約 391,291 件
https://w.atwiki.jp/alaskasyuu/pages/16.html
アラスカの歴史 アラスカ年表
https://w.atwiki.jp/soundpjt/pages/12.html
歴史をたどる 2007/05/05ぽkが余計なことを思いつく。 例によって、衝動的かつ強引ににきしが拉致される 2007/05/07当サイト開設。当然作るのはにきし orz メンバー一覧の画像をぽkが即興で作成・有無を言わせず掲載。 2007/05/18第0弾の構想に着手?まずは登場人物から考えるかなー?
https://w.atwiki.jp/seikisi/pages/16.html
クラブの歴史を載せていきたいと思います。 ①結成日 08年6月27日 ②エンブレム まだです>< ③エンブレム 決まった!\(^^)/ ④海焔が聖はね作りに成功!おめぇぇ~!(^□^) どんどん載せていきます。
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/9236.html
中国 / 中国の歴史修正 +クチコミ検索〔支那の歴史〕 #bf +ブログサーチ〔支那の歴史〕 #blogsearch +ニュースサーチ〔支那の歴史〕 「戦時中は小学生も読んでいた」終戦後にGHQが真っ先に禁書にした - Yahoo!ファイナンス 多くの日本人が勘違いしている…台湾は中国からの「独立」を求めているわけではない - ニコニコニュース 安倍元首相「台湾有事は日本有事」、中国メディアは「狂言」「暴言」と猛反発 - ニコニコニュース 「なぜ日本は絶対に負ける戦争に突入したのか」戦争で負けないためにやるべきだったこと - ニュース・コラム - Y!ファイナンス - Yahoo!ファイナンス 中国、韓国も夫婦別姓を認めているのに…日本が世界の潮流から取り残される根本原因 - ニコニコニュース 世代の昭和史:/55 昭和史の分かれ目 近衛・ルーズベルト会談はなぜ潰れたか=保阪正康 - 毎日新聞 【コラム】アヘン戦争を見守った日本「中国は全身が病気の患者」(2) - 中央日報 世代の昭和史:/54 太平洋戦争に至るまでを記録した真摯な報告書=保阪正康 - 毎日新聞 ラーメンライターも思わずうなった...味玉が本当に旨いラーメン店5選(井手隊長) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 支那そば、中華そばでは不正解…日本で最初の「ラーメン」はなんと呼ばれていたか そして誰がラーメンと名付けたのか - PRESIDENT Online 【仙台名物グルメ】冷やし中華発祥の鍵は「中国料理 龍亭」にあった!|るるぶ&more. - るるぶNEWS 日本人が礼儀正しいのは「中国の礼儀を学んだからだ」=中国 - ニコニコニュース 「近衛声明」直前まで涙の訴え...“日中戦争”を止めようとした陸軍中将の実像(PHPオンライン衆知(歴史街道)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 通州事件、尖閣諸島戦時遭難事件... 昭和史に埋もれていた「事件」に光を当てる - Newsweekjapan 中国のネット世論の「反日」言説から抜け落ちていたものとは…? 日中関係史を読み解く重厚なノンフィクション - 文春オンライン 中国を暴走させないために | 2050年の中国 | 特集 | 週刊東洋経済プラス - 週刊東洋経済プラス 日本と中国が「同盟」を組む可能性ってあると思う? 中国ネット民の見方は - ニコニコニュース 「なぜ日本は中国との泥沼の戦争を選んだか」84年前の日本政府が間違った根本原因 なぜ国民は「愛国」で熱狂したのか - PRESIDENT Online 習近平指導部は中華人民共和国を「自分たちの所有物」と考えている 日本独自の学問「東洋史」が教える事 - PRESIDENT Online 残念だ・・・下駄は中国起源なのに、日本のものになってしまった=中国 - ニコニコニュース 「後期日中戦争」書評 対米戦にも目を配り新鮮な分析|好書好日 - 好書好日 中国の属国だった歴史を否定しようとする韓国に、日本の歴史書が「待った」 - ニコニコニュース コロナだけじゃない、中国で次々に発生する感染症に世界は耐えられるか | ブルセラ症、ハンタウイルス、新型ブニヤウイルス… - courrier.jp 「大日本帝国」と同じ轍を踏む習近平と中国共産党 「中国切腹日本介錯論」、中国の自滅を日本が介錯する歴史的必然(1/7) - JBpress 明治人の旅から「武漢」の歴史をたどる - WEDGE Infinity #10 “謎の古地図”が解き明かす「中国に不都合な歴史」 | 日米中「秘史」から学ぶ、すぐ役立つ「知恵」 - courrier.jp 作家・井沢元彦氏が「支那」という用語を使わない理由 - NEWSポストセブン 【石平のChina Watch】中国の歴史歪曲・粉飾は長い伝統、日本に「正しい歴史観」を求める資格はあるか - 産経ニュース RIETI - 中国の外交 ―歴史と現在― - 経済産業研究所(RIETI) +クチコミ検索〔中国の歴史〕 #bf +ブログサーチ〔中国の歴史〕 #blogsearch +ニュースサーチ〔中国の歴史〕 東京五輪の視聴経験が訪日旅行へ関心を持つきっかけに ~Cint Japan株式会社・株式会社JTB総合研究所 共同調査「中国・オーストラリア・イギリスからの訪日意向調査」~:時事ドットコム - 時事通信 中国政府を揶揄したポップソングが爆ヒット! 当局を怒らせた歌詞の内容を徹底解説(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国、「正しい重要な決断」と称賛 ニカラグアの台湾断交 - 産経ニュース Understanding China Conference 2021(広州)の参加者が世界的な課題に取り組むための国際協力強化を呼び掛け - 共同通信PRワイヤー ソ連崩壊から30年:その時、現地では何が起こっていたのか(nippon.com) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国のウイグル族弾圧を「ジェノサイド」と認定=英民衆法廷 - BBCニュース 【本日発売】最も歴史のある実名レストランガイド、21年目の「東京最高のレストラン2022」発売です!:時事ドットコム - 時事通信 【話題の中国歴史ドラマにハマる!?】『長安 賢后伝』『驪妃(りひ)-The Song of Glory-』2022年1月、チャンネル銀河でTV初放送! - PR TIMES 中国恒大「一部デフォルト」 格付け会社フィッチが初認定(AFP=時事) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ラオス悲願の長距離鉄道が開業 一帯一路の鉄道はどこまで延びる? 高まる期待と懸念(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 滋賀県長浜生まれの鉄砲鍛冶師にして発明家「国友一貫斎」 鉄砲伝来の歴史と一貫斎の功績(ラジトピ ラジオ関西トピックス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 民主主義サミット 狙いは中国包囲網 100以上の国など招待 - www.fnn.jp 「プライバシーはまったく存在しない」習近平政権がデジタル監視を強める本当の理由(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「分裂勢力と一線を画せ」…中国、台湾企業に蔡政権への献金など控えるよう警告 - 読売新聞オンライン 日本の安全保障に「第2次日英同盟」が急務 100年前の解消を歴史的失敗の教訓に(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「ボイコット北京」=韓国メディアのコラム(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【中国ウォッチ】安倍氏の台湾有事発言に異例の強硬対応─中国高官「火遊びで焼け死ぬ」 - 時事通信ニュース 女装して敵を籠絡するヤマトタケルは中国で英雄視されない? 近年トリックスター性が見出され始めたワケ(婦人公論.jp) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「負の歴史」から距離を置くロシア 旧日本軍の「戦争犯罪」をアピール「戦勝国ソ連は正義、敗戦国は悪」 - 東京新聞 『日本沈没―希望のひと―』4割が移民はしたくないリアリティ「日本人として捨てられないものもあります」(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「日本を嫌いな韓国人」と「日本を嫌いな中国人」には“大きな違い”があった…!(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国は「断固反対」 靖国参拝(時事通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 愛国と忠誠のシンボルに? 習近平夫人の「政治嗜好」(新潮社 フォーサイト) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【詳しく】外交的ボイコットとは アメリカの思惑 中国の反応は - NHK NEWS WEB 中国とロシアの後ろで独自の動きをするインド ~ロシア・インドが首脳会談(ニッポン放送) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国メディアが眞子さん結婚の〝後遺症〟を仰々しく特集「皇室の必要性あるか」(東スポWeb) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 極東情勢やいかに、米中さや当てに軍艦の日本周回 真珠湾攻撃80年(時事通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国を植民地支配したことの重さ 日本はまだ十分理解していない | | 内田雅敏 - 毎日新聞 中国・習近平主席の統制強化策の行く末 不動産市場は“地獄の1丁目”に(マネーポストWEB) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 90年前の「中国国恥地図」、米軍が利用 「失地回復」掲げる膨張主義を警戒(産経新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国共産党のほうが全然いい…EU版の「一帯一路」が大失敗に終わりそうな理由(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 習近平「賭博狩り」でマカオを窮追、恩恵を受けるのは反中のあの国(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【コラム】『醜い中国人』は消えるか(2)(中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 北京五輪に潜む危険:参加選手の「拘束」もありうる(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 2025年、中国では大人用おむつの売り上げが幼児用を上回る - Business Insider Japan 中国包囲に再結集する「アングロサクソン帝国」の賞味期限(Yahoo!ニュース オリジナル THE PAGE) - Yahoo!ニュース 諜報・謀略の中国現代史 国家安全省の指導者にみる権力闘争 柴田哲雄著 - 東京新聞 忘れ去られていた歴史:岩倉使節団も利用した「北米大陸横断鉄道」を作った中国人労働者たち(サライ.jp) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国、独自の「民主」強調 白書公表、米けん制 - 時事通信ニュース 「ニクソン絶対困ってる」箸を持つアメリカ大統領の写真。実は「中華料理」の意識を変えるきっかけだった(ハフポスト日本版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国台頭で日本もようやく…「経済安全保障」に本腰を入れないと本格的にマズい理由(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国発「海底撈火鍋」急拡大から一転300店舗閉鎖の裏で起きていたこと(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 篠原悠希×田中芳樹が明かす「歴史ファンタジー小説ならではの悩み」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 史上3回目の「歴史決議」採択 習近平が正した中国の〝錯誤〟 - WEDGE Infinity 中国「内モンゴル人権弾圧」の実態 当局による民族同化政策 揚氏「日本国内でも集会を組織的に妨害」(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国の自信過剰と誤算が戦争を招く最大の脅威 MI6長官 - Newsweekjapan 蘇州古典庭園を竹箸で再現 中国福建省仙遊県(CGTN Japanese) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「皇帝の嫡子を産んだ母は殺せ」「前皇帝も一族も殺せ」1600年前の 危ない中国 を知ろう(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国の海洋進出:防波堤として期待されるフィリピン(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 張本智和、早田ひな組、パリへ収穫の銀 中国に完敗も頂点争う日本の歴史引き継いだ(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 〈私が見た新疆ウイグル自治区4〉新疆の歴史は? (2021年11月27日) - エキサイトニュース 「中国人・中国政府いずれも好感持てない」韓日の若者世代の反中感情を調べると…(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国最古の炭化米、稲作の歴史は1万年前にさかのぼる 上山文化考古学特別展(CGTN Japanese) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 彭帥問題で中国当局の肩を持つIOC「バッハ会長」 歴史を動かす危険な一歩か(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 習近平「歴史決議」採択で高まる中印の武力衝突リスク(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国最古の炭化米、稲作の歴史は1万年前にさかのぼる 上山文化考古学特別展 - AFPBB News 横山光輝『史記』で紐解く古代中国二千年の歴史。「時空旅人 2022年1月号」本日発売 - PR TIMES 「ニューズ・オプエド」に、ジャーナリスト・講談社特別編集委員の近藤大介氏と、ジャーナリストの井上雄介氏が生出演!特集『「歴史決議」を採択した中国共産党が今後進む道』について解説していただきます! - PR TIMES 「日本語の起源は中国東北部のキビ・アワ農家」 壮大な新説に注目(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【中国的核心】全体主義に突き進む習近平氏 冬季五輪と歴史決議が〝お墨付き〟 - 産経ニュース これが「本当の中国領土」? 「国恥地図」を見れば、中国人の頭の中が分かる(レビュー)(Book Bang) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国の劉鶴副首相、安定した住宅市場呼び掛け-歴史決議巡り論文掲載(Bloomberg) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日中国交正常化50周年記念 兵馬俑と古代中国 ~秦漢文明の遺産~ 2022年3月25日(金)~5月22日(日)@京都市京セラ美術館 - PR TIMES 中国で大人気のウイグル人「美人女優」 共産党統治下の“中国人”として生きる少数民族の哀しい宿命(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国が「リトアニアと台湾の急接近」問題でバイデン大統領に噛み付いた理由(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国からの圧力増大に懸念 台湾、民主主義国家との協力強化へ=大陸委(中央社フォーカス台湾) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 勘違いと願望から「創造された」中国・南シナ海領有権の根拠(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース なぜ? 中国が“公認”歴史マンガ 中国の狙い - www.fnn.jp 【書評】百周年を迎えた中国共産党を見きわめるための1冊(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 脱炭素で「不本意な歴史」の払拭を狙う習近平 - ITpro 中国共産党「歴史決議」全文を公表 習主席の9年間の歴史を記述 - NHK NEWS WEB 博物館ラッシュや「考古学ガチャガチャ」、盗墓ドラマが人気 中国で続く考古学ブーム(CNS(China News Service)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国「6中全会」で採択された「歴史決議」から見えてくる“二つの可能性”(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 15.周王朝の東遷から約550年間、乱世を繰り返す【世界史】 | - ラブすぽ 中国で『くまのプーさん』が上映できないのはなぜ? 度を越した習近平氏の「神格化」(ニッポン放送) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 伊70代女性、マルコ・ポーロの旅路に挑戦 中国まで徒歩(CGTN Japanese) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国政府、中国の歴史歪曲対応に消極的(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中華料理店の変遷、「東京ディープチャイナ」を支えるオーナーたち(Forbes JAPAN) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国語と日本語の起源、遊牧民ではなく遼河の農夫たちの言語(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国共産党「歴史決議」に松野長官「動き注視」 - 産経ニュース 中国共産党「歴史決議」採択 習国家主席の権威高めるねらいか - NHK NEWS WEB 中国歴史劇「燕雲台」権力闘争に巻き込まれた三姉妹の愛と憎しみ映す新PV(映画ナタリー) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 習氏3期目人事、調整本格化 側近の処遇が焦点―中国共産党 - 時事通信ニュース ダライ・ラマ14世「中国共産党入り」考えた過去 マルクス主義に傾倒も「毛沢東発言」で決別(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国「歴史決議」採択へ 習近平主席の実績たたえる報道相次ぐ - NHK NEWS WEB 中国共産党が「歴史決議」採択 - 京都新聞 中国共産党が「歴史決議」採択 - 沖縄タイムス 意外と知らない中国式の「国家資本主義」その本質 - 東洋経済オンライン 中国史とつなげて学ぶと日本史の常識が覆る理由 - 東洋経済オンライン 中国、「歴史決議」審議へ 習氏の権威づけ図る - 産経ニュース なぜ中国との対立はここまで強まったのか? 台湾情勢を歴史から解き明かす(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース われわれは中国の歴史が「大転換」するのを目撃している - ダイヤモンド・オンライン 中国時代劇を100%楽しむための歴史読本誕生 『皇帝と皇后から見る中国の歴史』 - リアルサウンド AmazonのKindleストアで『興亡の世界史』と『中国の歴史』がセール中! - 窓の杜 中国が学校の教科書を統一、習近平思想の「洗脳」強化へ - JBpress 中国共産党100年の今年、毛沢東の軌跡をあらためてたどる:朝日新聞GLOBE+ - GLOBE+ 中国が歴史修正中、習近平ビジョンを反映 - Wall Street Journal 中国の古代史をより深く学びたい方へ!司馬遷の「史記」の時代の歴史を戦争をテーマにダイナミックに解説!!NHK文化センターオンライン講座「戦争の中国古代史」4/4開講【NHK文化センター】 - PR TIMES なぜ秦は、戦国七雄の頂点に立つことができたのか?(佐藤 信弥) - 現代ビジネス 中国の盛衰に日本は歴史的に振り回されてきた!【世界史でわかる日本史】 - ダイヤモンド・オンライン ● 支那〔Wikipedia〕 支那(シナ)とは、中国またはその一部の地域に対して用いられる地理的呼称、あるいは王朝・政権の名を超えた通史的な呼称の一つである。現代の中華人民共和国において、この呼称が悪意的、侮蔑的呼称であるとされることもある ■ 支那の歴史 / 「反日・自虐史観を排した歴史年表」より / 支那では、匈奴、鮮卑、契丹、突厥、ウイグル、モンゴル、満洲(女真)など、様々な民族によるまったく異なる王朝の出現、滅亡、戦乱の繰り返した。つまり、歴史に連続性がない。 支那の統一王朝は、秦、漢、隋、唐、宋、元、明、清で、このうち漢民族(支那人)の王朝は漢、宋、明の3つだけである。 +続き 複数の王朝が並立した時代も多く、「天下」はあっても「国家」はない。王朝が変わるたびに領土の範囲もまったく異なった。王朝が変わると前の文化をことごとく破壊しつくし、数千万の単位で人口が激減していた。要するに大虐殺が繰り返されたのである。 支那は有史以来トラブルの絶えない国(地域)である。易姓革命、宮廷内紛、群雄割拠、軍閥内戦、農民蜂起、天災飢餓、難民流出・・・などなど、現在(中華人民共和国)に至るまで支那史では暴力と流血は一日もやむことがない。そうしたなかで、権力者は、内部の敵から銃口を向けられないよう、どうしても外部に国民共通の敵や仮想敵を欲する。大東亜戦争終結後、朝鮮戦争、中印、中ソ、中越と対外戦争を繰り返してきたのもこのため。そして現在、ぴったりの敵として設定されたのが日本の「軍国主義」なのだ。 ■ 人々をウソにまみれた政治(人治)から開放(liberalに)したい 「縦椅子のブログ(2018年12月31日)」より / ーー以下「田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)コラム」より抜粋編集 石平著『中国五千年の虚言史』(徳間書店)より。 ネットから情報を得ているような人は、支那人が歴史を持たない人たちであることはもう常識のようになっている。 しかし、これまで、ネット環境が整備されるまでは、支那4千年の歴史などという話が大真面目に信じられていたのだった。 ーー 例えば1912年の辛亥革命によって滅びた清朝は、第一公用語を女真族の言葉・満州語としており、第二公用語をモンゴル語としていたのである。 その事実は、琉球と清との公文書が満州語(パスパ文字)で記されていることからわかる。 漢文が出現するのは、ようやく第三公用語としてだ。 ーー つまり支那大陸は、さまざまな異民族支配を受けてきた土地なのだ。 その地を異民族が立ち代わり支配し、それぞれの王朝を築いてきたのである。 連続する民族の記録(歴史)など成立するはずがなかった。 (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) ■ 中国4000年のおそろしさ――不気味な隣人の素顔 「再生日本21」より / 中国4000年の“抗争と断絶”の歴史 よく「中国4000年の歴史」という。しかしこの4000年の歴史は、実は繰り返される断絶の歴史、もっと言えば血で血を洗う抗争の歴史といってもよいくらいだ。 それを象徴する言葉が「易姓革命」である。易姓革命とは、天下を治める者は、その時代に最も徳がある人物がふさわしい。天が徳を失った王朝に見切りをつけた時、革命が起きるという中国の伝統的な政治思想である。天や徳といった言葉が使われているが、実のところは新王朝が史書編纂などで歴代王朝の正統な後継であることを強調する一方で、新王朝の正当性を強調するために前王朝と末代皇帝の不徳と悪逆を強調する。それを正当化する理論として機能していたのが易姓革命の思想なのだ。そのため中国の歴史は、決して誇張ではなく血で血を洗う抗争に次ぐ抗争であり、4000年の歴史と言っても私たち日本人がイメージしているような悠久の歴史では全くない。江戸時代の儒学者であり、軍学者であった山鹿素行はその著『中朝事実』においてその点を指摘し、「中国では易姓革命によって家臣が君主を弑することがしょっちゅう起こっている。中国は中華の名に値しない。建国以来万世一系の日本こそ中朝(中華)である」と主張した。素行も説いた中国の抗争と断絶の歴史をさかのぼりながら見ていこう。 清朝は漢族ではなく満州族の王朝 +続き 例えば、今の中華人民共和国の前は、中華民国。その前は清。ここまでは誰もが知っているだろうが、この清朝はいわゆる「中国人」の主流派である漢族の王朝ではない。北方の満州族が打ち立てた王朝なのだ。前述した素行はこの点についてもきちんと指摘していた。この満州族が中国を支配していた清の時代に持ちこんだものの中には、今私たちが中国の伝統的なものと誤解しているものも少なくない。例えばチャイナドレスがそうだ。チャイナドレスは丈の長い詰め襟の衣服だが、あれは元々北方に住む満州族の防風防寒のための衣服だったのだ。 実はこの満州族の王朝である清朝により、「中国」は拡大してほぼ今の「中国」とイコールになった。それまではもっと狭い地域を指していたのだ。少し考えてみれば分かることだが、誰もが知っている世界遺産の万里の長城。あれは外敵の侵入を防ぐために造られたものなのだから、長城の向こう側は「中国」ではなかった。その「中国」ではない地域、満州において1616年に建国した後金(こうきん)国が清の前身である。後金国の首都は遼陽(りょうよう)から後に瀋陽(しんよう)(旧称奉天)に移されたが、つまり遼陽も瀋陽も当時は「中国」ではなかった、「中国」の外にあったのである。後金は1636年に国号を大清に改め、1644年に万里の長城を越えて北京に都を移す。こうして満州族の征服によって、満州から旧「中国」までを含む現「中国」が誕生したのである。 古代、「漢族」は存在しなかった 清の前は、明。明の前は元。これくらいは多くの日本人が知っている。それより前になると、あやしくなる人が多いであろうが、さかのぼって見ていこう。北に金、南に宋の両王朝が併存していたのが、平清盛が日宋貿易を行なった時代である。さらにさかのぼると北宋の時代、五代十国時代となり、その前、6世紀後半から10世紀にかけてが、遣唐使・遣隋使で馴染みのある唐や隋の時代。その前は、南北朝時代、五胡十六国時代、そして『三国志』で名高い三国時代は220年頃から300年頃。その前は、漢字や漢族という言葉の元となる漢王朝で、始まりは紀元前206年にまでさかのぼる。漢は前漢と後漢に分けられるが、前漢を起こしたのが小説や漫画で知られている劉邦である。そして、前漢の前が始皇帝で名高い秦(しん)。東アジアの大陸部に「中国」と呼んでもいい政治的統一体が完成したのは、この秦の始皇帝による統一(紀元前221年)からだ。 「中国4000年の歴史」と言われるが、まだ半分にしか達していない。秦の始皇帝による統一前、いわゆる先秦時代はどういう状態であったかと言うと、「中原(ちゅうげん)」と呼ばれる黄河中流域の平原地帯を巡って、諸族が争い攻防を繰り返していた。今、諸族と書いたが、読者は「諸族というのは漢族とその他の少数民族のこと?」と思ったかもしれない。そうではない。実は古代中国の時代には「漢族」などという種族は存在しなかったのだ。読者は「東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・南蛮・北狄(ほくてき)」という言葉を聞いたことがあるだろう。今、日本人に馴染みのあるのは「南蛮」くらいだが、元々は4つセットで「四夷」と呼ばれる。中国の周り、東西南北に住む野蛮人というような蔑称だ。中華思想を象徴する言葉だが、実は元々、中華に値するのは前述した黄河中流域の中原しかなかった。それ以外に住む種族は、例えば今の北京や上海に住んでいた種族もみな「夷・戎・蛮・狄」であったのである。そればかりではない。先秦時代の王朝として夏(か)・殷(いん)・周の三王朝が中原にあったが、夏は東南アジアの海洋民族(東夷)、殷は北の狩猟民族(北狄)、周は東北チベットの遊牧民(西戎)ではなかったかと言われているし、中国統一を成し遂げたした秦も西戎である。西戎のさらに西、ペルシャ系の遊牧民ではなかったかという説もある。いずれにしても、豊かな都市国家・中原を巡って、文字どおり諸族が入り乱れ、それによって誕生した混血雑種が漢族なのである。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%8E%9F 征服王朝のすさまじさ 混血という意味では、日本人もそう言える。私たちも学生時代、日本史の授業において、帰化人、あるいは渡来人を学んだ。大陸から多くの血が入ってきているのは間違いない。ただ、日本人と漢族あるいは中国人とが決定的に違うのは、日本人の場合、渡来人は日本に融合していったのに対し、中国人の場合は前述した易姓革命により、抗争と征服を繰り返してきたという点だ。 先に述べた清だけではない。読者もご存知のとおり、元寇で知られる元はモンゴル族の王朝であるし、燕京(現在の北京)に都を置いた金は女真族、後の満州族につながるツングース系言語を話す半農半猟の民であった。中国史における用語として、「征服王朝」という言葉があるが、これは漢族以外の民族によって支配された王朝のことを指す。清や元、金は征服王朝である。 征服王朝のすさまじさの一例を挙げよう。1126年11月、金は宋(北宋)の首都・開封を陥れる。この年が靖康元年であったため、これを「靖康の変」と呼ぶ。金はおびただしい金銀財宝とともに、徽宗・欽宗以下の宋の皇族と官僚、数千人を捕らえて満州へ連行し、そこで生涯にわたって悲惨な虜囚生活を送らせた。そればかりではない。この事件で宋室の皇女達(4歳~28歳)全員が連行され、金の皇帝・皇族らの妾にされるか、洗衣院と呼ばれる官営売春施設に送られて娼婦とさせられたのである。 「中国」どころではなく、東アジアから東ヨーロッパまでを支配した大征服王朝の元は、南宋を滅ぼした際、金が北宋に対して行なったようなむごたらしい行為は行なわなかったが、統治においては厳しい身分制度を敷いて徹底的に民族差別を行なった。民族をモンゴル人・色目人・漢人・南人に分け、中央政府の首脳部と地方行政機関の長はモンゴル人が独占した。色目人とは色々な目の色をした人の意味で、中央アジア・西アジア出身の異民族、さらにはヨーロッパ人も含む。早くから譜代関係にあったために、モンゴル人に次いで重用され、モンゴル人とともに支配階級を形成した。支配階級であるモンゴル人と色目人を合わせて人口は約200万人で、その人口構成比は約3%に過ぎなかった。漢人は、金の支配下にあった人々の総称で、淮河以北に居住していた宋代の漢人の子孫の他に、女真人・契丹人・高麗人・渤海人などが含まれ、人口は約1000万人、人口構成比は約14%であった。そして、一番下の階級である南人は南宋の支配下にあった漢民族を指し、人口は約6000万人、人口構成比は約83%を占めた。漢人・南人は被支配者階級であり、特に人口の大部分を占める南人は最下層に置かれ徹底的に差別された。その決まりは細かく、例えばモンゴル人と漢人・南人が争ってモンゴル人が漢人・南人を殴っても、漢人・南人は殴り返してはいけないというような細かいことまで法で定められていた。また、同じ漢族でも、金の支配下にあったか南宋の支配下にあったかで差別しているが、これの基準は中国化しているかしていないかであり、徹底して中国式を抑圧した。私たち日本人からすると、元は遊牧民族が作った中国式王朝のようなイメージがあるが、実際には中国式の要素はほとんどなかった。ただ、「パスパ文字」という独自の文字とともに支配の都合上漢字も使っていたというだけなのだ。 なお、余談になるがこのパスパ文字、ハングルとそっくりである。実は、ハングルは、元の属国であった高麗(朝鮮)王朝がモンゴル化し、その時伝わったパスパ文字が基礎となって、高麗王朝に代わった李氏朝鮮の時代に作られたと言われている。このパスパ文字起源説は韓国外の学界では広く受け入れられているが、韓国内では当然、圧倒的に非主流派である。しかし韓国内においても、きちんとした学究も一部ではなされている。例えば、国語学者のチョン・クァン高麗大名誉教授がそうだ。チョン・クァン名誉教授は、次のように述べ、韓国における国粋主義的研究を糺している。「訓民正音とハングルに関する国粋主義的な研究は、この文字の制定とその原理・動機の真相を糊塗してきたと言っても過言ではない」。 http //japanese.joins.com/article/430/107430.html 尖閣はもちろん我が国固有の領土であるが、今、韓国が不法占拠している竹島も我が国固有の領土である。竹島は1952年のいわゆる「李承晩ライン」により、韓国に軍事的に侵略された領土なのである。第二次世界大戦後、日本漁業の経済水域はマッカーサー・ラインによって大きく制限されたものであったが、1951年9月8日に調印されたサンフランシスコ講和条約により、翌1952年4月28日の日本主権の回復後はこの制限の撤廃が予定されていた。ところが、日本の主権回復前の隙を韓国は狙ってきたのだ。1951年7月19日、韓国政府はサンフランシスコ講和条約草案を起草中の米国政府に対し要望書を提出し、竹島、波浪島を韓国領とすること、並びにマッカーサー・ラインの継続を要求した。これに対し、アメリカは1951年8月10日に「ラスク書簡」にて回答し、この韓国政府の要求を拒否した。「ラスク書簡」の約1ヶ月後の1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約は調印されたが、講和条約発効の約3か月前の1952年1月18日、朝鮮戦争下の韓国政府は、突如としてマッカーサー・ラインに代わる李承晩ラインという軍事境界線の宣言を行った。1965年の日韓基本条約によってラインが廃止されるまでの13年間に、韓国による日本人抑留者は3929人、拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人を数えた。抑留者は6畳ほどの板の間に30人も押し込まれ、僅かな食料と30人がおけ1杯の水で1日を過ごさなければならないなどの劣悪な抑留生活を強いられた。このような国際法上違法であり、かつ非人道的侵略行為に対し、当時我が国政府のみならず米国も抗議しているが、米国は直接的な利害関係国ではないため積極的な介入は行なわず、それがために韓国による侵略が固定化されてしまったのである。 国策として反日愛国を強く推進している韓国という国の中で、こういった事実は全く知られていない。反日愛国に沿った虚偽が真実として異常に強調される国なのである。そういう国にあって、もし真実を伝えようとすれば、袋叩きに遭うことは間違いないだろう。しかし、中には良心に忠実に真実に向き合おうとする人もいる。例えば、先に取り上げたハングル研究におけるチョン・クァン名誉教授などがそうである。韓国にも、あるいは中国にも少数ながら存在するそういう勇気ある真っ当な人たちの声を、私たち日本人はしっかり認識し、広めていくべきだろう。 次は最後の征服王朝・清だ。1644年に都を北京に移した清は、中国南部に残っている明朝の残党狩りのために征服戦争に打って出る。これがすさまじい。「屠城(とじょう)」と言って、「城内の全ての人間を屠殺する」のである。こう言うと、「日本でも珍しくないではないか」と思うかもしれないが、まるで違うのである。日本では籠城するのは武士であり、城下町はその外にある。だから、仮に城内の人間がすべて殺されたとしても、それは籠城している武士だけである。しかし、中国の場合、街全体が城壁で囲まれており、屠城とは街中の市民全員を殺すことなのである。清の征服軍が行なった屠城で有名なものの一つは1644年の「揚州屠城」であるが、当時揚州は既に人口100万人の大都市であった。その都市で大虐殺が実行された。かろうじて生き残った王秀楚という人物が、『揚州十日記』という記録を残している。「数十名の女たちは牛か羊のように駆り立てられて、少しでも進まぬとただちに殴られ、あるいはその場で斬殺された。道路のあちこちに幼児が捨てられていた。子供たちの小さな体が馬の蹄に蹴飛ばされ、人の足に踏まれて、内臓は泥に塗れていた。途中の溝や池には屍骸がうず高く積み上げられ、手と足が重なり合っていた」。この記録によれば、屍骸の数は帳簿に記載されている分だけでも八十万人以上に達したという。 秦に見られる中国史の伝統――思想弾圧・大量殺戮・粛清 征服王朝から、もう一度初めて中国を統一した秦に戻ろう。なぜなら、ここに中国史を貫く特徴が顕著に表れているからである。その特徴とは、思想弾圧、そして大量殺戮と粛清である。思想弾圧に関しては、今さら多言を要す必要はないだろう。秦の始皇帝は歴史に名高い「焚書(ふんしょ)・坑儒(こうじゅ)」を行なった。焚書・坑儒とは、「書を燃やし、儒者を坑する(儒者を生き埋めにする)」の意味である。これは多くの人が知っているが、意外と知られていないのが秦の大量殺戮と内部粛清である。『史記』の『白起列伝』には、中国統一に至る過程でのすさまじい殺戮が記述されている。例えば、紀元前293年、秦軍は韓と魏(ぎ)の連合軍を破るが、この時24万人を斬首している。その後も数万人レベルの斬首はざらで、最もすさまじかったのは紀元前260年の長平の戦いである。この時、秦軍は山西省高平県の長平で45万の大軍を擁した趙(ちょう)軍を降伏させるが、問題はその後である。45万の趙軍のうち戦闘中で命を落としたのは5万人。残りの40万人は捕虜となったが、秦の白起将軍によりこの40万人の捕虜ほぼ全員が生き埋めにされて処刑(坑殺)されたのである。 次は粛清である。紀元前210年に始皇帝は巡幸中に死亡すると、粛清の嵐が始まる。始皇帝の身辺の世話をしていた宦官・趙高(ちょうこう)と宰相・李斯(りし)は、まず始皇帝から後継指名を受けていた長男の扶蘇(ふそ)を自殺に追い込む。そして、次男の胡亥(こがい)を二世皇帝に据え、権力をほしいままにした。傀儡政権を樹立した後は、趙高と李斯以外のグループの重臣を次々に殺戮。次いで胡亥の兄弟である12名の皇子を処刑し、10名の皇女を磔にした。ところが、次はさらなる内紛と粛清である。今度やられる方に回ったのは李斯であった。趙高は権力独占のために邪魔になった李斯を追い落とすため、謀反の罪をかけ、皇帝の名において逮捕させる。そして例によって一族皆殺しである。これを「族誅(ぞくちゅう)」と言うが、族誅は中国史の伝統である。凄惨な粛清はさらに続く。趙高は、今度は二世皇帝・胡亥を自殺に追い込み、始皇帝の孫である子嬰(しえい)を3世皇帝に立てるが(紀元前207年)、既に自らの力も国の力も衰え切っており、今度は逆に趙高一族が子嬰によって誅殺されることになる。因果である。 なお、秦は子嬰が即位した翌年、紀元前206年には滅びてしまうのであるが、滅ぼしたのが有名な項羽と劉邦である。この時、項羽がやったこともすさまじい。項羽は秦の首都・咸陽(かんよう)に向かう途中で造反の気配を見せた秦兵20万人を穴埋めにして殺している。また、子嬰が降伏して秦が滅亡した後、項羽は子嬰一族や官吏4千人を皆殺しにし、咸陽の美女財宝を略奪して、さらに始皇帝の墓を暴いて宝物を持ち出している。そして殺戮と略奪の限りを尽くした後、都に火をかけ、咸陽を廃墟としたのである。 項羽と劉邦の時代の漢族は滅びた 力を合わせて秦を滅亡させた項羽と劉邦であったが、その直後から対立は始まり、楚漢戦争が勃発。紀元前202年の垓下(がいか)の戦いで劉邦は項羽をやぶり、漢(前漢)を建国する。残虐な項羽に比べて人格者のイメージの劉邦であるが、決してそうではない。きちんと中国史の伝統を受け継ぎ、天下を取った後は粛清の連続である。関ヶ原で天下を取った家康が功労のあった多くの武将に領地を与えたのと同じように、天下を取った劉邦も功労者に封土と王位を与えた。しかし、功労者は実力者であり、天下を取った後は目ざわりでしかない。楚(そ)王・韓信や梁(りょう)王・彭越(ほうえつ)ら天下統一に最も貢献した者たちは、謀反の疑いをかけられ、一族皆殺し、族誅された。 しかも、梁王・彭越は誅殺された後、塩漬けにされ、その肉は群臣に漏れなく配られた。「こういう目に遭うぞ」という恐怖政治の極みである。劉邦は紀元前195年に亡くなるが、その時には王位についているのは、ほとんど劉氏一族の者ばかりとなっていた。 高祖・劉邦が没して劉盈(恵帝)が即位すると、劉邦の妻・呂后(りょごう)は皇太后としてその後見にあたる。この呂后がまたすさまじい。まず、恵帝の有力なライバルであった高祖・劉邦の庶子である趙(ちょう)王如意(にょい)とその生母・戚(せき)夫人を殺害した。この時の呂后の殺害の仕方は、猟奇的などという次元をはるかに超えている。呂后は戚夫人を奴隷とし、趙王如意殺害後には、戚夫人の両手両足を切り落とし、目玉をくりぬき、薬で耳・声をつぶし、その上でまだ生きたまま便所に投げ入れて人彘(人豚)と呼ばせたという。呂后は我が子である劉盈(恵帝)以外のほとんどの劉邦の息子を殺し、呂氏一族を要職に付け専横をほしいままにする。しかし、これまた因果は巡るで、呂后の死後、逆に呂氏一族は族誅される側に回り、皆殺しされるのである。 漢はこの後、血気盛んに領土を拡大した武帝の時代などを経て、約200年でその時代を終える。帝室の外戚である王莽(おうもう)が、事実上国を乗っ取り、紀元8年「新」という王朝を建てる。しかし、この「新」王朝は、紀元17年に始まった反乱の全国的な拡大により、わずか15年でその幕を閉じる。 さて、この「新」王朝建国の直前、紀元2年に中国史上で最初の人口統計が現れる。『漢書』の『地理誌』にある「口、五千九百五十九万四千九百七十八」という記述である。約6000万人である。ところが前述した全国的な戦乱と飢餓の結果、23年に「新」王朝が滅んだ時には中国の人口は6000万の半分に、さらに劉秀(後漢の光武帝)によって再統一される37年までに、さらに半減したと言われている。つまり、17年から37年までの20年間で、75%も人口が減り、約1500万人になったことになる。その後の後漢の人口統計に見れば、これはほぼ事実と考えられる。『続漢書』の『郡国史』によれば、人口は57年に約2100万人、75年に約3400万人、88年に約4300万人、105年に約5300万人と推移している。これから推計すれば、37年には1500万人くらいであったろう。 戦乱と飢餓による人口の激減というのはどの国においてもあったことだが、とりわけ中国においては甚だしい。そして、戦乱・飢餓で人口が激減し衰微しきったところに、近隣の異民族が侵入してくる。それが我が国にはない中国史の特徴である(と言うより、我が国のように異民族による侵入がない方が世界に類例がないと言えるが)。「新」王朝期の人口激減は、中国史において数字が残されている最初のものである。 37年に劉秀(後漢の光武帝)による天下統一で誕生した後漢であるが、長くは続かなかった。184年に黄巾の乱、五斗米道の乱と相次いで宗教秘密結社による反乱が起こり、それがきっかけとなって各地に群雄が乱立する天下大乱の時代に突入する。『三国志』の時代の到来である。『三国志』の時代と言うと、血沸き肉踊るイメージがあるかもしれないが、現実には戦乱が打ち続く歴史上稀に見る悲惨な時代であった。黄巾の乱後、正史の記録には、「白骨山のように積み」「人は共喰」「千里に人煙を見ず」といった記述が多い。当然、人口は再び激減した。先に見たように、後漢の時代、人口は5000万人を超えるところまで増えた。それが戦乱の三国時代にどこまで減ったのか。なんと約十分の一になったと言われてる。事実上、それまでの漢族は滅びたと言ってよい。 なお、『三国志』とは、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国が争った三国時代の歴史を述べた歴史書であり、撰者は晋の陳寿である。それとは別に、歴史書『三国志』に逸話や創作を盛り込んだ小説『三国志演義』というのがあり、これは明代に成立している。私たちが横山光輝の漫画などで知っている『三国志』はこの『三国志演義』をベースにした物語である。 三国時代という内戦時代の後、一時的に晋が中国を統一するがわずか20年で瓦解し、再び戦乱と分裂の時代に突入する。「五胡十六国時代」である。五胡とは、匈奴(きょうど)・鮮卑(せんぴ)・羯(けつ)・氐(てい)・羌(きょう)の五民族を意味し、十六国とは北魏末期の史官・崔鴻が私撰した『十六国春秋』に基づく表現で、実際の国の数は16を超えた。要するに、従来の漢族が内戦により自滅的に激減した状況下で、様々な民族が中国の中に入り乱れ、小国を建てる時代が到来したのである。「五胡十六国時代」は304年から439年まで続き、439年に至って従来の中華である中原から現在の北京を含む華北一帯を北魏(ほくぎ)が統一する。では、この北魏を打ち立てた民族は何だったのか。先の五胡の中の鮮卑。鮮卑とは北方の遊牧民である。それに対して、わずかに生き残った従来の漢族は南に逃れて王朝を建てた。そのためこの時代を中国における「南北朝時代」(439年~589年)と呼ぶ。南北朝時代に終止符を打ったのは隋による中国統一であるが、この隋も鮮卑による王朝であった。 「五胡十六国時代」から隋の時代にかけて、中国語は大きく変質した。鮮卑は文字を持たなかったため、話していた言語がテュルク系であったかモンゴル系であったか、正確には分からない。ただ、アルタイ系言語(北東アジア・中央アジアから東欧にかけての広い範囲で話されている諸言語)であったことはほぼ間違いない。隋の天下統一の直後、601年に鮮卑人の陸法言という人物が、『切韻』という字典を編纂する。これは漢字を発音別に分類し、漢字の発音の標準を定めようとしたものであるが、そこにはアルタイ系発音の特徴が随所に見られる。このことからも、この時代の中国人は、すでに始皇帝や劉邦の時代、秦・漢時代の中国人の子孫ではなかったことが分かる。 なお、五胡十六国の諸国や北朝、あるいは隋・唐は、既に述べた清や元などと同じく異民族王朝であるが、明確な征服行為を欠くため「征服王朝」とは呼ばれず「浸透王朝」という用語で定義される。 繰り返された仏教の興隆と弾圧 隋の時代は長く続かず、589年から618年まで。次いで唐の時代となるが、この唐も鮮卑の王朝である。ところで、隋・唐と言えば、遣隋使・遣唐使が思い浮かぶ読者も多いであろう。そして、遣隋使・遣唐使の大きな目的の一つが仏教を学ぶことにあったことは言うまでもない。隋の時代は日本では聖徳太子の時代と重なり、聖徳太子は四天王寺の建立や仏教興隆の詔を発した。また、唐の時代には、帰日する遣唐使とともに唐の高僧・鑑真が渡日し、唐招提寺を創建するなど、日本における仏教の興隆に大きな役割を果たしたし、空海や最澄も遣唐使として唐に渡り、仏教を学んでいる。これらのことは多くの日本人が知っている。では、仏教は中国の宗教なのだろうか? 少し考えればそうではないことに誰もが気付くだろう。仏教を開いたお釈迦様はインドの生まれである(より正確には国境を少し越えた現在のネパールのルンビニに生まれた)。釈迦が生まれ、仏教が誕生したのは紀元前5世紀頃。それが中国に伝わったのは1世紀頃と推定される。ではそれ以降、仏教は順調に中国に浸透していったかと言うと、そうではない。先にも述べたが、思想・宗教の世界でも、中国史は過酷な弾圧が繰り返されているのである。 まずは、中国における仏教の興隆と弾圧の歴史を見ていこう。南北朝から隋、唐、そしてその後の五代十国時代にかけての500年余りの中国史の中で、規模も後世への影響力も大きかった4度の廃仏政策のことを、4人の皇帝の廟号や諡号をとって、「三武一宗の廃仏」または「三武一宗の法難」と呼ぶ。三武とは、南北朝時代の北魏の太武帝・同じく北周の武帝・唐の武宗を指し、一宗とは五代十国時代の後周の世宗を指す。弾圧政策の具体的内容は、寺院の破壊と財産の没収、僧の還俗、あるいは殺戮などである。 最初の北魏の太武帝による「魏武の法難」は438年の50歳以下の僧侶の還俗に始まり、446年には仏教排斥の詔に至る。以後、太武帝が殺害されるまでの7年間、僧侶は殺戮され、経典は焼き捨てられた。この時、仏教弾圧の一方で保護されたのは道教であった。次の北周の武帝による「周武の法難」は574年と577年の2回にわたり、この時は仏教のみならず道教も廃され、儒教が顕彰された。続く隋と唐の時代は、私たち日本人のイメージどおり、基本的には仏教隆盛の時代であった。隋の文帝は仏教と道教の禁制を解いて仏教の復興に取り組んだ。「隋の文帝一代二十四年の間に、得度した僧尼二三万、寺院三七九二」などという記録がある。唐代に入ると仏教はますます盛んになった。『西遊記』で有名な三蔵法師、玄奘三蔵は実在の人物であるが(602年~664年)、西域やインドへの遊学し、膨大な仏典をもたらした。ところが、840年に即位した武宗は81名もの道士を宮中に召すなど道教に傾斜して仏教を弾圧。この弾圧で廃止させられた寺院は4600以上に上ったという(この時の年号により「会昌の法難」呼ばれる)。4回目の「後周の法難」は、今までの思想・宗教的な性格のものではなく、財政的窮迫が主たる動機で、寺院の財産を没収したり還俗させて税を課した。廃寺となった寺は3300余にも上った(本筋から話はそれるが、国家は財政に窮した場合、どんな手段を使ってでも取れるところから取るという実例でもある)。 ちなみに、我が国でも明治の初めの一時期、いわゆる「廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)」が行なわれた。しかし、廃仏毀釈の元となった「神仏分離令」や神道を国教とする詔書「大教宣布」は、神道と仏教の分離を目的とするもので、本来仏教排斥を意図したものではなかった。しかし、時代は維新の動乱期であり、結果として廃仏毀釈運動(廃仏運動)と呼ばれる民間の運動を引き起こしてしまったのである。こうした歴史がごく一時的にはあったにせよ、日本における宗教は、教義や経典を持たない「かんながらのみち」としての神道に外来宗教である仏教が融合してきたものと言えるだろう。 日本の融合に対し、中国では思想・宗教においても激しい対立と闘いが繰り返されてきた。今まで述べてきた時代であれば、仏教と道教の抗争に時に儒教が絡んでくるという構図がお分かりいただけたであろう(ちなみに、仏教と道教、それに儒教の三つを中国三大宗教という)。王朝も宗教も中国史の特徴は抗争と断絶なのである。 売りがある寺院は破壊から一大観光スポットへ 中国の仏教は、宋・明代以後、衰退していく。読者も遣唐使以降、あまり中国仏教のイメージがないのではないだろうか。では、現在、中国の仏教はどうなっているのだろうか? ある意味では繁栄している。その一例として、1987年に仏舎利(釈迦の遺骨)が出土した古刹、法門寺の現状を見ていこう。 法門寺の歴史は1700年ほど前にさかのぼる。南北朝時代の北周以前には阿育王寺と呼ばれていたが、前述した北周の武帝の廃仏によって、一度廃毀された。隋代に再建され、618年に寺の名を法門寺と改める。その後も前述したような幾度もの法難をくぐりぬけてきて、20世紀を迎えた。そこで最大の試練を迎える。共産主義国家・中華人民共和国の誕生。そして、さらに壊滅的打撃を与えたのが文化大革命である。 「宗教はアヘン」という中国共産党が政権を奪ってから、政府は寺を壊し経典を燃やし、僧侶や尼を強制的に還俗させたほか、他の宗教施設の破壊もずっと止めなかった。60年代には、既に中国の宗教施設は壊滅的状況であった。宗教の自由を求める人達は、台湾や、英国統治下の香港に脱出して行ったので、中国仏教の伝統は、大陸よりも、台湾や、香港で維持されてきたと言える。そして文化大革命である。 念のため、文化大革命について簡単に説明しておこう。正式にはプロレタリア文化大革命。略称「文革」。中華人民共和国で1966年から1977年まで続いた「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という名目で行われた改革運動である。しかし、その内実は、政権中枢から失脚していた毛沢東が、劉少奇からの政権奪還を目的とした大規模な権力闘争であり、死者は一千万人を超え、リンチを受けたり冤罪で投獄されたりといった被害者は一億人に及んだと言われる、世界史上でも例のないおぞましい大粛清であった。 文革時、宗教は「破四旧」(思想、文化、風俗、習慣の破壊)のスローガンの下、徹底的に弾圧、破壊された。例えば、中国最初の佛教寺院は68年に建立された洛陽にある白馬寺であるが、中国共産党は革命をすると言って農民たちを白馬寺に連れて行き、千年前の遼の時代に土で造られた十八羅漢の像を壊し、二千年前にインドの僧侶が持ってきた貝葉経を燃やしただけではなく、稀世の宝とも呼ばれる玉の馬をもばらばらに壊した。法門寺も当然、破壊の対象とされた。時の住職であった良卿法師は、宝塔や伽藍を守ろうとして寺院内の真身宝塔前で抗議の焼身自殺をするが、寺は破壊されその他の僧侶らは殺戮された。 狂気の文革が終わった後、寺院は文化財として修復されるようになる。そして1987年、法門寺にとって願ってもない天佑が訪れる。真身宝塔の地下にあった地下宮殿が開かれ、稠密な彫金を施した幾重もの宝函に収められた4粒の仏舎利などの大量の貴重な文物が出土したのである。その後は、国家主導で一大観光スポットとして、建築開発が進められた。一大看板の仏舎利は、現在は2009年に新しく西隣に建立された新法門寺に納められ、毎日夕方になると自動的に地下の格納庫に収納されるシステムで大切に扱われている。この新法門寺は中国最大級の現代建築物である。広大な敷地に近代的な建物群、金ピカな仏像群に現代的オブジェ。お目当ての仏舎利塔は超巨大な現代的門をいくつもくぐったはるか先にあり、そこまでの足として有料電動カーが用意されている。下はコンクリート舗装なので、暑い季節はこの電動カーが観光客にはありがたいであろう。現在、法門寺はホームページを開設しており、中国語だけでなく、英語・ハングル、そして日本語のページもある。金ピカな仏舎利塔がトップに来るホームページには、「会社案内」の文字も見える。そう、現代中国仏教は、観光会社として一大発展を遂げているのである。 http //fms.demo.allwww.cn/Channel.aspx?ChId=5 金儲けに突き進む現代中国仏教 法門寺に限らない。今日、中国仏教は政府主導で金儲けに突き進んでいる。2012年7月3日、中国4大仏教名山の一つ普陀山の管理団体「普陀山旅遊発展」が2年以内の新規株式公開(IPO)を計画していると、中国紙チャイナ・デイリーが伝えた。上場によって7億5000万元(約94億円)の調達を計画しているという。普陀山旅遊発展は、普陀山観光センター、索道、バス会社、観光事業などの運営を行っている。この他に、九華山、五台山も積極的に株式公開の準備をしているといううわさが流れている。 ほとんどの中国の有名な観光地には寺院があるが、そうした寺院は形だけは立派に復興している。少し名が通った寺院は、どこも安くない入場料を取るだけでなく、販売商品も多彩に取り扱っている。写真や拓本、仏像、年珠、線香、置物、ペンダント等々だ。その他にも多くの高額料金のサービスがある。例えば、焼香代、鐘突き代、おみくじ代、おみくじ解説代等々。観光客に大金があれば寺は焼香をあげ、鐘を突き、様々な儀式を執り行ってくれる。一般の観光客が寺に行くと、寺の僧侶は焼香を上げるよう勧めるが、御香は外から持ってくることはできない。一応、それは不浄であるとの理由による。その焼香代は日本のように安くはない。境内では香を上げるのに最低でも200元(2500円)、最高10万元(125万円)も支払った例もあるという。しかも、一応宗教であり商売ではないから、値段交渉することもできない。値段交渉は敬虔さの欠如とみなされるのだ。ただ、支払いに現金がなくても問題はない。こういった観光寺院には、POSシステムが導入されておりカード払いもできるのだ。 焼香が終わると、僧侶は賽銭簿を持ってきて観光客にサインするよう勧める。サインするなら住職自らお経を読み、開運祈願と厄払いをしてくれるという。賽銭簿にサインして初めて住職は「サインは無料ではなくお布施が必要で、どれぐらい寄付するかはあなた次第、3でも6でも9でもよい」と言う。よくよく聞くと、3、6、9とは300元(3750円)、600元(7500円)、900元(1万1250円)、3000元(3万7500円)、6000元(7万5000円)、9000元(11万2500円)のことで、その中から選ぶというのである。 このように、今の中国では観光寺院は大いに儲けるようになったので、僧侶は公務員を越えて最も稼ぎがよく、且つ尊敬される職業となった。寺の僧侶が儲かる職業であることから、偽僧侶も増えてきた。例えば観光客におみくじの解説をするために、ある寺院では大金を払って偽僧侶を雇っている。このビジネスは利幅が大きいことから、僧侶、尼僧として雇用契約書にサインし、寺院に出勤し、毎月給料を得、退勤後は一般人に戻り、その収入はホワイトカラーを超える。住職は僧侶を指導する立場にあるから、収入は更に多い。住職の多くは結婚し子供もいて、市内に家を購入し高級車を乗り回している。 このように、現在中国において仏教は大いに栄えている。ただしそれは精神的な面においてではない。そもそも、「宗教はアヘン」とする共産主義の国で、深い宗教性が涵養されるはずもない。形骸としては残った寺院を、観光資源として金儲けにフルに活用しているのである。教えや精神は破壊されたまま。そこで拝まれているのは神仏ではなくマネーである。 明の太祖・洪武帝によるすさまじい粛清 ここまで、中国史とは抗争と断絶の歴史であることを、「征服王朝」「浸透王朝」といった言葉とともに説明してきた。また、主に仏教を中心に中国における宗教の興亡も見てきた。その最後は、狂気の弾圧と粛清である文化大革命による破壊から一転しての国家主導による拝金主義であった。 さて、中国史における大粛清と大量殺戮。これに関する史実を、もう少し補足しておこう。まずは、今まで述べてこなかった明王朝の時代(1368年~1644年)における大粛清である。 明朝の創始者である朱元璋(しゅげんしょう)は貧農の生まれで、家族は全員飢え死にし、乞食坊主となった。そこから身を起こし、秘密結社白蓮教(浄土教系)が起こした紅巾の乱に加わって頭角を現し、41歳にして天下を取った(明の太祖・洪武帝)。大変な才覚があったのは間違いない。しかしその一方で、洪武帝は後の毛沢東にも通じる恐怖政治を行なった。すさまじい粛清である。既に見てきたように、血で血を洗う抗争が中国史であるのだから、中国史において粛清自体は珍しいことではない。しかし、洪武帝が行なった粛清は、その規模、空前のものであった。 洪武帝の粛清は、1380年の胡惟庸(こいよう)の獄に始まる。胡惟庸は紅巾の乱時代から洪武帝とともに戦ってきた旧臣であった。しかし、謀叛を計画していたとされ粛清される。ここまでなら、よくある話である。すさまじいのは、この時、胡惟庸派と見なされた重臣はみな連座して虐殺され、その数実に一万五千人に上ったということである。1393年には藍玉の獄。藍玉は明建国初期に軍功を上げた武将であったが、やはり謀反の疑いで粛清された。この時も連座して処刑された者の数が半端ではない。一万五千人とも、二万人(『明史紀事本末』)とも言われ、正確な数字は不明である。 この二つを合わせて「胡藍(こらん)の獄」と呼ぶが、洪武帝の恐怖政治はまだまだこんなものではない。空印の案(1376年)、郭桓の案(1385年)、 林賢事件(1386年)、 李善長の獄(1390年)といった数々の粛清を行ない、一連の事件の犠牲者は、合わせて十数万人に及んだとも言われる。こうした粛清にはスパイによる密告が欠かせない。中国は古代からスパイ国家であるが、洪武帝は皇帝直属の秘密組織「錦衣衛(きんいえい)」を設け、この組織をフル活動させて恐怖政治を行なった(なお、中国は今でも諜報活動においては世界屈指の能力を持ち、イギリス・イスラエルとともに、世界の“3大インテリジェンス・パワー”と呼ばれている)。刑罰もすごい。身体の肉を少しずつ切り落として死に至らしめる「凌遅(りんち)刑」や「剥皮(はくひ)刑」をはじめとする様々な残虐刑を行ない、人々を恐怖で縛り上げたのだった。洪武帝は1398年に崩御する死の間際まで功臣を殺し続けた。 本当の「南京大虐殺」、太平天国の乱 先の洪武帝がのし上がるきっかけとなった白蓮教は、清朝の時代にも大きな反乱を企てる(白蓮教徒の乱1796年~1804年)。清朝末期には、こうした宗教結社による反乱が相次ぐが、中でも死者五千万人とも人口の五分の一が死亡したとも言われ、「人類史上最大の内乱」とされるのが太平天国の乱である。 太平天国の乱を起こしたのは、キリスト教系の「拝上帝会」と言う結社である(ちなみに、時期を前後してイスラム教結社の反乱である回乱も勃発しているが、当時から20世紀にかけて「洗回」と称するイスラム教徒皆殺し運動が展開され、それによる犠牲者は二千万人とも推定されている)。「天王」と称した洪秀全はキリストの弟であると宣言し、1847年に拝上帝会を創設した後、またたく間に勢力を拡大した。1850年に広西省で蜂起した洪秀全は、1853年に南京を占領、「天京」と改めて都とし、太平天国の王朝を立てた。南京を陥落させた時には、太平天国軍は20万以上の兵力にふくれあがり、水陸両軍を編成するまでに至っていた。 ものすごい勢いであるが、この進軍の過程で太平天国軍は、後世の毛沢東たちがやったような「一村一焼一殺」を日常的に行なっていた。歴史書の記録によると、太平天国軍が湖南省になだれ込んでからは、湖南全域において「10の村の中の7、8の村が襲撃された。いたるところで財宝が掠めとられて、地主、郷紳(素封家)の家々はことごとく皆殺しにされた。屍骸が野に横たわり、血が流れて川となった。湖南開省以来、未曾有の大災難」であったという。 しかし、この略奪・殺戮が、後に太平天国自身の悲惨な最後を招く原因を作った。太平天国軍による「湖南草刈り」の13年後の1864年、曾国藩(そうこくはん)率いる湘軍(清の正規軍ではなく漢族の軍隊。北洋軍閥の源)は太平天国の首都である天京(南京)に攻め入ったが、この時の大虐殺は報復とは言え、言語に絶するすさまじいものであった。後に「天京屠城」と称されるこの大虐殺の実態はどういうものだったのか。 天京を落城させた後に湘軍がとった行動について、曾国藩自身は朝廷への報告書でこう記している。「吾が軍は賊都の金陵(南京の別称)に攻め入ってから、街全体をいくつかのブロックにわけて包囲した上、賊軍を丹念に捜し出して即時処刑を行ないました。3日間にわたる掃蕩作戦の結果、賊軍10万人あまりを処刑しました」。3日間で10万人の処刑というだけでもすさまじいものだが、さらに常軌を逸しているのは、この殺戮が賊軍だけではなく、多くの民間人にも及んだことだ。曾国藩の死後、幕僚の一人であった趙烈文(ちょうれつぶん)は『能静居士日記』の中で、南京住民にたいする湘軍の虐殺を証言している。「わが軍が金陵に入城して数日間、民間人の老弱した者、あるいは労役に使えない者たちは悉く斬殺され、街角のあちこちに屍骸が転がった。子供たちも斬殺の対象となり、多くの兵卒たちが子供殺しをまるで遊戯を楽しんでいるかのようにしまくった。婦女となると、40歳以下の者は兵卒たちの淫楽の道具となるが、40歳以上の者、あるいは顔があまりにも醜い者はほとんど、手当たり次第斬り捨てられてしまった」。こういう証言もある。湘軍と共に天京に攻め入ったある外国人の傭兵が、城内での目撃談を、英国の植民地だったインドで発行している新聞『インドタイムス』で語っている。 「私は朝廷の部隊が太平天国軍の捕虜たちを殺戮する場面をこの目で見た。彼らは本当に軍の捕虜であるかどうかは定かではない。とにかく、普段は野菜売場である町の広場に、捕虜とされる数百人の人々が集められてきた。群れの中には男もいれば女もいる。老人もいれば子供もいるのだ。歩くにも無理な老婆、生まれたばかりの嬰児、懐妊している婦人の姿も見られる。朝廷の兵士たちはまず、若い女性たちを捕虜の群れの中から引きずり出した。彼女たちをその場で凌辱した後に、周りで見物している町の破落戸(ごろつき)たちの手に渡して輪姦させるのである。その間、兵卒たちはにやにや笑っているが、輪姦が一通り終わると、全裸にされた女たちの髪の毛を掴んで一太刀で斬り殺してしまうのだ。それからが男たちの殺される番である。彼らは全員、小さな刀で全身の肉を一片一片切り取られて殺される。何のためかはよく分からないが、心臓は、一つずつ胸の中から丁寧に抉り出されて、用意された容器に入れられるのである。次に、子供たちが母親の前で殺され、母親たちも同じ運命となる」。 現在のところ、「天京屠城」で殺された住民たちの数は少なくとも10万人以上であるというのが歴史学上の定説となっている。これこそが、中国史上の本物の「南京大虐殺」なのである。 なお、太平天国が衰退した大きな理由には内紛があるが、これまた内紛というのは表面的な聞こえのいい表現であって、実質はすさまじい粛清であった。1856年9月、洪秀全はナンバー2であった楊秀清を粛正するのであるが、この時には楊秀清の一族並びに配下の兵たちとその家族約4万人が虐殺されている。既に述べてきたように、秦に始まり、漢の劉邦や呂后、明の洪武帝、太平天国の洪秀全、そして毛沢東と続くすさまじい粛清というのも、中国史の伝統と言えるだろう。 毛沢東が行なった大量殺戮と粛清に次ぐ粛清 ここまで、血で血を洗う抗争に次ぐ抗争という中国史の特徴を見てきた。より具体的に言えば、その特徴は既に述べたとおり、思想弾圧・大量殺戮・大粛清である。そして、現代中国・中華人民共和国ももちろんその性格を色濃く有している。既に「一村一焼一殺」と文化大革命については少し触れたが、本章の最後に毛沢東が行なった数々の戦慄するようなおぞましい行為について述べておこう。 毛沢東は、1928年から、湖南省・江西省・福建省・浙江省の各地に革命根拠地を拡大していくが、その時の行動方針が「一村一焼一殺、外加全没収」であった。意味は「一つの村では、一人の土豪を殺し、一軒の家を焼き払い、加えて財産を全部没収する」である。1928年から1933年までの5年間で、「一村一焼一殺」で殺された地主の総数は、10万人に及んだという。中国共産党が政権を取ると、「一村一焼一殺」は中国全土に徹底して行なわれることとなった。全土で吊るし上げにあった地主は六百数十万人。うち二百万人程度が銃殺された。共産革命はどこの国においても大量殺戮と略奪を伴う惨たらしいものであるが、毛沢東の行動を知っていくと中国史の伝統の焼き直しにも見える。 次は粛清である。現代中国の粛清と言うと、先に述べた文化大革命が思い起こされるだろうが、実際には中国共産党が勢力を拡大して行く途上においても、数々のすさまじい粛清が行なわれている。まず、1930年から翌31年にかけての「AB団粛清事件」。これは中国共産党史上、初めての大量内部粛清であるが、この時は7万人以上を処刑している。政権を奪って権力を握ると、国家レベルで大粛清が行なわれることになった。1951年、「反革命分子鎮圧運動」である。毛沢東は「農村地帯で殺すべき反革命分子は人口の千分の一程度とすべきだが、都会での比率は人口の千分の一を超えなければならない」という殺人ノルマを課し、中国全土を反革命分子狩りの嵐が吹き荒れた。告発、即時逮捕、即時人民裁判、即時銃殺である。中国共産党の公式資料『中国共産党執政四十年(1949~1989)』によれば、「反革命分子鎮圧運動」で銃殺された人数は71万人に上るという(さらに129万人が「準革命分子」として逮捕され、終身監禁された)。粛清・虐殺はまだ終わらない。1955年には「粛清反革命分子運動」によって8万人を処刑している。 思想弾圧・粛清の流れは「反右派闘争」などこの後も続き、その流れの中に既に述べた文化大革命があるのであるが、文革のひどさはよく知られるところなので、ここではこれ以上述べない。今日ではYoutubeなどで映像も見ることができるので、ぜひご覧いただくと良いだろう。http //www.youtube.com/watch?v=p63xt5AlahY 最後に文革にもつながった「大躍進政策」について述べておこう。先に、文革は政権中枢から失脚していた毛沢東が劉少奇からの政権奪還を目論んで起こした大規模な権力闘争であり大粛清であると述べたが、毛沢東の一時的失脚をもたらしたのが大躍進政策であった。1957年11月6日、ソ連共産党第一書記・フルシチョフは、ソ連が工業生産(鉄鋼・石油・セメント)および農業生産において15年以内にアメリカを追い越せるだろうと宣言した。対抗心を燃やす毛沢東は、1958年の第二次五ヵ年計画において中国共産党指導部は、当時世界第2位の経済大国であったイギリスを15年で追い越す(のちには「3年」に減少)という壮大な計画を立案した。その中心に据えられた鉄鋼などは、生産量を1年間で27倍にするというあまりにも現実離れしたものであった。食糧も通常2.5億トンの年間生産高を一気に5億トンに引き上げることが決められた。しかし、何の裏付けもないまま目標だけ勇ましく掲げても、実現できるはずもない。1959年夏、共産党政治局委員で国防相の彭徳懐(ほうとくかい)が大躍進政策の再考を求めたが、毛沢東が受け入れるはずもなく、逆に「彭徳懐反党集団」として断罪され、失脚させられる(彭徳懐は、後の文革で凄まじい暴行を受け半身不随に。その後、監禁病室で下血と血便にまみれた状態のまま放置され死に至る)。これ以降、同政策に対して誰もものを言えなくなり、ノルマを達成できなかった現場指導者たちは水増しした成果を報告した。当時、全国の人民公社は穀物の生産高に応じて、政府に食糧の無料供出を割り当てられていた。「倍増」と報告された生産高によって、飢饉であるにもかかわらず、農民たちは倍の食糧を供出しなければならなくなったのである。その結果はすさまじい餓死者である。その数は、わずか3年間で2000万人とも5000万人とも言われている(中国本土では発禁となった『墓碑――中国六十年代大飢荒紀事実』によれば、人口損失は7600万人に上るとのぼるとされている)。最後は、人が人を食べるのが常態と化した。さすがに自分の子供を食べる親はいないから、親は、死んだり昏睡状態に陥った子供をよその家に持っていき、同じような状態のよその子と交換して自分の家に持ち帰り、その子を自宅で解体して食べたという。まさに、人類史上最大の人災と言えるだろう。大躍進政策の致命的な失敗により、さすがの毛沢東も責任を取らざるを得なくなり、1959年4月27日、国家主席の地位を劉少奇に譲ることとなった。そこからの復讐・粛清が文化大革命なのである。 不気味な隣人との付き合いにおいて心すべきこと 私たちは何気なく「中国4000年の歴史」などと口にする。しかし、ここまで見てきたように、それは抗争と断絶の歴史であり、むしろ歴史が伝わらない国なのである。それを証明するある事実がある。老舗企業の数である。創業200年以上の老舗企業数を国別に見ていくと、我が国には3113社もあり、2位ドイツの1563社、3位フランスの331社などを大きく引き離し、ダントツで世界一である。それに対して中国はわずか64社で15位。共産主義の影響だと思うかもしれないが、149社で8位のロシアの半数にも満たない。人口わずか1000万人のチェコ(第二次大戦後、1989年まで共産党政権下にあった)が97社で10位なのだから、やはり歴史が続かないというのが「易姓革命」の国、中国の伝統なのである。 確かに昔の文物はある。しかし、それは先に見た仏教寺院のように、形骸に過ぎない。精神は断たれているのである。人によっては「中国は私たち日本人の先生なんだから」などと言うが、それは隋にしろ唐にしろ、昔のその時点での話である。日本の方がむしろ学んだものを血肉化して生かしている。 帝国データバンクが2008年に創業100年を超える老舗企業に行なったアンケート調査がある(回答企業814社)。それによれば、「老舗企業として大事なことを漢字一文字で表現すると」という問いに対し、最も多かった回答は「信」。197社からの圧倒的な支持を集めた。次いで「誠」68社。以下、「継」「心」「真」と続く。「社風を漢字一文字で表すと」という問いに対しては、「和」が158社でダントツ。次いで2位「信」63社、3位「誠」53社。以下、「真」「心」と続く。そして、「老舗の強みは何か」という問いに対しては、「信用」と答えた企業が圧倒的に多く、実に73.8%に達した。ここから見えてくることは、我が国の伝統的企業は、社内においては上下心を一つにして働き、対外的には信用を最も大切な財産と受け止め、信を守り誠を尽くす。そういう企業文化を継続することで続いてきたことが伺われる。こうした精神が仏教や儒教の教えに大きな影響を受けていることは言うまでもないが、それはもはや完全に日本のものとなっており、逆に今の中国にはないのである。 さて、抗争と断絶とともに、中国史の特徴として顕著な大量殺戮と粛清。私たちはここから大いに学ぶことがある。それは、中国という国は冤罪をでっちあげて断罪する国であるということ、そして、やれるとなれば血も涙もなく暴力を行使して徹底的にやる国だということである。中国国内で出版された『従革命到改革』という書籍によれば「文化大革命において作り出された冤罪」は実に「900万件」に上るという。文革に限らない。本章で見てきた数々の粛清は、そのほとんどがでっち上げの罪による断罪と言ってよいだろう。中国の楊潔チ外相が国連総会で「尖閣諸島は日本が盗んだ」などと演説したが、これも同様の確信犯的でっち上げである。尖閣周辺に埋蔵資源があることが分かるまでは、中国の地図でも尖閣は琉球列島に含めていたわけで、そういう事実を外相が知らないはずがない。しかし、事実がどうあれ、冤罪をでっちあげて徹底的に断罪するのが中国なのである。そして断罪した後は暴力の行使。それが中国史に見る中国の伝統である。尖閣問題への対処を考えるにあたって、私たちはこの隣人の性格をしっかり認識しておかなくてはならないだろう。 参考文献 『中華帝国の興亡』(黄文雄著・PHP研究所) 『読む年表 中国の歴史』(岡田英弘著・WAC) 『中国文明の歴史』(岡田英弘著・講談社現代新書) 『中国大虐殺史』(石平著・ビジネス社) 『200年企業』(日本経済新聞社著, 編集・日経ビジネス人文庫) 『百年続く企業の条件』(帝国データバンク 史料館・産業調査部 編・朝日新書) 『情報亡国の危機 』(中西輝政著・東洋経済新報社) 『毛沢東 大躍進秘録』(楊継縄著・文藝春秋) 新興国情報EMeye Bloomberg 中央日報 サーチナニュース 大紀元時報 Wikipedia .
https://w.atwiki.jp/zensensyu/pages/2182.html
黒歴史ノート 170 名前:水先案名無い人 :2006/11/12(日) 23 47 21 ID L3O9VJT30 全黒歴史入場!! 大魔王は生きていた!! 愚かな人間を贄に伝説の恐怖が甦った!!! 暗黒神 !! 封印より復活だァ――――!!! 救いの手立てはすでに我々が完成している!! 異世界の勇者を償還 魔道師連盟だァ――――!!! 召び出され次第しだい慌てまくってやる!! 異世界一般人代表 本名をアナグラムした男キャラ だァッ!!! ファンタジック戦闘なら我々の歴史がものを言う!! 既に虫の息 ”ム、ムオンスターが……” くたばった見張り !!! 真の優位を知らしめたい!! 異世界殺法 スプレー&ライター だァ!!! エロゲームは3キャラ攻略だが非日常なら全てのメスがオレのものだ!! 仲間と接見 全員可愛い女の子 だ!!! 環境対策は完璧だ!! フィクションの常識 この世界での地球人は身体能力が抜群 !!!! 全物語のベスト・タレントは私の中にある!! 旅の泉の女神様が来たッ 秘められた力を解放・特別な力が目覚める !!! 雑魚相手なら絶対に敗けん!! だが時には弱い所も見せたる 不良体調 料理のセンスだけは微妙 だ!!! 中学二年生(なんでもあり)ならこいつが怖い!! 真夜中のディープ・ファイト 女の子が夜這い だ!!! 王立聖協会から新たなデータを提供だ!! 主人公の属性 時・覇・星 !!! ルールの無い妄想がしたいからルーズリーフ(B掛60枚)を買ったのだ!! アマの筆力を見せてやる!! セリフの前にはしゃべった奴の名前 !!! 地球の土産に幼馴染とはよく言ったもの!! ありえない嫉妬が今 港町でバクハツする!! 時空流歪み モチーフが好きな娘の新キャラ だ―!!! ラストページでの強権行使こそが地上最強の代名詞だ!! まさかこの男がきてくれるとはッッ あとがきに作者登場 !!! 使いたいからここまでしたッ 意味一切不明!!!! 漢字のジャスト(適当)ミックス 難読漢字の必殺技 !!! オレたちは人類最強ではない心が最強なのだ!! ご都合展開 見逃した敵が助けに来る !!! 魔王の軍勢は今や敵ではない!! オレを苦しめる奴はいないのか!! 味方が強くなりすぎて中だるみ だ!!! みっともなァァァァァいッ説明不要!! 自己閲覧40!!!! カウンター43!!! 感想は掲示板にお願いします。メールも大歓迎♪ だ!!! お話は人に見せ付けてナンボのモン!!! 超実戦手法!! 大手サイトへ相互リンク願い だが閲覧者が登場しない!!! 女ははオレのもの 邪魔するやつは思いきり殴り思いきり消すだけ!! 出てくる男キャラは ブサとおっさんだけ 魔王を倒しに本拠地へきたッ!! すでに全幹部撃破 飽きてきたのでスピード展開 !!! 文章に全く磨きをかけず ”打ち切り” リアルが忙しいので^^; 帰ってこなァい!!! 今の自分にやる気はないッッ!! サイト・エディター 授業中に設定だけ練りまくり !!! 構想四日間の秘拳が今ベールを脱ぐ!! 昼休みから 友達に設定解説 だ!!! 頭の中でなら作品はいつでも全盛期だ!! アニメ展開 プレステでゲーム化 メディアミックスで登場だ!!! 管理人の仕事はどーしたッ サイト宣伝 未だ消えずッ!! いなすも放置も思いのまま!! 来訪者への挨拶が面倒 だ!!! 特に理由はないッ 文字書きが面倒なのは当たりまえ!! 協力者にはないしょだ!!! サイトは閉鎖! 結局未完で投げ出し た―――!!! 暗黒時代で磨いた実戦経験(笑)!! 批評サイトでデンジャラス・ライオン 経験者ぶって他人にダメ出し だ!!! 十代ヲタクだったらこの展開を外せない!! 超A級小説書き 絵は挫折 だ!!! 元一流文章書きが超一流の復活だ!! 生で拝んでオドロキやがれッ ええ……ジョークですこのことは 文章の仕事を受け持って失敗する !!! その後の人生でこの男が完成された!! 間をつなぐ時の切り札!! そして数年後…… !!! ある日実家からダンボールがやってきたッ どこへ行っていたンだッ この大学ノートッッ 『アンタの部屋からでてきたよ。何コレ』ッッッ再び黒歴史ノートの登場だ――――――――ッ 加えて成功しちゃった場合に備え超豪華な別展開を4パターン御用意致しました! 絵師の友達と ケンカ別れ! メディアミックスしたら 原作よりよくなっちゃった! 同人の同人が 元同人より 売れちゃった! ……ッッ どーやらもう一パターンはまだ決着がついていないようなので 終末を見届け次第みなさまにご報告いたしますッ 関連レス 174 名前:水先案名無い人 :2006/11/13(月) 00 00 05 ID 2bB8628E0 170-173 GJ ;y=ー( ゚д゚)・∵. ミニオボエガアル 175 名前:水先案名無い人 :2006/11/13(月) 00 33 28 ID zo9FwEOg0 このネタ、下手したら人を頃すぞ 176 名前:水先案名無い人 :2006/11/13(月) 00 35 00 ID aR4yzulv0 170-173 ゲェェェ忌まわしい記憶が… 279 名前:水先案名無い人 :2006/11/26(日) 00 03 16 ID cbmCYkZf0 170-173 きわめて身につまされます。 コメント 名前
https://w.atwiki.jp/pam-iwate/pages/1038.html
会津酒造歴史館 会津の焼酎造りの歴史を振り返る焼酎資料館がオープン!!焼酎の資料館は東北地方では初めて!! 昭和29年の創業以来、米焼酎を醸造しており、戦前使用されていたもろみ取り焼酎の蒸留機、かす取り焼酎のせいろ式蒸留機など貴重な器具などを展示 しています。 会津酒造歴史館(宮泉銘醸株式会社) 〒965−0872 福島県会津若松市東栄町8番7号 TEL:0242−27−0031 FAX:0242−27−0032 パンフレット ※画像をクリックするとパンフレット(PDF)が開きます。 ホームページ http //www.miyaizumi.co.jp/aizusyuzou.html 〈ブログ〉 奥会津観光 http //blogs.yahoo.co.jp/chamu04/31107158.html 門松 http //blogs.yahoo.co.jp/bwmsk/23418417.html 会津酒造歴史館♪ http //blogs.yahoo.co.jp/kao_uluru/22517380.html 日本酒の日 http //blogs.yahoo.co.jp/bwmsk/21929113.html 鬼怒川温泉一泊二日バスツアー「会津酒造歴史館」 http //blogs.yahoo.co.jp/shibainunattu/28709066.html 会津旅行記2 http //blogs.yahoo.co.jp/niizajou/29283696.html ★晩夏の会津路 ⑤酒蔵めぐり http //blogs.yahoo.co.jp/maki57562000/44230771.html 会津酒造歴史館 http //blogs.yahoo.co.jp/rosepirates/54355745.html 会津酒造歴史館の見学です http //blogs.yahoo.co.jp/poporinkon/54165011.html 続初めての町内バス旅行・会津酒造歴史館 http //blogs.yahoo.co.jp/afuro_tomato/51545961.html 携帯サイト 最新のチラシ imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 《周辺情報》 #blogsearch /
https://w.atwiki.jp/dynamiccrusade/pages/51.html
デーモンの歴史 (鉄の伝説) COMMAND C-005 黒 1-4-0 U (配備フェイズ) 全てのプレイヤーは、自軍手札が2枚になるまでカードを引く。 補強 出典 「デビルマン」 1972
https://w.atwiki.jp/ja2047_memorial/pages/857.html
歴史修正主義 こう言ったからといって、わたしは「事実とは観念の構築物にすぎない」というカント主義を採用しているわけではない。「事実」を「事実」として定位するもの、ある「事実」に他の「事実」以上の重要性を与えるもの、ある事実の背後にあってそれと対抗する「もうひとつの現実」を発掘するものは、それを構成する視点にほかならない、と言いたいだけである。社会的構築物としての「現実」とは物質的なものであり、わたしたちはその中で正統性を付与されたものだけを事実と呼び慣わしてきた。 #「ナショナリズムとジェンダー」、上野千鶴子、青土社 より引用。 歴史修正主義とは何か 歴史を正視するということre とほほ 2002/02/08 私は常日頃否定論なるものの卑猥さ劣悪さを主張する者ですが、そうした姿勢に対してであろうか、歴史修正主義なるものを持ち出してその正統性を訴える投稿が「問答有用」という掲示板に投稿されました。それに対して返信したものです。 歴史修正主義と否定論re とほほ 2002/02/08 上記の投稿に付随して、私の認識における歴史修正主義と南京虐殺否定論の関係及び否定論の劣悪さを主張しています。これらの認識は私の場合上野千鶴子氏からの影響が強く、それに対する批判も掲示板上ではなされています。 歴史修正主義とは何かre ベルナール氏 2002/02/13 私の直感的な論考とは異なり、体系的に歴史修正主義について述べられています。我々が歴史修正主義と対峙する上で、その表面上の正統性やまやかしを見抜くために非常にわかりやすい概論であると思います。 歴史修正主義を支えているものは何なのか? 歴史修正主義と対峙する上でそれを過大評価する事が却って彼らの宣伝に一役買っているのではないか?とは良く言われます。私なんかはいわゆる擬似科学の本が良く売れる現象と同じだと考えております。 つまり、観客はトンデモない理論を掲げて科学と言う権威に対して喧嘩を売る道化を好みます。が、決して擬似科学の正当性を信じているわけではありません。正統科学との議論で負けるところを楽しんでいるのだと考えています。ところがここで正統科学側が「相手にしない」と言う戦法に出る事は許されない事だと思います。特に歴史修正主義の持つ悪性危険性は知らねばなりません。 歴史修正主義を支えるもの1(何が歴史修正主義を支えているのか?)re ベルナール氏 2002/09/05 私などは上記キャプション程度にしか考えておりませんがベルナールさんの説得力のある論考です。 【「一部の右翼や国粋主義者等」だけでなく、歴史修正主義に「賛成あるいは反対」しているわれわれの思考法そのものなのです。】との事。なるほどと考えさせられました。 歴史修正主義を支えるもの2(Re 「中帰連」を挑発の巻)re あすか氏 2002/09/05 私もよく否定論者と論争する上で「無知を武器にするな」と言うことを言います。 私が日頃主張する歴史修正主義を無視する事の危険性悪性を論じておられます。 無知は恥ずかしい事ではありません、が、無知に付け込む論理、無知を武器にした論理、これは大変恥ずかしい事です。 歴史修正主義を支えるもの3(「歴史修正主義」論 2) ベルナール氏 2002/09/05 上記あすか氏の論考にある「無知である」の対象が担い手を指すものであればそれは必ずしも「無知」ではない、との指摘です。あすか氏は情報の受け手の無知を指摘しておりその無知の罪と無知を武器にした論理を批判していると私は受け取りましたが、ベルナール氏の言う通り担い手は無知ではないと思います。が己の知識を恣意的に隠匿し論理を構築する事は無知である事と何ら変わらないように思います。 知識を有しながら無知を武器にした論理を展開しているわけであり、、。 こりゃ、私には無謀だがベルナール氏相手に反論してみようかな(笑) とはいえ結論は私もベルナールさんと同じか(^^; 歴史修正主義を支えるもの4(Re 「歴史修正主義」論 2) あすか氏 2002/09/05 歴史修正主義の受け手の「無知へのいらだち」を主張していると思います。私も全く同感です。 無知である事は恥ずかしくはない、知ろうともせず論を主張し、論理破綻すると他人に責任転嫁する精神性の未熟さは私もネット上の受け売り否定論者と対峙していて常に感じます。主張するのであれば、反論するのであれば、何を論拠にしても良いが己の責任で為す、と言う当たり前の事が出来ていない。ゆえにおそらく子供であろうとは思うのだが、どうやら、、。 歴史修正主義re
https://w.atwiki.jp/glog/pages/38.html
歴史:軌跡年譜 ▼古代ゼムリア文明 S1頃 《リベル・アーク》で《七の至宝》(セプトテリオン)のひとつ《輝く環》(オーリ・オール)を封印すべく、セレスト・D・アウスレーゼをはじめとする16名[cite:3rd/最終話]による《封印機構》が結成される。アーネンベルクとヴァレリア湖畔の地下施設による「第一結界」、ヴァレリア湖を取り囲むように築かれた《四輪の塔》(デバイス・タワー)による「第二結界」、《環》の注意を引きつけておくための仮想空間《レクルスの方石》による三段構えの作戦が奏功し、《輝く環》は封印(時間凍結)された。 S1頃? 《七の至宝》(セプトテリオン)のひとつ《虚なる神》(デミウルゴス)、のちのクロスベル地方で自らの因果を解いて消滅。 S1頃 大崩壊。古代ゼムリア文明の滅亡。 S1頃 セレスト・D・アウスレーゼ、リベール王国を建国? ▼暗黒時代 ▼中世 S500頃 《七耀教会》による《空の女神》(エイドス)の布教、広まる。 S700頃 この頃、クロスベル地方で《太陽の砦》・《月の僧院》・《星見の塔》が建造される。《星見の塔》を建造したクロイス家の錬金術師たちは、《空の女神》(エイドス)を否定した《D∴G教団》の前身となる宗教家たちに、信仰対象として、新たな《虚なる神》(デミウルゴス)の核となるべき人造人間(ホムンクルス)の「御子」(すなわちキーア)と、「御子」が眠る《聖なる揺籃》を用意。暗に教団の行う「儀式」を通じて、「御子」に「叡智」を蓄積させた。 S900頃(中世末期) クロイス家、のちの IBC(クロスベル国際銀行)をクロスベルで創業。[cite 零の軌跡/第1章/2日目/@IBC/貿易商リゼロ談] S900頃(中世末期) クロスベルの商人、帳簿保管庫として書籍館(しょじゃくかん)(市立図書館の前身)を建てる。[cite 零の軌跡/第2章/1日目/@市立図書館/ノバース談] S1100頃 カルバード共和国、民主化。 S1134 クロスベル自治州、帝国・共和国の圧力を受けつつも建国。 ▼導力革命 S1150頃 導力革命。C・エプスタイン博士、導力器を発明。 S1154 レマン自治州にて、C.エプスタイン博士死去。弟子にアルバート・ラッセル博士、G・シュミット博士、L・ハミルトン博士などを輩出。 S1155 レマン自治州にてエプスタイン財団設立。 S1155 A.ラッセル博士、リベール王国に帰国。 S1157 A.ラッセル博士、ツァイス時計師組合と技術提携。のちの《ツァイス中央工房》(《ZCF》)の前身、 《ツァイス技術工房》を設立。 S1157 リベールの《剣聖》カシウス・ブライト、生まれる。 S1160 リベール国王エドガーⅢ世、《ツァイス技術工房》に資金援助。A.ラッセル博士、初代工房長就任。 S1162 リベール国王エドガーⅢ世逝去。女王アリシアⅡ世即位。 S1162 《ツァイス技術工房》、導力式時計1号機を製造。ツァイス(リベール)に設置。 S1163 《ツァイス技術工房》、導力式時計2号機をリベールの王都グランセルに設置。 S1164 初の導力式跳ね橋、《ラングランド大橋》、リベール・ルーアン市にて落成。 S1166 セルゲイ・ロウ、生まれる(クロスベル?)。 S1168 《ツァイス技術工房》、初の導力飛行船《カラトラバ号》完成。 S1172 11月25日[cite:FC/第3章/ジェニス王立学園/オーバル相性占いマシーン]、ナイアル・バーンズ(《リベール通信社》記者)、生まれる。 S1173 《ツァイス技術工房》、 《ツァイス中央工房》(以下《ZCF》) と名称変更。 S1173 カルバード共和国ヴェルヌ社、エレボニア帝国ラインフォルト社への技術供給開始。 S1174 《風の剣聖》アリオス・マクレイン、クロスベルに生まれる。 S1175 サヤ・マクレイン(〜1199)、生まれる(クロスベル?)。旧姓未詳。 S1175 リベールの資産家サウル・ジョン・ホールデン氏の尽力で飛行船公社設立。定期飛行船《リンデ号》就航。 S1176 ガイ・バニングス(〜1201)、クロスベルに生まれる。 S1177 アレックス・ダドリー、生まれる(クロスベル?)。 S1177 リベール飛行船公社、定期飛行船《セシリア号》就航。 S1177 4月1日[cite:FC/第3章/ジェニス王立学園/オーバル相性占いマシーン]、オリヴァルト・ライゼ・アルノール、エレボニア帝国ユーゲント皇帝の庶子として生まれる。 S1178 《ZCF》、移動工房船《ライプニッツ号》竣工。 S1178 《塩の杭》事件 :ノーザンブリア大公国・公都ハリアスク近郊に《塩の杭》出現。《七耀教会》、《守護騎士》(ドミニオン)第八位《吼天獅子》及び従騎士一名を派遣するも、到着時には旧公都は塩化により壊滅状態。2日で国土の約半分が塩化。(バルムント大公は隣国に避難。)その後、《七耀教会》は《聖具グレイプニル》で《塩の杭》を回収。 S1179 ノーザンブリア大公国でクーデター。民主議会の発足により、自治州(ノーザンブリア自治州)に。旧軍部は自警団として再編成。のち自警団は《北の猟兵》となり、国外活動による外貨獲得手段と化す。 S1179 5月14日[cite:FC/第3章/ジェニス王立学園/オーバル相性占いマシーン]、シェラザード・ハーヴェイ、生まれる。(「ハーヴェイ」の姓は《ハーヴェイ一座》に入った後、一座の一員として座長の姓を名乗るようになった?) S1180 《塩の杭》事件被災孤児ゲオルグ・ワイスマン、《七耀教会》に入信。 S1180 《ZCF》、工房建物を移築。地上5階、地下5階建。 S1181 セシル・ノイエス、生まれる。父はクロスベル市立図書館の司書マイルズ・ノイエス(クロスベル市/行政区)、母は敬虔な《七耀教会》の信者レイテ・ノイエス。居所はクロスベル市/西通りのアパルトメント《ベルハイム》。 S1182 《炎の舞姫》イリア・プラティエ、生まれる(クロスベル)。 S1182 アルバート・ラッセル工房長退任。マードック技術主任が二代目工房長に就任。 S1182 1月22日[cite:FC/第3章/ジェニス王立学園/オーバル相性占いマシーン]、ドロシー・ハイアット(《リベール通信社》カメラマン)、生まれる。 S1183 《闘神の息子》ランドルフ・オルランド(ランディ・オルランド)、生まれる。父はゼムリア大陸西部最強の猟兵団のひとつ《赤い星座》の団長バルデル・オルランド。 S1184? クロスベル自治州政府、クロスベル市の(第一期)都市計画を開始。IBSやエプスタイン財団などの出資によりジオフロントなどの整備開始。(関連:《碧の零の計画》) S1185 クロスベル市・中央広場の《クロスベルの鐘》、アルモリカ古道の古戦場の遺跡(《太陽の砦》?)で発掘される。市立図書館で論文を執筆中のノバースによると、この頃、大規模な調査団が結成されていた模様。[cite 零の軌跡/中央広場/プレート, 零の軌跡/第1章/2日目/市立図書館/ノバース談] S1185 《七耀教会》ゲオルグ・ワイスマン、封聖省・聖務官に。 S1185 リベール《ZCF》、自然科学・医学研究部門を設立。 S1185 ガイ・バニングスの弟、ロイド・バニングス、クロスベルで生まれる。居所はクロスベル市/西通りのアパルトメント《ベルハイム》。角部屋のノイエス家の隣室(S1204時点ではコウケン、チルル、リュウ父子の居室になっている)。反対隣りには、ロイドの幼なじみの一人、ウェンディ(のち、オーバルストア《ゲンテン》の技師に。)と、鉄道技師の父フェイ、妹パンセの三人家族の居室がある。 S1185 12月20日[cite:FC/第3章/ジェニス王立学園/オーバル相性占いマシーン]、ヨシュア・アストレイ、(エレボニア帝国・ハーメル村で?)生まれる。 S1186 8月7日[cite:FC/第3章/ジェニス王立学園/オーバル相性占いマシーン]、エステル・ブライト、(リベール王国・ロレントで?)生まれる。父カシウス・ブライト、母レナ・ブライト。 S1186 10月11日[cite:FC/第3章/ジェニス王立学園/オーバル相性占いマシーン]、クローディア・フォン・アウスレーゼ(リベール王国・王都グランセルで?)生まれる。父ユーディス王太子。 S1186 エリィ・マクダエル、生まれる(クロスベル?)。祖父はヘンリー・マクダエル。両親の名は未詳。父は政争に絶望して共和国に帰国、母は親類を頼って帝国に身を寄せる。 S1186 ノエル・シーカー、生まれる。父はクロスベル警備隊員のオズマ・シーカー(S1157-S1194)、母はクロスベル市・東通りのアカシア荘在住クラリス・シーカー。 S1187 ノエル・シーカーの妹、フラン・シーカー、クロスベルに生まれる。 S1187 リーシャ・マオ、カルバード共和国内で一子相伝の暗殺者《銀》(イン)の家系に生まれる。幼少時より母と離れ、父と二人暮らし。 S1187 客船《エテルナ号》、カルバード共和国領海で沈没。リベール王国のユーディス王太子夫妻(クローディア姫の両親)逝去。 S1188? クロスベル自治州で飛行艇墜落事故。 ガイ・バニングス・ロイド・バニングス兄弟の両親、ならびにイアン・グリムウッド弁護士の妻子が犠牲になる。 S1190 《エプスタイン財団》・《ZCF》、共同で 「導力ネットワーク」構想 発表。 S1190 《七耀教会》ゲオルグ・ワイスマン、封聖省・司教に昇叙。 S1191 レン(・ヘイワース)、クロスベルで生まれる。父はハロルド・ヘイワース、母はソフィア・ヘイワース。 S1192? ブルブラン、経歴詐称で拘禁。その後、脱獄し、行方不明に。(結社《身喰らう蛇》に身を投じる?)[cite:3rd/『怪盗B』調査レポート] S1192? ハーメルの悲劇 :エレボニア帝国南部・ハーメル村をリベール王国製導力銃を持った猟兵団が襲撃。生存者はレオンハルト、ヨシュア・アストレイ2名のみ。その際、ヨシュアの姉カリン・アストレイも殺害される。(結社《身喰らう蛇》と通じていた、《七耀教会》封聖省・司教ゲオルグ・ワイスマンが、エレボニア帝国の主戦派をそそのかしたというのが真相らしい。) S1192春 《百日戦役》勃発。 ハーメル村襲撃を口実に、エレボニア帝国軍十三個師団が、導力通信による宣戦布告と同時にリベール王国に進攻。[cite:FC/第2章/『実録百日戦役』](宣戦布告と先制攻撃がほぼ同時に行われたという設定は、太平洋戦争の真珠湾攻撃がモデルか。) S1192 エレボニア軍、リベールのハーケン門を突破。レイストン要塞とグランセル地方を除く各地方を瞬く間に占拠。 S1192 リベール・ボーズ地方・ウィンドルマン市長、《百日戦役》で両親を亡くした10歳の少女レーニを引き取る。ショックによる一時的な失語症で自分の名前も言えなかったため、ウィンドルマン市長が「リラ」と名付け、以後、「リラ」は市長邸のメイドとしてウィンドルマン父娘に仕える。後年(S1203?)、レーニの叔母のコルナがレマン自治州から「レーニ」を探しにボーズ市を訪れるも、メイベル市長と「リラ」の様子を見て「レーニ」をレマン自治州に連れ帰るのを諦める。 S1192 リベール・ボーズ地方・ラヴェンヌ村にて、アガット・クロスナーの妹ミーシャ・クロスナー、帝国軍の焼夷弾により死去。 S1192 リベール・ルーアン地方・マーシア孤児院のジョセフ、テレサ夫妻にクローディア姫、一時保護される。 S1192 リベール王国軍のマクシミリアン・シード率いる部隊、アーネンベルク(グリューネ門)で奮戦し、帝国軍からグランセル地方を死守。 S1192 リベール・レイストン要塞で、アルバート・ラッセル博士、警備飛行艇を開発。 S1192 リベール王国軍大佐カシウス・ブライトの立案、モルガン将軍の指揮により、警備飛行艇による反攻作戦を実施。リベール各地を電撃奪還。 S1192 リベール・地方都市ロレントの時計塔で、レナ・ブライト、帝国軍導力戦車の砲撃により死去。 S1192-1193? この頃、ハーメルの遺児、レオンハルトとヨシュア・アストレイが、ゲオルグ・ワイスマンの手引きにより、結社《身喰らう蛇》に身を投じる。 S1193 《百日戦役》終結 :《七耀教会》と《遊撃士協会》の仲裁により、リベール・エルベ離宮にて、 リベール=エレボニア講和条約 。(エレボニア側からの打診。講話条件として、開戦名目だったハーメル村襲撃の偽装について口外しないことが含まれていた。いわゆる 「ハーメルの沈黙」 。エレボニア帝国は、国内に対してはハーメル村は大規模な土砂崩れで壊滅したと発表。リベールに対しては 「不幸な誤解から始まった」 と公式に謝罪。) S1193? リベール王国軍大佐カシウス・ブライト退役。遊撃士に転向。 アリシア女王からの勲章授与も辞退。同時期に怪我で遊撃士を引退し、技師となったダン・ラッセルより棒術の指南を受ける。 S1193+ 《百日戦役》の復興に尽力したリベール・ボーズ市長ウィンドルマン氏[cite:3rd/月の扉2]逝去。娘のメイベルが選挙を経て後任の市長に。(※年次未詳) S1194 タングラム門詰めクロスベル警備隊所属オズマ・シーカー二尉、タングラム丘陵でのカルバード共和国軍の軍事演習中、流れ弾を受けて殉職。 S1194? レミフェリア公国のティオ・プラトー、《D∴G教団》に誘拐。カルバード共和国西部のアルタイル拠点(ロッジ)で《グノーシス》の試作品を投与され、感応力を強化する「儀式」に利用される。 S1195 ゲオルグ・ワイスマン、《七耀教会》を破門。外法認定。 S1196 リベール王国・《マーシア孤児院》の院長ジョセフ、ルーアン市内で事故に遭い逝去。妻のテレサが孤児院を引き継ぐ。 S1196 クロスベル自治州の貿易商ハロルド・ヘイワーズ、闇相場に手を出して《ルバーチェ商会》に追われる。ヘイワーズ夫妻、娘のレンをカルバード共和国の知人に預け、弁護士イアン・グリムウッドの助けで債務を整理するも、その間に共和国の知人宅が《D∴G教団》の襲撃に遭う。レンは拉致され、教団の拠点(ロッジ)《楽園》に送られる。 S1197 カルバード共和国および周辺諸国で《D∴G教団》による幼児誘拐事件多発。 S1197? 結社《身喰らう蛇》の執行者No.II《剣帝》レーヴェとNo.XIII《漆黒の牙》ヨシュア、《D∴G教団》の拠点(ロッジ)《楽園》を制圧。レンを保護。ヨシュアの希望をレーヴェが汲んでレンは執行者候補に。[cite:3rd/星の扉15] S1197 (《楽園》制圧とレン絡み?)結社《身喰らう蛇》の執行者《剣帝》レーヴェと、《七耀教会》/《星杯騎士団》正騎士、《千の腕》リース・アルジェントの間で何らかの対立と妥結があった?[cite:3rd/第7話/「6年前」にレーヴェとの間で「落としどころ」に持って行ったが、レーヴェの側はそれを「借り」と受け取ったらしいとの話。] S1197 《百日戦役》の際、帝国軍戦車の砲撃で倒壊した、リベール・ロレントの時計塔、修復される。 S1197 (《楽園》の制圧後)結社《身喰らう蛇》執行者ヨシュア・アストレイ、カシウス・ブライトの襲撃に失敗。結社の使徒《白面》ゲオルグ・ワイスマンが送った刺客に守られる形で、カシウスに逆に保護される。[cite:FC/冒頭] S1197 ヨシュア・アストレイ、カシウスの養子となり、姓をブライトと改める。 [cite:FC/冒頭] S1197-1198 カルバード共和国および周辺国で《D∴G教団》殲滅作戦 が、《遊撃士協会》A級遊撃士カシウス・ブライトの指揮の下、遂行される。[cite:3rd/月の扉3→王都支部の導力通信で、カシウスがカルバードにいて「しばらくは戻れそうにない」とシェラザードに話している。その際、それとなくヨシュアの存在がほのめかされている。]参加者にジン・ヴァゼック(カルバード遊撃士)、セルゲイ・ロウ(クロスベル警察班長)、アリオス・マクレイン、ガイ・バニングス(以上、クロスベル警察捜査官)らも名を連ねる。この時、カルバード西部のアルタイル市にあった教団の拠点(ロッジ)のひとつで、ガイ・バニングスがティオ・プラトーを保護(ティオ以外は全滅)。[cite:零の軌跡]作戦後、ジンはA級遊撃士に昇格。カシウスも非公式にS級遊撃士となる。 S1197 飛行船公社設立に尽力したリベールの資産家サウル・ジョン・ホールデン逝去。遺産は孫娘アイナ・ホールデンが全額相続後、アイナの意志によりアリシア女王福祉基金にその全額を寄付。(この時点でのリベール国内の《遊撃士協会》は王都支部・ボーズ支部・ツァイス支部の三ヶ所?)のち、アイナは《遊撃士協会》に入会。リベール・ロレント支部の受付に就任。 S1197 シェラザード・ハーヴェイ、正遊撃士に昇進。 S1197 リベール・王都グランセル市内で、ドロシー・ハイアット、《リベール通信》記者ナイアル・バーンズに邂逅。カメラの才能を見出される。 S1197 《太公望》ハーバード・フィッシャー男爵、ロイド両氏、リベールの王都グランセルに釣公師団本部を設立。 S1197 《ZCF》のアルバート・ラッセル博士、導力演算器《カペル》Ver.1完成。 (「空の軌跡FC」=S1202時点ではVer.7.0。【零】では《エプスタイン財団》がさらに改良したものが IBC に、【碧】ではリベール王室親衛隊所属巡洋艦アルセイユにも導入されている模様。) S1198 《D∴G教団》アルタイル・ロッジで保護されたティオ・プラトー、クロスベル自治州の聖ウルスラ医大病院に収容。[cite 零の軌跡/第1章]そのまま半年ほど入院。 S1198 クロスベル警察捜査官ガイ・バニングス、聖ウルスラ病院を退院したティオ・プラトーを、ティオの実家があるレミフェリア公国に送り届ける。[cite 零の軌跡/第1章/ロイド「13くらい」の頃の夢から逆算] S1198 クロスベルの貿易商ハロルド・ヘイワーズとその妻ソフィアの間に、第二子コリン(レンの弟)が生まれる。 S1198? 《七耀教会》典礼省・司教オーウェン、汚職により教会を追放。 S1198 《七耀教会》元典礼省・司教オーウェン、猟兵を雇い、教会の福音施設「紫苑の家」(しおんのいえ)を襲撃させる。猟兵のひとりが「紫苑の家」内の《始まりの地》で、禁断の古代遺物(アーティファクト)《ロアの魔槍》を手にしデモナイズ(魔人化)。突入した《星杯騎士団》従騎士ケビン・グラハムの聖痕(スティグマ)が発現し《ロアの魔槍》を取り込むも、ケビン自身が暴走。遅れて駆けつけた正騎士ルフィナ・アルジェントがその身を挺して、暴走したケビンを止める。ルフィナはそのまま殉職。 S1198 《七耀教会》《星杯騎士団》のケビン・グラハム、空位だった《守護騎士》(ドミニオン)第五位を拝命。渾名は《外法狩り》 S1198? 《七耀教会》《守護騎士》ケビン・グラハム、福音施設「紫苑の家」を猟兵に襲撃させた元典礼省のオーウェンを外法として抹殺。[cite:3rd/第七話] S1199 クロスベル市内、表通りの導力運搬車爆発事故により、アリオス・マクレインの妻、サヤ・マクレイン逝去。娘のシズクも失明。以後、聖ウルスラ医大病院に長期入院。 S1199? アリオス・マクレイン、警察を離職。その後、遊撃士に転身。 S1199? クロスベル警察セルゲイ捜査班解散。班長のセルゲイ・ロウは警察学校の車両運転教官に転属、ガイ・バニングスは捜査一課に転属。以後、単独で《ルバーチェ商会》やヨアヒム・ギュンターらの捜査を行うようになる。 S1199 《ZCF》、高速巡洋艦《アルセイユ》開発プロジェクト開始。 S1200 《七耀教会》《守護騎士》ケビン・グラハム、《D∴G教団》の古代遺物を利用した「儀式」でデモナイズされてしまった男児エルマーを抹殺。[cite:3rd/第7話, 碧/序章] S1200 5月、リベール王国のクローゼ(クローディア姫)、《ジェニス王立学園》に正規の編入試験を経て入学。 S1200 レクター・アランドール、リベール《ジェニス王立学園》(当時3年生・生徒会長)を退学。その後、行方を眩ます。 S1201 クロスベル警察捜査一課ガイ・バニングス捜査官、オルキスタワー建設予定地で、イアン・グリムウッド弁護士に背後から銃撃を受けて殉職。 S1201+ ティオ・プラトー、レミフェリア公国の実家を家出。クロスベル市でガイ・バニングスの殉職を知る。その後、《エプスタイン財団》にスカウトされ、レマン自治州に。(ティオは、生前のガイからみっしぃストラップをもらっている。「みっしぃ」はテーマパーク建設以前からの保養地ミシュラムのご当地キャラ。) S1202 IBC、総裁令嬢マリアベル・クロイス主導の下、クロスベル自治州/ミシュラムにリゾートホテルやテーマパークを建設。 S1202 《ZCF》、高速巡洋艦《アルセイユ》竣工。 ▼「空の軌跡FC」 S1202 帝国《遊撃士協会》支部の連続襲撃事件 :結社《身喰らう蛇》の執行者No. 0《道化師》カンパネルラが《ジェスター猟兵団》を使役して[cite:SC]、エレボニア帝国各地の《遊撃士協会》支部を連続襲撃させる。帝都支部は全壊。帝国軍情報局は《ジェスター猟兵団》兵站担当の犯行と推察。帝国協会支部よりリベール王国支部に高位遊撃士の応援要請。これを傍受した情報局は王国からの遊撃士に対する監視体制を布く。事件発生から2日でリベールのS級遊撃士]カシウス・ブライトが帝都に到着。帝国《遊撃士協会》臨時代表に着任。この時点ですでに6都市の支部が襲撃を受ける。カシウスの指示で、帝国内の遊撃士は辺境に集結し、(おそらくヴェンツェルを含む[cite:零の軌跡])6名の遊撃士が《ジェスター猟兵団》の帝国内補給拠点を急襲。一方、帝国軍情報局はマーク中のカシウスをロスト。その後、2ヶ月ほど状況は膠着。その間、カシウスは情報局と接触、参謀本部の承認を得て、帝国軍と《遊撃士協会》の共同作戦により、《ジェスター猟兵団》を壊滅に追い込んだ。[cite:3rd/星の扉13/《帝国遊撃士協会支部の襲撃事件に関する報告》] S1202 エステル・ブライト、ヨシュア・ブライト、リベール王国/ロレント支部所属の準遊撃士に。 S1202 リベール、ルーアン市長モーリス・ダルモア氏、公金横領・殺人教唆により逮捕。翌年、保釈。王都グランセルの旧別荘で《ダルモア商会》を開業。 S1202 リベール王国軍情報部司令アラン・リシャール大佐、クーデター未遂事件。 S1202 リベール、エステル・ブライト、ヨシュア・ブライト、正遊撃士に昇格。 S1202 リベール、 カシウス・ブライトが《遊撃士協会》を勇退し、准将待遇で王国軍に復役。 S1202 リベール、 ヨシュア・ブライト失踪。 ▼「空の軌跡SC」 S1202 リベール、ダルモア前市長逮捕を承けたルーアン市長選で観光推進派のノーマン氏が当選。 S1202 リベール王国アリシア女王の提案で、エルベ離宮にて、エレボニア帝国・カルバード共和国と「不戦条約」を締結。 [cite 零の軌跡/市立図書館(繋年根拠)] S1202? リベール・ボーズ地方に古代竜レグナード現る。モルガン将軍率いる王国軍の捕縛作戦が失敗するも、アガット・クロスナーら遊撃士によって、レグナードは《結社》のゴスペルβから開放される。 S1203 リベール《四輪の塔》に異変。各地に結社《身喰らう蛇》の強化猟兵・人形兵器(オーバーマペット)・軍用魔獣が現れる。 S1203 結社《身喰らう蛇》の《福音計画》 (ゴスペルけいかく)により、 ヴァレリア湖上に古代ゼムリア文明期の巨大な浮遊都市(《リベル・アーク》)が現れる。 《リベル・アーク》の出現と同時にリベール全土、及びエレボニア帝国南部のパルム市で導力停止現象が発生。[cite 零の軌跡/市立図書館(繋年根拠)] S1203 エレボニア帝国軍、ゼクス・ヴァンダール中将率いる蒸気戦車師団、ハーケン門の手前まで進軍。リベールのクローディア王太女の交渉、《遊撃士協会》のエステル・ブライトの仲裁もあって、戦車部隊はパルム市郊外まで一時撤退。 S1203 クローディア王太女と《遊撃士協会》の一行、王家の高速飛行艇《アルセイユ》で《リベル・アーク》に進入。一行は、《蛇の使徒》第三柱ゲオルグ・ワイスマンを破り、同時に 《リベル・アーク》は崩壊。導力停止現象も解消 した。 S1203 《剣帝》レオンハルト(レーヴェ)、《リベル・アーク》内でゲオルグ・ワイスマンに討たれ、逝去。 S1203 《七耀教会》《守護騎士》(ドミニオン)第五位《外法狩り》ケビン・グラハム、崩壊する《リベル・アーク》内で ゲオルグ・ワイスマンを禁断の呪具《塩の杭》で滅殺 する。 S1203 結社の《福音計画》の見届け人カンパネルラ(《執行者》No.0)、《リベル・アーク》の導力源でもあった《七の至宝》(セプトテリオン)のひとつ、《輝く環》(オーリ・オール)をワイスマンの(盟主によって授けられた「外の法」によって作られた)魔導杖と共に回収。盟主に献上。盟主、これをもって《オルフェウス最終計画》の下位計画《福音計画》の完了と《幻焔計画》の始動を宣言。 (# カンパネルラが《赤の方舟》《グロリアス》からアクセスした《星辰の間》は、あるいは大陸全土を結ぶ、衛星を利用した仮想通信システム?【零】で《十三工房》が《エプスタイン財団》の導力通信ネットワーク網とは別の《星辰》と呼ばれるネットワーク(衛星中継ネットワーク?)で繋がれていることが明らかにされている。衛星といえば、ティータのSクラフト《サテライトビーム》で使用されている攻撃衛星があるが、そちらはさらに詳細不明(こちらは深く考えてはいけないのかもしれない)。また、さりげなく結社の盟主がほのめかしていた「第一の盟約」は、カシウス・ブライトが「オレもさっぱり分からん」と言っていたレグナードのいう「古の盟約」のことか。) S1203 《殲滅天使》レン、《パテル=マテル》の修理のため、クロスベル自治州に向かう。その後、《ローゼンベルク工房》の人形職人マイスターヨルグ・ローゼンベルグ老人(《十三工房》を取り仕切る、結社の使徒ノバルティス博士とは折り合いが悪いらしい)の元に身を寄せる。(※SCで登場したハロルド、ソフィア・ヘイワーズ夫妻の人形は、ヨルグ老人の作品と思われる。ローゼンベルク人形のコレクターでもあるIBCの総裁令嬢マリアベル・クロイスによると、初期のローゼンベルク人形は、現行モデルより大きかったという。実際、《黒の競売会》(シュバルツ・オークション)にあったケースの中にキーアが収まっていたことからも等身大に近い人形を制作していたようだ。) ▼「空の軌跡 the 3rd」 (SC《リベル=アーク》崩壊から半年後) S1203 エリカ・ラッセル、ダン・ラッセル夫妻、リベールに帰国。 S1203 リベール・《ZCF》のラッセル家、結社のゴルディアス級人形兵器(《パテル=マテル》)に対抗すべく、《オーバルギア》プロジェクトを始動。 S1203春 エレボニア帝国《鉄血宰相》ギリアス・オズボーン、リベールの王都グランセルを非公式訪問後、クロスベル自治州のハルトマン議長と極秘会談。 S1203 リベールのアリシア女王の恩赦を受け、アラン・リシャール退役大佐、ルーアン市内の旧ノーマン邸を事務所として、《R&Aリサーチ》社を開業。 S1203 カルバード共和国の《東方人街》に、猟兵団《赤い星座》(「零の軌跡」「碧の軌跡」のランディ・オルランドの父《闘神》バルデル・オルランドを団長とする、大陸西部最強の猟兵団のひとつ)が進出。《R&Aリサーチ社》アラン・リシャール社長、カルバードに自ら調査へ。[cite:3rd/星の扉12] S1203 リベール《遊撃士協会》ツァイス支部の受付キリカ・ロウラン、カルバード共和国に帰国。新設された共和国大統領直属の情報機関《ロックスミス機関》の初代室長に就任。 S1203 ZCFのアルバート・ラッセル博士、《エプスタイン財団》の友人を訪ねるため、レマン自治州へ。 S1203 ZCFのエリカ・ラッセル博士、王国軍マクシミリアン・シード中佐と《リベル・アーク》残骸のサルベージを行い、アーティファクト《レクルスの方石》を発見・回収。 S1203 《七耀教会》・《守護騎士》ケビン・グラハム、エレボニアの新興武器商人ヘルマン・コンラート(コンラート社創業者、兼ラインフォルト社取締役)をエレボニア帝国・クロイツェン州上空を飛行中の新造大型飛行客船《ルシタニア号》内で逮捕、同時に保有していた禁制のアーティファクト《愚者のロケット》を回収。 S1203 《七耀教会》ケビン・グラハム、《星杯騎士団》アイン・セルナード総長の指示で、再びリベール王国入り。グランセル大聖堂の《始まりの地》に一時保管されていた《レクルスの方石》を回収。 S1203 《レクルスの方石》事件 。七耀教会ケビン・グラハムら大陸各地にいた16名が、《影の王》によって《方石》の仮想空間に取り込まれる。(《輝く環》が消えたことで主を失った《方石》の仮想空間が、ケビンの聖痕(スティグマ)を新たな主として取り込んだというのが真相らしい。) S1203 ケビン・グラハム、《守護騎士》の渾名を《外法狩り》から《千の護手》(故ルフィナ・アルジェントの通り名《千の腕》に因む)に改名。 ▼「零の軌跡」 (the 3rd の「三ヶ月」後[cite 零の軌跡/第一章/エステル談]) S1203 クロスベルタイムズ誌を発行しているクロスベル通信社(CNS)、社屋を中央広場の雑居ビルから、港湾区の新社屋に移転。[cite 零の軌跡/第一章/二日目] S1203 クロスベル市の《ゲンテン工房》、経営者がギヨーム(実は《エプスタイン財団》出身で材料工学の専門技師)からフェルナンドに代わり、オーバルストア《ゲンテン》として改装。ギヨームの《ギヨーム工房》は旧市街に移転。[cite 零の軌跡/序章] S1204? 大陸西部最強の猟兵団、《赤い星座》の団長《闘神》バルデル・オルランドと、《西風の旅団》の団長《猟兵王》が死闘の上、両者、相討ち。これにより、《西風の旅団》は活動休止。《赤い星座》は副団長の《赤い戦鬼》シグムント・オルランドが、副団長のまま、団の活動を引き継いだ。 S1204? クロスベル警備隊・ベルガード門所属ランディ・オルランド、ライフルによる射撃訓練を拒絶。ミレイユ曹長(当時)の嘆願も虚しく、当時の警備隊司令(名前未詳)から除隊させられる。タングラム門の副司令ソーニャ・ベルツ二佐が、昔馴染の縁で警察本部のセルゲイ・ロウにランディを紹介。 S1204 クロスベル警察、《特務支援課》を新設。セルゲイ・ロウ課長の下、ロイド・バニングス、エリィ・マクダエル、ティオ・プラトー、ランディ・オルランドの新人4名が配属される。 S1204 クロスベル自治州政府、クロスベル市都市計画の第五期プランを発表。(関連:《碧の零の計画》) S1204 エステル・ブライト、ヨシュア・ブライト、《遊撃士協会》クロスベル支部に転属。クロスベルでの居所は、東通りのアカシア荘202号室。 合計: - 今日: - 昨日: -
https://w.atwiki.jp/soscomp/pages/123.html
Unix系OSの歴史を学ぶとどんないいことがあるか 基本的に,「日本の歴史を学ぶとどんないいことがあるのか」という問いと同じである 今のIT業界全体がどうしてこんな状態になっているのかわかる手がかりになる Unix系OSを選んで使う上でのヒントになる Unixをお手本に設計されたシステムは星の数ほどあるので, それらを学ぶ上で手がかりになる Unixの歴史 = インターネットの歴史なので, インターネットを学ぶ上で手がかりになる Unix系OSの歴史を学ぶには Wikipediaかいつまんで要点だけまとめてあるので全体を把握しやすい Unix初心者や人間初心者には何が書いてあるかさっぱりわからないかも 所詮Wikipedia. 全ての事実を網羅しているわけでもないし, 主観が入らないという保障も無い一般的にUnixを語る上で主観を完全に取り払うのは難しいんだけどね 絵や写真が少ない. Unixの歴史はワークステーションの歴史でもあります. それらの写真が無いなんて寂しいじゃないか! 書物Unixの歴史について書かれている書物はたくさんあります 暇なときに図書館をぶらぶらしてみるのもいいかも 個人のサイト探してみると結構あると思います. ページのタイムスタンプ自体が"199x/xx/xx"だったりして, より一層歴史を感じられます. それ系の授業を取る何かあったっけ? 先生方に聞く大学教授 = Unix信者と言っても差し支えない学部学科が全国津々浦々結構あるんでね? 話し好きの先生がいたらUnixについて語らせてみましょう 知能学科 小笠原准教授知能学科内でも有名なBSDer ただし"BSD"がわかる学生が皆無に近いので「あの人BSDerだよね. アクマだよね」とか言っても反応してくれる人いないと思うよ 部屋のマシンは全部BSD. 愛機のThinkPad X60もBSD 「何かあったときのため」Windowsマシンも1台だけ用意しているらしい twmやw3mを常用してるこの人にとって「何か」って一体何なんだろう 気になった人はゼミへGo 知能学科 三宅芳雄教授2時間くらい空き時間を確保できたら話を聞きに行ってみましょう Unix系OSの歴史超コンピ研的まとめ Unixの誕生 だれかかけ 名前 コメント このページへのアクセス数 total - today - yesterday - このページのタグ一覧