約 2,363,959 件
https://w.atwiki.jp/jreast-timetable/pages/968.html
羽越本線 試9852D 運転日 編成 時刻 2011/10/29(土) キヤE193系秋田車3両 秋田1111→新屋1118-25→道川1138-42→二古1147-54→羽後本荘1210→象潟1229→遊佐1252-1324→酒田1341~試9849D 2011/10/31(月) 2011/11/02(水) 仙山線 試9852D 運転日 編成 時刻 2011/11/22(火) キヤE193系秋田車(East i-D) 試9328D~山形200→山寺216-21→作並246-51→愛子304-09→仙台329~回9543D 2012/01/30(月) キヤE193系秋田車(East i-D) 試9328D~山形1320→山寺1336-44→作並1409-50→愛子1504-20→国見1535-41→仙台1558~回9543D 2012/10/08(月) キヤE193系秋田車(East i-D) 試9328D~山形1045→北山形1050-59→山寺1114-16→面白山信1128-38→愛子1205-07→陸前落合1211-18→国見1224-27→北仙台1233-36→仙台1244~回9545D
https://w.atwiki.jp/bzspirit/pages/266.html
WHAT s IN?(ワッツイン)は、ソニー・マガジンズから刊行されていた月刊音楽情報誌。2016年3月14日発売の2016年4月号をもって休刊。 B zが表紙を飾ったバックナンバー No. 号 038 1991年6月号 044 1991年12月号 055 1992年11月号 116 1997年12月号 204 2005年4月号 SELECT MUSIC 年末に発行される号では、様々なアーティストがその年よく聴いたCDの特集が行われている。 2006年1月号 105人のアーティストによるSELECT MUSIC 2005 2007年1月号 106人のアーティストによるSELECT MUSIC 2006 2008年1月号 107人のアーティストによるSELECT MUSIC 2007 2009年1月号 108人のアーティストによるSELECT MUSIC 2008 2010年1月号 109人のアーティストによるSELECT MUSIC 2009 2011年2月号 110人のアーティストによるSELECT MUSIC 2010 2012年1月号 SELECT BEST MUSIC 2011 2013年1月号 アーティストに聞くMy BEST ALBUM 2012 外部リンク WHAT s IN? WEB 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/stampcatalog/pages/522.html
https://w.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/6281.html
2011年2月号 本の時間 関連ページ 2011年2月号 本の時間 「日本の母は息子の性処理係」毎日新聞が捏造記事185 http //toki.2ch.net/test/read.cgi/ms/1297215172/245 背表紙裏ページ 石亭 www.sekitei.co.jp 全面白黒 36ページ 毎日新聞社 67ページ 毎日新聞社 背表紙裏ページ 大口製本印刷株式会社 全面白黒 背表紙ページ 日本製紙株式会社 全面カラー 石亭 http //www.sekitei.co.jp/ あたみ石亭 静岡県熱海市和田町6-17 http //www.sekitei.co.jp/atami/ 桜岡茶寮 静岡県熱海市和田町6-17 http //www.sekitei.co.jp/sakura/ 鬼の栖 静岡県伊豆市修善寺1163 http //www.sekitei.co.jp/oni/ ゆがわら石亭 神奈川県足柄下郡湯河原町宮上261 http //www.sekitei.co.jp/yugawara/ 大口製本印刷株式会社 埼玉県入間郡三芳町竹間沢東3-6 http //www.obp1949.co.jp 関連ページ 2011年1月- 6月 毎日新聞に広告を出していた企業
https://w.atwiki.jp/sega-chainchronicle/pages/556.html
月間クエスト 12月号 聖王国/はじまりの村 AP 敵Lv 地形 Wave キャラ経験値 ランク経験値 ゴールド - 25 34 城中 6 750 400(16) 750(30) 報酬1 確定 成長Ⅱ魔 報酬2 確定 成長Ⅱ魔 報酬3 成長Ⅱ魔 報酬4 フラウ BONUS 精霊石 +WAVE詳細 Wave エネミー HP 通常攻撃 スキル スキル効果 備考 1 ナイト×3 280 2 ウォリアー斧×2 ナイト×2 クレリック 3 ナイト×3 ウォリアー斧×2 ダンサー 4 ウォリアー斧×3 ナイト×3 5 ウォリアー斧×4 クレリック ダンサー 6 ウォリアー斧×3 ナイト×3 フラウ BOSS コメント欄 名前 返信する際は、該当コメント左のチェックボックスを選択してから、書き込むボタンを押してください enterキーを押すと、改行ではなく「書き込み」が行われてしまうので注意してください
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/154.html
2012年2月4日 注 このページの作成者はロシア語は読めません。 このページは、ロシアの推理小説について書かれた日本語の文献を元に作成されたものです。参考文献の一覧は「こちら」で示してあります。 このページは「ソ連/ロシア推理小説略史」と「ソ連/ロシア推理小説翻訳略史」の両方を兼ねています。 Index 19世紀後半:ガボリオの受容、アレクサンドル・シクリャレフスキーの登場 20世紀初頭:探偵小説小冊子の流行 1920年代前半:《赤い探偵もの》の流行 1920年代後半~1950年代前半:スターリンによる探偵小説圧殺時代/スパイ小説の時代 1953年以降(スターリン死去以降):警察小説の登場 1960年代:「偏狭な愛国主義」からの解放 1970年代:制限下での繁栄 1980年~1991年:亡命作家とペレストロイカ 1992年~:ソ連崩壊以後:世界に通用するミステリ作家の登場 ――アレクサンドラ・マリーニナ、ボリス・アクーニン 19世紀後半:ガボリオの受容、アレクサンドル・シクリャレフスキーの登場 世界初の長編探偵小説とされる『ルルージュ事件』(1866年)などで知られるフランスの探偵作家エミール・ガボリオの作品が1860年代末からロシアで多数翻訳され、ロシアにおける探偵小説誕生の下地を作る。1870年代にはアレクサンドル・シクリャレフスキーのような犯罪小説専門のロシアの作家も登場した。 ロシアの文豪アントン・チェーホフも探偵小説を発表している。代表的なものに、江戸川乱歩編『世界短編傑作集1』(創元推理文庫)に収録されている「安全マッチ」と、長編の『狩場の悲劇』(1884年~1885年?、新聞連載)がある。両作品ともちくま文庫の『チェーホフ全集』第2巻(1994年)で読むことができる。『狩場の悲劇』にはガボリオやシクリャレフスキーの流行を揶揄するような記述がある。 江戸川乱歩はこれ以外に、チェーホフの探偵小説として「音楽家と手品」(『新青年』1938年5月増刊号)、「つとめの身」、「殺人」を挙げている(後者2つは袋一平の記述をそのまま引用したもので、乱歩自身も確認はしていないようだが)。「殺人」というタイトルの作品はちくま文庫の『チェーホフ全集』第7巻に収録されているが、乱歩が挙げている「殺人」と同じものなのかは分からない。また、「音楽家と手品」と「つとめの身」が現在はどのようなタイトルで知られている作品のことなのかも分からない(少なくともちくま文庫『チェーホフ全集』には「音楽家と手品」、「つとめの身」というタイトルの作品は収録されていないようである)。 主要参考文献江戸川乱歩(1960)「「狩場の悲劇」の探偵小説的構成」(中央公論社『チェーホフ全集』第12巻月報、1960年12月(未確認)/江戸川乱歩『子不語随筆』(講談社、1988年)に収録) 久野康彦(2001)「革命前のロシアにおける探偵小説の歴史から ~「ロシアのガボリオ」 A.シクリャレフスキーと20世紀初頭の「分冊シリーズ探偵小説」~」(『ロシア語ロシア文学研究』(日本ロシア文学会)第33号、2001年、pp.105-111(CiNiiからPDF閲覧可能)) 20世紀初頭:探偵小説小冊子の流行 1905年の第一次ロシア革命ののちに検閲が廃止されると、1907年、シャーロック・ホームズやニック・カーター、ナット・ピンカートンらが活躍する翻案もの、あるいはそれらの探偵を主人公に据えたオリジナル作品が定期刊行の小冊子の形で出版されるようになる。日本人探偵オカ・シマ(Ока Шима)が活躍する作品もあったという。どれもアクション重視になっており、作者名は明記されていなかった。この小冊子は人気を博し、1908年5月だけでも、ペテルブルグで探偵小説が62万部以上売れたという。またこの時期には犯罪映画も多く制作された。 主要参考文献鴻英良(2001)「現代のロシア・ミステリー事情」(『ジャーロ』2001年冬号、pp.325-327) 久野康彦(2001)「革命前のロシアにおける探偵小説の歴史から ~「ロシアのガボリオ」 A.シクリャレフスキーと20世紀初頭の「分冊シリーズ探偵小説」~」(『ロシア語ロシア文学研究』(日本ロシア文学会)第33号、2001年、pp.105-111(CiNiiからPDF閲覧可能)) 1920年代前半:《赤い探偵もの》の流行 1917年の第二次ロシア革命のあと、1920年代初めになると《赤い探偵もの》(または《赤いピンカートンもの》)の流行が始まる。大衆小説は革命的なものでなければならないという当時の理念に呼応して、腕利きの探偵(=勇敢で賢い労働者)が波乱万丈の大活躍をする(=悪辣な資本家などと戦う)たぐいの小説であるが、それらはありがちな説教調、政治的プロパガンダにはなっておらず、娯楽作品として一級のものになっているという。代表作に、マリエッタ・シャギニャンがジム・ドルという筆名で発表した『メス・メンド』(1923-25?)や、アレクセイ・トルストイの『技師ガーリン』(1925)がある(※『戦争と平和』などで知られるトルストイとは別人)。『メス・メンド』は、世界の混乱を修復(mend the mess)するための労働者組織の活躍を描く作品である。 《赤い探偵もの》の邦訳 1928年:長編 ジム・ドル『革命探偵小説 メス・メンド』 (広尾猛訳、世界社、1928年、5分冊) 1930年:長編 アレクセイ・トルストイ『ソヴエト・ロシア探偵小説集1 技師ガーリン』 (広尾猛訳、内外社、1930年) 《赤い探偵もの》時代のソ連探偵小説の代表作である『メス・メンド』と『技師ガーリン』は、原著刊行から数年後に日本でも翻訳刊行されている。『メス・メンド』は日本語版刊行時にすでに英訳・独訳があり、中国・上海でも同じころに、日本語の『メス・メンド――職工長ミックの巻』に基づく抄訳『洋鬼』が刊行されていたという。『メス・メンド』は1930年前後にさまざまな形で邦訳が出ており、『続メス・メンド』も刊行されているが、その辺りについては省略する。『メス・メンド』 の邦訳の刊行(1928年)は江戸川乱歩デビューの5年後であり、ソ連の探偵小説が日本に入ってきたのは予想よりもはるかに早かったようだ。おそらくこの『メス・メンド』が、日本で翻訳紹介された最初のソ連探偵小説だろう。(なおSF小説では、1926年に出たボグダーノフ『赤い星』(大宅壮一訳)が本邦初訳のソ連SFだとされている) アレクセイ・トルストイの『技師ガーリン』は内外社の《ソヴエト・ロシヤ探偵小説集》の第一弾として翻訳刊行された。海野十三は『新青年』1937年新春増刊号掲載のアンケートで、海外探偵小説十傑のうちの1作に『技師ガーリン』を挙げている(参照:本棚の中の骸骨 藤原編集室通信>資料室>〈新青年〉海外探偵小説十傑)。叢書《ソヴエト・ロシヤ探偵小説集》について、深見弾氏は以下のように書いている。 内外社のソヴエト・ロシヤ探偵小説の企画は第二弾としてレオニード・ボリソフの『記憶を喪った男』を準備していた。どうやらこれは不発に終ったらしい。調べた限りでは、出版された形跡がない。しかし、未刊だったとも判定できないでいる。ご存知のかたがあればお教えいただきたい。 主要参考文献深見弾(1978)「ロシヤ・ソビエトSFはこんなに訳されている(戦前)」(ナウカ株式会社『窓』1978年3月号(24号)、pp.40-47) 鴻英良(2001)「現代のロシア・ミステリー事情」(『ジャーロ』2001年冬号、pp.325-327) 長谷部史親(2002)「マリエッタ・シャギニャンの『メス・メンド』」(長谷部史親『ミステリの辺境を歩く』アーツアンドクラフツ、2002年)pp.260-267(初出は『ミステリマガジン』(未見)) 1920年代後半~1950年代前半:スターリンによる探偵小説圧殺時代/スパイ小説の時代 スターリンは、1922年から死去する1953年までソビエト連邦共産党中央委員会書記長を務めた。 鴻英良「現代のロシア・ミステリー事情」(『ジャーロ』2001年冬号) スターリンは、欧米のミステリー小説をブルジョア的な堕落した娯楽の形態と考え、ミステリー小説の出版を許さなかったし、スターリン時代には、欧米のそうした類の作品の翻訳出版は禁止されていたのである。 その結果、かつての探偵小説の要素は敵のスパイとの攻防などを描くスパイ小説に受け継がれて辛うじてその命脈を保つことになる。ロマン・キムは1930年代の探偵小説(スパイ小説?)の傑作としてニコライ・ニキーチン(1895-1963、ロシア語版Wikipedia)の「コカンドの出来事」、ブルーノ・ヤセンスキー(ポーランド人)の「皮膚を取換える男」を挙げている。「皮膚を取換える男」は、おそらく「人間は皮膚を変える」というタイトルで邦訳が出ている作品のことだろう。ヤセンスキーの作品の邦訳については、SFファングループ「THATTA」のオンライン・ファンジン『THATTA ONLINE』241号(2008年5月号)に掲載されたフヂモト・ナオキ氏の「ウィアード・インヴェンション~戦前期海外SF流入小史~008」に詳しい。残念ながら『人間は皮膚を変える』は完訳はないようだ。スパイ小説は特に第二次世界大戦のときに活気を見せ、その活気は戦後まで続くことになる。 この時期に邦訳された作品 1952年:長編 ロマン・キム『切腹した参謀達は生きている』 (高木秀人訳、五月書房、1952年1月)※一部がカットされている 1951年にソ連作家同盟の機関誌『ノーヴイ・ミール(Новый мир/新世界)』に発表された作品。この作品は第二次世界大戦と朝鮮戦争を背景としており、日本やアメリカの人物が実(・)名(・)で(・)登場するスパイ小説であったため、GHQの管理下にあった当時の日本ではそのまま刊行することができず、4分の1ほどが自主的にカットされている。それから24年経った1976年に、完訳版『切腹した参謀たちは生きている』(長谷川蟻訳、晩聲社、1976年)(「達」が平仮名表記になった)が刊行された。 ソ連の推理小説の邦訳は、1920年代末から30年代初めにかけて刊行されたマリエッタ・シャギニャン(ジム・ドル名義)『革命探偵小説 メス・メンド』、アレクセイ・トルストイ『ソヴエト・ロシア探偵小説集1 技師ガーリン』以来、少なくとも単行本の刊行は皆無だったと思うが、戦後にはわりと早い段階でソ連の推理小説が単行本で登場していたことになる。もっとも、この『切腹した参謀達は生きている』が推(・)理(・)小(・)説(・)と(・)し(・)て(・)刊行されたとは言えない。1952年の版を刊行した五月書房はレーニンなどの著作を出していた共産党系の出版社で、ソ連の大使館筋が日本での出版を急がせたという話がある(津村喬1976)。ロマン・キム自身は政治的な思惑とは関係なくさまざまな地域を舞台にスパイ小説を書いていたようだが、『切腹した参謀達は生きている』の日本での刊行は政治的な意図を強く感じさせるものだった。その24年後の完訳版も、推理小説とはゆかりのない出版社から刊行されている。 主要参考文献江戸川乱歩(1956)「探偵小説の世界的交歓 チェーホフの長篇探偵(?)小説」(『宝石』1956年10月号、pp.68-77)ロマン・キムからの第一信の全文が翻訳掲載されている(原卓也訳) 津村喬(1976)「ロマン・キム『順川で見つけた手帖』を読みかえす ――朝鮮戦争二六周年に」(『新日本文学』1976年7月号、pp.46-55) 鴻英良(2001)「現代のロシア・ミステリー事情」(『ジャーロ』2001年冬号、pp.325-327) 1953年以降(スターリン死去以降):警察小説の登場 この時期については「中国ミステリ史 第三章第三節 ソ連の探偵小説」で書いたのでそちらをご覧になって下さい。 1950年代(1953年以降)に邦訳された作品 1954年:短編 アレフィエフ「試射場の秘密」 (日本初のSF商業誌『星雲』創刊号(1954年)) 1955年:短編 アレフィエフ「万年筆殺人事件」(袋一平訳、『政界往来』1955年8月号) 1955年:中編 L・サモイロフ=ヴィリン「夜の雷雨」(袋一平訳、『探偵倶楽部』1955年10月号および11月号)翌年、同じ作品が住田伸二の訳で「雷雨」というタイトルで『小説読本』1956年8月号に掲載されている 1956年:短編 アナトーリ・ベズーグロフ「にせのサイン ――弁護士の日記より――」 (袋一平訳、『宝石』1956年2月号、pp.72-82) 1957年:短編 アレフィエフ「赤い小箱」(袋一平訳、『探偵倶楽部』1957年1月号) 1957年:短編 レフ・シェイニン「婦人探偵の推理眼 =うっとうしい事件=」(袋一平訳、『探偵倶楽部』1957年11月号) 1950年代(1953年以降)に邦訳された東欧の作品 チェコ(当時はチェコスロヴァキア) - エゴン・ホストヴスキー『スパイ』(岡田真吉訳、角川書店、1958年)→ 改題文庫化『秘密諜報員 アルフォンスを捜せ』(角川文庫、1966年) 1960年代:「偏狭な愛国主義」からの解放 飯田規和(1965)「ソ連の探偵小説と『ペトロフカ、38』」(ユリアン・セミョーノフ『ペトロフカ、38』早川書房 ハヤカワ・ミステリ883、1965年3月) ソ連の探偵小説はわが国にはまだほとんど紹介されていない。しかし、このことは、一部で言われているように、ソ連には探偵小説がないということを意味するものでは決してない。むしろ、事実はその逆で、ソ連でも、他の国と同じように、探偵小説は読者の間に大きな需要を持ち、今までかなりの量の作品が書かれていると言うことができよう。(p.251) ユリアン・セミョーノフ『ペトロフカ、38』は1963年の作品で、早川書房の《ハヤカワ・ミステリ》(通称 ポケミス)の唯一のロシア(ソ連)作品である(「ポケミス非英語圏作品一覧」参照)。この作品は巻末解説によれば、「とかく、今までのソ連の探偵小説には、時には「偏狭な」と言いうるような、一種独特な愛国主義があって、それが外国人であるわれわれには読むのにかなりの抵抗を感じさせていた。それがこの小説には全然ない」という点が画期的であった。この作品は当時のモスクワをありのままに描いた小説だったが、一方で同時期には、アメリカを舞台にしたアレクセイ・コロビツィン『蝋人形館の秘密』(1965)のような作品もあった。『蝋人形館の秘密』は1970年に『逃亡 犯罪なき犯罪』というタイトルで邦訳が出ている。 1965年にはモスクワで日ソ文学シンポジウムが開催され、日本代表の約20名のうちの1人としてスパイ小説作家の中薗英助が参加している(中薗英助作品は英語圏・西欧では刊行されていないが、旧ソ連やポーランドなどでは刊行されている)。また1966年には、モスクワで内閣出版委員会によって推理小説に関する会合が開催された。 1960年代に邦訳された作品 1963年:短編 レフ・シェイニン「ミスター・グローバーの恋」(ノーボスチ通信社編『りんご漬け 現代ソビエト短編集』[ソビエト社会主義共和国連邦大使館公報課、1963年]に収録) 1965年:長編 ユリアン・セミョーノフ『ペトロフカ、38』(飯田規和訳、早川書房 ハヤカワ・ミステリ883、1965年3月) 1965年:短編 レフ・シェイニン「狩猟ナイフ」(永井淳訳、『ミステリマガジン』1965年11月号)同じ作品が『ミステリマガジン』1972年1月号にも稲垣晴美訳で掲載されている。 1967年:短編 イリヤ・ワルシャフスキー「シャーロック・ホームズ秘話」(イリヤ・ワルシャフスキー『夕陽の国ドノマーガ』[草柳種雄訳、大光社、1967年]に収録)パロディ的作品 1960年代に邦訳された東欧の作品 ブルガリア - アンドレイ・グリャシキ『ザホフ対07』(『ミステリマガジン』1967年2月号)この作品は1966年にブルガリア語で発表され、即座にロシア語に翻訳された。『007は三度死ぬ』(深見弾訳、創元推理文庫、1985年)は同じ作品の改訂版を翻訳したもの。 主要参考文献飯田規和(1965)「ソ連の探偵小説と『ペトロフカ、38』」 1970年代:制限下での繁栄 検閲があり書いてはいけないこともあったが、そんな中でもソ連の推理小説は活況を呈していたようだ。残念ながら邦訳はほとんどされなかったが、そのことは日本でも伝えられていた。 飯田規和(1972)「ソ連の推理小説」(『世界ミステリ全集12』早川書房、1972年)月報 ソ連で年々発表される推理小説の数は、大方の予想に反してかなりの数にのぼっている。(中略)ソ連の推理小説の読者は推理小説の古典が好きだし、犯罪者側の巧妙なトリックと探偵の側の機知にとんだ推理によって事件が展開するという、いわゆる本格的な推理小説が好きらしい。ソ連で翻訳されている外国作家は相変らずポー、ドイル、チェスタートン、クリスティ、シムノンなどである。 『世界ミステリ全集12』(早川書房、1972年)巻末座談会での石川喬司の発言 中薗英助氏が、ソ連へたびたび行っていて、そのときにソ連のミステリの状況なんかをいろいろ調べてもらったところによると、やはりわれわれの考えるような本格推理小説はないということです。(中略)逆に向こうで、日本の推理作家の横綱格として評価されているのが、松本清張と中薗英助なのです。それをみれば、向こうの推理小説観というのがわかると思うのです。つまり社会派――権力のからくりをあばくような作品が受けている。 黒田辰男(1974)『季刊ソヴェート文学』1974年夏季号(通巻48号)「特集・ソ連の推理小説」編集後記 推理小説は、今日世界の多くの国々において、圧倒的な多数の読者に愛好される文学ジャンルとなっている。ソ連においてもその例外ではなく、推理小説は現在、多くの読者の興味をひきつけ、その新らしい作家を輩出させ、多くのすぐれた作品を創り出し、全体としてのソヴェート文学のなかで、ゆるがせぬ大きな存在となっている。 引用した石川喬司氏の発言内容は飯田氏が月報で書いている内容と食い違っているようにも見えるが、ロシアで松本清張や中薗英助、森村誠一らの作品が翻訳されていたのも事実なので(特に中薗英助や森村誠一作品は、現在に至るまで西欧諸国では翻訳されていない)、石川氏の発言もまたソ連の推理小説界の一面をとらえているのだろう。 飯田規和「ソ連の推理小説」(1972)では「ソ連の推理小説界の新人三羽烏」としてワイネル兄弟、ヴィクトル・スミルノフ、ニコライ・レオーノフが挙げられているが、このうち邦訳があるのはワイネル兄弟だけである(しかも、ワイネル兄弟についても長編の抄訳があるのみ)。また『季刊ソヴェート文学』1974年夏季号に掲載されたレオニード・スローヴィン「目撃者のない事件」に付された著者の言葉によれば、この当時の警察小説(集団での捜査を描く小説)の代表的作家としてはアルカージー・アダモフ、ユリアン・セミョーノフ、ヴェ・カラハーノフがおり、一方で一人の探偵役の活躍を描くタイプの推理小説の代表的な作家としてはワイネル兄弟、ヴィクトル・スミルノフ、パーヴェル・シェスタコーフがいた。この6人のうち、邦訳があるのは前述のワイネル兄弟とユリアン・セミョーノフだけである。 1970年代に邦訳された作品 1970年:長編 アレクセイ・コロビツィン『逃亡 犯罪なき犯罪』(香川二郎(本名・末包丈夫)訳、1970年12月、法律文化社) 1973年:長編抄訳 ユリアン・セミョーノフ『会長用の爆弾』 (ソ連大使館広報部刊行『今日のソ連邦』1973年第1号(1月1日)~第7号(4月1日)、全7回連載) 1974年:『季刊ソヴェート文学』1974年夏季号(通巻48号)【特集:ソ連の推理小説】長編抄訳 ワイネル兄弟『ミノトール訪問』 (泉清訳、pp.22-160) 短編 レオニード・スローヴィン「目撃者のない事件」(酒枝英志訳、pp.162-208) 短編 イリヤ・ワルシャフスキー「ドブレ警部の最後の事件」(井桁貞義訳、pp.210-234) - ミステリのパロディ的作品 1974年:長編 ストルガツキー兄弟『幽霊殺人』(深見弾訳、1974年8月、早川書房) - 原題の直訳は『ホテル「死滅したアルピニストの許で」』。1970年の作品。 1977年:短編 ア・アヴデェーエフ「勇気」(深見弾訳、『ミステリマガジン』1977年9月号) 1978年:短編 レフ・シェイニン「セメンチューク事件」(深見弾訳、『ミステリマガジン』1978年3月号) 1970年代に邦訳された東欧の作品 ポーランド - イェジィ・エディゲイ『顔に傷のある男』(深見弾訳、早川書房 ハヤカワ・ミステリ1292、1977年) 『ペンション殺人事件』(深見弾訳、早川書房 ハヤカワ・ミステリ1312、1978年) 上述のようにソ連のミステリ界の活況が伝えられる一方で、邦訳はあまり進まなかった。早川書房の『SFマガジン』では今までに複数回、ロシア(ソ連)SF特集が組まれているが、『ミステリマガジン』では1991年12月号で一度小特集があったのみである。1974年には『季刊ソヴェート文学』がミステリ特集を組んでいるが、日本の雑誌でソ連ミステリをまるごと特集したのはこれが唯一のものだと思われる。 深見弾氏は1978年に『ミステリマガジン』誌上で、ソ連及び東欧の推理小説を紹介する隔月連載のコーナー「ソ連・東欧ミステリ紹介」を始めている。ソ連の短編の翻訳1点と東欧の長編の要約紹介を毎回掲載すると予告されていたが、残念ながらソ連の短編の翻訳は第1回のみしか掲載されなかった。東欧の長編の要約紹介は第6回まで続けられた(掲載号は1978年3月号、6月号、8月号、10月号、12月号、1979年3月号)。 主要参考文献飯田規和(1972)「ソ連の推理小説」(『世界ミステリ全集12』早川書房、1972年)月報 『季刊ソヴェート文学』1974年夏季号(通巻48号)【特集:ソ連の推理小説】 1980年~1991年:亡命作家とペレストロイカ この時期のソ連を代表する作家――といっていいのかは分からないが、この時期にソ連出身のミステリ作家として世界的に有名になった作家に、亡命作家のエドワード・トーポリとフリードリヒ・ニェズナンスキイがいる。トーポリは元新聞記者で、ニェズナンスキイは元検事。亡命地のニューヨークで出会った二人は『赤の広場』、『消えたクレムリン記者』という2冊のミステリ小説を共同で発表している。単なるミステリ小説というよりは、ソ連の暗部を暴き立てる小説として受容されたようだ。コンビ解消後もそれぞれ作品を発表しており、邦訳も刊行されている。 トーポリ&ニェズナンスキイ『赤の広場 ブレジネフ最後の賭け』(中央公論社、1983年4月) - 週刊文春ミステリーベスト10、第3位 『消えたクレムリン記者 赤い麻薬組織の罠』(中央公論社、1983年7月) エドワード・トーポリ(エドゥアルド・トーポリ)『ソ連潜水艦U137 人工地震エンマ作戦』(中央公論社、1984年) 『赤いパイプライン』(新潮社、1988年) 『暗黒のクーデター』(新潮社、1992年) 『公爵夫人ターニャの指輪』(新潮社、1993年) - 妻のエミリアとの共著 フリードリヒ・ニェズナンスキイ『犯罪の大地 ソ連捜査検事の手記』(中央公論社、1984年/文庫版あり) - 非小説 『赤い狼 KGB"T"機関の陰謀』(中央公論社、1985年/文庫版あり) 『「ファウスト」作戦 書記長暗殺計画』(中央公論社、1987年) ソ連は崩壊へと向かっていたが、そんな中でもソ連の推理作家は対外交流に積極的だった。ユリアン・セミョーノフは1981年の第3回世界推理作家会議(スウェーデン・ストックホルム)に参加しており、夏樹静子とも面会している。1986年にはユリアン・セミョーノフやメキシコのパコ・イグナシオ・タイボ二世を中心に国際推理作家協会が設立されており、セミョーノフはその初代会長になっている(日本の推理作家では戸川昌子が国際推理作家協会の理事の一人になり、1987年6月にヤルタで開かれた第一回理事会に参加した)。セミョーノフは1987年10月にフランス・グルノーブルで開かれた世界ミステリ祭にも招待されている(日本の推理作家では松本清張が招待された)。 1988年・1989年にはソ連で日ソ推理作家会議が開かれており、日本推理作家協会の代表団が訪ソしている。 日ソ推理作家会議の日本からの参加者第1回(1988年):三好徹(当時の日本推理作家協会理事長)、小松左京、長井彬、高柳芳夫、山村正夫、中津文彦、松村喜雄 第2回(1989年):山村正夫、加納一郎、豊田有恒、田中光二、菊地秀行、井沢元彦、大沢在昌、新津きよみ 1985年からゴルバチョフによる改革運動(ペレストロイカ)が始まる。これにより検閲制度がなくなり、表現が多少は自由になった。1991年7月のインタビューで、ロシア共和国推理作家同盟の総裁(当時)で推理作家のアナトーリィ・ベズーグロフは検閲制度について以下のように話している。 『ミステリマガジン』1991年12月号掲載のインタビューより (編集部)――ペレストロイカをきっかけに、ミステリは変わりましたか。 ベスーグロフ 以前は検閲があって、検事や内務省を舞台にした小説を書いた場合は、内務省から発行の認可をもらうことが必要でした。書いてはいけないこともありましたし、嘘を書かざるを得なかった作家もいます。でも、わたしはいつも正直でいたかったので、嘘は書きませんでした。こんど全十四巻から成るわたしの作品集が出ますが、昔の作品に訂正を加える必要は感じていません。 ロシア共和国推理作家同盟はインタビュー内でベズーグロフが「まだ結成したばかり」といっているので、1990年・1991年あたりに結成されたものだろう。ベズーグロフはソ連初のミステリ専門誌『インターポール・モスクワ』(Интерпол-Москва)(1991年創刊)の編集局長も務めている。創刊号にはソ連の作家の作品以外に、イアン・フレミングの『女王陛下の007』、筒井康隆の「如菩薩団」も翻訳掲載された。007シリーズはかつてはソ連では出版が禁じられていたが、これもペレストロイカによって翻訳掲載が可能になったのである。創刊号は発行部数25万部。ただし第2号が刊行されたのかは分からない。ロシア共和国推理作家同盟についてもその後の動向は不明である。ソ連崩壊の混乱の中でこの団体も消えてしまったのかもしれない。 なお推理小説を掲載する雑誌としては、『インターポール・モスクワ』以前には、SF小説や推理小説、冒険小説を掲載する『イスカーチェリ(探求者)』があった。 1980年代~ソ連崩壊前後に邦訳された作品 (トーポリとニェズナンスキイの著作については前述) 1991年:長編 ユリアン・セミョーノフ『春の十七の瞬間(とき)』(伏見威蕃訳、角川文庫、1991年6月) 1991年:短編 アナトーリィ・ベズーグロフ「予審判事の捜査記録」 (深見弾訳、『ミステリマガジン』1991年12月号、pp.53-77) 1995年:短編 ユリアン・セミョーノフ「一九三七年の夏」(ジェローム・チャーリン編『ニュー・ミステリ ジャンルを越えた世界の作家42人』[早川書房、1995年10月]に収録) ※非ミステリ この時期に邦訳された東欧の作品 ヨゼフ・シュクヴォレツキー『ノックス師に捧げる10の犯罪』(宮脇孝雄・宮脇裕子訳、ミステリアス・プレス、1991年5月) - アメリカ合衆国に亡命したチェコの推理作家 主要参考文献高橋正「ロシアン・ミステリーの内幕」(『ミステリマガジン』1987年7月号、pp.115-117) アナトーリィ・ベズーグロフへのインタビュー「ドストエフスキーのような作家になるのが目標です」(『ミステリマガジン』1991年12月号、pp.46-49) 深見弾(1991)「ソビエト・ミステリ界の現状」(『ミステリマガジン』1991年12月号、pp.50-52) 1992年~:ソ連崩壊以後:世界に通用するミステリ作家の登場 ――アレクサンドラ・マリーニナ、ボリス・アクーニン もともとソ連では一部の国外ミステリ作品は翻訳されて読まれていたが、ペレストロイカにより今まで翻訳が禁じられていた作品も出版が可能になり、街には翻訳ミステリがあふれるようになる。一方でソ連の作品を集めた推理小説全集の刊行も1990年前後に始まっている。ソ連時代には出版部数がすべて計画的に決められていたため「ベストセラー」と呼ぶべき作品は存在しなかったが、ソ連崩壊後はベストセラーリストを推理小説がにぎわすようになる。そんな中で、ロシアのクリスティと呼ばれるアレクサンドラ・マリーニナや、日本語の「悪人」に由来する奇妙な筆名を持つボリス・アクーニンなどの、世界的に名を馳せるミステリ作家が登場する。 邦訳リストは略。Wikipedia記事「アレクサンドラ・マリーニナ」「ボリス・アクーニン」などをご参照ください。 日本の作品では、近年では桐野夏生の『OUT』や東野圭吾『容疑者Xの献身』、『探偵ガリレオ』などが翻訳されて読まれている。 神梨国男の《北海道警察シリーズ》4冊もロシア語に翻訳されているという設定である。 《北海道警察シリーズ》の翻訳者はエドワルド・ヴラーソフ(Эдуард Власов)氏と表示されているが、実際はこの方が作者であり、日本の作品をロシア語に翻訳したもの、という設定で刊行しているらしい。 神梨国男(クニオ・カミナシ)の《北海道警察シリーズ》В клешнях черного краба Сделано в Японии Допрос безутешной вдовы Деньги на ветер 推理小説を掲載する雑誌としては、月刊誌の『イスカーチェリ』(ロシア語版Wikipedia)や同じく月刊誌の『ポールデニ』(ロシア語版Wikipedia)などがある。前者は推理小説やSF小説、冒険小説を掲載するエンターテインメント雑誌、後者はSFをメインとする雑誌だが、優れた作品はジャンルを問わず掲載され、ミステリに近い作品も掲載される。 主要参考文献沼野充義(1999)「マリーニナと現代ロシアの推理小説」(アレクサンドラ・マリーニナ『モスクワ市警殺人課分析専門官アナスタシヤ1 盗まれた夢』[作品社、1999年]巻末、pp.357-364) 籾内裕子(2009)「世界のミステリ雑誌 各国ミステリ雑誌大紹介 ロシア」(『ミステリマガジン』2009年1月号、pp.52-53) 関連記事 1950年代に江戸川乱歩と文通していたソ連の推理作家ロマン・キムの数奇な生涯 日ソ推理作家交流史 チェコ推理小説略史 オランダ推理小説略史 イタリア推理小説略史 スペイン語圏・ポルトガル語圏推理小説略史(スペイン・ポルトガル・中南米) インド推理小説探求・受容史
https://w.atwiki.jp/sibakyu/pages/104.html
猫鯖国鉄の空想歴史 ひめぞんブックスメインメニューはこちら Scenario 03 猫鯖国鉄、1984年の旅 国鉄対岸野分線 1984年の秋についに対岸線が春雨まで全通した。 対岸線とは、旧永宮線、緋海線、春雨支線を合わせた路線である。今年、最後の区間、姫門〜春雨が全通した。これにより、野分本線との直通運転が始まった。 七海駅は姫浜本線、港浜本線、北海本線、塔原浜北線、そして対岸線、あとは河急線が来る東鯖屈指のターミナルだ。 野分本線はこれまで羽鮒発着だったが、姫門・姫浜・夕立・対岸ともアクセスしやすい路線に生まれ変わった。 また、これにより線路容量が空いたので新羽鮒方面の増発も行われた。香山の415系の運行は、新羽鮒か空港までである。野分方面には415系は来ないのだ。 新しい路線だから全部新車かと思いきや、115系のモハユニットだけ新製された。8両中4両は新製の115系冷房車、残りの4両は姫門本線から転属してきた113系の初期車だ。国鉄再建が叫ばれる現代、もはや新線に新車を大量に導入する余裕などないのだ。ついに、赤字の知多線が鳩急電鉄に転換された。転換時に継承されたのは101系だそうだ、早速置き換えの話が上がっている。(編集部注:鳩急の101系は1986年10月改正で完全置き換え。) 冷房車に乗るか、ボロクハに乗るか、迷ったが、新製の115系に乗ってみたかった。さすが新車、シートピッチが広いし綺麗だ。室内配色を暖色系に変更してある。同じボックスシートでも、形状が新しくなっている、新車の211系投入の噂があるからそれのためだろうか。 若草駅を出た、8両の115系、永宮までの各駅と、葉彩港、望光、霧野、緋海、姫門、七海、春雨、吹雪、新吹雪、東吹雪(現・連邦経済庁前)、小雪、北野分、終点野分の順に止まる快速電車だ。対岸線ー野分快速との幕が入っている。なお、対岸線は愛称である。正式名称は若草〜葉彩港で永宮線、葉彩港〜霧野と姫門〜七海で姫門本線、霧野〜姫門が緋海線、七海〜春雨は塔原線春雨支線だ。 対岸のニュータウンで客を降ろしつつ、永宮で415系の驟雨行と接続する。永宮からは香山県内で珍しい直流区間に入るが、快速電車は通過だ。しかし、特定地方交通線指定による白木原線廃止後は、快速電車が白木原駅に停車する予定だ。白木原線は並行する対岸線で充分だと認定された。ふと平行する白木原線を見ると、単行のキハ52が止まっていた。香山県内だけど気動車は管理の関係で対鉄局坂屋車両区所属だ。 葉彩港、望光、霧野とすぎていくと、隣の姫門本線の113系10両編成に抜かされた。姫門本線に113系が見られるのはいつまでなのか。国鉄改革を見据えて、新・近郊形電車が入るらしい。(編集部注:1986年3月改正で211系導入と併せて12両化。113系は2006年3月改正で完全置き換え。) 隣の国電の103系を抜かしつつ、霧野だ。姫門ローカルの103系4両編成が見える。そして緋海に向かう。緋海は樺氷線の近くにある。樺氷線は貨物メインの貨物線だ。そこは申し訳程度に101系が走っている。そしてついたのは姫門、猫鯖の大ターミナルだが、姫門都のメインターミナルの座は姫浜に譲った。 次は七海、乗り換え大ターミナルだ。対岸線は新設の7・8番線に発着する。ここで河急の空港特急が発車していった。ここから北は姫浜鉄道管理局、浜鉄局だ。浜鉄局は猫鯖の私鉄王国・姫浜で私鉄と全力で戦っている。鳩急に負けている部分もある野分鉄道管理局とは違うのだ。 国鉄七海工場の脇を通ると、改造中の車両や、新車のモックアップなどが見えた、国鉄四大工場の一角である七海工場、魔改造の聖地とも言われている。浜鉄局伝説、特急より速い快速の本拠地である。 そして、すぐ春雨駅に到着する。春雨駅1番線だ。ここで特急を待避する。香山から来た485系の特急ひびき号だ。いわゆる乙特急運用には、新しい振り子式の591系電車は運用に就いていない。120km/hで通過していった。特急の後にすぐ出るかと思いきや、羽鮒からの普通電車と対面接続する。ようやく発車した。野分路を飛ばす115系。乗客の少ない2駅を通過したら、そこは吹雪だった。吹雪からは各駅に止まる。 野分県の予算で作られた真新しい駅舎をすぎ、電化されているが単線のローカル線に入る。ここは(廃線回避のため)野分本線吹雪支線扱いだ。東吹雪(現・連邦経済庁前)、小雪、北野分と小規模の駅をすぎていく。 第一次特定地方交通線、つまり1982年度末までに廃止することとして、1981年9月18日に廃止承認された路線の野大線を廃線跡の横を走り、野分駅に着いた。国鉄改革により設備投資が行われていないため、新吹雪〜野分は単線だ。野分からは、キハ52の世界だ。隣のホームには、キハ52の小町行が停まっていた。 ヒメハマ、私鉄王国と浜鉄局の戦い 野分駅の駅の外に出て、駅前から松路行のバスに乗る。これは、1982年3月で廃止された野大線の代行バスだ。野分交通の古いバスに乗り、原野を抜けて、松路に着いた。ここで河急に乗り換えだ。姫浜線は電化されているものの、本数が少ないし、バスと接続が考えられてない。現にバスが着いた途端に、姫浜最後の72系、クモハ73259とクハ79308が通り過ぎていった。1985年3月改正で旧型国電は廃車される予定だ。 国鉄の発表によれば、すべての旧型国電と旧型客車は1985年3月改正以降運用に入らない模様だ。姫浜地域には、103系の機器を流用した105系電車が導入される予定だ。塔原浜北線への201系投入により捻出された103系が多く改造される予定だ。(編集部注:塔原浜北線の103系は105系化改造の他に、湖西線や右沢地域の冷房化率向上のために転出した。105系は姫浜地域と渋南地域の旧型国電置き換え用に改造されていて、2010年代まで現役であった。201系は塔原浜北線に投入されたが、その次に導入された北海ー港浜快速用は、205系が投入された。) とりあえず河急のホームに向かおう。ここでは30分に1本、星名行の電車が来る。古いが、綺麗に整備されていた。星名で琴浜から来た真新しい電車の快速急行に乗り換えると、国鉄にはない未来を感じられた。ステンレスのピカピカの車体に、高級な緑の座席が並ぶ車内。これぞ河急だ。七海までは20分ほどで着いた。姫浜大町、踊場、新河堀、七海とすぎ、七海で下車した。 七海の国鉄線ホームに向かい、船原行の電車をまった。ただ若草の自宅に帰るのでは芸がない。とりあえずグリーン車に乗ろう。サロ110の赤いモケットの簡易リクライニングシートが並ぶ車内。とりあえず窓側に座る。空港から来た103系の快速と接続を取り、乗客が増えた普通列車は発車する。やってきた車掌から莉菜までのグリーン券を買った。50km以内なので、450円だ。 新姫浜、姫浜と停車が多い。姫浜は5面10線の駅であり、多くの特急・急行列車が発着する。ここでは、高波行のひめなみ号とすれ違った。七海〜姫浜〜踊場のダイヤは超過密ダイヤであり、KM分離(港浜快速・姫門本線分離)が求められているが、国鉄の財政難で工事はいつになるのだろうか。 北海本線の混雑は悪化の一途を辿っているが、今はラッシュではないので、グリーン車は空いていて快適だ。1985年3月で廃止になる予定の、急行「くらやま」号とすれ違った。165系8両編成だったが、ガラガラだった。 1984年10月時点での姫浜地域の優等列車は、姫浜〜若草〜高波の特急「ひめなみ」・急行「右沢」、姫浜〜若草〜陽府の特急「たいがん」、姫浜〜若草〜向浜の急行「ひので」、姫浜〜夕立〜宇津保の特急「こうわん」、姫浜〜莉菜〜香山〜高波の特急「さわやか」、姫門〜姫浜〜船原の急行「わたつみ」、姫門〜姫浜〜北海高山の急行「くらやま」、姫門〜新姫浜〜流星の急行「さんご」だ。このうち、1985年3月改正では、急行「右沢」の特急「ひめなみ」への格上げ、急行「ひので」の区間短縮、急行「わたつみ」・急行「くらやま」の臨時化、急行「さんご」の快速格下げが行われる予定だ。 廃止になる急行列車は減便が相次いで、今や一日数本しか走っていない。1985年3月改正では、特急「こうわん」の一部列車が北海高山や船原まで延長運転される。また、おはようライナー若草・姫浜、ホームライナー対岸・浜北が設定される予定だ。また、国鉄全体としての大きな変化は、昼行列車の食堂車が正式に廃止になることだ。これまでも、食堂車は営業休止のことが多かった。 踊場駅を通過すると、巨大な車両基地が見えた。それは踊場車両区、猫鯖有数の車両基地だ。ターミナル・姫浜駅に近い特性から、通勤・近郊形電車のみならず特急・急行車両も多く所属する。 2つのトンネルを抜け、そこは北海篠原だ。塔原浜北線の201系倉山行が見える。北海大津と本赤川を通過すると、美貴温泉だ。ここでは北海中央行の103系快速電車と接続する。美貴温泉から美菜線の各駅に停まる。元私鉄なので、ゆっくりだ。 莉菜で降りると、反対側には真新しい415系の4両編成が止まっていた。残念ながら、オールロングシートの600番台だ。香山はロングシート車が多い。空いてるのにもかかわらず、だ。絶対ロングシートにすべきなのは香山ではないだろう。ここで浜鉄局から香山鉄道管理局に移る。 西猫鯖の風、変わる時代 真新しい高架橋を抜け、香山の謎に豪華な駅に各駅に止まり、最近新しくなった高架駅の香山駅に到着した。ここでは別の415系に乗り換えた。100番台なのでセミクロスだ、よかった。すぐ扶桑に着いた。 扶桑では、地上の0番線から若草方面が出ている。対岸線の上氷延伸計画で彩川〜扶桑の折り返し路線となる予定があるので、若草まで直通で行けるのはあと少しだ。 湘南色の113系4両、非冷房の初期車が来た。多分そのうち置き換えられるだろう。若草市(現・たいがん市)の中心駅、若草までは15分ほどだ。この列車は岩泊行きだ。1983年の入浜本線電化により、旭戸より先に行けるようになった。しかし、都心直通は湖西線開通により…
https://w.atwiki.jp/jreast-timetable/pages/348.html
東海道本線 9854M 快速「き・ら・き・らヨコハマ」 運転日 編成 時刻 2009/06/02(火) 485系新潟車(きらきらうえつ) 回9853M~小田原1550→国府津1556→平塚1605→茅ヶ崎1610→藤沢1616-17→大船1622-23→戸塚1627→横浜1637~回9854M
https://w.atwiki.jp/kintetsu_consist/pages/47.html
大阪線 名古屋線 このページではFC92,93について解説しています。1200系→1201系に関しては1201系を参照。 現在(2024/1/15) ←賢島 | 大阪上本町/名古屋→ 編成 ^Mc1200^ T1380 M2450^ Tc2590 B更新 スカート ホロ モケット色 内装 渡り板 特記事項 FC92 _1211_* (wc)_1381_* _2461_ _2592_ 2020/5/19 B,B グレー B L3 FC93 _1212_* (wc)_1382_* _2462_ _2593_ 2020/9/28 B,B グレー B L3 富吉へ転属(2002〜2003年) ←賢島 | 大阪上本町/名古屋→ 編成 ^Mc1200^ T1380 M2450^ Tc2590 転属 特記事項 FC92 _1211 (wc)_1381 _2461 _2592 2003年 FC93 _1212 (wc)_1382 _2462 _2593 2002/8/8 VC43+FC93で転属 固定編成化前 W41,W42は2430系参照。 C#2592,2593は2410系 編成 ^Mc1200^ T1380 - 製造日 固定化 特記事項 (1211f) 1211 (wc)1381 - 1984/3/7 1985/3 単独増結車 (1212f) 1212 (wc)1382 - 1984/10/6 1985/4 単独増結車 編成 Tc2590 - - 製造日 固定化 特記事項 2592 - - 1969/12/9 1985/3 単独増結車 2593 - - 1969/12 1985/4 単独増結車 編成 Mc2430^ M2450^ Tc2530 製造日 組み換え 特記事項 G41 2441 2461 2541 1973/3/26 1984/4 G41→W41 G42 2442 2462 2542 1973/3/26 1984/10 G42→W42
https://w.atwiki.jp/ps4oratan/pages/95.html
アーケード版Ver.5.2(攻略本)電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム 武装マニュアル 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム ゲーメストムックVol.157 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム オフィシャルガイド 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム ULTIMATE MISSION ドリームキャスト版Ver.5.45攻略本電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム パーフェクトガイド ウェポン テクニック編 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム パーフェクトプレイングマニュアル ドリームキャスト必勝法スペシャル 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム パーフェクトガイド ネットワーク バトル編 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム ザ ブック オブ サイバースペースダイバーズ オラトリオ・タングラム副読本真実の璧(たま) CG集電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム マトリックスVol.01 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム マトリックスVol.02 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム マトリックスVol.03 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム マトリックスコレクション ゲーム限定版付属CG集CHRONICLE15(電脳戦機バーチャロン クロニクル15) Chronicle 20 ほか月刊ホビージャパン連載「エピソード #2.42 One-Man Rescue(リブート版)」 月刊電撃ホビーマガジン連載FRAGMENTARY PASSAGE<断章> アーケード版Ver.5.2(攻略本) 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム 武装マニュアル ゲーメスト1998年5.30/6.15号No.224(1998年4月末頃発売?)の特別付録。 Ver.5.2の情報のため、マスピのVer.5.66にはほぼ全ての情報が使えない。 別冊。 全ページカラー。 サイズ ? ページ数 16ページ程度? 出版社 新声社 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム ゲーメストムックVol.157 ゲーメストの標準的なムック本。 Ver.5.2の情報のため、マスピのVer.5.66にはほぼ全ての情報が使えない。 サイズ AB変判 定価 1,780円+税 出版社 新声社 発売日 1998年09月27日発行 ページ数 182ページ ISBN-10 4-8819-9530-8 ISBN-13 978-4881995303 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム オフィシャルガイド ソフトバンク SEGA OFFICIAL BOOKS Ver.5.2の情報のため、マスピのVer.5.66にはほぼ全ての情報が使えない。 単行本 サイズ A5判 定価 1,500円+税 出版社 ソフトバンククリエイティブ 発売時期 1998年11月(1998年12月発売との情報もあり) ページ数 215ページ ISBN-10 4-7973-0704-8 ISBN-13 978-4797307047 ■目次 システム解説 機体別スペック解説(RAIDEN GRYS.VOK ほか) ステージ解説 瓦重郎氏インタビュー(誤植、ママ。正しくは「亙(わたり)重郎」) 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム ULTIMATE MISSION ゲーム批評SUPER!VOL.1 ゲーム批評12月号増刊 通称ポケモン図鑑。 表紙はアファームドBT。 巻頭数ページのみカラー。本文はモノクロ。 当時のゲームセンターの情報やプレイヤーの顔写真とコメントを掲載。 Ver.5.2の連勝補正の情報など掲載(内容に誤りあり)。 サイズ ?(右とじ) 定価 1,410円+税 出版社 マイクロデザイン出版局 発売時期 1998年秋頃? ドリームキャスト版Ver.5.45攻略本 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム パーフェクトガイド ウェポン テクニック編 ドリマガBOOKS この後に発売のネットワーク バトル編とセット。 単行本サイズ。 ほぼ全ページがカラーページ。 サイズ A5判(左とじ) 定価 1,300円+税 出版社 ソフトバンククリエイティブ 発売日 1999年12月24日(金)※ゲーム発売と同月1999年12月27日初版発行 ページ数 224ページ ISBN-10 4-7973-1178-9 ISBN-13 978-4797311785 出版社サイト https //www.sbcr.jp/product/4797311789/ ■目次 システム(基礎知識;操作システム ほか) バーチャロイド(ライデン;グリス・ボック ほか) ステージ ネットワーク対戦(セットアップ;イージーロビー ほか) 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム パーフェクトプレイングマニュアル ドリームキャスト必勝法スペシャル 単行本サイズ。 カラーページ多め。 サイズ A5判 定価 1,480円+税 出版社 勁文社 発売時期 2000年1月27日(木)※ゲーム発売翌月 ページ数 239ページ ISBN-10 4-7669-3407-5 ISBN-13 978-4766934076 ■目次 機体紹介 システムインフォメーション 実戦闘講座 ネット対戦を極める オリジナル機体を作ろう! エンブレムを作ろう! 全12機体完全運用法 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム パーフェクトガイド ネットワーク バトル編 ドリマガBOOKS この前に発売のウェポン テクニック編とセット。 ネット対戦攻略本。 カラーページ多め。 ウェポン テクニック編の予告では2000年2月発売予定だった。 サイズ A5判(左とじ) 定価 1,800円+税 出版社 ソフトバンククリエイティブ 発売日 2000年3月28日(火) ページ数 309ページ(311ページとの情報もあり) ISBN-10 4-7973-1194-0 ISBN-13 978-4797311945 出版社サイト https //www.sbcr.jp/product/4797311940/ ■目次 基礎知識 バーチャロイドガイダンス 機体別戦術指南 ステージ攻略 隠し要素 ネットワーク対戦 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム ザ ブック オブ サイバースペースダイバーズ 単行本サイズ。 定価 1,300円+税 出版社 双葉社 発売時期 2000年4月 ページ数 127ページ ISBN-10 4-5751-6208-6 ISBN-13 978-4575162080 ■目次 WORLD GUIDE VIRTUAROID GRAPHICS WHAT’S SRL? NETWORK PLAYING GUIDE VIRTUAL‐ON GOODS FILE GAME SYSTEM GUIDE DATA BASE THE SECRET FI EDITOR’S NOTES オラトリオ・タングラム副読本 真実の璧(たま) オラトリオ・タングラムの副読本。CG+解説文。 週刊ドリームキャストマガジン・ドリマガに掲載されていたもの+α。 大型本。 カラーページ多め。 アーケード版Ver.5.66稼働後の書籍であり、10/80SP、シュタインボック、アファームドCのCGもあり。 編集:ドリームキャストマガジン編集部 ソフトバンクパブリッシング発行 サイズ 大判(A4?) 定価 2,800円+税 出版社 ソフトバンククリエイティブ 発売時期 2000年12月31日初版発行 ページ数 128ページ ISBN-10 4-7973-1490-7 ISBN-13 978-4797314908 出版社サイト https //www.sbcr.jp/product/4797314907/ CG集 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム マトリックスVol.01 CYBER TROOPERS VIRTUAL−ON ORATORIO TANGRAM GRAPHIC MATERIAL COLLECTION "MATRIX" Volume.01 WAVE 全ページがカラーページ。 テムジン、フェイ・イェンKn、アファームドBT、ドルドレイのCGを収録。 サイズ A4判 定価 1,200円+税 出版社 ウェーブ 発売日 1999年? 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム マトリックスVol.02 CYBER TROOPERS VIRTUAL−ON ORATORIO TANGRAM GRAPHIC MATERIAL COLLECTION "MATRIX" Volume.02 WAVE 全ページがカラーページ。 サイファー、エンジェラン、アファームドST、グリスボックのCGを収録。 サイズ A4判 定価 1,200円+税 出版社 ウェーブ 発売日 1999年? 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム マトリックスVol.03 CYBER TROOPERS VIRTUAL−ON ORATORIO TANGRAM GRAPHIC MATERIAL COLLECTION "MATRIX" Volume.03 WAVE 全ページがカラーページ。 ライデン、バルシリーズ、スペシネフのCGを収録。 58ページ? サイズ A4判 定価 1,200円+税 出版社 ウェーブ 発売日 1999年? 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム マトリックスコレクション CYBER TROOPERS VIRTUAL-ON SERIES MATRIX-COLLECTION GRAPHIC MATERIAL COLLECTION アスキー・メディアワークス/角川書店 4冊セット。紙箱(三方背スリーブケース)入り。 既刊のVol.1~3の内容に加えて、4冊目として模型誌の月刊ホビージャパンに掲載されていたOMR(ワンマンレスキュー)に登場したバーチャロイドのCGを収録。 紙と印刷の質がウェーブ版と異なる。 サイズ A4判 定価 3,000円+税 出版社 メディアワークス・角川書店 発売時期 2000年10月25日(水)2000年11月15日(水)との情報もある ISBN-10 4-8402-1694-0 ISBN-13 978-4840216944 ゲーム限定版付属CG集 CHRONICLE15(電脳戦機バーチャロン クロニクル15) 名称は公式サイトまま。実物表紙には「CYBER TROOPERS VIRTUAL-ON CHRONICLE15」 Xbox360版「電脳戦機バーチャロンフォース」限定版付属品 サイズ A4?(横長、左とじ) 定価 9,800円+税 発売日 2010年12月22日(水) ページ数 ??? ISBN ゲーム限定版付属品のためなし 公式サイト https //vo-force360.sega.jp/outline.html#exclusive Chronicle 20 名称は公式サイトまま。実物表紙には「CYBER TROOPERS VIRTUAL-ON CHRONICLE20」 PS4版「とある魔術の電脳戦機(バーチャロン)」限定版付属品 (※PSVita版の限定版には付属しないので注意) サイズ A4?(横長、左とじ) 定価 12,490円+税 発売日 2018年2月15日(木) ページ数 500ページ ISBN ゲーム限定版付属品のためなし 公式サイト https //vo-index.sega.jp/products/index.html ほか 月刊ホビージャパン連載「エピソード #2.42 One-Man Rescue(リブート版)」 「エピソード #2.42 One-Man Rescue(リブート版)」は、PlayStation4とある魔術の電脳戦機 初回限定版 [Discipline(ディシプリン) 55]に付属の冊子「Chronicle 20」に再収録。 月刊電撃ホビーマガジン連載FRAGMENTARY PASSAGE<断章> FRAGMENTARY PASSAGE<断章>は、PlayStation4とある魔術の電脳戦機 初回限定版 [Discipline(ディシプリン) 55]に付属の冊子「Chronicle 20」に連載以来の初収録。 連載版 No. 月号 掲載タイトル ページ数 表紙 Vol.13 2000年1月号 Vol.14 2000年2月号 Vol.15 2000年3月号 Vol.16 2000年4月号 Vol.17 2000年5月号 Vol.18 2000年6月号 Vol.19 2000年7月号 Vol.20 20#0年8月号 Vol.21 20#0年9月号 掲載なし 0ページ 陸産型ガンダム Vol.22 20#0年10月号 Vol.23 200#年11月号 ウイングガンダム(TV版) Vol.24 2000年12月号 Vol.25 2001年1月号 FRAGMENT PASSAGE[断章] RX-78GP01 Vol.26 2001年2月号 FRAGMENT PASSAGE[断章] 推定4ページ RX-93νガンダム アムロ・レイ Vol.27 2001年3月号 FRAGMENTARY PASSAGE[断章] 6ページ NT-1 Vol.28 2001年4月号 推定ページ ジ・オ Vol.29 2001年5月号 推定ページ ああ Vol.30 2001年6月号 ADVERTISEMENT #3 推定4ページ RX-78GP03Sステイメン、グフカスタム、マラサイ Vol.31 2001年7月号 FRAGMENT PASSAGE[断章] RX-78-2ガンダム Vol.32 2001年8月号 推定ページ ああ vol.33 2001年9月号 FRAGMENT PASSAGE[断章] GP03Sステイメン+GP03オーキス Vol.34 2001年10月号 FRAGMENTARY PASSAGE[断章] キュベレイ、Sガンダム Vol.35 2001年11月号 推定ページ あああ Vol.36 2001年12月号 推定ページ ゼータプラス Vol.37 2002年1月号 FRAGMENTARY PASSAGE[断章] 推定?ページ RX-78-2ガンダム Vol.38 2002年2月号 推定ページ ああ Vol.39 2002年3月号 FRAGMENT PASSAGE[断章] Vol.40 2002年4月号 FRAGMENTARY PASSAGE[断章] RX-78ガンダム、RX-78GP01 Vol.41 2002年月5号 Vol.42 2002年月6号 Vol.43 2002年月7号 Vol.44 2002年月8号 掲載なし 0ページ RX-78-2ガンダム、RX-79Cジム改 Vol.45 2002年9月号 Vol.46 2002年10月号 Vol.47 2002年11月号 Vol.48 2002年12月号 Vol. 2003年1月号 Vol. 2003年2月号 Vol. 2003年3月号 Vol. 2003年4月号 Vol. 2003年5月号 Vol. 2003年6月号 Vol. 2003年7月号 Vol. 2003年8月号 Vol. 2003年9月号 Vol. 2003年10月号 Vol. 2003年11月号 Vol. 2003年12月号 Vol. 2004年月号 Vol. 2004年月号 Vol. 2004年月号 Vol. 2004年月号