謀略工作)発表。中国国民党政府は黙殺と発言。日本による東亜モンロー主義ととらえた欧米各国は態度を硬化させ、昭和天皇も懸念を内々に表明。近衛首相大きく動揺 1939年1月 近衛文麿内閣総辞職。昭和天皇による要望で、米内光政内閣成立。海相に山本五十六中将が抜擢。建造計画中の大和型戦艦3番艦以降の空母化検討を開始 3月 ドイツ、チェコスロバキア併合。ナチスドイツを危険視した英国は米国および日本への接近を構想 4月 ドイツ、独波不可侵条約の破棄をポーランドに通告 5月 独伊軍事同盟締結 同月 ノモンハン「事変」発生。国民の大きな関心を呼び報道合戦過熱。ソ連の積極攻勢により日本側の被害甚大。陸軍に大きな衝撃が走る 6月 蒋介石死後に延安に逃げ込んだ張学良の身柄を巡る交渉決裂。中国国民党軍と共産党軍の大規模軍事衝突発生。 同月 ノモンハン事変、タムスク爆撃。関東軍による無断での越境攻撃に昭和天皇懸念を示す 7月 日米通商航海条約延長。米内内閣による関係改善政策の成果。しかしルーズベルト政権は昭和天皇に対しタムスク爆撃をはじめアジア問題へ懸念の親書を送り、天聴に達する 同月 ノモンハンにおいて日ソ戦車部隊が激突。軽戦車は役に立たず双方に甚大な被害が発生。日本陸軍、97式中戦車の緊急量産を決定 8月 ノモンハンにて激戦が展開される中、独ソ不可侵条約締結。日本政府内部および陸軍内部に甚大な衝撃。帝国陸軍第23師団壊滅。日本国内において恐慌状態発生。帝国陸軍「大粛軍」。昭和天皇の激怒を利用した機会主義者 宇垣一成が陸相に返り咲く 同月 アインシュタイン、ルーズベルト大統領に原爆開発を促す書簡を送る(マンハッタン計画開始) 9月1日 ドイツ、ポーランドに侵攻。第二次世界大戦勃発 同月 英国、日本に第二次世界大戦参戦を非公式に打診。当初は海軍の派遣のみを構想 同月 ソ連、ポーランド東部に侵攻。日本国民にポーランド同情論が沸き起こる 10月 ゾルゲ事件発覚。英国の情報提供により前首相近衛文麿の側近尾崎秀美が逮捕。日本国民の怒りを買い、近衛内閣の業績否定が進行する 11月 ソ連、フィンランド侵攻開始。冬戦争勃発 日本国内では独ソへの脅威論から英米への接近論が主流となる 12月 第四次日英同盟および日英不可侵条約締結。 日本、第二次世界大戦に参戦。 揚子江以南およびインドにかけての英国勢力圏の尊重と日本側満州権益の尊重が確認され、英国陸軍は植民地における大動員と兵力移送が可能となった ソ連による満州侵攻を警戒し帝国陸海軍は大動員を開始。ノモンハンで膠着した戦線が押し上げられはじめる 564 名前:ひゅうが[age] 投稿日:2023/03/20(月) 15 02 45 ID p6280002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp [83/218] 1940年1月 冬戦争終結。日本による極東での攻勢を警戒しソ連が妥協を示した。白紙和平に近いものとなりフィンランドの勝利となる。日仏同盟条約締結 同月 米国の仲介によりノモンハン停戦協定締結。欧州戦線に向けて帝国陸軍1個軍団を主力とした即応展開部隊が編制、政治効果を狙って西部戦線に派遣されることになる 3月 帝国陸海軍欧州派遣軍がフランス到着。配置はベルギー・フランス国境地帯 4月 ドイツ、北欧侵攻を開始。デンマーク降伏。 同月 帝国海軍、ナルヴィク沖海戦に参戦。一方的な戦闘によりナルヴィク攻略部隊を殲滅 5月 ドイツ、ベネルクス三国へ侵攻 同月 オランダがドイツに降伏。亡命オランダ政府との間で日蘭同盟条約が成立。「連合国」の誕生 同月 英国、チャーチル挙国一致内閣成立。 同月 ドイツによるフランス侵攻開始。アルデンヌの森を抜けたドイツ軍の攻勢により帝国陸軍2個師団(第18師団および第32師団)、敵中深くに孤立する 6月 ダイナモ作戦、帝国陸軍3個師団を含む欧州派遣軍は装備を投棄し英本土への脱出を実施 同月 フランス降伏。帝国陸軍2個師団もドイツ軍に降伏する 565 名前:ひゅうが[sage] 投稿日:2023/03/20(月) 15 19 59 ID sp49-105-76-1.tck01.spmode.ne.jp [1/21] とりあえずここまで これくらいの衝撃があれば、戦車キ○ガイになった日本軍が見られる…かも
https://w.atwiki.jp/gundamwar/pages/3566.html
反政府組織 [部分編集] 禁忌の胎動 COMMAND C-X14 茶 2-4-0 U (戦闘フェイズ):全ての解体コインは、ターン終了時まで+1/+1/+1コインに変更される。 解体Gをユニットに戻しつつパンプアップするコマンド。 そもそも解体されるようなユニットは戦力としては微々たるものが多く、パンプアップしたところで戦局を覆すことはないが、吃驚ブロッカーを用意する手段としては使える。 また、イリア・パゾム《18th》などで変更されたコインを取り除いて、ユニットとして復帰させることもできる。 敵軍の解体コインも変更される。相手が解体Gを使うデッキなら、一時的なランデスになる。 月光蝶やタイタニアといった全体ランデスや、ポケットの中の戦争といった全ての自軍Gを代償にする効果と組み合わせて、解体Gの枚数分国力を維持するというコンボもある。 また戦後の世界やアストナージ・メドッソとの組み合わせなら、主戦力ユニットをGとして待避させておくという考え方も出来るので、 パトゥーリア等で場をコントロールし機が熟したタイミングで、このカード1枚で一気にユニットを復帰させ攻勢に出るといった使い方も出来る。
https://w.atwiki.jp/watch10/pages/14.html
総戦略:を急速にブランドイメージの確立を選び、IWC時計6種類の市場競争力のチャンス(企業の現状と6種類の市場競争力の最優秀結合時)、迅速に競争優勢ぶりを、区のライバル。 ブランド戦略:条件の場合、IWC時計最高、広告を実現するブランド力の急速に向上、無条件の場合は、より多くのプロモーション活動を行われており、消費者のブランド力アップ。 製品戦略:精选主力アイテム、重点的に育成したり攻撃を突破、競争相手の製品、明らかに弱い区間形成の位置づけに訴える。 チャネル戦略:は、ルートの浸透を主な手段を駆動力、切断ライバルシェア.が競争相手で激励の弱い2陣商、直接発展が当方のディーラー。 価格戦略に対してライバルの主力アイテム発動価格攻勢に、IWC時計その市場の根基脅威。 販売促進策を力を入れて、たとえば:端末店に入る費用、陳列、販促力など、導く主ツイこちらの商品は、端末形成グループの迎撃力。 チームの戦略:チームの安定性を強調して管理、IWC時計 http //www.gekiyasutokei.com/category-3-IWC.htmlチームを「持久戦」の覚悟。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/643.html
249 :ひゅうが:2012/01/24(火) 18 59 43 ネタ――軍艦談義3 「じ・・・人的資源は・・・」 同盟側のジェラルド・エイレネー少将(宇宙作戦部長)が強張った声で言った。 そこです。と嶋田は言った。 軍隊の前に嶋田家が経営する企業内で人事部につとめていたため、そのあたりについては一家言持っている。 「以前我が国は徴兵制をとっていましたが、社会を回し、人口増加と国力増進をなすために現役は志願制に移行しました。 そうなると、兵員が足りなくなります。そこでわが軍は、艦艇の省力化を推進しました。 みなさんもご存じの、この――」 嶋田は髪をかきわけ、首筋の模様に見える部分を見せた。 「電脳化で。これにより、1艦あたり80から100名を要した汎用戦闘艦の乗組員は、現在は標準で11名から7名。非常時に限っては軍用義体の使用者に限定してですが1名でも操艦が可能となっています。」 嶋田は、肝心なことは言っていない。 これは「当初」のことで、なおかつ電子知性も数に入れた数字であるということを。 電子知性もしくは義体から『枝を伸ばし』た遠隔操作でも、適性がある者なら操れる。 極端な話、ごくごく一部に属するセンスと才能のある連中は通信が生きている限り(さらに旗艦用戦艦の超大型電脳の補助ありで)は艦隊規模のコントロールすら行ってのけることすらできるのだ。 ちなみにこれが発見されたのもごく最近で、そのために適性ありの者にはスカウト攻勢が行われている。 ただ、企業や公共機関においても引く手数多なのであんまりうまくはいっていないが。 どうでもいいことだが、嶋田が「見つかった」のも、国が行った適性検査とその後の芋づる式の露見が理由である。 辻など「なにその理想の(笑)主人公(笑)。今時中二の頃に書かれたSS(笑)でもそんなのありませんよ。」と腹を抱えていたが、どうも嶋田たち転生者は比較的こうしたことが得意らしい。 魂が体から離れるのに慣れていると、自分が株分けされるような感覚になる複数の軍艦のコントロールにもある程度耐性がつくという仮説があるが、嶋田としてはこんな才能(笑)を投げてよこした神様に何十時間か文句を言いたい気分だった。 おっと。思考が別に飛んでいた。と、嶋田は思考を目の前の情報開示に戻した。 「これを行えるようにするため、電脳化を前提として最低限の軍事的な知識やら操縦・操艦方法の講義を教育カリキュラムの単位に組み込んであります。有事の際には志願制から徴兵制へ移行しますので、その措置も兼ねています。」 さすがにチートすぎだろ・・・と改めて嶋田は思った。 ただし、これでも限界はある。 もしも「原作」のようにイゼルローン要塞かガイエスブルグ要塞を移動させてそのままぶつけてこられたり、あわせて新帝国が動員可能である20万以上の大艦隊がやって来たら・・・ それだけなら迎撃可能だろう。 しかし、防衛設備はあくまでも既存技術の発展系だ。 「原作」でも艦首砲のような要塞砲じみた巨砲を搭載した軍艦が登場しているし、それを改造した「攻城砲」を持ってこられたら。 250 :ひゅうが:2012/01/24(火) 19 00 28 何より、あの戦術の天才がハッスルしてやってきたら、こちらは対応しきれない。 なにせ、自分たちは将としては平凡極まりないのだ。 また、回廊を飛び越えるほどの技術革新が起きたりしても、アウトだ。 もしもあの金髪の天才が「遺命」という形で新帝国に「日本帝国をつぶせ」とでも言い残していたら目も当てられない。 迎撃に専念するだけでは限界がある―― ゆえに、攻勢防御を嶋田と統合軍令本部のスタッフたちは考えていた。 「宇宙を手に入れる」ためにハッスルされても、何としても耐久し切れるように。 そして、現在の繁栄を可能な限り未来に存続させ間違っても自分たちを敵視する勢力が領内に侵攻してこないようにする。 それが現在の夢幻会の目的となっていた。 とまれ、そんな嶋田と夢幻会の思惑に気付くこともなく、同盟軍の軍人たちは絶句していた。 もしも裏事情を知ったのなら、「そんな贅沢なことは悩みとは言わない!」と叫んだことだろう。 だが、夢幻会にとって、彼らは脅威だった。 一度の三千万だの10万隻だのを動員できる戦争機械。うまくすればそのまま「1億人100万隻体制」を字義通り実現してしまいそうな独裁国家。 もしかしたら、いやそうなれば・・・ つまるところ、夢幻会もまた「原作」への恐怖に突き動かされていたということなのだろう。 「さて。これら艦隊決戦型の軍備については軍の再編と統合が進行中ですので、艦種の名称変更その他も予想されます。 警備用の巡航艦や巡視船などは遠距離進出も可能ですが、警備用に多めとなっている乗組員の人的被害の懸念や量産性などの問題があります。 現在、新型艦艇の建造と並行して量産用の設備の更新を行っているので、貴国が気にされている『わが軍による同盟領への進出』は当面ないものと考えてください。」 ほっとするような、そして残念至極のようなため息が漏れた。 ――言外に、日本側を同盟国としてのイゼルローン攻略作戦の可能性は、短期的には否定されたためだった。 「もっとも、我々はもともと迎撃戦のために戦術の構成を行っていましたので攻勢を行うには戦術や兵器体系の構築からはじめなければならないのですが。 だから、わが軍は貴国と貴国軍に期待しているのです。 150年の努力の結果磨き抜かれた戦技・戦術ほど興味深いものはありませんからね。」 古賀校長がそう結んだ。 「なにか質問は?」 争うように手が挙げられた。
https://w.atwiki.jp/dimensionzero/pages/1026.html
タマゴ・ドリアード タマゴ・ドリアード ユニット:ドリアード 使用コスト:緑2無2 移動コスト:緑1無1 パワー:4500 スマッシュ:1 クイック あなたのスマッシュゾーンにあるカードの枚数が相手のスマッシュゾーンにあるカードの枚数より少ない場合、このカードのパワーを+3000する。 相手がプランゾーンからカードをプレイした時、ターン終了時まで、バトルスペースのスクエアにあるすべてのあなたのユニットのパワーを+2000する。 勝っていると4コスト7500パワーになる上、 相手はスマッシュしに来たこちらのユニットをプランから処理しにくくなる。 (イビルアイ・ドライバーにやられても味方への+2000効果は遺してくれる。) 「象砲手バルカン」等との相性は良くないという噂もあるが、一旦攻勢に転じればさほど変わりはない。 赤単にとっては、かなり厄介な相手となる。 相手がプランゾーンからプレイした回数分+2000される。 プランゾーン効果の合成はノーカウント。 収録セット セカンド・センチュリー エキスパンション 暴走!機動要塞?(087/100アンコモン) イラストレーター 隼 優紀 関連リンク 種族 ドリアード
https://w.atwiki.jp/kirisamenoyabou/pages/336.html
堺撤退戦 堺撤退戦(さかいてったいせん)とは永禄11年に姉小路家と三好家の間で起こった戦いである。 参加兵力及び戦力評価 姉小路・堺駐留兵 0(正規軍に限る) 守将:七里頼周(三好の攻撃開始の際には既に撤退済み) 残物資 馬:0 鉄砲:0 (ただしこれは三好攻撃直前に限る) 撤退部隊(10月3日) 輸送隊10109 七里頼周 三好・勝端城兵11217 鉄鋼船:鉄砲隊6500:三好長逸、織田信長 鉄砲の性能、実戦運用に関しては姉小路側に一日の長があったが、三好は最新兵器、鉄甲船を実戦に投入し、不利を補おうとした。 姉小路は多方面で作戦を行っており、この三好の進撃への対応は、実質的に不可能の状態だったといえるだろう。 合戦概要 第二次姉小路包囲網結成後、虎視眈々と畿内奪回の機会を伺っていた三好は姉小路の尾張攻勢、上杉の越中攻勢をその好機と考え、堺への攻撃を決断した。 9月下旬に三好軍主力は勝端城への集結、編成を完了、10月に入るなり出撃を開始した。 姉小路にその方が伝わったのは、四国沿岸に少なくない労力を払い、弱体ながらも張り巡らしていたピケットラインが街道を北上する三好軍を発見した10月3日が有力とされている。 この頃の姉小路にとって、海というのは全くの異質の存在であった。飛騨出身の重鎮達はその戦い方を知らず、意外な事に異能の者達でさえ、海のなんたるかを知った者は不在であった。 また、有力な将のほとんどが不在の状況下でもあり、姉小路側は戦えばいたずらに損害を増やすと判断し、撤退を決断した。 最終的に堺が三好の手に落ちる11月28日までの間、堺の街はかつてないほどの慌ただしさを迎えることとなる。(詳しくは後述) なお、同時に進められていた吉田郡山攻めはあっさりと追い返されている。 この戦いの影響 三好はこの勝利によって再び近畿への足がかりを手にすることができた。だが、既に堺の街の機能はほぼ失われており、三好の期待した莫大な戦略物資、及び姉小路の築いた畿内の交易ネットワークの破壊は行えず、姉小路の収益にわずかな打撃を与えたに過ぎなかった。 逸話 余談ではあるが、以前にも三好は堺への侵攻を行ったことがある(1565年10月・Act50)が、そのときは清水宗治にあっさりと追い返されている。このときの兵力は姉小路10000、三好15000であったことは当時の三好水軍の貧弱さを物語っている。(あるいは水上での鉄砲戦に馴れていなかっただけか) ついでに言えば、今回の三好軍は織田信長が参加している。かつて織田家によって畿内を追われ、その信長と共に畿内への帰還を果たした三好家。長逸あたりは心中複雑であったことだろう。 「天下の大夜逃げ」堺撤退戦 堺の特徴 後の歴史ではあまり深くは語られていないが、この三好の堺攻勢は永禄11年に起こった合戦の中では、尾張攻略戦と並ぶ極めて重要な戦いであった。 尾張への攻勢は、武田に対する東征の始まりを意味したものなのは、最早語る必要もないだろう。武田にとっても尾張は、疲弊した経済、軍事力を立て直す要衝であり、状況次第では弱体化した北条にとどめを刺す為の攻勢拠点であった。 尾張が軍事的に重要であったのに対し、堺は別の意味、すなわち経済の面で非常に重要な都市であった。 この時代、既に堺の街の人口は8万を越え、なおも増加する傾向を見せていた。 平安時代、熊野詣や、弘法大師信仰を広める際の宿場町として歴史に登場した堺は、数百年の時をかけて徐々にその商業・軍事的特性を強めていた。 三好→織田→本願寺と名だたる大名家によって制圧された後でも、堺の自治組織(納屋衆や三十六人衆)はそれらに対し時には牙を向け、時には交渉することで他とは異なる一定の自治を認めさせていた。 織田信長はそれを徹底的に弾圧、破壊する予定だったのだが、他家からの侵攻に呑まれ、実行する機会はついになかった。 姉小路が支配下になってからもそれは変わらなかった。(姉小路家は他の町と同等にしたかったようだが、高度な生産加工能力をも合わせ持つ堺の取り扱いにはかなり苦労したようである。) もちろん、数々の大名家を苦しめた中には名だたる豪商が多数おり、彼らは堺を起点に畿内の各所で商売を行っていた。 米、日用品、酒、醤油、塩などの生活物資、鉄砲、弾薬、槍、刀、武具といった軍需物資を収めた蔵は堺の至る所に存在し、その総量は姉小路の軍事活動を丸3年は支えられる程であった。 また、畿内最大の人口を要し、交通の要衝でもあった大坂の街の台所という側面もあり、大陸から運ばれた硝石貿易の終着点でもあった。 本願寺が支配した経緯から一向宗の門徒や、南蛮貿易や布教のために訪れた宣教師なども大勢住んでいた。 文化的にも、宗教的にも、或いは経済的にも極めて重要な都市であった。 姉小路の経済特性 姉小路の保有する総資金額は武田に大幅に劣っている。だが、これはあくまで表面上であり、その内実は全く違った。 武田はその収益のほとんどを市場に流さず、手持ちに留めていた。これは民衆に力を蓄えさせず、反乱を起こさせない狙いだった。 そのため、兵一人一人に武具を買い与えなくてはならず、その武具の調達にも姉小路とは比べものにならない費用と時間がかかっていた。(流通網と市場が発達していないため) 一方の姉小路は絶えず資金を流動させる事によって、市場の活性化を狙っていた。これによって民の生活を肥えさせ戦役に伴う不満を逸らす狙いだった。 そのため、姉小路手持ちの資金は少なくとも、民や兵自体の生活レベルは比較的高く(美濃は例外的といえる)武具の調達等を個人単位で行える者が少なくなかった。(中には職人に頼み元込銃の銃身を切り詰めるなど、独自の改造を行った兵士もいたという)。その他にも物資の流通を良くするための街道整備や、疫病(脚気や結核から伝染病に至るまで)対策、寺子屋の設営、実施などの教育分野への投資。(飛騨、白川には武将専用の教育施設があったとされるが、後の地震によって該当地が、その他運営記録は火災によって焼失、詳細は不明となっており、何者かによる陰謀説も囁かれている) などの数々の政策は、いわば将来的な投資として実行していた。これによって姉小路の収益自体は年ごとに桁違いに増加し続けたと考えられている。 姉小路領内の循環資金は、その時代の他家全ての資金を合わせた額をも遙かに凌駕していたという。 そしてその流動資金が多く集まるのも、堺の特徴であった。 余談だが、姉小路は武将の統括については、武田、北条に比べ遙かに劣っていた。 松永、滝川、異能の者全般や本願寺などを抱えた大所帯とはいえ、その軋轢は大きかったという。 話を戻すが、今回の三好の攻勢によって、この経済圏が一気に破壊される可能性が出てきた。 それを恐れた姉小路側は、当時からは考えられないほどの大規模な撤退戦を決心する。 豊かになったを言い換えれば、力をつけたといえる民衆がそれを後押ししたのも大きかった。特に商人的な思考が強く「権力に反抗的で戦に向かない」との風評がある摂津、河内の風土の特性が色強く出たということだろう 三好側の状況もそれを後押しした。当時三好の軍港となっていた宇多津には小規模な水兵が配属されているに過ぎず、陸軍の大多数は勿論、水兵までもを勝端城に駐留させていた。理由としては、畿内を失い弱体化した戦力を少しでも補うため姉小路の同盟国、長宗我部を隙あらば攻撃し、軍門に下らせようという狙いがあったと見られている。 陸上戦闘ではほとんど戦力としてあてにできない水兵をも配置したのは、長宗我部に対する戦力的な欺瞞工作という面が強かった。 姉小路の渡洋侵攻能力では宇多津を含めた四国東部に上陸してくることはありえないという判断の結果でもあった。 これが今回、裏目に出た。 勝端から出撃港となった宇多津(鉄甲船の整備が出来るのはここの港のみだった)までの行軍に無駄な時間を要することになる。 勝端に駐留していた水軍兵が、普段輸送にも関わっていない兵ばかりで、陸軍への転換を行っている最中だったのがさらに状況を悪化させた。 陸海ともに中途半端な練度しか持ち合わせていないため、行軍中に鉄砲を暴発させたり、方角を間違え、足軽頭もろとも一部隊が行方不明という惨劇すら広げた。 辛うじて港にたどりついてからも、多くの問題が噴出していた。 まず、鉄甲船に問題が発生していた。数年の時を得てパチュリー・ノーレッジが開発した鉄甲船にも経年劣化が生じていた。 三好には新造艦を作る技術も設備もなく、けして効果的ではない修理、整備を行っているだけに過ぎなかった。 汐風によって船体には錆が回り、同時に多数のフジツボが定着、その無様な光景を見た織田信長はあまりの情けなさに笑いだし、哮喘の調子が悪く、吉野川近くの保養地で静養していたパチュリーは報告を聞くと、読んでいた書物を取り落とし、しばし絶句したという。 他にも何気なく兵が船縁を触ったところ、鉄片がポロリと取れたともいわれている。 やむを得ず、研究用に陸揚げしていた一隻の使用を急遽決定。 また、同時に行っていた安芸への進撃の為、鉄甲船に随伴する船が全て出払っており、呼び寄せるのに時間を要した。 港にあった物資だけでは足りず、急遽勝端城から輸送したのも進撃速度の低下の一因となった。 海に出たら出たらで、別の問題が発生した。水軍練度の低下により、航法を間違えた随伴の関船が数隻行方不明になったり、外洋に比べれば凪のような海のうねりに耐えきれず、横転する小早まででた。 それにもめげず、三好水軍は堺まで進撃を続けた。 姉小路側の対応 三好の現状をそれなりの精度で探知していた姉小路は、この大がかりな撤退戦を決断した。 兵、民は本願寺の坊官上がりの七里頼周をこの撤退戦を行える器ではないと見ており、必然的に堺の街の実力者達がその中心となった。 まず、名うての大手馬屋が薬師や産婦の協力の下、手持ちの馬を無償で、老人、子供、妊婦、身障者などに優先的に提供した。 飯屋を経営する者達は続々と撤退先の石山への街道上で炊き出しを行い、街道は炊き出しの湯気が至る所で上がった。避難民の多くは『むしろ、避難しているときの方が旨い物を食べられた』と後に語ったという。 呉服屋や京の高価な織物屋も迫り来る冬に備えさせるため、自ら蔵を開け、進んで着物を提供した。 豪華な錦の着物をきた童女を襲った盗賊衆が、これまた武具商人が提供した武具で武装した町民達に撃退されるという珍事まで引き起こしていた。 七里頼周が撤退の報を聞き、動き始めた頃には既に、民の半数が堺の街から脱出済みだったといわれている。 流通面でも異常ともいえるほどの迅速さでその流れを変えた。 2週間も立たぬ間に、敦賀から搬送された硝石は京都北方の西近江路、朽木街道で止められ、それぞれ坂本、京に一時的に保管された。 堺市内にあった物資は門真、住吉、天満、尼崎などに全て搬送され、後に改めて軍事物資は姉小路が買い上げ石山へと送られた。 貸付金などに関しても、小規模な者は全て豪商達の寄り合いが全額即金で保証し、自らの分は後に姉小路に求めるという形に勝手に決めてしまった。 交易船に関しても、岸和田、湊川などの近隣に避難させ、搬送できないと判断した場合は、これまで寄り合いが買い上げ、すぐさま燃やして、後に姉小路へと請求した。 あらかた終わった後、最後の仕上げとばかりに、鉄砲鍛冶、刀鍛冶の面々が残っていた丸薬を一斉に爆破し、自らの作業場を破壊し、敵が利用するのを完全に阻止した。 姉小路の内政官がせめて蔵の中の貴重品だけでも先に避難させようと意気込んで堺に入ったとき、既に市街地はもぬけの殻で、ねずみ取りの為の野良猫が多数いただけだったという。 それからしばらくして、三好水軍が攻撃を開始、堺を占領するに至る。