約 53,420 件
https://w.atwiki.jp/homoles/pages/24.html
折口信夫 折口信夫
https://w.atwiki.jp/kagemiya/pages/336.html
【元ネタ】創作・史実 【CLASS】キャスター 【マスター】- 【真名】折口信夫 【性別】男性 【身長・体重】不明 【属性】混沌・中立 【ステータス】筋力:E 耐久:E 敏捷:E 魔力:D- 幸運:D 宝具:A 【クラス別スキル】 陣地作成:D 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。”結界”の形成が可能。 道具作成:D 魔術的な道具を作成する技能。キャスターは読んだ人間の精神へ影響を与える文章を作成可能。 【保有スキル】 病弱:C- 天性の打たれ弱さ、虚弱体質を示すスキル。キャスターは生前病弱であり、死因は胃癌だった。 しかしこの病弱は身体的な問題ではなく、幼少から異常に「死」という物に対して惹かれていた キャスターの精神性からくるものである。全ては、初恋の人が死んだ時からである。 キャスターが行動する際に幸運判定を行い、失敗すると行動を行えなくなる。 また、耐久のランク値を下げる。 詩歌:A 作成する詩歌の出来を示すスキル…ではない。 キャスターの作成する詩歌は神代の魔術が込められた日本最古の「ことば」、 その体系を解体し国文学として再解釈し、詩歌として利用している。 キャスターの作り出す詩詩はそれ自体がひとつの魔術であり、 読んだ人間に大きな精神的影響をもたらすものである。 生前の彼が詩歌の類まれなる名人であった理由のひとつだろう。 民俗学:A キャスターの民俗学者としての知見を示すスキル。 「折口派」という後世にも名が残る派閥を作り出すほどに、 キャスターの考え出す概念は新しく画期的であった。 相手の外見、宝具、スキル、喋り方等、情報が多ければ多いほど 判定にプラスし、成功すると相手の真名を看破する事ができる。 【宝具】 『死者の書(我が生涯、我が最愛なる、彼のために)』 ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:1 最大補足:1 「わたしがいなくなっても、この本は残る。」 キャスターが生涯をかけて執筆した名著。 中将姫伝説を基にし、死した大津皇子を神として再臨させるまでの過程を描いた物語。 あまりにも脈絡の無さと意味の分からなさから文壇では嫌煙されたり絶賛されたりしていたが、 その実は昔愛していた人の宗教思想を基に、大津皇子を生涯愛した男性に重ね、 神として昇華…つまりは供養したという物語である。 キャスターはこの宝具を展開する事で、自身の霊基を作中の人物である「中将姫」へと変化させる。 ただしこの宝具により現界した中将姫はスキル、ステータス共にランクダウンし、 その霊基にもキャスターの痕跡が残る。 具体的には中将姫の性格がキャスターに依った物となり、 宝具により神霊と化す故人が「藤無染」となる。 【解説】 実在した国文学者、民俗学者の折口信夫。 民俗学者の祖とも言われる柳田圀夫の弟子であり、釈迢空の名で詩人としても有名。 ホモセクシャルで女嫌い。生活の世話は弟子の男たちにやらせ、女性には冷たくしたという。 自身の母親と言われる人は本当の母親ではなく、父が叔母との間に作った子だとうすうすは気づき、 男色という性癖故に社会にも家庭にも居場所がない折口がのめりこんだのは、 既に死んだ人々の文化や風俗に他ならなかった。 著作「くちぶえ」は中学生男子二人が思い立ち、心中を行うが、15と16の頃の折口は二度も自殺を失敗している。 折口の詩歌や小説、特に「死者の書」の中で大津皇子に込められていた人物はかねてより養子であり、 愛人である、第二次世界大戦中に戦死した藤井春洋と思われていたが、 折口の学生時代の同棲相手である藤無染がその人であると近年では言われている。 無染は新仏教家であり、「仏耶同一論」…仏教とキリスト教の同一性を述べ、更に他の宗教との同一性を指摘し、 その根源は同一であると論じた人物である。 「死者の書」は元々古代エジプトにて死者の埋葬の際に一緒に埋葬され、 パピルスに書かれた死者が死後の楽園に入るまでの過程を描いたものであり、 折口の著作の「死者の書」では、仏教だけでなく、神道やキリスト教の意匠が込められている所から、 まさしく藤無染が提唱する「仏耶同一論」の基にかかれた作品であると判明した。 新しい論を提唱しながらも志半ばで亡くなった藤無染を悼み、文章という言葉の紡がれた糸でもって 物語の中で神々しい神へと再臨させる折口の「死者の書」は、作中の中将姫が紡ぐ曼荼羅そのものに他ならない。 【セリフ集】 ない。 現界と同時に「死者の書」を展開し、解除後は霊基が耐えられずに消失するからである。 【聖杯にかける願い】 自身と藤無染を復活させ、心中すること。
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/110.html
2009.4.25 No.40 折口信夫 歌の話(三) 一九〜二六 折口信夫 花の話 月末最終号:無料 p.232 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(154項目)p.673 花の話 (略)桜は暗示のためにおもんぜられた。一年の生産の前触れとしておもんぜられたのである。花が散ると、前兆が悪いものとして、桜の花でも早く散ってくれるのを迷惑とした。その心持ちが、だんだん変化していって、桜の花が散らないことを欲する努力になってゆくのである。桜の花の散るのが惜しまれたのはそのためである。(略) 平安朝の初めから著しくなってくるものに、花鎮めの祭りがある。鎮花祭は、近世の念仏踊り・念仏宗の源となり、田楽にも影響をおよぼしている。 鎮花祭の歌詞は今も残っているが、田歌であって、こういう語で終わっている。 やすらへ。花や。やすらへ。花や。 普通は「やすらひ花や」としている。「やすらへ」は「やすらふ」の命令法であって、グズグズすることである。グズグズして、ちょっと待っていてくれという意味である。だから、この鎮花祭を「やすらい祭り」というのである。(略) 私が、ツツジの花を竿の先につけて外に出す習慣のおこなわれている四月八日の、てんとうばな(天道花)の由来を書いた時に、柳田先生は、この時に女の山ごもりの習慣があって、この女たちが山から帰ってくる際に、ツツジの花を持ってくるが、これと関係があることを指摘された。 女の物忌みとして、田を植える五月処女(さうとめ)を選定する行事は、卯月のなかごろのある一日に「山ごもり」としておこなわれる。そうして、山からおりる時には、ツツジの花をかざしてくる。山ごもりは、処女が一日山にこもって、ある資格を得てくるのが本義である。 この山ごもりの帰りに、処女たちは、山のツツジを、頭にかざしてくる。これが田の神に奉仕する女だという徴である。そしてここからまた厳重な物忌みの生活がはじまるのである。このかざしの花は、家の神棚にそなえることもあり、田に立てることにもなった。これが一種の成り物の前兆になるのである。 40.rm (朗読:RealMedia 形式 444KB、3'35'') #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 週刊ミルクティー*第40号 ※ ダウンロードを開始します。 (728KB) 2009.4.18 No.39 折口信夫 歌の話(二) 一〇〜一八 定価:200円(税込) p.129 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(62項目)p.354 この頃の先輩に、名高い西行法師という人があります。御存じのとおり、世捨て人として一風変わった、静かな、さびしい歌を作ったといわれています。そしてこの人の歌が、『新古今集』の歌の風に、非常な影響をあたえたとも見られています。(略) 吉野山。櫻の枝に雪散りて、花おそげなる年にもあるかな (略)——吉野山よ。その吉野山の桜の木の枝に、見ていると、雪がちらちら降りかかっていて、これでは、花がいつ咲きそうにも思われない。今年は、花の咲くことの晩くおもわれる年よ、 (略)同じ『新古今集』に、藤原良経という人があって、摂政太政大臣にまでなった人ですが、よほどの歌よみでありました。 うちしめり、あやめぞかをる。ほとゝぎす鳴くやさつきの雨の夕ぐれ (略)——五月の雨の降っている夕ぐれのことです。どこからともなく、あやめの咲いた花のかおりがしてきます。それが、かおりがするというほどでなく、なんとなく感じられるという程度に匂ってくるのです。それを雨のために、匂いがやわらげられて、ほとんど、あるかないかのように、しんみりとしたふうに香ってくる…… 39.rm (朗読:RealMedia 形式 288KB、2'18'') #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 週刊ミルクティー*第39号 ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 (524KB) 2009.4.11 No.38 折口信夫 歌の話(一) 一〜九 定価:200円(税込) p.135 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(38項目)p.252 神武天皇が、大和の国のたかさじ野というところで、のちに皇后様になられた、いすけより媛というお方に、初めてお会いなされた時、お伴のおおくめの命が、天皇様の代理で、お媛さまのところへ歩み寄って、ものをいいに行くと、いすけより媛は、おおくめの命の目のさいてあるのに気がつかれて、歌をうたいかけられました。目をさくとは、眦(めじり)を、刺のようなもので割いて、墨を入れて、黥(いれずみ)をすることをいう、古い言葉であります。その文句は、昔の大学者たちも、わからないと申している、むつかしいもので、これから先、あなた方のうちから、説明してくださる人が、出てくるかもしれません。 あめつゝちとりましとゝ 何故(など) 黥ける 利目 ——お前の目は、なぜそんなに黥がしてあるのか。 という以上に、確かな説明のできた人がないのです。 これに対して、おおくめの命は答えました。 をとめに たゞにあはむと わが黥ける 利目 ——あなたのような美しい、若いお媛さまに会うために、私が黥をしておいた、この眦の黥です。 なんのために、黥することが、そうした目的にかなうのかわからないが、歌の意味はともかく、そうに違いありません。 38.rm (朗読:RealMedia 形式 280KB、2'14'') #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 週刊ミルクティー*第38号 ※ ダウンロードサイトへ ジャンプします。 (576KB) 底本 折口信夫 歌の話 底本:『歌・俳句・諺』日本児童文庫 復刻版、名著普及会 1982(昭和57)年10月20日発行 親本:『歌・俳句・諺』日本児童文庫、アルス 1930(昭和5)年1月10日発行 NDC 分類:K911 折口信夫 花の話 底本:「折口信夫全集 2」中央公論社 1995(平成7)年3月10日初版発行 NDC 分類:170 386 472 622 折口信夫 おりくち しのぶ 1887-1953(明治20.2.11-昭和28.9.3) 大阪府西成郡木津村(現在の大阪市浪速区)生まれ。民俗学、国文学、国学の研究者。釈迢空と号して詩歌もよくした。1913年12月、「三郷巷談」を柳田國男主催の『郷土研究』に発表し、以後、柳田の知遇を得る。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。 ◇参照:Wikipedia。 人物一覧 高浜虚子 たかはま きょし 1874-1959 愛媛県松山市生まれ。明治〜昭和期の俳人、小説家。ホトトギスの理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱。伊予尋常中学に入学、河東碧梧桐と同級になり、彼を介して正岡子規に兄事し俳句を教わる。 柳田国男 やなぎた くにお 1875-1962 民俗学者。兵庫県神東郡田原村生まれ。岩手県遠野や宮崎県椎葉への旅の後、郷土会をはじめ、雑誌「郷土研究」を創刊。 皇極天皇 こうぎょく てんのう 594-661 第35代天皇。重祚して第37代 斉明天皇となる。 高市黒人 たけちの くろひと ?-? 万葉歌人。持統・文武両朝の従駕の歌や旅の歌をのこす。格調の高い印象鮮明な自然詠は赤人の先駆をなす。 山部赤人 やまべの あかひと ?-? 奈良時代の歌人。三十六歌仙の一人。姓は宿禰。『古今和歌集』の仮名序において、柿本人麻呂とともに歌聖と呼ばれ称えられている。 柿本人麿 かきのもとの ひとまろ 660頃-720頃 飛鳥時代の歌人。三十六歌仙の一人。後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ、称えられている。また平安時代からは「人丸」と表記されることがおおい。 持統天皇 じとう てんのう 645-703 第41代天皇。女帝。天智天皇の娘。父の同母弟である大海人皇子(のちの天武天皇)の正妃。 スサノオの尊 『日本書紀』では素盞嗚尊、素戔嗚尊、『古事記』では建速須佐之男命、須佐乃袁尊などと表記する。『記』によれば、神産みにおいてイザナギが黄泉の国から戻って禊を行った際、鼻をすすいだ時に産まれたとする。『紀』ではイザナギとイザナミの間に産まれたとしている。 神武天皇 じんむ てんのう 日本の伝説的な初代天皇。実在の人物ではないとするのが一般的。 いすけより媛(ひめ) おおくめの命 みこと 大久米命。久米氏の祖といわれる伝説上の人物。神武朝の人といい、「古事記」によれば、神武東征の際、大伴氏の祖の道臣命とともに大和の宇陀の兄宇迦斯(えうかし)などを殺す。「紀」では畝傍山の西の川地を賜わったとあり、「記」と相違する。 ヤマトタケルの尊 みこと 景行天皇の皇子で、仲哀天皇の父とされる人物。日本神話では英雄として登場する。4世紀から 6、7世紀頃の複数の大和の英雄を具現化した架空の人物(津田左右吉説)という見方もある。 仁徳天皇 にんとく てんのう 応神天皇の第4皇子。実在の人物かどうかについては諸説ある。 吉備(きび)のくろ媛(ひめ) 醍醐天皇 だいご てんのう 885-930 平安時代の天皇。第60代。宇多天皇の第一皇子。父帝の訓示を受けて藤原時平・菅原道真を左右大臣とし、政務を任せる。その治世は34年の長きにわたり、摂関を置かず形式上の親政を行う。 紀貫之 きの つらゆき 866?-945 三十六歌仙の1人。紀友則は従兄弟にあたる。905年、醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集『古今和歌集』を紀友則、壬生忠岑、凡河内躬恒と共に編纂。著『土佐日記』。 在原業平 ありはらの/ありわらの なりひら 825-880 平安時代初期の貴族。従四位上・蔵人頭・右中将。歌人であり、六歌仙、三十六歌仙のひとり。また伊勢物語の主人公とみなされている。別称の在五中将は在原氏の五男で右近衛権中将であったことによる。 在原元方 ありはらの もとかた ?-? 平安時代の歌人。父は中古三十六歌仙の一人在原棟梁で、六歌仙・三十六歌仙の一人在原業平は祖父にあたる。元方は、平城天皇の孫である在原業平の孫(平城天皇の玄孫)にあたる。 正岡子規 まさおか しき 1867-1902 伊予国温泉郡藤原新町(現・愛媛県松山市)生まれ。俳句・短歌・新体詩・小説・評論・随筆など多方面に渡り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。享年34。 西行 さいぎょう 1118-1190 僧侶・歌人。 父左衛門尉佐藤康清、母源清経女。俗名佐藤義清。新古今集に九十四首(入撰数第一位)、二十一代集に計265首が入撰。家集に『山家集』『山家心中集』『聞書集』、その逸話や伝説を集めた説話集に『撰集抄』『西行物語』があり、『撰集抄』については作者に擬せられている。 後鳥羽上皇 ごとば じょうこう 1180-1239 平安末期から鎌倉初期の第82代天皇。高倉天皇の第四皇子、安徳天皇の異母弟。後白河法皇の孫。承久の乱を起こしたが、幕府の大軍に完敗。隠岐島に配流された。 前大納言忠良 さきの だいなごん ただよし 藤原良経 ふじはら よしつね 九条良経か。1169-1206 公卿。後京極 良経とも呼ばれる。父は九条兼実。母は藤原季行女。妻は源頼朝の姪である一条能保の娘。子に九条道家、順徳天皇の中宮九条立子。土御門天皇の摂政、従一位、太政大臣となるが、寝所で何者かによって殺害された。享年38。 蓮月 れんげつ → 太田垣蓮月 太田垣蓮月 おおたがき れんげつ 1791-1875 尼僧、歌人、陶芸家。京都の生まれ。津藩主藤堂家の分家藤堂の庶子。京都知恩院の寺侍大田垣光古の養女。和歌を千種有功・上田秋成に学ぶ。歌集『海人の刈藻』『蓮月歌集』。勤王の士との交遊もある。享年85。(『日本女性』) 伏見天皇 ふしみ てんのう 1265-1317 第92代天皇。後深草天皇の第二皇子。1287年、後宇多天皇の譲位により即位。これ以後、大覚寺統と持明院統が交代で天皇を出す時代がしばらく続くことになる。 永福門院 えいふくもんいん 1271-1342 西園寺 ?子(しょうし)。伏見天皇の中宮。西園寺実兼の長女。伏見院と共に京極為兼に和歌を学んだ。歌風はその根底に貴族性を保ちつつ、為兼から継承した写実的感覚をも備えて昇華させており、京極派最高の歌人の一人。 ◇参照:Wikipedia、『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)、『日本女性人名辞典』(日本図書センター、1993.6.) 公開:2009.4.13 更新:2009.4.28 目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - No.40 の朗読中、「田歌《たうた》であって」のところを「田楽《でんがく》であって」と誤って読んでいたので、40.rm を訂正・再アップします。 -- しだ (2009-05-06 10 40 33) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/11.html
折口信夫 三郷巷談 三郷巷談 折口信夫 一 もおずしやうじん 泉北郡百舌鳥(モズ)村大字百舌鳥では、色々よそ村と違つた風習を伝へてゐた。其が今では、だん/\平凡化して来た。此処にいふもおずしやうじんの如きは、殊に名高いものになつて居た。 此村には万代(モズ)八幡宮といふ、堺大阪あたりに聞えた宮がある。其氏子は、正月三个日は、たとひどんな事があつても、肉食をせないで、物忌(モノイ)みにこもつた様に、慎んでゐなければならぬので、堺あたり(堺市へ廿町)へ奉公に出てゐるものは、三个日は、必在処に帰つて、ひきこもつて精進をする。此村から出る奉公人は、目見えの際、きつと正月三个日藪入りの事を条件として、もち出す事になつてゐた。処が、村へ戻れぬ様な事でもあると、主家にゐて、精進を厳かに保つてゐる。労働者なんかで、遠方へ出稼ぎに行つてるものも、やはり、所謂其もおずしやうじんを実行したものだ。でなければ、冥罰によつて、かつたい(癩病)になる、といふ信仰を持つてゐたのである。 もおずしやうじんは、三个日は無論厳かに実行するのだが、其数日前から、既に、そろ/\始められるので、年内に煤掃(スソハ)きをすまして、餅を搗くと、すつかり精進に入る。来客があつても、もおずしやうじんのなかまうちである村の人は、なるべくは、座敷(オイヘ)にも上げまいとする。縁台を庭に持出して、其に客を居させて、大抵の応待は、其処ですましてしまふ。 三个日の間は、村人以外の者と、一つ火で煮炊きしたものを食はない。それから、此間は、男女のかたらひは絶対に禁ぜられてゐるので、もし犯す事もあつてはといふので、一家みな、一つ処にあつまつて寝る。そして、三日の夜に入つて、はじめて精進を落す事になつてゐる。家によると、よそ村から年賀に来る客の為に、酒肴を用意して置いて、家族は一切別室に引籠つてゐて、客に会はない。そして、客が勝手に、酒肴を喰べ酔うて帰るに任せてあつた、とも聞いてゐる。近年は徴兵制度の為に、軍隊に居る者が三个日の間に肉食をしても、別に異状のないことやら、どだい、だん/\不信者の増した為に、厳重には行はれない様になつたさうである。 此風習の起原は、両様に説明せられてゐる。一つは、此村はかつたいが非常に多かつたのを、八幡様が救つて下さつた。其時の誓によつて、正月三个日は精進潔斎をするのだといふ。今一つは、ある時、弘法大師が此村に来られた処が、村は非常に水が悪かつたので、水をよくして下さつた。其時村人は、水を清くして貰ふ代りに、正月三个日は精進潔斎をいたしますと誓つた。其時、証拠人として立たれたのが、万代八幡様であつたとも伝へて居る。 二 あはしま どこともに大同小異の話を伝へてゐるあはしま伝説を、とりたてゝ言ふほどの事もあるまいが、根源の淡島明神に近いだけに、紀州から大阪へかけて拡つてゐる形式を書く。 加太(紀州)の淡島明神は女体で、住吉の明神の奥様でおありなされた。処が、白血長血(シラチナガチ)(しらちながしなどゝもいふ)をわづらはれたので、住吉明神は穢れを嫌うて表門の扉を一枚はづして、淡島明神と神楽太鼓とを其に乗せて、前の海に流された。其扉の船が、加太に漂着したので、其女神を淡島明神と崇め奉つたのだ。其で、住吉の社では今におき、表門の扉の片方と神楽太鼓とがないと言ふ。此は淡島と蛭子とを一つにした様に思はれる。しかし或は、月読命と須佐之男命と形式に相通ずる所がある様に、淡島・蛭子が素質は一つである事を、暗示するものかも知れない。 処で、此処に、も一つおもしろい事がある。其は、住吉につゞく堺の朝日明神の社に就ても、同様形式を伝へてゐる事である。白血長血、扉の件は同じで、海に放たれたのを朝日明神様であるといふ。神楽太鼓の件は、此方の話にはあるかないか断言しかねる。七月三十日(昔は大祓の日)には、堺の宿院の御旅所へ住吉の神輿の渡御がある。其をり、神輿が堺の町に這入ると、本道の紀州海道は行かないで、わざ/\海岸を迂回して、御旅所に達する。此は、神明の社が紀州海道に面してゐる(宿院行宮も同様海道に面し、神明社の南十町ほどに在る)ので、神明様の怨まれるのを恐れて、避けられるのだと言ふ。此日、朝日明神の社では、住吉の神輿が新大和川を渡つて、堺の町に這入られるから、宿院に着かれるまで、太鼓をうちつゞけに打つ事になつてゐる。此は、神明様の嫉妬・怨恨の情を表象するものだと伝へる。 三 南(ナ)ぬけの御名号(ミミヤウガウ) 木津には、七軒の旧家があつた。願泉寺門徒が、石山本願寺の為に死に身になつて、織田勢と戦つた功に依つて、各顕如上人から苗字を授けられたと伝へ、雲雀のやうに、空まで舞ひ上つて、物見をしたので雲雀(ヒバル)、上人紀州落ちの手引きをして、海への降り口を教へた処から折口(ヲリクチ)、其節、莚帆を前にして、匿して遁げたのが莚帆(ミシロボ)だなどゝ云ふ話を聞かされてゐた。 其中の雲雀氏は、代々の通称が五郎左衛門で、其苗字の外に、六字の名号を布に書いたのを頂戴して、永く持ち伝へ、家に法事のある毎に、人に拝ませてゐたが、此御名号には唯「無阿弥陀仏」の五字だけしか無かつた。何代目かの五郎左衛門が、放蕩から此宝物を質屋の庫に預け、後に此を受出して見ると、南の一字が消えて了うてゐたので「南(ナ)ぬけの御名号(ミミヤウガウ)」と称して、恐しく神聖な物と考へられて居た。近年はどういふ折にも見せぬ様になつた。 四 算勘の名人 此は何処からどうして来た人とも、今以て判然せぬが、安政の大地震の時の事である。大阪では地震と共に、小さな海嘯(ツナミ)があつて、木津川口の泊り船は半里以上も、狭い水路を上手へ、難波村深里(フカリ)の加賀の屋敷前まで、押し流されて来た時の話である。木津の唯泉寺(ユヰセンジ)(大谷派)の本堂が曲つて、棟の上で一尺五寸も傾いた。其節誰かゞ十露盤(ソロバン)の名人と云ふ人を一人連れて来て、此を見せると、即坐に、此堂を真直ぐにしよう、と請合うた。さて、自分が堂の中で為事をしてゐる間は、一人も境内に居てはならぬ、と戒めて置いて、自分一人中に入り、門を鎖(シ)め、本堂の蔀(シトミ)までも下して、堂内に静坐し、十露盤を控へて、ぱち/\と数を詰(ツ)めて行つたさうだ。すると、段々、其が熟して来たと見えて、外から見てゐると、ぎい/\と音がして、棟も柱も真直ぐに起き直つた、と云ふ事である。現に、此を見て居つたといふ人が、何人か今も居る。 五 樽入れ・棒はな 木津では若(ワカ)い衆(シユ)の団体たる若中(ワカナカ)の上に、兄若(アニワカ)い衆(シユ)と云ふ者があつた。若中(ワカナカ)に居た時から人望があつた者が、若い衆の胆煎(キモイリ)をするので、其等の家が、年番に「宿」と称して、若い衆の集会所になつたものであつた。 此兄(アニ)若い衆は、すべて、若中を心の儘に左右し、随分威張つてゐた。祭りが近くなると、町々の「宿」の表には、四尺四方ぐらゐな四角の枠の中に、一本隔てを入れたのに、大きな御神燈を二張(ふたはり)括り附けて、軒に懸けてゐた。だいがくに出る揃への衣裳の浴衣地は、此処で分けてくれた事を覚えてゐる。此処は若中の策源地なので、余程こはもてのしたものであつた。 ばうたの哀訴も、此処へ提出せられる事が多かつた。町内の豪家に婚礼があると、此処に集る若い衆が、おめでたのある家の表へ空樽を積み込む。さうして、一挺幾らづゝかの勘定で、祝儀の金を乞ふ。其が憎まれてゐる家である時は、空樽の山を築き、驚くべき入費を掛けさせて、痛快とする。 若しまた、若中或は兄若い衆の怨を買うた節には大変で、更に、ばゞかけと称する野臭の漲つた挙に出る。其は、肥桶(コエタゴ)を宴席に担ぎ込んで、畳の上にぶちまけるので、其汚物の中には蛙・蟇などが数多く為込んであつて、其がぴよん/\跳ね廻つて、婚礼の席をめちや/\にする。十四五年前、木津から半里(ハンミチ)ばかり隔たつた津守新田(ツモリシンデン)の某家から、他村へ輿入れの夜、嫁御寮を始め一同、十三間堀(ジフサンゲンボリ)といふ川を下つて了うた処が、土橋の上に隠れてゐた津守の若い衆が、其船目掛けて、肥桶をぶちまけたので、急に、婚礼の日取りを換へた、と云ふ話もある。 若中の権威は、啻に婚礼の晩に発揮するばかりではなかつた。祭りの際には、兼ねて憎んでゐる家に、棒はなといふ事をする。此は、だいがくの舁(カ)き棒を其家の戸なり壁なりに撞き当てる方法で、何しろ恐しい重量を棒鼻に集中して打ち当てるのだから、堪(タマ)つたものではなかつたさうである。 六 執念の鬼灯(ホヽヅキ) 「五大力恋緘(ゴダイリキコヒノフウジメ)」に哀れな物語りを伝へた、曾根崎新地の菊野の殺された茶屋は、今年五十六になる私の母が、子供の頃までは残つて居たさうだ。芝居で見て知るよりも以前から、既に、私等は此話を聞いてゐた。其は曾祖母から口移しの話で、菊野が鬼灯を含んで鳴して居る処へ、源五兵衛(仮名)が来て、斬り殺したと云ふ事で、其執念が残つて、其茶屋の縁(エン)の下には、今でも鬼灯が生えるといふ物語りを、母が其まゝ、私等に聞かせた。子供の時分は、北の新地へさへ行けば、何時でも、菊野のかたみの鬼灯が見られるものと信じて居た。 七 六部殺し 熊野八鬼(ヤキ)山の順礼殺しのからくり唄に、云ひ知らぬ恐怖を唆(ソヽ)られた心には、この大阪以外には、こんな鬼の住み処も有ることか、と思うてゐたのに、其大阪もとつとのまん中、島の内にも有つたのだとは、此頃始めて、教へ子梶喜一君から聞き知つた。而も、其家の名まで明らかに知れてゐるのは、何だか田園都市の匂ひを感ぜずには居られぬ。 南区三丁目の沖田といふ家は、今はすべて死に絶えて、唯一人残つた老婆が、天王寺辺で寂しく御迎へを待つてゐるといふ。御一新騒ぎの当時、此家へ一夜の宿りを求めた六部があつた。処が、其翌日、彼が立つて行く影も形も見た者が無いのに、其姿は其儘消えて了うた。其後、何処から得た資本ともなく、たんまりとした金が這入つた模様で、色々の事に手を出し、とん/\拍子で指折りの金持ちになつたが、どうも不思議だ、といふ取沙汰(トリサタ)の最中に、主人が死に、息子が死にして、殆ど枝も幹も残らぬ様に、亡びて了うた。長堀から鰻谷(ウナギダニ)へかけて、沖田の六部殺しと言うて、因果の恐しさを目前に見た様に噂した事であつた。 八 日向の炭焼き 難波(ナンバ)の土橋(ドバシ)(今の叶橋(カナフバシ))の西詰に、ヽヽといふ畳屋があつた。此家は古くから、日向に取引先があつたと見えて、土橋の下には、度々日向の炭船が著いてゐたさうである。其炭船が日向へ帰つた後では、きつと行方知れずになる子供が尠からずあつたといふ。此は、畳屋が子供を盗んで、日向へ炭焼きに遣るのだ、といふ評判であつた。其で、私等の子供の頃にも、どうかした折には、土橋の畳屋へ遣ると嚇されたものである。 九 しゃかどん 大阪府三島郡佐位寺(サヰデラ)に「つの」とも「かど」とも訓む字と、其第三の訓(クン)とを用ゐて、家の名とした一家がある。其一門は、男女と言はず、一様に青黒い濁りを帯びた皮膚の色をしてゐるので、古くから釈迦どんと言うてゐる。唯の黒さでなく、異様な煤け方である。其家の持ち地であつて、今は他家の物となつたと言ふ、村の山地には、釈迦个池と言ふ池がある。 一〇 夙村 河内の夙村では、村をとりまく濠やうの池のある事は、郷土研究にも見えた。但、其池はすべて、への字なりになつて居るといふ。 一一 ゆんべ 昨晩と言ふ語をば冒頭に据ゑた唄を、二つ報告する。但、二つとも末を忘れた。可なりな老人に聞いても知らぬ。要点は頭の方にある様だから書く。 ゆんべ生れたくまちやんは、じより/\(月代)剃つて、髪結うて、そろばん橋を渡ろとて、蟹にちんぽ(きんたま)をはそまれて、あいたい、こいたい。権兵衛(ゴンベ)さん。此身を助けてくださんせ。…… ゆんべ吹いた風は大津へ聞えて、大津はおんま(御馬か)つちのこは槍持ち、能(ヨ)う槍持つて。…… 前のは、川村氏の「さいごたかもり、はじめて東へ下るとて、蟹にきんたま挟まれて(郷土研究四の七)」に似て居り、後のは、南方氏の田辺へ聞えた、又は西の宮へ聞えたの唄(同一の二)と同じ趣きである。 一二 うしはきば 此は、美濃路から東方に亘つてゐると思はれる、馬捨て場と同じ意味の場処である。多くは池の堤や、村から入りこんだ小川の岸などで、大抵人の行かぬ場所にあつた。わりあひに神聖な処と考へられてゐる様である。死んだ牛の皮を剥ぐ場処の意で、はきを清音に言ふ。河内辺に多い地名である。牛を剥ぎにはえたが来て、皮・肉などは貰うて帰るのださうである。馬を使ふ農家はないから、一村の為事に、馬といふ考へは這入つてゐないのである。 一三 名字 木津・難波には、本(モト)と言ふ字のつく姓がある。樽屋が樽本、下駄屋が桐本、材木屋が木元など、皆、其商品を此が資本だ、と言ふ積りで拵へたのである。此は木津に多い。 妙玄・法覚・法西・覚道など言ふのは、難波に沢山ある名字で、戸主が本願寺のおかみそりを頂く節、貰うた法名を、そのまゝつけたのである。その中、会所であつたのをもぢつて改正、商買の質をわけて竹貝(タケガイ)・からやと言ふ屋号を、唐谷(カラタニ)としたのなどは、秀逸の部である。旧来の通称の儘のは、茶珍(チヤチン)・徳珍(トクチン)・鈍宝(ドンボオ)・道木(ドオキ)・綿帽子(ワタボオシ)・仕合(シヤワセ)・午造(ゴゾオ)・宝楽(ホオラク)・雷(カミナリ)・鳶(トビ)・鍋釜(ナベカマ)などいふ、思案に能はぬのもある。 南波屋(ナンバヤ)が南波、木津屋(ヤ)が木津谷(キヅタニ)になつたのは普通だが、摂津・丹波の山間十石から出て来て、屋号としたじゅっこくを名字にしてから、俄かに幾代か前に、十石米を貧乏人に施した善根者があつたので、十石で通ることになつたのだ、と由緒を唱へ出した家もある。皆恐らくは、親類会議や、役場の役人の意見を借りたのであらうが、妙な名字を持つた家の子どもは、大困りである。「茶珍ちやあ(茶)沸せ」「徳珍とっくりぶち破つた」「宝楽(炮烙)わったら元の土」などゝ、小学生仲間から、始終なぶられてゐた。 由緒を誇る雲雀(ヒバル)(「折口といふ名字」参照)も、一歩木津の地を出ると、気恥しいと見えて、中学へ行つた一人は、うんじゃくと音読をしてゐた。道木(ドオキ)の方も、重箱訓みを恥ぢて、みちきと言うてゐた。 一四 人なぶり はげ八聯隊、横はげ(又、単に横)四聯隊。 はげ山鉄道(てつと)道、汽車すべる。 散文的な文句だが、音勢を揺ぶる様に強く謡うて、くやしがらせる。又みっちゃ面(あばた)には、 へんば(みっちゃの一名。南区船場の口合ひ)火事発(イ)て、みっちゃくちゃ(むちゃくちゃを綟る)に焼けた。 みっちゃを更に、みっちゃくちゃとも言ふのである。 みっちゃ/\、どみっちゃ。ひきずりみっちゃ引っぱった。ひっぱったら切れた。切れたら、つないだ。 へんばは少し下卑た言ひ方である。ひきずりみっちゃは、痘痕(アナ)の続いてゐる旁若無人なあばた面を言ふ。獰猛な顔つきは、子どもの憎悪を唆ると見えて「みっちゃ/\」の唄なども、其では慊(あきた)らぬか「ど、ど(又「ど※[#小書き平仮名ん、129-15]ど」)みっちゃ……」と憎さげに言ひかへる事もある。跛足(チンバ)を罵る時にも、同様「ち※[#小書き平仮名ん、129-16]ば/\。どち※[#小書き平仮名ん、129-16]ば」と謡ふ。 文句は確か、此ぎりの短いものであつた。其外か※[#小書き平仮名ん、129-17]ち(か清音)めくらなどを嬲る文句も、あつた様だが忘れた。 下水道(スヰド)にはまるとか、糞を踏むとか、泥を握るとかした時は「びゞ※[#小書き平仮名ん、130-2]ちょにさぁ(触(サハ))ろまい。石・金踏んどこ(<で置かう)」又は「石・金持っとこ」と言ふ。びゞ※[#小書き平仮名ん、130-3]ちょは穢れた人と言ふ意。かう謡ひながら、石なり、釘なり、雪駄の裏金なりを、道ばたで拾うて持つ。びゞ※[#小書き平仮名ん、130-4]ちょと言はれた子は、やつきになつて、びゞ※[#小書き平仮名ん、130-5]ちょをうつさ(伝染)うとする。石・金を持たぬ子は、びゞ※[#小書き平仮名ん、130-5]ちょになつて了ふので、石・金を持つてゐる中は、穢れが移らぬのである。裏金のついた雪駄をはいた者は、どんな事があつても、びゞ※[#小書き平仮名ん、130-7]ちょの仲間入りはせぬ。人なぶりから、遊戯に近くなつてゐる。 遊んでゐて、泣くと「泣きみそきみそ」と言ふ。喧嘩に負けたり、虐められた子供の親がおこりに出ると、 子どもの喧嘩に親出すな。親があきれて、ぼゞ出すな。 人の顔を見つめると「人の顔見る者(モン)、飯(マヽ)粒・小つぼ」と言ふ。名前をよみ込む文句では古いのは、 信(ノブ)こ。のったらの※[#小書き平仮名ん、130-13]十郎(ジユウラウ)。のらのっち※[#小書き平仮名ん、130-13]ぺぇら(ぽいらとも)。 勝こ。かったらか※[#小書き平仮名ん、130-14]十郎。からかっち※[#小書き平仮名ん、130-14]ぺぇら。 幾分新しいのでは、 寅こ。とっと言へ。とりき、とゝりき、とやまのとんのくそ。 清(キヨ)こ。きっと言へ。きりき、きゝりき、きやまのきんのくそ。 など名がしらの音を、頭韻(ありたれいしよん)に挿んで、誰にでも当てはめる。又、 せいやん雪隠(センチ)で、ばゝ(糞)こ(泌)いて、まっちゃん松葉で掻きよせて、たぁやんた※[#小書き平仮名ん、131-2]ご(たご——角桶)で汲みに来て、みいちゃん見に来て臭かつた。 清造とか、松太郎とか、辰三・簑吉とか、名がしらの、此歌の中にあるものが一人でもあると、謡うて悔しがらせる。何でもない事の様で、讒訴に堪へられぬ憤懣を感じたものである。男の子と女の子とが遊んでゐると、 男とをなごとあすばんもん(物)。一間(イツケン)まなかに(の?)疵がつく。 又「男とをなごときっきっき」。痛いと叫ぶと「いたけりや、鼬の糞つけい」と言ふ。 一五 らつぱを羨む子ども 十年程此方(このかた)、時々、子どもの謡ふのを聞く。軍人や、洋服を着た学生を見ると「へえたいさん。ちんぽと喇叭と替へてんか」と言ふ。二十年前に子どもであつた私らの知らぬ、軍人羨望或は崇拝である。大正二年、阿蘇山を越して、豊後の竹田辺でも、此歌を旅姿の我々に、女の子の謡ひかけたのを聞いた。勿論、女の子の物をよみ入れてゐた。 底本:「折口信夫全集 3」中央公論社 1995(平成7)年4月10日初版発行 底本の親本:「『古代研究』第一部 民俗学篇第二」大岡山書店 1930(昭和5)年6月20日 初出:「郷土研究 第二巻第一号」 1914(大正3)年3月 「郷土研究 第四巻第七号」 1916(大正5)年10月 「土俗と伝説 第一巻第一号」 1918(大正7)年8月 「土俗と伝説 第一巻第三号」 1918(大正7)年10月 ※底本の題名の下に書かれている「大正三年三月・五年十月「郷土研究」第二巻第一号・第四巻第七号。大正七年八・十月「土俗と伝説」第一巻第一・三号」はファイル末の「初出」欄に移しました。 入力:門田裕志 校正:仙酔ゑびす 2007年4月8日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http //www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」は「/\」で表しました。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。 小書き平仮名ん 129-15、129-16、129-16、129-17、130-2、130-3、130-4、130-5、130-5、130-7、130-13、130-13、130-14、130-14、131-2
https://w.atwiki.jp/library801/pages/603.html
更新日:2012-07-09 作者名: 折口 信夫 読 み: おりぐち しのぶ 作 品: レ ス: 【活字】 801図書館 3 【総合】 http //pie.bbspink.com/test/read.cgi/801/1093773483/ 606 名前:風と木の名無しさん :2005/08/19(金) 03 49 09 ID 8wRfxaHz 連続ですまないが、加藤守雄の「我が師折口信夫」では、 弟子の加藤に対する折口のアレでそれな求愛がつづられているよ。 加藤はおし倒されたりキスされたりストーキング行為されたりしてます … 柳/田/国/男とのエピソードなど、かなり萌える ▲PAGETOP 今日: - 昨日: - 合計: -
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/159.html
MT*2_28-翁の発生/鬼の話 折口信夫 2010.1.30 第二巻 第二八号 翁の発生/鬼の話 折口信夫 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 翁の発生 一 おきなと翁舞(おきなま)いと 二 祭りにのぞむ老体 三 沖縄の翁 四 尉(じょう)と姥(うば) 五 山びと 六 山(やま)づと 七 山姥 八 山のことほぎ 九 山伏 一〇 翁の語り 一一 ある言い立て 一二 春のまれびと 一三 雪の鬼 一四 菩薩練道 一五 翁の宣命 一六 松ばやし 一七 もどきの所作 一八 翁のもどき 一九 もどき猿楽(さるがく)狂言 鬼の話 一 オニと神と 二 祭りに出るオニ 三 土地の精霊と常世神と 【週刊ミルクティー*第二巻 第二八号】 (http //www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload act=open pageid=159 file=milk_tea_2_28.zip) ※ ダウンロードを開始します。 (872KB) 月末最終号:無料 p.286 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(127項目)p.547 ※ 傍点や傍線の見えにくい場合は、T-Time の文字品質(アンチエイリアス)を「標準」にしてご覧ください。 飛び出せ! なますと煮つけ♥ オリジナル版 ミルクティー*現代表記版 鬼の話 鬼の話 「おに」と言ふ語《ことば》にも、昔から諸説があつて、今は外来語だとするのが最勢力があるが、おに[#「おに」に傍線]は正確に「鬼」でなければならないと言ふ用語例はないのだから、わたしは外来語ではないと思うてゐる。さて、日本の古代の信仰の方面では、かみ[#「かみ」に傍線](神)と、おに[#「おに」に傍線](鬼)と、たま[#「たま」に傍線](霊)と、もの[#「もの」に傍線]との四つが、代表的なものであつたから、此等に就て、総括的に述べたいと思ふのである。 「オニ」という語(ことば)にも、昔から諸説があって、いまは外来語だとするのが最も勢力があるが、オニは正確に「鬼」でなければならないという用語例はないのだから、わたしは外来語ではないと思うている。さて、日本の古代の信仰の方面では、カミ(神)と、オニ(鬼)と、タマ(霊)と、モノとの四つが、代表的なものであったから、これらについて、総括的に述べたいと思うのである。 鬼は怖いもの、神も現今の様に抽象的なものではなくて、もつと畏しいものであつた。今日の様に考へられ出したのは、神自身の向上した為である。たま[#「たま」に傍線]は眼に見え、輝くもので、形はまるいのである。もの[#「もの」に傍線]は、極抽象的で、姿は考へないのが普通であつた。此は、平安朝に入つてから、勢力が現れたのである。 鬼はこわいもの、神も現今のように抽象的なものではなくて、もっとおそろしいものであった。今日のように考えられ出したのは、神自身の向上したためである。タマは眼に見え、輝くもので、形はまるいのである。モノは、ごく抽象的で、姿は考えないのが普通であった。これは、平安朝に入ってから、勢力が現われたのである。 おに[#「おに」に傍線]は「鬼」といふ漢字に飜された為に、意味も固定して、人の死んだものが鬼である、と考へられる様になつて了うたのであるが、もとは、どんなものを斥《サ》しておに[#「おに」に傍線]と称したのであらうか。 オニは「鬼」という漢字に翻(うつ)されたために、意味も固定して、人の死んだものが鬼である、と考えられるようになってしもうたのであるが、もとは、どんなものをさしてオニと称したのであろうか。 現今の神々は、初めは低い地位のものだつたのが、次第に高くなつて行つたので、朝廷から神に位を授けられたことを見ても、此は、明らかである。即、神社の神は階級の低いものであつた。土地の精霊は、土地と関係することが深くなるに連れて、位を授けられる様になつて行つたので、其以前の神と言へば即、常世神だつたのである。 現今の神々は、はじめは低い地位のものだったのが、しだいに高くなっていったので、朝廷から神に位を授けられたことを見ても、これは、あきらかである。すなわち、神社の神は階級の低いものであった。土地の精霊は、土地と関係することが深くなるにつれて、位を授けられるようになっていったので、それ以前の神といえばすなわち、常世神(とこよのかみ)だったのである。 2_28.rm (朗読:RealMedia 形式 320KB、2'35'') 折口信夫 おりくち しのぶ 1887-1953(明治20.2.11-昭和28.9.3) 大阪府西成郡木津村(現在の大阪市浪速区)生まれ。民俗学、国文学、国学の研究者。釈迢空と号して詩歌もよくした。1913年12月、「三郷巷談」を柳田國男主催の『郷土研究』に発表し、以後、柳田の知遇を得る。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。 ◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 底本 翁の発生 底本:「折口信夫全集 2」中央公論社 1995(平成7)年3月10日初版発行 底本の親本:「古代研究 民俗学篇第一」大岡山書店 1929(昭和4)年4月10日発行 初出:「民俗芸術 第一巻第一・三号」 1928(昭和3年)年1月・3月 NDC 分類:380(風俗習慣.民俗学.民族学) http //yozora.kazumi386.org/3/8/ndc380.html NDC 分類:773(演劇:能楽.狂言) http //yozora.kazumi386.org/7/7/ndc773.html 鬼の話 底本:「折口信夫全集 3」中央公論社 1995(平成7)年4月10日初版発行 底本の親本:「古代研究 民俗学篇第二」大岡山書店 1930(昭和5)年6月20日発行 NDC 分類:387(風俗習慣.民俗学.民族学:民間信仰.迷信[俗信]) http //yozora.kazumi386.org/3/8/ndc387.html 疑問点 翁の発生 [#「まれびと」に傍線]」 → [#「まれびと」に傍線]【直後の」を削除か。もしくは「の忘れか。】 以上、1件。 鬼の話 羅卒 → 羅刹か? 【羅卒(邏卒)は巡査の旧称。羅刹は悪鬼の通名。2か所】 以上、1件。 2010.1.31:公開 及川なます♥/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/9o8i7u6y5t/pages/307.html
物忌み (モノイミ) 罠カード 自分フィールド上に「黒羽-幻魔」1体と、「白羽-幻魔」1体が表側表示で存在する場合のみ、相手スタンバイフェイズに発動することができる。このターン、相手プレイヤーは召喚、反転召喚を行う事ができない。
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/239.html
M-Tea*3_27-特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫 2011.1.29 第三巻 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫 黒川能・観点の置き所 特殊の舞台構造 五流の親族 能楽史をかえりみたい 黒川の能役者へ 村で見た黒川能 能舞台の解説 春日若宮御祭の研究 おん祭りの今と昔と 祭りのお練り 公人の梅の白枝(ずはえ) 若宮の祭神 大和猿楽・翁 影向松・鏡板・風流・開口 細男(せいのお)・高足・呪師 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第三巻 第二七号】 (http //www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload act=open pageid=239 file=milk_tea_3_27.zip) ※ クリックするとダウンロードを開始します。 (632KB) 月末最終号:無料 p.257 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(64項目)p.218 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて校正中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. 飛び出せ! 週刊ミルクティー* 山形県には、秋田県へかけて室町時代の芸能に関した民俗芸術が多く残っております。黒川能は、その中でも著しいものの一つで、これと鳥海山の下のひやま舞い〔杉沢比山舞か。〕との二つは、特に皆さまに見ていただきたいものであります。この黒川能が二十数年ぶりでのぼってくるのであります。世話をしてくださった斎藤氏〔斎藤香村か。〕に感謝しなければならないと思います。 特にこの能で注意しなければならないのは、舞台構造であります。京都の壬生念仏を思わせるような舞台で、上下の廊下が橋掛りになっており、舞台の正面には春日神社の神殿をひかえているのであります。(略)奉仕する役者はというと、上座と下座が二部落にわかれており、ここで能をするときは、上座は左橋掛り(正面から見て)から出て舞い、下座は右橋掛りから出て舞うことになっている。これはもっとも大きな特徴で、今度の公演にいくぶんでも実現できれば結構だと思います。この神前演奏の形は、春日の若宮祭りの第一日の式と同形式といっていいと思います。しかも、黒川ではつねにその形式をくり返しているわけで、見物人よりも神に対する法楽を主としていることがわかります。 (略)おもしろいのは狂言です。表情にも言語にも必ず多少の驚きを受けられるでしょう。ことに方言的な言い回しなどには、つい、われわれも見ていて釣りこまれるものがありました。 3_27.rm (朗読:RealMedia 形式 540KB、4'23'') milk_tea_3_27.html (html ソーステキスト版 216KB) 折口信夫 おりくち しのぶ 1887-1953(明治20.2.11-昭和28.9.3) 大阪府西成郡木津村(現在の大阪市浪速区)生まれ。民俗学、国文学、国学の研究者。釈迢空と号して詩歌もよくした。1913年12月、「三郷巷談」を柳田國男主催の『郷土研究』に発表し、以後、柳田の知遇を得る。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。 ◇参照:Wikipedia 折口信夫、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本 黒川能・観点の置き所 底本:「折口信夫全集 21」中央公論社 1996(平成8)年11月10日初版発行 初出:「能楽画報 第三十一巻第九号」 1936(昭和11)年9月 村で見た黒川能 底本:「折口信夫全集 21」中央公論社 1996(平成8)年11月10日初版発行 初出:「能楽画報 第三十一巻第十一号」 1936(昭和11)年11月 能舞台の解説 底本:「折口信夫全集 21」中央公論社 1996(平成8)年11月10日初版発行 初出:「梅若 第七巻第二号」 1939(昭和14)年2月 春日若宮御祭の研究 底本:「折口信夫全集 21」中央公論社 1996(平成8)年11月10日初版発行 初出:「能楽画報 第三十五巻第四号」 1940(昭和15)年4月 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person933.html NDC 分類:773(演劇/能楽.狂言) http //yozora.kazumi386.org/7/7/ndc773.html 難字、求めよ 能謡 のううたい? 梅若安弘 築土塀 塀中門 祝言事 しゅうげんごと? いわいごと? わき芸 日の使い 加茂の放免 内侍使 氏使 うじのつかい? 長岡大臣(内麻呂) 梅の白枝(ずはえ) 戸上の公人(くにん) 『年中行事絵詞』 側継 そばつぎ(傍続・側次)か。 『御祭礼図』 『江家次第』「春日祭使途中次第」 大宮祭り 師子間 シシノマ 阿弥陀八幡 中臣連是忠三 時風五代の孫。 開口能 影向(ようごう)の松 橋掛(はしがか)りの松 三笠風流 スリーパーズ日記 モスクワの屋根に雪ふりつむ カイロの屋根に雪ふりつむ。 李、セルジオの雄叫び。 『山形新聞』より。高松和紙(上山市)を守ってきた土屋さんが、九十五才の高齢のため今期で紙すきを終えるとのこと。後継者がいないので、四〇〇年以上にわたる高松和紙の伝統が途絶えることになる。昨夏の、カモシカによる楮の葉の食害も大きな要因という。 二九日(土)快晴のち曇り。天童より山形のほうが若干、積雪が少ない。夕刻より冷えて乾いた雪。県立博物館、考古学講座。水戸部秀樹「県内最大級の複式炉を持つ村・鮭川村小反(こぞり)遺跡」。 複式炉とは、石と土器の組み合わせの炉のことをさし、縄文中期、土器形式編年で大木9〜10式の短期間に南東北地域にのみ限定して出土するという。 2011.1.30:公開 目くそ鼻くそ。PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/167.html
MT*2_33-雛 芥川龍之介/雛がたり 泉鏡花/ひなまつりの話 折口信夫 2010.3.6 第二巻 第三三号 特集 ひなまつり 雛 芥川龍之介 雛がたり 泉鏡花 ひなまつりの話 折口信夫 一 淡島様 二 ひな人形と女神と 三 奥州のオシラサマ imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第二巻 第三三号】 (http //www.dl-market.com/product_info.php?products_id=57705) ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 (520KB) ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて公開中です。翻訳・朗読・転載は自由です。 (c) Copyright is public domain. 定価:200円(税込) p.176 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(45項目)p.181 ※ 傍点や傍線の見えにくい場合は、T-Time の文字品質(アンチエイリアス)を「標準」にしてご覧ください。 飛び出せ! 週刊ミミクリィー* オリジナル版 ミミクリィー*現代表記版 雛祭りの話 ひなまつりの話 折口信夫 折口信夫 黙阿弥の脚本の「松竹梅湯島掛額《シヨウチクバイユシマノカケガク》」は八百屋お七をしくんだものであるが、其お七の言葉に、内裏びな[#「内裏びな」に傍線]を羨んで、男を住吉様《スミヨシサマ》女を淡島様《アハシマサマ》といふ条《クダ》りが出てくる。お雛様を祭る婦人方にも、存外、淡島様とお雛様との関係を、知らぬ人が多いことゝ思ふ。 黙阿弥(もくあみ)の脚本の「松竹梅(しょうちくばい)湯島(ゆしまの)掛額(かけがく)」は八百屋お七をしくんだものであるが、そのお七の言葉に、内裏びなをうらやんで、男を住吉様(すみよしさま)、女を淡島様(あわしまさま)という条(くだ)りが出てくる。お雛様(ひなさま)をまつる婦人方にも、存外、淡島様(あわしまさま)とお雛様(ひなさま)との関係を、知らぬ人が多いことと思う。 古くは願人《グワンニン》といふ乞食房主があつて、諸国を廻りめぐつて、婦人たちに淡島様の信仰を授けまはつたのである。そして、婦人たちからは、衣類を淡島様に奉納させたのであつた。 古くは願人(がんにん)という乞食房主があって、諸国をまわりめぐって、婦人たちに淡島様(あわしまさま)の信仰をさずけまわったのである。そして、婦人たちからは、衣類を淡島様(あわしまさま)に奉納させたのであった。 其|由緒《ユカリ》はかうである。昔住吉明神の后にあはしま[#「あはしま」に傍線]といふお方があつて、其が白血《シラチ》・長血《ナガチ》の病気におなりになつた。それで住吉明神が其をお嫌ひになり、住吉の社の門扉にのせて、海に流したのである。かうして、其板船は紀州の加太の淡島に漂ひついた。其を里人が祀つたのが、加太の淡島明神だといふのである。此方は、自分が婦人病から不為合せな目を見られたので、不運な人々の為に悲願を立てられ、婦人の病気は此神に願をかければよい、といふ事になつてゐるのである。処々に、淡島の本山らしいものが残つてゐるが、加太の方がもとであらうと思ふ。 その由緒(ゆかり)はこうである。昔、住吉明神の后(きさき)にあわしまというお方があって、それが白血(しらち)・長血(ながち)の病気におなりになった。それで住吉明神がそれをお嫌(きら)いになり、住吉の社の門扉(もんぴ)にのせて、海に流したのである。こうして、その板船は紀州の加太(かだ)の淡島(あわしま)にただよいついた。それを里人がまつったのが、加太(かだ)の淡島(あわしま)明神だというのである。こちらは、自分が婦人病からふしあわせな目を見られたので、不運な人々のために悲願を立てられ、婦人の病気はこの神に願(がん)をかければよい、ということになっているのである。処々に、淡島の本山らしいものが残っているが、加太(かだ)の方がもとであろうと思う。 2_33.rm (朗読:RealMedia 形式 328KB、2'38'') 芥川龍之介 あくたがわ りゅうのすけ 1892-1927(明治25.3.1-昭和2.7.24) 旧、東京市京橋区生まれ。1915年「羅生門」を『帝国文学』に発表、級友鈴木三重吉の紹介で夏目漱石門下に入る。「芋粥」「藪の中」「地獄変」「歯車」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』などの古典から題材をとったものが多い。享年35。 泉鏡花 いずみ きょうか 1873-1939(明治6.11.4-昭和14.9.7) 小説家。名は鏡太郎。金沢生れ。尾崎紅葉に師事。明治・大正・昭和を通じて独自の幻想文学を構築した。作「夜行巡査」「高野聖」「歌行灯」など。「婦系図(おんなけいず)」をはじめ、しばしば新派劇に上演。 折口信夫 おりくち しのぶ 1887-1953(明治20.2.11-昭和28.9.3) 大阪府西成郡木津村(現在の大阪市浪速区)生まれ。民俗学、国文学、国学の研究者。釈迢空と号して詩歌もよくした。1913年12月、「三郷巷談」を柳田國男主催の『郷土研究』に発表し、以後、柳田の知遇を得る。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。 ◇参照:Wikipedia 芥川龍之介、泉鏡花、折口信夫、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 底本 雛 芥川龍之介 底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房 1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行 NDC 分類:K913(日本文学:小説.物語) http //yozora.kazumi386.org/9/1/ndck913.html 雛がたり 泉鏡花 底本:「鏡花短篇集 川村二郎編」岩波文庫、岩波書店 1987(昭和62)年9月16日第1刷発行 底本の親本:「鏡花全集 第二七巻」岩波書店 1942(昭和17)年10月 初出:「新小説」 1917年(大正6年)3月 NDC 分類:914(日本文学:評論.エッセイ.随筆) http //yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html ひなまつりの話 折口信夫 底本:「折口信夫全集 3」中央公論社 1995(平成7)年4月10日初版発行 底本の親本:「古代研究 民俗学篇第二」大岡山書店 1930(昭和5)年6月20日発行 初出:「愛国婦人 第四七九号」 1922(大正11)年3月 NDC 分類:386(風俗習慣.民俗学.民族学:年中行事.祭礼) http //yozora.kazumi386.org/3/8/ndc386.html スリーパーズ日記 ショモヂ。うるち米を一晩水にひたし、ウスでついて粉にする。ついてはふるいにかけ、数回くりかえす。白糖を加える。とろみがつく程度に少量の水を加えたような気がする。これでできあがり。バリエーションによっては、青豆をつぶしたヌタを加える。青白みがいっそう増す。母は白糖やヌタのかわりに黒糖を加えてアレンジしていた。一年でもっとも寒いこの時期に決まって食べる。ナマ米だから、たくさん食べると腹をこわすので小皿に少量だけ。「シロモチ」のなまりか。 母親によればショモヂは非常食・携帯食のなごりだろうという。米びつの底にたまるくだけたコメや青い未熟のコメを利用して、火を使わなくても食べることができる工夫と記憶。 6日(土)小雨。ぬくい。寒河江にて慈恩寺シンポジウムに参加。つばき。 2010.3.8:公開 2010.3.8:更新 ミミクリ、さげもん/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/152.html
MT*2_24-まれびとの歴史/「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫 2010.1.2 第二巻 第二四号 まれびとの歴史 「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第二巻 第二四号】 http //www.dl-market.com/product_info.php?products_id=49627 ※ ダウンロードサイト(http //www.dl-market.com)へジャンプします。 (540KB) 定価:200円(税込) p.172 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(64項目)p.417 まれびとの歴史 まれびととは何か。神である。時をさだめて来たり臨(のぞ)む大神である。(大空から)あるいは海のあなたから、ある村にかぎって富みと齢(よわい)とその他若干の幸福とをもたらしてくるものと、その村々の人々が信じていた神のことなのである。この神は、空想に止まらなかった。古代の人々は、屋の戸を神の押(おそ)ぶるおとずれと聞いた。おとづるなる動詞が訪問の意を持つことになったのは、本義音を立てるが、戸の音にのみ連想が偏倚(へんい)したからのことで、神の「ほとほと」とたたいて来臨を示したところから出たものと思う。戸をたたく事について深い信仰と、連想とを持ってきた民間生活からおしてそう信じる。宮廷においてさえ、神来臨して門をたたく事実は、毎年くり返されていた。 その神の常ある国を、大空に観じては高天个原といい、海のあなたと考える村人は、常世の国と名づけていた。 「とこよ」と「まれびと」と わが祖先の主な部分と、きわめて深い関係を持ち、そうしてその古代の習俗をいまに止(とど)めている歌の多い沖縄県の島々では、天国をおぼつかぐらという。海のあなたの楽土をニライカナイ(また、ギライカナイ・ジライカナイなど)またマヤノクニと呼ぶ。ここでも、おぼつかぐらは民間生活には交渉がなくなっているが、ニライカナイはまだ多く使うている。しかもその儀来河内(ギライカナイ)は、また禍(わざわ)いの国でもある様子は見える。蚤(ノミ)は、時を定めてニライカナイから麦わらの船に麦わらの棹(さお)さしてこの地に来るという。おなじ語の方言なるにいる(また、にいる底(スク))を使うている先島(さきしま)の八重山(やえやま)の石垣およびその離島々では、語原を「那落」に連想して説明しているほど、おそるべき所と考えている。洞窟の中から通う底の世界と信じている。 2_24.rm (朗読:RealMedia 形式 468KB、3'48'') 折口信夫 おりくち しのぶ 1887-1953(明治20.2.11-昭和28.9.3) 大阪府西成郡木津村(現在の大阪市浪速区)生まれ。民俗学、国文学、国学の研究者。釈迢空と号して詩歌もよくした。1913年12月、「三郷巷談」を柳田國男主催の『郷土研究』に発表し、以後、柳田の知遇を得る。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。 ◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 底本 まれびとの歴史 底本:「折口信夫全集 4」中央公論社 1995(平成7)年5月10日初版発行 「とこよ」と「まれびと」と 底本:「折口信夫全集 4」中央公論社 1995(平成7)年5月10日初版発行 NDC 分類:387(風俗習慣.民俗学.民族学/民間信仰.迷信[俗信]) http //yozora.kazumi386.org/3/8/ndc387.html 2010.1.3:公開 目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 傍線の見えにくい場合は、T-Time の文字品質(アンチエイリアス)を「標準」にしてご覧ください。 -- しだ (2010-01-03 22 23 58) 名前 コメント