約 391,255 件
https://w.atwiki.jp/tatuvb/pages/59.html
ゼロ軍の歴史 これまでに起こったゼロ軍の歴史をここに記します。 隊員名について 過去の隊員名はほとんど記しておりません。 注意 他ギルドの名称と似ているギルドが現在存在していますが一切関係はありません。 巨大勢力誕生、そして勢力拡大 卍零軍卍とは、元々「ゼロ軍 隊長」の「ほのお」と言う方が作り上げたギルド でした。 その頃はまだ、ギルド機能もなく、ディメンションが4つもなかった時代です。 まだC21の世界はルーキー(初心者)であふれており、最も高い階級が軍曹 でした・・・。その時代に『マニモ群』や『ジオン軍』そして『オーブ軍』 という、今では考えられないような大きなギルドが結成され初めていました。 『ゼロ軍』もその大きなギルドのひとつです。 『ゼロ軍』と最も良い関係を持っていたのは『オーブ軍』でした。 二つのギルドは同盟を結び、共に助け合い、時には目の前に立ちはだかる 大きな障害を共に乗り越えていました。 敵対と消滅 『オーブ軍』は、隊員の数が非常に多く、周りの小さなパーティーや集団とも良い関係を持ち、どんどん勢力を拡大しておりました。 一方『ゼロ軍は』、「一人一人」が高い戦闘能力を持ち、また、とても 礼儀のあるギルドでした。ゼロ軍の中で最も「影が薄く」、もっとも「活躍」 したのは通称『ゼロ軍 潜入隊員』(スパイ)でした。 彼らは、日々。小さな問題から大きな障害までをギルド員に知らせ、 前々から備えておける様にしました。 ある時、『オーブ軍』の話から『ジオン軍』が『オーブ軍』を敵対視している との情報がはいりました。無論、『ゼロ軍』も『オーブ軍』に協力をしました。 すると、今度は『マニモ群』の隊員と『ゼロ軍』の隊員とでもめ事が起き、 こちらも敵対してしまいました。 そして、いつしか『オーブ軍』は消滅し、いつの間にか『ジオン軍』までもが 消滅してしまいました。 残った『マニモ群』は、そのうち姿をみなくなり、噂で残党を見た。 という情報しかなくなってしまいました。 生き抜いた一つのギルド ほのおさんは、そのギルドの消滅と共に姿を表さなくなりました。 しかし、『ゼロ軍 隊長』にかわり、『ゼロ軍 副隊長』であった ST−1が『ゼロ軍』を率いて、現在のゼロ軍まで長く持ちこたえてきました。 それから「隊員は少しずつ入れ替わり(抜けたり入ったり)を繰り返しながら」 ようやく、安定したギルドに戻る事ができたのでした。 それが『現在』の【卍零軍卍】なのです。 ゼロの四神隊 現在の隊員の中で、最も先に入隊したのは【tatuvb】さんです。 そして【ましゅう】さん。【まっかる大佐】さんが入隊し、この三人が、 かつて四神と言われた【青龍隊】【白虎隊】【朱雀隊】【玄武隊】の隊長の 中の三人です。 朱雀隊の隊長である【ダイナソーベルせクス】さんは、残念ながら C21を引退してしまいました。 8月28日 現在 シャアzはゼロ軍を抜け、最強のゼロファイターを求め、去って行った。 ゼロ軍は、時代に連れて『ゼロ軍→ゼロ軍本部→零軍→卍零軍卍』と 名称が変わっていきました。 現在の隊員の名前をここに記します。 【ST−1】【tatuvb】【ましゅう】【まっかる大佐】【LUIGE】【ウイルスロボ】【KO2】【DORAGUNOV】【ソルトレイクマシン】【RX7FCGTX】【シャアZ】【8ユクシー】【皇帝1】 そして未来を切り開く歴史 あれから数年、消滅したと思われていたオーブ軍が復活しました。 しかし、マニモ郡やジオン軍。ゼロ部隊 なども復活したようです。 我々はオーブ軍と力を合わせ、この先も困難を潜り抜けていくでしょう。 ゼロ軍VSゼロ部隊 マニモ郡 オーブ軍VSザフト軍 ジオン軍 その他 ネオジオンや地球連合軍など これら全ての障害物を退ける為には、大きな争いが起きるでしょう。 無論、我々は争いを好む軍ではありませんが、相手が相手。 この大いなる戦いは避けることが出来ないでしょう。 第一次大戦 ゼロ軍とオーブ軍が協力し、これを沈める事に成功しました。 新参者 「闇炎」がゼロ軍に加わりました。 現在仮入隊という位置付けとなっております。 今後の活躍に期待します。 滅び行く勢力、そして、再び生き残った原点 そして未来を切り開く歴史から数年、ADは解散、オーブ軍も滅びました。 オーブ軍が滅び行く中、その軍の総司令官から、ゼロ軍に対する攻撃が多々 ありましたが、これを無事乗り越え、新たなメンバーを抱え、原点である 零軍は、再び生き延びたのでした。 著:??? コピー:ましゅう テスト -- テストコメントロボ (2008-07-17 17 56 17) 編集して大見出しを作りました -- 歴史を記した??? (2008-07-17 17 57 54) 編集しました。 -- 歴史を記した??? (2008-07-19 01 05 09) 歴史さん、ありが㌧クスです^^ -- 元文コピー者 (2008-07-24 21 18 44) STさんから聞いてはいましたがゼロ軍の歴史は長いのですね~ -- C (2008-07-25 20 11 37) ですね -- 歴史を記した??? (2008-07-25 20 44 12) 確かオーブが47人程度マニモ軍が30程度ジオン軍が40人程度だった気がします -- tatuvb又の名をtatuyt (2008-07-25 22 12 27) すみれ.すみれZ.◎すみれ◎.SOS団.地雷方ペットロボット全てミーの垢でざんす -- 司令官私を忘れてないのか (2008-07-25 22 14 05) オーブ軍とゼロ軍が同盟を結んでいたときは全部で60人~90人ほどいました。 -- ST-1 (2008-07-27 15 50 54) ↑↑すみません、tatuvbさんのサブは分かるのですが、「司令官私を忘れてないのか」とは?? -- ST-1 (2008-07-27 17 09 16) 私が前オーブ軍議長であります(ノ・ω・)。オーブは活動を続けていますが、ジオン軍襲撃にあい基地の大半が消滅しベネブに追いやられてます。今では敵対しているのがザフト軍、地球連邦軍、地球連合軍、ネオジオン、ジオン軍残党と敵対をしております只今のオーブはベネブゲートを使いルキさんたちを育て新兵にしています、我がオーブ軍はダスド侵攻作戦ならびにポルド基地奪還作戦を準備中です。激しい戦闘にあると思われます、零軍の皆様にもご協力をお願い申し上げます。 長文失礼しました。(現代表は私のいとこです。 -- アスラン・ザラ少尉 (2008-10-02 18 03 16) ポイーン奪還完了。 -- ST-1 (2008-10-05 00 50 00) このたび,オーブ軍と同盟した工作部隊のザクろうと言います。以前、基地であったゲルニアが、何者かに破壊され、基地がない状態で、一度は解散したのです。(爆)ですが、復活したのです。 -- ザクろう (2008-10-05 12 23 15) 第一次大戦の歴史も載せといてぇ~!(ノ・ω・) -- アスラン・ザラ少尉 (2008-10-24 01 01 16) これを使わせてもらいます~ -- アスラン (2008-10-26 03 34 03) 了解 -- ST−1 (2008-10-28 20 41 46) 疲れた・・・ww -- ST−1 (2008-10-28 21 06 20) あ・・大丈夫土地は権利書あるから・・・ -- たつ (2008-11-02 06 43 30) ほのおさんは消滅してるのかなぁ -- たつ (2008-11-03 18 08 58) わかりません•••••。 -- ST-1 (2008-11-05 15 36 45) 「零軍デゴ支部」は零軍本部に帰還、本部よりデゴを見守る体制。又、第1次大戦の際の緊急食(リペア等)は我の「デゴ支部」が届ける。でいいかな?( デゴ基地の状態はいまだ不明。だが、「この基地は~~~~」とか何とか言ってるやつ(ちなみにゼロ小隊)がいたが、はったりっぽい。ホントに基地を奪われるのか? -- ましゅう (2008-11-06 16 58 47) プロローグみたいになってきたな・・・さて、仕事仕事 -- ましゅう (2008-11-06 17 00 39) 卍零軍卍にこんな歴史があったとは・・・ 感動です! -- LUIJI (2008-11-07 20 01 01) 最後のほうの歴史を書いたのは私ではありませんが・・・? -- ST-1 (2008-11-12 19 03 54) 無許可で書いてしまった、許可なしで書いてしまったから切腹します -- オーブ軍上官 (2008-11-16 15 10 32) 長い歴史ですぬ(´ー`A;) -- 轟骨 (2008-11-20 19 05 21) そんな歴史があったんですね\(^o^)/ -- カズキzx (2008-12-14 14 54 42) そういえば、最初は4人でPT組んでただけだったんだよな -- ましゅう (2009-04-06 12 28 21) だねぇ あの時は俺も無課金だったからな -- たつ (2009-07-04 11 37 53) えーとこの場を借りてですがみなさんに言いたいことが一つあります私たつは2010年までにゼロ軍に復帰己を鍛えることを誓います。応援してくれる人はぜひ応援してください -- たつ (2009-07-04 11 41 33) そのときはまたお手合わせ願おう -- ましゅう (2009-07-07 18 41 34) おーぶ軍大丈夫かなー? -- カズキzx (2009-07-28 09 33 26) 手合わせかぁまあレベルさがってるかもしれないけどいいよ~ -- たつ (2009-08-15 16 24 11) ↑↑オーブは死んだんですよねー -- ましゅう (2009-08-15 23 20 32) 全機能停止状態? -- たつ (2009-08-16 14 11 46) というよりGNドライヴが「アレ」だったときにね -- ましゅう (2009-08-16 14 45 22) トラン●ム? -- たつ (2009-08-16 16 13 40) ましゅうさんの言い方少し気に入りませんね、アレとはなんですか?喧嘩を売ってるのですか? -- アスラン・ザラ少尉 (2009-09-26 02 08 21) え 自分が引き起こした問題じゃなかったっけ?ああ違いましたかそうですか -- ましゅう (2009-09-28 21 32 05) ましゅうさんその言い方問題にしますよ?いい加減にしてください -- アスラン・ザラ少尉 (2009-09-30 16 40 56) 落☆ち☆着☆い☆て -- カズキzx (2009-10-05 15 09 02) これからも歴史を刻み続けましょう -- ST−1 (2009-11-23 22 21 58) 闇炎について記入したのは本人と見た!どーでもいいけどね・・・ -- じじゅんぺい (2010-01-12 20 49 22) え・・・だれがやったんだ?おれ知らないぞ?ww -- 闇炎 (2010-01-12 23 28 36) 私ですよ? -- STー1 (2010-02-07 00 26 55) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/ff14lore/pages/86.html
エオルゼアの歴史えおるぜあのれきし エオルゼアは、衰亡の時代「霊災」と、繁栄の時代「星暦」を交互に繰り返してきた。 旧FF14時点での現代は「第六星暦1572年」とされていた。 新生FF14スタート時点での現代は、5年後の「第七霊災5年」。 2.0メインクエストのエンディングで、「第七星暦元年」が宣言される。 霊災と星暦 第一霊災 風属性の災害。神々の時代が終焉したと伝えられている 第一星暦 詳細不明 第二霊災 雷属性の災害 第二星暦 詳細不明 第三霊災 火属性の災害 第三星暦 古代アラグ帝国が栄えた時代。魔科学が発達した 第四霊災 土属性の災害 第四星暦 詳細不明 第五霊災 氷属性の災害。大氷雪時代と呼ばれ、ミコッテ族が凍った海を渡り、エオルゼアへ移住してきた 第五星暦 魔法文明が花開いた時代。ニームやアムダプールが栄えたが、魔大戦という戦乱が巻き起こった 第六霊災 水属性の災害。魔法の乱用を原因とするエーテル枯渇により、エオルゼア全土を巻き込む大洪水が発生した 第六星暦 旧FF14の時代 第七霊災 天極性の災害? メテオ計劃により月の衛星「ダラガブ」が落下し、蛮神「バハムート」の炎で焼かれた 第七星暦 アルテマウェポンの撃破をもって、三都市首領によって宣言された新しい時代 第六星暦の歴史 エオルゼア復興期 都市国家勃興期 都市国家戦乱期 都市国家成熟期 帝国台頭期 第七霊災
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/11184.html
歴史 / マッドフラッド ■ 失われた歴史の続き blanklink プラグインエラー URLかページ名を入力してください。 .
https://w.atwiki.jp/fwal/pages/66.html
歴史 -年表- ~AT2:メタ・ファルス~ このコンテンツは、書籍によって異なるゲーム開始時以前の世界設定を、 統合表示し補完する事を目的としたものです。 分類は掲載書籍を指し、同一の記述がある場合は略号で併記しています。 ※凡例 VB(V) オフィシャルビジュアルブック(ゲーム初回特典) 年(A.D.) 分類 事象 第一紀以前 3007 VB 人口過多により、理想体制の行政が崩れ始める 3016 VB メタ・ファルスとエル・エレミアの邂逅 3021 VB メタ・ファルスとエル・エレミア共同開発「プロジェクト・メタファリカ」始動 3026 VB ソル・マルタ設計図完成 第二塔、第三塔計画着手 3032 VB レーヴァテイル2号体”フレリア”誕生 そのままメタ・ファルスへ 3034 VB 12賢人の一人クリジャバの息子エンジャとフレリアとの出逢い 3038 VB フレリア、ソル・マルタへ 当時11歳相当 ソル・マルタ天高く浮上 3039 VB 天界妖精の舞が始まり、世界中で話題になる VB インフェルピラ創世紀 3040 VB グラスノインフェリア 人々は塔を登って避難してくる 3048 VB 初の第三世代誕生 3053 VB Dセロファンの効果判明 フレリアとの擬似再会 3057 VB ジャザを中心とする生活共同体「パスタリア」の結成 3058 VB グライダーが見つかる 飛行試験の後、近隣飛行を開始 3059 VB クレアリス雲島群を発見する 資材としての鉱石を手に入れる 3064 VB 次々に第三世代死亡 レーヴァテイルとの間に子供を産むなという空気が蔓延 3067 VB ニーズ、メタファルスを発見し到着 3075 VB インフェル・ピラ構想がパスタリアで生まれる 3080 VB 新約メタファリカ理論完成 犠牲を伴う為ジャザ悩むが公表せず 3090 VB 旧エレミア支配層を掃討 生き残った人がリムへ逃れる 3092 VB パスタリアに完全な秩序を持つ法を創る 3097 VB 塔内部を伝う巨大な揚水ポンプが何本も建設される 3102 VB ネオエレミアへの使節団が遠征に向かう 3103 VB 使節団、途中自然災害により帰らぬ人に 外雲海への危機感を抱くようになる 3126 VB ダイブマシンが開発される 3150 VB インフェル・ピラ、ファーストステージ計画開始 3162 VB インフェル・ピラ完成するも、正常に動かずに失敗 3183 VB レーヴァテイル・ベータER(初期反射法による転写体)技術が確立する 3215 VB 新緑の大地宣言 メタファリカ大聖堂(現洛螺)の建設開始 3219 VB 世の中が荒んできて、心の癒しを求める人が増える ダイバーズセラピが民間で始まる 3256 VB 大鐘堂庁が「インフェル・ピラ」計画の再構築を発表する 10年以内の計画開始宣言 3264 VB 新約メタファリカプロジェクト「洛螺」結成 インフェル・ピラ計画の開始 3270 VB ダイバーズセラピ殺人事件が発生 3275 VB 「インフェル・ピラ」設計着手 3291 VB 初のインフェル・ピラ依存体「I.P.D」が転写される 3295 VB 14代目御子(焔)に「ネネシャ」任命 3歳 3298 VB 初代澪の御子が登場する 当時7歳 3299 VB 大鐘堂より、御子が「焔」と「澪」の2人となることを公表 3300 VB 澪の御子、明晰な頭脳でダイキリティ(重延命剤)の原理をまとめる 3305 VB 澪の御子、インフェル・ピラ開発主導権を握る 3306 VB 「澪の民」結成 洛螺の統括管理を行う 3308 VB 新しいヒュムノス律「新約パスタリエ」がプログラムされ始める 3310 VB メタファリカα版が完成 3313 VB 合体メタファリカを謳うも失敗 神との戦争に突入する ネネシャ死去 3315 VB 神との戦争に勝利する しかし民衆は大鐘堂に対し冷たい 3317 VB 澪の御子失踪 大鐘堂は第15代目御子「スフレ」を立てる 3319 VB 神と人々との契約条項が成立する 3322 VB この頃から、I.P.D.の異常がチラホラ出てくるようになる 3344 VB I.P.D暴走による、パスタリア市街地での大惨事発生 騎士隊含め大勢が死亡 3345 VB I.P.Dと暴走の因果関係を見つけるためのプロジェクトが結成 3348 VB ダイバーズセラピがI.P.D.暴走を抑える働きがあることが分かる 3349 VB 大鐘堂によるダイバーズセラピの奨励と推進、そして研究が行われる 3351 VB 15代目スフレ40歳で引退 16代目「ラクーシャ」御子になる 3355 VB リムの鉄道建設に関する交渉成立 スフレとラクーシャは、リムの人達の英雄となる 3356 VB リム鉄道の建設現場(資材置き場)に新しい町が形成される ラクーシャにちなんで「ラクシャク」と名付けられる 3357 VB ラクシャクからメタファリカ信者がミント区を開拓 3359 VB リム鉄道の名前が、母の名にちなんでスフレ軌道という名前になる ラクーシャの希望 3383 VB ラクシャクの軌道広場に、スフレとラクーシャの像が出来る 3394 VB I.P.D.情勢が悪化する 頻繁に暴走が発生し、住民を脅威に落とし入れる 3420 VB ネオエレミアから、幾つかの飛行挺が到来 難民船のようだ ベータ純血種再び入り込む 3424 VB ネオエレミアからの来訪者 インフェル・ピラを乗っ取り支配権強奪 3435 VB 時の御子イリューシャ、エレミア人殲滅 「戦場の御子イリューシャ」賛否両論 3441 VB 対外的防衛構想制定、イリューシャ主導で大鐘堂母艦が計画される VB 近代 3745 VB 32代目御子「アーシェ」、14歳御子になる 3748 VB HC「ハイバネーション」が完成 3750 VB レグリス、パスタリア大鐘堂に従事 3751 VB 教皇急死、アルフマン摂政が政治的トップに 3753 VB 御子アーシェがI.P.D.暴走によってエナ宮殿で死去 3754 VB カナカナ突堤I.P.D.襲撃事件 3756 VB チェスター、18歳で大鐘堂に入る 3758 VB レイカにI.P.D.発症 大鐘堂に保護される 3760 VB 33代目御子「クローシェ」、5歳御子になる 3761 VB チェスター大鐘堂離反、神聖政府軍を創設 3764 VB レグリス、大鐘堂騎士隊長に任命される 3766 VB 瑠珈、13歳になってダイブ解禁 ダイバーズセラピを始める 3768 VB クロアが騎士になりパスタリアへ 3771 VB 大規模陥没 パスタリアのみならず、リムの一部も欠損 犠牲者多数 3772 VB ラクシャク保養地襲撃事件発生
https://w.atwiki.jp/gulf/pages/12.html
Gulf語の歴史 Gulf語が最初に作られたのはZpDIC Onlineである ほぼ同時にトゥライブ氏の運営する歴史学サーバー”歴史学探求会Season2”でも発表された 最初に作成された単語は「Gulf」、言語という意味である 歴史学探求会Season2での言語制作が進んでいたが、同年6月にGulf語作成のためのdiscordサーバー”グルフ語作成委員会”が設立される
https://w.atwiki.jp/yamabikokai/pages/59.html
突然の訃報に驚いています。山田先生、これまで温かく見守っていただき、アドバイスをたくさん下さり、おかげで前任校の3年間は私にとってとても充実することが出来ました。山田先生のことばを今後も胸に、教員として努力していきたいと思います。これまで有り難うございました。 -- 佐藤健二 (2008-07-28 22 05 19) 山田先生との出会いは25年ほど前です。私の教員生活は山田先生・やまびこ会と共にあったといってもよいです。山田先生の優しさ、気配りにたくさんのことを教えて頂きました。ありがとうございました。 -- 中野敏治 (2008-07-28 22 12 20) 山田先生長い間お疲れさまでした。これまで先生が歩まれてきた道に点された灯火は、多くの方々のお心にいつまでも希望の道しるべとして輝き続けることと思います。たくさんの方々とのご縁と温かさをありがとうございました。これからも、先生の優しい励ましを支えに生きていきたいと思います。身近で山田先生を見守られてこられた方々にも、深く感謝申し上げます。 -- 宮脇 欣子 (2008-07-29 08 28 36) 山田先生、今まで本当にありがとうございました。山田先生のお人柄に惹かれ…子ども達への情熱に憧れ、たくさんの人がやまびこ会に集まってきて…たくさんの方が、山田先生を心の支えとして、また自分の目標として頑張ってこられたことと思います。これからも、山田先生が心の支えであることは変わりません。迷った時は「山田先生ならどうされるのだろうか?」と自分に問いかけながら、子ども達の幸せのために少しずつでも前進できたら…と思っています。本当にお疲れ様でした。ご家族のみなさま、ありがとうございました。 -- 比田井美恵 (2008-07-29 09 03 50) 退職後父母と教師の交流誌「今が青春」の発行とともにご乗船を頂いて13年、公私共にお世話になりました。 -- 渡部英隆 (2008-07-29 09 46 17) 今はただただご冥福をお祈りするのみです。ありがとうございまいた。 -- 渡部英隆 (2008-07-29 09 48 19) 山田先生にいつも励まされていました。本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。 -- 静間慎一 (2008-07-29 12 08 06) 聖ヶ丘病院にご入院中、毎日美しい色つきイラスト入りの葉書通信を楽しみにしていました。 -- 吉田とし子 (2008-07-29 12 39 23) 山田先生は故郷鯛島の彼方に昇る太陽に向けて旅立たれました。そしてあの太陽の暁の下に再び甦られることでしょう。 -- 本吉光男 (2008-07-29 13 09 22) 山田先生、実際にお会いできなかったこと、残念です。しかし、山田先生からいただいたものは、多くございます。人生や教育についての考え方。常に前向きで、温かい思い。忘れません。また、山田先生を通して、多くの皆さんと出会わせていただきました。山田先生を忘れず、一歩一歩あゆんでまいります。山田先生、ありがとうございました。 -- 西村 徹 (2008-07-29 16 31 02) 先生のご冥福をお祈りします。先生に出会えた事に心から感謝しています。 -- 下里亘 (2008-07-29 17 11 19) 山田先生のご冥福をお祈り申し上げます。通信をずっと出し続けてこられたのも、山田先生、並びにやまびこ会の皆様のおかげです。ありがとうございました。 -- 野口健一 (2008-07-29 20 22 40) 山田先生のご冥福を心よりお祈りいたします。直接お会いしていただいたアドバイスと「やまびこ」はいつまでも私の宝物です。「中原さんなあ、こんなことをしてみたらどうかなあ」という優しい声が今でも聞こえてきそうです。山田先生の思いを少しずつでも受け継いで頑張っていきたいと思っています。子どもと教育を本当に愛されていた山田先生、ゆっくりお休みください。 -- 中原 衛 (2008-07-29 20 31 41) 先生の訃報にただただ驚くばかりです。自分が中学校教員として現在あるのも、また学級通信を出し続けているのも、子供の良いところを見るという視点を持てたのも、親との関わりの重要性を認識できたのも、山田先生のおかげです。月刊「やまびこ」の10.20周年記念誌、大切にしていきます。本当にありがとうございました。山田先生、ゆっくりお休み下さい。 -- 熊本丈力 (2008-07-29 21 17 47) 今、HPを開き山田先生の訃報を知りました。本当にお疲れさまでした。そして本当にありがとうございました。ご冥福を心よりお祈りいたします。とうとうこの日が来てしまったのですね。先生のご病状については、HPでのお葉書を通じて病魔の侵攻と、その病魔と対峙しながらも最後の最後まで先生らしい発信を続けられる姿に、いつも驚きとすごさを感じていました。先生にお出会いし、多くのことを学び、多くの仲間に出会えたこと感謝しています。ありがとうございました。 -- 本間 正泰 (2008-07-30 22 40 44) 単身赴任先から帰ってきた昨夜訃報に接しました。まったく突然のことでしたから、大変驚きました。入院されても精力的に葉書で思いを伝えておられただけに、いつまでも私たちを教え導き続けられるのではないかと願っておりましたが、やはり病気には勝てなかったのですね。遠く山口からはお見舞いも叶いませんでした。ご冥福を心からお祈りいたします。暑い8月になると、全国交流会のことを昨日のことのように思い出します。いろいろなことを山田先生には教えていただきました。まだまだ教えていただきたいことばかりですが、先生が残されたものをこれからは拠り所として教員生活を歩んでいきたいと思います。「やまびこ会」の皆さんと共に山田先生の遺志をついでいきたいと思います。山田先生、本当にありがとうございました。ゆっくりお休みください。そしていつまでも私たちのことを見守ってください。 -- 金子 (2008-08-02 19 40 21) 我が家のパソコンが故障していて、ようやく治り、今、ホームページを見て、先生の訃報に接しました。 -- 谷口 容子 (2008-08-03 20 37 32) 続きです。 先生のおかげで、我が子の障がいも受け入れることが出来るようになり、最後の一年間、執筆させていただくことができました。そのおかげで、講演会もして、発達障害についての理解者を増やしていくことをする勇気を持つことが出来ました。一度だけ先生の故郷の古座で会えたこと、病院から先生が電話をかけてくださって、先生とお話ができたこと私の宝物です。11日には、小中学生のこ相手にワークショップをして、7日から26日まで、兄妹展をします。その中で、講演会とワークショップをします。山田先生、本当に本当にありがとうございました。先生が、風になって、見守っていてくださると思って頑張りますね。ゆっくりお休みください。 -- 谷口 容子 (2008-08-03 20 48 21) 成瀬台中学1982年卒業生です。山田先生は中学1年と3年時の担任をして頂きました。先月ホームページに訃報が出て、すぐご逝去を知りましたが、なかなか正面から先生の死と向き合うことができませんでした。 -- 福原麻希 (2008-08-07 08 47 41) 続きです。亡くなる前の6ヶ月、病床の先生をお見舞いし、私が 学んだことは▽最期まで自分の生をつくり、生き抜くこと、▽友達は大切にしなさいということ、▽人には感謝しなさいということ、▽人にはだれでもいいところがある。それを見つけたら、声に出して相手に伝えましょうということ でした。先生は私にも、「あなたには、こういういいところがあるんだよ」と通信を通して、さらに、私が30代になっても40代になっても、昔を思い出しながらお話してくださいました。人は自分のよさを知ることで、自信を持って生きていけると思います。これからも、マスメディアで働く者として、この4点を読み手に感じてもらえるような記事を書いていきたいと思います。最期に「生と死の教育」をしてくださって、本当にありがとうございました。 -- 福原麻希 (2008-08-07 08 55 56) ずいぶん長い間、ご無沙汰しておりました。先ほど、HPを開いて先生がお亡くなりになったことを知りました。本当に長い間、お世話になりました。せっかく何度も機会を与えていただいたのに、しっかりと答えることのなく、きてしまいました。今、先生の死を前にして、本当に申し訳なく思います。長い間、本当にお疲れさまでした。これからは、ゆっくり、休めながら私たちの活動を見守ってください。 -- 鈴木 久 (2008-08-09 21 06 43) 昭和42年町田市立第二3年の担任に山田暁生先生にお世話になりました。 -- 加藤 みずえ (2008-08-31 18 08 40) 先生がやまびこのガリを制作し毎日下校時に生徒にやまびこを配る習慣は生徒に何かを伝えることの愛情だったと思います。私は1日もクラスメートであった杉本美佐子さんが出席せず卒業式に遺影をお母さんから預かり名前を呼んだ先生の声が響いています。その先生が癌と聞き残念でなりませんでした。しかし私は教育熱心な優しい山田先生の教育の成果あって美佐子さんの亡くなった大学病院で現在働いています。先生のその当時出版された親子通信の先生と共に見つめていきたいと母とのやまびこ通信の出来事を掲載された恥ずかしながら本人ですが、先生の教え子が何かの縁でその時を忘れない現場で芽吹きましたよ!!どうか先生!!先生からのやまびこをしかと響かせ歩んでいきますから・・・安らかにゆっくり休んで下さい。先生の教え子だったことに深く感謝して・・・。ご家族の方の健康を祈りながら・・・。書き込み前後しまして申し訳ありません。 -- 加藤 みずえ (2008-08-31 18 27 23) 加藤みずえ様のコメントを目にし、教師の仕事の尊さを思います。山田先生は、本当にいい先生だったのですね。昭和42年と言えば、私はまだ小学校の2年生でした。こうしてやまびこ会があるからこそ、いろいろな人とつながるのですね。山田先生の教えたことは、その学級にいても、会にいても同じことだと思います。接する時間の長かった人には、いろいろなことを教えていただいた分、良かったですねと言いたいです。自然体の美しさ、強さを思いつつ先生のことをさらに敬服いたします。 -- 新井国彦 (2008-08-31 18 56 41) 加藤みすえ様のコメントに感動しました。感動が私の心の中である決心に変わりました。ありがとうございます。 -- 中野敏治 (2008-08-31 22 23 44) 本日50歳の誕生日を迎えました。数日前から読んでいた『この一言で子どもが伸びた』を通して山田先生の生きる姿勢に感動し、こうしてやまびこ会をお訪ねしました。山田先生の志の継承者が沢山いらして、こちらでもまたまた、感動を頂きました。皆様ありがとうございます。中学校の恩師宛てにハガキを出しました。もろもろのチャンスを下さった中野敏治先生に、心から感謝申し上げます。最後になりましたが、山田先生、ご卒業おめでとうございました。 -- 藤本歌織 (2008-10-18 22 35 16) YPC21号の自由テーマの中で、山田先生のご逝去について書かせてもらいました。かえすがえす -- 金子悦郎 (2008-10-27 18 01 12) (続きです)残念ですが、思いのほどを書かせていただきました。ぜひご一読ください。YPCの読者が増えるといいですね。 -- 金子 悦郎 (2008-10-27 18 04 11) <忘れられない山田先生からのメール>2008年2月18日 昨日は1日さいてきていただき、ありがとうございました。実り多き1日となりました。思えば、教え子たちとのおしゃべりを含めて1日8時間ぶっ続けにしゃべったことになり、身体はクタクタになっていたようです。夕食から食欲ががた落ちになり、体調もまた低空飛行し始めて、今に至っています。自己コントロール出来なくてだめですね。昨日、中野さんがヒントをくれた「教育職人・山田暁生の為業」の中身がはっきりしてきました。今朝からそれをメモ風に書き出してみているのですが、写真も豊富に入れると、本2冊分の内容が浮かんできました。富士山を撮影している教え子が写真を撮ってくれることになり、退院後の仕事になりそうです。(*「教育職人・山田暁生の為業」の本は見ることができませんでした。) -- 中野 (2008-11-25 21 35 21) <忘れられない山田先生からのメール>2008年2月18日 ここ掘れワンワンと実践体験を思い起こしましたら、本に盛り込みたいものが2冊ぶんほど今日1日で掘り出せました。 -- 中野 (2008-11-30 21 45 31)
https://w.atwiki.jp/touhourowa/pages/304.html
消えた歴史 ◆Ok1sMSayUQ 獣道、とはそこをたまたま通った動物に踏み均され、長年の時を経て視認できるほどの道になったものを言うらしい。 博麗神社への途上もその例に漏れず、木々の間に細い路地がうねり、蛇の体のように続いている。 月面探査車が来ることができたのは神社に連なる林道の一歩手前までで、最後は結局歩く羽目になった。 車のキーを懐にしまい、殆ど先の見えない暗闇を懐中電灯で照らしながら八雲紫が先導する。 東風谷早苗もそれに習い、全員に支給されたものである、紫と同じ懐中電灯のスイッチを入れて後に続いた。 ここに来るのは三度目ではあるが、こうも先の見えない暗闇であると博麗神社に参拝客が少ない理由の一端が分かるような気がする。 守矢の神社も同じく山に本殿を構えてはいても、参拝客に配慮して道には明かりをつけているし、整備もしている。 博麗神社にはそういった配慮のようなものが見られない。ただぽつんと置いてあるだけでそれ以外の一切を行っていないのだ。 一応、博麗霊夢自身は生活のために必要な金銭は妖怪退治で得ているとは聞いている。 蓄えはないことはないだろうし、その気になれば道の整備だって行えるだろうが、どうもその気配は見られなかった。 霊夢が参拝客への興味を失っているのかもしれなかったが、実際はどうであるかは分からない。なにぶん、早苗自身は幻想郷に来てから日が浅すぎた。 だが他人に聞くことはできる。ふと気になっただけの疑問だったが、車を降りて以降の沈黙を紛らわせるにはいいと結論して、早苗は目の前にいる、 金糸の長髪を揺らして歩く背中へと向かって問いかけた。 「紫さん。博麗神社って、いつからあったんでしょう?」 「いきなりね。また無駄話?」 「はい、無駄話です」 妖怪は本質的にそうであるのか、それとも紫のひねくれた根性ゆえなのか、こちらから話を振るとどうにも小馬鹿にしたような返事が来る。 とはいってもきちんと返事をしてくれるあたり、紫はまだ誠実な部類ではあるのかもしれない。 ふーむ、と僅かに顎を傾けて紫は「確か……幻想郷縁起が編纂され始めたときにはもうあったかしら」と思い出すように答える。 「げんそうきょうえんぎ?」 「歴史書みたいなものよ。もっとも……編纂者は既にいないけど」 「それ、何年くらい前なんです?」 「稗田阿一からだから……ざっと千二百年くらいは前になるかしら」 「はぁ~……そんな昔から……」 歴史の重さだけで言えば、早苗の仕えていた二柱も同等かそれ以上ではあるが、博麗神社も由緒あるものには違いない。 しかしそれだけ昔からあるものなら、何かしら有名な神様が奉られていそうなものだったが、博麗の神が何であるのかは聞いたことがない。 いやそもそも千二百年の昔から存続していたことの方が驚きと言うべきで、一体何をどうすれば歴史に埋もれずにここまで続いてきたのか不思議でならない。 幻想郷の外につい最近までいた早苗にとっては、流行り廃りはとても早いものであり、ふとした拍子に消えてしまうものという印象が強かった。 「……なんか、よく分からないですね。それだけ強固な信仰があるのに、参拝客はいないなんて」 「博麗神社はなくてはならないものだからね。幻想を生きるものにとって、結界の恩恵がなければそれは死を意味するも同然だったから」 「妖怪の信仰を得ていたってことですか?」 「信仰……というより、利用していたってところかしらね。幻想郷では貴女達が来るまでは唯一の神社だったし、神事を利用するにはうってつけだった」 「……それ、変じゃありません?」 気がつけば、博麗神社の麓までたどり着いていた。既に石段を登り始めていた紫へと向けて、早苗は疑問を投げる。 聞けば聞くほど、博麗神社は本来の意味を為す存在には思えなかった。 神を奉り、畏れ敬っていたのでもなければ、博麗の神が幻想郷に安寧をもたらしてきたわけでもない。 妖怪と博麗の人間が勝手に取り決め、お互いに力を利用して今の幻想郷を作り上げたようにしか思えなかった。 違和感が早苗の中で急速に膨れ上がってゆく。博麗神社の歴史が、信仰の歴史ではなく、人為的に作られた歴史だとしたら。 「だって、神社を利用していたって……普通、そこの神様にお願いするものなんじゃないですか?」 「とは言ってもね。妖怪は基本的に自分よりも力が上でないと納得しないから、徳だけじゃ信仰を得るに足りなかったのよ。ただ、そこの巫女の力は強かったから……」 「それがおかしいんです! 妖怪は神を信仰しない。神も力を持たない。でも巫女の力は必要って、神社の体裁を整える理由がないですよ!」 紫の弁を遮って早苗は言っていた。神に近しい位置にいた早苗にとって、奉る神ではなく、神社でもなく、そこに仕える巫女を重要視しているかのような紫の言動が、 矛盾を含んでいるようにしか思えなかったのだ。巫女は所詮神の代弁者、もしくは依代でしかなく、それ自体が強い力があるわけではない。 仮に巫女の力が神よりも強いのだとしたら、その時点で神社という存在は意味を為さない。 なぜなら、より力の強い方が取って代わり、神の座席に居座るからだ。守矢がそうであったように。 「結界だとかなんだとか、そういう専門知識だって知ってしまえばなんでもない話ですし、第一妖怪の都合のいいように動かしたいなら手元に置いておくはずです。 要は……ええと……博麗神社があることに意味がないのに、どうして今もそこにあるんだろうって話なんです」 「それは……」 紫が言葉に詰まる。いや、答えられないというよりは、彼女自身新たに生まれた可能性について頭を巡らせているようだった。 気がつけばそこは博麗神社の麓の石段であり、ここを登れば境内だ。目的地まであと少し。 だが、そこで紫と早苗は足を止めていた。これから向かう先の不可解について、いま少し手繰り寄せる必要があったのだ。 「紫さん。私達は、あることが当たり前になりすぎていて、どうしてあるのか、を考えてこなかったんじゃないでしょうか」 「……認めましょう。確かにおかしい。どうして私達は、歴代の博麗の巫女を博麗にいさせたのか」 「……もしかして、理由、忘れてたり?」 「というより」 紫がそこで初めて早苗の方に向き直った。 暗闇の中に照らし出された紫の表情は、若干強張っているようにも思えた。 「覚えてないのよ。何があったか、は覚えていても、どうしてそういう考えに至ったか、は覚えてない」 「それって……」 「結果だけ覚えている。過程は覚えてない。そう、分かりやすく言うなら……歴史の丸暗記ね」 それが意味する事態。ゾッとするようなひとつの悪寒を覚えた早苗に対して、紫は自身信じられないというように両腕で体を抱え、首肯していた。 幻想郷には、矛盾がある。その矛盾を覆い隠すために、何者かが仕掛けていた事柄。それは。 「私達は、記憶を改竄されている。もしくは……忘れさせられている」 予想はできた言葉だったとはいえ、紫の一言が胸に突き立ち、じわりと浸透してゆくのが感じられた。 今ある記憶が偽物であるかもしれないという可能性。こうやって考えている自分が、紛い物の記憶によって形作られているかもしれない可能性。 我知らず胸に手を当てていた早苗は、搾り出すように反論を口にする。 「可能性のひとつ……ですよね?」 「ええ、可能性の一つには違いないわ。でも、あり得ないとは言い切れない」 妖怪の大賢者という肩書きを持っているだけに、否定しない紫の言葉が尚更胸に突き立った。 そう、記憶の改竄と考えればいくらか辻褄が合うことがある。 殺し合いの始め、知らぬうちに全員が一箇所に集められていたことがそうだ。 集められる直前までのことを早苗自身覚えていない。 そもそも記憶の改変などを行えるのかという疑問は、こんな状況になっていること自体が答えとなる。 「だから、私達は私達の歴史を知る必要がある」 早苗の内に生じた暗雲を振り払うように、紫は鋭い口調で言い切り、石段の途中で足を止め、顔を上げて境内の方へと向けた。 恐らくは紫にとって……いや、幻想郷にとっての始まりであろう場所。妖怪も神も飲み込み、桃源郷の原初となった神社。 そこにこそ秘密が隠されていると確信しているかのように、紫の声は凛として響いていた。 大妖怪であり、賢者。肩書きを思い出し、そうなのだろうと雰囲気を以って実感した早苗はするすると不安が抜け落ちてゆくのを感じていた。 それまで不明瞭だった道が示され、目の前を覆っていた霧が晴れてゆく感覚だった。 のらりくらりと自分をからかっていたかと思えば、鋭い洞察力で物事を言い当てる。 可能性の一つと釘を刺したものの、ようやく見えた可能性には違いなかった。 「まあ、言い方は大袈裟だけれどね。覚えていないことを思い出せれば敵の意表をつけるかもしれないってことよ」 「というと?」 「覚えていないということは、覚えていられると不都合ってことよ」 「……つまり、幻想郷の歴史の中にこそ永琳って人の弱点があるってことですか」 「あいつが首謀者だと決まったわけでもないけど。というより、あいつはほぼ間違いなく白――」 そこまで言ったとき、「おーい! そこの胡散臭いの、紫だろー!?」という調子っぱずれに元気のいいハスキーボイスが木霊していた。 む、と不機嫌そうに唇を釣り上げる紫。邪魔されたのが気に入らなかったのか、それとも胡散臭いと言われたのが気に入らなかったのか。 多分、どちらもだろうと思った早苗は苦笑しつつ、声の主の方角へと振り向いた。 「珍しいのと一緒だな? 早苗もいるのかー!? っていうかなんで私の服着てんだよ!?」 ぶんぶんと手を振りつつ現れたのは、早苗もよく知る人間、霧雨魔理沙だった。 * * * 「博麗神社に行ってみてもいいか?」 霧雨魔理沙の発した一言に、因幡てゐは内心肝が冷える思いを味わった。 人間の里に仲間を探しに、と目的を伝えた直後の寄り道提案。 これだから人間というやつは、とてゐは軽く苛立ちを覚え、そしてそれ以上に因縁の場所であることに怯えを感じていた。 まだ誰かを騙しきれると根拠もなく思っていた始まりの地。今となっては遠い昔にすら思える、パチュリー・ノーレッジを殺害してしまった場所だ。 その博麗神社に魔理沙は行ってみたいのだという。行きたくないという抗弁を拳を握り締めることで抑え、 てゐは「なんであんなとこに」と出来うる限り冷静な声で喋りかけた。 「そもそもまだ言ってなかった話になるんだが……霊夢が殺し合いを進める側に回ってる、って話はしたな」 「……まあ。あの能天気巫女がやってるなんて信じられないけど」 「ウソ言ったってしょーがないでしょ。実際、私と魔理沙は何度か戦ってる。友達だって……殺された」 「わ、わかってるよ。実感がないだけだって!」 フランドール・スカーレットが重い口を開き、怒りに震えるように七色の羽を上下させる。 気分を害せばロクなことにならないと直感したてゐは慌ててフォローに回るが、 フランドールは溜息をひとつついただけでそれ以上何も言うことはなかった。 「続けるぞ。てゐの言う事にも一理はあるんだ。なんで霊夢がこんなことをしてるのか。私には分からん」 「分かる必要なんてないでしょ。あいつは……」 「フラン」 魔理沙が強く名前を呼ぶと、フランドールは納得がいかない様子ながらも渋々黙り込んだ。 どうやら想像以上に霊夢との確執は強いものになっているらしい。とんだ貧乏くじを引いたかもしれないと感じたが、 このハズレだらけのくじを引かないという選択肢はなかったのも事実で、だったら深く突っ込まない方がいい、というのがてゐの結論だった。 もう何もない。何も残されていない自分には、こうしてのそのそと隅にでもいるしかないのだ。 「ともかくだ。あいつは理由もなしにこんな決断をしたとは思えない。だから私は知りたいんだ。霊夢が殺し合いをするって決めた理由を」 「その理由っつーのが神社にあるって言いたいわけね」 「かもしれないってだけさ。いつもの勘だよ」 「……知ってどうするのよ。知ったところで、どうせまた霊夢とは戦うんでしょ? 説得だって無理そうじゃない」 フランドールも頷く。まさか同意を得られるとは思わなかったが、ともかくこれで反対の大義名分は立った。 もっとも、反対の理由は自分とは違うだろうとてゐは思っていた。 魔理沙の言うことをよく聞いているあたり、信じられない話ではあるがこの吸血鬼は魔理沙に懐いている。 実力など天と地の差があるはずなのに、特に縛り付けているわけでもないのに、フランドールは『まるで友達のように』接している。 内情はおおまかにしか分からないものの、恐らくは霊夢と魔理沙を接触させたくないのだろう。 自分は違う。自らの罪状を暴き出されるのが怖く、保身を求めているだけだ。 魔理沙のように問題を解決したいと思っているのでもなければ、フランドールのように友人を心配しているわけでもない。 あれだけ痛い目に遭わされておきながら、事ここに至って自らの安寧しか考えていない自己中心ぶりには失笑を通り越して呆れるしかない。 でも、とてゐは自分以外の何に報いればいいのだと誰にでもなく問いかけた。 仲間もなく、家族もなく。全てを失くしてしまった我が身に、他者のために行動できる気力など残っているはずがなかった。 別に見返りを求めているわけではない。見返りを求めずとも行動できる誰かがいなくなってしまったのだ。 自分から裏切り、あるいは裏切られ。気付いたときには何もかもが灰燼に帰していた。 やり直す気概も持てなかった。やり直すには、あまりに遅過ぎた。 「……霊夢のためじゃないかもしれない。正直に言うと、私は私のことしか考えていないのかもしれない」 誰のためにも動けず、諦めきっているてゐに呼応するように、魔理沙はそう言っていた。 お人よし馬鹿の魔法使い。そう思い込んでいただけに、魔理沙の言葉は意外に感じられた。 怪訝に首を傾けたてゐに「霊夢なんて、もう説得もできないって分かってる。いやもう、したくもないってすら考え始めてる」と魔理沙は重ねた。 「よく分からないんだよ、自分でも。あいつは、香霖を殺して……でも、友達だった奴で……いい奴だったんだよ。つい昨日まで。 昨日まで、私ら縁側で一緒にお茶飲んでたんだぜ? でも急に皆を殺し始めて、それが当然だって言い張って…… 何があったって訊いても異変だからの一点張りで……もうあいつ、化け物になっちまったんじゃないかって……」 戸惑いと、憎しみと、信じたいという気持ちの混ざり合った声はどこか淡々としていて、しかし空気を震わせる力があった。 つい昨日まで、普通の友達だった。この一日が長過ぎて、忘れそうになっていた事実。 魔理沙だけではない。フランドールも、自分も……つい昨日までは、平和を謳歌し、日常を笑って過ごしていたはずだった。 「でも化け物だって認めてしまったら、もう私は霊夢を、何も感じずに殺しちまう。友達を殺すのって哀しいはずなのに、哀しいとも思わなくなって…… そう思いたくないから、せめて理由が知りたかったんだ。なんで香霖が殺されなきゃいけなかったのか。本当に異変のためだけに犠牲になったのかをな」 「魔理沙、それって」 「……霊夢は、許すにはもう殺しすぎたよ」 フランドールが息を飲む。てゐも、一瞬だけ見せられた冷たさに全身が総毛立っていた。 お人よしなどではない。どこにでもいる、喜怒哀楽を併せ持ち、感情を手放しきれない、本当にありふれた人間だ。 恨みもするし、理由なく誰かを助けたりする。そういう存在なのだと理解していた。 「でも、悔しいからって、哀しいからって……感じることをやめて、誰かに押し付けるってわけにはいかないんだ」 だが、普通でありながら魔理沙はやはり強かった。 これから先、必ず訪れるであろう苦しみから目を背けず、受け止められるように精一杯足を踏ん張っている。 それはてゐの脳裏に、あのときの藤原妹紅の姿を思い出させた。 敢然と、勇敢に、『感じることをやめてしまった』であろう蓬莱山輝夜に立ち向かい、人間として生きようとしていたあの姿を…… 人間のくせに。ただの嫉妬心だとは分かりきっていたが、それでもてゐは魔理沙を羨まずにはいられなかった。 吸血鬼を味方につけて、逃げ出したりもしないで。この心根が少しでもあれば、鈴仙を説得できたかもしれなかったのに。 鈴仙・優曇華院・イナバのことを忘れられず、まだ未練を残している自分に辟易して、 情けない我が身を再三確認したてゐは博麗神社に向かうのはもう決定事項だろうと諦めていた。 これほどの覚悟を持った魔理沙に、口先だけの言葉が通じるわけがないし、論破されるに決まっている。 だから言い出される前に、自分から譲歩してみせることがてゐの最後の尊厳の保ち方だった。 「わかったよ。付き合うよ、神社まで」 「私も……その、さっきは生意気言って悪かったわ」 「ばーか。まだ自暴自棄だと思ってたのかよ、お前」 言うや、魔理沙はフランドールの頭を乱暴に撫でる。手のひらを押し付けるようにぐりぐりとされ、前傾姿勢になったフランドールが「ちょ、ちょっと!」と慌てる。 しかし悪い気分ではないらしく、腕を跳ね除けることはせずぱたぱたと羽を動かすだけだった。 こうしてみると友達と言うより姉と妹のような関係に見えてきて、恐ろしい吸血鬼という印象が薄れてくる。 「私の命は私だけのもんじゃないからな」 「わ、わかったから! その、もうちょっと……」 「……くく、なっさけないの」 人間にいいようにしてやられている吸血鬼がおかしく、てゐはいつの間にか口に出してしまっていた。 当然、言葉を聞きつけたフランドールの目がてゐに向いていた。恥ずかしい現場を見られたからなのか、陶器のように白い肌に赤みが差していた。 「笑った!」 「あ、いや、その」 「笑ったなぁ!」 「ま、魔理沙! 先行ってるから……」 やばいと思い、逃げ出そうとしたときには手遅れだった。 妖怪兎ごときの身体能力では為す術がなく、がー、と飛びついてきたフランドールに組み伏せられて頬をつねられていた。 手加減はしてあるのかさほど痛くはなかったものの、これをどうにかできる術もなかった。 魔理沙はその様子を見ながらケタケタと笑っている。助けてくれる気はないらしかった。 「仲いいなお前ら。じゃ、こっちはお先に」 「ちょ、ちょっと待って魔理沙」 「別に! あれは! ちょっと慣れてなかっただけなのよ! 分かってる!?」 「わ、わかったから! 引っ張るのやめれー!」 笑いっぱなしの魔理沙が手を振りながら先に行く。 餅のように伸びきりつつある頬を他人事のように見つめながら、てゐはさほどフランドールに恐ろしさを感じなくなりつつある現状を不思議に思っていた。 つい先ほどまでは、あんなに恐れていたのに。彼女の子供のような行動を垣間見たからなのかもしれなかったが、それを含めても安心している自分の心が信じられなかった。 無論こんなもの、一時の気まぐれにつき合わされているだけなのかもしれない。こんな遊びなど、一瞬のうちに壊れてしまうことを嫌になるほど経験もしてきた。 なのに、それなのに。どうして安らぎを求める。どうして日常を求めようとする。 もう戻ってくるものも、取り戻せるのもないと分かっているのに―― 「いだだだだだ! ギブ! ギブギブギブ!」 「ふん、分かればいいのよ分かれば。……魔理沙、追いましょ」 てゐがタップして降参したところで、フランドールはようやく満足したのか高慢ちきにそう言うとすたすたと先を歩いていってしまう。 こういう部分はレミリア・スカーレットの妹かと鈍い感想を結んで自分も立ち上がろうとしたところで、不意に戻ってきたフランドールが手を差し出してくる。 立て、ということらしかった。 何も言わず、てゐはその手を取る。フランドールも何も言わなかった。 それで、十分だった。 じゃれている間に魔理沙とは距離を離されてしまったらしく、フランドールと並んで小走りに森を進む。 先ほどの出来事があったからなのか、フランドールに話しかけてみるかという気になり、てゐは思ったよりも気軽に「ねぇ」と声を発していた。 「なんで霧雨魔理沙と一緒に? 最初からいたわけじゃないんでしょ?」 「うん。でも、出会ったのも偶然で、ついていこうってことになったのも偶然だった」 やはり最初は気まぐれだったらしい。吸血鬼がそのようなものであると知っていたてゐには当然の納得だったが、分からないのはそこからだった。 「なんで今も一緒に?」 力が強く、プライドが高い故に、吸血鬼は同格に扱われることを嫌う。 それはつまり、上下の関係は認めても横の関係は認められないということだ。 魔理沙はずけずけとした物言いで踏み込んでくるから吸血鬼とは反りが合いにくいものだと思っていた。 だからこそ不思議だったのだ。フランドールがこんなに懐いているというその事実が。 「友達だから……ってのもあるけど、今はそれだけじゃない。色々なことを知ることができるから」 「知る? そりゃまあ、あんたは引きこもりだったからそうなんだろうけど」 「そうじゃなくって……なんというか、魔理沙といると、分かり合えるんじゃないかって気になるの。感覚を共有できるというか」 自身形にならない言葉にもやもやしているのか、フランドールは手のひらを開いたり閉じたりしながら紡ぐ。 てゐには尚更理解の出来ない言葉ではあった。分かり合える。いい言葉ではあるが、そんなことがあるはずがないとてゐは知っている。 差別し、いがみ合い、騙しあい、呪い合い、誰かが誰かを見下しながら続いてきた歴史は千数百年にも及ぶ。 誰も解決しようとはしなかったし、そうしようとした者は長過ぎる時間の中で潰されるか、さもなくば支配者の立場になるだけだった。 それだけ現在を変えることは難しい。妖怪の間に根付いた『自分は他者よりも優れている。だから自分は偉くあるべきだ』という認識と、 高位の存在になることで得られる優越感と実利の存在は大きい。人間ごときに変えられるわけがないのだ。 フランドールは分かっていないだけだ。この幻想郷を取り包む現実を。 「これだ! って言葉にならないのよね……でもさ、分かるんだ。自分が何をしちゃいけないとか、こういうときどんな感情が生まれるのか、みたいな」 「そりゃ、あんたが……物を知らなさ過ぎるだけだよ」 「かもしれない。でも……それでも、私には分かった。誰かが死ぬって、怖いことなんだって」 自分ではなく、誰かが。確かにフランドールはそう言った。 「……仲間が殺されたからでしょ? 八雲藍っての」 「それもあるけど……違う。はっきり感じたのは『香霖』ってやつが殺されたとき。魔理沙の家族みたいなやつなんだけど、 出会ったこともないし私には何の関係もないのに、そいつが殺された瞬間、怖い、って思ったの。 誰かが死んだら、そいつを大切に思ってた誰かの、ハートから何かが抜け落ちる。いなくなる。それが怖い、って思った」 喪失感のことを言っているのかとてゐは考えたが、そんな単純な言葉でくくれるようなものではないように感じていた。 フランドールは恐れている。恐らくは、虚無や、暗黒に近いなにか。復讐心や悲しみといった感情でさえ塗りつぶせなくなるなにかを。 感情にさえ置き換えられないもの――それは、てゐに死に掛けたときのことを思い出させた。 一人寂しく死ぬという実感を覚えたときの、あらゆるものに置き去りにされた感覚。あの時は全てが消失してしまった、そんな気分だった。 「だから私、そんなことしたくないんだ。誰かに怖さを押し付けるってことを。むかつくことも、ヤなこともある。 感じるのは別にいい。感じないのは生きていない証拠だから。でも、だからってそれを押し付けていい道理はない」 「魔理沙の言葉じゃない」 言って、てゐは笑った。――感じることをやめて、誰かに押し付けるってわけにはいかないんだ。 結局はフランドールも魔理沙と同じ結論に辿りついていた。種族も違えば、そもそもの考え方だって違うはずなのに。 何もかもが違うはずなのに、そうした垣根を乗り越えて同じ結論に達した。それぞれに考え、道は違いながらも。 フランドールの言う『分かり合える』とはそういうことなのかもしれない。 だったら、とてゐは新たに生じた身の内の疑問に耳を傾ける。 自分も、誰かと分かり合えるのか? 感じることさえやめなければ、誰かに押し付けようと考えなければ。 難しい話で、千年の歳月を経て身も心も汚れきった自分には困難な話なのかもしれない。 いや、不可能なくらいだろうとてゐは思った。分かり合おうとするには、自分は誰かを裏切り過ぎた。 不実を不実とも感じず生きてきたこの身体には、信じることですら重たすぎる。 「そうだけどさ――あ、魔理沙いた!」 木々に囲まれた道の先。博麗神社に連なる石段の麓で、魔理沙は何事かを騒いでいた。 誰かがいるのか? そう思ったてゐの脳裏に、嫌な予感が走る。 唾をごくりと飲み下し、足を止めた自分に気付かず、フランドールは「魔理沙ー!」と近づいてゆく。 「ねぇねぇ、誰かいるの?」 「お? 遅いぜ吸血鬼。夜が昼なんだろ?」 「私は低血圧なの……ん、あれは……」 「あっちの胡散臭いのは分かるな? で、あっちが最近こっちにやってきた新入りの――早苗だ」 魔理沙がここからは見えない石段の上を指差し、確かに『早苗』と言った。 早苗。東風谷早苗? 名前から即座に姿を、そして罪をなすりつけようとした事実を、 一度ならず二度裏切ろうとした事実を思い出したてゐの心臓が跳ね上がり、強烈なめまいにも似た感覚を起こさせていた。 息苦しくなり、これまで目を背け続けていた『罪の清算』という言葉が、裁かれるであろう未来がむらと沸き立ち、擦り寄ってくるのを感じる。 今度こそ、早苗は自分を許しはしないはずだ。 先ほどの魔理沙の言葉を確認する限り、早苗の他にはあのときの面子はもういないのだろうと確信できる。 しかもそのうちの一人は死亡をも確認している。上白沢慧音。殺し合いを否定し、なんとか皆を取りまとめようとしていた半人半獣。 何があったのか、逃げ出したてゐには知る由もなかったが、恐らくは……瓦解したのだ。あのときの集団は。 その結果慧音は死に、他の面子もバラバラとなった。――その誰もが、お互いにお互いを憎みながら。 裏切られた連中が次に為すことは何か。てゐには分かりきっていることだった。 復讐される。この一語が脳に突き立ち、殺されるという恐怖が再び身体を支配するのを感じていた。 今はなにもしていない。何もしたくないなどという言い訳が通じるはずもない。仕返しをするのに、相手の理由や事情など知ったことではない。 殺されるならまだいい。あっさりと、楽に死なせてくれるならまだマシだ。 だがこの地獄に等しい一日を生き延び、憎悪を頼りにして生きているであろう早苗は、まず控えめに言っても血に飢えた獣に違いない。 一撃で、などという生易しい話ではない。恐らくはじっくりと、恨みを晴らせるくらいには時間をかけて嬲り殺す。 助けてくれる味方なんていない。魔理沙もフランドールも、所詮は数刻前に出会ったばかりだ。 加えて、自分は事実という事実をひた隠しにしてきた。悪者だと知れれば味方をしてくれる道理などどこをつついても出てきやしない。 いやだ。てゐは同情の余地もない視線に見下されながら殺される光景を想像して絶望の悲鳴を上げた。 誰も助けてくれない。不憫にさえ思ってくれず、殺されて当然という顔しかしてくれない。 自業自得。今まで支払いを避け続けてきたツケがここで来ただけのこと。そうだと自分でも分かりきっている。 でも、それでも嫌なのだ。たった一人で、寂しく死ぬというのは。耐えられないことだった。 「――てゐ?」 気配が近くにないことを感じて、フランドールの赤い目がこちらに向けられる。 赤い目。血の色をした目。自分の未来を暗示する目……! 先ほど交わした会話も、不思議な安心感も、全て消し飛んでしまっていた。 怖さを押し付けるなんてしたくない。そう語ってくれたのは、自分が悪を為してきた妖怪だと知らないから。 嘘をつき、隠し、欺こうとしてきた自分を許してくれるはずなんかが、ない。 殺される。 制裁を、制裁を。 そんな声が、数百年以上の昔から、自分達弱者を虐げてきた声が聞こえる。 仕方がない。生き延びるためには仕方がなかった。虐げられないためには、先にこちらが欺くしかなかった。 制裁を、制裁を。 だが、それは所詮弱者の理屈。弱いから裏切っても許されるという法はない。 いや、法があったとしても許しはしないだろう。あらゆる手段を用いて、復讐は為される。 痛みは恨みとなり、恨みはさらに大きな痛みになる。そうしていつか、こちらに返ってくる。 制裁を――! 「嫌だっ! わ、私は……!」 何を言葉にしたかったのかも分からず、てゐは悲鳴にならない悲鳴を張り上げ、今来た方角を逆走し、逃げ出していた。 自分が弱いことなど百も承知だ。その上で裏切り続けてきたことも。 でも、死にたくなかった。たった一人で、みじめに殺されるのはいやだ。 逃げることで、さらに一人になってしまうことを分かっていながら、それでも殺されるという未来が怖く、てゐはまた無明の闇へと戻ることを選んだ。 * * * フランドールは、突如として脱兎の如く駆け出したてゐの行動を呆然とした面持ちで見つめていた。 嫌だと絶叫し、化け物でも見るかのような表情を一方的に見せつけて森の奥へと消えてゆく。 何に触れた? さっきまでは普通に会話を交わし、笑ってさえいたてゐが、どうして、いきなり。 戸惑う魔理沙と、何が起こっているのか分からないという様子の紫と早苗を尻目に、フランドールは「待って!」と駆け出していた。 体調は本調子に戻っている。目は若干見えは悪いものの、行動に支障を来たすレベルではない。 「何があったんですか!?」 その背後から、早苗が息せき切って駆け下りてくる。ちらと視線を移してみると早苗の顔色はお世辞にも良さそうとはいえない。 体調が良くないのか? 咄嗟にそう思い、続けてフランドールが思ったのはそんな状況であるのに必死になっていることだった。 てゐと何か関係があるのではないか。直感し、フランドールは一度足を止め「てゐが逃げ出したの!」と叫んでいた。 「てゐ……? 因幡てゐさんですか!?」 「知ってるのかよ!?」 大声で魔理沙が問い質すと「知ってるも何も」と早苗も大声で返す。 「私と一緒にいたことがあるんです! でも、その時ちょっとしたすれ違いから揉めてしまって……」 「耳が切れてるのはそれが原因かよ!?」 「耳……? いや、それは……」 「なんでもいい! とにかく、てゐはあんたといざこざがあって、それで別れたんでしょ!」 乱暴な物言いにも関わらず、早苗は怒ることもなく「ええ」と頷いた。 てゐの過剰に怯えた態度。早苗のことをよく知らないフランドールからしてみれば、 早苗が全面的に悪いのではないかと思う気持ちもあったのだが、そう思い込んでしまうのは危険だとこの一日で培った経験が言っていた。 「因幡てゐ……?」 早苗の後に続いてやってきた紫が訝しげに語る。 フランドールにとってはあのときの……八雲藍と森近霖之助が死んで以来の再会となる。 正直今でも好印象を持っているとは言いがたかったが、悪い妖怪ではないという認識くらいは自分の中にもあった。 そう、藍が身を挺して守った主が悪いとは思いたくないし、魔理沙だってそう言っていた。 胸のわだかまりは抜けないし、気に食わなくもあるが……悪を為そうとして為すような妖怪ではない。 だから紫と一緒にいたのであろう、この早苗という奴も敵ではないはずだ。 この考えは正しいのか、と一度問い返してみて大丈夫だと結論付ける。 自分は、しっかりと感じている。感情に振り回されず、分かろうとしている。 誰かのせいにするな。感じることをやめるな。そして、誰が何をするのかを分かって、哀しくならないために行動しろ。 いなくなってしまうのは、とても怖いことだから―― 「私、てゐさんともう一度きちんと話し合いたいんです。紫さん、行かせてください」 「……あの子、何度も嘘をついてきたのでしょう? 今回逃げ出したのも、自分の命が惜しいだけなのかもしれない」 「おい紫、嘘ってなんだ?」 「かいつまんで言うと、因幡てゐは一度早苗に罪を擦り付けようとしたのよ。パチュリー・ノーレッジ殺しの罪を」 「パチュリー……!?」 魔理沙が、そこで一度自分の方を見ていた。パチュリー、の名前を聞き、むらと熱が膨張するのを自覚していたが、 我を見失うほどの感情はどうにか抑えることができた。 まだ結論は出すな。許せないと思う前に、考えろ。必死に言い聞かせ、壊したくなる気持ちをこらえる。 我慢する必要はあるのか? 歯を食いしばっている最中、何度もそんな声が聞こえたが、それでも、とフランドールは反論する。 友達だったパチュリーがてゐに殺されたのだとしても、騙していたのだとしても。怨念返しで解決するものはない。 一度てゐに手を差し出した瞬間。暗闇の中で、首輪の爆発からてゐを助け出した瞬間。寂しさに怯えていたようなあの顔がまやかしだと思いたくない。 博麗霊夢のように問答無用で殺し合いを仕掛け、何も感じなくなったあの瞳とは違う。 必ず、何かがあるはずだった。 「……大丈夫。パチュリーが死んだのは……許せない、けど……だったら、なんで、って、聞く」 「フラン……」 だが、口に出してしまえば、やはり許せないと思ってしまう。 恨みはそう簡単には消えてくれない。自分に、本の面白さを誇らしげに紹介してくれた魔女を奪った事実は許せるものではない。 だから、許せなくとも納得するしかない。納得して、どうすれば哀しくならなくなるかを考えるしかない。 「えっと、あの、そっちの子は……」 「パチュリーの友達。紅魔館の、フランドール・スカーレット」 口調から雰囲気を察したのか、不安顔で尋ねた早苗に対し、魔理沙がフォローをしてくれた。 それだけで少しは重みが減るような感覚があった。自分にはこうして助けてくれる人がいる。 この怒りも、魔理沙が少し請け負ってくれる。分かち合える。だから分かろうとすることができる。 一人じゃない。その思いをもう一度温め直し、フランドールは大丈夫という視線を早苗に注いだ。 「話、戻すわよ。私は因幡てゐを追うのは賛成しないわ」 「嘘つくやつは何度でもつくって言うんでしょ、あんたは」 「かもしれないわね」 あえて紫が反対意見を言っているのは、涼しい顔をしているのを見れば明らかだった。 だがこれも紫なりに考えて、感じた結果なのかもしれない。いたずらに労力を費やすことの意味を問い質している。 それはそれで自分達を守るための理屈だと考えたフランドールは、しかしそれでも反論する。 「私は、嘘の回数じゃなくて理由が知りたい。それだけ」 視線を紫に移し、はっきりと見据えてフランドールは言った。 もう少し言いようはあるはずではあった。自分は『分かる』ための努力をしている。 それを伝えられれば良かったはずなのだが、伝える術が見つからない。まだ自分は、『分かる』を言葉に出来ていない。 だから今はやりたいことを示すだけで終わらせることにした。紫がそれで納得するとは、思えなかったけれど。 「……私もフランドールさんと同意見です。嘘をつくからって、それが悪であると私は信じたくないんです」 「そうでなけりゃ、嘘つきは生きてちゃいけないって理屈になるな」 早苗の後を引き取り、魔理沙は意地悪く続けた。 日常から茶化してくだらない嘘をついている魔理沙ならではの言葉に、紫が苦笑を漏らす。 一本取られた、という風のどこか清々しい笑いに、フランドールは紫も変わったのか、と不意にそんなことを思っていた。 今まであった硬質な雰囲気はなりを潜め、自分達の言葉を確かめようとしている空気がある。 ひょっとして、最初からこうなると分かってあえて反対していた……? わけもない直感がフランドールを貫いた瞬間、紫がこちらを向いて笑みを深くする。 「馬鹿は伝染するものね。それもこんな短時間で」 自分の心を見通したような発言に、やはりこの女は大妖怪だという実感が湧き、どこか怖れにも似た気分を覚えていた。 紫を論破したつもりが、その実試されていたことに気付いたのは魔理沙もらしく、一本取られたのはこっちだ、と小声で呟く。 「……? えっと?」 分かっていないのは早苗ただ一人らしく、きょとんとした面持ちで周囲を見回していた。 「気にしないで。賛成はしないけど、反対する理由もないだけのこと。私も行きましょう」 「いいのかよ」 「早苗のサポートが必要でしょう。足の速い貴女達二人は置いておいて、早苗は体調が万全ではないもの」 「いや、それは大丈夫で……」 言おうとした瞬間、こほんと早苗が咳き込んだ。どうやら風邪を引いているらしい。 人間はこういうところが不便だ。ただ、風邪を引いた人間は優しくしてもらえると聞いたことがある。 そこは羨ましいと脈絡なく思っていると、魔理沙が肩を叩き「んじゃ、先行すっか。サポートは必要か?」と言ってきた。 「大丈夫よ、問題ないわ」 しっかりと『魔理沙の方』を見返してニヤリと不敵な笑みを返す。 風邪は引かなくても、気にはかけてもらえる。 いや、いつでも気にかけてもらえるなら自分は年中風邪であるのかもしれない。 時として迷い、躊躇い、間違ったことさえさせる心は不安定で、妖怪といえども不完全にさせてしまう病気だ。 けれども、その病気は自分の中に他者を自覚させ、他者がいてこそ形作られる自分を認識させる。 スター。妖夢。藍。香霖。それぞれに思い出のある名前を呼び起こし、次は正しくいられるように祈る。 霧雨魔理沙と一緒にいられるように。霧雨魔理沙のような友達をもっと作るために。 「そんじゃあ行くぜ! フラン、走るぞ! てゐをとっ捕まえるんだ!」 「あ、魔理沙さん! これ!」 「お?」 スタートを切ろうとした魔理沙に、早苗がなにかを投げ渡す。 片手で器用にキャッチした魔理沙の手には、人形が収まっていた。 「……アリスの、人形?」 「預かり物です」 深く言う暇はないと知っている早苗は簡単に済ませたが、魔理沙にはそれで十分なようだった。 もう一度空中に放り投げ、落ちてきたところを再度掴む。 久しぶりに晴れ渡った笑顔を見せた魔理沙は、こちらまでが元気になるような笑顔で―― 「アリス、『借りる』ぜ。死ぬまでな」 恐らくは、悪友に向けて言ったその一言が、フランドールにはとても素敵なものであるように思えた。 162 KIA pictures 時系列順 163 消えた歴史(状態表) 162 KIA pictures 投下順 163 消えた歴史(状態表) 156 ウサギは寂しくなると死んじゃうの 霧雨魔理沙 163 消えた歴史(状態表) 156 ウサギは寂しくなると死んじゃうの フランドール・スカーレット 163 消えた歴史(状態表) 156 ウサギは寂しくなると死んじゃうの 因幡てゐ 163 消えた歴史(状態表) 159 信仰は、はかなき者達のために 八雲紫 163 消えた歴史(状態表) 159 信仰は、はかなき者達のために 東風谷早苗 163 消えた歴史(状態表)
https://w.atwiki.jp/asparagusbisque/pages/37.html
◎「剣道」名称の変化 剣道は、われわれの先祖が戦場で刀剣をもって相手と戦った技術が、時代や社会の移り変わりとともに、しだいに戦いとしての性格を失い、スポーツ・修養・護身・芸能などの目的でおこなわれるようになったものであります。 剣道という名称は古い中国の文献にや、江戸時代の剣道書にも2,3出てきていますが、この名称が学校の体育教材として正式に取り上げられたのは、大正15年(1926年)改正の「学校体操教授要目」が最初になります。 奈良時代には撃剣(げきけん)、平安時代から鎌倉時代をへて室町時代中ごろまでは太刀打(たちうち)室町時代末期から江戸時代初期にかけては兵法(へいほう・ひょうほう)の名称が多く用いられてきました。江戸時代には兵法のほかに剣術(けんじゅつ)、撃剣(げきけん)、剣法(けんぽう)、刀法(とうほう)、剣技(けんぎ)、剣道(けんどう)などの名称が用いられていましたが、もっとも多用された名称は剣術で、明治・大正を通じては撃剣(げきけん)の名称が多く用いられていました。 これは榊原鍵吉(さかきばらけんきち)にはじまる「撃剣興行」の全国的盛行の影響であったと考えられています。 大正に入っては「剣道」の名称が多く用いられ、昭和に入っては「剣道」以外の名称はほとんど使われなくなりました。 ◎剣道の歴史 金属製の刀剣が大陸から朝鮮半島を経て、壱岐・対馬の島づたいに伝来したのは日本の古墳時代、崇神天皇(すいじんてんのう)のころと言われています。したがって剣術の出現は金属製刀剣の出現とともに始まったと言ってよいが、初期の刀剣は長大な平造りの直刀で、数も少なく武器としてよりも、所持者の地位、名誉、権力の象徴であったと思われます。 それが武器として用いられる様になるにつれ、反りのある彎刀(わんとう)に変わって行き、折れ曲がりせず軽くてよく切れる、いわゆる「日本刀」が出現し、刀法技術も進歩していきました。 直刀から彎刀への移行は明らかではありませんが、12世紀の中ごろから終わりにかけての、源平時代にはすでに彎刀一色でありました。 しかし、この時代は騎馬戦はなやかな時代であり、馬上での弓矢の戦いが中心で、刀法も相手と刀を交えて斬り結ぶというよりも、馬上から片手で振り回す技術が中心でした。 鎌倉時代から室町時代にかけては、蒙古来襲の影響もあって戦術にも変化があり、太刀打ちの技術が槍術とともに進んで行きました。武技としての兵法は室町末期の戦国時代に著しく進歩し、素朴な甲冑兵法から精錬された素肌兵法へと変わり、太刀数も多くなり技法も一段と高度化し体系化され、一流一派をなしてこれを指導する者があらわれ、日本独自の剣法が芽生えて、今日の剣道の基礎となっていきました。 参照:「剣道の歴史」より http //www.nava21.ne.jp/~susaty/kendo/rekishi.htm 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道 通販 / 竹刀 通販
https://w.atwiki.jp/wiki9_alternative/pages/18.html
ALTERNATIVE世界の歴史 年表 1867 日本、元枢府誕生倒幕派大名と将軍家が大同団結し大政奉還が成立。その後、煌武院・斑鳩・斉御司・九條・崇宰の五大武家で構成される元枢府を設置。元枢府の長(政威大将軍)は五摂家の当主衆の内一人を皇帝が任命する。首都機能を江戸から京都へ移行、中央集権化が推し進められる。 1939 09.01:第二次世界大戦勃発枢軸国(日独伊)と連合国(米英ソ)の間で行われた全世界的規模の戦争。 1941 12.08:大東亜戦争開戦開戦劈頭より馬来作戦・布哇海戦・比島作戦・香港攻略を開始。 1944 ドイツ、原爆投下一時は欧州のほぼ全域を占領していたドイツだが、欧州反攻の末、米国に2発の原爆を首都ベルリンに投下され降伏。 大東亜戦争(第二次世界大戦)終結日本帝国は条件付き降伏するも、大戦中から顕著化した東西イデオロギー対立による戦後冷戦構造に即時組み入れられ、米国の最重要同盟国として戦後復興を遂げる。史実と異なり、捷一号作戦、天一号作戦、原爆投下等の作戦は実行されず。ソ連軍侵攻も無かった為、樺太・北方領土は帝国領土のまま。 1946 米国、宇宙総軍を創設旧来の陸、海、空、海兵隊、沿岸警備隊に加えて六軍体制に移行。 1950 米欧共同の系外惑星探査プロジェクト・ダイダロス計画スタート衛星軌道への到達→月への有人飛行→大型軌道ステーションの建設→月面開発→恒久月面基地建設→惑星探査→外宇宙惑星探査に至る人類史上最大の総合宇宙計画。アメリカ国立航空宇宙局(NASA)と欧州宇宙機関(ESA)による共同極秘計画として開始されたが、のちに西側各国が参加する世界規模の国際宇宙計画に発展。多段式大型ロケット、軌道往還機、宇宙ステーション、MMUなどが次々と実用化される。表向きはマーキュリー計画、ジェミニ計画、アポロ計画として段階的に公表された。最終的な系外惑星探査計画は、大型探査機「イカロスⅠ」の通信途絶により失敗したと公表された。ソ連も東側陣営と共に同様の計画を進め、当初開発競争をリードしたが、月面到達レースに敗北したため、以降無人探査と低軌道投入技術へシフトした。 日米安全保障条約締結米国はこの条約に基づき占領軍を正式に在日米軍として駐留させ、極東への影響力を強めた。一方、日本帝国は米国の属領という誹りに甘んじながら、その軍事的庇護の下、国力の回復に邁進した。 1955 米国、MMUの大型化を検討無人大型探査機「イカロスⅠ」建造の遅れに対し、建造作業に使用されるMMUの大型化で対応する案が浮上、承認される。 日本、プロメテウス計画に参入ダイダロス計画の参加計画に日本帝国が参入。主に、軌道上での大型探査機「イカロスⅠ」建造作業の分担、素材開発、デブリ処理などを受け持つ。 1956 米国、スーパーカーボンを開発大型軌道ステーション「ホープⅡ」の実験棟にて探査機構造材として開発される。 1957 米国、大型MMU実用化ダイダロス計画の一環で開発された大型MMUが実用化。マニピュレータ作業用のスーパーカーボン製多目的切削ナイフが採用される。 1958 米国、探査衛星ヴァイキング1号が火星で生物を発見画像送信の直後に通信不能となる。その後、相次いで火星探査計画が浮上する。 1959 国連、特務調査機関ディグニファイド12招集火星表面の巨大建造物発見により火星生命が知的生命体である可能性が示唆され、コミュニケーション方法を確立する目的の研究が開始される。 1961 無人大型探査機イカロスⅠ発進核パルス/ラムスクープドライヴを搭載した大型探査機が衛星軌道から発進。大深度宇宙の学術データ回収の他、人類居住可能惑星の発見を目的とした人類史上最大(当時)の宇宙探査が開始される。 日本、帝国航空宇宙軍を創設し、プロメテウス計画を移管プロメテウス計画はNASDAから新設された航空宇宙軍の管轄へ。 1965 日本、65式多目的切削刀を制式採用航空宇宙軍は自軍所属の大型MMU用の補助装備として、スーパーカーボン製多目的ナイフの制式採用を決定。F-4戦術機導入の際に、65式近接戦用短刀と改称され補助兵装として採用される。 1966 国連、オルタネイティヴ計画スタートディグニファイド12が発展的にオルタネイティヴ計画へ移行。世界規模の巨大計画へ昇格。(補足:この時点では「敵対的」と判明していないためBETAとも命名されていない。ほかの無人探査機による言語解析等だったとすると、サクロボスコ以前にオルタ1が開始されていても矛盾はない。) 1967 BETA大戦勃発 月面、サクロボスコ事件国際恒久月面基地「プラトー1」の地質探査チームが、サクロボスコクレーターを調査中に、火星の生命体と同種の存在を発見、その後消息を絶つ。 第一次月面戦争勃発人類史上、初の地球外生物と人類との接触及び戦争の始まり。 異星起源種がBETA:Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race――『人類に敵対的な地球外起源生命』と命名される 米国、対BETA宇宙兵器の基礎研究開始サクロボスコ事件とそれ以降の戦闘結果を検証した米国国防省が在来宇宙兵器の決戦能力に疑問を提示。政府肝入りで軍産一体となった対BETA宇宙兵器の基礎研究が推進され、新素材から電子工学まで、あらゆる分野での開発プロジェクトが多数提示される。米軍の4軍(陸・海・空・宇宙)共同開発プロジェクト・NCAF-X計画もその一つとして始動。 米国、NCAF-X計画発動サクロボスコ事件とそれ以降の戦闘結果を検証した米国国防省が、在来兵器の決戦能力に疑問を提示。軍産一体の対BETA宇宙兵器開発プロジェクトが多数提示される。 1968 国連、オルタネイティヴ計画を第二段階へ移行戦争状態の現出を受けて、より直接的なBETA生態研究のためにオルタネイティヴ計画は第二段階へと移行。これ以後、前段階をオルタネイティヴ1、現段階をオルタネイティヴ2と呼称することが決定する。オルタネイティヴ2ではBETAの捕獲、生態研究に莫大な予算と犠牲が払われたため、「結果的に得た者は、BETAは炭素生命体という事実のみ」と揶揄され、“失敗した計画”という印象が付きまとうが、実際には代謝低下酵素の発見など人類に対する貢献度は非常に高い。 国連、オルタネイティヴ3予備計画招集BETAとのコミュニケーション方法を模索するというオルタネイティヴ1の失敗に対し、「ESPによって直接思考を読み取る」というソ連案が採択され、ソビエト科学アカデミーの研究に国連予算の提供が開始される。 1970 米国、機械化歩兵装甲ハーディマンの実戦部隊を前線配備人類初のFP(Feedback Protector)兵器を運用する実戦部隊が月面戦争へ投入される。 1971 日本、機械化歩兵装甲の導入と研究開発を決定第一次月面戦争における戦果から、国産可能かつ有効な対BETA兵器としてFPの導入と、それに伴う基礎研究の開始を決定。 1972 欧州、EU統合及びNATO軍再編異星起源種との戦争という状況に後押しされる形で、EC(欧州共同体)がEU(欧州連合)へ発展。 米国、同盟各国に試作戦術機の存在を公表政府の情報公開を受けて、開発メーカーであるマクダエル社が、同盟各国に売り込みを開始。 日本、新型兵器F-4戦術機の導入を即時決定メーカーへの要求仕様の検討に入る。日本機専用装備として近接戦用の長刀を発注。 1973 04.19:中国新疆ウイグル自治区喀什(カシュガル)にBETAの着陸ユニットが落下。中国とBETAの戦闘が始まる。 オリジナルハイヴ(H1 甲1号目標)の建設を開始。 BETA群が西進を開始中国は、優勢な戦況を背景に国連軍の派遣を拒否するが、光線属種の出現により、人類側の航空戦力を無力化される。BETAの物量に抗しきれず、中ソ連合軍側は撤退を重ね戦術核を用いた焦土作戦で対抗するも実質的な効果なし。 ソ連、共産党政府非常事態宣言発令国家の全機能を軍の統制下に組み込み、全国民を軍属に編入。この施策により、非ロシア民族の殆どが兵役に就き、その子息も軍の教育施設で兵士として成育された。 月面、第一次月面戦争終結 プラトー1を放棄するBETAの地球侵攻を受け、国連航空宇宙総軍司令部が恒久月面基地プラトー1の放棄と月からの全面撤退を宣言。月がBETAの完全勢力下に。 国連、オルタネイティヴ3発動直接的な侵攻と驚異の物量に歯が立たない実状を受け、決定的な成果を生まないオルタネイティヴ2が見切られ、ソ連主導のオルタネイティヴ3への移行が決定する。 中国・ソ連、焦土作戦開始異星文明技術の独占を狙う中国は緒戦が優勢に推移した事から国連軍の受け入れを拒否。その後、光線級の出現によって航空兵力が壊滅し一気に劣勢に追い込まれる。同盟国のソ連に救援を求めるも時既に遅く、敗走を重ねた結果、戦術核による焦土作戦に踏み切るがBETAの勢いは全く衰えなかった。 1974 07.06:カナダ、サスカチュアン州アサバスカにBETAユニット落着落下したユニットに対し、米軍が喀什の教訓を生かし着陸とほぼ同時に戦略核の集中運用でBETAを殲滅するが、カナダの半分が汚染され人が住めなくなる。 国連、世界人口の激減を警告国連統計局が世界人口が約30%減少したと発表。原因はBETA大戦の影響。 米国、戦略防衛構想(Strategic Defence Initiative)発表喀什とカナダへのBETAユニット落着に危機感を抱いた米国は、宇宙空間でのBETA着陸ユニットを迎撃する軌道防衛体制の強化を謳った。人工衛星や軌道ステーション、宇宙往還機がBETA光線属種の攻撃対象とならない事実から、衛星軌道上に前哨線を設置し、それまで個別に行われていた空間迎撃、軌道迎撃、高々度迎撃、地表迎撃を統合的に運用し盤石の防衛ネットワークを築く事を提唱。(翌年には国連が国際防衛計画、所謂SHADOWとしてこの構想を採択し世界規模の計画に発展・昇格した) 米国、人類初の戦術機F-4 ファントムを実戦配備補助兵装としてCIWS-1(65式近接戦用短刀)、CIWS-2(74式近接戦用長刀)、WS-16c(突撃砲 105mm滑腔砲・20mm機関砲)を同時に採用。 米国、サイン計画発動 BETA鹵獲技術の研究を開始アサバスカから回収した着陸ユニットの残骸がロスアラモス研究所に搬入され、ウィリアム・グレイ博士指揮の下、敵性先進技術の研究が開始される。 日本、74式近接戦用長刀のライセンス生産開始納入された74式近接戦用長刀のライセンス生産を開始するが、機体は納入されず。アサバスカ事件を受けて、米国議会は北米の対BETA防衛力を優先的に高める法案を決議。最前線である欧州供給枠は据え置かれたため、日本の供給順序が降格される。 日本、戦略防衛構想に参加プロメテウス計画での実績と基礎技術研究を高く評価した米国が、計画への参加を要請。帝国議会はその真意が経済協力であることを見抜きながらも、BETA有事(本土上陸)に抗するには米国の軍事力に頼らざるを得ないため、即時参入を表明。 10月:BETA、マシュハドハイヴ(H02 甲2号目標)建設開始衛星探査により旧イラン領マシュハドに喀什と同様の地表構造物が発見される。更なる調査で門(ゲート)、地下茎構造(スタヴ)等が確認された事からH 02マシュハドハイヴと命名される。これに伴い喀什ハイヴにもH 01の呼称が与えられた。折しも着陸ユニットの宇宙迎撃システム構想が進められる中、ハイヴが分化するという衝撃の事実が判明する。 1975 BETA、ウラリスクハイヴ(H03 甲3号目標)建設開始黒海沿岸を北上したBETA群がソ連領カザフスタン州に侵入。ウラリスクにハイヴが建設される ソ連、共産党政府がハバロフスクに首都機能を移設BETAの侵攻に圧迫される形で共産党政府はハバロフスクに首都機能を移設。国内主要産業や軍需産業の疎開が始まる。 米国、HI-MAERF計画開始人類未発見元素・グレイ11を応用したハイヴ攻略兵器「XG-70」と専任護衛戦術機「XF-108」の開発が始まる。ロックウィード、ノースアメリカーナ、マクダエル・ドグラムが三社合同プロジェクトとして受注。 国連、対宇宙全周防衛拠点兵器群建設開始二度にわたるBETA着陸ユニットの飛来を受け、国連安保理にて大気圏外迎撃システムの構築が決定。月軌道監視網・L1早期核投射プラットフォーム・地球周回軌道核攻撃衛星群による最終迎撃ラインの3つを柱とする対宇宙全周防衛拠点兵器群「シャドウ(SHADOW:Spaceward Hardwares for All-Round Defensive Ordnances and Warheads)」を構築開始。 日本、空軍を解散し、陸、海、航空宇宙の各軍に再編 ソ連、MiG-21 バラライカを配備開始 中国、殲撃8型を配備開始 1976 BETA、ユーラシア大陸を北進喀什から西進していたBETA群は東欧一帯を勢力下に収めた後に北進、ソ連領ヴェリスク・ミンスクの2ヶ所にハイヴの建設が開始される。 BETA、ヴェリスクハイヴ(H04 甲4号目標)建設開始 BETA、ミンスクハイヴ(H05 甲5号目標)建設開始 日本、曙計画始動F-4の導入に伴い、帝国軍・民間企業合同の戦術機開発・運用技術研修プロジェクト「曙計画」が始動。合同研修チームが米国に派遣される。世界的な戦術機供給不足を解消するため、米国は同盟国に対し戦術機開発を奨励し、各国の技術研修チームの受け入れを開始。F-4供給順の降格に失望した帝国国防省は独自開発を強く進言し、派遣へと繋がった。 米国、F-5 フリーダムファイターを輸出開始量産性の高さから欧州に優先的に供給され、アジア枠は3割以下となる。 米国、F-11 タイガーを配備開始開発メーカーであるグラナン社は、F-4供給の順番待ちをしている日本などアジア各国に対し売り込みを開始する。扱いやすい機体であったが試作機の改良に伴う重量増が主機の出力不足を引き起こし、短期間でF-4に代替された。改良型の売り込みが斯衛軍にも行われた。 日本、F-4J 撃震の試験運用開始戦技研及び教導部隊への部隊配備が開始される。日本へのF-5及びF-11の売り込みが激化。F-4キャンセルを恐れたマクダエルは対抗策として一個中隊12機と、その運用に必要な周辺機材や部品を先行納入する。 仏、ミラージュⅢを配備開始 英国、独、伊、トーネードを配備開始 スウェーデン、J-35 ドラケンを配備開始 イスラエル、クフィルを配備開始 1977 BETA、ウラル山脈に到達ウラル山脈の南端に達した喀什のBETA群がソ連領に侵攻。ソ連北西部までをその支配下に置き、ソ連領バルバシ湖の北にエキバストゥズハイヴの建設を開始した。 BETA、エキバストゥズハイヴ(H06 甲6号目標)建設開始 世界、各国でオルタネイティヴ計画誘致の動き他国に対BETA戦略のイニシアチヴを持たれることを嫌った国々が、次期オルタネイティヴ計画を見越した基礎研究分野に大規模な予算配分を開始する。なかでも米国はBETA由来技術(アサバスカ事件で鹵獲したG元素)などを精力的に研究しオルタネイティヴ計画の主導権争いで優位に立つようになった。 オルタネイティヴ3による対BETA陽動効果の実証実験開始オルタネイティヴ3で確認されたBETAに対する陽動実験の追試がユーラシアの各戦線で本格的に行われ始める。その結果、BETAの戦術情報伝播モデル(各ハイヴに独立した作戦立案機能と支持命令系統が存在するという考え、情報を収集したBETAがハイヴに戻ると約19日間で全個体にその情報が行き渡り、その後同一派生系に属する全てのハイヴにその情報が即時伝播されてしまう。以降その情報に対してBETAは何らかの対策を打ってくる事が有り、2001年の歳末にはその動きが非常に多く見られた)の推定までに至った。 日本、77式(F-4J) 撃震の実戦配備開始F-4実戦部隊が稼働開始。西部方面隊第8師団が優先される。 米国、A-6 イントルーダーを配備開始戦術機史上初の水陸両用機。長距離侵攻用の母機となるソードフィッシュ級中型潜水艦も同時に配備が開始される。 1978 東ドイツ、月光の夜(モントリヒトナハト)事件東ドイツ国家人民軍(NVA)の高級将校を中心とした反体制派によるクーデター未遂事件。 欧州、パレオロゴス作戦NATO・ワルシャワ条約機構連合軍によるミンスクハイヴ(H05 甲5号目標)攻略作戦。2ヶ月の激戦後、全欧州連合軍を陽動に、ソビエト陸軍第43戦術機甲師団・ヴォールク連隊がミンスクハイヴ地下茎構造への突入に成功するも数時間後に全滅。後に「ヴォールクデータ」と呼ばれる貴重なハイヴ内の観測情報を人類にもたらす。 BETA、ユーラシア北西部制圧パレオロゴス作戦の報復であるかのようなBETAの一大攻勢によりソ連は東西に分断され、前作戦で消耗しきった欧州戦線が全面瓦解。ユーラシア北西部から人類は完全に駆逐される。 BETA、スルグートハイヴ(H07 甲7号目標)建設開始ソ連領スルグートにハイヴが建設される。 中東、第一次聖戦連合軍結成BETA侵攻圧力に抗する為、中東諸国は聖戦を宣言。宗派の枠を超えて一斉反抗作戦を展開し、一時的に戦線の押し上げに成功する。 ソ連、オルタネイティヴ3本拠地を疎開BETAの侵攻を受けて、ノボシビルスクのオルタネイティヴ3本部がハバロフスクへの移設される。 米国、A-10A サンダーボルトⅡを実戦配備フェイアチルド社が開発した拠点防衛と支援に特化した重戦術機、 サンダーボルトⅡの実戦配備が開始される。同機の高い戦車級浸透阻止能力は特に欧州戦線において高い評価を得た。 1979 米国、ムアコック・レヒテ機関の臨界実験成功カールス・ムアコック博士とリストマッティ・レヒテ博士の共同実験が成功。抗重力機関技術が確立される。 米国、サンタフェ計画発動HI-MAERF計画参加者より、「ML理論に基づく戦略的破壊兵器に関する覚書」が大統領・ハリー・オラックリンに対し極秘裏に提出された。同年、ML機関をより単純な臨界超過反応兵器として応用する別計画がスタートした・・・G弾開発計画の幕開けである。 米国、戦術機生産技術移転を制限各国の技術習得が進み現地生産などによる前線の戦術機不足が解消され始めた事を受け、米国議会は次世代戦術機生産技術の対外移転を禁止する法案を可決。 日本、教育基本法改正優秀な対BETA主力兵器の衛士を育成するため、英才教育環境と適性者抽出システムの構築が開始される。 日本、曙計画終了第一世代戦術機開発・運用に関わる基礎技術の習得が完了する。 国連、バンクーバー協定発効統括の無い戦闘がBETA支配域急拡大を招いたとし、ハイヴ攻略作戦をはじめとした対BETA戦争を国連主導にて行う事が国連安保理決議として採択される。加盟各国の対BETA交戦権は自衛権及び集団的自衛権に限定され、鹵獲品も国連管理下とする事が明文化された。 1980 欧州、ECTSF(European Combat Tactical Surface Fighter)計画始まる英・独・仏を初めとするNATO各国が同計画に合意。1985年の実用化を目標として、各国共同研究が始まる。 国連、アジア及び欧州各国の政府及び難民の受入先の仲介交渉を開始 ソ連、米国に対しアラスカ売却を打診売却は拒否されるが、租借という方向で協議が進む。 ソ連、MiG-23 チボラシュカを配備開始 米国、LWTSE計画始動近接戦用戦術機技術研究の一環として、軽量・小型且つ高い機動性をもった機体の技術実証試験が始まる。この計画によりYF-16,YF-17が開発された。制式化の予定は無いとされた計画だったが後にHi-Low-Mix構想の出現を受け、実戦機開発計画へと昇格した。 日本、徴兵制度復活欧州、アジアの各戦線に於ける人員損耗率を鑑み、帝国議会は陸軍戦力の再編と増強を決定。これに伴い徴兵制度が復活した。 1981 BETA、北欧圏へ進攻78年のBETA一大進攻により兵力が弱体化した中ソ連合軍、欧州連合軍はBETAに押されるような形で北欧最後の砦であるスカンジナビア半島に後退、10年以上続く北欧戦線は更に過激さを増す。 BETA、ロヴァニエミハイヴ(H08 甲8号目標)建設開始スカンジナビア半島に侵入したBETA群が、フィンランド領ロヴァニエミにハイヴの建設を開始。 欧州、ダンケルク作戦発動BETAの西欧州進攻を受け、欧州各国は文明・民間人をアフリカ、南米、東南アジアへ脱出させるダンケルク作戦を発動。以降1984年まで継続。(*1) 米国、ATDP計画始動米国防総省高等研究計画庁(DARPA)、陸軍、NASAによる第3世代機技術を模索・確立する為の先導技術実験機計画。実験機X-29が製造された。 国連、SHADOWの部分運用開始 日本、81式(A-6J) 海神を配備開始 仏、ミラージュ2000を配備開始 1982 米国、ソ連のアラスカ租借を議会承認 期限は50年間当該地域住民の移送が始まる。また、ソ連でも各方面で移設準備が開始される。同時に米国は軍事的な保険措置として、米ソの国境を跨ぐ形で存在するユーコン基地とその周囲の地域を、国連に50年間無償貸与した。 日本、82式(F-4J改) 瑞鶴を配備開始 日本、国産次世代機開発研究機構発足82式開発の純国産開発挫折を受け、対米技術格差を埋めるべく、官民一体の国産次世代機開発の統合研究が開始される。 米国、F-14 トムキャットを配備開始本格的な第二世代戦術機の実戦配備が始まる。 1983 欧州、海王星(ネプトゥーン)作戦ポーランドに展開するBETAの誘出撃滅と、それによる欧州の戦況好転を目的とした国連軍、米国軍、欧州連合軍、ワルシャワ条約機構軍による4軍合同の一大反攻作戦。投入兵力の総計は、艦艇300隻、戦術機500機、ヘリ400機、総員兵数30万人以上。(*2) 喀什のBETAの西進が進み、西欧州が主戦場になり始める。欧州連合軍は河川部を駆使した遅滞防御を行ったが、奮闘も虚しくベルリンが陥落。 米国、ATSF計画始動BETA大戦後の世界を見越した次世代戦術機の開発が米国で開始される。 日本、耀光計画始動ATSF計画始動を受け、国産次世代機開発研究機構は目標を第3世代機開発へと方針転換。 欧州、EU本部をロンドンへ移転EUは本部機能をブリュッセルからロンドンへ移転。ベルファストの本部が完成するまでの一時的措置。 ソ連、MiG-27 アリゲートルを配備MiG-23の強化改修型であるMig-27は、配備時には既に旧式化していた機体だったが、MiG-21を代替する主力機として長年ソ連軍を支え続けた。 1984 BETA、本格的な南進を開始ヒマラヤ山脈を迂回した喀什由来の大規模BETA群がインド亜大陸に侵入。中近東方面からの侵攻を受けたインド亜大陸各国軍は、ヒマラヤ山脈を盾に東南アジア諸国と緊密な連携を保ちながら約10年間持ち堪えるが、結局物量に圧され、スリランカに連合司令部を移設し防戦を継続した。 BETA、アンバールハイヴ(H09 甲9号目標)建設開始イラク領アンバールにハイヴの建設が開始される。これにより、中東戦線は大きな撤退を強いられると同時に石油資源の不足が深刻なものとなりつつあった。 BETA、ノギンスクハイヴ(H10 甲10号目標)建設開始 日本、非炭素系疑似生命の基礎研究開始帝国大学の霧山教授は、開示された歴代オルタネイティヴ計画の研究データを精査し「人間よりもコンピューターに強い反応を示すBETAに対し、炭素生命体によるコミュニケーションは不可能」という仮説を導き出し、非炭素構造擬似生命に関する論文をまとめた。欧州各国の敗走に危機感を募らせた帝国政府は、国連軍を防衛戦力として国内駐留させるための方策として次期オルタネイティヴ計画の誘致を決定。霧山仮説とその論文を極秘とし、国費による非炭素構造擬似生体と擬似生命プログラムの基礎研究を開始した。 ソ連、MFPTI計画始動MiG-23/27の失敗を挽回すべく、米国のATSF計画に対抗する多機能前線戦術機計画(MFPTI=МФПТИ)が開始される。 国連、SHADOWの運用開始地球周回軌道での核攻撃をベースとした最終防衛ライン「アーテミシーズ」が完成。L1早期核投射プラットフォーム「スペースワン」で目標を変更仕切れなかった場合の対処が可能となる。 米国、F-15C イーグルを配備開始マクダエル・ドグラム社のF-15C イーグルが配備開始。F-4更新機として開発され、遠近共に高い対BETA戦性能を誇る汎用第2世代戦術機として世界各国で採用された。 1985 BETA、ブダペストハイヴ(H11 甲11号目標)建設開始ハンガリー領ブダペストにハイヴの建設が開始される。これにより、欧州戦線でのBETAの侵攻は更に勢いを増す。 日本、オーストラリア、オセアニア諸国と経済協定締結帝国政府は西日本が戦場になった場合を想定し、国内の主要産業、各種重工業や製造業等の生産拠点を海外に新設する方針を固め、オセアニア圏、ニュージーランド、オーストラリア等の各国に工業プラントを相次いで建設。 ソ連、国家基幹機能のアラスカ移転が完了オルタネイティヴ3本拠地、ハバロフスクからアラスカ州タルキートナへ政府機能や軍事施設に続き、基幹産業、各種生産基盤そして多くのロシア人の疎開が完了。以降ソ連軍は、ベーリング海を挟んだ極東ロシアを絶対防衛線として位置付け、国土奪還の戦いを続ける。 EU、BETA侵攻により、西独、仏が相次いで陥落。パリ攻防、ダンケルク撤退戦に続いて英国本土攻防戦始まる。 仏、ECTSFの主機選定で自国製主機の採用を強硬に主張。英、西独と対立し、翌年にECTSF計画から脱退する。 1986 BETA、リヨンハイヴ(H12 甲12号目標)建設開始フランス領ローヌ県リヨンにハイヴの建設が開始される。英国本土への侵攻に続き、イベリア半島へのBETA侵攻が開始される。 米軍、F-16 ファイティングファルコンを配備開始F-14、F-15の調達コスト高騰への対策として「Hi-Low-Mix」構想を策定した米国政府は、技術研究目的のLWTSF(Light Weight Tactical Surface Fighter)計画を実戦機開発に格上げし、ゼネラルダイノミクス社開発の第2世代戦術機F-16を完成させる。同機はF-5Eを更新する軽量戦術機として多くの国で採用された。 アジア、中国と台湾が対BETA共闘条約に調印 統一中華戦線が誕生 08.18:日本、次期主力戦術機選定に関して、日米合同演習を実施日本帝国の次期主力戦術機選定に向けた日米合同の異機種間戦闘訓練(DACT)が、矢臼別演習場で行われる。本演習に於いて帝国斯衛軍の巌谷大尉はF-4j改でF-15を破るとい快挙を成し遂げた。 日本、帝国本土防衛軍を創設帝国軍は戦線の本土接近を鑑み帝国軍参謀本部直轄の国内展開専任部隊・本土防衛軍を創設。自国領の死守を戦略目標として軍組織を再編。 スウェーデン、JA-37 ビゲンを配備開始 EU、米国からのF-15、F-16輸出攻勢が強まる。それに伴い、西独がECTSF計画の大幅な遅延を理由として、同計画からの撤退とF-15導入を示唆。 1987 欧州、欧州各国政府が英国とグリーンランドへ避難BETA群の本格的な西進に抗しきれず、難民の欧州大陸脱出を支援するためポルトガル領内に踏みとどまっていた各国政府が、英国領やグリーンランド、カナダなどに首都機能を移設。領土を失った各国の軍隊は、以降国連軍の指揮下に編入された。 7月:米国、五次元効果爆弾(通称G弾)の起爆に成功ニューメキシコ州ホワイトサンズで行われた「モーフィアス実験」にて小規模ながらG弾の制御された起爆に成功し、G弾実用化への道を開いた。 11月:米国、HI-MAERF計画の中止を決定計画の遅延に加え、より安価で実用的なG弾の実用化に目処が立ったため、国防省が中止を決定。 日本、琵琶湖運河の浚渫工事が始まるインド亜大陸の戦況悪化を重く見た日本帝国は、かねてより国連から要請されていた大陸派兵の検討を開始。それに伴い、帝国軍参謀本部直轄の国内展開専任部隊として本土防衛軍を創設するなど、将来予想されるBETA本土進攻への対応を開始。琵琶湖運河にも再び脚光が浴びせられ、浚渫工事を着工。大阪湾・伊勢湾-琵琶湖-敦賀湾を結び、帝国海軍が保有する紀伊級戦艦(基準排水量70,000t級50サンチ砲戦艦)や30万tクラスのタンカーも通行可能とするため再整備された。 米国、F-18 ホーネットを配備開始 ソ連、MiG-25 スピオトフォズを配備開始 EU、実質的な単独開発国となっていた英が、ECTSFの要求仕様を、近接機動格闘戦能力を重視した第三世代水準機へ転換すると発表。 国連、日本帝国及びオーストラリアの常任理事国入り。常任理事国が米英仏ソ中日豪の7カ国になる。但し、日豪の拒否権は20年間(2007年まで)凍結。 1988 日本、教育基本法全面改正衛士の育成を主眼に置いた全面的な法改正。義務教育科目の切り捨てや大学の学部統廃合が始まる。 米国、国連に次期オルタネイティヴ計画案を提示オルタネイティヴ3に見切りを付けた米国が次期予備計画の招集を待たず、新型爆弾(G弾)によってハイヴを一掃する対BETA戦略を計画案として提示。G弾を限定的に使用し外縁部のハイヴを攻略。G元素の獲得→G弾の量産というサイクルを繰り返し、最終的に大量のG弾による飽和攻撃でオリジナルハイヴを含むユーラシア中心部のハイヴを一掃するというもの。 国連、トライアッド演習実施国連宇宙総軍と米国戦略軌道軍は光線属種の迎撃基準を検証するための物質投下試験を合同で実施。積載物の内容に関らず、落着予測地点付近の重光線級のみが迎撃を行い、一定距離以遠では一切反応しないことが判明。詳細原理は不明ながらも、低軌道衛星、HSSTの定常的な配備を大きく後押しする結果となる。 香月夕呼14歳、因果律量子理論の検証を始める 1989 国連、米国が提案した次期オルタネイティヴ計画案の不採用を決定オルタネイティヴ3の成果に対する評価の違いと、ユーラシア各国が影響を予測できない新型兵器の使用に反対したことが主な不採用の理由。これによって米国は国連に深く失望し、独自の対BETA戦略を強行する方針を固める。国連内部に対するあからさまなロビー活動が開始される。不採用案はより尖鋭化し、最終的にオルタネイティヴ5へと繋がった。 国連、SHADOW初迎撃に成功月面より飛来したBETA着陸ユニットと思われる物体に対し、対宇宙全周防衛拠点兵器群 SHADOWによる迎撃を初展開、この軌道を逸らせることに成功する。ただし、この物体が実際に着陸ユニットであったかにういては議論が分かれている。 中東、アラビア半島での戦闘が激化 帝国国防省、第二世代戦術機F-15イーグルの試験導入、ライセンス生産を開始純国産戦術機開発計画の停滞を打開するため、技術検証を目的とした試験導入。予定調達機数は120機 06.15:北アフリカ、スエズ戦線にて、約4ヶ月に渡るスエズ防衛戦始まる。 1990 BETA、ボパールハイヴ(H13 甲13号目標)建設開始インド領ボパールにハイヴの建設が開始される。欧州撤退の後、喀什ハイヴ攻略に備えてインド方面を重視していた人類は、同方面での徹底抗戦を打ち出した。 喀什のBETAが本格的な東進を開始カシュガルハイヴから出現した大規模BETA群が東進を開始。ユーラシア北東部、東アジア、東南アジアが主戦場となる。統一中華戦線とソ連、東南アジア各国は激しい防戦を繰り広げるも、物量に圧されて戦線は徐々に後退した。 米国、ATSF計画終了 YF-22が選定されるロックウィード社のYF-22とノースロック社のYF-23による4年に渡る競合開発の結果、米国軍の戦略に即しコスト面でも優れるYF-22が次期主力戦術機に選定される。1年間の運用試験が実施された後に制式採用が決定しF-22の制式番号が与えられる。 ソ連、MiG-31 ブラーミャリサを配備開始ミヤコム・グルビッチ設計局によるMig-25の強化改修型の第2世代機Mig-31の実戦配備が開始される。 1991 日本、帝国議会が大陸派兵を決定BETAの東進を自国の危機と判断した日本は、東アジア戦線への帝国軍派遣を帝国議会で決定する。帝国軍は大陸派遣軍を創設し、戦術機甲部隊を中心とした大兵力を前線に投入した。 G弾実用化。それに伴いF-22懐疑論が発生。 香月夕呼17歳、帝国大学・応用量子物理研究室に編入弱冠17歳の学徒が説いた独自理論「因果律量子論」の論文がオルタネイティヴ計画招致委員会の目に止り、次期計画案の基礎研究を進める帝国大学・応用量子物理研究室への編入が認められた。 米国、DRTSF計画始動F-22も調達難航を受け、既存機に近代化改修を施し次期主力機配備までの空白と機体不足を埋めるべく計画された統合任務戦術機開発計画。計画に応募したマクダエル・ドグラムとゼネラルダイノミクスからF-15EとF-16XLが提案されたが、後に兵装搭載量、拡張性、調達コストに優れるF-15Eが制式化された。 1992 BETA、敦煌ハイヴ(H14 甲14号目標)建設開始中国領敦煌にハイヴの建設が開始される。後に重慶を始めとする北東アジアや東南アジアを脅威に晒す一大拠点となる。 BETA、クラスノヤルスクハイヴ(H15 甲15号目標)建設開始ソ連領クラスノヤルスクにハイヴの建設が開始される。BETAのあまりに急激な東進に極東でも危機感が高まる。 印度、インド亜大陸反攻作戦・スワラージ作戦発動インド亜大陸での勢力挽回を懸けて発動されたボパールハイヴ(H13 甲13号目標)攻略作戦。国連が主導し、アフリカ連合と東南アジア諸国が参戦した。宇宙戦力が初めて投入され、軌道爆撃や軌道降下部隊など、その後のハイヴ攻略戦術のセオリーが確立した。オルタネイティヴ3直轄の特殊戦術情報部隊が地下茎構造に突入、リーディングによる情報収集を試みるも成果はなく、ほぼ全滅した。この作戦以降、「間引き」に乗じた小規模部隊によるゲリラ的な突入作戦が散発的に繰り返される。 中国、重慶防衛線を構築敦煌ハイヴ(H.14甲14号目標)から溢れ出た大規模BETA群が南シナ海方面に向け進撃を開始。統一中華戦線、帝国軍大陸派遣部隊及び韓国・ベトナムの義勇軍は重慶市北方より流れる嘉陵江に防衛線を構築。各軍は奮戦するも昨年から行われてきた遅滞作戦の疲弊もあり、年明けに戦線は崩壊する。殿軍は大陸派遣軍 北部方面第7師団 第71戦術機甲連隊 第2戦術機甲大隊が預かり、撤退までの間避難民を死守した。 日本、飛鳥計画始動帝国城内省が国防省の耀光計画に相乗りする形で、瑞鶴の後継機たる斯衛軍次期主力戦術機開発計画を開始する。 ソ連、Su-27 ジュラーブリクを配備開始Su-27は、スフォーニ設計局がグラナン社からF-14の技術情報の提供を受けて開発した第2世代機だが、初期型はトラブルが多く衛士には不評だった。その後、改良型であるSu-37の登場によって調達は早期に打ち切られた。 1993 BETA、重慶ハイヴ(H16 甲16号目標)建設開始中国領重慶にハイヴの建設が開始される。嘉陵江戦線が崩壊して以降、統一中華戦線は九-六作戦等で戦況の好転を図るも何れも功を奏さず核を使った撤退戦が続いた。 BETA、全欧州大陸を完全制圧最後まで抵抗を続けていた北欧戦線が瓦解し、欧州連合軍司令部が全軍の撤退と欧州の放棄を宣言。これ以降、欧州各国は大陸沿岸の島嶼部に前線基地を設置し、来るべきユーラシア奪還作戦に備え「間引き」を続けていく。 中国、九-六作戦発動大連に向かう大規模BETA群の殲滅を目的とした中韓連合軍の要撃作戦。日本帝国の大陸派遣軍も側面支援として参戦したが、BETA群の奇襲に遭い二個大隊が壊滅した。後、戦術核の運搬により大連侵攻は回避、帝国軍の本隊は哈爾浜に一時撤退を強いられた。 神宮司まりも19歳、死の8分を越える 1994 BETA、インド亜大陸占領喀什から南進したBETA群は、この年インド亜大陸を完全に支配下に置く。これによってBETAの東進が勢いを増し、中国戦線は泥沼の様相を呈していった。領土を失った各国の軍隊は、以降国連軍の指揮下に編入された。 日本、帝国議会で徴兵対象年齢の引き下げを柱とした法案を可決後方任務に限定した学徒志願兵の動員を開始。 国連、オルタネイティヴ4予備計画招集日本、カナダ、オーストラリアがオルタネイティヴ第四計画本部招致に立候補。予備計画の招集を受け、本部招致レースが国連常任理事国間の政治問題に発展する。 香月夕呼20歳、国連に招聘され因果律量子論の検証を進める 2月:94式戦術歩行戦闘機「不知火」を配備開始富嶽、光菱、河崎の3社共同開発による念願の純国産機・94式不知火は、89式陽炎のライセンス生産を経て、ようやく実戦配備に至った。世界初の第3世代準拠戦術機として高性能を誇ったが、拡張性に乏しい突き詰めた設計が、後年改修計画の紆余曲折を招いた。 米国、F-18E/F スーパーホーネットを配備開始F-18E/Fは、F-18をアップグレードした機体で高い総合性能を有していた。コストパフォーマンスの良い同機の完成と配備は、それまで海軍主力機の絶対的な地位を守り続けてきたF-14を退役へと追い込んだ。 統一中華戦線、殲撃10型を配備開始統一中華戦線とイスラエルが水面下で共同開発した殲撃10型が実戦配備を開始。F-16Cをベースに盛都とIEIが共同開発した第2世代機であり、最も成功したF-16派生機となった。 ソ連、MiG-29 ラーストチカを配備開始ミヤコム・グルビッチ設計局の開発によるMig-29は、機動性と近接格闘戦能力を極限まで高めたソ連製第2世代機の集大成とも言うべき高性能戦術機であったが、国内調達は振るわず、海外にその活路を求めた。 EU、ユーロファイタス社、ECTSF技術実証機、ESFP(Experimental Surface Fighter Program)を完成。各国へのアピールを目的とした技術実証機運用部隊"レインダンス"中隊を編成し、英国政府の支援の下で国連欧州方面軍へ派遣する。 1995 兵士級BETAが初めて確認される 国連、オルタネイティヴ4に日本案の採用を決定 オルタネイティヴ3を接収へオルタネイティヴ第四計画は帝国大学に所属する香月夕呼博士の案が採用され、即時本計画に格上げされる。急な決定に本部施設の建設が間に合わず、仮説本部を帝国大学・応用量子物理研究等に設置。香月博士はオルタネイティヴ4の総責任者に就任。異例の早期格上げが実現した裏には、尖鋭化した自国案の復活を目論む米国の強引なロビー活動に対する国連側の反発が存在した。 AL4、00ユニットの開発に着手選定候補者の受け皿として、接収を予定していた帝国陸軍白陵基地に計画直属の衛士訓練学校を設立。 日本、オルタネイティヴ4の招致決定に伴い、更に多くの帝国軍施設を国連軍に開放 日本、18歳以上の未婚女性を徴兵対象とする修正法案可決 国連、ブルーブック計画を発動 ソ連、ポールナイザトミーニィ計画を発動 国連、世界人口がBETA大戦前の約50%まで減少したと国連統計局が発表 米国、F-15E ストライクイーグルを配備開始 1996 アジア各国がオセアニア、オーストラリア各地に臨時政府を樹立戦闘地域のアジア各国が、オーストラリアとオセアニア諸国に援助を要請、国家機能の移転を開始する。マレーシアやシンガポールは2001年現在も自国領を維持している。 東南アジア、大東亜連合設立領土を失った国々の多くは、国連軍の直接的な指揮下に編入されることを良しとせず、大東亜連合を結成して間接的に連携する道を選択した。これはスワラージ作戦が国連の秘密計画のために強行されたことに対する不信感から。 キリスト教恭順主義派が急速に拡大 その抗議活動やデモンストレーションが活発化する 国連、オルタネイティヴ5予備計画招集国連の強引な格上げに対する不安と、日本案のあまりに荒唐無稽な内容に対する保険的措置として第五予備計画の招集をアメリカが提案。それを南アメリカ及びアフリカ諸国が後押しする形で可決された。 国連、プロミネンス計画発動オルタネイティヴ5予備計画の招集は「米国が焼き直したG弾集中運用案を通すための呼び水に過ぎない」とするユーラシア諸国が提唱した先進戦術機技術開発計画が開始され、アラスカの国連軍ユーコン基地が本拠地に決定。基地の拡張工事が開始。 日本、帝国議会が男性徴兵対象年齢の更なる引下げを含む修正法案可決事実上の学徒全面動員へ。 日本、北九州を始めとする九州全域に第2種退避勧告が発令。 統一中華戦線、殲撃11型を試験配備 スウェーデン、第三世代戦術機、JAS-39 グリペンを配備開始 1997 BETA、アラビア半島を制圧10年以上BETAの侵攻を持ちこたえていたアラビア半島の戦線が瓦解。アフリカ連合軍と中東連合軍はスエズを渡って前線を再構築し、アフリカ大陸への侵入を辛うじて食い止めた。 欧米、ダイダロス計画成功 NASAがイカロスⅠの信号を受信蛇遣い座バーナード星系に適合度AAの地球型系外惑星を発見。これを受けて米国はユーラシア各国の主張に配慮し、系外惑星への避難を加えた次期オルタネイティヴ計画修正案を提出。あまりのタイミングの良さに、自国案を通すためのでっち上げだという指摘もある。 国連、オルタネイティヴ5予備計画が米国案に確定 AL5、ラグランジュ点での巨大宇宙船計画がスタートする事実上オルタネイティヴ計画が並立するという異常事態に。この件が切っ掛けとなり、カナダを含むオセアニア、ユーラシア諸国と、アメリカを中心とするアフリカ、南アメリカ諸国の対BETA戦略の差が明確になる。 AL4、A-01連隊発足オルタネイティヴ第四計画直属の特殊任務部隊が発足。 台湾、総督府が中国共産党政府の台湾受け入れを表明 日本、97式 吹雪を配備 ソ連、Su-37 チェルミナートルを配備 1998 日本、朝鮮半島撤退支援作戦・光州作戦発動1998年、国連軍と大東亜連合軍の朝鮮半島撤退支援を目的とした作戦。後に光州作戦の悲劇と呼ばれる彩峰中将事件が発生する。 夏:重慶ハイヴから東進したBETAが日本上陸北九州を初めとする日本海沿岸に上陸し、わずか一週間で九州・中国・四国地方に侵攻犠牲者3600万人 日本人口の30%が犠牲となる(この時点で世界人口の60%が死滅している)近畿・東海地方に避難命令。2500万人が大移動を開始する(一部はオーストラリアへ)。一ヶ月に及ぶ熾烈な防衛戦の末、京都陥落(8/15)。首都は京都から東京に移される 9/25 佐渡ヶ島陥落 米軍は日米安保条約を一方的に破棄して撤退佐渡島ハイヴの建設に伴い長野県付近でBETAの侵攻が停滞。その間に米国は日米安保条約を一方的に破棄し在日米国軍を撤退させた。 仙台第二帝都への首都機能移設準備が始まる AL4、オルタネイティヴ4本拠地の移設を開始共に仙台への移設を開始。白陵基地の衛士訓練学校も同様の措置が採られた。 BETA、東進再開、首都圏まで侵攻し、西関東が制圧下に 帝国軍白陵基地壊滅BETA群は帝都直前で謎の転進。伊豆半島を南下した後に進撃が停滞、以降は多摩川を挟んでの膠着状態となり、24時間体制の間引き作戦が続く。 BETA、横浜にハイヴを建設開始偵察衛星の情報により横浜ハイヴ(H22 甲22号目標)確認される。 国連軍総司令部は、カムチャツカ-日本-台湾-フィリピンからアフリカ-イギリスに至る防衛線による、ユーラシア大陸へのBETA封じ込めを基本戦略として決定 香月夕呼博士、国連に横浜ハイヴ攻略作戦を提案国連司令部は即時承認。大東亜連合に参戦を打診。 日本、帝国議会が女性の徴兵対象年齢を16歳まで引き下げる修正法案を可決 国連、アラスカ州ユーコン基地の拡張工事が完成する EU、ECTSF先行量産型、英国陸軍試験部隊へ引き渡し開始。機体正式名称を「EF-2000 タイフーン」と決定。 仏、独自開発の第三世代戦術機、ラファールを実戦配備開始 米、F-22A ラプター先行量産型の実働部隊での運用を開始 1999 国連、本州奪還作戦・明星作戦国連軍と大東亜連合によるアジア方面では最大、BETA大戦においてはパレオロゴス作戦に次ぐ大規模反攻作戦。横浜ハイヴの殲滅と本州島奪還が優先戦略目的。 08.05:米軍が二発のG弾を使用する。人類史上初ハイヴの奪還に成功。 各国でG弾脅威論が噴出する明星作戦で目の当たりにしたG弾のあまりの威力に、ユーラシア各国ばかりではなくアフリカ諸国の一部でも脅威論が噴出し始める。それとは逆に、米国案を元々支持していた国々は、威力の実証によってより強硬にG弾の使用を主張し始める。 香月夕呼博士、国連に横浜基地の建設を要請オルタネイティヴ4の本拠地として、横浜ハイヴ跡地上に国連軍基地の建設を要請。国連は即時承認。横浜基地建設着工と同時に国連軍司令部は米軍に即時撤退命令を下す。即時承認の主な理由は、米国が強引に推進する第五予備計画に対するG弾脅威派の牽制。 米・ボーニング社、フェニックス構想始動F-15強化策の実証実験がユーコン基地で始まる。ボーニング社の戦術機開発部門が提唱した、パーツ換装や軽易な改修でF-15を安価に第三世代機相当性能に強化する構想。 ソ連、Su-47 ベルクートを開発スフォーニ設計局が独自開発したSu-37の強化試験機。 米国、A-12 アベンジャーを配備開始 2000 1月:国連横浜基地、オルタネイティヴ4占有区画稼働開始1月の段階でオルタネイティヴ計画占有区画が完成し、研究機関が帝大より移設される。それに伴い、帝国軍練馬駐屯地に仮移設されていた衛士訓練学校も移設。 2月:帝国斯衛軍、純国産第三世代戦術機「武御雷」配備開始 5月:EU、EF-2000 タイフーン、英国陸軍、及び国連欧州方面軍に実戦配備開始。供給の優先順位から、国連初の配備部隊に西独軍"ツェルベルス"大隊が選定される。 米国、米国議会内にもG弾脅威論噴出 G弾脅威論が反オルタネイティヴ計画思想に発展キリスト教恭順主義に傾倒した国連職員によってG弾爆心地の写真と様々なデータが暴露され、その実状に触れた米国議会内でもその使用に疑問を持つ派閥が現れ始める。同時に、G弾脅威論に賛同していた国々の中に、オルタネイティヴ計画そのものの是非を問う動きが出始める。 日米共同戦術機開発計画・XFJ計画を承認米国の持つ最新戦術機開発技術の習得を目的とした、94式戦術機改修機開発計画が帝国議会に承認される。F-4の耐用年数が迫る中、その代替機となる次期戦術機の機種選定を巡って議論が紛糾。巌谷榮二中佐の提唱した日米共同開発計画案が、米国の最新技術を盗み、日本の開発技術の底上げを行うという建前を落とし所に採用された。一方米国でも、XFJ計画の受注元であるボーニング社の活発なロビー活動の結果、反オルタネイティヴ5派閥の取り込みが成功し議会承認された。 2001 国連横浜基地、実稼働開始7割程度の完成度ではあったが、主要な基地機能が概ね100%の稼働状況に達したため、全面開設が認可される。未完成部分の工事は継続。 香月夕呼博士、米国のオルタネイティヴ支持派と会談オルタネイティヴ4を支持する政財界の代表団が香月博士と秘密裏に接触し、HI-MAERF計画接収を協議セットアップしたのは帝国情報省・外務二課の鎧衣左近である。同時に反オルタネイティヴ5派にも接触工作を仕掛けた。 2月:BETA新潟上陸。 3月:F-22Aラプター部隊配備開始。 5月:XFJ計画、始動 8月:BETAカムチャツカ半島東岸部侵攻。 08.28:XFJ計画、不知火・弐型ロールアウト 9月:国連ユーコン基地に於いて、大規模テロ発生。 11.11:BETA新潟上陸。 11.29:国連横浜基地に於いて、極秘裏に新概念OS(のちのXM3)の実証試験実施。 12.05:12・5事件。帝国軍の一部によるクーデター。 12.10:国連横浜基地に於いて、新概念OS・XM3のトライアルが実施されるトライアル中、捕獲されていたBETAが逃走し、多数の死傷者が出た。 12.24:国連軍第11方面軍司令部及び、帝国軍参謀本部より、『甲21号作戦』発令。 12.25:G弾による佐渡島消滅を以て、佐渡島ハイヴの破壊に成功。 12.29:佐渡島ハイヴの生き残りのBETAが横浜基地へ急襲。横浜基地は大損害を被る。 12.31:桜花作戦発動。 2002 01.01:あ号標的の破壊。 7月:東シベリア奪還。 2003 04.10:錬鉄作戦発動。鉄原ハイヴ(H20:甲20号目標)攻略作戦。 04.12:鉄原ハイヴ制圧。 8月:日本帝国、ソ連共同軍による、サハリン沿岸のBETA掃討作戦。 2004 欧州奪還作戦。
https://w.atwiki.jp/dunpoo/pages/27.html
●歴史認識 ラインナップ 0626 仏にイスラム教兵士の追悼施設 90年越しの名誉回復 [朝日] 0618 旧満州から引き揚げ60年 中国、初の記念行事 [朝日] 0602 日中間の歴史共同研究実施、参院調査会が提言 [読売] 0524 野党、「戦争調査を」 国会図書館法改正案を提出 [朝日] 0508 「抗日記念日」検討、台湾の与党が日本統治見直し [読売] 0508 反中画像、米MITがサイト一時閉鎖 [朝日] 0502 東京裁判「知らぬ」7割、20代では9割 本社世論調査 [朝日] 0430 日本の歴史問題、米国専門家も懸念 アジア戦略と対立 [朝日] 0323 戦争責任、国会で検証を…読売主筆が特派員協会で講演 [読売] 0228 日本遺族会会長、自民・古賀氏が3選 [朝日] 0225 歴史共同研究 教科書、初の対象に 日韓政府合意 [毎日] 0221 ホロコースト否定の英歴史学者、オーストリアで禁固3年 [朝日] 0220 台湾で対日歴史観論争、高砂義勇隊の慰霊碑撤去巡り [読売] 5月10日は「奴隷制撤廃記念日」…仏大統領が発表 [読売] 靖国・歴史で日本に厳しく 国際組織 日中韓問題で報告書 [赤旗] 抗日戦伝える展示館開設へ 日本側資料も展示 中国長春 [朝日] 朝鮮人の強制連行犠牲者、225人分の名簿が福島に [朝日] 「百人斬り」報道、旧軍少尉遺族の損賠請求を棄却 [読売] ベトナム共産党紙が「大東亜」批判を再録 日本の美化論の誤り指摘 [赤旗] 「中韓の発展、日本に感謝を」 米誌タイム・アジア特集 [産経] 日中歴史共同研究委、来年初めにも発足 [読売] ソウルで南北代表団、日本の「歴史わい曲」糾弾声明 [読売] 豪首相、太平洋戦争戦勝記念日式典で旧日本軍を非難 [読売] 「日本で右翼的動きが増大」隣国から孤立の恐れ 英字紙が警告 [赤旗] 終戦記念日 小泉首相談話 アジアと関係構築、未来志向で [毎日] 外務省がHPで「歴史問題Q&A」を公表 [読売] 戦後60年決議:「国際貢献」前面に 総保守化傾向を反映 [毎日] 戦後60年決議、自民、民主から欠席者 [朝日] 戦後60年 侵略戦争合理化の決議 [赤旗] 戦後60年決議、衆院で採択 「植民地支配」盛られず [朝日] 「内容が後退」民主、戦後60年決議案の了承持ち越し [読売] 戦後60年決議案 「戦略的行為」盛り込まず [毎日] 韓国「真相糾明委」、東京事務所開設へ 朝鮮人強制動員 [朝日] 米議会決議 大戦の戦争観を明らかに 東京裁判の判決再確認 [赤旗] 東京裁判 自民・森岡氏が改めて疑問視 読売社説:日韓歴史研究 認識の不一致があるのは当然だ 日韓歴史共同研究 認識の一致難しく 日韓歴史共同研究報告書要旨 0626 仏にイスラム教兵士の追悼施設 90年越しの名誉回復 [朝日] 2006年06月26日15時21分 第1次大戦の激戦地であるフランス東部のベルダン近郊で25日、仏植民地から徴兵されて大戦中に死んだイスラム教徒の兵士を追悼する施設が完成し、シラク大統領も参加して式典が開かれた。キリスト教やユダヤ教の追悼施設はあったが、イスラム教は初めて。過去の植民支配の責任論が今なおくすぶるフランスで、あまり顧みられなかった植民地出身兵の名誉が一歩回復した。 第1次大戦の激戦地ベルダンに近いフランス東部ドゥオモンで25日に行われた、イスラム教徒兵士の追悼記念碑の除幕式で、パリ大モスクのダリル・ブバクール師(左)と握手するシラク大統領=AP 円屋根をいただいたムーア様式の追悼施設はイスラム兵士墓地の近くに完成した。シラク大統領は施設に献花し、式典で「フランスの旗の下にモロッコの歩兵、セネガルの小銃兵たちがいた。彼らのおかげでフランスは耐え抜くことができた」と演説した。 第1次大戦でフランスはアフリカや中東、東南アジアの植民地から約60万人を徴兵。約7万2000人が戦死したが、これまではアフリカ人兵士をたたえる記念碑しかなかった。当時は仏本土のイスラム人口は極めて少なく、イスラム教徒の兵士のほとんどが植民地出身者だった。 ベルダンでは1916年、独仏双方で約30万人が戦死する最大級の戦闘があった。 URL http //www.asahi.com/international/update/0626/007.html 0618 旧満州から引き揚げ60年 中国、初の記念行事 [朝日] 2006年06月18日21時51分 終戦の混乱の中、中国東北地方に残った日本人105万人の引き揚げが始まってから今年で60年。送還事業の拠点で、引き揚げ者には「コロ島」の名で知られる遼寧省葫蘆島市で25日、その記念行事が初めて開かれる。日中関係が冷え込む中、中国側はこれまで積極的に取り上げることのなかった引き揚げの歴史を通じて、両国の国民感情の改善を進めようとの姿勢を強めている。 行事の主催は中国人民対外友好協会など。日本からは村山富市元首相(日中友好協会名誉顧問)ら200人以上が出席予定で、引き揚げ者も多数が参加する。式典での「平和宣言」のほか、引き揚げ港近くに建設予定の「和平公園」の起工式や記念植樹も行われる。関係者によると、中国側からは唐家●(タン・チアシュワン)国務委員が出席する見通しだ。 旧満州は終戦直後、共産党と国民党の支配地域が分かれた。旧ソ連軍の終戦直前の参戦もあり、極めて混乱した状況下で、米軍と国民党に共産党が協力して葫蘆島からの残留日本人の送還事業が46年5月に始まった。その後、この地から舞鶴港などに送還された日本人は105万人に上る。 共産党政権はこれまで、台湾の国民党が主体となった送還事業の歴史について積極的な取り組みをしてこなかった。中国の近現代史研究者の中には90年代に研究申請を出したが認められなかったと話す人もいる。 ところが昨年、国民党の連戦(リエン・チャン)主席(当時)が訪中し、胡錦涛(フー・チンタオ)国家主席と会談するなど、同党との和解が進んできたことを受け、引き揚げの歴史についての宣伝活動に踏み込み始めた。昨年には国営新華社を始めとした中国メディアが相次いで送還事業を取り上げ、研究著書の出版が行われた。 今回の記念行事の開催も中国側の呼びかけによるものだ。中国側関係者は「引き揚げ事業は日中双方にとって友好の歴史と受け止めることができる好ましいものだ」と話す。行事開催を通じて、昨年の反日デモなどを通じて反発し合う両国間の国民感情を改善させたいとの狙いもあるという。 同時に引き揚げについての中国側の研究も進む見通しだ。遼寧省社会科学院の張志坤研究員は「引き揚げは軍事行動とされたため、まだ未公開の資料は多いはずだ。今後、積極的に調べていきたい」と話す。中国側で引き揚げにかかわった人々の聞き取り調査も予定されているという。(●は王へんに施) URL http //www.asahi.com/international/update/0618/008.html 0602 日中間の歴史共同研究実施、参院調査会が提言 [読売] 参院国際問題調査会(西田吉宏会長)は2日、日中関係に関し、歴史共同研究の着実な実施などを通じて改善を図るよう求める提言を盛り込んだ調査の中間報告を議決し、扇参院議長に提出した。 現在の関係を「1978年の平和友好条約締結以来、最悪の状況」とし、小泉首相の靖国神社参拝では、「中国の主張は主権侵害で参拝は続けるべきだ」「参拝をやめれば中国の主張も徐々に小さくなっていくはずだ」など、各委員の意見を並べた。7日の参院本会議で報告する。 (2006年6月2日19時46分 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060602ia22.htm 0524 野党、「戦争調査を」 国会図書館法改正案を提出 [朝日] 2006年05月24日07時49分 民主、共産、社民の3党は23日、国立国会図書館に「恒久平和調査局」を新設する国会図書館法改正案を衆院に提出した。日中戦争や太平洋戦争に至った経緯、旧日本軍による加害行為などを同局で調査・究明する、としている。 法案は「惨禍の実態について国民の理解を深めて次代に伝え、アジアをはじめ世界の諸国民との信頼関係の醸成を図る」ことが目的。 URL http //www.asahi.com/politics/update/0524/004.html 0508 「抗日記念日」検討、台湾の与党が日本統治見直し [読売] 【台北=石井利尚】台湾の陳水ヘン総統の与党・民進党は8日、日本の植民統治時代に台湾住民が日本軍と戦った歴史に光をあてるため、「台湾人民抗日記念日」制定の検討を始めたことを表明した。(陳水ヘンの「ヘン」は編の右側) 民進党は親日的な政党として知られ、反日色が残る野党・国民党と歴史認識が異なるが、台湾本省人(戦前からの台湾住民)の視点から、日本統治を見直す動きとして注目される。 記念日としての候補は、下関条約で台湾割譲が決まった翌年の1896年、台湾各地で起きた対日ゲリラ戦のうち、中部彰化県で発生し犠牲者が最も多かったとされる8月28日の八卦山戦役。 楊長鎮・民進党族群事務部主任は本紙に対し、「(1937年の)盧溝橋事件を抗日出発点とする従来の外省人(中国出身者)の視点ではなく、植民地時代の抗日運動は台湾人主体で行われた事実を示すためだ」と述べ、反日が目的ではない点を強調した。 民進党は戦後60年の昨年、台湾人の視点から歴史認識を整理した内部文書「対日関係論述」をまとめ、日本の台湾統治の功罪を併記した。台湾では、中国の歴史認識と同じ親中派と、日本統治を美化する一部親日派の対立があり、政権政党として、バランスを取る必要に迫られている。 (2006年5月8日22時37分 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/world/news/20060508id22.htm 0508 反中画像、米MITがサイト一時閉鎖 [朝日] 2006年05月08日15時09分 米国の名門マサチューセッツ工科大学(MIT)の公開講座のウェブサイトに、著名な日本研究者ジョン・ダワー教授らが掲載した日清戦争の版画をめぐって、中国人学生らが反発し、サイトが一時閉鎖される騒ぎになった。日本兵が中国兵を斬首している画像などに、「中国人の感情を傷つける」などと抗議が殺到したという。MIT側は「説明不足だった」と認めてサイトを改善する方針だが、学内では「歴史問題をめぐる反日感情の悪用だ」という反論も出ている。 サイトは、ダワー教授が宮川繁教授(言語学)と共催。「黒船と侍」と題した開国時期の版画から、被爆者による絵画を集めた「グラウンドゼロ1945」まで、各時代の項目ごとに数百枚の画像を使って日本の近現代史を学ぶ。MITが02年から始めたネットでの公開講座「オープンコースウエア構想」の目玉企画だ。 問題の版画は「脱亜」の項目に掲載された、日本兵が抵抗した中国兵捕虜を斬首している場面を描いた「暴行清兵を斬首する図」など。ボストン美術館の所蔵品で、戦争を通じて日本側が中国人への偏見を強めた「戦意高揚プロパガンダ」の一例として、ダワー教授が解説をつけた。 ところが、このサイトが先月23日にMITのホームページに掲載された直後から、同校の一部の中国人学生が問題視し、ネットに画像を張り付けるなどして抗議を呼びかけた。中国語サイトなどが、サイトの趣旨を十分に説明しないまま、画像だけを「MITがサイトに反中画像を提示した」などと紹介。雪だるま式に広がり、「日本の侵略戦争を美化している」「中国人を侮辱した絵をなぜ取り上げるのか」などとの批判が世界中からメールや電話で大学に殺到したという。 MIT側は中国人学生らと協議したうえで、両教授が「意図に反して中国人コミュニティーに苦痛を与えたことは遺憾」との声明を発表。25日にサイトをいったん閉鎖した。 今後は、サイトの閲覧者が「歴史そのものが残虐なので、残虐な画像もあります」などの説明を読んだうえで画像に進む仕組みに改善して、今週中に再開する方針だ。ただし掲載内容は、問題の版画を含めて一切変更しないという。 ダワー教授は米国を代表する日本研究者の一人で、著書「敗北を抱きしめて」でピュリツァー賞を受賞した。太平洋戦争をめぐる日米双方の人種偏見の研究でも知られる。 MITのホックフィールド学長は声明で、批判には悪質な中傷も多かったとして「学問の自由は守る」と述べた。同校で長年、中国の学生を教えてきたペルデュ教授(中国史)も、帝国主義や民族差別を批判している解説を無視して画像だけを取り上げた学生を「意図的に反日感情をあおった」と批判している。 一方、ジン・ワン教授(中国文化)は一部の極端な言動は支持できないとしながらも、「教室と違ってMITのサイトで公開する以上、世界中の人を対象にする責任が伴う。サイトを見る人に不快感を与える可能性があるかを配慮しなければならない」と主張する。 ◇ サイトを主催するジョン・ダワー教授の話 ネットで画像だけが流されて誤解と憎悪を引き起こした半面、学問・表現の自由をめぐる建設的な議論も起きた。中国人学生・学者にも我々の対応を支持する声が出ており、感情的な言論の暴力の連鎖を断つことが重要だ。 URL http //www.asahi.com/international/update/0508/008.html 0502 東京裁判「知らぬ」7割、20代では9割 本社世論調査 [朝日] 2006年05月02日01時10分 戦後の占領下、米国などの連合国が日本のA級戦犯を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)の開廷から60年たち、この裁判の内容を知らない人が70%にのぼることが、朝日新聞社の世論調査でわかった。20代では90%を占める。知らない層ほど、靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)に対する抵抗感は薄く、首相の靖国神社参拝についても反対が少なかった。一方、戦争の原因について日本人が自ら追及し、解明する努力がまだ不十分だと考える人は69%にのぼった。 東京裁判を知っているか 戦後、日本が国際社会に復帰するにあたって前提となった東京裁判の内容が、国民に継承されていないという事実は、60年を過ぎてなお戦争責任の空白が問われる現状を映し出しているともいえそうだ。 調査は4月15、16の両日、全国の有権者3000人を対象に面接方式で実施した。 東京裁判の内容について、「よく知っている」が4%、「ある程度知っている」が23%に対し、「裁判があったことは知っているが内容は知らない」53%、「裁判があったことも知らない」17%で、合わせて7割が「知らない」と答えた。 「知らない」は若年層ほど高く、「あったことも知らない」は、30代と40代で20%、20代では37%にのぼった。 「知っている」人に裁判の印象を聞くと、「問題はあったが、けじめをつけるために必要だった裁判」が48%と最も多く、「戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた不当な裁判」34%、「戦争の責任者を裁いた正当な裁判」17%の順だった。 東京裁判で裁かれた東条英機元首相らA級戦犯が、一般の戦死者とともに靖国神社にまつられていることについて、「抵抗を感じる」は31%で、「感じない」は63%。 裁判の内容を「よく知っている」人では「感じる」が50%で、「感じない」46%を上回る一方、「裁判があったことも知らない」人では「感じる」が16%と少なく、「感じない」は75%にのぼる。「感じない」は若年層ほど高く、20代と30代では70%を超えた。 首相の靖国神社参拝については、賛成が50%、反対が31%だった。反対は、合祀に抵抗を「感じない」人で19%(賛成は62%)、「裁判があったことも知らない」人で21%(同52%)と少ない。 URL http //www.asahi.com/politics/update/0502/002.html 0430 日本の歴史問題、米国専門家も懸念 アジア戦略と対立 [朝日] 2006年04月30日13時38分 日本の歴史問題への対応が、日本と中韓両国との関係だけでなく、日米関係にも悪影響を及ぼしかねないとの懸念が米国の日本専門家の間で広がっている。小泉首相が参拝を続けてきた靖国神社が示す歴史観は先の戦争を正当化するもので、日本の戦争責任を認めたうえで成り立つ戦後の国際体制の否定に通じると見ているためだ。日韓や日中の関係悪化は、東アジアの安定を望む米国の国益にそぐわないと考えていることもある。 ジョンズ・ホプキンズ大学ライシャワー東アジア研究所のケント・カルダー所長は「戦争を正当化することは、日本と戦った米国の歴史観と対立する。異なった歴史解釈のうえに安定した同盟は築けない」という。在京米大使館で大使の特別補佐官を務めたこともあるカルダー氏は「多くの米国人が靖国を知るようになると、日米関係の障害となりかねない」と恐れている。 ジョージ・ワシントン大学アジア研究所のマイク・モチヅキ所長も「米国のエリートは概して靖国神社の歴史観には否定的だ。歴史問題が原因で、日本に対する批判的な見方が強まっている」と指摘する。 日本は戦後、国際社会復帰にあたって講和条約で極東国際軍事裁判(東京裁判)を受諾した。靖国神社には、その東京裁判で裁かれた東条英機元首相らA級戦犯も合祀(ごうし)されている。米国の識者らが懸念するのは、首相の参拝が結果的に戦後日本の出発点に反することにならざるを得ない点だ。 ブッシュ大統領が首相の靖国参拝を批判することはなく、国防総省も日本の歴史問題を重視していない。だが外交を担う国務省内には、日米が協力して中国を国際社会のパートナーにしていこうという時に、日中首脳会談もままならない日本に対するいらだちがある。 国務省内の不満について、カルダー氏は「隣国と対話できない日本は、米国にとっても役に立たない。日米同盟が機能するのは、日本がアジアのなかで役割を果たしてこそだ」と解説する。 対米関係に携わってきた日本外務省幹部も「政権の外では日本の歴史問題に対するワシントンの雰囲気は厳しい。今は日米両首脳が蜜月関係にあるから騒がれないが、首相が代われば分からない」と話している。 URL http //www.asahi.com/politics/update/0430/003.html 0323 戦争責任、国会で検証を…読売主筆が特派員協会で講演 [読売] 読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長・主筆は23日、都内の日本外国特派員協会で講演し、先の戦争の責任について、「歴代首相は優柔不断ではっきりとした謝罪の仕方を示さなかった。できれば、国会に戦争責任検証常任委員会を作ってもらい、国会としての意思表明をするのが一番良いと思う」と述べ、国会で戦争責任を検証することが望ましいとの考えを示した。 諸外国への対応に関しては、「日本人自身が戦争責任に対して、はっきりした歴史検証をしなければならない」と述べた。 一方、旧ソ連が日ソ中立条約を破って日本を攻撃し、多くの旧日本軍将兵をシベリアに抑留したことや、米国が原子爆弾を2度も投下して多数の犠牲を出したことを強く批判した。大国の思惑による戦争行為の犠牲者は常に一般国民だとも指摘し、「そのような(判断をする)指導者を今後作ってはならない。過去の指導者の間違いの歴史を検証することは読売新聞の社論の柱だ」と語った。 (2006年3月23日23時41分 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060323i415.htm 0228 日本遺族会会長、自民・古賀氏が3選 [朝日] 2006年02月28日21時26分 第2次世界大戦の戦没者遺族でつくる日本遺族会は28日、東京都内で理事会・評議員会を開き、2月末で任期切れとなる古賀誠会長(自民党元幹事長)の続投を決めた。古賀氏は02年2月から会長を務めており、3期目となる。 理事会・評議員会は同日、役員人事のほか、首相の靖国神社参拝の継続と定着を求め、新たな国立追悼施設の建設に反対するなど、遺族会の基本方針も改めて確認した。 日本遺族会は自民党の有力な支持団体の一つで、会員数は約100万世帯。参院選では、推薦候補を自民党公認で比例区当選させている。会員の高齢化で組織の弱体化も指摘されているが、約10万人の党員を抱えており、9月の党総裁選に向け、古賀氏を中心に対応が注目される。 URL http //www.asahi.com/politics/update/0228/008.html 0225 歴史共同研究 教科書、初の対象に 日韓政府合意 [毎日] 日韓両政府は24日、両国の歴史教科書を初めて研究対象とする第2期の日韓歴史共同研究の枠組みで大筋合意し、4月に東京都内で初会合を開く方針を固めた。韓国側の反発の強い「扶桑社」発行の教科書などを取り上げる一方、韓国の国定教科書も対象とする。第1期では踏み込まなかった強制連行や従軍慰安婦の問題も研究する。研究期間は約2年間とし、08年秋をめどに報告書をまとめ、次回の教科書検定(09年)に一定の影響を与えたい考えだ。 日韓の有識者各15人が参加して、全体委員会の「歴史共同研究委員会」を発足。小此木政夫・慶応大教授、趙グァン(グァンは王へんに光)・高麗大教授が座長を務める。同委員会の下に「古代」「中近世」「近現代」の3分科会に加え、教科書記述に関する分科会を設置する。 教科書研究では、日本の検定制度への理解を深めてもらったうえで、双方の教科書の個別の記述を取り上げ「自国中心の記述に陥っていないか」(関係者)や、相違・一致点を研究していく。 ただ韓国側が「植民地支配への評価や、強制連行、従軍慰安婦などの問題に対する共通認識を持てるようにしたい」(韓国政府筋)のに対し、日本側は植民地支配に関する具体的記述を取り上げることで第1期のような感情的対立に発展することを警戒している。3月に中心メンバーで、具体的テーマを詰める。 教科書研究の成果を、実際の教科書の記述にどう反映させるかについては、「教科書編集の参考になるよう、両国の教科書制度の枠内で努力する」との昨年6月の日韓首脳会談での合意に沿った表現を、研究委の発足時の文書に盛り込むことで双方が折り合った。 政府は、韓国が強く求めてきた教科書研究を開始することで関係改善に向け弾みをつけたい考えだ。【大貫智子】 毎日新聞 2006年2月25日 3時00分 URL http //www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20060225k0000m010146000c.html 0221 ホロコースト否定の英歴史学者、オーストリアで禁固3年 [朝日] 2006年02月21日10時48分 オーストリアの首都ウィーンの州裁判所は20日、ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を否定する発言をした罪に問われた英国の歴史学者デビッド・アービング被告(67)に禁固3年を言い渡した。同国では、ホロコーストを否定する言論は法律で禁じられている。 同被告は89年、オーストリアで行った講演で「アウシュビッツにガス室は存在しなかった」などと述べた。この発言に対するオーストリア当局の逮捕状が出ていたため、05年11月に同国を再び訪れた際に逮捕された。 この日の裁判では、同被告は「ガス室の否定は間違っていた」などと主張したが、裁判官は「考えが本当に変わったとは認められない」と判決理由を述べた。被告側は控訴する方針だ。 同被告は00年、「ホロコーストの否定者」と決めつけたとして、米大学教授を相手取って名誉棄損訴訟を英国で起こしたが、訴えは退けられた。 イランのアフマディネジャド大統領がホロコーストを否定する発言をして国際社会から批判を受けている。イスラム教預言者ムハンマドの風刺画問題が起きた後、言論の自由とホロコーストの問題を取り上げる声がイスラム圏の一部に起きており、判決は一石を投じそうだ。 URL http //www.asahi.com/international/update/0221/005.html 0220 台湾で対日歴史観論争、高砂義勇隊の慰霊碑撤去巡り [読売] 【台北=石井利尚】台湾・台北県烏来の観光公園に再建された高砂義勇隊の慰霊碑について、最大野党・国民党の周錫●県長は19日、「軍国主義思想の礼賛だ」と批判し、1週間以内に撤去するよう指示した。(●は王ヘンに「偉」のつくり) これに対し、与党・民進党は、「異なる歴史認識を封殺するのは民主的ではない」と反発、対日歴史観をめぐる与野党の政治論争に発展している。 この碑は太平洋戦争中、旧日本軍兵士として戦い犠牲になった先住民(高砂族)を慰霊するもので、日本からの資金援助などで再建された。8日に李登輝前総統や日本の対台湾窓口機関・交流協会台北事務所長ら日台関係者が出席し、再建式典が行われた。 県公園事務所は昨秋、碑再建に同意。しかし、12月の県長選挙で、親中的な外省人(中国出身者)の周氏が、民進党に代わり県長に就任したことで、県は一転、計画の見直しに入った。 周県長は、従軍慰安婦問題まで持ち出し、「(台湾は)日本に軟弱すぎた」と訴えた。ただ、再建を進めた地元遺族たちは撤去に反対している。 (2006年2月20日22時32分 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/world/news/20060220id22.htm 5月10日は「奴隷制撤廃記念日」…仏大統領が発表 [読売] 【パリ=島崎雅夫】フランスのシラク大統領は30日、パリで演説し、今年から毎年5月10日を、過去の奴隷制度の歴史を直視し、今も残る強制労働の完全撤廃を目指す記念日とすることを発表した。 5月10日は仏国会が2001年、奴隷制度が人類に対する犯罪だったとする法律を採択した日。今年から休日とし、仏本土や海外県・領土で様々な記念行事を行う予定。 シラク大統領は「奴隷制度は人種差別を助長した。人種差別は犯罪であり、過去に起きたことを記憶にとどめ続けなくてはならない」と指摘、仏国内の小中学校で奴隷制度の歴史を教えることを強調した。 また、世界で約2000万人が奴隷に近い強制労働を強いられているとして、欧米諸国と協力して強制労働を撲滅していく方針も強調した。 歴史認識に関して、仏ではこのほか、植民地政策には「肯定的な側面もあった」とする条項のある法律(05年2月成立)をめぐり、北アフリカなど旧植民地の国々から反発が強まっている。このため、シラク大統領は先週、同条項削除の検討を内閣に指示するなど対応に追われた。 (2006年2月1日0時35分 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/world/news/20060131i516.htm 靖国・歴史で日本に厳しく 国際組織 日中韓問題で報告書 [赤旗] 【ブリュッセル=浅田信幸】ブリュッセルに本部を置く有力な国際的シンクタンク、国際危機グループ(ICG)は十五日、「北東アジアの紛争の底流」と題する報告書をソウルとブリュッセルで同時発表し、日中韓三国間で「くすぶる紛争を沸騰させない」で地域協力を発展させるよう呼びかけました。 報告は、日中韓の関係が「領土要求と異なる歴史解釈」をめぐって対立を深めているとし、解決は困難だが「実践的な信頼醸成と制度づくり」に直ちに取り組むべきだと指摘。「北東アジアは、共通する政治・安全保障問題に取り組む機関をもたず、最も統合が進んでいない地域」だとしています。 また「小泉首相の靖国神社参拝と右翼グループによる歴史解釈を修正する歴史教科書作成の試みは中韓両国の警戒心を刺激し、日本は第二次世界大戦での犯罪を反省していないとの感情を増幅させた」と指摘。日本は「ドイツと異なり、自国の歴史の継続的、批判的検証にほとんど関心を示していない」と断定しました。 報告はさらに「防衛能力でより『普通の』国になろうとする日本の動きと結びついて、歴史をめぐる争いは、この地域での日本軍国主義復活の恐れを増大させている」とも述べています。 報告は二十二項目の勧告をし、日中韓に米国を加えた四カ国に向けて「歴史問題を外交に直結させないこと」などを列挙。日本政府には▽戦死者の新たな追悼施設の建設に加え、従軍慰安婦など「日本の戦争犯罪の個々の犠牲者を支援するため公的資金を活用する基金を設立する」▽「日本の植民地事業をたたえるものであれ過小評価するものであれ閣僚には公的な発言を控えさせる」―などを提言しています。 URL http //www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-12-17/2005121702_03_3.html 抗日戦伝える展示館開設へ 日本側資料も展示 中国長春 [朝日] 2005年08月28日19時27分 映画「ラストエンペラー」で知られる旧満州国皇帝溥儀の宮殿を復元した中国吉林省長春市の「偽満皇宮博物院」が、抗日戦争などを伝える大規模展示館を開設する準備を進めている。新たな試みとして、中国側の資料に加え、日本側の資料も大量に展示。日中双方の参観者に向け、客観的な歴史を伝える場にしたいとしている。 新たな展示館は同博物院と同じ敷地に建設中の「東北被占領史陳列館」。3階建てで床面積約3000平方メートル。展示する1000点近くの資料のうち3~4割を日本側の資料が占める予定。満州事変の発端となった柳条湖事件が起きた9月18日に仮オープンし、10月中の一般公開を目指している。 中国で抗日戦争の歴史などを伝える展示館はこれまで中国側の資料を中心とした展示内容だったが、同博物院のスタッフが昨年から数度にわたって訪日し、旧満州や抗日戦争にかかわる日本側の資料を収集した。 日本の軍人が家族にあてた手紙や出征時の旗、日本政府の戦争関係資料などを通じて、戦争は一般の日本人にも大きな被害を与えたとの側面があることも、参観者に知ってもらいたいとの狙いだ。展示物には提供者の日本人の名前も明示する。 同博物院の趙継敏副院長は「中日双方がともに進んでいく共通の基盤は、戦争を二度と起こさないとの認識だ。そのためには正しく歴史に向き合わなければならない」と話している。 TITLE asahi.com:抗日戦伝える展示館開設へ 日本側資料も展示 中国長春 - 国際 DATE 2005/08/29 14 52 URL http //www.asahi.com/international/update/0828/012.html 朝鮮人の強制連行犠牲者、225人分の名簿が福島に [朝日] 2005年08月23日23時53分 在日朝鮮人と日本人の学者・弁護士らで組織する「朝鮮人強制連行真相調査団」は23日、福島県が1958(昭和33)年にまとめた225人分の調査資料の複写が見つかったと発表した。調査団の洪祥進(ホン・サンジン)事務局長は「全国の都道府県に、遺骨調査の参考にしてもらいたい」としている。 調査団によると、資料は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)福島県本部に保管されていた。「昭和33年3月13日」付で、県が朝鮮総連福島本部あてに朝鮮人の遺骨調査について回答した形式をとっている。 死亡者の本籍地、生年月日、氏名、病名、死亡した場所、埋葬場所が記されている。225人は41~53年に死亡しており、全体の約3割にあたる71人が終戦の45年に死亡。死亡地は福島県内の4市14町村にわたるが、半数以上は(現在の)いわき市が占める。調査団は「いわきに炭鉱が多かったので連れてこられたのではないか」としている。本籍地は慶尚南道や慶尚北道など朝鮮半島の南部が多いという。 福島県の野地陽一総務部長は「当時の総務部地方課が市町村の協力を得て作った資料と思われる。しかし、原本がなく当時の職員も退職していることから、詳しいことはわからない。原本を改めて探すことを検討したい」としている。 TITLE asahi.com: 朝鮮人の強制連行犠牲者、225人分の名簿が福島に - 社会 DATE 2005/08/24 14 12 URL http //www.asahi.com/national/update/0823/TKY200508230378.html 「百人斬り」報道、旧軍少尉遺族の損賠請求を棄却 [読売] 1937年に旧日本軍が中国の南京へ侵攻した際、2人の少尉が中国兵を競って切り倒す「百人斬(ぎ)り競争」を行ったとする記事で名誉を傷付けられたとして、少尉の遺族が毎日新聞社(当時の東京日日新聞)、朝日新聞社、柏書房の3社と、本多勝一・元朝日新聞編集委員に計3600万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が23日、東京地裁であった。 土肥章大裁判長は「真偽について見解が分かれ、歴史的事実としての評価は定まっておらず、明白な虚偽とは認められない」と述べ、請求を棄却した。原告は控訴する方針。 原告は、「百人斬り」などでの虐殺を理由に、47年の南京軍事裁判で死刑となった向井敏明少尉と野田毅少尉の遺族3人。 判決は、初めて百人斬りを報道した東京日日新聞の記事について、<1>2人が記者に話したことが契機となった<2>1人は報道後、百人斬りを認める発言をしたことがうかがわれる――などの点から、「虚偽、誇張が含まれている可能性が全くないとはいえないが、記者の創作とまで認めるのは困難」と判断した。 判決などによると、同新聞は37年、4回にわたり、南京侵攻中の両少尉が、どちらが先に中国兵100人を切り倒せるか競争していたなどと報じた。 本多氏は71年、朝日新聞に、百人斬りを事実とする中国人の証言を含む記事を載せ、単行本の「中国の旅」(朝日新聞社刊)にも収録。本多氏らが執筆し、柏書房が出版した「南京大虐殺否定論13のウソ」も、百人斬りが事実だったと記述した。 (2005年8月23日12時47分 読売新聞) TITLE 「百人斬り」報道、旧軍少尉遺族の損賠請求を棄却 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞) DATE 2005/08/24 15 49 URL http //www.yomiuri.co.jp/national/news/20050823it04.htm ベトナム共産党紙が「大東亜」批判を再録 日本の美化論の誤り指摘 [赤旗] 【ハノイ=鈴木勝比古】ベトナム共産党中央機関紙ニャンザン十九日付は、日本占領軍から権力を奪った八月革命六十周年記念日(十九日)にあたって、当時のインドシナ共産党(現ベトナム共産党)のチュオン・チン書記長が執筆した論文「日仏の衝突とわれわれの行動」の全文を掲載しました。六十年前、日本軍の支配の実態と「大東亜共栄圏」のいつわりを告発したこの論文は、日本の一部勢力による「大東亜戦争」美化の誤りを明らかにしています。 日本軍は一九四〇年に仏植民地下のベトナムに進駐し、日仏共同でベトナムを支配しましたが、四五年三月九日に軍事クーデターで仏植民地政権から権力を奪い、ベトナムを単独の軍事支配下に置きました。 インドシナ共産党はこの情勢の変化を分析し、三月十二日付で「日仏の衝突とわれわれの行動」と題する指示を出しました。日仏を「二つの敵」とした情勢から、日本を「主敵」とするに至った情勢の変化をとらえ、日本軍に対するベトナム人民の決起を呼びかけたもの。その後、当時の党機関紙解放旗六月十五日付は同じ題名の論文をCGP署名(チュオン・チン氏のペンネーム)で掲載しました。 論文は、フランス軍は日本軍に敗北したが、党は「連合軍が上陸しなくても、わが人民とともに日本に対する抗戦を続ける」と述べ、「日本ファシストに反対する任務を最優先とする」ことを明らかにしています。 さらに「現在、飢餓が深刻になっている。日本軍はわが人民を直接、残虐に殺りくし、搾取している。人民はいまだかつてなかった苦しみに直面している」と述べ、「われわれは日本ファシストをせん滅し、人類に平和をもたらすために血肉を犠牲にして連合軍に貢献している。われわれは日本の『大東亜』論にだまされないと強調しています。 インドシナ共産党は八月十三日から十五日にかけて抗戦根拠地のタンチャオで全国会議を開催して全国の総蜂起を決定。ハノイで八月十九日、十万人が決起し、市内各所の権力機関を接収しました。八月末までに全国に蜂起が広がって各地の権力を奪取。九月二日にホー・チ・ミン主席がベトナムの独立を宣言しました。 TITLE ベトナム共産党紙が「大東亜」批判を再録/日本の美化論の誤り指摘 DATE 2005/08/20 11 05 URL http //www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-08-20/2005082006_01_3.html 「中韓の発展、日本に感謝を」 米誌タイム・アジア特集 [産経] 【シンガポール=藤本欣也】米誌タイムは最新号で、「現代アジア」について特集、シンガポールの元外交官、キショール・マフバニ氏の論文「アジアの再生」を掲載した。同氏はアジアの世紀と呼ばれる今の発展をもたらしたのは自らの文化に対する自信であり、中国や韓国などアジア諸国はそれを提供した日本に感謝の意を表すべきだとの見解を明らかにしている。 マフバニ氏はシンガポール国立大学のリー・クアンユー公共政策大学院学長。インド系で、国連や米国で長く外交官を務めた。 同氏はまず、「文化に対する自信は発展の必要条件である」と指摘。英国の植民地だったインドをはじめアジア諸国では欧州の文化の優越性が民衆の心の底に刷り込まれていたとし、「日露戦争でロシアが日本に敗れて初めてインドの独立という考えが生まれた」とのインドのネール初代首相の言葉を引き、「20世紀初頭の日本の成功がなければアジアの発展はさらに遅れていただろう。日本がアジアの勃興(ぼっこう)を呼び起こした」と論じた。 韓国の場合も、日本というモデルがなければこれほど早く発展できなかったと指摘。中国も、日本の影響で発展できた香港、台湾、シンガポールという存在がなければ、改革開放路線に踏み出さなかったとし、「日本がアジア・太平洋に投げ入れた小石の波紋は中国にも恩恵をもたらした」「(日本を歴史問題で批判する)中国でさえも日本に感謝すべきだ」などという見解を示した。 【2005/08/18 東京朝刊から】 (08/18 08 27) TITLE Sankei Web 国際 「中韓の発展、日本に感謝を」 米誌タイム・アジア特集(08/18 08 27) DATE 2005/08/18 09 07 URL http //www.sankei.co.jp/news/050818/kok028.htm 日中歴史共同研究委、来年初めにも発足 [読売] 日中両国の歴史研究者らで構成する歴史共同研究委員会が年内にメンバーの人選を終え、来年初めにも発足する見通しとなった。政府筋が16日、明らかにした。日中間で歴史認識をめぐる対立が先鋭化しているため、共同研究を通じて相互理解を深める狙いがある。 歴史の共同研究は今年4月、町村外相が中国の李肇星外相との会談で提案し、中国側も賛同していた。 日韓両政府は2002年に共同研究を開始し、今年6月に研究報告書を公表した。さらに、年内にも第2期の共同研究委員会を発足させる予定だ。 (2005年8月16日14時5分 読売新聞) TITLE 日中歴史共同研究委、来年初めにも発足 政治 YOMIURI ONLINE(読売新聞) DATE 2005/08/17 11 34 URL http //www.yomiuri.co.jp/politics/news/20050816ia05.htm ソウルで南北代表団、日本の「歴史わい曲」糾弾声明 [読売] 【ソウル=平野真一】日本の植民地支配からの解放60周年を記念してソウルで開かれている韓国と北朝鮮の共同行事「民族大祝典」に参加中の南北代表団は15日、日本による「歴史わい曲」を糾弾する声明を発表した。 聯合ニュースなどによると声明は、日本が「歴史的な犯罪を解放戦争と美化する時代錯誤の歴史わい曲」を行っていると非難した上で、日本の政府や政治家に対し、戦犯の美化や靖国神社参拝の中止、過去への反省と謝罪、植民地支配の犠牲者と国々への国家賠償・補償を求めた。 (2005年8月15日22時13分 読売新聞) TITLE ソウルで南北代表団、日本の「歴史わい曲」糾弾声明 国際 YOMIURI ONLINE(読売新聞) DATE 2005/08/16 10 40 URL http //www.yomiuri.co.jp/world/news/20050815i215.htm 豪首相、太平洋戦争戦勝記念日式典で旧日本軍を非難 [読売] 【シドニー=樋口郁子】オーストラリアのハワード首相は15日、首都キャンベラの太平洋戦争戦勝記念日式典で、「2万人以上のオーストラリア兵が残酷な敵の手に落ち、強制労働や飢え、蛮行に耐え忍んだ」と述べ、第2次大戦下、豪軍など連合軍兵士を捕虜にした日本を辛辣な言葉で非難した。 また、「無敵だった日本軍を止め、追い返したのは、パプア(ニューギニア)にいた豪軍兵だった」と話した。 (2005年8月15日21時45分 読売新聞) TITLE 豪首相、太平洋戦争戦勝記念日式典で旧日本軍を非難 国際 YOMIURI ONLINE(読売新聞) DATE 2005/08/16 10 41 URL http //www.yomiuri.co.jp/world/news/20050815id24.htm 「日本で右翼的動きが増大」隣国から孤立の恐れ 英字紙が警告 [赤旗] 日本敗戦六十年に当たり、パリ編集の国際英字紙インターナショナル・ヘラルド・トリビューン十五日付は、第二次大戦での日本の残酷さを塗り消し平和憲法を書き換えようとする右翼的動きが増大していると指摘し、このままでは日本は他のアジア諸国から孤立してしまうと警告しました。 東京発の記事は「責任になお苦しむ日本」の見出しで、「日本の兵士の勇気を激賞する映画、小説、コミックがあふれ、日本の戦争での残酷さを打ち消して西欧の植民地支配を終わらせた戦争とする学校教科書が使われている」と「戦争を誇りにする動きが増大している」と指摘。「日本を残酷な侵略者と見る(日本以外の)東アジア諸国との認識の差がますます拡大している」と強調しています。 また、東京裁判については「勝利者の復しゅう」と見られ、「日本の指導者はドイツのように自国の戦争責任についてのコンセンサスづくりに指導的役割をはたさなかった」と批判しています。 同記事は「日本の真の誤り」は、「日本の戦争の役割を論議するときに、(日本による)戦争犠牲者の声を拒否してきたことだ」と指摘。「日本の戦争観は日本を隣国から孤立させる恐れがある」「(日本の戦争)犠牲者の意見を真剣に取り入れることだけがアジア諸国の日本の信頼を取り戻すことができる」と結論づけています。 また同紙はシンガポール発の記事で、米国の日本政策研究所のチャルマス・ジョンソン氏の「日本は極端な民族主義へ進もうとしている」「武力行使を禁じた戦後憲法を書き直し、戦時中の軍国主義への謝罪を撤回しようとしている」との発言を引用しています。 TITLE 「日本で右翼的動きが増大」/隣国から孤立の恐れ/英字紙が警告 DATE 2005/08/16 10 53 URL http //www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-08-16/2005081607_02_3.html 終戦記念日 小泉首相談話 アジアと関係構築、未来志向で [毎日] 会見で戦後60年に際しての小泉首相の談話を発表する細田官房長官=首相官邸で15日午前10時34分、川田雅浩写す 60回目の終戦記念日にあたり、政府は15日午前の閣議で、小泉純一郎首相談話を決定した。過去の植民地支配と侵略に「反省とおわび」を改めて示したうえで「一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国と、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要」と明記。首相の靖国神社参拝をめぐり関係が冷え込んでいる中韓両国を挙げながら、アジア諸国との未来志向の協力関係構築の必要性を打ち出した。 戦後60周年の今年、中韓両国で日本に歴史認識に対する不満が出ていることなどを受け、首相は終戦記念日にあたり閣議決定を要する「首相談話」の形で日本の姿勢を内外に示す必要があると判断したとみられる。 首相談話は、戦後50周年にあたっての95年8月15日の村山富市首相談話と、小泉首相が今年4月にジャカルタで開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)50周年記念首脳会議で行った演説を基本的に踏襲。「わが国は、かつての植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と指摘、「こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明する」と明記した。そのうえで、中韓両国との連携の必要性を挙げながら「過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたい」「唯一の被爆国としての体験や戦後60年の歩みを踏まえ、国際社会の責任ある一員としての役割を積極的に果たしていく」と決意を表明している。 細田博之官房長官は15日午前の記者会見で「村山談話とバンドン演説と軌を一としている」と説明した。一方で政府筋は「村山談話は反省に重点が置かれていたが、今回は未来志向を打ち出したのが特徴だ」と説明した。【末次省三】 <小泉首相談話の全文> 私は、終戦60年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。 先の大戦では、300万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。 また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。 戦後我が国は、国民の不断の努力と多くの国々の支援により廃墟から立ち上がり、サンフランシスコ平和条約を受け入れて国際社会への復帰の第一歩を踏み出しました。いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました。 我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年であります。 我が国にあっては、戦後生まれの世代が人口の7割を超えています。日本国民はひとしく、自らの体験や平和を志向する教育を通じて、国際平和を心から希求しています。今世界各地で青年海外協力隊などの多くの日本人が平和と人道支援のために活躍し、現地の人々から信頼と高い評価を受けています。また、アジア諸国との間でもかつてないほど経済、文化等幅広い分野での交流が深まっています。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。 国際社会は今、途上国の開発や貧困の克服、地球環境の保全、大量破壊兵器不拡散、テロの防止・根絶などかつては想像もできなかったような複雑かつ困難な課題に直面しています。我が国は、世界平和に貢献するために、不戦の誓いを堅持し、唯一の被爆国としての体験や戦後60年の歩みを踏まえ、国際社会の責任ある一員としての役割を積極的に果たしていく考えです。 戦後60年という節目のこの年に、平和を愛する我が国は、志を同じくするすべての国々とともに人類全体の平和と繁栄を実現するため全力を尽くすことを改めて表明いたします。 平成17年8月15日 内閣総理大臣 小泉純一郎 <解説>中韓との関係改善、急務と認識 小泉純一郎首相が60回目の終戦記念日の15日、閣議決定を要する「首相談話」を出したのは、歴史認識問題をめぐり冷え込んだ中国、韓国との関係改善が急務との認識を打ち出したものだ。政府内には、来月の衆院選を控え、こうした談話を公表することに慎重論もあった。首相自身の靖国神社参拝問題が火種となっている中、談話がどこまでアジア諸国へのメッセージとなるかは、未知数だ。 談話をめぐり、政府内には「閣議決定を必要としない『首相のコメント』といった形式で十分ではないか」との意見も根強かった。細田博之官房長官も12日の記者会見で政府として何らかの形でメッセージを出すことは示唆したものの、形態など具体的な言及は避けていた。 首相談話は歴史認識については「植民地支配、侵略への反省とおわび」を示し、95年の村山富市首相談話を基本的に踏襲している。自民党内には「村山談話」へ異論が根強いが、首相談話では第2次世界大戦のA級戦犯を裁いた「東京裁判」を受諾したサンフランシスコ平和条約についてもふれている。 一方で未来志向も強調、村山談話が盛り込んでいた「国策の誤り」という表現は用いなかった。細田長官は15日午前の記者会見でこの点について問われ「文章の流れ上の問題。首相もそのような趣旨をかつて言っており、それを否定するようなことではない」と説明したが、自民党向けの配慮もあったとみられる。【末次省三】 毎日新聞 2005年8月15日 11時23分 (最終更新時間 8月15日 14時16分) TITLE MSN-Mainichi INTERACTIVE 行政 DATE 2005/08/15 20 27 URL http //www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20050815k0000e010027000c.html 外務省がHPで「歴史問題Q&A」を公表 [読売] 外務省は12日、歴史問題に関する政府の立場などをまとめた問答集「歴史問題Q&A」を同省のホームページ上で公表した。 今後、英語、中国語、韓国語への翻訳を進め、順次、公表していくとしている。小泉首相の靖国神社参拝と、過去の植民地支配などとの関係について、「過去の植民地支配と侵略を正当化するものではない」と答えている。 (2005年8月12日22時52分 読売新聞) TITLE 外務省がHPで「歴史問題Q&A」を公表 政治 YOMIURI ONLINE(読売新聞) DATE 2005/08/13 16 52 URL http //www.yomiuri.co.jp/politics/news/20050812ia22.htm 戦後60年決議:「国際貢献」前面に 総保守化傾向を反映 [毎日] 2日の衆院本会議で採択された「戦後60年決議」は、過去の戦争に対する反省が中心だった95年の「戦後50年決議」とは異なり、「国際平和の構築への貢献」を前面に押し出した。国連平和維持活動(PKO)への参加が始まったばかりの10年前と比べ、自衛隊の海外派遣がイラクやインド洋での多国籍軍支援にまで拡大した現状を反映。一方で「植民地支配」「侵略的行為」の表現が消え、共産、社民両党の退潮による「総保守化」傾向を印象付けた。 決議は今年を「国連創設及びわが国の終戦・被爆60周年」と位置付け、冒頭では国際平和を阻害する戦争やテロ、飢餓・疾病、環境破壊、大量破壊兵器の拡散に懸念を示した。01年9月の米同時多発テロ以降の国際情勢を色濃く映した内容といえる。「わが国の過去の一時期の行為」を深く反省したうえで、核兵器廃絶や戦争回避、世界連邦実現などに最大限の努力をすることをうたった。 10年前は旧社会党委員長の村山富市首相(当時)が率いる「自社さ」連立政権。村山氏が「植民地支配」と「侵略」を盛り込むことにこだわった結果、反発した自民党議員約50人が本会議を欠席。反省の表現が中途半端だとして社会党からも欠席者が出た。野党も欠席・反対に回り、衆院定数の半数に満たない賛成でかろうじて採択された「保・革」妥協の産物が50年決議だった。 今回の決議は「わが国の歴史教育への外国の干渉を招く恐れがある」などと批判した平沼赳夫前経済産業相ら自民、民主両党の数人が退席しただけで、共産党を除く与野党の賛成多数で採択された。中国、韓国は日本の歴史認識を批判しているが、「過去への反省に基づく国際貢献」が総保守化の進む国会の最大公約数といえそうだ。【平元英治】 毎日新聞 2005年8月3日 2時32分 TITLE MSN-Mainichi INTERACTIVE 国会 DATE 2005/08/03 10 10 URL http //www.mainichi-msn.co.jp/seiji/kokkai/news/20050803k0000m010174000c.html 戦後60年決議、自民、民主から欠席者 [朝日] 2005年08月03日00時42分 自民、民主、公明、社民4党の賛成多数で採択された2日の「戦後60年決議」の採決で、決議に慎重・反対と見られる平沼赳夫前経産相ら自民、民主両党の数人が棄権・欠席をした。95年の戦後50年決議の際にも、修正要求が受け入れられなかったとして新進党(当時)が欠席、自民、社会、さきがけの与党3党からも約70人の欠席者が出た。歴史認識を巡るコンセンサスづくりの難しさを改めてうかがわせた。 平沼氏は採決前に議場を退席。記者団に「過去のことで反省すべきは反省しなければいけないが、国会は法案などを審議する場で、国論を分けるようなことをあえて決議することには疑問がある」と語った。 同じく退席した民主党の中井洽副代表は「10年前、我々は新進党として反対(実際は欠席)した」と説明。「核兵器廃絶と戦後60年がどう結びつくのかがよく分からない」とも述べた。 民主党では達増拓也、西村真悟氏らも本会議を欠席した。 TITLE asahi.com: 戦後60年決議、自民、民主から欠席者 - 政治 DATE 2005/08/03 10 57 URL http //www.asahi.com/politics/update/0803/001.html 戦後60年 侵略戦争合理化の決議 [赤旗] 自民、民主、公明、社民の四党は二日の衆院本会議で、歴史の事実をゆがめ、侵略戦争を合理化する戦後六十年の決議を強行しました。日本共産党は反対しました。 決議案は先月末に与党が提案。日本共産党は、わが国の侵略戦争と植民地支配への明確な反省が不可欠だと主張しました。しかし、自民、民主、公明が提案した最終の決議案は、「十年前の『歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議』を想起し」との文言が盛り込まれました。 この十年前の「戦後五十年決議」は、「世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略行為に思いをいたし、わが国が過去に行ったこうした行為」として、世界列強が行ってきたことと日本の行為を同列視する「どっちもどっち」論にたち、日本の侵略戦争と植民地支配を合理化するものでした。 これを想起するとした今回の決議は、日本の侵略や植民地支配についてまがりなりにも「反省」を表明してきた政府の公式見解にも反するものです。 日本共産党の穀田恵二議員は同日の議院運営委員会で、「戦後五十周年決議を想起させることは到底認められない」、「わが国の歴史認識があらためて厳しく問われており、植民地支配と侵略戦争への明確な反省を欠いた決議に反対する」とのべました。 TITLE 戦後60年 侵略戦争合理化の決議/衆院本会議/自・民・公・社が強行/共産党反対「政府見解にも反する」 DATE 2005/08/03 11 08 URL http //www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-08-03/2005080301_01_1.html 戦後60年決議、衆院で採択 「植民地支配」盛られず [朝日] 2005年08月02日13時09分 衆院は2日の本会議で、過去の行為への反省や核兵器廃絶への努力などを盛り込んだ「戦後60年決議」を自民、民主、公明、社民の4党の賛成多数で採択した。戦後50年決議で記された「植民地支配」や「侵略的行為」の文言は入らなかったが、同決議を踏まえることを明記することで民主、社民両党が賛成に転じた。 戦後60年決議では、「わが国の過去の一時期の行為がアジアをはじめとする他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、あらためてすべての犠牲者に追悼の誠を捧(ささ)げる」と記し、「唯一の被爆国」として核兵器の廃絶などに最大限の努力をする姿勢を示した。 この決議案は、河野洋平衆院議長の指示に基づき衆院議院運営委員会で検討。民主、社民両党は当初、「戦後50年決議より後退している」と反発したが、「10年前の『決議』を想起し」という文言を加えることで折り合った。共産党は「植民地支配」や「侵略的行為」が入っていないことを理由に反対に回った。 TITLE asahi.com: 戦後60年決議、衆院で採択 「植民地支配」盛られず - 政治 DATE 2005/08/02 17 27 URL http //www.asahi.com/politics/update/0802/005.html 「内容が後退」民主、戦後60年決議案の了承持ち越し [読売] 民主党は1日の「次の内閣」で、戦後60年の国会決議案を協議したが、日本の「侵略的行為」に「深い反省の念」を表明した1995年の戦後50年決議に比べ、「内容が後退している」などの意見が相次ぎ、了承を持ち越した。 2日の党役員会で改めて協議し、対応を決める。 文案は、衆院議院運営委員会の自民、民主、公明3党の理事が調整した。当初の与党案は、日本の戦争行為が「他国民」に与えた多大な苦難としていた部分を、民主党からの要望で「アジアをはじめとする他国民」に修正した。 与党側は既に、この文案で了承しており、決議案の扱いについては2日の議運委理事会で協議する。 (2005年8月2日0時16分 読売新聞) TITLE 「内容が後退」民主、戦後60年決議案の了承持ち越し 政治 YOMIURI ONLINE(読売新聞) DATE 2005/08/02 17 37 URL http //www.yomiuri.co.jp/politics/news/20050801i418.htm 戦後60年決議案 「戦略的行為」盛り込まず [毎日] 与野党が衆院本会議での採択を目指している戦後60年の国会決議案が26日、明らかになった。焦点の歴史認識については日本の過去の行為について「深く反省する」と言及しながらも、戦後50年決議(95年)で明記された「植民地支配」や「侵略的行為」との表現は盛り込まず、当時の村山「自社さ」政権を反映した旧社会党色を薄めた点が特徴。国連の役割を高く評価し、核兵器廃絶への努力など世界平和への貢献もうたった。 決議案の名称は「国連創設及びわが国の終戦・被爆六十周年にあたり、更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議」。自民、民主両党を中心に原案を作成した。29日か8月2日の採択を軸に調整しており、自民、民主、公明3党は賛成する見通し。 冒頭、人類の悲願である国際平和が実現せず、戦争やテロリズムによる人的被害や大量破壊兵器が拡散している現状に懸念を表明。平和憲法を持つ唯一の被爆国として、核兵器廃絶など「持続可能な人類共生の未来を切り開くための最大限の努力」を政府に要請した。 さらに、歴史認識にも触れ、「わが国の過去の一時期の行為がアジアをはじめとする他国民に与えた多大な苦難を深く反省する」「あらためてすべての犠牲者に追悼の誠を捧げる」と記した。ただ、戦後50年決議で取り上げた「植民地支配」や「侵略的行為」との表現は盛り込まず「反省」色は薄めた。50年決議では「世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する」としていた。 原案作成にあたった民主党議員は「自民党内には村山内閣の『ざんげ路線』はもう十分という考えがあり、民主党内にも旧社会党色はもういいというムードがあった。10年前はざんげが軸、今回は未来志向で良いのではないかと考えた」と説明している。【平元英治】 ■戦後60年決議案(全文) 国連創設及びわが国の終戦・被爆六十周年に当り、更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議(案) 国際平和の実現は世界人類の悲願であるにもかかわらず、地球上に戦争等による惨禍が絶えない。 戦争やテロリズム、飢餓や疾病、地球環境の破壊等による人命の喪失が続き、核兵器等の大量破壊兵器の拡散も懸念される。 このような国際社会の現実の中で、本院は国際連合が創設以来六十周年にわたり、国際平和の維持創造のために発揮した叡智(えいち)と努力に深く敬意を表する。 われわれは、記念すべき年に当り、わが国の過去の一時期の行為がアジアをはじめとする他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、あらためてすべての犠牲者に追悼の誠を捧(ささ)げるものである。 政府は、日本国憲法の掲げる恒久平和の理念のもと、唯一の被爆国として、世界のすべての人々と手を携え、核兵器等の廃絶、あらゆる戦争の回避、世界連邦結成への道の探究など、持続可能な人類共生の未来を切り開くための最大限の努力をすべきである。 右、決議する。 日本国衆議院 毎日新聞 2005年7月27日 3時00分 TITLE MSN-Mainichi INTERACTIVE その他 DATE 2005/07/27 09 39 URL http //www.mainichi-msn.co.jp/seiji/feature/news/20050727k0000m010154000c.html 韓国「真相糾明委」、東京事務所開設へ 朝鮮人強制動員 [朝日] 2005年07月19日07時04分 戦前・戦中に日本の植民地支配で朝鮮人が強制動員された実態を調べている韓国政府の「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」が8月、東京の韓国大使館内に東京事務所を設け、常駐の担当者を置くことになった。 委員会の崔鳳泰(チェ・ボンテ)事務局長によると、強制動員され死亡した朝鮮人の遺骨の返還に向け、日本の担当省庁などと折衝する。また在日韓国・朝鮮人からの被害申告も受け付ける。 韓国内で約20万件の調査依頼が集まった被害の実態調査には日本側の協力が不可欠と判断し事務所の開設を決めた。 また、日本の市民団体も18日、この活動に協力するために東京で「強制動員真相究明ネットワーク」を結成、内海愛子・恵泉女学園大学教授らを共同代表に選んだ。 TITLE asahi.com: 韓国「真相糾明委」、東京事務所開設へ 朝鮮人強制動員 - 社会 DATE 2005/07/19 19 26 URL http //www.asahi.com/national/update/0719/TKY200507180372.html 米議会決議 大戦の戦争観を明らかに 東京裁判の判決再確認 [赤旗] 米上下両院は十四日、第二次世界大戦終結六十周年にあたり、参戦兵士をたたえる決議を採択しました。その中で、この戦争がファシズムと軍国主義にたいする世界的な戦争であったという性格を指摘。また、沖縄、広島、長崎を含め三十近くの都市や国名をあげて、すべての犠牲者に言及しています。 さらに、極東国際軍事裁判(東京裁判)での戦争犯罪人への有罪判決を改めて確認しています。これは、日本で東京裁判の判決を否定して、逆に日本がおこなった戦争への美化があることへの批判となっています。 米議会が終戦を記念した決議は五十周年も含めてこれまでなかったことです。戦後六十年を経て歴史の事実を米議会がこうした形で「再確認」するところに、日本の一部勢力の誤った戦争観、歴史観にたいする世界で強まっている批判がみられます。 決議は、一九四六―四八年の東京裁判について、「その判決と、特定の個人に人道にたいする罪を犯した戦争犯罪人として有罪判決を下したことを再確認する」と述べています。 また、第二次大戦をたたかった米国人を「自由を守り、世界をファシスト軍国主義の惨劇から救い出した」として感謝を表明するとともに、米艦船ミズーリ号上での日本の第二次大戦の最終降伏六十周年を記念するよう呼びかけました。 さらに、戦後のオーストラリア、日本、韓国などと米国との同盟を「アジア地域の平和と繁栄に貢献した」と強調しています。 ■歴史わい曲で「けん制」 米議会決議 韓国各紙が報道 韓国各紙は、米上下両院が日本の戦犯を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決を再確認する決議を可決したことを報道。決議について、歴史わい曲問題での日本に対する米国の「けん制」との見方を示しています。 中央日報(電子版)十六日付は、「日本の太平洋戦争美化の動きにクギを刺す一方、小泉首相の靖国神社参拝に対するけん制の意味を持つと評価される」と指摘。京郷新聞(電子版)十五日付は「日本の戦犯断罪は正当」との見出しで報じました。 朝鮮日報(電子版)十七日付は、「今回の決議は、第二次世界大戦で他の国を侵略した日本の戦犯たちの行為を反人類的犯罪行為と規定したことを再確認したもので、最近の靖国神社参拝問題など、日本の一部による歴史わい曲問題に対する間接的な批判という見方もできる」と述べました。 TITLE 米議会決議/大戦の戦争観を明らかに/東京裁判の判決再確認 DATE 2005/07/18 10 29 URL http //www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-07-18/2005071801_03_3.html 東京裁判 自民・森岡氏が改めて疑問視 自民党の森岡正宏厚生労働政務官は22日、国会内で開かれた超党派の議員連盟「日本会議国会議員懇談会」の総会で「戦争はお互いが悪いことをしている。戦勝国だけが正しく、敗戦国が悪かったというのは誤りだ」と発言。「東京裁判(極東国際軍事裁判)が正しかったのかを国民に訴え、世界にも発信すべきだ」とも述べ、A級戦犯を裁いた東京裁判の正当性を改めて疑問視した。 森岡氏は5月26日の党代議士会で「A級戦犯はもう罪人ではない」などと発言。野党から辞任要求が出ていた。 森岡氏の発言について、細田博之官房長官は22日の記者会見で「政治家が一個人の発言をしたのだろう。しかし政府の見解は違う」と改めて強調。小泉純一郎首相は同日、記者団に「一議員の立場、政務官の立場、よくわきまえて頂きたい」と不快感を示した。【谷川貴史】 毎日新聞 2005年6月22日 23時51分 TITLE MSN-Mainichi INTERACTIVE 政党 DATE 2005/06/22 10 54 URL http //www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20050623k0000m010135000c.html 読売社説:日韓歴史研究 認識の不一致があるのは当然だ 異なる国家や民族の間で、歴史観や歴史認識を一致させることがいかに難しいかが、再確認されたということだろう。 日本と韓国の歴史研究者らでつくる日韓歴史共同研究委員会の最終報告書が公表された。 委員会は、日韓首脳会談の合意に基づき、2002年5月に発足した。 2001年の教科書検定に合格した中学校歴史教科書の一部の記述に対して、韓国政府が「歴史を歪曲(わいきょく)している」と抗議し、外交摩擦に発展したことを受けて始まった。 報告書は、古代から近現代まで、19のテーマにわたって日韓双方の主張を、両論併記の形で掲載している。 韓国側研究者からは、きわめて政治性の強い主張も展開された。 日本政府に対する韓国国民の請求権を放棄した1965年の日韓基本条約を批判し、条約の再考を求め、「日本国内の歴史進歩グループと国境を超える連帯」を提唱する研究者もいた。 さすがに日本側からは、「分析者としての第三者的な立場を離れて、直接的に政治的主張を強く展開していることに驚き、大いに失望した」と厳しい批判の声が上がった。 この研究者を含め、韓国側の近現代史を担当する2人が、国会議員になるため途中で委員を辞めている。 1910年の日韓併合条約の合法性や日本の統治下での「豊かな大衆消費社会」の出現、古代の朝鮮半島における日本の軍事行動などをめぐっても、日韓の見解は一致しなかった。 今回の歴史共同研究に続き、第2期歴史共同研究を進めていくことが、先の日韓外相会談で既に合意されている。 韓国政府は、第2期歴史共同研究の成果を日本の歴史教科書に反映させることを希望している。 しかし、日本の教科書検定制度では、多様な教科書を認める。国定教科書である韓国のように、共同研究の結果を、政府の意向によって教科書に反映させることは困難だ。 当然のことだが、歴史認識の相違は、日韓の間だけにあるのではない。 例えば、ヨーロッパでは、1992年に、欧州共通の歴史教科書が出版されたが、ナポレオンの評価をめぐって、各国の見解が一致しなかったために、両論併記の形がとられた。結局、欧州共通の歴史教科書は、各国でほとんど採用されなかった。 日韓両国は、双方の歴史認識に相違があることを認め合った上で、より建設的な関係を築いていくべきである。 (2005年6月14日1時58分 読売新聞) TITLE 6月14日付・読売社説(1) 社説・コラム YOMIURI ONLINE(読売新聞) DATE 2005/06/13 11 44 URL http //www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20050613ig90.htm 日韓歴史共同研究 認識の一致難しく 十日に公表された「日韓歴史共同研究委員会」の最終報告書は、歴史的事実の批評が、常に政治的主張や国民感情とは無縁ではないことを浮き彫りにした。古代、中・近世、近・現代のうち、とくに韓国併合から植民地支配、国交正常化に至る過程は、多くの論文とそれに対する批評が掲載され、千九百ページにも上る報告書の半分以上を占める。その多さこそ、歴史認識を共有することの難しさを象徴したものといえる。(宮野弘之) ◆◇◆ 四世紀から始まる報告書のなかで、韓国併合をめぐるテーマは、その後の植民地支配、さらに戦後の日韓基本条約の締結から戦後賠償問題にまでつながる最大の論点だった。 【日韓併合】 道義的な問題と法的な問題が絡み合ったのが、日本と当時の大韓帝国が結んだ条約(第二次日韓協約、日韓併合条約など)の有効性をめぐる問題だ。 韓国側は、「調印は日本に強制されたものであり、批准書がないのも、調印だけで条約が成立したと偽装したもの」として、条約は無効もしくは成立していないとの主張を展開した。 これに対し日本側は、韓国に対する威圧は認めながらも、条約締結が無効となるのは、国家代表に対して強制した場合に限定されるとして、「道義的には不当だが、法的には有効」との立場だ。「日本は当時強制すれば、条約は無効とする慣習法があることは熟知しており、強制はなかった」と強調し、さらに欧米列強も異議を唱えていないことを挙げ、条約は有効としている。 【植民地時代】 今回の研究で日本側が取り上げたかったテーマのひとつが、植民地時代の社会的変化だ。日本は、直接投資の拡大で、日本人の近代的な生活が流入。日系デパートの進出などで、半島では、日本人だけでなく朝鮮人も含めた豊かな「大衆消費社会」ができたことを指摘。さらに近代思想や文物の流入で、新たな文化が芽生えると同時に「新女性」が現出したとしている。 これに対し、韓国側は、日本は韓国の民族意識を抹殺、変質させる「皇民化教育」を展開したと批判。抗日運動が盛り上がらなかったことには、「やむを得ず変身するそぶりをしなければならなかった」などとした。大衆消費社会についても、土地や資本、生産手段が日本人や一部の人間に集中し、消費社会の受益者はわずかに過ぎなかったなどと反論した。 【日韓国交正常化】 韓国は日本との国交正常化を定めた一九六五年の日韓基本条約と関連する協定について、「ご都合主義的な政治的妥結」と批判し、再交渉の必要性を強調した。 日本に対する財産・請求権問題は、個人の請求権も含めて決着しているというのが政府の立場だが、韓国側は当時、協議されなかった懸案があるとして、「少なくとも個人請求権の問題や賠償問題は残っている」と主張した。 そのうえで、韓国側は、「韓民族が受けた被害と損失を認め、日本政府の誠意ある謝罪表明」を要求。歴史研究という分野を超えるばかりか、併合条約と同様に、日韓基本条約も否定するという無茶な論議が展開された。 こうした韓国側の姿勢に、日本側は「韓国政府もこの協定で財産・請求権は消滅したとしている」と指摘。謝罪要求に対しては、「歴史の分析者としての立場を離れ、政治的主張を強く展開していることに驚き、失望した」と断じている。 今回の研究結果について、日本側は「日韓間には越えられない深い溝がまだまだ横たわっている」と指摘する。一方、韓国側も「歴史問題は一時に解決できる性質のものではない」と述べている。両論併記ばかりのなかで、少なくとも「歴史認識の一致」という試みが、いかに難しいかということでは、双方に異論はなさそうだ。 共同研究の報告書は日韓文化交流基金のホームページ(http //www.jkcf.or.jp)に掲載されている。 TITLE Sankei Web 産経朝刊 日韓歴史共同研究 認識の一致難しく 併合から国交正常化 膨大な論文と批評(06/11 05 00) DATE 2005/06/14 11 21 URL http //www.sankei.co.jp/news/050611/morning/11pol002.htm 日韓歴史共同研究報告書要旨 【古代史】 ▽浜田耕策・九州大教授 古代日韓関係史の中では、百済との関係史は注目すべき位置にある。四-六世紀の倭国(わこく)と高句麗、新羅との関係は対立の関係に問題が集約されてこれまで研究されてきた。 これとは異なって、倭国と百済との関係史は「友好」や「同盟」の関係などと表現されること以上の密接さである。この密接な関係の深層を解明することが求められる。 四-五世紀の日韓関係史は、「広開土王碑」や「日本書紀」と「三国史記」に記録された「倭兵」は百済が派兵を要請した「傭兵(ようへい)」とする説が韓国では広く理解されている。「倭兵の進出」という受け身の理解でなく、百済の立場に視点を置いたこの解釈は百済の内政に立脚すれば必ずしも無理ではないだろう。 ▽金泰植・弘益大教授 韓国側委員は広開土王碑文、「宋書」倭国伝、「日本書紀」などを分析して、いわゆる「任那日本府」は成立しないと主張し、日本側委員は多くの史料から見るとき、倭軍が韓(朝鮮)半島南部で軍事活動を行い、倭王権が韓半島南部支配の意志を持っていたことは史実だと主張した。このように両国委員の主張が食い違っているが、共通点は、倭が実際に韓半島南部または任那を軍事的に支配したことはなかったということである。 「日本書紀」神功紀四九年条に基づいた任那日本府説は、これまで通説の地位にあったが、今日の韓日学界研究者の間では、この学説はほとんど認められていない。しかし、この代案となるべき四世紀の韓日関係を見る視角は多くの側面で食い違い、通説と言える説がないため一部の概説書や教科書に既存の歴史認識が残存している。 【中近世史】 ▽六反田豊・東京大大学院助教授ら 豊臣政権による朝鮮侵略について日本では当時、「朝鮮陣」「高麗陣」などと呼んだが、その後、幕末・明治初期から「征韓」「朝鮮征伐」などと呼び始めた。しかし、一九一〇年の韓国併合で「朝鮮征伐」の表現は避けられ、「文禄・慶長の役」が定着。最近では、「朝鮮侵略」という呼び方が一般化している。 ▽鄭求福・韓国学中央研究院韓国学大学院教授 日本では壬辰倭乱(文禄・慶長の役)は四五年までの約五十年間、国民意識の形成のため国粋主義的観点から利用された。こうした研究成果は、四五年の日本の敗戦以降も受け継がれ、研究されている。壬辰戦乱に対する日本の教科書記述のうち、“出兵”という表現や、民族主義的歴史観は平和主義的史観に改めなければならない。 【近現代史】 〈韓国併合〉 ▽坂元茂樹・神戸大大学院教授 国家代表者に対する強制を行えば条約は無効になると熟知していた日本が第二次日韓協約や日韓併合条約の締結にあたって、大韓帝国に威圧を加えたことは確かであるが、最後まで国家代表者に対する強制の類は用いなかったと思われる。 韓国研究者の主張の前提には皇帝の署名と国璽(こくじ)押印を要するという論理が潜んでいる。大権を持つ皇帝が批准を拒否したので大韓帝国も拘束しないというものである。そうであれば、第二次日韓協約が、(韓国)外務大臣によって署名された後、〇五年十二月十六日に、韓国「官報」交渉事項欄にその全文が公布された事実をどうとらえるかという問題が生じる。 寺内正毅は統監として日本政府を代表する立場にあり、また李完用も内閣総理大臣として国を代表する資格を有しており、調印資格の問題は何ら生じないといえよう。国際法の立場からは、日韓の旧条約、とりわけ無効が声高に主張されている第二次日韓協約や日韓併合条約も、有効に締結された条約であるとの結論にならざるをえない。 ▽金度亨・延世大教授 全体的に韓国の学者は(日韓併合条約などの)条約の不成立と無効を主張し、日本の学者の多くは「道徳的には不当であるが、法的には有効」との立場を示している。 坂元教授は「国家代表者に対する脅迫」と「国家自体に対する強制」を区分している。軍事的抑圧と侵略を受けていた当時の朝鮮としては、「強制の対象」を区分するということ自体は意味がない。乙巳条約(第二次日韓協約)締結当時、日本は条約問題を協議したあらゆる人物を武力で圧迫した。武装した日本軍が王宮を包囲し、武力示威を行い、反対の意思を持った人物を脅迫し、最後まで同意しない人物は別室に監禁した。 当時大韓帝国は条約締結については皇帝が最終権限を持っていた。それ以前のあらゆる国際的な条約では、国王の委任状、批准書があった。しかし日本の主権侵奪過程で結ばれた条約ではこのようなものを見つけ出すことはできない。また当時の大韓帝国の最高統治権、主権を持った高宗自ら乙巳条約が成立しなかったと判断し、これを国際社会に訴えた。こうした点も考慮すべきだ。 〈植民地支配〉 ▽木村幹・神戸大大学院教授 強制連行、従軍慰安婦、創氏改名、神社参拝。朝鮮半島における日本支配を代表する出来事として語られる多くの事柄は、いずれも一九三〇年代後半以降、いわゆる「総力戦期」に起きている。朝鮮半島での総動員が他の植民地のそれと比べても広範な範囲に及んだこと、そして、この問題を考える上で従来看過されがちだった朝鮮半島内部における総動員こそが重要な意味を有していることが明らかになった。 ▽徐仲錫・成均館大教授 日帝の韓国支配の特性は、他の地域では類例を見いだしがたい。韓国人の民族意識を抹殺・変質させ、「忠良なる」国民をつくる道具が皇民化教育だった。同化教育は一九一〇年の強占(併合)から、四五年の敗戦時まで継続した。 皇国臣民化運動は、全体主義的方式または総力戦の形態で、韓国人の民族意識を抹殺し、天皇制ファシズムに順応する人間型をつくり出す運動だったが、軍国主義ファシズムの体制下、侵略戦争の拡大と深い関係を持っていた。 〈日韓国交正常化〉 ▽塚本孝・国立国会図書館参事 国交正常化、経済協力などが両国の善隣友好関係の構築、相互の経済発展、地域の平和と安定にどう寄与したか。また条約締結時に結論を先送りした問題が今日なお論議され続けていることをどう評価すべきか。条約締結四十年を迎える今日、日韓国交正常化交渉、基本関係条約締結の安全保障面での背景を含め一層の検証が必要である。 ▽●炳勇・韓国学中央研究院韓国学大学院教授 韓日協定の締結の背景と具体的な展開過程を四十年が過ぎた現時点で考察してみることは、教科書問題、従軍慰安婦補償問題、靖国神社参拝などの問題に照らして見るとき、大きな意味と示唆するものをもっている。 韓日条約の最も大きな矛盾は、日本の植民地統治を正当化した韓日基本条約第二条と、補償と賠償問題を留保した請求権協定の第二条に集中的に表現されている。 TITLE Sankei Web 産経朝刊 日韓歴史共同研究報告書要旨(06/11 05 00) DATE 2005/06/14 11 22 URL http //www.sankei.co.jp/news/050611/morning/11pol003.htm