約 1,302,939 件
https://w.atwiki.jp/eirei/pages/411.html
村井貞勝(むらい さだかつ)日本(近江国)1528~1582統率:A 武力:D 政治:A 知力:A 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------織田家臣。早くから信長に仕え、信長の上洛後は京に残り、政務全般を担当した。将軍・義昭追放後は京都所司代に就き、治安維持、朝廷や公家との交渉、インフラ整備、各所の補修など京の行政全てを担い、フロイスは『都の総督』と評した。本能寺の変が起きると、二条城で織田信忠と共に討死した。 村上義清(むらかみ よしきよ)日本(信濃国)1501~1573統率:A 武力:A 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------信濃の豪族。村上顕国の子。葛尾城主。北信一帯を支配したが、武田信玄の侵攻を受ける。しかし、上田原の戦い、砥石城防衛戦(砥石崩れ)で2度も撃退した。その後、上杉謙信を頼ったため、川中島の戦いを引き起こすきっかけとなった。 毛受勝照(めんじょう かつてる)、(めんじゅ かつてる)日本????~1583統率:C 武力:A 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------織田家臣。柴田勝家の小姓として仕えた。氏家直元や織田一門が討ち死にした伊勢の一向一揆では、馬印の奪還を果たして賞賛された。賤ヶ岳の戦いで、主君・柴田勝家に退却を促し、自らは勝家の馬印・金の御弊を掲げて豊臣秀吉の軍を引き付けて自刃した。 毛利興元(もうり おきもと)日本(安芸国)1492~1516統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------毛利家10代当主。毛利弘元の嫡男。大内氏に従い、父と共に転戦した。明応の政変で、足利義稙を奉じた大内義興に従って船岡山合戦にも参加した。芸備の国人領主の調停役に努めただ、心労がたたり、若くして没した。 毛利幸松丸(もうり こうまつまる)日本(安芸国)1515~1523統率:E 武力:E 政治:E 知力:E 文化:E 魅力:E--------------------------------------------------------------------------------毛利家11代当主。毛利興元の嫡男だが、父が病死したため、僅か2歳で家督を継ぐ。叔父である毛利元就と相合元綱が後見人を務めた。尼子氏に従い、大内氏の安芸国鏡山城攻略戦に参加したが、帰国後に病死する。 毛利新助(もうり しんすけ)、毛利良勝日本(尾張国)????~1582統率:C 武力:B 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------織田家臣。織田信長の小姓で、馬廻を務めた。桶狭間の戦いで、敵将の今川義元の首を討ち取る。後に黒母衣衆の一人に選ばれ、信長の旗本となる。本能寺の変では二条城に篭って応戦して討死する。 毛利隆元(もうり たかもと)日本(安芸国)1523~1563統率:B 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------毛利家13代当主。毛利元就の嫡男。はじめ、大内義隆の元で人質生活を送る。大内氏が滅ぶと、父と共に厳島の戦いで陶晴賢を討った。後に、周防・長門・安芸・備後・備中の守護職に任じられるが、急死した。 毛利弘元(もうり ひろもと)日本(安芸国)1466~1506統率:C 武力:C 政治:D 知力:C 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------毛利家9代当主。毛利豊元の子。大内氏の影響下にあり、嫡男の毛利興元と共に各地を転戦させられた。 毛利元就(もうり もとなり)日本(安芸国)1497~1571統率:A 武力:B 政治:A 知力:A 文化:C 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------毛利家12代当主。毛利弘元の次男。甥の幸松丸の死により家督を継ぐ。はじめ尼子家に属していたが、大内家に鞍替えし、息子を吉川家と小早川家に養子として送り、国内を掌握した。後に、大内義隆を倒した陶晴賢を厳島で討ち、尼子氏も下し、中国地方の覇者となる。右馬頭、治部少輔、陸奥守。 最上駒姫(もがみ こまひめ)、お伊万(おいま)日本(出羽国)1580~1595統率:E 武力:E 政治:E 知力:C 文化:B 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------豊臣秀次の側室。最上義光の娘。九戸政実の征伐に山形に訪れた豊臣秀次に見初められ、側室となるが、秀次が秀吉に切腹を命じられると、駒姫も三条河原で処刑された。この処刑が最上義光が関ヶ原の合戦で東軍に属すきっかけとなった。 最上義淳(もがみ よしあつ)日本(出羽国)????~1504統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------最上家8代当主。最上満氏の嫡男。 最上義定(もがみ よしさだ)日本(出羽国)????~1520統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------最上家9代当主。最上義淳の嫡男。伊達稙宗と長谷堂で戦い、敗れて伊達稙宗の妹を妻に迎えて和議を結ぶ。 最上義守(もがみ よしもり)日本(出羽国)1521~1590統率:C 武力:C 政治:C 知力:D 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------最上家10代当主。中野義清の子で最上義淳の孫に当たる。先代当主・義定が嫡子なく没したため、一族の中から養子に迎えられた。山寺立石寺を復建し、領内の復権に努めた。 望月千代女(もちづき ちよめ)日本????~????(16世紀)統率:A 武力:B 政治:C 知力:B 文化:C 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------信濃国望月城主・望月盛時の妻。甲賀流忍者のくノ一でもある。第4次川中島の戦いで夫が戦死すると、武田信玄の命で、甲斐・信濃の巫女の統帥である「甲斐信濃二国巫女頭領」を務め、歩き巫女を養成した。 望月信永(もちづき のぶなが)日本????~????(16世紀)統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------武田家臣。武田信繁の三男。実兄の望月信頼が第4次川中島の戦いで戦死したため、望月信雅の養子となり、望月家の家督を継ぐ。以後、武田の御親類衆を率いて戦うが、長篠の戦いにて討ち死にした。 望月信雅(もちづき のぶまさ)日本(信濃国)????~????(16世紀)統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------武田家、北条家、徳川家臣。望月城主。宗家の望月昌頼に仕えていたが、武田信玄の信濃侵攻の際に降伏する。信玄の弟、武田信繁の長子・武田義勝(望月信頼)と望月信永を養子とした。 望月信頼(もちづき のぶより)、武田義勝日本1544~1561統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------武田家臣。武田信繁の長男だが、後に望月信雅の養子となる。第4次川中島の戦いに参陣するが、そこで討死する。 百地丹波(ももち たんば)、百地三太夫日本(伊賀国名張)1512~1581統率:A 武力:A 政治:C 知力:A 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------忍者。伊賀忍者の上忍三家の一つ、百地家の当主。伊賀衆を率いた中興の祖だが、逆に織田信長に危険視され、攻め滅ぼされる結果となる(天正伊賀の乱)。柏原の砦で抗戦したが一族と共に討死する。 森長可(もり ながよし)日本(尾張国)1558~1584統率:C 武力:C 政治:C 知力:D 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------織田家臣。森可成の次男。森可隆の弟で、森蘭丸・森長隆・森長氏・森忠政の兄。武蔵守。『鬼武蔵』と呼ばれた。父の死後家督を継ぎ、伊勢長島攻め、また甲斐武田氏攻めで活躍し、信濃川中島四郡を与えられた。小牧・長久手の戦いでは徳川軍奇襲部隊に参加したが、看破されて討死した。 森可隆(もり よしたか)日本(尾張国)1552~1570統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------織田家臣。森可成の長男で、森長可、森蘭丸らの兄。主に尾張の所領の留守を任されていた。しかし、越前敦賀の手筒山城攻めの際に功をあせって深入りしすぎたために討死する。 森可成(もり よしなり)日本(美濃国)1523~1570統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------土岐家、斎藤家、織田家臣。稲生の戦い、桶狭間の戦いに参加する。信長上洛後には近江国宇佐山城の主将となるが、浅井・朝倉の連合軍に攻められ、織田信治と共に討ち死にする。森可隆、森長可、森蘭丸らの父親。 森好之(もり よしゆき)日本(大和国森本)1518~1581統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------筒井家臣。筒井三家老の一人。筒井順昭、筒井順慶に仕えて、筒井順昭の妹を妻とした。志摩守。 森蘭丸(もり らんまる)、森成利日本1565~1582統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------織田家臣。森可成の三男で、森可隆、森長可の弟。織田信長の小姓を務め、本能寺の変において信長に殉じた。 森下道誉(もりした どうよ)日本(因幡国)????~1581統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------山名家臣。織田氏の中国攻めの際、寝返ろうとした主君である鳥取城主・山名豊国を中村春続らと共に追放して、吉川経家を新城主として迎えた。しかし、羽柴秀吉の兵糧攻めにあい、開城後に戦の責任として切腹させられた。 森田浄雲(もりた じょううん)日本(伊賀国阿拝郡)????~1582統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------伊賀の国人。第2次天正伊賀の乱では、百地丹波らと抗戦するが、降伏して一之宮城主となる。本能寺の変後、第3次天正伊賀の乱が起きると織田家に叛旗を翻すが討死する。 諸角虎定(もろずみ とらさだ)、諸角昌清(もろずみ まさきよ)日本????~1561統率:B 武力:B 政治:C 知力:B 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------武田家臣。武田信虎の代からの老将。50騎持ちの侍大将として仕え、信濃柏鉢城将などを務めた。第4回川中島の戦いで討ち死にする。豊後守。
https://w.atwiki.jp/ijincard/pages/14.html
◆アジア・大洋州◆ 日本 諏訪御料人日本(信濃国)[1530?~1555]◎武田信玄の側室諏訪の豪族・諏訪頼重の娘。武田信玄に輿入れして側室となり武田勝頼の母となる。 武田信玄日本(甲斐国)[1521~1573]◎甲斐の虎『風林火山』の旗印を掲げ、武田騎馬軍団は戦国最強と謳われた。◎人は城、人は石垣、人は掘人材を第一に考え、統治においても治水事業に注力し「信玄堤」などを築く。家臣団も武田二十四将と呼ばれる名臣が多い。 上杉謙信日本(越後国)[1530~1578]◎軍神毘沙門天を信仰し『越後の龍』と呼ばれ、戦国武将でも無類の戦上手だった。◎川中島の戦い宿敵とされる武田信玄と5度に渡る戦い。元は武田に攻められた国人領主が上杉に救援を求めたのが始まり。謙信は義によって出陣した。 織田信長日本(尾張国)[1532~1582]◎天下布武信長が岐阜に居城を移した際に打ち出した政策。一般的に武家政権で天下を治めるといった意味で理解される。◎楽市楽座市場税や座商人の特権を排除して自由営業を許可して市場の活性化を図った政策。◎鉄砲隊鉄砲の有用性を見抜き鉄砲隊を編成した。長篠の戦いでは三段撃ちこそ架空とされるものの多数の鉄砲運用で武田騎馬隊を破った。 豊臣秀吉日本(尾張国)[1537~1598]◎太閤農民出身ながら豊臣性を賜り、太閤の身分にまで昇り詰めた。◎刀狩り農民の武器を没収して大仏の材料とする事を喧伝した。武士と農民を区別するための兵農分離政策。◎太閤検地農民の武器を没収して大仏の材料とする事を喧伝した。武士と農民を区別するための兵農分離政策。 真田幸村日本(信濃国)[1567~1615]◎日本一の兵真田昌幸の次男。父と共に西軍に与し、関ヶ原の合戦時には上田城で徳川秀忠の軍を釘付けにした。さらに大坂夏の陣では徳本家康本陣に肉薄し、真田の武勇を示した。◎真田丸大坂冬の陣において真田幸村が大坂城の南に築いた出城。◎真田の六文銭真田家の家紋。六文銭は仏葬の副葬品のひとつで、三途の川の渡賃とされる。死をも厭わない不惜身命の決意を表すとされる。 明 秦良玉明[1574~1648]◎石砡防衛盗賊や反乱の軍を討伐して石砡を防衛した。明が滅亡した後も張献忠の軍から石砡を守って戦い続けた。◎白杆兵彼女が率いた軍はトネリコでできた槍を持っていたため白杆兵と呼ばれ、その強さと忠義心が讃えられた。◎忠義の詩崇禎帝が後金の軍に攻められると私財を投げ打ってまで救援に駆けつけた。その偉業を讃えられて皇帝から4つの詩を贈られた。 清 ヌルハチ清[1559~1626]◎清の皇帝女真族の愛新覚羅氏の出身。息子のホンタイジが国号を清と改めると、ヌルハチを初代清皇帝とした。◎サルフの戦い女真族をまとめ後金を建国すると明に宣戦布告をして遼東を平定した。◎国の礎軍事や行政を再編した八旗制を敷いた。文化面でもモンゴル文字を改良した満州文字を定めた。 ドルゴン清[1612~1650]◎摂政王太祖ヌルハチの第十四子で、ホンタイジの異母弟。甥にあたる順治帝の摂政となり一族内の実力者となった。◎清の入関対清の最前線である山海関を突破し、北京に入城する。明の崇禎帝を弔う一方で中華の支配を確立した。 ◆ヨーロッパ◆ イングランド(→イギリス) トマス・モアイングランド[1478~1535]◎大法官法律家であり人文主義者。カトリックの聖職者でもあり、ヘンリー8世の離婚問題とカトリック離脱に際して対立し反逆罪で処刑された。◎ユートピア架空の島の社会・宗教・政治などを描いた物語。現実世界と対比させてヨーロッパの社会問題を風刺した。 ヘンリー8世イングランド[1491~1547]◎イングランド国王テューダー朝第2代イングランド国王。ヘンリー7世の次男。◎イングランド国教会生涯6回結婚し、離婚問題でローマ・カトリックと対立してイングランド国王を首長とするイングランド国教会を成立させた。◎ウェールズ法諸法ウェールズ法諸法によってイングランドとウェールズの行政を統合し、「イングランドおよびウェールズ」として統治された。 トーマス・グレシャムイギリス[1519~1579]◎商才王室金融代理人として海外の負債管理を担当し、見事に負債の大部分を精算した。◎悪貨は良貨を駆逐する金の含有量などが違う金貨が出回れば、人は金の含有量の多い金貨を手元に置くため、含有量の少ない悪貨が日々の支払いに使用される。経済学の原理でグレシャムの法則と呼ばれる。 ロバート・ダドリーイングランド[1532~1588]◎女王の寵臣ノーサンバランド公ジョン・ダドリーの五男で、エリザベス1世の寵愛を受けて愛人となりレスター伯爵に叙された。◎ネーデルラント出兵スペインに反乱を起こしたネーデルラントに派遣されるが、軍の統率がとれずに帰還命令を受けた。 フランシス・ドレークイングランド[1543頃~1596]◎海軍提督西インド諸島などで海賊行為を行い、後に財宝を王室に献上して海軍提督となる。◎世界周遊イングランド人として初めて世界一周を成し遂げた。帰港したゴールデン・ハインド号は莫大な富をもたらした。◎アルマダの海戦副司令官としてアルマダの海戦を戦うが、実際の指揮を執ったのはドレークだった。火のついた船を敵艦隊に突っ込ませる海賊らしい戦法などを採用し、スペイン人からは悪魔の化身(エル・ドラコ)と恐れられた。 ウィリアム・セシルイングランド[1520~1598]◎女王の側近エリザベス1世に仕え国王秘書長官や大蔵卿を歴任し、バーリー男爵に叙された。◎実務家国王至上法、礼拝統一法の修正案を提出し、ベーコンらと救貧法を成立させた。財政に関しては倹約を行なってきたがスペインとの戦争で戦費が膨れ上がってしまう。 エリザベス1世イングランド[1533~1603]◎イングランド女王テューダー朝第6代イングランド・アイルランド女王。ヘンリー8世とアン・ブーリンの娘で『処女王』、『栄光ある女人』などと呼ばれる。◎私は見る、そして語らない国王至上法を再発令し礼拝統一法を制定しアルマダの海戦でスペインの艦隊に大勝して大英帝国の礎を築いた。 ウィリアム・シェイクスピアイングランド[1564~1616]◎劇作家数多くの戯曲を書き上げ、数多くの演劇が上演され「エリザベス時代」とも呼ばれる黄金時代を築き上げた。◎シェイクスピア戯曲『ロミオとジュリエット』、『夏の夜の夢』、『ベニスの商人』、『オセロ』、『ハムレット』、『マクベス』、『リア王』、『ジュリアス・シーザー』、『お気に召すまま』、『テンペスト』、『じゃじゃ馬ならし』、『リチャード3世』など枚挙に暇がなく、古今東西においても優れた文学作品と評価されている。 マシュー・ホプキンスイギリス[1620~1647以降]◎魔女狩り将軍魔女狩りを生業として、300人もの人間を魔女に仕立て上げて処刑し、その利益を得ていた。 メアリー2世イングランド[1662~1694]◎イングランド女王ステュアート朝第5代イングランド・スコットランド・アイルランド女王。ジェームズ2世の長女で、オランダ総督ウィレムの妻。◎名誉革命の国王国王ジェームズ2世が追放され代わりに国王として迎えられた。夫との共同統治を望み議会にも承認され、国王の権限を制限する『権利の章典』が発布された。流血を伴わない革命のため名誉革命と呼ばれた。 エドワード・ティーチイングランド[1680?~1718?]◎黒髭カリブ海を中心に荒らし周り、その風貌から海賊の代名詞となった。◎アン女王の復讐号300トンのフリゲート艦。元は大型の奴隷輸送船だったが黒髭に拿捕されて、旗艦として有名となった。 ジョン・ラカムイギリス[1682~1720]◎キャラコ・ジャック黒地に髑髏と交差したカットラスを配したデザインの海賊旗は、「海賊」のイメージとして後世にまで定着した。◎メアリー ボニーラカムの海賊船には女海賊として有名なメアリー・リードとアン・ボニーが船員として乗っていた。 メアリ・リードイングランド[1685?~1721]◎女海賊ジョン・ラカムの船に乗っていた女海賊。男装して軍に入った経験もありカットラスの使い手だった。◎アンとの絆同じ海賊船に乗る女性同士のアン・ボニーと親しく、特に名が知られた。 バーソロミュー・ロバーツイギリス[1682~1722]◎鉄の掟海賊たちに厳しい掟を課し、窃盗や賭博などを禁じる一方で平等な権利も保障した。◎ロイヤル・フォーチュン旗艦『ロイヤル・フォーチュン号』を筆頭に20隻もの海賊艦隊を率いた。◎ブラック・バート洒落た伊達男で、紅い羽根帽子をかぶり、ポルトガル船から奪ったダイヤモンドの十字架を首から下げていた。 アイザック・ニュートンイングランド[1643~1727]◎万有引力林檎が木から落ちることで地球に重力があることを発見し、月や惑星にも引力が適用されることを提示した。◎ニュートン力学万有引力の他に慣性の法則、加速度の法則、作用・反作用の法則も発見し、研究成果を『プリンキピア』にまとめた。 ロバート・ロイ・マクレガーイギリス(スコットランド)[1671~1734]◎ロブ・ロイ(赤毛のロブ)牛取り引きで生計を立てていたが、モントローズ公に裏切られたため公に対して略奪を繰り返した。後にウォルター・スコットの小説で描かれたため、スコットランドで英雄視される。 ジェームズ・クックイギリス[1728~1779]◎キャプテン・クック英海軍の士官であり、特に海図作製で大きく貢献した。◎世界周航史上初めて壊血病による死者を出さずに世界周航を成し遂げた。◎ハワイ諸島到達ヨーロッパ人で初めてハワイ諸島に到達した。 アイルランド アン・ボニーアイルランド[1697~1721?]◎女海賊ジョン・ラカムの船に乗っていた女海賊。銃の名手だったとされる。◎メアリとの絆同じ海賊船に乗る女性同士のメアリ・リードと親しく、特に名が知られた。 フランス ハインリヒ・クラーマーフランス[1430~1505]◎異端審問官ドミニコ会士で異端審問官に任命されるとドイツ南部で活動した。魔女や異端に厳しく、非合法で容赦ない拷問と裁判を行った。◎魔女の槌(マレウス・マリフィカルム)魔女の手口や発見方法、異端に関する諸説をまとめたもの。女性や黒魔術に偏った内容で、後に魔女裁判の手引き書とされた。 ガスパール・ド・コリニーフランス[1519~1572]◎コリニー提督イタリア戦争やスペインとの戦いにも参加し、プロテスタントに改宗すると改革派の中心的存在となった。シャルル9世の信任厚かったが、カトリックには残虐な仕打ちが多く恨みを買っていた。◎サン=バルテルミーの虐殺ナヴァール王アンリの結婚式の際に襲撃される。暴動を恐れたシャルル9世はユグノーの排除を宣言し、コリニー提督も虐殺された。 カトリーヌ・ド・メディシスフランス[1519~1589]◎フランス王妃フランス王国アンリ2世の王妃。フランソワ2世、シャルル9世、アンリ2世の母后。◎文化の流入嫁ぐ際にイタリアから建築や芸術の文化をフランス王宮に持ち込んだ。ナイフとフォークの食事作法もこの時に定着した。◎サン・バルテルミの虐殺カトリックとユグノーの融和を図るために行われたナバラ王アンリとフランス王妹マルグリットの結婚式で起きた虐殺。カトリーヌが裏で指示したともされる。 ジャック・クレマンフランス[1567~1589]◎国王暗殺ドミニコ会修道士で、ギーズ公アンリを暗殺したユグノー派のフランス国王アンリ3世を暗殺した。これによりヴァロワ朝は断絶することとなる。すぐさまその場で殺され、その遺体はカトリック側の聖遺物とならないように燃やされた。 リシュリューフランス[1585~1642]◎宰相フランスの首席国務大臣にして枢機卿。冷徹なマキャヴェリストで、王権の強化とハプスブルク家への対抗に力を注いだ。◎欺かれた者たちの日11月11日。リシュリューの失脚を画策する国王ルイ13世の母后マリー・ド・メディシスと権謀術数を繰り広げ、宰相の罷免が二転三転した日。 ルイ13世フランス[1601~1643]◎フランス国王ブルボン朝第2代フランス国王。アンリ4世の子。◎絶対君主宰相にリシュリューを採用し、三十年戦争をハプスブルク家と戦い、フランスの国力を増大させた。 ルイ14世フランス[1638~1715]◎フランス国王ブルボン朝第3代フランス王国国王で、ルイ13世の長男。◎朕は国家なり中央集権と重商主義政策を進め、フランドル戦争、仏蘭戦争に勝利し、ブルボン朝の最盛期を築き上げ、絶対君主制を確立した。◎太陽王ヴェルサイユ宮殿を建設し、宮廷舞踊にメヌエットを取り入れ太陽神アポロンに扮して踊ったため『太陽王』と呼ばれた。 マリー・アントワネットフランス[1755~1793]◎フランス王妃マリア・テレジアの娘で、オーストリアからフランスのルイ16世に嫁いだ。◎豪華な宮廷生活ダンスや音楽を嗜み享楽的な暮らしをする反面、貧しい者を支援したり宮廷の無駄な慣習を簡略化させた。◎民衆の憎悪『赤字夫人』などと呼ばれ王室の浪費の象徴とされ、フランス革命において夫のルイ16世と共にギロチン刑に処された。 マクシミリアン・ロベスピエールフランス[1758~1794]◎ジャコバン派フランス革命を主導した政治派閥。正式名称は「憲法の友の会」で、国民公会で左の席に座っていた事から左翼の語源となる。◎恐怖政治対立する派閥の人々を粛清の名のもとに処刑した。政治家のみならず一般人も含まれ、2万人が処刑された。仏語のテルールはテロリズムの語源となった。 カミーユ・デムーランフランス[1760~1797]◎諸君、武器を取れ!!フランス革命前夜、財務総監のネッケルが罷免されると民衆の不満が最高潮に達した。この時パレ・ロワイヤルで演説を行い、パリ市民に決起を促してバスティーユ襲撃に至った。 神聖ローマ帝国 マルティン・ルター神聖ローマ帝国[1483~1546]◎95カ条の論題ヴィッテンベルク城教会の扉にルターが張り付けた文書。教会の贖宥状販売を批判したもの。◎信仰義認説「人は信仰によってのみ義される」といった考え方。カトリックのような権威を否定して聖書のみを拠り所として救済を求めるべきという主張。 ゲッツ・フォン・ベルヒリンゲン神聖ローマ帝国[1480~1562]◎盗賊騎士決闘(フェーデ)と称して強盗、恐喝を繰り返して大きな財産を築き上げた。◎鉄腕ランツフート包囲戦で敵の大砲を受けて右腕を失い、鋼鉄の義手を付けた。その後も兵隊家業を続けて『鉄腕ゲッツ』と呼ばれた。◎俺の尻を舐めろ!ゲーテの戯曲『鉄の手のゲッツ・フォン・ベルヒリンゲン』での主人公ゲッツの台詞。ゲーテの名を一躍有名にした。 マリア・テレジア神聖ローマ帝国[1717~1780]◎ハプスブルク帝国の領袖神聖ローマ皇帝フランツ1世の皇后であり共同統治者。オーストリア女大公、ハンガリー女王、ボヘミア女王と数多くの称号を持つ。◎ヨーロッパの祖母子どもをフランスやスペイン、イタリアに嫁がせて子・孫の世代に多くの君主・妃を出した。 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト神聖ローマ帝国[1756~1791]◎神童音楽の才能に恵まれ、5歳で作曲するなど神童と呼ばれた。後に古典派音楽・ウィーン古典派を代表する音楽家となる。◎きらきら星変奏曲当時フランスで流行していた『ああ、母さん、あなたに申しましょう』にアレンジを加えて12のパターンの変奏曲を作った。◎レクイエムモーツァルト最後の作品で弟子により補完された。死の世界からの使者の依頼で自らのレクイエムを作曲したという噂が流れた。 ハンガリー王国 バートリ・エルジェーベトハンガリー王国[1560~1614]◎血の伯爵夫人連続殺人者として知られ、召使いから貴族まで若い娘を誘拐しては拷問し、その血を浴びて若さを保とうとしていた。血を求めた逸話は、吸血鬼伝説となった。◎鉄の処女(アイアン・メイデン)居城であるチェイテ城には様々な拷問具があった。浴槽にためる血は鉄の処女で流された血ともいわれる。 スイス フルドリッヒ・ツヴィングリスイス[1484~1531]◎宗教改革スイスにおける初期の宗教改革者。聖書を信仰の基準とするなどカトリックを批判した。しかし、ルターと意見が違い対立する。◎カッペルのミルクスープカトリック派と宗教改革派が争った第一次カッペル戦争で、両軍の兵士がミルクスープを作って分け合った事から和議が成立した。ツヴィングリからしたら武力制圧してでもスイス全土に宗教改革を広げたかったため不本意な結果となった。 パラケルスススイス[1493~1541]◎錬金術万物の根源は水銀、硫黄、塩の三原質説であると提唱する。また医学に化学を導入し、水銀や鉛、ヒ素など金属の化合物を初めて医薬品に用いた。◎賢者の石金を作り出すことが目的だった錬金術に対して、普遍医薬(不老不死の霊薬)を作るべきだと主張した。◎アゾット剣常に「Azoth」と刻印された剣を持ち、その中には賢者の石や悪魔が入っていたと言われている。 プロイセン国王 フリードリヒ2世プロイセン[1712~1786]◎プロイセン国王第3代プロイセン王国国王。フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の子で、近代化を目指した啓蒙専制君主として有名。◎大王軍事才能を発揮してオーストリア継承戦争、七年戦争を勝利に導いた。他方でフルート演奏など芸術的な才能も持ち合わせていた。 教皇領 アレクサンデル6世教皇領[1492~1503]◎ローマ教皇第214代ローマ教皇。ボルジア家の出身で世俗化した教皇の代表とされる。◎史上最悪の教皇好色で強欲とされた。政争に明け暮れ、カトリック教会の権威を失墜させたとされる。特に教皇領の軍事的自立のために軍費を割いた。◎ルネサンス教皇多くの芸術家のパトロンとなり、美術品を収集した。またヴァチカンやローマの市街地などを整備した。 チェーザレ・ボルジア教皇領[1475~1507]◎ボルジア家の威光教皇アレクサンデル6世の子で、パンプローナ司教、バレンシア大司教、枢機卿を務め、ヴァレンティーノ公、ロマーニャ公となる。◎君主の才残酷で冷徹な権力者と見られるが、マキャヴェリの『君主論』で理想的な統治者と評された。◎ボルジア家の毒薬軍事的な才能でイタリアを征服し、政敵や近親者を毒殺した。 フィレンツェ共和国 ピエロ・デ・メディチフィレンツェ共和国[1472~1503]◎フィレンツェ僭主フィレンツェを支配したメディチ家の当主。最盛期を築いたロレンツォの子だが人望に乏しかった。◎愚昧フランス軍が迫った時、戦わず入城を許可したためフィレンツェから追放された。 レオナルド・ダ・ヴィンチフィレンツェ共和国[1452~1519]◎万能の天才絵画、彫刻、建築、土木、音楽、数学、解剖学、博物学、生物学、天文学など数多くの分野に精通し、探求心と独創性を兼ね備え、ルネサンスの三大巨匠の一人に数えられる。◎モナ・リザ世界で最も有名な肖像画で、最も見られ、最も描かれた絵画。モデルはフィレンツェの有力者の夫人リザ・デル・ジョコンドとされる。◎最後の晩餐イエス・キリストと12使徒による最後の晩餐を描いた作品。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に描かれたもので、遠近法、明暗法、解剖学の科学が用いられている。 ガリレオ・ガリレイフィレンツェ公国[1564~1642]◎地動説太陽をはじめ天体が空を動いているのではなく、太陽を中心に地球を含めた天体が公転しているといった説。◎それでも地球は動いている宗教裁判において地動説を放棄する宣誓文を読まされたが意思は変えなかった。 ジェノヴァ共和国 クリストファー・コロンブスジェノヴァ共和国[1451頃~1506]◎新大陸への到達大西洋を西に進み、キリスト教世界の白人として初めてアメリカ海域に到達した。◎コロンブスの卵逆転の発想、または誰に出来る事でも最初に行なう事は困難であるという故事。卵を机に立てられるかという問題に対して、コロンブスは卵の先を割って(または茹でて)立てたという逸話。◎奴隷商人原住民に対して略奪・虐殺を行ない金の採掘などの重労働を強いた。戦利品としてスペインに原住民を奴隷として送るが、逆にイサベル1世に統治能力を疑われた。 カスティーリャ=アラゴン連合王 フアナカスティーリャ=アラゴン連合王国[1479~1555]◎カスティーリャ女王カトリック両王と呼ばれたフェルディナンド2世とイザベル1世の娘で、アラゴン王国、レオン王国の君主でもあった。◎狂女ネーデルラントの君主フィリップ端麗公と結婚して共同統治を行ったが、夫が死んでから精神を病み遺体を棺に入れて徘徊したため、城館に幽閉された。 スペイン ディエゴ・デ・アルマグロスペイン[1479~1538]◎征服者(コンキスタドール)フランシスコ・ピサロと共にインカ帝国を侵略した。◎エル・ビエホ(老人)ヨーロッパ人として最初に現在のチリに到達したが、ピサロと対立して後に処刑された。 フランシスコ・ピサロスペイン[1470頃~1541]◎征服者(コンキスタドール)アメリカ大陸に渡ってインカ帝国を侵略した。インカ皇帝アタワルパを人質にして莫大な貴金属を受け取り、最終的にインカ帝国を滅ぼした。 エルナン・コルテススペイン[1485~1547]◎征服者(コンキスタドール)アメリカ大陸に渡り、アステカ帝国を滅ぼした。また現在のホンジュラスも征服してスペインに併合した。◎白き神の化身肌が白いため、アステカで信仰される白き蛇の神ケツァルコアトルの化身であると信じられた。しかしアステカ文明に理解を示さず、完膚なきまでに粉砕した。 アロンソ・ペレス・デ・グスマンスペイン[1550~1615]◎大貴族ヨーロッパでも有数の富豪だったメディナ=シドニア公。金羊毛騎士団に所属し、ロンバルディア知事、アンダルシア知事などを歴任した。◎無敵艦隊サンタ・クルス提督の急死で後任の無敵艦隊の司令官となる。しかし海戦経験などもなく、アルマダの海戦においてイングランドに大敗北を喫する。 ポルトガル ヴァスコ・ダ・ガマポルトガル[1469頃~1524]◎インド航路喜望峰を廻りインドへの航路を開拓してカリカットに到達する。ポルトガル本国に香辛料をもたらし、新たな交易の礎を築いた。 ポーランド ニコラウス・コペルニクスポーランド[1473~1543]◎地動説地球をはじめ惑星が太陽を中心に公転しているという説。後にガリレオの天体観測によって裏付けられた。◎天球の回転について地動説を主張した著書で、聖書に反するとしてガリレオ裁判の際には一時閲覧禁止とされた。 スウェーデン グスタフ2世アドルフスウェーデン[1594~1632]◎スウェーデン国王ヴァーサ朝スウェーデン王国第6代国王。◎北方の獅子10ヶ国語を操り、内政を充実させ、国内に絶対王政を確立した。デンマークとの戦争を続け、三十年戦争にもプロテスタントとして参戦した。 クリスティーナスウェーデン[1626~1689]◎スウェーデン女王ヴァーサ朝スウェーデン王国第7代女王。グスタフ2世アドルフの娘で、フィンランド大公も兼ねた。◎バロックの女王魔女の手口や発見方法、異端に関する諸説をまとめたもの。女性や黒魔術に偏った内容で、後に魔女裁判の手引き書とされた。 ロシア マリュータ・スクラートフロシア[????~1573]◎オプリーチニキ秘密警察オプリーチニキの隊長。多くの貴族や聖職者を処刑し、反乱の意があるとしてノヴゴロドの住民数千人も虐殺している。 イヴァン4世ロシア[1530~1584]◎ロシア皇帝モスクワ大公で「全ルーシのツァーリ」を名乗り、最初のロシア皇帝となる。◎雷帝政治・軍事の両面で積極的な改革を行い、貴族を排除して官僚の政治を目指した。一方で大規模な粛清や、圧政で恐怖の対象となった。◎土地法農民に土地の移動を禁止した。これにより農民は領主への依存が強まり、後の農奴制の下地となった。 ピョートル1世ロシア[1672~1725]◎ロシア皇帝ロマノフ朝第初代ロシア皇帝。モスクワ大公アレクセイ・ミハイロヴィチの六男。◎大使節団西欧化改革を推進し、ヨーロッパに使節団を派遣して自らもそれに参加した。アムステルダムで船大工としても働き、文化や軍事技術を吸収した。◎大帝大北方戦争でスウェーデンを破り、国家名称をロシア帝国に昇格させてヨーロッパへの影響力を強めた。 エカチェリーナ2世ロシア[1729~1796]◎ロシア皇帝ロマノフ朝第8代ロシア皇帝。ピョートル3世の皇妃であり、クーデターを起こして皇帝の座についた。◎大帝代表的な啓蒙専制君主で、露土戦争やポーランド分割によってロシアの領土を拡張した。◎玉座の上の娼婦ポチョムキン公爵をはじめ公式な愛人が10人存在した。 ◆中東・アフリカ◆ オスマン朝 カラ・ムスタファ・パシャオスマン朝[1634?~1683]◎大宰相スィパーヒー出身で、メフメト4世の下で海軍提督を経て大宰相に就任した。◎軍事侵略ポドリア地方を攻略してオスマン朝史上最大の版図を築いた。また露土戦争においてもチヒルィーンを占領した。◎第二次ウィーン包囲クリミア、モルダヴィア、トランシルヴァニア、ワラキアの諸侯を率いてオーストリアに侵攻し、ウィーンを包囲した。しかしポーランド王ヤン3世の攻撃で包囲陣は崩壊した。 ンドンゴ王国 ンジンガンドンゴ王国[1582~1663]◎ンドンゴ女王兄を殺害して王位に就くとポルトガルやオランダから領土を守った。ポルトガル語を解し、ヨーロッパ文化に通じた。◎食人嗜好村人600人を石臼で挽き殺して人肉を食したという残忍な逸話が残る。 ◆南北アメリカ◆ アメリカ合衆国 ジョージ・ワシントンアメリカ[1732~1799]◎合衆国大統領アメリカ合衆国の初代大統領。◎大陸軍司令官フレンチ・インディアン戦争を戦ったワシントンはアメリカ独立戦争では司令官に就任する。◎ワシントンの斧幼少期に斧の切れ味を試すため、庭の桜の木を切り倒した事を素直に告白した逸話だが、後世の創作。
https://w.atwiki.jp/eirei/pages/405.html
内藤綱秀(ないとう つなひで)日本????~????(16世紀)統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------北条家臣。大和守。津久井衆筆頭で、相模国津久井城主。豊臣秀吉の小田原征伐でも豊臣勢に攻撃しているが、徳川軍の攻撃を受けて津久井城も落城した。 内藤昌月(ないとう まさあき)日本(信濃国)1550~1588統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------武田家臣。保科正俊の三男だったが、長篠の戦いで戦死した内藤昌豊の代わりに内藤家を継いだ。箕輪城代。その後、織田家、北条家に仕えた。 内藤昌豊(ないとう まさとよ)日本(甲斐国)1522~1575統率:C 武力:B 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------武田家臣。武田四名臣の一人で武田二十四将の一人。信濃平定戦、川中島の戦いに参戦し、西上野箕輪城攻めで軍功を上げた。更に、三増峠の戦い、三方ヶ原の戦いにも参加した。信玄の死後は勝頼に仕えたが、他の老臣同様に疎まれ、長篠の戦いでは撤退を進言するも受け入れられず、討ち死にする。 直江景綱(なおえ かげつな)、直江実綱日本(越後国)1509~1577統率:C 武力:C 政治:A 知力:A 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------上杉家臣。長尾為景、長尾晴景、上杉謙信に仕えた宿老。与板城主。政治手腕に長け、内政の事務や近衛前久の饗応役などを担当した。能登遠征など謙信に従って転戦した。上杉四天王、上杉二十五将に数えられる。 長井道利(ながい みちとし)日本(美濃国)????~1571統率:C 武力:C 政治:B 知力:A 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------斎藤家、足利家臣。長井利隆の子。斎藤道三の弟ともされる。関城主。斎藤道三に仕えるが、長良川の戦いで、息子の義龍に付く。稲葉山城が落城すると、浪人となり、足利義昭の配下となるが、摂津の戦いで討ち死にする。 長井衛安(ながい もりやす)日本(美濃国)????~????(16世紀)統率:C 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------土岐家、斉藤家臣。斎藤六宿老の一人に数えられる。斉藤道三と息子の義龍の争いでは義龍側に付いた。後の織田との戦いで戦死する。 長尾房景(ながお ふさかげ)日本(越後国)????~????(16世紀)統率:C 武力:C 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------古志長尾氏当主、栖吉城主。長尾孝景の子。上杉房能にクーデターを起こした長尾為景に味方をして領地を獲得する。関東管領・上杉顕定が越後に攻め入ってくると長尾為景とは敵対するが、後に為景に従った。 長尾政景(ながお まさかげ)日本(越後国)1526~1564統率:A 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------上杉家臣。上田長尾氏の当主で坂戸城主。長尾房長の子で、上杉景勝の実父、仙桃院を妻とする。府中長尾家の家督相続において長尾晴景を支持するが、後に謙信に降伏し、重臣として謙信に従う。宇佐美定満と野尻湖で舟遊びした時に舟が転覆して溺死した。上杉二十五将に数えられる。越前守。 中川清秀(なかがわ きよひで)日本1542~1583統率:C 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------池田家、織田家、豊臣家臣。中川重清の子。茨木城主。はじめ池田勝正に仕えた。摂津国主・荒木村重と共に信長に謀反を起こすが、すぐに降る。丹羽長秀や池田恒興旗下で転戦し、本能寺の変後は、豊臣秀吉に付き山崎の戦いでも活躍する。賤ケ岳の戦いで、佐久間盛政の猛攻を受けて討ち死にする。 長坂信政(ながさか のぶまさ)、血槍信政日本????~1572統率:B 武力:A 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------松平(徳川)家臣。松平清康の代から仕え、織田氏と戦っている時代から武功を挙げた。戦で槍を血で染めないことがなかったため、皆朱の槍を授かり、苗字を血槍と称し、『血槍九郎』と呼ばれた。 長坂光堅(ながさか みつかた)、長坂長閑斎日本(甲斐国)1513~1582統率:D 武力:D 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------武田家臣。小笠原氏の庶流に当たる。北巨摩郡の国人。有力部将として仕え、諏訪郡代を務めた。長篠の戦いでは、主戦論を支持したため、後に奸臣とされた。武田家滅亡に際して、主君・武田勝頼に殉じて自刃した。 中条景資(なかじょう かげやす)日本(越後国)1532~1573統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------上杉家臣。中条藤資の子。本庄繁長が謀反を起こした際に、武田家から内応の誘いがあったが、断って本庄城を攻撃した。その後も、越中や関東を転戦した。 中条景泰(なかじょう かげやす)日本(越後国)1558~1582統率:C 武力:A 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------上杉家臣。吉江景資の子。中条景資の婿養子となり家督を継ぐ。一向一揆との戦いで鉄砲隊に突っ込んだため、上杉謙信に後方に下げられた。織田の越中侵攻に際して、父の吉江景資と共に魚津城を防衛して自刃する。 中条藤資(なかじょう ふじすけ)日本(越後国)????~1568統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------上杉家臣。越後の国人領主(揚北衆)。中条定資の子。鳥坂山城主。幼くして家督を継ぎ、上杉定実に仕えた。後に上条定憲の反乱に与するが、結局、長尾晴景に下る。その後、上杉謙信の家督相続に大きく貢献し、一門に次ぐ重臣として仕え、第4次川中島の合戦でも奮戦した。上杉二十五将に数えられる。 中村一氏(なかむら かずうじ)日本(近江国)????~1600統率:C 武力:D 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------豊臣家臣。甲賀二十一家の一つ、瀧(多喜)氏に連なる。早くから秀吉に仕え、駿河の代官を務め、駿河14万石を得る。後に三中老の一人となる。関ヶ原の戦いでは東軍に属すが、合戦を直前に病没する。 中村春続(なかむら はるつぐ)日本(因幡国)????~1581統率:C 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------山名家臣。織田氏の中国攻めの際、寝返ろうとした主君である鳥取城主・山名豊国を森田道誉らと共に追放して、吉川経家を新城主として迎えた。しかし、羽柴秀吉の兵糧攻めにあい、開城後に戦の責任として切腹させられた。 長束正家(なつか まさいえ)日本1562~1600統率:C 武力:C 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------丹羽家、豊臣家臣。はじめ丹羽長秀に仕えたが、豊臣秀吉の奉公衆に抜擢されて五奉行の一人として近江国水口城主となる。算術能力が高く財政を担い、多くの合戦の兵糧奉行を務めた。関ヶ原の戦いで西軍に付くが、池田輝政の軍に包囲されて自刃する。大蔵大輔、侍従。 夏目吉信(なつめ よしのぶ)日本(三河国)1518~1572統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------徳川家臣。三河一向一揆で門徒側の将だったが、赦免され、郡代までになる。三方ヶ原の戦いでは、死を覚悟した家康を無理やり浜松城へ引かせて、自らが家康を名乗り、敵を引き付けて討ち死にした。 鍋島清久(なべしま きよひさ)日本(肥前国)1490~1544統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------肥前の小豪族。龍造寺家兼が大内義隆と戦った田手畷の戦いでは、赤熊の面を被って家兼に協力した。その後、龍造寺家の家臣となった。 鍋島清房(なべしま きよふさ)日本(肥前国)????~????(16世紀)統率:B 武力:C 政治:A 知力:A 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------龍造寺家臣。鍋島清久の次男。駿河守。龍造寺家兼が馬場頼周に追われた時、一族の少弐氏の動きを封じるために一揆を煽動した。龍造寺家純の娘を妻とするほどの信任を得て、龍造寺隆信の家督相続にも尽力した。沖田畷の戦いでは佐賀城の留守を守った。 成田氏長(なりた うじなが)日本(武蔵国)1542~1596統率:C 武力:B 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------成田長泰の嫡男で、成田長忠の兄。上杉氏と北条氏との間に揺れたが、両者同盟後は北条氏に仕えた。一時、滝川一益に屈するが、北条氏に帰参して小田原征伐では、小田原城に詰めて抗戦した。娘の甲斐姫が豊臣秀吉の側室となったこともあり、下野国烏山2万石に封じられ、初代藩主となった。 成田長泰(なりた ながやす)日本(武蔵国)1495~1574統率:C 武力:C 政治:B 知力:A 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------上杉家、北条家臣。成田親泰の子。下総守。武蔵国忍城主。はじめ関東管領・上杉憲政に仕えたが、後に北条氏に従うようになる。しかし、その後も上杉氏と北条氏に揺れ動き、寝返りを繰り返した。最終的に息子の成田氏長に家督を譲って隠居した。 南部信直(なんぶ のぶなお)日本(陸奥国)1546~1599統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:E 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------陸奥の戦国大名、南部家26代当主。南部政康の次男・石川高信の庶長子。南部晴政の娘を娶る。南部晴継が没すると、北信愛などの支持を受けて当主となる。後に豊臣秀吉に従い、本領を安堵された。 新津勝資(にいつ かつすけ)、新津義門日本(越後国)????~1600統率:C 武力:C 政治:D 知力:D 文化:E 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------上杉家臣。山吉政久の子で、新津勝邦の婿養子。第4次川中島の合戦、新発田重家の乱、小田原征伐、朝鮮出兵など多くの戦いに参加した。上杉二十五将に数えられる。 新野親矩(にいの ちかのり)日本????~1564統率:D 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------今川家臣。新野城主。今川義元討ち死に後、離反する者が続出する中、今川氏真に攻められて死んだ井伊直親の遺児(井伊直政)を引き取って養育した。氏真に叛旗を翻した飯尾連竜を攻めたが、討ち死にした。 仁科盛信(にしな もりのぶ)、武田晴清日本(信濃国)1557~1582統率:A 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------武田信玄の五男で、母は油川夫人。信濃の国人領主・仁科氏を継承し、武田親族衆に列する。越後との国境警備を担当した。高遠城主。長篠の戦いの後、織田家からの侵攻の際、親族衆も寝返る中、高遠城で激しく抗戦して討ち死にした。 丹羽長秀(にわ ながひで)日本(尾張国)1535~1585統率:C 武力:C 政治:B 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------織田家臣。美濃、近江の攻略、長篠の合戦を歴戦し宿老の地位まで昇る。『米五郎左』の異名をとった。信長の死後は、羽柴秀吉に付き、賤ヶ岳合戦に参戦した。戦後越前、若狭、加賀の半分の120万石を領して北庄に留まった。 禰津御寮人(ねづごりょうにん)、武田里美(たけだ さとみ)日本1527~????統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------武田信玄の側室。禰津元直の娘。武田信清の母。 野々村三十郎(ののむら さんじゅうろう)、野々村正成日本(美濃国)????~1582統率:B 武力:A 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------斉藤家、織田家臣。軽海の戦いで織田広良を討ち取る。織田信長に仕えると、馬廻りを務め、長篠の戦いでは鉄砲奉行を務める。摂津国の有岡城攻めにも参加し、中川清秀の降伏を仲介した。本能寺の変の際には、織田信忠に従って、二条城で討ち死にした。 野村直隆(のむら なおたか)日本(近江国)????~1600統率:B 武力:C 政治:B 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------浅井家、織田家、豊臣家臣。横山城主。織田軍から横山城を死守し、姉川の戦いを戦った。本能寺の変後は、豊臣秀吉に仕え、鉄砲頭として小田原征伐や文禄の役で活躍した。関ヶ原の戦いでは、西軍の軍監として伏見城攻撃に参加した。
https://w.atwiki.jp/vs-sf/pages/18.html
この体制を取り入れているのはグレード企業帝国のみである。 内容は企業主義とほぼ同じで、唯一違うのは皇帝が居ることだけである。
https://w.atwiki.jp/eirei/pages/527.html
王直(おう ちょく)明(徽州歙県)????~1560統率:B 武力:C 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------貿易商。明の海禁政策の中、日本や東南アジアなどと交易を行なった。日本に火縄銃を持ち込んだポルトガル人を乗せていたのも王直の船だった。後に海賊行為も働き、倭寇の頭目となり、『五峰』、『老船主』などと呼ばれた。 王陽明(おう ようめい)明1472~1529統率:A 武力:B 政治:B 知力:B 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------中国明代の儒学者・思想家・高級官僚・武将。思想家として朱子学を批判的に継承し、読書のみによって理に到達することはできないとして、仕事や日常生活の中での実践を通して心に理をもとめる実践儒学陽明学を起こした。一方で武将としても優れ、その功績は「三征」と呼ばれている。 嘉靖帝(かせいてい)、世宗、(朱厚[火偏+總](しゅ こうそう))明1507~1566統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------明朝第12代皇帝。正徳帝の従兄弟だが、正徳帝の子が皆早死にしていたため帝位を継承した。道教に傾倒し、政治を顧みなかった。 弘治帝(こうちてい)、孝宗、(朱祐[木偏+堂](しゅ ゆうとう))明1470~1505統率:B 武力:C 政治:A 知力:C 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------明朝第10代皇帝。成化帝の第三子。成化帝の寵妃、万貴妃は、他の女の子を堕胎させていたが、密かに育てられた。皇帝に即位すると、無用な導士や僧を追放し、李牧省、僧継暁は獄に入れ、死罪に処した。また、宦官も粛清した。北のダヤン・ハンに対抗し、北防にも力を注いだ。 戚継光(せき けいこう)字は元敬明1528~1587統率:A 武力:A 政治:C 知力:B 文化:C 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------倭寇およびモンゴル軍を撃退した明を代表する名将。戚継光は倭寇の被害が著しい浙江へ赴任するが、そこの官軍があまりに弱体化していたので、そこで戚継光は、住民が精悍なことで知られた金華・義烏の地で兵を募り、厳しい訓練を施して、精強な自らの軍隊を組織した。戚継光は軍律を明らかにし、信賞必罰で兵士に臨んだため、決して略奪などは働かない精鋭部隊となり、戚継光の軍隊は「戚家軍」と呼ばれ倭寇制圧の中核となった。後に北方に赴任するが、そこでも在任16年間にわたってモンゴルの侵略を防いだ。 張居正(ちょう きょせい)明(湖北省江陵県)1525~1582統率:B 武力:C 政治:B 知力:A 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------政治家。万暦帝の傅役を務め、宰相となると税制を統一する一条鞭法などを制定させた。一方で言論弾圧や既得権の侵害などで敵も多く作った。 李時珍(り じちん)、字は東璧明(蘄州)1518~1593統率:D 武力:C 政治:C 知力:A 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------医師、本草学者。古くより薬草の効能などが記された『神農本草経』の内容を改めて編纂すべく研究をした。多くの書物や薬草を収集し、26年かけて全52巻から成る『本草綱目』を完成させる。ほかにも奇経や脈診の解説書である『瀕湖脈学』、『奇経八脈考』を著した。 李如松(り じょしょう)、字は子茂明(遼東鉄嶺衛)1549~1598統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------明の武官。李成梁の子。山西総兵、宣府総兵などを歴任。ボハイの乱の鎮圧でも武功を挙げ、文禄・慶長の役では防海禦倭総兵官として朝鮮の軍を率いた。平壌の小西行長の軍を撃破したが、碧蹄館の戦いでは小早川隆景、立花宗茂らの軍に大敗した。 隆慶帝(りゅうけいてい)、穆宗(ぼくそう)、(朱載垕(しゅ さいこう))明1537~1572統率:E 武力:E 政治:E 知力:E 文化:E 魅力:E--------------------------------------------------------------------------------明朝第13代皇帝。嘉靖帝の第三子で、父同様に政治を顧みなかった。酒と女に溺れていたが、名臣、徐階や海瑞に支えられた。
https://w.atwiki.jp/eirei/pages/266.html
アレクサンデル6世(ロドリーゴ・ボルジア)教皇領(生まれはスペイン・バレンシア)1431~1503統率:B 武力:C 政治:A 知力:B 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------第214代ローマ教皇。スペインのボルジア家に連なり、教皇カリストゥス4世の親戚。ルネサンス期の世俗化した教皇で、好色で強欲だった。一方、息子チューザレを重用し、一族の繁栄と教皇庁の軍事的自立に尽力した。美術、学問を奨励する。世俗にまみれ、『最悪の教皇』と呼ばれた。 インノケンティウス9世(ジャン・アントニオ・ファッキネティ)教皇領(生まれはイタリア・ボローニャのクラヴェーニャ)1519~1591統率:C 武力:C 政治:A 知力:B 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------第230代ローマ教皇。ニカストロ司教、エルサレム名義枢機卿。ピウス5世の教皇使節としてヴェネツィアに渡り、スペインとの同盟を締結させ、レパント海戦の勝利に貢献した。 ウルバヌス7世(ジョヴァンニ・バッティスタ・カスターニャ )教皇領(生まれはローマ)1521~1590統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------第228代ローマ教皇。ジェノヴァ出身の一族の出。ロッサーノ司教、ボローニャ使節、スペイン教皇使節。スペイン系枢機卿たちの推挙で教皇になるが在位僅か13日でマラリアで死去する。 カテリーナ・スフォルツァ教皇領(フォルリ及びイーモラ)1463~1509統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------フォルリとイーモラの領主。ミラノ公ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの庶子。反乱が起きて息子達が人質となった際に、城館の屋上でスカートを捲り上げ、「子どもなどここからいくらでも出てくる」と叫び、『イタリアの女傑(ヴィラゴ・ディタリア)』と勇名を馳せた。 グレゴリウス13世(ウーゴ・ボンコンパーニョ)教皇領(生まれはイタリア・ボローニャ)1502~1585統率:D 武力:A 政治:C 知力:A 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------第226代ローマ教皇。学問を好み、奨励し、これまでのユリウス暦を廃し、新たにグレゴリオ暦を制定した。サン・ピエトロ大聖堂のグレゴリウス聖堂を建設した。また、天正遣欧使節を迎えた。 グレゴリウス14世(ニッコロ・スフォンドラート)教皇領(生まれはイタリア・クレモナ)1535~1591統率:D 武力:E 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------第229代ローマ教皇。スペイン寄りの政治姿勢を示してフランスのアンリ4世を破門した。 クレメンス7世(ジュリオ・デ・メディチ)教皇領(生まれはイタリア・フィレンツェ)1479~1534統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------第219代ローマ教皇。フィレンツェのシニョーレ(領主)。マキャヴェッリに『フィレンツェ史』の執筆を、ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の壁画を依頼する。ルターの宗教改革に苦慮し、神聖ローマ皇帝カール5世にはローマを略奪されてしまう。離婚問題で、イングランド国王ヘンリー7世を破門する。 シクストゥス5世(フェリーチェ・ペレッティ)教皇領(生まれはイタリア・グロッタッマーレ)1520~1590統率:C 武力:D 政治:A 知力:B 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------第227代ローマ教皇。フランシスコ会員。ヴェネツィアの教皇巡察師、フランシスコ会の教皇総代理を歴任する。教皇領の治安回復、財政再建、公共事業に尽力した。サン・ピエトロ大聖堂のドームを完成させ、サン・ピエトロ広場にオベリスクを建て、ローマを整備した。 ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレ(本名:ジョヴァンニ・デ・メディチ)教皇領(フォルリ)1498~1526統率:A 武力:A 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------傭兵隊長。ジョヴァンニ・イル・ポポラーノとカテリーナ・スフォルツァの子で、メディチ家の傍系。教皇軍の指揮官として神聖ローマ帝国軍と戦い、『最後の傭兵隊長』と賞賛された。レオ10世が亡くなった時、紋章に黒い帯を加え、彼の部隊も黒いリボンを付けたため『黒隊長』と呼ばれた。 チェーザレ・ボルジア教皇領1475~1507統率:A 武力:A 政治:A 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------軍人、政治家。アレクサンデル6世の子。ヴァレンシア大司教、枢機卿も務める。ロマーニャ公爵。教皇軍総司令官となり、アヴィニョン捕囚の後に乱立した僭主を倒して教皇領を回復した。冷徹な政治家で、権謀術数で多くの政敵を殺害した。 ドン・ミケロット(本名:ミゲル・ダ・コレッラ)教皇領(生まれはスペイン・バレンシア)????~1508統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------チューザレの親友であり、側近。チューザレの多くの政敵を暗殺した。 パウルス3世(アレッサンドロ・ファルネーゼ)教皇領(生まれはイタリア・トスカーナ)1468~1549統率:C 武力:C 政治:B 知力:B 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------第220代ローマ教皇。イエズス会を認可し、プロテスタント側との対話を求め、教会改革を目指してトリエント公会議を招集した。 パウルス4世(ジャンニ・カラファ)教皇領(生まれはナポリ王国・ベネヴェント)1476~1559統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------第223代ローマ教皇。ナポリ大司教。教会の改革を図るが、厳格な性格のため敵が多かった。反ユダヤ主義者で、ユダヤ人をゲットーに住むよう強制した。 ハドリアヌス6世(アドリアン・フロリス)教皇領(生まれはオランダ・ユトレヒト)1459~1523統率:C 武力:D 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------第218代ローマ教皇。カール5世の個人教授を務めた。芸術への支出を削減した。また、オスマン朝への対抗を呼びかけたが、果たされなかった。 ピウス3世(フランチェスコ・トデスキーニ・ピッコロミーニ)教皇領(生まれはイタリア・シエナ共和国)1439~1503統率:C 武力:E 政治:B 知力:B 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------第215代ローマ教皇。シエナ司教。教皇庁内の腐敗の改革を進め、チューザレ・ボルジアを逮捕する。しかし、病床にあり、就任後僅か26日で死去する。 ピウス4世(ジョヴァンニ・アンジェロ・メディチ)教皇領(生まれはイタリア・ミラノ公国)1499~1565統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------第224代ローマ教皇。ラグーザ大司教、ボローニャ副教皇使節。中断されていたトリエント公会議を再開して成功裏に結論を導いた。 ピウス5世(アントニオ・ギスリエーリ)教皇領(生まれはイタリア・ミラノ近郊)1504~1572統率:B 武力:B 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------第225代ローマ教皇。ドミニコ会員。異端審問の世界で活躍し、ストリ司教、ネーピ司教、アレッサンドリーノ名義枢機卿、異端審問所長官を歴任する。レパントの海戦においてヨーロッパの連合艦隊に協力し勝利を収めた。聖人。 マーカントニオ・コロンナ教皇領1535~1584統率:C 武力:D 政治:B 知力:A 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------ローマの名家、コロンナ家の出身。レパントの海戦において、法王庁艦隊司令官を務め、神聖同盟艦隊副司令官としても、各国の調停役として活躍した。 マリア・サルヴィアティ教皇領(生まれはフィレンツェ)1499~1543統率:D 武力:D 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------黒隊長ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレの妻。豪華王ロレンツォ1世の孫に当たる。コジモ1世の母親。 マルケルス2世(マルチェッロ・チェルヴィーニ)教皇領(生まれはイタリア・アンコーナ)1501~1555統率:C 武力:E 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------第222代ローマ教皇。人柄もよく、有能で期待されていたが、体調を崩し、就任僅か21日で急逝してしまう。 ユリウス2世(ジュリアーノ・デラ・ローヴェレ)教皇領(生まれはイタリア・アルビッソラ)1443~1513統率:C 武力:C 政治:B 知力:B 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------第216代ローマ教皇。フランシスコ修道会員。カルペントラス司教。教皇シクストゥス4世の甥。芸術を愛好し、ミケランジェロ、ラファエロのパトロンとなり、ルネサンス芸術の最盛期を迎えた。第5回ラテラン公会議を招集した。 {ユリウス3世(ジャン・マリア・デルモンテ)教皇領(生まれはローマ)1487~1555統率:D 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------第221代ローマ教皇。シポント大司教、パヴィア司教、パレスティナ司教枢機卿。トリエント公会議で辣腕を振るった。芸術を奨励し、イエズス会を保護した。イタリアから外国勢力を排除しようと多くの戦争を行なった。 ラファエロ・サンティ教皇領(ウルビーノ)1483~1520統率:C 武力:D 政治:C 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------画家・建築家。ルネサンスの三大巨匠。これまでの芸術手法を統合、洗練して、女性的で優雅な様式を確立した。代表作に、『小椅子の聖母』、『アテネの学堂』、『美しき女庭師』、『キリストの変容』、またサン・ピエトロ大聖堂の主任建築家に任命され、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会のキージ家礼拝堂なども手がける。 ルクレツィア・ボルジア教皇領1480~1519統率:D 武力:E 政治:D 知力:C 文化:B 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------アレクサンデル6世の娘で、チューザレ・ボルジアの妹。ミラノ公の甥ジョヴァンニ・スフォルツァ、ナポリ王子アルフォンソ、フェラーラ公アルフォンソ1世などに嫁ぐが政略結婚だった。一方で修道院で慈善・福祉活動を行なった。 レオ10世(ジョヴァンニ・デ・メディチ)教皇領(生まれはイタリア・フィレンツェ共和国)1475~1521統率:B 武力:C 政治:B 知力:B 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------第217代ローマ教皇。フィレンツェのシニョーレ(領主)。ロレンツォ1世の次男。ルネサンス絶頂期の教皇で派手好きだった。フランス国王フランソワ1世がミラノに侵攻するとボローニャ協定を結ぶ。教皇ユリウス2世を引き継ぎ、サン・ピエトロ大聖堂を完成させた。贖宥状販売を認め、ルターに批判された。
https://w.atwiki.jp/eirei/pages/406.html
垪和氏続(はが うじつぐ)日本(駿河国)????~1580統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------北条家臣。垪和伊予守の子。興国寺城主。駿河に侵攻してきた武田信玄に対して、興国寺城を死守した。 長谷川秀一(はせがわ ひでがず)、長谷川貞長日本(尾張国)????~1594統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------織田家、豊臣家臣。織田信長の側近で、男色相手も務めた。安土宗論の奉行、武田氏討伐後の徳川家康の堺接待役を務める。小牧・長久手の戦い、紀伊雑賀攻め、朝鮮出兵に参陣し、朝鮮の陣中で病没する。侍従。 畠山義続(はたけやま よしつぐ)日本(能登国)????~1590統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------能登畠山家8代当主。畠山義総の次男。家臣の権力争いを収拾できず、傀儡となってしまった。大名の権力強化を図り、温井総貞を暗殺するが、畠山七人衆に孫の畠山義慶が擁立され、自身は国外追放(永禄九年の政変)となってしまった。 畠山義綱(はたけやま よしつな)日本(能登国)????~1549統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------能登畠山家9代当主。畠山義続の子。家督継承後、権力強化のために畠山七人衆の中心人物・温井総貞を暗殺した。しかし、畠山義慶が擁立されると(永禄九年の政変)父と共に近江に逃亡した。 畠山義慶(はたけやま よしのり)日本(能登国)????~1574統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------能登畠山家10代当主。畠山義綱の嫡男。永禄九年の政変が起きると、畠山七人衆に擁立される。修理大夫に任じられ、気多大社造営を行なうが急死した。 蜂須賀正勝(はちすか まさかつ)、蜂須賀小六日本(尾張国蜂須賀村)1526~1586統率:C 武力:B 政治:C 知力:B 文化:C 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------尾張の国人領主。後に織田家・豊臣家臣。木曽川で水運業を営み、豊臣秀吉の墨俣一夜城の築城で貢献した。秀吉の中国平定、四国征伐に従い、阿波国を加増されるが、自分は辞して、子の家政に譲った。 蜂須賀正利(はちすか まさとし)日本(尾張国蜂須賀村)1504~1553統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------尾張の国人領主。蜂須賀村に本拠を置き、尾張守護の斯波氏、美濃の斎藤氏に従った。 蜂屋貞次(はちや さだつぐ)日本(三河国)1539~1564統率:B 武力:C 政治:D 知力:D 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------松平家臣。徳川家康に仕え、桶狭間の戦いの丸根砦攻めで活躍した。三河一向一揆が起こると、一揆側に付き、勝万寺の戦いで大久保忠政を撃退する。しかし、一揆が鎮圧されると降伏して赦免された。その後の今川氏との吉田城の戦いで、流れ弾に当たって戦死する。 蜂屋頼隆(はちや よりたか)日本(美濃国)1524~1589統率:C 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------土岐家、斎藤家、織田家、豊臣家臣。黒母衣衆の一員で、信長の部将として上洛の際の戦い、一向一揆掃討戦に参加する。荒木村重の一族の処刑も行なった。本能寺の変後は、秀吉に仕え、賎ヶ岳、小牧・長久手、九州征伐に参加し、越前国敦賀4万石を与えられた。岸和田城主、敦賀城主。 服部小平太(はっとり こへいた)、服部一忠日本(尾張国)????~1595統率:B 武力:C 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------織田家、豊臣家臣。采女正。織田信長の馬廻を務める。桶狭間の戦いにおいて、敵将の今川義元に一番槍をつける。本能寺の変後は、秀吉に仕え、黄母衣衆の一員となった。小田原征伐後に、伊勢国一志郡3万5千石、松阪城主となる。豊臣秀次の奉行を務めていたため、連座して切腹する。 服部友貞(はっとり ともさだ)日本(尾張国荷ノ上)????~1568統率:C 武力:B 政治:C 知力:D 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------尾張国の土豪。一向宗門徒の服部党を率いる頭目。本願寺の長島城代となり、長島一向一揆を率いて織田家と戦うが、織田信長の謀略にかかって自害する。 服部半蔵(はっとり はんぞう)、服部正成日本 1542~1596統率:B 武力:A 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------徳川家臣。父・保長の代で三河に渡る。服部家は伊賀忍者の上忍三家の一つで、本能寺の変の後、徳川家康を堺から三河に逃がすため、伊賀を案内した(神君伊賀越え)。槍の名人で『鬼半蔵』と呼ばれた。江戸城の西門外に屋敷を構え、門は半蔵門と称された。 馬場信房(ばば のぶふさ)日本(甲斐国)????~1575統率:B 武力:B 政治:C 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------武田家臣。武田四名臣の一人で武田二十四将の一人。築城の名人で、多くの城の設計をしたとされる。信玄、勝頼に仕え、長篠の合戦では撤退を主張するが、聞き入れられず戦局が敗勢に傾くと、勝頼を逃がすために殿軍を務め討死する。『不死身の鬼美濃』と恐れられた。 林秀貞(はやし ひでさだ)、林通勝日本(尾張国)????~1580統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------織田家臣。佐渡守。信秀、信長に仕える。信長の奇行に不安を感じ、弟の通具、柴田勝家らと信行を擁立する(稲生の戦い)。敗北するが赦免され、その後、家宰として、清洲同盟の立会人などを務めた。しかし、重臣でありながら後年になって信行擁立の罪を問われて追放された。 林通具(はやし みちとも)日本(尾張国)1516~1556統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------織田家臣。美作守。主君である織田信長の奇行に不満を持っており、兄の秀貞、柴田勝家らと共に信長の弟の信行を擁して兵を挙げる(稲生の戦い)。しかし、信長の軍に敗れ、戦場にて討たれた。 原虎胤(はら とらたね)日本(駿河国)1497~1564統率:C 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------千葉家、武田家臣。小弓城合戦にて足利義明の軍に敗北して甲斐に落ち延び、武田信虎に仕える。武勇名高く、『鬼美濃』、『夜叉美濃』と恐れられた。攻城戦の名手でもあった。一時、追放され、北条に身を寄せたが、後に帰参する。武田二十四将の一人。 原長頼(はら ながより)日本(美濃国)1544~1600統率:C 武力:C 政治:C 知力:D 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------織田家、豊臣家臣。柴田勝家に属し、越前大野郡を領した。荒木村重の一族の処刑を担当する。本能寺の変後も柴田勝家の元で賤ヶ岳の戦いに参陣するが、後に豊臣秀吉に仕える。関ヶ原の戦いでは西軍に付き、伊勢で戦ったが、本軍の敗戦を知ると自害した。隠岐守。 原昌胤(はら まさたね)日本(甲斐国)1531~1575統率:B 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------武田家臣。武田二十四将の一人。美濃土岐氏の庶流で原昌俊の嫡男。武田信玄に戦況報告を行なう陣馬奉行として仕えた。信玄死後は、勝頼に仕えるが、長篠の戦いで、撤退を進言するが受け入れられず、突撃して討死する。 原田秀兼(はらだ ひでかね)日本(阿波国)????~1560統率:C 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------細川家、三好家臣。阿波の国人。山野上城主。三好家に従い、各地を転戦したが戦死した。 孕石元泰(はらみいし もとやす)日本????~1581統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------今川家、武田家臣。孕石光尚の子。人質時代の徳川家康と屋敷が隣で、家康を馬鹿にしていた。高天神城陥落の際に、家康から切腹を命じられた。 塙直政(ばん なおまさ)、原田直政日本(尾張国)????~1576統率:C 武力:C 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------織田家臣。信長の馬廻から赤母衣衆に抜擢される。畿内の政務を担当し、蘭奢待下賜の際に奉行を務める。また、山城国守護と大和国守護を兼ねる。伊勢長島攻め、越前一向一揆討伐に参加するが、石山本願寺攻めの際に雑賀衆の攻撃を受けて戦死する。 伴長信(ばん ながのぶ)日本(近江国)????~????(16世紀)統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------忍者。甲賀忍者の上忍。六角家、織田家臣。本能寺の変の際に、迫り来る明智軍からの攻撃を防いで討ち死にした。 半田吉就(はんだ よしなり)日本(近江国)????~????(16世紀)統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------朝倉家臣。朝倉義景の奏者を務めた。朝倉宗滴に従って加賀の一向一揆攻めに参加した。 樋口直房(ひぐち なおふさ)日本(近江国)????~1574統率:C 武力:C 政治:B 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------浅井家、織田家、豊臣家臣。浅井家の堀秀村の家老。竹中半兵衛が近江に隠遁していた時に世話をした。竹中半兵衛の調略で堀秀村と共に織田方に寝返り、豊臣秀吉の与力となった。 彦部信勝(ひこべ のぶかつ)日本????~????(16世紀)統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------室町幕府幕臣。彦部晴直の子。近衛前久に従って越後の上杉謙信の元を訪れ、後に関東の下野に土着した。関ヶ原の戦いでは東軍に軍事物資の供給を行ない、以降、桐生領は賦役御免となった。 彦部晴直(ひこべ はるなお)日本1507~1565統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------室町幕府幕臣。将軍・義稙、義澄、義晴、義輝の4代に仕えた。永禄の変で足利義輝が三好三人衆と松永久秀に襲撃された際に、奮戦して討ち死にした。 日野輝資(ひの てるすけ)、日野唯心日本(山城国)1555~1623統率:C 武力:C 政治:C 知力:A 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------日野家28代当主。公家。広橋国光の子。日野晴光の死去により家督を継ぐ。天皇の命によって織田信長に蘭奢待切り取りの勅許を伝え、1度目の朝倉攻めにも従軍した。後に徳川家康、秀忠に仕え、近江蒲生郡に領地を賜る。『禁中並公家諸法度』の編纂にも関わる。 平手汎秀(ひらて ひろひで)日本(尾張国)1553~1573統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------織田家臣。平手政秀の嫡男。石山本願寺攻めなどに参陣し、三方ヶ原の戦いに佐久間信盛と共に援軍として出陣するが討死する。
https://w.atwiki.jp/eirei/pages/408.html
北条氏邦(ほうじょう うじくに)、藤田氏邦日本 (相模国)1541~1597統率:B 武力:C 政治:B 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------北条氏康の四男で、北条氏政、氏照、氏規の兄弟。藤田康邦の娘婿。上野方面の軍事を担当し、武田信玄との三増峠の戦い、滝川一益との神流川の戦いなどを戦う。小田原征伐では、居城・鉢形城に篭城するが、前田利家らの軍の前に降伏する。 北条氏繁(ほうじょう うじしげ)日本(相模国)1536~1578統率:A 武力:A 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------北条綱成の嫡男。上杉謙信や武田信玄の侵攻に際して、玉縄城で撃退した。北条氏康の信も厚く、下総方面の軍権を任された。佐竹氏との戦いの前線である飯沼城において病没する。 北条氏綱(ほうじょう うじつな)日本(相模国)1487~1541統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------相模の戦国大名、北条家2代当主。北条早雲の嫡男。受け継いだ伊豆、相模に加え、武蔵、下総を支配し、関東制覇の礎を築いた。姓を北条に改めた。 北条氏照(ほうじょう うじてる)、大石氏規日本(相模国)1540~1590統率:B 武力:C 政治:A 知力:B 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------北条氏康の三男で、北条氏政、氏邦、氏規らの兄弟。上杉氏との越相同盟を締結させ、伊達氏とも外交関係を築いた。八王子城を築き、三増峠の戦いでも活躍する。小田原征伐では部下を八王子城に置いて、小田原城に駆け付けて篭城する。 北条氏直(ほうじょう うじなお)日本(相模国)1562~1591統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------北条家5代にして、戦国大名北条家の最後の当主。北条氏政の子。家督を継いだ後も、父の氏政が実権を握っていた。徳川家との和睦のため、督姫を妻とした。豊臣秀吉の小田原征伐では、徳川家康の嘆願により助命され、高野山に入り、後に病死した。 北条氏規(ほうじょう うじのり)日本(相模国)1545~1600統率:C 武力:D 政治:B 知力:A 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------北条氏康の五男で氏政、氏照、氏邦の同母弟。相模三崎城主、伊豆韮山城城代。幼少期には今川家の人質だった。外交能力に優れ、武田、上杉、徳川、伊達などの折衝、同盟締結に貢献した。小田原征伐では韮山城に篭った。甥の氏直が病死して嫡流が断絶したため家督を継いだ。 北条氏政(ほうじょう うしまさ)日本(相模国)1538~1590統率:B 武力:C 政治:A 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------北条家4代当主。北条氏康の子。上杉謙信の攻撃を受けるが小田原城に篭城して撃退する。相模・伊豆・武蔵・下総・上総・上野に下野・常陸の一部に及ぶ最大版図を築き上げたが、豊臣秀吉の上洛命令に従わず、小田原征伐を受ける。篭城し、抗戦派と降伏派が議論(小田原評定)したが降伏し、切腹を命じられた。 北条氏康(ほうじょう うじやす)日本(相模国)1515~1571統率:A 武力:B 政治:A 知力:A 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------相模の戦国大名、北条家3代当主。北条早雲の孫で、氏綱の子。山内上杉と扇谷上杉、古河公方を打ち破り、関東を制覇する。武田と今川と甲相駿三国同盟を結び、関東での北条家の地盤を確固たるものにした。智勇兼備の名将で、戦国随一の民政家としても有名。 北条幻庵(ほうじょう げんあん)、北条長綱日本(相模国)1493~1589統率:C 武力:D 政治:A 知力:A 文化:B 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------北条早雲 の三男。北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の5代に仕えた宿老。里見氏との合戦では軍を率い、和歌や茶道、礼法にも通じた。氏康の娘が嫁ぐ際に、『幻庵おほへ書』を記した。箱根権現別当。金剛王院院主。 北条早雲(ほうじょう そううん)、伊勢新九郎、伊勢盛時日本1432~1519統率:A 武力:C 政治:A 知力:A 文化:B 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------堀越公方の家督争い「豆州騒動」で、茶々丸を急襲し、また、小田原城の大森氏を攻め、小田原を本拠地とした北条氏の礎を築いた。『戦国時代の3梟雄』と評される。 北条綱成(ほうじょう つなしげ)日本1515~1587統率:A 武力:A 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------北条家臣。今川家臣・福島正成の子で、北条綱房の兄。北条為昌の養子となり、玉縄城主となる。河越夜戦で半年間篭城で耐え抜き、勝利したことから川越城主も兼ねる。その後も、里見義堯との国府台合戦、武田信玄との駿河深沢城の戦いで活躍する。 北条綱高(ほうじょう つなたか)、高橋綱種日本(伊豆国)????~????(16世紀)統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------北条家臣。高橋高種の子で、北条氏綱の養子となる。『北条五色備え』の内、『赤備え』の部隊を指揮した。扇谷上杉家の深大寺城攻めや、第2次国府台合戦などに参陣した。 北条綱房(ほうじょう つなふさ)、福島勝広(くしま かつひろ)日本1529~????統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------北条家臣。今川家臣・福島正成の子で、北条綱成の弟。北条氏康の小姓となり、北条為昌の養子となった。河越夜戦において、使者として北条氏康の作戦を、兄の北条綱成に伝えて勝利に貢献した。 保科正俊(ほしな まさとし)日本(信濃国)1509~1593統率:B 武力:A 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------武田家、徳川家臣。信濃の国人領主。高遠城主。保科正則の子。侵入してきた武田信玄に抵抗していたが、後に降伏して、信濃先方衆として勇名を馳せる。特に槍の扱いに優れ、『槍弾正』と呼ばれた。 細川氏綱(ほそかわ うじつな)日本1514~1564統率:D 武力:C 政治:D 知力:D 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------室町幕府幕臣。細川尹賢の子で細川高国の養子。細川藤賢の兄。管領。摂津守護。義父の宿敵・細川晴元を討つために将軍・足利義晴や、畿内の有力者の支持を得て挙兵した。さらに三好長慶の裏切りで江口の戦いに勝利し、晴元を近江に追放した。しかし、管領職に就くも、三好長慶の傀儡でしかなかった。 細川真之(ほそかわ さねゆき)日本1538~1582統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------阿波守護・細川持隆の嫡男。父の細川持隆が三好義賢に殺害されると、傀儡として擁立された。しかし、三好家の勢力が衰えると、長宗我部家の援軍で三好義賢の息子・三好長治を討つ。しかし、すぐに十河存保に攻められて自刃する。 細川澄元(ほそかわ すみもと)日本1489~1520統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------丹波・摂津守護。細川義春の子で、細川政元の養子。永正の錯乱で、細川政元が殺害されると、一時、甲賀に逃れた。その後も協力関係にあった細川高国が裏切り、如意ケ嶽の戦いや、船岡山の戦いで敗北する。大内義興が周防に帰国すると盛り返して政権を奪うが、すぐに高国に追われて失意の内に没した。 細川高国(ほそかわ たかくに)日本1484~1531統率:B 武力:C 政治:A 知力:A 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------管領。武蔵守。細川政春の子で、細川政元の養子。永正の錯乱の後、上洛した将軍・足利義稙を擁立する大内義興に付いて細川澄元と対立する。如意ケ嶽の戦いや、船岡山の戦いに勝利する。しかし、三好元長らに京を追われ、桂川の戦い、中嶋の戦い、大物崩れと敗走を重ねて自刃した。 細川信良(ほそかわ のぶよし)、細川信元、細川昭元日本1548~1592統率:B 武力:C 政治:A 知力:B 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------室町幕府幕臣、三好家、織田家、豊臣家臣。細川京兆家当主。細川晴元の子。幼少に三好長慶の人質となる。織田信長が将軍・足利義昭を擁して上洛すると臣下の礼を取った。 細川晴元(ほそかわ はるもと)、細川六郎日本1514~1563統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------室町幕府幕臣。管領。細川澄元の子。三好元長らと共に細川高国を京から追い出して、足利義維を将軍に擁立して堺公方とした。その後、対立した三好元長、次いで足利義維を打ち倒して幕府を支配した。しかし、細川氏綱や家臣の三好長慶らに追われた。 細川藤賢(ほそかわ ふじかた)日本1517~1590統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------室町幕府幕臣。細川典厩家の一族。細川尹賢の子で、細川氏綱の弟。中嶋城主。将軍・足利義輝、義昭に従った。義昭と織田信長が対立すると、義昭の挙兵を諌めたが失敗、後に信長に赦され、近江の坂本城を任された。 堀秀政(ほり ひでまさ)、堀久太郎日本(美濃国津軽郡)1553~1590統率:B 武力:C 政治:B 知力:B 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------織田家、豊臣家臣。堀秀重の長男。信長の小姓だったが、本能寺の変後、秀吉に従い、山崎の戦い、北ノ庄攻め、小牧・長久手の合戦、九州攻め、小田原征伐などに参陣し、そこで病没した。何事もそつなくこなし、『名人久太郎』と称された。羽柴の姓を賜り、『羽柴北庄侍従』とも呼ばれた。侍従、左衛門督。 堀吉重(ほり よししげ)日本????~1570統率:C 武力:C 政治:C 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------朝倉家臣。朝倉義景の犬追物に参加し、曲水宴と呼ばれる歌詠み会にも参加した。近江堅田での織田軍との戦いで戦死する。 堀江景忠(ほりえ かげただ)日本(越前国坂井郡)????~1576統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------朝倉家、織田家臣。朝倉宗滴に従って、加賀一向一揆との戦いで武功を挙げた。しかし、後に一揆側に内通して失脚した。朝倉家滅亡後、織田家に従うが、恩賞に不満を持っており、謀殺された。 堀尾泰晴(ほりお やすはる)日本(尾張国丹羽郡)1517~1599統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------織田家、豊臣家臣。堀尾泰政の子。堀尾泰政の子。尾張半国の守護代・岩倉織田家の当主織田信安に仕えた。 本願寺円如(ほんがんじ えんにょ)、光融日本(山城国山科)1489~1521統率:A 武力:D 政治:A 知力:A 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------本願寺実如の次男。得度して本願寺法嗣に定められる。高齢の父に代わって教団の実務を行なう。数々の改革を行ない、戦国期の本願寺を形成した。北陸の門徒に一揆の禁止を命じ、本願寺の一族に一門一家制を設けた。しかし、門跡を継ぐ前に亡くなる。 本願寺実如(ほんがんじ じつにょ)、光兼日本1458~1525統率:C 武力:C 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------浄土真宗本願寺第9世法主。本願寺蓮如の八男。管領・細川政元との関係強化に努める。細川政元の要請で畠山義英の討伐に協力するが、逆に摂津・河内の門徒の反発を受け、力ずくで押さえ込む(大坂一乱)。細川家のお家騒動の影響で一時、山科本願寺を追われてしまう。 本願寺証如(ほんがんじ しょうにょ)、光教日本1516~1554統率:B 武力:C 政治:A 知力:B 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------浄土真宗本願寺第10世法主。本願寺円如の子で、実如の孫。関白・九条尚経の猶子となる。教団内の対立(享禄・天文の乱)や、日蓮宗や六角定頼による焼き討ち(天文法華の乱)を受ける。本拠地を石山本願寺に移し、各地の門徒にみだりに一揆を起こさないよう命じた。 本願寺顕如(ほんがんじ けんにょ)、光佐日本1543~1592統率:A 武力:B 政治:A 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------浄土真宗本願寺第11世法主。本願寺証如の子。公家との縁組などで畿内に一大勢力を築き上げる。織田信長と争い、石山合戦を10年間戦うが、朝廷の斡旋で信長と和睦して、紀伊鷺森に退去した。後に豊臣秀吉の支援で、京都七条に本願寺を再興する。 本泉寺蓮悟(ほんせんじ れんご)日本1468~1543統率:B 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------本願寺蓮如の七男。兄・蓮乗の養子となる。本泉寺門主。大坂一乱に母が荷担しており末寺の住職に移され、連枝からも外された。また、享禄の錯乱にも関わり、破門された。 本庄実乃(ほんじょう さねより)、本庄慶秀(ほんじょう よしひで)日本(越後国)1511~1575統率:C 武力:C 政治:C 知力:A 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------上杉家臣。本庄慶長の子。栃尾城主。早くから上杉謙信の器量を見抜き、栃尾城へ招いて側近として家督相続にも大きく貢献した。また謙信の軍学の師でもあり、家中で絶大な権力を誇った。上杉二十五将に数えられる。美作守。 本庄秀綱(ほんじょう ひでつな)日本(越後国)????~????(16世紀)統率:C 武力:C 政治:C 知力:D 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------上杉家臣。本庄実乃の子。上杉謙信の上洛の際には、太刀持ち役を務めた。沼田城主として、関東での戦いに活躍した。御館の乱では上杉景虎に付いたため敗走した。 本多重次(ほんだ しげつぐ)日本(三河国)1529~1596統率:B 武力:B 政治:B 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------徳川家臣。本多重正の子。後に三河三奉行の一人として、『鬼作左』と呼ばれた。三河一向一揆の鎮圧などでも戦功を挙げ、小田原征伐では、北条水軍を撃破した。豊臣秀吉の母・大政所を粗暴に扱ったとして蟄居を命じられた。
https://w.atwiki.jp/eirei/pages/401.html
陶晴賢(すえ はるかた)、陶隆房日本(長門国)1521~1555統率:B 武力:A 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------大内家臣。陶興房の次男。兵を率いて尼子氏と戦うが、相良武任など文治派の台頭などで立場を失う。そして、謀反(大寧寺の変)を起こして、大内義隆を自害に追い込んだ。その後、大内義長を当主に立てるが、吉見正頼や毛利元就の離反を受けてしまう。自ら軍を率いて厳島の戦いに臨むが、大敗を喫して自害する。 菅沼定村(すがぬま さだむら)日本(三河国)1521~1556統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------今川家、徳川家臣。三河の有力国人(山家三方衆)。菅沼定則の長男。主君である今川義元が桶狭間の戦いで討ち死にすると、今川家から離反、徳川家康に仕えた。 菅屋長頼(すがや ながより)日本(尾張国)????~1582統率:B 武力:C 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------織田家臣。織田信長の馬廻衆の一人で、その中でも上位に位置した。能登・越中方面の政務を担当し、七尾城代を務めた。本能寺の変が起きると、織田信忠の二条城に駆けつけ、明智軍との戦いで戦死する。 杉浦玄任(すぎうら げんとう)日本????~????(16世紀)統率:A 武力:B 政治:C 知力:B 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------本願寺の坊官。法橋。加賀方面の軍事指揮官。越前国大野郡司。朝倉家滅亡後、主家を裏切った朝倉景鏡と旧臣の争いに介入し、下間頼照と共に朝倉景鏡を打ち破り、越前を一向宗の国にした。しかし、後に織田の軍勢によって攻められた。 杉谷善住坊(すぎたに ぜんじゅうぼう)日本????~1573統率:D 武力:A 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------鉄砲の名手で『飛ぶ鳥を落とす』と賞された。出自は、甲賀五十三家の一つである杉谷家の忍者、雑賀衆、根来衆など諸説ある。朝倉攻めから撤退する織田信長を狙撃したが失敗する。後に磯野員昌に捕らえられ、鋸挽きの刑に処された。 鈴木佐大夫(すずき さだゆう)、鈴木重意、雑賀孫市日本(紀伊国)1511~1583統率:A 武力:A 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------紀伊の国人。雑賀衆の頭領。息子らと共に本願寺に味方し、石山本願寺に篭って織田信長の軍と戦った。後の紀伊征伐においては、内部の裏切りによって信長に降伏を余儀なくされた。本能寺の変後、再び独立するが、豊臣秀吉に攻められ、藤堂高虎に殺害された。 鈴木重兼(すずき しげかね)、平井孫一日本(紀伊国)1540~1589統率:B 武力:C 政治:B 知力:B 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------紀伊の国人。雑賀衆の頭領。鈴木佐大夫の子で、鈴木重秀、重朝の兄。平井郷に居館を構え、『平井孫一』を名乗った。身体が弱かったが、組織の政治面を担当して多くの人にも慕われた。 鈴木重秀(すずき しげひで)、雑賀孫一日本(紀伊国)1546~1586統率:A 武力:A 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------紀伊の国人。雑賀衆の頭領。鈴木佐大夫の子で、鈴木重兼の弟、重朝の兄。。父と共に本願寺に味方し、石山本願寺に篭って織田信長の軍と戦い、塙直政を討ち取った。『雑賀孫一(孫市)』と名乗った。 鈴木重泰(すずき しげやす)日本(紀伊国)????~1580統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------本願寺の重臣。本願寺顕如の命で加賀に赴き、一向宗を指導した。しかし、柴田勝家の攻撃で討ち死にした。 須田満親(すだ みつちか)日本(信濃国高井郡)1526~1596統率:B 武力:C 政治:B 知力:A 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------信濃国の土豪。上杉家、豊臣家臣。武田信玄の侵攻によって村上義清らと供に越後に逃れた。以降、上杉謙信に仕え、第4次川中島の戦いにも参陣し、越中侵攻軍の総指揮官を務めた。一方で、一向宗の交渉役としても活躍した。真田幸村を人質として預かったこともある。相模守。 諏訪御料人(すわごりょうにん)、諏訪湖衣、諏訪由布日本(信濃国)1530~1555統率:D 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------武田信玄の側室で、武田勝頼の母。諏訪頼重の娘で、父が信玄に討たれると、躑躅ヶ崎館に迎えられる。諏訪大社の神官の血筋であり、信濃支配の名目を得るために結婚したと言われている。 諏訪満隣(すわ みつちか)、諏訪竺渓斎日本(信濃国)????~1582統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------諏訪家、武田家臣。諏訪頼満の次男。諏訪一族の一人として重きをなしたが、武田信玄に攻められると、降伏して出家する。同族の高遠頼継が信玄に反乱を起こすと、信玄に従って従軍した。 諏訪頼隆(すわ よりたか)日本(信濃国)????~1530統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------信濃の戦国大名・諏訪家の18代当主。諏訪大社の大祝。諏訪頼満の子。父と共に武田信虎の侵攻に徹底抗戦した。刑部大輔。 諏訪頼高(すわ よりたか)日本(信濃国)1528~1542統率:C 武力:C 政治:D 知力:D 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------諏訪頼隆の次男で、諏訪頼重の弟。兄・頼重の命により、叔父の諏訪頼寛から諏訪大社の大祝を継承する。兄と共に武田信玄の侵攻に抗戦したが、敗れ降伏する。伊豆守。 諏訪頼豊(すわ よりとよ)日本(信濃国)????~1582統率:C 武力:B 政治:C 知力:D 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------武田家臣。諏訪満隣の子で諏訪頼忠の兄。諏訪本家の当主・諏訪頼重が武田信玄に殺害されると、諏訪家の当主に就き、諏訪衆の筆頭となる。諏訪大社の再建に尽力する。武田氏が織田氏に攻められると、離反して諏訪氏再興を図るが、織田軍に捕らえられて処刑された。越中守。 諏訪頼重(すわ よりしげ)日本(信濃国)1516~1542統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------信濃の戦国大名・諏訪家の19代当主。諏訪大社の大祝。上原城主。諏訪頼隆の嫡男。武田信虎の三女・禰々を娶り、武田家と婚姻関係を結んだ。しかし、後に武田信玄の侵攻を受け、甲府に連行されて殺害された。 諏訪頼満(すわ よりみつ)日本(信濃国)1473~1540統率:B 武力:B 政治:B 知力:B 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------信濃の戦国大名・諏訪家の17代当主。諏訪大社の大祝。諏訪政満の子。一族を平定し、諏訪地方一帯を統一した諏訪氏の中興の祖。領内に侵攻してきた武田信虎とも戦う。 清円院(せいえんいん)、華渓院日本(越後国)1556~1579統率:D 武力:D 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------上杉景虎の正室。長尾政景と仙洞院の娘。越相同盟が成立すると北条から上杉の養子となった景虎に嫁いだ。上杉家の家督争いである御館の乱が起きると夫・景虎と共に御館に籠もり、自刃して果てた。 青岩院(せいがんいん)、虎御前日本1512~1568統率:C 武力:C 政治:C 知力:B 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------長尾為景の後室で、上杉謙信の生母。信心に篤い人物で、謙信にも大きな影響を与えた。 関盛信(せき もりのぶ)、関万鉄日本(伊勢国)????~1593統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------伊勢の有力国人領主。亀山城主。はじめ六角氏に属していたが、織田信長の伊勢侵攻に伴い、織田信孝に属した。後に蒲生氏郷の与力大名として小牧・長久手の戦いなどに参加した。 関口氏広(せきぐち うじひろ)、関口親永日本1518~1562統率:C 武力:C 政治:B 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------今川家臣。駿河の豪族。瀬名氏俊の弟で、今川義元の妹婿。持船城主。徳川家康の正室・築山殿の父に当たる。桶狭間の戦い後も今川家に従ったが、家康の義父に当たるため離反を疑われて、切腹を命じられた。 瀬名氏俊(せな うじとし)日本(駿河国)????~????(16世紀)統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------今川家、徳川家臣。駿河の豪族。関口氏広の兄。桶狭間の戦いでは先陣の侍大将を務めた。 千利休(せんの りきゅう)、千宗易日本(和泉国堺)1522~1591統率:D 武力:E 政治:A 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------無駄を極限まで省いた『わび茶』の完成者。堺の商家魚屋(ととや)の出。織田信長、豊臣秀吉に重用され、『茶頭』となり、『茶聖』と呼ばれた。北野茶会の主宰を務め、名実共に天下一の茶人となるが、秀吉の黄金の茶室を批判し、切腹を命じられる。堺・会合衆に属し、茶湯の三大宗匠に数えられる。 宗牧(そうぼく)日本(越前国一乗谷)????~1545統率:D 武力:D 政治:D 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------連歌師。宗長、宗碩に師事して各地を旅した。三条西実隆宅や、近衛家にも出入りした。関東でも北条家の遠山綱景に江戸城に招かれた。連歌の相伝書を集大成し、後世の連歌や俳諧に影響を与えた。 十河一存(そごう かずまさ)日本(阿波国)1532~1561統率:C 武力:A 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------細川家、三好家臣。三好元長の四男で三好長慶、三好義賢、安宅冬康の弟。十河景滋の養子となる。三好政長との摂津江口の戦いや、畠山高政との戦いで勝利に貢献し、岸和田城主となる。後に有馬温泉にて松永久秀と湯治中に突然死する。 曽根昌世(そね まさただ)日本????~????(16世紀)統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------武田家、徳川家、蒲生家臣。曽根虎長の子。三増峠の戦いで、殿を務めて討ち死にした浅利信種に代わって撤退を成功させる。駿河の今川氏攻めの際にも武功を挙げ、真田昌幸と共に信玄から「我が両目」と賞賛された。武田家が滅亡すると、徳川家、蒲生家に仕え、会津若松城の縄張りを任された。
https://w.atwiki.jp/eirei/pages/404.html
登誉天室(とうよ てんしつ)日本(三河国)????~????(16世紀)統率:C 武力:D 政治:C 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------第13代大樹寺住職。桶狭間の戦いで今川義元が討たれると松平元康(徳川家康)は大樹寺で自害しようとした。これを問答の末に「厭離穢土 欣求浄土」の教えで諭して自害を思いとどまらせた。 遠山景任(とおやま かげとう)日本(美濃国)????~1573統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------岩村遠山氏当主。遠山景前の子。岩村城主。おつやの方を嫁とし、織田家と縁戚関係を結び、織田勝長を養嫡子とする。後に武田家の秋山信友に岩村城を包囲されると篭城の構えを見せるが病没する。 遠山綱景(とおやま かげつな)日本1513~1564統率:B 武力:C 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------北条家臣。遠山直景の長男。江戸衆の筆頭で、江戸城代を務めた。北条家三家老の一人。連歌師の宗牧を呼び、連歌の会を催した。第二次 国府台合戦では先陣を務めて、討ち死にした。 遠山友忠(とおやま ともただ)日本(美濃国)1531~????統率:D 武力:D 政治:C 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------織田家、徳川家臣。苗機遠山氏。遠山友勝の子。飯羽間城主、阿照城主を経て、苗木城主。武田信玄の西進に際して、秋山信友と上村合戦を戦う。本能寺の変後は、森長可と東美濃の覇権を争うが敗北、徳川家康を頼り、菅沼定利の元に身を寄せた。 戸川秀安(とがわ ひでやす)日本1538~1597統率:C 武力:B 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------宇喜多家臣。第一次木津川口の戦いでは宇喜多水軍を率いて参戦し、宇喜多直家の信任も厚かった。 土岐頼芸(とき よりあき)日本(美濃国)1502~1582統率:D 武力:D 政治:E 知力:D 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------美濃の守護大名、土岐家13代当主。政房の次男。斎藤道三らに擁立され、嫡流の兄頼武とその子頼純と争い、美濃守護に就く。しかし、後に道三に追放され、諸国を放浪する。斎藤義龍は側室の深芳野との子であると噂された。文化人として知られ、特に鷹の絵が得意で『土岐の鷹』として珍重された。 戸田勝成(とだ かつなり)日本1557~1600統率:B 武力:A 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------織田家、豊臣家臣。はじめ丹羽長秀に仕える。越前国安居城主。九州遠征や小田原征伐に参陣し、伏見城の普請を務めた。関ヶ原の戦いでは西軍に与し、大谷吉継の部隊に属していたが、東軍に寝返った部隊の攻撃を受けて戦死する。交友関係が広く、多くの武将が彼の死を悼んだ。『謀才俊雄の英士』と称された。 戸田重貞(とだ しげさだ)日本????~1564統率:C 武力:C 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------今川家、徳川家臣。戸田宣光の子。仁連木城主。今川義元討ち死に後、吉田城に捕われた今川家臣の人質を解放して、徳川家に鞍替えさせることに成功し、自身も徳川家康に従った。翌年の吉田城攻めで戦死する。 富田勢源(とだ せいげん)、富田景政日本1523~????統率:C 武力:A 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------剣豪。小太刀の名人。朝倉氏に仕えたが、眼病を患ったため、若くして隠居した。中条流を遣い、のちに富田流の始祖とされた。弟子に鐘捲自斎がいる。 富田長繁(とだ ながしげ)日本1552~1575統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:E--------------------------------------------------------------------------------朝倉家、織田家臣。富田吉順の子。織田軍が浅井家の小谷城を包囲している時期に前波吉継に続いて織田家に降った。朝倉滅亡後は、越前府中領主となり、伊勢一向一揆でも活躍する。一方で前波吉継や魚住景固と争って滅ぼし、支配力を強めたが、悪政を敷き、一向一揆が発生し、家臣の小林吉隆に討たれた。 富永直勝(とみなが なおかつ)日本1509~1564統率:B 武力:A 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------北条家臣。『北条五色備え』の内、『青備え』の部隊を指揮した。北条家八家老の一人であり、江戸衆として、江戸城代、また葛西城代を務めた。里見氏との第2次国府台合戦において戦死した。 豊臣秀次(とよとみ ひでつぐ)、三好信吉日本1568~1595統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------関白。豊臣秀吉の姉・日秀の子で、秀吉の養子。賤ヶ岳の戦いで活躍したが、小牧・長久手の戦いでは大敗を喫した。しかし、四国征伐や小田原征伐では武功を立てた。しかし、秀吉に秀頼が生まれると、次第に関係が悪化し、奇行が多くなり『殺生関白』と呼ばれ、最後には高野山で切腹することとなった。 豊臣秀長(とよとみ ひでなが)、羽柴秀長、木下小一郎日本(尾張国)1540~1591統率:A 武力:C 政治:A 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------豊臣家臣。豊臣秀吉の異母弟。秀吉の右腕として仕える。伊勢長島一揆、但馬平定などで指揮を執る。また、四国遠征では総大将、九州遠征でも日向方面の指揮官を務めた。大和を中心に100万石近く領し、『大和大納言』とも呼ばれた。温厚な人物で、不和の多い豊臣政権を裏からまとめた。 豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)、羽柴秀吉、木下藤吉郎日本(尾張国)1536~1598統率:A 武力:B 政治:A 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------織田信長に仕え、本能寺の変の後、明智光秀を討ち、天下統一を果たした。大坂城を築き、関白、太政大臣に任ぜられ豊臣姓を賜わり『太閤さん』と呼ばれた。太閤検地や刀狩り、朝鮮への文禄・慶長の役を行なった。数多くの逸話が残り、『戦国一の出世頭』と評される。 鳥居景近(とりい かげちか)、鳥居兵庫助日本(越前国)1550~1573統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------朝倉家臣。高橋景業と共に朝倉義景の近侍として仕え、取次役を務めた。主君・義景が賢松寺で朝倉景鏡の裏切りにあうと、景鏡の軍勢と戦い、自身も自害した。 鳥居強右衛門(とりい すねえもん)、鳥居勝商(とりい かつあき)日本(三河国)1540~1575統率:C 武力:B 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------奥平信昌の家臣。長篠の合戦の際、奥平信昌の長篠城が武田勝頼に包囲されると、援軍要請のため岡崎城に赴く。間もなく援軍が到着することを伝えに長篠城に戻る際に武田勢に捕われてしまう。「援軍は来ない」と言えば助命され取り立てると言われたが、「援軍が来る」と城方に叫び、磔刑に処された。 鳥居忠広(とりい ただひろ)日本(三河国)????~1573統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------徳川家臣。鳥居忠吉の四男で、鳥居元忠の弟。三河一向一揆に参加して徳川家康に反抗したが、後に帰参を許された。姉川の戦いでは先鋒を務め、三方ヶ原の戦いでは家康らを逃がすために殿を務めて武田軍の土屋直村の部隊を撃退するも戦死する。徳川十六神将の一人に数えられる。 鳥居元忠(とりい もとただ)日本(三河国)1539~1600統率:B 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------徳川家臣。鳥居忠吉の三男。家康が今川家の人質の頃からの側近。関ヶ原の戦いでは伏見城で最後まで戦い抜き、討ち死にした。その姿は『三河武士の鑑』と評された。徳川十六神将の一人に数えられる。