約 391,326 件
https://w.atwiki.jp/yokohamashodai/pages/4.html
歴史・戦績 このページでは商大の歴史や戦績についてWikiしてください。
https://w.atwiki.jp/kyuutei/pages/10.html
色々な意味で狭すぎる ⇒版権ものイラスト ⇒食べ物イラスト ⇒オリジナルイラスト 2011年 ろーちゃん(2011春) 劉邦の長女魯元公主 高祖ファミリー唯一の良心だと思う おそらく呂雉さんを叱れるのはこの子だけ 伊東七蔵(2011春) pixivの戦国大戦カードイラストコンテスト用に描いた物 どうせ選外なので結果出る前にアップ ガチ豪傑のくせにネタ体質という稀有なお方(詳細はぐぐるべし) -上へ 2010年 於夫羅(2010春) 三国志(後漢?)の南匈奴の単于 実は夢でこのオッサンに掘られそうになった ソッチの気は無いのに・・・ 官に就くなら執金吾、嫁を娶らば陰麗華(2010春) 世祖光武帝こと劉秀とその后の陰麗華 某新聞で連載されてるのでその記念の意味をこめて 狙ったわけでもないのに尻が見えてしまったのは他意はございませぬ -上へ 2009年 死臣(2009冬) 三国志の龐徳 樊城での戦いのイメージで描いたもの 初めて三国志に出会ってからずっと大好きな武将 神箭手(2009秋) 春秋時代の楚の弓の名手として知られる養由基 鄢陵の戦いのイメージで描いてみた 背景が気に入らなくて2回描き直したら腰もっていかれた・・・ 曹純(2009春) pixivの企画で描いたもの メジャーな武将は放っておいても上手い人が描いてくれるので描かない方向で 曹純はただのモブキャラ、そう考えてた時期が俺にもありました 丑引き許仲康(2009春) 年賀状用に描こうと思ってて見事に半月投げっぱなしでした 本年も宜しくお願いします -上へ 2008年 けーね先生の管鮑の交わりとはなんぞ??(2008冬) サイズ増し増しだったが大きすぎるのでコッチのは縮小orz なんかずっと永夜面子で解説が続きそうな予感・・・ けーね先生の春秋五覇とはなんぞ?(2008冬) 余りにも御勉強的なネタ過ぎてウケなかった第3段 ぶっちゃけ管鮑の交わりの前振りでしかないので気にしない けーね先生の胡服騎射とはなんぞ?(2008冬) 第2段として胡服騎射 ピクシブに載せたらこんな落書きなのに他の歴史パロの点数あっさり抜かれて軽く凹んだ 絵で説明する戈(2008冬) ピクシブで戈についての薀蓄垂れたらなんかわかりにくかったようだった なので東方キャラ使って説明用に描いたらなんかウケた 今後布教活動のためにシリ-ズ化決定 ずっと烽火のターン(2008秋) 周の幽王と褒姒 ただ一人真実の烽火に駆けつけた鄭桓公は素敵過ぎる 褒姒は後でリアル頭身で描くかも 遂に豎子の名を成せり(2008秋) 馬陵の戦いにて孫臏の策の前に敗れた龐涓 悪役的な描き方されがちだが個人的には嫌いになれない 某番組の放送にあわせて描いてみたものの色々と雑になってしまったorz 非攻兼愛は勇気のしるし(2008秋) 不眠不休で守城の準備をする墨子こと墨翟 背中には使いそうなものをテキトーに背負わせてみた(壷は備穴用) 24時間戦えますか? 一心不乱の大坑殺(2008秋) 『ずっと白起のターン』にやっつけで色を塗ったもの 色を塗っただけでそれなりの見栄えになる不思議 上将軍と軍師さま(2008秋) 戦国時代中期の名コンビの孫臏と田忌 パロディにするにあたって孫先生にはちょっと壊れてもらった 田忌はツンデレ 陥陣営(2008秋) 呂布の部将で陥陣営とあだ名された高順 ちょっと違った描き方でやってみたかったのでこんな感じになった いくらなんでも画面が暗くなりすぎたかもしれない 在りし日の二人(2008秋) 劉邦とその嫁の呂雉 個人的には呂雉はツンデレのイメージで(晩年はヤンデレ) 一応台詞とか無いバージョンがこっち つーか、随分久々に描いたな この二人 大樹の陰(2008夏) 大樹将軍こと馮異のイラスト おおはら加入の機会になにか中国史っぽいのをと考えたら浮かんだ人物 ギャグ分無しだけどわかり易くこっちに入れておいた へんきょーのアイドル(2008夏) 勿論千早が重耳で社長が曹公 後ろにいるのはテンケツ(アドン)と魏シュウ(サムソン) 歴史パロ・・・? Mrチャイナ(2008夏) 前回の歴史パロよりさらに歴史分が低下 右が王センで左が秦王政 おキヌちゃんは多分李斯 意外と重い(2008夏) TOP絵用に描いたイラスト 言うまでもなく右が荘王で左が王孫満 んで、実際に量らせてみた めぐりあい臨シ(2008夏) 真面目に書いたら負けだと思ったらこんな有様に 会話の内容以外に歴史分ゼロ 言うまでもなくドレンは鮑叔牙 即墨狂四郎(2008夏) やはりおおはらに乗せられて描いたネタ もっともこのネタは以前から考えてたものではあったが 多分、田単はこんな人間じゃない(そして狂四郎の喋りも違うと思う) 昼下がりの未亡人(2008夏) おおはらに乗せられて描いた中国史ネタ 内容的にはかなりアレな歴史パロなので自己責任で見てください(R-18ではないはず) こんなのが始皇帝の母親と愛人なんだから困る ずっと白起のターン(2008夏) 久々に描いた中国史ネタ 甲冑のデザインは春秋戦国っぽく嘘甲冑にしてみた とはいえ落書きなんだけどもね・・・ エン陵の親子(2008春) 非常にわかりづらいネタ 興味がある人は宮城谷昌光先生の「子産」を読むと幸せになれるかも -上へ
https://w.atwiki.jp/shobominecraft/pages/57.html
Welcome to Underground… しょぼすけのインターネットタトゥー深淵動画集。ライトリスナーは静かにブラウザバックボタンを押そう。 深淵度 ☆(まだまだ可愛い方) ShoboSukeびっくりしすぎてガラス割る しょぼすけのホラー苦手たる由縁。一番有名な黒歴史エピソード。 Shobosuke パソコン炎上してびっくりする これも有名なエピソード。学生時代はろくでもないエピソードに事欠かなかったようだ。 しょぼすけ、椅子から転げ落ちる 伸びをしただけで椅子から転げ落ちる男。 深淵度 ☆☆(本格的にしょぼすけがわからなくなってくる) Nightmare house2 シリーズ 動画というよりは、シリーズを通してのサムネイルに注目してほしい。素材作成が面倒くさかったのか、サムネイルが全て同じ自分の顔面素材だけで構成されている。これもある意味ではサムネ芸か。 【超実践的実写動画】トライアルズ ライジング ターボバイク 乗ってみた【爆音】 案件動画を深淵扱いするのも正直どうかと思うのだが、初見はさっぱり訳がわからないので仕方がないのではないだろうか。 Twitch録画では、このあとちゃんとゲームする。 【(ガラス)われ松さん】 2期OP 全力われた!んきゅー 有志によるしょぼすけ深淵MAD この時期のMADはかなり本格的だが、相手はれっきとしたしょぼすけアンチ。 しょぼすけはTeamSpeak3のサーバーを1000年BANされている。 深淵度 ☆☆☆(一度犯した罪は消えない) おジャ魔女どれみ ~ハブられVer~ やなコメントはぜーんぶNGに入れちゃえ♪ これを見ると、多分世の中の出来事の8割どうでもよくなる。 今ではちゃんと(?)仲直りしている。よかったね。 深淵度 ★★★★★(我々は何を見せられているのだろうか) 理解をしてはいけない何か。 【ウ”ィ”エ”】酔って気が狂った状態の『FALL GUYS』 しょぼすけに酒を飲ませて配信させるとこうなることがわかる録画。 後半にいくにしたがって徐々に気が狂っていく様はまともな神経では見届けられない。
https://w.atwiki.jp/swordworld2a/pages/72.html
リアクレイス大陸の歴史です。 神紀文明時代 魔法文明時代 魔動機文明時代魔神襲来と英雄の神ライザー 大断絶 現代第一次蛮族戦争 初代蛮族王「語られざる者」ボルダン 二代目蛮族王「蛮族英雄」ザナドゥ 魔剣サーディアスの災い 100年の睨み合い 第二次蛮族戦争 戦後処理 冒険者の時代 神紀文明時代 神紀文明シュネルアの時代、リアクレイス大陸がどのような状態であったのかはほとんど分かっていません。 わずかに遺跡が発見されることがあるので、無人の大陸ではなかったのだろうと推測されています。 この大陸を出身とする神や有名な魔剣の存在が確認されておらず、 未知なる時代であると同時に、研究対象として大きな魅力が感じられていない時代でもあります。 魔法文明時代 魔法文明デュランディルの時代、リアクレイス大陸はファルザラシア王国というひとつの国にまとまっていました。 この時代に冒険の神ネイア、魔術の神エルドリックら、大陸出身の神々が現れます。 「地元の神々」の登場のため、大陸に生きる人々の宗教観は大きく変化していきました。 詳しくは神のページを参照して下さい。 魔動機文明時代 魔動機文明アル・メナスの時代、リアクレイス大陸はリーフォンツヴァイ王国という国が治めていました。 首都リーフォンを中心とした12の地域に分かれ、首都以外の11地域はそれぞれ公爵領となり、大きな権力を持つ地方自治が確立していきました。 また、前時代の生き残りとも言える魔術師たちはフィレーンの町に集められ、 エルドリックが残したとされる大陸最大の魔剣の迷宮「メガタワー」の調査と攻略に従事することになりました。 彼らは操霊魔法のうち穢れに関わる技術を排除し、真語魔法の中に取り入れることで、魔法文明時代の魔法を「古代語魔法」として体系の一本化を行い、 同時に「魔動機術」からの技術的な独立を保ち続けました。 魔神襲来と英雄の神ライザー この王国の創成期に、いずこからか現れた魔神たちの軍団が大陸を襲い、公爵領のひとつが攻め滅ぼされるという事件が起こりました。 しかし、全滅したと思われていた公爵領の生存者のうち、勇士ライザーが“始まりの剣”を得て小神となり、 魔神たちを討ち滅ぼし、他地域への侵攻を押しとどめたのです。 ライザーの戦いぶりは、出来上がったばかりのリーフォンツヴァイ王国においておおいに歓迎されました。 魔法文明における冒険の神ネイアのように、魔動機文明でもやはり冒険の果てに神を得る事は可能なのだと。 そしてライザー信仰が王国全体の国教とされることまで検討されたものの、神の性格が武に偏りすぎていたため一般的な支持を得られず 結局多くの神々の中の一柱となるに留まっています。 また、魔法文明時代の魔剣の失敗作が「強大すぎる力によって多くの犠牲と災厄を振りまく邪剣」であるのに対して、 魔動機文明時代の魔剣の失敗作が「意味不明な設計思想、実現性の極端な低さ、毎回暴走する人工知能、なぜか必ず搭載される自爆装置」といった 使用者にまで迷惑なものが多く作られたのは、明らかにライザーの悪影響であろうと考えられています。 この、王国創成期における魔神襲来事件の後、リーフォンツヴァイ王国は平和に発展を続けました。 王位を巡る王位継承者たちの争いや、公爵領同士の紛争などは存在したものの、大陸全体が危機に陥る事態は起こらずに時が流れました。 大断絶 300年ほど前、突如として他の大陸との連絡が全く取れなくなりました。この事件は「大断絶」と呼ばれています。 この時リアクレイス大陸に何が起きたのか、他の大陸はどうなってしまったのか、いかなる手段をもってしても状況が掴めず、 「リアクレイス大陸だけが世界から切り離された」とも、「他の大陸全てが何らかの原因で消滅した」とも推測されましたが、 当時も今も事件の真相を知る術はありません。 この「大断絶」から、時代の区分を「現代」とする考え方が一般的です。 魔動機文明が滅亡してはいないことに注意して下さい。 また、エルフの中には大断絶の前から存命の人物がおり、彼らは他大陸と交流があった時代のことを覚えています。 現代 第一次蛮族戦争 リアクレイス大陸に住む人々たちが「この大陸だけが世界の全てになってしまった」と認識してから150年の月日が流れました。 そこに、突如として大陸の外から蛮族が侵攻してきたのです。 それはリーフォンツヴァイ王国の人々にとって青天の霹靂と言える事件でした。 長らく平和と孤立が続いていたリーフォンツヴァイ王国は、大陸の外側に対して、また蛮族に対して、ほとんど無防備の状態であったのです。 ここから、人族と蛮族の長く苦しい戦い──蛮族戦争が幕を開けました。 初代蛮族王「語られざる者」ボルダン この大陸に足を踏み入れた蛮族を率いていた最初の者は、名をボルダンと言います。その事跡についてはほとんど何も分かっていません。 なぜなら、蛮族の軍団を率いてリアクレイス大陸に現れた初代蛮族王は、上陸を果たすやいなや、主立った部下の反乱に遭って命を落としたのです。 人族にとって苦難の始まりであった蛮族戦争の始まりは、蛮族たちにとっても準備万端の奇襲ではなかったのです。 長命な蛮族は数百年の時を生きる者もおり、彼らは初代蛮族王ボルダンに付き従って大陸を侵略し、その人物について知っていたはずなのですが、 戦いの末に人族の捕虜となった蛮族たちは一様にボルダンについて口を閉ざします。 それも、「戦略上の理由で人族に機密を漏らさない」といった態度ではなく、明らかに「彼について言及したくない」というそぶりを見せるのです。 いかなる種族の蛮族に問い質しても、同族であるという事は認めようとはしません。 このため、ボルダンがドレイクであったのかダークトロールであったのかバジリスクであったかさえも、人族はいまだ把握していないのです。 しかし、蛮族戦争の大きな焦点は、このボルダンの消息そのものではありません。 戦士たちにとっても歴史家にとっても重要な存在とは見なされず、そのために「語られざる者」と称されています。 二代目蛮族王「蛮族英雄」ザナドゥ 初代蛮族王の死とともに始まった蛮族たちの侵略を率いたのは、その後の蛮族内部の混乱をまとめ上げたザナドゥというドレイクでした。(*1) 来襲した蛮族軍が突然仲間割れで指導者を失ったことでリーフォンツヴァイ王国の各地方領主たちは緊張感を欠き、 最後まで有効的な手立てを取ることなく各個撃破されていきました。 この最初の襲撃の際に、リーフォンツヴァイ王国が総力を挙げて軍事行為ができていれば蛮族軍を水際で防ぐことは可能だったと考えられています。(*2) しかし、ザナドゥにとってもこの戦いは苦難の連続でした。 もはや帰る場所が無いという状況、開戦当初からの内部の混乱、 そして信仰していたダルクレムら第二の剣の神々がもたらす奇跡の力がこの大陸では完全に封印されていたことで、 蛮族軍の士気は絶望的なまでに阻喪していたのです。 この苦難を救うきっかけとなったのは、この大陸に残されていた、冒険の神が与えた様々な試練と魔剣──ネイアが制作した魔剣の数々であったのです。 ザナドゥは、平和が続いたリーフォンツヴァイ王国では観光資源のように扱われていた魔剣の迷宮に挑み、いまだ人族が手にしていなかった様々な魔剣を手にしていきました。 その際に、彼ら冒険心ある蛮族たちにもまた「超英雄」の加護が与えられていることを知り、 蛮族の中からも第二の剣の神々への信仰を捨て、この大陸に生まれた神々に帰依する者が多く現れました。 しかし、それは戦火をさらに拡大させる事にしか繋がりませんでした。 同じ神を信仰するもの同士の戦いは、この戦いを「第一の剣の神々が生み出した勢力と、第二の剣の神々が生み出した勢力による、神々の代理戦争」から 神々の戦いとは何の関係も無い、純粋な異種族間絶滅戦争に変貌させたのです。 ザナドゥは12地域に分かれていたリーフォンツヴァイ王国の領土のうち、首都リーフォンを含むほとんどの地域を制圧し、 人族に残されていた地域は大陸北方の3区域のみにまで追い詰められました。(*3) 最も頑強な抵抗を見せたガルド公爵領の陥落により、人族の最終防衛ラインが突破されたかと思われました。 ここで、蛮族の英雄ザナドゥは配下によって暗殺されるのです。 魔剣サーディアスの災い 人族で最大の抵抗を行ったガルド公爵が有していた魔剣サーディアスは、周囲の蛮族全ての力を強制的に押さえ込むという力を持っていました。 この魔剣がある限り、戦局は押されてはいるものの、人族に決定的な敗北はありえない──そう信じられていたサーディアスを持つガルド公爵が討たれ、 魔剣が蛮族の手に渡ってしまった瞬間に、蛮族戦争の決着は付いたと誰もが確信しました。 それは、蛮族たちの間でも同様でした。 「ザナドゥがサーディアスを持っている限り、他の蛮族は誰も彼に立ち向かうことができなくなる」という事実。 現地の神々の祝福を受け、多くの蛮族からの信頼を勝ち得てきた英雄王──あとは大陸を完全に征服し、蛮族の統一政権を確立することが目前になっていたザナドゥは、 完全勝利に半ばまで手をかけながら部下の凶刃に斃れました。 そして持ち去られた魔剣サーディアスは「誰がこの剣を手にして、他の蛮族全てを屈服させるのか」という蛮族内乱の火種となり、 蛮族は滅亡寸前にまで追い込んだ人族を打ち棄て、蛮族軍同士で勢力を潰し合う愚行を犯していったのです。 「全ての蛮族に災いあれ」という目的で作られた魔剣サーディアスは、持ち主が敗れ、蛮族の手に渡ってなお、蛮族たちに災いを与え続けました。 この魔剣がこの世に存在するから蛮族が意志統一できない。そう気づいて魔剣を破壊ないし封印しようと志す蛮族も皆無ではありません。 しかし、そうした慧眼ある蛮族ですら、魔剣を実際に手に入れた時…… 他者の全てを自らの足下に屈服させることができるという誘惑に抗い得ず、もしくは魔剣を狙った部下に裏切られ、 いまだにサーディアスの破壊は実現できていないのです。 100年の睨み合い ガルド公爵が敗れたことでほとんどの戦力を喪失した人族は、絶滅寸前に敵将が暗殺され、敵軍が互いに内乱を始めるという奇跡的な事態で窮地を脱しました。 しかし、もはや人族の方から逆襲をかけるだけの力は残されていませんでした。 かつてのガルド公爵領は「ダーク・ガルド地方」と呼ばれるようになり、 平和だった土地が蛮族同士の内乱で見る影も無く荒れ果てていくのを見つめていることしかできませんでした。 人族は最後に残されたリルヴァン、アルテルの二国を中心に国力の増強を図りました。 さらに散発的な蛮族の攻撃もあり、リルヴァン南方のクロケット山脈が人族と蛮族の攻防の地として、長く戦いの舞台となりました。 しかし、現れる蛮族の勢力も、かつてザナドゥが率いていた大勢力とは程遠く、 蛮族同士の内乱に破れた敗残兵がさらに弱い勢力である人族を狙ってくる程度になっていたのです。 こうして、人族と蛮族の双方が決戦に踏み切るだけの戦力を喪失し、戦争は長い停滞期を迎えます。この時期を指して「100年の睨み合い」と呼びます。 第二次蛮族戦争 現在から10年前。蛮族戦争が始まってから140年の歳月を経て、ついに国力を回復させた人族の反撃が始まりました。 リルヴァンを中心とした、人族の領域に残された国々の連合軍が、 ガルド公爵の子孫であるロアース公爵を名目上の盟主に押し立て、故地奪還を旗印に立ち上がったのです。 (この第二次蛮族戦争はシナリオ開始から10年前の出来事です。 そのため、15歳~20歳くらいの年齢のキャラクターは幼少期に第二次蛮族戦争の戦果を伝え聞きながら育っており、 25歳以上のキャラクターであれば何らかの形で戦争に寄与していたり、実際に従軍している可能性があります) それに対する蛮族側は長年の内乱で反目し合い、互いに隙を窺うばかりで、ダーク・ガルドを支配する蛮族の城主ジャニアのもとに集う援軍どころか、 人族の勢力の隙を突いて後背を狙う者すら現れませんでした。 蛮族の領主たちには、もはや「蛮族」として団結して戦う意志は消え失せており、ただ他の領主の危機を嘲っているだけでした。 こうして、大陸の三分の二を占めているはずの蛮族軍はただの小勢力に成り下がり、 大陸の隅に追い詰められた人族が必死でかき集めただけの軍勢にすら届かない程度の兵力しか動員できなかったのです。 しかも数の劣勢が知れ渡ると、蛮族軍からは逃亡兵が続出し、野戦はほとんど行われないままダーク・ガルド城攻略戦に至ったのです。 攻城戦は一ヶ月に渡って続きました。 寄せ手の人族軍は夜営の拠点となる場所も無く、兵糧の輸送も苦しくなってきました。 長年に渡って蛮族の占領下にあったガルド公爵領は完全に荒れ果てており、現地で食料の調達ができるほどの物産を持っていなかったのです。 また、戦況が有利になるにつれて各国連合軍は自勢力の温存を図るようになり、開戦当初の士気も次第に衰えていきました。 しかし、籠城する蛮族軍の士気の阻喪はさらに酷い有様で、ジャニアの首級を手土産に降伏を図ろうとする者が後を絶たず、 疑心暗鬼に陥ったジャニアは側近を手当たり次第に殺して回り、最後の決戦が行われた時には 15名いたはずの蛮族軍の将軍たちがわずか2名しか戦場で確認されなかったという記録が残っています。 一月あまり続いたダーク・ガルド攻防戦の末、人族軍はついに城門を破壊、城内に突入して大激戦を繰り広げます。 敵勢力の掃討──それは城内に住まう蛮族全ての抹殺。血で血を洗う凄惨な殺戮劇の末、ジャニアをはじめとした全ての蛮族の掃滅を完遂した人族軍は、 100年以上に渡って得られなかった勝利の一歩をついに獲得したのです。 なお、この一ヶ月続いた攻城戦の間、他の蛮族領主たちはついに一歩も動くことはありませんでした。 戦後処理 戦勝の歓喜に沸く人族軍でしたが、戦いの中で重大な問題が起きていました。 城を落とし、蛮族は掃討したものの、物資の枯渇と輸送の困難のため、領地の統治や維持どころかダークガルド城を占領し続ける事すら不可能であること。 城内の乱戦の中で、連合軍結成の名目であったロアース公爵が戦死してしまっていたこと。(*4) ほとんどの国がロアース公爵を傀儡として自領の拡大を考えていた事は明らかですが、(*5) そのきっかけを失ったばかりか、どの国もガルド公爵領を自領に組み入れる大義名分を失うという形で牽制し合う構図が形成されてしまったこと。 そして、ガルド公爵領継承の証と考えられていた魔剣サーディアスが発見されなかったことです。 まず現実問題として、食料が残っているうちに人族の領域への撤兵が決定されました。 そしてダークガルド城を去る前に、徹底的な破壊と略奪が行われたのです。 連合軍が撤兵・解散した後、人族の各国は次の手を考える必要に迫られました。 「今のままの国力では、戦争に勝っても新領地を維持できない」という課題に対処すべく、 農業生産の拡大や人口増加政策など、地道で先の長い国家戦略の立て直しです。 それと同時に、いまや空白地と成り果ててしまったガルド公爵領に少しでも食い込むために、 リルヴァン、アルテル、ナルドールの三国がそれぞれ貴族たちを送り込み、「辺境伯」として人族の勢力圏の確保を図ったのです。 この三辺境伯領が、現在の対蛮族戦争の最前線となっています。 冒険者の時代 第二次蛮族戦争から10年の月日が流れ、人族各国は次第に勢力を回復させてきました。 蛮族各国はかつての戦いでは無傷であり、空白地となったガルド公爵領で小競り合いを繰り返しています。 そんな情勢下で、とある事件が起きました──人跡未踏の地と思われていた極北の高山、「天から降る滝」と称されるヘブンズフォール山脈の高地に 魔動機文明の存在を知らずに生活していたエルフの村が発見されたのです。 高度千メートルの高地に住み続けていたスカイレイクの村のエルフたちは、いまだに魔法文明の時代が続いていると思っており、 地上で起きていた蛮族戦争も全く知らずにいた様子でした。 その発見を人族にもたらしたのは、長きに渡る苦難と戦争の時代で忘れ去られていた存在、冒険者と呼ばれる者たちでした。 国軍が大規模な行動に出られない状態でも、ごくわずかな人数で、衆を越えた働きを見せてくれる英雄たち。 彼らの存在が、疲れ果てていた人族に突然の希望と認識されるようになったのです。 まだ、この大陸には、未発見の謎が残されている。彼らはそれを手にしてくれるかもしれない。 あるいは、冒険の神ネイアが創造し、蛮族の英雄ザナドゥが手にしたような強大無比な魔剣を。 あるいは、ネイアやライザーのように“始まりの剣”を手にして、新たなる神の座を。 あるいは、魔術の神エルドリックがこの地に残した最大の迷宮メガタワーの攻略を。 あるいは、この大陸から蛮族の軍勢を打ち払う切り札となるであろう、魔剣サーディアスの奪還を。 人々は苦しい暮らしと、遠い彼方の第三次蛮族戦争に思いを馳せながら…… 今、冒険者の時代を迎えることになったのです。
https://w.atwiki.jp/ssf4/pages/1215.html
スト4・スパ4ロケテの歴史 2008 2/15 AOU初出展 四天王、フォルテ、ルーファス、豪鬼不在 2/22~24 プラサカプコン吉祥寺店 2/29~3/2 秋葉原HEY 3/20~23 ハイテクランドセガアビオン IDカード販売 4/11~4/13 ハイテクランドセガアビオン 四天王、フォルテ、ルーファス使用可 5/23~5/25 秋葉原HEY・ハイテクランドセガアビオン 6/20~6/22 SILK HAT 京急川崎店 6/27~6/29 アドアーズ池袋東口店 7/4~7/6 ゲオパーク守山店 7/18 稼動開始 2010 第1回 7/23~7/25 秋葉原Hey 第2回 7/30~8/1 ハイテクランドセガアビオン 第3回 8/6~8/8 プラサカプコン 吉祥寺店 第4回 9/11~9/12 ハイテクランドセガアビオン ユン、ヤン追加 第5回 9/18~9/19 東京ゲームショウ2010 第6回 9/22~9/23 タイトーステーションBIGBOX高田馬場店・クラブセガ新宿西口 第7回 9/25~9/26 プレイシティキャロット巣鴨店
https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/436.html
伝説 中国に伝わる神話。盤古による天地開闢で世界は始まった。女媧が泥をこねてつくったものが人類のはじまりだと語られている。伏羲は、黄帝・神農などのように古代世界においてさまざまな文化をはじめてつくった存在として語られる。三皇五帝の時代を加えると、紀元前3000年頃にさかのぼることになる。 神話伝説時代(盤古・女媧・伏羲と三皇五帝)に続き、夏、殷、周の王朝が続き、秦に至る。 マルティニによる理論 1658年、マルティノ・マルティニ(1614年-1661年)が『中国古代史』を出版すると、大きな論争が巻き起こった。マルティニは中国に渡ったイタリア人のイエズス会士で、多くの中国情報をもたらした。 「ヨーロッパで初めて出版された、最も信頼に足る中国史」と評されたマルティニの『中国古代史』は、伏羲を最古の歴史的実在として認め、以下の三皇五帝・夏・殷・周などの諸王朝を事実として紹介した。そして堯の時代に起こった大きな洪水がノアの大洪水だったと定め、その年号を紀元前2349年と計算した。しかしこの考えでは大洪水以前に五人の王が存在したことになってしまう。 マルティニは、中国の伝説に紀元前3000年頃に別の大洪水が起こったという点に着目し、七十人訳聖書を採用しこの洪水をノアの大洪水に当てはめれば問題を回避できることを指摘した。しかし彼はここで考察を止めず、伏羲以前の中国の状況を想像した。君主が生まれるからには社会的人間集団が存在しなければならず、そこに至るには記録されない歴史が刻まれているはずである。そしてマルティニは、古代中国にはノアの大洪水以前に人間が居住していたという結論に至った。 イエズス会は布教において、現地の歴史や習慣を学び取りながら、時に妥協を交えた活動を行った。しかしマルティニの結論は普遍史の否定に繋がるもので、この点からもマルティニは中国文明の支持者となり、圧倒的な中国史の前に傾倒せざるを得なかったものと推測される。そしてこの態度はイエズス会派だけではなく、アウグスティノ派であるメンドーサやラーサの例を始めとして多くの宣教師が、ヨーロッパ諸氏族史のような空想的な部分を含まず、時に天文学的観測結果を伴いもする中国史の正しさを認めた。 ホルンの理論 中国史を巡る論争に対し、オランダのライデン大学歴史学教授のゲオルク・ホルンは、ひとつの解決策を1666年執筆の書『ノアの箱舟』で提案した。彼は、アイルランドの司教ジェームズ・アッシャーが纏めた年代学(アッシャーの年表)に基づいて大洪水を紀元前4004年とした。その上で、堯の時代の中国で起こった大洪水を同じ出来事を指す、すなわち創世記と古代中国史が同じ史実を伝えていると考えた。そして聖書の家父長たちと中国神話の王たちは同一人物を指していると解釈した。 聖書上の人物 中国史の人物 その根拠 アダム 伏羲 ともに土から生まれたとされている カイン 神農 ともに農業の祖とされる エノク 黄帝 ともに神によって不死とされた ノア 堯 ともに洪水の時に生きた ホルンの創世記と古代中国史同一論は多くの追随者を生んだ。 このように中国の古さの問題は、中国史に疑念が挟まれるのではなく、聖書側に解釈が加えられ対応が試みられるという点でアッシリアやエジプトのそれと異なる展開を見せた。さらにはヘブライ語版と七十人訳聖書の正当性を主張する根拠に中国史が用いられるなどの逆転現象さえ見られる中、普遍史にとって深刻な難問として突き刺さりつつ、解決を見ぬまま時代が過ぎることとなった。 ヴォルテールの聖書否定 ボルテールは『歴史哲学』の中で、中国については、世界最古の年代記が途切れずに続いている(52章)と述べ、地球全域を覆うような大災害は中国に及ばなかった(18章)と、普遍史批判となる論述を取る。 ヨハン・クリストフ・ガッテラー 1785年の著作『世界史』から、ガッテラーは大きな転換を図った。題から「普遍史」という単語を除いた通り、彼の世界史記述は普遍史からの脱却を果たした。歴史の初期について、『普遍史序説』と同様にアダムからモーセまでを取り上げているが、これを「セトを租とする大種族の一派、ノア家すなわちヘブライ人の伝説」として扱った。すなわち、大洪水は事実としても、それはあくまでインダス川上流で起こった局地的な事件でしかなく、他の地域には多くの人間や動物が生きていたと考えた。これに伴い、聖書中の事件が起こった年度も見直しを施した。そして時代区分も変更した。『普遍史序説』の4段階から、文化史の観点を基礎に6段階に改訂したが、この考察の中にはモーセやソクラテスの他に孔子やゾロアスターなども加え、聖書が対象とした世界と中国など記述されない世界とを同等に扱っている。 そして4冊目の『世界史試論』では、よもや普遍史的枠組みは創世紀元の使用とアダムからニムロドまでを記した部分 にしか見られない。しかもそれは、全861ページの大書の中でたった2ページが宛がわれたに止まり、それも「伝説的歴史」という扱いに過ぎない。同書の記載は、中国や日本、アラビアやインドなどアジア全域の歴史を含んだ、啓蒙主義的または社会史的評論が行われている。ガッテラー自身は敬虔なキリスト教徒であり、4冊目の著作でも少々残滓が見られるが、よもや普遍史を放棄せざるを得ないところまで来てしまっていたことを表す。彼は、キリスト教の内側から普遍史を自己否定する役目を担った人物となった。
https://w.atwiki.jp/rahab/pages/56.html
行く先々で癌認定される糞クラン ____ / \ /\ . / (ー) (ー)\ 悠久の歴史を感じざるをえない・・・ / ⌒(__人__)⌒ \ | |r┬-| | \ `ー'´ / ..-'''´ ノ `ヽ.. _..-'" / ''‐、 ..-‐′ / `ー、 ..-'" 丿 `ー..、 _..‐''´ ./ `ヽ、 '' 、、 / ゛‐..、 ゛ー 、、 ./ ^'' 、_ `''‐....、 / ___,,,,........---一‐‐''''''" ̄´ ゛''‐..,,_ / ___,,,,........---ー‐‐'''''' ̄"´ 歴史@NF 歴史@FEZ 歴史@DOL 歴史@HiS 歴史@Blitz1941 歴史@PaperMan 歴史@BlackShot 歴史@AION 歴史@ROHAN 歴史@童話王国 歴史@大東京24時 歴史@RH 歴史@Valkyrie Sky 歴史@World of Tanks
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/3077.html
いろいろブログ&サイト【日本を取り巻く古代史】 / いろいろブログ&サイト【日本の近現代史】 ーーー 日本 / 日本の古代史 / 日本文明 / 日本の権力構造 / 八咫烏 / 聖方位 / 大化の改新 / 切支丹迫害のウソ / 江戸時代 / 日本の近代 / 明治維新 / 大政奉還 / 二・二六事件 / 第二次世界大戦 / 大東亜戦争 / 太平洋戦争 / 戦後 / サンフランシスコ講和条約 / 安保闘争 / 近現代における日本人・日本軍による虐殺事件 / 昭和史 / 凛として愛 / 日本の歴史学会 / 日本人のルーツ ■ えいいちのはなしANNEX ■ レキシル 温故知新。故きを温ねて新しきを知る。 ■ 戦国武将列伝Ω 日本の歴史を動かした戦国武将伝 織田信長 豊臣秀吉 徳川家康など約1000記事、比較的マイナーな武将も詳しくご紹介 ● 歴史放浪 歴史と地域と物語のムービー ☆ 反日・自虐史観を排した歴史年表 ■ 真実の日本の歴史 鎖国と攘夷に揺れた幕末から明治維新後の国家建設の先駆けとなったのが、尊王志士であるとされ彼らは、明治維新の志士として今日の歴史で高く評価されています。 幕末の動乱期に、時に孝明天皇は、三条実美や伊藤博文た薩長の志士らによって殺害されています。そして、孝明天皇の第二子である睦仁は明治天皇ではありません。明治天皇は長州の田布施村出身の大室寅之助。 明治天皇のすり替えを覆い隠すために、日本の歴史は明治維新以降嘘と詭弁で書き換えられました。尊王思想とは、男系天皇の思想であり、武家社会は女系社会。大室寅之助が演じる明治天皇を神格化するためには、女系社会の日本の歴史を書き換えねばなりませんでした。 ■ あの戦争の原因〔Bokujinのホームページ〕 ■ 変水流体術 (※ 2012年11月で更新は止まっているが、日本の古代史への言及が多いのでリンク掲載。) ■ 縄文と古代文明を探求しよう! いったい、人類はどこで道を誤ったのか?人類は今、自らが築いてきた全文明の見直しを迫られている。 ■ tokugawaブログ 豊臣秀吉の朝鮮出兵、文禄・慶長の役の真相を求めて ■ 歴代天皇と帝国史地図 世界史上最長の御皇室と、その間の世界帝国の盛衰。その天皇さまの御世の世界帝国は、どうなっていたか。 ■ 鹿島曻 - Wikipedia ■ 別章【鹿島曻の「歴史捏造の歴史 司馬遷から江沢民まで」】 ■ いまの天皇家は「北朝」の子孫なのに、なぜ「南朝が正統」とされているのか? 義満の政治的決着とは? 「えいいちのはなしANNEX(2018-05-27 21 20 11)」より / 現在の天皇家は「北朝」の子孫です。 なのになぜ、「南朝が正統」とされているのか? 足利義満が「南朝を正統と認めます」という政治的決着で南北朝を合一したから、です。 そんな馬鹿な、南北朝は「北朝勝利」で終わったから、南朝の子孫は消えて、北朝の子孫が今の天皇に至るのではないのか? 実質的にはそうでも、形式的には、南北朝の分裂は「南朝正統」で決着したんです。 (※ 以下略、詳細はサイト記事で) 某フォロワーさんがDMで情報提供してくれました。ツイートで共有することの許可をいただいたのでシェアします。 pic.twitter.com/XDIlrOifvI — Erwin (@busyerwin) September 6, 2024 ※ blanklink プラグインエラー URLかページ名を入力してください。から👇 aishu@QRTrain 下記のような内容が、『日本史専門中国人博士、あるいは日本名帰化人博士』に 日本の公式見解として扱われるのですね近い将来。日本は何もかも自由にさせ過ぎて無策すぎます。 以前ある会社で中国人と働いたことがあり、天安門事件の話をすると、それは日本がでっち上げた嘘。北京駅は日本のODAにより、いい加減なこと言うな。南京虐殺は~嘘つくな3000万人が日本兵に殺された。なんてことに。オイラはその会社の下請けだったので黙ってたが、バブル期に日本へ来ていた中国… — 🎌千葉の次郎長(一心会) (@tibanojirotyou) September 6, 2024 以前ある会社で中国人と働いたことがあり、天安門事件の話をすると、それは日本がでっち上げた嘘。北京駅は日本のODAにより、いい加減なこと言うな。南京虐殺は~嘘つくな3000万人が日本兵に殺された。なんてことに。オイラはその会社の下請けだったので黙ってたが、バブル期に日本へ来ていた中国人とは別物。当時は中国人にこの話をすると、総じて理解を示した。しかし中国が経済発展した瞬間、日本を下に見出して言いたい放題。だんだん中国のことがわかった気がした。 ※ 引用ポストツリーから👇 いろは⛩🌾@iro8kiyomasa 現に日本の歴史を改竄するような動きもある中でこれはリアリティのある話だ。 弥助問題でも異様な流れを感じた。 家に帰ったら手を洗い、うがいをしましょう@tsuittarian@tsuittarian 旧帝大系の大学院にはかなり以前から中国人がゴロゴロいる これは現実だ 中国人に日本人が教えたことは 彼らの反日の為の基礎知識になり 将来的には 日本人を貶め苦しめる学問として 成り立つ事になるのだろう 岸田の宝は日本にとって最後の砦の 学問の世界を根本から壊している 豆煎餅@yukukawa3476 これは今に始まったことではありません。文系では院生すべて中国人留学生という研究科もありますよ。教員の妻も中国人だったりします。 中国人学者により、論文が書かれ、日本の教科書検定は学者の論文に基づくので、中国人の歴史観を日本人が学ぶことになります。 ヨロE@u_w_m11 戦後、日教組が仕込んだ 慰安婦、徴用工、南京大虐殺諸々 全部効果出て来てる 日本政府も謝辞とか言ってるし #世襲帰化議員 が長年かけ日本潰しに 来てる答えが「今」 袁徳礼@Yuan_TashiDelek 純粋に学術的な探求をするならばともかく、歴史はとかくそういう「利用」をされ易い分野でもあるので、なかなかな話だな。 これが先方の長期的な計画に基づくものならば既に相当先のプランまであるのだろうな。 犬の研究室3世@Amadeo_Tito_Cat 研究者が中国籍か日本国籍かに関わらず、現時点ですでに日本史学界なんてこんなもんですよ。 驚くには値しません。 30年後は、まあ… そうでしょうね。 このまま無策のままでは 【日本経済】 ■ 【ホリエモン】99%の日本人が騙されている日本史の嘘を全部暴露します。これを知ったら歴史の見方が180度変わりますよ。通貨の隠された真実についても話します。【中田敦彦のyoutube大 ホリエモンの雑学ch【堀江貴文 切り抜き】 ■ コンビニに「神道本」「古事記」が置いてある政治・社会的意味 「祖国創生(2018.03.12)」より / 時々行くコンビニにて、「神道」「古事記」に係わる本二冊を発見した。 このコンビニは、左翼支持者が多いと言われる地域で、1番繁盛している店である。 正直驚いている。が、この二冊について、名著だとか、絶対に素晴らしい本であると絶賛するつもりはない。 ただ、コンビニにこのような本が並び、若者たちが入門書として購入する、それはそれで素晴らしいことではないか? (※mono....中ほど略、詳細はサイト記事で) / 一方、年上世代である、団塊の世代は、神道はそもそも的に国家神道であり、古事記は歴史書でない、護憲で問題なし、とする左翼学者の説にまんまと乗せられた。 そのせいで、多くの成人以上の人たちは、神道、古事記について知らない。これは事実だ。 そして、学者さえもも皇室のことについてさえ知らない。絶滅状態の学問もある。 たとえば、皇位継承学の学者、なんと(理系出身の)中川八洋くらいしか見当たらない気がしている。 ここから引用開始 https //ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E5%85%AB%E6%B4%8B 中川 八洋(なかがわ やつひろ、1945年1月20日 - )は、日本の政治学者、保守主義者。筑波大学名誉教授。外交史・戦史を含む国際政治学、英米系政治哲学および憲法思想、“皇位継承学”など。 https //detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1290076867 現代日本における皇位継承学の碩学は誰だと思いますか? ftl66glqergさん2012/7/219 30 03 現代日本における皇位継承学の碩学は誰だと思いますか? 私は中川・新田両先生だと思います 共感した 0 dotukiyadaさん 2012/7/800 12 43 中川八洋氏と、新田均氏にございますね。主様がおっしゃるならば、否定は致しませんですが。 ただ、私個人としましては、当事者の一人であり、旧皇族であり、著名人でもある竹田恒泰氏も、捨てがたいものがあるとは思いますですが。 ここまで引用 文系学者たちは、GHQの策略どおり、伝統や歴史を否定し、今や劣化した存在として認識されるに至った。大半が劣化した文系学者であろうと見立てて構わない気がしている。 (※mono....中略) / さて、本稿お読みの皆様は、神社に行けば、神棚、神道本が販売される時代となったこと、竹田恒泰主宰の竹田研究会が各地で古事記の勉強会を続けていることはご存じのことと思う。 さらに、若者世代は、沖縄名護市の、年代別投票動向を参考にすると、団塊の世代と比較となるが、安倍自民党支持者が過半数以上であるそうだ。 団塊の世代の中で、生涯を共産主義者のまま終える方が相当数居られると思うが、そういう愚かな世代と比較すると今の若者層は、政治思想的に私の世代よりははるかに健全な世代だと思う。 ゆとり教育のせいで学生時代、大して学んでいないにしては上出来だと思う。 私もうかうかしては居られない。若者たちに追いつかれない様、勉強し直さなくてはならない。退職年齢が65歳まで延びて(何も学ばず)退職年齢が延びたというだけで喜んでいる人たちは、伝統や歴史を知らないことで、若者たちから馬鹿にされる時代が近づいている。 「伝統や歴史を詳しく知っている、若い介護スタッフたち」にとって、「伝統や歴史を否定する、年寄り」が「生涯愚かな人生を送る人」に見えるのは当然だろう。 失われた日本を取り戻す視点から、私は若者層に期待するし、冒頭で紹介した本が、コンビニにて販売される時代になったことなどを好ましい現象であると、大いに喜んでいるのである。 長らく続いた、GHQ洗脳状態から漸く解放され、歴史の転換点に生きている可能性大と言いたいのである! ■ 「源義経=ジンギスカン」説の誕生 「モンゴル帝国誕生異聞」より / モンゴルのラマ教寺院に残されたチンギス・ハーン像(※mono....これは写真と思われるが、この時代に写真があるわけがないので、どういう経緯の写真なのかを知りたいものだ。それとも画?なのか。) 明治11年(1878)、北海道の平取を旅したイサベラ・バードは、この地に義経神社があり、源義経が祀られていることを知ります。ここでは、アイヌに舟の作り方や農耕、弓術を教えたのが義経だとされているのです。 (※mono....中略) / 東北から北海道にかけて、様々な義経伝説が残っています。たいていは義経は素晴らしいという伝説なんですが、なかには非道な話もあります。 幕末から明治にかけて蝦夷地を探検し、「北海道」の名称を考えついたのが松浦武四郎。松浦は、日本人から収奪されているアイヌのインタビューを重ね、『近世蝦夷人物誌』を書き上げました。 そのなかに、沙流川流域の平賀(現・日高町)に住むハフラ酋長の証言が残されています。 「その昔、源義経公がこの地に来て、平取村の酋長の娘と懇意になった。義経公はこの家に伝わる兵法の秘伝書を盗もうとしたが、酋長は、娘が義経公の子供を出産した後でさえ、宝の場所を教えなかった。 義経公は酋長をだますため盲目のふりをしていた。あるとき、わが子を囲炉裏に落としたまま助けられずにいると、酋長は本当に目が見えないのだろうと思い、秘伝書を渡した。 義経公は、雲を起こし雨を降らすなどの秘術を身につけ、小舟で逃げた。そして、ついに満州という国へ逃げたそうだ」 我が子を火の中に落とすなど、やや義経の人間性を疑うような話です。 しかし、『義経記』にも、「鬼一法眼」の娘を利用して兵書を盗んだという伝説が書かれており、火の中に我が子を落とすエピソードは、幸若舞の『入鹿』(大化の改新をテーマにした舞)にもあります。 こうした日本的な伝説が、アイヌの始祖である「オキクルミ」の伝説と融合したと、金田一京助らは述べています。 さて、秘術を得た義経は、満州に行ってどうなったのか。実はそこからチンギス・ハーンとして、モンゴル帝国の初代皇帝になったというのです。 いったい、どうして義経はジンギスカンになったのか。その過程を追っかけます! (※mono....中略、詳細はブログ記事で) / 陸軍通訳だった小谷部は、旧満州や蒙古・シベリア方面まで徹底調査して回ります。 ある日、小谷部はモンゴルでラマ教の高僧に出会い、「『源義経汗』を発音してみよ」と頼みます。すると、高僧は日本風の「ゲン・ギ・ケイ・カン」ではなく、「チン・キ・セー・ハン」と発音したのです。まさに「チンギス・ハーン」と聞こえます。 それだけではありません。 小谷部が蒙古のラマ寺から手に入れた『成吉思汗伝』などに、チンギス・ハーンは「丁亥の年(1227年)7月」に66歳で死んだとありますが、これは日本の「安貞元年丁亥の年」と同じ干支なのです。実は、日本とモンゴルの干支は一緒で、これこそ、義経がモンゴルに日本の干支を導入した証拠だというのです。 / 小谷部は、探検家としてもっとも奇異に感じたことを、『成吉思汗ハ源義経也』にこう記しています。 《東部西比利亜(シベリア)、及び満洲等を旅行して、彼(かの)地に日本式の古き神社の在(あ)ること、及び笹竜胆(ささりんどう=源氏の家紋) の紋章を用い居ると、かつ満洲人に姓を源と名乗る者の多きを賭聞する》 この本には、ほかに ●ジンギスカンとなった「テムジン」は「ニロン」族の出身だが、これは「日本」族の「天神」のなまりである ●チンギス・ハーンは別名「クロー」と称したが、これは「九郎判官」である ●モンゴル帝国の「元」は「源」から来ている ●モンゴル文字に平仮名からヒントを得たとしか考えられない文字が存在する ●相撲、乗馬、緑茶、服など共通の文化が数多い などなど、多くの傍証が記されています。 (※mono....以下略) ■ 「聖徳太子」復活!次期指導要領・「厩戸王」は江戸後期の1文献のみで古代主要資料に皆無!反日工作 「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現(2017.3.22)」より (※mono....文中の写真および長文につき相当行を略、詳細はブログ記事で) / 「聖徳太子」復活へ!指導要領改訂案を修正・ 「厩戸王」表記で混乱 【厩戸皇子】なら『日本書紀』(720年)に記載されているが、【厩戸王】なんて江戸後期の1文献に見えるだけで、古代の主要な資料には一切記載なし! 1000年以上前から【聖徳太子】が一般的な名称となっている! / 文科省は『歴史学では「厩戸王」が一般的で、「聖徳太子」は没後の呼称』などと主張しているが、そんな事実はない! 聖徳太子については、『日本書紀』に「厩戸皇子」と記されたことはあっても、古代の主要な資料に「厩戸王」と記されたことはなかった! 「厩戸王」なんて、江戸時代後期の1つの文献に例外的に見られるだけで、それより前の資料には全く見られない! 「厩戸王」は、戦後になってから左翼学者によってゴリ押しされてきただけだ! / 天皇や皇室の権威低下を狙った工作は、「いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府」でお馴染みの鎌倉幕府の成立年においても行われている! 鎌倉幕府が成立した年については、1192年に源頼朝が天皇(大和朝廷)から征夷大将軍に任命されて始まったため、1192年が正しい。 / しかし、そもそも日本の中世及び近世における「幕府」とは、征夷大将軍を首長とする武家政権、征夷大将軍の武家政権の政庁、征夷大将軍の居館・居城を指す。 つまり、征夷大将軍の政権や政庁や居所のことを「幕府」と呼んだのだ。 したがって、征夷大将軍に任命されるまでは「幕府」とは呼ばないのだ! 源頼朝が征夷大将軍に任官したのは1192年なので、鎌倉幕府の成立年は1192年以外には有りえない。 / なお、江戸幕府(徳川幕府)も、1603年に徳川家康が征夷大将軍に任官した(天皇が徳川家康を征夷大将軍に任命した)1603年を創設年としている。 一方、織田信長や豊臣秀吉は、征夷大将軍にならなかったので、彼らの武家政権を幕府とは呼ばない。 結局、天皇による征夷大将軍の任命を蔑ろにしたい(軽んじたい)反天皇・反日・左翼学者どもや反日マスゴミが、鎌倉幕府の創設年について屁理屈をこねているだけなのだ。 / NHKなどは【当時「天皇」や「皇室」のことを「王」や「王家」と使われていた】と説明しているが、そんなことはない。 当時でも「王」や「王家」の使用は極めて稀であり、当時も普通は「天皇」や「皇室」「皇家」が使用されていた。 近年の研究では「天皇」号が成立したのは大宝律令で「天皇」号が法制化される直前の天武天皇ないしは持統天皇の時代(7世紀後半)とされている。 したがって、平清盛の時代(12世紀)より500年くらい前から「天皇」は使用されて定着していき、白川法皇や平清盛の時代に「天皇」が「王」と言われることは殆ど無かった。 放映で連呼された「王家」についても、白河法皇当時には「皇室」「皇家」という名称が普通にあり、わざわざ「王家」と呼ぶ必要性は全くない。 / これら多くの抗議がNHKに寄せられた結果、NHKも「王家」を不適切と認め、前年(平成23年)HPで「王家」を削除している。 それなのに、実際の放映では「王家」を連呼したのだから、結局NHKは故意に「天皇陛下」や「皇室」の権威を落とすための洗脳工作をしているとしか考えられない。 NHKには朝鮮人が多く蔓延っているため、悪意を以って「皇室」や「天皇」のことを「王家」や「王」と呼んでいるのだ。 韓国では今でも天皇陛下のことを「日王」などと呼んでいる。 朝鮮人にとっては、「王」は支那の皇帝からその地域を治めて良いと授かる地位であり、支那「皇帝」より遥かに下の地位となる。 / 「反日学者や反日マスコミの歴史偽造工作に騙されるな!」 ■ 凛として愛 / 2012/10/16 に公開 国難の危機にある現代の日本人必須の映画、今ひとりでも多くの方に、この学校教育やメディアでは教わらなかった『日本の真実の近代史』を、この映画を通じ、知って目覚めて欲しいと心から願っております。 明治開国から大東亜戦争まで日本が戦って来た『真実の歴史』を約70分でまとめてあります。 ◆明治27年の朝鮮半島をめぐる清国との戦い ◆ロシア、フランス、ドイツの三国干渉 ◆朝鮮半島、満州をめぐり大国ロシアとの戦い ◆満州事変、支那事変、ABCD包囲網 + 続き 日本が戦いを免れなかった真実、 資料に基づいて制作された映画、真実の歴史を知る事ができます。 ●制作の経緯 靖国神社創立百三十年記念事業の一環として本館改修と新館増築にともない遊就館で真実のドキュメンタリー映画を上映することになり其の映画制作を依頼されたのが泉水隆一監督でした。 監督が渾身の力を込め二年の歳月をかけて出来上がったのが「凛として愛」でした。 映画完成前から他国からの批判を気にした保守陣営の圧力などがありました。 上映はされたものの、この歴史の真実を伝える「凛として愛」をたったの二日で上映中止にしてしまったのです。 監督の無念さは計り知れません。 泉水隆一監督について 泉水隆一氏はアニメ『新造人間キャシャーン』や『うる星やつら』などの脚本スタッフとして制作に関わってきました。 「凛として愛」の監督・脚本・ナレーションを泉水隆一氏ご本人が行っています。 泉水監督は平成22年7月16日に逝去されました。 8年前の此の日、僅かに二日半で上映中止され絶望の淵にあった日でした。 泉水氏の告別式は式場の関係で26日に行われましたが、この日こそ、泉水監督が反日思想がはびこり、総理大臣も靖国神社に背を向ける日本の現状を憂いて、靖国神社に、渾身の思いを込めて書かれた、映画制作への珠玉の趣意書を出された日でした。 泉水監督は、国家のために尊い命を捧げられた数多の英霊に報いるには、「凜として愛」が日本全国に広まり、一人でも多くの日本人が先人がたに対して感謝と哀悼の思いを持つことだと生前、切々と話されていました。 故泉水隆一監督の崇高な思いを心に刻み、私たちは「凛として愛」が一人でも多くの国民の目にふれることを願って止みません。 泉水監督は、国家のために尊い命を捧げられた数多の英霊に報いるには、「凜として愛」が日本全国に広まり、一人でも多くの日本人が先人がたに対して感謝と哀悼の思いを持つことだと生前、切々と話されていました。 故泉水隆一監督の崇高な思いを心に刻み、私たちは「凛として愛」が一人でも多くの国民の目にふれることを願って止みません。 映画『凛として愛』普及拡散プロジェクト 「凜として愛」を収録したDVDは送料、手数料の1000円でお譲りしております。 お名前、ご住所、ご連絡先、枚数をご記入の上 kamon@24.am までお問い合わせください。 (※mono.--Youtubeコメントから抜粋) / ayu yamato1 か月前 平和、平穏な生活を維持するためには、戦争もあり得る、という議論が為されてこなかった。 戦争回避一辺倒と護国を誰が,如何に遂行して行くかを議論するべし。 平和、平和と唱える連中に限って、では、どうやって、国を護っていくかにつては、ダンマリを決め込む。 何と,卑怯な連中であろう。 ただただ、戦争は,駄目だ、悪い、自主憲法制定、九条遵守と,唱えっていれば、前線に立たなくて良いし、我が身は安全と願う輩が多数居るが、何とした事。所詮、国防は他人事。 GHQがもたらした、自虐史観を広め、醸成して来た、NHKを頭とする反日メヂアを許さまじ。 御英霊、ご先祖様に、今ある日本人は、総動員で敬意と感謝を表するのは,当然である。 / sanagihara miyuki7 か月前 感動して泣きました。 反対に戦わざる負えない状況下での戦争悲しすぎます。 またその状況下で最後まで戦った日本兵は立派だと思います。 戦争で亡くなった皆様のご冥福を改めてお祈りいたします。 / TAICHI34143 週間前 ユダヤのバカ動画 靖国キチガイ掘っ建て小屋 くそたれ小屋 / 011ppo1 年前 Byron Lord お決まりの妨害コメント。 / Byron Lord1 年前 そもそも大東亜戦争なんて負けて当然である。 日本は戦争に負けたのではなく、敗戦国となるよう戦争前から決まっていたのだ。 日本帝国軍の最高司令部の連中の多くは、欧米のユダヤ人の犬だった。 例えば連合艦隊司令長官だった山本五十六が、日本を敗戦させようしていたのは、 真珠湾攻撃からの戦術の「ありえなさ」を知れば、一目瞭然である。 / Byron Lord1 年前 もっとも恥ずべきは、広島と長崎に核爆弾が落とされるのを事前に知っていながら、 何の警告も出さずに見殺した、昭和天皇をはじめ日本帝国軍の最高司令部の連中である。 / Byron Lord1 年前 日本がもう一度、独立国家となるには、欧米のユダヤ人の手先である 田布施一味という朝鮮人による支配から脱しなくてはならないだろう。 / Byron Lord1 年前 そもそも日露戦争なんて、欧米のユダヤ人が莫大な戦費を融資してくれたから 勝てたに過ぎない。 / Byron Lord1 年前 そもそも明治維新というのは、欧米のユダヤ人が日本を乗っ取るために、長州藩の田布施にいた在日朝鮮人を利用して起こしたクーデターに過ぎない。明治維新から2013年までの現在、日本はこの「田布施一味」に乗っ取られている。 伊藤博文からはじまり、小泉元首相、安倍首相など、首相の多くが田布施出身の隠れ朝鮮人。 / MasyuTadashi1 年前 涙が溢れて仕方ありませんでした。戦後の自虐史観教育もさすがに劣化の波激しく、すべてはアメリカの謀略・理不尽・非道、、、が明らかになり、日本が悪かった?などというバカは少数になりました。 それでもまだ残る少数が厄介で、日教組を始め気違い左翼や朝鮮系役人や議員が政治の世界にまでウロついて反日活動をしています。中韓のイチャモンに媚びへつらう国会議員の不甲斐なさに、日本国民もようやく目覚め、選挙で政党を大敗、崩壊状態にさすことができることを確信し、ここ10年くらいの国民覚醒は驚嘆に値します。 靖国参拝問題も、こんな映画を見ると中韓に関係なく個人的には「行くな!行って欲しくない!」です。 こんな短い青春を、一命賭けて国の存亡に捧げた数百万の英霊に対して、他国のイチャモンにヘタレるような人間には参拝して欲しくないはずです。命を捨てた英霊の毅然さと、保身のためにウロつく政治家どもとどのように釣り合いましょう。場違い、ド勘違いの恥ずかしい政治家など参拝無用です。 国民の目覚めに政治家は追いついておらず差は広がる一方。大衆の叡智こそ日本の未来と確信します。素晴らしい動画をありがとうございました。 ■ 20年間に小伝馬町の牢屋に収監された囚人は一人も居なかった 「qazx(2014.12.21)」より / ーー以下「ねずブログ12/8」より抜粋編集qazx 古代支那における法家が主張し、秦の始皇帝が行った「倫理法による支配」と、近代法治国家の「法による支配」は、その内容がまったく異なります。 わかりやすく言えば、以下です。 法家的法治は、法に記されていなくても処罰できる 近代法治は、法に書いてあることでしか処罰できない ーー 刑法199条に「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」と書かれています。 だから殺人は処罰されます。 もしこの条文がなければ、いくら人を殺しても処罰されないのです。 それが近代法の考え方なのです。 ーー 近代法は、王の恣意で民が処罰されることから、民を守るというところを出発点にしています。 しかし、多くの人が望んでいる社会は、そもそも事件が起こらない社会です。 選挙で選ばれ統治者となった人物が、自己の利益だけを図るようになれば、結果としてそれは民衆を不幸にします。 いわゆる民主政治は、民意を施政者の持つ権力の原因とします。 しかし民意は、情報操作で作れるし、民の求めるものは多様です。 民意の何を採り上げるかによって、施政は変化します。 民主政治は、民意によって変化する、不安定なものなのです。 不安定の原因は、施政者が「権力」と「権威」の両方を持つからです。 ーー それゆえ、古代の日本人は「権力」と「権威」を分けたのです。 権威は万世一系の天皇に属し、天皇は、その権威によって権力者にその地位を与えた。 民衆は天皇の「おおみたから」です。 ですから権力者にとって、民衆は「自分に権力を与えてくれた人のもの」なのであって、「自分のもの」ではありません。 これによって日本は、民衆を私的に支配するという世界中であたりまえのように、いまでも行われている統治方法を、大きく超越することができたのです。 日本人の知恵はすごいと思います。 (※mono.--中略) / 加瀬英明先生は、ご講演でよく次のように話される。 江戸・享保年間(徳川将軍吉宗の時代)は20年続きます。 この間に小伝馬町の牢屋に収監された囚人は一人も居なかった。 犯罪を犯す者が誰もいなかった。 それはなぜだったのか。 厳しい法があったからでしょうか。 そればかりではないと思います。 「当時は民度が高かった」のかもしれません。 実は、それだけではなかったのです。 施政者の側が、犯罪を起こしそうな人に「目を付け」て、 「悪いことするんじゃないぞ」と教導してきたからなのです。 だから、犯罪を取り締まる人のことを「お目付け役」と言いました。 (※mono.--後略、詳細はブログ記事で) ■ 記紀とシラス国 「ねずさんの ひとりごと(2014.8.12)」より / 古事記は大和言葉を漢字で書き記したものとして知られていますが、いったい全文で何文字くらいあるのかというと、これが約5万5000字です。 古事記の編成は、おおまかに言ってしまえば上巻、中巻、下巻ですけれど、このうち中巻以降は神武天皇からはじまる古代の天皇のそれぞれの記録となっています。 そして、上巻だけが、神武天皇以前の、いわゆる神代のお話になっているわけです。 では、その上巻の文字数がどのくらいあるかというと、これが約1万9000文字です。 その上巻の編成は、以下のようになっています。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜 1 序文 2 神代七代 3 伊邪那岐命と伊邪那美命 4 天照大神と須佐之男命 5 大国主命と葦原中国の平定 6 邇邇芸命 7 海幸彦と山幸彦 〜〜〜〜〜〜〜〜〜 全部で7つの大項目があるわけですけれど、このなかで特筆すべきは、やはり大国主神話ではないかと思うのです。 というのは、大国主神話には、上巻1万9000字のうちの、およそ3分の1占める約7000文字が割かれているからです。 考えてみると、これはおかしな話です。 大国主は、出雲一国の神様だからです。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) ■ 世界最古の土器は、日本か中国か。 「変水流体術(2012.6.3)」より / 私は以下の中国から出土した土器の年代に関して、後述の三点において、その信憑性を疑わしく思っております。 (※ 中略) / その理由の一つは、中国は歴史を捏造しても恥じない国家だということです。 (国民党の工作員として『戦争とは何か』を書き、南京大虐殺をデッチ上げたティンパリーの事例を見るまでもなく、中国は欧米人を道具として使い、その虚偽に真実味を加えることぐらい朝飯まえですから) (※ 以下ブログ本文で。) .
https://w.atwiki.jp/sims2mio/pages/55.html
歴史学専攻 歴史学 学年 学期 料理 技術 魅力 身体 論理 創作 掃除 時間 1年生 前期 1 0 0 1 1 0 0 20-22 後期 1 1 0 1 1 1 1 15-17 2年生 前期 1 1 1 1 2 2 1 16-18 後期 1 2 2 1 3 2 1 12-14 3年生 前期 1 2 3 1 3 3 1 13-15 後期 1 3 3 1 4 3 1 15-18 4年生 前期 1 4 3 1 4 4 1 17-19 後期 1 4 4 1 5 4 1 13-15 キャリア 軍隊、政治、芸術、法律 願望 ○=家族願望 ×=名声願望、楽しさ願望 教授紹介 男性教授:老齢者・いて座・きれい好き0、社交8、活発5、遊び好き6、快活6 女性教授:成人・てんびん座・きれい好き2、社交5、活発9、遊び好き2、快活7 男性教授はきれい好きが0のためか、マイ・ミューズIIアートスタジオやピアレスパークでよく見かけます。極度のきれい好きでない限りは、比較的仲良くしやすいと思います。キャンパスライフとフリータイムを組み合わせた場合、みずがめ座の家族願望の学生は文学を専攻することが多いですが、あえて歴史学を専攻させて、男性教授と友達になっておけば成績面で有利になります(勿論自然及び美術と工芸の趣味を持たせて会員制区画に出入りできるようにしておく)。女性教授は趣味の区画では余り見かけない(マイ・ミューズIIアートスタジオやピアレスパークで会えることもある)のですが、実はうちのセーブデータでは結構学生の家に訪問したりします。仲良くしようと思えば、友達になれる可能性もあります。願望が影響したのかもしれませんが、ふたご座・家族願望で歴史学を専攻した卒業生ではなく、その友達のかに座・名声願望の卒業生が女性教授と親友になりました。 シムの専攻に戻る
https://w.atwiki.jp/philosopher/pages/16.html
ルネサンスの「世界」の発見とは何か ルネサンスの「人間」の発見とは何か ロックのいう「意識」を生み出した背景は何か 大衆の出現 進歩史観としての帝国主義 近代の次の時代は何か 文明の進歩に終わりがくるのかという問題意識 今日の歴史の状況とは ポストモダンの基本的要因とは何か ルネサンスの「世界」の発見とは何か それぞれの文化では、自分たちを中心とする地域を世界と捉え、その辺境では自分たちの持っている自然や論理とは異なるものがあり、その先にはカオスや砂漠、滝などの世界の終わりがあると考えられてきた。 ルネサンスにおいて発見された「世界」はどこにも同じ論理の自然があり、その世界のそれぞれの地域に多様な文化があるという認識であり、均一で一様な空間認識であった。 ルネサンスの「人間」の発見とは何か 自由で平等な個人、理性的主体のことを指す。この考えを明確にしたのがロックであり、ロックは人間というものの同一性をその人格の同一性に求めた。この人格の同一性を支えるのが意識である。 ロックのいう「意識」を生み出した背景は何か 時計の発明である。時計の発明によって機械によって規定される客観的時間という基準ができ、個人が経験している時間間隔は主観的で偏った物であると認識されるようになった。これが、孤立した主観としての「個人」であることの経験であり、これが「意識」を生み出した。 大衆の出現 「主観的意識としての個人」と「客観的なひとつの世界」という考え方が浸透し近代が完成し、現代のもとができた。そこに「大衆」が出現する。 進歩史観としての帝国主義 世界は一つであり、同一の論理でなりたっているならば、一つの哲学と科学の知識をもてば、世界中のどこまでも進んでいけるということになる。 近代の次の時代は何か ない。「時代」そのものが近代に属するので。近代とは異なったポストモダン状況に入っているかどうかという問題はある。 文明の進歩に終わりがくるのかという問題意識 ちょっとした制度の変革で理想社会が到来すると考えたサン-シモンやフーリエといった「空想的社会主義者」達、ヘーゲルの影響を受け、そこにある有神論や目的論を否定して唯物論的な歴史を論じ、理想社会の実現のための共産主義革命を予言したマルクス、すでに「歴史は終わっている」と論じたコジューヴ等の知識人がいた。 今日の歴史の状況とは 歴史が過剰に存在する。広大なデータとして残されているので、いつでもタイムマシンにのるかのようにして過去の出来事を参照できる。このことによって、何か出来事が起こりそうになると過去同様の出来事がおこっていないか参照できることになり、未来が「いまだ存在しないもの」から「いつかどこかで起こった出来事」(既視感)へと変わってしまっているいわば反歴史的な状況である。 ポストモダンの基本的要因とは何か 普遍的登記簿がいたるところに準備されるようになり、過去が常に参照されることによって現在の各瞬間がすでに起こった出来事と同じようにみなされる結果、新しい事が何も起こっていないと思われる状況になっていることが要因である。