約 488 件
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/1115.html
陸奥国 会津郡 若松 町分(まちふん) (蚕養宮村附) 大日本地誌大系第30巻 188コマ目 ※国立公文書館『新編会津風土記24』より 府下の四方に東西黒川と称し数箇の年貢地あり。その地分散して居民多くは府下の四方に続き、或いは雑居し完く1区をなるものなし。因て府下に連なるものはここに付してこれを註し、ここにもまたその大較(たいこう)を挙く。煩重(はんちょう)に似たりといえども見るに便あらんことを欲する故(ゆえ)なり。 田圃(たんぼ)少なく諸物を鬻(ひさ)いで産業とす。さればその民村里の俗にも異にして肆鄽(してん)の習わし多きに居れり。また藺草(いぐさ)を植え席に織て生計を資く、俗にこれを融通寺表と称す。西黒川より多く出せり。 東黒川に属するもの5区、西黒川に属するもの4区。総てこれを町分(肆店の条下にその分の地なり・某分の地雑れりと註するものこれなり)と称す。 代官を置いて支配せしむ。本郷中荒井組中荒井郡役所に隷す。 東黒川上河原分 八角分 蚕養宮村 千石町分 南町分 材木町分 西黒川石堂分 達磨分 小黒川分 赤岡分 付録イタカ町 穢多(えた)町
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/5526.html
ハナテン 本店:大阪市城東区諏訪三丁目3番21号 【商号履歴】 株式会社ハナテン 放出中古車センター株式会社(1966年3月11日~) 【株式上場履歴】 <東証2部>2013年7月16日~2016年1月21日(株式会社ビッグモーターによる株式売渡請求) <大証2部>1996年1月 日~2013年7月15日(東証に統合) <大証2部特別>1990年7月11日~1996年1月 日(2部指定) 【沿革】 昭和41年3月 放出中古車センター株式会社(資本金200万円、本店所在地大阪市城東区放出中、取締役社長山本 博)を設立し、中古車販売業を開始。 昭和41年8月 大阪府下において展示場併設拠点第1号店として豊中営業所を開設。 昭和46年6月 事務の合理化、省力化と顧客サービスを図るためコンピューターを導入。 昭和49年7月 本社移転(大阪市城東区諏訪)し、同時に本社深江営業所を開設。 昭和56年12月 大阪府岸和田市内において無在庫店第1号店として岸和田店を開設。(「無在庫店」とは、コンピューターのオンラインを導入し、各営業所に展示している車両の内容を端末機を利用してデータプリントし、モニターテレビで在庫を照会し販売する方式を採用する店舗のことであります。) 昭和59年5月 奈良県下において展示場併設拠点として同県下第1号店大和高田営業所を開設。 昭和60年3月 各展示場併設拠点においても中古自動車の販売形態としてコンピューターレーザーシステムを導入し、ユーザーが居ながらにして自由に希望の中古自動車を選びだせるシステムを採用。 昭和60年9月 京都府下において展示場併設拠点として同府下第1号店中久世営業所を開設。 昭和62年3月 放出中古車センター株式会社を株式会社ハナテンに商号変更。 昭和63年1月 車両サービス部(指定自動車整備工場)を開設。 昭和63年7月 いすゞ自動車㈱よりディーラー権を取得し、新車販売を開始。 昭和63年7月 和歌山県下において展示場併設拠点として同県下第1号店和歌山営業所を開設。 昭和63年9月 大阪府松原市においてオートオークション会場を開設し、オークション(競り市)業務を開始。 平成元年10月 兵庫県下において展示場併設拠点として同県下第1号店三田営業所を開設。 平成2年7月 大阪証券取引所市場第二部(特別指定銘柄)上場。 平成4年3月 いすゞ自動車㈱とのディーラー権契約を解消し、新車販売部を閉鎖。 平成4年5月 オートオークション会場にて映像によるオークション(競り市)を開始。 平成5年1月 新本社ビル完成(大阪市城東区諏訪の旧本社の敷地内)。 平成5年3月 ㈱篠山自動車教習所(平成7年5月に㈱ハナテン篠山自動車教習所へ商号変更)の全株式を取得し、自動車関連分野の事業拡大。 平成6年4月 ユーザーよりの買取専門店“ハナテンアセスショップ”一号店神戸御影店を開設。 平成7年10月 岡山県岡山市にオートオークション岡山支所会場を開設。 平成8年1月 大阪証券取引所市場第二部銘柄に指定。 平成8年5月 岡山県岡山市にハナテンオートオークション岡山会場を新設。(岡山県中古自動車販売商工組合と業務提携) 平成9年4月 日本ゼネラルモーターズ㈱サターン事業部より、大阪府下地域販売権を取得し、GMサターン新車販売を開始。 平成11年2月 包括的仕入業務および買取フランチャイズ“ハナテンアセスショップ”管理、開発会社としてハナテンエフ・シーリンク㈱を全額出資にて設立。 平成11年4月 滋賀県下において、展示場併設拠点として同県下第1号店大津営業所を開設。 平成11年9月 ハナテンオートオークション岡山会場の営業権を譲渡。 平成12年3月 ハナテンエフ・シーリンク㈱の株式を一部譲渡。 平成12年3月 インターネットによる中古車販売会社として子会社㈱ハナテンネットを全額出資にて設立。 平成12年12月 日本ゼネラルモーターズ㈱サターン事業部の日本市場撤退の為、大阪府下地域販売契約を解消し、GMサターン新車販売事業部を閉鎖。 平成12年12月 ハナテンエフ・シーリンク㈱の保有全株式を譲渡。 平成13年2月 インターネット上での新車や中古車をはじめとした自動車関連の総合情報サイト運営会社としてドライブゲート㈱を合弁で設立。 平成13年10月 車両サービス部(指定自動車整備工場)を子会社㈱ハナテンネットへ移管。 平成13年12月 愛媛県下において、展示場併設拠点として同県下第1号店愛媛重信営業所を開設。 平成14年2月 徳島県下において、展示場併設拠点として同県下第1号店徳島那賀川営業所を開設。 平成15年3月 ㈱ハナテン篠山自動車教習所の全株式を売却し、自動車教習所事業より撤退。 平成15年3月 ハナテンエフ・シーリンク㈱の任意清算(解散)に伴い、同社の事業を承継し、かつ、同社よりハナテンクレジット㈱の全株式を取得。 平成15年3月 ドライブゲート㈱の全株式の譲渡を決定し、同社についての合弁を解消。 平成16年2月 在庫保有目的法人として、ハナテン・オ-ト有限責任中間法人(現・連結子会社)が設立される。 平成17年6月 株式会社ビッグモーター(現・親会社)及び三洋電機クレジット株式会社(現・その他の関係会社)との間で「資本業務提携に関する契約」を締結。 平成17年12月 大阪府下に買取専門店を5店舗開設。 平成18年2月 本社に隣接する深江営業所(大阪市城東区)を全面リニューアルし、新たにサービス修理工場を併設。 平成18年3月 二色の浜(大阪府貝塚市)に中古車販売店とサービス修理工場を新設。 平成18年11月 彦根(滋賀県彦根市)に中古車販売店とサービス修理工場を新設。 平成19年2月 びわ湖大橋営業所(滋賀県守山市)を全面リニューアルし、新たにサービス修理工場を併設。
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/419.html
陸奥国 会津郡 南青木組 徳久(とくひさ)村 大日本地誌大系第31巻 79コマ目 府城の南に当り行程31町余。 家数57軒、東西1町20間・南北4町40間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東3町58間中野村の界に至る。その村まで4町30間。 西3町50間飯寺村の界に至る。その村まは亥(北北西)に当り7町50間余。 南5町30間一堰村の界に至る。その村まで7町50間余。 北3町20間府下西黒川材木町分の地に界ふ。 水利 松堰 一堰村の方より来り、田地の養水となり材木町の方に注ぎ、応湖川という。 門田堰 一堰村の方より来り、田地の養水となり古川と合して黒川に灌ぐ。 寺院 寶福寺 村中にあり。 徳久山と號す。府下大和町金剛寺の末寺真言宗なり。 開基詳ならず。 慶長中(1596年~1615年)宥意という僧住せしという。 昔村南に薬師堂あり。頽廃(たいはい)の時薬師をこの寺に移して本尊とす。徳一の作という。客殿に安ず。 応湖川について Google Map宝福寺 八幡神社
https://w.atwiki.jp/opera-machine/pages/15.html
大阪キタ 大阪ミナミ 大阪府下 大阪以外
https://w.atwiki.jp/opera-machine/pages/4.html
大阪キタ 大阪ミナミ 大阪府下 大阪以外
https://w.atwiki.jp/opera-machine/pages/14.html
大阪キタ 大阪ミナミ 大阪府下 大阪以外
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/580.html
陸奥国 大沼郡 大石組 河口(かはくち)村 大日本地誌大系第33巻 68コマ目 府城の西に当り行程12里15町余。 家数29軒、東西1町20間・南北2町。 南を上町と唱え北を下町と唱ひ、南は山を負い西は野尻川に傍い東北は田圃(たんぼ)なり。 東17町多良布村の界に至る。その村まで29町30間。 西3町40間西谷村の界に至る。その村まで17町50間。 南10町小栗山村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り25町。 北7町40間大石村の界に至る。その村まで13町50間。 端村 栗牧(くりのまき) 本村の西北4町30間にあり。 家数7軒、東西38間・南北40間。 西は山に倚り東南は只見川に臨む。 上井草(うはいくさ) 栗牧より寅(東北東)の方6町にあり。 家数6軒、東西12間・南北40間。 西は山に倚り東は只見川に傍ふ。 山川 只見川(たたみかわ) 村北50間にあり。 西谷村の境内より来り、東に流れ北に転じ13町流れて大石村の界に入る。 野尻川(のりしかわ) 村西40間にあり。 小栗山村の境内より来り、北に流るること13町只見川に注ぐ。 広25間。 土産 紙 近村よりも出す。中にもこの村の山を最とす。 質厚く堅強にして合羽に作ればよく雨に堪ふ。 多く府下に鬻(ひさ)ぎ出す。 俗に河口紙と称す。 関梁 橋 村の西北20間にあり。 長18間・幅1間2尺。 野尻川に架す。 伊北郷より府下に通る道なり。 神社 熊野宮 祭神 熊野宮? 相殿 稲荷神 鎮座 不明 村東にあり。 鳥居拝殿あり。 神職 渡部丹波 何の頃にか大和某という者初めて神職となり、4世を経て今の丹波重政に至る。 山神社 祭神 山神? 鎮座 不明 端村栗牧の北にあり。 鳥居あり。村民の持なり。 寺院 川口寺 村東にあり。 鳳来山と號す。府下道場小路観音寺の末寺真言宗なり。 天文17年(1548年)山内左右衛門という者(川口左衛門佐がことなるべし)宥榮という僧をしてこの寺を創建せしむという。 慶長2年(1597年)回禄に罹り、同4年(1599年)宥弁という僧再興す。 本尊弥陀安殿に安ず。 古蹟 館跡 村西1町50間、野尻川の西山上にあり。 東西18間・南北2町。 玉縄城(たまなはしろ)と唱ふ。 山内氏の支族河口沢衛門佐某という者住す。 天正6年(1578年)葦名盛氏の為に大槻太郎左衛門を討ち(河沼郡野沢組野沢本町の条下に詳なり)、同18年(1590年)伊達政宗に降り伊達の将大波玄蕃に従て大塩組横田の城主山内氏勝が討手に加わりしという。 Google Map熊野神社 川口寺 玉縄城跡 神社?
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/412.html
陸奥国 会津郡 南青木組 中野(なかの)村 大日本地誌大系第31巻 78コマ目 府城の南に当り行程34町余。 家数24軒、東西2町29間・南北1町18間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東1町19間井出村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り1町40間余。 西32間・南5町19間、共に徳久村の界に至る。その村は西に当り4町30間。 北3町54間府下東黒川南町分の地に界ふ。 寺院 福蔵院 村中にあり。 真言中大寶山と號す。府下大町弥勒寺の末山なり。 開基を詳にせず。 本尊大日客殿に安ず。 古蹟 千本木(せんほんき) 村北2町余に男松1株あり。 俗に一本木と称す。 土人の説に、昔は府より鎌倉に通る往還にて、府城諏訪通郭門の邊よりここに至るまで千本の並木あり。その1本の遺れるなりという。旧は榎木なり。枯て後男松を栽えしとぞ。 またこの邊に法領(ほうれう)という字あり。昔義家朝臣東征の時御山村の山中より放たれし矢この邊に落しとてその所に法領神とて祠を建て祭りしが、寛文中(1661年~1673年)御山村八幡宮に相殿とす。今なお法領(井出村の界にあり)・下法領(この邊という)という字遺れり。法領と名けし謂を詳にせず。 Google Map福蔵寺 中屋敷村社八幡神社 稲荷神社 八幡宮
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/18.html
陸奥国 会津郡 滝沢組 大日本地誌大系第31巻 12コマ目 ※国立公文書館版より滝沢組地理之図。 雄山閣版は(なぜか)地図上から金堀と石盛山、牛畠が消されていた この地府城の東北に当たり、本郡の東北端にあり。 東は原組に隣り、西は高久組に交わり、南は南青木組に按し、北は河沼郡代田組に並び、未申(南西)の方府下の地を続く。 東西1里15町余(東は原組原新田村の界より、西は高久組下荒久田村の界に至る)。 南北1里4町余(南は南青木組慶山村の界より、北は代田組八田野村の界に至る)。 東北に山連なり西南は広平の地に続き人煙(じんえん)繁し。 村落多くは山に傍で住す水旱(すいかん)の患少なく土地肥え五穀僥(ぎょう)に薪材の用乏しからず。農隙(のうげき)に駄馬を追い、薪柴諸菌(きのこ)を採って府下に鬻(ひさ)ぎ出し、生産の資とす。 昔は原組の諸村もこの組に隷して瀧澤山組と称し、この組は瀧澤里組と称せり。寛文七年(1667年)分けて原組とす。 黒川郷に属するもの1ヶ村あり(滝沢村)。 その余は皆郷名を失う共に門田荘と称す。 滝沢村端村:中島、北滝沢 小名:大杉新田 金堀小屋:石盛(いしがもり) 牛墓村小名:真那板倉(まないたくら) 藤原村 郷原村 北柳原村 下柳原村 上居合村 下居合村小名:牛畠 松窪村 長原新田村 金堀村
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/78.html
陸奥国 会津郡 小出組 大日本地誌大系第31巻 81コマ目 この地府城の南に当り本郡の東にあり。 東南は共に弥五島組に界ひ、西は楢原組に隣り、北は南青木組に交わる。 東西1里18町(東は弥五島組田代村の界鶴沼川より、西は楢原組大内村の山界に至る)。 南北3里18町計(東は弥五島組弥五島村の山界より、北は南青木組大豆田村の界闇川橋に至る)。 村落(そんらく)大抵鶴沼川の岸に縁りて南より北に連なり、山高く澗深くして水田少なく菜園多し。採薪(さいしん)の便よくまた漁釣(ぎょちょう)の利あり。3、4月の頃に雪やや消えれば、丁壯(ていそう)山に入りて葛根を掘り、女童(めのわらわ)家に在りてこれを粉に製し或いは蚕を養う。 桑原・舟子・芦牧・沼尾等の村々は、柴薪(さいしん)を伐(き)り炭をやき山灰を製して府下に出し生産の̪資とす。 この組及び弥五島・松川・楢原の4組は俗に下郷と唱へ。 皆山中なれば府下に比するに寒強く暑弱く農務の候10余日の差あり。 常に鹿猿多く中にも数十の野猪郡をなし田園の害をなすに因り、春より秋に至るまで野外に小屋をかけ村民輪番にこれを守り、鳥銃を放ち或いは板を撃ち農器を敲(たた)いて逐い退く。 土地最煙草に宣し。多く種えて産業とす。 毎年9月頃上郷・下郷の商人、弥五島組白岩村に会集(かいしゅう)し価の高下を定め結城・下妻の方に売り出す。 農隙(のうげき)には下野・常陸の方に出て屋上を葺き又杣人(そまびと)の業をなす者あり。 秋は栗を拾って勝栗(かちぐり)に製し府下及び他邦に鬻(ひさ)ぐ。 この組及び弥五島・松川・楢原・田島・高野・熨斗戸・古町・和泉田・黒谷・大塩の組々にて3月11日を地神下(ちしんくだり)という。この日未明に虚臼を搗(つ)けばその聲(こえ)に應(おう)じて地神降臨ありとて、虚臼を搗(つ)き粢(しとぎ)を製してこれを祭る。10月10日を地神上(ちしんのぼり)という。この日は地神天上の日とて、又虚臼を搗(つ)き粢(しとぎ)を供える。 大寒の後105日に霜ふるを百五の霜という。もっとも諸物を傷(そこな)うとて、3月の頃霜祭とて生土神に参詣しその日遊楽す。 また弥五島・松川・楢原・田島・河島・高野・熨斗戸7組とこの組とには3月中兄弟契(きょうだいちぎり)ということあり。老若男女、各年歯に従って会集(かいしゅう)し舊(きゅう)を話して相歓す。 門田荘に属する村1ヶ村あり(小塩村)。余は皆湯原郷に隷(れい)し長江荘と称す。 小出村端村:牧(まき) 小野村 大沢村端村:上(かみ)村、久景(ひさかげ) 湯原村端村:館本(たてもと) 沼尾村端村:茅牧(かやのまき)(廃) 桑原村 船子村端村:上船子村 芦牧村 小塩村小名:中小塩(なかおしほ)、関屋、栃窪 端村:引下(ひきした)