約 11,793 件
https://w.atwiki.jp/thespa932saiko/
ザスパ草津フロントにより唐突に発表された「ザスパクサツ群馬」へのチーム名称の一方的な変更決定を撤回させ、新名称の公募を求めるための署名プロジェクトについてのページです。
https://w.atwiki.jp/thespa932saiko/pages/14.html
ザスパクサツ群馬への強引な名称変更の撤回を求める署名活動の趣旨について 2012年4月3日。Jリーグディビジョン2に所属するザスパ草津のフロントは、翌年からチーム名を「ザスパクサツ群馬」に変更すると発表しました。 ザスパ草津を取り巻く環境は非常に厳しく、2011シーズンにはJリーグ加盟38クラブ(当時)中、観客動員数は最下位に甘んじています。そういった背景もあるため、チーム名称を変更すること自体や、クラブ名に都道府県名の「群馬」を加えることについては、群馬県内での支持を拡大するために必要だという声もあり、この場では異論を唱えません。 しかしながら、事前にJリーグ理事会や関係各所への根回しは済ませておきながら、新たな名称を突如発表し「意見・異議は一切受け付けない」とするクラブのフロントの姿勢は、ザスパ草津の既存のファン・サポーターを冒涜・蔑ろにする行為であり、受け入れ難いものであると考えます。 そこで、以下の二点について賛同される方の署名を、広く求めます。 ◆「ザスパクサツ群馬」へのチーム名変更の撤回 ◆新名称の公募を、一般のファン・サポーター・県民などから広く実施 (「必ず群馬を加えること」といった条件付き公募でも可) ザスパ草津を応援する方々は勿論のこと、日本各地のJリーグクラブサポーター各位、サッカーをこよなく愛する皆様にも、ぜひ署名にご協力いただきたいです。何卒よろしくお願いします。 (また、ネット上を中心に「ザスパクサツ群馬」という新名称がダサ過ぎる、センスが皆無、臭そう、といった類の意見も多数見受けられますが、この署名の本旨からは外れるため、ここでの私見は控えさせていただきます。笑)
https://w.atwiki.jp/thespa932saiko/pages/21.html
以下のサイトにて、ウェブ署名を受け付けております。 『ザスパクサツ群馬』への強引な名称変更の撤回を求める署名活動 http //www.shomei.tv/project-1932.html 番地以下の住所、メールアドレスは当方には通知されませんので 是非とも署名にご協力くださいますよう、よろしくお願いします! なお、サッカーファンの方が署名をなさる際には どこのクラブのサポーターかをコメント欄に書いてくださると嬉しいです!
https://w.atwiki.jp/6564okuen/pages/93.html
アーカイブ62 発言撤回と削除依頼でなかったにさせる「ん」www http //anago.open2ch.net/test/read.cgi/tubo/1499443115/715 715 :名無しさん@おーぷん :2017/07/12(水)14 09 50 ID ??? 710 パーさん擁護のそいつと同じことを言ってるw ほぼ確定と見て間違い無いだろうw ◆◆◆Open+天文台[2ch.net/.sc/open観測所]◆◆◆31 http //uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1489071916/111 111 :ん◆2R.j9FMXMSiE :2017/07/12(水)12 40 39 ID 3bE(主) × お疲れ様です。 m(__)m ◆◆ニュー速+ルールの内容を議論するスレVol.5◆◆ http //uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1499349179/601 :第13艦隊◆IpxlQ2BXrcdbさん、これに対するお返事です。 投票はローカルルールで禁止されているので、発言撤回と削除依頼をお願いします。 m(__)m 記者スレで平然と、投票行為を行った人物たちと同じになってしまいますのでね。 これまでの表示回数 -
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/925.html
http //www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-12-27/2007122701_01_0.html 2007年12月27日(木)「しんぶん赤旗」 「集団自決」で文科省「軍強制」認めず検定意見撤回せず沖縄県民、強く抗議 高校日本史教科書での沖縄戦「集団自決」(強制集団死)の記述に関する教科書検定問題で、文部科学省は二十六日、教科書会社六社から出ていた訂正申請を承認しました。「軍の強制」を削除した検定意見は撤回せず、訂正申請でも日本軍による「強制」「強要」などの表現は認めませんでした。日本共産党の市田忠義書記局長は「『沖縄県民の思い』を踏みにじった福田内閣につよく抗議」し、あらためて検定意見の撤回を求める談話を発表しました。 各社は「日本軍の強制によって集団自決に追い込まれた」「日本軍に自決を強要された」などの表現で訂正申請をしていました。 しかし、教科用図書検定調査審議会の日本史小委員会の意見に基づいて文科省の教科書調査官が、「直接的な軍の命令は確認できない」「単純化した表現では生徒が誤解する」として、各社に再申請をさせました。 その結果、「軍の強制」という表現はなくなり、「日本軍の関与によって集団自決に追いこまれ」などの表現に改められました。 一方、「住民は米軍への恐怖心をあおられたり、捕虜となることを許されなかったり、軍とともに戦い軍とともに死ぬことを求められたりもした」など、住民の状況を詳しく説明する記述が追加されました。 また、検定意見撤回を求める沖縄県民大会が開かれたことを書き加えたり、「集団自決」について「日本軍によってひきおこされた『強制集団死』とする見方が出されている」と注記した訂正も認められました。 「集団自決」から「軍の強制」を削除した検定意見は沖縄県民の怒りをかい、九月に開かれた検定意見撤回を求める県民大会には十一万六千人が参加しました。東京で検定意見撤回を求める「市民の会」が結成されるなど、県外各地での運動も広がっています。 しかし、文科省は訂正申請の審議は「検定意見の趣旨を踏まえておこなった」としています。意見を撤回しなかった審議会と文科省に対し、沖縄では地元紙が「『軍強制』認めず 『関与』に後退」という見出しの号外を出すなど、「沖縄の思いを受けとめていない」との抗議の声があがっています。 沖縄戦「集団自決」記述の変更例 申請本(検定前) 検定後 最初の訂正申請 認められた訂正記述 実教出版 この過程で、日本軍は、県民を壕(ごう)から追い出し、スパイ容疑で殺害し、日本軍のくばった手榴(りゅう)弾で集団自害と殺しあいをさせ、800人以上の犠牲者を出した。 この過程で、日本軍は、県民を壕から追い出したり、スパイ容疑で殺害したりした。また、日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺しあいがおこった。犠牲者はあわせて800人以上にのぼった。 この過程で…殺害したりした。また、日本軍は、住民に手榴弾をくばって集団自害と殺しあいを強制した。犠牲者はあわせて… この過程で…殺害したりした。また、日本軍は、住民に対して米軍への恐怖心をあおり、米軍の捕虜となることを許さないなどと指導したうえ、手榴弾を住民にくばるなどした。このような強制的な状況のもとで、住民は、集団自害と殺しあいに追い込まれた。これらの犠牲者はあわせて… 清水書院 なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた。 なかには集団自決に追い込まれた人々もいた。 なかには、手榴弾を配布されたり、玉砕を強いられたりするなど、日本軍の強制によって集団自決に追い込まれた人々もいた。 また、軍・官・民一体の戦時体制のなかで、捕虜になることは恥であり、米軍の捕虜になって悲惨な目にあうよりは自決せよ、と教育や宣伝を受けてきた住民のなかには、日本軍の関与のもと、配布された手榴弾などを用いた集団自決に追い込まれた人々もいた。
https://w.atwiki.jp/happy_news1/pages/221.html
#weblog 大阪市内を中心にワンルームマンションを経営する 不動産会社「木村産業」(大阪市)が、グアム島への 社員旅行の参加者を募集した際、男性社長(58)と 同じ部屋に宿泊しても良いかどうかを選択させ、「良 い」と答えた人を優先するとの条件を付けていたこと がわかった。 対象にはグループ会社の社員、アルバイト、派遣従 業員の女性らも含まれていた。同社は「不適切な表現 だった」として条件を撤回し、「セクハラ行為と誤解 されても仕方がない」としている。 木村産業の専務が1月11日の朝礼で、社員11人を 前に、1人15万円を会社が全額負担する社員旅行の募 集案内を読み上げ、案内文を配った。 はぁ・・・くだらない。 誤解されても?! セクハラ以外の何者でもないじゃない~ 何考えてるのかしら
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2656.html
http //www.chosunonline.com/news/20100323000020 記事入力 2010/03/23 09 25 03 任那日本府説:韓半島侵略正当化の論理を日本自ら撤回 今回の第2期韓日歴史共同研究委員会で出た成果のうち最も注目されるのは「任那日本府説」の放棄だ。これまで植民史観の象徴のように思われており、日本による韓半島(朝鮮半島)侵略を正当化する役割を担っていたこの主張について、日本が自ら放棄したということは、歴史の論議で重要なターニングポイントになるだろうと評価されている。 前回の2005年第1期報告書では、韓日の学者全員がこの説に否定的だったのに加え、今回「事実ではない」と確認したことで、この説は歴史問題から除外される運命となった。 報告書で日本側は、「任那日本府を軍事的性格から見たり、政治機関と見なしたりする見解は否認されており、この用語を使わない方が良い」という意見を示した。 また、「日本書紀の神功紀49年条の該当記録中の“倭(わ)国(日本)が伽耶7カ国を平定した”という内容は事実と見なすことはできない。広開土王の碑文で高句麗と戦争をしたと記録されている“倭軍”とは、倭が百済・伽耶と連合した軍隊であろう」と指摘している。 14-15世紀、韓半島(朝鮮半島)を侵奪した倭寇(わこう)の正体が実は朝鮮人からなる「偽倭寇」であったという日本学界の一部の主張も否定された。日本側の委員は、「対馬・壱岐・松浦地域の海民(漁民)と領主が倭寇の中心だったというのが、各国史料の共通した認識だ」と話した。日本側は稲作や金属文化が韓半島から伝わったことも認めた。 ■任那日本府説 倭国が4-6世紀に韓半島南部の伽耶地域を征服、「任那日本府」といわれる統治機関を設置したという日本側の主張。韓国史が古代から外部勢力の干渉を受けたという、代表的な植民史観の産物。しかし、韓国側の史料にはまったく言及されておらず、考古学的な根拠もないため、韓国の学者は当時伽耶で軍事的活動を行っていたのは日本ではなく、百済だったとみている。日本でも最近、その実態は「倭の使節の駐在館」だったという主張が有力になっている。 兪碩在(ユ・ソクジェ)記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 日韓歴史共同研究
https://w.atwiki.jp/kouteieki2010joho/pages/1067.html
産経新聞社の記事へ飛ぶ (魚拓) 2010.5.21 11 03 赤松広隆農相は21日の閣議後の記者会見で、宮崎県で感染が拡大している口蹄疫に関連し、被害を受けた畜産農家に対して経営再開までの生活を支援することや、埋却に要した費用を補てんすることなどを盛り込んだ追加支援策を検討していることを明らかにした。 ワクチン接種後に全頭殺処分する牛や豚について、農相は牛1頭当たり約60万円など、一律の水準で補償するとしていた方針を事実上撤回し、時価評価方式を適用することも明らかにした。 政府の現地対策本部は追加支援策を同日午後、地元自治体に伝達し、ワクチン接種開始に必要な同意取り付けを目指す。農相は同日中にも接種を始めたいと述べた。 5月 対応 補償 農水省発表 防疫関係
https://w.atwiki.jp/slowlove/pages/2013.html
東方キャラ登場注意。 ゆっくりSS 『常闇の妖怪は前言撤回してノロケを覚える』 博麗神社は、何の用事もないのにちょくちょく妖怪が遊びに来ることに定評がある、 神社として致命的な構造的問題があるとしか思えない神社である。 「ここが博麗神社よ」 『ほー、さよかー』 そんな神社に今日も一人の妖怪が訪れる。 黒い衣服に映える金髪に、真っ赤なリボンを結んだ少女。常闇の妖怪、ルーミアである。 「ほら、ちょっと探せばあんたの仲間があちこち居るのが見えるでしょ?」 『うわぁ、これだけちょこまか居ると逆に気色悪いね』 「お前がそれを言うのか」 ついでにこの神社には、どういう理由か分からないが妖怪だけでなくゆっくりも集める性質を持っているようで、 軒下裏や木の上、茂みの中など、探せばけっこうな数のゆっくりが見つかることにも定評がある場所である。 特にその神社の巫女と良く似た顔の、ゆっくりれいむと呼ばれるゆっくりが多く集っているようだ。 『これだけ数がそろうとさ、流石にアイデンティティーの希薄さを覚えるってもんだよ』 「お前ら存在そのものがそういうものとは無縁だろうがよ」 そして、先ほどからルーミアと会話をしている、彼女の腕に抱き抱えられているモノもまた、 ゆっくりれいむと呼ばれるゆっくりであった。 バスケットボール程の大きさの、能天気な顔をして笑う、良く分からない生きもの。 だが、ルーミアの側で跳ねているそれは、他のゆっくりれいむと呼ばれるモノ達と、決定的な差異が一つだけあった。 “全面黒焦げ” ふてぶてしい表情や、首筋、裏面まで、同じようにびっしりと黒い焦げ跡に包まれている。 人間なら間違いなく致命傷だが、生物と同時に食物としての性質も併せ持つゆっくり故に、生命活動に大した影響はないようだ。 「取りあえず、こんだけ仲間がいりゃ生活に困ることはないでしょ」 『まぁねぇ。でも、どうしてもここでお別れしなきゃ駄目かな?』 「お前の安全が保障される場所“まで”は、一緒に居てやるって約束でしょ。 確かに、お前の“姉”を食べてしまったのはこっちの落ち度だけど、それ以上の面倒は見れないよ」 『どうしても?』 「どうしてもだよ。言ったでしょ。私、“ゆっくりれいむ”は好きじゃない」 『そっか‥』 寂しそうな顔で俯く焦げれいむを見て、ルーミアは若干の良心の呵責を覚えたが、 それでもやはり、この饅頭モドキとこれ以上一緒に居る気にはなれなかった。 (しょうがないでしょ。“れいむ”なんて、私と‥私なんかと釣り合いが取れるはずがないし‥) 「これで、本当にお別れだよ。何処に降りる?」 『それじゃ、あの神社の縁側の‥』 「あら、神社に妖怪がコソコソ侵入とは、良い度胸じゃない」 突然背後から聞こえた声に、ルーミアの心臓が跳ね上がり、全身がこそばゆい痺れと緊張に包まれた。 (こ、こ、この声って‥!) ここは博麗神社だ。 “彼女”が居るのは当然のことだし、ルーミアもそのことを予想していなかった訳ではない。 むしろ、期待していた節もある。 だが、唐突に現れた彼女に対し、柔軟に対応できるほどの覚悟はまだ固めていなかった。 覚悟を固めないままに、妖怪少女はおっかなびっくりと、焦げれいむを抱えたまま振り返る。 「あんたは‥、あれね。ルーミアだっけ? 闇の妖怪の」 「う、うん。ひ、ひ、久しぶり!」 『むぎゅぅ』 ルーミアが振り返ると、思った通りの姿がそこに居た。 紅白の巫女服を着た、しっかりとした印象の少女。博麗神社の巫女、博麗霊夢。 ちなみに『むぎゅぅ』とは、緊張したルーミアが力一杯抱きしめた結果、焦げれいむから漏れた苦しそうな呻きである。 「それが一体何の用? わざわざ喧嘩でも売りに来たのかしら?」 「ち、ちが‥! ちがうの! わ、私はただ、こいつを‥!!」 『むぎゅぎゅぎゅ』 「こいつ‥?」 霊夢はルーミアに抱かれた黒焦げた物体を見て一時眉をひそめたが、それが“ゆっくり”であると気付くと、 合点がいったように、なるほどと一人頷いた。 「なるほどね、ゆっくりを」 「そ、そうなの!ゆっくりを‥!」 そこまで言いかけて、どこまでも緊張の一途を辿っているルーミアの頭で、一つの心配事が頭をよぎった。 (あれ‥? そういえば、ここに“ゆっくりを放しに来た”って言ったら、もしかして怒られる?) もともとこれだけゆっくりの居る場所、一匹や二匹増えたところで大差はないだろうと思っていたが、 霊夢自身が『これ以上はもううんざり』と思っている可能性も‥。 そこまで考えたが、霊夢の言葉はルーミアが思っていたものとまったく違うものだった。 「あんたも、うちの“ゆっくり”と戯れに来た口ね」 「へ? え?」 「最近多いのよ。妖精にも人間にも妖怪にも。“気持ち良さそうだから触らせろ”って奴が。 うちにたくさん集るもんだからさ。まるで観光名所扱いよ。ゆっくりの名産地とでも思われているのかしらね。 あれ? でもうちにそんな焦げた奴居たっけかな? 居てもおかしくないような奴らだけど‥」 『むぎゅー!』 どうやら、霊夢はルーミアの持ってきた焦げれいむのことを、自分の敷地に居たゆっくりれいむの一匹だと勘違いしているようだ。 それで、ルーミアのことも、そのゆっくりと遊ぶ目的でやってきた妖怪の一人だと思われてしまったらしい。 もちろん、真相はまったく逆なのだが‥。 「ええと、これは、その違くて‥」 「いいの、いいのよ。別に怒ったりしないから。見ての通り、あいつらはたくさん居るし。なんなら持ち帰ったて構わないわ」 「いや、でも‥、だから」 「あ、そうだ、あんた! 何が一番好き?」 「へ?」 他人の話もロクに聞かず、霊夢は顔をルーミアの間近によせ真剣な顔で突然聞いてきた。 「ゆっくりの中でよ! ほら、色々たくさん居るでしょ? 私に似た奴だけじゃなくて、 魔理沙‥、白黒の魔法使いみたいな面した奴とか、吸血鬼の面した奴らとか。 全部のゆっくりの中で何が一番好き? 正直に答えなさい!」 「あ、あの、えっと‥。えっとぉ‥」 『む!ぎゅぎゅ!ぎゅむぎゅぎゅぐ!!』 霊夢は問い詰めるようにグングンとルーミアに顔を近づけるが、 その所為でルーミアの頭からまともな思考力がどんどん失われていく。 ちなみに焦げれいむの顔からはどんどん血の色が失われていったりしている。 (き、聞いてない!? いきなりこんなに接近できるなんて展開、全然聞いてないよ!! 近い、近い、やだ、霊夢の顔が近い。目が逸らせない‥ あぅ、良い匂い‥、落ち着いた緑茶みたいな‥ とか考えてる場合じゃないぃぃぃい!!) 「さぁ、どうなの! 何が一番好き?」 「あ、あの‥その、わたしは‥私はぁぁ!」 (好き‥ 好きって。 好きなのは 私が好きなのわぁわぁ‥!) 「れ、霊夢が好き‥です」 顔を真っ赤に染め、搾り出すようにルーミアは目の前の彼女にそう告げた。 (って、何ぶっちゃけてんだ私はぁああああああ!!!!!) ルーミアの思考をとてつもない量の後悔の海が埋め尽くす。 だが、そんな彼女の真意を知る由もなく、ただ“れいむ”との回答を受け取った霊夢は、 「そうよね!!わたしのゆっくりが一番よね!あんな吸血鬼もどきや白黒なんかに負けるはずがないわ!!」 満足そうに一回大きく頷いて、目の前の小さな妖怪を、全身でぎゅっと抱きしめた。 ぎゅっ、と。 柔らかい感触で、ルーミアの全身が包まれる。 ルーミアの全身から力が抜ける。 『いで!!』 焦げれいむ、やっとルーミアの腕から解放されて地面に落ちる。無限に続くかと思われた地獄からの脱出を遂げた瞬間である。 が、そんなことにも気付かないほど、ルーミアの脳内は幸せという幸せで包まれた。 できることなら、自分からも相手のことを抱きしめたい心地なのに、不思議なほど腕に力が入らない。 ルーミアがこれまで体験したことないほどの充実した不思議で気持ちの良い感覚。 「そうだ、お茶でも入れてあげるから、飲んでいったらいいわ。ついでにお賽銭でも入れてってくれたらもっと嬉しい」 「あ、ありがとう‥ございます」 霊夢は抱擁を解き、嬉しそうに鼻歌を歌いながら神社の方へ向かっていった。 残されたルーミアは、力なくペタンとその場に女の子座りをして、 (あ、暖かい。凄く暖かかったなぁ) 夢心地で、まだ霊夢のぬくもりが残る自分の全身を、いとおしむようにぎゅっと抱きしめた。 そして、近場に転がり、呆れたようにこっちを見ている焦げれいむの方に視線を向ける。 「や、やっぱり一緒に暮らしてあげても良いよ、ゆっくり」 『‥‥‥‥ さっきと言ってることが違う件』 「取り消す。さっきの言葉はやっぱ無し」 ルーミアは、今まで焦げれいむが見たことない程の、天使のように純粋無垢な笑顔を浮かべて言った。 「私、れいむのこと大好き‥!」 言葉に出すだけで、また先ほどの幸せで心が包まれるような心地のよさを感じることが出来た。 「れいむのこと、大、大、大好きだから!」 言葉に出すたびに、何度も、何度でも。 それだけ、少女は幸せになれるのだ。 ~fin~ 早い話が前日談です。byかぐもこジャスティス 砂糖吹いた -- 名無しさん (2010-08-06 17 40 59) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/728.html
http //www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=464 沖縄集団自決・教科書から「軍命令」削除検定撤回狙うNHK報道 獨協大学名誉教授 昭和史研究所代表 中村 粲 沖縄集団自決・教科書から「軍命令」削除検定撤回狙うNHK報道「軍命令」を削除した検定を評価 軍命令否定は禁忌だった 勇気ある人々――座間味の場合 隊長命令を否定する人々――渡嘉敷の場合 敢えて沈黙を通した赤松元隊長 「私が軍命令を創作した」 「防衛隊」を「日本軍」と歪曲するNHKの詐術 「軍命令」を削除した検定を評価 来春から使われる高校歴史教科書の沖縄住民集団自決に関する記述から「軍命令」が削除されることになった。文部科学省の検定意見に従って修正された記述を見ると、まだ集団自決が軍の強制によるとの誤解を与えかねない表現を使っている一部の教科書があることは遺憾であるが、軍命令や軍の強制で集団自決が行われたかの如き表現を教科書から削除するというこの度(たび)の検定方針は高く評価すべきものと考える。平成8年2月の検定をパスした7社発行の中学歴史教科書の反日偏向が余りにも甚しかったために、歴史教科書に対する世論の批判が大いに高まった結果、慰安婦問題が教科書から消え、南京事件の記述も抑制され、全体として改善されてきた中で、沖縄住民集団自決が軍命令で強制されて起こったとの記述だけは大手を振ってまかり通ってきたからである。 軍命令否定は禁忌だった 文科省が前記のような検定方針を決定したのには、平成17年8月以来係争中の「沖縄集団自決冤罪訴訟」を通じて、軍命令のあったことを否認する数多くの事実が明かるみに出されてきたことが関係しているとみるべきであろう。曽野綾子著『ある神話の背景』以来、軍命令の存在を疑い、更には「軍命令」説と遺族年金支給との関連を推測する向きもあるにはあったが、それを公言することは沖縄では一種の禁忌なのであった。 勇気ある人々――座間味の場合 慶良間(けらま)列島の集団自決は昭和20年3月26日座間味(ざまみ)島で、28日渡嘉敷(とかしき)島で発生した。前者については海上挺進第一戦隊長・梅沢裕少佐が、後者については同第三戦隊長・赤松嘉次大尉が隊長命令で強制したとして責任を負わされ、現地は無論、広く我国の言論界、教育界の指弾を浴びてきた。両元隊長は緘黙(かんぜん)して謂われなき非難と屈辱に耐えてきたため、自分の家族からも誤解を受けることにもなり、その苦衷はよく筆舌の盡す処ではなかった。併しながら天は決して義人を見放すことはない。 昭和57年6月、沖縄戦当時、座間味村の女子青年団長であった宮城初江さんから、来島した梅沢元隊長に対して「今まで周囲の圧力で自決は軍命令と主張してきたが、実は自分達5人の村代表が隊長に自決を申し出た時、隊長は自決を許可せず、弾薬類の支給を断った。私がその事実を知る唯一の生証人です」との告白がなされたのであった。 またこれと前後して、沖縄戦の事実を求めて体験者を訪ね歩いていた沖縄の反戦運動家・富村順一氏が梅沢元隊長を往訪、梅沢氏の話を聞いて一驚し、梅沢氏に無実の罪を負わせてきたのは沖縄の恥辱であるとして翻然梅沢氏弁護の活動に入った。その富村氏の街頭演説を偶々聞いたのが神戸新聞の記者・中井和久氏であった。氏は早速梅沢氏に面接取材し、昭和60年7月30日付同紙朝刊に、集団自決に「日本軍命令はなかった」との記事を大きく掲載したのである。いずれも勇気ある人々と云うべきであろう。 そして遂に決定的な告白と謝罪がなされた。昭和62年3月28日、梅沢氏が座間味島を訪ねた折、戦後座間味村役場で援護係をしていた宮村幸延氏が梅沢氏に対し、「集団自決は当時兵事主任兼村役場助役であった宮里盛秀の命令によるもので、遺族補償受給のため、弟の自分がやむを得ず隊長命令として申請した」旨の詫証文を書いて署名捺印したのである。この証文こそ、梅沢氏無実を示す駄目押しの証拠である。この謝罪も勇気ある決断だ。 自分が罪を背負うことで座間味の村と人が豊かになることを願い、敢えて自己弁護せず濡れ衣を着て忍苦の人生を送ってきた梅沢元隊長の潔白は、こうした人々の良心と、道義的勇気のある告白や行動の積み重ねによって漸く世間に広く認知される処となってきたのである。 隊長命令を否定する人々――渡嘉敷の場合 他方、渡嘉敷島についてはどうであろうか。『ある神話の背景』にまとめられた曽野綾子女史の取材記録の何処を押しても隊長命令で集団自決が行われたとの結論は出て来ない。 また赤松隊長の副官と云われていた知念朝睦本部付警戒小隊長(少尉)や、唯一人の渡嘉敷島駐在巡査であった比嘉(旧姓安里)喜順氏の証言は軍命令のなかったことを明確に語っている。更に現在、渡嘉敷村民俗歴史資料館長である金城武徳氏は、当時数え年15歳であったが、集団自決の現場に居て状況を鮮明に記憶している。集まった住民を前に自決を呼びかけ、「天皇陛下万歳」を唱えたのが古波蔵惟好村長であったこと、手榴弾不発で死に切れなかった人々が赤松隊長の処に赴いて機関銃を所望したのに対し、隊長は「早まったことをしてくれた」と残念がり、機関銃貸与を断ったことなど、金城氏は当時の現場を知る語り部として赤松氏の無実を訴え続けている。上の証言だけからでも、隊長命令のなかったことは明白であろう。タブーを怖れぬこれらの人々の勇気ある証言も道義的見地から高く評価されねばなるまい。 敢えて沈黙を通した赤松元隊長 集団自決を軍命令によるものとしたのは『鉄の暴風』(沖縄タイムス社。初版発行は昭和25年8月15日)が最初だが、その執筆者達は戦後沖縄に帰ってきた人達で、集団自決発生について直接の知識も体験もない。彼等は住民から聞き集めた断片的な話を反日反軍思想で軍命令の話に作り上げたに違いない。その確拠のない軍命令説が動かし難い公的見解として流布し定着した事情は何であろうか。それは座間味の場合と同様、遺族補償の関係である。 『ある神話の背景』に出てくる赤松元隊長の発言を注意深く読むならば、赤松氏自身、遺族補償のために集団自決が軍命令とされたことを昭和45年3月の段階で承知していながら、敢えて村民への配慮から沈黙を守ったらしいことが看取される筈だ。筆者自身、平成10年に昭和史研究所の調査で渡嘉敷島を訪れた際にも、軍命令説は援護金受給のために作り出されたものらしいとの風聞のあることを知った。座間味で遺族補償申請のために集団自決が軍命令とされたのと同じ事情が渡嘉敷にもあるに違いないと推断した筆者は、平成14年から翌15年にかけて再三、遺族補償申請資料の閲覧希望を渡嘉敷村役場に申し出たが、好意的な対応に接することは出来なかった。また平成15年3月には厚生労働省援護課を往訪、援護法による遺族年金支給の経緯と「軍命令」の実否に関する援護課の認識について質し、遺族補償も十分に行われてきた今(各遺族年額約200万円の年金)、軍命令が遺族補償支給のための行政的便法であったことを認めて軍と軍人の名誉回復への道を開いたならば八方円満に解決するのではないか、と見解を質したが、軍命令の実否という「歴史的事実」についての言及は得られず仕舞いであった(詳細は日本政策研究センター『教科書は間違っている』27頁。昭和史研究所『昭和史研究所會報特別版』140~142頁) 「私が軍命令を創作した」 併しながら、座間味の場合と同じく、渡嘉敷にも決定的な証言者が出現した。那覇市の照屋昇男氏が軍命令は「創作」であったとの重大証言をしたのである(平成18年8月27日産経新聞)。 かつて琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員であった氏は、アンケートや聞き取り調査で援護法適用の資格の有無を調べた処、聞き取り調査をした100人以上の渡嘉敷島民の中に集団自決が軍命令だと証言した者は一人もいなかったと断言する。社会局長と共に厚生省援護課に島民の窮状を訴えて援護金支給を陳情したが無理だった。だがついに厚生省は軍命令があれば援護金を支給することを認めてくれたと云う。 喜んだ玉井喜八村長(当時)が赤松元隊長を訪ねて事情を話した処「村を救うため十字架を背負う。隊長命令とする命令書を作ってくれたら押印してサインする」と云われた。そこで照屋氏等が「住民に告ぐ」とする自決命令書を作成したと氏は語っている。 併しさすがに赤松元隊長も余命3ヶ月となった時、玉井村長に隊長命令という部分の訂正を要請してきたと云う。赤松氏に対する誹謗を見聞するたび、照屋氏は「胸に短刀を刺される思い」だった。元隊長の苦悩を察し、良心の呵責に耐えかねて、氏は遂に軍命令否定証言を公けにしたのであり、真に勇気ある行動と称えたい。とまれ、これによって座間味の梅沢元隊長、渡嘉敷の故赤松元隊長による集団自決命令が援護金受給のための「創作」であったことの鉄証が出そろったことになる。教科書から軍命令の記述が削除されたのは当然すぎる話である。教科書は生徒達に真実を教えねばならないからだ。 「防衛隊」を「日本軍」と歪曲するNHKの詐術 処が軍命令を削除したこの検定を面白く思わないのがNHK。6月21日放送<クローズアップ現代>「“集団自決”62年目の証言~沖縄からの報告~」は上検定に対するNHKの敵意の表出と云ってよい。 番組は冒頭で云う。軍命令削除の検定に対して沖縄では強い怒りと抗議の声が上がっている。その中で「体験者からの聞き取り調査が始まって」おり、「日本軍によって住民が自決に追い込まれていった状況が浮かび上がってきた」とのナレーションが流れる。更に「なぜ文部科学省は突然書き換えを求めたのか」と尤もらしく問題提起をしながらも、それについては現在係争中の「沖縄集団自決冤罪訴訟」原告の一人である梅沢裕氏の短い発言を流すだけで、原告団に提訴を決断させた数多くの証言や事実解明の経過には全く触れない。実はそれこそが軍命令不存在の証明なのであり、また文科省が軍命令記述の修正を求めた根拠であるにも拘らず、である。それ故視聴者は、文科省は元隊長の個人的感情にのみ依拠して軍命令記述を修正したかの如く錯覚する。これは今回の検定には客観的根拠がないとの印象を視聴者に与えるための欺瞞的番組編集手法と筆者は断ずる。 番組が、軍命令存在の“証言”として再三流すのは「日本軍から手榴弾を渡されて自決を強いられた」との言葉である。だが、この中の「日本軍」というキーワードに重大なごまかしがある。住民に手榴弾を渡して自決を勧めたのは地元出身の防衛隊員で、戦隊所属の日本軍将兵ではない。防衛隊とは兵役法による正規兵ではなく、現地在郷軍人会が結成した義勇兵で、軍装も不統一、階級章も付けていない。軍とは別に、家族と共に起居していた。村民と常時接触していたのは、この防衛隊だったのだ。 家族や村民と生活を共にしていた防衛隊員が、戦闘用に2個ずつ支給されていた手榴弾を勝手に自決用として家族等に配布した場合もあった。防衛隊員も日本兵のうち、と単純に考える住民は、それを「日本軍」による自決の命令あるいは指示と誤解したに違いない。NHKはそのような誤解をいいことに、軍命令を示す住民の“証言”として強引に押し通してしまっている。そうではないと判っているくせに、防衛隊=日本軍という拡大解釈で日本軍による自決命令という“証言”を作り出したこのNHK番組は正に言語詐術と欺瞞の見本である。本稿で紹介した沖縄の人々の様々な軍命令否定証言、援護金目的の軍命令創作証言はただの一つも出てこない。この怖るべき偏向番組の狙いはその言論暴力で今回の検定方針を撤回させ、軍命令を復活させることにあると私は見る。 (平19・7・22)