約 14,494 件
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2327.html
73 :ひゅうが:2013/12/07(土) 16 11 51 日本大陸世界ネタSS――第1次世界大戦時の日本 「遣欧総軍」 【日本軍、西へ】 ――西暦1917年6月、フランス北部へ集結を完了した遣欧総軍は、陸上戦闘部隊のみで28個師団および5個独立混成旅団と5個軍団級砲兵団で成り立っていた。 しめて52万3000名。日露戦争時の満州総軍の前線部隊にほぼ匹敵する数である。 加えて、兵站を担うべく日本海軍から艦艇122隻および輸送船約1200隻が臨時に「欧州方面海上護衛司令部」とともに抽出され指揮下に入っていた。 また本土からは鉄道師団が工兵旅団を複数追加されたうえで「臨時鉄道軍団」として派遣されており、帝鉄出身技術者とともに無数の機関車と貨車が欧州入りしている。 彼らは兵站基地となる英国南部までの海上補給路と、英仏海峡を渡ってからの輸送網を維持することに細心の注意を払っていた。 連絡将校たちが驚いたのは、火砲の大きさではなくその数と足回りだった。 火砲1万2340門。数は実に日露戦争時の5倍となり、さらにはその足回りはほとんどすべてがゴム製タイヤを履いている。 あわせて持ち込まれた牽引車両は初期的な戦車のような装甲トラクターであった。 中には280ミリ以上の巨大な榴弾砲をけん引するための大型蒸気トラクターすらあったほどだ。 これら火砲だけではなく、歩兵の装備も日露戦争時とは大きく様変わりしていた。 小銃こそ日露戦争時のそれの改良型ボルトアクションライフルであったが、それだけではなく分隊あたり1丁の散弾銃および擲弾発射機、そして携行可能な短機関銃を装備していたのだ。 小隊ごとにいたっては、歩兵運用が可能なロケット砲(さすがにこれは2~3名で運用するが)すら持っている。 大隊にいたっては無線電話による通信機能すら有しており、有線電話を加えれば文字通り手足のように戦場を駆け巡ることが可能となっていた。 なるほどこれでは補給がなければ作戦不可能なはずであった。 これらを指揮していたのは、元帥陸軍大将乃木希典。旅順攻略や哈爾浜会戦で名高い猛将であるが、彼は自らをお飾りと称して実際の指揮権は陸軍部隊を束ねる秋山好古大将に任せていたという。(これは薩摩人に特有の総大将のスタイルである。) 秋山は、海軍部隊の指揮官であった広瀬武雄大将が弟を通じた知己であるという関係を持っており、またフランス留学経験を持つ騎兵出身でありながらも火力戦と歩兵戦に造詣が深いという異色の将官でもあった。 そのため、当初は派遣前後のゴタゴタもあって険悪な仲となりかけた連合軍総司令部にあって流ちょうなフランス語で少しばかり下品な冗談を飛ばしてたちまち多くの外国武官の心を掴んだという。 いかにプライドの高いフランス人とはいえ、英雄には英雄の遇し方がある。 その点において、フォシュ元帥からも敬意を払われた彼らの起用は正解だったといえよう。 同年8月3日、ドイツ軍は「士気は低い」とみて新たに出現した日本軍めがけて攻勢を開始。 日英両軍の結節点にあたるソンム・オイセ河間に向けてドイツ第5軍が殺到した。 しかし、川に挟まれた地形であったうえ、臨時鉄道軍によって敷設を完了していた軍用軌道を用いて輸送された大量の火砲の餌食となり衝力は失われてしまう。 それでも攻勢を強めるドイツ側だったが、ヴェルダンで日本軍に救われたペタン大将率いるフランス第8軍が戦場に駆けつけることで日本側の士気は劇的に向上。 最終的にはわずかな損害でドイツ側の攻勢を頓挫させることに成功したのである。 連合軍側にとって久しぶりの大勝利であった。 折しも、ロシア方面においてケレンスキー率いるロシア軍が攻勢に転じていたためにドイツ軍は東部方面において大反攻を実施しつつあり、西部戦線においては小康状態が訪れつつあった。(それでも中部方面において第2次ランス会戦という激戦が惹起している) しかし、10月のロシア10月革命(赤い十月事件)によってロシア臨時政府が倒れソ連が成立。 12月にはブレストリトフスク条約が締結され東部戦線が消滅するという緊張感の中で、連合軍は1918年を迎えることになるのである。 74 :ひゅうが:2013/12/07(土) 16 12 25 【大派兵――米軍参戦】 1918年1月はアメリカにおいてツィンメルマン電報と呼ばれる一通の電報の内容が暴露されることによって慌ただしく幕を開けた。 折しも中国大陸において孫文が米軍(軍事組織として再建されたばかりであったが最新の装備で身を固めていた)の助けを借りて北伐を成功させ、さらにはロシア革命からチェコ軍団を救出するという名目で米軍先遣隊が満州経由でシベリアに入ったばかりのころである。 メキシコ駐在ドイツ大使館からメキシコ政府に向けて送られた参戦要請とされるこの文章は、現在では本物であったということがわかっていたものの当時はその真実性に疑問がもたれていた。というのも、その当時の外務大臣はすでにツィンメルマンではなく休戦派のゲオルク・ミヒャエリスであったためである。 彼は米国かオランダを仲介にした和平を望んでいるとされていたため、それはそうとしても現在は関係ないと思われたのだ。 だが、内容は衝撃的だった。 「メキシコの対米戦争実施要請、見返りに米墨戦争で奪われた西海岸三州の割譲」 それだけでもアメリカ国民の中に根付いたぬぐい難い反メキシコ感情から反独感情が高まることは避けられなかった。 さらにはドイツ潜水艦によってニューヨーク近海においてアメリカ船籍の客船「コロンビア」が撃沈され多数の犠牲者が出た(これは旧称をブリタニックというタイタニック号の姉妹船でアメリカに売却されていた)こともあり、時のウィルソン大統領は俗に「大派兵法」と呼ばれる法案を議会に提出。 中国大陸で進行しつつある自由を守るための戦いをヨーロッパにおいても行う許可を求めた。 しかし審議は難航。 中国大陸からシベリアにかけてか、それとも欧州か、主戦力派兵を行うのをどちらにするのかでおおもめにもめていたのである。 前者は、列強諸国特に日本が全力で欧州に取り組んでいる間に可能な限りの勢力拡張を成し遂げるチャンスであったし、後者はウィルソンの好む「道義的責任」においてフランスを助けるというより直接的なものとなっていた。 そのため大統領は両方を望んでいたのであるが、それには500万ともいわれる動員が必要となると野党は批判していたのだ。 結局は1918年2月に法案が成立し、中国大陸派兵用に用意されていた兵力が練兵の末に1918年4月に海を渡り始めるのであるが、準備期間の短さと兵站活動見積もりの失敗から悲劇に終わるとはだれも予想だにしなかった。 この年、南部の一部において奇妙な風邪のような症状が断続的に流行しており、それがニューヨーク近郊においても発生しつつあったことなど、誰も気にも留めなかったのだ。 75 :ひゅうが:2013/12/07(土) 16 16 07 【あとがき】――というわけで投下いたしました。 フランスも頑張ってますよ!おや?アメリカのようすが――というお話です。 ちなみに史実では作中電報はあまりにアレなので偽電文とみられていましたが、当のドイツ外務大臣がふんぞり返って「アメリカの参戦をしないように望む(キリッ)!」といって認めちゃうという大ポカをやらかしてます。 もともとは英国人による暗号解読の結果なのですが、今回の世界ではアジアで好き勝手をする米軍を掣肘するために使われたと考えました。 しかし、史実では運よく手に入れられたコピーとか、その暗号が古いままだったという幸運は今回はありません。 ですので疑惑の電文どまりとなります。 ------------------------- 修正回:0(アップロード) 修正者:Call50 備考:誤字・空欄等を修正。 修正回:1 修正者: 修正内容: -------------------------
https://w.atwiki.jp/tipaza/pages/10.html
No. 書名 購入 No. 書名 購入 vol.01 ポーランド電撃戦 _ vol.02 西方電撃戦 _ vol.03 英独航空決戦 _ vol.04 バルバロッサ作戦 _ vol.05 北アフリカ戦線 _ vol.06 大西洋戦争 _ vol.07 クルスク機甲戦 ○ vol.08 ノルマンディー上陸作戦 _ vol.09 アルデンヌ攻勢 ○ vol.10 ベルリン攻防戦 _ vol.11 ドイツ装甲部隊全史Ⅰ _ vol.12 ドイツ装甲部隊全史Ⅱ _ vol.13 ドイツ装甲部隊全史Ⅲ _ vol.14 ソヴィエト赤軍興亡史Ⅰ _ vol.15 ソヴィエト赤軍興亡史Ⅱ _ vol.16 ソヴィエト赤軍興亡史Ⅲ _ vol.17 武装SS全史Ⅰ _ vol.18 武装SS全史Ⅱ _ vol.19 ドイツ本土防空戦 _ vol.20 ドイツ陸軍全史 _ vol.21 アメリカ陸軍全史 _ vol.22 ヨーロッパ空挺作戦 _ vol.23 _ _ vol.24 _ _ vol.25 _ _ vol.26 _ _
https://w.atwiki.jp/namusanquest/pages/25.html
imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 属性 水 特性 狙われ率200% 防御効果率300% レベルアップでMPが増えない 習得特技 特技 取得レベル 右利き 初期習得 迫真の叫び 初期習得 バラマキ 初期習得 召喚「肉体派インタビュアー」 レベル8 舐めさせる宣言 レベル10 水符「水しぶき感覚」 レベル12 炎符「色やけてます?」 レベル14 出得「情熱の風」 レベル16 苦悶の表情 レベル21 ネクタイバリア レベル24 禁断「ミッキーマウス…」 レベル30 習得呪文 呪文 取得レベル Epic Necktie Guy レベル9 一転攻勢技(特技) 食事処デカスギ 味方全体のHPとMPを完全回復する。さらにHP・MP自動回復付与。 TP50、MP60消費 役割 サポーター 性能 四強の一角。奥義が作中トップクラスの壊れ性能に加え、魔法で味方全体のTPを補充できるので、無駄のない運用が可能。唯一の難点は狙われ率が高いので、1ターン目に集中砲火を食らって落ちやすいこと。
https://w.atwiki.jp/jeremiah/pages/106.html
キャラクター名 チョコバー #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (sample.gif) Pスキル ★ 命中度 ★ 所属国 エル 所属部隊 タグ 戦闘スタイル お座り・単体ジャッジ 名言・逸話 PCDなんて飾りですよ 総評 味方の邪魔にしかなってない LV40の雷皿ながら常に上等兵を維持。過去何度もクラスチェンジのイベントがあるも、クラスチェンジはおろかスキルチェンジも一切行わずに雷皿を一貫し続ける。 味方の最後尾や崖上からのジャッジを得意とするが、距離がありすぎて殆どが単体ジャッジとなっている。またサンボルの使い方が分かっておらず、あらぬ方向へ飛ばしたりスタンや凍結に手を出す事も多々見られる。 逃げ足はエルソード内でもトップ10には入るだろう。 最近は攻勢エンチャだけはするようになったが、それでもPCDは10kに満たない仲間殺しである。(※レスエンチャ) 今回のクラスチェンジ無料イベント(2013 7/16~29)も糞ジャッジしてましたわw
https://w.atwiki.jp/bf_3/pages/131.html
ゲーム内解説 備考・使用感など アイアンサイト 武器拡張 ゲーム外解説 ゲーム内解説 RPK-74Mは、1950年代に開発された初代RPKの改良版である。 本質的にはヘビーバレル化したAK-74であるが、RPKはより長くなったマガジンと軽量化のためのポリマー製部品が特徴である。 またRPK-74MはAK-74Mと同じスコープマウントを持ち、標準で固定射撃用のバイポッドが装備されている。 使用弾 45 [5.45x39mm WP] 連射速度 750 自動射撃 ○ 単発射撃 ○ バースト射撃 × 射程距離 中程度 備考・使用感など 簡単にいえば連射速度、精度共にAK-74Mの多弾数版、ある意味実銃の再現といえるところか。 M27IARより低反動で射撃コントロールも容易い。リロードはM27IARには一歩譲るがそれでも速い。 が、45発弾倉は弾幕形成には少々心許無い容量だ。拡張マガジンで60発まで増やせるが、かなり使い込む必要がある。 パッチによりレティクルの収束速度が下がり、立射及び行進射の連続射撃がまともに当たらなく(集弾しなく)なってしまった。 そのため、攻勢時は先陣を切るのではなく、10mほど下がり積極的に前線を支援しつつ前進する。 防衛時及び前線が瓦解しそうになれば、その場で二脚を展開、敵の突撃を破砕したのち、友軍の再攻勢までの戦線の楔となる。 といった立ち回りがこの銃の優位性を一番活用できる。 落ち着いて射撃できる距離感を頭に入れておこう。 アイアンサイトはオープンタイプのため広角度の視認性が高い一方、撃ち下ろし時には不利なため気になるなら換装するといいだろう。 ダット、ホロサイト使用時は他の銃よりサイトが前方にマウントされ、精密な中・遠距離射撃の助けになる。 フラッシュサプレッサー+ADS時のリコイルコントロールの容易さは全LMG中でも特筆に値する。 パッチ1.06にてヘビーバレル 拡張マガジンが追加された。 拡張マガジンは過去にあった200発マガジンではなく、60+1発となっている。 アイアンサイト 武器拡張 アタッチメント Kills アクセサリ1 Kills アクセサリー2 Kills PK-AS(ホロ) 10 フォアグリップ 30 レーザーサイト 20 PK-A(3.4x) 50 ---- -- タクティカルライト 40 KOBRA(RDS) 70 ---- -- フラッシュサプレッサー 60 PSO-1(4x) 90 ---- -- サプレッサー 80 IRNV(IR1x) 100 ---- -- ヘビーバレル 300 PKS-07(6x) 125 ---- -- 拡張マガジン 350 ホログラフィックサイト(ホロ) 150 ---- -- ---- -- M145(3.4x) 175 ---- -- ---- -- リフレックス(RDS) 200 ---- -- ---- -- ACOG(4x) 235 ---- -- ---- -- ライフルスコープ(6x) 270 ---- -- ---- -- ゲーム外解説 RPK-74はAK-74の分隊支援火器バージョン。 重く長い銃身と、45連発のマガジンを装備しているのが最大の特徴。ドラムマガジンは存在しない。 AKシリーズの弾薬が7.62mmから5.45mmに変更されたことでRPKもRPK-74として生まれ変わっている。 ゲーム中のモデルはストックやハンドガードをポリマー部品に置き換えたM型で、現行モデル。 余談だが、ゲームではマガジンの形状が7.62mm弾仕様のものになってしまっている。
https://w.atwiki.jp/sengokutaisenark/pages/1875.html
武将名 みょうりんに SR妙林尼 大友家臣・吉岡鑑興の妻。夫が耳川の戦いで戦死すると、まだ幼い我が子に代わり、鶴崎城の指揮を取り、攻め寄せる島津軍と戦闘。計16度の攻勢を凌ぎ、島津側からの和睦により城を明け渡した。和睦後も島津軍の殲滅を狙い、主だった将の首級を多数挙げた。「哀れな薩摩隼人たちよ。 勇敢であればあるほど、 屍を積み重ねることになるな」 出身地 不明 コスト 2.0 兵種 鉄砲隊 能力 武力7 統率5 特技 魅力 狙撃 疾駆 計略 鶴崎の死神 武力と移動速度と射程距離が上がる。さらに射撃中に照準をつけた敵のいる方向に旋回するようになる。 必要士気5 Illustration 木志田コテツ 計略効果 カテゴリ 士気 武力 統率 速度 兵力 効果時間 その他 鉄砲強化 5 +6 - +25% - 10.0c(統率依存0.4c) 射程距離+50%? (以上3.02D) (最終修正3.02D) 解説 他家西はもちろん、全勢力で本願寺以外に明智光秀しかいない狙撃持ち。 特技3つに数値自体も優秀。 ただ大抵デッキ唯一の狙撃持ちになるので、鉄砲を複数いれるような形のデッキでは逆に使いづらい。 計略は武力速度射程に加え、射撃中照準が自動旋回追尾するという特殊機能つき。 「無限射撃」や「蒼鷹の魔弾」のように自分で射撃方向を旋回させられるようになるわけでなく 照準を合わせた敵の方向へ、射撃方向が自動で自身中心に回転する。 もちろん射撃が必中になるわけではなく、追尾旋回速度はそれなり。 射程横切って移動する騎馬を追尾できるほどではないが、当然まったく回転できないよりは命中数上昇が期待できる。 武力や効果時間の効果は悪くはないのだが、コスト2鉄砲の単体強化として士気5はやや重い。 狙撃+疾駆という自身素能力の長所を底上げするような効果で 同程度士気の敵計略には対抗できないことが多い。 普段はスペック要員として活用し 相手の足並みが揃っていない一方的な攻勢時に、さらに駄目押しで使用すると効果的。 備考 2015/2/19から先行配信された電影武将・宴 第十六弾「鉄血の武士」第二幕での追加カード。 似た名前の他家東 妙印尼と並ぶ女傑伝説の持ち主。 但し妙印尼ほど史実の確実な裏付けはない。 「和睦後も島津軍の殲滅を狙い」とカードテキストにあるが 降伏後、城内で島津軍の男どもを留守の「女たちで」持てなし 「今更大友家には戻れないので連れていってほしい」と情けに訴え 完全に油断しきって、(台詞にもあるように)酒を飲ませて千鳥足で引き上げていくところを 奇襲して「殲滅」、多数の武将を打ち取った、とされている。 甲斐姫とも妙印尼のそれともまた違った、戦国女傑の趣き深いお話。 台詞 \ 台詞 開幕 その勇ましさがどこまで続くか、見定めてやろう 計略 鉄砲の使い方を、教えてやるよ! タッチアクション 撃ちな! 撤退 酔いが回ったか 復活 食い足りぬわ 伏兵 - 虎口攻め 貴様の勇気に免じて、挑んでやる! └成功 勇敢と無謀の違いは分かったか? 攻城 奴らは千鳥足だ。逃げられんぞ 落城 哀れな者どもよ。屍を積み重ねることになるとは 熟練度上昇
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2434.html
251 :トーゴー:2014/04/10(木) 23 38 25 気分転換に書いていたAEUvsEU正統政府モノが完成したので、一応5分後に投稿します。 注意 私は軍事の素人であり、架空戦記もそんなに読んだりしていませんのでツッコミどころが多数あるとは思います。 そもそも気分転換に書いたものですし。 EU正統政府は大半がロクデナシ オセアニアの諜報組織凄い ということで多少はこじつける感じでお願いします。 252 :トーゴー:2014/04/10(木) 23 43 25 ユーロ・アフリカ戦争 中東戦線 ユーロ・アフリカ戦争(別名:アフリカ解放戦争)とは、アフリカ大陸の過半を領するEU正統政府が AEU領イベリア半島、イタリア半島、バルカン半島及びパレスチナ王国に侵攻して始まった戦争である。 EU正統政府軍の侵攻部隊はイベリア方面軍、イタリア方面軍、バルカン方面軍、中東方面軍の四つであったが、 このうちもっとも戦果を上げたのはEU正統政府が最も期待していなかった中東方面軍であった。 その要因としては、 中東のAEU領は旧EU時代に欧州に比べて冷遇されており、その分オセアニア諜報組織が浸透していたこと。 中東のAEU領には旧EU時代からの有能な政治家やユーロブリタニア貴族がおらず、人材的に劣っていたこと。 中東のAEU領には有力な軍事力を擁する国家は存在せず、増援を送ることが可能な国からも遠かったこと。 EU正統政府の有能な将帥は大半が冷遇されていたが、政府から最も地味な戦線を思われていたので彼らが投入されたこと。 等が挙げられる。 では、その中東方面軍がどのような道程を辿ったのかを見ていくとしよう。 253 :トーゴー:2014/04/10(木) 23 44 38 1.戦前の情勢 アドルフ・ヒトラーがユーロブリタニアとの統合を決定して以降、列強の一角EUは二つに分裂することとなった。 一つはヒトラーらEU主流派とブリタニア大陸より帰還したユーロブリタニアが統合した、欧州を治めるAEU。 もう一つは、ユーロブリタニアを認めないEU反主流派によって設立された、アフリカを治めるEU正統政府。 国力ではEU正統政府が劣勢であったが、彼らには合衆国オセアニアが影から支援を行っており、 EU正統政府首脳部もまた意気旺盛であった。 両者は相容れぬ関係であり、いつ軍事衝突してもおかしくないことは誰もが承知していた。 AEUはEU正統政府の攻撃を予期していたものの、それへの対応以外にもやらなければならない事が多かった上に オセアニアの策動により各地に潜伏する共和制シンパの狩りだしも上手くいっていなかった。 よってしばらくは攻撃が予想される地域に軍を集中し守りを固めつつ、反乱分子の排除を進める他なかった。 一方のEU正統政府首脳部は欧州に解放軍(EU正統政府主観)を送り込めば、 民衆は歓呼してEU正統政府軍を迎え進んで協力するであろうと根拠の無い自信を抱いていた。 オセアニアの協力もあり相応の軍事力とそれを支える兵站能力を持ち各地に工作員を送り込んだ彼らであったが、 何年も経てばAEUは体制を固めるであろうから、早期に戦争に打って出るべしという意見が主流であった。 (もっとも、それは名目で本心では失った地位や利権を取り戻したい・ユーロブリタニアに欧州ででかい顔をさせるのが我慢ならない・そもそもアフリカになどいたくない等々の個人的な理由で早期の侵攻を望む者も多かったのであるが。) しかしながら軍事力そのものはAEUが上回っていることも承知しており、 その分は謀略に長けるオセアニアの協力の下、 各地の工作組織を使って武装蜂起やテロを行わせAEU軍を撹乱、足止めさせて補うとされた。 よって、開戦後のAEU領各地では扇動された共和主義者が蜂起する。 特に広大な為に付け入る隙の多い旧ロシア自治州では、清経由で工作が行いやすかったこともあり各地で反乱が発生。 中核部や軍事基地周辺などは問題なかったものの、辺境では共和制シンパに占拠される地域も出ることとなった。 254 :トーゴー:2014/04/10(木) 23 45 48 2.EU正統政府の戦争計画 EU正統政府軍の欧州解放作戦『ジャッジメント』の一翼を担う中東方面軍の作戦は『ケンタウルス』作戦と命名された。 計画段階において、中東方面軍はまずパレスチナ王国を占領し、そのままレバノン、シリア、トルコと北上して その後は一軍をもって西進させバルカン方面軍と握手、主力は共和制シンパの蜂起で混乱するコーカサス三国を攻め落とし 共和制シンパによって『解放』されたロシアの北カフカース地方へ入城するという作戦を行うことになっていた。 この計画の問題点として、パレスチナ王国を攻撃することにより パレスチナが属する西アジア条約機構(WATO)の参戦を招くことになるという意見が挙がったが、 西アジア条約機構軍の多くは長きにわたる平和によって弛緩している上にまともなKMFが存在せず、 独自に開発したKMFもどきの機動兵器バミデスを持つのみであり、 また盟主サウジアラビア王国は数年前に強力なカリスマをもって中東を纏めてきた国王を亡くしており、 中東第二位の国力を持ちサウジアラビアとは仲の悪いイラク王国が独自の動きを見せ始めていたことから 戦えば必ず勝てると考えられ、むしろ西アジア条約機構を屈服させ財産を巻き上げ、肉壁を用意させようという結論になった。 (パレスチナを通らず海路を用いてレバノンへ上陸するという手段もあったが、大半の輸送船が他の戦線に回されてしまっている為現実的ではなく、結局AEU海軍に周辺海域の制海権を握らせない程度の海軍が投入されることとなった。) 中東方面軍の計画は変更され、パレスチナを制圧しレバノンとシリア南西部を攻略した後は同地周辺の維持に注力し、 主力をヨルダン王国に侵攻させてそのまま南下しサウジアラビアを攻撃、西アジア条約機構を屈服させ、 その後にAEU領への進撃を再開するとされた。 また西アジア条約機構加盟国でまともな軍事力を持つのはサウジアラビアとイラクのみであることから、 イラク政府に接触してサウジアラビアに代わる中東の盟主の座をちらつかせて味方へ引き入れる、 それがかなわなくともイラクにおける共和主義者の蜂起を偽装してイラク軍が遅れる名目を作り、 事実上の不参戦に持ち込むこととされた。 (西アジア条約機構加盟国全てを占領下に置き収奪と奴隷化を行うべしという意見もあったが、一時的ならともかく恒久的な中東全域の占領には兵力が不足しているとされ見送られた) 255 :トーゴー:2014/04/10(木) 23 47 04 3.EU正統政府軍の攻勢 EU正統政府軍がAEUに宣戦しイベリア・イタリア・バルカンで同時攻勢に出たのに遅れて、中東方面軍は北上を開始した。 まさか自分が攻められるとは夢にも思っていなかったパレスチナはたちまち制圧され、 EU正統政府軍はそのままAEU領レバノン・シリアへと雪崩れ込む。 シリア・レバノンは元々国力があるわけではなく、ユーロブリタニアに属する貴族もいなかったことから軍事的には弱体であり、 一応EU正統政府軍の侵攻に備えてAEU連邦軍が配置されていたものの、 エジプトのEU正統政府軍が動くこともなければ同地で共和主義者が蜂起することもなかった為、 バルカン半島への攻撃や北方の混乱への対応の為に大半が移動してしまっていた。 オセアニア諜報部(EU正統政府諜報部に非ず)の活動によって EU正統政府は西アジア条約機構の参戦によってAEU軍が中東経由でEU正統政府軍の側面を突くことを恐れており、 中東方面軍にも十分な数の輸送船が配備され、それを用いて強襲上陸を行ってくるとの偽情報を信じ、 海軍さえ置いておけば多少陸軍を手薄にしても防御施設を用いての防衛が可能と判断されたことも大きかった。 パレスチナが攻撃されるとAEUは慌てて両国の防御を固めようとしたが、 北カフカースを占拠した自称『カフカース共和政府』が混乱が続くコーカサス三国への介入の構えを見せたことと、 オセアニアの扇動による共和主義者の蜂起によってレバノン・シリア南部への兵力移動は困難を極めた。 結局AEU軍は残っていた兵力のみでEU正統政府軍を迎え撃つこととなったが、 レバノン・シリア軍と少数の連邦軍だけではEU正統政府軍の攻勢を押し止めることはかなわず、 多くの防御施設も海上からの攻撃に主眼が置かれ陸軍の北上には無力であった。 レバノン・シリア両軍主力を粉砕しダマスカスを落としたEU正統政府軍は、 レバノンとシリア南西部の守りを固めると、守備部隊を残してヨルダン王国へと侵攻した。 既にイラク政府との取引は終わり、味方には引き入れられなかったが事実上の不参戦に持ち込むことに成功していたのだ。 数でも質でも勝るEU正統政府軍は抵抗するヨルダン軍を蹴散らし首都アンマンを占拠するが、 その頃ヨルダン南東部にはサウジアラビア軍を中心とする西アジア条約機構軍が展開していた。 彼らは砂漠地帯で地の利を生かしてEU正統政府軍を食い止め、さらなる進軍を阻む。 加えて中東方面軍の後方をゲリラ的に襲撃して補給線を荒らす手段に出た。 元々中東方面軍は他方面の部隊に比べて兵器の質が低い。 AEU軍もまた中東には比較的旧式の兵器が配備された部隊を置いていたのでAEU軍との戦いでは問題なかったのだが、 中東方面軍の兵器には西アジア条約機構軍の地の利を覆すだけの力が無かった。 また、補給面でも最も優先順位は低く扱われており、その上補給線を荒らされたので本来の実力を出せなくなっていた。 最新型のKMFが多数配備されていれば、補給が万全であれば、西アジア条約機構軍を退けるのも不可能ではなかっただろう。 しかしそれは、EU正統政府の高官たちに疎まれている中東方面軍の将軍たちにはどうにもならないことであった。 また、そもそも中東方面軍にとって西アジア条約機構軍との戦闘は寄り道のようなもので、本命はAEU領への侵攻であることから、 西アジア条約機構軍との戦闘で無理をして戦力を消耗したくないという心理も攻勢を鈍らせていた。 EU正統政府軍はどうにか敵軍を突破しようとするも、西アジア条約機構軍は天候にも助けられ善戦を続ける。 一向に好転せず時間が経つばかりの戦況に、 中東方面軍参謀長のエラン大将はここで時間を浪費するより主力をシリアに戻して北上を再開すべし、 西アジア条約機構軍は守勢には強くとも単独で本格的な攻勢に出る力はないのだから ある程度の守備隊を置けば放置して構わないはずと進言するが、 中東方面軍司令官のガムラン上級大将は西アジア条約機構如きに引き下がっては弱兵と侮られると却下し、 正面からの攻勢を続行させるが、戦果は上がらず戦況は膠着する。 256 :トーゴー:2014/04/10(木) 23 48 44 4.AEU軍の反撃 こうして中東方面軍が砂漠に足を取られている頃、他方面のEU正統政府軍は敗走しつつあった。 イタリア方面軍はAEU軍に手も足も出ず、イタリアへの攻勢はドイツ軍やイタリア軍に活躍の機会を与えるだけに終わる。 イベリア方面への侵攻も失敗に終わり、バルカン方面軍はまだ欧州で戦っていたが、 体制を整えたAEU軍は続々と前線に増援を送りこんでおり、いずれ地中海に叩き落されることは確実であった。 慌てたEU正統政府は少なくとも負けてはいない中東方面軍から部隊を引き抜き、他の戦線に充てさせたが、 兵力減少した中東方面軍では疲弊の色を見せ始めた西アジア条約機構軍を撃破することは出来ず、 かといって主力を北上させても既に北シリアには有力なAEU軍が展開し、 ダマスカス奪回の為に南下しているという状態であったから守勢に回らざるを得ない、という手詰まり状態に陥ってしまった。 周辺を荒らすはずだったカフカース共和政府も、チェチェン人等の少数民族の抵抗組織によって思うように動けないまま 周囲の共和主義組織共々AEU軍に鎮圧されつつあり、中東方面軍は孤立無援となりつつあった。 それでも尚意地になって攻勢を命じるガムラン上級大将の下、 西アジア条約機構軍との戦闘に拘泥する中東方面軍司令部に凶報が飛び込んできた。 AEU連邦軍がヨルダン東部に出現、さらにイラク軍が進撃を開始したのだ。 257 :トーゴー:2014/04/10(木) 23 49 42 5.中東方面軍の後退 EU正統政府軍と手を結んだかに見えたイラク王国であったが、それは偽りであった。 イラクはサウジアラビアを嫌ってはいたが、それ以上にEU正統政府への不信感が強く、 白人至上主義の傾向にあるEU正統政府に西アジアを委ねることを良しとしなかったのだ。 イラクはEU正統政府と取引したように見せてサウジアラビア及びAEUと連絡、 密かにAEU軍を中東に招き入れ、タイミングを見計らってEU正統政府軍を横から殴りつける手はずになっていた。 無論中東方面軍にしてもイラクを全面的に信用していたわけではなかったが、 予想以上の奮戦を見せる西アジア条約機構軍や劣勢の他方面の友軍に気を取られ、イラクへの注意が疎かになっていたのだ。 これはこれまで諜報面でEU正統政府を支援してきたオセアニアが、 EU正統政府軍の不甲斐なさにEU正統政府を見限り、非協力的になっていたのも大きかった。 地理の不案内なEU正統政府軍は、イラク軍の助力を得て密かに接近していたAEU軍に気づくのが遅れた。 急遽アンマンから出撃したブレジェン少将が遅滞戦術を行い時間を稼いでいたが、 このままでは中東方面軍主力の後方拠点となっているアンマンの陥落は不可避であり、 中東方面軍主力はサウジアラビアへの侵攻を断念してアンマンへと後退した。 幸い西アジア条約機構軍に本格的な追撃を行う余力はなく、AEU軍より先にアンマンに到着することができたが、 AEU軍の増援はトルコ・シリアからイラクを経由して続々と進軍中であり、 中東方面軍司令部はアンマンの防備を固め立て籠もるか、放棄するかの決断を強いられることとなった。 アンマンは中東方面軍にとってサウジアラビア侵攻の為の後方拠点でしかなく、その防備は整備されているとは言い難い。 中東方面軍主力が籠れば接近中のAEU軍とイラク軍の兵力では攻め落とせないだろうが、 このままAEU軍の兵力が増大していけばどうなるかは分からない。 そもそもアンマンはEU正統政府軍にとっては死守しなければならない土地ではなく、 アンマン保持の為に兵力を擦り減らすのは中東方面軍司令部にとって避けたいところであった。 しかし中東方面軍の兵士たちは西アジア条約機構軍との戦闘と砂漠での強行軍によって疲弊しており、 迅速な撤退が可能とは思えず、撤退を強行すればAEU軍の追撃によって大損害を被るおそれもあった。 この時、中東方面軍主力は損害覚悟で撤退すべきであったのかもしれない。 しかし、ガムラン上級大将はこのまま撤退しても本国で責任を問われるだけではないかとの思いから決断できず、 中東方面軍主力は撤退の機会を逃すこととなる。 258 :トーゴー:2014/04/10(木) 23 50 27 6.中東戦線の集結 AEU軍とイラク軍がアンマンへの攻撃を開始した頃、戦争全体の戦況は完全にAEUに傾いていた。 バルカン方面軍を撃破し欧州からEU正統政府軍を駆逐したAEU軍は逆侵攻に入り、 北アフリカ各地にAEU軍が上陸していた。 兵力を消耗し侵攻などできる状態ではなくなったEU正統政府は、中東方面軍に中東からの完全撤退を命じるが、 アンマン攻撃軍にはAEUの後続部隊は元より休息・再編成を終えた西アジア条約機構軍主力まで加わり、 アンマンに容赦のない攻撃を浴びせていた。 中東方面軍主力はそれを防ぐのに手一杯で撤退の準備をするような余裕はなく、 無理に撤退などしたらそのまま全軍潰走となりかねず、撤退したくてもできない状態に陥っていた。 こうして打開策のないままひたすら守りを固める中東方面軍主力にも、最後の時が訪れる。 AEU軍の猛攻に耐え続けていたシリア戦線がついに崩壊。守将オルリー大将は討死した。 シリアのAEU軍はそのまま南下してパレスチナに侵入。退路と補給線を断たれた中東方面軍の命運は決した。 パレスチナよりAEU軍が出現するに至り、ガムラン上級大将は抗戦を断念し降伏勧告を受諾。 EU正統政府中東方面軍は消滅した。 この頃AEU軍は既に北アフリカの過半を制し、EU正統政府は裏切り・投降が相次いで崩壊が始まりつつあった。 汚名に塗れたEU正統政府の歴史の中で、中東方面軍の戦歴は唯一輝きを放つものであり、 中東方面軍の将帥たちは(一部を除いて)我欲によってEU正統政府に参加したのではなく、 武人として古きEUに殉じた者たちであったと評された。 259 :トーゴー:2014/04/10(木) 23 58 58 以上です。 中東戦線しか書かなかったのは、他の戦線はわざわざSSに描くほどマトモな戦争になってないからです。 イタリア戦線なんて本編でも書いてあるようにドイツ・イタリア無双ですし。 あ、ドイツはともかくイタリアが無双した理由としては諸説ありますが 一説には、イタリアで大人気のアイドルグループが設立にドゥーチェが関わっていた為に EU正統政府軍に酷い目に遭わされるかもしれない、という噂にイタリア兵たちが奮起した為と言われています。 オセアニアが欧州各地に潜り込ませた組織を派手に暴れさせたのは、 AEUのEU残党狩りにオセアニア勢力下の組織が巻きこまれることを嫌い、 派手に暴れさせつつも一部の組織には潜伏を命じ、 これだけ大規模に暴れたのだから手駒を全て動かしたのだろうとAEUに思わせる為という目的もあります。 そう上手くはいかなかったのですが。 ちなみにサウジアラビア軍を指揮していたのはオズの宰相閣下です。 また、オルリー大将を討ち取ったのはオルフェウスだったりします。 何故彼がAEUにいるのかは後々…
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2353.html
558 :ライスイン:2014/04/02(水) 14 42 26 1941年4月 東京 夢幻会会合場所 「ついに同盟軍がロシアに侵攻するようだな。」 「ええ、300個師団以上が旧ポーランド・ロシア国境に集結中です。」 「ふんっ、北イタリアやアフリカにバルカンやギリシャなど各戦線が膠着しているというのに。」 「イタリアやトルコの奮戦のお陰でしょう。」 「まあ対価は貰ったがロシアへは相当支援したからな。わが国やアメリカが参戦するまで大丈夫だろう。」 「日米露三国同盟~落日の欧州」08 1941年4月1日、同盟軍は各地の戦線で膠着状態が続いていた。 北イタリア戦線ではドイツ軍は相変わらず要塞線を突破できず、フランス軍は辛うじて要塞線を突破したガムラン大将指揮下の アルプス軍(装甲予備師団×1、歩兵師団×1、植民地歩兵師団×2、山岳師団×2)がトリノまで進撃したものの、反撃に出た イタリアの反撃で敗れて壊走、おまけに戦車戦で装甲予備師団が全戦車を損失(※1)するという醜態を晒し、結局は 国境まで退却する事になった。 アルバニア戦線では攻撃をクロアチア・ルーマニア・ハンガリー・ブルガリアなどに任せていた為、相変わらず攻撃を仕掛けては 撃退されるという光景が繰り返されていた。 アフリカ戦線でもフランスはチュニジア・リビア国境を突破したがイタリア軍の遅滞戦術に引っかかり、更にイタリア海軍の 通商破壊で補給が不足しており、進撃速度は史実のイタリア軍よりも遅かった。 エジプト方面でも停滞は続いていた。トルコがシリア・レバノンを制圧し、イラクでクーデターが発生して新政権が中立を宣言した為 、スエズの防御を固める必要が出てきていた。おまけにイギリスのモントゴメリー中将とドイツのロンメル中将の意見が衝突して連携が乱れる ことも発生していた。そんな中でも攻撃は行われたが当然の如く撃退される。唯一ドイツアフリカ軍団だけは高い練度とロンメルの指揮で イタリア軍を翻弄したが数と戦車の性能差(※2)から結局は後退している。 エリトリアやソマリアでも相変わらずイタリアゲリラの跳梁跋扈が続いており、一部では呼び寄せた娘を”奪われた”同盟軍将官が 発狂して銃を乱射、付近の味方を殺傷した挙句に拘束されるという悲劇まで発生している。 おまけに地中海ではイタリア潜水艦によってイギリス戦艦バーラムが撃沈されていた 559 :ライスイン:2014/04/02(水) 14 43 03 そんな状況の中でついに同盟軍はロシアへと侵攻を開始した。 何故この様な状況下でロシアへと侵攻したのか・・・それは各国共に”そうするしかなかった”状況があった。 日米との関係悪化で南北アメリカやアジア方面からの資源の輸入が殆ど絶え、イラク新政権が中立化した事やインド全土で暴動が多発 しているお陰で狙っていたイランへの侵攻も困難になり、油田の確保が急がれていた(人造石油やルーマニア油田だけでは不足)。 そして戦線の停滞等で軍や国民の指揮が低下気味で早急な勝利を欲していた事もあった。 何より同盟軍はロシア軍を過小評価していて一気に大軍で攻め込めば勝利できると考えたのだ。 ドイツ軍200個師団・フランス軍50個師団・イギリス大陸派遣軍30個師団(うちインド・アフリカ植民地軍20個師団 ※3)、 東欧諸国軍20個師団にスペイン軍5個師団と合計で300個師団の陸上兵力と多数の航空戦力が旧ポーランド国境からロシアへと進撃した。 しかし国境地帯の防御を抜くだけで約1週間かかり、漸く突破できた頃には集まってきた充足率100%で完全装備のロシア帝国軍と 殴りあう羽目になった。トハチェフスキー、ジューコフ、コーニェフ等の将軍が率いる200個師団を超える大軍。戦車も新鋭の T34/76JやKV1EJにBT8(※4)という強力な戦車が定数配備されており、同盟軍の主力戦車では対抗が困難だった。 空でもMe109E・FやスピットファイアⅤ、D520やVG33等の同盟軍機はYak9UやLa7等の高性能なロシア空軍機に苦戦していた。 それでも植民地兵や新たに徴兵した兵を増援で送り込み、数に任せて強引に進撃。大損害を出しつつも進出を重ね、6月に入る頃には 北部ではバルト3国を宣戦布告なしに攻撃して占領(後にロシアへ亡命政権)しサンクトペテルブルクに迫っていた。 中部ではキーウまで100kmまで迫り、南部ではオデーサで攻防戦を繰り広げていた。しかしこの時点で同盟軍はガタガタだった。 戦車や火砲では質・量共に劣り、空からは大量のIL2シュトルモビク(性能はIL10相当)に襲撃され、更に後方に進入した部隊や パルチザンに補給部隊を襲われ多くの物資を損失していた。さらにナチス親衛隊やフランス国家憲兵隊(※5)の捕虜への虐待・虐殺や 同盟軍部隊による略奪など匪賊同然の犯罪行為が多発し、余計に占領地住民の反発を買い占領行政に支障が出る事態になっていた。 そんな中でロシア軍は残虐行為への報復として戦略爆撃機を用いた報復を実施した。 6月12日深夜、オデーサ近郊の空軍基地などから出撃したPe8およそ100機の大編隊は途中で二手に分けれ、ルーマニアのプロイェシュティ油田と ハンガリーのセゲド近郊の油田を爆撃。夜間の為、多少効率が悪かったが迎撃を受けることなく通常爆弾の他に焼夷弾も混ぜた爆撃により 両油田は復旧まで半年以上かかる損害を受け、同盟軍の進撃速度や攻撃の勢いが更に落ち込む結果となった。 更にロシア黒海艦隊やトルコ艦隊によりルーマニア・ブルガリア沿岸に艦砲射撃を受ける。 560 :ライスイン:2014/04/02(水) 14 43 42 この事態に同盟首脳部は焦った。両油田は復旧まで半年はかかる。備蓄はそれなりにあるがこれからの攻勢を考えると不足している。 未だにリビアの油田は手に入らず、イラクの中立とインドの火祭りでイランの油田を手に入れることは出来ない。 中南米の植民地からは僅かながら油を入手できていたがベネズエラなどの産油国からは今までの所業により取引を拒否されている。 インドネシアはオランダが亡命政府を立てていて、周囲は日米の勢力圏でありそれを突破してインドネシアを確保するには 戦力が不足している。結局は油田が回復するまで攻勢を控えつつ戦線を整理することが決定された。 9月20日、労働者や捕虜、植民地から連行した奴隷を無理矢理24時間働かせる事で完全ではないが油田を稼動させる事に成功した同盟軍は 攻勢を再開した・・・が殆ど進むことは出来なかった。同盟軍が攻勢を停止している間、ロシア軍も防衛線の増強や部隊の入れ替えなどに 取り組み、前線には300個師団近い戦力が集結していたからだ。同盟軍もロシア戦車を打ち破る為に新鋭の4号F2やチャーチル、B3(※6)等を 送り込んだが未だに性能では下回り、おまけに日米から供与された純正の97式やM4(M4A3E8)までもが出没し始める有様だった。 そんな中でやっと朗報が入った。イタリアで独仏の工作で親独派のバドリオ将軍が反乱を起こしたのだ(※7)。 親独派で固められた2個師団を使い、密かに招き入れていたドイツ降下猟兵部隊や武装親衛隊と共に防衛線に篭る味方を攻撃。 そのおかげで独伊国境要塞線は大打撃を受けて遂にイタリア本土へドイツ軍の侵入を許してしまった。 予備兵力を大幅に投入することでヴェネツィア・ミラノ以北を占領したドイツ軍とバドリオ軍は仏伊国境要塞に立て篭もるイタリア軍を 包囲しつつ、占領地でローマ共和国の建国を宣言。初代総統にバドリオが就任し同盟への加盟とロシアなどへの宣戦布告を行った。 しかし朗報はこれだけだった。各戦線では相変わらず停滞が続き、海軍も油不足で活動が低迷。それに加えてロシアが ヴァシレフスキー中将が指揮する1個戦車師団・2個機械化狙撃師団を中核とするロシアアフリカ軍団をトルコ黙認の元、ボスポラス海峡を 通過し、イタリア海軍護衛の下にリビア入りするという事態まで発生した。これにより北アフリカでの戦局がかなり苦しくなる事が 予想されたが同盟各国は歩兵部隊(植民地歩兵含む)はともかく重装備の機械化部隊を送ることは東部戦線の状況から考えて不可能であった。 結局、同盟軍は僅かに味方を増やしたものの、各戦線では殆ど進撃することが出来ず、攻勢をかけたはずの東部戦線でも目標であった サンクトペテルブルク・キーウ・オデーサを占領する事は出来なかった。そして同盟各国を大幅な資金難が襲う。 ルーマニアやハンガリーの油田が回復し、中南米からも雀の涙ほどだが石油が確保できた。鉄鉱石などの資源も植民地や占領地などから 確保で来ている。しかし日米との貿易が途絶え、資金や人手が大幅に軍需につぎ込まれた事から民需が停滞し国民生活を圧迫していた。 ライヒスマルクやポンド・フランの信用は地に落ち、僅かな貿易にも大量の外貨(ドルや円など)や金塊が必要になってきていた。 国民からはこれ以上徴用出来ず、占領地や敵性外国人からの収奪にも限界が合った。 そんな中、追い詰められた同盟、特にフランスはとある行動を起こし、それが日米の参戦へと繋がっていくのだった。 561 :ライスイン:2014/04/02(水) 14 44 19 ※1:フランスの戦車はFT17やR35、H35が大半を占め、主力のS35やB1は僅かしかなくイタリアのM14/41やP26/40などや日本から供給された 97式(純正)には対抗が著しく困難だった。 ※2:ドイツアフリカ軍団は主力が1号・2号であり3号(37ミリ)や4号(24口径)が少数しかなかった。他にもイギリス軍から供与された マチルダ2やカヴェナンター、クルセイダーを少数保有していた。 ※3:ガンジー率いる国民議会派を”同盟勝利後に英連邦に加盟する形で”独立させるとイギリス議会で議決して説得。10個師団以上を 徴兵して欧州に送り込むことに成功した。但しボース率いる派閥はイギリスが約束を守ると思っておらず武装闘争を続行している。 他にもアフリカ植民地から徴兵した部隊を多数送り込んでいた。 ※4:T34/76J・KV1EJ: 日本からの技術提供で改良した型。日本製の65口径76.2ミリ砲と大型の3名用砲塔を備えている。 BT8: BT7をベースに若干大型化し、57mmZiS-2対戦車砲を搭載したBT系列の最終型。 ※5:ド・ゴール政権下で次第に親衛隊化が進み、各地で反体制派の摘発や捕虜収容所の管理・パルチザン狩りを行う組織に変貌していった。 ※6:B1bisの75ミリ砲を36口径の長砲身砲に換装した改良型。 ※7:元々親独だったことに加え、”ハニートラップ”や”資金援助”も加わり、一国の主になれるという野心も刺激された結果、 配下の部隊を親独派のみに入れ替え、招きいれたドイツ軍と共に反乱を起こした。 次話:「日米露三国同盟~落日の欧州」09
https://w.atwiki.jp/bokuserve/pages/2936.html
【元ネタ】史実 【CLASS】アーチャー 【マスター】 【真名】ローラン・グーヴィオン・サン=シール 【性別】男性 【身長・体重】172cm・69kg 【属性】混沌・善 【ステータス】筋力D+ 耐久E+ 敏捷B+ 魔力E 幸運D 宝具D 【クラス別スキル】 対魔力:E 魔術に対する守り。 無効化は出来ず、ダメージ数値を多少削減する。 単独行動:A マスター不在でも行動できる。 ただし宝具の使用などの膨大な魔力を必要とする場合はマスターのバックアップが必要。 【固有スキル】 慎重主義:B 防衛戦略を組み込んだ守勢の得手と、積極的攻勢の不得手さを示すスキル。 同ランクの“仕切り直し”スキルに加え、対軍宝具に対処する際に有利な補正がかかる。 その代償に、格闘ダメージを減少させてしまう。 傍若無人:C 任地での奇行や、「スパルタ人」、「氷の人」、「梟」など非常に物々しい異名を得た彼ゆえのスキル。 古代中国での故事がもととなった、唯我独尊の個人主義を示す。 【宝具】 『不壊なる猛禽(イブー・アンケッサブレ)』 ランク:D+ 種別:対軍(自身)宝具 レンジ:1 最大捕捉:100人 自身の異名を、そのまま自身の肉体に最大10ターンの間投影する。 「スパルタ人」の場合は、近接ステータス強化と高ランクの「戦闘続行」、「殿の矜持」の獲得。 「氷の人」の場合は、敵味方を含む周囲の心胆を寒からしめる威圧の獲得。 「梟」の場合は、高ランクの「気配遮断」と「気配感知」、近接戦闘で使用できる猛禽の爪の獲得。 対軍宝具だが、基本的に付与される能力は「氷の人」以外は自己完結している。 防衛に優れた将という逸話の元に成り立つ宝具なので、 その特性上、発動の際には一度「受け」に回る必要があり、能動的な使用はできない。 また、投影できる異名は一度に一つだけ。 【Weapon】 『シャルルヴィル・マスケット』 モデル1777式。「梟」時には夜目も聞くため現代のスナイパーライフル並みの狙撃制度を発揮可能。 【解説】 ナポレオンに仕えた元帥の一人。 当初はローラン・グーヴィオンとして、ロレーヌ地方の皮鞣し業者の家系に生まれるも、 家業を継ぐことを嫌って各地を様々な職を得ながら放浪。 革命時に共和軍に入隊したころから、いとこと区別するためにサン=シールを姓に加え、 入隊からすぐに将官に出世するも、熱烈な共和主義者ゆえにナポレオンからは疎まれ、 元帥号授与はポロツク会戦で武功を挙げたのちの1812年と、全元帥のなかで三番目に遅い出世となった。 ドイツ遠征でのドレスデン会戦では、防衛戦では見事な手腕を見せよく耐え忍んだが、 逆にその直前の攻勢では不手際を晒した。 百日天下の際にはナポレオンとそもそも関わらず、その後は1821年までに全ての職を辞し、静かな余生を送った。 帝政後期の元帥で、活躍する機会自体が少なかったために知名度も低いが、 ダヴー、マッセナに比肩しうる非常に優秀な元帥の一人に数えられることがしばしばある(文献によっては“不敗”と評されることさえある)。 同じ元帥のなかではネイ、ダヴー、オージュローなどと仲が良く、 特にネイに関しては、ワーテルロー後の裁判で彼を救おうと奔走するほどであった。 清廉潔白ではあるが変人でもあり、戦場での奇行(教会に引きこもってバイオリンを弾く、帰宅する、等)の逸話が語られる。 兵士一人ひとりに対して親近感がなく、冷たい印象を与えていたことでも知られた。
https://w.atwiki.jp/qbtd/pages/940.html
No.QR021 レアリティ:☆☆☆☆ ライフ:1 必要アビリティ:リベリオン2 パワー2 攻撃力/防御力:―/30 アビリティ:リベリオン1 パワー1 テキスト 場に出たとき、 ユイット以外の全ての攻撃力「―」のキャラの 一番上のカード1枚を捨て札にする。 (距離制限なし) 収録セット クイーンズブレード・リベリオン 叛乱の騎士姫編 (アンネロッテ・ヴァンテ・ターニャン・シギィ) イラストレーター 小梅けいと お互いのコスト基盤を破壊する強力な全体除去カード。 「背後をとる」を使ってこちらのアタッカーを再利用しながら、相手のコスト要員を捨て札にする 使い方が一般的だろう。お互いの場に影響を及ぼしてしまう物の極めて軽いコストで発動できるため、 こちら側に与える影響は容易に軽減することが可能だ。 また、ダメージによらない除去となるため、「エリナ 防御しながら攻撃」を始めとするダメージを 軽減するカードによる影響を受けない点も評価できる。 アタッカーをうまく確保し、攻勢を維持することができるようなデッキ構築を心がけたい。