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323 :初めから:2011/11/03(木) 23 55 44 ID d9oMcPm. 「重秀、向こうに行ってもちゃんとやれよ」 まっ、お前なら問題なくやって行けるだろうなと、翔太。 東京行きの電車を待つ間にいつもの面子が俺の見送りに来ていた。 「翔太。お前こそ凜子の事頑張れよ」 「お前な…俺にはもう彼女がいるんだよ」 そうなのだ。この男中一にして既に彼女持ち。俺なんか大学に入り どうにか頑張って彼女を作ったというのに… 中一のこの時期位からだろうか、徐々に顔面格差が出始めるのは… 既に俺と翔太では差が出来始めていた。この男ジャニーズからの誘いがあった らしく、それを拒否したというのだ。まったくもって良いご身分である。 すこし位俺にもその恩恵を分けて欲しいものだ。 ――と、冗談半分に笑ってやった。 見納めというわけではないだろうが、もう会えない可能性もある。 それなら出来るだけ笑っていよう。 「それに――もう凜子にはフラれちまったよ」 なんだって?その話は初耳だ。この手の恋愛ごとの話は、どういゆう訳か 俺の所に男女問わず相談にくる。みな決まって大人っぽいを理由として。 あいつらが言うほど大人じゃないんだがな… 「そうか…お前達仲良かったのにな」 「元々、お前ら幼馴染の仲に割って入ったんだ。身の程を知らなかっただけだよ」 翔太の奴はただ呆れたように笑った――無駄に大人っぽく成りやがって… 「あんた成城に進学するんだって?」 続いて話してきたのはさやかだった。どうやら少し前に俺が話していた 成城への進学話を覚えていたようだ。しかし一体なんだというのだ? 確か前に聞いた話だと、さやかは地元の高校へ進学すると言ってたはずだが… 324 :初めから:2011/11/03(木) 23 56 29 ID d9oMcPm. 「あたしも成城に進学するから!その時また会いましょう!」 「お前が成城に?地元に進学だったはずだろ?大丈夫か?」 大丈夫よ問題ないわ、と胸を張るさやか。セーラー服を着ていても貧乳は貧乳だった。 確かにこいつの成績なら凜子に比べれば劣るが上から数えた方が早い。 しかし大丈夫なんだろうか? 成城は都内でも有数の進学校だ。いくら上位から数えた方が早いと言っても 完全とは言えないだろう… 「まぁいいや。それとツインテールは小学校までにしとけよ」 「う、うるさいわね!!今関係ある話か!」 ツインテールをやめろと暗に言っているようなものだが、 こいつが頭を振る度に動いていたツインテールがなくなると思うとそれはそれで寂しい。 しかし、相変わらず良い反応をする。隠れファンが多いのも納得だ。 昔俺が仕掛けた牛乳トラップに引っ掛かり白濁液にまみれた時の表情、 俺に対する命令権を掛けた徒競走。それに負け 悔しそうな表情で俺に様付したとき―― 「…いかんな、思い出してしまう…」 必死に笑いをこらえるも、目から涙が溢れ出てくる―― さやかのおかげで大笑いするのはいったい何度目になるだろうか 「あんた――殴っていい?」 どうゆう訳か俺の考えに気づいたらしく無表情迫ってくる――今後は自重しよう 「あ、あのね秀君」 最後に話しかけてきたのは凜子だった。 この時期になると皆思春期に入る。今まで親しかった友人と徐々に疎遠に なり始め、今まで大人しかった女の子が授業中に喋りだし化粧を始めたりと 身持ちを崩し始める。 そんな中凜子はしっかりと自分を保ち品行方正を貫いている。 その可憐な容姿とあいまって男子からの評判は良く、 仲の良い俺に仲介を頼む奴も多い。 もっとも凜子は身持ちも固いようで、今まで告白してきた男子 全てを振っているらしい。 325 :初めから:2011/11/03(木) 23 57 31 ID d9oMcPm. 「これ、受け取って欲しいの」 凜子が俺に手渡してきた袋は三つ。凜子の分の袋にはチョコレートとブレスレッドが入っていた。 俺はどうにもこういった装飾品には疎く、判別は出来ないが 中学生がこれを買うのは厳しいだろう。 「良いのか?こんな高そうな物?」 「うん。秀君が転校するっていうから頑張ったんだよ」 凜子は嬉しそうに笑う。やはり凜子の笑っている姿を見ると心が落ち着く。 「チョコレートは今年の分。先に渡しておくね」 凜子から貰うチョコレートはこれが初めてではない。最初に貰ったのは小学校位か? ちょうど男女の境が出来始めたあたりだった記憶がある。 以前の人生では学生の頃にチョコなんぞ貰った記憶などない。 初めて貰った時はそれもう喜んだことだ。 「実はね私も成城の進学を狙っているんだ」 「凜子もか」 なるほど。道理でさやかが自信ありげに胸を張るわけだ。 凜子の力を借りられれば、さやかならメキメキ成績を上げるだろう。 しかし―― 「さやかもだが、どうして二人して成城に?」 「そ、それは…」 ゴニョゴニョ言いよどむ凜子。その姿は愛らしく、凜子好きの奴が 見たら興奮して鼻血でも垂らすかもしれない。 「っむ。そろそろ電車が来るな」 線路の向こうから向かってくる電車が見える。両親は先に 東京にむっかた。今頃新居を見て騒いでいる頃だろう。俺も急いで 新居に向かい準備せねば。 「じゃあな皆。元気でな」 「さて、何が入っているのかな。この袋?」 東京行きの電車の中凜子から貰った残り二つの袋。 恐らく翔太とさやかのものだろう。 「手紙?」 一番小さい袋をあけると、箱と手紙が入っていた。 手紙の主は書いていない。 『親愛なるあなたへ 今この手紙を読んで居る時 あなたは東京行の電車でしょう 待って居てください 三年後必ず迎えに行きます ――あなたの忠実な下僕より』 箱の中にはさやかの名が刻まれた首輪が入っていた。 「ハハッ。あいつも面白い事をする」 そういえば昔、あいつと何度目かの賭け勝負の時だ。 冗談半分で『俺の奴隷になれ』なんて事を言ったものだ。 あいつそれを覚えて居やがった。中々に洒落がきいている。 「さて…」 二つ目の袋に入っていたのは――エロ本だった。 恐らくこれは翔太の物だろう。なぜなら、入っていたエロ本は小6の頃、 俺が翔太に誕生日プレゼントとして渡したものだ。 「いらないなら素直に返せば良い物を…」 こんな風に返してくれるとは――粋なやつめ しかし、よくみると何か挟まっている。 「『凜子に気を付けろ』なんだこれは?」 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「行っちゃった」 秀君が東京行きの電車に乗っていった。やはり三年近く会えないとなるとすごく寂しい。 秀君大丈夫かな?変な女に絡まれていないかな?体を壊さないと良いけど。 「秀君食べてくれるかな?」 私の『愛』が詰まったチョコレート
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日本では義務教育期間の人を通常労働に用いてはならない(例外が、いわゆる「子役」)という避止義務があり、学校の進級制度が年齢主義と課程主義|年齢主義に基づく例が多いので、 !--(義務教育の終了と中学校の卒業が同時である例が多いことから)-- 一般的には中学校卒業時が就職活動の最初の機会となる。 終戦時からオイルショックまで、新規就業者の中で中卒者は大きなウエイトを占めた。安価な製品を大量生産していた高度成長期には、低賃金で長期間働き、技術を習得してくれる中卒者は、企業にとって「金の卵」と呼ばれる貴重な戦力だった。 中卒者を送り出す側の事情として、特に地方では、生計が苦しく高等学校などの上級学校に進学させる余裕がない世帯が多かったので、子供が都会の企業に就職することで経済的にも確実に自立することを期待して、都市部の企業に積極的に就職させようとする考えがあった。こうした状況に、中学校も企業の求人を生徒に斡旋して集団就職させていた。1953年には、借り切った列車に中学校を卒業して企業に就職する少年少女たちを乗せ、都会に向けて走る「集団就職列車」が青森県で初めて走った。就職列車は1974年まで東北地方を中心に走り続け、高度成長期の春を象徴する風物詩となった。 その後、オイルショック以降、経済の低迷などから企業が大量採用を見合わせるようになった。また、高校進学率が95%を超え、新規就業者の高学歴化が進む現在では、新規就業者に占める中卒者の割合は非常に低く、就職活動は厳しい状況にある。 一方で、仕事の成否が個人の技量に大きく依存し学歴には関係しない職種(一般に職人と呼ばれるもの、特に伝統工芸や料理人、伝統芸能など)においては、なるべく若いうちから現場で経験を積むために、中卒で仕事を始める人もいる。 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 適職診断無料 職業適性検査 適職診断
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【櫻井 奏】(さくらい かなで) 声 生天目 仁美 [生年月日] 6月21日,[血液型] AB型 [スリーサイズ] 83-60-89 [身長] 162cm,[体重] 57kg (サイボーグ説あり) [好きな食べ物] 甘いもの全般(特にミ○ス○ップのバニラソフトとまるまるバナナ,雪乃の作るカレースパゲッティ) [趣味] 画を描く事 おまけのボトルキャップ集め [苦手な事] 雪乃に付き合わされる怖いTVゲーム(見てるだけ), 雪乃に付き合わされる怖い映画(寝てるだけ),雪乃に付き合わされるダイエット(でも痩せない) 高校2年、美術部。雪乃の双子の妹。地方から進学にあたり上京、現在学生寮住まい。 美大に進学したいが雪乃と離れるのはイヤなので葛藤中。4つ下の妹が微妙に苦手。 【櫻井 雪乃】(さくらい ゆきの) 声 柚木 涼香 [生年月日] 6月21日,[血液型] AB型 [スリーサイズ] 85-58-91 [身長] 163cm,[体重] 55kg [好きな食べ物] 北海道産地お取り寄せお豆腐 [趣味] ブログ 奏の写真を撮ること [苦手な事] 奏のデッサンモデル3時間 高校2年、水泳部。奏の双子の姉。やや電波入ってる人。でも成績はよい。 1日一回は奏に怒られてほっぺをひっぱられてるのでほっぺがすごいやっこい。よく伸びます。 【櫻井 雫】(さくらい しずく) 声 小林ゆう [生年月日] 9月28日,[血液型] AB型 [スリーサイズ] 71-?-? [身長] 143cm,[体重] 43kg [好きな食べ物] 辛い物 奏の作るカレーときんぴらごぼう 雪乃の入れる紅茶 [趣味] 姉で遊ぶ事 [苦手な事] スキー休み中の学校強制参加のクロスカントリーの練習 奏と雪乃のいない生活 奏と雪乃の妹。中学一年。重度の姉ちゃんっ子。 小学校と中学校が隣なので必ず姉と登下校していたが 姉二人の上京後、やや不登校ぎみ。基本的に奏と雪乃の仲は賛成派。寒いのが苦手。 【神山 咲夜】(かみやま さくや) 声 加藤英美里 [生年月日] 8月17日,[血液型] A型 [スリーサイズ] 91-56-85 [身長] 147cm,[体重] ?kg [好きな食べ物] ちまき 牛乳プリンコーヒー味 [趣味] ヤフオク カヌー 奏の観察 [苦手な事] 走る事(胸が痛い) 雪乃の部活の後輩、高校1年。超お金持ち。 中身は結構黒い娘。お嬢なので少し世間ズレしてる。 実家通学だが無理矢理入寮計画画策中。
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旧制高等学校(きゅうせいこうとうがっこう)とは、1950年まで存在した日本の高等教育機関の1つで、2つの高等学校令(1894年および1918年)に基づき設置されたもの、を指す。1886年の中学校令により設立されていた第一~第五、山口、鹿児島の7官立高等中学校のうち、鹿児島を除く6校を、1894年高等学校に改組して始まった。当初は専門学部4年、大学予科(後に本科)3年制の2系統があったが、学部は順次廃止ないし専門学校として分離され、大学予科のみとなった。1918年の高等学校令改正後は各地で増設され、大学予科は本科に、さらに文科・理科に分かれた。後期には4年間の前置課程を含めた7年制のものもある。 Template 右? 概要 1894年の高等学校令では、専門学科の教育を行なう機関と定義され、但し書きにて帝国大学入学者のための予科教育が規定されていた。しかし、専門学科教育は主流となることはなく、後に廃止または専門学校として分離され、帝国大学入学前の高等教育機関としてのみ発展した。1918年に改正された高等学校令では、男子の国民道徳を充実させ、高等普通教育を完成する事を目的とし、また公立、私立の高等学校設置が認められるようになり、終戦後まで発展を遂げた。これら高等学校のエッセンスは帝国大学への進学保証制度であり、戦前社会のエリート層揺籃の場として機能した面があり、当時の社会制度の根底を支える機関の一つであった。類似の制度に大学予科があるが、入学資格や大学進学条件に旧制高等学校とは違いがあり、別の機関である。 その初めは、文部省が東京に作った東京大学予備門である。東京大学の初期の教官は「大臣よりも高い」俸給で雇われた欧米のお雇い外国人たちが占め、カリキュラムはヨーロッパの大学に倣い、教科書は原書、授業もノートも答案も外国語という状態であった。このため、専門教育を受けるためにはまず英語やドイツ語等の高い語学能力が不可欠であり、これを身につける予備教育機関として作られたのが大学予備門であった。 1881年の政変で大隈重信を失脚させて実権を握った伊藤博文らは、官僚機構を整備するため東京にある官立諸学校を、文部省の作った東京大学に全て併合し、唯一の総合大学である「帝国大学」と改め、ここを官吏、学者の養成学校とした。東京大学が「帝国大学」となると、その予備教育機関は全国に学区ごとに五つ置かれることになり、東京大学予備門は第一学区である関東地区の第一高等中学校となり、その後、改称により最初の高等学校となった。これが旧制高等学校である。前身の詳細については高等中学校を参照。 旧制高校の1学年の定員と帝国大学の定員とは戦前期を通じてほぼ1対1であったため、高等学校の卒業証書さえあれば、専攻を選ばない限りどこかの帝国大学には無試験で入学できた。こうした「身分保障」があったため、勉強はそこそこに学生生活を謳歌した学生たちが多い。同じ学年に3年留まると放校(退学)となるため、「計画的」に高等科3年間の修業年限を1回ずつ落第し、6年居続けた猛者も居たという。 1918年以降は高等学校は官立でなくても設立できたため、三菱財閥の岩崎家が私立の成蹊高等学校、阪神地区の財界人が同じく私立の甲南高等学校の設立をそれぞれ後押しし、そこでは、高等学校尋常科を設け、尋常科に入学すれば、そのまま高等科を経て、無試験で帝国大学まで行けるコースを作った。また、明治時代に創設された学習院は宮内省が華族の子弟の教育のために設立されたものであるが、旧制高校として制度的にまったく同等に位置づけられたのは1921年以降である。富山県立富山高等学校のように、地元の素封家が県に莫大な寄付をして設立させた例もある。こうした学校は、高等科だけではなく尋常科もある7年制の高等学校であった(学習院は8年制)。 一高をはじめとする官立の高校の多くは、当初の形態通り3年制の高等科だけが置かれた。高等学校の3年間の就業年限の内、学生は英語・ドイツ語・フランス語のどれかを専攻し、一般教養科目を併せて履修した。クラス編成としては、文科甲類(第一外国語が英語)、文科乙類(ドイツ語)、文科丙類(フランス語)、理科甲類(英語)、理科乙類(ドイツ語)が置かれ、理科乙類は医学部進学コースとなっていた。年限的に言うと、現在の大学の1・2年生に対する教養課程を縮約したものに相当するが、当時の学生の気風と地位を考慮すると、高等教育が大衆化した現代ではこのような機関が存在しないと言える。最終的に全国に39あった旧制高校の中でも、明治期に創設された第一高等学校から第八高等学校までは、政官界に卒業生を早く送り込んで後発の学校よりも優位に立ったため、他との区別で、特に「ナンバースクール」(「n高」から)と呼ばれた。このため、新制に移行した後も「ナンバースクール=エリート校」の尊称のような慣用句的な用法として残り、各自治体での旧制中学時代も含んだ主に公立高校を中心(一部では私立高校でも)に、数字の付された学校をローカルに「○○のナンバースクール」などと呼ぶことがある旧制中等学校から新制高等学校への系譜に関しては、必ずしも番号を付した学校群や番号の順番に難易度が定まっていたわけではない。実際の難易度を検証した場合、昭和10年代から一高の次に難しいのは浦和高校であったし、ほかにも東京高校、大阪高校、静岡高校などは多くのナンバースクールよりも入学困難で、必ずしもナンバースクールが地名校より優秀だったわけではない。また、真に優秀な人間は小学校から(中には5年から飛び級で)、東京高校や府立高校、浪速高校の尋常科に入り、一高はその残りかすであると豪語するこれらの学校のOBも存在する。。 第六高等学校以降では地元の誘致の熱意もその設立に大きな影響を与えた。第六高等学校の誘致には、岡山と広島がその座を争い、国会議場の外で代議士が掴み合いになった逸話も残っている。第七高等学校の場合は、松本に内定していたのが諸般の事情で急遽鹿児島に変り、また第九高等学校の設立を巡っては、新潟と松本の間で熾烈な誘致合戦が起こり中傷合戦に至る泥仕合化したが、最終的に「第九高等学校」と命名するのは避け、新潟高等学校および松本高等学校と地名を付けることで決着した。以後の設立高校の命名には、この事態を考慮し学校所在地に倣った命名になった。これらを先の「ナンバースクール」との対比・区別の意味で「地名校(スクール)」或いは「ネームスクール」と呼ぶ場合もある。 第二次世界大戦後の学制改革によって旧制高等学校は旧制大学や他の高等教育機関と統合して、その多くは新制大学の教養部や文理学部の母体となった。旧制高校在学中に学制改革によって新制大学に入学した人物には、作家の野坂昭如(新潟高等学校から新潟大学、のち早稲田大学)や高橋和巳(松江高等学校から京都大学)や開高健(大阪高等学校から大阪市立大学)や小松左京(第三高等学校から京大)、井原高忠(学習院高等科から慶大)、旧制大学を前身としない大学学部卒で初めて事務次官になった小長啓一(第六高等学校→岡山大学)らがいる。また映画監督の山田洋次は山口高等学校在学中に学制改革に遭い、新制東京都立小山台高等学校から東大に進んだ。 学制改革実施前、旧制高等学校を「ジュニアカレッジ(改革後の短期大学に相当)」として存続を模索する動きもあったが、幻に終わった。 旧制高等学校を懐かしむ卒業生は、戦後においても日本寮歌祭を開いたり、「日本の教育改革を進める会」を結成して、旧制高等学校の長所を訴えていた。しかし、あくまで国立の高等教育機関としての復活を希求していたせいか、私立でエリートに対する一般教養教育の短期大学や高等専門学校を設置する動きはなかった。ただし公立ではこういう学校が存在した。1950年に設置され、1955年に廃止された和歌山県立理科短期大学がそれである。 新制東京大学教養学部の設置は、旧制高等学校の教養主義的な伝統を残そうとした動きである。また終戦直後に国際基督教大学(ICU)教養学部の設置に携わった旧帝国大学卒の有力者たちは、そのリベラルアーツ・カレッジの理念に旧制高等学校の善さを継承させられる可能性を期待した。 入学・教育課程・卒業 入学資格は、高等科は旧制中学校4年修了時、尋常科は小学校もしくは国民学校卒業時だった。高等商業学校などの専門学校の受験資格は旧制中学卒業年次(5年)であったが、高等学校は下記のとおり7年制高校の出現により1年間の「飛び級」が認められていたため、高等科の受験資格はそれより1年早い旧制中学4年修了であった。このため4年修了で高等学校を受験するのが一般的であり、合格するものも数多くいた。 1894年の高等学校令に基づく初期の官立高等学校はすべて3年制だったが、大正7年の新高等学校令では修業年限は尋常科4年と高等科3年をあわせて7年が基本とされた。しかし、旧来の高等科のみの設置も許されたため、実際には官立の高校は新設の東京高等学校を除いて戦前最後の旅順高等学校まですべて高等科のみの3年制であり、逆に私立はすべて「飛び級」のできる7年制であった。なお、太平洋戦争が激化すると、非常時の臨時措置として1942年、43年には半年繰り上げの2年半で、また、1943年入学の学年からは法改正により正式に修業年限が2年に短縮された。ただし、終戦直後の1945年9月に再び修業年限3年に改められた為、2年の年限で卒業したのは1943年入学の学年だけである。 1940年4月入学→1942年9月卒業(正規3年・半年短縮) 1941年4月入学→1943年9月卒業(正規3年・半年短縮) 1942年4月入学→1943年11月仮卒業→1944年9月卒業(正規3年・半年短縮) 1943年4月入学→1945年3月卒業(正規2年) 1944年4月入学→1947年3月卒業(正規2年・1年延長) 1945年4月入学→1948年3月卒業(正規2年・1年延長) 1946年4月入学→1949年3月卒業(正規3年) 1947年4月入学→1950年3月卒業(正規3年) 1948年4月入学→1949年3月修了 高等科は文科と理科に分けられ、さらに英・独・仏の第一外国語別に甲・乙・丙各類に分かれていた。但し、仏語を第一外国語にする類を置いた高校は第一高等学校・第三高等学校・静岡高等学校・大阪高等学校・浦和高等学校など少数にとどまった。 帝国大学の定員は、旧制高校の卒業生とほぼ同数だったので、卒業後の専攻をえり好みしなければ、卒業後の帝国大学進学を保証された。このため地方の帝国大学や官立大学では募集学科によっては定員割れも生じ、京城帝国大学や北海道帝国大学など後発大学では独自に「予科」を設けて早くから質の良い学生を確保する手法をとった。但し、大学の定員割れは、旧制高校卒業・卒業見込者の充足が優先され、高等実業学校からの進学希望者で補充されることは稀だった。 一方、一般的に医学部や東大工学部航空学科等の東大京大の理学部・工学部の人気学科、東大法学部は志望者が多いため、倍率が2倍、3倍となることも少なくなかった。もっとも東大法学部の場合、試験範囲は英文和訳、和文英訳のみであり、今風に言えば入ゼミ試験のようなものであった。これら人気学部学科への進学においては浪人するものも少なくなく、白線浪人と呼ばれた。 旧制高等学校群に於いて初等教育機関を包含していた学校は、甲南、成城、成蹊がある。これらの諸学校では小学校に入学することで将来、東京帝国大学をはじめとする帝国大学群への進学に直結することとなり人気を集めた。なお、旧制高等学校ではないが、学習院も初等教育機関を包含していた。 スタイル 旧制高校生の典型的な身なりである、白線帽にマント、高下駄を履き、寮歌を高吟して街を練りあるく姿は、多くの中等学校生徒の憧れであった。白線は二条または三条であり、旧制高校生の象徴であった。しかし私立高校では白線帽を被らせない学校もあったので、成城高校のように、生徒がそれを不満として「白線運動」を起こしたところもあったという。一方日大予科などでは、旧制高校とそっくりな白線帽を被っていた。 ストーム 旧制高校一覧(高等学校令によって設置されたもの) (カッコ内は学制改革後) 三年制 ナンバースクール 詳細は旧学制から新学制への移行措置を参照 高等中学校 旧制高等学校 新制大学 第一高等中学校 第一高等学校 東京大学教養学部 第二高等中学校 第二高等学校 東北大学教養部 第三高等中学校 第三高等学校 京都大学教養部 第四高等中学校 第四高等学校 金沢大学法文学部・理学部・教養部 第五高等中学校 第五高等学校 熊本大学法文学部・理学部 - 第六高等学校 岡山大学法文学部・理学部・教養部 鹿児島高等中学校造士館1887年に開校するも、1896年に廃校。1901年に第七高等学校造士館として開校した際には、鹿児島高等中学校造士館の再興と看做されていた。 第七高等学校造士館第七高等学校造士館は、第二次世界大戦後に造士館の名を外し、廃校時には単に鹿児島大学第七高等学校であった。これは進駐軍の意向とも言われるが、明確な証拠は確認されていない 鹿児島大学文理学部 - 第八高等学校 名古屋大学教養部(現情報文化学部・教養教育院) ネームスクール 1918年(大正7年)、原敬内閣の下で「高等諸学校創設及拡張計画」が4450万円の莫大な追加予算を伴って帝国議会に提出され可決された。その計画では大正8年から6年計画で、官立旧制高等学校10校、官立高等工業学校6校、官立高等農林(農業)学校4校、官立高等商業学校7校、外国語学校1校、薬学専門学校1校の新設、帝国大学4学部の設置、医科大学5校の昇格、商科大学1校の昇格であり、その後この計画はほぼ実現された。この際に新潟と松本の間で「第九高等学校」の名称の奪い合いがおきたため、番号をやめて地名を用いるようになり各地にネームスクールが誕生することになった。 旧制高等学校 新制大学 山口高等中学校1886年(明治19年)11月に、第一(東京)・第三(大阪、後に京都へ移転)に次ぐ全国3番目の高等中学校として山口市亀山地区に設立され、1895年に山口高等学校と改称(通称「旧旧山高」)したが、他府県出身者が多くを占めたため1905年に山口高等商業学校に転換。 山口大学経済学部 新潟高等学校 新潟大学人文学部・理学部 松本高等学校 信州大学文理学部 山口高等学校1895年山口市亀山地区に開校した通称「旧旧山高」は1905年に山口高等商業学校に転換されていたが、これとは別に1919年山口市糸米地区に改めて開校(通称「再興山高」)して学制改革を迎えた。 山口大学文理学部 松山高等学校 愛媛大学文理学部 水戸高等学校 茨城大学文理学部 山形高等学校 山形大学文理学部 佐賀高等学校 佐賀大学文理学部 弘前高等学校 弘前大学文理学部 松江高等学校 島根大学文理学部 大阪高等学校 大阪大学一般教養部南校 浦和高等学校 埼玉大学文理学部 福岡高等学校 九州大学教養部 静岡高等学校 静岡大学文理学部 高知高等学校 高知大学文理学部 姫路高等学校 神戸大学教養部(姫路分校)新制神戸大学は神戸経済大学予科と姫路高等学校を包括したため、統合移転するまで教養部の教育は御影分校と姫路分校とに分かれて行われて、文理学部が御影分校にあった。また1953年まで数学科が教育学部の赤塚山校舎にあった 広島高等学校 広島大学教養部(現総合科学部) 旅順高等学校 (廃止) 官立富山高等学校 富山大学文理学部公立富山高等学校高等科を官立移管して、1943年に開校 学校順は、日本寮歌祭等のオーダーによった。 七年制 七年制高等学校は制度的に高等教育機関と位置づけられているものの、実質的には一つの学校で中等・高等教育機関を兼ねていた。このため学制改革に際しては、高等科は新制大学へ尋常科は新制中学校・高等学校へ、それぞれ移行したと考えるのが一般的である。 種別 旧制高校(七年制) 新制大学 新制中学校・高等学校 官立 東京高等学校 東京大学教養学部 東京大学教育学部附属中学校・高等学校(現東京大学教育学部附属中等教育学校) 台湾総督府立台北高等学校 (廃止、国立台湾師範大学に転換) 公立 富山県立富山高等学校 (1946年閉校1943年に高等科を官立に移管、尋常科は募集停止の上1946年に閉校) 東京府立高等学校→東京都立高等学校 東京都立大学教養部(現首都大学東京) 東京都立大学附属高等学校(現東京都立桜修館中等教育学校) 大阪府立浪速高等学校 大阪大学一般教養部北校 (尋常科廃止) 私立 武蔵高等学校 武蔵大学 武蔵中学校・高等学校 甲南高等学校 甲南大学 甲南中学校・高等学校 成城高等学校 成城大学 成城学園中学校・高等学校 成蹊高等学校 成蹊大学 成蹊中学校・高等学校 その他 学習院の中等科・高等科(現在の学習院高等科・学習院大学) 学習院は、学習院学制に基づいて設置された官立の学校である。また、宮内省直轄という特殊な教育機関であった。当初は初等学科(6年)、中等学科(当初は6年のち5年)、補習科、高等学科、大学別科(1905年廃止)などが置かれていたが、1919年に初等科、中等科、高等科と改称され、学校教育法が施行されるまでその体制が続いた。当初の学習院学制では補習科および高等学科は中等科の卒業生を対象とした2年制の教育機関という位置づけとなっていた。明治期から大正期にかけては帝国大学への進学も完全に保証されたものではなく、高等学科の卒業生は帝国大学側に定員割れが生じた場合や院長の推薦によりのみ帝国大学への進学が許されるなど制度として一定していない。他の旧制高校高等科卒業生と全く同等の帝国大学への進学許可が制度的に保証されるようなったのは1921年の文部省令第二七号によるものである。 戦後特設高校 戦後に医学・歯学教育は大学(旧制大学)で行うこととなり、旧制医学専門学校あるいは旧制歯科医学専門学校は旧制大学に昇格したが、このうちいくつかは大学昇格の基準を満たすことができず、在校生徒救済のために旧制高等学校に改変された。これを戦後特設高校と呼ぶ(ただし官立徳島高等学校は異なる経緯で旧制高校となった)。医大の予科的な位置づけであり、一部は学制改革時新設された新制大学に包括された。 旧制医専・歯専 戦後特設高校 新制大学 秋田県立女子医学専門学校 秋田県立高等学校 (1950年閉校、設備は秋田大学へ) 東洋女子歯科医学専門学校 東洋高等学校 東洋女子短期大学→東洋学園大学 日本女子歯科医学専門学校 日本高等学校 日本女子衛生短期大学→湘南短期大学・神奈川歯科大学 山梨県立医学専門学校 山梨県立高等学校 (1950年閉校、設備は山梨大学へ) 山梨県立女子医学専門学校 徳島医学専門学校 官立徳島高等学校3・4年次のみ。1・2年次はA級判定され、徳島医科大学に昇格 徳島大学 福岡県立医学歯学専門学校医学科 福岡県立高等学校医学科のみ旧制高等学校へ転換。歯学科は福岡県立歯科医学専門学校を経て新制九州歯科大学に (1951年閉校、設備は九州歯科大学へ) 長崎医科大学付属医学専門部 官立長崎高等学校 長崎大学 大学予科 旧制高等学校に類似するものの(高等学校令に基づかないで設置されたもの)個別に連携された大学へのみ進学を前提とした高等教育機関であり、この点は旧制高等学校とは制度的に大きく異なる。 註 関連書籍 週刊朝日 『青春風土記;旧制高校物語』(全4巻) 朝日新聞社、1978年-1979年 秦郁彦 『旧制高校物語』 文春新書、2003年 ISBN 4166603558 海後宗臣(監修) 『日本近代教育史事典』 平凡社、1971年 『日本近現代史辞典』 東洋経済新報社、1978年 尾崎ムゲン作成「文部省管轄高等教育機関一覧」参照 秦郁彦(編)『日本官僚制総合事典;1868 - 2000』 東京大学出版会、2001年 「主要高等教育機関一覧」参照 『わが青春・旧制高校』(ノーベル書房、1969年) 関連項目 大学予科 旧制高等学校記念館 高等教育 帝国大学 旧官立大学 旧制大学 旧制専門学校 高等商業学校 高等中学校 師範学校 戦後特設高校 寮歌 - 学生寮 学歴 ナンバースクール エリート 旧制学校 第一高等学校 学制改革 新制大学 駅弁大学 高専柔道 外部リンク 華麗なる旧制高校巡礼 - 各校校地の現状などを紹介 『寮生OBが歌う三高寮歌をお楽しみ下さい』 - 京都大学 吉田寮 同窓会 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年3月23日 (日) 03 17。
https://w.atwiki.jp/kiririn/pages/408.html
541 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 17 38 11.24 ID JQ/z059SP 540 京介・桐乃、それぞれ大学、高校進学→京介一人暮らし→アンタの家のほうが学校から近いからあたしも一緒にすむね →おまっ!仮にも俺男だぞ。二人きりとか…→何よ、あんた普段あんなこと言うくせに妹襲うっての?変態!シスコン! →俺はシスコンじゃねえ!上等だ、好きにすればいいじゃねえか!→んじゃ問題ないわね→…あれ? でおk 545 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 18 06 15.53 ID jerntG270 541 きょーすけの大学進学まで待てないよ!と思ったけど、もう夏だし、もうそろそろだよな ただ、京介は自分から一人暮らしとか言っちゃうのかね 「妹がいなくてせいせいするぜ!」とか言って3日もたんぞw 「親父、俺、4月から桐乃と二人暮らしする」てな具合になるか…… 546 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 18 12 37.58 ID 8AU5IGSJ0 541 「こんにちはー、隣に引っ越してきた新垣あやせですー」 550 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 18 17 21.15 ID ebf+5gLS0 546 「あれ?お隣さん、昨日までは・・・」 552 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 18 24 22.34 ID NWx+jBwh0 550 どこか山の方に行かれたとか・・・ 553 名前:あやか[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 18 29 08.10 ID SCWpyfreO 新垣あやせさんをまるで怖い人のように印象操作するのは感心できません。 -------------
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1 出席管理の責任は誰にあるか。 2 その管理責任者は、生徒が正当な事由なしに[ア]日間欠席しているときには、[イ]に報告しなければならない。 3 就学免除は[ウ]が[エ]に対して行い、[エ]が認めるものである。 4 就学免除を受けた者は義務教育を受けていないことになる。彼らが高校に進学することは可能か。 教育法規5解答
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民間出身校長が行く(5) 「よのなか」科 授業普及へ 教育ルネサンス(読売新聞/2009/06/05) 学校選択制どうなる 23区アンケート(東京新聞/2008/11/03) 杉並区立和田中の「夜間塾」開講、都教委が「待った」(産経新聞/2008/01/07) 区立中の塾開講を評価 石原都知事(産経新聞/2008/01/08) 【主張】公立中「夜間塾」 教師の質向上につなげよ(産経新聞/2008/01/10) 「不適切ではない」と都教委 和田中の特別授業(産経新聞/2008/01/24) 成績上位者対象 杉並区立和田中の進学塾連携授業が始まる(産経新聞/2008/01/26) 戸惑いながらも真剣に 有料特別授業(産経新聞/2008/01/26) 【公教育を問う】第1部 私立人気の影で(2)塾頼みの学力格差是正 民間出身校長が行く(5) 「よのなか」科 授業普及へ 教育ルネサンス(読売新聞/2009/06/05) http //www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20060509us41.htm 校長自身によるユニーク授業が、普及に向けて動き出した。 教室内を歩き回り、生徒が発言すると「はい、拍手」「いい線行っているね」と藤原和博校長(50)が盛り上げる。自身が手がける東京都杉並区立和田中学校の「よのなか」科の授業だ。 先月19日の初回は、おなじみのテーマ「1個のハンバーガーから世界が見える」。ハンバーガー店の店長になったつもりで、どこに出店すれば売れるか、みんなで考えるのが課題だった。駅の利用者数が話題になると、自分の携帯電話を手渡し、学校近くの駅に取材させた。 テンポの良さが藤原流。退屈そうな生徒はいない。生徒たちはこれから「原価構造」や「貿易と為替の動き」も学んでいく。「生徒に日々のニュースが気になるようにさせる」のが神髄だ。近い将来、こんな授業が全国で見られるようになるかも知れない。 藤原さんは教育関係者を対象に今夏から、「よのなか」科のカリキュラムや授業技術を伝授する研修を始める。東京、大阪で計3回、各2泊3日の日程で定員は計150人。受講者が各地で授業を普及させる核になってもらう構想だ。 ◎ 「よのなか」科の授業は、藤原さんがリクルート社に勤務していた1998年、中学の公民教科書が現実社会とかけ離れた描き方をしていることを訴えるため、「人生の教科書『よのなか』」を出版したのがきっかけだった。 杉並区在住で、山田宏・杉並区長が旧知の存在だったこともあり、その後、助言者として教育委員会入り。1年後に校長になった。今年が4年目だが、新しい授業にはリクルート社時代からかかわってきた。 現在は和田中勤務の杉浦元一教諭(33)は、前任校の東京都足立区立十一中学校時代から、藤原さんの協力を得て授業に取り組んできた相棒のような存在だ。その杉浦さんいわく、「当時、全国から視察にきた教師の中には、『豊富な人脈のある藤原さんだからできること。とてもまねできない』と言って帰った人も少なくなかった」。 でも、杉浦さんはそうは思わない。「商店街の店主や工場の経営者など、地元の身近な人を呼んでも十分に展開できる」 新しい授業は、これまでに保護者や地域住民も含めて約3000人が見学した。その中には「自分もやってみたい」という教師も少なくない。研修はその期待にこたえるものだ。一方、教師が導入したくても校長が難色を示したり、校長が積極的でも教師の協力が得られなかったりといった学校もある。 大学生が生徒の勉強の面倒を見る「土曜日寺子屋(通称ドテラ)」や、住民・保護者らのボランティア組織「地域本部」の創設など、矢継ぎ早に改革を進めてきた藤原さんが、「教育現場は確かに保守的だが、やる気があればできる。研修をその起爆剤にしたい」と力を込める。その自信は、これまでの実績に裏打ちされている。(木田滋夫) 「よのなか」科 「世の中のすべてが教材」という考え方のもとに、生徒に身近なものから経済や地方自治、法律などの「世の中」を考える授業。生徒が店長や検察官などの役割を演じたり、講師を招いて一緒に考えたりする。和田中ではこれまでに、時計の夜光塗料で世界的なシェアを持つ地元企業の社長、杉並区長、弁護士、工務店社長らが講師を務めた。 (2006年5月9日 読売新聞) 学校選択制どうなる 23区アンケート(東京新聞/2008/11/03) http //www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008110390070857.html 東京都江東区が縮小を決め、前橋市が廃止する公立小中学校の学校選択制をめぐり、東京新聞は導入が進む東京二十三区の区教育委員会にアンケートをした。有意義だと強調する区もあれば、地域との関係希薄化や児童生徒数の偏りなどの問題に頭を悩ませている区も浮かんだ。文部科学省は「メリットとデメリットを確認し、検証する時期に入った」といい、各自治体での検証作業が活発化しそうだ。 (小林由比、中沢佳子) 「学力レベルが高く、先生たちにも自信が見られた。もし、中学受験を希望することになっても、対応できると思った」。江東区で小学四年と二年の男児を電車で学区外に通わせる女性(45)は選択制の恩恵を認める。駅まで約十五分歩き、地下鉄に乗る。「PTA役員の仕事などで通うのに親も大変」だが、児童の指導方法や保護者への情報提供の仕方など学校に満足している。 しかし、江東区は来年度から選択制を限定的な内容に見直す。女性は「制度が変われば、うちの辺りからは通えなくなる。通わせたかったのに、という不満も出るはず」と推測する。 江東区の制度導入は二〇〇二年。全学年が選択制下で入学し終えたため、昨年から制度の在り方を検証してきた。その結果、来年度からは指定校への入学を原則とし、小学校は徒歩で通える範囲に限るほか、中学校でも希望校の抽選に漏れた場合は指定校への入学とする-など制度の縮小を決めた。重視したのは「地域と学校や子供たちとのつながりが薄れる」という町会などの声だ。 文科省は中央教育審議会に作業部会を設け、制度の検証を始めている。今後、江東区や前橋市などからも報告を求める見通しだ。ただ、現段階では、二十三区内でほかに具体的な制度見直しの動きはない。 大都市部で最初に制度を導入した品川区は「選択制自体が目的ではない。総合的に教育改革を進めた結果、学校が変わり、児童生徒の学力も向上した」と意義を強調。入学者が少ない学校を支援するなど同区の姿勢について、文科省は「選ばれなかった学校への支援をどうするか考えた上で実施している」と評価する。 また、小中学校で制度を運用している荒川区は「保護者アンケートでは約七割が賛成」と制度への多くの支持を例示する。 半面「学区外の保護者から学校や地域運営への協力が得られにくい」(港区)、「通学時の安全確保がしにくい」(葛飾区)、「うわさや風評に左右され、学校選択ができることで逆に悩んでしまうケースがある」(目黒区)など課題を指摘する区も。「教育内容で選ぶ」という制度の趣旨が徹底されていない側面もみられる。 さらに「年度により在籍数が変わり、学校運営が不安定になる」(文京区)など学校運営上の悩みを挙げる区もあった。 墨田区は「導入目的が達成されているかを探る」として保護者らに行ったアンケートを分析するほか、江戸川区は「まずは検証を進めていく」としており、制度の功罪を見極めようとする動きが出ている。 ■問題あれば工夫を 政策研究大学院大学客員教授(教育政策)の戸田忠雄氏の話 学ぶ権利を保障する意味で学校選択制は良いこと。児童生徒や親の立場で考えるべきで、反対を唱える人は行政の立場で考えているのではないか。 人数の偏りなど問題があれば、選択範囲を制限するなどやり方を工夫すればいい。江東区も部分修正であって選択制に変わりはない。公立学校の学力格差や地域との関係の薄れを反対の理由とする考えは、私学の存在を無視しており成り立たない。 ■出直した方がいい 教育評論家の尾木直樹氏の話 学校選択制は教育論でなく規制緩和論から始まったことが問題。規制を緩和すれば良いことがあるとの幻想にとらわれて広がったが、子供にとっても地域にとっても出直した方がいい。 全域または一定のエリア内で自由に選べる選択制ではなく、いじめや交通の便、部活動など事情があれば、指定校以外の学校にも通えるという柔軟なやり方に収れんさせた方が現実的。保護者は学校の選び手ではなくつくり手になるべきだ。 (東京新聞) 杉並区立和田中の「夜間塾」開講、都教委が「待った」(産経新聞/2008/01/07) http //sankei.jp.msn.com/life/education/080107/edc0801072227000-n1.htm 東京都の杉並区立和田中学校(藤原和博校長)で9日から実施予定の進学塾講師による夜間有料特別授業「夜スペシャル」について、東京都教育委員会は7日、「入室テストで対象者を絞るなど、義務教育の機会均等の観点から疑義がある」などとして杉並区教育委員会に対し、実施の再考を求める指導・助言を行った。 地方教育行政法48条による措置で区教委は指導・助言に拘束されない。文部科学省によると、都道府県教委が市区町村教委の独自の取り組みに待ったを掛ける指導・助言を行うのは「あまり例がない」という。 藤原校長は同日夜、「実施方法は変更しない」とした上で、9日から26日に延期することを明らかにした。杉並区教委は井出隆安教育長名で「教育の地方分権が求められている今日、都教委がこのような指導を行ったことはきわめて残念」とのコメントを発表した。 夜スペシャルは、同中の運営を支援する地域本部が進学塾の「SAPIX」と協力し、入室テストに合格した同中の2年生約20人を対象に、平日の夜や土曜の午前に月額1万8000-2万4000円の受講料で受験支援として数学や国語などの授業を行う仕組み。都内の公立中で初の企業出身校長となった藤原校長の発案。授業料は同塾の通常と比べ半額程度。 都教委は、問題点として入室テストによる選抜方法のほか、高額な授業料や、公共性の高い学校施設で特定の私塾が授業を行うのは「公共性・非営利性に反するおそれがある」などとしている。 区立中の塾開講を評価 石原都知事(産経新聞/2008/01/08) 2008.1.8 21 30 東京都の杉並区立和田中学校(藤原和博校長)が実施を予定する進学塾講師による夜間有料特別授業「夜スペシャル」に都教育委員会が再考を求める指導をした問題について、石原慎太郎都知事は8日、家庭の経済状況に応じた授業料設定などの調整をすれば実施は可能との認識を示した。 石原知事は、都教委の指導内容は聞いていないとしつつも「ポジティブに、子供のために足りないものを補うのはいいことだ」と夜間授業を評価する考えを示た。 和田中の取り組みについて都教委は7日、「義務教育の機会均等という観点から疑義がある」などとして杉並区教委に指導・助言をしていた。 【主張】公立中「夜間塾」 教師の質向上につなげよ(産経新聞/2008/01/10) 2008.1.10 03 41 東京都杉並区立和田中学の進学塾講師による有料授業に賛否双方からの議論が起きている。さらに実施方法を工夫し、公教育の信頼回復につなげてほしい。 同中学の藤原和博校長は民間企業からの転身で、地域住民と連携した学校運営などで学校再生を進めてきた。高校受験へ成績アップを目指す上位層を対象に塾講師を呼ぶ今回の試みも、民間出身校長らしい閉鎖性の強い学校現場にはなかった発想だ。 夜間塾は、同中学の保護者ら地域住民でつくる組織が運営し、進学塾が学校に講師を派遣する。 授業は有料で、学力レベルを把握する入室テストもある。月、水、金の午後7~9時半ごろの平日夜間が月1万8000円、土曜午前を加えると2万4000円という。2年生約130人のうち約20人が参加予定だった。 塾講師が補習授業を行うなど、公立と塾の連携は増えている。だが、その多くは自治体が費用を負担している。和田中の場合、通常の塾の半額程度であるが、決して安いとはいえない。 これに対し、東京都教育委員会は、(1)公立学校教育の機会均等(2)学校施設利用の公共性・非営利性(3)教材開発に教職員がかかわる兼業の是非-などで「疑義がある」と待ったをかけ、9日のスタートは延期された。 しかし、和田中の試みは、思い切った学力向上の試みの一つと評価できないだろうか。東京都の石原慎太郎知事は「子供のために足りないものを補うのはいいこと」と述べ、家庭の経済状況に応じた費用負担などを考慮すれば実施できるとの考えも示している。 公立校不信が根強い。特に首都圏では高校受験の「15の春」ばかりか、私立中学を受験する小学生が年々増え、塾通いしない子が少ないほどだ。 公立と塾の連携の一方で、本当に期待されているのは、公立の教師の再生だ。塾の授業の方がおもしろいというのでは教師として恥ずかしい。 一方で、短時間に難解な入試問題を解く“解き方暗記”のような塾方式の指導には、子供によっては必ずしも学力が身に付かないとの指摘もある。 公教育を担う教師の立場は塾講師とは異なるが、それが指導力向上の刺激になるのなら、前向きに取り入れることも必要だ。 「不適切ではない」と都教委 和田中の特別授業(産経新聞/2008/01/24) http //sankei.jp.msn.com/life/education/080124/edc0801241210001-n1.htm 2008.1.24 12 10 東京都の杉並区立和田中学校(藤原和博校長)が計画した進学塾講師による夜間有料特別授業「夜スペシャル」について、義務教育の機会均等の観点などから疑義を示していた東京都教育委員会は24日、「不適切なものではないことが認められた。今後疑義が生じないように期待する」との見解をまとめた。特別授業は26日から実施される。 杉並区教委は23日、当初「学校教育活動」として位置づけていた特別授業を、「学校教育外活動」として位置づけることを決定。進学塾ではなく、地域が主体となって運営することを強調する見解をまとめ、疑義に対する回答書を都教委に提出していた。 24日に開かれた都教委定例会で、都教委は杉並区教委の回答を「指摘した疑義は解消されている」と評価した。 成績上位者対象 杉並区立和田中の進学塾連携授業が始まる(産経新聞/2008/01/26) 2008.1.26 09 53 http //sankei.jp.msn.com/life/education/080126/edc0801260953000-n1.htm 東京都杉並区の区立和田中学校(藤原和博校長)で26日午前、進学塾講師による有料特別授業通称「夜スペシャル」が始まった。2年生の生徒約11人が参加し、2時間強にわたり、塾講師による英語の講義を受ける。 特別授業は、同校生徒の保護者らのボランティアと進学塾「サピックス」(東京)とが連携。放課後の教室を利用し、塾から派遣された講師が有料授業を行う。平日夜に数学と国語を学ぶ週3日のコースと、これに加えて土曜日午前に英語を学ぶコースがある。 2年生約130人のうち、主に成績上位の生徒が対象。高校受験に向けて成績アップを目指す。 入室テストに合格した生徒は1回45分の授業につき500円、月額で1万8000~2万4000円の授業料を支払う。同塾の通常の受講料の半額程度で学び、家庭の経済状況で費用負担が難しい場合には、軽減措置が講じられる。 今回の試みは、平成15年に都内の公立中で初の民間企業出身の校長となった藤原校長が「私立中に行かずに済む受験サポートを」と提案。運営は和田中の保護者や地域住民らがつくるボランティア「地域本部」が行う形を取った。 今月9日に開始する予定だったが、都教育委員会が義務教育の機会均等や公共施設の利用といったことを問題視。杉並区教委に実施の再考を求めるなど論議を呼んだ。 区教委は23日、特別授業を「学校教育外活動」と位置づけることを決め、都教委も24日に「(特別授業は)学力の向上という公共の利益のためで、不適切なものではない」との見解をまとめ、実施を了承した。 同中では大学生らが発案する全生徒対象の土曜補習(年5000円)を実施しているが、今回の試みは成績上位者が対象。 戸惑いながらも真剣に 有料特別授業(産経新聞/2008/01/26) 2008.1.26 11 30 http //sankei.jp.msn.com/life/education/080126/edc0801261130002-n1.htm 東京都の杉並区立和田中で、首都圏を中心に展開する大手進学塾と連携した有料特別授業が26日にスタート。参加した生徒11人は、講師のヒントで答えを見つけていくような授業スタイルに、やや戸惑いながらも真剣な表情を見せた。 初日は英語。午前9時に会場となった視聴覚教室にスーツ姿の小森慎一講師が登壇。「まずは頭の体操に」となぞなぞ形式のプリントを配り、生徒にヒントを出したり、質問に応じたりした。 この日は45分間の授業が3コマ。プリントの問題に取り組んだあと、小森講師は「今日のテーマは節分。日本の文化を英語にしましょう」と説明。「まず日本語で書いて。最終的に自分の考えを英語にしましょう」「一年後には頭の中がやわらかくなってますよ」と語りかけていた。 校内私塾は主に週3日、平日の午後7時から9時35分まで開くため学校側は「夜スペシャル」と命名。暗記中心ではなく、生徒の考える力や分析力を伸ばすよう塾側に要望しているという。 【公教育を問う】第1部 私立人気の影で(2)塾頼みの学力格差是正 2008.1.17 12 41 「さあ、競争だ」。進学塾「四谷大塚」は昨年11月下旬、こんなキャッチコピーを掲げ、小学3年から5年生対象の全国統一テストを行った。 「競争」。以前なら「受験をあおる」などと逆に批判を浴びるため、塾側も遠慮して使わなかった言葉だ。テストには全国約1100会場で約5万人が参加した。 「ゆとり教育」の弊害で、私立と公立、都市部と塾のない地方などの学力格差の不安が広がり、「差」から目をそらせなくなった。 塾のない地方にも自治体が運営する塾などが生まれている。 阿武隈山系に抱かれ、約3300人が暮らす福島県川内村には昨年4月、村営学習塾「かわうち興学塾」ができた。それまで塾といえば隣町頼みで受験期の冬場は親が車で送迎する必要があった。 県内学力試験で「平均以下」という成績に頭を痛めた村が乗り出したのが自前の塾運営だった。村立小5年~中学3年を対象に、授業を学習塾に委託した。7割にあたる83人が、村のコミュニティーセンターで勉強している。 開設して約9カ月。「学習のペースが身に付き、集中力が出てきた」(秋元英男教育課長)。実際、模擬試験でも成績が向上しているという。 「一つのエリート教育かもしれないが学力向上へ必要ではないか」…。 今月9日に開かれた東京都杉並区の教育委員会定例会。区立和田中学の進学塾講師による「夜間塾」について、区の教育委員の意見は推進論が大勢を占めた。 「公教育の機会均等」などで疑義あるとし、いったん待ったをかけた都教委の10日の定例会でも、一部委員が「できるだけ現場に自主性を持たせてほしい」と発言するぐらいで、目立った反対はなく、授業は26日からスタートする予定だ。 進学塾が乱立する杉並区。区が独自に教員を養成する「杉並師範塾」などの施策で「教育立区」としられる。だが小学生の3割超が私立中学受験するなど私立人気は変わらない。 同区は学校選択制で公立中学同士が教育内容を競う。和田中の「夜間塾」は、民間出身の校長の発案で、保護者やボランティアが学校運営を支える「和田中地域本部」が運営する。 数学、英語、国語の主要3教科を対象に有料で、成績上位層を対象にしたのが特徴だ。 実は和田中の「夜間塾」の講師派遣で協力する進学塾「サピックス」は昨秋、似たような話を複数の中学に持ちかけていた。 近隣のある中学では「本校の目標は勉強が苦手な子の支援。原点を確認し対極的にやっていきたい」と見送った。 区内の中学教員からは「公立校の新機軸として画期的だ」と評価の声のほか、公教育の現場に営利企業の塾が入ることに、いまだ賛否が交錯する。 和田中の藤原和博校長は「うちは『土曜寺子屋』と呼ぶ土曜補習で、既に成績下位層の底上げをはかってきた。費用は1コマ500円の計算で安い。格差の拡大ではなく是正だ」とし、「上位層の育成が公立校の本分でないという批判は逆差別だ。結局、『優秀な生徒は塾や私立へ行け』という風潮を助長するだけではないか」と話す。 一方、政府の規制改革会議の専門委員でもある教育アナリストの戸田忠雄氏は「自校の先生は信用できないと言ったのに等しい。日本の公教育全体に対する問題提起といえる。本来は塾と連携しなくても公立校教員が自力で上位層の学力を伸ばさないといけない。教員の資質向上が何より大切だ」と指摘する。 さらに塾が支える学力の脆(もろ)さを指摘する声もある。 『進学塾不要論』(ディスカヴァー)の著者で、出版・学習教室「エム・アクセス」(京都市)代表の水島醉(よう)氏は、「入試問題は大人がやっても時間内に解けない問題が混じる。塾側も『他所より難しい問題を教えている』ことを看板にしないと生徒が集まらない。数%の子供しかできない難問の解き方を無理に教えても学力は身に付かず、逆に伸び悩む子供もいる」と指摘。「スポーツに例えればランニングなど基礎練習をおろそかにし、プロ選手並みのホームランを打つ訓練だけでは、かえって頭の悪い子をつくることになる」と警鐘を鳴らす。
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活動計画書の内容 ↓のような感じで書いてください(A4×1~2枚) ざ~っと下まで読んで書き始めるといいんじゃないでしょうか。 1行目:特別プロジェクト活動計画書(SIMコース研究室紹介) (※センタリングで) 2行目:名前(学籍番号)メールアドレス (※右づめで) 3行目:空白 4行目~:以下の内容を自分の文章で書いてください ◎「今年度の5月祭において研究企画を行うので特別プロジェクト(短期)枠で単位を申請する」 的な文章 ◎企画内容・期間について ┣事前準備・活動 ┃┣4~6人ずつのグループに別れ、研究室を訪問・研究内容について学ぶ ┃┗その後全員で各研究室の学習内容を共有する(やらないけどね) ┣5月祭当日の活動 ┃┣研究内容を簡潔にまとめて展示 ┃┣または研究室から作品や展示物を借りてきて展示 ┃┗訪問客に展示内容などを解説する。 ┗以上のような内容を4月中旬から5月末において行う (※この中に自分のグループの活動内容・自分の担当する仕事などを追加してください) ◎目的・動機 ┣①学生間における結束を高める ┃┣<同学年のつながりの強化> ┃┃ ┣今までに接触のなかった者同士は交流の機会を得る ┃┃ ┗すでに親しい者同士はさらに親密な関係を築けるように ┃┣<学年間のつながりを作る> ┃┃ ┣上級生・院生とのコンタクト、彼らからのアドバイス ┃┃ ┗来期以降進学してくる下級生へ情報・伝統・ノウハウを残せる形で企画を行う ┃┗<コース間・学科間・学部間の連携への発展> ┃ ┗5月祭で企画を行う伝統を確立することで、もっと広い範囲で協力できる体制を目指す ┗②知識を得る・伝える ┣所属する学科についての知識を増やし、所属研究室選択のための助けとする ┗本学科の研究内容を外部に紹介する ┣進学を控えた前期課程の学生に進学先の選択に役立つ情報を提供する ┗受験を控えた高校生などに志望校選択のきっかけを与える ◎活動によって得られる知識、技術 ┣研究室訪問やその後の共有により学べること ┃ ┣各研究室の最先端の研究内容 ┃ ┣研究のアプローチ・手法、各教員の考え方や哲学 ┃ ┗研究室・院生の雰囲気 ┗5月祭当日の活動により得られる技術 ┣訪問客への解説を通してプレゼンテーション能力 ┣内容を簡潔にまとめ展示資料を作ることを通して要約能力・文章力 ┣グループ活動を通してチームワーク・仕事の分担・段取りなどに関する能力 ┃ ┗グループのリーダーはグループをまとめる力 ┗すべての活動を通して総合的なコミュニケーション能力 ◎「以上のような企画内容、目的・動機により5月祭で研究企画を行うので 特別プロジェクト(短期)枠で単位を申請する」的な文章 ↑の内容をいろいろ修飾つけて長々書けば1枚以上の量になるはず。 各項目の順番とかを入れ替えて書くといいんじゃないでしょうか。 (企画内容→目的・動機→知識・技術の順番はそのままで) あとは各自適当に文章を1つ2つ追加したり削ったりしてオリジナリティを出してください。 全部書く必要はないです。(自分の担当する研究室・内容は削っちゃダメです) まぁテキトーに、SIMらしく。( ゜3゜)ぷぇ~
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ここでは、保善高校の設備について紹介します。 食堂 その名の通りメシが食える。 日によって食べれるメニューが違うことは言うまでもない。 曜日によってうまいもの、まずいもの、リーズナブルではないものがある。 正式名称など誰も知らない。 体育館 保善高校の場合は、敷地の中にいわゆる体育館という名の建物があるわけではなく、校舎の一部としての体育館があるだけである。 エアコンがあるが夏は普通に暑い。対して冬はめちゃくちゃ暖かい。 第二体育館 二階建てであり、一階にはトレーニング機材とレスリング場?と思しきフロアがある。 このフロアは実に男子校らしいスパイシーなかほりが漂っている。是非嗅いでみてもらいたい。 また、二階には柔剣道場(後述)がある。 進路指導室 大学進学についての情報がたくさんある。 しかしながら、筆者はここの人たちがあまり好きになれない。 柔剣道場 第二体育館の二階にある。 めちゃくちゃ床が揺れる。入る時にはお辞儀をする。 畳のひいてある柔道のスペースと、剣道のスペースに分割されている。 そんなに広くはなく、また、柔道の畳のほうには、かなりの量の陰毛らしき毛が散乱している。 柔道の授業ではここを利用する。 トレーニングルーム 筋力トレーニングを行うための器具が置いてある。 第二体育館の一階にあり、上には柔剣道場がある。 男子校らしいスパイシーなかおりはどうやらここから発せられてるようである。 自習室 筆者は利用したことがないが、保善生でも数少ない勤勉なストゥーデント達の聖地である。 名前のとおり、この部屋では自習ができる。 入学してから、教員も触れることのない謎の部屋である。 使えるかどうかすら現在の在校生は知らないであろう。 視聴覚室 名前の通り、何かを見たり聴いたりするための部屋である。 ここは有る程度の大きく、部活動では、映画研究会が主に映画を見るのに使用している。 また、文化祭のライブでは、軽音楽部が主にこの部屋を使用してライブを行う。 授業では総合や、模試、あるいはクラスの合同授業などでこの部屋が使用される場合が多い。 パソコンルーム おそらくどこの高校にでもあろう情報の実習授業などを行うところ。 用意されている機種はNECのMateシリーズ(型は忘れた) また、OSはこの期に及んでまだWindowsXPである。 (ちなみにMicrosoftは2011年にここ5,6年内にはXPのサポートを正式に終了すると発表しているので、まさかこういった教育現場において古い情報を学ばせるということはあるまい) 追記 2018年度に確認したところ機種が更新されていた。 校庭 保善高校は人工芝でできた校庭がある。よく、芝に触るなと怒られる(一部を直すのにも数万円するという理由らしい)。とても水はけがいい。また、教師陣は人工芝を保善の長所として売り出している。入学説明会のときに何回も言われてちょっとめんどくさかった。 2022年現在、保善のマークが少しズレる。 校庭の端には生徒らによって抜かれた人工芝が散乱しており、それを集めてまりもを作る新入生がよく見られる。 謎の地下室 食堂からトイレの方に向かった階段にその入り口はある。 おそらくここから地下階に行くことができると思われるが、そこに何があるかは不明。 校内には二箇所入り口がある。 先生達の言葉から察するに、ここには災害用の備蓄食料などが置かれていると思われる。 図書室 蔵書は結構あった。 ジャンルは幅広くあり、先生が一人以上は常にいる。 また、ライトノベルがおいてある。 これが、結構うれしい。
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黒羽 亜夜子(くろば あやこ) プロフィール 性別 女性 生年月日 2080年6月10日 職業 学生 身長 158cm 体重 48kg 家族構成 父 黒羽貢母 東雲亜弥弟 黒羽文弥 得意系統 使用CAD ブレスレット型汎用CAD 声の出演 日笠陽子 (オーディオドラマDVD)内田真礼 (ゲーム、アニメ) 学籍 所属 国立魔法大学付属第四高校(2096年-2099年) 活動 2096年度九校戦選手2098年度九校戦選手 所属 国立魔法大学(2099年-) 黒羽 亜夜子(くろば あやこ)は、司波達也の再従妹にあたる少女である(*1)。 四葉家の分家である黒羽家の長女。黒羽文弥の双子の姉で、文弥の補佐役という立場である(*2)。 リボンとフリルをふんだんに使った服装を好んで着ている。 中学3年にして、四葉真夜の使者を務め、工作部隊を率いて活動する才媛。「ヨル」という偽名を使っている模様。 2096年度から国立魔法大学付属第四高校に入学した女子生徒。 四高進学後は、通学の都合で黒羽の実家を出て、文弥と共に浜松市内のマンションに住んでいる(*3)。 親に比較されてきたためか、生まれが3か月しか違わない司波深雪に対して強い対抗意識を持っている。その対抗意識と亜夜子の父である黒羽貢の子供自慢が激しいため、司波深雪は黒羽家との付き合いを鬱陶しく思っているところがある。 四葉家で訓練を受けた小学生の頃は、まだ自分の魔法の特性が分からず悩んでいた時期があった。司波達也は亜夜子の魔法特性を理解し、『極致拡散』のやり方を教えた。その『極致拡散』により亜夜子は黒羽家の魔法師としての地位を確固たるものとする。そのため、魔法の師匠として、厳しい訓練を共に乗り越えた戦友として、そして親戚の兄貴分として、弟の文弥と同じく司波達也を過大に評価している。また、司波達也に好意を抱いている。 事象を改変することができる領域の広さにおいては、四葉随一の才能を誇る(*4)。 第四高校卒業時にそれまで秘密にしていた四葉家との関係を公表。 卒業後は、国立魔法大学に進学し、同学年を中心メンバーとするグループに「姫」として君臨している(*5)。これまで四葉家が積極的には行ってこなかった表立った交流、「社交」を担う目的のためである。 なお亜夜子本人は、他人の視線に過剰に敏感であり、他人との交流を苦手としている。 四葉家東京本部ビルからワンブロック離れた中層マンションに姉弟で住んでいる。 また、第四高校3年生だった2098年度の九校戦のミラージ・バットにおいて同じく国立魔法大学付属第一高校の3年生・七草泉美と対戦。 自分の得意分野であと一歩まで食い下がられたことが悔しく、魔法大学進学後も泉美のことをライバル視している。 常に数人の護衛がおり、護衛及び「腹心」として伴野涼が傍に控えている。 能力 疑似瞬間移動 フェザー・ラッシュ - 慣性中和した羽根の群れを高速で打ち出し、ターゲットに接触する寸前に慣性増幅させ、重い打撃を叩き付ける術式。(*6) 極致拡散(極散) 略歴 2080年6月 - 誕生 2093年 - 初仕事。泊まり込みのマナースクールを舞台にした無国籍犯罪組織による上流階級子女のマインドコントロール事件の対処のために潜入。土地勘や中高生子女のコミュニティが分からなかったが、善意で首を突っ込んできた空澤兆佐とともに解決。 2096年2月16日(木) - 四葉真夜の代理人として、ヴァージニア・バランスを訪問(*7) 2096年2月19日(日) - パラサイトの封印に成功した二体の器を九島烈の一団と黒羽亜夜子の一団が一体ずつ持ち去る 2096年4月5日(木) - USNAで活動している人間主義団体のメンバーが名古屋に上陸しようとするが、黒羽文弥と共に上陸を阻止し拘束する(*8)。 2096年4月上旬 - 国立魔法大学付属第四高校へ入学。 2096年4月14日(土) - 黒羽文弥と共に司波家(達也・深雪の住居)に訪問 2096年7月21日(土) - 黒羽貢と共にホテルを訪ね深雪に面会しパラサイドールの実験に関する調査結果を渡す 2096年8月3日(金) - 鳴瀬晴海に紹介されて黒羽文弥と共に司波達也に初対面の挨拶をする 2096年8月3日(金) - 司波達也、黒羽文弥、九重八雲と共にスティープルチェース・クロスカントリーのコースを調査する 2096年8月11日(土) - 全国魔法科高校親善魔法競技大会の新人戦ミラージ・バットに出場し優勝する 2096年9月23日(日) - 司波家宅を黒羽文弥と共に訪れ、四葉真夜から司波達也宛てに周公瑾の捕縛について協力を依頼する(*9)。 2096年12月30日(日) - 慶春会出席のため、四葉本邸に到着(*10) 2096年12月31日(月) - 四葉本邸での四葉真夜主催の夕食会に出席(*11) 2097年1月1日(火) - 慶春会?に出席。その場で発表された司波達也と司波深雪の婚約発表にショックを受け、途中退席する(*12) 2097年2月12日(火) - 文弥、達也と共に顧傑の潜伏先となっている座間基地隣の病院を強襲するも、USNA軍の介入により取り逃がす(*13) 2097年2月19日(火) - 文弥と共に達也の元を訪れ、近江円麿の死体から確認した情報を伝える(*14)。出動する達也の代わりに深雪の護衛を務めることを申し出て、泊まる予定だったホテルを引き払い、司波家で文弥と同じ部屋に泊まることを了承する(*15) 2099年3月 - 国立魔法大学付属第四高校を卒業。 2099年4月 - 国立魔法大学に入学。 登場巻数 8巻、11巻、12巻、13巻、14巻、15巻、16巻、18巻、19巻、SS、22巻、23巻、25巻、26巻、27巻、29巻、キグナスの乙女たち6巻、メイジアン・カンパニー1巻、メイジアン・カンパニー2巻、メイジアン・カンパニー3巻、メイジアン・カンパニー5巻、メイジアン・カンパニー7巻、メイジアン・カンパニー8巻、魔法科高校の劣等生 夜の帳に闇は閃く、司波達也暗殺計画(魔法科高校の劣等生 司波達也暗殺計画 2、魔法科高校の劣等生 司波達也暗殺計画 3) コメント アニメ見た感じ身長もっと低いかと思ってたけど七草先輩より高いのか。しかも巨乳。 (2021-09-07 20 33 48) 大学生になってますます出来る女感増したな。無能で乳臭い泉美を無理矢理ライバルに引っ張りだすとか、メイジンでは亜夜子の活躍と成長が大いに期待な予感 (2021-09-09 13 34 39) 11月に3巻が発売されるけどほのかと一緒に出るかもな。 (2021-09-09 17 49 40) ヤリたい!やらせて!付き合って!結婚して!ラブホ行こ!君の金で! (2023-05-02 01 10 12) その前にまず、2dの世界に行くためにdを捨てるところから始めるんだ。 (2024-02-11 12 49 48) なんで仕事でドレスなんてふざけた格好をしているのにクビにならないの?四葉家の教育はどうなってんだ?何で怒られないのか分からん (2023-05-02 01 12 05) 分家の教育方針に本家がいちいち口出しするわけない。ドロップアウトが珍しくないくらい魔法師の能力ってのはメンタルに非常に左右されるから服装くらいで能力が十全に発揮できるなら目くじらたてる方がおかしいのだろう。 (2024-02-04 16 18 55) ナッツ一味にも「さん、ちゃん」付けなのに好感。ヤミちゃんは呼び捨てだけに (2023-12-04 11 08 56) ナッツ側からも上司(文弥)の姉で雇用主(貢)の娘だからか程よい距離感あるのも良い (2024-02-11 12 48 06) デザインが真夜様似だから七草おじさんを狂わせちゃわないかと勝手に心配してる (2024-01-31 17 01 22) 【急募】公安の老け顔おじさんに靡かせないようにする手段 (2024-02-15 14 03 06) 七草おじさんの息子は亜夜子ちゃんに興味ないのかな (2024-05-04 01 48 50) 作劇の犠牲なのかもしれないけど下手ばかりうってるイメージ良く言えばおっちょこちょい (2024-05-26 19 46 23) 九校戦選手 人物 十師族 四葉家 女性 学生 系統外魔法