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下2段に横3を敷き詰めた形。安定性と緊急発火性に優れる。 土台が低めにまとまるので早く中盤戦に入っていくことができる。 さらに3連結が多いため、潰しが刺さった後に追い打ちを作りやすい。 土台の形が高床式倉庫っぽいことが由来。別名卑弥呼 【伸ばし例】 最後の連結を増やしやすいことも特徴。 純粋な弥生時代は下2段を横3で敷き詰める必要があるため制限が多く実践で毎回組みきることは難しい。 そこで時には形を少し変えたり、GTR、新GTR、サブマリンなどへの移行も視野に入れた柔軟な土台構築能力が求められる。 (詳しくは下にある講座動画を参照のこと) 発祥 2009/09/02午前5時頃のTomのとこぷよ配信にて 2009/09/02 04 58 24 高床式w 2009/09/02 04 58 35 弥生時代 2009/09/02 05 00 51 卑弥呼でいいじゃん 参考動画 1 18~ ぷよぷよ講座 第1回「弥生時代の組み方」 http //www.nicovideo.jp/watch/1351483565 参考までに:高床式倉庫
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弥生時代
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1884年(明治17年)、東京都文京区弥生町で発見された土器が 研究の出発点になったところから、弥生土器、弥生時代の名前がつけられた。 (『要説日本歴史』) 2~3世紀の列島内の鉄器全般の出土量を統計的に見ると、 北部九州からの出土が圧倒的に多く、ついで日本海沿岸となり、 近畿地方はきわめて少ない。 (『シリーズ「遺跡を学ぶ」051 纏向遺跡』) 要説 日本歴史 邪馬台国の候補地・纒向遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
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紀元前8世紀頃から3世紀頃までは弥生時代と呼ばれる。時代区分名称は、この時期に特徴的に見られた弥生式土器に由来する。稲作を中心とする農耕社会が成立し、北部九州から本州最北端以北を除く日本列島各地へ急速に広まった。農耕社会の成立によって地域集団が形成された。農耕社会の発展とともに地域集団は大型化していき、その中心部には環濠集落が営まれた。当時多く築造された墳丘墓は大型地域集団の首長墓と見られ、身分差が生じ始めていたことの現れだと考えられている。 当時の日本列島は中国から倭・倭国と呼ばれた。大型地域集団の中には中国王朝と通交するものもあり中国から「国」と称された。紀元前後には100前後の「国」が中国と通交していたとされる。倭の奴国王は後漢へ通使し金印を授与された。大型地域集団は次第に政治的な結合を強めていき、倭国連合と呼びうる政治連合体を2世紀初頭頃に形成した。その盟主は倭国王と称し、最初期の倭国王に帥升がいる。しばらく倭国は政治的に安定していたが、2世紀後葉に倭国大乱と呼ばれる内乱が生じ、その後邪馬台国の卑弥呼が倭国王となった。卑弥呼は魏との通交により倭国連合の安定を図った。 北海道・北東北地方においては水田耕作が受容されず続縄文時代に移行した。
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BC5 中国・朝鮮半島から稲作が伝わる 金属器 青銅器 銅剣、銅鐸、銅鉾 鉄器 弥生土器 高床倉庫 登呂遺跡(静岡) 吉野ヶ里遺跡[環濠集落](佐賀県) 漢書 地理志 後漢書 東夷伝 魏志 倭人伝邪馬台国 卑弥呼 親魏倭王 壱与 環濠集落 イヌとブタを食べていたイヌはニホンオオカミを飼いならしたものではなく、大陸から持ち込んだもの ブタは、イノシシと区別がつきにくく、食用家畜として飼いならしたものかは判断が難しい
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76 :名無しって呼んでいいか?[sage]:2008/11/14(金) 00 10 57 ID ??? 前回のは石器時代とか混じったので、真面目に弥生時代くらいで考えてみる 目標は、数十に分かれて争っている部族らを平定し、 統一国の女王として君臨すること 他国の説得や衝突、交流のあいだに、主人公にはまた別の出会いが… 主人公 集落から外れた山の中でひっそりと暮らしていた少女 巫女体質を生かして、占いなどで生計を立てていたが そこを王に見出され、「数十の国を統一する女王に!」と 世の中へ引っ張り出される 自国の王 真面目キャラ担当 心優しき文人王。数十に分かれた近隣の国々を 和を以ってまとめあげられないかと思案する そこで、「主人公が次代の王になれないか」と思いつく 西国の覇王 俺様担当 西の国々をまとめあげ、東へやってきた武人王 夢は「ドでかい古墳を作ること!」 彼とのイベントは、上手くこなさないと討伐戦争シナリオに突入する 土雲の青年 無口担当 古い習慣を保ち、辺境に住む蛮族の青年 最初は土偶のような面を被っているが 好感度が上がると、面を脱ぐイベントが発生 まじない師 腹黒担当 主人公に、占いの方法を教えた師匠 神出鬼没で、時折あらわれては主人公に助言を与える その一方で、武人王を戦争に焚きつけるなど怪しげな行動も… 大陸からの使者 キレ者担当 数国をまとめあげ、大陸の国への朝貢イベントを行うと、 返礼の使者としてやってくる 都会的・詩的なセリフ回しが特徴的 特定のイベントを満たすと、「鏡」など特殊アイテムを入手することが可能 大陸から移ってきた少年 動乱の多い大陸の端からやってきた少年 すばしっこく器用な悪戯っ子 彼と仲良くなると、焼物や鋳物の技術を入手できる 漂着したおっさん 隠しキャラ。憂いを秘めたおっさん 西の海辺の国を併合し、台風の季節に海岸に出ると遭遇 一切の記憶を無くし、髭の一部が切られ、手足の爪を抜かれていたところから どこかの国の罪人だと推定されるが…… あと何かというとすぐ脱ぐ巫女とか 古墳内壁の幻獣を描く絵師とか 弟とか参謀とかでかい猫とか考えた 83 :名無しって呼んでいいか?[sage]:2008/11/14(金) 19 21 55 ID ??? 76 やりてぇぇええ 便乗理想させてもらう。 主人公が次代の王ってのもいいけど個人的な好みだと 力目当てに利用される、てのがいいな。 利用されてるけど、その立場を自分でも活用できる、みたいな。 若き王は真面目でそれなりに良い王だけど、大陸やら東方の新勢力の台頭に不安を感じていて、 先行きの見えない情勢に頭を抱えている。 だもんだから先見の力をもつ娘(主人公)の噂を聞いて召し抱えると。 主人公は若き王の力になるも、うっかり簒奪しちゃうのも、出奔して他国に力を貸すのも自由。
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原始・古代 旧石器時代 岩宿 相沢忠洋 打製石器発見 縄文時代 弥生時代 古墳時代 飛鳥時代 奈良時代 平安時代 中世 鎌倉時代 室町時代 戦国・安土桃山時代 近世・現代 江戸時代 明治時代 大正時代 昭和時代 平成
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2008/11/6 改定 改定箇所は青で示しています。重要なところが改定されているので注意して下さい。 ←new! 2008/11/5 改定 改定箇所は青で示しています。重要なところが改定されているので注意して下さい。目次○既存ルール○新ルール○伝達事項 ←new!○小テーマ ←new!○FAQ ←new!○弥生時代について 長いんですが、重要なことがばらついて書いてあるので、一応全部目を通してください。 但し、○弥生時代について は、上四行以降は読まなくても大丈夫です。 学園物、ファンタジーと来て、今回は古代物ということに相成りました。 今回のテーマを決めたのは、春学期に取っていた考古学(1)の授業中に褐鉄鉱が出てきたときのことでした。その次の時間、刑法の講義も聞かずに必死で褐鉄鉱に纏わる壮大な弥生ホモの構想を練っていたのをよく覚えています。 あと遥かなる時空の中で4もA級戦犯ですね。狗奴おいしいよ狗奴。 そういうわけで、次はSFか百合、かやくざモノがやりたいですね! 聖十字騎士団もいいと思います! で、今回の話なのですが、初めて参加してくれる人がいるのと、企画のマイナーチェンジがあるので、既存ルールの確認と新ルールの発表から始めたいと思います。 ○既存ルール・ある設定された台詞(今回は「僕の祝人(はふりと)」もしくは「僕の祝子(はふりこ)」)を本文中に必ず入れなければいけない。Q.はふりと? A.最初は「審神者・さ庭(さにわ)」とか考えたんだけど座りが悪いしイタさが足りないし、巫女だと女だし覡だと男だし巫覡だとカテーし神なぎとかありがちだしと思ってるうちに辿り着きました。普通に神意を伺い、神降ろしをする人のことですが、まあ前作同様細かい意味とか気にせずに薄ぼんやりとした印象で使って下さい。古語で、葬ることを葬り(はぶり)というんですが、この辺と絡めても面白いかもしれませんね!!!1!11 Q.いれづれぇぇー A.私もそう思います。・あまりにも当然過ぎて忘れていたんですが、本企画の作品には、蓮池を登場させて下さい。蓮池はムラの外れにあります。ムラの見取り図などは漸次アップしていくつもりです。・本wikiなどで、既に提出された他の人の作品を読み、そこに登場している人物や出来事を自分の作品に取り入れて何某かリンクさせなければいけない。 ・自分が過去に書いた人物や、他の人が書いた人物を登場させることも可能であるが、他の人の作品の登場人物の場合は、書き手に許可を取らなければいけない。・アミダで決定した書き手の挿絵を描かなければならない(絵を描くことが能力の問題としてできません、という人は申し出てください)。・もし、既出の人物が登場しているならば、今までの挿絵を参考にヴィジュアルを統一しなければならない(既出の人物を登場させている書き手は、描き手にその旨を教えてあげて下さい)。・小説の掲載順は提出順。 ・ホモ、百合、ノーマル等その辺は自由です。友情歓迎。・他の人に迷惑が掛かることもあるので、メールでの連絡は即返信を心がけて下さい。また、〆切厳守でお願いします。守れそうにない場合は相談に応じます。 ・本企画、本wikiのアドレス等の公開はお控え下さい。 ・今回はオフ印刷の定員10人に達しましたので、新メンバーは募りません。 ・今回も表紙は恵理子が描いてくれることになりました! やったー!○新ルール ・今までは字数制限は設けていませんでしたが、今回は印刷をオフセットでやろうと思うので、ページ数の関係で、一人8000字から8500字までに収めてほしいです。下限はないですが、まあ4000字くらいはあると体裁がつくんじゃないでしょうか。 Q.なぜオフセットなのか? A.400枚印刷&二つ折り&製本を手でするのに限界を感じました……・今までは小説の掲載順と物語中の時系列は関係ありませんでしたが、今回は歴史物ということで、掲載順=時系列で行きたいと思います。なので、今まで以上に先に提出された作品を読み込んでください。もし「設定上、あの話よりもこちらが後になると矛盾が生じる」というようなことがあれば、適宜申し出てください。 ・歴史物ではありますが、当然完璧な時代考証などできるわけがないので、校正は、①誤字・脱字・語句の明らかな誤用②明らかな時代錯誤(ex.登場人物ならリンゴ食ってるレベル)に限って行います。基本的には連絡が煩雑なので文意を変えない程度の校正は勝手にやるつもりなので、それがいやな場合は事前にその旨を連絡しておいてください。文意を変更しなければならないほどの大きなミスがあれば通知して、協議の上校正します。 ・台詞や地の文での外来語・新語等の使用はなるべく控えたほうが雰囲気が出るとは思いますが、絶対的禁止ではありません。・上述のように、完璧な時代考証を求めているわけでは全くありませんが、小説を書く上で、弥生時代の雰囲気を掴むために、図書館にある弥生時代の書籍を薄いものでも一読しておくことをお勧めしておきます。 ・必ず登場させてほしいものがあります。※褐鉄鉱容器と翡翠勾玉 資料の19ページに写真があります。 奈良市から平群町に分布する200万年前の大阪層群中で形成される褐鉄鉱は、良質な粘土の周辺に鉄分が凝縮して生成された自然の鉱物です。表面は褐色を呈し、5mm前後の砂礫が多く付着し、大きいものでは1.5mもあります。褐鉄鉱の内部の粘土は乾燥収縮し、それが内壁にあたって音を立てるため、江戸時代の好事家の間では「鳴石」や「鈴石」として珍重されていました。 唐古・鍵遺跡で出土した褐鉄鉱は、発掘調査時には内部に泥が充満しており、単なる岩石として取り上げられていました。その後の遺物洗浄で内部の泥を除去すると、中に二個の翡翠勾玉と土器のかけらが入っていることが判明しました。出土状況から判断して、中空の褐鉄鉱に二個の翡翠勾玉を入れ、土器片で蓋をしたと推定できます。しかも、この翡翠勾玉は近畿地方で出土した翡翠の中では最大級のものでした。 中国では、褐鉄鉱の中の粘土が「太一禹余粮」と呼ばれ、薬として利用されました。「太乙禹余粮」という名称は、中国では、4世紀に葛洪が記した『抱朴子』の中に早くも見られ、不老長寿を理想とする神仙思想の薬として珍重されてきました。日本でも正倉院に「太一禹余粮」が所蔵され、薬として利用されたと考えられています。 唐古・鍵遺跡で出土した翡翠勾玉を収めた褐鉄鉱容器は、全国でまだ類例がなく、どのような意味を持つものだったのかを知ることはできませんが、唐古・鍵ムラの人が褐鉄鉱の中の粘土を仙薬として使っていたならば、2000年前の弥生時代に中国の神仙思想を理解していたことになります。褐鉄鉱容器の発見は、物や技術だけではなく、精神文化の面においても、大陸との深い関連があったことを示しています。この翡翠勾玉を収めた褐鉄鉱容器がどのような目的で用いられたのかは、まだ判っていません。弥生時代の各期によっても異なったのかも知れません。というわけで、使用方法や使用目的の解釈は書き手に委ねます。まあ、あんまり突飛なの(マラカスみたいな楽器だったんだよ!!!11!とか)はアレですが、恋愛成就のお守りだったとか、戦勝祈願の神の憑坐だったとか、単なる宝物(権威の象徴)だったとか、そういう感じでお好きにどうぞ。また、弥生時代の人は非常に信心深く、宗教と生活とが密接に結びついていたので、褐鉄鉱容器が宗教物であったとしても、日常的に登場することが極自然です。Q.なんでこれを絶対にいれないとだめなのか? A.褐鉄鉱は恐らく弥生人にとってかなり特別なものです。憧れの中国で「不老不死の薬」として珍重されているわけですから。しかし、あくまでも大切なのは中身の泥であって、ガワではないはずです。しかし、この出土した褐鉄鉱は、中身の泥がわざわざ掻き出されています。代わりに当時最大級の翡翠が二つも入っており、土器片で蓋がされ、わざわざ埋められていました。さらに、こうしたかたちの褐鉄鉱容器は他の地域では出土していませんし、唐古・鍵遺跡で出土したのもこの一品だけです。ということは、これは単なる一般的な祭器ではなく、何か特殊な状況で作られたのではないか、と考えられます。そこを都合よく妄想するのが古代物の醍醐味ではありませんか?・(判らない言葉もあると思うので、末尾の「弥生時代について」を素読してからお読み下さい。)今回舞台にするムラは唐古・鍵遺跡程度の大きな拠点集落であったと考えています。他のムラとの戦争に勝ち続け、弥生時代中期に栄華を極めていましたが、終期、古墳時代の覇者、大和朝廷の侵略を受け、結局地方豪族として臣下に下りました。そのため、小説も、1~2番目辺り:黎明期(まだ数人の小さなムラです) 3~4番目辺り:成長期(戦争を繰り返し、周囲の小さなムラを吸収していきます。倭国大乱の始まり) 5~6番目辺り:全盛期(王の権力が絶大です。無敵) 7番目辺り:成熟期(文化的な成熟が見られます。中国へ使者を送ったりする) 8番目辺り:成熟期~衰退期(奈良盆地東南部に大和政権の萌芽が。不穏な雰囲気です) 9番目辺り:衰退期(大和政権が圧倒的なスピードで成長し、ムラは食われる寸前です) 10番目辺り:晩期(弥生時代の終焉) (この間600年。大体黎明期が縄文時代とかぶって前400年くらい、晩期が古墳時代とかぶって200年くらい。)っていうのをイメージしてもらえると、ありがてぇ!ありがてぇ! ○伝達事項 書き手――描き手の組み合わせ表(厳正なるあみだくじによって今までの組み合わせと被らないように決めました) 描けない人が3人出てきたので、厳正なるあみだくじによって3人の方に2枚描いてもらうことになりました。申し訳ないです。石谷――井上 ×菅居 井上――菅居 ×渡辺 鈴鹿 枝――鈴鹿 ×井上 松村 近藤――鈴鹿 ×渡辺 枝 菅居――近藤 ×枝 渡辺 鈴鹿――枝 ×近藤 寺井――渡辺 那須――松村 松村――菅居 ×鈴鹿 北野 渡辺――枝 ×松村 井上絵を描くのが無理(誰かに交代してもらいたい)という人は小テーマと同じく11月10日までにご連絡下さい。頑張れば描けるなら頑張れ☆ミ 11月10日までに連絡しなかった場合は、責任を持って担当する書き手の挿絵を描いて下さい。 〆切小説 一次〆切:1月21日(他の人とのすり合わせのために、プロットでいいので大体どんな感じか教えてください。サイアクあらすじでも可)最終〆切:2月20日(期末試験終了日四日後です。たっぷり猶予があってありがてぇ!ありがてぇ!)挿絵:2月25日4月の講義開始時に渡せればいいなーなんて思っています。イベントに出さない本は入稿〆切がなくて本当に本当に本当に楽です☆ミ 小テーマ 弥生時代で小説を書いてください、と言っても、よく弥生時代を知らないと手探りになりますよね。また、弥生時代だからと言って米作の話ばかりもつまりません。というわけで、小テーマを設定したので、どれを書きたいか、11月10日までにご連絡下さい。他に描きたいテーマがあれば同様に11月10日までにお知らせください。設定をばらけさせるために決めただけですので、大した拘束力はありません。そういう雰囲気の小説を書けばいいのね、くらいに考えていただければ結構です。○は、原則として①担当者にお願いします。 ただし、○は書きたいが、①以外の設定で書きたいという人がいれば併せてご連絡ください。可能です。 ①渡来したばかりの中国人技術者(徐福船団の一員だと考えると夢がひろがりんぐ)(舟つながりで持衰などもある)+○翡翠勾玉入り褐鉄鉱容器がなぜできたか ②芸能旅団の一座(芸人といっても、宗教色が強い)※注参照 ③戦争(他のムラとの)と戦士(武器については写真の付いた書籍を参照されたし) ④戦争(他のムラとの)と二人の採石師 (戦争状態にある二つのムラの狭間にある採石場で、それぞれのムラの人間と知らずに交流する二人の採石師、あるいは子供など) ⑤ムラからムラを渡る行商人(後述の、結晶片岩やサヌカイト、貝や翡翠などを拠点集落から拠点集落へと運搬していた人々) ⑥鉄器あるいは青銅器の職人(いわゆるたたらの人) ⑦王の嫡子と臣籍降下(に近いことをした)庶子、あるいは衛星集落の一般民の子、あるいは生口(奴隷)(弥生時代には既にはっきりとした身分制度があった) ⑧翡翠を勾玉に加工する職人(勝手なイメージだけど、王に寵愛されてる気がする) ⑨祭り(占い師、祝人)(宗教的な儀式。鳥装で執り行うらしいので、かわいいと思う。占い師は普段は卜占をしたり神の憑坐になったり祈祷をしたりして王の政治を助けている) ⑩大和政権と王(大和政権に吸収されるに当たっては、話し合いで臣下に下った部族と、「まつろわぬ民」として武力で下された部族とがあった)担当者が決まりました。 ①+○ 菅居 ② 井上 ③ 松村 ④ 鈴鹿 ⑤ 寺井 ⑥ 近藤 ⑦ 枝 ⑧ 渡辺 ⑨ 那須 ⑩ 石谷注:旅芸人の性格について、拙文ですが、引用しておきます。 古代、巫覡たちは数人から十数人で一つの芸能集団を作って日本各地を放浪していた。芸能集団といったのは、巫覡の他に傀儡女(くぐつめ)や神楽の舞手など今日では芸者とみなされるような職のひとびともこれに属していたからである。確かに、九世紀を下ると傀儡女が遊び女と同義になったように完全な旅芸人の集団へとその役割は変化したが、芸能というのはもともと魂鎮めのために発生したものであるので、とりあえず神の形成前においては憑坐(よりまし)に降ろした霊を鎮める巫覡の補助者として同行していたと考えられる。そうした巫覡たちは、訪れる村村で霊を降ろし、呪術的な奇蹟を行い、代わりに村人たちは彼らを客人(まろうど)として歓待していた。そうして一定の期間を経ると、また次の村へと渡っていく。これは、ひとところに留まれば客人でなくなってしまうからだが、実際にはこれらの巫覡に若干の精神薄弱が認められることが理由ではないかと思われる。それであれば、彼らの放浪のはじまりも精神疾患による共同体からの追放だったと考えると自然だ。つまり、村人たちは巫覡たちを人ならぬひととして歓迎するとともに畏れてもいた。そのために彼らは定住の地を得ることなく、一生旅を続けることになった。そうして放浪する巫覡たちは、去った村を再び訪れることはない。これは決まりごとというよりは交通手段が未発達であるとか、寿命が短いとかいう外的要因によってそうなってしまったというほうが正しい。とすると、彼らの去ったのちの村には何が残るか。呪術の強烈な印象である。それが口碑として次の世代へ伝わっていくうち、巫覡は人ではなく、また形を持つ霊でもない何かに変化していく。その間、社会的な現象として共同体の規模がどんどん膨らんでいった。ここで、口碑の統合が行われ、形ある霊としての神が出現した。日本本土の常世の島、沖縄のニライカナイの思想に代表されるような、神が彼方からやってくるという伝承も、村を渡る巫覡たちの姿を表していると考えれば、この説を裏付ける資料になる。○FAQQ.小テーマは第一希望以下も書いていいですか? A.むしろ書いて頂いた方が決めやすいです。 Q.小テーマの①~⑩は番号が時系列順ですか? A.一応そのつもりです。しかし、変則にも対応しますので、何かあればご連絡下さい。 Q.提出順=掲載順=時系列順=番号順ですか? A.提出順≠掲載順=時系列順≒番号順です。しかし、確かに時系列的に早い人が先に提出した方が書きやすい気もするので、一次〆切で大枠を調整後、二次〆切は①の人から順番に3日ずつくらいずらしていくかも知れません。とりあえず、一次〆切までは設定等細かく連絡を取り合って摺り合わせていきましょう。 Q.既存ルールにある「他の人の登場人物」とは何ですか? A.本wikiの左のメニューにあるのが、今までのラノベ企画で書いた小説ですが、そこに登場する人物のことです。一般の小説の登場人物のことではありません。 Q.蓮池とは何ですか? A.蓮の花の咲いているきれいな池です。 Q.名前は古代風のほうがよいですか? A.できればそうですね。以下に参考URLを示しておきますね。 私見では、「サザキ」や「カガリ」「ハバキ」のようなa音+濁音+i音の並びや、「ナギ」「ヒラ」のような万葉仮名で表記できる二文字から三文字の名前が古代らしいと思います。また、半濁音は余り使われないような気がします。 飛鳥時代主要人名辞典:http //www.bell.jp/pancho/hyper-history/persons/1_persons.html大伴家持関連人物辞典:http //www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/jinmei.html飛鳥時代以前の人物一覧:http //ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E6%99%82%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7古墳時代以前の人物一覧:http //ja.wikipedia.org/wiki/Category %E5%8F%A4%E5%A2%B3%E6%99%82%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9Q.⑩では、翡翠入り褐鉄鉱容器がどうなったか、ムラがどうなったかのオチをつけなければならないのですか? A.前者は、エピローグで井上が書くつもりなのでオチをつける必要はないです。後者はどちらでもよいです。オトすのが難しければ、大和政権との戦争間近で終わらせて頂いても構いませんし。 Q.ムラの名前は何ですか? A.この資料では、ムラで統一している「ムラ」ですが、全盛期に至って、「クニ」になります(※ムラは縄文時代の集落単位だと考えて頂いても構いません。古墳時代への過渡期である弥生時代には各地にムラから発展したクニが乱立していました)。まあ、そんなことはどうでも良いんですが、ムラの時点では、ムラに名前をつける概念がないですし、クニになってからの名前もなかったと考えています。「あのクニ」とか「蓮池のクニ」とか「山の向こうのクニ」とか「我々のクニ」とか呼んでたんじゃないかな。滅法不便だと苦情が来たら考えてみます。 ○弥生時代について 簡易なものですが、資料を用意してみました。http //www3.axfc.net/uploader/N/so/62196passはyayoiです。20MBのpdfなので、保存場所には気を付けてください。 また、12月1日になった時点で削除されるように設定してあります。それ以前に流されて消える可能性もあるので、早めにダウンロードしておいた方がいいと思います。 資料に載せきれなかった細切れの知識を以下に羅列しておきます。参考にしてください。もし、何か弥生時代について判らないことがあれば、私に訊いて も判らないので本でも見て調べてみてください。クマー ・弥生時代の集落には、資料の19-20ページを見ても判るように、環濠があります。 ・最初期や、小さなムラは4、5軒、30人で住んでいました。後期になると、戦争によって周囲のムラを吸収し、大きくなったムラが登場します。吉野ヶ里遺跡や、唐古・鍵遺跡(居住地だけで42ヘクタールとも言われています)などはそうした集落で、「拠点集落」と呼ばれます。拠点集落は、奈良盆地に10箇所、河内に5,6箇所、和泉に5,6箇所ほどあったと言われています。拠点集落には王宮(首長居館)や古墳(王族の墓)、市や工房など重要な施設があったと考えられています。唐古・鍵遺跡では、畳五十畳ほどの大きな高床式建物の跡が見つかっており、当時の建築技術は奈良時代に匹敵するものだったと見られます(建物を支える棟持柱の立て方が、奈良時代同様目途穴を開けて縄を通し引っ張る方法であったことが判っています)。そうした拠点集落の周りには「衛星集落」と呼ばれる小さな集落が放射状に広がっていました。衛星集落には一般民が住んでおり、拠点集落の製品が供給され、その素材を拠点集落に供給していました。また、一般民の墓がありました。ただし、こうした構造になったのは序次的な動きであり、弥生時代に突入した途端、そうなったわけではありません(そもそも、縄文時代と弥生時代の区分があいまいですし)。弥生時代初期には縄文時代と同じく、円形のムラの真ん中に首長が住むという構造でした ・一般民の住居は、高床式の建物や、半地下構造(地面を30cmから1m掘り、柱を立て、現代と同じような三角の屋根を掘った穴にかぶせるようにしています。つまり、ちょうど地面があるところが中二階と呼ばれるような高さにあるわけです)の竪穴住居などです。 ・基本的には、戦争は弥生時代に富の蓄積が始まったために起源したと考えられています。 ・奈良盆地には弥生集落が約400ほどもあり、各ムラの交流は盛んであったと考えられています。たとえば、前期まで、奈良盆地の石包丁は耳成山(奈良県橿原市)の流紋岩から、摂津と河内の石包丁は摂津のホルンフェルスからできていました。しかし、中期以降は、紀伊の結晶片岩が使われています。これは、流通網が整っていったことを示しています。また、奈良盆地の遺跡から、二上山のサヌカイトで作られた打製石器が見つかっています。拠点集落は、いわゆる物流センターの役割を果たしていたと考える学者もいます。 ・石器には磨製と打製の二種類あります。磨製石器には、石斧(せきふ)があり、その中でも伐採用の蛤刃石斧、潰すための扁平片刃、柱状片刃などに分かれています。石斧は重いので、各地で製品化してから出荷していたようです(唐古・鍵遺跡で未成品が見つかっていません)。他に石包丁や剣があります。打製石器には、鏃、剣、スクレイパー、錐などがあります。 ・弥生時代終期には、石器で作られていた器物のほとんどが鉄で作られるようになっていました。鉄は鍛造されていたと考えられます。 ・木器は、近畿地方は樫のような広葉樹をよく使っていました。高杯を作る際には、金太郎飴のように、どこを切っても高杯の形になる直方体を作ります。このときは、くさびを入れて蜜柑割りにしていました。そうして切り出した丸太を水漬けにし、数センチずつ削っていくのを千回ほど繰り返し、一年後にようやく完成したものでした。 ・土器は粘土に砂を混ぜたもので作っていました。輪積み、型作り、ろくろ作りなどの製造法があります。後期になるにつれ、タタキ、ミガキなどと呼ばれる技法や、文様をつける技術が発達しました。また、野焼をした土器には黒斑がつくので、窯焼にしたものとの区別が容易です。土器の文様には、当時の風俗が色濃く反映されています。羽飾りをつけ、朱塗りの盾、矛を持った人物などは衛士であろうと考えられます。 ・青銅器は、銅が90%ほど、残り10%が錫や鉛でした。青銅器とはいうものの、作られた当時は金色だったようです。青銅器には、剣、矛、戈、鐸、釧、鏃、巴形銅器、鏡などがあります。鋳造については、このウェブサイトが参考になるかと思います。http //kougei.kmir.city.kyoto.jp/tech/imono/hata/hata.html 中国の古銅器を元にし、その鋳造法を現代で再現しているので、細部は異なりますが、概ねのところは同じです。 ・あらゆる器の特徴として、時代が下るごとに実用器から祭器へと変化し、装飾が豪華になる傾向があります。この件については、資料の16ページが詳しいです。 ・布も作られていました。1センチほどの小さな針で糸を作り、手で織る原始機(げんしばた)と呼ばれる機で織っていました。 ・人が死んだ場合、ちょうど胎児のような格好で甕棺という棺に入れられます。これは、生まれ変わりを祈願していたためだと考えられます。王族の甕棺には、副葬品として絹織物やガラスの勾玉、鏡、矛等の武器などが入れられました。また、うろ覚えの知識ですが、まだ幼い子供が死んだ場合には遠くの墓地へは埋葬せず、人がよく踏みしめる玄関の土の下に埋める風習があったと思います。 ・約6歳と推定される人骨の入った甕棺から、金の腕輪(だったと思いますが、確実ではありません)が発見されています。これは、6歳で既に特殊な身分が約束されている子供がいたことを示し、首長が世襲制であった可能性を示唆しています。 ・弥生時代の祭り(現代のフェスティバル的な意味合いではなく、死者の祭りに近い)では、鳥が重要なモチーフでした。腹部に穴を穿つ鳥形木製品が出土していますし、鳥を棒に刺して立てたと見られる情景が銅鐸に描かれています。これは、ムラの祭場の周りに、祖霊を運ぶ鳥を象った木の鳥を竿に付けて立てたと考えられます。土器にも、羽を頭につけた鳥装の人が舟を漕ぎ、その前方に高床式倉庫があり、銅鐸らしきものが木から吊り下げられている情景が描かれています。また、楽器としては銅鐸のほかに、琴(現代のスタイルのものではありませんが)や陶塤と呼ばれる土笛が使われたようです。 石鏃と戦争については、拙文ですが、レポートからそのまま引用しておきます。 第一章 石鏃の大きさ・重さ・形状の変化 石鏃を、基辺の形状が直線を成すもの(平基)、くぼむもの(凹基)、突出するもの(凸基)の三種に分け、さらに茎の有無によっても区別すると、平基(無茎)式、凹基(無茎式)、凸基無茎式、凸基有茎式の四形式に分類することができる。 弥生時代前期においては、九州から伊勢湾沿岸にいたるまで、各地域で、共通して凹基無茎式と平基無茎式とが多数を占めていた。北九州においては、弥生時代中期に入っても凹基式の石鏃はまれで、凹基無茎式と平基無茎式が多かった。山口県の中期の打製石鏃は小型の凹・平基式であり、北九州における石鏃の系統に属する。 畿内における中期の代表的な打製石鏃は、凸基無茎式と凸基有茎式である。奈良県橿原市新沢一遺跡、大阪府東大阪市上四条町山畑遺跡、大阪府富田林市喜志遺跡、大阪府高槻市天神山遺跡、京都府綴喜郡八幡町美濃山井元金右衛門垣内遺跡などの中期の遺跡から出土した石鏃を調べてみると、凸基式群が約九割を占め、凹・平基式群がのこる一割を占めるのがわかる。まれに遺存する後期の石鏃も、中期の石鏃と大差はない。 中部瀬戸内地域で中期後半にめだつ存在となった凸基式群の石鏃は、畿内においては、その出現に先立つ中期始めに最も隆盛していたのである。したがって、中部瀬戸内における凸基式群の石鏃の勃興は、畿内からのなんらかの影響下に成立したものと考えられる。おなじ香川県でも、より畿内に近い紫雲出山遺跡においては、凸基式群の占める割合が大きいとみられることも、それを証拠だてているといえる。 このことは、石鏃の形式と長さ・重さの関係を検討することでよりはっきりと判る。西日本における弥生式時代の打製石鏃のうち、凹・平基式群は長さ三メートル未満、重さ二グラム未満のものが、また、凸基式群は、長さ三センチメートル以上、重さ二グラム以上のものが、それぞれ多数である。ということは、上に述べたことを、以下のようにまとめることができる。 弥生時代前期には、西日本全体を通じて、凹・平基式群に属しており、長さ三メートル未満、重さ二グラム未満のものが大部分である。 九州における中期の打製石鏃は、形式・長さ・重さともに前期そのままのものである。 畿内における中期の打製石鏃のうち、その一割を占める凹・平基式群には長さ三メートル未満、重さ二グラム未満のものが多いが、残りは凸基式群で、大多数が長さ三センチメートル以上、重さ二グラム以上のものである。 そして、中部瀬戸内地域で弥生時代中期に出現した凸基式群の石鏃は、長さ・重さの点で、それまでの中部瀬戸内地域の石鏃の主体を成す形式とは区別され、畿内における石鏃と同様なのである。よって、中部瀬戸内地域における凸基式群の石鏃は畿内系の石鏃であるとみられる。 凹・平基式の石鏃は、鏃の側辺と基辺とがなす角度が90度以内で、その基端は矢柄に固定する際、巻糸によってかくれることなく外にあらわれていたと考えられる。すなわち、凹・平基式群の石鏃の基端は、獲物を傷つけることに有用なのである。凸基式群の石鏃は、側辺と基辺とが鈍角をなし、腸抉としての働きは持ちえず、また矢柄に固定する際、この角は巻糸によって隠れた可能性が高い。おそらく、凸基式群の石鏃は、傷つけるというよりも、深く突き刺さることを目的とするものである。 畿内中期の凸基式群の石鏃を、さらに時代別にわけて比較すると、中期1には精品が多く、あたらしくなるにつれて粗大なものの数が増している。これを、石器製作技術の末期的な拙劣さと見る向きもあるが、石鏃の絶対量が増していることから考えて、むしろ石鏃が大量生産された結果と考えることができる。 第二章 石鏃と戦争 石鏃の出土量が増えたのと時期を同じくして、瀬戸内海沿岸・大阪湾沿岸およびその周辺では、高地性遺跡が顕著に見られるようになっている。それも、六甲山南斜面の、標高一〇〇メートルをこえる山上に、いくつもの遺跡が出現している。水田からはるかに離れ、非常に不便な立地にあることから、のろし台ではないかとする推測もあるが、しかしこれら高地性遺跡における出土遺物は土器をはじめ、低地一般の集落における文物と何ら変わらず、かなりの期間、居を構えた場所であったと考えられる。土塁や壕を備えたこのような防禦的性格を担う高地性遺跡の出現と、石鏃の大量化、重量化、形状の変化とが同期しているという歴史的事実を考えると、この時代、ムラ同士の闘争が頻発し、縄文草創期以来弥生前期にいたるまで数千年の間久しく狩猟具として一貫していた弓矢が武器へと変質したことが推定でき、『後漢書』倭伝の「倭国大いに乱れ」、『梁書』倭伝の「倭国乱れ」の記事に対応する。 弥生時代中期を戦争が起源した時代とする見方を後押しするもう一つの判明な事実として、殺傷人骨がある。縄文時代の人骨は、既に五、六千体出土しているが、その中で殺傷人骨は一〇体足らずである。対して、弥生時代の殺傷人骨は一〇〇体以上にのぼる。一所に定住し、富の蓄積を始めたとき――食糧採集民から食糧生産民になったその瞬間――、戦争は始まったと考えられる。 戦火の中期を終えると、石器は消え去り、鉄の時代である。新たなムラは、ふたたび低地に建設された。多くのムラがある程度統合され、原始の戦争は一つの段階を越えたのであろう。 第三章 石鏃から鉄鏃へ なぜ他の武器が大陸から伝わっている弥生時代に、縄文時代からの伝統を引く石鏃という「旧い」武器を使う必要があったのだろうか。 大陸から伝来した武器は、具体的には銅剣・銅矛・銅戈だが、これらは最終的にその機能を全うすることなく、祭器に転じている。例えば、銅矛は、始めのころの実用品は長さ三〇センチ程度だが、最後には八六センチもの長大なものが作られている。扁平な身になまくら刃のついたもので、とても実用に供せるものではない。柄を装着する袋部には鋳造の際の土の内型が詰まったままで、製作当初から実用性を意図していないことがわかる。銅鐸が聞く銅鐸から見る銅鐸へ変化していったのと軌を一にして、青銅の武器は武器から武威の崇拝の対象へとその目的を変じていったのである。これは、弥生時代人にとって、金属は今ほど一般的なものではく、それ自体畏怖の対象物であったことにくわえ、大陸製品を保持しているということがステータスとして認識されていたのではないかと考えられる。弥生時代を席捲したのは、既に大陸で数百年の歴史を持つ、完成された武器ではなく、やはり縄文時代から使い慣れた弓矢であった。 では、磨製石鏃はどうであったか。 磨製石鏃は、当時朝鮮半島で普及していたが、弥生時代日本においては少数派であり、しかもその使用は始めごろに限られている。つまり、石鏃に関しては渡来の技術は定着せず、旧い技法がそのまま使用されていたということになる。 さらに鉄鏃である。鉄鏃は最終的に石鏃にとってかわった。しかし、鉄鏃が伝来してからその隆盛までにはタイムラグがある。その間、石鏃が鉄鏃の普及を抑えた理由は、製作の簡便さからだけではなく、威力が同等であったことにも帰する。大阪府立弥生文化博物館で、石鏃の矢と鉄鏃の矢、それぞれを弥生時代の型式で再現し、発泡スチロールを撃ち、何枚貫くことができたかによってその威力を測る実験の様子を放映していたが、全く同じ強度であった。しかし、弥生時代の赤い杉の盾を再現したものを発泡スチロールの前に置いた途端、その力の差が如実に現れた。石鏃は盾を貫けずにいたが、鉄鏃は盾を貫通したのち、その後ろの発泡スチロールにまで到達していたのである。おそらく、強度のある盾や鎧の出現を迎え、石鏃はその座を鉄鏃に譲ったのであろう。 第四章 多く遺存する石鏃 石鏃が、戦争の発生を示唆したり、石から鉄へ、という武器の材質の変化を測らせるのは、矢というものが戦場において最も棄て去られるものであることに因る。調査の対象物が多いのである。鉄鏃になると、鋳造し直してまた使うなどするので、サンプルが激減するが、石鏃は、使い棄てられたものが残っている。 第五章 考察 石鏃の変化は、戦争が「始まった」ことを示唆している。人間は原初から戦争を行う生物ではなかった。富の蓄積が人間に大闘争を指示したのである。
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弥生をお気に入りに追加 弥生とは 弥生の半分はかわいさで出来ています。弥生の33%は成功の鍵で出来ています。弥生の5%は気の迷いで出来ています。弥生の5%はむなしさで出来ています。弥生の3%は情報で出来ています。弥生の3%は苦労で出来ています。弥生の1%は陰謀で出来ています。 弥生@ウィキペディア 弥生 弥生の報道 【桐生ボート・GIIレディースオールスター】出場選手決定(サンケイスポーツ) - Yahoo!ニュース - スポーツナビ (料理メモ)焼きいもポタージュ:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル KOHKI、大河内淳矢、花柳幸舞音、鳥木弥生、辻博之らが出演!和×洋コラボレーション・コンサート「ワブヨウネ」12月11日(土)12 00より【Streaming+】にて配信開始!:時事ドットコム - 時事通信 吉野ヶ里町 観光情報 - 吉野ヶ里町 熊本市の発掘調査 最新の成果紹介 熊本博物館で「速報展」|熊本日日新聞社 - 熊本日日新聞 歌川国芳から河鍋暁斎、小村雪岱、渡辺省亭、鏑木清方、そして横尾忠則……。「破格の表現者たち」を軸に従来の日本美術史を再考する『商業美術家の逆襲 もうひとつの日本美術史』が発売!:時事ドットコム - 時事通信 永瀬正敏&台湾の“超新人”ルシア、小川洋子小説『ホテルアイリス』映画化 - 47NEWS 特設Webサイト「電子帳簿保存法あんしんガイド」を公開 - PR TIMES 弥生時代の「暮らしやすさ」を現代に。“未完成”の遺跡公園は、市民とともに育ち続ける。 - ハフポスト日本版 (料理メモ)だて巻き:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 日本史と世界史が合体?新教科 歴史総合とは?(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 弥生時代の「鍬」、近畿で2タイプ使い分け 土を「寄せる」「削りならす」 - 京都新聞 全国布ぞうりコンテストで恵那の三宅さんが2度目大賞 「鬼滅」モチーフに市松模様のスリッパ - 47NEWS 弥生期住居跡と炭化した米出土 茅野・永明中校庭遺跡、12日に現地説明会 - 47NEWS こんな身近にそっくりさんが! 青谷弥生人 地元鳥取県のゆかりが深い場所で展示(日本海テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 施設の高齢者の預金850万円引き出した疑い 介護福祉士を逮捕(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース May J.、大門弥生とのコラボ曲も収録したアルバム『Silver Lining』リリース(CDジャーナル) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース TVアニメ『五等分の花嫁∬』のトレーディング lette-graph 第2弾 缶バッジの受注を開始!!アニメ・漫画のオリジナルグッズを販売する「AMNIBUS」にて - PR TIMES 12月(師走)はどうやって過ごすべき? 師走という言葉の意味や由来を解説(男の隠れ家デジタル) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 茅野の永明中校庭から炭化した米 弥生後期の遺跡調査で 稲作の伝わり裏付け|信毎web - 信濃毎日新聞 ここにきて本格化したソーヴァリアント 母ソーマジックは桜花賞3着馬(netkeiba.com) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 少女漫画家くらもちふさこの画業を辿る展覧会が弥生美術館で、『天然コケッコー』原画など約400点 - Fashion Press 山口市で弥生時代と同じ道具を使って機織りを体験する催し|NHK 山口県のニュース - NHK NEWS WEB 岩手史の特異性ひもとく 県立博物館、県内外の遺跡や土器紹介 - なびたび北東北 青いガラス玉が弥生時代に「草原の道」を1万キロメートル! 約2千年前の交易が明らかに〈AERA〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【チャレンジC予想】古豪と新星が中長距離路線で飛躍誓う(netkeiba.com) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【動画】弥生のムラ照らす #この一枚 - 西日本新聞 「キャラフレ」,クリスマスイベントが本日スタート - 4Gamer.net ヤマト運輸の不在票にクスッ! 印字されていた名前が…? - grape 「弥生PAPカンファレンス 2021 秋」開催レポート公開 - PR TIMES 弥生の食材使い 磯城野高生が創作料理 - 朝日新聞デジタル 「飛ぶ鳥が見える」 本紙連載を書籍化 神を祭る場所と山並み解明 三重(伊勢新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【2歳次走報】ジャスティンロックは年内休養し弥生賞ディープインパクト記念で始動(サンケイスポーツ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 朝のバタバタは、子どもの段取り、親のフォローを変えるとうまくいく!(ベネッセ 教育情報サイト) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース <W解説>草間弥生さんの作品「南瓜」、韓国で今年の最高額で落札=根強い「反日教育」を超越 - WOW! 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1"「縄文時代のくらしの様子がわかる」 教科書p8~9・資料集12ページをしっかりと読む。 縄文時代はいつごろか説明できる。 縄文時代の人は何を食べていたか説明できる。 縄文時代の人はどんな道具を使っていたか説明できる。 縄文時代の人の1年間の生活を説明できる。 縄文土器、貝塚が説明できる。" 2"「弥生時代のくらしの様子がわかる」 教科書p10~11・資料集13ページをしっかりと読む。 弥生時代はいつごろかが説明できる。 弥生時代の人は何を食べていたか説明できる。 弥生時代の人はどんな道具を使っていたか説明できる。 弥生土器、銅鐸が説明できる。" 3"「縄文時代と弥生時代は何がちがう?」 教科書p12~15の絵を見て、弥生時代と縄文時代の違いがわかる。 縄文時代の絵からわかることを説明できる。 弥生時代の絵からわかることを説明できる。 2つの時代で違うことを説明できる。(衣服は?仕事は?建物は?食料は?その他に違う点は?)。" 4"「米作りの広がりによってむらの様子はどのように変わったか?」 教科書p18~19に書かれていることがわかる。 言葉の意味が全てわかる。 米作りの広がりによってむらの様子はどう変わったのかが説明できる。 渡来人?" 5"「古墳は何のために、どのようにして作られたのか?」 教科書p20~21に書かれていることがわかる。 古墳って何?古墳は何のために作られたかを説明できる。 古墳はどのようにして作られたのかを説明できる。 古墳時代はいつごろ? " 6"「国土はどのように統一されていったのでしょうか?」 教科書P.22~23に書かれていることがわかる。 大和朝廷とは何か?" 7復習をしてテストに備える! 作成者 こむさん ブログ こむさんの『学び合い』人生前向き日記 http //manabiai.g.hatena.ne.jp/kogapon7/ 名前 コメント