約 3,071,708 件
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/986.html
9月11日 いつものように朝が訪れる。 朝比奈さん(長門)が言っていた元に戻せるようになる時まであと24時間を切った。 俺は鏡の前で最高の笑顔を作ってみた。 鏡に写る例の古泉スマイルともようやく今日でお別れである。 天候は快晴。 この調子なら今夜の満月はきっと綺麗なことだろう。 俺は軽快なステップで学校へと続く長い坂道を登っていった。 昼休み。 いつものように古泉(俺)の周りに集まる女子の群れ。 当然今日も俺は弁当など用意していない。 だが食いきれないほどの昼食が俺の目の前にある。 なんで古泉がこんなにモテるのかは知らないが、 これは古泉が特定の彼女を作っていないことも原因の1つであろうだろう。 谷口にこの状況を分けてやりたいぜ。 特に何事もなく時間は過ぎていった。 俺は古泉として振舞うことにもうそれほどの苦痛を感じていなかった。 もうこれで最後と思えばこそ最後くらいより古泉らしく演じてみようという気にもなっていたからだ。 放課後──。 部室に委員長を連れていき今日参加するメンバーを待った。 長門(古泉)、朝比奈さん(長門)、鶴屋さんが来て、 最後にハルヒ、俺(朝比奈さん)の後から 谷口、国木田までついてきた。 「す、すいません……どうしても来たいって言ってたので……」 俺(朝比奈さん)がとてもすまなそうに委員長に謝っていた。 「いえいえ、お友達の方もぜひ一緒に来て下さい。 人数が多い方がきっと楽しいでしょうから」 委員長の人の良さには頭が下がる。 「あら、あなたがわたしたちSOS団を今日のパーティーに招待してくれた子? でかしたわ! じゃんじゃんお呼ばれしてあげるわ!」 ハルヒは遠慮というものを知らないのか、 初対面の委員長の頭をなでなでしながら喜んでいた。 「いや~、朝比奈さん今日の制服も素敵ですね。 あ、僕谷口です。いつぞやの野球大会のときのことは覚えていますか? そう、あのとき貴重なホームランを打ったあの谷口です!」 朝比奈さん(長門)は少しだけ谷口の方を向いたが、 何も得るものがないと判断したか、完全無視という選択肢を選んだ。 「ちょっとキョン。 わたしたちはこれから浴衣に着替えるからあんた達は外に出てなさい」 ん……お、おい! 長門(古泉)! お前もまさか一緒に着替えるとかいうんじゃないだろうな! 「あったりまえでしょ。 みんなで着なきゃ着付けるのも難しいんだからね」 そうじゃない……その長門の中身は古泉なんだ…… ハルヒは俺達男供を投げるように追い出した。 「おわーっ! 相変わらずみくるのおっぱいすっごいねぇ~。 こんなに大きくしていったい地球をどうするつもりさ~?」 「……」 「こらー有希! なんでそんな端っこで着替えてるの! もっとこっちで着替えなさいってっば!」 「え、いや……わたしはここでいい……、あ、ダメ。 ちょ、じ、自分でやる……自分でやるから……」 官能的なやりとりが扉の向こうで繰り広げられているのを、 谷口がじっと耳を凝らしながら聞いていた。 俺もひそかに聞き耳を立てていたのは別に男として自然なことだろう。 「じゃーん! どう?」 数分後、浴衣姿でハルヒが登場した。 「とてもお似合いですよ」 別にお世辞ではない。 ハルヒの浴衣はつい先日の夏休みのときの物であった。 鶴屋さんの浴衣もスレンダーな体にピタッと合っていてこれまた絶品である。 委員長の浴衣も質素な色合いでありながらよく持ち主を引き立てている。 いかにも和服美人といった様相でお似合いである。 長門(古泉)の顔がかなりのニヤケ面で固まっている。 さすがの古泉でも応えたか。 この話はあとで詳しく取り調べさせていただこうか。 「月見といったら浴衣よね。 でも月見には餅つきをするウサギさんも欠かせない要素だと思うの」 そう言われて最後に現れた朝比奈さん(長門)だけは なんとバニーガール姿である。 「………」 朝比奈さん(長門)は自分の大きく開いた胸元のあたりがスースーするのを気にしている様子である。 「うおぉぉぉぉ~~!」 谷口の鼻の下がみるみるうちに伸びていった。 「うぅぅ~……」 俺(朝比奈さん)だけが何か言いたそうにしていた。 これから委員長の家まで歩いていくのにその格好はないだろ…… でも……正直たまりません。 それにしてもハルヒが大きな2つの袋を持っているのが気になった。 「涼宮さん、その2つの袋はいったい……? もう片方はさっき着ていた制服でしょうけど」 「ああ、これ? これはね、うっふっふっふ……内緒よ! 気にしないで。 それでは…レッツゴーーー!!」 「お、おー……」 案内された委員長の家はそれはそれはわかりやすいくらいの大金持ちって感じの家であった。 庭は俺ん家が200個くらい入りそうなほどでかく、 広大な池の中には100匹ほどの色とりどりの錦鯉が泳いでいた。 遠くに見える洋風の屋敷もなかなか壮大な雰囲気である。 なるほど、これならパーティー会場にはもってこいといった感じだ。 一瞬たじろぐメンバーたちを尻目に、 ハルヒと鶴屋さんはいかにも自分の家のようにスタスタと中へ入っていった。 なんであなたたちはこんな屋敷に無料で招待されて平気な顔が出来るんだ。 それに呼ばれたのは古泉(俺)だろうが! それを差し置いて入るなっつの。 でっかい洋間に通された俺達ではあったが、 まだ夜までは時間が少しあった。 俺達はゲームをしたり、 パーティー用の食事を作るのを手伝ったりして時を過ごした。 「……そして、こうしてピンポン玉くらいの大きさに丸めるんです」 委員長に習いながらみんなでお月見団子を作ってみたりもした。 ハルヒはごつくてデカいだんごを作り、 朝比奈さん(長門)は完全に均一性の取れたまんまるのおだんごを作った。 俺(朝比奈さん)は小さくてかわいいおだんご。 長門(古泉)は普通のただの丸いおだんご。 鶴屋さんは一つ一つのおだんごをウサギさんやらネコさんやらの形にしていた。 みんなで無計画につくるもんだから 形もバラバラでとんでもない数のおだんごになった。 どうやったら食べ切れるんだろうか。 そして全部の準備が整って、 空に満月が浮かんだのを確認していよいよパーティーが始まった。 庭に置かれた大小のテーブルの上には豪華絢爛、 目を奪わんばかりの食事が所狭しと並べられていた。 「じゃあ、みなさんどうぞごゆっくりご自由にお楽しみください」 委員長の一声と共にいっせいにみんなが料理へと飛びついた。 まず長門(古泉)が手始めとして場を盛り上げると言い出した。 長門(古泉)はコインマジックを披露した。 長テーブルの上にコップを置いてその中にコインを二枚入れる。 その上からさらにコップをかぶせ、上から布で覆いつくす。 長門(古泉)が口元でボソボソと呪文を唱え、 「……物質転送完了」 の声と共に布とコップを1回転させ、布をはずすと…… なんと2つに重ねられたコップの上の段と下の段に1枚ずつのコインが入っている。 コインが一枚上のコップの中へと移動しているのだ。 「すっごーい! 有希って実は超能力者か宇宙人!?」 ハルヒは素直に感動して大きな拍手をしていた。 よくある手品なんだろうが、俺もどういう仕掛けになっているのかわからないのでこれは素直に凄いと思った。 次の手品はスプーンマジックだった。 ハルヒにスプーンを持たせ、その上から布をかぶせる。 また長門(古泉)が口元でボソボソと呪文を唱え、 「……マッガーレ!」 の声と共に布を取るとハルヒの持っていたスプーンが手も触れていないのにくにゃりと曲がっていた。 「すごぉっ!!」 会場にいたみんなが拍手喝さいを長門(古泉)に送った。 俺(朝比奈さん)が手品に使った布を何度も裏返しながら不思議そうな顔をしていた。 谷口と国木田のくだらない即席漫才を聞きながら、 少し落ち着いた場の空気を尻目に朝比奈さん(長門)が俺のそばで問いかけてきた。 「今回の涼宮ハルヒの行動の意味がわからない。 食事を取らなければ人は死んでしまうと聞いている」 昨日までのハルヒのダイエットのことだろう。 「わたしも食事という形でわざわざ栄養を取る必要は無いが、 人間の生活形態にあわせていつも食事をとることにしている。 少なすぎるといけないから体の容量よりも常に多めに取っている。 それなのになぜ涼宮ハルヒはわざわざ食事を制限していたのか」 「ハルヒはな……痩せたかったんだよ」 「だからそれはなぜ? 痩せるということは飢えるということ。 彼女にとって得るものは何も無い。 それに彼女の体型は人種の平均値から見ても痩せ型といえる。 なぜ?」 うーん、なぜって言われてもな。 俺にはわからんよやっぱり。 女心ってやつは。 宇宙人製アンドロイドのお前だっていつかはわかる時がくるさ。 朝比奈さん(長門)の順番が回ってきた。 女の子達は別にやらなくてもいいと言ったが、 「やる」 といって聞かなかったのでやらせてみることにした。 長門(古泉)がさっき手品をやったようにこいつも手品(ズル)でもやるのかと思いきや、 「少し準備する」 といって朝比奈さん(長門)はさきほど自分たちで作ったおだんごを大量に机の上に並べ始めた。 大皿に山と積まれたおだんごの前に座り、 「全部で300個ある。 5分で全て食べきる」 と言ったとたん、だんごを口に入れ始めた。 ひとつずつ着実にではあるが、 掃除機のような物凄い勢いであの朝比奈さん(長門)の小さな口に吸い込まれていく。 俺(朝比奈さん)がそれを見て少し青ざめている。 明日朝比奈さんが体調を崩してなければいいのだが。 見事4分58秒で全て平らげた朝比奈さん(長門)は誇らしげに少しだけうなづいた。 それをみた鶴屋さんはまたなぜか大爆笑していた。 「あっははははっ! み、みくる~~っ! あんたそんなキャラじゃないさ~! 無っ責任だな~! あっははっ! あーっはははーっ!」 どうも鶴屋さんの言動はところどころに意味不明な点がある。 「まだまだお料理はたくさんありますから皆さん遠慮なく召し上がってくださいね」 委員長が庭に置かれた大きなテーブルの上に新たな料理やおだんごを並べに来た。 ハルヒは目の前にうず高く積まれたおだんごの山を見て何か躊躇しているような仕草であった。 俺が少し助け舟を出してやるか。 「涼宮さん。食べた分は動けばいいんです。 明日はスポーツの秋を楽しみましょう。 卓球でもバレーでもサッカーでもアメフトでも受けて立ちますよ」 「言ったわねぇ。古泉くん! その発言にはきちんと責任取ってもらうんだからね! そうね、明日はプロレスなんてどう?」 責任取るのは古泉だからな。 俺はもう知らんぜ、へっへっへ。 ハルヒはおだんごを1つつまんで豪快に一口で飲み込み、 晴れ晴れとしたいつもの笑顔をして親指を立てた。 そして堰を切ったように次々とおだんごへと手を伸ばしていった。 俺も負けじと手を出す。 こういうものは得てして大してうまいものではないのだが、 ハルヒの嬉しそうな表情を見ているだけでなんとなくおいしいような気がしてくる。 ついに俺の宴会芸の順番がやってきた。 俺(朝比奈さん)を連れて前に出る。 演目は昨日決めたばっかりのアレだ。 「えー、彼には朝比奈さんの物まねをやってもらいます。 さあ、どうぞ」 「え、え、う、あ、あの~ふえぇぇ~」 俺(朝比奈さん)がみんなの視線ですっかり赤くなり、 ついにはしゃがみこんでしまった。 それを見てみんながどっと笑う。 特に鶴屋さんは腹を抱えて笑っている。 こういうのは笑いにつられるというものがあるから、 たとえつまらなくても彼女のように大笑いしてくれる人がいると助かる。 いや、それにしても本当にこの俺(朝比奈さん)の物真似は完璧だね。 なんせ本人がやってるんだからな。 それにこうすることによって最近の俺(朝比奈さん)の挙動のおかしかった点の言い訳が成り立つ。 つまり物真似の練習だったといえばいい。 ハルヒはそれを見てニンマリと笑い、 さきほどから気になっていた袋から衣装を取り出して俺(朝比奈さん)に渡して命令した。 「なんとなくこう来るのは予想してたのよね。 キョン! これを着てもーっとみくるちゃんに近づきなさい!」 ハルヒが取り出した衣装。 それは見たことのある形状をしていた。 赤くて小さい布地、網タイツ、蝶ネクタイに、シッポおよびカフス、そしてウサギ耳。 待て待て待て待て待て! どこからどう見てもバニー衣装だ。 おかしい。さっきから朝比奈さん(長門)が赤いバニー衣装を着ているから、 同じタイプのバニーは部室にはないはずだ。 「ああ、これ買ったの。この前の大食い大会の商品券で」 こんなことに使われるとは思いもよらなかった。 ハルヒが右手にデジカメを構えて100Wの笑顔を見せた。 やれやれ。 こういう笑顔のハルヒには逆らえん。 「あ、古泉くんの分もあるからね」 ……はい? 古泉の物真似と関係ねえだろ! それを聞いて長門(古泉)が少し青ざめた表情をしていた。 見ると俺(朝比奈さん)はすでにハルヒに無理やり着替えさせられていた。 大きめのサイズにしてあるといってもそこは女性用だ。 あきらかに胸の部分の布地が足りず、 エロティックがあふれ出ていた。 股間のモッコリも目に余る醜態である。 「さあ! 早く着替えて! なんならあたしが着替えを手伝ってあげようか?」 ウサギ耳を振り回しながらニヤニヤとハルヒが笑った。 その後の展開は言うまでも無いだろう。 バニーガールの衣装を着た古泉(俺)と俺(朝比奈さん)が、 二人仲良く物真似芸を披露しながら周りを爆笑の渦に巻き込んでいた。 恥ずかしさと情けなさで涙が出そうだ。 実際俺(朝比奈さん)のほうはとっくにもう泣きじゃくっている。 その姿がまた朝比奈さんらしくておかしさをかもし出している。 最後に全員で記念撮影し、 俺たちの恥辱は歴史に永遠に刻まれることとなった。 そうこうしているうちに時間が経ち、 お月見パーティーはお開きとなった。 委員長とその家族にお礼を言って俺達は帰路についた。 ハルヒは歩きながら丸く空に浮かぶ満月を見て何か哀愁のようなものを漂わせていた。 こうして黙って上を見上げている仕草を見ると、 なかなかのいい女に見えてくるから不思議だ。 「あたしさぁ……昔、月面にはきっと何か生物がいるって信じてたのよね」 「おや? 今は信じていないんですか? 涼宮さんにしてはずいぶん一般常識的な意見ですね。 よく月にはウサギが住んでいてオモチをついているというじゃありませんか」 ちょっとハルヒをからかってみる。 「何言ってるのよ! 子供じゃないんだからね! 月面に生物がいないことくらいは見ればわかるじゃない」 少しムキになりながらハルヒが反論してきた。 そうか、いくらハルヒでもそのくらいの常識はあるんだな。 「月面じゃあ生き物は生きていけないわ! 空気も水もないからね。 だから月の地面の下じゃないとダメなのよ! あれだけの広さだもの! 月の内部にはきっと何かいるはずよ! 月星人は地底に都市を作ってそこで生活してるのよ。 そしていつか地球を我が物にしようと虎視眈々と狙っているに違いないわ」 前言撤回。とことんバカだこいつは。 だが、ハルヒがそんなことを本気で願っているとそんなことが現実に起こりうるから怖い。 もし、月星人とやらがいたとしても俺たちの目の前に現れるのだけは御免こうむりたい。 ハルヒが家に帰るのを見送って、長門(古泉)が話しかけてきた。 「今日は一度も閉鎖空間は出ませんでしたよ。 どうやら僕たちは最悪の事態を乗り切ったようですね」 そういうと俺にホテルの鍵を渡して長門(古泉)は帰っていった。 今日もこのホテルか。 まあいい。早く疲れを取って寝たい。 駅前の公園前の広場についたとき、 隣にいるのは朝比奈さん(長門)だけとなった。 別れ際に朝比奈さん(長門)に確認した。 「長門、明日のいつぐらいになれば元に戻せるんだったっけ?」 「明日の午前6時12分48秒が来ればわたしの情報操作基礎分野と物質転換分野の能力はほぼ完全に修復する。 わたしたちの体に乗り移った情報と機能を全て元の肉体へ転送する。 それを用いればわたしたちは全てを元に戻すことが出来る」 「ってことは明日起きたら俺は自分の家で目を覚ますってことか。 じゃあ、その時間がきたらすぐに戻しておいてくれよな」 朝比奈さん(長門)は小さくコクリと頷いた。 俺は今日も長門(古泉)指定のビジネスホテルで一夜を過ごした。 今日は楽しかった。 ただ、楽しんでいただけだった気がする。 でもこれでよかったんだろう。 そしてやっと古泉の体とおさらば出来る。 短い間だったがご苦労さん。 二度とこんなことは起きないことを願っているよ。 明日になれば俺は自分の部屋で目覚めることだろう。 そしていつもの俺の生活が待っているのだ。 ───… 「うぅ……」 俺は窓から入る強い日差しで目が覚めた。 ホテルの一室にいた。 手元の時計を見ると時間は午前7時を指していた。 いつもならもう一寝入りするところかもしれないが、 俺はそこに一つの疑問を感じていた。 「おいおい……」 なぜ俺はホテルにいるんだ? 急いで洗面所に行き、鏡の前に立つ。 「長門……どういうことだ」 鏡の中に古泉一樹のしょぼくれた顔があった。 朝比奈さん(長門)が言っていた能力の制限は9月12日の午前6時12分に切れるはずだ。 もうその時間をとっくに過ぎている。 まさか朝比奈さん(長門)がまだ寝ているとかそんなオチじゃあるまいな。 どちらにしてもそろそろ俺たちを元に戻してもらわないと今日という一日が始まってしまうんだが。 朝比奈さん(長門)の携帯に電話したが繋がらない。 いつもならすぐに取るくせに。 もしかしたら長門に何かあったのかもしれない。 嫌な予感が頭の中をよぎる。 このホテルは長門のマンションに程近い。 急いで着替えて長門のマンションへ直行した。 オートロックの扉の前で708号に呼びかける。 すぐにプツッという音がして相手に繋がった。 「………」 「長門! 起きてるのか? どうして俺たちがこのままなんだ?」 「………」 「もうお前の言ってた時間は過ぎただろ? もし忘れてたのならすぐに俺たちを元の体に戻してくれ」 「………」 相変わらず朝比奈さん(長門)からの返事は無い。 まさか……… 「長門……まさか元に戻せなくなったとかいう話は無いよな? あの0.0004%がまさに現実になったとかそんなバカなことをいうわけじゃないよな?」 「………」 しばらく無言の空気が流れたあと、 ついに長門の部屋との通話プツッという音と共に切れた。 それ以降何度長門の部屋の番号を押しても繋がらなかった。 どうなってるんだよ長門! お前のその態度は明らかにそれを肯定してるみたいじゃないか! 昨日の話はなんだったんだ。 こうなったら最終手段だ。……早いな最終手段。 幸い今の時間は朝の通勤に出かける人が少なくない。 すぐにサラリーマンらしき中年男性が扉を開けて出てきた。 まるで互いにここの住人であるかのように軽く会釈し、 閉まりそうになった扉にすばやく足を突っ込みストッパー代わりにした。 俺ももうハルヒのことをとやかく言えないな。 708号室の扉は固く閉ざされていた。 明らかにここにいるくせにインターホンを押しても長門は出てこなかった。 何度も扉にこぶしをドンドンと叩きつける。 「長門! 開けてくれ! いるんだろ!?」 ドアを叩きながら大きく叫ぶ。 そのうちに隣の住人が出てきてこちらをじろじろと見てきた。 こんなことに構ってはいられない。 「長門! 長門!」 こぶしが赤く染まり、少し皮がむけてきたところで ようやくカチャリという音がして小さく扉が開いた。 「……入って」 朝比奈さん(長門)がうつむき加減で俺を部屋の中へと誘導した。 「長門、これはいったいどういうことなんだ? なんで俺がまだ古泉のままなんだ。 お前にしてもそうだ。朝比奈さんになったままじゃないか。 昨日約束しただろ? 時間がきたらすぐに元に戻すって。 本当に俺たちを元に戻すことが出来なくなったのか?」 朝比奈さん(長門)は何も答えず、無言のまま奥の部屋へと進んでいく。 後をついて行きながらも、俺はさっきから目のやり場に困っていた。 朝比奈さん(長門)はなんと昨日の夜と同じバニー姿だった。 しかもきちんとウサギ耳まで頭に乗っけている。 よっぽどこの服を気に入ったのか、 いや、もしかしたらただ単に昨日から着替えていないだけかもしれない。 それもそれでどうかと思うが。 俺はリビングのコタツ机の前に座った。 バニー服の朝比奈さん(長門)は台所から持ってきた急須で茶碗にお茶を注いで俺の前に差し出した。 俺はお茶には手をつけず朝比奈さん(長門)の答えを待った。 しばらくして、朝比奈さん(長門)はゆっくりと話し出した。 「朝比奈みくるから来るエラーの蓄積量については予想される範囲内で収まった。 制限されていたわたしの能力は同期に関するごく一部の能力を除いてほぼ完全に修復した。 わたしたちを元に戻すことは可能」 よかった……。 元に戻ることはできるのだそうだ。 この朝比奈さん(長門)が言うんだからそれは嘘では無いだろう。 だがそれでも元に戻そうとしないのは朝比奈さん(長門)の意思であるのに相違ない。 いったいなぜ? 「元に戻すことは出来る。 ただし、もし元に戻すとこれから先、 わたしの身に起こる異常事態に私自身が対処することが不可能になる」 「異常事態?」 「わたし内部に今膨大なエラーが蓄積された状態になっている。 12月18日にこれらが引き金となって異常動作を引き起こすことが確実となっている」 これから先に起こる自分の異常動作まで知っているのか。 しかも日付まできちんとわかっているらしい。 「わたしのこの異常動作により、あなたは元よりこの世界の全ての事象に多大な影響を及ぼすだろう。 特にあなたは世界でただ一人その時空改変から取り残された者として、 その時空改変の修正を行わなければならない」 俺だけ取り残される時空改変? しかも俺がそれを直さなければいけないというのだから、 全く想像もできない。 長門の力も借りずにどうやってそんな時空改変とやらを行えというのだ。 俺にそんな力は無いぞ。 「それはいったいどんな出来事なんだ?」 「詳しくは説明できない。 その時代のわたしには同期できないので詳細は不明。 説明したところであなたの記憶を消去しなくてはならない。 なぜならこれはこの世界における不可避な規定事項であるから。 たとえ今消去しなくてもいずれ異常動作を引き起こしたわたしにより、 あなたの記憶から消去されるであろう」 長門は人の記憶もあっさりと消したりできる存在だったのか。 相変わらず恐ろしい能力の持ち主だ。 「その異常動作はすでに未来からの情報により知りえていたが、 どのような原因で引き起こされるのかは不明だった。 過去それについての回避行動が、 考えられる全ての原因に対してさまざまな方法で施されていた。 しかしどのような方法を用いてもその異常動作を回避するに至らなかった。 なぜならそもそもその異常動作が引き起こされる可能性すら見つけ出すことが出来なかったから」 つまり長門はだいぶ前から未来との通信で異常動作が起こることに気づいていて、 それではまずいと思い、いろいろと考えてきたわけか。 でも未来でそうなるのならどうやっても同じ結果にしかならないんじゃないのか? 「わたしがこの4日間、能力に制限が設けられていたのも実はこの回避行動の一環。 過去の自分によりそのように制限されていたからであった。 あの9月8日、涼宮ハルヒの力によってこの改変が行われたときに、 9月12日までの4日間朝比奈みくるとなって過ごさなければならないように、 自動的に能力を制限するよう時限プログラムが施されていた。 先ほど制限の解除と共にその記憶が蘇った」 なんだって? 長門は自分の力を自分で制限していたというのか。 「朝比奈みくるの姿になることで蓄積されるエラーの中に、 異常動作を回避する可能性を見出していたから。 そして今一つの結論を得るに至った。 いまのわたしはこの朝比奈みくるの姿のままであれば、 蓄積されたエラーが引き金となって異常動作を起こしたくても起こせない。 情報統合思念体との同期による連絡が直接できないというこの状態では、 わたしの能力に限界があるから」 朝比奈さん(長門)は俺から視線を離さずまっすぐと前を向いて話し続けた。 「だがわたしはこの体において能力の制限を受けていたことによって、 逆に本来持つべきではない知識を得た。 それは情報統合思念体より独立することによる可能性。 それによって逆にこれから先のわたしの異常動作はほぼ確実なものとなった。 なぜならわたしは情報統合思念体より独立して行動を起こし、 世界を改変する方法を発見してしまったから。 つまり、今回の騒動こそがわたしの中に積み重ねられていたエラーの引き金となって、 12月18日の異常動作を引き起こすに至る直接的な原因となった。 そしていまが最後の分岐点に来ていることに気づいた」 つまりその12月18日の異常動作を避けようとして逆にそれが避けられなくなったって訳か。 まるで急に道路に飛び出してきて車の目の前で動かなくなるネコのような間の抜けた話だ。 「だが朝比奈みくるによりもたらされた影響により、 わたしの決断がどちらを選んでいいものか揺らいでいる。 世界を元に戻すべきか、それとも元に戻さず12月18日のエラーを回避するべきか」 「なあ、長門……。 朝比奈から受けたその影響ってのは具体的にどんなものなんだ?」 「……朝比奈みくるの中に内存する、 異性としてのあなたに対する気持ち」 一瞬頭の中が凍りついた。 朝比奈さんが俺をいったいどんな気持ちで見ているか知らないが、 あの冷静な長門がここまで混乱を覚えるほどの気持ちを俺に対して抱いているというのだろうか。 しかもその中に異性として俺を意識している部分があると……。 これは非常に気になるところだ。 「あなたに選んで欲しい。 危険を犯してもこの世界を完全に元の姿に戻すか、 あるいはこのままにしてわたしの異常事態を回避するか」 朝比奈さん(長門)が俺に何かを委ねるような視線を送ってくる。 「長門……そんなもの迷うことは無いんだ。 俺や古泉や朝比奈さんは自分の体を持って生きてきた人間なんだ。 長門にはあまり人間体に対する執着はそんなに無いかもしれないが、 俺たちは自分の体というものを持っているんだ。 それは俺たち人間にとっては唯一のものなんだ」 「あなたはこの異常動作の危険性がどれほどのものか知らない。 あなたはその事態に陥ったとききっと後悔……」 「長門!」 俺は朝比奈さん(長門)の言葉をさえぎった。 「お前の言い分はわかった。 でも俺は本当の自分に戻りたいんだ。 朝比奈さんの体だってお前のものじゃない。 古泉だってそうだ。 お前や俺の一存で勝手に決めていいことではないんだ。 それにお前がどんな異常動作を起こすのかは知らないが、 規定事項だってわかっているなら元に戻すしかないじゃないか。 どうせ避けられない事態なんだろ? それはわかっていることじゃないか。 任せとけ。 そのときが来たら俺がなんとかしてやる。 異常動作? 世界改変? なんでもこいだ。 俺が一人で背負わなければならないならその運命さえも背負ってやる」 でもそれは違うんじゃないか? お前は言い訳してるんじゃないのか? 本当はお前は元の姿に戻りたくないんじゃないか? 朝比奈さんの姿が実は相当気に入ってしまったとか言うんじゃないだろうな。 朝比奈さん(長門)は頭の上に乗せたウサギの耳を指でつまんでまた離した。 ピョコンとウサギ耳が頭の上でかわいく揺れる。 「……わからない。 でもわたし個人は元の自分の容姿に戻りたく思っていない」 やっと長門が少し素直な一面を見せた。 自分個人の意見を長門は許されていないのだろうか。 こうやって会話して意思の疎通をするのが本当に疲れる。 「なんでそんなふうに思うんだ……? お前だって自分の体に戻りたかったはずじゃないのか? その体ではいろいろと不便は無いのか?」 一瞬朝比奈さん(長門)の目線が俺の方を向き、 また俺から目線を離してうつむきながら答えた。 「あなたがこの朝比奈みくるの容姿を好んでいるから」 な……なんだって? 俺が朝比奈さんのことが好きだから朝比奈さん(長門)は元に戻りたくないという。 それってつまり……つまり…… この朝比奈さん(長門)は俺に好まれたいと望んでいるわけで…… ……これってある意味遠まわしな告白ってやつか? 俺はこの朝比奈さん(長門)から朝比奈さんと長門、一度に二人分の告白を受けてしまった。 「長門……」 なぜか俺は朝比奈さん(長門)の顔が見れなくなっていた。 だからといって違うところに目をやろうとすると 朝比奈さん(長門)の大きく開いた胸元やふとももに目が奪われそうになる。 「えっと……なんだ。 そ、その……長門にはあのいつもの長門の姿の方が似合うんだよ。 読書好きな寡黙な少女っていう子ならあの姿の方が自然なんだ。 俺はあの長門の方が……そうだな…… わ、わりと好みなんだよ。うん! 俺は断然あっちの方の長門を推すぜ!」 精一杯の言い訳に聞こえるかもしれない。 実際俺は長門の意外な告白にかなり戸惑っていた。 たしかに俺は朝比奈さんのことが好きといえば好きかもしれない。 でも長門のことだって、ハルヒのことだって好きといえば好きなんだ。 あくまでLOVEという意味ではなくLIKEと言う意味でここは考えている。 ああ、俺はいつまでも優柔不断でこんなときになんと答えたらいいかよくわからないバカ男なんだ。 自分の本当の気持ちには気づいているくせにとことん正直になれないんだよ、俺ってヤツは。 長門がうなづいて少しだけ残念そうに答えた。 「そう。 わかった……元に戻す。 しかし、この会話記憶は全て消去する」 「え……!?ちょ…」 長門の声が微かに聞こえたかと思った瞬間、 気づくと俺はベッドの上にいた。 目の前にはよく見慣れた天井。 近くの壁に貼られたポスターは俺が張ったものだ。 そこは俺の部屋だった。 さっきまで俺は長門の部屋にいたような気がするが気のせいだったのだろうか。 起きる寸前朝比奈さん(長門)の声が聞こえたような……。 いや、気のせいだろう。 きっとそんな夢を見ていただけに過ぎない。 現にもう、その夢の内容なんか覚えちゃいないしさ。 今は俺はそんなことより重要なことがあるだろう。 急いで階段を降りて洗面台へと向かう。 眠たそうにハブラシを咥えている妹をどかして、 鏡の正面に立つ。 「ふぇ……ふぉんふんふぉうはひふぁあほ?(キョンくんどうかしたの?)」 ああ、4日ぶりに鏡の中のこの顔に会うことが出来た。 ついにようやく俺は俺の体を取り戻すことができたのだった。 ~~エピローグ~~ 「なあ、あいつらってできてるのか?」 ようやく訪れた俺にとってのいつもの昼休みの時間。 谷口はじーっと2つ隣の席の二人を恨めしそうに横目で見ていた。 後藤と葉山が仲良く1つの机で仲良く弁当を広げていた。 「ああ、あの二人……最近付き合いだしたんだよね。 元々葉山さんは後藤のこと好きだったっみたいだしお似合いのカップルだと思うよ」 そっけなく答えるが、国木田はこういう情報にはやたらと詳しい。 実は谷口以上に男女交際には憧れを抱いているのかもしれない。 それとは対照的に俺たちは男三人で仲良く1つの机を囲んで弁当を食っていた。 昨日までの古泉(俺)のハーレム状態が嘘のようだ。 実際嘘でもなんでもなく今日も古泉はあのハーレムを形成していることだろう。 「はぁ……俺もハーレムとはいかないが、せめてあの二年の朝比奈さんと一緒に弁当を囲んでみたいぜ。 一生に一度でいいからさぁ……」 谷口が弁当の玉子焼きを箸で突き刺して空中でクルクルと回していた。 谷口は知らない。 つい昨日まで、俺の中身がその朝比奈さんであったことを。 よかったな。お前の一生に一度のお願いはもうすでに叶っているぞ。 「ところでキョン。お前は涼宮とは一緒にメシ食ったりしないのか?」 「なんで俺があの女と一緒にメシを食わなきゃならん」 だいいちアイツはほぼ毎日食堂でメシを食う。 俺は弁当組だから一緒に昼飯を食ったことはない。 ……いや、朝比奈さんが俺になった初日に一緒に食堂で食ってたらしいが俺の記憶にはないことだ。 「キョンの俺って一人称……なんだか久しぶりに聞いた気がする。 ここんところずっと女っぽかったのに」 国木田の的確な指摘には何も答えず、 さっさとメシを食い終えた俺は弁当を鞄の中に突っ込み教室を出た。 廊下である人物とすれ違った。 「委員長……」 思わず口に出してしまった。 俺は今もう古泉の姿ではない。 月見パーティーのときに会っているから全くの初対面ではないが、 いきなり声をかけて相手が思い出せるほどの仲とはいえなかった。 「あら。昨日はありがとね」 なぜか頭を下げられる。 俺が何かお礼を言われるようなことをしたのかよくわからない。 むしろこちらこそお礼がしたいところなのだ。 俺は頭を下げてその姿を見送っていた。 食堂にハルヒの姿を見つけた。 ハルヒは大盛りの日替わり定食とカツどんとカレーにざるそばという、 見ているだけで胸焼けのしそうな組み合わせの昼飯をものすごい勢いでかっこんでいる。 「ふぁ、ひょん(キョン)。はんはもほうははふほふ?(あんたも今日は学食?)」 いや、もう食った。 それよりも物を食いながらしゃべるな。汚い。 「なによ。あんたに分けてあげる分は無いわよ」 ああ、そうしてくれ。 ハルヒはあれだけあった目の前の食事を綺麗に平らげて両手を合わせた。 「ふぅ、ごちそうさま」 だがまだ食い足りないのか食堂の券売機の方を見て買い足しに行こうか迷っているようなそぶりである。 本当にこいつがダイエットなんて考えたのか信じられないような様相だ。 「ハルヒ、何事も腹八分がいいと言うだろ」 「じゃあ、もう少し食べてもいいって訳ね」 ハルヒは嬉しそうに笑うと券売機の方へと向かっていった。 まだ八分に到達していないってのか。 やれやれ。 放課後、部室に入ると珍しく古泉が一人で本を読んでいた。 「やあこんにちは。 今回あなたにはだいぶ助けていただきました。 おかげでこうして元の姿を取り戻せました。 心からお礼申し上げますよ」 俺はこの前こいつの体に入っていたんだなぁと、 なぜか懐かしさを感じながらパイプ椅子を組んだ。 「なあ、古泉。長門になってみていつもと一番変わった点は何だった?」 「そうですねえ……スカートがスースーするってことくらいですよ。 せっかくの貴重な体験だったんですけどそれを楽しむような余裕はありませんでしたよ」 ハハッとわざとらしくハニカミながら答えて笑う古泉の姿を見て、 ようやく俺が古泉でなくなったということを実感できた。 「お前になってて感じたんだが、委員長はお前のことが好きなんじゃないか? なんかそんな感じだったが」 「ああ、僕の後ろの席にいるあの子のことですか? まさか……彼女は僕に好意など抱いていませんよ」 「なぜそんなことが言い切れる。 毎日お前の分の弁当を用意してくるし、 わざわざお月見パーティーにまで招待してくれたし、 俺が忘れた宿題だって見せてくれたぞ。 何の好意も持たない人間がこうまでするか」 「もしそう感じたのなら中身を好きになったのかもしれませんよ。フフ……」 んなわけあるか。 初日からあんな態度だったわい。 「じゃあ、彼女はもしかして『機関』の人間か?」 「ほほう……どうしてそんなことを考えるのですか?」 そうでなければおかしいだろう。お前が授業中に呆けていたりするようなキャラだったらわかるが。 「ふふふ、残念ながら違いますよ。彼女は『機関』の人間ではありません。 ですが『機関』とは全くの無関係とは言えないかもしれませんね 『機関』の知り合いの知り合いというだけで莫大な数の人間がその範囲内に入るのですから。 それだけ僕の所属している『機関』は無関係という関係はありえないくらい巨大な包囲網を持っているのですよ 本当のことはこれ以上言えません。でもどうしても知りたいですか?」 どうせ聞いても本当のことは教えてくれないんだろ。だからあえてこれ以上は追求しないよ。 「たとえば……そうですね。こんな風には考えられなくは無いですか? ……昨日の日付は覚えてますか?」 「9月11日だろ」 「それです。その日付がどんな意味のある日であるかはあなたもよくご存知のはずです」 9・11……もしかして……。 数年前、あのアメリカで起こった歴史的出来事の日。 おそらくこれから先の現代史の歴史の教科書には深々とその名が刻まれるであろうあの事件の起こった日が、 偶然にも昨日の日付とぴったりと同じであった。 「その日がたまたま世界最後の日と重なるということも考えられなくはありませんでした。 涼宮さんの考えそうなストーリーですから」 「それで委員長にも協力を要請したってわけか。 そうやって俺をうまくハルヒに誘導させようとした、と」 「いえ、別にそうとは言ってません。 もしかしたらそんな風な考え方もできなくはないのでは?と言いたかっただけなのですよ。 そう簡単に僕が本当のことを言うと思いましたか? どっちにしてもお月見パーティーが今回の解決のきっかけにはなりませんでしたしね」 明らかに関与を認めているようなくせしてきっちり最後にしらばっくれやがった。 まあ、その方が古泉らしくていいだろう。 それにしても、さっきから古泉が読んでいるハードカバーが妙に気になる。 「これですか?いえね、そこの本棚に置いたあったのですが、 読んでみるとこれが意外に面白いんですよ。」 すっと本を持ち上げてタイトルを俺に見せた。 睡眠薬のようなカタカナがゴシック体で踊っていた。 ああ……知っている。 これはSOS団創立当時に長門が俺に読めと渡してきたSF長編だ。 俺も2週間かけてそれを読んだが、 結局のところその本の真髄は全く理解することが出来なかった。 少なくとも高校生にオススメできる本ではないと思う。 「なあ、その本は特にどの辺が面白いんだ?」 古泉はちょっとだけ考えるような仕草をして答えた。 「う~ん、そうですねぇ。よくよく考えると変なお話なんですよね。 文章は説明不足でわかりにくいですし、話の構成も下手ですね。 あとこういうジャンルのお話は、僕はあまり好みとは言えないんですけどね。 でも読んでいると不思議と心が踊るといいますか…… 懐かしい気持ちにさせてくれたりして。 そういえばなんで面白いんでしょうかね。 まあ、しいて一言でいえば……」 またしばらく悩んで一言だけ答えた。 「……ユニーク」 ──数日後。 いつものように文芸部の部室に集まった5人は特にすることもなくただ個人個人の好きな時間を過ごしていた。 朝比奈さんがいつものようにお茶を入れてくれたお茶を飲む。 いつものあの朝比奈さんの味がする。 部室に飾られているハンガーラック。そこには今まで朝比奈さんが着た衣装の数々が並べられている。 そこに新たにブレザーが加わっていた。 そういえばあの入れ替え初日、俺たち四人が長門の家に集まったとき 『機関』が朝比奈さんに渡したブレザーが余っていたのだ。 もしかしたらいつかまた着てみる機会があれば着てみたいという気持ちがどこかにあるのだろうか。 朝比奈さんの方を見つめつつ俺は一つの懸案事項に頭を悩ませていた。 彼女は俺の秘密を知っている。 俺の秘密、それは男の秘密。 ベッドの下のダンボールの底の方に大事に隠されているビデオや本のことだ。 俺が元の体に戻ったその日、 それら全てが姿をくらましている事に気づいてしまった。 もしかしたら親が見つけたのかもしれないが、 うちの親だったらそのことで必ず俺に説教してくるはずだ。 どちらにしても朝比奈さんは俺の秘密を知ってしまったはずだ。 しかし朝比奈さんの素振りはそんなことはまるでなかったかのように俺に接している。 本当に俺のあの宝物を見たのか、それとも知らないのか。 なんとしても真相を知りたいがもちろん朝比奈さんにそんなことを聞くことなど出来ない。 一生朝比奈さんの胸のうちに仕舞っていてくれることを祈る。 「ようやく1キロ減ったわ。なんで体重って全然減らないのかしら」 結局ハルヒのダイエットは完全にやめさせることは出来なかった。 だが俺は一つだけ条件をつけるようにハルヒに約束させたのだ。 それは、隠れてダイエットをしないこと。 もしダイエットをしたいのならみんなで協力して痩せていこうという話だったのだ。 ハルヒも馬鹿正直なところがあるのか、 それとも自分の努力を認めて欲しいのか、 1キロ太っただの痩せただのという話をいちいち俺たちに聞かせてくるようになった。 体重の話題が普通の話題になったおかげで部室内では体重の話はそんなに禁句ではなくなった。 それにしてもいつもあれだけ昼間食っていてよく1キロも痩せるもんだ。 こいつは一日にいったいどれだけのカロリーを消費しているのだろうか。 「みくるちゃんはこの前量ったときは前よりさらに2キロも太ってたのよね。 だからみくるちゃんまであと1キロよ!」 「ちょ、ちょっとなんでバラすんですか~? 絶対言わないって約束したのにぃ~。 それにもうわたしそんなに太ってないです~」 「な、なあんですってー! じゃあ今何キロなのよ! 教えなさい! あ、こら逃げないの! ちょっとキョン! みくるちゃんを抑えて! そこの体重計で量るから!」 「ふぇぇ~ん」 たしかに朝比奈さんが元に戻ったときは少しふっくらしていた。 もちろん本物の朝比奈さんには責任はない。 この前の大食い大会もそうだが、だんご300個の早食いをしたりしたのは長門の仕業なのだ。 それに長門のことだから普段の食事の量だってかなり多めになっていたのではないか? たったの4日で2キロも太るのはなかなか出来ることじゃない。 長門の方を見ると自分のせいじゃないとばかりにひたすらに無言で本を読み耽っていた。 今回の騒動でまた最後は長門の力に頼ってしまったな。 元に戻れたのはお前のおかげだからな。 元に戻せないかもと言われたときはひやひやしたが 結局なんでもなかったみたいだしな。 いや、よかったよかった。 窓の外をみると外の景色が少し赤みを帯びてきていた。 この街にも本格的に秋が訪れようとしていた。 「あれ? おかしいわね。たしかに昨日冷蔵庫に入れたはずなんだけど……」 ハルヒはさきほどから部室の冷蔵庫の中の物を掻き出しながら『あるもの』を探していた。 その『あるもの』は卵、牛乳、砂糖、カラメルなどをたっぷりと含んだ あま~く高カロリーなお菓子である。 「ちょっとぉ、どうしてないのよ! たしかにこの中に置いてたはずなのに!」 ハルヒのこの宝探しは徒労に終わるに違いない。 なんせお前の探しているものは俺の胃の中にある。 ハルヒが手を止めてじろっとこちらを睨んでいる。 むしろ感謝して欲しいぜ。 少しはお前のダイエットに協力してやったんだからな。 「ちょっとキョン!あたしのプリン食べたでしょ!?」 ──涼宮ハルヒの中秋── ──完──
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/6059.html
涼宮ハルヒの激励 目次 それでもコイツは涼宮ハルヒなんだ 1 それでもコイツは涼宮ハルヒなんだ 2 それでもコイツは涼宮ハルヒなんだ 3 それでもコイツは涼宮ハルヒなんだ 4 それでもコイツは涼宮ハルヒなんだ 5 それでもコイツは涼宮ハルヒなんだ 6 それでもコイツは涼宮ハルヒなんだ 7 それでもコイツは涼宮ハルヒなんだ 8
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/4306.html
……と、いかん。回想にかまけているうちにすっかり日が暮れちまった。 ハルヒは雨が降ってるからという理由で朝比奈さんを連れてとっくに帰っている。俺と長門はポエム作成を仰せつかり部室に残っていて、古泉は……こいつもまだ居残りながら、前回の小説誌をなにやら思わしげな表情で読みふけっていた。時々長門に話しかけていたりしたので、長門の不思議小説の解読でもやっていたんだろう。あれの内容では古泉のような登場人物が意味深な発言をしているので、俺よりも更に気にかかるんだろうね。しかし、何故今頃になって。 それはともかくポエムの方なのだが、明日が金曜日であるにも関わらず長門も俺も未だにテキストエディタを活用することなく、パソコンにはまっさらな画面が広がっているのみだった。ホントにどうすりゃいいんだよ。これ。 しかし、今はそれも隅においておこう。朝からずっと言いつぐんでいたのだが、俺はまた朝比奈さん(大)から下駄箱を介して手紙を受け取らされている。今の俺にとってはめっきり嬉しいものではなくなっているが、この手紙は読めば百日寿命が縮むものではなくむしろ伸ばす目的のものなので、俺は例え憮然とした面を浮かべながらも読むしかないのだ。 内容は放課後に元・一年五組の教室で待っているというものだった。以前にどこぞの朝倉さんからもらった手紙の文面と似ていて非常にお断りしたいのであるが、無視できるはずもない。それにこっちとしても会って話を聞きたかったしな。 だが、今回はこれまでとは違う。いつものようにトイレの個室で手紙の封を切りはしたが、それは骨をもらった犬が安全圏に赴いてそれを楽しむといったものではなく、単に散歩コースでお決まりの電柱程度の意味しかない。 それに、もう俺は言われたとおりの芸をする気もさらさらないんだ。朝比奈さん、俺は「お手」といわれて右前脚を差し出せばご褒美が貰えるといった行動に、今度はwhatを挟ませてもらうぜ。あの藤原の言葉をまるっきり信じているわけじゃないが、それでもあなたの行動は怪しすぎる。あそこで俺の朝比奈さんも藤原の話を聞いていたんだから、あの朝比奈さんより未来のあなたは全て知っていたはずなんだ。 それに、藤原は朝比奈さんたちは過去には最初から遡っていないと言っていた。この言葉を信じた上で過去に行くことが目的じゃないのなら、本当の目的は何なんだ? やっぱり、自分の未来へ導くためなのか? それが特殊な未来なら、彼女の指示通りに動く俺たちの未来には、これから何が待ち構えているんだろうか――――。 まあ、それも今から朝比奈さん(大)に会って問いただせばある程度の見当は付くだろう。今度ばかりはそれを聞かないと動きようもないし、時期的にもそろそろ話してくれたって良い。 ……丁度古泉と長門が残っててよかったというべきだな。こいつらには俺がこれから聞く話を帰宅の道中で伝えておこうと思い、 「古泉、長門。今から俺は少し席を外すが、またここに戻ってくるまで待っててくれないか? これからもっと未来の朝比奈さんと会ってくる。いい機会だ。色々聞いてみるよ」 「待って」 おや、という眼差しで長門を見る俺と古泉。長門は「話がある」と俺にうったえ、俺は席を立ってパイプ椅子を机に押し込もうとしていた姿のまま固まり、 「なんだ?」 「情報統合思念体のこと。そして、わたしたちとこれからの世界について」 ジッとこちらを見つつ、 「我々が四年前に観測した正体不明の情報フレアは、涼宮ハルヒが発生させた次元の変容によるものだったと判断された。そして今、情報統合思念体と存在レベルを等しくする天蓋領域の出現によって、思念体は今までにない変化を迎えている。これは、彼らとコミュニケートする方法を画策していく上で内部の情報が次々と展開され、我々が抱えていた自身の進化の閉塞状況が発展の兆しをみせているということ。それによって現在の思念体は、もしかすると進化の可能性は既に自律的なものにはなく、異なる存在との関わりによって変化をみせるといった世界人仮説の中にあるかもしれないと感じている。わたしの役目はそれの解析に当てられるかも知れない」 「なんでわざわざお前がやる必要があるんだ?」 長門は少し考えるような間を置き、 「思念体には、不確実でまれに裏腹な意味を持つ人間の言葉を理解することが出来ない。が、わたしなら……なんとなく、解りそうな気がするから」 そっか。それはな長門。お前がどんどん人間らしくなってきてるから、感情を含めた人の言葉の意味が分かりだしているって意味なんだと思うぜ。 長門はボーっとしたように、 「そして情報統合思念体は、観測対象を涼宮ハルヒという個体から全人類へと広げ、本来の人間の性質を知るためにこの世界を正しい次元体系に戻し、全ての矛盾を消し去った上で人類の経緯を見守りたいと考えている」 「それ、SOS団や……朝比奈さんはどうなるんだ」 「……主流派の意見では、四年前、世界改変以前の状態から開始する案が濃厚だが、朝比奈みくるやわたしたちの関係性を残存させて現在を改変することも可能。しかし、それはわたしたちの状態が一般的な高校生としての観念に基づいたものへと修正されるのが前提」 ……淡々と話す長門を見て、俺の心はズキリと痛んだ。お前、それじゃ…… ――あの時と、一緒じゃないか。 もちろんそれは拒否する。本来の歴史とやらに後ろめたさがないわけじゃないが、今、この世界が俺たちの現実なんだ。やたらにいじくりまわす方がよほど勝手だと思うね。 それに佐々木と二人で喫茶店に残って話をしてからというもの、俺も過去やらを変えようだなんて思いはしないんだ。あの時の佐々木の言葉は俺たちに指標を与えてくれている。それにな、長門にとっても非常に大切なことも話してたんだぜ。 そう思って拒否の意向を示そうとしたときだった。 「長門さんはこの世界と思念体の提案した世界の……どちらを望むのです?」 古泉に視線を配る長門。考え込むように、 「……わたしには、どちらも選べない」 そうだろうよ。だからあのときこいつは俺に選択権を委ねたんだ。古泉、無粋な質問はするもんじゃないぜ。 俺の視線に古泉は気付かず、 「そう……ですか、そうですね。ですが、思念体が強硬にその変革を推し進めたりしないのでしょうか?」 「多分、ないと思う」 「ほう」と、俺と古泉。長門は俺たちを見回して、 「そう急ぐものでもないから。暫くは現状維持で十分。それに何故か現在彼らは、あなたたちの意見に重要性を見い出している。他の存在に意見を求めるなんて、今までの思念体にはない概念だった。これについては情報統合思念体自身も不思議に思っている」 それは俺たちの行動が結果に直結しているからだろうか? 確かに、俺は以前よりも体裁を構わず行動するようになってきてる。あちらも胡乱なことは言えないんだろうかね。 「なるほど、承知しました。僕の機関側としてはある意味一安心です。それと、現在長門さんの思念体との関係は良好な状態に回復しているんですか?」 一瞬ハッとしたような表情を見せた長門はすぐさま無表情に戻り、 「……わたしはあなたたちに伝えるように命令されただけ。依然としてわたしと思念体との接続は最小限のものになっている。こちらから彼らの情報をダウンロードすることは出来ない」 「それってさ、お前が人間味を帯びてきてるからなのか? それとも、なんか悩みでもあるのか?」 「後者については違うと断言できる」 「そうか。それならいいんだ。とにかく俺はその案には反対だ。こっちの選択肢にはないものとして考えとくように伝えておいてくれ」 長門はゆっくりとした瞬きで返事をし、 「でも、現在の時間連続体による世界構成は非常に不安定。長期の見通しだと、いつ、どんなキッカケで崩壊するか解らない。人間や思念体問わず全世界の未来を紡げなくなる不測の事態が発生した場合のために、宇宙をあるべき姿に戻すという思念体の提案も覚えておいて欲しい」 「ああ。だが、絶対に崩壊させやしない。それも俺たちの役割なんだしさ。自分の選んだ道にしっかり責任は持つよ」 そう言うと、微笑を浮かべた古泉は俺を見ながら、 「ええ。それは僕も同様です。ですが、いずれ次元の状態は元通りにしなければならないでしょうね」 そうだな。だが、それはまだ今じゃないと思う。まだまだカタをつけなきゃならんものが残っているしな。まだ俺たちには考える時間が必要だ。とりあえずそれは保留……って、なんだかどっかで聞いたような会話だな? と思いつつ俺は部室を後にし、朝比奈さん(大)の待つ教室へと向かった。 そして元・一年五組であり俺の一年次の教室の前に着き、俺は扉を開いて中に入る。 瞬間だった。 「――ぐっ」 いきなり腹部に重い衝撃を受け、俺は思わず声を漏らした。前方では教卓の前で大人の朝比奈さんがにこやかな表情をこちらに向け、俺の腹部には――、 「……誰だお前」 「グスッ、先輩……助けてくださぁい……」 かなりの確率で人違いをしているらしいこの少女は、俺に突如として飛びついて助けを求めてきた。 ――なんだ? このクラスの生徒か? しかし、ここは朝比奈さん(大)が指定した場所で間違いないはずだ。現に室内にはグラマラスビューティーな女性がおいでである。 もしかしてこの女の子には彼女の姿が見えていないのだろうか。だったらうかつに朝比奈さん(大)に話しかけられんが……。 「ひぅ、先輩が……みんなが、オカシクなくなっちゃったんですぅ……うう……」 「ちょ、ちょっと待った! 人違いだ!」 顔を俺の胸に埋めつつギュウっと抱きしめてくる少女を振りほどき、俺は驚き顔の少女と顔を見合わせる。 …………この少女、どこかで見覚えが――? なかった。 だが、なんとなく意識の片隅に引っかかるような雰囲気を持っている。風体を見回してみると、この女の子の背丈は長門くらい、体重は長門より軽いだろう。髪質はパーマの後ブローしなかったような癖毛気味、スマイルマークみたいな髪留めを斜めにつけているのが特徴といえば特徴的な記号で、制服のサイズが合っていないのか、どことなくブカブカした着こなしをしている。ちっともこなれていないが。 ……見れば見るほど会ったことはないと感じる。校内で不意に見かけた新入生だろうか。 「もう、先輩だけが頼りなんです……オカシクない先輩たちなんて、オカシイもん……」 いやもう困るしかない。 この少女は明らかに俺を認知した上で話掛けてきているが、俺には先輩という言葉が誰を指しているのか、また、オカシイのかオカシクないのかどっちなのか全く分からない。まあとりあえず身元を聞いてみようと、 「誰だ。まず名を名乗ってくれないか」 「あっ」少女は涙で濡れた顔をグシグシと袖で拭き、「ご挨拶がまだでした。フフ、この世界では始めましてですね。失礼しちゃった。ゴメンナサイです」 「……ん、」 ――なるほど。まだ名前もなにも言われちゃいないが、俺が受ける自己紹介としては非常に解りやすい。 このファーストコンタクトはひどく懐かしく感じられるな。一年程前に宇宙人や未来人や超能力者たちと出会ったときと一緒だ。この世界では始めまして、ってことはつまり……。 ――ついに来たか、異世界人。 藤原の世界人仮説を信じるならば、この世界も異世界と関連性があるんじゃないかというのが以前に話した古泉による異世界人の考察に繋がっている。この少女がどんな世界から来たのか不明だが、そこにも俺はいるらしい。多分SOS団もいるんじゃなかろうかと思うが、一体どんな世界なんだろう。 まあ、まずは俺も一応自己紹介をしておくかと考え、 「つまりキミは異世界人なのか。俺は」 「あ、多分あたしの知ってるキョン先輩と変わらないと思います。フフ。あたしは朝比奈みゆきです。これからよろしくです。しばらくお世話になると思います」 「へ?」 もう驚くこともないだろうと余裕ぶっこいてたら、すぐさま軽いジャブを喰らっちまった。 こいつ、さっき名前なんてった? 朝比奈だって? じゃあ、この少女は俺の朝比奈さんの妹ってところだろうか? 確かに、口調に似通った部分があるが……。 と、俺の脳内で数々の疑問が浮かんでいるときに大人の朝比奈さんがこちらへと近づき、 「キョンくん、驚かせてごめんなさいね。みゆきもいきなり抱きついたりしちゃダメでしょ? あなたは女の子なんだから」 「はぁい」 舌っ足らずな返事をする自称朝比奈みゆき。 てゆーか、どうしたものだろう。出来れば、俺は大人の朝比奈さんと二人っきりで話をしたいのだが。 「あー……」俺は言葉を考えながら美人教師風の女性に「この女の子はどうしたんですか? 何だか誰かがオカシクなったとか言ってますが」 すると少女のほうが頭を振りながら、 「ちがいますよう。SOS団のみんながオカシクなくなっちゃったんです」 まるでSOS団の初期設定が変態であるかのような言い草だ……って、確かに全員デフォルトで変態要素が付属してたっけ。最近唯一まともであった俺までもが怪しくなってきている次第であるが、 「どういうことなんだ?」 つまり、SOS団が普通人の集まりになっちまってると言うのだろうか。 で、俺たちに助けて欲しいと。 うーん、イマイチ話が掴めない。なにをもって助けることになるのだろう。それにSOS団が普通になったってのは……。 ――って、ちょっと待て。それって長門がついさっき話していた現象じゃないか? その異世界の思念体がSOS団、いや、世界をそのように変えちまったのか? いや、だがその世界がどんなものなのかが解らん限りは何も言えんな。 俺が異世界人らしき少女からもう少し詳しく話を聞いてみようかと思っていたら、 「キョンくん、現在とても大変な事態が発生しているの。詳しくはわたしが説明します」 と大人バージョンの朝比奈さんが言い、その後に少女へと笑顔を向け、 「みゆきちゃん、これからお母さんはキョンくんと二人でお話があるから、あなたは先に帰って待っててちょうだいね。もう勝手に遠くに出て行っちゃダメよ?」 「行かないもん」プイッと顔を俺に向け、「じゃああたしは失礼します。それと、あっちの世界の長門おねえちゃんが、解決の鍵は先輩だって言ってました。どうぞよろしくです。またすぐに会いにきますね。フフ」 カラリと笑ってちょろちょろと教室の外に出ていく朝比奈みゆき。 「もう」 それを見送る朝比奈さん(大)が溜息をつき、 「やっぱり子育てって大変ですね。小さい頃はとても素直な子だったのに、あの年頃になってからはわたしの話をロクに聞いてくれないの。この間もね、あの子ったら……あ、」 俺の顔を見て何かに気付いた。そりゃそうだろう。なんせ俺の目と口は点になり、まるで牛飼い座と乙女座と獅子座が織り成す春の大三角形を写しているんだから。当たり前だ。朝比奈さん(大)は普通に話を進めているが、明らかに説明不足だ。 俺は持ってきた質問を投げかける前に、それについて聞いてみた。 「……結婚されてたんですか?」 まさか子供がいるとは。しかもその子が異世界人だとは予想だにしなかった。だが、既婚であったというのは考えてみれば予想出来たはずだよな。不思議と俺のイメージの中にゃ微塵も存在しなかったゆえにモロに面食らっちまった。大体、本当の年齢も知らないんだから結婚がどうとかの話までは回らなかったわけで……。 「うふ。わたしはまだまだ独身ですよ? これ以上のプライベートは……禁則事項です」 口元にひとさし指をつけてウインクを飛ばしてきたが、俺には彼女の言っていることがまったくわからない。 もう呆然とマヌケ面を浮かべるしかなくなっていると、 「あの子の紹介がまだでしたね。うっかりしちゃった。あの子は、長門さんの子供なんです」 パードゥン? 「あ、長門さんから預かった子供って言ったほうがいいかな」 「……は?」 朝比奈さん(大)の話があまりにもぶっ飛んでいたような気がしたのでもう一回言って欲しいとは言ったが、正直二回も聞きたくはなかった。何故かって? 決まってる。 「な、長門の子供!?」 聞き間違いであって欲しかった。 「そうです」 肯定までされちまった。 「あの子は自分では気がついていないかも知れないけど……長門さんたちと同じインターフェイスなんです。あ、それでもわたしはあの子を本当の自分の子供みたいに思っているんですよ? 実際にあの子は、普通にしていれば同年代の女の子と全く変わらないんです」 「……すみません。最初から話して貰えませんか? 俺には、まったく話が読めないんですが」 危うく本題を忘れちまいそうな程にこの教室に来てから色々あった。 まず異世界人との邂逅を果たしたかと思いきや実は朝比奈さんの子供で、しかして本当は長門の子供であり、またさらにその子から異常事態が発生しているSOS団の存在を告げられては、こうして俺の耳から白煙が昇るのも無理はない。このまま話が進めばポンッという小気味良い音と共に思考回路がクラッシュだ。 「じゃあ、まずはあの子の話からしますね。覚えてます? この時間平面からの少し前、長門さんが最初に学校を病気で休んじゃった日のこと」 忘れるわけがない。あれは衝撃だった。実際は風邪でもなかったし、現在進行形で気にかかっている事柄だしな。 「あの日、わたしが家に帰ったら……部屋に赤ちゃんがいたんです。最初に見たときはホントにビックリしたんだから」 「……それは驚くでしょうね」 俺が風呂の蓋をあけたら妹が潜んでたってときですら肝を潰されたってのに、家に見知らぬ赤子が居たらそれこそパニックだ。 「でも、このわたしから見たらそれは必然でした。その赤ちゃんは長門さんがわたしに託した子で、こちらの未来で引き取ってわたしが育てるようになっていたの。そしてさっきの年齢になったら北校に入学させて、SOS団に加わる予定だったんだけど……」 「どうしたんです?」 朝比奈さんは少し困ったような顔を浮かべて、 「ちょっと最近あの子とケンカしちゃって……、みゆきは、わたしが涼宮さんから貰った制服を持って家を飛びだしていっちゃったんです。暫くしても一向に帰って来なかったから必死に探したんだけど、みゆきはどの時間平面にも居なくなってしまってて、もうわたしたちは大騒ぎしました。そうしたら先日ひょっこり帰ってきて、あの子は異世界に飛んでいたっていうのが分かったんです」 「そりゃまた、えらくスケールのでかい家出ですね。って、なんでハルヒから制服を貰ったんですか?」 「詳しくは禁則にあたるので話せませんが、わたしが北校を卒業してしばらくした後、涼宮さんがこれからは北校の制服がコスプレになるからって言って自分のをくれたの。制服ならわたしも当然持ってたんだけど、多分、涼宮さんはわたしともう会えなくなるっていうのを感じてたんじゃないかしら。だから、わたしも自分の制服を彼女にあげて二人で交換したんです。……ふふ、あの日は今でも思い出しちゃう。懐かしいなあ」 ……つまり、それが朝比奈さんとハルヒにとって二人が顔を合わせられる最後の日だったんだろう。俺は朝比奈さんにあげられるものなど無いように思うが、俺もなにか貰えたのかな? 「……へ? き、禁則事項ですっ」 あたふたと顔を真っ赤にしてそう言う大人の朝比奈さん。一体俺と朝比奈さんの別れに何があったんだろうか? とは言いつつも、もしかしたらお別れのキスが待っているのかもしれんなと感じている。俺だって彼女の反応をみてそれくらいの希望的観測は立てられるのさ。 「と、とにかく……ここからが重要なんです」 すぐさま真剣な表情になった彼女は、 「あの子が行ってた異世界というのが……涼宮さんが創造した、この世界を複写した世界だったみたいなの。……わたしも最初は信じられませんでした。だけどあの子の話を聞く限りでは、そうとしか思えません」 息をほんの少し吸い込むと、 「多分、その世界が発生したのは……新学期が始まって最初に行った不思議探索の日のうちだと思います。あの日キョンくんは佐々木さんから電話を貰っていますよね?」 ん、たしか……風呂に入っているときに電話があった気がするな。 そっか。佐々木が他三名を交えて俺と会合したいと申し入れてきたときだ。ええ、ありましたね。 「それはこちらにとっての規定事項だったの。あなたに佐々木さんの能力について知ってもらって、そして、未来人の彼が佐々木さんに話を持ちかけるための」 ……この話を聞いて、くっと俺の眉間にしわが刻まれた。 が、まだ朝比奈さん(大)には話がありそうなので黙って聞くことにしていると、 「ですが、その電話からこちらの世界とその異世界とが違ってきています。あちらの世界では、佐々木さんからの電話がみゆきからの電話に変わってしまっていて、日曜の佐々木さんたちとの話し合いがなくなってしまったんです。そして休み明けの登校日にはSOS団に入団希望の新入生が沢山入ってきたらしくって、みゆきはそこに紛れて涼宮さんの入団テストを受けて最後まで合格して……その世界のSOS団に加わってしまったんです」 ……もしかして、こっちじゃ団員募集の張り紙を貼ったのはいいものの、その意味に誰一人として気付かずに結局秘密のまま幻となったハルヒのあの入団試験のことだろうか? そう。そういうこともあったのだ。ハルヒは新団員を採るためにと頑張って入団試験を作ってたが、その試験をするまでもなく誰一人SOS団の門を叩く輩はなかったんだ。なんせチラシをぱっと見ただけじゃSOS団の入部試験だとは気付けないので、ある意味一次審査で全員が落っこちたってことだ。だから、俺は未開催だった入団試験の内容をよくは知らない。どんな試験があったんだろうか。それに一つ気になるのが、 「ハルヒが作ったあのめちゃくちゃな試験の問題に、よくあの子は合格したもんですね」 そう。ハルヒは試験問題を寝不足にまでなって考えてたとか言っていたが、完成稿にはたった一つの問題しかなく、それを見た俺たちは、ああこいつも本気で新団員を入れる気はなかったんだなと感じたような内容だった。それは何だったかと言えば…… 『SOS団入団試験:我がSOS団に足りないもので、それが加わったらもっと世界が盛り上がると思うものを書きなさい』 という無茶で無理無体な質問だった。俺たち団員なら迷わず異世界人と答えるが、はたして他の人がそう答えたところでハルヒが合格点を出すとは思わない。こんなヘンテコな問題を作った本人の理由としては、「問題を解くだけなら簡単でしょ。あたしが求めてるのは意気込みなの。そのレベルを問うには、自分で答えを作らせるのが最良で、これが出来なきゃダメなのよ。もちろん、採点はあたしの基準に照らしあわせてするけどね。面白かったら合格、そうでないなら残念無念、また来年ってこと」 つまり、あいつが計画していた入団試験は単なる気まぐれで、最終的にこの試験で落っことすつもりだったんだろう。 ……だがしかし、この問題に異世界人・朝比奈みゆきはなんて答えたんだろうか。 そんなことを考えていると、朝比奈さん(大)はなにやらあたりを見回し、誰も居ないことを確認すると、 「あの子は、多分何も知らずに書いたんだと思うけど……」 そう言って、あの少女の答えを教えてくれた。それは……、 『(A)未来からやってきた、魔法を使う宇宙人』 ……なるほどと思ったね。宇宙人と未来人と超能力者を一緒の鍋で煮込んだような答えだ。しかもそれを作ったのは普通人の振りをした異世界人だってんだから、合わせて一人SOS団の出来上がりだな。って、それじゃ団になってないか。とにかく、ハルヒが気に入りそうな回答としては模範に近いだろう。などと頷いていると、 「これ……ズバリあの子のことなんです。本人は気がついていないと思いますが……」 「じゃあ、あの子にも長門たちみたいな力があるんですか?」 「いえ、自分の意思で情報操作を行うまでには至っていません。だけど、インターフェイスとしての本能が無意識のうちに存在している……そうじゃないと考えられない行動をあの子は出来てしまうんです」 「それ、一体どんなことなんですか?」 朝比奈さん(大)は、「それは――」と言葉を溜めて…… 「――TPDDによって、異なる世界を渡ることです」 「……TPDDで、異世界を渡れるんですか?」 朝比奈さん(大)の言葉をそのまま疑問形にした俺の問いに、 「いえ、普通の時間平面破壊装置では不可能です。だって、それによる移動のベクトルは三次元方向にしか向いていないから。そうね……二つの世界を並走する列車で考えてみてください。わたしたち乗客は列車内しか移動出来ないけど、隣の列車に飛び移ることが出来たらもう一つの列車に乗ることが出来るってこと。他にも様々な問題があるんだけど、大体そんな感じ」 それでね、と続けて、 「あの子は時間平面を破壊するデバイスを再構築して、ベクトルの方向を自在に操れるように改造しているみたいなの。これは海洋船を宇宙船に作り変える位とんでもないことなんだけど、完成された理論を有するインターフェイスになら可能だったということです。情報統合思念体はTPDDを使用しないから考えもしなかったんだけど、みゆきによってそれは証明されましたから。これは多分、わたしたちの人間的な教育が彼女になんらかの影響を及ぼしているんだと思うわ」 そのTPDDは宇宙の彼方まで行きそうだなと思いつつ、 「……なんとなく、異世界を渡る能力についてはわかりました。それで、その異世界では何が起こっているんですか?」 俺が聞きたいのはこちらの世界についてだが、流れ上これを聞かないわけにはいかないだろうなという気持ちから出た質問に、 「一言で表すなら……涼宮さんが能力を暴走させているんです。もしかしたら、そうさせるために世界を創造したのかも……」 「それ、勝手に能力が暴走しているのとは違って、ハルヒがそうさせているって話ですか?」 「ええ、恐らくは」 ……俺の中で、雪山で遭難したときの心境がフラッシュバックされた。 あんまりな話だ。それじゃ、その世界の俺たちが浮かばれない。コピーがどうのという話じゃなく、あまりにも利己的で、自分勝手な行動じゃないか。 ハルヒがそれをやっただって? ……正直に言おう、俺には信じられないな。あいつはいつだって自由奔放だが、そんな人の心を弄ぶよう真似をやるわけがない。だから、つまり――、 「お決まりの無意識ってやつでしょう。それなら解る。そりゃ誰にだって抑えようにも抑えられない不可抗力なんだから」 いつだって問題を起こすのはハルヒだが、あいつが悪いわけじゃないんだ。悪いのはあいつに宿っちまった変哲な能力で、言っちまえばハルヒだって被害者みたいなものなのだ。 俺の目の前にいるスレンダーな朝比奈さんは、 「ええ。きっかけはそうだったんだと思います。それでね、その世界でみゆきがSOS団に入った後、こちらの世界でも行われたSOS団と佐々木さんたちとの話し合いがありました。こちらでは長門さんの代わりに喜緑さんが参加していたけど、あちらではみゆき以外の純団員で会合があったみたいです。どんな話だったのか詳細は不明ですが、結果からするとこちらの内容とほぼ同じだったと思われます。そしてその後、橘さんの組織はこちらと同じ事件を起こしたの。でも、その結末もこちらと相違ありませんでした」 意見が平行線のまま終わった、最初のSOS団とあいつらでの話し合いのことか。あの後の橘京子側の策略には俺が一人で疲弊するハメになったが、別に思い返すこともないだろう。その次の日に俺は周防九曜に拉致られて…… 「それが終わって、世界に徐々に変化が現れてきました。えっと、この変化はこちらとの違いとかじゃなくって、そのままの意味で世界がおかしくなっていってるんです。未確認生物や超常現象、それらが世界各地でひっきりなしに発生したんです。その世界のわたしたちには伝聞した情報しか伝わってなくて涼宮さんは信じていなかったけど、実際にそれらは存在していました」 「……ん? 俺が周防九曜にさらわれる事件はなかったんですか?」 朝比奈さん(大)は沈鬱な表情を作り、 「キョンくんが九曜さんにさらわれることはなかったわ。多分、そちらの世界のわたしはひどく慌てたと思います。規定事項が、二つも消えてしまったんだから」 「……規定事項? 二つとは?」 「一つはさっき話した佐々木さんからの電話で、もう一つは、九曜さんの空間に閉じ込められたあなたを未来人の彼が助け出すという行動です」 ……なんか、オカシイぞ。藤原はあれは予定外だったって言ってたじゃないか。だが、あれはこの朝比奈さん側にとって規定事項だったってのか? 「……なんで藤原に俺を助け出させる必要があったんです?」 朝比奈さん(大)は少しもじもじした様子で、 「詳しくは禁則事項ですが……あれがないと、彼らは『あの事件』を起こさないからです。わたしたちにとって、それが起きることこそが大切な規定事項でしたから」 ………俺は言葉を作れなかった。 いま口を開いたら、俺はこの人を糾弾せずにはいられないだろうからだ。 ――あの事件。それは佐々木を巻き込んで、あいつの閉鎖空間に《神獣》を生み出しちまったSOS団と藤原との抗争だ。落ち着いた結果こそ得られたが、それが全部……藤原の行動も含めて、俺の目の前にいるこの女性の未来の、掌の上の出来事だったってのか。気に喰わない。あんたらは俺たちの釈迦であるつもりなのか? 言っとくが、俺たちはいいようにされてばっかりの猿じゃない。それを俺は言いにきたんだぜ、朝比奈さん(大)。 「話を戻しますね」 俺の心が惨憺としてきていることに気付いていないかのような声で、 「ここからは、時間的にこの世界では未来の出来事になります。この世界での今度の日曜日……三日後ですね。あちらの異世界で行われた市内の不思議探索で、SOS団は佐々木さんたちと鉢合わせをします。そして結果だけ言えば、九曜さんを初めとして、彼らとSOS団の正体が涼宮さんにばれてしまうんです」 「ハルヒに……俺たち、いや、古泉や長門、朝比奈さんの正体が……?」 「いえ、わたしたちだけではありません。それに、彼女が一番動揺したのは――」 ……次の言葉に、俺は目を見開いて驚愕の色を表さざるを得なかった。 「――キョンくんが、ジョン・スミスだったこと。それを聞いた涼宮さんは、時空改変能力を発動させて宇宙の姿を変え、情報創造能力によって世界を作り変えてしまったんです」 「……まさか、俺がもしジョン・スミスだとハルヒに名乗っちまえば……世界はそうなるってことなんですか?」 「……恐らくは。これはわたしたち未来人がずっと懸念していたことなんです。涼宮さんが不思議と出会って、それを認めてしまうこと。それが前から話していた強力な分岐点なの。我々はそうなった場合を予測も出来なかったんだけど、みゆきのおかげで今ここに一つの可能性が示されました。この事態はなんとしても回避しなければなりません」 「確かに、その世界は助けなきゃならない。ですが、それがこっちの世界でも起きることはあるんですか?」 「こちらの世界でそれが起きるとは思いません。ですが三日後、この世界がその異世界と同じ時間軸になったとき、こちらの世界はその世界から強力な干渉を受けると推測されます。何故なら、その世界が『立方時間体』によって作られているから」 また妙なワードが出てきた。お願いだからもう勘弁してほしいと言いたいね。 「『立方時間体』による世界を平たく言えば、空間ではなく、世界全体が閉鎖されてしまった世界なんです。今までの閉鎖空間は『紙』単位で閉鎖されていたんだけど、今回は『本』として閉じられたってこと」 「……それが、なんでこっちの世界に影響を?」 「閉鎖されてしまった世界には、それ以後の未来が存在しません。なのであちら側の世界はこちらの世界と同期を図り、歴史をこちら側の世界の未来で進行させようとすると予測されています。こちらの世界の体系が『平方時間体』から『立方時間体』に変化することはありませんが、STCデータ……つまり世界の内容は同じものになってしまうの」 「じゃあ……こっちの世界の俺たちも記憶をなくしちまうんですね」 「はい。ですが、それどころの騒ぎではありません。そのまま未来を放っておけば、近い将来に地球がなくなってしまうんです」 地球壊滅の危機らしいので厳粛に話を聞いていると、 「こちらの世界は『平方時間体』で出来ていますから、涼宮さんの情報創造能力は消えません。そして、異世界での出来事を思い出してみてください。新しい団員、超常現象の発生、そして……宇宙人や未来人、超能力者や異世界人と涼宮さんの邂逅を」 ……つまり、その世界ではハルヒの願望がことごとく叶っているってことか。 「でも、なんで地球がなくなるですか? ハルヒはそんなことを願いはしない」 「いいえ。本人にその気はなかったとしても、彼女は願ってしまっています。そして、地球が壊滅してしまうのは……早くて約十六年後、長くて約二十五年後です。涼宮さんが織姫と彦星のどちらに願いを唱えたかによって変わりますね」 「………………………」 やたら長い三点リーダは、俺が過去の記憶を検索しているためだ。 「……ハルヒ。やっぱり、アホな願いはするもんじゃないぜ……」 これは検索結果への俺の感想だ。なにが導き出されたかというと――――、 『世界があたしを中心にまわるようにせよ』 『地球の自転を逆回転にして欲しい』 ハルヒが去年の七夕で笹に吊るした願い事の、後者の方だ。フライングですでに一つ願いが叶ってるじゃねえか。もう自重してもいいだろう。とは誰に言えばいいんだろうね? だが、もとよりそんなことを言ってる場合じゃない。 「根本的な質問なんですが、その世界を助けるにはどうすれば良いんですか?」 朝比奈さんは少し沈み込んだように、 「それは……長門さんに聞いてみないといけません」 「長門に? ……ですが、さっきまでのあいつはそんなこと微塵も言ってませんでしたよ? そんな重大な事態が起こっているんなら、あいつがそれを俺に言わない筈がない」 「うん。だって現在の彼女はこの事態を知りませんから。だけど、情報統合思念体は知っているはずなんです。世界が二つに分かれてしまった瞬間から、私よりも詳細に全ての出来事を。世界がアニメや漫画だとするなら、思念体はそれを別の所で認識する視聴者のようなものですから」 確かに長門と思念体には不仲説が流れてるし、あいつも思念体の情報をダウンロード出来ないって言ってたな。 「じゃあ、喜緑さんに聞いてみましょうか? 今なら教えてくれそうだし」 「いえ、それは望めません。彼女は最初からこの現象を把握していましたし、第一、観察が目的の思念体としては現状のままで困ることはないんです。地球が滅んだとしても、もとより彼らにとっては些細な出来事でしかありませんから」 ぬ……。思念体にとっても、なんやかんやする俺たちより大人しい俺たちのほうが良いだろうしな。人間の観察も、ハルヒの能力がありゃどうとでもなる。 じゃあ、俺たちが黙ってても世界は思念体の望みどおりになっちまうところだったってことじゃねえか。……くそ、思念体もこの朝比奈さんも、親玉クラスのやつらは信用できやしない。今じゃ、よっぽど藤原のヤツの方が好印象のように感じるね。どっちにしろ不愉快だ。 「それにあちらの世界は閉鎖されているので、こちらの思念体は観察こそすれ干渉は出来ないんです。今のみゆきも、TPDDであちらに向かうことは出来ません。あの世界には、無限のエネルギーがありませんから」 どうしようもないじゃないか。……でも、 「だったら、その異世界がそうなっちまう前の時間に遡行して、それを防げばいいんじゃ?」 「今となってはもう不可能です。それに、今日わたしがここにみゆきを連れてくるのは元々規定事項として存在していたの。だから、もしかしたらその異世界の発生も必然だったのかも。わたしが何も聞かされていなかっただけで」 「へ? それを教えるために来たんじゃないんですか? じゃあ、ここに来た本来の目的は?」 「長門さんに関わる規定事項を実行してもらうためです。えっと、既に今、古泉くんも長門さんもあなたに協力的ですよね?」 ああ。あいつらの上がどうであれ、俺たちはちゃんと信頼し合っている。ここにくるまで長かったような短かったような気がするが、石炭がダイヤに変化する程の時間はかからなかったし、SOS団はそれ以上のモンに成形されていると自負するね。 「ふふ、良かった」 大人の朝比奈さんは不意打ち気味に秀麗な笑顔を作り、 「この規定事項が上手くいけば、多分その異世界の異常も正しく修正できるようになると思います。今こそSOS団の皆が力を合わせて行動するときなの。みゆきも含めてね」 ……ってことは、ある程度のオチがここでつくってわけか。ようやくだ。 「わかりました。その規定事項ってのは何なんですか」 「実行するのは明日なんだけど、内容はキョンくんが過去の空白を埋めること。それがなければ、現在のわたしたちが存在していませんから」 「は?」 ……過去の空白、そんなんあったか? 「あります。とても重要な……《あの日》の中に。明日キョンくんには、長門さんが世界を改変した瞬間に再度飛んで貰うことになります。今度は、前回と違う結末で終わらせなければなりません」 ……意気込むまでもなかったな。これにはwhatと言わざるを得ない。 「――なんで……」思った以上にうろたえていたことに気付きながら、「あの日は……既に、終わってるじゃないか。だから今があるんだ。その過去を変えちまったら、この現在は……」 ――ちょっと待てよ。 そうだ、今が変わっちまう。現在の俺たちがいなくなってしまうんだ。何故、この人はそんなことを俺にさせようとする? まさか俺が……古泉だってそうだが、大人の朝比奈さんに懐疑的だからか? だから歴史をやり直そうってんじゃないだろうな。自分の存在が脅かされる前に先手を打っておこうってハラなのか? 「いえ、あれは繰り返された時間を作るために……」 「ちょっと待ってください」 このまま朝比奈さん(大)の話を聞くのは危険だ。丸め込まれちまう可能性がある。 「その前に聞いておきたいことがあるんだ。俺があの山で拾った棒のことです。なんであれの存在を俺たちに黙ってたんですか?」 「あれは過去のわたしが知るにはまだ早かったの。知らなければ、こちらがウソをつかないで済みますから」 ニコヤカにUFOの存在を大統領に教える秘書のような台詞を吐き、 「それに、あなたが後でそれを拾うのも規定事項として出ていましたので」 「…………」湧き上がる黒い情動を抑えつつ、「もう一つ。藤原のことなんですが、あいつから聞いた話は本当なんですか?」 「ええ。彼の話した理論は偽りのない真実です。ですが……」 ――もう、わかった。 「え?」 目を丸くする朝比奈さん(大)に、 「あなたの話については間違いがあるってことでしょう?」 「……そうですけど、これはちゃんと説明しないと……」 「もう聞きたくないですね」俺は続けざまに「俺が今日聞きたかったのは、俺があなたの未来からやらされている行動は正しいのかどうかってことだった。そして、藤原はあなたたちを虚像の未来だと言った。それを丸々信じ込んじゃいなかったが、あんたがこれから俺にやらそうとしていることはおかしいじゃないか。もともと、過去を変えるってのはタブーなはずだ。けど、そうさせる理由は説明が付く。あんたは、今の俺たちが邪魔なんだ。だから歴史を変えて、俺たちがもっと未来に従順な犬の場合の現在をつくろうとでもしているんだろ。俺が今一番聞きたいのは……あなたたちは、一体何者なんだ?」 「……わたしたちはこの歴史の先の未来です。そして藤原さんの未来は、実はわたしの未来より少し先の地続きの未来なんです。まだ詳しくは禁則なので言えませんが……。それでね、彼らには今までの行動をして貰うために、彼の過去であるわたしの時間平面で組織内の情報を調整していたんです。実は規定事項は記述統計学に基づいて立てられるものではなくて、世界の遺伝子と呼べるものを分析したものなの。その遺伝子の中からわたしたちの行動が影響しているものを見つけ出して、その通りに時間を調整するのが未来人の仕事」 「そんなことはどうだっていいんだ。あなたは佐々木を巻き込んだ事件も、長門の事件のときだって規定事項だって言ってましたよね。それはつまり、そっちの未来を導くためにあんたらが仕組んだことなんじゃないのか。正しい未来ってのは、一体なんなんですか?」 「……未来に、正しいも間違いもありません。向かってくるものを受け入れながら、進んでいった結果が未来に繋がるんです。これは藤原さんの話を聞いていたときに、キョンくんがわたしに言ってくれたことでしょう?」 ……ああ。そうだった。だから、俺がこれからやることに文句はなしにしてもらいますよ? 「ええ。俺たちは自分で未来を作っていく。だから、俺はもうあの時間には行きません。これでいいんですよね?」 「……それでは、これを受け取ってください」 と言いながら、さして慌てた風でもない朝比奈さん(大)は俺に封筒を差し出してきたが、俺はそんな彼女を見て……、 「……もういい加減にしてくれ。その手紙は何なんだ? 俺の答えがわかってたとでも言うんですか?」 「そ、それは……」 ――もう、我慢の限界だ。 「俺は、あんたらのあやつり人形じゃないんだよ! ……もう踊らされるのはごめんだ。大体、あんたらは人の気持ちをなんだと思ってやがる。あの小さな朝比奈さんだってそうだ。長門も、佐々木もだ。そのに、あの日に戻れだって? もう長門にあんな光景は見せたくないし、俺も二度と見たくはない。そっちの未来にいいように振り回されてちゃあ迷惑だ。だからこれからは、俺たちは自分で未来を切り開いて行く。あんたの命令なんか聞かずに、俺たちが信じた未来をね。その異世界だって俺たちが自力で救ってみせるさ。なんせ、どのみち動くのは俺たちなんだから」 「待って! またあの過去に行くのは……長門さんのためなの! 今は行きたくないのなら、お願いだから、この手紙だけは――」 「……要らないって言ってるじゃないですか。俺も、もうあなたと話すことはないんです。色んな意味でね。じゃあ、俺はこれで失礼します」 戸惑いながら必死に俺へとうったえ続ける彼女を尻目に、俺は踵を返して教室の外へと向かった。 「――あの場所で、待っていますから……!」 待ちたいなら好きなだけ待っていればいいさ。だが……。 もし俺がそこに行くとしても、俺の朝比奈さんも一緒に連れて行く。いや、SOS団の全員で。だ。 第五章
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/5349.html
「ねえあんたたちっ! みゆきちゃん見なかった!? こっちの方に飛んできたはずなんだけど……」 「いや知らんが、ハルヒよ。あんまり着物姿で走り回らないほうがいいと思うぞ。折角鶴屋さんの家の人から綺麗に着付けて貰ってるんだ。着物だって借り物なんだし、鬼ごっこが出来る程ここが広大だからといって早速始めちゃダメだろ」 「そんなのやるわけないでしょ! みゆきちゃん、着替え中に髪留めを取るのを渋って逃げちゃったのよ。どこ行ったのかしら……」 桃色の振袖を着飾るハルヒは、八重桜の下で座ってでもいればこれ以上ないほどの美麗な風貌を見せているのだが……やはりと言うべきか、こいつは裾をまくって鶴屋さん宅の廊下を跳ね回っている。 「涼宮さんらしくて良いではありませんか。ああやって快活な姿を見せていてくれるほうが、こちらとしても心が安らぎます。それに……」 古泉は俺に笑顔を向けると、 「異世界の問題も、無事に解決したことですしね」 ……現在、俺たちは鶴屋さん宅での俳句大会を終えて、どうせなら八重桜を背景にみんなで記念写真を撮っておこうというハルヒの提案と鶴屋さんの同意によって始まった女性陣の和装への着替えを、男性陣が待つという形になっている。 つまり今はゴールデンウィーク真っ最中であり、こうやって俺たちが平穏無事に今日を過ごせているのは、当たり前なことだが世界がちゃんと正気を保っているからだ それは俺たちの行動によって異世界の問題がちゃんと解消されているからに他ならないが、それについて語る前にまず、俺が今日ここに来て知った二つの驚きの事実について話しておこう。 一つ目は、鶴屋家の秘密の蔵に壊れた亀型TPDDが保管されていたことだ。 それを見せられて驚きを隠せない俺と古泉を見ながら、ニヤニヤを隠せない上級生はこう言った。 「いやーごめんねっ! あたし実は知ってたんだ、みくると有希っ子の正体っ。あたしが中一のときだったかな? これがいきなり空からうちの庭に降ってきてさ、中から、みくると大人っぽい有希っ子が出てきたんだよ? あたしは宇宙人もなんも信じてなかったんだけど、流石にあの登場で自己紹介をされちゃった日にゃあ、いくら鶴にゃんでも信じざるをえないねっ! あやや、あのときはたまげたっ」 「……じゃあ鶴屋さんは、かなり前からその事実を知ってたんですね?」 「ま、そういうことになるかなっ。まこと申しわけないっ。んで、そこで二人から事情を聞いてさ、正体どころか今日までの話をあらかた聞かされてたんだっ。いやあ、無事に世界が続いてくれて良かったにょろ! こうなったってことは、キョンくんはあたしの質問に答えを出したってことだよね。宇宙人と未来人、どっちを選ぶかって話っ」 「ええ。そうなるんでしょうね」 あとで気付いたのだが、恐らくこの人は、その問題を俺に投げかけることによって自分にとって大事な人は誰かということを考えさせたかったのだ。素直じゃない俺を上手く手玉にとった、なんともひねくれた問題である。流石は鶴屋さんだと言わざるを得ない。 「にゃはは。結局キョンくんが選んだのはハルにゃんだったってことだよねっ。ラブレター見たよ、あっついあつい! 触ったらこっちまで火傷しそうさ!」 何故あの手紙の存在を知っているのかについては後回しにしておく。 「それにさ、驚いたって言えばまだまだあるんだ。二人が墜落して出てきたときなんだけど、どうやらみくるが操縦ミスしちゃったっぽくって、大人の有希っ子はそれはもう鬼のようにみくるを叱ってたにょろ! もうみくるは半泣きで、しかも大切な部品が別の時代に落ちちゃってさあ大変! そして、それを見ちゃったあたしに二人が協力を求めてきたってわけさ。ほんと、高校に入ってから二人に再会して、みくるはドジッ娘のまんまだったけど、有希っ子のあまりの大人しさには我が目を疑っちゃったよ! まるで別人さっ」 ああ、通りで最近長門と仲良くなってきた朝比奈さんが、大人になるとまた長門を恐れてしまっていたわけだ。それに、未来の長門はそんなに饒舌なのだろうか? 俺のイマジネーション能力では皆目見当もつかないので、是非一度見てみたい気がする。そして、そのときに紛失した部品があの金属棒だったってわけだな。 続く二つ目の事実なのだが、それは谷口と周防九曜が知り合いであり、しかもクリスマス前に谷口が付き合ったと言っていた相手が、なんとこの周防九曜だったという話だ。 また、谷口は人違いだったというおマヌケな理由で振られちまったんだそうな。 まさか周防九曜は俺と谷口を間違えたなんて言うんじゃなかろうなと思いきや残念ながらそうだったため、谷口のどこが俺に似ているんだと当然の抗議を申し立てたとき、古泉は「いえ、お二人には実に良く似た部分がおありですよ。だから中学生の涼宮さんも………と、これは秘密です」などと、どうやら谷口もハルヒに告白をしていたということを匂わせるような発言をした。ま、別に聞かなくてもいいことさ。 と、ここでも一つ疑問が生じたと思うので説明しておく。 今回の鶴屋家主催花見俳句大会、実は参加者がSOS団以外にも佐々木たちや俺の妹、そしてミヨキチやハカセ君に至るまでSOS団関係者のほぼ全員が集合してしまっているという様相を呈しているのだ。 谷口と周防九曜が運悪く鉢合わせたことやこのイベントの参加者がこれだけの数に肥大化したことにも驚きを隠せないが、それを容易に許容できる鶴屋家の敷地面積と二つの意味での懐の深さにもあらためて一驚を禁じ得ない。 まあ、ここにやってくる繋がりとして他のメンバーはなんとなく分かるとして、佐々木たちがここに参加しているのは、会誌を仕上げた土曜日の次の日、世界の運命を分ける日であった日曜日にSOS団と鉢合わせたからだ。異世界の問題については、ここから説明を始めよう。 異世界ではそこでハルヒが俺たちの正体に気付いたことによって、みんなの記憶が失われてしまった。 しかしそれは今回の詩集、SOS団の面々が自分自身を題材にしたポエムを朝比奈みゆきが異世界にもたらしたことがキッカケとなって異世界は正気を取り戻した。 そうやって全てを知った異世界の俺たちは、こちらの世界に同期する道を選んだと聞いている。 その選択はSOS団団員のみんなが全てを団長に一任して導き出されたものらしい。 つまり異世界の俺たちはハルヒに全てを打ち明け、その上で、分裂した世界のこれからをどうするのかハルヒ自身の意思に委ねたというわけだ。 そしてあいつはこちらの世界を選び、分かたれた世界を一つにした。 俺には、どうしてハルヒがその選択をしたのかわかる。 非日常が日常になり、その身に過ぎた力があるのを知ってしまったとき……ハルヒはなんと答えるのか。 ――SOS団。涼宮ハルヒと俺たちの冒険は、本当が嘘になる世界で不思議を見つけることが目的じゃない。普通でも普通じゃない日々の中で、気の向くままに遊んでいるのがSOS団であり、ハルヒの……俺たちの望みなんだ。 そう思ったとき。 鏡の世界から投げられたハルヒの願いを、俺は確かに受け取った気がした。 ……とまあ、今回ハルヒが書いたポエムにも、それを感じさせるような言葉があったんだがな。 俺のポエムを見た後にハルヒが書いた、答えはいつもあたしの胸に、から始まる詩の中に。 そしてこちらの世界の日曜日では、俺たちは土曜日に中止となった不思議探索を通常営業で行った。 そこでばったり出会った佐々木たちをハルヒが俳句大会に誘ったのを発端に、続々と参加者が増えていったという次第なのである。 うん。今日までの流れの説明としてはこんなものだろう。 しかしまあ、佐々木と橘と周防九曜は分かるとして、藤原がやってきたのは正直意外だったな。こいつはてっきりこっちの誘いを断ってくるものだと思ってたよ。 「ふん。この国の文化に触れておくのも、僕のこれからの任務において有意義だと思ったんでね。たまには予定表にない行動をしてみるのも悪くはないよ」 「未来人の任務……これは僕の予想にしか過ぎませんが、もしかして貴方は、日本書紀を作成して聖徳太子という虚構の人物を作り出すのではないですか?」 女性陣の着替えを待機している男共が軒を連ねているあまり面白くない風景で、古泉が藤原に言う。こいつらの隣に並ぶというのもなんて居心地が悪いことなんだと思いながら、 「なんだそりゃ。つまり、聖徳太子はいなかったとでも言うのか?」 こくりと古泉。そして人差し指を立てながら、 「ええ。日本書紀でその存在が語られている聖徳太子が実は存在しなかったというのは、最近世間にも周知されてきている事実です。僕はね、このように往々にして歴史書が実際の事実と違っているのは、実はそれが未来人によって作成されていたものだったからなのではないかと想像してしまうんです。こういった方法であれば直接的にその時代を変えることなく、それからの未来を導いていけますからね。実際に聖徳太子という人物の存在は、現代の僕たちを形作る上で重要な影響をあたえていますから」 古泉の台詞に、ぷいと顔を背ける藤原。古泉は、藤原不比等がどうたらと話を続けていたかと思いきや「それよりも」と藤原の視線を自分に向けさせると、「あなたには、色々と伺いたいことがあるのですが」 藤原は溜息をつくように、 「彼女から聞いているよ。というより、全てを知らされたと言うべきか。……まさか朝比奈みくるの組織も長門と繋がっていたとはね」 「どういうことだ?」と俺が聞くと、 「長門は、僕の組織と彼女の組織を統制することによって世界を両側面から回していたのさ。僕の組織の方がどちらかといえば表で、彼女の方が裏になる。だから、こちらの方が朝比奈みくるたちよりも知らされている情報が少なかったんだ。……だが、その真実を知ったからといって、僕たちはこれまでの行動意義を疑ったりはしないよ。全ての行動が自らの意思によってなされたことに変わりはないんだ」 「その思想は《機関》の理念にも通ずるところがありますね」 そりゃ何なんだ、と聞くと古泉は遠い目をして、 「……目の前に続くこの道を、我々は自らの意思で歩いていくのだろうか、はたまた見知らぬ者の意思によって歩かされるだけに過ぎないのか――。人はその疑念を抱いた瞬間に、自身の立っている場所すら見失ってしまうことがある。しかしそれは、過去を振り返ってその道に不安を抱いた者が陥る自縄自縛の考えでしかないのです。他人の駒になってしまうことは忌避したいものですが、それを気にしてばかりいて、己が立ち止まっていることに気付かないというのは輪をかけて愚かしい行為だ。だから、僕たちはいつだって自分の意思をもって前に進むことを忘れてはならないのですよ。他の者の意思など、実は何の関係もないのです。自分の足を進めることが出来るのは、自身の意思の力以外には存在しないのですからね」 「つまり、いつだってやれることをやるだけってことか?」 「その通りです。それこそが真実に至る唯一の方法であり、また、あなたの生き様でもありますね」 これは素晴しいことです、と古泉。俺は別にそんな高尚な考えで動いているわけじゃないんだがな。出来ることしかしないだけなんだ。 「それは簡単なようでいて相当難しいことなのですよ。己に出来得ることを見極め、それを実行に移す。これは見極めるというだけでも至難の技だというのに、あなたの場合はほぼ直感的にそれを理解、行動し、その姿勢をいついかなるときも崩さない。良くも悪くも理詰めの考え方しか出来ない僕からすれば、あなたの真実を見る能力は天才的で驚嘆に値します。だから僕は、あなたには敵わないなと思うのですよ」 あんまり褒められても気味が悪いだけでしかないぜ。それにおだてられたからといって、俺がお前に敵うなんて勘違いはしない程には客観的に自分を判断する力は持ってるつもりだ。 俺たちの会話を黙したまま聞いていた藤原はチラリと古泉を見やると、 「……そこまで考えが及ぶなら、僕がキミに話すことはないんじゃないのか?」 「そうですね、あなたがもたらしてくれた理論のおかげであらかたの予想は立っています。涼宮さんの情報創造能力の正体、そして未来組織の正体についてもね。こちらから話をして様子を伺ったほうがいいのならそうさせて頂きますが」 「どの道僕が言えないこともある。キミの推論を聞いているほうが良さそうだな」 「ではまず、僕の考える情報創造能力の正体についてお話しましょう」 すると古泉は俺に、今度は四本の指を立てて見せ、 「この物質世界の物理法則は、複数の『力』によって支配されてます。それらの力は宇宙開闢の際一つの力だったものが分化して形成されたものだと推察され、これらの力が元々一つであったなら、その全てを統合し、宇宙の仕組みを統一的な原理から考えられるのではないかといった試みがなされているのですが……現在はその全ての力を統一しようとする理論の《超大統一理論》は実証されていません。が、そこで涼宮さんの時空改変能力の登場です。彼女が世界を『箱』から『紙』に変えたことによって次元の性質、つまり世界に内包されていた『力』が統合され、あの情報創造能力が発生しています。このように、世界の入れ物を変えることによって中身を統一させるという理論が涼宮さんによる《超大統一理論》であり、それは能力の発現により実証も得ている。つまり彼女に備えられた神の力の正体は、宇宙の始まりに存在し、僕たちの世界の全てを創造した『大いなる力』だったというわけですね」 まさか、あの唐変木な力にそんな正体があったなんて想像もしなかったよ。単に無茶苦茶なだけだと思ってたからな。 「なんだ。じゃあハルヒは、その力を発生させるために時空を改……」 と言いかけたところで俺は理解した。 そうか。ここでもやっぱりハルヒは力が欲しかったんじゃない。 あいつが時空を改変した理由は、小説誌に書いたハルヒの時間平面理論に関する論文が全てを語っている。 SOS団を恒久的に存続させるための方程式。 つまり俺たちと出会うことを望んだあの小さいハルヒが、SOS団でいつまでも過ごしていけるような世界を夢見て、それが時空の改変に繋がったのだろう。《あの日》に出会った俺が『鍵』となって、ハルヒは次元の箱を開いてしまったんだな。 すると古泉は遠い目をして、 「……実を言うと僕は、機関に限らず、SOS団にもいつか終わりの日はやってくると思っていたんですよ。本音を言うと今回の事件でそうなるのではないかと。……でも、そうではなかった。物語を構成する起承転結において『結』とも言えるあの出来事を通して、逆に僕たちは一つになることが出来たんです。――ここで僕は考えてしまうんですよ。ひょっとしてSOS団には、終わりなどないのではないかとね」 「……それはそれで怖い感じもするが、その理由はなんなんだ?」 古泉は微笑み、 「――SOS団が『結』を迎えたとき、そこには『団結』という言葉が形作られるからです。現に《機関》は、これから長門さんを始めとして情報統合思念体と共に歩むことに決めました。個人ではなく組織としてであれば、悠久の時を生きる長門さんをずっとサポートしていくことが可能ですからね。そして未来の《機関》こそ、朝比奈みくるさんや藤原さんの所属する組織、時間の流れの外側に身を置く時空管理局となるのでしょう。これから《機関》はそのように形態を変えていくからこそ、未来の理論も伝えられたのではないかと」 ……今まで散々話を聞かされてきたが、『団結』ね。まさか最後をそんな適当な話で締めてくるとはな。脱力せざるをえないぜ。 「そうですか? 終わりの話としては相応しいかと。それに僕は、この理論が一番好きですよ」 ふん、と俺が鼻を鳴らすと、藤原は話が終わったのを見計らったように、 「ところで古泉一樹。あんたは長門をどう思ってるんだ? 彼女といつまでも一緒にいたいだとか、そういうことは思っていないのか?」 いきなり藤原は何を言い出すんだろうか。たまらず俺は古泉に目を配る。 「流石に僕には、ずっと長門さんの傍にいるなんてことは出来ませんよ」 その言葉の意味はなんだと問いただしてやろうかと思ったが、古泉は間髪入れずに、 「ですが、そうですね……せめてこの命が続く限りは、彼女と共に過ごして行きたいものです」 そんなことを屈託のない笑み混じりに話していたとき、 「おわっ!? な、長門?」 「…………」 長門がいつの間にか俺たちの隣にちょこんと正座していた。 青紫色の着物に身を包んだ長門は、虚を突かれた古泉に視線を向けて首をこてんと傾けると、 「……古泉一樹」 そして言った。 「それは、プロポーズ?」 こいつはお前と一生添い遂げる覚悟みたいだしな。プロポーズなんじゃないか? 俺がそんなことを言うと古泉はやや困りながらもまんざらでもない反応を見せ、その姿を見ていた藤原は小憎らしい笑みを作り、 「ふん。せいぜい尻に敷かれないようにするんだな。僕が存在するためにも、頑張って欲しいと思っているよ」 「それは……」 古泉は微量の驚きを顔ににじませている。それは俺も右に同じだ。 まさか藤原は、長門と古泉の……? 「理論的には可能」 長門が淡々と口を開いた。 「ヒューマノイドインターフェースが行使する情報操作能力は、あくまでハードではなくソフトの問題。有機生命体としてのわたしの構成情報は人類のそれと同等であり、あなたたちとのあいだに生物学的な意味での差異はない。つまり、もしわたしと古泉一樹がセッ………………」 はい。テイクツー。 「わたしが普遍的な女性として生きることには、どんな弊害や支障も発生しない。唯一問題があるとすれば、相互間の精神的な問題だけ」 「じゃあ長門、お前は古泉のことをどう思ってるんだ?」 「…………」 じっと古泉の顔を見つめる長門。 「わからない。……でも、彼がわたしを守ってくれようとしてくれたことは知っている」 そして確かに、長門はにっこりと微笑んで言った。 「ありがとう」 もうおめでとうとしか言いようがないぜ古泉。これから頑張っていけば、なんとかなりそうな予感がするじゃないか。長門の笑顔を独り占めするなんて、うらやましいやつめ。 「あまりいじめないで欲しいな」 古泉は苦笑し、 「それになじり合いの勝負ならば、こちらには必勝のカードがあることをお忘れなく。組織の人間ではなく対等な友人関係としてであれば、追い詰められた僕がそのカードを切らないとは限りません」 なに言ってんだ。それはお前たちが血みどろの抗争をやってるってのが嘘だったことで相殺だ。言われなきゃわからんとはいえ、えらく無意味な嘘をついたもんだな。 「それ相応の苦労はしているつもりですよ。それに、組織には裏の顔があるほうが面白くはありませんか? 《機関》はそれこそ独占企業のようなもので、いわば敵なしの平穏そのものでしたからね。あなたの好みに合わせて、軽く色をつけてみただけです」 「そりゃお前の趣味だろうが。それに考えてみれば、一番の対抗組織だったであろう橘京子の組織とですら流血沙汰を起こしていた様子はなかったんだから、俺も気付くべきだったよ」 古泉は小さく笑い、 「それはうかつでしたね。ですが、そんな嘘を通すために当時敵対していた彼女たちと口裏あわせをするわけにもいきませんし、流石にそこまで安穏としていたわけではありませんから」 話を戻しましょう、と古泉は、 「長門さんとのことは正直戸惑っています。ですが……」 無表情を貼り付けている長門を見て、 「カマドウマ事件のとき、彼女に読書以外の趣味を教えるという件を後回しにしていたことを思い出しましたよ。そろそろ、それを考えるべき時期のようですね」 そう言いながら、古泉は流麗な笑みを長門に向ける。 俺が長門の表情に変化がないか凝視していると、 「もちろんそれはあなたもです。なんせ、あなたの方は既にラブレターまで渡しているのですから」 ここでネタ晴らしといこう。鶴屋さんやこいつがあの手紙の存在を知っている理由は、ある意味で俺の自業自得であり、ひとえにハルヒの暴挙のせいでもある。 思い出して欲しい。俺の書いたポエムは、本来機関紙に掲載されるためのものであったということを。ちなみに俺がそれを思い出したときは戦慄したね。 そう。ハルヒはあれをなんのてらいもなく無編集のまま機関紙に載せたのだ。 これはまさに俺の自業自得なのだが、ハルヒがあの内容をまんま載せた行為は暴挙だとも言えるんじゃなかろうか。 そうして俺のポエムは、機関紙の配布完了とともに全校生徒はおろか異世界にまで知れ渡ってしまったのである。 「……やれやれ」 俺はすべての憂鬱な事柄をこの一言で済ますことにした。人間諦めが肝心なのであり、ここで俺がまともに神経回路を繋いでしおうものなら、ひょっとして俺は空を飛べるんじゃないかと考え始めて暴走を開始するのは必死だからである。 「あ、キョン先輩。近くに涼宮先輩はいないですよね? フフ。この格好どうですか? 着物なんて初めて着ちゃいました」 物陰からぴょんと跳ねて朝比奈みゆきが姿を現した。エメラルドグリーンの着物姿をくるりと見せて微笑んでいるのは実に愛らしいのだが、いかんせんスマイルマークの髪留めが格好に似合っていない。 「むう。これはしょうがないんです。あたしすごいくせっ毛で、他の人にいじられるよりはこのまま留めておきたいんです」 そういうものなのかね、と思っていると、 「あなたに渡したいものがある。こっちに来て」 「ほえ?」 長門が朝比奈みゆきを呼びつけて渡したものは、髪飾りだった。 「それ、もしかしてあの金属棒のか?」 聞きながら品物を見てみると、それは透明なガラスで作られたような綺麗な雪の結晶だった。 「って、花じゃないじゃないか。雪には六花って呼び方もあるらしいが、花言葉なんてあるのか?」 すると藤原が、 「アイリス? ちょっと貸してくれ」 と長門から髪飾りを受け取り、それを陽にかざすと、 「アイリスの花言葉は『架け橋』だよ。それはアイリスという名前が、虹を意味しているからなんだ」 雪の結晶が光を受けて、藤原の顔にスペクトルが映し出される。長門はこくりと頷き、朝比奈みゆきを見つめて、 「あなたが平和な日常を送れるようになるためのお守り。出来るだけ身につけておいて欲しい」 そういうことかと思ったね。 朝比奈みゆきは、朝比奈さんが北校を卒業した後で北校に入学し、朝比奈さんの後釜としてSOS団に入ってくる予定らしい。学校でむやみに能力を使ってしまわないようにと考えた長門の配慮なのだろう。 そしてこの花言葉を選んだ理由は、朝比奈みゆきが思念体と人の仲を取り持つような生い立ちをしてきたからなのかもな。それに確かアイリスには、他の花言葉もあったような気がする。 「うわあ、とっても綺麗……。長門おねえちゃんありがとう! じゃあこれは代わりにあげちゃいます。あ、お揃いがいいな」 と言って、自分の髪留めを長門のと同じ形の雪の結晶に成形した。おいおい、誰か他のやつに見られやしなかっただろうな。 「僕も満足した。なぜか長門はこれを僕に触らせようとしなくてね。ほら、返すよ」 藤原が朝比奈みゆきに髪飾りを渡し、そしてみゆきの髪飾りを受け取った瞬間、パキン。という不穏な音が周囲に響く。 「あ」 藤原が髪飾りを掴み割ってしまったのを見て、全員が思わず声を出した。 長門は無駄のない動きでみゆき製髪飾りを藤原から掠め取ると、 「……あなたにはもう触らせてあげない」 「な……」 藤原は怪訝な顔をして、そういうことか、と呟く。 藤原と長門がそんなコントをしているとき、朝比奈さんがぱたぱたと近づいてきて、 「待たせちゃってごめんなさい。あ、長門さんとみゆきちゃんも一緒みたいで良かった。みんなの着替えが終わったからそろそろ写真を撮るみたいです。あそこの木の下に集合って言ってました」 朝比奈さんは、オレンジというよりは山吹色と表したほうが相応しい着物に身を包み、素人目からでも分かるその良質な作りの服は、それだけでいずれかの童話にナントカ姫として出てきそうな程彼女を引き立てていた。 と、この和服姿とは別に、俺は朝比奈さんの姿を見ていて一つ思うところがある。 今回の異世界騒動なのだが、タイミングが良いのか悪いのか、この朝比奈さんは《あの日》の裏で起きていたこの事件を知らないのだ。大人の朝比奈さんが知らなかったので当然なのだが、これはもしかして、小さい朝比奈さんの負担を減らそうという未来の長門の配慮だったのではないだろうか。朝比奈みゆきに髪飾りを譲ったり、あいつは自分のことよりも周りを優先させてしまう節がある。それを考えても、やはり俺たちが一緒に過ごせる時間のなかで、長門のために俺たちが伝えられることはすべて伝えて行きたいと切に思う。 それに未来では朝比奈さんも待っているし、みゆきだって藤原だっている。考えてみれば、俺の子孫とハルヒの子孫がそろえばSOS団が結成出来そうだよな。 出来れば、俺はそうなって欲しいと願いつつ。 「みんな集まったみたいね! じゃあ早速この色紙に未来へのメッセージを書いて頂戴。未来って言っても大人の自分にじゃなくて、遠未来の未来人に向けたものよっ」 「なんだ、タイムカプセルの準備はしてないみたいだが、しないのか?」 「気付いたんだけどね、タイムカプセルは自分たちで掘り起こすべきであるイベントなのよ。それにあたしたちの行動は未来にとって常識レベルの歴史になってるはずだし、あたしたちの生み出したものは石油並みに生活に必須なものとして使われているんじゃないかって思うわけ」 あながち間違いでもないことを揚々と言い切るハルヒは、 「だからタイムカプセルを残したところで、未来人にとってはあたしたちが石炭をお宝として見つけるようなもんでしょ? それより、SOS団からのありがたいメッセージがあったほうが喜ぶはずよ。ってことで、みんなで寄せ書きをしてそれを埋めようってことにしたの」 ふふんと誇らしげに胸を張る。なにが誇らしいのか俺には分からないが、良案なんじゃないか? なんてったって紙は安全だからな。奇怪なメカや珍妙な物体が長い間箱の中に入ってるよりましだ。 俺が将来このメッセージを掘り起こすであろう朝比奈さんたちの身を案じていると、くっくっと特徴的な笑い声が聞こえ、 「涼宮さんは面白いことを考えるね。この場に来てしまうのは正直気が引けたんだが、理由もなく断るような真似をしなくて正解だった。ほんとに楽しいね、ここは」 ハルヒも長門も朝比奈さんも相当に男の目を引っかけるのだが、俺の目はそれに少々慣れていたのかも知れない。 普段と変わらぬ口調と服装のアンバランスさが何らかの効果をもたらしているのか、緋色の着物姿の佐々木は文句なしに美人だった。 「ほら、佐々木さんに見とれてないで、あんたからまず書いちゃって。もし面白くないことを書いたりしようものなら、なにが面白かったのかをみんなの前で説明させるからね」 ぐっとくる台詞を言うじゃないか。なんせ、これが冗談じゃないっていうんだからな。 ここでの面白いとは何のことを言うのだろうと思いつつ、俺はハルヒから渡されたサインペンと色紙を構える。何を書こうか。 「そうだな……」 ここは一つ、未来のSOS団結成に足りない俺とハルヒの枠を埋めてもらって、あっちのほうでSOS団を結成してもらうように頼んでおくか。 俺はスラスラとペンを走らせて、その辺でアホな面を下げていた谷口へと色紙を手渡す。 すると谷口は「ぎょっ」というありえない悲鳴を出し、 「おいおい。ポエムの件に関しちゃあ俺も書くように言ってたからよ、たとえラブレターを読まされても文句は言わん。まさか本当に書いちまうとは思ってなかったが……。しかしだなキョンよ。こんなところでまでノロけられちゃあ流石に滅入るぜ?」 何を言ってるんだなんて言葉はお前には飽きるほど言ってきたと思うんだが。いい加減俺にも分かりやすく物事を話してくれると助かる。 「貸しなさい」とハルヒは色紙をひったくると、俺が書いたメッセージを見るやいなや顔を朱に染めて、 「……ばっ! あんた、なんてこと書いてんのよ!? バカじゃないの、このエロキョン!」 いやあ罵られている理由がまったくの不明であるがゆえに、こちらとしてはなんともリアクションがとれないぜ。 一体いま何が起きているのかを確認しようと、俺も再度自分の言葉を確認してみると、 「げ」 どうやらとんでもない齟齬が発生しているらしいということに気がついた。 「ち、違う! これはそういう意味じゃないんだって!」 「おや、ではどのような意味なのです? そのままの意味ではないのですか?」 小憎らしいスマイルを浮かべて俺をなじる古泉。さっきの仕返しをしてきやがるとは、お前も中々やるようになってきたじゃねえか。いいだろう、覚悟しろよ古泉? 今からお前が未だかつて見たことのないほど頭を下げて降参する男の姿を見せてやる。 そんなこんなを言いながら、全員が集合していることもあって、場内ははやしたてるように一気に騒がしくなった。が……。 俺は、自分の書いた言葉に対するみんなの誤認を強くは否定出来なかった。 一人の少女の憂鬱から始まった物語。 それはいつの間にか俺たちの物語となって、これから先の未来へと続いていく。 しかしまあ、俺はここらで、未来に向けた俺とハルヒのメッセージをもって長く続いたこの物語に一応の節目をつけておこうと思う。 まず、我らが誇るべきSOS団創設者であり絶対不可侵なる団長、涼宮ハルヒの言葉はこれだ。 『未来永劫、SOS団に栄光あれ!』 みんなで撮った集合写真を見せられないのが悔やまれる。みんなこの言葉を胸に、相当良い笑顔をうかべていたんだぜ? そして最後を締めくくるのは、僭越ながら俺の言葉である。 先に言っておくが、俺はSOS団と、みんなと、そして何よりハルヒに出会えて最高に良かった。 そんな俺が書いた言葉は……、 『俺とハルヒの子供をよろしく』 さて。 この言葉が将来どんな意味を持つことになったのかは――禁則事項だ。 涼宮ハルヒの団結 完
https://w.atwiki.jp/777townforandroid/pages/184.html
デザイン 機種 フィーバー涼宮ハルヒの憂鬱 アニメーション あり スキル効果 20%の確率でVコンボ最大獲得からプレイ開始 消費SP 35 入手方法 イベント LvMAX経験値 ? 限界突破素材 涼宮ハルヒ x 2突破珠(赤) x 3 限界突破先 涼宮ハルヒ(ライブアライブ) 限界突破元 備考
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/735.html
───2時5分。 まったく遅いわね!キョンのくせに! 絵本絵画展終わっちゃったらどうするのよ! あたしから誘ってあげたデートだというのにこんな大事な日に遅刻するなんて何考えてんのかしら! 今日は美容院に行って髪型セットしてきたっていうのに。 やっとポニーテール結える長さになったんだからね! それにしてもおっそいわ… あったまきた! 電話かけてやる……って携帯持ってくるの忘れたわ。 仕方ないわね。 すぐそこの電話ボックスに行ってるからその間に来るとかそういうのは無しだからね! …… ───────… はぁはぁ… しまった、もう2時15分じゃないか。 道端で偶然会った長門に誕生日プレゼントなんて買ってる場合じゃなかったな。 ハルヒがまだ待っててくれるといいんだけど… 早く電車よ…もっと急いでくれ! 駅についたときには待ち合わせに大きく遅れて20分を過ぎていた。 罰金どころでは済まされないだろう。 あれ、ハルヒは? 待ち合わせ場所にはものすごい人だかりができていた。 「おい…見ろよあれ」 「うわー…やべえなこれ」 野次馬がなにやら騒いでいた。 そんなことはいい。 早くハルヒを探さないと。 …ん?なんだあれ。 人だかりの方を見ると駅前の街頭やら電話ボックスやらがめちゃくちゃに壊れていた。 看板やらベンチまでも突き飛ばして、乗用車が…壁に激突していた。 おいおい…運転手、大丈夫か? 「うわぁ…助けるの遅くない?」 「待ち合わせでもしてたのかなぁ……かわいそうに」 「高校生くらい女の子だって……」 ……… なんだこの胸騒ぎは? それよりハルヒはどこだ? 人が多すぎてこれでは探すに探せない。 奥には救急車が来て回転灯が辺りを赤く染めていた。 まさに今怪我人を運ぼうとしているところらしい。 ──ドクン。 何か胸騒ぎがする。 まさか…おい、邪魔だ! どけよ!どけよ! 「──ってえな。なんだよ…」 うるせえ!そんなことはどうでもいい! 救急車が行く前に少しだけ確認させてくれ! バタン。ピーポーピーポーピーポ…… 間に合わなかった。 ハルヒは待ち合わせ場所にはいなかった。 きっと遅刻なんだ。あいつも。 もしくは怒って帰っちまったか? そんなはずはないと思いつつも携帯に電話をかけてみる。 ………電話にでない。 心臓がバクバクと音を鳴らしている。 まさかな。あの被害者はハルヒじゃないだろう。 世界を創造するほどのハルヒがこんな事故に巻き込まれるはずがない。 女の子だって言ってたな。彼氏とのデートだったんだろうか。 かわいそうに… 待ち合わせしていて急に事故に巻き込まれたんだろうか。 運のない人だったんだ…… でも、ハルヒじゃないんだよ。 ハルヒは今どこかでこの事故を見て怯えてるんだよ。 怖かっただろ?遅れてゴメンな。 そういって抱きしめてやるから…早く来てくれ。ハルヒ。 野次馬が減って入れ替わりで警察がやってきた。 事故車はそのままだがさっきよりは見晴らしがいい。 警官がバッグらしきものを手にとって中を物色しながら無線で話していた。 「えー、事故発生。14時15分ごろ」 なんだよ…俺がちょうど駅につく直前くらいじゃないか。 「遺留品の身分証明書の写真にて本人と確認……被害者氏名、涼宮ハル───」 ……今…な、なんて言ったんだよ? 何かの聞き間違いだろ? そんな事務的な口調で… 「えー、涼しい宮に……」 …… 「何やってんのよ!バカキョン!」 背後からの突然の大声にびっくりして振り向くとハルヒがすごい形相でこちらを睨み付けていた。 「罰金!罰金!何分待ったと思ってるのよ! あんまり遅いからどっかで迷子になってるんじゃないかと思ってぐるっと駅を一回りしてきたのよ! それなのになんでこっちに来てんのよまったく!」 ハルヒの眉は左右とも吊り上り物凄い怒りをあらわにしているのに、 なぜか口元は少し笑っていた。 「お前…無事だったのか…?」 「無事!?あんたの遅刻のせいでさんざん待たせといて無事はないでしょ!」 俺は嬉しかった。 なぜだかとっても安心した。 ……ハルヒ。 偶然か…それともハルヒの力なのか。 涼宮さんという事故の被害者はハルヒとは全くの別人だった。 今日は全部俺のおごりだ。なんでも言ってくれ。 「あったりまえよ!明日も明後日もずーっと一生あんたのおごりにしてやるんだからね!」 一生か…それもいいかもな。 そう思えた夏の午後であった。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/4056.html
結局その後、俺達は飲めや騒げやなんとやらで一晩中宴会場で騒いでいた 分かった事は喜緑さんは備中と呼ばれる城下町出身の飯綱使で、眼鏡の男の人と一緒に旅をしていると言う事ぐらいだ。 その眼鏡の人は自分の名前が分からないらしく、それを含めた全ての記憶を探す旅をしているんだとか ==宴会所・朝食== ハルヒ「ねえアンタ」 眼鏡の男「なんだね?」 ハルヒ「なにか呼ばれたい名前とか無いの?眼鏡の男じゃ違和感があるわ」 眼鏡の男「そんなものはどうでも良かろう」 ハルヒ「でも眼鏡の男じゃなんかあれよねえ…」 喜緑さん「う~ん、そうですね。あ、そういえば東の方の城下町では会長なんて呼ばれてますよ?」 古泉「会長とは?」 喜緑さん「私もよく分らないんですけど…『短筒を愛する会』と呼ばれる集りのまとめ役を会長と呼ぶらしいんです」 ハルヒ「決まりね!そっちの方が呼びやすいし!アンタこれから会長って呼ぶわ」 会長「お、おいそんな勝手に…」 キョン「まあ、いいじゃないですか。眼鏡の人より呼びやすいですよ。」 会長「…まあ呼ばれ方にはそう拘らん。それより君達は此れからどうするんだね?」 キョン「此処でもう少し掘り出し物を探してから…比叡山に行こうと思っています」 会長「比叡山だと…?あらゆる生命を司る神々の住む領域…人呼んで【神霊域】と呼ばれるあの場所へか…?」 キョン「ええ、あそこが一番手っ取り早く腕を鍛える事が出来ると思うんです」 喜緑さん「やめた方がいいと思います…あの洞穴は神の領域。私の母もあの地で命を…」 キョン「・・・・」 会長「好きにすれば良い」 喜緑さん「でも・・・」 会長「止めはしない。だがもう少し時を置いても良いんじゃないか?」 キョン「・・・?」 古泉「具体的にどうすれば良いのでしょうか?」 会長「相模天狗の森に行け」 古泉「!」 ハルヒ「何よその相模天狗の森っていうのは」 古泉「僕から説明します。この城下町を少し北へ行ったところに一際不気味な森があります。それを万民は『天狗の森』と呼びます」 キョン「なんだそりゃ?天狗と戦えとでも言うのか?」 会長「その通りだ。今の君達の力がどれ程の物かは知らん。だが相模天狗と言えば古来より伝承されてきた仙術を駆使する、いわゆる仙人だ。噂によれば、かなり好戦的とも聞く。経験に勝る知恵無しとでも言うべきか…比叡山に行くつもりならその前に寄ってみて損は無いだろう。腕試し、と言ったところか」 キョン「なるほど…わかりました。色々ありがとうございました」 喜緑さん「良いんです。久しぶりに楽しかったですし・・・そうだ!今日は皆様一緒に相模市場を周りませんか?」 ハルヒ「いいわよ!有益な情報を提供してもらったし人数は多い方が楽しいわ!!」 古泉「どうやら決まりのようですね。」 長門「・・・決まり」 うお長門! 今日初めて声を聞いたぜ あれ・・・朝比奈さんは? ハルヒ「みくるちゃんなら知らない女の子に連れられてどっか行っちゃったわよ。アタシも起きたところで寝ぼけてたから止められなかったのよね」 な、なんですとっ!? ==相模城下町・市場== ???「どうだいこのお茶っ葉!めがっさいい品じゃないかなっ!!どうにょろ?」 みくる「いい品ですぅ~これも買いですぅ!」 ???「はい毎度ありぃ!」 みくる「このお店は広くて大きくてどんなお茶っ葉でもありますぅ~凄いですぅ」 ???「相模市場の中でもこの鶴屋商店はめがっさ人気の店なのさ!刀、鎧、薬、食糧なんでもござれって感じだねっ!」 みくる「こんないい店に連れてきてくれて嬉しいですぅ。本当にありがとうございますぅ~」 ???「良いって良いって!うちの親父がやってる店だからねこれっ!」 みくる「ふぇえ~!?そうだったんですかぁ?」 鶴屋さん「そうそう!アタシのことは鶴屋さんって呼んでくれていいよっ!」 みくる「私は朝比奈みくるって言います。宜しくです鶴屋さん」 鶴屋さん「よろしくっ!」 会長「私も見たぞ。確か鶴屋商店の若い娘に連れられていったな」 ハルヒ「鶴屋商店?」 会長「相模商店の中で最大の権力を持つ鶴屋家の営む店だ」 キョン「とりあえずその鶴屋商店に案内してください!」 会長「うむ。急ぐのならば走るぞ。付いてこい」 みくる「あ、みなさぁ~ん」 鶴屋さん「ん?みくるの知り合いにょろ?」 みくる「旅の仲間なんです」 キョン「あっ朝比奈さん・・・・ぜえぜえ・・」 ハルヒ「あんた早いわよ・・・はあはあ・・」 会長「こっ・・・これぐらいの速度で無ければ走るとは言わん・・・」 喜緑さん「何気合い入れて走ってるんですか・・・もう・・・」 会長「き、気合いなど入れてない!」 喜緑さん「隠したってバレバレですよ~」 会長「ま、全く何を言っているのだか」 古泉「それより朝比奈さん、ご無事で何よりです」 長門「何より・・」 みくる「ふ、ふえ?」 鶴屋さん「そういう事にょろか~ごめんよーこの子があんまりにも可愛いもんだからつい手を引きたくなったのさ」 うほっ・・・いつか見た相模美人・・・ この店の人だったんだな 流石にいい店にはいい美人がいると言ったところか・・ しかし・・・朝比奈さんまでとは言わないが・・・大盛り・・・って何を考えているんだ俺は!? 話を聞くところによると、鶴屋さんは宿屋にある物を配達しに来たらしい その時に宿の入り口で寝起きの背伸びをしている朝比奈さんを見て何となく自分の店に連れて行きたくなったらしい 動機が素晴らしく無茶苦茶だな…この人は それから遠慮する俺達を遮り、鶴屋さんがお茶と団子を御馳走してくださった ハルヒも長門も鶴屋さんとは非常に気が合うらしく、まあこれはこれで良かったと思っている。 楽しい時間を過ごす内に、日はやがて傾き、俺達は宿に戻る事になった 長門も古泉も鶴屋商店で自分の買い物をすませたらしい さて、あと一つだな・・・ ==宿屋・キョン、古泉部屋== 朝、ゆっくりと顔を見せる日の出を見つめながら、俺は一つの懸案事項を抱えていた。 それは平泉の洞窟で手に入れたこの刀…鋼忍刀(義経刀)の事である。 キョン(なぜ抜けないんだ・・・?) そう、抜けないのである。 洞窟で一度抜いたきり、後から何度やっても鞘からこの刀を抜くことが出来なかったのだ 俺が足りない頭を動かして、必死に鞘から刀を抜く方法を考えていると古泉が起きてきた 古泉「…どうもおはよう御座います。どうかされましたか?何か思い詰めているような顔付きですが・・・」 キョン「ああ、少しな」 古泉「僕で良ければ御話を伺いますよ?」 古泉「成程…つまりあれから一度も抜刀していないと?」 キョン「ああ、手入れも出来ない」 古泉「昨日、鶴屋さんに少しお話を伺ったのですが、この町の外れに宗兵衛と言う名匠が住まれていらっしゃるそうです。その方なら何か分かるかも知れません」 キョン「そうだな。今日はそこに行ってみるか」 古泉「お供しますよ。涼宮さん達はどうされます?」 キョン「あいつらも連れて行こう。特にハルヒは愛用の双剣が欠けちまったらしいからな」 古泉「了解しました」 ==相模城下町付近・山道== 鬼道丸「あの民家か…」 影の軍中忍「そのようです。捉えますか?」 鬼道丸「その必要は無い。私は頼み事を行う立場にいる。成らば、剣術家として最大限の礼儀を払うべきは、この私だろう」 影の軍中忍「相も変わらぬ剣術家精神…感服致します」 鬼道丸「行くぞ・・・」 ===相模町外れ・山道寄り== キョン「あの民家がそうなのか?」 古泉「町の人の情報によると、そうらしいですね」 ハルヒ「早くアタシの双剣直してもらいたいわ」 キョン「先に俺の刀を説明するぞ」 ハルヒ「別にいいわよ。アタシは急ぎじゃないし」 みくる「ふ、ふえええ!」 ハルヒ「どうしたのみくるちゃん?」 みくる「あ…あれ…」 ハルヒ「へ?」 みくる「ほらあそこに・・・」 ハルヒ「…!あれは」 キョン「どうしたハルヒ?」 ハルヒ「キョン、あれって影の軍じゃないの?」 黒い忍者服に身を包んだ群衆…間違いない!! キョン「!!・・・確かにそうだ!」 ハルヒ「まさか…」 古泉「どうやら目的は僕達と同じあの小屋にあるようですね」 ハルヒ「何をしに来たのかしら?」 キョン「何でもいい!あいつらの事だから何か悪事を仕出かすに違いない!」 古泉「しかしその考えは聊か早計では…」 ハルヒ「あいつらは信長が動かす影の軍よ?いい事なんかする筈ないわ!!」 そうだ、あいつらが今までどんな事をしてきたか考えれば俺達が成すべきことは決まっている!! キョン「行くぞみんな!」 涼宮ハルヒの忍劇11
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1942.html
第二章 涼宮ハルヒの選択 1 長門の部屋でカレーを食べて、少しだけ話した。といっても、俺が長門に話しかけていただけだ。それを長門は頷くなり、首を振るなり、ボディーランゲージで答えていた。たまにそれだけでは伝えきれないのか、ぽつりと言葉を使った。サラダは長門が「得意」だというレタスに、トマトの二つだけしか盛られていなかった。別にそこまでの料理でもないのに、長門は水色のシンプルなエプロンを着ていた。カレーを混ぜるのに使っていたおたまとエプロン姿の長門は、熊と熊に咥えられた鮭ぐらいにはまっていた。いつでも木彫りにできるくらいに。サラダには、和風ごまドレッシング――俺が一番好きなドレッシングだ――をかけて食べた。缶カレーを長門の食いっぷりを見ながら食べた。テレビもコンポもない無機質な部屋で――テレビもコンポも無機質なのだが――、俺たちは二人だけの時間を過ごした。ハルヒも朝比奈さんも古泉もいない、長門の任務なんかとは関係ない時間だった。 俺は長門と緩やかな時間を過ごして、長門のマンションを出る頃には午後十一時を過ぎていた。エントランスから自動ドアを抜けて、耳が痛くなるような寒さが俺を襲ったが、やはり寒さというのはゆっくりと身体を侵食していくらしい。街灯だけが頼りの帰り道を足早に歩いていて、長門の部屋のこたつで暖まった身体が少しずつ冷えていった。それだけじゃなく、長門と一緒にいたことで高まっていた言葉にしがたい高揚感も、少しずつ冷めていった。冷静になっていく思考は俺を激しく混乱させた。なぜ長門にあんなことをしてしまったのだろう、なぜ俺はあんな恥ずかしいことを言っていたんだ、なんて取り返しのつかないことを振り帰ることになったからだ。それから、俺は長門とは別のことを考えた。それは、部室で古泉と朝比奈さんが言っていたことだった。「あなたの好きな人が変えられている」、古泉はそう言っていた。それじゃあ、と俺は思う。もし変えられていたとしてだ、俺の「変えられる前の」好きな人は誰だったんだ? 俺は誰が好きだったんだ? 長門じゃないとしたら誰が考えられるのだろう? 最初に思い浮かんだのは、朝比奈さんだった。今日の俺の朝比奈さんを見る目を考えれば猿でも分かるだろう。涙する姿に心を動かされ、髪をかきあげる仕草に興奮する、ありえないことじゃない。次に思い浮かんだのは、鶴屋さんだった。階段でのあのちょっとした時間で鶴屋さんの魅力に引っ張られていたし、あの台風が近づいてきて手前でコースを変えたときのような去り際の寂しさはそう考えるのに十分な根拠だった。三番目に思い当たったのは古泉だった。あのスマイル野郎と抱き合って、愛を語り合っている場面が一瞬フラッシュバックしたが、きっと何かの強迫観念――もしくはPTSDかもしれない――だということで結論づけた。というのは冗談で、本当に三番目に思い浮かんだのはハルヒだった。それにしても、今日のハルヒの様子は異常すぎた。俺が下駄箱で話し掛ければ動揺していたし、それじゃあと教室で話し掛ければやたらと憤慨していた。憂鬱そうな顔で、溜息をつき、今にも消失してしまいそうな覇気の無さだった。いつもの暴走超特急はどこにいったのか不安になったが、退屈な様子ではなかったので、恐らく何らかの陰謀があるかもしれなかった。俺はその陰謀に対して、受身で待つだけだ。 俺は記憶の確認のために、ターニングポイントとなったところだけでも正確に辿ってみることにした。俺が積極的に――ハルヒにばれないように――行動を起こしたのは数えるほどしかない。一年の時に三回、二年の時に二回だ。最初は神人たちが暴走する学校で、キスをしたときだ。キスに関しては夢だったということになっているが。次はちょうど今日、長門の世界改変によって変わった世界で、俺は元の世界に戻る選択をした。俺がこの世界、つまり、神様、宇宙人、未来人、超能力者――実は異世界人もいるかもしれない――なんてのが交錯するふざけた世界を選んだんだ。その次は、未来人との戦いだった。八日前から来た朝比奈さんを守りつつ、怪しげなチップを確保したり、亀を投げ込んだり、訳の分からないことをさんざんやった。二年が始まってすぐに起こった事件が四つ目だ。俺とハルヒが誘拐されたのだ。誘拐したのは古泉の所属している機関とやらの敵対組織だった。俺たちは鉄格子の窓が一つあるだけの完全に閉じられた牢獄で、ハルヒと手錠で繋がれ、どうしようもない状況の中で、必死に脱出を試みた。片手はハルヒと繋がっているし、自由に身動きできない状態で、俺たちは突破口を探した。徐々に体力は失われていき、水分補給もできずに、死に物狂いで探した。なんとか脱出に成功して外に出ると――その経緯についてはここで話すには長すぎる――、そこは山の中だった。俺たちは絶望した。それでも、俺たちは生きなければならなかった。小川の音が聞こえると、朦朧とする意識の中で、ハルヒを背負い、必死に音の鳴るほうに向かった。そこで水分補給を済ませ、俺たちは川を辿って降りていった。三日歩き続けて、俺たちは小さな集落に出ることができた。俺とハルヒは声なき声で叫ぶと、自然に抱き合っていた。まるでB級映画のラストのような、何の意味もない、歓喜のための抱擁だった。その後、そこのおばあちゃんに介抱して貰い、俺たちは一命を取り留めた。考えるだけで、腹が立ってくるできごとだ。最後はヨーロッパ旅行の時だった。鶴屋さんの別荘だという白亜の城は、時間を経て持ちえる威厳と荘厳さに満ちていた。到着して最初の夜に、ハルヒの「雰囲気を味わいましょう」なんて一言で俺たちは全員服を着替える羽目になった。どこかの姫のようなドレスで着飾っていたハルヒと長門、それに朝比奈さん。本物のティアラまで付けてたからな。タキシード姿の正装というなんとも堅苦しい服装を強いられた俺と古泉。古泉はタキシード姿がやたらと似合っていた記憶がある。全ては鶴屋さんによって、俺たちが出国する前から手配されていたと言うから恐ろしい。 ここで俺の思考は止まってしまった。引っかかることがあったのだ。俺とハルヒが誘拐された牢獄の中で、ハルヒは何かを言っていた気がした。だが、虫食いされた記憶を埋めるには周辺の情報が足りなかった。確かに記憶というものは曖昧で、不確実なものだ。だが、そのハルヒの記憶は「忘れてはいけない記憶」に感じた。 記憶の確認をし、長門のことを思い、ハルヒのこと考え、再び長門のことを思い始めたところで、俺は家に着いた。家の玄関から光が漏れていて、まだ寝ていないようだった。俺は小さく息を吐いて、ドアに手を掛け開けた。 「キョンくーん! ……うぅ」 俺がドアを開け、玄関に入った途端、妹が抱きついてきた。顔は涙で一杯だった。いつから玄関にいたのかは分からないが、寒そうに身体を震わせているのを見ると、相当な時間が経っているようだった。 「どうして泣いてるんだ?」 妹を落ち着かせるために、抱きついている妹の頭を撫でながら尋ねた。 「あのねぇー……お母さんが帰ってこないの。それにお父さんも。だから、あたしずっとキョン君が帰ってくるのを待ってたのぉー」 「ちょっと待て」 俺はポケットから携帯を取り出すと、母親に電話をかけた。電話はすぐに繋がった。俺がなぜ家にいないのか問い詰めると、母親は「言うの忘れてたわ」とあっけらかんと伝えてきた。十年ぶりに催された同窓会に参加しているそうだ。新幹線で向かったので、泊りがけの予定だそうだ。携帯の受話口からは周囲の人の騒ぐ声が漏れていて、母親の話す声も携帯を離さないと耳が痛いほどだった。俺は両親が高校生から付き合いだということを知っていて、高校はこの街ではなく都会出身だということも知っていた。電気、ガスを消し忘れるな、鍵を閉めろだのお決まりの忠告を聞き流し、俺は電話を切った。 「今日はお母さんは帰ってこないらしい」 電話中もしっかりと抱きついたままだった妹に言った。 「うん。それより、おなかすいたぁー」 「何も食べてないのか。そうだな、何が食べたい?」 「チャーハン!」 妹はなんの躊躇もなく言った。 「分かった」 俺は玄関の鍵を回しながら言った。 「よし久し振りに作ってやるか。だから抱きつくのはやめろ。このままだとリビングにもいけない」 「うん!」 妹は俺から離れると、笑顔を見せて、ぱたぱたとリビングに走っていった。 「せわしないやつだな」 俺はやれやれと溜息をついたが、もう数年もしたら甘えてくることも無くなるのかと思うと、少しだけだが寂しい気持ちになった。 「まだぁー?」 ダイニングキッチンで騒ぎ立てる妹を無視して、俺は仕上げの作業に入っていた。既に十二時を過ぎているというのに、妹は眠くならないのだろうか? 「キョン君のチャーハン大好きなのぉ、だから早くぅ!」 「だから、少しは待て」 「うぅー!」 確かに妹は俺の炒飯が大好きだった。中学の時はよく作ってやってたし、その度に大げさなまでに俺の炒飯を賞賛していた。炒飯をおいしくする方法は簡単だ。ネギをたくさん入れれば良い。入れ過ぎても駄目なのだが、初心者にはそれで十分だ。他にも隠し味に醤油を入れたり、うまみを少しだけ入れたりすれば良い。 俺はガスを止めて、大皿に炒飯を盛り付けた。それを妹の前に置くと、妹はもの凄い勢いで食べ始めた。 「もう少し落ち着いて食べろ」 俺は向かいの椅子に座ると、頬杖をつきながら、忠告した。 「うん!」 妹はいつも返事だけいい。そして、返事をして無視をするのだ。無視つもりはないんだろうがな。妹の食いっぷりをぼんやりと眺めていると、妹は1.5人前をすぐに食べ終わった。 「おいしかったぁー」 妹は本当においしそうな笑顔を浮かべて言った。 「それは良かった」 俺は妹の空になった皿を取って、立ち上がりながら言った。 「キョン君、ありがとぉー」 「もう食ったんだし、遅いから寝ろ。小学生は寝る時間だ」 「うん!」 本当に返事はいい。俺はなかなか温まらない水道水に腹を立てながら思った。妹は俺が皿を洗っている間にリビングからいなくなっていた。本当にちょっと目を離すといなくなる。別にいなくなっても構わないのだがな。俺の妹はいつ兄離れするのだろうか、ということを、石鹸で熱心に洗っても消える気配を見せないネギの匂いに腹を立てながら、俺は思っていた。 俺が消灯を済ませて、自分の部屋に入ると、俺のベッドには妹が寝ていた。俺がベッドの横に立ち、毛布を引き剥がすと、 「あ、キョン君」 まだ、寝ていなかった。二つ結びにしていた髪を解いて、身体を丸め、横になっていた。 「自分の部屋で寝ろ」 「えぇー、お母さんいないからやだぁー」 確かに妹は母親と一緒に寝ていた。 「お前、来年は中学生になるんだぞ? 一人で寝れないと駄目だろ?」 「今日はやだぁー」 「わがままだな」 「今日はキョン君と寝るの!」 幼い顔で怒ってるのを表現するのは難しいみたいだ。怒ってるのにかわいい顔のままだ。 「今日だけだぞ」 俺は折れることにした。こんな深夜に泣かれても困るし、それに俺は早く寝たかった。 「ほら詰めろ。一人用なんだから狭いんだ」 「うん!」 妹が落ちないように、壁側のほうに妹を行かせた。俺が妹に背を向けるように布団に入ると、妹は俺の背中を突付いてきた。 「なんだ」 「キョン君、なんかお話してぇー。ねむれないー」 「俺は眠れるから問題ない」 俺はそう言って、毛布を深く被った。 「いじわるー」 確かに、俺も眠れそうになかった。今日は色々とありすぎた。そのことを考えると、今日は眠れないだろうと思った。俺は妹が寝ているほうに身体を捻ると、 「分かったよ。どんな話がいい? 童話か? ミステリーか? サイコか? 哲学でもいいぞ。それに……そうだな、宇宙人や未来人や超能力者の話もできるぞ。あと、神様もな」 「かわいい話がいいー」 「かわいい話か……難しいお題だ」 俺は全力でかわいいものについて考えた。 「そうだなぁ……パンダの話なんてどうだ?」 「パンダかわいいー」 妹は頬を緩めた。パンダなら良いようだった。 「昔々――」 「なんかそれっぽいねぇー」 「それがいいんだ」 俺は妹は諭した。物語は始まりが一番肝心だからな。 「昔々、といっても最近のことだ。山奥の、そのまた奥に雌のジャイアントパンダがいたんだ。そのパンダは少し変わっていて、皆と違い、白黒じゃなかったんだ。全身真っ白。まるでホッキョクグマみたいな真っ白パンダだった。名前はリンリンっていう。リンリンは他のパンダと変わっていることで皆と馴染めなかった。リンリンも一緒にいようとはしなかったんだけどな。だから、リンリンはいつも孤独だった。ここまではいいか?」 「うん」 「リンリンはとても美しいパンダだった。それに、真っ白なパンダということで希少価値が高かったから、人間がリンリンをわざわざ山奥まで捕まえに来たんだ」 「リンリンかわいそう」 「かわいそうだけれども、やっぱりパンダじゃ人間に勝てない。だからリンリンは簡単に捕まってしまって、動物園に送られてしまった。普通のパンダだったら嫌がるんだけど、リンリンはむしろ嬉しかったんだ。動物園に行ったら、ライオンやら象やら今まで見たこともない動物と会えるから。リンリンは白黒のパンダを見飽きていたんだ。でも、リンリンの思いとは裏腹にリンリンは他の動物とは会うことができなかった。いつも同じ顔にしか見えない人間だけが相手だった。飼育員さんは優しかったし、問題なかったんだけど、リンリンはどんどんストレスを溜めていったんだ」 「ストレス社会、だね。テレビでもやってた」 「その様子を見た飼育員さんはもう一匹のパンダを一緒に飼うことにしたんだ。そのパンダが動物園にやってきたとき、リンリンは驚いた。そのやってきた雄のパンダはなんと真っ黒だったんだ。リンリンは驚いた後、とても嬉しくなった。ああ、あたしの寂しさを理解してくれるはずだってね。真っ黒のパンダも一緒で真っ白のリンリンを見たとき、とても驚いた。すごく綺麗なパンダだ、だけどどうして真っ白なのってね」 「真っ黒なパンダはなんて名前なの?」 「ユウユウ。リンリンと違って平均的なパンダだった。次第にリンリンとユウユウは仲良くなっていった。それに伴って、リンリンのストレスも解消していった。でもリンリンの問題は根本的には解決していなかったんだ。リンリンはこの柵を越えて、ライオンやら象やらに会うことを望んでいたからな」 「リンリンかわいそうだね。みんなからは嫌われて、ライオンさんにも会えないなんて」 妹は悲しそうな顔をして言った。 「リンリンはどうしたらこの柵を越えることができるのか、一生懸命考えた。考えて、考えて、一つの答えを見つけた。ユウユウと力を合わせれば逃げ出すことができる。でも、それを実行することはならなかった。リンリンの元いた国がリンリンを返せって文句を言ってきたんだ。だから、リンリンはあの山奥に戻らなければならなくなった。リンリンはもの凄く悲しくなった。ユウユウと別れるのが嫌だってのもあったし、ライオンやら象やらに会いたかったんだ」 「あたしは会いたくないな。だって、ライオンさんに食べられちゃうかもしれないし、象さんに踏み潰されちゃうかもしれないよ」 「でもリンリンは会いたかったんだ。別れる最後の日、ユウユウはリンリンに聞いた、そう、ちょうど同じ事を聞いたんだ。『どうしてライオンやら象に会いたいんだ? ライオンは凶暴だから食べられちゃうかもしれないぞ』ってね。リンリンは答えた。『だって、面白いじゃない』。リンリンの答えは単純だった。白と黒しかないパンダの模様、みんな同じ形、全てに飽き飽きしていて、もっと面白いものが見たかっただけだったんだ」 「ちょっと分かりにくいなぁー」 妹は少し眠そうな声で言った。眠らせる話には国会答弁のような単調さが必要だということは分かっていた。 「そうだな、例えで表現してみようか。海って普通は塩辛いだろ?」 「うん」 「リンリンが望んでいたのはイチゴシロップのような甘い海だったんだ」 「そしたらかき氷をいっぱい作れるね」 「でも、そんなものは物語の中にしかないだろ?」 「どこかにあるかもしれないよ?」 「あるかもしれない」 俺は少し考えた後、しっかりと答えた。 「ねぇー、キョン君。もう少し近づいていい? 寒くなってきちゃった」 妹はそう言うと、俺の許可を取ることもなく、俺の胸の中で小さな身体を丸めた。 「寒いならちゃんと布団を掛けろよ」 俺は妹に深く毛布を掛けながら言った。 「キョン君、もうお話はいい」 胸のほうから小さな声が聞こえた。 「どうしてだ?」 「だって、キョン君リンリンのお話してる時、悲しそうな顔してるもん」 「そうか」 物語の終わりは、もう少し先だった。でも、終わりについて俺は何も浮かばなかった。 「もう寝るね。キョン君温かいし、早く眠れそう」 「もう寝ろ」 俺は妹と向かい合っていた身体を仰向けにし、そのまま脱力した。妹は俺の脇に抱きつくような格好で、眠りに入った。まだ痛んでいない髪をベッドに広げて、しっかりと目を瞑っていた。俺は妹の柔らかい髪を指で弄びながら、捕らえがたい安心を感じていた。それをもっと明確にしたくて、ゆっくりと目を閉じた。しかし、明確になる事はなく、妹のぬるい体温とともに漠然とした安心が流れてくるだけだった。 俺は眠くならなかった。むしろ、徐々に意識ははっきりとしていった。動いて妹を起こすわけにはいかないし、やることもないので、さっきの物語の終わりについて考えた。リンリンはあの後どうなるんだろうか? しかし、俺はすぐに考えることができなくなった。オチは考えていたのだが、物語を終わらせることができなかったのだ。次に俺は長門のことを考えようとした。だが、長門のことも考える事はできなかった。あまりにも鮮明すぎたのだ。暗い場所が見えないのは当然なのだけれど、同様に明るすぎる場所もぼんやりとして見ることはできないのだ。 結局、俺はハルヒのことを考えることにした。考えると、ハルヒの笑顔がフラッシュバックして、ハルヒの怒った顔が目の前に浮かんだ。偉そうに指を振る姿も浮かんだし、あの傘を渡した時の気恥ずかしそうな表情も明確に思い出すことができた。古泉は言った『俺の好きな人が変えられている』。俺は『本当の好きな人』が目の前まで来ているような気がした。違う、来ているんじゃない。俺の『本当の好きな人』は俺の中にいた。そう思うと、またハルヒの笑顔が俺の前に浮かんで、俺はその笑顔に触ろうと、懸命に手を伸ばした。でも、それに触る事はできなかった。 「ハルヒ」 ハルヒの笑顔は深夜に走るバイクの音とともに、音の無い部屋に溶けていった。俺はそれを防ぐことはできなかったし、する必要も無いように思われた。もう説明の必要はないだろ? 俺の好きな人がハルヒではないからだ。 「長門」 俺はその名前が持つ安心感に抱かれながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。抱きつく妹の体温を感じながら。いつか見た長門の笑顔が、遠ざかるバイクのエンジン音のように、尾を引いていった。 俺は妹に起こされることもなく、目覚めた。目覚めると、いつもより早く起きたのは全身に感じた寒さによるものだと分かった。俺の身体に一枚も毛布がかかっていなかったからだ。妹は毛布を巻き込むようにして占有していた。俺は震える身体を両腕で押さえながら、上半身を起こすと、ガラス窓にあたる水の音に気付いた。 「雨か」 寒さで完全に覚醒してしまった意識の中、小さく呟いた。俺は妹を起こさないように、丁寧にベッドから降りると、机の上に置いてある正方形の小さな置き時計で時間を確認した。余裕があることが分かると、一つ大きく伸びをして、部屋を出た。 リビングでヒーターのスイッチを入れ、朝飯の用意をするためにキッチンに入った。雨音はだんだんと強くなっていた。冷蔵庫から材料を取り出し、調理に取り掛かった。朝食を作り終えると、自分の部屋に戻って、妹を揺すり起こした。 「あ、……キョン君」 妹は焦点の定まらない瞳を、俺の半分くらいしかない手で擦りながら言った。 「ご飯だ。もうできてる」 「う、うん」 妹はぼさぼさになった髪をほぐしつつ、ふらふらとしながらベッドから降りた。 「キョン君があたしより早く起きるなんて珍しいね。眠れなかったの?」 俺が階段を下りているときに後ろから妹が言った。 「お前が毛布を占有してたからな」 「そんなことないもん!」 「ま、そんなことはいいよ」 リビングに入ると、妹は長方形のダイニングキッチンに、俺は冷蔵庫に向かった。 「何飲む?」 「オレンジジュース!」 「オケ」 妹専用のプラスチックコップに並々とオレンジジュースを注いで、妹の向かいに座った。 「今日ねぇー、キョン君の夢見たの」 「忘れろ」 俺は焼きすぎてしまったウインナーを頬張りながら言った。 「それが、なんか忘れられそうにないタイプの夢だったのぉ」 「たまにあるな」 「ハルにゃんとキョン君が一緒に遊んでた。キョン君たまにハルにゃんに叩かれてたよ」 「ハルヒも出てきたのか」 「うん。でも、ハルにゃん楽しそうだった。すごく綺麗で、あたしもあんな風になりたいなぁって思ったの」 「ハルヒを目標にするのは人生を棒に振ることになるぞ。朝比奈さんにしておけ」 「それから場面が急に変わっちゃったの。今度はキョン君もハルにゃんもすごく恥ずかしそうにしてた。なにをしてたかは分からなかったけど、あたしとても嫌だった。何かキョン君を取られちゃいそうで」 「何でハルヒに俺を取られるんだ?」 「うぅー。もういい、キョン君嫌い!」 妹はたいそうご立腹のようで、皿の上に残っていた醤油をかけすぎた玉子焼きを一口で平らげた。 「一つだけ言っておくが、ハルヒを目標にするのはやめて、朝比奈さんにしろ。そうすれば将来は約束されたもんだ」 「それじゃだめなのぉ!」 「分かったよ」 俺は諦めて、残っていた牛乳を一気に飲み干し、立ち上がった。すぐに皿を片付け、二階に行って制服に着替えた。十二月に入って朝比奈さんから貰った白のマフラーを使おうかと迷ったが、それが朝比奈さんの手製であることがばれた時に大惨事になることは目に見えていたのでやめた。谷口にばれたら、盗まれるか、焼却処分されるに違いなかった。学校の覇権を握っているという、朝比奈後援会の方々にもひどい嫌がらせを受けるかもしれなかった。俺はこのマフラーを朝比奈さんがどんな思いで縫ってくれたのか一通り妄想した後、リビングに戻った。妹も既に着替えていて、俺はリビングテーブルの上に置きっぱなしになっていた家鍵を取って、家を出ることにした。 霧雨になっていた雨を傘で遮って、登校した。かじかむ手を腹からの息で温めつつ、歩を進めた。教室に入ると、ハルヒが俺の顔を見て、ニッと笑った。昨日の不機嫌さはどこにいったのかというほどの笑顔だった。 「どうした、不満は解消したのか?」 俺は鞄を机に掛けながら話しかけた。 「なんだか馬鹿らしくなっちゃったのよ」 「馬鹿らしくなった?」 「そう。なんかあたしらしくないなって思ったのよ。ウジウジして、イライラして、一人で抱え込んで」 「イライラしてるのはいつもだろ」 「それはつまんないことしかないからよ。でも、今回のイライラは全然別物なの。元はと言えばあんたが悪いんだからね!」 「俺が原因なのか? ぜひ説明してほしいな。俺がイライラする事はあっても、お前がイライラする事はないはずだ」 「あんたとぼけるつもり? それとも頭悪い? あ、それは元からか」 ハルヒは納得したように手を打った。 「すまんな。頭が悪いのは生まれつきだ。そんなことは恐らく俺が生まれる前から決まっていたことだろうよ。それより問題なのは、どうして俺が原因なんだってことだ。それを教えてくれ」 「あたしからは言えないわよ! あんたがもう一回言ってみれば?」 ハルヒの声は語尾にいくにつれて小さくなっていった。 「俺が何か言ったのか」 「そうよ!」 しかし、俺が何を言ったかは見当がつかなかった。この記憶は消されてしまっているのだろうか? 「そうか。何を言ったかは覚えてないが、思い出したら後でもう一回言うよ。それでハルヒに確認を取るようにする」 俺がそう言うと、ハルヒは「えっ」と大きな目をさらに大きくしてあからさまに驚いた。 「あんたが覚えてないならいいわよ!」 ハルヒの声は震えていた。もう少し俺が何を言ったのか情報を得ようとハルヒと話そうとしたが、運悪く担任の岡部がジャージ姿で入ってきた。暖房も完備してない馬小屋のような校舎にジャージ姿は寒すぎるだろうと心底思った。俺たちの会話が途切れてしまって、ハルヒは後ろで寝始めた。俺もやることもないし、蛇足の一週間の二日目であることも考慮して、体力温存のために寝ることにした。机に突っ伏しながら、俺がハルヒに何を言ったのか必死に思い出そうとした。ハルヒを一日鬱状態にさせるほどの言葉を俺が発したってことは確かだ。俺は何を言ったんだ? 根っこのない木のような不安定な記憶はどこを辿れば見つかるのだろうか? 今日も俺は昼飯をかきこみ、部室に向かった。もちろん長門に会うためだ。廊下の窓ガラスに大粒の雨がぶつかって、けたたましい音を鳴らしていた。湿った廊下に上靴の足跡を残しながら、俺は長門の元へと急いだ。 部室のドアを開けると、やはり長門はパイプ椅子に座って本を読んでいた。そのいつも通りの姿に安堵しつつ、長門にゆっくりと近づいて、本棚に寄り掛けてあったパイプ椅子を広げた。どかっと座り、何も話すこともないのに長門に話しかけた。 「長門」 「何」 「いや、別に話すことはないんだがな」 「そう」 俺はそこで話す話題を思いついて、長門に訊くしかない話題だと確信した。 「えーっと、今日の朝、ハルヒが言ってたんだけどさ、俺がハルヒのやつに何かイライラするようなことを言ったらしいんだ。長門は分かるか? 俺の記憶がいじられてるみたいで、俺には分からないんだ」 「……」 長門は何も答えなかったが、本をめくる手の動きを止め、何かを考えているようだった。 「禁則事項なんてことはないよな?」 「ない」 「それじゃあ教えてくれないか?」 「あなたは何も言っていない」 「そうか。ってことは、あれはハルヒの妄想だってことだな?」 「……そう」 長門はやけに間を置いて言った。といっても、長門にとっては普通なのだがな。 「ま、どうでもいいか。ところで何を読んでるんだ?」 俺が尋ねると、長門は本を胸の前まで上げて、表紙を見せてくれた。『Nesnesitelnalehkostbyti』。タイトルが英語でもなかったので、全く見当もつかなかった。 「日本語にするとなんて読むんだ?」 「存在の耐えられない軽さ」 「それなら知ってる。有名だしな。長門でも恋愛小説を読むんだな」 「たまに」 長門はそう言うと、本を膝の上に戻し、再びページをめくり始めた。じゃまをするのも悪いと思ったので、立ち上がり、パソコンを起動した。ネットサーフィンをしていると、頭に入ってこないゴシック文字に戸惑った。隣で本を読んでいる長門がどうしても気になってしまった。昨日の手を繋いで帰った光景が思い出されるのだ。長門はどう思っているんだろうか? そもそも手を繋いで帰ろうと誘ったのは長門のほうからだ。 俺たちが教室よりかは幾分暖かい部室で、それぞれの時間を過ごしていると、ドアが開いて、俺はディスプレイから目を外した。 「あ、キョン、こんなところで何してるの?」 ハルヒが部室の入り口で立っていた。ハルヒはそのまま部室にずかずかと入ってくると、俺の後ろからディスプレイを覗いた。 「何だつまんない。エロ画像でも漁ってるのかと思ったのに」 ハルヒは心底残念そうに呟いた。 「長門がいる前でそんなことするか」 俺はブラウザを閉じながら言った。 「ちょっと貸しなさいよ」 ハルヒは俺の肩に寄りかかるようにして、マウスを奪おうとした。取られるのも癪だったので、とりあえず抵抗してみた。 「早く貸しなさいよ! このパソコンはあたしのなの!」 「このパソコンは朝比奈さんの涙の結晶だ」 俺は肩に押し付けられるハルヒの形の良い胸に気付いていたが、ここで反応すると、逆に冷やかされる可能性があったので何も言わなかった。俺が諦めて立ち上がると、ハルヒは俺を突き飛ばして、団長専用椅子に勢いよく座り、その長く直線的な足を組んだ。 「たく、突き飛ばす必要も無いだろ」 俺はズボンについた砂を払いながら立ち上がった。 「つまんなかったからよ。それに、有希と二人で何してるのよ? 昨日もここに来てたでしょ」 「暇つぶしだ。それに、教室よりこっちのが暖かいからな」 ハルヒは「ふーん」と何か企んでいるような顔をすると、 「有希に会いに来てたんでしょ? あんた有希のこと大好きだからね」 「さあな」 俺はハルヒの考え通りにいくのが気に食わなかった。 「どうだかね」 ハルヒはやれやれといった感じに、古泉の仕草を真似た。そして、立ち上がると、 「やっぱいい。あたし教室に戻る」 「人からパソコンを奪っといて使わないのかよ」 「あんたも有希と二人のが嬉しいでしょ?」 「そうだな。平穏な昼休みを過ごせる。昼休みくらいゆっくりさせてくれ」 「バカキョン! 死んじゃえ!」 ハルヒは一メートルも幅がないところで完璧な回し蹴りを俺の腕にクリーンヒットさせた。その勢いはすさまじく、俺が壁に叩きつけられるほどだった。ハルヒはそのまま走って部室を飛び出していった。長門が近づいてきてしゃがむと、俺の様子を伺っていた。 「問題ない」 長門の真似をした俺は、問題大ありの左腕を押さえながら立ち上がった。長門も立ち上がると、俺を気遣うような瞳で――少なくとも俺にはそう見えた――じっと見つめた。 「気にするな。ハルヒのやつも気が立ってたんだろう」 「……そう」 俺は気遣ってくれた長門の頭を優しく撫でた。 「ごめんな、本読むの邪魔しちゃって」 長門は首を横に振った。 「俺もそろそろ戻らないと」 「わたしのこと好きじゃない?」 「えっ?」 「さっき涼宮ハルヒがあなたのわたしに対する好意について訊いたとき、あなたは何も答えなかった」 「なんだ、そんなことか。昨日も言ったが、俺は長門のことが好きだ。変わらないよ」 「本当?」 長門は小首を傾げた。俺の好きな仕草だった。 「もちろん」 俺ははっきりと言った。 「そう」 長門はほとんど唇を動かさずに言って、またパイプ椅子に座り、本を読むことに戻った。 「俺、教室に戻るわ」 俺がそう言うと、長門は俺をじっと見つめて、見送ってくれた。部室から出ようとしたときだった。開けっ放しになっていたドア、その横で、ハルヒが立っていた。俺と目が合うと、ハルヒは走って逃げてしまった。何か思い詰めた瞳だった。追いかけようにも、俺程度の足の速さじゃ追いつくこともできない。ハルヒが視界から消えて、冷静になって初めて、俺と長門の会話がハルヒに訊かれていたことに気付いた。なぜだか俺は取り返しのつかないことをしてしまった気がした。 教室に戻ると、ハルヒは机に突っ伏していた。話すのも気まずいので、俺は何もなかったふりをして、椅子に座り、時間が過ぎるのを待った。一番近い席にいるはずのハルヒがいない気がするほどの距離を感じていた。振り返ればハルヒは確かにいるだろう。俺にはそれができなかったし、怖かった。ここで話したら、俺とハルヒの距離は永遠に埋まらない気がしたからだ。何も話さない、何も言い訳をしない。それが今俺にできる全てだった。 心にわだかまりを感じながら授業をこなし、帰りのホームルームが終わると同時に教室を飛び出た。一刻も早くハルヒから離れたかった。あのままずっと一緒にいたら、俺は何か言い訳をしてしまいそうで、気が狂いそうだった。 部室に行くと、長門と朝比奈さんがいた。冬用のメイド服に身を包んだ朝比奈さんは白の毛糸で編み物をしていた。 「涼宮さんは変わりありませんか?」 朝比奈さんは器用に動かしていた指を止めて、言った。 「あいつはいつも変わってますよ」 「そうですよね」 朝比奈さんは溢れる笑みを浮かべて、頷いた。さっきあったことを朝比奈さんに言ったらどうなるだろう? 怒られるだろうか? それとも泣かれるだろうか? どちらにしろ、俺には先ほどあったことは朝比奈さんに言うべきではないように思われた。これ以上問題を複雑化する必要はない。 騒ぎを起こす奴がいない部室は、ひどく静まり返っていた。雨音だけが激しさを増していった。この雨で道端に留まっていた落ち葉は全て洗い流されるだろう。今日はサッカー部や野球部の声も聞こえなかった。世界があの時の閉鎖空間のような灰色に移り変っていた。どうすれば、俺はこの世界から抜け出せるのだろうか? 長門との会話を聞かれただけで、この喪失感はなんだ? あれは俺の本当の気持ちを言っただけだ。ハルヒに聞かれたからといって何が問題だ。確かに、俺が長門と付き合うようなことがあれば、SOS団は今のままではいられなくなるだろう。そしたら、どうなる? 俺は堂々巡りの思考を続けた。 その日、ハルヒと古泉は部室にこなかった。 長門と二人で帰った後、俺はベッドで横になっていた。すでに両親も帰ってきていた。夕飯を少しだけ食べた。ぼんやりと天井を見上げて、ハルヒがなぜ俺と長門の会話を聞こうとしたのか考えていると、一つの答えが出て、すぐにそれを否定した。ハルヒは俺と長門の関係を疑っていた。しかも、それは今に始まったことじゃない。一年くらい前から、ちょうど世界改変された後からだ。確かに、俺はその時から長門のことを気にかけていた。再び長門が世界を改変しないように。 俺が、ハルヒと長門について考えて、眠りに落ちるまで、そう時間はかからなかった。 *** 目覚めると、俺は部室にいた。長机で制服を着て寝ていた。こういう時の俺の落ち着きようは異常と言うほかなく、とりあえず周囲を見回した。予想通り、窓の外は灰色で、部室の様子は今日の放課後と全く変わっていなかった。ハルヒはどこにいったのだろうか? ハルヒがいるという確証は無かったが、過去の経験から、そしてなんとなくこの世界にハルヒがいるだろうと思った。 俺がパイプ椅子から立ち上がると、石をぶつけたような音が鳴って、窓の方を見ると、赤い玉が浮いていた。 「古泉!」 俺は窓まで駆け寄って、勢いよく窓を開けた。風は入ってこなかったが、じわりと冷気が入り込んできて、肩が震えるような寒さを感じた。 「古泉、またなのか?」 古泉と思われる赤い玉はぐにゃぐにゃと形を変え、人の形になっていった。嫌味なほどの笑みをたたえた顔が形成されると、古泉は俺に話しかけた。 「またです」 「というか古泉、久し振りだな」 「そうですね。あの僕が怒って出て行った日以来です」 「あれについては今言及してる時間はない。後でゆっくり話そう」 「そうしてくれると嬉しいです」 「それじゃあ、今の状況について説明してくれるか?」 「今回の閉鎖空間は非常に特殊です。まず、『神人』がいません」 「あの化け物がいないってことは時間制限がないってことか」 「そうですね。それで一番重要な点なんですが、今回の脱出方法は長門さんも朝比奈さんも、もちろん僕も知りません。あなた自身に見つけてもらうしかなさそうです」 「俺が見つける、か。ところで、この世界にハルヒはいるんだよな?」 「涼宮さんはこの世界にいます。この世界で、あなたを待ち続けています」 「それなら良かった。俺だけこの世界に残されてるんだったら、脱出方法はないだろうからな。ハルヒの場所が分かるなら教えてくれないか?」 「涼宮さんは教室にいますよ」 「俺たちのクラスで良いんだな?」 「そうです」 「古泉、そろそろいなくなるな」 古泉の身体は徐々に原型を留めず、再び赤い玉へと戻りつつあった。 「前回、一年の時と比べても、この世界に他者が介在することを拒んでいるようですね、涼宮さんは。もうそろそろ時間です」 「俺はまたそっちの世界に戻るよ。安心してくれ。ハルヒの奴も絶対に戻してみせる」 「期待しておきます」 赤い玉は一瞬揺らいだかと思うと、灰色の世界に消えていった。 「ごめん、古泉。俺、自信ないわ」 古泉がいなくなった後、窓を閉めながら呟いた。今、ハルヒと会って話すことができるだろうか? 長門との関係を訊かれたら俺はどう答える? 古泉が言っていた通り、俺は教室に向かった。太陽も月もないこの空間で、どこから光が入ってくるのだろうか、廊下の窓からは月明かり程度の光が漏れていた。夜の学校というのは心地良いものだ。誰の声も聞こえない、埃も舞っていない。だから、空気が清潔なのだ。冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んでみた。普段使っていない肺胞まで染み渡るような充足感が俺を追い込んだ。本館までの長い廊下と階段は、死刑台の道のりより遠く感じた。 教室のドアを開けると、ハルヒは自分の机――一番後ろの窓際だ――で寝ているようだった。俺は自分の席に座り、うつぶせたままのハルヒが起きるのを待った。薄い窓ガラスごしにグラウンドを見ながら、いつかのハルヒとの思い出を思い起こした。俺の目の前には、制服姿のハルヒがいた。繊細な髪に黄色のカチューシャを付けていた。髪の間からは白くて小さな耳が覗いて見えた。細くてこれ以上ないくらい洗練された指はしっとりと机の上に置かれていた。ぼんやりとした薄暗いこの空間が、空間とハルヒとの境界を曖昧にして、ハルヒは抽象的な美しさを誇った。 どのくらい待ったのだろうか? ハルヒはゆっくりと顔を上げた。顔を赤くして、ばつの悪そうな様子だった。 「キョン」 「何だ?」 「また来たわね」 「そうだな」 「これ夢なのよね?」 「もちろん」 「嫌な夢ね」 「ああ、最悪だ」 俺とハルヒは目を離すことなく話した。 「あたし、さっきまで長い夢を見てたの。キョンが出てきたわ」 「忘れろ」 「それが忘れられそうにないような夢だったのよ」 「たまにあるな」 どこかで聞いたことのある台詞に感じたが、何かは分からなかった。 「キョンとあたしが一緒に遊んでた。すんごく楽しそうで、ああ、あたしもあんなに楽しそうにキョンと遊びたいなって思って、少しだけ嫉妬した。その後、場面が変わってあたしとキョンは向かい合って、恥ずかしそうにしてた。どっちも何か言いたそうな感じなのに、何も言わないの」 俺はハルヒの夢が妹の夢と同じだということに気付いた。 「夢の中で見る夢か。どちらが夢なんだろうな」 「どっちでもいいのよ」 「そうかもな」 「そうよ。夢は夢でしかないわ」 「夢は夢でしかない」 俺はハルヒの言葉を繰り返した。 「ねえ、キョン」 ハルヒは似合わないほどに甘い声で呼びかけた。 「何だ?」 「あたし、キョンに言っておかなきゃならないことがあるの」 「どうしても今言わなければならないことなのか?」 「夢の中でしか言えないわ」 「言ってみろ」 ハルヒはグラウンドのほうを見た後、俺をしっかりと見据えた。 「キョンはあたしのこと、好き?」 「好きではないと思う」 俺は自惚れでなく、ハルヒの言ってくることが分かっていた。だから、解答も用意できていた。 「そう。あたしは夢の中でもキョンに振られるのね。でも、よく考えたら当然よね。ここにいるキョンは『あたしの中の』キョンなんだもんね。せめて夢の中だけでもって思ったんだけど」 俺は勘違いをしていた。ここにいる俺は「ハルヒの中で作られた」キョンなんだ。俺がどう言おうと、現実にはならない。 「じゃあ、俺も訊いていいか?」 「いいわよ」 「ハルヒは俺のこと、好きなのか?」 「分からないの」 ハルヒは首を横に振った。肩まで伸びた髪が、一本一本明らかに揺れた。 「そっか、じゃあ訊かないことにするよ」 「キョンにしては優しいわね。やっぱり、『あたしの中の』キョンだからかしら?」 「もう一つ訊いて良いか?」 ハルヒはくすっと笑うと、「どうぞ」と言った。今まで見たハルヒの笑顔の中で、一番優しい笑顔だった。 「今日ハルヒが言ってたことなんだ。俺がハルヒに何かを言ったって。俺はハルヒに何を言ったんだ?」 俺が疑問に思っていることだった。 「それはね――」 「それはね?」 「キョンとあたしが指輪を買いに行ったときのことよ。二日前、夢の中だから三日前になるのかしら、とにかく十二月十七日よ。日曜日にあたしたち二人で街中に出かけたときのこと。あたしがわがままを言って、キョンに指輪を買ってっていったの。もちろん、キョンは嫌がるわよね。だからあたしは言っちゃったの。無意識だったわ。『あんた、あたしのこと好きじゃないの?』。そしたらキョンはなんていったと思う? 『好きだが、指輪とは関係ない』。きっとキョンも無意識で言っちゃったのよね。あからさまにしまったって顔をして、その後、『何も聞いてないよな?』って言った。あたしはキョンに合わせてあげた。『何も聞いてないわよ。早く指輪を買いなさい』。合わせてあげた、なんて言ってるけどあたしも恥ずかしかったのよ。その後、キョンはしぶしぶ指輪を買ってくれたわ。安物だったけど、初めてキョンに貰ったものなのよ」 ハルヒは楽しそうに話していた。俺はナゾナゾが解けた気がした。 「そうだったのか」 「これよ」 ハルヒが俺の前に左手を出すと、ハルヒの指には指輪がついていた。ハルヒの言う通り、デザインもシンプルというより陳腐なもので、露店で売っていそうなほどの安物に見えた。 「安物だな」 「あんたのことを気遣って安物にしたのよ」 ハルヒは俺をじっととした目で見つめ、 「でも、大切なものなのよ」 ハルヒは左手をしっかりと右手で包み込んだ。 「現実の俺に会ったら殴っといてくれ。お前はハルヒが好きなんじゃないのかって」 「そうするわ。キョンごときで生意気よ」 ハルヒは笑った。つられて、俺も笑った。 「さて、そろそろ夢の中にいるのも飽きてきたな」 「そうね」 「何をするか分かってるか?」 「もちろん。『あたしの夢の中の』キョンとキスをする、でしょ?」 そう言うとハルヒはゆっくりと目を瞑った。薄明かりの中、長いまつげで顔に陰が落ちていた。俺も目を瞑ると、ハルヒにキスをした。直後に世界がハルヒを中心に収束していった。 *** ひどく混沌とした意識の中、俺は目を覚ました。ベッドで横になっていた。俺は身体を起こし、ベッドから降りると、机の引き出しを開けた。そこにはハルヒが見せた指輪と同じものがあった。俺はその指輪をはめなければいけないことに気付いていた。理由は分からなかったが、俺はその指輪が全ての問題を解決してくれる気がしていた。 左手の薬指にはめると、タイムジャンプした時のような眩暈と不安と嘔吐感が襲って、俺はその場にしゃがみこんでしまった。そして、俺は全ての混乱の始まりを知った。 頭の中を暴走する膨大な情報の中で、妹に話したリンリンの話が執拗に誇張された。リンリンはあの後どうなるのだろうか? 落ちは考えてあった。真っ白の身体のリンリンと真っ黒な身体のユウユウ、それは表面に覆われてる体毛は違うが、その中に隠されている皮膚の色は同じだ。リンリンはそれをライオンに教わるんだ。だから、寂しくない。それで、どうなるんだ? リンリンの抱えている問題の本質はそこじゃない。 それでも、リンリンの物語は終わるだろう。全てに満たされた、暖かい春の日のような穏やかな終わりを願った。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/1880.html
どうしたんだろう。舌がなんだか縮こまっちゃって、うまく話せない。 「ね、ねえキョン。その、つまんない疑問なんだけど、さ」 「うん?」 こちらを見るキョンの様子がおかしい。明らかに心配そうだ。そんなに今のあたしはひどい表情をしているのか。 「こないだ、なんとなく深夜映画を見てたのよ。それがまた陳腐でチープなB級とC級の相の子っぽい、つまんない代物だったんだけど」 「ふむ、そりゃまた中途半端につまらなそーな映画だな。しかしハルヒ、あまり夜更かしが過ぎるとお肌に悪いぞ」 「うっさい、話を混ぜっ返すなっ! …でね、その映画ってのが、途中で主人公をかばってヒロインが死んじゃうのよ。でもって墓前に復讐を誓った主人公が敵の本陣に乗り込んで、クライマックスになるわけなんだけど」 べたりと汗のにじんだ手の平を握りこんで、あたしはキョンに訊ねかけた。 「もしも。もしもよキョン、あんたが言った通り映画の主人公がトラブルを乗り越えて行くべき存在なら…ヒロインが死んじゃったのって、それって主人公のせいなのかしら…?」 あたしがその質問をした途端、キョンは「あ」と小さく声を上げた。苦虫を噛み潰したような表情になって、それから、ゆっくり口を開いた。 「おい、ハルヒ。分かってるとは思うが、さっき俺が言ったのは『物語を客観的に見ればそういう考え方も出来る』って程度の話だぞ」 うん、そうよね。それは分かってる。 「脚本家やらプロデューサーやらの都合じゃヒロインが死ぬ必然性はあったかもしれないが、それは当然、主人公の意思とは無関係だ」 それも分かってる。けど。 「だいたい、自分が活躍するためにヒロインが死ぬ事を望むヒーローなんか居るかよ。もし居たとして、そいつはヒーローなんかじゃない。 だからその、何というか。要するに、俺はお前を責めるつもりであんな発言をしたわけじゃないってこった。単純にお前にトラブルを乗り越えてく覚悟があるかどうか確かめたかったっつーか、なんとなく意地悪な質問をしてみたかっただけというか。 大体ここまで人を巻き込んどいて、いまさら遠慮とかされても逆にだな」 「分かってるわよそんな事ッ! だけど…」 そう、分かってる。分かってるのよ。キョンの言い分は全て理にかなってる。こんなに声を荒げてるあたしの方が、きっとおかしいんだ。 でも。それでも! 「でもやっぱり、主人公が英雄的活躍を求めた結果として、ヒロインが死んじゃった事には変わりないじゃない!? あたしは、そんなのは嫌…。あたしのせいでキョンが居なくなるなんて、絶対に我慢ならない事なのよ!」 ああ、言ってしまった。直後に、あたしはそう思った。 それは言いたくなかったこと。認めたくなかったこと。でも言わずにはいられなかったこと。 「――北高に入って、あたしの日常はずいぶん変わったわ。毎日がとても楽しくなった。中学の頃なんかとは段違いに。 あたしはそれを、自分が頑張ったおかげだと思ってた。SOS団を作って、不思議を追い求めて。前に向かってひたすら走ってるから、だから毎日楽しいんだと思ってた。 昨日まで、ついさっきまで、そう思ってたのよ! でも、違った。本当はそうじゃなかった…」 「何が違うんだ? お前が日常を変えようと努力してたって事なら、俺が証人台に立ってやってもいいぞ? その努力の方向性が正しかったかどうかは別問題として」 この湿った雰囲気を変えようとでもしてるのだろうか、軽口っぽくそう言うキョンを、あたしは鋭く睨みつけた。 「だから、それよ! 気付いちゃったのよ、あたしは、その事に!」 「意味が分からん。いったい何に気付いたっていうんだ?」 「あんたが、あたしの背中を見ていてくれるから! だからあたしは走り続けていられるんだって事によ!」 気が付くと、あたしは深くうつむいていた。今の表情を、キョンの奴には見られたくなかったのかもしれない。 「中学の頃だって、あたしは走ってたのよ。日常を変え得る不思議を捜し求めてね。でもあたしはずっと一人で…息切れとか起こしたって、それに気付いてくれる奴は誰も居なかった…」 「…………」 「あの頃と今と、何が違うのか。 今のあたしが前だけ向いて、心地よく走り続けられるのは、それはあたしの後ろで、あたしの背中を見続けてくれる奴が居て…。もしもあたしが転んだとしても、すぐにそいつが駆け寄ってきてくれるっていう安心感の後ろ盾があるからだ――って…気付いちゃったのよ…」 喋っている間に、いつの間にか立ち上がったキョンが、すぐ前に立っていた。あたしはうつむいたままだからその表情は分からないけど、腕の動きから察するに多分、さっきぶつけた後頭部をさすっているんだろう。 「ありがたいお言葉なんだが、お前にそう殊勝な事を言われると、驚きを通り越して寒気がするんだよなあ。 ともかくハルヒよ、別にそれは俺だけの話じゃないだろ。朝比奈さんや長門や古泉、その他もろもろの人がお前を支えてくれてる。俺なんかパシリ役くらいしか務まってないぞ」 「そうよ! あんたはみくるちゃんみたいな萌えキャラでもないし、有希ほど頼りになんないし、古泉くんほどスマートでもないわ! せいぜい部室の隅に居ても構わないってくらいの存在よ!」 「やれやれ、俺はお部屋の消臭剤か」 なんで、あたしはこんなにイラついてるんだろう。どうしていちいちキョンの言葉に反応してしまうんだろう。 あたしの不愉快さは、それはもしかして…不安の裏返しなの? 「そう、あんたは特に取り柄があるわけでもない、ただ単に手近な所に居ただけの奴だったのに! そのはずなのに! でもあの春の日に、あたしの髪型の変化に気が付いたのはあんたで…その後もあたしの事を一番気に掛けてくれるのはあんたで…。 いつの間にかあたしは、あんたに見られる事を意識するようになってた…。あたしがこうしたらあんたはどんな反応するだろうって、それが一番の楽しみになってた。 あんたが変えちゃったのよ、あたしを! もうあの頃のあたしには戻れないのよ! それなのに、あんたがあんな事を言うから…」 ああ、失敗。失敗だ。 うつむいてしまったのは大失敗だった。確かに表情を見られはしないけど、にじみ出てくる涙をこらえられないんじゃ、意味がない。 「あんたが…人間なんて明日どうなってるか分からないとか言うから…。だからあたしは、こんなに不安になってるんじゃない!」 あんまり悔しくって、あたしは涙に濡れた顔を上げ、再びキョンの奴を睨み据えていた。 つい先程聞いた有希のセリフが、また胸の奥でこだまする。 『彼の言っていたのはある面での、真理』 『価値観は主に相対性によって生ずる。最初から何も無かった状態に比して、あるはずだったものをなくしてしまった時の喪失感は、絶大』 今なら、その意味が分かる。 あたしにとってあるはずのもの、そこに居てくれなければ困るもの。それは、キョンだったんだ――。 「もし…もしもあんたを失っちゃったら、きっとあたしは今のあたしのままじゃいられない…。何度も何度も後ろを振り返って、おちおち前にも進めなくなる…。 そんなの嫌! そんなのはあたしじゃない! だから、あたしは!」 こんな事を言ったら、キョンはきっとあたしの事を軽蔑するだろう。そう思いながらも、でも一度ほとばしった罪の告白は、途中で止められるものではなかった。 「あんたをここへ、ラブホへ誘ったのは、なんとか励まして元気付けたかったからっていうのは本当。 でもあたしにはあたしなりの思惑があって…。あんたが目の前に居て、あんたに触れる事が出来る内に、あんたとしておきたかった…。 あんたがあたしと一緒に居たって証拠を、心と身体に刻み込んでおきたかったのよ! 悪い!?」 はあ。 言っちゃったなあ…あたしのみっともない本音を。 キョンの奴も、さすがに愛想が尽きただろう。いつも偉そうぶってるあたしがこんな、ただの利己主義で動いてるような人間だと知ったら。 キョンの反応が恐くて、あたしはギュッと固く目を瞑って、肩を震わせる。そんなあたしの耳に、キョンの呆れたような声が届いた。 「やれやれ。男冥利に尽きるお言葉ではあるんだが、願わくばもう少し可愛げのある言い方をしてくれないもんかね」 「………は?」 「いや、訂正しとこう。可愛げのあるハルヒってのは、やっぱりどうも薄気味悪い。少し横暴なくらいがお似合いだな」 「な、なんですってぇ!?」 あたしの本気を茶化すような、あまりといえばあまりの雑言に、あたしは思わず目を剥いて、キョンの胸倉を掴み上げてしまう。 すると、キョンの奴は悪びれもせずにあたしの目を見つめ返し、子供をあやすようにポンポンとあたしの頭を叩きながら、こうささやいた。 「なあ、ハルヒ。ひとつ訊くぞ?」 「…何よ」 「お前は、俺に消えていなくなってほしいのか?」 「なっ、このバカ! 今までなに聞いてたのよ、その逆でしょ!? あたしは、あんたと…」 「だったら、つまんないこと心配すんな」 え、と顔を上げたあたしに、キョンは驚くほどキッパリと言い切ったの。 「お前が望んでる限り、俺は、ずっとお前の傍にいるはずだから」 ――まったく。 まったくもう、なんでこいつは。 普段は優柔不断の唐変木ののらくら野郎のくせに、こういう時だけは断言できたりするのだろうか。 不覚にも、ぐっと来てしまったじゃないか。 不覚、不覚! 涼宮ハルヒ一生の不覚! 気付けばあたしはキョンの胸にすがりついて、ボロボロに泣き崩れていた。さっき流した悔し涙や、不安と寂しさで流した涙とは全然違う、それは頬がヤケドしそうなくらい、熱い、熱い涙だった。 次のページへ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/5687.html
月曜の朝はいつにも増してうだるい朝だった。俺は基本的に冬より夏のほうが好みの人間だが、こんなじめじめした日本の夏となると、どちらが好きか十秒程度考え直す可能性も否定できないくらいに微妙である。途中で出くわした谷口や国木田とともにハイキングコースを登頂したが、校門に辿り着く頃にはシャツが既に汗ばんでいた。ハルヒの判断は懸命である。長門がいない上にこの暑さでは、映画撮影などやってられん。 二年の教室に入って自分の席に着くと、後ろでスタンバっていたハルヒが肩を叩いてきた。 「ねえキョン、夏休みにやらなきゃいけないことって何だと思う?」 「ああ、そういや、もうそんな季節だな。俺にとってはどーでもいいことだけどよ」 「何よそれ」 「失言だ。忘れてくれ。それで何だって?」 俺は教室内を見回しながら訊いた。今日もとりあえず危険人物はいないが、このままいったら夏休み中の俺はブルー一色に染まること間違いなしだ。 「夏休みにやらなきゃいけないことよ。時間は刻一刻と過ぎていくんだから、常に次のことを考えてないと生きていけないわ」 「次のことまで考える余裕があるなんてうらやましいね。そんなもん、夏休みが来たときに考えればいい」 ハルヒは俺の意見を無視して一人で目を輝かせ、 「とにかく合宿は不可欠よね。てか、決まっちゃったし。そしてプールと花火大会とバイトと……」 「あと宿題な」 「何よそれ、夏だってのにシケてるわねえ」 そんなこともない。永遠に終わらない夏とどっちがいいかって言われたら俺は迷わず宿題を選択するぜ。 「やっぱ夏よ、夏! 高校に入るまでこんなに夏休みを待ち遠しく思ったことなんてないわ」 「へえ。高校の夏休みってのはそんなに面白いもんだったか?」 ハルヒは俺の問いに自然に――本当にごく自然に――答えた。 「SOS団で騒げるんだもん。楽しいに決まってるじゃん!」 俺は一瞬言葉を失って、妙な空白があった後にああそうだよなと相槌を打った。俺の笑顔は引きつっていたことだろう。 古泉の言っていたことはそんなに的外れではないのかもしれなかった。 楽しさの対象が宇宙人でも未来人でも超能力者でもないことを、ハルヒは自ら断言したのだ。悪いことじゃない。俺の目の前でハルヒが屈託なく笑ってやがるのも一年前にはありえなかった光景だと思えば、ハルヒの状態は確実によくなりつつあるということになる。 そこで俺ははたと考え込む。 しかしそれは、いったい誰にとってなんだろうか。ハルヒの精神が落ち着いてきていい状態だというが、それは誰にとっていいんだ? 俺にとってか。それともバイトが減る『機関』にとってなのか。 ハルヒがどこにでもいるフツーの女子高生になっちまうことを俺は本当に望んでいるか? 俺だけではない。朝比奈さんも古泉も、本当にそう望んでいるのだろうか。もし個人個人の持つ雑多な事情から解放されたとしたら、その答えは変わるかもしれん。少なくとも古泉はそう言っていた。 SOS団という謎の団体に俺は何かを感じていたのだった。もちろんそのSOS団は休日に遊ぶ仲間の集まりなんかではない。宇宙人の長門と未来人の朝比奈さんと超能力者の古泉と、ハルヒと、そして俺がいる団体こそがSOS団なのだ。いつの間にヒマな高校生の集まりに成り下がっちまったんだ。 そう思ってから、俺はまた頭をかきむしった。たった今、俺は、成り下がるという言葉を無意識に用いて、休日に遊ぶ仲間の集まりという意味でのSOS団を否定してしまっていたのだった。肩書きはどうあれ朝比奈さんと長門と古泉がいればいいという、そのきれい事のような考えだけでは割り切れないような感情が俺の奥底に、確かにあった。 ハルヒは何の迷いもない顔をしている。ただ、その銀河群が入っていそうな瞳の輝きが少し薄れているだけだ。惜しみなく部室専用スマイルをふりかけるハルヒを、俺はただぼんやり眺めていた。 * ハルヒの一年時のメランコリーをリアルな感じで悟りつつある俺は、結局昼休みまで動く気力が出なかった。 一年前の春、何で宇宙人に固執するんだと訊いた俺に、そっちのほうが面白いじゃないのと当然のように答えたハルヒはどこへ行っちまったのか。窓の外を眺めているとなぜか思考が巡りに巡ってしまうようなので、俺はシャーペンをつかんで黒板に焦点を合わせ、授業を受けるべくしていた。 昼休み、俺が後ろを振り向くとハルヒはすでにおらず、おそらく学食か購買へ行ったものと思われる。 俺もそろそろ部室に行かねばならんだろうと思っていると、谷口と国木田が近づいてきた。 国木田は俺の顔をまじまじ見て、 「キョンさあ、最近疲れてるのかなあ」 唐突な指摘の質問に俺は多少びっくりしながら、 「そうかもしれんな。ハルヒといれば誰だってこうなるぜ」 もっとも昨日今日の疲れはハルヒパワーが全開であるための疲れではないというのは胸の内に収めておく。むしろハルヒが騒ぎ立ててくれていたら俺の疲れも多少は癒されていたというか、俺の心のわだかまりも忘れることができたのかもしれん。 谷口が俺の頭をポンポンと叩いてきた。 「まったく、うらやましい野郎だ。たとえ相手が涼宮だとしても、女と一緒にいて遊び疲れたってのは贅沢の極みをいく悩みだぜ。ああくそ、俺、もういっそのこと涼宮でもいいから狙っちまおうかなあ。おめーら、まだ付き合ってねえんだろ?」 何を血迷ってるんだ。他の女なら俺が紹介できる限りでしてやるから、ハルヒだけはやめておけ。あの狂気にやられて、生活を狂わされちまった実例がお前の目の前にいるんだよ。ハルヒは常人が相手にできるような奴ではない。奴と同じくらい狂ってる人間か、あるいは釈迦並の寛大さを持ち合わせた奴じゃないと無理だ。 「いいや、そんなことはない。あいつだって一応は女だ。ひっくり返せばけっこう常識的な人間だぜ。これはなあキョン、涼宮と五年間も一緒のクラスでいる俺の境地に達したから解ることなんだ。あいつは、けっこうまともな人間だ」 まともな人間ね。谷口の言葉すら煩わしく感じた。そんなことは俺だって知ってるんだよ。 そりゃよかったなと適当に返事をして、俺は弁当箱を持って立ち上がった。 「あれキョン、教室で食べないのかい?」 「部室で食うよ。悪いな」 とにかく今はハルヒのことで頭を悩ませている場合ではない。いや、そういうと何か変わりつつあるハルヒに後ろめたいのだが、俺の頭のデキは誰もが知るとおりである。そんなたくさんのことに気を回していたらパンクしちまう。 チープでありきたりな描写で申し訳ないのだが、俺にはこの時すでに予感があった。 窓の外の世界が、二年五組の風景が、ハルヒが、もっと言うと俺の目に入るすべてのものが妙な嘘っぽさを纏っていた。平べったい風景となって不協和音を奏でていた。嵐の前の静けさというアレである。 そしてまた、その静けさは嵐によって吹き飛ばされるのである。空虚な時間は現実のどんな出来事によってでも、軽く夢世界のものになり得る。 俺は弁当を持って部室に向かった。心臓が知らぬ間に激しく鼓動していた。理由は解らん。 長門のクラスをのぞいてみたが、やはりというか、長門の姿は発見できなかった。 最初は歩いていたのがやがて早足になり、小走りになったところで部室に到着した。部室棟二階コンピ研の横、木製の扉。 そこで、地獄を見た。 * 俺は愕然とした。発する言葉もない。口をあんぐりと開けて首を回し、最後には頭を抱えて床に崩れ落ちた。 予感は当たった。当たってしまった。 ハルヒの精神が変わりつつあるという俺の憂鬱の発生源は瞬く間に消え去って、代わりに暗い未来予知が的中してしまった予言者のような沈黙が俺の心を支配した。 俺に否はないと断言できるが、それでどうしたという話である。現実は淡々と、ただし深く突き刺さる。 部室から、朝比奈さんのコスプレ一式がハンガーラックごと消え失せていた。 誰かが動かしたのだろうか。まとめてクリーニングに出したとしてもハンガーラックまでなくなることはないだろうし、俺はそんなのが楽観論にすぎないことを知っている。もしそのクリーニング説が本当だったのだとしたら、俺はそのクリーニングに出した奴をすぐさま訴えてやろう。精神衛生上よろしくないにも程があるぜ。 何をするともなしにゆらゆらと部屋の中を徘徊する。 ハードカバーがどっさり入っていたはずの本棚はがら空きである。遠い昔の記憶のような錯覚を受ける先週の金曜日、長門がいたときにやった七夕の竹だけはいまだに部室の窓にもたれかかっているが、長門と、そして朝比奈さんの願い事が書かれた短冊だけはなくなっていた。朝比奈さんが長門と同様の現象に見まわれたという証拠だった。 さらに、横の棚には急須がない。ポットだけはあるものの、よく見ると棚に乗っているのは茶葉ではなくてインスタントコーヒーである。普段は誰が淹れているのか知らんが、朝比奈製のお茶よりもおいしいようなことはないだろうね。ハルヒでも俺でも古泉でも、朝比奈さんのスキルはそう簡単に獲得できるものではない……。古泉? ハッとして振り向いた。そこには古泉が持ち込んだ古典的ボードゲームの数々が―― あった。 俺は深く息を吐いた。消えた長門の例からすると、そいつにまつわる物体がなくなっていると本人も消えているらしいから、古泉がこよなく愛するボードゲームがあるということは、古泉はまだ消えていない可能性が高い。 カチャリ。 突如、ドアノブを回す音がして部室の扉が開いた。 「やあどうも」 軽快を気取るような声をして入ってきたそいつには、いつものハンサムスマイルに少し苦笑が混じっている。すべてを知り合った仲間に自らの失態を告げるときのような、自嘲めいた微笑みである。 「よほどあなたに連絡を取ろうかと思っていましたよ。もうその必要もないでしょうが。さて、お気づきですか?」 ああ。嫌なことにたった今気づいてしまったところだ。 「ええ、そうです。とうとう二人だけになってしまいました」 その言葉はどう解釈すればいいんだろうかね。場合によっては殴るぜ。 「冗談です」 古泉は肩をすくめるお決まりのポーズを取り、団長机に置かれているデスクトップパソコンに歩み寄った。 俺は古泉にうさんくさい視線を投げかけながら、 「何が起こってるんだ。朝比奈さんもいなくなっちまったのか?」 「ええ、どうやらね。それに朝比奈さんだけではないようです。僕の組織が監視していた何人かの未来人が、今朝を持って一度にいなくなりました。ついでに橘京子の組織からも連絡を受けました。藤原という未来人もいなくなったらしいですよ。情報統合思念体製のインターフェースが消えたときとまったく同じ状態です」 しかしそこは未来人だから、未来に帰ったとかそういうことはないのかな。 「あなたは朝比奈さんから何を聞いたんでしょうか。時間平面がねじ曲がっていてTPDDの使用は不可能、と朝比奈さんは言っていたように思いますが。未来にも過去にも逃げることはできません。朝比奈さんも、まず間違いなく誰かに消されたんですよ。おそらく、周防九曜にね」 そんくらい俺も解ってる。 「じゃあ仮に犯人を九曜だとしても、あいつはいったい何を企んでるんだ。宇宙人を消し、未来人を消してさ。世界征服か?」 古泉はデスクトップパソコンを操作して立ち上げてから俺に目を戻すと、さあどうでしょうと首を傾げた。 「周防九曜が犯人であるということに異論はありませんが、目的がそんな単純なものだとは信じがたいですね。そうだったら、長門さんが以前やったように世界改変を行えばいいだけの話です。重ねて言いますけど、今回のこれは世界改変ではありませんよ。元の世界から宇宙人や未来人を引き抜いただけです」 じゃあ何のためにやったんだ。目的もなしに行動するような奴は少ないぜ。あいや、九曜ならその少ないの中に入るかもしれんが。 「目的は僕には解りませんね。涼宮さんに近づこうとしているのか、SOS団を崩壊させようとしているのか、あるいは邪魔者を排除してから何かをするつもりなのか。どちらにしろ、どうせ僕たちには対抗策などありません。長門さんや朝比奈さんを活殺自在にできるような存在にはね」 「お前にしては珍しく悲観的な意見だな」 「そうでしょうか。これも一種の作戦だと思いますけど。僕だったら無駄な対抗策を打って時間稼ぎをするよりも、残されたヒントを使って謎を解き明かし、新たな可能性を模索するほうを選択しますよ」 そう言って古泉がワイシャツのポケットから取り出したのは紛れもない喜緑メッセージである。生徒会議事録の最終ページで見つけたその文章には何かのパスワードが書かれているが、それはとうとう答えが解らなかったんじゃないのか? 土曜日に貸してやったのに解らないって言ってきやがったじゃねえか。 「そんなことはありません。この世にはね、深く考えてみれば解ける問題と絶対に解けない問題があるんですよ。たとえば宇宙の真理を一般人に答えろと言ってもまず無理でしょうが、この地球上で証明されている簡単な計算なら一般人でも……」 いいから解答が出たのか出ないのか答えやがれ。お前と話していると無駄な思考能力ばっかりついていって、肝心の答えが見つからないような気がしてならん。 「申し訳ありません。答えというか予測ですが、たぶん正しいというものなら出ましたよ。もちろん、このパスワードの在処がね。」 古泉が黙ってデスクトップパソコンを指さしているので、俺は近づいてのぞき込んでみた。 画面の真ん中にキテレツなマークがあって、ページにはメールアドレスとカウンタだけが取り付けられている。モニタが嫌々表示しているように見えるそれは、SOS団のサイトページだった。 「これか?」 と俺。 「そうです。ここのページは過去にも疑似情報操作のようなものを受けていますからね、もしやと思っていましたが、当たってしまいましたよ。長門さんが消される直前か消された後か、どちらにしろ仕掛けを作りやすかったんでしょう。ほら、カーソルをここに当てると」 古泉はカーソルをハルヒ作のSOS団エンブレムに乗せた。すると矢印のカーソルが手の形のカーソルに変わる。なんと、いつの間にかクリックできるようになっていた。ハルヒが俺にやらせずにこんな芸当ができるとは思いがたいし俺はこんな仕様にはしていないし、第三者の仕業で間違いない。 クリックすると案の定パスワード入力ページが現れた。password? と書かれているだけの、質素なページ。 「とまあ、この画面までは昨日までに『機関』のメンバーで考えて判明していたんですが。ただしこのパスワードというのがどうにも解らなくてね。このコピーには『password・すべての始まりを記せ』と書いてあるもので、ビッグバンやら宇宙やら、そのままこの文を入力してみたりもしたんですが、どれもダメでした。ちょっとこれは僕にはお手上げですね」 よくここまで辿り着いたもんだと感心していたが、それを聞いて呆れ返ったね。 すべての始まり? そんなもんは最初っから解っている。 それはビッグバンなんかじゃない。宇宙意識があったことでも、未来から人間がやってきたことでも、赤玉に変身する超能力者が現れたことでもない。少なくとも、俺にとってはな。 喜緑さんのこのメッセージは他の誰に宛てられたものではないのだ。生徒会長でも長門でも朝比奈さんでも古泉でもなく、そしてハルヒにでもない。俺が見つけたのだから、おそらく、俺が読むことを想定して書かれたものだ。 そうとなったら答えは一つである。すべての始まりは、こいつと出会ってからさ。 俺は古泉をどかしてキーボードに手を伸ばすと、その名前をタイプした。 つまり、『涼宮ハルヒ』と。 エンターキーを押すと、ロックが解除されたというメッセージが流れて別のページにジャンプした。 「ほう、さすがですねえ。なるほどあなたにとっての始まりは涼宮さんですか。なるほど、周防九曜や他の宇宙意識には抽象的で理解できない質問と解答です」 古泉がほざいているが、無視して液晶を食い入るように見つめる。ロードの時間がもどかしい。マウスを指でカチカチ叩く。とっととしろ。 出た。 『橘京子を連れてこの場所へ。わたしはここにいる』 それだけだった。ページのほとんどが白で埋め尽くされており、その真ん中あたりにかのような文字が活字体で羅列されていた。何だこれは。 わたしはここにいる。 ハルヒ(実際には俺)が四年前、東中のグラウンドにラインカーで白線引いて書いたアレだ。どっかの宇宙に宛てた奇妙な絵文字の意味がこれだったらしい。 俺は長く息を吐いた。間違いない。このメッセージは長門が作成したものだ。わたしはここにいる、と書かれていると教えてくれたのは他ならぬ長門だったのだ。 しかし、どういうことだ。 わたしはここにいる。 そして、橘京子。古泉とは異なる力を持つ超能力者。今回は共闘宣言をしてきたが、信用しきれない部分もある。そいつを連れてこの部室に来いと言うのか。意味が解らん。 もう少しヒントが欲しかった。そうでなけりゃ、パスワードなんかいちいちかける必要もなかろうに。スクロールしてみたが隠し文字はなかった。 「これだけですか?」 俺に訊くな。 「しかし、これだけでも取るべき行動の情報は得られましたね。長門さんらしいと言うべきか、最低限でも必要なことだけは明記してくれています。二文目はオマケのようなものですよ」 「橘京子をここに連れてくるってか」 あまり気分のいいことではなかった。当然気乗りもしないし、疑心暗鬼にさえ陥るかもしれない。 なにしろ、橘京子はついこの間まで敵対していたのだ。古泉の組織とは平行線で交わることはないなどと抜かしてやがったが、今になって急に考えを変えてきた。 しかし、さすがにほいほい信用できるものではないね。SOS団の命運がかかっているのだから、ついこの間までの敵を味方としてアジトに連れ込むのはどうかと思うぜ。 「あなたはそう言いますけど」 古泉が反論した。 「昔の立場関係というのは現在になってみればまったくどうでもいいことなんですよ。大切なのは現状です。特にこの場合はね。橘京子が味方になってくれる。客観事実だけを受け止めるのなら歓迎すべきことじゃないですか」 「確かにそうだけどな。けど俺が言いたいのはそこんとこじゃないんだ。土曜日に橘京子と会って話して、SOS団側につくって言われた。そんでもって今日はこのメッセージを見つけたんだ。橘京子を連れてこいってな。まるであいつが味方なのが前提みたいに書かれてるじゃないか」 「なるほど。それで」 言わなくても解るだろう。都合がよすぎるんだ。 古泉は数秒だけ首を捻っていたが、やがて微笑に戻るとどうでしょうねと言った。 「都合がいいのはあなたの仰るとおりですが、それはあくまで都合という観点で見たらの話です。あなたは、その都合というのは低確率が連続する問題だと信じているようですが、そうでなかったらどうでしょう。確率など関係なく、誰かの手によってそうなるように仕組まれていたとしたら」 「何が言いたい」 「これは僕の予想に過ぎませんが、橘京子の一派は何かをつかんでいると思うんですよ。もちろん彼女のつかんでいる情報はこちらには回ってきませんし、それはあくまで敵対組織同士だからです。ただ、彼女はそれをつかんだ上で合理的に行動している。SOS団に味方するというのも何か意味があるからです。おそらく、彼女はこのメッセージがなくとも、真相を知っていたんですよ。この事件を解決するためには自分の存在が必要不可欠だとね。たぶん土曜日、あなたと会って話す前から」 俺は土曜日の橘京子を思い出していた。 そういえば奴は佐々木に謝罪していたな。俺たちと会うために時間とルートを調整させてもらっていた、とか。さらにあの日の目的は俺たちに共闘を宣言することにあったといっても過言ではないだろう。 それもすべてを見越しての行動だったのか。ということは、あいつは長門がどんな目に遭っているかの詳細を知っていたということなのか。土曜日の時点で。 「いえ、これはあくまでも僕の推測に過ぎませんから。あまり深く考えないで下さいよ」 「そりゃいいが、どっちにしろやることは決まったな。橘京子に連絡を取るんだ」 「それが……」 古泉は困ったような顔になった。 「できないんですよ」 「…………何っ?」 できない。橘京子と連絡を取れないってのか。おいおい、どういうこった。 「彼女たちの組織に実体はありません。ですから正確に言えば組織ですらないんですけどね。いつも、ばらばらなんですよ。僕たちの『機関』に情報を提供してくれる場合でも匿名性のある手段しか使いませんからね。もちろん、自慢ではありませんが僕や『機関』は彼女の携帯電話の番号は知りませんし、どこに住んでいるかも知りません」 そんな……。じゃあ、あいつをメッセージ通りここに連れてくることなんか不可能じゃないか。 俺が顔面蒼白なのに比べ、古泉はずいぶんと落ち着き払っていた。おかしいくらいに。 「ですから、彼女たちからやって来るのを待つだけです。彼女は長門さんが作ったと思われるこのメッセージは知らないでしょうが、もっと核心に近いことをつかんでいるはずです。おそらく、土曜日にあなたの前に現れたように、何か必要があったらここにも現れるでしょう。自分が僕たちにとって必要不可欠の存在であるということも見通しているでしょうから。ただし、それがいつかは解りません。ですから、僕たちはひたすら待つわけです」 何をお前、そんなすがすがしい顔してやがる。いつかも解らねえ救助を待ってたら、大抵はのたれ死ぬぜ。そんなのは、白骨死体となって発見されたあまたの冒険者が証明してくれてるだろうが。それでもいいのかよ。俺は嫌だね。 「ふふ。どうしてだろう、不思議と怖くはないんですね。こういうスリルに憧れていたのかもしれません。――あなたは『二年間の休暇』を知っていますよね」 「いきなり何を言い出しやがる」 「本のタイトルですよ。『十五少年漂流記』とも呼ばれますが」 「それがどうかしたか?」 「分析してみると、僕の感情はあれに近いものなのかもしれないと思いましてね。彼らが辿り着いたのは孤島ですから、まっとうな手段では脱出不可能です。最終的には外部の人間に発見されて助けられるわけですが、僕のおかれた状況もちょうどそんな感じだと思ったんですよ。推察を巡らして手を尽くし、自分の力ではどうしようもないと悟ったとき、僕は、以前は、絶望するに違いないと思っていました。しかし意外でしたね。違いました。全然そんなことはない。むしろ気が晴れましたよ」 気でも狂ってるんじゃないかと言いかけてその言葉を呑み込んだ。マジで気が狂ってるんだろう。俺か古泉か、どっちかがな。 古泉はしばらく部室の窓の外を眺めていたが、やがて振り返ると真面目な表情に戻っていた。 「長門さんが突然消えて、その原因がはっきりしないまま朝比奈さんまで同様の現象に見まわれてしまったらしい。いや、宇宙人と未来人が、と言ったほうがいいでしょうね。そこまでいったら次に何がくるか、あなたなら解りますよね」 「超能力者か」 「あるいは、あなたです」 古泉のいつになく刺々しい声が冷酷に響いた。俺が目を逸らすと、古泉は真面目な話ですよと言った。 「土曜日にお話しした僕の最後の仮説――覚えてますね。僕たちは何者かに消されるのを待つ身なのかもしれない。それが、もしかすると真相なのかもしれません。時間の差はあっても、僕もあなたもやがては消されます」 古泉の複雑そうな横顔を、俺はぼーっと眺めていた。 超能力者が消えるなら橘京子も一緒に消されちまうんじゃないかと言おうかと思ったがやめた。そんな仮説に意味はないし、そういう仮定をする必要もない。古泉の言うとおり、橘京子が現れるのをただ待っているしかないのだ。先方が事情を承知しているなら、後は奴の慈悲深さに期待するだけである。しかしきっと、いるかも解らん神様よりはアテにできるだろうよ。いや微妙なところか。 「じゃあ」 俺がしばらくだんまりをやっていると、古泉がドアに向かって歩き出した。ドアノブに手をかける。 俺は咄嗟に口を開いた。 「古泉、てめえ明日もここにいろよ。消え失せたりするなよ」 一瞬古泉の手が静止したが、それでも特に答えることなく扉を開けて出ていった。その背中を見送って、しばらくSOS団サイトを表示しているパソコンを眺めていた。やがてチャイムが鳴ったので帰ろうかと思ったところで、弁当を食っていないのに気づいた。 * 「遅かったじゃないの。あんた昼休み中何やってたのよ」 授業開始直前にスライディングセーフを果たした俺は、特に何もすることなくそのまま五時限目六時限目をやり過ごした。もう少ししたら授業も夏休み前モードに切り替わって楽になるのだが、今のところは追い込み漁的な授業が続いていてちっとも心が安まらん。俺の場合、課外活動とその他の時間が一番疲れるのだから、授業中は睡眠学習を許可するよう教師も取りはからうべきである。 疲れという概念を本気で知らなさそうなのはハルヒくらいであって、俺の苦労も知らないハルヒの問いに、俺はだれた声で部室とだけ答えた。 「お前は何やってたんだ、昼休み中」 何となく訊いてみる。 「学食から帰ってきたら、ずっと窓の外眺めてたわ。気分で」 「何考えてたんだ。明日の天気か?」 「合宿のことよ。何して遊ぼっかなーと思って」 明日の天気と答えられても困るが、合宿のことと答えられても俺はなんだかため息を吐きたい気分だった。UFO召喚の儀式について、と答えられたら反応が違っていたかもしれない俺を一瞬思って、何を血迷っているのだと頭を振った。 「話は変わるけどさ」 俺はそう切り出し、 「去年の文化祭のときの映画撮影を覚えているよな。朝比奈さ……じゃない、どんな映画だったか言ってみてくれないか?」 「映画撮影?」 俺の予想が正しければ、ハルヒは間違ってもみくるちゃん主演の、とは言い出さないはずである。古泉の仮説通りなら、朝比奈さんはもとからこの世界にいなかったことになっているのだ。いないはずの人物が映画の主演をできるわけがない。というか、朝比奈さんがいなかったらハルヒは映画撮影なぞをやる気はなかったかもしれん。 やはり、ハルヒはいぶかしげな顔をした。 「何よそれ。そんなのはやった覚えがないわね。あ、でも面白そうじゃない。映画撮影かあ。なあにキョン、今年の文化祭か何かで映画を発表でもするつもりなの?」 「別に」 適当に受け流す。 どうやら古泉の仮説は正しかったらしい。朝比奈さんは長門と同じように消えちまっているという証明である。 俺は質問を変えた。 「じゃあ、SOS団の団員は最初っから三人だけだったかな。俺とお前と古泉。違うか?」 「何なのよ、キョン。そんな当たり前なことを訊いて。机の角に頭をぶつけて記憶喪失にでもなってるんじゃないの? あるいは頭がおかしくなってるのかしら」 ああ、その可能性は今回はまったく考慮してなかった。しかし古泉たちも記憶が俺と同じなのだから、黙殺でいいと思うね。 「なあハルヒ。俺さあ、金曜日の朝もこんなことを訊いてなかったっけ? あの時は長門有希って女子のことについてだった気がするが」 「どうだったかしらね。そうねえ……言われてみればそういう気がしないでもないけど……ところでキョンあんたいったい何なのよ。言いたいことがあるならはっきり言いなさい。遠回しな訊き方されるとすっごく気持ち悪いんだから」 一瞬、いっそのことすべてを率直にゲロってしまおうかと考えてから放棄し、ため息とともに何でもないと常套句を吐いて前に向き直った。 不意に、恐ろしいまでの虚無感が押し寄せてきた。感覚はそろそろ麻痺しちまっているが、時々、思い出し笑い並の唐突さでやってくるこれは吐き気を伴うまでになっている。 ホームルームが終わったら朝比奈さんと仲のいいはずだった鶴屋さんのところに行ってみようかとも思ったが、面倒になってやめた。 ホームルーム中、俺は机に伏せて微動だにしなかった。 * この日の放課後は特に何もなかった。 もっとも、長門や朝比奈さんがいなくなる以上に何かあってもらっては困るのだが。 この日は本当に、朝比奈さんがいないと部室で腹に入るものがとたんにまずくなることを実感したね。物理的にも、精神的にも。インスタントコーヒーだってたまにはいいだろうが、朝比奈さんのいないこのSOS団では、コーヒーは欲しかったら自分で淹れろという規律が存在しているようであり、自分で淹れたコーヒーを自分で飲んだところで味も素っ気もない。 無論そう感じるのは俺のコーヒースキルが劣っているからということにとどまらず、部室にいる人員にも問題があった。やっぱりこの部屋にいるのがハルヒと男二人だけってのは寂しいものなのだ。長門の読書姿でも、朝比奈さんのお茶汲み姿でも、それがSOS団の象徴になっていたということを改めて思い知らされた。 結局この日は喪失感が大きすぎて何もやる気がしなかった。古泉がヤケ気味に囲碁対戦を申し入れてきやがったが、今日ばかりは断らせてもらうぜ。 そんなこんなで、ハルヒはパソコンに向かっていたり雑誌を読んでいたりで、古泉は完全に持て余して詰め将棋状態、俺はパイプ椅子で半分以上茫然自失としているという、ある種異常とも言える本日の部活動は、うだうだの暑さが引いてきた頃に校内に響きわたったチャイムをもって終了した。 そうとなればもうこの部室にいるわけにもいかず、やがてして俺らは大量の生徒とともに校門から吐き出されることになった。俺はハルヒの後をセンサーで感知して動くロボットみたいに追い続ける。三人で、今の俺にとってはくそどうでもいいようなことを会話しながら、いつもの駅前に着くと、そこでまた明日と言って二人と別れた。 古泉もハルヒも、やがて街の雑踏の一部と化す。 * 家に戻った俺は、それでもまだ茫然としていた。ショックが大きすぎたのだろうか。 そんなのは言うまでもなく当たり前である。ただでさえ長門と朝比奈さんが消えてしまったショックはひどいのに、さらにこれ以上誰かを失う可能性が示唆されているというのだ。古泉はそう言っていたし、それは俺も納得せざるを得ない。明日仮に古泉が消えていたとしても、それはもはや、俺にとって驚愕すべき事態ではなくなっているのだ。 ではそうならないために俺は何ができるか。それはただ、待つことである。橘京子が助けに来るのを待つだけである。今日、それを自覚されられてしまった。 正直言って、俺は参っていた。 だだっ広い暗闇の中に置き去りにされて、それでも俺はそこから一つの希望を見いだした。その糸をたどっていって、ようやくはっきりした光明が差したのだ。SOS団のウェブページに現れた文章がそれである。橘京子を連れてこい。 それが俺たちの力では不可能だと悟ってしまった。橘京子の連絡先も所在も一切不明なのだ。どうしようもない。ただ俺たちは、橘京子が早く現れてくれることに運命を託したのだ。橘京子がライオンで俺たちは狙われたシマウマといったところか。別に橘京子が俺を殺そうと思っているわけではないだろうし立場関係的には間違っているだろうが、それでも活殺自在という根本において大差はない。手を下すのが自分か別の誰かかという違いがあるだけである。 だがシマウマというのは決して気分のいいものではない。俺は人間であるが故に知性というものに持ち合わせがあり、いいんだか悪いんだか知らないが、無抵抗に殺されるような真似はできるだけ回避するようにできちまっている。 そこで俺は思いついた。人智の発想さ。 誰か、橘京子の連絡先を知っていそうな奴はいないか、と。 思いついたね。そんときはおおいに笑みがこぼれた。 俺はそんなことを夕食を食べながら、風呂につかりながらずっと考え倒していた。おかげで、食事中はひたすら黙し続けて体調を心配されたり、風呂から出たときは全身がゆでダコのように真っ赤になっちまった。 風呂上がりですぐさまコードレスフォンを手にして自室にこもった。妹がふとどきにも俺の部屋でシャミセンと戯れてやがったがエサで釣って追い出してやった。たやすいもんだ。 電話は何回かコールした後、繋がった。 『もしもし』 「もしもし。ああ、俺だ」 とか言ってからナントカ詐欺を思い出したが、相手には無事に伝わったようだった。 『ああ、キョンか。こんな時間に、しかも僕に電話してくるとは珍しいね。何か急な用件でもあるのかな』 「まあな」 物わかりがよくて助かる。 俺が電話をかけたのは土曜日に再開を果たした人物の一人――つまり佐々木だった。 当然である。橘京子と俺の共通の知り合いで、しかも俺が絶対的な信用をおける奴など佐々木をおいて他にいないのだ。 「佐々木、お前にも用件の心当たりはあるだろ」 佐々木はしばし考えるふうな沈黙をおいて、 『そうだな、未来人が突如として消え去ってしまったことについて、かい? 橘さんから聞かされたよ。いやあ驚いたね。みんながみんなこういうののジャンルはファンタジーだと言うが、僕にしてみればホラー以外の何者でもない』 「ああそうだ。そのことについてだ。お前に訊きたいことがあってな」 『ほう、何だい。僕はそんな重要情報は持っていないと思うけどね』 それでも佐々木は好態度を示してくれるので俺は話しやすかった。こういうのがコミュニケーションスキルにおいて佐々木と他の連中との違いなんだろうね。 とはいえ、いくら佐々木でもパスワードの内容とか詳しいことまで喋るわけにはいかなかった。そこらへんは適当にごまかして、いろいろ手を尽くした末という表現に変換し、長門のものらしいメッセージを発見したこと、それによると長門を救うには橘京子が必要不可欠であるらしいことを話した。そして肝心の橘京子の連絡先を俺たちの誰もが知らないという、一見コメディである。 「ということでだ佐々木。率直に訊くがお前、橘京子の連絡先を知らないか?」 『それが用件というわけかい』 「その通りだ。知ってたら教えてくれ、頼む」 『いや、知らないんだ。お役に立てなくて申し訳ないが』 ちくしょう。 頼みの綱がまた一本切れた。残ったのはもはや、ただの恐怖でしかない。 「橘京子から教えられてないってのか」 『まあそういうことになるだろう』 「電話番号とかそういうのじゃなくていい。住所とか地名とか、名前でもいい。何か知らないのか?」 『申し訳ないが』 佐々木は同じ言葉を繰り返し、俺が黙り込んでいると電話の向こうで少し笑った。 『驚いたことに、僕から橘さんに連絡したことは一度もないんだ。さすがは橘さんと言うべきかな。味方にも連絡先を教えずに警戒するとは周到だよ』 暗い心のまま佐々木の言葉を聞いていたら何だか呆れてきた。 「お前は、そんな奴を信用してつるんでたのか。自分の連絡先も教えないようなヤツを」 『それはしょうがないことだ。誰にも、これは譲れないというものはあるからね。人はみんな、そういうことを承知した上で他人と付き合っている。承知できないか、承知できる範囲が狭い人間はどうしても他人と距離が開いてしまう。だから僕は橘さんのそういう考え方をできるだけ理解しようと努めているんだ。仲間としてね。キョン、たぶんそれはキミにも言えることなんじゃないかな』 俺は半分頭を素通りする情報を捉えようと電話機を握り直した。 「俺があの超能力者と一緒にされるのはあまり気分がいいもんじゃねえな」 『キョンが橘さんだと言っているわけではない。キミは橘さんの立場にも僕の立場にもなりうるだろうね。SOS団という団体の中で』 だったら俺は間違いなく佐々木よりのスタンスである。三者三様の理屈と考えを噛み砕いた上で俺の考えというものを構築していかねばならんのだから大変極まりない。さらに俺にはハルヒの理屈と考えまでもがのしかかるのだ。もちろんあいつにはあいつなりの理屈があってその上で理論ができているのだから、黙殺するわけにはいかない。 『だからさ、キョン。SOS団の人員と同じように橘さんにも事情がある。もちろん僕や僕の仲間の未来人、周防九曜さんにもね。個人の理屈や考えという観点から考えるのなら、彼女が連絡先を教えてくれないというのに許せないという感情を抱くのは彼女がかわいそうだ』 しかしそうは言ってもな、佐々木。事実は事実だし義務というものもある。俺にとって橘京子は信用をおけない存在で、SOS団のメンツは仲間なのだ。 『言っておくが、キミにとって橘さんは敵だろうが僕にとっては仲間だ。それに僕からすればキミたちの団体のメンバーは信用のおけない存在かもしれない。キョン、常に条件は対等なんだ』 俺がどう反論を試みようかと思っていると、佐々木は急に声を詰まらせた。次に発せられた声が涙声のように聞こえたのは、さすがに俺の耳がおかしいのだと思う。 『橘さんを信じてやって欲しい。これは橘さんの仲間であって、キミが信用してくれている僕からの願いだ。だからキミは今日、僕に電話をかけたんだろう。……頼むよ、彼女はきっとすぐに現れる。だから彼女を責めないでくれ』 「しかし……じゃあ、お前は完全に橘京子を信用してるんだな。すぐに現れると言い切れるんだな?」 『それは少々語弊があるけどもね。ここで人生論を持ち出すほど僕はえらい人間じゃないが、しかし僕には僕の人生があって、僕は仲間についていくことしかできない人間だ。彼女の思っていることを全部見通せる気はしない。だけれど、僕にはそう信じる義務があるのだと思うよ』 俺は嘆息した。これで俺は佐々木を信用する気になった。橘京子を頼る決心ができちまった。 それからしばらく、佐々木と人生論について語り合った後電話を切った。何となく、これから先も佐々木には到底かないそうにない気がしたね。あいつはとんでもない人間だ。 ついでに古泉にも電話してやろうかと思ったが、突如津波が押し寄せるように睡魔がやって来たのでやめた。携帯電話をしまってから部屋の電気を消すと、部屋には静寂がおとずれた。俺はだるい暑さに抱かれて暗い天井を見ながら、さっきの電話のことをしきりに考えていた。 人の事情を承知できる範囲が狭い奴は、どうしても他人と距離が開いちまう。 橘京子と連絡を取るのが不可能だと思い知った後しばらくして熱が冷めたら、その言葉だけがまだ、いやに熱を持ち続けていると気づいた。ハルヒのことが真っ先に頭に浮かぶのはどうしてだろうね。ハルヒにももちろん事情はあるのだ。あいつにはあいつなりの考えがあるし、それは常に変化している。一年前と同じことを考えているわけもない。どこぞのペットの猫よりも気まぐれに、妙な情にほだされることもある。それがいっそう俺をいらだたせるのだ。 考えるべきは消えてしまった長門と朝比奈さんの謎についてであるべきが、なぜかそのことに頭が取られているうちに眠りに落ちた。