約 7,816 件
https://w.atwiki.jp/wanisita/pages/398.html
問題文1 問題文2 問題文3 問題文4 正解 補足 安政3年、下田に来日 アメリカの初代駐日総領事 唐人お吉との恋物語が有名 日米修好通商条約を締結 タウンゼント・ハリス イギリスの外交官 駐日公使パークスの部下 四国艦隊の下関砲撃に立ち会った 『一外交官の見た明治維新』 アーネスト・サトウ スコットランド生まれ 明治以降は高島炭鉱を経営 薩長に船舶や武器を売った商人 邸宅跡は長崎の観光名所 トーマス・グラバー 坂本龍馬と婚約を交わしたとも 生涯独身を貫いた 『龍馬伝』での役は貫地谷しほり 北辰一刀流の使い手「鬼小町」 千葉佐那子 寺田屋に奉公する 坂本龍馬と結婚 『龍馬伝』で真木よう子が演じる 晩年は横須賀で酒びたりの生活に 楢崎龍 土佐藩の西山志澄と結婚 兄は土佐勤王党の志士 『龍馬伝』では広末涼子が演じる 坂本龍馬の初恋の人物 平井加尾 新選組の隊士 武蔵国で生まれる 愛刀の名前は「虎徹」 新選組局長 近藤勇 新選組の隊士 武蔵国で生まれる 箱館の五稜郭で戦死 副長として活躍 土方歳三 第二次長州征討の戦い 幕府軍が山陰道から侵攻 長州軍は大村益次郎が指揮 福山藩、浜田藩、紀州藩が参加 石州口の戦い 第二次長州征討の戦い 幕府軍が山陽道から侵攻 紀州藩と長州・岩国藩が激突 小瀬川口の戦いで開始 芸州口の戦い 第二次長州征討の戦い 幕府軍の主力は松山藩 長州藩を率いたのは世良修蔵 高杉晋作の奇襲作戦がが成功 大島口の戦い 第二次長州征討の戦い 幕府軍の総督は小笠原長行 長州藩の主力は奇兵隊と報国隊 高杉晋作、山縣有朋が参加 小倉口の戦い 父は徳川家慶 元々の名前は「家祥」 日米和親条約を結ぶ 江戸幕府の第13代将軍 徳川家定 父は徳川斉昭 大政奉還をおこなう 江戸城を無血開城 江戸幕府の第15代将軍 徳川慶喜 大阪城から徳川慶喜を江戸へ運ぶ 蝦夷共和国では開拓奉行を担当 オランダから軍艦開陽丸で帰国 西洋式火薬製造法を日本に導入 澤太郎左衛門 掛川藩出身の幕末の幕臣 下関戦争に朝陽丸艦長で参加 箱館戦争に旧幕府軍として参加 回天丸の艦長として戦死 甲賀源吾 衝鋒隊の副隊長として活躍 蝦夷共和国では陸海軍裁判頭取 幕末に京都見廻組に参加 坂本竜馬暗殺実行犯の説あり 今井信郎 幕末に衝鋒隊を結成 1869年に五稜郭の戦闘で死去 蝦夷共和国では歩兵頭を担当 高松凌雲の実兄 古屋佐久左衛門 箱館戦争において活躍 箱館政権では海軍奉行を担当 幕末に海軍で活躍 初代中央気象台長 荒井郁之助 明治新政府で初代逓信大臣 樺太・千島交換条約を締結 1888年電気学会初代会長に就任 箱館戦争で蝦夷共和国総裁に就任 榎本武揚 私塾で中岡慎太郎らを指導 土佐勤王党の中心人物 平井収二郎、弘瀬健太と共に切腹 「土佐の三奇童」の一人 間崎哲馬 天誅組の変に参加 海援隊の中心人物として活躍 維新後は千葉県知事に 下関海戦でユニオン号の指揮 石田英吉 土佐勤王党に参加 維新後は自由党の副総理に 海援隊や陸援隊で活躍 初代衆議院議長 中島信行 幕末期の土佐藩士 別名・今井純正 船中八策を起草 海援隊の二番隊隊長 長岡謙吉 幕末の尊皇攘夷派志士 別名・本山七郎 蝦夷地・北方開拓を計画 池田屋事件で新選組により殺害 北添佶摩 戊辰戦争で長崎奉行所を占領 維新後は参議、枢密顧問官に 幕末の土佐藩士 「土佐三伯」の一人 佐々木高行 明治新政府で刑部大輔に 坂本龍馬と共に武器調達に尽力 幕末の土佐藩家老 旧名は渡辺弥久馬 斎藤利行 「佐賀の七賢人」の一人 1867年のパリ万博に参加 第1次松方内閣で農商務大臣 1877年に博愛社を創設 佐野常民 「佐賀の七賢人」の一人 西洋の軍事技術を積極的に導入 別名「そろばん大名」 幕末期の佐賀藩主 鍋島閑叟 江戸時代末期の幕臣 西洋流砲術の普及に尽力 高島秋帆の弟子 1863年歩兵奉行に就任 下曽根信敦 日本で初めてパンを製造 名は英竜 品川に台場を築造 韮山に反射炉を築造 江川太郎左衛門 幕末・明治期の政治家 海水浴を奨励して定着に尽力 弟は外務大臣・林董 初代陸軍軍医総監 松本良順 幕末の技術者 長崎県出身 鳥居耀蔵の陰謀で10年獄中に 日本の洋式砲術の先駆者 高島秋帆 会津戦争における戦闘 新政府軍の参謀は伊地知正治 城を巡る攻防戦 列藩同盟軍の総督は西郷頼母 白河口の戦い 会津戦争における戦闘 新政府軍の主力は薩摩藩と土佐藩 旧政府軍の指揮官は大鳥圭介 十六橋を制圧され勝負有り 母成峠の戦い 鳥羽・伏見の戦いにおける戦闘 稲葉正邦が旧幕府軍の入城を拒否 旧幕府軍は新政府軍に惨敗 新選組の井上源三郎が戦死 淀の戦い 鳥羽・伏見の戦いにおける戦闘 津藩の裏切りで新政府軍が勝利 吉村貫一郎が行方不明に 佐々木只三郎、山崎蒸が重傷 橋本の戦い 箱館戦争における戦闘 旧幕府軍の指揮官は荒井郁之助 旧幕府軍による奇襲攻撃 甲賀源吾、野村利三郎が戦死 宮古湾海戦 箱館戦争における戦闘 新政府軍の指揮官は駒井政五郎 旧幕府軍が敗れ五稜郭へ撤退 旧幕府軍の指揮官は土方歳三 二股口の戦い 戊辰戦争における戦闘 旧幕府軍の主力は撤兵隊 旧幕府軍の指揮官は榎本武揚 江戸城無血開城後初の本格的戦闘 船橋の戦い 戊辰戦争における戦闘 旧幕府軍の中心は伝習隊 二荒山神社が消失 新選組の土方歳三が参加 宇都宮城の戦い 戊辰戦争における戦闘 旧幕府軍側が薩摩藩に勝利 春日丸、翔凰丸、平運丸 旧幕府軍の開陽丸が活躍 阿波沖海戦 京都の河原町通 営んでいたのは井口新助 醤油屋 坂本龍馬が暗殺された場所 近江屋 京都の伏見の旅館 坂本龍馬が襲撃された 女将のお登勢 薩摩藩士の同士討ちの舞台に 寺田屋 新政府で民部大輔、参議を歴任 長州藩の中心人物として活躍 旧名は波多野金吾 1871年何者かによって暗殺 広沢真臣 幕末の長州藩士 1863年に遊撃隊を組織 別名・森鬼太郎 禁門の変で戦死 来島又兵衛 幕末の長州藩士 奇兵隊の参謀として活躍 松門四天王の一人 禁門の変で戦死 入江九一 幕末の長州藩士 甲子殉難十一烈士の一人 1863年イギリス公使館を襲撃 長州藩の初代海軍総督 松島剛蔵 幕末の長州藩士 私塾・敬神党を開設 宮廷絵師・冷泉為恭を暗殺 応変隊により久留米で斬殺 大楽源太郎 幕末の長州藩士 第二次長州征討で活躍 龍馬の死後お龍を高知に送る 寺田屋事件で龍馬を救う 三吉慎蔵 その子孫は俳優・加山雄三 和宮の降嫁を画策 1871年の使節団の大使 往年の五百円紙幣 岩倉具視 第2次伊藤博文内閣の外相 「かみそり大臣」のニックネーム 輸入関税の引き上げに成功 治外法権の撤廃に成功 陸奥宗光 幕末期の土佐藩士 土佐勤王党に参加 三条実美に仕える 第1次伊藤内閣の農商務大臣 土方久元 幕末期の土佐藩士 土佐勤王党に参加 寺田屋事件で投獄 天誅組の変の首謀者 吉村虎太郎 幕末の土佐藩家老 改革派「新おこぜ組」の一員 薩土盟約を締結 五箇条の御誓文草案作成に関与 福岡孝悌 幕末の土佐藩家老 那須信吾の甥 陸援隊の副隊長として活躍 明治では警視総監、宮内大臣 田中光顕 幕末期の土佐藩士 土佐勤王党に参加 天誅組の乱で戦死 吉田東洋暗殺の実行犯 那須信吾 幕末の長州藩家老 尊皇攘夷運動を推進 禁門の変に参加 長州征伐の責任を取って自害 福原越後 幕末の長州藩直目付 権力争いに敗れ1863年に切腹 尊皇攘夷派と対立 藩主に「航海遠略策」を建白 長井雅楽 日本テレビの年末時代劇 さだまさしの『冬の蝉』 坂本竜馬役で武田鉄矢が特別出演 松平健が高杉晋作を演じた 『奇兵隊』 日本テレビの年末時代劇 さだまさしの『夢の吹く頃』 渡哲也が土方歳三を演じた 里見浩太朗が榎本武揚を演じた 『五稜郭』 日本テレビの年末時代劇 堀内孝雄の『遥かな轍』 萬屋錦之介が勝海舟を演じた 里見浩太朗が西郷隆盛を演じた 『田原坂』 幕末・明治期の技術者 広瀬淡窓の咸宜園で学ぶ 日本写真界の先駆者 日本初の天体写真を撮影 上野彦馬 幕末・明治期の技術者 狩野派の画家 ヒュースケンに写真技術を学ぶ 日本初の営業写真館を開業 下岡蓮杖 幕末・明治期の技術者 幕府の通詞としても活躍 日本初の鉄橋を長崎に建設 日本活版印刷の先駆者 本木昌造 幕末・明治期の実業家 『和英語林集成』刊行に尽力 楽善堂を創業し売薬業で成功 息子の劉生は洋画家 岸田吟香 幕末・明治期の蘭学者 著書『化学新書』 日本で初めてマッチ製造に成功 日本で初めてビール醸造に成功 川本幸民 坂本龍馬の海援隊に参加 別名・関雄之助 土佐藩を脱藩し勝海舟の門下へ 薩摩藩士・川端平助を殺害し切腹 沢村惣之丞 幕末期の土佐藩士 土佐勤王党の創設者 行友李風の戯曲で有名 通称は半平太 武市瑞山 幕末期の土佐藩士 土佐藩を脱藩し長州藩へ 坂本龍馬の亀山社中に参加 ワイルウェフ号の沈没で死去 池内蔵太 幕末期の土佐藩士 別名・石川誠之助 近江屋事件で暗殺 陸援隊の創設者 中岡慎太郎 ユニオン号購入斡旋に尽力 実家は饅頭屋 坂本龍馬と亀山社中を設立 イギリス留学計画が露見し切腹 近藤長次郎 幕末の四賢侯 安政の大獄で隠居処分 日清修好条規を締結 宇和島藩主 伊達宗城 幕末の四賢侯 自称「鯨海酔候」 徳川慶喜に大政奉還を建白 土佐藩主 山内容堂 幕末の四賢侯 藩営工場集成館を設立 日本初の写真のモデル 薩摩藩主 島津斉彬 幕末の儒学者 安政の大獄により獄中で病死 大津で湖南塾を開校 小浜藩出身 梅田雲浜 幕末の儒学者 勤王の志士として活躍 安政の大獄で処刑 父は山陽 頼三樹三郎 美濃赤坂出身の幕末の志士 1863年長州藩邸内の医院総督に 京都で医者として開業 1864年重傷の井上馨を手術で救う 所郁太郎 幕末の長州藩士 吉田松陰の叔父 萩の乱の責任をとって自刃 松下村塾を開設 玉木文之進 幕末の長州藩士 妻は京都の芸妓・幾松 変装の名人 「桂小五郎」として知られる 木戸孝允 幕末の長州藩士 松下村塾に学ぶ 愛人「おうの」が肺結核を看病 奇兵隊を結成 高杉晋作 幕末の長州藩士 松下村塾に学ぶ 吉田松陰の妹婿 禁門の変で破れて自刃 久坂玄瑞 幕末の長州藩士 遊撃隊を組織 急進派として京都進撃を主張 禁門の変で戦死 来島又兵衛 幕末の人斬り 薩摩藩士 示現流の達人 姉小路公知暗殺の嫌疑で自刃 田中新兵衛 幕末の人斬り 薩摩藩士 前名は中村半次郎 西南戦争で自刃 桐野利秋 幕末の人斬り 土佐藩士 武市瑞山に師事 勝海舟の護衛をしたことも 岡田以蔵 幕末の人斬り 肥後藩士 高田源兵衛と改名 佐久間象山を暗殺 河上彦斎 司馬遼太郎の小説『峠』 戊辰戦争で負傷し死去 小千谷裁判 長岡藩の藩政改革に尽力 河井継之助 幕末の水戸藩藩士 尊皇攘夷派 徳川斉昭に仕える 天狗党の首領 武田耕雲斎 幕末の水戸藩家老 天狗党の乱を平定 1869年に捕縛され処刑 保守派の諸生党を結成 市川三左衛門 幕末の水戸藩家老 藩内の尊皇攘夷派を統率 天狗党の乱で幕府により捕縛 1865年古河藩内で切腹 榊原新左衛門 幕末の水戸藩士 尊皇攘夷の過激派 天狗党の乱を挙兵 父・東湖は学者 藤田小四郎 幕末の水戸藩士 尊皇攘夷派 兄は山国兵部 天狗党挙兵時の主将 田丸稲之衛門 水戸藩で活躍 江戸時代末期の教育家 門人に香川敬三、飯田軍蔵 私塾「日新塾」を経営 加倉井砂山 幕末の長州藩士 長州五傑の一人 ハルビンで暗殺 日本の初代総理大臣 伊藤博文 幕末の長州藩士 長州五傑の一人 黒田内閣で農商務大臣 伊藤内閣で初代外務大臣 井上馨 幕末の長州藩士 長州五傑の一人 大阪の造幣局長に就任 「桜の通り抜け」を発案 遠藤謹助 幕末の長州藩士 長州五傑の一人 日本における鉄道の父 小岩井農場を設立 井上勝 1860年に起きた事件 有村次左衛門 尊皇派の水戸浪士が実行 大老・井伊直弼を襲撃 桜田門外の変 1864年 水戸藩 武田耕雲斎や藤田小四郎 筑波山事件 天狗党の乱 1864年 舞台は京都 長州藩対諸藩 別名「禁門の変」 蛤御門の変 公家の中山忠光が大将 大和五條の代官所を焼討ち 土佐の吉村寅太郎が活躍 江戸幕府に対する幕末最初の反乱 天誅組の変 第2代学習院院長 死の直前の中岡慎太郎に会う 初代農商務大臣 西南戦争で熊本城を死守 谷干城 幕末の儒学者 安政の大獄で処分 京都の町人出身 岡田以蔵に暗殺される 池内大学 幕末の水戸藩士 尊皇攘夷の指導者的存在 安藤信正暗殺を計画 山本旗郎らによって暗殺 住谷寅之介 幕末の水戸藩士 別名・磯辺三郎兵衛 桜田門外の変の首謀者 1860年潜伏先の大阪で自害 高橋多一郎 幕末の水戸藩士 別名・三好貫太郎 尊皇攘夷の過激派 桜田門外の変の実行隊長 関鉄之介 幕末の水戸藩の学者 『大日本史』編纂に尽力 著書『中興新書』『仏事志』 彰考館の総裁 豊田天功 福井藩士 前名は三岡八郎 民撰議院設立建白に連署 五箇条の御誓文を起草 由利公正 豊前中津藩出身 「ヴ」の表記を考案 慶應義塾を創立 『学問のすゝめ』 福沢諭吉 明六社を設立した政治家 国粋主義者・西野文太郎に暗殺 港区三田の坂の名前になっている 初代の文部大臣 森有礼
https://w.atwiki.jp/wiki6_piro/pages/6729.html
廣瀬資料館 ひろせしりょうかん 大分県日田市豆田にある資料館。 建物と敷地は「廣瀬淡窓旧宅及び墓」として国指定史跡となっている。 住所 大分県日田市豆田町 URL … 地図 2012-10-09 関連項目 2012年10月大分・福岡 歴史的建造物写真 タグ 2012年10月9日 大分県 施設 日田市 歴史 歴史的建造物 資料館
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/584.html
大村 益次郎(おおむら ますじろう、 文政7年5月3日(1824年5月30日) - 明治2年11月5日(1869年12月7日))は、幕末期の長州藩(現・山口県)の医師、西洋学者、兵学者。 長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。太政官制において軍務を統括した兵部省における初代の大輔(次官)を務め、事実上の日本陸軍の創始者、あるいは陸軍建設の祖と見なされることも多い。幼名は宗太郎、通称は蔵六、良庵(または亮庵)。諱は永敏。位階は贈従三位、後に従二位。家紋は丸に桔梗。 生涯 村医 周防国吉敷郡鋳銭司村(すぜんじ)字大村(現・山口県山口市鋳銭司)に村医の村田孝益と妻うめの長男として生まれる。天保13年(1842年)、防府の梅田幽斎に医学や蘭学を学び、翌年4月梅田の勧めで豊後国日田の広瀬淡窓の門下となり、1844年6月まで学ぶ。弘化3年(1846年)、大坂に出て緒方洪庵の適塾で学ぶ。適塾在籍の間に長崎で1年間遊学し、その後適塾の塾頭まで進んだ。 嘉永3年(1850年)、父親に請われて帰郷し、村医となって村田良庵と名乗る。翌年、隣村の農家の娘琴子と結婚した。だが口数が少なく無愛想で、村人が診てもらうと身体のしくみ等を何やら小難しい言葉でくどくどと説明したので「大坂で何の勉強したのやら」とあまり評判のよい医者ではなかったという。 講武所教授 嘉永6年(1853年)、アメリカ合衆国のペリー提督率いる黒船が来航するなど、蘭学者の知識が求められる時代となり、大村は伊予宇和島藩の要請で出仕する。このとき藩主伊達宗城は参勤交代で不在、家老も京都へ出張中であった。宇和島藩の役人たちは、2人扶年10両という低い禄高に決めた。このあと帰ってきた家老は役人たちを叱責し、100石取の上士格御雇へ改めた。役人たちにしてみれば、高待遇との約束で来ていながら、役人に事情も説明せず汚い身なりで現れた益次郎に対して、親切心をもってした待遇であったらしい。 大村は宇和島藩で西洋兵学・蘭学の講義と翻訳を手がけ、安政元年(1854年)から翌安政2年(1855年)には長崎へ赴いて軍艦製造の研究を行った。長崎へは二宮敬作が同行し、文政年間に出島へ来航したドイツ人医師シーボルトの弟子であった敬作から、シーボルトの娘で産科修行をしていた楠本イネを紹介され蘭学を教える。イネは後年大村が襲撃された後、蘭医ボードウィンの治療方針のもとで大村を看護し、最期を看取っている。宇和島では提灯屋の嘉蔵(かぞう)(後の前原巧山)とともに洋式軍艦の雛形を製造する。ただし、わずかな差で国産初ではない。大村はこの謙虚で身分の低いほとんど無学の職人・嘉蔵の才能に驚かされたという。この頃村田蔵六と改名。 安政3年(1856年)4月、江戸に出て「鳩居堂」を開塾して蘭学・兵学・医学を教える。宇和島藩御雇の身分のまま、同時に幕府の蕃書調所教授方手伝となり、月米20人扶持・年給20両を支給される。安政4年(1857年)、幕府の講武所教授となった。万延元年(1860年)、長州藩の要請により江戸在住のまま同藩士となり、扶持は年米25俵。文久2年(1862年)、幕府から委託されて英語、数学を教えていたヘボンのもとで学んだ。 長州征討 文久3年(1863年)、萩へ帰国。西洋学兵学教授となり、博習堂での講義を行う。長州藩ではその風貌から「火吹き達磨」のあだ名を付けられた。このあだ名は周布政之助が付けたとも高杉晋作が付けたとも言われている。長州藩では元治元年(1864年)の第一次長州征伐の結果、幕府へ恭順し保守派が政権を握ったが、慶応元年(1865年)、高杉晋作らが馬関で挙兵して保守派を打倒、藩論を倒幕でまとめた。 高杉らは西洋式兵制を採用した奇兵隊の創設をはじめとする軍制改革に着手、大村にその指導を要請する。桂小五郎(木戸孝允)の推挙により大村は馬廻役譜代100石取の上士となり、藩命により大村益次郎永敏と改名。明倫館兵学寮総官・教授として歩・騎・砲兵士官教育を行った。大村は山口では普門寺を宿舎としていたため、普門寺塾や三兵塾と呼ばれた。大村は西洋兵術書を翻訳したばかりでなく、それを現状に即し実戦に役立つようわかりやすく書き改めた。さらにその教え方も無駄がなく的確であったという。 慶応2年(1866年)、幕府は第二次長州征伐を号令、6月に戦闘が開始される。大村は石州口方面の実戦指揮を担当する。その才能は遺憾なく発揮され、優れた戦術により幕府側をことごとく撃破し、中立的立場を取った津和野藩を通過して浜田まで進撃。浜田城を陥落させた。長州藩の旧知で蘭学者の青木周弼は大村を評して「その才知、鬼の如し」と語ったという。他の戦線でも長州藩は優勢に戦いを進め、事実上の勝利のもとに停戦した。 戊辰戦争 明治元年(1868年)2月、王政復古により成立した明治新政府の軍防事務局判事加勢として朝臣となる。4月には大坂から江戸に進駐し、江戸府判事を兼任する。彰義隊の反乱に対して討伐軍を指揮し、わずか1日でこれを鎮圧する。この上野戦争の軍議で薩摩の海江田信義と対立、西郷が仲介に入る場面があった。この席上で大村が発した「君はいくさを知らぬ」の一言に、海江田信義が尋常ではない怒りを見せたこと等が、海江田による大村暗殺関与説の根拠となっている。 同年5月、鎮台府の民政会計を任される。北関東で幕府残党勢力を鎮圧したのち、新政府軍の総司令官として東北地方、新潟で北部政府(奥羽越列藩同盟)と事実上の“南北戦争”である「東北戦争」を戦った。北部政府の盟主、仙台藩らの降伏後、明治2年(1869年)、函館五稜郭で幕府残党勢力の榎本軍も降伏し、戊辰戦争は終結した。 兵制論争 大村は戊辰戦争での功績により永世禄1500石を賜り、木戸孝允(桂小五郎)、大久保利通と並び新政府の幹部となった。大村は軍制改革の中心を担い、明治2年(1869年)6月には政府の兵制会議で大久保らと旧征討軍の処理と中央軍隊の建設方法について論争を展開している。兵制会議は6月21日から25日にかけて開催された。そこで、藩兵に依拠しない形での政府直属軍隊の創設を図る大村らと、鹿児島(薩摩)・山口(長州)・高知(土佐)藩兵を主体にした中央軍隊を編成しようとする大久保らとの間で激論が闘わされた。 この兵制論争中、6月21日段階での争点は、京都に駐留していた鹿児島・山口・高知藩兵の取り扱いをめぐってのものであった。大村を支持する木戸も論争に加わり彼を援護したが、23日、大久保の主張に沿った形で、京都駐留の三藩兵が「御召」 として東下することが決定され、この問題については大久保派の勝利に終わった。また23日の会議では、先の陸軍編制法の立案者であり、大久保の右腕ともいえる吉井友実も議論に加わり、今後の兵卒素材についての議論も始まった。ここでも大久保・吉井らの主張する「藩兵論」と大村や木戸が主張する「農兵論(一般徴兵論)」が激しく衝突し、議論は翌日も続いた。しかし会議の結果、兵制問題は後日改めて議論することとされ、大村の建軍プランの事実上の凍結が決定され、この日、25日まで続く兵制論争がほぼ決着した。 大村の建軍構想は、この会議の結果、ことごとく退けられることとなった。さらに25日には、大久保が大村の更迭を主張し始めている。憤懣やるかたない大村はほどなく辞表を提出したが、当時の政府内には、軍事に関して大村に代わるべき人物はなかった。そのため木戸も、二官八省への官制改革が行われる前日の7月7日に大村と面会し、彼を慰留するとともに改めて支持を約束し、軍務官を廃して新たに設置される兵部省に出仕することを求めた。その結果として、翌日大村は兵部大輔に就任することとなった。 暗殺 当時の兵部卿(兵部省の最高官)は仁和寺宮嘉彰親王であり、名目上だけの存在であった。大村は事実上、日本陸軍の建設を指導することになる。大村は戊辰戦争で参謀として活躍した「門弟」である山田顕義を兵部大丞に推薦し、彼に下士官候補の選出を委任した。山田は山口藩諸隊からを中心に約百名を選出し、9月5日からは京都に設けられた河東操練所において下士官候補の訓練を開始した。 また大村は、明治2年(1869年)6月の段階で大阪に軍務官の大阪出張所を設置していたが、9月には同じく大阪に兵部省の兵学寮を設けた。このほか京都宇治に火薬製造所を、また大阪に造兵廠(大阪砲兵工廠)を建設することも決定された。このように大村が建軍の中核を東京から関西へと移転させたことについては、大阪がほぼ日本の中心に位置しており、国内の事変に対応しやすいという地理上の理由のほかに、自身の軍制改革に対する大久保派の妨害から脱するという政治的思惑によるものも大きかった。そのほか、大村が東北平定後の西南雄藩の動向を警戒し、その備えとして大阪を重視したとの証言もある。 このように着々と既成事実を構築していた明治2年(1869年)9月4日、大村は京都三条木屋町上ルの旅館で刺客に襲われ重傷を負った。兇徒が所持していた「斬奸状」は、大村襲撃の理由が彼の急進開化主義に対する強い反感にあったことを表している。辛くも一命をとりとめた大村は山口藩邸に移送され、数日間の治療を受けた後、大坂の病院に入院し蘭医ボードウィンの手術を受けるが、11月5日容態が悪化し死去した。享年46。墓所は山口市鋳銭司にあり、靖国神社にも合祀されている。明治21年(1888年)孫(養子の嫡男)の大村寛人は益次郎の功により子爵を授爵、華族に列せられた。 大村の軍制構想は山田顕義、船越衛、曽我祐準、原田一道らによってまとめられ、同年11月18日には兵部少輔久我通久と山田の連署で『兵部省軍務ノ大綱』として太政官に提出されている。大村の「農兵論」は、山田らによって、明治4年(1871年)に徴兵規則(辛未徴兵)の施行によって実行に移されるも、同規則も同年内には事実上廃棄されている。その後、兵部省・陸軍省内の主導権が山田から山縣有朋に移った後、明治6年(1873年)に国民皆兵を謳った徴兵令が制定されることとなる。 人物 維新戦争後に西からの反乱(西南戦争)を予言していたとされる。西郷隆盛を全く評価していなかった1人であり(大隈重信も同様)、西郷を建武の新政で反旗を翻した足利尊氏に見立てていたという。 まだ若かった西園寺公望は大村に師事しており、京都にいた西園寺が大村を訪問しようとしたとき、旧友に会ったために訪問できなくなったところ、そのとき大村は刺客に襲われ、西園寺は巻き込まれずに済んだといわれている。 日本初の軍歌・行進曲とされる、品川弥二郎作詞の「トコトンヤレ節」(宮さん宮さん)の作曲者とも言われている。この曲は、有栖川宮熾仁親王が東征大総督に就任して京都を発った慶応4年2月頃から一斉に歌われるようになったものといわれ、歌詞を刷った刷り物も頒布されて、東征軍将兵のみならず一般民衆にも広められた。 明治2年6月、戊辰戦争での朝廷方戦死者を慰霊するため、東京招魂社(後の靖国神社)の建立を献策している。 大村益次郎に関する碑や像など 靖国神社に大村益次郎の銅像がある(日本初の西洋式銅像)。 大阪市西区江戸堀の江戸堀フコク生命ビル前に「大村益次郎先生寓地址」がある。 大阪市中央区上町交差点に「兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑」がある。 大阪市北区同心町の龍海寺に「大村兵部大輔埋腿骨之地」がある。遺言により師の緒方洪庵の側に片方の足が埋葬されている。 京都府中京区木屋町に大村益次郎遭難の碑がある。 生誕地の鋳銭司村には西南戦争の翌年に顕彰碑が建てられた。 大村益次郎の登場する作品 伝記 丹潔編『大村益次郎』(マツノ書店、1999年) 糸屋寿雄『大村益次郎』(中公新書) 稲葉稔『大村益次郎 軍事の天才といわれた男』(PHP文庫、1998年) 史料 村田峰次郎編『大村益次郎先生事蹟』(マツノ書店、2001年) 内田伸編『大村益次郎文書』(マツノ書店、1977年) 内田伸編『大村益次郎史料』(マツノ書店、2000年) 論文 竹本知行「大村益次郎の建軍構想-『一新之名義』と仏式兵制との関連を中心に-」(『軍事史学』第42巻第1号、2006年) 竹本知行「大村益次郎の遺策の展開-大阪兵学寮の創業-」(『同志社法学』第59巻第2号、2007年) 小説 『花神』(司馬遼太郎)新潮文庫全3巻ほか 『鬼謀の人』(『人斬り以蔵』等に収録、司馬遼太郎)新潮文庫ほか テレビドラマ 『花神』(NHK大河ドラマ)…中村梅之助 『奇兵隊』(日本テレビ年末時代劇スペシャル)…片岡鶴太郎 『翔ぶが如く』(NHK大河ドラマ)…平田満 映画 『長州ファイブ』…原田大二郎 漫画 『風雲児たち』(みなもと太郎) 『陽だまりの樹』(手塚治虫) 『お〜い!竜馬』(武田鉄矢原作、小山ゆう作画) 舞台 『彦馬がゆく』…(三谷幸喜) 関連項目 Template commons? 幕末の人物一覧 中国地方の史跡一覧 外部リンク 大村益次郎 | 近代日本人の肖像 大村益次郎の墓 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月5日 (金) 06 58。
https://w.atwiki.jp/eirei/pages/499.html
橋本左内(はしもと さない)、橋本綱紀日本(越前国)1834~1859統率:C 武力:C 政治:C 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------越前藩士。橋本長綱の子で、橋本綱常の兄。大坂で緒方洪庵などに蘭方医学を学び、藤田東湖、西郷隆盛らと交流する。開国派。由利公正らと共に幕政改革に参画する。将軍継嗣問題では、藩主・松平春嶽を助け、一橋慶喜を推した。後に安政の大獄で逮捕され斬首となった。 橋本実梁(はしもと さねやな)日本1834~1885統率:B 武力:D 政治:C 知力:C 文化:A 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------公家。藤原北家閑院流橋本家19代当主。小倉輔季の子で、橋本実麗の養子となる。侍従として和宮の降嫁に随行した。戊辰戦争では東海道先鋒総督兼鎮撫使として従軍し、江戸城開城の際には勅使を務めた。元老院議官。伯爵。 蜂須賀重喜(はちすか しげよし)日本(阿波国)1738~1801統率:C 武力:D 政治:B 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------徳島藩10代藩主。侍従、阿波守、大炊頭。出羽秋田岩崎藩主・佐竹義道の四男。蜂須賀至央の養子として家督を継ぐ。財政再建として倹約令を施行し、藍の生産を奨励し、役席役高の制、若年寄の創設などを行なった。 蜂須賀斉昌(はちすか なりまさ)日本(阿波国)1795~1859統率:D 武力:D 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------徳島藩12代藩主。蜂須賀治昭の次男。侍従、阿波守。財政難のうえ、幕府から甲斐国の河川の築堤などを命じられた。財政再建のため徳島の特産品の煙草の専売を行ない、煙草御口銀という税を設けた。これにより、一揆が起こり首謀者の処罰が出来ない程だった。 蜂須賀斉裕(はちすか なりひろ)日本(阿波国)1821~1868統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------徳島藩13代藩主。将軍・徳川家斉の22子で、蜂須賀斉昌の養子となり家督を継ぐ。藩政改革を行ない、藩士の知行を三割削減し、領内の特産品である染料と藍を扱う大商人に献金させた。幕末になり、陸軍総裁に任命されるがすぐに廃止される。藩論統一をすることができなかった。阿波守、参議、侍従。 蜂須賀治昭(はちすか はるあき)日本(阿波国)1758~1814統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------徳島藩11代藩主。蜂須賀重喜の長男。侍従、阿波守。 華岡青洲(はなおか せいしゅう)日本(紀伊国)1760~1835統率:D 武力:D 政治:D 知力:A 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------外科医。世界で初めて麻酔を使用した手術(乳癌の手術)を行なった。チョウセンアサガオやトリカブトを配合して麻酔を作り上げた。後に医塾「春林軒」を設立した。 塙保己一(はにわ ほきいち)日本(武蔵国児玉郡)1746~1821統率:B 武力:D 政治:C 知力:B 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------国学者。幼い頃に病を患い視力を失う。江戸に出て雨富須賀一に入門し、検校となり盲人一座の総録職となり、総検校を務めた。『群書類従』、『続群書類従』を編纂した。 原田左之助(はらだ さのすけ)日本(伊予国)1840~1868統率:B 武力:A 政治:E 知力:D 文化:E 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------新選組10番隊組長。宝蔵院流槍術の名手で、谷三十郎からも種田流槍術を教わり免許皆伝。初期から近藤らに従い、芹沢一派の粛清から、池田屋事件、禁門の変、油小路事件と主だった戦いに参加し、鳥羽・伏見の戦いの後も靖兵隊を結成し、彰義隊にも加わった。 樋口一葉(ひぐち いちよう)、樋口奈津日本(東京府東京市)1872~1896統率:D 武力:E 政治:C 知力:B 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------小説家、作家、歌人。近代日本で最初の職業女流作家。近代文学に多大な影響を与えた。代表作に『たけくらべ』、『大つごもり』、『にごりえ』、『十三夜』、『うつせみ』などがある。 土方歳三(ひじかた としぞう)日本(武蔵国多摩郡石田村)1835~1869統率:A 武力:A 政治:A 知力:A 文化:B 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------幕末期の幕臣。実家の石田散薬を売り歩いていたが、天然理心流に入門する。近藤勇と共に浪士組に参加し、後の新選組の副長となり、『鬼の副長』と呼ばれる。新見錦を切腹させ、芹沢鴨を暗殺し、その後も多くの隊士を切腹させ、隊の統制を図った。戊辰戦争でも、会津、函館と戦って散っていった。愛刀は兼定。 平田篤胤(ひらた あつたね)日本1776~1843統率:C 武力:D 政治:C 知力:B 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------国学者、思想家。医師。出羽久保田藩出身で、備中松山藩士の兵学者・平田篤穏の養子となる。儒教や仏教と習合した神道を批判し、独自の神道を打ち立て、平田神道と呼ばれた。死後の魂の行方を知り、心の安定を得なければならないという考えを示し、『幽冥論』と呼ばれた。 広沢真臣(ひろさわ さねおみ)日本(周防国)1834~1871統率:C 武力:C 政治:B 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------長州藩士。明倫館に学び、尊皇攘夷派となる。禁門の変の後、投獄されるが、高杉晋作が藩政を握ると政務を任される。明治維新後は、民部大輔を経て参議を務めたが私邸にて暗殺された。『広沢真臣日記』を残す。 広瀬淡窓(ひろせ たんそう)、広瀬建日本(豊後国日田郡)1782~1856統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------儒学者、詩人、教育者。亀井南冥・昭陽の父子に学ぶ。私塾を開き、入学金を払えば身分関係無く学ぶことができた。後に咸宜園(かんぎえん)と呼ばれた。『約言』、『析玄』、『迂言』などを著した。 福原越後(ふくはら えちご)、福原元僴(ふくはら もとたけ)日本(周防国徳山)1815~1864統率:B 武力:C 政治:A 知力:B 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------長州藩の永代家老。長州藩支藩である徳山藩主・毛利広鎮の六男。後に代々家老を務めた福原親俊の家督を継ぐ。藩主・毛利敬親を補佐し、尊王攘夷運動する。来島又兵衛や久坂玄瑞らと禁門の変を戦うが、負傷して帰国する。後に禁門の変、長州征伐の責任を取らされて自害する。 藤田東湖(ふじた とうこ)、藤田彪日本(常陸国東茨城郡水戸)1806~1855統率:C 武力:C 政治:B 知力:A 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------水戸藩士。水戸学者・藤田幽谷の次男。水戸学の大家として、藤田派を形成する。藩主・徳川斉昭の腹心として藩政改革に成功する。後に幕府海岸防禦御用掛として徳川斉昭を補佐するが、安政の大地震の際、家屋の下敷きとなって亡くなる。『水戸の三田』に数えられる。『常陸帯』、『弘道館述義』などを著する。 藤本鉄石(ふじもと てっせき)、藤本真金日本(備前国御野郡)1816~1865統率:B 武力:C 政治:B 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------維新志士、画家。岡山藩を脱藩して書や画を学んで諸国を遊歴した。京都で私塾を開き、清河八郎ら尊攘派と交友を結んだ。後に中山忠光の天誅組に参加し、総裁の一人を務めたが幕府軍の追討を受けて戦死した。 船津伝次郎(ふなつ でんじろう)日本(上野国)1832~1898統率:B 武力:C 政治:C 知力:B 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------農業研究家。名主として名望を集め、明治維新後は中央に招かれ農業技術の改良に勤しんだ。従来の農法に西洋農法を折衷した船津農法を提案し、明治の三老農の一人に数えられる。 古高俊太郎(ふるたか しゅんたろう)、枡屋喜右衛門日本(近江国栗太郡古高村)1829~1864統率:C 武力:D 政治:C 知力:B 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------攘夷派の志士。古高周蔵の子。京の諸藩御用達・枡屋を継ぐ。宮部鼎蔵らと交流し、長州の間者に武器や情報を流していた。しかし、新撰組に踏み込まれ、武器弾薬、諸藩浪士との書簡や血判書などが押収された。さらに、近藤勇、土方歳三から直に拷問されて池田屋の会合を自白させられた。 逸見宗助(へんみ そうすけ)日本(下総国)1843~1894統率:C 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------佐倉藩士。剣術家で家伝の立身流剣術を学ぶ。明治維新後は警察官となり、警視庁の撃剣世話掛を務めた。専務教師として警視流剣術・居合・柔術を制定した。 北条氏昉(ほうじょう うじあきら)日本(河内国)1760~1811統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------狭山藩8代藩主。北条氏彦の長男。相次ぐ打ちこわしの対策のため、軍用方を設置する。しかし、軍備増強と天明の大飢饉が重なり、藩財政が悪化してしまう。駿府加番を務める。相模守。 北条氏喬(ほうじょう うじたか)日本(河内国)1785~1846統率:C 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------狭山藩9代藩主。北条氏昉の長男。相次ぐ外国船来航の対策のため、幕府より摂津・和泉方面の海防を任される。また、大塩平八郎の乱では大坂城の警備を務めた。藩財政の再建のため、倹約、上米の強化を行なったが、家臣団から不満が起こり、隠居することになった。相模守、遠江守。 北条氏久(ほうじょう うじひさ)日本1816~1852統率:C 武力:D 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------狭山藩10代藩主。美濃国大垣藩主・戸田氏庸の三男。先代藩主・北条氏喬の養子となって家督を継ぐ。軍備を増強し、農民を兵士に徴兵する農兵を創設した。その見返りとして苗字帯刀を常時許し、賃金もある程度支払うことを容認した。相模守。 北条氏燕(ほうじょう うじよし)日本1830~1891統率:C 武力:C 政治:B 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------狭山藩11代藩主。9代藩主・北条氏喬の弟、北条氏迪の次男。先代の北条氏久の養子となって家督を継ぐ。プチャーチンの大坂来航の際に大坂警備を務め、駿府加番も務めた。藩財政再建のため、上米や高野豆腐の専売化、有能な人材登用を行ない、藩校・簡文館の再興に務めた。伊勢守、遠江守。子爵。 堀田正睦(ほった まさよし)、堀田正篤日本1810~1864統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------佐倉藩5代藩主。堀田正時の次男で、前藩主・堀田正愛の養子となる。寺社奉行、大坂城代を経て老中となる。蘭学を奨励し、順天堂を開かせた。一時老中を退くが、安倍正弘の要請で老中首座となる。朝廷から日米修好通商条約の勅許を得られず、また、大老に就任した井伊直弼によって老中を罷免された。 堀 親寚(ほり ちかしげ)日本(信濃国)1786~1849統率:C 武力:D 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------飯田藩9代藩主。6代藩主・堀親長の四男で、堀親忠、堀親民の実弟。先代の堀親民が亡くなると養子となって家督を継ぐ。奏者番、寺社奉行、若年寄、老中などを歴任して、加増もされた。しかし、水野忠邦の失脚に連座して老中を罷免された。大和守。 堀親長(ほり ちかなが)日本(信濃国)1739~1808統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------飯田藩6代藩主。堀親蔵の嫡男。大和守。大坂城加番、駿府城加番などを務めた。藩政は安定せず、藩政改革の反対にあった。 堀親広(ほり ちかひろ)日本(信濃国)1849~1899統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------飯田藩10代にして最後の藩主。分家である旗本・堀親郷の子。堀親義の養子となり、家督を継ぐ。美濃守。版籍奉還により飯田藩知藩事に任命される。後に警視庁十五等として出仕し、権少警部となる。 堀親義(ほり ちかよし)日本(信濃国)1814~1880統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------飯田藩9代藩主。堀親?の長男。奏者番、寺社奉行、講武所奉行などを歴任した。若狭守、右近将監、兵庫頭、石見守、大和守、左衛門尉。領内に侵入した水戸藩・武田耕雲斎の天狗党に対して何の対策を取らなかったため減封された。その後、京都見廻役を務めた。 堀直方(ほり なおかた)日本(越後国)1767~1805統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------村松藩7代藩主。5代藩主・堀直堯の長男・堀直泰の長男。左京亮。 堀直教(ほり なおのり)日本(越後国)1761~1812統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------村松藩6代藩主。堀直堯の六男。左京亮、丹波守。 堀直央(ほり なおひで)、堀庸信日本(越後国)1797~1861統率:C 武力:D 政治:C 知力:A 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------村松藩9代藩主。堀直方の三男で、堀直庸の弟。家老の堀玄蕃が財政改革で百姓収奪を行なったため藩内全土で百姓一揆が起こった。後に藩政の主導権を握ると、文武を奨励し、農村経済発達による専売制導入や流通整備による藩収増加など、財政再建にも力を注いだ。また、官営殖産興業の発展にも尽力した。 堀直庸(ほり なおやす)日本(越後国)1791~1805統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------村松藩8代藩主。堀直方の次男。丹後守。 堀直休(ほり なおやす)日本(越後国)1836~1860統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------村松藩10代藩主。堀直央の次男。丹波守。父の藩政改革を引き続き推進した。 本願寺広如(ほんがんじ こうにょ)、光澤日本1798~1871統率:A 武力:C 政治:A 知力:B 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------浄土真宗本願寺第20世法主。大僧正。顕証寺の近松暉宣の次男で、本願寺文如の孫に当たる。伯父の本如の養子となり門跡を継ぐ。幕末期に勤皇の立場を示し、『御遺訓御書』を残し、教団の方針を徹底した。朝廷への献金、北海道への開教などを行ない、禁門の変では長州藩士を匿った。 本願寺本如(ほんがんじ ほんにょ)日本1778~1826統率:B 武力:C 政治:B 知力:B 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------浄土真宗本願寺第19世法主。本願寺文如の次男。本願寺史上最大の法論だった「三業惑乱」の裁断に際して、『御裁断御書』を発表して事態の収拾に努めた。
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/175.html
大川周明『清河八郎』 登場キャラ一覧(全) ※ 没年順。 ※ Wikipedia 各項目にリンク。 孔子 こうし 前551-前479 蘇秦 そしん ?-前317 中国、戦国時代の縦横家。洛陽の人。 張儀 ちょうぎ ?-前310 中国の戦国時代の縦横家。魏の人。 項羽 こうう 前232-前202 秦末の武将。下相(江蘇宿遷)。 孔明 こうめい 181-234 諸葛亮。 顔真卿 がん しんけい 709-785 唐の忠臣・書家。顔之推5世の孫。 岳飛 がくひ 1103-1141 南宋の武将。字は鵬挙。河南湯陰の人。 源義経 みなもとの よしつね 1159-1189 義朝の9男。 北畠顕家 きたばたけ あきいえ 1318-1338 南北朝時代の公家。親房の長子。 後醍醐天皇 ごだいご てんのう 1288-1339 後宇多天皇の第2皇子。 足利尊氏 あしかが たかうじ 1305-1358 室町幕府将軍。 加藤清正 かとう きよまさ 1562-1611 尾張。豊臣秀吉の臣。 徳川家康 とくがわ いえやす 1542-1616 徳川初代将軍。 荒木又右衛門 あらき またえもん 1599-1638 剣客。伊賀荒木村生れ。 国包 くにかね 1592-1664 江戸初期、仙台藩の刀工。 松平忠輝 まつだいら ただてる 1592-1683 上総介。徳川家康の六男。 高山彦九郎 たかやま ひこくろう 1747-1793 尊王家。上州。 頼山陽 らい さんよう 1780-1832 儒学者。大坂生れ。 大塩平八郎 おおしお へいはちろう 1793-1837 大坂町奉行所の与力。 仁孝天皇 にんこう てんのう 1800-1846 光格天皇の第6皇子。 斎藤熊二郎 さいとう くまじろう 1836-1848 熊次郎。八郎の弟。病死。 国定忠次 くにさだ ちゅうじ 1810-1850 侠客。上州国定村生れ。 篠崎小竹 しのざき しょうちく 1781-1851 儒学者・漢詩人。大坂の人。 水野忠邦 みずの ただくに 1794-1851 幕府老中。 徳川家慶 とくがわ いえよし 1793-1853 徳川第12代将軍。 千葉周作 ちば しゅうさく 1794-1855 北辰一刀流の開祖。陸奥栗原郡。 藤田東湖 ふじた とうこ 1806-1855 儒学者。水戸藩士。 広瀬淡窓 ひろせ たんそう 1782-1856 儒学者。豊後日田。 東条一堂 とうじょう いちどう 1778-1857 儒学者。上総の人。 梁川星巌 やながわ せいがん 1789-1858 漢詩人。美濃の人。 ペリー Matthew Calbraith Perry 1794-1858 アメリカ海軍軍人。 月照 げっしょう 1813-1858 歌僧。大坂の人。京都清水寺成就院の住職。 徳川家定 とくがわ いえさだ 1824-1858 徳川第13代将軍。家慶の4男。 三条実万 さんじょう さねつむ 1802-1859 公卿。父は三条公修。 吉田松陰 よしだ しょういん 1830-1859 長州藩士。 安積艮斎 あさか ごんさい 1791-1860 儒学者。陸奥安積(福島県)の人。 徳川斉昭 とくがわ なりあき 1800-1860 水戸藩主。諡号、烈公。 井伊直弼 いい なおすけ 1815-1860 大老。彦根藩主。 佐野竹之助 さの たけのすけ 1839-1860 竹之介か。水戸浪士。 斎藤昌義 さいとう 〓 ?-1860 信精。清川出身。八郎の祖父。 西川練造 にしかわ れんぞう 1817-1861 川越(入間郡小仙波)生まれ。 北有馬太郎 〓 1827-1861 肥前有馬出身。本名、中村貞太郎。 有賀半弥 ありが はんや 1830-1861 水戸藩士。 ヒュースケン Henry Conrad Joannes Heusken 1832-1861 アムステルダム生まれ。 田中河内介 たなか かわちのすけ 1815-1862 但馬出石(兵庫)出身。 長野主膳 ながの しゅぜん 1815-1862 国学者。大老・井伊直弼の参謀。 有馬新七 ありま しんしち 1825-1862 薩摩藩伊集院郷。 田中謙助 たなか けんすけ 1828-1862 薩摩藩士。 海賀宮門 かいが みやと 1834-1862 筑前秋月藩士。 本間精一郎 ほんま せいいちろう 1834-1862 越後国三島郡寺泊(長岡市)出身。 柴山愛次郎 しばやま あいじろう 1836-1862 薩摩藩士。 蓮 れん 1839-1862 本名、菅原高代(たかよ)。熊出村(現、鶴岡市)出身。 橋口壮介 はしぐち そうすけ 1841-1862 薩摩藩士。 森山新五左衛門 もりやま しんござえもん 1843-1862 薩摩志士。 島田正辰 しまだ まさたつ ?-1862 九条家・家令。島田左近。 道島五郎兵衛 みちしま ごろうびょうえ ?-1862 薩摩藩士。名は正邦。 貫名海屋 ぬきな かいおく 1778-1863 書家。幕末の三筆の一人。 広瀬旭荘 ひろせ きょくそう 1807-1863 漢詩人。豊後日田。 塙忠宝 はなわ ただとみ 1808-1863 国学者。塙保己一の四男。 藤本鉄石 ふじもと てっせき 1816-1863 岡山藩士。通称、津之助。 長井雅楽 ながい うた 1819-1863 長州藩士。 祐天仙之助 ゆうてん せんのすけ 1820頃-1863 侠客。駿河もしくは甲州の生まれ。別名山本仙之助。 美玉三平 みたま さんぺい 1822-1863 薩摩。美玉親輔。 芹沢鴨 せりざわ かも 1827?-1863 水戸藩浪士。 清河八郎 きよかわ はちろう 1830-1863 名は正明。出羽。斎藤元司。 間崎哲馬 まさき てつま 1834-1863 土佐藩士。号、滄浪。 福原乙之進 ふくはら おとのしん 1837-1863 長州藩士。 吉村虎太郎 よしむら とらたろう 1837-1863 寅太郎。土佐。 宮地正寛 みやじ まさひろ 1838-1863 土佐。宜蔵。 姉小路公知 あねがこうじ きんとも 1839-1863 公家。 竹志田熊雄 たけした くまお 1846-1863 玉名郡大浜町の人。 清水群治 しみず 〓 1796-1864 書家。郡治か。鶴岡天神町。 後藤松陰 ごとう しょういん 1797-1864 堀田正睦 ほった まさよし 1810-1864 幕府老中。下総佐倉藩主。 真木保臣 まき やすおみ 1813-1864 久留米水天宮祠官、久留米藩士。 是枝柳右衛門 これえだ りゅうえもん 1817-1864 薩摩谷山郷。 宮部鼎蔵 みやべ ていぞう 1820-1864 肥後生れ。 安積五郎 あさか ごろう 1828-1864 飯田武貞。「あづみ」か。 平野国臣 ひらの くにおみ 1828-1864 福岡藩足軽。通称、次郎。 酒井伝次郎 さかい でんじろう 1838-1864 久留米藩士。 原道太 はら どうた 1838-1864 久留米藩士。総奉行付属。 村上俊五郎 むらかみ しゅんごろう 1838?-1864 阿波の人。下総神崎。 久坂玄瑞 くさか げんずい 1840-1864 長州藩士。 内田弥三郎 うちだ やさぶろう 1841-1864 肥後玉名郡安楽寺村の人。 寺島忠三郎 てらしま ちゅうざぶろう 1843-1864 長州藩士。 田中愿蔵 たなか げんぞう 1844-1864 常陸久慈郡東蓮池村出身。 飯居簡平 いいおり かんぺい ?-1864 備前出身。医師。 伊達鴨蔵 だて かもぞう 1796-1865 能書家。庄内。 坊城俊克 ぼうじょう としかつ 1802-1865 公家。中納言。議奏。 武田耕雲斎 たけだ こううんさい 1804-1865 水戸藩士。 下野隼二郎 しもの はやじろう 1823-1865 水戸藩士。 永鳥三平 ながとり さんぺい 1824-1865 肥後玉名郡生まれ。大成の弟。 宮本辰之助 みやもと たつのすけ 1833-1865 水戸藩士。 藤田小四郎 ふじた こしろう 1842-1865 水戸。藤田東湖の四男。 孝明天皇 こうめい てんのう 1831-1866 仁孝天皇の第4皇子。 徳川家茂 とくがわ いえもち 1846-1866 徳川第14代将軍。紀州藩主斉順の長子。初名、慶福。 草場珮川 くさば はいせん 1788-1867 漢詩人。号はのち佩川。肥前の人。 松村大成 まつむら たいせい 1808-1867 肥後熊本藩の家老有吉氏の臣。 住谷寅之介 すみや とらのすけ 1818-1867 水戸藩士。 金子与三郎 かねこ よさぶろう 1823-1867 上山藩士。 琳瑞 りんずい 1830-1867 浄土宗の僧。所静院住職。出羽国村山郡谷地生まれ。 淵上郁太郎 ふちがみ いくたろう 1837-1867 筑後八女郡水田村(福岡県)生まれ。 鷹司政通 たかつかさ まさみち 1789-1868 公家。 水野行蔵 みずの こうぞう 1819-1868 本名、上野禎蔵。庄内藩。 小栗上野介 おぐり こうずけのすけ 1827-1868 旗本。名は忠順。 伊牟田尚平 いむた しょうへい 1832-1868 薩摩藩士。肝付氏の家臣。 徳川慶篤 とくがわ よしあつ 1832-1868 常陸国水戸藩10代藩主。水戸徳川家9代徳川斉昭の長男。 佐々木只三郎 ささき たださぶろう 1833-1868 旗本、京都見廻組隊士。 近藤勇 こんどう いさみ 1834-1868 新撰組局長。武蔵。 益満休之助 ますみつ きゅうのすけ 1841-1868 鹿児島市高麗町生まれ。 大川平兵衛 おおかわ へいべえ ?-1868 飯岡村の富豪。酔山か。 鵜殿鳩翁 うどの きゅうおう 1808-1869 幕臣。名は長鋭。 横井小楠 よこい しょうなん 1809-1869 儒学者・開国論者。熊本藩士。 土方歳三 ひじかた としぞう 1835-1869 剣客。武蔵多摩。 池田修理 いけだ 〓 1838-1869 長発。幕府目付。 小松帯刀 こまつ たてわき 1835-1870 薩摩藩家老。名は清廉。 九条尚忠 くじょう ひさただ 1798-1871 公家。関白。 大場一真斎 おおば いっしんさい 1803-1871 水戸藩家老。 斎藤治兵衛 さいとう ちべえ/じへえ 1810-1871 雷山・豪寿。清川村。清河八郎の父。 安藤信正 あんどう のぶまさ 1819-1871 老中。陸奥磐城平藩主。 毛利敬親 もうり たかちか 1819-1871 長州藩主。慶親。 岩垣月州 いわがき げっしゅう 1808-1873 岡村六蔵。京都の儒者。 酒井忠義 さかい ただあき 1813-1873 若狭国小浜藩主。京都所司代。 轟武兵衛 とどろき ぶへい 1818-1873 熊本藩士。 渡辺彦右衛門 わたなべ ひこえもん 1804-1874 豊後、岡藩。彦九郎か。 池田徳太郎 いけだ とくたろう 1831-1874 芸州広島藩浪人。 桜田良佐 さくらだ りょうさ 1797-1876 仙台藩。兵具奉行・養賢堂指南役。 愛敬佐司馬 あいけい 〓 1831-1876 正元か。肥後熊本の祠官。 太田黒伴雄 おおたぐろ ともお 1835-1876 大野鉄兵衛。肥後藩士。 大山綱良 おおやま つなよし 1825-1877 薩摩藩士。 和宮 かずのみや 1846-1877 将軍家茂の夫人。仁孝天皇の第8皇女。孝明天皇の妹。 小寺玉晁 おでら ぎょくちょう 1800-1878 尾張の戯作者。 ハリス Townsend Harris 1804-1878 アメリカの外交官。 鷹司輔煕 たかつかさ すけひろ 1807-1878 公卿。 窪田鎮勝 くぼた しげかつ 1808-1878 旗本。通称治部右衛門。 大久保利通 おおくぼ としみち 1830-1878 薩摩藩士。旧名、一蔵。 大原重徳 おおはら しげとみ 1801-1879 公家。京都生れ。 畑田安右衛門 はただ やすえもん ?-1879 清川の関所役人。 白石正一郎 しらいし しょういちろう 1812-1880 商人。長門国赤間関竹崎。 大岡忠恕 おおおか ただゆき/ただのり ?-1880 武蔵国岩槻藩主。 中山忠愛 なかやま ただなる 1832-1882 公卿。忠能の嫡子。 岩倉具視 いわくら ともみ 1825-1883 公家。京都生れ。 間部詮勝 まなべ あきかつ 1802-1884 幕府老中。越前鯖江藩主。 小河一敏 おごう かずとし 1813-1886 豊後、岡藩士。 黒田長溥 くろだ ながひろ 1811-1887 福岡藩主。薩摩藩主・島津重豪の十三男。 島津久光 しまづ ひさみつ 1817-1887 大名。薩摩藩主斉彬の異母弟。 伊地知貞馨 いぢち さだか 1826-1887 官僚。薩摩藩。 中山忠能 なかやま ただやす 1809-1888 公家。明治政府の議定。 山岡鉄舟 やまおか てっしゅう 1836-1888 小野高歩。鉄太郎。江戸生れの幕臣。 板倉勝静 いたくら かつきよ 1823-1889 奏者番・寺社奉行・老中首座。備中松山藩主。 松平慶永 まつだいら よしなが 1828-1890 福井藩主。号は春岳。 松村深蔵 まつむら しんぞう 1837-1890 新造。肥後高瀬。大成の息。 斎藤熊三郎 さいとう くまさぶろう 1839-1890 八郎の弟。雷山の三男。 西村敬蔵 にしむら けいぞう 1813-1891 但馬の郷士。 小笠原長行 おがさわら ながみち 1822-1891 大名。老中、外国事務総裁。 朝彦親王 あさひこ しんのう 1824-1891 伏見宮邦家親王第4王子。尊融。粟田宮。 三条実美 さんじょう さねとみ 1837-1891 公家・政治家。実万の子。 松岡万 まつおか よろず/つもる/むつみ 1838-1891 幕臣。 和田理一郎 わだ 〓 ?-1895 中彦(なかひこ)か。儒者。出羽庄内。 川田甕江 かわた おうこう 1830-1896 漢学者。備中国浅口郡生まれ。 川上彦斎 かわかみ げんさい 1834-1897 本名、高田源兵。肥後熊本藩士。 近衛忠煕 このえ ただひろ 1808-1898 公卿。公武合体派として活動。 遠藤文七郎 えんどう 〓 1836-1899 仙台家老。允信。 杉浦梅潭 すぎうら ばいたん 1826-1900 幕臣。箱根奉行。 品川弥二郎 しながわ やじろう 1843-1900 長州藩士。 石坂周造 いしざか しゅうぞう 1832-1903 彦根藩士。近江国生まれ。 高橋泥舟 たかはし でいしゅう 1835-1903 幕臣。 井伊直憲 いい なおのり 1848-1904 彦根藩主。直弼の次男。 本多親雄 ほんだ ちかお 1829-1909 薩摩藩士。京都藩邸の留守居兼目付役。 徳川慶喜 とくがわ よしのぶ 1837-1913 徳川第15代将軍。徳川斉昭の7男。 堀真五郎 ほり しんごろう 1838-1913 長州藩士。 中村維隆 なかむら これたか 1841-1917 相馬中村藩士。 奈良原繁 ならはら しげる 1834-1918 薩摩藩出身。通称喜八郎。 松平信庸 まつだいら のぶつね 1844-1918 出羽上山藩第9代主。 藤沢南岳 ふじさわ なんがく 1842-1920 儒学者。讃岐生まれ。 八代六郎 やしろ ろくろう 1860-1930 政治家。海軍大将。愛知県犬山市出身。 須田古龍 すだ? 〓 1866-1945 文太郎。酒田。 大川周明 おおかわ しゅうめい 1886-1957 山形県生れ。 安岡正篤 やすおか まさひろ 1898-1983 現、大阪市中央区生まれ。 小野朝右衛門 〓 ?-1852? 高福。御蔵奉行。鉄舟の父。飛騨郡代。 中条信礼 ちゅうじょう のぶのり 1812-? 高家旗本。 井樋五郎兵衛 〓 政之允の子。 井樋政之允 〓 水戸領小瀬。 岡部正蔵 〓 相馬。伊牟田の親友。 加藤条右衛門 〓 豊後。 笠井伊蔵 〓 八郎の門弟。咸臨丸で渡米。勝呂村石井生まれ。 喜七 〓 深川堀江町の米屋。 菊池寛三郎 〓 水戸。安積艮斎の同門。兄は善左衛門。 菊池善左衛門 〓 寛三郎の兄。 吉松緑太郎 〓 土佐。 朽葉新吉 〓 口葉。上州浪人。岡田周蔵。 金治 〓 八郎の伯父。 熊谷蔵 〓 奥州一ノ関の剣客。 原田郷兵衛 〓 鹿児島城下。飛脚の定宿。 古渡理兵衛 〓 常陸か。磯浜の名主。 戸田某 〓 相馬中村。 江田大之進 〓 重威。南部遠野。安積艮斎の同門。 高城丹後 〓 仙台小船越の名族。桜田の剣術の高弟。 黒川一郎 〓 庄内藩国屋敷、留守居。 阪本彦左衛門 〓 薩摩。脱藩。 山口徳之進 〓 陸軍大将、明治天皇侍従武官長。 山本四郎 〓 薩摩。脱藩。 獅子目真覚院 〓 伊牟田尚平の弟。 七兵衛 〓 二条河原の刀屋。宿屋。 春風治次 〓 畑谷城主。 小栗篤三郎 〓 八郎の弟子。 小森正造 〓 但馬出石郡香住村の医師。田中河内介の父。 小滝外記 〓 〓〓 小野房五郎 〓 蒲生村。戸津宗之進の甥。 星野彦七 〓 天童。安積艮斎の同門。 西恭助 〓 相馬中村。 浅野備前守 〓 奉行。 草野剛三 → 中村維隆 〓 増戸武兵衛 〓 上ノ山藩士。 多賀隼人 〓 小笠原の重役。 大薩 〓 名古屋の大光院住職。 沢村九門 〓 熊本。 谷元作之助 〓 薩摩。巡察役人。 辻 〓 庄内藩郡代。 渡辺彦左衛門 〓 土橋鉞四郎 〓 福本村。山岡鉄舟の親友。甲府尊攘党の首領。 土佐道俊 〓 藤島城主。 土佐民部 〓 道俊の子。 樋口観生 → 樋口観照か 〓 尾高長七郎 〓 矢斗村。笠井伊蔵の旧知。 本間主馬 〓 根岸。 末松源太郎 〓 肥後か。 目沢真弓 〓 江田大之進の娘。 弥右衛門 〓 伯父。 有吉氏 〓 肥後熊本藩の家老。有吉将監。 井樋昆 〓 こん 政之允の妻。 山本仙之助 → 祐天仙之助 〓 せんのすけ 山田大路親彦 〓 ちかひこ 陸奥守。薩摩の神職。 神田橋直助 〓 なおすけ 薩藩。名は義徳。世臣関山糺の家来。 愛敬左司馬 あいけい 〓 愛敬左次馬 あいけい 〓 安積光徳 あさか 〓 足利氏 あしかが 〓 阿蘇維善 あそ これはる? 阿蘇大宮司。 指宿三次 いぶすき? 〓 薩摩。脱藩。 岩垣章次郎 いわがき 〓 医師。 大岡兵庫頭 → 大岡忠恕 おおおか 〓 大久保甲東 → 大久保利通 おおくぼ 〓 大鳥居敬太 おおとりい 〓 理兵衛。啓太夫。水田天満宮の神主。 大野鉄兵衛 → 太田黒伴雄 おおの てつべえ 大場一心斎 → 大場一真斎か おおば いっしんさい 大山格之助 → 大山綱良 おおやま 〓 小笠原加賀守 おがさわら 〓 旗本。 小笠原閣老 → 小笠原長行か おがさわら 〓 小笠原氏 おがさわら 〓 小河弥右衛門 → 小河一敏 おごう 〓 梶村李北 かじむら? 〓 賀陽宮 かやのみや 川田剛 → 川田甕江 かわた ごう 神戸六郎 かんべ 〓 草場佩川 → 草場珮川 くさば はいせん 国定忠治 → 国定忠次 くにさだ ちゅうじ 久邇宮朝彦親王 くにのみや あさひこしんのう 窪田千太郎 くぼた 〓 窪田治部右衛門 → 窪田鎮勝 くぼた じぶえもん 嵩春斎 こう しゅんさい 篆刻家。「かさみ」か。 斎藤家 さいとう いえ? 八郎の妹。 斎藤亀代 さいとう かめよ 雷山の妻。鶴岡の豪商三井弥吉の三女。 斉藤清明 さいとう きよあき 辰の孫。妹の栄子は柴田錬三郎の妻。 斎藤熊次郎 → 斎藤熊二郎 さいとう くまじろう 斎藤外記 さいとう げき 斎藤家の祖。 斎藤辰 さいとう たつ? 辰代。八郎の妹。 酒井侯 さかい 〓 酒井若狭守 → 酒井忠義か さかい 〓 酒井若州 → 酒井忠義 さかい 〓 酒井所司代 さかい 〓 桜田敬助 さくらだ 〓 仙台藩。桜田良佐の息。 三条実愛 さんじょう 〓 島田左近 → 島田正辰 しまだ さこん 島津周防 → 島津久光 しまづ 〓 下野準二郎 → 下野隼二郎か しもの 〓 青蓮院宮 しょうれんいんのみや 久邇宮朝彦親王か。 角照三郎 すみ 〓 真木保臣の使者。 住谷寅之助 → 住谷寅之介か すみや とらのすけ 高久安次郎 たかく 〓 鷹司 → 鷹司政通か たかつかさ 〓 徳川慶福 → 徳川家茂 とくがわ よしとみ 戸津宗之進 とづ 〓 仙台藩の軍馬師匠。 中山家 → 中山忠能 なかやま 〓 中山周助 なかやま 〓 長光 ながみつ 鎌倉後期、備前長船の刀工。 奈良原喜八郎 → 奈良原繁 ならはら 〓 西川錬造 → 西川練造か にしかわ れんぞう 橋口壮助 → 橋口壮介か はしぐち そうすけ 塙二郎 → 塙忠宝か はなわ 〓 塙次郎 → 塙忠宝 はなわ じろう 樋渡八兵衛 ひわたり? 〓 薩藩。 藤田彪 → 藤田東湖 ふじた たけし 藤本昇 ふじもと 〓 藤本真金 → 藤本鉄石 ふじもと 〓 堀田正篤 → 堀田正睦 ほった まさひろ 本多弥右衛門 → 本多親雄か ほんだ 〓 坊城按察使 → 坊城俊克か ぼうじょう あぜち 真木主馬 まき 〓 水天宮の神主。真木の嫡子。 真木和泉守 → 真木保臣 まき 〓 益満新八郎 → 益満休之助 ますみつ 〓 松平五郎太夫 まつだいら 〓 相馬中村。 松平山城守 まつだいら 〓 上之山城主。 松平春嶽 → 松平慶永 まつだいら 〓 松平忠敏 まつだいら 〓 主税介。忠輝の七代の孫。 松平主税介 → 松平忠敏 まつだいら ちからのすけ 三井弥兵衛 みつい 〓 八郎の伯父。 三井氏 みついし 鶴岡。 宮地宜蔵 → 宮地正寛 みやじ ぎぞう 柳沢 やなぎさわ 江戸時代の譜代大名。 山岡静山 やまおか 〓 講武所の師範。 山岡桂 やまおか けい 英の妹。石坂周造の夫人。 山岡鉄太郎 → 山岡鉄舟 やまおか てつたろう 山岡英 やまおか ふさ 静山の娘。 横山華谿 よこやま かけい 画家。書家。 吉田寅次郎 → 吉田松陰 よしだ 〓 吉村寅太郎 → 吉村虎太郎 よしむら とらたろう 依田哲二郎 よだ? 〓 来国俊 らい くにとし 鎌倉後期、山城の刀工。 烈公 → 徳川斉昭 れっこう 粟田宮 → 朝彦親王か 安藤対馬守 → 安藤信正 井伊掃部頭 → 井伊直憲か 井上 一橋慶喜 → 徳川慶喜 稲熊力之助 永井寅之助 岡村六蔵 → 岩垣月州 岡田信濃守 岡田六蔵 家永某 鬼王丸 菊池某 近衛 → 近衛忠煕か 九条関白 → 九条尚忠 広瀬六兵衛 高家中務大輔 → 中条信礼か 高久保二郎 高橋精一郎 → 高橋泥舟 高橋夫人 高城氏 → 高城丹後 黒田斎博 → 黒田長溥(斉溥)か 笹原 三条 三条中納言 → 三条実美か 山田大路 → 山田大路親彦 姉小路 → 姉小路公知か 柴田吉五郎 小寺玉晃 → 小寺玉晁か 小野氏 → 小野朝右衛門 庄内侯 松沢良策 上野禎蔵 → 水野行蔵 真田侯 水野越前守 → 水野忠邦か 杉浦八郎 西恭輔 西村伴之助 隣家。 石原 庄内藩家老。 仙台公 速見又四郎 大阪屋太助 大松氏 大谷雄蔵 → 清河八郎 竹下熊雄 → 竹志田熊雄か 中条金之助 中村平助 中島文吉 京都の書家。 堤松左衛門 田中氏 中山家の諸大夫。 田中愿三 → 田中愿蔵か 水戸。 登弥太 隣家。 藤井 日下部達三 → 清河八郎 日尾荊山 儒者。 入江晋吾 白井庄兵衛 板倉閣老 → 板倉勝静か 品川弥次郎 → 品川弥二郎か 平野二郎国臣 → 平野国臣 堀二郎 → 堀次郎(伊地知貞馨)か 本多 → 本多弥右衛門(親雄)か 毛利侯 → 毛利敬親か 柳氏 頼立斎 頼聿庵 鈴木善之允 ◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)、『幕末人名事典』、『日本女性人名辞典』(日本図書センター、1993.6.)、『清河八郎グラフィティ』山形県立川町役場(平成9.1)、『新編 庄内人名辞典』、『清河八郎の明治維新』高野澄(日本放送出版協会、2004.3)、『清河八郎』小山松勝一郎(新人物往来社、1974.2)。 2010.4.17:公開 2010.5.26:更新 しだひろし/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/mavo/pages/47.html
(2013-05-22 )広瀬快 「無用な風景」 (2014-02-15 )広瀬快 「彼女たちの葬式」 (2014-04-03 )広瀬快 「痔」 (2014-11-01 )広瀬快 「ミルクキャラメル」
https://w.atwiki.jp/pam-iwate/pages/2758.html
広瀬川 「杜の都 仙台」の観光では、必ず広瀬川を渡ります。 渡るだけではもったいない!広瀬川の近くには、観光ツアーでは寄ることの少ない仙台の見所があり、上流・中流・下流それぞれ違った魅力があります。 初めて仙台に来る方も、そうでない方も、足を運べばきっと新しい発見と感動があるはずです。 〈広瀬川ホームページより引用〉 仙台市建設局百年の杜推進部 河川課 広瀬川創生室(市役所本庁舎内) 〒980−8671 宮城県仙台市青葉区国分町3丁目7番1号 TEL:022−214−8327 FAX:022−268−4312 パンフレット 広瀬川マップ ※画像をクリックするとリンクします。 ホームページ http //www.hirosegawa-net.com/ 〈ブログ〉 広瀬川ブログ http //www.hirosegawa-net.com/blog_top/index.html キッズ広瀬川 http //www.hirosegawa-net.com/kids/index.html 芋煮会(仙台市) http //blogs.yahoo.co.jp/fugutabetai77/52516641.html 仙台 http //blogs.yahoo.co.jp/riqw77592132002/28786429.html 仙台の秋の風物詩「芋煮会」 http //blogs.yahoo.co.jp/hitounimegumare/26777240.html 滑り出し順調な火曜日! http //blogs.yahoo.co.jp/home_saku/52483329.html 仙台近郊、秋保と作並の滝景色 http //blogs.yahoo.co.jp/hitounimegumare/26717929.html 青葉山から広瀬川河畔を散策 http //blogs.yahoo.co.jp/natty_nanoda/54240318.html 201110 広瀬川上流のSUNSET http //blogs.yahoo.co.jp/izc00457/36298669.html 新・ウソップ物語「うさぎとカメ」 http //blogs.yahoo.co.jp/hitounimegumare/26431442.html 2011.09.23 宮城県仙台市広瀬川水系 http //blogs.yahoo.co.jp/iwasiroiwana/35440679.html 8/16 夏休み 続き BBQへ http //blogs.yahoo.co.jp/keitamama0903/52073977.html 広瀬川灯ろう流しと花火大会☆ http //blogs.yahoo.co.jp/akemi_0604/28411521.html 第22回広瀬川灯籠流し http //blogs.yahoo.co.jp/namiki21kamiiida/33613190.html 灯ろう流し http //blogs.yahoo.co.jp/funn1049/28358539.html きやすめグラフィティー http //blogs.yahoo.co.jp/japaninstaizu/37816024.html 広瀬川三景 http //blogs.yahoo.co.jp/semes81457/35243766.html 癒しの空間 〜cafe mozart〜 http //blogs.yahoo.co.jp/semes81457/35243743.html 新緑の仙台散歩〜 http //blogs.yahoo.co.jp/toritonpapa/25721279.html 携帯サイト 最新のチラシ imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 《周辺情報》 〈ブログ2〉 #blogsearch /
https://w.atwiki.jp/chipmunk1984/pages/90.html
広瀬 正 マイナス・ゼロ ツィス エロス 鏡の国のアリス T型フォード殺人事件 タイムマシンのつくり方
https://w.atwiki.jp/ajisaibox/pages/52.html
名前 広瀬雅 よみ ひろせみやび 愛称 ミヤビ 誕生日 2月14日 性別 男 一人称 俺 年齢 23歳(ep01時) 二人称 あんた,お前 身長 190cm 種族 ミュータント 平行線の形式上の主人公その2 大学三年生。 何事にも無関心で無口で無表情。 スキゾイドの青年で感情も希薄。 幼少期親に虐待され、広瀬家に保護された。 (松下→広瀬) 北の能力者組織、イノセンス所属 能力者 ??? + ...
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/22298.html
登録日:2012/03/02 Fri 02 07 26 更新日:2022/07/10 Sun 19 40 59NEW! 所要時間:約 3 分で読めます ▽タグ一覧 Mr.戦隊悪役 イケメン オフィスカレント スーパー戦隊シリーズ トランザ ドクター・ケンプ ナルシスト役が似合う人 レー・ワンダ 五十路 伝説の男 俳優 俳優項目 広瀬匠 広瀬和久 広瀬裕 戦隊悪役 戦隊悪役の中の人 東京都 的場陣 美形悪役 広瀬裕(旧芸名:広瀬匠 / 本名:広瀬和久)は、昭和から平成にかけてのスーパー戦隊シリーズで数々の悪役を演じた俳優。 東京都出身。 端正な顔立ちをしている事から、「美形悪役」の代表的な一人とされている。 ○悪役に至るまで 高校の時にやっていた器械体操を活かしてスタントマンを志したが、東映テレビ・プロダクションに入った縁から俳優に転身した。 その後、戦隊シリーズには『超電子バイオマン』から端役で出演していたが、『超新星フラッシュマン』のオーディションでレッドフラッシュ/ジン役を受けるも落選。 しかし、そこで同作のメインプロデューサー・鈴木武幸Pの目に止まり、敵幹部のレー・ワンダ役に抜擢された事で悪役人生のスタートを切る事となった。 正にオーディションを受けた役と真逆の役が回ってきたが、当時サー・カウラー役で共演し、後に『超獣戦隊ライブマン』でも共演した中田譲治氏によると、 「彼は非常に礼儀正しい好青年で、正義の側にいても全く不思議ではなかった」との事。 この『フラッシュマン』の共演で広瀬氏は中田氏に兄事し、『ライブマン』で再び共演した際には収録後にビリヤードや飲みに行っていたそうである。 その後も『鳥人戦隊ジェットマン』での帝王トランザ、『五星戦隊ダイレンジャー』での魔拳士ジンなど一癖も二癖もある悪役を好演する。 そして今度は『勇者指令ダグオン』で声優として、今度はお互い正義の側で三度中田氏と同じ作品に参加している。 同じエピソードに参加することはなかったが、中田氏は主人公の上司、広瀬氏は頼れる仲間としてそれぞれ物語を動かすキャラクターを演じた。 監督が『ライブマン』のファンであった事もあり、監督からは当初、「ファイヤーエン/大堂寺炎役にぜひ広瀬さんを起用したい」と推薦されていた。 ちなみに前者の「帝王トランザの栄光」で虚ろな目つきでよだれを垂らしている衝撃的な映像があるが、あのよだれは広瀬氏の完全なアドリブ。 そして魔拳士ジンを演じた際にはこれまで演じた悪役にあまりなかった人間的な部分を演じられるのが嬉しかったそうで、 また年齢的に考えてこれが最後の役だろうと思い悔いの無いようにと気合いが入ったと語っている。 そして脚本家の井上敏樹氏に「今度の役は最後に改心させてくれ」と直訴したそうで、これで退場する回の亮との共闘が実現した。 その後も井上脚本、白倉伸一郎プロデュースの作品に何かと参加することが多く、『超光戦士シャンゼリオン』や『仮面ライダーアギト』にも出演したが、 ご本人的には魔拳士ジン役で一区切りついており、それ以降は良い意味で自然体で演じられたそうである。 ちなみに、自身にキザな役柄が多く巡ってくる事に対しては「ああ自分とは違う!と思いつつもついノリノリで演じてしまう」と冗談めかして語っていた。 『ライブマン』で、学生服姿から全力疾走しながら服を脱ぎ全裸で海に飛び込むという正に体を張った演技を見せた事がある。 現在は第一線から退き、自身で立ち上げた芸能プロダクション『オフィスカレント』で俳優、タレントの育成に専念しつつ、ドローンパイロットとしてテレビや映画の空撮映像の撮影も行っている。 ○主な役 レー・ワンダ(超新星フラッシュマン) ドクター・ケンプ/月形剣史(超獣戦隊ライブマン) トランザ(鳥人戦隊ジェットマン) 的場陣/魔拳士ジン(五星戦隊ダイレンジャー) 片桐一樹/闇将軍ザンダー(超光戦士シャンゼリオン) 白河尚純(仮面ライダーアギト) ライアン(勇者指令ダグオン) Wiki篭り…俺の項目を追記・修正してみろ。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] また戦隊にも出て欲しい -- 名無しさん (2013-08-28 19 20 25) 牙狼に出演してほしい -- 名無しさん (2014-07-22 23 00 10) 故・市川治さんがアニメの美形悪役声優の代表なら、この人は特撮の美形悪役俳優の代表だと思う -- 名無しさん (2015-03-29 10 27 22) 広瀬さんがもっとも活躍する脚本を書く事が多く親交も深い井上敏樹さん曰わく「お前程臭いセリフの似合う男はいない」 -- 名無しさん (2015-07-25 16 55 52) この人が演じる炎ってどんなだったんだろ? -- 名無しさん (2015-11-25 12 28 46) 一度最初から最後まで正義の味方役で特撮出てほしい -- 名無しさん (2017-02-02 21 43 04) 名前 コメント