約 78,641 件
https://w.atwiki.jp/gensonet/pages/180.html
概要 JR以外の私鉄においては日本最大の鉄道事業者で新幹線を保有する唯一の私鉄でもある。 現在、保有する新幹線の建設にかかった費用はすべて京東鉄道の全額自己負担で建設してるため、整備新幹線という概念は無く並行在来線問題も当然ない。 放送は基本的には津田英二と大原さやかを起用してたが、2016年3月より自動放送が更新され、起用された声優も一部入れ替えとなった(田中一永・大原さやか(旧放送から継続))。 ラインカラーは全線黄色である。 2012年秋、6社に再編された(西から西日本高速鉄道・京東鉄道・みちのく鉄道、再編対象外の関東秩父高速鉄道・樺太高速鉄道・沖縄連絡鉄道(現 琉球沖縄鉄道)・京東貨物鉄道。関東秩父高速鉄道が2012年12月にグループを離脱) 2021年秋には京鉄グループホールディングスの発足に伴う再再編を行い、京東鉄道東京支社と大阪支社の路線すべてを西日本高速鉄道とみちのく鉄道に譲渡させた上でそれぞれ東日本京東鉄道と西日本京東鉄道に改称させる予定である。京東鉄道本体は(3代目)京東鉄道設立(2代目の現法人が京鉄グループホールディングスに改称される予定で鉄道以外の直営事業も独立させ、一部事業は既存グループ会社との合併予定)の上で管轄地域を中日本地域一帯に絞る予定。 会社一覧 近畿地方・中日本・首都圏 京東鉄道(親会社) 阪神地域・山陽・四国・九州地方 西日本高速鉄道 北関東・東北・北海道地方 みちのく鉄道 樺太地方 樺太高速鉄道 沖縄地方 琉球沖縄鉄道 全国(貨物事業) 京東貨物鉄道 海外(アメリカ合衆国) 京東ステーツライン 海外(ヨーロッパ) 京東ユーロレール 海外(ブレンダ地区) 京東ブレンダレールウェイ 構想中など 太平洋横断鉄道構想 注意事項 それに関することで全部JRとは関係ありません、問い合わせないでください
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/8756.html
945 名前:モントゴメリー[] 投稿日:2023/08/10(木) 23 51 47 ID 116-64-135-196.rev.home.ne.jp [196/216] 日本大陸SS——首都圏高速鉄道網(通勤新幹線)計画⑥ 甲府通勤新幹線—— 【概要】 甲府通勤新幹線は、日本国有鉄道(国鉄)が策定した輸送量増強を目指したプロジェクトである首都圏高速鉄道網計画の一部である。 開業当初は山梨県を通る唯一の新幹線であり、帝都東京から西へほぼ直進する全長約330㎞の路線である。 【計画】 首都圏高速鉄道網計画では6本の「通勤新幹線」が計画された。 本路線もその6本の1つである。 従来、山梨県は「首都圏」に含まれているものの、その交通の便は良いとは言えなかった。 そこで、本路線によりその改善が企図された。 つまり、本路線は「通勤」と銘打ってはいるが、山梨県全体の交通インフラ刷新の切り札でもあったのである。 なお、山梨県を通過する新幹線としては「中央新幹線」も計画段階にあったが、こちらは技術革新による超高速新幹線(リニアモーターカー)の試験路線の候補となったため建設が中断していた。 本路線は、その中央新幹線の事前研究結果を活用しつつ敷設されたものである。 【路線】 始発の新宿駅から終点の甲府駅までほぼ直進というとても分かりやすい路線である。 (これも中央新幹線からの影響である) これにより、約330㎞の行程を2時間強で進行するのである。 946 名前:モントゴメリー[sage] 投稿日:2023/08/10(木) 23 52 36 ID 116-64-135-196.rev.home.ne.jp [197/216] 以上です。 ウィキ掲載は自由です。 通勤新幹線シリーズ、ラストでございます。 これに関しては、もうあまり書くことがないのよね……。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/8744.html
898 名前:モントゴメリー[] 投稿日:2023/08/06(日) 23 52 40 ID 116-64-135-196.rev.home.ne.jp [179/216] 日本大陸SS——首都圏高速鉄道網(通勤新幹線)計画③ 水戸通勤新幹線—— 【概要】 水戸通勤新幹線は、日本国有鉄道(国鉄)が策定した輸送量増強を目指したプロジェクトである首都圏高速鉄道網計画の一部である。 その名の通り、水戸から帝都東京への通勤用路線として整備された全長約330 #13214;の路線である。 【計画】 首都圏高速鉄道網計画では6本の「通勤新幹線」が計画された。 本路線もその6本の1つであり、かつその中で最も成功が確信された路線であった。 かの「大蔵省の魔王」でさえも、本路線に関しては特に反対意見を述べず予算を認めている。 何故そこまで成功を確信できたのか?それは「実例」があるからである。 実は、この水戸通勤新幹線の路線は列島日本世界における「つくばエクスプレス」線とほぼ同一なのである。 というよりも、「つくばエクスプレス」こそが通勤新幹線構想の成れの果て。 6本の計画の内、曲がりなりにも線路を敷くことができた唯一の路線なのである。 そして「つくばエクスプレス」線の集客力は夢幻会会員ならばよく知るところである。 なので、本路線は立案から実行まで何の障害も無く進行された。 では何故本路線ではなく成田線が完成第一号なのか? それは「かつての夢を今度こそは実現させる」という夢幻会鉄オタ部の執念が大蔵省の魔王に打ち勝ったからである。 【路線】 上で述べた通り、路線はほぼ「つくばエクスプレス」線を踏襲している。 しかし異なる点も存在する。 一つ目は東京側の始発が新宿駅になったことである。 これは前回も述べた通り東京駅への一極集中を防ぐためと、小田原線との直通運転を実現するためであった。 もう一つは(当たり前であるが)終着駅が水戸まで延伸されていることである。 沿線には筑波研究学園都市があり、通勤の大動脈となるのみならず筑波山への観光ルートの役割も担うという多彩な顔を持つ路線でもある。 899 名前:モントゴメリー[sage] 投稿日:2023/08/06(日) 23 53 31 ID 116-64-135-196.rev.home.ne.jp [180/216] 以上です。 ウィキ掲載は自由です。 通勤新幹線シリーズ、その3でございます。 今回の路線が一番想像しやすいと思います
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/8745.html
902 名前:モントゴメリー[] 投稿日:2023/08/07(月) 23 56 03 ID 116-64-135-196.rev.home.ne.jp [182/216] 日本大陸SS——首都圏高速鉄道網(通勤新幹線)計画④ 宇都宮通勤新幹線—— 【概要】 宇都宮通勤新幹線は、日本国有鉄道(国鉄)が策定した輸送量増強を目指したプロジェクトである首都圏高速鉄道網計画の一部である。 東北新幹線と並走する形で整備された全長約300 #13214;の路線である。 【計画】 首都圏高速鉄道網計画では6本の「通勤新幹線」が計画された。 本路線もその6本の1つであるが、その中で最も成立が危ぶまれた路線である。 何故ならば、その路線経路は計画中の東北新幹線とほぼ同一なのである。 「同じルートならば、態々新規設定しなくても東北新幹線に『通勤用編成』を追加すれば済むではないですか!?」 と目からビームを出しながら咆哮する大蔵省の魔王に対し 『それじゃ需要に対応しきれないから新設しようって言ってるのでしょうが!!』 と叫びながら手刀の先より光の刃を繰出し会議室内を乱舞する鉄道省の夢幻会鉄オタ部員たちの戦いは、後々までの語り草となったという。 (あくまで「永田町都市伝説」である……) この世紀の大怪戦の結果、“宇都宮までの区間を複々線化する”ことで落ち着いた。 こうして本路線(及び後述する高崎線)は世界的にも珍しい「複々線の高速鉄道」として誕生したのである。 【路線】 基本的に東北新幹線に準拠する。 ただし、東北新幹線は上野駅が終着駅なのに対し本路線は東京駅まで延伸されている。 これにより、成田線との相互乗り換えが可能となっている。 この相乗効果により、各地方の活性化と国鉄の利益率向上に少なからず貢献している。 903 名前:モントゴメリー[sage] 投稿日:2023/08/07(月) 23 58 38 ID 116-64-135-196.rev.home.ne.jp [183/216] 以上です。 ウィキ掲載は自由です。 通勤新幹線シリーズ、その4でございます。 とうとう複々線にまでなっちゃた大陸日本の新幹線…。 …大昔に読んだ、作者さまも誰か思い出せないほど昔の支援SSで 「目からビームを出す辻ーん」 を読んでから、私も彼にやらせてみたかったのですよ(懺悔)
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/8755.html
936 名前:モントゴメリー[] 投稿日:2023/08/09(水) 23 57 44 ID 116-64-135-196.rev.home.ne.jp [190/216] 日本大陸SS——首都圏高速鉄道網(通勤新幹線)計画⑤ 高崎通勤新幹線—— 【概要】 高崎通勤新幹線は、日本国有鉄道(国鉄)が策定した輸送量増強を目指したプロジェクトである首都圏高速鉄道網計画の一部である。 北陸新幹線の計画がやや遅延しているのを尻目に、それに先駆ける形で敷設された全長約330kmの路線である。 それのみならず、途中桐生方面へ分岐する支線まで整備されている。 【計画】 首都圏高速鉄道網計画では6本の「通勤新幹線」が計画された。 本路線もその6本の1つであり、「並行する新幹線計画が存在する」という点では宇都宮線と同一である。 しかし、内実はやや異なった。 宇都宮線の場合、東北新幹線は北方への大動脈として優先的に整備されていたのに対し、北陸新幹線はまだ計画が始動していなかったのである。 これは主に予算面の問題であった。 如何に大陸日本といえども、一度に10本以上の新幹線計画を同時進行させることは困難だったのである。 (整備しなければならないインフラストラクチャは、新幹線のみではない) さしもの夢幻会鉄オタ部の面々も、ここは大蔵省の魔王と妥協したのである。 しかし、首都圏の通勤地獄は待ってはくれない。 そこで急遽、北陸新幹線の計画を流用しつつ高崎までのルートを早期完成させることと相成ったのである。 【路線】 列島日本世界とは少々異なっている。 主な点は東京側の始発駅は東京駅ではなく新宿駅となっているところである。 これは、度々言及しているが東京への一極集中を回避するための措置である。 また、これにより宇都宮線以外の各通勤新幹線とは直接乗り換えが可能となった。 (宇都宮線は東京駅が起点) 本路線で特記すべきものは「支線」の存在である。 途中、桐生方面へと分岐しているのだ。 これにより、北関東西部と帝都との交通の便は飛躍的に向上することとなる。 937 名前:モントゴメリー[sage] 投稿日:2023/08/09(水) 23 58 47 ID 116-64-135-196.rev.home.ne.jp [191/216] 以上です。 ウィキ掲載は自由です。 通勤新幹線シリーズその5でございます。 ここまで来たら最後まで踊り切るのです!!
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/90.html
581. ひゅうが 2011/11/16(水) 17 14 17 稚泊と青函〜北の鉄道網略史〜 1、前史 ――日本という国が北海道と樺太と呼ばれた大地に鉄道の建設をはじめたのは、明治維新の混乱がまだおさまりきっていない1872年のことだった。 新政府に置かれたばかりの北海道・樺太開拓使のもと、官営幌内鉄道と官営泊豊鉄道が建設されたのだ。 幌内炭鉱から産出される石炭を輸送するために設けられた前者はともかく、後者は樺太に土足で上がりこみつつあったロシアへの牽制という意味が込められていた。 ただし、日露和親条約において日露の雑居地とされた樺太であるだけにその運営には多大な配慮がなされ、駅名や案内図などは日本語とロシア語の二つが併記され、流刑を解かれたロシア人のスタッフを雇いいれて運営するなど、そのノウハウは後の満州鉄道に活かされることになる。 ともすれば北海道や一時期占領していた対馬でさえも自国の領土と主張してはばからないロシア内務省をおさえたのは、意外なことに当時のロシア皇太子であったニコライ2世だった。 幕末期以来、一貫して知日派であったニコライは、明治維新後も新政府の手厚い保護の上に成り立っていた公益法人「伊万里焼製造・開発」などに代表される幕末から明治にかけての江戸文化と西洋文化が融合したような美しい陶磁器や加賀友禅などの緻密な生地でできた手工業の精華をこよなく愛しており、それをもって「日露協商」を主張してはばからなかったのだ。ゆえに、樺太に関して日本側の先取権が事実上認められる形になった(開拓使という形で失業武士ら5万人あまりが送り込まれていたことも大きかった)のである。 そんな皇太子に皇帝アレクサンドル3世は一定の配慮を示し、日露合弁での持ち株会社「樺太鉄道」を設立し、実質的な運営は日本側に任せるという決断を下した。 同時に樺太を北緯50度線で南北に分割する代わりに択捉島以北の千島列島を日本側の領土とする「樺太・千島交換条約」が締結されることとなった。 こうして条約が発効した1875年には北方の国境は一応の安定を見、これをもって本格的な北方の開発と建設が実行に移されたのである。 2、発展 樺太開拓使と北海道開拓使が合同され、北方開発省(のちの拓務省)が設けられたのは、早くも1876年のことである。 同時に、同省の長をつとめていた黒田清輝は、進行中だった10年計画を改定し新たに20世紀の開始される1901年までに北方に300万人を移民させるといういわゆる「北方開発25年計画」をぶち上げる。 同時に、当時発見されたばかりの菱刈金山から産出される金でようやく一息ついていた明治政府の財源の15パーセントにも及ぶ巨費を用いて北方開発に投入するという提案まで行った。 さすがにこれは無理であったものの、陸海軍の提案からロシアのウラジオストクを警戒する意味での北方開発は承認され、20年以内に北海道の沿海部を網羅する鉄道を建設し、連絡船をもって大泊へと接続することが認められた。 この方針のもと道庁には「鉄道敷設局」が設けられ、本土においては欧州標準軌と狭軌が混在していた軌道はのちのシベリア鉄道との接続も視野に入れた広軌(1500ミリ)が採用された。 この決定に際して何が影響したのかは分からないが、少なくとも黒田はこれ以後北方専任の政治家としてその辣腕を振るい続け、大久保利通や伊藤博文らに中央における自らの地位を明け渡したとされている。 582. ひゅうが 2011/11/16(水) 17 15 00 1881年、黒田の腹心であった五代友厚のもとで「国営北海道鉄道株式会社(北鉄)」が誕生。 建設が進んでいた函館と札幌間を結ぶ函館本線が函館・小樽間で開業し、同時に青森と函館間を結ぶ青函連絡船の運航も開始された(東北本線との接続も考慮されていた)。 この頃は、札幌から日本海側を北上し、稚内に至る「宗谷本線」(当時は一括して宗谷本線と呼ばれていた)の建設が優先され、室蘭以東の路線については、北鉄が運航する連絡用客船を用いた「代替輸送」に頼っていた。 樺太においては、大泊から敷香までを結ぶ敷香線が建設途上にあり、沿海州沿岸の漁場へアクセスできる泊居との間の路線建設も計画されつつあった。 1894年の日清戦争以後は、ロシアとの緊張状態も手伝い、条約により鉄道警備隊以外の戦力を置いていない樺太に迅速に旭川の第7師団を輸送できるように建設が急がれ、 1896年には宗谷本線が開業。旭川から稚内までが結ばれた。 同時に、日露共用水路とされた宗谷海峡をにらむ形で港湾整備も進められた。 この年、ついに開業した東北本線と函館本線が接続され、また稚内と大泊間での鉄道輸送も開始された。青函連絡船に次ぐ北鉄のドル箱、稚泊連絡船の開業である。 1900年には、ついに念願であった道東部への展開も開始された。 すでに開業していた十勝線と釧路線が接続され、「釧路本線」と「根室本線」が開業したのである。 また、今までは手つかずだった日本海側の留萌以北とオホーツク海側の稚内・紋別・網走間においても鉄道建設が開始される。 これは、日英間で秘密裏の同盟交渉が開始されたこと、そして室蘭港に北海道としてははじめての「海軍警備府」設置と稚内港の「海軍要港部」化といった北方重視政策の一環であったとされる。 一方で、樺太鉄道は泊居と大泊間の連絡は完了したものの、肝心の北緯50度以北においてシベリア鉄道に加えて東清鉄道という鉄道建設が進行中であるためにまったく計画に着手されておらず、足踏み状態が続いていた。 そんな中、極東総督であったエヴゲーニイ・アレクセーエフは独断で北樺太への派兵を強行。 同時に、朝鮮半島北部への進駐を試み、日露戦争の引き金を引いた。 しかし、黒田ら北海道庁が心血を注いで整備していた鉄道網と船舶輸送路を用い、日本軍はロシア側がまったく想定外の速度でカムチャッカ半島を強襲。北樺太にはいきなり1個師団が出現し電撃的にこれを制圧するという成果を達成したのであった。 (なお、この時宗谷海峡の強行突破を図ったウラジオ艦隊は待ち受けていた上村中将率いる第3艦隊に迎撃され、見事な連携機雷戦により文字通り撃滅されることになる。このため、のちのバルチック艦隊は対馬海峡の強行突破を図らざるを得なくなってしまった。) 3、現状 日露戦争後、北方の鉄道網はほぼ北海道全土の沿海部を結び、旭川を拠点とした内陸ルートでの開業もあってほぼ完成の域に達している。 また、樺太鉄道に関しては日本側が賠償金の減額と引き換えに譲渡を受け、北樺太油田群との連絡ルートとしての「樺太本線」が1912年に開業。現在は間宮海峡側を走る間宮線(連絡船で尼港と連結)、そして尾波から神坂(カムチャッカ)の奥茶部(旧オクチャブリスキー)を結ぶ日本最長の鉄道連絡船経路が開業している。 現在は神坂(カムチャッカ)半島の南北を縦貫する「神坂本線」に加えて山岳地帯を横断する「神坂横断線(仮称)」の建設も計画されている。 択捉鉄道などへの連絡を担う鉄道連絡船は、海軍の砕氷艦の相次ぐ就役によって行動の容易さを増しており、自動車による交通網の構築が北方の環境により厳しい以上、今後も整備は継続されるだろう。 北海道の鉄路は、この地が北の要地であり樺太や千島へのターミナルである以上、これからも維持・整備されてゆくことになるだろう。 583. ひゅうが 2011/11/16(水) 17 20 34 【あとがき】――特定地方交通線なんて寝言を抜かすことをなくしてみたくて書いてみました。 あとついでに、広軌を採用した理由を「北海道は広いから狭軌なんていらないよ!」と理由づけ。 また時間犯罪の一環として宗谷海峡で蔚山沖海戦をやらかし、バルチック艦隊の針路を塞いでみましたw 説明文オンリーですが、楽しんでいただければ幸いです。 あと、宗谷本線のルートについてはいろいろ紆余曲折がありますのでその辺は突っ込まないでいただけると有り難く(汗) 584. ひゅうが 2011/11/16(水) 19 10 01 581 あくまでもearth閣下の二次創作である以上、ぼかすべきところはぼかすべきということで、勝手な表記をしたところをお詫びして訂正いたします。 同稿最後より3行目および4行目における修正としまして 「鉄道敷設局が設けられ」以後を「軌間を『広軌』に設定。最終的にはこの広軌が日本全土における標準的な軌間となった。」としたいと思います。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/8743.html
880 名前:モントゴメリー[] 投稿日:2023/08/05(土) 23 56 10 ID 116-64-135-196.rev.home.ne.jp [172/216] 日本大陸SS——首都圏高速鉄道網(通勤新幹線)計画② 小田原通勤新幹線—— 【概要】 小田原通勤新幹線は、日本国有鉄道(国鉄)が策定した輸送量増強を目指したプロジェクトである首都圏高速鉄道網計画の一部である。 その名の通り、小田原から帝都東京への通勤用路線として整備された全長約240㎞の路線である。 【計画】 首都圏高速鉄道網計画において、6本の「通勤新幹線」が計画されたのは前回の成田通勤新幹線の項目で述べた通りである。 本路線もその6本の1つであり、成田線よりも需要が見込まれた路線である。 なお、当然ながらこの方面には既に東海道新幹線が開通しており、更に第二東海道新幹線や中央新幹線も計画が始動するところであった。 つまり、本路線はこの方面における「4本目」の新幹線となる。 この計画を知らされた諸外国は一様に「正気の沙汰ではない」と、その異常性とそれを立案しなければならない人口密度及びその計画を実行できる国力に戦慄することになる。 【路線】 東京側の起点は新宿駅に設定された。 これは、東京駅に利用客が集中しないようにするための措置であった。 実際、6本の通勤新幹線の内、成田と宇都宮線以外の4本は新宿駅が起点である。 (また、成田線も先述した通り乗り換えなしで新宿駅まで行くことができる) そして終点は小田原駅であるが、既存の東海道線及び東海道新幹線と異なり、やや内陸部を進行する。 具体的には、新宿駅から渋谷を経て、当時建設中であった新都市(仮称:港北ニュータウン)を通りさらに茅ヶ崎も経由して小田原へと至るのである。 (無論、上記以外にも停車駅はあるが) この全長約240㎞の区間を表定速度150㎞/hで運行するのである。 (この表定速度は当時の東海道新幹線と同等であり、他の通勤新幹線も同様である。) 881 名前:モントゴメリー[sage] 投稿日:2023/08/05(土) 23 57 57 ID 116-64-135-196.rev.home.ne.jp [173/216] 以上です。 ウィキ掲載は自由です。 通勤新幹線シリーズ、その2でございます。 戦車の人氏が 「朝の横浜駅は地獄でっせ……」(意訳) と仰っていたので、今回は小田原通勤新幹線です。
https://w.atwiki.jp/jidai/pages/374.html
江藤新平の略歴は↓こちら 江藤新平 - wikipedia 作者名 発行日 作品名 シリーズ 時代 ジャンル 受賞歴 文庫化 映像化 電子書籍 司馬遼太郎 1969/11/24 歳月 全1巻 幕末維新 歴史小説 ○
https://w.atwiki.jp/enshutsu/pages/585.html
幸内 純一【こううち じゅんいち】 故人。漫画家、アニメーション作家。1886(明治19)年9月15日〜1970(昭和45)年10月6日。享年84歳。 現存する日本最古のアニメーション作品「なまくら刀 塙凹内名刀之巻」を制作した人物。 フィルモグラフィー ● なまくら刀 塙凹内名刀之巻(1917年) 演出 作画 ● 茶目坊空気銃の巻(1917年) 演出 ● 塙凹内かっぱまつり(1917年) 演出 ● 兵六武者修行 (1920年) ● 人気の焦点に立てる後藤新平(1924年) ● 宝珠のささやき(1924年) ● 国家を救へ(1925年) ● 醒めよ有権者(1925年) ● 予算政治(1925年) ● 市政刷新(1925年) ● 映画演説 政治の倫理化 後藤新平(1926年) 創作 原作 意匠 字幕 漫画 撮影 現像 焼付 整理 ● 協同の力(1927年) ● 普選漫史 特別議会(1928年) ● 普選漫史 協定案の巻(1929年) ● ちょん切れ蛇(1930年) 演出 作画 撮影
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/8741.html
852 名前:モントゴメリー[] 投稿日:2023/08/04(金) 23 58 12 ID 116-64-135-196.rev.home.ne.jp [164/216] 日本大陸SS——首都圏高速鉄道網(通勤新幹線)計画① 成田通勤新幹線—— 【概要】 首都圏高速鉄道網計画とは、日本国有鉄道(国鉄)が策定した輸送量増強を目指したプロジェクトである。 その愛称が示す通り、当時最新の技術を投入して開発された高速鉄道「新幹線」を通勤用路線に採用しているのが大きな特徴である。 今回はその6つの路線の中の一つ、成田通勤新幹線について述べる。 【計画】 大正時代に東京山手急行電鉄(第二山手線)を整備するなど、精力的に輸送能力を強化して来た帝都東京の公共交通機関であるが、20世紀半ばにはその努力も限界に来ていた。 東京を始めとする首都圏への人口集中に歯止めがかからず、輸送能力を上げても需要がそれを上回るという終わらないマラソンへと突入していたのだ。 政府は国家戦略的にもこの状態は危険だとし、各地方へ省庁の機能の分散とそれに伴う人口の平均化を模索し実施した。 しかしながら、その効果が現れるのは早くても21世紀初頭であり、それまで東京は通勤地獄に対応しなければならないのは変わりなかった。 そこで国鉄は「通勤五方面作戦」という新計画を策定し、首都圏の国鉄路線の基幹たる東海道本線、中央本線、東北本線、常磐線、総武本線における輸送量増強を目指した。 しかし、これら既存路線の強化には限界がありこれだけでは問題の抜本的解決とはならなかった。 そこで、当時の国鉄総裁が切った切り札が本計画である。 彼の言葉を引用するならば 『新技術によって郊外のある地区が都心部から鉄道乗車時間1 時間になれば、その土地は在来の鉄道による1時間のところと同じ利用価値を持つ』 ようになるのである。 【路線】 新路線は6つが計画され、最初に完成したのが成田線である。 これは、路線区画の人口密度が比較的低く、用地買収のハードルがその他と比べて低かったのが理由である。 具体的な路線は、東京駅から当時計画されていた新都市(仮名:千葉ニュータウン)を経由し成田御料牧場へと至る約150 #13214;の路線である。 (なお、東京駅から新宿駅まで乗り換え無しで行くことも可能である) 何故御料牧場が終点なのかは詳しい理由は判明していないが、当時の政府から「強い要望」があったのは確かである。 (観光路線としての需要を見込んだというのが定説である) 855 名前:モントゴメリー[sage] 投稿日:2023/08/05(土) 00 04 27 ID 116-64-135-196.rev.home.ne.jp [166/216] 改めて……。 以上です。 ウィキ掲載は自由です。 以前、HOST 24.184.151.153.ap.dti.ne.jp氏が 「成田新幹線を実現しようとしたら、逆に引導渡してしまった……」 と仰っていたので、自分なりに蘇生呪文を唱えてみました。 元々、成田新幹線って本文にある通り「通勤新幹線」計画が源流なので、ここは原点回帰いたしました。 じゃあ何で成田まで開通しているのか? 夢幻会鉄オタ部の皆さんの暗躍です(多分)