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1 沿革 1.1 井上勝の決心 新橋横浜間に鉄道が開業してから11年を経た1893年(明治26年)、我が国の鉄道の延長は3,200㎞に達し、なお急速な進捗を遂げていたにもかかわらず、蒸気機関車は殆ど欧米から輸入していた。我が国鉄道建設の功労者で、永く鉄道局長官の要職にあった井上勝は、鉄道技術の独立、機材の国産化を自ら実行しようとその職を辞し、民間車両会社の設立に着手した。 親友の井上馨(侯爵、外務大臣・農商務大臣・大蔵大臣などを歴任)の斡旋で賛同した渋沢榮一、岩崎弥之助の援助と黒田、毛利、前田などの旧藩主、大倉・藤田・住友・安田といった当時の第一線実業家の支持を受けて会社設立に入ったが、明治27・28年の日清戦争が起こって一時延期になった。 1.2 汽車製造合資会社の誕生 1896年(明治29年)に官営の八幡製鉄所が創立されるとともに景気が戻ってきたので、9月7日に出資者を募り資本金65万円という当時としては稀に見る大資本の汽車製造合資会社が誕生し社長に井上勝が就任した。大阪島屋新田に土地を購入し赤煉瓦2階建ての事務所とイギリスに発注した鉄骨を用いた工場を建て、1899年(明治32年)7月5日に開業式を行った。蒸気機関車など鉄道関連品の製造を目的とした会社である。 我が国に鉄道が開通して10余年、1890年(明治23年)3月28日に創業した平岡工場は東京市小石川区で客車の製造を開始したことは夙に知られているが、そのころ新宿にあった農事試験場付属の農機具製造工場が芝の三田四国町に移転して三田製作所と改称し、客車の製造に進出して平岡工場に次ぐ規模となって大いに栄えたが日清戦争後の不況期に注文が激減したため鉄道車両製造から撤退し印刷機分野に転進した。関西では梅鉢鉄工所が1880年(明治23年)に堺市並松町で客車の製造を開始した。 一方、蒸気機関車の製造は1896年(明治29年)7月24日に創業した株式会社鉄道車両製造所と同年9月18日設立した日本車両製造株式会社が名古屋で起業したがまだ機関車は完成していなかった。しかも、前者は受注し機関車の製造途中にありなが創業5年目の1901年に不景気の影響で資金が枯渇して倒産した。 鉄道車両製造はその黎明期から景気の好不況や国の動向に影響されやすい事業であった。 1.3 平岡工場 1890年(明治23年)、鉄道作業局新橋工場に勤務していた平岡熙は職を辞し、3月28日に東京小石川にある東京砲兵工廠の鍛工・鋳鋼・木工の工場を借りて平岡工場を設立し、6月24日に開業した。平岡工場は車両メーカーの草分けで日本鉄道㈱を始めとして全国の鉄道会社から多くの注文を受け多額の利益を上げた。本業である鉄道車両(客車・貨車)の製造の傍ら陸軍の命によって兵器の製造修理を行い、日清戦役に際しては全工場を挙げて兵器の製造に従事した。砲兵工廠の借用期限は1986年(明治29)年3月31日までであった。 借り上げ工場の返却を見越して建設していた本所区錦糸町の工場の完成に従い順次移転し、4月から新工場での操業が始まった。 汽車会社は開業に際して平岡工場を合併しようと申し入れたが平岡は合併を拒み、その代わりに副社長として汽車会社の育成を応援することになった。しかし、渋沢、井上馨の強い合併の意欲に応えて、1901年(明治34年)5月1日に汽車製造合資会社に合併し東京支店となった。創業から合併までの間に客車約350両、貨車約1,250両を製造したと推測されている。 拡張と不景気の明治時代 開業初年から利益配当をすることが出来た幸先の良い発足であり、日本鉄道㈱から長谷川正五を、関西鉄道株からは出羽政助を迎え入れ技術陣の強化を図った。 先の日清戦争で我が国の領土となった台湾では統治上南北を結ぶ縦貫鉄道の建設が急務となっていた。当社は台湾鉄道建設部から建設工事に必要な資材購入の特命を受け、橋梁部品に引き続いて橋梁も受注した。橋梁の中には我が国では未踏の分野であるプレートガーダーがあったのでこれらの工事を円滑に行うために総督府鉄道の台北工場の一部を借り受け台北分工場とし、橋梁の組立のみならず改造、修理などを行い、縦貫鉄道の橋梁の殆どを製造した。1907年(明治40年)、台湾縦貫鉄道の完成に伴い台北分工場はその使命を終えて閉鎖した。 当社創業の主目的である機関車の製造は1901年(明治34年)に第1号機関車が竣工をし、台湾総督府鉄道部に納入した。1B1形タンク機関車である。これに引き続いて北海道・東武・参宮・中国の各鉄道に納入したところ官営の鉄道作業局からも注文を得てA10形機関車を1903年(明治36年)に納入し、井上勝の念願であった蒸気機関車の国産化が軌道に乗った。 機関車の製造だけでなく工作機械の製造をこころざし、まず自家用の直立ボール盤を製造、明治34年には車輪旋盤を製造して客先に納入し、我が国における第3番目の工作機械メーカーとなった。 前述のように、1901年に平岡工場を合併して機関車のみでなく客車と貨車の製造が増え業績が向上した。しかし、鉄道車両業界は政策や景気の影響を直接に受ける体質で操業度の変動が大きい業界である。このことは後々まで変わることはなかった。 1906年(明治39年)鉄道国有法が公布され大きな私鉄17社が国有鉄道に買収された。車両メーカーにとっては大手の顧客が1つになることは受注が偏る危険が生じるおそれがと予想された。ところが、翌年には大恐慌が起こり不景気となったその時期に設備も生産能力も当社より優れた川崎造船所が鉄道車両の製造に進出した。そこで、日本車両㈱、川崎造船所と汽車製造の3社は共同受注・適正配分を主務とする”鉄道車両製造共同事務所”を設立し、その目的を達成することができた。しかし、受注量の安定には程遠いので鉄道院に最小限度の受注量の保証を得ること強く要望して、成功した。また、1908年には蒸気機関車の製造国産化が本決まりとなった。 これに対応するために受注体制を強化し設備を充実するための資金を調達しやすくする目的で1912年(明治45年)6月に株式会社に改組し、翌年11月に資本金を270万円に増資した。 この間、三菱重工業神戸造船所が蒸気機関車の製造を開始したので、さらなる同業者の増加という事態が生じた。 発展と関東大震災、引き続く不況の大正時代 受注態勢の強化が功を奏して機関車の生産台数は増加したが、1914年(大正3年)7月に第1次世界大戦の戦火が拡大し、材料難に直面した。そこで加工度の高い工作機械の生産に本格的に進出し、国内向けのみならずインドに多量の旋盤を輸出し業績に貢献した。 1917年(大正6年)、高田商会から注文を受けて田熊常吉発明のタクマ式ボイラの製造を開始した。社長以下技術陣を動員して学術的改良を多数行い、100以上の実用新案を編み出すなどした結果、「世界一のボイラ」と東京帝国大学の加茂教授が絶賛するボイラに育て上げ、業績に大いに貢献した。 翌年にはタクマ式ボイラを直接受注して設計から製作・据付までの総てを行うことになり、ボイラメーカーとしての基盤を固めた。 11月には第1次世界大戦はドイツの降伏とともに終結して戦後の好況期を迎えたがその反面物価や人件費の高騰がはなはだしく労働組合運動が活発化した。 1919年(大正8年)10月、ワシントンで開かれた国際労働者会議に政府代表の顧問として長谷川正五が出席した。その際、労働者代表の顧問として当社の工員堂前孫三郎が同行した。このことは当時の我が国工業界における当社の地位の高さが察せられる。また、この月から他社に先がけて8時間労働制に踏み切っている。 1921年(大正10年)、東京支店が所在する錦糸町の敷地が区画整理で道路用地に削られることが決定したので、その代替地として江東区砂町の前田・毛利両侯爵家が所有する土地を買収した。芦の茂る低湿地であったので、軽便鉄道を敷設して荒川放水路の浚渫土を運搬して埋立てを行った。 1922年には中国の山東鉄道と朝鮮総督麩鉄道局から標準軌間(1,435ミリメートル)の蒸気機関車を受注し、大陸へ輸出する最初の蒸気機関車を製造した。 また、当社は初めて電気機関車3両を製造し浅野セメント北海道工場に納めた。電気部品は東洋電機製で、勾配線に使用するため電磁ブレーキを装備した。使用の結果、成績良好と認められて翌年には1両追加受注した。 そのころ、東京支店には関東車両工組合(機械労働組合連合会系)と誠睦会(労働総同盟系)があり互いに組合員の拡大を競っていた。1923年(大正12年)春、関東車両工組合から組合員の切り崩しをしたという理由で誠睦会の幹部3名を馘首するよう会社に申し入れてきたが会社はこれを拒否したことからストライキが発生した。40日に及ぶ長いストライキは組合側の疲弊で終結したその50日後の9月1日に関東大震災が起こり江東地区は焼野が原となり、死傷者多数を出す被害を被った。東京支店も一部を残して建物、製品ともに灰燼に帰し、多くの従業員を失いそのうえ平岡工場時代からの貴重な資料を焼失し、その損害は計り知れない。役員会の資料によると直接の被害は約160万円と記されている。 震災後は不況となり経営は困難を極めたが、バス車体の製造、中国・満鉄向け機関車や橋梁の製造に力を注ぎ工事量の確保に努めるとともに技術の進歩は停滞することなく続けた。 1924年には新京阪電鉄から電気機関車3両受注した。車体には空いている部分があるので荷物室とし、荷物電車としても使用できる電気機関車で、電気部品は東洋電機製、台車は米国から購入した。さらに1925年(大正14年)には南満州鉄道から当社と芝浦製作所(現在の東芝)に大形電気機関車の製造を発注してきた。このような情況から電気機関車の将来性を考えて大倉商事会社と組んでドイツAEG社より電気部品を輸入し、当社で電気機関車に組立てて鉄道省に納入する計画を立てAEG社と契約を結びキ技術陣を整える措置を取った。ところが、間もなく鉄道省の方針が電気機関車も国産品を採用することに決定したのでこの計画は中止となった。しかしながら、芝浦製作所・汽車会社の製造体制は継続し、満鉄から多くの大形電気機関車を受注し製造した。その後、1927年に運輸省が蓄電池機関車2両を発注しときを始めとして同省が発注する電気機関車は車体と台車は汽車会社、電気品は芝浦製作所という製造分担が確立し、ED16形電気機関車の受注に次いで鉄道省の幹線電化計画に基づく電気機関車国産化の方針に従い芝浦製作所と共同して急行旅客列車用のEF52形電気機関車の設計、製作に着手した。 また、転轍機の轍叉の製造を開始し、川崎の富士製鉄敷地内に川崎分工場を設けたのもこの年である。 1928年(昭和3年)3月、1000台目の蒸気機関車C535号機を竣工した。この機関車は輸送量の増加と客車の鋼製化による重量増加により牽引力の大きい機関車の必要に迫られて開発された旅客用高速蒸気機関車で、欧米でその優秀性が喧伝されていた3シリンダ式を採用した大形機関車である。 1.6 不景気からの脱却と戦争協力の時代 昭和のはじめは人員整理や作業時間の短縮などの対策を行う一方、ロード・ローラー、紡績機械、タクマ式ボイラの製造に努め経営を維持した。 不況にもかかわらず進めていた東京支店の移転工事は着々と進み、1931年(昭和6年)に砂町の新工場で操業が始まった。 この年の9月に勃発した満州事変でにわかに景気は好転し、金輸出の再禁止政策の実施で輸出が活況を呈し始めた。時運に乗って、満州方面に車両・橋梁・タクマ式ボイラを多数供給した。 好事魔多し。1934年(昭和9年)9月、室戸台風が関西地方に襲来し、未曾有の高潮のために大阪工場は1週間も水没し、多くの設備、製品のみならず貴重な書類にも甚大な損害を被った。さらに、追い討ちをかけるように、翌年の8月にも再び高潮に見舞われ大きな被害が発生した。 1936年(昭和11年)、創業40周年にあたり、社業の一層の発展を期し資本金を1,000万円に増資し、本社を東京丸の内の丸ビルに移し、東京・大阪両工場に設備の大増設を行った。しかし、車両や軍需品の需要は激増しその要求に応じきれなくなったので、当社の創業目的である鉄道以外の部門を切り離すことになり、3年以上も作り続けて技術的にも成功を収めていた紡績機械部門を大倉商事の関連会社に図面・特殊機械・ノウハウ等総てを譲渡した。一方、ボイラ部門の設備拡充・研究費増額・待遇改善を要求した田熊常吉はそれを認めなかったことを不満として会社を去った。しかし、タクマ式ボイラに関する多くの特許を取得しており優秀なボイラ技術者と製造部門は残ったので特許タクマ式ボイラの製造は継続した。 中国大陸に広がりつつあった戦雲は1937年(昭和12年)に支那事変に進展し、車両の需要が増えそのうえ戦車をはじめとする軍需品の増産要求が一段と高くなった。これに応えるために大阪製作所の隣地を借り入れる一方、更なる飛躍発展を期して大阪製作所を岡山県に移転する計画を建て1940年(昭和15年)に岡山県児島湾の埋立地33万㎡の土地を買い入れた。 戦局が拡大するにつれて物資の統制がきびしくなり資材入手が困難になる中、1940年5月22日に開業以来2000号目の機関車を鉄道省に収めた。記念すべきこの機関車は大型急行列車用に新たに設計・製造されたC59形の1号機、C591である。 この年の12月8日に真珠湾を奇襲攻撃しマレー半島に進軍する大東亜戦争の開戦が発表されて時局は一変し、国内はもとより、満州・北支那向けの機関車の増産の要求がますます大きくなった。ところで、当社製の戦車は精密堅牢で好評であったが、本業である機関車の製造に専念するために、戦車製造の免除を陸軍省に申し出て、これが認められた。 外地向の機関車の製造が多忙な中、D52形蒸気機関車の大増産し、朝鮮鉄道局元山線向の直流3000ボルト電気機関車デロイ形(国内の鉄道は1500ボルト)の受注・製造では芝浦製作所と共に多数受注したが蒸気機関車の製造で多忙を極めていたので台車と車体4両分の製造をし、5両目以降の芝浦製作所に技術移転を行い当社は電気機関車台車の製造を取りやめた。また、青函連絡船用の新しい可動橋を完成して本州・北海道間の輸送力増強に大きく貢献した。 1943年(昭和18年)、岡山工場の操業を開始した。翌年、社制を変更して支店工場の呼び名を製作所に改めた。太平洋戦争はますます熾烈となり、軍の要求によって上陸用舟艇の製造も行った。 アメリカ軍の空襲が本土に及びはじめた1945年(昭和20年)に資本金を4000万円に増資した。ところが、3月9日夜半に東京大空襲があり江東地区は大量の焼夷弾攻撃を受け近隣の住宅と共に炎につつまれた東京製作所は事務所を始め工場、倉庫と材料・完成した車両などすべてを消失し鉄骨の工場建屋だけが残る廃墟と化した。従業員の中には空襲の犠牲になった方もあり、家を失った人も多く多く、そのうえ交通機関が停止しして通勤が困難を極めたために業務は一時停止した。しかし、通勤が可能な社員が次第に出勤し自力による建屋の修復、機械の修理が始まりやがて戦災に遭った車両の復旧工事から業務は開始した。 昭和20年6月1日午前、大阪製作所は空襲による激しい焼夷弾攻撃を受け、数十人の死傷者が出て木造の建物は殆ど消失する被害を受けた。その後も再三の空襲があり、7月24日には1トン爆弾が3発落下し、炸裂した穴は水溜りとなり、工場は爆風で屋根が飛び、錆びて赤茶けたトタン板があちこちに散乱した惨憺たる有様となった。数次の空襲で約五十名が犠牲が出たということである。 このような中、8月15日に終戦の日を迎えて工場の人たちは呆然となったが、工場は翌16日の1日だけを休業として17日からはそれまでと同様に復旧作業と機関車の製造を続けた。 終戦直後の9月17日に鹿児島県枕崎に上陸した台風は日本を縦断し、廣島や大阪に甚大な被害をもたらした。安治川の岸壁を乗り越えた濁流に運ばれた材木や小船が会社の塀を破壊して侵入したため工場全体が泥の海と化し操業停止に追いやられた。排水、機械の整備、電気機器の補修などに約1ヶ月を費やす大打撃を被った。 1.7 苦難の戦後やがて技術革新の時代 無条件降伏で連合国軍の占領下に入った日本はその命令(GHQ命令)によって様々な変革が行われた。民主化政策の一つである財閥解体の影響を受けて当社は特別経理会社と制限会社に指定された。これによって資金の調達は困難になり、土地建物や機械の購入、電話1台の増設さえ許可願いを出しも決定までに時間がかるような束縛を受け、復旧再建が急がれる時期に他社に大きな遅れを取った。 もう一つの民主化政策である労働組合の育成は戦後の激しいインフレのもと日本共産党と戦前の日本労働総同盟の指導で労働運動が高まった。その影響を受けて汽車会社労働組合が結成された。全国労働組合共同闘争委員会(全闘)が計画した1947年(昭和22年)2月1日のゼネストはGHQ命令で中止されたが個々の組合は待遇改善や賃上げを要求し、ストライキが起こっていた。10月には汽車会社労組も賃上げ等の要求を掲げてストライキを宣言した。会社はその要求を呑まなかったのでストライキとなったが団体交渉の末、22日間のストライキは終結した。 このような状況下、運輸省からの機関車と電車の受注を得て鉄道車両の製造は続けられたが受注量は少なく、機関車は戦時中のおよそ20%に過ぎなかった。しかし、技術面では新製品の研究開発が熱心に進められていた。1947年(昭和22年)には運輸省発注の北海道向ロータリー除雪車(キ620)、進駐軍向けの温水ボイラの製造を開始した。自主開発で完成した三輪自動車ナニワ号は斬新なスタイルと優れた性能を発揮したが量産体制を整えることが出来ず、立ち消えとなった。 翌年、資本金を1億2000万円に増資したが、戦後インフレの進行が激しく、金融は極度に逼迫した。そのような状況の中、運輸省から新形蒸気機関車E10形5両と貨物用のD52形を旅客用のC62形に改造する工事、戦時設計の粗末な63形通勤電車の量産や宇高連絡船用の可動橋を製作し、自主開発製品としてはクレイマーミル、振動篩の製造を開始した。 悪化を極めた経済状況に歯止めをかけるために、GHQは財政金融引締め政策いわゆるドッジ・ラインを立案・勧告した。その結果、1949年(昭和24年)度の国家予算は厳しい均衡予算となり、国家予算による仕事量は大幅に縮小した。当社は各製作所合わせて1,500名余の解雇と岡山製作所を閉鎖して苦境を切り抜けた。 ところが、天はわれに与せず、東京製作所は昭和1949年にキティ台風で、大阪製作所は翌年のジェーン台風で高潮が工場内に進入して工場設備だけでなく製品にも多大な損害を被った。 産業構造の変革で蒸気機関車の需要は激減し運輸省向けの機関車は昭和24年のC62形が最後となり、1951年(昭和26年)に中華民国・台湾向のD51形と日本製鉄八幡製鉄所に納めたC形タンク機関車の製造で蒸気機関車製造の歴史は終わった。創業以来53年、その間に製造し送り出した蒸気機関車の数は2603両であった。 一方、鉄道開業以来、国営事業として政府官庁によって経営されていた鉄道事業は1949年(昭和24年)6月に独立採算制の公共事業体“日本国有鉄道(国鉄)“となった。 戦時中から社長を務めていた船田要之助が1947年(昭和22年)に退任し、生え抜きの佐々木和三郎が就任したが、病を得て在任2年で逝去した。次期社長に就任した玉置善雄も3年で逝去する悲運に見舞われた。次期社長の決定までには時間がかかり後藤悌治を迎えたのは昭和28年であった。 この間に世界はめまぐるしい変化をしていた。1950年6月に突然朝鮮戦争が始まり需要が急激に増えて景気が一気に回復し、翌々年春にはサンフランシスコ講和条約が発効して制限会社令が解けて日本が大きく発展に向いつつある時期に3人の社長が短命であったことは会社の発展に大きな損失であった。 1952年(昭和27年)7月18日に奈良県吉野地方を襲った地震は奈良薬師寺の月光菩薩像に大きな損傷を与えた。古くから首の付け根に深いヒビ割れが認められていた月光菩薩の首が動くようになったのである。文化財保護委員会は首が離れてしまうとこのないように、体内に金具を入れて強力に固定したうえで切れ目を新技術の合成樹脂で接着する方針を決定した。失敗を許せないこの復元作業を文化財保護委員会が当社の技術力を高く評価して委嘱された作業であった。万全の準備と慎重な作業によって昔と変わらぬ崇高なお姿を拝することが出来るようになった。 10年ほど途絶えていた電気機関車の製造は1951年(昭和26年)にEF58形で再開された。このEF58形機関車の車体形状は従来のものと異なりデッキをなくしてその長さだけ車体を長くし、その部分に客車暖房用の蒸気発生機を搭載した。 この蒸気発生機は当社が国鉄から電気機関車に搭載する暖房用の単管式強制貫流罐の製作を命ぜられて技術陣の総力を挙げて完成した単管式強制貫流型KSK特許蒸気発生機である。 蒸気発生機は数次の改良を経て旅客用電気機関車及びディーゼル機関車の総てに装備されるほか、大型の機種を工場や病院に多数納するようになり、高評を博した。 車両・ボイラ・橋梁の各部門ともに新製品の開発を競い、その結果カーダンパーや振動機械などの新製品を出し、ボイラ部門では都市ガスを使って夏は吸収式冷凍法で冷熱源とし冬はガスを燃焼して温熱源とするKSK冷暖房ユニット(ガス・エア・コンディショナ)の製造を開始した。橋梁部門ではボックスガーダーの製造を始めるなど多忙を極めた。乗り心地改善を目指して研究していた台車用の空気ばねを完成した。また、車輪旋盤に代わる車輪転削盤を開発し好評を博したが更なる効率化を目指して、転削盤をピット内に設けて車輪を台車に取り付けたまま転削出来る形に進歩した。 昭和初期に10両ほど製造した実績を踏まえて、戦後直ちにディーゼル機関車の研究を開始し、流体変速方式が電気式や機械式に勝ることが明らかになり、数種類のディーゼル機関車を設計・製造した経験から国鉄の標準となり得るDD形式の機関車を1957年(昭和32年)に完成して江若鉄道に納めた。この機関車の改良型が国鉄のDD 13形となり、約10年にわたっておよそ600両が作られた。そのうち212両は当社製である。 1956年(昭和31年)になると日本経済の発展は目覚しく、経済白書に「もはや戦後ではない」と表現された。10月に国鉄は五カ年計画を立案し電気機関車795両、ディーゼル機関車620両、貨車24,000両を新造して旅客の混雑緩和と貨物輸送の円滑化を図ると発表された。しかし、大阪製作所の能力を満足するような機関車の数はなく、操業を維持するために努力して開発してきた新製品は受注生産のため利益には繋がらなかった。1958年には大都市の通勤電車に用いる中央線用90系の試作車両を始め、東京・大阪間を8時間で走るはこだま形特急電車を製造し業績の向上に貢献したが大阪製作所の仕事量不足による・・には及ばなかったたが。資本金は前年に引き続いて行われて10億2千万円となった。 1960年(昭和35年)は岩戸景気といわれた年で、当社は技術的に難度の高い工事を多数完成した。我が国に初の振動クイ打機の製造、DD14形ディーゼルロータリー雪かき機関車、大阪環状線用の安治川橋梁、西独ワルター社との技術提携により製作したベンソンボイラ1号機の運転開始、出水製紙プラントの完成などであった。 1961年(昭和36年)にはパナマ運河会社から曳き船用電気機関車39両を受注し、プロトタイプ6両を製造した。この機関車は老朽化した運河の諸設備を改修する事業の一部で、車両の重量は従前と変えないで曳き船能力を従来の2倍にするという厳しいものであった。6両は現地で最も過酷な使用条件にあるガツン堰に送り、長期にわたって実際の曳き船作業を行って運転面の改良事項を洗い出して残りの機関車に反映させた。この結果20両の機関車と3両のクレーン車の追加発注を受けた。 1962年(昭和37年)、ボイラと建設機械の製造を担う滋賀製作所が完成し同時に25億5千万円に増資した。 1957年に始まった東海道新幹線建設工事にあわせて試作電車を製造し、鴨の宮基地に納めた。この電車は翌年時速256キロを記録した。国鉄天王寺駅の駅ビル鉄骨工事を完成し、ユーゴスラビアへパルププラント輸出するほか、小回りの利く小型フォークリフトの製造を開始した。 1963年(昭和38年)にはごみ焼却プラントの製造を開始し、この事業の基礎を作った。 10年に亘って会社の発展に大きな足跡を残した後藤社長が退任し、新社長に笹村越郎が就任したのは東海道新幹線の開通と東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)で、この年に資本金を26億5200万円に増資した。 当社は新幹線の建設工事では野洲川橋梁をはじめ多くの橋梁を製造し、新幹線電車0系を6編成(1編成12両)製造し、鳥飼基地には車輪研削盤を納入した。この車輪研削盤は12両連結した新幹線電車を編成のまま1つの台車の2軸を同時に研削できる機械で高速運転列車の安全と乗り心地の向上に大きく貢献した。また、オリンピックの水泳競技が行われた国立屋内総合競技場主体育館の鉄骨を製造した。 1965年(昭和40年)に手狭になった丸ビルから日本ビルジングに本社を移転した。新幹線の開業とオリンピックの開催という2大偉業とそれに呼応して行われた昭和30年代の設備投資が過大であった影響を受けて日本は急激に不況となり仕事量の減少を招いた。しかし、除雪能力を一段と大きくしたDD53形ディーゼルロータリー雪かき機関車を納入し、ビルマとマレーシアへディーゼル機関車の輸出、さらには二重効用吸収式冷凍機の製造を開始、アメリカAS社製のA3ボイラの販売を始めるなど営業活動は活発であったが、新幹線の車両の製造はなかった。 翌年、国鉄からの発注は非常に少なくなり、機関車の製造は新形式のDE10形ディーゼル機関車3両過ぎなかった 。ところが、世間一般の景気は回復し始め、吸収式冷凍機は好調で病院・ホテル等に納入し、橋梁部門では阪神道路公団の高速道路、あるいは東京経団連ビルの鉄骨などを製造した。 1967年(昭和42年)、新製品としてアスファルト製造プラント製造開始とともに大阪営業所を開設し営業活動を活発にした。 1968年(昭和43年)、東京製作所の貨車製造を担う宇都宮製作所が完成して稼動を開始した。広島営業所と台北駐在員事務所を開設していわゆるいざなぎ景気に対応する体制を整え、振動機械や直焚き冷温水発生機の製造開始し、フィリッピン・イリガン・プラントの完成、スーダンとマレーシアへディーゼル機関車を輸出した。 ところが、国鉄の経営は急激に悪化して国鉄車両の増備計画が縮小したため国鉄の発注想定量よりもメーカーの製造能力の方が過大であることが明白になった。その規模は汽車会社が国鉄から受注していた1年分に相当していた。車両工業会の会議でも車両メーカーの余剰生産能力を他の分野に向ける必要性があることが真剣に語られていた。 当社は営業活動を一層活発にして新規顧客、新製品の販売に注力した。その結果、新製品として鋳物工場向の小型原料供給装置の製造を開始するなど社員はそれぞれの立場で最大限の尽力をした。 しかし、会社首脳部による開発方針は示されず、既に述べたように夫々の技術者の発想による優秀な新製品は多数生み出されたが開発費の回収ははかばかしくなく、機関車に代わる付加価値の大きくしかも安定した受注が見込める新製品は生まれず、開発費の累積は膨大な不良資産を積み上げていた。 滋賀製作所に建設機械工場が完成した1970年(昭和45年)の5月14日に第一勧業銀行本店において井上馨頭取が立会い、汽車製造株式会社(資本金26億5200万円)と川崎重工業株式会社(資本金280億円)の業務提携の覚書調印が行われた。業務提携の内容は2年後に川崎重工が汽車会社を吸収し合併することを前提としていた。経済界を始め業界もまして従業員にとっても全く唐突な発表であった。新聞は経済面に汽車会社が資本金を上回る31億円余を粉飾決算していたことが発覚し今後の経営継続不可能となったと報道した。これによって笹村社長が退任し、川崎重工業の米谷修二が社長に就任するとともに川崎重工業との協議が始まった。 営業活動は活発に継続しビルマからはディーゼル機関車とパルププラントをDHL受注し、国内向けの本邦最大の吸収式冷凍機や紀州製紙㈱発電プラントを受注した。 この年は日本万国博覧会が大阪で開催され日本中が好況に沸き立った感があった。 1971年(昭和46年)に入って泉北ニュータウンの塵埃処理機とSCP廃液処理設備を受注し、世界最大のホットシンタースクリーンとスクラップシヤを完成するなど業務は着実に継続した。 川崎重工業㈱との協議の結果、大阪・滋賀・宇都宮の3製作所は川崎重工業の組織に入り、東京製作所は閉鎖と決定した。 東京都は昭和40年代に都市部にある工場を他へ移転させ跡地を住宅地化する計画を立案していた。都心から地下鉄で15分の地にある東京製作所はこの計画に該当するので何時の日か移転しなければならない状況にあった。工場敷地は東京都の住宅団地となった。 汽車製造株式会社は1972年(昭和47年)3月31日に76年の歴史を閉じることとなった。 日本の機械工業の黎明期に創業して鉄道の運営に必要な鉄道車両、主要な機械類や構造物を製造したのみならず鉄道以外の分野の各種機械・ボイラ・橋梁・製紙プラント、塵処理プラントと幅広い製品を世に送り出し、需要家の要望に応え・創意工夫と独創的アイディアを活かした製品を多数製造して我が国の発展に大きく貢献し、我が国の機械工業の初歩から発達過程を歩んだ数少ない会社のひとつに幕が下りた日である。 一方、川崎重工業の歴史の要点を記すと次のようである。 薩摩出身の川崎正蔵は1878年(明治11年)に東京築地に川崎築地造船所を設立し造船を業とした。1886年(明治19年)官営兵庫造船所の払い下げを受けて神戸に移り、1896年(明治29年)10月15日資本金200万円の株式会社川崎造船所に改組し、同郷の松方幸次郎を初代社長に迎えた。1906年(明治39年)5月に運河分工場(後の兵庫工場)を開設して製鉄事業に進出し、翌年には機関車、客貨車、橋桁等の製作を開始した。最初に製造した蒸気機関車は1B1形タンク機関車で1911年(明治44年)のことである。 1918年、兵庫工場に飛行機科を設置し、翌年には船舶部を分離独立して川﨑汽船株式会社を設立した。 1928年(昭和3年)に鉄道車両部門を分離して川崎車輛株式会社を設立し、1937年に航空機部門を分離し、川﨑航空機工業株式会社を設立した。 1939年(昭和14年)12月1日 に川崎重工業株式会社に社名を変更した。 1950年(昭和25年)製鉄部門を分離して川﨑製鉄株式会社(現・JFEスチール株式会社)を設立し、1966年(昭和41年)にボイラ、破砕機、運搬機械などのメーカーであった横山工業株式会社を合併した。 1969年(昭和44年)に川崎車輛と川崎航空機工業を合併して名実ともに総合的な重工業会社となった。 汽車製造株式会社の終焉 汽車会社の終焉は社員の知らない間に国鉄の一部の幹部のもとでも静かに進行していたと考えられる。このことは汽車会社蒸気機関車製造史に寄せられた朝倉希一氏の序文から想像できる。その部分を借用すると次のように記されている。 「ときあたかも国鉄は赤字経営となり、注文車両は著しく減ずるので、車両会社としても自活の道を自ら開発せねばならないときである。政府の委員会も車両会社の数を減ずべきことを提案している。このときにあたり率先して合併に踏み切ったことは同社が国策会社として起こり、遂に国策に殉じたものということができよう。」 合併先が川崎重工業であることは川﨑造船所が1907年に蒸気機関車の製造に参入して以来、両社は業界のため受注の拡大、調整などに多大の協力をしてきた歴史があるとともに両社とも主力銀行が第一勧業銀行(現、みずほ銀行)であったことに由来している。 合併と同時に、東京製作所は既に述べたように閉鎖し敷地は東京都に売却され、住宅団地に変貌した。 大阪製作所は川崎重工業の大阪工場となり、従来どおりの製品の製造を継続しつつ縮小し順次川崎重工業のそれぞれの事業部に移管し、1987年に閉鎖、売却され、現在は新大阪郵便局をはじめ、佐川急便、鴻池運輸などが立ち並んでいる。 滋賀製作所は川崎重工業滋賀工場となり、空調機器・汎用ボイラの製造を継続した。現在は川崎重工業と分離して川重冷熱工業㈱と名称を変更した。 宇都宮製作所は兵庫工場の貨車製造部門を継承し貨車の製造を継続した。しかし、貨車の受注量の激減により車両以外の製品の製造工場に転用された。 付記 1965年頃(昭和40年代前半)に同業者である帝国車両㈱と日本車両㈱の蕨工場が期を一にして鉄道車両の製造から撤退している。 1900年(明治23年)、大阪府堺市で創業した梅鉢鉄工所(1936年梅鉢車両㈱に改称)は地方の路面電車や客車の製造から始まり、国鉄私鉄の客電車を製造し、1941年(昭和16年)帝国車両工業と改称し事業を継続していたが1968年(昭和43年)3月に東急車輛㈱と合併した。合併後は鉄道車両の製造を止め、海上コンテナーの専用工場となったと聞いている。 日本車両株式会社は1971年(昭和46年)に鉄道車両の製造を豊川製作所に統合する方針を決定し、蕨工場は翌年3月に閉鎖した。蕨工場の跡地は日本住宅公団(現:都市再生機構)が購入して住宅団地と化した。 印刷機分野に転進した三田製作所は東京機械製作所と称号を変更して新聞輪転機の製造を業として今日に至っている。
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ニチゾウテック 本店:大阪市大正区鶴町二丁目15番26号 【商号履歴】 株式会社ニチゾウテック(1986年3月~) 日立造船非破壊検査株式会社(1975年1月21日~1986年3月) 【株式上場履歴】 <東証2部>2013年7月16日~2014年3月27日(日立造船株式会社と株式交換) <大証2部>1996年11月1日~2013年7月15日(東証に統合) 【合併履歴】 1989年4月 日 ニチゾウ堺機電株式会社 1986年3月 日 大阪ニチゾウメンテナンス株式会社 1986年3月 日 広島ニチゾウメンテナンス株式会社 1986年3月 日 舞鶴ニチゾウメンテナンス株式会社 1986年3月 日 九州ニチゾウメンテナンス株式会社 【沿革】 昭和50年1月 日立造船非破壊検査株式会社を大阪市此花区に設立し、業務を開始 昭和50年6月 科学技術庁から放射性同位元素等の使用許可を取得 昭和50年7月 非破壊検査、材料試験事業を開始 昭和51年6月 溶接技術管理及び溶接構造物の総合診断事業を開始 昭和52年8月 鹿島建設株式会社と被覆体背後の間隙測定方法実施権の許諾契約を締結 昭和61年3月 大阪ニチゾウメンテナンス株式会社、広島ニチゾウメンテナンス株式会社、舞鶴ニチゾウメンテナンス株式会社、九州ニチゾウメンテナンス株式会社を吸収合併、商号を株式会社ニチゾウテックに変更 昭和61年4月 大阪市福島区に営業所を開設、併せて同所にて本店業務の一部を開始 昭和61年4月 生産ラインの自動化設備事業に進出 昭和61年5月 電気工事業、管工事業、鋼構造物工事業、機械器具設置工事業について、特定建設業の建設大臣許可を取得。消防施設工事業、清掃施設工事業について、一般建設業の建設大臣許可を取得 昭和61年10月 自動車関連事業分野に進出のため、熊本県菊池郡大津町に九州事業部大津事業所を開設 平成元年4月 電気技術要員強化のため、ニチゾウ堺機電株式会社を吸収合併 平成元年8月 土木工事業について、一般建設業の建設大臣許可を取得 平成元年9月 本社を大阪市福島区に移転 平成2年7月 北九州地区の自動車関連事業分野に進出のため、福岡県京都郡苅田町に九州事業部苅田事業所を開設 平成6年4月 設備のメンテナンス業務の経営効率向上と、高齢者雇用の機会を創出するため、子会社株式会社ニツテク神奈川、株式会社ニツテク大阪、株式会社ニツテク舞鶴の3社を設立 平成7年5月 本社を大阪市大正区に移転 平成8年11月 大阪証券取引所市場第二部に株式を上場 平成11年4月 設備のメンテナンス業務の経営効率向上を目的として子会社株式会社ニツテク有明を設立 平成11年7月 設備のメンテナンス業務の経営効率向上を目的として子会社株式会社ニツテク広島を設立 平成12年1月 技術コンサルティング本部がISO9001の認証取得 平成12年4月 各種非破壊検査及び計測・診断に関するコンサルティング業務を行うため、子会社株式会社グリーンパワーを設立 平成15年1月 全部門でISO9001の認証取得 平成15年12月 コ・ジェネレーションシステムによる売電事業を行うため、株式会社昭和起重機製作所と共同出資して有限会社エコクリーンを設立 平成17年6月 日立造船株式会社のグループ会社である株式会社舞鶴プラントからプラント機器事業を承継 平成18年1月 技術コンサルティング事業とエンジニアリング事業の拡充・強化を目的として、日立造船株式会社から同社の子会社である関西設計株式会社の全株式を取得
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ギルド ギルドに参加したりすることができます ギルドに参加するのには条件はお尋ね者ではないことが必要です。またギルドマスターの承認も必要です ギルドに参加しているときにLvアップや世代交代、クエストクリアーなどによってポイントが手に入ります ギルドに参加することで様々な機能が追加されます。機能追加はポイントでできますギルド用の掲示板と倉庫(最初から利用可。倉庫の上限はポイントで増やせる) ギルド討伐所(ポイントでできるようになる。いつもの討伐より報酬金が少なくタマゴを手に入れる確率が高い) カスタマーショップ(ポイントで作ることで利用可能。24時間ごとに商品が変わる。かなり高額だが珍しい物も…) 挑戦の間(限界に挑戦できる。連勝数に応じてポイントと賞金が手に入る) 錬金術の館(二つのアイテムを錬成して新たなアイテムを作る。) ラスカジノ(ブラックジャックなどのゲームをすることができる。) ギルドを作るには50万G必要。作成者はギルドマスターになる ギルドマスターには以下の権限があるポイントによる機能追加 所属申請出した人の承認非承認 ギルド名、ギルドカラー変更 シンボル、メッセージ変更 サブマスター任命 ギルドの解散 ギルドマスターによってサブマスターになることができる。以下の権限があるポイントによる機能追加 ギルドマスター辞任時、次のギルドマスターになる
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クリスマスの奇跡 第02話12月19日 14時当面できうるすべての準備を終え、少し時間の空いた私は、上条当麻の学寮へ急ぐ常盤台のハンガーから土木工事管理用に制作した、飛行用の駆動鎧を遠隔操作で到着させ、それを見に纏い、一気に到着する。前に自分用に作成したAAAをさらに、着脱を容易になおかつ、遠隔操作が可能になる改良を加え、パーツごとに軽量化を図り、女性である自分が操作しやすいように最適化を図る。飛行装置も容易に携帯可能なサイズへ圧縮している。その飛行装置を駆り、1分ほどでアイツの学寮へ到達する。背中の飛行装置を畳みアイツの部屋に到着する。(ここにはインチキシスターがいたはず)本来なら、恐らくアイツが庇護し、なおかつアイツを慕う爆食シスターは、私にとって告白をするうえで一番邪魔な存在だ。(だけど、・・アイツはあのシスターの庇護をやめることはないだろう)結局もしも本気で告白を成功させようとするなら、あの妖怪爆食シスターごと、上条当麻を愛するほかに道がない。心の中の臆病な自分が、ささやく(このまま、曖昧な関係を続けて、自己満足を充足させるほうがいいんじゃないの?)(どうせアイツは、鈍感で誰も選びはしない。私が戦力(主に胸)を充足させるまで明確にしないほうがいいんじゃない?)だけど、障害を乗り越えなければ、気が済まない、私のもう一つの声が、声を荒げる。(時間がアンタの味方なんて、そんな幻想にあなたはすがるの?時は万人に平等なのよ・・あのインチキシスターだって、戦力が整う日が来るわよ)(それに・・私は一度死にかけた)私は腹をくくる。この事件が終わった暁には、アイツの心の本音を聴く。あのインチキシスターとこの場で決着をつける。ドアは・・(鍵かかっていないわね・・)(嫌な予感がする、まさか・・)外の世界の三文サスペンスドラマでは死体が転がっている場面だ。私は最悪の結果も、想定しながら恐る恐るドアを開ける。「お邪魔します」(やっぱりね・・いないか)ひととおり部屋を見渡すが、猫一匹いない。(ちぇ。空振りか・・)荒らされた形跡もなく、どうやら杞憂だったかもしれない。(まあ・・あのシスターに捜査情報は期待していなかったけど)分が悪いな・・。誰もいないアイツの部屋を眺めながら私はつぶやく。食い散らかされた鍋、机の上に乱雑に重ねられた食器、菓子の袋、そして、乳児のような甘い香りのいかにもあのシスターが寝ているようなベットここには、幼い子供が日常起居している佇まいに満ち溢れている。あの銀ギラシスターは、私の知らないアイツを毎日眺め、まるで小鳥が親鳥から餌をもらうように自然に啄み、一緒に寝る。明らかに私は2歩も3歩も親密度の点で周回遅れである事を自覚する以外にない。幸い・・アイツが無自覚なのが救いだが、いつの日かあのシスターを女として意識する日が来るだろう。(そうなれば終わりだわ)私は、乳臭い幼女の匂いを感じながら、自分の立場の薄さを改めて自覚する。(もう一刻も猶予はないわね)私が、決意を新たにしたころ、携帯の着信を感じる。微弱な電圧の変化を感知できる私は、着信音なしに携帯の着信と誰からの発信かを能力で検知できる。(食蜂か・・)「食蜂?何か分かった?監視カメラの検証はもう少し時間頂戴・・で?なんか分かった?」「今回の事件を引き起こした奴がわかったわ」私は、食蜂の情報収集網に舌を巻く。8月に絶対能力者進化実験で、素早い対処で私のサイバーテロを阻止し、私を自殺同然の特攻へ追い込んだ男。それを手駒に持つ食蜂の情報収集力は、一学生の枠を遥かに超える。だが、食蜂を素直に賞賛する気のない私は、蓋然性のあるカマ掛けで対抗する。「食蜂早いわね、で木原一族の誰?」「あらあ、だいたい予期していたの? ポルタガイスト事件て覚えているわよね」私は、8月に超電磁砲でぶっ飛ばしたある女を脳裏に浮かべる。私は、苦笑いを浮かべる。結局殺すべき時に殺さないとだめなのか?「あの時、殺すべきだったわね。木原 ライフライン テレスティーナ」食蜂がクスクス笑う、表の世界の顔の御坂美琴に殺しなどできないと告げるように。「御坂さんに殺しは無理でしょ、で因縁の女をどうするつもり?」「ねえ食蜂、アンチスキルに情報提供して解決できると思う?」「御坂さんもう答えは分かっているじゃない?多くの事件を結局解決した御坂さんならね・・、どうせアンチスキルなんて役に立たないとね」「そこまで馬鹿にはしていないわよ。相手が悪いだけよ。木原一族は一筋縄には行かない」「で御坂さんに勝算はあるの?」「愚問ね。この日の為に土木駆動鎧に偽装して戦力を蓄えてきたのよ」「私の劣化コピーごときに負けないわ」毒気を抜かれたように食蜂が私の顔を見つめる。「御坂さんて結構したたかなのね」「食蜂ほどじゃないわ」食蜂が、電話の前で笑い始める。「そろそろ居場所なんてわかったんじゃないの?」(こいつさすがに勘はいいわね・・それとも合理的な推論?)「ええ、今データを送るわ。それと・・これは私の喧嘩、助太刀無用、アンタのとこの子も含めてね、手だしはいらないわ」食蜂が乾いた笑いで私に言葉を返す。「私達食蜂派閥が戦闘できないなんて幻想はぶっ壊すわ」「アイツの真似・・似てないわね・・」「でも、頑張りましょう、アイツの為に」//////////////////15時:とある研究施設(もしも小賢い人ならこんなリスクは負わないだろうな・・)私は、自分で突き止めた、アイツの監禁場所を見渡せる超高層ビルの屋上でセンサーを操作しながら、独り言を言う。自分が普通の女性なら、アイツが行方不明になってことをアンチスキルへ伝えて終わり、そこで一般人としての義務は終わりだろう?でも・・人任せにした結果が、アイツの死亡・・という結果に終わるなら私は生きていけるだろうか?事件は解決しました。でもアイツは死にました、では私は悔やんでも悔やみきれない。すでに自分だけの現実を覆いつくすほどアイツへの思いが、浸食している現実。人任せにはできない。(そのために、力を蓄えてきたんだから)美琴から見て科学者という人種は、あのバカ・・もとい上条当麻に比べて、種が自分の知識で対応できるだけ、対処しやすい相手だ。その打つ手が、電子とか、既存の工学系なら、自分の生の能力で基本どうでもなる。木原唯一は、美琴が10日前まで種がわからない、謎の力を駆使していたので敗北を喫したが、(わかってしまえば・・どうってこともないのよね)木原唯一の悪行を調べ上げた時に、奴の手口や研究成果を徹底的調査させてもらった。駆動鎧、AAA、そんなのならどうでもなる。だけど、(一番の問題はアイツが人質に取られていること・・よね)だから・・建設工事用AAAを活用する。「さあ始めるわよ」「手始めにまずは目つぶし」建設工事用に、開発したリモートセンシング装置で走査した、施設のMAP情報をもとにあらゆる電子制御機器の制御を奪い、稼働を無理やり停止させる。駆動鎧、ファイバーオーバー、あらゆる精密機器が火を噴き、回線から火花が飛び散る相手が、兵器の類で武装する限りは私の脅威になりはしない。発電能力をベースに、マイクロ波・磁場をベースとしたEMP電磁バルス)で機器を破壊しつくす。さらに、送電線を砂鉄の嵐で断線し、外部電源を奪い、同時に無停電装置や自家発電装置、分電盤の制御をネット経由で奪い、施設を無力化させる。軍隊なら、猟犬部隊なら準備だけに半日かかる作業を完了まで秒単位で終える。装置に据え付けの警備装置や、AIMジャマ―、キャパシティーダウン木原が小細工に使いそうな道具の数々、そんなものは種さえ割れれば・・大したことはない。( それが有ることを前提に叩きつぶす )ひととおりセンサーで小細工に用いる機材の破壊を確認し、躯体の解体に焦点を移す。爆破物で自爆テロをされないようにするためだ。「さあ時間もないし、一気に行くわよ」( 原子崩しだっけ?)恐らくは、第4位の能力をベースとしたと思われる、電子が波動と粒子の性格を持つことを活用した兵器を壁の解体撤去用にアレンジした遠隔操作の装置で、監禁された部屋の周囲をはぎとり丸裸にする。メカと一体化した能力をベースとした電子制御は効率的に同時多数の駆動鎧の遠隔操作を可能とし、瞬間的な躯体解体工事を能率的に実施する。能力だけでもない、メカだけでもない、AAAの解析で上積みされた力がただの破壊ではない作戦を遂行する。学び舎の園の多くの建築物を解体撤去した、遠隔操作の駆動鎧がテレスティーナの立てこもるビル効率的に破壊する。廃材を、磁力で周囲に整頓し、研究所は丸裸になる。(もともと全部能力でできたことだけど、組み合わせが大事よね)多くの駆動鎧を能力で遠隔操作し、効率的に同時作動させることで、1国の軍事力に匹敵するというレベル5本来の力が具現化する。10秒ほどで、広大な施設は、上半分が消え、見通しがよくなる。その圧倒的な力で8月に小技で、追い詰められた女を、追い詰める。キャパシティーダウンや耐電磁装甲を持つ駆動鎧に私は追い詰められた。私は心の中で、つぶやく(考えてみれば、そのおかげで、EMP攻撃や砂鉄の嵐を覚えたのよね・・超電磁砲を砂鉄コーティングして射程を伸ばすとか工夫したのも・・そのおかげかもね)(さて・・この糞女を殺せればどれだけ楽か・・砂鉄の剣で頭をミンチにしたいくらいよ)(だけど それをすれば木原唯一の二の舞になる)私は、当麻の傍で、動きを停止させられた、犯人と対峙する。「さっさと上条当麻を解放しなさい。もうアンタの手品はネタバレなのよ」「おとなしく刑務所で刑期を過ごしていればいいものを無駄な努力ね」電磁パルスとマイクロ波の照射で、動きを止められた駆動鎧を身に着けた、テレスティーナが、当麻を腕で抱きながら薄ら笑いを浮かべて悪態をつく。「テメエは、木原唯一に嵌められて、常盤台をぶっ壊されたそうじゃねえか・・」「いい気味だな・え?」(馬鹿・・アンタの奥の手なんて全部分かっているのよ)「私が、いつまでも木原の手の平の存在なんて幻想はぶち壊すわ・・」「はあ?」「マグネティク・デブリ・キャノンだっけ・?アンタ自殺はいいけど、他人を巻き込みのはよくないわよ」余裕をかましていた、テレスティーナの顔色が変わる。「え・・テメエ・・なんでそれを・・」「アンタのやりそうなことはお見通しなのよ」「アンタの脳波認証をハッキングで無効にしているわ・・」テレスティーナは最後の切り札を無効にされ悪態をつく「糞・・テメエ・・実験動物の分際で邪魔しやがって・・」「その実験動物に2回も完封されたのは誰かしら?」「後ろ盾がいない今・・アンタにお似合いは電気椅子よ」テレスティーナが、精神のバランスを崩したような馬鹿笑いを始める。「悪党をさっさと殺さねえテメエなんぞ怖くねえんだよ」テレスティーナは突然、抱きしめていた当麻へ顔を寄せる。「テメエの大事な物を全部奪ってやる・・」「さらば・・かみだが、テレスティーナがその一言を言う時間を与えられることもなく、蒼天から巨大な電流の奔走が貫く。駆動鎧から顔を出していた彼女にはそれを防ぐすべもなく、もろくも崩れ去る。2週間前同じ状況で私は、木原唯一の魔神偽装に取り乱し、AAAに染まることになったが、その経験が余裕を持った対処を可能にした。(馬鹿なやつ、駆動鎧を耐電磁装備にして顔を露出させるなんてさ、電流が全部・・自分の体表を通過するのにさ・・)「死なない程度には加減しているわ、しばらく寝なさい」救急車とアンチスキルを手配し、食蜂に電話を入れる。食蜂はすでに熱波襲来時にテレスティーナの脱獄を手配した、腐ったアンチスキルとその後ろ盾を摘発していた。学園都市に幅広い人脈を有する食蜂は、容赦なく犯罪を暴く。その力量に再度私は衝撃を受ける。(まあ適材適所よね・・敵に回したら恐ろしいわ)(とりあえず、これで終わりね・・)後はアイツさえ回復したら、すべて終わる。私は背伸びをしてその場を立ち去った。・・・・・・・・・・・・・19時 病室アイツはこの前の木原唯一の常盤台襲撃のさいに、私を除くすべての常盤台生がお世話にになったあの病院に収容された。本来なら完全下校時間を過ぎ、帰宅しなければならない時間だが、風紀委員経由で外泊届を申請し、事なきを得る。医師の話では睡眠薬の効果が19時くらいで切れるという事なので、リンゴの皮をむきながら待つ。決死の覚悟で告白をしようとしたのにぶち壊しにされイライラする。しばらくして意識を取り戻したのか当麻がもぞもぞしだす。私は、リンゴの皮むきをやめ、当麻の手を握る。しばらく当麻は蕭然としていたが、やがて意識が回復したのかしゃべり始める。「起きた・・?」「ああ、美琴か・・助けてくれたのか?」「ええ」「心配かけてすまないな」「いや・・でも本当なんともなくてよかった」「アイツは、テレスティーナは何者なんだ?」「私に危険な実験を妨害され、収監された学者よ。刑務所を脱走して私と学園都市へ復讐するためにアンタを監禁した」「そうか・・でも・・あの熱波の時も、AAAの起動の時も、そして今日も美琴には助けてもらっている。ありがとな」顔色を見る限り、恋愛感情とか、関心のある女の子を見る感情ではないだろう。結局は、喧嘩友達から始まった、信頼できる友人の一人・・それくらいの感情だろう。このまま話を続けても結局はいつも繰り返し、何も変わりはしない。(私にはわかる。 これでは何も変わらない)上条当麻の平常運転は変わらない。目の前の乙女の身を焦がす熱い思いなど感じとることなどないだろう。誰が、恩だけで死線をさまようのだ・・誰が、友情だけで、命を投げ出すのだ・・(乙女は愛があるから何があっても身を投げ出すのだ)だから・・私は行動を変える。(コイツの感情にもう振り回されない。自分がしたいようにする。)(今しかないわね・・何かが起こる前に)私は、自分の思い伝えるべく意識を変える。「私は、アンタに伝えないといけないことがある」「これは、素直になれない一人の少女の話よ」私のただならぬ雰囲気に、上条当麻はうつむきながら目をつぶり話を聞き始める。「8月21日にアンタに私と1万人の妹達は救われた・・私はアンタ・・いや上条さんにかえしきれない恩がある」私が呼び方を変えたことに気が付いたのか当麻が顔色を変える。いつもなら、何かとちゃちを入れるのだが雰囲気を察したのか何もいわない。私は、話を続ける。「上条さんは目の前の不幸な女の子の一人を助けただけと言うでしょう?」「でも、・・」私はあふれ出す莫大な思いに胸を焦がし始める。臆病な自分はその思いを上条さんへ伝えることができなかった。「最初は、助けられた恩を返すとか、とても自分では太刀打ちできない一方通行を叩きのめした上条さんへのあこがれだったかもしれない」「私は、その感情を理解できなかった。私は理解できないまま、上条さんへ罰ゲームと称して、デートを強制した。ペア携帯電話を契約させた。」溢れる思いが、涙腺を満たし、目から涙が滴り落ちる。「これほど、上条さんを思っているのに、素直になれない自分は・・一言が言えなかった」「だから・・もう私は自分を偽らない」「どんな結果になろうとも自分の気持ちに素直になる」決然と拳を握り臆病な自分と決別し最後の一言を腹の底からいう。「わた・・私、御坂美琴は・・8月21日にあなたに助けられたその日から上条当麻を愛しています」正直怖かった。告白することで、今の儘のあいまいな関係が、心地の良い、友人以上恋人の居心地の良い空間が壊れることを恐れていた。(だけど、・・仮に告白したことで壊れるくらいならそんな関係なんかあきらめたほうがいい)上条はうつむいたまま言葉を返さない。いつものお茶らけた雰囲気は一切見せず、沈思黙考を続ける。客観的な時間なら10秒くらいだろう。だが、その10秒がとてつもなく長く感じる。緊張が辺りを包み、ピリピリした感覚が全身を覆う。やがて・・上条はおもむろに口を開く。「俺は、御坂程、語彙もないし、うまく伝えることはできないと思う。だけど、今から言うことは・・俺の気持ちだから聞いてほしい」「正直・・俺は、御坂は凄いいい奴だと思っているし、頼りになる存在だと思っている」「それだけでなく、何度も助けてもらった、命の恩人でもある」「だから・・だからこそ簡単に告白を受けてハイと言えない」当麻が、感情をうまく伝えられないのか、言い淀む。「それって、・・どうゆうこと?」「いや・・どうもうまく言えない。御坂という存在は俺にとってそんなに軽い存在じゃねえ」「だから・・、悪い・・御坂少し俺の気持ちを整理させてくれないか?」否定はされてはいないが、今の返答ですぐには納得できるほど人間はできてはいない。だけど・・まあいい・・気持ちは伝えた。私は若干顔ひきつらせつつ笑顔で答えを返す。「ハハハ・・アンタらしいわ・・わかったわ、じゃ・・あとで・・・・」「後、リンゴ切ったから食べてね」私は自己嫌悪に陥る。確かにいきなり告白したのは軽率だったかもしれない。(だけど・・まあいい)少し様子を見よう。私は気持ちを切り替える。だが、異変はすでに始まっていた。(ツ・・鼻血・・・)「御坂・・鼻血がでているぞ・・ま・・まさか又AAAを使ったのか・・?」別に逃げる必要もなかったかもしれない、だけど、なぜか見られたくなく気持ちが私を襲う。「ごめん・・今は一人にさせて・・・」自分でもわかっている。AAAの副作用をでも・・力のない私がアイツに寄り添うには、これを否定されたらアイツの傍にいられない。私は、いいようもない負の感情に包まれて逃げ去るように走り出す。続く
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PSソフト一覧 -オ- タイトル 発売元 発売日 定価 アマゾン オアシスロード アイディアファクトリー 1999/2/25 5,800 ○ オウバードフォース バンダイ 1996/10/25 6,800 1 オウバードフォースアフター バンダイ 1998/10/22 5,800 OH NO! アスミック・エース エンタテインメント 2000/11/16 4,800 おえかきパズル5 SuperLite 1500 シリーズ サクセス 2001/4/26 1,500 大江戸風水因果律 花火2 魔法 2000/6/22 5,800 大阪ナニワ摩天楼 キッド 1999/4/8 5,800 大阪湾岸バトル エム・ティー・オー 1998/3/26 5,800 おーちゃんのお絵かきロジック パズラー監修・本家本元 サン電子 1995/9/8 4,900 おーちゃんのお絵かきロジック2 サンソフト 1996/9/27 4,980 オーバードライビン スカイラインメモリアル エレクトロニック・アーツ・ビクター 1997/10/2 5,800 オーバードライビン2 エレクトロニック・アーツ・ビクター 1997/7/3 5,800 オーバードライビン3 エレクトロニック・アーツ・ビクター 1998/9/23 5,800 オーバードライビン4 エレクトロニック・アーツ・ビクター 1999/6/17 5,800 オーバードライビンDX エレクトロニック・アーツ・ビクター 1996/4/19 5,800 ○ オーバーブラッド リバーヒルソフト 1996/8/2 5,800 1 ○ オーバーブラッド2 リバーヒルソフト 1998/7/23 6,800 1 オーバキューン ナムコ 2000/4/20 5,800 オールスターテニス99 ユービーアイ ソフト 1999/12/2 5,800 オールスター麻雀 ポニーキャニオン 1997/9/18 6,800 お仕事式人生ゲーム めざせ職業王 タカラ 2000/12/14 4,800 おジャ魔女どれみドッカ~ン! にじいろパラダイス バンダイ 2002/11/28 4,800 お嬢様特急 メディアワークス 1998/7/30 6,800 オセロワールドⅡ 夢と未知への挑戦 ツクダオリジナル 1995/12/8 5,800 織田信長伝 コーエー 1998/9/23 6,800 落ちゲーやろうぜ! 電撃コンストラクション メディアエンターテイメント 1998/6/25 5,800 お天気ころりん タクミコーポレーション 2002/5/2 4,800 おどおどおっでぃ IDCメディアスタジオ 1997/3/14 5,800 弟切草 蘇生編 チュンソフト 1999/3/25 4,800 75 おはスタ Dance Dance Revolution コナミ 2000/9/14 4,620 オプションチューニングカーバトル エム・ティー・オー 1998/1/15 5,800 オプションチューニングカーバトル スペックR エム・ティー・オー 2000/5/11 5,800 オプションチューニングカーバトル2 エム・ティー・オー 1999/2/18 5,800 オフワールド・インターセプター エクストリーム BMGビクター 1995/11/22 5,800 お見合いコマンドーバカップルにつっこみを エニックス 2000/3/30 5,800 お水の花道 ポニーキャニオン 2000/8/17 6,800 おみせde店主 テクノソフト 1999/4/8 5,800 ○ オメガブースト ソニー・コンピュータエンタテインメント 1999/4/22 5,800 1 おやじの時間 ねーちゃん、花札で勝負や! ヴィジット 2000/2/17 2,800 おやじの時間 ねーちゃん、釣りいくで! ヴィジット 2000/2/17 2,800 おやじの時間 ねーちゃん、麻雀で勝負や! ヴィジット 2000/2/17 2,800 オラクルの宝石 サンソフト 1996/12/6 5,980 オリンピア高砂バーチャパチスロ3 マップジャパン 1998/5/21 5,800 オリンピア山佐バーチャパチスロ2 マップジャパン 1997/4/18 5,800 オリンピックサッカー ココナッツジャパン エンターテイメント 1996/11/8 5,800 オレっ!トンバ ウーピーキャンプ 1997/12/25 5,800 俺のヨット トミー 1999/10/7 5,800 俺の屍を越えてゆけ ソニー・コンピュータエンタテインメント 1999/6/17 5,800 俺の料理 ソニー・コンピュータエンタテインメント 1999/9/9 5,800 1,480 王宮の秘宝 テンション バップ 1996/9/27 5,800 王子さま Lv1.5 -王子さまのたまご- KID 2003/2/20 5,800 王子さまLV1 KID 2002/3/20 5,800 音楽ツクール3 エンターブレイン 2001/3/8 5,800 音楽ツクールかなでーる2 アスキー 1998/3/12 5,800 -
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【西日本豪雨募金】日赤平成30年7月豪雨災害義援金が7月10日から受付開始だそうです。被災者の方々にご支援頂ければ幸いです。死者120人、行方不明者75人という未曾有の大災害でした。幼い子供や親子、お年寄りなどが犠牲になり、心が痛いです。衷心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。合掌・・・ ▽下へ/口トップへ/ 西日本豪雨 愛媛県西予市 【西予市ニュース】 <1>三瓶地域消防・救急業務 西予市 市管轄移行を協議へ 住民ら能力低下を懸念 - 愛媛新聞 コージーズカリー 代表 井上浩司さん|愛媛新聞ONLINE - 愛媛新聞 「愛の火鉢」設置見送り 西予・JR卯之町駅 無人化に伴い /愛媛 - 毎日新聞 【予算】令和3年度/西予市 - 西予市 【イベント】みんなでjump!トランポリンで遊ぼう /西予市 - 西予市 【イベント】第2回 子ども農山漁村交流プロジェクトセミナー in 愛媛県西予市-渡り鳥がつなぐ地域の交流-/西予市 - 西予市 【報告】新型コロナウイルス感染症予防接種証明書(日本国内用・海外用)発行/西予市 - 西予市 季節外れのヒマワリ満開 西予・野村の休耕田 住民グループが丹精 - 47NEWS 「わらぐろ」×「稲わらマンモス」 光の競演 西予・1月末まで - 愛媛新聞 ブルッ!県内各地で今シーズン一番の寒さ【愛媛】(南海放送) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【報告】新型コロナワクチンを接種するには/西予市 - 西予市 【報告】新型コロナワクチン接種のインターネット予約方法/西予市 - 西予市 「払い戻しがある」という電話、それサギです!~西予市で還付金詐欺の電話が発生中~ - 愛媛新聞 宇和盆地で「わらぐろ」ライトアップ 西予市 - 愛媛新聞 宇和盆地で「わらぐろ」ライトアップ 西予市 稲わらマンモス 照らす - 47NEWS 関連)県内の接種状況は|NHK 愛媛のニュース - NHK NEWS WEB 【募集】令和3・4年度西予市競争入札参加資格審査申請書の追加受付(建設工事、測量・建設コンサルタント等)/西予市 - 西予市 【報告】サテライト市長室in野村支所(第2回)/西予市 - 西予市 【報告】水質検査結果(令和3年度)/西予市 - 西予市 【イベント】うわっこクリスマスパーティー/西予市 - 西予市 【補助】西予市中小企業者等えひめ版応援金(第2弾)及び西予市中小企業者等経営安定給付金/西予市 - 西予市 「どろんこのうた」22年版カレンダー完成 西予・野村学園 - 愛媛新聞 野村にほれ込みゲストハウス開業 西予移住のシーバースさん - 愛媛新聞 JR卯之町駅「愛の火鉢」 無人化で設置見送りへ|NHK 愛媛のニュース - NHK NEWS WEB 城川地質館 29年の歩み - 読売新聞 西予・宇和高三瓶分校 存続岐路 入学者増 地域と一丸 - 愛媛新聞 【くるま問答】スタッドレスタイヤを履いていても、規制で走れないこともある?(Webモーターマガジン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 愛媛・西予で170回目伝統相撲 江戸時代から、住民同士が激突(共同通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 西予「乙亥大相撲」開催 規模縮小も2年ぶり有観客 市民300人、熱戦見守る(愛媛)(愛媛新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 庭先CAFE そら(西予市) 仲間との時間のんびり - 愛媛新聞 ふるさと納税でお得な返礼品12選|還元率が高い大盤振る舞いの肉・魚介をプロが厳選!(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 子規記念博物館で版画詩「どろんこのうた」作品展 12月6日まで(愛媛)(愛媛新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 差別許さない児島惟謙の生き方知って 中学生がDVD制作(愛媛新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 愛媛・西予市 寒空に咲くヒマワリ(あいテレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【相談】行政相談/西予市 - 西予市 大きくていうまい「極撰宝玉」オンラインストアで販売開始!:時事ドットコム - 時事通信 四国カルスト産ニンニクの加工品 祐 - 愛媛新聞 【報告】図書館だより12月号/西予市 - 西予市 西予・県歴博で特別展「大名の船」 12月5日まで 模型や絵画史料など100点展示(愛媛)(愛媛新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 市民劇団「もんたかな」 西予・明浜中で出前講座 - 愛媛新聞 西予市が行政課題解決に外部人材登用へ - 愛媛新聞 【報告】 県道宇和野村線(野村町栗木地区)地すべり災害復旧工事の状況/西予市 - 西予市 こだわりと愛媛の味 大規模リニューアルの松山三越 新生“デパ地下”の注目グルメを食べ比べ【愛媛】 - www.fnn.jp Another worksが愛媛県西予市と連携協定を締結し、DX・広報の領域において複業人材を公募開始~四国各県の自治体で複業クラウドが導入~ - PR TIMES 【報告】令和3年度市政懇談会会議要録/西予市 - 西予市 ツルやコウノトリ飛来周知の看板新調 西予・宇和中美術部員が制作(愛媛)(愛媛新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【イベント】第170回乙亥大相撲/西予市 - 西予市 西予の特産品 お歳暮にいかが 12月24日まで受け付け 市観光物産協会がカタログ製作 - 47NEWS 西予の特産品 お歳暮にいかが 市観光物産協会がカタログ製作 12月24日まで受け付け(愛媛)(愛媛新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【報告】西予市農業委員会定例会会議録(令和3年)/西予市 - 西予市 【イベント】野村児童館 令和3年11月の行事予定/西予市 - 西予市 【募集】職員(医療職・介護職等)を随時募集しています/西予市 - 西予市 【補助】西予市産科・小児科新規開業促進事業補助金/西予市 - 西予市 【イベント】子ども上映会(12月)/西予市 - 西予市 【報告】西予市復興まちづくりかわら版(令和3年10月20日更新)/西予市 - 西予市 西予の飲食店 魅力一冊に 市が冊子発行、全戸に配布 - 愛媛新聞 西予の飲食店 魅力一冊に 市が冊子発行、全戸に配布 経済活性化へ(愛媛)(愛媛新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【報告】西予市定員管理計画の策定/西予市 - 西予市 【報告】西予市版グルメ本「せいよ食べるマガジン」創刊/西予市 - 西予市 ほわいとファーム(西予市)がショッパーズ大洲店に食パン専門店オープン - 愛媛新聞 【イベント】日本語教室(にほんご きょうしつ)/西予市 - 西予市 【イベント】松本惠行絵画展開催/西予市 - 西予市 【報告】西予市人口・世帯数(令和3年9月末)/西予市 - 西予市 【契約】令和3年度工事等の発注の見通しの公表/西予市 - 西予市 【募集】災害語り部 「語り部018のむら」の利用申込(9月30日更新)/西予市 - 西予市 使用済み注射器1本を誤って使用 西予市内の医療機関 - 愛媛新聞 【報告】(令和3年9月10日)市民の皆様へ市長メッセージ/西予市 - 西予市 旧三瓶町の消防救急 八幡浜事務組合から西予市消防本部へ移管 - 愛媛新聞 【報告】旬採旬食まっぷ レシピ一覧/西予市 - 西予市 【募集】みかめスポーツクラブ/西予市 - 西予市 【募集】宇和文化の里スポーツクラブ/西予市 - 西予市 【報告】令和3年度宇和地区家庭ごみカレンダー/西予市 - 西予市 【会議】社会教育委員会/西予市 - 西予市 【会議】西予市公民館分館制度分科会 ~西予市地域づくり活動センター市民検討委員会~/西予市 - 西予市 西予市の地域おこし協力隊 山下さんら3人着任 /愛媛 - 毎日新聞 【相談】西予市近隣にお住まいで仕事をお探しの皆さまへ/西予市 - 西予市 【報告】西予市人事行政の運営等の状況/西予市 - 西予市 【報告】西予市民病院 診察予定表(令和3年4月~)/西予市 - 西予市 【補助】産業活性化への取り組みを支援します/西予市 - 西予市 【募集】(市内小中学校向け)「災害から学ぶ」パッケージ学習事業/西予市 - 西予市 【報告】第2次西予市健康づくり計画2025“元気だ!せいよ”中間評価/西予市 - 西予市 【補助】婚姻に伴う住宅費用などを補助します/西予市 - 西予市 【募集】令和3年度特定健診・がん検診/西予市 - 西予市 【令和3年1月23日】市民の皆様へ(市長メッセージ)/西予市 - 西予市 「野村保育所復興の歩み」動画の公開について/西予市 - 西予市 「野村地区肱川周辺水辺まちづくり計画」を策定しました。/西予市 - 西予市 西予市おいしい食べきり(食品ロス削減)運動推進店を紹介します!/西予市 - 西予市 西予市「おいしい食べきり運動推進店」の募集について/西予市 - 西予市 のむら復興まちづくり計画を策定しました/西予市 - 西予市 組織図・窓口一覧/西予市 - 西予市 新型コロナウイルス経済関連支援策/西予市 - 西予市 西予市災害廃棄物処理計画/西予市 - 西予市 市役所フロア案内/西予市 - 西予市 市の概要/西予市 - 西予市 ふるさと納税/西予市 - 西予市 卯之町の町並み/西予市 - 西予市 せいよ暮らしのアプリ/西予市 - 西予市 広報せいよ/西予市 - 西予市 海里山の憧れ暮らし(移住交流サイト)/西予市 - 西予市 交通アクセス/西予市 - 西予市 ▽下へ/口トップへ/ 野村上水道の断水は解除 2018年7月20日更新 断水していました野村上水道は全域において復旧しました。 ▽下へ/口トップへ/ 豪雨被災者向け無償公営住宅 提出先 建設課(西予市役所3F) または 各支所産業建設課 受付期間 平成30年7月17日(火曜日)~7月20日(金曜日)午後5時まで 抽選会 7月22日(日曜日)午前10時~ お問い合わせ先 市役所建設課(電話0894-62-6410、ファックス0894-62-6571) ▽下へ/口トップへ/ 西予市災害救援ボランティアセンター ※【災害ボランティア募集中!】 西予市災害救援ボランティアセンター 西予市社会福祉協議会本所(野村町野村12号15番地) ▽下へ/口トップへ/ 【西日本豪雨募金】 受付中です! 日赤平成30年7月豪雨災害義援金 【ゆうちょ銀行・郵便局】 「日赤平成30年7月豪雨災害義援金」 受付期間 平成30年7月10日(火)から平成30年12月31日(月)まで。 ※ゆうちょ銀行・郵便局窓口のお振り込みの場合のみ、送金無料です。 ≪日赤平成30年7月豪雨災害義援金受付≫ 【日本赤十字社 募金先】 義援金窓口1 郵便局・ゆうちょ銀行 口座記号番号 00130-8-635289 口座加入者名 日赤平成30年7月豪雨災害義援金 取扱期間 平成30年7月10日(火)から平成30年12月31日(月)まで。 ≪日赤平成30年7月豪雨災害義援金受付≫ 【日本赤十字社 募金先】 義援金窓口2 三井住友銀行 すずらん支店 口座記号番号 普通 2787545 口座加入者名 日本赤十字社(ニホンセキジュウジシャ) 取扱期間 平成30年7月10日(火)から平成30年12月31日(月)まで。 ≪日赤平成30年7月豪雨災害義援金受付≫ 【日本赤十字社 募金先】 義援金窓口3 三菱UFJ銀行 やまびこ支店 口座記号番号 普通 2105538 口座加入者名 日本赤十字社(ニホンセキジュウジシャ) 取扱期間 平成30年7月10日(火)から平成30年12月31日(月)まで。 ≪日赤平成30年7月豪雨災害義援金受付≫ 【日本赤十字社 募金先】 義援金窓口4 みずほ銀行 クヌギ支店 口座記号番号 普通 0620405 口座加入者名 日本赤十字社(ニホンセキジュウジシャ) 取扱期間 平成30年7月10日(火)から平成30年12月31日(月)まで。
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ポジ 名前 ★ OF DF スタ スピ パワ テク GK スキル GK ステケレンブルグ 3 36 83 64 64 83 55 86 CB ハイティンハ 3 69 79 84 78 81 80 30 マンマーク・スラ・DF統率 CB スタム 5 66 93 83 76 92 75 30 カバー・DF統率 SB オガラル 2 63 63 83 76 75 71 30 マンマーク・スロー SB エマヌエルソン 4 69 60 88 84 74 83 30 ドリ突破・サイド・オーバーラップ CMF ガブリ 3 72 70 86 76 71 78 30 飛出・カバー CMF ダーヴィッツ 4 73 70 91 83 82 82 30 マンマーク・スラ・カバー WG ロンメダール 3 78 45 87 86 69 84 30 ドリ突破・飛出 WG バキルチオグル 3 75 49 80 77 78 82 30 ドリキープ CF ルイス スアーレス 3 81 37 80 80 74 75 30 CF ヤン フンテラール 3 86 40 80 74 82 76 30 ストライカー・1vs1・ポスト・センター GK ヘンテナール 3 39 83 60 66 78 54 83 CB フェルマーレン 2 57 75 80 71 79 66 30 SB コリン 2 66 70 80 77 74 72 30 DMF リンデンベルフ 2 66 73 82 75 76 74 30 センター・カバー DMF マドゥーロ 3 68 77 84 75 83 76 30 ミドル・センター CMF フェルトンゲン 2 67 65 79 72 81 76 30 SMF スヒルダー 2 68 60 75 73 78 77 30 ST ミテア 2 73 43 76 91 69 83 30 ドリ突破・サイド・スパサブ ST マヌチャリャン 1 68 41 72 76 65 79 30 WG デロルジュ 1 68 60 80 75 73 73 30 WG レオナルド 2 75 38 75 83 73 80 30 ドリ突破 CF ウルサイス 3 84 36 76 70 87 73 30 ポスト・センター GK ハイブロク 2 35 73 59 60 82 48 76 CB ファン デル ウィール 1 55 69 81 73 72 66 30 SMF アニタ 2 68 55 81 79 68 78 30 SMF ドナルド 1 59 60 77 72 76 70 30 OMF サルポング 1 67 55 81 74 76 78 30 WG クローン デリ 2 73 42 78 80 72 77 30 ドリ突破 CF ルケ 4 82 48 82 84 86 84 30 飛出・ミドル・サイド
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orderlist 691~700 * = excellent 可 681-690← →701-710 № client type color pattern print parts point *691 ユウキ ブラウス04 ピンク ドットリボンA アイスクリーム 胸リボンA キュート ストレートパンツ01 ミニスター クルミボタン *692 ユウキ プルオーバーチュニック01 ★ピンク バラ柄A 王冠リボンA リボンA ロリータ レースワンピース01 レースラインA 胸リボンA01・02 レースミニスカート01 サイドレースA フロントリボンA *693 ヒロシ ニット帽02 ホワイト ドットリボンA グラデーションA 星柄ラインストーンA キュート *694 ヒロシ テーラードジャケット01 ★ブラック マルチボーダーB 4連ボランA クール ロールアップデニム02 ドットA ウォレットチェーンA *695 ヒロシ シフォンジレ01 ★ターコイズ ドット柄B コサージュA フェミニン フリルキャミソール02 ウイングワッペン 胸リボンB ペチスカート02 羽根刺繍A *696 ユキ ホルターネックキャミソール03 ブルー マルチボーダーB ペンキA ネクタイC クール *697 ユキ ロングカーデガン01 ★グレー クロスA エレガント ロングドレス02 *698 ユキ ライダースジャケット01 ★ホワイト ゼブラ柄A リボンベルトA セクシー ノーマルシャツ02 シルエットプリントA スタッズA ロングスカート01 薔薇レースA ピラミッドスタッズ *699 ソウイチロウ キャミソールワンピース02 ブラック 豹柄A ゼブラ柄A スタッズA セクシー *700 ソウイチロフウ Vネックカットソー01 ★イエロー ゼブラ柄A シルエットプリントA スタッズA セクシー ショートパンツ02 薔薇レースA ピラミッドスタッズ № client type color pattern print parts point
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原告は,被告株式会社B工業との間で工事請負契約を締結し,同契約に基づく施工建物の引渡しを受けたが,当該建物には建築基準法等の建築関連法規に違反するなどの瑕疵があるとして,原告の,(1)上記契約の請負人であった被告B工業に対する,不法行為ないし瑕疵担保,(2)被告B工業の取締役であった被告(兼亡被告B2訴訟承継人)B1及び被告亡B2に対する,商法266条ノ3,(3)上記建物を設計監理したとする被告Dに対する,不法行為,(4)上記工事請負契約の締結を強要などしたとする被告Cに対する,不法行為にそれぞれ基づく,上記建物の補修費相当損害金等の賠償請求について,請負人である被告B工業,同社の取締役である被告B1,設計監理をした被告Dに対する請求だけを認容し,その他の請求を棄却した事案 なお,被告亡B2は,訴え提起後に死亡し,被告B1及び被告B3がその訴訟を承継した。 主 文 1 被告株式会社B工業,被告B1及び被告Dは,原告に対し,連帯して,7163万2342円及びこれに対する被告株式会社B工業については平成10年5月24日から支払済みまで年5分の,その余の被告らについては平成11年10月16日から支払済みまで年5分の各割合による金員を支払え。 2 原告の上記被告らに対するその余の請求並びに被告亡B2訴訟承継人B1,同B3及び被告Cに対する請求をいずれも棄却する。 3 訴訟費用のうち,原告と亡B2訴訟承継人B1,同B3及び被告Cとの間に生じたものは,原告の負担とし,原告とその余の被告らとの間に生じたものは,これを4分し,その1を原告の,その3を上記被告らの負担とする。 4 この判決は,1項に限り,仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 請求 1 被告株式会社B工業,被告兼被告亡B2訴訟承継人B1,被告C及び被告Dは,原告に対し,連帯して,8987万9966円及びこれに対する被告株式会社B工業については平成10年5月24日から支払済みまで年6分の,その余の被告らについては平成11年10月16日から支払済みまで年5分の各割合による金員を支払え。 2 被告亡B2訴訟承継人B3は,原告に対し,被告株式会社B工業,被告兼被告B2訴訟承継人B1,被告C及び被告Dと連帯して4493万9983円及びこれに対する平成11年10月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 本件は,原告が,被告株式会社B工業(以下「被告B工業」という。)との間で工事請負契約を締結し,同契約に基づく施工建物の引渡しを受けたが,当該建物には建築基準法等の建築関連法規に違反するなどの瑕疵があるとして,(1)上記契約の請負人であった被告B工業に対し,不法行為ないし瑕疵担保に基づき,(2)被告B工業の取締役であった被告(兼亡被告B2訴訟承継人)B1及び被告亡B2(以下「亡B2」という。)に対し,商法266条ノ3に基づき,(3)上記建物を設計監理したとする被告Dに対し,不法行為に基づき,(4)上記工事請負契約の締結を強要などしたとする被告Cに対し,不法行為に基づき,それぞれ上記建物の補修費相当損害金等の賠償を求めた事案である。なお,亡B2は,訴え提起後に死亡し,被告B1及びB3(以下「被告B3」という。)がその訴訟を承継した。 1 前提となる事実(争いのない事実は証拠を掲記しない。) (1) 被告B工業は,建築工事の設計及び請負業等を目的とする株式会社である。 後述の本件建物が施工された当時,被告B1及び亡B2はいずれも被告B工業の取締役(被告B1は代表取締役)であった。 亡B2は,平成12年1月20日に死亡し,被告B1及び被告B3が亡B2を相続した(弁論の全趣旨)。 (2) 被告B工業は,平成8年2月23日,以下のとおり,原告との間で,別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)の設計及び施工を請け負う契約(以下「本件工事請負契約」という。甲1)をした。 工 期 着手 平成8年5月1日(確認申請受理後6日以内) 完成 同 年10月20日(着手の日から6か月以内) 引渡時期 完成の日から6日以内 請負代金 1億0135万2000円(うち消費税額295万2000円) 支払時期 平成8年2月26日(本設計着手時) 300万円 同 年5月1日(着工時) 2000万円 同 年8月31日(上棟時) 2000万円 完成引渡時 5835万2000円 その他 5階住宅部分の浴室ブロー及び洋室の暖房機1機の設置工事については,別途追加工事とする。 (3) 原告は,被告B工業に対し,本件工事請負契約に基づき,以下のとおり,請負代金及び追加工事代金として合計1億0641万9500円を支払った。 平成8年2月26日 300万円 同 年5月21日 2000万円 同 年8月20日 2000万円 同 年11月14日 6272万9500円 平成9年1月18日 69万円 (4) 被告B工業は,本件建物の建築工事(以下「本件工事」という。)を行い,平成8年11月14日,原告に対し,本件建物を引き渡した。 2 争点 (1) 本件建物の瑕疵の存否 (原告の主張) ア 本件建物のような鉄筋コンクリート造建物の瑕疵(欠陥)の存否を判断するに当たっては,当該建物が,①設計図書,契約図書,確認図書どおりに建築されているか否か,②建築基準法(以下「法」という。),同法施行令(以下「施行令」という。),建設省告示,鉄筋コンクリート造建物についての日本建築学会建築工事標準仕様書(JASS5)等,我が国の建築界の通説的規準を満たしているか否かによって判断すべきである。 イ 本件建物には,以下のとおり,瑕疵が存在する。 (ア) 構造躯体コンクリートの打ち込み不良 a 本件建物には,以下の箇所に有害な打ち込み欠陥であるジャンカ及びコールドジョイントが存在する(なお,以下において,欠陥箇所等の特定は,調査報告書(甲41)添付の設計図5及び6の記載によるものとする。)。 ジャンカ ①地階X2・Y1-2間地中梁 1か所 長さ約700㎜ ②地階X3・Y3-4間地中梁 2か所 長さ約430㎜ 径150㎜ ③地階X4・Y1-2間地中梁 1か所 径150㎜ ④地階Y3・X3-4間地中梁 1か所 径300㎜ コールドジョイント ①地階X4・Y1-2間地中梁 1か所 長さ約2600㎜ ②地階X4’・Y2-3間地中梁 3か所 長さ約1000㎜ 同約600㎜ 同約600㎜ ③地階X5・Y2-3間地中梁 1か所 長さ約600㎜ ④地階Y3・X3-4間地中梁 2か所 長さ約1300㎜ 同約1200㎜ ⑤地階Y3・X4-5間地中梁 1か所 長さ約900㎜ b 上記のとおり,本件建物は,コンクリートの一体性に欠け,コンクリートに要求される性能を満たしておらず,JASS5・2・3・b,同5・7・6,施行令74条3項の各規定に違反する有害な打ち込みの欠陥施工によるものであって,法20条(平成10年法律第100号による改正前のもの。以下,本条につき同じ。),施行令36条1項,3項(平成12年政令第211号による改正前のもの。以下,本条各項につき同じ。)に定める「変形又は振動が生じないような剛性や靱性」を保持していない。 (イ) コンクリートのひび割れ(亀裂)の存在 a 本件建物の耐力壁は,「構造耐力上主要な部分」(施行令1条)であるところ,以下の箇所にひび割れの存在が確認された。 ①1階X2・Y1-3間W18A壁 5か所 幅0.1~0.25㎜ ②1階X3’・Y2’-3間W12壁 1か所 幅0.2㎜ ③1階X3・Y3-5間W18A壁 1か所 幅0.2㎜ ④1階X2’・Y3-3’間W12壁 1か所 幅0.3㎜ ⑤1階X4・Y1-2間W18A壁 3か所 幅0.08~0.2㎜ ⑥1階X6・Y1-2間W18A壁 2か所 幅0.2~0.3㎜ ⑦1階Y3・X1-2間W18A壁 3か所 幅0.08~0.2㎜ ⑧1階X4~6・Y1-2間スラブ 7か所 幅0.15~0.5㎜ ⑨4階405号バルコニー下部CS1 無数 幅0.1㎜ b コンクリートのひび割れは,コンクリートの中性化,鉄筋の発錆等により,部材の耐久性を低下させ,構造部分の剛性低下をもたらす。 上記のとおり,本件建物は,骨材等の材料の選定(施行令72条),打設時の養生(同75条),型枠の除去期間(同76条)を誤ったことにより,JASS5・2・3・bの規定に違反して数多くのひび割れが発生し,その結果,コンクリートの一体性や耐久性,剛性が低下しているのであって,法20条,施行令36条1項,3項に定める「変形又は振動が生じないような剛性や靱性」を保持していない。 (ウ) 鉄筋のかぶり厚さ不足 a 本件建物の鉄筋のかぶり厚さ(鉄筋コンクリートの中に入っている鉄筋の表面からコンクリートの表面までの部分の厚さ)が不足している箇所は,以下のとおりである。 ①地階X3・Y3-4間地中梁差筋 ②地階Y3・X3-4間地中梁差筋 ③地階Y2・X2-4間F1基礎縦筋 ④地階X4・Y1-2間F1基礎縦筋 ⑤地階X2・Y1-2間F1基礎縦筋 ⑥1階X1・Y1-2間W18A壁横筋 ⑦1階X3・Y3-5間W18A壁横筋 ⑧1階Y4・X5-6間W18A壁横筋 ⑨2階Y1・X4-6間大梁あばら筋 ⑩2階X1・Y1-2間大梁あばら筋 ⑪2階X1・Y3-5間大梁あばら筋 ⑫2階Y3・X3-4’間大梁あばら筋 ⑬2階Y4・X5-6間大梁あばら筋 ⑭3階305号室CS1バルコニー主筋下面 ⑮4階Y1・X4-6間大梁あばら筋 b かぶり厚さが薄いと鉄筋が錆びたり,火災の際の熱に耐えられなくなることから,かぶり厚さは,建物の強度,耐久性,耐火性を保つ上で極めて重要である。 上記のとおり,本件建物は,建物全体に数多くのかぶり厚さ不足があり,その結果,建物の強度,耐久性の低下はもちろん,火災の際における耐火時間の低下(施行令107条(平成12年政令第211号による改正前のもの。)違反)も招いているのであって,JASS5・10・3,施行令79条(平成12年政令第211号による改正前のもの。)の各規定に違反する。 (エ) 鉄筋の配筋間隔不良 a 本件建物の鉄筋の配筋間隔が不良である箇所は,以下のとおりである。 ①地階X3・Y3-4間地中梁差筋 ②1階Y1・X1-2間W18A壁縦筋 ③1階Y1・X1-2間W18A壁縦筋 ④1階Y1・X1-2間W18A壁横筋 ⑤1階X1・Y1-2間W18A壁横筋 ⑥1階X3・Y3-5間W18A壁縦筋 ⑦1階X3・Y3-5間W18A壁横筋 ⑧1階Y4・X5-6間W18A壁横筋 ⑨1階X4-6・Y1-2間スラブ主筋 ⑩2階Y1・X4-6間大梁あばら筋 ⑪2階X1・Y3-5間大梁あばら筋 ⑫2階Y3・X3-4’間大梁あばら筋 ⑬2階Y4・X5-6間大梁あばら筋 ⑭2階Y1・X5-6間大梁あばら筋 ⑮2階201号室CS1バルコニー主筋内側 ⑯3階305号室CS1バルコニー主筋内側 ⑰4階401号室CS1バルコニー主筋内側 ⑱4階401号室CS1バルコニー主筋外側 ⑲3階X1・Y3-5間W18A壁横筋 b 鉄筋の配筋間隔不良は,設計時に期待されている建物強度を低下させる重大な欠陥であるところ,上記のとおり,本件建物は,多数の配筋間隔不良があり,JASS5・11・5,施行令77条の各規定に違反する。 (オ) 開口補強筋の欠落 a 本件建物の開口補強筋が存在しない箇所は,以下のとおりである。 ①1階X4・Y1-2間 W18A壁開口部開口補強筋なし ②地階X4・Y2-3間 地中(基礎)梁開口部開口補強筋なし,あばら筋の補強なし b 構造耐力上主要な部分である耐力壁の開口部の隅各部には応力が集中するため,ひび割れが発生しやすく,また,開口部周辺は破損風化のおそれも大きいことから,開口部に補強筋を配筋することは不可欠とされている。 上記のとおり,本件建物は,開口部についての開口補強筋もあばら筋の補強等もなく,安全性が確保されていない状態であって,鉄筋コンクリート構造計算基準を満たさず,法20条,施行令36条1項,3項に違反する。 (カ) 床スラブの耐力低下 現状の床スラブの配筋は,主筋(短辺方向)が62㎜,67㎜,69㎜,配力筋(長辺方向)が80㎜,76㎜である(甲46)ため,正常な配筋の場合と比較し,下がり量が大きすぎ,応力中心距離が小さくなり,強度が約30パーセント以下に低下する。 また,これに伴い,下側の鉄筋も同様に下がっている可能性がある。 以上から,本件建物の床スラブの配筋不良は,設計時に期待している強度を確保しておらず,耐力を低下させる欠陥である。 (被告B工業,被告B1及び被告B3(以下,併せて「被告Bら」という。)の主張) ア 原告が主張する建築建物の瑕疵の存否の判断基準は,概ね認める。 イ 本件建物の瑕疵について (ア) ジャンカ及びコールドジョイントについて 本件建物に,原告主張に係るジャンカ及びコールドジョイントが存在することは,否定しない。 しかし,これらの補修は,当該部分をはつり落としてグラウト材を充填するか,比較的小面積の場合はポリマーセメントモルタルを充填する方法によって行うことが十分可能である。 (イ) コンクリートのひび割れについて 本件建物に原告主張に係るひび割れが存在することは認める。 しかし,本件建物のひび割れは,その発生パターンや既に完成から7年経過していることなどから考えて,コンクリートの乾燥収縮に起因するものと判断され,施工不良により生じたものではないから,請負人である被告B工業は補修責任を負わない。 また,ひび割れの程度,個数,場所,位置を勘案しても,乾燥収縮量に達しておらず,むしろ少ない方であって,耐力性や剛性の低下する可能性は著しく低いし,ひび割れが発生している箇所は,雨掛かりになる箇所ではなく,耐久性に影響を及ぼすものではない。 これらのひび割れの補修は,Uカットシール材充填を行えば足りる。 (ウ) 鉄筋のかぶり厚さ不足について 原告は,本件建物のかぶり厚さが不足する箇所等を指摘するが,これは,非破壊検査による測定結果に基づくものであって,実際のかぶり厚さとの深度校正をしていないから,実際のかぶり厚さよりも浅めの数値である可能性が高い。 仮に,本件建物のかぶり厚さが不足している箇所があるとしても,一般的に,その箇所にモルタルを塗ることによって,かぶり厚さ不足によるコンクリートの中性化を防止することができ,また,二酸化炭素や酸素の遮断性の大きい表面被覆材等で表面を保護したり,炭素繊維シートを張り付けたりすることによって,付着割裂ひび割れ,付着割裂破壊の発生を防ぐことができるのであって,これらの方法で十分に対応が可能である。 (エ) 鉄筋の配筋間隔の不良について 本件建物に原告主張に係る配筋間隔不良があることは,否認する。 本件建物は,地上部分について,設計どおりの配筋がされており,問題がない(間隔の多少の大小は鉄筋施工の誤差の範囲内で,平均鉄筋間隔は設計値と相違がない。)。基礎部分について,測定により鉄筋が検出されていない部分があるのは,これらの鉄筋がベース筋の立ち上がり筋で,もともとフーチング高さの途中までしか存在せず,測線まで達していなかったためであると考えられ,また,鉄筋間隔にややばらつきが見られるのは,鉄筋の立ち上がり部分の傾斜が原因で配筋不良になったものと思われるが,同箇所は直接に力が加わる部分ではないから,基礎の強度には問題がない。 (オ) 開口補強筋の欠落について 本件建物の1階エントランス開口部の補強筋が当初の設計どおりでないことは認める。 これは,原告の希望により,郵便ポストが工期の途中で急きょ設けられたためであって,これを埋設して,改めて周囲の鉄筋をはつり出し,新規鉄筋を溶接した上,型枠を取り付け,コンクリートを打設すれば,補強筋の欠落の問題は解消する。 地階基礎梁人通孔の補強筋についても同様である。 (カ) 床スラブの耐力低下について 本件建物の床スラブの配筋不良はなく,補修工事の必要性はない。 (2) 被告らの責任の有無 (原告の主張) ア 被告B工業の責任 原告は,後記(ア)及び(イ)の不法行為責任及び使用者責任を主位的に,(ウ)の瑕疵担保責任を予備的に主張する。 (ア) 不法行為責任 本件建物は,前記(1)(本件建物の瑕疵の存否)原告の主張において述べたとおり,建築関連法規等に定める建物の安全性に関する最低基準すら満たさない構造上の安全性を欠く欠陥住宅であるところ,これらの欠陥は,被告B工業の故意又は過失によって惹起され,これにより原告は後述の損害を被った。したがって,被告B工業は,原告に対し,民法709条に基づく損害賠償責任を負う。 (イ) 使用者責任 本件建物の欠陥は,その建設工事の主任技術者が適切な施工を行うべき必要な現場管理を怠ったことに起因するものであり,当該主任技術者は民法709条に基づく損害賠償責任を負うから,被告B工業は,原告に対し,同主任技術者を雇用する者として,民法715条に基づく損害賠償責任を負う。 (ウ) 瑕疵担保責任 本件建物には重大な欠陥が存在するから,本件工事請負契約に基づき本件建物の施工を請け負った被告B工業は,注文者である原告に対し,民法634条に基づく瑕疵修補に代わる損害賠償責任を負う。 イ 被告B1及び被告B3の責任 被告B1及び亡B2は,いずれも被告B工業の取締役としてその運営に実際に関与し,建築業務全般を統括する立場にあったから,取締役の善管注意義務,監視義務に基づき,本件建物が建築関連法規等を遵守して施工されているか否かについて,厳重に管理,監督すべきであった。しかるに,被告B1及び亡B2は,上記の管理,監督を怠り,その結果,前記欠陥を有する本件建物を施工させたのであって,取締役としての善管注意義務,監視義務に違反したというべきであるから,これによる商法266条ノ3に基づく取締役の第三者に対する損害賠償責任を免れない。亡B2を相続した被告B3も,同様の責任を負う。 ウ 被告Dの責任 被告Dは,本件建物の工事監理を任された建築士として,これを適正に行うべき法律上の義務(建築士法18条)があるにもかかわらず,故意又は重大な過失によって上記義務を懈怠し,その結果,前記欠陥を有する本件建物を施工させた。したがって,被告Dは,原告に対し,民法709条(不法行為)に基づく損害賠償責任を負う。 また,本件建物の工事監理が実際には被告B工業の従業員によって行われ,被告Dはこれに関与していなかったとしても,それは,いわば名義貸しによって建築確認を騙し取る行為に当たるから,被告Dは,重大な法令違反行為をした者として不法行為責任を免れない。 エ 被告Cの責任 被告Cは,宅地建物取引主任者であったところ,その説明義務及び信義誠実義務に違反して,被告B工業が被告B1と亡B2の2人で経営する会社であり,建築関連法規等の通説的基準を遵守して本件建物を建設する度量や経験を有しない会社であることを熟知していながら,これらの事実を秘し,建築の知識に乏しい原告に対し,虚偽の事実を申し向け,強引に被告B工業との間の契約締結を迫り,かつ,自ら収入予測を立てたり,設計図面や見積書を作ったり,代金支払を要求したり,補修を指示したりするなど,本件工事請負契約の締結から完成,補修に至る一切の事項について,主導的役割を果たした。このように,被告Cは,宅地建物取引主任者としての説明義務及び信義誠実義務に違反したにとどまらず,被告B工業,被告B1,亡B2及び被告Dらによる前記不法行為の遂行に関して主導的役割を担い,もって,前記欠陥のある本件建物を施工させたのであるから,同人らと共同して民法709条,719条(共同不法行為)に基づく損害賠償責任を負う。 (被告Bらの主張) 被告Bらに不法行為責任等があるとする原告の主張は,いずれも否認ないし争う。 (被告Dの主張) 被告Dは,原告との間で何ら設計監理契約を締結していないから,原告に対する法律上の責任を負う理由はない。 被告Dは,被告B工業との間で口頭で設計監理契約を締結し,これに基づき,適正にその業務を行っていたのであり,建築士法18条に定める業務の執行を怠ったことはない。また,被告B工業に対して工事監理者の名義貸しをしたこともない。 (被告Cの主張) 原告主張に係る,被告B工業には建設工事の経験知識能力がないこと,原告が被告Cに対し大手建設会社に建築してもらうよう依頼していたこと,被告Cが原告に対し被告B工業との間の契約締結を迫ったこと,さらには設計図書や見積書を作ったり,代金支払を要求したり,補修を要求したりするなどして,本件工事請負契約の一切の事項について主導的役割を果たしたことは,いずれも否認ないし争う。 被告Cは,原告が本件建物を建築するに当たり被告B工業の紹介を依頼してきたことから,その要望に従って,原告に対し,被告B工業を紹介し,簡単なプラン作成や各種相談に好意で乗っていたのであって,不法行為責任を負うものではない。 (3) 損害 (原告の主張) ア 補修費相当損害金 5717万4566円 (ア) 本件建物の補修工事費用 5104万6942円 本件建物の基礎,1階床,外壁,バルコニーの欠陥を補修するために必要な費用は,以下のとおりである。 a 躯体工事費用 2351万8107円 b 仕上工事費用 907万6330円 c 設備工事費用 317万7500円 d 雑工事費用 48万8600円 e 仮設工事費用 623万9977円 f 施工者諸経費 390万5797円 g 設計監理料 464万0631円 (イ) 本件建物のバルコニー是正工事費用 612万7624円 本件建物の2階,4階南側,3階西側の各バルコニーには,既述のとおりの欠陥が存在することからすれば,他の各バルコニー(南側1か所,西側3か所)にも同様の欠陥が存在することが事実上推定される。 イ 補修期間中の代替建物の賃料相当損害金等 1069万5400円 本件建物の欠陥箇所を補修するには6か月間を要するところ,この間,原告は,以下のとおりの代替建物の使用等に伴う損害を被り,これらは,本件建物の欠陥と相当因果関係を有する。 (ア) 代替建物の賃料相当損害金 90万円 原告は,代替建物を賃借する費用として,1か月15万円(建物賃料13万5000円,駐車場賃料1万5000円)×6か月=90万円の賃料相当損害金を被る。 (イ) 引越費用 100万円 原告は,本件建物の修理期間中,本件建物から一時退去し,補修後再び本件建物に引っ越してくることを余儀なくされる。その引越費用は,1回あたり50万円を下らない。よって,原告は,往復で100万円の引越費用の支出を余儀なくされる。 (ウ) 本件建物の賃料等相当損害金 519万5400円 原告は,本件建物を12名の賃借人に賃貸しており,その1か月分の賃料収入は合計80万5000円である。また,原告は,本件建物の賃借人4名に駐車場を賃貸しており,その1か月分の賃料収入は合計6万0900円である。したがって,原告は,86万5900円×6か月=519万5400円の賃料収入を失う。 (エ) 本件建物の賃借人の引越費用 360万円 1人1回当たり15万円×12名×2(往復)=360万円 ウ 慰謝料 1000万円 エ 本件訴訟に要した費用 1201万円 (ア) 調査鑑定費用 319万円 (イ) 弁護士費用 882万円 オ 合計 8987万9966円 (被告らの主張) 原告主張に係る損害の発生及び額は,いずれも否認ないし争う。 (被告Bらの主張) 本件建物の瑕疵については,前記争点(1)(本件建物の瑕疵の存否)被告Bらの主張において述べたとおりの方法によって十分に補修が可能であるから,原告が主張する損害額は高額にすぎる。 第3 争点に対する判断 1 争点(1)(本件建物の瑕疵の存否)について (1) 瑕疵の判断基準 建物について瑕疵があるか否かを判断するに当たっては,まず,当該建物の設計図書,契約図書及び確認図書(以下「設計図書等」という。)が当事者間の契約内容を画するものであることに加え,それらが行政の行う建築確認や許可等の判断資料となることからすると,特段の事情のない限り,当該建物が設計図書等のとおりに建築されている場合には瑕疵がないとし,そのとおりに建築されていない場合には瑕疵があるものと判断すべきである。また,法及び施行令,建設省(国土交通省)告示,JASS5(鉄筋コンクリート造建物の場合)等(以下これらを併せて「法令等」という。)は,建築上の最低基準を定め(法1条),それを具体化し,あるいは我が国の建築界の通説的基準を示すものである(JASS5も,時代とともに改正が重ねられてきた建築業界での通説的基準であると認められる(甲40)。)から,法令等の定めを満たしている場合には瑕疵がなく,これを満たさない場合には瑕疵があると判断すべきである。 これに対し,法令等が安全な建物が建築されることを目的として定められていることなどを根拠として,当該建物が事実上安全であれば瑕疵はないとすべきであるとして,事実上の安全性を瑕疵の判断基準とする考え方もある。しかし,建物の事実上の耐力を数値化することはできず,それを前提として将来当該建物に襲来する荷重を予測することもできないのであって,事実上の安全性の有無を的確かつ客観的に判定することは不可能である。したがって,事実上の安全性といった概念は,瑕疵の判断基準として合理的なものとはいえず,上記のような考え方を採用することはできない。 以上のことから,建物の瑕疵の存否は,上記のように,それが設計図書等に従っているか否か,また,法令等の定めを満たしているか否かによって判断するのが相当であり,以下においては,このような観点に基づいて,本件建物について瑕疵があるか否かを検討することとする。 (2) 本件建物における瑕疵の存否 争いのない事実並びに証拠(甲18,19,23,30,40,41,45,46,54ないし56,60,乙イ24ないし27,34ないし36,乙ロ2,4,証人E,証人F,被告B1,被告D,被告C(ただし,後記認定に反する部分を除く。))及び弁論の全趣旨により認定することができる事実と,上記判断基準に基づく瑕疵の存否についての判断は,以下のとおりである(なお,重要な証拠等は,文中に再掲する。)。 ア 構造体躯体コンクリートの打ち込み不良 (ア) 本件建物には,以下の箇所にジャンカ及びコールドジョイントが存在する(甲41)。 a ジャンカ ①地階X2・Y1-2間地中梁 1か所 長さ約700㎜ ②地階X3・Y3-4間地中梁 2か所 長さ約430㎜ 径150㎜ ③地階X4・Y1-2間地中梁 1か所 径150㎜ ④地階Y3・X3-4’間地中梁 1か所 径300㎜ b コールドジョイント ①地階X4・Y1-2間地中梁 1か所 長さ約2600㎜ ②地階X4’・Y2-3間地中梁 3か所 長さ約1000㎜ 同約600㎜ 同約600㎜ ③地階X5・Y2-3間地中梁 1か所 長さ約600㎜ ④地階Y3・X3-4’間地中梁 2か所 長さ約1300㎜ 同約1200㎜ ⑤地階Y3・X4’-5間地中梁 1か所 長さ約900㎜ (イ) 上記のジャンカ及びコールドジョイントは,次のとおり,いずれも本件建物の瑕疵というべきである。 a ジャンカについて ジャンカとは,コンクリートの打肌の疎な部分をいい,本来,セメントペーストが骨材どうしをつなぎ合わせて密着している状態となるべきであるのに,砂利だけが固まって周りのセメントペーストが充填されていないため,ジャンカが存在する部分は,砂利と砂利の間に隙間ができて密実でなく,骨材だけが現れて,強度が弱くなる。ジャンカは,人為的な欠陥現象であり,コンクリートを流し込んだ際にこれを丁寧にかき混ぜながら打ち上げていけば避けることができる(証人E)。 本件建物におけるジャンカもこのようなものと考えられ(これに反する証拠はない。),「打ち上がりが均質で密実」とはなっていない点で施行令74条3項に反し,また,「有害な打ち込み欠陥部」であってJASS5・2・3・bにも反している(甲40)から,上記ジャンカは本件建物の瑕疵というべきである。 b コールドジョイントについて コールドジョイントとは,コンクリートを打ち次ぐ際の時間差によって,先に打ち込んだコンクリートと後に打ち込んだコンクリートとが一体化していない現象をいい,先のコンクリートがある程度固まりかけているところに,その表面をかき混ぜないで後のコンクリートを打ち上げてしまうことによって,人為的に生じるものである。そして,コールドジョイントがあると,一体の部材に境目が入り,一部材であっても性能的には複数の部材が重ねられた状態と同じになり,部材の剛性(外力が作用する構造物又は構造部材の弾性変形に対する抵抗の度合い)が変化する(甲41,証人E)。 本件建物におけるコールドジョイントもこのようなものと考えられ(これに反する証拠はない。),「構造安全性を確保するため,コールドジョイントが…ないように製造…しなければならない」とされているJASS5・2・3・bに反している(甲40,41)から,上記コールドジョイントは本件建物の瑕疵というべきである。 c また,本件建物のジャンカ及びコールドジョイントは,地階の地中梁に存在する(甲41,45)から,本件建物には構造耐力上主要な部分(施行令1条3号,36条3項)に瑕疵があることになる。 イ コンクリートのひび割れ (ア) 本件建物には,以下の箇所にコンクリートのひび割れ(亀裂)がある。 ①1階X2・Y1-3間W18A壁 5か所 幅0.1~0.25㎜ ②1階X3’・Y2’-3間W12壁 1か所 幅0.2㎜ ③1階X3・Y3-5間W18A壁 1か所 幅0.2㎜ ④1階X2’・Y3-3’間W12壁 1か所 幅0.3㎜ ⑤1階X4・Y1-2間W18A壁 3か所 幅0.08~0.2㎜ ⑥1階X6・Y1-2間W18A壁 2か所 幅0.2~0.3㎜ ⑦1階Y3・X1-2間W18A壁 3か所 幅0.08~0.2㎜ ⑧1階X4~6・Y1-2間スラブ 7か所 幅0.15~0.5㎜ ⑨4階405号バルコニー下部CS1 無数 幅0.1㎜ (イ) 上記のひび割れは,次のとおり,本件建物の瑕疵というべきである。 a 耐力性や剛性の低下する可能性について 鉄筋コンクリート造の建造物においては,鉄筋とコンクリートが一体となって,その一体性を前提に付着強度(鉄筋がコンクリートから引き抜けない強度)が要求されているが,ひび割れは,鉄筋とコンクリートが剥離している状況であるから,両者の一体性がなく,付着強度が低下する。また,ひび割れが生じている箇所は,ひび割れの表面の幅以上に露出長さが存在するが,このような露出があれば,①コンクリートが大気中の炭酸ガスによって中性化し,鉄筋が腐食して構造耐力の低下をきたし,②露出が鉄筋位置まで達すると,鉄筋が発錆し,錆の体積は元の鉄筋の体積より著しく大きくなるので,錆が進行するとかぶりコンクリートを破壊し,鉄筋に沿ってひび割れが入り,このひび割れからさらに水や空気が進入し,ますます鉄筋の腐食が進行し,鉄筋コンクリートの耐久性を失わせることになるから,ひび割れによって耐力性や剛性が低下する可能性が生じることになる(甲46,54,60,証人E)。 そして,どの程度のひび割れがあれば耐力性や剛性が低下する可能性があるかについては,建築学会が,幅0.3㎜のひび割れを最大限の許容範囲とし,また,幅0.2㎜ならばひび割れの中に水が入っていく漏水現象が生じ,特に梁に生じたひび割れの場合,そのひび割れが幅0.1㎜であっても,本来は外力によって負担させられる応力(物体に外力が作用するとき物体内部に生ずる抵抗力)が既に鉄筋に作用してしまっており,適当なものではないとして,建築学会の構造計算書では0.1㎜から鉄筋にどの程度の強度が加わっているか計算できるようになっていることからすると,幅0.1㎜程度のひび割れでも耐力性や剛性の低下する可能性があると認められる(甲41,証人E)。 本件建物に存在するひび割れは,上記認定のとおり,幅0.1㎜以上のものがあって軽度なものではなく,また,その数も少なくないから,耐力性や剛性の低下する可能性が著しく低いものではなく(これに反する被告Bらの主張は理由がない。),JASS5・2・3・bに反している(なお,JASS5・2・3・bの「過大なひび割れ」とは,上記観点から,幅0.1㎜以上のものがこれに当たるとすべきである。甲41)。)から,上記ひび割れは本件建物の瑕疵というべきである。 b 耐久性への影響について 被告Bらは,本件建物においてひび割れが発生している箇所は,雨掛かりになる部分ではなく,耐久性に影響はないと主張する。 しかし,上記主張は,事実上の安全性をいうものにすぎず,前記のように瑕疵の存否は法令等の定めを基準として判断されるべきであるから,上記主張を採用することはできない。 c ひび割れの発生原因 本件建物において,上記ひび割れがどのようにして発生したかを直接的かつ具体的に示す証拠はない。しかし,後記のように,本件工事の施工は杜撰な態勢の下で行われたところ,上記のとおり,本件建物に存在するジャンカやコールドジョイントはコンクリートの打ち込みの際に適切な処置が施されずに人為的に発生したものであること,また,その箇所が両者を併せて13か所と少なくはないことからすれば,他のコンクリートの打ち込みについても同様に杜撰な施工が行われた可能性は高いということができ,上記ひび割れも杜撰な施工の結果生じたものであることが容易に推認される(甲41,46)。 この点に関し,被告Bらは,住宅の品質確保の促進等に関する法律70条に規定する指定住宅紛争処理機関による住宅紛争処理の参考となるべき技術的基準によれば,本件建物のひび割れは瑕疵と判断される可能性は低い旨主張するが,上記基準は,瑕疵が存在する可能性の判断の目安を一般的に述べるものにすぎず,このような基準があることから直ちに上記推認が覆されるとは解されない。 また,被告Bらは,本件建物のひび割れは,そのパターンから乾燥収縮による原因が大きいと主張するが,乾燥収縮があることから直ちに人為的な原因が存在しないといえるものではなく,この主張をもって上記推認を覆すものとすることはできない。 ウ 鉄筋のかぶり厚さの不足 (ア) 本件建物には,以下の箇所に鉄筋のかぶり厚さ不足が存在する(甲41,45)。 ①地階X3・Y3-4間地中梁差筋 ②地階Y3・X3-4間地中梁差筋 ③地階Y2・X2-4間F1基礎縦筋 ④地階X4・Y1-2間F1基礎縦筋 ⑤地階X2・Y1-2間F1基礎縦筋 ⑥1階X1・Y1-2間W18A壁横筋 ⑦1階X3・Y3-5間W18A壁横筋 ⑧1階Y4・X5-6間W18A壁横筋 ⑨2階Y1・X4-6間大梁あばら筋 ⑩2階X1・Y1-2間大梁あばら筋 ⑪2階X1・Y3-5間大梁あばら筋 ⑫2階Y3・X3-4’間大梁あばら筋 ⑬2階Y4・X5-6間大梁あばら筋 ⑭3階305号室CS1バルコニー主筋下面 ⑮4階Y1・X4-6間大梁あばら筋 (イ) 被告Bらは,上記箇所は,非破壊検査による測定結果に基づくものであって,実際のかぶり厚さとの深度校正をしていないから,実際のかぶり厚さよりも浅めの数値である可能性が高い旨主張する。 しかし,被告Bらが上記主張の根拠とする乙イ第35号証(Fを調査責任者とする株式会社A作成の本件建物躯体工事に関する見解書)においても,どの程度の測定誤差を見込む必要があるかという根拠自体が不明確である。また,鉄筋検査機の測定誤差を考慮しても上記⑧,⑭,⑮以外の箇所はかぶり厚さが不足している鉄筋が存在する可能性が高いとされている上,上記⑧は,本来は30㎜のかぶり厚さが必要であるところ,甲第41号証(E作成の本件建物の調査報告書)によれば,最小の値が19㎜であって,仮に10㎜の測定誤差があるとしても,なおかぶり厚さが不足していることは明らかである。そして,上記(ア)の事実認定の証拠とした甲第41号証における測定結果は,それが非破壊検査によるものであるとはいえ,本件建物の多数の測定箇所においてかぶり厚さが不足すると認められる結果が示されているのであって,これを覆すに足りる証拠はなく,上記主張は理由がない。 (ウ) 上記のかぶり厚さの不足は,次のとおり,本件建物の瑕疵というべきである。 a 鉄筋コンクリートに関しては,①コンクリートは中性化し,構造耐力の低下をきたし,コンクリートのひび割れや剥離・剥落を生じ,美観・機能及び日常安定性が低下すること(甲60),②鉄筋が発錆することで,鉄筋コンクリートの耐久性が失われること(甲60),③ひび割れが生じれば,付着強度が低下すること(乙イ36)のほか,④火災が発生すると,表面のコンクリートが劣化するだけでなく,内部の鉄筋及びコンクリートの温度上昇によって鉄筋の強度・降伏点及びコンクリート強度が低下し,部材の耐力が不足し,部材に過大なたわみや変形をきたし,また,コンクリートは急激に強い加熱を受けると,摂氏500度程度の温度になったときに爆裂現象を起こすことがあるので注意を要すること,⑤現状の耐火性能上のかぶり厚さの規定は,あまり余裕のない値であるので,要求耐力性能を満足させるためには,かぶり厚さの精度の確保が重要とされていること(甲60)が認められる。 このように,鉄筋は,錆や火に弱いため,コンクリートで被覆しておく必要があり,その役割を担うコンクリートのかぶり厚さは重要であり(証人E),施行令79条が定められる厚さも最低限の厚さであって,これに特例は認められていない。 本件建物における上記認定のかぶり厚さの不足は,施行令79条に明らかに違反し,JASS5・10・3にも反するから,これらは本件建物の瑕疵というべきである。 b また,上記のように,鉄筋は火に弱いため,かぶり厚さが不足していれば,耐火時間の低下が生じている可能性が認められ,また,現状の耐火性能上のかぶり厚さは余裕のない値であることからすると,上記かぶり厚さの不足は,施行令107条に反する瑕疵にも当たるというべきである。 エ 配筋間隔不良 (ア) 本件建物には,以下の箇所に配筋間隔不良が存在する(甲41,45)。 ①地階X3・Y3-4間地中梁壁差筋 ②1階Y1・X1-2間W18A壁縦筋 ③欠番 ④1階Y1・X1-2間W18A壁横筋 ⑤1階X1・Y1-2間W18A壁横筋 ⑥1階X3・Y3-5間W18A壁縦筋 ⑦1階X3・Y3-5間W18A壁横筋 ⑧1階Y4・X5-6間W18A壁横筋 ⑨1階X4-6・Y1-2間スラブ主筋 ⑩2階Y1・X4-6間大梁あばら筋 ⑪2階X1・Y3-5間大梁あばら筋 ⑫2階Y3・X3-4’間大梁あばら筋 ⑬2階Y4・X5-6間大梁あばら筋 ⑭2階Y1・X5-6間大梁あばら筋 ⑮2階201号室CS1バルコニー主筋内側 ⑯3階305号室CS1バルコニー主筋内側 ⑰4階401号室CS1バルコニー主筋内側 ⑱4階401号室CS1バルコニー主筋外側 ⑲3階X1・Y3-5間W18A壁横筋 (イ) 上記の配筋間隔不良は,本件建物の瑕疵というべきである。 すなわち,配筋間隔が不良であれば,建物には鉄筋によって支えられていない部分が生じ,構造耐力上問題であること,また,鉄筋は引張力を負担する役割を担っているが,これが等間隔に配筋されていなければ,応力が均等に働くことを前提とした構造計算そのものの前提が崩れること(証人E)からすれば,鉄筋の配筋間隔不良は,設計時に期待している強度を低下させることが認められる。 したがって,上記認定の配筋間隔不良は,JASS5・11・5・bに違反し,これらは本件建物の瑕疵というべきである。 なお,JASS5・表11・4等によれば,例えば「梁」における「数量・配置」につき,「間隔は1.5m程度」と記載されていること(甲40)からすれば,若干の配筋の誤差を許容していると思われる。しかし,本件建物における配筋においては,設計ピッチに比して,130㎜もの誤差のある部分が存在し(甲45),許容される配筋の誤差の範囲内とはいえず,JASS5に照らして,当該配筋不良は瑕疵であることが認められる。施行令77条(平成12年4月改正前のもの。本条につき,以下同じ。)は柱の構造に関するものであり,配筋間隔不良に直接的に関係するものではないから,配筋間隔不良について施行令77条に反するとまではいえない。 (ウ) この点に関し,被告Bらは,本件建物の地上部分については設計どおりの配筋がされており問題がない(間隔の多少の大小は鉄筋施工の誤差の範囲内で,平均鉄筋間隔は設計値と相違ない。)と主張する。しかし,JASS5・11・5・bは「鉄筋は,施工図に基づき所定の位置に正しく配筋し,コンクリートの打ち込み完了まで移動しないよう堅固に組み立てる」と規定して,配筋間隔につき,平均鉄筋間隔を問題としてはおらず,一本一本の鉄筋につき施工図どおりに配筋することを求めているのであって,上記主張は採用することができない。 また,被告Bらは,鉄筋間隔にばらつきが見られるのは,鉄筋の立ち上がり部分の傾斜が原因で配筋不良になったものと思われるが,同箇所は直接に力が加わる部分ではないので,基礎の強度には問題がないと主張するが,配筋間隔が不良である以上,基礎の強度といった事実上の安全性の有無によって瑕疵がないとすることはできず,上記主張は採用することができない。 なお,被告Bらは,基礎部分に検出されていない部分があると主張するが,これは上記認定以外の箇所に係る主張であって,上記認定に影響を及ぼすものではない。 オ 開口補強筋の欠落 (ア) 本件建物には,以下の箇所に開口補強筋が存在しない(甲41)。 ①1階X4・Y1-2間 W18A壁開口部開口補強筋なし ②地階X4・Y2-3間 地中(基礎)梁開口部開口補強筋なし,開口部下の基礎梁にあばら筋の補強なし (イ) 上記の開口補強筋の欠落は,次のとおり,本件建物の瑕疵というべきである。 すなわち,構造耐力上主要な部分の耐力壁の開口部の隅各部には,応力が集中するため,ひび割れが発生しやすくなり,ひび割れが発生すれば,前記のようにコンクリートの中性化・鉄筋の発錆等により部材の耐久性を低下させ,構造部材の剛性低下をもたらすこと,また,開口部周辺は破損風化のおそれが多いため,開口部に補強筋を配筋することが不可欠であり(甲41,乙イ35,証人E),施行令78条の2第1項2号も開口部には補強筋が必要であると定めている。 本件建物における上記認定の開口補強筋の欠落は,法20条,施行令38条1項,3項,78条の2第1項2号に反し,これらは本件建物の瑕疵というべきである。 (ウ) この点に関し,被告Bらは,開口部の補強筋が当初の設計どおりにならなかったのは,原告の希望により郵便ポストが工期の途中で急きょ設けられたためであると主張する。 しかし,建築工事につき,注文者が施工者等に対し,法令等に反する希望を述べた場合,専門家たる施工者等は,注文者に対し,それが法令等に違反するので希望どおりの施工はできない旨を十分説明し,その施工をしないようにすべきである。そして,施工者が,そのような説明をしたにもかかわらず,注文者が希望を無理に通してしまったような例外的な場合には,施工者等の責任が軽減される余地もないとはいえないが,本件においては,郵便ポストの設置に関して,上記例外的な場合に当たるとすべき事実は認められず,瑕疵の責任を注文者たる原告に転嫁するがごとき被告Bらの上記主張を認めることはできない。 カ 床スラブの耐力低下 原告は,床スラブに配筋不良があり,これは設計時に期待している強度を確保しておらず,耐力を低下させる欠陥である旨主張する。 しかし,上記主張の根拠とされる甲第46号証は,タイルの下がコンクリートであったことを前提としているところ,その前提を認定するに足りる証拠はなく,したがって,床スラブに配筋不良があるとの事実を認定することはできない。 2 争点(2)(被告らの責任の有無)について 前記のとおり,本件建物には瑕疵が存在する。そこで,以下,被告らの責任につき検討する。 (1) 争いのない事実及び後掲証拠等(ただし,後記認定に反する部分を除く。書証の枝番の記載は省略することがある。)によれば,以下の事実を認めることができる。 ア 原告らと被告Cとの従前の関係等 (ア) 原告とG(以下,原告と併せて「原告ら」ということがある。)は,母子であり,平成6年7月に原告の夫(Gの父)が死亡した後,当時居住していた神奈川県川崎市から札幌市に移住することを考えていた。しかし,原告らは,札幌市に知人などがいなかったため,平成7年春ころ,住宅情報誌で知った宅地建物取引業者のH株式会社(以下「H社」という。)に相談をするようになった。 (イ) Gは,その後の契約締結等,本件における出来事について,原告とともに関与した。なお,原告らは,平成8年4月ころ,札幌市a区甲に借りた家に転居し,Gは,同年7月ころから本件工事現場に足繁く通っていた。 (ウ) 被告Cは,宅地建物取引主任者であり,H社の部長であった。 被告Cは,原告らの相談を受け,平成7年7月,原告が札幌市b区にある中古アパート「K]を購入する際に同社の担当者としてこれを仲介した。被告Cは,その後も同社が原告から依頼されたコーポKの管理業務を担当していた。 (エ) 原告は,被告Cの勧めにより札幌市内に原告らの住居部分と賃貸部分のある建物(住宅付きの賃貸マンション)を建てることを考えていたところ,平成8年1月ころ,被告Cから,札幌市a区c条d丁目所在の土地(後に本件建物の敷地となる土地)の購入を勧められ,同年2月23日,上記土地を購入した。 (オ) また,原告らは,被告Cに対し,上記建物を建てるために一流の建築業者の紹介を依頼した。被告Cは,コーポKを建築した被告B工業を紹介したが,その際,原告らに対し,「大手ゼネコンも絶賛している」,「B工業には職人が100人以上いる」などと述べて,被告B工業を建築業者とするように勧めた。 被告Cは,被告B1と昭和58年ころからの知り合いであった。(甲30,56,乙ロ1,3,4,証人G,被告C,弁論の全趣旨) イ 被告B工業と本件工事請負契約の締結及び被告Cの関与等 (ア) 被告B工業は,昭和63年1月に設立された建築工事の設計及び請負業等を目的とする会社で,建設業法3条1項(平成11年法律第160号による改正前のもの。以下,本条項につき同じ。)に基づく一般建設業者である。 被告B1は,被告B工業の代表取締役で,2級建築施工管理技士の資格は有していたが,建築士の資格はなかった。 亡B2は,被告B工業の取締役であり,事務所において事務を担当しており,現場における工事業務には従事していなかった。 (イ) 原告は,上記土地において鉄筋コンクリート造5階建(1階が車庫,2ないし4階が賃貸部分,5階が原告らの住居部分)の本件建物を建築するため,平成8年2月23日,被告B工業との間で,設計及び施工に関する工事請負契約書(甲1)を作成して,本件工事請負契約を締結した。同契約において,工期は同年5月1日から同年10月20日,請負代金は9840万円(他に消費税)とされた。 被告B工業は,本件工事請負契約締結当時,建築関係の資格のない男性大工と女性従業員1名以外の従業員はいなかった。 (ウ) 被告B工業は,同年1月ころ,被告Cから,原告が5階建の住宅付き賃貸マンションの建築を計画していることを聞き,その後,Gが描いたイラストを基にH社が作成した図面を受け取り,被告Dに依頼してこれを建築確認申請に適合する内容の図面に作り替えるなどの準備をしていたが,原告らとは,同年2月22日に初めて会っただけで,何ら直接の交渉等をしなかった。 被告Cは,建物を建てることを前提とした土地の買主を見つけると,図面や見積書などを持って建築業者を探し,買主に建築のアドバイスをしたり,買主に代わって建築業者と建物建築の打合せ等を行っており,本件建物以外にも被告B工業を建築業者としたことが7回程度あり,うち半分程度については,被告B工業から紹介料名目の金銭を受領していた。被告B1は,被告Cを企画屋ないしデベロッパーというべき存在であると認識していた。 (エ) 被告Cは,被告B工業が一般建設業者であって特定建設業者の資格をもっていないことを知っていたが,本件工事請負契約の締結やその後の本件工事の施工に関し,自ら契約書,図面及び見積書を作成したり,その授受に関与したりしたほか,被告B工業に代わって原告らからのクレームを受けたりしていた。 また,H社は,被告B工業から本件工事の紹介料名目で240万円を受け取り,被告Cは,そのうち80万円を個人として受け取った。(甲1,11の1,2,甲18,19,30,56,乙イ1の1ないし3,乙イ2の1,2,乙イ4の1ないし5,乙イ5,証人G,被告B1,被告C,被告D) ウ 本件工事の施工状況等 (ア) 被告B工業は,同年5月20日ころから,本件工事に着手したが,同被告が自ら施工する工事は,とびや型枠大工等の作業員を8人から10人程度雇い入れ,被告B1が本件工事現場においてそれらの作業員を指揮命令して行った。 また,被告B工業は,建設業法26条1項に違反して,本件工事を施工するに当たり,建設工事の適正な施工を確保するために置くことが義務付けられている主任技術者を置いていなかった。 (イ) 被告B工業は,一定の場合の下請契約締結等を禁止する建設業法16条,同法施行令1条の2に違反して,総額4500万円以上の金額で本件建物を下請業者に施工させたほか,本件工事に関し,法定事項を具備しない契約書を取り交わしたり,下請業者とは書面さえ取り交わさないなどの法令違反行為を行った(同被告は,平成11年12月ころ,これらの違反行為に対する行政処分を受けた。)。 (ウ) 被告B工業は,本件工事開始から約1か月経ったころ,原告から本件建物の1階正面入口をオートロックに変更するよう求められ,その変更をした場合,郵便受けの位置も変更する必要が生じたため,これらを追加工事とし,1階壁面部分に穴を開けて郵便受けを設置することとした。 (エ) 被告B工業は,平成8年11月14日,原告に対し,本件建物を引き渡した。 原告は,同年2月26日から平成9年1月18日までの間,被告B工業に対し,5回に分けて,本件工事請負契約及び追加工事の代金として合計1億0641万9500円を支払った。(甲2の1ないし5,甲3の1,甲23,乙イ3の1,証人G,被告B1,弁論の全趣旨) エ 被告Dの関与等 (ア) 被告Dは,1級建築士であり,被告B工業から本件建物の設計図書等の作成を依頼され,同被告から受領した図面を法令に適合するように修正するなどして,建築確認申請に用いる図面等を作成した。 また,被告Dは,被告B工業から本件工事の工事監理を依頼され,本件建物の建築確認申請に関して,札幌市に平成8年4月5日付けで提出された中高層建築物の建設に伴う諸問題に関する誓約書等の書類(甲48)にも,被告Dが本件工事の工事監理者である旨の記載がされた。 被告Dは,被告B工業から,上記設計と工事監理の報酬として,合計150万円を受領した。なお,被告Dは,被告B工業が一般建設業者であり,特定建設業の資格を有しないことを知っていた。 (イ) 被告Dは,本件建物の地盤についての地盤調査をせず,工事監理報告書も作成せず,しかも,本件工
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星の灯台 星の灯台 ・ここでは、勲章ではなくスターポイントを使ってお金、タマゴ、ペットの交換等を行います、タマゴやペットは謎の神殿に無いものです、また交換金額は1P=1000Gです。 スターポイント ・勲章は戦争勝利時にのみに対して、スターポイントは戦争勝利時、軍事「大成功」時に1P貰えます、成功時に貰えない理由は1回だけ軍事を行い、即撤退防止のためです。 ・何故軍事大成功時にもポイントが貰えるようにした理由は、勲章だけだと明らかに戦争家が有利になってしまうため、少しでも防ごうと軍事家用に設定しました。 ・また、スターポイントについては長期内政などの報酬でも出現するようにする予定です。 交換出来るタマゴ タマゴ 必要スターポイント 交換出来るペット ペット 必要スターポイント