約 261,784 件
https://w.atwiki.jp/biochem10/pages/13.html
シングルコロニーアイソレーション 実験の流れ 4/6 LB培地、LB寒天培地の作成 ↓ LB培地2ml入りの試験管に用意されていたシャーレの大腸菌を 白金耳で一つとり、試験管にあるLB培地に接種 ↓ 大腸菌入りの試験管と対照用の試験管2本を振とう培養37℃ overnight 4/7 ↓ 得られた菌液を10^7 10^8培に薄め、それぞれ100μℓ、300μℓを寒天培地へ注入し、 スプレッダーで薄く広げる それとは別に、用意してあったシャーレに生えている大腸菌のコロニーを一つだけとり、 シャーレにこすり付ける(だんだん薄くなるようにしながら) single colony isolation ↓ 以上の5つのシャーレをインキュベーター(以下QB)で37℃ overnight 4/8 前日QBしたシャーレに生えているコロニー数を数える single colony isolation したものはうまくいっているか確認した
https://w.atwiki.jp/uplove/pages/24.html
・2007年11月26日3人連打茶会でできた物の中でいいやつ 水指:腕力18耐久1器用7知力3魅力5 肩衝茶入 価値8 珍重110弱で実験 3人、紅茶葉@価値10@300文 菓子は無し 鍛錬15までは一応いろいろ歌選択(ステ4/9/11/11/4) 後は連打のみ。 残り珍重9で国宝到達。 珍重の2倍ほどの紅茶葉で大体必要量がわかります。 家宝までなら珍重が63残り 神職、カブキの楽器変換は楽になりました。。。 by源
https://w.atwiki.jp/deruze/pages/317.html
悪魔の実験@流行り神 東京の地下施設で昭和20年代から30年代前半まで行われていた実験の事。 死者の霊魂を機械で人為的に操作する研究が行われていたらしいが、具体的な目的や正式な名称は不明。 千人単位の人間がこの実験の犠牲となり亡くなっている。
https://w.atwiki.jp/ik-ben-wakei/pages/39.html
教育が科学であるかどうかを検討するために、教育における実験の意味を考察しておかなければならない。科学的であるためには、命題が反復可能であり、かつ事実によって検証可能であることが必要だと考えられている。事実によって検証するために、通常「実験」を行う。その場合の実験とは「何かを試しにやってみる」ということではなく、科学的な実験に必要な要素を満たしていることが不可欠である。命題Aを検証するためには、A以外の要素をすべて同じにして、Aを含む群とAを含まない群のふたつの群を設定した上で実験を行うわけである。 新しい薬の効果を調べる実験では、同じような病気の状態のふたつのグループに対して、新薬を投与するグループと、新薬と称して偽薬を与えるグループにわける。新薬を投与されたグループでのみ明確な効果が見られたときに、新薬は効果があるとされる。 教育の「実験」は様々な点を考察しなければならない。 もちろん実験は頻繁に行われている。文部科学省は昔から「実験校」や「研究指定校」と称して補助を与えながら新しい試みを実践する学校を指定してきた。そうして学習指導要領の内容を変える資料として使ったりする。 それが本当に実験としての科学性をもっているかが、まず検討される必要がある。 教育の必要性や効果は、科学的に検証することが困難である。というのは、元来人間は科学的実験の対象となりにくいだけではなく、医学研究のような限定的な分野での「実験」(人体実験は必須であると考えられている。)ではなく、教育は人格全体を対象にするために、実験が可能であったとしても、それが許されることであるかどうか、極めて疑問だからである。 以上のことを確認した上で、人間を操作するという点について考えておきたい。 いわゆるピグマリオン効果についての実験を素材にしよう。 アメリカの学校で、教師の期待が生徒に及ぼす影響を実験的に調べるために、あるクラスをふたつの群に分け、ひとつの群に対しては、1年間、常に褒めるようにし、期待している旨を伝えた。他の群に対しては、常に誇りを傷つけ、けなすようにして指導をした。もちろん、生徒たちには、その旨は一切知らせなかった。 その結果は、期待を表現し、褒めた群の生徒は、能力の上昇が認められ、けなした群の生徒は上昇しなかった、というものであった。生徒は教師の期待するように、努力するというのが、ピグマリオン効果というものであるが、この実験は、妥当なものだろうか。 以上のような文章が以前のテキストに書かれていたのであるが、人間科学科の神田先生から以下のような指摘を受けた。 先生の「教育学概論2000年度 (同時中継)」を拝見しました。なかなか魅力的で 学生の意欲や問題意識を高める授業であると感心いたしました。 ただ、第1回目の授業をピグマリオン効果のことを取り上げていらっしゃいますが、そ の際、紹介されている実験が私の知っている実験とだいぶ違っています。私の知ってい る研究は下記のような内容です。 [Rosenthal \ Jacobson (1968)の研究] [目的] 教師がある期待(よい成績を上げる子どもだと信じる)を持って子どもに接すると、教師はそれが 実現するようなやり方で子どもに関わり、その期待通りの結果を子どもに生じさせるという仮説(予言の自己成就)のもとに以下のような実験を行いました。 [方法] 1学年~6学年まで各学年3クラスの担任と子どもたちを対象に、新しい知能検査を開発したのでそれを試すための研究というふれこみで実験を行いました。 次に、各クラスからそれぞれ20%の子どもを知能検査とは無関係にランダムに抽出し、新年度の初めに、その子どもたちのリストを各学級担任に提示しました。その際、各担任の先生は「この子どもたちは、この検査によると、この学年にうちにこれまでの成績よりもずっと高い学力を上げる可能性のある子どもたちである」 という偽りの情報を与えられました。 その後、実験者は教師たちと一切関わりを持たず、その学年ののわりに、実験者は、前と同じ知能テストを児童たちに再度実施した。それと同時に、教師たちに対して、 各学級児童全員の知的好奇心の程度と彼らに対する好意度を評定させた。 結果 1学年から6学年まで全体を見てみると、実験群の児童たちの知能指数(IQ)の増加の 程度は統制群 より大きく、特に1,2学年でその傾向が顕著であった。 つまり、教師から期待を持たれた児童は、実際にその期待通り知能指数が伸びていたのである。知的好 奇心や好意度についても実験群は統制群よりもその程度が強いと評定されていた。 結論 児童に対する教師の期待は自己成就し、期待に沿った方向で児童に実現されたのである。 Rosenthal Jacobsonは、この教師期待効果を、ピグマリオン効果と名づけた。 早速インターネットでピグマリオン効果について調べたところ、意外なことがわかった。検索サイトにかけたところ、ヒットした多数(約7割という感じ)は、神田先生の指摘通りなのだが、それだけではなく、3割ほどは私が書いたのと同じ趣旨の説明があったのである。例えば一例をあげておこう。 ほめる教育(ピグマリオン効果) アメリカの教育心理学者ローゼンタール博士は「叱る教育」と「ほめる教育」の効果について次のような実験を行ないました。年齢も学力も同じレベルの30人のクラスA組とB組をつくり、同じ先生が数学、理科、社会、語学等を熱心に教えました。そして試験が終ったあと、A組はきちんと採点し、一人一人間違ったところを指摘し、注意を与えたり叱ったりしました。「こんな簡単なところを間違えるようではダメじゃないか」「君はミスが多すぎる、全て鈍感だ」等と全員を批判し非難したのです。B組は、答案を返さないし結果も発表せず「このクラスは全員よくできている。先生もじつに教えがいがある。すばらしいクラスだ」「それから〇〇君、君は前回よりはるかにいいぞ。この次もがんばれ」というようにわずかな進歩でもほめ、激励し、期待をかけたのです。このようなことを一年間続けた結果、A組の成績はみるみるうちに低下してきて、欠席や遅刻が増え、サボリも多くなったのに、B組の方は全員の成績がめざましい向上を示し、休む者も殆どでなかったというのです。このようなことから、ローゼンタール博士は「人は、ほめられ、期待されれば必ず感動する」「教師の積極的ないし肯定的期待にしたがって、生徒は自ら向上し、よりよい結果をもたらす」「人はこうなりたいなあ、という方向へ必ずいく」という結論をだし、これをピグマリオン効果と名づけました。*7)http //www.hw.kagawa-swc.or.jp/mental/dai25.html これは倉持英雄という元高校教師が書いた本から、筆者自身がホームページに部分的に掲載したものである。ふたりの指摘はふたつの重要な相違点をもっている。 神田先生の指摘によれば、心理学者たるローゼンタールは期待のもてる生徒だという指摘だけして、具体的な指示をしなかったこと、そして、期待されたグループが知能検査の結果が向上したのに対して、倉持氏の紹介では、誉めるグループとけなすグループにわけて教師は実践し、それぞれ誉めたグループは、成績が向上し、叱ったグループは低下したということになっている。 当初の紹介では、多くの学生が疑問をもつだろうと思うし、事実、いろいろと批判がおこった。しかし、このような実験は、あまり意味があるとは言えず、やらなくても長年の経験から、分かっていることを、実験で明らかにしたと言っているにすぎない面がある。だからこそ、批判も強かった。そして、半分の群に対しては、最初から向上を阻害するように、教師の指導を計画したのであるから、批判を受けても仕方なかろう。 しかし、この実験の批判者は、「けなす」ことによる成績の低下や自信の喪失に対して反対しているのだから、ローゼンタールの実験が、そもそも「期待を表明する」だけのものであれば、そうした批判は成立しないことになる。 では、なぜ、私や倉持氏のような実験理解が生じたのだろうか。そこは現時点ではわからない。国際的に広く使用されている心理学の教科書には、ローゼンタールの実験後、何人かの心理学者が更に実験・観察を行った結果、ある生徒への期待を示すと、教師が期待を持たない生徒に対しては、消極的な態度をとることがわかり、そのことが生徒への否定的な結果をもたらす可能性があることを指摘したのである。 以下参考までに英文をそのまま引用しておく。 Using IQ scores or other labels to categorize people may also have more subtle effects on how they are treated and how they behave. In a controvercial study, Robert Rosethal and Leonore Jacobson (1968) found that labels create \textit{ expectancies} that than can have dramatic effects. Teachers were told that a test could indicate which grade-school students were about to enter a "blooming" period of rapid acacemic growth, and they were given the names of students who had supposedly scored high on the test. In fact, experiments \textit{ramdomly} selected the "bloomers". But during the next year, the IQ scores of the bloomers dramatically increased; two-thirds showed an increase of at least twenty points. Only one-quater of the children in the control group showed the same increase. Apparently, the teachers' expectancies about the children influenced them in ways that showed up on IQ tests. How can expectancies become a self-fulfilling prophecy? To find out, Alan Chaiken and his colleagues (Chaiken, Sigler \ Derlega, 1974) videotaped teacher-child interactions in a classroom in which teachers had been informed (falsely) that certain pupils were particularly bright. They found that the teachers favored the "brighter" students in several ways. They smiled at these students more often than at others, make more eye contact, and generally reacted more positively to their comments. Children receiving this extra social reinforcement are not only getting more intense teaching but are also more likely to enjoy school, to have their mistakes cerrected, and to continue trying to improve. These results suggest that the "rich get richer"; those perceived to be blessed with high mental abilities are given better opportunities to improve those abilities. Is there also a "poor get poorer" effect? Clearly, it would not be ethical to conduct an experiment in which children were falsely labeled stupid. However, there is evidence that teachers tend to be less patient, less encouraging, and less likely to try teaching as much material to students whom they do not consider bright (Cooper, 1979; Luce \ Hoge, 1978; Trujillo, 1986). Thus it is not hard to imagine that being tagged with a low IQ score or some other negative label may limit a person's educational opportunities.*8)Bernstein, Roy, Srull, Wickens "International Student Edition, Psychology v2" 1991, p411-412 そして、以下の私の返事メールである。 私の原稿は昔読んだ本の記憶によって書いたもので、確かにあいまいと言えばあいまいでした。 しかし、インターネットで検索できるピグマリオン効果に関する文章を、できるだけ読んでみましたが、必ずしもすべてが神田先生ご指摘のような内容ではなく、私が書いた内容と同趣旨の文章が少なからずあることがわかりました。 そこで、以下のようなことを考えてみたのですが、どうでしょうか。ここは教育学と心理学の分野に関わる問題であるかも知れません。 ご指摘のように、ローゼンタールその他の心理学者が行った実験は、神田先生の書かれた内容だったのだと思いますし、そのような紹介をしているインターネット上の文章もたくさんありました。実験者自身の報告があるでしょうし、心理学の方たちは、その報告が源資料となって、認識が形成されているはずです。 しかし、実験でもわかるように、多数の教師が参加しており、教師によって多様な生徒への関わりがあったと考えられます。 どんなに正確に意図を説明し、行動の範囲を限定したとしても、教師がそれを厳格に守り、統一的な対応がとられたと考えることは、相当な無理があります。 神田先生の説明文によると、ローゼンタールら企画者は、教師たちに、わずかの情報しか与えていないようですが、本当にそうだったのでしょうか。 少なくとも、教師に対して、この子どもたちが期待できるという示唆を十分に与えるものでない限り、教師たちは生徒に期待的態度をとるには至らないはずですから、、教師たちが、その実験の意図を理解できる程度には、説明がなされたと考えられるのではないでしょうか。あるいは、自分で独自に実験の意図を関知した教師がいたということも考えられます。 そして、この実験は非常に有名になったわけですから、マスメディアあるいは評論家等が、教師たちに独自にインタビューして、その紹介記事を書いて行ったということがあるのではないでしょうか。 そこでは、ローゼンタールたちが意図したことを超えて、教師たちが生徒に接した部分が、独自に報告された可能性は十分にあるのだと思います。 そもそも、教育界の人たちは、心理学などにはそんなに興味をもたないものですし、知能指数に対しても、そんなに興味をもたないものです。興味をもつのは、知能指数ではなく、「学力」の方です。 ですから、教師サイドから出た情報が、教師たちの生徒への多様な接しかた、つまり、ある教師は期待する生徒への期待を表明するだけだったが、ある教師は、それ以外の生徒には冷淡に振る舞った、等々、そして、その程度、などが流れ出た可能性はとても高いと思います。 今回のインターネットによる検索でも、心理系のサイトでは、神田先生のご指摘のようなことが多く書かれ、教育系のサイトでは、私の書いたようなものに近いことが書かれていることが少なくありませんでした。 このように、ひとつの実験から、ふたつの経路で、多少異なった情報が流れて、世界に流布した、ということがあるのではないか、というのが、私のいまのところの理解です。 長々とピクマクオン効果に関する実験、そしてメールの紹介をしたが、具体的に教育あるいは人間科学の実験について考えてほしかったからである。 ピグマリオン効果に関する実験には2種類あることがわかる。「期待をもつ」「なにもない」という実験と、「期待を表明する」「期待していないことを表明する」というものである。この実験はそれほど違わないのか、あるいはかなり違う性質をもつのか。 まったく別の実験で人間はどこまで残虐になれるのかというものがある。問題意識そのものはなぜナチズムのように人を大量に殺すような「仕事」を人間はすることができたのかを調べるものだったようだ。実験の内容は有名なものであるが、被験者は「命令」によって別室の人物に電気ショックを与える、別室の人物は(実はサクラで悲鳴をあげる訓練を受けている。)悲鳴をあげるのだが、電圧をどんどんあげるように命じられると過半数の被験者が最高の電圧まであげたという実験である。このように命令されれば人間はどんうな残虐なことでもやってのけるのだということが「証明された」とする。 学生諸君はこうした実験をどのように評価するだろうか。 少なくとも、私の理解する「教育」あるいは「教育学」ではこのような「残虐性」の実験はまったく意味のない間違った実験である。歴史を見れば人間が残虐になれることは、実験をしなくてもわかる。ヨーロッパの魔女裁判や数々の拷問の形態を思い出すだけでよい。(アイヒマン実験) ではピグマリオン効果の実験はどうか。問題は後者の「期待していないこと」を明示的に表現するような実験は反教育的であるといえるだろう。期待されていないことによって人間的な発達の歪みが生じたときに、教師はどのような責任をとるのだろうか。 教育において許される実験は、教師として「このことがよい結果をもたらす」と確信をもつが、まだ実行されていないことを試みるという意味での実験だけだろう。 それでは教育の実験は科学的な意味をもちえないという批判がある。その答えは「その通りだ」といわざるをえない。つまり、教育の実験は科学的なものではないし、またその必要もないということである。 教育でも実験はたくさん行なわれているし、また、新しい教え方を試すということも、実験の一種であろう。新しい教育内容を学習指導要領に加える場合、数年間かけて実験校でその教育可能性・妥当性について調べるために、実験的に教え、その効果を確認するのが普通である。この場合多くは、これまで教えることが困難であると考えられている内容と年齢を検証することであり、もし実験的な教授で可能であると判断されたら、教えるべき内容に組み込まれるという結果になる。これはこれとして、「実験」と考えられるが、科学的な意味での実験とは異なると言わざるをえない。ただ、逆に科学的実験である必要もないと考えられている。 しかし、教育研究において実験よりも多く取られる手法は「観察」である。実際の授業を観察したり、また記録(今はほとんどがビデオ)をとったりして、後で検討する。教師の教え方の妥当性や生徒の反応を見て、よりよい教え方を探るためである。この場合、「統制群」という発想は全く取られない。ただ、そこにいる生徒たちの現状を前提として考えていくわけである。従って、そこで妥当であった方法が、他でも妥当であるかどうかはわからない。 実験に伴う「追試」という方法を追求している団体もある。現在TOSSという名称で、かつては「教育技術の法則化運動」として知られた団体が、ある教え方を有効だとして「定式化」すると、それを他の教師が別の生徒にやってみるという方法である。学校の場合、同じ教材を使用するためにこうした「実験」が可能であり、そこで再び効果的であったと考えられると、それが「法則的技術」として蓄積される。もちろん、ここでは、厳密に、効果が同じであったかどうかは、検証されないし、また、検証も不可能だろう。 しかし、それはあくまでも「ひとつの手法」であると考え、多様な手法がありうると考え、自分が実践する対象の生徒に、もっとも好ましいと考える手法を選択して実践するという立場から考えると、厳密な意味での「法則」ではないが、有用性の検証された手法として認定することはできる。おそらく、教育の手法は、そうした意味での普遍性をもつ。
https://w.atwiki.jp/penanto_simulation/pages/20.html
捕手実験2 ver3.4.11 概要 捕手実験1の続き。打撃パラメータの巧打、長打、選球が加わり、下げ幅も-20から-30になった。 大島の元々の走力が低いこともあり、走力は対象から外した。 Aチーム大島康平の各パラメータを30下げたセーブデータを、無修正のものも含めて8つ用意した。 それぞれのセーブデータを20シーズンずつ回し勝率を比較し、パラメータの重要度に優劣を付けることを目的とした。 しかし、全てのパラメータに優劣を付けることはできなかった。 実験手順 捕手実験1に同じ。違いは巧打、長打、選球が加わり下げ幅が-20から-30になっただけである。 + 無修正と修正後の大島*7 実験結果 それぞれ20年回した結果は次のようになった。 まとめると次のようになった。 解説 リード>肩力、捕球、送球、選球という傾向がはっきり確認できる。総合値算出方法のリードの係数が0.4、肩力、捕球、送球、選球がそれぞれ1、1、0.7、0.5であることを考えたらこれは大変なことやと思うよ。 総合値が近い捕手を比較する場合はオリックス岡田元監督のようにリードを重視して選ぶと良いだろう。 巧打、長打>捕球、送球という傾向も見えるが、巧打、長打の係数が3であることを踏まえれば当然である。 捕球、送球と肩力、選球の間に壁を感じる人もいるかもしれない。が、公式サイトのバランス検証を読めば分かるように、盗塁判定において送球は肩力の半分の効果があるとされているため、盗塁阻止による勝利貢献が高いのであれば送球の価値もそこそこ高くなるはずである。 巧打、長打を下げると失点数が増えるというのは想定外だった。敗戦処理の登板数が増えるからだろう。
https://w.atwiki.jp/sentai-kaijin/pages/3704.html
【名前】 巨大化実験 【読み方】 きょだいかじっけん 【登場作品】 特捜戦隊デカレンジャー 【登場話】 Episode.6「グリーン・ミステリー」 【分類】 巨大化用実験 【使用者】 レイン星人 エージェント・アブレラ 【詳細】 エージェント・アブレラがジューザ星人 ブライディを巨大化させる為に行った実験。 1匹のコウモリを飛ばし、そのコウモリが噛み付いた者を巨大化させ、巨大化された者は自我を失ったまま暴れ回る。 巨大化されたブライディは街中を暴れ始めるが、デカレンジャーロボのジャイロワッパーによってデカベースの留置スペースへ転送される。 その後、メディカルスタッフの手当てにより元の大きさに戻り、宇宙警察・地球署では彼が巨大化した原因について究明している。コウモリを巨大化に用いるのは悪しき魂の方法を彷彿させる。
https://w.atwiki.jp/wiki13_mofwiki/pages/107.html
#blognavi 2006/5/31 J・D・サリンジャー?の『ライ麦畑でつかまえて?』を読みました。白水社?の野崎孝訳です。 境界の文学 誰かが安岡章太郎?の作品のことを「境界の文学」と呼んでいましたが、『ライ麦畑でつかまえて』も非常に安岡作品に似ている印象を受けました。まあどちらかといえば安岡がサリンジャーに影響を受けたのではないかという見方の方が適切かもしれませんが。安岡作品が短編が多く、読みやすいのに比べると、ちょっと冗長できざったらしいように感じるかもしれません。実際私も最初読み出したときはだいぶ読みづらい作品だなぁと思いました。 安岡は青年期の人間をよく主人公にして、青年期特有の相対性、中立性をもった独自の視点から、公私の接する間、プライベートとパブリックの接する境界付近を文学の主題として好んで選びました。 サリンジャーのこの作品も青年期の主人公の目から、大人の社会、周りの同級生たちといったものを、少年でもなく大人でもない相対的な、それゆえに非常に主観的な美学意識から独自に描き出していく体裁をとっています。ほとんどの文章が主人公の評価を含んでいて、作品全体が主観的に構成されており、その意味でなにか独自の哲学意識によって世界を跡付けている主人公の思考を追う形で、既成の道徳や社会規範がなにかしら欺瞞を持っており、価値としての生はそれを超越したどこかにあって、それを主人公が探し当てようとしている姿こそが読者に感動を起こさせているのでしょう。主人公が最後にフィービーの姿に、美しさを感じて救われている情景は非常に鮮やかで素敵です。 しかし原書を読んだことがないので何とも言えませんが、安岡の作品に比べると、くどいほどに主人公の主観が地の文にまで入り込んでいるのは、読み手を多少選ぶとも言えますし、また主観あるいは刹那的な願望・欲求の絶対性を礼賛するように見えることは誤解を招きやすいとも思われます。一部の犯罪者がこれを愛読していて、そのために犯罪を助長する傾向があると非難もされるのですが、よく読んでいただければ、作品中衝動的な主観を美化しているのではなくて、主人公自身も実は衝動的な主観にとらわれたり、世界観を自分の美意識だけで跡付けてしまうことには深い嫌悪感や後悔を抱いている、ということに気づくと思います。主人公自身は既成道徳や社会規範のなかにも一定の有用性があることを見いだしており、できればそれらに順応したいと思っているにも関わらず、激しく拒否したくなる自我を持てあましているだけです。そうして行き場をなくしているところに、彷徨の挙げ句フィービーにたどりつき、無条件で肯定できる外部者としてフィービーの美しさに感動するとき、フィービーに反射されるかたちで自己の唯一性を見いだして、生を発見したのだというのが私の解釈です。まあこういう見方をしてしまうと、それじゃあデカルト?の焼き増しじゃないかという方もたぶん多いでしょうけどね。 したがって、もし『ライ麦畑につかまえて』に後日談があるとすれば、主人公のホールデンは既成道徳に対するアンチヒーローに成長していることはなく、生の意味を見いだした一人のオーディナルなパーソンとして描かれているものと私は想像します。それは物語としては非常につまらないものだと言う人もいるかもしれませんがね。それでもホールデン自身は自分の力でインチキじゃない意味をそれらに見いだしてくれたと、私は思いたいですね。 みなさんはどう思われるでしょうか。 参照 ウィキペディア ライ麦畑でつかまえて はてな ライ麦畑でつかまえて カテゴリ [読書] - trackback- 2006年05月31日 00 20 24 名前 コメント すべてのコメントを見る #blognavi
https://w.atwiki.jp/chibutsu2013/pages/18.html
物理実験学 【教室】1106 【教員】須藤淳 酒井広文 【授業の方法】講義 【成績評価方法】期末試験 【教科書】 【参考書】世界でもっとも美しい10の化学実験 ロバート・P・クリース著(日経BP社) 歴史を変えた物理実験 霜田光一著(丸善) 【その他】藤森先生のHP 授業情報
https://w.atwiki.jp/nihonjindakedo/pages/39.html
211 :名無しさんの主張:2011/12/31(土) 19 43 51.33 ID ??? 信長、秀吉、家康の誰が好き? みたいな質問が多いように、日本人は権力者が大好き 大塩平八郎や天草四郎みたいに正義を主張して戦ったタイプは全く人気がない 212 :名無しさんの主張:2011/12/31(土) 19 47 44.96 ID ??? 弱者を守ろう、救おうとした人物は嫌われるね。 歴史上の人物にしてもドラマや小説の人物も、 目的のために泣く泣く(腹の中では大笑い)弱者を切り捨てる人物が好まれる。 239 :名無しさんの主張:2011/12/31(土) 21 19 15.46 ID ??? 日本人が抱くイメージ 信長=偉大な権力者様。冷酷なところが素敵。 秀吉=偉大な権力者様。立身出世の理想像。 家康=偉大な権力者様。忍耐力を見習うべき。 大塩平八郎=反逆者のクズ。キチガイ暴徒。氏ね。 天草四郎=反逆者のクズ。キチガイ狂信者。氏ね。 683 名無しさんの主張 2012/01/29(日) 07 43 55.40 ID ??? 大塩平八郎は融通が効かず協調性に欠ける上に勘違いしてヒーロー気取りする嫌な奴 豊臣秀吉は上司への忠誠を忘れない誠実な人柄な上に下品な芸もできて親しみが持てるいい奴 601 名無しさんの主張 2012/02/18(土) 08 04 22.16 ID ??? 大塩平八郎は本当に人気が無いよね 教科書でも5行くらいの説明ではい終わりだから 大塩の魅力や功績が全然教えられてないっていうのは大きいね (これは日本の歴史教育全般に言える問題) 大塩は奉行所の与力っていう役職だったんだけど 今でいうなら警察署長の役職 つまり警察署長(与力)が政府(幕府)や大企業(豪商)の酷さに気付いて 反乱を起こしたって話だったんだよね マジで格好良過ぎだよね しかもただ武力で反乱起こしただけじゃなくて、 その為に自分の莫大な財産を投げ打ってるからね 「奉行所に対して民衆の救援を提言したが拒否され、 仕方なく自らの蔵書五万冊を全て売却し(六百数十両になったといわれる)、 得た資金を持って救済に当たっていた。 しかしこれをも奉行所は「売名行為」とみなしていた。」 「利を求めて更に米の買い占めを図っていた豪商に対して平八郎らの怒りも募り、 武装蜂起に備えて家財を売却し、家族を離縁した上で、大砲などの火器や焙烙玉(爆薬)を整えた。 一揆の際の制圧のためとして私塾の師弟に軍事訓練を施し、 豪商らに対して天誅を加えるべしと自らの門下生と近郷の農民に檄文を回し、 金一朱と交換できる施行札を大坂市中と近在の村に配布し、決起の檄文で参加を呼びかけた。」 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%A9%E5%B9%B3%E5%85%AB%E9%83%8E%E3%81%AE%E4%B9%B1 大塩は陽明学を信奉してたんだけど、みんな陽明学って知ってる? 698 名無しさんの主張 2012/02/18(土) 16 59 16.67 ID BicgNnyn [1/1回発言] だね それだけ所蔵してるだけでもすごいけど それらを読んでたんだろうから物凄い 「大塩は32歳の時に、私塾『洗心洞』を大阪天満の自宅に開いていた。 教えていたのは陽明学。彼は学者としても広く知られており、 与力や同心、医師や富農にその思想を説いていた。塾の規律は厳しく、 朝2時に講義が始まり、真冬でも戸を開け放していたが、門弟は増える一方だった。 奉行所を隠居した大塩は、一介の学者として学問の道を究めようとし、 1833年(40歳)“知”は“行動”が一致して 初めて生きるとする「知行合一」を説いた『洗心洞剳記(さつき)』を刊行する。 大塩は著作の最後を「口先だけで善を説くことなく善を実践しなければならないのだ」と締めくくり、 門弟と共に富士山に登り同本を山頂に納めた。」 あの人の人生を知ろう ~ 大塩平八郎 http //kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic18.html 今の日本に一番必要な学問は陽明学だよ 733 + 1:名無しさんの主張[sage] 2012/05/04(金) 07 29 50.03 ID ??(1) 大塩平八郎や吉田松陰、西郷隆盛、高杉晋作の存在は教えるけど、 彼らのバックボーンとなった精神である陽明学を教科書に載せないのは恣意的だと思うね 現代でさえ陽明学を知られたら困る東朝鮮 知行合一とは、陽明学という中国の儒学者・王陽明(1472-1528)が起こした儒学の主要命題である。 意味を簡潔に言うと、「思ったら、行動する。」という、実践主義の思想である。 その為、日本にも数多くの信奉者がいるのが陽明学である。 世界でも稀に見る革命であった明治維新を成し遂げた志士の精神的指導者達に、 陽明学に造詣が深い人が多いのがその実践主義を裏付けている証拠だろう。 有名どころでは、中江藤樹、熊沢蕃山、佐久間象山、川井継之助、吉田松陰、高杉晋作、大塩平八郎、西郷隆盛等など。 徳川幕府が、推奨していた朱子学は、権力側に都合の良い儒学であった。 「上が上でも、下は文句を言わず付き従わなくてはいけない」 という上下の秩序を重んじる思想が、朱子学であった。しかし、陽明学は、 「上が上なら、下も下になるのはしょうがない。組織やグループの命運は上が握っている」 という、反体制的な思考を基礎とする儒学であった。 自ずと、体制側には都合が悪い。 長い戦国時代が終わり、江戸幕府を開いた徳川家康は、思想統制に苦心していた。 戦争のない社会を作る。 つまり、徳川の社会を未来永劫続けたい。 しかしいまだ、上下の秩序を問題とせず下克上の気風が色濃く残っていた、江戸開府当時。 それを、都合良く抑えるのには、武士に武芸への傾倒を捨てさせ、武芸学問奨励へと向かわせるのが良いと考えた。 その都合の良い学問が、朱子学であった。 上下の名分を重んじる上下関係を根本にする朱子学は、思想言論統制にピッタリであった。 家康の相談役であった朱子学の大家・林羅山が、幕府公認の正学として朱子学奨励の任が与えられた。 それと共に、他の学問が迫害された。 特に、「上下関係よりも、正しさが重要視される」 上には都合の悪い陽明学は危険視され、後に風紀を乱すものとして禁止される事になる。 新与太随筆 http //ameblo.jp/takayukimie9141974171981/entry-10049967393.html 888 名無しさんの主張 2012/02/05(日) 21 45 32.84 ID 6VjqnIMd [3/3回発言] 「主に日本は江戸時代で既に社会規範に上位する原理ってものが認知されてない 昔から何も考えず上に従え」という意見に、そうではないと反論したわけだよね? だから江戸時代の封建制の話ををしたのだよ。 欧米の封建制のように契約書を作り、そこにサインし、契約を守り通すこと、 道徳的義務を果たすことを権力者が神に誓ったかというと、全くそんなことはないだろう。 江戸時代における「社会規範に上位する原理」とは具体的に何なのかを聞いても、 当時の人間で答えられる者はほとんど誰もいないと思う。 「社会規範に上位する原理」が発展して庶民が徳川幕府の正当性を疑わないよう、 幕府は徹底的にキリスト教を弾圧し、外来思想を排除し、仏教は僧侶を公務員にして 支配することで骨抜きにし、儒教は権力者の道徳について問う本質的部分を削り、 徳川体制に従うことがいかに正しい生き方かという主張を昌平坂学問所で競わせた。 今で言うところの御用学者として儒学者は使われていた。 「社会規範に上位する原理」は厳禁で、体制を疑った人は「お縄」になった。 一握りの陽明学者だけが「社会規範に上位する原理」を考え、大塩平八郎のような 特異な人物も生まれたわけだが、例外中の例外だし、もちろん潰された。 ちなみに、江戸時代以前だって「社会規範に上位する原理」は存在しなかった。 「双務的契約」というのも、江戸時代のような終身雇用身分保障がなかったので、 当然、すぐもらえる見返りが欲しいという要求を臣下が行っただけの話で、 古今東西、傭兵や盗賊団が行なってきたような約束と同じ話。 守るべき原理が存在しなかったからこそ、契約もいい加減で、そこに道徳的意味もなく、 宣誓もしないし、だからこそ「裏切り」が日常茶飯事だった。 ドナルド・キーンによれば、江戸時代までの日本の戦や乱を調べてみると、 裏切りが非常に多く、裏切りによって勝敗の流れが決まることが大半なので衝撃的だそうだ。 577 名無しさんの主張 2012/02/18(土) 03 37 48.67 ID ??? なぜその三人なのかわからないが、 織田信長は暴力で権力闘争に勝っただけの権力者だし、 本居宣長は中国叩きして日本の伝統をひたすら賛美する国学者だし、 山本七平は少しは言論でメスを入れたかもしれないが、評論家だし高く評価されてもいない。 日本では社会の腐敗にメスを入れる正義感の強い人物は潰されるし評価されないし人気もない。 大塩平八郎もそうだが、江藤新平も人気なくて可哀想だね。 英米流の三権分立・法の支配・民主主義・行政訴訟(←どれも日本では未だに機能していない)を、 明治最初期の時点でセットで日本に導入しようとしたり、奴隷(芸者)解放令を出したりして、 アブラハム・リンカーンの日本人版のような政治家だったのに、 人気ゼロだし、そもそも何をした人物なのかも知られていない。 むしろ彼を狡猾な罠にはめて殺した卑怯な大久保利通の方がはるかに人気があるという始末。 日本人は正義感の強い人を見ると生理的嫌悪感を覚える。逆に、 「なんだかんだ言って世の中は力が全て。それが真実。認めないのは平和ボケした偽善者だ!!」 というタイプの人物には心の底から憧れたり親近感を覚えたりする。 580 名無しさんの主張 2012/02/18(土) 03 57 48.52 ID ??? 日本の一般人にそこまで求めるなよw 頭の悪さは一流だぞw 大塩、江藤は知名度がないし、 大久保が評価されるのは後釜に伊藤博文という初代がいるしな 日本人は善悪の概念がなく勝者につくだけ 133 名無しさんの主張 2012/02/26(日) 17 55 30.67 ID ??? 竜馬が人気なのは剣術の達人のサムライと、海賊という、 子供が喜びそうな武勇イメージが重なっているからであって キング牧師が尊敬されているのとは全く質が異なる。 単に強くて天真爛漫でカッコイイから人気というだけ。 弱者や国民の権利を守るため、権力の腐敗を暴くために生真面目に 活動して潰された大塩平八郎や江藤新平は全く話題にもならない。 238 名無しさんの主張 2011/12/05(月) 10 43 42.23 ID ??? 大塩平八郎なんかは幕府の腐敗を嘆き、弱者を救おうと強者に挑んだが、 そういう例は確かに少ないな 694 名無しさんの主張 2012/01/29(日) 09 28 30.58 ID ??? まとめてみた。 日本人は自分と他人の優劣をすぐに比較する。 本当の善人を見ると醜い自分にコンプレックスを感じ、叩き潰したり、自分と同じくらい低俗なところまで引き摺り下ろす。 偽善者や悪人を見ると「親近感」を感じて喜ぶ。日本人はそういう民族。 だから高潔な人物が日本ではなかなか生まれないし、生まれたとしても大塩平八郎のように 人気は皆無で時代劇にも映画にもドラマにもならずスルーされる。 679 + 1:名無しさんの主張[sage] 2012/02/09(木) 22 43 48.58 ID ??(1) どこまで低俗で下劣な人間なのかを競い合っているのが日本人なんじゃない? 大塩平八郎タイプの高潔な人間は嫌われるし、 豊臣秀吉のように下品で好色なところをアピールした方が人気者になれる 395 標準日本人 ◆lEN.d.nqvE 2012/03/23(金) 22 16 15.09 ID ??? 行動派の人が良い方向に行けば大塩平八郎や田中正造のように、悪い方向に行けば辻政信や牟田口廉也のような人間になるんだと思う 行動派の悪い人たちをどうやって良い方向に向いてもらうか どうやって大多数を占める非行動派に行動を起こしてもらうか この2点が鍵になりそうな気がする 172 名無しさんの主張 2012/03/26(月) 22 04 33.43 ID ??? 大塩が人気ないのは不良臭、ヤンキー臭、芸人臭がしないからだと思う 標準的日本人が好む人間像と正反対 180 名無しさんの主張 2012/03/26(月) 22 11 55.67 ID ??? 後半三人は結果敗者となった大塩と違い、まあ名誉・権力もあったしな やみくもに真似して従うためのご主人を嗅ぎ分ける能力があるのかね 741 名無しさんの主張 2012/04/05(木) 01 51 53.46 ID ??? 「探さなくてもいくらでもある」のが欧米 「探してもいくらもない」のが日本 ちなみに、聖徳太子の話は、天皇の権威を正当化するために日本書紀で創り上げられた「でっちあげ」。 「厩で処女の母親から生まれた厩戸皇子」とか、その設定からして、中国の景教を経由した キリスト教福音書の猿真似だけど日本人は恥ずかしくないのかね? 十七条の憲法の第三条に書かれているように、聖徳太子の説く心は、天皇は天(神)なんだから 絶対服従しろという論理で、西洋社会が産み出した個人主義、「人間は人間に絶対服従する必要はない」と対照的。 自分たちの権威権力を正当化するための神話や憲法(?)に善意や良心なんてあるわけがないw 悪意の結晶だよw 石田心学はよく知らないが、Wikipediaによれば、 倫理というよりむしろ「ビジネスの持続的発展」の観点から、本業の中で社会的責任を果たしていくことを説いており、 寄付や援助など本業以外での「社会貢献」を活動の中心とする欧米のCSRにはない特徴がある。 ということらしいから、欧米企業のような寄付や援助をしないことの正当化、カネ儲けの独善的美化にしかならないのだろうねw 大塩平八郎は立派だけど潰されたし、その弱者救済や反権力腐敗の思想は明治維新には受け継がれていない。 自由民権運動も立派だけど、Wikipediaに書かれているように、 大日本帝国憲法をもってしても自由民権運動の真意がかなえられる事は無く、これらの権利を永久不可侵の「基本的人権」 と定めた1947年の日本国憲法施行によってでしか自由民権運動の真の成功は達成し得なかったのである。 というわけで、アメリカに占領されるまで、恐怖と暴力によるキチガイ体制で一億総玉砕がどうのこうのと日本は大暴走していたからなw 33 名無しさんの主張 2012/04/06(金) 23 03 19.07 ID ??? 真面目というより「良心のある人間」を目の敵にして叩き潰すのが日本流。 昔からずっとそうだよ。 江戸時代にしたって大塩平八郎みたいな人は主張も無視され相手にされず潰されたし、 戦前戦中も良心のある人は特高警察にみんな潰され、 善人の遺伝子が排除され、邪悪な遺伝子だけが濃縮されてきた。
https://w.atwiki.jp/p649493386251151/pages/35.html
ダメージ実験 自分と相手、お互いの二人三脚(?)で倍々ゲームを行って 如何に凄まじいダメージ(推定)を叩き出せるか(自分Lv100相手Lv1)、 如何にLv1のポケモンでLv100の相手を一撃粉砕できるか、 みたいなことを構築してみる場所です。 ルール(仮) 改造NG 攻撃する側の個体値努力値は最高で性格+補正、防御側の個体値努力値は最低で性格-補正で計算する。 パワーシェア、ガードシェア禁止(ステータスがほぼ自在になるので面白みに欠ける) (ミラータイプなどのタイプ変化)+(ハロウィン、森の呪いでタイプ追加)で4倍ないし8倍弱点をつくるのはOK 一撃粉砕の定義は、ダメージ計算が通常処理の攻撃1発(複数回攻撃技は最高ヒット数)でHP満タンの相手を削り切ること。 (転がるの場合は、5回目で一撃粉砕することを目標にする、など) 相手に最終攻撃の直前に眠るを使ってもらえばいいので途中の残りHPは気にしなくてよい。 ある程度の余裕を持って一撃で倒せる場合、ぎりぎり倒せる条件を提示したうえで追加要素を書くとベスト。 ダブルでの手助け・フラワーギフトなどの補強可。また、そういったサポート役のポケモンはレベルを問わない。 レベルを揃えておけるならその方が見栄えはいい。 指を振るは不可。先取りならばメトロノームもマグニチュード10も乗せてよい。 テンプレ ターン数 味方の行動(対象省略) 相手の行動(対象省略) 最終的にどうなるか 1ターン目 2ターン目 3ターン目 大ダメージ 下剋上 味方:カラカラLv.1、ピィ、アサナン、ラルトス 相手:ジバコイルLv.100、ジバコイルLv.100、アサナン、アサナン 実験:ダブルバトル、カラカラLv.1の地震でジバコイルLv.100を2体まとめて一撃で倒す。 ターン数 味方の行動(対象省略) 相手の行動(対象省略) 最終的にどうなるか 1ターン目 カラカラ 嫌な音 ジバコイル 嫌な音 ピィ A+6B-6 ピィ 腹太鼓 ジバコイル嫌な音 2ターン目 アサナンに交代 アサナンに交代 変化なし ピィ 適当 アサナンに交代 3ターン目 アサナン 自己暗示 アサナン 自己暗示 全員 A+6B-6 ピィ 適当 アサナン 自己暗示 4ターン目 アサナン パワトリ アサナン パワトリ アサ3体 A+6B-6パワトリ状態 ラルトスに交代 アサナン パワトリ ラルトス ヨガパワートレース 5ターン目 カラカラにバトン ジバコイルにバトン バトン先3体 A+6B-6パワトリ状態 ラルトス スキスワ ジバコイルにバトン カラカラに関してはヨガパワー 6ターン目 カラカラ 穴を掘る ジバコイル 電磁浮遊 ジバコ2体浮きだした ピィに交代 ジバコイル 電磁浮遊 7ターン目 穴を掘る決まらず ジバコイル ミラーコート ジバコ2体浮いている ピィ 物真似 ジバコイル ミラーコート ピィ電磁浮遊可能 8ターン目 カラカラ 気合いだめ ジバコイル 物真似 カラカラ以外浮いている ピィ 電磁浮遊 ジバコイル物真似 ジバコ2体穴を掘る可能 9ターン目 カラカラ 適当 ジバコイル 適当 変化なし ピィ 適当 ジバコイル 適当 10ターン目 カラカラ 適当 ジバコイル 適当 ジバコ2体が落ちてきた ピィ 適当 ジバコイル 適当 11ターン目 カラカラ 地震 ジバコイル 穴を掘る 急所に当たったジバコは ピィ 手助け ジバコイル 穴を掘る 気絶する ノーマルタイプ最高ダメージ(トリプルバトル) 味方:ドーブルA、先生の爪ユニランLv.1、ドーブルB、メガ石XミュウツーLv.100、カクレオン ヌケニン 相手:ドーブルC、ドーブルD、チェリム、ゴツメ柔軟メタモン、チャーレム、悪戯心鉢巻チョロネコ 実験:ノーマルタイプの最高ダメージを叩き出す ターン数 味方の行動(対象省略) 相手の行動(対象省略) 最終的にどうなるか 1ターン目 ドーブルA腹太鼓 ドーブルC嫌な音 ドーブルA A+6 ユニランB−6 ユニラン適当 ドーブルD嫌な音 ドーブルB嫌な音 チェリム適当 ーー ーー 2ターン目 ドーブルAバトン ドーブルC交代 ドーブルA→ミュウツー ドーブルC→メタモン ユニラン適当 ドーブルD置き土産 ドーブルB置き土産 チェリム適当 ーー ーー 3ターン目 ミュウツーメガ進化 メタモン変身 メタモンが無タイプのメガミュウツーXになる ユニランおんがえし チャーレム メタと場所替え カクレオンスキスワ チェリム適当 ーー ーー 4ターン目 ミュウツー適当 チャーレム思念の頭突き ユニラン先生の爪 ミュウツー死亡 ヨガパワーカクレオン ユニラン カクレオンと場所替え メタモン思念の頭突き カクレオンスキスワ チェリム適当 ーー ーー 5ターン目 ドーブルA置き土産 チャーレム適当 チャーレム死亡 ヨガパワーメタモン君臨 カクレオンスキスワ メタモン思念の頭突き ユニラン適当 チェリム適当 ーー ーー 6ターン目 ヌケニンシザクロ チョロネコトリック ヌケチョロカクレオン死亡 チェリム開花 メタモンが鉢巻を持つ カクレオンおんがえし メタモンさきどり ユニラン適当 チェリム日本晴れ ーー ーー 7ターン目 ドーブルC手助け 先取り鉢巻大爆発! ユニランは死ぬ メタモンさきどり ユニラン大爆発 チェリム手助け 最高威力のカウンター 味方:ハピナス@きあいのタスキ(lv100)、適当なポケモン(今回はピカチュウ) 相手:メガガルーラ、ハピナスを確定一発に出来る任意のポケモン(今回はlv100コジョンド) 実験:カウンターの最高ダメージを叩き出す ターン数 味方の行動(対象省略) 相手の行動(対象省略) 最終的にどうなるか 1ターン目 ハピナススキルスワップ ガルーラメガシンカ ハピナスおやこあい獲得 ピカチュウ適当 コジョンド適当 2ターン目 ハピナスカウンター メガガルーラ適当 ハピナスのHP(Lv100全振りで714)の2倍-2のダメージが2回どこかに飛ぶ ピカチュウ適当 コジョンド飛び膝蹴り