約 184,328 件
https://w.atwiki.jp/misumi_ran/pages/19.html
【ヒンヌー教経典より一部抜粋】 曰く、「日本史に出てくる百姓一揆に全て参加していた」 曰く、「本能寺で織田信長に介錯をした」 曰く、「女王卑弥呼は確かにあのお方だった」 曰く、「あの呂布ですら棒切れ一本で倒した」 曰く、「全てのヒエラルキーの頂点に立つ存在」 曰く、「素手で惑星を破壊した事がある」 曰く、「年齢は冥王星歴で思考する」 曰く、「ヘルメットをかぶって、マスクで顔隠しながらゲバ棒を振り回し、粛清を繰り返した」 曰く、「前からも後ろからもたっぷり虐めてあげたいわねぇ♪ 」 …という伝承が残っているのだが、この「曰く」は誰を指しているのかという資料は何者かの手により 滅失されてしまっているため、未確認情報となっている… なお、この曰くとは何者なのかを追っていた新聞記者及びテレビクルー数名が行方不明ともなっている。 475 名前:代表戸締役 ◆EP2zNwyYN2 [] 投稿日:2009/06/22(月) 09 03 20.97 ID iT30Im6+P ?BRZ(11291) sssp //img.2ch.net/ico/morarael001.gif 巨乳派は巨乳は母性であり、女性としての必須条件と主張している。しかしちょっと待って欲しい。 巨乳は母性であり、女性としての必須条件と主張するには早計に過ぎないか。 巨乳派の真摯な姿勢が、今ひとつ伝わってこない。 例えばょぅι゛ょ派からは自然な乳は美しいと主張するような声もある。このような声に巨乳派は 謙虚に耳を傾けるべきではないか 思い出してほしい、過去にも何度も巨乳派はょぅι゛ょ派の叫びを 無視している。 巨乳派はょぅι゛ょ派の自然な乳は美しいという主張を間違いであるかのような発言をして、批判を浴びた。 確かにょぅι゛ょ派にはロリコンやペド趣味に通じるという問題もある。だが、心配のしすぎではないか 巨乳派の主張は一見一理あるように聞こえる。しかし、だからといって本当に巨乳派は、巨乳は母性で あり、女性としての必須条件と主張できるのであろうか? それはいかがなものか。的はずれというほかない。事の本質はそうではではない。その前にすべきこと があるのではないか。巨乳派は、未来を担う一員として責任があることを忘れてはならない。巨乳派の 主張には危険なにおいがする。各方面の声に耳を傾けてほしい。 巨乳派に疑問を抱くのは私達だけだろうか。巨乳は母性であり、女性としての必須条件と主張したことに 対してはょぅι゛ょ派の反発が予想される。自然な乳は美しいという主張を支持する声も聞かれなくもない 巨乳派もそれは望んでいないはず。しかし巨乳派にも、みすみを愛する人もいるのである。 巨乳は母性であり、女性としての必須条件と主張する事はあまりに乱暴だ。巨乳派は再考すべきだろう。 繰り返すが巨乳派はみすみを愛する人もいるである巨乳派の巨乳は母性であり、女性としての必須条件 と主張したことは波紋を広げそうだ。今こそ冷静な議論が求められる。
https://w.atwiki.jp/take77/pages/24.html
URL http //megalodon.jp/2013-0523-2203-58/web.archive.org/liveweb/http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E9%87%8E%E5%8C%BA%E9%80%A3%E7%B6%9A%E9%80%9A%E3%82%8A%E9%AD%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6 生野区連続通り魔事件 Icono aviso borrar.png 現在、削除の方針に従って、この項目の一部の版または全体を削除することが審議されています。 削除についての議論は、削除依頼の依頼サブページで行われています。削除の議論中はこのお知らせを除去しないでください。 この項目の執筆者の方々へ: まだ削除は行われていません。削除に対する議論に参加し、削除の方針に該当するかどうか検討してください。また、本項目を既に編集されていた方は、自身の編集した記述内容を念のために控えておいてください。 生野区連続通り魔事件(いくのくれんぞくとおりまじけん)とは、2013年5月に大阪市生野区で60代の男女2人が次々と刃物で刺された[1]通り魔傷害事件。 事件の概要 [編集] 2013年5月22日午前5時15分頃、生野区新今里で、近くに住む韓国籍の男(31歳)[2][3]が通行人に「生粋の日本人ですか」と尋ねながら次々に繰り返し刺傷した[4]。通行中の新聞配達員の日本人男性(61歳)とビル清掃員の日本人女性(63歳)が犯行のターゲットにされ、被害者は腹部、背中などを執拗に何度も刺突された[4]。110番通報を受けた大阪府警察生野警察署員が、現場付近の路上で日本人男性が倒れ、さらに南西数十メートルの路上でも刺された日本人女性がうずくまっているのを見つけ、文化包丁を持って日本人女性のそばにいた男を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した[3]。 犯人は3年前から精神疾患で入退院を繰り返しており[5]、犯行後「日本人なら何人も殺そうと思った」と供述を行っている[4][2]。 脚注 [編集] ^ 大阪・生野区 通り魔か 男女刺され重傷 31歳男を逮捕|MBSニュース(2013年5月22日) ^ a b “逮捕の韓国籍男「日本人を殺す」”. FNN. (2013年5月22日) 2013年5月23日閲覧。 ^ a b “商店街で刺され男女重傷=殺人未遂容疑、31歳男逮捕―大阪府警”. 時事通信社. (2013年5月22日) 2013年5月23日閲覧。 ^ a b c 「日本人なら何人も殺そうと思った」 逮捕の男が供述 府警が捜査本部設置 産経新聞 2013.5.22 ^ 【生野通り魔】逮捕の男、精神疾患で入退院繰り返す - MSN産経west(2013年5月22日) 関連項目 [編集] 通り魔 ヘイトクライム 外国人犯罪 成都事件(日本人襲撃事件で毎日新聞記者等が殉職) 執筆の途中ですこの「生野区連続通り魔事件」は、犯罪・事件(犯罪者・犯罪組織などを含む)に関連した書きかけ項目です。この項目を加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 カテゴリ 削除依頼中のページ平成時代の事件在日韓国・朝鮮人の事件2013年の日本の事件
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/145.html
花嫁の侮辱に花婿の訴訟 訴状 東京市芝区芝公園第十四号地 弁護士 原告 澤田 薫 同市同区新桜田町十九番地 雑誌記者兼弁護士 被告 山崎今朝彌 同市[某区某町某番地] 新聞記者 被告 [甲野太郎] 請求の原因 一、被告今朝彌は持つて生れた道楽気が止まず苦しい中より遣り繰り経営する雑誌平民法律大正九年九月十日発行第九年第五号誌上に左の記事を掲載したり 私儀予々独身の処辛抱不相叶本月八日静岡市に於て結婚仕候間此段御知らせ申上候 追て細君名は愛子遠藤氏駿府城下農家の産芳記方に卅七歳に御座候 九年八月 澤田 薫 二、右文章は其中の或一字を除くの外は原告が本年八月知人中の変物共に発したる結婚披露の書状と同一文章なることは原告に於て之を認む、然れ共其或一字の変改の為めに原告の原文とは似ても似付かぬ雪と墨月と鼈の差を生ずるに至れり、其或一字の変改とは何ぞや則ち『芳記方に』の下原文には『十七歳』とありたるを『卅七歳』と為したる則ち是也。 三、案ずるに十七と卅七とは其差実に二十にして之を百倍すれば二千に達し之を千倍すれば二萬に及ぶこと現時算数学上の通説とする所なり若し不幸にして此種の差が被告の毎月支払を為す瓦斯代金の上に生じたりとすれば如何被告は眼を丸くして早速東京瓦斯会社を訴ふべく又若し労働賃銀の上に生じたりとせば被告は腕をまくりて直ちに資本家を訴ふべきは被告の素行に徴し疑を容れざる所とす、従て被告が例の『稀代の豪傑』を気取り『何ンだ多寡が数字の問題じやあないか』などと言はんと欲するもそれは世間に対して言へた義理にはあらざるなり。 四、原告の資性濶達にて寛仁大度たる、ナニこれしきの事をと歯牙にも掛けざりしが、被告は尚これに飽き足らずと為し右雑誌発行後数日大審院記録閲覧室に来り、弁護士赤井幸夫杉浦鶴次郎坂本久策及其他多人数の前に於て『澤田君の手紙に芳記十七とあるがあれは卅七といふのが矢張り本当だろうよ其証拠にはアノ平民法律を送つてやつても俺に抗議を申込んで来ない』とほざきたりといふに至つては実に言語道断沙汰の限りにして、而して叙上文字変改の事実が全く被告の故意に出でたることを自ら暴露したるものと謂ふべく、被告今朝彌の所為は畢竟原告の艶福を焼き、奇計を用ゐて其艶名を毀損したりと看做すべきものなり。 五、被告[太郎]は東京日々新聞と称する大新聞の記者にして、先頃大木喬任の倅と会見し、司法官は化石なりなどと公儀を憚らざる不届なる記事を掲げ一時鼻息を荒くしたる余勢に乗じ、大正九年八月二十二日発行同新聞第一萬五千七百五十九号紙上『雑記帳』と題する欄に左の記事を掲げたり。 これまで独身で通して来た澤田薫君は此度結婚したが其通知状といふのは『私儀とうとう我慢し切れず此度結婚仕候細君は遠藤家の産芳記正に十七と』いふのである云々。 六、嗚呼これ何たる誣言ぞや原告の結婚披露の書状は本訴状第一項に見ゆる如く其一字一句に深長の意味を寓せしめたる金玉の名文なるに被告[太郎]は之をしも了解せず愚劣読むに堪へざる右の如き悪文を掲げて以て之を原告の書状なりと為し天下数十萬の読者を誤らしめたるものにして則ち被告[太郎]の所為は故意又は過失により原告の嘖々たる文名に著しき汚辱を加へたるものと謂ふべき也。 一定の申立 略之(平民法律の紙上狭隘なるを以て) 右出訴候也 大正九年十一月一日 右澤田 薫 東京地方裁判所判事 今村恭太郎 殿 <[ ]内は仮名・仮地名> <以上は、澤田薫氏(1927年没)が著作者である。> <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
https://w.atwiki.jp/antihappyscience/pages/108.html
アイマイミーさんブログ記事、「もしかして、KJ党は参院選前に消滅?」ミラー (誤字は修正) もしかして、KJ党は参院選前に消滅? 2010-03-28 22 23 52記事NO 98 参議院議員選挙が今年の夏に施行される。各政党とも、候補者選定に右往左往しているようだ。ところが、KJ党は早々と今年の1月には、比例区に3名と、全地方区に候補者をたてた。昨年の衆議院選挙のあまりにも性急な立候補に懲りたのか、めずらしく準備を早めにしている。そして、党首の木村クンの顔写真入りのポスターがちらほら見かける。ただ、残念ながら、木村クンの顔はかわいそうだが政治家向きではないので、見栄えがしない。こういうときは饗庭クンの方が素人と受けがするのはずなのだが・・・ この参議院議員選挙をめぐっては、KJ党もおもしろい動きをみせている。 まずは、“元KK末端会員ティコ三郎の体験談ブログ” http //plaza.rakuten.co.jp/thiko3 に “KKの狂祖に会う権利とKJ党の金欠病”というおもしろい話が掲載されているので、それを引用させていただく。 退会はしているが、支部が自己都合でメールを送ってくる。本日3月27日に届いた内容を確認してみると、なんとビックリ(今に始まった訳ではないが…)下記の内容であった。 《支部メールの内容》日々のご聖業、心より感謝申し上げます。4月11日(日)の「幸福維新大会」では、主より御法話「この国の未来(仮題)」を賜ることとなりました。仏弟子一同、心より感謝申し上げます。〇〇県内全支部は、〇〇正心館が会場です。特別企画として「〇〇日日新聞」の〇〇社長がお話くださることになりました。未信者の、それもマスコミ関係者から応援をいただくのは全国初めてで、大快挙です。4月11日はぜひ〇〇正心館へ大集合しましょう。また、本会場の東〇正心館の礼拝堂には、(1)「政党へ献金150万円された方」と(2)「100人の支持者を固めた方」が、全国から御参加頂けますので、ぜひ頑張ってみましょう!申し込みは支部までどうぞ。締切は4月2日(ただし先着順で定員になり次第締め切り)です。 そして、ティコさんの楽しい解説もどうぞ。 ティコ:どの職場もあると思うが、総務課宛によくこのような新聞記者(営業)がきて、例えば〇〇イベントの件を1コマ2万円で新聞に記事を載せさせてということがある。私が某社総務課に居た頃に〇〇日日新聞の新聞記者(営業)のおっさんがきていたが、私ティコ三郎のイメージとしては、ハッキリ申し上げれば、ヤーさんと関係があるのではと思ってしまうほど、その新聞記者(営業)のおっさんの押し売りのような感じでイメージが悪かったのを今でも覚えている。その〇〇日日新聞と波長同通したならば、あれほどマスコミを嫌っていた狂祖も只事ではないと推測され、完全に悪人と共謀していることがわかりますね。 また、狂祖に会うのに(1)150万円を政党に献金した方とあるように、もし会員の方で政党に献金する方は、必ず領収書を請求してください。でないと税制面の優遇措置が受けられませんよ。本会場で偽者狂祖に会うのに150万円を献金しないと会えないのは、この不景気で一般人には無理でしょうね。ターゲットは会社社長すなわち大黒天にターゲットをしぼって金を請求してますが、このメールの内容は政党献金の強要にはならないのだろうか?いずれにしても、今のままでは参議院選もまともに戦えないと言っているようなものですね。 それと、3月28日の産経新聞の広告に、『幸福維新を起こさん!』(幸福実現党 党首 木村智重著)、そのキャッチコピーに、「いきなり、0勝399敗! それでも幸福実現党は、なぜ戦う?」 とあったので、KJ党が、参議院選挙に全力をあげていると一見して感じ取れる。 しかし、私は、もしかして、KJ党は参議院選挙前に選挙から撤退するのではないかという“危惧”を抱いている。その危惧は二つの視点から感じる。一つは、HS組織の側からであり、もう一つはアンチの側からである。 HSの側からの危惧は、資金上の問題もあるだろうが、それ以上に、狂祖の心変わりにより、急に選挙撤退を言いだし、組織的に大混乱が起きそうな気がするのだ。 そして、アンチの側からの危惧とは、この参議院選によって大量脱会に歯止めがかからなくなるはずなのが、選挙撤退によって、その規模が縮小されるのではないかという危惧である。 では、なぜ、参議院選挙前までに撤退する可能性を予測するのかと言えば、狂祖の心変わり=気が変わりやすい、なにごとも長続きしない狂祖の性格をよく知っているからである。思い起こしても、狂祖が提起していった、いろんな社会的な行動は、一年くらい立つと、「あれ? たしか1年前くらいはこんなことをしていたなぁ」と全く過去の出来事になっているからである。 たとえば、講談社への仁義なき戦いも、講談社・フライデーの会の抗議活動も(会長と副会長をのぞき)、講談社書籍の不買運動も、一年近く立つと雲散霧消している。それから、数年してアクションをおこした創価学会への無謀な挑戦も、公明党(新進党)への選挙違反告発キャンペーンも、そして、自民党にすり寄っての選挙活動(95年)、世間から物笑いとなった三塚博擁立など、数々の対外的活動も一年後には、笑い話のタネでしかなくなっている。 このことから推測すると、昨年の衆議院選挙をあまりにも大々的にやりすぎたため、その反動で、参議院選挙はそうしてもこぢんまりに見えてしますが、ちょうど1年たつころなので、いつのまにか狂祖が「撤退!」と言い出すのではないかと思うのである。 これは、狂祖の性格による。典型的に“熱しやすく、冷めやすい”からである。方針はコロコロ変わる。朝令暮改は日常茶飯事。私がしっている事例では、人事発令が3時間で変更されていたこともある。 今回の選挙撤退の予測は、狂祖の性格によるであろうと推測しているが、同時に、現実問題としての資金繰りの悪化がその背景にある。 今回の参議院選挙での供託金(これは告示前に法務局に供託しなければならない)については、比例区、地方区で合計15900万円を必要としている。選挙費用と宗教法人の会計は本来別々にしなければならないのだが、HSの性格上、HSで資金を集めて、KJ党に資金を貸し出すようなことをしているらしく、KJ党単体での資金力は弱いと思われる。そのため、HSにしてみれば、KJ党に貸し出した資金の回収は厳しいといわざるをえず、HSの資金繰り悪化がKJ党に及ぼす影響も大きいはずだ。 では、ここで、参院選撤退の理由(推論ではあるが)を、狂祖の性格や行動パターンから述べてみよう。 まず、狂祖はすでに選挙には興味を失っていると思われる。なぜなら、木村クンが党首に固定されて、半年くらいになる。これは異例なことだ。狂祖は人事をいじくり回すのが大好きなのだ。昨年の総選挙のときなど、党首がコロコロ替わったのは記憶に新しい。世間からは、物笑いの種になったが、狂祖本人は何とも思っていなかったはず。むしろ、積極的介入でてこ入れしたぐらいにしか思っていない。つまり、人事が固定されると、もはやそこには興味がないのである。 つぎに、今は、霊言という戯言を次々に公開したり、出版している。この霊言は、狂祖の得意分野(?)のひとつではあるが、“方便の時代は終わった”以降、「封印」していたのを、昨年の総選挙の際に、あっさりと解除してしまった。そして、まるで馬鹿みたいに妄想を語りまくっている。それも、最初は政治論が主体であったのが、今や、「宇宙人」とか「悪魔」とか、カルト宗教でありつつオカルト色を極めて濃厚にしている。関心がいつのまにか政治の世界から消えてしまった。霊言でも、参議院選挙もはや、関心の外にある。 しかも、こうした霊言という戯言は、狂祖自身のエネルギーを異常なほど消耗させる。かつて、東京ドームその他で行われた講演会などでは、講演前は1ヶ月(リハーサルに必要だったんでしょう)、講演後2週間(休養・充電)は原則として引きこもり生活だった。96年のイノベーション以来、引きこもりを10年間続けてきた中年男が、昨年の夏に急に表舞台に飛び出してきたのだから、もう燃え尽きている。 狂祖の本音は愛人たちとゆっくりと耽溺生活を送りたいのだが、そうもいかない事情があるから、体に鞭打って霊言をしているだけなのだ。なにせ、幹部連中(吉田一派)には霊能力がないと見破られ、(この間の事情は、「総裁にすぎない酷師の憂鬱」 http //maruta.be/imyme/54 「同 つづき」 http //maruta.be/imyme/53 を参照)、その上、贅沢生活を維持するための費用に莫大なお布施を必要とするために、泣く泣く八面六臂(?)の活動せざるをえないのだ。 それを裏付けるような記述が、事情通の方から2chにカキコがあったので、引用させていただく。 563 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 16 03 39 ID kx5Q+dcx 年間の支部の予算(上納金の目標額)は2億から3億だったと記憶しています。 これを300支部で「集金」していると仮定して600億から900億が巻き上げられていたと考えられます(精舎の収入は別)。必達して少なくとも年間600億円もの上納金があれば 昨年選挙の時に狂祖が言った「10億円はゴミ」発言もなるほど納得と言った所でしょう。 狂団にとって大ダメージになったのは1支部あたり年2億~3億の収入で見込んでいたものが昨年後半の第4Qで急降下してしまい年間1億を割るような支部が続出したのだと思います。年が明けて第1Qに入り一月の植福状況をモニターしても数値が回復するどころか、さらに減少傾向が見られたために2月にテコ入れをする事になったと推測できます。 しかし打つ手、打つ手がすべて後手に回った上、間違った報告(都合の良い報告)を基準に統合失調症気味に狂祖が幹部と考えた作戦を遂行した結果、逆効果を起こして更なる離脱者を生み出しているようです。 最初のお金の話に戻ると、現状のペースで行っても今年の年間収益は300億前後にとどまる見通しで、これに様々なコスト(特に人件費と箱物の建築費、維持費)が追い討ちをかけており、先の見通しはかなり暗いものになった様です。 今後お金を巻き上げる対象は「まともな人」から「行き場のないおかしな人」や、誰かの指摘にあったような「情報弱者、お年寄り」にどんどんと傾いて行きますから、悪質な布施の強要は増加すると思われます。 なお、この方が後の時間で指摘しているのは“おそらく狂祖や幹部の頭の中では「うちは1000億(年商)企業!」 という感覚で去年の暴挙に挑んだんだと思います。”ということであった。 やはり、資金的なダメージは極めて大きい。そのために必死で資金手当をしようとして、霊言という戯言を乱発し、精舎などの施設で高額セミナーを開催する。 ん? これって、講談社事件後の資金繰りに窮して、自社物件でセミナーをしたり、正月に狂祖に礼拝させた行事そのままではないか。 私は、そのとき、狂祖のそばにいて間近に見ていたが、そのときアラサーだった狂祖はもうバテバテで、正月後のお忍びの京都旅行では、大文字焼きの山にやっとこさ登ったくらいの体力しか残っていなかった。あと数年で嵐寛寿郎(通称アラカン=アラ還)になるのだから、愛人たちとの消耗も含めて、もっと体力は落ちている。 正直、選挙どころではないはずだ。興味もすでに失っている。参議院選挙前にも撤退は十分にありうる。かりに選挙に臨んだとしても、これで「終了」となるだろう。否、終了せずにはいられない。しかし、会員の脱会は、どうのような状況にあれ歯止めはきかない。終焉への第二章である。 名前 コメント このページを編集
https://w.atwiki.jp/karasama/pages/69.html
- 【用心棒】 温泉地には酔客が集まるもので、アメリカのカリフォルニアの温泉 (向こうでは健康のために入浴) では、酔っ払いの溜まり場にならないように 用心棒 (ガードマン) を置いていると。 『スーパーモーニング(テレビ朝日)』2008年1月14日 それに対する2ちゃんねるの名無しさんの書き込みは、 1960 年代にドラッグをキめたヒッピーが温泉地に押し掛けたため治安が悪化 ――という話なら、80 年代初頭のポパイ等に書かれていたようなことだけど、 スパリゾートブームの現在は普通の施設と同様に警備員が常駐しているだけ、 「わざわざ『カリフォルニアの温泉に用心棒』って何故そんな事言ったんだろう?」 というもの。 ざっとググってみた限りでも、確かに水着着用が普通とか、場所によっては 会話禁止とか、何だかスポーツ施設についているジャグジーみたいな感じ。 酔っ払いがたむろして嬉しいような施設ではないのではないか。 また、1960 年代を引きずって治安の悪い温泉があったとしても、酔っ払いとか じゃなくてジャンキーとかがウロつくんじゃないかと考えると、ガセビア扱いを してよいのではないかと思う。 トンデモない OLD 【金嬉老事件】 金嬉老事件へのコメント 唐沢●僕もね、子供でしたけど、カッコいいっていうか、ヒーローっていうかな、 そう言う風に思っちゃうんですよ。 当時読んでいた漫画に彼を主人公っていうか モデルにしたようなマンガがねいくつもあって、 そういうのを読んで、その やっぱり世の中になんか不安、矛盾とかがあるってのは 子供心に解るわけで、それがいま彼がそこに文句をつけて、テレビマスコミという その当時肥大化した、そういうマスコミを通じて文句をつけているのが新しい事件 っていう感じがしましたね…(ここで目が泳ぐ) 『スーパーモーニング』2008年2月11日 どうして今わざわざ金嬉老事件を取り上げるんだとか、 テレビ朝日の姿勢自体への疑問もあるだろうが、 金嬉老について、 「当時読んでいた漫画に彼を主人公っていうかモデルにしたようなマンガがねいくつもあって」 はガセビアだろう。 まして、人質をとって立てこもる殺人犯を、悪役でもアンチヒーローでもない「ヒーロー」として かっこよく描く少年誌が当時、それもいくつもあったとは考えにくい。 当時の少年も漫画も、差別されていて可哀想だからという過剰な配慮には あまり縁がなかったのだから。 (アメリカ人に差別される日本人など、自分が差別される側の場合はまた別として)。 まあ、新聞記者とかのマスコミ、警察、人質を含むその他大勢を、 悪役の犯人よりさらに下におくような軽い扱いも平気というのは、 古い少年漫画にはありがちだったから、警察やマスコミをコケにする悪役だったら いくらでもいただろうけど。 追記 コメント欄に藤岡真氏が書いてくださっている通り、 金嬉老を主人公とかモデルにしたような漫画がなかったことは、 藤岡氏の記憶でも漫棚通信氏からのコメント (藤岡氏のメールへのお返事) でも 裏付けられているとのことで、ガセビア認定してよいでしょう。 トンデモない OLD
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/127.html
アジア推理小説翻訳史 中国編(2) 2011年5月31日 ※未完成 中国のミステリの日本語への翻訳は、現在にいたるまでほとんど行われていない。1930年代にはすでに雑誌『新青年』で中国の短編探偵小説が4編翻訳掲載されているが、その後は続かなかった。これは、そこで翻訳された作品が中国の探偵小説の中でも必ずしも良いものだとは言えなかったことや、初出年や作者に関する情報が何もなく、それらの作品がいったい中国においてどのような位置づけの作品なのか分からなかったことなどが原因だろう。もっとも、1940年代には、欧米のものも含め、海外の探偵小説の邦訳はほとんどなくなる。戦後、欧米探偵小説の新訳が刊行出来るようになるのは、1949年のことである。 それでは、日本のミステリ界は中国のミステリにまったく関心を寄せていなかったのかというと、そんなことはない。戦後、江戸川乱歩を中心とする探偵作家が集まって、土曜会という探偵小説を語る会が1946年6月から毎月1回開かれていた。そして、1947年6月21日、すなわち探偵作家クラブ(現・日本推理作家協会)創設の日に開かれた第13回土曜会では、探偵作家クラブ会員で作家の東(あずま)震太郎氏が「中国の探偵小説界」と題する講演を行っている。最初に日本のミステリ界で中国の探偵小説について詳しく紹介したのは、おそらくこの東震太郎氏だと思われる。 第13回土曜会(1947年6月21日)東震太郎「中国の探偵小説界」 渡辺三樹男「ソ聯の探偵小説界」 (講演タイトルは予告では「中国の探偵小説」、「ソヴエットの探偵小説および大衆芸術」となっている(会報第1号)) 中国の探偵小説についての東氏の講演と同時に、毎日新聞記者で5年間のソ連滞在経験のある渡辺三樹男氏によるソ連の探偵小説界に関する講演も行われた。なお、朝日新聞記者の渡辺紳一郎氏による「欧米探偵小説の近況」と題する講演も予定されていたが、これは渡辺氏の入院により中止となった。この日は、講演に先立って探偵作家クラブ創設に関する江戸川乱歩の挨拶や、水谷準による設立の経緯の報告、探偵作家クラブ規約の拍手による承認、木々高太郎の挨拶などがあり、作家や翻訳家、出版関係者など計60余名が参加し、土曜会始まって以来の盛況だったという。 その前月の1947年5月17日に開かれた第12回土曜会にも東震太郎氏は出席している。第12回は東大教授の古畑種基が「犯罪と法医学」と題する講演を行ったが、探偵作家クラブ会報第1号(1947年6月)によれば、このときに話がたまたま中国の探偵小説界の話になり、終戦前後に上海にいた東震太郎氏が、乱歩の『白髪鬼』、『蜘蛛男』、「D坂の殺人事件」、「一枚の切符」等が中国語に翻訳され好評を得ているという情報を紹介した。おそらくこれをきっかけにして、次回でより詳しい話を聞こうということになったのだろう。 第13回での東震太郎氏の講演の内容は、会報第2号(1947年7月)にまとめられている。曰く、 「ビガース(米)の伸査礼(チャーリーチャン)探偵は、人物が温厚謙遜なので好まれている」 「ルパン、ドイルは夙に翻訳され、わが乱歩の「D坂の殺人事件」「二銭銅貨」「白髪鬼」「蜘蛛男」等も訳されている。」 「創作は至って少く、張恨水、耿小適等の作品も、人情本又は之に類するものであり、曹禹も実録物を書いている。」 「種本は、康煕年間に多い公案物(裁判物)が主で、中にも「龍図公案」(包公案)はその模倣が多い。この本は例の「棠陰比事」と同じくわが「本朝桜陰比事」の淵叢で大岡政談的な物語が六十三種も収録されている。又、謎々的な一種の暗号めいた「柏案驚奇」と云った本も好まれている。」 (すべて新字体新仮名づかいに改めた) アメリカの推理作家ビガース(現在では「ビガーズ」が普通)が創造したチャーリー・チャンは、ホノルル警察の警部で中国系アメリカ人という設定。このころには少なくとも、程小青訳のものが刊行されていた。程小青(1893-1976)は、ホームズシリーズにならって霍桑(フオサン)シリーズを執筆し人気を博した探偵作家だが、翻訳も多くこなしている。現在ではチャーリー・チャンの中国語表記は陳査理(チェン・チャーリー/陈查理)が普通だが、このころは伸査礼(シェン・チャーリー)と書いていたんだろうか。 中国で早い段階でホームズやルパンが読まれていたというのは、中国ミステリ史 前編で述べたとおりである。「二銭銅貨」も訳されていたとのことだが、暗号部分は一体どうなっていたのだろう。 中国のオリジナル作品の現状や発展については、東氏はかなり悲観的な見方をしている。張恨水、耿小適という作家がいたそうで、前者は検索してみると「中国通俗小説の巨匠」としてヒットするが、後者は1件もヒットしない(張恨水:百度百科、中国語版Wikipedia、英語版Wikipedia)。曹禹(百度百科) 中国ミステリの始祖の程小青が訳したものが刊行されていた。 2人のまた、同号にはそれとは別に、東震太郎氏のエッセイ「中国の探偵小説」が掲載されている。 東震太郎氏は、1948年3月頃には戦後の作品をまとめたスリルとユーモアの小説集『素敵な双曲線』(トナミ書房)を刊行したが(会報9)、同年春に肋膜炎になり、夏より世界文庫出版部長を辞任して自宅療養に入る(会報16)。療養中にも作品を発表していたが、1949年6月3日、38歳という若さで逝去した(会報25)。本名・春田武。戦前はジャーナリストとして大陸方面で活躍。戦後は世界文庫社に入社し、雑誌『新生活』の編集者として勤務の傍ら、軽妙な筆致のユーモア探偵ものや、中国の怪奇幻想の物語を書いた。単行本は、『素敵な双曲線』のほかに、『七色真珠』(世界文庫)がある(会報25)。 雑誌『新生活』を通じて交流のあった徳川夢声は、東震太郎氏逝去の報せが載った会報第25号(1949年6月)に、「幽霊を待つ」というタイトルの追悼文を載せている。 東震太郎 探偵雑誌掲載作「趙少濂の遺書」(『黒猫』1947年10月号) 「白氏残恨」(『宝石』1947年10月号) 「色めがね」(『Gメン』1948年3月号) 「裸婦と壺」(『黒猫』1948年9月号) 「S子像綺談」(『Gメン』1948年11月号) 「変な女」(『X』1949年8月号) http //homepage1.nifty.com/naokiaward/kenkyu/kenkyu_21TM.htm 土曜会、その後 第18回では柴田天馬「中国文学に現れた犯罪、探偵」。 第47回 渡辺三樹男…『ソ聯特派五年』(上海書房、1947年)、『ソ連特派五年』(外国文化社、1948年)の著者。(→ソ連/ロシア推理小説翻訳史(3)参照) 渡辺紳一郎…函館市中央図書館のページ:http //www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/jimbutsu_ver1.0/b_jimbutsu/watanabe_shin.htm 。伊礼次五郎というペンネームで『新青年』や『モダン日本』にショートストーリーを発表。また戦後は、『オール讀物』に小説「泰西名画事件」を発表している。 アジア推理小説翻訳史 目次に戻る
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/6541.html
大東亜戦争 / 人物 / 軍人 +クチコミ検索 #bf +ブログサーチ #blogsearch +ニュースサーチ 【文藝春秋 目次】創刊100周年記念 トヨタ豊田章男社長「すべての疑問に答える!」/天皇と日本人 | 文藝春秋2022年新年特別号 - 文春オンライン 長岡とハワイの中学生が交流 真珠湾攻撃80年 意見交換、互いを尊重 - 47NEWS 「無差別爆撃」を発案したのは山本五十六…という説は本当なのか? - 現代ビジネス 鎮魂の白菊打ち上げ・長岡 太平洋戦争開戦80年 - 47NEWS 真珠湾攻撃80年 宇佐・佐伯で企画展【大分】 - goo.ne.jp 山本五十六の出身地で、地元とホノルルの中学生同士が交流…平和について語り合う - 読売新聞 香取慎吾:山本五十六は演じたかった「トップ・オブ・トップの役」 過去にそうそうたる役者、最初は“重圧”も - MANTANWEB 《真珠湾攻撃80年》元参謀が語った作戦当日の朝「ニコニコしながら話し合っていた」「タバコか酒でも買いに行くような格好で静かな顔つきをしていた」 - ニコニコニュース 20歳で…弟が真珠湾で戦死、葬儀で涙見せぬ母 忘れられない姉「戦争は嫌」 懐かしみ願う平和な世界(埼玉新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 平和への思いと裏腹に 連合艦隊指揮・山本五十六 真珠湾攻撃80年 郷土愛し 回避へ努力 - 新潟日報 山本五十六の孫「戦争避けたかったはず」 平和思い強く(写真=共同) - 日本経済新聞 香取慎吾「ビックリするぐらい気持ちがいい」 丸刈りの良さアピールも稲垣吾郎「想像つかない」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 高良健吾、片岡愛之助、國村隼らが香取慎吾主演「倫敦ノ山本五十六」に出演 - モデルプレス 報道特集[字] - tbs.co.jp 夜明け前にミッドウェーへ向かった零戦 空母で見届けた100歳の記憶 - withnews 日米開戦80年-プレミアムA:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』HP発表とドラマ『山本五十六』主演で、いよいよ待たれる「最後の男・香取慎吾」 - 日刊大衆 香取慎吾主演『倫敦ノ山本五十六』追加キャストに高良健吾&片岡愛之助ら メインビジュアルも公開 - 中日新聞 SMAP解散から5年 5人の仕事は今どうなっているか 中居正広だけがCMゼロの意外(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 米内・井上・山本五十六 「海軍三羽烏」の毅然たる態度は今の官僚に望めない - Forbes JAPAN マツケンサンバ紅白出演決定で「カツケン」は? さらに「徳川慶喜」の共演期待も(東スポWeb) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 『女系家族』矢島嘉蔵役に役所広司 宮沢りえと共演で「本当に素晴らしい女優さん」(オリコン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース エンジン倍で性能倍! とはならなかったけど結果を残せたレシプロ双発戦闘機5選(乗りものニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ドラマ1週間:「ONE PIECE」ハリウッド実写ドラマで新田真剣佑がゾロに 香取慎吾が山本五十六役で17年ぶりNHKドラマ - MANTANWEB <ドラマ1週間>「ONE PIECE」ハリウッド実写ドラマで新田真剣佑がゾロに 香取慎吾が山本五十六役で17年ぶりNHKドラマ(MANTANWEB) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 香取慎吾が山本五十六役に挑戦! NHKドラマに17年ぶりの出演 - モデルプレス 香取慎吾が山本五十六役で〝リアル丸刈り〟 ほかの仕事どう対応したのか - 東スポWeb 香取慎吾が山本五十六演じる「視聴者の皆様にその瞬間お届けできるように」 - ニッカンスポーツ 香取慎吾さん主演 太平洋戦争80年・特集ドラマ「倫敦ノ山本五十六」制作開始! - nhk.or.jp 「君の似顔絵にキスをしながら…」 堅物 の山本五十六が戦地から送った 手紙の内容 激務の中、60通以上を書いていた - PRESIDENT Online 日米開戦80年の真相…山本五十六が「日本必敗論」のウラで「真珠湾攻撃」に踏み切った本当のワケ - 現代ビジネス 金融緩和の功罪(上) ゼロ金利より正常化が適切 - 日本経済新聞 チャーチルお気に入り「プリンス・オブ・ウェールズ」喪失の意味 新鋭艦なぜ極東へ?(乗りものニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 非戦の軍人・堀悌吉の譲れない信念 | RKBオンライン - rkb.jp 異色の軍人・山本五十六 避戦、早期講和を阻んだ組織の壁 - WEDGE Infinity 「日本の敗戦」へとつながった、ミッドウェー海戦「3つの問題点」 - 現代ビジネス 米国人に「日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか」と聞かれたら、どう説明しますか? | 日本とアメリカの終戦記念日は違う - courrier.jp 香取慎吾、『新選組!』以来17年ぶりにNHKドラマに出演!「この役としっかりと向き合いたい」<倫敦ノ山本五十六> - モデルプレス 【書評】『「太平洋の巨鷲」山本五十六 用兵思想からみた真価』大木毅著 「軍人」山本を等身大で評価 - 産経ニュース 開戦の備えは? 山本五十六に航空本部長が明かした衝撃的な状況 - JBpress わかやま新報 » Blog Archive » 山本五十六で活性化 和歌の浦発カレー好評 - わかやま新報オンラインニュース 「うつし絵に口づけしつつ幾たびか」ミッドウェイ作戦出撃直前、山本五十六が愛人へ送った“甘すぎる恋文”とは - 文春オンライン 「半年か1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら…」山本五十六が忌み嫌った“日独伊三国同盟”締結の裏側 - 文春オンライン 「山本五十六方式」で家事を仕込む! 夫を上手く動かす妻の作戦とは? - NEWSポストセブン 映画「山本五十六」で使用 ゼロ戦模型、茨城県笠間市に“帰還” 「筑波空」のシンボルに - 47NEWS 山本五十六の孫が館長に 新潟・長岡の記念館 - 朝日新聞デジタル 【4月18日の話】山本五十六、撃墜される…ジャングルに消えた機体には鮮やかな日の丸が | Smart FLASH[光文社週刊誌] - SmartFLASH 山本五十六の心境 書ににじむ 弥彦で史料展示 - 新潟日報 文春に眠る「太平洋戦争の肉声」、浮かび上がる日本人の意外な姿とは - ダイヤモンド・オンライン 戦術の凡将、戦略の名将 80年後の「山本五十六」像|NIKKEI STYLE - 日本経済新聞 日本近代の戦費調達を分析 非常時乗り切る財政策とは|NIKKEI STYLE - 日本経済新聞 <戦火の記憶 戦後75年 1945→2020>運命の電報 ニイタカヤマノボレ 一二〇八 開戦告げた無線塔 - 東京新聞 《霞月楼コレクション》10 山本五十六 真珠湾攻撃直前に届いた手紙 - NEWSつくば 豊川悦司、ハリウッドからの山本五十六役オファーに驚き - シネマトゥデイ 豊川悦司、山本五十六役のオファーに本音「正直びっくり」 - 映画.com 豊川悦司、山本五十六役のオファーに驚き「なぜ僕のところに…」 - ORICON NEWS 映画「ミッドウェイ」豊川悦司 山本五十六の孤独、心の揺れ - 産経ニュース 連合艦隊司令長官・山本五十六の生涯の友、非戦の軍人・堀悌吉の信念をたどる - ザテレビジョン 「陣中日記」改ざん、都合が悪い1冊を「電車で紛失」…戦時中の「伝説や史料」その“真贋” - 文春オンライン 「息子を死なせたくなかったら陸軍大学校へ」 無謀な戦争で、山本五十六は何を目指したか - 文春オンライン ある軍医が残した資料 墜落後、山本五十六は生きていた?|保阪正康 日本史縦横無尽 - 日刊ゲンダイ 日本の太平洋戦争の象徴 山本五十六はなぜ撃墜されたのか|保阪正康 日本史縦横無尽 - 日刊ゲンダイ ミッドウェー海戦と山本五十六の戦死で「挫折」を迎えた|保阪正康 日本史縦横無尽 - 日刊ゲンダイ 「日本人は山本五十六の指摘を忘れてはならない」元・豪首相上級顧問が語る中国 - Forbes JAPAN ダメダメバイトを最優秀スタッフへ大変身させた「ほめる力」の威力 - ダイヤモンド・オンライン 【昭和天皇の87年】山本五十六は名将か愚将か 機密を愛人に漏らした油断と慢心 - 産経ニュース 豊川悦司が山本五十六役で出演! 日米キャスト共演『MIDWAY』日本公開決定 - クランクイン! 三船ならではの大らかさ 人間味あふれる司令長官――春日太一の木曜邦画劇場 - 文春オンライン にいがた人模様:連合艦隊司令長官 山本五十六元帥(享年59) /新潟 - 毎日新聞 舘ひろし、山本五十六演じ「日本は同じ過ち重ねていないか」 - NEWSポストセブン スティーブンス元米最高裁判事死去、山本五十六撃墜で死刑に疑念 - AFPBB News 『アルキメデスの大戦』にも登場する伝説の軍人・山本五十六は映画の世界でもおなじみ! | ガジェット通信 GetNews - ガジェット通信 山本五十六:長岡で77回目の法要 連合艦隊司令長官 /新潟 - 毎日新聞 新人育成の最重要ポイントは山本五十六が教えてくれた - 産業保健新聞|ドクタートラスト運営 - 産業保健新聞 今週の本棚・本と人:『山本五十六の戦争』 著者・保阪正康さん - 毎日新聞 【甲信越ある記】山本五十六記念館 故郷への愛と他者への思いやり実感 - 産経ニュース 【開戦あの日・映画でみる太平洋戦争】一般ウケはしたが事実と異なるところも… 「聯合艦隊司令長官 山本五十六」 - ZAKZAK 山本五十六、非戦訴えた友へ遺髪 堀中将と絆 大分県立先哲史料館 - 47NEWS 舘ひろし、俳優人生初の丸刈り!「アルキメデスの大戦」で山本五十六役 - 映画.com 「ヤマモト」は山本五十六を想起し混乱招く? 米カリフォルニアの校名変更で中国系反発 - 産経ニュース 戦艦「長門」の軍艦旗 山本五十六の故郷、新潟・長岡市に帰る - 産経ニュース 戦艦「長門」軍艦旗、山本五十六の故郷・長岡市に 米記念館が寄贈 新潟 - 産経ニュース 日米開戦を阻止できなった山本五十六は、結局は凡将でしかなかった (2017年8月15日) - エキサイトニュース 軍国少年の憧れだった海軍大将、山本五十六ゆかりの聖書とプロペラ - クリスチャントゥデイ 山本五十六を騙した詐欺師の「驚くべき手口」 - 現代ビジネス 山本五十六:遺徳しのぶ 七十五回忌法要に80人 長岡 /新潟 - 毎日新聞 山本五十六の言葉が身にしみる カンボジアの「スパボー」売り体験 - J-CASTニュース 「山本五十六は開戦反対」展示 真珠湾のアリゾナ記念館 - 朝日新聞 山本五十六の長男が語る「真珠湾攻撃」暗号戦争の真実 | Smart FLASH[光文社週刊誌] - SmartFLASH これは上司に読ませたい!…山本五十六が考える人材育成論 (2016年11月8日) - エキサイトニュース 「人にはみな、与えられた天職がある…」山本五十六が考えた組織人の要諦 (2016年10月25日) - エキサイトニュース 中国は山本五十六の苦悩を知っているか? - WEDGE Infinity 【銀幕裏の声】山本五十六、1枚の写真が解き明かす「実像」 亡き部下の子を抱き、涙する司令官 - 産経ニュース 壁にぶつかった企業を甦らせた山本五十六の言葉 - JBpress 【歴史事件簿】パールハーバーの誤算(2) 職を賭した山本五十六の「奇襲」決断…開戦は宣戦布告30分後 綱渡りの全軍突撃命令 - 産経ニュース 山本五十六も愛した「霞月楼」 老舗料亭ツイッターで発信 - 日本経済新聞 役所広司「魂安らかになれば」 五十六の故郷・長岡“冬花火”に感激 - cinemacafe.net 役所広司、山本五十六を演じ「どうして戦争が起こったのか考えるきっかけになれば」 - cinemacafe.net 役所広司“国を守る”信念を胸に「山本五十六」撮了 - エイガドットコム 山本五十六が感じた焦燥感と深い悲しみ - PRESIDENT Online ● 山本五十六〔Wikipedia〕 ■ 真珠湾攻撃は山本五十六の私戦だった? 「失われた日本史 - にきみたまの道」より / 松川克彦氏が書いた「日米戦争勃発と山本五十六に関する一考察」を偶然ネットで発見、読んでみた。 松川氏は、レポートの冒頭で「日米開戦原因については多くの研究の蓄積がある。しかしながら山本五十六の果たした役割についてはいまだに不明の部分が多いと考える。それが、従来あまり触れられることのなかった山本五十六の開戦責任について、この試論を書いた理由である。」と述べている。 また、海軍省、軍令部など、海軍関係者の発言経過などを調べ、かなり精緻な状況分析を進め、真珠湾攻撃がどうしてああいう奇襲となったのか、以下に結論づけている。 https //ksurep.kyoto-su.ac.jp/dspace/bitstream/10965/1060/1/AHSUSK_SSS_31_249.pdf 当時の軍令部員の反省の言として、「海軍には大戦略がなかった」、そのために「流れに従って流され」たのである。事態は「山本さんのただ一押し、御一存で戦争が進んだ」のである、と振り返っている。軍令部総長永野は、山本長官がそれほどまでに言うのであれば「やらしてみようじゃないか」と言うのであるが、「演習のときならいいっていうんですよ。ところが国の運命をかけるような作戦を、それじゃやらしてみようかとはなにごとだ」、と永野を批判する元軍令部員の発言もある。 永野軍令部総長、次長、参謀、いずれも「山本に頭が上がらな」かったと、ある軍令部員は当時の状況を語っている。もし山本のこれほど強力な働きかけがなければ、真珠湾攻撃は実現されなかったかもしれない。いずれにせよ「真珠湾攻撃という戦術的大成功は、戦略的大失敗と断ぜざるをえない」という評価がまさに妥当といえよう。開戦の背景には多様な理由が挙げられる。山本のみが開戦の原因となったのではないが、しかしその直接の原因を作った計画の発案者としての立場は、日米戦争勃発の核心に触れる問題であり、更に精緻な研究が必要となろう。 しかしここに、まだ残る疑問がある。当代最高の教育を受け、アメリカ滞在も長く、教養も知性も高いこの人物が、ハワイ奇襲によってアメリカ人の「士気を沮喪」させることができると本当に信じていたのだろうか。アメリカが講和を申し込んでくると考えていたのかということである。 「帝都その他の大都市を焼尽」することを防ぐためともいうが、当時アメリカにそれが実際にできると考えていたのか。たとえば爆撃機を搭載したアメリカ空母が接近してくれば、まさに日本側の待ち構えていた「邀撃作戦」の発動となる。それを潜り抜けて日本海軍との戦闘の合間に母艦機を発艦させたとしても、そのうち何機が東京に到達できるのか。それでは、B-25 のような爆撃機が中国の蒋介石支配地域から発進して、往復4000 キロという遠距離の飛行をして1 機につきわずか1 トンの爆弾が投下される可能性を恐れていたのだろうか。 山本五十六には、9 月6 日の御前会議における天皇の意向、「外交を優先させよ」、は耳にはいらなかったし、10 月17 日天皇が東條英機首相にたいして示した戦争計画の「白紙還元の御諚」のことも気にならなかった。上述したように、山本はいずれもこの直後に軍令部に奇襲計画承認を迫っている。 空母6 隻、全勢力を使用しての奇襲計画が認められなければ、連合艦隊司令長官のポストを辞すると言っているのである。 しかし山本は、真珠湾奇襲を決行すればアメリカに「勝つ」とは言っていない。それならば現実的 には根拠がなく、勝利の見通しのないこうした「固い信念」のために敢えてアメリカを挑発する理由は何だろうか。その理由の一つは、逆説的に聞こえるかもしれないが、日本が敗れることを知った上でのものではなかったかということである。日本が先に手を出せばアメリカは必ず反撃してくることを承知の上での計画実行だったのではなかったのかという可能性も捨てることはできない。 そこには祖父を戊辰戦争で失い、その遺体さえも埋葬することができなかった「賊軍」の家族の一員として、アメリカの手を借りて「維新政府」に一矢を報いるという意識が根底にあったのではないかとも推測される。 またそこには橘孝三郎の農本主義思想に影響を受けた茨城県の農民が、資本主義の牙城、「農村を搾取している東京」が戦争末期米軍の空襲にあい炎上していることを知り、「手を打って喜んだ」というような意識に通じるところがあったのかもしれない)。山本の心理には、このような屈折したところが潜んでいたのではないかとも考えられる。 提督が胆の底で何を考えていたのかは、誰にもわからない。上は推測ではあるが、山本五十六の「固い信念」の非現実性を説明し得る一つの仮説としてここに付け加えたい。 (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) ■ 大東亜戦争と東京裁判とシリア攻撃 「浮世風呂(2013.9.1)」より (※ 前略、詳細はブログ記事で) / ◆山本五十六元帥はアメリカのスパイであった アメリカに対しては迎え撃つ作戦をとり、インド洋の兵站を遮断すれば連合国側の作戦はどうなったかわからない。英国軍もインドに孤立して動けなくなったであろうし、北アフリカ戦線やソ連への補給も止まってしまっただろう。さらに関東軍をそのままにしておけばソ連は多くの軍がシベリアに釘付けになったはずだ。 ガダルカナル戦およびソロモン海戦で極めて特徴的なことは、日本軍に戦略というものが全く存在しなかったことだ。山本長官はソロモン海戦においても南雲忠一中将、草鹿龍之助参謀長、原忠一少将、さらにのちのレイテ沖海戦で「謎の反転」を演じた栗田健男中将などの無能な司令官を投入し、日本艦隊の消耗を加速させた。その分、アメリカ側の被害は最小限で済んだのである。 山本長官はソロモン海戦でも「大和」「武蔵」などの大型戦艦を攻撃隊に加えることなく、戦力の小出し投入を行なった。このため戦艦「大和」はついに「大和ホテル」と呼ばれるありさまであった。 ガダルカナルの空軍基地からは、山本長官の指揮下にあるすべての空母や戦艦など58隻からなる大艦隊と艦載機を駆使して全力投入していれば、奪還は可能であったのみならず、ソロモン海域全体で大きな勝利を手にすることができたはずであった。 疑問だらけの死体検案書 昭和18年4月18日、ブーゲンビル島ブインの航空基地視察のためと称して山本長官は午前6時ラバウル東飛行場を一式陸攻で離陸した。宇垣参謀長らを乗せた二番機もほぼ同時に離陸したが、これを護衛するのは第204航空隊の零戦わずか6機だけであった。 この日、山本長官はなぜか正式な連合艦隊司令長官の軍服ではなく、生まれて初めて着る草色の略装である第三種軍装を身にまとい、護衛機の数を増やすことにも強く反対したという。 山本長官の前線基地視察スケジュールの情報は事前に暗号電報で前線基地に予報された。連合艦隊司令長官の詳細な行動予定が、視察の5日も前に前線基地に伝えられるのは異例のことだった。 ショートランド第11航空戦隊の城島少将は、不用心な暗号電報に憤慨したと言われるが、ご丁寧にもこの暗号電報を受け取った現地指揮官ひとりは、わざわざ儀礼的に低レペル暗号の無電で関係先に知らせたともいう。 米軍はこの暗号を解読して山本長官搭載機撃墜計画を練ったとされるが、むしろ山本長官自身ないしはその側近が、事前に何らかの方法で米軍に詳細な行動予定を知らせていたというのが真相だろう。山本長官はすべての役目を終了し、ルーズヴェルト大統領との約束に基づいて姿を消すことにしたのである。 山本長官を乗せた一式陸攻は高度2500メートルでゆっくりと飛行、6機の護衛戦闘機はその500メートル上空を飛行していたが、ブーゲンビル島南端のブイン基地上空にさしかかったところ、ガダルカナル島ヘンダーソン基地を飛び立ったミッチェル少佐の指揮するP-38米攻撃機28機が午前7時33分、正確に山本長官機と出合った。ミッチェル隊はP-38の航続距離からしてわずか10分間という許容時間で攻撃を開始、山本長官機を撃墜したのであった。 右エンジンに弾丸を受けた長官機は火災を発し、黒煙を吐きながらジャングルの中に落下していった。2番機はモイラ岬沖の海上に不時着、宇垣参課長ら3名は助かったが、長官機は翌19日午後2時頃陸軍の捜索隊によって発見された。 山本長官の遺体は機外に投げ出された座席に腰かけ、軍刀を握りしめたままであったとされているが、その死には深い謎がつきまとう。 大本営発表の「死体検案書」(死亡診断書)と「死体検案記録」(死亡明細書)によれば、死亡日時は「昭和18年4月18日午前7時40分」である。傷病名は「顔面貫通機銃創及び背部盲貫機銃創」であり、末尾には「右証明ス 昭和18年4月20日 海軍軍医 少佐 田淵義三郎」として署名捺印がある。 ところが墜落現場を最初に発見した浜砂陸軍少尉は次のように証言している。 「長官はあたかもついさっきまで生きていたかのような風貌で、機外に抛出された座席上に端然として死亡していた……その顔面には創はなかったし、出血の痕もなかった。その発見は墜落後実に30時間前後も経った頃である」 同様の証言は陸軍軍医・蜷川親博中尉も行なっている。蜷川中尉は長官機遭難現場近くの歩兵第23連隊の次級軍医として勤務していた。このため、中尉は救難捜索行動に参加し、長官死体の検視も行なっている。 にもかかわらず、山本長官の秘蔵っ子と言われた渡辺中佐参謀は、事故のあと19日、ラバウルより現地に急行、20日夕刻掃海艇上に運び込まれた長官の遺骸を検死して大本営と全く同一内容の証言をしている。渡辺参謀の証言内容とは「20日夕の時点で顔面貫通機銃創と背部盲貫機銃創は共にあった。4月18日、機上での戦死は間違いない」というものである。 前出の田淵軍医は「私が検死した時点では顔面に創はあった」「姐(うじ)の侵蝕とは考えられぬ」とし、さらに重要な証言「死後の作為が加えられたかどうか判らない」と言いながらもその可能性を強く示唆している。 戦死が狂言であったこれだけの証拠 山本長官の「死」は明らかに狂言であろう。その穏された真相は次の如くであると推測される。 1.山本長官は太平洋戦争前半における帝国海軍崩壊のためのすべての役割を完了した。 2.そのため急遽姿を隠す必要が生じ、側近の宇垣纏中将(連合艦隊参謀長)や渡辺中佐 (参煤)と共謀し、あらかじめ暗号をアメリカ側に漏洩した上で長官機撃墜の一大ペテン 劇を演出した。 3.当日、山本長官はわざわざ草色の第三種軍装を身にまとい、ジャングルを逃亡の際目 立たぬよう略装にした。 4.米軍機攻撃の際、いち早くパラシュートで脱出、地上よりかねて打合せの場所からガダ ルカナル島米軍基地へと逃亡した。 5.捜索班が事故機を発見したとき、長官の身替りとされた男(恐らくは風貌の似た人物)を 座席に縛りつけ毒殺した。 6.従って発見時には顔面の創も背部盲貫機銃創も存在しなかった。 7.その後、山本長官を「機上死」であると捏造するため、遺体に拳銃か鋭利な刀物で人工 的な死後損傷を加えた。 事実、田淵軍医が検死をしている最中に長官のワイシャツを脱がせようとしたが、渡辺参謀から突然大声一喝され、「脱がすな、これ以上触れてはならぬ!」と怒鳴られ制止されているのである。人工的な死後損傷であったとする証言も数多く存在するが、これらのすべては黙殺され、渡辺中佐の命令下、虚偽の「死体検案書」と「死体検案記録」は作成され、「機上壮烈なる戦死」という大本営発表となるのである。 戦後、「山本五十六を見た」という多くの証言 ここで「運よく」助かった宇垣纏中将とは何者かを知らなければならない。 三国同盟締結の折は賛成派に回ったため山本長官にうとんじられているとも言われたが、どういうわけか昭和16年8月、連合艦隊参謀長に任命され、山本五十六大将を直接補佐することになる。以後、連合艦隊の旗艦「大和」上の司令部内で山本長官の影武者に徹して常にその意向を尊重し、補佐してきた。 あれほど傲岸不遜な宇垣がなぜ山本長官に寄り添い続けたのか。そのわけは宇垣がユダヤ・フリーメーソンに入信したことにあろう。 山本・宇垣のコンビは真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル、ソロモンと呼吸を合わせ、日本海軍の崩壊に尽力した。 ブーゲンビル上空で山本長官逃亡の手はずを整えたのも宇垣である。宇垣もしっかりと生きのびており、昭和17年11月には中将に進級、昭和20年8月15日の終戦詔勅渙発を知るや、沖縄の沖合に蝟集する米艦隊めがけて突入すると称して部下の操縦する飛行機に搭乗、そのまま行方を絶った。日本の敗戦を見とどけて姿を消したと言うべきか。 戦後、山本長官の姿をどこやらで見かけたと証言する人もおり、太平洋戦争を敗北に導いた功労者の多くは「世界支配層」ユダヤ・フリーメーソン陣営によって手厚く保護されるのである。 【検証】 多くの検証説が存在し、謎ばかりで、反論も肯定もあり結論が出されていない。死亡説有り生存説有り。 どれを取りあげても対比のために両説を取り上げねば成らず、ここでは省略させていただく。ぜひ、「山本五十六」で検索願いたい。 ハーバード大学留学の経歴。 1919年(大正8年)から1921年5月5日までアメリカに駐在しハーバード大学に留学している。 大正末から昭和の初めにかけては再び渡米し、日本大使館付武官として2回目の米国在勤をしている。米国在留中に五十六は中佐に昇進、アメリカの産業やヤンキー精神に強く瞠目するが、五十六がフリーメーソンに入会したのもこの頃と思われる。五十六は在任中にアメリカで石油および航空軍備について強い影響を受けた。 大正7年に五十六は帰国、10年から12年半ばまで海軍大学の教官に任じた。その後9カ月の欧州視察旅行を終え、大正13年3月帰国。そして1年3カ月後、五十六は三たび渡米。アメリカの日本大使館付武官となった。戦前の海軍でこれほどアメリカと縁の深い軍人は他にいないのではないか。 山本五十六が骨の髄まで親米派となる過程は、このようにして造られたのである。 当時の日米の国力の差が10倍以上あることなど、誰よりもアメリカの国内事情に精通していた人であった。 また軍内で、戦争を可能に見せるため会議に提出するアメリカのデータを過少に書き換えることまでしていたのである。その後、軍上層部全員が反対する中、真珠湾攻撃を立案、決行する。しかも決定打を打たずに退却という不審な行動。その動きは悉くすべてアメリカの利益になるようなものばかりであった。 生来の博打好きで在米大使館付武官在任中はラスベガスを頻繁に訪れていた事実 (弱みを握ってくださいというような性癖だ。) 米空軍の生みの親とも言えるミッチェル准将と付き合いがあり、大艦巨砲時代の 終焉と航空戦力主流時代の到来を120%確信していたにも拘わらず、開戦の5年も 前に海軍次官に就任しているのに、大和型戦艦の建造計画を中止しなかった。信濃が大和型戦艦から空母に計画変更されたのは1942年になってからだ。 大艦巨砲時代の終焉と航空戦力主流時代の到来という巨大な流れを考えれば、真珠湾攻撃は大失敗であった。 山本五十六は、誰がみても無謀なこの作戦に最後まで固執し反対を押し切って実行した。しかも、真珠湾に停泊している老逐艦だけを攻撃し決定的な打撃を与える前にさっさと引きあげている(精鋭艦は沖に逃がしている)。 真珠湾に集結していた米太平洋艦隊は、主なもので戦艦が8隻、重巡1隻、軽巡3隻、そして駆逐艦5隻で、総計17隻であった。 不思議なことに空母レキシソトンはミッドウェーに飛行機を輸送中であり、エンタープライズはやはり飛行機を輸送しての帰路で不在、サラトガはアメリカ本土西海岸にいたために無事であった。 被害を受けた戦艦はいずれも1910~1920年代に就役した旧式艦であり、しかも攻撃し易いようにわざわざ真珠湾に沿って一列に並べて停泊してあった。戦艦アリゾナは撃沈、他の艦は転覆、海底沈座、大破、中破、小破などの被害を受けたが、真珠湾は海底が浅く、海底に沈座した戦艦等はいずれも引き上げが容易で、短期間のうちに修理、再就役し、太平洋戦争中期からは攻撃力を発揮したのである。 こうしてみると真珠湾攻撃というのは一種の茶番劇であったことがわかる。 米内光正は海軍大将の立場で日中戦争を拡大する工作を行い、米軍の原爆投下を天祐(天の恵み)であると言ったのだ。到底許せない。 戦後GHQの意図にそって、マスメディアが誕生させたのが、「日本悪玉論」イコール「陸軍悪玉論」であり、その裏返しとして生まれたのが「海軍善玉論」という奇妙な現象である。ミッドウェー以降の3年あまり、,南東方面の戦闘という基地航空の愚かな自滅作戦、マリアナ沖の七面鳥撃ちと言われたマリアナ沖海戦と、栗田艦隊の敵前逃亡のレイテ沖海戦をのぞけば、海軍に戦闘らしきものはまったくない。 しかし、戦後、その海軍の善謀敢闘物語が、元海軍軍人により続出した。戦果欺瞞報告の海軍軍人のウソつき体質は、戦後にまで尾をひいてしまったのである。そのウソつき体質に、マスメディアがつくりあげた「海軍善玉論」が加担したのだから、結果は明らかだった。あの連戦連敗を、かくもよく戦ったかのような大ウソを、あたかも真実であるような社会風土がつくられてしまったのである。 マスメディアは、談合さえすればなんでもできるのである。開戦が事実上決定した1941年10月16日、内閣を投げ出した近衛に代わって組閣し、作戦指導になんの権限もなかった東条英機に、開戦と敗戦のすべての罪を着せることも、民族の歴史も文化も崩壊させることも可能である。 帝国海軍の大戦果。マスメディアの反日報道。これらは、ウソの代名詞である。 .
https://w.atwiki.jp/nameless_city/pages/167.html
シャーウッド・アンダソン(Sherwood Anderson)(1876~1941) 略歴 オハイオ州の片田舎に生まれる。父は馬具職人であったが、生来のほら吹きで放浪癖があり、家計は勤勉な母が支えていた。彼もまた幼い頃から様々な仕事に出て家計の足しにしていたために、正規の教育を受けることができなかったが、実地の体験と耳から知識を吸収していった。母が死ぬと一家は離散し、彼は21歳でシカゴに出る。そこで職を転々とした後に米西戦争で兵役に就き、再びシカゴに戻ると広告会社に勤務した。その後故郷に帰り、ペンキ会社の経営者となり、結婚もして平穏な生活を送っていたが、1913年に突如妻子を残したまま出奔、単身シカゴに現れた。後に自伝の中で「真実を見出すためだった」と書いているが、実際はある種の神経衰弱による失踪だったのではないか、と言われている。シカゴで再び広告の仕事をしながら、作家への道を歩むことになる。同時期にシカゴにいたサンドバーグやドライサーらと交友を結んだ。彼らはシカゴ・ルネッサンスの作家と呼ばれ、後の作家に大きな影響を与えることになる。1927年以降はヴァージニア州の小さな町で地方紙の編集を手がけ、社会問題に強い関心を見せた。 作品 『ほら吹きマクファーソンの息子』(Windy McPherson s Son,1916)は処女作の自伝的長編小説。ほぼ事実と変わらない。 『行進する人々』(Marching Men,1917)はペンシルヴァニア州の炭鉱地帯を舞台に、そこの労働者の貧困と沈滞と、それを解放しようとして失敗する神秘主義運動を描いた。 『中部アメリカ詠唱集』(Mid-American Chants,1918)はアメリカ中西部をスケッチ風に歌った詩集。 『ワインズバーグ・オハイオ』(Winesburg, Ohio,1919)は代表作。オハイオ州の架空の町ワインズバーグを舞台に、そこに住まう人々の愛と孤独、沈滞と脱出などのテーマを描いた連作短編集。鋭い人間観察と巧みな文章によってその文明を確固たるものとした。 『貧乏白人』(Poor White,1920)は長編小説。貧しい発明家ヒューは、厳しい労働に苦しむ農民を救おうとして機械を発明するが、それのために町とその人々を大きく変貌させてしまう。 『卵の勝利』(The Triumph of the Egg,1921)は短編集。その内気さ故に社会に適応できず、挫折する人々を描いた。 『多くの結婚』(Many Marriages,1923)はロレンスの影響を受けたとされる長編小説。単調な結婚生活から逃れようとするある実業家を主人公とし、初めて性の問題を正面から扱った作品。 『物語作者の物語』(A Story-Taller s Story,1924)は自伝的小説。自らの生い立ちから作家となるまでを語った。 『黒い笑い』(Dark Laughter,1925)は当時ベストセラーとなった長編小説。シカゴの新聞記者ジョンは、仕事や家庭にうんざりしてある日突然家を出る。名を変えて工場で働くが、工場主の妻と駆落ちをし、その姿を黒人の召使いたちが嘲笑う。 『ター:中西部の子供時代』(Tar A Midwest Childhood,1926)は幻想的な自伝。
https://w.atwiki.jp/niconicomugen/pages/10736.html
+ 日本語吹替声優 中田和宏 1996年実写映画版(ソフト版) 堀内賢雄 1996年実写映画版(テレビ朝日版) リー・フォーク氏によるキング・フィーチャーズ・シンジケート社のアメコミ『ザ・ファントム』の主人公。 初出は1936年2月の『The Singh Brotherhood』。 1996年実写映画版での演者はアメリカの超有名恋愛映画『タイタニック』のキャルドン・ホックリー役で知られるビリー・ゼイン氏。 代替わりが複数存在し、現在は22代目までいる。 21代目の本名はキット・ウォーカー。 黒いアイマスクを付け、紫色の全身タイツを着ている。 架空の島「ベンガラ」のジャングルから来たとされ、悪人を成敗する正義のヒーロー。 何度殺しても生き返る不死身という伝説があり、「歩く幽霊」とも呼ばれる。 武器はM1911(実在するアメリカ製の銃)を2丁持っており、骸骨型のバックルを持つ特殊なベルトに収められている。 彼は世界中の全ての悪と戦うという誓いを立てているため敵対者が非常に多い。 中でも「シン」という海賊団は初代ファントムであるクリストファー・ウォーカーが幼い頃に彼の父を殺害し、 ファントムの物語のスタートを切った存在にして、長年戦ってきた宿敵である。 アメコミ最古の覆面ヒーローであり、「ピチピチのタイツスーツに瞳孔が描かれていない目」という外見は、後世のスーパーヒーロー作品にも影響を与えた。 原作者のフォーク氏は1999年に亡くなったが、現在はトニー・デポール氏作・ポール・ライアン氏画という状態で今なお連載が続いている。 (以上、Wikipediaより一部引用・改変) 『ウォッチメン』のヒーロー、初代ナイトオウルのデザインにも影響を与えたとされる。 また、彼の愛犬に「ファントム」の名を冠したのは、ライターのアラン・ムーア氏なりの敬意ではないかと考察されている。 ちなみに、モデルである初代ブルービートルには犬の相棒はいなかったが、 ガールフレンドの新聞記者ジョーン・メイソンの名は、初代ナイトオウルの本名ホリス・メイソンに受け継がれている。 MUGENにおけるザ・ファントム S666氏によるMUGEN1.0以降専用キャラが存在。 現在は海外サイト「The Mugen Multiverse」にて代理公開されている。 Buyog2099氏の『DC vs MARVEL』のテンプレートを用いて製作されており、ドットはサイクロップスやユリアンをベースにしている模様。 なお、ReadMeの類が付属していないため、各種コマンドはcmdファイルを開いて確認する必要がある。 操作方法は『MVC』風の6ボタン方式で、チェーンコンボやエリアルレイヴ、アドバンシングガードが可能。 常に傍らにいる鷹のママハハFrakaと狼のシクルゥデビルをけしかけたり、 2丁拳銃による銃撃や馬に乗っての突進、魔法の頭蓋骨像から発射する光線など、原作を意識した技を駆使して戦う。 なお、空中強攻撃が受け身可能となっているので、場合によってはせっかくエリアルを決めたのに反確という哀しみを背負う事も……。 AIはデフォルトで搭載されており、射撃やお供の動物達を巧みに使いこなす。 紹介動画 出場大会 「[大会] [ザ・ファントム]」をタグに含むページは1つもありません。
https://w.atwiki.jp/thranking/pages/95.html
【種族】鬼 【能力】怪力乱神を持つ程度の能力 【強さ位置】準最強グループ1 【設定】 萃香と共に山の四天王と呼ばれた鬼の一人。今は旧都に住んでいる。 山の四天王、力の勇儀(地霊殿) 弱点は煎った豆(地霊殿) 地霊殿3面でスペルカードルールの戦いをした際には、酒をこぼさずに戦うという 自分ルールでの制限を設けて戦った。 文評:鬼の不思議な力を激写しました。手を翳しただけでこんな熱が生まれるんですね。これなら人里の一つや二つ焼き尽くすのも一瞬でしょうね。 文評:出ました。鬼のインチキな力です。何だか判らない不思議な力を使うんですよね。新聞記者足る者、怪力乱神を語らず。と言いたい所ですが……。 文評:大声大会の様子です。大声では鬼の右に出る者はいませんね。大声すぎて簡単に辺りの木々がなぎ倒されてしまいます。本当、歩くカタストロフィですね。 はたて評:大きな声が聞こえたと思ったら大声大会やってたのねー。鬼が出てきちゃったら敵う奴なんて雷神様くらいじゃないかな。反則的よねぇ。 (ダブルスポイラーより) 彼女は異常な程の怪力を持つと言われる。同じ鬼である伊吹萃香は「自分より呪術的な力は弱いが、 肉体を使った力は強いかも」と言っている。実際、どの位怪力なのかは伝聞でしか無いが、足を 踏みならすだけで近くの建物が倒壊する程だと言われている。(東方求聞口授) 【能力概要】 「怪力乱神」の辞書的意味 かいりょく‐らんしん【怪力乱神】 《「論語」述而の「怪力乱神を語らず」から。怪異・勇力・悖乱(はいらん)・鬼神の四つをさす》 理屈では説明しきれないような、不思議な現象や存在。 ◆「怪力」は「怪異(かいい)と勇力(ゆうりょく)」の意で、「かいりょく」と読む。 かい‐い【怪異】 [名・形動] 1 現実にはありえないような、不思議な事実。また、そのさま。「世にも―な事件」 2 化け物。変化(へんげ)。妖怪(ようかい)。 ゆう‐りょく【勇力】 強い力。すぐれた力。ゆうりき。 はい‐らん【悖乱】 道理に逆らい、正道を乱すこと。道に外れた行いをすること。 き‐じん【鬼神】 《「きしん」とも》 1 荒々しく恐ろしい神。おにがみ。また、化け物。変化(へんげ)。「断じて行えば―も之(これ)を避く」 2 天地万物の霊魂。死者の霊魂と天地の神霊。「天地を動かし―を感ぜしめ」〈古今・真名序〉 3 仏教用語。超人的な能力をもつ存在の総称。 (大辞泉より) 言葉の意味としての怪力乱神とはけっして怪力であるという意味ではなく 「人間の理性で説明のつかないような不思議な現象、事物のたとえ」のことを一般的に言い、勇儀はこれを持つとされている。 【各種要素をふまえての強さ議論】 鬼種族の時点で、最低限の強さは保証される。 さらに伊吹 萃香と同格(山の四天王)という事が、準1にいる最大の設定・実績である。 能力は解釈次第で何でもできそうであり、底が見えない。 またダブルスポイラーで萃香や勇儀の持ちうる能力の凄まじさが散見され、萃香と同じく説得力のある強さが垣間見れる。